―瑠璃花敷波―18
part.18「凶星乱舞曲」
(1)怪しすぎる控え室
(2)注文の多い曲がり角(前)
(3)注文の多い曲がり角(後)
(4)尾行する者、問答する者
(5)にわか裂け目を分け出でし
(6)天窓の上と下、四方(よも)の対決(前)
(7)天窓の上と下、四方(よも)の対決(後)
*****(1)怪しすぎる控え室
わたしたちは、コッソリと大広間の会場を後にした。
いったん大広間を出ると、衛兵たちの目も、定時巡回に毛が生えたようなレベルだ。警備の中心が、大広間の玉座――ウルフ王族たちの周りに移動しているせいだ。
此処でも、仕事見習い中の侍女なメルちゃんの道案内が、大活躍した。
ラステルさんとしては、まだ小さなメルちゃんを巻き込むのは本意では無かったんだけども、
『茜離宮』奥殿の内部構造には詳しくないから、背に腹は代えられぬ、といったところらしい。
「夏の離宮は、余り外交の舞台になる事は無いからねぇ。レオ帝都の方に近いウルフ王宮なら、だいたい獣王国の共通の間取りになっているから、予測しやすいのだけど」
控えの間との連絡路を兼ねている回廊が、会場となっている大広間の外をグルリと巡っている。
ウルフ衛兵の目を避けて、その回廊を一回りしたお蔭で、この辺りの構造が呑み込めてきた。
大広間をグルリと巡る回廊は、空中廊下を通じて、三尖塔と接触していた。
玉座の間の裏側に当たる部分に、最も高い第一の尖塔。
第二と第三の尖塔は、大広間の両脇に控える形。
つまり、玉座のある大広間は、三尖塔に守られるように囲まれた格好となっていた訳。
大広間の天井に配置されている天窓を、もっとジックリ眺められたら、その天窓を透かして、『茜離宮』名物の三尖塔がそびえ立っているのが見えた筈だ。
時間があったら眺めてみたいと思うけど、今は、それどころでは無い。
*****
メルちゃんが、行く手にあるアーチ形式の出入口を指差した。控えの棟につながっている出入口だ。
「この出入口から、出入り商人たちの控え室に行けるわ」
商人たちに用意された控えの間は、出入口から伸びる廊下に、順番に配置されていた。ロック付きのドアが並んでいる。
廊下では、他種族の若手たちが、トイレ休憩などで控え室から出て来て、ブラブラしているところだ。
おのおのの魔法道具の商人の代表と、主だったスタッフたちは、大広間に出張っているんだよね。残っているのは、雑用や荷物の見張りを担当するスタッフのみという状況だ。
ラステルさんが、ネコ族ならではのニヤ~ッとした笑みを浮かべて、ジントを振り返った。
「今こそ、《隠蔽魔法》の出番よ。偽フォルバの手下が居たら、私がやっつけるわ」
廊下を進み始めて、間もなくのこと。
クマ族の魔法道具商人『風のフォルバ』の控え室は、尋常に見つかった。大部屋を独占しているし、ドアプレートに『クマ族・風のフォルバ』と書いてある。
わたしたちは、《隠蔽魔法》でもって、慎重に近づいた。
ラステルさんの侵入手段は、ストレートだった。そのまま扉をノックしたんだよ!
「どなたですかい?」
そう言って出て来たのは、フードを深くかぶって、人相を巧みに隠した男だ。明らかに下っ端と見える運搬スタッフ風の獣人。
大柄な印象で背丈もあるけど、ヒョロリとしていて、意外に若い声。
ラステルさんが、自身の口と鼻を手巾でふさぎながら、目にも留まらぬ早業で、手に持った『霧吹き』のような物をシュッと吹く。
――効果テキメン。
応対に出て来ていたフード姿の獣人は、口をポカンと開きながら、その場にバッタリとお休みになったのだった。
扉からの怪しげな物音に気付いた様子で、追加で出て来た下っ端のスタッフらしき若者も、同じようにして昏倒。
その後、部屋の中の動きは無くなったみたいだ。
ラステルさんは『魔法の杖』を振って、《風魔法》で探知を掛けている。余りにも手慣れた動きだ。ビックリしちゃう。
「フフフ、留守番役は2人だけだったみたいね。さぁ、忍び込むわよ!」
この全ての出来事については《隠蔽魔法》が掛かっていたから、昏倒した2人の手下は、誰が出て来たのか、何で失神したのかも分かってない筈だ。
そして、わたしたちは、扉の前に倒れ込んだ2人の身体をまたいで、『風のフォルバ』の控え室に侵入したのだった。
*****
金色マントに金茶色の毛髪をした謎のクマ族『風のフォルバ』の控え室は、実に奇妙だった。
クマ族の特有の空気が無い。代わりに、レオ族の特有の空気がある。
部屋を仕切るのに下げとく布地の色彩が、明らかに違うんだよね。レオ族ならではの、赤と金の多いパターンだ。
部屋の雰囲気を決める仕切り布は、それぞれの種族によって違うため、持ち込みになっている。
仕切り布が違うと、枕や毛布が違うのと同じで落ち着かなくなると言う、獣人ならではの理由があるから。
ジントが、昏倒した2人のフードをペラリとめくった。
「こいつら、レオ族のチンピラだぜ。タテガミがまだ完全に生えてない年齢だから、見た目、クマ族に見えたんだな」
「ちゃんとしたタテガミ持ちの大人になっても、これがバレたら、ハーレムを持てないわね」
メルちゃんがフンッと鼻を鳴らしつつ、辛辣に応じている。
部屋の方々を物色しながらも、ラステルさんが疑念を口にした。
「あの『偽フォルバ』は間違いなくレオ族ね。タテガミを取ったからクマ族に見えた。
でも、変装などという理由があるにしても、タテガミを完全に、あそこまで物理的に刈り込んでしまうなんて変だわ。
レオ族の男は『タテガミを食い荒らす害虫の駆除』という医療上の理由が出来ても、タテガミを無くすのを嫌がるものなのに」
わたしは、ラステルさんの作業を手伝って、備え付けのクローゼットを開いた――
――ぎゃああ!
目の前に、見覚えのあるような、濃灰色の不吉な衣服が下がっている!
たたらを踏みながら後ずさってしまう。尻尾の先が、お尻にくっついているのが感じられた。間違いなく、わたしのウルフ尾は丸まって縮こまっている所だ。
ラステルさんが、わたしの後ろからクローゼットの中をのぞき込んで来た。濃灰色のザックリとした拘束衣セットを目にして、顔をしかめる。
「……これ、死刑囚に使う、魔法の拘束衣ね?」
次にジントの声が飛んで来た。
「ひょえぇ。姉貴が、最初に着てたヤツじゃんか。何か濡れてんな。この間の雷雨っぽい匂いがするけど」
「洗濯しないで、そのまま突っ込むなんて……変なカビやキノコが生えるじゃ無いの。
でも、わざわざ雷雨の日に、死刑囚のための拘束衣を持ってうろつくというのも、まともじゃ無いわね」
わたしの全身が一気に総毛立つ。
――この間の雷雨の日、ジリアンさんの美容店の周りをうろついていた、正体不明の誰かが居たけど。もしかして……?!
*****
「誰か来るわ!」
ドアの傍で警戒していたメルちゃんが、ささやき声を飛ばして来た。ラステルさんの白いネコ耳が『ピシッ』と動く。
「早く、隠れるのよ!」
ラステルさんの鋭い指示が飛んだ。何者かが、この部屋を目指して来てるって事だ。わたしたちはギョッとしながらも、クローゼットの中に隠れた。
更に《隠蔽魔法》でもって、『隠れていると言う事実』も隠蔽したのだった。
――息を詰めて待ち受けていると。
ヒタ、ヒタ、という足音が近づいて来た。部屋のドアの前で止まった。
――ガチャリ。バスン。
気が抜けたような音は、まだ失神して倒れたままだった下っ端の身体に、ドアの端がぶつかった音だ。
「ややッ?」
――聞き覚えのあるような、若い男の声だ。ギョッ。
「おい、これは、どういう訳だ? 此処に転がってるのは……」
それを遮るように、すぐに別の男の大声が響いた。
「妙にネコ族の気配がする。クソ! 競合している隊商の奴らか、商業スパイか、泥棒猫め! ネコ族と来たら、全員、泥棒猫だからな!」
年配の大男らしい。意外に声質が優れていて、良く通る声ではあるけれど――にじみ出て来る敵意と侮蔑の雰囲気が凄すぎて、全体的に印象が台無しって感じ。
「ネコ族ってヤツは、生まれながらにして、劣化版のレオ族、夜な夜な空飛ぶホウキにまたがり、
煙突から煙突へと飛び回り、モンスターと共に大凶星の夜のドンチャン騒ぎをやって踊っている、下等な軟体動物だ! 最も罪深き者、
我々を堕落させんとして、暇さえあれば邪悪な陰謀にいそしんでいる魔性のモフモフ、その名はネコ!」
――わお。ネコ族に対するヘイトスピーチじゃ無いの、これ?!
わたしの隣に居るラステルさんが、ネコ尾をブワッと膨らませた。怒りに満ちてるって感じ。
(あいつは、私がギッタギタにやっつけてやるわ!)
そうしているうちに、クローゼットの扉の隙間から見える所に、声の主が、ズカズカと足を踏み鳴らしながら現れて来た。
――金色マント。偽『風のフォルバ』だ!
フォルバは少しの間、苛立たし気に部屋中を歩き回っていた。けれど、すぐに次の方針が決まったようだ。
ブツブツと言いながらも、何処かの仕切り布をバサッとめくる気配がする。
やがて、フォルバは再び、クローゼットの扉の隙間から見える所に、その大柄な姿を現した。
――手には、あの物騒な《雷攻撃(エクレール)》用の古代の宝玉杖を持っている!
(あいつ『雷神』じゃんか!)
同じく、クローゼットの中に潜んでいるジントが、目を見開いたようだ。驚愕の色を浮かべた一対のお目目が、キラーンと光っている。
偽『風のフォルバ』こと謎の『雷神』は、気取っているかのように、金色マントをバサッと揺らめかせた。
見るからに異様な《雷攻撃(エクレール)》用の古代の宝玉杖を、いっそう物騒に構えている。
「今まで散々世話になったなぁ。その不愛想なツラを、やっと《雷攻撃(エクレール)》でズタズタに出来るかと思うと、嬉しくて全身が震えるぜ。
ただし、此処ではマズイ。何やらネコ族が居る気配があるんでな、場所を変えて、タップリと話をしよう。おい、新入り野狼(ヤロウ)、シッカリ束縛して連行しろ」
――全員で3人、居るのか。そして仲間割れ中なのだろうか。
不審に思っていると、いきなり、あの人の声がした――
「先刻も言ったように、私は貴殿と話すのは初めてだ」
ひと息おいて、良く通る声の、ただし雰囲気の悪い笑い声が響く。偽『風のフォルバ』こと謎の『雷神』の笑い声だ。
「下手なゴマカシが通用すると思うなよ、クレド野狼(ヤロウ)。あんたとは6年前からの仲じゃ無いか、フフフ」
「此処に倒れている2人がレオ族と言う事は、貴殿もレオ族だな」
「フン。たかがネコ族の奴らに……役立たん手下どもだ」
偽『風のフォルバ』の声が不吉に尖った。
「都合よく雷雨の日があった時、例のウルフ娘が中庭広場の美容店に入ったんでな、これをチャンスとして、拘束衣で拘束し、拉致誘拐して来るよう命令したんだが。
中級魔法使いが居たと言うだけで、逃げ帰って来た。女どもしか居なかったと言うのに、返す返すも、無能めが」
次の一瞬。
――ババババ。バリバリバリ。
クローゼットの隙間からも、青白い《雷光》が光ったのが見えた!
やがて――不吉なまでに、焦げ臭い空気が漂った。
「やい、新入り! 貴様の権限で、こやつら、泥棒猫に殺されたとしておけよ。少しでも疑義が出るような事があったら、貴様を無能として、同じように黒焦げにしてやる。
実力主義のウルフ王国で『殿下』称号持ちなのだから、それだけの実力を見せてもらわんとな」
余りにも剣呑すぎる、宣言の後。
複数の足音が、部屋を出て行く音が続いた。
――バタン。ガチャリ。
ラステルさんが白いネコ耳を、ピコピコ動かした。
ジントが、ラステルさんの合図を受けて、《隠蔽魔法》の対象範囲を拡大する。
満を持して、ラステルさんはクローゼットの隙間を慎重に広げ、ネコ族ならではの柔軟さでもって、ニューッと頭を突き出した。そして、周囲を窺い始めた。
隙間から、焦げ臭い空気がドッと入って来る。これだけ焦げ臭い空気があると言う事は、あの若いレオ族の2人は……
「よし。奴ら、完全に廊下に行ってるわ。出て来て良いわよ。静かにね」
メルちゃんが真っ青な顔色をしながら、クローゼットから這い出て来た。その視線は、2人分の、黒焦げのカタマリにある。
――さっき、『雷神』が《雷攻撃(エクレール)》で黒焦げにした、2人のレオ族の若者たちだ。
ジントが顔をしかめながらも、黒焦げのカタマリに鼻を近付ける。
「こいつら、かろうじて息はあるぜ。どうするよ」
「鎮痛と火傷止めの治療魔法を施しておきましょう。これだけ火傷が深いと、本格的な治療は《高度治療》じゃ無いとダメなのよ。メルちゃん、救急の通報は出来るわよね?」
ラステルさんが『魔法の杖』を振って、白いエーテル光を、2人の哀れなレオ族の若者に注ぐ。
2人はピクリとも動かなかったのだけど、息遣いは、心なしか復活したようだ。
メルちゃんが部屋のドアの前に『救急通報カード』を仕掛け、『魔法の杖』を振って発動し始めた。
わたしも手伝って、『正字』で通報内容を仕掛ける。
――至急。重傷者はレオ族の男2人。若年層。《雷攻撃(エクレール)》直撃による全身の火傷。わずかながら自発呼吸あり。意識無し――
「ボヤボヤして居られないわよ。早くしないと、3人目の瀕死の重傷者が出るわ」
必要な処置を済ませた後、ラステルさんを先頭に、ジントとメルちゃんとわたしは、廊下に残る痕跡を辿って、『雷神』を追跡したのだった。
わたしの中で、不安が急に膨れ上がって行く。
さっき『雷神』と話していた、あの声――
――次に、あの致命的なレベルの《雷攻撃(エクレール)》を受ける事になるのは、クレドさん?!
*****(2)注文の多い曲がり角(前)
回廊の曲がり角に到達した。他の棟に行くための分岐路が、幾つかある。
わたしたちは意外にも、偽『風のフォルバ』こと『雷神』が率いる一団に、すぐ追いついた。
回廊には人目が多いから、彼らにしても、コッソリと動き回らなくちゃいけなかったみたい。移動スピードが遅くなっている。
(あいつら、屋上に行くみたいだぜ)
ジントが灰褐色のウルフ耳をピコピコさせた。《隠蔽魔法》が途切れないように、一定時間ごとに灰色の宝玉をチェックして、エーテル流束を補充している。
偽クマ族の金色マントが、空中回廊を通り抜ける風にひるがえった。
その拍子に、金色マントの大男が手に持っている『宝玉杖』が、少し見えるようになる。
全体に埋め込まれた多種類の宝玉がキラキラと輝いていて、先端部では、異様に大きな球体が、その存在感を主張しているところだ。
――そして、ウルフ族の男性2人の姿が見えた。ウルフ族の隊士服――紺色マント姿が。
ラステルさんが緑の目をキラーンと光らせる。白いネコ尾が改めて、ブワッと逆立った。
(2人とも、貴種ウルフ族ね。黒狼種。片方は、リオーダン殿下。今は純白マント姿じゃ無いし、銀色のサークレットもしてないから、一瞬、誰かと思ったわよ。
あの2人、後ろ姿が似てるわ。ちょっと《変装》を施したら、見分けがつかなくなるくらいに)
わたしたちも、高品質な《隠蔽魔法》に守られつつ、不穏な雰囲気に包まれている3人の男たちを窺う。
次の一瞬、メルちゃんが口をアングリした。もう少しで何か叫びそうだったから、思わず『バッ』と飛びつき――素早く口を塞ぐことにする。
――リオーダン殿下が、クレドさんを、後ろから拘束しているのだ。後ろ姿だから表情は分からないけど、剣呑な気配が漂っているのが、目にも明らかだ。
やがて、別の曲がり角に到達した。人目が無くなったタイミングで――
偽『風のフォルバ』こと『雷神』が、2人のウルフ族を――クレドさんとリオーダン殿下を――振り返った。
「目立つとマズい。此処からは、我々は別行動で屋上に行くが、分かってるな?」
その口から響いて来るのは、いっそうドスの利いた声音だ。明らかに、まともな商人の声では無い。
振り返って来た謎の大男の面差しは、金茶色の毛髪に浅黒い肌を持つ――典型的なクマ顔。
『宝玉杖』を握る右手は、クマ族ならではの毛深さだ。よほど精巧な《変装》が掛かっているのか、とてもレオ族とは思えない。
金色マントの大男『雷神』は、言葉を強調するかのように、右手に持つ古代的な意匠の『宝玉杖』を、物騒に振り回した。
宝飾細工のカタマリ――謎の『宝玉杖』の先端には、頭部よりなお大きなサイズをした、雷電模様を含む球体が施されている。
その球体は、既に、パチパチと言わんばかりの青白いエーテル光が取り巻いていた。
――今すぐにでも《雷攻撃(エクレール)》を放てる状態だ。
クレドさんを後ろから拘束したままのリオーダン殿下が、小さく頷いたのが見えた。
その様子を認めたのか、『雷神』は不意に、耳まで裂けるような不気味な笑みを浮かべた。
「風のクレドよ。あんた、この第二王子の怨念を、えらく頂いてるらしいな。この温厚な私ですら、いたく怒らせる程なのだから、納得すると言うモノだよ。
屋上では、大いに楽しみにして待っているぞ」
クレドさんは、無言・無反応のままだ。元々、感情が読みにくい人だけに、今、何を考えているのかも良く分からない。まして、わたしから見えるのは、後ろ姿でしか無いし。
ラステルさんを先頭に、壁にピッタリ張り付きながら様子を窺っていると――
金色マント姿が、ひるがえった。別の分岐路へと消えていく。宣言通りに、別のルートから屋上に上がって行くのだ。
居残り組となったクレドさんとリオーダン殿下は、2人で並んで、金色マント姿を見送っている格好だ。
こんな場合で無ければ、2人で仲良く見送っていると勘違いしていたところだと思う。
やがて。
クレドさんの硬い声が、回廊を渡る向かい風に乗って、聞こえて来た。
「以前、マーロウ殿を現場で斬り捨てたのは、口封じを兼ねての事だったのか」
「死人に口なしだ。クレドも、消えるには良い機会だな」
リオーダン殿下の不吉な口調も、漂って来ている。リオーダン殿下は、今日、間違いなくクレドさんを殺害する予定なのだ。
――ただし、自分の手を下さずに、『雷神』に殺させる形で。
クレドさんの硬い声音が、いっそう硬質さを増している。
「6年前から、あの偽クマ族の業者と、私のあずかり知らぬ『クレド』が、つながっていたと言う事は……リオーダンは6年間、
私の姿に変装しておいて、彼と裏取引をしていたと言う事だな」
リオーダン殿下は、ククク……と忍び笑いをし始めた。
「そろそろ、《変装魔法》も役立たなくなって来たからな。どうやら、無意識のクセか何かで、違いが大きく出て来ているらしい。
6年前の時は、『サフィール』も、我々2人の違いが分からなかったくらいなのに」
――え? あれ? そうだったっけ?
わたし、『サフィール』の時の記憶が無いから、全く分かんないんだよね。ラステルさんが緑の目をパチクリさせて、質問顔で振り返って来たけれども、
何も言えないまま、首を横に振るしか無い。
事情が全く分かっていないメルちゃんは、完全に6年前の思い出話だと受け取ってるらしい。わたしと『サフィール』の、のっぴきならない関係については、
メルちゃんは、まだ知らない状態だから。
――どうか、クレドさんもリオーダン殿下も、決定的な内容を口にしないでくれ……と、勝手ながら祈るしか無い。
リオーダン殿下の言及は続いた。話し続けたい気分らしい。
「6年前。我々は、サフィールを訪問したな。あの頃、我々は、後ろ姿が似ていた。《変装》を思いついたのは、或る意味、『サフィール』のお蔭とも言える」
――心臓がドッキリだ。思わず、ウルフ耳をそばだててしまう。
回廊の中、リオーダン殿下の不吉な口調が、陰々と流れ続けた。
「1人で《大天球儀(アストラルシア)》の前にあった椅子に腰かけて、地図を眺めながら帰路を確認していたら、後ろから、サフィールが『クレドさん』と呼び掛けて来た。
勿論、振り返った時に人違いと分かって、サフィールは頭を下げて来たがな、内心、これは好機だと思ったものだ」
――好機? 何の好機?!
ラステルさんが白いネコ耳をピクピクと立てている。ジントとメルちゃんも、ウルフ耳を注意深く傾けているところだ。
相変わらず後ろ姿なクレドさんが、一呼吸おいて口を開いた。
「あの、胡散臭い魔法道具の買い取り人からの申し出か。『盗品も幅広く扱っているから、証拠が残るなどと心配はしなくても良い』と、誘い文句を掛けて来ていた。
プロの故買屋だろうとは思っていたが」
リオーダン殿下が皮肉気に応じる。
「あれは実に旨い話だった。帰路の間じゅう、あの故買屋は、しつこく後を付けていたのだから、機会は幾らでもあったんだ。
クレドが応じれば良かったのだぞ。クレドが動かなかったゆえに、私がクレドに《変装》して動く羽目になったのだからな。
第五王子ジルベルト殿の後継者になるには、当時は、クレドは資金力が無さすぎただろうに」
――そう言う訳だったのか。
6年前。レオ帝都に居る『サフィール』の訪問の折に、リオーダン殿下もクレドさんも、くだんの故買屋――『胡散臭い魔法道具の買い取り人』と顔を合わせていたのだ。
その謎の故買屋は、金色マント『雷神』と、深いつながりのある業者だったに違いない。そして、『サフィールお手製の道中安全の護符』を欲しがった。
でもクレドさんは取引に応じなかったのだ。
リオーダン殿下は、クレドさんが、そういう『後ろ暗い取引』に応じるものと決めつけていたらしい。
クレドさんが、そうしても不思議じゃない立場だったから。
かくして、当てが外れたリオーダン殿下は、余計な事を思いついて、クレドさんに変装して取引に応じた。
あの口ぶりからすると、かなり高額の取引になったのだろうと言う事が窺える。
後継者争いには、相当のマネーが必要になるらしい。ウルフ王国って、各地方の飛び地をリンクしただけの統一王国だもんね。
政治工作資金とか、派閥マネーとか、そう言ったモノに違いない。
――もしかしたら……リオーダン殿下が、『殿下』称号を得た手段って……
*****(3)注文の多い曲がり角(後)
クレドさんの、表情変化の少ない硬い声が、再び挟まった。
「あのマーロウ殿が、如何にしてリオーダンの協力者となったのか、理解できたような気がする」
「フッ。素直に儲け話に乗って、『道中安全の護符』を取引して、不正の証拠を提供していれば良かったのさ。
実力不足の孤児ともなれば、その辺は必死になる物だろう」
――重要な暗示だ。思わず、ウルフ耳をピコピコしてしまう。
今は亡きマーロウさんの立場が思い出されて来た。かつては『殿下』称号の候補と目されていたという、名門の出身。
フィリス先生の説明していた内容も、パッとよみがえる。
――マーロウさんは、『大狼王』の血を引く名門の貴種の出身の人なの。若い頃は、『殿下』称号レベルの力量を認められていた事もあったみたい。
でも基本的に研究者気質な穏やかな方だから、結局は、並み居る荒くれ共を取りまとめる方面は――王族を務めるのは――向かなかったようで……
……純血の貴種ならではの、プライドの高かったマーロウさんの事だ。恐らく、臣籍降下する事は、本心では望んでいなかったのだろう。
かつて第三王子だったと言うリクハルド閣下も、臣籍降下した際、かなり抵抗していたそうだし。
直感でしか無いけど……これは確実だ。
マーロウさんは、臣籍降下という《運命》に抵抗する際に、恐らく、何らかの不正に手を染めたのだ。こっそりと。
でも、それを、リオーダン殿下に気付かれたのだろう。気付かれて、そして――
――わたしたちが潜んでいる所からは、リオーダン殿下の後ろ姿しか見えないけど。
リオーダン殿下が、凄まじく歪んだ笑みを浮かべたのだろうと言う事は、想像できる。
いつの間にか、話題は、別のものへと移り変わっていた。
「――あの、クジ引きのあった日の夜。ベルナールが中型モンスターに襲われたのも勿論、偶然では無い。私が、クレドを候補から外すためにやった事だ。
傍系出身の、それも第五王子の後継者の候補にすら上がらない成長不良の孤児のくせに、王族直系を差し置いてクジ引きに当たるなど、心得違いも甚だしい」
リオーダン殿下の声音が、ジワジワと刺々しさを増していく。
「あの時『中型モンスターをけしかけた犯人はクレドでは無いか』と言う疑いが出たが、クレドは忌々しいくらい悪運が強かったな。
その時間帯に、よりによってベルナールと一緒では無かった。クレドは老師の部屋を訪れていた――何を話したのかは知らんが、盤石なアリバイがあったとは想定外だったよ」
クレドさんは、無言のままだ。ショックを受けてるのかどうかも、良く分からない。或いは、最初から、何らかの不穏な兆候を見透かしていたのだろうか。
やがて、クレドさんが口を開いた。
「あの時、私は確かに、老師に相談があって行っていた。『サフィール訪問の従者から外してくれて構わない』と言いに行っていた」
紺色マントをまとう隊士姿なリオーダン殿下の背中が、一瞬、ピクリと緊張したように揺れる。予想だにしなかった返答だったらしい。
「……何だと?」
「老師は、言われた。『宿命と運命は、常に我々に《アルス・マグナ》の瞬間を示したもう。
あのクジ引きが提示され、おのおのが選択した瞬間は、《幻の刻》だった。その意味をよく考えてから、また来たまえ』――と」
リオーダン殿下は少しの間、絶句していたようだったけど、すぐに笑い声を立てた。
「あれは昼の《銀文字星(アージェント)》の刻――だが結局、何も起こらなかった」
「その瞬間、王宮で行なわれていた王族会議で、ヴァイロスとリオーダンが、第一王子の候補に決まった」
「初めから予定されていた事は、偶然とは言わん」
――少し、間が空いた。そしてクレドさんが、ポツリと言った。
「一太刀の差で、ヴァイロス殿下が第一王子の地位を勝ち取った訳だ」
――ガツン、という音が響いた。ひえぇ!
クレドさんは、右肩をしたたかに『警棒』で殴られてたみたい。紺色マントに包まれていて、後ろからは良く分からないけど、右肩が下がっている。骨、折れてない?!
「左肩を残してやったのを感謝すべきだな、クレド。相変わらず、筋骨の弱い奴め」
リオーダン殿下が不吉に呟いている。
「クレドの名において、国家反逆罪の証拠は既に揃えてある。翌日にも、財務部門の連中が見つける予定だ。
第一級の国家反逆者・汚名の貴公子マーロウと結託して、『茜離宮』から巨額を横領し、
それでアルセーニア姫の殺害のための毒物を購入したと言う証拠――非合法の金融魔法陣データが添付された魔法文書をな」
――な、何ですと!
「女コソ泥は、私を裏切って、部屋の秘密の引き出しから、非合法の金融魔法陣データ文書を盗み取っていた。だから女コソ泥を始末してやった。
だが、死体からは、何も出て来なかった。何処に行ったのかと思ったよ。何と、翌朝に、アルセーニアの靴の中から出て来たのさ」
――な、成る程。さすが、プロフェッショナルなコソ泥。女コソ泥・ルルは、アルセーニア姫の足音を聞き分けられたに違いない。
「アルセーニアは、朝の公務の合間に、靴の中に入っていたと言う文書を見せて来て、『この金融魔法陣をちゃんと調べるべきだろうか』と相談して来た――幸運にも、
この私にな! その日のティータイムの席でシャンゼリンに合図して、アルセーニアに毒を盛らせておいて、
『王妃の中庭』への地下ルートを利用して殺す羽目になったが……」
リオーダン殿下の、『ククッ』と言う歪んだ忍び笑いが、間に挟まった。
「このような形で役立つとは思わなかったよ。クレドの《魔法署名》を抜き取って、金融魔法陣の使用データを書き換えるだけで済んだのだから」
――アルセーニア姫を手に掛けたのは、間違いなく、リオーダン殿下だった訳だ。
言葉の端々から、ジワジワ悪意が出て来ているのが感じられる。ジントとメルちゃんが、大人の悪意と言うモノの凄まじさを直感しているのか、青ざめて震えていた。
クレドさんは沈黙を続けている。骨折の痛みに耐えてるんだろうか。
苛立っているのか、勝ち誇っているのか――リオーダン殿下の不吉な呟きは、なおも続いた。
「かくして、傍系の不良の貴公子クレドは汚名と共に消え去る。ジルベルト殿の事は、いずれ私が第一王子としてフォローしてやるから、気にするな。
それにしても、《盟約》を交わしただろうに……『宝珠メリット』は無かったようだな。所詮、傍系に過ぎぬ名ばかりの貴種、ただの名門出身と言うだけでは、このような物だ」
クレドさんは、完全な彫像と化してしまったようだ。無言と無反応。
その、不気味なまでの反応の無さに、何か思う事があったのか――不意にリオーダン殿下が、苛立ちを込めた声音で、クレドさんに語り掛けた。
「ひとつだけ、聞いておきたい事があったな」
――リオーダン殿下の声音のトーンが、いっそう低くなった。怖い。
「クレドは、アレが良かったのか。男か女かも分からんような混血イヌ顔の童顔のうえに、胸も腰も無いガリガリの体格、
毛色も日常魔法も無い無い尽くしの、とんだ不良品、欠陥品では無いか。
しかも、あのアバズレのシャンゼリンの妹で、モンスター肉を食って育った、最も忌まわしき『闘獣』……」
その声は、ハッキリと、侮蔑の色を帯びている――
「……紫金(しこん)の『サフィール』の輝かしい経歴とは、雲泥の差と言うべきだ」
恐ろしく感じられるような気もする、奇妙に長い沈黙が続く。
やがて、彫像の如きクレドさんの、感情の揺れの無い静かな声が響いた。
「――私が真に《盟約》を望んだのは、今の『水のルーリエ』だ。それでは回答にならないか?」
その回答は、リオーダン殿下の想定していた内容どころか、お気に召す内容ですら無かったみたい。リオーダン殿下は、バカにしたように鼻を鳴らして応えている。
「ジルベルト殿とアレクシア夫人が、《盟約》の報告を受けた初日だったか、ショックを受けて反対していたのを私も聞いているのだがな。
しかも『宝珠メリット』すら皆無。貴様らの《盟約》は、間違っていたと言う事だ。あの欠陥だらけの不良品は、この私が、アレに相応しい扱いをしてやる。
クレドは、死体すら残さずに死んでおけ」
――リオーダン殿下が、これ程に毒々しい人物だったとは思わなかったよ。
後から後から、不吉な想像が湧いて来るんだけど……
やがて。
リオーダン殿下の声音が、響いて来た。嘲笑の気配を、確かに含んでいる。
「そろそろ、あの血に飢えた金色マントが待ちかねる頃だ。歩け」
*****(4)尾行する者、問答する者
わたしたちの奇妙な尾行は、再びスタートした。
クレドさんとリオーダン殿下が選択した屋上へのルートは、業者専用の細いスパイラル廊下になっていた。
会場の外側をグルグル回りながら、天窓のある屋上に出るルート。
屋上がパーティー会場になる事もあるのだろう。今回は、パーティー会場にならなかったから、
集まって来た台車も、このスパイラル廊下をグルグル回って上がって行く機会が無かっただけで。
リオーダン殿下は、思い出したように語り続けた。クレドさんをチクチクと嘲弄するような口調で。
「ジルベルト殿らと同様、紫金(しこん)の『サフィール』の将来についても、私に任せてくれたまえ。
レオ帝国と同様に――それ以上に、私なら、適切に管理できるのだからな」
「リオーダンは、6年前――『サフィール』が《水のイージス》で無ければ、興味すら持たなかったと言う訳か」
「男か女かにも重要な意味がある。《イージス称号》を持つ最強の守護魔法使いを、妻として手に入れる――という事の意味が、
クレドには分かっていないと見えるな」
尾行の先頭に立っているラステルさんが、時々、心配そうな顔で振り返って来るけど。
わたしは大丈夫だよ。
――『サフィール』だった時の記憶とか実感とかが、全然、無いんだよね。何と言うか、『リオーダン殿下は6年前、
そういうつもりで『サフィール』訪問グループに入りたかったのか……』とか、まさに他人事って感じ。
正直、わたしが心配しているのは、クレドさんが『警棒』で殴られた部分とか……あれ、すごく痛かったと思うし。
このスロープを登り切れば、遂に屋上だ。
ラステルさんが不意に、白いネコ尾を膨らませて、『ビシィッ!』と立てた。「止まれ」と言う意味。
わたしとジントとメルちゃんは、ピタッと止まった。ジントが早速《隠蔽魔法》をチェックし、いきなり停止しない事を確認だ。
ラステルさんは『ニューッ』と首を伸ばして、反対側に見える分岐を窺い始めた。
(あぁ、このスパイラル廊下、互いに交わらない二重らせん構造になってたんだわ。登りと降りの台車が、ぶつからないようにね。
向こうの分岐に、誰かが居るわよ。誰かしら? クレド隊士が気付いたかどうか知らないけど、
リオーダン殿下はクレド隊士の後ろに居たし、お喋りに夢中で気付かなかったみたいね)
ジントとメルちゃんが、鼻をクンクンさせた。嗅覚では、イヌ科の方が上だもんね。
(知ってる匂いが、ひとつあるわ。あの、おヒゲの長いお爺さんよ)
(鳥人の気配は、独特だからな。羽があるせいだろうけど)
ジントとメルちゃんが揃って、ウルフ尾をピコピコさせているうちに――
向こう側のスロープから人影が現れて来た。3人だ。
――わお。
バーディー師匠と、レオ族のレルゴさんと、レオ帝国の外交官――親善大使リュディガー殿下の部下を務める、ランディール卿だ!
レルゴさんとランディール卿は、2人とも手慣れた様子で長剣を手に構えている。『警棒』タイプの『魔法の杖』を変形させた物だ。
昼下がりの陽光を下手に反射させないように、白刃特有の輝きが抑えられているけど――充分な殺傷能力を持つ刃物ならではの、身震いのするようなオーラが出ている。
バーディー師匠が眉根をしかめながら、2人のレオ族の大男たちにささやいている。
「私は鳥人だから、音源が余りにも遠いと、聞き取れないのだ。あの2人のウルフ族は、何を語っていたのかね?」
濃い茶色をしたライオン耳をピコピコさせつつ、ランディール卿が、バーディー師匠の質問に応じている。
「先刻の声の主は、リオーダン王子でした。『最強の守護魔法使いを、
妻として手に入れる』とか何とか――最強の守護魔法使いと言えば、《イージス称号》持ちの事でしょうな」
同意して頷くレルゴさんの額には、ハッキリと青筋が浮かんでいた。
「全く、けしからんヤツだ。あの金色マントの偽クマ族の野郎と、同類な訳だ。あの金ピカ野郎も、腰に『奴隷妻』用の、非合法の『花房』を下げてたしな。
認めるのは癪だが、ありゃ特級のサファイアを使ってやがる」
バーディー師匠に注目していたランディール卿が、ビックリした様子で、レルゴさんを振り返った。
「我が友レルゴよ、あの青い宝飾の全部が、特級のサファイアなのか。どれ程の価値になるやら」
元・レルゴさんの同僚だった戦闘隊士と言うだけあって、ランディール卿は、レルゴさんと何となく雰囲気が似ている人だ。
ただし、人相は違っていて、ランディール卿の方がスッキリした感じの容貌だ。あの美人な地妻クラウディアと、お似合いの夫婦って感じ。ハーレム形式の夫婦だけど。
ランディール卿が、改めてバーディー師匠を、感心したように眺め始めた。
「あの金色マントの偽クマ族『風のフォルバ』が怪しいと見たバーディー師匠の慧眼、感服いたす所です。此処まで、ひそかに尾行して来た甲斐があった。
ヤツの持っている古代の《雷光杖》、必ずや破壊して、あのフードの下の人相を暴いて御覧に入れましょう」
――え。あの偽『風のフォルバ』が持ってた奇妙な宝玉杖、《雷光杖》って言うんだ!
レルゴさんが長剣を構え直し、屋上階に出るアーチ型の出口へと、ジワジワと迫って行った。ランディール卿とバーディー師匠が後に続く。
「それにしても、あの金ピカの偽クマ族の野郎、妙にレオ族の気配がするぞ」
「百戦錬磨のレルゴが、そう直感するなら信じよう。実に由々しき事だがな」
ランディール卿が、レルゴさんと同じように慎重な動作をしつつ、出口から何かを窺っている。
そして、やがて、気を引き締める時のクセだろう、長剣を持っていない方の手で、レルゴさんよりも濃い茶色のタテガミのホツレ毛を脇にやった。
「だが、我が友レルゴよ。あのクレドと言う親衛隊士、何故に動かんのだ。
先ほど、一瞬リオーダンの隙を突く機会があったぞ。『銀牙』サークレットをしていない時の王族は、親衛隊士と、ほぼ同等の戦闘力まで落ちている筈だ」
レルゴさんが忌々しそうに顔をしかめつつ、柄の握り心地を確かめるかのように数回、長剣を左右している。
「あのクレドは、煮ても焼いても食えねぇ戦士だ。考えがあるんだろうよ」
少しして、レルゴさんとランディール卿とバーディー師匠は、好機をつかんだのか、サッと出口から飛び出した。屋上にあると思しき隠れ場所に、移動したようだ。
(よし。私たちも行くわよ。コッソリとね)
ラステルさんの合図に応じて、わたしたちは、先ほどまでバーディー師匠たちが居た出口の前に、身を潜めたのだった。
*****
――白い玉ねぎ屋根の、堂々たる三尖塔に囲まれている、『茜離宮』の屋上階スペース。
中央病棟の屋上階と似たような、空中庭園スタイルになっている。各所に低い植え込みが広がっていた。
そして、中央病棟の空中庭園と大きく違っているのは、あちこちに洒落た『あずまや』が配置されている事だ。
本格的な社交スペースを兼ねている場所だと言う事が、良く分かる。
明かり取り用の天窓が、空中庭園の各所、植え込みの間に巧みに配置されている。会場となっている大広間の天井に、見えていた天窓だ。
天窓は昼下がりの陽光を反射している。その反射した光が、低い植え込みの各所を明るく照らしていた。
バーディー師匠とレルゴさんとランディール卿は、比較的に背の高い、濃い植え込みの陰に身を隠しつつ、向こう側を窺っている。
視線を追って、その先を見てみると――
確かに、3つの人影があった。
やけに横方向にフワリと広がった人影は、金色マントをまとっている謎の偽クマ族『風のフォルバ』。
仲良く寄り添っているようにみえる2つの人影は、明らかにウルフ耳を持っている。紺色マント姿の独特のシルエット。クレドさんとリオーダン殿下だと分かる。
偽クマ族『風のフォルバ』は、先刻ランディール卿が言及した通り、本当にフード姿だった。
此処に来る前に、何処かでフードがセットされている金色マントに着替えたみたい。右手には、《雷光杖》こと古代の宝玉杖を、シッカリと構えている。ホントに用心深い人物だ。
金ピカのフード姿の大男。中に着ているのは、金ピカのローブ。風で金色マントが揺らめき、マントの打ち合わせが大きくひるがえった。
腰のベルトの正面部分には、確かに、青い『花房』らしき物を下げているのが見える。使われている宝玉類は、確かに最高品質の物だと分かるんだけど……
――今こそ、この人物のファッション・センスは最悪を極めた……と、心の中で言ってやる事にする。
金ピカ・ファッション大男こと、謎の『雷神』は、意気揚々と言った様子で大音声を張り上げた。
「フハハ……待ちかねたぞ、風のクレド! 建物の中でコソコソするのは、気性に合わなくてなぁ。改めて、地下水路では、散々世話になったと言っておこう。
あの時、確かに私は『覚えておけ』と言っておいたのだが。覚えてるだろうなぁ?」
奇妙な沈黙が続いた。クレドさんは、リオーダン殿下に後ろから身柄を拘束されながらも、直立不動の姿勢を続けたまま、沈黙を保っている。
多分――あの端正なまでの無表情を貫いている所なのだ。
やがて、『雷神』が、物騒な手つきで《雷光杖》を振り回し始めた。先端にある、人の頭部よりも大きな球形部分が、青白い《雷光》を、バリバリと放ち始める。
「おいこら、あの減らず口はどうしたよ、クレドよ。《雷光》で、その口を切り開かなければ、口も利けんのかぁ」
全身に金ピカをまとった偽クマ族は、次第に苛立ち始めた。そこで、やっと、クレドさんが口を開いた。
「先刻も言ったように、私は貴殿と会って話すのは、これが初めてだ。6年前に、レオ帝都で胡乱な故買屋と接触した件は先ほど思い出したが、貴殿とは別人だった」
「ほほぉ。ウジが湧くだけの脳みそは、あった訳だ。この私とは、別人とな?」
「レオ帝都で私に接触して取引を持ち掛けて来た故買屋は、ウルフ族・黒狼種の男だ」
ひと息おいて、不気味な笑い声が響き渡った。
おかしくて仕方が無い――と言う感じの、しかも、嘲笑だ。
*****(5)にわか裂け目を分け出でし
笑っているのは、あの全身、金ピカの偽クマ族だ。
――自称『風のフォルバ』こと、今なお種族系統の不明な大男、謎の『雷神』。
「これなら、幾ら貴様でも思い出すだろう――その寝ぼけた目で、シカと見るが良い、闇ギルドの《変装魔法》道具の最高峰をな!」
偽クマ族の全身が、虹色に輝いた。何らかの魔法道具を起動したと分かる。
バーディー師匠は近くの植え込みに身を潜めているんだけど、その白い後頭部が、ちょっとだけ、わたしたちの方から見える状態だ。
その後頭部からスッと伸びている銀白色の冠羽が、ピクリと緊張したのが見えた。
鳥人の大魔法使いを両脇から護衛する形となっているレルゴさんとランディール卿は、唖然としながらも、瞬時に戦闘態勢にシフトしたみたい。
タテガミが、ババッと逆立って広がっている。さすが元・戦闘隊士。
虹色のエーテル光が収まった後――
そこには、もう1人のクレドさんが出現していた。何度も見直しても、ウルフ族・黒狼種――クレドさん本人そのものだ。えぇぇ!
リオーダン殿下が一瞬、ビクンと背中を緊張させていた。リオーダン殿下にとっても、予想外の事だったらしい。
――それは、まさしく想定外の、不意打ちだった。
クレドさんの手には、既に腰のホルダーから抜かれていた『警棒』が――
――3人を取り巻く空気が、いや、エーテル空間が、耳をつんざくような強烈なエーテル音響を立てた。《風》エーテル魔法が、凍て付くかのような白さを帯びたかと思うや、炸裂する。
目にも留まらぬ一瞬。
クレドさんを後ろから拘束していた筈のリオーダン殿下が、あっさりと弾き飛ばされた。
妙に細かい血しぶきを撒き散らしながら。そして、随分と後方に位置している植え込みに、背中から突っ込んだ。
クレドさんの正面に居た、もう1人のクレドさんは、ひとたまりも無かった。
リオーダン殿下と同じか、それ以上の繊細な『血の霧』を空中に散らしながらも、後ろ向きに、ドウと仰向けに倒れる。
バーディー師匠が『魔法の杖』を振ったのを見て、わたしも――ようやく、強烈なエーテル音響の意味に気付いた。
――危ない!
ラステルさんとジントとメルちゃんをスッポリ覆うように《防壁》を瞬間発動する。
目の前に出現した《防壁》は、焦っていたせいでエーテル濃度が安定していない。濃淡のグレーの影が、全面に入ってしまっている。
これ、《雷電シーズン防護服》レベルに後退してしまってる代物だ。アンネリエ嬢を笑えない。
クレドさんが発動した、強烈なエーテル音響の発生源が――目を射るかのような、鋭利な白さの《風魔法》が――到達した瞬間。
ナンチャッテ《防壁》の弱い部分に、無数の亀裂が入った。紙や布を引き裂く時のような、不思議なエーテル音響が続く。
その音響が通り過ぎた後、強度が不足しすぎていた部分では、何と、亀裂が貫通していたのだった!
出口を構成していたアーチのうち、《防壁》にカバーされていない部分は、無数の、あらゆる方向の細い線状の傷痕で埋まった。
細かい塵で出来た煙が、モウモウと立つ。
薄皮に相当する部分だけ、恐るべき精密さでもって切り刻んで、引っぺがして、吹っ飛ばしたみたいだ。ひえぇ!
「……《隠蔽魔法》が吹っ飛ばされた?!」
ジントが驚きの余り呻いた。わたしたちは、その異様さに愕然としながらも、改めて出入口アーチ部分の陰に、サササッと身を潜めたのだった。
「普通の《風刃》じゃ無いわね?! 《盾使い》の術に、貫通ヒビを入れるなんて?!」
ラステルさんの口が、スッカリ引きつっている。大いに血の気が引いた疑問顔でもって、わたしの方を振り返って来た。
そのラステルさんの額には、既に冷や汗が光っていたのだった。
――ゴメンよ! さっきは焦ってて、日常魔法《雷電シーズン防護服》レベルになっちゃったんだよ!
(何だ、そう言う訳だったの、ルーリー! ビックリしたわよ!)
バーディー師匠とレルゴさんとランディール卿は、目の前の出来事に集中していて、後ろでわたしたちが慌てていた事には、まるで気付かなかったようだ。
レオ族なレルゴさんとランディール卿の茶色のタテガミが、後ろからでもハッキリと分かるくらい、強い緊張で逆立っている。
「な、何じゃ、ありゃ?」
間髪を入れずして、バーディー師匠の解説の声が流れて来た。バーディー師匠は、さすが『マイスター称号』持ちと言うのか、
さほど緊張はしていないようなんだけど。それでも、大いに驚いた――と言う様子だ。
「あれは《暴風刃》じゃ。幻覚魔法の類を引き裂く、上級レベルの《風》の攻撃魔法じゃよ。特別なコントロールが必要なんじゃが、
まさかクレド君が、あの複雑な魔法を扱えるようになっていたとは……」
――な、成る程。ジントがセッティングしてた《隠蔽魔法》も、あっさりと引き裂く筈だ。
耳をつんざくような大音響が過ぎ去った後の、屋上階の空中庭園は、奇妙なまでの静寂に満ちている。
リオーダン殿下は余りにも呆然とし過ぎているのか、それとも《暴風刃》によるショックから回復していないのか――後方の植え込みの中で、
血まみれになった頭を起こしたまま、ボンヤリとしている様子だ。
ただ1人、冷静沈着そのもののクレドさんは、もう1人のクレドさんだった人物の喉元に、スッと白刃を突きつけている。
全身を裂傷だらけにして血まみれになり、仰向けに横たわっている『ウルフ族では無い人物』が、わずかに顔を起こしたまま――無様に震えている。
クレドさんが喉元に刃を突きつけているせいで、その位置までしか頭部を起こせていない状態だ。
バーディー師匠が言った通り、《変装魔法》は――化けの皮は――完全に破られていた。
クレドさんの、凍て付いたかのような冷涼な声が、風に乗って流れて来る。
「数日前、クレドの姿をして、アンネリエ嬢から黒い『雷玉』なる古代遺物をせしめたのは、貴殿で間違いないな。あの日、私はアンネリエ嬢と逢っていなかった。
そしてリオーダンも、ザリガニ型モンスター襲撃事件の調査で、緩衝地帯に出張して残党狩りをしている時だったから、『茜離宮』には居なかった」
植え込みに潜んで耳を澄ましていた、バーディー師匠とレルゴさんとランディール卿が、ハッと息を呑んでいる。
リオーダン殿下も、その指摘内容を想定していなかったみたいだ。重要なポイントだったのに、失念してたらしい。
血まみれの頭部を一瞬、ギクリとしたように震わせている。
クレドさんの言葉の合間に、冷たい忍び笑いが混ざった。
「――その時『茜離宮』に居た、『私では無いクレド』は、誰だったのか。かくも、おのれ自身で証明してくれるとは思わなかったが」
ザラザラした金属がこすれ合うような、うなり声が流れて来る。油断した余り、下手を打ったのを理解したみたい。
「立て。リオーダンと共に連行する」
喉元から刃が引いて行くと同時に、横たわっていた人物がジワジワと面を上げた。金色のフードは何処へやら、《変装魔法》の無い、素顔を。
瞬間、ランディール卿が、呻く。
「何と……レルゴよ! 大貴族『風のサーベル』だ……!」
「なにぃ?! 見間違いじゃ無いのか?! ヤツは、タテガミが無いが……?!」
レルゴさんが息を呑んだのが、こちらまで伝わって来た。仰天の余りか、浮足立っているみたい。
大多数のレオ族にとっては、『風のサーベル』の名前は、重要な意味を持っているらしい。
ランディール卿が、シッカリと頷いた。
「レオ王をはじめとする多くの帝室メンバーを動かし、凄まじい権勢を振るった伝説のキングメーカー『風のサーベル』。
レオ王の派閥のトップ。先輩から聞いたし、『タテガミ完全刈り込み』の際に、人相も見たから確かだ」
ラステルさんの白いネコ尾が、『ブワッ』と膨れた。
(レオ帝都の、セレブの中のセレブよ! レオ帝都における『勇者ブランド』魔法道具の最大の大物業者でもあって、
その私有財産は、目も眩むほどの評価額になるとか…!)
――どっひゃーッ! くだんの『風のサーベル』、ホントに超・有名人なんだ!
タテガミの無い奇妙な外見をしたレオ族。起き上がりながらも、ハッとする程に機敏な動作で、『妙に黒い色』をした左腕を掲げた。
異様な気配を察したのか――クレドさんが一気に距離を取る。
血まみれになって一緒に横倒しになっていた古代の宝玉杖こと《雷光杖》が、左腕の動きに応じたかのように、強烈な青白い《雷光》を放った。
――大型モンスターを倒すレベルの《雷攻撃(エクレール)》魔法!
感電トラウマのある、ジントとメルちゃんのウルフ尾が、一斉にバババッと逆立った。ラステルさんが、ギョッとした顔になっている。
――上級魔法レベルの単純な《雷攻撃(エクレール)》系なら……!
わたしは念を入れて、綿密に設計済みの《防壁》を立てた。会心の出来!
青白く強烈な第一撃が、《防壁》に到達するや否や、呑み込まれたかのように雲散霧消する。
アーチ型の出入口が《雷攻撃(エクレール)》で弾けなかった事に気付いたのか、バーディー師匠とレルゴさんとランディール卿が、仰天した顔で振り返って来た。
――わッ、前、前! また《雷光》の大群が来てる!
一方で。
得体の知れない身のこなしでもって、クレドさんは《雷攻撃(エクレール)》を回避していた。さっきまで呆然と固まっていたリオーダン殿下も、
命の危険を感じたのか、機敏さが戻っている。
先刻までリオーダン殿下が埋まっていた後方の植え込みは、《雷攻撃(エクレール)》の直撃を受けて丸裸になっていた。黒焦げの枝しか残ってない。何という破壊力!
天窓を走り抜けた《雷攻撃(エクレール)》は、天窓にハマっていたガラスを粉々に粉砕していた。大広間の人たち、大丈夫だろうか。
『下級魔法使い資格』持ちの衛兵たちが、反射的に、ガラス破片を止めるべく、《防壁》を合成していると思うけれども……
連続で強烈な《雷攻撃(エクレール)》を発動し続けていた《雷光杖》は、
遂に古代の魔法道具ならではの限界が来たのか、総仕上げと思しき大型の《雷攻撃(エクレール)》と共に、激しく破裂した。
リオーダン殿下が無数の《風刃》を放ち、宝玉と《雷光》の破片を散らしている。
屋上階の全体に、不吉な亀裂が入り始めた。全身で感じる程の傾斜。
――ま・さ・か……?!
唖然として注視している間にも、地震のような揺れは激しくなり、不吉な亀裂は大きく広がった。天窓の周囲から、屋上階の床が抜け、ボロボロと崩れ始める。うそだぁ。
「金剛石(アダマント)の梁に足場を取れ!」
バーディー師匠の警告が飛び、レルゴさんとランディール卿が、唖然とする程の機敏な動作で、立ち位置を変え始めた。さすが元・トップレベルの戦闘隊士。
ラステルさんも、バーディー師匠の指示を理解したようで、何とハイヒールでもってバランスを取りながら、一直線を走り出した。ひえぇ。
ジントとメルちゃんが青くなりながらも、おっかなびっくりで、ラステルさんの足取りを追跡する。
そこに、頼みの綱が、いや、梁が、通っているからね!
*****(6)天窓の上と下、四方(よも)の対決(前)
空中庭園の全体が大きく波打った。三尖塔もユラユラと揺れ始めている。
悪夢のような一瞬の後、広い天井床が、虫食いか何かのように、ボロボロと崩れ出した。梁が通っている部分を残して。
下には、大広間に集結した多数の魔法道具があるのに!
その瞬間――
見覚えのあるような青いエーテル光が、眼下の大広間の空間に満ちあふれた。
――金色に光る《水魔法》のシンボル……《水の盾》?!
「いかん! ランディール殿よ、水妻ベルディナ殿をガードしろ!」
なおも揺らぎ続ける屋上階――見る見るうちに金剛石(アダマント)製の梁が剥き出しになって行く中で、バーディー師匠の的確な指示が、再び響き渡る。
ランディール卿が、ボロボロに抜け落ちた天井から身をひるがえし、
新たに悲鳴が湧き上がって来た大広間へと飛び降りて行く。あんなに高さがあるのに、さすが元・トップレベルの戦闘隊士だ。
大広間に居たらしきレオ族の外交官や戦闘隊士の声が『ワッ』と上がったところからして、ランディール卿は、無事に着地したみたいだ。
ウルフ族の衛兵の声も混ざって、次々に湧き上がって来ているのが聞こえる。
――ビキッ。
ラステルさんの後を追い、ジントとメルちゃんに続いて梁の上に飛び移ろうとした、わたしの頭上で――
――不気味な亀裂音が響いた。
ジントが、アングリと口を開けながらも、素早く振り返って来る。
「姉貴ッ!」
その少年の叫びは、クレドさんとリオーダン殿下を振り返らせるのに充分だった。
「このバカが!」
一歩、足を踏み出したジントに、最も近くに居たレルゴさんが、強烈なタックルをかました。
その勢いのまま、ジントは次の梁の上まで、レルゴさんと共にすっ飛んで居た。
レルゴさんのタックルが間に合って良かった。もう少しで、ジントは、一歩先でスッポ抜けていた穴から、遥か大広間の床まで、真っ逆さまに墜落していただろう。
わたしの頭上では――今まで『あずまや』だった物体の瓦礫が、『あずまや』の屋根パーツもろとも、一気に崩れ落ちて来る。
――うっひゃああぁぁぁぁあああ!!
ガクン、ガクンと――上と下の方向に、2回ばかり跳ね飛ばされるような衝撃を感じた後。
腰回りの辺りに、最後の『ガクン』という妙な衝撃が加わった。重力の方向に従って、腕が頭の上の方へと、ダランと延びる。……頭の上?!
――これ、幸運なの? それとも、不運なのッ?!
崩れ落ちかけた『あずまや』の柱が――浅い角度で止まっている。
T字型になった部分、その片方の分枝が、金剛石(アダマント)の梁に危なっかしく引っ掛かっていた。
顔をヒョイと横に向ければ、状況が見て取れる。
T字型の部分で引っ掛かったお蔭で完全には横倒しにはならず、わたしが逆さまにブラ下がっていられる程度の高さが残っている状態だ。
なおかつ、悪夢の落下をまぬがれている状態だ。
宙に浮く状況となった、『あずまや』の柱の先端。
わたしが身に着けていた紺色の訓練隊士服の、腰回りの布が、その先端に引っ掛けられている。
わたしは、そのまま、真っ逆さまに宙づりになる形で、固定されていたのだった。頭部の方が重いからね!
――これ、シャンゼリンの死体が宙づりに吊るされていた時と、似たような状況じゃ無いか! 上と下、全部、逆転してるけど!
目の前で――割れ残りの天井部分が、不吉にピキピキと音を立てている。あの割れ目が成長して、目の前で、遥か下の視界が開けたら……
ウルフ尾が『ビシィッ!』と固まってしまったよ。そうなったら、高所トラウマ発動だよ!
「動くで無いぞ! ジッとして居れ!」
バーディー師匠が青ざめながらも、声を掛けて来る。その後ろの方では、クレドさんとリオーダン殿下が、わたしの状況を理解したのか、動きが止まっていた。
いつしか――明らかに年配の男のものと思しき哄笑が、辺りに響き渡っていた。遠くまで響くタイプの、王者さながらの声質だけど、正気の笑い声じゃ無い。
クレドさんとリオーダン殿下の近く――崩れ残った梁と梁の間に、同じように崩れかけた『あずまや』がある。
その『あずまや』の柱の傍で、タテガミの無いレオ族の男『風のサーベル』が、血まみれの顔を歪ませ、
同じように血まみれの全身を震わせながらも、狂ったように哄笑し続けていた。
申し訳程度の布地しか残っておらず、左腕もまた、剥き出しだ。
だけど、それだけに、レオ族の中でも群を抜いていると思われるような、立派で大柄な体格が良く分かる。
年配と言って良い年代にも関わらず、良く鍛えられて引き締まった筋骨は、この人物の絶頂期だったであろう壮年期の面影を、良く残していた。
タテガミが無いから判別が付かないけど、金髪が混ざる、貴種レオ族に違いない。それ程の、存在感。
――左腕は、黒い『義手』だ。妙に宝玉製っぽい――異様に長すぎる、義手。
わたしの全身が、一気に総毛立つ。
――《雷撃扇》!
タテガミの無いレオ族の大男は、黒い左腕を勢いよく旋回させた。黒い義手が巨大な『扇形』に広がる。不吉なまでに大きく、理想的な『扇形』。
「食らえ!」
青白い《雷光》などとは比べ物にならぬ、銀色に輝く重い《雷光》が飛び散る。
伸ばされた黒い『扇形』の義手の先は、真っ直ぐ、クレドさんとリオーダン殿下を指していた。
宮殿の全体を揺るがすかのような、パワフルな重低音が轟き渡る。
クレドさんの物か、リオーダン殿下の物か、無数の《風刃》が飛び散ったけれども――
銀色をした《雷光》は、わずかに表面が削れただけで、あっさりと、白い三日月形をした群れを呑み込んでしまった。圧倒的なまでに、魔法パワーが違う。
リオーダン殿下が、クレドさんの後ろに回った。クレドさんを盾にするつもりなのか……!
次の瞬間、嫌になるような轟音を立てて、銀色の火花が飛び散った。
一帯の天井が、更に吹き飛びつつ、ボロボロと崩れる。金剛石(アダマント)の梁しか残っていない、見事なまでに格子状の骨組みのみ。
――銀色のまばゆいまでの火花が消え、轟音が収まり――
奇妙なまでの静寂が満ちた。
……1人だけしか居ない。クレドさんだけだ。
リオーダン殿下は、何処?
「無能がぁぁぁああああぁぁぁぁあ!」
タテガミの無いレオ族の大男は、咆哮した。まさに、狂ったレオ族ならではの、異様な獅子吼だ。
ほぼ血まみれの全裸と化していたレオ族『風のサーベル』は、銀色のエーテル光を、不意に全身にまとった。
かの大男の体内が、銀色のエーテルのエネルギーで満たされているのが、読み取れる。
見る見るうちに、レオ族『風のサーベル』の全身の傷が、塞がって行った。
出血も止まったみたいで、銀色にきらめく傷痕だけが残っている。治療魔法らしい。あんな短い時間で……ビックリだ。
銀色の傷痕に全身を荘厳された恐るべき大男は、黒い扇形の義手――《雷撃扇》を天頂に向けて突き上げていた。異様な空気が冴え渡る。この感覚は――
――太陽が、暗くなったような気がする。
させる、訳には、いかない。
両手で『魔法の杖』を握り締める。宙づりになったままだけど、この態勢だけなら、取れる。何だか祈りのポーズに似ているな……と、チラッと思ってしまう。
体内の《宿命図》に、大容量エーテルがなだれ込む。身体全身が異様なまでにズキズキと痛み始めた。
身体の感覚がスウッと薄れるような――既視感のある感覚が来ない。
でも、《水》の遊星は、体内《宿命図》の深い領域を巡りつつ、大容量エーテルを急速圧縮しているところだ。
歯を食いしばって、ひたすら《水の盾》魔法陣の稼働状態の維持に、集中する。
――わたしの身体が持つだろうか。
この広い面積をカバーする程の規模で、考えられうる限りの最強の《水の盾》を発動しようと言うのだ。
今までの倍以上の時間が掛かる。それまで、わたしの身体が持つのか。一瞬だけ、そんな途轍も無い不安に襲われる。
攻撃魔法の方が、時間も手間も、そして忍耐も、さほど必要としないのだ。
――『雷神』サーベルの、半分だけしか無い左腕。
その左腕に、義手のように固定された黒い《雷撃扇》――
黒き《雷撃扇》の周りに、渦を巻くような銀色の《雷光》が現れた。
圧倒的な銀色の《雷光》で出来た渦は、美しいまでの成長曲線を描き、不気味な成長を続けている。
渦のサイズの拡大と共に、辺りを圧するような重低音もまた、その音量を増大して行った。
大広間の方からは、「何が起きているんだ」というような騒ぎが湧き上がって来ている。
大勢の人が慌てたように走り回る足音が、こちらまで聞こえて来る状態だ。
ゴロゴロと言う台車の車輪音が、しょっちゅう挟まっている。運び出せる限りの魔法道具を運び出しているのだろう。
レルゴさんやラステルさんが、銀色の《雷光》の異様なまでの超重量級の気配に気付いて、
必死で『魔法の杖』で連絡を取ろうとしているんだけど――エーテルの乱れが強すぎて、スムーズに行かないらしい。
「此処で、伝説の《雷攻撃(エクレール)》をやらかそうと言うのか……!」
いつの間にか、バーディー師匠が、わたしの近くに陣取っていた。その額には、脂汗が光っている。
静かながら力強い、別のエーテル音が流れている――見ると、バーディー師匠の『魔法の杖』が、大容量エーテルを溜め始めていた。
――さすが《風》エーテルの性質と言うべきか、《水》エーテルよりも移動が速い。
わたしは、ひたと『風のサーベル』の足元を見つめた。そこが、わたしの《水の盾》の発動の中心だから。
身体全身のズキズキとする痛みが、針を刺すような性質のものに変わった。身体全身が重い。
暑くは無いのに、汗が止め処も無く流れる。逆さまに流れる汗って、何か変な気分だ。
――クレドさんは、タテガミの無いレオ族の全裸の大男『風のサーベル』から、視線をそらさない。長剣と化した『警棒』を、片手正眼に構えたままだ。
クレドさんと『雷神』との間で、銀色をした重い《雷光》が、不気味にうねりつつ、のたうつように飛び交う。
あれは、余剰分の《雷光》で構成されている、《捕縛網》の魔法だ。それも、《捕縛網》に触れた瞬間に、即死レベルの感電ショックが身体を貫くと言う、
強烈な悪意と殺意に満ちた魔法だ。
過剰なまでの虐待の機能が付いている分、地下牢で無秩序に乱反射していた、あの赤い《雷光》よりも、よほどタチが悪いと思う。
――ハラハラしながらも、見守る事しか出来ないのが、歯がゆい。
でも。あれ?
何故なのか、『捕縛網』の形をした銀色の《雷光》は、クレドさんを捕らえる事が出来ていないようだ。
クレドさんの身に、その悪意のカタマリが絡みついたかどうかという瞬間に、クレドさんの長剣がひるがえり、銀色の《雷光》を打ち払っている。
タテガミの無いレオ族の大男『雷神』は、クレドさんの気迫に圧倒されているらしい。動ける状態だろうに――ピクリとも動いていない。
正しくは、『動けない』と言うべきなのか。
「う、ぐおぉ……その、それが、ムカつくんだよおぉぉ!」
遂に正気の限界が振り切れたのか、熟年世代と言って良い風貌の『風のサーベル』は、幼児返りしたかのような喚き声を上げた。
そのまま、サーベルは、すぐにでも発動できる、別の攻撃魔法を披露する事にしたようだ。銀色のエーテル・パターンが一変した。
天頂を指していた黒い《雷撃扇》が、凄まじいエーテル音響を放つ。《雷光》で出来た渦が、
竜巻のように空高く巻き上がるや、恐るべきサイズを持つ《雷光》スパイラルとなって下降して来た。
銀色のスパイラル《雷光》から繰り出されて行くのは――殺戮の槍衾(やりぶすま)だ。
その重い轟音は、一帯を揺るがした。爆発的に広がって行く、破壊的なまでの巨大な衝撃波。
*****(7)天窓の上と下、四方(よも)の対決(後)
「三尖塔が!」
ラステルさんが緑の目を大きく見開いた。ラステルさんの腰にシッカリ捕まっているメルちゃんも、口をアングリ開けたままだ。
重圧感のある轟音と共に、三尖塔の全体に、一瞬にして幾条ものヒビが入る。白い玉ねぎ屋根を成していた白い建材が、早くも粉砕され、弾け飛んだ。
白い玉ねぎ屋根を持つ三尖塔は、不気味なまでに、ゆっくりと身をねじりながらも、原形を失って行く。
銀色のスパイラルに絡め捕られた膨大な数の瓦礫は、その《雷光》の渦の流れに沿った不自然な落下コースに従って、空中庭園の中央部に向かって、崩れ落ちて行った。
巨大な瓦礫の雨。まさしく、死の雨だ。悪夢の光景だ。
先行して下降して来る銀色の巨大な《雷光》スパイラル――爆発的に繰り出されて来る衝撃波は、
ほぼ全ての植え込みと、『あずまや』だった物の残骸を、完膚無きまでに吹っ飛ばして行く。
クレドさんもレルゴさんも、その場で身構えたまま、棒立ちになっていた。対応方法が思いつかないらしい。当然だよ!
――わたしたちも、あの横殴りの魔法の衝撃波で、バラバラになって吹っ飛ばされてしまう!
瞬間、辺り一帯に、バーディー師匠の発動した《風魔法》の、白いエーテル・フラッシュが満ちる。最上級の《風魔法》――《風の盾》による返り討ちだ。
どうやったのか、巨大《雷光》スパイラルが正確に反転して行く。銀色の巨大《雷光》スパイラルの真ん中で、『銀色の太陽』が出現した。
爆発的な勢いで銀色のエーテルが燃え上がり、雲散霧消する。
――さすが《風》の大魔法使いの術!
だけど、物理的な瓦礫の雨は降り注ぎ、天井床が、いっそう激しく震えて歪んだ。
なおも運良く残っていた天井床が、見る見るうちに、金剛石(アダマント)製の骨組みだけになって行く。頭上に崩落して来るのは、かつて三尖塔だった物の、成れの果て。
ラステルさんは、怯え切ったメルちゃんを腰にしがみつかせたまま、ネコ族の軽業師さながらの身のこなしで梁(はり)から梁(はり)へと飛び回り、瓦礫の雨を回避し始めた。
ジントを抱えた格好になっているレルゴさんも、同様だ。レルゴさんは手に持っている長剣を振り回し、瓦礫を砕きながらも、尖塔が倒れて行く軌道から、すっ飛んで行く。
「緊急避難!」
ボロボロに抜け落ちていた、天井面のお蔭だ。
大広間の方でも、元・三尖塔だった物の膨大な瓦礫が大広間を襲って来る――と理解できたみたいだ。
わたしのウルフ耳でも、銀色の《雷光》の重低音の合間に、大広間で大勢の足音が変化し始めたのが分かる。
数多の瓦礫が、金剛石(アダマント)の梁と衝突し、その隙間から大広間へと転がり落ちて行く。
瓦礫は、なおも銀色の《雷光》に取り巻かれていて、ひっきりなしにバチバチと言う異音を立てていた。
控えの天井となって広がっていた、水妻ベルディナの青い《水の盾》――
銀色をした重い《雷光》。その銀色のエーテルならではの、重量級の威力は、その青いエーテル膜を、あっさりと打ち砕いて行った。
水妻ベルディナが発動していた《水の盾》の表面に、不吉な銀色のヒビ割れが、無数に走り始めた。大型の落雷さながらの、パワフルな重低音が響く。
痩せても枯れても、超重量級の攻撃魔法だ。バーディー師匠の大魔法使いならではの防衛術で、大幅に威力が削られた筈なのに、ハンパじゃ無い。
――間に合え!
両手に握りしめていた『魔法の杖』が、遂に濃いラピスラズリ色のエーテル光を帯びた。ゴーサインだ。
バーディー師匠がハッとしたように、わたしに視線を投げて来る。特製の《水の盾》の発動の気配を感じたみたい。さすが大魔法使い。
慎重に『魔法の杖』を構え、目標ポイントを真っ直ぐに指す。逆さまになっていると言う不自然な態勢のせいで頭がクラクラするし、腕がブルブル震えてしまうけど――
タテガミの無いレオ族の大男――『雷神』の足元を、シッカリと捉えた。『魔法の杖』の先端から、濃いラピスラズリ色をしたエーテルの閃光が走る。
全裸の『雷神』の足元で――まばゆいまでの金色の光が輝く。
その金色の光は、カッチリとした《水魔法》のシンボルの形となって展開した。
そのまま、グングンとサイズを増している。元々、大きいサイズになるように設計してたからね!
クレドさんが、ハッとしたように目を見開いた。驚愕の表情を湛えながらも、《水魔法》の金色のシンボルに囲われる前に、器用に飛びすさっている。
さすがプロの戦士――正しい直感に、正しい選択だ。
「なにぃ~ッ?! うおおぉぉおぉ~ッ?!」
まばゆい銀色に輝く《雷撃扇》を掲げていた『雷神』は、自身の両足がピクリとも動かない事実に、ハッキリと気付いたようだ。悲鳴に近い叫び声を上げている。
その両足は――裸足の裏は、金色をした《水魔法》のシンボルに、ベッタリ貼り付けられたような状態になってる筈だよ。
――金色と銀色って、エーテル光の種別で言うと、正反対の、陰と陽の関係にある色なんだよね。
バーディー師匠が、話してた。《宿命図》の心臓部を成す《宝珠》が、なかなか壊れないのも、金と銀のエーテルの間にある引力のお蔭なのだと。
金と銀。磁極のプラスとマイナス。
銀のエーテルによるエネルギーで全身を満たされている『雷神』、金のエーテルが発生している磁力からは、絶対に逃げられない筈だ。
天理と地理と真理――大自然と宇宙の節理を超える事は、とても難しい。
わたしの『魔法の杖』は、なおも、濃いラピスラズリ色に輝き燃えている。
今や、ひと部屋ほどのサイズとなって展開した、金色に輝く《水魔法》のシンボル。それを中心として、遂に、待ちに待った《水の盾》が噴出した。
何処までも濃く透明な、ラピスラズリ色をしたエーテルが――堰(せき)を切ったかのように、大量にあふれ出して来る。
ラピスラズリ色をした《水の盾》。極度に圧縮された、水さながらの性質を持つ青いエーテル物体。
まばゆいまでの金色に輝く《水魔法》のシンボルは、その奥底に無尽蔵の水源を秘めていたかのように、
後から後から、濃く透明なラピスラズリ色をした《水》エーテルを、力強く噴出している。
強い水圧に押し出される形となった《水の盾》は、本当の水であるかのように雄大に波打ちながら――古典的な敷波紋様を作りながら――屋上階の全体に広がって行く。
さながら、ラピスラズリ色の海。
どこまでも青く透明な《水の盾》――その表面にも内部にも、一面に金色の粒が散らされている。
まさに、星を宿す海だ。天球の彼方まで広がる宇宙、星宿海のような光景。
銀色の《雷光》に取り巻かれている瓦礫が、次々に、ベッタリとラピスラズリ色の表面に貼り付く。
その際に飛び散る青いエーテル飛沫は、天然の水しぶきを思わせる姿だ。
金剛石(アダマント)の梁をスリ抜けて落下しつつあった瓦礫も、
磁石に吸い寄せられて行くかのように上方へと浮かび上がり、新しい天井面となった《水の盾》に捕捉されて行く。
なおも荒れ狂う《雷撃扇》から放射されたばかりの、新しい銀色の《雷光》は、金色の粒に触れるやいなや、
重い大音響と共に、四色のエーテルの火花を出して雲散霧消しているところだ。
クレドさんが、信じがたいまでの身軽さで、疾走し始めた。本質は《水の盾》であるラピスラズリ色の大波を、器用に回避している。
レルゴさんやラステルさんと同じように、落下中の瓦礫をかわしながらも。
金剛石(アダマント)の梁の間を跳躍して――
――わたしに向かって突進して来てる?!
バーディー師匠が、クレドさんに向かって謎の合図をして見せたが早いか、銀鼠色のポンチョに包まれた両腕を、大きく広げた。
重低音の大音響が鳴り響き続ける、その合間に、『バサッ』と言う不思議な音が入る。
一瞬の後、バーディー師匠の姿は、既に空中にあった。
バーディー師匠の両腕は、今や白い巨大な翼だ。
白い翼が空気を打つ――『バサッ』と言う音が再び響いた。白い翼の先端で風を切る『魔法の杖』が、新しく白いエーテル光をまとう。
半人半鳥な、不思議な姿のバーディー師匠が、スーッと上空を滑って行く。バーディー師匠は、『雷神』を直下に収める位置を取るやいなや、新たな魔法を発動し始めた。
同時に、『バリバリ』と言う不吉な音の接近が始まった。銀色の《雷光》が不気味にのたうちながら、方向を変えている。
方向を変えながら――わたしに向かって来ている。ひえぇ!
――わたし、銀色の《雷光》を引き付けてるんだ! 金のエーテルのエネルギーを溜めてるから!
集中していたから気が付かなかったけど、あれ程に荒れ狂っている銀色の《雷光》が、今までわたしの方向を直撃して来なかったのは、
バーディー師匠の魔法のガードがあったお蔭だったみたい。バーディー師匠、やっぱり、ナニゲにタダ者じゃ無い。
銀色の《雷光》の一部が、満を持したかのように殴りかかって来た。黒焦げ地獄風味の丸焼きにされる!
――まだ、この《水の盾》用のエネルギー放出、終わってないよ!
クレドさんが最後の跳躍をした。
目の端で白刃の光が閃いたかと思うや、ドカッという衝撃が走り、目の前が暗くなる。
どうやら、横っ飛びしてるらしい。次の一瞬、『魔法の杖』が、《水の盾》の発動を完了した。
恐怖を覚える程、すぐ傍で『バリバリ』と言う《雷光》独特の騒音が続いたけれど――
――おや? 感電していない……?!
その奇妙さを思う間も無く、ガクンと横っ飛びが終わった。
気が付くと――クレドさんが、わたしの身体を抱きかかえていた。
――いつの間に?
それに、天井床ボロボロ崩れまくりの、スッカスカの梁の上で、どうやって横っ飛びしたのか、どうやって止まったのか、とか……
それから、それから――
「ウッヒョオオ! スゲェ!」
「何じゃ、ありゃあ!」
疑問を断ち切る勢いで、ジントとレルゴさんの素っ頓狂な叫び声が続く。
いつの間にか、上から降って来る瓦礫の雨は、その数を減らしていた。
大量の金粉を含んだラピスラズリ色の《水の盾》が大きく波打ち、銀色の《雷光》をまとった瓦礫の落下コースを、その磁力でもって変え続けているからだ。
傍目から見ると、重力落下のルールに反抗し続けている、奇妙な光景だけど――
次に目に入ったのは、全裸状態の『雷神』の周囲に高く立ち上がった、ラピスラズリ色の大波だ。
半人半鳥な大魔法使いが、大きな白い翼で上空を旋回しつつ、大いなる《風魔法》を発動し続けている。
白いエーテル光が、まるでダウンバーストでもあるかのように、爆発的に降り注いでいる。
――《風魔法》の圧力に押されて、《水の盾》が波打ちながら変形しているのだ。まさに、風の力で波が立つのと同じように。
金色に輝く《水魔法》のシンボルに足元を拘束されたままの全裸の『雷神』は、バーサーク化している時のような雄たけびを上げていた。
あんなに距離があるのに、両眼が凄まじいまでにギラギラと光っているのが分かる。
タテガミの無いレオ族、全裸の大男は、遂に、最大強度の《雷光》を――
超大型モンスター《大魔王》粉砕レベルの、《雷攻撃(エクレール)》を巻き起こそうとしているのだ。
バーディー師匠の発動し続けている《風魔法》が、その気配に同期したかのように強度を増す。
いったん凹んだラピスラズリ色の大波は、再び高く立ち上がるや、本物の水さながらに、しなやかに形を変えた。
見る見るうちに、『雷神』を取り巻く、巨大な水のドームのようなスタイルになる。
この広大なスペースの、半分くらいのサイズまで行っている。かなりデカいドームだ。
金色の粉が動き回り、雪の結晶のようなヘキサグラム系の、途切れの無い不思議な幾何学パターンを描く。
レオ族の大男が絶叫を張り上げた瞬間、《雷撃扇》が震えた。目がくらむばかりに、爆発的なまでの銀色に輝く巨大な《雷光》が発動する。
――かの、超大型モンスター《大魔王》を、一撃で粉砕するレベルの――
超大型《雷攻撃(エクレール)》に伴う狂暴な重低音が、金剛石(アダマント)の梁を揺るがした。
――わたしの発動した《水の盾》。あの超大型《雷攻撃(エクレール)》に耐えられるの?!
バーディー師匠の《風魔法》によるバックアップは、あるんだろうけど――
一瞬、身を硬くする。わたしがギョッとしたのに気付いたのか、クレドさんの腕の力が増した。
銀色に輝く《雷光》が、『雷神』をグルリと取り巻くラピスラズリ色の透明な《水の盾》に激突する。
ラピスラズリ色をしたドームの中で――金色の雪の結晶パターンに荘厳された青い密閉空間の中で、
強烈な銀色の《雷光》は、幾条もの光線に分かれつつ、複雑な乱反射を始めた。
しかし、その乱反射は、地下牢で無秩序に乱反射し続けた赤い《雷光》とは違って、完璧にコントロールされていた。
ひとしきり乱反射した後――その銀色をした幾条もの《雷光》は、
意思を持って操られているかのように、『雷神』の持つ《雷撃扇》を目がけて、正確に跳ね返って行ったのだ!
*****
――もし、超大型モンスター《大魔王》の断末魔の声と言うモノを聞いたとしたら、こんな声では無いか。
大地を引き裂くような、重低音の金属音のような『何か』が、ドロドロと鳴り渡った。
巨大な怪物の骨が粉々になる時のような、気分の悪くなるような大音響を伴っている。
今ひとたび、『茜離宮』全体が激しく揺れ動いた。
直下地震に突き上げられたかのような『ドォン』という衝撃が走るや、上下左右に揺さぶられる。
余りにも脆い漆喰や、窓ガラス、レリーフ部分といった物が、宮殿から弾かれて飛び散って行く。運悪く窓際に居たのであろう人々も放り出されている。
わたしは、急に気が遠くなっていった。身体全身が、グッタリと重い。
――最後の一瞬、クレドさんが、わたしの名前を呼んだような気がする。
何処かへ運ばれて、移動して行く――そんな印象を感じたのが、この日の最後の記憶だった。