深森の帝國§総目次 §物語ノ時空葉影和歌集 〉「遠き産土」

遠き産土(うぶすな)――黄昏の祈り

大地震(おおなゐ)揺りて 津波寄すれば
ほろびの曠野(あらの)に 風駈けめぐる

黄泉比良坂 黄泉路越え
返り見すれば 遠き産土(うぶすな)
そのかみ星を享(う)けし故郷(ふるさと)

雲湧き上がる 国のまほろば
かの里よ 遠く呼ばえば

何よりも いとしきものよ 天(あめ)が下
禍ツ霊(マガツヒ)ありとも 花はうるわし

山鳴りすれば 坂をかしこみ
海鳴りすれば 波をかしこみ
この世はかくても ありぬべし

山は険しく 谷は深みて
暴れ川さえ あまたあまねし
木洩れ陽 激(しげ)く ふりしきり
危うきものを 命とかなしむ

風吹き乱る ほろびの曠野(あらの)
荒(すさ)び ざわめく 国のまほろば
繁(しじ)に震えて…時空(にわ)を渡れ

黄泉比良坂 黄泉路越え
返り見すれば 遠き産土(うぶすな)
そのかみ星を享(う)けし故郷(ふるさと)

まことの安らい ここに無く
狂える地霊(つち)の うつろいに
禍ツ霊(マガツヒ)ありとも 幸くましませ

かへり見む――いざ 遠き産土(うぶすな)

憂偲歌(シノビゴト)/葉影和歌集

反歌

|かの国や遠き産土あくがるる鶴鳴き渡る遠き故郷
かのくにや-とおきうぶすな-あくがるる-たづ-なきわたる-とおきふるさと

交響のために ―― 鑑賞:過去の「帰去来」二作品

『歸去來辭』/陶淵明

歸去來兮
田園將蕪胡不歸
既自以心爲形役
奚惆悵而獨悲
悟已往之不諫
知來者之可追
實迷途其未遠
覺今是而昨非
舟遙遙以輕揚
風飄飄而吹衣
問征夫以前路
恨晨光之熹微

『帰去来の辞』――読み下し

歸去來兮(かえりなんいざ)
田園 将に蕪れなんとす 胡(なん)ぞ帰らざる
既に自ら心を以て形の役と爲す
奚(なん)ぞ惆悵として獨り悲しむ
已往の諫むまじきを悟り
来る者の追ふ可きを知る
実に途に迷ふこと其れ未だ遠からず
今の是にして昨の非なるを覚りぬ
舟は遙遙として以て輕く揚がり
風は飄飄として衣を吹く
征夫に問ふに前路を以ってし
晨光の熹微なるを恨む

『帰去来』/北原白秋

山門(やまと)は我(わ)が産土(うぶすな)、
雲騰(あが)る南風(はえ)のまほら、
飛ばまし、今一度(いまひとたび)。

筑紫よ、かく呼ばへば 戀(こ)ほしよ潮の落差、
火照沁む夕日の潟。

盲(し)ふるに、早やもこの眼、見ざらむ、また葦かび、
籠飼(ろうげ)や水かげろふ。

帰らなむ、いざ鵲(かささぎ) かの空や櫨(はじ)のたむろ、
待つらむぞ今一度(いまひとたび)。
故郷やそのかの子ら、皆老いて遠きに、何ぞ寄る童ごころ。

解説

作中の「黄泉比良坂」「黄泉路」のイメージと、菜の花の鮮やかな黄色のイメージとが重なっていたため、 ここでの「花」というのは、伝統的に言う桜では無く、菜の花のイメージになります。

黄泉路を思わせる古代の和歌で、『万葉集』に以下のような挽歌があります:

山吹の立ちよそひたる山清水汲みに行かめど道の知らなく/高市皇子(巻2-158)

この古代の挽歌では、黄泉路のイメージは、溢れんばかりの黄色に彩られたものとなっています。 永遠の生命力に溢れた黄金色とも比すべき黄色が、死者の道行きを彩るカラーになるのは何とも不思議なことですが、 古代人が感じていた「命」の感覚の中で、何らかの交感があったのに違いないと思われるところです(=共感覚的な何か)。

そして、滅び行く命の記憶がかもしだす、おぼろな「黄泉還り」のイメージ…

それゆえ、今回、サブタイトルに「黄昏の祈り」と題してみました。


§総目次§
物語ノ岸辺物語ノ本流物語ノ時空物語ノ拾遺