深森の帝國§総目次 §物語ノ傍流 〉瑠璃花敷波13

―瑠璃花敷波―13

part.13「もつれた意図と謎の追跡*1」

(1)手術、或いは高難度クエスト
(2)宿業の縁は今も巡りて
(3)魔法使いと魔法道具
(4)中庭広場、再会と奇遇と困惑と
(5)アンティーク魔法道具のミステリー

*****(1)手術、或いは高難度クエスト

ディーター先生の研究室にて。

夕食の刻を挟んで、翌朝に決行する事になった、わたしの手術の内容が説明された。

――『拘束バンドを取り外す手術』だ。

引き続き、研究室には、大魔法使い『風のバーディー』師匠による厳重な《防音&隠蔽魔法陣》がセットされている。超・最高機密レベルの会議室のようなものだ。

バーディー師匠が《風霊相》生まれなうえに、《風》の魔法使いは、元々、こういった分野の魔法パワーが強い。そんな訳で、いっそう強力な効果を持つ魔法陣となっている。

問題の、『呪いの拘束バンド』。

今は真っ赤な『花房』付きヘッドドレスが一体化していて、訳が分からない事になっている状態だ。

複数回にわたった感電ショックは、問題の拘束バンドの多殻構造の破壊には、至らなかったのだけど。エネルギー量の都合で、 幾つかの拷問用や虐待用の魔法陣を動かし始めているところなのだそうだ。

治療の一環で、アシュリー師匠がエネルギーの大部分を引っこ抜いてくれたから、即座に決定的な事態には至っていないだけで。

そして、これらの有害な魔法陣が本稼働し始めるタイムリミットは、翌日の真昼の刻だそうだ。怖い。

現在時点では、これ以上の事は分からない。この不気味な『呪いの拘束バンド』の製作主も、わたしの頭部に拘束バンドをハメて来た犯人も。 重要な痕跡があるとしたら、それは頭部に接触している側、つまり裏側の方にある。

――さすが闇ギルドの品だ。証拠隠滅の技術、すごすぎる。

手術手順の打ち合わせが一段落したところで――

ディーター先生やアシュリー師匠、フィリス先生が、手術の準備のため、病棟の事務局に向かった。

大きな魔法事故が発生する可能性がある事を予告すると共に、ディーター先生の研究室の周りに高度な《防壁》をセットする旨、申請して許可をもらうためだ。

研究室の中に残った、バーディー師匠とわたしと、ジントとメルちゃんで、夜のお茶を一服する。

――『いよいよだ』と思うと、さすがに少し、不思議な気持ちになってくるなぁ。『呪いの拘束バンド』は、外れるんだろうか。 そして、わたしの『ウルフ耳』、ホントに生えて来るんだろうか。

お茶を飲みながら、そんな事を思っていると――バーディー師匠が、苦笑いをしながら声を掛けて来た。

「拘束バンドに仕込まれている数々の魔法陣のタイムリミットの件は、クレド隊士には明かしておらんのじゃよ。彼は、ただでさえ、ショックを受けておる所じゃからな。 手術の真っ最中の光景は相当に凄まじい物になる見込みじゃからの、下手したら、私がクレド隊士に絞め上げられかねん」

――え? えーっと。クレドさんが、バーディー師匠を締め上げかねない……?

わたしがオタオタしていると、ジントが渋面を向けて来た。ほとんど、むくれている格好だ。

「オレ、髪紐の件を白状する際、クレドにアイアン・クロー食らったんだぜ。それこそ、拷問さながらに」

――えーッ? クレドさん、そんな事したの?

*****

翌朝、朝食後。『呪いの拘束バンドを取り外す』手術が始まった。

手術場所となったのは、ディーター先生の研究室の前に広がる緑地。

緑地の周りには、アシュリー師匠の手により、大型の魔法の《防壁》が形成された。大容量エーテルの操作を伴うプロセスが入るため、予期せぬ魔法事故に備えての事だ。

ジントとメルちゃんも、隅っこで立会いしていて、滅多に見られないような強い魔法の展開を、興味津々で眺めている。 ちなみに、ジントとメルちゃんは、灰色の宝玉をつついて《隠蔽魔法》を維持する担当だ。

わたしは、バーディー師匠から、エーテル魔法の発動について詳しい説明をしてもらう事になった。 わたし、記憶喪失なんだよね。元・サフィールだったと言うけれど、サフィールが使っていた魔法の知識、ほとんど無いのだ。

――『正字』スキルだけはあるから、目的に応じた種々の魔法陣は、ちゃんと理解しつつ組めるんだけど……

バーディー師匠は早速、お手本として、『魔法の杖』を一振りして見せて来た。

目の前の空間に、特徴的な構造の多重魔法陣が展開したかと思うや――『ピシリ』というような物理的な音響と共に、青いパネルのような物が展開した。 標準的な床パネルくらいのサイズ。

わお。本物の《水の盾》だ。中央で、《水魔法》の金色のシンボルがキラキラと輝いている。

――へー。こうやるんだ。

青い《水》エーテルで出来たパネルは、透けるような色合いなのに、何処までも深い。雨上がりの空のような色だ。

少し白い色が混ざった青……空色というか水色の系統になっているのは、バーディー師匠が《風霊相》生まれだからだろう。

底知れない深さ……エーテル濃度は、とんでもなく高いという事が、シッカリと感じられる。 これだけの大容量の《水》エーテルを瞬時に圧縮すると言うのは、何だか大変そうだけど……

「ルーリーが最低限でも発動しなければならんのは、初歩レベルの《水の盾》じゃ。とは言え、上級魔法使いが最初に学ぶ《盾魔法》で、 最上級レベルの《防壁》でもあるが。これを体表面に展開して、もう1枚の皮膚のように覆い尽くす。イメージは出来るか?」

バーディー師匠に言われて、わたしは、ちょっとイメージしてみた。

あのレオ族の美女、水妻ベルディナが発動していたような青いエーテル膜――金色をした《水魔法》のシンボルが輝いている青いエーテル膜――が、 わたしの体表面をピッタリ覆っている様を。

……結構、不思議な光景かも知れないな。

わたしが更に眉根を寄せて思案していると、バーディー師匠が苦笑しつつ、頭を撫でて来た。

「一夜漬けの学習だけで、実技訓練も無しに、高難度のクエストをやろうとしている――無茶をしているのは、こちらも承知しとる。 危なくなった場合は、出来る限りの防衛処置を取るからの。最も重要なポイントは、その拘束バンドの隙間に《水の盾》を通したまま、シッカリ維持しておく事じゃよ」

――分かりました。やってみます。

「ルーリーは、まず《盾持ち》として、体内の《宿命図》の中に、天然の《盾の魔法陣》の構造を持っておる。半覚醒状態ではあるが、体内エーテル許容量の底が、驚くほどに深い。 一瞬にして最高位の《水の盾》を合成するのは、かつてルーリーが幾度もやってのけていた事じゃ。私は『やれる』と信じとるよ」

わたしが頷くと、バーディー師匠は、もうひとたび頭を撫でて来てくれた。

そしてバーディー師匠は、ディーター先生とフィリス先生の方を振り向いた。

「――準備完了じゃよ。始めてくれたまえ」

空気がピンと張った。バーディー師匠、やっぱりタダ者じゃ無い。

ジントとメルちゃんの尻尾が、ピシッと固まった。

ディーター先生がフィリス先生を脇に控えて歩み寄り、『呪いの拘束バンド』を、手持ちの『魔法の杖』で触れ始めた。

いつだったか、ジリアンさんの美容店で、拘束バンドの隙間を広げると言う局面があった。同じ魔法だ。わたしは芝草の上に座り込み、身構えた。 少しうつむいた拍子に、あの真っ赤な『花房』が、シャラリと顔の横に触れる感覚が来る。

ディーター先生の『魔法の杖』が黒く光ると、やはり、あの時のように、結構な『パチッ』という衝撃が来た。

――わお。一瞬、頭がクラリとしたよ。目が回る。グラリと身体が傾いだけど――持ちこたえた。

拘束バンドの締め付けが軽くなった。呼吸を素早く整え、『魔法の杖』を両手で握り締める。 体内の《宿命図》に存在すると言う魔法陣のイメージを、より鮮明に描き出すため、ギュッと目を閉じた。

――《水》のエーテル、来い!

目を閉じた闇の中で、不思議な光景が閃いた。いつか見た、夢のような光景だ。

常夜闇のような空間の中、多次元調和を成す幾つもの暗いエーテル光の構造体が、天球の回転を思わせる速度でゆるやかに回転している。 それらが、いきなり魔法陣として目覚めたかのようにパパッと点滅し、青く輝き出した。

身体の何処かで、宇宙との通路が大きく開いたようだ。大容量エーテルの流れが生まれる。宇宙からやって来る、根源的なエネルギーだ。

多次元調和を成す幾つもの魔法陣が、大容量エーテルを止め処もなく吸い込んで、一層まばゆく燃え上がった。

不安を覚えるくらい、身体の感覚が失せて行く。

大容量のエーテルにさらされると、こうなるらしい――と言う事は一夜漬けの学習で知っていたけど、実際に経験してみると、ギョッとするような感覚だ。

ついで、既視感のある感覚が湧き上がって来た。

大容量の《水》エーテルを瞬時に圧縮して展開するための《水の盾》の魔法陣セットが、 あの多次元調和を成して輝く魔法陣のうちに、確かに含まれている。このセットを選べば良いのだ。『正字』スキルがあって良かったよ。

いつのまにか、『魔法の杖』を強く握りしめていたらしい。両手が緊張に固まったままブルブル震え始めたので、改めて呼吸を整え、杖を握り直す。

闇の中で選び抜いた多重魔法陣が、青くまばゆく輝き燃えながらも、《宿命図》全体から呼び集めて来た多数の《水》の遊星と滑らかに接続し、《水の盾》を合成して行く。

青い宝玉細工で出来た複雑なパターンの万華鏡が、幾つも幾つも組み合わさった立体的な形となって、きらめいているような感じだ。 パッと感受したイメージだけだと良く分からないのだけど、多重魔法陣の構造も、その魔法陣の構造を巡り活性化し続ける《水》の遊星の軌道も、驚くほど深い部分まで及んでいるらしい。

大容量エーテルが瞬時に圧縮すると共に、ラピスラズリのような、何処までも深い青さが引き出されて来る。

――何度も使い込まれ、鍛錬されて来た痕跡があって、接続の流れも良好。わたし自身は全く覚えていないけれど、身体的なスキルとして、無意識領域の中に蓄えられていたらしい。

そして、ラピスラズリ色をした《水の盾》が『魔法の杖』を通じて駆け上がり、あふれ出して行った。 水のように滑らかに流れる濃密なエーテル膜が、身体の外側を覆い尽くすのが分かる――

何処かで、複数人が息を呑むような音が続いた。

「……《水の盾》の表面に他者データ移植、人工皮膚を形成! 拘束バンドの識別機能を混乱させるのよ!」

アシュリー師匠の鋭い指示が飛び、誰かがヒュッと『魔法の杖』を振った。

「ウヒョオ! あれ、『火のチャンス』じゃん!」

呆気に取られたような、ジントの声が続いた。メルちゃんが「うそだぁ」と、わめいている。

――あの金髪イヌ男のトラブルメーカー『火のチャンス』が、例によって、この場に飛び込んで来たんだろうか? 何が起こってるんだろう?

そんな事を思っていると――

頭部に、凄まじい圧力が掛かり出した。何か所ものポイントを、グサグサと刺しているみたいだ。

――ぐえッ。死ぬ。

「堪(こら)えるんじゃよ! 拘束を跳ねのけて、新しい《水の盾》を流し続けるんじゃ!」

気が付くと、『呪いの拘束バンド』が、上に向かってグイグイ引っ張られているのを感じる。取り外そうとしている所なんだ!

で、で、でも、頭がグサグサになりそう。首がもげそう~!!

何だか『呪いの拘束バンド』が、得体の知れない意志を持って、なおも頭部にしがみつこうとしているみたいだ。

ジントとメルちゃんが「うわあぁぁぁ」とか言ってる。

でも、わたしには、何が何だかだ。目下、感受している魔法陣イメージを保つために目をギュッと閉じ続けている状態だから、何が起きてるのか分かんないだよね。

目を閉じた闇の中で、宇宙の根源から新しく流れ込んで来た大容量の《水》エーテルが、更に《水の盾》多重魔法陣セットに投下されて、青く燃えた。

安定して《水の盾》を提供し続けるために、細かい調整が必要になる。最も《出力調整》に向くと思しき魔法陣を新しく引っ張って来て、脇に揃えてみた。

追加分の《水の盾》――青いエーテル膜の新しい出力が始まったけど、上手く行くかな?

――不意に、頭部への圧力が消滅した。身体全体を覆う《水》エーテルの膜が、上方へと、ザーッと流れて行く。

「……《遮蔽》ッ!」

アシュリー師匠の鋭い詠唱が響いた。直後――

――ズガアァァン!

「ウッヒョオオオー!」
「アレアレアーッ!」

ジントとメルちゃんの叫び声が、同時に音響に吹っ飛ばされたかのように転がって行った。 やがて、吹っ飛んだ先の茂みに突っ込んだのか、バサバサという葉擦れの音が続く。

――な、何が起きたんだろう? 爆発?!

焦げ臭い空気が漂っているけど……

――本当に、何か爆発したんだろうか? これ大丈夫なの?

すぐに、駆け寄って来る足音がした。

いつの間にか、わたしは、うつ伏せになっていて――丸くなって、震えていた。

そこへ、バサッと、大きな袖が掛かって来る。

「我が愛し子よ……成功したぞ! 見事だ!」

バーディー師匠の声だ。あれ。何か若返った声だけど。

――成功した……終わった? 本当に?

ボンヤリと顔を上げて、バーディー師匠の銀色の目に見入った。《銀文字星(アージェント)》の色をした目を。

いつものように、鳥人ならではの細長い手が、わたしの頭を撫でて来た。

バーディー師匠は、いつものように安心できるような穏やかな笑みを浮かべていたけれど、不思議な色合いに輝く銀色の目は、涙を湛えて潤んでいるように見える。

――わたし、こうやって撫でられるのが好きだったような気がする。

物理的な視界には、ちゃんと周りの光景がある。バーディー師匠の姿も。

その一方で、体内に向かって集中している『魔法感覚』は、闇の中で輝く数多の魔法陣を、確かに感受しているところだ。

気持ちが落ち着いて来ると共に、身体の奥で燃えていた魔法陣も、輝きを収めて行くのが分かる。

宇宙との窓が絞られた今、気の遠くなるような大容量エーテルの奔流は止まっていた。 体内エーテル循環に相当する淡い流れだけが、微風のような柔らかな響きを立てている。

闇の中で青くまばゆく輝き燃えていた魔法陣は、次第に、眠っているかのような暗いエーテル光で結ばれた構造体に戻って行った。 《水》の遊星が織りなす軌道の、更に奥の方で、天球の回転と共鳴しつつ、ゆっくりと回転する星系となっている。

いつか夢の中で見た時の――バーディー師匠が呼び出した《宿命図》でも再現されていた――不思議な光景そのものだ。

――あの闇の中の多次元調和の構造体は、普段は、このような物なのだろう。

わたしは、ゆっくりと身を起こし、頭に手をやってみた。

――『呪いの拘束バンド』の感触が無い。頭は――まっさらの、毛髪だけだ。

一瞬だけど、信じられなくて、ポカンとしてしまったよ。ホントに外れてるなんて思わなかった。

フィリス先生が驚いた顔をしながらも近づいて来て、手慣れた様子で『魔法の杖』をかざして来た。

毛髪の中で、ピョコ、という感覚が続く。え? ほえ?

「今、《変身魔法》を調整したわ。……ウルフ耳に異常は無いみたいね、ルーリー」

フィリス先生が、わたしの頭部の左右に手を触れて来た。

――わお。『耳』だ。あのウルフ耳が、頭部の左右に出てる。

慣れない感触が来てビックリな物だから、思わずピコピコ動いてしまうけど。既視感のある感覚だ。これが本来の感覚って感じの。 思いついて、顔の横に手をやってみれば――『人類の耳』は、既に、影も形も無い。急だから、変な感じ。

やがて――急に、明瞭な『魔法感覚』が、ドッとやって来た。

種類と深度をグンと増した、鮮やかなエーテル色と――遠くからも近くからも、押し寄せて来るエーテルの音響。

――圧倒的な情報量だ。目が回る。脳みそが回る……

グルグル回り過ぎた後の時みたいな感じだ。フラフラしていると、バーディー師匠が背中を支えて来てくれた。

「おお。落ち着くんじゃよ、ルーリー。『魔法感覚』は必要に応じて、自由に調整できるのじゃからな。今まで封印状態だったから、 限界まで『魔法感覚』を広げておったんじゃろう」

程なくして、ジントとメルちゃんが、茂みの中から身体を引っこ抜いて駆け寄って来た。

「あのバンド、すっげぇ爆発してたぜ! ウッヒョオ!」
「火のチャンスの『化けの皮』、バラバラに吹っ飛んだし!」

アシュリー師匠が手を広げて、好奇心いっぱいなジントとメルちゃんを、『呪いの拘束バンド』に近づけないように制している。 アシュリー師匠は子供たちと関わる機会が多いと聞くだけあって、さすがに子供の扱いが上手い。

ジントとメルちゃんは、手に、何やら人間の腕や脚らしき、ゾッとするような形の何かを持っていた。

近くでディーター先生が、『呪いの拘束バンド』と思しき半円状の金属製のブツを、慎重に拾い上げている。 手で直接に――では無く、警戒に警戒を重ねて、長い鉄バサミで挟んで、拾い上げるというスタイルだ。

あんな爆発音がしたのに――あの『呪いの拘束バンド』、原形を維持してるの?

「見れば見る程、実に凶悪な魔法道具ですな……アシュリー師匠」
「まさか、本当に自爆する機能まで装備しているとは思わなかったわ。未必の故意……仕掛け主の執念は、もはや狂気のレベルね」

ディーター先生の顔色は、少し青ざめていた。アシュリー師匠も、口元を強張らせている。

そのままディーター先生は、鉄バサミで挟み込んだ『呪いの拘束バンド』を、こちらにも見えるように示して来た。

――爆発で焼け焦げたせいなのか、今は、いかにも金属と言うような光沢のある黄褐色をしていない。

*****(2)宿業の縁は今も巡りて

今や『呪いの拘束バンド』は、錆びた鉄のような、艶の無いドロリとした赤褐色を見せていた。

なおも一体化したまま、へばりついている『花房』付きヘッドドレス。相変わらず毒々しいまでに真っ赤だけど、 こうして見ると、相当数のビーズが弾け飛んだ分、出来損ないの装飾物みたいに見える。

ディーター先生が、鉄バサミで『呪いの拘束バンド』をひっくり返しながら、口を開いた。

「バンドの内側に注目下さい、バーディー師匠。これが先程、『化けの皮』の頭部をメチャクチャに突き刺した棘です。 理由は知れませんが、仕掛け人は、誰かの手によって拘束バンドを外されるくらいなら、 ルーリーを物理的な意味でバラバラ死体にしてやろうという程に、計算づくで真剣な殺意を抱いていたようです」

見ると、拘束バンドの内側に、無数のゾッとするような大きな棘が突き出ている。

多数の棘は、ギョッとする程に長かった。頭蓋骨に確実に穴を開けられるように、回転ドリル式になっている。 しかも、見るからに、金剛石(アダマント)レベルの金属だ。

――脳みそ、グチャグチャにされる所だったんじゃ無いだろうか。怖い。

バーディー師匠が、珍しく眉根をしかめている。

「ルーリーが、最高位の《水の盾》を装備してくれて助かったのう。生半可な《防壁》では、この回転ドリルを防げなかったじゃろう」

ジントとメルちゃんが、妙に納得したような顔で、もう片方の手に持っていたカタマリを『ババーン』とばかりに、示して来た。

――『火のチャンス』さんの頭部だ。人工の皮……

見るからに、変装用のフルフェイス・マスクっぽい感じ。4個から5個くらいの破片になっている。

そして、『呪いの拘束バンド』が接触していた位置と思しき、頭部の端から端に当たる部分が、むごたらしいまでに穴ぼこだらけだ。 これ、回転ドリル攻撃を受けた痕だよね。ひえぇ。

フィリス先生が、妙に渋い顔をして、額に手を当てた。

「火のチャンスの『化けの皮』になったのは、偶然よ。『魔法の杖』が記憶していた最近の他者データが、たまたま、火のチャンスだったの」

*****

手術は、無事に終了した。

まだ信じられない気持ちだけど。

ディーター先生の研究室の周りの緑地には、『呪いの拘束バンド』を取り外した際に起きた大爆発の証拠が、あちこちに残っている。

火のチャンスさんの、バラバラ死体……いやいや、『化けの皮』とか。 枝葉が、ゴッソリと吹き飛んだ樹木とか。『花房』だった真っ赤なビーズの破片が相当数、渡り廊下の壁にめり込んでいたりとか。

それに、《自爆魔法》を構成していた《火》のエーテル成分が、あちこちに飛び散った真っ赤な血痕よろしく、ベッタリと張り付いている。

――『魔法感覚』で眺めると、何とも凄まじい光景だ。

後で片付けたり掃除したりするにしても、機密保持をよく心得た、口の堅いプロフェッショナルな清掃スタッフを頼まないと大変かも。

わたしは身体の疲れを休めるため、いったん、先生たちの指示通り、病室のベッドの方で横になった。

急にクリアな『魔法感覚』が戻って来たせいで、目が回っている。久し振り(?)に大容量エーテルが通過して行ったがゆえの反動なのか、身体を動かすのも辛いんだよね。 体内エーテル循環は正常だから、今は『魔法感覚』を調整しつつ、様子見という訳。

研究室の方では、ディーター先生とフィリス先生、それにバーディー師匠とアシュリー師匠が頭を突き合わせて、『呪いの拘束バンド』の解析を続けている。

安全のため、『呪いの拘束バンド』は、爆発物対応の透明ボックスに厳重に収められている所だ。それも、高度な魔法加工が付いているボックスだ。

まだ興奮が収まらない状態のジントとメルちゃんが、早速、わたしが横になっている病室にやって来た。そして、口々に、手術の間に何が起きていたのかを喋り出した。

わお。ジントとメルちゃんって、こんな声してたんだ。クリアになった分だけ、『人類の耳』で聞いていた時とは少し印象が違うけど、溌溂としていて元気な声だね。

ちなみに、わたしの声は、まだ回復していない。相変わらず、しゃがれ声だ。

今まで長い間、ギュウッとツボが圧迫されていて喉全体が変形していたから、慢性的な肩凝りと同じように、喉の筋肉とかが元の形に戻るのに時間が掛かるんだって。

閑話休題。

――ジントとメルちゃんの目撃談を、ひととおりまとめてみると、以下のような感じだ。

わたしは、最高位の《水の盾》を発動していたと言う。素人目にも分かるような、何処までも深いラピスラズリ色の《水の盾》だ。

それが全身を覆った瞬間、アシュリー師匠の指示に応じて、フィリス先生が『魔法の杖』を振った。

他者データを移植した人工皮膚『化けの皮』でもって、拘束バンドのターゲット識別機能を騙したのだ。

フィリス先生の『魔法の杖』が記憶していた他者データが、たまたま『火のチャンス』だった。

必然として。『呪いの拘束バンド』は、今くっ付いている人物は、ターゲットとは全く別の人物であると判断したらしい。 うなじの方から緩んで行って、半円形に近いまでに変形した――取り外せる状態になった。

急に『火のチャンス』が出現したから、ジントとメルちゃんも、ビックリしたと言う。

だけど、バーディー師匠とアシュリー師匠とディーター先生が一緒になって、魔法の力で『拘束バンド』を外そうとしたので、 『拘束バンド』が、『これは不自然な状態だ』と自動判断したらしいんだよね。

かくして『拘束バンド』が抵抗した。内側に棘を伸ばして、再び頭部を抱え込んで、棘をグサグサと突き刺して固着すると共に、回転ドリルでもって、人工皮膚を攻撃し始めた。

見るからに、凄まじい光景だったらしい。

バーディー師匠が咄嗟に気付いて、《水の盾》で出来た人工皮膚の厚みを調整してくれなかったら、わたしの頭部は危なかったみたいだ。

それは、『火のチャンス』の姿をした『化けの皮』ではあったんだけど――

チャンスさんの頭部は、棘にグサグサに刺されて、凄まじく変形しまくったと言う。

変な風に凹んだり、そこへ新しい《水の盾》成分が供給されて、プウッと膨張したり、 そこを回転ドリルの圧力にやられて、シュウッと縮んだり……まるで風船が、あちこちからギュウッと押されて、メチャクチャに変形しているように見えたと言う。

――それはスゴイ。まさに妖怪変化だったに違いない。

でも、最高位の《水の盾》は、その回転ドリル攻撃に耐え切った。遂に、『呪いの拘束バンド』の圧力を押し返した。 ジントとメルちゃんも、最高位の《水の盾》というものの、強靭な防衛力を、シミジミと実感したと言う。

バーディー師匠が《水》エーテルの流れを調整して、上方へと引き上げると、 チャンスさんの頭部が、飴か何かのように、グイーンと細長く引き延ばされた。同時に拘束バンドも、わたしの頭部から完全に離れて行った。

なおもチャンスさんの『化けの皮』の頭部を抱え込んだままの拘束バンドが、宙に浮いた形となった。それが『パパッ』と赤く光った瞬間、 アシュリー師匠が《自爆魔法》に気付いて、《遮蔽》を合成してくれた。

そして、わたしも耳で察知した通り、魔法事故さながらの大爆発に至ったのだ。 『火のチャンス』の姿をした『化けの皮』は、まさにバラバラ死体となって、派手に四散して行った。

爆発そのものが想定以上に強烈だったので、《遮蔽》は吹き飛んでしまったんだけど、それでも、有るのと無いのとでは随分と違うらしい。 ジントとメルちゃんは、《遮蔽》にガードされつつ、爆風で転がって行ったと言う訳。

ジントとメルちゃんには、また大変な思いをさせてしまったね。ゴメンナサイ。

*****

程なくして、先生がたによる『呪いの拘束バンド』の解析が一段落した。

ジントとメルちゃんは、さりげなく用事を言い付けられて、病室の外に出されている。

火のチャンスさんの『化けの皮』が、バラバラ死体さながらに派手に四散しているので、それを全部集めて来ると言う仕事だ。

ゾッとするような内容だけど、ジントとメルちゃんは何故か、そんなホラー満載な仕事に熱中し始めた。そういうお年頃って事かも知れない。

フィリス先生の監督のもと、ディーター先生の研究室の前に広がっている緑地の中ほどで、火のチャンスさんの『化けの皮』による『3次元立体のジグソーパズル』が進行している。

ジントとメルちゃんが、せっせと破片を探して拾って来て、頭をひねりながら破片を組み立てていた。『火のチャンス』なカカシは、半分くらい形になっている所だ。

いつものような穏やかな快晴の中で――真昼に近い陽光の下で――こういう、世にも奇妙な光景を見る事になるとは思わなかったよ。

*****

わたしはベッドの上で半身を起こし、バーディー師匠とアシュリー師匠とディーター先生から、説明を受ける事になった。

あの『呪いの拘束バンド』、秘密が色々あっただろうに、随分と早く解析が済んだな……と思ったんだけど。

自爆すると共に、完全な証拠隠滅が掛かるようになっていたらしくて、有望な情報があまり残って無かったそうだ。さすが闇ギルドの製品だ。証拠隠滅に念が入っている。

ただ、分かった事がある。

――『呪いの拘束バンド』と、真っ赤な『花房』付きヘッドドレスとが、一体化した原因。

何と、『仕掛け主』が同一人物なのだそうだ。

ディーター先生が首を振り振り、ボヤいた。

「ああいう類の魔法道具は、稼働スイッチ部分に仕掛け主が《魔法署名》を施す事で、呪いの動作が始まるようになっている。 その《魔法署名》は、当然ながら断片しか残って無いんだが――ほぼ、同一人物だ。しかも、非合法の魔法道具の業界で、極めて活動的な人物でもあるらしい」

同席していたバーディー師匠とアシュリー師匠が、思案深げに同意して来た。アシュリー師匠が、続けて口を開いた。

「考えられる可能性は、本気で『サフィール・レヴィア・イージス』を捕縛しようとした人物が居たのでは無いかという事なの。 サフィールが混乱して行方不明になった、あの6年前の7日間の件だけど――その真相が、何処かに洩れた。しかも、『闘獣』ルートでの捕縛の可能性を見い出されてしまった。 『飼い主』シャンゼリンとの関係を察知できたのであれば、あとの作戦は比較的に容易になるわ」

――何だか、ゾッとする。それって、つまり……

バーディー師匠が大きく息をつき、わたしの不吉な想像に同意して来た。

「その通り。サフィに関する最高機密を手に入れた、良からぬ人物が居る。 そいつは、念に念を入れて様々な魔法道具を揃え、準備した。満を持して――かの日、サフィの居る後宮まで乗り込んだのじゃ。 つまり、主犯は、後宮に侵入した9人の曲者たちの頭目なんじゃろう。『飼い主』シャンゼリンとの協力関係があった事は確実じゃろうが、何者かは、今のところは不明じゃ」

――わたしが覚えていない、元・サフィールとしての過去。過去というよりは前世。

その中で起きた出来事が、知らぬ間に巡って来て、宿業さながらに、こういう状況を生み出していたと言うのか。

外は快晴なのに、急に、わたしたちの周りだけが暗くなったような気がする――

暫し、白ヒゲを撫でた後、バーディー師匠は厳しい顔になって、空を睨んだ。

「――『花房』付きヘッドドレスは、レオ族のハーレム妻のみが用いる装飾品だが、魔法道具として、非合法な機能を備えていたであろう事は、想像に難くない。 下手したら『闘獣』だった頃と同じように自由意志を奪われて、主犯をハーレム主として認識し、なおかつ服従する羽目になっていたかも知れん。 闇ギルドの勢力に第一位の《水の盾》を奪われていたら、一大事だった」

ウルフ族なディーター先生とアシュリー師匠は、その恐るべき可能性にまでは、思い至って無かったみたい。サーッと青ざめている。

実際に、そういう非合法な仕掛けを施した、『花房』付きヘッドドレスは実在するそうだ。

足が付かないようにするために、処分品を活用するケースが多い。実際、問題の『花房』付きヘッドドレスは、まさに粗悪品として在庫処分されていた商品を、再利用した物だ。

レオ族のヤクザ男や前科者は、まともな4人の正妻を得る可能性が全く無い。だけど、その魔法道具を使えば、そう言う風にして『奴隷妻』として獲得できる。 催眠術の系統だから、効いたとしても、効果は一刻ほどしか続かないそうだけど。数さえあれば、種族に関わらず無制限に、安価に獲得できるので、需要は相応にあると言う。

聞けば聞くほど、ゾッとする話だ。

わたしの実の姉だったシャンゼリンは、わたしの『飼い主』――絶対的支配者でもあった。6年前、ノイローゼから回復したばかりの頃、 わたしが混乱して7日間ものあいだ行方不明になったのは、偶然に正式名を思い出した拍子に、シャンゼリンが《召喚》を発動して来たからだと言う。

わたしの『飼い主』として絶対的な影響力を有していたシャンゼリンが、更に『花房』付きヘッドドレスを必要とする筈が無い。

論理的に考えれば、この真っ赤な『花房』付きヘッドドレスを用意したのは、わたしを『奴隷妻』として獲得しようとしていた、謎の人物だ。

その人物は、くだんの『サフィール捕縛作戦』において、シャンゼリンと協力関係にあったのかも知れない。しかし同時に、 シャンゼリンを裏切って、『サフィール』を奪おうとしていたのだろうと思える。

わざわざ『花房』付きヘッドドレスを用意した。なおかつ、ただでさえ不良プータローでナンチャッテ色事師な、『火のチャンス』にもバラまいた。 多分、男性なのだ。レオ族かどうかは分からないけど。

チャンスさんの言う所によれば、『見境の無いスケベ野郎なレオ族、クマ族、イヌ族、ネコ族、ウサギ族……などなどの男たちにも、大量にバラまいていた』そうだし。

――と言う事は。

「あの『花房』ヘッドドレスをバラまいた人が、その人かも知れない……って事ですよね?」

わたしの、その呟きを、バーディー師匠は否定しなかった。

ディーター先生も、難しい顔で頷いている。アシュリー師匠が眉間を揉みながらも、追加の言葉を付け加えて来た。

「実際に、『サフィール』だったルーリーを捕らえた訳だから、先方には勝算があったんでしょうね。つまり犯人は、ターゲットが此処に来ている事を知っていて、この近くに居るという事よ。 新しいハーレム主君を気取っている犯人と顔を合わせる前に、あの『花房』も外れてくれて、本当に良かったわ。犯人を見つけて何とかするまでは、厳重に警戒する必要があるわね」

バーディー師匠が、ちょっと目を見張って、アシュリー師匠を振り返った。

「その『何とかする』という部分に、不吉な予感を感じたがのう?」
「想像は自由ですわよ、バーディー殿」

アシュリー師匠の淡い栗色の目は、スッカリ据わっていた。眉間を揉んでいた手は、今は、手前の空間の中で、穏やかならざる動きをしている。

ディーター先生は――何故か、無言で、ニガワライな顔を強張らせていた。

*****(3)魔法使いと魔法道具

昼食後、アシュリー師匠が、わたしの身体を改めて診察してくれた。

最強の守護魔法《水の盾》を連続発動し続けていたがゆえの、疲労が少し。でも、シッカリ休養を取れば、心配ないレベル。 その辺を歩き回る程度なら、問題は無い。遠出する場合は、介助者が必要だけど。

診察がてら、アシュリー師匠は、攻撃魔法と守護魔法について簡単な講義をしてくれた。

わたしは記憶喪失ゆえに無防備になっているので、大急ぎで魔法と魔法使いに関する一般知識を詰め込む必要がある。 目下の状況がアレな事もあって、内容は、必然的に、セキュリティ方面に偏っている所だ。

元々、守護魔法は、攻撃魔法に比べて、遥かに大量のエーテルを使う。特に《盾魔法》は、体内エーテル許容量ギリギリまで、大容量エーテルを溜め込んでおいて、操作する。 それだけ、疲れやすいのだそうだ。体調も崩しやすく、見た目は、病弱な性質と似たような物になる。

――うん、いつだったか《盾魔法》を発動していたディーター先生とジルベルト閣下、しばらくの間、立ち上がれないくらい疲労困憊してたもんね。 水妻ベルディナも、《水の盾》を発動した後、少しフラフラしていたし……納得。

魔法使いとしての強さを決める基準は、ふたつ。

――ひとつは、生来的なパワー方面での素質。攻撃魔法のパワー強度を決める要素だ。

各《霊相》ごとに誰でも発動できる最も基本的な攻撃魔法が《火矢》、《水砲》、《風刃》、《石礫》。

そのパワー強度に関しては各人の素質が大きく関わるけど、基本的には誰でも発動できる。《火炎弾》や《圧縮空気弾》といった物は、各種の攻撃魔法の強化版だから、 いずれかの基本的な攻撃魔法が出来ていれば、それほど難しくない。

これらの攻撃魔法は、《霊相》が違っていても、訓練次第で、スキルとして発動できる人は多い。 隊士が繰り出す魔法の長剣などが代表的な物だし、この辺では、貴種は特に有利だ。強い攻撃魔法の使い手は、相当に多い。

さすがに最大最強の攻撃魔法――大型《雷攻撃(エクレール)》、 すなわち四色のいずれかの純粋な《雷光》としての、《地雷》、《風雷》、《火雷》、《水雷》となると、誰でも出来ると言う訳では無い。 特に選ばれた貴種や、中級・上級の攻撃魔法を発動できる強者が、対モンスター用の強力な魔法道具を装備して、やっと発動できる。

――もうひとつの基準は、『魔法陣スコア』。『正字』スキルの熟練度と、大きな相関関係がある。上級・中級・下級の魔法使い資格を決めるための、主要な基準でもある。

この『魔法陣スコア』こそが、各種の人工の魔法陣や魔法道具のクオリティを左右する要素だ。

数多の『正字』で組む人工の魔法陣――《拘束魔法陣》や《転移魔法陣》等といった物が代表的だ。更に、組み合わせによって、より複雑で高度な魔法を生み出せる可能性が、無限にある。

お手製の魔法陣が、どれだけ有効に、かつ強力に稼働するか。それを決めるのが、『魔法陣スコア』。

シッカリと『正字』を理解したうえで、それを魔法陣として組み立てられる――そういう魔法職人(アルチザン)としての能力のある人材は、 生来的な魔法パワーは無くても、高スコアの魔法陣を組める。効力の高い魔法道具も製作できる。

いわゆる《護符》をはじめとする守護魔法陣は、『正字』スキル持ちの魔法使いにして魔法職人(アルチザン)の独壇場だ。

この『正字』を使う守護魔法陣のうち、特筆すべき類が、《防壁》や《魔物シールド》の魔法。最も需要の高い守護魔法であり、『下級魔法使い資格』持ちの必須スキル。

ただし、『正字』を習得するのは容易では無く、それを有効な魔法陣として構築するのは、更に難しい作業になる。 魔法使いコースで、特に念入りに学ぶ内容でもあるけれど、総じて『魔法陣の構築』の方が『魔法陣の解析』よりも難しい。

更に、体内エーテル許容量の限界も付いて回るから、特に《盾魔法》のような上級の守護魔法ともなると、多方面でのバランス感覚が要求される。 此処まで来ると、魔法使いとしての素質や、職人としての素質――特に《器》と呼ばれる素質が、モノを言う領域となる。

この《器》と言うのは、簡単に言えば、エーテル許容量に関する素質だ。《宿命図》や魔法陣そのものの在り方による所が大きいけど、 今のところ、定量的な測定方法は確立されていない。

攻撃魔法のパワーを決める『プラス方向の高さ』の素質とは違い、『マイナス方向の深さ』の素質になるので、すごく分かりにくいそうだ。

いずれにしろ、熟練した『正字』スキルでもって強い守護魔法を扱える人材は、強い攻撃魔法を扱える人材に比べて少ないから、貴重。 この辺の事情は、魔法道具の分野にも及んでいて、守護魔法の機能を備えた魔法道具の方が、はるかに割高。

特に、『イージス称号』持ちの守護魔法使いともなると、ほとんどの場合、王族に準じる扱いとなる。ほぼ例外なく、戦闘能力に優れた護衛が付く。ひえぇ。

*****

ディーター先生の研究室の前に広がる、緑地。

かの『火のチャンス(化けの皮)』3次元ジグソーパズルが完成していた。つっかい棒のセットに支えられながらも、ヒョコンと立っている奇妙な『火のチャンス』カカシだ。

その前で、ジントとメルちゃんが、会心の笑みを浮かべている。

昼日中の陽光の下、『火のチャンス(化けの皮)』がバラバラ死体と化していた時の断裂状態が、青いラインに彩られていて、ハッキリと分かる。

――『化けの皮』の断面で、《水》エーテルの青い色が剥き出しになって見えているからなんだけど、意外にグロテスクと言うか……

これ程に濃密な《水》エーテルを剥き出しにしておくのは、色々とマズい。それは、わたしにも分かる。

ディーター先生とアシュリー師匠が、カカシな『火のチャンス』を分解しつつ、全ての断面に、シッカリと封をした。漆黒と言って良い程に、黒い《地》エーテルで。 パッと見た目には、《地の盾》で出来ているように見える。

そして再び、『火のチャンス(化けの皮)』カカシが立てられた。

うーむ。

ブルーからブラックにカラーが変化した分、チャンスさんのバラバラ死体、いっそう凄みが増しているなあ。

見るからに、むごたらしく爆殺された結果としての、れっきとしたバラバラ死体なんだけど。実物のチャンスさんの数倍くらいの迫力があって、良い男に見えなくもない。

フィリス先生も同じ感慨を抱いたみたいで、こっそり吹き出し笑いしている。

「これ、風のジント君や、ちょっとおいで」

研究室との出入口となっている大窓の傍で、バーディー師匠がジントを呼び寄せた。

ジントは「何だよ、ヒゲ爺さん」と訝しそうにしながらも、素直にテテテッと駆け付ける。今は亡き母親ルルの教育が、シッカリしていたんだろう。素晴らしい敬老精神だ。

バーディー師匠は早速、手前のテーブルに、7個ばかりのガラクタのような物を並べて見せた。

――ヘチマのスポンジのような形の《ホワイトノイズ防音》のための魔法道具。

訓練隊士用の《風》の紺色マント《パラシュート魔法》道具。

灰色の宝玉、すなわち《隠蔽魔法》道具。

知恵の輪のように連結されている2つの輪っか《コピー魔法》道具。

脱獄用の多目的ピッケル……金剛石(アダマント)で出来ている。

尻尾にハメる装飾リング型《痕跡消し魔法》道具。

――そして、言わずと知れた、お馴染みの『魔法の杖』。

「ジント君の『コソ泥の七つ道具』は、これで全部かのう?」
「ゲッ」

クルリと身を返したジントを、バーディー師匠は、信じがたいまでに素早い動きで捕縛した。《風》エーテルによる白い《風縄》でもって、 ジントの身体は、バーディー師匠の手前の椅子に縛り付けられたのだった。

「ひえぇ! きったねーぞ、ヒゲジジイ! いつの間にスッたんだよ!」
「気持ち良いくらい、元気の良い子じゃのう。フォフォフォ」

――ジント、これからは、バーディー師匠の存在も、捕縛主トラウマになりそうだね……

ディーター先生とアシュリー師匠、フィリス先生もやって来て、『コソ泥の七つ道具』を見て感心している。

一目で、かなり上質な魔法道具だと分かる代物(アイテム)だ。

特に、そのうちの3つ――ヘチマのスポンジ型《ホワイトノイズ防音》魔法道具と、脱獄用の多目的ピッケル、 尻尾にハメる装飾リング型《痕跡消し魔法》道具は、先祖由来の物なのだろう、長く使い込まれた雰囲気がある。

メルちゃんは目をキラキラさせていた。親子代々のプロフェッショナルなコソ泥って、割と珍しいよね。

「プロのコソ泥は、この七種類の魔法道具に、こだわるようじゃのう。 この多目的ピッケルは金剛石(アダマント)で出来ているから、怠りなく手入れをして居れば、ほぼ半永久的に持つじゃろうな」
「オレのポケットを全部チェックしたってんなら、あらかた分かってるんじゃねぇか、クソジジイ」

失敬な表現をしたジントは、早速、フィリス先生のハリセンで『ベッチン!』と、お仕置きされたのだった。

「時にジント君。この七つ道具さえあれば、何処にでも侵入できるものかのう? ――例えば、厳重なゲートに守られた、レオ帝都の後宮の都にも」

ディーター先生とアシュリー師匠が、無言で目を見開いた。

確かに、その辺は、レオ帝都でもミステリーな部分なんだろう。 内部からの手引きはあったんだろうけど、くだんの9人の侵入者たちが、どうやって侵入しおおせたのかは、レオ帝国の威信に関わる内容だと思う。

思わぬ質問内容を受けて、ジントは目を丸くしながらも『フンッ』と鼻息を荒くした。

「つまり、レオ帝都の後宮ハーレムに忍び込めって事かい、ヒゲ爺さん。ターゲットは何だよ? ブツによっちゃあ、高額の報酬を頂くぜ。 追加の魔法道具を買い揃えるのは、大変なんだよ」

バーディー師匠は「フム」と、イタズラっぽく首を傾げた。

「そうじゃのう。例えば、第一位《水の盾》サフィールを盗む……というのは、どうじゃ?」
「マジかよ。レオ皇帝のハーレム妻だろ。そんなの盗んだら、レオ族の戦闘隊士たちに、細切れの死体にされるじゃねーか」

ジントはブツブツ言いながらも、目をクルクルと回して思案顔になった。本当に作戦を考えているらしい。

「サフィールの外見と、1日の行動パターンの情報が欲しいな。特に、《風の盾》に守られている奥殿から出ているタイミングを。 レオ帝都の構造は大天球儀(アストラルシア)で公開されているヤツしか知らねぇけど、 後宮の都が、レオ帝都と同じように街区割りの構造なら、或る程度は目星が付くから」

そこで、ジントはプウッとむくれた。

「問題は、このオレが、レオ族でも鳥人でもねぇって事だよ。ヒゲジジイの方が、よっぽど有利なんじゃねぇのか」
「成る程のぅ。種族系統の問題さえクリアしていれば、コソ泥の技術を持つ者たちにとっては、さほど難題では無いと言う事かのう」

バーディー師匠の畳みかけるような質問と確認に、ジントは面倒くさがりながらも応答した。

「コソ泥のレベルにも、よるけどな。有能なコソ泥は、イヌ族とウルフ族とネコ族に集中してるから。 レオ族の男はタテガミで、ウサギ族は長すぎる『耳』で、どちらも種族系統がバレやすい。パンダ族は目立ちすぎる。 クマ族は、女か、痩せてる小男じゃ無いとダメだ。縦にも横にもデカすぎるから」

ジントは、椅子の上で、偉そうに胡坐を組んだ。

大の男さながらに余裕のある態度を装っているけれど、 灰褐色のウルフ尾が緊張感をもってピコピコ揺れているから、この辺は、やはり年相応に子供だなと思ってしまう。 『尻尾はウソをつけない』って、ホントだなぁ。

「ただ、この仕事は割に合わねぇ。下手したら獣王国の全体が危機になるし、内乱地獄って事になったら、オレの稼ぎも怪しくなるんだよ。 てな訳で、オレは引き受けねぇからな。本気だってんなら、闇ギルドの、もっと凶悪なコソ泥を当たってくれよ。 頭のネジが飛んだヒャッハーな奴らが、ウヨウヨ居るんだから」

バーディー師匠は、目元に穏やかな笑みを浮かべて、面白そうな顔で耳を傾けていた。

「なかなか、貴重な見立てじゃのう。随分と考えさせられたぞよ。問題の事件についても、かなり犯人像が分かって来たな」

ジントが「へッ?!」という顔になった。アシュリー師匠とディーター先生が、苦笑している。

「ホントに、サフィール拉致事件が起きてたってのかよ?」
「うむ。此処だけの秘密じゃよ、ジント君。幸いに、未遂で済んだところじゃ」
「何か癪に障るな。でも、レオ族のトップレベルの戦闘隊士が警備してるんだから、しゃーねーってか」

ジントは『フーッ』と息をついて、肩をすくめた。

次に、バーディー師匠は、ジントの『魔法の杖』を拾い上げた。訓練隊士用の『魔法の杖』だ。日常魔法用の物と、警棒タイプの物の、中間ぐらい。

「こいつは、ジント君にフィットするようにセットされた『魔法の杖』では無いのじゃが。当然、盗品なんじゃろう。 これで、よく《パラシュート魔法》を発動できたものじゃな。なかなか器用な少年じゃ」

ひとしきりバーディー師匠は感心した後、手慣れた風で、自身の『魔法の杖』とジントの『魔法の杖』とを交差させた。 暫しの間、2本の杖が白いエーテル光に包まれる。白い光が意味深に踊った後、尋常に消えた。

「御礼と言っては何じゃが、ジント君に合わせて調整しておいたぞ。前より使いやすくなっている筈じゃ」

ジントは、ビックリした顔のまま、《風縄》の下から手を伸ばして杖を手に取った。そして早速、数回ササッと振る。 すると、ジントを拘束していた《風縄》は、あっと言う間に四散して行ったのだった。

「ほえぇ!」

見るからに、『手応えが違う』と言う雰囲気だ。ジントは目を輝かせている。

そこへ――

――バーディー師匠が微笑みを浮かべたまま、強烈な爆弾を落としたのだった。

「風のジント君は、ルーリーと、血のつながった姉弟なのじゃろう」

――ぎゃふん。

*****(4)中庭広場、再会と奇遇と困惑と

「大人って、きったねぇ!」

特に実父について三度目の白状をさせられたジントは、おやつの刻になっても、プリプリしている。

でも、考えてみると、相手の方が、何倍もの人生経験を積んでいるんだよね。闇ギルドの勢力との駆け引きも、経験豊富な筈だ。

いきなり現れたコソ泥なジントだったし、これまでの先触れからして重要参考人と見なされていたのは、確実。 ジントが疲れてグッタリとしている間に、《宿命図》判読――ないしは解読レベルでの調査があったんだろう。

大魔法使いが2人も居るし、《宿命図》を読める上級魔法使いと中級魔法使いが揃っていて、 ジントみたいな要注意人物の《宿命図》チェックが見逃されている方が、有り得ない事だった。

わたしとジントの意外な血縁関係について、『最大の秘密』扱いにしていた事は、ジントの都合もあったからなんだけど、『非常に賢い判断だった』と評価された。

メルちゃんの方も、口を噤んでいたと言う実績が評価されて、今のところ、《暗示》による忘却の処置は無しという事になっている。

――ちなみに、おやつは買い出しだ。ジントの食欲、スゴイからね。

わたしとジントとメルちゃんは、3人で連れ立って、中央病棟の中庭広場に並ぶ、ミニ商店街を訪れているところだ。 ついでに、患者服な生成り色のスモック姿が続いているジントに、適当に着替えを見繕う予定も、あったりする。

わたしも適当に着替えを追加しておかなきゃいけない立場ではあるけど、成長期なジントの着替えストックの方が、難度の高いクエストになりそうだ。

或る程度、ジントの今後の成長をカバーできるように、大きめのサイズとか、伸縮性のある製品を選んだ方が良さそう。 この辺の事情ってよく分からないから、経験者な大人の男性のアドバイスが欲しい所だ。

目下、全員、近場への外出の自由と引き換えに、常時監視用の『迷子の輪』をハメられている。

しかも、この『迷子の輪』は、2人の大魔法使いによる厳重なロック付きだ。 『いきなり行方不明になった』と言う前例を作ってしまったし、行方不明になったうえに想定外の危ない目にも遭ってしまったから、 100%納得するのみの処置ではある。

この『迷子の輪』処置は、ジントの『コソ泥の七つ道具』の返還と引き換えでもあるから、ジントはプリプリしているけど、何も言えない状態だ。 『完璧にやり込められる』って、こういう感じなんだろうなぁ。

ついでながら――

わたしたちは、特別なコンテナを台車に乗せて、中庭広場の端にある『エーテル燃料の集積場』へ運んでいる所でもある。

このコンテナの中身は、『火のチャンス(化けの皮)』のバラバラ死体だ。高濃度に圧縮されたエーテルのカタマリなので、 血の滴るモンスター肉以上に燃えるエーテル燃料になると言う。

以前、ボウガン襲撃事件の際に合成されていた《地の盾》も、剣技武闘会の事故の際に水妻ベルディナが合成していた《水の盾》も、 こうして、『茜離宮』の方にある『エーテル燃料の集積場』へと運ばれて、処理されていたそうだ。

ジントは早速、ボリュームのある軽食コーナーを見定め、目玉商品のツヤツヤとした大粒の葡萄をゲットした。すごい眼力。 わたしとメルちゃんも、5粒くらい頂く。今が旬なんだろう、甘くて美味しい葡萄だ。

そして、わたしたちは見覚えのある店舗の前に来た。小物屋さんだ。

――えーっと。確か此処で、『ウルフ耳付きヘッドリボン(黒)』を調達したんだっけ。随分と前のように思えるけど。

ジントがヒョイと店舗の中をのぞき込み、目をキラーンと光らせた。

「あれこそ、オレが想定してたブツだよ!」

いつかお世話になった初老な店主さんが、ビックリして「いらっしゃいませ」と、入店して来たジントに声を掛けている。 そして、続いて入店したわたしとメルちゃんを見て、「おぉ」と驚きの声を上げて来た。

「おや、これは。いつかの可愛いお嬢さんたちですな。こりゃ、ルーリーさんは『耳』が復活したんですか。完治、おめでとうございます」

――気に掛けて下さって、有難うございます。名前も覚えて下さっているとは思いませんでした。

「メークを少し施しただけで、あんな上品で美麗な御令嬢に仕上がるとは思いませんでしたからね。印象深いお客様でしたよ、ルーリーさんは。 今日の淡い青磁色の上着も、お似合いで御座います」

――そ、それは持ち上げ過ぎのような。患者服な生成り色のスモックはともかく、 この上着はチェルシーさんのお手製なので、チェルシーさんの腕前のお蔭かと……

オタオタしている内に、ジントが2つばかり、商品を選んでやって来た。

「コレとコレ、くれ!」
「毎度、有難うございます。おや。『手品師も驚くマジックの収納袋』は分かりますが、こちらの『手品師の変装、黒ウルフ耳キャップ付き三角巾』は、いったい……?」
「この姉貴に付けてやるんだよ」
「でも、ルーリーさんは『耳』が復活したのですから、これは必要ないのでは?」

ジントは、イタズラ小僧さながらの、下心を満載した笑みを顔いっぱいに浮かべた。

「ビックリさせてやりたいヤツが居るんだよ。そいつは前々から姉貴にアレなんだが、すっげぇ癪に障るヤツなんだ。 オレの基準から見て充分に合格なんだけど、でも、一度、ビックリさせてやらなくちゃ、オレの気が済まねぇ。これは『男と男の話し合い』ってヤツさ」

初老の店主さんは、ジントと同じ『男』と言うだけあって、何がしか通じる物があったみたい。

「……ははぁ。『そういう事』ですか。でも、年上の男性を余りドッキリさせては、いけませんよ」
「手品師のサプライズだから、その辺は抜かりないぜ、イヒヒ。オッサンも秘密保持よろしくな!」

清算を済ませた後、ジントは早くも、わたしの頭部に『手品師の変装、黒ウルフ耳キャップ付き三角巾』を巻き付けて来た。 わたしの本来のウルフ耳は、再びスッポリと隠れる形になったのだった。

わたしの頭部が『炭酸スイカ』カラーリングだった時に、真っ赤な『花房』付きヘッドドレスと『呪いの拘束バンド』をまとめて隠すために、 清掃スタッフ風な生成り色の三角巾を付けていたけど、ちょうど、そんな感じ。

まさに、『ひと回りして元通り』って所だ。今まで、こういう隠蔽スタイルが普通だっただけに、こっちの方が自然で落ち着くような、変な気分。

初老なウルフ男性の店主さんは、そんな『まんざらでもない』わたしの様子を眺めて、妙に理解のある苦笑いを向けて来た。 メルちゃんも何故か、一緒になって、下心のあるニマニマした笑いを向けて来ている。

「ルーリーさんも気苦労が多い性質のようですな。幸多からん事を祈っておりますよ」

*****

「確か、『エーテル燃料の集積場』って、端の方にあるって言ってたっけ」
「ずっと先の方だよ、ルーリー。でも、その前に、男の子用の衣料店の方に先に着くから、そっちを先にしよう」
「オレを着せ替え人形にするなよ! 恥ずかしい服もダメだぞ!」

初老の店主さんの小物屋さんを出た後、わたしたちは再び、台車を転がして、中庭広場の商店街を歩き出した。

――台車は、割と重たい。『火のチャンスのバラバラ死体(化けの皮)』を封入したコンテナが、意外にズッシリとしてるんだよね。元々の、実物の方のチャンスさんも、相当に大柄な体格だし。

ちなみに、わたし用の着替えは、初老の店主さんのアドバイスもあって、2軒先の女性用の衣料店で早くも片付いている。 こざっぱりしたデザインの服が多くて助かったよ。城下町で一番多く見かけたタイプの日常着を、幾つかゲットできた。

中庭広場の真ん中には、最初に来た時にも見かけた、大きな噴水がある。可動型の玉ねぎ屋根が取り払われていて、 昼下がりの陽光の下、流れる水がキラキラとしていた。

噴水のある庭園中央ラインは、噴水周りの石畳スペースを除いて、芝草が生える緑地となっている。 中庭広場の長辺方向に、街路樹が適当に行列を成して生えていた。その間に、いつものように、パラソル屋根を備えたカフェテーブルが並んでいる。

メルちゃんが少女趣味な雑貨屋さんで立ち止まり、物色を始めた。少女向けの可愛いアクセサリーが並んでいる。 こういうのが気になるお年頃だからね、よく分かる。

ちょうど隣にあるのが本格的な宝飾品を扱っているお店で、ジントの目がキラキラと輝き出した。 コソ泥としての本能を刺激されているんだろうけど、此処では、ダメだよ!

ハラハラしながらジントの方を見張っていると――

その宝飾品店から、如何にも貴種のご令嬢な、金狼種のウルフ女性が2人、出て来た。わお。

――1人は、オフェリア姫だ! お忍びなのかな?!

オフェリア姫の方でも、わたしに気付いた様子で、目を大きく見開いた。

「まぁ、奇遇だわ、ルーリー!」
「ルーリーですって? この子が?」

オフェリア姫と連れ立っているのは、見事な金髪のウルフ令嬢だ。如何にも貴族令嬢って感じ。縦ロール巻も念が入っていて華やかだ。

こうしてみると、オフェリア姫はセレスト・ブルーに白いレースを合わせたドレス、 もう1人の縦ロール巻の令嬢はクリーム色のドレスだけど赤珊瑚のアクセサリーを合わせていて、シッカリ各《霊相》生まれのサインがある。 金髪の縦ロール巻の令嬢は、《火霊相》生まれなんだろうなと分かる。

ジントは、いきなり2人の貴族令嬢が出て来た物だから、コソ泥としての習慣なのだろう、サッとコンテナの陰にしゃがみ込んだ。 一見、コンテナが台車にシッカリ固定されているかどうか、留め具をチェックしている風だ。忍者さながらの技術。感心しちゃう。

金髪の縦ロール巻の美麗な御令嬢は、何故か、いきなり感情が沸点に達した様子だ。ブランド物の靴を装着中の足をバンと踏み鳴らし、わたしの前に立ちはだかって来る。

――ただし、台車を挟んで、だけど。

「確かに、この青磁色の上着、ラウンジの方で見たわ! 確かに! あなた、あの日、クレドに片腕抱っこされながらも、失礼にもジタバタしてた、身の程知らずの子ね!」

――はぁ? ラウンジ?

わたしは少しの間、考えてみた。そして急に、思い当たる記憶が飛び出して来たのだった。

ラウンジと言えば、マーロウさんの事件の経過報告を兼ねた、夕食会があった。 あの時、確か、クレドさんがグイードさんやディーター先生やフィリス先生に随行して来て、事件について説明してくれたんだっけ。

という事は、あの夜、あのラウンジの何処かで、この金髪の縦ロール巻の美麗な御令嬢も、誰かと夕食会をしていたって事なんだろう。

そして、夕食会が一段落した後、クレドさんは――

――そこまで思い出した瞬間、尻尾が、ピシッと固まるのを感じた。尻尾は、最初の時のように、惨めにペッタリとした毛並みになってしまっている状態だけど。

あ……あの時。あの夜――

……わたしってば、尻尾でもって、恥ずか死ねる告白を……!

わたしの口が引きつったのを、金髪の縦ロール巻の令嬢は、如何なる風に解釈したのか。

如何にも貴族な令嬢は、身を反らして両手を腰に当て、まさに『あたくし、お怒りですのよ』スタイルになった。

オフェリア姫は目を大きく見開いていて、まさに困惑顔だ。金髪の縦ロール巻の令嬢をなだめようとしているけど、 後ろで手をワタワタさせてるだけでは――絶対に、このヒト、気付かないと思うんだよね。スッカリ、イッちゃってる。

ジントは、コンテナの陰にしゃがみ込んだまま、見物人を決め込んでいる。

穏やかならざる(ただし面白そうな)雰囲気を感じて、メルちゃんも興味津々で、無関係な見物人を決め込んでいた。メルちゃん、無駄に諜報力、スゴイね。

金髪の縦ロール巻の令嬢は、ドラマチックに声を高めて、糾弾を始めた。

「あなた、卑劣にもクレドに『金色の盗聴カード』を仕掛けてたのよね! あなたの卑劣なストーカー行為の証拠は、ちゃーんと、此処にありますのよ!」

そう言うが早いか、縦ロール巻の令嬢は、キラキラしたハンドバックから『金色の盗聴カード』と思しき物体を取り出し、わたしの目の前でブンブン振り回したのだった。

――見覚えのあるような無いような物体だなぁ。これを、わたしが、クレドさんに仕掛けた……?

首を傾げている間にも、金髪の縦ロール巻の令嬢の弾丸スピーチは続いた。

「ストーカーを止めないと、あたくしの一族の者が黙ってませんからね、ナンチャッテ暗殺者なくせに、フン! クレドは第五王子ジルベルト閣下の一族、 純血の貴種にして貴族、あなたのような混血の最下層のミソッカスが近づいて良い貴公子ではありませんのよ!」

――はぁ。確かに、わたしは出自の怪しすぎる混血では、ありますけど……

母親のキーラは、間違いなく闇ギルドの女だったし。姉のシャンゼリンにしても、リクハルド閣下の領地を血まみれにしてのけたり、 ここ『茜離宮』でも流血の旋風を巻き起こしてのけたり……

それにしても。『金色の盗聴カード』。ストーカー用の魔法道具なんだろうか。使った覚えって全く無いんだけど。

わたしが、首を傾げている間にも。

金髪の縦ロール巻の令嬢は、お見事というべき優美な仕草で、魔法道具の一種と思しき『金色の盗聴カード』をキラキラしたハンドバックに収めた。 如何にも、これみよがしに『犯罪の証拠だからね』という風だ。

かくして、金髪令嬢は、豊かな胸に手を当てた。

「良くって。クレド隊士が本来、護衛しているのは、何処の闇ギルドの『イヌの骨』とも知れぬ、卑しい『金色の盗聴カード』使いのストーカー女じゃ無くて、 このあたくし、王族の最高位の眷属たる貴族令嬢『火のアンネリエ』ですのよ。よーく覚えておくのね!」

――はぁ。わざわざの自己紹介、どうも有難うございます。

王族の最高位の眷属『火のアンネリエ』と名乗って来た金髪の縦ロール巻の美麗な御令嬢は、更にツンと身を反らして来る。

「魔法道具を使ってまでのストーカーの件、直々にジルベルト閣下と閣下夫人からも、あなたに抗議が行く筈よ。 このあたくし、国宝級の《盾持ち》アンネリエの慈悲が欲しければ、あたくしを怒らせるんじゃ無いわよ!」

――『金色の盗聴カード』の件と言い、何だか色々、誤解があるような気がする。

それにしても……何だか妙な口上だなぁ。国宝級の《盾持ち》。つまり、このアンネリエ嬢は『イージス称号』って事なんだろうか。 《火霊相》って事は、《火のイージス》になるんだろうけど……

改めて考えてみると、確かに、ジルベルト閣下には氷の眼差しで睨まれたし、呆れられたし、 あの秘密会談な昼食会の結果は、よく分からない妙な物になったけど……ホントに抗議が来るんだろうか。

そう言えば、あの《盟約》の時、クレドさんの額に、かじり付いていたんだっけ。えっと。だんだん、何だか、それっぽくなって来た? うわぁああ。

あの初老の店主さんの小物屋さんから、まだ完全には離れていないと言うポジションだ。初老な店主さんが驚いた様子で、店の入り口から顔を出して来た。 初老な店主さんは、口をポカンと開けて、糾弾を続けているアンネリエ嬢をマジマジと眺めているところだ。

そりゃあ、こんなに美麗で目立つ貴族令嬢、宮廷では普通なんだろうけど、この辺では珍しいよね。

わたしは少しの間、思案してみたけど、この場合の適切な対応と言うのが思いつかない。

「お、お騒がせ、いたしました……?」

金髪の縦ロール巻の令嬢アンネリエは、再びバンと足を踏み鳴らし、上から目線でジロリと睨んで来た。

「まぁまぁまぁ! 卑しくも卑しい、お声ですこと! それで良くクレドに付きまとえた物ね! この清掃スタッフ如きが!」

――でも、今のところは、このしゃがれ声が精一杯だからなぁ。喉の筋肉、まだ元通りになってないし。

ねぇ、ジント、肩がプルプル震えてるのは、もしかして吹き出し笑いだったりする?

この清掃スタッフ風な三角巾、アンネリエ嬢をえらく刺激してるみたいだし。アンネリエ嬢はクレドさんと随分と親しい関係みたいだし、 後で、この一幕をクレドさんが小耳に挟んだら、確かにビックリ仰天するよね。

ピコピコ尻尾で、ジントにそう言ってやった。そしたら、ジントは遂に、コンテナの陰からゴロンと転がり、腹を抱えて大爆笑を始めたのだった。

「わーっはっはっは! あっはっは! 腹いてー!」
「まぁ! 何て失礼なガキ! 卑しい者には卑しい者が集まるのね!」

ジントは、ピョコンと起き上がった。切れ長の目の端には、まだ涙が浮かんでいる。

明らかに混血児な灰褐色の、それもまだキチンとハサミを入れて整えていないからボサボサな毛髪だけど。 かぶさって来た前髪を上げてみれば、それなりに美形な顔立ちではあるんだよね。

将来の伸びしろを感じさせる整った顔立ちを認識したのか、オフェリア姫もアンネリエ嬢も、ハッと息を呑んでいる。

「ターゲットってのは足音で分かるんだぜ。『盗聴カード』に乗せられてんのは、てめーじゃんか。足の裏が、なってねぇよ。歩き方、鍛えてねぇだろう。 ドレスの裾で隠れているから、そうやって足元をごまかせているだけでさ。高いハイヒールで綺麗に歩けるかどうか、怪しいもんだな」

――うーむ。さすが、コソ泥。足音で、盗みのターゲットを見分けて来たんだね?

ジントは明らかに、アンネリエ嬢を挑発していた。アンネリエ嬢は、見事に、それに乗って来たのだった。

「無礼な! この貴族でも無いブラブラ女が、単なる卑しい台車転がしが、ハイヒールで歩ける筈が無いわね!」

――うん。確かに、わたし、何も無い所で転んだりするからね。

不意にジントは、クルリと振り返った。顔を突き出して興味津々で見物していた小物屋の初老な店主さんに、声を掛ける。

「オッサン、あの白いハイヒール、試着は出来んの?」
「それは可能ですが、お客様が履くんですか?」

初老な店主さんは白いハイヒールを棚から出しながらも、キョトンとした顔をしていた。

わお。すごく高いハイヒールだ。

ランジェリー・ダンスを披露していたピンク・キャットが履いていたハイヒールと、同じくらいだと思う。

そりゃ確かに、少年がハイヒールを履くというのは、すごく奇妙な光景だよ。

ジントは、初老な店主さんに、涼しい顔で返答を寄越してのけた。

「イヤ、履くのは姉貴さ」

――はぁ?!

わたしが仰天していると、「どうしたの?」という聞き覚えのある声が飛んで来た。

思わず振り返ると――ラミアさんとチェルシーさんだ。今しがた、オフェリア姫とアンネリエ嬢が立ち寄っていた宝飾品店にやって来た、という風。

わお。ウルフ耳が生えてると、やっぱり聴力が違う。

今は、三角巾に付いている耳キャップで固定されてる状態だから、ピコピコ動かせないけれど。 『人類の耳』だと聴力が制限されている状態だから、この距離じゃ、『人の声のような物がした』という他には、分からなかったかも知れないな。

オフェリア姫が手をワタワタと動かしながらも、早口で、呆気に取られているラミアさんとチェルシーさんに、説明を始めている。

金髪の縦ロール巻なアンネリエ嬢の方は、ジントに挑発された形ではあるんだけど、相変わらずわたしをギリギリと睨みつけていて、 後ろに居るオフェリア姫たちの様子には気付いていないようだ。

程なくして、ジントが袖をつついて来た。

「サイズ合わせが済んだぜ。ピンク・キャット・ウォークでも、何でもオッケーだよ」

――面白がってるよね、ジント……初老な店主さんが冷や汗してるけど、後でフォロー、シッカリするんだよ? わたし、絶対にコケるからね。

わたしは、足元に並んだ白いハイヒール――踵(かかと)を押し上げている部分が、ギョッとする程に細くて高い――を暫く眺めた後、ソロリと足を入れてみた。 サイズ合わせをしたと言うだけあって、ピッタリだ。

おや? 既視感のある感覚だ。

気が付くと無意識のうちに、馴染みのある重心移動をしていたみたい。このヒールの高さに、身体が馴染んでるって事。何処かで、わたし、場数を踏んでたっけ?

思わず、目をパチパチする。歩けている筈が……

……あるね。

わたしは、とりあえず、台車の周りをグルリと巡ってみた。

角を曲がる時に脚を交差させて、バランス良くターンしてみた。 こうすると、ドレスの裾が優雅に広がった……ような気がする。実際にフワリと波打ったのは、チェルシーさんお手製の、青磁色の上着の裾だけど。

――えーっと。お目汚しでした。

身体の記憶を辿るままに、足のポジションを決めて、膝を正確に曲げ、ついでに胸の前で腕を交差させて、淑女の敬礼をしてみる。 わたし自身は全く覚えていないんだけど、身体が、こういう動きを何度もしていたみたいで、自然に流れるように出来るんだよね。

敬礼を終えて、顔を上げてみると。

アンネリエ嬢をはじめとして、オフェリア姫も、ラミアさんもチェルシーさんも、口をアングリと開けていた。あれ。ホントにお目汚しだった?

チラリと、ジントと、初老な店主さんの方に目をやると。

ジントはニヤニヤしていた。初老な店主さんは頭に手をやって、ポカンとしていた。ついでにメルちゃんは、物珍しそうに目をパチパチしていた。

やがて、ラミアさんが愕然とした顔のまま、口を開いた。

「チェルシーから、ルーリーの元々の髪型が『花巻』風になっていて、レオ帝都の高位のハーレムの未婚妻だった可能性があるって聞いてたけれど。 半信半疑だったけど、今まさに納得だわよ。それ、レオ大貴族の未婚令嬢が叩き込まれる動きなの。 ウルフ王妃と、将来のウルフ王妃となる第一王女にもね。レオ皇帝への敬意を表する時に、一切の失礼が無いように」

――あ。そう言えば。

過去というか前世の頃、高いハイヒールを履きこなしていたとか……

じゃ、これも、身体に叩き込まれていたスキルの一種って事になるのか。 うわぁ。過去と言うか、前世では、色々な事にチャレンジしてたんだなぁ。今でも実感が無いし、信じられないけど。

やがて、初老な店主さんが沈黙を破って、声を掛けて来た。

「ルーリーさん、そのハイヒールは差し上げましょう。ランジェリー・ダンスの女王ピンク・キャットのハイヒールをモデルにした商品なんですけど、 買う人がいらっしゃらないんでね。イヤ、大変、勉強になりましたよ。我々の立場では絶対にお目に掛からない物を、見せて頂きました」

そこで――ようやく、アンネリエ嬢は、復活したようだった。ビシッと、わたしの方を指差して来る。

「あ、あんたは……レオ族の未来の不倫妻で、下品下劣な男どもの前でランジェリー・ダンスをするような、卑しい破廉恥だった訳ね!」

*****(5)アンティーク魔法道具のミステリー

――と。そこへ。

「おーッ! ヤァヤァヤァ! 金毛の縦ロール巻の美人、新顔のウルフ女じゃねーか!」
「オレに《宝珠》を捧げてくれれば百人力に千人力、今宵はカワイコちゃんを眠らせないからね、ワン!」

場違いなまでの陽気な口上と共に、ピリピリした雰囲気を華麗に無視して飛び込んで来たのは――

やはり、あの金髪イヌ族のナンチャッテ色事師な渡世人にして、トラブルメーカー『火のチャンス』だった。 それに、いつの間につるんでいたのか、同じイヌ族の、黒茶色の毛髪『火のサミュエル』も一緒だ。

先ほどの2種類の声は、この2人の物だったらしい。

この2人、確か、前回は病棟の総合エントランスで派手な乱闘をやらかしてたんだけど。何かがあって、協力関係になったって事だろうか。

それにしてもチャンスさん、いつも変なタイミングで登場するんだなあ。それに、あのボワッとした不思議な髪型が、まだ続いている。

チャンスさんもサミュエルさんも、片手に、ズッシリとした風の、謎の風呂敷包みを下げている。重すぎたので半分に分けて運んでるって所らしい。 半分になっていても、見るからに重そうな包みなんだけど、ちゃんと持ち歩けていると言う事は、大柄な男ならではの筋骨のお蔭なんだろう。

2人のイヌ族の男たちは、ひときわ目立っている金髪の縦ロール巻の髪型なアンネリエ嬢を、ターゲットと定めたようだ。

尾を左右にブンブン振りながら、一直線に駆け寄って来ている。 一方の手に風呂敷包み、もう一方の手に、何やら見覚えのあるような、ギラギラした『赤い何か』を持っている。

アンネリエ嬢は、わたしに対する種々雑多な難癖を夢中で考えていたと言う事もあって、集中力がそれていたらしい。

何でか分からないけど、『他人の悪口を言っている時が楽しい』という人は居て、人によっては、ついつい周りを失念しちゃうのが普通らしい。

アンネリエ嬢も『他人のアラを探し出して騒ぎ立てる』という性質のようだ。 2人のイヌ族が土埃を巻き立てて『バババッ』と接近して来るのを、失念している様子なんだよね。

チャンスさんが、サミュエルさんに一歩リードして、『フィニッシュ!』とばかりに『シュバッ』と高く飛び上がる。

わたしはギョッとして身を引いた。チャンスさんとの間に、コンテナを乗せた台車を挟む形で。

「キャーッ!」

不意を突かれたアンネリエ嬢は、チャンスさんに、あの『花房』付きカチューシャ型ヘッドドレスを見事、頭に乗せられていた。 あの、毒々しいまでに真っ赤な魔法アクセサリーだ。

アンネリエ嬢の毛髪は、当然ながら、蛍光黄色と金髪のマダラになった。黄色系統なんだけど、こうしてみると、なかなか凄まじい取り合わせだ。

滅多に宮殿から出ないのだろうオフェリア姫は、この摩訶不思議な魔法のアクセサリーに仰天したみたいで、切れ長の栗色の目を真ん丸く見開いている。

ラミアさんとチェルシーさんは、さすがに、この毒々しいまでに真っ赤なヘッドドレスが、 トラブル満載な品という事を承知している――2人は素早くオフェリア姫を引きずって、後方へと下がった。

「無礼者ッ!」

アンネリエ嬢は激怒して、毒々しいまでに赤い『花房』付きカチューシャ型ヘッドドレスを振り払うやいなや、キラキラしたハンドバッグから、『魔法の杖』を取り出した。 そして、チャンスさんに、ビシッと突き付ける。

此処での話だけど、アンネリエ嬢の『魔法の杖』は特注の物だった。

宝飾細工が施されている、如何にも貴族な豪華な品だ。杖全体に、豪華なバラが巻き付いているようなデザイン。 持ち手の部分にまで、金銀や宝石を取り揃えた装飾がされている。更に、根元の方に紐を通して、護符と思しき赤い宝玉細工を取り付けてある。

――あんなにゴテゴテと余計な装飾が付いていたら、魔法パワーが安定しない筈だよ。 注文を受けた宝飾細工の職人の方は、エーテルのバランスが崩れないように、可能な限り頑張ったんだろうけど。

瞬く間に、チャンスさんを――大量の《火》エーテルが取り巻いた。

「ヒョオォオ!」

チャンスさんを取り巻いた《火》エーテルは、ブワッと膨れながらも赤く輝いた。まさに《火炎弾》だ。溜め込んでいた静電気の影響もあったのか、 パチパチと言う赤い火花も盛大に飛び散っていて、ちょっとした派手な花火の妖怪だ。

チャンスさんは、全身から赤い火花を撒き散らしながら、通りの真ん中に吹っ飛んで行った。

サミュエルさんも巻き込んだ。

2人のイヌ族は仲良くドッキングし、なおも赤い火花に取り巻かれながらも、2倍の大きさの《火炎弾》となって、 ちょうど、そこに並んでいる遊戯ゲーム系のミニ店舗の前まで、ゴロゴロと転がって行ったのだった。

そして、再び『ボボン!』と軽い爆発音を立てながら止まった。黒い煙が立ち上っている。

初老な店主さんが、「おやまあ」と声を上げた。

遊戯ゲーム系のミニ店舗の店員も、野次馬といった様子で店内から顔を突き出して来て、それぞれのウルフ耳をピコピコさせながら、口々にコメントを交わしている。

「いつか、こうなると思ってたよ」
「ねぇ~」

2人のイヌ族の男は、静電気ショックと爆発ショックのダブルが意外に強烈だったのか、失神していた。

チャンスさんは、自慢なのであろう金髪が見事に焼け焦げて芸術的なパンチパーマになってしまっているし、 サミュエルさんは、この日のために決めたのだろうフリル満載のファッションが、すっかりススだらけになっていて真っ黒だ。

「何だ? こいつら、ジョーク系のトラブルメーカーなのか?」
「……の、ようですね」
「まぁ、あの『火のチャンス』じゃあな。片方は、この辺では新顔らしいが。この荷物は何だ?」

まさに今しがた、通りがかった――と言う風の、休憩中と思しき紺色マントの3人の隊士が、2人のイヌ族をのぞき込んで、呆れたように言葉を交わしている。 相変わらず店内から顔を突き出している野次馬な店員さんたちを呼び出して、何やら事情聴取を始めていた。

*****

――ラミアさんが、不意に目をキラーンと光らせた。好奇心タップリという感じで、白髪混ざりの黒髪がフワッと膨らんでいる。

アンネリエ嬢の『魔法の杖』の根元からぶら下がっている、真紅の色をした護符。真紅のバラを模したと思しき、アンティーク風の見事な品だ。

「アンネリエ嬢、さっきの《火炎弾》、その『魔法の杖』に付いてる、その護符の影響なの? アンティークっぽいけど、魔法のアクセサリーなのかしら?」

金髪の縦ロール巻のアンネリエ嬢は、得意そうに身を反らした。豪華すぎる『魔法の杖』を掲げて、真紅のバラを模した護符を見せびらかす。

「ええ、『身辺安全の護符代わりに』って事で、クレドに頂いたの。我が一族に伝わっているアンティーク宝玉と交換にね。 これ程に威力があって、コントロールも簡単になるとは思わなかったわ」

――確かに、由緒のある品っぽい。

手の平サイズの格式のある宝飾品という風だけど、巧みに《火炎弾》攻撃魔法の魔法陣が組まれているのが分かる。あの威力も成る程だ。 配線が整理されていないし、古い時代の魔法陣っぽいのに、スゴイ。確実に、宝飾の名工とも称えられた往年の魔法職人による作品だろう。

オフェリア姫が身を乗り出して、真紅のバラを模した護符をジッと観察した後、首を傾げた。

「これ、アルセーニア姫が護符として持っていた品と、良く似てるわ。他にもあったって事かしら?」

ラミアさんとチェルシーさんは、オフェリア姫の指摘でギョッとしたように、一瞬、目をパチクリさせた。 そして、どちらからともなく顔を見合わせて――顔色を変えた。おや?

ポカンとしているアンネリエ嬢を差し置いて、ラミアさんは素早く真紅のバラを模した護符を取り外した。

「アンネリエ嬢、それ、良く見せて!」

ラミアさんは、かねてから首に下げていた拡大鏡ペンダント――これは、アンティーク部署の人たちの常備品でもある――を構えて、観察し始める。 心配顔で見守っているチェルシーさんの傍で、ラミアさんの顔色は、本格的に真っ青になって行った。

「チェルシー、拡大鏡でダブルチェックして。私の目に狂いが無ければ、これ、今は亡きアルセーニア姫の遺品よ」

続いて、チェルシーさんも拡大鏡を取り出して、眉根を寄せて、真紅のバラを模した装飾品を注目し始める。

チェルシーさんは、柔らかな色合いの金髪をした、ラミアさんと同じシニア世代の淑女にして奥方という風なんだけど。 こうして仕事道具を扱っているのを見ると、若い頃はホントに、ビジネスウーマンだったんだなという雰囲気。

やがて――チェルシーさんの表情を見る限りでは、チェック結果は同じだったらしい。ラミアさんとチェルシーさんは、再び視線を合わせた。無言の了解が行き交った様子だ。

ラミアさんが難しい顔をしつつ、アンネリエ嬢をチラリと見やる。

「信じられないわ。これ、アルセーニア姫の死亡の際に、アンティーク部署に戻って来ている筈の品だったんだけど。 マーロウさんの事件の後の緊急チェックで、アンティーク宝物庫から紛失している事が判明していた品――アンティーク魔法道具のひとつよ。どうして、此処にあるの?」

アンネリエ嬢の顔が、瞬時に強張った。疑惑の目が集中したのを、理解したらしい。

「あ、あたくしは何も知らないわ! 魔法道具の交換で、もらった……クレドから頂いただけだもの!」

同時並行して――

3人の紺色マントの隊士たちが、身を返して近づいて来た。こちらの騒ぎに気付いた様子だ。

黒焦げになって失神しているイヌ族の2人については、『完全放置で構わん』というような判断を下したらしい。

――何と、ザッカーさんとクレドさんだ。あと、名前は知らないけど金狼種の人だ。

アンネリエ嬢の動きは――ジントやメルちゃんでさえ、感心する程に素早かった。 金髪の縦ロール巻の髪型をキラキラとなびかせて、「わあっ」とばかりに、クレドさんの胸に飛び込んで行ったのだ。わお。ドラマチックだ。

「クレド! あたくしは何も悪くないと言って頂戴! あ、あの、この間、クレドから頂いた、『炎のバラ』……!」

いきなり抱き着かれた――訳でも無い、クレドさんだった。

ベテラン隊士なクレドさんは、無表情をピクリとも動かさないまま、アンネリエ嬢の両腕をつかみ、それ以上、胸の中に倒れ込んで行くのを押し留めていた。

傍目から見れば――アンネリエ嬢が派手にバランスを崩して、つんのめって倒れて行くところを支えた、とも言える。

横から、別の大きな手と共に、太い声が突っ込んだ。

「ともかく、ヒステリーをどうにかして座れ」

わお。さすが猛将なザッカーさんは、容赦ない。

ザッカーさんは、意味不明なまでの「キャーキャー」という悲鳴を上げて騒いでいるアンネリエ嬢の背中を、 グイッとつかみ上げるが早いか、すぐ傍のカフェテーブルの椅子に「ドン」と置いた。まるで、荷袋を扱っているかのように。

最後の、名前不詳の金狼種の青年隊士が、訝しそうな様子で、わたしたちをグルリと見回して来た。 標準的な色合いのウェーブのある金髪で、それをうなじで、ひとつにまとめている。顔立ちも美形なんだけど、特に特徴が無い感じだ。

――何だか、妙に、知っている誰かを彷彿とさせる身のこなしなんだけど……あれ、誰だったっけ。

「先ほど、アルセーニア姫の名前が出たようだが。この騒ぎは、どういう事だ?」

ラミアさんとチェルシーさんが年長者かつ代表として、手早く説明した。 アンネリエ嬢の『魔法の杖』に、何故か、アルセーニア姫の遺品である護符『炎のバラ』が取り付けられていた件を。

「それでは、クレドが、アルセーニア姫の遺品『炎のバラ』を盗んで、アンネリエに渡したと言う事になるな。クレド、何か言う事はあるか?」

疑問を振りかけられたクレドさんは、相変わらずの端正な無表情で応じた。

「私は、ここ最近は多忙で、アンネリエ嬢と会っていません」

――ほぇ?!

余りにも意表を突く回答だったのか、アンネリエ嬢の目がテンになっていた。

「嘘! だって、一昨日、会ったわ! 西翼の、『茜離宮』の西の回廊の方で! 2人だけで!」
「一昨日は、私は『ザリガニ型モンスター襲撃事件』に関する追加の事情聴取に立ち会っていて、『茜離宮』を留守にしていましたが」

ザッカーさんが、アッと気付いたような顔をして、ガッチリとした顎(あご)に手を当てた。

「あ、あれか。2人の見習い坊主――火のケビンと地のユーゴの内容を補足する、やたらと現場リアルな目撃証言か。あの見張り塔が、いつの間にか全壊していた理由とか」

そしてザッカーさんは、羨ましそうな顔をして、クレドさんを肘(ひじ)で小突いた。

「おい、その不思議な目撃証言者、そろそろ紹介してくれても良いだろう。訓練隊士用のマントで、 本格的な《パラシュート魔法》をやってのけた、驚くべき少年だと言うじゃ無いか。こやつは俺が頂く。良いよな、バロンも」

ザッカーさんに『バロン』と呼ばれた、金狼種の青年隊士は、苦笑いして「好きにしろ」と応じていた。

――へー。このヒト、『バロン』さんって言う人だったんだ。

いきなり話題に上がったジント本人の方は、ザッカーさんを認めるなり、コンテナの陰に素早く身を潜めていた。ギョッとした忍者さながらに。

そう言えば、ジントは、『金髪王子の暗殺未遂事件の時、ザッカーさんとクレドさんの部隊に見つかって、容疑者だと思われて、死ぬほど追いかけられた』って言ってたっけ。

――それにしても。

アンネリエ嬢とクレドさんが会って魔法道具を交換していた――と言う日が、ジントが、第1回目の白状をさせられていた日。

クレドさん本人は、ジントが逃げないように見張っている担当だったから、その日だったら、ディーター先生の研究室からは、一歩も出てないよね。 おまけに、ジントの白状した内容が、あんまりにも沢山だったから、長い報告書をまとめる羽目になって……

メルちゃんも、わたしと同じ事に気付いた様子だ。目をキラーンと光らせながらも、突っ込み始めた。

「って事はさぁ、《変装魔法》でソックリさんになった、偽物の方だよね。アンネリエ嬢と会ってたのは。メル、知ってるわ。ち――(ファッ!)」

ジントの『魔法の杖』が素晴らしいまでのタイミングで閃いて、メルちゃんの口を突風でもって塞いだ。

ナイス・タイミング、ジント! メルちゃんの方も、もう少しで秘密をバラす所だった事に気付いたみたいで、中途半端に口を開けたまま、ピシッと固まっていた。

ザッカーさんが訝しそうに目を光らせた。やっぱりザッカーさん、油断ならない有能な人だ。

「誰かが《変装魔法》で、クレドの振りをしていたって事か? 何を知ってると言うんだ、チビ?」

急に問い詰められる形になったメルちゃんは、チラッと足元に目をやり――そこは、 ジントが身を潜めている場所だ――ちょっとの間、目をパチパチさせた後、「おほん」と息を整えた。

「そこら辺には、《変装魔法》でもって知り合いの振りをしている怪しい人攫いが、ウヨウヨ居るものなのよ、そうでしょ」

――ジントのアドバイスを受けての、ゴマカシだったんだけど。

それは偶然にして、アンネリエ嬢のツボに、綺麗にヒットしたらしい。

「じゃあ、あたくしが会ってたのは人攫いって事?! 何て恐ろしい! こ、こ、このあたくし、貴重な《盾持ち》として拉致される所だったって事なの?! いやああぁぁああ!」

アンネリエ嬢は、ドラマチックに手を振り回しながら、ギャンギャンとわめき出した。

「まだ聞き取りが終わってねぇ、黙れ」

やっぱり、ザッカーさん容赦ない。大きな手で、アンネリエ嬢の脳天を、『べしっ』とやったよ。あれ、かなり重い衝撃だと思うけど。

アンネリエ嬢は怒髪天と言った様子で立ち上がり、足をバンと踏み鳴らして、ザッカーさんに指を突きつけた。

「今にも拉致される所だった、か弱い乙女に、何て事を! 国宝たる《盾持ち》への暴行、および国家反逆の名目で突き出してやるから、 覚えてらっしゃい! この高貴なる《盾持ち》たる、あたくしが、国王陛下やヴァイロス殿下に一言チクれば、その混血な不快な頭部、一瞬にして地面に転がるのだからね!」

ザッカーさんは、もはや呆れ果てたと言った様子で、オレンジ系金髪な毛髪をガシガシとやり始めている。

「――と、言う事だがよ、バロン」
「調子よく、話を逸らすな」

突っ込まれたのが不愉快だったのか、バロンさんは大袈裟に腕組みをして、盛大に顔をしかめた。 そして、相変わらず無口なクレドさんの方を見て、「貴様が、やれ」と、せっついている。

クレドさんは何故か礼儀正しく頷いて、急にアンネリエ嬢の方に、彫像のような端正な顔を向けた。 クレドさんは、いつも無表情かつ無関心な風だから、急に視線を向けられると、ギョッとさせられるというのがあると思う。

「話によれば一昨日の私は、『炎のバラ』を差し上げたと言う事になっていましたが、交換品は何だったのですか?」

アンネリエ嬢は、最初はクレドさんの声に聞き惚れていたようだったけど――

――やがて内容が頭に染み込んだのだろう、アンネリエ嬢は、キョトンとした顔になって行った。首を傾げた拍子に、金髪の華麗な縦ロール巻がユラン、と揺れる。

「クレドは覚えてないの? 我が一族に伝わっているアンティーク宝玉よ。黒水晶というか、保管プレートに『雷玉』って書いてあった品だけど。 保管庫の奥で埃の溜まり場と化しているような、あんな静電気の発生装置でしか無い、球体でも無い変な平べったい代物、いったい何に使うのかと思ってたわよ」

――ふむ?

わたしは、ジントの方をチラッと眺めてみた。ジントは、首を左右に振って否定して来た。

ジントの知らないブツらしい。――という事は、アンティーク宝玉だけど、金になるようなブツじゃ無いって事かな。

オフェリア姫が、ラミアさんとチェルシーさんに「知ってます?」と確認している。

チェルシーさんが、いつも持ち歩いているハンドバックから半透明のプレートを取り出した。 資料を呼び出そうとしているのであろう、『魔法の杖』で、数回つついている。ラミアさんが身を乗り出して、一緒に半透明のプレートを眺め始めた。

やがて、ラミアさんが思案顔をしながら、ブツブツと意見を呟き出した。

「一般的に『雷玉』というのは、雷電シーズンで発生する『雷滴』をまとめた、エーテル燃料なのよね。宝玉カテゴリーじゃ無い。 それでも『雷玉』とプレートに記すからには、《雷電》の系統の魔法道具って事よね。先祖代々の一族保管のアンティーク物は、 名付けルールが統一されていない時代の物が多いから、現物を見ないと分からないわ」

オフェリア姫が察し良く頷き、優雅に首を巡らせて、アンネリエ嬢に声を掛けた。わお。この察しの良さ、さすが現在の第一王女ならではの力量だね。

「アンネリエ、その先祖伝来の『雷玉』って、サイズは分かるの? 形とか色とか、特徴とか」

華やかな金髪の縦ロール巻の髪型をした『火のアンネリエ』嬢は、手の込んだ髪型にするだけあって、人の注目を集めているのが好きらしい。

注目の的となった金髪令嬢は、気取ってクリーム色のドレスの裾をさばき、思案顔で赤珊瑚のアクセサリーをいじりながらも、ドラマチックに首を傾げて見せていた。

「細長い長方形に近いけど、完全な長方形じゃ無いわ。これくらいの長さと幅。両方の端に孔が1つずつ空いてるの」

そう言って、アンネリエ嬢は手を動かした。

――ふむ。意外に大振りなサイズだね。

長辺が、標準スタイルの『魔法の杖』の長さ――手先から肘(ひじ)までの長さ――を、優に超えている。

そして短辺に当たる幅の方は、一方の端が広くて男性の指4本分。一方の端が細くて男性の指2本分。細い端の方は、丸い端となるように加工されている。 各々の端に、女性の人差し指と同じくらいのサイズの孔が空いている。

続きの説明をまとめると、こんな風だ。

平たい板状の物体で、意外に薄く加工されている。ハードカバー冊子の表紙と同じくらいの厚みだ。

黒くて透明な単一の宝玉で出来ているから黒水晶みたいに見えるだけで、素材そのものは別の宝玉だ。丈夫で、落としても割れない。 透明な黒さの中、細かい無数の割れ目みたいに、銀色の放電図形パターンが全面に入っている。

雷電シーズンになると、特に静電気が溜まって青白く光る。静電気で埃を吸いつけてしまうので、保管庫の厄介者。 大量の静電気を溜め込むために、放電処置なしで急に触ると、本格的な《静電気ショック》の罠さながらに、ビリッと来る。

それで、先祖は、この黒い宝玉製の物体を、『雷玉』と名付けたと言う――

*****

――成る程。

全体像をイメージしてみたけど。

この『雷玉』なる黒いアンティーク魔法道具、本当に奇妙な加工をされている宝玉だと思う。

細長くて平たい板状の魔法道具なんて、半透明のプレートの代わりにも、ならないよね。シーズンごとに、気ままに静電気を溜め込んでいるだけの厄介者。

話を聞く限りでは、『雷滴』のナンチャッテ集合体として、適当に『雷玉』と名付けられるのも納得だ。アンネリエ嬢が『無価値』と断じても不思議では無い品。

チェルシーさんが、しきりに首を傾げながらも、ラミアさんと話し合っている。

「ラミアさん、古代には『笏』スタイルの魔法道具があったわよね。細長くて平たくて、上が四角で下が丸い。似てるわね?」

相づちを繰り返し、白髪の混ざった黒髪をフワフワさせながらも、ラミアさんは疑問顔になった。

「でもねぇ、それは普通、孔が無いのよ、チェルシー。何のために孔を空けるの? 孔を作ったら、そこで魔法パワーが乱れちゃうじゃない」

ラミアさんの指摘は、正確なものだったみたい。チェルシーさんが、ちょっと首を傾げた後、「あっ」と言う顔になっている。

「そう言えば、『笏』スタイルの魔法道具は、どちらかと言うと、王侯諸侯の贈答品としての意味合いの方が、大きかったのよね。 ウッカリしてたわ。ラミアさんの先祖は、それで成功してたとか」

自信タップリな様子で、ラミアさんは頷いている。この辺り、ラミアさんは専門家並みの知識を持ってるみたいだ。

「まさに儀礼用の品でね。見かけが立派な割に魔法パワー効率が悪いから、『笏』は、魔法道具としては、早々に廃れてしまったのよ。 そして、あらん限りの宝飾細工を施す『宝玉杖』と、『正字』による魔法陣と宝玉細工を組み合わせた魔法道具、『宝器』の全盛期が始まったんだわ」

興味深い内容に耳を傾けていると、コンテナの陰に身を潜めていたジントとメルちゃんが、わたしの青磁色の上着の裾をチョイチョイと引っ張って来た。

――何?

ジントとメルちゃんは、緑地の中で土が剥き出しになっている部分で、図解を描いていたようだ。

わたしがヒョイと地面に目を向けたので、傍に居た小物屋の初老の店主さんも、「おや」と言った様子で、視線を合わせて来た。

「姉貴、話を聞いてるとさ、これ扇の一部なんじゃねぇか?」
「ジグソーパズルだよね」

地面に描かれているのは扇の図解だ。わお。元が扇スタイルだったのであれば、何故に上と下の両端に孔が空けられているのかも説明できるね。 普通の糸だと切れちゃうから、魔法加工の掛かった、もっと強い糸を通して、連結する事になるだろうけど。

「おお。これは盲点でしたな」

初老な店主さんが、感心したように溜息をついた。コソコソしているジントとメルちゃんに配慮して、 店主さんは、内緒話レベルの大きさまで声量を押さえてくれた。よく気が付く御方だ。有難うございます。

「扇の橋として製作された物だったのなら、話に聞く奇妙な板状の黒い宝玉は、他にも多数あって、 方々に散らばっていると言う事になりますね。小物屋としての私見で言えば、36橋も集めて連結すれば、最も美しい比率の扇として整いますよ。 ただ宝玉製で、かなり大きな物になりますから、全体の重量から言っても、成人男性で無いと扱えないでしょうね」

――そうだよね。手に持つにはデカすぎる。むしろ、室内装飾に向く大きさだと思う。

ジントとメルちゃんは、初老な店主さんからの確証を得て、得意満面になっていた。ウルフ耳が揃って、ピコピコしている。 ジントとメルちゃんは、店主さんに「いぇぃ!」と言わんばかりに、コミカルなガッツポーズをして見せた後、地面に描いていた図解を、サササッと始末したのだった。

それにしても、《雷玉》……扇の形をした、本格的な《静電気ショック》の罠のような魔法道具……

――何だか、思い当たりのあるキーワードだな。

図書室で見かけて、手に取った本の中に、そんな内容が書かれていたような気がする。

鳥人が発明した、《雷撃》仕掛けの地下迷宮(ダンジョン)。《雷撃》の罠のあるゲートには、《雷撃》を発動する、扇形の装飾品の振りをした、魔法道具が仕掛けられていた――と言う。

――地下迷宮(ダンジョン)の迎撃用の、室内装飾系の魔法道具『雷撃扇』。

でも、断片となって散らばっていたとして、36ものパーツを集めるのは大変な筈だ。

ちょっと非現実的な気もする。

小物屋の初老な店主さんの見立ては、急所をズバリと突いていると思う。でも、店主さんはアンティーク魔法道具の専門家じゃ無いんだよね。 此処で、ちゃんとした結論を出せるかどうかと言うと……やっぱり、難しい。

――バーディー師匠は鳥人だから、鳥人の発明した魔法道具に詳しい筈だ。あとで、バーディー師匠に相談してみよう。

*****

ウッカリしてた事なんだけど。

わたしたち、金髪の縦ロール巻のアンネリエ嬢がもたらした新たなミステリーについて、各々で考え込み、考えを話し合っていたので、まるで気付かなかったんだよね。

――2人のイヌ族、『火のチャンス』さんと『火のサミュエル』さんが、失神から回復していた事に。

ちょうど、目下のターゲットとなっていた金髪のアンネリエ嬢は、3人の紺色マントの隊士が傍に居たので、 傍目には、3人の隊士によって警護されている形になっていたんだよ。しかも、ザッカーさんと、クレドさんと、バロンさん。

バロンさんが強いかどうかは分からないけど、ザッカーさんだけでも、充分に恐るべき相手。

だから、自然、チャンスさんとサミュエルさんの狙いは、『オフェリア姫&チェルシーさん&ラミアさん』と、 『わたし&ジント&メルちゃん&初老な店主さん』の間を行き来する事になった。

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深森の帝國