深森の帝國§総目次 §物語ノ傍流 〉瑠璃花敷波05

―瑠璃花敷波―05

part.05「不穏な昼と眠れない夜*1」

(1)涙ながらの相談と検討
(2)持ち込まれて来た奇妙な噂
(3)雨天決行なブラ下がり
(4)血みどろの点と線
(5)たまゆらの銀の夜を過ぎて
(6)偶然と必然の場外乱闘
(7)閲兵式の表と裏・前

*****(1)涙ながらの相談と検討

翌朝になっても、ディーター先生は、わたしが入っている病棟の隣の研究室に戻って来なかった。色々忙しいのだろう。

フィリス先生の方も、中央病棟から朝一番で『検討会議』の連絡があって、中央病棟に出張中。

その検討会議の議題は、前日の『イヌ族かウルフ族か、見分けが付かない急患(男性)』について。

くだんの紛らわしいイヌ科の男は――このキナ臭い時期だけに――急患を装った忍者の可能性があって、ロック付きの処置室に留め置きになっている。

わたしの場合と同じように、体内エーテル状態が大きく乱れて衰弱していたんだけど、当座の処置で容体は安定したそうだ。 それで、このイヌ科の男をどうするか、朝一番の会議で検討する運びとなったと言う。

――と言う訳で、わたしは1人で朝食を取っていた。

朝食が終わるが早いか、食器を下げるためのワゴンと一緒に、ビューンと飛び込んで来たのはメルちゃんだ。

メルちゃん、今日は私服のワンピースだね。相変わらずピンク色。

「ルーリー! 宿題に付き合って~!」

……はい?!

ふんわかした黒髪を振り乱して、涙目になって、如何にもタダ事じゃない様子だから、一瞬『何があったのか』とビックリしたよ。

何でも、今日は授業の日で、『正字』なるシロモノの書き取りの宿題を提出しなければならない、と言う。

一般に使われている『略字』は、町の中で育っているうちに自然に読み書きして覚える。 それに対して、『正字』の構成は複雑で、キチンと概念を理解して読み書きの練習をしないと、正しく綴れない。

この『正字』は、公的機関では必須のスキル。

魔法加工に耐えられる文字でもあるので、大量の文書を魔法的に圧縮して保存する時に便利だし、あとで魔法で検索して展開する時にも便利。 役所の公文書は、『正字』で清書するのが絶対だそうだ。他種族とグローバルに文書でやり取りする時にも、大活躍する。

――それは便利だけど、何だか大変そうな文字だね。わたしに分かるかなあ?

メルちゃんが持ち込んで来た『正字』の教科書を一読する。魔法陣が連続しているような文字だなあ。想像以上に複雑怪奇。 これ、本当に文字なんだろうか。そのまま、高難度の刺繍パターンの図案に使えそうなくらい、入り組んでる。

――ん? んんん……?!

「読める……」
「分かる?!」

何かビックリだけど、この複雑怪奇なパターンの羅列、全部パパッと分かる。 手で書く事も出来そう……と言うか、これ、スラスラと書けるような気がする。何故なのか自分でも分からないけど。

メルちゃんが、手頃なペンとペーパーを持って来てくれた。とりあえず、メルちゃんの宿題に取り組んでみる。

一、雷電シーズンに備えて窓ガラスに設置する『雷電シーズン防護』の図式。

二、中級魔物の侵入を一時的に防ぐ魔除けの図式(応用:無限に展開する事を考慮し、切れ目の無いパターンとなるように構成せよ)。

三、盗賊撃退のための電撃ロックの図式(応用:手の平サイズの護符にする場合も構成せよ)。

どれもこれも、たぶん、市井では必須だけど教えきれない、『正字』の組み合わせなんだろう。 大人向けの入社試験並みにハードな内容みたいだけど、『町で定職に就く』という将来の可能性も兼ねて、良く考えられた宿題だと思う。

普通は『魔法の杖』でパパッと描くそうなんだけど、わたしは頭部に装着されている『呪われた拘束バンド』のせいで、 文字を構成するための魔法の発動すら出来ない。定規もコンパスも無いから、フリーハンドで構成するしか無いけど……まあ、やれる限り、慎重にやってみよう。

いずれにせよ基本は、エーテルの反射、屈折、散乱の軌道をキチンと組む事だ。魔法パワーの流れをデザインする事でもある。 『正字』が魔法加工に耐えられるのは、『正字』それ自体が、エーテル魔法陣の要素でもあるから。

「……うーん。こんな風になるかな?」
「手書きなのに、すごいピシッとした幾何図形が書けるのね、ルーリー」

ゼロからの構成プロセスを順番に見られたお蔭で、メルちゃんも理解が進んだらしい。それは良かったね。

メルちゃんの最初の回答を見てみると、幾つか誤作動やエネルギー漏出の原因となる配線が入っている。 ギリギリ及第点なんだけど、魔除け効果に関しては命が掛かってるだけに、このレベルだと効果が薄くて戦えないかも……

――不意に、病室のドアが開いて閉じた。ビックリして、そちらを見ると――

フィリス先生が戻って来ていた。朝一番の仕事に一区切りついたみたい。お帰りなさい。

「メルちゃん、来てたの? 今日は授業の日でしょう。そろそろ行かないと遅刻するわよ?」
「フィリス叔母さん、ルーリー凄いよ! 手書きで『正字』パパッと書いてくれた!」
「手書きで『正字』? まさか」

半信半疑といった表情をしたまま、フィリス先生は、わたしが描いた『正字』のあるペーパーを一瞥した。

瞬間――フィリス先生の目が、大きく見開かれた。

「ルーリー、これ本当に手書きで構成したの?! ゼロから?!」

――まあ、一応。それ、ブランクのペーパーにペンで描いて行った物だから、 機械仕掛けや転写の類じゃ無いって言うのは、一目で明らかだと思う。 記憶違いがあったらいけないから、教科書も見て確認はしたけれど……

「この魔法陣、そのまま実戦に使えるレベルだわ。普通のペーパーだから長く持たないけど」

フィリス先生は、キョトンとしているメルちゃんを急かして授業に行かせた後も、 わたしが描き出した『正字』をためつすがめつ、眺め続けていた。

「あの、何か問題でも……?」
「……ビックリしただけよ。こういうの、目をつぶっても書けるかしら?」
「目をつぶってたら、配線とかは、ズレるかも知れませんけど……?」
「という事は、個別の幾何図形であれば、もしかしたら暗闇でも描けるかも知れない?」

――それは……さすがに、どうなんでしょう。ちょっと分かりません。

「そう。とりあえず、ルーリーが隠密レベルの転移魔法陣を形成できた可能性は、少しはある……と思っても良いのかも知れないわね。 ルーリーは、魔法使いコースの弟子だったのかしら? 16歳でこのレベルだとすると、 英才教育コース――でも、英才教育コースの若手は、全員、王宮の方だし……今は『茜離宮』に移ってるけど」

フィリス先生は半信半疑ながらも、わたしの『正字』の正確さについては、シッカリと呑み込んだみたい。

早くもディーター先生の研究室にある魔法のスクリーンの前に連れて来られて、ウルフ王国の紋章の魔法署名データを見せられた。 それに、様々な役所の印章の魔法署名データや、圧縮処理や機密処理のための暗号フレーム・データも。

作業机の上にあるのは、魔法加工ペーパーに、魔法加工のインク。 これを使って、『正字』と『魔法陣』を組み合わせて、清書する必要があると言う。 各部署で使う魔法の公文書フレームになるんだって。うわぁ、良いの?

「魔法の公文書フレームの作成が、バイト代が一番良いのよ。就職活動中の下級魔法使いの、一番の小遣い稼ぎね。 5日間の食費ほどなら、1日で稼げるわ。とりあえず、中庭広場のお店が開く時間まで、やってみて頂戴」

そんなに実入りが良いんだ。『正字』スキル、ビックリ。

*****

清書を頑張った。

ひたすらカキコして、カキコした。

面倒くさいから、手書きの魔法陣でもって圧縮タイプに出来る部分は、最大限まで圧縮できる魔法陣デザインを新しく考案して、効率的に詰め込んでおいた。 スタンダードな印で仕上げてあるし、ちょっと突けばパッと展開できるタイプだから、受け手の方でも読み取りやすいし、分かりやすいと思う。

一刻ごとに反転する砂時計が、5回ほどクルリと回るのを見たような気がする。

再び外の仕事に行っていたフィリス先生が戻って来て、顔を出して来た。

「そろそろ一区切りにしましょう、ルーリー。中庭広場の衣料店でルーリーの街着を調達するから、一緒に来て頂戴。 お昼も、そこで済ませる事も出来るし」

わーい。やっと休憩という感じだ。書き上がった分は、各部署ごとに整理して、転移魔法陣で使う専用パックに詰めて、 物品配達コースで、各宛先へ転送できるようにしておく。中央病棟の総合エントランスに受付があるから、そこで、配達を依頼する。

今日はワゴンを歩行器にしなくても出歩ける感じ。でも念のためという事で、転ばぬ先の杖をシッカリと突いて、お出掛けだ。 ちょっとした変化なんだけど、『独り立ち』の可能性が少しずつ感じられて来るし、気分が浮き立つ。

総合エントランスでは、前日と同じように、通院を済ませたチェルシーさんと行き逢った。相変わらず上品な、金髪のシニア女性だ。

フィリス先生とチェルシーさんが早速、立ち話を始めた。

数日前、チェルシーさんは、 街角に沸いた害虫――これが有毒の下級モンスターで、町内の専門業者が駆除して回る騒動になっていた――と遭遇して、 腕に結構な怪我をしてしまっていた。此処『茜離宮』付属・王立治療院で注意深く治療を受けていたけど、今日、包帯が取れたと言う。完治おめでとうございます。

――そう言えば、チェルシーさんって、確か、既婚者だっけ。

『女の方の左薬指に《盟約》のサインが出るの』

昨夜のメルちゃんのセリフが、パッと思い出された――チェルシーさんの左薬指にも、何かあるのか。

――ある。

チェルシーさんの左の薬指に、茜色のラインが浮き上がっている。茜メッシュと同じように、不思議な深みと輝きを持っている色合いだ。割と幅広の結婚指輪みたいな感じ。 チラッとだから良く分からないけど、クルクルした曲線とか、レースみたいな微細なパターンとかが詰め込まれていて、意外に複雑なデザインになっている。

やがて――チェルシーさんは、フィリス先生とわたしが中央病棟の中庭広場に行く用事を聞いて、ルンルン気分になった様子だ。

「あら、ルーリーは街着を調達するの? まあ、 何だか楽しそうだから、私も付き合おうかしら。女の子の服を見立てるなんて、ジリアン以来だわ、ウフフ。 子供は2人居るんだけど、何故か、どちらも男の子でね。今じゃ、こーんなにノッポになっちゃって」

*****

中庭広場に出てみると、今日は少し蒸し暑い。夕方ごろになったら、天気が崩れるかも知れない。

そんな天候予測を噴水管理の担当者も立てていたようで、今日の噴水の上には、玉ねぎ型の大振りな可動屋根が覆いかぶさっていた。 横殴りの風雨に対しては、魔法で合成する通常の防壁で対応できるそうだ。魔法って、つくづく便利。

中庭広場に並ぶミニ店舗の中に、チェルシーさんお勧めの衣料店が幾つかある。

ひとつは、レースとフリル満載のデザインが中心のお店。余りにも場違いな感じがするので、申し訳ないながら控えさせて頂きたいのですが……?

「あら、メルちゃんドレスのモデルになったルーリーは、大きな目のアンティーク人形みたいで、とっても可愛かったわよ。 案外、似合うわよ。いつか素敵な男の子とデートする時に、慌てたくないでしょう? それに、近々、 『茜離宮』定例の閲兵式の一般公開があるのよ。町の女の子たちは、これくらいお洒落して、カッコいい隊士を見に来るんだから」

――いつの間にか、思い切って購入するべく、説得されてしまっていた……

何でも、今日の『正字』作業のバイト代で、チェルシーさんの目から見ても、充分お釣りが来ると言う。 ついでにチェルシーさんからも魔法文書の清書バイトを依頼されたので、今日の御礼も兼ねて、快く引き受ける事にした。

店内を一回りすると、レース&フリル盛り盛りな中にあって、フリル控えめながらテロンと流れるレースが印象的なワンピースとボレロのセットが見付かった。

大いにギャザーを寄せているフレアスカートや茜色のリボンが『如何にもな』だけど、大人しいミントグリーンだから、 これなら何とか、気恥ずかしさに耐えられるかも知れない。裾がドレス丈になっているので、動きやすいワンピース丈に詰め直してもらうよう注文しておく。

隣の小物屋さんでは、フィリス先生がホッとするような品があった。『ウルフ耳付ヘッドリボン(黒)』だ。

元々、『耳』パーツを失った患者さんのための品で、需要は少ないけど、手術待ちが長くなってしまう患者さん向けに並べていたのだとか。 さすが、中央病棟の中庭広場の商店街というところ。

髪の中に紛れ込ませる為もあって元のリボン幅が狭いので、わたしの『呪われた拘束バンド』を余裕で隠せる広い幅のリボンに着け直してもらう事にする。

初老の男性な店主さんはビックリしていたけど、「3日後にまたおいで下さい。ギリギリですが、閲兵式までに、必ず間に合わせます」と言ってくれた。

そして勿論、次の日からでも着用できる、普通のチュニックとズボンのセットも、シッカリと買っておいた。 店員姿のジリアンさんも、チュニックとズボンの組み合わせだったから、そんなに不自然では無い筈だ。

ひととおり見回り、フィリス先生とチェルシーさんが「そろそろ昼食にしましょうか」と頷きあったところで――

――通りの向かい側から、チェルシーさんに『ガバッ』と抱き着いて来た人影があった。ストレート黒髪セミロングに、 中級侍女のハシバミ色のユニフォーム。

「チェルシーさぁん! やっと会えたぁ!」

――あれ? 確か、『風のヒルダ』さんですよね?

「あ、あ、あたしが、殺人犯ですって! タイストさんの! 疑われてるの! どうしたら良いのッ……うっわああぁぁーん!」

チェルシーさんは目を白黒させながらも、「落ち着いて、落ち着いてね」と、ヒルダさんをなだめる羽目になったのだった。

*****

軽食屋さんで昼食をテイクアウトし、噴水脇のパラソル付きカフェテーブルで昼食を取るという事になった。

フィリス先生やチェルシーさんと共に、ヒルダさんの話に耳を傾ける。

噴水の傍であれば、噴水の音が適当にホワイトノイズになってくれるので、盗み聞きを余り心配しなくて良いんだよね。 湿度も気温も高いけど、時折ヒンヤリした風が通るし、目下、半曇り。陽射しは余りきつくない。

ヒルダさんはグスグス泣きながらも、いきなり降りかかった疑惑について説明してくれた。

「昨日、タイストさんと大喧嘩してたのよね、あの襲撃現場となっていた回廊で。その件がタイストさん殺害の動機なんじゃ無いかって、 捜査チームの衛兵に、繰り返し尋問されたの。冗談じゃ無いわ。あの時は、すごく腹立つ事をタイストさんに言われたから、 思わず《風魔法》で本を投げただけなのよ。1回殴ったらスッとしたのは事実よ、それだけなの。 第一、私、ボウガンだの何だの、撃ち方は余り知らないのよ。遊戯屋さんにある玩具のボウガンすら、触ったこと無いし。 私ってホラ、自分の拳骨でボコボコ殴る方が、何となく性に合ってるから」

うーん。

ヒルダさん、基本的にストレートでサッパリした性格なんだよね。面と向き合って、言いたいこと言って、正々堂々とゲンコで殴るタイプ。 この辺は、フィリス先生と似てる。

そりゃあ、あんなに大きくて重そうな本で『ゴン』と殴るのは、さすがに……ハードだとは思うけど。

昨日のボウガン襲撃事件は、夜を徹して話題になったお蔭で、チェルシーさんも概要を知っていて興味津々な状態だった。 タイストさんの死に方が普通じゃ無かったと言うのが、やっぱり大きかったみたい。

フィリス先生が申し訳なさそうな様子で、口を開いた。

「その疑惑が注目されたのは多分、私のせいだわ。捜査チームに加わっていたディーター先生に、直前にその出来事があったと連絡したの、私だから。 ヒルダさんとタイストさんの大喧嘩、目撃者がたくさん居てね。此処に居るルーリーも直に目撃して、ビックリしたと言ってたくらいなの」

ヒルダさんが仰天して、わたしをパッと振り返って来た。

「見てたの?! ルーリー?」

――偶然ながら、そうだよ。

チェルシーさんが首を傾げながらも、最も重要な要点を、質問にまとめてくれた。

「ヒルダさん――タイストさんと、一体どういう事で口論になっていたの?」

ヒルダさんは、フィリス先生の告白にビックリする余り、涙が止まっていた。チェルシーさんの質問内容が、頭の中にストンと入ってくれたみたい。 ヒルダさんは、冷たいお茶で喉を潤しながら、思案顔になった。

やがて、ヒルダさんは、思案深げにポツポツと話し出した。

「私、アンティーク宝物庫の管理スタッフとして、最近は目録作成が続いてたのよね。 辺境の飛び地から寄贈された、古代豪族ゆかりの品々。ホラ、前にチェルシーさんにも話したでしょ。古代の宝飾品も色々含まれていて。 タイスト研究員は、同じアンティーク宝物庫で、マーロウ室長と一緒に室内装飾品の分解研究してたの。 古代の戦国乱世の品々って、まだまだ不明部分が多いから、研究員にとってはロマンとミステリーの極致ってとこでね」

ふむふむ。

そう言えば、昨夜、『火のマーロウ』さんと会った。小麦色の毛髪をした、お洒落な感じのシニア世代の男性。 チェルシーさんの現役時代の上司で、職場結婚も噂される程に良い仲だったとか。

あ、そうだ。マーロウさん、片手に怪我してたんだよね。

古代遺物――古代の室内装飾品の分解をしている間に、うっかり攻撃魔法の仕掛けに引っ掛かったとか。アレ、この事だったんだ。成る程なあ。

ヒルダさんの話は続いた。

「あの時、タイストさんは、『寄贈されたアンティーク宝飾品の一部が紛失してる』って怒鳴って来たわ。 私が作成した目録からもデータ項目が消えてるし、私が宝石に目がくらんで盗んだんじゃ無いか、やったと認めろ、って突っ込んで来たの」

ヒルダさんは、急にその時の事を思い出したみたいで、キュッと目が吊り上がった。

「もう、もう……冗談じゃ無いわッ! ネチネチと……ネチネチと! ネクラのオタク野郎が! あのボワッとした髪型を、 ついでに《風魔法》で、ブチブチ引っこ抜いて、ハゲ野狼(ヤロウ)にしてやるべきだったわ!」
「落ち着いて、ヒルダさん」

チェルシーさんが素晴らしいタイミングで、おっとりとした風でヒルダさんの背中をさすった。

ヒルダさんは、まだ『フーッ』と唸ってる状態だけど、その黒いウルフ耳は『ガチの角度』じゃ無いから、 さっきよりは幾分か冷静になれているみたい。

「その、紛失したとされている品目って分かるかしら? ヒルダさん」
「あ、チェルシーさんも覚えてる品の筈よ。この間、3点ばかり、宝物庫の方で評価と鑑定お願いしたでしょ。 あの宝飾細工の『豊穣の砂時計』と『茜姫のサークレット』、『白き連嶺のアーチ装飾』ね」

チェルシーさんが「覚えてるわ」と熱心に頷いている。

ヒルダさんは額に指先を押し当てて、思いつく限りの記憶を、口に出して説明していた。

「他は、タイストさんが『分かってるくせに』とか、ネチネチと思わせぶりにしか話して来なかったからピンと来ないけど、 プラス3点か4点くらいのアンティーク宝飾品が行方不明、という感じ? 私が思いつくのは、これくらいね」

ヒルダさんの説明が終わった。

聞いてみると、職場トラブルの延長って感じ。

ちゃんと人を入れてシッカリ調査すれば解決する問題だと思うし、こじれまくって、あんなボウガン襲撃事件にまで発展するような要素は感じない。 それに、ブツが紛失したと判明次第、宮殿の衛兵部署なり、専門の機関なりに届ければ良い話だ。

ヒルダさんが尋問から解放されたのは、今回の事件捜査チームも、そのように考えたからなんだろう。

チェルシーさんが小首を傾げて、思案の格好になった。

「アンティーク宝飾品が盗難に遭ったのなら、地下マーケットに陳列されている可能性があるわね。 聞いてみる限りでは、紛失した可能性のある品は、いずれも国宝級の物よ。闇オークションなんかで売ったら、ものすごい価格になる筈。 何人かツテのある同業者を知ってるから、私の方でも、問題の品が流通して無いか調べてみるわ」

ヒルダさんが「是非とも!」と、チェルシーさんの手をハッシと握っている。冷静になって考えてみたら、 タイストさんが騒ぎ立てたのにも理由がある筈なんだよね。その辺はハッキリさせないと、スッキリしないし。

*****

今後の一応のメド――というか一応の目標が立った事で、ヒルダさんも余裕が出て来たみたい。 わたしがレース多用の、或る意味、赤面モノの街着を調達した件を聞くと、『もう閲兵式の日程が迫ってたのねぇ』とシミジミしている。

1年に2回、夏と冬の閲兵式が近づくと、それに合わせて少女たちや若い女性たちが目一杯めかしこむ。 この時期のファッションが、フリル&レース盛り盛りな華やかなワンピースやドレスで溢れるのは、もはや風物詩なんだそうだ。

うーん。ウルフ王国について知らない事って、一杯あるなあ。此処まで記憶喪失になるとは思わなかったよ。

*****(2)持ち込まれて来た奇妙な噂

ヒルダさんの相談が、一区切りついた。

フィリス先生とチェルシーさんとヒルダさんは、食後のお茶を飲みながら、 古代のアンティーク宝飾品についての魔法的な知識や専門的な知識を、ひとくさり交わした。

古代から中世の魔法道具は、特別な宝玉を仕込んで加工するのが多かったそうだ。 特別な宝玉には魔法パワーを大量に溜め込む性質があり、現在でも魔法道具の製作に多く用いられている。

特に『魔法の杖』の加工技術が未熟だった古代の頃は、『魔法の杖』と言えば、多種類の宝玉をセットした『宝玉杖』だった。

当然、古代においては、宝飾技術の限りを尽くした『宝玉杖』は、とんでもない希少品であり、高額商品だった。

モンスター狩りにしても、『人体』と『狼体』を縦横に駆使した物理的な戦闘技術がメインだった時代なのだ。 古代は魔法使いが非常に少なく、王国に1人、2人というレベル。当時はむしろ、賢者ないし占術師として重用されるケースが多かったらしい。

記憶喪失のせいで、内容の理解は半分にも及ばないものの、興味深い内容だ。わたしは耳を傾けつつ、昼食後のお茶をゆっくりと一服した。

そうしているうちに、一刻ほど、時間が経ったみたい。

授業を終わらせたと思しきメルちゃんが、同年代の女友達2人とスキップしながら中庭広場をやって来た。 ちょうど、見習いの子供たちの授業が終わるタイミングだったらしい。同年代の男の子たちの姿も、ワッと出て来ている。

今わたしたちが居る噴水の傍は、中庭広場の中央部にあるので、中庭広場に並ぶ商店街が、だいたい見渡せるんだよね。

メルちゃんと女友達がクルクルしている様子は、見てて飽きない。チェルシーさんもクスクス笑いながら、そっと観察している。

少女たちは、如何にも少女趣味な衣料店や雑貨店を次々にのぞいているところだ。

やがて、少女たちはキラキラした店構えの陳列棚に並べられていた、色とりどりのヒラヒラ・リボンを夢中でのぞき込み始めた。 お小遣いで買いたい商品が決まったみたい。

メルちゃんは『やっぱり』と言うか、ピンク色のリボンを選んでいる。でも、ちょっと緑や青の模様入りの品を選んだところは、 少しずつ趣味が広がって成長して来たと言えるかも知れない。

少しして、メルちゃんが、わたしたちに気付いた。目がキラーンと光る――や否や、メルちゃんは不思議な行動を取ったのだった。

メルちゃんを含む3少女たちは、あらかじめ何らかを打ち合わせてあったらしく、いきなり少年の集団の1つを追いかけ始めた。

さすがウルフ族と言うべきか、子供たちも俊足なんだよね。 買ったばかりの色とりどりのヒラヒラ・リボンが、吹き流しよろしく流れる様は、なかなかの見ものだけど……

少しの間、少年たちと少女たちの間で、「何だよ」とか「約束でしょ」とかキャンキャン言い合いが始まる。 でも、すぐに了解が成り立った様子だ。

メルちゃんを含む少女グループ3人は、少年グループから2人ばかり男の子を引っこ抜いて、こちらに駆け寄って来た。

「フィリス叔母さん、超・ビックリな話があるんだよ!」

――あ、やっぱり何か打ち合わせてたんだ。何だろう。フィリス先生も結構ビックリしている。

少女たちはキャワキャワと話し出した。

「昨日、タイストって人が死んだって言ってたでしょ」
「黒髪の、如何にもヒキコモリ研究者なボワッとした髪型の」
「ケビン君の従兄弟の兄ちゃんの伯父さんが、その髪型で思い出した」
「それが、タイストって人のビックリな、ヤミのオタク趣味ってヤツでね」
「ホラ、ケビン君、話しなよ」

ケビン君と呼ばれた金髪の男の子は、言いにくそうにモジモジしていた。引っ込み思案な気質みたい。 付き添って来ていた黒髪の男の子が、「フィリス先生だったら大丈夫だから、話しておけよ」と急かしている。

タイストさんの名前が出て来た事で、ヒルダさんがギョッとしていた。落ち着いた風を装ってお茶に口を付けてるけど、 ウルフ耳がピコピコしてる。フィリス先生と子供たちが、話し合いのために少し距離を取ったけれど、そこへ向かって、全力で耳を傾けているところだ。

――ボウガン襲撃事件に関連のある事だろうか。でも、子供が持って来るような情報なんて……?

ケビン君が明かした事は、実に奇妙な内容だった。

「ボクの伯父さん、盛り場のランジェリーな『ミラクル☆ハート☆ラブ』ってお店のテーブルクロスとかカーテンとかを専門に洗濯してる人なんだけど。 作業員用の通路からチラッと見ただけなんだけど。ボワッとした髪型のタイストさんって人、よく『ミラクル☆ハート☆ラブ』に来てるお客さんだったらしいんだ」

――何とも不思議な話だ。

あの真面目そのものの研究職って感じなタイストさんが、盛り場のランジェリー・ダンスのお店に入り浸っていた……?

ヒルダさんが、口をアングリしている。チェルシーさんも、そのお店の、如何にも『破廉恥(?)』と言うべき内容をちゃんと知ってるみたいで、 『アラアラ』と呟きながらも、古風な淑女らしく、頬を染めていた。

「バニーガールのランジェリー・ダンスの舞台を見物している事が多かったみたい。あの、ビキニと言うのかな、ほとんど裸って言うか、 果物のオレンジを入れる網ネットみたいな、真っ赤なランジェリー……」

引っ込み思案で、恐らく奥手なのだろうケビン君、説明しながらも、カーッと赤面している。お年頃の男の子だね……頑張って、全て喋り切れ。

だけど、ケビン君には荷が重かったみたいで、付き添いの男の子が説明を引き継いでいた。

「ケビン君、荷物を載せた台車を一斉にコントロールするの得意だからさ、時々、伯父さんが大変な時に手伝ってて、お店に入ってたんだよ。 言っとくけど、大人のスペースには入って無いし、通ったのは作業員用の裏の通路だけで、バニーガールは仕切りの隙間からチラッと見ただけって言うから信じてよ!」

――ははぁ。成る程。

子供には目の毒な光景だったかも知れない。子供の話だから要領がなかなかつかめなかったけど、 出入り業者の伯父さんが見た物と同じ物――気になる場面――を、ケビン君も度々目にしていたって事なんだ。

フィリス先生は、生真面目な様子で首を傾げて見せていた。

「つまり――そのボワッとした髪型の黒髪のタイストさんは、度々ランジェリー・ダンスの見世物を見物していて、その舞台ダンサーが、 赤いスケスケのランジェリーのバニーガールである事が多かった……と、こういう訳かしら?」

付き添いの男の子は「そうー」と頷いた。ケビン君もコクコクと頷いている。

「その赤いスケスケのランジェリーのバニーガールには、背が高くてデッカイ恋人っていうのか、巨人みたいな仲間が付いててさ。 どうも、クマ族っぽいというか、ウルフ族じゃ無いらしいんだよね……だろ、ケビン君。フード姿だけど『耳』はピクピクしてたから、獣人ではあるらしい。 バニーガールで揉めて、度々タイストさんを小突いてたようなんだ。平然とボウガン持ち出して来そうな物騒な気配もバリバリあってさ、 そいつが、バニーガールを裸にするのしないので、遂にタイストさんを殺したんじゃ無いかって」

――痴話喧嘩の延長で、宮殿にまで忍び込んで、あんな大掛かりなボウガン襲撃をするだろうか?

何だか発展しすぎな気もするけれど……

内容の中心が『破廉恥なランジェリー』から離れたせいか、ケビン君は気を取り直した様子で、ポツポツと説明を再開した。 引っ込み思案で奥手で、口が回りにくいだけ、みたい。

こうして落ち着いて話しているのを見ると、ケビン君は意外に気が付いて頭が良いんだなと言うのが感じられる。

「バニーガールには、もう1人、最近まで熱心なファンが居たみたいなんだけど、そっちは今は見かけない。 イヌ族の有力部族の誰かだと思う。イヌ族の族長や御曹司がするサークレットしてたから。色は赤。 『火のチャンス』と、しょっちゅう喧嘩してたみたい。だから、そっちのイヌ族の方は、チャンスに聞いてみないと分からないと思う」

――わお。此処で、あの『火のチャンス』の名前も出て来るとは思わなかったよ。まさに、トラブルメーカー。

フィリス先生は早速、額に青筋を立てている。今日の内にもチャンスさんを呼び出して、ハリセンで尋問しつつ、とっちめるかも知れない。

*****(3)雨天決行なブラ下がり

――ケビン君がもたらした内容は、意外に考えさせられる代物のように思える。

単なる痴話喧嘩にも思える所がアレだけど、 バニーガールにくっついて来ている謎の人物の正体は、是非ともハッキリさせなければ――という直感がある。

それにしても、メルちゃん、諜報力すごい。

授業の合間にお喋りしている間に、ケビン君の話した内容でピコーンと来て、このお知らせを持って来ることを即座に決めていたんだって。

子供たちは、午後からは自由時間で、それが済んだら、また見習い仕事が始まる。 あのタイミングがズレてたら、わたしたちがこの内容を知るのは、次の授業の日まで延びていたかも。

今、子供たちは、商店街の隅の方にある商品倉庫の空きスペースを使って、ボール遊びに興じているところだ。

天候が崩れる事を見越して、早々に屋根の無いタイプのコンテナ型の商品倉庫が空にされている。 そのコンテナ型の倉庫が解体されて隅に寄せられたので、背の高い樹林に囲まれた、ちょっとした空き地が出来ているのだ。

わたしたちは、授業を終わらせた子供たちを迎えに来た保護者たちと一緒に、邪魔にならない端っこで、子供たちを眺めているところ。 天候が崩れる事を予期して、傘を持って来ている保護者が多い。

城館の仕事見習いをやっていない子供たちは、授業の後は、城下町のめいめいの自宅に帰る事になっている。 このささやかな遊び時間が、色々な子供たちの交流の場と言う訳。お迎えの必要な年ごろの幼児も混ざって遊んでいる。

このボール遊び、『狼体』や『犬体』でボールを追う事がルールになっているらしい。

目の前の空き地は、転げ回る子狼と子犬で、一杯だ。10歳前後までは、子狼も子犬も小っちゃな体格みたい。 可愛らしい金や黒や茶色の毛玉が、キャワキャワ騒ぎながら体格の倍以上もある真っ赤なボールを追って転がしている様は、見てて楽しい。

それに、分かった事がひとつ、あった。

10歳前後になるまでは、耳の先や尻尾の先の毛――産毛――の色が、生まれた《霊相》に応じた色なんだよね。

生まれたばかりの子供の《霊相》は、耳の先や尻尾の先に出る、4種類の産毛の色で判別が付くそうだ。 10歳前後になると産毛がスッカリ取れてしまうので、変身魔法による判別が出来ない場合は、《宿命図》じゃ無いと分からない。

「あら、やっぱり雨が降って来たわねぇ」

わたしの横に居たチェルシーさんが『魔法の杖』を取り出して、『傘』に変形させた。『魔法の杖』、つくづく便利だ。 わたしも、こういう日常レベルで良いから、魔法が使えたら良かったなと考え込んでしまう。

雨粒は少しずつ大きくなっているみたいで、傘に当たる雨音が、ジワジワと音量を増していた。

フィリス先生は、万が一に備えて『魔法の杖』をフリーにしておく必要があるので、 傍に居たヒルダさんが気を利かせて、ヒルダさんの『魔法の杖』で、相合傘を作っている。

一方で、『狼体』や『犬体』状態の子供たちは、雨は余り気にならないみたい。防水性の毛皮が生えてるもんね。 すごい大雨になってしまったら別だろうけど、この程度の雨だったら、どうって事は無いようだ。 遊び時間をギリギリまで使い倒す勢いっていう雰囲気。

「おや、奇遇だね、チェルシー君」

横から声を掛けて来たのは――ホント、奇遇だ。『火のマーロウ』さんだ。何故、此処に居るんだろう?

マーロウさんは、チェルシーさんの後ろから顔を出したわたしを、面白そうに眺めていた。

「おや、昨夜の……あぁ、『何故、私が此処に居るのか』と顔に書いてあるね、フフフ」

ドンピシャだ。わたしは思わず、両手で顔をゴシゴシやってしまったよ。チェルシーさんも吹き出している。 わたし、無意識のうちに、『狼体』の時の喋り方で大声で喋ってたみたい。

「私が此処に居るのは、偶然と言えるし、偶然では無いとも言えそうだ。私はホレ、昨日、こっちの手を怪我して、今日も通院していたからね」

マーロウさんは苦笑しながら、包帯をした片手を示して来た。あ、そう言えば、昨日、怪我したとか言ってたっけ。

「あらまぁ、マーロウ室長も通院してらしたんですか。私の方も、この間、近所の街角に沸いた害虫の毒に腕をやられて、 ここ最近、こちらに通院してましたの」

マーロウさんはギョッとして目を剥いていた。

「もしかして、あの下級モンスター『毒ゴキブリ』発生か? 奴らは、あらゆる防虫剤が利かないばかりか、 魔物シールドさえも突破して宮殿にも沸いたりするからね。腕は大丈夫だろうね、チェルシー君?」

チェルシーさんが「もう大丈夫ですのよ」と、苦笑している。

「カミナリは無しにしてくださいな、マーロウ室長。夫には、『毒ゴキブリが沸くような所へ行くんじゃ無い』と散々叱られましたの。 これ以上カミナリを落とされたら、私、本当に頭がハゲてしまいますわ」

――うわぁ。『毒ゴキブリ』。

この恐るべき存在、記憶喪失のショックさえ超越して来てたみたい。バッと記憶がよみがえったよ。

あの油っぽく黒光りする不気味なカサコソ……時には不気味な薄羽をビローンと広げてジャンプしたり飛んだり、壁をシャカシャカ走って行ったり……!

「あら、『毒ゴキブリ』の事は、シッカリ覚えてるのね。全身の毛が逆立ってるわよ、ルーリー」

次々にイメージが湧いて来て、鳥肌が止まらない。何でも良いから、気が紛れるような他の話にしてッ!

「え、えーとね、マーロウ室長。その内、またアンティーク宝物庫を訪問して構いませんか? 個人的に調べたい事が色々出て来て」
「ああ、チェルシー君なら、いつでも歓迎するよ。いつだったか、盗品マーケットから出て来た品に紛れていた贋作を見破った件、実に見事な鑑定だった」
「まぁ、私にはマーロウ室長ほどの才能は有りませんわ。お若いタイストさんの方が、私より余程、実力があって……ああ、 タイストさんの事は、本当にお気の毒でしたわ」
「お気遣い、痛み入るよ。実に惜しい人材だった。少し変わり者ではあったが、アンティーク部署の中では、若手の内でも一、二を争う実力だったから」

共通の若い知人の事で、シニア世代の2人は、シンミリした様子になったのだった。

横に居たフィリス先生とヒルダさんは、マーロウさんとチェルシーさんの方を、注意深く眺めて来ていた。

ヒルダさんが良いタイミングで口を開く。

「そう言えば、マーロウ室長。ボワッとした髪型の黒髪のタイストさん、どうも変態趣味を持ってたらしいんですよ」
「ほお? 何か聞き付けて来たのかい、ヒルダ君」

ヒルダさんは早速、タイストさんと思しき人物が、破廉恥そのものの、 ランジェリー・ダンスの店『ミラクル☆ハート☆ラブ』に通って来ていたらしいという話を披露した。 赤いスケスケの、ビキニタイプのランジェリーを付けたバニーガールに夢中だったらしい、と言う事も。

「あのタイスト君に、そんな趣味があったとはなあ。 彼は、女性のランジェリーよりアンティーク彫刻の裸身像に夢中になる性質だったから、 男らしい、そっち方面の好奇心の有無については、これでも割と心配していたんだが。 いや、意外や意外というか……人は見かけに寄らないという事かなぁ」

どうやら、マーロウさんも相当に感覚がズレてる方らしい。それとも、男性ってそういうモノって事なのかな。

フィリス先生もヒルダさんもチェルシーさんも、「マーロウ室長ったら……」と呆れている。

*****

いよいよ本降りという感じになった雨の下、子供たちのボール遊びは、相変わらず続いていた。

――でも、雨脚が強くなって来たから、そろそろ切り上げのタイミングかも。空き地の水溜りも増えて来てるし。

ボール遊びは佳境らしい。如何にも『ガキ大将』という感じの、大柄な1匹の子狼と1匹の子犬が、物凄い勢いでボールを競り合っていて、ちょっとした見ものだ。

周りの子狼と子犬たちが、ワンワン、キャンキャンと、はやし立て始めた。 泥だらけになった毛玉の集団が、ドドド……と一方向に流れて行っている。

どうやら、ひとつの決着が付きつつあるらしい。保護者たちもハッスルして来たみたいで、「頑張れー!」とか言っている。

勢いが付いた子犬たちと子狼たちの集団は、更なる勢いでボールを跳ね上げた。

全面に泥の迷彩をまとった真っ赤なボールは、文字通り『ブンッ』という小気味よい空気を切る音を立てた。 ゴールに見立てられていたと思しき、ひときわ枝ぶりの良い大樹に、勢いよく突っ込んで行く――

――大人の背丈より少し高い場所に伸びていた枝に、ボールは飛び込んだ。枝葉がユサユサと揺れる。

続いて走り込んで行った子供たち(子犬&子狼)の集団が、落ちて来たボールに突っ込んだ。 子供たちに跳ね上げられたボールが再び、勢いよく大樹の幹に衝突した。大樹がいっそうユサユサと揺れた。

瞬間――

――大樹の枝の中から、枝にぶら下がっていたと思しき『血の色と紺色をした何か』が、ズルリと落下して来る。

ガサ・ガサ・ガサ……ドスン(バシャ)、ボーン(バシャーン)!

――3種類の音?

わたしの『人類の耳』でも感じられた、その音の組み合わせの違和感。

全員の目が、一斉に、その大樹の根元へと注がれた。枝からぶら下がって来て、落下して来たのは、一体、何?

最初に悲鳴を上げたのは、その正体を最初に目撃した、子供たちだった。

ワンワン! キャンキャン! ギャンギャン!

子供たちは赤いボールをそっちのけにして、変身魔法で『人体』に戻る事もスッカリ忘れて、大パニックで散らばって行く。 『お化け~ッ!』と叫びながら。

赤いボールが少し転がって、ボールの陰になっていた『血の色と紺色をした何か』が、あらわになった。

「あれは……?!」

フィリス先生が息を呑む。本降りになった雨の中で、なおも明らかな、その不吉な『何か』。

――死体だ。

それも、紺色マントをまとった大柄な死体だ!

すなわち、ウルフ王国の衛兵の、血みどろの死体なのだ!

「イヤーッ! アレーッ!」

いきなり血みどろの死体が出て来た事で――大樹の枝にぶら下がっていたと思しき死体が落ちて来た事で――

子供たちも保護者たちも、口々に悲鳴を上げて、逃げ出したり、棒立ちになったり、更に悲鳴を上げたり。

――雨天の中の、昼下がりの空き地は、大変な騒ぎに包まれたのだった。

*****(4)血みどろの点と線

――商品倉庫スペースを兼ねる、空き地。それは、中央病棟の中庭広場の隅に広がっている。

授業を終えた子供たちの昼下がりの遊び場となっていた、その空き地は、今や無残な死体の発見現場だ。

死体の周辺は、現場保存のために地面に描かれた黄色のラインで結界されている。緊急配備された紺色マントの衛兵たちの手による物だ。

本降りの雨は、なおも降り続けていた。一方で、雨雲には切れ間が現れ始めている。日暮れ前には雨が止むだろう。

*****

空き地の端、大樹の下に落ちて来た血みどろのウルフ族の衛兵の死体。

その衛兵の死体を検分している、紺色の着衣の衛兵と役人たち。 軍装姿の衛兵と、文官姿の書記担当者が入り交ざっている。

書記担当者は上司と部下の2人だ。羽織っているのは紺色マントじゃ無くて、マーロウさんもまとっているタイプの、裾が長めの紺色ジャケット。 襟や袖口に施されたハシバミ色のラインの数が、2人の地位と立場を示している。上司の方は3本ラインで、部下の方は2本ラインだ。

死体を取り巻く捜査チームの中で目立っている2つの灰色ローブの人影は、緊急で駆け付けて来たディーター先生と、現場に居合わせていたフィリス先生。 2人とも専門の医学知識があるから、問題の死体の検死に、引っ張り出されていると言う訳。

空き地のもう一方、黄色の結界ラインの外側では、ユニフォームも私服も年齢層も様々な野次馬たちが、口々にざわめきながらも、捜査チームの作業を見守っている。

衛兵たちは傘を持っていないけれども、野次馬たちは全員、色とりどりの傘をさしたり、雨合羽を羽織ったりして、本降りの雨をしのいでいるところだ。

――わたしも、チェルシーさんと相合傘になった状態だ。本降りの雨にサンダルと素足を濡らしながらも、野次馬をやっている。

足はスッカリ冷え切っているし、歯の根も合わない状態なんだけど、そんな事は全然、気にならない。 だって、目の前で、木の上から血みどろの死体が落ちて来たんだよ。気になって気になって、病室に戻るに戻れないじゃ無いか。

マーロウさんは蒼白になって震えているチェルシーさんの傍に居ようとしていたんだけど、 高位の文官のユニフォームをまとっていた事が、他の野次馬の目には『彼は詳しそうだ、質問し甲斐がある』と映っていたみたい。

マーロウさんは、次々に押し寄せて来る勘違いな野次馬たちへの対応で、手いっぱいだ。 ちょうど、死体の方で手いっぱいな捜査チームの一員として、野次馬の整理に当たっているという所。

マーロウさんは、とっても上手に野次馬たちをさばいている。さすが、3本ラインのユニフォームをまとう実力者だなあ。

メルちゃんは、無残な死体を間近で目撃したショックの余りか、まだ子狼の姿を解いておらず、わたしの足元でブルブル震えている。 わたしは、ようやくメルちゃんの存在に気が向いて、震え続ける黒い毛玉を、そっと抱き上げた。 メルちゃんは泥だらけだけど、大人しく抱っこされるままだ。

ヒルダさんがチェルシーさんの傍に寄って、小声で話し出した。

「チェルシーさん、あの衛兵、多分、バーサーク化したウルフ族の男にやられているんじゃ無いかと思うの。 さっき、ちょっと角度がズレて……喉……、喉の骨が見えたわ。喉笛を噛み切るなんて……バーサーク化したウルフ族の男の……、 いわゆる『狼男』の殺し方よね」

チェルシーさんの顔色は、更に蒼白になっている。まるで青ざめた白いシーツだ。今にも倒れそう。大丈夫かな。

――そこへ視線が向いたのは、偶然だった。

ほとんどの子供たち――『ガキ大将』な子供たちも、子狼や子犬の姿のままだ。そして保護者たちの足元や腕の中で、 メルちゃんみたいに、尻尾を丸めてブルブル震えているところなんだけど。

1匹だけ、震えていない子狼が、居る。保護者の姿が見えないんだけど、勇敢にも真っ直ぐに死体を見つめている子供……子狼が居るのだ。

黒色に灰褐色が多く混ざっている毛皮のせいで、全体的に『濃いめの灰褐色』って感じのカラー。目の色も灰色に近いけど、黒狼種だと思う。

――あの子、10歳のメルちゃんと同じくらいかな? 少し大きい気もするから、2つか3つは年上……茜メッシュが無いから、男の子かも。

ジッと見ていると――その灰色な子狼は、わたしの視線に気づいたみたい。わたしと視線がかち合うと、途端にギョッとしたのか、 カパッと口を開けた。そして、あっと言う間に野次馬の群れの中に飛び込み、姿をサッと消してしまった。

――何だったんだろう?

その、見事なまでの、姿のくらまし方、気配の消し方。訓練が入っているのでは無いかと思うくらいの、身軽な動き。

見た事があるような気がする。

しばらく考えていると、『それ』を何処で見かけたのか――が、パッと思い出されて来た。

地下牢から地上に運ばれてきて、そのまま、今の病室に運び込まれたばかりの時。朦朧としたまま、ベッドの上から見た事がある。

――窓の外にヒョイと出て来た、子犬のような四つ足の影。あの時は夕暮れで、しかも逆光だったから、まるで分からなかったんだけど。 あのヒュッとした動きは、あの不思議な子狼の身のこなし――そのものだ、と確信できる。

いつか、また、あの子と会えるだろうか。そして、話が出来るだろうか?

――いや、今は、それどころじゃ無かった。

「すげえ死体。血みどろで血まみれじゃねーか」

場違いな程の――あっけらかんとした声音が降って来た。驚いて、そっちの方を見上げる。

予想通り、そこには『火のチャンス』が居た。やたらと腰の軽い浮気者な、トラブルメーカーの金髪の、赤サークレットを装着したイヌ族の男。

チャンスさん、こういう野次馬騒ぎには目が無いみたい。

気が付くと、雨は既に上がっていた。空は、すっかり夕暮れの色だ。切れ切れになった雨雲が、いっそう見事な茜色に染まっている。

死体の、当座の検死も済んだみたいだ。ディーター先生と、書記担当をしている3本ラインの高位役人が、 半透明のプレートを使って、詳細をやり取りしているのが見える。

フィリス先生の作業は、一段落したらしい。フィリス先生はディーター先生に一声かけた後、急ぎ足でわたしの所に来てくれた。

「ルーリー、とりあえず総合エントランスの方に戻りましょう。捜査チームの人が、おいおい目撃記録をまとめる事になっているの。 後で、ルーリーのところにも事情聴取に来る予定よ。メルちゃんも泥だらけだから、お風呂に入れる必要があるし。それに、すぐにポーラさんが迎えに来る筈だから」

――分かりました。

フィリス先生は、チェルシーさんやヒルダさんにも声を掛けた。

チェルシーさんもヒルダさんも蒼白な顔色ながら、捜査チームの目撃記録の作成に協力する事に、同意している。 2人とも王宮侍女としての訓練と経験を積んでるし、目撃証言者として最適なんだって。マーロウさんも、目撃証言者としてピックアップされている。

ひととおり連絡事項をおさらいしたところで、やはり場違いな『火のチャンス』さんが、しゃしゃり出て来た。

「なーなー、俺には声掛けは無いの、フィリス嬢?」
「貴殿は、死体が出て来た時、此処には居なかった筈よ、『火のチャンス』。余計に首を突っ込んで、事態を複雑にしないでくれれば、それだけで私は助かるの!」

チャンスさんは、ウルフ族男性とそれほど変わらぬ長身をかがめ、なおも巻き尾を振り振り、『お誘いポーズ』を続けている。

「ありゃあ、『狼男』に襲われてる死体じゃねーか。衛兵がやられるなんて、この辺も安全じゃ無くなったな。 なあ、愛しいフィリス嬢、この俺に《宝珠》を捧げてくれれば百人力に千人力、俺がフィリス嬢をガッチリと守護してやれるぜ」

――クダクダ言ってるけど、要は、昨夜のナンパの続きだ。こんな場でも基本に忠実なチャンスさん、却って感心しちゃう。

フィリス先生の方は、さすがに異常事態が続いて気が参っていたみたいで、チャンスさんの『ナンパ・セリフ』をボーッと受け止めている。

チャンスさんは何故か、それを『承諾』と誤解したみたい。いきなり目がキラーンと光る。

わたしとメルちゃんが――ヒルダさんとチェルシーさんも――頭の上に疑問符を浮かべながら呆然と見守っている内に、チャンスさんは素早く、 フィリス先生の左手、それも左指の根元に、シッカリと口づけをしたのだった。

後方で見守っていたマーロウさんが、驚きの声を投げて来る。

「もしかして《宿命の盟約》――」

チャンスさんはフィリス先生の顔を両手で固定して、次の行動に移ろうとしていた。その瞬間――横から入った邪魔によって、 チャンスさんの目論見は潰れたのだった。

「(ドゴォン!)オホォッ!」

――わお。チャンスさん、一瞬で地面に沈んだよ!

背丈が縮んだ……というか、文字通り、お腹まで地面に埋まってる!

「私の弟子は仕事中なのだ」

横から入った邪魔は――ディーター先生だった。

いつ移動していたんですか? そして、どうやって、チャンスさんを地面に沈めたんですか? クレドさん並に、得体の知れない、一瞬の動きでしたよね?!

――多分、《地霊相》生まれゆえの、最も得意な《地魔法》でもって、一瞬で石畳に覆われた地面を掘って、 チャンスさんの身体をお腹まで埋めたんだろうけど……!

ディーター先生は、『上から目線』で、むしろ穏やかな眼差しでチャンスさんを見下ろした。

チャンスさんの方は、地面にお腹まで埋まったために、見かけ上、ディーター先生の半分の背丈になっている状態だ。

「業務外の話は、中央病棟の総合エントランスの受付で、改めて申請のうえ、続けてくれたまえ」

ディーター先生の口調や態度は、いつものように穏やかな感じなんだけど……真っ正面で向かい合っているチャンスさんの顔色が、 むしろ悪くなってるのは、何故でしょう?

――そこへ、明らかにシニア世代の男性の、渋い声音が掛かって来た。

「ディーター殿、私と部下が、中央病棟の総合エントランスに目撃証言者を送ろう。ついでに順番に聴取をする予定もある。 ディーター殿には、あの死体の致命傷の分析を、引き続きお願いしたく」

新しく声を掛けて来ていたのは、黄色の結界ラインを踏み越えて来た文官姿の――シニア世代の高位役人さん。

見るからに四角四面な雰囲気。黒狼種。年配ゆえの白髪が混ざって来ていて、それがいっそう厳格さを際立たせている。 ディーター先生やマーロウさん、チャンスさんとは正反対な、ユーモアの欠片も無さそうな人物だ。

後ろには、文官姿の、若手ベテランと思しき金狼種の部下が付き従っている。部下の方は、緊張の余りなのか、口を引きつらせていた。

見れば、黄色の結界ラインの内側では、紺色マントの武官姿の衛兵たちが、何故かちょっと青ざめた顔色になって、コソコソと何かを耳打ちし合っている。 一体、何が、そんなにショックだったんだろう?

*****

――と言う訳で。

お腹まで地面に埋まったチャンスさんの救出を、居残り組の衛兵たちにお任せして、わたしたちは中央病棟の総合エントランスに戻ったのだった。

無残に喉を噛み切られた哀れな衛兵の死体の方は、ディーター先生の管理の下、 別の衛兵たちが担架に乗せて、更なる検死のための取調室に運び込まれているところだ。

フィリス先生の付き添いで、私とメルちゃんは、取り急ぎ泥だらけになった身体を洗い、着替えて、再び総合エントランスの所定のテーブルに着いた。 病棟には患者服なスモックしか着替えが無いので、わたしもメルちゃん(人体)も、当座の服は、おそろいの生成り色のスモックだ。

所定のテーブルでは、四角四面な雰囲気のシニア世代の高位文官とその部下の若手の文官が、 同じテーブルに着いた目撃証言者たち――ヒルダさん、チェルシーさん、マーロウさん――の3人を事情聴取しているところだった。

わたしたちが到着した後、程なくして、3人の事情聴取が済んだ。フィリス先生とメルちゃんとわたしとで、 2人の文官から繰り出される質問に、順番に回答していく。

死体が発見された時の状況は、当然ながら、ヒルダさん、チェルシーさん、マーロウさんから聞き取った内容と、ほぼ一致していたのだった。

「協力に感謝する」

あらかた聴取が済んだところで、堅苦しいシニア世代の文官さんは、やはり四角四面な締めくくりをして来た。

マーロウさんが、『フーッ』と溜息をつく。こうして見ると、マーロウさんの立ち居振る舞いは洗練されていて、いかにも貴族育ちの貴公子って感じ。

「相変わらず堅苦しい対応だな、グイード君。 ところで、ヒルダ君やチャンス君が言っていたんだが、どうやら、あの死体、いわゆる『狼男』――バーサーク化したウルフ族の男――に、 やられた物らしいな。グイ―ド君は、この事件、どう見ている?」

――四角四面なシニア世代の高位文官さんは、マーロウさんの知り合いみたい。グイードさんと言う名前なんだ。 白髪混ざりの黒いウルフ耳も、黒いウルフ尾も、徹底的に演技が入っていて、無表情で、なかなか内心が読めない。

グイードさんは暫し不動の状態だったけど、チェルシーさんが、いつものようにオットリと、「そう言えば」と語り出すと、 黒い眼差しをピクリと動かしたのだった。

「私、朝一番で此処に来てたのよね、通院の予約順番の都合で。 昨夜のニュースで、あんなショッキングなボウガン襲撃事件があったと言うでしょう。あの回廊のすぐ下の倉庫群が、 私が若い頃、良く行き来していた倉庫群だったものだから――裏道も抜け道も良く知っているし、 どうしても気になって――宮殿の近くに来たついでで、受付の待ち時間の間に、ちょっとそっちに、行ってみていたの」

――チェルシーさん! 何という行動力! いや、それ、危なすぎるッ!!

チェルシーさんの発言は、まさに爆弾だった。

余りにも想定外の内容だったのか、マーロウさんと若い文官さんが、アングリと口を開けた。 一方、ヒルダさんはチェルシーさんの豪胆なまでの行動力を承知していたのか、『それで?』という風だ。

ガタンと椅子を立ち、テーブルの上にバシッと拳を打って身を乗り出したのが――驚くべき事に――今まで無関心そうな四角四面を保っていた、 シニア世代の高位文官だった。

さっきまでの無表情は何処へやら、スッカリ顔色が変わっている。ぎらつく眼差しは、怒髪天そのものの具現化だ。 今まさに白刃を抜き放ったとしか思えない程の、ヒリヒリするような濃厚な殺気。

――な、何だろうッ?!

「……火のチェルシー、何故、もっと早く言わん」

わお。本気で怖い! 元が渋い声音だけに、いっそう地獄の底から響いて来るような恐ろしい重低音だよッ!

メルちゃんも動転の余り、パッと子狼になって、『ビュン!』とフィリス先生の膝の上へ避難だ。

「あの、グイード様、テーブルにヒビが入りました……」

部下の若手文官さんが、ビビりながらも御注進だ。

マーロウさんが「と、とにかく分かったから、落ち着け、グイード君」などと、ワタワタと手を振り回している。

殺気に当てられて、彫像みたいに真っ白になって固まったヒルダさんの隣で――豪胆すぎるチェルシーさんは、オットリと返答を寄越してのけた。

「あら、だって、たった今、要点を思い出したんですもの、グイード。ともかく、お座りになって」

すると――怒れる鬼神そのものだった、シニア世代の高位文官は、気難しげに首を振り振り、ブツブツと何かを呟いた。 そして、『フーッ』と深く溜息をついた後、それまでの大魔王な雰囲気が嘘であったかのように、再びの無表情となって着座したのだった。

――どういう事?

ポカンとしていると、フィリス先生が訳知り顔で解説してくれた。

「あのね、『地のグイード』殿が、チェルシーさんの御夫君なのよ……」

――な、な、何ですと~ッ?!

そして。

チェルシーさんの『要点』は、まさに、血みどろの点と線をつなぐ、決定的な内容だった。

「今、思い出したんだけど。――私、あの衛兵さんの生前の姿を見たような気がするの、『茜離宮』の倉庫群の方で。 遠目にチラリと見ただけだし、お互いに端の方を横切っただけだから、自信は無いんだけど。 私の感じた印象が正しかったとすれば、私、あの衛兵さんの生きてる最後の姿を、見かけていたのかも知れない」

――とんでもない『要点』だ。もし、それが事実だったとすると。

あの衛兵は、今朝までは――生きていた。

そして、チェルシーさんが予約通りに受診を終えて、治療室を出て来て、わたしたちと行き逢って。

昼下がりになった頃には、その衛兵は既に、喉笛を噛み切られた、無残な死体になっていた。

バーサーク化したウルフ族の男――真犯人たる『狼男』――が、誰なのかは知らないけど。 真犯人は間違いなく、『茜離宮』や、中央病棟の敷地を、誰にも怪しまれずに行き来できる立場の人という事だ。

真犯人がチェルシーさんに気付いたかどうかは、分からない。

でも、『都合の悪いことをチェルシーさんに目撃された』と真犯人が感じたのなら、次に無残な死体になるのは、チェルシーさんだ。 タイストさんみたいにボウガンの的になるのか、今日の衛兵みたいに喉笛を噛み切られるのかは、分からないけど。

再び大魔王化したグイードさんの、キツイ申し渡しで。

チェルシーさんには、常時、身辺ガードが付く事になったのだった。

*****(5)たまゆらの銀の夜を過ぎて

チェルシーさんの爆弾発言の後、その夜、ちょっとした出来事があった。

実は、メルちゃんの母親のポーラさん、忙しすぎて、お迎えに来れなかったんだよ。同じドレスメーカー関係者の、 メルちゃんの父親も、同じく。忙しすぎて、本来は美容師のジリアンさんも、ポーラさんの仕事の助っ人をやってるくらいだ。

原因は――早くも3日後に迫った、『茜離宮』の夏の閲兵式だ。

ドレスメーカー関係とか、ファッション業界では、年に2度しか無い、大型の書き入れ時なのだ。

当然だ。『閲兵式』を含む数日間は、町の若い女性や少女たち、それに貴族令嬢たちが、お小遣い予算の許す限りの範囲で、流行ファッションを消費するシーズンである。

女の子たちのドレスアップに合わせて、周囲の男性たちのファッションも、少なからず影響を受ける。その波及効果は凄いものがある。

そんな訳で、当座の対応として、メルちゃんは、わたしの病室にお泊りという形になった。

チェルシーさんの爆弾発言のせいで、わたしとメルちゃんとフィリス先生も、チェルシーさん程じゃ無いけど、要警護の対象に含まれている。 わたしたちが出来るだけバラバラで居ない方が、警護しやすいとの事で、こうなった訳だ。

急遽、ディーター先生が目下の警護担当として、研究室に戻されている。

ディーター先生自身は、やっと捜査チームでの仕事に一区切りがついて『肩が凝ったなあ』などと、肩をコキコキしている。 一見『大丈夫か』と思うくらいに緊張感が無いんだけど。 上級魔法使いとしての実力を考えると、その警護の能力は、親衛隊並みに信頼できるレベルだそうだ。

*****

夜が更けた頃――いわゆる、『草木も眠る闇の刻』という時間帯。

誰かが、おでこを、しきりにペチペチと叩いて来る。おまけに、「起きて、起きて、だけど、そーっと起きて」という、ささやき声も。

――んんん?

ボンヤリと目を覚ます。すると、ベッドの端に、金色のピカリ、ピカリときらめく2個の光があって、「はうッ?!」と息を呑んでしまった。

「しーッ。……ルーリー、メルだよ、メル」

目をパチパチする。暗闇に慣れた目は、即座に周囲の様子を伝えて来た。

――『草木も眠る闇の刻』を少しズレた刻だ。

天球には、銀色の球体細工のような、不思議なエーテル天体が浮かんでいる。

未明の空に現れては消える、謎のエーテル天体――《銀文字星(アージェント)》。

窓からは、ひとときの間だけを刻む《銀文字星(アージェント)》の、幻のような銀白色のエーテル光が洩れて来ていた。

メルちゃんは同じ病室で、新しく運び込まれた移動ベッドで寝ていたんだけど、いつの間にか起き出して、わたしを起こそうとしていたみたいだ。何で?

続いて、メルちゃんは、隣の部屋、つまりフィリス先生とディーター先生が夜勤を続けている研究室の方を指差した。

その研究室に続くドアの隙間――ドアの向こう側では、2人の先生が仕事をしている筈だ。2人がヒソヒソと話し合っているらしい、微かな気配が伝わって来ている。

コソコソと怪しげに動き回るメルちゃんに続いて、わたしも自然に、コソコソと動き回る形になった。

――ねえ、メルちゃん、何で、わたしを起こしたの?

忍者なメルちゃんは、これ以上ないと言う程のニンマリとした笑みを返して来た。ドアの隙間を、チョイチョイと指差している。

――『そーっと、盗み見してみろ』って事だよね。

気配を悟られないように、床の上で寝ぼけている振りをして、チラリとドアの隙間に目をやる。 夜間照明は自動的に光量を絞っているのか、ほぼ無い。

メルちゃんがお勧めして来た盗み見ポイントは『さすが』と言うべきだ。

ディーター先生とフィリス先生が何をしているのか――が、窓から差し込む《銀文字星(アージェント)》の光に浮かび上がって、ほぼ丸見えになっている。

――おや?

2人の話し合いが終わったところみたいだ。ディーター先生とフィリス先生は、ちょっと変わったスタイルで向き合っている。 理由は知れないけど、ディーター先生が、フィリス先生の前で――古代の騎士がやるみたいな姿勢で、ひざまづいているところ。

――あれ、確か、『火のチャンス』さんも気取ってやってた姿勢だよね?

やがて、フィリス先生が、ひざまづき続けているディーター先生の、額の中央部に口づけした。 グローバル慣習の『親愛の口づけ』と全く変わらない、普通の、おでこへの口づけだけど……?

首を傾げながらメルちゃんを振り返る。

メルちゃんは、いっそうニヤニヤ笑いをしていた。 ウルフ耳がしきりにピクピクしている。今にも『イヒヒ』と笑いだしそうな、まさに『会心の笑み』だ。

そしてメルちゃんは、ベッドに戻って再び寝始めた。最初はタヌキ寝入りだったけど、そのうち、本物の熟睡になった。

――良く分からないけど、メルちゃんは、さっきの場面を、わたしに見せたかったという事なのだろう。

見るべきものは見たのだと思う。わたしは首をひねりながらも、コソコソと自分のベッドに戻り、普通に寝入った。

たまゆらの《銀文字星(アージェント)》の刻は、いつの間にか終了していた。

未明の天球の中、幻のように現れては消える銀白色のエーテル天体は既に解けていた――砂時計の砂のように。

窓の外は、元からそうであったかのように、シンとした闇に包まれていた。

*****

翌日――ディーター先生の研究室。

良い機会という事で、わたしの『呪いの拘束バンド』に、『門番の透視魔法』によるスキャン調査が掛かった。 ディーター先生が『透視魔法』を発動して行って、助手のフィリス先生が、その結果を魔法のスクリーンに展開しつつ記録している。

メルちゃんは、研究室の隅の邪魔にならない場所で、興味深そうな様子で、わたしと魔法のスクリーンとを見比べていた。 次の授業で使う教科書に目を通しているところなんだけど、記憶喪失なわたしに関する調査の方が、大いに気になっているみたい。

ディーター先生は、魔法のスクリーンに映し出された『呪いの拘束バンド』スキャン結果を拡大して、しげしげと観察し始めた。

「ふうむ。この拘束バンドの基本的な構造が、だいたい分かって来たぞ。 物理的に微小な多殻構造として構成して、魔法陣の重複レベルを大きく上昇させている。これはこれで、また1本、論文が書けそうだ」

ブツブツ言いながらも、ディーター先生は、数多の微小な魔法陣の導線を辿り始めた。フィリス先生が、手元の半透明のプレートに手際よくメモして行く。

「透視魔法が使えなかったら、この構造が分からないままでしたね。 最初に製作する時に、透視魔法が必要だったのは明らかです。透視魔法にまで反応したら、この分子レベルの多殻構造の構築どころじゃ無いですし」

ディーター先生とフィリス先生は、いつもの2人だ。深夜、不思議な古代の儀式みたいな事をやっていたけど、 そんなに大した事じゃ無かったのかなぁとすら思えて来る。

でも、夜中に起きていた事は、2人にとっては、やはり体力や気力に影響があったみたい。 『拘束バンド』をスキャンして、全体構造を記録したところで、今日の調査は終わりという事になった。

これから数刻の間、ディーター先生は集中的に仮眠を取る。

フィリス先生の同僚の中級魔法使い――女性の魔法使い治療師だ――の付き添いで、比較的に安全と思われる場所、 つまり治療院付属の大浴場を試してみようかという事になった。『炭酸スイカ』が入っている、噂の温泉モドキの事だ。

思いついて、チェルシーさんにも連絡を取ってみた所――チェルシーさんの方でも『そこなら、とりあえず問題は無いだろう』という事で、 御夫君からオーケーが出たらしい。元々、下級モンスター毒に触れた腕のケアのため、温泉療法を勧められていたそうだ。

――結論。

噂の『炭酸スイカ』が入っている温泉モドキは、意外に本物の露天風呂、乳白色の湯の温泉みたいだった。

炭酸スイカの実って、お化けみたいな見かけなんだよね。皮は蛍光黄色と蛍光紫のギラギラ模様。果肉は七色の極彩色のグズグズ。 それなのに、グズグズの果肉の方は、ちょっと熱を加えただけで乳白色になる。ますます不思議だ。

生の炭酸スイカの、極彩色の七色のグズグズになった中身――しかも、 包丁を入れた途端ブクブク泡立った――を見た時の衝撃は、一生、忘れられないと思う。 有毒ガスを発生しているかのように見えたし。

味の方は、さすがに保証できないそうだ。元々、食用の方の『スイカ』じゃ無いしね。

「――あら? フィリスさん、《盟約》成立してたの?」

お湯に浸かってホッとしていると、チェルシーさんの、驚きを含んだ不思議そうな声が横から聞こえて来た。

見ると、フィリス先生はチェルシーさんに左手をつかまれて、口をパクパクしているところだ。 付き添って来た同僚の中級魔法使い治療師――『風のフルール』という金狼種の女性だ――も、「うっそぉ」と言いながら、のぞき込んでいる。

フィリス先生が真っ赤になって動転してるなんて珍しい。

わたしの背中の後ろで、メルちゃんは「イヒヒ」と、本当に含み笑いをしていた。うーん、昨夜の出来事が関係してるんだよね、メルちゃん?

この際だから、《宿命の盟約》成立のサインだと言う、左薬指の様子を見せてもらう事にする。

――やはり、茜色のラインが出ている。結婚指輪みたいに、指の周りを一周している。 チェルシーさんの物ほど複雑じゃ無いけど、クルクルした曲線が成長しつつあるような、不思議なデザインだ。

付き添いの『風のフルール』さんも既婚者――相手は幼馴染だそうだ――というので、同じように左薬指を見せてもらう。 見てみると、フィリス先生の物より少し成長した感じのある、異なるデザインの茜ラインが出ている。

聞けば、時と状況に応じて、刻々と茜ラインのパターンが変わると言う。そもそも、《宝珠》の作用で茜ラインが出るんだけど、 この《宝珠》が時間変化する性質を持っている物だから、基本的に安定しない代物らしい。どんなパターンが出るのかは個人の想念次第。

成る程、シッカリとした相思相愛の関係の無い《宝珠》の組の間では、茜ラインが出ない――《盟約》が成立しない――という結果になる訳だ。 これはこれで、心の内をさらしている訳だから、《盟約》というのは、本質的に覚悟が要る行為なんだろう。

一夫一妻制というのは、そういう究極の賭けを含む物なのだ、と言う事も出来ると思う。

この可視の茜ラインが出るのが、《宝珠》を持つ種族の女性のみである、というのは、今でも謎だそうだ。

男性の方には、可視のサインは一切、出ない。《盟約》が成立すると、 男性側の《宿命図》では、共鳴と増幅が生じる事が分かっている。身体能力の増強や魔法能力の上昇・安定といった類で、間接的に観測される。

いわゆる『宝珠メリット』。

ただし、その『宝珠メリット』効果のほどは、《宝珠》次第だ。

例えば竜人――不運にもバーサーク化しやすい、不安定な個体として生まれてしまうケースがある。 しかし、《宝珠》の組み合わせが良好だと、伴侶の存在によって、バーサーク化を抑止できるという報告が出ているそうだ。これも『宝珠メリット』の一種。

一定の上乗せ効果は、茜ラインが出ない他種族との間であっても、想念に応じて普遍的に期待はできると言う。 でも、それ以上の能力の底上げについては、まさに天球の彼方の思し召し――と言うしか無いらしい。

*****(6)偶然と必然の場外乱闘

入浴を済ませて、総合エントランスで5人で集まって、昼食を取る。

いつものように――昨日の出来事をスッカリ忘れ果てた様子で――常時ハイテンションなイヌ族の金髪男、『火のチャンス』さんがやって来た。

「ヤァヤァヤァ、良い天気にフリーの独身のウルフ女、3人も居るじゃねーか。1人くらい付き合っても良いだろ、カノジョたち~」

今度はイヌ族の彼女連れだ。ラブラブする予定で声を掛けて、ついでに、こちらにも気づいて接近して来たと言う風らしい。 『ウルフ族を落とせるかどうかは、称賛されるスキルのひとつ』だと、レオ族の地妻クラウディアが解説していたけど、本当のホントだったんだなあ。

早速、メルちゃんが口を出した。

「イヒヒ、残念だけど、1人フリーが減ってるのよ」

チャンスさんは「ほえ?!」と変な声を出しながら、わたしたちの左手にザッと目を通して来る。 その目線の素早さ、超能力が入ってるのかも知れないと思えるほどだ。

「あ~ッ! 俺のフィリスを、誰が横取りしたんだよ?!」

フィリス先生は、サクッと無視して、お茶を頂いている。ほんのりと赤面はしているんだけど、茜ラインが出た事で余裕も出たみたいなんだよね。

男性側には、目に見えるようなサインが出ない物だから、『誰と《盟約》したの?』っていう事は、当てものゲームになるみたい。 チャンスさんが、近くのウルフ族の男性も巻き込んで必死に探りの質問を入れてるけど、フィリス先生は素知らぬ顔でかわしている。

――それは、突然だった。

次にチャンスさんが巻き込んだ、『一見してウルフ族の男性』――

一見してウルフ族・黒狼種そのものの、黒茶色の毛髪をした若い男だ。背丈はチャンスさんと同じくらい――つまり、割と大柄な、平均的なウルフ族男性っぽい感じ。

黒茶色の毛髪の男性は、チャンスさんを見るなり、細い目をカッと見開いた。

「ああッ! 巻き尾の貴様は、『ミラクル☆ハート☆ラブ』の出しゃばり野郎!」

そのセリフには、チャンスさんも仰天したみたい。チャンスさんが呆然とした隙を突いて、黒茶色の毛髪の男は、チャンスさんを殴り倒した。

「てめぇ、よくも、よくも! この赤サークレットは俺のだぞ、よくも盗って行きやがって!」
「勝負は俺が勝ったんだ、賞品にもらったって良いだろ!」

黒茶色の毛髪の男は、チャンスさんの上に馬乗りになって、チャンスさんの襟首をギュウギュウ締め始めた。まさに大喧嘩だ。

良く見ると、手首には『迷子の輪』を大人用の物にしたタイプ、つまり『行動監視ブレスレット』をハメている。

――この黒茶色の毛髪の男、喧嘩っ早いので、監視対象なんだろうか?!

チャンスさんを取り巻いていたイヌ族の彼女さんたちが、「キャーッ♪」と叫びながら飛びすさる。 居合わせていたイヌ族の女の子たちも次々に集まって来て、遠巻きにしながらも、やんやの喝采だ。こういう喧嘩は、お祭り騒ぎに相当するらしい。

フィリス先生とフルール先生の誘導で、チェルシーさんとメルちゃんとわたしは、争いの及ばない距離まで隔離された。

男性たちの肉弾戦に巻き込まれると、女性は小柄だから無事では済まない。 まして今、目の前で争っているイヌ科の男たちは、レオ族やクマ族と並んでも見劣りのしない、大柄な体格だし。

こうしてみると、黒茶色の毛髪の男、ウルフ族かイヌ族か、全く分からない。『耳』と『尾』、それに顔立ちはウルフ族そのものだ。 体格も、ウルフ族男性の平均くらい。でも、チャンスさんとボコボコ殴り合っている所をよく見ると、 本当はイヌ族なんだろうかと思うくらい、戦い方が似通っている。

戦い方の違いは分からないから、直感的な言い方になるんだけど。決闘とか最終決戦とか、ガチでやり合う場合、 ウルフ族は急所を撃つ一撃必殺タイプになって、イヌ族は体力が続く限りの連打タイプになるって感じ。

フルール先生が目を見開いた。

「フィリス、あの男、問題の急患だった男じゃない! 前日の検討会議に出て来た、あの種族系統の不明な急患!」
「ほ……ホントだわ! って事は、あれ、イヌ族って事……?!」

フィリス先生も、口に手を当てて息を呑んでいる。あまりにも予想外の遭遇だったみたい。

イヌ族の金髪プータロー男チャンスさんは、意外に強いレスラー戦士だった。『ぐいーん』と勢いを付けて、黒茶色の毛髪の男を持ち上げ、 改めて床に『ベッタン!』と叩き付ける。

黒茶色の毛髪の男は「ギャン!」と叫んで、グッタリとなった。

「てめぇ、そこまで念入りな『変装魔法』してるから、殴り合いパワーにまでエネルギーが回ってなかったんだろう、アホな野郎だワン!」
「ガウウゥ~ッ、そのエネルギー補給用の赤サークレットさえ、こっちに戻ってれば~ッ!」

――だいたい、事情は分かったような気がする。《変身魔法》と《変装魔法》は、似て非なる代物らしい。

生まれつき『魔法の杖』無しでも本能的に発動できる《変身魔法》は、『狼体』や『犬体』に変わるだけだから、エネルギーをほとんど使わない。

それに対して《変装魔法》は、他種族に限りなく似せるための魔法で、エネルギーをすごく使うらしい。 急患とか言ってたけど、それって、『変装』エネルギーを使い過ぎたのが、原因だったんじゃ無いだろうか。 体内エーテルの流れが乱れた時と同じように、容体の安定や回復が遅れただけとか。

パニックになった誰かが《緊急アラート魔法》を使って、四方八方に通報していたみたい。衛兵たちが長物を持って、ただならぬ様子でドヤドヤと入って来た。

ディーター先生も渡り廊下の方から現れて来た。更に、チェルシーさんの旦那さんのグイードさんも、衛兵に混ざって踏み込んで来た。 当然ながらグイードさんは、大魔王化しているところだ。

「(ゴン!)ギャオーン!!(チャンスさんの叫び声)」
「(ゴン!)ギャオーン!!(黒茶色の毛髪の男の叫び声)」

余りにも、目にも留まらない一瞬。

チャンスさんと、黒茶色の毛髪の男は、頭のてっぺんに見事なコブをお揃いで作って、仲良く失神していたのだった。

――すぐ手前に居るグイードさん、何か、したんですよね?!

「……うそ。《変装魔法》が一瞬で解除されたわ。普通は、強制解除するのにも色々準備が必要だし、数日かかる筈なのに」

フルール先生が、目を丸くして呟いている。フィリス先生も口を引きつらせつつ、ちょっとだけ震えていた。

身を乗り出して見てみると――確かに。

黒茶色の毛髪の男は、今や、明々白々な、イヌ族の男だった。『尾』は、イヌ族に多く見られる差し尾スタイルの一種。 『耳』は、ウルフ耳とは明らかに違う。ちょっとねじれた種類のイヌ耳。元々が立ち耳だから、『変装』を頑張ればウルフ耳っぽくなるだろう。

妙に豪胆なところのあるチェルシーさんが、こそっと解説して来てくれた。

「確か、夫は若い頃、容疑者に尻尾を出させるための尋問の、名手だったから」

――あれは『尋問』じゃ無くて『拷問』だよ! 書類仕事メインの文官コースの役人なのに、反則だよ!

駆けつけて来ていた若手の衛兵たちも、ハッキリと青ざめている顔色だから、同じ気持ちだと思う。 ディーター先生も何やらブツブツ呟きながら、首を振り振り、困惑顔をしているし。

ディーター先生が、2人のイヌ族の男たちに、『魔法の杖』をかざした。

すると、2人のイヌ族の男たちは、すぐに目をパチパチさせた。

気付けの効果があったみたい。ディーター先生は、さすが上級魔法使い治療師だ。

*****

2人のイヌ族の男たちは、即座に連行されていった。

よりによって病棟の総合エントランスで大乱闘をしたという状況だから、相応のレベルの前科が付くのは確実だ。

片方は、忍者や工作員が使う《変装魔法》を使って正体をごまかしていたから、ウルフ王国の役人たちの心証を、すごく悪くしている状態。 処刑までは行かないらしいんだけど、それでも、キツイお仕置きを食らうだろうと思われる。

チャンスさんの喧嘩相手の男は『火のサミュエル』さんと言って、チャンスさんと同じように、 ランジェリー・ダンスの店『ミラクル☆ハート☆ラブ』の常連さんだった。

2人のイヌ族の男たちは、お仕置きを軽くしてもらうためだろう、驚くべきことを証言した。

――チャンスさんとサミュエルさんは、求愛ダンス用の新商品『媚薬入り金粉ドラッグ』を定期的に購入していた。 話題の、赤いスケスケのランジェリーのバニーガールから。この商品は、メルちゃんに差し出されていた、あの香水瓶と同じ。

バニーガールの気分で取り分が増減するそうで、チャンスさんとサミュエルさんは、度々喧嘩になっていたそうだ。 出入り業者をしていたケビン少年とその伯父さんは、これを目撃していたらしい。

最後の夜、サミュエルさんの方が取り分が多かったし、新商品の『肉体増強剤』お試しサンプルも混ざっていた。 不満爆発のチャンスさんは、サミュエルさんに不意打ちを仕掛けて、商品と赤サークレットを奪ったと言う訳。

赤サークレット、すなわち『エネルギー補給サークレット』を急に失った事で、サミュエルさんは、体内のエーテル状態が乱れて体調悪化した。 そして、見た目でウルフ族の急患と判断されて、『茜離宮』付属・王立治療院に搬送されていた。

――その『肉体増強剤』お試しサンプル、とんでもない商品だった。

一瞬でバーサーク化するドラッグ――『爆速バーサーク化ドラッグ』だったんだよ。

大陸公路の全土で即座に禁制品となった代物だ。

チャンスさんが、イヌ族のスタンダードな魔法道具『エネルギー補給サークレット』による増強効果だけで満足していたのは、 チャンスさん自身にとっては、本当に幸運だった。チャンスさんに襲われて、急患になってしまったサミュエルさんも同様。 邪悪そのものの『爆速バーサーク化ドラッグ』を服用する前だったからね。

問題の『肉体増強剤』もとい『爆速バーサーク化ドラッグ』は、ほんの1カ月か1カ月半ほど前に、竜王国で新しく開発された違法ドラッグだと言う。 闇ギルドを通じて、急速に、かつ野放図に広がっているところ。

当の竜王国が、国境を越えないように国内問題として食い止めるべきだったんだけど、 目下、竜王国は、バーサーク暴動が多発している内乱地獄の真っ最中で、それどころじゃ無いそうだ。

数日前、竜王都の中心で、多数のバーサーク化した竜体との激闘があって、もう少しで竜王国が滅亡するところだったらしい。 ラエリアン卿なる大物クラス竜人が中心になって、バーサーク竜の軍団を各個撃破していると言う。 王宮と神殿の政局分裂から始まっているのだそうだけど、ホントに迷惑ったら、ありゃしない。

そして。

前日、衛兵の喉笛を噛み切った謎の『狼男』――バーサーク化したウルフ族男の誰か――も、 この『爆速バーサーク化ドラッグ』を服用していたらしいという事が判明した。

傷痕に残っていたドラッグ成分と、 チャンスさんから提供された『爆速バーサーク化ドラッグ』の成分とが、完全に一致したんだって。

この『爆速バーサーク化ドラッグ』、爆速な効果だけあって、薬効が切れるのも爆速なんだそうだ。 ボトル1本であれば、ほんの一刻ほどで、効果が切れる。犯行を済ませた『狼男』が、すぐ正気になって証拠隠滅して逃げられる訳だよ。

ヴァイロス殿下を襲ったバーサーク化ウルフ族とバーサーク化イヌ族たちは、通常の魔法(ただし禁術)によるバーサーク化だったから、 なかなかバーサーク化が終わらず、ほぼ現行犯で逮捕する事が出来た。

それを考えると、問題の『爆速バーサーク化ドラッグ』、まさに潜伏タイプの忍者や暗殺者向けの、恐ろしすぎる新商品と言える。

ただ、残念ながら。

カギを握っていると思われるバニーガールは、既に『ミラクル☆ハート☆ラブ』には居なかったそうだ。 そろそろ足が付くと判断して、行方をくらましてしまったみたい。そこまで逃げ足が速いという事は、闇ギルドに属する、密輸の名人なのかも知れない。

バニーガールと良く会っていたのではないかと思われるタイストさんも、既にボウガンにやられて、死んで居る。

タイストさんが『爆速バーサーク化ドラッグ』を購入していたかどうかは不明だけど、 何らかの事情で巻き込まれていたとすれば、異常な死に方をした理由としては、妥当かも知れないという所だ。

*****(7)閲兵式の表と裏(前)

今日は、『茜離宮』閲兵式だ。

城下町からの見物客が既に押し寄せていて、『茜離宮』の敷地に設けられた閲兵式の会場の周囲は、お祭り騒ぎになっている。

ディーター先生は朝一番から、閲兵式の魔法使い部門に出席している。ウルフ族の上級魔法使いは、全員出席する事が義務なんだそうだ。 ウルフ王国の国王夫妻から直々にお言葉を頂く事になっている。

こう言う風に聞いてみると、ディーター先生は、本当に偉い立場の人なんだなと感じられるよ。

フィリス先生の出番は、その仕事の内容の都合上、午後からだそうで、午前いっぱいは、わたしに付き添ってくれる事になった。 わたしのドレスアップに興味津々な全身ピンク色のメルちゃんも、一緒にくっついて来ている。

メルちゃんのうなじでは、買ったばかりのピンク色のヒラヒラ・リボンが、その存在を主張しているところ。 幅広のリボンをスカーフみたいに首に巻いて、うなじで蝶々結びにするのが今年の流行だとか。 背中に長く垂らした端が吹き流しみたいにひるがえって、如何にも華やかだ。

人の流れは、ほとんど『茜離宮』の方に移動している。今日の病棟の中庭広場は、閑散としていた。

チラホラと行き交うのは、居残り組の当直の治療師たちや、御用達の出入り業者たちだ。 人通りの少ない今日は、大型の物資の輸送のチャンスでもあるみたい。ミニ店舗に面する通りでは、大きな機械や建材などを積んだ、大型の台車が連なっている。

前日、ミントグリーン色のワンピースや『ウルフ耳付きヘッドリボン(黒)』を注文していたお店は、開いていた。

ひととおりドレスアップが済むと、『ウルフ耳付きヘッドリボン(黒)』を用意して来ていた初老のウルフ族男の店長さんが、 『お似合いですよ』と、にこやかに笑いかけて来てくれる。

鏡の中には、『城下町から繰り出して来た、その辺のボーイッシュな少女』といった感じの姿が映っている。 頭部に見えるのは、造り物の『耳』。

横や後ろから見ると幅広の黒いリボンが目立つので、造り物のウルフ耳だと分かる。でもまぁ、パッと見には、ごまかせている風だ。

記憶喪失なわたしにとっては『コスプレの延長』と言うような変な感じがするんだけど、メルちゃんに言わせると、 今までの『人類の耳/耳無し坊主』バージョンよりは、ずっと自然に見えるらしい。そりゃあ、獣人ウルフ族だもんね。 尻尾の毛も、こころなしか『フサッ』として来た気がする。髪の毛の方は……指の関節1コ分くらいは伸びてるっぽい。

それから、もうひとつ、割と『そうだったの?』っていう事があった。

あのレオ族の美女――地妻クラウディアの見立て、当たらずといえども遠からずだったらしいんだよ。

ナニゲにメーキャップ資格を持っていた(!)初老のウルフ族男の店主に言わせれば、 わたしは、お化粧で大いに化けるタイプなんだそうだ。『耳無し坊主』のうちは、さすがに店主さんもピンと来なかったんだけど、 造り物のウルフ耳を付けてみるとパッと分かったと言う。

そんなモノなのか。記憶喪失なせいか、その辺のセンスは良く分からない。

試しにお化粧してみて――

フィリス先生いわく『これじゃ、まるで別人だし、妙な意味で目立ちまくるから止めときましょう』となったんだけど、 うん、わたしも同意だよ。元の顔が顔だからして、よっぽど変な『お化け顔』に見えるらしい。

メルちゃんの顔をポカンとした状態のままにしておくのは、わたしの望むところじゃ無いし。

*****

そんなこんなで割と遅れて、今や満席状態の会場に到着した。お天気は快晴だ。

会場をぐるりと取り巻く見物席は、当然、取れなかった。所用があって遅れて来た不運な見物客と混ざりつつ、 距離のある高台から望遠鏡を利用しての立ち見になる。

――ウルフ王国の閲兵式そのものは、意外に興味深い。

高い見張り塔の間をつなぐ空中アーチ回廊に、ウルフ王国の国王夫妻をはじめとする貴賓席があって、 そこにレオ帝国の大使一行も鎮座していると言う。見張り塔から見渡せる敷地いっぱいが閲兵式の会場になっている。

成る程、警備しやすく、同時に不審者を見つけやすい条件だと納得だ。

メルちゃんが望遠鏡で会場をあちこち眺めながら、ご機嫌な様子で尻尾を振り振りしている。

「親衛隊、カッコいいわ~。あッ、あっちに金髪の王子様が居る~」

そうなんだろうね。

遠目にも、お揃いの紺色マントの軍装の一団がザッザッザと行進しつつ、 儀礼的な演武プログラムに合わせてなのだろう、長物を一斉に操作している様子が見える。

どれもこれも共通の軍装だけど、親衛隊を務めるエリート武官と、それ以外の一般武官の動きが違うので、何となく見分けが付く。

こうして見ると、王族を警護する親衛隊にまで昇格できるのは、100人に1人という感じだなあ。

倍率、とんでもなく高そうだ。

普通だったら、接近するケースすらも少ないんだろう。わたしが此処に出て来た時は、第一王子ヴァイロス殿下が暗殺されかけた事もあって、 一時的に珍しい状態になっていたんだろうなと思う。

――たぶん、あれで、一生分の幸運を使い果たしたよね……

一生――わたしの人生。ちょっとだけ、思いをはせてみる。

いつか、『呪いの拘束バンド』は取れるかも知れない。取れないかも知れないけど、その時はその時。 そして徐々に城下町に出て行って、独り立ちの道を探す事になるんだろうと思う。 いい人が居たら、結婚も考えるかも知れない。チェルシーさんやジリアンさんのように。

さいわい『正字』スキルは良いレベルにあるみたいだから、それで身を立てると言うのも出来るかも――

――親衛隊が出る方のプログラムは終了したみたい。親衛隊目当てと思しき女の子たちが、ピョコピョコと跳ねながら一斉に動き始めた。 たぶん、近い方の見物席に居たら気付かなかった動きだと思う。面白い。

フィリス先生も動き始めたので――ただし、軽食コーナーの屋台が並んでいる方へ――メルちゃんと一緒に後を付いて行く。 やがてフィリス先生はテキパキと話し掛けて来た。

「少し早いけど、昼食にしましょう。私は午後の武闘会でディーター先生やフルールのグループに加わって医療チームを務めるから、 それまでにチェルシーさんやグイード殿と合流できると良いのだけど」

――ビックリな言葉が出て来たような気がする。『武闘会』。舞踏会じゃ無いよね?

「ええ、そうよ。肉弾戦の方の剣技武闘会で、出るのはレオ族の戦闘隊士と従者、ウルフ族の同等の男性武官だけ。 魔法部門は既に終わってるの、そっちは女性の魔法使いも出てるんだけど。 武器の破片が飛んで来て危険だから、見物の際は近付かないようにね。 念のためだけど、グイード殿は近くに来た破片を打ち落とせるから、傍を離れない方が良いわ」

――チェルシーさんの旦那さん、色々と規格外ですね。他にもスゴイ秘密を持ってそうな気がします。

お手手をつないでいるメルちゃんが、タイミングよく口を出して来た。

「そーなのよ、ルーリー。お姉ちゃんに聞いたんだけど、グイードさん、昔の武闘会で8位入賞した事あるんだって。 それも、風邪ひいたお友達の武官に代わっての出場でよ。親衛隊の方から武官としてのスカウトがあったみたいなんだけど、 自分は元より文官コースで御座いって、クソ真面目に辞退したんだってさ。ガッチガチの変人よね」

――あの四角四面な人らしいなあ。それにしても、あの紺色マントの人数の中で8位? 凄すぎる。

*****

グイードさんとチェルシーさんは別件があったのか、合流場所に現れなかった。

考えてみればグイードさんは高位文官だから、席を外せない急用が出来ても不思議じゃない立場の人だ。 まして社交パーティーに限りなく近い国家的行事だし、公的な場では女性同伴が必須みたいだから、 チェルシーさんはグイードさんの傍に居てサポートしているだろう。

幸いに、メルちゃんの遊び友達が一杯来ていて、子守を兼ねるお目付け役の紺色マントの武官さんも来ていたから(一般武官の小遣い稼ぎなんだそうだ)、 その一団に混ぜて頂いて、剣技武闘会を見物する事になった。

で、結論。

――剣技武闘会は、限りなく実戦に近い物騒な代物だった。

朱色の軍装をまとったレオ族の隊士と、紺色の軍装をまとったウルフ族の隊士が、 公平を期すために古式ゆかしき『物理的な長剣(魔法合成では無い)』を構えて斬り合うんだけど、まさに『ぶつかり合い』だ。

剣技と言うモノが、あそこまで殴り合う物だとは思わなかったんだよね。剣と言っても、その本質は『頑丈な棒』なんだから、当然かも知れないけど。

メルちゃんのお友達の男の子たちは、望遠鏡を代わる代わる奪い合って構えながら、スッカリ興奮している。 『すッげぇ!』とか騒ぎながら、お煎餅をバリバリかじっていたり。こっちの方が、見ていて微笑ましいと思ってしまう。

何人かは既に入隊試験を受けていて、訓練隊士になる事が決まったそうだから、こういう見物も、お勉強になるのかも知れない。

剣技武闘会のプログラムは、まだ最初の部分しか経過していないけれど、早くも負傷者が続出している様子だ。 負傷者を乗せた担架が、医療テントの間を行き来しているのが遠目にも見える。医療チームが忙しくなる訳だ。

――あれ、クレドさんかな?

距離があるから誰なのかは分からないけど、クレドさんっぽい髪型と体格をしたウルフ族の隊士が、レオ族の隊士と尋常に勝負してるんだよね。 ほぼ互角って感じなのかな。お互いに熟練者だというのが分かるくらい、太刀筋が違う。

子守を兼ねるお目付け役の武官さんが、「親衛隊クラスの組み合わせになった」と解説して来てくれた。成る程。

見ていると、この勝負はウルフ族が勝ちを取ったらしい。 武官さんの解説によれば、刃が少し傾きすぎたのを捉えて、長剣を巻き取って弾いた上に小手を打ったんだそうだ。

ウルフ族の隊士が、レオ族の隊士の喉元に長剣を突き付けている。確かに『勝負あった』という状況だ。 レオ族の隊士が、如何にも痛そうな様子で手の甲を押さえている。長剣は近くの床に、真っ逆さまに突き立っていた。防具が無かったら、手を切断されていたのかも。

目にも留まらぬ動きだから、わたしには全く分からなかった。周りの男の子たちにも分からなかったみたい。

早くも次の立ち合いが始まった。この勝負はレオ族の隊士がグイグイ押して勝ちを取ったので、ウルフ族な男の子たちは、さすがに涙目だ。分かりやすい。

4番目から5番目の立ち合いに移る頃――

「ハーイ、ルーリー嬢じゃ無いの。見違えたわ。ビックリしたわ!」

レオ族の圧倒的な美女、地妻クラウディアが、レオ族の隊士の護衛と共にヒョッコリと現れた。ビックリだ。どうやって此処が分かったんだろう?

今日も地妻クラウディアは、ダイヤモンドみたいにキラキラ光る『花房』をお下げみたいに流している。ドレスは、昼日中と言う時間帯に合わせているのか、 以前の妖艶な紫色のデザインじゃ無くて、上品なクリーム色でまとめた、如何にも上流の淑女らしいデザイン。

ただし、胸元はドレープで強調されているうえに、大きく開いている。 だから、その見事な盛り上がりと共に、谷間がシッカリ、クッキリと見えている状態だ。

元々、レオ族女性はウルフ族女性より頭一つ分ほど背が高いから、ナニゲに迫力がある。 あんまりにも圧倒的な色気の、絶世の美女なものだから、男の子たちも女の子たちも、ポカーンとしている。 地妻クラウディアの、見事に盛り上がった胸から目が離せない男の子も居る。お年頃だね。

「ウルフ族の護衛さん、私はルーリー嬢と折り入って話があるの。ちょっとお借りするわね」
「レオ帝国の大使館に連れ込むつもりなら、拒否します。フィリス先生に特に依頼されてますので」

ウルフ族の武官さんの困惑顔に対して、地妻クラウディアは一層、愉快そうな笑みで応えた。

「ウルフ族の領土で、我々レオ族が未成年の拉致誘拐など不法な振る舞いをすると思って? 社交スペースからは消えないから大丈夫。 将来のハーレム要員の候補として、我が夫ランディール卿との顔合わせが済んだら、お返しするわ。 成年であれば契約書付きの話し合いになるところだけど、ルーリー嬢は未成年だからね、『挨拶』だけよ」

――やっぱり、このヒト、本気で怖いッ!

レオ族は基本的に押しが強いんだけど、責任者『ランディール卿』の名前を出して来たからには、 宣言した通りに扱ってくるのは確実なんだそうだ。

と言う訳で、最低限の礼儀は確保できるとして、わたしは地妻クラウディアに連行される形となった。 いずれにしても社交行事だから、『挨拶』の名目になると、たいていは拒否できないらしい。

――たぶん、グイードさんとチェルシーさんも、『挨拶』という事で抜けて来られなかったんだろうな。

慎重に警戒しつつも、地妻クラウディアの後を付いて行く。

最後尾には、巨人のような体格に朱色の戦闘衣をまとった、茶色のタテガミも立派なレオ族の護衛が控えていた。 腹をくくったからには逃げ出すつもりは無いけど、逃げ出せるような隙って、全く無い。

地妻クラウディアが、楽しそうな様子で話し出した。

「あなたの事は早めの昼食時の時に気付いていたのよ、ルーリー嬢。 あなた、周囲から目立って所作が綺麗だったから、他のハーレム団の正妻たちが、望遠鏡を通じて目を付け始めているわ。気付いた人は、まだ少ないけどね。 それで、『顔見知り』というアドバンテージを持つあたしが、先手を取って駆け付けた訳」

――鵜の目・鷹の目ってとこかなあ。『他種族のハーレム妻=投資商品』扱いみたいだし、 有望な投資商品を見定めるのは、レオ族の正妻たちの勝負みたいな物なのかも。怖い。

やがて、貴人たちの社交スペースが見えて来た。剣技武闘会を間近に観覧できるポイントだ。

勝負スペースと観覧スペースとを仕切る、透明な魔法素材で合成された防御壁がある。これで、予期せぬ事態を防ぐらしい。

地妻クラウディアは、わたしを横脇に並べて観覧スペースに入ると、クルリとわたしを振り返って来た。珍しく思案深げな顔だ。

「ルーリー嬢って不思議な子ねえ。基本の所作やマナーを何処で身に着けたのか知らないけど、教育のシッカリした城館だったのかしら、 一般人の16歳とは思えないくらい年季が入ってるわ。最初は貴族令嬢かと思ったけど、 イヌ族がホイホイ近付けるような治療院の総合エントランスには、ウルフ族の貴族令嬢は、護衛無しでは立ち入らないしね」

わたし、何かしてたっけ? 思わず目をパチクリさせてしまった。

「あら? さっき、観覧スペースの入り口で『失礼します』の意味で正確に身をかがめたのは、無意識なの?」
「無意識……だったみたいです」

地妻クラウディアは首を傾げていたけど、満足そうに「そう」と応じて来た。

――『ランディール卿』だというレオ族の茶色タテガミの人物は、 此処では最も偉い金色タテガミのレオ帝国大使『リュディガー殿下』のサポートで、忙しくしている様子だ。 ヴァイロス殿下やリオーダン殿下と、何かを熱心に話し合っている。当分の間、地妻クラウディアと合流する暇は無さそう。

ランディール卿を、3人の、いずれも美女な正妻が取り巻いている。 いずれも地妻クラウディアと同じデザインのドレス、つまり、クリーム色のタイをしたランディール卿に合わせて、クリーム色のペアルックだ。 お下げみたいに下げている『花房』の先端の宝玉の色が、赤、白、青となっていて、各《霊相》が分かるようになっている。

リュディガー殿下の正妻たる4人の美女たちは、金色のタイをした殿下に合わせて、彩度を抑えたカラシ色に金粉をまぶしたペアルックのドレスだ。 でも、デザインが洗練されてるから嫌味が無くて、すごく華やか。やはり『花房』の先端の宝玉の色が各々違っていて、 どの正妻が、火の妻、風の妻、水の妻、地の妻なのかが一目で分かる。

ヴァイロス殿下やリオーダン殿下の傍で、ひときわ目立っている灰色ローブが居る――ウルフ族の年配の男だ。貴族っぽい物腰。 苦み走った、整った人相。明らかに上級魔法使いだけど、以前に見かけた『風のジルベルト』閣下とは、金糸刺繍の量がすごく違う。

――あの人が、噂の魔法部署の、『風のトレヴァー』長官なんだろうか。

しばらくすると、横から含み笑いが聞こえて来た。地妻クラウディアの忍び笑いだ。

「……?」
「ウフフッ、ごめんなさいね、ルーリー嬢。こういうところは、やっぱり一般人なのね。おのぼりさんみたいにキョロキョロしている所が、笑えて笑えて」

悪意は無いんだろうけど、一般人を連れ込んで来て、その反応を面白がるっていう部分、何だかオモチャにされてる気がする。 実際に、オモチャ扱いなんだろうなあ。だったら、珍しい場所だもの、いっぱいキョロキョロしてやる。

勝負スペースでは、早くも次の立ち合いが始まっていた。

ウルフ族の側で知ってる人が出て来た。ビックリ。

あのオレンジ金髪ウルフ耳な、筋肉ムキムキの『火のザッカー』さんだ。 相変わらず、堂々たるサイズのオレンジ系金色なウルフ尾が、フッサァと、ひるがえっている。

地妻クラウディアが早速、ザッカーさんに反応した。ムムッとした顔つきになっている。

「あの筋肉マウンテンのウルフ男、前回の武闘会で、あたしの護衛を負かしてくれちゃったのよね。 レマヴィル卿ハーレムの『火の妻・ルチェリナ』の護衛が立ってるけど、如何な物かしらねぇ。 今は、あのウルフ男の勝利を祈るわ。あの後ルチェリナには、ネチネチと侮辱されたのよ」

――へぇ。ザッカーさん強いんだ。意外に有名人って感じ。会場の外でも、一般の見物席の方から、すごい声援が上がってるし。

見ると、ヴァイロス殿下とリオーダン殿下も、ザッカーさんを注視している。ザッカーさんは、クレドさんの同僚って感じの人だった。 貴人を警護する親衛隊士なのは確かだし、高位の隊士なんだろうと思う。

ザッカーさんと、今回のレオ族の隊士の立ち合いは、猛然と始まり、猛然と続いた。 太刀筋は分からないけど、ガンガン金属音が響いて来て大迫力だ。 『まさに見もの』って感じ。互いに怪力タイプの戦士らしくて、刃を合わせるたびに火花が飛んで刃こぼれしているのが、素人目にもわかる。

4回、互いのポジションが変わった。5回目に衝突すると、すれ違いざまに刃物同士がこすれ合う『ギギギ』という音が続いた。

――どうやら、勝負あったみたい。

ザッカーさんがニヤリと笑って、すさまじく刃こぼれした長剣を振った。

一方、レオ族の隊士の方は、脇腹を押さえている。何か痛そう。腕力で負けて、脇腹に刃が当たってたらしい。わたしの位置からでも、 ダクダクと出血している様子が見て取れた。ひえぇ。

「医療チーム、出ろ!」

審判か誰かの指示が響き渡ると、無地の灰色ローブをまとった中級魔法使いが4人ばかり飛び出した。 中級魔法使いたちは、《風魔法》で速やかに巨体を浮かべ、担架に乗せて、医療テントへと搬送して行く。

地妻クラウディアが腕組みして、ブツブツと呟いている。

「認めるのは癪だけど、あのオレンジ筋肉マウンテン、やったわね。今度は、あたしがルチェリナをチクチクしてやるわ」

……ライバル関係にあるハーレム団の女性同士の戦いも、怖いかも。

地妻クラウディアが属する『ランディール卿ハーレム』のライバルと思しき、『レマヴィル卿ハーレム』。何処に居るんだろうか。

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