深森の帝國§総目次 §物語ノ傍流 〉瑠璃花敷波07

―瑠璃花敷波―07

part.07「可能性と選択肢*1」

(1)夕食会を兼ねた報告会(前)
(2)夕食会を兼ねた報告会(後)
(3)遠き記憶の夜の底(前)
(4)遠き記憶の夜の底(後)
(5)城下町へ繰り出して
(6)過ぎ去りし日の面影

*****(1)夕食会を兼ねた報告会(前)

チェルシーさんは、予言者に違いない。

ラウンジに呼び出されるのは夕食の頃になるだろうと言う予言だったんだけど、本当にその通りになって来た。 次に先方から連絡が入って来たのは昼食時で、まさに『夕食の刻に、そちらに行く』という内容だったんだよ。ビックリ。

そんな訳で、チェルシーさんから頂いた薄い青磁色の上着は、早速、お役に立つ事になった。

日が沈むと急にヒンヤリして来る。総合エントランスの方に居るスモック姿の患者さんも、そろって軽い上着をまとい出した。

約束よりも一刻ほど早い時間に、チェルシーさんと一緒に、ラウンジの所定のテーブルに着いておく。お蔭で、ラウンジの様子をゆっくりと眺める事が出来た。

ラウンジ中央に、あの大天球儀(アストラルシア)が、ひとつ置かれている。ラウンジは、総合エントランスとは雰囲気が違っていて、割とかしこまった風の空間だ。

仕事上がりの隊士と思しき紺色の着衣の人々が、入院した同僚の隊士と思しき数人と、報告会を兼ねて会食しているテーブルがチラホラと見受けられた。 隊士ともなると治りが早いのか、入院患者グループの方も、パッと見には外出着に見えるキチンとした着衣をまとっている。

確かに、患者服なスモックとガウンのセットだと、それ程と言うわけじゃ無いけど『如何にも重病人で御座い』という風で、ちょっと浮いていたと思う。

テーブルの上には、大天球儀(アストラルシア)ニュース・チャネルとリンクするのであろう、半透明のプレートが置かれてある。 総合エントランスにあるテーブルに備えられてあった物と同じだ。

ニュース・チャネルにリンクしてみると、獣王国の主要なニュースが飛び込んで来た。通常は、こうなるらしい。

トップニュースは、以下のような物だった。

――レオ帝国の刑部は、ここ数年来、獣王国の各地に災いをもたらしていた闇ギルドの奴隷貿易の拠点のひとつを摘発した。 我らがレオ帝国は、全ての獣王国の盟主として、この拠点を中心にしていた悪の奴隷商人を逐一、尋問し、しかるべき処罰を加えた――

続いて、奴隷ビジネスに関するニュース解説の内容が表示された。

――奴隷ビジネスって、儲かる商売みたいだ。

レオ族、クマ族、ウルフ族をリーダーとする奴隷商人の方が、大柄で強靭な種族をリーダーとするだけあって、規模が大きいらしい。 非合法に集めた戦闘奴隷の数も、驚くほどに多い。

イヌ族、ネコ族、ウサギ族をメインとする奴隷商人は、男娼や女娼を非合法に売買する方がメインみたい。 珍しいとされるパンダ族を狩って来て、闇のサーカス小屋で見世物にしているビジネスも存在している。ビックリだ。

特に『闘獣』と言い習わされている非合法な戦闘奴隷の解説が、目を引く。

気性が特に荒く狂暴な――バーサーク化しやすい――タイプの獣人を、専用の首輪スタイル拘束具で『獣体』に固定しておいたまま、檻に入れて売買するんだそうだ。 大型・超大型モンスター狩り用の使い捨て要員らしい。撒き餌に使ったり、突撃隊としてバーサーク化させておいて、けしかけたりする。

――ヴァイロス殿下を襲ったバーサーク化イヌ族とバーサーク化ウルフ族も、闇ギルドの奴隷商人から調達した、『闘獣』の可能性があるなぁ。 だとしたら、ウルフ王国やイヌ群各国の、通常の国民データには存在しない人々かも知れない。

わたしの国民データも、方々の飛び地に照会しているそうだけど、まだ該当データが見つかっていないみたいだから気になる。 もっとも、『水のルーリエ』という名前は非常に多くて、《水霊相》生まれの女性の20%が同じ名前だと言うから、 むしろ、そちらの方で手こずっているのかも知れない。

もしかしたら最悪、わたしもまた、『ヴァイロス殿下を襲撃せよ』とけしかけられて、 バーサーク化イヌ族やバーサーク化ウルフ族と一緒に『茜離宮』に侵入していたんだろうか、と思ってしまうんだけど。

今、頭にハマっている『呪いの拘束バンド』は、『耳』も『尾』も出さないように作用する――つまり、 より物理的戦闘力に欠ける『人体』に固定しておくタイプらしいんだよね。『獣体(この場合は狼体)』に固定しておくタイプじゃない。 その辺が、すごい矛盾。

この『呪いの拘束バンド』を製作した、悪の魔法使いは。或いは、わたしに拘束バンドをハメた人物は。

いったい、何をする事が目的だったんだろうか――

チェルシーさんが「あら、ちょっと待って」と言いながら、『魔法の杖』で付属メニューを操作した。

注意を引いたのは、捕まった奴隷商人の顔写真付きのリストだったみたい。 チェルシーさんの視線は、顔写真付き名簿リストの、中央辺りに注がれていた。

「レオ族の奴隷商人……『風のサーベル』。タテガミの完全刈り込みの罰に、名誉回復の条件の厳重化。これだけ厳しくなると、 ほぼ半永久的に、彼はレオ社会の間では浮上できないのは確実ね。何てこと」

――知ってる人ですか?

「ええ、若い頃ね。ちょっと訳が……縁があったの。変われば変わる物なのねえ」

顔写真を見てみると、『風のサーベル』と言うレオ族は年配の男性だった。

このレオ族の『風のサーベル』と言う人、若い頃は凛々しい雰囲気の美形な顔立ちだったみたい。 今でも容貌は整っている方なんだけど、全体のバランスは明らかに悪い。いかにも非合法の奴隷商人と言うのか、にじみ出る凶悪さが人相を歪めている。

元は立派だったのだろうタテガミは、スッカリ刈り込まれていて、まさに『丸刈り』という風だ。 そこから生えているライオンの耳は、タテガミと言う荘厳パーツを失っただけに、いかにも貧相に見える。

うっすら残った毛髪の名残からすると、金茶色だったみたい。金色が混ざっていると言う事は、多少は貴種の血が入っているという事なんだろう。

ニュースにある『タテガミの完全刈り込み』と言うのは、二度と毛髪が生えて来ないように毛根を死滅させつつ刈り込むという意味。

つまり、自慢のタテガミは、もう復活しなくなると言う事。レオ社会においては、これ以上ないと言う程の恥辱であり罰なのだそうだ。獣人にも色々あるんだなあ。

そんな事を話し合っていると――

――わたしたちのテーブルに、見知らぬウルフ族の男性が立ち寄って来ていた。

如何にも宮廷から来ました、という感じの、顔立ちの整ったウルフ族・金狼種の貴公子な青年だ。

ウイスキーのような琥珀色の毛髪と目が妙に色っぽくて、割とドキッとする。

上等な小豆色の地に格式のある黄金色のテキスタイル刺繍が印象的な、貴公子風の上着。 灰色スカーフを巻いているって事は、下級魔法使い資格持ち。チェルシーさんも、顔だけしか知らない人らしい。誰?

「不意の事で失礼いたします。そちらのお嬢さん――水のルーリーは、 前日の剣技武闘会の時、レオ族ランディール卿の地妻クラウディア殿と、一緒に来ていましたね?」

――はあ。確かに、クラウディアに連れ込まれていた者ですが。

「魔法部署の『風のトレヴァー』長官閣下からのお尋ねなのですが。ルーリーは以前、『風のトレヴァー』長官閣下と会った、 と言うような事はありませんでしたか? 或いは、我がウルフ王国の国王陛下と王妃陛下の、お2人と」

――はぁ?! わたし、そんなロイヤルな偉い方々とは、全く縁がありませんですが?!

わたしが口をパッカーンと開けていると、その間抜け顔が何故か、ウルフ族・金狼種の貴公子にウケたらしい。 彼は綺麗な切れ長の琥珀色の目を見開いた後、ちょっと横を向いて、口を押さえて、小豆色の肩を震わせ始めた。

チェルシーさんに「ルーリー、お口」と言われて、慌てて口を閉じる。また、やらかしてしまったみたい。

ウルフ族の美青年な貴公子は吹き出し笑いの発作を収め、再び声を掛けて来た。

「最近、質の良い魔法文書フレームが出回りまして。ルーリー作成だとか。 機密暗号化の魔法陣の完成度が高いと言う事で、魔法部署の方で、他部署に声を掛けて機密文書用に買い占める騒ぎですよ。 それで、『風のジルベルト』閣下が妙に興味を持って、ルーリーの事を色々探っているようでしてね。少し注意しておこうかと」

――ふむ?

「ディーター先生の治療次第では、記憶が回復する可能性も無きにしも非ず、と聞いています。 何か思い出した事があったら、ジルベルト閣下を通さずに、直接、トレヴァー長官閣下に話して頂きたく。 ジルベルト閣下は信頼できる方ではあるのですが、色々と秘密主義なうえに、出身地の異なるトレヴァー長官閣下とは、いささか因縁のある方なので」

――はあ。

つまり、下手にジルベルト閣下に話すと、本来はトレヴァー長官まで上がるべき情報が、握りつぶされる可能性があるって事ですか。

そう言えば、ウルフ王国って、飛び地の領土がリンクして統一王国になっただけなんだよね。 各地の領土ごとの因縁が、中央にまで飛び火するのは必然なんだろう。まして実力主義だし。

「トレヴァー長官閣下に話をする際は、私に直通の連絡をしてくれれば、すぐに上の方で会談の場が設けられます。 申し遅れましたが、私は『風のジェイダン』です。私の連絡先を渡しておきますね」

そう言って、『風のジェイダン』と名乗った貴公子は、『魔法の杖』を取り出して来た。ほえ?

わたしがポカンと『魔法の杖』を眺めていると、ジェイダンさんは「おや?」という顔をして来た。

チェルシーさんが、訳知り顔で口を開く。

「ゴメンナサイと言うべきなのかしら、ジェイダンさん。ルーリーは『魔法の杖』持って無いのよ。 訳があって、魔法が使えない状態なの――日常魔法も、全てダメ」

今度は、ジェイダンさんがポカンとした顔になった。想定外だったんだろう。まさか日常魔法すら使えない状態だとは思わなかったみたい。

ジェイダンさんは、空いている方の手で、後頭部をシャカシャカとやり出した。何だか一般庶民の青年だ。驚きすぎて素が出たんだろう。

「いやはや、これは……では、通信機の操作カードを渡しておきましょう。通信機にカードを差し込めば、それだけで通信できますから」

ジェイダンさんは、胸の内側ポケットから、魔法のように手の平サイズの金色のカードを取り出して来た。 貴公子な小豆色の着衣は、隠しポケットが一杯らしい。『魔法の杖』でそのカードを数回つついた後、ジェイダンさんは、そのカードを渡して来たのだった。

ポカンとしたまま金色のカードを受け取っていると――ジェイダンさんの、ウイスキーのような琥珀色のウルフ耳が、急に『スッ』と動いた。

――何か、隊士っぽい動きだな。

微妙な差なんだけど、戦士として訓練された動きって、『スッ』と動くっていうか、無駄のない動きなんだよね。

クレドさんも、そう言う風にウルフ耳を動かす。ザッカーさんも、切れ込みが入ったウルフ耳だから見分けにくいけど、そんな感じ。 ディーター先生やフィリス先生や、『茜離宮』で見かけた役人や侍女の、『ピコピコッ』ていうのとは違う。

そんな事を思いついていると、ジェイダンさんはラウンジの出入口にチラッと目をやった。そして、 少し切羽詰まった様子ながら、魅力的な笑みを浮かべて、優雅な一礼をして来た。

「では、この辺りで。早期回復を祈っていますよ、水のルーリー。火のチェルシーさん、お噂はかねがね伺っております。 取り急ぎにつき、このたびは失礼しました。またごゆっくり、お話できる機会があれば」

ジェイダンさんは笑みを深め、わたしの『仮のウルフ耳』を撫でて来た。

クレドさんとは少し違う撫で方みたいだけど、確か、これ『敬意を表してる』って意味の行動だっけ。

そしてジェイダンさんは身を返すと、『まさに雲散霧消』といった見事な身のこなしで、ラウンジの中の人々の中に、姿をくらまして行ったのだった。

*****(2)夕食会を兼ねた報告会(後)

ポカンとしていると――チェルシーさんの御夫君グイードさんが、テーブルの前に現れた。

わお。気付かなかった。速足ですね!

やがてディーター先生とフィリス先生が、グイードさんに続いて出て来た。そして――最後尾に、紺色マント姿のクレドさんが控えていたのだった。 何で、クレドさんも?!

――思わず、心臓がドッキリした。こんな時だけど、シッカリした上着を着てて良かった。ナニゲに可愛い刺繍も入ってるし、乙女ゴコロの寿命が延びたよ。

グイードさんが訝しそうに、ジェイダンさんが消えて行った方向に目をやる。

「先刻の金狼種の若い男は誰だ? 宮廷から出張った貴公子にしては、逃げ足が速すぎる。『耳撫で』するくらいなら、一言、声を掛けて来ても良かろうに」

チェルシーさんが、いつものようにイタズラっぽく『フフフ』と含み笑いをして、グイードさんの疑問に応じていた。

「夏の宮廷開きのパーティーで見かけたでしょう、グイード。『風のジェイダン』と名乗って来ましたよ。話してみると、なかなか物腰の丁寧な好青年でしたわよ」

ディーター先生とフィリス先生は、『顔しか知らない貴公子だ』と首を傾げた。貴公子って言っても人数があるから、全員を知ってる訳でも無いそうだ。

それに引き換え、クレドさんは、一瞬だけど眼差しを硬くしたみたいだった。何で?

――ともあれ。

夕食を囲みつつ、マーロウさんの事件の経過報告を聞く事になった。

*****

事件そのものの報告は、驚くべき事に――それとも当然と言うべきなのか――隊士であるクレドさんが担当した。

わたしは驚きの余り、度々手が止まった。

誰にも言えない秘密だけど、手が止まった理由の半分以上は、クレドさんの朗々として滑らかな低い声のせいだったりする。

――さて、マーロウさんの事件の、その後の捜査の話。

ヴァイロス殿下の方でも、手をこまねいていた訳では無かった。マーロウさん斬殺の一報を受け、 ヴァイロス殿下が率いる捜査チームが、マーロウさんの執務室と私室に、強制捜査に入った。

成果は上々と言えた。

執務室の机の秘密の引き出しの中から、裏帳簿が見つかった。闇マーケットで売りさばいた分の収入が逐一、記録されていた。

裏帳簿は急遽、『茜離宮』の財務部門に回された。不正収入が何に使われたのか、何処へ流れたのか、その資金ルートについて詳細な分析をしている所。

マーロウさんの個人資産は、公私にわたって、不自然に増えていなかった。

巨額にのぼるであろうマネーは、一体、何処へ消えたのか。新たなミステリーが浮上してしまったと言う状況だ。

それに。

初期の頃からの不正収入を合計してみると。

アルセーニア姫の暗殺に関わった大量の毒物、つまり『大型容器3本分のモンスター毒のエキス』――それも最高品質の物を、 闇ギルドの相場で、一括で購入できるレベルの金額になった。 非常に高度な処理がされている最高品質の物だと、通常のモンスター毒にありがちな、不自然な臭気や色が出ないと言う。

マーロウさんが、アルセーニア姫・暗殺事件の主犯だったかどうかは分からない。でも、限りなく『クロ』。 元々、貴種の生まれだったから、規格外な筋力もあって、『対モンスター増強型ボウガン』も片手で軽々と扱えるレベル。

仮にマーロウさんがアルセーニア姫を殺害したとして、問題の凶器を、殺害現場にどうやって持ち込んだのか――は、今でも分からないんだけど。

マーロウさんの私室の方からは、マーロウさんが何故に衛兵を殺害したのか、その理由を明らかにする証拠が出て来た。

――魔法道具『3次元・記録球』だ。

これは『音声データと映像データを、位置情報データと共に記録できる』と言うスグレモノで、事件捜査ではお馴染みの道具。 他にも会議記録として使われたり、監視カメラとして使われたりと、用途は色々。

ちなみに、公的機関で使う『3次元・記録球』は高性能な物なんだけど、簡易版『3次元・記録球』なら、その辺の魔法道具のお店で買える。 家族の写真や動画を詰め込んだり、観光旅行を記録したり。

まるで現場に居るかのように、3次元の仮想現実スタイルで再生ができるから、ランジェリー・ダンスを撮影して、ひそかに楽しむ人も……以下、略。

――マーロウさんの私室から出て来た『3次元・記録球』は、衛兵が使っていた物だった。

あの哀れな衛兵さんは、問題の倉庫の中をシッカリ撮影していた。この時期の倉庫は空っぽな筈なのに、『白き連嶺のアーチ装飾』の残骸が、バッチリ映っていた。

そして、尋常に錠前を開錠して、倉庫に押し入っていた衛兵さんは、 その行動が、わたしたちと同じようにマーロウさんにバレて、速攻、証拠隠滅のために殺害されていたと言う訳。

チェルシーさんは、恐ろしいタイミングで倉庫の傍を通過し、生前の衛兵さんの最後の姿を目撃していた訳だ。

あの時、マーロウさんがチェルシーさんの存在に全く気付かなかったのは、チェルシーさんにとっては本当に運が良かったよ。

そして『爆速バーサーク化ドラッグ』。

マーロウさんの私室からは、『爆速バーサーク化ドラッグ』の未使用ボトルが3本、出て来た。

これが、盛り場のランジェリー・ダンスの店『ミラクル☆ハート☆ラブ』で取引された品だろうという事は分かっている。

くだんの『ミラクル☆ハート☆ラブ』は元々、違法ドラッグも盛んに取引されているポイントだ。他種族の客がとても多く、 外貨獲得のためという事情もあって、法の適用は、ウルフ王国内でも最もルーズなレベルになっている。

問題の赤いスケスケ・ランジェリーのバニーガールが居た間。

恐らくは『爆速バーサーク化ドラッグ』が関わったのでは無いかと思しき怪死事件が、近所でも続いていたそうだ。

バニーガール自身も『爆速バーサーク化ドラッグ』服用者に殺されていたらしい。盛り場の別のエリアで、最近、 それらしきウサギ族の女性の惨殺死体の報告が出て来ている。

マーロウさんの私室からは、更に、驚くべきブツが出て来た。

今は亡きタイストさんの、あのボワッとした不思議な髪型さながらの、カツラだ。黒い付け毛なのだ。

つまり、ケビン少年の証言『タイストさんが、度々ランジェリー・ダンスの店に来てた』という内容は、半分はウソで、半分は本当だった。

タイストさんに似た人物が入り浸っていたのは事実。でも、それは、タイストさん本人じゃ無くて、 カツラを着けてタイストさんに変装していた、マーロウさんだったようなのだ。

マーロウさん、本当に抜け目のない人だ。万が一に備えて、タイストさんに罪をなすり付けられるようにしていた、と言う事だろう。

ランジェリー・ダンスの店『ミラクル☆ハート☆ラブ』の店員が、幸い、そのタイストさん風な客の、体格の特徴を覚えていた。 ヒョロリとした体格じゃ無くて、如何にもウルフ族の貴種らしい、立派な体格だったんだって。

ケビン少年もその伯父さんも、訓練された隊士じゃ無くて一般の素人だからね、ボワッとした不思議な髪型くらいしか記憶に残って無くて当然だ。 お店の中だって、『いかがわしいムード』を演出するために、照明のカラーを選んで光量を絞っていたそうだし。

*****

クレドさんの説明が終わった。ディーター先生が口を開く。

「実に込み入った事件ではあったな。先ほどまで国王夫妻ご臨席の御前会議が召集されていてな、この案件を検討していた。 共通で一致した不明点――明らかにすべき点は、3つに絞り込まれた」

ひとつ。『火のマーロウ』が、アルセーニア姫・暗殺事件ならび、最近の暗殺騒動の主犯だったのか。

ふたつ。問題の赤ランジェリーのバニーガールの、仲間と思しき大柄な獣人は、何者なのか。

みっつ。闇取引で得られた巨額マネーは、アルセーニア姫・暗殺事件の際の、毒物の購入費用として使われていたのか。

「最後の点、闇取引の関連については、財務部門の調査によって、運が良ければ徐々に解明されるだろう。 財務官はエリート揃いだし、グイード殿のご子息も、そこで頑張っているからな。 あぁ、今まであぶれていた片方の方も、間もなく結婚するそうだな、お祝い申し上げておくよ」

ディーター先生のコメントを受け、グイードさんは四角四面な態度で一礼していた。

――あれ。でも。要点が抜けてるような気がする。

ピンと来たわたしは、思わず、口を開いていた。

「マーロウさんが何故こんな事をしたのかは、謎では無くなったんですか?」

相変わらずのしゃがれ声だ。ついでに、『呪いの拘束バンド』に引っ掛かって咳き込んだ。ゲホッ。

ディーター先生とフィリス先生が、ちょっとの間、顔を見合わせた。チェルシーさんとグイードさんも、複雑な顔になっている。 クレドさんは無表情のままだったけど、咳き込んだわたしに茶を勧めて来てくれた。

フィリス先生が少し小首を傾げた後、わたしに声を掛けて来た。

「よく気付くわね、ルーリー。マーロウさんの動機は、『逆恨みのプリンスたち』という仮名を使った事実をもって、分析できているの。 ――『逆恨みのプリンスたち』の、歴史上のエピソードは、知ってる?」

――はい。チェルシーさんとヒルダさんから聞きました。

わたしはお茶を一服して、記憶を掘り起こした。うん、大丈夫。要点は覚えてる。

「混血な外見だったために不当に冷遇された混血ウルフ王子が居て、でも、後になって、 その状態が是正されて……その混血ウルフ王子は新ウルフ王になって国を発展させたけど、 王様になれなかった他の純血ウルフ王子たちが逆恨みして、その新ウルフ王を殺したと言う……」

フィリス先生は、「そのポイントを知ってるなら充分ね」と頷き、言葉を続けた。

「今のウルフ国王陛下は、混血の方なのよ。イヌ族の父とウルフ族の母。この交配だと、子供はウルフ族で生まれる事は知ってるわね。 御母堂が貴種の名門の出身だったから、国王陛下は混血の貴種と言う訳。 国王陛下は母方に似てらっしゃるから、ルーリーとは違って、紛らわしい外見では無いわ」

――な、何ですと! 今のウルフ国王陛下が、わたしと同じような混血!

「国王陛下とマーロウさんは、若い頃は、王位継承者の地位を競り合ったライバル同士だったの。 そして、順位を検討する段階になって、マーロウさんは、順位が繰り下がった。臣籍降下を考えた方が良いくらいの順位に。 純血の貴種は得てしてプライドが高いのよ。マーロウさんは古代の歴史に強いこだわりがあったし、愛国者な方だったから、なおさらに推して知るべしという所ね」

――心の底では、まさに『逆恨みのプリンスたち』と同じ激情を燃やしていたのだろう、という事なんですね。

隠蔽が、完全であれば、あるほど。

洒落っ気が出て来る物だ。ニブい人たちを敢えてチクチクと突きたくなるような、洒落っ気が。

――『逆恨みのプリンスたち』なんていう、トゲトゲの意図バレバレな仮名を選んだのは、 マーロウさん自身のエスプリの込められた、ひそかな勝利宣言でもあったんだろうな。

混血の貴種である国王陛下は、純血の貴種だったマーロウさんにとっては、まさに存在すら許せぬ対象だったに違いない。 そして、その子孫であるアルセーニア姫とヴァイロス殿下も、そのカテゴリに入ったであろう事は確実だ。

そう、マーロウさんには、アルセーニア姫を殺害するだけの、充分な動機があった。 実際に、マーロウさん自身が手を下したのかどうかが、分からないと言うだけで。

襲われたのはアルセーニア姫やヴァイロス殿下だけじゃ無いんだよね。リオーダン殿下やオフェリア姫も襲われた。 『森の中に木を隠す』ロジックがあったのかも知れない――にしても、リスクが高すぎる。

――ヘタしたらウルフ王国の滅亡の危機じゃ無いか。愛国者なマーロウさんが、そこまで破壊活動をするだろうか――

*****(3)遠き記憶の夜の底(前)

報告会を兼ねた夕食会は、滞りなく終了した。

ティーター先生とフィリス先生、それにグイードさんとチェルシーさんは、引き続き、専門的な相談をする事になっている。

アンティーク宝物庫から紛失した品々の一部が、いささか問題のあるアンティーク魔法道具だったんだって。

これは内容の都合上、王宮関係者でも何でもない一般人であるわたしには、聞かせられない話だと言う。 クレドさんは、衛兵部署の方で、既に聞き知っているそうなんだけど。

そんな訳で、しばし席を外す事になったわたしに、クレドさんが身辺警護を兼ねて付き添う事になった。

ディーター先生が愉快そうに笑いながら、「子守をよろしくな」とクレドさんに注文していた事は、聞かなかった事にする。フンッ!

実は、今は思ったように動けるようになっているんだよ。 此処に湧いて出て来た初日から続いていた『身体の不自然なカクカク』が、だいたい収まって来ているから。

クルリと踵(きびす)を返すと共に、シュンッと尻尾を振ってバランスを取る。尻尾が生えてると、こういう動作をする時に、ホントに便利だ。

一歩を踏み出したところで――

――後ろから膝をすくわれて、「ワッ」と声を出してしまう。

ぎゃあ、高い。

冷や汗がドッと出る。

挙動が怪しくなった腕の回りにクレドさんの右腕が差し出されて来たから、思わず、しがみついた。ふう。

ま、また片腕抱っこですか、子守ですか、クレドさん! わたし、子供じゃ無いんですけど!

「子供みたいに、ふくれるんですね」

クレドさんは、全く表情を変えずに、あっさりと応じて来た。

ぎゃふん。わたし、致命傷かも。立ち直れない……

*****

ラウンジの出入り口に差し掛かったところで、クレドさんが、おもむろに口を開いた。

「何処か、行きたい所がありますか?」

――そう言えば、考えてなかった。とりあえず、総合エントランスの方?

クレドさんが、スッと振り向いて来た。紺色マントをまとう、荒くれの隊士なのに――ドキッとする程に洗練された、端正な所作だ。 宮廷の貴公子の格好をしていても、ジェイダンさんと同じくらい、ハマってると確信しちゃう。

「この病棟には空中庭園を兼ねた屋上階があります。今夜は快晴ですから、『連嶺』も見える筈ですが」

――連嶺? そう言えば『白き連嶺のアーチ装飾』なんていう古代遺物があったよね。そのモデルになった物かな?

「決まりですね、ルーリー」

クレドさんは、不意に口の端に綺麗な笑みを浮かべた。

いつもいつも彫像みたいな無表情なのに、いきなりって、反則だ。思わず心臓が飛び跳ねちゃったよ。 クレドさんは既に顔をそらして前方注意の態勢だけど、こっちは、まだドキドキしてる。

幾つかの回廊を曲がり、中央階段と思しき、吹き抜けの大きな螺旋階段に到達する。総合エントランスと近い公共スペースだから、此処でも他種族の様々な人々が多い。

クレドさん、歩くの上手だ。高身長な分だけ歩幅が広がっているんだけど、上半身がほとんど揺れていないので、船酔いみたいな状態にはならない。

高所トラウマなだけあって、近くの地面に目を落とすとクラッとするものの。

ガッツリ鍛えてるせいなんだろうか、クレドさんの抱え方は、シッカリしていて安定感がある。まあまあ落ち着いた気分で居られる。

へー。すごい螺旋階段だ。5階層をぶち抜いてる。吹き抜けスタイルでもって、屋上階までつながってるのは見えるけど。

……これ、ずっと登って行くの?

クレドさん、わたしを抱えたままだと疲れる筈。降りた方が良いよね?

「降りなくて結構です。ルーリーには段差が大きいですから、つまづきますよ。それも器用に、一段ずつ」

むおッ。バカにしてる訳じゃ無いよね。それに、何だか恥ずか死ねるような意味深な視線が、チラホラ来てるみたいなんですけど。

「ルーリーが、可愛いからですよ」

――はい?

何か、意味不明な事を言われたような気がする。脳みそが、理解を拒否してるし。してるし!

クレドさんは、わたしを抱えたまま、螺旋階段をさっさか登り始めた。わお。すごい段差。 最初の日、地下牢から荷物みたいに運び出された時の階段の段差の大きさを、連想してしまう。

「その上着は、チェルシー殿の見立てのようですね。さすがと言いますか……剣技武闘会の会場で、ルーリーを見かけた時は驚きました。 町娘の姿も良くお似合いでしたよ。まだ『耳』まで復活していなかったから、ホッとするくらいに」

わずかに、クレドさんが首を傾け――流し目をくれて来た。不思議なくらいに、洗練された所作で。

クレドさんは、底意の見えない薄い笑みを浮かべている。

何とはなしに――全身が総毛立つ。何かヤバい――でも別の意味で言えば、本当はヤバくない?

どういう事なのかは分からないけど。

言葉の上では――明らかに、喉元に刃を突きつけて、『真相を言え』と仄めかしつつ凄んでる笑みですよね、それ?

目が真剣に笑ってないし、見てると、だんだん落ち着かなくなって来るんですけど。

クレドさんの黒い目が、闇の色を増した。切れ長の涼しい目に閃くのは、白刃さながらの気迫。ギョッとする。 目線だけで人を殺せるとしたら、わたし、一撃必殺でザックリ切り裂かれている所だ。

「本当に記憶喪失なんですか、ルーリー? 天才的なレベルの《変装魔法》の使い手では無く?」

――ほぇ?

「最初は、人相が誰かに似ている――と思いながらも、天才的なまでの工作員か、 拘束衣をまといながらも脱走に成功した熟練の忍者では無いかと言う疑いが、なかなか晴れませんでした。 まして、頭部のバンドには、《変装魔法》用の魔法道具に特有の怪しさが満載でした。 尋問の前に、バンドを取り外す事は規定で決まっていた。あんなに苦しむと知っていたら、手出しはしませんでしたが」

――あ、あの『呪いの拘束バンド』。

最初は普通の――普通、と言うのは変だけど――非合法の魔法道具だと思われてたんだ。実際に、闇ギルドの品だと判断された訳だけど。

「ルーリーは、混血の黒狼種である事、表情も反応も率直で豊かな事、そして声を奪われている事――を除けば、 人相も、所作も、『茜メッシュ』も――すべてが、完全に一致している……『かの御方』と」

――クレドさんは、何を言ってるんだろう? それに、『かの御方』……?

言葉は、決定的な部分までは、紡がれていない。

でも、確信できる。『かの御方』が、クレドさんにとっては非常に重い意味を持つ存在だと言う事が。

――また、あの『眼差し』だ。

仄暗い水の底にある『何か』を探っているような、驚きに似て驚きじゃ無い、不信に似て不信じゃ無い……

折よく気をそらされていたせいか。

これも、クレドさんの『配慮』の一部なのか。

クレドさんに抱えられて吹き抜けの螺旋階段を登っている間、必死でクレドさんの『眼差し』の意味を考えていたせいで、高所トラウマの恐怖を感じている暇が無く。

いつの間にか――屋上階まで到達していたらしい。

ヒンヤリした夜の風が頬に触れる。ビックリして、思わず螺旋階段の下の方を見下ろしてしまった。

――気絶する。目が回る……

グランと身体が傾いだのを感じた――けど、すぐに右手が添えられて来て「大丈夫です」と声を掛けられた。 ギュッと目をつぶっていると、クレドさんの溜息のような声が続いた。

「高所トラウマは本物なんですね。ルーリーは、確かに『かの御方』とは別人ではありそうです」

――別人も何も、わたしは『かの御方』なんて全く知らないんだよ。

それに、高所トラウマの原因って――

あ、もしかして屋上階って、転移魔法陣で一気に行けたんじゃ無いの?!

わざわざ、螺旋階段コースを選んだのって、わたしの高所トラウマが本物かどうか確かめるため?! ひどいよ!

クレドさんがヒョイと首を傾けた。

――思わず飛んで空を切った、我が拳。

わお、わたし、片腕抱っこされている体勢から、クレドさんを殴ろうとしてたんだ。

なかなか、やるじゃない? ……って言うか、完璧、よけられちゃったけどさ!

もう『激おこプンプン丸』だからね! わたしはジタバタと暴れた。

「降りる。降ろせ!」
「ダメです。不快にさせたのは謝罪します。説明しますから、機嫌を直してくれませんか」

――謝罪は受けんッ! 乙女ゴコロをもてあそんだ罪は重いと知れッ! だいたい、わたし、クレドさんの事が気になってたし、ステキな人だなあとか思ってたし!

もしかしたら、だんだん、クレドさんの事が好き……って思ってたもんね!

一瞬。

――クレドさんの動きが、ピタリと止まった。へ?

クレドさんが驚愕に目を見開いて、じーっと注目して来る。な、何ですか?!

……ハッ!

わたし、何を言ってたんだっけ?!

喉が疲れるから、ほとんど喋ってないけど。ないけど。ないけど……!

ああぁぁあぁぁぁあぁあッッ!

わたし、確か、『狼体』の時のやり方で、無意識のうちに、大声で喋ってたんだっけ! 顔とか、尻尾とか!

そう、尻尾、幼児退行してた筈だよ!

片腕抱っこされてるって事は、尻尾の動き――と言うか――尻尾で喋ってる事は、クレドさんに全部、ストレートに、伝わってる……よね!

――脳天を、この上も無く巨大なトンカチで殴られたような気がする。『呪いの拘束バンド』が発動したのかな?

わたしは自分の迂闊さに愕然とする余り、ふうっと気が遠くなった。

*****(4)遠き記憶の夜の底(後)

「起きてるのは分かってるんですよ。ウルフ族のくせに、タヌキ寝入りの真似をしないでください」

――屋上階の庭園の各所には、適当にベンチが配置されている。

わたしは目下、そのベンチのひとつに横たわって、少しの間だけ気が遠くなっていた。 横たわったお蔭で脳みそに血が戻って、早々に頭がハッキリして来ていたと言うのが実情。

クレドさんが何やら喋ってるのは分かるけど――目をつぶって死んだふり、死んだふり。

――あぁ、夜風が死を運んでくる……

やがて、クレドさんは溜息をついたらしい。身をかがめてくる気配がした。

次の瞬間、『ウルフ耳付きヘッドリボン(黒)』の隙間にクレドさんの指が入るのを感じた。 体温の気配が急に接近し、クレドさんの、クセの無い髪らしき物が頬に触れる。

クレドさんは、わたしの『人類の耳』の傍に口を近付けて来たらしい。

わたしの『人類の耳』のすぐ傍で、妙に艶やかさを増した低い声が響いた。

「今、目を開けないと、ルーリーの『耳』を撫で回して、もっとすごい事をしますよ」

――それは怖いッ! 『もっとすごい事』って、いったい、何!

ドッキリするままにバッと身を起こすと――

クレドさんは少しアサッテの方を向いて、『記憶喪失の影響範囲は深刻ですね』とか呟きながら、意味の良く分からない溜息をついて見せて来た。

ま、まぁ、それなりに呆れてるって感じ……かな?

クレドさんは再び、器用にわたしを片腕抱っこで抱き上げると、屋上の空中庭園を歩き出した。

……うぅ。悶々しちゃう。

クレドさんの方が年上で、経験値も上だって事を、いやが上にも実感させられると言うか……わたし、物理的にも心理的にも、クレドさんの手の中で転がされちゃっているなぁ。

わたしは観念した気分になって、そろりと周りを見回すのみだ。

そこかしこに低い植え込みの列が続いていて、その間で夜間照明がボウッと光っている。 明かり取り用の天井窓と思しきツルツルのガラス窓の部分が、夜間照明の光を反射してきらめいていた。

螺旋階段の下の公共スペースに比べると、人影は、まばら。

天球の無数の星々の光が降り注ぐ――静かな空間だ。

クレドさんが、少し向きを変えて佇む。

「――あれが『連嶺』です。超古代の大激変で天球の回転軸がズレる前は、ほぼ天頂を横断する、巨大な『天の川』だったと言われています。 人類が絶滅する前の時代は、『銀河』とも呼ばれていたとか」

遙かなり『連嶺』――地平線の彼方、何処までも横たわる、濃密な星々の帯。

スカイラインの向こう側に、星々の大海が広がっているように見える。息をのむ程に、壮麗な眺めだ。

やがて、クレドさんは、押し殺したような声で呟いた。

「――《宝珠》というのは、時として残酷ですね」

わたしは、ジッと動かずに耳を傾ける事にした。

或る程度は――覚悟はしていた。やっぱり、失恋っぽい。

これまでに聞く所によると、《宝珠》ってホントに唯一の人って感じだし。

レオ帝国が出来る前からの獣人の諸族の伝統なんだろう、レオ族の方でさえ、その《盟約》に敬意を表し、ハーレム勧誘を断念する――というくらいだもの。

そして、『かの御方』がクレドさんの《宝珠》に違いない。到底、わたしが踏み込める関係じゃない。

クレドさんの呟きが続く。

「6年前――もう7年近くなりますが。私は《宝珠》と――『かの御方』と出逢いました。私はまだ声変わりも済ませていない少年でした。 彼女は私より年上でしたが、当時は訳あって体調を崩していたと聞くだけあって、驚くほど小柄に見えました。 いささか成長が遅れていた少年だった私と、それほど身長も変わらず」

――随分、小柄な人だったみたいですね。

「ウルフ族・金狼種、それも貴種を思わせる――美麗系の容貌でした。最初の頃は、食欲が異常なまでに低下していて表情も死んでいましたが、 次第に表情が出て来てみると――今のルーリーみたいに人相が良くて可愛い顔をする方でした」

――わたし、混血な童顔で平凡顔なんだけどなあ。それも、ほとんど系統不明とか、イヌ族って感じの。『容貌』とか『人相』とか『顔』って、同じ物じゃないの?

わたしが首を傾げると、クレドさんが振り返って来た。あ。尻尾が『それ、どういう事?』って、ピコッと動いてた。

「マーロウ殿がバーサーク化している時の、人相の変化を目撃したでしょう、ルーリー。 貴種ならではの美麗な容貌を持っていても、人相が凶相だと目も当てられないですね」

――何となく分かってきたような気がする。そりゃそうだよね。存在の有り様が歪むと、人相も歪む。

クレドさんの、端的でありながら肝心なところがボヤけて分からない、不思議な説明が続いた。

数か月間、『かの御方』の近くに居る日々が続いた。その間、クレドさんは、彼女にだんだん魅せられて行って、遂には、 少年ならではの物ではあるけど、恋心になって行ったらしい。

そんな或る日、ふとした事で、彼女の『茜メッシュ』の匂いを知るチャンスがあった。 その時、彼女がクレドさんにとっての《宝珠》だと直感したという。

ウルフ族の男は、『茜メッシュ』の匂いを感じ取れるそうだ。『色に匂いがある』と言うのが不思議だけど、 イヌ族の男も、だいたい感覚は似通ってるそうだから、イヌ科の特有の、魔法的な意味で言う生物学的構造が関係してるんだろう。

――あれ? と言う事は、わたしの『茜メッシュ』も、何か匂いがあるんだろうか?

クレドさんがチラリと流し目を寄越して来た。わお。何か色気を出してませんか?

「場所は完全に一致してますが――そう言えば、まだ調べてませんでしたね」

そう言って、クレドさんは『仮のウルフ耳』の根元から手を滑らせて、『茜メッシュ』をかき分けて来た。あれ?

「どうかしましたか、ルーリー?」

――どうって言っても……それ、さっきの『風のジェイダン』さんと同じ触り方ですよね。

クレドさんの眼差しが一瞬、硬くなったような気がしたのは、気のせいでは無いかも知れない……

努力して、ようやくの事で気を落ち着けた――と言う感じで、クレドさんは硬い笑みを浮かべ、『連嶺』の方に目をやった。

「物事は変わる物ですね。季節が変わり出したせいか、髪が急に伸びている。 『茜メッシュ』が、注意すれば見えるようになって来ています――気付きませんでしたよ」

――そうだったっけ? 尻尾も何となくフサッとして来ているんだよね。確か、ジリアンさんが、言ってたっけ。 ウルフ族の毛髪の伸びるスピードは速いとか何とか……

クレドさんの朗々とした声が、静かに響いて来る。あ。やっぱり良い声だ。

「さっきの人物――『風のジェイダン』殿は将来有望な人物です。『下級魔法使い資格』持ちの貴公子として、魔法部署に所属しています。 彼は一時期、衛兵部署にも居ました。腕は立つ人ですよ。ザッカー殿が、自身の部隊にスカウトしようと考えたくらいには」

――成る程。クレドさんと同じような『隊士』かなと思った事は、間違いじゃ無かった。

聞いてみると、あの『風のジェイダン』って人、魔法部署のトップだという『風のトレヴァー長官』からのメッセージと言うか、 『お尋ね』を持って来ていたし、エリート役人って感じだなあ。

ホントにエリート役人かも知れない。グイードさんとチェルシーさんにとっては、宮廷内の顔見知りって言うくらいだし。

ジェイダンさんは、物腰がすごく洗練されていたし、本物の素敵な貴公子そのものだった。 そんな素敵な人が、一般庶民でヘボなわたしに、興味関心を持つとは思えないんだけど。

そんな事を考えている内に、ヒンヤリとした夜風が、再び吹き抜けた。先刻より気温が下がったみたい。

クレドさんが右手で、わたしの頬を『プニッ』と摘まんで来た。ほぇ?!

「ななな……?!」
「尻尾の方で、他の男の事を考えるんじゃありません。そう言うのを『猫又』と言うんですよ」

――はぁ?!

ちょっと目が据わってませんか。それに、ジェイダンさんの話題を始めたのは、そっちでしょう、訳の分からない事を言ってませんか、クレドさん?!

やがて、クレドさんは頬を摘まむのを止めた。遠く『連嶺』を眺めつつ、窺いがたい思案顔をしている。

「ひとつだけ、今でも分からない事があります。考え続けては居るのですが――」

そこまで呟いた後、クレドさんは不意に、わたしの方をまっすぐ振り向いた。ドキッ。

「昔の……あの最後の日、『かの御方』は――彼女は、私の分の『道中安全の護符』に、ルーリエ花を挟んで来ていました。誰にも分からないように」

……道中安全の護符……? そこに、ルーリエ種の、あの小さな瑠璃色の六弁花?

「ルーリーだったら、どういう意味を込めてルーリエ花を挟みますか?」

……ふむ?

クレドさんは、何人かのグループで『かの御方』の元を訪れていたそうだ。 『かの御方』というのは、滅多に会えない女性だったそうなのだ。御尊顔を拝めたのも奇跡らしい。

3人か4人の、老若のグループに混ざって、彼女の元を訪れていた――

――と言うと、……家族連れとか親戚づきあいだったのかな?

それにしては――随分と疎遠な関係のようにも思えるけれど。

そして、別れの日が来た時、『かの御方』は。

手ずから『道中安全の護符』をハンカチに刺繍して、クレドさんを含む訪問者たちに、ひとつずつ、くれた。

クレドさんたちを送り出した主人への返礼品は、別に公的な場所で用意されていた。 つまり、個人的な返礼品――『道中安全の護符』――は、彼女自身の意思による物だった。

――クレドさんの分の刺繍ハンカチには、何故か、ルーリエ花が挟まれていた、という訳。

それも、手違いか何かで入り込んだ物じゃ無い。

非常に手の込んだイニシャル刺繍を仕掛けて、その隙間にコッソリと挟んでいると言うやり方。 パッと見た目には分からないくらい、巧妙な手仕事だったそうだ。

しかも、他のメンバーが持っていた刺繍ハンカチには、そういう小細工は無かった。

ちなみに、『道中安全の護符』は期間限定だ。帰路コースを無事に完了したら、感謝を込めて『お焚き上げ』する事になっていたので、 今は、その刺繍ハンカチは残ってないと言う。

――成る程ねぇ。それじゃ、クレドさんじゃ無くても考え込むよ。

まして、クレドさんにとっては《宝珠》な人だ。

「ルーリエ花の花言葉とか……?」
「水中花が意味するメッセージは、直接的ではありますね」

花言葉には謎かけみたいな物も多いんだけど、水中花は元々、その作用や効果がハッキリしているので、曖昧な花言葉になっていないのだそうだ。

ハイドランジア花は、「栄誉と栄達」ないし「豪華、美麗」。丸ごと、全身が宝玉――という水中花ならではだ。

オルテンシア花は一抱え程もある大きさの花なうえ、全身消毒液プールの材料として採集されてしまう。 だから現物という訳にはいかないけれど、その図案なら「全快を祈る」という意味。病人向けのお見舞い関連では定番だ。

ルーリエ花は「静穏を祈る」。魔法要素の乱れを鎮静化するという働きに由来した花言葉。

アーヴ種が付ける花は、見るからに花っぽい花じゃ無いので、こういった場面に使われる事は余り無いけど、「美味」或いは「水は清き故郷」。

――ルーリエ花。「静穏を祈る」。それだったら、「道中の安全=静穏を祈る」と言う風に一致するし、 わざわざ、誰にも分からないように花を挟み込む必要は無い。むしろ、大っぴらに、花束にしても良いくらいなんだよね。

考えてみると、確かにオカルトでミステリーな行動だ。意図が全く分からない。

クレドさんが面白そうに目を細めながら、見つめて来ている。さっきまで、わたし、百面相してたみたい。

「ルーリーにも分かりませんか。それだけ所作や中身がそっくりなら、思考パターンも分かるのでは無いかと思ったのですが」

――お役に立てなくてゴメンナサイ。わたし、その人の事、何も知らないんだよ。

それにしても――護符の魔法陣の刺繍。イニシャル刺繍に仕掛ける小細工。

文字や『正字』スキルみたいに、わたしが身体で覚えてるパターンだろうか。

クレドさんが『かの御方』と言うたびにモヤモヤして、『わたしだって、それくらい出来るもん』って思っちゃうんだよね。 手が何となく針仕事を覚えてるような気もするんだけど、此処には手芸道具は無いから、今は実感は湧かない。

――それでも。

やっと、クレドさんの、謎の『眼差し』の意味が分かって来た。

わたしは、所作や反応などといったアレコレが、『かの御方』と良く似てるらしい。それに、『茜メッシュ』の位置も、ほぼ同じらしい。

わたしの所作や反応の奥に、『かの御方』を――よりによって《宝珠》を――重ねて見てたんだ。

そりゃ、驚きも不信も、『こやつは別人だ』と言うシッカリした認識と相半ばしながらも、一緒に出て来る筈だよ。 そんな存在が目の前に出てきたら、わたしだって、信じられなくて、そういう矛盾した反応をすると思う。

大きな違いは――『かの御方』は、物静かで、年上で、おそらくは金狼種の貴種の系統だという事。貴種って事は、 通りがかる人が振り返るような、ハッとするような美人だったんだろうか。

名門の令嬢だと言うチェルシーさんの、若い頃みたいなタイプとか、シャンゼリンを金髪にしたようなタイプ、とか。

わたしの方はと言えば、見るからにドジでそそっかしくて、黒狼種の混血。イヌ族って間違われるくらいのイヌ顔。 方々から『貧相』ってコメントをもらう程に、成長不良な16歳でもある。

――うぅ。この落差。自分で比較検討してて、泣けて来る。メルちゃんみたいに、『金髪コンプレックス』発動させてしまおうかなぁ。

不意に、クレドさんの右手が伸びて来た。

ななな……! 何で喉元、撫でてるんですか?! そこは獣人にとっては共通のアレ……!

くぅッ。気持ち良い。思わずゴロゴロ喉を鳴らしちゃう。

「気分はどうですか? ルーリーを泣かせるつもりは有りませんでした。済みません」

――気分が落ち込んだの、尻尾でバレてたんだ……

「先生がたの、秘密会議が終わる頃合いですね」

クレドさんはうつむいてポツリと呟いた後、再び、わたしの方をまっすぐ見つめて来た。クセの無い黒髪が、サラリとなびく。 彫像そのものの冷たさと静謐さを湛えた面差し――

だけど、その黒い目の中にある物は、今、人間らしい熱さのある感情に揺れていた。

「先刻の告白、嬉しかったです。とても」

――あ、あの黒歴史の中の黒歴史な、恥ずか死ねる尻尾の告白!

思わずピシッと身体が固まってしまう。体温が急に上がったみたいだ。冷や汗とは違う別の汗が、ダクダク流れている。

「6年……もうじき7年になります。『かの御方』とは、この先も恐らくは一生、逢う事はかなわないでしょう。 あの頃から既に、一匹狼を貫く事を覚悟していました。ですから、急に気持ちを切り替えるのは……難しい」

クレドさんの、滑らかな低い声が続く。

「ルーリーは余りにも『かの御方』に似ている。ですが、ルーリーは、見も知らぬ彼女の代わりとして扱われるのは本意では無い筈です。 本来、ルーリーがジェイダン殿と、《宝珠》が半分以上も適合するような縁があるのなら、ジェイダン殿に譲るべきなのでしょうが……」

殺気にも似た、妙な迫力を感じる。知らず知らずのうちに、片腕抱っこされている状態で、出来るだけ距離を取ろうと身体をズラせていたみたい。

クレドさんの右手が、再びスッと伸びて来たので、ギョッとして身を引く。

頬に右手を添えられて、いつの間にかアサッテの方を向いていた顔を、クレドさんの方に向き直された。ひえぇ。

思わずギュッと目を閉じたけど、クレドさんの滑らかな低い声が、追い打ちをかけるように続く。

「私は2人の女性に同時に懸想するような浮気者では無いと自認していますが、それでも、ルーリーの事は、『特別な意味で』気になります。 他の男にやりたくないと思うくらいには」

――す、ストレートですね。

ウルフ族の男性って、みんな爆弾告白するんでしょうか。わたし、ダメージ受けすぎて立ち上がれない気がするんですけど……

「少し、私に時間をくれますか。私が自分の気持ちを考え直せるくらいの時間を。 それほど長くは待たせません――ルーリーが成人する前までには決めますから。それまでの間、ジェイダン殿や他の男は待たせておきなさい」

――最後のセリフは、ほとんど命令じゃありませんか?!

不意に、クレドさんの体温が近づいた。私の方は目をギュッとつぶったままだから、 身体の各所の感触しか分からないけど……自分のとは別の、サラリとした髪の感触を、頬に感じると言う事は……

――顔を寄せられてる?!

「良いですね、ルーリー?」

低さと艶やかさを増した声で、左側の『人類の耳』の耳元でグッサリと釘を刺されて、わたしは思わず、コクコク頷いてしまった。

目をつぶってても分かる。凄まれてるって。

――クレドさんの切れ長の涼しい目は、きっと、刃のような光を浮かべているだろう。

わたしの反応に満足したのか、クレドさんの右手がゆるりと離れて行った。

離れがてら、クレドさんの長い指が、わたしの顎(あご)のラインを意味深になぞって行く。わたしの全身は、いつの間にか震えていた。

――し、心臓が死ぬ……

オーバーヒートの限界を超えて跳ね狂っていた心臓が、ホントに止まったみたいだ。ドッと力が抜ける。 わたしは、そのまま、身体がグラリと傾ぐのを感じた。

――それが、わたしの覚えている限りの、この日の最後の記憶だった。

*****(5)城下町へ繰り出して

続く5日間は、静穏ながらも、飛ぶように過ぎて行った。

メインの出来事は――ボウガン襲撃事件および関連事件の、容疑者死亡状態での裁判だ。

この数日、『茜離宮』の一角にある第一裁判所――王族や貴種に相当するウルフ族を対象とした裁判所――で、 マーロウさんの死体は、魔法で氷漬けにされて保存されていたそうだ。

魔法で氷漬けにされたマーロウさんの死体の周りに、刑部大臣をはじめとする司法メンバーがズラリと並び、 事件の全体像を述べ、検討し、しかる後に判決を下したと言う。

――『対モンスター増強型ボウガン』による襲撃。『爆速バーサーク化ドラッグ』を用いた急襲ないし暗殺。 国境をまたぐ闇マーケット取引。後々の問題になりそうな魔法道具としての機能を持つ、アンティーク宝飾品の流出。

こういう、外交問題になりそうな案件に関しては、レオ帝国は積極的に首を突っ込むと言う。

実際、この『マーロウ裁判』には、レオ族の駐在大使の一行も、視察を兼ねて臨席していたそうだ。 リュディガー殿下やランディール卿、その正妻たちをはじめとする方々だ。

マーロウさんに対する判決は――『斬首』だった。

すでに死体となっているマーロウさんの首を、敢えて切り落とす、という形になった。

みずからを『逆恨みのプリンスたち』という仮名でもって荘厳していた、純血の貴種なマーロウさんだ。

混血の貴種なウルフ国王陛下の立ち合いの下、マーロウさん自身が、かつての古代の混血ウルフ王の末路の姿と、全く同じ物をさらす事になったのは、 歴史と運命の皮肉と言えるかも知れない。

そして。

新たに気がかりな異変が発生していた。

疑惑を向け始めた上級侍女の1人、シャンゼリンが、いつの間にか行方不明になった。今は亡きアルセーニア姫の直属の侍女だった、美人女官だ。 黒狼種の、それも貴種の名門出身の――第三位の『姫』称号を得る可能性もある程の――

前日の剣技武闘会の折、ウルフ王国の第二王女にしてヴァイロス殿下の婚約者・オフェリア姫の周辺に、バーサーク化を強烈に促進する毒物が仕込まれていた。 ウルフ王族には名門の貴種が多く、そんな人々がバーサーク化したら、被害は甚大になる筈だ。周辺の重鎮メンバーにも、どれだけの死者が出る事になるか――

その毒を仕込んだのでは無いかと思しきシャンゼリンが、急に『茜離宮』を出奔して、そのまま行方不明になったのだ。

ヴァイロス殿下もリオーダン殿下も『抜かった』と悔しがったけど、もはや『後の祭り』というところ。

剣技武闘会の翌朝――マーロウさんが現場斬殺された当日の朝――には、既に行方不明になっていたそうだ。 シャンゼリン、逃げ足、早すぎる。

オフェリア姫もヴァイロス殿下もリオーダン殿下も、直前で毒物を回避できていた。 ターゲットだった人々が、全員ともに正気で夜を越したのを確認した時は、シャンゼリン、さぞビックリしたに違いない。

疑惑の目が、シャンゼリン自身に本格的に向けられ始めたのを、敏感に感じ取ったんだろう。

シャンゼリンが使っていた毒物は、マーロウさんが使っていたのと同じ毒物『爆速バーサーク化ドラッグ』だ。

闇ギルド由来の品々は効力の有無が第一で、品質管理は極めていい加減。 成分の割合が完全に一致する毒物が、全く立場の違う人々の手に渡るという事は、考えにくい。

シャンゼリンとマーロウさんには、裏で毒物のやり取りをするような協力関係があったに違いない。

そして、シャンゼリンは、アルセーニア姫が死ぬ直前まで――正確に言えば一刻前まで――アルセーニア姫の傍に居た人だ。 シャンゼリンを逮捕して事情聴取してみれば、アルセーニア姫がどうやって死んだのかも、分かるかも知れない。

そんな訳で、シャンゼリンは、緊急の指名手配の対象となったのだった。

*****

この5日間、わたしはボヤッとして過ごしていた訳では無い。逆に、多忙だった。

クレドさんとの夜の会話が衝撃的だったこともあって、しばらくクレドさんの顔を見られない状態だったので、 逆に良かった。マーロウさんの裁判の関連で、クレドさんが多忙になってたのも、ホッとした。

会えない日が続くのは悶々とするけど、その一方で、クレドさんの顔を見たら、恥ずか死ねる余り、全速力で逃げ出せる自信がある。

一方で、体内エーテル状態が、だいたい落ち着いたと言う事で――メルちゃんと同じような軽い『魔法の杖』を提供された。日常魔法の確認と練習のためだ。

でも。

何故か、不発だった。常に。杖そのものは光るんだけど、何故か、魔法が発動しないのだ。最も容易と思われる《霧吹き》の魔法でさえ。何故だ。

これはディーター先生とフィリス先生を大いに困惑させた。付属の図書室でも調べてみたんだけど、原因は、まるで分からない。 『呪いの拘束バンド』には、魔法を妨害する要素は無いらしいんだけど。

と言う訳で、『呪いの拘束バンド』のスキャン記録を、再び詳しく調べる事になったのだった。

そうこうしているうちに――メルちゃんの姉ジリアンさんの結婚式の招待状が、届いた。

あっさりとしたチュニックとズボンと言う街着で訪問するのもアレなので、 ちょっとかしこまった、中級侍女ユニフォームに似たグリーンの外出着を中庭広場の商店街でゲットした。

結婚のお祝い品を準備するには時間が限られていたので、わたしの思いつく限りの強力な『魔除けの魔法陣』を作成して贈る事にして、 その道具を魔法道具店でゲットした。

魔法陣を刻むボードは、魔法道具店お勧めの、彫刻用の工芸ボード。軍用の金剛石(アダマント)のボードほど頑丈じゃ無いから長くは持たないけど、 充分に耐性があるから、効力が続く間は、効力は満足できるレベルだと言う。

*****

そして、やって来た、ジリアンさんの結婚式・当日。快晴だ。

ジリアンさんとメルちゃんの母親ポーラさんからの事前連絡によれば、わたしが着用する参列客用のドレスを用意してあると言う。 あのメルちゃんの水色ドレスとお揃いのドレスだ。 直前のサイズ合わせやお化粧などの準備があるので、早めに会場の控え室に行く事になっている。

ディーター先生は『茜離宮』で、魔法部署の関連の仕事が続いている。ディーター先生に一報入れた後、 わたしは、この日のための休暇を取ったフィリス先生と共に、一般の転移基地を経由して、城下町へと繰り出した。

初めての城下町だから、ちょっとドキドキする。

陽光は夏の後半の強さを保ちながらも、既に秋の気配が漂っている。遠く見える雪山から吹きおろして来る風は、涼しさを増していた。 聞けば、夏の離宮――避暑地と言う事もあって、冬の訪れは早い方だそうだ。成る程ねぇ。

城下町は、『茜離宮』が稼働している間は、王宮関係者の人数が増えて賑やかになる。

あちこちの公民館やホテルといった、或る程度の規模のある公共建築物は、屋根パーツが『茜離宮』スタイルに合わせて玉ねぎ屋根の形になっている。

玉ねぎ屋根の建築物は、モンスター襲来の時に避難所になる場所なんだそうだ。イザという時に何処に逃げ込めば良いか、分かりやすくて便利。

城下町の家々の壁部分は、アースカラーに統一されている。様々なトーンがあってカラフルだ。 ほとんどの屋根は平らで、角度は浅い。足の運びや体重バランスに注意すれば、『忍者ごっこ』さながらに屋根の上をパーッと走れそうな感じ。

大きな市場がある大通りの方は、魔法の力で動く大型の台車が盛んに行き交っている。

大通りから伸びる中小ストリートでは、適当に広場を空けつつ、一般家屋が並んでいる。 だいたい病棟の総合エントランスで見かけたのと同じような割合で、様々な獣人が行き交っていた。

*****

フィリス先生とわたしは、中小ストリートを少し行った先の広場に出た。

大きな玉ねぎ屋根を持つ公会堂が、ささやかな古城さながらにドッシリと建っていた。此処が結婚式場となっている。

城下町で、結婚式や記念フェスティバル、音楽会などなどの様々な催しに引っ張り出される、気楽なタイプの公会堂でもある。 玉ねぎ屋根を持っているので、緊急事態の時は、避難所に変身する場所になると分かる。

今回は結婚式場という事で、可動式の玉ねぎ屋根は、今は花が開いたようにパカッと開いている状態だ。 淡い緑金色をしたステンドグラスが、キラキラと陽光を反射しているのが、めくれた屋根の間から見える。

広場は公園となっていて、お祭りの時みたいに、様々な立食メニューを揃えた屋台が並んでいる。

披露宴すなわち立食パーティーのスタートと同時に、食事提供が始まるそうだ。 結婚式場では定番の、披露宴のための屋台シリーズなんだそうで、披露宴に相応しい豪勢なメニューが取り揃えらえれている。

*****

「まーッ、髪が伸びたわね、ルーリー!」

会場の控え室に到着した際の、ポーラさんの第一声が、これだ。

これから花嫁衣裳を着付けると言う事で、ほとんど下着姿なジリアンさんも、異口同音に同じ言葉を喋ったから、ビックリしちゃった。

わたしのウルフ耳はまだ復活していないけど、ウルフ尾の方は、まぁまぁ見られるくらいには、フサッとして来ている。 クレドさんにジーッと注視されても、『ギリギリ、頑張れるかな?』と言うくらいには。

わたしが結婚祝いに製作した『魔除けの魔法陣』は、すぐにも役立ちそうとの事で、このストリートの入り口にある『魔除けの護符セット』の中に混ざる事になった。

この『魔除けの護符セット』、普段は毒ゴキブリなどの害虫の侵入を防ぐ《魔物シールド》を維持している物なんだけど、 モンスターが襲来した時は、更に《対魔ミサイル》を発動するための基盤になるんだそうだ。

今日の主役のジリアンさんは、既に、ドレスメーカーのスタッフたちに取り巻かれて居る。

ドレスメーカーのスタッフたちが用意しているのは、華やかな茜色の花嫁衣装だ。色とりどりの花パターンの染めが美しい。 花パターンを際立たせるように、クッキリと黒いフチが入っていて、これが、さりげなく、ジリアンさんが《地霊相》生まれである事を主張している。

ちょっとお願いして、ジリアンさんの左薬指を見せてもらった。フィリス先生の物と同じような、クルクルの成長曲線。 それがレース模様を伴いながら、グルリと取り巻いている。

レースみたいな複雑なパターンが出来始めたのは最近だそうだ。 最初は《宝珠》適合率は平均レベルだったけど、お互いに好意と誠実を持って付き合っているうちに《宝珠》適合率が上昇して来たと言う。

愛情って、人間関係そのものだ。時間と共に変化して成長する物なんだなと、何となく納得。

メルちゃんは既に水色ドレスを着て、控え室の隅でニマニマしつつ、スタンバイ中だ。おそらくはメルちゃんが頑張って主張したに違いない、 両方のウルフ耳に、ピンク色のレースのリボンを巻いて花結びにしている。お人形さんみたいで可愛い。

わたしが到着して間もなく、チェルシーさんが手伝いにやって来た。前々から示し合わせていたそうだ。ビックリ。

チェルシーさんはフィリス先生のドレスアップを手際よく済ませてしまった。

フィリス先生は《風霊相》生まれなので、白を基調とした礼服だ。色違いと言う事を除けば、上級侍女のドレス風ユニフォームのようにも見える。 このデザインは見かけによらず機動性が高く、まさに魔法使いのためのデザインという風だ。その上に、中級魔法使いの無地の灰色ローブをまとうスタイル。

赤銅(あかがね)色をした、ごくごくゆるやかなウェーブのある毛髪が、意外に鮮やかに映えているから、ビックリしちゃう。 聞けば、ポーラさんとチェルシーさんが2人がかりで見立てた物だと言う。納得。

フィリス先生は忙しそうな様子で控え室を出て行った。魔法に関するアレコレの件について、この結婚式を取り仕切る祭司と話し合うのだそうだ。

チェルシーさんとポーラさんは、『どれだけ化けるか楽しみだわ』と、ウキウキとした様子で、わたしのドレスアップに取り掛かった。

わたしは『お化粧で化けるタイプ』と言われた事があるんだけど、どうやら、それは共通の見立てみたい。

少年そのものだったショートボブな髪型は、メルちゃんと同じ肩ラインまで伸びて来ている。最近、髪の伸びるペースが倍増してるんだよね。

ジリアンさんの見立てだと、今年の冬には、年相応の長さ近くまで、つまり背中の半分ほどまで髪の長さが復活するだろうとの事。ビックリ。

先祖の狼――特に寒冷地出身の狼――には、『換毛期』というのがあったと言う。冬に備えて急に毛の量が増したり、春になって抜け毛が増えたりする。 『人体』バージョンを得た後になっても、その性質は微妙に受け継がれたらしい――毛髪が急に伸びたり、抜け毛パターンが激変したりする。

この毛髪の『気まぐれ』に悩まされるのは、獣人共通。この時期は、美容師や理容師の書き入れ時だと言う。 成る程、美容師や理容師が、獣王国の代表的な職業になる訳だよ。

「あらあら。まぁまぁ。化けたわねぇ」

ひととおり簡単なメークをした後、ポーラさんとチェルシーさんが2人で揃って、感心し始めた。 メルちゃんは前に見た事があったから、今度はあまり驚いて無いみたいだけど。

わたし、一体、どんな顔に化けたんだろう?

首をかしげていると、姿見の前に連れて来られた。……へッ?!

目尻の切れ込みが浅いためにイヌ顔っぽくなってるのは分かってたけど。お化粧で、その切れ込みをカバーして深く見えるようにすると、 あら驚き、れっきとしたウルフ顔に見える。

しかも、ポーラさんやチェルシーさんのお化粧の腕前が良いのか、割と貴種的な美麗系の美人に見える。

――れっきとした別人じゃ無いか。お化粧、恐ろしい。

「天然でこれだけ化けるなら、《変装魔法》も加えれば、女忍者も出来るんじゃ無いかしらね」

ポーラさんが感心していたけど、忍者だの工作員だのというキーワードには、余り良い思い出が無いから、辞退申し上げたいというところ。 しかも、此処に来た最初の日は、本気でイヌ族だと誤解されてたし。

ポーラさんが何故か盛り上がって『お忍び中の正体不明のミステリアスな淑女』コンセプトで行きたいと言い出した。

祝賀パーティーに付き物だという『仮装ジョーク』の名目とは言え、金髪の付け毛まで付けられたら、犯罪レベルの《変装》そのものだから、やーめーてー。

幸いな事に、良いタイミングで、結婚式の直前リハーサルが始まった。

ポーラさんは、花嫁のジリアンさんや、ベール持ちを担当するメルちゃんと共に、会場の方で忙しくなった。 花婿さんが到着する前に、さっさか済ませておくのだそうだ。ホッ。

そう、ジリアンさんの花婿さんの事で、更にビックリする事があった。

ジリアンさんの結婚相手は『水のジュスト』さんというウルフ族の男性なんだそうだ――王宮・財務部門に勤める若手の中級役人なんだけど、 彼は、グイードさんとチェルシーさんの2人の息子さんの内、1人だったんだよ!

*****

花嫁衣裳を着付けると言うメインの任務が済んだ後の控え室は、静かになった。

パラパラとやって来る参列客たちの各々のドレスアップや、専門的な髪型メークや顔メークが、控え室に並ぶ姿見の前で続いている。

わたしが居る控え室は、女性を対象とする控え室だ。持ち込まれて来た色とりどりの礼装――各《霊相》にちなむ色でまとめてある――や、 アクセサリーが、目にも華やかだ。

アンティーク宝飾品店をやっているチェルシーさんの親しい同業者さんも居て、 たまに由緒のありそうなアクセサリーに目を光らせている。仕事と趣味の延長なんだそうだ。熱心だなあ。

結婚式の参列客としてやって来た、チェルシーさんの親しい同業者にして友人は、黒狼種の年配の女性『火のラミア』さん。

元々、実家が代々アンティーク物を扱う専門店をやっているそうで、ラミアさんも、アンティーク業界で長く活躍している。 如何にも貫禄のある、堂々としたシニア世代の女性という風で、カッコいい。

ラミアさんは、ひととおりアンティーク趣味を満喫すると、チェルシーさんとの挨拶とお喋りを兼ねて、わたしにもお茶を持って来てくれた。

3人で控え室の脇にある長椅子に腰かける。簡単な自己紹介と社交辞令が終わると、『火のラミア』さんは早速、立て板に水で喋り出した。

「それにしても、チェルシー、この間いきなり『闇マーケットのパンフレットとか、何でも良いから今動いているアンティーク盗品の情報を手あたり次第、 お知らせして』って連絡をもらった時は、何があったのかとビックリしたわよ。 しかも、それが、あの『マーロウ事件』につながるなんて、なおさら。よりによって昔、チェルシーが付き合ってた貴公子じゃ無い」

何でも、あのマーロウさんが関わった一連の事件は、アンティーク品を扱う同業者の間で、大変なショックを持って受け止められたそうだ。

そりゃそうだよね。よりによって元・王族だった人物にして王宮のアンティーク部門のトップだった人物だよ、マーロウさん。

しかも目下、アンティーク部門のトップのポストが急に空いてしまったという状況だ。知識、技術ともに相応しい新しい人材を選別するのが大変で、人事が難航しているという。

それで、アンティーク部門では、城下町の専門業者の協力を仰ぐという『臨時対応』が取られているところ。 信用の高い古参の業者と言う事で、『火のラミア』さんも、お手伝いに駆り出されている。

予算の問題があって報酬は相場より低く、半分ボランティアという風なので、業者としては複雑な所ではあるそうなんだけど。 ラミアさんは、『王宮保管の珍しい品々、眼福だわ~』と言っている。大変だけど、ウキウキする日々が続いているってところらしい。

ラミアさんは、白髪混ざりの黒髪をフワフワさせながら、ひととおり近況を喋った後、わたしをしげしげと眺め出した。

「この子、可愛いわね。チェルシーの親戚? こんな子が居るなんて聞いて無かったわ。 混血の貴種っぽいし、良いとこの令嬢なのかしら? 私の顧客にも、良い感じの若い貴公子が何人か居るのよ。 性質の良い混血なら純血と同じくらい大歓迎って話を頂いてるし、紹介や打診、受け持っても良いわよ」

チェルシーさんが優雅に微笑んで、さらりと応える。

「訳アリの子なの。『耳』パーツの問題が解決するまでは、そっとしておいてもらえたら嬉しいわ」
「もちろんよ。『耳』が取れちゃうなんて一生モノの傷、若い女の子にしたらショックよね」

そう言って、ラミアさんはわたしの『仮のウルフ耳』を撫でてくれた。ちょっと押しが強いけど、親切な人だなあ。 感謝を込めて、ちょっと尻尾を振り振りしてみる。

「それにしてもねえ、あの貴公子マーロウがね。こんな事を言うのもアレだけど、 チェルシーが、スマートな貴公子マーロウじゃ無くて、あの四角四面な庶民からの叩き上げの無愛想グイードを《盟約》の相手に選んだのは、正解だったのねえ。 人間の中身って、血統書や外面では決まらないのよね、アンティーク宝飾品と同じで。難しい物だわね」

――そうだ。マーロウさんって、チェルシーさんの元・上司で、 『もしかしたらマーロウさんとチェルシーさんは結婚するかも?』なんて噂されてた人だったとか。

*****(6)過ぎ去りし日の面影

チェルシーさんは、左薬指をさすりつつ、複雑な笑みを浮かべていた。

「時々ね、ほんの時々なんだけど。マーロウさんは、どちらかと言うと皮肉の利いた……エスプリと言うのかしら、 他人をチクッと刺すような……或る意味、笑えないくらいの鋭いコメントをする方だったの。 王族として振る舞う時とか、揚げ足を取り合う外交面では、必要な才覚だったかも知れないけど」

――ふむふむ。

そう言えば、マーロウさんって、闇オークション用の仮名として、『逆恨みのプリンスたち』という、いわくのあり過ぎる名乗りを上げてたんだよね。 訳知りの人が聞くと『うわあぁ』ってなるような。激辛レベルのエスプリ感覚の発露。

チェルシーさんは、シミジミとした様子で、左薬指の茜ラインを眺め始めた。クルリと一巡する、その茜色の幅の中に、複雑な曲線や紋様が詰め込まれている。

今まさに気付いたけど、満開のバラみたいな花模様が、その茜ラインの中に幾つかある。真紅……《火》の赤って感じ。

フィリス先生やジリアンさんの茜ラインには無かった物だ。こういうのは、年数を経て愛情が成熟して行った時に、出て来る物なのかも知れない。

「マーロウさんと人生の半分を分かち合うかも知れない――という事を真剣に考えた時に、あの鋭すぎるエスプリ感覚に付いて行けるかどうか、 改めて悩んでしまってね。そんな時に、たまに大食堂で、挨拶や時事の噂を交わすだけの関係だったグイードと、シッカリ関わる機会があって。 あの頃の気持ちの変化は、自分でも不思議だったわ」

ラミアさんが白髪混ざりの黒髪をフワフワさせて、相づちを打っている。

「そうなのよねえ。よりによって、下町出身の、ユーモアの欠片も無さそうな四角四面グイードと電撃《盟約》して、 出て来た茜ラインが《宝珠》なんだもの、私もビックリしたわよ」

――驚きだ。チェルシーさんとグイードさん、《宝珠》同士だったんだ!

ラミアさんの話は続いた。

「それ程になると『宝珠メリット』もハッキリして来るのよね。貴種でも何でも無い、ただの不愛想な文官の青年が、並み居るツワモノの武官を押しのけて、 剣技武闘会8位の戦闘力を示すまでになるなんて……高い適合率の《宝珠》、恐るべしだわ」

そう言うモノなんだ。『宝珠メリット』、ビックリだ。男性側の《宿命図》に共鳴と増幅を起こすとか言ってたけど。

しかも、確か、他種族との間ではそれ程の効果が無いにしても、一定の上乗せ効果は普遍的に期待できるという話だった。

《宝珠》は《宿命図》内部構造の、それも核(コア)としてあるから、それだけ影響も大きいのだろう。

チェルシーさんとグイードさんは、色々な意味で、相性が良かったという事なんだろうな。

――レオ族が投資商品として欲しがる筈だ。 イヌ族の、ナンチャッテ愛の放浪者な『火のチャンス』さんも、『真実の愛(?)』の箔付けとか、そんな感じで。

感心していると――

――不意にラミアさんが、わたしの顔をしげしげとのぞき込んで来た。気になる事があるのだろうか、盛んに小首を傾げている。

「ねぇ、チェルシー。私の目に狂いが無ければ、この子の顔立ちって……レオ帝都で見た、 あのウルフ族のすれっからし……金髪のヤクザ女の面影も、無きにしも非ずじゃ無い? このチャコールグレーの毛も、 うっすら紫を帯びてるタイプの色合いだし」

――ほぇ?! 金髪ヤクザ……?!

ラミアさんが目をパチクリさせて「あら、言い方が不適切だったわね」と謝罪して来た。

「20年以上も前になるんだけどね、チェルシーと私は王宮付きのアンティーク部門の中級侍女として、 レオ帝都のアンティーク取引所に行ってた事があるの。レオ帝都に居る数名の大富豪が、 大型モンスターの腹の中から出て来たウルフ族のアンティーク宝飾品を幾つか、偶然にも入手したと言う情報があって、 買い取り交渉をするためにね。役人の一団でね」

――ふむふむ。と言う事は、国家的なプロジェクトだったみたいですね。

「そうなの。玉座の間の荘厳に相応しい国宝級の品だったから、私たちも張り切ってたわ。 私とチェルシーが担当する事になって訪問した大富豪ってのが、レオ大貴族『風のサーベル』って人なんだけど――」

――な、何ですと?!

いきなり尻尾が『ビョン!』と跳ねちゃったよ。それ、聞き覚えのある名前ッ!

「あら? 知ってる人?」

そこで、チェルシーさんがタイミング良く解説してくれた。

「最近の獣王国ニュースで、そのレオ族『風のサーベル』が、ビックリするような再登場をしてたのよ。 あの日は他にも色々あったから話すのを忘れてたわ、ごめんなさいね。あの人、性懲りも無く、裏で非合法の奴隷商人を続けていたみたいなの。 悪辣が過ぎたみたいで、『タテガミ完全刈り込み』の刑を受けたと言う内容になってたわ」

ラミアさんが口をアングリしている。

「まぁ、まぁ、何てこと……かつての、レオ帝宮にも出入りする程の、貴種の血統の大貴族が、落ちぶれた物だわねえ。 私、その時は忙しくてニュースを見てなかったのよ。これはレオ帝都の同業者に聞いてみないと」

しばらくの間ラミアさんは、ウルフ耳をシャカシャカとやって首を振り振りした後、昔話を再開した。

「おほん、話が途切れたわね。『風のサーベル』は典型的なレオ大貴族の大富豪。 当時、彼は、レオ族の4人の正妻と、他種族から引き抜いた側室たちから成るハーレムを築いていたわ」

――成る程。そう言うハーレム構成が、レオ帝都の大貴族とか大富豪ではスタンダードなんですね。

ラミアさんの話は続いた。チェルシーさんは相づちを打っている。だいたい、正確らしい。

「イヌ族、ウサギ族、ネコ族といった典型的な『接待役のハーレム妻』の他に、珍しくもウルフ族のハーレム妻が1人居ると言う耳寄りな情報をキャッチしてね。 『現物を確認したい』と言う説得も、ウルフ族同士なら上手く行くかもって事で、 『風のサーベル』の繁忙期のタイミング――正直に言えば留守のタイミング――を狙って、業務訪問の連絡を入れてたの」

*****

――狙いは当たった。

風のサーベルと4人の正妻は、レオ帝宮の社交行事で留守にしていた。

レオ大貴族ならではの豪壮な邸宅の中には、『接待役のハーレム妻』たちと、 門番を務めるレオ族の老いた戦闘隊士4名――ハーレム妻の監視担当でもある――と、侍女を務めるレオ族の少女が4名居るのみだった。

業務訪問して来た客が女性2人。『接待役のハーレム妻』たちの特別な出番は無い。 男性客の場合は、『接待役のハーレム妻』たちによる『特別な接待』サービスが付くけれど。

贅沢に黄金を施した応接室に通されて、女性グループの茶会でお馴染みの、常識的な話題が続いた。

やがて話題が尽き、『アンティーク宝飾品』の話題で対応に詰まった『接待ハーレム妻』のイヌ族、ネコ族、ウサギ族が、 「同じウルフ族なら、茶会の話題も続くわ」と言う事で、監視の目を盗んで、ウルフ族のハーレム妻をコッソリと連れて来てくれたのだ。

思えば、この時点で、ラミアとチェルシーは違和感に――或いは『罠』に――気付くべきだったのだ。

レオ族の男性が、4人の正妻もが、『宝珠メリット』付きのハーレム妻を、レオ社会の社交行事に連行せず、留守番役として自宅に置いている。 これは、なかなか有り得ない事。

――応接室の中、戸棚を装っていた隠し扉が、勢いよく開かれた。

ラミアとチェルシーは驚きの余り、声を上げる事も忘れて、新しく入って来たウルフ族の美女を眺めるのみだった。

――腰まで届く見事な金髪。頭頂から流れる一筋の茜メッシュ。ゆるやかなウェーブ。その毛髪の色は、アンティーク部門の2人にとっては印象深い色合いだ。

チェルシーの柔らかな色合いの金髪とは違う。

妖しく紫を帯びた黄金――まさに紫金(しこん)。『紫磨黄金』と言う称号を受ける程の、最上級の品質の黄金にも似て。

栄養状態が良いのか、ウルフ族にしては少し背が高い。古傷だらけではあるが、貴種を思わせる美貌。 キリッと立つウルフ耳に、毛並みの良いウルフ尾。スラリとバランスの良い身体。香水か何かなのか、ホワイトフローラル系の香りをまとっている。

髪型は意外に、無造作なポニーテールだ。《風霊相》生まれなのか、白いリボン。 何故か夜着といった感じの、紫色のランジェリー風ガウン。レオ族女性ほどでは無いものの、胸の大きさも充分。

しかし――態度は最悪だった。紫金(しこん)の髪をしたウルフ女は、険しく眉根を寄せた。

「あんたたち、ボヤボヤしてるんじゃ無いよ。とっとと帰れ。特にそっちの若いの、未婚じゃねえか」

貴種を思わせる美貌から吐き出されたのは、水晶の鈴の鳴るような透明な美声なのに、ヤクザもビックリの乱暴な言葉遣いだ。

名指されたのはチェルシーだった。ラミアとチェルシーの2人で口をパクパクしていると、紫金(しこん)の女は『チッ』と下品な舌打ちをして来た。

「風のサーベルは上っ面は良いけど、最低の下劣野郎さ。捕まったら最後、こうなるからね。 お宝の事はオレも知らねぇし、あんたら、騙されておびき寄せられたクチだろうが」

紫金(しこん)の女は、いささかのためらいもなくガウンをはだけ、全裸を剥(む)いて来た。

――焼きごてで焼き付けられた奴隷の印が、胸の真ん中にある。癒えているとは言え、無残な傷痕。まるで野蛮な古代が再現されたかのようだ。 胴体に広がっているのは、痛々しいまでの打撲痕。各所に見える赤い筋は、ムチで打たれて出来た物だろうか。

そして。

紫金(しこん)の女は《風霊相》生まれゆえか、素晴らしい『風使い』だった。

女は素早くチェルシーに駆け寄った。『魔法の杖』を奪うが早いか、全裸の状態のまま、ラミアとチェルシーを不可視の突風で小突きまくった。

そして、老いたレオ族の戦闘隊士たち――監視の目――が気付く前に、風のサーベルの邸宅から放り出したのだ。

文字通り、乱暴に放り出されたに等しかった。紫金(しこん)の女が起こした、ちょっとした竜巻さながらの魔法の風は、ラミアとチェルシーの身体を宙に浮かべ、 邸宅の庭を仕切っていた高い防壁も生け垣も、難なく飛び越えさせていたのだ。

余りにも不意打ちの所業。外側の街路に乱暴に落とされたラミアは腰を打ち、チェルシーは腕や膝を擦りむいた。

そこへ――風のサーベルと4人の正妻が、大柄な戦闘隊士8名が牽引する贅沢な大きな人力車に乗って、帰宅して来たのだった。

レオ大貴族『風のサーベル』は、威風堂々とした立派な男性だった。

貫禄のある金茶色のタテガミ。混ざっている金髪成分は、貴種レオ族の証。『金獅子大帝』の血を受け継ぐ、高貴なる者としての証でもある。 平均以上に整っている容貌。レオ族ならではの剛毅な造作のうえに、凛々しさと色気、それに知的な雰囲気が加わっていた。

だが、しかし。その人力車の荷台には――妙に酒瓶が多いような気がする。

ラミアとチェルシーは、何故か訳も無く直感が働き、物陰に隠れた。

風のサーベルと4人の正妻は、ラミアとチェルシーに気付く事なく、邸宅に入って行った。4人の正妻が、奥殿の方に収まったと思しきタイミングで――

風のサーベルと思しき、男盛りのレオ族の男の声が、微かに響いて来た。

「2匹のウルフ女ぁ、何処だ! 居る筈だぞ、特に引き留めるように『接待』を命令しておいたんだからな!」
「も……申し訳ありません、恐ろしきサーベル卿! お2人は帰っているみたいで……応接室はもぬけの殻で……」
「役立たずめが! この後すぐに、ステンスが来るんだぞ! 商談が台無しだ……チクショウ!」

風のサーベルが、御注進した誰かを殴ったような音が続く。直後、新たに怒鳴り声が続いた。

「貴様か! おい、何してるんだ、このアバズレ!」

――何故だか、これから殴られるのは、あの紫金(しこん)の髪をしたウルフ女だとハッキリと分かる。

ラミアとチェルシーは『狼体』に身を変え、全力で走った。

とにかく、これは、誰かに知らせるべき事態だ――

レオ帝都の一角にある、ウルフ王国大使館。大使館という位置づけにも関わらず、実際は『レオ帝都におけるウルフ王宮・本殿』であり、 国交行事の際にはウルフ国王夫妻も滞在する事が出来るほどの格式を備えている。

駆け込めたのは良かったが、上司マーロウは上級スタッフと共に、別のレオ大貴族の元を訪れていて不在だった。

ラミアは、魔法の風で放り出された際に痛めた腰がひどくなって遂に歩行困難になり、治療のため医務室に運び込まれた。 チェルシーは、この問題に対応できる役人を、血眼になって探した。

ほぼ半狂乱だったチェルシーに対応して来たのが、若手の中級役人グイードだ。

だが、レオ帝都の中で、ウルフ王国の名のもとに出来る事は、非常に限られている。 まして、ほとんど意味不明かつ確証の無い証言をもとに、貴種の血を引くレオ大貴族の邸宅に緊急に立ち入る――という事など、ほぼ不可能に近い。

ともあれ、グイードは『2人の我がウルフ王国国民が不当に襲撃されて負傷した現場を確認し、まだ犯人が居れば身柄拘束する』という名目で、 中級役人の権限で動かせる限りの隊士を動かした。見習いを済ませたばかりの、まだ少年と言って良い新人隊士たちばかりでは、あったけれども。

ちなみに、このタイミングで上司マーロウが大使館に戻って来て、『外交トラブルにならなければ良いが』と眉をひそめた。

マーロウは外交アドバイスを加えつつ、グイードを制止したけれども。『不法な事をしている訳では無いし、調査と言う名目だ』という大義名分があったから、 グイードは、そのまま高速で動く事を決断した。

早い行動は、思わぬ副産物をもたらした。

ウルフ王国が急に軍事行動に近い行動を起こしたことで、レオ族の戦闘隊士の一団が急遽、付き添って来た。 ウルフ王国大使館の周辺警備のために、レオ帝国の名前でもって、派遣されていた者たちだ。

そして到着した、レオ大貴族『風のサーベル』の邸宅の前。

無数の《風刃》が飛び交い、まるで戦場だった。

指名手配中だったレオ族の『奴隷商人・地のステンス』が、まさに訪問している最中だったのだろう門前に横付けされていた人力車の中で、 無数の《風刃》によって、こと切れていた。奴隷商人ステンスの配下も同様、血の海の中で既に息が無かったり、瀕死でもがいていたり。

レオ族の戦闘隊士たちが仰天し、魔法の防壁で《風刃》の嵐を防ぎつつ、豪壮な邸宅に踏み込んだ。

前庭の真ん中で、真っ赤になって荒れ狂っていたのが、誰あろう『風のサーベル』。

――風のサーベルは、重度のアルコール中毒を起こしていた。既に正気では無く、全方位にアルコール臭のする《風刃》を撒き散らしている。

レオ大貴族『風のサーベル』は、『隠れ酒乱』体質だったのだ。落ち着いている時はそれ程でも無いけれど、感情が高ぶれば高ぶるほど、酒乱もひどくなる傾向。

その『風のサーベル』が集中攻撃しているのが、あの紫金(しこん)のウルフ女だった。

紫金(しこん)のウルフ女は――『魔法の杖』を握り締めつつも、瀕死の重傷。『魔法の杖』で防壁を合成して防衛していなければ、 原形も残さぬ細切れの死体となっていただろう。

無数の《風刃》は邸宅の中を縦横に荒れ狂い、4人の正妻の命をすら奪っていた。 流血を防ごうと間に入った、ハーレム監視役の老いた戦闘隊士4人も、同様に、既に死んでいた。 『接待役のハーレム妻』3人と、侍女を務めるレオ族少女たち4人は、皆怖がって地下室に潜っていたため、無事だった。

風のサーベルは、レオ帝国の戦闘隊士たちとウルフ王国の衛兵たちの共闘によって、身柄拘束された。

まだ酒乱の残っている状態で、風のサーベルは、『紫金(しこん)のウルフ女に闇討ちされた。 酩酊作用を持つドラッグ入りの酒を飲まされて、ああなったのだ』と泣きながら主張したけれど。

普通なら有り得ない状況だとも言える。第一、彼女が『風のサーベル』にアルコールを飲ませる時間など、無かった。

状況証拠を見れば。

紫金(しこん)のウルフ女には、古代さながらの奴隷の烙印が押されており、虐待の痕跡が全身に残っている。 そして、『風のサーベル』の邸宅の門前には、指名手配中の『奴隷商人・地のステンス』が、死体とは言え存在している。 非合法な奴隷取引が行なわれていた事は明らかだ。

レオ帝都を揺るがす、流血と汚職のスキャンダルである。当然、レオ帝国の側としては隠密裏に済ませたい。

この出来事は、現場の判断で伏せられる事になった。紫金(しこん)のウルフ女を、グイード側――ウルフ王国側に引き渡すと言う、破格の条件付きで。

*****

「でもねぇ」

立て板に水で滑らかに語っていたラミアさんは、そこで、『ハーッ』と長い溜息をついた。

「たまたま上級魔法使いが大使館に詰めてて、《宿命図》判読の結果、紫金(しこん)の髪をした彼女が『風のキーラ』という名前だった事は分かったんだけど。 闇ギルドの出身でね、ウルフ王国の通常の国民データには無かったそうなの」

――あの頃、ウルフ王国大使館での、臨時の適性診断の結果。

闇ギルドの出身にしては、風のキーラは、倫理のセンスや善悪の判断能力は、意外にまともな方だと診断された。

正規の教育を受けておらず『正字』スキルはまるで無かったから、町の職業に就くのは難しいけれど。 職業訓練の結果次第では、牧場、農園、狩猟場といったジャンルの肉体労働系アシスタントとしてなら、充分に適応できると見られた。

だが、闇ギルドの出身ゆえに、カタギの空気は合わなかったようなのだ――

チェルシーさんが、ラミアさんの続きを引き取って、ポツリと口を開いた。

「――大使館で治療して、記録を取って、国籍を作って、新しい『魔法の杖』もセットして提供したところで。 回復するが早いか、キーラは行方をくらましてしまったの」

――せっかく助かったのに? オカルトでミステリーな行動すぎる。

ラミアさんは「そうなのよね」と頷いて来た。チェルシーさんも、複雑な顔をしている。

「ただ、後日、闇マーケットの方で噂があったわ。 奴隷商人ステンスが死んだ事で、闇の奴隷商人のパワーバランスが崩れて、ヤクザ抗争が続いてたそうなの。 ウルフ族の奴隷商人がクマ族の奴隷商人に対して放った闇討ち――バーサーク軍団を含む殺し屋のリストの中に、1度、キーラの名前が出たわ。 その後の行方は、全く分からない。噂もそれきり」

――ウルフ族・金狼種、風のキーラ。数多の犯罪に手を染めて来たのであろう、闇ギルドの悪女。

キーラという人が、何故ラミアさんとチェルシーさんを助けるような行動に出たのかは、結局は分からない。 慈悲心を出したのか――それとも、ただ、単に、商売敵だったであろうレオ族の奴隷商人に、 『ウルフ族女性』という目玉商品をやりたくなかっただけかも知れない。

それでも――

「その時、助かって良かったですね」
「そうなのよねぇ。そう思う事にしてるわ」

*****

微妙に後味の悪い結果には、なったのだけれど。

この一連の出来事がきっかけで、チェルシーさんとグイードさんの距離が、急に縮まったそうだ。

グイードさんの方は、元・深窓の令嬢で同年代のマドンナさんなチェルシーさんに、以前からガチで惚れていたと言う。 マーロウさんとチェルシーさんが『名門の出身同士で結婚するかも』という噂になっていたから、大人しく身を潜めていただけで。

――そりゃあ、チェルシーさんが巻き込まれたトラブルが何なのか、グイードさん自身に分かる限りで、一生懸命、調べようとする筈だよ。

チェルシーさんは、今でも、時々考えるのだそうだ。

もし、あの時。

レオ帝都出張の役人一行に混ざって、大使館にグイードさんが詰めていなかったら。

つまり、半狂乱になったチェルシーさんに対応したのが、上司マーロウさんだったのなら。

グイードさんは、最初から最後まで四角四面で不器用なやり方ではあったけれども、半狂乱になったチェルシーさんを落ち着けた。そして、真摯に対応してくれた。 必要情報を取得するが早いか、権限の及ぶ限り隊士たちを動かして、みずからも身を運んで、現場近くまで調べに行ってくれたのだ。

もし、この件を主導したのが、マーロウさんだったのなら。事態は、どう変化していたのだろう。

まかり間違えば、ウルフ王国側が非を問われかねない案件だった。

優れた外交感覚のあったマーロウさんだ。後々の外交トラブルを見越して、『我関せず』を貫くように、チェルシーさんをスマートに説得していたのかも知れない。

――可能性と選択肢。

運命は時に、こういう仕掛けをして来るらしい。決定的なタイミングで複数の可能性を並べて来て、取り返しの付かないような、宿命的な、ひとつの選択を迫って来る。

人間は悩むように出来ている。

チェルシーさんは悩み、そして、熟考の末、ひとつの決断を下したのだ。しなやかな、見事な決断だった――

――改めて、3人でお茶を一服したところで、ジリアンさんの結婚式が始まったのだった。

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