―瑠璃花敷波―12
part.12「深く沈める謎の通い路*2」
(1)謎の少年、遂に現る
(2)地上の騒動、地下の路道
(3)不意打ちの衝撃と疑惑
(4)事実と真実の地下迷宮
(5)汝が心いずこに在りや
(6)表面化した事しない事
(7)最初の、かの日の目撃談
*****(1)謎の少年、遂に現る
やがて、灰褐色の少年が大きく息をついて、ムクリと身を起こした。
今、気が付いたけど――この少年、隊士の紺色マントをまとっている。訓練隊士かな。
――誰だか知らないけど助けてくれて、有難う。アチコチ擦りむいてるけど、大丈夫?
「おぅ」
わたしは目下、まともな声が出せないので『狼体』の時の喋り方になってしまうけれど、少年は、すぐに了解してくれたらしい。
少年は疲れた顔をしては居たけれど、キラキラと目を輝かせていた。力の限りを尽くして救出に成功したと言う事実が誇らしいらしい。
美少女なメルちゃんが、尊敬の眼差しを向けているのも大きいのかもね。
「凄いパラシュートだったわ! 大人でもあんなに飛べないと思うけど、《風霊相》だよね」
――パラシュート?
首を傾げていると、メルちゃんが口早に説明してくれた。
この少年、隊士の紺色マントをパラシュートにして、魔法の風を起こして、此処までフワフワと漂って行ってくれたと言う。
元々、隊士の紺色マントには、そういう魔法のパラシュートの機能があるんだけど、この機能を使えるのは《風霊相》生まれの隊士、
それも『斥候&伝令』として、特に素質がある者のみだとか。わお、すごい。
――あ、そうだ、自己紹介しないとね。
少年は意味深そうに、ニヤリと笑みを見せて来た。
「知ってるから、えぇよ。姉ちゃんが『水のルーリエ』、通称ルーリー。で、こっちが『水のメルセデス』、通称メル、だろ」
――その通り。何か、数日前? わたしが此処に来た最初の日から、何となく近くに居たでしょ?
「おぅ。オレは『風のジント』ってんだ。混血」
――じゃあ、わたしと同じだね。父親がイヌ族で、母親がウルフ族。
お互いの自己紹介が一段落したところで――
メルちゃんが、改めて見張り塔の方向を眺めた。
「それにしても、いったい何が起きたの? ザリガニも、レオ闘獣も、あのクマのオジサンも居なくなるなんて」
少年ジントのニヤニヤ笑いが、いっそう大きくなった。
「原因は、あのランジェリー・ダンスの店の香水瓶だよ。直前に、オレがルーリーのポシェットから頂いてたんだけど、
いや、あんなに効果があるなんて思わなかったら、こっちもビックリしたぜ」
ジント少年いわく。
わたしたちが静電気ショックの罠に引っ掛かる前、わたしのポシェットから、2本の香水瓶をスリ取っていた。
スリの腕前は、なかなかの物だと自画自賛。
香水瓶に入っていた液体の色は、一方が無色透明で、一方が黒。これ程に色彩の差があると、『混ぜるな危険』のパターンになるのが、ほとんど。
媚薬入りの香水瓶では、共通のルールだ。媚薬を服用して行為に及ぶ客が多いので、予期せぬ事故を防ぐため、こうして色彩ごとに分けている。
わたしたちが空中牢屋に閉じ込められたのを確認した後、ジント少年は、ザリガニ牧場で2本の香水瓶の封を切り、『混ぜるな危険』をやった。
2本の香水瓶の成分が混じり合うと、想定外の強烈な媚薬になる。最大で10倍から20倍の効果になる。人体には危険だけど、
『ザリガニ型モンスター』に対して、どういう効果があるかは未知数だった。でも、クマ族の男たちの注意を引く程度には、混乱を起こせる筈。
ジント少年は魔法の風を起こし、自身は見張り塔の上に登って成分を吸わないようにして、媚薬成分が地上を這うように工作した。
媚薬成分はザリガニ牧場の全体に広がり、あっと言う間に消費されて行った。見張り塔の下層部分にも溜まって行った。
実際は、『混ぜるな危険』の効果は、100倍を超える『大当たり』だった。
――そんな大当たり、クジで当たっても嬉しくないッ!
かくして。
過剰にハッスルした『ザリガニ型モンスター』は、鉄格子を破り、更なる媚薬成分を求めて見張り塔を攻撃し、内部に乱入。
ザリガニを追っていた、『レオ闘獣』も同様だ。過剰な効果を持つ媚薬成分は、バーサーク化ドラッグとしての作用を持ってしまっていた。
クマ族の2人組もまた、バーサーク化し、ご存知のような狂乱状態に。どうやら元々、体内エーテル許容量の底が、とても浅いタイプだったらしい。
『人間としての底が浅い』とも言うけれど。
見張り塔を完膚なきまでに破壊した総バーサーク化の大群は、バーサーク化したが故の、更なる血の臭いを欲して、
『茜離宮』城下町へと繰り出している所だ。
ケビン少年とユーゴ少年は充分に先を取ったし、あれで頭は良いから、スマートに逃げ切って、隊士たちに上手く通報してくれる筈だ。
『茜離宮』城下町の住民たちは、再びモンスター襲撃にさらされる事になるから申し訳ないが、
今度は偽物ブランドのモンスターだから、それ程、問題にはならないと断言できる。
問題になるようだったら、逆に、ウルフ族の隊士の戦闘能力を問われるレベル。むしろ、バーサーク化クマ族の2人組と、
バーサーク化した『レオ闘獣』5体を捕獲する方が難しいと思うが……
そこまでは、ジント少年としては対応できないから、考えない事にしているという訳だ。
*****
わたしたちは全身のズキズキした痛みが更に鎮まったところで、行動を開始した。
見覚えのある天然の船着き場に到着してみると――わたしたちが乗って来ていた渡し舟が、待っていた。
ジントが辺りをキョロキョロ見回し、「あ、そういう事か」と呟く。
川岸に生えていた樹木の枝――それも大きめの物が、スパッと切り落とされている。切り口には、《地魔法》特有の黒いエーテルの残光が、まだ漂っていた。
《地霊相》生まれなユーゴ君が、《地魔法》の刃で切り落としたに違いない。
ケビン君とユーゴ君は、大きめの枝を切り落とし、それを浮きの代わりにして、運河を泳いで渡って行ったのだ。成る程ねぇ。
バーサーク化した大群の方は、運河の幅が狭く通過しやすい迂回路を取るという選択が、頭に思い浮かばなかったらしい。
『茜離宮』城下町に向かって一直線になっているコースの方が、メチャクチャに踏み荒らされていた。
対岸にある運河の欄干も、広い幅に渡って破壊されている。バーサーク化した大群は、そのまま、一直線に城下町に乗り込んだらしく、
最前線にあった哀れな小屋や倉庫が粉々になっていた。
対岸の最寄りの街区では、早くも叫び声や爆音と言った、戦闘に付き物の騒音が鳴り響いている。或る意味、分かりやすいと言うか……
わたしたちは渡し舟に乗り込むと、再びメルちゃんの《水魔法》でもって、スイーッと、元々の桟橋へと移動して行った。
こっちの方は、バーサーク化した大群の襲撃コースから外れていたお蔭で、被害は無く、静かだ。
*****
桟橋に上陸すると、早速、ジントのお腹がキュルキュル鳴り出した。男の子だし、魔法をいっぱい使ってたもんね。
わたしのポシェットの中に、まだドライフルーツが残っていた。1セット差し出す。これでドライフルーツ類も空っぽになってしまったけど、
とりあえず城下町に生還できたから、良しとする所。
――『風のジント』には、聞きたい事が一杯ある。例えば。
わたしが此処に来た最初の日、日暮れの病室の窓から、子狼の姿で窺って来てたよね?
それに、色々な場所で、不思議な出没を繰り返していた。
喉を噛み切られた衛兵さんの死体が出て来た現場とか。狼男マーロウさんに追われていた時、『炭酸スイカ』で足止めをしてくれたとか。
最近は、モンスター襲撃の《魔王起点》の所で、木の上で《緊急アラート魔法》を発動したりとか。
ジントは、ドライフルーツを腹に収めながらも、いちいち、「おぅ」と頷いて来た。全部、正解。
「実は、最初の時から、ずっと話しかけようと思ってたんだよ。でも、ルーリーは連日トラブルだらけだし。
上級魔法使いと中級魔法使いの目が光ってて、近付けなかったし。魔法使いが居なくなったと思ったら、斥候がガードしてるしさ」
――その『斥候』って、クレドさんの事だよね。
「おぅ。第一王子の直属の斥候、『風のクレド』。知ってるヤツはピンと来る。いつも居るのか居ないのか分からないくせに、いつの間にか出動してる。
あの巨大ダニ型モンスターを討伐できるレベルの腕前とは思わなかったから、あの時は、このままボヤボヤしてたら、本気で捕まるからマズイって悟ったぜ。
裏道のコソ泥が近付いて良い相手じゃねぇよ」
ジントは、クレドさんの強さを認めるのは癪に障るみたいで、「チェッ」と舌打ちしている。
「それにルーリー、あいつと《盟約》しただろうが。クレドの本来の戦闘力スコアは、親衛隊士としては平均的なレベルなんだ。
魔法道具の隊商のリーダーを速攻で余裕で仕留めるなんて有り得ねえ。『宝珠メリット』、でか過ぎるぜ」
――そうだったっけ? 見てたの?
「チラッとだけ。《隠蔽魔法》で忍び込んで見物してた。大魔法使いの秘密保持が掛かってないポイントだったし」
メルちゃんは、興味深そうにフンフンと頷いている。
そうしているうちに、次の街角に到達した。ジントが早速『止まれ』の合図を出す。
「この先の通り、戒厳令下だぜ。突っ切るのは出来ねぇな」
目的地『茜離宮』に直結する、ひとつ先の街角で、対モンスター強度レベルの《防壁》が立っている。
まさに『ザリガニ型モンスター』の討伐現場となっていて、紺色マントの隊士たちが、ひっきりなしに行き交っていた。成る程。
メルちゃんが、不思議そうに首を傾げる。
「ジントは、隊士に見つかりたくないのね?」
「おぅ。オレは金髪王子の暗殺には関わってねぇんだけど、何でか容疑者って事になってさ。
ザッカーとクレドの部隊に見つかった時、死ぬほど追われたんだ。二度と思い出したくねぇし、奴らの顔を見てギョッとしたくねぇよ」
ジントは、わたしとメルちゃんを、別の細道に案内して行った。『ミラクル☆ハート☆ラブ』と隣り合う街区の裏道に入ると、
その水路へと降りて行く。
水路を成す壁には、ほら穴のようなトンネルが幾つも設けられている。方々からやって来る下水を受けて、水路に流すスタイルだ。
ジントは、勝手知ったるといった様子で、トンネルのひとつに入って行く。大の男には狭いけど、わたしたちは小柄だから、
ちょっと腰をかがめるだけで楽にトンネル内部を行き来できるという風だ。
「この地下トンネルを登って行けば、誰にもバレずに『茜離宮』の外苑に出られるぜ。オレしか知らないルートだよ」
「地下迷宮(ダンジョン)みたいね」
メルちゃんが目をキラキラさせている。ジントとメルちゃんの『魔法の杖』が、早速、夜間照明の光を放ち始めた。
足元では、意外に水量の多い下水が流れ続けている。
*****(2)地上の騒動、地下の路道
地下トンネルの出入口の部分が終わり、ひとつめの分岐に到達すると、地下水路のスペースは急に広がった。
最初の日に放り込まれていた、あの地下牢のような、ビックリするような規模の空間――と言う訳では無いけど。
大の男でも、だいたい背を伸ばして行き来できる程度の高さがある。幅も、大の男3人か4人が、すれ違える感じだ。
一定距離ごとに、強力な機械仕掛けがされている事が窺える大型タンクがある。
汚泥を含む高汚染の物は、地下水路に流す前に、この大型タンクの中にある下水処理装置に通しているらしい。モンスターの毒血も処理できなきゃダメだもんね。納得だ。
ジメッとした重い空気が充満してるけど、意外に悪臭などといった物は無い。
規則的に空気穴が空けられていて、白いエーテル流束が出入りしているのが見える。《風魔法》による換気があるのだ。悪臭も一緒に処理しているのに違いない。
*****
ジントは、地下水路に入ってから少しの間、ブツブツと話し続けていた。
「オレが『茜離宮』にしょっちゅう忍び込んでるのは、母さんを殺したヤツを見つけて、とっちめるためなんだ。
偶然だけど母さんの正式名は、ルーリーと同じ『水のルーリエ』でさ。
通称の方は『ルル』だけどな。母さんはスリの名人で、度々、宮殿に忍び込んで稼いでた」
わたしとメルちゃんは、ジントの語りに耳を傾けた。穏やかならざる内容だ。ジントは、母親を殺されたらしい。
「そのうち、宮殿の偉い奴って言う誰かから、仕事を受けた。でかい前金が転がり込んで来てさ、よっぽどヤバイ仕事だったんだろうな。
母さんは『心配すんな』って言って、出て行った。そして、帰って来なかった。3日後に、母さんの斬殺死体が、この水路に流れて来た。
偉い奴の誰かに、口封じに殺されたんだ」
――ジント、とんでもない事情を抱えてたんだ。
でも、それなりに『経歴のある、コソ泥』じゃあねぇ。隊士に訴えても、逆に自分の余罪を問われて、何処かの牢屋に放り込まれるか、
お仕置きを受けて再び町に放り出されるか、というのが関の山なのに違いない。
――あれ? それと、わたしに話しかけようとしていた事と、どう、つながるの?
「そこだよ」
ジントは目をキラーンと光らせて、わたしを見つめて来た。
「ルーリー、すっげぇ強ぇ魔法使いなんだろ。オレ、あんな強烈な魔法って見た事ねぇしよ。
母さんを殺した奴、まさに剣豪って感じの太刀筋だったから、接近する時、どうしようかと思ってたんだよ。
最初は『闘獣』だって言ってたから毒ゴキで行こうかと思ってたけど、そのうち、ちゃんと話せば分かってくれるって、ピンと来たしな」
――わたしが、強い魔法使い……?
わたしは、思わず考え込んでしまった。今、わたしは全く魔法が出来ない状態だ。
ジントは、いったい何処で、わたしが魔法を使っている所を見たんだろう?
困惑の余り、立ち尽くしてしまう。
メルちゃんが心配そうに窺って来たけど、頭の中がグルグルしていて、まさに困惑しきり。
何と答えれば良いのだろう。今は、本当に、全く魔法が出来ない状態だって、説明するべきなんだろうけど。
不意に、地上で、重い物がバウンドしたような大音響が続いた。水路全体がビリビリ震える。でも、地下構造の建築はガッチリしていて、ビクともしていない。
ジントが、上方に顔を向けて、灰褐色のウルフ耳をピコピコ動かした。
「やっぱり、王宮の隊士は強ぇな。さっき『ザリガニ型モンスター』10匹くらい、いっぺんに薙ぎ倒したに違いないぜ。
親衛隊メンバーが2人か3人くらい、出張って来てんじゃんか。ヘッ」
メルちゃんも、ウルフ耳をピコピコ動かす。コツが分かって来たみたいで、時々、クルリとウルフ耳が方向を変えた。
「こっちの街角か、あっちの街角かは分かんないけど、レオ族の戦闘隊士が、バーサーク化『レオ闘獣』を捕獲してるみたいね。
だから、ウルフ族の親衛隊メンバーも2人か3人、加わってるんだわ。聞こえて来る名前からすると……此処に居るのは、リオーダン殿下の直属よね」
ジントが「ケケケ」と笑った。
「上手い具合に、『モンスター狩り』資格持ちの隊士たちが揃ってんじゃんか。こりゃ勝負あったな。
バーサーク化クマ族のゾロとラガーも、ひいてはお仲間もな、夜が明けたら、お縄になってるぜ」
地上に広がる『茜離宮』城下町は、『ザリガニ型モンスター』の大群、バーサーク化『レオ闘獣』5体、バーサーク化クマ族2体で大混乱だろうけど。
――余り心配はしなくて良いみたいだ。
クマ族の犯罪グループが、違法ザリガニ牧場で『レオ闘獣』を使役していた事実は、レオ帝国の外交案件になるのだろう。
事が露見した今、レオ帝国の親善大使リュディガー殿下と、その他のレオ族の外交官の面々は、新しく首を突っ込む大仕事が増えて、
生き生きしているんじゃ無いだろうか。
レオ帝国とウルフ王国とクマ王国の間で、高度な外交交渉になるような案件に発展する可能性があるなぁ。
この辺は、この事態が落ち着いたら、ディーター先生やフィリス先生に聞いてみようと思う。
とりあえず、先を急ごうと言う事で、わたしたちは、その場を後にしたのだった。
*****
地下水路は、地形の変化に合わせて複雑にねじれ曲がっていた。
しかも分岐が多いから、目印が無いと、アッと言う間に迷ってしまうのだけど。
ジントは水路の系統図を効率的に記憶しているらしい。時々、横道に入って「この辺だと、まだまだだな」とか言いながら、見当を付けている。
聞いてみれば、ルートを良く知っていた母親から、叩きこまれたのだそうだ。将来の稼ぎに困らないように。
――コソ泥の親から子供へ、という点で、ビミョウな気持ちには、なるけれど……
やたらと混乱しそうな横道だらけの難所をクリアした後、再び、わたしたちは単純な直線ルートに入った。
傾きが急角度になっていて、この辺が『茜離宮』の周りを巡る丘の傾斜だと分かる。
――じきに、『茜離宮』の外苑の城壁をくぐるのだろう。不思議な気持ちだ。
わたしは急に思いついた事があって、ジントに質問を投げた。しゃがれて歪んでしまった声での声掛けだけどね。
「図書室で3日間、何だか背後霊が居るっぽいって思ったんだけど、アレ、ジントだったの?」
「そーだよ。《隠蔽魔法》使いまくってたけど、ドンピシャで顔を向けて来るから、こっちが見えてんのかよって、度々ギョッとしてたぜ」
ジントの回答は、明快だった。やっぱり、あの愉快で不思議な気配、ジントだったんだ。
「そう言えば、ルーリー。ルーリーの後を尾行してるスパイが居たぜ」
「げッ?!」
「そのポシェットに手ぇ突っ込もうとしてたから、『何やってんだよ』って声を掛けておいたよ。ヤツは、シュバッと去ってった。
よっぽど、ルーリーにバレると、マズかったんだろうぜ。ケッ」
――何だか、不気味だ。わたしのポシェットに、盗むような物なんて入って無いし……
メルちゃんも、『あの時か』と思い出したみたいで、キュッと眉根をひそめている。
「という事は『ルーリーお手製の髪紐』を盗もうとしてたって事よね。とっちめなくちゃ。そいつ、誰よ?」
「知らねぇ。黒狼種の隊士の格好をしてるって事だけだよ。オレだって、隊士の全員を知ってる訳じゃねぇしな。
あぁ、でもそいつ、貴種だぜ。漆黒の髪で背が高い。あの身のこなしからすると、剣の腕は上等な方だろうな」
――何だか、既視感のあるような身体特徴だなぁ。
でも、クレドさんの筈は無いよね。漆黒の毛髪の貴種で、隊士をやってるなんて、珍しくない方だろうし。
灰褐色の毛髪の少年ジントの話は続いた。
「そいつ、あんまり熱心なスパイって訳でもねぇ。何かの折に、ルーリーが髪紐を作ってるって話を小耳に挟んで、やって来たんだろ。
ルーリーぐらい強ぇ魔法使いなら、お手製の魔法陣スコアも相当に高くなる筈だから、もらえるなら、もらっとこうって言うような、
まさに『コソ泥』って根性が透けて見えてたしな」
――わお。さすが、コソ泥の少年ジント。同じような魂胆の持ち主って分かるんだ。
「おぅ。コソ泥ってのは、同業者の気配に鋭くねぇと、やってけねぇしな」
ジントは、思案深げに灰褐色のウルフ尾を一振りした後、更に目撃した事などを付け加えて来た。
その謎の不真面目なスパイ――漆黒の毛髪の貴種で、隊士――は、わたしとメルちゃんがチャンスさんを追いかけて図書室を出て行った後は、
尾行して来ていないと言う。
ゆえに今回は、『隊士』や『魔法使い』などの不安要素が無くなったという、これ以上ない程の、好機になった。
それでジントは、わたしたちの前に姿を現して、事情を話す事にしたと言う訳。
メルちゃんが、フムフムと頷いている。理解の早い子だ。賢いね。
「ジントは、出来るだけ早く、お母さんの復讐をするつもりなのね。詳しい事を教えてくれれば、
わたしも、知り合いやお友達に声かけて、怪しい人を見なかったか聞いておいてあげるわ」
ジントは、ビックリしたような顔で、メルちゃんを振り返った。『ちょっと良い所の町娘』なメルちゃんを、シゲシゲと眺めている。
やがてジントは、そそくさと前方に顔を向けながら――ポツリと呟いた。
「有難いよ。今まで、1人だったからな」
そこには――母親を急に亡くして、途方に暮れた1人の子供が、居たのだった。
一方で、わたしは。不意に、ジントの将来が気になり出した。
今、ジントは、母親を殺した犯人を突き止めて、やっつけようとしている所だ。その思いだけで、1人で無茶をして生きてきた――と言うような危うさが感じられる。
首尾よく、犯人を突き止めたとして。
どうやって仕返しするのかは分からないけど、痛い目に遭わせたりするんだろうなというのは、確実だ。究極的には、
やるかやられるか――つまり、返り討ちされるか、命を取るか、という事になる訳だけど。
ジントは、万が一、母親の復讐に成功したとして――その後は、何を生きがいに生きていくのだろう?
まだ年端も行かぬ少年だし、この後の人生は、間違いなく、長く続く。ジントは、殺人の類の前科が付いたコソ泥として、その一生を終える事になるんだろうか?
不意に、バーディー師匠の述懐が、思い出された。
――そもそも、人ひとりの生と死を変えるのは、難しいものじゃよ――
――本人の意識が生まれ変わらぬ限り、どれほど外界の環境を整えても『大いなる彼方』には到達せぬ――
――因縁とは、過去と現在を結ぶ人の心が作る物。天球は、劫初と終極の『界(カイ)』を『刻』として指し示すだけで、それをどう結ぶかは、人次第じゃ――
*****
黙々と、更に急傾斜となった水路を登り続ける。
転移魔法陣を経由しないから、やはり時間が掛かる。
地下水路なだけあって、壁も床もジットリと湿っている。夜間になって使用水量が減ったのだろう、水位は相応に下がっていたものの、
それでも、水流に足を突っ込んでみると、余裕で膝丈の上まで来るレベルだ。
水流を外れている壁の出っ張りに足を掛けて、シッカリと踏ん張る。爪を壁に立てておかないと、ツルツル滑り落ちてしまいそう。
そろそろ、『茜離宮』の外苑を成す、丘の上に出る頃だろうか。
地下に居るから天球の様子は分からないけど、真夜中の刻は、とっくの昔に過ぎ去った、と言って良い時間帯に違いない。
わたしは、思わず――魔法の詠唱を口ずさんでいた。魔法は出来ないけれども。
そして――急に、理解できた。魔法の詠唱の本質は『祈り』なのだ、という事が。
――《星界天秤(アストライア)》の御名(みな)の下に。宿命は生を贈与して、運命は死を贈与する。しかしこれら二つのものは、一つの命の軌道を辿る――
*****(3)不意打ちの衝撃と疑惑
いつの間にか、わたしたちの辿っている地下トンネルは、平坦になっていた。
登りが終わったらしい。
ふと気付くと――平坦な部分に来て一息ついたジントとメルちゃんが、不思議そうな顔で、わたしをのぞき込んでいたのだった。
「ねぇ、さっきの、魔法の呪文なの? しゃがれ声だから、何言ってるか分かんなかったけど」
「変な呪文があるんだな。何とかの下に、とか、二つのものが、一つのもの、とか」
――イヤ、気にしなくて良いよ。ちょっと、独り言みたいな物だったから。
メルちゃんは「そう?」と不思議そうにしながらも、ウルフ尾を素早く振り、尻尾についた水滴をパパパッと振り落とした。
メルちゃん、美少女な町娘なのに、意外に冒険者気質だね。この豪胆さ、チェルシーさんを無意識のうちに見習ったのかも知れない。ビックリだ。
「とにかく、これで、メルたちは秘密のチームね。ジント、明日も、あの病棟の図書室に来られるでしょ? 秘密会合にピッタリのテーブルを知ってるから、
そこで、作戦しない? お昼ご飯も多めに持ってきてあげられるし」
ジントは『残飯では無い』食い物にありつけるという点で、目をキラーンと光らせた。
「おぅ。必ず行くよ。さすがに今日は遅いからな、詳しい事は明日な」
――不思議だけど、ジントとメルちゃん、気が合ってるね。偶然ながら同じ危機をくぐり抜けた仲間ならでは、という所かな。お友達が出来るのは良い事だ。
わたしたちは、待ち合わせ場所を『金髪イヌ族・火のチャンスを見かけた窓の傍』として、約束を交わしたのだった。
*****
登りの疲れが落ち着いたところで、わたしたちは再び地下水路を歩き出した。
ゴールは、もうじきだ。
何と、あの病棟エリアの外れの、わたしが最初に出て来た、ルーリエ種の噴水広場がゴールになっている。
そこに、秘密の水路ルートの出口のひとつがあるんだって。『茜離宮』の地下迷宮、すごい。下水道ルートだけど。
メルちゃんが不意に気付いた、と言った様子で、質問を口にした。
「ジント、お父さんはイヌ族だよね。どんな人なの?」
先頭を行くジントの歩調がゆるやかになった。灰褐色の毛髪を、ガリガリとかき始める。余り意識して無かった事らしい。
「――あ、思い出した。随分と昔だから、忘れてたよ。父さんが来ていたのは、7歳くらいまでだったから。
父さんは、イヌ族にしちゃマメマメしい方でさ。あっちこっちでフラフラと女を作ってたけど、
近くに来た時は、いつも母さんとオレに、お土産を持って来たんだ」
ジントは、ウンウン言いながら、記憶を掘り起こしている。
「確か……名前は『風のパピヨン』とか『風のパピィ』とか言ってた。母さんは、いつも『パピィ』って呼んでた。
亜麻色の毛髪をした小男ってなヤツでさ、それなのに、やたらと頭が良くて器用で身軽でさ、隠密の調査員だか、忍者で探偵みたいな事をやってた。
母さんは、コソ泥の腕前でもって、父さんの潜入調査とやらに割と協力してたんだよ」
――な、な、何という偶然……!
「ジント、そのイヌ族の人、わたしの父でもあるッ……!」
今度は、ジントとメルちゃんが仰天して振り返って来る番だった。
「マジかよ?!」
「ホント、ルーリー?! 確か、お父さんの事は覚えてないって……!」
――いやいや、偶然、ごく最近……人づてだけど、父親の《霊相》と名前と外見と所業を知る機会があったんだよ。
他人の空似かも知れないけど、ジントの話した内容と、まるっと同じだから、同一人物って可能性も無きにしも非ずって、ところで。
「媚薬抜きで、つまり、ちゃんと正式名を交わすのが前提で、ウルフ女に気に入られるようなイヌ族の男は珍しいんだよ。
その中で、《霊相》も名前も外見も所業も、まるっと同じってんなら、まず同一人物だぜ」
ジントの食いつきは、凄かった。
「オレの父さん、『もう1人、ウルフ女の妻が居る』って言ってたんだ。『風のキーラ』って名前の、
金髪の……毛髪の色についちゃ何か微妙な言い方でさ、紫色と金色と、って言うか」
――紫金(しこん)のウルフ女、風のキーラ。うわあぁあ……確定だ!
ジントは呆然としながらも、何故か、すぐに納得顔だ。
「何か、血縁の匂いがする姉ちゃんだなって思ってたんだよ。何つーか、何となく気になる、
位置が読めるとか、思考パターンとか何となく似てて読めるって言うかさ。ホントに姉貴だったのかよ。イヌ族の父さんの方の……」
――そ、そうなるね。半分だけ血のつながった姉弟……信じられないけど。
ジントは、もはや悟りの領域に入っていた。観念したように空を仰いでいる。
「はあ、道理で……幾ら《隠蔽魔法》でコソコソしてても、何でか見つかっちゃう筈だよ……」
メルちゃんは、この偶然に、ドラマチックな何かを感じたらしい。目がキラキラしてる。
「フィリス叔母さんにだけは、コソッと教えてあげなくちゃね」
――絶対にヤバイ! マズイ! 超・最高機密ッ!
「ダメだ!」
「ダメッ!」
メルちゃんは、ポカンとした。「何で?」
そこへ、ジントが早口で畳みかける。
「何処から情報が洩れるか分かんねぇだろうが。オレが殺(や)ろうとしてんのは、宮殿の偉い奴なんだぜ。
こいつがオレの姉貴とバレて捕まったら、こいつ、最初の時みたいに偉い奴に捕まって、地下牢で余計に拷問されるじゃねぇか」
――わたしの方の理由は、また別だけど。
目下、わたしの身辺情報は最高機密って事になってるからなぁ。血縁の存在がバレたら、色々とマズイかなって言うか……今でさえ大騒動って所なのに、
尚更に輪をかけて、あちこち揺るがす事態になりかねないって言うか……
メルちゃんは、『自分だけが知ってる特別な秘密』というのもドラマチックなだけに、趣味らしい。すぐに『超・最高機密ね』と了解してくれた。ホッとしたよ。
*****
相応に気分が盛り上がったお蔭か、足取りは軽くなった。
「あと少しだぜ。この先の登りの角を曲がれば、ゴールだ」
ジントが『魔法の杖』の夜間照明を振った。
――不意に。
ジントとメルちゃんのウルフ耳が、ピコピコと動いた。ウルフ尾も、バッと毛を逆立てる。
――人の気配……?!
それも、明らかに穏やかならざる気配だ。エーテル魔法が漂っているのか、特徴的な色彩の流れが見える。わたしのウルフ尾も、ピシッと緊張していた。
(灯りを消すぞ!)
ジントの『魔法の杖』が光るのを止めたのに続き、メルちゃんの『魔法の杖』も、パッと光を消した。
真っ暗闇――だけど、完全なる真っ暗闇、では無かった。
当座のゴールとなっている、少し高い場所。少し角度のある先のスペースに――ボウッとした夜間照明の光がある。誰かが居るらしい。
こちらの方は下方の死角に入っていたから、高い場所に居る誰かには、幸いにして気付かれなかったようだ。
すぐに、目が闇に慣れた。ウルフ族ならではの夜目は、すごい。基本的な物体の形は、ハッキリと分かる。
高い場所から洩れて来る光のお蔭もあるけど。
ジントとメルちゃんが、盛んにウルフ耳をピコピコ、クルリと動かし始めた。わたしの『人類の耳』では聞き取れないけど、
ウルフ耳だと、物音とか話し声といった物が分かるようだ。
やがて――ジントが抜き足・差し足・忍び足で接近を始めた。ちょっとだけ振り返り、『狼体』のやり方で、耳と尻尾と表情を動かして、無言で喋って来る。
(もう少し近づこう。音、立てるなよ。気配も消してろ。狩りの時みたいに)
(メル、了解よ)
ジワジワ、ソロソロ……と接近する。とある距離に近づいたところで、ジントが灰色の宝玉をポケットから取り出し、『魔法の杖』で数回つつく。
わたしの魔法感覚――色彩感覚が、ごくごく淡いグレー色の、エーテル光の波を捉えた。
淡いグレー色をした波紋は、わたしたち3人をスッポリと包んでいる。ジント自身は波紋が見えてないみたいだし、メルちゃんは気付かなかったみたいだけど。
――これ、《隠蔽魔法》だ。
淡いグレーの波紋は多種多様に波打ちながら、周りの光景を逐一、コピーして反映している。
ごくごく淡い陰影での再現だけど、余りにも精巧なコピーだから、本物の光景かと思ってしまうくらいだ。
わたしたち3人は、《隠蔽魔法》に守られつつ、遂に、光源に最も近い物陰に到達した。
夜間照明が人影を作っていて、そこに居るのは2人だと分かる。随分と大柄な人影だから、大の男2人に違いない。
ジントは一度、灰色の宝玉を確かめて、『大丈夫』と判断したようだ。実際、淡いグレーのエーテル波紋には乱れは無く、
精巧な《隠蔽》をし続けていると確信できる。ジントは、ソロリと、物陰から顔を突き出した。メルちゃんとわたしも、ジントに倣って、ソロリと顔を突き出す。
そこに居るのは、やはり大の男2人。
1人は、深くかぶったフード姿の、巨人のような大男。こうして見ると、物陰に溶け込みそうな濃灰色のフード姿だから、
大柄な体格にも関わらず、目立たずに動けるだろうなと思える。魔法使いのフードとは明らかに違って、
ユニフォームとしてでは無く、単なる外套としてのフードだ。
フード姿の巨人のような大男は、横を向いて立っているところだ。何らかのペーパーの集まりを検分しているらしい。
横顔の下半分くらいしか詳細が分からず、種族系統が不明。
だけど、離れていても、フード男が放つ剣呑な雰囲気が、ビシバシ感じられる。物騒なヤツだ。
もう1人は――ウルフ族の男だった。こちらに背を向けて立っている。ストレートの黒髪。
髪を、うなじで簡潔にまとめている。紺色マントの武官姿。対面しているフード男への警戒を緩めておらず、片手には『警棒』を握ったままだ。
妙にスラリとした立ち姿。
わたしの中で、不吉な予感が、モヤモヤし始めた。
――余りにも似ている。あの人に――
*****(4)事実と真実の地下迷宮
地下水路に持ち込まれた夜間照明が、ボウッとした光を投げ続けている。
光の中に浮かぶのは、2人の男の影姿。
フード姿の大男が、いきなり声を大きくした。『人類の耳』でも聞こえる程の声量だ。
「おい、機密暗号化の機能付きの魔法文書は、数は、これだけか! もっとある筈だぞ!」
「製作主が体調を崩して、製作がストップしているからな。今は、これだけだ」
「……チッ。苛立たせる奴め。これだけの精巧なブツ、高く売れるってのに」
フード姿の大男は、ペーパーの集まりを懐に入れると、グイと正面立ちになった。今まで向こう側にあって見えなかった右手の方が、露わになる。
――フード男が右手に持っているのは、異様な『魔法の杖』だ。宝玉細工のカタマリだ。大男の背丈を超える程の、大型『宝玉杖』。
古代の『魔法の杖』は『宝玉杖』だったと言われているけれど、まさに、それだ。それなのだ。
その『宝玉杖』は、全体が透明な水晶のようだ。そこに多種類の色とりどりの宝玉を埋め込んでいる。そして、先端が、人間の頭部よりなお大きな球体をした、謎の宝玉で出来ている。
異様に大きな球体をした宝玉の中には、無数の揺らめく金糸が仕込まれているようだ。金糸は、樹状放電に似たパターンでもって全体に広がっていた。
あの妙な球体、あらゆる《雷攻撃(エクレール)》魔法セットを詰め込んだ宝玉のように見える。本当に《雷攻撃(エクレール)》系の攻撃魔法が出来そうだ。
――この『宝玉杖』が、すべて本物の宝玉で出来ているとしたら、とんでもない高価な代物だ。
やがて、フード姿の大男は、吐き捨てるように言葉を継いだ。
「しょうがねぇな。今回こちらから用意するブツは、ハイドランジア種、1株だ」
「話が違うな。5株の筈だ」
「闇の相場が上がってんだよ。上級魔法使いレベルの竜人が仕事をしてくれる事になっているが、高く吹っ掛けられてんでな。残りの4株の代わりに、
大物クラス竜体の鱗10枚を付けとく。あと4株を調達したいのなら、次の注文のブツ、ちゃんと用意しとくんだな。過不足なく」
黒髪のウルフ男の方は、竜鱗が入っていると思しき包みを受け取りながらも、『警棒』を持つ手に力を込めている。
「そちらこそ、この竜鱗が偽物と判明したあかつきには、覚悟しとけ。あの貴種の恥さらし……アバズレのシャンゼリンは、存在すら分からなくなるまでに、
モンスターの大群に踏みにじらせておく、と宣言したくせに、無様な」
フード姿の大男は、バカにしたように鼻を鳴らした。右手に持つ『宝玉杖』を振り、濃密かつ剣呑なエーテル光をまとわせている。
いつでも、強烈な攻撃魔法で、ウルフ男をメチャクチャに出来る――と言った風だ。
「邪魔が入ったんだ、不可抗力だろう。あんた、何処かでヒントでも洩らしたんじゃ無いのか。こっちは、最上級の《隠蔽魔法》の魔法道具を用意して、《魔王起点》の作業を進めてたんだ。
中級魔法使いの赤毛のウルフ女と、チビの炭酸スイカ坊主が出て来た時は、既に限界のタイミングで、逃げるしか無かったんだぞ」
――わたしは、心臓をドッキリさせていた。思わず、握ったコブシに力が入る。
あの、《魔王起点》で、シャンゼリンを無残に殺したのは――
*****
大の男2人の間で、何やら怪しげな密談は――剣呑な雰囲気をはらみながらも続いていた。
黒髪の背の高いウルフ男は、昂然と顎(あご)を突き出している。
「我が方の秘密保持は、常に完璧だ。この秘密の地下通路の秘密保持にしてもな。故国で今なお指名手配中の貴様が、此処まで安全に来られるのは、誰のお蔭だ?」
フード姿の大男は、歯を食いしばったようだった。その右手に持っている『宝玉杖』の先端の球体が、いきなり青白い《雷光》をまとい、ビリビリと言いながら光り始めた。
――四大《雷攻撃(エクレール)》という程では無いけど、《雷攻撃(エクレール)》系の、強大な攻撃魔法の先触れなのは、間違いない。
下手すれば心臓ショックで意識を失うレベルだ。
しかし。
ウルフ男の方は、妙に余裕のある雰囲気だ。いつの間にか、『警棒』を片手正眼に構えている。
「フッ。遂に殺(や)るのか『雷神』。あの日の『女コソ泥・ルル』のように、次に水路に浮かぶのは、貴様の死体かもな」
――今、聞き覚えのある名前が出て来たみたいだ。ルル……女コソ泥。
ギョッとして、ジントの顔を確かめる。
女コソ泥。ルル。ジントの、母親の名前! よりによって、こんなところで!
ジントは――蒼白な顔色をしていた。強張った口元から、低い唸り声――声を出しては、ダメだ!
死に物狂いで、ジントの口を塞ぐ。「う」という微かな呻きと共に、ジントは、ハッと目を見開いた。
微かな呻き声は、2人の大の男たちを怪しませたようだった。フード姿の大男も、黒髪ウルフ族の長身の男も、ピタッと動きを止める。
「おい、さっきの音は何だ? あんたの腹の音か」
「貴様の、足りない脳みそが沸いた音か……と思ったが?」
「この野狼(ヤロウ)……!」
如何にも独創性に欠けた定番の罵りと共に、フード姿の大男の『宝玉杖』が、狂暴な《雷光》を閃かせる。
――あの巨大ダニ型モンスターを倒すレベルの、《雷攻撃(エクレール)》魔法だ!
青白いバチバチと言う火花が、ウルフ男を覆い尽くし――余波が周囲の壁に飛び散った。わたしたちの方へも、更なる余波が飛ぶ。
――ひぃ。シビレル!
ジントの灰褐色の毛髪が完全にボワッと逆立ち、メルちゃんのパンチパーマな黒髪は、雷の巣と化した。
身体をくねらせて倒れかけたメルちゃんを、必死で抱き留める。ついでに、メルちゃんの口をシッカリと塞ぐ。
――シ・シ・シ・シビレルゥウウゥゥ~ッ!!
わたしたち3人は、身体全身を、ビリビリする鳥肌と化した。
叫び声を上げまいと歯を食いしばり、《雷攻撃(エクレール)》の余波にワナワナ、ガクガク、ジタバタ、と身悶えながらも――無言で耐えた。
此処だけの話だけど、石床の上を3人でクネクネと身悶えしながら、ゴロゴロと転げ回った物だから、傍目から見たら、えらく奇妙な光景だったと思う。
――高度な《隠蔽魔法》のための灰色の宝玉を、ジントが持っていて、本当に良かったよ。
よっぽど高性能な魔法道具だったのか、灰色の宝玉は……この程度の《雷攻撃(エクレール)》余波では、へこたれないようだ。
バシッと言う不吉な衝撃音と共に、夜間照明の光が、一瞬、暗くなった。そして再び、元の明るさに戻る。
「おのれ、この野狼(ヤロウ)……! 肩の骨にヒビが入ったじゃ無いか!」
フード姿の大男が、左肩を押さえて大きくよろめきながらも、憎々し気な呻き声を上げた。ウルフ男が『警棒』で、フード男の左肩を、したたかに打ち据えていたようだ。
――おや?
ようやく《雷攻撃(エクレール)》魔法の余波が収まった。わたしたち3人は、一斉に発生源を注目する。
黒髪の、長身の、隊士姿の、ウルフ男は。
あれ程に強烈な《雷攻撃(エクレール)》を、真正面かつ至近距離から受けた筈なのに――
先ほどと、全く変わらないように見える。
滑らかなストレートの黒髪は、パンチパーマ化どころか、いささかの髪型の乱れも無い。ショック性の身悶えはおろか、身震いすらしていない。
「グゥッ……! あんた、《守護魔法》の魔法道具を……?!」
ウルフ男は機敏な足さばきで一歩後退し、フード姿の大男のコブシをよけた。
フード姿の大男は態勢を崩し、みっともない格好で、惨めに『宝玉杖』に寄りかかる。フードが少し脱げている。その眉目ラインまで露わになった顔には、驚愕と屈辱が浮かんでいた。
このフード姿の大男、意外に年配に見える。種族系統は、相変わらず不明だけど。浅黒い肌――という事は、やはりクマ族なのだろうか。
それとも、肌を染めているのだろうか。顔を赤青している所だろうと言うのは窺えるのだけど、肌の色合いの変化が、奇妙に乏しいのだ。
一方で。
紺色マントをまとう隊士姿なウルフ男は、マントの内側から、何かを取り出して見せた。
――その手にあるのは。
見覚えのあるような、白い紐――《風霊相》向けの白い髪紐。
フード姿の大男は、右手の『宝玉杖』を振って虹色のエーテル光《魔法分析》を振りまくや、目をカッと見開いた。
「守護魔法陣が付いている、髪紐! 攻撃魔法に比べて、守護魔法の魔法道具は、ただでさえ希少品だってのに……それ程の高スコアの品、何処で入手した……?!」
種族系統の不明な獣人の大男は、焦がれるかのように手を突き出したけれど、ウルフ男は素早い動作で、髪紐を再び紺色マントの中に収めてしまった。
「フッ、やる訳には、いかんな。そろそろ時間だ……去れ!」
ウルフ男は、瞬時に『警棒』を長剣に変えた。ぎらつく白刃が、フード姿の大男の鼻先に突き付けられる。
「今は命拾いした訳だ……覚えてろ!」
フード姿の大男は、せめてもの侮辱の為だろう、唾をペッと吐き捨てた。そして、『宝玉杖』に再び青白い《雷光》をまとわせながらも、横ざまに走りつつ、向こう側の方へと走り去って行った。
――その場は、ボンヤリとした夜間照明の光の中、1人のウルフ男のみが佇む、静かな空間となった。
程なくして――黒髪のウルフ男は、紺色マントの中から、あの白い髪紐を再び取り出した。
「フフッ……『宜しければお使い下さい。水のルーリエ』……か。あの《雷攻撃(エクレール)》すら、
完璧に防衛してのけるとは……これ程に高い魔法陣スコアの髪紐、やはりタダ者じゃ無かったか……」
――クレドさん?
あれ、本当にクレドさんなの?
信じられないけど……
あの白い髪紐、わたしが作っていた髪紐だ。4日間かけて……
ショックが余りにも大きすぎるせいか、頭が真っ白になって、何も考えられない。身体全身が、ガクガクと震えている。
目の前のウルフ男は、相変わらず背中を向けたままだけど。
あの身長は、確かにクレドさんと同じ。スラリとした立ち姿も、クレドさんを彷彿とさせる。ストレートの、クセの無い漆黒の黒髪。いつもと変わらぬ、紺色マントの隊士姿――
――わたしの弟ジントの、母親のルルと言う人を、クレドさんが無残に斬って捨てた……?
脳みその中で、今までのクレドさんの立ち居振る舞いのアレコレが、走馬灯のように巡る。
そうだ。
クレドさんは、必要とあらば容赦なく凄むという事が、出来る人だ。
冷たさすら感じられる端正な面差し。あの冷たさは、本当の冷酷さを反映したものだったのか。
いつだったかの、あの人間らしい熱さを湛えた眼差しは、気掛かりと憂いを湛えた表情は、嘘だったのか。
あの日、天球《暁星(エオス)》の空の下。《盟約》の言葉を述べていたクレドさんの心の底には、このような、計算し尽くされた目的があったのだろうか。
――『宝珠メリット』だけが目的で、わたしの製作する魔法陣だけが目的で――
いきなり、メルちゃんが毛髪をギュッと引っ張った。痛いッ!
メルちゃんは必死の形相で、わたしを物陰に引きずり込もうとしている。ジントも、メルちゃんに加勢している格好だ。わたしの身体がズルズルと後方へと移動している――
――ハッ!
目の前にグワァッと、黒いブーツを履いた足が迫って来た。クレドさんの足だ!
わたしは一気に後ろへ飛びのいた。
弾みの付いた身体を、ジントとメルちゃんが受け止めて、転がる。音を立てないように。
――間一髪だった……!
長身のウルフ男ならではの歩幅で――クレドさんは一気に、わたしたちが引っ込んでいた物陰を通り過ぎ、奥へと歩み去って行った。硬いブーツが立てる音が、地下水路に響く。
もし、これ程に高度な《隠蔽魔法》が稼働中じゃ無かったら、途轍もなくマズい事になっていただろう。
足音は、見る見るうちに遠ざかって行った。そして――何やら『ガシャン』という、鉄扉が開いて閉じたような音が続いた。
あとは――静寂。
光源となる魔法パワーが切れたのだろう、夜間照明の光が、徐々に弱くなって行く。
辺りは、地下水路ならではの、永遠の常夜闇に包まれて行った。
墨を流したような闇の中、身じろぎもせずにスタンバイする。聞こえて来るのは、地下水路を流れる水の音だけだ。
やがて、一刻ほども経っただろうか。
誰も、戻って来ない。どうやら、秘密会合らしき物は、さっきので、本当に終了したらしい。そして、これから当分は、無いらしい。
いつしか、ジントが大きく息をついた。ジントの『魔法の杖』が、夜間照明の光を放ち始める。続いて、メルちゃんの『魔法の杖』も光り出した。
再び、辺りが夜間照明の光でボンヤリと明るくなる。
ジントは、きつく眉根を寄せていた。ギリ、と歯を食いしばる音を立てる。ジントは両手に『魔法の杖』握り締めたまま、その両手の中に顔を埋めた。
「見つけた……! あいつが、母さんを殺したんだ……!」
ジントの声は、限りなく泣き声に近い呻き声だった。
――それは、限りなく事実であり、真実だ。『彼』自身が、自身の口で、言った事だ。
わたしは、信じたくないけど。信じられないけど――まさか、クレドさんが――頭が痛い。気分が悪い……
メルちゃんが、気もそぞろな様子で、『魔法の杖』をしきりに持ち替えている。メルちゃんは百面相をしていた。
頭の中で、猛スピードで、今の出来事を検討しているんだろう。ウルフ耳とウルフ尾も、ピコピコ動きっぱなしだ。
胸の潰れるような時間が過ぎた後。
やっと気持ちを落ち着けたらしいジントが、ボワッとしてしまった灰褐色の髪型をガシガシとやりながら、やおら立ち上がった。
「今は、とにかく、地上に出ないとな」
*****
ジントは、コソ泥ならではの習慣なのか、辺りに注意を払い始めた。
「ゴールが此処なんだよ。あいつら、母さんから聞き出した秘密のルートを活用してんだな。ケッ」
わたしは、メルちゃんと一緒に周囲を見回すのみだ。
地下水路の一般的なポイントとは、構造が違う。ちょっとした広間になっていて、中央部分の天井に空いた穴から滝のように水が流れ下っている。
その水は、石床に刻まれた窪みから、地下トンネル――下水道を成す地下水路へと流れ出しているのだ。
上水に当たる水路は、別に作られたパイプのようになっている。地形の傾きに沿うように、更なる高みから伸びて来ている形だ。
上水のパイプの出口は、地上に開いているようだ。重力差を利用して、上水を地上に押し上げている……噴水みたいだ。
――噴水みたい……じゃ無くて、本当の噴水の仕掛け?!
ハッと思いついて、ゴールとなっているスペースを見回す。小さな噴水広場と、ほぼ同じスペースだ!
――わたしが驚きに目を見開いたのを、ジントは目ざとくも気付いていたらしい。
ジントはピョコンと頷き、ボワッとかぶさって来た灰褐色のパンチパーマな髪型を押し上げながら、ニカッと笑みを見せて来た。
「その通りだよ、姉貴。ここ、病棟の外れの、ルーリエ種の噴水広場。金髪王子の暗殺未遂事件があった日、姉貴が出て来ていた場所さ」
わお。何というポジション!
「此処から出られるの? どうやって?」
メルちゃんが、今や芸術的な『超・パンチパーマ』と化した黒髪を整理した。
静電気をタップリ溜めているから、ちょっと頭を振っただけで額に張り付いたり、ツンツンと逆立ったり、落ち着かないんだよね。
ふと――メルちゃんが足を踏み変えた拍子に、石の床で『ガチッ』という音がした。
――あれ? メルちゃん、何か踏んだ?
「何か踏んだ。小石っぽい……」
メルちゃんが靴をどけると、『魔法の杖』の夜間照明の光の中で、何やら、キラッと銀色に光る物があった。ジントが、サッと拾い上げる。
「――隊士のマントの留め具だ。さっきの《雷攻撃(エクレール)》で弾け飛んだんだろうけど、あいつ、落とした事に気付かなかったんだな。『ルーリーお手製の髪紐』に夢中で……」
ジントが比較のために、自分の紺色マントの留め具を外す。ジントが今まとっている紺色マントは、訓練隊士のマント。
マントの留め具も、シンプルな造りだ。単純に、安価な丸い灰色ボタンの上に、《風刃》を模したのであろう白い三日月を描き込んだだけの物。
対して、落ちていた方の留め具は、豪華な造りだ。《地魔法》加工が掛かっている銀素材。
強烈な《雷攻撃(エクレール)》の衝撃で砕け散り、《雷光》に運ばれて、思いっきり遠くまで弾け飛んだのだろう――辛うじて、全体の形は円形なのだろうと言う事が分かる程度の破片。
だけど、精緻な透かし模様に銀色の湾曲した装飾があしらわれていて、如何にも高位の隊士向けという雰囲気が窺える。
ジントが盛んに首を傾げながらも、ブツブツと結論を呟いた。
「えーっと……これ、『銀牙』称号持ちの隊士のだ。剣技武闘会で、50位より上の、強い剣士が取得する称号……」
メルちゃんにも異論は無いらしく、コクコク頷いている。
「親衛隊の誰かって事だよね。これが銀色のサークレットだったら、更に上の、『殿下』称号持ちの誰かになってたよ。
『銀牙』サークレットって、3つしか無いんだって。だから『殿下』称号持ちも、3人だけ」
――あ。それで、第一王子ヴァイロス殿下と第二王子リオーダン殿下は、いつだったか、銀色のサークレットしてたのか。
話に聞く第三王子ベルナール殿下と言うのも、『銀牙』サークレットを持ってるんだろうな。
リクハルド閣下も、元・第三王子だった頃、公式な場では『銀牙』サークレットを装着していたのだろう。
ジントはメルちゃんの指摘に頷きながらも、銀色の留め具の破片を、隠しポケットに慎重に収めていた。
「まあ、重要な証拠品ではあるよな。端っこの破片だから、確かな証拠とまでは行かないけどさ、オーダーメイドだから修理にも時間が掛かる筈だ。
本人がサッサと修理して証拠隠滅していても、職人の方は覚えてるぜ、きっと。まさか御用達の職人までは斬殺しないだろ……斬殺しないって信じるしか無いけどな」
――その辺りは、運を天に任せるしか無い。
その場は、暫しの間、緊張と不安をはらみながらも、沈黙に落ちたのだった。
*****(5)汝が心いずこに在りや
ジントは、地上に出るための準備を手際よく進めて行った。
地上への出口は、噴水の上水側のパイプ。つまり、透明な水瓶(みずがめ)のある位置から出るって事。
ちなみに、人が出入りする時は、この水瓶(みずがめ)がパカッと外れるようになっているので、詰まる心配は無いと言う。
まずは、上水道のパイプを止める。すると新しい水の供給が無くなるので、噴水は止まる。
下水道の方は開いている状態だから、噴水プールからは、次第に水が抜けて行く筈だ。噴水プールが空っぽになれば、下水道へと流れて行く水の流れも、止まる。
それが、地下に居ながら目で見て取れる、絶好のタイミングだ。
そしたら、上水道パイプの扉を開けて、身体を押し込んで、扉を閉じる。そして噴水口につながる竪穴トンネルへと取り付き、そこから地上に出るのだ。
わたしたち3人は、いずれも体格が小さく、上水道への進入はスムーズだった。上水道に掛かる水の圧力はとても強いので、
上水道が止まっていられる時間は半刻足らず。その間に、サッサと地上に出るのだ。
「わぁ。夜空が見える~」
パカッと開いた噴水口の下、メルちゃんが目をきらめかせた。結構な冒険だったし、遂に総仕上げだもんね。
「オレが先に行くよ。次にメル。オレが上からメルを吊り下げるから、姉貴はメルに捕まって上がって来いよ」
――了解!
この噴水口、出口までの高さが、かなりあるのだ。ジントとメルちゃんとわたしの身長を縦に連ねる高さだ。
ただし、微妙に腕の長さくらいが余るので、上から引き上げると言う方法なら、イケるんじゃ無いかって事。
ジントは灰褐色の『狼体』に変身すると、忍者さながらの身のこなしで、わずかな出っ張りに爪を引っ掛けつつ『ビュンッ』と地上に躍り出て行った。
すごい身軽だなあ。本物の軽業師みたい。
メルちゃんが素早く黒色の『狼体』に変身する。
わたしはメルちゃんを抱き上げて、腕の届く限りの高さの出っ張りに、メルちゃんを預けた。
メルちゃん狼は、少しの間バランスを取ろうとして尻尾をパパパッと振っていたけれど、すぐにコツを飲み込んだみたい。
ハッハッと息を荒げながらも、よじ登って行く。
上の方で、既に『人体』に戻って待ち構えていたジントが、メルちゃん狼を捕まえるや否や、地上に引き上げた。
メルちゃんは再び『人体』に変身した。
「よーし、行くで!」
ジントは気合を入れて、メルちゃんの手首をつかんで、上からブラ下げる。メルちゃんの足首が、ジャンプすれば届く位置まで降りて来た。やれる!
――ていッ!
「グエッ」
いきなり上と下から引っ張られたショックが大きかったのか、メルちゃんが奇声を上げた。
――ゴメンよ。頑張ってね。
わたしは出っ張りを足で探り、踏ん張った。ジリジリと、上昇を試みる。
――と。
ぐぅ。きゅう。ぐ~きゅるるるる~。
ジントのお腹が、遂に限界を迎えたように、大きな声で鳴き出したのだった。メッチャ空腹で、力が出ないって事だ。
「うひ。オレ、もうダメ……」
ジントは、グッタリとなったようだった。ガクンと揺れが伝わると共に、ちょっと後戻りしてしまう。
メルちゃんのヨレヨレな黒ウルフ尾が、危機を察して『ビシィッ!』と固まったのが見える。
――うわあぁぁあああ! あと少しなのに……想定外ッ!
茫然自失の硬直状態が続いた後――やがて、上水道のパイプが開き始めた。
心臓の冷たくなるような、新しい水音が始まる。
さすがにジントも必死で引き上げてくれているんだけど、スピードが、とっても追いつかない。
「ど、ど、どうするのッ! 水が来ちゃうよ! 水が!」
メルちゃんが大声で、わめき始めた。まだ年齢が行かないから本格的じゃ無いけど、哀れな遠吠えが混ざり始める。
「わぁおぉぉ――――ん(誰か助けて~)!!」
その間にも水音は急速に激しさを増し、新しい水が足先を触り始めた。冷たい。多分、山から来る新鮮な水だからだ。氷みたいに冷え切ってる!
水位が容赦なく上がって行く。
足先から膝丈へ、膝丈からお腹へ。そして胸元まで来たかと思うや、上水道のパイプが本来の幅まで全開になったらしい。
大いなる音響と共に一気に水があふれ、わたしの頭部が沈没した。
――ゴボッ。全身、冷たい!
「やった! シッカリ、つかんでろ!」
ジントが急に力を込めた。水位が急上昇すると共に、メルちゃんの身体も、わたしの身体も、一気に上昇する。
――水の浮力だ!
ジントが、『フィニッシュ!』とばかりにグイーンと引っ張って来る。
ザバアーッ!
豪勢な水音と共に、噴水プールに水があふれた。
水の浮力と圧力に押される形で、メルちゃんの身体も、わたしの身体も、噴水プールの端へと押し出されて行く。
噴水プールの水位が見る見るうちに上昇して行った。
絨毯のように広がっていたルーリエ種の水中花が、その植物ならではの浮力でもって、わたしたちの身体を、更に水面の上へと押し上げる。
わたしたち3人は、水面に顔を出すなり、一斉に笑い出した――笑い転げた。
同時に、泣き笑いした。強い恐怖と緊張が弾けて、弾けるように笑うしか無かったのだ。
「み……水の精霊王、偉大なり……! 浮力と水圧、スッカリ忘れてたぜ……! 母さんが話してたのに!」
そして。さすが、魔法成分を鎮静化する、ルーリエ種の水中花だ。
新しい水がルーリエ種の水中花の影響下に入るや否や、《雷攻撃(エクレール)》でパンチパーマになっていた髪型が、スルスルと元に戻って行く。
何気にビリビリしていた感覚も、あらかた取り除かれたようだ。その代わり、物理的なスリ傷や出血の痕が、思い出したように痛むけれども。
「さっさと出ようぜ。こんなに冷たくちゃ、風邪ひいちまう」
「ひえぇ、寒い、夜風が凍みる~!」
わたしたちは、噴水の真ん中にある透明な水瓶(みずがめ)を元通りの形に戻した後、ヨロヨロと噴水の外に這い出た。
文字通り、暗い水の底から化けて出て来る、幽霊さながらに。
噴水プールの地上部分の段差が、低い位置まで繰り下げられていて良かった。高い段差だったら、這い出るのも一苦労だったろう。
身体全身が、今や懐かしさすら感じる地面の上に出たところで、わたしたち3人は、ヒイヒイと息をついたのだった。
――それは、突然だった。
「夜間水泳を、お楽しみ中だったようだな」
不穏な気配をまとう男の、低い声が不気味に轟いた。ぎょっ?!
わたしたち3人は、一斉に振り向いた。
5つばかりの、大小の『何か』。
頭部にあるのは、一本角と二本角か。真夜中の闇の中、一対の目玉のような物が、各々、ギラリと光っている。バーサーク化の獣人か、モンスターか!
「でッ出た~ッ!!」
「お化け~ッ!!」
わたしたちは一斉にパニックになって、てんでバラバラに逃げ出した。
もう頭の中がゴチャゴチャで、何が何だかだ。
もう、限界だ、たくさんだ。
とにかく、安全な場所で、安全にならないと!
「待てぃ!」
「待ちなさい!」
「おい、こら、走るで無い」
「えぇい、《拘束》!」
背中から、何やら人間に似た声が飛んで来るけど、お化けで妖怪だ、無視だ、無視ッ!
「あれあれあーッ!」
メルちゃんの物らしきパニックの叫び声。
そして『バサッ』と言う不思議な音。
わたしは、ひたすら、何処へ向かうのかも分からずに、闇の中へと足を動かしていた。
後ろから何か、恐ろしい何かが、追っかけて来る! とにかく、遠くへ……遠くへ!
ギョッとする程に近くで、再び『バサッ』と言う不思議な音が響いた。
有り得ないまでに謎の突風が足に絡みつき、実体を持った糸でもあるかのように、もつれる。
わたしの身体は、走っている勢いのままに前方へと放り出された。ひえぇ!
放り出された先の地面は――幸いな事に、みっしりと生えた、柔らかな緑の芝草だ。身体全身が転がりながらバウンドしたらしく、ボフン、ボフン、という綿のような衝撃が返って来る。
うつ伏せに横倒しになった態勢を起こす間も無く、背中の上に、人体サイズを優に超える大きな何かが、ドカッと落ちて来た感触が来た。
毛足の長い、美しい毛皮の持ち主らしい。やたらとキューティクル状態の良い、暖かくて滑らかなモフモフが全身を触って来た。
――真っ黒?! 黒い毛皮って事?!
ジタバタしたけれど、わずかに身体が浮くや、すぐに抑え込まれた。どうやら動物の口と思しき物が、うなじを巡るチュニックの端をガッチリと取り押さえているらしい。
――ひぃぃ。取って食われる。食べられる!
不意に、白いエーテル光が閃く。
手甲を装着した大きな人間の手が、わたしの手を捉えて芝草の上に押さえつけていた。もう一方の手は肩に掛かっているらしく、肩の方に、ズッシリとした体重を感じる。
「取って食いはしません。落ち着いて下さい、ルーリー」
聞き覚えのあるような、滑らかな低い声だ。切羽詰まってるのか、わずかながら、かすれてるけど。
「さすが、元・闘獣ですね。バーサーク体どころじゃ無い。先ほどの逃げ足は、見事でしたよ……もう少しで、ルーリーを取り逃がすところだった」
クレドさんだ。クレドさん――この事実。恐ろしい事態だ。だってクレドさんは――
打ち上げ花火さながらに、直前の記憶が、スパークした。時系列を混乱させながらも。
ボンヤリとした夜間照明の中、背中を見せて立っている紺色マント姿の、黒髪の――スラリとした長身の立ち姿が、白い髪紐を掲げ持って、相手を挑発している情景が。
――あの日の『女コソ泥・ルル』のように、次に水路に浮かぶのは、貴様の死体かもな――
全身の毛が逆立った。死に物狂いでジタバタする。近付いて来た恐ろしい手を払いのけるべく、力いっぱい爪を立てて、ガリガリと引っかく。
過呼吸で消耗し尽くした喉が、痙攣しながらも、言葉を絞り出した。
「キライ、嘘つき、ヒトデナシ~ッ!」
実際は声が嗄(か)れていて、ひどく声量に欠けた、かすれ声になったのだけど。
わたしの本気の拒絶を悟ったのか――クレドさんの動きが、止まった。
だけど、止まっていたのは、一瞬だった。
すぐにクレドさんの手が、脇に回って来た。振り上げた腕も、いつの間にかガッツリと捉えられて動きを封じられている。
訳が分からないうちに――両手の動きを封じられたまま、大きな左腕に抱き上げられる形になった。
ビックリして、ジタバタしてみたけれど。身体の各所のポイントをガッチリ固定されているせいか、動けそうなのに、まるで動けていない。
縄で縛られた訳でも無いのに、縛られた時みたいに、モダモダと身悶えする事しか出来ないのだ。
クレドさんは、暴れている人体を抑え込むのは、慣れているらしい。隊士だから当然なんだろうけど。
*****
――ルーリエ種の噴水広場では、夜間照明が皓々と灯っている。
わたしは、クレドさんに抱き上げられたまま――拘束されたまま、噴水広場まで連れ戻されたのだった。
クレドさんとわたしが噴水広場に到着するや否や、複数の人の顔が、一斉に振り向いて来た。
ディーター先生の傍、石畳の上には《拘束魔法陣》が展開されていた。その真ん中で、少年ジントが、
如何にも『トホホ』と言ったような顔つきで、座り込んでいる。灰褐色の毛髪は、まだグッショリと濡れたままだ。
腹の虫がしょっちゅう鳴いているし、もはや疲労困憊で、逃げ出す気力も無いのだろう。
アシュリー師匠とフィリス先生が、目を大きく見開き、息を呑む。アシュリー師匠の方は、絶句したと言う様子で、古典的な老女さながらに両手で口元を押さえていた。
フィリス先生の腕の中では、子狼なメルちゃんが、グッタリとヘタレ切ったという様子で丸くなっている。
メルちゃん狼は、全身ボロボロで傷だらけだ。ふんわかしている筈の毛並みも惨めに荒れていて、ハゲになっている箇所が多い。
ウルフ尾の方も、最初の頃のわたしと同じように毛量を大いに減らしていて、ペッタリとなっているのだ。
しかし、それでもメルちゃん狼は、クレドさんを視界に入れるや否や、『ビョン!』と尻尾を跳ね上げた。
『この顔、似てるわッ!』
威嚇モードでもって、いきなり名指しされたクレドさんは、『訳が分からない』と言った様子で立ち止まる。
クレドさんの拘束がゆるんだ。
わたしは身体をくねらせて飛び降りるが早いか、
此処で最も信頼できるような存在――小柄で細身の身体を銀鼠色のポンチョに包んだ鳥人の大魔法使い、バーディー師匠の元にダッシュした。
そして、ポンチョの裾の後ろにしがみついて、しゃがみ込んだのだった。
――考えての事じゃ無い。自然に身体が動いただけだ。
それだけに、今、何をしているのか――が間を置いて分かって来るようになると、我ながら愕然とした思いで、いっぱいになったのだった。
混乱しながらも振り仰いでみると、バーディー師匠は、いつものように、長い白い髪と白ヒゲの中で、穏やかな笑みを浮かべて返して来た。
ポンチョの端から、鳥人ならではの細長い手を出して、わたしの頭を撫でて来る。
「ああ、今は構わんのじゃよ。落ち着くまで、そうしてなさい」
バーディー師匠の穏やかな眼差しには、やはり、あの《銀文字星(アージェント)》の光さながらの、不思議な透明感のある銀色が揺らめいていた。
張りつめていた何かが、一気に解けたような気がする。気が付くと、わたしは全身ガクガクと震えながら、滂沱たる涙を流していた。
わたしがボンヤリとしゃがみ込んでいる間――
バーディー師匠とクレドさんの間で、言葉のやり取りが、少しあったようだった。
「素晴らしい捕縛の腕前じゃのう、クレド隊士」
「いえ。バーディー師匠の援護が無ければ、取り逃がしておりました」
「それでも、大したものじゃよ。この子は『闘獣』として、超大型モンスター《大魔王》から生きて逃げ切った実績を持っとる。
本気になって遁走すると、レオ皇帝の直属の戦闘隊士でさえ、ほとんどが対応できんのじゃからな」
そのやり取りが一段落すると、ディーター先生が口を開いた。すっかり苦り切っている。
「どうやら、メルちゃんの威嚇モードの原因を取り除く方が最優先のようですな、バーディー師匠。
ルーリーの極度のパニック状態も、この少年が頑として応答しないのも、それが理由のようです」
見ると、ディーター先生は、手に灰色の宝玉を持っていた。
――あれ、ジントが持っていた、精巧な《隠蔽魔法》のための魔法道具だ。
何で、ジントが持っているのがバレたんだろう。《隠蔽魔法》は、ずっと稼働していた筈だ。噴水の出口でジタバタしている時だって、ずっと稼働していた筈なんだけど――
不意に、一条の光が差すかのように、解答が降りて来た。
――噴水の、水のせいだ!
ルーリエ種の影響下にある水は、魔法成分を除去し、鎮静化する効果を持つ。その効果は、《隠蔽魔法》の魔法道具にも、恐らくは作用するのだ。
灰色の宝玉が、ルーリエ水に濡れたせいだ。ルーリエ水に濡れて《隠蔽魔法》が沈静化して――解除された形になってしまっていたんだろう。
それに、メルちゃんは遠吠えしていた。ディーター先生の研究室からの距離であれば、聴力の鋭いウルフ耳なら、間違いなく聞き付ける事が出来る。
この人たちが、この噴水広場に駆け付けて来た時。
――わたしたち3人は、噴水プールに満ちあふれたルーリエ水に全身を浸して、狂ったように笑い転げている真っ最中だったんだろう。
灰色の宝玉がルーリエ水に濡れている時間は、充分にあった。《隠蔽魔法》も、完全に切れた状態だった筈だ。地上に這い出て来ているところが、一目瞭然だったに違いない――
「メルちゃん、何か言いたい事あるんでしょ」
フィリス先生が、腕の中に収まったメルちゃん狼に、発言を促している。
全身ボロボロなメルちゃん狼は、それでも攻撃的角度にウルフ耳を傾けていて、ギンッとした目つきで、クレドさんを睨んでいた。
スッカリ惨めな毛並みになったウルフ尾だけど、シッカリ威嚇モードでもって、ピンと立っている。
やがてメルちゃん狼は、身の安全を確信したのか、フィリス先生の腕から飛び降りるなり、《変身魔法》を発動して人体に戻った。
水に濡れて、まだ乾いていない黒髪が、ペタッと顔周りに張り付いている。《雷攻撃(エクレール)》によるパンチパーマ化の名残が、各所に見えた。
――どうしよう。
下手に要点を喋ったら、地下水路でクレドさんを目撃した事が、バレちゃうよ。マズいよ。超・マズいよ!
ジントも『ゲッ』と言わんばかりに、目を見開いている。『狼体』の時の喋り方で、『喋んなよ!』と百面相しているけど、
それ、却って、この人たちの疑惑と確信のゲージを、尚更に高めてるよ!
でも、メルちゃんは――わたしとジントの想像以上に、殺(や)る気、満々だった。
メルちゃんは、手を掲げて、ビシッと立ちポーズを決めた。それは――まさに、地下水路の中で見かけた、あの紺色マントの隊士の、立ちポーズそのものだった。
メルちゃんの目は、スッカリ据わっている。
そして、おもむろに、決定的なセリフが紡ぎ出された。
「これ程に高い魔法陣スコアの髪紐、やはりタダ者じゃ無かったか」
――メルちゃん、記憶力と演技力、凄すぎる。口調と言い振付と言い、まさに完璧コピペッ!
まさに要点の中の要点。直撃ストレート。
わたしとジントは、一気に全身をピシッと硬直させた。無意識のうちに、再び逃走態勢になる。
一方。クレドさんは。何故か、『訳が分からない』と言った様子だ。
――あれ? 白(しら)を切っている……?!
メルちゃんは、腰に手を当てて仁王立ちになると、改めてクレドさんを『ギンッ』と睨み上げた。
「死にたくなきゃ、この一幕、そっくり再現すんのよ! 口調も、振付もね!」
――ひえぇ! クレドさんを脅迫してるけど、この場合、メルちゃんの方が、秘密裏の内に返り討ちされる方だよ!
緊張と、呆然が、交差した後。
クレドさんは、無表情で頷いた。そして、ゆるりと片手を掲げた。え、やるの?!
メルちゃんの演技を、そっくり映した、クレドさんの立ち姿。
――クレドさんも、演技力が相当に高いみたい。『斥候』という役割の中で鍛えられた物なんだろうか。
「これ程に高い魔法陣スコアの髪紐、やはりタダ者じゃ無かったか」
――わたしが、最も聞きたくなかった言葉だ。あの滑らかな低い声で、改めて再現されると、胸をえぐられるような気持ちになる。
そろりと、ジントとメルちゃんの様子を眺めると。
――おや?
ジントとメルちゃんは、揃って、ポカンとした顔になっている。何で?
「……声が違うわ! あそこに居たのは、誰よ?!」
「同じ《霊相》生まれの、双子なのかよッ?!」
バーディー師匠とアシュリー師匠が、感心したように言葉を交わしている。
「機転の利く子じゃのう。この手段を思いつくとはな」
「どうやら《変装魔法》が関わっているみたいね。幾ら外見や所作を似せていても、全く同じ姿勢、全く同じ口調を並べると、
全身の筋肉と喉の筋肉のわずかな個人差が、ウルフ耳で聞き分けられるレベルで表面化するから」
バーディー師匠が訳知り顔で、ゆっくりと頷いている。
「獣人の子供たちが、最初に叩き込まれるセキュリティ教育じゃな。親兄弟の振りをした人攫いに、騙されないようにな。
人身売買マーケットで、獣人の子供たちは、良い値段で売れてしまうからのう」
そして、バーディー師匠は穏やかな様子で、わたしを振り返って来た。何でもない様子で居ながらも、わたしの状態に注意していたらしい。
「最大の懸念事項が解決したらしいのぅ、ルーリー」
わたしは、恐る恐る、クレドさんの居る方に、目を向けた。
地下水路の中に居たのは、クレドさん本人じゃ無くて――クレドさんに良く似た、赤の他人。そう、信じて良いのだろうか。
わたしは、まだウルフ耳が生えていない――わたしの『人類の耳』では、全く判断が出来ない。
それに記憶喪失のせいで、バーディー師匠の言う『セキュリティ教育』に関する知識が無い。
ジントとメルちゃんのように、確信は持てないままだけど。
クレドさんの眼差しは、わたしの視線をシッカリ捉えていた。
――静穏と不動を兼ね備えた深い眼差しだ。
幾ら白(しら)を切るのが上手くても、あれが本人だったのなら、メルちゃんの直撃ストレートは衝撃的な筈だ。
どれ程わずかであっても、『あれを見られていたのか』という動揺の色が浮かんでいると思うけど――
――そういう動揺の色は、あの切れ長の、黒く冷涼な眼差しの中には、全く、無い。
次第に、目の前の光景が――ボンヤリと遠くなった。身体がグラリと傾ぐ。
クレドさんがハッと息を呑んで、駆け寄ってきたような気がするけれど――
――わたしは遂に、その続きを直接に見聞きする事は、出来なかった。
*****(6)表面化した事しない事
わたしとメルちゃんは、無理が祟ったのは確実だった。
複数回の感電ショックによる火傷が多数、高所からのパラシュート降下による全身の創傷も多数、それに冷水――水責めによる低温ショック。
女性の主治医として治療を担当してくれたアシュリー師匠でさえ呆れるくらい、全身ズダボロだった。地下牢で拷問に遭っていたのと変わらないくらいの、ダメージだったらしい。
わたしとメルちゃんは、ディーター先生の研究室の隣の病室に2人で揃って運び込まれ、揃って1日、高熱で寝込む事になった。
一定以上の攻撃魔法を受けた時、身体は発熱して、乱れた体内エーテル状態を元に戻そうとする。風邪とも言うけれど、まさに、それ。
メルちゃんのダンディなパパさんと、多忙な母親であるお針子さんのポーラさんが、珍しく2人で揃ってやって来た。
全身ズダボロのメルちゃんを確認し、驚いたり、泣いたり、笑ったり、叱ったり……と忙しい。
いつもはスマートに対応するフィリス先生すらも、メルちゃんと一緒に、グッタリとなったくらいだ。
*****
さて。
メルちゃんのダンディなパパさんと母親のポーラさんが持って来た時事の話題は、以下のような物だった。
昨夜の、『ナンチャッテ・モンスター襲撃』――偽物ブランドな『ザリガニ型モンスター』の大群による城下町への侵入は、
手慣れた隊士たちの手により、速やかに討伐と後始末が済んだと言う。
ケビン君とユーゴ君は、やはり『ザリガニ型モンスター』の大群から逃げ切って、見事、早期通報をやってのけたそうだ。
お蔭で、城下町の被害は、前日のモンスター襲撃の時に比べて、ずっと抑えられる事になった。
あの『茜離宮』エントランス受付の中級侍女サスキアさん、弟ユーゴ君が生還して来たから、ホッとしただろう。
静電気ショックの罠に引っ掛かったり、『ザリガニ型モンスター』の大群に追われて来たりした訳だから、『無事に』というのは、ちょっと微妙だけど。
ちなみに、『ザリガニ型モンスター』は、モンスターとしては雑魚に属する。町内のチンピラたちの多くが、雑魚モンスターと侮って、金になるモンスター肉を切り取ろうと、無茶をした。
この類の中には、当然ながら死者と重傷者が出てしまったけれど、全体的には被害は軽微と言えるらしい。
そんなこんなで、城下町で続いている『モンスター商品マーケット』の日程は、1日、延長したそうだ。業者たちの商売根性、スゴイ。
バーサーク化したクマ族の2人、ゾロとラガーは、リオーダン殿下の直属の親衛隊メンバーが中心になって、生きたまま捕縛した。
確か、媚薬成分が原因のハッスル狂暴化だったんだよね。女顔な隊士たちは『女』と間違われて、別の意味で襲われそうになったから、大変だったらしい。
何と、美形なリオーダン殿下も、微妙な意味で襲われそうになったと言う。ゴメンナサイ。
媚薬成分の効果が切れた所で、ゾロとラガーは正気に戻ったので、尋常に地下牢で事情聴取を受けた。ケビン君とユーゴ君からの情報の通り、
今や瓦礫の山と化した、あの古い見張り塔の傍に、『違法ザリガニ牧場』が存在するという事実を白状した。
合わせて、ザリガニ追いとして使役されていた、5匹のバーサーク化『レオ闘獣』も捕縛。いずれもオス。
こちらは、わたしたちの予想通り、レオ帝国の親善大使リュディガー殿下を始めとする、レオ族の外交官メンバーの預かりになった。
レオ帝国の刑部に属する高位の役人たちの相当数が、この案件に非常な関心を示したと言う。
不運にも『レオ闘獣』とされていた少年たちや青年たちのうち、2人ほどが、かなり高位のレオ族の御曹司だったそうなのだ。
リオーダン殿下が指揮するウルフ族の隊士たちと、ランディール卿が指揮するレオ族の戦闘隊士たちの合同捜査チームが、
クマ族の犯罪者グループが経営していた『違法ザリガニ牧場』に、速攻で強制捜査を掛けている。ゾロとラガーの2人が白状した、他のお仲間たちも、残党狩りでもって狩り出される見込み。
ゾロやラガーを始めとするクマ族の犯罪者たちが、この案件に関係した諸国の間で、キツイお仕置きを食らうのは確実となった。特にクマ王国の代表者たちは、当分は大変だろう。
この事件で、特に忘れてはならないのは、目下『怪人・夜光男』という妖怪めいた称号を戴いている、金髪イヌ族『火のチャンス』なんだけど。
チャンスさん、証拠不足で逃げ切った。妙に運の良い人だよね。『単に、金融魔法陣を運搬していた』と言うだけでは、ハッキリとした容疑として扱う事は出来ないそうだ。
問題の、マネロン用と思しき金融魔法陣にしても、現物は、既に他人に渡ってしまっている。
この場合は『ナンチャッテ暴走族トロピカルなキラキラ&ヒラヒラ』を着ていたクマ族の不良青年。
このクマ族の不良青年は、当然と言うのか、ゾロとラガーが白状した『お仲間リスト』に上がっているんだけど。
逃げ足がやたらと上手くて、既に国境を越えちゃったらしいから、捕縛の網に引っ掛かるのは、当分は先になりそうという話。
*****
ジント少年の方は――わたしたちよりも、ダメージは軽かった。
11歳――もう少ししたら12歳という、お年頃のお蔭だ。
――ウルフ族の男性の頑丈さ、マジで半端ない、と思っていたけど。
この頑丈さは、筋骨が付いて来る11歳から12歳という年齢になってから、出て来る物なんだそうだ。10歳のうちは、男の子も、女の子と変わらないくらい骨格やら筋肉やらが脆い。
2階から飛び降りただけでも、死ぬほどダメージを受けたり骨折したりするから、注意が必要。
訓練隊士となる少年たちは、平均12歳ごろに入隊試験を受けるのが普通。ケビン君とユーゴ君も、12歳になったら入隊試験を受けるとか言ってたし、納得だ。
わたしとメルちゃんは1日寝込んでいたけど、ジントの方は、お昼ごろには、ケロリと疲労から回復しちゃったそうだ。
その後、ジントは、成長期を控えた男の子ならではの、旺盛な食欲を見せた。大の男1人前を完食する勢い。
そして、昼食後。ディーター先生は早速、ジントを拘束魔法陣に追い込んで、尋問していた。
「聞かなきゃいけない事が、山ほど、あるなぁ?」
昨夜、パニックになって逃走を図っていたジントを拘束魔法陣で捕縛したのは、ディーター先生だ。
アシュリー師匠とフィリス先生は、メルちゃんを捕縛していた。わたしを捕縛したのは、クレドさんとバーディー師匠。
ジントにとっては、捕縛主ディーター先生に笑顔で凄まれた件は、第一級の恐怖体験だったに違いない。しかも、クレドさんが逃走防止の監視役として控えていたそうだから、尚更だ。
更に、好奇心いっぱいのバーディー師匠とアシュリー師匠も同席して来た。
わたしとメルちゃんが図書室から消息を絶った後、意外にも、大魔法使いのバーディー師匠とアシュリー師匠でさえ、わたしたちの足取りがつかめなかったそうだ。
判明したのは、中庭広場の転移基地から城下町の大通りの転移基地への移動があった事と、
夕食の刻あたりに、大通りの通信基地を経由して『魔法の杖』通信「炭酸スイカ風呂に入ってる件」があった事のみ。
わたしたち、そんなに忍者さながらの隠密行動をした覚えは無かったから、ビックリした。
後で分かった事だけど、ジントが、コソ泥ならではの技術でもって、痕跡を始末していたのが原因だった。ジントの痕跡とわたしたちの痕跡、ほぼ一致してたし。
ジントは、ディーター先生に凄まれ、クレドさんに睨まれ、2人の大魔法使いにつつかれて、あらかた白状したのだった。
不良プータローな金髪イヌ族『火のチャンス』の追跡から始まった、わたしたちの一夜の大冒険を。
――図書室の窓から、偶然、チャンスさんとウルフ男チンピラとの裏金取引の現場を目撃。チャンスさんを追いかけて飛び出す。
ランジェリー・ダンスの店では、ピンク・キャットの妖艶な舞台の下、チャンスさんとクマ族の不良青年の怪しげな取引を目撃。
町外れの運河まで追いかけ、運河に出ると、渡し舟を使って、コッソリと追跡を続行。
そして到達した、違法ザリガニ牧場。静電気ショックの罠。鳥籠ヨロシク最上部の梁から吊るされた空中牢屋。此処は、ケビン君とユーゴ君の証言内容とも一致している。
ランジェリー・ダンス店の初めての客にサービスされている『媚薬入りの香水瓶クジ引き』で、わたしたちが拾った香水瓶が、たまたま『混ぜるな危険』で大当たりな組み合わせで。
パワーアップ媚薬成分を吸ったザリガニ、レオ闘獣、クマ族の不良コンビ、全員がバーサーク化して、城下町へと向かって暴走した。
ケビン君とユーゴ君を先に逃がしながらも、モンスター襲撃の旨、通報を依頼し。
古い見張り塔が完膚なきまでに崩壊する瞬間、《パラシュート魔法》でもって、居残り組3人で大脱出を図り、荒れ地の上で傷だらけになる。
戒厳令下の城下町で、『茜離宮』付属・王立治療院への通常の帰還ルートが使用不可になり、地下水路ルートを選ぶ。
地下水路のゴール近くで、クレドさん似の隊士と、フード姿の大男の、剣呑な密談を目撃したうえ。
巨大ダニ型モンスターを倒すレベルの《雷攻撃(エクレール)》の余波で、のたうち回り。
2人が去って行った後、ルーリエ噴水から地上に出る事を試み、かなりジタバタして。
かくして、今に至る――
耳を傾けていたバーディー師匠とアシュリー師匠が、『1冊の冒険小説になる』と感心したのは、ご愛敬。
ジントは、疑惑の『クレドさん似の隊士』が落として行った、マントの留め具の破片を証拠物件として提出した。
――当然と言うべきなのか。
その留め具の破片、クレドさんの物じゃ無かった。今まさに、クレドさんの紺色マントを留めている留め具は、全く破損していない。
控えとして持っている別の留め具も、全て破損していなかった。
マントの留め具は元々壊れやすいパーツだから、複数持っているのが普通なんだそうだ。だから、常識的な手段で問題の隊士の正体を割るのは難しいけど、
急遽、衛兵部署の方でチェックしてくれると言う事になった。まかり間違えば、親衛隊の威信に関わるスキャンダルだからね。
*****
ジントの白状した一夜の大冒険は、ディーター先生が想定していた以上に、多岐に渡っていた。
それで、ディーター先生とクレドさんは、証言記録を報告書として作成する羽目になった。
衛兵部署の方にある、ケビン君とユーゴ君の証言記録と突き合わせる必要が、出て来たのだそうだ。
ケビン君とユーゴ君が目撃できなかった内容をキッチリ補足しているから、今回の『ザリガニ型モンスター襲撃』に関する、正式な資料にもなると言う。
バーディー師匠とアシュリー師匠は、わたしの頭部にハマっている『呪いの拘束バンド』に変化が無いかどうか、改めてスキャン記録を取って検討し始めた。フィリス先生が助手だ。
一夜の間に連続した《静電気ショック》や《雷攻撃(エクレール)》といった代物は、『呪いの拘束バンド』にとっては、
かなり深刻なレベルの刺激なんだそうだ。どうか、いっそう悪い事態になっていませんように。
*****
「――まぁ、つづめて言えば、こんな事があった訳だよ」
翌日の朝一番から、先生方が新たな仕事に取り掛かった後――
灰褐色の少年ジントは、毎度のコソ泥の技術でもって、わたしとメルちゃんの入っている病室に忍び込み、以上のような白状をしていた事を、語って聞かせて来たのだった。
目下、わたしたちは、前もって約束していた、秘密会議をしている所なのだ。
ジントは、何処までも抜け目の無いコソ泥な少年だった。
高度な《隠蔽魔法》用の灰色の宝玉と、マントの留め具――2点に関しては大人しく提出したけど、他の魔法道具やら何やらは、ちゃっかり秘匿していた。
その中には、高度な《ホワイトノイズ防音》のための魔法道具があった。母親ルルの形見なんだって。ビックリだよ。
「オレの母さんが殺された事情とか、オレが宮殿に忍び込んでた理由とかは、白状してある。いつまでも金髪王子の暗殺未遂事件の容疑者として追われてるのは、都合悪ぃからな」
ちなみに、ジントでさえ最初は気付かなくて、ビックリした事だけど。
――ジントが母親の死体を発見したタイミングは、アルセーニア姫が暗殺されていたタイミングと、ほぼ同時だったそうなのだ。
これが、どういう事なのかは不明だけど……地下水路の男たちの謎の会話の内容を考える限りでは、何か重要な関係があるのかも知れない。
ジントは、いっそう、声を低めた。
「ルーリーとオレが血のつながった姉弟って事実は、まだ白状してない。色々マズイしよ。まだ《宿命図》までは、今のとこ、注目されてないし」
「そうよね」
メルちゃんがタイミングよく、お茶をコポコポと注いで、ジントの言葉にノイズをかぶせている。メルちゃん、ホント、諜報力すごい。
ジントは、ゴックンとお茶を一服し、思案顔をしながらも、付け合わせのクラッカーを口に放り込んだ。
今現在のジントは、お風呂に入れられた後、患者服な生成り色のスモックを着せられて、こざっぱりした格好をしているところ。
さすがに髪の方は、浮浪児よろしく、ボサボサと跳ね狂ってるけど。
こうして見ると、切れ長の目をしたジントは、一目でウルフ族と分かるタイプだ。
毛髪の色の部分にだけ父親の特徴が相当に入って、曖昧な色合い。顔立ちは意外に整っている。
きちんとした教育を受けた大人になったら、あの琥珀色の毛髪の貴公子ジェイダンさんと張り合えるくらいの、魅力的な青年になるのは確実だ。
――我ながらハイスペックな弟だと思う、うん。
ジントは再びお茶をゴックンとやると、おもむろに口を開いた。
「大々的に白状をした後でさ、あの斥候『風のクレド』に、姉貴お手製の『本物の髪紐』の方を渡しておいたぜ。犯人じゃ無いと分かったし、姉貴の《宝珠》だしよ」
――どういう事? だって、あの髪紐、『クレドさん似の謎の隊士』の手に渡ってたんじゃ……?
「オレ、姉貴が目を離した隙に、そっくりコピーした偽物と交換しといたんだよ。図書室の方で、得体の知れないスパイが1人、姉貴を付け回してたって言っただろ。
あいつ、姉貴のポシェットに手ぇ突っ込んでたから、『何やってんだよ』って声を掛けたけど、あれ、髪紐を盗ろうとしてたんだな」
――な、何ですと?!
ジントは灰褐色の髪をガシガシとかき回した。
「つまり、姉貴が物品転送ポストに投入した方は、まるまるコピーした偽物って事さ。オレが良く行ってる裏街道の魔法道具の店に、そういうコソ泥用の魔法道具があるんだよ。
ずっと見てて、姉貴が用意した品のブランドは承知してたからな、あらかじめ同じ物を買っておいていたから、コピーはパパッと済んだぜ」
メルちゃんが興味深そうな顔で、お茶をコクコクと飲みながらも、フンフンと頷いている。こういうスパイ小説みたいな、ガチで相手の裏をかく化かし合いのエピソード、そうそう無いもんね。
ふと『何かピンと来た』といった様子で、メルちゃんが口元からカップを離した。疑問顔で、ジントをクルリと振り返る。
「でもジント、あの偽者が持っていた『偽の髪紐』は、ちゃんと《雷攻撃(エクレール)》弾いてたよ。『本物の髪紐』じゃ無いのに、そんな事できるの?」
ジントは、何でも無さそうに「おぅ」と頷いている。
「基礎部分は同じ魔法の糸だし、精巧なコピーだからな。だけど所詮コピーさ、本物とは違って、使い続けていたら当然メッキが剥がれる。
効果が無くなってきたら、また本物の方から、そっくりコピーする必要がある。偽物の限界ってとこだよ」
そこまで説明した後、ジントは不意に、イタズラ小僧さながらの笑みを浮かべた。
「それにしても、フード男と一緒に居たあのワルを、あそこまで上手く騙せるとは思ってなかったよ。効果が切れた後、ヤツがどんな顔をするのか、見てやりたいぜ。ケケケ」
――うーん。何だか微妙な気持ちだ。そう言えば、クレドさんは、この諸々の裏事情は知ってるよね?
「図書室で何が起きてたのかは、教えてねぇよ。だいたい髪紐を渡さなくちゃいけなくなったのって、メルが髪紐の件をクレドにブッ放してくれたせいだし。
お蔭でオレ、髪紐の件で、クレドにガッツリ問い詰められたんだぜ」
ジントは、あからさまに渋面になっていた。クルクルと表情が変わる弟だなあ。この百面相の変顔なところ、血がつながってるから、似てるって事だろうか。
「お蔭で『このジントが髪紐をすり替えて盗んだ犯人だ』って流れになっちゃってさ、クレド、キッツイ『絶対零度の視線』を向けて来てくれやがったぜ。
あれこそ噂の『風のクレド』だな。マジで心臓が止まったよ、チクショウ」
そう言って、ジントは胸に手を当ててテーブルの上に突っ伏した。見てみると蒼白な顔色になっている。思い出すだけで蒼白になるような、本当に参るような体験だったんだろうか。
――噂の『風のクレド』?
クレドさんって、どういう噂になってるの?
メルちゃんに向かって小首を傾げて見せると、メルちゃんは「知らないわ」と首を振って応えて来た。
クレドさんは、普通に目立たないタイプの隊士なんだって。メルちゃんの友達も、クレドさんの事は余り知らない。
オレンジ系の金髪なザッカーさんの方が、よっぽど有名人。クレドさんが有名人じゃ無いのは、目立たない事を第一義とする『斥候』だからだろう。
ジントはゲッソリとした様子で、でも食欲だけは旺盛に、クラッカーをもう1枚、口に放り込んだ。
「知る人ぞ知るってヤツさ。プロの暗殺者、ヤバイ指名手配犯……その類の連中なら、クレドの名を知ってる。
地下牢の拷問で、最も当たりたくない凶悪リストの上級隊士。冷徹と非情の極致。これ以上は勘弁してくれ」
――想像できないなぁ。硬質な端正さとか、冷たさの感じられる面差しだとは思うけど。
口の中のクラッカーをポリポリ噛み砕きながらも、ジントは、わたしの方を見つめて来た。目が据わってる。
「あのクレドに、本当に《宝珠》が実在して、それが姉貴だなんて、オレ、今でも信じらんねぇけどよ。気絶した姉貴をヤツが抱きかかえてたのを、改めて思い出してみれば――」
*****
次の一瞬。
病室の扉が、バッと開いた。
ジントが『ビョン!』と飛び上がる。人体が椅子から直接に飛び上がる所なんて、初めて見たよ。
「やはり此処に居たか、風のジント」
そこには、笑顔で凄むディーター先生が居た。後ろには、大魔法使いバーディー師匠とアシュリー師匠が居て、何故かディーター先生と同じように、ドスの利いた黒い笑みを見せていたのだった。
――な、な、何だろうッ?!
「お前は、まだすべてを白状して居らんな、ジント君。念入りに話をしようじゃ無いか――タップリと時間を掛けて」
惨めな毛並みとなってペッタリとしていた灰褐色のジントの尻尾は、元から先まで、バババッと総毛立ったのだった。
*****(7)最初の、かの日の目撃談
場を、ディーター先生の研究室に変えて。わたしとメルちゃんも同席して、昼食を挟みつつ。
コソ泥な少年ジントの、2回目の白状が始まろうとしていた。ジントは、ディーター先生が展開した拘束魔法陣の中央部で、ゲッソリとした様子で座り込んでいる。
ジントは、何故か、ディーター先生の黒い笑みがトラウマになっているようだ。1回目の白状の時に、よっぽど脅されていたらしいんだけど。
ディーター先生、ジントの口を割る時、どうやって脅迫したんだろう?
「さて」
ディーター先生が、ジントの手前の椅子にドッカと座り、おもむろに口を開いた。そのディーター先生の手の平の上で、灰色の宝玉がポンと跳ねた。
「風のジント、とやら。お前が持っていた《隠蔽魔法》の、灰色の宝玉の件な。地下牢にて取り調べ中の、元・バーサーク獣人たちが、キリキリ証言した。
この灰色の宝玉には、見覚えがある……とな。まさに、シャンゼリンが愛用していた《隠蔽魔法》用の、魔法道具だ、とな!」
――ええぇえ!!
シャンゼリンは、灰色の宝玉を、謎の紺色マントの少年に盗まれていたと言う証言があったけど!
その紺色マントの少年って、ジントだったのッ?!
別のデスクでは、書記として尋問内容を逐一記録中のフィリス先生が、呆れたように、赤銅(あかがね)色の頭を振り振りしていた。
赤銅(あかがね)色のウルフ耳も、クルクルと振れている。
ジントは、ディーター先生とフィリス先生、そして2人の大魔法使いを順番に見回した後、「チェッ」と舌打ちをした。『トホホ』と言わんばかりに、
灰褐色のウルフ耳とウルフ尾が、シオシオとしている。
――ちなみに、今は、あのクレドさんは居ない。衛兵部署の方で忙しくしているそうだ。
何故かジントは――決まり悪げな様子で、わたしの方にもチラリと視線を向けて来た。
一応、『怒らないから、何か知ってるなら話して』と、無言のサインを送っておく。
ジントは大きく溜息をつき、渋々と言った様子で、説明を始めた。
*****
――あの日。ヴァイロス殿下の暗殺未遂事件が、あった日。
ジントは、たまたま相前後して、備品倉庫から《風霊相》の訓練隊士用の、紺色マントを盗んでいたのだ。《パラシュート魔法》のための、魔法道具として。まさに、コソ泥の所業だった。
そして、お腹が空いていたので、ついでに大食堂の方へも忍び込んで、訓練隊士の振りをして定食1セットを無銭飲食した。それも、堂々と。
――そのようにして、コソ泥だった母親と同じように、宮殿内部の金目の物を物色して、うろついていると。
偶然にして。
コソ泥としてジントが使っていたコースと、シャンゼリンがバーサーク化した襲撃犯たちを追い立てていたコースが、交差した。
黒髪の上級侍女シャンゼリンは、バーサーク化した襲撃犯たちを、ヴァイロス殿下に向けて、けしかけている所だった。
――ジントは、それをジッと観察した。
シャンゼリンは、灰色の宝玉を『魔法の杖』でつついた。すると、シャンゼリンの姿が、影も形も無くなった。《隠蔽魔法》だ。
必然的に、ジントは――コソ泥ならではの眼力で、シャンゼリンが持っている魔法道具の価値を、ドンピシャで見抜いた。
――あの灰色の宝玉を、何としてでも、手に入れる!
そう決心したジントは賭けに出る事にした。襲撃作戦を済ませたシャンゼリンが、逃走に使うだろうと思われるコースで、手ぐすね引いて待ち構える事にしたのだ。
作戦は、奇跡的な程に、当たった。
元々ジントは、そのポイントで、必然的に辿る動線を計算して、不可視のターゲットを見定めていたのだけど。
何があったのか――黒髪の上級侍女シャンゼリンは、いきなり《隠蔽魔法》を切って、その姿を白日の下にさらしたのだ!
『あの『水のルー』が! あのクズが! 今頃、正気に返ったと言う訳!』
シャンゼリンは悪鬼の如く激怒しながらも、左手の平を天頂に向けた。
『我が闘獣! 我が《紐付き金融魔法陣》の下に帰り来よ! 骨が折れるまでお仕置きしてやる、妹のくせに飼い主に逆らって行方不明になりやがって、あのクズが!』
――それは、絶好の好機だった。ジントは飛び掛かり、身をひるがえし、シャンゼリンの脇の下に入った。全速力で駆け抜けがてら、灰色の宝玉をむしり取った。
シャンゼリンは、まさに悪鬼の形相をしてムチを振りまくったが。
元から身軽なジントにとっては、物の数では無い。ジントは手持ちの『魔法の杖』で、灰色の宝玉にエーテルを流した。
――《隠蔽魔法》は、正常に動作した。
灰色のエーテル光で出来たラインが身を取り巻いていて、ラインの内側が隠蔽されている状態だと分かる。直感的に分かりやすい魔法道具だった。
そして、この時から、この灰色の宝玉は、ジントのお気に入りの魔法道具となったのだった。
*****
バーディー師匠が、そこで口を挟んだ。
「上級侍女シャンゼリンは、闘獣の名前を『ルー』と呼んでいたのかね?」
「おぅ。あの鬼婆は、確かに『水のルー』と言っていた。通称の方だと思うけど」
バーディー師匠は「そうか」と言って、思案深げな顔になった――そして、納得したような顔になったのだった。
「なんだよ、ヒゲ爺さん?」
「イヤ、その事実で、論理的に説明が付く内容があるのでのぅ。話を続けてくれたまえ」
*****
ジントは、シャンゼリンが『飼い主』として、『闘獣』を《召喚》していた事に、素早く気付いた。
闘獣。知能の高い獣。なおかつ、戦闘力の高い獣。
――『飼い主』が執着する『闘獣』は、えてして極めて優秀だと言う。
ついでに、闘獣も頂いてやろうじゃ無いか! 成熟した闘獣なら、エサは人間の食事を分けるだけでも充分だし、毒ゴキ1匹で、コントロール出来ると言うし!
闘獣が一緒なら、母さんを殺した犯人を、確実に殺(や)れるぜ!
ジントは、すぐにシャンゼリンの後を追った。黒髪のウルフ女が金色の『狼体』に変身した時は、さすがにビックリしたものの。
まさに鬼婆な女だから、毛髪の色を黒から金に変える事くらいは、朝飯前なんだろう――と、ジントは謎の納得をしたのだった。
広々と続く『茜離宮』の外苑の中、野を越え樹林を抜け、紫金(しこん)の狼は駆けて行った。ジントもまた、灰褐色の子狼に変身して、後を追って駆けて行った。
到着したのは、あのルーリエ種の噴水広場。
紫金(しこん)の狼シャンゼリンは、しきりにガウガウと咆えていた。『水のルー』という名前の闘獣を、《召喚》しているのだ。
だが、上級侍女シャンゼリンとしての、タイム・スケジュールの限界が来た。
『こんな時にまで遅刻だなんて、ルーの奴、本当にグズでノロマだね! 次のフリー・タイムになったら、この下の通路から秘密裏に連れ出せるってのに!』
シャンゼリン狼は続けて、とても淑女とは思えない悪口雑言を吐き捨てると、《召喚》を諦めて『茜離宮』の方へと駆け去って行った。
『茜離宮』では、緊急アラートが鳴り続けていた。
――本当に、闘獣の《召喚》に失敗したんだろうか?
ジントは思案し、念のため、近くの樹木で、毒ゴキにそっくりの大型昆虫を捕獲して来た。そして、『人体』に戻り、ひっそりと待つ事にした。
何故かは分からないけど、『来るのでは無いか』という直感が、あったのだ。
灰色の宝玉は、まだ《隠蔽魔法》を発動し続けていて、噴水広場の全体が、精巧に隠蔽された状態になっていた。
すぐに、真昼の刻になった。
――不意に、すべての石畳が、激しく震動した。
人体の姿だったジントは、バランスを崩して尻餅を付いた。
見る見るうちに、石畳の上に、即席の転移魔法陣が描かれて行く。金と銀のラインで描かれた魔法陣。
噴水広場の全体に、まばゆいまでの強烈な、白いエーテル光が溢れた。白いエーテル光の爆発だ。
そして次の瞬間、《風》エーテルによる白い光の列柱が立ち上がり、金と銀で描かれた転移魔法陣を取り巻いたのだった。
来るのか。本当に来るか?!
ジントは姿勢を立て直しながらも、待ち構えていた。
普通は、この段階で、転移して来た者の姿が現れる筈なのだが――
なかなか姿が現れない。
白い《風》エーテル光の列柱は、その場に縫い付けられてしまったかのように、なかなか回転を始めない。《転移》が始まらないのだ。
理由は分からないが――転移魔法が妨害されているのでは無いか?
ルーリエ種の噴水広場の石畳は――まだ震動している。
黒い《地》エーテルによる《雷光》が、石畳を激しく揺り動かしているのだ。《地雷》に翻弄され、石畳が大きく波打っている。
噴水広場に使われている頑丈な石組み様式で無ければ、今頃、バラバラになっていた筈だ。
ジントは、ハッとして、転移魔法陣の中の空間に注目した。
金と銀で描かれた転移魔法陣の中の空間は、四色の激烈な《雷攻撃(エクレール)》に満たされていた。黒い《地雷》、白い《風雷》、赤い《火雷》、青い《水雷》。
たまにある大型モンスター狩りで見かけるのは、一色か二色のみなのに――信じがたい事に、此処には、四色すべての《雷光》がある。
話に聞くのみの、究極の過剰殺戮(オーバーキル)の魔法――四大《雷攻撃(エクレール)》!
――今すぐにでも、世界の果てまで逃げ出す勢いで、逃げ出さなければならない。
そう分かり切っている筈なのに、ジントの足は動かなかった――動けなかった。
金と銀で描かれた転移魔法陣。それを取り巻く白い《風》エーテル光の列柱もまた、凍り付いたかのように動かない。
次の瞬間、金と銀で描かれた転移魔法陣の内側で噴出して来たのは、《水》の青いエーテル光だ。
ラピスラズリ色と言うくらいに、息を呑むような――透明なのに何処までも深い青さだ。
そのラピスラズリ色は、良く見ると、高速のスパイラル嵐を構成している。
何処までも深く青いスパイラルは、四大《雷攻撃(エクレール)》と激しく揉み合っていた。
スパイラルに巻き込まれた四色の《雷光》は、瞬く間に粉々の破片となり、四色の火花となって飛び散っている。
ラピスラズリ色をしたスパイラルの各所で、金色と銀色のエーテルの炎が、見上げる程の高さの火柱となって燃えていた。
ジントは畏怖の念に打ち震えたまま、その凄まじいまでのエネルギーの奔騰を眺めているしか出来なかった。
これ程に激烈な《四大》エーテル魔法の衝突は、見た事が無い。
――金と銀が、同時に巨大な炎となって燃えているなんて。このエーテル魔法、宇宙すら動かせそうだ。
もし。灰色の宝玉による、精巧な《隠蔽魔法》が無かったら。『茜離宮』の人たち全員が、『何が起きているのか』と仰天して注目していただろう。
見る見るうちに、四大《雷攻撃(エクレール)》が消滅した。
ラピスラズリ色をしたスパイラルと、金と銀の火柱が、お互いを焼き尽くすかのように今ひとたび明るく輝き燃えて。そして――不意に雲散霧消する。
金と銀で描かれていた転移魔法陣が――見慣れた《風》エーテルの光を放ちつつ、白く輝き始めた。
転移魔法を構成している白いエーテル列柱も、尋常に転移魔法陣を一巡した後、バラけて消えていく。
いつしか――いつの間にか、『人体』らしき、ひとつの立ち姿が出現していた。
――闘獣って、『獣体』スタイルじゃ無かったっけ? でも元は獣人だから、たまに『人体』スタイルでいる時間も、あるのかも知れない。
しかも『完全な人体』だ。『耳』も『尾』も無い――奇妙な姿の、ボサボサ黒髪の、少女だ。
あれが、シャンゼリンの妹分、すなわち子分の、闘獣の『水のルー』か?
ジントは猛ダッシュした。闘獣ならば、毒ゴキに反応する筈。ボンヤリと立っていた少女の目の前に『ババーン』とばかりに、毒ゴキによく似た、大型昆虫を掲げた。
黒髪の奇妙な少女は、確かに『毒ゴキ』に反応した。
驚愕の余り、口をアングリと開けたまま、失神したのだ!
普通の獣人ならば、男、女いずれであっても、たった1匹の毒ゴキだけで、いきなり失神するような事は無い。確かに闘獣だ。
意識を失ってグッタリとのびてしまった少女を、ジントはズルズルと引っ張って行った。天気は快晴。
夏の盛り、それも昼日中とあって陽光が強いので、とりあえず、半日陰となっているスペースに置いておく。
少女の手から――『魔法の杖』が、こぼれ落ちた。コソ泥の習慣でもって咄嗟に拾い上げ、小型ペンの大きさに縮めてゲットしておく。
観察してみると、少女がまとっているのは、死刑囚が着用する拘束衣だ。これじゃ、城下町に連れて帰っても、天下の公道に躍り出た凶悪な脱走犯として目立ってしまう。
とりあえず、訓練隊士用の紺色マントを、もう1着ばかり頂くか――
ジントは素早く『狼体』に変身し、最寄りの備品倉庫を突撃した。そして、もう1着、《水》の紺色マントを失敬した。
再び、噴水広場に戻って来てみると――少女は目を覚まし、キョトンとした様子で、辺りを見回していた。子狼ジントは思わず、置き石の後ろに身を隠し、様子を窺った。
次の一瞬、灰色の宝玉のエーテルが、切れた――《隠蔽魔法》が停止した!
――局面が一変したのは、いきなりだった。
あの金髪王子が、剣呑な様子で噴水広場に足を踏み入れて来た。不意に出現した少女の存在を察知し、怪しんだのは、目にも明らかだった。
ザッカーやクレドを始めとする、金髪王子の親衛隊は、想像以上に強く、優秀だった――
――既に、残党狩りのタイミングだったのだ!
ジントは焦ったが――もはや後の祭り。
金髪王子は楔型(くさびがた)の投げナイフを投げて来た。
よりによって、ジントが隠れていた置き石の、ど真ん中に。
*****
「あん時は、本当に心臓を貫かれて死ぬかと思ったぜ。何なんだよ、あの剛腕は」
ジントは胸に手を当てて、『ハーッ』と息をついた。次いで、灰褐色の頭をガシガシとかき回す。
「投げナイフの刃が、置き石の裏までシッカリ通ったしさ。オレが持ってた『毒ゴキ・モドキ』が一瞬でバタン、キューだったぜ。
『毒ゴキ・モドキ』が間に挟まって無きゃ、オレも見付かってたかも知んねぇな」
――な、成る程。あの置き石の裏で、謎の大型昆虫が腹に穴を開けられた状態で死んでた……という奇妙なシチュエーションの件、偶然じゃ無かったんだ。
「で、まぁ、この姉貴がさ、金髪王子の親衛隊に捕まって地下牢に放り込まれた時は、また焦った訳だよ。
よりによって、拷問で当たりたくねぇ凶悪リストの上級隊士、『風のクレド』とか『地のドワイト』とか居たしさ。
夕食の刻の直前に誰も居なくなるから、その時に姉貴の脱獄作戦やろうと思って、近くで準備してたんだ」
次々に爆弾情報が飛び出して来る物だから――
さすがのディーター先生も、腕組みをしつつ片方の手を顎(あご)に当てて、スッカリ無言になっている。フィリス先生も、口をアングリしているところだ。
バーディー師匠とアシュリー師匠は、これまで分かっている事と突き合わせつつ検討中。時折、フムフムと言うように、納得顔になって頷いていた。
「クレドが、姉貴を地下牢から摘まみ出して来たのを見た時は、またギョッとした訳だけど、まぁ、結果的には一安心ってヤツか。
で、夕食の刻になって、ソッチの方でもご存知の通り、オレは、怪し気にウロウロしてる所をザッカーやクレドに見つかって、死に物狂いで逃げまくった、と言う訳さ」
最後に「ケッ」という感嘆詞を付け加えて、ジントは話を締めくくったのだった。
*****
遂に、わたしの『魔法の杖』が戻って来た。
ジントが白状した通り――ジントがひそかに拾って、他の魔法道具と一緒に隠し持っていた。
――道理で、あの噴水広場や周辺を幾ら探し回っても、わたしの『魔法の杖』が出て来ない訳だよ。
「いつか説明して、返そうと思ってたんだよ。いつの間にかズルズルと盗んでる形になっちゃったけどさ」
ジントは、すっかり、しょげ返っていた。メルちゃんが、呆れたように目をパチパチしている。
――長くて複雑な話になるだけに、タイミングが難しかったと言うのは、うん、よく分かる。
随分と遠回りになってしまったけれども――
結果から見れば、今が一番のベストタイミングだったのかも知れない。他のタイミングだと、
殺人事件があったり、『狼男』が出て来たり、モンスター襲撃だの何だの、それどころじゃ無かったり、色々混乱していたと思う。
「でも、それ変な『魔法の杖』だぜ。オレ一度、それで《パラシュート魔法》を試してみたけどさ、全く反応しねぇの。
エーテルで文字や模様を描く方は、普通に反応するけどよ。故障してんじゃねぇのかって、本気で思ってんだけどな」
バーディー師匠が銀白色の冠羽をヒョコヒョコと動かしながら、意味深そうに頷いている。フィリス先生は、わたしの『魔法の杖』を見て、驚きが止まらないと言った顔をしていた。
「それは『戦闘用の魔法の杖』よりも、ずっと『重い』のじゃよ。特に、金と銀のエーテルを扱うには、超重量級の『杖』で無いとな。
《宿命図》の心臓部を成す《宝珠》が、なかなか壊れないのも、最も基本的な陰と陽の要素、つまり金と銀のエーテルの間にある強い引力のお蔭じゃ」
わたしは改めて、わたしが最初の日に持っていたと言う『魔法の杖』を、ひっくり返してみた。小型ペンのサイズだった物が、瞬時に標準的なサイズの『魔法の杖』になる。
――見た目は、『魔法使い用の魔法の杖』。指示棒みたいなタイプ。
青みを帯びた色合いは、《水霊相》向けの品だからだろう。
杖の素材は、強化加工を施した人工宝玉。単純な棒状スタイルという事もあって、天然の『宝玉杖』に比べて宝飾品としての価値は落ちるけど、耐衝撃性に富む。
隊士が持っている『戦闘用の魔法の杖』のような、武器としての強さは無いものの、『魔法使い用の魔法の杖』では、これが定番。
今まで持たされていた日常魔法用の『魔法の杖』よりも、遥かに手に馴染む感覚があるから、ビックリだ。この感覚、無意識レベルではあるけど、確かに既視感がある。
ディーター先生とアシュリー師匠が、感慨深げに言葉を交わし合っていた。
「拘束バンドを外すメドが立ったわね、ディーター君」
「色々なタイミングを考慮すると――手術は、翌朝がベストですな」