―瑠璃花敷波―20
part.20「敷波の行方*2」
(1)奪い、また与えしもの(前)
(2)奪い、また与えしもの(後)
(3)虚実の狭間の結節点(前)
(4)虚実の狭間の結節点(後)
(5)暮れなずむ二重の情景(前)
(6)暮れなずむ二重の情景(後)
(7)それぞれの岸辺
(8)名も無き補遺
*****(1)奪い、また与えしもの(前)
――『3次元・記録球』の再生が終わった。
映像の中のサーベルは、なおも凶悪な人相をして、笑い続けていた――空席の上に再生され続けていた『風のサーベル』の立体映像が、ゆっくりと消えていく。
いつしか、茶室に面した中庭に降り注ぐ陽光は、薄いオレンジ色をまとっていた。
*****
貴種レオ族にして大貴族『風のサーベル』。
裏の顔は、非合法の奴隷商人。なおかつ『勇者ブランド』魔法道具を扱う闇ギルド商人にして《雷攻撃(エクレール)》使い、『雷神』。
自ら『至高の天才』と名乗るのも頷ける程の、すさまじいまでの優秀な頭脳と、実行力の持ち主だ。
シャンゼリンとサフィールの、『飼い主』と『闘獣』の関係を割り出した経緯と言い、サフィールの生存の可能性を結論した経緯と言い――
しかも、あんなにゴチャゴチャしていた陰謀の背景を、スッキリと時系列に沿って、秩序立てて説明できるなんて、普通に頭が良いというだけの人には、できないと思う。
サーベルが明かした内容は、あの尊大な話し方のせいもあるのか、さすがに正直言って、モヤモヤする部分は多々あるにしても……
今まで不明だった――《メエルシュトレエム》発動に至った状況が、やっと分かった。
わたしは、元・サフィールとしての記憶は無いんだけど。《メエルシュトレエム》を発動して、その結果、複数の死人が出ていたという事実に関しては、
ずっと気になっては居た。
体内エーテルを全て抜き取られて、完璧に干からびた剥製と化し、更にバラバラになった8人の死体。
わたしが――彼らを殺して、むごい死体に変えてしまっていたのかと。
いつの間にか、キュッと眉根を寄せていたらしい。気が付くと、いつものように隣に座っていたバーディー師匠が、苦笑いをしながらも、わたしの頭を撫でて来ていた。
――あ。頭の中で考えてる事、まるっと、お見通しって感じ。
「密閉空間の《雷攻撃(エクレール)》乱反射に対して、とっさに適切な判断を下してのけるのは、誰にも出来るような事では無い。
まして対抗手段も、極めて限られているからな」
向かい側の席に居たアレクシアさんが、ハッキリとした驚愕と困惑の表情を湛えて、わたしを眺めて来ている。
「まさしく、天才的な《盾使い》……《水のイージス》ですわね。教養として、わたくしも『正字』スキルを持っておりますけど、
それだけの短い時間に、適切な防衛プログラムを組んだ魔法陣を形成できるかどうかとなると、想像がつきませんわ。
後で、魔法陣の構造を解析してみれば、成る程なのですけど」
――ほえ?
思わず目をパチクリさせていると、アレクシアさんは、「まだ詳しい自己紹介をしてませんでしたね」と気付いたようだった。
「わたくし、魔法部署に所属している『魔法職人(アルチザン)』資格持ちの研究員でもあるのです。『正字』で組まれた魔法陣の解析が専門ですの。
先日、地下牢で起きた、アンネリエ嬢による《散弾剣》の《雷攻撃(エクレール)》乱反射を停止させた魔法陣の解析に関わりました」
――ひえぇ! あの穴だらけの、赤面モノの、不安定な魔法陣を!
あれ、最後まで維持展開できなかったし、途中で壊れてしまったんだよね、確か。
それで、致命的なレベルの《雷光》は確かに片付いたんだけど、強い《雷光》が大量に残ってしまって……
「あの魔法陣は……色々、あの、スッポ抜けていて……」
「ええ、確かに慌てて作った事が良く分かる、初歩的かつ粗削りな構造でしたが。実戦レベルで対応できたと言う事が驚きですわ。
本物の《盾使い》で無ければ、扱えないような魔法陣です」
大魔法使いなバーディー師匠やアシュリー師匠が、言うところによれば。
この結果だけでも、充分に、《盾使い》の中の《盾使い》――『イージス称号』に相当する実績なのだそうだ。
かつて、サフィールがやってのけた種々の守護魔法と比べると、記憶喪失が入っている分、あちこち抜けているそうなんだけど。
アレクシアさんは、困惑含みの意味深な眼差しをして、バーディー師匠とアシュリー師匠、それにディーター先生を順番に眺めた。
「アンネリエ嬢には到底、思いつかないような『正字』の組み合わせですし、
如何にアンネリエ嬢に魔法陣の構造を理解させるかという事の方が、よほど難しい仕事になりましたわ」
――ほえ? どういう事だろうか?
ディーター先生が訳知り顔で、金茶色のウルフ耳をシャカシャカとやり始めた。フィリス先生は苦笑いだ。
「今の時点で、ルーリーが目立つ訳には行かん。『雷神』こと『風のサーベル』の残党が、まだ居るしな。
地下牢で起きた珍事に関しては、トレヴァー長官の了解の下、ちょうど現場に居合わせたアンネリエ嬢に攪乱してもらう形になった。
アンネリエ嬢の記憶は、既に操作済みだ。6人の殺し屋たちと2人のイヌ族プータローに関しても、《暗示》で記憶を変更してある」
そんな訳で。
目下、アンネリエ嬢は、イージス級の《盾使い》なのかどうか――と言う意味で、ウルフ王国の重鎮メンバーから、改めて注目を浴びている。
なおかつ、レオ族の外交官たちの注目をも、浴びている状態だそうだ。
社交界で引っ張りだこになるのは、アンネリエ嬢にとっては望むところだ。今のところ、アンネリエ嬢の上機嫌は続いている。
元々、王族の係累にして《盾持ち》というアンネリエ嬢には、強い護衛の一団が付いている。『風のサーベル』残党に対応できるレベルの護衛たちも増員してあるから、
間違って襲撃されたとしても、その辺は心配は無いそうだ。実際に数回ほど襲撃があったけど、問題なく捕縛に移行できたと言う。
成る程ねぇ。
妙に、わたしに対する態度が、ワンクッション置いたものになっているなと思ったけど、そういう事もあったのか。納得だ。
ジルベルト閣下が、わたしを興味深そうに眺めながら、滑らかに話し出した。
「かのアンネリエ嬢は、生まれつき、体内の《宿命図》の中に、覚醒状態の《盾の魔法陣》を持っている。それも先祖返りという幸運があって、100%完全形だ。
それで、魔法部署の公認の《盾持ち》とされているのだ」
――ふむ……?
「だが、実際にアンネリエ嬢が発動できる《防壁》の強度は、今なお《中級魔物シールド》レベルに留まっている。
それだけでも大したものではあるのだが、魔法道具によるバックアップを受けて、やっとその程度でしか無く、
初歩レベルの《盾魔法》は、発動すら出来ていない。ゆえに、《盾持ち》ではあるが、《盾使い》とまでは言えないのだ」
――わお。思い出した。思い出したよ!
この間の地下牢で、《火》の《雷攻撃(エクレール)》乱反射が始まった時。何故、アンネリエ嬢は《火の盾》を出さないんだろうと思ってたんだけど。
不意に、ジルベルト閣下が、ディーター先生をチラリと眺めやった。相変わらずの冷涼な眼差しだけど、面白がっているような光が浮かんでいる。
「ディーター君が《盾魔法》の特訓を施せば、アンネリエ嬢の《防壁》魔法発動も安定しそうな気がするのだが。
この『ポンコツ』は、何故か、早々に特訓係をクビになったからな。
かの御令嬢のお気に入りの魔法道具のひとつやふたつ、これみよがしに、あそこまで深い穴を掘って埋めなくても良かっただろうに」
突っ込まれたディーター先生の方は、でも、ジルベルト閣下の性格をハナから承知しているみたい。
金茶色のウルフ耳を、ユーモアたっぷりに、クルリと動かして見せるだけだ。
――あれ。でも、この内容を聞く限り、ディーター先生とアンネリエ嬢の間では、本当に、最近そんなエピソードがあったみたいだ。ビックリ。
アシュリー師匠が、訳知り顔で苦笑を浮かべた。
「ほとんどの守護魔法陣は多重魔法陣だから、扱いが難しいのよ。《盾の魔法陣》からして複雑な構造を持つ多重魔法陣だし、
安定して《盾魔法》を発動するには、まず充分な深さを持つ《器》が必要でね。
アンネリエ嬢の発動する《防壁》が安定していなくて、たびたび日常魔法《雷電シーズン防護服》にまで後退してしまうのは、《器》が無いのが原因なの」
意外に、アレクシアさんが興味深そうな顔をして、ツヤツヤ亜麻色をしたウルフ耳を、ピコッと傾けていた。
普通の講義とかでは耳に出来ないような、専門的な話だったみたい。
「まずは、アンネリエ嬢が、ディーター君の掘って埋め戻した穴を、魔法で掘り返せるようになるのを祈るしか無いわね。
あとは、アンネリエ嬢の『正字』スキル次第だわ」
ディーター先生が、何やら含みのある眼差しで、ジルベルト閣下を見やる。
「と言う訳でな、ジルベルト殿。アンネリエ嬢についている『正字』専門の家庭教師の努力に期待しようでは無いか。
もっとも、かの御令嬢の魔法道具への依存ぶりからすると、魔法部署の幹部たちの期待に反して、お勉強は進んでいないようだが」
ディーター先生とジルベルト閣下の間で、しばし、何やら申し合わせているかのような、意味深な空気が行き交ったのだった。
*****
続いて。
かの『タテガミ完全刈り込み』済みのレオ族『風のサーベル』について、バーディー師匠から説明があった。
元々、レオ帝国では、今や非合法の奴隷商人と知れた元・大貴族『風のサーベル』は、生死問わずの指名手配かつ賞金首となっている。
そんな訳で、サーベルの身柄は、元・戦闘隊士なレオ族のレルゴさんに預けられた。
レルゴさんは、レオ族の代表として、バーディー師匠やアシュリー師匠、ディーター先生と共に、サーベルの白状に最初から最後まで立ち会っていた人物だ。
しかも、現役の頃は、老レオ皇帝の直属の親衛隊メンバーだった。その経験と判断に任される事になったと言う訳。
実はレルゴさん、サーベルが白状をスタートしてから一刻足らずで、サーベルの首を狩る事を決心していたそうだ。よっぽど激怒してたらしい。
自慢話と言う名の白状が終わり、各々の事実が検証された後――
レルゴさんは満を持して、偉大なる老レオ皇帝陛下の名の下に、サーベルの首を狩った。
これらの全ては、秘密裏の内に処理された。誰が首狩りの場に立ち会ったのか、『雷神』ことサーベルの首を何処に埋めたのかは、超・最高機密になっている。
あえて『風のサーベル』の生死を不明にしておいて、残党勢力を効率よく釣り上げるためだ。
貴種レオ族の、元・大貴族な『風のサーベル』は。
現役を退いてなお、レオ帝国に忠誠を誓っている一介の元・戦闘隊士に、それも貴種でも何でも無い一般のレオ族の男に、まさか、首を狩られるとは思っていなかった。それは確実だ。
実際、斬首の場に立ったレルゴさんに、大金をチラつかせたり『勇者ブランド』魔法道具の優先取引権をチラつかせたりして、言葉巧みに買収を図っていたと言う。
ジントが、ビックリしたように、灰褐色のウルフ尾をヒュンヒュン振っている。
正直言って、わたしもジントと同じ気持ちだ。
あの強大な《雷攻撃(エクレール)》使いのサーベルが、あっけなく死体になった――と言うのが、すぐには呑み込めない。
なかなか正体を現さなかった、最大最強の黒幕と言うべき存在。いつまでも、幻の煙みたいに曖昧な存在では、あったけれども。
それでも――『雷神』は。
最も恐るべき大凶星のような存在だった。
いわゆる『巨星堕つ』という言い回しが、これ程ピッタリ来る人って、滅多に居ない。《運命》を奪い、そして、また与えた、余りにも巨大で強烈な――
*****(2)奪い、また与えしもの(後)
「――と言う訳でね。また面倒な仕事を依頼する事になるのだけど」
アシュリー師匠が、バーディー師匠の話の続きを引き取った。ジルベルト閣下とアレクシアさん、クレドさん――それに、リクハルド閣下に語り掛ける形だ。
「魔法トラブルに関する安全保障、および情報統制の観点から、このサーベルの白状内容を整理し、編集する必要があるの。
《水の盾》サフィール・レヴィア・イージスが、バースト事故を生き延びて生存中であるという事実を暗示する内容は、基本的に全て削除です。
その他は、ウルフ王国の現在の必要に合わせて、編集をお願いするわね」
その辺りの調整は、ウルフ王国の重鎮メンバーな4人の専門なのだろう。
ジルベルト閣下とアレクシアさん、クレドさん、リクハルド閣下は、訳知り顔で、アシュリー師匠の要請を受け入れていた。
*****
やがて。
程よいタイミングで、包帯巻き巻きのミイラな執事さんが、新しいお茶を持って来てくれた。
全員に新たなお茶が行き渡ったタイミングで――
ミイラな執事さんが、バーディー師匠を、しげしげと眺め始めた。
包帯に覆われていない部分、陰影を帯びた金色のウルフ耳とウルフ尾が、ピコピコと不思議そうに揺れている。
そう言えば、執事さん、バーディー師匠が邸宅ゲートをくぐって来た時から、バーディー師匠を眺めて、しきりに首を傾げてたよね。
何か、気になる事とか、引っ掛かる事があるんだろうか。
余りにも不思議がっているのが明らかだったのか、バーディー師匠が愉快そうな笑みを見せて、執事さんの眼差しに応えた。
「私の顔に何か妙なモノでも、くっ付いているのかな?」
「あ、いえ」
ミイラな執事さんは、暫し口ごもっていたのだけど。でも、黙っているのも失礼かも……と思い直したみたい。
「我が眷属が管理を預かる飛び地の領地では、定住している鳥人が多いのです。自然、私も、我が眷属も、普段から鳥人を見慣れておりまして。
それで思い切って申し上げるのですが……バーディー師匠の本当の年齢は、見かけより、ずっと若いのでは無いでしょうか?」
――ほえぇ?!
余りにも意外な指摘だ。全員の驚きの眼差しが、バッとバーディー師匠に集まる。
バーディー師匠は相変わらずニコニコ顔だ。
「何故、そう思ったのかね?」
「その冠羽です。確かに白い色ではありますが、良く見ると、白髪ではありませんね」
バーディー師匠の笑みは、いよいよ満面に広がった。イタズラっぽい笑みだ。図星だったみたい。
後頭部でスッと伸びている銀白色の冠羽が、愉快そうにユラユラと揺れている。
やがて、アシュリー師匠が、何かにピンと来たみたいで――バーディー師匠を見つめながらも、口をアングリしたのだった。
「まさか……! いったい……何処で入れ替わった……?!」
「いや、アシュリー殿。ルーリーは、最初から気付いていたよ」
――ほえぇぇえ?! わたし、記憶喪失ですけど?!
バーディー師匠は遂に、《変装魔法》を――これを《変装魔法》と言うのかどうかは、分からないけど――解いた。
顔の下半分を覆う白いヒゲに手が掛かると、何と、白い長いヒゲが、ペラリと剥がれたのだった!
――まさかの、超・原始的な変装ツール、付け髭ッ!!
「ウッヒョオオ! どうなってんだ、ヒゲジジイ?!」
ジントが、全員の気持ちを代弁するような、ビックリ声を挙げる。
今や、バーディー師匠は、リクハルド閣下やジルベルト閣下と、それほど変わらぬナイスミドルな年代の、小柄な鳥人の男性だ。
謎の中年世代な鳥人は、椅子からユラリと立ち上がると、愕然とした面々に向かって、イタズラっぽい笑みを浮かべたまま、洗練された所作で軽く一礼した。
「改めて御挨拶を申し上げる。私は、レオ帝国の《風の盾》を務める、風のユリシーズ。記憶喪失する前の、ルーリーの師でもある」
――風のユリシーズ・シルフ・イージス!
アシュリー師匠が、もはや処置なし――と言った様子で首を振り振り、『ハーッ』と溜息をついている。
白髪混ざりの淡い栗色のウルフ耳が、如何にも『呆れた』と言う風に、ピコピコと揺れた。
「昔からユリシーズ殿は、妙にお茶目な性質なのよね。バーディー殿の弟子でもあるんだけど、師匠と弟子とで見分けがつかないくらい似ている物だから、
たびたび、こうやって入れ替わって、私たちをビックリさせているのよ。レオ帝室の並み居るメンバーも、全員やられたわ」
ディーター先生とフィリス先生は、揃って絶句している。滅多に見られない表情かも。きっかけとなったミイラな執事さんは、口をパクパクするのみだ。
一方で、ジルベルト閣下とアレクシアさんとリクハルド閣下は、最初は驚きの余り固まっていたみたいだけれど、さすがに老練な政治家だ。
アシュリー師匠と、中年版バーディー師匠ことユリシーズさんを交互に眺めた後、何らかの得心が行ったらしく、三者三様の納得顔をしている。
中年版バーディー師匠こと、ユリシーズさんは――ユリシーズ先生は――わたしに向かってイタズラっぽくウインクして来た。
目の中で、《銀文字星(アージェント)》の色がキラリと揺らめく。
「ルーリーは、いつも正しく見破って来ていたよ。私とバーディー師匠は、目の色も共通している筈なのだが、
ルーリーの色彩感覚に掛かると、色の違いが一目瞭然らしいな。バーディー師匠の目の色は、私とは違って、わずかに緑色が入っているとか」
実際、ディーター先生の研究室の前で顔を合わせた時、『炭酸スイカ』カラーリングなわたしが、
一目で《銀文字星(アージェント)》の目の色だと指摘したものだから、中年版バーディー師匠こと、ユリシーズ先生は、ギョッとしたそうだ。
早々に、わたしが元・サフィールだと確信できたのは、そのお蔭もあるとか……
ユリシーズ先生は、ふと顎(あご)に手を当てて、思案顔になりながらも、おもむろに――クレドさんの方に顔を向けた。
何故か、クレドさんの方は、余り驚いた顔をしていない。以前から、何らかの違和感や兆しのような物を感じていたみたい。不思議な事だけど。
もしかしたら、戦いの場で、無言でハイスピードのやり取りをしている内に、何かしら感じる物があったのかも知れない。
――クレドさんとユリシーズ先生の間で、謎の了解が行き交ったようだ。
ユリシーズ先生は暫し首を傾げた後、クレドさんに向かって、無言で、ちょっと頷いて見せている。
そして、ユリシーズ先生は、わたしの身元保証人でもあるリクハルド閣下に語り掛け始めたのだった。
「リクハルド殿。ルーリーは、私の弟子の中では、最も優秀な魔法使いだ。改めて知識を伝え直す必要はあるが、
私の右腕を務められる程の助手としても、今のところルーリー以外には居ない。
今回の『風のサーベル』の件で明らかになった問題も含めて、レオ帝国の内情は今なお不安定な状況だ。
今年の冬もレオ帝都で定例の国際社交シーズンがあるが、その際ルーリーが、レオ帝都のウルフ大使館に滞在する形になるよう、取り計らって頂きたい」
リクハルド閣下は、『承知した』と言う風に頷いた。
先日、くだんの『雷神』こと『風のサーベル』を生け捕りにする時に、わたしとユリシーズ先生が魔法使いとしてタッグを組んでいた事は、
上級魔法使いなジルベルト閣下の解説付きで、既に聞き知っていると言う(ちなみに、この件は、やはり超・最高機密になっている)。
そして実際、冬の間は、レオ帝都に近いウルフ王宮が第一の宮廷となっている。第二宮廷として、レオ帝都にあるウルフ大使館が稼働している状態なので、
そんなに難しい条件と言う訳では無いそうだ。
アレクシアさんと同じように『魔法部署の研究員』などという立場であれば、この方面では幅が効く。
わたしは一応、半覚醒状態ながら《盾持ち》の相を持っているし、『正字』スキルの熟練度からしても、魔法部署のメンバーとして名を連ねるのは不自然では無い。
相談の結果、わたしは、まだ未成年と言うのもあって、魔法部署の学生の籍を作ってもらう事になったのだった。
*****(3)虚実の狭間の結節点(前)
その後、数日のうちに。
大天球儀(アストラルシア)ニュース網を、獣王国の共通のトップニュースが駆け回った。
レオ帝都からの訃報――『第一位《水の盾》サフィール・レヴィア・イージス、体調悪化の末、病死』という内容だ。
――まったく実感の無い、記憶にすら無い前世の人格とは言え。
リアルタイムで、かつての自分だった存在の死亡ニュースを聞くと言うのは、ちょっと不思議な気がする。
なお、ユリシーズ先生やアシュリー師匠との間で、わたしの今後の身の振り方についての話し合いは、既に済んでいるところだ。
バーディー師匠は、レオ帝国の方で《風の盾》ユリシーズ先生の影武者を務めているところ。そのバーディー師匠から、こういう決定があったと言う事を、
あらかじめ教えてもらっていたから、予期してはいたけれど……こんなに早々に公表されるとは思わなかったから、さすがにビックリだ。
ウルフ王国の方では内々の話として、『サフィール』の将来の夫として、リオーダン殿下を推挙していたそうだ。
そのリオーダン殿下が、恐ろしい真実の露見と共に死体になったものだから、上層部の方では、かなり慌てていたらしい。
日を置かずしてサフィールが急死したと言う事で、妙な安心感が広がっているとか、何とか……
*****
午前半ばごろ、リクハルド閣下の邸宅。
中庭に面した茶室で、バーディー師匠なユリシーズ先生から、
魔法のアレコレについて講義を受けていたところ――包帯巻き巻きのミイラな執事さんを通じて、呼び出しが入った。
「バーディー師匠、ルーリー嬢。アンティーク部署のラミア殿とチェルシー殿から、通信が入っております」
――ラミアさんとチェルシーさんから? 何だろう?
わたしは、まだ通信用の補助の魔法道具を持ってなくて、『魔法の杖』で直通通信が出来ない。
バーディー師匠なユリシーズ先生が、代わりに通信リンクを開いてくれた。
「ふむ。ルーリーには充分な『正字』スキルがあるし、アンティーク部署の作業の助っ人に来てほしいそうだ。間もなく民族移動のシーズンだから、
魔法部署からの魔法道具のチェック作業も上積みされている筈だ。繁忙期と言う事だな」
バーディー師匠なユリシーズ先生は、何やら思いついた事があったみたい。銀白色の冠羽を面白そうにヒョコヒョコ動かしながら、ウインクして来た。
「タイミング的にも、頃合いだろうな。行ってみようでは無いか」
*****
魔法道具チェック用の作業場は、予期せぬ魔法事故や盗難を警戒するため、『茜離宮』外苑の中でも、注意深く隔離された場所にあるそうだ。
警備の目もある。魔法部署とアンティーク部署が、共同で使用している。
ルート限定の転移魔法陣を3つ経由する必要があるとの事で、最初の経由地に、
ボランティアのアシスタントなチェルシーさんが、道案内を兼ねて迎えに来ていてくれた。有難うございます。
チェルシーさんは相変わらず、柔らかな色合いの金髪をした、上品なシニア世代の淑女って感じだ。
いつだったかの、お手製のラベンダー色の上着が似合ってますね。
最初の経由地から次の経由地までは、並木道スタイルになっている散策路を少し歩く。
向こうの丘の上に『茜離宮』を望みながら闊歩できる、気楽な散策路という感じの道になっている。
現在の『茜離宮』の上層部には、訳が分からなくなるまでに変形した――解体&修理中の――骨組みが見えている状態だ。
ちょっと前までは、名物の白い玉ねぎ屋根を乗せた壮麗な三尖塔が、バッチリ観光できたそうだけど。
「あら、ルーリー、『魔法の杖』に紐で、何か護符っぽい物を付けてるわね?」
さすがアクセサリー類が専門なチェルシーさん、目が鋭い。
実際、わたしの『魔法の杖』、根元に紐を通して、青いルーリエ花を模した小粒な魔法道具を付けてあるところなのだ。
アンティーク物では無いけど、礼装の時でも不自然じゃ無いような、格式のある宝飾系アクセサリー仕立て。
ジントが、魔法道具に詳しいレオ族のレルゴさんとネコ族のラステルさんに相談して、わたしにプレゼントしてくれた品だ。
格式のある宝飾品だから、ジントのお小遣いでは足りず、お値段の大部分は、リクハルド閣下が出して下さったとか……恐れ多い。
この青い護符スタイルの魔法道具は、《水まき》や《洗濯》の魔法を発動する時に、魔法道具の洗浄用のルーリエ水を出せるようにする機能が付いている。
定期的にルーリエ水に付けて置くだけで、ルーリエ水の性質をコピーしてくれると言うスグレモノ。
魔法パワーを抑えてしまうという厄介な性質の都合上、加工が難しく、意外に高値なんだけど、爆発しやすいタイプの魔法道具を扱う業者たちの中では、
昔から緊急用の定番の魔法道具なんだそうだ。業者用の物は、魔法道具の爆発を抑えるためもあって、サイズが大きい。
如何にも業務用という感じの散水ノズル型のデザインで、パワフルだと言う。
わたしが『杖』に付けているのは小粒なアクセサリー仕立てと言う事もあって、適用できる水量は、それ程という訳では無い。
あちこちにルーリエ種の噴水があるから、今のところ出番は無いけど……そのうち、役立つ事もあると思う。
ひととおり雑談が済んだ後、チェルシーさんが、最近の社交界で耳にしたと言う内容を説明して来た。
「この間、『茜離宮』の三尖塔を吹っ飛ばしたのが、レオ族の『風のサーベル』と聞いてビックリしたわよ、もう。
非合法の奴隷商人で、なおかつ『勇者ブランド』魔法道具の闇業者の元締め。
それほどの大物なのに、『タテガミ完全刈り込み』のせいで、逆に今まで正体が分からなかったと言うのも。ルーリーも大変な人に捕まって、苦労したのねぇ」
――そうだったっけ。そうとも言えるかな。
わたし、そもそも記憶喪失だから、いずれにしても実感は無いのだ。チラリとバーディー師匠を見上げてみる。
バーディー師匠なユリシーズ先生は、銀白色の冠羽をヒョコンと揺らし、長い白ヒゲを撫でながら、イタズラっぽいウインクを返して来た。
あの後、今なお生死不明な事になっている『雷神』こと『風のサーベル』の白状内容は、若干、編集された。
その内容の端々に、わたしの『新しい過去』が示唆されて来る形で。
わたしは、サーベルが、シャンゼリンの『闘獣』を探し当てようとして盛んに『ウルフ闘獣』のメスをとっかえひっかえしていた頃、
その『闘獣』として、運悪く捕まったと言う事になっている。
その際、ちょっとばかり《防壁》魔法能力が見られたので、『奴隷妻』候補として囲われた。その《防壁》魔法能力というのが、
幼少時にも偶然に発動してた、下級モンスター・毒ゴキブリ対応の《下級魔物シールド》って事で。
レオ大貴族なサーベルに『奴隷妻』候補として囲われていた数年間の内に、『花巻』の髪型にさせられたり、
レオ大貴族の令嬢としての作法を覚えさせられたりしたので、妙に行儀作法が身に付いた。
そして、サーベルが『タテガミ完全刈り込み』の刑を受けて牢獄につながれていた隙に――すなわち、サーベルが不在となった隙に、
わたしは、お仕置きか何かで、拘束バンドや拘束衣を付けさせられたまま、どうにかして、サーベルの邸宅から脱走を図った事になっているのだ。
この辺り、『拘束衣で走れたのか?』という疑問は付くそうなんだけど、此処だけは、どうしようも無かったみたい。
プロの死刑囚……と言うのも変だけど、熟練の忍者な死刑囚なら走れるそうだし。
そして、危険な魔法道具を装備したサーベル配下の工作員に追いかけられ、色々あって、ボロボロの記憶喪失になって、『茜離宮』に出て来た事になっている。
実際、『風のサーベル』の残党が、わたしを捕まえようとして今なお近くをウロウロしているそうなので、この辺は、バッチリと説明が付く。
ここ『茜離宮』に出て来たところで、実の姉にして『飼い主』シャンゼリンの《召喚》を食らったんだけど、記憶喪失のせいで中途半端な反応になった。
そこへ、コソ泥なジントの《隠蔽魔法》によるイタズラが重なった。それで、あんな妙な出現スタイルになった……と言う事になっているのだ。
――色々と矛盾している特技が、こうも滑らかに接続するとは思わなかったから、正直言って、ビックリしている。
その辺は、幾つもの裏の顔を持っていた『風のサーベル』やシャンゼリンのお蔭と言う事もあるから、ビミョウな気持ちではある。
幼少時の経緯は、リクハルド閣下がクラリッサ女史に説明した内容で通っている。ほぼ事実。
更に、アレクシアさんの手腕でもって、『風のキーラ』と、リクハルド閣下の失踪奥方が同一人物の可能性がある――と言う話が広がっていて、今や公認状態だ。
色々と身元の怪しいわたしが、リクハルド閣下の奥方を輩出した古い名門の出身の令嬢と言うのも、恐れ多いけれど……
*****
石畳で舗装された散策路の両脇は、日除けを兼ねた並木と植え込みで縁取られている。
うららかな秋の陽差しの下、行く手には、少し大きめの『あずまや』みたいな施設が見えた。
――転移基地だ。
一歩先を行くチェルシーさんが、淡いラベンダー色の上着の袖を振って、「次の経由地よ」とガイドしてくれた。
魔法道具の運搬ルート上にある施設の常として、傍にルーリエ種の噴水が設置してある。噴水広場は、季節の花々を付ける植え込みに囲まれていて、良い感じだ。
最後の、並木を構成する樹林の密度が濃くなるポイントに差し掛かった瞬間。
――ブワァッ。
不意に、脇の植え込みから、不穏な気配が噴出した!
*****(4)虚実の狭間の結節点(後)
――ヤバイッ?!
思わず『ビョン!』と飛びすさる。弾みで、チェルシーさんの背中に、『ボン!』と衝突。
――ほぼ同時に、不思議な突風が走り抜けた。ついで、複数の金属音と転倒音らしき物が重なる。
わたしとチェルシーさんは、一緒に道の反対側の芝草の上に転がってしまった。
うわあぁぁ。チェルシーさん、いつだったかのドジの再現で、ゴメンナサイ。余りにも急で不穏な気配だから、魔法的な反応じゃ無くて、原始的かつ身体的な反応になっちゃったよ。
さすがにバーディー師匠なユリシーズ先生は、隙が無い。既に『魔法の杖』が構えられている。さっきの不思議な突風は、魔法の物だったみたい。
「この老いぼれがぁ」
音源の方向のハッキリしない、曖昧な唸り声だ。《隠蔽魔法》のせいで、音源が散乱している。ウルフ耳でも正確な位置は読み取れないけど、
確かに金属音がする。鍛え抜かれた、複数の『重い』足取りの気配。プロの戦士っぽい。
余りといえば余りな不意打ちだ。チェルシーさんは呆然として、口を引きつらせながらも――さすがに豪胆な気質と言うのか、すぐに状況を呑み込んだらしい。
「も、もしかしなくても、闇討ちよね?!」
――何処に、《隠蔽魔法》の切れ目があるんだろう。ジントの持っている灰色の宝玉なみに、高性能な魔法道具を使ってるみたいだけど。
すぐに次の攻撃魔法が来た。青白い《雷光》の網。ターゲットを失神させて捕縛するつもりらしい。
アワアワ言いながら、ゴロゴロ転げ回って逃げ回る羽目になる。
騒音だけは、物理音でもエーテル音でも『バリバリ』と凄いけど、発生源の位置が分からない。
青白い《雷光》の合間に、不気味な声が轟く。《隠蔽魔法》が掛かってるだけに、四方八方から呼び掛けられているみたいだ。
「第一位《水の盾》サフィール、ウルフ族が《水のイージス》! 至高の正義のもと、我らが偉大なる新レオ皇帝陛下を守護する《盾使い》として、忠誠を誓え!」
一気に総毛立つ。
何故なのか分からないけど、ガッツリ『サフィール』だとバレちゃったとか?! どういう事?!
バーディー師匠なユリシーズ先生が、いつの間にか魔法の《防壁》を張っていた。失神ないし裂傷レベルの《雷光》が、瞬時に接地(アース)で消滅する。
――ドダダッ。
2人か3人くらい、長剣か短剣を構えて、突進して来る気配。
その瞬間、エーテル光線の残照効果――《隠蔽》の穴が、妙にドロリとした、毒々しいオレンジ色で閃く。そこだ!
「ていッ!」
電光石火で『魔法の杖』を振り、身をひるがえしつつ、唯一の発砲系の魔法――すなわち初歩的な《水魔法:水まき》を噴射する。
――水の入ったバケツをひっくり返したような、『バアッ』という、何とも間抜けな音。
「うおぉ?!」
驚愕を帯びた、見知らぬ剣呑な叫び声。わたしの上半身の全体に、『べしッ』という重い衝撃。同時に、地面の感覚が無くなった。
「なにぃ――ィイィッ?!」
え、これ、先刻ぶつかって来た、鎖帷子っぽいのを着てる誰かだよね。
その得体の知れない誰かさん、低音遷移の効果が掛かる程、勢いよく弾き飛ばされてるみたいだけど。
――わたしも、何だか吹っ飛んでる! ひえぇ!
次の瞬間、身体が植え込みに突っ込んだらしく『バサッ』という衝撃と共に停止した。
――鼻、ツブれたかも?!
次の瞬間、足音が増えた。明らかに、ひと回り以上、剣技の腕前が違うという感じ。
ひとしきり、複数の刃を打ち合わせているような鋭い金属音と、魔法の衝突に伴う重いエーテル音が続く。戦闘中らしいけど――すぐに終わった。
わたしが頭をクラクラさせている内に、異変が片付いたみたい。
「大丈夫かよ、姉貴ッ!」
「シッカリして、ルーリー!」
直後、わたしの身体が、植え込みから引き抜かれた。引き抜いてくれたのは、直感した通り、ジントとチェルシーさんだった。まだ頭がクラクラしてるけど、あ、有難う……
ショックが落ち着いたところで、目をパッチリと開いてみる。
バーディー師匠なユリシーズ先生が、既に傍に来ていた。長い白ヒゲに手を当てて、困惑顔をしている。
「念のため、《空気袋(エアバッグ)》魔法を入れていたんだがな。超高速で突進して来た現役の戦闘隊士との正面衝突は、キツかっただろう。
鼻血が出とるから、しばらく鼻を摘まんでいた方が良いぞ」
――は、鼻血~ッ?! わぁん! 大ショック!
そう言えば、『戦闘隊士』?! と言う事は、襲って来たのはレオ族って事?!
*****
経由地となっている、あずまや型の転移基地の最寄りの、ルーリエ種の噴水広場。
斥候として隠密行動を取っていたクレドさんと、同じく隠密行動を取っていたレオ族のレルゴさんによって、襲撃者たちがキッチリ取り押さえられた。
そして、襲撃者たちは全員、拘束魔法陣の中に詰め込まれた。
噴水広場の石畳の上に、厳重な拘束魔法陣を展開したのは、同じく隠密行動を取っていたディーター先生だ。
此処では、大魔法使いなアシュリー師匠が拘束魔法陣を展開しても良かったんだけど、既に老女なアシュリー師匠は、さすがに寄る年波で隠密行動は難しい。
そしてディーター先生は、特に拘束魔法陣に関しては、大魔法使いレベルの腕前なのだそうだ。アシュリー師匠が『最も優秀なポンコツ』とコメントした通り。
連絡を受けて、おっとりと駆け付けて来たアシュリー師匠は、わたしが鼻血を出しているのを見て、さすがに苦笑いだ。
アシュリー師匠の熟練の《治療魔法》のお蔭で、鼻血がピッタリと止まった。有難うございます。
ちなみに、わたしの上半身のダメージは意外に軽かった。くだんの《空気袋(エアバッグ)》魔法が挟まっていた事に加えて、素直にキレイに吹っ飛ばされたお蔭で、
張り手を食らった程度のショックで済んだらしい。
「ホントにビックリしたわよ、ルーリー。いきなり何かに弾き飛ばされたみたいに、ポーンと飛んで行ったんだもの」
思いがけず巻き込まれたチェルシーさんは、コトが無事に済んだ今、好奇心で一杯という状態。目をシッカリとキラキラさせていて、梃子でも動かぬと言う気配だ。
この襲撃事件は早々に衛兵部署に報告が上がる事になるし、チェルシーさんの旦那さん――グイードさんが衛兵部署の管理職を務めているから、
偶然だけど、チェルシーさんが此処に居るのは、問題は無いらしい。バーディー師匠なユリシーズ先生も、アシュリー師匠も、苦笑はしてるけど、何も言わない。
――襲撃者は全員、レオ族だった。
レオ族の上級魔法使いが1人、レオ族の戦闘隊士が7人。全員が全員、毒々しいオレンジ色をした塗料を、全身に塗りたくっている。
目下、全身オレンジ色な襲撃者たちは、全員、次第に顔色を悪くしているところだ。
クレドさんは、こちらに背を向けて立っているから、どんな顔をしているのかは分からないんだけど……襲撃者たち全員を、どうやって『無言で』脅しているんだろうか?
ふと目をやると、ジントがシッカリと横目で応えて来た。灰褐色のウルフ尾をピコピコさせて、コッソリと説明して来る。
(これ、黒幕の残党を釣り上げるための『おびき寄せ作戦』だったんだよ。元・サフィールな姉貴が囮でさ。クレドと、リクハルドのオッサンは反対してたけど、
まさか《隠蔽魔法》付きだとは思わなかったぜ)
――ま、まさかの囮作戦!
驚きの余り、尻尾が『ビシィッ!』と固まってしまう。
*****
――毒々しいオレンジ色をした、謎の塗料の分析が済んだらしい。
バーディー師匠なユリシーズ先生とディーター先生、それにアシュリー師匠が、半透明のプレートに表示された文字列を見ながら、話し始めた。
「これ程に巧妙な《隠蔽魔法》を準備して襲って来るとは、さすがに予想外だったぞ」
「魔法の《隠蔽》塗料として加工されている……モンスターの血液成分を精製したものですな」
「先日のモンスター襲撃の際、《魔王起点》から出て来た、巨大ダニ型モンスターの物で間違いないわね」
クレドさんとレルゴさんは、拘束魔法陣に捕捉されている襲撃者たちを見張っている所だ。
レルゴさんが先生がたの方を振り返り、ざっくばらんな茶色のタテガミをガシガシとやりながらも、気持ち悪そうな顔になる。
「私も一応、レオ族なんだがよ。隠密行動の必要のためとはいえ、モンスターの血液を身体全身に塗りたくるなんて、想像するだけでもゾッとするぜ」
それはジントも同感らしく、『げぇ』と言わんばかりの顔つきだ。
襲撃者たちが全身に塗りたくった奇妙なオレンジ色の塗料は、あの巨大ダニ型モンスターの血液成分のうち、オレンジ色の成分を特に精製した物らしい。
道理で、《隠蔽魔法》の切れ目――エーテル光の残照効果――が、毒々しいオレンジ色をしていた筈だよ。ビックリしちゃう。
バーディー師匠なユリシーズ先生の解説が続いている。興味津々なチェルシーさんが、ウルフ耳をピコピコさせていた。
――わたしが発動した《水まき》の魔法は、『杖』に付いていた青いアクセサリーの影響で、ルーリエ水を散布するものになっていた。
魔法成分を鎮静化するという効果のお蔭で、一気に《隠蔽》魔法の成分が抑えられ、襲撃者の姿が全員、露わになっていたそうだ。
その時点で、わたしたちを隠密に警護して来ていたクレドさんとレルゴさんが飛び出して来て、あっと言う間に襲撃者たちとの剣闘になった、と言う訳。
問題の《隠蔽魔法》を担当していた、レオ族の上級魔法使いは、文字通り、バケツの水を頭から浴びた格好だ。
少し金色の混ざった立派なタテガミの端から、今も水が『ポタポタ』したたり落ちている。
その頭部に塗りたくられていたオレンジ色の塗料が剥げていて、ディーター先生と同じような、中年ベテランという感じの面差しが現れている。
流れ落ちた塗料は、上級魔法使いのユニフォームとも言える特製のローブを、まだらな蛍光オレンジ色に染め上げていた。
中年ベテランなレオ族の上級魔法使いは、シッカリと拘束された今になっても、
自身が最も初歩的な《水魔法:水まき》にやられた――という事実を、受け入れる事が出来ていない様子だ。
放心したように、「これは間違っている」とか何とか、ブツブツ呟いている。
バーディー師匠なユリシーズ先生が、おもむろに、襲撃者たちの代表――レオ族の上級魔法使い――に目を向ける。
「実に不思議な事実じゃ無いか、なぁ? 此処に居る面々は、何故か、レオ王どのの私設の工作員たちと同じ顔をしている。
かの『雷神』こと『風のサーベル』残党と同じ情報網を共有しているという、この事実、どう説明した物かのう?」
――な、何ですと?!
8人のレオ族の襲撃者たちは、ギロリと視線を動かし、全員で、わたしを突き刺すかのように見て来た。
――ぎょっ。ターゲット、もしかしなくても『わたし』って事だ。
我ながら情けない事だけど、思わずチェルシーさんの後ろに隠れてしまった。ウルフ尾がスッカリ縮こまっていて、丸くなっているのが自分でも分かる。
――わたし、確かに過去、と言うか、前世は『サフィール』だったかも知れないけど。
今は『ルーリー』でしか無いし、『サフィール』に戻るつもりなんか、全然、無い。
記憶喪失のせいで何が何やら、と言うのが正直なところだけど、レオ帝都における『サフィール』という存在、もうウソの限界だった、と確信してるよ。
ジントが訳知り顔で、わたしと襲撃者たちの間に立ってくれた。あ、有難う……
レオ族の上級魔法使いは憎々し気に目元を細めて、ジントを睨みつけて来た。
そして、あからさまに怒気と殺気を噴出させながらも、威厳タップリに、バーディー師匠なユリシーズ先生を見据える。
「鳥人バーディー、この老いぼれ……よくもネコ泥棒さながらに、《水の盾》サフィールを亡き者と言う事にしておいて、
卑しいまでの私利私欲でもって、ネコババしようとしたな」
「ふむ。それは大いなる誤解なのじゃが、結果から見ると、そう言えるかも知れんな」
飄々としている『バーディー師匠』の姿にカッとなったように、レオ族の上級魔法使いは声を荒げた。
「我らがレオ王陛下は、遂に、最も偉大なるレオ皇帝陛下となる。サフィールは、我らが偉大なる陛下の第一位《水の盾》と決まっている。
偉大なるレオ帝国に対する、このたびの国家反逆罪の証拠……《風の盾》ユリシーズ殿でさえ、この悪辣非道な所業、
庇い立ては不可能だろうよ。死に損ないの老いぼれ鳥人よ、よくよく肝に銘じておくが良い!」
――うわ。
中年ベテランなレオ族の上級魔法使い、目の前に居る『バーディー師匠』の正体、全然、見破れてないんだ。
くだんの《風の盾》――『ユリシーズ・シルフ・イージス』本人が、化けてるんだけど。
バーディー師匠なユリシーズ先生は、考え深げに、長い白ヒゲを撫で始めた。
「第二位《水の盾》たる水妻ベルディナ殿が居る筈じゃが。
そもそも、サフィールが入っていたのは、《イージス》が不在だった老レオ皇帝どののハーレムじゃ。
レオ王子どのへのハーレム入りは、単に守護の配分のバランスのためでな」
――ほえ? そうだったっけ?
わたしが目をパチクリさせている間にも、バーディー師匠なユリシーズ先生の解説は続いた。
どちらかと言うと、レオ族の上級魔法使いを説得してる……と言う感じだけど。
「当時、《地のイージス》は老齢で引退しており、パンダ族の間で見い出された《火のイージス》は、『献上』に関して交渉が難航していた。
しかも、いずれも男性だったから、親衛隊メンバーとしての守護に留まり、老レオ皇帝の身辺に立つと言う意味での守護にまでは回れなかった」
――その辺は、レオ族ならではの種族的な習慣や限界などが関係しているらしい。イージス級の守護魔法使いというのも、
なかなか見つからない代物みたいだし、ハーレム正妻を抱えている分、色々と難しい所があったみたいだ。
バーディー師匠なユリシーズ先生の言葉が続く。
「そして、レオ王どのは、レオ族の最強の《水の盾》である水妻ベルディナ殿を私物化している状態で、それは実際、かなり問題化していた。
サフィールがレオ帝都に『献上』されて来て初めて、老レオ皇帝は、かねてからの数々の懸念事項に、集中して手を付けられるようになったくらいじゃからな」
レオ族の中年ベテランな上級魔法使いは、なおも昂然と面を上げ続けていた。バーディー師匠なユリシーズ先生を睨み付けている。
それに引き換え。
7人のレオ族の戦闘隊士たちは、クレドさんとレルゴさんの視線を避けながらも、何やら顔面を歪め始めた。
バーティー師匠なユリシーズ先生が、戦闘隊士の面々を順番に眺めつつ、銀色の目をキラリと光らせる。
「ふうむ。どうやら、この行為、老レオ皇帝にバレると、マズい代物だったらしいな。
この行為は『襲撃ないし拉致誘拐』か? それとも『救助ないし奪還』の類か?」
レオ族の上級魔法使いが、わずかに口を引きつらせ、眉の端をピクリと震わせた。要点を突かれたらしい。
「待てよ。もしかして……」
レルゴさんが急に『警棒』を取り出し、直通通信を始めた。
『警棒』の先端は少しの間、チラチラと黒く瞬いていたけれど、すぐに金色を薄く帯びた、安定した光に落ち着く。
すぐに、レルゴさんの『警棒』から、聞き覚えのある声音が流れた。
『いきなり何だい、我が友レルゴよ?』
「我が友ランディール、ちょいと気になった事があったんでな。4人の正妻もソッチに居るんなら、調べてもらいたいんだが。
《水の盾》サフィールが、いきなり長期休養に入った頃、ええと、その5日くらい後だったかな、
我らが偉大なる老レオ皇帝陛下の船が、《水雷》にやられたって話をしてただろう」
――わお。ピンと来たよ。わたしが此処に来た最初の頃、ジリアンさんの美容店で、ヒルダさんが『気になる』って言って噂してた内容だ。
チェルシーさんもピンときた様子だ。柔らかな金色のウルフ耳が、ピコッと動いている。
拘束魔法陣の中で黙秘を貫いている8人の襲撃者たちが、一瞬『ギクリ』としたように、身体を震わせた。
そんな襲撃者たちの様子に、注意を払いながらも――クレドさんとディーター先生とアシュリー師匠が、ちょっと驚いた顔をして、レルゴさんを眺め始める。
レルゴさんは、生真面目に眉根を寄せながらも、『警棒』の先でリンクしているランディール卿に話し続けていた。
「あの話を聞いてる真っ最中に、ザリガニ型モンスターの邪魔が入ったからよ、その後の内容を聞かずじまいだったが。
あの《水雷》事件、総じて、どういう被害内容になってたんだ?」
ランディール卿の方は――さすがに不意打ちを食らった形だったみたい。『ちょっと待ってろ』と言う音声の後、少しの間、男女の話し声が続いた。
4人の正妻と、何か話し合っているのだろう。そして。
『おう、記録を確認したぞ、レルゴ。老レオ皇帝陛下の住まわれる宮殿の運河の港の一角が、暗殺専門の魔法使いによる攻撃魔法《水雷》を食らった件だな。
『勇者ブランド』攻撃魔法の道具だけあって、忌々しいくらい見事な崩壊ぶりだったな、ありゃ。
レルゴにも見せてやりたかったぞ。運河の魔法防壁が派手にやられて、その余波で皇帝専用の船が沈んだ』
レルゴさんは、ずっとレオ帝都を離れていただけあって、それ程の被害だったとは思わなかったみたい。目がパッと大きくなっている。
「おい、我が友ランディールよ。その問題の『皇帝専用の船』なんだが。もしかして、『療養中のサフィールが乗ってる』とか、
偽情報を流しまくって、反社会的勢力の野郎どもを攪乱して無かったか?」
『鋭いな、レルゴよ。確かに、そういう内容の攪乱情報を流したよ。
何故に断定できるかと言うと、その攪乱情報を投下していた担当が、この私だったからなんだが』
――ほえぇ!
レルゴさんは、『我が意を得たり』と言わんばかりに、ざっくばらんな茶色のタテガミを、雄々しくババッと広げた。一見して戦闘態勢なものだから、
一瞬、8人の襲撃者たちは、『ブワッ!』とライオン尾の先を逆立てていたのだった。
「ようし、ランディール、要点に入ろう。感電リスクにも構わず、先陣を切って、その沈没船に『サフィール救助』のために飛び込んだ救助隊が居た筈だが。
そやつら、レオ王陛下の配下だったんじゃ無いか?」
一瞬、驚いた、と言わんばかりの沈黙が入った。
『確かにそうだが、何で分かったんだ、レルゴよ。内々の話だが、アレでレオ王陛下の株は大いに上がったんだ。
老レオ皇帝陛下が早期退位を決めたのは、その影響もある。レオ王陛下の派閥の発言力が、やたら増強したんでな』
レルゴさんは、拘束魔法陣に捕捉されている襲撃者8名を、ギロリと睨んだ。
さすがに鬼気迫る雰囲気だったのか、レオ王の工作員でもある8人の襲撃者たちは、揃って、濃淡の茶色のタテガミをババッと広げている。
「我が友ランディール、レオ王の偉大さを確信するのは、まだ早いぜ。
まさに今、私の目の前で、レオ王の手下が、未成年な少女の拉致誘拐を図った容疑者として、存在している。
その少女は、たまたまなんだが、『風のサーベル』事件に実に紛らわしい形で巻き込まれてたからな、ガッツリ『サフィール本人』だと誤解されているところだ」
レルゴさんは生真面目な顔をしたまま、喋り続けている。すごい演技力。半分は真っ赤なホントで、半分は真っ赤なウソ――という状況なんだけど、
全く、ウソを言っているようには見えない。
ディーター先生が、レルゴさんの方を眺め、感心したように金茶色の無精ヒゲをコリコリとやり始めた。アシュリー師匠が訳知り顔で、首を振り振りしている。
かねてから示し合わせていた内容だったらしいと言う事は分かるけど、わたしも、レルゴさんが喋る事になるとは思わなかったよ。
しかも、『新たな真相の判明』と言うおまけ付きで。
レルゴさんの言葉を逐一、ライオン耳に詰め込んでいた8人のレオ族の襲撃者たちは、文字通り、目と口と鼻をアングリと開けていた。
レオ族の上級魔法使いは、オレンジ色の塗料がほとんど流れ落ちた顔面を忙しく赤顔しながらも、わたしとレルゴさんを交互に注目し始めている。
それは、まさに『語るに落ちた』と言うべき眺め。
クレドさんと、バーディー師匠なユリシーズ先生との間で、何やら、了解めいた眼差しが行き交っている。
いつしか、レルゴさんの大声による『推理』語りは、遂に締めに入った。チェルシーさんが感心しながら聞き入っている。
ずっと聞き耳を立てていたジントも、灰褐色のウルフ尾をピコピコとやり、『うめぇな』と呟いた。
「私の目の前にいるレオ王の配下は、くだんの未成年の少女を、まさに『サフィール本人』だとして拉致誘拐を図ったところでな。
物事には常に二面性がある、と言う。かの《水雷》事件の際、先陣を切って飛び込んだと言う事は、
裏を返せば、サフィールの身柄を一番乗りで拉致誘拐できたという事でもある、そうじゃ無いか」
――レルゴさんの『警棒』の、通信リンクの先で。
ランディール卿と4人の正妻は、まるで雷に打たれたかのように、大いなる沈黙に落ちていたのだった。
*****(5)暮れなずむ二重の情景(前)
その日の、昼下がりの半ばを過ぎた刻。
ここ『茜離宮』の外苑を彩る諸王国の公館のひとつとして設置されている、レオ帝国の大使館の前庭の、中央部にて。
レオ帝国の親善大使であるリュディガー殿下の立ち合いの下、現行犯として捕縛したばかりの襲撃者たち、
すなわち1人の上級魔法使いと7人の戦闘隊士が、レオ族専用の移動牢屋に入った。
揃って、毒々しいオレンジ色のモンスター塗料に染まった衣服を、着用し続けている状態だ。
8人のレオ族の襲撃者たちは、今や、全員ゲッソリとした顔つきだ。レオ帝国の刑部に引き渡された後の運命を想像すると、自然に、そうなるものらしい。
ランディール卿と4人の正妻のみならず、金色タテガミをした偉そうなリュディガー殿下と4人の正妻までもが、さすがに驚愕しきりと言った表情が続いている。
正妻たちの間に混ざって、あのレオ族の美女な《水の盾》、レオ王の水妻ベルディナもまた、唖然とした顔つきで、8人のレオ族の襲撃者たちを眺めた。
水妻ベルディナは、剣技武闘会の時と同じように、亜麻色の長い毛髪に青いハイドランジア真珠の『花房』を合わせている。
そして――
水妻ベルディナは、8人のレオ族の襲撃者たちの名前を、順番に、すべて明らかにしたのだった。
必然の事ではあるけれど、同じレオ王に仕える者同士、顔見知りだったと言う訳。
*****
その後、レオ帝国の大使館のエントランスに近い重役会議室で、引き続き、『事後報告』と言う名の密談が続いた。
重役会議室だけあって、シッカリとした機密保護の設備と、重厚な室内装飾があしらわれている部屋だ。
要所ごとに緋色と金色の装飾パターンが目立つのは、さすがにレオ族ならではのスペースだ。
会したメンバーは18人。意外に多い感じなんだけど、
レオ族の側で各々の正妻4人が付き添って来るから、人数がドンと増えるだけだ。機密に関しては必要十分なレベルみたい。
レオ帝国の側からは、リュディガー殿下と4人の正妻、ランディール卿と4人の正妻、レオ王の《水の盾》にして水妻ベルディナ、そして、元・戦闘隊士なレルゴさん。
ウルフ王国の側からは、クレドさんとジント、そしてわたし。更に、現場に立ち会った目撃証言者の1人と言う事で、ディーター先生が列席。
チェルシーさんは、ちょうど同じ年配な年ごろのレオ族の男たちから、求婚を受けかねない――その類の身の安全を考慮した末、グイードさんの元に戻してある。
中立的な立場の立会人として、大魔法使いバーディー師匠とアシュリー師匠。
キッチリと人払いが済んだ所で、レルゴさんが口火を切った。
「この間の『3次元・記録球』の記録を、改めて見てもらえば分かるが。エセ『雷神』こと『風のサーベル』の白状した内容の中にな、こういうくだりがあったんだよ」
そう前置きして、義憤が収まらぬと言った様子で、レルゴさんは説明した。
――バースト事故の直後から、『サフィール体調不良、長期休養』などと言うメモが回っていた。
サーベルは、その真偽を確かめるべく、方々の暗殺専門の手下に『勇者ブランド』魔法道具を供給した。
方々に放った暗殺専門の手下たちは、『サフィール療養中』と言う情報を逐一トレースして、サフィールが居るとされた、あらゆる場所を襲撃し続けた。
しかし、それでもなお、サフィールの行方は知れなかった――
レオ族の外交官ランディール卿が、キチンと整えられたタテガミをしごきながら、数回ほど頷いた。
「成る程、指摘されてみれば、あの《水雷》による皇帝専用船の沈没の件は、確かに、サーベルの仕掛けた威力偵察プロジェクトのひとつ――と理解できる」
ランディール卿、ホントに理解の早い人だ。ランディール卿の地妻クラウディアが、納得しきりと言った様子で相槌を打っている。
金色タテガミのリュディガー殿下が、おもむろに顎(あご)に手を当てる。思案のポーズだ。
金色タテガミを構成する金色のヒゲの中から、レオ族ならではの低いうなりを伴った声が流れて来た。
「かの恐るべき男の残党の件は、実に憂慮すべき事態だな。今のレオ帝国の法律では、サーベルの首を狩るのは困難だというのは事実だし、
サーベルが死ねば死んだで、残党の連中はサーベルを神として祭り上げかねん」
レオ族の側の方では、水妻ベルディナが次第に顔色を悪くしていた。さすがに自身のハーレム主君なレオ王の、
国家反逆罪に問われるレベルのスキャンダルだから、落ち着かないのだろう。
チラチラと、この件の被害者となったわたしに、視線を投げて来ている。
主にレルゴさんがメインで、8人の襲撃者たちに関して、『事後報告』が進行した。
リュディガー殿下と4人の正妻たちによる質問が入るたびに、バーディー師匠、アシュリー師匠、ディーター先生による補足説明が加わって行く。
たまに、ジントが突っ込むと言う形で。
クレドさんは、ほぼ無言だ。端正な彫像さながらに不動の姿勢を保っているんだけど、見る人が見れば『隙が無い』って事が、ちゃんと分かるみたい。
わたしに集中している正妻たちの意味深な視線が、次第に諦観の色を帯びて来ている。ホッ。
一方で、水妻ベルディナの視線は、わたしを繰り返し眺めるたびに、奇妙な色を帯びて行く。
――あの奇妙な表情、前にも、何度も見た事がある。
その違和感は、次第にハッキリとした物になった。水妻ベルディナが、決定的な事実に気付かなければ良いんだけど――そう思いながらも、
不安と確信もまた、色濃くなって行くのを止められない。
*****
――尋常に、『事後報告』のプロセスが終わった。
金色タテガミのリュディガー殿下が、生真面目に眉根を寄せて思案し始める。
姿勢の良い大柄な体格だし、金色タテガミだし、離れた所から見ると、如何にも『オレさま王子』という、押しの強そうな偉そうな印象なんだけど。
近くに寄って丁寧に観察してみると、いつだったかレルゴさんが説得して来たように、懐の大きい、タダならぬ人物だと言う事が窺える。
同じレオ族の大男たちが徒党を組んで、未成年なわたしを襲撃して来たと言う件については、
如何にもレオ帝国の代表者と言うのか、『ウルフ隊士の武勇に敬意を表する』という、謝罪らしくない謝罪ではあったものの。
一応、わたしに怪我は無かったのかとか、ひと通り『お気遣い』をして来てくれた。
やがて、リュディガー殿下は剛毅な顔立ちをギュッとしかめ、贅沢なソファに威風堂々と座り直した。
「これは、とんでもない案件だ。
大魔法使いバーディー師匠の言われる通り、大罪人サーベルと、レオ王は、確かに裏でつながっていたという事実を、ハッキリと示唆している」
立派な金色タテガミの中からは溜息の音は洩れて来なかったけど、リュディガー殿下の渋い表情を見ると、内心、溜息をつきたい気分なんだろうなと予想できる。
「これをレオ帝都に持って行けば、レオ王の失脚は確定するだろう。ひいては、廃嫡もな。目下、レオ帝都でのレオ王の名声は高まっているタイミングだし、
レオ帝国で、またぞろ後継者争いの悪夢がスタートするのかと思うと、正直言って気が重いぞ」
バーディー師匠なユリシーズ先生が、カツンと『魔法の杖』を突き直し、重々しく頷く。
「流血を伴う事になるだろうが、レオ王子どのが、レオ王を差し置いて、次代のレオ皇帝となる事は確定している。
かくも闇ギルド勢力が根を張ったレオ王の派閥は、帝室メンバーから切り離す他に無い。その行く末は、これまでのレオ帝国の歴史が明らかに示しているところじゃ。
我らが鳥人より出でし《風のイージス》としても、帝室の内紛の長期化は、望むところでは無いと言う事でな」
そこで、ランディール卿がタテガミをしごきながらも、バーディー師匠なユリシーズ先生とレルゴさんを、交互に眺めた。
「我が友レルゴよ、暗闘の激化を抑え込む手立ては、存在するのか? 何やら、あると言わんばかりの顔つきなんだが?」
「無い訳でも無いんだ、我が友ランディールよ。ただ、それには、水妻ベルディナ殿の協力が必須でな」
レルゴさんの言及の意味に気付いた正妻たちが、一斉に水妻ベルディナを注目した。異様な沈黙が落ちる。
バーディー師匠なユリシーズ先生が、スッと表情を硬くして、水妻ベルディナを見据えた。凍て付くような眼差し。
――やっぱり、タダ者じゃ無い。
重役会議室の気温が、一気に絶対零度まで降下したかのようだ。会議室を取り巻く大きな窓からは、夕暮れが近づいて来ているのを告げる、
暖かみのあるオレンジ色の陽射しが差し込んで来ているのだけど。
――いつも飄々とした雰囲気なだけに、その不意打ちの威厳と迫力は、圧倒的だ。
長い白ヒゲの下から、重々しい声が、水妻ベルディナに向かって流れ出す。
「かの、《水の盾》サフィールの喪失の原因となった、バースト事故の日。現場には、サーベルと、8人の闇ギルド工作員が居た。
そして、もう1人、タイミングを全く同じくして、水妻ベルディナ殿が居たのじゃ」
バーディー師匠なユリシーズ先生の、容赦のない指摘。
水妻ベルディナは――あからさまに真っ青になっていた。手が落ち着きなく、ハイドランジア真珠で出来た青い『花房』をいじり始めている。
鮮やかな紅を引いた美しい口元が、何かを言おうとしてわずかに開きながらも、そのまま凍り付いていた。
「偶然か否かはともかく、水妻ベルディナ殿が、サーベル一味の行動を認めながらも放置したのは、事実じゃよ。
もっと積極的に言うならば、それは『未必の故意』が含まれていたと言っても、差し支えない行動じゃ。実際に、そうだったのでは無いかな。
水妻ベルディナ殿の目の前で、サーベル一味は、サフィールを襲撃しておった」
レルゴさんが苦い顔をしながら、ざっくばらんな茶色のタテガミをガシガシとやっている。
「実際、サーベル野郎は、白状してんだよ。後宮の都への侵入は、容易だった、とな。しかるべき筋に協力者たちが何人も居たと言う事も。
野郎は元々、レオ王の派閥のトップとして特権を振るっていた。
それを考えると、次代レオ皇帝たるレオ王の周辺が、サーベルの手の者で固められていたと考える方が自然なんだ」
――かつて、レオ大貴族なサーベルが、奴隷商人ステンス、及び紫金(しこん)のウルフ女キーラと、流血事件を起こした時。
同時に『4人の正妻も殺害していた』というスキャンダルを揉み消す事が出来たのは、巨大な特権のお蔭だ。レオ王の派閥の、トップとしての特権。
「野郎は、『正妻殺し』などと言う致命的なスキャンダルを揉み消す程の特権を持っていた。
レオ王の派閥は、つい最近まで、『雷神』ことサーベルの天下だった訳だ。野郎が《水の盾》サフィールに関する秘密情報を手に入れられたのも、それが要因だ。
ちなみに、サーベルが失脚したのは、結局は、気分を損ねた奴隷商人たちの匿名の告発がきっかけだぞ」
その辺りの事は、リュディガー殿下もランディール卿も、レオ帝国の重鎮メンバーなだけあって承知の上なのだろう。
苦虫をかみつぶしたような顔になっている。
ランディール卿の地妻クラウディアが、不意に口を出した。
「水妻ベルディナ殿が、親善大使リュディガー殿下の同行者に決まったのも、突然だったわね。
常にレオ王の《盾》として、お傍を離れない筈の水妻ベルディナ殿が、何故に外遊の許可が出たのかも、不思議だったわよ。
許可を出したのは、本当にレオ王だったのかしら?」
*****(6)暮れなずむ二重の情景(後)
――ジワジワと、不気味な確信が湧き上がって来る。
水妻ベルディナは、強張ったまま答えない。黙秘しているかのように。
異様な空気を破ったのは、ジントだった。目が据わっている。
「おい、あのサーベルのオッサンは、『恩寵がある』とか何とか笑ってたけどさ。
オバサンが実際に『恩寵~』って守護してたのは、レオ王の方じゃ無くて、サーベルの方だったんじゃねぇのかよ。
サーベルは年が行ってるけどさ、ガタイは良いし、顔は、やたら整ってた。外面さえ保ってれば、まぁ『イイ男』ってヤツか」
――まさに図星だったらしい。
水妻ベルディナは、『ヒッ』と呻いた――
*****
――かの運命の日の、前日。
水妻ベルディナは、情報を漏洩していた。サフィールの1日の行動の情報だ。漏洩先は、スケスケ赤ランジェリーのバニーガール。
当時バニーガールは、御用達のアクセサリー業者のビジネスパートナーとして、後宮の都に入って来ていた。
『水妻ベルディナ殿~。ご存知の『雷神』からの注文ですってよ~。いえ、なに、ホンのちょっとした事よ。
サフィールが護衛の目を外れて1人になる時間って、有ったり無かったりするかしらぁ? サフィールの知り合いって言う、
或る筋のネコ族の人に、その辺、ちょっと聞いてるんだけどぉ?』
次の社交行事に必要となる、礼装用の宝飾品を選んでいる真っ最中に、水妻ベルディナは、心臓が止まる思いをしたのだった。
――遂に、最も恐れていた『時』が、到来した。
裏社会では『雷神』で通っている、レオ大貴族『風のサーベル』。表でも裏でも、まさに『最高の男』と言うべき、ヤリ手の政治家。
若返りの術を使っているのかどうかは不明だが、今なお年齢を感じさせない美貌の持ち主だ。その表と裏にわたる絶大な権勢と言い、
今の老レオ皇帝が「表の皇帝」なら、サーベルこそが「裏の皇帝」と言うべき男。
風のサーベルと、レオ王の水妻ベルディナは――人目を忍ぶ恋人関係を続けていた。折々の、心華やぐアバンチュールの時間。
年齢こそ随分と離れていたが、恋をする事に、年齢差が関係あるだろうか?
水妻ベルディナは、レオ族の最強の《水の盾》として、秘密の恋人サーベルの守護をしている事に、充実感を抱いていた。
そのサーベルは――最近、急に態度が変わった。何があったのかは知れぬが、方々の闘獣マーケット業者を訪ね歩き、
特にメスのウルフ闘獣を、とっかえひっかえしていると言う。
最近、名前が出て来た『シャンゼリン』という黒毛のウルフ女を、他種族ハーレム妻として、従えたのだろうか。
それにしては、何故にウルフ闘獣にこだわるのか、まるで分からなかった。
――それと共に、何故だか、確信めいた直感があった。女としての直感、とも言うのだろうか。
遂に、この『時』が来た。
サーベルが、第二位《水の盾》に繰り下がった水妻ベルディナを、必要としなくなる日が。
7年ほど前になろうか――
ウルフ族の少女サフィールが、レオ皇帝の元に『献上』されて来た日以来。
サーベルは、《水の盾》サフィールに対し、儀礼的と言うには余りにも強く、生々しい程の関心を抱いていた。
――ただでさえ希少な《盾使い》の中で、特に天才的な《盾使い》のみが獲得する、その『イージス称号』持ちの守護の強さとは、どんな物なのだろうか――
サーベルは、折に触れて要求して――命令して――来ていた。第一位《水の盾》サフィールを、何としてでも己の影響力が充分に及ぶ、
レオ王のハーレム妻として従えるように、と。その特権の大きさでもって、レオ王にも『命令』していた。
レオ帝国の第一位《水の盾》サフィール・レヴィア・イージス。
ウルフ王国の辺境で偶然に見いだされ、急に献上されて来たウルフ族・金狼種。
レオ帝都に到着したその日のうちに、『イージス称号』の最有力候補と判定された上、老レオ皇帝の身辺守護を務める事となり、
即座に老レオ皇帝のハーレムに入れられていた。
現在、公称年齢22歳。今なお『白い結婚』が続いている――『花巻』装着中の未婚妻。
まばゆいばかりの紫金(しこん)のサフィールは、余りにも若かった。
そして、魔法使いとしても、圧倒的なまでに強かった。ベルディナの師匠を務めている大魔法使いたちをもして、
『天才』と言わしめる程の、《盾使い》の中の《盾使い》――『イージス称号』持ち。
しかも――鳥人出身の《風の盾》ユリシーズ・シルフ・イージスが、唯一『我が愛し子』と呼ぶ、直弟子にして右腕。
――紫金(しこん)のサフィールが、居なくなれば。
あの頃のような、恋人サーベルとの胸浮き立つような日々が、戻るのだろうか。
バニーガールの問いは――まさに、誘惑のささやきだった。
水妻ベルディナは、サフィールの1日の行動パターンの――詳しい情報を、まるまる漏洩した。同じ後宮の都のハーレム関係者で無ければ、知り得ない情報を。
まさか、その頃、サーベルが『悪辣非道な非合法の奴隷商人』として摘発されていたとは、知らなかった。
まして、『タテガミ完全刈り込み』の刑をも受けていたとは、つゆとも知らなかったのだ。
かくして――
かのバースト事故より、一刻ほど前の刻に、至る。
水妻ベルディナは、久し振りのような気もするサーベルの直々の指示に従い、軍事施設の近くで待機していた。サーベルの秘密の作戦に協力するためだ。
太陽は、西の地平線に近い。暑い夏の、いつもと同じような夕暮れの刻だ。
いつものように、サフィールは新しい魔法を研究するために、1人で軍事施設に来ていた。
そこで、サフィールは、行動パターンをかねてから承知していたレオ王に付きまとわれ、『我がハーレムに入れ』と言う、しつこい勧誘を受けていた。
それは次第に、セクハラと言うべきレベルにエスカレートした。いつもの、ように。
レオ王も、別の面から見れば哀れな男だ。サーベルの圧力を結局、押し返す事が出来なかった。
ホンのちょっとした陰謀の隙をサーベルに突かれ、弱みを握られたのが原因なのだが。
サーベルが、レオ王の想像以上に強大で邪悪な存在だった事が、不運と言うべきだった。
しつこい勧誘が、度を越したところで。
やはり、いつものように、プチッと切れたサフィールが《水まき》との合わせ技で《防壁》を吹っ飛ばし、レオ王を大広間から叩き出した。
なおかつ《防壁》の応用でもって、大広間の扉を厳重にロックした。同じ魔法使いで無ければ開錠できないような、魔法のロックだ。
レオ王が大広間の扉をガタガタと揺さぶったが、サフィールの方は完璧に激怒している状態で、堅く閉じこもってしまっている。
諦めたレオ王は、悪態をつきながら、いっそう闇の色を増した夕方のオレンジ色の陽光の中、館へと戻って行く。
その様子を物陰から《透視魔法》で窺いながらも、水妻ベルディナには、さすがに今回は反省する所があった。
水妻ベルディナもまた、ここ1年に渡って、サフィールに『レオ王のハーレムに入れ』と、しつこい勧誘を仕掛けていたのだから。
しばらくの間――サフィールが居る筈の金剛石(アダマント)の大広間は、静かだった。太陽の端は、西の地平線に接触し始めている。
――余りにも静かすぎる――
不審に思い始めた水妻ベルディナは、再び、物陰から《透視魔法》でサフィールを窺った。
ガランとした大広間。細いスリット群からこぼれる、薄暮の光の中。
サフィールは、非常な集中力でもって、複雑な魔法を展開している所だった。
サフィールの手前の空間に、『天秤』と思しき、ボンヤリとした、薄青い多重像の幻影が浮かんでいる。
気が遠くなるほどの大容量のエーテルが集中しているのは分かるけれど、攻撃魔法でも守護魔法でも無い。
――では、これは、いったい何だろう?
訝しく思いながらも様子を窺っている内に、不思議な魔法が終わった。
多重像を成していた『天秤』の幻影が、砂時計の砂のようにサラリと崩れ――薄青いエーテル粒子となって拡散する。
サフィールは、限界を超えて疲労困憊したかのように、床の上に手を突いて、ペタリと座り込んだ。
薄青いエーテルの流れは、広大な大広間の各所、明かり取り用の細いスリット群を、軽やかにスリ抜けて消えて行く。
西側のスリットから見える夕陽は――既に半分が、地平線に沈んでいるところだ。
次の一瞬。
サーベル一味が――近くの地面の下から湧いて来た。正しくは、軍事施設の付属の緑地、『ししおどし』のある水場から、湧いて来た。
まさにコソ泥として、ヒャッハーなコソ泥8人と共に、地下水路を通って侵入して来ていたのだった。
――妙にタテガミの気配の無い、フード姿の大男。サーベル本人の声を発している。あの魅惑的なまでの金茶色のタテガミは、どうしたのだ。
水妻ベルディナは、驚き過ぎてボンヤリとする余り、これらすべてが、悪夢か何かのようにしか思えなかった。
『グズグズするんじゃ無い、役立たずのノロマが。サッサと、この大広間のロックを解除しろ。中に居るのは、最高位の《水の盾》なんだろう。早くしろ!』
――あの金茶色の魅惑的なタテガミが無くなった今。貧相な姿になっていたサーベルは、ただの、極悪人だった。
いや、元からサーベルは、外道な極悪人だったのだけど、水妻ベルディナの目は曇っていたと言うべきか。
――サーベルも水妻ベルディナも、相手の表面の要素しか、見ていなかったのだ。お互いに、相手の本質が見えていなかったし、見ようともしなかった。
サーベルは、レオ族の最強の《水の盾》としての、水妻ベルディナにしか用が無かった。単に《盾使い》としての利用価値のみ。女としての意味すら無い。
第一位《水の盾》、しかも『イージス称号』持ちの《盾使い》であるサフィールが出現し、第二位《水の盾》に繰り下がった水妻ベルディナは、もはや用済みと言う訳だ。
水妻ベルディナにしても。『風のサーベル』の強い権力や、煌びやかな外見に惹かれていただけ、と言えた。
目が覚めてみれば。
サーベルの中身とは、その本質とは、心にある物は――いったい何だったのだろうか。
頭は良いかも知れない。でも、その頭の良さは、表の顔と裏の顔を使い回す方面に発揮されていた。
社会的地位は高い。でも、その地位は、巨大な特権のカタマリでしか無い。貴種ならではの覇気は、過剰な残酷さや暴力性、権力欲となって噴出するばかりだ。
サーベルの本性に気付きは、したけれど――気付くのが、遅すぎたのだった。
――かくして、バースト事故は、発生した。紫金(しこん)のサフィールは、消え失せた。
その後、5日後に続けて発生した《水雷》事件では、水妻ベルディナが防御を主導する事になったのだった。
何とか防御を成功させたものの。
それでも、非合法な『勇者ブランド』魔法道具による強烈な《雷攻撃(エクレール)》だ。そのダメージは大きく、水妻ベルディナは、2日間ほど寝込む羽目になった。
体調を崩してフラフラになっていた、水妻ベルディナに――レオ王を通じて、
かのサーベルからの新たな指令が下った。『これからウルフ王国に潜入するから、守護をしろ』という指令が。
レオ王は、老レオ皇帝の退位の情報をいち早くつかみ、それに夢中だった。体調がまだ回復していなかった水妻ベルディナの事を、振り返りも、気遣いも、しなかった。
この辺りは、水妻ベルディナの自業自得と言う事もあるのだけど。
*****
――水妻ベルディナの、告白が終わった。
誰が、バースト事故の引き金となった、サーベル一味の手引きをしたのかと思っていたけど――
水妻ベルディナ本人だったのだ。時によって、真相は、とても単純。
重役会議室を取り巻く窓から差し込んで来る陽光は、角度が随分と浅くなっていた。間もなく夕暮れの刻だ。
かつてバースト事故が発生した、あの夕暮れの刻が、近づいて来ている。
レオ族なリュディガー殿下とランディール卿は、2人とも、何とも言えない複雑な顔をしている。
静かに控えている、それぞれの4人の正妻たちも、そろって困惑気味の顔を見合わせ、肩をすくめるばかりだ。
こういう事は、恐らく、巨大なレオ帝国の中では良く聞く話なんだろうけど。話に聞くだけという状態と、
実際に巻き込まれてしまった状態とでは、全然、違う筈だ。
レルゴさんが首を振り振り、大袈裟に溜息をついた。ざっくばらんな茶色のタテガミを、ガシガシかき回している。
「まぁ、何と言うか、若き日々の過ちとか、そういうヤツって事か。私も色々、失敗はしてるけどよ」
バーディー師匠なユリシーズ先生は、思案深げに白ヒゲを撫でている。
「レオ王の周辺は、想像以上に、腐敗しておったのじゃな。巨大組織ゆえに、逆に目が届かなくなる部分が増えるのは必然じゃが。
元々、レオ王の性根は、そこまで堕ちては居なかったと記憶している。
ゆえに、老レオ皇帝は、レオ王の地位を保証していた訳だが。『悪貨が良貨を駆逐する』とは、まさにこの事だな」
鳥人ならではの特別製な脳みその中では、既に今後の状況を考慮しての策が練られている状態らしい。
次の瞬間。
水妻ベルディナが、先ほどまで伏せていた面を上げた。蒼白な顔色ながらも、意を決したような眼差しで――
――わたしを見つめて来た。ぎょっ。
「あなた、『水のサフィール』でしょう? 紫金(しこん)の毛髪じゃ無いけど……それに、何だか印象が変わってるけど、私には分かるわ。
どうやってバースト事故を生き延びたのかは分からないけど、サフィール、あなたは第一位《水の盾》として、レオ帝都に堂々帰還するべきだわ」
――ひえぇ! 直撃ストレート!
予期はしていたけど、幼児なウルフ尾が『ビシィッ!』と固まってしまった。バレる……?!
リュディガー殿下とランディール卿が、愕然とした顔で注目して来ている。
ランディール卿の地妻クラウディアが、「まさか」と呟きながらも、だんだん確信めいた表情になって来ていた。
「そう言えば、話に聞く『茜メッシュ』の位置が同じだわ。あからさまに混血なイヌ顔だけど、これは、お化粧で幾らでも化けられるし」
――地妻クラウディア、観察力が鋭すぎる!
「紫金(しこん)の毛髪……そうね、チャコールグレーだけど、うっすら紫色を帯びてる色合いだし。
母親が紫金(しこん)の女だったのなら、魔法道具で遺伝情報を出す事は可能よね」
――さすが、スーパー有能な正妻。これ、どうやって『違う』と説明すべきか……背中を冷や汗が伝うのが分かる。
そこで、レルゴさんが、再び大袈裟に溜息をついて見せて来た。
「申し訳ないが、地妻クラウディア殿、ルーリーは、この煮ても焼いても食えんクレドと《盟約》済みなんだ。
未成年だから《予約》になってんだが、《宝珠》ラインが出てる。ランディールの親友の名に懸けて、諦めてくれよ」
「あらまぁ」
「でも、《予約》の段階でしょう。必要とあらば、解除できる筈よ」
意外に、水妻ベルディナが食い下がった。自らの不始末によって、こんな事態を引き起こした責任を感じている――と言う事もあるのだろうけど。
まっすぐ刺さって来る視線に、決死隊にも似た異様な迫力を感じる。
「第一位《水の盾》サフィールを元に戻して、レオ帝国を正常化しなければならないわ。何もかも。私はサフィールのクセ、幾つか知ってるのよ。
サフィールは、図星を突かれると、そう言う風にウルフ尾が固まったわ。今ほど、ハッキリとした反応と言う訳では無かったけど」
――違う! 違います!
ブンブン首を振る。声は出せない。声を出すと、幾ら全面的な記憶喪失とは言え、一発で同一人物だと判断されてしまう。恐らく、じゃ無くて、ほぼ確実に。
地妻クラウディアは、レオ族ならではの鋭角的な形のお目目を、パチクリさせていた。
冷たいまでに整った彫像なクレドさんと、アワアワ状態の混血イヌ顔なわたしを見比べている。如何にも『信じがたい』と言う風に。
――そりゃ、何だかチグハグな組み合わせだな、とか、そう言う所はあるだろうけど……
自分で思いついていて、さすがに落ち込む。
クレドさんが、不意に水妻ベルディナを、スッと見据えた。
水妻ベルディナは、妖怪を見た時のような、ギョッとした顔になっている。動かない筈の彫像が、いきなり動いたと言う印象なんだろうなと想像できるよ。うん。
クレドさんの、冷涼にして滑らかな声が流れた。
「ルーリーが『サフィール』の名に反応するのは、それが母親の名前だからです。詳細は、リクハルド閣下にお尋ねください。
そして、私は我が《宝珠》を手放すつもりはありません」
――もう少しで失神するところだったよ。
不意打ちの爆弾発言だから、心臓がドッキリしてしまった。
訳知りなジントが、ウルフ尾で思いっきり背中を『バシバシ』はたいて来て、カツを入れて来たから、何とか気を保てた……感じ。
レルゴさんが、器用にタイミングを読んで、口を出している。
「ま、そう言う訳だ、水妻ベルディナ殿。ちなみに『公式決闘』は済ませてある、主に私がな。一太刀取られたから、この件はチャラだ。
力及ばずで済まんがな、此処に居る小娘と《水の盾》サフィールは、確かに別人だ。既に結論が出ている事だから、ゴチャゴチャ言わねぇでくれると助かる」
今度はランディール卿が、口をアングリした。
「我が友レルゴよ、お前ほどの戦士が、一太刀取られたと言うのか?」
「おぅ、忌々しいほど、あっさりとな」
リュディガー殿下は、感心したようにクレドさんを眺めた。
そして、おもむろに腕組みをして、アシュリー師匠と、バーディー師匠なユリシーズ先生を、疑問顔で振り返ったのだった。
「バーディー師匠にアシュリー師匠。では、あの日、大広間の天井の上に出現した、
あのラピスラズリ色の《水の盾》を、どう説明するのだ? この件、既に帝都に報告が行っているのだ。
結果があるのに原因が無いのでは、私もさすがに理解しにくい」
バーディー師匠なユリシーズ先生が、『決まっているでは無いか』と言わんばかりに、銀白色の冠羽をヒョコンと揺らした。
「あれは、水妻ベルディナ殿の発動した《水の盾》じゃよ、当たり前じゃろう。
そして、リュディガー殿は、ウルフ王国からの全面的な支持を受けて、新しい『レオ王』になるのじゃよ」
「――はぁッ?!」
いきなり爆弾が投下されて、炸裂したようなものだ。
レオ族な面々は目を丸くしている。居並ぶ正妻たちは勿論、水妻ベルディナでさえ、何が何だか分からないと言う風だ。
アシュリー師匠が、訳知り顔で、内容を補足して行く。
「実際、それが最も現実的かつ適切な解決だろうと、我々、大魔法使いとしても結論しているのよ。
今の老レオ皇帝が退位した後、今の第一位のレオ王子が一足飛びにレオ皇帝となり、
同時に傍系ながらレオ王子の1人であるリュディガー殿が、一足飛びにレオ王になっても、問題では無い筈よ。
レオ王子の地位を埋める候補者は、常にひしめいているのだから」
リュディガー殿下が金色タテガミをしごき始めた。
さすがレオ族だ。熟練の政治家らしくポーカーフェイスを保っているけれど、
目がキラキラと光り始めている。脳みその中で歯車がカチカチ回ってる音が、此処まで聞こえて来そうだ。
アシュリー師匠の目配せを受けて、ディーター先生が、ノンビリした様子で付け加えた――ただし、その眼差しは油断なく、鋭く光っているところだ。
「実際、これはウルフ王国にとっても悪い話じゃ無いのだ。こちらも、リオーダン王子が巻き起こした問題の数々をカバーするだけの余裕が欲しいのでな。
総合して五分五分の政治取引になるだろう。もっとも実際の交渉の窓口は、我らがウルフ国王陛下や、第一王子ヴァイロス殿下と言う事になるが」
おのおのの4人の正妻たちが、声を押さえながらも、ざわめく。将来の見込みに関する内容が、早くもチラホラと聞こえて来た。脳みその切り替え、凄すぎる。
水妻ベルディナが、口をパクパクし始めた。動揺した時のクセなのだろう、片手が、ソワソワと亜麻色の毛髪を触り出した。
お下げのように下がっている『花房』を形作る青いハイドランジア真珠が、その手の動きに合わせてユラユラしている。
「……でも、それでは……レオ王陛下は……」
水妻ベルディナの疑問に対して、バーディー師匠なユリシーズ先生が、決然とした様子で応じた。
「勿論、今のレオ王は、水妻ベルディナ殿の告発を受ける形で、リュディガー殿が老レオ皇帝に奏上する事で、廃嫡となる。レオ王のハーレムも解体じゃな。
ベルディナ殿を含め、正妻たちが私有財産を持ってハーレムを出るから、レオ王の私有財産も、大いに目減りする。政治工作も困難になる程にな」
バーディー師匠なユリシーズ先生は、凍て付くような――と言う程では無いけど、厳しい眼差しで『ベルディナ』を見やった。
「かつての第一位《水の盾》サフィール・レヴィア・イージス亡き今、レオ帝国の現在の第一位《水の盾》は『ベルディナ』殿だ。
『風のサーベル』の闇の腕は、とても長い。このたびの事件の残党の勢力も今なお強大であり、レオ帝国は、これから当分の間、動乱の時代を通過する事になる。
まずは新レオ皇帝の傍で、《盾使い》として、シッカリ務めるが良い」
*****(7)それぞれの岸辺
その後、各種の確認が続き――レオ帝国の大使館における密談は、終了した。
重役会議室の窓の外に広がる空は、夕暮れの刻をとうに過ぎていた。茜色は、西の地平線に漂う細いリボンとなっている。
天球は、夕刻の早い星々による、ひとときのページェントに彩られているところだ。
退出の頃合い。
バーディー師匠なユリシーズ先生の立ち合いのもと、ディーター先生とアシュリー師匠がウルフ王国を代表して、
レオ帝国を代表するリュディガー殿下と、順番に握手を交わしている。
その脇で、クレドさんは、レルゴさんやランディール卿と、戦士のやり方で礼儀正しく敬礼を交わしていた。
未成年なわたしとジントは、従者さながらに、端っこで控えているところ。
そんなところへ、スキマ時間を縫ってやって来たランディール卿の地妻クラウディアが、面白そうな様子で小声を掛けて来た。
「ルーリー、短い間に色々あったみたいだけど、運よく《宝珠》を見つけたのね。全く運の良い子だわ」
――はぁ、まぁ……その節は、どうも。
横に居るジントが、何食わぬ顔で、何やら『手品師も驚くマジックの収納袋』をゴソゴソやっているような、怪しげな動きをしている。ハラハラしちゃう。
あのね、ジント、この人は多分、大丈夫だと思うよ。基本的に、フェアな人だから。
地妻クラウディアは、次の瞬間、チラリとクレドさんに視線を走らせた。目がキラリと光っている。油断の無い視線だ。
「あんな隊士、見覚え、あったかしら……綺麗な外見をしてる割に記憶に残らないタイプだから、少し考えてしまったけどね。
ルーリーに対する眼差しが全然違うわ。《宝珠》と言うのも納得だわよ」
そして、地妻クラウディアは目をきらめかせて、イタズラっぽい笑みを向けて来た。
「あの隊士に飽きたら、いつでも来てね。私、まだルーリーのハーレム勧誘を諦めた訳じゃ無いのよ、ウフッ」
……これ、多分、地妻クラウディア流の祝福だよね。何だか祝福っぽくない祝福だけど、一応、有難うございます。
勘の良いジントは、早くも意味を察したらしい。思案のモヤモヤの中から結論を出していたのであろう間、手のゴソゴソとした怪しげな動きは小休止していたけど、
今も目が少し据わってる。やっぱり、お姉ちゃんとしては、ハラハラだよ。
――更に。先ほどから、意味深な視線をチラチラと感じる。
今や、レオ帝国の第一位《水の盾》となった『ベルディナ』の――色々と、物問いたげな視線だ。
廃嫡確定なレオ王の、ハーレムの解体が決まった今、呼称に『水妻』という称号は付かない。普通の『ベルディナ殿』。
ベルディナの、ほとんどの疑問に、わたしは応える事は出来ない。ゴメンナサイ。
――かつての第一位《水の盾》サフィールは、既に死んだのだ。
バーディー師匠なユリシーズ先生は何も言わないけど、わたしの『サフィール』としての役目は、充分に果たし終えていると思うんだよ。
あとは、レオ族なベルディナが、レオ族として関わって行く領域だ。
そして――そして、いつかは、ベルディナにも、真に愛する人が出て来たら良いと思う。
多分、レオ族の男女としての、一夫多妻制ハーレム形式な愛の形になるんだろうな、と思うんだけど。
バースト事故に至る経緯は、さすがに、まぁ、ビックリしたものの。
ベルディナの、その心の偶然の揺らぎが無ければ、今の『ルーリー』は此処に居なかった。クレドさんと出逢う事も出来なかったと思う。
だから。
――感謝こそすれ、恨みとか怒りとかは、全然、無い――
地妻クラウディアと入れ替わるようにして、クレドさんが戻って来た。そして何でも無い事のように、わたしの膝をサッとさらって来た。片腕抱っこだ。
いつもの事だけど、いきなり視点の位置が高くなるから、ウルフ尾が『ピシッ』と固まっちゃうんだよね。
クレドさんが、わたしを落っことす事は、多分、無いだろうと言う点では、信頼してるんだけど……
クラッとしている内に、クレドさんが、やはり何でも無い事のように、紺色マントを『バサッ』と掛けて来る。あれ?
*****
「では、行こうでは無いか」
バーディー師匠なユリシーズ先生が、面白そうな顔をしながら、わたしたちに一声掛けて来た。
そして、レオ帝国の大使館に残る事になっているレルゴさんと分かれて、わたしたちは外に出たのだった。
既に、とっぷりと日が暮れている。
先頭にバーディー師匠なユリシーズ先生とディーター先生が立ち、それに続くのがアシュリー師匠だ。
その後に、私を片腕抱っこ中のクレドさんが続き、脇にジントが付いている。
3人の魔法使いたちは、早速、今後の対応について話し合いを始めていた。
――『風のサーベル』が関わった数々の事件の影響は、非常に大きな物になったようだ。
闇ギルドの広域ネットワークを通じて、獣王国の諸国どころか、大陸公路をも股にかけるような、グローバルな内容になってるみたい。
全容は、今のところ、わたしには全く読み切れていないけれども。
やらなきゃいけない事が一杯あるらしいと言う事は、良く分かる。少しの時間でも惜しい、という状況だろうと言う事も。
――わたしが遭遇した出来事だけにしても、この短い間に色々あったし、色々あり過ぎたし……
散策路を成す道の脇に、間隔を置いて置き石が並べられていて、その中で、夜間照明がボウッと灯っている。
少しばかり距離のある先に、わたしたちが使う予定の、『あずまや』型の転移基地が佇んでいた。
ふと気が付いて、空を仰ぐと――
――わお。いつの間にか、満天の星空だ。宝石箱をひっくり返したみたい。
以前、バーディー師匠なユリシーズ先生が詠唱して見せて来た、不思議な呪文が思い出される。
――記憶を奪い、また与えるのは海――
――命を救い、そして滅ぼすのは愛――
いつか見た、あの遥かなる『連嶺』が見えるのは、どちらの方向だろうか……
夜空のアチコチをキョロキョロしていると、急に冷たい夜風が『ヒュッ』と通り過ぎた。ひえぇ!
「さ、寒いッ……」
思わず首をすくめると、紺色マントの襟が頬に触った。
あ、夜になると気温が下がるから……クレドさんは、わたしを片腕抱っこして来た時、紺色マントを……
チラリと、クレドさんに目を向けると――クレドさんは訳知り顔で、不意に綺麗な笑みを返して来た。顔が近いから、ドッキリ。
相変わらず小生意気なジントが、灰褐色のウルフ尾をヒュンヒュン振りながら、要るのか要らないのか良く分からないコメントを寄越して来た。
うーん、ますます小生意気になる年頃って事かも。
「姉貴、記憶喪失にしても、色々スッポ抜け過ぎだぜ。魔法で《空気の壁》を作って保温しとくのは、この季節の常識なんだけどよ。
南方のレオ帝都生活が長くて忘れていたか、その手の魔法も出来ないのか……姉貴の場合、絶対に両方だから、弟としては、ハラハラする訳だよ」
――うわぁん、やられた!
クレドさん、わたしが気付いてないと思ってるみたいだけど、肩、震えてるよ! 絶対、
忍び笑いしてる! 何故かジントと気が合ってるし、中身は案外、ジントと似たり寄ったりだったりして……!
*****
いつしか、遥かな上空で――季節の変化を告げる冷涼な風が、強く吹き始めた。
雲はスッカリ吹き払われており、全天の星々がチラチラと瞬いている。
しきりに揺らぎ続ける天上の星明りは、間もなく地上で展開するであろう動乱の時代を、予兆していたのだった。
*****(8)名も無き補遺
――『レオ帝国史・魔法使いの部』より適宜、引用――
《水の盾》サフィール・レヴィア・イージス。ウルフ族、金狼種、女性。
レオ帝国の最大の動乱期、その初期の間だけ活動した、最も謎の多い《水のイージス》である。
老レオ皇帝のハーレム妻であり、同時にレオ帝国における第一位《水の盾》として、老レオ皇帝の身辺を守護していた。
老レオ皇帝のハーレム妻となって7年目の夏、《運命の日》の日暮れの刻、サフィールは、
後宮の都にて、『雷神』として知られる伝説の梟雄『風のサーベル』に率いられた凶賊一味の急襲を受けた。
その際、金剛石(アダマント)の大広間における最大最強レベルの四大《雷攻撃(エクレール)》乱反射が発生した事が知られている。
サフィールは、その『イージス称号』に相応しい天賦の才能をもって、みごと防衛してのけたが、
想定外の『バースト事故』により体調を崩した末、療養の甲斐なく、その年の秋の半ばに急死した。一方で、伝説の梟雄『風のサーベル』は、逃走に成功していた。
――《水の盾》サフィールの活動期間は、実際は、まる7年に満たぬ短いものであった。しかし、鳥人出身の《風の盾》ユリシーズと協力し、
先見の明に優れる老レオ皇帝の身辺守護を成功させて来た功績は、その後のレオ帝国の情勢安定という側面から見ても、決して小さくは無い――
バースト事故の現場より辛くも逃走に成功していた『風のサーベル』には、まだ続きがある。
彼はバースト事故の直後から、《雷攻撃(エクレール)》使いの凶賊『雷神』として、ウルフ王国に潜入していた。
奴隷妻の候補として拘束していたウルフ闘獣『水のルーリエ』が脱走し、ウルフ王国に入国したからであると言われている。
伝説の《雷攻撃(エクレール)》使いでもあった『風のサーベル』による凄まじいまでの破壊活動の結果、
ウルフ王国の夏の離宮『茜離宮』の象徴となっていた三尖塔が、まるまる吹き飛んでしまった。この事件は、歴史上、有名な逸話である。
この『茜離宮・三尖塔の大崩壊』は、レオ帝国および獣王国の諸国を巻き込んで行った最大の動乱期の幕開けを告げる、一大事件でもあった。
なお、この『茜離宮・三尖塔の大崩壊』で、『風のサーベル』は、遂に落命したとも、しぶとくも逃走に成功したとも伝えられているが、
真偽のほどは、今なお明確では無い。その後の、かの動乱期においても、なおも梟雄サーベルの名が記録され続けた――という事実のみ、記しておく。
――レオ帝国および獣王国の諸国における最大の動乱期をくぐり抜けた名君、後の中興の祖として知られているのが、
元々は傍系王子の1人であった『地のリュディガー』だ。中興の祖リュディガー帝の数々の偉業は、その『不遇の王子』時代を含めて、今や数々の伝説となっている。
偉大なるリュディガー帝の治世下において、記録に名を遺した『イージス称号』持ちの《盾使い》は、獣王国の全体では、わずか3名である。
レオ帝都に1人。鳥人出身の《風の盾》ユリシーズ・シルフ・イージス。
ウルフ王国に1人。ウルフ族出身の《水の盾》ルーリエ・レヴィア・イージス。
パンダ保護区に1人。パンダ族出身の《火の盾》ホンホン・イフリート・イージス。
――以上である。
とりわけ、ウルフ族、黒狼種『水のルーリエ』は、《水の盾》サフィールの再来とも噂された、天才的な《盾使い》であった。
ルーリエ・レヴィア・イージスは、レオ帝都の社交界に出て来た時には既に同族ウルフ族の婚約者を伴っており、その後、間もなく結婚した事が記録に残っている。
ウルフ王国を代表する有力者の庇護のもとにあった令嬢であり、身元そのものはシッカリしているのだが、
様々な局面で、かつての《水の盾》サフィールを彷彿とさせていたという目撃証言の数が非常に多い。
水のルーリエは、『茜離宮』に出現した時の謎めいた状況と言い、幼少時の経歴の波乱ぶりと言い、サフィール同様、妙に謎の多い興味深い存在である。
サフィールがレオ帝都で活動していた時期、何故かルーリエも、同時並行でレオ帝都に居たと言う記録がある。
しかも、『雷神』として知られる伝説の梟雄『風のサーベル』に囚われる形で――
偶然とは言え、この摩訶不思議なまでの事実は、特に様々な想像を引き起こす性質の物だ。
更に、その後の《風の盾》ユリシーズの右腕として示した能力からしても、
くだんの《水の盾》ルーリエは、実はサフィール本人だったのでは無いかとの俗説が広く信じられている。
特に決定的なのは、ルーリエが、サフィールと同様に最高位の《水の盾》を発動できていたと言う事実である。
――この物語では、『ルーリエ=サフィール同一人物説』を採用するものであるが、所詮『俗説』の一バージョンであり、
正統派の学界では認められていないという事を付け加えておくものである。
いずれにしても、この辺りの決着は、後世の判断にゆだねるのみである。
――《終》――
《バックグラウンド詩歌作品》――ソ連ロシア詩人パステルナーク未刊詩集『晴れようとき』
生きよ、
虚飾の名誉を捨てて
いつの日か宇宙の愛を引き寄せ
未来の呼び声を聴く
そのためにこそ生きよ
やがて他者が足跡をたどり
一歩一歩おまえの道を来るだろう
だが敗北かそれとも勝利か
それを見きわめるのはおまえではない
一瞬たりとも個性を捨てるな、
おまえ自身をつらぬきつつ
ただ生きてあれ、生きてあれ
生きてあれ、ただ最期のそのときまで