―瑠璃花敷波―02
part.01「水のルーリエ*2」
(1)変身魔法を目撃す
(2)総合エントランス
(3)中庭広場
(4)髪の下にある謎は
(5)微妙に気になる噂
(6)青いドレスと少女
*****(1)変身魔法を目撃す
ディーター先生が『茜離宮』へ出張して、少し経った後。
わたしの身体状態をひととおり診察し終えたフィリス先生は、診療記録ノートを作成していた。
ベッド脇の小卓で、ファイリング作業に集中していたフィリス先生のウルフ耳が――急に、扉の方をスッと向く。
あれ? ――と思っていると、すぐに個室の扉をノックする音が聞こえて来た。
誰かが扉の前に来てたんだ。フィリス先生が、訳知り顔で応答する。
「昼食が来たわね。ロックは外れてるわよ、入って来て」
扉の外側から、誰かが「昼食を運んで来た」というような事を言っていたらしい。わたしは人類タイプの小さな耳のせいか、全く聞こえなかった。
頭の左右についているウルフ耳、サイズが大きいだけあって、聴力も良いんだなあ。
見ていると、扉がスライドした。
入って来たのは、各種の料理皿を乗せたサービスワゴン。続いて、予備と思しき空白のサービスワゴンが入って来た。
お行儀よく2台並んで、カタカタと音を立てながら入って来る。
――ワゴンを押している人が居ない……?
ジッと見つめていると、2台のワゴンの後ろから、小柄な人物が続いて来た。オーケストラ楽団の指揮棒のような物を、左右に振っている。
――黒髪黒目をした少女だ。背丈は、わたしの目鼻の位置の高さ程度。
少女が持つ指揮棒のような物は、『魔法の杖』に違いない。『魔法の杖』には色々なスタイルがあるみたい。
あの『殿下』や隊士たちが持っていた、いかにも頑丈そうな警棒みたいな物が、『戦闘用の魔法の杖』。
ディーター先生やフィリス先生が持っている、伸縮自在な筆記ペンのような――講義用の指示棒のようにも見える――物が、
『魔法使い専用の、魔法の杖』なんだろう。
そして、この少女が持っている『魔法の杖』が、最も細くて軽いタイプのようだ。
子供用とか、いわゆる『日常魔法』用とか……いかにも一般人向け、という感じがする。
魔法の杖のヒョコヒョコとした動きに応じて、2台のサービスワゴンが独りでにカタカタと動いて行く。
まさに魔法だ。魔法で、2台のワゴンを同時に動かしていたらしい。
時々、魔法がうまく行かないみたいで、ワゴンが気まぐれにピタッと止まり、少女が直に手で動かしている。
まだまだ練習が必要と言う感じだね。
黒髪の少女は、美少女と言って良いくらい、目鼻立ちのハッキリした可愛い顔をしている。
フィリス先生と似た顔立ちだと思うけど、気のせいじゃ無いよね?
ふんわりした柔らかな黒髪は肩ラインまでのウェーブになっていて、頭の左右から、子供らしい小ぶりなウルフ耳がピョコンと生えている。
左側のウルフ耳のすぐ脇から、あの鮮やかな茜メッシュが流れている。
着てる物も、可愛い。ピンク色の、ミニスカート丈のエプロンドレスとスパッツ。
少女が身体の向きを変えて、『魔法の杖』をペン程の大きさに縮めた。『魔法の杖』の持ち手がクリップの形になっていて、
そのクリップで、エプロンの胸の前に引っ掛ける。成る程。これなら落としにくいし、再び使う時にも取り出しやすい。
『魔法の杖』って、本当に日常的な、身近な道具と言う感じだ。
その一連の、如何にもメイドさんな仕草の合間に、ふわふわなウルフ尾がピッピッと揺れているのが見えた。
ちょっと緊張している……というよりは、仕事を任せられて、お澄まししてる感じっぽい。初々しい。
フィリス先生が、『よくできました』と言う風に、にこやかに微笑む。
「メルちゃんじゃ無いの。今日は配達当番だったみたいね」
黒髪の少女は、わたしを見るなり、ポカンとした顔になっていた。
将来は切れ長の目になるだろうキュッと形よく切れ込んだ目を、まん丸に見開いている。
少女の視線の先は――明らかに、わたしの頭部のヘアバンドのラインを追っていた。
わたしの頭には、普通にウルフ耳が生えてないので、ビックリしてるみたい。
「……プータロー犬?」
わお。わたしの髪型、ザク切りの、バッサバサの坊主頭だもんね。メチャクチャにハサミを入れたような感じだから。
フィリス先生が、早速『魔法の杖』をハリセンに変形して――驚く事に、魔法の杖は、
魔法の粘土か何かみたいに、色々な形に変形可能なんである――少女の頭を軽く『ペチン』とやった。
*****
ちょうど昼食時なので、昼食を運んで来た見習い少女メルちゃんも、わたしたちと一緒に食事中。
メルちゃんは空白ワゴンを拡張テーブルに見立てて食事をしている。こういう事を想定していたそうだ。準備がいいね。
フィリス先生やメルちゃんの食事はシッカリした内容だけど、
わたしの食事は、胃袋をビックリさせないように、消化の良いスープをメインとしたメニュー。
フィリス先生が、少し驚いたように、わたしの手元を眺めて来た。
「ルーリーが見習いに行っていた所が何処は分からないけど、城館の見習い教育、シッカリしていたのかしら。
食事マナーが綺麗ね。諸王国との親善外交レベルの夕食会に参列しても大丈夫なくらい」
――そ、そうですか? 普通に食べてるだけですが……
黒髪の可愛い見習い少女メルちゃんも、『ふーん』というような顔でマジマジと見て来る。
メルちゃんは、『水のメルセデス』が正式名で、今年、仕事見習いに出る年齢になったそうだ。
ピッカピカの新人だね。人体換算年齢で、10歳。何と、フィリス先生の姪。
メルちゃんが着ているミニスカート丈のエプロンドレスとスパッツは、下級侍女のユニフォーム。
正式なユニフォームはハシバミ色でまとめているけど、見習いのうちは、色は自由だとか。メルちゃん、ピンクが好きなのね。
ウルフ族の子供たちは、10代前半のうちに、地元の城館や領主館に参上して、仕事見習いが出来るかどうか試す事になっているそうだ。
これはウルフ王国の国民データを確定するという理由もあって、参上は必須。
王宮に近い城館であればあるほど箔が付くので、『茜離宮』は人気のある見習い先だそうで、飛び地や辺境から上京して来る子も少なくない。
適性診断に合格したら、城館で仕事見習いをしつつ、読み書き計算や魔法の応用、そして『大陸公路』全域で共通する行儀作法を習う。
(もちろん、病気やケガのため仕事見習いの内容に耐えられない、
元々の気質からして城館という場に馴染めない――などの理由で、適性診断に合格しなかったとしても、
城館以外の所でも充分に対応できるので問題は無いそうだ)
中級スタッフのコースを満了した頃、ちょうど成人と言って良い年ごろになる。そして結婚したり定職に就いたりする。
城館に残って働き続けて、新しく入ってきた子の仕事見習いを世話する人も多いとか。
特に実力や才能を認められた場合は、早くから上級スタッフのコースに入る。上級侍女、上級隊士、上級役人の育成コースなど。
大抜擢の栄誉にあずかって、上級役人から大臣レベルへと出世して行く事もある。
一方で、方々の親方に引き抜かれて、めいめいの技術職に行く子も多い。
魔法使いコースも、その類。フィリス先生は魔法の才能を見い出されて、魔法使いコースに入って、魔法使い治療師になったと言う訳。
高度魔法を使える人は珍しいので、フィリス先生みたいなのは、エリートコースだそう。さすが『先生』。納得。
しばらくして、フィリス先生が笑みを浮かべて来た。
「食事は、口に合ってるようね」
――あれ? わたし、何も言ってませんよね? どうして分かったんですか?
「だって、ルーリーの尻尾、顔と一緒で分かりやすいもの。素直な性質なのね」
思わず、自分の尻尾を見直してしまった。
まだ毛並みはヘタってるけど、さっきまで、すこぶる調子よくパタパタ揺れていたから、
『食事が口に合っている』と診断できたそうだ。
思いついて、横をチラリと見てみれば。
お楽しみのデザートを夢中で堪能中のメルちゃんの尻尾も、機嫌よくパタパタしてる。成る程。
ウソをついた時に、顔では巧みにごまかせても、尻尾の動きでバレる事がほとんどだとか
(ただし、外交交渉を専門とする役人など、特別に訓練した獣人の尻尾の場合は演技が行き届いていて、真意を読むのは困難だそうだ)。
わたしの場合、『殿下』に恫喝されても、地下牢に放り込まれても、尻尾を出さなかった。――と言うよりも、出せなかった、
というのが正確だけど。
イヌ族スタイルのサークレットもどき、もとい『呪われた拘束バンド』の性質に気付かなかったら、
今ごろ、容疑者に尻尾を出させるための、あらん限りの拷問メニューを、次々に体験させられていたみたい。怖い!
つらつらと考えていると、食事を済ませたメルちゃんが、フィリス先生に声を掛けていた。
「今日はお姉ちゃんが広場に来てるの。うちの街区の当番日だから……どう?」
メルちゃんが身振り手振りで黒髪の端を持ち上げている。
フィリス先生は『良い話を聞いた』と言わんばかりに、目をキラッと光らせていた。
「ルーリー、病棟の中庭広場には、当番制の店が色々入ってるのよ。
今日は美容店が開いているから、その髪を何とかしてもらいましょう。その尻尾も、毛並みを整えるだけでも違うわよ、
この子の姉は『地のジリアン』と言うんだけど、御用達の店でも認められてる腕前の美容師だから」
獣人の毛は、先祖の性質をシッカリ受け継いでるから、ヘアカットを含む定期的な手入れが必要との事。
ゆえに、獣王国では、毛並みを整える専門の美容師や理容師は、最も多い職業のひとつだ。
竜人や魚人の王国では、髪結いの仕事はあるんだけど、ヘアカット担当に相当する職人は居ないと言う。
脱皮の際に毛髪が綺麗に生え変わるし、髪の状態が鱗の状態によって決まるから、『ヘアカット』類が必要ないらしい。
うーん、竜人や魚人の毛髪の構造って、相当のミステリーだと思う。鱗がハゲたら、頭もハゲた状態になるんだろうか。謎だ。
少し相談した後、体力回復とリハビリを含めて、中庭広場まで歩いてみようという事になった。
メルちゃんが『魔法の杖』で自動運転して来た予備のサービスワゴンを、歩行器に見立てて、手動で転がしてみる。結構いい感じ。
早速、メルちゃんが目をキラキラさせて、フィリス先生の灰色ローブを引っ張った。おねだりの格好だ。
「ワゴンの上に乗って良いでしょ? 洗い場で一旦、人体に戻って、食器を下げとくし。舟に乗ってる感じで好きなの」
「しょうが無いわね。ルーリーが疲れてきたら、降りてもらうわよ」
メルちゃんは、フィリス先生の承諾を受けるが早いか、変身魔法を発動した。
フィリス先生に促されて、魔法感覚らしきものを意識してみる。額の中央辺りに、魔法感覚『第三の目』があるんだって。
視覚と聴覚が合わさった、全方向型のアンテナのような代物らしい。
わたしの魔法感覚は、拘束バンドのせいで一部を制限されている状態(ディーター先生が頑張って、呪いを少し弱めてくれたそうだ)。
言われてみれば、距離感とか、パワー強度とかの類は全く伝わって来ない。でも、エーテル光の色と形のイメージは、ちゃんと結んでくれているみたい。
メルちゃんの身体が、《水霊相》特有のエーテル光だと言う青系統の様々な光に包まれた。
色々な種類の青い光で出来た、チラチラとした人影という感じになる。
その人影が形を変え、更に小さくなった。
物理的な視覚はエーテル光に対応していないから、変身魔法プロセスが進行中の間は、そこに常夜闇の穴が出来たように見えるという。
それは、さぞオカルトでミステリーな眺めだろう。
――わたしは不意に、最初の頃、フィリス先生の手で此処の病室に運ばれていた時、
不思議な常夜闇のような空間に包まれた時の事を、思い出した。
あれも、魔法感覚で見てみれば、全く別の光景が見えていたに違いない――
やがて、メルちゃんの変身魔法が終わった。
青い光が収まると、そこには、片腕でも抱えられそうな、ちっちゃな子狼が居たのだった。
メルちゃんと同じ、ふわふわな感じの、少しウェーブの入った黒い毛。左側の耳の脇に、見覚えのある一筋の茜色が混ざっている。
うわ~。びっくりした~。
「メ、メルちゃん?」
『そーよ。何で、そんなに驚いているの?』
フワフワな黒い子狼が、可愛らしいウルフ耳とウルフ尾をピンと立てて返事して来た。
厳密には音声じゃ無くて、身振りと表情と息遣いを合わせたメッセージの形になっているんだけど、意味を持って伝わって来る。
フィリス先生が、手慣れた様子で『メルちゃん狼』を抱き上げて、ワゴンの上に乗せた。
「ルーリーは記憶喪失なの。変身魔法もおかしくなってるから、この病棟に入院してるのよ。
いろいろ基本的な事が抜けてるから、メルちゃんも気が付いたら教えてあげてね」
『分かったわ。ルーリーは変な声してるけど、これも病気のせい?』
「そのような物ね。でも、言葉には気をつけなさい」
あ、やっぱり、わたしの声、普通じゃないみたい。フィリス先生がメルちゃんを叱ってるけど、わたしは怒ってないよ。
普通の人から自分がどう見えるのかというのは、気になってたから。
――あれ? でも、わたし少し喋っただけで喉が疲れて痛くなってしまうから、ほとんど口に出して喋ってないんだよね。
しゃがれて歪んだ声だから、語音も潰れてるんだけど……意思疎通できてる?
フィリス先生と子狼なメルちゃんが、わたしの顔をジッと見て来て、同時に頷いて来た。
「複雑な内容となると、口でちゃんと喋ってもらわないと分からないけど、基本的な事ならね。
元々、先祖の狼たちは、狩りの時はそうやってコミュニケーションして来たものよ。
ルーリーは今、『狼体』の時のやり方で喋ってるし、尻尾も含めて、表情が素直だから」
*****(2)総合エントランス
中庭に行く途中の、長い長いアーチ回廊で、十数人くらいのウルフ族の治療師や入院患者と行き逢った。
何で治療師と分かったのかというと、フィリス先生が灰色ローブの下に着ている男女共通の治療師ユニフォームと、共通だから。
聞けば、灰色ローブを着用できるのは、『魔法使い』資格を持つ者のみだとか。
清潔が特に要求されるような治療室とかで毛髪を落とさないためだろう、
みんなキッチリと髪をうなじでまとめたり、アップにして結わえたりしている。
フィリス先生もうなじで髪をまとめているけど、メルちゃんみたいな見習いは、治療室には入らないから、普通に髪を流してオーケーらしい
(今は『狼体』状態で、わたしが押すサービスワゴンの上で、楽しそうにハァハァしてるところ)。
ちなみに、わたしが入った病室は、ディーター先生の研究室と直結している特別室だそうで、
予期せぬ魔法事故に備えているという事もあって、隔離病棟スタイルになっているそうだ。
道理で、渡り廊下を過ぎてアーチ回廊に入るまで、他の入院患者の姿――生成り色の無地のスモック姿――を、見かけないと思ったよ。
頭部に包帯を巻いて、『人類の耳』と『呪われた拘束バンド』を同時に隠している状態だからか、『ウルフ耳が生えてない』という奇妙な外見に対して、
他の治療師や入院患者からは、疑問を含んだ眼差しは来ていない。
大怪我をして『耳』が取れてしまうなどして、《高度治療》魔法による組織再生手術を受けに来たという患者は、数は少ないけど居るそうだ。
利害トラブルがこじれまくって内戦になってしまった危険指定エリアとか、モンスター襲撃エリアから搬送されて来るケースが、ほとんど。
高難度の魔法を用いる《高度治療》が可能な医療機関は非常に限られていて、
ここ『茜離宮』付属・王立治療院は、その数少ない中のひとつ。
――こうして何人かと行き逢ってみると、ウルフ族の男女の体格差が大きいのが良く分かる。
ディーター先生とフィリス先生の、大人と子供のような体格差は、最初はビックリしたけど、これが普通なんだ。
ちなみに変身魔法で『狼体』になると、先祖の狼さながらに、成体の体格差は余り変わらなくなると言う。変身魔法って、いろいろ謎だよね。
アーチ回廊を行くうちに、この『茜離宮』付属・王立治療院の、中央病棟の総合エントランスだという場所に入った。
天井が高く、広い受付ロビーになっている。大広間と言って良いくらいの広さだ。長椅子やカフェテーブルのセットが、あちこちにある。
治療を受けに来た怪我人や病人が多い。
でも、特に用事の無さそうな人も、顔見知り同士で集まって、軽食やお喋りをしながら時間を潰している雰囲気。
ちょっとした社交場だ。普段から人でザワザワしている場所みたい。
エントランスの端に落ち着いたところで、フィリス先生が説明を始めた。
「この総合エントランスで、ウルフ族患者とイヌ族患者を振り分けているの。他の種族の患者もね。
種族によって治療方法が違うから。竜人や鳥人、魚人の患者も、たまに来る事があるわ」
成る程、確かに――ウルフ族とイヌ族が入り交ざっている。半々くらいという感じ。
ウルフ王国に一番多く入って来ているのが、イヌ族だそうだ。
そしてチラホラと、レオ族、クマ族、ウサギ族やネコ族といった姿が見える。
イヌ族は、垂れ耳&巻き尾の割合が多い。種族的な特徴なんだろう。ほとんどが丸っこい目。
でも、ウルフ族に良く似た外見を持つイヌ族も多くて、こちらは全く区別が付かない。
女性だったら茜メッシュの有無で一発なんだけど……男性の方は、ハッキリした背丈の差が無いタイプだと分かりにくいんだよね。
男女ともに華やかなのがレオ族だ。分かりやすい。獣人の中で、最も華麗な外見を持つのがレオ族と言って良いみたい。
エントランスに居る人々の中でも数は少ない方なのに、存在感からして目立つ。
レオ族男性は、タテガミが付いている。若いうちは小さなタテガミだけど、年と共に、貫禄のある大きなタテガミになるみたい。
独身者は別にして、1人のレオ族男性を4人以上のペアルックのレオ族女性が取り囲んでいる。一夫多妻制ハーレム型と言うのが傍目にも見て取れる。
レオ族女性は何故か、全員ナイスバディ。どうやったら胸があんなに大きくなるのか……不思議だ。
彼女たちの頭部で、キラキラしたビーズや飾り石をレースのように編み込んだココシニク風ヘッドドレスが目立っている。
そのヘッドドレスの左右から、お下げのような感じで、細かいビーズや飾り石を長くつないだ房が何本も流れている。
――『花房』と言うそうなんだけど、光の粒で出来た滝みたいにシャラシャラと輝き揺れていて、綺麗だ。レオ族男性のタテガミの豪華さと釣り合っている。
富裕アピールを兼ねているらしく、いかにも富豪なグループでは、レオ族女性のココシニク風ヘッドドレスの意匠も派手かつ大振りなサイズ。
ネコ族とウサギ族も分かりやすいタイプだ。顔立ちの特徴も、『耳』『尾』の特徴も、他とは大きく違うし。
クマ族の成人男性は、まさに『クマのような』って感じ。ヒゲ面が成人男性の基本ファッションみたいだし、身体全身の毛もすごい。
クマ族女性は、獣人に属する女性の中では最も髪を長く伸ばす習慣を持っていて、背丈より長い見事な髪の持ち主も多いそうだ。
三つ編みや編み込みヘアスタイルが基本。髪が長くなったら真似してみたいなと思うような、可愛い変形バージョンも見かける。
ちなみに、パンダ族は、エントランスの人々の中には居なかった。パンダ族は数がすごく少なくて、見かけるのは珍しいという話。
パンダ族が1人でも居れば、珍しがって人が集まって来るので、すぐ分かるそうだ。
パンダ族の外見は、人体というよりは、先祖そのものの毛皮付きの本体に近く、言わば『二足歩行パンダ』。
現在でも、笹で作った腰巻ファッションを続けている――というか、何も着てない状態に近いらしい。
だから、独特な白黒の毛皮模様は、一見の価値ありだって。
*****
イヌ族は『自称・レオ帝国』において、王国に相当する自治権を持たない。
しかし、群れごとの団結力が強く、各個の独立組織と言って良い。群れごとの縄張り社会というスタイル。部族社会を想像すると分かりやすいらしい。
これはこれで別の問題があって、部族をまたぐ総合医療が成り立ちにくいそうだ。
高度治療を必要とするイヌ族患者は、あらかじめ個別に、金融魔法陣と身元証明をセットした契約を交わして、ウルフ王国に入国して処置を受けると言う訳。
そして、この世界、必ずしも性善説で成り立つものじゃない。
古代からイヌ族とウルフ族は、特に相互交流が深かった。色々な意味で。
イヌ族スパイがウルフ王国に潜入していて、ウルフ族スパイがイヌ族の諸々の群れに潜入しているのは、もはや常識だとか。
過去、戦国乱世だったころは、犬と狼のヤクザ抗争……いやいや、相互のスパイによる暗殺事件も珍しくなかったそうだ
(そうやって獣人同士で争っているうちに、レオ族が、ちゃっちゃとレオ帝国を樹立して、諸王国をまとめる帝国体制を完備してしまった。
さすが百獣の王と言うか、レオ族のリーダーシップはスゴイ物がある)。
ともあれ、実際問題として。
イヌ科の男性について、ウルフ族かイヌ族かを見極めるのは、茜メッシュの有無で見分けがつく女性の場合に比べて、遥かに難しい。
当人の『耳』と『尾』を確認しても曖昧な場合は、下級魔法を使って、手持ちの『魔法の杖』をチェックするそうだ。
ウルフ族とイヌ族とで、『魔法の杖』の設定が異なっているからなんだけど、熟練のスパイとなると、そうもいかないらしい。
スパイの変装技術は、男性バージョンの方が発達している。
究極的には《宿命図》で決着が付くんだけど、《宿命図》を判読できるのは一定レベル以上の魔法使いのみ。
わたしが地下牢に放り込まれた理由の一部が、『イヌ族の忍者または暗殺者』だったのも納得。
しかも、あの後、割り振られた隊士たちがわたしの『魔法の杖』も探していたんだけど、何故か見付からなかった。
と言う訳で、あの時、どの種族の者かキッチリと調べるためもあって、
上級・中級魔法使いが当直で詰めている取り調べ室に運び込まれていたんだそうだ。
ディーター先生とフィリス先生が当直で詰めていたのは、たまたま当番でそうなっただけなんだけど、この点は本当に運が良かったと思う。
*****
――エントランスの広い空間の各所に、球形をした不思議な彫刻のような展示物が8つばかり、規則的に散在している。
台座の上の空中に浮いたまま、ゆっくりと回転している大きな天球儀だ。台座にセットされた魔法で、空中に浮かぶ仕掛けになっているらしい。
ウルフ族男性でも4人くらいは余裕で呑み込めそうなサイズ。魔法感覚で見ると、無数の点状のキラキラとした光をきらめかせているのが分かる。
わたしは思わず、フィリス先生を振り返った。
「あれ、何ですか?」
「大天球儀(アストラルシア)よ。案内板と遠隔通信を兼ねた魔法道具ね。館内図や地図の表示機能もあるから、迷ったら此処にくれば大丈夫。
街頭ニュース機能も付いているから、いつでも人が集まって来るし。
あの回転は、実際の天球の回転に合わせてあるから、だいたいの時刻を知る事も出来るわ」
何でも、超古代の大変動の影響で、天球の回転軸が大きく傾いてしまい、天と地の位置関係が安定しなくなったそうだ。
それで、この『大天球儀(アストラルシア)』なる魔法道具が必要になった。
大変動の後は、従来の観測技術でもって大陸横断したり遠洋航海したりする事は、困難を極めたと言う。この魔法道具が開発される前は、
本来の方角を見失って難所で遭難した末に、モンスターに襲われる事例が多かったのだとか。
やがて、フィリス先生が大天球儀(アストラルシア)に寄っていた下級魔法使い治療師につかまって、質疑応答と言った内容の立ち話を始めた。
下級魔法使いは、灰色ローブでは無く、灰色のスカーフを巻いている。
どうやら、受付ロビーで、紛らわしいイヌ科の男性(急患)から、更に紛らわしい『魔法の杖』提示があったらしい。
ウルフ族かイヌ族か、下級魔法使いレベルでは判別が付きにくい状態なんだって。
フィリス先生は《宿命図》を判読できる中級魔法使いだから、最終的な判断を任されている立場みたい。
わたしは質疑応答の邪魔にならないように、サービスワゴンの向きを変えて、少しだけ距離を取った。
首を巡らせて、先へと続くアーチ回廊を眺める。中庭を取り巻く緑地に接しているエリアだから、今日の天気が良く分かる。快晴だ。
ワゴンの天板の上でクルクルしていた子狼なメルちゃんが、チラチラと視線を投げて来た。
『暇つぶしに、撫でても良いわよ(というか、撫でれ)』と言って来ている。
――お言葉に甘えて。
わお、ふわッふわな黒毛。良い毛並み。素晴らしいキューティクル。
お姉ちゃんが美容師だというし、妹なメルちゃんは、毎日キューティクルを手入れされているよね。
ふわふわな手触りを堪能していると、金髪の綺麗な、シニア世代のウルフ女性が近付いて来た。
治療を受けた帰りなんだろう、片腕に湿布と包帯を巻いている。何処かにぶつけて、アザを作ったのかも。
気の良さそうなシニア女性は、ウルフ耳を揃えて、丁寧に目礼をして来た。
やや左側の生え際にある茜メッシュがバランス良く左右に振り分けてあって、そのまま緩やかなシニヨンへとつながっている。
着ている物には、何気ない上品さを感じる。貴族とか名家の奥方という雰囲気だ。
シニア女性は、優雅な仕草でワゴンの上に身を乗り出して来て、満面の笑みを浮かべた。
「まぁ、今日はまた可愛いわね~」
サービスワゴンの上の、ふわッふわ黒毛の子狼なメルちゃんの事だ。うん、分かる。
メルちゃん、人体状態でも、フィリス先生に似ている美少女だもんね。
金髪のシニア女性がメルちゃんを撫でようとすると、メルちゃんは毛並みをバッと逆立てた。
あれれ、撫でられるの、イヤなの?
フィリス先生が質疑応答を切り上げ、急ぎ足でワゴンに近づいて来た。やはり『魔法の杖』をハリセンに代えて、
子狼なメルちゃんを『ペチリ』と、お仕置き。でも、メルちゃんは前腕の中に顔を埋めながらも、ふくれっ面という感じ。
「姪が失礼をしました、チェルシーさん」
「まぁ、気にしてないわよ、オホホ。『金髪コンプレックス』相変わらずみたいね、ジリアン嬢の妹さんは」
――偶然にも、知り合い?
それから改めて中庭に出るまでの間に、新しい道連れとなったシニア女性と、自己紹介を交わした。
品の良い金髪のシニア女性は、『火のチェルシー』と言って、中級侍女コース満了で結婚退職した人。
城下町で趣味と実益を兼ねたアンティーク宝飾品店を経営しながら、地元のドレスメーカーの縫製作業の助っ人をやったりしている。
ご夫君が『茜離宮』の衛兵部署で、文官の管理職として勤めているそう。時には王族を警護する親衛隊とも仕事をするそうだから、偉い人なんだろう。
チェルシーさんは、メルちゃんの姉ジリアンが勤める美容店の、常連さん。メルちゃんの事を良く知ってる訳だ。
メルちゃんは、これで割と気難しい子で、知らない人にすぐに『撫でて』って懐くのは珍しいんだって。
そして、金髪コンプレックスをこじらせている。
聞けば、メルちゃんは家族の中で1人だけ、黒髪――黒狼種だそうだ。
ウルフ族の親子兄弟の中で金狼種と黒狼種が混ざるのは、良くある事だ。
でもメルちゃんの場合、家族全員が純粋キラッキラ金髪なものだから、『メルは何処か知らないところの子なんだ~』とか、いじけちゃったらしい。
曾祖父・曾祖母の世代は、黒狼種が多く居たそうなんだけど。
成る程、見てみると『火のチェルシー』さんは、見惚れるような純粋な金髪だ。
あの『殿下』の豪華絢爛な金髪とは違うけど、柔らかで品の良い輝きを放っている。メルちゃんにとっては、『金髪コンプレックス』発動対象だろう。
メルちゃんは、叔母に当たるフィリス先生には、懐いている。フィリス先生は赤銅(あかがね)色の髪で、純粋な金髪とは色合いが違うし、
エリートな魔法使いというのも大きいのかも。デキる先輩って憧れの対象になったりするし。
*****(3)中庭広場
目的地、病棟の中庭広場に到着した。
――意外に広い。周囲を複数の病棟に囲まれていて、長方形をした敷地になっている。
長方形の長辺に沿う形で、ミニ店舗がズラリと並んでいた。どの店舗も、屋上付き1階建ての組み立て倉庫という感じ。
倉庫に、店舗用の各種出入口、陳列棚、窓、看板……と、アレコレと付けてみた、と言う風の簡素なスタイルだ。
雑貨店、衣料店、ちょっとした魔法道具の店、軽食コーナー、各種の遊戯屋、貸本屋、色々ある。
この区画の官衙では此処が最寄りの商業施設だそうで、紺色マントの軍装姿も含めて、ユニフォーム姿の大小の人々が多数たむろしていた。
ちょっとしたストリート商店街という感じ。お天気が良いお蔭か、こちらの方が賑やかだ。
ミニ店舗には全て、屋上スペースが付いていて、そこへ上がるためのハシゴが備えられていた。
屋上から荷物を降ろすためと思しき、ささやかな滑車セットもある。
良く見ると――不思議な事に、屋上は揃って、畑になっているように見える。荷物を置くスペースなんて、あるんだろうか。
グリーンカーテンと思しき蔓植物が、ワサワサと茂っている。大いに茂って、店舗の壁を覆い尽くさんとしているのもある。
そりゃあ、日当たりは満点だろうけど……
店舗ごとに色んな種類のグリーンカーテンがあっても良いと思うけど、葉っぱも蔓も全て共通している。
『茜離宮』付属・王立治療院の方で、特に指定しているって事かな?
――よし、聞いてみよう。聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥だ。
「あの、お店の屋上に、何があるんですか?」
傍を歩いていたチェルシーさんが、にこやかに答えて来た。
「あ、あれね。『炭酸スイカ』よ。ああやって周りにグリーンカーテンを広げておくと、真夏でも、お店の中が暑くならないものねぇ。
『炭酸スイカ』は特に冷却性が良いから、『茜離宮』の方でも、色々な倉庫の屋上で育てているわ」
――謎な言葉があったような気がする。『炭酸スイカ』……?
チェルシーさんは、わたしの疑問顔に気付いた様子で、不思議そうな顔になった。
「あら、もしかしてルーリーさんは、知らないの? 遠い辺境の飛び地の出身とか?」
「ほぼ記憶喪失の状態ですから」
わたしの状態についてタイミングよく解説してくれたのは、フィリス先生だ。チェルシーさんは「まぁまぁ」と驚いている。
続いてフィリス先生が、謎のグリーンカーテンについて講義を始めた。
「夏の代表的な果物『スイカ』の魔法的変種なんだけど、実が変わってるのよ。
中に入っているのは、グズグズになった極彩色の七色の果肉、それに高濃度の炭酸ガスを含んだ水。
普通のスイカとは違って、果肉の中には種は無い。イタズラっ子の遊び道具として狙われやすいわ」
――どういう事でしょう?
「中身が高濃度の炭酸水だから、包丁を入れた途端に泡立つの。実を散々転がしてシェイクした後だと、なおさら発泡性が増すわね。
それで、ちょっとでもヒビが開こうものなら、そこから炭酸水のカラフルなジェットが出て来るから……結構な見ものではあるわよ」
フィリス先生は胡乱な目つきで、子狼なメルちゃんを見やった。
メルちゃんは、ワゴンの上でハァハァ、キラキラしながら、店舗の壁を覆う緑のつる植物を熱心に見つめているところ。
尻尾が左右にピコピコ振れていて、いかにも何かを企んでる風だ。
見ると、その店舗の地上部分にまで降りて来たツルの先に、手頃な大きさの実がある。
普通の『スイカ』の、黒と緑のパターンじゃ無いような……
……どぎつい蛍光紫と蛍光黄色、だ。あれが『炭酸スイカ』の実なの?
見るからに、中からお化けが出て来そうな実だなあ。魔法的変種というのも成る程と言うか……目が痛くなりそう。
メルちゃんは、すぐにフィリス先生の視線の意味に気付いたようで、パッと顔を伏せた。
更に、『伏せ』の姿勢になった。
成る程。メルちゃんも、『炭酸スイカ・ジェット』のイタズラをした事があったみたい。
――色とりどりの極彩の水で出来た、ジェット……水で出来た花火みたいに見えるのかも知れない。
イタズラ盛りの子供にとっては、危険な誘惑だよね。
チェルシーさんが小さなメルちゃんを微笑ましく眺めながら、「そう言えば」と言葉を継いだ。
「治療院では『炭酸スイカ』で炭酸泉を作って、治療に役立てているのよね。
熱を加えると極彩色の果肉が溶けて、乳白色になって本物の温泉という感じになるし、ちゃんと美肌効果があるわよ、ウフフ」
くだんの『炭酸スイカ』風呂は女性に人気があるそうで、
城下町の方でも、専門の『炭酸スイカ』銭湯があるとか……そのうち試してみたい気がする。
*****
不思議な『炭酸スイカ』について雑談を交わしながら中庭広場を巡っていると、中央スペースに差し掛かった。
中庭広場の中央スペースには、可動屋根のついた大きな噴水がある。
今は、噴水を覆う屋根が取り払われている状態だ。跳ねる水が昼下がりの陽光を反射して、キラキラ輝いている。
その周りには花壇と、パラソル付きのテーブルが並ぶ。カフェの出店ってところ。
噴水の各所に、傾斜をつけた装飾細工があって、透けるような薄青――セレスト・ブルーをしたオーロラみたいなものが光っている。
噴水の脇にしつらえてある飲料用と思しき水槽では、深い紺青色をした無数の数珠が踊っていた。
――何とも不思議な光景……
わたしが余りにもしげしげと噴水を眺めているからか、「ちょっと噴水に寄りましょうか」という事になった。
ワゴンの上に鎮座している子狼なメルちゃんが、不思議そうに顔を上げて来た。
『ルーリーは、水中花を見た事ないの?』
限りなく正解だ。時々子供は、正確なところをピンポイントで押さえて来る。
「記憶喪失と聞いたけど、それほど記憶が吹っ飛ぶなんて大変な事ね」
チェルシーさんが目をウルウルさせていた。
うーん、ほとんど記憶が吹っ飛んだせいなのか、わたし自身は余り悲壮感は感じない。
感じるべきなんだろうけど、地下牢の方で究極の恐怖を味わったというのが、もっと大きい。
あれに比べれば、どんな事態でも『マシ』なような気がするんだよ。
フィリス先生が端的な解説をして来た。
「あのセレスト・ブルーの、オーロラみたいなのは『オルテンシア』種。薄いカーテン状の藻だから、あんな風に見えるのね。
水面の上に、良い香りのする大輪の八重咲きの花を付けるんだけど、花そのものは珍しいから、開花の瞬間を見た事のある人は滅多に居ないわ。
1年に、1つ2つくらいしか咲かないし……でも、医療方面では重宝する水中花よ」
大輪の花を咲かせるために、藻全体から取り込んだ成分を、花部分に濃縮するそうだ。魔法プロセスを含んだ濃縮と合成が、花部分で起きる。
咲き終わりの頃にオルテンシア花を採集して、成分を抽出するんだけど、それは、あの全身消毒液プールの原料になるという。
花弁1枚で、20人分の消毒液プールが出来るらしい。すごい。
噴水の底の方には、ミントグリーンの蔓草に瑠璃色の小花――という水中花が、揺れ動く水に乗って波打ちながら、ワッサワッサと広がっていた。
『ルーリエ』種だ。ルーリエ種が浄化した水は、特に魔法要素の乱れを鎮静化し除去するので、安全に魔法道具を洗浄できるそうだ
(魔法道具の中には、暴走・爆発しやすい危険な物も多い)。
飲料用の水槽で踊っている紺青色の数珠も水中花の一種で、『アーヴ』種という。地味な見かけだけど、浄化パワーは最大。
その浄化力は、魔物成分を含む有害な水を飲料用に変えられる程だ。
襲来して来たモンスターの毒にやられた、不運な町や村の除染では、特に持ち込み必須。
チェルシーさんが、タイミング良く口を出して来た。
「此処には無いけど、『茜離宮』の方には『ハイドランジア』種の水中花があるわ。深窓の令嬢みたいな水中花で一見の価値ありよ、オホホ。
ハイドランジア種は、綺麗なサファイア色の真珠の実を付けるの。古代の頃から、宝飾品に使われているわ」
ハイドランジア種は、浄化力は普通。基本的な浄化フィルターを付けた機械と同じくらい。
でも、王族たちの鑑賞に堪えられるレベルの美麗種の水中花だ。しかも宝玉――真珠を産出すると言うおまけも付いている。
元々、ハイドランジア種は、魔境と接触する難所エリアの浅い泉の底に棲息している。
水場に集まって来る数多くのモンスターの群れを抜けて、上手くハイドランジアの真珠や苗を採集して来るのは難しいそうで、
冒険者ギルドでも最高ランクのクエストになるという話。
ハイドランジア種から青い真珠が採れるという事は、真珠ビジネスに関わる人々以外には余り知られていない。
魚人が海から収穫して来る真珠の方も珍しいそうだから、『さもありなん』と言うところ。
海の真珠をどうやって安定して収穫するのかは魚人だけの最高機密になっていて、今でも謎と神秘に包まれている。
さすがアンティーク宝飾品店の女主人。詳しい。メルちゃんは初めて聞いたみたいで、ビックリしている。
更にチェルシーさんは、ドレスメーカーの助っ人としての、豆知識も披露してくれた。
海洋生産であれ、ハイドランジア産であれ、ドレスに真珠を縫い付けるのは一種のステータスだとか。
王妃さまや王女さまのドレスには、最高級の品質『花珠』称号を持つブランド真珠が、たくさん縫い付けられているそうだ。
水中花の話が一段落し、噴水を回った。ミニ店舗を連ねた、中庭の商店街に再び入る。
その中の一角に、メルちゃんの姉ジリアンが出張していると言う美容店がある。
ちょうど、如何にもヒラの役人と言った風の先客の大柄な男が、黒茶色のウルフ耳をピコピコさせながら出てきたところだ。
「毎度~」というセールス挨拶が聞こえて来る。
ガラス戸を開けて顔を突き出しているのは、店員と思しき若い金髪女性だ。わたしたちに気付いて、パッと振り返って来る。
髪の色と同じ金色をしたウルフ耳が、既にワゴンの車輪音を捉えていたみたいで、ピピッと動いていた。
メルちゃんもお年頃になったらこうなるだろうな、という雰囲気の美女だ。
ウェーブのある長い金髪をスッキリと結い上げていて、右こめかみ部分から伸びる茜メッシュの一房が、お洒落ポイントになっている。
腰から伸びる金色のフッサフサの尻尾が、いかにも美しい。
「いらっしゃい……フィリス叔母さんじゃ無いの! チェルシーさんも……って、メルちゃん、また何かした?!」
わお。この美人な金髪女性が、メルちゃんの姉ジリアンみたい。
気難し屋なメルちゃん、日頃の『金髪コンプレックス』行動が問題だったのか、余り信用が無いみたいだね。
「こんにちは、『地のジリアン』と申します。当店は初めてですよね?」
――このメチャクチャな髪型なものだから、すぐに『お客さん』と認識されたみたい。
*****(4)髪の下にある謎は
美容店の中に案内されて、3つある客席のうち1つに落ち着くと、すぐに散髪ケープを装着される。
フィリス先生が、わたしの頭の包帯を解き始めた。興味津々の顔をしたジリアンさんに、テキパキと事情説明を始める。
「この子は研究室の方で診ている特別患者で、『水のルーリエ』よ。ルーリーで良いわ。
詳しい事は言えないけど、これは変身魔法を封印している拘束具。ディーター先生が調べているところでね。
魔法で触るのは厳禁っていう厄介な代物なの……『人類の耳』が横から出てるから難しくなりそうだけど、ヘアカットと毛並みの調整は出来るかしら?」
店内の端っこの長椅子で、チェルシーさんと、人体に戻ったメルちゃんが、好奇心旺盛な様子でウルフ耳を傾けている。
ウルフ耳、ホントに音のする方向にピコッと傾くんだ。ちょっと感心。
ジリアンさんは、スプレー水を髪全体に行き渡らせた後、熟練の手つきで、わたしの髪を持ち上げたり、櫛で分けたりし始めた。
スプレー水には、乱雑な毛髪を一時的に扱いやすくするための成分が入っていたみたい。
古い抜け毛っぽい物が一斉に取れて行っているせいか、ビックリする程スルスルと櫛が通っている。
「ずいぶん雑にハメられた物だわね~。ヘアバンドに見せるのも難しいわよ、この乱れ具合じゃ。
ピッチリしてて隙間が無いけど……魔法か何かで、隙間を空ける事は出来る? ごくごく薄い遊びで良いの、
毛並みを整えるのは、こっちでやれるから」
フィリス先生は、灰色ローブの内側ポケットから記録カードを取り出して、検討し始めた。
「ディーター先生が見つけた方法があったわ。ルーリー、ちょっとピリッとするかも知れないけど」
フィリス先生の『魔法の杖』が、淡い白い光を放った。
次の一瞬、デコピンされた時のようなパチッという衝撃が走り、脳みそにピシッと来る。身構えていたけど、結構な衝撃だ。
ショックで頭がクラクラしたけど、何だか締め付けが軽くなったような気がする。
「余り時間は無いから急いでね、ジリアン。拘束具にセットされている拷問用の魔法陣の稼働につながっているから、
タイムリミットまでに止めないと拷問が始まっちゃうのよ」
「どんな拷問よ?!」
「例えるなら、レスラー必殺技『脳天落とし』かしら」
それは怖い!
ジリアンさんは真剣な顔になって、何種類もの櫛を振るい始めた。さすが、プロだ。
時々、薄目を開いてみると、鏡の中で、元々どうなっていたのかも分からなかった髪型が形になって来る様子が見える。
問題の『人類の耳』の周りになると、ジリアンさんの櫛のスピードが、明らかに落ちているのも見えた。
「いつもとは勝手が違うわね。本来は何も無い筈の場所に『人類の耳』が飛び出してるし、本来の『耳』が無いし」
そう言いながらもジリアンさんは、プロならではの経験と眼力で、元々の毛の流れを読み取って行っている。
奇妙なヘアバンドがハマっている事は、『ある筈の場所に"ウルフ耳"が無く、無い筈の場所に"人類の耳"が飛び出している』という異常状態に比べれば、
そんなに問題では無いらしい。先祖の狼の毛流れの方向が、ちゃんと決まっていたからなんだろうけど……これはこれで、不思議に思える部分だ。
やがて、前髪の部分が、ハッキリとした形を現し始めた。わたしにも一応は『乙女ゴコロ』という物があったのか、ちょっと感動的な気持ち。
メルちゃんみたいにフワリと前髪を降ろしているスタイルなんだけど、両脇に流している毛量の方が多い。
後ろ髪の方からは毛は余り取らないままにして、左右にお下げを作る事を前提にして、振り分けてある感じだ。
へぇー。わたしの前髪、こんな風になってたらしい。覚えてないけど。
ジリアンさんがブツブツ呟いている声が聞こえて来る。
「乱暴に切られたのは、だいたい後ろ髪の方ね。素人のカットだわ。
でも、前髪は、長さがやられた他は被害が無い。こちらのカットは、間違いなく御用達レベルの腕前の人がやってる。
この辺のやり方じゃ無いけど、ハサミ上手ね。この前髪スタイル、その内、うちの方で試してみようかしら」
「ジリアンが興味を持つ前髪スタイルって、そんなに無いわよね」
フィリス先生が、多少からかい気味に突っ込んだけど、ジリアンさんは真面目な表情を崩さなかった。
手を忙しく動かしながらも、ジリアンさんは喋り続けている。
「レオ帝都周辺で見られる『花巻』風なの。よく見かける、あの『花房』や『房編み』とは違うわ。
元々は鳥人の未婚女性のヘアスタイルなんだけど、レオ帝都の同業者が、獣人向けのアレンジに成功してるのよ。
同業者の間では良く知られてる逸話ね。知らなかったら『モグリ』というくらい」
――美容師や理容師のネットワークも、なかなかの物みたい。
総合エントランスの方で、獣人に属する色々な種族の人を見かけた。みんな、毛髪の手入れはキチンとした感じになっていた。
記憶喪失になってしまったからピンと来ないんだけど、獣人の間では、ヘアスタイルの話題は、食べ物や政治の話題と同じくらい、熱くなるテーマなんだと思う。
ジリアンさんがフィリス先生に解説している内容が、続いている。
「こめかみ部分で集めてお下げみたいに流して、花や宝石を飾り糸に通したのを巻き付けるから、『花巻』。
清楚なのに豪華絢爛。レオ帝都の技術が最高で、他国でも王女や姫君を顧客に持つ同業者たちが『花巻』の秘訣を知りたがっているんだけど、
私たちが直接に見るチャンスって、ほとんど無いもの」
長椅子の方から、「えッ?!」という、チェルシーさんの驚きの声が聞こえて来た。どうしたんだろう?
「それ、大変な事じゃ無いの?! レオ帝都は特に、地位や立場ごとの区別に厳しい所よ。
そんな所で高位のハーレムに囲い込まれた『白い結婚』中の女性や、レオ貴族の未婚令嬢がやる『花巻』ですって?」
近くに居たフィリス先生の、ブツブツと呟く声が続いて聞こえて来る。
「イヌ族女性と間違われて、何処かのレオ貴族の、ハーレム要員の候補になってたりしてたのかしら。『接待役のハーレム妻』も珍しくないし」
わたしの方からはフィリス先生の表情は見えないけど、声の調子からすると、困惑の余り渋い顔になっているみたい。
そうしているうちにも、ジリアンさんは、毛並みをほぼ整理し終えたようだった。
「よし、上がり。タイムリミットに間に合ったかしら」
「いつもながら見事な早業ね、ジリアン。余裕で間に合ったわ」
フィリス先生が再び『魔法の杖』を向けると、最初の時と同じ『パチッ』とした衝撃がした後、拘束具がキュッと締まった。
さすが『呪われた拘束バンド』と言うべきか、寄ると触るとダメージが来るんだなあ。
ジリアンさんは、わたしのダメージが収まったのを見て、洗い場でわたしの頭を洗い出した。
洗髪の魔法を使えばアッと言う間なんだそうだ。でも、予期せぬ呪い発動を防ぐため、
特に魔法干渉を鎮静化するという『ルーリエ』種による浄水を選んで、直に手洗いだ。お気遣い有難うございます。
そして、この洗い場では、思わぬ発見があった。
ジリアンさんが、わたしの髪に適温の流水を当てて、洗髪剤を流し始めた。流しながら、髪をかき分けて行ったところ――
「茜メッシュがあるわ。あなた、女の子だったのね」
「えッ、何処に?! 私が探しても、全然見つからなかったのに! 変身魔法も茜メッシュもダメだったから、《宿命図》で証明しなきゃならなかったのよ」
どうやら茜メッシュの有無は、未婚ウルフ女性の多大なる関心事みたい。穏やかに微笑んで様子を見守っているのはチェルシーさんだけで、
メルちゃんは矢のようにビュンと飛び出して、身を乗り出して来た。
フィリス先生とメルちゃんの様子にビックリしたのか、ジリアンさんは少しの間、作業の手を止めてポカンとしていたのだった。
やがて、ジリアンさんは、きちんと状況説明する必要を察したみたい。ジリアンさんは作業を再開しながらも話し出した。
「本格的にルーリエ水を合わせて洗ったからかも知れないわね。魔法道具を洗浄する水でしょ、ルーリエ水って。
魔法で固定されている染髪料は魔法的汚染と同じ性質を持っているから、ルーリエ水の洗浄に引っ掛かるのよ。
それで除去されて、茜メッシュが出て来たという訳」
ジリアンさんは、手早くタオルドライをしながらも、困惑タップリに首を振り振り、コメントを追加していた。
「それにしても、ただでさえ見えにくい位置にあるのに、そのうえ短く切って、染めて、
隠さなきゃならない理由があったの? 男の振りをしていたとか? 『花巻』風ヘアスタイルなのに、この矛盾は穏やかじゃ無いわね。
一筋縄ではいかない陰謀やら事件やらの気配が、プンプンよ」
やがて、タオルドライが終わる。ジリアンさんは、わたしの左側『人類の耳』の、やや後ろ直下にある首筋の根元の毛を、櫛でかき分けて来た。
目配せされて合わせ鏡を見ると、確かに茜メッシュが出ている。黒髪の中に一筋刷かれた、鮮やかな色合い。
周囲のザク切りの髪よりも更に短く切られていて、合わせ鏡で見ないと分からないくらいだ。
フィリス先生もメルちゃんも、目を丸くしてポカンとしてる。
わたしにしても――自分の髪なんだけど――記憶喪失のせいで、初めて見る形になったから、ポカンとしてしまったよ。
ジリアンさんが、ヘアカット用のハサミを準備しながら話しかけて来た。
「これは、是非とも髪を長く伸ばしてもらわないとね。大丈夫、女の子だから、ちゃんと食べれば髪が伸びるスピードは回復するわ。
レオ族の自慢のタテガミ程じゃ無いけど、ウルフ族の毛髪は成長が速いから。一番似合うのは、腰の長さまで伸ばした時ね」
腰の長さまで――
「あの、何となく、腰の長さまで伸ばしていたような記憶はあります。手の違和感とかでしか無いから、曖昧ですけど」
「成る程。前髪カットをした誰かさんは、見る目があったわね。さすが同業者のプロだわ」
フィリス先生は手持ちの記録カードに、新たに判明した要点をメモしている。あとでディーター先生と話し合うのだろう。
くだんの『花巻』の痕跡は、かなり有力な手掛かりだと思う。意味的に、物議をかもしそうな手掛かりだけど。
ジリアンさんのハサミが、軽快に踊り出した。ザク切りな髪型が、ボブカットの形に整理されて行く。
それ程しない、うちに――
「失礼しますよ!」
「チェルシーさん、居る?」
――見知らぬ2つの掛け声に、美容店のガラス戸が開いて閉じた音が重なって来た。
いきなりだから、ビックリしちゃった。薄目を開けてみる。
最初に入って来たのは――ウルフ族・黒狼種。フィリス先生と同年代くらいの如何にも『仕事人!』な女性。
ハシバミ色でまとめた中級侍女のユニフォームをまとっている。丈の長いワンピースドレスに、ベストの一揃い。
仕事の途中で時間を作ってやって来たのか、如何にも仕事道具な風の、拡大鏡ペンダントを下げていた。
次に入って来たのが、ウルフ族・金狼種。純粋な金髪キラッキラの、ファッショナブルな中年女性。
ユニフォームじゃ無いから、城下町からやって来た人かも知れない。手には大きな風呂敷包み。
あれ、地下牢へ容疑者を持って行く時の、『拘束魔法陣シーツ』とかじゃ無いよね。何が入ってるんだろう。
フィリス先生はポカンとしていたけど、チェルシーさんが慌てず騒がず、にこやかに微笑んで迎えている。さすが年長者の貫禄。
「まぁまぁ、こちらの長椅子が空いてますよ、ヒルダさんにポーラさん。ポーラさんは、もしかしてメルちゃんの件かしら?」
ポーラと呼ばれた金髪の中年女性が、サッとメルちゃんを振り返った。
メルちゃんの方は、ふくれっ面だ。いつの間にか、ふわふわ子狼な格好になって、むくれている。何で?
*****(5)微妙に気になる噂
――パチリ、パチリ。
美容店の中で、わたしの髪をカット中の、ジリアンさんのハサミが鳴る音が続く。
ハサミの音をバックグラウンド音楽にして、女たちの雑談が始まった。
「うちの娘――メルちゃんが、ご迷惑おかけしてませんか? よく言って聞かせますから」
「まあまあ、いつも言ってるけど、私は全然気にしてないのよ、ポーラさん。素直で良い子だわ、ウフフ」
「いつも済みません。あ、これ、アンティーク・ドレスをお貸し頂いて有難うございます。
チェルシーさんが、こちらに来ているとお伺いしましたので。お返ししますね」
「私の趣味のアンティーク・コレクションが、お役に立てたのなら嬉しいわ」
ポーラさんがメルちゃんの母親なんだ。
ふくれっ面の子狼なメルちゃんは、ポーラさんの手の届かない隅っこで丸まっている。
でも、ウルフ耳は最大限までピシッと伸びていて、女たちの雑談に全力で耳を傾けている事が丸わかりだ。
フィリス先生が気を利かせて、ジリアンさんの了解を取って、店の奥からティーセットを出して来ていた。
ちょうど、わたしが歩行器代わりにしていたサービスワゴンがあって、それが当座のテーブルになっている。
フィリス先生は、この雑談は長くなりそうだと予測したみたいで、美容店の看板を『休憩中』の物に差し替えていた。
勘のいい人だなあ。
ポーラさんが持ち込んでいた大きな風呂敷包みは2つあって、そのうち1つが、チェルシーさんの手元に移動している。
チェルシーさんとポーラさんの話が一段落すると、見るからに『仕事人!』な黒髪の中級侍女ヒルダさんが、息せき切ったように口を開いた。
「チェルシーさん、レオ帝都の事情にも割と詳しいでしょ? アンティーク品の取引所の繋がりで」
ヒルダさんが身を乗り出した拍子に、ストレート黒髪がバサッと動く。
セミロング髪型を直すその手から、黒髪と共に、一筋の茜色がこぼれていた。
何気ない仕草だけど、わたしがドキッとするくらいだから、男の人だったら、もっとドキッとするんじゃ無いかな。
ストレート黒髪をドラマチックに振り乱しながらも、ヒルダさんは早口で、言いたい事を述べ立てている。
「さっき、エントランスの『大天球儀(アストラルシア)』の遠隔通信ネットワークを通じて、
奇妙な『レオ帝都ニュース』があったんだけど、チェルシーさんの見解が欲しいと思って」
「まあ、何かしら、ヒルダさん? お茶を飲んで落ち着いたら、説明して下さる?」
おっとりとした風のチェルシーさんに促され、ヒルダさんは長椅子に改めて座り直していた。
おもむろに茶を飲んで、大きく息をついている。一服のお茶は、ヒルダさんの気をなだめる効果があったみたい。
ヒルダさんは、順序立てて話し出した。何でも、大天球儀(アストラルシア)を通じて、
チラッと出て来た奇妙なニュースが、気になったそうだ。
「レオ皇帝が住まう宮殿の運河の港の一角が、何処かの暗殺専門の魔法使いによる攻撃魔法《水雷》を食らって、
たまたま崩壊したんですって。魔法防壁もやられて、専用の舟も沈んで。第二と第三の《水の盾》によって、
微小な被害に留まった――という事なんだけど。それって重大な事なんじゃ無いかしら」
魔法に詳しいフィリス先生の反応は、目覚ましかった。
「第二と第三の《水の盾》ですって? 第一の《水の盾》は、それ程に強い攻撃魔法が来たのに、反応しなかったという事?」
「そう、そうなのよ!」
バリバリの仕事人なヒルダさんは、魔法使いの興味反応を引き出せた事で、すこぶる興奮しているようだ。
「気になって周辺ニュースをあさってみたら、思わず見逃しそうな補足メモの中にあったわ、
『第一《水の盾》サフィール・レヴィア・イージス、体調悪化のため、長期休養』って。
ねえ、それって、そんなにコソコソ補足メモの中に混ぜるような内容だと思う?」
チェルシーさんが、顎(あご)に手を当てて思案顔になった。
「普通は、しないわね。緊急で特使を立てて、こちらに責任問題を転嫁するべく、ウルフ国王夫妻に直接伝えて来るわ、
レオ帝都の性格からして」
次に、チェルシーさんは顔をしかめた。しかめた顔も上品で優雅。年長者のうえ年季が入っているという事もあるんだろうか。
年とっても優雅でカッコいい女性、憧れちゃうなあ。
「以前、レオ皇帝の《風の盾》が、7日ほど行方不明になった事があるんだけど。その時は、ものすごい大騒ぎだったのよ。
私がレオ帝都の取引所に出掛けていた時の話でね」
チェルシーさんは、ふーっと溜息をついて、疲れたような顔になっている。余り愉快な思い出じゃ無かったみたい。
「レオ帝都の全体が戒厳令下になって、通りの要所、要所に、巨人みたいなレオ族の戦闘隊士が『ぬーっ』と立ちはだかっていてね。
検問に次ぐ検問で、移動がイヤになるほど大変だったわ」
「その事件は、私も聞いた事があるわ。ディーター先生が宮廷の『上級魔法使い会議』に召喚された件でもあるし」
フィリス先生が顔をしかめて、ブツブツと呟いた。
「――『水のサフィール、体調不良、長期休養』などというような、外交トラブルになりそうな情報が、
ディーター先生の上級魔法使いネットワークにも引っ掛からないなんて、信じられないわ。
よりによって、彼女がウルフ族出身の《水のイージス》なのに」
へー、そうなんだ。知らなかったから、ビックリしちゃった。
ウルフ族出身の《水の盾》が居る――というのは、大人なら誰でも知っている有名な内容みたい。チェルシーさんもヒルダさんもポーラさんも、
それぞれに思案深げに相槌を打っていて、全く驚いていない。ジリアンさんの方からも、ビックリしたような気配は出てないし。
ジリアンさんが、わたしの髪のカット作業を一段落させていた。手早く櫛を入れながらも、進行中の雑談に口を挟んでいる。
「サフィールは確か、今年22歳だっけ? 地元の城館の仕事見習いの適性診断を受けた時はギリギリ15歳だったって、
フィリス叔母さん、言ってたでしょ。
モンスター生息域と接している山奥の集落だったから、充分に強い魔法を使える年齢じゃないと、最寄りの城館まで出て来れなかったとか。
でも15歳で、既にモンスターと渡り合えるなんて、さすが『イージス称号』レベルの天才ね」
フィリス先生が苦い顔をしながらも、ジリアンさんの言葉に応じる。
「そうね。レオ帝国よりも先んじて『水のサフィール』を確保できなかった件は、ウルフ王国にとっては手痛い損失だったわ。
ウルフ国王に連絡が行く前に、現地の城館駐在のレオ帝国大使が、帝国権限で『徴用』してレオ帝都に『献上』しちゃったから」
フィリス先生は、ひとかたならず苛立っているみたいで、少し声が大きくなっている。わたしの『人類の耳』でも、割とクリアに聞こえる状態だ。
フィリス先生は歯切れの良い涼やかな声をしていて、一言一言がハッキリしてるから、聞き取りやすいんだよね。
「サフィールが適性診断を受けた次の日に、《盾使い》の素質が見受けられた件、上級魔法使いネットワークに引っ掛かってたのよ。
その時のウルフ王国の魔法部署の長官が『風のトレヴァー』で……ご老体とは言え、《風霊相》らしく、もっと早く動けば良かったのに」
ふーん。『イージス称号』レベルの魔法使いともなると、方々から目を付けられるみたい。
即座に『徴用』されて『献上』されるなんて、まるで徴発というか徴兵というか……大変だなあ。
レオ皇帝を守護する、第一《水の盾》サフィール・レヴィア・イージス。
――わたしより、6つ年上の22歳。どんな人なんだろう。
ヒルダさんが早口で、補足コメントを付け加えている。
「そう言えば、《盾使い》が女性だった場合は、自動的にレオ皇帝ハーレム要員になるのよね。
でも、レオ皇帝ハーレムに入るには若すぎるという事で、レオ皇帝の長子にあたるレオ王国の王にして皇太子のハーレムに移された。
そこでも親子ほどに年齢差があったから、名目上はレオ王国の王子、つまりレオ皇帝の孫のハーレムに繰り下げられていて。
そんな状態で、実際はレオ皇帝のご老体を守護しているから、最も釣り合うお年頃のレオ王子の方にしたら、まさに結婚適齢期なだけに、
複雑な気持ちよね」
ヒルダさんの言葉は、よどみなく流れ続けていた。すごい。何故そんなに、他国のハーレム関係の情報に詳しいんだろう。
宮廷ゴシップに強そうだなあ。それとも《風霊相》生まれだから、噂を聞き付けるのが早いとか?
チェルシーさんが相槌を打っている。
「そんなところに、『長期休養』ねえ……ドロドロのハーレム後宮メロドラマがありそう」
ヒルダさんのコメントは、なおも流れるように続いていた。
「6年前だったかしら、サフィール16歳、ホームシックだのハーレム内部のストレスだので、ひどいノイローゼになってね。
同じウルフ族と顔を合わせたら立ち直るかって事で、臨時護衛の名目で、称号持ちの剣士を特別に派遣した事があって。
『結婚適齢期な男を寄越すな』って要求でね、老剣士を選定したって話。
2人の従者も成人を選べなくて、安全圏ど真ん中な年下の少年スタッフだったから、老剣士、体面を保つの大変だったらしいわ」
レオ帝国のハーレムの風習は知らないけど。
ハーレム妻を囲い込むって事は、女性を囲い込んで、他の男性に奪われないように独占するって事だよね。
名目上とは言え、レオ皇帝の孫にあたる、レオ王子のハーレム。
他種族の男性を入れること自体が、有り得ないほど珍しい事に違いない。
――それも、そのハーレム妻の、同族に属する男性。レオ族とウルフ族の異種結婚より、
ウルフ族同士の結婚の方が成り立ちやすいだろうと言うのは推測できる。きっと、双方ともに、すごくピリピリしていたんだろうな。
聞けば聞くほど、第一位の『イージス称号』魔法使いというのが、貴重な存在らしいというのが伝わって来る。
そんな内容の雑談が進行しているうちに、わたしのヘアカットが完了したみたい。
ジリアンさんが「良し、上がり」と言いながら散髪ケープを外してくれた。
鏡の中には、ショートボブを施されたボーイッシュな少女っぽいのが居る。
『一見、少年だけど、よく見ると女の子かも知れないね?』という雰囲気だ。
「ヘアバンドが無ければ、もう少し形を整えられたんだけどね」
ジリアンさんは謙遜して肩をすくめているけど、あの浮浪者も同然のバッサバサな髪型が、
こうも整理されるなんて……すごい腕前だと思う。
毛の流れが整理されたお蔭で、『呪われた拘束バンド』の方も、それなりにヘアバンドに見える。
サークレット風な形をしているという点で、少し違和感があるだけ。
それに、どうやったのか、ふわっとした感じのカットだから、髪の短さが余り気にならない。
感心していると、ジリアンさんは、わたしの尻尾にケアクリームを塗りながらブラッシングを始めた。
――ひえぇえ。くすぐったい。思わず尻尾がピコピコ跳ねてしまう。
意のままにならぬ尻尾について申し訳なく思っていたけど――
ジリアンさんが面白がって言うところによると、この時の尻尾が跳ねるのは普通の事らしい。
みんな、くすぐったく感じるんだって。お客さんによっては、尻尾をお手入れ中の間、涙を流して笑い続けるツワモノも居るとか。
うーむ。立派な体格を持つウルフ族男性が、しかも相当にお年を召して貫禄のある偉そうな人が、
金髪美女なジリアンさんに尻尾をお手入れされて、爆笑しているところを想像してみたけど……かなり不思議な光景かも知れない。
間もなくして、尻尾のお手入れが終わった。
相変わらず、みじめにペッタリしている状態だけど、古い毛が除かれた分、ちょっとスッキリした感じがする。
「尻尾の方はね、基本となる毛の量が回復しないと、私でもどうにもならないわ、ごめんなさいね。
いつか、その頭のバンドが取れたら、またお店に来てくれると嬉しいわ」
有難うございます、ジリアンさん。いつか、そうさせて頂きますね。
*****(6)青いドレスと少女
ティータイム中の女たちが雑談を中断して、『あら、まぁ』と言う風な顔をして来た。
「あら、あのバッサバサな髪の下には、こんな可愛い女の子が隠れてたのね、オホホ」
「童顔だから、メルちゃんタイプのドレスも、難なく似合いそう」
ポーラさんが興味深そうに呟きながら、わたしの全身を眺めて来た。本人がファッショナブルだし、ファッション関係者かな?
そんな事を考えていると、ポーラさんが『正式な自己紹介が、まだだったわね』と額を打った。
金狼種『火のポーラ』さんは、ドレスメーカー店の中年ベテランお針子さん。成る程、ファッション関係者だった。メルちゃんとジリアンさんの母親。
黒狼種『風のヒルダ』さんは中級侍女として、
アンティーク宝物庫の管理スタッフをやっているそうだ。『茜離宮』の室内装飾にも関わっている。
アンティークの旗や武器を玉座の間に揃えると、歴史が感じられる分、荘重さも違うとか。
チェルシーさんとは、アンティーク宝飾品の鑑定や記録などで、しょっちゅう顔を合わせる関係。
*****
『いやー! いやなの!』
フィリス先生の《風魔法》で、子狼なメルちゃんが物陰から引きずり出されている。
メルちゃんは四つ足をバタバタさせて抵抗しているけど、あっと言う間に姉ジリアンさんに捕まってしまった。
「私の結婚式ではベールを持ってくれる約束なんでしょ、メルちゃん。私をガッカリさせたら許さないわよ」
ええッ! ジリアンさん、結婚するんだ! 相手は誰だろう? ジリアンさんは美人だから、ちょっとワクワクする。
親戚同士だからか、フィリス先生とジリアンさんの共同戦線は素晴らしく息が合っている。
ジリアンさんがメルちゃんを押さえつけたところで、フィリス先生が強制的に変身魔法を発動したらしい。
メルちゃんはあっという間に、人体スタイルになった。
メルちゃんは、なおも触れた物をハッシとつかみ、動かされまいと頑張っている。
あのね、メルちゃんが今しがみついているの、わたしが座ってる椅子の足なんだけど……
「ピンクのドレスじゃ無きゃ、絶対、着ないー!」
あ、そういう事ね。結婚式で着なければならないドレスと言うのが、好きなピンク色じゃ無いんだ。
チェルシーさんとヒルダさんは「あらあら」とか言いながら、小さなメルちゃんを微笑ましく眺めている。
ポーラさんが手元の風呂敷包みを開いて、綺麗な水色のドレスを取り出して来た。
畳まれていたドレスを手早く広げて、メルちゃんの目の前に披露しながら語り掛けている。
「1番上にピンク色の刺繍が全面的に入ってるから、これなら大丈夫じゃない?」
メルちゃんは涙目で、チラリと水色ドレスを見たけど、すぐにプイッとアサッテの方を向いた。
盛大な、清々しいまでの、むくれ顔。気に入らなかったのね。
ヒルダさんが水色ドレスを眺めて、「アンティークな刺繍が良い味を出してると思うけど」とコメントしている。
「あれ、辺境では現役の刺繍デザインですよね、チェルシーさん?」
「そうなのよ、ヒルダさん。メルちゃんは魔法使いも好きだから、魔法使いのドレスデザインだったら喜んで着ると思ったんだけどね。
ほら、こちらの包みのこれ、『水のサフィール』が3年前まで愛用していたドレスなの。
当時レオ帝都に行った時、ツテがあって、偶然にも手に入って」
チェルシーさんは、ポーラさんから渡されていた包みから、一着の中古のドレスを出していた。
色あせて灰色に近くなっているけど、元々は空色だったみたい。長く大事に着られていた事が、素人目にも分かる。
ドレスの下半分の全体に、修復不可能な程の、何らかの大きなシミと、ボロボロになった切れ込みが出来ている。
自力でシミを抜いて縫い直そうとしたんだろうな、という痕跡があるんだよ。
どうしても、元のように着られなくなったので、泣く泣く手放したんだろうと言う感じ。
3年前というと……サフィール本人は、その時は19歳だよね? 年齢に対して、意外に小さな体格の人みたい。
ウルフ族の女性(人体)は元々、小柄な体格に収まっている事もあって、12歳から14歳にかけて、身体サイズが完成するらしい。
それ以降になると、身体サイズと年齢の相関関係がハッキリしないらしいんだよね。
フィリス先生とメルちゃんの身体サイズも、年の近い姉妹みたいな差に収まっているし。
あれが19歳の標準サイズかどうかは分からないけど……だいたい、わたしと同じくらいの身体サイズ?
何となくだけど、ドレスの雰囲気の趣味も似ている感じ。『水のサフィール』に親近感が湧いて来る。
ドレスのスカート部分の装飾は、透けるような薄布を、段を作って3枚重ねるというデザインだ。
前中央部分が割れていて、立ち回りの度に優雅に波打ち広がるような、ロマンチックな仕掛けになっている。
一番下の薄布に、緑色の蔓草モチーフ刺繍。真ん中の薄布に、ルーリエ種を模したと思しき、瑠璃色の六弁花の散らし刺繍。
一番上の薄布が最も薄くて、上半身を含めてドレス全体をふわりと覆う形だ。
そこに、唐草パターンとも流水パターンとも見えるピンク色のシンプルなライン刺繍が、全面的に施されている。如何にも乙女らしい。
透けるような薄布の上に刺繍されているから、それぞれの刺繍が重なり合って見え、お互いの図案を引き立て合っているという風。
ポーラさんが「サイズを合わせないと」と言いながら、メルちゃんに何とか着せようとしている水色ドレスも、全く同じデザインだ。
さすが、プロのお針子さんの技術と言うべきか、そっくり復元されたような感じ。
メルちゃんは、身体をくねらせてジリアンさんの腕の下から脱出した。
再び子狼の姿になって、今度はチェルシーさんとヒルダさんが座ってる長椅子の下に潜り込んで、威嚇し始めている。
そこなら、簡単には引きずり出されないだろうと計算しているらしい。ちゃっかりしてるね。
ポーラさんは『どうしたものか』という顔をしていたけど、ふと、わたしの方を見た瞬間、『閃いた!』というような顔になった。
しおしおとしてたウルフ耳も、ピピンと張り切っている。
――な、何ですか?!
「ルーリーさん、ちょっとドレスモデルを務めてくれるかしら? このドレスが黒髪に合うって事を証明したいの」
――成る程。そういう事なら。
ちょっとサイズが小さいみたいだから、着られるかどうかは分かりませんけど……
此処に居る全員が女性だから、脱いでも大丈夫だよね。患者服なスモックだから、着替えは楽だ。えいっ。
「ル、ルーリーさん、そのアザ……!」
ポーラさんが悲鳴に近い声を上げて、腰を抜かす形になってる。どうしました?
――あ。身体全身、湿布だらけで、包帯だらけ。その各所の隙間から、紫色がやっと退き始めた、ものすごい数のアザの群れが見えている。
揃って青ざめた顔に手を当てて、口をポカンと開けた女たち。フィリス先生が『しまった』というような顔になった。
「説明して無かったわ。病棟に運び込まれる直前まで、ルーリーは地下牢に居たの。あそこの扱いは知ってるでしょ。
此処だけの話だけど、ヴァイロス殿下の暗殺未遂の件で、残党狩りをしている時に出て来たものだから、即座に容疑者扱いになってたのよ」
チェルシーさんが顔を隠すように手を当てて、でも、指の間から、アザをシッカと見て来た。
「人体だと、男女の骨格にも大きな差があるのに、ヒドイ事をするわねぇ。
あら、この間の夫の話だと、容疑者は『バーサーク化イヌ族、男3名』、『バーサーク化ウルフ族、男2名』、
『イヌ族の脱走犯、男2名』、『正体不明のコソ泥チビ1名、未だ捕まらず』って事になってたけど、『脱走犯』の片方?」
「正解ですわ、チェルシーさん」
ポーラさんとジリアンさんは、ひとかたならぬショックを受けていたみたいで、少し震えていたけど、立ち直りは早かった。
「痛かったら言ってね」と言いながら、2人がかりで、慎重にドレスを着せていってくれる。
――驚いた事に、メルちゃんの身体サイズに合わせて縫い縮める前だったからか、ドレスに身体が入った。
丈は短いけど。
ポーラさんが目をパチパチさせながら、何度も見直して来た。後ろでは、チェルシーさんとヒルダさんが、興味深そうに眺めている。
「あらまぁ。お年頃にしては痩せてるのね。もっとシッカリ食べないとダメよ」
「黒髪が映えるわねえ。『水のサフィール』は黒狼種に違いないわ。
『献上』の際に、レオ帝国大使が現地記録を全て押収してしまったから、詳しい事は分かって無いけど」
子狼なメルちゃんが、いつの間にか出て来ていた。口をポカンと開けたまま、上から下へ、下から上へと何度も視線を往復して来る。
――ねえ、わたしが着こなせている状態なら、メルちゃんなら、もっと可愛く見えるんじゃ無いかな?
メルちゃんは決まり悪げな様子ながら、ジワジワ、ジワジワと人体に戻った。変身魔法って、スピードも調整できるんだ。知らなかった。
「そ、そのドレスだったら、着てやっても……良いわよ」
モジモジしながらの、何とも素直じゃない言葉だけど、青系統のドレスを着てくれる気になったらしい。
ポーラさんやジリアンさんとしては、肩の荷が下りたに違いない。ハーッと、安心したような溜息をついている。
何でも、結婚式の際は、各々の《霊相》生まれにちなむ色を選んで、礼装を着用する事になっているんだとか。
古代から続いている、由緒正しき慣習なんだそうだ。
花嫁になるジリアンさんは特別扱いで、茜色でまとめた、華やかな花嫁衣裳を着用する事になっている。
それは、きっと茜色に金髪が映えて、見事な眺めになるんじゃ無いだろうか。是非、見たい。見てみたい。
*****
メルちゃんが協力的になったお蔭で――
ドレスのサイズ合わせは、ポーラさんの手によって、今までの遅れを取り戻す勢いでスムーズに進んだ。
ちゃんと裁縫道具を準備していたり、修正スピードが早かったり、さすが、プロフェッショナルのお針子さんと言うところだ。
ポーラさんが、サイズ合わせの済んだメルちゃん用のドレスを風呂敷に包みながらも、不意にわたしの方を見て来る。
「これも何かの縁だわ。ルーリーさんも、娘の結婚式に来て頂けるかしら? もちろん、無理は言わないけど。
ちょうど、サイズ違いの試作品があるから、ルーリーさんの分のドレスも、すぐに出せる状態なの」
結婚式場は、たぶん、城下町の方なんじゃ無いかな? 行ってみたいけど大丈夫かな。
フィリス先生の方を見ると、フィリス先生は目をパチクリさせた後、腕を組んで思案顔になった。
「そうねぇ、会場はそんなに離れてないし、それまでに体力は充分に回復する見込みなのよね。
そんなに大きなパーティーと言う訳じゃ無いから、リハビリ的な社会活動としてはベターかも知れないわ」
――有難うございます。是非、参列させてくださいね。
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その後、美容店をおいとまして、フィリス先生の付き添いで、病室に戻った。
フィリス先生の調合した種々の飲み薬や栄養剤を服用する。いずれも薬湯タイプの物になっていた。
生ぬるくて不思議な味がする物、苦い物、甘辛い物、如何にも薬草らしいツンとした匂いがする物――謎だと思える程のバリエーションがある。
一体、何から出来ているのか聞いてみたい気もするけれど、聞いたら聞いたで、後悔しそうな『何か』も混ざっていそうな気がする……
しばらくすると、急に疲れを感じて来た。たぶん、今日は色々あったせいだと思う。
ベッドに横になると、すぐに眠気が襲って来た。
――その後は、わたしは夕食の刻になっても目が覚めず、翌朝まで熟睡していたのだった。