深森の帝國§総目次 §物語ノ時空.葉影和歌集 〉「青嵐」

青嵐

せり上がる 日輪の軌道
鈴の音さざめき 鳴りわたる……

ぬくめる海より 風が起これば
桜の花が 散り落ちぬ

ああ 名残の春よ 日影まばゆし

舞い散る花も 野辺の蝶も
霊(たま)ひるがえり あおい空を かき乱す――

亡き人と 行き逢う時空(にわ)に 季節(とき)がめぐる
何よりも ちかくて とおい 夢の国
青嵐しげく 吹き敷くところ

目くらめく 五月(さつき)の ひかりの しろさ まばゆさ
燃えるような 躑躅(つつじ)のにおい
切なく寂しく ほろびゆく……われは

白い雲は 雄々しく形を成し
海をすさぶ魚群(なのむれ)のごとく
八重波山を おしわたる

解説

古来、霊は空気をかき乱すもの、と思われていた節があります。強い力を持った言霊も同じで、 「青い空をかき乱す」というくだりは、この想念を反映しています。

おそらく、同じものを見ている――と思われたポエジーを、以下に採用してみました。

◆ゲルマニア ――「ヘルダーリン詩集」より
――わが身に起きたことも覚えぬままに ひとは
――かつてあった者たちの幻を感じ
――地を新たに訪(おとな)う 遠い世の者たちを感じ取る。
◆ヘルダーリン:「追想」
――海は記憶を奪い、そしてまた与える
◆山中智恵子『虚空日月』
――水ゆかば秋草ひたす雲離れ空に陥ちけむ声玲瓏(もゆら)なる

実のところ、何を表現しようとしたのかは、うまく説明できない――という気持ちのほうが強いのですが、 哲学的表現で言うならば、虚空の中に自我が分解する、といったものに近いです。

風の流れ、雲の流れと一体化する〈経験の地平〉とは、そういう事ではないでしょうか。 虚空を見つめ、虚空に魅入られているうちに、いつしか「私」の無い、虚空の深淵が開けるのです。 そこは、深い色合いの光と影が変転する、限りない時空であります。

亡き人を思う――または、追憶――という、人間の心の機能。

それは、〈深淵〉と交差する可能性をはらんで広がるものに違いありません。


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