―瑠璃花敷波―17
part.17「かく示された連鎖*2」
(1)今ひとたびの邂逅と分岐
(2)追いつ追われつ(前)
(3)追いつ追われつ(後)
(4)大広間:右や左の緒戦展開(前)
(5)大広間:右や左の緒戦展開(後)
(6)入れ替わり立ち替わり(前)
(7)入れ替わり立ち替わり(後)
*****(1)今ひとたびの邂逅と分岐
12歳未満の少年なジントの、即席の転移魔法は、年齢相応の結果をもたらした。
何と、地下牢の階段をゼィハァゼィハァ言いながら苦労して登って来たアンネリエ嬢と、鉢合わせしたんだよ!
地下牢の入り口となるアーケード通路の前で!
「キーッ! 何処までも苛立たせてくれるわね!」
「うわーッ!」
アンネリエ嬢は、早くも《火矢》を撃って来た。こうして、わたしとジントは、アンネリエ嬢と追いかけっこする羽目になったのだった。
「そっちだ! 飛び込め!」
アーケード通路が分岐する所で、ジントは倉庫に続く裏道を縁取る、植え込みに飛び込んだ。わたしも続く。
ジントは即座に《風魔法》を発動し、『茜離宮』に続く分岐の方向に、土埃の列をかき立てて行く。
――見事な目くらましだ。
アンネリエ嬢は「そっちね!」と叫ぶが早いか、連続で《火矢》を発砲しつつ、土埃の立つ『茜離宮』側のルートを突進して、駆け去って行った。
ジントは、アンネリエ嬢が充分に遠くへ行ったのを確認すると、やおら倉庫に向かって、わたしの手を引きながら、裏道を駆け出した。
「このままじゃ埒(ラチ)が明かねぇ。姉貴、次の備品倉庫に訓練隊士用の隊服があるから、
訓練隊士に変装しろよ。あの爆弾女が探し回ってんのは、今の緑のスカート着けてる姉貴だしよ」
――そ、そう?!
*****
結論から言えば、訓練隊士への変装は上手く行った。髪の毛も、まだ短い状態だし。
衛兵部署に併設されている訓練場から『茜離宮』の大食堂に通じる回廊まで、ほぼノーチェックだった。
時々、見慣れないイヌ顔に気付いたらしき少年隊士たちが、振り返って来ただけだ。
アンネリエ嬢には、取り巻きの令嬢――と言うか子分たちが、当然ながら居た。
紺色マント姿に変装しておいて良かったよ。『緑のワンピース姿』を見とがめる目つきが、鋭すぎる。
わたしと似たような格好をしていたばかりに、
妙な尋問をされた無関係の黒毛イヌ族と黒毛ウルフ族のお嬢さんたちには、『ご迷惑おかけして済みません』としか言えない。
やがて、わたしとジントは、大食堂を取り巻く回廊へと到達した。
大食堂から出る回廊の行く手に、大きな三尖塔が見える。白い玉ねぎ屋根を乗せた尖塔だ。
三尖塔の下に、奥殿となっているスペースがある。重役のためのスペースとなっている一群の建築の奥が、大広間――パーティー会場となっていると言う。
会場に近づくにつれ、思い思いに着飾った他種族の人数が多くなった。魔法道具ビジネス業者たちだ。
社交パーティーは始まったけど、まだ序盤の部分らしい。
ウルフ国王夫妻ご臨席のタイミングでは無いようで、業者たちは、集まって来たパーティー参加者たちから注文を取ったり、
業者同士の個別の商談を固めたりする事にいそしんでいる様子だ。
あちこちで、『魔法の杖』通信の点滅光が、ひっきりなしに続いている。
「えーと、こっちの列柱が、会議室の並んでる方だったかな。こっちの方は入った事ねぇんだよ」
空中庭園と面する列柱の間をウロウロしつつ、ジントと手分けして、本丸へのルートを探し回る。
――と。
空中庭園の奥の方から、目をキラーンとさせながらやって来る――長髪のウルフ青年と思しき、人影。
あれ? こっちに向かって、猛烈なスピードで駆け寄って来てる?
グングン近づいて来るにつれ、その人影は、何処となくガラの悪い、キラキラ純金の毛髪を腰まで伸ばした青年の姿となった。
相応に筋肉ムキムキの立派な体格の上に、妙にフリル&レース満載の上等な衣服。フサフサしてるけど、妙にクネクネしてる、金色のウルフ尾。
此処まで接近すると、フリル&レース満載のドレスシャツが半分はだけられていて、胸毛ビッシリ、かつ筋肉が盛り上がった胸が見える。
何だか、見た事のあるような人物だなぁ?
見る間に、その既視感のある、ガラの悪いウルフ男は、腕を大きく広げてジントに飛び掛かった。
「おぉ、愛しのボーイ! こんな所で巡り逢うとは、まさに天球の彼方の思し召し!」
「なにぃッ?!」
ジントの灰褐色の尻尾が、『ビシィッ!』と硬直した。
わたしがポカンとしている間に――
ジントは、純金の長髪をしたガラの悪いウルフ青年に、頬をスリスリされる羽目となっていた。筋肉の盛り上がった逞しい腕に、ガッチリと抱き締められつつも。
「やめれ! オレは今、忙しいんだ!」
「オネダリするなら、『愛しのジョニエル』と言ってくれないと。あれ、何で首輪が――」
「誰が言うかーッ!!」
――あ。金髪イヌ族の不良プータローな火のチャンスさんと、マネロン取引らしき行為をしてた、あのガラの悪いウルフ男だ。
元々はジリアンさんの追っかけだったと言う、『水のジョニエル』さん。
今は、変態方面のボーイズ・ラブに目覚めたとか、どうとか……!
此処は、姉として、弟を救わないと!
「タコ殴り《水まき魔法》に、八つ当たり《洗濯魔法》!」
*****
――同じ《水霊相》同士のジョニエルさんと、わたしの勝負は、わたしの惨敗だった。
ジョニエルさんの攻撃魔法《水砲》を食らった瞬間、わたし、列柱のひとつに頭を打ち付けて、朦朧となっちゃったんだよね。
洗濯を、いや、選択を間違ってしまった。きゅう。
気が付いて、頭がハッキリしてみると。
わたしとジントは、ロープでグルグル巻きに縛られて、空中庭園の端にあった狭い倉庫に閉じ込められていた。
今、身体を縛っているロープは、倉庫の備品としてあった物だ。
薄暗い倉庫の中、慎重に身を起こして、アブナイ気配のある方向を見上げる。
そこでは――倉庫の入り口の前では、勝ち誇った顔をしたジョニエルさんが立ちはだかっていたのだった。
わたしの隣では、ジントが、胡坐をかいた状態で座り込んでいる。ゲッソリとした顔だ。
――もう何か、された?
「いや、されてねぇ。首輪のロック部分を外された他は」
そこでジョニエルさんが、得々とした顔で『魔法の杖』を振り回しつつ、口を挟んで来た。
「そっちのイヌ顔のおまけは、首輪を外す訳には行かないね。れっきとした、地下牢からの脱走犯だからね、ウフフ。今、通報したとこだから。
私の愛しのボーイを誘拐していたところ、こうして私に《水砲》で退治され、こうなったと言う訳だよ。
リクハルド御大の最高位の眷属にして、将来の第三王子たる私に逆らうから、こうなるんだよ」
――な、何ですと!
ジントがゲッソリとした顔をしながらも、減らず口を叩く。
「最も下から数えて、最下位の眷属じゃねぇのか」
純金な金髪を腰まで伸ばした、フリル&レース満載なファッションの変態男は、喜色満面な顔いっぱいに、更なるニヤニヤ笑いを浮かべた。
「シャンゼリンの確約があるから、間違いない。今までの最高位の眷属だった連中は、家族もろとも何処かへ消えたんでね。
もっとも、そこの娘のシャンゼリンは今や、れっきとした国家転覆の犯罪者として、間抜けにも、私の目の前から自動的に転げ落ちてくれた訳だが。
笑いが止まらんとは、この事だね。フハハ」
うーん。ウルフ王国内の後継者争い、ブラックだなぁ。
そんな事を思っていると、別の人の気配が近づいて来た。硬いブーツの踵(かかと)が、キビキビと、空中庭園の石畳を叩く音がする。
ジョニエルさんが、腰まである純金な金髪をフサッフサッと派手に揺らしながら、新たにやって来た人物を振り返った。フリル&レース盛り盛りの間に見える、
胸毛ビッシリ、かつ筋肉が盛り上がった胸を反らしている。
「遅かったじゃ無いか、リオーダン」
――ゴチッ。
ほえ?!
わたしとジントが仰天している間にも、ジョニエルさんは地面にドウと崩れ落ちた。
頭のてっぺんに大きなコブが出来ていて、白目を剥いている。間違いなく、一撃で失神してる。
代わりに、倉庫の入り口に現れたのは――第二王子リオーダン殿下だった。
かのヴァイロス殿下の豪華絢爛な金髪と対照を成すような、漆黒の黒髪。ロイヤルブルーの着衣に、純白のマント。
片手には、先ほどジョニエルさんを一瞬で失神させたと思しき、『警棒』を握っていた。
――ふわりと、倉庫の入り口からの空気が通った、瞬間――
不吉な既視感のある、あの匂いがした。
アルセーニア姫の殺害現場に続く、あの地下通路に残っていた、あの匂い。
――まさか。
わたしの幼児な尻尾が、『ピキッ』と凍った。
リオーダン殿下が、ゆるりとした所作で、倉庫の中に入って来る。
どんなに姿を装っていても、ふとした拍子の無意識のクセは、変わらない。さっき地下牢で見た『クレドさん』の、あの所作と――全く同じだ。
――そうだ。思い出した。
さっきの『クレドさん』は、地下牢の鉄格子の扉を、音を立てて開いていた。本物の方のクレドさんは、音を立てずに開いたのに。
本物の方のクレドさんが音を立てずに鉄格子の扉を開くのは、『斥候』だからだと思うけど。
空中庭園の端の小さな倉庫の中に、硬い沈黙が落ちた。
息を詰めて見つめ合う事、数秒。
わたしが全身の毛を逆立てて無言で威嚇している――その意味を理解したのか、リオーダン殿下が口の端に、歪んだ笑みを浮かべる。
「――『耳』も、復活していたとはな。いつからだ?」
言ってやるものか。フン!
濡れネズミになってグルグル巻きに縛られた、おまけに地下牢の首輪をくっ付けている、何とも間抜けな訓練隊士――と言った風の、わたしの前に、
リオーダン殿下は驚くほど優雅に膝を折って、しゃがみ込んだ。
リオーダン殿下の額で、見覚えのある『銀牙』デザインの透かし彫刻を施された、銀色のサークレットがきらめく。
いつだったか、遠目にも見た、ウルフ王族用の――それも『殿下』称号持ちが装着すると言う、銀色のサークレットだ。公式の場で、装着するとか何とか……
リオーダン殿下の、静かな声が響いた。男性の低い声に、こういう形容が成り立つとは思わなかったけど、銀の鈴を弾くような声だ。
「我々は、上手くやって行けるんじゃ無いか? 最高位の《水の盾》――サフィール・レヴィア・イージス。
魔法部署の方から、《宿命図》レベルで本当にシャンゼリンの妹だと言う確証が上がった時は、ビックリしたが。
わざわざ、そんな惨めな過去を公開せずとも、第一位《水の盾》サフィールとして、我が妻として、ウルフ王妃を超える地位も思うままでは無いか」
――その声音は、同情を含んでいて、ハッとする程に優しいけれども。
この人は、『魔法能力が全く無かった時の、わたし』には、興味関心を示して来なかった人だ。それどころか――
「……いつから、わたしが『サフィール』だと知ってたんですか?」
「おや。声も戻っているとは……」
リオーダン殿下は、口の端に笑みを浮かべつつ、しげしげと眺めて来た。同じ黒狼種のせいか、クレドさんと似通った表情ではあるけれど。
綺麗なんだけど、端々に違和感を感じてしまう笑みだ。
「まさかと思いながらも確信を持ったのは、最初の、ボウガン襲撃事件の時……あたりか。
冷静に状況をつかもうとする所、まさにサフィールの所作そのものだった。クレドも気付いただろうが、
サフィール本人がレオ帝都に居る筈、となれば、他人の空似と理解せずには居られなかっただろうな」
――最も、知りたくなかった答えだ。
剣技武闘会の前には、既に、わたしが元・サフィールだと知っていたのだ。この人は。
あの事故を装った『テスト』の際に、わたしが、かねてから想定していた筈の魔法能力を全く示さなかったものだから、『役立たずの無能』として、放置して――
――この人の本質は、シャンゼリンと同じだ。『闘獣』を《紐付き金融魔法陣》で呪縛しておいて、『金の生る木』としてしか見て来なかった、
『飼い主』と。『類は友を呼ぶ』とも言うけど、それって、本当だ。
それに。
マーロウさんの現場斬殺――即刻の処刑をしたのは、リオーダン殿下だった。状況こそ、限りなく、自然だったけれど。
何故、リオーダン殿下は、マーロウさんを速攻、殺害したのか。
――『死人に口なし』。
マーロウさんが生きて捕縛された場合、地下牢で厳しい尋問を受けたであろうマーロウさんの口から、
シャンゼリンをはじめとする協力者の名前が割れる可能性が、あったからじゃ無いのか。
リオーダン殿下、マーロウさん、シャンゼリン、そして『雷神』――
アルセーニア姫を殺害したのは少なくとも、『対モンスター増強型ボウガン』を片手で軽々と持ち運べる男。つまり貴種か、ほとんど貴種に近いウルフ族の男。
リオーダン殿下は、まさに、その条件に当てはまるのだ。
――そして、動機は――
「何故、アルセーニア姫を殺したんですか? マーロウさんとシャンゼリンと、ウサギ族のバニーガールと……『雷神』は、それに関係してたんですか?」
――気が付いたら、ポロッと出ていた。
ジントが、口を引きつらせたまま、固まっている。
リオーダン殿下は、暫し目を見開いていたけど。やがて、おかしそうに喉を鳴らした。
「サフィールは、想像力が強すぎるな。もう一度、記憶喪失になれば、そういう妄想も吹き飛ぶだろうさ」
「わたし、サフィールじゃありません」
――わたし、不意にポンと出て来た、アヤシサ満載の、『水のルーリエ』だよ。
たまたま、前世が『サフィール』だったと言うだけ。記憶も実感も無い、そんな存在を続けて生きていくという事なんか、わたしには出来ない。
脳みそ、スッポ抜けてるし。ドジだし。ウルフ族のくせに、高所トラウマだし。
チェルシーさんのように、上手な『選択』をしたかどうかは、本当の未来にならないと分からないけど。
あの日、天球《暁星(エオス)》の空の下――
サフィールでも何でも無い、『水のルーリエ』という正式名を呼んで来た人の手を、わたしは『選択』しているのだ。
グルグル巻きに縛られたまま、全身の毛を逆立てているわたしの左手を、不意にリオーダン殿下は取って来た。
ギョッとして見てみれば、ジョニエルさんが力いっぱい縛って締め付けた筈のロープが、そこだけ、ゆるんでいる。変な言い方だけど、物凄い力で、ゆるんだのは確実だ。
ひえぇ。規格外の筋力。さすが貴種。
「……《予約》が成立している」
不吉な声音が、ポツリと落ちた。高い適合率の《宝珠》に現れる《花の影》まで、ハッキリと見て取ったに違いない。
*****(2)追いつ追われつ(前)
「殺されなかったのは、ただタイミングの違いだっただけに過ぎないんだからな、姉貴!」
リオーダン殿下が、倉庫の扉をキッチリと、錠前で封印して立ち去った後。
相変わらずグルグル巻きに縛られたままのジントは、全力でジタバタしながら、わめき散らしていた。
「最初っから、都合の良い時にクレドを殺す予定だったんだぜ、あの野郎! 『殿下』称号持ちともなれば、
親衛隊士よりずっと強ぇから、親衛隊士をプチッと斬殺して処刑、なんてのも出来るんだぜ!」
ジントは、ゴロゴロ転げ回り始めたけど。筋肉ムキムキなジョニエルさんが、力いっぱい縛り付けたロープなんだよね。『ほつれた』と言うような気配は、少しも見受けられない。
「あの鬼畜外道、クレドをアルセーニア殺しの真犯人に仕立て上げて、
更にオレをクレド殺しの真犯人に仕立て上げて殺すつもりだぞ! 傍から見りゃ、オレにはクレドを殺す動機ってのが有り過ぎるしな!」
――ゴメンよ、ジント……
「それに、こうなってみりゃ、リオーダンの『本来の計画』ってさ、
『勇者ブランド』魔法道具商人『雷神』と組んで、《水の盾》サフィールを拉致誘拐する事だったんじゃねーかよ! ああ、計画して陰謀して、
準備してな! 事によっちゃ、レオ帝国をぶっ潰して、ウルフ帝国を樹立する事も考えてる筈だぜ!」
今さらながらに、わたしの脳内では、地下牢での記憶がグルグルしているところ。
地下牢に1人やって来た『クレドさん』――リオーダン殿下は、言っていた。
――6年前。サフィールが刺繍した道中安全の護符。自称『雷神』がな、秘密裏に、私から大金で買い取った。
私が帰路で持ち歩き、『お焚き上げ』に投じたのは偽物の方だった訳だが――
まさしく、クレドさんに数々の罪をなすり付けようとして、付け加えたセリフだ。でも、その内容は真実に違いない。
かねてからタイストさんに疑いが向くように工作していた、マーロウさんと、同じやり方だ。
――サフィールがノイローゼになった時。
クレドさんと一緒にやって来た、もう1人の少年と言うのが、リオーダン殿下だったじゃ無いか。
あの言葉を信じるなら、その頃から既に、リオーダン殿下は『雷神』と名乗る魔法道具の商人と関係があったのだ。或いは、もう少し以前から――だったのかも知れない。
リオーダン殿下がサフィール訪問の一行に加わった経緯にしても。今になって考えてみると、不自然な箇所が見受けられるのだ。
本来の訪問者としてクジに当たっていたベルナールが、急に中型モンスターに襲われて体調を崩したと言う話とか。ただ『不自然』というだけで、実際には、証拠は無いけれど。
わたしには、元・サフィールとしての記憶は無い。
元・サフィールだった時、わたしは、ものすごく間抜けな言動をしていたんだろうか? リオーダン殿下に物騒な計画を思いつかせる程度に?
だんだん悪い想像が出て来て、何だか力が出て来ない……
――カシャカシャ、パチン、カシャン。
「へッ?!」
倉庫の入り口から妙な音が……ジントがウルフ耳をピコッとさせて、バッと身構える。だ、誰?!
「ニャーオ」
わずかに開いた倉庫の入り口から、スルリと滑り込んで来たのは――猫の声だ。え?!
目の前で。
人体サイズに近い白猫は、色っぽい尻尾を揺らして、白い光を放ちながら『ニューッ』と伸びあがった。
「化け猫?!」
「猫又?!」
「ニャッ、失礼しちゃうわね。れっきとした獣人ネコ族よ。私たち、顔見知りの筈だけど」
次の瞬間――《変身魔法》に伴う白いエーテル光が収まった。
そこに居るのは、何とも色っぽい雰囲気のネコ族の美女だ。
白い毛髪。ネコ耳。誘惑的な緑の目。慎みのあるデザインの緑のドレスのくせに、ピンク色の高いハイヒールを駆使した、艶っぽい立ち姿。ユラリと揺れるネコ尾。
――何処かで見たような、濃いピンク色のハイヒール。
「ランジェリー・ダンス女優の……ピンク・キャット……?!」
「ハーイ。今は、ネコ族の魔法道具業者の妻の1人『風のラステル』だけどね。その折は、私のランジェリー・ダンスへの投げチップ、有難うね~♪」
――ピンク・キャット!
確か、最近、ポーラさんのドレスメーカー店に来て、『ミラクル☆ハート☆ラブ』の方で、
特に大量のマネーが流れていた密輸商人を、5名も挙げたとか! それも、ドレス注文の際の、待ち時間をつぶす余談の合間に、ポロッと!
ピンク・キャットこと『風のラステル』と名乗った白いネコ族は、『魔法の杖』を取り出すや、刃物に変形した。
あっと言う間に、わたしとジントの身体を縛っていたロープの結び目を切り取る。
ついでに、錠前破りの腕前でもってか、ラステルさんは、わたしの首に掛かっていた地下牢の首輪のロックも外してのけたのだった。すごい。
「な、何故、此処が……?」
「その前に少年。そのフリル&レース満載のガチムチ変態男、あと少しで目覚めるわよ。縛っといた方が良いと思うけど」
ジントの反応は素早かった。
数秒後、水のジョニエルさんは、口の位置でもグルグル巻きに縛られていた。さるぐつわをかまされた、金色のウルフ耳付きのミノムシみたいだ。
……ジント、よっぽど、水のジョニエルさんを喋らせたく無くて、おまけに走らせたくも無かったんだね……
「@@@@……?!」
ジョニエルさんは意識がハッキリして来たようだけど、自分に起こった事態が理解できなかったみたい。腰まである純金な金髪を振り乱しつつ、モダモダと身をくねらせている。
そこへ、ラステルさんが、ショッキング・ピンク色をした、スパンコール満載のフルフェイス型マスクをかぶせたのだった。おまけに奇抜なまでの、道化師のデザインだ。
道化師デザインのギラギラ・マスクを着けた変態男が、ますます変な風にフリル&レース満載の身をくねらせている物だから、いっそう変態男に見える。
「ウチの夫の1人の新作で、『アブナイ妄想天国に連れてって』と言うタイトルの、お役立ちな魔法道具なのよ。仮想現実の内容はお任せだから、
しばらく目と耳を閉じて、楽しんでねぇ♪」
――た、確か、ネコ族って、多夫多妻制とか……! こういう商品は、需要があるんだろう。
呆然としていると、ラステルさんが緑のネコ目をキラッと光らせながら、わたしをのぞき込んで来た。薄暗い倉庫の中で、瞳孔が丸くなっている。
「黒髪だけど、本当にサフィールね。道理で、聞き覚えのある声に、見覚えのある所作だと思ったわよ。
レオ帝宮を訪問した折、金髪のサフィールと会ってるのよ、私。ハイヒールの師匠、兼、相談役として」
――ほえぇえぇ?!
風のラステルさんは、白いネコ耳をピクピクとさせ、キュッと眉根をしかめた。
「この倉庫の脇で、ずっと盗み聞きしてたのよ。私の同僚のバニーガール殺しに、リオーダン殿下が関わってるの? あの子、
『新発売の怪しいドラッグの取次』なんて、超ヤバい小遣い稼ぎに『ウサ耳』を突っ込んでるの見え見えだったから、警告したんだけども」
その疑問に応じたのは、ジントだ。
「リオーダンは、バニーガール殺しには、直接には関わってねぇと思う。でも黒幕の一味って事は確かだ」
「ふむ。レオ帝都に居る筈の《水の盾》サフィールを妻にしようってんだから、方々に手を伸ばしていて不思議は無いわね」
ラステルさんは、高いハイヒールを装着した足を、危なげなく、優雅に踏み変えた。わたしに正面を向けて来る。
「リオーダン殿下が『シャンゼリンの妹』とか言ってたわ。あなたも『サフィールじゃ無い』と言ってたけど、じゃ、今は何? この少年の姉貴?」
「水のルーリエです。ルーリーと。こっちは弟で、風のジント」
ラステルさんは、緑の目をパッと見開いた。
やがて、ラステルさんは、わたしとジントを交互に見ながら、ゆっくりと緑の目を細めた。ニヤ~ッとした、ネコ族ならではの笑みが、美麗な顔面に浮かぶ。
「色々あったみたいだけど、お祝いを言うべきなんでしょうね、元・サフィールのルーリー。『禁断の恋』が、禁断じゃ無くなったみたいだし。
サフィールだった時のルーリーは、ハイヒールのレッスンの合間に、私に恋の相談をして来てたのよ。魔法使いの師匠には言えなかったからだろうけど」
ポカンとしているわたしとジントに、ラステルさんは、クイッと白い『ネコ尾』を振って来た。
「さぁ、急ぐわよ。ボヤボヤしてると『雷神』を見失うわ。私の同僚のバニーガールに、『新発売のドラッグの取次』という美味い儲け話を持ち込んで来て、
あんな死体にした張本人なの。絶対、ヤツの正体と正式名を暴いてやるわよ。そっちも、リオーダン殿下を何とかするつもりなんでしょ」
倉庫を出る、その直前。
ラステルさんは、サッとかがみ込んだ。もはや朦朧としているジョニエルさんから、ショッキング・ピンク色をしたギラギラ・スパンコール満載の、フルフェイス型マスクを剥ぎ取る。
――『一片たりとも証拠を残さぬ』と言う訳だ。
女優ピンク・キャットこと白猫淑女ラステルさん、元々は忍者だったりして。鮮やかな手際。感心しちゃう。
*****
ラステルさんは、わたしとジントを、会議室と並行して並ぶ休憩用の回廊へと導いた。真昼の刻を過ぎたばかりの高い角度の陽光が、列柱の間から回廊へと差し込んでいる。
本来は休憩用のベンチが並んでいる回廊なんだけど、今はベンチは無い。
種々の魔法道具の商品を積んだ台車がズラリと並んでいる。運搬を担当する大勢の作業員が台車を取り巻いていて、大広間の扉に続く行列を作って、スタンバイしているところだ。
先頭グループの台車が、社交パーティー会場となっている大広間へと、次々に入って行っている。
目立たないコーナーまで来た所で、ラステルさんは再び、白い髪をフワリとさせながら、わたしを振り返って来た。キラキラした緑の目が、気づかわし気な光を湛えている。
「ルーリーに、ひとつ詫びなきゃいけない事があるわ。バニーガールの質問に応じてサフィールの情報を流したの、私なのよ。
金髪にサファイアの『花巻』をセットしてる事、夕方に自由時間が取れた日はモンスター撃退用の軍用施設に来てる事。
あの時は、バニーガールが『雷神』とつながってるなんて思いもしなかったから」
その数日後、急に、レオ帝都を嵐が襲った。3日間の『雷電シーズン』の如き、落雷と大雨。
レオ帝都に居たラステルさんは、不吉な予感がして、後宮の都の情報を窺った。
かなり確かな筋から、問題の夕刻に、モンスター撃退用の軍用施設が跡形もなく吹っ飛んだという事実を知り、仰天した。
直後にサフィールの『体調不良&長期休養』なんていうメモが出たものだから、本当は、サフィールが行方不明になったのでは……と直感。
そして、バニーガールの、『不自然に決まった』巡業先を回った末に、ウルフ王国『茜離宮』へと、真相を探りにやって来ていたのだと言う。
結局、間もなくしてバニーガールは、詳しい事情を明かさぬまま、無残な死体と成り果ててしまったのだけど。
――成る程ねぇ。
思わぬところで人脈が連結してた訳だ。
わたし自身はバニーガール本人に会った事は無いけど、噂の赤いスケスケ・ランジェリーのバニーガールが、そこまで重要な役割をしてたなんて、全くの想定外だったよ。
現在でも、衛兵部署も魔法部署も、『運の悪かった密売人の女の1人』という見方をしていると思う。
*****(3)追いつ追われつ(後)
本丸へのルートを、順調に辿りながらも。
用意の良い白毛のネコ族ラステルさんから、携帯用の腹持ちの良い昼食を少し分けてもらった。
腹ごしらえした後、台車とコンテナの間を次々すり抜けていた、ところ――
――それは、突然だった。
何故か、バッタリと遭遇した。大広間の扉まで、もう少しと言う場所で!
「キーッ! こんな所に侵入してたのね、この闇ギルドのコソ泥の魔物が!」
見事な縦ロール金髪。敵愾心に燃え上がる金色の目。淡いピンク色の妖精のようなドレス。
赤グラデーションで彩った、レース&フリル盛り盛りの華麗な裾。つるバラ宝飾細工を巻き付けた『魔法の杖』。
由緒あるアンティーク魔法道具『紫花冠(アマランス)』が、ブレスレット様式でもって、手首で光っている。
――爆弾女こと、アンネリエ嬢!
ラステルさんが緑の目をパチクリさせている間にも。
怒髪天なアンネリエ嬢は、つるバラ宝飾細工を巻き付けた『魔法の杖』をブンブンと振り回した。『魔法の杖』が、赤いエーテル光を帯びる。
間違いなく《火矢》の構えだ!
わたしとジントは、思わず、身構えたけど。
アンネリエ嬢の『魔法の杖』のエーテル光は、瞬く間に、砂時計の砂のようなサラサラの粒子の流れとなり、蒸発した。
――おや? 不発……?
ラステルさんが、呆れたように白い『ネコ尾』をピコピコさせる。
「魔法道具が大量に集まってる場所で、何で攻撃魔法を発動しようとするのよ? 魔法道具が暴走したり爆発したりしたらマズいから、
この辺り一帯で攻撃魔法を封じる処置がされてる筈だけど。それも、上級魔法使いが全員で仕掛けてる重量級の術だから、
緊急避難的に魔法を発動できるのは、王子や親衛隊や上級魔法使いくらいよ」
――そ、そうだったっけ?!
指摘されて、さすがにアンネリエ嬢も気付いたみたい。美麗な顔が『ビシッ』と歪んだ。
ラステルさんが、そこへ畳みかける。
「一見して貴族令嬢みたいだけど、教育どうなってるのかしらねぇ。ウルフ王国は実力主義って聞いたけど、この不始末は、貴族名簿から名前を剥奪されるレベルよね」
アンネリエ嬢は、その指摘を打ち消すかのように大声を上げた。
「おだまりぃッ!」
次に飛び出して来たのは――
パ・パ・パ・パーン!! パ・パ・パ・パン・パカ・パーン!
ジントが、顔の前に飛んで来たブツを、『魔法の杖』で咄嗟に打ち落としながらも飛び跳ねた。
「パンダ族の特製の爆竹だ! ウヒョオ!」
床の上に打ち落とされて転げ回る、多数の小さな筒の結合体。
小さな筒から、ビックリするような火花と煙が弾けている。そんなに脅威と言う訳では無いけど、こんな物を投げつけられたら、怪我するよ!
――と言うか、アンネリエ嬢、何で、そんなの持ち歩いてるのッ?
「何だ、何だぁッ?」
いきなり降って湧いた火花と煙と大音響。
魔法道具を乗せた台車に付き添っている運搬係がザワザワと騒ぎ出した。
台車コンテナの向こう側に、紺色マント姿の、やる気満々の衛兵が駆け寄って来ているのが、チラホラと見える。異変発生に気付いたに違いない。
アンネリエ嬢は、駆け寄って来たウルフ族の新人の衛兵たちに向かって、キンキン声を張り上げた。
「この無礼な3人は、爆竹テロリストよ! 即刻、捕まえなさい!」
――ななな、なんて事を!
いかにも高位の貴族令嬢なアンネリエ嬢と、新顔な訓練隊士2人とでは、信用レベルが違い過ぎる。
まだ訓練コースを済ませて間もないと言った風の、紺色マント姿の若い衛兵たちは、早速『警棒』を構えて殺到して来た。
一瞬にして『獣体・白猫』に変身したラステルさんが、宙を舞う。
「秘技、ネコ・パンチに、ネコ・キック!」
「わわッ!」
白猫なラステルさんは、ウルフ族の衛兵たちの隙を突いて、サーカスの軽業師さながらの拳法の技を決めていたのだった。
――ドドドッ。
まだ新人という風な衛兵たちが、綺麗に決まったネコ・パンチとネコ・キックに吹っ飛ばされて、次々にひっくり返る。
重心のズレを捉えられていたらしい。見事な吹っ飛びようだ。ひえぇ!
アンネリエ嬢が、驚きの余り目を剥いて、ポカンとしている間にも――
白猫スタイルの『獣体』だったラステルさんは、見事なまでの『早変わり術』を披露した。空中で宙返りしながら緑のドレス姿の『人体』に戻り、華麗な着地をする。
あの高いハイヒールで、アクションそのものの着地を決められるというのが、凄すぎる。
「カッコええ! 後で教えてくれよ!」
「ホホホ、面白い事になって来たわね。行くわよ!」
ラステルさん、こういうハラハラ・ドキドキな場面で、燃える性質らしい。ラステルさんの勢いに促される形で、わたしとジントは、
ラステルさんと共に回れ右して、現場逃走を図ったのだった。
「追え、捕まえろ!」
「待て待て、爆竹をバラバラ投げてたのは、この『薔薇薔薇(バラバラ)』な御令嬢だぜ」
「攻撃魔法《火矢》も発動しようとしてたんだぜ。まさに『薔薇薔薇(バラバラ)』でな」
「白猫の方が、薔薇薔薇(バラバラ)の死体になるところだったんじゃねーのか」
「どういう事だ?!」
怒鳴り声での口論が、回廊中に響き渡った。
屈辱で頭に血が上ったらしい若いウルフ族の衛兵たちと、一部始終を目撃していた多種族のコンテナ運搬係たちの間で、ツッコミを飛ばし合っている。
口論しながらも一丸となって、わたしたちを追いかけて来るところ、ホントに器用としか言えない。
事の次第の真相について口論しているという部分だけは一応まともなんだけど、時系列の整理をスッポ抜かしてるし、大いに省略も入ってるから、変な事になってるなぁ。
怒髪天なアンネリエ嬢は、その口論を差し置いて、貴種ならではの脚力でもって、追跡グループの先頭に躍り出た。おんみずから、わたしたちを追って来る!
ウルフ族の若い衛兵たちと多種族のコンテナ運搬係からなる10人ほどの追跡グループが、アンネリエ嬢の奇行の有り様に、目を丸くした。
「アッ、ブロンド縦ロール巻の爆弾女が逃げた!」
「と、とにかく追え、捕まえろ、どっちも逃すな!」
「ヒョオ、サーカスの人気演目『爆弾聖女・薔薇薔薇(バラバラ)の逃走追跡劇』かい!」
――アンネリエ嬢、何だか変な二つ名を頂く羽目になっちゃったね。
*****
わたしたちは、回廊の角をグルリと曲がった。
出入り業者用の廊下――という雰囲気の回廊に入る。会場直結の裏口っぽい扉が、延々と連なっていた。
魔法道具の搬入を済ませて、パーティー会場から出て来たばかりの、無人の空き台車が多い。しかも、遠隔スタイルで自動コントロールされているところ。
遠隔スタイルで台車をコントロールしている、小姓なウルフ族の少年少女たちが、空き台車の間に控えている。
「ぶつかるぅ!」
「ヒョオオ!」
いかにも仕事見習い中な少年少女たちは、暴走しながら突っ込んで来たわたしたちを見て、目を真ん丸くして仰天していた。咄嗟の事で身体が動かないと言うのは、うん、良く分かる。
反射神経の素晴らしいラステルさんとジントが、空き台車の群れをピョンと飛び越える。
わたしは何故か、いつものように空き台車につまづいて、そのまま宙に放り出される形になってしまった。
――交通事故、確定!
「とりゃあ!」
別の少年の声がしたかと思うと――
複数の空き台車が『ブロック移動パズル』のように動き回った。緩衝材を固定していた空き台車のひとつが、素晴らしい加速度で目の前に出現する。
わたしは、その緩衝材に、ボンと突っ込んだのだった。
同時に後方からは、別の『ドスン』という衝突音と、「キーッ!」という不吉な怒鳴り声が響いて来た。
アンネリエ嬢らしき薄ピンク色と赤グラデーションのドレスが、2つの台車の緩衝材の隙間で、足をバタバタさせているのが見える。
運悪く、緩衝材を固定したままの2台の空き台車に、挟まれてしまったらしい。
仕事見習いの少年少女たち3人が、駆け付けて来た。
「大丈夫か?! 何がどうなってんだ?!」
「ウヒョオ、すげぇピンクのハイヒール! 淑女バージョンのピンク・キャットじゃん!」
「何で隊士の格好してんの、ルーリー?! 何でジントとピンク・キャットが?!」
何と、金髪少年のケビン君と黒髪少年のユーゴ君だ。それに、メルちゃんも居る。奇遇だね。
ラステルさんが早くも状況を理解して、愉快そうに声を掛けて来た。
「ホホホ、顔見知りだったのね! 台車の遠隔操作の腕前が良いわね、金髪ウルフ少年!」
――複数の空き台車をいっぺんにコントロールしたの、ケビン君だったんだ。話には聞いてたけど、話以上にスゴイ腕前なんじゃ無いかな。
感心していると。
「キーッ! よくもよくも、あたくしに逆らって、無事に済むと思ったら大間違いよ! まとめて地下牢に閉じ込めて、
地獄の爆弾でバラバラに拷問して処刑してやるーッ!」
2つの台車の緩衝材に挟まれたままのアンネリエ嬢が、ドレスに包まれた足をバタバタさせながらも、抜け出て来るところだ!
「え? あれ、サーカスの演目の爆弾聖女・薔薇薔薇(バラバラ)とか?」
「ピンク・キャットも居るし、余興の道化師ジャジャジャジャーン?」
ケビン君とユーゴ君の理解は変な事になってしまってるけど――
ジントが、ものすごい勢いで首を縦に振ってる物だから、たちまち、そういう事になってしまったらしい。
「爆弾聖女・薔薇薔薇(バラバラ)は、魔法の絨毯に乗って高笑いしながら登場するじゃないの。だったら、このまま台車に乗って、会場に登場する事になるよね」
メルちゃんまでもが、何故か謎の納得をしていた。ケビン君とユーゴ君も、イタズラ盛りの年齢と言う事もあるのか、一斉に目をキラーンと光らせている。
ウルフ族の若い衛兵たちと、魔法道具の運搬業者たちが、回廊の角を回って現れた瞬間。
「爆弾聖女・薔薇薔薇(バラバラ)が救う事になる、騎士や村人のお出ましかい?!」
「すごい! ホントにサーカスの筋書きの通りね!」
ユーゴ君とメルちゃんが、2人で興奮して、ピョンピョン跳ね回っている。
金髪少年ケビン君の『魔法の杖』が、赤いエーテル光を放った。
「余興の道化師ジャジャジャジャーン!」
――変な魔法呪文だけど。
空き台車の動きは、劇的だった。
先頭を行くのは、2つの台車。やっと、と言う風に緩衝材の隙間から半身を出したばかりのアンネリエ令嬢を真ん中に挟んでいる。
それに続いて行くのは、背後から暴走し始めた台車の群れに気付いて、逃走態勢になったウルフ族の若い衛兵たちと、多種族の魔法道具の運搬業者たち。
文字通り、意味不明な暴走を始めた台車に追いかけられて、パニックしているところ。
会場の扉が、バンと開く。それも、会場の中央辺りに位置するポジションの、搬送用の出入口が。
「@@@~ッ?!」
意味不明な不協和音が湧き上がった。
緩衝材を固定したまま、逆走する空き台車に乗せられ、或いは、つかまりながらも。
アンネリエ嬢と、ウルフ族の若い衛兵たちと、魔法道具の運搬業者たちが、会場の真ん中へと転げ出て行ったのだった。
*****(3)大広間:右や左の緒戦展開(前)
魔法道具業界の社交パーティー会場となっている大広間は、立食パーティーを終えたばかりだった。
見上げれば、高い天井――各所の明かり取り用の天窓が全開状態になっていて、昼日中の明るさが、大広間の床まで降り注いでいる。
広々とした大広間には、その空間を支えるための太い列柱が規則正しく並んでいた。
そして、強い浄化能力を持つ紺青色の水中花アーヴ種に守られた、セルフサービスの水飲み場が、ポツポツとある。水飲み場を構成する水槽の上には夜間照明がセットされてあり、
陽が沈んだ後は、水場ポジションを示す案内灯となる事が分かる。
当座の魔法道具の見本市スペースとなっている大広間の中央部では、多種族のビジネス業者たちが忙しく行き交っている。自己紹介や社交辞令、それに商品の紹介が続いているところ。
そんな、ところへ。
「余興の道化師ジャジャジャジャーン!!」
今しがた、空き台車が出て行ったばかりの出入り扉から、派手な効果音と共に、空き台車が逆走しつつ乱入して来たのだった。
当然、警備に立っていた熟練の衛兵や下級魔法使いたちが、目を丸くしている所だ。
「おい、止めろ!」
「ストップ、ストップ!」
下級魔法使い資格持ちの衛兵たちが一斉に『警棒』を振り、ブレーキ代わりの、グレーの《防壁》を立てた。膝丈の高さだ。
――ガッコォン。
暴走台車は、少し高めの縁石さながらの《防壁》にブチ当たり、急停止した。
同時に、台車から『ポポポポーン』と放り出されて来たのは――
怒髪天なアンネリエ嬢、訳が分からないと言った顔をした新人のウルフ衛兵たち、野次馬と化していた魔法道具の運搬業者たち。
「何だい、こりゃあ。ドッキリ余興かい?!」
「えらい仰天モノの演出だな!」
「おお! 今の話題の、爆弾聖女・薔薇薔薇(バラバラ)か!」
会場の目と言う目が、アンネリエ嬢に集中した。アンネリエ嬢にとっては望むところだったに違いない。こんな『余興の道化師』という登場の仕方で無ければ。
その隙に。
「さぁ、お目当ての『雷神』を探すわよ! フード姿の大男よね」
ラステルさんとわたしとジントは、別の脇扉から、フード姿の謎の『雷神』を探すべく、コッソリと大広間に入ったのだった。後ろから、メルちゃんも付いて来る。
興味津々なケビン君とユーゴ君も。
大広間は、広大な空間だ。一定間隔ごとに立つ太い列柱の間には魔法道具の陳列台が並び、
他種族の様々な人々が、魔法道具業者たちとの商談を兼ねて、立ち話をしているところ。
下手の大扉からは、今もなお展示用の魔法道具を積んだ搬入用の台車が、ゾロゾロ入って来ている。
上手の、階段状となっている高台が、玉座の間となっているのは明らかだ。
奥壁には、堂々たるウルフ王国の紋章が描かれてある。その手前には、ウルフ国王夫妻が着座するための玉座が2つ、置かれている。
わたしたちは、太い列柱の陰から陰へと、忍んで行った。
――不意に。
「攻撃魔法を仕掛けた脅迫状だと? 財務部門の報告にも出た、あの謎の『雷神』から?」
ビックリするほど近くで、ジルベルト閣下の声がした。不吉な声音だ。ギョッ。
ラステルさんの白いネコ耳が『ビシィッ』と立ち、ジントの灰褐色のウルフ尾が『ビョン!』と跳ねる。
(止まって! どういう事なのか、盗聴するわよ!)
ラステルさんの、的確な指示が飛んだ。
にわか少年少女探偵団の全員で、太い列柱の陰に身を潜める。
メルちゃんとケビン君とユーゴ君も、『脅迫状』という不吉なキーワードをウルフ耳に詰め込んでいたみたいで、全身の毛が逆立っていた。
ひとつ先の列柱の傍に、ジルベルト閣下と、リクハルド閣下が居た。2人とも、硬い表情をしている。
ロイヤルブルーの上等な上着をまとった、如何にも高位貴族なリクハルド閣下は、今しがた、会場に到着したばかりみたい。珍しく遅刻した、と言う風だ。
そして、『手に持った何か』を、ジルベルト閣下に示している。
ジルベルト閣下は、《風》の上級魔法使いとして、純白の堂々たるローブをまとっているところだ。
白いローブの袖が揺らめくのが見えた。ジルベルト閣下が『問題の何か』を受け取っているのだ。
――透明な防護ケースに入っている、1枚の封筒。
透明な防護ケースの中で、《雷攻撃(エクレール)》系と思しき、青白い《雷光》がバチバチと散っている。あれが、封筒に仕掛けられている攻撃魔法らしい。ひえぇぇ。
――防護ケースが無ければ、受取人は、《雷攻撃(エクレール)》をモロに受ける。
以前のわたしたちみたいに、髪全体をパンチパーマにされて、クネクネと悶える羽目になったんじゃないだろうか。
リクハルド閣下の冷えた声音が、響く。
「少なくとも、『雷神』を名乗るだけの事はあるようだな。これを最初に受け取り、開封した我が執事は、不意打ちの《雷攻撃(エクレール)》を受けて気絶した。
相当に出血もあってな、盗賊撃退レベルどころでは無い。《雷攻撃(エクレール)》を受け流すのに失敗していたら、死んでいるところだ」
――どっひゃーッ! 本物の《雷攻撃(エクレール)》……死人が出るところだったのか!
「幸い、その命に関わる第一撃の後は、ご覧のレベルだ。だが私には、《雷攻撃(エクレール)》の拷問を受けながら文面を確認する趣味は無いんでな、この防護ケースに封印した訳だ」
ジルベルト閣下が「ふむ」と頷きながら、透明な防護ケースをクルリと返した。
魔法の封筒から魔法の文書が出て来たらしい。『パシン』というような、魔法文書オープンの音が響いて来た。
――音声方面でも魔法感覚が復活していて良かったよ。何が起こっているのか、何となく伝わって来る。
程なくして――ジルベルト閣下が、その文書を読み上げる声が聞こえて来た。
「この文書をもって、ウルフ族が男、黒きリクハルドに要求する。本日付で、例のウルフ娘の身元保護の停止を宣言し、《魔法署名》データ添付の文書を、全て永久に破棄せよ。
かつ本日の陽が沈む前に、例のウルフ娘を拘束し、『茜離宮』の三尖塔の、いずれかの旗ポールの頂上部に縛り付けて放置せよ」
――ななな、何という脅迫!
しかも『茜離宮』の三尖塔の頂上にある旗ポールの、頂上部って……そんな至高のポイントに縛り付けられたら、高所トラウマで死ぬ!
列柱の陰で、わたしは失神しかけていたのだった。訳知りのジントとメルちゃんが咄嗟に身体をつかんでいてくれなかったら、わたし、音を立てて、バッタリと倒れていたと思う。
いつの間にか、ジルベルト閣下の読み上げがストップしていた。何か思案しているらしい。やがて、怪訝そうな声音で、ツッコミが入った。
「リクハルド殿。確か、あの娘は、高所恐怖症では無かったか?」
「あれは、間違いなく筋金入りだな。床から足が離れただけで尻尾が反応した」
ナイスミドルな2人の男性の、何やら溜息らしき息遣いの後。
ジルベルト閣下の読み上げが再開する。
「……これらを過不足なく遂行せよ。さもなくば、最大最強の《雷攻撃(エクレール)》により、
貴様の全身は、原形すら留めぬ黒焦げの『粉末死体』となっているであろう――我が名は恐ろしき『雷神』なり」
暫しの沈黙の後、リクハルド閣下の冷え冷えとした声音が続いた。
「脅迫状の内容は、以上だ。昨日の行動が既に洩れているとしたら、この『雷神』なる人物、大した諜報能力だな。
マーロウ殿もシャンゼリンも既に死んでいる今、何処の誰が、情報漏洩ルートになっているのやら。相当に、我がウルフ王国の上層部に食い込んでいると見える」
――と、そこへ。
見覚えのある大柄な上級隊士が、速足で歩み寄って来た。上級隊士『地のドワイト』と一緒に居た隊士だ。
「閣下! 先刻、『余興の道化師』として会場に逆走して来た暴走台車から飛び出て来た令嬢が、『紫花冠(アマランス)』らしき装飾品を帯びております。至急、ご確認を願います!」
報告スタイルだけは一応まともなんだけど、内容が普通じゃ無い。
ジルベルト閣下とリクハルド閣下は、揃って『はあ?』という顔つきだ。
そして、すぐにアンネリエ嬢が現れた。
2つの台車の緩衝材に挟まれていた時の怒髪天ぶりは何処へやら、目に涙をいっぱい溜め、全身を震わせて、『あたくし、被害者なのよ』と、全身で主張している。
一見すると、本当に高貴にして淑やかな貴族令嬢だ。ビックリ。
高位の貴族令嬢と言う事情もあるのだろう――『地のドワイト』おんみずからが拘束し、連行している。もっとも、アンネリエ嬢がウソのように大人しいから、エスコートしている形だ。
続く部下の隊士たちは、まだ驚愕が抜けていない顔をしている。
そして、アンネリエ嬢の後見として、緊急で駆け付けていたのだろう『火のクラリッサ』女史が、困惑顔をしながらも付き添っていた。
ラステルさんが、キラキラした緑色のネコ目を細めた。白いネコ尾が、愉快そうにピクピクし始める。
(あの爆竹令嬢は、他にも色々やらかしてるみたいね! これは是非とも見届けてやらなくちゃ!)
事情を良く知らないメルちゃんと、ケビン君とユーゴ君が、そろって目を真ん丸くした。
アンネリエ嬢を眺めるジントの目は、スッカリ据わっている。灰褐色のウルフ尾が、皮肉っぽくヒュンヒュンと振れているところだ。
(あの爆弾女、大した二重人格の役者じゃねーか、おい)
クラリッサ女史が、首を傾げながらも、リクハルド閣下に声を掛けている。
「我が姪アンネリエが、何故か『紫花冠(アマランス)』を装着していたのですが……これは、貴殿の一族に伝わる品に違いありませんか?」
リクハルド閣下は、クラリッサ女史の手にあるブレスレット様式の宝飾品を一瞥するなり、驚いたように目を見開いた。
「……何故に、此処に? 我が直属の娘として迎える証に、ルーリーに与えていた物だが?」
そのコメントに仰天したのは、『地のドワイト』と、アンネリエ嬢だ。
「眷属では無く、直属……と言う事は、窃盗では無かったのですか!」
「あれは、あの悪女シャンゼリンの妹ですわ! リクハルド様は、あの闇ギルドの悪女に騙されてらっしゃるのよ! ルーリーは凶悪な犯罪者たちと結託して、
世にも恐ろしい陰謀をしてますのよ!」
リクハルド閣下が、不吉なまでにゆっくりと、一団に正面切って向き直る。
信じがたい事に――あのアンネリエ嬢が、口をつぐんだ。『地のドワイト』以下、上級隊士たちも揃って、『ビシィッ』と背筋を伸ばしている。
さすが元・第三王子なリクハルド閣下、相当な冷気と威圧感の持ち主らしい。
「ルーリーが『紫花冠(アマランス)』を窃盗しただの、陰謀しただのと言うのは、どういう訳なのかね? ルーリーは昨日の日付で、
我が眷属の者として、当主たる私の保護下に入っている。なおかつ、当主たる私が、直属として公認している娘だ。口に気を付けてくれたまえ」
ドワイトさんが「ハッ」と応じ、わたしとジントの散々な体験を、新しく判明した事実も付け加えて、説明したのだった。
いわく。
ルーリーとジントの2人は、アルセーニア姫の殺害現場『王妃の中庭』に、誰もが予想だにしなかった、驚くべき手段で――噴水の下水道から――侵入して来た。
くだんの噴水の直下、排水口の壁に、『対モンスター増強型ボウガン』を運び込んだ時に付いたと思しき、特徴的な引っかき傷が発見された。
ゆえに、この侵入路が、アルセーニア姫の暗殺に使われたと判明した。
即刻、ルーリーとジントを、もう少し真相が分かるまでの期限付きと言う事で、地下牢に押し込めた。
その時、ルーリーは『紫花冠(アマランス)』と思しき宝飾品を頭部にハメていたので、窃盗の可能性も考慮して、押し込めたと言う訳だ。
――以上。
ドワイトさん自身も、その部下たちも、その後は関知していない。当然だけど。
ジルベルト閣下は、彫像の如き無表情になっている様子だ。
並み居る上級隊士たちが恐れを含んだ眼差しでコッソリと窺っているけど、多分、ジルベルト閣下は仰天してるだけだと思う。
クラリッサ女史は忙しく百面相している。一方で、アンネリエ嬢の目には、
次第に、『そら、見た事か』と言わんばかりの、満足そうな光が浮かび始めていた。
――そりゃまぁ、こんなタイミングで、
今まで謎だった『王妃の中庭』への侵入経路が――アルセーニア姫の殺害プロセスが――すべて明らかになるなんて、普通は思わないだろう。
*****(5)大広間:右や左の緒戦展開(後)
リクハルド閣下は、思案する格好になって小首を傾げていたけど、すぐに納得が行ったのか、「あぁ」と呟いた。
「2人が何故、『王妃の中庭』に侵入する形で現れたのかは、説明が付く。地下通路ルートが存在していた事に気付いて、検証していたに違いない。
偶然ながらジント少年の方は、実の母親から、秘密の地下通路の知識を受け継いでいるのだ。
あの2人が、こんなタイミングで、『茜離宮』最大のミステリーを解き明かしてのけるとは思わなかったがな」
ドワイトさんが、不思議そうな顔になった。
「かの2人は充分に怪しいのですが、アルセーニア姫の殺害犯とは無関係だと主張されるのですか?」
「アリバイが成り立たんし、論理的に矛盾があるのでな」
リクハルド閣下は、「フッ」と息をついた。ニヤリとしたらしい。
「君は優秀な武官だが、地のドワイト君、『推理』が必要になる場面は、君が思っているよりも遥かに多いのだ。
ミステリー方面の視野を、もう少し鍛えてくれたまえ」
ひと息置くと、リクハルド閣下は、滑らかに語り始めた。さすが元・第三王子。人前でスピーチするのは手慣れている、という感じ。何かスゴイ。
「第一にルーリーは、アルセーニア姫が死亡した時、そもそも『茜離宮』周辺に居なかった。それよりずっと後、
つまりヴァイロス殿下の暗殺未遂事件の日に迷い込んで来たのが最初だ。
それ以前は、『茜離宮』の近くでルーリーを目撃したと言う証言はおろか、近辺の転移魔法陣の使用記録すら皆無だ」
――そういった諸々は、わたしが現れてから数日の間に、調査されていたデータの中にあるに違いない。
クラリッサ女史が、手持ちのハンドバックから半透明のプレートを取り出して、目を通し始めた。すぐに納得顔になっている。
リクハルド閣下の説明が続いた。
「そして、シャンゼリンの死体に現れたという《紐付き金融魔法陣》は、ルーリーの《正式名》を強奪し、その心身を完全なる支配下に置く物だった筈だ。
魔法部署との合同調査チームにおいて、上位メンバーを務めていたドワイト君は、当然、その件を知っているだろうな」
ドワイトさんが、「アッ」と言うような顔をした。後ろで、部下の隊士たちが、目をパチクリさせながら顔を見合わせている。
リクハルド閣下が、ことさらに丁寧に説明しているのは、この件について初耳のアンネリエ嬢や、ドワイトさんの部下の隊士たちの事もあるに違いない。
「あれは、モンスター襲撃の真っ最中だったか――容疑者たちの新たな自白内容が、『3次元・記録球』に記録されていたが。
くだんのイヌ族『水のニコロ』の証言が暗示する通り、ヴァイロス殿下の暗殺未遂の直後に、《紐付き金融魔法陣》を通じてシャンゼリンに《召喚》された結果、
ルーリーは『茜離宮』に迷い込んで来たと理解できる」
――アンネリエ嬢も頭は悪くないようだ。視線をせわしく動かし、金色のウルフ耳をピッと傾けている。
「第二にジント少年は、地下通路からつながる水路で、アルセーニア姫の死亡時刻とほぼ同じ時刻に、母親の死体を発見している。それも、他殺死体でな。
アルセーニア姫の殺害犯からすれば、母親から地下通路の秘密を受け継いでいるジント少年は、母親と同様、早々に始末するべき対象となる筈だ」
ドワイトさんもクラリッサ女史も、ギョッとしている。改めて聞いていると、まぁ、それなりに壮絶な経緯ではあるよね。
リクハルド閣下は、ドワイトさんの理解状況を見定めたらしく、すぐに言葉を継いだ。
「地下牢から2人を出して、私の元に連れて来てくれたまえ。私は今朝、攻撃魔法が仕掛けられた脅迫状を受け取ったばかりなのだ。
2人の身に、既にアルセーニア姫の殺害犯の手が延びていたとしても、不思議では無いのだからな」
ドワイトさんは、ジルベルト閣下がタイミング良く掲げて来た、透明な保護ケースの中身に、すぐに気が付いたようだ。
封筒から飛び散る青白い《雷光》を見て、明らかに顔色が変わっている。
――元・第三王子な重要人物に届いた、冗談どころじゃ無い攻撃魔法が付いた脅迫状。
或る意味、ウルフ王国の重鎮メンバーに対する襲撃&暗殺シリーズが続いているって事でもある。
ドワイトさんの部下、紺色マント姿の中級隊士が、『警棒』でもって、地下牢と直通通信をし始めた。
やがて。
その人は、焦った様子で、ドワイトさんを振り返った。顔が引きつっている。
「2人は、地下牢に居ないそうです。地下牢の床や壁に、《雷攻撃(エクレール)》魔法道具《散弾剣》による、最大強度での使用痕跡あり。
見張り担当の衛兵は、全員、それより前に闇討ちを受けて、重傷ないし失神済みだったので、対応できなかったようです……!」
その場に、痛くなるような沈黙が落ちていた。
最悪の光景を想像してるらしい。良く分からないけど。
クラリッサ女史が、アンネリエ嬢をサッと見やる。クラリッサ女史の顔色は、すっかり青ざめていた。
「……《散弾剣》って、我が一族に伝わる大型モンスター対応の《雷攻撃(エクレール)》魔法道具じゃ無いの! そんな物を地下牢で、
最大強度で発動したら……アンネリエ、まさか……?!」
さすがにアンネリエ嬢も、マズイ事態になって来た事を瞬時に悟ったみたいだ。
「あたくしは何も知らないのですわ、叔母様! 現に、あたくし、何者かが動かした台車に挟まれて、殺されるところでしたのよ!」
――わお。さすが、アンネリエ嬢。自己保身の才能がある。
*****
列柱の陰で――
ラステルさんが、緑の目をきらめかせて、パッとわたしを振り返って来た。顔には、明らかに驚愕が浮かんでいる。
(地下牢の中で発動した、大型《雷攻撃(エクレール)》?! 確かに、それっぽい毛髪の焼け焦げとか、火傷の痕とか、チラホラ見えるけど。
五体満足で生存している方が、信じられないわ!)
――え。えーと。そんな驚く事でも無いような気が……
変な言い方だけど、わたしとジントは一応、大きな怪我は無いし、地下牢に居た人も全員、元気なんだけど……
ジントが神妙な顔をして、ピコピコ尻尾で呟いた。
(何で無事なのかは、オレには分かんねぇよ。姉貴が防衛したのは確かだけどさ)
(さすが《水のイージス》ね! ルーリー、後で話を聞かせてもらうわ。タップリとね!)
――え、それは構いませんけど……
そんな無言の応答をしているうちに、先方では、声を出せるくらいには、衝撃から回復したようだ。
「あの2人、まさか既に……いや、それより地下牢の《雷攻撃(エクレール)》は?」
ドワイトさんが、愕然とした顔をしながらも、確認の質問を出している。『魔法の杖』で通信中の部下が、今にも失神しそうな顔色で応じているところだ。
「いえ、《雷攻撃(エクレール)》は完全停止しているとか。
6人の容疑者と、新しく地下牢に入れていた2人のイヌ族が一部始終を目撃していたそうですが、2人は既に脱獄したと」
ドワイトさんは、信じがたいと言わんばかりに、カッと目を見開いている。
「完全停止……?! 脱獄した……?!」
「今、目撃証言を取っています。地下牢の者は全員、五体満足でピンピンしていますので、すぐに報告が上がるかと」
隊士の一団が、ザワザワし始める。揃って、半信半疑と言う顔だ。
「かの《散弾剣》による最大強度の《雷攻撃(エクレール)》を、犠牲者を1名も出さずに抑え込んだと言う事か……?!」
ジルベルト閣下とリクハルド閣下が、疑問顔を突き合わせて、見解を交わし始める。
上級魔法使いでもあるジルベルト閣下が口を開いたものだから、
ドワイトさんをはじめとする隊士の一団も、クラリッサ女史もアンネリエ嬢も、一斉にウルフ耳をピッと傾けている。
「10年ほどは《雷攻撃(エクレール)》が乱反射し続ける。その『雷電地獄』の間、ずっと地下牢は使えなくなる筈だ。
避難や救出が間に合わなければ、死体すら残らんと言うのが、我々魔法使いの常識だ」
「しかし、ジルベルト殿。《盾魔法》を発動すれば、防衛できそうな気もするが。四大のいずれかの《盾》は、
上級魔法使いが発動する、最上級レベルの《防壁》と聞く」
ジルベルト閣下は、「否」と首を振った。
「密閉空間における大型《雷攻撃(エクレール)》の乱反射は、極めて複雑な現象だ。単に《盾持ち》と言うだけでは、我が身さえ防衛しきれないのだ。
多数の《盾》を多段構えでスクランブル展開するための《防衛プログラム魔法陣》を、その場に合わせて構築し、稼働させる必要がある。
並みの《盾使い》では到底、対応できん。かのディーター殿でさえもな」
ジルベルト閣下の眉根は、きつく寄せられている。声音から感じられる冷気が、スゴイ。
「――別名『イージス魔法陣』とも言うくらい、イージス級の天才的な《盾使い》にしか扱えない高次元の防衛術だ。成功率も極めて低い。
普通は『生きて出られない』と覚悟するしか無い」
驚愕によるものか、恐怖によるものか――アンネリエ嬢が、激しく全身を震わせ始めた。思わず――と言った様子で、口を差し挟んでいる。
「信じられませんわ! ほんのちょっとだけなら、どうって事は無い筈ですわ?!」
「かの《散弾剣》による最大強度の《雷攻撃(エクレール)》は、『ほんのちょっと』のレベルなのかね?」
リクハルド閣下の、容赦ないツッコミが入る。アンネリエ嬢は『グッ』と詰まったみたい。
そうしている内にも、地下牢と直通通信していたドワイトさんの部下が、慌てた様子で口を開いた。
「魔法の呪文は、あったそうです。『水の精霊王の名の下に。スクランブル』だそうです」
周囲に、再び沈黙が落ちた。
――アンネリエ嬢は、口をアングリと開けたまま、固まっていた。ちょっとつつけば、それだけで失神しそう。
クラリッサ女史が、口を開け閉めしている。仰天しきりと言った様子で何かをブツブツ呟き出したけど、こちらまでは内容は聞こえて来ない。
ジルベルト閣下がサッと『魔法の杖』を取り出し、何処かと通信をし始めた。
しばし、顎(あご)に手を当てて思案していたリクハルド閣下が、アンネリエ嬢に、不意に顔を向ける。
アンネリエ嬢の顔が、一瞬にして凍り付いた。絶対零度の眼光を向けられているに違いない。
「私がルーリーに授けた筈の『紫花冠(アマランス)』を、何故にアンネリエ嬢が所有しているのか、問う事になりそうだな。
他の所業の次第によっては、裁判所で再会する事も、あるかも知れん。地下牢の報告が、今から楽しみだ」
アンネリエ嬢は口を引きつらせながらも、抗弁を始めた。
「地下牢に来ていたのは、あたくしだけじゃ無くてよ! クレドが先に入ってったわ! クレドだって、地下牢で何をしていたか分かりませんわ!」
――語るに落ちた。
まさに、それだ。クラリッサ女史が額に手を当てて、呆れた様子で首を振っている。ドワイトさんも硬直していた。想定外の事だったに違いない。
ジルベルト閣下が『魔法の杖』通信を中断して、ゆっくりとアンネリエ嬢に向き直った。
今まで無表情だったジルベルト閣下の口元に、笑みが浮かぶ。見る者を凍て付かせるような、氷の笑みだ。
「おかしな事だ。我が甥は、ヴァイロス殿下の代理で、ずっと会場警備に当たっているのだが。思うに、そやつは、アンネリエ嬢に謎の黒い宝玉を持ち出すよう依頼した人物だな。
いつもと違う声質をしていて、『声の調子が変なのは、風邪のせいだから気にするな』と言うような事を、言って来ては居なかったかね?」
――図星だったらしい。
いっそう蒼白になりながらも、アンネリエ嬢の目は、思いっきりテンになっている。
本当に、そういう事があったみたい。ビックリだ。
*****
太い列柱の陰で、少年少女探偵団なわたしたちは、素早く視線を交わした。
ケビン君とユーゴ君がビックリした顔で、ウルフ耳とウルフ尾をピコピコさせて来る。
(すげぇ! ホントに地下牢で魔法戦争をやって、脱獄したんだ?!)
(あれ、ホントの『余興の道化師ジャジャジャジャーン』じゃ無かったの?!)
ジントが早速、ピコピコ尻尾で応じる。
(巻き込んで済まねぇ。オレたちは大広間で『雷神』を見つけて、退治する事になってんだ。くだらん爆弾女の相手をしてる暇はねぇんでな、
キリの良い所で、あいつらに説明しておいてくれよ。ウソは無しで大丈夫だからな)
ケビン君とユーゴ君は、察し良く頷いている。
ジントは続けて、紺色マントをゴソゴソとやり、黒いアクセサリーを取り出した。
8本の黒い短剣の形をした宝玉細工が、扇形を作るように折り重なっている。
――成る程、見るからに《散弾剣》だ。
(これ、爆弾女が《散弾剣》って言ってた。アブねぇヤツだから、遠くまで弾き飛ばした振りをして、コッソリ隠しといたんだ。オッサンたちに届けといてくれよ)
(本物の《散弾剣》~ッ?!)
手の平に乗るサイズの黒い扇形のアクセサリー。受け取ったケビン君とユーゴ君の方は、仰天しきりと言った顔だ。
畏怖と共に恐怖も感じているようで、金色と黒色のウルフ尾が、仲良く総毛立っている。
メルちゃんが、ラステルさんを『チョイチョイ』と、つつき始めた。
(怪しいお客さんとか、魔法道具の商人を1人ずつチェックしたいなら、うってつけのポイント、メル知ってるわ。連れてってあげる)
少しの間、ラステルさんは眉根を寄せて思案をしていた。白いネコ尾が、内心の迷いを反映して、ユラユラと落ち着かなく揺れている。
(ホントは、メルちゃんみたいな小さな子を、更に巻き込んじゃいけないのよ。でも私は、この大広間の構造に明るくないしね。この大広間の中だけで良いから、お願いするわね)
(任せて頂戴!)
わたしたちは、二手に分かれた。後に残ったケビン君とユーゴ君が、『頑張れよ~』と言う風に、金色と黒色のウルフ尾をピコピコ振っている。ホント、良い子たちだ。
*****(6)入れ替わり立ち替わり(前)
――程なくして。
背後の列柱の方から複数の驚きの声が――特に、アンネリエ嬢の大声が――次々にやって来た。
ケビン君とユーゴ君が、列柱の陰からピョコッと出て来て、事の次第を説明しているに違いない。
手に、黒い扇形のアクセサリーのような《雷攻撃(エクレール)》魔法道具、《散弾剣》を手にして。
アンネリエ嬢と一緒に巻き込まれる羽目になった、若いウルフ族の衛兵たちと野次馬な運搬業者たちも、目撃者として連行されてきて、説明させられている頃合いの筈だ。
地下牢からの目撃証言の報告も、上がって来るタイミングだし。
――6人のオッサンな容疑者たちと、チャンスさんとサミュエルさん、変な事を証言してなきゃ良いけど。
アンネリエ嬢とは目下、利害関係は無い筈だし、まぁまぁ、まともな内容である事を期待するしか無い。
*****
わたしたちは目下――
大広間の端々をコソコソしつつ、別の目標へと突撃しているところ。
忍者なメルちゃんの案内は、ラステルさんも感心するほど巧みだ。
(元々は、あちこちの水飲み場にあるアーヴ種の状態をチェックするためのルートなのよ)
メルちゃんを先頭に、ラステルさん、わたし、ジントの順で、下級侍女と見習いのための業務用通路を辿って行く。
途中で、メルちゃんと同じような見習い少女たちと行き交ったんだけど、メルちゃんの百面相による釈明は、他の見習い少女たちを納得させてるらしい。
(どうやって説得してるの、メルちゃん?)
(あっちも、バレたら困るのよ。カッコいい金髪王子とか黒髪王子とか、親衛隊を『追っかけ』してるんだから)
成る程。いつだったかの剣技武闘会で、女の子たちがキャアキャア言ってたのと、同じ事が進行してるんだ。
ラステルさんが訳知り顔で、ニヤ~ッとした笑みを浮かべている。
メルちゃんが、ひとつの水場の陰で、ピタッと足を止めた。
暫し、困惑した様子で、行く手にある複数の水場の陰に居る少女グループを窺う。そして、メルちゃんは眉根を寄せながら振り返って来た。
ふんわかし始めている黒いウルフ尾が、ピコピコ振れている。
(おススメの、玉座に近いポイントが、全部、取られちゃってるわ。
あの子たち名門出身だから、メルには、場所交換の交渉は難しいの。ちょっと距離が離れてるけど、大丈夫よね?)
――多分、大丈夫だよ、メルちゃん。
ラステルさんが辺りを見回し、ニヤ~ッとした、ネコ族ならではの笑みを浮かべている。
(アンティーク部門の人たちが向かい側に居るわ。私の入手した情報だと、『雷神』は古代アンティーク物、特に古代の魔法道具に目が無いの。
『雷神』なら、入手した品の鑑定だの何だの、理由を付けて、すり寄る筈よ。噂のウルフ貴公子マーロウが死んだ今、
アンティーク魔法道具の名品をむしり取るための新たな人脈は、ヤツにとっては必須だから)
わたしとジントも、隠れ場所にしているアーヴ水場の隙間から、ラステルさんの注目している方向を窺った。
――ホントだ。向かい側に、アンティーク部門の人たちが居る。
礼装なのだろう赤系統の淑女風な昼用ドレスをまとった、ラミアさんにチェルシーさん。
それに、パリッとしたハシバミ色の中級侍女ユニフォームに身を包むヒルダさんが、同じようなユニフォーム姿の女性陣の中に混ざっていた。
多分、マーロウさんの部下にしてタイストさんの研究仲間だった面々だろう、如何にも研究職と言う風の、灰色スカーフをまとった男性メンバーも居る。
みんな、アンティーク物の鑑定のための仕事道具、『拡大鏡ペンダント』を首に下げているところだ。
*****
程なくして。
大広間の上手側――玉座のある高台の方が騒がしくなった。同時に、「静粛に!」という通る声も響き渡っている。
ラステルさんが、緑のネコ目をキラッと光らせた。
(ウルフ国王夫妻が登場して来たわね。謁見タイムよ)
――何と、ウルフ国王夫妻!
話に聞くだけだったから、思わず注目してしまう。高台になっている部分は充分に高さがあるから、玉座までの距離はあるけど、全体の雰囲気は分かる感じだ。
注目していると、2つの玉座の脇に2つの人影が立った。落ち着いた中年世代の、どちらも金狼種の男女。頭部のサークレットも、ひときわ堂々とした華やかな造りだ。
ウルフ王とウルフ王妃に違いない。2人は堂々たる所作で玉座に腰を落ち着けると、3人の王子と3人の王女から挨拶を受け始めた。
そして、ウルフ王が、良く通る声で話し出した。
「おのおの方、この良き日に祝福を――」
ウルフ王の言葉は終わっていなかったのだけど、不意にラステルさんが目をキラーンと光らせて、アンティーク部門の面々を注目し始めた。おや?
アンティーク部門の方で動きがある。
ディーター先生とフィリス先生が急ぎ足でやって来たのだ。
今日のディーター先生は、何とも威厳のある漆黒のローブ姿だから、お目立ちなんだよね。中級魔法使いなフィリス先生は、いつもの灰色ローブ姿だけど。
2人の魔法使いは、アンティーク部署の女性陣に混ざって来て、ラミアさんとチェルシーさんとヒルダさんに、何かを話しかけていた。
ラステルさんが、ディーター先生を熱心に観察している。
(あの黒ローブの男、確か『地のディーター』よね。上級魔法使いとしての《盾魔法》の腕前は、ウルフ王国トップクラス。
それなのに魔法部署の幹部になる事に興味が無い、極め付きの変人。新婚って噂だけど、あの赤毛の美人が、そうなのかしら?)
わお。とっても正確な情報だ。メルちゃんが早速、ウルフ尾をピコピコしている。
(そーよ。あの赤毛の中級魔法使いが、メルの叔母さんの、風のフィリスよ)
(おやまぁ。凄い偶然ねぇ)
ジントが、何かに気付いたように、ウルフ尾をヒュンと振った。
(姉貴が地下牢でやらかした件、爆弾女の方面からオッサンに伝わったみてぇだぜ。目を白黒してる)
成る程、ディーター先生が『魔法の杖』で通信をしながら、驚愕バージョンの百面相をしている。
時々、口の形が『ジルベルト殿』とか動くから、通信相手はジルベルト閣下なんだろう。
やがて――
何やら連絡と相談が同時並行で進行していたようで、間も無くしてアシュリー師匠が、アンティーク部門のスペースに現れて来た。
お忍びスタイルなのか、目立たない灰色ローブ姿だ。
アシュリー師匠とディーター先生は暫しの間、早口で何かを相談し合った後、フィリス先生に一言二言、結論らしき内容を告げていた。
フィリス先生が困惑した様子で頷くや、ディーター先生は漆黒のローブの裾をひるがえして、大広間の下手の方へと走り去って行く。
確実に、予定外と思しき遁走だ。
ジルベルト閣下などと比べると、『上級魔法使いとしての威厳カタナシ』って感じなんだけど、ホントにディーター先生らしい立ち居振る舞い。
『極め付きの変人』などという評判も、成る程だ。
ラミアさんとチェルシーさんが、ビックリした様子で、ディーター先生の後ろ姿を眺めている。
近くに居たアンティーク部門のスタッフたちが、ちょっとザワザワし始めたんだけど。
アシュリー師匠が、ディーター先生の代理を務める――と言うような事が、フィリス先生から説明されたみたい。
ラミアさんやチェルシーさんも含めて、驚くと共に、落ち着いた雰囲気になって行ったのだった。
――何だか、わたしが地下牢でやらかした件で、色々ご迷惑をおかけしちゃったみたいだ。ゴメンナサイ。
*****
玉座の手前には、大きなレッドカーペットが長々と敷かれている。
名のある魔法道具の商人たちが、目玉商品となる魔法道具を乗せた台車を脇に従えつつ整列している。
順番にレッドカーペットに足を踏み入れて前進し、段差の上で睥睨しているウルフ国王夫妻に拝礼し始めた。
段差の下では、豪華絢爛な金髪の第一王子ヴァイロス殿下と、栗色の髪の第一王女オフェリア姫が並び立っている。
その近くに、レオ族の親善大使を務める金色タテガミのリュディガー殿下が居た。4人の正妻も。既にウルフ国王夫妻との社交辞令を済ませていたようで、
レオ族の外交代表として、レオ族のビジネス業者たちのサポートに立っている様子だ。
リュディガー殿下の4人の正妻たちの間に、いつだったかのように、レオ王ハーレムの水妻ベルディナが居た。
レオ族出身の、第二位の《水の盾》。亜麻色の長い髪に、青い真珠の『花房』付きココシニク風ヘッドドレスを施している。
――距離はあるけど、こうして顔を見てみると、水妻ベルディナって、華のある美人だ。
元・サフィールは知ってたんだろうけど、わたしは記憶喪失になってしまったから、『ほとんど知らない人』なんだよね。
フィリス先生よりは明らかに年上っぽいから30代って感じなものの、20代と言っても通りそう。
やがて、黒髪の第二王子リオーダン殿下と金髪の第三王子ベルナール殿下が、ヴァイロス殿下の後から現れた。
リオーダン殿下とベルナール殿下は、順番に、レオ族の親善大使・リュディガー殿下に表敬の挨拶をしている。
リオーダン殿下とベルナール殿下は、2人とも、ヴァイロス殿下と同じように、銀色のサークレットをしていた。
リオーダン殿下とベルナール殿下は、次いで、クマ族の親善大使を務めていると思しき大柄なクマ族の紳士と挨拶を交わしている。
公式行事って、色々手続きがあって忙しそうだなぁ。
公平を期すためだろう、ウルフ族の魔法道具の業者の代表が2人ばかりで拝礼した後は、レオ族、クマ族の順番で拝礼が続いた。
他種族の間でも、拝礼の順番が2回ほど巡り続いた後。
新しく拝礼の順番が来て、レッドカーペットに進み出て来たレオ族の商人は、あのレルゴさんだった。脇に、飄々とした様子の、鳥人の大魔法使いバーディー師匠が居る。
それに続くのは、まだ青少年と言って良い若手のレオ族の従業員たちだ。まだ短いタテガミが若々しい感じ。従業員たちは、今回の目玉商品らしき品を積んだ台車の運搬係だ。
ジントが早速、ピコーンと反応した。
(あのレオ族の、茶色タテガミのオッサン、この間、クレドと決闘してたヤツじゃんか)
レオ族のレルゴさんは、器用に社交辞令を述べ、目玉商品の端的な説明をしている。ウルフ国王夫妻の前でも、いつも通りの雰囲気だ。
心臓が強いのか、こういう場に慣れているのか。いずれだろうか。両方かも。
リュディガー殿下の脇に控えていたランディール卿が進み出て来て、レルゴさんは実績もあり信頼できる人物である事を、ウルフ国王夫妻に説明している。
ウルフ国王夫妻は、『成る程』と言った様子で鷹揚に頷き、めいめい社交辞令を返した。
レルゴさんの次に出て来たのは、クマ族の魔法道具ビジネス業者だ。
まさにヒゲ面。ガッチリとした顔立ちに、金茶色のヒゲをモサモサと生やしている。
顔の輪郭が分からなくなるくらいに頭髪をモサモサと生やしているのが、会場で見かける平均的なクマ族にしては、珍しいという雰囲気だ。
ゆったりとした光沢のある金色のマント姿。気取った風に高い襟を立てているのが、お洒落な風。
辺境回りが多いため、数年単位にしか参加できないでいる事、毛髪の整理が余り出来ていない事を詫びていた。定例の社交辞令を述べた後、自己紹介に続く。
「我が輩は、クマ族『風のフォルバ』と申す。こちらに参ったのは、こちらの品を検分いただきたいが為も御座る。
最近、盗品マーケットで入手した品で御座るが、ウルフ王国の国宝級のアンティーク宝物『豊穣の砂時計』では無いかと推察しており申す」
アンティーク部門の人たちの間で、息を呑むような音が続いた。
クマ族『風のフォルバ』が、浅黒い顔に礼儀正しく営業スマイルを浮かべつつ、台車の覆い布を取り払う。
台車に乗っていたのは、確かに大型の魔法の砂時計だった。
――古代の神話で語り継がれている『世界樹』を模したのであろう、見事なデザインだ。
宝玉細工で構成した植物モチーフが複雑に絡み合っていて、その空隙を砂が落ちていく仕掛けになっている。
砂は、クネクネと曲がる複雑な経路で落ちて行くんだけど、あんな複雑な経路を組みながらも、時刻をカウントできるように設計してあると言うのがスゴイ。
ウルフ国王夫妻は、老練の政治家だった。落ち着いたポーカーフェイスを続けている。でも、よく見ると、目がキラーンと光っているのが分かる。
すぐに、ウルフ国王夫妻は顔を見合わせ、何らかの了解をした様子で、頷き合った。
ウルフ王妃が、シッカリとした威厳のある声で、クマ族『風のフォルバ』に話しかける。
「現物は確かに、我らが至宝と良く似通っています。ですが、贋物も多いのが、アンティーク宝飾品の常。
いずれにしても、交渉に入る前に、我がアンティーク部門による鑑定を望みます。よろしいですね?」
クマ族『風のフォルバ』は、優雅な所作で一礼した。
(私の夫の1人とも取引している大物なんだけど、『風のフォルバ』が出て来るなんて、ホント久し振りね。
出て来るなり『豊穣の砂時計』をゲットするなんて、さすが、ベテラン業者だわ)
ラステルさんが、白いネコ尾をピコピコ揺らしている。
(でも、あんな風に金色マントを使ったかしら? 彼の好みの色は、どちらかと言うと、オリーブ色なんだけど。辺境回りで、目立たない色でもあるから)
――『豊穣の砂時計』。
いわくのあり過ぎる品だ。マーロウさんが関わった品だけに、どうしても気になってしまう。
*****(7)入れ替わり立ち替わり(後)
台車に乗せられて、アンティーク部門の元へと、静々と運ばれて行く砂時計。
グルグル考えていると、ラステルさんが、ヒョイと振り返って来た。
「気になるのは、砂時計かしら? あの砂時計は、魔法道具でも何でもない、通常の宝飾品なんだけど……それとも、あの金色マントの『風のフォルバ』かしら?」
ヒソヒソ声だけど、急に音声が入って来たから、尻尾が『ビョン!』と跳ねてしまった。ラステルさん、ナニゲに、わたしの注意を引くコツを心得てるよね。
さすが、元・サフィールを知る人って感じ。
「あの砂時計、元々は、アンティーク宝物庫から不正に持ち出された品だそうだから……」
「ふむ。そう言うのは多いのよねぇ」
ラステルさんも、その話は承知しているみたい。『ミラクル☆ハート☆ラブ』がガッツリ関わった案件だし、
ラステルさん自身、ランジェリー・ダンス女優ピンク・キャットとして活躍していた訳だから、当然かも。
「フォルバは目利きだから、持ち出された品を見つけるのも上手いわ。以前、『白き連嶺のアーチ装飾』から宝玉類が剥がされてバラバラに売り飛ばされたって話を聞いたけど、
フォルバだったら、闇に沈んだ宝玉類を全て見つけ出すでしょうね。凄腕なのよ。それだけ、要求も高いけど」
ジントとメルちゃんは、玉座の方を注目していて、口々に無言のセリフを言い交わしている。
(ありゃ。リオーダンの野郎が居ねぇ)
(衛兵の交代だもの。1番目の金髪王子の親衛隊の担当タイムが終わったから、2番目の黒髪王子に移ったのよ。3番目の金髪王子は、これからよ)
――違和感は感じない。
でも『違和感が無い』のも、逆に、おかしいのかも知れない。あのリオーダン殿下は、間違いなく流血事態を企んでいる筈だ。特にクレドさんに対して。
何かが進行してる筈なんだけど、それが何なのかは分からない……
クマ族『風のフォルバ』は、アンティーク部門の面々と社交辞令を交わしている。何人かとは既に面識があるみたい。
ラミアさんとチェルシーさんが、『お噂は、かねがね』と言うような事を口にしているところだ。
――あれ?
「ラステルさん、フォルバさんと言う人、左腕が無いんですか?」
そう、ほんのちょっとした差なんだけど。
あの『風のフォルバ』と言う金色マントのクマ族、一度も左手をマントの下から出してないんだよね。ウルフ国王夫妻と言葉を交わしている時も、
左手を見せなかったような気がする。しかも、体幹の左側の動きがおかしい。
余りにも自然な動きで、さりげない様子だから、見逃すところだったけど。
ラステルさんも、改めて『風のフォルバ』を眺め始めた。
「良く気付くわね。彼は昔、左腕を失ったそうよ。辺境回りは、モンスターに出逢う事も多いから」
――昔? 左腕?
何だか意識に引っ掛かる物があって、モヤモヤするんだけど、何が引っ掛かってるのか、自分では説明できない……
*****
広大な『茜離宮』大広間の中。
ウルフ国王夫妻への、魔法道具ビジネス業者たちの拝礼は続いていた。
様々な種族の業者たちが、順番にレッドカーペットを踏んでいるけれど、そろそろ、拝礼プログラムが終わる頃合いだろうという気配だ。
大広間の上手側の方にある玉座から、少し距離を取った見物ポイントにある、アーヴ水場。
アーヴ水場の土台の陰に身を潜めているラステルさんが、近くに配置されている砂時計をチェックして、『そろそろ終わりね』と溜息をついている。
わたしたちも、ラステルさんに倣って、アーヴ水場の土台の陰や水槽の隙間に身を潜めているところ。同じく、溜息をつきたい思いだ。
――『雷神』の割り出し、想像以上に難しいクエストだ。
相手は、レオ帝都のど真ん中で、『サフィール拉致』を首尾よく成功させた程の、手練れ。
『茜離宮』近辺でも、アンティーク密輸やモンスター召喚など、数々の大型犯罪を、コッソリとやってのけただけの事はある。
ジントとメルちゃんが、賢くも役割分担して、注意深く目を光らせている。以前、『茜離宮』の地下通路で、『謎のフード姿の大男』をバッチリ見た記憶があるしね。
魔法道具ビジネス業者1人1人をチェックしているけれど――『フード姿の大男』という人物は、今のところ出て来ていない。
――種族系統の不明な、フード姿の大男。異様なデザインの『宝玉杖』。あんなに目立つ古代スタイルの『宝玉杖』を携えていたら、普通は一発で分かる。
だから、《変装》して紛れ込んでいるのだろう、とは思う。
似てる、と思ったフード姿の、クマ族の業者が居たんだけど。
彼が携えていた背丈ほどもある『魔法の杖』――その先端にあったのは、水中花ハイドランジア種を仕込んだ、『空中浮揚タイプ水玉』だった。
冒険者ギルド向けの新開発商品の1つで、ハイドランジア株を注意深く採集&運搬するための魔法道具なんだそうだ。
同時に、ロマンチックに水中花を演出する季節ものの室内装飾としても使える。
商品説明を聞いていれば成る程だけど、乙女ゴコロを刺激するようなロマンチックな魔法道具商品と、傷のあるクマ顔との落差が、スゴイと言うのが、何とも。
同時並行して。
向かい側のアンティーク部門スペースに居る金色マントのクマ族、『風のフォルバ』は、アンティーク部門の面々と質疑応答を交わしていた。
にこやかな様子なんだけど、相変わらず、左手や左腕を金色マントの中に押し隠したままだ。
白猫淑女ラステルさんの注目ターゲットからは、既に外れている対象。
――でも、どうしても気になってしまう。勘としか言いようが無いけど、モヤモヤするんだよね。
ウルフ国王夫妻の謁見プログラムも終わりに近い。
この後は、アンティーク部門スペースが、主役になって行く。アンティーク部門スペースに集う魔法道具業者たちの数が増えていて、賑やかになっているところだ。
アンティーク部門スペースに並ぶのは、方々から持ち込まれた、鑑定サービス待ちのアンティーク宝飾品だ。その前で、レルゴさんとランディール卿が、
バーディー師匠と共に、仲良く並び立っている。そして、ランディール卿の4人の正妻が、後に続いていた。
レルゴさんがランディール卿を引っ張り出して来たに違いない。『この際だから、アンティーク物の鑑識眼と言うヤツも学習しておけ』というような、
レルゴさんの大声が聞こえて来ている。
ランディール卿の近くに控えている4人の正妻の中に、以前にも会って話した事のある、あの妖艶な美女・地妻クラウディアが居た。
レルゴさんの大声を面白がって、他の3人の正妻と共に、美しい笑い声を立てている。
バーディー師匠は、いつもの飄々とした様子で、ランディール卿の4人の正妻たちと言葉を交わしていた。
チラッと思ったけど――バーディー師匠が、もっぱら地妻クラウディアと話し合っているのは、アレは、もしかしたら、わたしの事を話題にしているのだろうか?
やがて、アシュリー師匠が、さりげない様子でバーディー師匠に近付き、声を掛け始めた。
こちら側に向いているバーディー師匠の背中が、一瞬、ピクリとする。バーディー師匠の鉢巻から延びた形になっている銀白色の冠羽が、
内心の動転を伝えるかのようにユラユラしていた。あ。わたしが地下牢でやらかした件を情報交換してるっぽい。
一方で――
アンティーク部門スペースの一角では、順調に『鑑定』が進んでいる様子だ。
金色マントのクマ族『風のフォルバ』が持ち込んで来た『豊穣の砂時計』を中心にして、ラミアさんとチェルシーさんが、盛んに相談を交わしている。
傍に控えていたフィリス先生が、『魔法の杖』で各所を触れているところだ。魔法的な意味での精査をしているらしい。
ヒルダさんが『魔法の杖』を光らせて、誰かを呼び出し始めた。
程なくして、アンティーク部門のスペースに、新しい人々が現れた。明らかに、ウルフ王国の役人たちだ。紺色ジャケットをまとった文官姿の一団の中に、知ってる人が居る。
財務部門に居ると言う、ジュストさん。ジリアンさんの夫でチェルシーさんの息子。
と言う事は、新しくやって来た役人の一団は、財務部門の人たちなんだ。
――どうやら、金色マントのクマ族『風のフォルバ』が持ち込んで来た『豊穣の砂時計』は、『本物』だったらしい。
現物の入手ルートの詳細な聞き取り調査と、買い取り交渉が始まるのだろう、と素人目にも分かる。
レオ族の商人レルゴさんと、その友人のレオ族の外交官ランディール卿も、気付いた様子だ。
レルゴさんとランディール卿が、金色マントのクマ族『風のフォルバ』と、『豊穣の砂時計』を、交互に眺め始めている。
わたしが余りにも、金茶色のモサモサ髪のクマ族『風のフォルバ』を注目している物だから、遂にジントが気付いて、場所を変えて来た。
ジントが紺色マントの下で、手をゴソゴソし始める。『手品師も驚くマジックの収納袋』を探ってるところだ。
「あの金ピカのクマ野郎が気になるんだったら、接近して確かめようぜ、姉貴。先手必勝だしさ。こっちには最高級の《隠蔽魔法》があるんだ」
そこへ、ラステルさんの素早い制止が入って来た。
「この会場には、上級魔法使いによる魔法の警備が掛かっているのよ。《隠蔽魔法》を発動するのは、ちょっと待ちなさい」
次第に、ラステルさんの眉根が、キュウッと寄せられて行く。
「……ルーリーが、何故、フォルバが気になったのか、分かったような気がするわよ。この私とした事が、迂闊だったわね。専門なのに」
ジントとメルちゃんが、同時にポカンとする。わたしも実際は、説明できないレベルでモヤモヤしてる状態だから、ポカンとするしか無い。
ラステルさんの視線の先で、金色マント姿のクマ族『風のフォルバ』が、ユサユサと上半身を揺らしながら動いていた。
喋り続けて喉が渇いたらしく、アンティーク部門スペースの最寄りにあるアーヴ水場に近寄っている。
「フォルバが左腕を失ったのは、何十年も前の話なの。あの姿勢の傾き……経験度が足りない。明らかに新しいわ。最近、左腕を失ったばかりという感じ」
――何ですと?!
「それに重量バランスが、おかしすぎる。フォルバが左腕に装着している義手は、もっと軽いタイプよ。
ヤツが左腕に何を装着しているのかは不明だけど、あれは義手にしては重すぎる。フォルバ本人じゃ無い可能性があるわ」
ターゲットが決まったと言う雰囲気だ。ジントとメルちゃんも、一斉に目をキラーンと光らせて来る。
ラステルさんは、白いネコ耳とネコ尾を、しきりにピクピクと動かしていた。脳みその中では、色々な対応方法が高速で検討されている所だろう。
「最高級の《隠蔽魔法》があると言うのは本当なの、少年?」
「おう。灰色の宝玉ってスタイルだけどさ、使いやすいの、なんのって。強い魔法発動だって隠蔽したんだぜ」
ラステルさんは白い髪をフワッとさせて、素早く振り返った。ジントの手の平の上で存在を主張している『灰色の宝玉』を認めるやいなや、
緑のネコ目の瞳孔が、一瞬、ビックリしたようにパッと広がる。
「これ、魚人の魔法職人(アルチザン)の製作ね。海の底には、時々、妙な《隠蔽》や《擬態》の魔法を発動する宝玉が埋まっているそうなんだけど、
こんなにステルス性能が良いのは、私も初めて見たわ。光学迷彩もセットされているみたいね。ほとんどの《探知魔法》をスリ抜けるわよ、コレ」
――わお。そうだったんだ。
そう言えば、魚人の《擬態》って、ほとんど芸術の域に達しているとか、何とか……
バーサーク化した男たちを引き連れて、『茜離宮』の奥まで侵入して襲撃をやらかしたシャンゼリンが、
何で上級魔法使いの《探知》の網に掛からなかったのか、今にして謎が解けたよ!
ラステルさんは、もう一度、アンティーク部門スペースで注目を集めている金色マントのクマ族を見やった。緑の目がキラキラと光っている。
「現物の買い取り交渉は、長引くものよ。このチャンスを逃す手は無いわ。《隠蔽魔法》を活用して、怪しい『風のフォルバ』の控え室を探りましょう。
控え室には、とんでもない秘密が埋まっている筈よ。海の底の宝玉のように」