―瑠璃花敷波―08
part.08「可能性と選択肢*2」
(1)結婚式と公園のパーティー
(2)変態な魔法道具トラブル
(3)モンスター襲撃の夕べ(前)
(4)モンスター襲撃の夕べ(後)
(5)謎は続く、どこまでも
*****(1)結婚式と公園のパーティー
花嫁・地のジリアンさんと花婿・水のジュストさんの結婚式は、真昼の刻を挟んで、滞りなく進んだ。
結婚式を取り仕切る老人の祭司さんは、フィリス先生と同じ中級の魔法使い資格持ちで、無地の灰色ローブ姿。
穏やかなお爺さんって感じの人だ。
その奥さん――お婆さんも中級魔法使いの人。夫婦で長いこと、近所の魔法トラブルに関わる相談に応じて来たと言う。
過去のモンスター襲撃の際は、玉ねぎ屋根を持つ避難所の管理人としても対応して来たそうだ。
わたしが結婚祝いとして製作して来た『魔除けの魔法陣』が役立つと評価して、この通りの入り口の『魔除けの護符セット』要素として設置した老夫婦でもある。
恐れ多くも、わたしの製作した『魔除けの魔法陣』が重要ポジションに設置されたと言う。
ちゃんと効果はあるだろうけど、わたし、全く魔法が出来ないから……大丈夫かな。ドキドキ。
結婚式場は、玉ねぎ屋根を持つ八角形のホール。壁は淡い亜麻色だ。
中央に、大黒柱と言うべき黒い色の支柱が立つ。木の幹みたいにゴツゴツした表面の支柱だ。上の方で8本ばかりの梁に分かれて、玉ねぎ屋根を支えている。
玉ねぎ屋根の可動式の遮光の覆いは取り除かれていて、今は、ステンドグラスがハメ込まれた天窓が一面に広がっている。
樹木の葉をモチーフにした幾何パターンになっていて、淡い緑金色というのか、シャンパンゴールド系グリーン色を中心にした彩りだ。
昼日中の陽光の下、ステンドグラスを通って来た多色光がキラキラしていて幻想的。
黒い支柱を遠巻きにするように、礼装でドレスアップした参列客が思い思いに並んでいた。
わたしも、フィリス先生やチェルシーさん、ラミアさん等と一緒に、参列客に混ざって立ち見している。
祭司を務める中級魔法使いのお爺さんとお婆さんは、黒い支柱の下に佇んでいた。
新郎新婦が奥の間から静々と入って来て、支柱の前に並び、老いた祭司さんたちから、祝福を受ける。
茜色の花嫁衣装をまとったジリアンさんの、シャンパンゴールド色のベールを持つメルちゃんは、おすまし顔で大役を果たしているところだ。
水色のドレスが可愛くて、水の妖精みたい。メルちゃん、心臓が強い。大舞台に出ても上がらないタイプだね。
花婿のジュストさんの方は王宮勤めの文官だから、文官ユニフォームが、そのまま礼装になるんだそうだ。
襟や袖口に2本のハシバミ色のラインが入った、紺色の裾が長めの上着だ。首元に、《水霊相》生まれを示す青いスカーフを巻く。
ジュストさんは一見して茶髪に見えるほどに落ち着いた色合いの金髪をした金狼種なんだけど、
超・冷静沈着と言った雰囲気が、グイードさんに良く似ている。成る程、グイードさんの息子さんというところ。
メルちゃんの明かすところによれば、生真面目そのもののジュストさんは、意外に頭がスコーンと抜けるタイプらしい。
《盟約》成立の際、喜びの余り、ジリアンさんを抱っこして近所の通りを爆走して、メルちゃんたちの家のドアをブチ壊したと言う。
人は見かけによらないなあ。
新婚のうちは、此処で使用した青いスカーフを巻き続ける事になっているそうだから、当分の間ジュストさんは、同僚さんからの冷やかしが大変かも。
冷やかしにどう応えるかによっては、何か新しい伝説を作りそうな気もする。
――祭司を務めるお爺さんとお婆さんの、静かな、けれども良く通る声が、古代から受け継がれて来た締めくくりの言葉を紡ぐ。
「悠かなり《連嶺》の彼方、天球に願わくは、この者らの《宝珠》の末永く調和せん事を」
その言葉が終わると、新郎が新婦を片腕抱っこして、グルリと黒い支柱を回る。
この黒い支柱、超古代の神話でお馴染みの『世界樹』を模していると言う。天井を彩るステンドグラスが、樹木の葉をモチーフにしているのも、成る程だ。
新郎新婦が黒い支柱を巡っている間、参列客たちからは賑やかな拍手と、花弁シャワーと、『おめでとう!』というお祝いの言葉が続く。
新郎新婦は手を振ったりして、それに応える形だ。
*****
式典のパートは終わった。
新郎新婦も参列客も、付属の公園に揃って移動して、披露宴を兼ねた立食パーティーになる。
この立食パーティーは、お祭りの屋台形式になっている。近所の人たちも自由に出入りして飲み食いして大丈夫なんだそうだ。
アッと言う間に、少し遅めの昼食――それも御馳走を楽しみにして来た近所の声の大きいオジサンやお喋りなオバサン、
お腹を空かせた腕白な子供たちがワッと集まって来て、賑やかになる。
ウルフ族とイヌ族はもちろん、話を聞き付けた他の獣人たちも、チラホラとやって来ている状態だ。
生まれて1年ほどの子供たちは、ウルフ族であれイヌ族であれ、まだ《変身魔法》を自然習得していない。『人体』への変身が出来るようになるのは2歳を過ぎてから。
あちこちを走り回る色とりどりの小さな毛玉たちは、『耳』や『尾』の先の毛に、各《霊相》にちなんだ四色の産毛がシッカリと出ている。
メルちゃんは、同い年の女の子のお友達やそのご両親がたと混ざっていて、今日の大役の事や、水色ドレスの事を自慢しているところだ。
今日の水色ドレスのモデルが、『水のサフィール』の中古ドレス。
ウルフ族が輩出した第一位の《水の盾》、『水のサフィール』の事は、子供たちの間でも、知る人ぞ知るという状態らしい。
メルちゃんは抜け目なく、母親ポーラさんの新作ドレスをお披露目して宣伝してる形だね。ちゃっかりしてる。
今日の主役のジュストさんとジリアンさんは、背の高い同僚の役人さんや美容師仲間さんに囲まれて、スッカリ姿が見えない状態だ。
ポーラさんが旦那さん同伴で、挨拶回りにやって来たので、祝杯を交わす。
メルちゃんの父親は初めて見たけど、純粋な金髪キラッキラな素敵なダンディだ。
メルちゃんの『金髪コンプレックス』は、父親に集中的に発動しているので、ちょっとさみしいのだとか。
――うん、メルちゃんが大人になってきたら、少しは変わると思う。頑張ってください。
チラチラと、目の端で、見た事のあるような灰褐色の毛のウルフ族の少年が、「うめぇ」とか言いながらタダ食いを満喫している。
近くに、親と思しき大人を見かけない。孤児かも知れない。えらく着古した、ヨレヨレの着衣だ。
――小柄だけど、筋骨がシッカリし始めているから、11歳か12歳くらいかな。これから背丈がグングン伸びる成長期に入るだろうという感じ。
少年は余程お腹が空いていたのか、腹ペコな同年代の――成長期の直前とか、その真っ盛りの――ちょっとボロい、
孤児たちと思しき男の子たちに混ざって、ボリュームのある屋台コーナーを次々に攻略しているところだ。さすが成長期の男の子たちだ。すごい食欲。
感心して眺めていると、祭司を務めた中級魔法使いの老夫婦が、穏やかに声を掛けて来た。
「今日は『魔除けの魔法陣』の寄贈、有難うね、ルーリー。あの子たちは近くの孤児院から来てる孤児たちなの。
両親の不慮の死、失踪、闇ギルドからの救出、モンスター災害孤児と事情は色々」
「相変わらず大した食欲だのう。あちらの屋台は、もうオーダーストップになったようじゃな」
この立食パーティーは、こういう町の孤児たち向けの食事も兼ねてるらしい。成る程ねぇ。色々と合理的だ。
成長期の男の子たちの食欲って見ていて凄いし、町の孤児院だけで、あれだけの食費を稼ぐのは、ちょっと大変だと思う。
半数は、育児放棄された混血児だそうだ。イヌ族の父とウルフ族の母の混血。
ちなみにイヌ族の方では、多夫多妻制を維持するという都合もあって、この養育システムは非常に進んでいる。
イヌ群各国では、純血の子も混血の子も等しく、最初から『寄宿学園』――孤児院に良く似た養育システム――で、子供たちを育てると言う。
中級魔法使いの老夫婦は、更に解説を続けてくれた。
前々から『闇ギルドからの救出』ケースはあったんだけど、領域が限られていたそうだ。
特に、『闘獣』と呼ばれる非合法な戦闘奴隷の場合。
或る程度、大きくなってから『闘獣』に落とされたケースであれば、自意識が確立している分、正気に戻すのは難しくない。
バーサーク化した者たちを正気に戻すのと同じ手法が有効。
ただし、幼児のうちに『闘獣』に落とされたケースを正常化するのは難しい。意識がケダモノ同然に変形してしまっているから。
――『三つ子の魂百まで』とはよく言った物で、『人体』としての意識が薄いまま大人になってしまう。
止むを得ずして、牧場の家畜追いや狩猟場の猟犬として、或いは衛兵に付き添う警察犬として雇用するケースが増えるのだ――
そして、ウルフ族出身の大魔法使いとして尊敬されている『地のアシュリー』先生は、そんな『闘獣』と化した子供たちを正常化する、高度治療の第一人者なんだそうだ。
彼女が関わった『闘獣』孤児は、孤児院で預かれるレベルまで正常化に成功したケースが多い。
今では直弟子も増えているので、この救出ケースの事例は増えていると言う。近所の孤児院でも、元・闘獣だった孤児を預かっている。有難いことだ。
改めて灰褐色の毛をした少年の方向を見やると――
――少年は、既に消えていた。どうやら孤児らしいんだけど、あの群を抜いた『すばしっこさ』は、
普通の子供では無いような気もするんだよね。色々と謎だ。気になる。
それにしても、孤児。ほとんど男の子たちみたいだ。
「町の孤児院では、もっぱら男の子たちを預かっているんですか?」
「そう言う訳でも無いわ」
ホンワカした雰囲気のお婆さん魔法使いは、困ったような微笑みを見せて来た。
「女の子は元々、育児放棄のケースは少ないし、『宝珠メリット』という理由があるから、他種族からの、婚約話を含めた引き取りの話が多いの。
男の子は食費なんかの手間が掛かるからねぇ、どうしても孤児院での預かりの方が多くなっちゃうわね。
今年は適性診断や入隊試験を突破した子が多いそうだから、少し安心したわ」
そして、ビックリするような逸話と言えば。
――何と、あのオレンジ金髪の『火のザッカー』さん、孤児院出身の、しかも混血なんだって。
ザッカーさんは、ものすごい努力の末、最高位の親衛隊士――第一王子ヴァイロス殿下の親衛隊の所属――まで、上り詰めた。
剣技武闘会で、第3位に入る事もある戦闘力。孤児の少年たちの憧れであり、伝説だそうだ。
剣技武闘会の時、ひときわ大きな声援があったのも納得だ。あの声援の半分以上は、孤児の少年たちや、元・孤児の隊士たちだったんだろう。
そんな事を話し合っていると――
「老先生~、助けて下さい~」
哀れな泣き声と共に、お爺さん魔法使いに抱き着いたのは、オッサン風なウルフ族だ。ストリートの外れで、レンガを焼いたり加工したりしている零細職人だと言う。
「おらの作業場から、少し離れた空き地の辺で~、怪現象が続いているんすよお~。
毎晩、モンスターの鳴き声のような騒音とか、妙な地面の震動とか~。昨夜なんか、大型モンスターの姿っぽいの、見えたんすよお~、恐ろしいよぅ」
オッサンの泣き言は続いた。
何でも、その怪現象、もう5日ほどになると言う。
夜が明けてから、町を警備する衛兵さんが現場を見回ったんだけど、それらしき痕跡がまるで無い。
それで、その現象が繰り返すたびに衛兵さんに通報して訴えたものの、ますます悪夢だろうと片付けられてしまって、いよいよ詰まっちゃったという話。
うーむ。オオカミ少年ならぬオオカミ・オッサン。
でも、本気で怯えてるっぽいし、ウソと言う訳でも無いらしい。
中級魔法使いの老夫婦は、哀れなオッサンの泣き言をもう少し詳しく聞いてみるとの事で、3人連れで席を外し、玉ねぎ屋根のホールの方へと向かって行った。
わたしはポーラさんに手招きされて、メルちゃんと合流した。
興味津々な顔をしたドレスメーカー関係者が、周りに居る。
わたしの水色ドレスとメルちゃんの水色ドレスは、年齢に合わせて少しラインが違ってるので、比較して見たいと言う人が多かったそうだ。
わたしの着ているドレスは、サフィール・ドレスの原形そのままを複製した試作品。スカート部分の薄布が大人しくテロンと流れるラインになっている。
メルちゃんの着ているドレスは、10歳という年齢に合わせてアレンジしてある。薄布の張りが利いていて、フワンとした軽快な雰囲気だ。
やがてドレス・デザインの観察会が終わったみたいで、ドレスメーカー関係者たちは専門的な議論をスタートした。
*****(2)変態な魔法道具トラブル
立食パーティーは、ほぼ終わりに近い。
オーダーストップになった屋台が少しずつ片付けられて行っている。
――何やら、その屋台の合間を、見覚えのある怪しげなイヌ科の人影が、特に女の子を目指してウロチョロしているような……
しかも、首を突っ込み過ぎて、特にウルフ族の女の子の父兄の方々や彼氏さんに、ボコられているような……
わたしとメルちゃんは、ほぼ同時に、そのイヌ科の人影の正体に気付いたのだった。
――金髪イヌ族の不良プータローにして、ナンチャッテ色事師、『火のチャンス』!
美形ながら開けっ広げな顔をした金髪イヌ族の背の高い男の方も、わたしたちの存在に気付いたみたい。
「見ぃつけたぁ~」
チャンスさん、相変わらずワルっぽいファッションだ。シッカリお手入れしたらしき金毛ツヤツヤの巻き尾を、左右にブンブン振りつつ、突進して来る。
「ラブラブな店の新商品を試してみないか?! こいつは、髪の毛をホントに金髪に変えてくれるんだよ!」
あっと言う間にわたしたちの目の前に到達したチャンスさんは、両手に、ギラギラと光る赤い物を持っていた。
一見して、ヘアバンドみたいに見える。全体が、何とも毒々しいまでに真っ赤だ。
二つの端に、ド派手な『花房』のようにした真っ赤な装飾が垂れさがっている。
レオ族のハーレム妻が装着する『花房』付きなんだけど、ギラギラと光を反射するのを重視して選んだ、安価なビーズ類の……しかも庶民向けなのか、ヘッドドレス部分はカチューシャ型。
わたしとメルちゃんが唖然としている内に、チャンスさんは背丈の有利に任せて迫って来た。
あれよあれよと言う間に――頭に何かが乗ったという感覚が加わる。
そして、いっそう得意満面になったチャンスさんが、手持ちの魔法の杖を振って、赤いエーテルを流して来た。
「これで、オレにウットリと惚れてくれる事、確定さ! ベッドの中で、右からでも、左からでも、上からでも、下からでも……」
――チャンスさん特有の、《魔法署名》が施された《火》のエーテルみたいだけど……な、何だろう?!
わたしとメルちゃんは、思わず、シュバッと後ずさった。
赤いエーテルは妙にヌルヌルしていて、振り払っても振り払っても、くっ付いて来る。
ちょっと……結構、気持ち悪い。赤いエーテルに包まれてしまったから、視界も妙に赤いし。
チャンスさんが困惑顔になって、首を盛んに傾げ始めた。
「あれ? おかしいなぁ……『媚薬と同じ効果がある』って言ってたのに……」
――そ、それは、いったい、どういう事だろうッ?!
次の瞬間、近くに居たドレスメーカー関係者たちが、早くも異変に気付いた様子だ。
「髪の色が変わったわ!」
「ありゃ、新手の魔法道具か?!」
「火のチャンスが、アブナイ《妄想魔法》を発動してるぞ! アブナイ夜の妄想の……」
ポーラさんも気付いて、仰天そのものの顔つきで振り返って来る。
「メルちゃん! 髪の色! あなた! あの『不届き犬』、お仕置きして!」
メルちゃんのダンディなパパさんが、驚くほどの速度で飛び出して来た。その勢いのまま、見事なストレートパンチで、チャンスさんをボコる。
チャンスさんは、気持ち良いくらいに綺麗に吹っ飛んで行った。
――わお。男同士のガチンコですね!
メルちゃんのパパさんが早速、手持ちの『魔法の杖』を振って、
チャンスさんが作っていた赤いエーテルのヌルヌルなモヤモヤを、『シッシッ』というように、全て追い払ってくれた。
お蔭で、赤みを帯びていた視界が元通りになったよ。妙な『妄想イメージ』っぽいのが見え始めていたから、ホッとした。
――わたし、魔法が全く使えなくて、ホントにゴメンナサイ……
見ると、メルちゃんの髪の毛は変色していた。金髪と言うよりは、不気味な蛍光黄色の髪って感じ。
しかも、黒髪とマダラになっている。何故だ。
メルちゃんの頭の上に、レオ族の女性が付けるような、『花房』付きのビーズ製のカチューシャ型ヘッドドレスが掛かっている。
実に、実に……毒々しいまでに真っ赤だ。
わたしの頭の上にも同じ物が乗っているらしい。
顔の横にシャラシャラした物を感じて確かめてみると、確かに『花房』スタイルな、真っ赤でギラギラとしたビーズ製の房が、お下げみたいに下がっているのが見える。
ポカンとしているメルちゃんの頭から、メルちゃんのパパさんが赤いヘッドドレスを外すと、あら驚き、メルちゃんの髪色は、元の黒色に戻った。
どうやら、この毒々しいまでに真っ赤なアクセサリーは、髪の色を変える魔法道具らしい。変な品があるんだなぁ。
メルちゃんのパパさんは、次に、わたしの頭に掛かった『何か』――おそらく、カチューシャ型ヘッドドレス――を取り外しに掛かった。
取り外そうとしてくれた。してくれた。でも。
「と……取れない?!」
メルちゃんのダンディなパパさんが息を呑む。ポーラさんが異常状態に気付き、ポーラさんも駆け付けて来て、手を掛けてくれたけれど。
――取れないらしい。
どんな状態なのか分からないけど、ベッタリと張り付いてしまったらしい。
周囲のドレスメーカー関係者たちがザワザワし始めた。急に不安がつのって来る。
――わたし、一体、どういう事になってるの?!
メルちゃんが真っ青になって、口をアングリさせた。
「フィリス叔母さん、呼んで来る! フィリス叔母さーん!」
*****
フィリス先生は、メルちゃんに連れられて、すぐにやって来た。ラミアさんやチェルシーさんも傍に居て聞き付けたのか、後から走って付いて来ている。
わたしの方を見るなり、新しくやって来た3人のウルフ族女性は、これ以上ないと言う程の驚愕の表情になった。次に、異口同音に叫んだ。
「……『炭酸スイカ』?!」
――はい?!
フィリス先生は、ポーラさんから手早く事情を聞き取ると、元凶である金髪イヌ族のプータローにしてトラブルメーカー『火のチャンス』を、物凄い目で見据えた。
そのチャンスさんは、メルちゃんのパパさんとドレスメーカー関係者の男性たちに、身動きできないようにガッチリと身柄拘束されている所だ。
「これが、どういう事なのか、説明してもらおうかしら?!」
*****
チャンスさんの説明は――
100回以上も挿入された『あわわ』という意味不明な修飾語を除けば、以下のような物だった。
この真っ赤なヘッドドレス似の魔法の商品は、盛り場のランジェリー・ダンスの店『ミラクル☆ハート☆ラブ』で、最近、出て来た新商品だと言う。
レオ帝都で不要になった在庫処分品が元になっていて、誰でも、無料(タダ)で、もらえる。
『髪の毛を輝くような金髪に変える』『女の頭部にハメた状態で魔法署名エーテルを流せば、媚薬や惚れ薬と同等の効果があり、
しかも魔法署名の主にベタ惚れになる』と言う触れ込みの品だ。
実際は、マダラに蛍光黄色に変える代物だったし、エーテルを流しても、媚薬や惚れ薬としての効果は無かった訳だけど。
チャンスさん、いわく。
無料(タダ)でもらえるとあって、女と見れば見境の無い、スケベ野郎なレオ族、クマ族、イヌ族、ネコ族、ウサギ族……多くの種族の男たちが、大量にもらって行ったそうだ。
現在、『茜離宮』城下町の盛り場エリアの全てで、この真っ赤な装飾品が溢れ返っていると言う。毒々しいまでの赤さだし、色合いが下品だから、
大多数の女性にとっては、お気に召さないシロモノだと思うけど。
噂のランジェリー・ダンスの店『ミラクル☆ハート☆ラブ』の中は、暗くなっているそうなんだよね。
いかがわしさの演出のために色を選び、更に光量も絞られている状態だと言う。お店の中では、それなりに金髪に見えたのかも知れない。
チェルシーさんが、いつも手持ちのハンドバッグに入れて持ち歩いているらしい手鏡を取り出し、わたしに貸してくれた。
――成る程。まさに『炭酸スイカ』だ。
わたしの髪は、先程のメルちゃんより悲惨な事になっていた――不気味な蛍光黄色と蛍光紫の組み合わせ。
そのうえに、極彩色の毒々しいまでの真っ赤な『花房』付きのヘッドドレスをしている物だから、
ますます『炭酸スイカ』から化けて出て来た『何か』みたいに見える。
ラミアさんが、驚きと感心を交互に繰り返しながらも、わたしの頭部に張り付いたカチューシャ型ヘッドドレスを観察し始めた。
「確か、レオ帝都では、毛髪の色を本当に金髪に変える魔法道具があると聞いた事があるわ。
ほら、レオ帝都では貴種が尊重されているでしょう、金髪混ざりだと色々有利でね。
叩けば埃の出る極道商人たちが、御用達の商人なんかと商談を有利に進めたりするために、ハーレム備品として購入するって噂を聞いた事があるわ。
金髪混ざりのハーレム妻が居ると、色々と違うそうなのよ」
――さすが、アンティークを含む宝飾品のプロ。詳しい。
ラミアさんは、顔をしかめた。
「でも、こちらは、間違いなく粗悪品ね。だから処分対象品だったんだわ」
――チャンスさんって、本当に毎回、変な物を入手して来るなあ。
フィリス先生は、わたしの頭部に張り付いたヘッドドレスを検分し、怪しいエーテル成分を全て抜き取ってくれた。
更に念を入れて、魔法要素を鎮静化する『ルーリエ水』の膜で覆ってくれた。水で出来た膜が完全に蒸発してしまうまでの、一時的な間だけの事だけど、
こうすると、万が一の、最悪の事態を防げるからね。
――うん、わたしにしても、チャンスさんに強制的に『ベタ惚れ』にさせられるのは、さすがにイヤだ。
好きになる人は自分で決めたいし……わたしが好きなのは、クレドさんだと思うし。
真っ赤な装飾品に対して、一切の魔法干渉が出来なくなるように、エーテル遮断と魔法プロセス妨害に必要な措置を、慎重に、万全に済ませた後。
フィリス先生は、念入りにチャンスさんをとっちめた。雷光をまとった、強化版ハリセンで。
チャンスさんは感電にやられて、『痺れるぜ~』と言いながら、ビリビリと震えている。
ワルっぽいファッショナブルな髪型はスッカリ崩れていて、タイストさんみたいなボワッと広がった不思議な髪型になっているところだ。
タップリ静電気を含んだ髪は、ブラッシングの度にますます髪型が崩れると言うから、チャンスさん、これから当分の間は髪型が決まらなくて大変だろう。
わたしの頭部に張り付いたヘッドドレス似の魔法のアクセサリーは、更なる難問と化した。
どういう事なのかは知れないけど、『ウルフ耳付きヘッドリボン(黒)』を挟み込みつつ貫いて、
頭部の『呪いの拘束バンド』にベッタリと張り付いたばかりか、一体化してしまったんだよ。
つまり、『呪いの拘束バンド』を外せない限りは、このヘッドドレス似の、毒々しいまでに真っ赤なシロモノは、絶対に取り外せない。
取り外せない限り、不気味な蛍光黄色と蛍光紫のマダラになった髪の色も、元に戻らない。
――そんな、アホな事があって良いのだろうか。うそだぁ。不公平だぁ。
騒ぎに気が付いて、中級魔法使いの老夫婦も顔を見せてくれたけど、老夫婦にも手に負えない代物だと言う。
そりゃ、そうだよね。『呪いの拘束バンド』にしてからが、上級魔法使い治療師なディーター先生でさえ、手こずる難物だ。
フィリス先生は早速、ディーター先生に『魔法の杖』で連絡を取った――取ろうとした。
「あら? ――『魔法の杖』が不通だわ」
――ほぇ?
見ると、フィリス先生の『魔法の杖』の先端にある白い光は、点滅を繰り返すままだ。先方の『魔法の杖』との間に通信リンクが確立したら、
金色をまとった安定した光になるそうなんだけど。
点滅を繰り返し――やがて、パパッと痙攣するかのように瞬いた後、光が消える。
チェルシーさんとラミアさんも試し始めた。確かに、通信リンクが確立しないみたい。奇妙だ。
やがて、中級魔法使いの老夫婦が真っ青になり、激しく息を呑んだ。
「これは……大容量のエーテルの乱れが……モンスター襲撃の前触れだわ!」
「人工の《魔王起点》が、近くに出来ているんじゃ! 何処からモンスターが出現するのか、突き止めないと……!」
――何ですと?! こんなタイミングで?!
*****(3)モンスター襲撃の夕べ(前)
――『魔法の杖』による直通通信のためのリンク機能が、完全に全滅している。
通常の通話はおろか、《緊急アラート魔法》さえも、正常に発動しない――
普通は、深刻なレベルの通信異常が出る前に、気付く。
極めて特徴的な異常状態が、徐々に広がる――という感じになるから、不意打ちで、いきなり通信リンクが全滅するというケースは、極めて珍しいそうだ。
そこまで影響をもたらすような強大なモンスターは、得てして、図体がデカイからだ。
もう既に、何処かで誰かが、大型モンスターに遭遇して悲鳴を上げていても、良い頃なのだ。
それなのに――目下、嵐の前の静けさと言うべき、穏やかな晩(おそ)い昼下がりだ。
陽光には、オレンジ色の光が混ざり始めている。
フィリス先生が早速、《風魔法》による『魔性探知』を、一帯に及ぼした。
「ダメだわ。モンスターが居るにしても、極めて精密にコントロールされているみたい。
誰かが、隠蔽魔法を併用して、禁術『モンスター召喚』を発動しているのかも知れない。
わずかに反響の強弱は感じられるけど、《魔王起点》が、こちらの分析レベルに引っ掛からないのよ」
中級魔法使いの老夫婦の顔色は悪い。悪くなりながらも、モンスターの出現ポイント《魔王起点》を突き止める重要性について、わたしに解説してくれた。
――強大なモンスターが次々に沸いて来るポイント《魔王起点》を突き止めて、物理的音響による『位置情報データを添付した緊急アラート』を発しなければならない。
物理的音響を編集した緊急アラートの方は、日常レベルの《風魔法》で起動できるにしても……
強大なモンスターが次々に沸いて来るようだと、遂に、最も恐るべき超大型モンスター『魔王』や『大魔王』が出現しかねない。
だから《魔王起点》と言う。
その《魔王起点》の位置情報が分からないのでは、どうしようも無い。
その《魔王起点》に向かって、『魔除けの魔法陣』を展開する必要があるためだ――
記憶喪失でチンプンカンプンな状態という、わたしに対して、わざわざ解説を有難うございます。
今の状況が、どれだけピンチなのか、分かってきたような気がするよ。
再び、フィリス先生の《風魔法》――《魔性探知》が発動した。
集中して魔法感覚で眺めていると、微弱な白いエーテルの波紋が四方八方に散って行くのが分かる。
それが周囲のエーテルの乱れとぶつかったのだろう、パターンが微妙に変化した波紋が返って来るのも、見える。
――確かに、あんな微妙な変化じゃ、モンスターによる異常なのか、通常の生物活動による反応なのか、分からないよね。
中級魔法使いの老夫婦も、フィリス先生とタイミングを合わせて、《風魔法》を発動し始めた。
ポーラさんやメルちゃん、チェルシーさん、ラミアさん他といった人たちは、息を込めて見守っている。
同じ《風魔法》とは言っても、人によって微妙に色合いが違うようだ。《風霊相》生まれのフィリス先生が発動するエーテル光の色は、純白のそれ。
老夫婦の発動する《風魔法》は、一方が微妙に黒い色を帯びていて、一方は赤い色を帯びている。
――んんん? 黒に赤?
「あの、お2人は、《地霊相》と《火霊相》なんですか?」
中級魔法使いの老夫婦が、ビックリしたように振り返って来た。
「ええ、夫が《地霊相》で私が《火霊相》よ。良く分かるのね、ルーリー」
な、成る程。こんな時だけど、四大《霊相》と、四大エーテル魔法の、得意・不得意の関係が分かったような気がする。
わたしは更に目を凝らした。そうした方が、魔法感覚が、より絞れそうな気がして。
タイミングを合わせた黒と赤と白のエーテル波紋が、上空を渡って行く。
やがて、ポツポツと少しずつパターン変化した波紋――エーテル反応が返って来る。
「アッ……?!」
わたしは思わず、声を上げていた。
ひとつの方角から、黒と赤と白の絡まったモヤ、といった風の、明らかに異様な波紋が返って来ている。余りにも薄すぎて、現実感、無いくらいだけど。
「ルーリー?」
フィリス先生がビックリして振り返って来ている。わたしは、モヤの見えた方角の空を指差した。
「あの方角に、妙な形の……モヤっぽい、波紋が」
中級魔法使いの老夫婦が、鋭くわたしの方を見た。
「あの方角は、さっき、レンガ焼きの職人が『怪異現象が続いている』と訴えて来た方角じゃよ……!」
フィリス先生は暫し動揺していたけれど、理解と決断は早かった。
「多分、ルーリーの目じゃないと――色彩感覚じゃないと、分からないくらいの変化なのね。私には全く分からなかったわ。先生がた、如何です?」
「ああ、私たちにも分からない。私たちの魔法感覚では、《魔王起点》を絞り込めないだろう」
フィリス先生は素早く頷くと、わたしに語り掛けて来た。
「事は一刻を争うわ。私と一緒に来て頂戴。あの方角に《ハイレベル魔性探知》を掛けるから、次に反応が強く来たポイントで教えて欲しいの。
他にも何か不思議な物が見えたら、その都度ね」
――分かりました。
中級魔法使いの老夫婦は、すぐにでも『魔除けの護符セット』を起動できるよう、スタンバイしていると言う。
『魔除けの護符セット』は城下町全体で連動するようになっていて、ひとつが起動すれば、他も共鳴して、同じように起動するとか。
フィリス先生とわたしは駆け出した。モヤの見えた方角へと――ストリートの外れへと。
時間を稼ぐため、フィリス先生は次の街角で赤銅(あかがね)色の『狼体』になった。『背中に乗って、シッカリしがみつきなさい』と指示されたので、その通りにする。
――わぁお! 狼の足の速さ、ハンパじゃ無い!
だけど、地面からは余り高くないので、冷静に目を開けていられる。スピードの方は大丈夫みたい。
フィリス先生が一定周期で《ハイレベル魔性探知》を発動している。返って来る反応――反射エーテル波紋が到着するまでの時間間隔が、みるみるうちに縮んで行った。
『良い兆候ね。《魔王起点》に接近しているって事よ』
程なくして、ストリートの外れにあると聞いた、素朴なレンガ焼き小屋が見えて来た。古代さながらの本物の煙突を備えた作業小屋で、
傍に、燃料として切り出して来たのであろう薪の山が幾つか並んでいる。
そのすぐ向こう側は、密度の高い樹林だ。日陰に強いヤブが、鬱蒼と茂っている。
フィリス先生は背中からわたしを降ろして、『人体』に戻った。再び《ハイレベル魔性探知》を発動する。
――んんん?! 反射波が、あっちこっちにバラけてる?!
「散乱が強すぎるわね。隠蔽の魔法が掛かってるのかしら。かなり面倒だわ」
フィリス先生は慎重に『魔法の杖』の角度を変えて探知を始めた。指向性の強いエーテル波紋が波打っている。
隠蔽は、魔法の防壁のようになっているらしい。反射だけで探り切れるかなあ?
「距離は分かるんですか?」
「向こうに見えるスカスカなスペースの場くらいね。行ってみましょうか」
――あのオオカミ・オッサンも、確か、空き地の方で何か変な事があった、とか言ってたっけ。
ヤブをこぐのが、意外に大変だった。
目測する限りでは、距離はそんなに離れてないんだけど、到着するまでが大変だ。
ドレスに引っ掛かるので、スカート部分を一杯にたくし上げる。わお。手の掛かる刺繍を施された水色の薄布が、ベリベリ破れて行く。
ポーラさん、早速ドレスを台無しにしてしまってゴメンナサイ。
ゼィハァゼィハァ言いながら、ヤブをこいでいく。
背の高い樹木と背の低い樹木が互いの最適化を推し量ったみたいに、密度の高い森林となっていた。辺りは、不思議なくらいに静かな空間だ。
いっそうオレンジ色を増した夕陽の光が斜めに差し込む中――響き渡るのは、あまりにも早く過ぎ行く夏を惜しむかのような、多種類の、すだく虫の音。
随分と長い間、デコボコの大きい地形を辿り、ヤブをこいでいたように思うのだけど。
実際は一刻ほどだったかも知れない。良く分からない。
微かに、『ズシン』という異様な地響きがして、ハッと息を呑みつつ、立ち止まる。とんでもなく重量感のある地響きのように思えるけれど……
フィリス先生が、首を傾げながら振り返って来た。フィリス先生も、さっきの奇怪な地響きを感じていたんだ。でも、わたしにも、これが何なのかは分からないんだよね。
わたしの無言の回答を見て取って、フィリス先生は『困惑』のサインとして、肩をすくめて見せて来た。そして、再び2人で、足を動かした。
不健康にヒョロヒョロとした幹をした、成長不良な林が広がり出すと――
――不意に、林が途切れた。重苦しいまでにジメジメした空気が広がる。ムッとした匂い。水はけの悪い土地でも育つヤブが、行く先を阻んでいたけれど。
ヤブの先には――意外な程に広さのある、空き地が横たわっていた。
そこだけ、樹林もヤブも生えていない。いきなり開けた空間となっているだけに、奇妙な印象を感じるスペースだ。
黒々とした汚泥だけで出来たような地面が、浅い椀の底みたいに凹んでいる。
空き地の正体は、枯れ池だった。
雨が降る度に周囲の水がこの空き地の中心の低い部分に溜まるために、樹木が生えにくくなっているのだ。
凹んだ部分には分厚く腐葉土だの汚泥だのが重なっているらしく、特有のムッとする匂いが、とても濃くなっているのが分かる。
わたしは目を細め、キョロキョロした。咄嗟にフィリス先生の灰色ローブの袖をつかみ、引き留める。
――ただならぬ違和感がある。ゾクゾクとするような。
見える筈の物が見えない――
フィリス先生は、わたしの無言の引き留めにハッとした様子だった。
でも、わたしの尻尾が物凄い勢いで警戒しているのを見て取ったようで、何も言わない。
雲が流れ、陽光が少し揺らめく。
――四色のエーテルの光。
地面の四つのポイントから伸びる、四本の細い垂直線の筋。そこだ!
わたしはバッと飛び出した。垂直の細い光が出ている四つのポイントを忘れたら大変だ、と思ったのだ。
死に物狂いで空き地を一周する。一周しがてら、発光ポイントに落ちていた『何の変哲もない』小片を拾い上げた。
「ルーリー!」
フィリス先生の仰天した声が響く。同時に、一陣のつむじ風が、白いエーテル光を伴って高速で渦巻いた。フィリス先生が《風魔法》を発動し、『風防』を合成したのだ。
――バチンッ!
枯れ池を中心に稼働していた、何らかの封印が破れたのだ。『術の破片』が四方八方に飛び散った。まるでガラスの破片のようだ。思わず身を小さくする。
鋭い破片はフィリス先生が合成した『風防』にブチ当たり、次々に空き地に降り注いだ。物が焼けたような焦げ臭さが広がる。
フィリス先生が愕然としながらも、声を掛けて来た。
「素手で《隠蔽魔法》を破るなんて、無茶な事するわね! しかも、そんな微小レベルのエーテル光線の残照効果を、『魔法の杖』抜きで識別してのけるなんて!」
その言葉が続いている間にも、フィリス先生の『魔法の杖』が軽くひるがえった。『風防』が解除されたのか、一陣のつむじ風がザッと吹く。焦げ臭い空気が四散した。
――今や、空き地の真相を隠蔽していた魔法は破れた。
フィリス先生とわたしは、同時に『ヒッ』と呻いた。
――分厚く溜まった腐葉土と汚泥を抱える窪みの真ん中に、何処かから持ち込んだのだろうT型の大型建材の残骸が突き立っている。
上の方の分枝、その先端にあるのは――
「シャンゼリン……?!」
既に命の無い、黒狼種の若い上級侍女の死体が、ぶら下がっている!
全身、無残なまでに血まみれだ。今、出来たばかりの、新鮮な死体のように見える。頭部には、何やらサークレットらしき物をしている。
腹部には、鋭く巨大な牙に貫かれたかのような、むごいまでの空洞が出来ていた。大型モンスターに襲われたのでなければ、こんな死体は出来ない!
ガサッ――向こう側のヤブが騒ぐ音。
上級侍女シャンゼリンの無残な死体を挟んで、わたしとフィリス先生は、向こう側のヤブから現れた、暗色系のフード姿の大柄な人物と対面していた。
「ウッ……!」
暗色系のフード姿の大柄な人物は、縦にも横にも大きな、ガッチリとした体格をしていた。
ボンヤリとではあるけど、惚れ惚れするような逞しさを感じる。間違いなく男だ――そして、まるで巨人だ。
フィリス先生が即座に《風刃》の構えをしたのを見て取ったらしい、フード姿の大男は、すぐにヤブの中に姿を消して行く。唖然とするほどに素早い動作だ。
ガサガサとヤブが揺れた後、すぐに白い列柱の形をしたエーテル光があふれた。
「しまった! 転移魔法……!」
わたしとフィリス先生は、その場に駆け付けた。大男が居た辺りのヤブは、不吉なほどに幅広く破壊的に開かれていて、広い通路となっている。
フード姿の大男が新たに切り開いたに違いない、新しい人工の広場が現れた。
そこかしこに、強風に引きちぎられたかのように木っ端みじんになった樹木が、乱雑に放置されている。
ザッと観察してみる限りでは、《地魔法》で作業したような痕跡では無い。《地魔法》であれば、樹木は根元から切り倒されていたり、
ザックリと大雑把に分解されたりという状態になっている筈だ。あの大男は『風使い』なのだろうか。
木っ端みじんになった樹木の残骸が放置されている人工の広場の真ん中に、転移魔法陣を描いた携帯ボードが置いてある。
大型の床パネルと同じくらいのサイズだ。
「用意が良いこと! 1回だけ有効な、使いきりタイプの魔法道具ね」
有力な証拠だ。携帯魔法陣ボードを回収する。そして――
――グワァオォォ。
地獄の底から轟くような不気味な鳴き声。
人工の広場の、やや端の辺り――大きな樹木が門番さながらに並ぶ、その下。
地面が激しく揺れながらも、四色の極彩色の、マダラなエーテル光を噴出していた。
濃密で重い、異様なまでにドロリとした色合いのエーテル光だ。この次元とは全く別の次元から来た、エーテル光。
「出たッ……!」
フィリス先生とわたしは、身を返して逃走した。
後ろから『バキバキ』と言う、大きな樹木をへし折る音が響いて来る。
――シャンゼリンを、あんな姿にした、大型モンスターだ!
全体の姿は如何にも忌まわしく、異形の怪獣そのものだ。毒々しいオレンジと紫のマダラ模様。
ずんぐりとしたダニ型の昆虫にも見える。しかも、一般民家のサイズを余裕で超えている。
頭部にある顔面からは、長々とした恐ろしい灰色の角か、牙のような物が2本、突き出している。通常の意味で言う『目』は無い。何処に目があるのかは、分からない。
暗い赤色をした、大きく開けられた口には、無数の細剣のような残忍なトゲトゲの付いた舌が、不気味にうごめいている。
あの口の中に放り込まれたら、全身を串刺しにされるのは確実だ。ブスブスと串刺しにされながらジワジワと死ぬのは、すごく痛いと思う。
大きく開かれた、恐ろしい平たい洞穴さながらの暗い喉の奥から、その巨大ダニ型モンスターの子飼いと思しきムカデ型モンスターが、
舌のトゲトゲを器用に乗り越えながら、ゾロゾロと這い出て来る。
ムカデ型モンスターは、不気味な蛍光レッドに光っている。人体サイズにも見えるけど、人体サイズよりも大きいと思う。悪夢だ。
「……《魔王起点》の座標が割れたわ! 緊急アラート……あッ、ルーリー、魔法使えないんだっけ!」
――そうだよッ!
フィリス先生は、シャンゼリンの死体の周りに透明なグレーの《防壁》を築いた。わたしも手招きされ、その領域の中に入る。
子飼いのムカデ型モンスターが、大量に殺到して来た。
蛍光レッド色をした不気味な中型モンスターは、魔法の《防壁》に穴を開けようとする。でも、対モンスター《防壁》だから、歯が立たないらしい。
フィリス先生は、やがて、眉根をきつく寄せて呻いた。額には脂汗が浮いている。
「どうしよう。一度に、ふたつの魔法を発動するのは無理よ」
――その時。
頭上で、高い樹木の枝が勢いよく揺れた。灰褐色の毛をした少年が顔を出す。
「オレが緊急アラート、やるよ!」
「やりなさい! データ・コピー!」
「うへーい」
フィリス先生は、モンスター対応の《防壁》を維持するのに集中していて、声を掛けて来た少年の正体にまでは、気が向いていない様子だ。
「登れ! オレの魔法は弱いんだ、木の上の方が障害物が少ないからさ!」
わたしはドレスの裾をまくり上げて、木登りを始めた。わお。身体が木登りを覚えてたみたい。それとも、わたし、記憶を失う前は、こういう生活してたのかな?!
早く早く――という声に急かされて必死で登り、樹木の梢に身を乗り出す。
ウルフ族の少年が、枝につかまっていた。
近付いてみると、確かに先程も見かけた灰褐色の毛の、孤児とも思える不思議な少年だ。何故か、今は隊士の紺色マントをまとっている。
泥や埃で汚れた顔をしているけれども、顔立ちは良いらしい。生気のある目の輝きは眩しいくらいだ。
「おーし、セットしたぜ。遠吠えしてくれ!」
――遠吠え?!
「オレ15歳未満のガキなんだぜ、遠吠えするには声量が足りねえんだよ!」
――そんなアホな。いや、見かけからして当然だけどさ、わたし、喉がまともに動かないんだよ!
「声が割れてるだけだろうが。16歳なんだってな、姉ちゃん。思いっきりやってくれよ、ワォーンってさ」
――喉。緊張でカラカラに乾いてる。まともに動くの、これ?
一瞬、瞬きした少年は、城下町の方を見た。そして『ゲッ』と言うような顔になった。
「モンスターの第一波と第二波が町の境界に到達したぜ、チクショウ」
少年は、わたしの方を素早く見てパッと閃いたような顔になり、身をひっこめた。別の枝で何かをしているらしく、ユサユサ、グラン、と言う揺れが伝わって来る。
やがて少年は再び、スルスルと枝を伝って接近して来た。
「いぇい!」
灰褐色の毛の少年が、わたしの目の前に、ババンと披露して来たのは――
油っぽく黒光りする恐るべきカサコソ!
不気味な薄羽ビローン! シャカシャカ動く節足!
――ど、ど、毒ゴキブリ~ッ!!
「ぎぃぇええぇぇええぇぇええええ――――ん!!」
*****(4)モンスター襲撃の夕べ(後)
程なくして。
暮れなずむ城下町の各所から、四色のエーテル光で出来たサーチライトのような光が立ち上がった。
わたしが居る高い樹木の上からは、第一波、第二波、第三波と乗り込んで行くムカデ型モンスターの群れが見える。
全身が不気味な蛍光レッドに光っているから、薄暮の中でも、遠目にも明らかだ。
それに続くのは、毒々しいオレンジと紫のマダラ模様をした、獰猛な怪獣――巨大ダニ型モンスター。
相当に距離がある筈なのに、大型モンスターの不気味すぎる雄たけびは、すぐ傍に居るかのようにドロドロと轟いて来た。
――間に合った? 間に合わなかった?
そんな事を思いながらも、わたしは、身動き不能の状態に陥っていた。
身体全身が、凍り付いたみたいに動かない。梢にヒシッとしがみついたまま、指一本たりとも動かせない。
涙と鼻水と脂汗が、ダラダラと出て来る。夕風が冷える。
少年が、灰褐色のウルフ耳とウルフ尾をピコピコ動かしながら、声を掛けて来る。まさに、『ホトホト呆れた』――と言った調子で。
「あれは毒ゴキに似てるけど、全く別の無害なヤツだぜ。動けねえのかよ。重度の恐怖症じゃあるまいし」
――何でだか、分からないけどッ! その恐怖症だよッ!
今、正気に返ってみれば!
此処、高い所だし! 毒ゴキブリが居るし!
ダブル恐怖だよ――!
ズガーン!
樹木の遥か下、地上で何やら大音響が轟いた。ひえぇ。魔法の攻撃?!
少年は、下方をのぞくや否や、目を大きく見張った。
次の瞬間、地上で巨大ダニ型モンスターの恐るべき雄たけびが噴き上がり、恐るべき重量感のある何かが、勢いよくバウンドして転がったと思しき震動が続いた。
――揺れるぅ! 落ちるぅ! 目が回るぅ!
灰褐色の毛の少年は、黒狼種ならではの黒い目を一層きらめかせ、痛快と言った様子でピョンピョン飛び跳ねた。
「すげぇ! 親衛隊士、強ぇ! 大型モンスター、一撃必殺で仕留めたぜ!」
――親衛隊士?
「あの魔法使いの赤毛の姉ちゃん、モンスターのエサになるところを命拾いしたぜ。
ディーターとか言うオッサンの出動、間に合って良かったな。……っと、へッ、あの斥候の親衛隊士、こっち見えてたりすんのかよ」
灰褐色の毛の少年は、急にオタオタし始めた。
「今、捕まるとヤバいんだよ」
――とか呟きながら、少年は、アッと言う間に『狼体』へと変身する。
『ムカデ型モンスターが1匹近づいているけど、さっきのド迫力な遠吠えで追い払えよ~。じゃあな、ルーリー姉ちゃん、頑張って生きろよ~』
灰褐色の子狼は尻尾を一振りした。
周りのエーテルのモヤの中に溶け込んだ『魔法の杖』を振ったらしい。
モヤの一部がキラッと白く瞬くや否や、少年は魔法の風を起こして別の樹木の梢へと飛び移った。
驚くべき身軽さで、梢から梢へと大ジャンプを繰り返し、あっと言う間に姿をくらましてしまった。
――ムカデ型モンスターが接近してるってのに、ひとりにしないでぇ~!!
その時は、すぐに来た。ムカデ型モンスターの移動スピード、速すぎるよ!
不気味な蛍光レッドに彩られた、人体よりも微妙に大きなサイズの多足モンスターが、目の前に――
隣の樹木の――梢に、ガシャという爪音を立てながら姿を現した。硬い装甲に覆われた蛍光レッドの長々した胴体が、ギクシャクと不気味な形に曲がる。
――飛ぶ? 飛びます?! 飛んで来る?!
ムカデ型モンスターのミラーボールのような複眼が、ギラッと光った。『エサ認定』された!
蛍光レッドに光る長い物体が、こちらに向かって跳ね踊った――
――瞬間、下方から数多の三日月形の《風刃》が舞い散った。
数多の白い《風刃》は、ムカデ型モンスターをバラバラに切断した。余りにも、あっさりと。蛍光レッドの色をした体液が四散する。
「ルーリー? 生きてるんですか?」
いっそう深くなる薄暮の中、不意に響いて来たのは――あの人の、滑らかな低い声。でも、動けない。
枝の揺れが暫し続き、紺色マントが視界に入った。
次いで、黒い手甲を装着している大きな右手が伸びて来た。呼吸の有無を確かめるためか、口元にかざされて来る。
「動けないんですか?」
訝しそうに続いた質問の後、呆れたような溜息が続いた。納得したみたい。
――自分で高い所に登っておいて、降りられなくなったという、おバカな状況なんだよね。まさに今、『高所トラウマ絶賛☆発動中』って事。
「私はその細い梢には移れないんですよ、理由はお分かりでしょうね」
次の一瞬――白刃が目にも留まらぬ速さで閃いた。ぎゃあ?!
わたしは、しがみついている梢ごと樹木から切って落とされ――切り枝をヒシッと抱きしめたまま、クレドさんの腕の中に収まったのだった。
*****
「お化粧がマダラに落ちて、物凄い顔してるわよ、ルーリー」
クレドさんに抱えられて地上に戻った――もとい切り枝を抱き締めつつ生還した――わたしに、フィリス先生が更に凹むような事を言って来た。
――此処は、あの零細職人のレンガ焼きのオッサンの作業小屋。
幸いな事に汚染されていない水場――湧水が傍にあって、わたしは、そこで顔を拭く事が出来た。
切り枝にしがみついたまま固まっている状態だったので、クレドさんに抱えられつつ、フィリス先生に顔を拭かれる形になったけれども。
その、当然な結果として。元々、涙と鼻水と脂汗で『凄い顔』になっていたのが、更にお化粧が落ちて『物凄い顔』になったと言う訳。
――凹む。凹みます。凹みまくる!
《魔王起点》に最も近い場所にあるレンガ焼きの作業小屋。
この清浄な水場を兼ねた拠点は、目下、前線基地になっている。
小屋の周りにたかって来た蛍光レッド色のムカデ型モンスターは、中型モンスター対応の《魔物シールド》によって、接近を阻まれている状態。
そして、緊急アラートを受けて『茜離宮』から出張って来た選りすぐりの紺色マントの上級・中級隊士たちが、前線基地から最前線へと出撃している。
灰色ローブをまとう上級・中級魔法使いたちと共に、最前線で、巨大ダニ型モンスターの群れを討伐しているのだ。
フィリス先生が、手早く現在状況を解説してくれた。
此処での彼らの任務は、モンスターの活動エネルギー源《魔王起点》の破壊だ。
この《魔王起点》は、人工の物で、禁術『モンスター召喚魔法陣』によって構成されている。
無尽蔵に沸いて来る大型モンスターと中型モンスターの群れを突破し、これを破壊しなければならない。高難度レベルのクエストだ。
ちなみに、天然の《魔王起点》と人工の《魔王起点》がある。
天然の《魔王起点》の場合は、人工の物と違って、気まぐれに開いては閉じる。火山噴火のような物だ。
無制限かつ永遠に拡大するというような深刻な現象は報告された事は無いし、火山噴火と同様に活動が収束するので、ほぼ放置状態だ。
天然の《魔王起点》が開きやすいエリアは魔物の棲息地であり、居住に適さない『魔境』とされている。
こうした天然の魔境は、修行中の剣客や冒険者ギルドにとっては、武者修行やモンスター狩りの名所なんだそうだ
(なお、竜人は、山全体が魔境である『魔の山』に、竜王都を造成してのけた。これは驚くべき偉業だ)。
敢えて魔境の近くに集落を作り、モンスター狩りで生計を立てる命知らずの勇者たちも居る。ほとんどが、一攫千金を狙う、ならず者。
モンスター狩りは危険が大きいけれど、その分、収入も大きい。
人工の《魔王起点》は、モンスター側にしてみれば、天然の物とは違って無限大に拡大する無尽蔵のエネルギー源であり、
近い将来、万歳三唱して『魔王』や『大魔王』を迎える都となるポイントだ。
その栄光のポイントを守っているモンスター側の抵抗は激しい。
*****
フィリス先生の解説が一段落し、わたしは改めて、周囲をそっと見回した。
城下町の各所の『魔除けの護符セット』から発生した《四大》エーテル光の多数のサーチライトは、上空で合体して、《四大》エーテル球体に変化している。
――まるで、四色のパターンで彩られた大きな風船が浮かんでいるようだ。
一定以上の球体サイズになった『魔除けの風船』は、ひとつずつ、次々に《魔王起点》へと向かってプカプカと移動を始める。
次から次へと《魔王起点》に向かって送り込まれた数多の《四大》エーテル球体は、順序良く《魔王起点》の真上に到達するや、
ひとつずつ順番に下方に急加速して威力を増し、四色を伴う空爆さながらに《魔王起点》を爆撃し続けていた。
――《退魔ミサイル》攻撃だ。
多種類の『魔除けの魔法陣』で構成された『魔除けの護符セット』は、セットされた座標に向かって《退魔ミサイル》を発射して攻撃する機能がある。
これで、《魔王起点》の拡大を抑え込むのだ。
すなわち援護射撃であり、魔物に対する綿密な嫌がらせ攻撃でもある。これがあると、《魔王起点》の拡大がストップするため、
モンスター駆除や《魔王起点》の破壊作業に、メドが立って来ると言う――
現場から距離のあるレンガ焼きの小屋からも、その《四大》攻撃魔法――《退魔ミサイル》による、まばゆい四色のフラッシュが見える。
大きな轟音も響いて来ているそうだけど、わたしの魔法感覚は、音声方面では機能してないんだよね。
聞こえて来るのは、物理的な聴覚でも分かる、大型モンスターの足音(というよりも地面の震動)と、不気味な鳴き声だけ。
城下町に侵入したモンスターの大群――第一波、第二波、第三波……と続く群れの方は、同じく『茜離宮』から出張って来た、
上級・中級レベルの隊士たちと魔法使いたちで構成される多数の小分隊が、対応中。
クレドさんの説明によれば、友好協力と言う事で、レオ族の戦闘隊士も城下町に出張って来ているそうだ。
あのレオ王ハーレムに属する水妻ベルディナが、『茜離宮』に直結するルートごとに《水の盾》を形成してくれているので、
宮殿へのモンスター侵入は無く、負傷者たちの、治療院への搬送もスムーズとの事。
そして、レオ族の戦闘隊士たちが、『ちょっとした運動(レオ族の側の発言)』を兼ねて、城下町に侵入して来た大型モンスターを、バッタバッタと倒しているという。
*****
――《魔王起点》破壊プロジェクトの最前線から、ディーター先生が戻って来た。
あれ? まだ作戦、続行中ですよね?
レンガ焼きの作業小屋の周囲には《魔物シールド》が展開されていて、要所、要所に、警備担当の必要最小限の隊士が揃っているんだけど。
目下、不気味な蛍光レッドに光るムカデ型モンスターの大群が取り巻いていて、ガジガジと噛み付いて《魔物シールド》に穴を開けようとしているんだよ。
見るからにゾワゾワと総毛立つ光景だ。
ディーター先生は『魔法の杖』をサッと一振りした。
魔法の衝撃波が、ディーター先生に襲い掛かった多数のムカデ型モンスターを、弾き飛ばす。
再びムカデ型モンスターが殺到して来る前に、ディーター先生は《魔物シールド》に隙間を作り、手際よくシールド内部に入って来た。
さすが上級魔法使いの実力。
ディーター先生は肩をコキコキ鳴らしながら、レンガ焼きの小屋の前のベンチに、腰を下ろした。フィリス先生が水場から水を汲んで来て、ディーター先生に手渡す。
ホッとしたように息をついて、ディーター先生は水を一服した。
何でもない様子ではあるんだけど、金茶色をしたウルフ耳とウルフ尾の先端の焼け焦げや、灰色ローブ全体に広がったモンスターの血痕が、最前線の戦闘の激しさを物語っている。
――最前線の方は、大丈夫なんですか?
ディーター先生は水を飲みながらも、わたしの顔と尻尾の動きに注意していたみたいで、すぐに回答が返って来た。
「中級隊士や中級魔法使いの経験度を上げなきゃならんからな。災厄と言えば災厄だが、新人の上級隊士や上級魔法使いにとっても、訓練と実戦との違いを知る貴重な機会だ。
ザッカー殿は優れた猛将タイプの指揮官だし、『モンスター召喚魔法陣』の破壊そのものは、モンスターの群れさえ何とか出来れば、難しい仕事と言う訳じゃ無い」
――成る程。
或る程度、戦況がコントロール可能なレベルになって来たので、経験度の足りない新人たちにお任せして来たんですね。
で、ザッカーさんが猛将として活躍してるんですね。時間は掛かっても、大丈夫そうな気がする。
一般知識を含む続きの説明は、疲れているディーター先生に代わって、クレドさんが引き受けてくれた。
わたしは記憶喪失なせいで、何もかもチンプンカンプンだから、ご迷惑おかけします。
――モンスター襲撃エリアは、自動的に戒厳令下となる。
城下町の方でも、全てのモンスターをシッカリとした本物の死骸に変えるまでは、普通の住民たちは、自由に動けないのだ。
いずれにせよ、わたしたちの場合は、このレンガ焼きの作業小屋で、スリル&ホラー満載の一晩を明かす事になるのは確実だ。
城下町の人々も玉ねぎ屋根のある避難所に集まっていて、モンスター襲撃が終了するまでは、避難所から出ない事になっている。
この状況下で、広範囲で行動できるのは、『モンスター狩り』資格を持つベテランの隊士、
および魔法使いたちと、特に『斥候&伝令』資格を持つ《風霊相》生まれの隊士たちのみだ。
この『斥候&伝令』資格を持つ《風霊相》生まれの訓練済みの隊士は、『狼体』と《風魔法》の組み合わせで空を飛ぶ事が出来るので、
魔法による通信リンクが断絶した状況において、特に物理的な伝令として動く。
情報は戦況を決定する要素であり、《風霊相》生まれの隊士は、皆『斥候&伝令』としての訓練を受けている。
一方で、避難所では、避難所に侵入して来ようとする、子飼いのムカデ型モンスターへの応戦――自衛が求められている。
えてして多足タイプの、毒ゴキブリ類をはじめとする小型モンスターや、今回のムカデ類のような中型モンスターは、意外に《魔物シールド》を突破する能力が高いのだ。
視力の無い大型モンスターに代わって、目となり手先となり、先陣を務める。
逆に言えば、通常、子飼いとなっている小型モンスターや中型モンスターを撃退できれば、大型モンスターにやられるリスクは、それだけ低下する。
玉ねぎ屋根の避難所を管理するのが、中級魔法使い以上のスキル持ちに限られているのも、それが理由。
玉ねぎ屋根にグルリと設置されている『対モンスター増強型ボウガン』も、本来の使われ方でもって、フル稼働している筈だ。
――ジリアンさん、せっかくの結婚式の夜が、あの気持ち悪いムカデ型モンスターとの戦いの夜になってしまって、
散々だろう。中級魔法使いの老夫婦が近くに居るから大丈夫だろうけど……大丈夫かな。
クレドさんの説明が終わって、そんな事を考えていると――
わたしを片腕抱っこしているクレドさんが、急に右腕を振った。
クレドさんの『警棒』から、数セットの《風刃》が、ボウガンの矢さながらに猛然と飛び出した。
白い三日月形をした刃が、《魔物シールド》を食い破って内側に半身をねじ込んで来たムカデ型モンスターを弾き飛ばし、更にとどめを刺す。
――し、心臓に悪い……ああやって弾き飛ばせば、《魔物シールド》は自動修復するそうだけど。
ディーター先生とフィリス先生は、別の質疑応答を続けていたけれど、やがて、一区切りついたらしい。
ベンチに座ったまま、思案深げな様子で水を飲み終えたディーター先生が、おもむろに、「さて」と声を掛けて来た。
「その切り枝を抱いたままで良いから、幾つか質問に答えてくれ、ルーリー」
ディーター先生の質問は、2つに絞られていた。
今までに遭遇していた内容は、ほぼ、フィリス先生が説明していたんだろう。
ディーター先生の傍にある丸木造りのピクニック・テーブルには、夜間照明が灯っている。
その傍に、メルちゃんから取り外していたヘッドドレス似の真っ赤な魔法道具と、現場で《隠蔽魔法》に使われていた4つの小片と、
フード姿の大男が残して行った携帯魔法陣ボードが、置かれていた。
――ひとつ。木の上で、謎の少年と逢って、何か話したのか。
――ふたつ。緊急アラートを運んだ遠吠えの副音声が、『毒ゴキブリ』となっていたが、何があったのか。
わたしは身悶えする程の恥ずかしさに耐えながらも、木の上で何があったのかを、順番に説明したのだった。
『毒ゴキブリ』の名称はどうしても言えなくて、全身の毛を逆立てる事でしか表現できなかったけど、その部分は、すぐ理解してもらえた。
木の上で遭遇した出来事の説明が、一段落したところで。
クレドさんが、ポツリと呟いた。
「頭の良い少年みたいですね」
ディーター先生が「あぁ」と同意して頷き、腕組みをしつつ、鋭く目を光らせた。
「こやつは、何としてでも『口が利ける状態で』身柄確保しなきゃいかん。さっき私が拘束魔法陣を仕掛けたんだが、驚くほど高度な《隠蔽魔法》で姿をくらましてのけた。
それに、我々がまだ気付き得なかった、ルーリーの毒ゴキブリに対する『過剰驚鳴』症候群を承知していた事と言い、聞きたい事が山ほどある」
わたしは勿論、『毒ゴキブリ』という単語を耳にした瞬間、ピシッと固まっていた。
この反応、自分でコントロール出来ないんだよね。
高所トラウマの原因は分かってるんだけど、あの『黒いアレ』のトラウマの原因は全く分からないし、思い出せない。
しばらくの間、ディーター先生は腕組みをしたまま、眉根を寄せて思案し続けていた。そして、次第に、ディーター先生の顔には、困惑の表情が浮かんで来たのだった。
「フィリス、『過剰驚鳴』症候群に関する医学論文を幾つか出してくれ。特に、『闇ギルド』と『奴隷』キーワードが出ているヤツを。
何か書いてあったような気がするんだ」
フィリス先生が半透明のプレートを取り出し、『魔法の杖』で素早く操作した。
あの半透明のプレート、大量の情報を詰め込む事が出来るみたいだ。すごい。
ディーター先生はフィリス先生から半透明のプレートを受け取ると、いっそう難しい顔になって目を通し始めた。眉根の間には、深いシワが寄っている。
「やはりな。毒ゴキブリに対する『過剰驚鳴』症候群は、自然な条件下で成立する症状では無い。
闇ギルドの奴隷商人が、非合法な戦闘奴隷――特にバーサーク化させやすい『闘獣』の類を仕込む時に、
そういう症状が出るための理想的な条件が、成立する」
――ほぇ?!
「だいたい『闘獣』というのは、本来は知能の高い獣人だからな、扱いにくいんだ。
肉体ひとつで大型モンスターに立ち向かう――決死隊として、或いは撒き餌や囮として。
普通の判断能力があったら、我が身をモンスターのエサに差し出すような自殺行為は、絶対にやらん」
不気味な説明は、続いた。
半透明のプレートに表示された複数の資料を更に読み込んだ後、ディーター先生の顔には、憂慮と困惑が広がって行ったのだった。
「だが、前もって、毒ゴキブリに対する過剰な恐怖およびパニック反応を、幼体のうちから仕込んでおけば、
毒ゴキブリ1匹で、そのような非常識な行動を容易にけしかける事が出来る――バーサーク化の魔法にも掛かりやすくなる。
更に《魔王》狩りを想定して特に仕込みやすい年齢層と言うのがあって、それは獣人共通で、4歳から7歳の間に集中している。
当然、人攫いに遭いやすい年齢層でもある」
――説明が途切れた。暫しの間、沈黙が続く。
やがて、ディーター先生は、戸惑いと憐みのこもった深い眼差しを、ゆっくりとわたしに向けて来た。
「ルーリーが全面的な記憶喪失になったのは、或る意味、僥倖だったのかも知れんな。過去に何があったのかは知れんが、
嬢ちゃんは年端も行かぬ頃から、地獄を見て来た筈だ。もしかしたら、此処に来る直前のタイミングでも、な」
わたしは、ポカンとして耳を傾けるのみだった。
フィリス先生もクレドさんも、驚愕の余り無言になっているみたい。
モンスター襲撃に伴う大音響のみが続く、騒々しいまでの静寂の中で、ディーター先生の言葉は続いた。
「グイード殿の捜査記録――『台車を動かしてマーロウ殿のボウガン矢を止めた』という付記を見た時は、偶然かとも思ったが。
毒入りの紅茶を毒見して弾いた時も、ヴァイロス殿下もクレド隊士も一瞬ついて行けなかった程の高速だったそうだな。
非合法な戦闘奴隷の中でも最も死亡率の高い、大型・超大型モンスター対応の『闘獣』として、
なお数年間も生き延びたと言う実績があったのなら、その戦士なみのスピード反応も、説明が付く」
――わたしは、本当に闇ギルド出身で、しかも非合法な戦闘奴隷『闘獣』だった?
一瞬の本当の沈黙の後、再び、《魔王起点》の近くから、凄まじい戦闘音が轟いた。
数体ほどの大型モンスターが次々に薙ぎ倒されたのか、地面が数回、大きく震動する。
ディーター先生は大きく息をつくと、顔を引き締めた。『仕事の顔』だ。
「ルーリーは、非常に興味深い存在だ。レオ帝都の周辺、それも高位ハーレムの未婚妻にしか見られぬ、『花巻』風ヘアスタイルの痕跡。
『正字』スキルや各種の行儀作法の熟練度。それらとは全く相容れぬ『闘獣』独特の反応。今、装着している拘束具。
これだけの、複数の、相矛盾する要素を抱えている。何としても、このミステリーを解き明かさんとな」
ディーター先生は、そのまま、わたしをしげしげと眺めた後、不意に目をパチクリさせた。
コミカルな仕草で、『抜かった』とばかりに、額を手でペチリと打つ。
「あぁ、まずは、その『炭酸スイカ』と化した毛髪のミステリーか。
最高級ブランド並みの逸品と、冗談のような粗悪品とが、魔法道具として一体化するなぞ……見た事も聞いた事も無いぞ。
こいつは思わぬ突破口になるかも知れんな。あの哀れなシャンゼリンの事件に一区切りついたら、
魔法部署の方で、このようなケースを扱った資料があるかどうか調べてみよう」
――た、た、確か……!!
今の、わたしの髪の毛の色って……!
不気味な蛍光黄色と蛍光紫のマダラだった~ッ!!
*****(5)謎は続く、どこまでも
猛将ザッカーさんは、素晴らしい指揮官だった。
経験不足の新人隊士たちの経験度を上げつつ、上級侍女シャンゼリンの殺害現場を保存しつつ、モンスターの群れを着実に制圧する――という三重の難問を、
見事にやってのけた。
そして、『草木も眠る闇の刻』に差し掛かった頃――
真夜中の天球を彩る闇黒星《深邪星(エレボス)》が、天頂に妖しく輝いた刻。
遂に、《魔王起点》となっていた『モンスター召喚魔法陣』が破壊された。魔法通信リンクが復活した。
形勢の逆転は明らかだった。活動エネルギー源を失ったモンスターたちは見る見るうちに弱体化し、
各所でモンスターの死骸の山が築かれて行ったのだった。
モンスターが弱体化した事で、体力温存していた下級隊士の出番になった。
今は、下級隊士たちがモンスターの群れを『千切っては投げ』、掃討している段階だ。
*****
全てが終わって。
前線基地となっていたレンガ焼きの作業小屋に、ザッカーさんとクレドさんが再び姿を見せた時の衝撃は、一生、忘れられないと思う。
大詰めのところで作戦全体が台無しになるかも知れないような危機があったそうで、クレドさんをはじめとする熟練の隊士たちが急遽、
ザッカーさんの援護に行っていて。
問題の《魔王起点》が、着実かつ完全に破壊された後――ザッカーさんとクレドさんが、他の隊士たちと共に、戻って来ていた訳なんだけど。
2人とも、モンスターの血に染まって全身、血まみれだった。他の隊士たちも、言うに及ばず。
クレドさんの方が返り血の面積は少なかったけど、地獄から湧いて来た腐乱死体(ゾンビ)じゃ無いかと思ったくらいだよ。
『闇の刻』な頃合いだし、辺りは闇に沈んでるし。ウルフ族だから夜目は利くけど、灯りと言えば夜間照明だけだから。
フィリス先生を含む中級魔法使いたちが、水中花『アーヴ』種を仕込んだ浄水を用意していて、
大型台車を洗車する時のような拡大強化バージョンの『水まきの魔法』と『洗濯魔法』でもって、隊士たちをひとまとめに水洗いした。
――『アーヴ』種を仕込んだ浄水って、こんな風に利用するんだ。モンスター毒の解毒も一緒に出来るから、便利。
水洗いが済んだ後――
ザッカーさんは疲労困憊と言った様子で、レンガ焼きの作業小屋の近くで大の字になり、ボソボソと愚痴のような物を言い出した。
クレドさんは近くの置き石に腰かけて、ザッカーさんの愚痴らしき呟きを聞く格好になっている。
――何となく、2人の関係が透けて見えるような気がする。
わたしは、たまたま近くの水場に陣取っていた。町の清掃に使うアーヴ水を作るためだ(これは魔法を使わない作業だけど、待ち時間が長いので根気が要る)。
わたしは慎重に気配を消しつつ、2人の話に耳を澄ます事にしたのだった。
「――何、言ってんだか。名門出身の純血の貴種で、斥候の――」
「私が見ても、あの状況ではザッカー殿の判断が――」
……わたしの『人類の耳』の聴力では、2人の話は、ポツポツとしか聞こえない。
「――畢竟、戦場では、一瞬の判断ミスが命取りになります。レルゲン殿は指揮官として――」
「……かよ。――戦いにあっての平常心、臨機応変の奥義って、結局、何だろうな?」
ザッカーさんの返しの質問に対して、クレドさんは一瞬、口を噤んだようだった。そして、ようやく――と言った様子で口を開いた。
「分かりません。むしろ、《無限》の領域かも知れない。究極の《アルス・マグナ》と言う」
「今は亡き老師が言っていた、アレか。《アルス・マグナ》――」
ザッカーさんは、気持ちが落ち着いて来たらしい。
大きくなったり小さくなったりしていた声音は、次第に一定の音量になって来た。わたしが聞き取れないくらいの音量に。
それに合わせてクレドさんの応答も静穏化し、会話は次第に途切れ、収束して行った。
程なくして。
体力に余裕のある隊士たちと魔法使いたちが、《魔王起点》だった場所から、
ギョッとする程の多数の死体を運んで来た。モンスターにやられたと思しき、ウルフ族の隊士たちの無残な死体だ。
死体運搬の担当となっていた生き残りの隊士たちは、大声で報告を交わしていた。わたしの聴力でも、死者の名前が聞き取れる程に。
――『上級隊士レルゲン』。その名前が、数多くの戦死者リストの報告に上がって来ていたのだった。
隊士たちが結構な声量で交わしている内容を、耳の中に詰め込んでみると。
――レルゲンと言う人、ザッカーさんのライバル的な人で、剣技武闘会でも第三位だか第四位だかを記録する戦闘力だったそうだ。
でも、一方で、貴種の名門の出身と言う事をとっても誇りにしていた――と言うか、プライドが高すぎて、細かすぎて、鼻にかけているという風だったらしい。
混血でざっくばらんなザッカーさんとは、何となく、そりが合わない関係だったみたい。
そしてこの度、レルゲンさんは、ザッカーさんより先にと、功を焦ったようなのだ。判断の乱れが――ミスが、出てしまった。
多くの戦死者を出すレベルの、もう少しで作戦無効になるような、判断ミス。
訓練では問題ないレベルなんだけど、実際の戦況が想定以上に変化していたので、結果的に『判断ミス』という形になってしまった、と言う事のようだ。
それをカバーしたのが、クレドさんの援護。
クレドさんは斥候をやっていて、斥候を担当していた他の熟練の隊士と共に対応した。
斥候は非常に独立性が高く、本隊とは別に独自判断で動くとか何とか……わたしには良く分からないけど、結構すごい事らしい。
*****
天頂に達した闇黒星《深邪星(エレボス)》が、西の空へと移動していた。夜明けが近づいて来ている。
ようやく、多数のモンスター死骸の移動に一区切りつき、シャンゼリンの殺害現場の調査が始まった。
こちらはディーター先生が主導していて、フィリス先生や他の魔法使いたちがサポートしている。
ひととおり現場の記録が済んだところで、隊士たちの手によって、建材の残骸にぶら下がっていたシャンゼリンの死体が地上に横たえられた。
わたしは、その恐るべき作業が済むまで、辛うじて残った目隠しさながらのヤブの近くでスタンバイしていた。
タイストさんの死体の時と同じように、シャンゼリンの剥き出しの死体を見ると失神する可能性があるという事で、こんな事になった。
フィリス先生と一緒に、目撃証言する事になっているのだ。
ザッカーさんは隊長という権限をフル活用し、死体を食らうモンスターの出現を警戒すると言う名目で、ディーター先生の調査に付き合っている。
――くだんの『上級隊士レルゲン』との因縁を考えてみると、レルゲンの件の後始末をするのは気が重い、という事もあるのかも知れない。
ザッカーさんは、『上級隊士レルゲン』の件の処理は、部下にお任せしているんだよね。
やがて「ルーリー、もう来て良いわよ」という、フィリス先生の声が聞こえて来た。
目の前にある地割れの群れをまたぐため、早速ドレスをたくし上げる。一歩、踏み出したところで――
急に視点が高くなった。ひえぇ?!
気が付くと、クレドさんが片腕抱っこして来ている。
そう言えばクレドさん、目撃者の保護の名目で、後ろに居たんだっけ。何だか、このパターン、定着してきた気がする……
あの空き地――枯れ池の周辺に集まっているのは、周辺警備のために配置されている隊士たちを除けば、今は総勢8名。わたしとクレドさんを入れて、全員で10人だ。
落ち着かなくて身をすくめていたけど、どうも、こういった場で未成年の女性を抱っこするのは普通の事らしい。
ザッカーさんも2人の隊士も不思議そうな顔をしていないし、ディーター先生の調査に立ち会っている同僚さんと思しき、上級・中級魔法使い3人も、
フィリス先生があらかじめ話を通してあったのか、何も言って来ない。
……変色した毛髪やらヘッドドレス似の真っ赤な魔法道具やらで、頭部が『炭酸スイカ』モドキな部分は、さすがに注目の的みたいだけど……
そして。
かの黒髪の上級侍女、黒狼種シャンゼリンの死体には保存布が掛けられていて、比較的に傷の無い頭部だけが見えている状態。
思わず、ソロリと目をやると。
夜間照明の光の中で、シャンゼリンの頭部を取り巻く長い髪は――黒髪ではありえない、まばゆい反射光を放っていた。
――金髪ッ?!
シャンゼリンの美麗な顔は――
見事な、長い金髪に彩られている。最初に見た時は、黒髪だった筈なのに。
妖しく紫を帯びた黄金……こんな色合いの金髪、珍しいんじゃ無いだろうか。
そして、やはり最初に見た時と同じように、サークレットがハマっていた。
よく見ると、古代的な雰囲気のある繊細な宝飾細工が全体に施されていて、素人目にも、由緒のありそうな貴重な品だと分かる。
わたしの仰天ぶりが、あからさまだったみたい。フィリス先生が、『魔法の杖』を光らせて発動した夜間照明を動かしながら、解説して来た。
「シャンゼリンは《変装魔法》で、髪色を黒く変えていたの。その魔法道具は、両方のウルフ耳に付いている黒い耳飾りよ。
これも闇ギルドで普通に扱っている品なの、相当に値は張るけど」
夜間照明の光が移動し、シャンゼリンの黄金色をしたウルフ耳の辺りを照らした。確かに、見覚えのある黒い耳飾りが付いている。
ちょっと首を傾けるたびに、シャラリと軽やかな音を立てるタイプのアクセサリーだ。
「先ほど《宿命図》を判読してみたら、本当にウルフ族・金狼種だったわ。
死んでから時間が経ったから、《変装魔法》が無効になって、黒髪が金髪に戻ったと言う訳」
――と、言う事は。
わたしは、身体が震えて来るのを感じていた。
あの時、最初に此処に踏み込んだ時――シャンゼリンは、殺されたばかりだった、と言う事じゃ無いか!
ザッカーさんが物珍しそうな様子で、わたしをジロジロと見て来た。
「頭が良いじゃねえか、この『炭酸スイカ』モドキ。死亡時刻の意味をちゃんと分かってるって顔だぜ。
オレの目がどうかしてるんじゃ無ければ、この小っこいの、あの時の坊主か? クレドが子守してた」
――うわ、すごい眼力に記憶力。さすが隊長を張るだけの事はある。
確か、わたし、お化粧が崩れて『物凄い顔』してる筈なんだけど――それでも分かるものなんだろうか?
「おぅ、分かる。体格や骨格が一致してるからな」
即座にザッカーさんが反応して来た。ドッキリ。
ザッカーさん、眼力というか、観察力、あり過ぎる。
これくらいじゃ無いと、紛らわしさ満載の混血イヌ族と混血ウルフ族を区別できないし、隊長も務まらないのかも知れないけど。
ザッカーさんは、首を振り振り、オレンジ系金色なウルフ耳を引っ張り、『ヤレヤレ』といった風に息をついた。本当に驚いてるみたい。
「しっかし、此処まで分かりやすく顔と尻尾に書いてあると――こりゃあ、口で喋る前に身体で喋るんじゃ、忍者や工作員には間違いなく向かんな。
まさか女の子とまでは思わなかったが……成る程、左の首元の方に茜メッシュがある。確かに女の子だな、お前」
そして、尋常に目撃証言の取得が始まった。
モンスター発生の影響で、わたしがスタンバイしていた目隠し代わりのヤブしか残っていない。
殺害現場を取り巻く周辺の土地は、そこらじゅう凄まじい地割れだらけだ。
砕けて焦げた樹木の残骸と、モンスターの死骸と、モンスターの残した肉片や破片や血だまりで一杯。
中級魔法使いたちが空気調整をしているようで、胸の悪くなるような臭気は抑えられているけど……目で見るだけでも血の臭いがして来そう。
現場保存のために設置されていた《結界》の内側の部分だけが、目撃した当時の面影を留めているのみ。
謎の少年が居た樹木も、すっかり粉々になっていて、原形をとどめていない。
わたしとフィリス先生は、枯れ池の中央部に突き立っている建材の残骸を目安にして、どんな風に動いたか、
どの辺りに不審な大男が出たのかを、説明して行った。
ザッカーさんが2人の隊士と共に、その経路を確認しつつ、太い声でブツブツと呟いた。
「色々考えると、その正体不明のフード姿の大男が、返り討ちを決断しなくて幸いだったじゃねぇか。《魔王起点》が急に大型化して、
此処から離れる方が最優先だったんだろうな」
ザッカーさんに付き添っている2人の部下も、納得したように頷いている。
「確か、『モンスター召喚魔法陣』は最初は発動が不安定だけど、平均5日ほどで固定化して、人工の《魔王起点》として本稼働するんですよ。
レンガ焼きのオッサンの通報は、重要な兆候だった訳ですね」
ディーター先生の同僚さんと思しき同年代の上級魔法使いが、首を振り振り、眉根をしかめた。
「そのフード姿の大男が殺人犯で間違い無いだろうが、1匹目の大型モンスターのエサとして血祭りにあげるとは……何とも大胆かつ大掛かりで、
むごいやり方をしたもんだな。よほど、このシャンゼリンに苛立っていたとしか思えないが、はてさて……」
ザッカーさんは、横倒しになった樹木の残骸をヒョイヒョイとまたぎ始めた。
境界となっていたライン辺りに、まだ何か――物理的な凶器とか――が、残ってる可能性があるそうだ。
――長身だけあって、脚の長さが違うなあ。
不意にザッカーさんが何かを踏み潰したみたいで、『グニャ』というような物音が響いた。ディーター先生が「オッ?」と目を見開いた。
「何か踏んだような気がする」
中級魔法使いが早速、『魔法の杖』で心当たりのある場所をチェックし、「アッ」と声を上げた。
「大きな容器らしき物が――複数――埋まってますよ。モンスターの血を受けて、なお腐食していない……」
ディーター先生が《地魔法》で、あっと言う間に掘り起こす。
出て来たのは――わたしの身長を超える大型容器、3つ。《結界》領域にわずかに掛かってたから、物理的に原形の名残を留めている事が出来ていたらしい。
凄まじく形が歪んでたけど。
ディーター先生の同僚さんの上級魔法使いが、驚きの声を上げた。
「モンスター毒の濃縮エキスを封入する、専用の大型容器じゃないか。何で、此処に……?」
不意に。脳みその中で記憶がスパークした。
「あ、アルセーニア姫、に、盛られてた……?」
ディーター先生とザッカーさんが、同時に目を光らせた。
わたしを片腕抱っこしているクレドさんもハッとしたみたいで、息を呑む気配が伝わって来る。
フィリス先生が口に手を当てながらも、ドンピシャの回答を口にした。
「……『王妃の中庭』で仕込まれていた、モンスター毒の濃縮エキス!」
*****
いまや紫金(しこん)の女であるシャンゼリンの死体は、他にも驚くべき証拠を残していた。
頭部にハマっているサークレットは、『茜離宮』アンティーク宝物庫から紛失した品のひとつ『茜姫のサークレット』。
ドレスタイプの上級侍女のユニフォームの内側ポケットのひとつに、
マーロウさんが持っていたのと同じ、『爆速バーサーク化ドラッグ』の使用済みのボトルが入っていた。
バーサーク毒だ。毒性効果の劣化度から逆算した開封タイミングを考えると、オフェリア姫たちに盛られていた毒が入っていた物に違いない。
つまりシャンゼリンは、マーロウさんとも、アルセーニア姫の暗殺者とも、関係があったと言う事だ。これは重要な事実だ。
アンティーク宝飾品の紛失事件(ボウガン襲撃事件)と、アルセーニア姫・暗殺事件とは、ひとつながりに繋がっていたのでは無いかと言う事を示している。
もし、魔法の《防壁》でもって現場保存していなかったら、こうした壊れやすい証拠の品々は、
モンスター襲撃に巻き込まれて、存在すらも分からなくなっていた筈だ。
以上の色々な事実を踏まえて、考えると。
主犯と思しき、正体不明のフード姿の大男は。
モンスター騒動でもって、数々の証拠を一斉に隠滅をする事を、企んでいたとしか思えない。
それにしても――
あの、フード姿の大男、いったい何者なんだろうか?
ランジェリー・ダンスの店でドラッグ密輸をやっていたバニーガールの傍に居た、謎のフード姿の大男と同一人物なんだろうか。
大型の床パネルサイズの携帯魔法陣ボードや、《隠蔽魔法》に使う魔法の小片などといった物は、皆、闇ギルドで扱っている魔法道具なんだそうだ。
生活に困ったり、弱みを握られたりして追い詰められた魔法使いが、特別な宝玉や魔法素材の提供と共に注文を受けて、こういった物を製作して納品するケースが多いと言う。
下級魔法使いの数が圧倒的に多いだけあって、公共機関で使われる魔法道具の劣化版な粗悪品が、ほとんどだ。
しかし、たまに、まぐれ当たりなのか、それとも上級魔法使いや大魔法使いが製作する事もあるのか――とんでもない高性能な危険物が出現する事がある。
謎のフード姿の大男は、いちいち証拠となるような数々の魔法道具でもって魔法を発動している。
自身では本格的な魔法を発動できないと言う事だ。
『下級魔法使い』資格持ちレベルの、実力はあるみたいだけど――間違いなく、中級や上級の魔法使いとしての力量を備えた器では無い。
でも、闇ギルドから高価な魔法道具を幾つも購入できる程には、裕福な人物――