―瑠璃花敷波―15
part.15「予兆:風雲、急を告げる」
(1)目下の問題点の提示と検討
(2)古代遺物《雷撃扇》
(3)窓の外には怪しい人影
(4)ラウンジ:もうひとつの邂逅(前)
(5)ラウンジ:もうひとつの邂逅(中)
(6)ラウンジ:もうひとつの邂逅(後)
*****(1)目下の問題点の提示と検討
翌日の今日は、朝から雨が降っていた。季節の変わり目は天候が不安定。
真昼の刻、城下町で続いていた『モンスター商品マーケット』が終了する事になっている。
ジントは朝早くからザッカーさんに捕まって、衛兵部署の訓練場で、しごかれているところだ。
近く、『茜離宮』の方で、他の多くの種族も参加する国際的な社交パーティーが開催される予定。宮廷の公式行事だ。
魔法道具の業界で活動している業者たちが、宮廷社交と見本市の開催とを兼ねて集まる。とても重要な催しであり、それに間に合わせるためだそうだ。
わたしの方はと言えば。
日常魔法が使える条件が揃ったと言う事で、先生がたの立ち合いの元、まずは《魔法署名》と幾つかの初歩的な《水魔法》を試す事になった。
――結論から言えば、どちらも無事に出来た。何だか感動的だ。特に《水まきの魔法》と《洗濯魔法》が上手くできたのは、
多分、風俗街で育っていた時に、そのお手伝いが多かったせいだと思う。
その一方で、《水まきの魔法》と《洗濯魔法》、《水玉》以外は、全くできなかった。
特に基本的な攻撃魔法《水砲》が《水玉》になってしまうのは、ビックリだった。
元・サフィールだった時も、ほとんどの日常的な《水魔法》が不発だったそうなんだけど……これは割とショックだ。
発動できる日常魔法の種類が少ないのは、イヌ族との混血ゆえの魔法能力の特徴なんだそうだ。特に混血ウルフ女性に現れる特徴だと言う。
混血ウルフ男性の場合は、それ程でも無いけど。
――そう言えば、魔法能力の発現に関わると言う《宿命図》中間層、わたしの場合、半分くらい暗かったよね……
おまけに、『魔法の杖』通信も不発だった。これは、専用の魔法道具でカバーできるそうなので、先生がたに適当なのを製作してもらう事になった。
元・サフィールだった時も、わたしは『魔法の杖』通信のための魔法道具セットを『魔法の杖』にくくり付けてたそうだ。
――今現在の『魔法の杖』には、くっ付いていない。此処に来る間に、《雷攻撃(エクレール)》魔法で弾け飛んでしまったらしい。
そして。
わたしの《魔法署名》は、《水霊相》生まれという事実を反映して、青い色が多い構成になっていた。
上級魔法の一種《解析魔法》に通してみると、配線の一部は、正確な《盾の魔法陣》を描いているのが判明する状態だ。
この《魔法署名》に現れた特徴は、バーディー師匠とアシュリー師匠とディーター先生の間で、ちょっとした議論になった。
「当たり前ではあるけれど、半覚醒状態ながら《盾持ち》の相が出てるわね。当然、この《魔法署名》を解析すれば、
魔法部署のトレヴァー長官も、上級魔法使いであるジルベルト閣下も気付くわね、ディーター君?」
「間違いなく気付きますね……まさに資料の図解の通りですな」
――成る程。《魔法署名》の構造の中に《盾の魔法陣》が確認できる場合、《盾持ち》と判断される。
わたしは、一応《盾持ち》って事なんだろうなぁ。
もっとも、その部分の星系は暗くなっている状態と言うか、半覚醒状態だと言われているから、本格的な《盾持ち》と言う訳でも無さそうだけど。
バーディー師匠が、しきりに銀白色の冠羽をユラユラさせながらも、思案に沈んでいる。
「此処は、工夫のしどころじゃのう。ウルフ王国に《水の盾》を置く場合、闇ギルドや反社会的勢力とホイホイつながったり、
無様にやられたりするような、非力な連中に身柄を任せる訳にはいかんからの。
そしてトレヴァー長官は、既に高齢じゃ。ディーター君は、トレヴァー長官の後継者になるつもりは無いのじゃろう?」
ディーター先生は、あからさまに困惑顔になった。
「考えるのも嫌ですね、申し訳ありませんが。この『ポンコツ』には、トレヴァー長官ほどの政治力は有りませんよ」
「実力的には申し分ないのにのう。ウルフ王国の内部事情と言うのも大変だな。後釜に決まっているのは誰なのじゃ?」
バーディー師匠とディーター先生の相談に、アシュリー師匠も加わって、ヒソヒソ話が続いた。宮廷政治の力関係の都合とか、色々あるらしい。大丈夫かな。
ヒソヒソ話が続いている間、フィリス先生に付き添ってもらって、《変身魔法》を試してみる。
変身途中でマゴマゴして、フィリス先生に《変身魔法》を調整してもらう一幕が4回ほど続いたけれど、5回目に、わたしは無事に『狼体』に変身できた。
チャコールグレーな、痩せぎすの小柄なメス狼なんだけど、ちゃんとした『狼体』。
ちょっと不思議な気持ちになった。大窓のガラスの前にチョコンと座り、初めて見るとも言える、自分の『狼体』の姿を映してみる。
首を傾げたり尻尾をピコピコしたりしていると――
見上げるようなレオ族の大男が、いきなり大窓を開けて入って来た。レルゴさんだ。わお。ドッキリ。
「おぉ? 何だい、この細っこい、黒か灰色か分からん狼は……おッ、左の首根っこに『茜メッシュ』……って事は、
おい、もしかして本当に、あの『炭酸スイカ』のチビか?」
レルゴさんは仰天したような声を上げながらも、『狼体』なわたしの首筋を、ヒョイと摘まみ上げて来た。ひえぇ。
――た、高い! 高いッ!
「あうわうわぉわぉわぉ~ん!」
思わず、狼の鳴き声なのか人間の悲鳴なのか、良く分からない声を上げてしまったよ。四つ足ジタバタ。
レルゴさんが目をテンにしている。ディーター先生が気付いて駆け付けて来て、訳知り顔で、パニックなわたしを引き取って地上に降ろしてくれた。
「高所トラウマ発動だな」
「はぁ? 高い所が苦手ってヤツか?」
まだショックで、尻尾が丸まって震えてるよ。全身プルプル。
バーディー師匠とアシュリー師匠が、吹き出し笑いする直前の、何とも言えない奇妙な顔で見つめて来ていた。
フィリス先生が『ハーッ』と溜息をつきながら、頭を振り振りしている。
――ウルフ族なのに、『狼体』なのに、高所トラウマ……何だか、ショックだぁ。ひえぇえ。
思わず、前腕の中に顔を埋めてしまう。何だか恥ずかしくて、身の置き所が無いよ……
*****
場を仕切り直して――わたしは落ち着いて、『狼体』から『人体』に戻った。
ちょうど真昼の刻と言う事で、皆で昼食会となる。
早速、レオ族のレルゴさんがホクホク顔で、『モンスター商品マーケット』での成果を話し出した。良い取引が出来たみたい。
新しい魔法道具の噂などについても、アシュリー師匠やバーディー師匠、ディーター先生、フィリス先生と共に、色々と話が進んだ。
わたしを拘束していた、あの不気味な『呪いの拘束バンド』は、あの一品だけだったみたい。
似たような魔法道具は今のところ、出て来てないそうだ。それはそれで、割と不気味。
恐らく、『サフィール個人』を捕縛するために特注され、開発された、マーケットには出回らない程の超高額の商品だったのだろう――と言う結論になった。
余りにも使用範囲が限定されるような高額の商品になると、マーケットが無いしね。
昨日、わたしが早くも遭遇した災難、中型モンスターと化した毒ゴキブリと赤ザリガニによる『ナンチャッテ・モンスター襲撃』の件は、
早くもレルゴさんの耳に入っていた。チャンスさんとサミュエルさんが持ち込んで来ていた、禁制品『魔の卵』が原因。
あの金髪イヌ族の不良プータローな『火のチャンス』のトラブルメーカーぶりは、魔法道具の業界でも有名だそうだ。チャンスさん、ナニゲに凄いヒトだなぁ。
バーディー師匠が「ふむ」と意味深に呟いた。
「レルゴ殿よ。問題のイヌ族『火のチャンス』が以前に持ち込んで来たと言う、あの真っ赤な『花房』付きヘッドドレスじゃが。
誰がバラまいていたのかは、突き止められたかね?」
レルゴさんは、困惑しきりと言った様子で、太い眉をしかめて応じている。
「いやー、それがな。結論から言えば、収穫は無かった。あのプータロー男は、妙に、ひと足だけ遅れるのが常らしいな」
*****(2)古代遺物《雷撃扇》
レルゴさんは眉根をギュッとしかめたまま、茶色をした無造作なタテガミをしごき始めた。思案のポーズだ。
「少し前に、全身ガブガブやられて惨殺されたウサギ族の女――ランジェリー・ダンス女優なんだがよ、
そいつの知り合いが仲介してたらしいという話は小耳に挟んだ。最近、ここらあたりに、種族系統の不明なフード姿の大男が出没してるそうだな」
フィリス先生が真剣な顔をして頷いた。
「まさに、その謎のフード姿の大男が怪しいわ。先日の『マーロウ事件』でも、その大男の目撃談がチラッと出ているの。
シャンゼリンを殺害したのも、彼である可能性が高いのよ」
「そうかよ。それだけ出没していて、フードを外した時の顔が分からんと言うのも剣呑だな」
レルゴさんはタテガミを更にガシガシとしごくと、思いついたかのように、やおら雨合羽を持って立ち上がった。フードタイプの雨合羽だ。
「レオ族がフードを付けると、こうなるんだが、感じは似てるか?」
レルゴさんはフード姿になった。今、実際に着ているのは、雨合羽だけど。
わお。こうしてみると、レオ族の自慢のタテガミって、結構、ラインに出るんだ。頭部だけ、ブワッとデカイって感じ。
毛髪の一種であるタテガミがフードを押し広げている分、テルテル坊主って感じ。何か可愛い。
フィリス先生が生真面目に首を傾げた。
「身体のラインは何となく『それっぽい』けど、頭部が明らかに違うわ。謎のフード姿の大男の頭部は、もっと削れてたから」
「タテガミ持ちに、不吉な表現を使ってくれるなよ。タテガミをやられるのは、えらく自尊心に響くんでな」
レルゴさんはブルッと身体を震わせながらも、雨合羽を脱いでいる。
ディーター先生とアシュリー師匠が、首を傾げながらも、同じ結論に達した様子だ。
「どうやら、不良クマ族と思って良いようですな、アシュリー師匠」
「大柄なのにタテガミの気配が無いのなら、クマ族の可能性が高いわね。非合法の魔法道具の業者では、クマ族も多いし」
レルゴさんも、うむうむと頷いている。そして、ふと思い出したと言ったように、バーディー師匠に声を掛けた。
「今度、『茜離宮』の国際の公式行事がある。ウルフ国王夫妻が臨席する魔法道具の業界の社交パーティーだ。
私も招待状をもらってるから、バーディー師匠も同伴して頂きたいんだ。クマ族の大物の業者が、興味深い新商品をお披露目する予定だと言う話を、小耳に挟んでいる」
バーディー師匠は、いつものように面白そうな顔で、穏やかに頷いた。
「勿論じゃよ、レルゴ君。そうそう、ディーター君も出席する予定なのじゃろう?」
「えぇまぁ。最近アンティーク宝物庫から紛失した『豊穣の砂時計』の類似品の噂を聞きましたから」
「フォフォフォ。ディーター君の礼装姿、楽しみじゃのう」
ディーター先生は微妙な顔になって、ガックリとうなだれた。上級魔法使いの礼装をまとうのは苦手みたい。
何でも、普段の灰色ローブ姿じゃ無くて、《地霊相》生まれに合わせて、上等な布で仕立てた真っ黒なローブをまとうんだそうだ。
それはそれで迫力が倍増しそうな気がするし、見てみたい気もするんだけどなぁ。
ふと、『黒色』と『魔法道具』の組み合わせでもって――
――タイミング良く、記憶がよみがえった。
昨日、アンネリエ嬢が言及した『雷玉』という名前の、謎の黒い宝玉。
「おや? 何か思いついて居るようじゃな、ルーリー?」
早速、バーディー師匠が面白そうに声を掛けて来た。すごい。何も言ってないのに、何で気づいたんだろう?
「記憶喪失になっても、無意識のクセは変わらんのう、ルーリー。今の方が、尻尾が幼児退行しているだけ、分かりやすくなっているのじゃよ」
思わず、尻尾を見直してしまったよ。さっきまでピコピコしていたみたい。もしかしたら、ウルフ耳の方も。
わたしは早速、アンティーク魔法道具とされている『雷玉』なる謎の宝玉について説明した。
ジントとメルちゃんの推測、それに小物屋さんの初老な店主さんのコメントも加えて。
――扇のパーツのような、細長く変形した長方形の平たい宝玉。
黒水晶のような透明な黒い板に、銀色の放電図形の模様が入っている。
静電気を溜め込んで、青白く光るだけの厄介者だけど……もしかしたら、《電撃ショック》系統の魔法道具の一部なのかも知れない。
魔法道具が専門とあって、レルゴさんも興味深そうな顔で耳を傾けていた。ホントにライオン耳がピコッと傾いている。
「ううむ。こいつぁ、かなり興味深い魔法道具だな。誰かがパーツを集めているかも知れんと言うのも、気になる。
古代の魔法道具、原形が分からないくらい散逸したブツが多かったと記憶しているが……バーディー師匠」
バーディー師匠が真っ白な眉毛をしかめながら、思案に沈んだ。
「話を聞く限りでは、まさに我ら鳥人の先祖が開発した《雷撃扇》の一部のようじゃ。それだけ放電図形の模様もハッキリ出ているとなると、
今でも、パーツを集めれば有効に発動するかも知れんのう。小物屋の見立ては正確じゃよ。《雷撃扇》は36橋で、最大攻撃力を発揮するのじゃ」
バーディー師匠は、銀鼠色のポンチョの内側から縮小タイプの『魔法の杖』をスッと取り出すと、魔法のスクリーンにイメージを投影した。
小型、中型、大型の、黒い扇形のイメージが、魔法のスクリーンに並ぶ。
――小型の物は、わたしでも持てるような、華奢なタイプのアクセサリーのような扇だ。中型は少し大きくなっていて、大柄な男性用の扇という感じ。
大型の扇は、もっと大きいサイズだ。大柄な男性でも扱いに困るくらいの、異様な幅にまで広がっている。壁に飾るための物なんじゃ無いかと思ってしまう。
――アンネリエ嬢が説明していた大きさの謎の宝玉だと、パーツを集めれば、まさに大型の《雷撃扇》になるなぁ。
わたしが、あからさまに最大サイズの扇に注目していたから、話に出た謎の宝玉パーツの大きさは、一同の面々にパッと伝わったみたい。
バーディー師匠が、陰気な様子で、ボソッと呟いた。
「大型の《雷撃扇》の最大攻撃力は、ほぼ最大級の《雷攻撃(エクレール)》魔法に匹敵し、超大型モンスター《大魔王》を一撃で粉砕する程のレベルじゃよ」
ディーター先生とフィリス先生が、青ざめた。アシュリー師匠も息を呑んでいる。
「すげぇ魔法道具だな。闇ギルドのヒャッハーな連中が、喜んで取引しそうだ」
レルゴさんが、圧倒されたように呟いた。
バーディー師匠は、ポンチョの中で腕組みをしている。銀白色の冠羽が、思案深げにユラユラと揺れていた。
「破壊的なまでの攻撃魔法の道具じゃから、我ら鳥人の先祖は古代の或る時期、一斉に大型の《雷撃扇》を破棄処分したのじゃよ。
今、残っているのは、どれ程に強くても、大型モンスター対応の《雷撃扇》じゃ。それ程の大型の物が、1パーツとは言え、まだ残っているとは思わなかったがのう」
レルゴさんは、無造作なタテガミをガシガシとしごいていた。
「レオ帝都では、ほぼ残ってない筈だ。レオ族の同業者仲間でも、そんな奇妙な形をした魔法道具の話は聞かないし。
ただ、冒険者ギルドの方では奇妙な盗掘品の情報が度々出ているし、古い魔境や難所の周辺の古代廃墟では、まだ残っていたという可能性はあるかも知れん。
今度の社交パーティーでは他種族の同業者とも大勢会えるから、この件も聞き回ってみるか」
冒険者ギルドでは、発掘品や盗掘品の匿名取引も扱っているんだそうだ。
打ち捨てられた古い地下迷宮(ダンジョン)や見張り塔から出て来た古代遺物には、意外に換金価値の高い物もある。
本来、そういった古代遺物の発掘や管理はアカデミーの古代史部門で扱っていて、学生ギルドのみの開放になっているんだけど、
マネーに目がくらんでルールをコッソリ破る人は、いつでも居るもんね。
*****(3)窓の外には怪しい人影
ひととおり情報交換が済んだ後、フィリス先生とわたしは、中庭広場のミニ商店街に繰り出した。
外は雨ではあるけれど、今日はジリアンさんの美容店の当番日だ。
この間、わたしは、地下水路で遭遇した《雷攻撃(エクレール)》系の攻撃魔法で、一時的にパンチパーマにされていた。
その時に髪の毛の端が焼け焦げてしまったので、端を整えてもらう事になっていて、あらかじめ予約を入れてある。
わたしは、外出に際して、『手品師の変装、黒ウルフ耳キャップ付き三角巾』を巻いているところ。
最初、この三角巾に、先生がたは皆ビックリしてたんだけど、今の時点では賢いやり方だと感心された。コソ泥なジントの面目躍如ってところだ。
美容店に近づくと、綺麗な金髪のジリアンさんが、待ちかねていたかのようにサッと戸を開いて来た。
「いらっしゃいませ、ルーリー。首を長くして待ってたわ、フィリス叔母さん! 色々、恐ろしく奇妙で大変な事があったと言うじゃ無いの。もうビックリよ!」
ジリアンさんの美容店には、意外に人が集まっていた。お客さんじゃ無くて見物人。
アンティーク部署のラミアさんとチェルシーさんとヒルダさん、それにメルちゃんとメルちゃんの母親ポーラさん。
メルちゃんが『此処だけの話だけど』って事で、冒険談を披露したんだそうだ。
この間のザリガニ型モンスター襲撃の夜、地下水路の大冒険で《雷攻撃(エクレール)》の余波にやられた事や、
魔法事故さながらの大爆発で『呪いの拘束バンド』が外れたと言う事を知って、興味津々で集まって来たと言う。
ジリアンさんが、わたしを手早く客席に座らせ、散髪ケープをセットしながらも早口で喋っている。
「メルちゃんの毛髪全体に、二度重ねの電気系パンチパーマの痕跡が残ってたの。《火》エーテルによる爆発系の染色もね。
1回の災難だけじゃ、こうならないから、絶対、他にも何かあると思ってたのよ」
さすがのフィリス先生も、苦笑いだ。
「ジリアンが、御用達レベルの腕前って事を失念してたわ」
賢いメルちゃんは、『何を秘密にするべきか』と言うポイントを、シッカリと押さえていた。
メルちゃん、諜報力スゴイ。
問題の《雷攻撃(エクレール)》を発動していたのは、2人の怪しいコソ泥の『魔法道具使い』という話になっていた。
『魔法使い』じゃなくて、『魔法道具使い』。一応、嘘では無い。
くだんの、大型の魔法事故さながらの『呪いの拘束バンド』の大爆発の件でも、『ディーター先生は極め付きの変人だ』という評判が、良く効いた。
『火のチャンス(化けの皮)』のバラバラ死体の凄まじさを見れば、一発で納得だもんね。
昨日、面白がった衛兵の誰かが『火のチャンス(化けの皮)』の成れの果てを、記念写真として撮影していた。
それが城下町の『風の噂』のタネになっていて、ヒルダさんも早速、目と耳に入れていた。
火のチャンス本人は、火のサミュエルと一緒に地下牢でお仕置き中だけど、釈放されて城下町に出て来たら、サーカス小屋で話題のゾンビ役をやる予定になっているそうだ。
サーカス小屋の支配人が、拘束魔法陣をセットした魔法道具を色々と用意して、手ぐすね引いていると言う。チャンスさん、これから大変だね。
わたしの『呪いの拘束バンド』が外れた件、皆さん喜んでくれた。
この拘束具をハメた人物の正体は、まだ分からないままだから、当分の間は秘密にしていて欲しいと言うお願いも、理解してくれた。有難うございます。
ジリアンさんのハサミが、あっと言う間に、わたしの焼け焦げた髪の端を整理して行った。早いなぁ。
「ウルフ族の毛髪パターンは、これが自然だからね。それにルーリーのウルフ耳は母親ゆずりなのかしら、意外に形が良いわよ。ビックリしたわ」
わたしの髪型の整理が済んだ後、ジリアンさんは、遠慮しているフィリス先生を客席に座らせた。
「フィリス叔母さん、この時期になると毛髪の伸びがチグハグになるじゃない。魔法道具の業界の社交パーティーでは、魔法使いとして出席するでしょ。
中級魔法使いだから灰色ローブ着用だし、灰色の布の上だと、フィリス叔母さんの髪色は目立つのよ」
フィリス先生の髪は年齢相応に長いから、ジリアンさんも慎重に長さを見定めて、カット作業している。
ジリアンさんのハサミ音が一定のペースで鳴り出すと、ポーラさんとラミアさんとチェルシーさんが、思い出したように近況を語り始めた。
最初に口火を切ったのは、最年長者ラミアさん。
「巨大ダニ型モンスターとムカデ型モンスターの襲撃が終わって落ち着いて、従業員や民間護衛と一緒に、城下町の系列店の被害状況を見て回ってたのよね。
チェルシーのアンティーク宝飾品店も私のとこの系列店だから、見に行ってたのよ。
幸い、私たちが店を出しているストリートは余り被害は無くて、防虫剤を練り込んだ漆喰を塗り直すなどと言った作業で済んで……」
系列店の被害への対応が、一区切りついて。チェルシーさんとラミアさんは、チェルシーさんのアンティーク宝飾品店で、休憩を兼ねて午後のお茶を囲んでいた。
そこへ。
見知らぬ人からの、『魔法の杖』を通じた通信の光が、チェルシーさんの『魔法の杖』を瞬かせたと言う。
連日モンスター事件の後処理に関わっていて、ようやく休みが取れて同席していた御夫君グイードさんも、一瞬だけ『新しい男からか?!』と、ギョッとしたそうだ。
魔法通信の発信主は――『地のアシュリー』だった。噂に聞くのみの、ウルフ族出身の大魔法使い。
フィリス先生の紹介で、通信を送って来ていた。内容は、以下のような物だった。
――最近、チェルシー殿が入手したと言う『水のサフィール』中古ドレスについて、少しお聞かせ願えますでしょうか。
そこまで語った後、ラミアさんは首を振り振り、『ハーッ』と溜息をついていた。
「もうビックリしたわよ。大魔法使いアシュリー師匠おんみずから、いらっしゃったんだもの。本物だし、グイードさんもピシッと緊張してたわよね、チェルシー」
チェルシーさんが、にこやかに頷いた。
「お蔭で、あのドレスには本当に毒物を検知する染めがあった事が分かったわ。
それに、アシュリー先生はアンティーク魔法道具についての造詣も深くてらっしゃって、思わぬ勉強会になったわね」
ポーラさんが言葉を継ぐ。
「あの染めは知らなかったわ。織り目に沿って光沢が出るから、凝った織の布地に向くタイプ。
辺境ではスタンダードだけど、中央では忘れられた技術って多いのね。
それにね、その染色を施した試作品の布を展示していたら、この間、ランジェリー・ダンスの女王ピンク・キャットが興味を示して来て、
ついでにドレスを注文して行ってくれたわ」
――ほぇ?! あの濃いピンクのハイヒールの、あの妖艶なピンク・キャット?!
「そうなのよ。舞台用の派手なお化粧を落とすと、ネコ族の淑女って感じ。実際に、レオ帝宮へも出入りしている女優だし。
本名は……あら、何と言ったかしら、度忘れしてしまったわ」
妙に情報に強い黒狼種、風のヒルダさんが早速、解説を入れた。
「獣人ネコ族、風のラステルよ。イメージが全く違うから、ビックリしちゃうわよね。
それにジリアンさんの旦那ジュストさんが仰天するような話を、落として行ったしね。それで今日、ジュストさん、財務部門に緊急報告に行ってるし」
――ふむむ?
首を傾げていると、メルちゃんが、こっそりと肘(ひじ)を引っ張って来た。
「この間さ、怪しいバニーガールの話が出たでしょ。ピンク・キャット、そのバニーガールと同じダンス女優仲間だったもんで、
衣装室とかで、怪しい儲け話を小耳に挟んでたんだって。危ない話をしてるから、度々バニーガールに注意してたそうなんだけど、遂にバニーガール、死んじゃったでしょ」
わお。バニーガール。
思い出したよ! タイストさんの事件で捜査線上に出て来た、バニーガール!
ビックリ仰天していると、ヒルダさんが「そうなのよね」と相づちを打って来た。
「密輸に関わる商人は、ほぼ仮名とか通名で活動しているから、本名の情報の方はピンク・キャットも関知してない状態なんだけど。
『ミラクル☆ハート☆ラブ』の方で、特に大量のマネーが流れていた密輸商人を、5名も挙げてくれたのよ。それも、ドレス注文の際の、待ち時間をつぶす余談の合間にね、ポロッと」
1人は、言わずと知れた、仮名『逆恨みのプリンスたち』。正体は勿論、ウルフ族・金狼種の貴公子マーロウさんだ。
マーロウさんと大型取引をした、もう1人の密輸商人は黒毛イヌ族で通名『大魔王』。
数年前に超大型モンスター《大魔王》商品を手に入れるチャンスがあって、それで成り上がった新興商人らしい。
元々は、方々の風俗街で非合法の媚薬を扱っていたようで、媚薬入り香水瓶がメイン商品。
その『大魔王』を名乗る黒毛のイヌ族、媚薬入り香水瓶と一緒に、非合法のモンスター毒を大量に扱っている闇商人だったそうなのだ。
夏の宮廷開きのパーティーが『茜離宮』で開かれていた頃、『大魔王』と『逆恨みのプリンスたち』は大型取引をしていた。その商品名が『天国と地獄』。
これは闇で使われている秘密言葉。『モンスター毒の濃縮エキス』の言い換えだと言う。
――それ、決定的情報じゃ無いか!
タイミングから言っても、間違いなくアルセーニア姫の殺害に関わった毒物だよ!
驚きの話は、まだ続く。
3人目と4人目は、クマ族のヤクザ。ザリガニ型モンスターに関わっていたチンピラたちの元締め。
片方は、ザリガニ型モンスターの暴走を止めようとして、あえなく死亡。城下町で、モンスター肉を切り取ろうとしていたチンピラたちに混ざってたそうだ。
もう片方は逃走中。レオ闘獣を持ち込んで来ていたそうだから、恐らくは戦闘奴隷を扱っている奴隷商人。
最後の5人目の密輸商人は通名『雷神』。他の闇商人たちが――『大魔王』を名乗る黒毛イヌ族の命知らずも含めて――畏怖を込めて、そう呼んでいたと言う。
種族系統の不明なフード姿の大男。顔を見た人は居ない。逆らうと、強烈な《雷攻撃(エクレール)》でバラバラにされる。だから『雷神』。
――謎の5人目の男、バニーガールと一緒に居たと言う謎の大男なんだろうか。シャンゼリンの殺害現場にも、フード姿の大男が居た。
いつだったか地下水路でも、すごく奇妙な宝玉杖を持っていて、強烈な《電撃ショック》魔法を発動していたし。
ゴロゴロ、ドシャーン!
「キャアッ!」
一瞬、窓の外で雷が落ちた。ヒルダさんが悲鳴を上げて飛び上がる。
気が付けば、スッカリ雷雨だ。激しい雨が降り注いでいる。分厚い雲で、辺りは暗い。季節の変わり目ならではの、天候の急変だ。
「ビックリしたわね。帰る頃には、雨脚は落ち着くかしら?」
皆で、思い思いに窓の外を窺う。すると――
美容店の端の方にある窓で――外にあった何かが、『サッ』と動いた。動いて消えた。
――あれ?
「どうしたの、ルーリー?」
わたしが目をパチクリさせていると、ほぼ毛髪カットを終えていたフィリス先生が、声を掛けて来た。
「えっと……あの、端の窓で、何かが動いたような……」
「あの窓?」
ジリアンさんが不思議そうな顔をしながらも、『魔法の杖』を振り向けて、その窓にある夜間照明を光らせる。
炭酸スイカの緑のツルが、下がっている。何処も変わっているようには見えないけれども……
「……妙に脇に移動してる。ツルで全面的に塞いでいたんだけど、誰かが動かして、のぞき見してた……?」
――え。それって。
フィリス先生が早速、『魔法の杖』を構えながら、窓の周辺を調べ出した。
「泥棒よけの電撃ロックを解除しようとした痕跡があるわ。ジリアン狙いのストーカーかしら?」
「あの変態ワル男『水のジョニエル』の件は、モンスター襲撃の際に解決したと思ったんだけど」
ジリアンさんが首を傾げている。
「たまたま避難所が男娼専門の……それも美少年を売りにする風俗店で、何故だかボーイズ・ラブに目覚めちゃったみたいでね。
今は11歳から12歳の美少年に飢えてるそうなの。この間、灰褐色の美少年を見たんですって。
押し倒して抱き締めて、ベッドの中で愛を告白する予定だと、ハァハァしながら言ってたわよ」
――何だか、覚えのあるような身体特徴だなあ。
そう言えば、店員姿な美女ジリアンさんは、チュニックとズボンと言う組み合わせも相まって、今は美少年みたいにキリッとしているように見える。
11歳から12歳の灰褐色の毛髪……
……わたしの知ってる人物じゃ無いよね、メルちゃん?
メルちゃんは肩をすくめながらも、面白そうに目をキラキラさせて応じて来た。意外に、おしゃまさんだね。
*****
激しい雷雨は、翌日には上がった。
ジントは、灰褐色の子狼の姿になって、わたしのベッドの下のクッションの中でグッスリだ。
昨日、衛兵部署の方で、ボーイズ・ラブに目覚めた噂の変態男にしつこく追いかけられ、『愛してる』と迫られていたそうで、散々だったらしい。
お蔭で、ザッカーさんに借りを作ってしまう羽目になったとか、ならなかったとか……
やはり名前は、ジリアンさんに聞いたのと一致していて、『水のジョニエル』さん。筋肉ムキムキの胸毛ビッシリの上半身裸の上に、
フリル&レース満載のドレスシャツを着ていたそうだ。
この『水のジョニエル』さんという青年ウルフ族、驚いた事に、わたしたちが以前に見た事のある人物だった。
数日前、病棟に併設されている図書室の窓の外で、金髪イヌ族『火のチャンス』さんと、
ガラの悪そうな謎の純金の長髪ウルフ男が、マネロン用と思しき怪しい金融魔法陣ボードを使って、何やらアブナイ取引をしていたんだけど。
そのガラの悪そうな謎のウルフ男が、何と『水のジョニエル』さんだった。確かに、その時の彼も、フリル&レース満載の上等な衣服を着てたような気がする。
一方で、気になる事が出来てしまった。
ジントが『水のジョニエル』さんに追いかけられていたタイミング。フィリス先生とわたしが、ジリアンさんの美容店を訪れていたのと同じタイミングだったんだよね。
――昨日、美容店の窓の外に居た人影は、『水のジョニエル』さんの物じゃ無いんだ。誰だったんだろう。
あんな雷雨の中で、ワザワザ、美容店をのぞき見する理由――いったい何だろうか。
土が剥き出しになっていないポイントだったから、足跡は無く。残りの痕跡も、激しい雨ですぐに流れてしまったのか、昨日の時点で、既に分からなくなっていた。
――不吉な予感がするけれど……
*****(4)ラウンジ:もうひとつの邂逅(前)
朝食は、いつものように仕事見習いのメルちゃんが、配膳用のサービスワゴンに乗せて持って来てくれた。
ディーター先生の研究室の方で、ディーター先生やフィリス先生、ジントとメルちゃんと、朝食を済ませた後――
今日の予定について、ディーター先生が話を振って来た。
「昨日ジルベルト殿から、『今日のティータイムの刻にルーリーを借りたい』と言う話があったんだ。まぁ、借りると言うよりは借り受けるという方だがな。
ラウンジの、仕切りのある個室の方の予約を入れて待っていると言って来た。ジントも出席する必要がある。
訓練隊士の隊士服を支給されただろう、失礼に当たらないように、それを着ろ」
――ほえぇ?!
名指されたジントも、ミルクカップを口に含んだまま、パカッと目を見開いている。
「この件は、バーディー師匠とアシュリー師匠も了解済みだ。ルーリーもジントも未成年の子供だからな、身元保証などの法的な不備を解決しておく必要があるんだ。
ジントが父方イヌ族の方の血のつながった弟として追加になる件は、先方は想定外だったそうだが、問題ないと言って来た」
*****
――大変な人と、お茶会をする事になってしまった。
風のジルベルト閣下。『殿下』称号こそ付かないけれど、現役の第五王子のうえ、魔法部署の幹部な人だ。バリバリのロイヤル・メンバーだ。格式が違う。
滅多に恐れ入らないジントでさえ、ジルベルト閣下の不穏な噂は、シッカリと小耳に挟んでいる。
ジントは、腹痛だの頭痛だの仮病を使い、更に、こっそり逃走をやらかして、行方不明になろうとしていた。
だけど、ディーター先生に即座に《拘束魔法陣》でもって捕縛されて、黒い笑顔で凄まれたのが効いたらしい。お昼ごろには、観念したように大人しくなった。
ティータイムの刻に合わせて、手持ちのグリーンのワンピースとベストを着る。中級侍女ユニフォームに似たデザインだから、広範囲で応用が利く。
ついでに、ディーター先生とフィリス先生の意見を受けて、『手品師の変装、黒ウルフ耳キャップ付き三角巾』を装着しておいた。
程なくして――クレドさんが迎えにやって来た。
今日のクレドさんは、いつもの紺色マントの隊士服じゃなくて、貴公子風のシャツと上着を着ている。いつだったかの、貴公子ジェイダンさんみたいな格好だ。
藍鉄色の上着に施されたテキスタイル刺繍パターンは、ジェイダンさんの物と似ている。
恐らく若手の貴公子の間で共通する物なんだろう。でも、黒狼種ゆえの黒髪に合わせているのか、光沢のある黒い刺繍糸を使っている。
思わず、ドッキリしてしまう。落ち着いて思い出してみれば、クレドさんはジルベルト閣下の一族に属する貴公子だから、こういう格好もあり得るって分かるんだけど。
いつもと違う宮廷風な姿にドキドキしている内に、クレドさんがサッと膝をさらって来る。
そして、クレドさんはわたしを片腕抱っこし、脇に訓練隊士姿のジントを従えて、中央病棟のラウンジへと歩を進めた。
余りにもスムーズで、まさに貴種というか貴族ならではの所作だから、ジントも口を突っ込む隙が無かったようだ。
――クレドさん、ナニゲにジントの扱いを承知し始めてるみたい……
あれよあれよと言う間に、中央病棟のラウンジの、アーチとなっている出入口に到着だ。
わたしと余り背丈の変わらないジントは、ほとんど駆け足でチョコチョコ付いて来たと言う状態。長身な男性の歩幅って、やっぱり違うなぁ。
ラウンジ中央では、見覚えのある大天球儀(アストラルシア)が、一抱えもある台座の上で、ゆっくりと回転している。
大天球儀(アストラルシア)の近くに、コーヒーや酒類を提供するらしい、洒落たカウンターが設置されていた。
そのカウンター席に、ウイスキーみたいな琥珀色の髪と目をした金狼種『風のジェイダン』さんが居る。
かねてから待ち構えていたみたい。ジェイダンさんは、あの時と同じ、上等な仕立ての小豆色の上着をまとっている。
ジェイダンさんは意味深な笑みを浮かべつつ、世間話でも始めるかのような、さりげない様子で近寄って来た。
「今日のジルベルト閣下は、何を企んでおられるんだか? それに、私がルーリーに渡した筈の『通信カード』をスリ取ったのは、クレド殿で間違い無いな」
――ほえ?!
思わず、目をパチクリさせてしまったよ。わたし、ジェイダンさんから何か、もらってただろうか。通信カード。通信カード……
わお。思い出した。思い出した。今まさに、ピコーンと来た。
確かチェルシーさんと一緒にラウンジに来た時、ジェイダンさんがやって来て。その時、わたしは『魔法の杖』を持っていなかったし、
日常魔法すら発動できない状態だったから、通信機用の、金色の操作カードを発行して頂いて……
……そして、あれ? わたし、もらったけど、無くしちゃってた?
次に、あの薄い青磁色の上着を着た時は……ポケットには何も入って無かったよね……
そんな事をグルグル考えていると、それが百面相に出ていたみたい。
ジェイダンさんは面白そうに目を細めながら、わたしに注目していた。そして、『成る程』などと、意味深に呟いたようだった。
ジェイダンさんは再び、クレドさんを、ひたと見つめた。口元は穏やかな笑みを湛えているんだけど、目が全然、笑ってない。
その琥珀色の眼差しに、不意に、鋭い光が閃いた。
「あの夜、クレド殿は咄嗟に……たまたまラウンジで別グループと会食中だったアンネリエ嬢が気付いて、
余計な誤解をして拾い上げるように――あからさまに、かつ、これみよがしに、落として行ったな?」
――どういう意味?
あの金色の通信カードが、アンネリエ嬢と、何か関係があるんだろうか。
拾い上げたとか何とか……アンネリエ嬢は『金色の盗聴カード』とか何とか言ってたけど……あれ?
わたしは、思いっきり疑問顔になってたみたい。頭の上に大量の疑問符が浮かんでるのが、自分でも分かるくらいだし。
全面的な記憶喪失になっていると、こういう時、事情が全く分からないから困るなぁ。
クレドさんは、何食わぬ顔を続けている。
ジェイダンさんは額に手を当てて、苦笑している。
脇で見物しているジントは、だんだん『ははーん』と言うような訳知り顔になって来たうえに、目が据わって来ていた。
――これ、『男と男の話し合い(化かし合い)』なんだろうか?
ジェイダンさんの苦笑は、脇を向いての吹き出し笑いになって行った。そして、本物の笑い声になったのだった。
「ふふふ、ハッハハハ……! お蔭で、アンネリエ嬢の二重人格の記録が取れたのは、怪我の功名か。トレヴァー長官が目をテンにしている様は、見ものだったぞ。
資料提出の時に、クラリッサ女史の変顔を見られなかったのは残念だ」
「その点は、私も同意します」
クレドさんは、相変わらず何食わぬ顔で応じている。
「約束がありますので、失礼」
*****
ラウンジの端に特別に仕切られた個室があり、その扉の前でクレドさんは、わたしを降ろした。
クレドさんが『警棒』を取り出し、扉の錠前部分にかざすと、扉が自動でスライドする。この仕組みは見慣れて来たけど、今でもビックリするなぁ。
促されて、わたしとジントは、ちょっと緊張しながら入室したのだった。
特別に仕切られた個室と言うだけあって、重役向けの、秘密会食に使われるスペースって感じが満載だ。
壁の模様は防音魔法陣で構成されているし、念を入れての事か、ホワイトノイズ魔法が掛かった大きな上質な衝立がセットされている。
大きな衝立を回り込むと、厳重なマジックミラーになっている防音機能付き窓ガラスと、会食席が見えて来た。お茶会の席になっている。
席に付いている男女は、四人だった。
ジルベルト閣下と、閣下夫人と思しきキリッとした金狼種の中年女性。
以前、『3次元・記録球』の映像で見かけた、元・第三王子なリクハルド閣下。
そして最後の1人……女王さながらの威厳に満ちた金狼種の中年女性は、見知らぬ人物だ。
ジルベルト閣下は、いつもの灰色ローブをまとっていなかった。王族に連なる高位貴族ならではの、ロイヤルブルーでまとめた宮廷風の上着だ。
《風霊相》を示すのだろう白いテキスタイル刺繍が入っている。今は上級魔法使いとしてでは無く、いち貴族として着席しているらしい。
――これは、一体……?
ジントと一緒に目をパチクリさせていると――脇に立ったクレドさんが、人物紹介をして来てくれた。
「風のジルベルト閣下と閣下夫人・地のアレクシア殿、地のリクハルド閣下と、ウルフ王妃陛下の妹にして貴族名簿管理室の長、火のクラリッサ殿です」
――ひえぇ。バリバリのロイヤルな方々だ! 淑女の敬礼って、どうやったんだっけ?
わたしは無意識のうちに、思わず、胸の前で腕を交差させて、膝を折ったのだった。ラミアさんが『レオ帝都の令嬢が叩き込まれる敬礼スタイルだ』と言ってた、アレ。
ジントの方は、にわか仕込みの敬礼だ。挙手注目した後、サッと右手を胸に当ててお辞儀する、隊士の二重礼のやり方。
ザッカーさんたちに、イヤになる程しごかれていたみたいで、相当にキレイにハマっている。ホッ。
顔を上げると、葡萄茶色の上品なドレスをまとった金狼種クラリッサ女史が、返しの目礼と共に声を掛けて来た。
「2人とも初めまして。水のルーリーに風のジント、話は聞いていますよ。クレド隊士も、どうぞ席に」
暫しの待ち時間の後、ジルベルト閣下夫人アレクシアさんの手によって、全員にお茶が行き渡った。
アレクシアさんは、わたしと同じグリーン系のドレスだった。わたしのワンピースはミントグリーンに近い明るいグリーンなんだけど、
アレクシアさんのドレスは松葉色というか、落ち着いた濃い緑色になっていて、亜麻色の毛髪が綺麗に映えている。
やがて、クラリッサ女史が、わたしの顔を見つめながら、金色の目をキラッと光らせた。
「確かに――水のルーリーは、明らかに、かのシャンゼリンの実の妹ですね。混血イヌ顔の黒狼種ではありますけど、シャンゼリンの素顔と、顔立ちの系統が全く同じです」
――シャンゼリンの素顔? あ、そう言えば、今の――今は亡きシャンゼリンの氷漬けの死体、《変装魔法》が、すべて剥がれ落ちているとか……
クラリッサ女史は、わたしの百面相が喋ってる事、シッカリ理解してるみたい。ひとつ頷いて来た後、ジントを観察し始めた。
「ジントは少し系統が違う。母親が違うせいでしょうね。でも、混色系の毛髪は、並べてみると何となく雰囲気が似通っています」
わたしとジントを交互に眺めて、ひとしきり納得顔になった後――クラリッサ女史は、リクハルド閣下に視線を向けたのだった。
「リクハルド殿。このたびは、元・第三王子としての地位と立場をもって、今後に渡り、この異母姉弟ルーリーとジントの宮廷における身元を保証し、後見を務められるとか」
――ほぇ?!
ジントも目がテンになっている状態だ。
そのまま、2人で揃って、絶世の美形中年なリクハルド閣下をマジマジと眺める――
白髪の多い黒髪をオールバックにして贅沢な髪留めで留めている、屈折した雰囲気の――ロイヤルブルーの上着をまとう大貴族の男を。
リクハルド閣下は、その年齢と地位に相応しい重厚な所作で、ゆっくりと茶を一服した。
そして、もう何年も笑みを浮かべていなかったかのように、ぎごちなく笑みを浮かべたのだった。
謀略に長けた権力者ならではの狡猾な笑みでもあるけれど、今は、その狡猾さは、随分と後退している風に見える。
クラリッサ女史の問いを否定していない――と言う事は、承諾してるって事。
――元・第三王子な人が、不審な侵入者のわたしと、コソ泥なジントの、宮廷での身元を保証する後見?
信じられないような思いで見つめていると、リクハルド閣下が、穏やかに視線を返して来た。
若い頃は宮廷でも1番や2番を争う美青年だったに違いない――洗練された華やかな雰囲気が、リクハルド閣下の面差しを、ふわりとよぎる。
威厳に満ちた、重厚な、冷えさびた声音が響く。
「つくづく《運命》と言うのは、人の思考や想像を、遥かに超越して行くものだな。シャンゼリンの妹の方が、むしろ『サフィール』に似ている。
これを不思議と言わずして、何を不思議と言おう」
――ぎょっ。
思わず尻尾が『ビョン!』と跳ねてしまう。これって、マズイ事態だろうか。ドキドキ。冷や汗が……
ハラハラしていると――
――ジルベルト閣下夫人アレクシアさんが、「そうですね」と、わたしの方を興味深そうに注目しながら頷いていた。
こんな時だけど、落ち着いた快い声音だと思う。年相応に白髪はあるけど、艶やかな亜麻色の毛髪だ。
こうしてみると、キリッとした雰囲気のアレクシアさん、昔は王女コースに居たに違いないと思えてしまう。
アレクシアさんは、訳知り顔でクレドさんの方を一瞥した後、品の良い、苦笑に近い微笑みを見せて、わたしとジントに話しかけて来た。
「ルーリーとジントは聞いていなかったから、驚いたでしょうね。リクハルド閣下の亡き奥方も、偶然ながら『サフィール』と言う名前でしたから。
《風霊相》だったので『風のサフィール』になりますが、《水のイージス》との混同を避けるためもあって、今は名前を伏せている状態なのです」
――な、何ですと!
言われてみれば、『サフィール』も珍しくも何とも無い名前の類だけど、何という偶然!
ジントの方は、口をアングリして「ほえぇー」と感心している状態だ。でも、空腹には勝てなかったみたいで、早速、茶菓子をつまんでいる。
リクハルド閣下は、わたしとジントを、しげしげと眺めて来ていた。
時折、鋭い眼差しが閃く。観察してるって事だ。
――驚いていないように見える。
ひととおりの驚きの感情はあるんだろうけど、これまでの人生で驚きが多すぎて、
驚きの感情がすり切れちゃって、無くなったんだろうか。それとも、高位の権力者としての立場を自負するがゆえの冷静沈着なのか。良く分からない。
やがて、リクハルド閣下は、ジルベルト閣下と意味深な眼差しを交わし、おもむろに口を開いた。
「今さら、悔やんでも致し方のない事だが。もう少し真剣に、『風のキーラ』と言う存在と対峙しておれば、別の《運命》もあったのかも知れない」
クラリッサ女史が、いつも持ち歩いているのだろうハンドバックの中から、半透明のプレートを取り出して、手持ちの『魔法の杖』をかざした。
半透明のプレートが淡く光り、《口述筆記》のサインを表示する。
――どうやら、あの『3次元・記録球』に記録されていた、以前のリクハルド閣下の告白した内容を、補足する話になるらしい。
リクハルド閣下は、クラリッサ女史が記録を取ると言う事を、かねてから承知していたようだ。
クラリッサ女史に頷いて見せた後、リクハルド閣下は、続きの言葉を始めたのだった。
*****(5)ラウンジ:もうひとつの邂逅(中)
――昔にさかのぼる。24年前。
当時リクハルド閣下は、妻を失った事で、臣籍降下が決定したばかりだった。
ちなみに、リクハルド閣下夫人『風のサフィール』は、初子でもあった長男を死産するというショッキングな経験の後、心が弱っていた状態が続いていた。
そして或る日、急にぷつりと消息を絶つと言う、非常に不可解な失踪をした。その後の消息は皆目分からず、生存は絶望視されていた。
行方不明になった妻が見つかるまでは――と、リクハルド閣下は相当に抵抗はしたのだが、ウルフ王国の古来の伝統を曲げられる程の物では無く。
リクハルド閣下は、飛び地の領土を治める領主となった。これらの経緯は、王宮に保管されている諸々の記録にも、記されてある。
その飛び地の領主館に落ち着いて、間もなくの事。
――たまたまと言うべきか、近辺の複数の闇ギルド勢力が関わった、大きなヤクザ抗争があった。
領主館の城下町を巻き込むレベルに至って、リクハルド閣下おんみずからが、多数の手勢を引き連れて、鎮圧に出撃した。
ウルフ王国の基本方針としても、闇ギルド勢力を野放図に拡大させる訳には行かないのだ。
数日、小規模な内乱に近い状態が続いた後――無事に鎮圧が済み、ほとんどの闇ギルド勢力は逃げ散った。
領主館に戻る路上。死体の確認を兼ねて、少数の信頼できる手勢と共に、激戦地となっていた樹林エリアの脇を通過した際。
リクハルド閣下は――重傷を負って行き倒れになった女を、発見したのだった。
腰まで届く、見事な紫金(しこん)の髪。貴種を思わせる美麗な容貌。
実際に目を覚ました女は、『風のキーラ』と名乗った。
キーラは、まさに闇ギルドの女だった。顔にも全身にも古傷が幾つも残っているし、胸の真ん中には、壮絶とすら言える奴隷の烙印がある。
メチャクチャ汚い言葉遣いに、有って無きが如きの野蛮な行儀作法。
だが、『風のキーラ』は。リクハルド閣下の妻『風のサフィール』に、不思議な程にそっくりだったのだ。
紫金(しこん)の髪も、美麗な容貌も。水晶の鈴を鳴らすような透明な声質までも――
まるで、妻のサフィールが生きて戻って来たのか――と思うくらい。
キーラは、命を救われた事に何か思う事があったのか、
贅沢な調度を尽くした領主館の中だと言うのに、ベッドから起き上がれるようになった後も、盗みをせずに大人しくしていた。
リクハルド閣下の方も、かつてはそれなりに愛した妻の面影を余りにも彷彿とさせる女を、何となく手放せずに保護したままだった。
必然として――奇妙に気が合うという、少しばかりの不思議な偶然もあって――リクハルド閣下とキーラは、情を通じる関係になった。
闇ギルドの構成員だったキーラは、既に多くの男と関係を持つ女だった。リクハルド閣下との関係を受け入れた理由は、今でも分からない。
時折、何かを思い出すようにしげしげと眺めて来ていたから、キーラにとっても、リクハルド閣下の面差しは、かつて愛した男の面影を宿した物だったのかも知れない。
――キーラは妊娠した。その辺りの事は用心はしていたのだけど、何故、妊娠したのかも分からない。
リクハルド閣下には、直系の子供が居なかった。
複雑な思いに揺れるまま、かつて妻が社交パーティーや公式行事などの際に常に装着していた、紫の宝玉を装飾したサークレット『紫花冠(アマランス)』を、キーラに与えた。
やがて、領主館の事情通の1人が、うっかり、キーラに余計な事実を洩らした。
すなわち『風のキーラ』が、不意に行方不明になったリクハルド閣下夫人『風のサフィール』に、そっくりだという事実を。
その時のキーラの心の内に去来した物は、何だったのか。
リクハルド閣下には分からないし、恐らくはキーラ自身にも、良くは分からなかったのかも知れない。
キーラは、まさに闇ギルドの悪女さながらに、紫の宝玉を装飾したサークレット『紫花冠(アマランス)』を私物化したまま、領主館から姿を消したのだった。
――まるで、かつてのリクハルド閣下夫人『風のサフィール』が、不意に失踪した時のように。
*****
リクハルド閣下の、問わず語りは続いた。
――14年後、シャンゼリンが『紫花冠(アマランス)』を携えて、単身、リクハルド閣下の領主館に現れた。シャンゼリンのその後の所業は、よく知られている事だから、此処では省く。
シャンゼリンが『妹』の話題に触れるのは非常に少ない物であったが、どうやらシャンゼリンは、イヌ族との混血だった妹の事は、同じウルフ族だと認識していなかったようだ。
純血至高主義だった古代の頃は、それが普通であり、正義とされていたものだ。
しかし、現在は、《宿命図》の構造も含めて生物学的な知識が深まっており、混血に対する位置づけは変わっている。
混血の特徴が強く出るのは、イヌ族の父とウルフ族の母の交配による1代目の子供のみだ。
ウルフ族同士での交配が行なわれた場合であれば、混血ウルフ族同士の交配であっても、その子供は、通常の純血ウルフ族と何ら変わらなくなる。
イヌ族の方でも事情は同じだ。生命設計図《宿命図》の性質による結果だが、専門的な事は、此処では割愛する。
ともあれ。
闇ギルドの中ではいっそう希少価値の高い貴種の血を、みずからが受けた分、シャンゼリンには、なおさらに思う所があったらしい。
シャンゼリンが『妹』について言及した情報をまとめ、論理的に導かれる推察も加えると、以下のようになる。
イヌ族の父『風のパピヨン』とウルフ族の母『風のキーラ』の娘として風俗街で生まれたが、混血ゆえの、不安定な体調が続いていた。
乳離れした後も、母親キーラや姉シャンゼリンと一緒に外出する事は余り無かった。
それでもキーラはキーラなりに母親としての愛情は注いでいたらしく、不幸にして横死した瞬間まで、妹に関して育児放棄はしていなかった。
キーラが急死した後、その遺品は、姉シャンゼリンの物となった。
母親キーラの遺品には、砕け散った『魔法の杖』もあった。
既に遠出も可能な年齢に達していたシャンゼリンは、かねてから欲しがっていたアンティーク宝飾品『紫花冠(アマランス)』を含めて、金目の物を独占した。
そして、見聞を兼ねて豪遊を繰り返した。
金にならない『魔法の杖』の破片などは、他の雑多なゴミと共に、妹の所に捨てて行った。それは、妹の遊び道具になった。
当時、5歳にもなっていなかった幼い妹は必然ながら、そのまま風俗街に放置された。
シャンゼリンは何も言わなかったが、そうして放置されていた妹が、風俗街で生み捨てられていた他の幼児たちと一緒に育っていたのは確実だ。
やがて、外出中のシャンゼリンの金融魔法陣に、妹に対する報酬が定期的に流れ込み始めた。
妹が幼過ぎたため、血縁上の姉による管理という名目で、シャンゼリンが金銭を受け取る形になっていたからだ。
その収入は、即座に、シャンゼリンのポケット・マネーとなった。浪費を支えられる程の金額と言う訳では無かったが、シャンゼリンが味を占めたであろう事は容易に推測できる。
一度、シャンゼリンは不思議に思って、妹に対する報酬を振り込んで来た風俗街の担当者に、問い合わせたことがあったと言う。
回答は意外な物だった。
いつの間にか妹は、母親キーラの遺品『魔法の杖』の破片でもって、《水まき》の魔法や《洗濯魔法》を発動する事を覚えていた。
更に驚くべき事には、毒ゴキブリ対応の《下級魔物シールド》魔法さえも有効に発動できたのだ。
特に《下級魔物シールド》魔法は、風俗街の管理費の節約に大いに貢献していた。その貢献に対する報酬だったのだ。
だが、自動的にポケット・マネーが流れ込んでくる、そんな都合の良い日々は、すぐに終わった。
風俗街で生み捨てられた子供たちは、4歳から5歳になった頃をメドに、人身売買マーケットの商品となる。
その中に。ちょうど、その年頃になった、シャンゼリンの妹も居た。
ちょうど人攫いに狙われ始める年齢でもあり、風俗街では管理しきれないためだ。
人身売買マーケットで売り飛ばした方が金になるし、悪意を抱いた人攫いに連れて行かれるよりは、それなりに慈悲のある業者に買われて行く方が、身の安全的にはベター。
風俗街の人々も、それ程、残酷と言う訳では無い。
シャンゼリンの語った所によれば。
妹に関しては、《下級魔物シールド》魔法を発動できるという特典があった物だから、風俗街の代表者は、妹を相当に高額の商品としていた。
闇ギルドでも特に裕福な魔法使いグループが、言い値で妹を買い取る事になっていた。
大金が動いたという情報をつかんだシャンゼリンは、妹が取引されていた場に、ひそかに押し入った。
『妹を取り返す』と共に、妹に掛かっていた全ての金額を首尾よく手に入れた――と、シャンゼリンは誇っていた。
だが、それは。
傍から見れば――まさに『人攫い』および『押し込み強盗』の所業だ。流血を伴ったのは確実だから、未必の故意による『殺人』もあっただろう事は、火を見るよりも明らかだ。
――リクハルド閣下の領地に、シャンゼリンがやって来た時。
シャンゼリンは、風俗街と人身売買マーケット業者、買い手だった魔法使いグループから、高額の賞金首として狙われているところだった。
生死問わずの上、『死んでいれば、なお良い』という条件付きで。
必要以上に残酷でも無いであろう彼らが、それ程までにシャンゼリンの首を取りたがっているという理由を考えると、
そう言った経緯があったからなのだろうと得心できるのだ。
*****
リクハルド閣下の問わず語りが終わった。
わたしとジントは、2人してポカーンとするのみだった。こんな形で、空白部分が埋まるとは思わなかった。
――この内容は、バーディー師匠やアシュリー師匠は、前もって承知済みの筈だ。ディーター先生が、あからさまに示唆していたし。
わたしは、全面的な記憶喪失のせいで、風俗街で育っていた時の記憶が――まるで無い。風俗街でのアレコレを覚えているのは、幼児の記憶を持っていた『前世のサフィール』の方。
そして、わたしが記憶喪失になった今では、『前世のサフィール』を良く知っていたバーディー師匠やアシュリー師匠だけしか知らない領域の筈だ。
そういう、バーディー師匠やアシュリー師匠しか知りえない筈の情報が、『論理的な推察』という形とは言え、シッカリと混ざっている。
どのタイミングで誰が秘密を共有すべきか、慎重に検討したうえで――
――この数日の間に、2人の大魔法使いと、リクハルド閣下との秘密会談が持たれていたに違いない。ジルベルト閣下も必然的に、その場に同席していた筈だ。
――ディーター先生とフィリス先生が、訳知り顔で、わたしとジントを送り出した理由が知れたよ。知らないうちに、此処まで事態が動いていたとは驚きだ。
察し良く、ジルベルト閣下夫人アレクシアさんが、新しくお茶を継ぎ回る。アレクシアさんは秘書の経験もあるに違いない。さりげない見事な手並みだ。
リクハルド閣下は、貴族そのものの所作でアレクシアさんに一礼して、新しいお茶を一服していた。そして、意味深そうな眼差しで、クラリッサ女史を一瞥したのだった。
「――以上が、私がシャンゼリンから聞き知った内容であり、更に論理的推察によって、シャンゼリンの妹ルーリーの空白部分を埋めた全てだ。
貴族名簿管理室の長として、この過去を含めての判断のほどは、如何かな。クラリッサ殿」
クラリッサ女史の方は、わたしやジントと同じように、この内容は初耳だったみたい。まだ驚きが抜けてない様子だ。
わずかな動きに抑えられているとはいえ、良く見ると、年相応に白髪の混ざった金色のウルフ耳が、ピコピコ動いている。
やがてクラリッサ女史は、はたと気付いたかのように、半透明のプレートによる《口述筆記》を終了して、
元のようにハンドバックに収めたのだけど――
視線を落とし、葡萄茶色のドレスの前で、落ち着きなく手を揉んでいる。思案顔をしているから、多分、脳みその中では思案中&検討中なんだろう。
白髪の混ざった金髪の頭部を傾けて、口の中で何やらブツブツと呟いた後。
「よろしいでしょう、リクハルド閣下」
クラリッサ女史は、決然とした様子で、背筋をキリッと伸ばした。
「此処に居る『水のルーリエ』の《魔法署名》を魔法部署にて解析し、真にシャンゼリンの妹たる確証が取れ次第、
閣下の要請通りに、ルーリーをリクハルド閣下の眷属の令嬢として承認する事になります。
同時に、宮廷における後見の義務遂行の必要のため、リクハルド閣下の謹慎処分および宮廷への出入り禁止処分も、解除ですね」
そしてクラリッサ女史は、興味深そうな眼差しをして、わたしをしげしげと眺めて来た。
――おや?
「ルーリーについては、先日の剣技武闘会の折に『毒見役』としての能力を示したと言う報告がありますし、魔法文書フレームの作成や魔除けの魔法陣の製作など、
注目すべき資質が見られます。ルーリーは未成年ですので、リクハルド閣下による身元保証をもって、我がウルフ王国の貴族名簿リストに加える事になります」
――えーっと? 余りピンと来ないんだけど、仰天するような内容を告げられたような気がする。
わたしが目をパチクリしながらも、その意味を考えていると――
ジルベルト閣下夫人アレクシアさんが、上品な笑みを浮かべて声を掛けて来た。
「ルーリーを、ウルフ王国の貴族クラスに相当する令嬢として、評価すると言う事です。
貴種の名門出身の『直属』の者であっても、実力や中身が伴わなければ、此処まで評価される事はありませんから、誇って良い事ですよ」
――ほえ?! つまり、貴族令嬢?!
そう言えば、ウルフ王国って、基本的に実力主義だとか……
思わず、クラリッサ女史を眺めてしまう。クラリッサ女史はシッカリと頷いて来て、更に言葉を続けた。
「ただし、ジントに関しては、今の時点では評価が定まっていません。ルーリーとの血縁において法的権利のみが認められる形となります。
ジントが15歳になった時に、改めて再評価のうえ、決める事にしましょう」
ジントの反応は、単純明快だった。
「貴族なんて、めんどくせぇよ」
ロイヤルな方々の手前、最後の『ケッ』と言うのを直前で止めたのは、明らかだ。
――その小生意気な反応は、案外、クラリッサ女史を面白がらせたらしい。
クラリッサ女史は「おや」と言った顔をした後、ジントに、ニヤリと笑みを返して来たのだった。意外に豪胆な人だ。
「あのザッカー殿が、えらく気に入る筈ですね。わざわざ、正式な書面による要請をもって、ジントを貴公子に推薦して来たのは、ザッカー殿なのですよ」
ジントは、まさに『ぎゃふん』状態だった……
*****
リクハルド閣下が、一族の印章がセットされた魔法文書を、ロイヤルブルーの上着のポケットから取り出した。
書類の冒頭部に、『以下の《魔法署名》の者を我が眷属の者と公認し、我が名の下に、その身元を保証する』という、『正字』が並んでいる。
それに続く空きスペース部分に、やはり『正字』でもって、『水のルーリエ』と『風のジント』が記されていた。少し……結構、ドキッとする。
クラリッサ女史に促されて、わたしとジントの《魔法署名》が、記名の隣に並んだ。
リクハルド閣下の公認の下、わたしとジントが、リクハルド閣下の眷属に加わった事を証明する書類となると言う。
ちなみに、シャンゼリンがリクハルド閣下の眷属の令嬢――リクハルド閣下の養女としてウルフ王宮に出て来た時にも、同じ手続きがあったと言う。
当然の事なんだろうけど、何だかビックリだ。
当時の担当者は、新人と言う事もあって、気付かなかったそうだけど。
この時、シャンゼリンは身元詐称のための魔法道具をシッカリと用意していて、偽の《魔法署名》でもって登録していたのだ。バリバリの不正行為。
意図していなかったとはいえ、恐怖の前例をリクハルド閣下は作ってた訳だから、再びリクハルド閣下から要請のあった今回の場で、
貴族名簿管理室の長おんみずから出張って来たと言うのは、うん、良く分かる……
「では、結論が出て来ましたら、また一報入れますわね」
必要書類が整った後、クラリッサ女史はそう言って、面々と一礼を交わして茶会の場を去って行ったのだった。
*****(6)ラウンジ:もうひとつの邂逅(後)
「急な事でビックリしただろう。諸々の日程の都合上、この日に一気に事を進める必要があったのでな。
あの2人の大魔法使いは、つくづく尻尾のつかめない御方たちだ。『草木も眠る闇の刻』に叩き起こされて最高機密の場に呼び出されたうえ、
リクハルド殿と共に、急に全容を知らされた私の気持ちは、当然、分かるだろうな」
ジルベルト閣下が涼しすぎる眼差しでもって、わたしとジントを眺めて来た。
わたしとジントは、2人で揃って、その冷気に恐れ入りつつ、コクコク頷くのみだ。
――えーっと、何だか色々……ご迷惑おかけしました……?
ツヤツヤした亜麻色の毛髪をしたウルフ族の淑女――アレクシアさんの方は、上品な微笑みを浮かべて、優雅にお茶を一服している。
……ジルベルト閣下の奥方様なんだよね、この人。ジルベルト閣下の目、怖くないんだろうか。この勇敢さ、尊敬しちゃう。
そんな事を思いながら、失礼にならない程度に、チラリチラリと眺めていると。
アレクシアさんが視線に気づいたみたいで、スイッと面差しを向けて来た。優雅な口元には、面白そうな笑みが湛えられている。
「実を明かしますとね、わたくしがルーリーを見かけたのは、これが初めてでは無いのです」
――ほえ?
「いつかの夕食の刻、ルーリーはチェルシー殿と一緒にラウンジに来ていましたでしょう。
あの時、わたくしはアンネリエ嬢やその御両親、その他の宮廷の友人たちと共に、会食をしていましたの。縁のある一族の出身の隊士が、
剣技武闘会で重傷を負って、入院していましたから」
――何と! 気が付きませんでした……! 入院隊士たちのグループがチラホラ会食してるのは見かけましたが……!
アレクシアさんは「フフフ」と、上品な含み笑いをして来た。
「最初は、チェルシー殿の一門の令嬢だろうと言う噂でしたのよ。それなのに、該当する名簿データが無かったし、
ヴァイロス殿下の暗殺未遂という容疑で地下牢に入っていた事が判明したので、逆に大騒ぎでしたわ」
――あぁッ! 確かに、そうだったよ! 最初、身元不明の不審な侵入者も同然だったから!
わたしの反応に、アレクシアさんは、訳知り顔で頷いて来た。さすがウルフ宮廷の重鎮メンバーと言うか、
わたしに関して挙がって来た諸々の捜査データは、承知してるみたいだ。
「アンネリエ嬢が過剰反応して、少しばかり異例な行動を起こしていたようですが、この件はクラリッサ殿も本腰を入れて対応されるようですし、
収まるべき所に収まるかも知れませんわね。クラリッサ殿はヴァイロス殿下の叔母に当たる人なのです」
わお。ピコーンと思い出したよ。アンネリエ嬢を『ぎゃふん』と失神させたキーワード。
ジントが早速、灰褐色の尻尾をヒュンヒュン振って、皮肉を表していた。
(あれが『少しばかり異例な行動』だって?! 全力で『魔の卵』を孵化させておいて、笑わせるぜ!)
――と。不意に視線を感じた。
ソロリと窺う。すると、リクハルド閣下が、わたしたちを眺めて来ていたのだった。
リクハルド閣下は、まさに貴種、元・第三王子な威風堂々とした所作で膝を組み、重厚なデザインのひじ掛け椅子の中で、くつろいでいる。
くつろいでいながらも、眼光炯々として人を射る眼差し。
こうして見ると、『ウルフ国王陛下』と呼ばれても、全く違和感が無いように見える。さすが元・第三王子。スゴイ。
――以前、『3次元・記録球』が魔法のスクリーンに映し出した時のリクハルド閣下は、やつれて疲れた顔をしていて、実年齢より随分と老けた印象の人だったんだけど。
今のリクハルド閣下は、白髪の数は変わらないんだけど、何故なのか、実年齢相応に生気があるようだ――実年齢のところまで、雰囲気が若返ったように見える。
程なくして、リクハルド閣下は『フッ』と息をついた。会食席の端の方で控えているクレドさんを、スッと見やる。
威厳に満ちた鋭い眼光が閃いたけれど。
何食わぬ顔をしたクレドさんの方は、その眼光を真っ正面から受けて、なお何食わぬ顔のままだ。
彫像さながらの端正な着座姿も、冷静沈着ならではの不動を保ち続けている。これも何かスゴイ。
リクハルド閣下の、冷えさびた声音が響く。
「くだんの夜、非常に印象深い、『斥候』ならではの作法でもって呼び出され、連行されて行った訳だが、私はクレド君に礼を言うべきなのだろうな」
――ほぇ? ……この穏やかならぬ、皮肉めいた口調を聞くと、何だか……
と言う事はクレドさん、元・第三王子な人物を、真夜中に……『草木も眠る闇の刻』に、緊急で呼び出したって事だよね。どうやって呼び出したんだろう。
そのうえに、多分、隠密かつ強制的に、くだんの『最高機密の場』に連行して行ったとか……何だか、
絶対に聞いちゃいけない内容のうえに、想像もしちゃいけない内容のような気がする。
ジルベルト閣下夫人アレクシアさんが、何でもない様子で口を開いた。
「それにしても、リクハルド閣下が、ルーリーを一目で気に入られたのには驚きましたわ。しかも亡き奥方様『風のサフィール』に言及されてまで」
リクハルド閣下の口の端が、からかうかのように持ち上がる。
――さすが宮廷社交界の人物と言うべきか、洗練された笑みって感じ。
「期待に沿えなくて済まんが、言葉のあやでは無く、真実の事だ」
続いて、リクハルド閣下は、チラリとわたしに意味深な視線を投げて来た。意外に柔らかな眼差しだ。
「確かにルーリーの顔立ちは、あからさまに混血だが。ルーリーの《魔法署名》の相は、不思議に、我が亡き妻の特徴を引き継いでいるように見える。
と言う事は《宿命図》も、そうなのだろう。あの時に死んで生まれた我が子が、ルーリーに生まれ変わっていたのだとしても、私は驚く気にはならん」
――えーっと。この場合、恐れ多いって事になるよね……思わず、縮こまってしまう。
しばしの沈黙の後。
ジルベルト閣下が黒い眼差しを光らせ、片方の眉を跳ね上げた。ゆっくりと腕を組み、思案ポーズになる。
……腕を組んで思案する格好が、これ程サマになっている人って、滅多に居ないような気がする……
「成る程。先刻のリクハルド殿の打ち明け話、ほぼ全て事実でありながら、そこかしこに編集が掛かっていたが、そういう事か。
事実と真実をより合わせて、今のうちから将来の情報戦を見据えて企んでのけるとは、大した権謀術数の手腕だ」
ジルベルト閣下の冷涼な眼差しが、不意にわたしを突き刺して来た。ヒェッ?!
「此処に居る『水のルーリエ』の忘却の過去――いわば、まさに前世が、『水のサフィール・レヴィア・イージス』と言う訳だが。
どうやら、情報操作の如何によっては、その面倒な事実、この場のみに収めておいて――公開しなくても大丈夫のようだな」
――もちろん、わたしの幼児退行な尻尾は、『ビシィッ!』と固まっている。
バーディー師匠とアシュリー師匠が、直接に、ウルフ王国の重鎮メンバーの面々を真夜中に叩き起こしてまで、くだんの『最高機密の場』に呼び出して、話したからには。
当然ながらジルベルト閣下とリクハルド閣下は――ジルベルト閣下夫人アレクシアさんも、わたしの前世については承知の上なんだろうけど。
ギョッとしたよ。
恐らく、この件について関知していないであろうジントの方を、チラリと眺めたけれども。
ジントは、冷静に茶菓子を摘まんでいたのだった。全く、驚いてない。
目をパチクリさせてジントを見直していると、ジントは横目で見返して来て、ピコピコ尻尾で応じて来た。
(あの、いけすかねぇ鳥人のヒゲジジイと、『サフィールを盗めるか』を議論してた時に、ピコーンと来てたぜ、オレ)
――さすが元・コソ泥。このくらい勘が良くないと、忍者コース合格してないよね……
それにしても、リクハルド閣下は、ジルベルト閣下の爆弾発言を含むツッコミに、全く動じていないみたい。不思議だ。
わたしが不思議がっているのが伝わったのか、リクハルド閣下が、面白そうな笑みを浮かべて返して来た。少し苦笑が混ざっている。
「どうも気付いていないようだが、ルーリーは、魔法部署の上層部の関心の的になっているのだ。
折よく、シャンゼリンの素顔の系統が発覚したから、そちらの方面に注目が集まっているところだがな。ルーリーの、その嘘のつけない性格では、
いずれ手練れの諜報員が、『サフィール本人』である事を証明してしまうだろう」
――ほぇえ?!
ジルベルト閣下が、リクハルド閣下の言及を引き継いで説明して来た。
「ウルフ国王夫妻とトレヴァー長官は、国際社交シーズンの折、帝室メンバーが出そろう国際親善の会食席で、『サフィール』と同席しているのだ。
もっとも『サフィール』は、老レオ皇帝の《盾使い》として、青いベールで全身を覆い隠す格好で、ウルフ王国やイヌ群各国の席から遠い上座の席に居たから、詳しい容貌は判明しておらん。
トレヴァー長官が、透視を伴う《遠見》の術で、サフィールの容貌の特徴をつかんだ程度でな」
こういう、国際親善セレモニーは、腹の探り合いの場――諜報の場でもある、と言う。
……
気付くと、わたしは、思いっきり疑問顔になっていたみたい。ジントの方が余り疑問顔じゃ無いのが、不思議なくらいだ。
ジルベルト閣下が、優雅に顎(あご)に手を当てつつ、何でも無い事のように語り続ける。
「ゆえにな、剣技武闘会でルーリーを見かけた時、トレヴァー長官は、それなりに驚いていたのだ。私にも分かるくらい、顔色が変わっていた。
ルーリーの顔立ちの特徴が、『サフィール』と共通している事に気付いている筈だ。
ディーター殿とは別に、ルーリーの行動を、腹心の部下ジェイダン君に探らせているくらいだからな」
――え? えーっと。
そう言えば、確か、チラッとトレヴァー長官らしき人物を見かけたような気がする。剣技武闘会で。
あの苦み走ったシニア世代の……上級魔法使いにしては、灰色ローブの装飾も多かった……
更に、あの琥珀色の毛髪をした貴公子ジェイダンさんが、探りに来ていたの? 気付かなかったし、知らなかったよ。直接に話した事、余り無かったような気がするし。
やがて、ジントがクルリと振り返って来て、呆れたようにコメントして来た。
「頭の中で、アレとコレが連結してねぇのな、姉貴。その辺の思考回路が何かスッポ抜けてるなと思ってたけど、ホントにスッポ抜けてるとは思わなかったよ。
よっぽど間抜けな顔をしてて、結果的にゴマカシになったんだろうけど、そんな天然で、良くバレなかったよな」
――う、うぅッ。
ジルベルト閣下とリクハルド閣下は、一瞬わたしを眺めて来て、何やら得心したような顔になった。何だろ?
ナイスミドルでロイヤルブルーな着衣の、そろって黒狼種の2人の男たちは、訳知り顔な顔を寄せ合って、何事かボソボソと交わし出した。
次に続く計略を巡らせてるらしいって事が、うっすらと窺える。
……黒い噂で満載のロイヤルな2人が、2人して陰謀してるって、何かスゴイ……
やがて、リクハルド閣下は、何かを決心したみたいだ。「ふむ」と呟きつつ、わたしを振り向いて来る。え?
「水のルーリー。私としては、ルーリーを『我が妻サフィールの実の娘』と公認する事に、やぶさかでは無いが。ルーリーは、私を『法的な父』とする事については如何かね?」
……ほぇ?!
えーっと。実の両親の記憶は全く無いし、実感が無いくらいだから、現実感そのものが無いんだけど。
えーと。拒否感があるか、どうかって言うと……拒否感は、無い、ような気がするけど……
ジントが、シレッとした顔で突っ込んで来た。
「姉貴を抱っこしてみりゃ分かるよ。姉貴、本当に危険な物や嫌な物についちゃあ、すっごい警戒心が強いんだ。その辺の《隠蔽魔法》じゃ、ゴマカシが全く効かねぇ」
――うぐッ。ジント、何て事を!
でも、リクハルド閣下は「そうか」と応じながら、ゆっくりと立ち上がった。
――え。まさか、ホントに抱っこする……抱っこされるんですか?
口をアングリしている内に、ウルフ族男性ならではの長身が近づいた。そして膝と背中に手が掛かった。視点が高くなった一瞬、クラッと来て、尻尾がピシッと固まったけど。
「――成る程。私は合格らしいな、娘よ」
ほぼ同じ目線の高さに、リクハルド閣下の、深くきらめく漆黒の眼差しがある。
何か言うべきなんだろうけど、呆然し過ぎていて、何も思いつかない。
間近で見ると一層ナイスミドルなリクハルド閣下は、何かを確かめるかのように不思議そうにのぞき込んで来ていた。
そして、程なくして、フッと表情をゆるめ、笑い皺の浮かぶ本物の笑みを見せて来たのだった。うわ。
「まさに『サフィール』の娘なら、かくもあらん」
いつの間にか、リクハルド閣下に『手品師の変装、黒ウルフ耳キャップ付き三角巾』を取られて――頭をポンポン撫でられて、訳が分からないままポカンとした後。
気が付くと。
ジルベルト閣下とアレクシアさんとクレドさんが、何故か納得顔で眺めて来ていた。ひえぇ?
「では決まりだな、リクハルド殿。
今日中にアレクシアが、クラリッサ殿に改めて『かつて失踪したサフィール夫人と、後日に現れたキーラは、同一人物の可能性が高い』という情報を流す。
例の数字の書き換えの件も、今回の《魔法署名》から魔法部署の面々とトレヴァー長官が導き出す事になる結論の件も、こうも違和感なくハマるとは予想外だった」
リクハルド閣下は、ジルベルト閣下の謎の言葉の意味をよく承知しているようで、訳知り顔で頷いて見せている。
「妻の死亡時をキーラの死亡時に合わせる事くらいは、どうと言う事は無い。レオ帝国の、くだんの特別大使がやらかした捏造に比べれば、ずっと穏当な内容と言うものだ」
――え? えーと? 数字? 死亡時? それに《魔法署名》?
戸惑っていると、リクハルド閣下から、「取って済まんな」と言う言葉と共に、三角巾が返って来た。い、いえ、恐れ多いと言うか、別に怒ってませんが……
「大魔法使いから見せられた直近のルーリーの映像が、『炭酸スイカ』モドキだったのでな。鳥人の大魔法使いは、妙なユーモアの持ち主のようだ」
――うわあぁぁああぁぁあ!
バーディー師匠~! 何て物、見せてくれたんですか~!
*****
お茶会が終了した。
わたしとジントはディーター先生の研究室に戻るんだけど、その際、恐れ多くも元・第三王子なリクハルド閣下に付き添って頂いて……わたしを抱っこして頂いて、戻る事になった。
ジルベルト閣下とアレクシアさんとクレドさんが、先にラウンジを退出した後。
ふと、リクハルド閣下が面白そうな顔をして、ジントに語り掛けた。
「ジントの目から見ても、私は『父』として合格なのか。この話は手こずるだろうと、心構えはしていたのだがな」
「姉貴が認めてるからな」
ジントはボソッと呟いた後、改めて慎重な目つきで、リクハルド閣下を見上げた。
「企んでる時の雰囲気が似てるんだよ。父さんも、やたら頭が良くて器用で、秘密作戦とか陰謀とか上手かった。小男だったけど、顔も毛並みも良かったしな。
宝物庫とかでも、一番警備の厳しい場所に潜入して、見張りの鼻を明かしてやったりとか」
リクハルド閣下は、面白そうに「ほう」と応じている。ジントの小生意気な態度は、全く気にして無いみたい。
「レオ皇帝のハーレムの奥から姉貴を盗んでのけたのが、あのヤバすぎる拘束具を用意した奴らだし。そこから更に横取りしようってんだから、
生半可なコソ泥じゃ務まんねぇだろうし。今やってんの、つづめて言えば、そういう事だろ」
リクハルド閣下は「おや」と言うように目を見張った後、愉快そうな笑い声を立てた。
「せいぜい頑張ってみよう。かの拘束具の主を吊り上げるくらいにはな。それに、これは私の推測だが、ジントの母親ルルを殺害した男は、
ルーリーに拘束具をハメた人物とも通じている可能性がある」
ジントはビックリする余り、『ビョン!』と飛び上がっていた。目がテンになっている。
――うん、わたしもビックリだよ。
しばらく小首を傾げた後、リクハルド閣下は、再び口を開いた。
「これら大いなる陰謀のポイントは、『茜離宮』の内部に秘密裏に侵入できる、コソ泥用の地下通路が有効活用されていると言う点だ。
それは、本来はジントの母親ルルしか知らぬ、先祖代々の秘密だったのであろう。拘束具の主は、その地下通路の秘密を我が物とし、『茜離宮』で、散々に狼藉を行なったと見える」
そこで、リクハルド閣下は暫し沈黙し――思案顔で、空中に目をやった。
「――《水の盾》サフィールを何故に盗む必要があったのかは、拘束具の主に聞いてみないと分からぬが、複数の黒幕トップの間で利害が一致したのは確実だな。
だが、少なくとも、ルーリーが記憶喪失の状態で現れた件は、彼らにとっては想定外の未知の出来事だった筈だ」
わお。さすが、陰謀に長けたリクハルド閣下ならではの、見立てだ。
あの複雑怪奇に絡み合った騒動シリーズの内容が、こうもシンプルに整理されるとは思わなかったよ。
ジントは眉根を寄せて、ウンウン考え出した。ハッキリした言葉にはなっていないけれど、口の中でブツブツ言っている。
リクハルド閣下は、そんなジントの様子を微笑ましそうに眺めた後、片腕抱っこしたままのわたしを不意に振り向いて来た。ほえ?
いつの間にか、リクハルド閣下の手には、紫色の宝玉を施した不思議なサークレットがある。
何らかの金属製と思しき地金は、シャンパンゴールド系グリーンと言うのか、透けるように淡い緑金色。
地金の部分がスッカスカになる程に、大胆かつ繊細な透かし彫りが施されている。
更に、紫色の小さな宝玉が花パターンを繰り返しつつ埋め込まれているから、紫色の小さな花を連ねた花冠のようにも見える。
――とんでもない宝飾技術だ。素人目にもパッと分かる程の、価値のあるアンティーク宝飾品。
リクハルド閣下は、その不思議な古代的な意匠のサークレットを、三角巾を付け直したばかりのわたしの頭に『ポン』と乗せて来たのだった。
目をパチクリさせていると、リクハルド閣下は『フッ』と言うように、口の端に笑みを浮かべた。
「我が一族のアンティーク宝物のひとつ『紫花冠(アマランス)』のサークレットだ。
我が妻が失踪した後、キーラの手に渡り、次にシャンゼリンの手に渡った、いわくつきの品だが。最終的に、ルーリーの手元に到達したと考える事も、出来るかも知れんな」
――直接の血縁でも無いのに、一族の宝物なんて高価な品、とっても頂けませんッ! それに三角巾の上から、なんて、すっごく変な見かけになってるんじゃ無いですか!
焦って、サークレット『紫花冠(アマランス)』を外すと――素直にスッと取れた。
再びリクハルドの手がスッと伸びて来た。
そして、『カポン』と、頭に再び『紫花冠(アマランス)』を乗せられてしまった。え。
リクハルド閣下は、相変わらず思案深げな笑みを浮かべつつ、しげしげと眺めて来ている。
「サイズは合っているようだな。これも天球の彼方の思し召しか、不思議な事もあるものだ。明日まで『紫花冠(アマランス)』を預けておくから、手元で持っていてくれたまえ」
――え? まぁ、一晩だけなら……
わたしが、その言葉の意味をグルグル考えている間にも――
リクハルド閣下は、わたしを片腕抱っこしたまま個室を出て、ジントを脇に付けて、ラウンジを堂々と歩き出した。ひえぇ。
ラウンジ中央の大天球儀(アストラルシア)に差し掛かると、あのジェイダンさんが、まだ佇んでいた――以前にも見た事のあるような、包帯巻き巻きの入院中の同僚らしき人と。
そして、ジェイダンさんも、居合わせている包帯巻き巻きの同僚さんも、ビックリしたような眼差しで注目して来ていたのだった。
目下、謹慎処分中の元・第三王子なリクハルド閣下と――そのリクハルド閣下が片腕抱っこしているわたしを。そして、脇に付いているジントを。
――特に、わたしが頭に乗せる羽目になった『紫花冠(アマランス)』を、食い入るように見て来ているみたい。わたし、泥棒をやってる訳じゃ無いんだけど。
落ち着かないなあ。ドキドキ。
かくして、リクハルド閣下は無事に、わたしとジントを、ディーター先生の研究室に送り届けてくれたのだった。
――お、お世話になりました……