深森の帝國§総目次 §物語ノ傍流 〉瑠璃花敷波16

―瑠璃花敷波―16

part.16「かく示された連鎖*1」

(1)朝の会話:選択と行動が分けたもの
(2)容疑者たちの証言のおさらい
(3)王妃の中庭:密室の答え
(4)再びの地下牢
(5)地下牢:前哨戦(前)
(6)地下牢:前哨戦(中)
(7)地下牢:前哨戦(後)

*****(1)朝の会話:選択と行動が分けたもの

翌日の今日は、『茜離宮』で国際社交パーティーが開催される。

様々な魔法道具の見本市にして展示会を兼ねたパーティー。この時期の、ウルフ王国の定例の催しとなっている。 集まって来るのは、主に、新しく開発されたり発見されたりした魔法道具と、魔法道具を扱うビジネス業者たちだ。

本質的には魔法道具の見本市だから、民間の会場で開催されるタイプの物になるんだけど、国家レベルに匹敵する公式行事とみなされている。 魔法道具の数量や威力の大小は、国家の威信にも関わる要素だから。

ゆえに、宮殿の大広間がパーティー会場になっていて、ウルフ国王夫妻が臨席すると言う訳。

危険な魔法道具を持ち込む場合は、安全のためルーリエ水に通すと言う作業が必要になる。 その時間ロスも含めて、真昼の刻から立食パーティーを兼ねてスタートと言う事になっている。

*****

朝から穏やかな陽気だ。爽やかな風が吹きわたっている。

ディーター先生の研究室の方で、ディーター先生やフィリス先生と共に朝食を頂いていると。

総合エントランスを通じて、メッセンジャーとして派遣されて来た『下級魔法使い資格』持ちの2人の隊士が、研究室のドアをノックして来たのだった。 2人の隊士は、重要書類と思しき2つの封筒を、ディーター先生に直接に手渡して来た。ビックリ。

ディーター先生は何食わぬ顔で、2つの書類受領書にテキパキと《魔法署名》を施し、テキパキと2人の隊士を送り出したのだった。

「1通は魔法部署からですね。こんな時間に……と言う事は、先方は徹夜したに違いありませんね」
「まぁ、ルーリーの《魔法署名》を分析すりゃあ、連中は間違いなく、そうなるわな。封を切ってくれ、フィリス」

わたしがポカンとしている内に、フィリス先生はテキパキと封を切り、中身を改めた。

「クラリッサ女史の持ち込んだ書類の添付《魔法署名》が、やはり魔法部署のチェックに引っ掛かりましたね。 シャンゼリンとの姉妹関係が《宿命図》表層レイヤーで証明されたうえに、 中間層レイヤーの中に半覚醒状態ながら《盾持ち》の相を含むと言う事で、上を下への騒動になったようです」

早くも朝食を食べ終えたジントが、「ケッ」と合いの手を入れて来る。

「コソ泥大作戦、後半戦かよ。あのヒゲ爺さん、コソ泥の帝王になれるぜ」

もう1つの封筒の内容は、ウルフ国王夫妻および、魔法部署のトレヴァー長官との会見に関する案内状だった。しかも、今回のパーティーの招待状付きだ。

要は、直接に会って、《宿命図》を直に分析して、本当に《盾の魔法陣》が含まれてるのかどうか、確かめるって事。 魔法部署の幹部を務める上級魔法使いがズラリと並び、国王夫妻を警護する親衛隊が、警備に立つらしい。ひえぇ。

挙動不審になったわたしを、ディーター先生は思案深げに眺めて来た。

「バーディー師匠やアシュリー師匠に、最初の頃のルーリーの《宿命図》を見せられた時、驚いたよ。 シャンゼリンの真の《宿命図》と、闘獣として拾われた時のルーリーの《宿命図》は、そっくりなんだ。 初期の各種の要素が、双子みたいに似ていた。立場が入れ替わっていたとしたら、生き方も入れ替わったのだろうかと思うくらいにな」

続いて、深い溜息。

「バーディー師匠が、『天球は劫初と終極の『界(カイ)』を『刻』として指し示すだけで、それをどう結ぶかは人次第だ』と言っていたが、まさにその通りだな」

ディーター先生は、いつもの思案のポーズになった。腕組みをし、片方の手で金茶色の無精ヒゲをコリコリとやりながら、ブツブツと語る。

――シャンゼリンには元々、正規の教育を受けていれば、フィリス先生と同じ中級魔法使い程度までは行けるくらいの要素があったんだそうだ。 そういう痕跡が残っていた。

貴種ウルフ族は、身体能力はもちろん、魔法能力においても、要素の発現に有利な条件が揃いやすい。貴種の父親を持ったシャンゼリンは、まさにそのケース。 でも、早くから高価な魔法道具に依存する余り、その可能性を潰す形になってしまった。その結果が、魔法使いとしての力量の無い《宿命図》。

一方、わたしは混血として生まれたので、魔法能力の要素そのものはあったんだけど、発現が抑えられてしまっている状態だった。

要素や条件そのものは、シャンゼリンとそっくりではあるものの――普通のウルフ族女性と比べても《宿命図》エーテル循環は半分程度に留まるし、 アンバランスだから、休眠状態の魔法要素が多い。

誰でもできる――混血もできる――初歩的な《水魔法》の発動のみに限られているという事実が、それを証している。

――あれ?

「……って事は、子供の時に《下級魔物シールド》が出来たという話……あれ、何故だったんですか?」

わたしは、思わず口を挟んでいた。あれ、確か『下級魔法使い』資格に関わる能力だよね。

「そうなんだよな」

ディーター先生は、不意に、愉快そうな笑みを返して来た。

「幼児は《宿命図》状態が不安定でな、たまに『まぐれ当たり』をやらかすんだ。 それは元々、単なる偶然に過ぎなかった。《盾の魔法陣》は、その偶然の先にある、おぼろな可能性に過ぎなかった。 ルーリーは混血に生まれた事もあって、体調がなかなか安定しなかったそうだな」

――うん。確かに、そう言う話を聞いてる。わたし、平均より少し遅れていたみたいだし。

「安定が遅れていた分、『まぐれ当たり』が多かっただろうと推測する事は出来る。 その後は――限界まで体当たりを繰り返して、可能性を現実に変えて行ったのは、ルーリー自身じゃないかね」

――そ、そうだったっけ? 記憶が無いから、何とも言えないけど。

「成長と共に、新たな環境に適応しようとして、《宿命図》は少しずつ様相を変え、新たな星系を結んで行く事が知られている。 そうして出来るのが、いわゆる『半覚醒状態の星系』でな。……天然の《盾の魔法陣》の星系を、正確に結んでのけたんだから、大したものだ」

ディーター先生は『フーッ』と息をついた後、腕組みを解いて、くつろいだ格好になった。

「いずれにせよ、《宿命図》の中に《盾持ち》の相を含みながら、魔法使いでも何でもない一般人の如く、 日常魔法のほとんどが――自衛用の《水砲》魔法すら――不発と言うのは、身の安全の上では大いなる不利だ。その、やたらとスッポ抜けた脳みそも含めてな」

脇で、ジントが訳知り顔をしてコクコク頷いている気配がある。むむッ。

ディーター先生は、そんなジントにチラリと目をやると――2人の男同士で何やら通じ合っているかのような、イタズラっぽい笑みを交わした。 フィリス先生は、クルリとウルフ耳を回して、やれやれと言わんばかりの苦笑いを浮かべている。

――え、確かに幼児退行で色々おバカになってると思うけど、わたしの脳みそ、そんなにスッポ抜けてる?

ディーター先生は、謎めいたウインクをして来た。公式行事仕様なのか、珍しくキチンと刈り込まれた無精ヒゲ――に彩られている口元には、 まだイタズラっぽい笑みの形が浮かんでいる。

「病棟を出るにあたっても、ルーリーは未成年だからな、身元保証を務める保護者は慎重に選ぶ必要があった。 グイード殿とチェルシー殿という選択もあったし、彼らは喜んで務めてくれただろうが、しかるべき権謀術数の能力が無い。 リクハルド閣下は相当に屈折した人物だから、こちらも、まぁそれなりに気を揉みはしたんだが。案外、いい結果になってホッとしたよ」

そういうディーター先生の眼差しは、別のデスクの上に置かれていたアンティーク物のサークレット『紫花冠(アマランス)』の上にあったのだった。

――選択と行動の結果もまた、《宿命図》の様相を変えて行くのだ。《アルス・マグナ》という現象は、決して限定されている物では無い。 それは、人ひとりの生き様を、そのまま反映している――

バースト事故に伴う《アルス・マグナ》を通じて変容した後の、わたしの《宿命図》表層レイヤーには、大きな空隙が出来ている。 全面的な記憶喪失に伴う物で、それに伴って、表層レイヤーの星々の配置も、少し変化している。

偶然なんだけど、その表層レイヤーの星々の新しい配置パターンは、リクハルド閣下の亡き奥方が、その《宿命図》に持っていた配置パターンと、特徴が似ているんだそうだ。

わたしの実の母『風のキーラ』が、外見的には良く似ていたと言う事が要因のひとつ。 そして、実の父だったイヌ族『風のパピヨン(パピィ)』から引き継いだ分が、柔軟性に富んでいた事が寄与しているらしいんだけど、不思議な話だと思う。

*****(2)容疑者たちの証言のおさらい

ディーター先生とフィリス先生は、早めに『茜離宮』に向かった。

魔法使いとして、宮殿に運び込まれてくる大量の魔法道具が、きちんと安定しているかどうか、チェックしなければならないそうだ。 これは、宮殿に勤める上級魔法使いと中級魔法使いが全員で担当する。下級魔法使いも、ほとんどが駆り出される。大変だね。

わたしは、今度は宮廷にお呼ばれする形になってしまったから、再びグリーンのワンピース姿だ。 そして、レース製のミントグリーン色のボレロを羽織った。剣技武闘会の際の事故でも無事だった品だ。

ジントは、デスクに置かれていたサークレット『紫花冠(アマランス)』を少し眺めた後、 不意に何かを思いついたと言った様子で、『手品師も驚くマジックの収納袋』を魔法のようにヒョイと取り出した。

その拍子に――

まだ取り扱いに慣れていなかったのか、訓練隊士の紺色マントの端の部分が、デスクの上にゴチャゴチャとあった他の品々を振り落としてしまったのだった。

――ディーター先生、何故か整理整頓が苦手なんだよね。スーパー秘書さんなフィリス先生が居なかったら、この研究室は、訳が分からない事になっていたと思う。

「げ、しまった!」

ドスン、ボスン、ゴスンゴスン、ガタ、ガタン。

2つばかりの黒い球体細工が、床の上をゴロゴロ転がって行く。

わたしは、床の上を転がって行く2つの黒いボールみたいな球体細工を、同時にキャッチした。キレイにキャッチが決まった。

――まんざらでも無い気持ち。

イヌ科はボール遊びを好むというけど、何か納得だ。

ジントが恐る恐る、と言った様子で、のぞき込んでくる。

「これ『3次元・記録球』だよな。しょっちゅうデータが壊れるんだけどさ。壊れてねーかな」

――さあ? 記録再生してみないと分からないね。

ディーター先生がやっていたみたいに、わたしの『魔法の杖』をかざして、エーテル流束を流してみる。キッチリ組み立てられていた魔法道具は、ちゃんと応えた。

黒い球体は、ちょっと浮き上がったと思うか、《土星(クロノス)》のような輪っかをポンと出してスピンを始めた。 全体がミラーボールみたいに、あらゆる色合いにきらめく。

結論から言えば、想像以上にデータが壊れていた。オカルトでミステリーなうえに、繊細な魔法道具だったみたい。 ディーター先生は、いつものズボラで、『3次元・記録球』を保護ケースの中に収めておくのを失念してたんだろう。

ひとつめの『3次元・記録球』は、リクハルド閣下の記録映像だった。シャンゼリンについて問われて、色々告白しているところ。 乱雑な白飛びのラインが砂嵐みたいに入ったり、たびたび、音声が「ザーッ」となったりする。

幸い、これはコピー記録の方の『3次元・記録球』だ。元々のデータは何処か他のところ――衛兵部署の記録庫とかに入ってて無事だと思うけど。

シャンゼリンが『紫花冠(アマランス)』を持ってリクハルド閣下の元にやって来たという部分と、 貴族令嬢として宮廷に乗り込もうとしたという部分、そして、宮廷に上がって間もなく金が尽きて、方々で恐喝などをやっていたらしいという部分は、何とか残っていた。

そして、告白の最終部分も残っていた。

『あれは、マーロウ裁判の真っ最中の事だったか。シャンゼリンから連絡があった。我が亡き妻の一族の出身として、『金狼種・風のシンシア』という貴族令嬢の存在を、 捏造しておいてくれと言う内容だ。最初は理由が分からなかったのだが、『茜姫のサークレット』を手に入れたと聞いて、大いに納得がいった』

――あ、そうだ。シャンゼリン、『茜姫のサークレット』を頭部にハメた状態で死んでたんだよね。

ジントも目をパチクリさせている。灰褐色のウルフ尾がピコピコ動き始めた。

「城下町の中古アクセサリー買取店で、店長のオッサンがちょっと言ってたな、『茜姫のサークレット』。《識別》魔法の無い宝飾品で、 最近、王宮のアンティーク部門に寄贈された国宝級のアクセサリーとか何とか。 コソ泥の同業者が色めき立ってたぜ。《識別》魔法が無いなら、スパイ変装とか、偽装工作もしやすいしさ」

続いて、ジントは手に持っていた『紫花冠(アマランス)』に目をやった。

「これも『茜姫』シリーズのもんだぜ。ただし、『紫花冠(アマランス)』って言う《正式名》が付いてるし、《識別》魔法でロックされてるから、 アンティーク物の盗品コレクションとしては最高級品なんだけど、スパイとか忍者とか、秘密工作員のための魔法道具としての価値は、落ちる」

へー。そうなの? 知らなかったよ。

ジントは、手品師さながらに『紫花冠(アマランス)』をひねり回した。

すると、あら驚き、『紫花冠(アマランス)』は、文字通り『茜色』に光りつつ、ブレスレットみたいな小さなサイズに縮小してしまった。ええッ!

「全体に透かし彫りが入ってて、スッカスカなくせに、壊れてねぇ。持ち運びに堪える。さすが国宝級ってとこか」

――な、成る程。さすが魔法道具。小さくして持ち運べるんだ。

キーラやシャンゼリンが、そしてリクハルド閣下もが、どうやって『紫花冠(アマランス)』のサークレットを持ち運びしてたのか、今にして理解できたよ!

ジントは、再び『紫花冠(アマランス)』を元の大きさに戻すと、わたしの頭に、『カポン』とハメて来た。

「偶然だけど、こいつは、シャンゼリンの頭にハマらなかったんじゃねーか。サイズ違いでさ。 だから、シャンゼリンは《識別》魔法加工無しの『茜姫のサークレット』を手に入れて、『紫花冠(アマランス)』に似せておいて、 高位の貴族令嬢『金狼種・風のシンシア』として、満を持して宮廷に乗り込むつもりだったんだろうぜ」

――成る程ねぇ。

貴種ウルフ族の血を引く淑女を装うには、とってもお役立ちな代物(アイテム)って言ってたけど、そういう事なのか。驚きだ。 そりゃ、闇オークションでは、とんでもない高値が付くだろう。

以前の、ラウンジの夕食会での話し合いで、『王宮関係者でも何でもない人物には聞かせられない、問題のあるアンティーク魔法道具』という言及があったのも、納得だ。 そんな物、情報を小耳に挟んだだけでも、厄介ごとに巻き込まれそうだ。

――もうひとつの『3次元・記録球』が残っている。ジントが興味津々な顔をしながら、『魔法の杖』をかざした。

前に盗み見した覚えのある、イヌ族の脱走犯の自白のシーンが立ち上がる。

「ウヒョオ! あのイヌ族の男じゃねぇか! 鬼婆がムチで追い立ててた……」

そこで、急に画像が飛んだ。

こっちの『3次元・記録球』の方が、データ損失の被害が大きかったようだ。

イヌ族の脱走犯こと『水のニコロ』の独白シーンは、ほとんど吹っ飛んでいて、 いきなり、『水のニコロ』を含む6人の容疑者たち全員が陰気な顔をして自嘲し合っている場面が始まった。画質も少し悪く、度々ノイズが入っている。

『シャンゼリンは、闘獣を扱った経験があったらしい。如何にも『深窓の令嬢』ってな顔をしておいて、 バーサーク化したオラたちをムチで追い立てるのは、プロ並みに上手かったぜ……』

――外苑の緑地の一角に、こんもりとした樹林が並び、身を隠すのに適当なスペースがある。そこは、更に城下町への逃走経路も備えていた。 いつものように、その逃走経路を使って、行方をくらます事が出来た筈だった――

再び、ノイズが入った。『斥候』や『返り討ち』という音声のみがポロリと出た後、『不法投棄』という音声が流れた。

「不法投棄?」

さすがにジントも、いきなり話が飛んだ事で、ポカンとしたようだ。

「え、えっと、この証言データ、確か3つのパートで出来てて。最後のパートは、アルセーニア姫の暗殺の事だったような……」
「ウッヒョオ!」

次の瞬間、音声付きの画像が復活した。6人の容疑者たちによる、あの不気味な枯れ池での会話の説明が始まった。

――シャンゼリンは、『報酬が足りないよ、報酬が!』と言い返した。 そしたらな、フード姿の大男がな、『欲深な女だな! 最高級の隠蔽魔法の宝玉細工じゃ足りないってんなら……』とか何とか――

――フード男は、物騒に唸った。そして、こう言った。『俺は、これから王族との大型取引を控えていて忙しくなる。貴様にやれるものは無い。 報酬は、闇ギルドの女らしく、他からむしり取りゃあ良いじゃ無いか。 あの小麦色のお高くとまったウルフ貴公子のヤロウ、 アンティーク宝飾品を取り放題だったぜ。今度『茜姫のサークレット』とやらを売りに出すとか言ってたぞ』――

――シャンゼリンは、闇ギルドの女らしく高笑いをした。声だけは、まさに水晶の鈴を鳴らすような美声でな、『アーッハハハハ』とな。 『茜姫のサークレットは、あたしの物だよ!』と言って――

そこで、『3次元・記録球』は、ブツッと回転を止めたのだった。

ジントは目を細めて、百面相をしていた。灰褐色のウルフ耳が、高速でピコピコしている。

「不法投棄って、何を不法投棄したってんだ? まぁ『最高級の隠蔽魔法の宝玉細工』っていう方は、今オレが持ってる灰色のヤツの事なんだろうけど……」
「あの枯れ池に、モンスター毒の濃縮エキスを封入する大型容器を3つ、不法投棄したって話だったから……」

――そう。確か、こんな風だった。

アルセーニア姫が暗殺された当日の夜。

夜の闇に紛れて、容疑者たち全員で、『モンスター毒の濃縮エキス』用の大型容器3本を運んだ。

その容器は、恐るべきことに、全て空だった。 いったい何に使ったのか、使用前の容器を運んで来た筈の初期の運搬担当者たちはどうなったのか――は、 聞くのも恐ろしいから、聞いていない……

不意に――

ミステリーのジグソーパズルが組み合わさった。雷撃のような直感。

身体全身が総毛立つ。

――その、大型容器の、アルセーニア姫の殺害現場への運搬ルートは……

あの秘密の……地下通路だった?!

「ジ……ジントッ!」
「ウヒョオッ?!」

ジントが灰褐色のウルフ尾を『ビョン!』とさせて後ずさったけど――

今、ジントを逃がす訳には行かない。

ガッツリとジントの紺色マントを捕獲し、グイグイ引き寄せる。勿論、大声を上げる訳には行かないから、ジントの灰褐色のウルフ耳に、ささやき声を詰め込む形になる。

「ジントの、ルル・ママが知ってたと言う秘密の地下通路、他にもあったんじゃ無いの?! ジントがシャンゼリンを待ち構えてた秘密の逃走経路とか、 噴水から出る出口――アルセーニア姫が死んでた『王妃の中庭』の、噴水への抜け道ルートも、有るとか無いとか……!」

しばらくの間、ジントの反応は奇妙だった。勘の良いコソ泥なジント、すぐにピコーンと反応して来る筈……

ジントは、目と口をパカッと開けたまま、固まっていたのだった。

――えーと。生きてるよね? 失神してるとか、無いよね? 失神してるなら、往復ビンタをしてでも……

「往復ビンタ、やめれ」

ジントは口を引きつらせて、両手をジタバタさせた。……あれ。ウルフ尾が丸まって……

パッと手を離すと、ジントはゼェゼェ言いながら床の上に座り込んだ。次いで『降参』とでも言うかのようにバッタリと横になって、脇腹を見せて来たのだった。

――あれ? そんなに脅してるつもりは無かったんだけど……

「オレ、クレドに本気で殺されそう」

――何で?

「気付いてねぇのかよ、姉貴。声、戻ってるんだぜ。あのシャンゼリンの妹ってんだから納得だけどさ、声質が、はあぁ……」

え。声帯の強張りと変形が……そう言えば、風邪を引いた時みたいな違和感は無くなっているけど……でも、自分で聞く限りでは、普通の声だと思うけど。 それが何で、クレドさんの殺意と、つながるの?

「オレが最初に姉貴の声を耳に詰め込んだって事実は、クレドには絶対バラすなよ。ふひー。 リクハルドのオッサンが『水晶の鈴を鳴らすような』って言ってたけど。姉貴、シャンゼリンより余程、声質が上だぜ」

ジントは少しの間、灰褐色の毛髪をシャカシャカとかき回した後、気を取り直した様子で『ムクリ』と起き上がり、灰褐色のウルフ耳をピコピコ動かした。

「……そう言えば……古代は王族の脱出路だったらしいな。あのルート。大の男でも通れるし、あそこだけ、古代ウルフ王国の紋章が続いてんだよ。 道標って感じで。コソ泥の経験や技術が無くても、逃走経路がパッと分かる。パッと分かるから、バレたら、追跡もされちまう。コソ泥には不向きなルートだけど……」

ブツブツと呟いた後、ジントは、急に、ディーター先生の研究室の隅に目を走らせた。そこには、魔法の砂時計が設置されている。

「確かめるんだったら、今しかねぇ。オレがシャンゼリンを待ち構えてた所で、巡回の衛兵が居なくなるタイミングだ」

ジントは素早く灰褐色の『狼体』へと変身した。灰褐色の子狼が、その場に出現する。

(こっちの方が早いんだよ。急げ!)

――ていッ!

あっと言う間に視点が半分の高さになる。手足は、ちゃんと『狼体』バージョンだ。よし。

(あれ。へぇー。『紫花冠(アマランス)』、こうやって額に張り付くんか。ま、いいや……行くぜ!)

――かくして、『狼体』なジントとわたしは『茜離宮』の外苑に飛び出したのだった。

*****

狼の足、速い! すごく速い!

本当は感激している場合では無いんだけど。

丘陵地帯となっている『茜離宮』外苑――まぶしいばかりの緑地が広がるエリアだ。野を越え、散在する樹林を抜け、四つ足で全速力で駆け抜けるって、すごく気持ちいいのだ。

ジントは人目に付かない経路を熟知していて、道案内も上手い。ザッカーさんの部隊の追跡を振り切ってのけたというのも納得の、経路の選択だ。

今日は『茜離宮』で国王夫妻が臨席する社交パーティーが開催されている事になっているから、紺色マント姿の衛兵がゾロゾロ居るんだけど、ほとんど、ぶつからない。

たまに、脇道でスタンバイ中の魔法道具の運搬業者たちが、暇つぶしに「オッ?」と目を向けてくる程度だ。

でも、さすがに『茜離宮』に接近するにつれ、衛兵の密度が増して来る。やたらと動体視力の良いウルフ族の衛兵が気付いて、バッと視線を向けて来るようになって来た。

「さっきの2匹目の『狼体』、何処かの名門か? 何か宝石っぽいの額に張り付けてたぞ」
「俺は見なかったなぁ?」

やがて、こんもりした樹林が見えて来た。子狼ジントがヒョイと身を躍らせて、植込みに飛び込む。わたしも駆け込んだ。 勝手が分からないので、植え込みの隙間に『狼体』を『ズボッ』と突っ込ませる形になったけれど。

――ブルルルン。全身に張り付いた葉っぱの欠片を振り落とす。

辺りを見回すと――そこは、植込みと樹林にグルリと囲まれた噴水広場になっていた。大きくも無く小さくも無いから、中型の噴水広場ってところ。 広場からは3つの通路が伸びていて、そのうち1つの通路の上には、大きな樹木が枝を張り渡している。

子狼ジントが、灰褐色のウルフ尾をフルフルと振って、その樹枝を見上げた。

(オレ、あの枝の上から鬼婆に飛び掛かって、《隠蔽魔法》の魔法道具をかっぱらったんだよ。鬼婆は向こうの、『茜離宮』の方からやって来てたのさ。 バーサーク化イヌ族とバーサーク化ウルフ族をムチで追い立てながら)

成る程、この通路は樹林と石垣の間でジグザグに折れているようだけど、確かに『茜離宮』の方を目指しているようだ。でも良く見ると、正面方向じゃ無いような。

(裏口だぜ、当たり前だろ。今は『炭酸スイカ』の実を集めて置いとく場所になってんな。で、此処のアーヴ噴水は三番水だから、この間の一番水のルーリエ噴水よりは入りやすいぜ)

ジントは噴水をクルリと一回りして、ウルフ尾を『ヒュン』と振った。一瞬、『魔法の杖』から発生したと思しき白いエーテル光が、『ピカッ』と光る。

――ガコン。ゴゴゴ。

この音、地下から来てるよね? 思わずウルフ耳を『ピコッ』と立ててしまう。

目の前の噴水の水が止まったと思うや、噴水プールの底で、驚くくらい大きな排水口が『パカッ』と開いた。

(自動なの、これ?)
(三番水の噴水ともなると、技術が新しいからな。管理しやすいように機械仕掛けになってんだけど、侵入もしやすいって事さ。 これ作ったの、密輸に手を染めてた汚職役人に違えねぇって、母さん、笑ってたぜ)

子狼ジントが、おかしそうに尻尾をヒョコヒョコと跳ねさせる。

そうしているうちにも、噴水プールの水が全て抜けた。

子狼ジントが、噴水プールの底に身軽に飛び降りる。わたしも続く。

噴水プールの底にポッカリと開いた、排水口から飛び降りると――そこは既に、地下水路だった。

*****(3)王妃の中庭:密室の答え

地下水路は、やはり闇に包まれていた。

早速、子狼ジントが、夜間照明を発動する。

ヘボなわたしは、ほとんどの日常魔法が出来ない――夜間照明の魔法も出来ないんだよね。ちょっと情けなくなる。

ジントも混血ウルフ族なんだけど、偶然、男の子に生まれたと言う事があって、普通のウルフ族と同じくらい多くの日常魔法が発動できているようだ。

――汚職役人が無理矢理に割り込ませた工事と言うのが良く分かる、狭いスペースだ。

元々あった地下の下水道に、新しい噴水から伸びて来ている下水道がめり込みつつ、連結している。 この工事を発注した人も発注した人だけど、やり遂げた人も、やり遂げた人だ。お互い、黒いものを腹に抱えつつ、癒着していたんだろう。

(こっちの下水道は随分と古いね?)
(古代の物だから当然さ。『茜離宮』から、外苑のゲートの外を流れる運河の出口まで、つながってる。あっちの壁に見えるのが、古代ウルフ王国の紋章だよ)

ジントが運んでいる夜間照明の光が蛍火みたいに漂って、少し先の壁を照らした。古いタイプの紋章が、レリーフ様式で彫刻されている。 創建時は、金と黒で彩られていたのだろう。今は黄褐色と黒褐色の組み合わせだけど。

創建時の下水道で構成された地下通路は、意外に規模があった。大の男でも、背を屈めずに行き来できる。

――そして。

あのモンスター毒の濃縮エキスを封入した大型容器も、余裕で転がして行ける幅になっている……

子狼ジントが、通路のあちこちに鼻を近付けながら、全身の毛を逆立てていた。

(ほんの微かだけど、誰かの匂いが残ってるぜ。数日おきに行き来してるらしい)

――ふむ?

わたしも路面に鼻を近付けてみた。うーむ。大の男の歩幅ごとに、痕跡が残ってるようだ。既視感のある匂いだなあ。 知り合いの人っぽいけど、思い出せない。クレドさんの匂いじゃ無いのは確かだけど……

(何てこったい。『茜離宮』まで一直線だぜ)

相変わらず『狼体』なジントとわたしは四つ足を速め、速足で、古びた地下水路を進んで行った。夜間照明の光が蛍火のように浮かびつつ、先導している。

一定ペースごとに、壁には、古代ウルフ王国のレリーフ紋章が続いていた。 分岐路を幾つか経過して行ったけど、道標のように続くレリーフ紋章のルートに沿って、既視感のある誰かの匂いも続いている。

――だんだん不吉な予感がして来るけど、これは、きっと、突き止めてやらないと。

次の角で、地下水路は、いきなり多数の分岐に分かれた。水を多く使っている時間帯なのか、幾つかの下水道はゴウゴウと水音を立てている。

(真昼の刻だからな。立食パーティーが始まってんだ。皿洗いとかキッチンとか、大車輪だぜ)

ジントは暫し足を止め、方向を見定めようとするかのようにキョロキョロし始めた。

(この通路は使った事が無いから、見当が付かないんだよなぁ。あの水量の多いのは洗い場の下水道なんだろうけど)

わたしは、目星をつけた幾つかの水路に、順番に目を通して行った。自分でも、何を探そうとしてるのかは分からないんだけど……

――あれ?

中央辺りの水路のひとつ。新しくも古くも無い工事スタイル。幅が広い割に、流水量は一定だ。 テテテッと近づいてみる。子狼ジントが夜間照明を浮かべながら、後をついて来た。

夜間照明の光がチラリと揺らめいた拍子に、何かがチラリと光った。 流水量一定な溝の端に張り付いた、水色っぽい何かが、光を反射して虹色にきらめいている。ジントが首を伸ばして、傾げて来た。

(貝殻みてぇだな)

わたしは、慎重に『狼の手』を伸ばし、水色をした、丸っこくて薄くて小さな何かを掬い取った。貝殻みたいだけど貝殻じゃ無い。むしろ……

(あ、ハイドランジア花の、花びら……)
(ハイドランジア種?)

不意に――ピコーンと、記憶が閃いた。

――『王妃の中庭』には、ハイドランジア花があった! 淡い水色の、ポッテリとした鞠状の集団花! 全身がサンゴで宝玉な、水中花!

(ジント、この水路が正解だと思う。上流に行くよ!)

*****

読みは当たった。まだ信じられないけど。

目星をつけた流水量一定な下水道は、一定の幅でもって上流へと延びていた。そして、終着点は、噴水広場の地下に共通の構造を持つスペースとなっていた。

ジントが感心したように、大振りな構造をしげしげと眺めている。

(でけぇな。大型の噴水広場の物だぜ、これ。平らな所で二番水に充分な水圧を加えるのは難しいんだけどよ、大型噴水に必要な水圧を用意してあるぜ。 かなり高い所まで、大量の水を押し上げてるのは確かだ)

わたしとジントは、暫くの間、上水道と下水道のセットの周りをグルグル回った。上水道の方は、強い水圧を加えるためだろう、不安を覚えるくらいの段差に、細い幅だ。

ウルフ耳を近付けて耳を澄ましてみると、水が勢いよくゴーゴーと流れていくのが、良く分かる。

それに引き換え下水道の方は、大の男でも通れる程度の幅がある。 その代わり、噴水プールの水量を一定に保つためだろう、二重底になっていて、排水量を細かく調整できるようになっている。

子狼ジントが、灰褐色のウルフ耳をピコピコさせながらも、身体全身に白いエーテル光をまとい始めた。《変身魔法》だ。

(下水道側から噴水プールに出た方が安全だぜ。普通は下水道は、下手すると押し流されちゃうから使わないんだけどさ、 これだけ幅がありゃ、『人体』でも――と言うか、『人体』の方が安全に出られる)

わたしも『人体』に戻った。ふぅ。

早速、ジントが下水道の調整弁にジャンプして取り付き、二重底を調整する。最大排水量だ。あっと言う間に、噴水プールの水が抜けたみたいだ。 次に上水道の調整弁を閉める。地上から聞こえて来る流水音が、次第に小さくなっていった。

ジントが「アッ」と声を上げた。調整弁の辺りで、ゴソゴソとやる。

「何だ、これ? 何で、こんな所に『3次元・記録球』がセットされてんだ?」

見てみると、ジントの手に、あの見覚えのある黒い球体細工が乗っていた。 保管ケースに入ってるけど、大きさと言い雰囲気と言い、『3次元・記録球』だ。ホントだね。何故、こんな所に?

「まぁいいや、とっとこう」

ジントは、いつものコソ泥の習慣を発揮したみたいだ。

何処かに持っているのだろう『手品師も驚くマジックの収納袋』に、『3次元・記録球』を収納したみたい。 さすが『手品師も驚く』という口上が付くだけあって、何処に袋を持っているのか、何処に仕舞ったのかも、良く分からない。

最大排水量になるまでに調整された二重底、そこに開いた排水口は、ビックリするくらい広がっていた。

ジントは『魔法の杖』を排水口の出口まで届くハシゴに変形し、スルスルと登って行く。わたしもハシゴを登って行った。

――排水口とは思えないくらい、幅がある。これだけのスペースの余裕があれば……

そう、大型の武器だって、スムーズに持ち込める筈だ。例えば――

――対モンスター増強型ボウガン、とか……!

一気に、全身に鳥肌が立つのを感じる。

そう、犯人は、此処から武器を持ち込んで、アルセーニア姫を暗殺したのだ! 何て簡単なカラクリ!

――その時、アルセーニア姫は、モンスター毒の濃縮エキスが含まれたオルテンシア花の花蜜を摂取したばかりで、意識が朦朧としているところだったのでは無かったか。 目の前で、噴水の水が止まったという異常な現象が起きても、気付かないくらいに――

噴水プールへの到着は、あっと言う間だった。

小柄な体格のジントとわたしでさえ、あっと言う間だったのだから、恐らくは大の男だっただろう『アルセーニア姫の殺害犯』にとっては、一層、あっと言う間だったに違いない。

スッカリ水が無くなった、噴水プールに出てみると。

周りには――以前、見た事のある『王妃の中庭』の光景が広がっていた。

呆然となるような広さの、真昼の陽光の降り注ぐ中庭(パティオ)。一面の緑の芝草。中庭の縁を巡るのは、可憐な花々の咲く花壇。 花壇の高さは、くるぶし丈程度だ。噴水プールの仕切りの傍には優雅なカフェテーブルのセット。

駆けっこ大会だって開けそうな広いスペースは、ぐるりと、華麗な彫刻を施されたアーチ列柱に取り巻かれている。

「姉貴、足元に気を付けろよ。ハイドランジアの株が、あっちこっちにある。1本でも枝を折ったら、オレだって首が飛びそうだよ」

ジントが、ハシゴに変形していた『魔法の杖』を回収しながらも、声を掛けて来た。

――そ、そうだね。

緑のワンピースのスカートをサッとたくし上げて、全身が宝玉なハイドランジアの株を、やり過ごす。

その後、シッカリ踏み切ってジャンプし、噴水プールの仕切りに足を掛け――跳び越える。ウルフ族ならではのジャンプ力があって良かったよ。

――大人の男の足だったら、ヒョイと、ひとまたぎに違いないけれど。

すぐに、ジントも『シュタッ』と噴水プールの仕切りを跳び越えて来た。

「上水道の水が復活するのは、あのルーリエ噴水より遅いタイミングだと思うぜ。それまでに、あのハイドランジアの枝、 干からびて『フニャフニャ』にならなきゃ良いけど」

――いわく深窓の令嬢さながらの水中花、ハイドランジア種……! 確かフィリス先生は、『一刻から二刻が限度』って言ってた!

見ると、ハイドランジア株は――剪定済みだった。

あの時に見た、水面に近い部分に多かった、フニャフニャな枝は無くなっている。

――最近、噴水の水位が下がっていたようだ――という、あの時の直感。

それは、間違いじゃ無かった。原因が、自然な物じゃ無くて、作為的な物だった、と言うだけで。

そう言えば……ハイドランジア種にとって最適な水位を常に確認し維持するため、この『王妃の中庭』には、中級侍女たちによる定時巡回があるとか――

――それは、突然だった。

10数人の剣呑な足音が、『王妃の中庭』に入って来た!

「曲者ッ! 手を上げろ!」
「ウッヒョオオ!」

瞬時に、足元で《拘束魔法陣》が立ち上がった。黒いエーテル光で出来た檻が、目の前に出現した。その素早さと来たら、ジントでさえ対応できない程だった。

2人で揃って、腰を抜かして座り込むと。

戦士そのもののキビキビとした足取りで、紺色マントをまとった見張りの衛兵たち――ウルフ族のベテランの上級隊士たちが、各々の手に長剣を構えつつ、取り囲んで来たのだった。

*****(4)再びの地下牢

わたしとジントは、問答無用で地下牢に放り込まれた。尋問、いや、拷問のためだ。

即刻、地下牢に放り込まれても当然な状況だったんだよね。

ウルフ王国の第一王女アルセーニア姫の殺害現場。『茜離宮』の中でも、最も警備の厳しい『王妃の中庭』。

アルセーニア姫の暗殺を遂行した真犯人の、『王妃の中庭』への侵入手段が、衛兵たちに伝わったのは良しとしても。

このままでは、わたしたちが真犯人って事になってしまう。

おまけに、これから確定する見込みのある余罪が、全身がサンゴで宝玉な水中花、真珠をも産出するハイドランジア株の窃盗。高価値のブツだけに、重罪だ。

「全部、誤解だぁーッ! 最初から話を聞けーッ!」

ジントがジタバタして抵抗していたんだけど。

よりによって、わたしたちを身柄拘束した隊士たちのリーダーが、ジントいわく『最も当たりたくねぇ凶悪な上級隊士』こと『地のドワイト』だった。 国王の親衛隊を務めるメンバーだそうだ。ひえぇ。

今回、わたしは、最初から『女の子』だと言う事が明らかだったせいか、前回のような扱いは無かった。ゴツゴツの床に、『べしッ』と叩き付けられたりするような事は。

――ただし、『紫花冠(アマランス)』と『手品師の変装、黒ウルフ耳キャップ付き三角巾』を装着しているという、摩訶不思議な頭部については、物凄く怪しまれてしまった。

アンティーク宝飾品『紫花冠(アマランス)』の窃盗も、誤解バージョンの余罪に加わりそうな気配。

地のドワイトさんをはじめとする隊士たちに、『手品師の変装、黒ウルフ耳キャップ付き三角巾』を散々チェックされた。 元々は仮装パーティーの余興のための小道具らしいんだけど、トリック的な《変装》機能付きだから、限りなく『クロに近いグレー』なのかも知れない。 胡乱な目つきで、『茜メッシュ』もジロジロと確認されてしまう。

「今日は、我々は国王夫妻ご臨席の、魔法道具業界の社交パーティー警備で多忙なのだ。すべての言い訳は、明日になってから聞く。 すぐに尋問および拷問がスタートしないのを、今は感謝すべきだな」

背筋の凍るようなセリフを言い残して、やけに四角四面な『地のドワイト』は、10数人の部下たちを引き連れて、地上へと消えて行ってしまったのだった。

鉄格子の扉が閉まる、『ガシャーン』という音が、いつまでも陰々と響き渡っている。

――周りを見回してみると、やはり見覚えのあるスペースだ。

大の男に合わせてあって天井が高く、端には、明かり取り用のスリットが開いている。

首には、拘束用の重い首輪。重く頑丈な鎖が連結されていて、その鎖は、ゴツゴツの床と壁を持つ地下牢の中、一定間隔を置いて立つ鉄柱に固定されている。

ジントは、少しの間ウロウロと左右していた。そのうち、「ケッ」と言いながら諦めたように座り込んだのだった。 そのまま、片立て膝に肘(ひじ)をつく格好になり、プウッとむくれながらも思案に沈み始める。

わたしは勿論、地下牢に連れ込まれた段階で、地下牢の階段のとんでもない段差を目に入れ、高所トラウマを発動した。 以来、『ピシッ』と固まったまま、首輪につながれるのを受け入れ、大人しく突っ伏してヘタレていたのだった。きゅう。

――程なくして。

「おい、そこのチビ、あの時のコソ泥じゃねぇか。遂に捕まっちまったんだな、ゲヘヘ」

向かい側にある牢から、くたびれたようなオッサンの声が響いて来た。おや?

ジントが、弾かれたように顔を上げる。

「ウッヒョオオ! てめーら、あの時のバーサーク化してた、犬男と狼男、6人のオッサンじゃねーか!」
「こんな所で再会するとはよぉ、俺ら、よっぽど縁があるんだなぁ!」

何と、向かい側の牢には、今なお拘束中の、ヴァイロス殿下の暗殺未遂事件で暴れ回った暗殺者たち、 すなわち6人の容疑者たちが、全員、鎖付きの首輪につながれて居たのだった!

そして。

「ヒョオオ! ウルフ女じゃねーか! おお! 愛しのルーリーじゃんか!」
「ウルフ女だと! 未婚の乙女か! ヒョオ、あん時の三角巾じゃねーか!」

更に隣の牢には、ナンチャッテ・モンスター暴走の件でお仕置き中だったのだろう、イヌ族の『火のチャンス』さんと『火のサミュエル』さんが、 やはり同じように鎖付きの首輪につながれて居たのだった!

地下牢の中は、ワンワン、キャンキャンと、一気に賑やかになった。

*****

まだクラクラするような気のする頭を、やっと持ち上げる。う。首輪が重い。

「やっとこさ、高所トラウマ発動、収まったかよ? 姉貴」

――まぁ、何とかね……

「オレさぁ、さっきの『王妃の中庭』の噴水の件、考えてたんだけどよ」

ジントが腕組みポーズをしながら、喋り出した。

地下牢の面々も、わたしたちが『王妃の中庭』で運悪く捕まった件を聞き知った後とあって、興味深そうに各々の『耳』をピコッと傾けて来ている。

「アルセーニア姫を暗殺したっていう真犯人、オレたちみたいに噴水の下水道の側から侵入したのは間違い無いだろうけど。 そのまま侵入したら、普通は気付かれるんだよな。噴水の音がいきなり変わるんだから、さっきみたいに、見張りの衛兵たちにバレる」

わたしの尻尾、『ビシィッ!』と立ったよ。驚きの余り。

――そ、そうだよね……!

あの現場への侵入に成功したが早いか、聴力の鋭い見張りのウルフ隊士たちに、普通はバレる。噴水の水の音が無くなるなんて、普通じゃ無い変化だし!

地下牢の中は、静かになっていた。

向かい側の牢の『水のニコロ』をはじめとする6人の容疑者たちも、隣の牢のチャンスさんとサミュエルさんも、 ジントの話に耳をそばだてて、「ウンウン」と頷き、納得し、かつ同意しているところ。

世間の人々の中では、それなりに、『第一王女アルセーニア姫の暗殺事件』&『密室殺人のミステリー』について、興味津々って事。

「噴水の地下の方にさ、『3次元・記録球』がセットされてたじゃんか。『何で、こんな物があるんだ』って思ったけど、 オレたちが捕まってみてさ、何となく謎が解けたような気がする」

――ふむ?

ジントは、訓練隊士用の紺色マントの下で、何やらゴソゴソやっていた。『手品師も驚くマジックの収納袋』を探っているようだ。やがて、すぐに、 手品師のように、黒い球体細工を取り出して来た。

――あ、さっきの『3次元・記録球』。

「おーし、行くぜ」

ジントは『魔法の杖』を、『3次元・記録球』の上にかざした。向かい側の牢からも隣の牢からも、興味津々な目線が集中して来ている。

黒いボールさながらの魔法道具『3次元・記録球』は、正常に稼働した。

ポンと《土星(クロノス)》の如き輪っかを出すや、全身、あらゆる光を放つミラーボールに変身する。 輪っか付きのミラーボールのスピンが始まると、音声付きの映像が、周囲に投射された。

「ヒョォオ! 噴水じゃねーか!」

隣の牢で、チャンスさんとサミュエルさんが感心している。

――あの『王妃の中庭』の噴水の、3次元の、音声付き動画だ。

しかも――限りなく実体サイズで再生されている。噴水の水が流れて跳ねている音も、リアルさながらだ。

「やっぱり、推察した通りだぜ。真犯人は、こうして偽の幻影を現場にセットしておいて、見張りの衛兵たちの目と耳をごまかして、 見事、犯行をやってのけたと言う訳さ。《隠蔽魔法》という手段もあるけどよ、それだと音声面はカバーできないし。真犯人、頭が良いよな」

そう言って、ジントは『3次元・記録球』の再生を止めた。

向かい側の牢に居る6人のオッサンたちが、感心した様子で、大の男ならではの大声で言い交わし始めた。

「成る程なぁ」
「真相は常に単純って言うけど、ホントだな」
「噴水の工事のやり方、誰か知ってるか? 小遣い稼ぎに工事アルバイトした奴、居るだろ」
「オラ、10代の頃にやった事あるぜ。かくかく、しかじか……」

大の男たちは、新しくできた暇つぶしの話題に、目をキラキラさせて興じていた。 地下牢の中だと、あっと言う間に話題が尽きてしまうのだろうと言う事は、うん、良く分かる。

ジントの灰褐色のウルフ耳が、急に『ビシッ』と動く。――おや?

わたしも同じように、ウルフ耳を『ピコッ』と同じ方向に動かして注意してみると。

地下牢の段差の大きい階段を「カツーン、カツーン」と降りて来る硬いブーツの足音が聞こえて来る。

――足音からすると、1人だけみたいだけど……誰だろう。地下牢の面々も、これは異例な事みたいで『何だ?』という顔だ。

昼日中の刻でありながら、薄暮と同じくらいの暗い空間となっている地下牢の中――

わたしとジントが拘束されている牢の前に、足音の主が立った。

――クレドさんッ?!

わたしとジントは、一斉同時に口をアングリと開けた。

紺色マントをまとう、背の高い黒狼種。クセの無い黒髪。スラリとした立ち姿。

何度見ても、その彫像めいた端正な面差しは、確かにクレドさんの物だ。その表情は――わたしとジントを眺めた瞬間、不快そうに『ピキッ』と歪んだ。

いかにも重そうな鉄格子の扉が、『ギイィィ』と不吉な音響を立てて開く。

――何かが、おかしい。

2人で揃って、バッと立ち上がる。首輪が重かったけど。

隣の牢に居るナンチャッテ渡世人なイヌ族、チャンスさんとサミュエルさんも、ただならぬ違和感を感じたみたい。 仕切りの鉄格子からズザッと離れながらも、イヌ尾の毛が逆立っているところだ。

ゆるりとした所作で――見慣れたクレドさんの長身が、地下牢に入って来る。

でも、クレドさんは、扉の近くに佇むばかりで、そこからは動かない。わたしたちを釈放しようとして此処に来たのでは無い――という事は、明らかだ。

クレドさんは、鎖付きの首輪につながれたわたしたちを眺めて、冷笑を浮かべた。 いつの間にか『警棒』を抜いていて、その『警棒』の先端は、さりげない風ではあるけれど、シッカリと下段に構えられている。

魔法感覚を強化してジッと見てみると、その『警棒』の周りに、確かに白いエーテル光が漂っている。

――《防音》の魔法だ。

魔法道具に特有のパターンが出ているから、何処かに魔法道具を隠し持っているんだろうけど……長身なうえに体格が良いから、隠し場所の見当は付かない。

向かい側の牢に居る6人の男たちと、隣の牢に居るチャンスさんとサミュエルさんは、わたしたちとクレドさんの妙な雰囲気には気付いているみたい。 でも、《防音》魔法に遮られているから、何を話しているかは、多分、分かってない状態なんだろう。みんな、ポカンとした顔をしている。

相変わらず異様な雰囲気のクレドさんが、おもむろに口を開いた。奇妙に金属的な音声が響く。

「コソ泥どもが、実に余計な事をしてくれた物だな。お蔭で、『王妃の中庭』への侵入路が使えなくなってしまったでは無いか。 今、衛兵部署では、《魔王起点》が宮殿内に出現したような大騒ぎになっているところだ。よりによって、ヴァイロスが陣頭指揮を執っている」

ジントが眉をキッと逆立てる。

「……オレの母さんを殺したのは、てめぇだな!」
「あの、やたらと頭の回る女コソ泥の事か。親が親なら、子供も子供という所だ」

クレドさんは、更に気分を害した様子で、口の端を歪めて吐き捨てて来た。不快な物を見る時のように、ジントを見据えている。

「あの女コソ泥、勘が良すぎたのが運の尽きだったな。図々しくも余計な諸々に気付いて嗅ぎ回った上に、アルセーニア姫に直接、通報していた。 しかも姫は、その確証を固めようと動き出していた――あと少しで、『本来の計画』が全て台無しになるところだった。 あの女コソ泥も、アルセーニアも、国家反逆罪を犯したのだから、当然の報いだ」

――計画? 本来の計画?

不吉な予感を感じる。

わたしは、そろそろと立ち位置を移動して、ジントの身体にピッタリ張り付いた。ジントの着用している、訓練隊士用の紺色マントの端をシッカリとつかむと言う形だけど。

クレドさんは、刃物の光めいた黒い眼差しをギラリと動かして、わたしに視線を合わせて来た。ぎょっ。

「レオ帝国の第一位《水の盾》サフィール・レヴィア・イージス。本来は我がウルフ王国の《水のイージス》として、ウルフ王族を守護する任務についている筈の身。 『水のサフィール』をウルフ王国に取り戻すのは、国家として、正当な権利だ」

――ウルフ族出身の《水のイージス》を、ウルフ王国に取り戻す。それが、『本来の計画』だったという事なのだろうか?

でも。

そのプロジェクトの結果は――バースト事故だったよね?

おまけに、記憶には無いけれど、わたしの身は『呪いの拘束バンド』と死刑囚の拘束衣でもって、拘束されていた。 到底、穏やかな手段だったとは言えない。間違いなく『暴力』は、あった。

わたしの背中に、イヤな汗が流れ始める。

クレドさんの歪んだ口元から、不気味な言葉は流れ続けていた。

「6年前。サフィールが刺繍した道中安全の護符。自称『雷神』がな、秘密裏に、私から大金で買い取った。私が帰路で持ち歩き、『お焚き上げ』に投じたのは偽物の方だった訳だが、 老いぼれと片割れの分だけでも、充分に3人分の《守護》の効果はあった。それ程の《盾持ち》が、レオ皇帝の元に居る。大いなる間違いと言うべきだ」

――『雷神』? 『雷神』……!

不意に、記憶がピコーンと閃く。

――つい、この最近、ジリアンさんの美容店で聞いた名前だ!

ランジェリー・ダンスの女優、ネコ族のピンク・キャットが……芸名で無い名前の方は忘れたけど、ポーラさんの居るドレス専門店に来店したとか。 ドレス注文の際の、待ち時間をつぶす余談の合間に、『ミラクル☆ハート☆ラブ』の方で、特に大量のマネーが流れていた密輸商人を、5名も挙げてくれたとか、何とか……

その中に、マーロウさんの仮名『逆恨みのプリンスたち』もあったし、『大魔王』とか、ザリガニとか、何とか……

――最後の5人目の密輸商人は、通名『雷神』。

他の闇商人たちが、命知らずな連中も含めて、畏怖を込めて、そう呼ぶ。種族系統の不明なフード姿の大男。顔を見た人は居ない。

逆らうと、強烈な《雷攻撃(エクレール)》でバラバラにされる。だから『雷神』――

クレドさんの冷ややかな眼差しが、剣呑な気配をはらんだ。刃物で切り取るかのように、わたしの全身の輪郭を、ジワジワとなぞって来る。怖い。

わたしは、後ろ手に隠し持っていた小型ペンサイズの『魔法の杖』を、ギュッと握りしめた。

警戒モードにシフトした体内の――《宿命図》の奥深く、《盾の魔法陣》に、素早くエーテルを満たしておく。 下手に悟られないように、必要最小限の魔法陣セットのみの、静かな稼働だ。

やがて再び響いて来たクレドさんの声音は、侮蔑の色を帯びていた。如何にも期待外れだった――と、言わんばかりだ。

「話に聞く『サフィール』は、『紫磨黄金』の毛髪を持つ貴種ウルフ族の金狼種だと言うが。このような出来損ないの、『黒水晶』の毛髪でも何でもない、イヌ顔の混血とはな。 本当は『サフィール』の偽物と言う訳か。あの『雷神』めが。とんだ不良品を寄越してくれた物だ……しかも、あのアバズレの、シャンゼリンの妹を寄越して来るとはな」

クレドさんの『警棒』が、わずかに傾いた。《防音》魔法を構成していたエーテルに――不意に切れ目が生まれる。

――ジント、ヤバイよッ!

反射的に、『魔法の杖』が閃いた。

その軌跡に沿って多重魔法陣セットが超高速で展開し、フラッシュを放つ。まさに電光石火。

ドカドカドカッ!!

ジントが思わず、と言った様子でたたらを踏み、切れ長な目を真ん丸くしている。

牢の真ん中に――

透明なガラスのような《防壁》が、立ちはだかっていた。床から天井まで、ピッチリと。

ジントの身を無残に引き裂く所だった、三日月形の白い《風刃》を――それも貴種ゆえの大型の物を、ガッツリと受け止めている。 割れ目が広がっているけど、それだけだ。《防壁》そのものを貫くような傷は無い。間違いなく、大型モンスターの毒牙や突進を防ぐレベル。

白い《風刃》が威力も形も失って、砂時計の砂のように雲散霧消すると――《防壁》も、速やかに分解した。

――わお。多分『闘獣』だった時のスキルだ、これ。

発動タイミングも分解タイミングも悪いと、状況が次々に激変するモンスター狩りの現場で、有効に使い回せないし。 透明じゃ無いと、モンスターから逃げ出すタイミングも分からないし。

「ヒョオオ! ありゃ何だぁ?!」
「ウルフ族の親衛隊士が、ご乱心かよッ?!」
「何と、あんだけ頑丈なのに、透明な《防壁》とはな!」
「グレーの影が入るような、術の乱れが全く無いって事か!」
「初めて見たぞ! 超高速の《防壁》術!」

向かい側の牢の6人のオッサンたちと、隣の牢のチャンスさんとサミュエルさんが、ワッと騒ぎ始めた。地下牢の中で、多種類の声が一斉に反響する。

クレドさんが『警棒』を構えたまま、カッと目を見開いていた。そこに浮かんでいるのは、本物の驚愕だ。

「……本当に《盾持ち》だったのか?! 剣技武闘会の時は、何故……?!」
「どういう意味だよッ?!」

ジントが蒼白になりながらも、わたしの代わりに疑問を飛ばしてくれる。

まだ不信と驚愕の色を湛えたままのクレドさんから返ってきた答えは、考えたくも無い物だった。

「真実《盾持ち》なら、防衛できた筈だ! レオ族の水妻ベルディナのように! 何故、あの時は……!」

――あの、剣技武闘会で起きた、魔法の《防壁》をバラバラに吹っ飛ばした事故は――事故を装った『魔法発動テスト』だったのか。 大勢の死人が出るかも知れないところだったのに。

事情を呑み込み始めていたジントが、訝しそうに目を細める。

「てめぇ、もしかして『呪いの拘束バンド』の事情、知らなかったのかよ? 半分はオレのせいって事もあるけどさ」
「魔法文書フレームや魔除けの魔法陣は、有効に発動した! 毒見も、やってのけたでは無いか!」

――あ、それ、『正字』スキルと魔法感覚と直感の組み合わせだよ。魔法は全然、使ってない。

あの頃は、『呪いの拘束バンド』が頭部にハマってたせいで、《魔法署名》も《変身魔法》も出来なかったし。『魔法の杖』、持ってなかったし。

それに、わたし元々、発動できる日常魔法って3種類しか無いよ。《水まき》、《洗濯》、《水玉》。

最後の《水玉》というのは、本来は基本の攻撃魔法《水砲》なんだけど、『大砲にする』っていう部分が出来ないから、『水玉』になるってシロモノだし……

それに、《緊急アラート魔法》を含む『魔法の杖』通信の方は、先生がたが魔法道具を選んでくれるって事で……

――わたしの百面相、ピコピコ耳、ピコピコ尻尾、釈明がハッキリと書いてあったみたい。

クレドさんは、愕然とした顔になっていた。絶句しつつも、口を開け閉めしてる所は、珍しいと思う。

奇妙な沈黙が続いた後。

引きつっていた口元は――やがて、凄まじい笑みを浮かべた。

――いつだったかの、凶相マーロウさんを思わせる、笑み。噴き上がる殺気の凄さは、ジントでさえビクッとした程だ。

「ふ、ハハハハ……! 遂に、ヤツも用済みだ……!」

クレドさんは、やおら身を返した。漆黒の髪をくくる白い髪紐が、ひるがえる。

紺色マントをまとうクレドさんの身が通過するや否や――鉄格子の扉が勢いよく閉じた。

――ギィン、ガッチャーン!

続いて、やはり頑丈な錠前が『ガチャン』と重い音を立てたのだった。

*****(5)地下牢:前哨戦(前)

「な、何だよ、いきなり……」

不意に、脅威が去った――と言う不可解な状況だ。

ジントが呆然としながらも、首輪の重さに耐えかねたように、地下牢の床にヘナヘナと座り込む。

隣の牢に居た金髪イヌ族のチャンスさんが、興奮しながら身を乗り出して来た。

「あの黒毛の、乱心スケコマシのうろつき野狼(ヤロウ)、いったい何が目的だったんだ? いきなり大型の《風刃》飛ばしたと思ったら《防壁》が出て来ても怒らなかったし、 急に気が変わったみたいだったぞ、ヒョオオ!」

金色のチリチリの毛髪の立ち耳と巻き尾を振り振りしながらも、チャンスさんは、意外に的確な分析をして来ている。

このヒト、やっぱり謎だ。

ピンポイントで変な物を手に入れて来るし、ひとつひとつのトラブルは大した事無いくせに、変なタイミングでブッ放すから、大騒動になるし……

……真面目にしてたら、優秀な破壊工作員……いやいや、優秀な忍者だと思うんだけど。

黒茶色のチリチリの毛髪のイヌ族サミュエルさんが、目をパチパチさせながらも続く。 ねじれタイプの立ち耳は余りチリチリしてないけど、差し尾の方の毛はパンチパーマっぽくなっているところだ。

「さっき、《盾》だの何だの言ってたけどよ、確かに、あんなシュバッと頑丈な《防壁》出せるんじゃ、まず《盾持ち》だわな」

向かい側の牢に居た6人のイヌ族とウルフ族のオッサンたちも、ウンウン頷きながら同意している。

「だいたい、モンスター対応の《防壁》ってのは時間が掛かるし、誰でも出来る魔法じゃねぇ。 日常魔法のアレは、天然の落雷をよけるための《雷電シーズン防護服》でな。サバイバル用の『強化バージョンの毛皮』って言うか『空気の壁』とドッコイでよ」

――あ、噴水を悪天候からガードする時の防壁とか、スッカスカな渡り廊下の、夜間・悪天候用の防壁とか……

天然の落雷をよけるための《雷電シーズン防護服》は、メルちゃんの教科書とか、魔法の教科書で知ったばかりだけど、 あの軽いバージョンが、『日常魔法:傘』になってたんだよね……

「んだんだ。ホントの《防壁》を立てる時は、やたら訳の分からん魔法陣を幾つも組まなきゃいけないし、 大量のエーテルを集めなきゃいけないし、その間に攻撃魔法にやられるのが普通なんだからな」

――えーと。そうだったっけ?

さっきの《防壁》は、5個の魔法陣が組み合わさった、最も必要最小限なタイプの物なんだけど……

「おぅ。あんな、貴種レベルの攻撃魔法を止められる《防壁》が、シュバッと出せりゃあ、上級よ。いや、守護魔法の天才よ」
「あれだけ完璧な《防壁》なら、更に上の《盾魔法》も、イケるんじゃねぇのか」

――マーロウさんの《火矢》に対抗した《防火壁》の事を思い出してしまったよ。

あの時、グイードさんは確かに《防火壁》って言ってた。マーロウさんは《火霊相》だったから、 最も得意かつ強烈な攻撃魔法が、基本的な《火》の攻撃魔法《火矢》だと、論理的に予測できる。

おそらく、《防壁》を形成するのは、難しいのだろう。対モンスター強度レベルの《防壁》――四種類の攻撃魔法と、 刃物をはじめとする物理的な衝撃に、同時に対応できるような《防壁》ともなると。

だから、あの時は、短い時間で有効な防衛を可能ならしめるために、《火矢》を防ぐのに特化した《防火壁》を出した。『下級魔法使い』資格持ちの隊士が揃っていても、 半数の《火矢》を防ぎきれなかったのは、充分な頑丈さが準備できなかったから――

不意にジントが、バッと振り返って来た。

「さっきのアイツ、『ヤツも用済み』って言ってたよな。その『ヤツ』って誰の事だ?!」

――ほえ?! だ、誰の事だろう……って、まさか?!

尻尾が『ビシィッ!』と硬直しちゃったよ。

「それに、アイツ『雷神』と取引してたとか言ってたぞ! あの変な宝石だらけの『魔法の杖』で《雷攻撃(エクレール)》を出して来てた、ヤバい大男の事じゃねぇか?!」

向かい側の牢に居た、6人のイヌ族とウルフ族の男たちが目覚ましく反応した。

「おい、そいつ、もしかしてフード姿の、種族系統の不明な大男だったかよ?!」
「古代アンティーク物の《宝玉杖》を持ってたか?! 雷の模様入りの、でかい球体を、宝石だらけの杖にくっ付けた奴なら、間違いなく『雷神』だぜ!」
「表向きは『勇者ブランド』の魔法道具を扱う商人だ。大きな魔法道具の見本市にゃ必ず出てるぜ。 今、こっちの宮殿で、魔法道具の見本市パーティーか何かやってるだろ。それに出席して、王族と取引するとか言ってたぞ」

隣の牢に居たチャンスさんとサミュエルさんが、一斉に、ワンワン、キャンキャン言い出した。

「ヒョオオ! 憧れの『勇者ブランド』魔法道具だと!」
「強大なモンスターも、千切っては投げ、バッタバッタだぜ、イエーイ!」

男たちの言及を灰褐色のウルフ耳に詰め込みながらも、ジントは少しの間、奇妙な沈黙に落ちていた。そして、ゆっくりと眉根をしかめたのだった。

「――『雷神』なら、ヒャッハーな奴らを集めて、『サフィール』を盗めたかも知れない……」

うぐっ。

「あのフード男、やたら守護魔法の魔法道具に執着してたじゃねーか。『呪いの拘束バンド』でもって、 奴隷となるように拘束しておいた《水のイージス》……奴隷ビジネスの目玉商品にもなるぜ、これ。 貴重すぎるから、マーケットに出さずに、レオ皇帝よろしく自分で独占しとくって言う可能性の方が大きいけど」

ううッ。

――更に念を入れて、真っ赤な『花房』の催眠術でもって操れるように、『奴隷妻』として、拘束する、とか……!

ジントの灰褐色のウルフ尾は、高速でピコピコ動いていた。

「恐らく、計算違いが起きたんだ。姉貴は、その瞬間、シャンゼリンに『闘獣』として《召喚》されて、魔法で転移したじゃねーか。 フード男『雷神』は、その場に居合わせていた。或いは居合わせていた誰かから、姉貴が『闘獣』として《召喚》された事を知って、こっちまで追って来た」

わたしは、だんだん、全身が総毛立って行くのを感じていた。

――そうだよ!

わたし自身は覚えてないけど、その時、魔法の暴発事故やらかしてしまったとか……現場に確か1人だけ、生存者が居たんじゃ無いかって話があったよ!

眉根をしかめたまま、ジントは、口を引きつらせた。

「闘獣マーケット業者とのツテがありゃ、《紐付き金融魔法陣》データだって拾えただろうぜ。『雷神』なら、『勇者ブランド』魔法道具と引き換えに……と言うのも可能だろうし、 大魔法使いでさえ知らない接触ポイントってのも多い筈だ。『飼い主』付きの闘獣って、ただでさえ数が少ないからな、確認に時間は掛からなかっただろうな」

やがて、ジントは灰褐色のウルフ耳を、苛立たし気にシャカシャカとやり出した。

「こりゃ絶対、大金が要るぜ。ヒャッハーな奴らにだって頭がある。腕の良い奴であればある程、はした金じゃ動かねえ。 『雷神』が『サフィール』を寄越して来たとか言ってたけど……」

ジントは、ハッとしたように目を見開いた。ウルフ耳もウルフ尾も、ピタッと動きが止まる。声がいっそう低くなり、ささやき声にまで小さくなった。

「ウルフ王国側の黒幕も、あちこちから不正に大金かき集めて来て、『雷神』が『サフィール』を盗むのに協力してたに違いねぇ。 そして、シャンゼリンも、マーロウって男も、それに一枚かんでたんだろうな。地下通路の秘密も利用して。で、そのうち、利益分配か何かで『雷神』や黒幕と衝突して、死んだ」

――私利私欲だけで結び付いた協力関係に、裏切りは付き物だ。

まして、度を越した弱肉強食な闇ギルドの中では。

*****

わたしとジントは、推理に集中していて――気付かなかった。

新しい人物が、地下牢にまで降りて来ていたと言う事実に。

「キーッ! あんたたち、あたくしを華麗に無視して、無事で済むと思ったら大間違いよ!」
「ほえ?!」

妙齢の女性の声だったものだから、思わず注目してしまった。

向かい側の牢に居た6人のイヌ族とウルフ族の男たちが、呆れた様子で声を掛けて来る。

「おい、チビのコソ泥と嬢ちゃんよ、大した集中力じゃねーか」
「そのガミガミ令嬢、ずっと、そこでガミガミと喚(わめ)いてたんだぜ。マジで気付かなかったのかよ」
「アテクシ、栄誉あるウルフ王妃の一族の第一の貴族令嬢、火のアンネリエなのよッとか……オヒョオッ!」

ガチャン、ギギィ、ドバガーン!

鉄格子の扉で、《火魔法》ならではの真紅のエーテル光の爆発が生じた。鉄格子の扉が勢いよく開く。

爆発が収まり。

見ると――成る程、以前にも見た『火のアンネリエ嬢』が、怒髪天と言った様子で立ちはだかっている。

宮廷社交パーティーに出席するのに相応しい、華麗な礼装姿だ。

淡いピンクのスカート部分には、赤系統の宝玉や真珠が花パターンでもって縫い付けられている。 裾には、これでもかと言うような、赤グラデーション系のレースとフリルがセッティングされていた。まるで、バラの花々で彩られた裾をまとっているようだ。

鉄格子の扉は、黒焦げになっていた。そして、まだ火花をバチバチと放っている。

アンネリエ嬢が、自身に可能な限りの最大の《火魔法》を発動して、外側から錠前を破り、なおかつ鉄格子の扉を『爆発的に』開けたせいだ。 さすが貴種。すごい威力。

隣の牢に居たチャンスさんとサミュエルさんは、当然と言うべきなのか、端に近い所で、ススだらけになって、目を回して横たわってる状態だ。

2人のイヌ族は、アンネリエ嬢の《火魔法》の余波を食らって、取り付いていた鉄柵から吹っ飛ばされていたらしい。 鎖付きの首輪のお蔭で、隣の牢のゴツゴツの石壁にまでは、ぶち当たらなかったみたいだけど。

火のアンネリエ嬢は、宝飾細工のつるバラを巻き付けた『魔法の杖』を構えて、咆えた。

「さっき、地下牢からクレドが出て来たから、何があったのかと思ってたのよ! あんたたち性懲りもなく、あたくしのクレドに、ちょっかいを出してたのね!」

――それは、限りなく、誤解だと思うよ。

ジントが「へッ」と吐き捨てた。明らかにアンネリエ嬢を挑発してる。

「地下牢まで、あいつを追っかけてたのかよ。ストーカーって言うんじゃねぇのか、それ」
「おだまり、このガキが! あたくしは高貴なる《盾持ち》、特別に選ばれし至高の聖女にして、《火のイージス》候補なのよ!」

アンネリエ嬢の『魔法の杖』から、再び大きな《火炎弾》が飛び出した。ひえぇ!

先刻のとは明らかに違う、不吉なまでに重量級の魔法パワーだ。思わず『魔法の杖』を振るう。

瞬時に出現した《防壁》にブチ当たり、大型の《火炎弾》が赤い《雷光》を放ちつつ、『ボボン!』と爆(は)ぜた。 不気味なくらいに重いエーテル残響が、地下牢の空気を震わせる。

真紅に輝く《雷光》が、意外な程にゆっくりとした速度で、バチバチと飛び散って行く。

大きな樹幹ほどの太さのある《雷光》は、地下牢のゴツゴツの壁面にジワリと到達すると、バリバリと言う《雷攻撃(エクレール)》そのものの、大音響と共に――

――その壁面を、えぐって行った。凶悪なまでに、深々と。

間違いなく、『皆殺し』を想定している攻撃魔法だ。

まだ火の性質が強いのか、火事の延焼スピードという風の遅さだけど――反射を繰り返すたびに、スピードアップしているようだ。 しかも、ゴツゴツの面で乱反射しているから、指数関数的に、反射してくる弾数が増えている。

――不純物を落とすと共に、純粋な《雷光》へと進化しているのだ。

向かい側の牢に居る6人の大の殺し屋な男たちが、全員とも真っ青になって、ガタガタ震えまくっている。

あからさまに、『無残な死に方』を想定してるって言わんばかりの顔つきなんだよね。見てる方が、よほど怖い。

でも、男たちの様子にも、ちゃんとした理由はあるようだ。

この《雷光》の増殖パターンは――限りなくマズイ。《雷光》が、この恐るべき威力を失わぬまま光速までスピードアップして、 地下牢全体を濃密に満たすレベルの弾幕密度になった場合……

――地下牢は密閉空間だ。《雷攻撃(エクレール)》パワーを逃がす場所が無い!

アンネリエ嬢は、《雷攻撃(エクレール)》の性質を理解して無かったみたいだ。張本人のアンネリエ嬢が、手前に用意しているのは――

――何と、通常の避雷針や接地(アース)としての機能を持つ、日常魔法《雷電シーズン防護服》でしか無い!

あんなのじゃ、全く意味が無いよ。この強大な《雷攻撃(エクレール)》パワーが、丸々、貫通してしまう。 というか、対モンスター強度の攻撃魔法を、日常魔法で防げると確信している方が、どうかしてると思うけど。

しかも、アンネリエ嬢には、危険を察知して避難しようという兆候すら無い。こちらの狼狽ぶりをニヤニヤして眺めているほどだ。

「この偉大なる恐ろしき《散弾剣》から助かりたければ、あたくしの足元にひれ伏して、泣いて命乞いしなさい! ただし、 この《火の盾》の中に入れてあげるのは、あんたが充分に、黒焦げのボロボロになってからになるけどね! それも、一番最後でね! オホホホホ!」

――やっぱりだ。

どう見ても、日常魔法《雷電シーズン防護服》なんだけど。何故か上級魔法の《盾魔法》――それもイージス級の《火の盾》を発動できていると思っているか、 その振りをしてるって事なんだろう。

アンネリエ嬢は、確かに貴種ではある。エーテルの勢いは充分。

あの追加分のエーテル・パターンを見る限りでは、何らかの護符による『正字』展開のバックアップが入ってるから、 普通よりは丈夫らしいというか……

最も強く発動できている部分では、中型モンスター対応の《中級魔物シールド》という所までは、行けてるみたいだけど……

術の乱れが大きすぎる。クオリティ均一じゃ無いから、《防壁》機能はおろか、《魔物シールド》としての機能すら、まともに果たせるとは思えない。 やはり、《雷電シーズン防護服》に毛が生えた程度だ。

――《盾持ち》なのに、何故、これ程の強大な《雷攻撃(エクレール)》に対して、《火の盾》を出しておかないんだろうか。 それに、こんな風に分裂増殖する《雷光》弾幕、ひとつの《盾魔法》だけで、有効に防衛できるとは思えない。

アンネリエ嬢が愉快そうに嘲笑し続けている声が、《雷攻撃(エクレール)》による轟音と共に、地下牢じゅうに響いている。警告しても、ウルフ耳の中まで届かないのは、確実。

*****(6)地下牢:前哨戦(中)

――この狂暴な《雷攻撃(エクレール)》を、抑え込まなければ。何としてでも。

手に握りしめた『魔法の杖』を、前方に突き出す。

「――水の精霊王の名の下に」

魔法の呪文に気付いたジントが、唖然として振り向いて来た。向かい側の牢からも隣の牢からも、驚愕の眼差しが集中して来る。 アンネリエ嬢は、『はぁ?』と言わんばかりのバカにした顔つきだ。

杖が青く光った。青いエーテル流束が、数多の『正字』となって流れ出す。

――ディーター先生の研究室から借りて読んでいた魔法の教科書。その中に、上級魔法による、大型モンスター対応の《防衛プログラム魔法陣》の解説があった。

たまに、特に頑丈な大型モンスターの装甲は、《雷攻撃(エクレール)》を乱反射して弾いてしまう事がある。 非常に珍しいケースではあるんだけど。

そういう厄介な大型モンスターの大群を討伐する時に、乱反射して来る《雷攻撃(エクレール)》で味方がやられないように、 いわば『防衛ライン』を敷くのだと言う。

でも、超高速で乱反射して来る膨大な数の《雷攻撃(エクレール)》を、いちいち防ぐのは、人の手では絶対に無理。

だから、あらかじめ、《防壁》や《盾》そのものをハイスピードで動かすための、専用の《防衛プログラム魔法陣》を組んでおいて、 それを駆動する事で、『超高速の防衛ライン』を維持展開するのだと言う。

だいたい《盾魔法》20セット、それを《防衛プログラム魔法陣》で動かして、危険じゃない方向に《雷攻撃(エクレール)》弾幕を散らして行くのだとか……

――今から、此処でやろうとしているのは、その応用になるんだけど。考えが正しければ……

配置パターンの見当を付けながら、『魔法の杖』を縦横に動かして行く。 見る間に、数多の『正字』で構成される多重魔法陣が、杖の先の空間に展開した。防衛プログラムを組んだ、即席の魔法陣。腕一杯を少し超えるサイズだ。意外に大きい。

動作確認のための試験エーテルを入力すると、『問題なし』と言う意味の、青いエーテル光を放って返して来た。

魔法陣の形だけは、意図通りに正確に描けている。構造に矛盾は無く、魔法陣として、ちゃんと動作する――らしい。

――急いで構築しただけに、如何にも間に合わせという感じの、不安定な術になっている気配がある。 記憶喪失のせいで経験度はゼロだけど、《防衛プログラム魔法陣》としては穴だらけなんだろうって事も、何となく分かるし。

果たして、充分に維持展開できるだろうか。いや、やらなくちゃ……成功しなくちゃ、いけない!

宇宙の根源から来る大容量エーテルが、猛烈な勢いで、体内《宿命図》になだれ込んで来る。以前にも感じていた既視感。

体内にある《盾の魔法陣》が、大容量エーテルを呑み込んで、稼働し始める。身体の感覚がスウッと薄らいで行った。集中力が切れた瞬間に、色々、崩れそうだ。

手に握りしめた『魔法の杖』を、大容量エーテルが駆け上がって行く。 杖の先に展開していた《防衛プログラム魔法陣》が大容量エーテル流束を飲み込み、青い宝玉細工のようにきらめき始めた。

第一段階のプログラムが動き出す。《防衛プログラム魔法陣》の一部が、真紅に輝いた。赤い《火》エーテルのフラッシュが、全方向に飛び散る。

真紅色のフラッシュは光速で飛び交い、赤い《雷光》の乱反射スペースを、瞬く間に検出した。

そして、赤い《雷光》独特の乱反射パターンのシミュレーション・データと共に、《防衛プログラム魔法陣》に返る。

キラキラとした青い宝飾細工さながらの《防衛プログラム魔法陣》は、勢いづいたかのように全体構造を回転し、変形した。 第二段階だ。《防衛プログラム魔法陣》は新しい配置に収まるが早いか、わたしの体内にある《盾の魔法陣》を次々コピーして、数多の《分身》を一斉に放出する。

溜め込んでいた大容量エーテルが一気に持って行かれて、貧血のような感じが全身に広がった。

強い眩暈と虚脱感。『魔法の杖』を持つ手にも力が入らなくて、フルフル震えるけど。 此処で倒れちゃいけないので、お腹に力を入れて、エーテルのバランスを戻しておく。

――空気が『ビシリ』と音を立てた。聞いた事のあるような、物理的な音――

四方八方に、カードサイズの透明な断片が、ビッシリと出現していた。滑らかな面を持つ多面体スタイルの物と、デコボコの面を持つ鏡面スタイルの物、2種類。 稜線だけが、鮮やかなラピスラズリ色。

――いずれも、限りなく《盾》に近い強度を持つ《防壁》だ。見た目はガラスなんだけど、ほぼ《盾》であるとも言える。

今にして気づいたよ。

わたしは体内の《宿命図》にある《盾の魔法陣》をコピーして、これらの透明な《分身》を、発動したんだけど。

通常の《盾魔法》の場合は、『魔法の杖』からエーテル流束を流して、人工の『正字』でもって《盾の魔法陣》を組んで、四大のいずれかの《盾》を発動するという形らしい。 いわゆる《盾魔法》、発動に時間が掛かる筈だ。

――体内の《宿命図》に、《盾の魔法陣》を持っている方が、明らかに早い。そう、それで《盾持ち》と言うのか!

魔法感覚で見ると、まるで異次元の、透明なミラーボールの迷宮に放り込まれたような光景が広がっている。身動き不可能な程の、《盾》カードの密度。

「スクランブル!」

魔法の呪文に応じて、杖の先に展開している《防衛プログラム魔法陣》が、プログラム通りに、多重魔法陣ならではの複合型の回転を始めた。 ひとつひとつの魔法陣の回転方向が違う。複雑な回転スタイルだし、多くの遊星型の魔法陣に至っては、その軌道は円形を描いてすらいない。

青く輝く《防衛プログラム魔法陣》の回転と共鳴して――数多の《盾》カードが高速で飛び交い始める。 ミラーボールの迷宮そのものが、あらゆる方向の高速スピンをスタートしたように見える。

アンネリエ嬢もジントも、口をアングリと開けたまま立ち尽くしている。隣の牢からも向かい側の牢からも、仰天の余り絶句している気配が伝わって来た。

――今、変に動いたら、乱反射して来る《雷光》にやられちゃうから、そのままジッとしててね!

滑らかな多面体スタイルの《盾》カードが、多段構えの迎撃隊形を組んで、大型《雷光》の前にスクランブル展開して行く。 プリズムさながらに大型《雷光》を透過しつつ、様々な角度に屈折し、分散し始めた。

地下牢じゅうに、腹の底まで染み通るような重低音のエーテル音が轟き渡っている。まるで大型モンスターの雄たけびのようだ。巨大なエネルギー量のエーテル衝突に伴う、大音響。

強大な攻撃魔法を引き受けているせいか、《盾》カードは身を焦がす勢いで赤く輝き燃えているけど、上手に直撃を受け流しているようだ。

――とりあえず必要な間だけは、持ちそうだ。持ちこたえてくれないと困る。

早くも、別の滑らかな多面体スタイル《盾》グループが、分散後の赤い《雷光》の予測軌道に沿って、迎撃態勢で展開する。 いずれにしても高速展開だから、回転し続けるミラーボールの迷宮の全体が、赤く照らされつつも燃え上がったようにも見える。

多面体スタイルの透明な《盾》の群れと赤い《雷光》は再び衝突し、エーテル音が響いた。 なおも恐るべきパワーを保ちつつ衝突しているけれど、音で判断する限りでは、少しずつだけど、段階的に、確実に威力が落ちていると分かる。

デコボコの面を持つ《盾》カードは、《雷光》の乱反射の予測軌道に沿って高速展開し、《雷光》を更に細かく散乱し始めた。 太さのあった赤い《雷光》が、見る見るうちに細分化されて砕かれて行く。

細分化するたびごとに、《雷光》の持つ《雷攻撃(エクレール)》パワーが削れて行った。

杖の先に展開している《防衛プログラム魔法陣》の多重回転と、ミラーボールの迷宮の如き結界の回転は、共鳴している。 そして、両方ともに、指数関数的にスピン速度を上げて行った。《盾》カードの数が有限だから、 《雷光》弾幕の分裂増殖スピードをさばくために、ますます高速で動き回らないといけないんだよね。

アンネリエ嬢は、相変わらず口をアングリしたままだ。

地下牢に充満した《雷攻撃(エクレール)》弾幕の中で、立ち尽くしたまま動いていない。 この恐るべき強度を持つ《雷光》の弾幕密度の中では、下手に動けない――と言う事には気付いているらしい。 ミラーボールの迷宮を出て、《雷光》弾幕に身をさらした瞬間、ズタズタになりかねないから、正しい判断ではある。

今更ながら、と言う風だけど、アンネリエ嬢を取り巻く《雷電シーズン防護服》のクオリティが上昇した。《防壁》とは言えないけど、貴種ならではのクオリティ。 でも、ジントを助けようと言うような素振りは、全く感じられない。

――国宝級の《盾持ち》だと自分で言っているのに、これは、どういう訳なのだろうか。 安全圏だと信じているのだろう術の中に逃げて、閉じこもったまま、何もしないなんて……

一方、ジントは――何が起きているのか理解しようと、赤い《雷光》をよけながらも、キョロキョロしているところだ。 何らかの守護魔法が展開してるって事は、分かっているみたい。

二種類の透明な《盾》カードは、赤い《雷光》のプリズム透過と散乱のプロセスを、幾度となく繰り返し続けた。 カウントはしてないけど、既に数千回は超えている筈。指数関数的な増大パターンだから、すぐに数百万回まで到達するだろう。

――《防衛プログラム魔法陣》では半光速、つまり光速の50%まで、スピンを加速できるように仕込んである。 そこまで行けば、全ての《雷光》が自然陽光レベルまで弱体化する計算になる。理論上は、そうなる。 そこまで、わたしの術が、理想的に維持展開できていれば、だけど。

既に超音速の領域だ。猛烈なスピン速度ではあるけれど、その本質は、乱反射し続ける《雷光》の予測軌道だから、スピン方向はハッキリしていない。 時々、わたしたちの周りを取り巻く全ての空間が、ユラリと波打つのが分かるだけだ。

無数の《雷光》は、もはや、ミラーボールの迷宮いっぱいに広がる、赤い放電状の糸玉か何かに見える。

物理的な意味でいう、接地(アース)が効くレベルまで、《雷攻撃(エクレール)》の威力が落ちたようだ。 砂がこすれ合っているかのようなエーテル音が、ひっきりなしに続く。まるで砂嵐の音だ。

髪の毛ほどの細さにまでなった赤い《雷光》が、ミラーボールの迷宮を突き抜けて、飛び出して行く。

細い《雷光》は、地下牢の石壁と石床にブチ当たるたびに、ピシッ、ピシッと音を立て始めた。意外に強い。数も多い。

誤差が、無視できないレベルまで拡大しているって事だ。《盾》カードによる包囲&迎撃ラインが、突破されてしまっている。 ちゃんと《火》エーテルで測定した結果を使って乱反射の軌道を予測していたんだけど、真値とのズレ、やっぱり出ていたんだ。 こうも穴だらけだと、結構……かなり、不安だ。

やがて。

モンスター強度レベルの《雷光》は、全て分解した――幸運にも、誤差の範囲内で。

役割を終えたのを理解しているかのように、多面体スタイルの《盾》カードが、次々に、赤い炎を出しながら燃え尽きる。 滑らかだった面は、今や、満身創痍となり果てていた。

気が付けば、杖の先で、青く輝きながら高速回転していた《防衛プログラム魔法陣》が形を失い始めている。 宇宙の根源から来る大容量エーテルの奔流に、耐えられなくなったのだ。

――『正字』で組んだ人工の魔法陣は、脆い。《盾》カードの傷が、自動修復しなくなる筈だよ。

人工の多重魔法陣――《防衛プログラム魔法陣》は、完全に消えた。

なおも超高速で飛び交いつつ《雷光》の散乱を続けていた、デコボコの透明な《盾》カードが、遂に力尽きたように雲散霧消する。

ミラーボールの迷宮の如き、結界が晴れ上がった。

――ああ……、危険なレベルの《雷光》成分が、まだ大量に残ってるんだけど……

無数の、真紅の色をした《雷光》が、ドッと飛び散る。

半分以上の《雷光》は、地下牢の鉄格子や石床や石壁にブチ当たるや、接地(アース)で雲散霧消した。多くが、赤い火花を立てながら消滅したけれど――

残りの《雷光》は、油断のならないエネルギーでもって、乱反射を始めている。

隣の牢に居たチャンスさんとサミュエルさんが、乱反射して来る細い《雷光》の直撃を食らって、ビリビリと震えながら飛び上がり始めた。

「おりゃ、《雷電シーズン防護服》を立てろ! ビリビリするワン!」
「必要だからって、オレに命令すんな! 偉そうに!」

向かい側の牢に居た6人のオッサンたちも、《雷光》を避けつつ、飛び跳ねている。

「ウッヒョオオ! オレら、生きてるぅ!」
「ヒョオオ、信じられねぇ! やったぜぇ!」
「密閉空間の大型《雷攻撃(エクレール)》を、糸玉、いや、手玉に取ったじゃねーか!」
「あんな変幻自在の防衛術、見た事も聞いた事もねぇ!」

何だか、余裕のあるコメントをして来てるなぁ。

みんなして泣き笑いしてるけど、痛みのせいでは無いらしい。頑丈な筋骨の付いた大の男だから、幸い、細かい砂が当たった程度の衝撃に抑えられているようだ。

早くも、1人が『魔法の杖』を振るったみたいで、すぐに《雷電シーズン防護服》が立ち上がった。6人分を収容するサイズ。野外テントみたいな感じ。

そんな事を思いながらも。

――普通じゃ無い消耗感だ。全身がガクガクと震えている。

足に、力が入らない。立っていられなくて、床に座り込んでしまった。

ジントが『魔法の杖』を振るって、わたしたちの周りに《雷電シーズン防護服》を展開してくれていた。良く気が付くね、ジント……

相変わらず赤い《雷光》が、しつこく乱反射しながら飛び交っているけど。

幸いにして。

少年なジントが危なっかしく展開している《雷電シーズン防護服》でも、充分に防げるレベルまで、威力が落ちているみたいだ。

でも、意外に強いのが結構あって、「イテッ」とか「アチッ」とか言う叫び声が続いている。 貴種なアンネリエ嬢の《雷電シーズン防護服》でさえ、完全には防ぎ切れないレベルの高エネルギー成分があったみたいで、時々、「キャッ」とか言ってる。

地下牢の各所で、赤い《雷光》がパチパチと火花のような音を立てている。 接地(アース)機能付きの、それぞれの魔法の《雷電シーズン防護服》の表面では、本当に静電気のような火花が飛び散っていた。

――最初は大きな音だった物が、だんだん小さな音になって来ているのが分かる。

乱反射を繰り返すたびに、段階的にエネルギーを失っているのだ。接地(アース)が効いているからだ。 もし《防衛プログラム魔法陣》で、《雷光》の威力が充分に弱められていなかったら、間違いなく、とんでもない事になっていたと思う。

程なくして――赤い《雷光》が、名残を含めて、すべて消滅した。地下牢の中だから音響が長く反射し続けていて――エーテル残響も、いつまでも続いている。

これ程のエーテル残響が出ていて、何故、地下牢を警備する衛兵が気付かないのか、不思議だけど。

――繰り出した《盾》カードの数が足りていて、良かった……

多数の《盾》カードを繰り出すと言うのは、想像以上に体力を使うプロセスだったみたい。 《雷光》を特別なやり方で透過するように透明にしておいて、想定外の乱反射の成分が出ないように質を揃えて、大型《雷光》の連続攻撃に耐えられるような強靭さも付けて……

ペタリと座り込んだまま――気が付くと、息が上がっていた。石床に、震える手を突いて、ハァハァゼィゼィ。

――もしかしてじゃ無くても、アンネリエ嬢、何か新しい魔法道具をくっ付けてる? 前回よりパワー・アップしてるよね?

予想通り、アンネリエ嬢の金切り声が、地下牢じゅうに響き渡った。

「この悪女が! 我が一族の最強の《雷攻撃(エクレール)》魔法道具、対モンスター《散弾剣》を!」
「人に使って良い魔法道具じゃねぇよ!」

ジントが『魔法の杖』を振るった。少年ならではの小ぶりな《風刃》が――白い三日月形をした物が――数個ほど、飛び出す。

アンネリエ嬢が、ハッとして咄嗟に飛びのいたけど、コソ泥なジントの『スリ取り』の技術は、本物だった。

ジントの放った《風刃》はブーメランのように角度を曲げ、アンネリエ嬢の『魔法の杖』にくっ付いていた黒いアクセサリーのような物体を、かっさらう。 その白い三日月形の《風刃》は単身、天井のスリットを器用にスリ抜けて行った。

「キーッ! 何て事を! あれ、取って来なさいよ!」
「誰が取って来るかよ、バーカ」

残りの白い三日月形の《風刃》は、密集隊形の編隊を組んで、まさにブーメランさながらに、ジントの『魔法の杖』に吸い込まれて消えた。

向かい側の牢からも、隣の牢からも、「いいぞ!」「サイコー!」と言う歓声と共に、拍手が響いて来る。 うん、わたしも同じ気持ちだよ。あんな、究極の恐怖とも言うべき、乱反射スタイルの《雷光》は、二度と御免だ。

アンネリエ嬢は真っ赤になって地団太を踏みながらも、片方の手に持っていたハンドバックに手を突っ込んだ。

――ほえ?!

取り出されたのは――2種類の香水瓶。それも、妙に色っぽいデザインの。互いに反対色と言って良いくらいの、色合いの落差のある……

「げぇ! それ、『混ぜるな危険』だぞ!」

ジントが目を剥いて、オタオタし始めた。ピンチだ。

――地下牢の中だもの、空気を逃がすスペースも、そんなに無いもんね!

「あたくし、ザリガニ型モンスター事件をシッカリ研究したのよね、オホホホホ! 闇ギルドの女なんか、永久に鎖につながれて、バーサーク化してるのがお似合いよ!」

アンネリエ嬢は、2つの香水瓶の封を切って中身を空中にバラまき、勝ち誇った高笑いをしながら、貴種ならではのスキルなのだろう《風魔法》を発動して来た。

――2つの媚薬成分の混ざった突風が、押し寄せて来る!

ひえぇぇぇ!

わたし、今は立ち上がれないくらい消耗してるし、《防壁》連発は出来ないんだよ!

*****(7)地下牢:前哨戦(後)

ジントが必死に《風魔法》で押し返したけれど――12歳未満の少年なジントでは、アンネリエ嬢の、貴種ならでの魔法パワーを押し返せない。

白いエーテルの断片が飛び散り、一部は、わたしの額に命中だ。ひえッ!

不吉な『ガチン』という音がした、その一瞬――

茜色の閃光が一面に瞬き、既視感のあるような、ホワイトフローラル系の香りが広がった。

「ヒョオォ?!」
「おい、さっき、サークレットが茜色に光ったぞ!」

隣の牢で、早くも見物し始めていたらしい、チャンスさんとサミュエルさんが奇声を上げた。

アンネリエ嬢が、宝飾細工のつるバラを巻き付けた『魔法の杖』を構えたまま、カッと目を見開く。

「本物の、守護魔法の付いてるサークレットだったの?! 『茜姫』の……!」

――ほえ?!

そう言えば、額は、怪我してないみたいだけど……?

ジントが、驚いた顔でキョロキョロしている。

空中に浮かんでいるのは、ホワイトフローラル系の香りを放つ、白金色の煙だ。 茜色の閃光が、2つの媚薬成分を無効化するような、何らかの化学反応を起こさせていたらしい。

「ウッヒョオ! 媚薬ガス、一瞬で分解したぜ! すげぇ《風魔法》の返り討ち!」

向かい側の牢に居た6人のイヌ族とウルフ族の男たちが、やはり口々に知識を披露して来た。

「そりゃ、古代の『茜姫のサークレット』シリーズの、アンティーク魔法道具じゃねぇか!」
「王族に近い名門出身の貴族や豪族しか持ってねぇ、国宝級の品って話よ!」
「ヒョオオ! 守護魔法が、まともに発動するとはな! あ、そうか、サークレットのサイズが合って……」

――わたしのじゃ無いよ! 元・第三王子なリクハルド閣下から、何故か、恐れ多くも預かってしまった品だよ!

記憶喪失なわたしには、何が何だか、良く分からない。

アンネリエ嬢の金色のウルフ尾が、バリバリに逆立っている。文字通り、怒髪天って事。

「紫色の宝飾って事は、『紫花冠(アマランス)』ね! それは『茜姫』として選ばれた貴族令嬢のための物で、 偉大なるウルフ王国の伝統の品なのよ! その辺の闇ギルドの下劣な女が、持って良い品じゃ無いわ!」

やたらと事情に詳しいアンネリエ嬢、いわく。

古代の戦国乱世の時代に作られた『茜姫のサークレット』シリーズの品。ウルフ王国全体で、わずか4個のみ。 シャンゼリンの頭にハマっていたブツは、今はアンティーク宝物庫で厳重に保管されている。それも含めれば、5個。

サークレットに施された宝飾細工は、すべて茜色の系統の宝玉だ。茜色に近い色合いのバージョンの宝玉に統一されていて、その色合いの微妙な違いによって、 各サークレットごとに《正式名》が付いている。

――『紅花冠(エリュテイア)』、『茜花冠(アリザリン)』、『紫花冠(アマランス)』、……

サークレットの製作者だった魔法職人(アルチザン)が、守護魔法の希代の名手でもあったので、非常に強い守護魔法が付いている。 いつまでも終わりの見えなかった、古代の戦国乱世の悲惨な世相ならではの品だ。その強い守護機能ゆえに、現在でも国宝級の魔法道具となっている。

そのうえ。各サークレットに施された《識別》魔法は、戦乱に伴う半永久的な盗難および紛失を防ぐため、『持ち主』を識別し、選ぶようになっているのだ。

古代の本来の『持ち主』だった、それぞれの『茜姫』に近い《宿命図》を持つ女性じゃ無いと、 その頭部に、サークレットとしてハマってくれないし、期待するような守護魔法も発動しない。

――と言う事は。

以前の『持ち主』だったと言うリクハルド閣下の亡き奥方は、さすが名門出身というか、古代の『茜姫』に似ている《宿命図》を有していた女性なのだ。 社交行事のたびに装着していたと言うし、この気難しい『紫花冠(アマランス)』サークレットが、ちゃんと頭部にハマっていたんだろう。

遂に、アンネリエ嬢が咆えた。

「その《花冠》を装着するのに相応しいのは、古代の『茜姫』の直系の子孫にして、第一の貴族令嬢たる、あたくしよ! お寄越しなさいッ!」

宝飾細工のつるバラを巻き付けた『魔法の杖』が、うなりを立てて振られる。

――ひえぇ!

わずかに《火》の赤みを帯びた、黒い《地》エーテルの刃が閃いた。

斬首の危険を直感して、思わず体勢を低くする。

その瞬間、『紫花冠(アマランス)』が、アンネリエ嬢の《地魔法》の力で弾け飛んだ。『手品師の変装、黒ウルフ耳キャップ付き三角巾』もろともに。

ジントが「おい」と言ってる間にも――

アンネリエ嬢は『紫花冠(アマランス)』をガッチリとつかんでいた。アンネリエ嬢は、苛立たし気に三角巾をむしり取ると、 頭の上に『紫花冠(アマランス)』を乗せた。

かくしてアンネリエ嬢は、華麗に身を返し、足音も高く石床を踏み鳴らして、牢を出て行った――出て行こうとした。

――カシャン。

ほえ?!

「おい、サークレットが落ちたぞ。サイズが合ってねぇぞ」
「うるさいわね!」
「ぎゃふん!」

思わず余計な口を出していたサミュエルさんは、それに相応しい仕返しを受けていた。

アンネリエ嬢の『魔法の杖』に巻き付いていた宝飾細工のつるバラが魔法の《火花》を発し、 サミュエルさんの黒茶色の毛髪の全体を、あっと言う間に黒焦げのパンチパーマにしていたのだった。おまけに、チャンスさんも余波を食らっていた。

「オレの自慢の金髪が! サミー、余計な口、叩きやがって!」
「それはこっちのセリフだぜ、チャンスよ!」

結局、ズカズカと地下牢を出て行くアンネリエ嬢の頭には、『紫花冠(アマランス)』はハマっていなかった。

元からそうであったかのように、『紫花冠(アマランス)』は、手首をグルリと取り巻く持ち運びバージョンの大きさになっていた。 ブレスレットさながらに、アンネリエ嬢の手首に巻き付けられている状態。

向かい側の牢に居たイヌ族とウルフ族の6人の男たちが、恐れ入った様子で、ブツブツと言い交わしている。

「何か見覚えがあるな」
「おう。シャンゼリンも、ああやって持ち運んでたぞ」
「サークレットなんだから、普通は頭にハメる筈なんだが。ハマらんからブレスレット様式にしてたって訳かよ」
「確か、《識別》魔法が付いてたってか。本当に持ち主を選んでんだな」
「男物も、一応、存在するんだろう」
「あるこたぁ、あるぞ。公式行事用の『銀牙』って言う銀色のサークレットがな。王族限定だが」

その会話の合間、合間に、ウルフ耳を通じて、異音が聞こえて来る。

――アンネリエ嬢が、地下牢の階段の大きな段差を一歩ずつ、『ガシッ、ガシッ』と登って行く音が。

*****

まだ息は安定してないけど――何とか体力が回復して来たようだ。

ゆっくりと身を起こす。首輪の鎖が巻き付いている鉄柱につかまり、フゥフゥ言いながら、ソロソロと立ち上がる。

まだ体力消耗しているという感じは残っているものの――とりあえず、歩けるようだ。だけど、《防壁》レベルの重量級の魔法の発動は、まだ無理っぽい。

暫し、無言で灰褐色のウルフ耳をピコピコさせていたジントが、急に振り向いて来た。

「無駄にしてる時間はねぇぞ、姉貴。『雷神』が、今回の『茜離宮』の魔法道具業界の社交パーティー会場に来てるんなら、それこそ、とっ捕まえねぇと」

新たに思いついた内容が、衝撃的だったみたい。ジントの顔色は、すっかり変わっている。

「オレの勘じゃ、あのフード男『雷神』は、今日、あの『偽クレド野狼(ヤロウ)』と、地下水路でやり合った件の決着をつける筈だ。 あの時、『今は命拾いした訳だ、覚えてろ』って言ってただろうが」

――うぅッ!

「あいつ『王族と取引する』というような事も言ってたけど、話が決裂するのは見えてるぞ。『雷神』は絶対、 強烈な《雷攻撃(エクレール)》用の魔法道具を持って来てる。場合によっちゃ、モンスター襲撃の時以上に死人が出るぜ」

――心当たり、有り過ぎる!

脳内にパッと閃いたのは、あの不気味な魔法道具、古代の《雷撃扇》。

バーディー師匠の説明を思い出す限りでは、先刻のアンネリエ嬢の魔法道具《散弾剣》どころじゃ無い筈だ。 色々あり過ぎて、ゴチャゴチャと混乱してるけど。何故だか、不気味なくらい、確信に近い直感がある。

ジントは、紺色マントの下で盛んに手を動かし始めた。『手品師も驚くマジックの収納袋』を探っている。すぐに、ジントは目当ての物を取り出したようだ。

――金剛石(アダマント)製の、脱獄用の、多目的ピッケル?

今や、隣の地下牢でも、向かい側の地下牢でも、『何をやってるのか』と、ポカーンとした眼差しでいっぱいだ。 わたしも、ジントが何をやろうとしてるのか、良く分からないんだけど。

多目的ピッケルは、さすが金剛石(アダマント)製だ。

ピッケルの尖った端で、首輪を連結している鎖の部分を力いっぱい叩くと、鎖が、あっさりと千切れた。重い首輪は首にハマったままだけど、鎖が切れたのは大きい。

次にジントは、多目的ピッケルの平らになった端を、ゴツゴツの石の床に押し付けた。《風魔法》でもって、そのピッケルの端を押し付けながら、グルグルと駆け回り始める。

わお。さすが最大硬度の奇跡の素材、金剛石(アダマント)。見る見るうちに、ゴツゴツの石の床が平らに削れて行く。

ジントが、不思議な作業に一区切りつけた後――

屋外テントの床と同じ程度のスペースではあるけど、平らな床面が、そこに出現していたのだった。

「おーし。これくらいだったら、転移魔法陣も大丈夫だろ。姉貴、転移魔法陣を描いてくれよ、あの時のように」

――な、成る程、そう言う訳だったのか!

或る程度、平らで滑らかな面じゃ無いと、有効な魔法陣をセット出来ないから!

向かい側の牢の6人のオッサンたちが、次々に感心したような言葉を投げかけて来た。

「あったま、えぇのぉ」
「よっぽど便利な収納袋を手に入れたんだな。俺にも分かんなかったよ」
「首輪のロック部分なんか、闇ギルドの隊士崩れとか、魔法使いに金を払えば、一発だしよ」
「おい、コソ泥チビよ、宮殿の件なんか放っといて、俺らの仲間にならねぇか」

ジントの返答は、ハッキリしていた。

「悪いけど、先約が入ってんだよ。急げ、姉貴!」

正確な形の魔法陣を描く事なら、お任せだ。『魔法の杖』を振ると、平坦になった石床の上に、一定量の青いエーテル流束が流れて行く。

あっと言う間に、転移魔法陣の形が出来上がった。

ついで、ジントが《風魔法》を発動した。白いエーテル流束が青い転移魔法陣の形をなぞり、あふれ、まばゆく輝き出した。 わたしとジントの周りに、白いエーテル列柱が立ち上がる。

「ヒョオオ! 頑張って生きろよ~」
「あの、よぅ分からん爆弾女の狼藉の件は、シッカリ証言しとくからな~」

転移魔法が始まった瞬間、隣の牢のチャンスさんとサミュエルさん、それに向かい側の牢の6人の男たちが、良く分からない激励をして来たのだった。

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深森の帝國