深森の帝國§総目次 §物語ノ傍流 〉花の影を慕いて.脚本

花の影を慕いて/脚本形式

表紙

◆タイトル『花の影を慕いて』

◆主要人物一覧

ルシール・ライト(25、女主人公) …濃茶色の髪、一見して茶色の目、光が入るとアメジスト色の目になる。亡き母親アイリス(金髪紫眼)に生き写し。母から継承された庭師としての知識経験を持つ。

アンジェラ・スミス(25、ダブル女主人公) …金髪緑眼の絶世の美女。正式名「ロックウェル公爵令嬢レディ・アンジェラ・クレイボーン」。ゴールドベリ邸の女主人レディ・オリヴィアの血縁。

キアラン・ダグラス(27、男主人公) …黒髪黒眼。クロフォード伯爵家の後継者、公称「リドゲート卿」。「超・堅物」「石頭」と評される。

クロフォード伯爵リチャード・ダグラス(53) …薄茶の髪、青藍色の目。やや線の細い外見。

エドワード・シンクレア(27) …金髪、琥珀色の目。ハクルート公爵の三男、公称「エドワード卿」。キアランの親友。一見して放蕩青年、軽薄な振る舞いが目立つが、意外に思慮深い。

レオポルド・ダレット準男爵(55) …金髪碧眼。クロフォード伯爵家における、直系親族のトップ。王族との血縁関係も有り、高貴な身分や血統を必要以上に誇る。 妻レディ・カミラ・ダレット(50)。長男レナード(27)。長女アラシア(19)。

弁護士カーター氏(57) …茶髪茶眼。クロフォード伯爵家の顧問弁護士。

アントン・ライト(74、故人) …偏屈老人。ルシールの祖父。庭師としての高度な技術を持ち、クロフォード伯爵邸およびローズ・パーク邸の庭園を管理。ローズ・パーク邸の庭園オーナー権を有し、その相続に関する遺言書を残した。

ギャング=タイター(54) …金髪茶眼、超メタボ肥満体。正式名「タイター・ビリントン」。ルシールとは遠縁の叔父・姪の関係。甥ナイジェル・ビリントン(28、黒髪黒眼)が居る。

マティ・トッド(9) …栗色の髪、茶眼。イタズラ少年。両親トッド夫妻が海外出張したため、お目付け役の祖父クレイグ牧師(72※現役引退)と共に、クロフォード伯爵邸に滞在中。

レディ・オリヴィア・ゴールドベリ(68) …金髪緑眼。ゴールドベリ邸の女主人。足の不自由な老女だが「ゴールドベリの巫女」としての透視能力を持ち「魔女」とも呼ばれる。 旧・正式名「エスター侯爵令嬢レディ・オリヴィア・G・フレイザー」。

◆あらすじ(1000文字ほど)

一人の老庭師が急死した。白亜の豪邸のオーナー権を子孫に譲るという遺言書を残して。

その遺言書に導かれて、老庭師の孫娘ルシールは、亡き母の形見アメジストのブローチを携え、話に聞くのみだった故郷クロフォード伯爵領を訪れる。 謎を残したまま逝った母、沈黙したまま逝った祖父……

遠縁の叔父ギャング=タイターは、亡き母は、婚約者タイターを裏切り不倫の末にルシールを妊娠していたという。 ルシールとタイターは、白亜の豪邸のオーナー権をめぐり、相続争いに突入。周辺に新たな騒動を巻き起こしていく。

次第にルシールは、領主代理の名目で付き添って来ているクロフォード伯爵の後継キアラン=リドゲート卿の事が気になっていく。 ダレット家がキアランの立場の不利に付け込み、政略結婚を通じてクロフォード伯爵家の支配を企んでいるところだ。

キアランもまた、ルシールの事が気になって仕方がない。伯爵邸の庭師も務めていた老紳士の孫娘、領民の一人でしかないのに。 クロフォード伯爵の方も、キアランが疑問に思う程にルシールを気にしている。

ルシールとキアランは互いを知るにつれ好意を寄せるが、身元の怪しい平民でしかないルシールにはダレット家の権勢を押し返す程の地位も名誉もなく、キアランの求婚に応えられない。 そんな中、亡き母のブローチの存在がクロフォード伯爵を動揺させる。

一方、ルシールの親友アンジェラが、ロックウェル事件における奮闘でルシールに関する新たな事実を明らかにした。

タイターがその情報を先に知り、先手必勝を期して無敵の巨人戦士含むギャング手下と共にルシールを襲撃する。 町角の破壊におよぶ抗争の末、人質になったマティ少年の命と引き換えに、ルシールは相続権放棄を誓約する。

駆け付けたキアランが巨人戦士を倒し、判事と共にギャング一味を拘束。だが、ルシールとタイター双方共に相続権を失う結果に終わる。

クロフォード伯爵邸の大広間に、勝利を確信するダレット家、失意のルシール、深刻な疑問を持ち始めたキアラン、その他親族が集結。 弁護士の立ち合いのもと過去の真実が明らかにされた。クロフォード伯爵はダレット家の抗議を跳ねのけ、ルシールを実の娘と公認する。

ルシールはクロフォード伯爵と改めて話し合い、亡き母や祖父の愛に気付く。

その後もダレット家による横槍が続いたが、ルシールとキアランは将来を誓いあう関係になる。

シークエンス

雪闇のプロローグ

X X X(第一章 ミステリー・クロス)

第一章-01話:老庭師の不審死事件〜春、馬車暴走事件

第一章-02話:馬車暴走事件、持ち上がる疑惑〜不意打ち、政略結婚の可能性

第一章-03話:老庭師の遺言書

第一章-04話:アシュコート舞踏会(第一夜)〜ボーイ・ミーツ・ガール

第一章-05話:アシュコート舞踏会(第一夜)〜ガールズトーク

第一章-06話:緑の森の魔女

第一章-07話:アンジェラとルシール〜もたらされた遺言書

第一章-08話:アシュコート舞踏会(第二夜)〜ロックウェル公爵令嬢の話

第一章-09話:ロックウェル事件の続報

第一章-10話:老庭師の孫娘

X X X(第二章 忘れえぬ面影)

第二章-01話:アシュコート舞踏会(第三夜)〜マダム・リリスの高笑い

第二章-02話:旅立ちの朝、謎へ続く道

第二章-03話:クロフォード伯爵邸の夕べ

第二章-04話:小さな闖入者たち〜少年と子犬

第二章-05話:大広間にて

第二章-06話:忘れえぬ面影

第二章-07話:老庭師の倉庫

第二章-08話:レイバントン交差点〜アンジェラとエドワード

第二章-09話:ロックウェル事件、浮上して来る謎の第三の男

第二章-10話:レイバントン交差点〜仮面舞踏会の招待状

X X X(第三章 薔薇の花咲く白亜の館)

第三章-01話:画廊とバラ園〜朝のダイアローグ

第三章-02話:庭園の端の逃走追跡劇

第三章-03話:老医師の見立て

第三章-04話:急襲! アラシア警報

第三章-05話:裏街道の対決〜ギャング=タイター

第三章-06話:交錯するもの

第三章-07話:ローズ・パーク邸〜オーナー協会の人々

第三章-08話:ローズ・パーク邸〜新たなる謎と疑惑

第三章-09話:再びの襲来! アラシア警報

第三章-10話:老庭師の私信〜思惑の彼方

X X X(第四章 ローズ・パーク円舞曲)

第四章-01話:クロフォード伯爵家の人々

第四章-02話:アラシア警報! …未遂

第四章-03話:ローズ・パーク舞踏会ゆきの馬車の中で

第四章-04話:ファイト円舞曲(前)

第四章-05話:ファイト円舞曲(中)

第四章-06話:ファイト円舞曲(後)

第四章-07話:ローズ・パーク舞踏会から帰る馬車の中で

第四章-08話:エントランスホールに響き渡る口論!

第四章-09話:邂逅する謎

第四章-10話:風雲、急を告げる

X X X(第五章 仮面舞踏会)

第五章-01話:音楽会の夜の前に

第五章-02話:流転の令嬢

第五章-03話:ゴールドベリの巫女

第五章-04話:風雲の緑の丘〜ロックウェル城へ

第五章-05話:仮面舞踏会

第五章-06話:闇の中の迷宮、狂える仮面の男

第五章-07話:塔と落雷

第五章-08話:ロックウェル公爵の公文書

第五章-09話:春雷の夜話〜連関と連鎖(前)

第五章-10話:春雷の夜話〜連関と連鎖(後)

X X X(第六章 追憶ラビリンス)

第六章-01話:アラシア嬢の高笑い

第六章-02話:未必の故意〜ワイルドな老医師はワイルド

第六章-03話:訳ありの来客〜ローズ・パークのオーナー協会の人々

第六章-04話:回想の中のローズ・パーク

第六章-05話:追憶ラビリンス

第六章-06話:青い目の紳士“L”

第六章-07話:一触即発

第六章-08話:アラシア嬢、真夜中を駆け抜ける!

第六章-09話:歳月の足跡をたどれば

第六章-10話:薔薇の名前

X X X(第七章 時の娘)

第七章-01話:タイター、怒髪天!

第七章-02話:ギャング襲撃!

第七章-03話:口論と応酬

第七章-04話:乾坤一擲の大爆発!

第七章-05話:老庭師の遺言書の結末

第七章-06話:運命の大広間

第七章-07話:時の娘(前)

第七章-08話:時の娘(後)

第七章-09話:クロフォード伯爵の告白ともうひとつの因縁

第七章-10話:首都、拉致事件と銃乱射

第七章-11話:虚実流転〜花の影を慕いて

X X X

夕映のエピローグ

雪闇のプロローグ

《人物表》

・アイリス・ライト(25)…金髪紫眼。ライト家の一人娘。
・メイプル夫人(45)…ライト家の家政婦。
・デイジー・ウォード夫人(25)…隣家の妊婦。アイリスの親友。
・医者(45)…デイジーのかかりつけ医。
・村人1…馬車1の御者。
・村人2…馬車2の御者。
・村人3…馬車3の御者。
・村人4…馬車4の御者。
・村人5…馬車5の御者。
・村人6…人力荷車1の主。
・村人7…人力荷車2の主。
・村人8…人力荷車3の主。
・村人9…人力荷車4の主。
・村人10…馬車1に乗っている人。
・村人11…馬車2に乗っている人。
・村人12…馬車2に乗っている人。

○クロフォード伯爵領、丘陵地帯の村(昼)

  冬、ちらつく雪。葉を落としたオーク林。

テロップ『25年前』
テロップ『クロフォード伯爵領』
テロップ『ローズ・パークの村』

○ライト家、居間(昼)

   窓枠に雪が張り付き始める。まだ小雪という降り方。
   暖炉の炎に照らされた数人掛けの中古ソファ。
   毛布を掛けられた状態のアイリス(25)、グッタリと横たわる。

   アイリス(25)、苦しそうに息を切らす。
   額に手を当てながらも、ソファから半身を起こす。

○ライト家、居間の扉近く(昼)

   メイプル夫人(45)、バタバタと走り回っている。
   半身を起こしかけたアイリス(25)に気付き、ギョッとして

メイプル夫人(45)「アイリス様、熱が出てるんですから、お休みになっていてください!」

   メイプル夫人、勢いよく扉を開けながら、

メイプル夫人「お隣さんに、お医者さまが来られる頃で良かったです、馬車で、すぐに呼んで来ますからね!」

   メイプル夫人の姿が扉の向こうに引っ込む。
   居間の扉、バタンと音を立てて完全に閉じられる。

x x x

○ライト家の庭先(昼)

   柵の間、簡素な車道がある。薄く雪が積もっている。
   ライト家所有の田舎馬車が走り出す(メイプル夫人による操縦)。
   車輪が雪で滑り、馬車の端が柵に衝突。
   柵の一部が少し壊れる。バキバキと言う音。

○ライト家、居間(昼)

   アイリス、真っ青な顔色。ソファから半身を起こした状態。

アイリス(25)「ダメよ……お医者様は……!」

   アイリス、呆然としたままうつむき、お腹を押さえる。
   その後、キッと顔を引き締め、パッと面を上げる。
   アイリス、ソファから飛び出すように駆け出す。
   毛布がバサリと落ちる。

   暖炉の炎は力強く明るく燃えている。

○ライト家、二階へ続く階段(昼)

   アイリス、お腹を大事そうに押さえつつ、階段を駆け上がる。
   苦しい息遣い。

x x x

(フラッシュ)
   アイリスの胸元アップ。
   ペンダントトップにしているリング(指輪)が揺れ、キラキラと光る。

x x x

○ライト家の二階、アイリスの個室(昼)

   机、ベッドがある。
   アイリス、ベッドの下から大きな旅行カバンを引きずり出す。
   カバン、既に荷造り済。
   次に机に駆け寄り、引き出しをギリギリまで開ける。
   最奥部、ブローチ専用の小箱。

   アイリス、小箱を開く。
   小箱の中には、手のひらサイズのブローチが安置されている。
   アメジスト細工のバラの花。繊細なデザイン。

   アイリス、小箱内のブローチを見つめ、涙ぐむ。
   次の瞬間には涙をこらえ、小箱を閉じる。
   小箱は手提げ袋の中に入れられる。

○ライト家、階段(昼)

   個室の扉を開け、階段の上に姿を現すアイリス。
   既に外出姿。旅行カバンと手提げ袋を持っている。
   口を食いしばり、フラフラしながらも階段を降り切る。

○ライト家、玄関(昼)

   アイリス、玄関の扉を開く。
   外景を見た一瞬、顔をしかめる。
   先ほどより雪と風の勢いが強い。

○村境へと延びる田舎道(昼)

   本降りの雪。あたりは薄暗く、道の彼方は闇に沈んでいる。
   風雪の中へと駆け去ってゆくアイリスの後ろ姿。

○ローズ・パーク村、道の辻(昼)

   交差点、六台の馬車が雪に車輪を取られ、立ち往生。
   立ち往生の馬車のうち、ひとつはライト家の馬車。
   馬車1の御者&乗客一人、馬車に縄をかけ、移動の試み。
   馬車2の御者&乗客二人、馬車1に協力し後方を押す。
   四台の人力荷車も立ち入り、混ざって渋滞、混乱。
   本降りの雪が続く。

○ライト家、庭先(夕)

   ライト家の馬車が柵の中に入る。
   馬車から、三人(人影)、下車して来る。

○ライト家、居間(夕)

   メイプル夫人、居間の扉をバタンと開く。
   医者が急ぎ足で立ち入る。
   次の瞬間、医者、ギョッとして目を大きく見開く。

医者(45)「熱を出したって言う患者さんは何処ですか?」

   メイプル夫人とデイジー・ウォード夫人、続いて居間に入る。
   誰も横たわっていない中古のソファ。その傍に落ちている毛布。
   メイプル夫人もデイジーも、口をポカンと開ける。

デイジー・ウォード夫人(25)「居ない!」

x x x

(フラッシュ)
   中古ソファ横、ローテーブルの上に書置きが置いてある。

x x x

   デイジー(妊娠六カ月)、妊娠中のお腹を押さえながら身を屈める。
   ソファ横のローテーブルから書置きを拾い、読み上げる。

デイジー「……『旅に出ます』……?」
メイプル夫人「そんなバカな」

   メイプル夫人、呆然と毛布を抱きしめる。

   両開き窓から見える外の光景。
   馬車の車輪が雪に埋もれているのが見える。
   積雪は膝丈の深さ。
   吹雪さながらに激しく降る雪。

   医者、窓の外を眺めながら、

医者「この雪では……足跡は、あらかた消えてしまっていますね」
メイプル夫人「そんな……」
デイジー「蒸発した……!」

   メイプル夫人とデイジー、ヘナヘナと床に座り込む。
   居間の暖炉の炎は、最初の時より弱々しく、小さくなっている。

X X X

テロップ『二月某日付――死亡報告書』
テロップ『アイリス・ライト、事故死。至急、本人確認されたし』

本文/第一章

■第一章-01話:老庭師の不審死事件〜馬車暴走事件の謎

《人物表》

・アントン・ライト(74) …地元紳士、老庭師。
・突然の訪問客(54)…シルエットのみ。超メタボ体型、いびつに高いシルクハット。
・メイプル夫人(70)…ライト家の家政婦。
・クロフォード伯爵リチャード・ダグラス(53) …領主。やや線の細い外見。
・プライス判事(54)…クロフォード伯爵領の首席判事。クロフォード伯爵の親友。
・御者…クロフォードの馬車の御者。中年ベテラン。
・馬丁1…クロフォード伯爵邸の使用人。
・馬丁2…クロフォード伯爵邸の使用人。
・馬丁3…クロフォード伯爵邸の使用人。

○ローズ・パーク邸、外観(夜)

   穏やかな雪が舞っている。
   広大な樹林と庭園に囲まれた、白亜の豪邸。
   夜間照明のためのランプやシャンデリア。窓や玄関が明るい。
   白亜の豪邸そのものがキラキラして見える。
   窓の中、華やかに着飾った多くの人影=シルエット。

テロップ『あの雪闇の蒸発事件から25年後』
テロップ『クロフォード伯爵領の地元社交の名所、ローズ・パーク邸』
テロップ『地元の名士たちが集まり新年を祝う社交の夕べ』

○ローズ・パーク邸、庭園(夜)

   しんしんと降る雪。庭園を巡る小道。
   木立の密な片隅、庭師のコテージ。

   浅い雪を蹴散らしながら庭師のコテージに近づく一人乗り馬車。
   馬車、コテージの前で停車。
   突然の訪問客=シルエット(54)が下車。

   突然の訪問客、コテージのドアを乱暴に叩く。

突然の訪問客「早く開けんとブチ破るぞ!」

   メイプル夫人(70)、ドアを開く。
   突然の訪問客の顔を見て、一気に渋面になる。

○庭師のコテージ、玄関(夜)

   メイプル夫人、あからさまな渋面。
   しぶしぶ、突然の訪問客を応接間に通す。

   突然の訪問客、ドスドスと応接間に入る。
   応接間のドア、バタンと乱暴に閉じられる。

   メイプル夫人、不安そうな顔になる。
   応接間のドアの前にそっと近寄り、聞き耳を立て始める。

○庭師のコテージ、応接間(夜)

   アントン・ライト(74)、突然の訪問客を見下ろし、仁王立ち。

アントン・ライト「また来たのか、クソ野郎ッ!」
突然の訪問客「金だ! 25年前の件、慰謝料がまだまだ足りねえ!」
アントン「貴様にやる金など無い!」
突然の訪問客「ある! あんたの持ってる庭園オーナー権だよ!」
アントン「やらん!」
突然の訪問客(54)「何だとォ、このジジイ!」

   突然の訪問客、アントンに飛びかかる。
   取っ組み合いが始まる。

突然の訪問客「あんたは老人、息子は居ない! 唯一の子供は既に死んだ!」
アントン「くどいッ! あれは遺言書にしてある! さあ……さっさと帰れ! 帰れッ!!」
突然の訪問客「無視するか! 絶対にそうはいかねえぞ!」
アントン「何をする!」

○庭師のコテージ、応接間のドア(夜)

   物が壊れるようなショッキングな衝撃音。
   メイプル夫人、飛び上がる。

   その後、物音ひとつせぬ静寂が続く。

   メイプル夫人、胸に手を当てて震えながら数呼吸。
   コブシを握り、顔を引き締める。

○庭師のコテージ、応接間(夜)

   メイプル夫人、バタンとドアを開ける。
   応接間に飛び込む。

メイプル夫人「アントン様!」

   アントン、ばったりと仰向けに倒れている。
   ピクリとも動かない状態。
   突然の訪問客の方は、既に居ない。

メイプル夫人「あ……ああ……アントン様!」

○クロフォード伯爵邸、前庭ロータリー(朝)

   季節は春、午前半ば、気持ちの良い上天気。
   クロフォード伯爵邸を取り巻く庭園は、いちめん若葉が萌えている。

テロップ『三ヶ月後――四月』
テロップ『クロフォード伯爵邸』

   クロフォード伯爵邸の前庭ロータリーに馬車が用意されている。
   車両の天蓋は折り畳まれている。
   馬丁1、馬丁2、馬丁3、御者、準備作業中。

   クロフォード伯爵(53)とプライス判事(54)、邸内から現れる。
   前庭ロータリーの馬車へ向かって、並び立って歩いている。

   プライス判事、難しい表情を浮かべて、

プライス判事「アントン・ライト氏の死亡……どう見ても、事故では無く殺人です」

   クロフォード伯爵、眉根を寄せ、顔を曇らせる。

プライス判事「冬の社交シーズンの真っ最中と言う事で、ローズ・パークのオーナー協会の体面もあって、早急に事故死として処理せざるを得ませんでしたが」
クロフォード伯爵「何という事だ! アントン氏は、昔の領内の混乱で荒廃した庭園をよみがえらせた、功労者だったんだ……オーナー協会設立、当初からの人だよ」
プライス判事「まさしく。彼は素晴らしい庭園管理の技術をお持ちでした。あの意思の強い、偏屈とすら言える頑固一徹の性格が、誰かの恨みを買ったのではないかと」

   プライス判事、庭木の枝に急にぶつかりそうになる。
   高身長をかがめて器用に回避する。

プライス判事「以前より枝が荒れ放題のようですが……リチャード殿、此処の庭師は?」
クロフォード伯爵「引継ぎは、まだ決まっていない。それどころじゃ無かったからな」

   クロフォード伯爵とプライス判事、馬車の前に到着。
   馬車の整備作業が完了し、御者がスタンバイ中。

クロフォード伯爵「ローズ・パークのオーナー協会に声をかけて、適当な庭師を寄越してもらうつもりだ」
プライス判事「ああ、それで、これから馬車でお訪ねに……」
クロフォード伯爵「プライス殿も一緒に来るか? アントン氏の件、もう少し聞きたいのだが」
プライス判事「では、ご一緒いたしましょう」

   クロフォード伯爵、プライス判事の順で、馬車に乗り込む。

クロフォード伯爵「例の面倒極まりない金と女のゴタゴタに、ケリがついた。これでやっと庭園の問題に取り組めると言うものだ」
プライス判事「確か、カーター殿は最近、やたらと忙しくて……弁護士なしで、あのトラブルのカタを付けたと言うのですか!」
クロフォード伯爵「うむ。あの件、キアランが対処して……」

   御者、馬車を走らせ始める。
   馬車馬、突如いななき、暴れ始める。
   急激な加速、暴走。

クロフォード伯爵「おぉッ?!」
プライス判事「うわぁ?!」
御者「おい、どうしたんだ……どうどうッ!」

   馬丁1、馬丁2、馬丁3、唖然として暴走馬車を眺める。

   馬車、メチャクチャに蛇行しつつ、激走。
   敷地内の庭木の群れに激突。
   庭木、傷痕が残る。

   クロフォード伯爵、プライス判事、御者、放り出され、地上に転がる。

   暴走馬車、無残に壊れて横転。
   壊れた車輪の一部、茂みに突っ込む。

   馬車馬、てんでバラバラに走り去る。
   馬丁1、馬丁2、馬丁3、馬の後を追う。

   クロフォード伯爵、立ち上がれない。苦悶の表情。
   プライス判事、軽傷。バッと身を起こす。
   プライス判事、クロフォード伯爵が倒れている場所に駆け付け、

プライス判事「大丈夫か、リチャード殿!」
クロフォード伯爵「……うぅッ……」

   御者、遥か前方に放り出されていたが、軽傷。
   ようやく起き上がり、クロフォード伯爵とプライス判事のもとに駆け寄る。

御者「済みません、伯爵様! 何で馬が暴走したんだか……」

■第一章-02話:馬車暴走事件、持ち上がる疑惑〜不意打ち、政略結婚の可能性

《人物表》

・キアラン・ダグラス(27、男主人公) …黒髪黒眼。公称「リドゲート卿」。クロフォード伯爵の跡継ぎ。
・クロフォード伯爵リチャード・ダグラス(53)…領主。
・プライス判事(54)…主席判事。クロフォード伯爵の親友。
・エドワード・シンクレア(27) …金髪、琥珀色の目。一見、放蕩青年。キアランの親友。
・レオポルド(55)…金髪碧眼。ダレット準男爵。クロフォード伯爵家における直系親族のトップ。
・ダレット夫人(50)…金髪碧眼。レオポルドの妻=カミラ・ダレット準男爵夫人。
・アラシア(19)…金髪碧眼。レオポルドの長女=ダレット準男爵令嬢。
・ドクター・ワイルド(76)…クロフォード伯爵の主治医。
・執事(60)…クロフォード伯爵邸の執事。
・メイド…クロフォード伯爵邸の使用人。

○クロフォード伯爵邸、寝室(夕)

   青ざめたキアラン(27)、クロフォード伯爵の寝室に駆け込む。
   クロフォード伯爵、骨折の治療処置中。

キアラン(27)「父上! 大怪我をしたとか」
クロフォード伯爵(53)「ああ、幸い大怪我で済んだよ」

   ドクター・ワイルド(76)、クロフォード伯爵の骨折部分(片脚)の骨を接ぐ。

ドクター・ワイルド「フン!(力を込めて鼻を鳴らす)」
クロフォード伯爵「うわ、痛い!」

   ドクター・ワイルド、目をギョロリと剥き、クロフォード伯爵を見据える。

ドクター・ワイルド「脚で済んで幸いだったと申すべきです! 首の骨を折っていたかも知れんのですからな!」

   ドクター・ワイルド、処置を終わらせ、帰宅の準備をする。
   診療カバンを持ち、身を返して、キアランと向かい合う。

ドクター・ワイルド「少なくとも十日間は安静にするように。では、明日また往診いたします……お大事に」
キアラン「有難うございます」

   キアラン、丁重に一礼。
   ドクター・ワイルド、部屋を退出。

   クロフォード伯爵、改めてベッドに横たわり、息をつく。
   プライス判事、ベッドの傍で、真剣な顔つきで立っている。

クロフォード伯爵「人払いをしてくれ、キアラン」

   キアラン、扉に近寄る。
   エドワード(27)やメイドに、階下の部屋の方向を指差して見せる。

   エドワードやメイド、合図に従い、移動する。
   キアラン、扉を閉じる。

   クロフォード伯爵、真剣な顔つきになり、キアランを見やる。

クロフォード伯爵「キアラン……この馬車事故は、誰かに仕掛けられたものだ」
キアラン「えッ?」
プライス判事「残念な事にな」

   プライス判事、上着のポケットに手を突っ込む。
   小ぶりのバラの枝を取り出して見せる。

プライス判事「こいつが馬の装備の陰に仕込まれていた。このトゲが刺さって、馬が暴走したんだ」

   キアラン、息を呑み、口元を引き締める。
   まなじりを険しくさせて、バラの小枝をにらむ。

   プライス判事、バラの枝を上着ポケットに納める。

プライス判事「あの馬車は、普段は君が使っている……キアラン君。偶然にも今日の君は、エドワード君と乗馬に出ていた。別の馬でな」
キアラン「元々は……私を狙ったものだと?」

   キアラン、あごに手を当てて思案する格好になる。

キアラン「まさか、彼が? いや……確か、出入りを禁じた筈だから……」
プライス判事「いずれにせよ、もう少し事情が明らかになるまで、この事実は皆には伏せておくべきだ。治安判事の腕にかけて、必ず犯人を捕まえて監獄送りにしてやる!」

   外(=廊下)から扉を叩く音がする。
   執事(60)、扉を開けて、現れる。

執事(60)「失礼いたします」

   執事、一礼する。

執事「ディナーのお時間でございます。いかがなさいますか?」
クロフォード伯爵「食欲が無い。茶だけにしてくれ」

   クロフォード伯爵、頭痛を抑えるかのように額に手を当てる。
   ベッドに沈み込む。
   執事、一礼して部屋を退出。
   キアラン、プライス判事、執事の後に続く。

   キアラン、ふと顔を曇らせて、クロフォード伯爵をそっと振り返る。
   最後にキアランが退出し、扉が静かに閉じられる。

○クロフォード伯爵邸、大食堂(夕)

   シャンデリア照明がきらめく。大食堂の豪華なディナー。

アラシア(19)「何て恐ろしい事故でしょう! 一日も早いお怪我の回復を祈っております」

キアラン(27)「父をご心配頂き有難うございます、ダレット嬢」

   キアラン、堅苦しい態度で丁重に一礼。
   エドワード(27)、隣席のキアランを振り返る。

エドワード「アシュコート社交界に顔を出そうとはしていたが、訪問はキャンセルした方が良いかな? 手頃な穴場といった物ではあるけど、そんなに重要でも無いし」
キアラン「予定通り付き合うよ。この件には、一生の面目が掛かっているのだから」

   プライス判事(54)、目を見開いた後、ニヤリと笑う。

プライス判事「……ほう! エドワード君は、近々アシュコート伯爵領を訪問するのか?」
エドワード「トランプ勝負で、私の花嫁探しに付き合うという約束を勝ち取ったんですよ!」

   エドワード、気障な手振りでワイングラスを掲げる。
   かえって野暮にも見える仕草。

エドワード「マジメな話、本家からしつこく縁談を持ち込まれ、こちらもツイ啖呵を切ってしまった手前、北から南まで社交界巡りをする羽目になっているんです」
プライス判事「ハハハ! 敗戦記録、百回目だそうじゃないか! プレイボーイの浮名は、ますます高まっている……という訳だ!」
エドワード「浮名は余計ですよ、プライスさん! 私の理想は、極めて真面目なものです」

   キアラン、クソ真面目な表情のまま動じない。

キアラン「実際、その真剣な動機と行動実績は、高く買えるかと」

   アラシア、困惑顔。

アラシア「浮名を流すから金髪は頭が悪いと思われてしまうの、実害があります!」
ダレット夫人(50)「あの社交界の評判では誰も信じないでしょ! 第一、……あら何でしたっけ、エドワード卿は投資に失敗して、結構な負債があると言う噂!」
エドワード「フハハ、あれは負債じゃなくて掘り出し物ですよ! あの屋敷は柱も壁も全部ヒビがあってボロだけど、何処かにお宝が埋まってる筈なんです」

   エドワード、放蕩青年かつドラ息子ならではの、頭の空っぽな笑みを披露。
   レオポルド(55)、上から目線でキアランとエドワードを交互に眺める。

   アラシア、大袈裟な困惑顔を作る。
   両頬に手を当て、顔を可愛らしく左右に振る。

アラシア「あたくしは幸運ね! キアラン様という婚約者がいらして!」
プライス判事「……キアラン君の婚約者? 初耳で、しかも意外です」

   レオポルド、傲然と、ふんぞり返る。
   キアランに向けて、見下げるような笑みを浮かべる。

レオポルド「最も高貴な貴族令嬢と結婚できるという、滅多に無い幸運を喜ぶべきだな。キアラン君は、クロフォード伯爵家の直系でも何でも無いのだからな!」

   キアラン、半分目を伏せて、食事マナーに沿って口元にナプキンを当てる。
   ナプキンに隠れた口元は、きつく歯を食いしばっている状態。
   キアラン、ナプキンを口元から外すとともに、元の無表情に戻る。
   口元の食いしばり、消えている。

アラシア「アシュコートの舞踏会は、とっても評判ですのよ! あたくしも一緒に連れてって下さるでしょ?」
ダレット夫人「未来の義父母も忘れないでね!」

   アラシアもダレット夫人も、ウキウキとした笑みを浮かべている。
   キアラン、堅苦しく一礼。

キアラン「仰せのままに。大型馬車を、もう一台用意させましょう」

   プライス判事もエドワードも沈黙する。
   キアランの様子を見守るが、キアランは無表情のまま。

○クロフォード伯爵邸、キアランの個室(深夜)

   エドワード(27)、しかめ面で、ドカッとソファに腰を下ろす。
   わずかに眉を寄せて、別の椅子に座っているキアランを眺める。

   キアラン、ムッツリした無表情のまま。
   やがて、エドワードの視線に気づき、チラリと視線で応じる。

エドワード「彼女が、君の婚約者とは知らなかったよ! 本当に、アラシア・ダレット準男爵令嬢と結婚するつもりか?」
キアラン「私も、つい先ほどまで知らなかった。 復活祭シーズン直後、レオポルド殿が夫人と令嬢を館に引き連れて来て、長期滞在を始めている。 あのトラブルで、公平を期すために別途対処したのが、どうも妙な意味で理解されたらしい」
エドワード「あのトラブル? 賭博借金に女性が絡んだ、あの面倒なゴタゴタ?」

   エドワード、目をパチクリさせた後、不意に髪をシャカシャカとやる。

エドワード「ああ……そういう訳だったのか!」

   エドワード、据わった目でキアランを見やる。

エドワード「その努力の結果が、バリバリの政略結婚?」

   キアラン、沈黙を続ける。
   エドワード、ソファに座り直して腕組み、目に鋭い光を宿す。

エドワード「確かに彼女は金髪の美人で、血筋をさかのぼれば王族だ。条件としては悪くないが。あのダレット一家の振る舞い……結婚後は、面倒が増えそうだな?」
キアラン「だが、血統主義の親族たちを納得させるには、割と願っても無い話かも知れない。事実、私は法律上は正式な嗣子だが、直系では無い」

   しばらくの間、沈黙が流れる。
   エドワード、真面目な表情を解く。
   軽薄そうに苦笑して、手を広げる。

エドワード「気苦労の多い問題ばかりだな、我が友よ! アシュコート訪問は、正しい決断に行動だ。『リドゲート卿』には絶対、息抜きが必要だよ!」

   キアラン、頬杖をつき、エドワードをじっと見つめる。

■第一章-03話:老庭師の遺言書

《人物表》

・クロフォード伯爵リチャード・ダグラス(53)
・キアラン・ダグラス(27、男主人公)…公称「リドゲート卿」
・弁護士カーター氏(57)…クロフォード伯爵家の顧問弁護士
・大型馬車の御者
・召使1(年長)
・召使2(中堅)
・召使3(若手の新人)
・執事(60)
・メイド…10人くらい

○クロフォード伯爵邸、前庭ロータリー(朝)

   快晴。朝早くから慌ただしい雰囲気。
   クロフォード伯爵邸のメイドたちと召使たち、総出。
   ダレット一家の大量の荷物を荷造り、運搬。
   前庭ロータリーに大型馬車が停車中。
   大型馬車の荷台の前で、御者と三人の召使たち、議論を始めて、

御者「こんなに積んだら重量オーバーだ! 馬車が峠を登れないぞ!」
召使2「でも、ダレット夫人とダレット嬢の荷物だよ!」
御者「たかが近場の外遊だろ。首都社交じゃ無い。積荷のひとつやふたつ、何とかならんのか」
召使1「ダレット一家は、あれで妙なところに鋭いからな〜」

   御者と召使三人、揃ってゲッソリとした顔。

御者「トッド氏がクレイグ牧師さんとマティ坊ちゃん用に置いてった馬車、借りれるかな。新技術が使われてて、車体が軽いうえに大量の荷物が運べる」
召使1「クレイグ牧師さんなら、事情を話せば二つ返事で了解してくださる筈だ」
召使3「問題はマティ坊ちゃんですよね。あの子、馬車に何かイタズラしてますね、多分」
召使2「……(確信の頷き)。とんでもなく奇想天外な何かを」
召使3「復活祭の時、空き家を丸々、吹っ飛ばしたんですよね」
召使1「ありゃ傑作だったな。金と女の面倒なゴタゴタの解決にもつながったし、領内の平和の一番の功労者って、マティ坊ちゃんだろ」

   御者と召使三人、揃って楽しく苦笑する。

   前庭ロータリーに新しい馬車が入って来る。
   御者と召使三人、脇に退いて、馬車を通す。
   馬車のドアが開き、弁護士カーター氏(57)が下車。
   カーター氏、不思議そうに眺めて来る大型馬車の御者と召使に気付く。
   帽子をちょっとあげて礼をする。
   玄関の扉が開き、執事(60)、カーター氏を伯爵邸の中に導き入れる。

召使3「この三ヶ月くらい見かけなかったけど、カーター氏ですよね」
御者「急に忙しくなって、首都出張もしてて……呼びつけられて、急いで戻って来られたのかな」
召使2「あの、金と女の面倒なゴタゴタの件?」
召使1「その件は、あの超・堅物の若様が、キッチリ、最後までカタを付けられた筈だよ」

○クロフォード伯爵邸、玄関広間[エントランスホール](朝)

   弁護士カーター氏(57)、しばらく待機。
   ほどなくして、キアラン(27)現れる。

カーター氏(57)「お招きいただき、有難うございます。リドゲート卿」
キアラン(27)「お忙しいところ、お呼び立てして誠に済みません」
カーター氏「いえ、当方も、調査がやっと一段落しまして」

○クロフォード伯爵邸、正面階段(朝)

   キアランとカーター氏、玄関広間から続く正面階段を昇る。

カーター氏「まさか今回の案件に、これほど多方面の調査が必要だとは思いもしませんでしたから」
キアラン「カーター氏ほどの弁護士が、三ヶ月もかかるんですから、さぞ錯綜した案件だったのでしょうね」
カーター氏「ええ。首都への出張中、事情に通じている判事と偶然かち合って、少し情報交換ができたのですが。彼は目下、新たに発生した殺人事件の捜査中で連絡が付きにくい状態です。 さらにお時間を頂く事になりそうです」
キアラン「……殺人事件?」
カーター氏「復活祭の日、ロックウェル公爵領の国道で身元不明の変死体が出たとか。 このロックウェル事件は、アシュコート伯爵領などの隣接領地の社交界では既にゴシップ、いえ、噂だそうですから、じき此処にも伝わるでしょう」

   キアラン、ちょっと目を見張って、カーター氏を振り返る。
   ちょうど階段の踊り場。少し佇む。

キアラン「最近は……不穏な事件が多いですね」
カーター氏「……何かございましたか?」
キアラン「父が、暴走馬車の事故で大怪我を。幸い命に別状は無いのですが。『事件』と思われる不審な点があるそうです」

   カーター氏、思案顔になる。

キアラン「父は、あれからずっと塞ぎ込んでいて……私が一週間ばかりアシュコート伯爵領の訪問で留守にしている間、父の傍に居て頂きたいのですが」

   カーター氏、しげしげと、先導中のキアランの後ろ姿を眺める。
   やがてカーター氏、微笑む。

カーター氏「つくづく、立派な後継者ぶりですね……リドゲート卿」
キアラン「いえ……及ばぬ点は、多々あります」

   キアランとカーター氏、階段を昇り続ける。

○クロフォード伯爵邸、クロフォード伯爵の私的な応接間(朝)

   クロフォード伯爵(53)、文書確認などの業務。
   ガウン姿、骨折中の片脚に添え木。
   扉からノック音。
   クロフォード伯爵、扉の方を振り向く。
   弁護士カーター氏(57)、クロフォード伯爵に丁重に会釈。

クロフォード伯爵「……カーター氏! 久しぶりだが、今日はまた何故……」
カーター氏「(扉を閉じて微笑み)……、実を申しますと、リドゲート卿に招かれたのでございます」
クロフォード伯爵「キアランが? 困ったヤツだ。私はまだまだ、もうろくしておらんぞ!」

   クロフォード伯爵、報告書の束を無意味にバサバサと引っ繰り返す。
   だが、すぐに、部屋の空き椅子をカーター氏に指し示す。

クロフォード伯爵「ともあれ、来てくれて嬉しいよ。その辺にでも掛けてくれ」
カーター氏「この大変な時に、ご無沙汰しておりまして、申し訳ございませんでした」

   カーター氏、ゆっくりと、椅子に静かに腰かける。
   傍にカバンを降ろす。

カーター氏「最近の噂をお聞きしました。リドゲート卿は実に優秀でございますね。 金銭問題と女性問題は、長期化するトラブルの代表格です。その身内の面倒事を解決なさった手腕は、実に見事と申せます」

   クロフォード伯爵、満足そうな顔。

クロフォード伯爵「厳しい通達と対応で、親族が割れたが。札付きの犯罪者を出すよりは、ずっとマシな筈だ」
カーター氏「親族が割れた? 何故あの解決で、ダレット家以外の他の親族が因縁を付けるのですか?」

   クロフォード伯爵、しかめ面になる。
   眉間には、年季の入ったシワ。

クロフォード伯爵「ダレット家が、あのゴタゴタの件に、尾ひれの数々を付けて回っている。しかも、血統問題に絡めてな。頭の痛い問題だよ」
カーター氏「……(謹聴)」
クロフォード伯爵「馬車事故で死にかけて以来の我が目下の頭痛の種は、いきなり増えた巨大な尾ひれ、すなわちキアランとアラシアの婚約話だ。 キアランの女性問題は、あのトラブル男と正反対の意味で、困る代物だと思う」
カーター氏「リドゲート卿は、アラシア・ダレット嬢を問題なく扱っておられるようですが?」
クロフォード伯爵「だから問題なんだ! あのキアランが、女性に甘い言葉をささやくところを想像できるか?  アシュコート伯爵領を、それも舞踏会を訪問すると言うに――本人には、全く、その気は無しだ! 地位に、財産に、年齢……女性の関心を引く条件は、充分だ、と言うのにだ!」
カーター氏「……(目をパチクリ)、……つまり、こういう事ですか。ダレット嬢は一部の親族を納得させるが、それ以外の点では全く評価できない……とは言え、あの超・堅物の若様が、 他の女性を選ぶ事を考えている……とは、とても思えない……」

   クロフォード伯爵、頭を抱え、ガックリと肩を落とす。

クロフォード伯爵「これでも私は若かりし頃はプレイボーイだったんでな。アラシアの素質は、本人よりも、よほど詳しく説明できる」
カーター氏「……(無言で苦笑)、聞きようによっては贅沢な悩みでございますね。世間には後継者としての力量に欠ける御子息も多いと聞きます。 女性の誘惑のやり方も教えておけばよろしかったのでは。男から申すのもアレですが、リドゲート卿は、顔立ちもよろしい方ですし」
クロフォード伯爵「ダレット家は、正式な爵位継承権持ちの居る直系親族だ。その存在意義は重い。グレンヴィル氏の恩義に応えた事に、後悔は無いが……」

   しばらく沈黙。
   クロフォード伯爵、やっと顔を上げて、背もたれに寄りかかる。

クロフォード伯爵「バカな話に付き合わせてしまったな。身内の愚痴をこぼす気は全く無かったんだが。今じゃ、小言の多かった兄の気持ちが良く分かると言うものだよ」
カーター氏「いえ、相変わらずお元気そうで安心いたしました。実は私、これから急遽、出張する必要があるのです」
クロフォード伯爵「ほう?」
カーター氏「出張の前に、一度、ご説明、及びご挨拶を……と考えていたので、今回のお招きは渡りに船でした」
クロフォード伯爵「長い出張になるのか?」

   カーター氏、傍のカバンから厚みのある書類の束を取り出す。
   何ページもある書類を素早く仕分けしながら、目を通し始め、

カーター氏「交渉相手次第ですが、話がスムーズに行けば四日ほどかと思われます。 偶然にも、それほど遠くなく……アシュコート伯爵領の辺境です。クロフォード伯爵家にも関わる内容なので、詳しく説明いたします」
クロフォード伯爵「ふむ」
カーター氏「私は、三ヶ月前に死亡した地元紳士……アントン・ライト氏の遺言書を預かっておりましたのです」

   クロフォード伯爵、目を見張って、背もたれから背を起こす。

クロフォード伯爵「アントン氏の遺言書だと? それは初耳だ」
カーター氏「その内容は、ごく簡単なものです。アントン・ライト氏が所有するローズ・パーク邸の一区画の庭園オーナー権を、アイリス及び、アイリスの子孫に譲る」
クロフォード伯爵「……アイリス・ライト……? アントン氏の一人娘は死亡したと聞いているが。急に一人旅に出て、旅先で事故に遭ったとか……」
カーター氏「手違いで、別人の死体と取り違えられていたそうです。結婚指輪をしていない良家の娘が、妊娠していたとは誰も思わなかった……という事でしょう」
クロフォード伯爵「……妊娠していた!?」
カーター氏「死亡報告書作成の時点、妊娠二カ月だったそうです」

   カーター氏、手元の資料に集中したまま。
   三種類の資料を交互に見つめる。
   いっそう難しい顔になり、困惑気味に眉根を寄せる。

カーター氏「通称『ライト夫人』、五年前まで生存。風邪をこじらせて死亡。 子供の方は、現在アシュコート伯爵領内で生活。役所文書の記載が矛盾しており……首都の記録も錯綜していて追跡調査が困難な状態ですが、子供が生存しているのは確かです」

   カーター氏、更に別の資料を取り出して眺めながら、

カーター氏「ローズ・パークのオーナー協会からは、早く空白の一区画の相続オーナーを明らかにして欲しいと言って来ていますし、 彼女がタイター氏含む親戚筋のビリントン家よりも、誠実かつ善良な管理人になるならば、クロフォード伯爵家にとっても良い話です」
クロフォード伯爵「彼女……? 娘なのか?」
カーター氏「書類上は女性ですね。各種記録の混乱を見ると『男の娘』疑惑もありますが。 アントン氏が遺言書を作成したのは、かなり前です。当該遺言書の『子孫』記述は、条件付きで女系を代々指定相続人にする事が可能となる、重要な文言です。 アントン氏は遺言書作成の時点で、娘と孫娘の生存を認識していた模様……この謎はさておき、 生存する指定相続人、すなわち、孫娘が死亡または相続放棄の場合、くだんの一区画は、クロフォード伯爵家に返還されます」

   クロフォード伯爵、呆然と固まっている。
   カーター氏、説明に一区切りついて、ホッと息をつく。

カーター氏「私は今回の出張で当該相続人に会い、本人確認のうえ、今回の案件に関する本人の意思を確認します。以上で、説明を終わります」
クロフォード伯爵「アントン氏の孫娘……アイリスの娘について、他には何か……?」

   クロフォード伯爵、わずかに顔色を変えている。
   熱心に身を乗り出し耳を傾ける。
   カーター氏、気付き、不思議そうに小首をかしげる。
   カーター氏、再び手元の書類を見直しながら、

カーター氏「今年25歳になります……そう言えば、タイター・ビリントン氏には、良からぬ噂が数々ございますね。 相続争いになると、成人済みとは言え、身の危険が予想されます。領主として、お力添えを頂けますか?」
クロフォード伯爵「勿論だ!」

■第一章-04話:アシュコート舞踏会(第一夜)〜ボーイ・ミーツ・ガール

《人物表》

・ルシール・ライト(25、女主人公)…濃茶色の髪、一見して茶色の目。
・アンジェラ・スミス(25、ダブル女主人公)…金髪緑眼の絶世の美女。
・キアラン・ダグラス(27、男主人公)公称「リドゲート卿」。
・エドワード・シンクレア(27)…キアランの親友。
・ヒューゴ・レスター(25)…寄宿学校時代のキアランとエドワードの後輩。
・イザベラ・ジャスパー(25)…縁組ビジネスを手掛けている。縁組ビジネス団の代表。
・縮れ毛の従者(26)…レスター家の使用人の一人。アシュコート伯爵の使い走りも。
・ナイジェル・ビリントン(28)…セクハラ上等のエセ紳士。
・多数の紳士淑女たち…舞踏会の招待客。カータレット嬢、エリー嬢、シーア嬢、ララ嬢、含む。
・回廊の酔客たち…酔客1、酔客2、酔客3
・管弦楽団の楽士たち…ギックリ腰の怪我人1名、そのピンチヒッター楽士1名含む。
・ギックリ腰に詳しい医者

○アシュコート伯爵領の辺境、豪邸の大広間(夜)

テロップ『アシュコート伯爵領の辺境』
テロップ『地方社交界の名所のひとつ』
テロップ『レイバントンの町の舞踏会』

   舞踏会たけなわ。近隣各地から来た華やかな紳士淑女。年齢層も幅広い。
   ダンス音楽と歓談で賑やか。
   会場の一角、キアランとエドワード、会場の批評を始める。

キアラン「会場は結構、良い趣味をしているな」
エドワード「近隣の評判になるだけあって、良いスタッフを抱えてるらしいな。後でヒューゴに聞いてみよう……彼は、此処の関係者だから」
キアラン「そう言えば、ロックウェル事件の噂はもう聞いてるか?」
エドワード「ちょっと巡っただけで大量の怪談を聞かされたよ。 魔女のナベの中で合成された幽霊仮面、バラバラ死体を食ったお祭り用の卵の模型、ズタズタになったネズミの死体のビックリ箱、これらが手足を生やし、夜な夜な徘徊して人を襲う」
キアラン「かなり『名状(めいじょう)しがたきモノ』が付着しているような気がする」
エドワード「不気味な流血事件のゴシップには付き物だな。それにしても、これだけゴシップの嵐になっているのに、ロックウェル公爵は何してるんだか。愛人の数にも驚かされるが」
キアラン「もう40人目の愛人に取り換えているとか?」
エドワード「最近、50人目の愛人に取り換えたそうだ。正確な数はつかんでないが」
キアラン「……色々とすごいな」

   ダンス・シリーズが一区切りつく。
   ダンス音楽のアレンジが変わる。ハープ音が加わって来る。

エドワード「ハープ奏者は不在なのかと思っていたが、今頃入ったのか」

   エドワード、演奏中の楽団メンバーの方に目をやる。
   場違いにも感じられる若い女性が、小型ハープを演奏している。
   エドワード、息を呑む。

キアラン「どうした?」
エドワード「美人だ……」

   キアラン、不審そうに目を細める。
   ダンス曲の演奏を続ける楽団メンバーを観察。

   楽団の中に、不自然な女ハープ奏者(アンジェラ、25)。
   明らかに楽士とは衣装が異なるが、演奏はプロレベル。

   演奏曲目が一区切り付く。
   女ハープ奏者、控え室の方を何度も振り返る。

エドワード「彼女の謎は控え室だな」
キアラン「……(呆れたような溜息)、回廊から調べるか?」

○同・豪邸(舞踏会場)の裏口(夜)

   小さい馬車が猛スピードで裏口の前にやって来て、急停車。
   バタバタと二人が下車。医者、ピンチヒッター楽士。
   ルシール(25)、ドア前でピョンピョン飛び跳ねる。

ルシール(25)「急いで控え室に来て!」

○同・豪邸(舞踏会場)の回廊(夜)

   回廊は灯りが絞られて薄暗くなっている。
   ルシール(25)、医者、ピンチヒッター楽士、回廊を走る。
   会場スタッフ用の控え室の扉に到着。

ルシール(25)「楽士が階段から落ちて、ギックリ腰です!」

   長椅子の上、うめき声をあげて横たわる楽士。
   医者、患者の治療に取り掛かる。

ルシール(25)「もう四曲分経過してる……走って!」
ピンチヒッター楽士「この先、招待客も出てくる回廊では?」
ルシール「お酒が回ってボンヤリした人たちだから、大丈夫です!」

   ルシール、ピンチヒッター楽士を先導し、回廊を全力疾走。
   回廊の灯りが増えて明るくなる。陽気な酔客たちが歓談中。
   ほとんどの酔客は、危なっかしくも衝突を回避。
   ルシール、ナイジェル・ビリントン(28)を突き飛ばす。
   ナイジェル、勢いよく回転し、回廊の壁に叩き付けられる。

ナイジェル「鼻血がぁ!」
ルシール「済みませんッ! 後で、お医者様の所にご案内いたします!」

   キアランとエドワード、その瞬間、回廊に出て来る。
   ルシールとピンチヒッター楽士を、慌てて避ける。
   ルシール、通り抜けざまに、

ルシール「回避の協力、感謝です!」

   駆け去っていくルシールとピンチヒッター楽士の姿。
   控え室の中に突進。ちょっと「ドシン」という衝突音。
   キアランとエドワード、ポカンとして見送る。

ナイジェル(28)「鼻血が! 鼻血が!」
イザベラ(25)「……(呆れ顔)」
酔客1「鼻血だと? 栄光の鼻血に万歳の乾杯!」
酔客2「プロージット、ワハハ!」
酔客3「酒に鼻血の栄光あれ!」
エドワード「何なんだ? この騒ぎは」

   エドワードとキアラン、唖然。
   控え室のドア、開きっぱなしになっている。

キアラン「あの控え室?」
エドワード「もしかして……」

   エドワードとキアラン、控え室に接近し、中の様子を窺う。

○同・豪邸(舞踏会場)、楽団の裏の控え室(夜)

   楽曲の流れに一区切り。
   ルシール、アンジェラに『チェンジ可』の合図。
   アンジェラと、ピンチヒッター楽士とがチェンジ。
   楽団メンバーたち、席替えのふり。チェンジがバレないよう協力。
   ヒューゴ(25)、会場を仕切っている垂れ幕にしがみ付く。

ヒューゴ(25)「心臓が止まるかと思ったよ! 僕は!」
アンジェラ(25)「何とか急場切り抜けたじゃ無いの、ヒューゴさん! 敵はまだまだ来るでしょ! 初戦で怯んでどうするの!」
ルシール「新たな追加は、ギックリ腰の治療費だけで済んでるし」

   エドワード、苦笑しつつ、こっそりと控え室のドアをノック。
   ヒューゴ、アンジェラ、ルシール、ノック音に気付いて振り向く。

エドワード「大体の事情は飲み込めたよ。予期せぬ出来事だったらしいな? ヒューゴ・レスター」
ヒューゴ「ああ……先輩! わざわざ出席頂いたのに、お恥ずかしい限りです!」

   アンジェラとルシール、不思議そうに眺め始める。
   ヒューゴ、ぐるりと見まわして、ピンと来た顔になる。
   ヒューゴ、エドワードとキアランを指し示す。

ヒューゴ「紹介するよ……二人は、僕の寄宿学校の先輩なんだ。エドワード・シンクレア卿、こちらがリドゲート卿」

   エドワードとキアラン、紹介された順番で丁重に一礼。

アンジェラ「お初にお目にかかります(淑女の礼)」

   ルシール、アンジェラに続いて、淑女の礼。

ヒューゴ「先輩、この二人のお嬢さんは、僕の地元の友人です。アシュコート伯爵の……」

   縮れ毛の従者(26)、息せき切ってヒューゴの前に飛び出して来る。

縮れ毛の従者「ヒューゴ様! アシュコート伯爵様が、『すぐに来い』とお呼びです」

   テンパって腕を振り回すヒューゴ。
   縮れ毛の従者、ヒューゴの腰を捕え、回廊へと引きずり出す。
   全員で驚きながらも、回廊へゾロゾロ。

○同・豪邸(舞踏会場)の回廊(夜)

   縮れ毛の従者に引きずられていくヒューゴ、涙目で、

ヒューゴ「ああ……! アンジェラ、ルシール! このタイミングで、ホントに済まん! 今回は珍しくゲストなのに、トラブル発生で、スタッフ扱いで……」
アンジェラ「いつもの事ですから気になりませんよ、ヒューゴさん」
エドワード「やれやれ、学生時代からそそっかしい後輩だったが……」
アンジェラ「今夜は致し方ありませんね。持ち回りで、今夜は彼が会場責任者ですから」

   アンジェラ、ひとしきり苦笑。
   営業スマイルに切り替え、エドワードとキアランに向き直る。

アンジェラ「改めて、自己紹介させて頂きます。私がアンジェラで、隣がルシールです」
ルシール「先程は、大変お騒がせを致しました」

   ルシール、再び一礼。
   キアラン、何となく注目。
   その胸元で、紫色のバラの形をしたブローチ、キラリと光る。
   人相を隠していた前髪が揺れ、一瞬、その面差しを明らかにする。
   キアラン、わずかに目を見張る。

   回廊から、パニック状態のナイジェル(28)が飛び出して来る。

ナイジェル(28)「血が! 血が!」
ルシール「あ、済みません! 失念しておりました」

   ルシール、キアランとエドワードに素早く一礼。
   ナイジェルに駆け寄る。
   ハンカチを取り出し、鼻を摘まんで鼻血を処置。

ルシール(25)「お医者様のところへご案内いたします、こちらへ」
イザベラ(25)「あなたは騒ぎ過ぎよ、ナイジェル! 別件に夢中でボンヤリしたでしょうが」

   ルシールとイザベラ、協力し、大柄なナイジェルを動かす。
   ナイジェルはパニックで足元もおぼつかない状態。

ルシール「さっきはごめんね、イザベラ」
イザベラ「ナイジェルは血を見ただけでパニックみたい。先刻は、別件で気まずい状況だったから……気にしないで」

   エドワードとキアラン、少しの間、呆然と眺める。
   アンジェラは冷静な営業スマイル。

エドワード「……臨機応変ですね」
アンジェラ「会場スタッフの定番ですから、慣れております。お酒が入れば、もっと大騒ぎになりますし。そろそろ、会場に戻られますか?」

   アンジェラ、そつのない自然な態度で会場へ誘導。
   エドワード、ひそかに鋭い笑みを浮かべる。
   キアラン、少しの間だけルシールの方を振り返る。

x x x

(キアランの回想・フラッシュ)
   ルシールの胸元できらめく、アンティーク風の紫のブローチ。
   前髪が揺らいだ拍子に垣間見えた、ルシールの繊細な面差し。
(回想終わり)

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○アシュコート伯爵領の辺境、豪邸の大広間(夜)

   アンジェラの先導で、エドワードとキアラン、会場に戻る。
   社交と舞踏会は続いている。

エドワード(27)「ダンスの申し込みを受けてくれますか? レディ・アンジェラ」
アンジェラ(25)「私の事は、単に『アンジェラ』でお願い致します。私はレディの称号は持っておりませんの、エドワード卿」

   エドワードとアンジェラ、会場のダンスの輪の中に加わっていく。
   エドワードの一瞬の目配せに、キアラン、承知した様子で頷く。

エドワード「あなたは、アシュコート伯爵の係累では無いのですか?」
アンジェラ「伯爵様の領民の一人でございます」

エドワード「しかしあなたは、ヒューゴとは対等の仲でしょう?」
アンジェラ「ヒューゴさんのご好意で、対等で親しくさせて頂いております」
エドワード「では、私はあなたを氏名で何と呼べば良いのですか?」

   アンジェラ、目を輝かせ、イタズラっぽい笑み。

アンジェラ「では、スミス嬢と。フルネームは、アンジェラ・スミスです」
エドワード「……やはり、アンジェラと呼ぶ方が良いですね。私の事も、単にエドワードと」
アンジェラ「それは流石に難しいですね、エドワード卿」

   ダンスの複雑なステップが入り、一瞬の沈黙。
   アンジェラは運動神経が良く、ダンスが上手。
   アンジェラ、不意に生真面目な顔になる。

アンジェラ「金欠の放蕩紳士と言う噂には深刻な疑いがございますね。あなたは恐らく、爵位をお持ちの門閥の直系。財産持ちです」
エドワード「……(驚いて絶句)、三男ですが、直系と言うのは大当たりですね。 何故、財産持ちだと思うんですか? 今のところ爵位も資産も継ぐ可能性は無いし、本家からもらえる財産は、ささやかな年金ぐらいですが」
アンジェラ「会場スタッフとしての勘です。異例の客人が事情を含めて出席する事もございますし、察した上での対応が必要になりますから」

   アンジェラ、営業スマイルとは異なる、神秘的な笑みを見せる。
   エドワード、目を見張り、一瞬、見入る。

   ダンス一区切り、アンジェラ、最後の一礼。
   アンジェラ、会場スタッフ嬢として別の仕事に取りかかる様子。
   エドワード、真剣な顔で、咄嗟にアンジェラに声を掛ける。

エドワード「二回目のダンスを申し込んでも?」

   アンジェラ、しばらくエドワードを眺める。
   ピンと来た顔になり、自信ありげにエドワードの手を取る。

   二回目のダンスがスタート。
   アンジェラ、ダンスのリードを取る。
   エドワードを会場一杯に連れ回す。

   アンジェラ、視線でエドワードに合図。

アンジェラ「右の二番目はカータレット嬢、当会場お勧めの令嬢でもあり、あなたなら数多の求婚者を置いて充分に上位候補を狙えますでしょう。 南三番の壁の花はエリー嬢、内気な方ですが、良く話してみれば彼女の頭の良さが分かってきますし、欠点は無いかと」

   エドワード、唖然とする。

   やがてアンジェラ、とある一角に目をやる。
   急に顔色を変えて首をそむける。
   エドワード、その一角を素早く窺う。

   女客の中、ひときわ妖艶な美女が目立つ。
   妖艶な美女、エドワードの視線に応じる。
   贅沢な羽毛扇を傾けて蠱惑的な眼差しを返して来る。

エドワード「――白い羽飾りと水色のドレス? 彼女が何か?」
アンジェラ「か、彼女は、お勧めでは無く……夫婦仲に問題ありの有閑マダム……とか……」

   アンジェラ、声が震える。真っ青な顔色。
   エドワード、再び問題の妖艶な美女を素早く観察。
   エドワード、不意に眉を跳ね上げる。

エドワード「アンジェラのお父上は、此処におられますか?」
アンジェラ「い、いえ。父は社交嫌いで……滅多にお城からは……」
エドワード「母上は?」

   アンジェラ、無言で首を振る。
   謎の妖女の視野から外れた瞬間、アンジェラ、正気に返る。
   顔色も少し戻る。
   エドワード、小首をかしげ、アンジェラをのぞき込む。

エドワード「先ほどの有閑マダムは……」
アンジェラ「……済みません、令嬢の紹介を続けましょう!」

   アンジェラ、顔を引き締め、会場をざっと見回す。

アンジェラ「西の四番でダンス中の令嬢、シーア嬢もお勧めです。門閥貴族の縁戚の令嬢です。西の七番、ララ嬢も良家の令嬢。女学校で経営学を修めた才媛です」

   目ぼしい独身令嬢の紹介が終わり、ダンスも終了。
   近くで待ち構えていたルシール、エドワードとアンジェラに近付く。

ルシール「アンジェラ! この方が、お話があるそうで……」
ナイジェル(28)「縁組候補の見立てのアレで」
アンジェラ「かしこまりました。お任せ下さい」

■第一章-05話:アシュコート舞踏会(第一夜)〜ガールズトーク

《人物表》

・ルシール・ライト(25、女主人公)…濃茶色の髪、一見して茶色の目。
・アンジェラ・スミス(25、ダブル女主人公)…金髪緑眼の絶世の美女。
・キアラン・ダグラス(27、男主人公)公称「リドゲート卿」。
・エドワード・シンクレア(27)…キアランの親友。
・イザベラ・ジャスパー(25)…縁組ビジネスを手掛けている。縁組ビジネス団の代表。
・ナイジェル・ビリントン(28)…セクハラ上等のエセ紳士。
・レナード・ダレット(27)…金髪碧眼の美青年。
・多数の紳士淑女たち…舞踏会の招待客。男客1、男客2含む。
・年齢不詳の妖艶な美女…舞踏会の客の一人。
・男スタッフ…イザベラの助手。
・送迎馬車の御者

○アシュコート伯爵領の辺境、豪邸の大広間(夜)

   三回目のダンス曲が始まる。
   アンジェラ、ナイジェルとペアを組み、ダンスの輪に入って行く。
   エドワード、一旦引き下がる
   (婚約関係では無い場合、二回以上続けてダンスできないルール)。

エドワード「……アンジェラに、してやられたかも知れない」
キアラン「どういう訳だ?」
エドワード「二回目のダンスで、会場の独身の令嬢を……四人も、効率的に紹介されたよ」

   エドワード、四本の指を立てて見せる。
   キアラン、目をパチクリさせてエドワードの手を見つめる。

キアラン「……マジか?」
ルシール「良かったじゃありませんか、エドワード卿! アンジェラの見立ては百発百中です。理想の奥方候補が、会場においででしたでしょう……(確信の笑み)!」

   エドワード、真剣な顔つきになって腕を組む。

エドワード「いや! まだ全員紹介して頂いてない」
ルシール「おかしいですね、あのアンジェラが選択を抜かす筈、無いんですけど……」
エドワード「確かに完璧な仕事だったが。私は、アンジェラ・スミス嬢をご紹介頂きたかったね」

   ルシール、エドワードをパッと振り返る&見上げる。

ルシール「アンジェラ……ですか!?」
エドワード「アンジェラは片親らしいが、確実に上流貴族の令嬢だ。それなら、何故レディの称号を持っていない? 彼女の父親にも謎めいた問題があると見える。 それに、あの白い羽飾りの水色の女性は誰なのか? アンジェラは明らかに彼女を良く知っていて、避けていた」
ルシール「え、あの……その、彼女が話そうとしないなら、私も余り話せないですが……」

   ルシール、目をアチコチさ迷わせる。
   エドワードとキアラン、その不審そうな様子に注目。

ルシール「その、これだけは言えますね……アンジェラは、目下の問題にあなた方を巻き込みたく無いんです」
エドワード「問題?」
ルシール「一応……アシュコート社交界の最近のゴシップなら、ご存知ですね。あの、復活祭の、お祭りの卵のハリボテの中から……バラバラ死体が出たと言う事件……」

   エドワードとキアラン、ギョッとした顔になる。

エドワード「ロックウェルのバラバラ死体!?」
キアラン「あの猟奇的な内容は本当の話だと?」
ルシール「……(意味ありげな目)」
エドワード「……アンジェラは、ロックウェル事件の関係者なのか……?」
ルシール「公的な事は、アシュコート伯爵様か、治安判事に聞いて下さい」

   ルシール、それきり口を閉じる。
   しかし、その沈黙は長く続かず。
   イザベラ、髪を振り乱しながら猛スピードで飛び込んで来る。

イザベラ「(結構すごい形相)ルシール! ナイジェルとアンジェラが一緒だけど!」
ルシール「……?」

   イザベラ、ナイジェルとアンジェラのペアを、ビシッと指差す。

イザベラ「まずいわよ! ナイジェルは手頃な金髪の若手を狙って……せ、セクハラするのよ!」

   ナイジェル、アンジェラのお尻を触ってセクハラ中。
   ルシールとイザベラ、アワアワ。固まる。
   エドワード、非友好的な足取りで、決然とナイジェルの方に接近。
   ルシールとイザベラ、目を見張って、

イザベラ「……あの金髪紳士、決闘を申し込むつもりなの……?」
ルシール「まずいッ……!」

   キアラン、ムッツリと落ち着いたまま。

アンジェラ「必殺、手の平返しッ!!」

   アンジェラ、ダンスの回転運動を利用してナイジェルを振り回す。
   ナイジェル、近くの柱に顔面を叩き付けられ、ノックアウトされる。

ナイジェル「フガフガ……(訳・鼻血が)!」
アンジェラ「あら、鼻血がまた出てますわ……(白々しい眼差し)、先程の止血が不十分だったのですね?」

   アンジェラ、不意に会場の時計へ視線を投げる。
   殊更にかしこまった顔で向き直り、淑女の礼。

アンジェラ「誠に申し訳ありませんが、お先に失礼を」
エドワード「早過ぎると思いますが」
アンジェラ「明日の早朝、いささか用事がございますので」

   アンジェラ&ルシール、イザベラと目配せした後、素早く会場を退出。

   会場に残ったイザベラ、不吉な笑み。
   下心満載でナイジェルに接近。
   会場スタッフ仲間の男の手も借り、ナイジェルを柱から引き剥がす。

イザベラ「まあ大変! 血が! 急いでお医者様に診て頂かなければ……!」

   目撃していた男客たち、その様子を見つめながら震え上がる。

男客1「イザベラ嬢……あの男に、いったい何をするつもりだ?」
男客2「あの『戦女神(ワルキューレ)イザベラ』だ、きっと、我々には想像もつかないような恐ろしい事をするに違いない」
エドワード「……(苦笑)、住所を聞かずじまいだったな」

   エドワード、苦笑しながらも、愉快そうに目を細める。
   キアラン、エドワードの様子を、奇妙な眼差しで見つめる。

○同・豪邸(舞踏会場)、スタッフ用の出入り口に続く下手の回廊(夜)

   会場を、物陰から窺う人影(レナード・ダレット、27)。
   レナード、そっと会場を離れ、アンジェラとルシールを尾行。

○同・豪邸(舞踏会場)、スタッフ用の控え室の前(夜)

   ルシール、高い場所に吊るされている外套に手を伸ばす。
   レナード、ルシールの背後から手を伸ばして外套を外す。
   驚くルシールに手渡す。

ルシール「え? あ、有難うございます……(振り返る)」

   ルシール、金髪碧眼の美青年を眺める。
   しばらく首を傾げた後、目をパチクリさせる。

ルシール「前シーズンもいらした方ですね。お名前は、存じ上げませんでしたが」
レナード「時に……(謎めかした笑み)、先程の黒髪の紳士と、お知り合い?」
ルシール「リドゲート卿の事ですね? 今夜が初めてですが」
レナード「黒髪の彼、実に無愛想で冷淡だったでしょう?(困ったような笑み)」

   ルシール、しばらく思案した後、納得顔で頷く。

ルシール「口数は多くない方のようですね」
レナード「彼には、くれぐれもご用心を。実に冷酷な男ですから、女性に対して……身の程知らずの野心もあってね、彼の縁結びは止めておいた方が良いでしょう」
ルシール「そうなんですか……? えっと……確かに、あまり反応しない方でもいらっしゃるようですね」

   ルシール、次第次第に眉根を寄せ、表情を曇らせる。
   その後、パッと気づいてレナードを見上げる。

ルシール「ともあれ、先ほどは御親切に、有難うございます。失礼ながら、お名前をおうかがいしても?」
レナード「これは失敬。私はレナード・ダレットです……今夜はもうお帰りだとか。明日は是非、かのサービスの件で、お話をしたいものですね」
ルシール「当・舞踏会の『縁組サービス』ご利用、うけたまわりました。ご料金はイザベラ代表とご相談のほど……」

   ルシールとレナード、握手を交わす。申込成立。
   アンジェラ、屋外から戻って来る。
   ルシールとレナードに気付き、レナードに会釈。

   レナードが会場に戻って行くのを見送る。
   アンジェラとルシール、屋外に出る。

○同・豪邸(舞踏会場)、裏口、ロータリー(夜)

   アンジェラとルシールが乗る予定の送迎馬車、待機中。
   アンジェラとルシール、送迎馬車に乗り込みながら、

アンジェラ「金髪レナードは独身貴族よね? モテモテなんだけど、釣り合う奥方候補ならいるんだよね」
ルシール「もう仲介先の淑女を検討していたの? 仕事熱心ねえ」

○送迎馬車の中(夜)

   アンジェラとルシールを乗せた馬車、帰路を走り出す。
   アンジェラ、急に、顔をしかめて見せる。

アンジェラ「それにしても、客人扱いだと会場の印象も変わるわね! ナイジェル氏の正体が金髪狙いのセクハラ紳士とは予想外だったわよ……注意しないと!」
ルシール「エドワード卿と何かあったの? あの金髪紳士は、アンジェラのために決闘しかねない勢いだったけど」
アンジェラ「ホントに決闘でナイジェル氏を転がしてもらえば良かったかしら? 二回ダンスしただけなんだけど、武器の腕前は、ヒューゴさんより明らかに上だと分かるんだよね」
ルシール「エドワード卿って、顔だけだと思ってたから驚いたわ。アンジェラの背景を探り出せるなんて、大した頭脳じゃない。 金欠と放蕩の噂は、ともかく……ヒューゴさんの先輩だと言うし、淑女百人斬りってプレイボーイの噂、実話だと思うけど」
アンジェラ「本人に放蕩の気配は皆無!」

   アンジェラ、自信たっぷりの笑み。

アンジェラ「四人の淑女も粒ぞろいの候補、幸先が良くて結構な事だわ」
ルシール「それにしては……エドワード卿は、会場の淑女には興味が無いみたいだったけど」
アンジェラ「ふーん、そんな感じだった? ……(悩まし気に目を伏せる)うーん、お連れの黒髪の紳士にしか興味が無いなら、私の勘も鈍ったものだけど。 男同士の恋人縁組は不案内なの。前シーズンのパニック、まだ夢に出るし」

   アンジェラ、疲れたような溜息。
   ルシール、パッと笑みを浮かべる。

ルシール「結局ベストカップルだったから、大丈夫! 彼らは共同事業でもパートナーを組んで、うまくやってるとか」

   ルシール、ふと生真面目な顔になる。

ルシール「エドワード卿はアンジェラに興味持ちそうだから、クギ刺しといた。ロックウェル事件のゴシップの紹介で」
アンジェラ「それで良いわ。間違って彼らがバラバラ死体になったら、大変な損失だもんね」

   アンジェラ、元気を取り戻す。
   ウキウキとした様子で指を動かし、想像上のそろばんをはじく。

アンジェラ「それにしても……あの掘り出し物が、真面目な顔をして二回目のダンスを申し込んで来た時は、 流石にお仕事とは言え、ちょっとトキめいた……(ちょっとだけ、ウットリ顔になる)! 琥珀色の目で、 光が入ると金色で……彼はとびきりの美形だし、自分の魅力を充分に心得ている様子だから、特に社交スタイルの助言も必要なさそう。ますます夢の勝利の予感よ」

   アンジェラ、改めて顔を引き締め、グッとコブシを握る。
   ルシール、熱心に身を入れ、同じようにコブシを握る。

アンジェラ「あの人たちの縁組は、高く売れる! カータレット嬢もエリー嬢も完璧で、かつ理想の候補……この縁組を派手に成功させて、此処の社交場を、王国第一の『恋人の名所』にするのだ!」
ルシール「そして、首都の社交界に勝利する!」
アンジェラ&ルシール「エドワード卿とリドゲート卿、それにレナード、まとめて史上最高額で売り飛ばせ! えいえいおー!」

   アンジェラとルシール、威勢よく、コブシを上げる。

■第一章-06話:緑の森の魔女

《人物表》

・ルシール・ライト(25、女主人公)…濃茶色の髪、一見して茶色の目。
・アンジェラ・スミス(25、ダブル女主人公)…金髪緑眼の絶世の美女。
・弁護士カーター氏(57)…クロフォード伯爵家の顧問弁護士。
・レディ・オリヴィア・ゴールドベリ(68)…ゴールドベリ邸の女主人。金髪緑眼。
・木こり1
・木こり2
・木こり3
・ゴールドベリ邸の住み込みの家政婦(スコット夫人、62)

○アシュコート伯爵領の辺境、森の中の小道(朝)

   朝もやにかすむ森の中の小道(分岐がチラホラと現れる)。
   分岐に入っては戻っている一人乗り軽装馬車。
   馬車に乗っているのは、弁護士カーター氏(57)。
   カーター氏、地図を広げて何度も確認。

カーター氏(57)「確か、この辺りの筈だが……道に迷ったのだろうか……」

   やがて、森の小道の脇に木こりの作業場が現れる。
   三人の木こりが作業中。
   カーター氏、馬車を止めて下車し、木こりに近付いて、

カーター氏(57)「道をお尋ねしたいのですが」
木こり1「おお? ああ? 何処へ行きなさる?」
カーター氏「ゴールドベリ邸へ」
木こり1「おお、ああ、『魔女の隠れ家』ね」

   木こり1、斧を下ろす。
   別作業中の木こり2と木こり3、人懐っこくカーター氏に近付く。
   木こり1、汗をぬぐって何度も首を振り振り、訳知り顔で、

木こり1「初めての人は迷うんだよねぇ。この辺になると、緑の迷路だから」
木こり2「そう! 何せ、そこの女主人が魔女様でさ」
木こり3「元・貴族の令嬢のヒーラー様だよ! 男やもめの伯爵様から求婚されてるお方だよ!」

   木こり1、困惑顔が続く。

木こり1「参ったなあ、今はちょっと忙しいんだ……」
木こり2「いやいや、運良く、もうじき魔女の手下が通る頃だ」
木こり3「またまた、お前は!」

   ほどなくして、小道の向こうから簡素な荷馬車が現れる。
   御者席には二人(アンジェラ、ルシール)。
   荷台に、早朝バザー品、朝市の新鮮な野菜や果物を入れたカゴ等。

木こり2「ホーラ、来た!」
木こり3「時間は正確だぁ〜」
木こり1「おお、ああ」

   三人の木こりたち、てんでに荷馬車を指差す。
   三人の木こりたち、カーター氏を手招きし、小道の真ん中に出る。

木こり1「おお、ああ、教会帰りだろ……二人とも」
木こり3「こちらの紳士が、レディ・オリヴィアをお訪ねでな」

   荷馬車、止まる。

ルシール(25)「レディ・オリヴィアをお訪ねですか?」

   カーター氏、目を見張り、二人の男装の乗り手を改めて見直す。

アンジェラ(25)「……(パッと気づいた顔)、確か今日は、お客様がいらっしゃるかもと聞いておりました。ご案内いたします。ゴールドベリ邸は、わき道を二つ外れた泉のほとりです」
カーター氏「私が来るのを知っていたと?」
アンジェラ「朝からレディは、お客様をお待ちでした(満面の笑み)」

   カーター氏、驚き覚めやらぬ顔のまま、絶句。

木こり2「それ見ろ! あの隠れ家の女主人は絶対、魔女なんだぜ」
木こり3「バカだね! ヒーラーなら、不思議な力もあるじゃろ!」

   カーター氏、木こりたちの様子をチラ見して戸惑い。
   やがて、アンジェラの金髪を見て、

カーター氏「もしかして、あなたがルシール・ライトでしょうか?」
アンジェラ「いえ、私はアンジェラ・スミスです。ルシールは、こちらです」
カーター氏「……(目をパチクリさせてルシールに注目)、そうでしたか。これは失礼を。アイリス・ライト嬢は金髪との事でしたので、ツイ間違いを……」

   カーター氏、胸に手を当てて、丁重に一礼。
   ルシール、目をいっそう大きく見張り、カーター氏を見つめる。

ルシール「母をご存知で……?」
カーター氏「いえ……、報告書にあった、人物特徴の記録だけですが……」

X X X

○森の中の小道(朝)

   アンジェラとルシールの荷馬車、カーター氏の馬車を先導。

   朝もやが晴れる。
   カーター氏、先導する荷馬車の荷台をしげしげと眺める。
   近所の教会の図書館から貸し出された古典や学術書がある。
   高い教養を持っていないと読みこなせない類。
   既に、可愛らしい数枚の栞が挟まれている状態。

X X X

○ゴールドベリ邸、外観(朝)

   二台の馬車、ゴールドベリ邸に到着。瀟洒な別荘風。
   古い屋敷だが、よく手入れされていて住みやすそうな感じ。
   カーター氏の馬車、大木の間の空きスペース(駐車場)に停車。
   家政婦(スコット夫人、62)が迎えに出て来る。

○ゴールドベリ邸、応接間(朝)

   カーター氏、家政婦(スコット夫人、62)の案内で、応接間に入る。

   レディ・オリヴィア(68)、杖を携えつつ、主人用ソファに座っている。
   女王もうらやむ程の気品と風格。
   若かりし頃の「金髪緑眼の絶世の美女」の面影がハッキリと窺える。
   素人目にも、明らかにアンジェラの血縁と見て取れる。
   レディ・オリヴィア、応接間に入って来たカーター氏を一目見て、

レディ・オリヴィア(68)「ジャスパー判事と、最近しきりに連絡を取っていた方ですね(=明らかに上流貴族のレディと分かる発音)」
カーター氏(57)「……ご明察のとおりでございます」
レディ・オリヴィア「私がオリヴィア・ゴールドベリです。脚を悪くしているので、座ったままで失礼いたしますわね」
カーター氏「こちらこそ不意の訪問で、大変お騒がせ致します。クロフォード伯爵領で弁護士をしております、カーターと申します」
レディ・オリヴィア「ルシール・ライトに関する案件ですね」
カーター氏「お察しの如く」
レディ・オリヴィア「本日は、ようこそおいで下さいました、カーター氏。どうぞ、そちらにお掛けになって」

   カーター氏、丁重に一礼して着座。

カーター氏「まずは、クロフォード伯爵領の地元紳士、アントン・ライト氏について……」

X X X

○ゴールドベリ邸、応接間(昼)

   カーター氏の説明が一段落する。
   レディ・オリヴィア、深い溜息をつく。

レディ・オリヴィア「成る程……、ついにこの日が……という感慨がございますわ。 役所の取り違えに気付いて修正報告を出したのは私ですが、役所の怠慢で20年以上、放置されていた……と言う訳ですね」
カーター氏「何故、取り違えが起きたのか、今でも良く分からんのです。心当たりがあれば、お聞かせ頂けますか?」
レディ・オリヴィア「取り違えられたのは、アンジェラの母親とルシールの母親です。 そして、アンジェラの出生記載が、同じく役所の処理ミスにより、月をまたいで遅延していました……お分かりですか?」
カーター氏「正直、あまりピンと来ないのですが」
レディ・オリヴィア「妊娠出産に関わる数字に強くないと、分かりにくい領域ですね。 簡単に言えば、その時、一方は既に出産していて、一方はまだ妊娠中だったという事実を含めて理解する必要があるのです。 誤記されてしまった数字が及ぼした、数々の影響も含めて……後ほど、詳しく説明しましょう」

   カーター氏、レディ・オリヴィア、いったんお茶を一服。

レディ・オリヴィア「二人の子は六ヶ月しか違いません。母親は二人ともに、よく似た色合いの金髪でした。偶然とは言え……、起きるべくして起きた事態だと言えますわね」

   レディ・オリヴィア、しばらくの間、思案ポーズ。

レディ・オリヴィア「あれは雪の中の馬車事故でした。偶然、同じ乗合馬車に、アンジェラの両親とルシールの母親が、他の乗客たちと共に乗り合わせていました」
カーター氏「25年前の二月、連日の大雪の頃ですね」
レディ・オリヴィア「ええ。その乗合馬車の行き先は、峠から連なる山岳地帯の狩猟場のひとつでした。貴族たちや豪族たちの狩猟場があちこちにあるのは、ご存じですね」
カーター氏「……(相槌)、あの山岳地帯には、クロフォード伯爵家が所有する狩猟場もございます。全国に名高い狩猟の名所。冬季の狩猟シーズンには雪道仕様の馬車が走る……」
レディ・オリヴィア「山岳地帯の各所の狩猟場を結ぶ道は狭く、崖がすぐ傍まで迫っているカーブが多いのも、ご存知ですわね。 事故現場は、そういう場所のひとつでした。その乗合馬車は、予期せぬ強い風雪に翻弄され、スリップを起こし、岩だらけの崖の下へ……」

   声がわずかに震え、説明が途切れる。
   レディ・オリヴィア、苦悩の表情になり顔を伏せる。しばし沈黙。
   カーター氏、無言で次の言葉を待ち受ける。

レディ・オリヴィア「……アンジェラの母親は即死し、父親は大怪我。乗客の半分が死亡した事故でしたが、 ルシールの母親は軽傷で済みました。肋骨が数本折れただけだったので、お腹のルシールにも影響は無かったのです」

   説明に一区切りつく。
   レディ・オリヴィア、ピンと来た顔で、カーター氏を見直す。

レディ・オリヴィア「そう言えば……そちらで、妊娠二カ月と認識しているのは、修正する前の、古い方の記録によりますね?」
カーター氏「……(驚いて目を見張る)、まさに、お察しのとおりでございます」
レディ・オリヴィア「ルシールの母親は事故当時、既に妊娠六カ月でした。ストレスや疲労で、お腹のルシールの発育も遅れていたため、お腹が目立たなかった。 妊娠二カ月と誤診したのは経験の浅い医者ですが、これも、アンジェラ出生記録の遅延ミスが原因ですから、致し方ない所ですね」

   レディ・オリヴィア、溜息をつき、再びお茶を一服。

レディ・オリヴィア「アンジェラの母セーラ・スミスは、私の付き添いを務めていたので、セーラ急死に伴い、ライト夫人を後任に雇っていたのです。 アンジェラの父親の事情が問題になって、アンジェラを育てる保母も必要でしたし」
カーター氏「成る程……」

   カーター氏、相槌を打ちながらも、また疑問顔になる。

カーター氏「しかし、それでは何故にアイリス嬢……ライト夫人は、自分で連絡をして来なかったのか……?」
レディ・オリヴィア「……(しばし思案)、ライト夫人は、口が堅い人でした。推察ですが、妊娠したのが理由でしょう。冬の嵐の中を一人旅ですよ……余程の訳があった筈です」

   カーター氏、ハッとする。
   しばらく、あごに手を当てて思案ポーズ。
   真剣な面持ちで顔を上げ、レディ・オリヴィアを見つめる。

カーター氏「アイリス・ライトのご夫君は?」
レディ・オリヴィア「それは、私も知りません。アイリス・ライトは此処に来た時、既に『ライト夫人』でした。正式な結婚証書が実在するのは確かですが、 何処の教会に提出したものやら……カーター氏なら探せるかも知れませんね?」
カーター氏「え、はあ……鋭意、努力を尽くす所存ですが……牧師の守秘義務も考慮するとなると……これは一体、どこから手を付ければ……」

   カーター氏、グッタリとした顔になる。
   オリヴィア、致し方なさそうに苦笑。

■第一章-07話:アンジェラとルシール〜もたらされた遺言書

《人物表》

・ルシール・ライト(25、女主人公)…濃茶色の髪、一見して茶色の目。
・アンジェラ・スミス(25、ダブル女主人公)…金髪緑眼の絶世の美女。
・弁護士カーター氏(57)…クロフォード伯爵家の顧問弁護士。
・レディ・オリヴィア・ゴールドベリ(68)…ゴールドベリ邸の女主人。金髪緑眼。
・ゴールドベリ邸の住み込みの家政婦(スコット夫人、62)

○ゴールドベリ邸、庭園(昼)

   アンジェラとルシール、男装、作業着姿。庭園作業している。
   家政婦(スコット夫人、62)、やって来る。

家政婦(スコット夫人、62)「レディ・オリヴィアがお呼びでございますわ」

   アンジェラとルシール、庭園作業に一区切りつける。
   ゴールドベリ邸の玄関へ向かう。

○ゴールドベリ邸、応接間(昼)

   カーター氏、庭園に面する窓の外を注視。
   アンジェラとルシールの姿を垣間見。

   アンジェラとルシール、応接間に入室。
   作業着姿。(軽い作業のみだったので汚れていない)
   カーター氏に順番に会釈。
   レディ・オリヴィアの目配せを了解、空いているソファに座る。

   カーター氏、アントン氏の遺言書を取り出す。

カーター氏「三ヶ月前、ライト嬢の祖父に当たるアントン氏が死亡しました。その遺言書をお読み下さい」
ルシール「祖父……? 遺言書でございますか?」

   ルシール、戸惑いながらも遺言書を開く。

(アントン氏の遺言書)『我が所有する、ローズ・パーク邸の一区画の庭園オーナー権、其を我が子孫アイリス・ライト、 及び、アイリス・ライトの子孫が着実に相続するを、我望むものなり。 かつ、此処に厳密に指定せし相続人の全てが既に死亡せし時、相続人による相続放棄の真正なる意思の確定せし時、 ただちに其のオーナー権を、謹んでクロフォード伯爵家に全返還するものなり』

   ルシール、絶句。
   無言のまま、遺言書の全文に二度、三度、目を走らせる。

ルシール「……居たんですか? 祖父が……?」
カーター氏「三ヶ月前に、突然死されるまでは」
ルシール「突然、いったい、どういう……」

   カーター氏、ルシールの反応に首を傾げる。
   アンジェラ、訳知り顔で、

アンジェラ「カーター氏、ルシールは動転すると真っ白になる性質ですので。一応、私にも、かいつまんでご説明いただけますでしょうか?」
カーター氏「承知いたしました」

X X X

○ゴールドベリ邸、応接間(昼)

アンジェラ「……つまり、こういう事でございますね。三ヶ月前に急にお亡くなりになったアントン・ライト氏は、 我々も知るところの、クロフォード伯爵領の社交の名所『ローズ・パーク邸』オーナー協会に属する、オーナーの一人でいらした。 ローズ・パーク邸の一区画の庭園オーナー権を所有し、運営管理されていた……すなわち土地持ちの名士でいらした」

   アンジェラ、ルシールを振り返り、

アンジェラ「……という事で、要点は頭に入ったかしら、ルシール?」

   ルシール、ギクシャクと頷く。
   アンジェラ、ルシールの横からしげしげと遺言書の内容を眺め、

アンジェラ「すごい話。舞踏会の会場としても引き合いあるお屋敷だし、地代収入だけでも、派手に贅沢しなければ、一生、余裕で暮らせる」

   ルシール、戸惑い顔で、カーター氏を見つめる。

カーター氏「老アントン氏は、子孫の行く末を気にかけておられたのでしょう」

   レディ・オリヴィア、お茶を優雅に一服。
   ルシールの理解が定まった頃を見計らって、

レディ・オリヴィア「私が以前からアシュコート伯爵に求婚されている事は知ってるわね。 将来の事を考えるとね……アンジェラ、ルシール……お前たち二人とも、そろそろ良い人を見つけて結婚するか、土地を得て独立する頃合だと思うの。 目下の問題が山積みだけど、私が何故に今回の舞踏会への出席を許可したのか、分かるでしょう?」

   思わず息を呑む、アンジェラとルシール。
   カーター氏もポカンとしていたが、やがて感心しきりの顔になる。

カーター氏「……重ね重ね感服いたします、レディ・オリヴィア」
レディ・オリヴィア「変なところで感服しないで下さるかしら? 私は変人で魔女のオールド・ミスで通っているんです」

   レディ・オリヴィア、ユーモアを込めて眉の端を上げて見せる。
   ルシール、再び遺言書に見入る。困惑顔が続く。
   やがて顔を上げて、カーター氏をおずおずと見つめる。

ルシール「あの……カーターさん、余りにも急なお話で……今夜一晩だけ、考える時間を頂けますか? 明日には多分、考えをまとめてお返事できると思うのですが……」
カーター氏「大変な動揺は理解できます、ライト嬢。では明日、改めてお訪ね致しましょう」

○ゴールドベリ邸、アンジェラとルシールの相部屋(夕)

   緑の森の中、静かな春の夕闇に包まれたゴールドベリ邸。
   アシュコート舞踏会への出発予定の刻限が近付いている。

   ルシール、机の前に座り込み、物思いに沈んでいる。
   机の上には夜間照明用のランプ。

   入浴を済ませたアンジェラ、鏡台の前でブラッシング。
   アンジェラ、いつものようにルシールに声を掛ける。

アンジェラ「舞踏会に出席できる気分じゃ無いでしょう? 私で良ければ、話し相手になれるけど……」

   ルシール、ボンヤリとアンジェラを振り返る。

ルシール「アンジェラ? まだドレスを着てないの? 舞踏会は?」
アンジェラ「ルシールを最優先!」

   アンジェラ、ルシールの隣に腰を下ろす。
   徐々に深くなる宵闇。

アンジェラ「この前、血だらけのナイフが届いた時の借りもあるし……今、ルシールがどう言う状態なのかは、実の姉妹よりも良く分かってる」

   ルシール、無言でうつむき、ランプに照らされた机の面を見つめる。
   バラの花の形をしたアメジスト細工のブローチ(母親の形見)がある。

x x x

(回想)
   作業服姿でバラ園の整備をしている20代のアイリス・ライト。
   五歳ごろのルシールとアンジェラが後を付いて回り、お花をねだる。
   アイリス、微笑み、バラの花を摘む。
   ハサミで器用にトゲを落とし、ルシールとアンジェラに手渡す。
(回想終わり)   

x x x

アンジェラ「ライト夫人、秘密がいっぱいあったのね。ルシールのおじい様……アントン氏の事、寝耳に水だったわよ」
ルシール「嘘……ついてた訳じゃ無いよね……」
アンジェラ「今、幾つか思い出しているけど、ライト夫人が言ってた事は、全部、カーター氏が説明した内容と一致してる。 ライト夫人は『庭園管理を教えてくれた師匠が居た』って言ってたけど、その師匠って、アントン氏の事ね。 ローズ・パーク邸の庭園って『観光に行きたい庭園の名所リスト』でも常連だし、 指名されて、クロフォード伯爵邸の庭園も管理してた……って、それだけ、凄腕の庭師だったって事じゃない」

   ルシール、無言で頷く。
   アメジストのブローチを見つめたまま、

ルシール「……薔薇の花咲く白亜の館……」
アンジェラ「ライト夫人が、よくお話してくれたよね。遥か遠き国の、館と庭園の物語。新聞や雑誌で紹介されている『ローズ・パーク邸』の特徴、 ライト夫人が話してた『薔薇の花咲く白亜の館』の特徴そのまんま。新古典様式とエキゾチック様式を組み合わせた白亜の豪邸。 隣接してるクロフォード伯爵領に、ホントに実在したなんて。近場だから、逆に気付かなかったわ」

   しばし沈黙。

アンジェラ「ルシール。向こうに行ったら、謎のお父様の事も出て来ると思う。ルシールのお母様は、何となく、未亡人って事になってたけど。 その『何となく』っていうの、どうしても引っ掛かる……大丈夫?」
ルシール「……何処の誰なのかも、分からない人だもの」

   ルシール、眉根を寄せて、口を引き結ぶ。
   アメジストのブローチを手に取り、専用の小箱に慎重に納める。

ルシール「私が20歳になったら、事情を話してくれる約束だった……きっと、母なりに慎重に考えて、今までのお話の中にも、少しずつヒントを残していたに違いない」
アンジェラ「何故、そんなに慎重にしなければならなかったのか? ローズ・パークへ実際に行って見れば、 その理由が、いくらかでも見えて来るのかもね……見知らぬ過去の謎、見知らぬ時の真実が」

   ルシール、ブローチの小箱を胸に抱き、決然と頷く。

ルシール「今さら、父に会いたいとは思わないし、誰なのか知りたいとも思わない。でも、母の過去に何があったのか、それだけは知りたい」

   ランプの灯る窓の外。夕方から夜へと、暗さを増す空。

■第一章-08話:アシュコート舞踏会(第二夜)〜ロックウェル公爵令嬢の話

《人物表》

・キアラン・ダグラス(27、男主人公)公称「リドゲート卿」。
・エドワード・シンクレア(27)…キアランの親友。
・アシュコート伯爵ギルバート(69)…銅色の髪、灰色の目。見るからに武人の風格。
・ヒューゴ・レスター(25)…寄宿学校でのキアランとエドワードの後輩。
・イザベラ・ジャスパー(25)…縁組ビジネスを手掛けている。縁組ビジネス団の代表。
・縁組ビジネスのスタッフ嬢…数名。
・多数の紳士淑女たち…舞踏会の招待客。

○豪邸(舞踏会場)、二階のバルコニー(夜)

テロップ『舞踏会――第二夜』

   エドワードとキアラン、人待ち顔。
   二階のバルコニーに陣取っている。
   前庭ロータリーに、続々と客人の馬車が到着している。
   今宵も大盛況。

エドワード「アンジェラがまだ現れない……客リストはチェックしたんだけどな」
キアラン「ナイジェルの件で来なくなったとか?」

   キアラン、少し首を傾げ、前庭に見える人々をぐるりと見渡す。
   次に後ろを振り返り、館内(ダンス会場)をぐるりと見渡す。

   キアラン、会場スタッフのグループに、ひとつずつ注目。
   独身男女グループの間で、相当数がヒラヒラと動いている。
   イザベラ嬢、縁組ビジネス仲間に次々に声を掛け、情報を交換中。

キアラン「縁組ビジネスか……(ボソッ)」

   会場の端で、ヒューゴ(25)が忙しく立ち回っている。
   やがてアシュコート伯爵(69)、ヒューゴ(25)と行き交う。

   アシュコート伯爵(69)、キビキビとした足取りでバルコニーに近付く。
   一応ステッキを手にしているが、それを全然、必要としていない。

アシュコート伯爵(69)「これは珍しい! リドゲートも出ているとは!」

   エドワードとキアラン、アシュコート伯爵と会釈を交わす。

アシュコート伯爵(69)「我が領内の春の舞踏会にようこそ。辺境なのだが、気に入ってくれたかね」
エドワード「思いがけない穴場で、驚きです」
キアラン「オーナー協会に属する地元紳士たちに、この屋敷と地所の所有権を委譲し、運営管理を任せておられるとか……当クロフォード領内のローズ・パーク邸も、同じ運営スタイルです」
アシュコート伯爵「うむ。複数の屋敷を同時に管理するのは、やはり時間とコストの問題があるからね」

   アシュコート伯爵、不意に面白そうな顔になる。
   エドワードをしげしげと眺め出す。

アシュコート伯爵「エドワード君のあの軽薄な噂は、やはり一計を案じての事だな? 何故いつまでも貴公子二人して、 ダンスに参加しないのかね? 魅力的な若いレディたちが熱い眼差しを送っているぞ」
エドワード「実は気になる令嬢と昨夜会ったのですが、今宵は彼女がまだ現れないのです」
アシュコート伯爵「ほう? 一体、何処の誰なのかね?」
エドワード「……(少し思案)、何やら色々と謎めいた令嬢で。しかるべき筋の出身にも関わらず、レディの称号は持っていないとか」
アシュコート伯爵「探求気質に火が付いたと言う訳だな(ニヤリ)」
エドワード「社交界で噂にならないのが不思議な程の令嬢ですね。アンジェラ・スミス嬢の事は、ご存知ですか」

   アシュコート伯爵、ハッとしてエドワードを注目。
   妙な訳知り顔で呟き始める。

アシュコート伯爵「成る程……いや、成る程」
エドワード「……?」
キアラン「……?」
アシュコート伯爵「いや、社交界で知られていないのも当然だな。アンジェラ、ルシール……彼女たちは、魔女様の名付け子だ」
エドワード「……魔女!?」
アシュコート伯爵「森のコテージに住まうレディが、いささか変わった力を持っていてね。あの若い二人、生まれた時から魔女様と一緒に居る影響が出ているのか、 妙に直感があって、良縁の仲介について実績がある」

   アシュコート伯爵、再び、興味深そうにエドワードを眺める。

アシュコート伯爵「エドワード君も、既に適切な淑女を軒並み紹介された筈だが……如何かね」
エドワード「……(言葉に詰まる)」
アシュコート伯爵「社交界デビューを前に、彼女たちは或る問題を抱えた。それ以来、お金を切実に必要としている状態だ。通常は割増手当付きアルバイトとしての参加なんだ。 だが、今回は魔女様の気が珍しく変わって、二人をゲスト扱い出来た……と言う状況でね」

   アシュコート伯爵、少しの間、あごに手を当てて思案顔。
   エドワードをしげしげと眺め始める。

アシュコート伯爵「しかし、エドワード君は、彼女が紹介した妻候補に関心は無いのか?」
エドワード「私は、アンジェラ本人の謎に相当興味があります……ロックウェルの猟奇事件との関係も含めて」
キアラン「かの事件について、公的な事情をご存知だそうですね」

   アシュコート伯爵、顔色を変えて沈黙。
   やがて厳しい眼差しで若い二人を見据える。

アシュコート伯爵「警告しておくが、下手に近付くと――今度は君たちが、何処かで冷たくなっているかも知れんのだぞ?」
エドワード「挑戦ですか? 望むところです……(不敵な笑み)、シンクレア家は、武門の家柄です」

   少しの間、互いの力量を探り合う視線が交錯する。緊張が走る。

アシュコート伯爵「フッ……、私はどうやら、君たちを見くびっていたようだ……」

   アシュコート伯爵、カツンとステッキを付く。

アシュコート伯爵「――よろしい! これも何かの縁……明日にでも君たちを、レディ・オリヴィアに引き合わせよう。君たちの都での経歴が、役に立つかも知れん」

   エドワードとキアラン、目を見張り、姿勢を正す。

アシュコート伯爵「アンジェラは目下、実の父親に脅迫を受けている。つい最近、彼女はズタズタになったネズミの死体と、血付きのナイフを送り付けられた。 ロックウェル公ユージーン・クレイボーンが、その父親だ! 自分の領内で凄惨な事件が発生しても解決に動かず、 ここ20年の間に愛人を50人以上取り替えるような――アンジェラの事を実の娘と認めない男なのだがな……」

   アシュコート伯爵、悩ましい様子で溜息。
   すぐに気を取り直し、キビキビと口を開く。

アシュコート伯爵「問題のコテージへの道順は少し分かりにくくなっていてな、最初は誰でも迷う所だから、ホイホイと道を外れる事が出来る乗馬は勧められん。 昼の表敬訪問の刻に合わせて馬車を手配する。落ち合い場所は承知しているな。では明日、また会おう」

   アシュコート伯爵、キビキビと身を返し、歩き去る。
   エドワードとキアラン、アシュコート伯爵を見送る。

X X X

○同・豪邸(舞踏会場)、二階のバルコニー(夜)

エドワード「ユージーン・クレイボーン……今は隠者も同然だけど――公爵じゃないか」
キアラン「昔、大怪我して、それ以来ずっとロックウェル城に隠遁していると聞いた事がある。彼が死んだら、お家断絶だと言う話だが。 子供が――というか、公爵令嬢がいたとは全く知らなかったな」
エドワード「謎のスミス嬢、その正体は、ロックウェル公爵令嬢レディ・アンジェラ・クレイボーン……と言う訳か! おそらくスミス姓は母方の名だろうが、 考えてみれば確かに……クレイボーン姓は、名乗りたくないだろうな」
キアラン「あんな父親を持ったアンジェラが、父親不信から男性不信に発展しなかったのは、むしろ奇跡かも知れない」

   エドワード、顔をしかめて頷きつつ、頭をシャカシャカとやる。

■第一章-09話:ロックウェル事件の続報

《人物表》

・ルシール・ライト(25、女主人公)…濃茶色の髪、一見して茶色の目。
・アンジェラ・スミス(25、ダブル女主人公)…金髪緑眼の絶世の美女。
・キアラン・ダグラス(27、男主人公)公称「リドゲート卿」。
・エドワード・シンクレア(27)…キアランの親友。
・アシュコート伯爵ギルバート(69)…銅色の髪、灰色の目。見るからに武人の風格。
・レディ・オリヴィア・ゴールドベリ(68)…ゴールドベリ邸の女主人。金髪緑眼。
・弁護士カーター氏(57)…クロフォード伯爵家の顧問弁護士。
・アシュコート伯爵のお忍びの馬車の御者
・ゴールドベリ邸の送迎馬車の御者(スコット氏、65)
・ゴールドベリ邸の住み込みの家政婦(スコット夫人、62)

○緑の森の中の小道(昼)

   快晴。明るい陽射しが差す森の中の小道。
   アシュコート伯爵のお忍びの馬車が現れる。
   木陰の中の木こりの作業場から、斧の音が聞こえて来る。

○アシュコート伯爵のお忍びの馬車の中(昼)

   三人の乗客。
   アシュコート伯爵(69)、エドワード(27)、キアラン(27)。
   アシュコート伯爵、馬車の窓を下げて前後を確認。

アシュコート伯爵「まだ木こりの作業場の辺りか」
エドワード「失礼を承知で申し上げるのですが、先ほどから、同じところをグルグル回っているのでは?」
アシュコート伯爵「失礼でも何でもない。この辺は実際に難所だからな。泉の湧く位置が妙な風に分布しとるんだ。 昔の人が、底なし沼にハマらないように道を通した結果、こうなった」
キアラン「迷路のような道と言い、本当に魔女が住んでいそうな森ですね」
アシュコート伯爵「住んでるのは正真正銘、古代からの伝統を引き継ぐ本物の魔女さ。『ゴールドベリの巫女』は、中世の狂信者の時代『ゴールドベリの魔女』と呼ばれた」
キアラン「本物ですか? 自称『ゴールドベリ』の偽物ではなく?」
アシュコート伯爵「会えば分かる」

   馬車、いきなりガクンと方向を変えて急停車。

アシュコート伯爵「どうした?」
御者(馬車の連絡窓から)「申し訳ありません、伯爵様。さっき、黒ネコが横切って。ペシャンコにするところでした」
エドワード「黒ネコ?」
御者「光りながら飛んでましたよ。魔女の使い魔とか、化け猫ですかね?(少し震え声)」
アシュコート伯爵「飛んで光る化け猫? バカを言うな。真実、妖魔ネコマタなら、我が名剣のサビにしてくれる。すぐに馬車を出せ」

   馬車、走り出す。

○ゴールドベリ邸、庭園の入口(昼)

   注意深く整備された大樹が林立し始める。

御者「ああ、やっとゴールドベリ邸の庭園に入りましたよ」
アシュコート伯爵「確かに、『魔女の隠れ家』に到着したな」
エドワード「此処が? まだ森の中のようですが」
アシュコート伯爵「魔女様のところに居た女庭師が、これまた大した腕前でな。女庭師は数年前に死んだが、その娘が技術を引き継いでいる」
キアラン「女庭師の娘……ルシールですか?」
アシュコート伯爵「うむ。彼女も、いささか訳アリだ。魔女様の周りには、何故か様々な『訳アリ』が集まってくるらしい」

   大樹の間、馬車を並べて入れられるだけの空間(来客用の駐車場)。
   御者、手際よく馬車を寄せて停車。
   周りを確認し、上を見上げるなり、

御者「ああ! あの木の上に、木の上に!」
アシュコート伯爵「今度は何だ?(窓から顔を出す)」
エドワード「確かに、あの枝に誰かが……」
キアラン「侵入者?」
御者「ど、泥棒かーッ!?」

   高い枝の上に居た不審な人影、手足を滑らせる。
   そのまま根元へ真っ逆さまに落ちて行く。
   植え込みの低木の枝が、派手に音を立てる。

   アシュコート伯爵、エドワード、キアランの順に、素早く馬車を降りる。
   落下場所と思しき低木の間に分け入る。
   ハーブの茂みが生えている上に、二人、折り重なって転がっている。

   アンジェラとルシール、男物の作業着姿。
   木から落ちた方はアンジェラ。小さな黒ネコを抱いている。
   下敷きになったのはルシール。ホウキを握っている。

   エドワードとキアラン、絶句。

アシュコート伯爵「ネコにホウキ? 何たる事だ! 高い木の上に登って、ホウキで空を飛ぼうとしていたのかね」
御者「その黒ネコ、さっきのボーッと光ってた、ネコマタじゃ無いですよね!?」

   アンジェラとルシール、それぞれ立ち上がる。
   二人とも、モコモコのハーブ畑の中に転がったため、泥だらけ。
   アンジェラ、抱っこ中の黒ネコをノホホンと撫で回しながら、

アンジェラ「この迷いネコが、木から降りられなくなっていたので……レディ・オリヴィアが、お客様があるかもと言われていましたが、人間だったとは意外でしたわ」
エドワード「人間じゃないお客様って……」
アンジェラ「ネコとかリスとか……幽霊も時々来るんです」

   アンジェラ、腕の中の黒ネコを地面に降ろす。
   黒ネコ、意味深に尻尾をユラリと振り、茂みの中に姿を消す。

   新たな別の馬車が現れる。ギョッとする面々。
   新たに現れた馬車、アシュコート伯爵のお忍びの馬車の隣に停車。

キアラン「馬車が、もう一台?」

   見ていると、馬車からカーター氏(57)が下車して来る。

キアラン「……カーター氏!?」
アシュコート伯爵「知り合いかね?」

   カーター氏、状況を見て取り、目を丸くする。
   全員でしばらく混乱し、シーンとなる。
   アンジェラ、引きつった笑みで、玄関の方向を指し示す。

アンジェラ「どうぞ、こちらに……」

○ゴールドベリ邸、玄関前(昼)

   アンジェラとルシールの先導で、来客たち、大樹の間を辿る。
   程なくして、ゴールドベリ邸の玄関が現れる。
   家政婦(スコット夫人、62)、玄関の扉で、口をアングリ。

家政婦(スコット夫人、62)「ああ……そんな、アシュコート伯爵様の前で……お二人とも! 早くお着替えになって下さい!」

   家政婦(62)、アタフタ。
   アンジェラとルシールと家政婦、素早くヒソヒソ相談。

エドワード「驚かされるお嬢さんだと言う事だけは……確かだね」

   キアラン、無言で頷く。
   カーター氏(57)を振り返る。
   カーター氏も戸惑い顔で見合わせて来る。

キアラン「カーター氏は、何故、此処に……?」
カーター氏「伯爵邸の庭園を管理して下さっていた、アントン氏の事は、ご存知ですね?」
キアラン「ああ……確か、三ヶ月前に死亡した、ローズ・パーク邸のオーナーの一人……」

   カーター氏、ルシールに、目をやる。

カーター氏「あの茶色の髪と目の娘さんが、ライト嬢で……アントン・ライト氏の孫娘でございます」
キアラン「ルシール・ライト……?」

   キアラン、ルシールの後ろ姿を見つめたまま、固まる。

○ゴールドベリ邸、応接間(昼)

   レディ・オリヴィア、主人用ソファに座している。
   落ち着き払った様子で、突然の訪問客たちを眺め、

レディ・オリヴィア「そちらの若い方を、ご紹介頂けます? 私は初めてお会い致しますわ……閣下」

X X X

○ゴールドベリ邸、応接間(昼)

   おのおの、座に着く訪問客たち。
   黒い簡素なドレス姿のアンジェラとルシール、入室。
   おすまし顔をして、持ち込んで来たお茶セットを扱う。

レディ・オリヴィア「……カーター氏、ロックウェル事件で新たな知らせが来ているので、失礼ながら少し時間を頂きます」

   カーター氏、頷く。
   レディ・オリヴィア、文書を中央の円卓の上に差し出し、示す。

レディ・オリヴィア「新しい報告書の要約によれば、バラバラ死体の頭部が発見されたそうですね」
アシュコート伯爵「一昨日の夜、急報が入ったので、ヒューゴ君に要約依頼したんだ。彼は捜査報告書を読むのが速いのでね」

   カーター氏、謹聴。
   エドワードとキアラン、ちょっと目を見開く。

レディ・オリヴィア「ヒューゴさんは、慌てていたのかしら?」
アシュコート伯爵「どういう事かな?」
レディ・オリヴィア「要領を得ない内容なのです。『ギックリ顔』とは、どういう意味ですか?」
アシュコート伯爵「……!? ヒューゴ君は有能なのに……」

   アンジェラとルシール、訳知り顔でコッソリと目配せ。
   コッソリと苦笑。

アシュコート伯爵「(頭を振り振り)……つまり、その頭部は、その顔がかなり陥没し変形しているんだ。メッタ打ち状態でな」
レディ・オリヴィア「それで分かりました。顔面復元が必要だという意味ですね」

   レディ・オリヴィア、目を伏せて、しばし沈黙。
   やがて、ピンと来たような顔になり、手近なペーパーに走り書き。
   訳知り顔で傍に立ったアンジェラに、メモを手渡す。

レディ・オリヴィア「ジャスパー判事が必要とする人材をご紹介できますよ。その氏名の絵描きが、この先の運河に出没します。医学の道から転向した画学生で、変形した顔面の復元が正確です」

   アンジェラ、アシュコート伯爵にメモを手渡し。
   アシュコート伯爵、メモに目を通し、

アシュコート伯爵「そう言えば、橋の上では、似顔絵稼業の絵描きの卵がたむろしているな……うむ! 今日の内にも、ジャスパー判事に連絡しておこう」
エドワード「運河の人々の中の一人……レディ・オリヴィアのご存じない人物でしょう?」
レディ・オリヴィア「ええ、私はこの通り、外出の難しい身体ですしね」
キアラン「話に聞く『ゴールドベリの勘』ですか……」
アシュコート伯爵「この類の透視が外れた事は無かったな」
エドワード「……ロックウェル事件の続報を、此処で聞けるとは予想外でしたね。ロックウェル公爵とアンジェラ嬢の関係は理解できますが。アンジェラ嬢は、あの猟奇事件にも巻き込まれている?」

   レディ・オリヴィア、チラリとエドワードを観察。
   茶カップを手にしながら、

レディ・オリヴィア「閣下が連れて来た紳士は、意外に頭が良いようですね……アンジェラが、そのバラバラ死体の発見者でもあるのです。 復活祭の機会にロックウェル公爵と対面する予定が、吹き飛びました」

   レディ・オリヴィア、エドワードを眺める。
   謎めいた微笑を浮かべる。

レディ・オリヴィア「エドワード卿は、ロックウェル事件に首を突っ込むつもりで居るのですね……」
エドワード「ご迷惑で無ければ」
レディ・オリヴィア「(イタズラっぽい笑み)さすがに閣下が見込んだ方ね……歓迎するわ」
アンジェラ「レディ・オリヴィア……! ああ……もう……信じられない!」

   アンジェラ、ショックで頭を抱える。
   ルシール、目をパチクリ。
   レディ・オリヴィア、アンジェラの隣に控えるルシールを指し示す。

レディ・オリヴィア「さて……カーター氏、早速、仕事の話をお願いしますね」

■第一章-10話:老庭師の孫娘

《人物表》

・ルシール・ライト(25、女主人公)…濃茶色の髪、一見して茶色の目。
・アンジェラ・スミス(25、ダブル女主人公)…金髪緑眼の絶世の美女。
・キアラン・ダグラス(27、男主人公)公称「リドゲート卿」。
・エドワード・シンクレア(27)…キアランの親友。
・アシュコート伯爵ギルバート(69)…銅色の髪、灰色の目。見るからに武人の風格。
・レディ・オリヴィア・ゴールドベリ(68)…ゴールドベリ邸の女主人。金髪緑眼。
・弁護士カーター氏(57)…クロフォード伯爵家の顧問弁護士。
・アシュコート伯爵のお忍びの馬車の御者

○ゴールドベリ邸、応接間(昼)

   弁護士カーター氏(57)、手持ちの文書から面を上げて、

カーター氏「……という事で、此処までは昨日、説明いたしました。そして、ローズ・パーク邸の一区画の庭園オーナー権を、女系子孫たるライト嬢が相続する事に関し、 ライト家の本家に当たるビリントン家が不服を申し立てております。 ご存知の通り、女性が資産を相続する事は困難であり、遺言書の内容は尊重されるものの、アントン氏の甥であるタイター・ビリントン氏の、本家直系の当主ゆえの法的立場は非常に強いのです」

   カーター氏、別の資料に素早く目を通す。

カーター氏「目下、アイリス・ライトの死亡報告書の内容修正を急がせておりますが、裁判に持ち込まれた場合、残念ながら、 分家筋に過ぎぬライト家の地位、父親不明という事実は、不利に働くでしょう」
レディ・オリヴィア「大いに予想可能な事態ですね」
カーター氏「御意。アントン氏が所有していた、ローズ・パーク村の家屋、およびローズ・パーク庭園の庭師用コテージは、二件とも既にタイター氏が占有し、売却して金に換えています。 故に、クロフォード伯爵領におけるライト嬢の滞在先は宿屋になるところですが、 ライト嬢の今の財務状況、及び身辺安全を考慮し、手続きに必要な間、クロフォード伯爵邸での滞在が許可されます」

   ルシール、アンジェラと共に控えている。
   ルシール、息を呑む。

ルシール「クロフォード伯爵様のお屋敷……!?」
アンジェラ「それは破格な待遇ですね!」
カーター氏「ローズ・パークのオーナー問題は、クロフォード伯爵家の重大な関心ごとでございますので。 アイリス及びその子孫無き場合、及び子孫による相続放棄の場合。そのオーナー権はクロフォード伯爵家に返還されるので、クロフォード伯爵家も、この件に関しては当事者なのです」

   カーター氏、しばし、ルシールの様子を窺う。
   ルシール、要点を理解したという証に、頷いて見せる。

レディ・オリヴィア「クロフォード伯爵は、この案件に関して協力的という事?」
カーター氏「勿論でございます。館への受け入れ話でも、快諾を頂いておりまして……あ、(キアランを振り返りながら)、 リドゲート卿がご不在の間に、取り決められた話でございますが」
キアラン「別に私は構いません。この話は初耳でしたが、父の決定に従いますから」

   ルシール、カーター氏とキアランのやり取りの様子を、そっと窺う。
   レディ・オリヴィア、ルシールの方を振り返る。

レディ・オリヴィア「後はルシールの意思ね。一晩考えて、結論は出て?」
ルシール「クロフォード伯爵領を訪問して、ローズ・パークのオーナー権を相続したいと思います!」

   キアラン、少し眉根を寄せてルシールを注目。
   突き刺さるような物騒な眼差し。
   ルシール、ギョッとして固まる。

○ゴールドベリ邸、庭園の入口(夕)

   訪問客たちのための送迎馬車が回されている。
   ルシール、アンジェラと一緒にお見送り。
   用心深くキアランを窺う。

   キアランとカーター氏、ヒソヒソと打ち合わせ。
   突然キアランが身を返し、ルシールを振り向く。鋭利な視線。
   ルシール、咄嗟に、二歩ほど後ろに飛びすさる。

キアラン「明日の朝一番で馬車を手配します。個人的に必要なものを荷造りしておいて下さい」
ルシール「お……、お手数おかけ致します(結構ビクビクしながら)」

   キアラン、無表情でジロジロとルシールと眺める。
   (上から目線、迫力がある)
   ルシール、だんだん青くなる。プルプル冷や汗。

   送迎馬車の準備が整い、アシュコート伯爵が最初に乗り始める。
   キアランの順が来て、キアラン、身を返す。

キアラン「それでは、また明日」
ルシール「……(ギクシャクと一礼)」

   ルシール、アンジェラと並んで、走り去ってゆく送迎馬車を眺める。

ルシール「ローズ・パークのオーナーの一人になると、有難くもクロフォード伯爵家の人々と、お近付きになると言う話……なんか不安になって来た」
アンジェラ「高い身分の人々の例にもれず、気難しい性質だろうけど、常識的な範囲なんじゃない」
ルシール「なんか突き刺さるような不吉な視線だし、無表情だし、何を考えているのか分からないし……カーター氏なら、怖くないんだけど」
アンジェラ「……根は悪い人じゃ無いと思うよ?」
ルシール「クロフォード伯爵様も、輪をかけてあんな感じに違いないし、大丈夫かしら……」
アンジェラ「ルシールなら大丈夫だから(ぷぷぷ)」
ルシール「笑い事じゃないでしょ……」

   ルシール、頭を抱えて思い悩むポーズ。

○ゴールドベリ邸、居間(夜)

   夕食後、夜のお茶。
   アンジェラとルシール、テーブル上のメモ等、最後のチェック。

   レディ・オリヴィア、二人の様子を眺めている。
   チェックが一段落したところで、テーブルの隅にあるボックスを指し示す。

レディ・オリヴィア「ルシール、誕生日にはちょっと早いけど、これは私からの贈り物よ」

   ルシール、ボックスの中を見て目を丸くする。
   上質なシルク製ショールが入っている(ライラック色)。

レディ・オリヴィア「クロフォード伯爵とご挨拶する時は、身に着けると良いでしょう。これだけでも格があるから、だいぶ違うわ」
ルシール「(ショールを手に取り)ありがとうございます……」
アンジェラ「ローズ・パーク舞踏会でも大丈夫ね!」

   ルシール、感激して顔を赤らめる。
   アンジェラ、ウインクして見せる。

レディ・オリヴィア「ルシールには、その色が一番似合うわ」

   レディ・オリヴィア、微笑み、お茶を一服する。

レディ・オリヴィア「滞在先となるクロフォード伯爵邸では、きっと、ライト夫人についても色々と質問されるでしょうね。 私に分かる限りで、お話しておきましょう」

   アンジェラとルシール、静聴。

X X X

(回想)
○ゴールドベリ邸、玄関(夕)

   25年前の冬、大雪。
   ゴールドベリ邸の玄関に、傷病者用の馬車が横付けされる。

○傷病者用の馬車の中

   防寒用の毛布に包まれた金髪女性(アイリス、25)。
   見えている顔面、創傷多数。
   消毒ガーゼを張り付けたり包帯を巻いたり、応急手当はしてある。

○ゴールドベリ邸、客室(夕)

   ベッドの中のアイリス(25)、意識混濁中。
   家政婦(スコット夫人、35)、暖房の為、暖炉の炎を調整。
   レディ・オリヴィア(43)、車椅子を寄せ、アイリス(25)を診察。

スコット夫人(35)「あの、搬送の人たち、『セーラ・クレイボーン夫人』だと言ってましたけど、別人ですね。金髪が似ているから、取り違えられて……」
レディ・オリヴィア(43)「そうね。顔立ちも違うけど、雰囲気が良く似ているわ。セーラが、生還して来たのかと思うくらいに」
スコット夫人「では、あの、セーラ様は、やはり……(声が震える)」
レディ・オリヴィア「ええ。分かるの。セーラは、もうこの世に居ない」

   アイリス、身じろぎする。
   胸元で、ペンダントトップのリング(指輪)、きらめく。

アイリス「私は……セーラ様では、ありません……(熱に浮かされて朦朧)」
スコット夫人「……?」
レディ・オリヴィア「事故現場の混乱は相当のものだったようね。人違いが起きるくらいに」

   ベッド脇の小机に、一緒に運び込まれていたアイリスの手提げ袋。
   スコット夫人、念のため手提げ袋の中を確認。
   価値のありそうなものは、アメジストのブローチ入り小箱のみ。

スコット夫人「とても大事にされてますわ。よほど訳アリの品ですね」

   レディ・オリヴィア、同意して頷く。
   ベッド脇の文書(カルテ)を一瞥し、

レディ・オリヴィア「妊娠二カ月」
スコット夫人「……彼女、妊娠してるんですか!?」
レディ・オリヴィア「確かに妊娠しているわ。妊娠二カ月……(注意深く観察)、いえ、妊娠六カ月ね」
スコット夫人「何てことでしょう。馬車はバラバラになって崖の下に転がっていたとか……本当に運が良かったとしか思えませんわ」
レディ・オリヴィア「(思慮深く頷く)……、引き続き、容体を見ましょう」

   後ろにある揺り籠から、赤ちゃん(アンジェラ)の鳴き声。
   レディ・オリヴィアとスコット夫人、振り向く。

   スコット夫人、揺り籠に駆け付け、赤ちゃんを慎重に抱っこ。
   スコット夫人、困惑顔でレディ・オリヴィアを振り返る。
   レディ・オリヴィア、口元に手を当てて思案ポーズ。
   アイリスを再び見やりつつ、

レディ・オリヴィア「……彼女の容体が安定してきたら、長いお話をしなければならないわね」

○ゴールドベリ邸、客室(昼)

   レディ・オリヴィア、小型ハープで静かなハープ音楽を演奏。
   やがて、ハープ音楽が終わる。

レディ・オリヴィア(43)「気分はどうかしら? 吐き気は?」
アイリス(25)「有難うございます。だいぶ良いようです……(慎重に半身を起こす)」
レディ・オリヴィア「肋骨が折れてるから、無理しないようにね。欠片が肺に突き刺さって、その吐き気を引き起こしている状態だけど、 時間が経てば自然に排出されるから、心配しなくても良いわ。つわりに似ていて、妊娠二カ月という誤診につながったのは、ともかく」

   アイリス、落ち込んだ様子。お腹をさする。

アイリス「……胎動が無いんです。事故の前はあったのに」
レディ・オリヴィア「お腹の子は何とも無いわ。ジッとしてるだけで……女の子ね」
アイリス「……見えますの!? 生きている……? あの、同じ頃の、友人と比べると随分小さいから、あの……」
レディ・オリヴィア「……同じ時期に妊娠した友人が居るの?」

   アイリス、急に慎重な顔になり、口を閉じる。
   不安そうにレディ・オリヴィアを窺う。

レディ・オリヴィア「個人差はあるけど。この子の場合は、成長が遅れているのよ。大きくなっていいのかと悩んでるみたいね。 ストレスと過労……事故に遭う前から、あなた、随分と無理をしていたでしょう」
アイリス「……(恥ずかしそうに目を伏せる)、お腹が目立たないので、今まで誰にも知られずに済んでいたのですが……ドクターを呼ばれそうになって……」

   レディ・オリヴィア、思わず息を呑む。
(回想終わり)

X X X

○ゴールドベリ邸、居間(夜)

   レディ・オリヴィア(68)の過去話、終わる。
   レディ・オリヴィア、お茶を一服。
   ルシール、圧倒されたように沈黙。
   アンジェラ、真剣に眉根を寄せ、首を傾げる。

アンジェラ「聞く限りでは、それでは、『予期せぬ妊娠』とか『望まぬ妊娠』という状況ですよね? 誰にも知られずに産んで育てようとしていたのなら……」
レディ・オリヴィア「ライト夫人は、それ以上の詳しい事情は明らかにしなかったけれど。『正式な結婚をした夫との間にできた子供である』という事だけは、ハッキリとしていたわ」

   レディ・オリヴィア、少しの間、目を伏せて、ひとつ頷く。

レディ・オリヴィア「正式な結婚証書が何処かに存在するという事は、確かに感じられる。実際に何があったのかは分からないけれど。あのアメジストのブローチの贈り主が、真実、ルシールの父親よ」

   レディ・オリヴィア、肩をちょっとすくめる。

レディ・オリヴィア「蛇足かも知れないけど、その時、ライト夫人は、傷が癒え次第、首都に行こうとしていたわ。 社交シーズンを外れた時期の首都で、有望なアルバイト先が見つかる筈が無いのだけど」
アンジェラ「四ヶ月後には出産……という状況で、ですか? 数ヶ月で、お腹はビックリする程大きくなるのに」
レディ・オリヴィア「無茶をする子だったわね(苦笑)。ルシールも、そんなところが似てるから心配よ。明日は、気を付けてお行きなさいね」

   ルシール、頬を染めて頷く。

○ゴールドベリ邸、ルシールのベッド(深夜)

   ルシール、ベッドの中で、小箱を開く。
   中には、アメジスト細工のバラのブローチ(母親アイリスの形見)。
   裏を返すと、金属フレーム部分に刻印がされているのが分かる。

(刻印)『愛しいアイリスへ 結婚の記念に L』
(刻印)『F&F(ロゴマーク風)』

ルシール「……お母様。お母様が愛していた人は、誰だったの?」

   ルシール、真剣にブローチを見つめる。

本文/第二章

■第二章-01話:アシュコート舞踏会(第三夜)〜マダム・リリスの高笑い

《人物表》

・キアラン・ダグラス(27、男主人公)公称「リドゲート卿」。
・エドワード・シンクレア(27)…キアランの親友。
・弁護士カーター氏(57)…クロフォード伯爵家の顧問弁護士。
・ヒューゴ・レスター(25)…寄宿学校時代のキアランとエドワードの後輩。
・ジャスパー判事(54)…アシュコート伯爵領の次席判事。
・マダム・リリス(年齢不詳)…妖艶な美女。ロックウェル公爵の59番目の愛人。
・多数の紳士淑女たち…舞踏会の招待客。
・頭の空っぽなツバメたち…マダム・リリスの遊び相手の美青年たち。

○レイバントンの町、メインストリートの高級ホテル(夕)

   ゲート前、アシュコート伯爵のお忍びの馬車、停車。

○高級ホテルのエントランスホール(夕)

   エドワード、目配せし別方向に立ち去る。
   キアランとカーター氏、訳知り顔で見送る。
   キアランとカーター氏、会話を再開。

キアラン「驚きですね。ライト嬢に関して、公的記録がそこまで錯綜していたとは」
カーター氏「御意。依然、父親不明ですし、母親の不可解な行動がございます。社会的立場において多少の難点はございますが……」
キアラン「特に問題は無いように見えます」
カーター氏「レディ・オリヴィアの教育の賜物でございますね。ですが、そのように娘を育て上げたのはアイリス・ライト夫人です。総じて素晴らしい母親だったのでしょう。 それにしても、舞踏会の方で、リドゲート卿が若いライト嬢と既にお会いだとは思いませんでした」
キアラン「まさか彼女が、今回の案件の当事者とは……確かな後見人は居るのですか? 彼女は20歳未満では?」
カーター氏「……(微笑んで頷く)、彼女は小柄ですし、あの大きな目じゃ、17歳か18歳にしか見えないですね。 ライト嬢は今年25歳です。つまり、若様とは二つ違いですね……遺言書の内容を一人で遂行できる資格をお持ちです。彼女は、見かけの割にしっかりしたお嬢さんですよ」
キアラン「――そうですか」

   キアラン、無表情で沈黙。
   エドワードの行き先(舞踏会場の方向)の辺りを眺める。

○レイバントン豪邸(舞踏会場)の大広間(夜)

   アシュコート舞踏会、第三夜。最終日。
   多くの紳士淑女がダンス中。
   エドワード、軽薄なプレイボーイ風。次々にダンス相手の女性を交換。
   マダム・リリス、エドワードを誘惑。
   エドワード、ホイホイと誘惑に乗り、マダム・リリスとダンス。

マダム・リリス「ダンスの後で、あたしと抜け出しませんこと?」
エドワード「女神さまのためなら、火の中、水の中(頭の空っぽな笑い)」

○レイバントンの町、マダム・リリスの私邸(深夜)

   私邸のゲート前に、次々に馬車が止まる。
   とりどりの美青年たちが下車。
   既に相当のアルコールをきこしめている状態で、私邸に入る。
   エドワードも、酔ったふりをして、その群れに加わる。

○マダム・リリスの私邸、寝室(深夜)

   贅沢を凝らした大きなベッド。
   マダム・リリスの逆ハーレムの快楽の園。
   頭が空っぽな美青年たち、マダム・リリスを囲み、称賛。
   強い酒が次々に消費され、酒池肉林の乱痴気騒ぎになる。

   エドワード、酔いつぶれてるふり。
   マダム・リリスをコッソリと観察。
   素知らぬ顔で、酩酊ドラッグや自白剤を手元に忍ばせる。
   マダム・リリスの酒グラスの中に素早く薬物を盛る。
   出来上がっていたマダム・リリス、次々に杯を飲み干す。

頭の空っぽなツバメ1「女王さま、私を好きにして……」
頭の空っぽなツバメ2「私を天国に連れてって」
マダム・リリス「イイ子で待ってなさい」

   マダム・リリス、特注キセルに、極上アヘンを仕込む。
   フーッとアヘン煙を吐き出す。
   美青年たち、深酔い。アヘンの煙で更にウットリとなる。

マダム・リリス「どーお? もっと欲しくなったでしょ」
頭の空っぽなツバメ1「もっと……(口の端からよだれ)」
マダム・リリス「たーくさん、あるわよ、ホーッホホホ(嘲笑)」
頭の空っぽなツバメ2「女神様……」

   マダム・リリス、特大の胸をふるわせてアピール。
   頭の空っぽなツバメたち、胸の大きさをウットリと鑑賞。
   アヘン煙草を一気に吸い込み。

   酒池肉林が更に進行し、皆で管を巻き始める。
   エドワード、慎重にマダム・リリスに接近。

エドワード「バラバラ死体の人、誰?」
マダム・リリス「あはん……(自白剤などの作用で、ほとんど朦朧)あの、色気も皆無なビスクドール、何回も裁判、うざいわねぇ、そろそろ、どっかで、バラバラ死体にしとこうかしらぁ、ねぇ?」
エドワード「……裁判?」
マダム・リリス「墓場から復活した、何処かのゾンビの娘、血統違いで、余計恨みも重なるってよぅ?」
エドワード「血統違いって?」
マダム・リリス「ユージーン、この間、ネズミの血統をプレゼントしてたわよぅ、いぃ気味〜(話の受け答えが混乱しているけど酔っぱらっていて気付いていない)」
エドワード「それ、ズタズタになったネズミの死体の事か?」
マダム・リリス「ユージーンったら、紋章付きの小箱に綺麗に詰めて、緑のシルクのリボンを丁寧に付けてたわよ、オホホ、オホホ〜ぐぅ〜(寝息)」
エドワード「……」

○レイバントンの町、次席判事(ジャスパー判事、54)事務所ゲート前(深夜)

   ヒューゴ(25)、ゲート前でソワソワ、人待ち顔。
   エドワード(27)、シッカリとした足取りで現れる。
   ヒューゴ、仰天しつつ、エドワードに駆け寄り、

ヒューゴ「せせせ、先輩! マダム・リリスの魔の巣窟に、ホントに突撃したんですか! 生きてます? 頭とか、正気とか……!?」
エドワード「死にそうな空気ではあったな。湯は使えるか? 何か染みついているし、着替えたい」
ヒューゴ「勿論ですよ、先輩! こっちへ」

○次席判事(ジャスパー判事、54)事務所、執務室(深夜)

   ジャスパー判事(54)、唖然。エドワードをマジマジと眺める。
   エドワード、身体を清め、着替えて、サッパリした顔。隣にヒューゴ。

ジャスパー判事(54)「首都の疑獄事件の時以来だが、相変わらず……相変わらずの腕前だな、エドワード卿」
エドワード「その折はお世話になりました、ジャスパー判事。この事件の担当をされているとは存じませんでした」

   エドワード、一礼。公爵家出身ならではの完璧な所作。

エドワード「早速ですが、リリスが喋った内容の件です。 アンジェラ嬢に送り付けられたネズミの死体と言うのは、ロックウェル公爵家の紋章付きの小箱に詰められていたのですか? 緑色のシルクのリボンもかけて?」
ジャスパー判事「……(愕然)、事実、その通りだ。マダム・リリスがネズミの死体を詰めたとか?」
エドワード「いえ、実際に箱詰めして送り付けたのは、ロックウェル公爵の方だと」

   ジャスパー判事、ガックリと肩を落とす。

ジャスパー判事「懸案事項だった『ネズミの死体の箱詰め事件』の真相は判明したが、このような形になるとは。アシュコート伯爵がおっしゃるには、 25年前までのロックウェル公爵、普通に人当たりの良い人物だったそうだ。新婚だったから、各地の社交界にも、公爵夫人と共によく顔を出しておられたと」
エドワード「ロックウェル公爵夫人は、今は亡くなられたとか」
ジャスパー判事「ロックウェル公爵夫人セーラ・スミス・クレイボーン。25年前の馬車事故で即死だったそうだ。 夫妻揃っての、お忍びの外出だったゆえ、ご遺体の損壊状況とも相まって本人確認が困難だったとか。 レディ・アンジェラ、いや、アンジェラ嬢は当時、生まれたばかりだった。今、アンジェラ嬢は、亡き母堂の名誉のために親子認知の裁判を起こしている。 アンジェラ嬢の出生証明書には役所の遅延ミスによる誤記があって、修正された文書への、ロックウェル公爵直筆の署名を取ろうとしている。 愛人の数は増える一方だし、59番目の愛人マダム・リリスに至っては、我こそ真のロックウェル公爵夫人、セーラ・スミスは過去の愛人のひとりに過ぎなかった、と吹聴している有様でな」

   ジャスパー判事、憤然とした顔になり、首を振る。
   少しの間、沈黙。

ヒューゴ「先輩、ロックウェル公爵は、その馬車事故で容貌をひどく損ない、大怪我をしたために全身の体格も歪んでしまってるそうなんです。 それで、仮面で顔を覆い、マントで全身を覆い隠して、城に引きこもって生活しているそうです。 あのバラバラ死体の事件でも、マダム・リリスから情報提供してもらう他に手段が無いんですけど。 彼女、やたらと用心深くて、ギャングの用心棒を付けてるし、頭の空っぽなツバメしか傍に近付けないし、大量のアヘンで煙幕を張ってるし。 何人か忍びを送ってはいたんですけど、薬物中毒の死体になって帰って来るという状況で……」

   エドワード、あごに手を当てて思案ポーズになる。

エドワード「……奇妙な点がありますね、ジャスパー判事。ロックウェル公爵は59回、愛人を取り換えた事になりますが、子供は、アンジェラ嬢のみ……」
ジャスパー判事「理由は分からない。アンジェラ嬢は、そこに望みをかけていると言っていた。私としては、父親としての良心を信じたいところだが。私にも娘が居るからな」

   エドワード、謹聴。
   ふと、胸ポケット内の書状に気付く。
   書状を取り出し、ヒューゴに手渡す。

エドワード「失念してた。マダム・リリスから招待状をもらったんだが……」
ヒューゴ「……(文書を開き、目を見張る)! 早速、夜の私的パーティの招待状をもらうなんて、よっぽど頭の軽いイケメンに見えるんですね、先輩!」

   ジャスパー判事、目をパチクリさせる。

■第二章-02話:旅立ちの朝、謎へ続く道

《人物表》

・ルシール・ライト(25、女主人公)…濃茶色の髪、一見して茶色の目。
・アンジェラ・スミス(25、ダブル女主人公)…金髪緑眼の絶世の美女。
・キアラン・ダグラス(27、男主人公)公称「リドゲート卿」。
・エドワード・シンクレア(27)…キアランの親友。
・弁護士カーター氏(57)…クロフォード伯爵家の顧問弁護士。
・クロフォードの馬車の御者、従者…若手、各1名。

○ゴールドベリ邸、庭園の入口(早朝)

   クロフォード伯爵家の紋章入りの馬車、大木の間の駐車場に停車している。
   御者と従者、ルシールの荷物を馬車に積み込んでいる。

   アンジェラとルシール、ギュッと抱き合う。

アンジェラ「向こうに着いたらお手紙を書いてね、ルシール! タイター何某の有象無象なんか、粉みじんにしてやっつけちゃえ!」

○森の中の小道(早朝)

   クロフォード伯爵家の紋章入りの馬車、走り出す。
   下げられた窓からルシールが顔を出している。
   アンジェラに向かって手を振っている。

   アンジェラ、遠くなる馬車に向かって手を振り返す。
   エドワード、アンジェラの隣に付き添っている。
   やがて、馬車、森の木立の中に見えなくなる。

アンジェラ「ルシールは動転すると真っ白になる性質だから、色々心配……」
エドワード「大丈夫ですよ。キアラン=リドゲートは、有能な男です」

   アンジェラ、森の中の朝の小道をそわそわと歩き回る。

エドワード「寂しいですか?」
アンジェラ「ええ……、ルシールと私は、生まれた時以来、ずっと一緒にいましたから。クロフォード伯爵領では、ルシールは事件に巻き込まれそうな気がするけれど、大丈夫かしら?」
エドワード「それは、あなたの不思議な勘ですか? ゴールドベリの……」
アンジェラ「それとは違うけど、ハズレはありません。ただ、自分の事は見えなかったりするので。父の領地では、色々と緊張しますね」

   アンジェラ、急に立ち止まる。
   アンジェラ、キッとした顔で、エドワードをサッと振り返る。

アンジェラ「あなた、何か文書を持っているのでは?」
エドワード「分かりますか?(イタズラっぽい笑み)」
アンジェラ「一体全体……何をもったいぶって……見せて下さい!」

   アンジェラ、エドワードに猛然と飛びかかる。
   エドワードの乗馬服のポケットを次々に探り始める。
   ほどなくして、胸内側のポケットから書状が出て来る。

エドワード「ジャスパー判事から、あなた宛の書状を預かっただけです」
アンジェラ「……!? ジャスパー判事と、もうお知り合いなんですか!?」
エドワード「驚きの再会でしたよ。首都で多少の知遇を得てはおりましたが」
アンジェラ「……(眉をキッと逆立て)、何か、企んでいらっしゃる? エドワード卿……」

   エドワード、目をパチクリさせる。
   笑みを引っ込め、真面目な顔になる。

エドワード「昨夜は、舞踏会の最終の夜でした。例の有閑マダムと、ダンスをしたんですよ」
アンジェラ「……(息を呑む)」
エドワード「彼女の名前は、マダム・リリス。あなたの父上・ロックウェル公爵の59番目の愛人。本人いわく、真のロックウェル公爵夫人」
アンジェラ「お勧めじゃ無いって言ったのに……どうして?」
エドワード「物心ついた時分には――あなたの父上は既に、ひっきりなしに愛人を取り替えていたと言う状況だったのですね」

   アンジェラ、エドワードを睨む。

アンジェラ「私の質問に答えて無いわ」

   エドワード、真面目な目で、じっとアンジェラを見つめる。
   エドワードの真面目な目線、少し和らぐ。

エドワード「――理由? それは実に単純ですよ。私は、アンジェラ嬢をもっと詳しく知りたいだけですから」
アンジェラ「……(パッと赤面)、バラバラ死体になっても知らないから……! バカ!」

   アンジェラ、コブシを振り回す。
   エドワード、器用によけて、傍に来ていた馬の手綱を取る。
   エドワード、次の瞬間には既に馬に乗っている状態。

エドワード「では、また明日会いましょう」
アンジェラ「もう会う事は無いわよッ!」

   エドワード、アンジェラに手を振り、乗馬で軽快に走り去る。
   アンジェラ、コブシを振り回し、ピョンピョン飛び跳ねる。

○レイバントンの町、交差点(朝)

   空は半曇り。
   交差点では、多数の乗り合い馬車が行き交っている。
   朝の市場が開いたり等、仕事始めの時間帯。

○クロフォードの馬車の中(朝)

   前部座席側、キアランとカーター氏。後部座席側、ルシール。
   ルシール、馬車の中の一流品・最新設備の調度に感心しきり。
   ルシール、馬車窓の光景を見て、

ルシール「この馬車、とても速いんですね。アシュコート伯爵領の、あと二つの町と村を通過したら、峠の道に入りますわ」
カーター氏「順調に行けば、日が暮れる少し前には、クロフォード伯爵邸に到着できるでしょう」
ルシール「……(目をパチクリ)随分と快速なんですね」
カーター氏「新しい技術がありますから。マティ様の試み……いえ、トッド夫妻の提供でして」
ルシール「マティ様……トッド夫妻?」
カーター氏「……後ほど、クロフォード伯爵邸でお会いできるでしょう(楽し気な苦笑)」

   ルシール、カーター氏の微妙な様子にちょっと首を傾げる。
   ルシール、キアランを、そっと注目する。
   キアラン、顔を伏せて、ムッツリと考え事をしている状態。
   カーター氏、ふと気づいた様子で、

カーター氏「そう言えば、ダレット一家には、お声掛けは?」
キアラン「彼らは今アシュコート社交界を満喫しているところですし、その楽しみを邪魔するのも無粋な事かと」

   キアラン、相変わらずムッツリとした顔。視線は鋭い。    ルシール、眉を寄せ、不安そうな顔になる。

○峠を登る国道の途中(昼)

   クロフォードの馬車、坂道を登り始める。
   空の雲、出発時に比べて多くなっている。

○クロフォードの馬車の中(昼)

   ルシール、改めて、キアランをコッソリと窺う。
   キアラン、無表情のまま。

御者(馬車の連絡窓から)「正午の頃には、峠の頂上に到着しますよ」
カーター氏「(チラと馬車窓の外を眺め)……、午後は、まとまった雨が来そうですね」

   ルシール、馬車窓から空を見上げて、相槌。
   峠道の中ほど。周囲は木立が多い。

X X X

(ルシールの回想)

○レイバントンの豪邸(舞踏会場)、スタッフ用の控え室の前(夜)

   ルシール、高い場所に吊るされている外套に手を伸ばす。
   背後から延びて来た手が、外套を外し、ルシールに手渡して来る。
   ルシール、背後を振り返る。
   金髪碧眼の美青年レナード・ダレット(27)の姿。

レナード「……(謎めかした笑み)、先程の黒髪の紳士と、お知り合い?」
ルシール「リドゲート卿の事ですね? 今夜が初めてですが」
レナード「黒髪の彼、実に無愛想で冷淡だったでしょう?(困ったような笑み)」
ルシール「……(首を傾げ)、口数は多くない方のようですね」
レナード「彼には、くれぐれもご用心を。実に冷酷な男ですから、女性に対して……身の程知らずの野心もあってね、彼の縁結びは止めておいた方が良いでしょう……」

(回想終わり)

X X X

   ルシール、用心深く、前部座席のキアランを窺う。
   キアラン、カーター氏から文書の束を受け取り、目を通している。
   キアラン、無表情で署名し、カーター氏に文書の束を返す。
   カーター氏、訳知り顔で一礼し、カバンに文書の束を収める。

   ルシール、こてんと首を傾げた状態。
   キアランとカーター氏の仕事の様子を眺める。

   キアラン、不意にルシールに視線を向ける。
   キアランとルシールの視線、かち合う。

   撫で斬りにするかのような、漆黒の刃さながらの鋭利な眼差し。
   ルシール、びくりと肩を震わせる。一気に青ざめ、口元が引きつる。
   キアラン、ルシールをジロジロと眺め続ける。

キアラン「あなたは、旅行慣れしていないようですが……遠出した事は余り無い?」
ルシール「……え、あ、その(しどろもどろ)。……昔からずっとレディ・オリヴィアの付き人でしたし……レディ・オリヴィアは脚がお悪くて、余り外出されていなかったので……」
キアラン「旅行した事は一回も無いという事ですか?」
ルシール「う、運河を下って……、海を見た事は、ございます」

   ルシール、うつむき、膝の上に置いた手を集中して見つめる。
   キアラン、沈黙を続ける。
   やがて、ルシール、呼吸を取り戻し、ボソボソと、

ルシール「五年前の冬になりますが……、運河を下った先の港に文書を届ける用事があって、そのついでに。 母と、海辺を歩きまして……その時の海風があまり良くなかったみたいで、その後、母は急に体調を崩しました」
カーター氏「五年前ですか? 確か、ライト夫人は、風邪をこじらせたとか」
ルシール「昔の馬車事故で受けた傷が原因で、肺が弱っていたようです。肺炎が急に進行して……回復が間に合いませんでした」
カーター氏「そう言う訳でございましたか。辛いことを思い出させてしまいましたね」
ルシール「いえ、お気遣いなく……」
カーター氏「先日、ライト嬢は、ゴールドベリ邸の庭園に居ましたが……あの庭園は、ライト嬢が管理を?」

   ルシール、気を取り直し、面を上げて微笑む。

ルシール「ええ。昔は、母が管理を。母は庭園管理が上手だったのです。今は私とアンジェラとで管理しています。 庭園の管理方法は母に教わりまして。ローズ・パーク邸の庭園は未知ですが、管理は上手くやれると思うんです」
カーター氏「成る程……」

   カーター氏、資料に目を通した後、ルシールに微笑みを返す。

カーター氏「アントン氏の庭園管理の技術は、娘へ、孫娘へと引き継がれていた訳ですね。ローズ・パーク邸の庭園オーナーとして望ましい条件ですし、クロフォード伯爵にも良い報告ができそうです」

   キアラン、先程と変わらぬ無表情でルシールを注目している。
   ルシール、キアランの鋭い視線に気づき、引きつった笑み。

■第二章-03話:クロフォード伯爵邸の夕べ

《人物表》

・ルシール・ライト(25、女主人公)…濃茶色の髪、一見して茶色の目。
・キアラン・ダグラス(27、男主人公)公称「リドゲート卿」。
・弁護士カーター氏(57)…クロフォード伯爵家の顧問弁護士。
・クロフォード伯爵リチャード・ダグラス(53)
・ベル夫人(62)…クロフォード伯爵邸の家政婦長。
・マティ・トッド(9)…イタズラ少年。
・執事(60)…クロフォード伯爵邸の使用人。
・クロフォードの馬車の御者、従者…若手、各1名。
・召使…3名ほど、クロフォード伯爵邸の使用人。
・メイド…1名、クロフォード伯爵邸の使用人。

○峠の頂上(昼)

   クロフォードの馬車、頂上の駐車場に停車。
   分厚い雲の下、木立が多い。五棟ほどの休憩処。
   馬車馬、水場で水を飲み、エサを食んでいる。

   ルシール、展望ポイントに立つ。
   クロフォード伯爵領の丘陵地帯をのぞむ。

○峠下りの道(昼)

   馬車、下り坂をノンストップで走り続ける。
   クロフォード伯爵領の緑の丘陵地帯が広がり始める。
   オーク林が点在。一部は並木道。
   平均的な町と村を二つほど、通り過ぎる。

○クロフォード伯爵領の丘陵地帯(夕)

   目に見えて馬車のスピードが徐々に落ちて来る。
   程なくして、雨がぱらつき始める。
   カーター氏、馬車窓から空模様を確認。
   急速に暗さを増した空と、雨雲の群れ。

カーター氏「雲行きが怪しいですね、リドゲート卿」
キアラン「本格的な雨になるとまずい……次の駅で、馬を替えて急がせましょう」

○クロフォード伯爵領、国道の宿駅を兼ねる村(夕)

   御者と従者、馬車馬を交換。
   馬車、再び速度を上げて走り出す。

○馬車の中(夕)

   ルシール、馬車の窓の外に広がる光景を眺め続ける。
   馬車の窓に、雨粒が斜めに流れ始める。
   馬車、緩やかな坂道を駆け登って行く。

   小高い丘の上の豪邸が見えて来る。

御者(馬車の連絡窓から)「クロフォード伯爵邸に到着しました」

   ルシール、呆然とする。

○クロフォード伯爵邸、前庭ロータリー(夕)

   本降りの雨。
   馬車、前庭ロータリーを回る。
   館の正面玄関の扉の前に横付けされる。
   執事と三人の召使、扉の前で待機中。

○クロフォード伯爵邸、玄関の物陰(夕)

   少年マティ(9)、潜んでいる。子犬を抱っこしている。
   目をキラキラとさせながら、玄関の前、馬車を観察。

   キアランとカーター氏が最初に下車。
   馬車の従者、召使の一人と合図し、踏み台を二段、配置。
   ルシール、カーター氏の手を借りて下車。
   ルシール、玄関で濡れた外套を脱ぐ。黒い簡素なドレス姿。

マティ(9)「アラシアじゃ無い。誰だ!?」
子犬「クゥン?」
マティ「静かに、パピィ。あとで調べないとな! おっと、じいじなら、何か聞いてるかな!?」

   マティ、忙しそうな様子。
   子犬を抱っこしつつ、物陰から走り去る。

○クロフォード伯爵邸、玄関広間[エントランスホール](夕)

   ルシール、玄関広間に配置されている長椅子で待機中。
   召使たち三人ほど、ルシールの荷物を運び込んでいる。
   ルシール、玄関広間を眺めて、目を大きく見開いたままの状態。
   騎士時代の紋章旗、アンティークのタペストリー、甲冑、武具など。
   クロフォード伯爵家の歴史が感じられる眺め。

ルシール:心の声(何だか、すごいところに来てしまったわ……)

   ベル夫人(62)とメイド、到着。
   ベル夫人、威厳のある態度で、ルシールに一礼。

ベル夫人(62)「予定より早いお着きでしたね。雨脚が速くて――嵐になる前で、ようございました」
ルシール「お世話になります。ルシール・ライトと申します」
ベル夫人「事情はお聞きしております、ライト嬢。私はベル夫人と申します。こちらへどうぞ」

○クロフォード伯爵邸、ルシールの部屋(夕)

   ルシール一人。運び込まれた荷物を整理。
   一区切りつき、バルコニー付き大窓にそっと近付く。
   相応の雨避けがあり、大窓もバルコニーも雨に濡れていない。

   ルシール、ちょっと窓面に触れ、ブルッと震える。
   手を引っ込め、手をこすり合わせる。

   ルシール、荷物を再度かき回す。
   レディ・オリヴィアから贈られたショールを取り出す。
   ショールを羽織り、ルシール、ホッと息をつく。
   寒さで青白くなっていた頬にも、少し血色が戻る。

○クロフォード伯爵邸、最上階、伯爵の私的な応接間・居間(夕)

   執事(60)とルシール、扉の前に到着。
   執事、扉をノック。

執事(60)「閣下。ルシール・ライト嬢が参上いたしました」
クロフォード伯爵(53)(扉の中から声)「……入りたまえ」

   執事、扉を開けてルシールを促す。
   ルシール、ショールの端をギュッとつかみ、緊張の面持ちで入室。
   執事、扉の前で、直立不動で待機。
   暖炉の傍の上等なソファに、クロフォード伯爵(人影)。

ルシール「お初にお目にかかります、クロフォード伯爵様(淑女の礼)。館へのお招きにあずかり、心より感謝いたします」
クロフォード伯爵「……(無言)」
ルシール「……?(淑女の礼のポーズのまま、固まる)」

   沈黙が流れる。

クロフォード伯爵(53)「……失礼した。面を上げたまえ。あなたは25歳だと聞いていたが、そんなに小柄だとは思わなかったんだ」
ルシール「はあ。確かに、平均よりは背は低いですが……(おずおずと面を上げる)」
クロフォード伯爵「今夜は冷える。もっと暖炉に寄りなさい」
ルシール「有難うございます」

   ルシール、暖炉に近付き、目を見張る。
   クロフォード伯爵は、クラヴァット付きのキチンとした服装。
   大判のひざ掛け。脚が悪い様子である、という雰囲気。

ルシール:心の声(リドゲート卿とは、全く似てないわ……!)
クロフォード伯爵「そこに掛けたまえ」

   ルシール、一礼し、近くのソファに上品に着座。
   クロフォード伯爵、ルシールの立ち居振る舞いをしげしげと眺めている。
   暖炉の炎に照らされている、ルシールの顔立ちに注目。

クロフォード伯爵「実に驚きだ……あなたは、アイリスにそっくりだね」
ルシール「私の母が、そんなに有名人だったとは存じておりませんでしたわ(小首をかしげる)」
クロフォード伯爵「ああ……いや、アントン氏がローズ・パークのオーナーの一人だっただろう。オーナー協会の付き合いでね。 勿論、私はあなたの母親を知っている。テンプルトン辺りでは、多くの紳士に人気があったと聞いているよ」
ルシール「テンプルトン?」
クロフォード伯爵「カーター氏から聞かなかったか? ローズ・パークはテンプルトンに位置するんだ」
ルシール「そうだったのですか……ちょっと遠いのですか?」

   ルシール、緊張の面持ち。
   クロフォード伯爵、イタズラっぽく微笑む。

クロフォード伯爵「馬車で大体、二時間だね」
ルシール「……(驚いて目を見張る)」
クロフォード伯爵「ああ、そうだ、馬車と言えば……母親は馬車事故に遭ったとか……」
ルシール「冬の二月で、私が生まれる前になります。崖道でのスリップ事故だったと聞いております」
クロフォード伯爵「ふーむ……、何だか良く分からない部分がある……あなたの父親は、その時は何処に居たんだろう?」
ルシール「その辺りは聞いた事はございませんでしたので。『何処かの紳士』と言う事の他は、全く存じません。でも、母が父と正式な結婚をしていたのは確かでございますわ」

   ルシール、そっと目を伏せる。

ルシール「急に相続の話を頂くとは思いませんでしたので……、亡くなる前に聞いておくべきでした」
クロフォード伯爵「……急な話で色々と大変だっただろう。あなたの訪問は、常に歓迎するよ……我が家と思って、是非くつろいでくれたまえ」
ルシール「ご親切に……有難うございます、伯爵様(一礼)」

X X X

○同・クロフォード伯爵邸、最上階、伯爵の私的な応接間・居間(夜)

   クロフォード伯爵、カーター氏の報告書に目を通している。
   ふと目を上げて、暖炉の傍、ルシールのソファを眺める。

クロフォード伯爵「まさか、あれ程、アイリスに生き写しとは……(溜息)」

   窓の外では、嵐が収まり、雨が小降りになって来ている。

■第二章-04話:小さな闖入者たち〜少年と子犬

《人物表》

・ルシール・ライト(25、女主人公)…濃茶色の髪、一見して茶色の目。
・マティ・トッド(9)…イタズラ少年。
・子犬…名前は「パピィ」。
・メイド…1名。クロフォード伯爵邸の使用人。

○クロフォード伯爵邸、ルシールの部屋(早朝)

   ルシール、ベッドの中で身じろぎ。
   早朝の陽光がカーテンの隙間から差し込んで来る。
   ルシール、目をパッと開けて、大窓の方を見る。

ルシール「嵐一過……!」

   ルシール、白い寝間着に薄紫ショールをまとい、大窓を開く。
   一瞬、バルコニーに動く人影。
   ポカンとするルシール。

○ルシールの部屋、バルコニー(早朝)

マティ(9)「うわーッ!(驚きの余り、バルコニーの端へ転げる)」
ルシール(25)「だ、誰?」
マティ「ご……ッ、ごめんよ! まさか、この部屋だったなんて! すぐ出てくから、誰も呼ばないで!」

   ルシール、視野を塞いでいた前髪を上げる。
   髪の下から現れたルシールの目、アメジスト色。
   (陽光が差しているため)

   マティ、急にポカンとし、ルシールの顔を熱心に眺め出す。
   マティの腕の中で、モフモフの毛玉(子犬)がピョコンと動く。
   ルシール、パッと目を見開き、傍にしゃがむ。

ルシール「あら、可愛い」

   ルシール、そっと手を伸ばす。
   子犬、ポンと前足を乗せて来る。

ルシール「まだ子犬でしょ?」
マティ「う、うん……昨夜は雨嵐だったんで、此処に移動してたんだ」

   マティ、瞬きし、キョロキョロする。

マティ「この部屋、空き室の筈だけど」
ルシール「昨夜から此処に泊めて頂いてるの」
マティ「(目をパチクリしてルシールの方を向き)……って事は、昨日、馬車から降りて来た人? 空を飛んで来たんじゃ無くて……」
ルシール「私はお化けじゃ無いわ……あなた一体、誰?」
マティ「マティってんだ。じいじと一緒に来てる」

   マティ、熱心にルシールを眺める(アメジストの目に注目)。
   ルシール、こてんと首を傾げる。
   立ち上がって、バルコニーの周りを見回す。

ルシール「何処からどうやって来たの? 二階の筈……なんだけど? マティの方こそが、空を飛んで来たとか?」

   マティ、バルコニーの近く、地上に並ぶ屋根の群れを指差す。
   見上げるような見事な大木が、間に生えている。

マティ「下に屋根が見えるだろ、車庫とか……こっち側に大きな木でさ」

   ルシール、屋根の間から生えている大木の幹を視線で辿る。
   大きな枝が、都合よくバルコニーまで延びている。
   ツル植物に偽装したロープが大枝に巻きついている。
   そのロープ細工は、ルシールの部屋のバルコニーまで到達している。

ルシール「(口アングリ)、……大人には思い付かないルートね!」

   マティ、困惑顔で子犬を抱き締める。

マティ「どうしよう、バレたらすげえ困る。雨風よける秘密の場所なんて、他に無いんだよ」
ルシール「……(ぷっ)、此処で良いわよ」
マティ「ホント!?」

   ルシール、ニッコリと微笑んで見せ、子犬の頭を撫でる。
   子犬は上機嫌で、尻尾をモフモフと振っている。

ルシール「誰にも絶対見つからないようにしてね。嵐の最中は別にしても、お掃除の人とか来るでしょ?」
マティ「それは大丈夫だよ! 此処にパピィを連れて来るのは、昨日のような時だけだから!」
ルシール「パピィって言うの? よろしくね」
子犬パピィ「ワンッ♪」

   マティ、急いでいる様子。
   子犬を抱えたまま身軽にバルコニーをよじ登る。
   大枝に続くロープに取り付く。

マティ「ほんじゃ、急いで抜け出すからね!」
ルシール「落ちないようにね!」

   マティ、スルスルとロープを伝っていく。
   器用に大枝に飛び移る。
   幹につかまり体勢を安定させ、ルシールの方を振り返る。

マティ「オイラ、さっきはビックリしたよ! 紫色の目なんて初めて見たから。じゃあ、また来るね、レディ・アメジスト!」

   ルシール、ポカンとする。

   マティ、大樹をスルスルと降りて行く。
   地上に無事に到達。
   車庫の間の細道を駆け抜け、庭園の緑陰の中に消えて行く。
   ルシール、その小さな姿が見えなくなるまで見送る。

ルシール「……変わった子ねえ。こんな早朝から……着てる物も、従者とかのお仕着せじゃないし。おじい様と一緒に来てる? クロフォード伯爵家の親族のご子息ってところかしら……」

○ルシールの部屋(朝)

   ルシール、いつもの黒い簡素なドレスに着替え、部屋の中で朝食。
   (朝食は、メイドによって部屋へ配達されたもの)
   時々、バルコニーにそっと目を向け、ぷっと吹き出し笑い。

   一旦、立ち去っていたメイドが、朝食を片付けにやって来る。

メイド「朝食はお済みですか? 大広間で、リドゲート卿やカーター氏がお待ちでございます」
ルシール「……!(ハッとする)」

   ルシール、手早く身の回りを確認。

ルシール:心の声(すっかり、失念してたわ!)

■第二章-05話:大広間にて

《人物表》

・ルシール・ライト(25、女主人公)…濃茶色の髪、一見して茶色の目。
・キアラン・ダグラス(27、男主人公)公称「リドゲート卿」。
・弁護士カーター氏(57)…クロフォード伯爵家の顧問弁護士。
・マティ・トッド(9)…イタズラ少年。
・プライス判事(54)…クロフォード伯爵領の首席判事。
・執事(60)

○クロフォード伯爵邸、大広間(朝)

   ルシール、大扉を開けた執事(60)に促され、大広間に入る。

執事(60)「ルシール・ライト嬢、おいででございます」
キアラン「ああ、ご苦労」

   執事、扉を閉じて退場。
   ルシール、大広間の広さ・壮麗さを見て、思わずクラッとする。
   大広間の中央辺り、ソファ&テーブルのセット。
   キアラン、カーター氏、プライス判事がくつろいでいる。

   カーター氏、礼儀正しく立ち上がる。
   ルシールをエスコートするための手を差し出しつつ、

カーター氏「お早うございます、ライト嬢。昨日の長旅では、思いのほか疲れていたようですね」
ルシール「ご心配おかけいたしました……(一礼)」

   ルシール、カーター氏のエスコートを受け入れる。
   カーター氏、ルシールをソファ席へ、エスコート。
   キアランとプライス判事、カーター氏とほぼ同時に立ち上がっている。

ルシール:心の声(まさか、マティと子犬のパピィの事で、うっかり失念していたとは言えないわ……)

   ソファ席の近くにて、

キアラン「こちらとは初対面ですね。プライス判事です。 今回の案件の係争相手、タイター・ビリントン氏はトラブルの多い人物だと言う話がありますから……問題発生の時は、プライス判事に相談すると良い」
ルシール「お世話になります。プライス様」
プライス判事(54)「初めまして、ライト嬢。噂以上に可愛らしい方ですな」

   プライス判事、大振りな所作で一礼。
   ルシールの小さな手を取り、敬意を込めて口付け。

ルシール「噂……って、どんな内容ですの?」
プライス判事「なに! 如何にお嬢さんが可愛らしいかと言う事を、キアラン君がそれは熱心に説明しまして」

   ルシール、戸惑いながらも、曖昧な引きつった笑みを浮かべる。

X X X

○クロフォード伯爵邸、大広間(朝)

   改めて、全員でソファに座る。
   ルシール、カーター氏、キアラン、プライス判事の四名。

キアラン「父は目下、脚の件で医師から安静状態を指示されているので、この案件では、私が父の代理を務めます」
ルシール「はあ……」
キアラン「昨夜は寝付かれなかったですか? 部屋が合わないようなら、今日にも差し替えますが」
ルシール「い……いえ! お蔭様で! お部屋はとても気に入りました!」

   カーター氏、文書の束を整理。
   ルシールの方を振り返り、

カーター氏「弁護士事務所からの連絡で……やはりタイター氏は、こちらに出向きたくないと言っています」
ルシール「私の親戚の?」
カーター氏「ええ。相続に関する談判が必要で――ライト嬢の身辺安全を考え、タイター氏に此処に出向するように要請していたのですが」

   カーター氏、書状をルシールに手渡す。
   ルシール、文面を確認しつつ、

ルシール「そんなに危険な人物なんですか?」
プライス判事「リスク回避です。タイター氏には、ギャング繋がりの噂がありまして。ライト嬢は、難しい親戚をお持ちですな(苦笑)」

   ルシール、文面を見つめる。
   きたない筆跡で、読みにくい。
   ほとんど意味不明の俗語っぽいものが一面に並んでいる。
   何とか解読可能な文章を見つける。

ルシール「……この尊大なる、ワシ、幽霊女と話し合う、趣味は、無い……?」
カーター氏「(苦笑)……、ライト嬢は、最近まで『生死不明』でしたから」

   ルシール、いっそう眉根を寄せ、真剣な表情になる。

ルシール「私から一筆書いた方が、効果ありそうですね」

X X X

○同・クロフォード伯爵邸、大広間(朝)

   ルシール、筆記作業しやすい円卓の方に移動。
   カーター氏の助言を受けつつ、文書作成を始める。
   プライス判事とキアラン、その様子を眺める。

プライス判事「色々と驚きだ……彼女は、レディと言っても通るぞ」
キアラン「雇い主が貴婦人で、レディとしての教育はその人が授けたそうです」

   いきなり、大広間の扉が開く。
   マティ少年(9)、飛び込んで来る。
   キアランとプライス判事、気付く。

プライス判事「おや、坊主のお出ましか」
マティ「ねえ、キアラン! 東の端の部屋に新しく来た人が居る筈だよね!? 探しても居ないんだけど――」

   ルシール、目をパチクリさせ、マティを振り向く。
   マティ、ルシールを発見し、目を見張る。

マティ「居た……! レディ・アメジスト!」
キアラン「レディ・アメジスト?」
プライス判事「とっくに知り合いとは、マティもやるね!」
マティ「身柄確保!」

   マティ、ルシールに向かって一直線に駆け寄る。

プライス判事「おい、こら、マティ!」

   プライス判事、サッとマティをつかみ上げる。
   プライス判事に吊るされ、マティ、足の回転を止める。

ルシール「今、お手紙を書き終えたところですから……」
カーター氏「おや、子供はお好きですか?」
ルシール「ええ。あの朝の時は、近所の教会で主婦を中心とする早朝バザーが開かれていて、その間、子守のボランティアを」
カーター氏「成る程……それで、あの時間ですか」

   吊るされた状態のマティ、ルシールを熱心に観察。
   ルシール、首を傾げて、マティとキアランを見つめる。
   マティ、正面からルシールの目をのぞき込み、

マティ「……目の色が茶色!?」
ルシール「マティは、この館の子供……?」
キアラン「彼はマティ・トッド、今年九歳になります。クロフォード伯爵家の親族トッド家の末子で、両親トッド夫妻の海外出張に伴い、当家で預かっています。 目下の後見は、彼の祖父です。いずれ、マティが紹介するでしょう」

   キアラン、マティと顔を見合わせる。

キアラン「――で、マティは、もう彼女の名を突き止めたか?」
マティ「残念ながら『ライト嬢』ってとこまで」
キアラン「では、私の勝ちだな。彼女はルシール・ライト嬢だ。復活祭の時の如きイタズラを控えて、本物の紳士らしく振る舞いたまえ」
マティ「アイアイサー(挙手注目の敬礼)」
プライス判事「ハハハ! 全く恐るべきイタズラだったからな! ありゃ」

   ルシール、目をパチクリさせつつ、やり取りを見つめる。

○クロフォード伯爵邸、玄関広間[エントランスホール](昼)

   カーター氏とプライス判事、キアランに一礼し、玄関広間から立ち去る。
   マティ、ルシールの傍でクルクルしながら、

マティ「ルシール、館内の探検、まだでしょ?(目をキラキラ&ノリノリ)」
ルシール「……(戸惑い気味に頷き)」

   キアラン、ルシールとマティを振り返る。

キアラン「私も父の代理で決裁する書類が溜まっています。マティは頭が良い……あなたを退屈させないでしょう」

   ルシール、目をパチクリさせ、頷く。
   マティ、上機嫌で正面階段を数段、駆けのぼり、スタンバイ。

キアラン「それから、この敷地を出る時は執事に言って下さい。護衛が付きます」
ルシール「……?(小首を傾げる)」

   マティ、正面階段の手すりの上から身を乗り出しながら、

マティ「ルシール、狙われてんの!?」
キアラン「(マティを見上げ)……、ライト嬢はタイター氏と係争中なのだ。彼の事は、マティも知ってるだろう?」
マティ「ギャング=タイター! テンプルトンじゃ、知らないヤツはねえよ!」

   ルシール、呆気に取られる。
   キアラン、ルシールに一礼し、執務室へと立ち去る。

   マティ、熱心に、正面階段の手すりに変な風に乗り上げる。

マティ「じゃーあれ、本物の果たし状!? すげーよ! 『尊大なるタイター様』なんて、変な書き出しだと思ったけど」
ルシール「どうやら私は、エラい親戚に喧嘩を売ろうとしてるみたいね……(頭を抱えて溜息)」

   マティ、階段の手すりから降りてルシールに更に接近。
   改めてルシールを熱心に観察。

マティ「……(首を傾げ)、やっぱり、茶色の目?」
ルシール「……?(目をパチクリ)」
マティ「もしかして……これを、こうじゃ」

   マティ、ルシールの顔に手をかけ、明るい方に傾ける。
   マティ、いきなり目をキラーンとさせる。

マティ「……あーッ、分かった!」
ルシール「?(目を白黒)」

   マティ、謎の納得顔。階段の上で得意そうにクルクル。

マティ「何か、すごーく勿体無いような……、オイラだけの秘密にしたいよーな……」
ルシール「? ……!?」

   マティ、絵本の名探偵の決めポーズ取る。
   気取って半身を返す。

マティ「昨日、馬車で来た時も、その黒服だったよね……白い服は着ないの? ……寝巻きだけ!?」
ルシール「白い服は無いけど……それが何か意味ある?」
マティ「大有りさ!!」

   マティ、ルシールの目を指差す。
   ルシールの目、アメジスト色に変わっている。

マティ「光が入ると目が紫色になるんだよ! 白い服なら光の量が多くなるから」
ルシール「今まで私、目の色は茶色だと思ってた……」
マティ「何で、カーテンみたいに前髪下げているんだか……陰になるから、茶色の目に見えるんだよ」

   マティ、不思議そうにしながらも、ルシールの前髪をつかむ。
   カーテンを開くかのように両脇に押しやる。
   ルシールの目、更に色合いを変え、宝石のような鮮やかさになる。
   ルシール、まぶしさに目を細める。

ルシール「ああ……、まともに光を見ると、まぶしいから……」
マティ「そうなの?」

   ルシール、光に目を慣らすため、パチパチとまばたき。
   だんだん平気になって来る。

   マティ、少し心配そうにルシールを見ている。
   やがてホッとした顔つきになる。
   マティ、ガッツポーズをして、

マティ「フッ……キアラン、オイラの勝ちだぜ!」
ルシール「一体、何を勝負してるんだか……(戸惑いの苦笑)」

   ルシール、周辺の調度を感心して眺める。
   頭上に広がる吹き抜けの高さに見入る。

ルシール「この館は素敵ね……伯爵様は、長くいらっしゃるの?」
マティ「都のお仕事以外は、こっちだって……まず画廊を案内するよ! 北側だから、前髪上げてても平気だよ」

   マティとルシール、正面階段を昇る。

■第二章-06話:忘れえぬ面影

《人物表》

・ルシール・ライト(25、女主人公)…濃茶色の髪、一見して茶色の目。
・マティ・トッド(9)…イタズラ少年。
・クレイグ牧師(72)…マティの祖父。現役引退中。

○クロフォード伯爵邸、最上階、画廊(昼)

   マティとルシール、画廊に入る。
   多数の絵画、肖像画、年代物アンティークの品々など。 

   ルシール、肖像画に描かれた人々とその名前を順番に見て行く。

ルシール:心の声(大きめの肖像画が、代々の当主の肖像画みたい。二代前がフレデリック・セルダン、一代前がベネディクト・ダグラス……この30年の間に、急に、氏名が変わってる……?)

   ルシール、不意に、一組の夫婦を描いた肖像画に注意を引かれる。
   軍服をまとった黒髪青目の紳士、キアランによく似た顔立ち。
   隣の淑女は黒い目、知的な美人。ミステリアスな印象的な笑み。
   額縁に付けられたプレート『ロイド&ホリー・グレンヴィル』。

   ルシール、しげしげと、グレンヴィル夫妻の肖像画を眺める。

マティ「ルシール、こっち来て。今の伯爵は、この人だよ……リチャード・ダグラス」

   ルシール、マティの隣に並んで肖像画を眺める。
   今のクロフォード伯爵の、若い頃の肖像画と分かる。
   深みのある青い目と涼やかな笑みが印象的。

マティ「爵位を継いだ頃に描かれたんだって。今も、老けた他は変わってないね」
ルシール「昨夜、お目にかかったわ。昔から素敵な方だったのね」
マティ「もしかして、こういうのが好みなの?(クロフォード伯爵の肖像画を指さす)」
ルシール「まあ……何となく……(ちょっと照れ笑い)」

   ルシール、上気した頬を抑えて、辺りをキョロキョロ見回す。
   壁際に並ぶ椅子の一つに、古そうな小型ハープが置かれている。
   ルシール、首を傾げ、試しに爪弾いて、

ルシール「(マティを振り返りつつ)……、弦が緩んでるけど、現役のハープよね……」
マティ「ハープが弾けるの!? すげーや! 何か弾いて!」

   ルシール、椅子に座り、即興で幾つかの有名曲のアレンジ演奏。
   マティ、すっかり感心した顔。
   演奏に一区切りつく。

マティ「プロ並みの腕前……」
ルシール「レディ・オリヴィアが師匠だったの。母の方から教わったのは庭園の魔法。祖父が庭園のプロだったと聞いてるけど」
マティ「アントンの事だよね? 年末年始に此処に親族で集まった時、見た事があるんだ。此処の館の庭園を管理していて、ものすげえ偏屈なガミガミじーさんって感じだった」

   ルシール、目をパチクリ。

マティ「あッ、でも、庭園の管理は、とても上手だったって聞いたよ。あのガミガミ・アントン、確か茶色の目をしてた。 けど、もしかしたら、ルシールみたいに紫色に変わる目をしてたかも知んない」

   マティ、少しの間、ルシールの髪の色を眺め、

マティ「若い頃は、割とイケてる顔立ちだったのかなあ?」

   画廊に、杖を突いたクレイグ牧師(72)が現れる。
   マティとルシール、一斉に振り返る。
   クレイグ牧師(72)、驚愕の表情で立ち尽くす。

マティ「あッ……じいじ!」

   クレイグ牧師、ルシールの顔に釘付け。身体が震える。
   マティ、目を見張って、祖父の異変を見つめる。

クレイグ牧師「私の目が、どうかしただろうか……あなたは……アイリス・ライト嬢その人に見えるのだが」
ルシール「アイリス・ライトは、私の母ですが……?」
クレイグ牧師「ああ、思わず失礼をして……余りにも驚いたので。アイリスさんに、生き写しだ……」
ルシール「伯爵様にも同じような事を言われましたわ。母は金髪で、私は茶髪ですが……そんなに似ているんですか?」
マティ「どういう事だよ、じいじ! オイラの知らぬ間に」

   マティ、クレイグ牧師に飛び付く。
   クレイグ牧師、困ったようにマティを見下ろす。

クレイグ牧師「慌てるな、マティよ……椅子を持って来てくれんか」

X X X

○同・クロフォード伯爵邸、最上階、画廊(昼)

   クレイグ牧師、椅子に腰を下ろす。
   ルシールをしげしげと眺め始める。

クレイグ牧師「あなたがハープがお出来になるとは驚きです。これは、私の亡き妻の物なのです」
ルシール「それは済みませんでした」
クレイグ牧師「いやいや……そのハープは、いつでも弾いて良いですよ。私は腰が痛くて、ずっと放置していたもので」

   ルシールとマティ、おのおの腰を下ろす。
   クレイグ牧師、一息ついて、

クレイグ牧師「マティの母方の祖父、クレイグです。現在は腰の痛みで引退しましたが、昔、ダグラスの地所の牧師を務めました」
ルシール「ダグラスって、今の伯爵様の氏名と同じ……?」
マティ「うん、昔、先々代だかの伯爵が急に亡くなった時、一番目の跡継ぎの子爵が失格しててさ。 ダグラス家の伯父さんたちが伯爵に繰り上がったんだよ。その跡継ぎに次ぐ爵位継承権を持つ、クロフォード直系親族でもあったんでさ」

   ルシール、目をパチクリさせる。

ルシール「……クレイグ牧師様は、伯爵様のご親戚なんですか?」
クレイグ牧師「クレイグ家はダグラス家の傍系です。偶然ながら、私はリチャードの……クロフォード伯爵の叔父なんです。 クロフォード方とは血が繋がっていないので、爵位継承権は無いですが」

   ルシール、目を丸くする。
   クレイグ牧師、若き日の伯爵の肖像画を感慨深げに見やり、

クレイグ牧師「今の伯爵は、両親を早くに亡くしていて。彼には兄も居たが……私がまとめて後見をしとりました。 あの頃は……まさか、宗家直系の子爵が失脚するとは――ダグラス家が宗家に繰り上がるとは――夢にも思わなかった」

   ルシール、謹聴。

ルシール:心の声(叔父に当たるお方が、このようにおっしゃるのだから、伯爵様ご本人も、いっそう戸惑ったに違いないわ)

マティ「ダグラス家の伯父さんたちは、二人兄弟なんだ。兄の方が先に伯爵になって、それが先代。先代も急に死んでしまったんでさ」

   ルシール、首を傾げ、思案ポーズ。

ルシール:心の声(伯爵様には、お兄様が居た。お兄様は、今は亡くなられている……)

X X X

(フラッシュ・ルシールの回想)
   グレンヴィル夫妻の肖像画。
(回想終わり)

X X X

ルシール:心の声(あの人だわ。リドゲート卿の顔立ちが、父親に当たる筈のクロフォード伯爵と雰囲気が異なっているという理由が、これで綺麗に説明がつく。 伯爵のお兄様のフルネームが、多分、ロイド・グレンヴィル・ダグラス……)

ルシール「クレイグ牧師様、あの……」
クレイグ牧師「(懐かしそうな顔)リチャードから、あなたの話を聞きましたが……リチャードが……伯爵が驚いたのも、無理は無い。アイリスさんに生き写しです。 しかも、同じ紫色の目をしている……」

   ルシール、戸惑って言葉を飲み込み、頬に手を当てる。

マティ「何だよ、目の色の秘密は、オイラが第一発見者なのにさ!」
クレイグ牧師「ハハハ、彼女の母親は、見事な金髪のお嬢さんでな……それは美しいアメジストの目をしとった」
ルシール「良くご存知なんですね……母とは、何処でお会いになったのですか?」
クレイグ牧師「テンプルトンですよ」

   ルシール、ハッとする。

クレイグ牧師「そこは、昔の『前の子爵』の地所だったのです。失脚前の『子爵』は、クロフォード伯爵家の筆頭の跡継ぎだったと言う事もあって――特にローズ・パークは、 ダグラス家も含めて、地元の多くの良家が訪問する場所でした。今でも、クロフォード伯爵領内の地元社交界の名所ですよ」

   ルシール、謹聴、思案ポーズ。やがて、

ルシール「ローズ・パークは、昔は、クロフォード伯爵家が直接、というよりは、後継者・子爵が管理する地所だったという事ですね……子爵の失脚に伴って、 ローズ・パークのオーナーも、今のオーナー協会に変わった、という事ですか?」
クレイグ牧師「だいたい、それで間違いないです。実際の経緯は、もう少し込み入っているのですがね」

■第二章-07話:老庭師の倉庫

《人物表》

・ルシール・ライト(25、女主人公)…濃茶色の髪、一見して茶色の目。
・マティ・トッド(9)…イタズラ少年。
・クレイグ牧師(72)…マティの祖父。現役引退中。
・キアラン・ダグラス(27、男主人公)公称「リドゲート卿」。
・執事(60)

○クロフォード伯爵邸、最上階、画廊(昼)

   ルシール、即興のハープ音楽を演奏。
   執事(60)、音楽に気付き、画廊の様子を見に現れる。
   執事、状況を見て取り、目を見張りながらも一礼。

クレイグ牧師(72)「おや、執事さん」

   ルシール、ハープ演奏を切り上げ。

クレイグ牧師「ワイルド先生の、リチャードへの往診が済みましたか」
執事(60)「ええ……、閣下はクレイグ様をお待ちでございます」

   マティ、ちゃっかりとルシールの手を握り締め、

マティ「今度は、庭園を見てみたくない?」
ルシール「え、まあ(戸惑い)」
クレイグ牧師「ライト嬢、楽しんでいってください。あなたのおじい様は、実に素晴らしい庭師でした」
ルシール「有難うございます……それでは(立ち上がって一礼)」

   マティとルシール、手に手をつなぐ。
   姉と弟のように連れ立って画廊を退出する。

執事「(興味深そうに眺め)……、マティ様は、ライト嬢を気に入られたようですね」

   クレイグ牧師、ホッとしたように頷き、微笑む。

X X X

   マティ、ふと振り返る。
   クレイグ牧師、執事に支えられながら歩いている。
   だが、腰の痛みが軽くなっているような歩き方。
   マティ、ちょっと目を見張る。

○クロフォード伯爵邸、庭園(昼)

   昼下がり、樹林の並ぶ散策路。
   陽射しは明るく、ルシール、ボンネット風の帽子を着用。
   マティ、飛び跳ねつつ、ルシールを先導。
   子犬のパピィ、マティとルシールに気付いて出て来る。
   尻尾を振り回しながら、すごい勢いで走り回る。

マティ「こっちの方に、パピィの家があるんだよ。誰にも秘密だよ!」

   客人用の散策コースから外れる。
   ささやかな空間を囲んでいる、常緑樹の生け垣が現れる。
   生け垣の上に、平屋建ての小屋の屋根。

   マティ、目印の大木の根元をクルリと回り、盛んに手招き。
   大木の横、生け垣の間に、ポッカリと入り口が開いている。
   秘密基地っぽい雰囲気。

   ルシール、マティの後に続いて、入り口を通る。

○クロフォード伯爵邸の庭園、老庭師の倉庫(昼)

   ボロボロの倉庫。
   倉庫のドア部分、すっかり粉砕されている。
   屋根や、他の壁部分も相当に傷んでいる。
   庭園道具が雨ざらしになっているのが見える。

   ルシール、唖然として立ち尽くす。

ルシール「――これが、犬小屋? 何だか、えらく破壊されているけど……庭園管理のための道具の倉庫よね……おまけに雨漏りするじゃ無いの」
マティ「今は庭師が居ないんだ……誰にもバレずに犬を飼えるって訳」
ルシール「庭師が居ない?」
マティ「三ヶ月前にアントンが死んだ後、まだ決まってない」

   ルシール、眉根をキュッと寄せて、倉庫を注目。

ルシール:心の声(小屋の中の物が目当てならば、鍵を壊すだけで済んだだろうに。倉庫全体を破壊するとは、犯人はきっと野蛮人に違いない)

   子犬パピィ、倉庫に入る。マティ、倉庫の中に入る。
   ルシール、マティの後を付いて、恐る恐る倉庫に入る。

○老庭師の倉庫の中(昼)

   屋根の穴から洩れる昼下がりの陽射し。
   倉庫の中は意外に明るく、片付いている。
   ルシール、興味津々でキョロキョロする。

ルシール「……何だか、奇妙に馴染み深い空間……?」
マティ「へ?」
ルシール「あ……分かった。収納パターンが同じなの。母も、こういう収納パターンだった……何処に、どういう種類の庭園道具があるのかも、何となく分かる……」
マティ「ふーん?」

   ルシール、涙が溢れそうになって、うつむく。
   少しの間、涙ぐむ。

マティ「泣いてるの?」
ルシール「ううん、大丈夫」

   ルシール、再び辺りを見回す。
   不意に、剪定用の小型ハサミが放り出されている事に気付く。
   ルシール、小型ハサミを拾い上げ、慎重に観察し始める。

ルシール「この倉庫が襲われたのは、最近一ヶ月か二ヶ月の間って感じ」
マティ「分かるの? 復活祭の頃には、こうなってた」
ルシール「理由はサッパリ分からないけど、此処を襲った犯人は、剪定用のハサミを必要としてたみたい」

   マティ、小型ハサミを見つめる。
   ルシール、マティに、小型ハサミの刃の部分を示す。
   錆つき、変色し始めたシミ、明らかに見て取れる。

ルシール「プロの庭師なら、使った道具をそのままにしないわ。錆びちゃうもの。此処に、樹液のシミが見えるでしょ」
マティ「ほえー……(マジマジ)」
ルシール「この倉庫は(グルリと見回す)……、もしかして、アントン氏が管理してた……?」
マティ「そうだよ、彼が居た頃は近付けなくて……怒るとすごく怖かったんだぜ、あのジーサン」

   ルシール、小型ハサミを、道具ボックスに収納。
   視界に入る限りの倉庫の各所を、観察。

ルシール:心の声(顔も知らぬ祖父の手が、触れた物。古い道具もあるけれど、丹念な手入れで――雨ざらしが続いたにしては状態が良い。 眺めているうちに、祖父の人柄が見えて来るような気がする……)

○クロフォード伯爵邸の庭園(昼)

   マティとルシール、庭園の一部を散策。

ルシール「この庭園、樹林がすごい。緑の城壁と回廊って感じ」
マティ「だろ? パピィと色々、探検してんだ」
ルシール「あの庭園道具が、造り上げたのね。10年以上もの時をかけて」
マティ「聞いた話だけど、昔の抗争で、あちこち荒れてたんだってさ。二度か三度くらい、いっぱい人を入れて、大掛かりな改修工事やったんだって」

   ルシール、庭園の樹林を改めて眺める。
   樹林の間を透かして、前庭ロータリーが見える。

   ロータリーに面する樹木の一部が痛んでいる。
   ルシール、不審そうに眉根をひそめ、辺りを見回す。

   壊れた車輪の一部がオブジェか何かのように転がっている。

ルシール:心の声(馬車か何かが、ぶつかった? 事故……?)

   ルシール、首を傾げる。

○クロフォード伯爵邸、大食堂(夕)

   ルシール、時間通りに食堂に赴く。
   マティ、ルシールを見て、キョトンとした顔になる。

ルシール「……私の格好、何か変? 茶色のサテンのリボンを着けてるから、礼儀は充分かなってる筈で……」
マティ「地味だから」
ルシール「……?」
マティ「つまり、ダレット一家と比べると地味だって意味」
ルシール「ダレット一家?」
マティ「……会えば分かるよ(ゲッソリとした様子)」

   ルシール、首を傾げる。

X X X

   キアラン、ルシールに一礼し、ホスト席に着く。
   マティ、陽気にお喋り。

マティ「最初に、ルシールを画廊に連れて行ったんだ。で、その時、小型ハープがあったんで、ルシール、ハープ出来るんだ、すげぇよ。 んで、じいじ、来てさ。じいじ、ルシールを見て、ビックリしてたんだ。オイラもビックリしたよ。 次に、庭園の入り口の方を探検したんだよ。明日はバラ園とか、東の方に行く予定だよ」

   キアラン、無表情だが、マティのお喋りをしっかり聞いている。

ルシール「広いお庭で、大変ビックリしまして……」
キアラン「それは光栄です」

   ルシール、改めて、失礼の無いようにそっと見回す。
   今夜のディナーの面々は、キアラン、ルシール、マティの三人のみ。
   ルシール、首を傾げる。

ルシール「伯爵様と、クレイグ牧師様は、お食事は……?」
キアラン「父とクレイグ殿は、上の居間で食事です。二人とも階段の昇降が難しいので」
ルシール「……足腰に来ると、大変ですね……お大事になさって下さいませ」
キアラン「二人に伝えておきましょう、ライト嬢」

X X X

   ディナー後半。
   キアラン、マティとルシールのお喋りの様子を観察。
   ルシールの目、キャンドルの光を受けて色合いが変わる。
   キアラン、少しの間、その色の変化に見入る。

■第二章-08話:レイバントン交差点〜アンジェラとエドワード

《人物表》

・アンジェラ・スミス(25、ダブル女主人公)…金髪緑眼の絶世の美女。
・エドワード・シンクレア(27)…キアランの親友。
・ヒューゴ・レスター(25)…エドワードの寄宿学校の後輩。
・スコット氏(65)…ゴールドベリ邸の住み込みの御者。
・レイバントンの町の人々

○レイバントンの町、交差点(朝)

   メインストリート、朝の仕事始めの時間帯。
   馬車と人々が多く行き交う。
   交差点ロータリー部分に馬車が止まる。
   御者スコット氏(65)、馬車の中に向かって、

スコット氏(65)「到着しましたよ、アンジェラ様」

   馬車の扉が開く。
   アンジェラ、元気良く降り立つ。

アンジェラ「どうも有難う、スコットさん……それじゃ、またいつもの時刻に」
スコット氏「ハイ、お迎えに上がりますよ」

○レイバントンの町、雑居ビル、ヒューゴの弁護士事務所の位置の窓(朝)

   アンジェラ、テキパキと歩く。
   ヒューゴの弁護士事務所、表通りに面する窓。
   窓は少し開いている。
   アンジェラ、窓の中で動く人影に手を振る。

アンジェラ「ヒューゴさん! いらっしゃる?」
ヒューゴ(人影)「アンジェラ! どうぞ入って!」

○ヒューゴの弁護士事務所の中(朝)

   弁護士事務所の扉、開く。
   アンジェラ、扉から現れる。
   アンジェラ、事務所の中を見るなり、

アンジェラ「――ええッ!?」
エドワード「こんにちは、お姫様……そのお出掛け服は、とても良く似合うね。お父上のためだろうけど」

   エドワード、ヒューゴの隣で歓迎の笑み。

アンジェラ「な……、何で、此処に、エドワード卿が……!」
ヒューゴ「ごめんよ、アンジェラ」

   ヒューゴ、困ったような笑み。

ヒューゴ「先輩に相談に乗ってもらっていたんでさ……目下、暗礁に乗り上げているしさ……」
アンジェラ「……(エドワードをキッと睨み)、あなた……、絶対、バラバラ死体になってるわよ」
エドワード「まあ、せいぜい用心しますよ」
アンジェラ「……(溜息)」

   アンジェラ、礼儀正しく、握手の手を差し出す。
   エドワード、アンジェラの手を取り、手の甲に表敬の口付け。
   公爵家出身ならではの完璧な所作。
   アンジェラ、思わず目を見張る。

   ヒューゴ、机の上の書類の山から一つの書状を取り出す。

ヒューゴ「ジャスパー判事から先ほど、連絡が届いたばかりで……ロックウェル公爵も代理人も出席無し、また『無効』だよ」

   アンジェラ、ヒューゴから書状を受け取る。
   アンジェラ、書状に見入る。
   気が抜けたように、近くの椅子に座り込む。

エドワード「貴族の『拒否権』か……(ボソッ)」
ヒューゴ「ロックウェル公爵、色々おかしいですよね。アンジェラは男子じゃないから爵位継承権ナシで『拒否権』発動の意味は無いですし、 レディ・オリヴィアは正式な医療資格をお持ちで、医学的な意味での記録は確実なんですよ。 それに、正式な親子認知が成立した後で、正式に廃嫡手続きする方法があって。アンジェラはレディ称号を希望してないし縁切り上等なんで、スムーズに片付く筈なんです」
エドワード「25年前、ロックウェル公爵は、修正された文書への署名はしなかったのか」
ヒューゴ「できなかったんですよ。馬車事故による重傷で、ずっと意識不明でしたから。意識が戻った後は……」
エドワード「成る程な」

   エドワード、アンジェラを気遣うように見つめる。

エドワード「ロックウェル公爵の拒否権発動は、これで五回目になる。法廷資金の確保は大変だろうね」
アンジェラ「今のところは、まだ大丈夫なの……母の貯金が残ってるから」
エドワード「しかし、それもいつまでも続くと言う訳では無いが」
アンジェラ「……(決然と頭を上げ)、あなたの縁組は高く売れるから、それで不足分を埋める予定よ」
エドワード「やれやれ」

   エドワード、ホッと息を付きながら肩をすくめる。
   ヒューゴの机の上から、過去の裁判資料の束を取る。
   書類にザッと目を通す。

エドワード「証拠調べにしても、しかるべき書類は決定的な諸要素に欠けている……か」
アンジェラ「あなた……裁判記録、理解できるの!?」
ヒューゴ「先輩の法律の成績は、寄宿学校トップクラスさ」
アンジェラ「一体全体……どういう事なのかしら?」

   ヒューゴ、机の上の書類の山を整理しつつ、キョトンとした顔。

ヒューゴ「言って無かった? ハクルート公爵の三男で財産分与は無い立場だから、先輩は弁護士で身を立てようとしてたって……」
アンジェラ「ハクルート公爵……!? お父上が、本当に都で大臣を務めていらっしゃる……!?」
エドワード「もしかして、何処のシンクレア家なのか、全く知らなかった?」
アンジェラ「個別の構成なんて知る機会無いわよ! ゴールドベリ邸では貴族名簿の類なんか持ってないんだから!」
エドワード「驚きだね、お姫様の勘は本物の力だ……」
ヒューゴ「アンジェラは、魔女のゴールドベリ一族の血が先祖返りで強く出てるんだそうです。金髪に緑の目が、ゴールドベリの一族の特徴で。 アンジェラの母親、旧姓セーラ・スミスはレディ・オリヴィアの姪でしたが、目の色はレスター系に近い茶褐色でした。 アンジェラは、我が家系では実に神秘的な変わり者です」

   エドワード、興味深そうに片眉を上げる。

エドワード「アンジェラは、レスターと血が繋がっている?」
ヒューゴ「アンジェラも、レスターの一族の係累になるから。僕の曽祖父の弟が作ったのが、レスター分家のスミス家で」
エドワード「……(しばらく思案ポーズ)、ヒューゴとアンジェラは、祖父が従兄弟同士……か」
ヒューゴ「ほとんど知られてない事実です(ニッコリ)」

   アンジェラ、キッとした目付きでエドワードを睨む。

アンジェラ「あなたは見かけを裏切ってる御曹司ね……弁護士では無さそうで、銀行家ってのも何か違ってるし。ジャスパー判事のお仲間っぽいけど、私の知らない職があるのかしら?」
エドワード「お姫様の勘には、恐れ入る(意外に真剣に感心しきり)」
ヒューゴ「先輩の都での経歴に関係があるんだよ、アンジェラ」

   ヒューゴ、手際良く外出の準備。
   エドワードを振り返り、

ヒューゴ「ともかく、例のバラバラ死体の人相書が上がって来た件で、僕、捜査本部の方を訪問しますんで。済みませんが、アンジェラをお願いします、先輩」
エドワード「任せてくれたまえ」

   ヒューゴ、手を振り、扉の外に消える。
   扉を眺めながら、暫し呆然とするアンジェラ。

   エドワードとアンジェラ、顔を見合わせる。
   エドワード、真面目な顔で、アンジェラを眺める。
   アンジェラ、警戒の表情になり一歩、後ずさる。

エドワード「先刻も思ったけど、あなたは、そのお出掛け服がホントに良く似合ってる……」

   エドワード、気取ってアンジェラに一礼。

エドワード「せっかくの装いを無駄にしたくない。公園でお茶でも如何でしょう」
アンジェラ「? ……!?」

○ヒューゴの弁護士事務所の外、メインストリート(朝)

   アンジェラ、エドワードに手を引かれて、ストリートを早足で歩く羽目に。

アンジェラ「カータレット嬢、エリー嬢、シーア嬢、それに、ララ嬢……私の努力は……お勧めは……!」

○レイバントン交差点の公園(昼)

   交差点の近くにある大きめの公園。
   カフェテラスもあり、社交場スポット。人通りが多い。
   エドワード、公園に入った後も、アンジェラのエスコートを続ける。
   現在のエドワード、意外に目立たない。

エドワード「前シーズンは、なかなか面白い事があったとか……あなたの武勇伝を聞かせて下さい(ニッコリ)」
アンジェラ「……(困惑)」

   公園のカフェテラス。ティータイムを楽しむ多くの紳士淑女。
   アンジェラとエドワードも、手頃な席を取る。

アンジェラ「前シーズンの出来事といえば、男同士の恋人縁組。あれはなかなか大仕事だったかも。J&J商会の二人の事は知ってらっしゃる?」
エドワード「男同士の恋人縁組!? ……J&J商会の二人は女性に人気あるのに、独身で妙だと思っていたが」
アンジェラ「教会は男同士の結婚は認めないけど、そういう縁の形は、あるものですわね(感慨深い溜息)」
エドワード「あなたの哲学は自由奔放ですね」
アンジェラ「現実を認めているだけです、エドワード卿」

   アンジェラ、お茶を一服して喉を潤す。

アンジェラ「常識が確定した社会だからこそ、型破りの価値が増しますもの。完全な自由は、非常識な存在を暴走させます。『型破り』と『非常識』……似て非なるものですわね」
エドワード「似て非なるものだと思ってるんですか、アンジェラ?」
アンジェラ「そうね。『型破り』と『非常識』の縁組は、たいてい失敗する。『型破り』は自由を求め、『非常識』は暴走する。 その部分が、縁組において、決定的な破局の要素になるから、かしら……」

   アンジェラ、思案に集中。緑の目がキラキラしている。

アンジェラ「……『型破り』と『常識人』の縁組は、こちらもビックリするくらい相性が良いのがあるんだけど。『非常識』は感受性が鋭いだけに、自分の内面も発言も制御できてないから、 注意深く縁を組まないと周りも大迷惑するし、いつかは大爆発して、損害賠償レベルの問題になる……」
エドワード「縁組の仕事は面白そうですね」
アンジェラ「縁組というのは、宇宙の謎と同じくらい奥深いものだわ(シミジミ)」

   アンジェラ、急にハッとし、ビジネス向けの顔つきになる。

アンジェラ「……そう! 縁組と言えばエドワード卿! あなたは四人の淑女と赤い糸の謎を探求して――」

   エドワード、意味深な顔つきで人差し指を立てて見せる。

アンジェラ「何ですか?」
エドワード「あなたは今、周りの紳士たちの目下の注目の的なんです(意味深な笑み)」
アンジェラ「……は?(無自覚)」

■第二章-09話:ロックウェル事件、浮上して来る謎の第三の男

《人物表》

・アンジェラ・スミス(25、ダブル女主人公)…金髪緑眼の絶世の美女。
・エドワード・シンクレア(27)…キアランの親友。
・レディ・オリヴィア・ゴールドベリ(68)…ゴールドベリ邸の女主人。
・アシュコート伯爵ギルバート(69)
・スコット夫人(62)…ゴールドベリ邸の家政婦。御者スコット氏とは夫婦。
・マダム・リリス(年齢不詳)…妖艶な美女。ロックウェル公爵の59番目の愛人。
・ランスロット・ナイト(29)…遊び人風の洒落た紳士。リリスの愛人の一人。
・レオポルド(55)…金髪碧眼。ダレット準男爵。
・ダレット夫人(50)…金髪碧眼。カミラ・ダレット準男爵夫人。
・アラシア(19)…金髪碧眼。ダレット準男爵令嬢。
・町馬車の御者
・レイバントンの町の人々

○レイバントンの町、ミュージアム通り(昼)

   アンジェラ、エドワードを観光案内。
   エドワード、さりげなくアンジェラに腕を差し出し、エスコート。
   アンジェラ、淑女の習慣で無意識のうちにエスコートされている。

○レイバントンの町、メインストリート(夕)

   アンジェラ、ふと、エスコートされている事に気付く。
   思案気な目つきでエドワードを振り返る。
   エドワード、罪のない顔でニッコリ笑い返す。
   アンジェラ、そそくさとアサッテの方を向く。

アンジェラ:心の声(気が付けば、町の名所を案内……散策っぽいし。これって、限りなくデートじゃない? 四人の縁談相手と引き合わせる筈が、こんな筈じゃ無かったような……)

   アンジェラ、頭を抱え、混乱した顔になっていく。
   エドワード、ピンときた顔になり、

エドワード「今日も時限ありますか?」
アンジェラ「ゴールドベリ邸から馬車が迎えに来る事になっていて……」
エドワード「幸運の続きを期待しましたが、時限ではそうも行かないですね。送迎ロータリーまで送りますよ」

   エドワード、楽しそうにウインク。
   アンジェラ、困惑顔。

○レイバントンの町、交差点ロータリーに通じる狭い路地(夕)

   行く手に、路地の出口=送迎ロータリーが見える。
   夕方の始まりの光。まだ昼の後半と同じくらい明るい。

   通路の出口、人影がある。
   贅沢で、きわどいドレス&妖艶な立ち姿。
   エドワード、ハッと気づき、アンジェラの行く手を腕で塞ぐ。
   アンジェラ、真剣な雰囲気に気付き、

アンジェラ「……!?」

   エドワード、巧みに身をさばく。
   アンジェラの顔が死角に入るように腕の位置を変える。

エドワード「彼女には見られたく無いでしょう、アンジェラ? リリスですよ……しかも、一夜の愛人連れです」
アンジェラ「……!(リリスに気付き、鋭く息を呑む)」
エドワード「送迎馬車を待ってるらしいな……行ったり来たり……」
アンジェラ「……(口をパクパク)」
エドワード「お父上の愛人とは、一人残らず顔見知りになるんですか? 彼女と会うとバラバラ死体になる――と、昨日も言ってましたね」

   アンジェラ、高速で首をブンブン振る。

アンジェラ「実際は、ここ最近の愛人しか知らないの、生後六ヶ月の時以来、父とは会ってないし……(動転して声が震えて来る)」

   アンジェラ、手提げ袋をきつく握り締める。
   その手が細かく震え始める。
   アンジェラの震え、全身に広がる。顔色は蒼白。

エドワード「リリスの事、そんなに恐れてるんですか?」
アンジェラ「怖くないわよッ(実際は声が震えている)、ただ、一つ前の裁判で、父代理の弁護士が来なくなって。その時に、彼女が現れて弁論して。 気になって、復活祭の機会にロックウェルを訪ねてみたら……、バラバラ死体を、見付けた、から……(急に小声、声が途切れる)」
エドワード「成る程……リリスが弁護士をバラバラにしたのかも……とは、有り得る事ですね」
アンジェラ「私はそんな……」
エドワード「いや、あなたの疑いは自然です」

   エドワード、リリスとランスロット(29)の所作に気付く。
   アンジェラの顔が彼らの死角になるように腕で囲う。

○レイバントンの町、交差点ロータリー前(夕)

   リリスとランスロット、狭い路地のひとつをニヤニヤと盗み見。
   エドワード、アンジェラにキスしている振り。
   アンジェラ、驚愕の余り大人しい。

ランスロット・ナイト(29)「あの金髪紳士、舞踏会に居た若いツバメ? 女遊びの噂は本当だねえ!」
マダム・リリス「今度のパーティが待ち切れない訳よ」
ランスロット・ナイト「女の子の方は誰だ? ほとんど見えないが」

   送迎ロータリーの真ん中の方から、にわかに、

ダレット氏(55)「キアランのクソが……! よくも、私をたばかって!」
ダレット夫人(50)「あの身の程知らずが! 下賤な無礼者が!」
アラシア・ダレット嬢(19)「失礼にも、あたくし達を置いて、クロフォード伯爵領に帰還したというのね!」

   ダレット氏(55)、激昂の余り顔を真っ赤にする。
   先行馬車を操っている御者を乱暴に引きずり下ろす。

ダレット氏「おい、こら、どけどけ! 早く馬車を出せ、一刻を争うのだ」
御者「おお、でもダレット様、順番が……」
ダレット氏「順番なんか、どうでも良い! この私の命令が聞けんのか!」

   周囲の人々、一斉に送迎ロータリーの真ん中に視線を集中。
   マダム・リリスとランスロット・ナイトも、注目。

○レイバントンの町、交差点ロータリーに通じる狭い路地(夕)

   エドワード、リリスとランスロットの注意がそれた一瞬を捉える。

エドワード「今だ!」

   エドワード、アンジェラの腰を抱え、路地の分岐に駆け込む。
   リリス、再び後ろに目をやる。
   二人の姿は既に消えている。

○エドワード宿泊中の高級ホテル、付属の厩舎(夕)

   エドワード、アンジェラを伴い、滞在ホテル付属の厩舎に入る。
   アンジェラ、蒼白な顔色が続いており、無言で素直に従っている。

   エドワード、厩舎から自分の馬を出す。
   馬にアンジェラを乗せ、自分も相乗りになる。

○レイバントンの町外れのストリート(夕)

   エドワードとアンジェラの相乗りの馬、道を駆ける。
   エドワード、アンジェラが鞍からずり落ちないように支える。
   アンジェラ、リリスからの距離が離れるに従い、血色が戻って来る。
   震えも収まって来る。

○ゴールドベリ邸の前、森の中の小道(夕)

   ゴールドベリ邸のゲートの前に到着。
   エドワード、アンジェラを馬から抱き降ろす
   (公爵令嬢に対する丁重な扱いそのもの)
   アンジェラ、困惑顔。

   エドワード、アンジェラの手を取り、手の甲に口づけ。
   (真面目で完璧な所作)
   エドワード、アンジェラに一礼し、乗馬で速やかに去る。

   アンジェラ、呆然&困惑顔のまま、エドワードを見送る。

○ゴールドベリ邸、書斎(昼)

   翌日、アンジェラ、書斎で郵便物や文書の整理。
   スコット夫人(62)、意味深な笑みで現れ、

スコット夫人「お客様が、おいででして……」
アンジェラ「……?」

   アンジェラ、パッと目を見開く。
   スコット夫人(62)、いそいそとした様子で立ち去る。
   アンジェラ、スコット夫人の様子を眺め、

アンジェラ:心の声(……エドワード卿!?)

   アンジェラ、赤面して、ヘナヘナと床に手をつく。

アンジェラ:心の声(いい年してて、動転するなんて赤っ恥だわ! 昨日の今日で、一体どんな顔して会うべきか……!)

   アンジェラ、ブルブルと頭を振る。
   気合を入れ直し、すっくと立ちあがる。
   シャキッと背筋を伸ばし、殊更におすまし顔を作る。

○ゴールドベリ邸、応接間(昼)

   アンジェラ、茶器を持って入室。
   レディ・オリヴィア(68)とアシュコート伯爵(69)。
   アシュコート伯爵、会談を一時停止し、アンジェラに会釈して、

アシュコート伯爵「またお騒がせして済まんな、アンジェラ嬢。ロックウェル事件で新たに浮上した事実があってな」
アンジェラ「お越しいただき、ありがとうございます(淑女の礼)」

   アンジェラ、落ち着いてお茶を給仕。
   チラリと、前日エドワードが座っていたソファに目をやる。
   給仕の合間、胸に手を当て、ホッと気が抜けたような複雑な溜息。
   アシュコート伯爵とレディ・オリヴィア、お茶を一服している。

アシュコート伯爵「昨日、バラバラ死体の人相書が完成したんだ。この人相書について奇妙な点があったので、見て欲しいのだが」
レディ・オリヴィア「……(人相書を眺め)、実に奇妙ね。――アンジェラ」
アンジェラ「何でしょう?」
レディ・オリヴィア「この人(人相書を示し)、以前の法廷に出ていた、ロックウェル公の代理の弁護士かしら?」

   アンジェラ、人相書を手に取り、慎重に観察。

アンジェラ「復活祭を境に行方不明になった、父の代理の弁護士では無いですね……」
レディ・オリヴィア「では、バラバラ死体の主は、弁護士では無いわね。謎の、第三の男」
アンジェラ「彼は一体、誰……?」
レディ・オリヴィア「アンジェラは当時は生後六ヶ月だったから、覚えていないのも当然ね。ロックウェル公ユージーンに似ているのよ」
アンジェラ「父に……!?」
アシュコート伯爵「いかにも(大きな溜息)! 弁護士は生死不明、バラバラ死体はロックウェル公に良く似た男。捜査本部も大混乱でね」
レディ・オリヴィア「……死体をバラバラにしたのは、本人を正確に特定するための身体全身の特徴を、ごまかすため。顔面が、つぶされていたと言うのも……」

   レディ・オリヴィア、目を伏せて思案顔(透視能力の発動)。
   レディ・オリヴィア、ひとつ頷いて、パッと目を開く。

レディ・オリヴィア「アンジェラ。書斎に、25年前のライト夫人のカルテと一緒に来ていた、ユージーンのカルテがあるから、持って来て。 あれには馬車事故で出来た傷痕の全ての記録があるから、何かに役立つ筈。ヒューゴさんに提供しておきましょう」
アンジェラ「承知いたしました」

   アンジェラ、しずしずとした所作で、応接間を退出。
   その間にも、アシュコート伯爵の話が聞こえて来る。

アシュコート伯爵「今、エドワード君が、ヒューゴ君と共にリリスに接近しているところだ」
アンジェラ「……!?(耳をそばだてる)」

○ゴールドベリ邸、応接間のドアの前(昼)

   アンジェラ、応接間を退出。
   ドアを薄く開けたまま、身を潜め、会話に耳を澄ます。

アシュコート伯爵「リリスの私的なパーティの招待状を、うまく入手したそうでね。彼らなら、リリスから新しい情報を引き出せるかも知れん」

   アンジェラ、ひそかにコブシを握ってプルプル震える。
   目が据わる。
   コブシを握ったまま、勢いよくその場を離れる。

アシュコート伯爵「(アンジェラに届く声は不明瞭な状態)……エドワード君は、以前、大臣や側近たちを巻き込んだ首都の疑獄事件でも、ジャスパー判事と組んで……」

   アンジェラ、応接間からシッカリ離れた廊下に到着する。
   地団太を踏み、コブシを振り回す。空気を相手にボクシング。

アンジェラ「リリスのパーティ、『いかがわしい噂』がごまんと流れてる代物じゃないの! アヘンが出るとか、 ナイジェルの如き変態が出るとか……仮にも名門公爵家の三男が、 そんな場所に出入りするなんて! 縁組ビジネスの商品価値が暴落するじゃ無い! ヒューゴさんなら、場数を踏んでるから良いけど……! あの放蕩ドラのバカッ!」

■第二章-10話:レイバントン交差点〜仮面舞踏会の招待状

《人物表》

・アンジェラ・スミス(25、ダブル女主人公)…金髪緑眼の絶世の美女。
・エドワード・シンクレア(27)…キアランの親友。
・ヒューゴ・レスター(25)…エドワードの寄宿学校の後輩。
・イザベラ・ジャスパー(25)…縁組ビジネス仲間、ビジネス団の代表。
・ジャガー氏(54)…レスター家の古株の御者。ヒューゴと懇意にしている。縮れ毛の従者(26)の父。
・スタッフ嬢…イザベラのチーム仲間。
・ララ嬢…縁組ビジネスの顧客。
・クリプトン氏…縁組ビジネスの顧客。
・謎の黒ネコ…ゴールドベリ邸に現れていた黒ネコ。
・ナイジェル・ビリントン(28)…セクハラ上等のエセ紳士。
・レイバントンの人々(カフェの従業員、含む)

○レイバントン交差点、公園(昼)

   快晴の昼下がり。
   イザベラとアンジェラ、縁組ビジネス会議。

イザベラ「えええ!? そうなの!?」
アンジェラ「もう、ホントに信じられない!」
イザベラ「我らが『縁組サービス』特別プロジェクト、カータレット嬢とエドワード卿の縁組は見込み薄だわね……?!」
アンジェラ「朝、ちょっと弁護士事務所に寄って来たけど。ジャガー氏の話では、リリスの噂の饗宴に出て、みだらで異常な一夜を過ごして朝帰りだとか」

   アンジェラ、プリプリしつつ、男物のシルクハットを頭に乗せる。
   イザベラ、訳知り顔でアンジェラの腕を取る。
   あちこちで『縁組ビジネス』スタッフ嬢が合図をし合っている。

イザベラ「この件は、今は忘れましょう。さあ、今日の縁組作戦、開始よ! アンジェラの勘でも、間違いないわよね、あの二人!」
アンジェラ「もちろん! あの黒ネコには、良く言って聞かせたわ!」

○公園、ロマンチックな花々の生け垣の一角(昼)

   スタッフ嬢、イザベラとアンジェラに合図。
   ララ嬢、生け垣を歩む。
   スタッフ嬢、イザベラの合図に応じる。
   隠し持っていた黒ネコを、ララ嬢に向けてパッと放す。
   黒ネコ、ララ嬢の足元に飛びかかる。

ララ嬢「キャッ(ビックリ)」

   黒ネコ、ララ嬢をグルリと回る。
   クリプトン氏へ走り、ターンして再びララ嬢の方へ戻る。
   クリプトン氏、黒ネコにビックリして、ララ嬢に視線を向ける。

   クリプトン氏とララ嬢、お互いに見つめ合う。
   イザベラとアンジェラ、物陰から注意深く窺う。

X X X

○同・公園、樹林の間の散策路(昼)

   クリプトン氏、ララ嬢をエスコート。
   スタッフ嬢、先回りして道を荒らして歩きにくくしておく。
   イザベラ、当て馬の男役のアンジェラと共にコソコソしつつ、

イザベラ「クリプトン氏……! このヘタレ、昨夜あれほど仕込んだってのに。そろそろ当て馬をけしかけるわよ……!」

   やがてクリプトン氏、意を決した様子でララ嬢を振り返る。

X X X

○同・公園、散策路(昼)

   ララ嬢とクリプトン氏が良い雰囲気になって、立ち去る。

アンジェラ「縁組成立!」
イザベラ「大成功よ! 大勝利よ!」
スタッフ嬢「礼金ゲット! イェイ!」
黒ネコ「ニャー」

○レイバントン交差点、メインストリート(昼)

   縁組作戦終了。作戦チーム面々、手を振り合って別れる。
   アンジェラ、交差点を曲がり、ヒューゴの弁護士事務所へ。
   アンジェラの後ろから、黒ネコが付いて来る。

アンジェラ「あの金髪の不良紳士、ヒューゴさんの弁護士事務所で、よろしくない行為をいたしている筈よ!」

   アンジェラ、自信満々。
   ふと気配を感じて振り返る。
   小さな黒ネコが後を付いて来ている。

アンジェラ「今日は縁組作戦、頑張ったわね、この間の木登り黒ネコ君。後でエサあげるわ(ウインク)」

   アンジェラ、手招き。
   黒ネコ、ピョコンと飛び跳ねて駆け付け、並走。
   ヒューゴの弁護士事務所の窓の前に到着。

○ヒューゴの弁護士事務所の窓の前(昼)

   アンジェラ、窓から内部を窺う。
   ソファの上で寝入っているエドワードを発見。

アンジェラ「アシュコート伯爵がおっしゃった通り、ヒューゴさんがエドワード卿を誘惑して、アブナイ道に引き込んでたわね!」

○ヒューゴの弁護士事務所の中(昼)

   アンジェラ、ヒューゴの弁護士事務所に押し入る。
   黒ネコも後を付いて来て、入る。
   黒ネコ、長ソファで熟睡中のエドワードを眺め始める。

   アンジェラ、ヒューゴの定位置に接近。
   文書資料の山が乗っている机、ヒューゴが寝ぼけている。
   アンジェラ、ヒューゴの毛布を剥ぎ取る。

アンジェラ「……うッ、不健全な匂い! 縁組商品の価値、暴落させたわね!」
ヒューゴ「変な事はしてない筈だわよ、魔女紳士サマ……ごめん、昨夜は一睡もしてなくて……クソ眠くて」
アンジェラ「呆れた! それじゃ、こんな時間になっても眠い筈ね」
ヒューゴ「……何だったかなあ、先輩のお父上に手紙を書いて……此処に来てもらって……」
アンジェラ「ハクルート公爵にまで迷惑が掛かる程の失態って事!? 情けない!」

   アンジェラ、ヒューゴの机に目をやる。
   ハクルート公爵宛ての書状。封蝋待ちの状態。
   アンジェラ、予備の空白の便せんを手に取りながら、

アンジェラ「私が一筆、書いてあげるわよ」
ヒューゴ「うんうん……宛先はもう書いたけど、まだ封してないから……」
アンジェラ「その寝ぼけ眼じゃ、封蝋にも失敗するじゃ無い。封蝋したら、発送すれば良いのね」
ヒューゴ「そうそう」

   ヒューゴ、最後の根気が切れ、あっという間に熟睡。

   アンジェラ、一筆書き終えた便せんを封筒に入れ、封蝋。
   控え室のドアを開けると、御者ジャガー氏が気付いて出て来る。
   アンジェラ、ジャガー氏に封筒を預ける。
   ジャガー氏、訳知り顔(苦笑しつつ)、封筒を受け取って外出。

   弁護士事務所、静まり返る。

アンジェラ「寝覚めには濃いコーヒーだわね」

   アンジェラ、眉根を寄せ、事務所を批判的に見回す。
   散らかり放題で埃っぽい。

アンジェラ「片付けに……お掃除もしなくちゃ」

   ヒューゴとエドワードの熟睡、続く。

X X X

(エドワードの回想)

○リリスの私邸の饗宴(深夜)

   アヘン窟と化した幾つもの部屋。
   高濃度のアルコール、様々な違法ドラッグ、密輸タバコ。
   人相を隠す仮面を付けた事で羽目を外した人々の、乱痴気騒ぎ。

   エドワード、リリスとワイングラスを傾け、乾杯する振り。
   物陰で、エドワードの合図に応え、ヒューゴ、聞き耳を立てる。

   マダム・リリス、薬物が効いて過剰に笑い上戸。
   ぜいたくなソファの上に寝ながらダンスする。

マダム・リリス「ロックウェル城では、もっと贅沢なお遊戯になるわよ! オッホホホホ〜!」

   エドワード、ワイングラスを更にリリスに渡す。
   リリス、次々に飲み干す。

マダム・リリス「あいつったら、子供が出来ない身体なのよね。オホホ。あの馬車事故に遭ってる割には、綺麗な身体なのにさ。肝心の部分がね……」

   マダム・リリス、ペラペラと喋り続ける。
   マダム・リリス、やがてドラッグ作用の眠りに落ちる。

○ヒューゴの弁護士事務所(早朝)

   エドワードとヒューゴ、ジャガー氏の操縦する馬車に乗って朝帰り。

エドワード「お姫さまの勘に、改めて恐れ入る。アンジェラは実態を知らない筈だが、間違いなく、危険を正しく直感しているな」
ヒューゴ「ゴールドベリの血ですよね」
エドワード「あそこまで脅えていなかったら、こっちも、そう警戒しなかった」

   エドワードとヒューゴ、疲労困憊で事務所のソファに倒れ込みつつ、

ヒューゴ「恐ろしい。ロックウェル公爵、愛人との子供を作らなかったんじゃなくて、馬車事故の後、子供を作れない身体になってたんですね」
エドワード「アンジェラは、ガッカリするだろうな」
ヒューゴ「先輩、よく体力もってますね。それ、何です?」
エドワード「ロックウェル公爵のカルテ。レディ・オリヴィア提供」
ヒューゴ「カルテ?」
エドワード「リリスの証言に出た傷痕の大部分が、カルテに記録された傷痕と違う」
ヒューゴ「つまり、どういう事です?」
エドワード「このカルテが間違っているのか。噂のロックウェル公爵が別人なのか……」
ヒューゴ「……!?(バッと顔を上げる)」
エドワード「父とロックウェル公爵、寄宿学校で同輩だったと聞いた事がある。多忙な人だから難しいだろうが……本人確認、依頼してみるか」

(回想終わり)

X X X

○レイバントン交差点のメインストリート、カフェテラス(昼)

   カフェの客の中に、ナイジェル・ビリントン(28)。
   ナイジェル、新聞の広告欄に目を通す。
   目をカッと見開き、カフェ席を立つ。

ナイジェル(28)「これはいかん! ローズ・パークで舞踏会だと……!」
カフェ従業員1「あッ、お客様!(ガッチリと、ナイジェルを身柄確保)」
ナイジェル「急ぐんだ! 離せ!」
カフェ従業員2「こちらも商売なんだ、払わなければ訴えますぜ!(ナイジェルの身柄確保に参戦)」
カフェ従業員1「今までのツケ、綺麗にしやがれ! 賢者の箴言でも、飛び立つ鳥、跡を濁さずと言う……」

○ヒューゴの弁護士事務所の中(昼)

   アンジェラ、出来上がったコーヒーを淹れ始める。
   アンジェラ、窓からナイジェル騒動を見物。眉根をキュッと寄せる。

   黒ネコも窓辺に腰を落ち着ける。
   面白そうに尻尾をユラユラ、表通りの騒ぎに注目。

アンジェラ「金欠らしきセクハラ紳士は、元気だわねえ」
黒ネコ「ニャー」

   ナイジェル騒動の周りに、物見高い野次馬たちがだんだん集まって来る。

アンジェラ「セクハラに、縁組詐欺もやらかしてるのよね。法廷の召喚状が作成される前に逃げ出すなんて、何て勘の良いヤツ!」

   ナイジェル周りを、カフェのスタッフがズラリと取り囲む。
   いずれも筋骨隆々の大柄なスタッフ。
   路上プロレス試合が始まる。
   野次馬がどよめき、にわかに賑やかになる。

   エドワード、窓から聞こえて来る騒ぎに気付き、目を覚ます。
   目の前のテーブルに、飲み頃のコーヒーが置かれている。
   エドワード、目をパチクリさせてアンジェラを眺める。

エドワード「コーヒーを淹れたのはアンジェラ? ……、何で男装を?」
アンジェラ「縁組の仕事に関する扮装よ。(掃除道具ハタキをステッキのように構えて)当て馬らしい、誘惑の美青年に見えるでしょ!」

   エドワード、コーヒーに口を付ける。
   しげしげと、アンジェラの男装を眺める。
   アンジェラ、腰に手を当て、眉をキッと逆立てて、

アンジェラ「縁組ビジネスでの、エドワード卿の商品価値、目下、暴落の危機なのよ! みだらな行動、慎んで頂けるかしら!」
エドワード「私が商品? 参ったな」

   エドワード、頭に手を当てて、真剣にガックリ。
   エドワード、アンジェラを意味深な目で見つめる。
   アンジェラ、そそくさと背を向け、物置棚へ(ハタキを収納)。

アンジェラ「結婚相手が決まったなら、男だろうと女だろうと当て馬の役をお務めするわ。割増になるけれど、前日、ロータリーでリリスの目から隠してくれたから、サービスって事で」

   黒ネコ、アンジェラの足元をクルクルと歩き回る。
   エドワード、何となく黒ネコを見つめる。
   アンジェラ、殊更にビジネスモードで振り返り、

アンジェラ「異常な夜を楽しんでたらしいわね。もうお昼過ぎだわ、不良紳士様。お父上へのお手紙に、私から一筆入れたわ。感謝するのよ!」
ヒューゴ「……(目を覚まし、ムクリ)、さっきの手紙? 一筆入れた……?」

アンジェラ「勿論よ! 下手に近付いたら死体になると言う忠告も、ちょっと入れたし」
ヒューゴ「ああッ……まさか! ハクルート公爵への書状ッ……!」

   ヒューゴ、机の上を確認し、頭を抱えパニック、オロオロ。
   エドワード、一瞬ポカンとした後、笑い転げる。
   ソファの中に倒れ込み、全身をひねって大爆笑。

エドワード「アッハハハ! ……それは、父への脅迫状と受け取られるかも知れんな」
ヒューゴ「笑い事じゃ無いでしょ、先輩! 週末にはもう、ロックウェル城で仮面舞踏会で!」

   アンジェラ、鋭くヒューゴを振り向く。

アンジェラ「仮面舞踏会? ロックウェル城で?」

   アンジェラ、素早くヒューゴの机に駆け寄る。
   机の上の書類の山を見るなり、ひとつの封書を選び抜く。

アンジェラ「招待状ね!」
ヒューゴ「ああッ! 待って!」

   アンジェラ、招待状に素早く目を通し、顔を引き締める。

アンジェラ「マダム・リリスの、気まぐれの遊戯!」
ヒューゴ「ゴールドベリの血は事件を呼ぶ! 復活祭の時はバラバラ死体! 今度も何が出るか不明だってば!」
アンジェラ「ロックウェル城……仮面だろうが仮装だろうが、私も行くわ!」
ヒューゴ「危険だよ、アンジェラ! 第一、それには贅沢なドレスとかが必要で」

   アンジェラ、クルリと身をひるがえす。
   大股で玄関へと走り出す。

アンジェラ「母のドレスなら問題は無い筈! 古着屋に売る予定だったけど新品の状態だし、ローズ色の絹でレースとフリル一杯だから」

   アンジェラ、弁護士事務所のドアを開いて飛び出して行く。
   黒ネコも後を付いて行く。

   ヒューゴ、必死の形相でエドワードに飛びかかる。
   エドワードの襟元をつかんでガクガクと揺さぶる。

ヒューゴ「先輩ったら、黙ってないで、何とか止めて下さいよ!」
エドワード「……(目線が右上 ※他人から見ると左上の方向)」

本文/第三章

■第三章-01話:画廊とバラ園〜朝のダイアローグ

《人物表》

・ルシール・ライト(25、女主人公)…濃茶色の髪、一見して茶色の目。
・マティ・トッド(9)…イタズラ少年。
・クレイグ牧師(72)…マティの祖父。
・弁護士カーター氏(57)…クロフォード伯爵家の顧問弁護士。
・執事(60)
・メイド

○クロフォード伯爵邸、最上階の画廊(朝)

   春らしい上天気。
   ルシール(25)、マティ(9)、クレイグ牧師(72)。
   朝食後、画廊にある円卓を囲んで、早めのお茶タイム。
   クレイグ牧師、お茶を一服して、

クレイグ牧師(72)「ライト嬢……ルシール嬢は、『前の子爵』の騒動や、その後のクロフォード伯爵領の出来事、アイリスさんから何も聞いていませんでしたか?」
ルシール「母は、昔の事は、あまり話しませんでしたので」
クレイグ牧師「分かるような気がします。あの頃は、色々ありましたから……」

   マティ(9)、不思議そうな顔で沈黙。
   クレイグ牧師、少し憂い顔。その後、ひとつ頷き、

クレイグ牧師「クロフォード伯爵領では、30年ほど前、ローズ・パーク地主でもある『前の子爵』の失脚がありました。 彼は、クロフォード伯爵家における宗家直系の後継者と目されていながら、第一位の爵位継承権を失った……此処までは、ご存じですね」

   ルシール、頷く。

クレイグ牧師「当時、クロフォード伯爵家、つまり宗家たるセルダン家には、他には後継者となるべき男子がありませんでした。 爵位は、宗家直系の血脈を継ぐ別の家系に移行していきましたが、それと共に、領内では深刻なギャング抗争が発生したのです」
ルシール「……(謹聴、相槌)」
クレイグ牧師「ローズ・パークは巨額の負債を抱えており、そこにギャングマネーも絡んでいました。 ギャング抗争はローズ・パークの地所とテンプルトンの町全体に広がり、爵位継承者が相次いで死亡しました。その結果、末席に過ぎなかったダグラス家に、爵位が回って来たという訳です」
マティ「いわゆる『驚天動地』だよねッ。ギャング=タイターも……」
クレイグ牧師「こら、マティ」

   マティ、クレイグ牧師の本気を悟り、両手で口をパッと抑える。
   ルシール、呆然としながらも、納得顔で頷く。

○クロフォード伯爵邸、庭園に続くアーチ回廊(朝)

   ルシール、麦わら帽子に作業服姿。
   文書を運んでいた執事(60)と遭遇。

執事(60)「ライト嬢も外出ですか? どちらまで?」
ルシール「庭園の東側ですわ。昨日、マティと約束していたので……」

   ルシール、頬に手を当て、首を傾げる。

ルシール「私も……って事は、今日は誰か外出してます?」
執事「ええ。今朝、リドゲート卿が領地見回りに乗馬で外出されましたので。治安判事が半分を受け持ちされるので、大体お昼過ぎに戻られる筈です」
ルシール「承知いたしました(微笑んで一礼)」

   ルシール、改めて回廊を進み、庭園の入口に出る。
   マティ、既に待ち構えていて、子犬のパピィと一緒にクルクル。

○クロフォード伯爵邸、東側の庭園(朝)

   マティ&子犬パピィが前方を跳ね回る。
   ルシール、後を付いて行く。頬に手を当てて思案顔。

ルシール:心の声(道理で、朝早くから、リドゲート卿をお見かけしなかったわ。いつも無表情で冷淡な感じだから、何を考えているか分からないけれど……)

   ルシール、少しの間、クロフォード伯爵邸を振り返る。

ルシール:心の声(アシュコート舞踏会ではバタバタしていて時間が無かったけど、次の機会に、良縁を紹介してあげられるかしら?)

○クロフォード伯爵邸、前庭ロータリー(昼)

   弁護士カーター氏(57)の乗った馬車、前庭ロータリーに入る。
   カーター氏、急いでいる様子で馬車から降りる。

○クロフォード伯爵邸、玄関広間(昼)

   カーター氏、館内のメイドの一人と遭遇。

カーター氏「ライト嬢は、どちらに?」
メイド「画廊においでで」

○クロフォード伯爵邸、最上階の画廊(昼)

   カーター氏(57)、画廊に急ぎ足で入室。
   執事(60)とクレイグ牧師(72)、目を見張る。

執事「カーター氏?」
クレイグ牧師「一体どうしたのです?」
カーター氏「お騒がせして済みません。ライト嬢の一筆に、タイター氏からの反応がありました。ライト嬢は、何処に?」
クレイグ牧師「私の孫のマティと、庭園の東側辺りをデート中の筈です。少ししたら、戻って来るかな?」

   クレイグ牧師、茶カップ手にしつつ、画廊の窓を振り向く。
   カーター氏、窓を一瞥して、

カーター氏「それでは、ライト嬢が戻った時に……」
執事「お席にどうぞ。それにしても、カーター氏を走らせるとは、一体いかなる内容で?」

   カーター氏、ふうっと息をついて着座。

カーター氏「プライス判事との協議の結果、内容が問題になったため、この書状はライト嬢を保護する館内においては、公開扱いとなっております」

   カバンから書状を取り出し、文面を開く。
   あまり質の良くない封筒と便せん。
   ギョッとするくらい乱暴な筆跡が目立つ。
   執事とクレイグ牧師、興味津々で身を乗り出す。

(ギャング=タイターの書状)『貴様は金目当てでアイリスの子孫を騙る詐欺師じゃ! 最も偉大なる尊大なるワシ、タイター様に逆らう輩には、今日の命も無い物と思えや、コラ!  本当に幽霊じゃ無いと言うなら、明日の朝一番にクロス・タウンのレンガ倉庫裏にツラを出せや! ぶち殺すぞ、コラ!』

   残りの文面は、全て罵詈雑言スラングの嵐。

執事「……ギャングの脅迫状?」
クレイグ牧師「この『レンガ倉庫の裏』というのは、領内でも評判の、治安の悪い裏街道のところですね?」
カーター氏「……過去、ギャング抗争の場になった実績がございます。そのうえ、この『今日の命も無い物と思え』という一節が……(眉根をしかめる)」
執事「プライス判事には?」
カーター氏「ええ、本日付で緊急応援を。必要とあらば、身辺警護用のスタッフを、こちらにも派遣いただく事になっております。 タイター氏はテンプルトンの金欠ギャングで、場末の賭場を経営しており……詐欺や恐喝も、お手の物とか」
執事「何処で道を踏み外したのでありましょう?」
カーター氏「事業の拡大に失敗したとか。元々ビリントン家はライト家より格上で、昔はテンプルトンの良家の一つとして、平均以上に裕福だったそうですが……」

   執事、困惑顔をしたまま、首を傾げる。

執事「確か、トッド家もテンプルトンですから、タイター氏とは結構やり合ってますね……」

   クレイグ牧師、心配顔になり、窓を見やる。

■第三章-02話:庭園の端の逃走追跡劇

《人物表》

・ルシール・ライト(25、女主人公)…濃茶色の髪、一見して茶色の目。
・マティ・トッド(9)…イタズラ少年。
・キアラン・ダグラス(27、男主人公)公称「リドゲート卿」。
・プライス判事(54)…クロフォード伯爵領の首席判事。
・クレイグ牧師(72)…マティの祖父。
・弁護士カーター氏(57)…クロフォード伯爵家の顧問弁護士。
・執事(60)
・乗馬姿の侵入者(27)…正体はレナード・ダレット。
・馬丁、召使…各5名ほど

○クロフォード伯爵邸、庭園の散策路(朝)

   マティとルシール、子犬パピィ、散策路を辿る。
   子犬パピィ、やがて駆け去る。

ルシール「昨夜の話に出た、ダレット一家って?」
マティ「ダレット一家? クロフォード直系親族なんだって。ダレット当主が、先々代の伯爵の腹違いの弟でさ。王族に近い血統が入っているとか」
ルシール「王族親戚って事ね」
マティ「血統主義の親族と、そうで無い親族が、そのダレット当主とキアランのどちらがクロフォード伯爵の正当な跡継ぎかってところで、今も揉めてるんだ」
ルシール「王族親戚ともなると、それは確かに揉めそうね」

○クロフォード伯爵邸の庭園、バラ園(朝)

   ルシールとマティ、バラ園に到着。
   マティ、バラ園の柵の上に身軽によじ登る。

マティ「じいじが、前にも話してくれたけど……何だか良く分からない話だったな。昔のゴタゴタで……爵位継承権を持つ直系の類の親族は、 ダグラス家以外は破滅していて……後はトッド家とか、傍系の親族だから、地位に大きな差があり過ぎだとか」
ルシール「(納得の相槌)貴族社会では、宗家と分家とで、身分が大きく違うものね」

   マティ、やがて、むくれ顔になる。

マティ「オイラ、ダレットの鬼婆の事は嫌いなんだ」
ルシール「……ダレット夫人の事? 何だか話が見えないけど、とりあえず夫婦なの?」
マティ「鬼婆ってのは、ダレット家の19歳の娘の事さ。金髪美女に化けてるけど、オイラは騙されねーぞ」

   ルシール、小首を傾げる。
   マティ、柵から飛び降り、バラ園に入る。
   ルシール、後を付いて行く。

マティ「鬼婆アラシア、キアランと魔のコンニャクしたと言ってるけど」
ルシール「コンニャク? どういう事?」
マティ「つまり、こういう事さ……」

   マティ、バラの花をプチッと引っこ抜く。
   コミカルに身をくねらせ、バラを振り回す。

マティ「キアランはアテクシと結婚するわ、オホホ!」
ルシール「つまり、婚約してるって事ね……(苦笑)」

   ルシール、こめかみに手を当てて、ふうっと息をつく。
   少しの間、ちょっとうつむいて目を伏せる。
   やがて気を取り直し、マティに手を差し出す。

ルシール「早咲きのバラね、ちょっと貸して。手を切るから、トゲはちゃんと落とさないと」

   マティ、バラの花をルシールに預ける。
   ルシール、手持ちの袋から小型ハサミを取り出す。
   器用にバラのトゲを切り落とす。
   ちょっと微笑み、マティにトゲ無しのバラを差し出す。

ルシール「クロフォード伯爵家にとっては、最高の縁組でしょ。分かれた一族が、また一つになるって感じだし、しかも王族親戚だし」
マティ「そりゃ状況は、そのようにも言えるけど……(不満タラタラ)」
ルシール「大好きなお兄ちゃんを取られちゃうから、ヤダ、ってところ?」
マティ「そんなじゃないよ(ぷうッとむくれ)」

   ルシール、吹き出し笑い。
   顔を巡らし、周りに広がるバラ園を眺める。

ルシール「……このバラ園、かなり痛んでる感じね」
マティ「邪悪な宇宙人が陰謀していて、侵入してんだよ」
ルシール「……?」
マティ「こっちだよ」

○クロフォード伯爵邸、庭園の端(朝)

   マティ、ルシールを手招き、庭園の端へ先導。
   縁石をまたぎ、低木の仕切りを踏み越える。

   やがて敷地の境界を示す柵が見えて来る。
   木製の板をまばらに連ねた簡素な柵だが高さは結構ある。

   不意に、柵の破れ目が現れる。
   ポッカリと破壊されている。
   破られた板、ひしゃげながら辺りに散らばっている。

   ルシール、破れ目を通って、柵に沿って平行に走る小道に出る。
   小道の表面は岩がち。わずかに土の部分。
   蹄鉄を付けた馬の、妙に新しい足跡。
   下には崖。崖の下では小川が岩を噛みながら流れている。

ルシール「……ビックリした」
マティ「だろ? 馬に乗ったままでもラクラク通れるぜ。タイターのギャング団が出入りしても、驚かないぞ」
ルシール「……(相槌)、執事か誰かに知らせないと……」
マティ「大人が、オイラの話に耳を傾けると思うかい?」

   マティ、すっかり諦め顔、腕を広げて見せる。
   ルシール、イタズラ小僧な顔をマジマジと眺める。

ルシール「……(苦笑)、私から話してみるべきか……早く戻らないと」

   ルシールとマティ、もと来た道へ向きを変える。
   後ろの茂みで、人馬一体の影が動く。
   ガサッという葉擦れの音。

   サッと振り返るマティとルシール。
   柵の破れ目から、乗馬姿の侵入者!

侵入者(人影)「見ーたーなーッ!(馬に拍車)」

   マティとルシール、全力逃走。
   侵入者(人影)、馬上で棒をブンブン振り回しつつ追いかける。

   マティ、バラの小枝を、侵入者(人影)の顔めがけて放る。

   バラの小枝、侵入者(人影)の顔にヒット。視野を塞ぐ。
   侵入者(人影)、うっかり手綱を離し、疾走中の馬の鞍から転落。
   地面に叩き付けられて気が遠くなる。

   侵入者の馬、ルシールを前方へ蹴り出す。
   ルシール、宙を飛び、茂みに突っ込む。

○クロフォード伯爵邸、前庭ロータリー(朝)

   キアランとプライス判事、領地見回りから帰還。まだ乗馬中。
   暴走馬(侵入者の馬)、伯爵邸の前庭ロータリーに飛び出す。
   前庭エリアに集まって来ていた馬丁たち、パニック。

馬丁1「な……何だ、暴走馬!?」
馬丁2「止めろ! リドゲート卿がお戻りだぞ!」

   暴走馬、急に方向を変える。
   キアランとプライス判事にぶつかろうとする。
   キアランとプライス判事、とっさに手綱をさばく。
   暴走馬、空いたスペースを通って駆け去って行く。

プライス判事「何故、馬が……!」

   暴走馬、あちこちの障害物に当たり、スピードを緩める。
   馬丁たちが追い付き、暴走馬の確保に取り掛かる。

○クロフォード伯爵邸、最上階、画廊(朝)

   カーター氏、画廊の窓から前庭エリアを眺め、ギョッとする。
   執事も様子見に来て、暴走馬に気付く。

カーター氏「あの方向は、ライト嬢とマティ様が居るところでは」
執事「何て事だ! タイター氏の脅迫状が先刻、届いたばかりでしょう……!?」

   カーター氏と執事、慌てて庭園に駆けつける。

○クロフォード伯爵邸、庭園の散策路(朝)

   カーター氏と執事、散策路を辿る。
   マティとルシールの姿が見えて来る。
   ルシール、茂みの中に頭から突っ込んだ格好で気絶。
   マティ、ルシールを茂みの中から取り出そうと悪戦苦闘。

マティ「馬に蹴られて突っ込んだ!」

   カーター氏と執事、ルシールの身体を取り出し、芝生の上に横たえる。
   ルシール、頭から派手に出血しており、顔が血まみれになっている。
   マティ、そわそわと落ち着かず、周りをウロウロ。

マティ「揺すっても起きないし、死んでたら、どうしよう」
カーター氏「落ち着きなさい」

   カーター氏、ルシールの身体の各所を触り、脈や節々を確かめる。

カーター氏「何処も折れていないようだ。頭を打って気を失っただけらしい」
マティ「でも、血が出てるよ!」

   キアラン、プライス判事、馬丁三名ほど、駆けつけて来る。
   (※マティが大声で騒いだため、気付いた)

キアラン「……一体、何の騒ぎだ!?」
執事「……(振り返り)、これは、リドゲート卿!」
キアラン「(倒れている人物を見てギョッとし)ライト嬢……!?」
執事「さっきの暴走馬に蹴られたようです。幸いドクター・ワイルドが往診に来る頃合なので、部屋に運びます」
カーター氏「後で、タイター氏の脅迫状についても話を致したく」
プライス判事「脅迫状!?」

   執事とカーター氏、ルシールを搬送。
   マティ、キアランに飛び付く。
   少し離れた場所に倒れている侵入者レナード(27)を指差し、

マティ「あの人だよ! あの人が……!」

   侵入者レナード、頭がハッキリして来る。
   顔面に、マーキングさながらのバラの花。
   苛立たしげにバラの花を振り払う。

レナード「あのガキ、変なモノ投げて……!」

   レナード、わずかに身を起こし、ギョッとして強張る。
   キアラン、ステッキを剣のように構え、侵入者の喉元に突き付け。
   無表情だけど殺気あり。

レナード「……!」
キアラン「久し振りだな?」
レナード「ちょっと待て! 幾ら何でも殺しは……馬のせいだ! いきなり暴走して!」
キアラン「館への出入りを一切認めないと申し渡した筈だ。私に慈悲の心があるうちに、速やかに立ち去るが良い!」

   キアラン、レナードの喉元からステッキを外す。
   レナード、物凄い勢いで起き上がる。
   庭園の奥へ向かって、一直線に逃走。

プライス判事「正門は反対側の筈だが……!?」
マティ「裏の柵が壊されているんだ(ボソッ)」

   ポカンとする馬丁、召使たち。
   本当に柵が壊れている事を確認。

馬丁1「ほ……本当だ!」
馬丁2「馬! 馬でも通れる幅だから……!」
召使「修理しないと……!」

   遠ざかる馬蹄の音(レナード、乗馬して逃走中)。

■第三章-03話:老医師の見立て

《人物表》

・ルシール・ライト(25、女主人公)…濃茶色の髪、一見して茶色の目。
・マティ・トッド(9)…イタズラ少年。
・ドクター・ワイルド(76)…クロフォード伯爵の主治医。
・弁護士カーター氏(57)…クロフォード伯爵家の顧問弁護士。
・クロフォード伯爵リチャード・ダグラス(53)

○クロフォード伯爵邸、ルシールの部屋(昼)

   カーテンを閉め切り、適度に薄暗くなった部屋。
   ルシール、ベッドの上で、意識を取り戻す。

ドクター・ワイルド(76)「頭はハッキリしているかな、お嬢さん?」
ルシール「(目をパチパチ)……お医者さま?」
ドクター・ワイルド「ウォッホン。さて……この灯りは幾つに見えるかね?」

   燭台のキャンドルライトが明るい。
   ルシール、思わず手をかざす。

ルシール「まだ星が見えて……五つかしら(※実際は三つ)」
ドクター・ワイルド「ふむ。目まいが続いとるか。紫色の目のお嬢さん、派手に蹴られた割には、大したこと無くて幸いだったな」

   ドクター、片眼鏡を外す。
   その隣、マティが面目無さそうな様子で座っている。

ドクター・ワイルド「坊主、カーテンを開いてきたまえ」
マティ「うんッ」

   マティ、カーテンに飛びつき、開く。
   部屋が明るくなる。真昼の光。

ドクター・ワイルド「お嬢さんは馬に蹴られて空を飛び、近くの木の幹に頭をぶつけ、ちょいと出血した訳じゃ。 頭部の傷痕はシッカリ縫っておいたが、今日と明日は、念のため包帯を巻いておきなさい。 目まいが落ち着いた後、嘔吐感も無ければ、とりあえず動いても大丈夫だ」
ルシール「……包帯……?(頭に手をやって、分厚い巻き巻きの包帯に、ちょっと絶句)」
ドクター・ワイルド「大袈裟に巻いただけよ。コブだけで済んで幸いなところだがな、転ばぬ先の杖だ」

○クロフォード伯爵邸、ルシールの部屋に接する廊下(昼)

   ドクター・ワイルド、廊下を歩く。
   マティ、追いかける。

マティ「ドクター・ワイルド!」
ドクター・ワイルド「何だね、坊主?」
マティ「ねぇ、何で、ルシールは、よく光をまぶしがるの?」
ドクター・ワイルド「実に素晴らしい観察力だな! ……目の色素が薄いからだな。紫色の目の場合、アルビノの次に色素が薄い。 本来の目の色は青系統の筈だが、色素が薄くて目の奥の血が透けて見える。赤と青を混ぜると何色かな、坊主よ?」
マティ「……あ!」

   マティ、納得顔。
   絵本の探偵を真似して、あごに手を当てる。

マティ「……という事は、ルシール・ママが紫色の目だから……、皆目不明のパパの方は、青い目……?」
ドクター・ワイルド「ふむ。遺伝からして、その可能性は非常に高いね」

○クロフォード伯爵邸、最上階、クロフォード伯爵の私的な応接間(昼)

   ドクター・ワイルド、伯爵の片脚の骨折状態をチェック。
   往診が一段落、用意された茶を飲みながらくつろぎ始める。
   クロフォード伯爵、心配そうな顔で、

クロフォード伯爵「彼女の怪我は? 血だらけだったと聞いたが」
ドクター・ワイルド「頭部は軽傷の割に出血する場所ですからな。閣下の客人のお嬢さんは運が良い。 亡きアントン氏の方々の庭木も手ごろなクッションになりましてな、骨折やヒビもありませんでした。湿布と安静で、じきに治ります」
クロフォード伯爵「そうなのか?」
ドクター・ワイルド「ライト嬢は庭仕事で身体を鍛えているだけあって、回復が早いですな。今ごろはピンピンしとる筈です」
クロフォード伯爵「良かった……」

   クロフォード伯爵、松葉杖を突き、落ち着かない様子で歩き回る。
   骨折中の片脚の添え木は、既に目立たないタイプの物に交換済み。
   やり方次第で、スーツ姿の中に押し込んで隠せるようになっている。

ドクター・ワイルド「数日前まで落ち込んでいたガウン姿の人物と同一人物とは、ちょっと思えませんな(ニヤリ)」
クロフォード伯爵「言わんでくれ……」

   ドクター・ワイルド、不意に目をパチクリさせる。
   改めて、クロフォード伯爵を眺めつつ、

ドクター・ワイルド「骨格。そうか、骨相か……つかぬ事をお聞きしますが、あのお嬢さんは、閣下の親戚ですか?」
クロフォード伯爵「残念ながら、血の繋がりは無いよ。彼女の祖父のアントン氏には、随分お世話になったからね」
ドクター・ワイルド「さようですか」

   ドクター・ワイルド、首を傾げた後、ひとまず頷く。
   次に眉根を寄せ、白ヒゲを撫で始める。

ドクター・ワイルド「それにしても、不法侵入の主の正体は、こちらも驚きました」
クロフォード伯爵「私も驚いたが、同時にそれ程驚いていない。彼は父親に似て、不意打ちの訪問が妙にうまい男だ」

   クロフォード伯爵、苦い顔。
   松葉杖を突き、再びギクシャクと歩き回る。

クロフォード伯爵「あれからすっかり失念していたが、敷地の中ぐらいは見回るんだったよ。まさか、裏の柵が破れていたとは」
ドクター・ワイルド「骨の回復は順調ですが、階段昇降となると許可はできませんぞ! 段差では、特に想定外の衝撃が来ますからな!」

○クロフォード伯爵邸、ルシールの部屋(夕)

   カーター氏(57)、ルシールをお見舞い。
   ルシール、ベッドに半身を起こしている状態。

カーター氏「ドクター・ワイルドによれば、大事ないとのことでしたが……」
ルシール「大丈夫です。目まいも収まりましたし」
カーター氏「大変な時に申し訳ございませんが、タイター氏から新たな書状が届いております」

   ルシール、書状を受け取って開き、

ルシール「こ……これは……(目がテンになる)」
カーター氏「要点はお判りになりますでしょうか?」
ルシール「一応……明日の朝一番で、『レンガ倉庫の裏』という場所に行かなければならないようですね」
カーター氏「いかがなさいます? こんな状況ですし、別の日時に変えるよう先方に要求する事は可能ですが……」

   ルシール、キッと眉を逆立て、

ルシール「いえ、大丈夫です。コテンパンしてやります!」
カーター氏「さようでございますか。では、今日は安静と休養にお努め下さい。明日の朝一番で、馬車を手配しておきます」
ルシール「お手間お掛けいたします」
カーター氏「いえ、こちらこそ……(苦笑)」

   カーター氏、丁重に一礼し、部屋を退出。

■第三章-04話:急襲! アラシア警報

《人物表》

・ルシール・ライト(25、女主人公)…濃茶色の髪、一見して茶色の目。
・マティ・トッド(9)…イタズラ少年。
・キアラン・ダグラス(27、男主人公)公称「リドゲート卿」。
・レオポルド(55)…金髪碧眼。ダレット準男爵。
・ダレット夫人(50)…金髪碧眼。カミラ・ダレット準男爵夫人。
・アラシア(19)…金髪碧眼。ダレット準男爵令嬢。
・執事(60)…クロフォード伯爵邸の執事。
・メイド、召使…各20名ほど

○クロフォード伯爵邸、玄関広間[エントランスホール](夕)

   正面玄関の扉、乱暴に「バタン」と開く。
   レオポルド(55)、ダレット夫人(50)、アラシア(19)。

召使「レオポルド・ダレット殿が、奥方様とお嬢様を連れて、お戻りに……!」

   召使たちとメイドたち、慌てて玄関広間に整列。
   余裕が無いため、すこぶる整列ラインが乱れている状態。

ダレット夫人(50)「なってないわね! そこのハミ出てるの、引っ込みなさい! クビよ!」

   ダレット夫人、メイドを突き倒す。
   メイド、頭から床に打ち付けられ、朦朧。
   他メンバー、下手に動けず、青ざめたまま直立不動。

アラシア嬢(19)「くっくく……(白目をむいたメイドをチラリと見て忍び笑い)」
レオポルド(55)「留守の間に、これ程にも、たるんどるとはな! あの無能の石頭は執務室か!」

   レオポルド、威風堂々と足を踏み鳴らしながら執務室に直進。
   執事、扉の脇に立ち、

執事(60)「お控え下さい、リドゲート卿は執務中ですので」
レオポルド(55)「私はワザワザ、アシュコートから飛ばしたんだ! 執事の分際で……そこをどけい!」

   レオポルド、腕を振り回して執事を跳ね飛ばす。
   レオポルド、執務室のドアノブに手をかける。
   苛立ちのあまり手間取り、ガチャガチャ、やり出す。

   執事、用心して後ろに控えていた召使に、身体を支えられている。
   ダレット夫人とアラシア嬢が自室に向かったのを確認。
   突き倒され朦朧としているメイドを介抱するよう、召使たちに指示。

○クロフォード伯爵邸、執務室(夕)

   レオポルド、バタンと音を立てて、乱暴に執務室の扉を開ける。
   足を踏み鳴らして入室。
   キアラン、レオポルドを無視して書類に目を通している。

レオポルド(55)「キアラン君! 私の目を盗んで、妙齢の娘を館に連れ込んでいるそうじゃ無いか! 私の娘以外の、しかも女を!」
キアラン(27)「その報告は全く正確ではありませんね、レオポルド殿。彼女は弁護士カーター氏が扱う一案件の当事者で、クロフォード伯爵ご自身が招いた客人でもあります」
レオポルド「ごまかすな! 感心もできんね! 君自身の評判もあるだろう!」
キアラン「……評判?」

   キアラン、ピタリと動きを止める。

レオポルド「その女は、レディでも何でも無いとか! 門番のコテージでも充分じゃ無いかね! 下賤な商売女を館に招き入れるとはな……紳士が聞いて呆れるわ!」
キアラン「あなたがお持ちのゴシップ網には、常に感心させられますよ」

   キアラン、書類から目を離し、レオポルドを冷たく見据え、

キアラン「他に用は?」

   レオポルド、一瞬ギョッとし、気圧される。
   急に身を返す。
   乱暴にバタンと扉を開けて、執務室を退出。

   キアラン、手元の書類を、ギリギリ握り締める。
   その書類を書類棚に乱暴に突っ込む。ゴンと音がする。
   程なくして、急に眉根を寄せ、首を傾げる。

キアラン「……門番のコテージでも充分……? 部屋割り? もうライト嬢の部屋を突き止めた……!?」

   キアラン、血相を変え、執務室の扉の方をバッと振り向く。

○クロフォード伯爵邸、ルシールの部屋(夕)

   ルシール、鏡台の前に座っている。
   顔面の引っかき傷、頭部の包帯ヘルメット巻きをチェック。

ルシール「コブだけで済んで幸いだったとか、ホントよね。明日、朝一番でタイター氏と対決してやるのだから……」

   廊下を走る駆け足の音が近付く。
   ルシール、足音を聞きつけ、首を傾げる。
   勢い良くドアが開き、マティが慌てた様子で飛び込んで来る。

マティ(9)「アラシア警報だ! ベッドの下に隠して!」

   ルシール、唖然。
   マティ、素早くドアを閉じ、部屋のベッドの下に高速ダイビング。
   再び足音が響いて来る。ハイヒールを履いた足に特徴的なリズム。

ルシール「アラシア……って、婚約者……!?」

   マティ、ベッドの下から下半身が出ている状態。
   不自然にゴソゴソ、モタモタ。足をバタバタ。

ルシール「頭隠して尻隠さずじゃ無いの……早く!」

   部屋のドアが乱暴に「バターン」と開く。
   ルシール、飛び上がる。

アラシア(19)「あんたが噂のアバズレね!」

   ルシール、アワアワしながらも、ベッドの前に立つ。
   まだ潜り込みが完了していないマティの姿を隠すため。
   アラシア、ギロリとルシールをねめつける。

ルシール(25)「……とりあえず、こんにちわ!」
アラシア(19)「――心配して、損したわッ」

   アラシア、ジロリと眺め回す。
   上から目線で、軽蔑に満ちた笑み。

アラシア「チビでクソの茶ネズミ女!」

   ルシール、絶句。
   アラシア、指を突き付ける。

アラシア「成る程ね! 仮病を使って、同情を誘おうって事ね! 下賤な商売女が使う、卑劣な手口! クソの茶ネズミ女が、 何かしようったって、正真正銘の貴族たるダレット家の前では、あんたなど、クソの代わりにもならないからねッ!」
ルシール「ダレット? ……アシュコート舞踏会で、レナード・ダレットとおっしゃる紳士と、お会いしましたが……ご親戚ですか?」
アラシア「それは、あたくしの兄だわッ! 成る程ね! あんたは茶ネズミのくせして、 二股かけてた浮気女だったって事なのね! あんたの破廉恥な二股ぶり! キアラン様に全部バラしてやるわよ!」

   アラシア、猛然とルシールにつかみかかる。

アラシア「まずは、そのウソ包帯を正してやる!」

   ルシール、応戦。つかみかかって来る手をかわす。
   アラシアの両手首を捉え、力を込めて固定。

ルシール「ぬううううう!」
アラシア「きいいいいい!」

   ルシールとアラシア、取っ組み合い。
   アラシア、ハイヒールで重心が安定せず。
   ルシール、本能的直感で、アラシアの踏み込みや蹴りを回避。
   アラシア、上から体重をかけてグイグイと押しまくる。

ルシール「ちょっとストップ、ストップ!」

   ベッドの下から、突如、クネクネと動くヘビが出て来る。
   ルシールとアラシア、ヘビに気付く。

アラシア「ギャアアァァアアアアァァァアァァアアァァア!」

   アラシア、パニック。
   行く手を塞ぐ家具を倒しながら、部屋を飛び出す。
   ルシール、呆然。

   突然、キアラン、ノックも無しに、ドアを開けて入って来る。

キアラン「何とも無いか!?」

   ルシール、ボンヤリとキアランを眺める。
   キアラン、少し眉をひそめた後、ヘビの存在に気付く。
   キアラン、ヘビの身体をズルズルと引っ張る。
   ベッドの下から、ヘビの身体の残りが引き出される。
   ヘビの正体は、オモチャ。蛇皮=布、尻尾=取っ手。

キアラン「良く出来てる蛇のオモチャだ……これは、ライト嬢が……?」

   マティ、ベッドの下から、ひょっこりと顔を出す。得意顔。

マティ「オイラのスペシャル最新作さ」
ルシール「マティ……!」

   マティ、ベッドの下から這い出ながら、

マティ「アラシアは蛇が死ぬほど大嫌いってヤツだから、仕込んどこうと先回りしたんだ。それにしても、アシュコート社交界のお楽しみは今も続いてるのに、随分と早いお帰りだよね」

   ルシール、ボンヤリと部屋の中を見回す。
   アラシアが倒していった家具が散在。
   部屋の真ん中に椅子が倒れている。
   ルシール、椅子に近付くが、直前でキアランが止める。
   キアラン、椅子を起こし、ルシールを振り返る。

キアラン「ダレット嬢と大立ち回りしましたか」
ルシール「え……あの……」
マティ「言っとくけどさ、アラシアの性格はみんな知ってるぜ」

   マティ、大蛇のオモチャを片付けるため、カシャカシャと操作中。
   ルシール、大蛇の本物ソックリの動きに、ちょっとの間、注目。

マティ「ルシールは、レナードと会った事があるの?」
ルシール「え……、アシュコートの舞踏会で……」
マティ「じゃあ、もうレナードとはダンスした?」
ルシール「裏方とか時限でバタバタしてて……ご挨拶しただけ」

   キアラン、無表情で、会話の様子をじっと眺めている。
   ルシール、頭を振り振り、乱雑に散らかったアレコレを拾い始める。

ルシール「何だかよく覚えてないわ。前シーズンもいらしたけど、その時は、別件で混乱があったから……」
マティ「あのレナードと会ったのに、余り覚えてないの? あいつ、金髪の青い目の美形で、女たらしだよ!」
ルシール「……?」
マティ「認めたくないが、ダレット一家は金髪で青い目の美形の一族でさ! ダレットのレオポルドも、今でこそ、 あんな中年メタボ・オヤジだけど。若い頃は、金髪碧眼の絶世の美青年で、社交界の評判だったんだってさ」
ルシール「レオポルド殿とお会いした事は無いけれど、ダレット家の兄妹を見ると、評判の内容は信じられるわ」

   ルシール、納得の溜息。
   床に散らばった様々な小物を、部屋の端の戸棚に片付けていく。

   マティ、円卓の上によじ登り、キアランの耳元に口を寄せる。

マティ「ねえキアラン、ルシールとレオポルドが顔を合わすのは、今は絶対マズイよ……じいじの話だと、レオポルドって、都でも地元でもプレイボーイで、不倫でハーレムの前科あり」
キアラン「……?(生真面目に相槌)」
マティ「面食いで、美形で、怪しい年齢で、しかも青い目だ」
キアラン「青い目だと、まずいのか?」
マティ「ワイルド先生の見立てによると、ルシール・パパは青い目なんだよ。レオポルド、青い目。今夜のディナー、どうするよ」

   キアラン、目を見張り、固まる。
   眉根をしかめ、頭を押さえる。
   程なくして、頭を振って姿勢を正す。

キアラン「ライト嬢、今夜は部屋に食事を運ばせます。明日に備えて休んで下さい」
ルシール「え?」

   キアラン、不穏な表情。
   ルシール、キアランを眺めて、次第に不安そうな顔になる。
   おずおずと、頷いて見せる。
   キアラン、アサッテの方を向いてフーッと溜息をつく。

   キアラン、身を返し、扉のドアノブに手をかけた所でピタリ。
   キアラン、ルシールを振り返り、

キアラン「ライト嬢。ルシールと呼んでも構いませんか?」
ルシール「え? ハイ」
キアラン「……では、私の事もキアランと。良い夜を……ルシール」

   キアラン、再び身を返し、静かにドアを閉めて立ち去る。
   ルシール、ボンヤリと立ち尽くす。
   マティ、やがて目をパチパチさせる。

   マティ、意味深な目付きでルシールを見上げる。
   ルシール、マティの視線に気づき、首を傾げる。

マティ「……ねえ、ルシール。ルシールはキアランの事、どう思ってる?」
ルシール「どうって……素敵な紳士だと思うけど……?」
マティ「ふーん……」

   マティ、心ここにあらず、大蛇のオモチャを操作。
   大蛇のオモチャ、有り得ないくらい不思議なクネクネ動き。

■第三章-05話:裏街道の対決〜ギャング=タイター

《人物表》

・ルシール・ライト(25、女主人公)…濃茶色の髪、一見して茶色の目。
・キアラン・ダグラス(27、男主人公)公称「リドゲート卿」。
・弁護士カーター氏(57)…クロフォード伯爵家の顧問弁護士。
・タイター・ビリントン(54)…裏街道のギャング。ルシールの遠縁の叔父。
・弁護士トマス・ランド(28)…タイターの弁護士。赤毛のヒョロヒョロ。
・ギャングたち…タイターの手下、四名。
・クロフォード伯爵リチャード・ダグラス(53) …深い青い目。やや線の細い外見。
・プライス判事(54)…クロフォード伯爵領の首席判事。クロフォード伯爵の親友でもある。
・御者…1名。クロフォードの馬車を操縦する青年。
・馬丁…2名。老年と若手。 ・武装役人たち…15名ほど、プライス判事の手勢。

○クロフォード伯爵邸、ルシールの部屋(早朝)

   ルシール、鏡台の前に、仁王立ち。
   ボンネット風の外出用帽子をきっちりと留める。
   ルシール、手提げ袋の中身を慎重にチェック。
   タイターの脅迫状を手に取り、目を通す。

(タイターの脅迫状)『貴様は金目当てでアイリスの子孫を騙る詐欺師じゃ! 最も偉大なる尊大なるワシ、タイター様に逆らう輩には、今日の命も無い物と思えや、 コラ! 本当に幽霊じゃ無いと言うなら、明日の朝一番にクロス・タウンのレンガ倉庫裏にツラを出せや! ぶち殺すぞ、コラ!』

ルシール「昨日は本当に脅迫状の通りに、破れた柵を越えて馬の上から不意打ちを仕掛けて来た訳ね。このような暴走野郎には、この手で、キッチリと罰を当ててやらなければ!」

   ルシール、脅迫状を手提げ袋の中に突っ込む。

ルシール「レンガ倉庫の裏だろうが、場末の酒場だろうが、きっと彼を粉みじんにやっつけてやるわ!」

   ルシール、少しの間、空気を相手にボクシング。
   くるりと身を返し、ドアから飛び出す。

   部屋のテーブルの上には、手つかずの朝食セット。
   (※朝食をすっかり忘れている)

○クロフォード伯爵邸、車庫の前(早朝)

   御者や馬丁、馬車の準備中。
   近くでキアランがその様子を見ている。
   キアラン、ルシールの到着に気付いて振り返る。
   キアラン、無表情のまま、ルシールをジロジロと観察。

キアラン「ちょっと雰囲気が変わりましたね」
ルシール「髪を首の位置でまとめましたの。年増に見えて、貫禄が出ます(フン!)」

   御者と馬丁、馬車の陰でコソコソ苦笑い。

御者「……完全に失敗していますよね」
馬丁1若「完全同意」
馬丁2老「あの若さんが、ワザワザ言及される訳だ」

○クロフォード伯爵邸、最上階、クロフォード伯爵の私室

   クロフォード伯爵、松葉杖をついて窓に立ち寄る。
   程なくして馬車、前庭ロータリーに現れる。
   クロフォード伯爵、馬車が見えなくなるまで見送る。

○クロフォード・タウン[クロフォード伯爵邸の最寄りの町](早朝)

   馬車、町の弁護士事務所の前でいったん停車。
   カーター氏、乗り込む。
   馬車、再び急ぎ足で走り出す。

○クロス・タウンに向かう街道(早朝)

   クロフォードの馬車、急ぎ足で移動中。

カーター氏「タイター氏の脅迫状、いえ、書状にありますクロス・タウンというのは、テンプルトン入口の町です。 国道と運河が通っており、荷物の積み替えを中心とした倉庫事業や中継事業が盛んです。 メインストリートと交わるようにして、くだんのレンガ倉庫の通りがあり、折々のマーケットでにぎわいます。 ……ギャング団も当然、マネーに釣られて寄って来るんですな」

○クロス・タウンのメインストリート[国道](朝)

   多くの荷馬車が倉庫の並ぶメインストリートを行き交う。
   クロフォードの馬車、目的の裏街道に分岐する街角で一時駐車。

   キアランとカーター氏とルシール、下車。
   カーター氏、ルシールを先導。
   最後尾キアラン、辺りを警戒。

カーター氏「裏に回ると、治安も悪くなります。この角を曲がれば、談判の場所ですね……」

   レンガ倉庫に挟まれた狭い通路に入る。

○クロス・タウン、レンガ倉庫の裏(朝)

   レンガ倉庫の裏通りに出る。
   倉庫の裏口が並ぶ、開けた空間。
   ガラクタや酒瓶の破片など、何となく雑然。

   タイター(54)、持ち運びタイプ長テーブルの上で仁王立ち。
   その周り、人相の悪い四人。大柄なギャング手下たち。
   トロル巨人に囲まれたドワーフ小人の王という雰囲気。

   ルシール、目撃するなり、開いた口がふさがらない。
   たたらを踏んで、フラフラと二歩ほど後ずさる。
   タイターの、いびつに高いシルクハットをマジマジと眺める。

キアラン「金髪の小男か……(ボソッ)」
ルシール「……、親戚とは思えない」
カーター氏「類まれなる背丈は、さすがに親戚かと(苦笑)……、正確には、四代前に分かれた兄弟です。アントン氏の従兄弟の、そのまた従兄弟の息子で……」
タイター「者ども! こやつらをのしちまえ!」
手下たち「合点、承知のスケ!」

   ギャング四人、ナイフ等を持ち、一斉にルシールめがけて飛びかかる。
   ルシール、ギョッとして立ち尽くす。
   キアラン、隠し持っていた銃を取り出す。

キアラン「動くな! タイター!」

   響き渡る銃声。
   タイターのシルクハットの中央部、銃弾の穴が空く。
   シルクハット、金髪カツラをくっ付けたまま舞い上がる。
   タイター、よろめき、長テーブルから落ちかける。
   ギャング手下たち、タイターを支える。

キアラン「クロフォード領では流血沙汰は許さない。この周りは既にプライス判事が包囲している……逮捕投獄されたくなければ、可及的速やかに、その方の手勢を退きたまえ!」
タイター「まさかッ、リドゲート卿で……!?」
キアラン「鉛の次に、鋼鉄の味も試してみるか?」

   キアラン、ステッキを刀剣のように構える。
   タイター、いっそう青ざめ、太く短い腕を振り回す。
   四人の手下たち、超メタボ体重でフラフラ。

タイター「ちょっとストップだ、ストップ!」

   ギャングたちの後ろから、弁護士トマス(28)が恐る恐る姿を現す。

トマス・ランド(28)「申し遅れました……私がタイター氏の弁護士を務めます、トマス・ランドです……、タイター様、彼は確かにリドゲート卿ご本人であります」
タイター(54)「そんな筈がぁ!」
トマス・ランド(28)「あるんです。ローズ・パークは伯爵さま案件だし、お出ましになって当然なんですよ」

   タイター、体勢を立て直す。
   パイプ・タバコに火を着け、鼻を鳴らし、歯噛み。
   手下の手から「金髪カツラ付シルクハット」を取り上げる。
   帽子を頭に載せて、金髪カツラをフサッとさせる。

   タイター、周辺を見回し、プライス判事の手勢を確認。
   カーター氏をカッと睨み付け、

タイター「食えない弁護士だな!」
カーター氏「この位で無くては、伯爵家の顧問など到底、務まりません」

   タイター、持ち運びタイプ長テーブルの上に乗り、再び仁王立ち。

タイター「幽霊女と話し合う気は無いと言っただろうが! ブチ殺すぞ! コラ!」

   カーター氏、ルシールをエスコート。
   持ち運びタイプ長テーブルに乗せる。

カーター氏「こちらが、アントン・ライト氏の孫娘ルシール嬢。当該遺産の正当な相続権を主張する者です」
タイター「断固! 認めん! ワシはアントンの本家に連なる甥だ! ライト家は分家、しかも格下ッ!」
ルシール「アントン氏の遺言書を認めないとおっしゃるの!?」
タイター「生意気な! 女が権利を主張するなど、無礼千万ッ!」
ルシール「そっくり同じ言葉をお返しするわ! 庭園管理の技術、お持ちでは無いくせに!」
タイター「何を! ブチ殺すぞ、コラ!」

   白熱する二人の論争を眺めるギャングたち、唖然。

ギャング1「明らかに親戚やな」
ギャング2「つぶらな目と背丈が一緒」
ギャング3「横幅は倍以上、違うけどな」
ギャング4「先祖から続く兄弟ゲンカかよ」

   カーター氏、トマス氏、キアラン、始終無言だが三者三様に相槌。

タイター「貴様はアイリスの幽霊だ! いや、私生児だ!」
ルシール「……!?」
タイター「ローズ・パークは上流階級の場だ! クソ私生児などお断りってんだ! この浮気女の不義の幽霊が、いや、ガキが、 何処の監獄から脱走したかも分からん、インチキ腐れ外道など連れて来やがって!」

   弁護士トマス氏、ギョッとした顔、ピョンピョン飛び跳ねる。

トマス氏「その暴言は問題ですよ、タイター様。何故なら……」

   タイター、金髪カツラ付シルクハットを振り回す。
   トマス氏、気を取られて唖然。

タイター「真実を言って何が悪いッ! アイリスは私の婚約者だった! 裏切りやがって、プレイボーイ貴族と浮気しやがって! 不誠実な浮気女、幽霊めが!」

   ルシール、一瞬、ピタッと止まる。
   次の一瞬、ルシール、タイターのパイプ・タバコを取り上げる。
   タイターの禿げ頭の上にパイプ・タバコを伏せる。
   灰がジュッと音を立てる。

ルシール「母の侮辱は絶対に許しませんッ!」
タイター「ぎゃああああ!? あぢいいいいい!」
ルシール「あなたが何を抜かそうと、この私ルシールは! アイリスの娘として、祖父から譲られた権利を正々堂々と行使するのみッ!」

   トマス氏、カーター氏、キアラン、唖然。
   ギャングたちも同じように口をポカンと開けたまま。

   ルシール、パイプ・タバコを投げ捨てる。
   手提げ袋の中に手を突っ込む。
   ギョッとするタイター。

   ルシール、手提げ袋から秘密兵器を取り出す。
   ハーブを結わえた『ハタキもどき』。
   タイターを『ハタキもどき』で、はたく。
   怪しげな粉末、タイターの周りで飛び散る。

ルシール「あなた、昨日お馬に乗って、私とマティを蹴ったでしょ! 馬に絶対に乗れなくなるように、魔女の呪いをばプレゼントして差し上げるッ!」
タイター「魔女だと!? ちょっと待て!」

   ルシール、持ち運びタイプ長テーブルから飛び降りる。
   ルシール、身をひるがえし、早足で立ち去りつつ、

ルシール「おととい来なさい! あなたのお馬が、また蹴りに来ても無駄ですからね!」

   タイター、持ち運びタイプ長テーブルで、ステップダンス。
   持ち運びタイプ長テーブル、不自然な負荷のため、つぶれる。
   タイター、路上に、ひっくり返る。
   タイター、ひっくり返された亀よろしく手足をバタバタ。

タイター「あの幽霊女、いやガキを、魔女犯罪で逮捕しろ!」
カーター氏「(溜息)……、その前に、『監獄から脱走云々』なる発言を、不敬罪で告発します。リドゲート卿の立会いを失念しておられたのですな」

   タイター、勢いよく飛び起き、肩をいからせる。
   トマス氏、オロオロ。

トマス氏「カーター氏の言われる通りです、タイター様。裁判に持ち込む前に、先程のリドゲート卿に対する不敬発言について示談にしないと……」
タイター「ぐぬぬ……(歯ぎしり)……アイリスの幽霊……」
トマス氏「幽霊? 何言ってんですか」

   プライス判事の部下たち、初対決の終了を察知し、姿を現して来る。
   ギャングたち恐れ入り、おとなしくなる。

キアラン「ライト嬢を保護します。談判手続きも彼女に代わり、お願いします」
カーター氏「承知いたしました(帽子に手をかけ、了解の身振り)」

   キアラン、帽子に手をかけてカーター氏に応え、急ぎ足で立ち去る。

■第三章-06話:交錯するもの

《人物表》

・ルシール・ライト(25、女主人公)…濃茶色の髪、一見して茶色の目。
・キアラン・ダグラス(27、男主人公)公称「リドゲート卿」。
・レナード・ダレット(27)…金髪碧眼の美青年。
・御者…1名。クロフォードの馬車を操縦する青年。
・町の女性…レナードが同伴する女性1名。
・クロフォード伯爵リチャード・ダグラス(53)(回想)
・町の通行人…老若男女

○クロス・タウン、メインストリート(昼)

   ルシール、歯を食いしばり、ストリートを疾走。
   すれ違う通行人、ビックリしてよける。

ルシール:心の声(あんな奴に、庭園オーナー権を渡すもんか。あんな奴に、あんな奴に……!)

   交差点が近付く。標識を取り付けたポール。
   ルシール、ポールに全速力で衝突。
   ルシール、フラフラ。

ルシール「目から星が……」
レナード(27)「大丈夫か、お嬢さん! 呼んでも気付かず、全速力でぶつかって行ったから――」

   ルシール、頭を抱え、フラフラと標識ポールにすがる。

ルシール「大丈夫です、馬に蹴られて打った所を、また打っただけで……」
レナード(27)「そう言えば、包帯してるね……お大事に」

   ルシール、頭をさすりつつ、見上げる。
   レナード、ルシールの顔をのぞき込み、目を見張る。

レナード「アシュコートで……確か……そうだ! スタッフ嬢」
ルシール「あら? 奇遇ですね」

   キアラン、通行人をよけて、交差点の近くに現れる。

   レナード、ルシールをエスコートしようと腕を差し出す。
   レナード、不意に振り返る。ギョッとした表情を浮かべる。

   ルシール、つられて振り返り、キアランを認める。

   キアラン、無言で眼差しを険しくする。
   レナード、気色ばんで身を反らす。

   レナード、不意に身を返す。
   挨拶も無しに別の通りへと足早に立ち去る。

   ルシール、混乱してポカンとし、立ち尽くす。

   キアラン、険しい眼差しをしたまま、レナードの行動に注目。
   レナードの姿、建物の合間に消える。
   キアラン、警戒をゆるめ、ルシールに一歩近づく。

キアラン「ルシール?」
ルシール「あ……ああ、リドゲート卿」
キアラン「昨日、私の事はキアランで良いと言った筈ですが」

   ルシール、戸惑って口ごもる。
   うつむく。

キアラン「……今の気分は?」
ルシール「……(うつむいたまま、モゴモゴ)」

   不意に、ルシールの腹の音(空腹)。

   キアラン、口を押さえて礼儀正しく横を向いている。
   真面目顔だが肩が震えていて、吹き出し笑いを抑えている様子。
   ルシール、目を伏せ、しどろもどろ。

ルシール「朝、食べるのを忘れていて……」
キアラン「それでは空腹の筈だ……ランチの頃合ですし、食事にしましょう」

   キアラン、身を返し、ルシールを先導。
   ルシール、キアランの後を付いて行く。

   ルシール、不安そうな顔で、先を行くキアランの背中を見つめる。

x x x

(ルシールの回想)

○アシュコート舞踏会場、スタッフ用の控え室の前(夜)

   ルシール、高い場所に吊るされている外套を苦労して取り外そす。
   レナード、手を伸ばして外套を外し、ルシールに手渡す。

   ルシール、振り返る。
   金髪碧眼の美青年。

レナード「黒髪の彼、実に無愛想で冷淡だったでしょう?」

   レナード、困ったような笑み。金髪がキラキラしている。

レナード「これは失敬。私はレナード・ダレットです」

(回想終わり)

x x x

   ルシール、眉根をしかめ、首を傾げる。
   交差点の方を、そろりと振り返る。
   (キアランとレナードが不自然な出逢いをした位置)

x x x

(ルシールの回想・フラッシュ)

○クロス・タウン、メインストリート

   キアラン、無言で眼差しを険しくする。
   レナード、気色ばんで身を反らす。

(回想終わり)

x x x

ルシール:心の声(あの紳士が、レナード・ダレット。準男爵レオポルド・ダレット殿の息子。アラシア・ダレット嬢の兄。 お互い仲が悪いみたい……マティは確か、アラシア嬢とリドゲート卿は結婚すると言っていた。 という事は、レナード様はリドゲート卿の義兄になる訳で。婚約者の家族と仲が悪いのは、さすがに問題だわ……)

   ルシール、口元に手を当て思案ポーズ。
   前を行くキアランの背中を眺める。

   キアランとルシール、中堅レストランの並ぶ場所に到着する。
   キアラン、ルシールを振り返り、ひとつのレストランを示す。
   ルシール、了解の印に頷いて見せる。

○クロス・タウンのメインストリート、中堅レストランの中

   テンプルトン町の商人グループ、商談と接待中。
   キアランとルシール、入店。
   店スタッフ、会釈。

○中堅レストランの中、窓際の席

   キアランとルシール、お茶と軽食。
   横に窓があり、メインストリートの様子が見える。

キアラン「談判の件はカーター氏に引き継いでいただきました。今は、カーター氏とタイター氏の弁護士トマス氏が、法的解釈を含め、話を詰めている筈です。 ルシールの欠席は先方の了解済みなので、気にせずに」
ルシール「タイター氏とお話をきっちり付けておく予定だったのに……私ったら、何だか火を振り回していたような……」

   ルシール、赤面してうつむく。
   やがて不安そうに、恐る恐るキアランをチラ見する。
   キアラン、ルシールの視線に気づくが、落ち着いた無表情のまま。

ルシール「私……何か変な事とか、言いませんでしたか?」
キアラン「ルシールが激怒するのを見たのは初めてでしたが。ギャングの噂もある『あのタイター氏』と、実に対等に渡り合っていたと思いますよ」
ルシール「血は争えないと言う事かも知れませんね……先祖は兄弟だったとか……三代前? 四代……?」
キアラン「四代前」

   キアラン、ゆっくりと茶を一服する。
   ルシール、再びうつむき、目を伏せる。

ルシール「素晴らしい記憶力をお持ちなんですね……」
キアラン「ローズ・パークのオーナー候補の一人ですから、確かに関心はありますね」

   キアラン、一旦、チラとルシールを見やる。
   視線を外し、思案顔で、窓の辺りをなんとなく眺める。
   そこの窓ガラスには、ルシールの横顔が映っている。
   キアラン、窓ガラスに映っているルシールの横顔を眺め出す。

x x x

(キアランの回想)

○クロフォード伯爵邸、クロフォード伯爵の私室(昼)

   クロフォード伯爵(53)、茶を一服しつつ、書類に目を通している。
   キアラン、入室。

キアラン「父上、急に失礼します。先ほど、ドクター・ワイルドが往診に来たのですが、ライト嬢が怪我をして、先に診ていただいていますので……」
クロフォード伯爵「……!?」

   クロフォード伯爵、茶カップを取り落とす。茶がこぼれる。
   キアラン、呆気に取られながらも、素早く書類を救出。

キアラン「……父上?」
クロフォード伯爵「ルシールに、いや、彼女に何があったんだ!?」

   クロフォード伯爵、松葉杖なしで立とうとして顔をしかめる。
   キアラン、クロフォード伯爵を押し留め、椅子に落ち着ける。

(回想終わり)

x x x

○中堅レストランの中、窓際の席

   キアラン、わずかに眉根を寄せる。
   あごに手を当てて思案ポーズ。

x x x

(キアランの回想)

○クロフォード伯爵邸、ルシールの部屋(夕)

   マティ、円卓の上によじ登り、キアランの耳元に口を寄せる(内緒話)。
   マティ、眉根をしかめて、真剣な顔。

マティ「……じいじの話だと、レオポルドって、都でも地元でもプレイボーイで、不倫でハーレムの前科あり」
キアラン「……?(生真面目に相槌)」
マティ「面食いで、美形で、怪しい年齢で、しかも青い目だ」
キアラン「青い目だと、まずいのか?」
マティ「ワイルド先生の見立てによると、ルシール・パパは青い目なんだよ。レオポルド、青い目……」

(回想終わり)

x x x

○中堅レストランの中、窓際の席

   ルシール、うつむきながら黙々と食事。
   食事が終了し、チラとキアランを見やる。
   キアラン、窓ガラスをにらみつつ、すごく険しい表情。
   ルシール、青ざめ、再びうつむく。

   キアラン、食器の音がしなくなったのに気づく。
   キアラン、いつものムッツリとした無表情に戻る。

キアラン「失礼。食事は終わりましたか」
ルシール「はぁ……」

   ルシール、しばらくの間、目線をアチコチさ迷わせ、

ルシール「え、えっと、あの、銃の腕前には、大変、驚きました……」
キアラン「……光栄です。先々代の時分から近辺では銃撃戦など抗争が続いていて……、一通り対処できるようにと、父が私に最高の師匠を付けてくれました」
ルシール「あ、クレイグ牧師様に、過去のギャング抗争についてお話をうかがいましたが……、そんな昔から、私の親戚も一緒になって、ご迷惑して……」

   ルシール、困惑顔で、目を伏せる。膝の上に置いた両手、モジモジ。
   キアラン、不意に気付くところあり、窓の外を見やる。

   通りの向かい側のブランド店の前に、レナードが立っている。
   女性をエスコートしながらも、キアランの事を気にしている様子。
   時折、通りを挟んで、友好的とは言いがたい視線を投げて来る。

キアラン「此処まで来ると、もうテンプルトンに入っている状態か……」
ルシール「……!? この辺って、テンプルトンなんですか!?」
キアラン「そうですが……」
ルシール「ローズ・パークって、テンプルトンの何処かですよね!?」

   ルシール、パッと立ち上がり、身を乗り出す。
   無我夢中で、キアランの手をシッカリと握る。
   キアラン、目を見開く。

   しばらく、二人で固まる。

   ルシール、パッと赤面してキアランの手を離す。
   椅子に座り、うつむいて小さくなる。
   キアラン、あらぬ方を眺めつつ、

キアラン「……午後の予定は、決まりましたね」

○テンプルトン、メインストリート駐車場(昼)

   クロフォードの馬車、共同駐車場で待機中。
   キアランとルシール、馬車に近づく。
   御者、気付いて出て来る。

キアラン「これからローズ・パーク邸へ。カーター氏が館に戻る時の馬車の手配は大丈夫か?」
御者「ハイ。町を往復する乗合馬車が結構ありますから」

   御者、一礼し、身を返す。
   陽気な調子で共同駐車場の他の馬車に声掛け。

■第三章-07話:ローズ・パーク邸〜オーナー協会の人々

《人物表》

・ルシール・ライト(25、女主人公)…濃茶色の髪、一見して茶色の目。
・キアラン・ダグラス(27、男主人公)公称「リドゲート卿」。
・ウォード氏(54)…ローズ・パークのオーナー協会員。庭園管理担当。
・ウォード夫人(50)…ローズ・パークのオーナー協会員。
・グリーヴ氏(63)…ローズ・パークのオーナー協会員。元は同邸の執事。
・グリーヴ夫人(62)…ローズ・パークのオーナー協会員。
・カーティス氏(55)…ローズ・パークのオーナー協会員の代表。二代目。
・カーティス夫人(51)…ローズ・パークのオーナー協会員。二代目。お喋り。
・ケンプ氏(27)…ローズ・パークのオーナー協会員。二代目。警備担当。
・御者…1名。クロフォードの馬車を操縦する青年。

○クロフォード伯爵領、ローズ・パーク邸へ向かう道(昼)

   ルシールとキアランを乗せた馬車、街道を移動中。
   乗馬コースが見える。オーク林の街路樹が延々と続く。

キアラン「昔は、この辺りは既にローズ・パークの地所の一部だったそうです」
ルシール「……(驚きで絶句)」

   ルシール、馬車の窓から光景を眺める。
   牧場の囲いのような簡素な柵を抜ける。
   一気に山野公園のような光景に。

御者(馬車の連絡窓から)「ローズ・パーク庭園に入りました。いつも思うんですけど、老アントン氏の庭園、スゴイですね」

   並木道の奥、華麗で凝った造形細工の柵と正門。
   正門は開いており、『邸宅見学料5£』の看板がある。
   馬車、正門を通過。

○ローズ・パーク邸、玄関の前庭(昼)

   クロフォードの馬車、林に縁取られたロータリーを回る。
   林の合間に、華麗な白亜の豪邸が現れる。

ルシール「わあ! 素敵!」

   馬車、玄関の前庭に停車。
   キアランが先に下車し、ルシールを抱きおろす。
   ルシール、一瞬キアランと目が合い、ドキリとする。

   ルシール、地上に降ろしてもらい、キアランに一礼。
   ローズ・パーク邸の外観を熱心に眺めまわす。

ルシール:心の声(薔薇の花咲く白亜の館……)

   前庭の一部分、幾種類かの薔薇の庭木が順序良く並ぶ。
   別の一角、警備人が詰めるコテージ。
   中に居た大男(ケンプ氏、27)、訪問客に気付いて出て来る。

   樹木エリアから、三人の人影が馬車を窺っている。

ウォード氏(54)「予約あったか? 誰か来たぞ」
ウォード夫人(50)「邸宅見学の方かしら?」
グリーヴ夫人(62)「でも、リドゲート卿がご一緒よ?」

   ルシール、樹木エリアから出て来た人影に気付く。
   前髪をかきあげて、会釈。

ウォード氏(54)「……アイリス嬢!? 背丈が縮んでいるような……!?」
ウォード夫人(50)「髪の毛を染めた!?」
グリーヴ夫人(62)「……アイリスさん、生きてた……!?」

   ルシール、目をパチクリさせ、赤面。
   おずおずと帽子を取りつつ、

ルシール「私は、アイリスの娘のルシールです」
ウォード氏・ウォード夫人・グリーヴ夫人「……!? ……!?(口をパクパク)」

   ルシールの後ろ、キアランと警備責任者ケンプ氏、目をパチクリ。

ケンプ氏(27)「あれ? お知り合いですか?」

   ウォード氏(54)、一歩ルシールに近付く。
   ルシールをマジマジと眺め、いっそう口をアングリ。
   ウォード氏、キアランの方に視線を向け、

ウォード氏(54)「驚いた……! この娘さんが新しい庭師で、オーナーで?」
キアラン「残念ながら、ビリントン家と依然、係争中です。家主側の立場としても、早々に決着したいものですが」

   キアラン、無表情で受け答え。
   ウォード夫妻・グリーヴ夫人・ケンプ氏、それぞれ相槌。
   皆で玄関の扉へと移動。

   ルシール、前を歩いているキアランの背中を眺める。
   ひそかに、プルプルとコブシをにぎる。

ルシール:心の声(結局、タイター問題って、こういう事なのよね。家主の目の前で、店子が所有権を取り合っているという……考えれば考える程、喜劇としか思えないわッ!)

○ローズ・パーク邸、玄関広間[エントランスホール](昼)

   ルシール、玄関広間を興味津々で観察。
   あちこちに置かれた趣味の良い花瓶に季節の花々。

   オーナー協会の面々が玄関広間に集合。全員で七人。

グリーヴ氏(63)「今日は、邸宅見学という事ですね」
ルシール「よろしくお願いいたします(一礼)」

グリーヴ氏(63)「当館のオーナー協会の代表、カーティス夫妻。二代目オーナーです」

   カーティス夫妻(55、51)、ルシール、会釈。

グリーヴ氏(63)「警備担当ケンプ氏、彼も二代目オーナーです」

   ケンプ氏(27)、ルシール、会釈。

グリーヴ氏(63)「庭園管理担当、ウォード夫妻。初代オーナーです」

   ウォード夫妻(54、50)、ルシール、会釈。
   ウォード夫妻、会釈の後も、意味深な表情でルシールを眺め続けている。

グリーヴ氏(63)「そして私、破産管財人のグリーヴです。当館の主人が『前のリドゲート子爵』であった頃においては、執事を務めておりました。こちら妻です」

   グリーヴ夫人(62)、ルシール、会釈。
   ルシール、目をパチクリさせ、首を傾げる。

ルシール「リドゲート子爵……リドゲート卿?」
グリーヴ氏(63)「キアラン=リドゲート卿の事では無くて……昔、深刻な経緯があって失脚した『前の子爵』の件は、お聞きでしょうか? もう30年ほども前の話ですが……」

   ルシール、「あッ」という顔になる。

○ローズ・パーク邸、見学コース回廊(昼)

   グリーヴ氏(63)、ルシールを先導しつつ、

グリーヴ氏(63)「昔は、代々クロフォード伯爵家の跡継ぎたる子爵がローズ・パークを所有し、管理されていたのですが。 30年ほど前、ライト嬢もご存知の通り、『前の子爵』の負債が膨大なものとなり、館・地所もろともに切り売りの危機に直面したのです」

   ルシール、相槌。
   ルシールの後ろにキアランが付き添っている。
   さらに、興味津々のオーナー協会の面々が付いて来ている。

   ルシールの後ろで、ケンプ氏(27)が口を挟み、

ケンプ氏(27)「その負債、ギャング・マネーも大いに含んでいたので、借金が雪だるま式に膨れ上がっていたという訳です。 方々の借金取りやギャングたちが、当館の門前に押しかける騒ぎになりまして。今も結構、ギャング=タイターとか、いや、その、トラブルが続いてますね」

   グリーヴ氏(63)、頷き、同意して見せる。
   ルシール、前後を見て、ちょっと口をポカンとする。

グリーヴ氏(63)「当時のクロフォード伯爵、すなわち先々代様が、宗家としての強権を発動し、事態の収拾を図られました。 子爵の破産宣告を出し、領主たる伯爵の了解も無く勝手に地所を競売に出そうとした件については、 当然ながら、領主の権限を侵害したと解釈され、謀反の罪が適用されました。かくして、『前の子爵』は廃嫡となりました」

   ルシール、呆然としつつ相槌。

グリーヴ夫人(62)「ローズ・パークが、膨大な借金と共に放り出された形になったものだから、借金返済と管理費用の節約を兼ねて、 テンプルトン出身の中小地主が共同管理するための、ローズ・パークのオーナー協会が創設されたという訳なの」
グリーヴ氏(63)「ダグラス家、つまり現在のクロフォード伯爵宗家にはバックアップを様々頂いておりまして、 かれこれ30年……幸い、社交界の名所の評判も頂くようになり、借金の返済も、だいたい順調ではありますね」

   ルシール、呆然と聞き入る。

ルシール:心の声(跡継ぎ子爵が失脚して、ダグラス家がクロフォード伯爵宗家に繰り上がって……その頃って、一番大変な時だった筈だわ……)

   ルシール、回廊の窓を眺める。見事な造りの窓枠と庭園。

ルシール「ローズ・パークは、館と庭園と、両方ともバラバラにならないで済んだ訳ですね……」
グリーヴ氏(63)「クロフォード伯爵様のご尽力のお蔭であります」

   ルシール、不意に気付くところがあり、首を傾げる。

ルシール「テンプルトン出身の……、という事は、アントン氏は、テンプルトンの地元紳士……?」
グリーヴ氏(63)「さよう、私も含めて、初代オーナーは全員がテンプルトン出身です」

   グリーヴ氏、ふと意味深にルシールを眺める。
   ルシール気付き、目をパチクリ。

グリーヴ氏(63)「見れば見る程……アイリス嬢に似ていますな」
ルシール「(戸惑い&はにかみ)……」

   ルシール、困惑気味の笑みを浮かべる。

■第三章-08話:ローズ・パーク邸〜新たなる謎と疑惑と

《人物表》

・ルシール・ライト(25、女主人公)…濃茶色の髪、一見して茶色の目。
・キアラン・ダグラス(27、男主人公)公称「リドゲート卿」。
・ウォード氏(54)…ローズ・パークのオーナー協会員。庭園管理担当。
・ウォード夫人(50)…ローズ・パークのオーナー協会員。
・グリーヴ氏(63)…ローズ・パークのオーナー協会員。元は同邸の執事。
・グリーヴ夫人(62)…ローズ・パークのオーナー協会員。
・カーティス氏(55)…ローズ・パークのオーナー協会員の代表。二代目。
・カーティス夫人(51)…ローズ・パークのオーナー協会員。二代目。お喋り。広報担当。
・ケンプ氏(27)…ローズ・パークのオーナー協会員。二代目。警備担当。
・マティ・トッド(回想、9)…イタズラ少年。
・アンジェラ・スミス(回想、25)…ルシールの親友。
・ナイジェル・ビリントン(回想、28)…セクハラ上等のエセ紳士。
・御者…1名。クロフォードの馬車を操縦する青年。

○ローズ・パーク邸、画廊(昼)

   回廊の終わりに到着。
   グリーヴ氏(63)、画廊に続くドアを開ける。

グリーヴ氏(63)「画廊です。オーナーたちの記念の肖像画を掛けております。サイズ制限で、小さな額のみですがね」

   意外にガランとした雰囲気。
   (ほとんどの絵画や家具が借金返済に充てられていた為)
   ルシール、少しキョロキョロするが、理由を悟って納得顔。
   豪華な壁紙に見入る。

   ルシール、画廊の中央、暖炉(マントルピース)の上を注目。
   何も無いのに気づき、首を傾げる。

ルシール「前の子爵の肖像画は……無いですね?」
グリーヴ氏(63)「借金返済のため、競売に出したので」
ルシール「競売?」
グリーヴ氏(63)「(微妙な咳払い)……額縁が相当の値打ち物で……」

   ルシール、目をパチクリ。
   口に手を当て、思案ポーズ。
   かつて当主の肖像画があったと思しき位置を眺める。

ルシール:心の声(親族関係を考えると、リドゲート卿の遠縁の伯父……よね。貴族名簿とか見てないから、知らないけど。 執事だったというグリーヴ氏が微妙な顔になるくらいの人……どんな人だったのかしら?)

   オーナー協会の面々、興味津々でルシールの立ち居振る舞いを観察。

カーティス氏(55)「可愛らしい娘さんだね……あの偏屈老人アントン氏のお孫さんとは、とても思えん」
グリーヴ夫人(62)「彼女はホントに、アイリスさんに生き写しですわ!」
ケンプ氏(27)「そうなのですか? 私めも二代目だから、アントン氏の娘さんの事は全く知らんのですが……確か蒸発したんですよね?  冬の真っ只中に行方不明……タイター氏を激怒させて……」
グリーヴ夫人(62)「そりゃ大騒ぎでしたわよ! レオポルド殿の結婚騒ぎの方が、大変だったけど(大きな溜息)」

   キアラン、会話を眺めつつ、腕組み思案ポーズ。

   ルシール、暖炉の脇に接近。
   オーナー協会のメンバーのうち一人の肖像画を注目。
   プレート名『アントン・ライト氏』。
   ルシール、やがて、コテンと首を傾げる。

ルシール「私、この人、会った事がある……?」
キアラン「……アントン氏を知っているという事ですか?」
ルシール「確信ある訳では……多分、五歳か六歳の頃で……、一度だけで。あの教会で、何かの催しがあった時に……?」

   ルシール、両方の頬に手を当て、目を閉じて集中する。
   やがて、困惑顔になり、ガックリと首を垂れる。

ルシール「何だか途切れてる……もう少し考えれていれば、思い出せると思うけど……」
キアラン「頭の怪我が治れば、大丈夫かも知れない」
ルシール「それは、そうかも知れません……?」

   ルシール、ガックリと首を垂れたまま、キュッと眉根を寄せる。

○ローズ・パーク邸、大広間(昼)

   昼下がりのティータイム。
   オーナー協会の面々、お茶しつつ会話。
   グリーヴ氏(63)、怪訝そうな顔になり、

グリーヴ氏(63)「五歳か六歳の頃? アシュコートで?」
ルシール「多分、20年前……」
ケンプ氏(27)「……?!(ルシールを見直し) 今、25歳か26歳って事ですか?」
ルシール「今年25歳です」

   ウォード氏(54)、呆然とした顔になる。
   茶カップを皿に置いているところの手が震えている。

ウォード氏(54)「アイリス嬢が失踪したのも、25年前だ……」
ウォード夫人(50)「まさか……『予期せぬ妊娠』が理由で?」

   ウォード夫人(50)、真剣な顔で口元に手を当て、思案に沈む。

グリーヴ氏(63)「そう、そう言えば、アントン氏は、アシュコートに行ってますね。20年ほど前に。この館の運営が軌道に乗り始めて、借金返済も見えて来たのが、その頃で……」
ルシール「……!?」
グリーヴ氏(63)「余裕も少し出て来たから、娘の墓参りに行ってくると……」
ルシール「私の母は……その時は、生きてましたわ!」

   ウォード夫人(50)、パッと顔を上げ、ルシールを見やる。

ウォード夫人(50)「アントン氏は、アイリスが生きていた事を知っていた……?」
ウォード氏(54)「そうだ……! アシュコートから戻って来た後、確かアントン氏は妙な事を言っていて……自分が死んだ場合、誰がオーナー権を相続するか、とか……」

   ウォード氏(54)、頭に手をやる。目がアチコチ泳いでいる。

カーティス夫人(51)「アントン氏は、何故アイリスお嬢さんを連れて戻って来なかったのかしら? タイター氏関連で、命の危険があったとか……?」
カーティス氏(55)「それくらいしか思いつかないね、タイター氏はギャングだ……ローズ・パークの借金取りの一人でもあったし」
ケンプ氏(27)「タイター氏は、アントン氏のところによく押しかけて、『婚約者に裏切られた、慰謝料を払え』と激しくやり合っていましたよ。 近ごろは『オーナー権を譲れ』に変わってますね。ローズ・パークが借金まみれの時はオーナー権には見向きもしなかったのに」

   グリーヴ夫人、ウォード夫人、不安そうに顔を見合わせる。

グリーヴ夫人(62)「タイター氏は、アイリスさんの恋人を殺す、とか言ってたわよね」
ウォード夫人(50)「青い目の……?」

   キアラン、一瞬、目の端に緊張を走らせる。
   カーティス氏(54)、困ったように肩をすくめて見せる。

カーティス氏(54)「タイター氏の甥ナイジェル・ビリントン氏ね、彼もオーナー権を主張していて、管理人割り当ての個室を占領してるんだわなあ。 庭園を管理してくれなきゃ意味が無いんだけどね、アシュコートの舞踏会の視察で、今は留守なんだ」

   ルシール、ギョッとした顔になる。
   次第に口が引きつって来る。

x x x

(回想・フラッシュ)

○レイバントンの町、豪邸、アシュコート舞踏会場(夜)

   ナイジェル(28)がアンジェラ(25)にセクハラ。
   ダンスにかこつけ、アンジェラのお尻に触る。

(回想終わり)

x x x

○ローズ・パーク邸、大広間(昼)

   ルシール、頭痛を抑えるかのように額に手を当てる。
   ふと窓の外に広がる庭園に目をやる。
   少しの間コテンを首を傾げ、その後、カーティス夫妻の方を見る。

ルシール「――庭園の見学は、できますか?」
カーティス夫人(51)「可能だけど……庭園と言っても、結構広いから。三時間か、四時間ね」
ルシール「(パッと上気)……そんなに!」
キアラン「テンプルトンに宿を取らないと、時間的に厳しいですね」

   ルシール、怪訝そうな顔でキアランを振り返る。
   キアラン、いつもの無表情で茶を飲み干した後、

キアラン「今、ライト嬢は、クロフォードの方で保護しているので。今日のところは、これで引き返す事にしましょう。父に報告する事も色々とありますし」
カーティス夫人(51)「まあ! それはそうですわね」
カーティス氏(54)「ああ、タイター問題ね」

   カーティス夫人(51)、頬に手を当てながらも、頷き。
   カーティス氏(54)、あごをさすりつつ、しきりに納得の頷き。

○ローズ・パーク邸、玄関広間[エントランスホール](昼)

   カーティス夫妻(54、51)、キアランとルシールを見送る。
   後ろに、他のオーナー協会員が揃っている。
   カーティス夫人(51)、招待状をキアランに手渡す。

カーティス夫人(51)「今朝、いささか広報しましたが、明日の夕刻から気楽な舞踏会を開催しますから。リドゲート卿もライト嬢も、是非おいで下さいね」

○ローズ・パークからクロフォードに戻る道の上、馬車の中(昼)

   クロフォードの馬車、丘陵地帯の並木道を駆け抜ける。
   キアラン、ルシールをジロジロと眺め続ける。
   ルシール、だんだん緊張してきて、青ざめる。

キアラン「本当に父親の事は、一切不明なのですか?」

   ルシール、モジモジとキアランの視線を避けつつ、うつむく。

ルシール「そういう訳では……父が母に贈った、形見のブローチがありますし」
キアラン「形見?」

   ルシール、手提げ袋から小箱を取り出す。
   蓋を開けてキアランに渡す。

   キアラン、慎重に小箱を受け取る。
   アメジストのブローチを眺め、少し納得顔をする。

キアラン「舞踏会で見かけました。このブローチは、訳ありと思っていましたが……」

   ルシール、慎重に頷く。
   キアラン、ブローチを取り出し、表と裏の面を観察。
   裏面の刻印文字に気付き、しばらく注目。

(刻印)『愛しいアイリスへ、結婚の記念に L』
(刻印)『F&F』(※凝った飾り文字のようなフォント)

キアラン「F&Fというのは、何処かの宝飾ブランドのロゴでしょうか。クロフォード領内では聞かない名前ですね。 アメジストそのものも、さほど高価という訳でも無い。細工は見事ですし、紳士に相当する地位と財力はあったのでしょう。 正式な結婚をしていたと言う証拠になるかも知れませんが……」
ルシール「……」

   ルシール、不安そうな顔でうつむく。
   口元に手を当てて悩みポーズ。

キアラン「謎のL氏……確かに、タイター氏の頭文字では有り得ない」
ルシール「(パッと顔を上げ)……、もしかして、疑ってらしたんですか!?」
キアラン「身長が平均未満と言う共通点が……」
ルシール「……!? ……(フン)!」

   ルシール、むくれ返って、プイと横を向く。

キアラン「失礼。お返しします」

   ルシール、まだジト目だが、素直に小箱を受け取る。
   キアラン、足を組み直して座席に落ち着き、腕を組んで思案に入る。

   馬車の中、会話が無くなり、静かな時間が流れる。

○クロフォード伯爵邸へ帰還する道の途中(昼)

   クロフォードの馬車、快速で移動中。
   午後の後半ごろ(夕方に近いが、まだ夕方という程では無い)。

   ルシール、物珍しそうに馬車窓の外を眺め続ける。
   キアラン、腕組み。窓ガラスを思案顔で眺める。

x x x

(キアランの回想)

○クロフォード伯爵邸、ルシールの部屋(夕)

   マティ、眉根をしかめて、真剣な顔。

マティ「……じいじの話だと、レオポルドって、都でも地元でもプレイボーイで、不倫でハーレムの前科あり。 面食いで、美形で、怪しい年齢で……ワイルド先生の見立てによると、ルシール・パパは青い目なんだよ。レオポルド、青い目……」

(回想終わり)

x x x

○クロフォード伯爵邸へ帰還する道の途中、馬車の中(昼)

   キアラン、腕組みを半分解き、思案顔であごに手を当てる。

キアラン「……レオポルド・ダレット……という事か。道理で、父上が、あれほど悩む筈だ……」
ルシール「え?」

   キアランの表情、明らかに不穏。眉根をハッキリとしかめている。
   ルシール、ビクビクしながらキアランをそっと窺う。

ルシール:心の声(何を考えているのか分からないけれど、何か気に障った事があったのかしら。話しかけちゃいけないような険しい雰囲気だわ……)

■第三章-09話:再びの襲来! アラシア警報

《人物表》

・ルシール・ライト(25、女主人公)…濃茶色の髪、一見して茶色の目。
・キアラン・ダグラス(27、男主人公)公称「リドゲート卿」。
・マティ・トッド(9)…イタズラ少年。
・レオポルド(55)…金髪碧眼。ダレット準男爵。
・ダレット夫人(50)…金髪碧眼。カミラ・ダレット準男爵夫人。
・アラシア(19)…金髪碧眼。ダレット準男爵令嬢。
・クレイグ牧師(72)…マティの祖父。現役引退中。
・執事(60)…クロフォード伯爵邸の執事。
・ベル夫人(62)…クロフォード伯爵邸の家政婦長。
・御者、従者、メイド、召使…2名、4名、15名、20名ほど。

○クロフォード伯爵邸、大広間(昼)

   アラシア(19)、凄まじい癇癪を起こしている。
   手当たり次第に物を投げ付け、あらゆる物を破壊する。

アラシア(19)「あのクソの茶ネズミ女……! 叩きのめして、八つ裂きにして、釜茹でにして、食ってやるわ!」

   メイド・召使たち、破壊された家具の陰で震えあがっている。
   ガラスや陶器の破片がひっきりなしに飛び散る。

アラシア「キアラン様は何処なのよッ! 見つけたら、絶対タダじゃおかないッ!」

   執事(60)、飛んで来たガラスの破片をかわしながら、

執事「ですから、ダレット嬢、リドゲート卿は出張中でござい……わわッ!」

   引き抜かれた『戸棚の引き出し』が複数、飛んで来る。
   執事、素早く身を縮める。
   召使の一人、盾をサッと構えて、防衛する。

   クレイグ牧師(72)、逃げ遅れる。
   アラシアが放り投げていた『戸棚の引き出し』が跳ね、腰に激突。
   クレイグ牧師、近くのソファにグッタリと倒れ伏す。
   マティ、クッションを防災頭巾の代わりにして駆け付ける。

マティ(9)「大丈夫!? じいじ!」
クレイグ牧師(72)「う、う〜ん……腰を打った……」

   アラシア、喚き散らしながら大広間を飛び出す。
   一応、大広間は安全な状態になる。
   震えていたメイドたち出て来る。
   青ざめながらも、片づけスタート。

クレイグ牧師「若者の本能で、リドゲートがルシール嬢を連れ出した事を察知しとるな」
マティ「オイラも、とばっちりで殺されそう」

   マティ、少しの間、恐れ入った顔でアラシアの去って行った方を眺める。
   少しして、ピンと来た顔になる。

マティ「こりゃ、ヤバいぞ!」

   マティ、ピューッと大広間を飛び出す。

○クロフォード伯爵邸、正門前、前庭(昼)

   マティ、高い庭木の枝に登る。
   望遠鏡を構え、クロフォード伯爵邸への道を見張り始める。
   やがて、クロフォードの馬車、現れる。

マティ「――来たッ!」

   クロフォードの馬車、ロータリーに入る。
   マティ、馬車の前に飛び出す。

マティ「ストップ、ストップ!」
御者「うわわぁッ!?」

   御者、口をアングリしながらも馬車馬を制御。
   馬車、マティをよけるように方向転換。
   土埃を撒き散らしながら急停止。

   ルシール(後部座席)、衝撃で前方に投げ出される。
   前部座席のキアラン、素早くルシールを抱き止める。
   ルシール、前部座席の背に勢い良く顔面を打ち付け、目を回す。

   マティ、急停止の衝撃で開いた馬車のドアに飛び付き、よじ登る。
   キアラン、ドアから顔を出す。

キアラン「何だ!? いきなり飛び出すなんて」
マティ「ルシールも乗ってるだろ!? アラシア警報、最大級さッ!」
ルシール「(朦朧状態で顔面を押さえつつ)もにゃもにゃ……、アラシア、お嬢さんが……、何か……!?」
マティ「今、すっげえ、ヒステリー! 冗談じゃねえよ! ルシール、絶対、殺されるぞ!」

   御者、焦りながらも御者席から降りて、ドアに回る。
   マティの無事を確認。
   すっかり青ざめた顔で、オロオロと左右に目をやりつつ、

御者「ダレット嬢ですと。こりゃまた……どうしましょう、リドゲート卿」

   キアラン、ルシールをヒョイと元の座席に戻す。
   あごに手を当て、思案ポーズでブツブツ。

キアラン「昨日の書状の中に、カニング氏による今夜の舞踏会の招待状があった。カニング家はトッド家の隣人だし、堅苦しくない集まりだから、良い機会だと思っていたが……」

   キアラン、眉根をきつく寄せ、帽子をかぶり直す。
   ルシール、ずれた帽子を直しながらも、疑問顔でボンヤリと見回す。

キアラン「マティ、隠れんぼは得意か?」
マティ「身を隠すポイントは、お手の物さ」

   キアラン、素早く頷く。サッと馬車から降りる。
   ルシールを軽々と抱き下ろす。
   ルシール、まだ朦朧状態。
   地上でマティに手を握られ、「え?」という顔。

キアラン「その辺に隠れて。ダレット嬢を今夜の舞踏会に連れ出すから、その後で二人で館に入ると良い」

   キアラン、再び馬車に乗り込む。

キアラン「出せ」
御者「了解」

   馬車、走り出す。
   ルシール、マティに連れられ、低木の中に身を隠す。

   馬車、正面玄関の扉の前に横付けされる。
   馬車の帰還に気付いて、館の召使たちが次々に集まる。
   キアラン、下車、召使たちに冷静に指示を下している。

ルシール「あっさりしてる……(半分、朦朧としながらも注目)」
マティ「あっさり? あれが?」

   マティ、目をパチクリ。

X X X

○クロフォード伯爵邸、正面玄関の扉の前のロータリー(夕)

   ルシールとマティ、低木の茂みの中に身を隠し続ける。
   マティ、茂みの上に目を出して、正面玄関の扉の方を窺う。

   正面玄関の扉が開く。
   館のメイドや召使がぞろぞろ整列。
   キアラン、舞踏会姿のアラシアをエスコートしつつ、現れる。
   後ろから、舞踏会姿のダレット夫妻、現れる。

   マティ、目をパチクリ。
   ルシール、手を合わせ(尊い…のポーズ)、感歎の溜息。

マティ「ダレット一家を、一体どうやって急かしたんだろ? 一時間以内で引きずり出すなんてさ!」
ルシール「ダレット嬢とリドゲート卿は、こうして見ると美麗なペアね。アシュコートの舞踏会でも、なかなか見かけない代物!」

   キアランとダレット家三人、豪華な大型馬車に乗り込む。
   随行する従者、合図。
   整列中のメイドと召使、一斉に首を垂れてお見送り。
   大型馬車、走り出し、正門を出て行く。

   ルシールとマティ、茂みの中に潜みつつも、馬車を見送る。

ルシール「多情多感と冷静沈着って、相性は結構良い方だし、この縁組は割と上手く行くんじゃ無いかしら」
マティ「キアランは超が付く堅物で、なお冷静だけど、全然あっさりしてねーよ」

   マティ、少しの間キョロキョロし、確信を得た顔になる。
   マティ、ルシールの手を引き、茂みから出る。
   執事、マティとルシールを認め、ホッとしたような顔になる。

執事(60)「ご無事で、ようございました」
ルシール「ご無事?」

○クロフォード伯爵邸、ルシールの部屋(夕)

   部屋の中を見るなり、ルシール、驚きの余り棒立ちになる。
   爆弾が爆発した後のような、無残な有り様。

ルシール「こッ……この目を疑う破壊はッ……」
マティ「ねッ、だから『アラシア警報』なんだよ」

   メイド、青い顔をしながらも破片の掃除を続けている。
   ベル夫人、ルシールを振り返る。
   困惑の表情を浮かべながらも、丁重に一礼。

ベル夫人「部屋管理の不行き届きで、大変申し訳ございません。お止めしようと、努力はしたのでございますが……申し訳ございませんが、お持ち物を確認して頂けますか?」
ルシール「はあ……」

   ルシール、衣装クローゼットを確認。
   舞踏会用の茶色のサテンドレス一式、灰の状態。
   庭園作業用の男物の服(古びた外見)、無事。
   旅行用カバン(古びた外見)、無事。

   ルシール、次第に、全身に震えが広がる。
   鳥肌が立った腕をさする。

   ルシール、いま着ている黒ドレスを慎重に見下ろす。
   スカートの端を摘まみ、口元に手を当てて思案ポーズ。
   やがて、口元を引き締め、スカート部分をポンポン叩く。

   ルシール、収納棚を調べ、無事な物を旅行カバンに詰める。
   ベル夫人とメイド、片づけ再開も、ルシールを感心して眺める。
   ルシール、収納棚の引き出しの一つを開け、ギョッと息を呑む。

ルシール「……ショール!? ライラックのショールが!?」

   マティ、ルシールの傍に近寄る。
   手持ちの袋から薄紫色の布を取り出す。

マティ「ルシール、これでしょ」
ルシール「マティ……! どうやって?」
マティ「毎度の先回り!」
ルシール「ああ、マティ!」

   ルシール、感激し、マティをギュッと抱き締める。
   マティ、パッと赤面する。

ルシール「レディ・オリヴィアが下さった大切なショールなの! 本当に有難う、お礼に何でもするわッ!」
マティ「うーん、じゃあ、じゃあさ……部屋に来て、ハープを弾いてくれるかな?」
ルシール「それは勿論……、あら? 画廊じゃ無くて?」
マティ「とばっちりで、じいじがまた腰を打ってさ」

   ベル夫人、一歩、近付く。

ベル夫人(62)「実は、食堂も相当の被害がございます。クレイグ様の部屋に、ライト嬢の食事も運びましょう」
ルシール「あ、よろしくお願いいたします」
ベル夫人(62)「夜は、別の部屋で休まれますか?」
ルシール「……この部屋で大丈夫です」
ベル夫人(62)「では、お食事をされている間に、お部屋を整えておきます(一礼)。荷物をお預かりいたしますので……(手を差し出す)」

○クロフォード伯爵邸、最上階、マティとクレイグ牧師の部屋(夜)

   夕食終了後。
   クレイグ牧師とマティ、ソファでくつろいでいる。
   ルシール、画廊にあった小型ハープを持って来て、奏でている。
   曲が一区切りつき、演奏が止む。

クレイグ牧師(72)「マティのおねだりで大変だったでしょう」
ルシール「いえ……」

   マティ、既に祖父(クレイグ牧師)の膝の上で寝入っている。
   クレイグ牧師、溜息。熟睡しているマティの頭をそっと撫でる。

クレイグ牧師「あなたのハープを聞かせて頂いた後、腰の調子が、ちょっと良くなっていたんだ……マティは、しっかり見ていたんだな」
ルシール「……?(首を傾げる)」
クレイグ牧師「私も牧師です……ハープの師匠と言うレディ・オリヴィアが、ヒーラーと言う事は、すぐ分かりました」
ルシール「……(コクンと頷く)、レディ・オリヴィアは、魔女と言われる程の腕前ですわ。アンジェラも、その魔女の血と能力を受け継ぎましたが、私は無関係で……」
クレイグ牧師「全く無関係だとは、とても言えませんな。私の腰に効果があったのですから……通常の感覚では分からないような、ごく微細な調律があるに違いない」
ルシール「そうでしょうか……確かにレディ・オリヴィアは、ハープの調律については、とても細かくて厳しかったですけれど……」

   ルシール、片頬に手を当て、小首をかしげて思案顔。

■第三章-10話:老庭師の私信〜思惑の彼方

《人物表》

・ルシール・ライト(25、女主人公)…濃茶色の髪、一見して茶色の目。
・キアラン・ダグラス(27、男主人公)公称「リドゲート卿」。
・クロフォード伯爵リチャード・ダグラス(53)
・弁護士カーター氏(57)…クロフォード伯爵家の顧問の弁護士。
・アントン・ライト氏(回想、54)…ルシールの祖父(故人)。
・アイリス・ライト(回想、30)…ルシールの母親(故人)。
・ウォード夫妻(回想、54、50)…ローズ・パークの庭園担当オーナー夫妻。
・執事(60)…クロフォード伯爵邸の執事。
・レオポルド(55)…金髪碧眼。ダレット準男爵。
・ダレット夫人(50)…金髪碧眼。カミラ・ダレット準男爵夫人。
・アラシア(19)…金髪碧眼。ダレット準男爵令嬢。
・ライナス氏(28)…ダレット家の縁戚の赤毛青年。
・ベル夫人(62)…クロフォード伯爵邸の家政婦長。
・従者、メイド、召使…4名、15名、20名ほど。

○クロフォード伯爵邸、最上階、クロフォード伯爵の私的な応接間(夜)

   カーター氏(57)クロフォード伯爵(53)、椅子に座っている。
   カーター氏、書類をテーブルに置き、

カーター氏(57)「……以上が、タイター氏との談判の顛末でございます。ほか、アラシア・ダレット準男爵令嬢の破壊行動の件ですが、 こちらは閣下も既にお聞き及びのとおり、集中的に被害が出たのは食堂、大広間、二階の廊下の一部、ライト嬢に割り当てられた部屋となります」

   クロフォード伯爵、口をへの字にする。眉間にシワ。

クロフォード伯爵(53)「アラシアの件……未成年だから、罪には問えないのだろうな?」
カーター氏(57)「さようでございます。ライト嬢の父親不明の件により、ライト嬢が受けた被害は、一般の領民よりも一段階ほど軽微な扱いとなりますので、 ほぼ『偶発事故』同様になるかと存じます」
クロフォード伯爵(53)「アラシアは、妙に、その辺の知恵は回る訳だ」
カーター氏「御意」

   クロフォード伯爵、忌々し気な顔になる。

クロフォード伯爵(53)「ダレット夫妻は、躾がなっとらん。我々を困らせるという目論見があって、あの破壊を放置したのだろうが……」

   応接間のドアが開く。執事が夜のお茶を運んで来る。
   微かなハープ音楽。
   クロフォード伯爵、首を傾げ、辺りを見回す。
   不思議そうに執事を振り返り、

クロフォード伯爵(53)「クレイグの部屋から音楽が……?」
執事(60)「マティ様の癖で、ドアが完全に閉じていなかったのですね。ライト嬢がハープを演奏しておられるのです」
クロフォード伯爵「ハープ?」
執事「緑の森の魔女に仕込まれたとか」

   執事、洒落っ気のある笑みを見せている。

X X X

○クロフォード伯爵邸、最上階、クロフォード伯爵の私的な応接間(夜)

   応接間のドアが開く。
   執事、ルシールを伴って入室。
   ルシール、庭園作業用の男物の服を着ているところ。
   ルシール、服装上の礼儀を気にして、緊張の顔。

クロフォード伯爵(53)「おや、……これはまた素敵な格好だ、ライト嬢」
ルシール「手持ちの服の都合で……大変失礼いたします(一礼)」
クロフォード伯爵「ハハハ。そこに掛けてくれたまえ」

   ルシール、着席。
   クロフォード伯爵、感慨深そうにルシールを眺める。

クロフォード伯爵(53)「アイリスも、庭園作業の時はそんな格好でね。ローズ・パークで初めて会った時は、驚いたものだよ」
ルシール「伯爵様は昔、良く訪問されていたんですか?」
クロフォード伯爵「爵位を継ぐ前の話だよ。爵位を継いで妻と結婚した後は忙しくて、何年も行っていなくてね……気が付いたら、アイリスは既に居なかった」

   クロフォード伯爵、静かな溜息。
   茶カップを手に取り、再び微笑みつつ、

クロフォード伯爵「誰かと結婚していたそうだが……、一度会って話を聞くべきだったかも知れんな」
ルシール「(恐縮の顔)……、気に掛けて頂きまして、ありがとうございます」

   カーター氏、書類を整えつつ、

カーター氏「今まで閣下と相談していたのですが。所有物の破壊の件で、ダレット嬢を訴えになりますでしょうか?」
ルシール「いえ。今は、ローズ・パークの件に集中したいので……」
カーター氏「訴えるつもりは無いという事ですか?」
ルシール「アシュコート伯爵領の方で、アンジェラが公爵を訴えているんです。そちらの問題の方が、ずっと大変なので。ローズ・パーク相続をできるだけ早く確定しておいて、 少しの間、アンジェラの傍に居たいのです」

   クロフォード伯爵、目を見張る。

クロフォード伯爵「勇敢にも公爵を訴えている?」
ルシール「親子認知の裁判です。彼女はロックウェル公爵令嬢なのですが、ロックウェル公爵の方は完全に頭がおかしく……、 いえ、少しばかり頭をおかしくされているらしくて……」

   ルシール、困惑顔になり、口ごもる。

カーター氏「ああ……あのロックウェル公爵の案件の事ですね」
クロフォード伯爵「親子認知か……」

   クロフォード伯爵、半分腕組み。片手をあごに当て、少し眉を寄せて思案ポーズ。
   少し沈黙が続く。意外に深刻そうな表情。

   ルシール、首を傾げつつ、クロフォード伯爵を見つめる。

ルシール「あの……足が痛みます?」
クロフォード伯爵「いや、何でもない。あぁ、そう言えば、ローズ・パークを訪問したとか……?」
ルシール「ええ、お蔭様で……あ、そこで気になる事が……思い出した事がありまして」
クロフォード伯爵「気になる事?」
ルシール「あの、私の祖父、アントン氏は、20年ほど前に一度、アシュコート伯爵領に来ていたそうで。 どうも私、祖父と会った事があるような気がして……小さい頃だったので、よく覚えていないのですが……」

   カーター氏、目をパチクリさせる。やがて、ピンと来て、納得顔になる。

カーター氏「それなら、綺麗に説明が付きます」
クロフォード伯爵「心当たりがあると?」
カーター氏「御意。実はアントン氏の遺言書を預かった時、私信もあったのです。子孫が居る事を説明する内容になっていまして……まさかと思っていたので、アシュコートの役所の記録に、 本当に該当する記録が見付かった時は驚きました」

   カーター氏、足元のカバンの中から、古い書状を取り出す。
   カーター氏、書状を開き、読み上げる。

(アントン氏の私信)『前略、弁護士カーター殿。以前に受け取った、アイリス・ライトの死亡報告書は誤りであると報告しつかまつり候。ここに、事と次第を記すものに御座候』

X X X

(回想)

○アシュコート伯爵領、ゴールドベリ邸の最寄りの教会(昼)

   20年前、初夏の頃。
   教会の敷地では、園芸関係の移動マーケットが開かれている。
   ちょっとしたフェスティバル風で、意外に人出があり、賑やか。

   アントン氏(54)、墓地で『アイリス・ライト』の名を探す。
   該当の墓が見つからず、首を傾げつつ、グルグル歩き回る。

   アントン氏(54)、ふと背後の気配に気付き、振り向く。
   つばの広い麦わら帽子。
   脚を生やした麦わら帽子が付いて来ているように見える。
   アントン氏が足を止めると、麦わら帽子も止まる。

   麦わら帽子ルシール(5)、おずおずと顔を上げる。
   アイリス・ライトにそっくりな、紫色の目。

   アントン氏、一瞬、息を呑む。
   しげしげと眺め、

アントン・ライト氏(54)「お前は何だ? ママはどうしたんだ?」
ルシール(5)「人が一杯で、迷子になっちゃったの(ちょっと泣き顔)」
アントン氏「はぐれたのか……何で後を付いて来るんだ?」
ルシール(5)「あの、その、『ライト』……」

   ルシール、アントン氏のブーツを注目。
   アントン氏、ブーツに施されているネーム刺繍を確認。
   アントン氏、頭に手をやる。

アントン氏「お前、文字が読めるのか……」
ルシール「ママも『ライト』って言うの。ウチも『ライト』なの。『ルシール・ライト』って言うの」
アントン氏「ふーむ……」

   程なくして、アイリス・ライト(30)、現れる。
   アントン氏の顔を認めるなり、絶句。
   口に手を当てて嗚咽をこらえながらも、ポロポロと涙をこぼす。

   ルシール(5)、つられて泣きそうな顔。
   アイリスの周りをグルグル。

   アントン氏、アイリスの左薬指に結婚指輪を発見。
   目を見張る。

アントン氏「……結婚したのか? これは……お前の子か?」
アイリス「ええ、今は、あの、その……」

   アイリス、うつむく。

(回想終わり)

X X X

○クロフォード伯爵邸、最上階、クロフォード伯爵の私的な応接間(夜)

   カーター氏の読み上げ、アントン氏の私信の最後のページになる。

(アントン氏の私信)『……身の安全など熟考のうえ、娘の婚姻相手の件については一切を秘密とするものに御座候。しかし、孫の将来は、やはり気になるものと存じ候。 孫がローズ・パーク邸の庭園を相続する事、娘アイリスの希望にも相成り候。遺言書が確かに遂行されるよう、願うものに御座候――早々』

   カーター氏の読み上げ、終わる。
   ルシール、呆然、無言。
   クロフォード伯爵、眉根を寄せ(眉間にシワ)、腕組み。

クロフォード伯爵「アントン氏は、アイリスの夫が誰なのかを知っていて、敢えて秘密にしたのか」
カーター氏「御意。タイター氏のギャングとしての振る舞いを見る限り、アントン氏の判断は、妥当なものと存じます。 アイリス・ライトの婚姻相手については、レディ・オリヴィアにも確認いたしましたが、彼女もご存知ではありませんでした」

   カーター氏、しばし沈黙し、あごに手を当てる。

カーター氏「アントン氏から遺言書の相談を受けたのは、ちょうどリドゲート卿が寄宿学校に上がる頃です。 ダレット夫妻が館に押し掛けて、レナード様も同じ寄宿学校に入れるべきだと騒いでいた頃でした」
クロフォード伯爵「(頭を抱え)ああ……あの頃か。今でも、思い出すと頭痛がしてくる」

   ゲッソリとした様子のクロフォード伯爵。
   ルシール、ポカンとする。

カーター氏「別件も持ち上がって、騒動への対処に手一杯でしたので……アントン氏の文書の奇妙な箇所にまでは気付きませんでした」

   カーター氏、アントン氏の私信を改め、日付を確かめる。

カーター氏「アントン氏はこの件について……三年か四年の間、ずっと考えていたようですね」

○クロフォード伯爵邸、玄関広間[エントランスホール](夜)

   執事(60)、家政婦長ベル夫人(62)、メイド・召使たち、整列。
   正面玄関の扉が開く。
   キアラン、レオポルド、ダレット夫人、アラシア、現れる。

執事(60)「お帰りなさいませ、リドゲート卿」

   ダレット家の三人の後ろから、更に新しい人物。
   赤毛の青年紳士ライナス氏(28)。
   執事、赤毛の青年紳士を怪訝そうに眺め、

執事(60)「……レオポルド殿、その方は……?」
レオポルド(55)「(執事を無視)……、お前たち! もう一人分の部屋を作れ! 地元の紳士のライナスだ……傍系の親族だが、トッド家などより地位は上だぞ! 早くしろ、コラ!」

   若いメイドたち、レオポルドの怒鳴り声に思わず首をすくめる。

メイド1「一体、どういう事なのでございましょう?」
執事「レオポルド殿の気まぐれが、また始まったとか……」

   ベル夫人(62)、レオポルドを無視してキアランに一礼。
   若いメイドたちを振り返り、

ベル夫人「西翼の二階、三番目の部屋を来客用に整えなさい」
メイド2「……! かしこまりました」

   若いメイドたち、召使たち、心得た顔になり、一斉に移動。
   レオポルド、ベル夫人を横目でにらみつつ、不機嫌そうに鼻を鳴らす。
   レオポルド、アラシアに耳打ちを始める。

レオポルド(55)「良いか、アラシア……キアランが当て馬で来るなら、こちらも当て馬だ。お前の部屋の隣がライナスの部屋だ。キアランの関心を引き付けて、あおっておけ」
アラシア(19)「任せといて、パパ。キアラン様、あたくしの事は、よく聞くんだから」

   アラシア、キアランを横目で眺めながら、勝ち誇った笑みを浮かべる。

   キアランとライナス、執事、起床時間など事務打ちあわせ中。
   アラシア、退屈顔。欠伸を噛み殺す。
   羽毛扇やドレスのレース&フリル部分をボンヤリといじる。
   ベル夫人、テキパキとした様子、キアランとライナスに一礼。

ベル夫人「ライナス様。お部屋の準備が整いましたので、いつでもどうぞ」
ライナス氏「お手間をおかけいたします(一礼)」

   ライナス氏、ダレット家の傍に戻る。
   アラシア、気取って、ライナスのエスコートの腕に手を回す。
   キアラン、エスコートの手を差し出す。
   アラシア、キアランの手を無視し、勝ち誇った笑みを見せる。

アラシア「エスコートはライナスにして頂きますのよ。もしかしたら……明日の舞踏会のエスコートも、ライナスにして頂くかもね?」

   アラシア、ニヤニヤ笑い。
   ライナスの腕に一層ピッタリとくっ付く。
   キアラン、目を見開き、アラシアとライナスを眺める。
   ライナス、申し訳なさそうな笑みを浮かべる。

キアラン「どうぞ、ダレット嬢のお気に召すままに(丁重な一礼)」

   キアラン、身を返し、執事を伴って執務室に向かう。
   アラシア、得意顔でレオポルドを振り返る。

アラシア「さっき見た? 明らかに反応してたわよ!」
レオポルド「良し良し……これからも、先刻のように、あの石頭に言い聞かせてやるんだ……ウフフ……(意地悪く忍び笑い)」

○クロフォード伯爵邸、最上階、キアランの自室(夜)

   キアラン、険しいくらいのしかめ面。
   無造作に上着を脱ぎ、椅子の背に投げる。
   執事、訳知り顔で丁重に上着を取り、クローゼットに仕舞う。

キアラン「……館内の被害は、片付いたか?」
執事「お蔭様で」
キアラン「(不意に聞き付け)……音楽?」
執事「ああ、ハイ、応接間の方で……」

○クロフォード伯爵邸、最上階、クロフォード伯爵の私的な応接間(夜)

   執事とキアラン、そっとした足取りで入室。
   場所の関係でカーター氏、気付く。
   キアラン、カーター氏と目線で会釈。

   ルシール、小型ハープの演奏に集中。
   キアランと執事の入室に気付かないまま。

   やがて、曲が一区切り付く。
   キアラン、控えめに傍の壁を叩いて見せる。
   ルシール、気付いてパッと振り返り、目を丸くする。

キアラン「父上、遅くなりました(一礼)」
クロフォード伯爵「おう、戻ったか(けっこう上機嫌)」

   カーター氏とルシール、目配せ。
   カーター氏、一礼し、立ち上がる。
   ルシール、合わせて立ち上がる。

カーター氏「それでは、私どもはこれで……」
キアラン「いつもの部屋を用意してありますので、ごゆっくり」

   キアラン、扉を開ける。
   カーター氏とルシール、キアランと会釈、退出。
   キアラン、カーター氏とルシールの後ろ姿を見送る。
   キアランの背後で、執事、テーブル上の茶器を片付け始める。

クロフォード伯爵「彼女のハープの腕前は実に大した物だ……驚きだよ」
執事「存じ上げておりました」

   執事、茶器を片付けて、やがて応接間を退出。
   クロフォード伯爵、真面目な顔つきになり、キアランの方を振り返る。

クロフォード伯爵「タイター氏との直談判で一戦交えた後、ローズ・パークを訪問したそうだな」
キアラン「ええ。今日はもう遅いので、報告は後ほど……」

○クロフォード伯爵邸、最上階、キアランの自室(深夜)

   キアラン、今日の分の残務。机で書類整理。
   時々手が止まる。片手で髪をかき回し、思案顔。

x x x

(キアランの回想)

○ローズ・パーク邸、大広間(昼)

   ウォード氏(54)、呆然とした顔。
   茶カップを皿に置いているところの手が震えている。

ウォード氏(54)「アイリス嬢が失踪したのも、25年前だ……」
ウォード夫人(50)「まさか……『予期せぬ妊娠』が理由で?」

   ウォード夫人(50)、真剣な顔で口元に手を当て、思案に沈む。

(回想終わり)

x x x

キアラン「彼女の父親は、青い目の、かつてのプレイボーイ紳士。……あのブローチの頭文字Lは、レオポルドの……」

   キアラン、表情を険しくしかめる。
   手に持っていた書類をグシャリと握りつぶす。

本文/第四章

■第四章-01話:クロフォード伯爵家の人々

《人物表》

・ルシール・ライト(25、女主人公)…濃茶色の髪、一見して茶色の目。
・キアラン・ダグラス(27、男主人公)公称「リドゲート卿」。
・マティ・トッド(9)…イタズラ少年。
・弁護士カーター氏(57)…クロフォード伯爵家の顧問の弁護士。
・レオポルド(55)…金髪碧眼。ダレット準男爵。
・ダレット夫人(50)…金髪碧眼。カミラ・ダレット準男爵夫人。
・アラシア(19)…金髪碧眼。ダレット準男爵令嬢。
・ライナス氏(28)…ダレット家の縁戚の赤毛青年。
・執事(60)…クロフォード伯爵邸の執事。

○クロフォード伯爵邸、ルシールの部屋(早朝)

   ルシール、黒ドレスをせっせと縫い直している。
   マティ、感心して眺めている(ルシールの部屋に遊びに来ている)

ルシール「これで、何とか舞踏会仕様になった感じね。こんな事もあろうかと、パーツ型にしておいて良かったわ」
マティ「器用だね、ルシール。それで、ホレ」

   マティ、無地の白い手袋をルシールに見せる。

ルシール「それ、どうしたの?」
マティ「アラシアのから失敬して来たヤツさ。サイズ、大丈夫だろ?」
ルシール「……ダレット嬢は怒らないのかしら?」
マティ「あいつは気付かんぜ、新しいレースのド派手な手袋がマイブームでさ(自信タップリな笑み)」

   ルシール、マティに押される形で、おずおずと手袋に手を入れる。
   サイズは少し大きいが大丈夫。
   マティ、得意満面。さっそく大蛇のオモチャを操作し始める。

マティ「何を隠そう、この大発明の蛇の皮だって、以前アラシアが気に入らんって放り出した布で出来てるんだ。それをこうしてな……、マティ様ったら、慈悲深いじゃんか」
ルシール「……そうなの?(苦笑)」

○クロフォード伯爵邸、大広間(朝)

   朝食後のティータイム。
   ルシールとマティ、手に手をつないで大広間に入室。
   ルシール、庭園作業用の男服を着用中。

   先にお茶していた紳士たち、立ち上がる。
   カーター氏(57)、キアラン、ライナス氏(28)。

カーター氏(57)「お早うございます、ライト嬢」
ルシール「昨夜は、どうもお世話になりました」

   ルシール、赤毛の紳士(ライナス氏、28)を眺め、首を傾げる。

カーター氏「地元の紳士で、傍系親族の一人、ライナス氏です。ダレット家の親しい友人と言う事です」
キアラン「ライナス氏、こちらはルシール・ライト嬢。カーター氏が担当する案件に関して、当分の間、この館に滞在する予定です」

   ライナス氏、ルシール、丁重に一礼し合う。
   マティ、パッと閃いた顔になる。

マティ「思い出した! カニング氏の隣の隣の隣の詩人の息子!」
ライナス氏「久し振りだね、マティ君(ちょっと苦笑)」

   ライナス氏、ルシールの庭園作業用の男服を不思議そうに眺め、

ライナス氏「何故そんな奇妙な格好を?」
ルシール「いささか訳がありまして……」
マティ「ワイルド先生が往診に来るしねッ」

   各々、着座。
   ルシール、マティにお茶を入れ始める。
   宮廷で見るような貴婦人の所作。
   ライナス氏、感歎の眼差し。興味深そうに眺める。

   カーター氏、足元に置いていたカバンを取り、書状を取り出す。
   ルシールに書状を渡す。

カーター氏「私は事務所に戻りますが……アントン氏の私信の写しを取りましたので、原本を差し上げます」
ルシール「まあ、有難うございます……カーターさん」

   ルシール、頬を染める。
   マティ、目を丸くして、

マティ「私信って、何?」
カーター氏「アントン氏は20年ほど前に、既に孫娘と会っていたと言う内容ですよ」
マティ「どういう事?」
カーター氏「20年前、アントン氏は、アシュコート伯爵領を訪れ、亡くなったとされる娘さんの墓を探しておられましたが、そこで見い出したのは、 生存中の娘さんと孫娘さんだった……という内容になります」
マティ「……と言う事は、ルシール・パパは結局、不明なんだ」
カーター氏「残念ながら」

   カーター氏、苦笑しつつ、マティの頭を撫でる。
   面々に一礼し、席を立つ。
   執事が扉に居て、カーター氏を通す。
   カーター氏、大広間を退出。

   ルシール、首を傾げつつ、大広間を見回す。

ルシール「ダレット家の皆さまは……?」
マティ「ダレット家は全員、朝寝坊。他人を死ぬほど待たせてから、偉そうに登場するんだぜ」

   ライナス氏、複雑な苦笑。キアラン、無表情。
   ルシール、呆然とした顔でマティを見つめながら、絶句。

X X X

○クロフォード伯爵邸、大広間(昼)

   ルシール、マティ、キアラン、ライナス氏で会話。
   執事が入室して来て、慇懃な態度で大広間の扉を開ける。
   四人全員で、執事を注目。

執事「レオポルド殿、レディ・ダレット、ダレット嬢のお出ましです」

   レオポルド(55)、傲然と入室。
   続いて、ダレット夫人(50)、アラシア(19)。
   キアランとライナス氏、立ち上がり、表敬の一礼。
   ルシールとマティ、合わせて立ち上がり、一礼。

   ダレット一家、ライナス氏とキアランに、上から目線を返す。
   上座のソファに着席。ルシールとマティの存在を完全に無視。
   ルシール、目をパチクリ。
   着座のタイミングが読めず、立ち尽くす。

   マティ、万事心得た様子で、ルシールの袖をチョイチョイと引く。
   マティ、ソファにピョンと座り、隣席をポンポン。
   ルシール、おずおずとマティの隣に座る。

   レオポルド、ルシールの人相を見るなり、一瞬、顔色を変える。
   キアラン、レオポルドの変化に気付き、あごに手を当てて思案。

   アラシアとライナス氏、ヒソヒソ話(内容は聞こえてこない)。
   アラシア、キアランに見せつけるようなニヤニヤ笑い。
   ライナス氏、アラシアの手の甲にキス。
   アラシア、純情に頬を染めて驚いたふりをする(バレバレの演技)。

アラシア「もう、お上手ねえ、フフフ」
ライナス氏「おお、この世に類無く輝く髪の女神、レディ・アラシア!」
アラシア「(目を可愛らしくパチパチさせ)……あら、何か他におっしゃることは無いの?」
ライナス氏「今宵のローズ・パーク舞踏会で、高貴な令嬢をエスコート致す以上の光栄は考えられず……」

   マティ、ソファから、パッと身を起こす。

マティ「ライナスがアラシアをエスコートするの?」
ダレット夫人「フン、何を分かりきった事を!」
マティ「ふーん、(ルシールを振り返り)、それじゃ、ルシールはキアランがエスコートできるね」
アラシア「今、何と言ったの!?」

   アラシア、顔色を変え、攻撃的な目付きになる。
   ルシール、口をポカンとして、マティを眺める。
   マティ、ノホホンとした様子で茶をゴックン。

マティ「ルシールも、ローズ・パーク舞踏会に行く事になってる」
アラシア「それは不可能よ! 第一、乞食も同然の……ドレス一着も持ってない筈よ!」
マティ「誰かが燃やして、炭にしたからね」

   マティ、白々しい目付きで、チラとアラシアを見やる。
   アラシア、いっそう目を吊り上げ、口元を歪めて、

アラシア「身の程知らずの、クソの茶ネズミに、悪魔のガキが……!」

   ルシール、ギョッとする。
   アラシア、素早くキアランに目をやり、急に目に涙を浮かべる。

アラシア「あ、あたくしは何もしなかったわよ!(悲劇ヒロイン風の震え声)」

   アラシア、目に涙を一杯溜めている。
   マティとルシールをビシッと指差す。

アラシア「そっちの魔女とマティの方が怪しいでしょ! 前の復活祭の時の大犯罪は知ってるわよ!」

■第四章-02話:アラシア警報! …未遂

《人物表》

・ルシール・ライト(25、女主人公)…濃茶色の髪、一見して茶色の目。
・キアラン・ダグラス(27、男主人公)公称「リドゲート卿」。
・マティ・トッド(9)…イタズラ少年。
・レオポルド(55)…金髪碧眼。ダレット準男爵。
・ダレット夫人(50)…金髪碧眼。カミラ・ダレット準男爵夫人。
・アラシア(19)…金髪碧眼。ダレット準男爵令嬢。
・ライナス氏(28)…ダレット家の縁戚の赤毛青年。
・ドクター・ワイルド(76)…クロフォード伯爵の主治医。
・執事(60)…クロフォード伯爵邸の執事。

○クロフォード伯爵邸、大広間(昼)

   アラシア、マティとルシールをビシッと指差している。
   ライナス、我関せずといった様子で大人しくしている。
   レオポルド(55)、キアランの方をジロリと睨む。
   キアラン、無表情のまま、レオポルドの視線に応える。

   ルシール、青ざめ、目が泳ぐ。

ルシール:心の声(これが、婚約中の二人の会話かしら? それとも、本物の気難しい貴族って、こういう物?)

   ルシール、隣に座っているマティに、そっと目をやる。
   マティ、フンッと鼻を鳴らし、茶カップを口に付けている。
   実際は、マティは飲んでいるふりをしてるだけ。
   カップで半ば顔を隠しつつ、

マティ「(ヒソヒソ呟き)親子で揃って、何で、ああいう認識なんだよ……ダレット家全員の頭を割って、中身を調べたいもんだ」

   ルシール、マティの呟きをシッカリと小耳に入れ、目をパチクリ。
   そろりと、ダレット夫人(50)の方を注目。

   ダレット夫人、上から目線で、ルシールをジロジロ眺め回す。
   ダレット夫人、贅沢なハンカチを口元でヒラヒラさせる。

   ルシール、ダレット夫人の所作に気付いて眺める。
   チラとマティを見やり、小首を傾げ、無反応になる。

   ダレット夫人、苛立たし気に手持ちの扇を開閉し、パシンと鳴らす。
   口元に、見下げるような笑みが浮かぶ。

ダレット夫人「この程度のサインも理解できないなんて、教育がなってないわね! 教えてあげるわ、さっきの『貴婦人のサイン』の意味は、 『出て行って良い』という意味よ! この程度のサインも分からないなんて、なんて無知なのかしら! ローズ・パーク舞踏会で赤っ恥をかくのになるのはお前なのだから、 身の程を知って、おとなしく引っ込んでなさいな! 野外の使用人から始めて、社交界のルールを勉強して来なさい! ま、この年齢でコレだけ愚かなのだから、 クロフォード伯爵邸の見習いメイドにすらなれないでしょうけどね……!」

   ルシール、再びマティの、ノホホンぶりを見やる。
   困惑顔ながらも、顔を半分伏せる。

ダレット夫人「その格好! ボロボロの顔を下げてシャアシャアと出て来れるなんて、流石に卑しい階級だわねえ……鏡を見て反省しなさいよ! それに、 あなた、年は幾つかしら? 後見人も居ないとはね、さすが、父親不明のふしだら女だわね……格式ある社交界では、年齢制限があるって事も、知らなかったのかしらね!?」
ルシール「今年、25歳になります(上流社交界のレディの発音)」

   ダレット夫人、ルシールの発音に気付き、ギクッとした顔になる。
   扇を持つ手が不安定に揺れる。

アラシア「……ウソ!?」
ライナス氏「25歳……!? マティ君と、それほど年の離れてない姉弟みたいなものかと……!?」

   マティ、愕然とした様子で、ルシールの顔を何度も見直している。
   次に手を伸ばして、ルシールの両頬を、「ふにふに」とつねり始める。

マティ「ウソ……絶対、15歳は越えて無いと思った……」
ルシール「……(無言で苦笑い)」

   執事(60)、扉を開く。
   ドクター・ワイルド(76)が現れる。

ドクター・ワイルド「失礼するよ、患者さんがこちらだと聞いたんだ」

   アラシア、急にライナスを放って身を返す。
   猛烈な勢いでドクター・ワイルドに接近。

アラシア「先生! あたくし、ものすごく気分悪いんですの! 震えが止まらなくって、食欲も全く無くって、頭がガンガンして……、動悸も乱れたままで、夜も眠れませんの! あたくし、 今にも死ぬんですわ! 全部、あの呪われた顔面の、地獄から現れたような恐ろしい傷だらけの、卑しい魔女のせいで――」

   マティ、目を丸くする。
   ルシール、絶句。

マティ「すげえ! あの長大なセリフを、息継ぎなしで!」
ドクター・ワイルド(76)「舞踏会が、一番の特効薬ですな」

   ドクター・ワイルド、平然と処方箋を書き出す。
   処方箋をアラシアに手渡し、目をギョロリとさせ、ソファを指し示す。

ドクター・ワイルド「ダレット嬢、『頭痛が痛い』なら、そこのソファに横になりなさい。あとで、この世で最も効果のある注射を、チクッとして進ぜよう。 象をも一発で昇天させるほどの、確かな注射ですぞ」

   アラシア、気圧された様子で、別のソファに着座。

   ドクター・ワイルド、空いているテーブルに陣取る。
   ルシールを招き、診察を始める。
   マティ、好奇心タップリの顔で、傍に寄って行く。
   ダレット一家、忌々しい表情ながらも沈黙、往診の様子を見物。

   ドクター・ワイルド、ルシールの脈を確認
   ニヤリとした顔でウィンク。
   ルシールの頭の包帯をテキパキと解いていく。

ドクター・ワイルド「アントン氏に似て石頭だね。ふっふっふ。……ふむ?」

   ドクター・ワイルド、ルシールの頭頂部を眺める。
   キョトンとした様子でヒゲを撫で、首を傾げる。

ドクター・ワイルド「包帯は外しても良いが……何で、新しい打撲が出来とるんだ?」
ルシール「……あ(赤面)、昨日、標識ポールに頭をぶつけて……」
ドクター・ワイルド「ほほぉ!(ニヤリ)……そりゃ、また痛かった筈だ。ホレボレするような見事なコブじゃからな。前方注意はしときなさい、お嬢さんや」

   キアラン、それとなくルシールに注意を払っている。
   ちょっと口元に手を当てる(吹き出し笑いを押さえる格好)。
   アラシア、キアランの様子に気付き、目つきを一気に険しくする。
   ライナス氏、アラシアの変化に気付き、しきりに目が泳ぎ始める。

ドクター・ワイルド「そこを、ちょっと歩いてみなさい」

   ルシール、五歩くらい歩く。
   ドクター・ワイルド、頷き、手を上げて診察終了を合図。

ドクター・ワイルド「ふむ。変に力が入って姿勢が崩れとる。ゆがみは残っておる訳じゃな」

   ドクター・ワイルド、テキパキとルシールのカルテを作成しつつ、

ドクター・ワイルド「今夜は舞踏会だそうだが、急に腰をねじらんように。馬に蹴られた際の衝撃は、結構、深部に到達しとるからな」
ルシール「分かりました」

   マティ、小さな身体を精一杯テーブルに乗り出す。

マティ「ねぇヒゲ先生、ルシールは25歳だと言うけどさ、そう見えないよ」
ドクター・ワイルド「イッヒヒ……お肌が綺麗じゃからな……節度のある生活のお蔭じゃろう」

   ドクター・ワイルド、診療カバンを持ち上げ、

ドクター・ワイルド「さて、次は閣下とクレイグ殿の往診だな……失礼」

   マティ、手を振り、ドクター・ワイルド、手を振り返して見せる。
   ドクター・ワイルド、執事に促され、退出。

   ルシール、ダレット一家を改めて眺め、困惑しつつ、淑女の礼。
   執事、訳知り顔で扉を開けたまま待機中。
   ルシール、キアランと会釈を交わし、退出。
   マティ、ぴょんぴょんスキップしながら、ルシールの後を付いて退出。

   キアラン、不動の立ちの姿勢のまま、

キアラン「ローズ・パークまで相当距離があるので、昨日より早めに出発の予定です。いつものように、大型馬車を用意させておきます」

   キアラン、会釈なし、速やかに大広間を退出。
   大広間の扉が閉まった瞬間、レオポルド、盛大に鼻を鳴らす。

レオポルド「フン! さすがに、あの忌々しい男の血筋という訳だ」
ダレット夫人「あの下賤な女もローズ・パークの招待客とはね! さぞ卑劣な手練手管を使ったんでしょうよ!」

   アラシア、ソファに深く座り直し、豪華な髪型をいじくり回す。
   口元を歪め、

アラシア「フフン……25歳ですって、あの茶ネズミ。言うなればチビのオールド・ミスって……笑っちゃうわ!」

   ダレット夫人、不意に厳しい顔をしてアラシアに向き直る。

ダレット夫人「アラシア! すぐにエステを呼び寄せるから……今後、夜更かしとタバコは、厳禁よ!」

   アラシア、「はあ!?」というような、むくれ顔になる。
   ライナス氏、コソコソと安全な距離まで退避済み。

■第四章-03話:ローズ・パーク舞踏会ゆきの馬車の中で

《人物表》

・ルシール・ライト(25、女主人公)…濃茶色の髪、一見して茶色の目。
・キアラン・ダグラス(27、男主人公)公称「リドゲート卿」。
・マティ・トッド(9)…イタズラ少年。
・レオポルド(55)…金髪碧眼。ダレット準男爵。
・ダレット夫人(50)…金髪碧眼。カミラ・ダレット準男爵夫人。
・アラシア(19)…金髪碧眼。ダレット準男爵令嬢。
・ライナス氏(28)…ダレット家の縁戚の赤毛青年。
・執事(60)…クロフォード伯爵邸の執事。
・御者、従者…各2名(若手とベテラン)、4名

○クロフォード伯爵邸、ルシールの部屋(夕)

   ルシール、舞踏会仕様に縫い直した黒服を着用。
   新しく据え付けられた鏡台の前に座り、髪型をセット。
   舞踏会に出るには地味すぎ、リボンの位置を何回も変えつつ、

ルシール「どうも決まらないし、どうしたら良いのかしら……(溜息)」

   マティ、目をキラキラさせて身を乗り出す。

マティ「そのブローチ、髪飾りにすると良い感じだよ」
ルシール「ブローチ?」
マティ「工作なら得意だから……」

   マティ、ルシールからリボンとブローチを受け取る。
   ルシールの頭にリボンを巻き、アメジストのブローチを取り付ける。

マティ「どんなもんだい!?(得意顔)」
ルシール「……(驚きで絶句)、マティって、スタイリスト、成功するかも」
マティ「そう? オイラは大発明家になる予定だけどねッ」

○クロフォード伯爵邸、玄関広間[エントランスホール](夕)

   ルシール、馬車の出発時間に合わせ、外套をまとって玄関広間で待機。
   程なくして、キアラン、現れる。

キアラン「時間は正確なんですね」
ルシール「……?」

   キアラン、エスコートのための腕を差し出す。
   ルシール、差し出された腕を見て、目をパチクリ。

ルシール「……私、ですか?」

   キアラン、無表情で頷く。
   執事(60)、心得顔で玄関扉を開く。

○クロフォード伯爵邸、正面玄関前ロータリー(夕)

   ローズ・パーク行きの馬車、二台、スタンバイ中。
   二頭立ての軽快そうな黒塗りの馬車と、四頭立ての金縁の豪華な大型馬車。

   キアラン、ルシールを、二頭立ての馬車の前までエスコート。
   昨日と同じ若い御者、キアランと会釈を交わす。

ルシール「(キョロキョロ見回し)……ダレット一家とライナス氏は、何処にいらっしゃるんですか?」
キアラン「ダレット一家は身支度が長くていつも遅刻する。ライナス氏に任せてあるし、放って置いて大丈夫です」
ルシール「……?」

   キアラン、困惑顔のルシールを馬車の中にヒョイと上げる。
   四頭立ての大型馬車を担当する御者と従者に、会釈。
   ベテラン御者と従者、会釈を返しながらも、ゲッソリとした様子。

○ローズ・パークへ向かう道、馬車の中(夕)

   昼下がりから夕方に移る時間。馬車、快速で移動中。
   ルシール、キアランの様子をそっと窺う。
   キアラン、いつも通りの無表情。
   ルシール、思案顔で首を傾げる。

ルシール:心の声(マティは『婚約してる』と言ってたけど)

   ルシール、ボンヤリと左側の馬車窓を眺める。
   光景は見ておらず、左上の方にボンヤリと顔を向けている状態。
   (目線も左上に寄っている)

ルシール:心の声(ダレット嬢とリドゲート卿の間にある、ピリピリとした空気、 どう見ても、明らかに婚約関係という雰囲気では無いわよね……ダレット夫妻の方は、 気難しい貴族も多いと聞くから、ああいう人たちなのだと理解するしか無いけれど)

   ルシール、少し眉根をキュッと寄せる。
   結構、真剣な思案顔。

ルシール:心の声(最大のミステリーは、『婚約者たるアラシア・ダレット嬢』と、『友人とは言えライナス氏』との、 『度を越えたイチャイチャぶり』を見せ付けられて、リドゲート卿が、それでも、なお冷静だという事だわ)

   キアラン、ルシールをジーッと眺めている。
   ルシール、少女っぽい繊細な顔立ちの中で表情をクルクル変えている。
   ルシールの茶色の目、夕光を受け、紫を帯びた色合いに千変万化。
   キアランの目線、割と柔らかい。
   ルシールが憂い顔になったのに気付き、

キアラン「何を考えていたんですか、ルシール?」
ルシール「……!(ギョッとしてキアランの方を向き) ……いえ……! 何でも無く……」

   ルシール、パパパッと首を振る。
   馬車、走り続ける。
   夕刻と言って良い時間だが、辺りはまだ明るい。

   やがて後ろから、四頭立ての大型馬車、出現。
   重量のある荷物のせいで、土埃と大音響。
   ルシール(後部座席)、ビックリして窓越しに後方を眺める。
   キアラン(前部座席)、後方を確認、険しく眉根を寄せる。

キアラン「外泊の荷物も積んでいるから、倍以上の重量の筈だ。あれでは、一時間もしないうちに馬が疲労でつぶれてしまう」
御者(馬車の連絡窓から)「ありゃ正真正銘のストーカーですね。追突しますよ。あっちの御者に速度制限の合図、送っておきます」

X X X

○ローズ・パークへ向かう道、馬車の中(夕)

   日没。急に辺りは薄暗くなる。
   キアラン、車内灯を天井から取り外し、ルシールに差し出す。

キアラン「そろそろ車内灯を点けます。揺れるので持っていてくれますか」

   ルシール、車内ランプを固定。
   キアラン、手元で火を起こし、車内灯に移す。
   キアラン、再びルシールの方を見た瞬間、目を見張る。
   ルシールの目、アメジスト色に変化。

キアラン「――目の色が……?」

   ルシール、キアランの妙な反応を見て、目をパチクリ。
   やがて手元の車内灯の光を眺め、パッと気付いた顔になる。
   ルシール、おずおずとキアランを見やる。

ルシール「もしかして、目が紫色になってます?」
キアラン「(呆然と頷き)……アメジストのような……」

   キアラン、すぐに納得顔になる。

キアラン「角度で変化するのか……光の反射?」
ルシール「何だかそうみたいですね、マティの説明によれば……母と同じ目をしている……とは言われましたが」

   ルシール、曖昧に首を傾げつつ、キアランに車内灯を返す。
   キアラン、天井に車内灯を吊るす。
   キアラン、再びルシールの目を観察。

キアラン「陰になると、いつもの茶色……成る程」

   キアラン、ルシールの顔を両手で挟む。
   ルシール、驚きの余り、目と口をパカッと開く。
   キアラン、ルシールの顔を車内灯に向けさせる。
   ルシールの前髪が脇に流れ、面差しが露わになる。

キアラン「こうすると、ライラック色になるんですか」

   キアラン、少しずつルシールの顔を傾けて、目の色の変化を観察。

キアラン「ふーん……大体アメジストの色合いですね」

   ルシール、キッと眉を吊り上げる。
   キアランの手を外してパッと座席の奥に飛びすさる。

ルシール「人の顔で遊ばないで下さいッ!」
キアラン「失礼……」

   ルシール、上気。息を弾ませている。
   心臓がドキドキしていて、無意識のうちに胸を押さえている。
   上気したため、目の色は先刻よりも鮮やかなアメジスト色。

   キアラン、座席に座り直し、再びルシールに見入る。

キアラン「この紫色を、良く世間から隠しおおせたものですね」
ルシール「てっきり既に気付いてると思ってました。人の事をジロジロ見てらっしゃるし……」
キアラン「それは、エドワードが追いかけているお嬢さんの親友だからですよ。『その人物を見るには、その友人を見よ』と言いますから」
ルシール「……アンジェラ!?」
キアラン「エドワードは、アンジェラ嬢に惚れています」

   ルシール、開いた口が塞がらない。
   困惑顔になり、(文字通りの意味で)頭を抱える。

ルシール「済みません、ちょっと頭が追いつかなくて」
キアラン「アンジェラのような女性を放っとく紳士が居るとは思えませんが。怪しげな縁結びしているくせに、自身については想定外だったと言う訳ですか?」
ルシール「結婚を前提とする縁結びで、怪しいものではありませんわ。それに大抵の紳士は、アンジェラ周辺の事情を理解した途端に、決まって退散してしまいますし」

   キアラン、少し目をしばたたき、納得顔になる。
   しげしげとルシールを眺める。

キアラン「あの時、ロックウェル事件のゴシップを持ち出したのも、エドワードを退散させると言う目論見があった訳か……」
ルシール「……(ドッキリして、目が泳ぐ)」
キアラン「しかし、実に迂闊でした……あなたの事を、もっと調べる必要がある……」
ルシール「私は犯罪してません、お尋ね者と言われても困りますわ」

   ルシール、困惑顔で、恨みがましくキアランを眺める。
   キアラン、しばし無言、不意に、微かな笑みを浮かべる。

キアラン「その意味で言ったのではありませんが」

   ルシール、ドキッとして目を見張る。

   次の瞬間、キアラン、いつものムッツリとした無表情に戻る。
   馬車の窓の外を眺め始める。
   辺りは、ローズ・パーク近辺の光景に変わっている。

   ルシール、戸惑い気味に口元に手を当て、左側の窓を見る。
   (キアランが見ている窓と同じ方向)

ルシール:心の声(先程の笑みは、何処かで見たような……)

   馬車窓の外の光景、並木道に変わる。
   ルシール、眉根を寄せつつ、並木道の上の方を眺める。
   やがて、パッと眉間を開く。

X X X

(ルシールの回想・フラッシュ)
○クロフォード伯爵邸、最上階、画廊(昼)

   プレート名『ロイド&ホリー・グレンヴィル』、グレンヴィル夫妻の肖像画。
(回想終わり)

X X X

   キアラン、馬車窓の外を確認し続けている。
   ルシール、そっとキアランの横顔を眺める。

ルシール:心の声(リドゲート卿の笑みは、グレンヴィル夫人ホリーの笑みに、良く似ているんだわ)

■第四章-04話:ファイト円舞曲(前)

《人物表》

・ルシール・ライト(25、女主人公)…濃茶色の髪、一見して茶色の目。
・キアラン・ダグラス(27、男主人公)公称「リドゲート卿」。
・ウォード氏(54)…ローズ・パークのオーナー協会員。庭園管理担当。
・ウォード夫人(50)…ローズ・パークのオーナー協会員。
・グリーヴ氏(63)…ローズ・パークのオーナー協会員。元は同邸の執事。
・グリーヴ夫人(62)…ローズ・パークのオーナー協会員。
・カーティス氏(55)…ローズ・パークのオーナー協会員の代表。二代目。
・カーティス夫人(51)…ローズ・パークのオーナー協会員。二代目。お喋り。
・ケンプ氏(27)…ローズ・パークのオーナー協会員。二代目。警備担当。
・レオポルド(55)…金髪碧眼。ダレット準男爵。
・ダレット夫人(50)…金髪碧眼。カミラ・ダレット準男爵夫人。
・レナード(27)…金髪碧眼。ダレット準男爵令息。
・アラシア(19)…金髪碧眼。ダレット準男爵令嬢。
・シャイナ(26)…金髪碧眼。絶世の美女。カーティス夫妻の姪。
・御者…クロフォードの馬車を操縦する青年。
・カニング氏(58)…地元の名士の一人。
・ローズ・パーク舞踏会の招待客たち…老若男女、60名ほど。

○ローズパーク邸、正面玄関(夜)

   キアランとルシールの馬車、ローズ・パーク邸に到着。
   前庭ロータリーを回り、正面玄関の前でキアランとルシールを降ろす。
   他の招待客の馬車と共に駐車場に移動していく。

○ローズパーク邸、玄関広間[エントランスホール](夜)

   キアラン、ルシールをエスコート。
   周りの名士(老若の紳士淑女)たち、チラチラと注目。
   名士の一人(カニング氏、58)、近付いて来る。

カニング氏(58)「これは、リドゲート卿。昨夜は我が家の舞踏会へお越しいただきまして……今夜のお連れは、どなたで?」
キアラン「彼女は亡きアントン・ライト氏の孫娘、ルシール・ライト嬢です」
カニング氏「おお。ライト嬢。お初にお目にかかります。アントン氏には、いろいろとお世話に」
ルシール「今後ともよろしくお願いいたします(淑女の礼)」

   カニング氏、以下、周りの紳士淑女たち、ちょっと目を見張る。
   ルシール、周囲の視線を感じて、上気しつつ半分うつむく。

ルシール:心の声(ローズ・パークのオーナー協会員になった時のためにも、慣れておかないと……)

   キアラン、再度ルシールをエスコート。
   玄関広間に入る。
   ケンプ氏(27)、客に、順番に歓迎の言葉を掛けている。
   キアランが来た事に気付いた客たちが、少しざわめく。
   ケンプ氏、ざわめきに気付いて、

ケンプ氏「ローズ・パーク舞踏会へようこそ。リドゲート卿、ライト嬢」

   ケンプ氏、ルシールの薄紫色のショールに気付き、

ケンプ氏「そのショール、似合ってますね」
ルシール「ありがとうございます(ニッコリ)」

   キアラン、一層ムッツリ度を増した無表情。
   ルシール、ふと、キアランの様子を眺め、ギョッとする。
   ルシール、困惑顔ながらも、行く手に集中。

   大広間へ先行する客たちの流れが出来ている。

○ローズ・パーク邸、大広間(夜)

   キアランとルシール、大広間に入る。
   カーティス夫妻(55、51)、気付いて接近して来る。
   カーティス夫人(51)の派手な衣装、目立ちまくり。
   ルシール、ちょっと目を見張る。

カーティス夫人「ようこそローズ・パーク舞踏会へ! オーナー協会の会員も全員揃っておりますの」
キアラン「舞踏会の招待を有難うございます、カーティス夫妻」
カーティス氏(55)「本来はグリーヴ氏も、こちらにいらっしゃる予定でしたが、会場支配人の件で。代わって不在をお詫びします」

   キアラン、軽く頷いて見せる。
   ウォード夫妻(54、50)出て来て、会釈。

ウォード夫人(50)「グリーヴ夫人は、少し遅れて来るとか」
カーティス夫人「あぁ、会場支配人の件だったわね。あ、それから……」

○ローズ・パーク邸、大広間、上座(夜)

   大広間の上座の入口、豪華な造りだが少人数しか通せないサイズ。
   レオポルド(55)、ダレット夫人(50)、傲然と入って来る。
   アラシア(19)、ライナス氏(28)にエスコートされて入って来る。

   レオポルド、キアランの方向を不機嫌そうに睨み付ける。
   キアラン、オーナー協会の人々と社交辞令を交わしているところ。

レオポルド「まずはオーナー協会か? キアランの奴、どこまでも堅物だな……フン!」

   レナード(27)、柱の間から現れ、レオポルドに接近。

レナード「父上! 伯爵邸への私の出入禁止の問題、どうなりましたか」
レオポルド「まだだ……新しい問題が発生した。あの当て馬の女を何とかしてからで無いと、次に進めん」

   レオポルドとレナード、不穏な眼差しで、柱の陰から窺う。
   招待客と会話中のキアラン&ルシールの姿。
   レナード、フンと鼻を鳴らしながら、

レナード「馬に蹴られても死ななかったとは、さすが魔女ですね」
シャイナ(26)「まぁ、こちらでしたのね、レナード様」

   シャイナ、歓迎の笑みでレオポルドとレナードに接近。
   外国エキゾチック風、淑女の礼。

   レオポルド、威儀を正す。
   重々しく威厳タップリに、淑女の礼に頷いて見せる。

レオポルド「おや……そちらは?」
レナード「最高に素晴らしい令嬢ですよ、此処のオーナー代表の姪御、シャイナ嬢は」
レオポルド「カーティス夫妻の、自慢の姪か。アシュコートでは、息子が世話を掛けたようだな」
シャイナ「ご存知でいらしたとは、身に余る光栄でございますわ」
レナード「シャイナ嬢は海外育ちだけど、意外にも、ここテンプルトン出身なんだよね」
シャイナ「こちらの約束事など、まだ覚束ないところがございますの。ダレット家の皆様がたにおかれましては、ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします(艶やかな笑み)」

   シャイナ、優雅に会場の方を振り返り、

シャイナ「レナード様のご自慢の妹様は、今夜のお相手も素晴らしくていらっしゃいますね」

   アラシア、ライナス氏のエスコートを受けている。
   その周りで、会場の若い紳士たちが公然と、アラシアをちやほや。
   (言うなれば、逆ハーレムの集団)

   レオポルド、素早くキアランの方へ視線を飛ばす。
   キアラン、ルシールをエスコートしている。
   オーナー協会の面々と共に、主だった名士たちと挨拶中。
   アラシアをまったく注目していない。

   レオポルド、キアランとアラシアを交互に見やる。
   目端、忌々し気にピクピク震える。

レオポルド「む。エッヘン……(咳払い)」

X X X

○ローズパーク邸、大広間(夜)

   カーティス夫人、挨拶回りが一段落した後も、おしゃべりが止まらない。
   ルシール、圧倒されつつ、調子を合わせて相槌。
   ウォード夫妻、ルシールと目を合わせ、ユーモアを込めて苦笑。

カーティス夫人「オーナー協会の親交のために、最初は代表とペアを組み……、あッ、今夜はリドゲート卿がいらしたんだわ」
カーティス氏「(辺りを見回しつつ)……シャイナは何処だい? 一緒に来た筈だが」
カーティス夫人「(辺りを見回しつつ)困ったわねえ、あの子ったら……リドゲート卿のお相手を務める筈だったのに。あら、グリーヴ夫人。シャイナを見かけなかったかしら?」

   グリーヴ夫人(62)、呼び止められて、首を傾げながら歩み寄って来る。

グリーヴ夫人「姪御さんなら、ダレット一家が先程いらしたから、接待に出て行った筈ですよ。 毎度ながら贅沢な装いの御一家……いえ、今回はストリート・ショッピングとかで、この辺りに外泊のお話もあるみたい」
カーティス夫人「まあ! まあ! そうだったわッ、レナード様に気に入られて……」

   カーティス夫人、頬に手を当てて、キョロキョロ。
   次の瞬間、ぱあぁッと閃いたような顔つきになる。
   カーティス夫人、いきなりルシールの肩に、ポンと手を置く。

カーティス夫人「ちょうどぴったり! 正式なオーナーじゃ無いけど新人だし、あなたも一曲目の程度なら、お茶の子さいさいでしょ!」

   ルシール、唖然・呆然。

ルシール:心の声(私が、リドゲート卿のペアを務めるの!? よりにもよって、先発の一曲目で!?)

   カーティス夫人、カーティス氏とグリーヴ夫人を急かす。

カーティス夫人「ちょっと悪いけど、あなたもシャイナを探して。あの子を何処で見かけたのか教えて、グリーヴ夫人!」

   カーティス夫妻とグリーヴ夫人の三人、あっという間に立ち去る。
   ルシール、途方に暮れて固まる。
   キアラン、ルシールをジッと見た後、手を取る。

キアラン「先日の打ち身が響かないように、やってみましょう」
ルシール「大丈夫じゃ無いです! あの……実は私は、アンジェラより、ダンスが下手なんです!」

   ルシール、恥を忍んでの一大告白で赤面している。
   ウォード夫妻、ケンプ氏、ルシールを眺めて、キョトンとした顔。

   グリーヴ氏、会場のタイミングを読んで楽団に指示、音楽スタート。
   大広間のダンススペースに、先発を務めるペアが並び始める。

キアラン「もう遅いですよ、一曲目が始まる」

   キアラン、ルシールの手を離さず、そのままダンスの輪の中に入る。
   位置に付き、最初の一礼(ルシール、淑女の礼)。
   見物人の誰かが、ほう、と感心したような呟き。
   ルシール、緊張して、少し足元が震える。

   ダンス、最初のステップ。
   キアランのリードは巧みで、ルシール、ちょっと目を見張る。
   ルシールの薄紫色のショール、花びらのようにひるがえる。

ルシール:心の声(さすが貴族、なのかしら。リドゲート卿って、エドワード卿と同じくらいダンスが上手……)

   ルシールの顔、緊張で薄紅に染まっている。

(上の方から声)「可愛いですね」
ルシール「ハッ……?」

   ルシール、思わず目をパチクリ。
   キアランを見上げる。

   キアラン、いつもの無表情で、進行方向に注意を向けている。
   レナード&シャイナ、近くでダンスをしている。

ルシール:心の声(さっきの、リドゲート卿が喋ったのかしら? この顔で?)

   ルシール、だんだん困惑顔になる。

キアラン「途中、段差があるから気を付けて下さい」

   ルシール、困惑を振り払い、そそくさと会場の床を見回す。
   階段状の段差、会場を半分に分割している。
   落差が高く、幅が狭い。実用的では無く、明らかに凝った装飾の類。
   ダンスのグループは、段差の上と下で分かれている。

ルシール「一つの会場に、何故、段差が?」
キアラン「昔の習慣で、上流階級とそれ以外とを段差で分けていたそうです。今はダンスの際のスリル成分として、世間の評判に寄与しているようです」
ルシール「成る程……噂には聞いていたけれど……」

   ルシール、段差に注目し、気を取られる。
   いきなり後ろから、ライナス&アラシアのペアが接近。
   アラシア、ターンの勢いで背中をドンとやり、ルシールを弾き飛ばす。
   ルシール、段差の上から落下しそうになる。

   キアラン、既に衝突に気付いており、ルシールの背中に手を回す。
   ルシール、口アングリ、息が詰まる。
   (キアランが半分以上、ルシールの体重を支えている)

   衝突ペア、技巧溢れる華麗なターンを披露しながら、素早く離れて行く。

   キアラン&ルシール、傍目には息の合ったターン。
   少しアドリブが入った感じの、意外に良い雰囲気の良いダンス。

アラシア「チッ(ルシールを横目で見つつ、舌打ち)」
ライナス氏「……(恐怖の絶句)」

キアラン「大丈夫ですか?」
ルシール「はあ……(次第に赤面)」

   ルシール、ギクシャクしたまま、顔を上げられない。
   足元が不安定に泳いでいるところ、キアランが適度にフォロー中。
   ルシール、次第に涙目になって来る。

ルシール:心の声(今、自分は絶対、変な顔してる。ステップだって、間違ってる自信ある!)

   ダレット夫妻、上座の物陰から、キアラン&ルシールを睨み付ける。
   レオポルド、憎々しげな顔。コブシを振り、

レオポルド「あの石頭、何を呆けているんだ。ライナス見逃しとは、ニブいヤツだ! あんな下賤な女に見とれているとは、良識を疑うわッ!」
ダレット夫人「ダンスも絶望的に下手な女! 場末の何処かで踏み潰されても当然なのよね!」

■第四章-05話:ファイト円舞曲(中)

・ルシール・ライト(25、女主人公)…濃茶色の髪、一見して茶色の目。
・キアラン・ダグラス(27、男主人公)公称「リドゲート卿」。
・ウォード氏(54)…ローズ・パークのオーナー協会員。庭園管理担当。
・ウォード夫人(50)…ローズ・パークのオーナー協会員。
・グリーヴ氏(63)…ローズ・パークのオーナー協会員。元は同邸の執事。
・グリーヴ夫人(62)…ローズ・パークのオーナー協会員。
・カーティス氏(55)…ローズ・パークのオーナー協会員の代表。二代目。
・カーティス夫人(51)…ローズ・パークのオーナー協会員。二代目。お喋り。
・ケンプ氏(27)…ローズ・パークのオーナー協会員。二代目。警備担当。
・レオポルド(55)…金髪碧眼。ダレット準男爵。
・ダレット夫人(50)…金髪碧眼。カミラ・ダレット準男爵夫人。
・レナード(27)…金髪碧眼。ダレット準男爵令息。
・アラシア(19)…金髪碧眼。ダレット準男爵令嬢。
・シャイナ(26)…金髪碧眼。絶世の美女。カーティス夫妻の姪。
・ソフィア・ウォード(25)…ウォード夫妻の長女。
・ローズ・パーク舞踏会の招待客たち…老若男女、60名ほど。

○ローズ・パーク邸、大広間(夜)

   先発、第一曲目のダンス、終了。
   レナード&シャイナに、カーティス夫妻が声を掛けているのが見える。
   カーティス夫妻、シャイナを伴ってキアランの傍にやって来る。

   キアラン、長くルシールの手を取ったまま。
   ルシール、困惑顔でキアランを見上げる。
   (この状態だと、ルシール、区切りの一礼が出来ない)

   カーティス夫妻、キアランに一礼し、にこやかな様子で、

カーティス夫人「先程は大変、失礼いたしまして、リドゲート卿! こちらが、私どもの姪のシャイナですの」
カーティス氏「シャイナは海外育ちなのですが、出身はテンプルトンで。よろしくお見知りおきのほど」

   シャイナ、あでやかな笑みを浮かべる。
   キアラン、ルシールの方を見ず、手を放す。
   ルシール、顔を真っ赤にしたまま、涙目で、そそくさと離れる。
   キアランとシャイナ、二曲目のダンスのため、丁重な一礼。
   キアラン、シャイナをエスコート。

   ルシール、端に引っ込み、大柄なケンプ氏の後ろに隠れる形になる。
   先ほどからの身体の震えが止まらず、そわそわと落ち着かない。
   隣に大柄な令嬢が居るが、余裕が無く、ボンヤリと見逃している。

   ケンプ氏、ルシールの様子に気付かず、感心したようにシャイナを眺める。

ケンプ氏「カーティス夫妻の自慢の姪御さんだ……ダンスが非常に上手な淑女ですよ」
ルシール「とりあえず良かったです、私はダンスが下手なので……」
ソフィア(25)「あらまあ、でも先刻のダンスは素敵だったわよ」

   ルシール、不意に声を掛けられてビクッとする。
   ソフィア、ルシールに微笑んで見せる。気遣いが感じられる笑み。
   ルシール、ホッとしたように笑みを返す。

ルシール「……あの……」
ソフィア「うふ。私、ソフィア・ウォードと申しますの」
ルシール「ウォード嬢……と言う事は……(目をパッと見開く)」
ソフィア「ローズ・パークの庭園オーナー、ウォード夫妻の長女です。ライト嬢のこと、両親から聞いて、楽しみにしてましたの。 偶然ながら同い年、同じ独身だとか。もしかしたら同じ六月生まれかしら? 是非、仲良くしてくださいませね(ユーモアを込めたウインク)」
ルシール「こちらこそ。偶然ながら私も六月生まれです。あの、ルシールで構いません」
ソフィア「まぁ、なんてステキな偶然! 私の方も、ソフィアで構いませんわ」

   ケンプ氏、頭をかきつつ振り返り、ユーモアの笑み。

ケンプ氏「何で、私を差し置いて、女性同士で、素早く打ち解け合えるんですかね」
ソフィア「あら。百合という事もありましてよ?(キマジメ)」
ケンプ氏「……え!?(ちょっと慌てる)」

   ルシール、ケンプ氏とソフィアを見て、ピンと来た顔になる。

ルシール「ケンプ氏は、ソフィアをダンスにお誘いにならないと、いけませんわ。 (メモを取り出し、真面目な顔になり)的中率満点の、この占い記事によれば、この後、とんでもない騒動が降りかかる事に……」
ケンプ氏「うーむ。それは大変だ。では、ソフィア」
ソフィア「ファイトですわね(ニッコリ)」

ルシール:心の声(占い記事というのは、ハッタリだけど、フフフ)

   ケンプ氏&ソフィア、ルシールに手を振って、ダンスの輪に参加。
   キアラン&シャイナ、アラシア&ライナス氏、ダンス中。
   (レナード、現在は脇に退いている)

   アラシア、時折ルシールの方に目をやり、殊更に蔑むようなニヤニヤ笑い。
   ライナス氏、恐怖の表情を顔に張り付けたまま、大人しく従っている。

   カーティス夫妻、上機嫌でルシールの場所までやって来る。

カーティス夫人「オーナー代表としての面目が施せて、ホント、ホッとしたわ!」
カーティス氏「そうだね、お前。ライト嬢も、一曲目、お疲れ様。お蔭で助かったよ」
ルシール「い、いえ……(取り繕いの笑み)」
カーティス氏「おッ、ケンプ氏とソフィア嬢だね。張り合い半分っていうビミョウな二人なんだが、今夜は良い雰囲気だね」
ルシール「婚約していないのが不思議なくらいだと思うんですけど」
カーティス夫妻「あらあら、まあまあ、アシュコート社交界は隠れた縁組の名所って聞くくらいだし、そこから来たライト嬢の目なら、確実かしら!?(目をキラキラ)」

   ルシール、そっとキアランの姿を探す。すぐ見つかる。
   キアラン&シャイナのダンス、非常に上手。
   大広間の招待客の全員が注目し、感嘆の溜息をついているところ。
   アラシアも、おとなしく沈黙中。

ルシール「シャイナさん、綺麗ですね……」
カーティス夫人「まあ、ありがとう! あの美貌で、まだ独身だから、さすがに私も心配なのよ……オホホッ。 もしかして、もしかしたら、リドゲート卿に見初められるって事も……ああ、ドキドキしちゃうわ」
カーティス氏「昨夜のカニング氏の舞踏会での話、聞いたばかりだろ。リドゲート卿は、ゆくゆくは、ダレット嬢と婚約するとか。 実際、リドゲート卿は飛び入りで参加されて、しかもダレット嬢をエスコートしておられたとか」
カーティス夫人「確定した話じゃ無いでしょ(ちょっとむくれる)。クロフォード伯爵が、まだ何も言っておられないし。夢は見ても良いじゃないの」

   ルシール、注意深く相槌を打ちつつ、思案顔。
   再び、キアラン&シャイナの様子、しばらく眺める。
   困惑顔になり、頬に手を当てて溜息。
   そっと目をそらし、夜闇に沈む窓をボンヤリと眺める。
   窓ガラスに映る、地味な茶髪茶眼、黒ドレスの姿。

ルシール:心の声(私も、金髪だったら……? そして、父親不明の問題も、キチンと解決できていたら……)

X X X

(ルシールの回想)

○ゴールドベリ邸、庭園(昼)

   20年前、ルシール(5)、アイリス(30)の後を付いて行って、

ルシール(5)『あのね、ママ、何でルシールだけ金髪じゃ無いの? アンジェラは金髪で、ママも金髪で、レディ・オリーヴも金髪なのに』
(※「レディ・オリヴィア」の発音は難しいので「オリーヴ」になる)

   アイリス(30)、困った顔になる。悲しげな雰囲気。

(回想終わり)

X X X

   窓ガラスに映る、地味な茶髪茶眼、黒ドレスのルシールの姿。
   ルシール、窓ガラスの中の姿に向かって、溜息混ざりの苦笑。

ルシール:心の声(こう言うコンプレックスは、もう卒業したと思っていたんだけど。リドゲート卿とペアを組んで、舞い上がってしまったせいだわ。シッカリしないと。 父親なんて、今まで不要だったし、これからも不要。あのタイター氏をキッチリ粉みじんにして、アントン氏……いえ、 お祖父さまとお母さまの思いを引き継いで……ローズ・パークの庭園オーナー権を相続するのよ!)

   ルシール、改めてキッと顔を引き締め、ショールの端を握り締める。

カーティス夫人「あらあら、ライト嬢、あちらをご覧になって。南三番のペアの方々、テンプルトンの実業家で……」
ルシール「失礼しました、ボンヤリしていて。南三番の方、ですよね」
カーティス夫人「そうそう……」

X X X

   キアラン&シャイナ、ダンスの輪に乗って会場を巡る。

シャイナ(26)「まあ、ダンスがお上手ですわ、リドゲート卿……先程のステップは、ペアに合わせての物でしたのね?」
キアラン「……失礼。余り良く聞いていなかったので」
シャイナ「ひどい方ですわね!」

   シャイナ、優雅さと可愛らしさの混ざった笑み。
   近くの紳士たち、思わず見とれ、ちょっとステップを崩す。
   キアラン、辺りを見回し、眉根を寄せるが、すぐに元の無表情に戻る。
   シャイナを眺める。

   シャイナ、妖艶さと清楚さのある艶やかな笑みを返す。
   再び、周囲で、ちょっとしたステップ崩れの騒ぎ。

   キアラン、不動の無表情。
   シャイナから視線を外し、辺りを見回す。

   シャイナ、思案顔になり、悩まし気に首を傾げて見せる。
   再び、周囲で、ちょっとしたステップ崩れの騒ぎ。

   ダンス曲、一区切り。
   キアラン、シャイナの手を放し、丁重に一礼。

シャイナ「二回目を申し込んで下さいませんの?」
キアラン「ええ、申し訳ありませんが、失礼します」

   キアラン、垂れ幕の方を見やる。
   シャイナも視線を合わせる。
   垂れ幕の陰に、レナードの姿。割と不穏な表情。
   シャイナ、頬に手を当て、戸惑い顔になる。
   キアラン、クルリと身を返し、速やかに立ち去る。

   レナード、入れ替わりにシャイナの傍に接近。
   シャイナの手を取り、手の甲にキス。
   ビックリするシャイナに、苦笑して見せる。

レナード「美も分からぬ野暮な男……先刻、忠告したとおりでしょう。実に失礼なヤツですね」

   レナード、熱を込めた視線でシャイナを見つめる。
   うやうやしく首を垂れ、シャイナの手の甲に何回もキス。

   シャイナ、頬を染めて慎ましく身をよじり、目を何度もパチパチ。
   清らかで楚々とした風情。
   シャイナ、目をうるませ、紅潮した頬に手をやり、淑やかにうつむく。

シャイナ「お、お化粧を直して参りますので……」
レナード「楽しみにしてるよ、シャイナ」

   シャイナ、レナードを気にしながらも、楚々とした様子で廊下へ去る。
   レナード、会心の笑みを浮かべ、別の令嬢を物色し始める。

■第四章-06話:ファイト円舞曲(後)

《人物表》

・ルシール・ライト(25、女主人公)…濃茶色の髪、一見して茶色の目。
・キアラン・ダグラス(27、男主人公)公称「リドゲート卿」。
・ウォード氏(54)…ローズ・パークのオーナー協会員。庭園管理担当。
・ウォード夫人(50)…ローズ・パークのオーナー協会員。
・グリーヴ氏(63)…ローズ・パークのオーナー協会員。元は同邸の執事。
・グリーヴ夫人(62)…ローズ・パークのオーナー協会員。
・カーティス氏(55)…ローズ・パークのオーナー協会員の代表。二代目。
・カーティス夫人(51)…ローズ・パークのオーナー協会員。二代目。お喋り。
・ケンプ氏(27)…ローズ・パークのオーナー協会員。二代目。警備担当。
・レオポルド(55)…金髪碧眼。ダレット準男爵。
・ダレット夫人(50)…金髪碧眼。カミラ・ダレット準男爵夫人。
・レナード(27)…金髪碧眼。ダレット準男爵令息。
・アラシア(19)…金髪碧眼。ダレット準男爵令嬢。
・シャイナ(26)…金髪碧眼。絶世の美女。カーティス夫妻の姪。
・ランドール氏(31)…裕福な資産家。シャイナの秘密の夫。
・ナイジェル・ビリントン(28)…タイター氏の甥。
・御者…クロフォードの馬車を操縦する青年。
・ローズ・パーク舞踏会の招待客たち…老若男女、60名ほど。

○ローズ・パーク邸、控えの回廊(夜)

   人の気配の無い回廊。照明も必要最小限で薄暗い。
   シャイナ、頬に手を当て、楚々とした歩み。
   シャイナの後を付いて来る人影(=ランドール氏、31)。

   シャイナ、回廊の一角に到達。
   どっしりとした高い衝立の前で立ち止まる。
   ランドール氏(31)、シャイナの傍に早足で駆け付ける。

ランドール氏「シャイナ! 君はこの私の妻の筈だぞ! 何であの、チャラチャラ男、レナードと!」
シャイナ(26)「此処クロフォード伯爵領の社交界での、ダレット一家の地位と特権の大きさ、 ランドール様もご存知でしょう? ダレット一家は高貴なる王族親戚の方々で、王族親戚からのバックアップも受けていらっしゃるし。社交界には色々あるのよ、 私にはどうしようも無いの……次は、連続でレナード様のお相手をする約束だから」

   ランドール氏、無言ながらも、まだ納得していない渋面。
   シャイナ、涙目で、しどけなく、ランドール氏に抱き付く。
   ランドール氏からは、シャイナの胸の谷間がシッカリ見える。

シャイナ「信じて……私にはあなただけなの、秘密の旦那様……ラストダンスの時が証拠だから」
ランドール氏「おお、シャイナ(陶然)。密会は危険だと分かっているが、禁じられた恋ほど燃えるものだ……」

   衝立の裏側から、ウォード夫妻(54、50)、密会を観察。
   シャイナとランドール氏、大人の男女の『きわどい戯れ』の真っ最中。
   『きわどい戯れ』特有の色っぽい喘ぎ声などが聞こえて来る。
   ウォード夫妻、困惑顔を交わす。

ウォード夫人「カーティス夫妻の姪御さんって……」
ウォード氏「えらい場に居合わせてしまったもんだ」
ウォード夫人「シャイナさんは最近、大富豪ランドール氏と秘密結婚してたのね。 カーティス夫人は、あれで結構、リドゲート卿とシャイナさんの縁組を本気で考えてるところあったから……駆け落ちよね……」
ウォード氏「最近の若い者は、つくづく大胆だ(首を振り振り)」

   ウォード夫人、呆れかえりながらも、染まった頬に手を当てる。

   ランドール氏とシャイナ、手に手を取って回廊を去って行く。
   『きわどい戯れ』の余韻。色っぽく熱い眼差しを交わす。
   ウォード夫妻、衝立に隠れつつ、ランドール氏とシャイナを観察。

ウォード氏「こりゃまた痴話喧嘩になるから、黙っとこう」
ウォード夫人「復活祭の頃にも、確かレナード様は、痴話喧嘩に借金にスキャンダルとか……」
ウォード氏「シャイナさんは頭が切れるから、一大事には、多分、ならんと思うが」

   ウォード夫妻、首を振り振り、衝立からそっと離れる。

○ローズ・パーク邸、大広間(夜)

   ナイジェル(28)、会場の入口に現れる。
   顔面の数か所に青あざや傷痕が見えるが、どうという事は無い状態。
   (カフェ店で無銭飲食で捕まり、店員と大乱闘したので怪我した)

   ナイジェル、のっそりとカーティス夫妻に近付く。
   大振りな所作で挨拶。
   カーティス夫妻の隣にルシールを見い出す。
   目を光らせ、鼻息を荒くする。

ナイジェル「もしかして、彼女が、例の庭園オーナー権を相続するという……?」
カーティス夫人「なんと、そうなのですわ!」

   ナイジェル、歯をむき、歪んだニヤニヤ笑い。目がランランと光る。
   ルシール、困惑。少しずつ青ざめ、じりじりと退く。

ナイジェル「ウッフフ……実に嬉しい対面です、実に悪くない。我々は不幸な争いを避けて、話し合う必要がありますな。良い機会です、是非是非、私とダンスをば」

   ナイジェル、ルシールの手首をガシッとつかむ。
   ズルズルと引きずる。

ルシール「ダンスが下手なので、失礼ながら……」
ナイジェル「さぁさぁ、パーッと踊りましょう(人の話を聞いてない)」

   連続してダンス中のケンプ氏&ソフィア、キアランとかち合う。

ケンプ氏「これは、リドゲート卿。どうかされましたか?」
キアラン「いえ、……(注意がそれている状態)」

   ケンプ氏&ソフィア、首を傾げながらも、ダンスを続ける。
   キアラン、固まったまま、ルシールの方向を注視し続ける。

   ナイジェル&ルシール、絶望的なまでにダンスが下手。
   一回ターンするたびに必ず隣のペアたちとぶつかり、騒動。
   ナイジェル、自己陶酔でウットリ、周りに気付かない。

ナイジェル「どうですか、我々は実にお似合いのカップルでしょう! ウカウカしてると、 我が叔父貴タイターが次のオーナーになっちまうしね、今月末までに我々が結婚し、正々堂々のオーナーになるって事で! そうすりゃ、 来月から始まる都の社交シーズンでも、夫婦でパーッとお披露目できますしね!」

   ナイジェル、喜色満面、得意満面。さらに鼻を高くして、

ナイジェル「叔父貴がオーナーになったら、これはマズイでしょう、ええ。恥ずかしい事ですが叔父貴は金欠でしてね。 ローズ・パークを手に入れ次第、高値で売るつもりに決まってんですよ!」

   ナイジェル、ルシールの首に腕を巻き付ける。
   ナイジェル、グルリと回る。
   ルシール、息が出来ない。朦朧としていて、半ば失神。

ルシール:心の声(首に縄をかけられて、暴走馬、じゃなくて暴走牛、の後ろに繋がれて、荒野を引きずり回されているような気分だわ!)

   ナイジェル、得意満面で再びルシールをプロレス風に引きずり回す。
   周囲のペアの脚とお尻を次々に蹴飛ばしながらも、

ナイジェル「叔父貴は、あなたの母親が好きだった分、可愛さ余って憎さ百倍と言うヤツでね、色々、 暴言を吐いてるんですが! 私は、そんな無礼な事は無いですよ、ええ。こうして、仲良くダンスもしてますしね。 ラストダンスの終わりには、我々の奇跡の婚約を記念して、熱烈なキス展開も、ウフフ!」

ルシール:心の声(町角の新聞雑誌の占いコーナーの頁には、『今夜は絶体絶命』と書いてあったに違いないわ!)

   会場の別の一角。
   迷惑トラブル報告を受けたグリーヴ夫妻、入室。
   すぐにナイジェル&ルシールに気付き、

グリーヴ氏(63)「あれは、プロレスしてるんじゃ無いのか」
グリーヴ夫人(62)「大丈夫なの、あの二人!?」

   ナイジェル、ルシールの首に腕を巻き付けている。
   そのまま、段差の傍で乱暴に振り回す。

カーティス氏「ナイジェルが、ごり押しを……」
カーティス夫人「まぁ、どうしましょう」

   グリーヴ夫人、騒動の中心に接近しつつ、

グリーヴ夫人「何か事故が起こる前に、ナイジェルを捕まえるのよ! 無駄に、でかい人だし、男たち二人がかりで!」

   ウォード夫妻、出遅れて入室。仰天しながらも、

ウォード氏「ケンプのペアが接近中ですから、呼び止めて――」

   ケンプ氏&ソフィア、気付かないまま、段差の前でターン。
   ナイジェル&ルシール、ケンプ氏&ソフィア、衝突。

ケンプ氏「おぉ!?」
ソフィア「あら?」
ナイジェル「どわ!」

   ナイジェル&ルシール、段差の下に向かって吹っ飛ぶ。

目撃者「段差が!」
ナイジェル「(段差の下の床に激突)ぶお!」

   瞬間、「ボキッ」という骨折音。
   ルシール、すんでのところで落下、止まる。
   キアランがルシールの身体を受け止めている。

ナイジェル「折れてる! 折れてる!(パニック悲鳴)」

   ナイジェル、うつぶせに倒れ伏したまま起き上がれない。
   ケンプ氏、一気に段差を飛び降りる。
   唖然としてナイジェルを見下ろす。
   オーナー協会の面々、駆け寄りながらも、呆然。

ケンプ氏「前方不注意……」
グリーヴ夫人「どころか、全方位不注意よ!」

   他のオーナー協会の面々、一瞬、目をパチクリ。

グリーヴ夫人「ケンプさんッ! とりあえず、控え室に運んで!」
ケンプ氏「ハイッ」

   ケンプ氏、一気にナイジェルを抱え上げる(お姫様抱っこ)。
   ナイジェル、いたいけな乙女ヨロシク赤面し、ジタバタ。
   すぐに骨折の激痛に負け、ケンプ氏の腕の中でグッタリ。

   キアラン、その様子を少し注目(結構、壮観)。
   ルシールをそっと床に降ろす。

キアラン「立てますか、ルシール?」
ルシール「なんか、腰をねじったみたいで……」

   ルシール、ガクガクと震えながら、手近な柱につかまる。
   キアラン、目を見張る。
   ドクター・ワイルドが注意していた場所を触る。

キアラン「この辺り?」
ルシール「……!!(激痛)」

   ルシール、ビョンと飛び上がる。
   柱にすがりついた格好のまま、ズルズルと崩れる。
   キアラン、唖然としつつも、ルシールを抱き起こす。

   レナード&シャイナ、離れた所から、他の人々と共に眺める。
   レナード、こっそりと嘲笑。

レナード「何やら、不手際やらかしているようですねえ……私なら、あんなヘマはしない……」

   キアラン、サッとルシールを抱き上げる(お姫様抱っこ)。
   オーナー協会の面々を振り返って、

キアラン「グリーヴ夫妻! ライト嬢も腰を故障したようです。ひとまず館に連れて帰ります」
グリーヴ氏「当方の不注意で大変申し訳ありません、リドゲート卿(冷や汗)……ウォードさん! 馬車を呼んで!」
ウォード氏「どうぞ、控えの方に」

   ウォード氏、控え室の側の出口を案内。
   クロフォードの馬車を、控え室の出口と直結する脇の小道に誘導。
   (正面玄関の前のロータリーでは無い)

   ルシール、アワアワしながら、

ルシール「私、歩けますわ、リドゲート卿」
キアラン「立てないのに歩けるとは、筋が通りませんね(真顔)」

   ルシール、赤面。切り返しの言葉が思いつかず、詰まる。

   クロフォードの馬車の若い御者、事態を見て取る。
   妙に目をキラキラ、訳知り顔。
   キアランとルシールが馬車内に落ち着いた瞬間、馬車を急発進。

■第四章-07話:ローズ・パーク舞踏会から帰る馬車の中で

《人物表》

・ルシール・ライト(25、女主人公)…濃茶色の髪、一見して茶色の目。
・キアラン・ダグラス(27、回想10)公称「リドゲート卿」。
・レオポルド(55)…金髪碧眼。ダレット準男爵。
・ダレット夫人(50、回想33)…金髪碧眼。カミラ・ダレット準男爵夫人。
・御者1…クロフォードの馬車を操縦する青年。
・御者2…ダレット馬車を操縦する中年ベテラン。
・アントン・ライト(回想、57)…老庭師。ルシールの祖父。
・プライス判事(回想、37)…クロフォード伯爵領の主席判事。

○ローズ・パーク邸、控え室の窓(夜)

   レオポルド、キアランを尾行しつつ、怒りで真っ赤になる。
   馬車、ローズ・パーク邸の正門を高速で飛び出すところ。
   操縦している御者1、結構、張り切っている様子。

レオポルド(55)「キアランのヤツ、遂に狂ったな! 此処でガツンと、ぶちかましておかねば!」

   レオポルド、駆け出す。
   つられてダレット夫人も駆け出す。あまりスピードが出ない。
   宝飾アクセサリーや贅沢な衣装が意外に重い。

ダレット夫人(50)「アラシアを放っとくの? テンプルトン中央の高級ショッピングとか、社交サロンとか……私だって忙しいのに、どうするってのよッ!」
レオポルド「口座の引き出し限度額の問題もあるだろうが! すぐに馬車で捕まえて、ヤツを引きずり下ろす!」

   ダレット夫妻、ローズ・パーク邸の前庭ロータリーに飛び出す。
   ドタドタと馬車に飛び乗る。
   ダレット夫人のドレスの端、まだ扉から飛び出している。
   待機していたダレット馬車の御者、アワアワと浮足立つ。

レオポルド「すぐに馬車を出せ、すぐに! キアランを捕まえて一発ガツンとやる!」
御者2「ええ? はあ?」
レオポルド「早くやれ!」
御者2「扉をちゃんと閉めてからで無いと」
ダレット夫人「閉めなさい! このグズが!」

   御者2、馬車スタッフを呼び集めて来る。
   扉から垂れ下がっている数々の宝飾アクセサリーを馬車に押し込む。

レオポルド「急げ、コラ!」
ダレット夫人「宝石に傷がつくじゃ無いの、アッ、ドレスがシワになったら、骨が折れるまでムチで叩いてやるからね、この役立たず!」

○キアランとルシールの馬車の中(夜)

   スピードを上げた馬車の中、かなり揺れている状態。
   キアラン、座席にルシールの身体を固定、外套を被せる。

キアラン「ドクター・ワイルドが急にねじるなと言った場所を、ねじっていますね。ナイジェルの体重が掛かったんですから、今は大事を取って横になって下さい」

   ルシール、少しもがいて、起き上がろうとする。
   キアラン、ルシールの肩を押さえ、動きを封じる。
   ルシール、おとなしくのびたままになる。

   キアラン、一層ムッツリとした顔になり、

キアラン「周りが見えないほど熱中して、ナイジェルと一体、何を話していたんです?」
ルシール「はあ……、実は、ナイジェルにプロポーズされました」

   キアラン、ルシールの顔半分を隠していた前髪をめくる。

キアラン「承諾した?(眉根をキュッと寄せて、結構、物騒な表情)」
ルシール「え(ちょっと、ギョッとして)……その、その前に転倒してしまって……お返事も何も」
キアラン「実に驚きの展開ですね」

   キアラン、片手で面を覆い、フーッと溜息。
   少しの間、沈黙。
   ルシール、生真面目に眉根を寄せ、コブシを口元に当てる。

ルシール「この問題が長引いたら裁判になる……タイター氏の事を考えると、割とナイジェルの話は良案なのかも……」
キアラン「父親不明の問題ですか。確かに、裁判に持ち込まれると、不利に働く要素になりますね……ナイジェルの求婚を受けるのですか?」
ルシール「余りにも急な話なので……でも、少し考えてみようかと思って……」
キアラン「タイター問題と父親不明の問題を気にしないと言う求婚者が居るなら、その求婚は真剣に考えると言う訳ですね?」
ルシール「はあ……」

   馬車、再び、ガクンと揺れる。
   ルシール、目を回し、アワアワとつかまる所を探す。
   キアラン、手を差し出し、ルシール、それにつかまる。

   キアラン、パッと目を見開くが、すぐに無表情に戻り、

キアラン「父親が誰なのか、知りたいと言う気持ちはありますか?」
ルシール「――それは……何とも言えないです(苦笑い)」
キアラン「……?」
ルシール「知りたいとか、そういう事よりも……元々、余り話題にする事じゃ無かったので……アンジェラのお父上が、その……問題あり過ぎるお方と言うのもあって……」
キアラン「……」

   キアラン、眉根を寄せる。思案顔に近い表情。
   ルシール、少しの間、あらぬ方を眺めた後、

ルシール「母は父について、ものすごく秘密主義だったけれども……口が堅かっただけで、それは嘘つきとは性質が違うんです。私が20歳になったら、事情を話してくれる約束でした」
キアラン「五年前に死亡と言う事は……」
ルシール「あの時、私はまだ20歳の誕生日を迎えてもいなかったし。母があんなに急に状態悪化するとは、夢にも思わなくて……」
キアラン「それはお気の毒でした」

   ルシール、目を伏せ、溜息をつく。

X X X

(ルシールの回想)

○ゴールドベリ邸、アイリスの部屋(夜)

   窓の外、降りしきる雪。
   窓際の病床、臨終のアイリス(45)が横たわる。
   ルシール(19)、母親アイリスの手を取り、状態を見守っている。

アイリス(45)『あの人の目の色は、わだつみの青……あの日、夕暮れの緑の丘の上で……(息を引き取る)』

   ルシール、滂沱たる涙を流す。

(回想終わり)

X X X

   ルシール、目を伏せたまま、歯を食いしばる。

ルシール:心の声(命が尽きる、その最期の日まで、愛した人を忘れられなかったのだ。お母様の人生は、それほどまでに尽くした愛は、いったい、何だったのだろう……)

   ルシール、にじみ出て来た涙を瞬きしてごまかす。
   あちこち目が泳ぐが、やがてパッと閃いた顔になる。

ルシール「そう言えば、祖父の事も何も知らないですわ。アントン氏は、どんな人だったんですか……?」
キアラン「彼は出不精で……テンプルトンやローズ・パークの社交界にも全く出ない人でした。年末年始の挨拶以外、会った事は無く……」

   キアラン、不意に目をパチクリさせて、

キアラン「あ……いや、話した事は一応ある……」

   ルシール、不思議そうな顔になり、キアランを眺める。

キアラン「寄宿学校に上がる前の夏の頃です。私は10歳だったかな……アントン氏は、その年の春に、館の庭師になっていた……」

X X X

(キアランの回想)
○クロフォード伯爵邸、バラ園の近辺(昼)

   17年前の夏の、ある日の昼下がり。
   キアラン少年(10)、バラ園に入り込む。
   乗馬用のムチを苛立たし気に振り回す。

アントン(57):茂みからの怒鳴り声「花壇に入るんじゃない!」

   キアラン少年、ビックリして振り返る。
   茂み、ガサガサ動き、麦わら帽子を頭に乗せたアントン氏が出現。
   キアラン少年、アントン氏を睨み、

キアラン「柵が無いのに分かる訳が無い」
アントン「うぐ……(言葉に詰まる)、バカモン! 柵はこれから作るところだ! 此処はバラ園になるんじゃ!」

   アントン氏、一旦、茂みの中にガサガサと引っ込む。
   すぐに柵を作る道具を持って来て、ガサガサと現れる。
   アントン氏、妙にトボけたようなユーモラスな歩み。

アントン「ホッ! ホッ!(仮設の柵を打ち込んで固定する時の掛け声)」

   キアラン少年、ポカンとして、アントン氏の作業を眺める。
   しばらくして、スカスカの柵ではあるが一応、仕切りが出来る。
   アントン氏、ジロリとキアラン少年を振り返り、

アントン「何処かで見たと思ったが、リドゲート様か……庭の端まで来て、訳の分からん事やっとるから……」

   キアラン少年、乗馬用の鞭を仕舞いつつ、素早くそっぽを向く。
   しかめ面をしているが、恥ずかしさで頬が染まっている。

キアラン「母が病気で……」
アントン「……母親? クロフォード伯爵夫人……?」

   アントン氏、目をしばたたき、キアラン少年を見つめる。
   複雑な表情で黙り込み、頭に被っていた麦わら帽子に手をやる。
   アントン氏、樹林の間から見えるクロフォード伯爵邸を眺める。

(回想終わり)

X X X

   ルシール、目を見張ってキアランを見上げる。

ルシール「リドゲート卿のご母堂も、病死されていらしたのですか?」
キアラン「私が寄宿学校に行く直前の頃に亡くなりました。領内の各種混乱の対応で、色々と苦労したと言う事もあったと思います」

   キアラン、うつむき、目を伏せる。

キアラン「アントン氏はその後、古くて荒れていたバラ園の一角に私を連れて行き、小型ハサミを持たせて、めぼしいバラの花を集めさせました」
ルシール「……?」
キアラン「アントン氏は、小さなバスケットに、私が集めたバラの花を詰め込んでいきました。 ブツブツと呟きながら……ほとんどは聞き取れませんでしたが、『フラワー・アレンジは娘の方が上手なんだが』と言うようなことを」
ルシール「(目をパッと見開き)……娘って、母の事……!?」

   キアラン、言葉に詰まりながらも、サッと面を上げる。
   ゆっくりと、あごに手を当てて思案ポーズ。やがて、ひとつ頷く。

キアラン「彼女が実は生きていた事を考えると、実に意味深な言葉であった訳ですね」

   キアラン、半ば目を伏せ、足元の方に視線を向ける。

キアラン「……アントン氏は、『御曹司どのからって事で奥方様に持って行ってくれ』と言って、 花を詰め込んだバスケットを渡して来ていました。『この辺はもう整地するんで、最後のバラの処理に困っていたからな』と付け加えて」
ルシール「……(興味深そうに相槌)」

キアラン「その時、館の正面玄関に、あわただしく馬車が横付けされて、騒がしくなり……ダレット夫人と、 治安判事になったばかりのプライス氏が、いつもよりも大声で口論していたせいですね。アントン氏は……」

   キアラン、不意に無言になる。
   ルシールに見えないところで、キアラン、コブシを握る。

X X X

(キアランの回想)
○クロフォード伯爵邸、正面玄関の前(昼)

   アントン氏とキアラン少年、茂みの中に潜みつつ、正面玄関の方を窺う。
   プライス判事、ダレット夫人を表に引きずり出している。

ダレット夫人(33)「つまんない当主だわね! プライスも新人の治安判事の分際で、身の程知らずが!」
プライス判事(37)「叩き出されて当然ですぞ、ダレット夫人! リドゲート卿に知られないうちに退出なされよ! これより後は、 レオポルド殿とご一緒にいらっしゃらない時は、館に出入りはさせませんぞ!」

○樹林の茂みの中

   奇妙に緊張した表情で、口論を眺め続けるアントン氏。

(回想終わり)

X X X

   キアラン、沈黙したまま、膝の上のコブシを見つめる。
   徐々に険しい表情になる。
   ルシール、心配そうな顔になり、

ルシール「あの……リドゲート卿?」
キアラン「……いえ、何でもありません」

   キアラン、ルシールから視線をそらし、思案顔で左側の方を見やる。

キアラン「……その後は、アントン氏と直接に話す事は、もうほとんど無くなっていたと思います。 その年の秋に寄宿学校に入学しましたし、地元に帰るのは学業の休暇の間だけでしたから。 卒業した後も、父に従って都と地元とをシーズンごとに往復していて……アントン氏と顔を合わせるのは、 さっきも言ったとおり、年末年始の挨拶の時くらいでした」

   キアラン、息をつき、ルシールの方に視線を戻す。

キアラン「多少なりとも、話せる内容があって良かった」

   ルシール、目をパチクリさせて、キアランを見上げる。
   車内ランプの光が入り、ルシールの目の色がアメジストになっている。
   キアラン、無表情ながら、しげしげとルシールの目の色を眺める。

キアラン「私の事を余り怖がっていないらしいですし、その紫色の目をじっくりと鑑賞できましたから」

   ルシール、目をパッと見開き、息を止める。
   目が泳いだ後、真っ赤になって、外套の下に潜り込む。

ルシール:心の声(最初の頃、自分が怖がっていた事は、しっかりバレていたんだわ!)

ルシール(外套の下から声)「私の目の色は、茶色ですが……」

   再び、馬車が大きくガクンと揺れる。
   ルシール、座席から落ちそうになって、アワアワする。
   キアラン、器用にルシールを座席に落ち着ける。

御者1(馬車の連絡窓から)「道路が荒れてます。少し揺れますんで、つかまっててくださーい」

■第四章-08話:エントランスホールに響き渡る口論!

《人物表》

・ルシール・ライト(25、女主人公)…濃茶色の髪、一見して茶色の目。
・キアラン・ダグラス(27、男主人公)公称「リドゲート卿」。
・マティ・トッド(9)…イタズラ少年。
・レオポルド(55)…金髪碧眼。ダレット準男爵。
・ダレット夫人(50)…金髪碧眼。カミラ・ダレット準男爵夫人。
・ライナス氏(28)…ダレット家の縁戚の赤毛青年。
・ベル夫人(62)…クロフォード伯爵邸の家政婦長。
・執事(60)…クロフォード伯爵邸の執事。
・ドクター・ワイルド(76)…クロフォード伯爵の主治医。
・牧師(78)…ダレット荘園の地所の牧師。陳情に来ている。
・御者…クロフォードの馬車の御者。
・召使、メイド…40人ほど。クロフォード伯爵邸の使用人。

○クロフォード伯爵邸、玄関広間[エントランスホール](深夜)

   馬車、クロフォード伯爵邸の正面玄関の扉の前に横付け。
   執事(60)とベル夫人(62)、玄関広間に駆け付け。

   正面玄関の扉、御者の手によってロックを外され、開かれる。
   キアラン、ルシールを抱き上げたまま玄関広間に現れる。

執事「一体これは!?」
ベル夫人「ライト嬢、怪我ですか?」
キアラン「この間の馬に蹴られた部分に、またダメージを食らったようだ」
執事「ははあ」

   ベル夫人、片眉を上げ、目をきらり。
   キアランにひとつ頷いて見せ、食器室の方へと誘導。

ベル夫人「湿布を用意いたしますので、食器室に」

○クロフォード伯爵邸、食器室(深夜)

   ベル夫人、食器室のドアを開く。
   キアラン、食器室にルシールを運ぶ。
   ルシール、椅子に降ろされる。
   キアラン、退出。
   控えていた執事、ドアを閉じる。

   ルシール、椅子の上でポカンとし、グルリと見渡す。
   傍にカウンターテーブル。テーブルには簡素な茶器セット。
   ずらりと並んだ厳重な鍵付きの食器棚。
   銀食器から陶磁器まで、様々な種類の食器を収納整理。
   奥に、小型のキッチンがあり、ヤカンが幾つか。

   ほどなくして、重量感のある車輪音が響いて来る。
   車輪音、正面玄関の前に近づき、止まる。

執事(ドア隙間から洩れて来る声)「ダレット方の馬車が……!」

   ドアが完全に閉じられていない。
   玄関広間の会話が相応に筒抜けの状態。

ベル夫人「予想通り」
ルシール「予想通り?(キョロキョロ)」

   正面玄関の扉、バターンと音を立てる。
   食器室まで聞こえて来て、ルシール、ビクッとする。
   ベル夫人、冷静に湿布を作っている。

   ダレット夫妻(55、50)の荒々しい足音。

レオポルド(ドア隙間からの声)「キアラン君! 一体どういう事なんだね!」
キアラン(ドア隙間からの声)「何の事です? レオポルド殿」
レオポルド(ドア隙間からの声)「ごまかすな! 娘アラシアに対して、よくも非道な仕打ちを!」

   ルシール、ただひたすら真っ青になる。プルプル。
   ベル夫人、相変わらず冷静。ルシールの腰に冷湿布を当てる。

レオポルド(ドア隙間からの声)「大体、貴様はなっとらん! 親族中の評判は地の底に落とす! 我々夫妻からは一つ残らず奪う! 何と言う面汚し!  貴様は所詮、法律上の嗣子に過ぎんのだぞ! ……この、成り上がり者めが!」

   キアラン、無言。

レオポルド(ドア隙間からの声)「これ程に強欲、かつ、傲慢で冷酷な男が、爵位を継ぐとは……混乱は必至だ! 先日と来たら、レナードを脅迫したと言うでは無いか!」
キアラン(ドア隙間からの声)「速やかな立ち退きを要請しただけです。レナードは、それ程の不始末をしたので」
ダレット夫人(ドア隙間からの声)「レナードに限って、不始末などある筈無いでしょう!」
レオポルド(ドア隙間からの声)「よくも、下賤の成り上がりのくせに、貴族の血筋のレナードを呼び捨てにしたな! あの馬鹿げた禁止事項など無意味だ!」

   ダレット夫妻、口々に大声で叫び続ける。
   言葉が重なって、何を言ってるかも分からない状態。

キアラン(ドア隙間からの声)「口を閉じたまえ、ダレット夫妻!」

   水を打ったような静けさ。

キアラン(ドア隙間からの声)「私の方からは、復活祭の時の決定を見直す可能性は、一片たりとも無い。ダレット家の財務状況も逐一監視していましたが、 また借金が増えていますね。銀行口座の利用上限を再度引き下げるように通達を出しましたから、承知しておいて下さい」
ダレット夫人(ドア隙間からの声)「そんなバカな!」
レオポルド(ドア隙間からの声)「ふざけやがって! ふざけ……!(怒りの余り物も言えない)」

   ものすごくピリピリしている静寂。

レオポルド(ドア隙間からの声)「……、チクショウ、確かめてやる! あの下賤な商売女を、何処に隠してるのかもな!」

   二組の乱暴な足音、ドタドタと玄関広間から遠くなる。
   やがて、執事とキアランの足音、コツコツと続き、消える。

   玄関広間、シーンとなる。

○クロフォード伯爵邸、玄関広間(深夜)

   執事、用件を済ませて戻って来る。
   食器室のドアをノック。
   食器室のドア、ゆっくりと開く。

   ベル夫人、現れ、ルシールを通す。
   ルシール、すっかり青ざめ、落ち着きなく広間を見回す。

ベル夫人「ドアが完全に閉じていなくて、不愉快な事をお聞かせしてしまいまして……いつもの事でございますが」
執事「ダレット夫妻のあら捜しが一段落しまして。今、安全に部屋に入れる状態ですから。鍵はロックしておいてください」

  執事、ベル夫人、ルシールを誘導。

○クロフォード伯爵邸、ルシールの部屋(深夜)

   ルシール、ベッドに潜り込み、落ち着かなく寝返り。

ルシール:心の声(あの口論は、一体どういう事なんだろう?)

ルシール:心の声(リドゲート卿が、『法律上の嗣子に過ぎない』……?)

ルシール:心の声(リドゲート卿はダレット嬢の婚約者の筈。すなわちダレット夫妻にとっては、リドゲート卿は将来の義理の息子になる筈。 そのリドゲート卿に対して、ダレット夫妻は何故、あのような物言いを……?)

   ルシール、やがて、熟睡。

○クロフォード伯爵邸、大広間(朝)

   朝食後のお茶。ルシール席の近く。
   ダレット夫妻がまだ大広間に現れない時刻。大広間の中は静穏。
   マティ(9)、お行儀悪くテーブルの上にお座り。

マティ「昨夜の舞踏会で、倒れたって!?」
ルシール「それは大袈裟よ……腰ひねっただけだし」

   ルシール、お茶を一服し、のんびりと苦笑。

ルシール「今は何とも無いから……」
ドクター・ワイルド(76)「ウォッホン!」

   思わずギョッとして振り返るルシールとマティ。
   ドクター・ワイルド、いつの間にか大広間に出現している。
   ドクター・ワイルド、腰に手を当てて仁王立ちになり、ギョロ目。

ドクター・ワイルド「まったく、どいつもこいつも素人診断しやがる」

   マティ、ビックリ顔で口をポカンと開け、おとなしくなる。
   ルシール、赤面し、首をすくめる。

   キアラン、いつものようにムッツリとした様子。
   ドクターに軽く会釈。
   ライナス氏(28)、近くの椅子にグッタリ座り込んだまま。

   ドクター・ワイルド、怪訝そうに、ライナス氏の様子を窺う。
   ライナス氏の目は充血しており、目の下には色濃いクマ。

ドクター・ワイルド「寝不足の兆候が全身に出ていますぞ、ライナス氏」
マティ「ローズ・パークに置き去りにされたってんで、明け方の馬車で午前様。でも、アラシアは外泊してたから、慌て過ぎだねッ」
ドクター・ワイルド「ほうほう……(面白そうな顔でヒゲを撫でる)」

   ドクター・ワイルド、ルシールに、衝立の次の間を指差して見せる。

ドクター・ワイルド「着衣の裾を上げるから、隣の間で……」

   ルシール、ドクター・ワイルドの後を付いて行く。
   マティ、ルシールの後に付いて行く。
   ライナス氏、少しむくれた様子で、

ライナス氏「ガキの特権ってか……(ボソッと小声)」

   執事、大広間の扉をノックして現れる。

執事「リドゲート卿。陳情の方がいらしております」
キアラン「あぁ、分かった」

   キアラン、執事と共に大広間を退室。

○クロフォード伯爵邸、執務室(朝)

   キアラン、執務室の椅子に落ち着く。
   牧師(78)、入室するなり、一礼して、

牧師(78)「わたくし、ダレット荘園の地所で牧師をしておる者です。小作人を代表して陳情に参りました。 ダレット荘園では、無茶な増税で小作人の脱走が増えていて……小作人を代表し、ダレット家の特権をクロフォード伯爵に没収いただきたいと訴えるものです」

   牧師、涙目になりながらも、書状をキアランに手渡す。
   キアラン、書状を受け取り、無言で、牧師に椅子を指し示す。
   牧師、やっと椅子にヨロヨロと落ち着く。

   キアラン、書状を開き、内容をひととおり確認。
   難しい顔になり、きつく眉根を寄せる。

キアラン「訴状は受理しておきます。いずれ、抜本的対応を取りますので……」
牧師「何とぞ、よろしくお願いいたします(白髪頭を深々)」

   キアランと牧師の間で、しばらく現況報告が続く。

○クロフォード伯爵邸、大広間[衝立の間](昼)

   ドクター・ワイルド、診療カバンに軟膏の瓶を片付けつつ、

ドクター・ワイルド「その辺を歩き回る程度なら、全く大丈夫だ。安静を強制したリドゲート卿に感謝するんだね。 それにしても、何で、こう狙ったかのように、腰をねじる羽目になったのかね(呆れた溜息)」

   ルシール、顔を赤らめてうつむくばかり。
   ドクター・ワイルド、首を振り振り、カバンの中を整理。

ドクター・ワイルド「伯爵の方は骨折の直後、その足で愚かにも部屋を移動してくれたから、治りが遅れとる。男ゆえの自負も、時には問題だな」

   ルシール、目をパチクリ。

ルシール「最近、骨折されていたんですか? 伯爵様は何故、骨折を?」
マティ「復活祭の直後、馬車事故でさ! 馬がいきなり暴走したとかで。同乗していたプライス判事は、数個の擦り剥きで済んだけど」
ルシール「……(絶句)」
マティ「あの事故は絶対、闇の陰謀なんだ! 超・邪悪な宇宙人の一味が……」

   ドクター・ワイルド、禿げ上がった頭に手を当てる。
   ガックリ・ポーズ。

ドクター・ワイルド「その妄想の力を、もっと違う方向に振り向けたまえ」

○クロフォード伯爵邸、玄関広間[エントランスホール](昼)

   ドクター・ワイルド、正面階段を登って行く。
   (クロフォード伯爵とクレイグ牧師の往診の為)
   ルシールとマティ、ドクター・ワイルドを見送り。

   ルシールとマティ、お茶の続きをするため、大広間へ向かう。
   玄関広間に、いきなりダレット夫妻が傲然と現れる。
   ルシールとマティ、ギョッとして柱の陰に隠れる。

レオポルド「お前たち、遅い! 何をグズグズしとるんだ、サッサと動かんか!」

   玄関広間、召使とメイドでいっぱいになる。

ダレット夫人「テンプルトンの集会に遅れたら大変なのよ、ムチ打ち百回は覚悟しなさい! 早く馬車を出して!」
レオポルド「こら、執事よ! 急いで馬車を回したまえ!」

   執事、既に召使に合図して、馬車を回している所。
   ルシール、呆然。

ルシール「王様みたいね」
マティ「王様気取りさ。伯父さんの目が届かないところでは、あんな感じだよ」

   レオポルド、隅っこのルシールとマティを発見。
   さらに不機嫌になり、足をバンバンと踏み鳴らす。

レオポルド「こら! ガキも女も頭(ず)が高い! このライナスを見習うんだ!」

   ライナス氏、既にメイドや召使の整列の前に居て、恭しく頭を下げている。

ライナス氏「こと偉大なる貴族たる閣下が、貴き奥方様をお見送りになる……この場に同席いたす栄誉は、実に貴重と申し上げまする」

   マティとルシール、再び唖然。
   レオポルド、上機嫌な様子でふんぞり返っている。
   マティとルシール、顔を見合わせ、ライナス氏の後方に並ぶ。

   正面扉は大きく開かれ、召使とメイド、前庭までズラリと整列。
   ダレット夫人、レオポルドのエスコートで、傲然と中央を歩む。
   ダレット夫人、馬車に乗り込む。
   マティ、小バカにしたように鼻をかき始める。

マティ「元・貴族なのに、筋が通らねーよ」
ルシール「元・貴族って?」
マティ「ダレット家は準男爵なんだよ。アラシアの方も、本当はレディの称号は付かないんだぜ。キアランの婚約者って事で、伯爵令嬢扱いだけどさ」

   ダレット夫人を乗せた馬車、荘重なペースで出て行く。

マティ「キアランにチクってやる……どうせ、賭博の集会なんだ」

   馬車の見送り、一段落。
   レオポルド、身を返し、執事に正面玄関の扉を開けさせる。
   自分だけサッサと館内に入って行く。

   整列中のスタッフ、顔を見合わせ、各持ち場に戻る。
   ライナス氏、疲れたような溜息をつく。
   ライナス氏、下心を込めた意味深な眼差しで、ルシールの方を見やる。

   マティ、ピンと来た顔になる。

マティ「邪魔してやるもんね」

   マティ、ライナス氏に向かって舌を出して見せる。
   唖然とするライナス氏。
   マティ、ルシールの腕に取り付いて、おねだりポーズ。

マティ「庭園の散歩に行こうよ、ルシール」
ルシール「え? ええ」

   マティとルシール、手に手をつないで立ち去る。
   ライナス氏、口を引きつらせ、プルプル震える。

■第四章-09話:邂逅する謎

《人物表》

・ルシール・ライト(25、女主人公)…濃茶色の髪、一見して茶色の目。
・キアラン・ダグラス(27、男主人公)公称「リドゲート卿」。
・マティ・トッド(9)…イタズラ少年。
・クロフォード伯爵リチャード・ダグラス(53)…領主。
・ドクター・ワイルド(76)…クロフォード伯爵の主治医。
・クレイグ牧師(72)…マティの祖父。
・レオポルド(55)…金髪碧眼。ダレット準男爵。
・アラシア(19)…金髪碧眼。ダレット準男爵令嬢。
・ライナス氏(28)…ダレット家の縁戚の赤毛青年。
・プライス判事(54)…クロフォード伯爵領の首席判事。
・執事(60)…クロフォード伯爵邸の執事。

○クロフォード伯爵邸、クロフォード伯爵の応接間(昼)

   クロフォード伯爵(53)、松葉杖を突いて部屋を歩き回る。
   ドクター・ワイルド、注意深く観察。
   カルテに診察結果を記録しながらも、徐々に疑問顔。

ドクター・ワイルド「昨日から骨折の治癒が早まっておるようです。最近、何か変わった事がありましたか?」
クロフォード伯爵「いや、特には……」

   クレイグ牧師(72)、ピンと来た顔になり、茶カップを持ち直す。

クレイグ牧師「もしかして……ルシール嬢のハープ演奏ではありませんか?」
ドクター・ワイルド「ハープ?」

   ドクター・ワイルド、片眼鏡を外しながら振り返る。
   クレイグ牧師、笑みを浮かべながら、

クレイグ牧師「あのルシール嬢は、ハープについては、レディ・オリヴィアの弟子だそうですよ」
ドクター・ワイルド「……(片眼鏡を持ったまま固まる)、オリヴィア・ゴールドベリ!? アシュコートの緑の森の魔女……!」
クレイグ牧師「……(目をパチクリ)、ご存知で?」
ドクター・ワイルド「ゴールドベリ一族は、知る人ぞ知るヒーラーの一族でして……古代、我が国の開祖の王室で、侍医を務めたと言う歴史もあるんです。 一族は特別な耳を持っていて、治癒の力を持つハープの技術を伝承している……ゴールドベリを知らない医者は、モグリですぞ!」

   ドクター・ワイルド、ヒゲに手を当てて思案顔。

ドクター・ワイルド「ライト嬢は一族じゃ無い……生まれる前から魔女の傍に居たとかでは、まさか無いでしょうな」
クレイグ牧師「確か、そう言っていましたね。馬車事故で母親が怪我していた頃、レディ・オリヴィアが、ハープを使って治療に当たっていたとか……」
ドクター・ワイルド「(感心の溜息)……、実に驚きですな。訓練された耳を持っておった訳じゃ」

   ドクター・ワイルド、確信を持った顔でクロフォード伯爵を振り返る。
   クロフォード伯爵、椅子に座りながらも「え?」という顔。

ドクター・ワイルド「骨折部分は余り痛まない筈じゃが、如何です?」
クロフォード伯爵「(足元を見つめつつ)……実際、痛みは格段に減っているんだが……と言うよりは、ムズムズするな」
ドクター・ワイルド「ふむ! 骨折部の接着の進行が早まっているからですよ。階段昇降の件、明日の診察で決めましょう」

   クレイグ牧師、改めて感心した顔になる。

○クロフォード伯爵邸、ロータリー縁の庭園エリア(昼)

   マティとルシール、子犬のパピィをモフモフ。
   不意に、正門を通る馬車の音。馬車の音、次第に近づいて来る。
   ルシール、音のする方向を振り向く。

ルシール「……馬車の音が?」
マティ「え?」

   風が強く、木々のざわめきが大きい。
   マティ、馬車の音を拾えずポカン。
   マティ、茂みの中から前庭ロータリーを窺う。

マティ「ホントだ! 馬車だ!」
ルシール「ダレット夫人が帰って来てる!? 出発したばかりでは……!?」
マティ「そんな筈は……隠れて!」

   マティ、ルシールを茂みの中に引き込む。
   馬車のドア、開く。金髪の美少女が現れる。

マティ「アラシアだ! あ、そうか……徹夜組の取り巻きの誰かから、一番良い馬車せしめたんだな」

   レオポルド(55)とライナス氏(28)、馬車に近づく。
   アラシア(19)、けだるそうな様子で帽子を外す。

アラシア「キアランは何処かしら」
レオポルド「(館の方を見やりつつ)あの堅物は仕事の虫さ」
アラシア「退屈な人ね! あたくし今眠いから、先に寝室の方に行くわ」
ライナス氏「(派手に紳士の礼をしつつ)こよなく美しきレディ・アラシア! 是非エスコートの栄誉をば私に……」

   アラシア、不機嫌な顔。
   ライナス氏に向かって、手に持っていた帽子を乱暴に放り投げる。
   ライナス氏、慌てて受け止める。

   レオポルドとアラシア、館内に傲然と入って行く。
   ライナス氏、荷物運びの従者扱いされている。
   召使とメイド、美しく整列して出迎え。

ルシール「こうしてみると、さながら、クロフォード伯爵とクロフォード伯爵令嬢ね……」

   ルシール、苦笑して肩をすくめる。

ルシール「彼女、夜更かししてたのね。若い頃は良く夜更かしするものなのよ」
マティ「ルシールも夜更かしした事あるの?」
ルシール「勿論ハープよ、アンジェラとの二重奏とかね」

   マティとルシール、庭園の小道を歩き出す。
   子犬のパピィ、周りをクルクル。

   マティとルシール、庭園の小道を折れる。
   行く手にライラックの木。    ルシール、接近。
   手元に届く範囲の枝をチェック。
   小型ハサミを取り出し、手際よく数本の枝を剪定。

ルシール「五弁の花が咲いてる……何か良い事あるかもよ」
マティ「どういう事?」
ルシール「五弁の花のライラックを見つけると、ハッピーになるって言い伝えがあるの……聞いた事は無い?」
マティ「初耳だよ」

   ルシール、ライラックの花枝を眺める。
   満足げに微笑み、手持ちの布で枝をまとめる。

ルシール:心の声(伯爵様のお見舞いに差し上げてみようかしら)

   風、強まる。
   ルシール、風に流れた髪を押さえつつ、空を見上げる。
   雲が速く流れ、天空の一角で壮大な固まり。
   雲の切れ間から薄明光線。

ルシール「雲の模様が変な感じ?」
マティ「こりゃまたでかい嵐だよ、しかも雷がセットで……ディナー前に、またパピィをバルコニーに連れて来て良いかい?」
ルシール「勿論よ」

   マティ、子犬パピィを追って駆け出す。
   アントン氏の倉庫の方。

マティ「パピィ! 戻っておいでよ、パピィ!」

   マティ、困惑した様子で、倉庫の中に半身を出し入れ。
   ルシール、追いつき、

ルシール「問題発生?」
マティ「パピィが倉庫の奥に入り込んで出て来ないんだ。何かお気に入りが転がってるらしくてガチャガチャと……前にも、なかなか出て来ない事が結構あったんだ」

   ルシール、慎重に、半壊状態の倉庫の奥を窺う。
   倉庫の奥の方は色々と立て込んでいて、薄暗い感じ。

ルシール「どうやってパピィを出したら良いのかしら」
マティ「車庫からランプを拝借ッ!」

   マティ、いったん駆け去る。
   間もなく、ランプを持って戻って来る。

   マティとルシール、改めて倉庫の中に進入。
   パピィ、奥の方で何かにじゃれついている。
   ルシール、子犬パピィをサッと抱き上げ、そこにある物を注目。
   庭園道具の一種、大型ハサミ。

ルシール「(目を見張る)……これは、大枝を切る大型の……この倉庫を壊した人が、ついでに扉の方から投げ込んだみたいね……」
マティ「扉の方から投げ込んだって?」
ルシール「私の祖父なら、こんな場所には置かないわよ。大型ハサミの定位置は、多分、あちらの壁」

   ルシール、心当たりのある壁を視線で示す。
   マティ、ランプを掲げる。
   歪んだ壁に順番に大型の庭園道具が取り付けられている。
   大型ハサミ用のスペースがある。

   マティ、不意にピコーン。

マティ「(奇妙にゆっくりとした口調)ねえ、ルシール……この大型ハサミ、裏の柵も破壊できると思う?」
ルシール「え? やって出来ない事は無いと思うわ、普通の木製の柵だし……何か、考えてる?」
マティ「うん……前から引っ掛かってた事があってさ……」

   マティ、目をあちこち泳がせながらも、真剣な沈黙。
   ルシール、首を傾げつつ、パピィを倉庫の外に持ち出す。
   間に合わせのロープで、近くの木の根元にパピィをつなぐ。

ルシール「いい子ね、パピィ。いきなり居なくならないように、此処で待ってて」
パピィ「わふん」

   パピィ、上機嫌で亜麻色の尻尾をモフモフと振っている。
   倉庫内のマティ、大型ハサミの上に身を乗り出し、

マティ「ハサミのネジに、何かが光って……」

   マティ、ネジ穴の間に挟まっていた光り物を外す。
   ランプの光で観察。キラキラした輝き。
   ルシール、マティの傍に近づき、首を傾げる。

マティ「パピィは光り物が好きで……」

   マティ、光り物をルシールに見せる。
   ルシール、目を丸くする。

ルシール「宝石細工のカフスボタン!?」
マティ「カフスボタン? ……あの、袖口にくっつけるヤツ?」 ルシール「見事なカットのダイヤモンドね……とても綺麗! ボタンとしては、片割れしか無いみたいだけど……」
マティ「ルシールの目の色の方が、断然綺麗だよ」

   キョトンとするルシールに、ランプを向けるマティ。

マティ「ほら、レディ・アメジスト!」

   ランプの光が入り、ルシールの目はアメジスト色。

X X X

(回想)
○クロフォードの馬車の中(深夜)

   ルシール、馬車の座席に横たわっている。
   キアラン、ルシールの目を見つめる。

キアラン『私の事を余り怖がっていないらしいですし、その紫色の目をじっくりと鑑賞できましたから』

   ルシール、赤面し、外套の下に潜り込む。

(回想終わり)

X X X

   ルシール、ソワソワし始め、パッとアサッテを向く。

ルシール「それどころじゃ無いわよ、マティ! 判事に届けないと……こんなに高価な落とし物、きっと誰かが困ってるわ」

   ルシール、倉庫の外に飛び出す。
   赤面した両頬に手を当てて、落ち込んだ様子。
   マティ、続いて倉庫を出ながらも、ルシール挙動に首を傾げる。
   マティ、すぐにカフスを陽光にかざして観察し始める。

   ルシールとマティ、館に戻る道を連れ立って歩く。
   途中でマティ、車庫に立ち寄り、ランプを元の場所に戻す。
   マティ、目をキラキラさせ、カフスから目を離さず。

マティ「困っている? 勿論だ! アントンの倉庫を破壊し、東側の裏の柵を破壊して、大型ハサミを投げ込んだ犯人が……ね!」
ルシール「何か言った?」

   厩舎の脇の道に入る。
   新しくつながれた、見慣れぬ大きな馬。
   マティ、気付き、ピョンピョン飛び跳ねる。

マティ「判事の噂をすれば、判事の影が来た! あれ、判事の馬なんだ」
ルシール「まあ、納得の大きさ」

○クロフォード伯爵邸、玄関広間[エントランスホール](昼)

   マティとルシール、入館。
   ちょうど執事(60)が通りかかる。
   執事、少し驚きながらも軽く会釈。

執事「お帰りなさいませ、マティ様、ライト嬢」
マティ「判事は何処?」
執事「皆さんとご一緒に大広間においでで」

○クロフォード伯爵邸、大広間(昼)

   大広間の上座、レオポルド、アラシア、ライナス氏が着席中。
   それより下座の方、プライス判事(54)とキアランが立ち話。
   マティ、大広間の扉を開き、勢い良く大広間へ駆け込む。

マティ「プライス判事ーッ!」
プライス判事「(パッと陽気な笑みになる)おうッ、坊主か」
マティ「プライス判事、あのね、あのね……(興奮状態でクルクル)」

   ルシール、ライラックの枝を抱えたまま大広間に入室。
   プライス判事とキアラン、気付き、姿勢を正す。

   ルシール、大広間の面々に敬意を表して会釈(正統派の貴婦人の所作)。
   レオポルド、一瞬、会釈を返しそうになり、フンと荒い鼻息でごまかす。

   アラシア、一気に不機嫌になる。
   ピョンピョンしていたマティ、アラシアにギロリと睨まれる。

アラシア「何の用なのよ?」

   マティ、サッと安全圏まで避難。
   プライス判事の大きな身体の陰に隠れ、

マティ「アラシアは一段と、ご機嫌斜めじゃんか」
プライス判事「気にすんな、マティ坊主よ。こっちも、一時間以上も舞踏会の話を聞かされて、うんざりしていたんだから」

   アラシアの攻撃的な視線、ルシールに移る。
   ルシール、青ざめる。
   プライス判事、ピコーンと来たような顔になり、

プライス判事「おッ、そうだ。ライト嬢、今日、カーターから新しい伝言が……」
マティ「こっちの話が最優先だよ! こんなもん見つけてさ(カフスを持った手を振り回す)」
ルシール「あの、マティの話を先に」

   プライス判事、マティの手にあるものを注目。
   マティからブツを受け取る。
   瞬間、目を丸くして、

プライス判事「こ……こりゃ、また贅沢なカフスだな! 誰のだ!?」

   キアラン、カフスボタンを注目し、目を見開く。
   プライス判事、カフスボタンをひっくり返す。

プライス判事「何か、独特な感じの『L』の刻印が……」
キアラン「……謎のL氏……?(目をしばたたく)」

   順番にカフスボタンを渡されたレオポルド、一目見るなり、

レオポルド「こりゃ息子のだな。この頭文字『L』は、レナードのためのデザインで……この『R・S』の刻印が、『ロイヤル・ストーン』ブランドの証拠だ」
ライナス氏「レナード様の物でしたか! 道理で、上品で高級な品で……」
アラシア「お黙り、ライナス!(キンキン声)」

   レオポルドとライナス氏、一瞬、片手で耳をガード。
   (アラシアの側の耳をガードしている)
   アラシア、マティとルシールに向かって指を突き付け、

アラシア「何でレナードの物をマティが持っているのか、是非、聞きたいわね! 盗んだんでしょ、このコソ泥が! その茶ネズミも、共犯だわね!」

   マティ、半眼になり、フンッと鼻を鳴らす。
   ルシール、再び青ざめて固まる。

アラシア「それはママがレナードにあげた物よ! 最近、宝石泥棒に盗まれたとかで大騒動だったわ! レナードの銀行口座には上限が掛かってて、 満足に宝石も買えなくて困ってるし!」

   アラシアは、急にコロリと表情を変える。
   いたいけな乙女風に、キアランに優雅に取りすがる。

アラシア「ねえ、でもキアラン様なら利用上限の解除、お手の物でしょ……あたくしに免じて、哀れなレナードの状態を楽にして下さる?」

   キアラン、カカシよろしくムッツリと突っ立っている。
   プライス判事、溜息をつき、頭をガシガシとやっている。

   アラシア、クルリと身を返す。
   レオポルドの手から、カフスをサッと取り上げる。

アラシア「ねえパパ! あたくしが、このカフスもらうわ! イヤリングとかに加工すれば、ぐっと良くなる筈よ!」
レオポルド「……(ちょっとポカン)」
ライナス氏「おお、レディ・アラシア、並ぶものなき美の上に、更に輝きを増しておられる」
アラシア「(上機嫌)新年の社交で話題だったのよ、このダイヤ!」

   マティ、鼻をかきながら見物。
   ルシール、呆気に取られるまま。

レオポルド「加工するとしたら、『ロイヤル・ストーン』系列がやはり良いな。テンプルトン商店街のな。おーい、執事! カタログは何処だ!」
執事「ファッション雑誌の最新号は、いつも通りダレット嬢の部屋に配達してございます」

   レオポルドを先頭に、アラシア、ライナス氏、退出。
   アラシアは、ライナス氏のエスコートを受けている。
   アラシア、マティとルシールを振り返り、嘲笑の表情。

マティ「アテクシに免じてじゃ無くて、ルシールに免じて、じゃ無いかな」
ルシール「……?」

   プライス判事、あからさまにホッとした様子で伸び。
   マティとルシールを振り返り、

プライス判事「あのカフスは、一体どうやって見つけたんだ?」
ルシール「え……えっと……?(赤面し、ゴマカシ笑いでモジモジ)」
マティ「(胸を張り)しゃ……車庫近くで発見したんだ!」
プライス判事「ふむ! これは重大な発見だ!」

   プライス判事、殊更に生真面目な顔つき。

プライス判事「レオポルド殿はレナードの物だと言うがな……そのレナード、『復活祭』当日の日付の通達で、この館への出入り禁止を食らってるぞ。 その出入り禁止の通達は、まさにキアラン君が作成した文書だ。だったよな?」
キアラン「ええ」
プライス判事「レナードは新年社交の後は、この館には来ていないぞ。テンプルトンのゴタゴタでな。それなのに、 ここ三ヶ月の間、近づきもしなかったこの館の敷地に、最近失せたカフスがあったと……?」

   プライス判事の眉間、深いシワが刻まれていく。

マティ「レナードは、この間入って来たじゃんか……最近まで門番にもバレずに侵入可能だったって事だよ」
プライス判事「む!?」
マティ「重大なのは、あいつが何を仕込んでたかって事なんだ」
プライス判事「何を仕込んだって?」
キアラン「……(腕組みして耳を傾ける格好)」
マティ「庭園の裏の柵は壊されてたんだよ。アントンが生きてりゃ、絶対に気が付いた筈さ。アントンは新年の社交シーズンど真ん中、死んでいる。 だから、レナードは極秘に破壊工作を進める事ができた。誰にも見られずに侵入できるように」

   マティは口を閉じ、静かになる。眉根を寄せる。
   不機嫌そうに、ブツブツ。

マティ「口座の制限食らってて、よっぽどヤマシイお金が欲しかったんじゃねーの。 ベル夫人が言ってた……オイラのお小遣いの消滅含む使途不明金、柵を塞いだ後は出てないんだってさ」

   マティ、パッと怒り顔に。ググッとコブシを握り締める。

マティ「オイラのお小遣いにまで手をつけていたと分かったアカツキには……レナード・ダレット! 想像もつかないような倍返しをしてやるぜ!」

   ルシール、ギョッとして思わず後ずさる。困惑の苦笑。

プライス判事は、「あの落ちてたと言うカフス以外、証拠は無いが……」
キアラン「すごい頭脳だな(思案顔、ボソッ)」

■第四章-10話:風雲、急を告げる

《人物表》

・ルシール・ライト(25、女主人公)…濃茶色の髪、一見して茶色の目。
・キアラン・ダグラス(27、男主人公)公称「リドゲート卿」。
・マティ・トッド(9)…イタズラ少年。
・クロフォード伯爵リチャード・ダグラス(53)…領主。
・クレイグ牧師(72)…マティの祖父。
・レオポルド(55)…金髪碧眼。ダレット準男爵。
・アラシア(19)…金髪碧眼。ダレット準男爵令嬢。
・ライナス氏(28)…ダレット家の縁戚の赤毛青年。
・プライス判事(54)…クロフォード伯爵領の首席判事。
・弁護士カーター氏(57)…クロフォード伯爵家の顧問弁護士。
・ベル夫人(62)…クロフォード伯爵邸の家政婦長。
・執事(60)…クロフォード伯爵邸の執事。

○クロフォード伯爵邸、大広間(夕)

   ルシール、大広間の空き花瓶にライラックの花を活ける。

プライス判事「フラワー・アレンジか?」
ルシール「母に教わりました」
プライス判事「……おッ、そうだ、ライト嬢。カーターからの伝言があってな。前々から修正報告書の発送が遅れていたが、 定期便と一緒に発送されたから、明後日にも到着するだろうと……」
ルシール「まあ、そうですか……医学データのミスも、やっと修正ですね」
プライス判事「医学データ?」
ルシール「母の妊娠時期が、診断ミスのお蔭で四カ月ずれて記録されていたんです。アンジェラのデータと取り違えが起きたのも、そのミスの影響で。 とは言え、公爵令嬢と取り違えられるのも、何だか光栄ですわ」
プライス判事「おお。そりゃ、本人の確認では大混乱だったに違いないな! あのカーターすら、三ヶ月も手こずったとか言ってたし……」

   キアラン、無言で相槌。

マティ「ルシールは、お腹にいた時から実際より若く見えたって事?」
ルシール「……(困惑顔)」
プライス判事「ハハハ! 面白いこと言うね!」

   ルシール、フラワーアレンジの準備終了。
   キアラン、プライス判事、マティに一礼し、大広間を退出。

   マティ、クルリとプライス判事を振り返る。

マティ「プライス判事、あのさ、リチャード伯父さんが骨折した、あの馬車事故だけどさ。馬が暴走したの、偶然?」

   プライス判事、不意打ちでビックリ。ぐっと言葉に詰まる。
   キアラン、ひそかに、マティを感嘆の眼差しで眺める。

○クロフォード伯爵邸、クロフォード伯爵の応接間(夕)

   執事、ノックして扉を開ける。
   ルシール、クロフォード伯爵の応接間に入室。

クロフォード伯爵(53)「お見舞いとはまた嬉しいよ、ライト嬢」
ルシール「馬車事故で骨折されたとお聞きして……オリヴィア様みたいに、元から脚がお悪いのだと思っていたので、驚きましたわ」
クレイグ牧師(72)「(苦笑)ハハハ……、私の孫が喋ったんですな。時々、言い付けを忘れるんですよ、あのイタズラっ子は」

   クロフォード伯爵、肩をすくめて見せる。
   ルシール、一礼して、傍のテーブルに一旦ライラックの花瓶を置く。
   部屋内の小卓を動かして、花瓶の位置を検討し始める。

クロフォード伯爵「そう言えば、ライト嬢の母親も馬車事故で骨折したとか……」
ルシール「母の場合はアバラでしたわ。その時に折れた骨が肺を傷つけたので、長く吐き気が続いて大変だったそうです」
クレイグ牧師「事故があったの、二月でしょう? 風邪ひかなくて幸いでしたな。その当時、彼女は妊娠二カ月だったと聞きましたよ」
ルシール「あ……、それは違いますね。その時は母は、正確には妊娠六カ月でした」 クロフォード伯爵「……え?」
ルシール「母のお腹は、妊娠六カ月にしては非常に小さなお腹だったそうです。 その上に、お医者様がまだ新人で、肺の怪我から来る吐き気をつわりと間違えてしまって……つわりの時期、即ち妊娠二カ月……と診断したそうなんです」

   クロフォード伯爵とクレイグ牧師、目を見開いたまま、無言。
   ルシール、小卓を整えつつ、パッと閃いた顔になる。
   ルシール、二人を振り返り、ニッコリしつつ、

ルシール「プライス判事様のお話によれば、近く修正報告書が到着だそうで……」
クレイグ牧師「ちょっと……待って下さい。ライト嬢は、何月に生まれたんですか?」
ルシール「六月生まれです」

   ルシール、左上方に視線を泳がせつつ、

ルシール「……母は、前年九月に結婚していたようですが、詳しくは知らなくて。結婚指輪はあったし、父がアメジストのブローチも贈っていたのは確かですけど……」
クロフォード伯爵「アメジストのブローチ?」

   大窓から差し込んでくる夕陽。
   夕陽の陰になって、クロフォード伯爵の表情は不明瞭。
   ルシール、いつものように微笑み、手提げ袋から小箱を取り出す。

   テーブル上の小箱の中、アメジスト薔薇のブローチ。
   クロフォード伯爵、ブローチを手に取る。
   クロフォード伯爵、慎重に表と裏を返し、見つめる。
   クレイグ牧師、固まったまま。

クロフォード伯爵「これは……」
ルシール「そのブローチの贈り主が、つまり私の父なんです」
クロフォード伯爵「……(呆然としてブローチを見つめる)」
ルシール「……どうか、されましたか?」

   執事(60)、ノックをして応接間に入って来る。

執事「失礼致します、閣下……署名文書をお持ちしました」
ルシール「……あ、長居しまして。それでは、これで……」

   ルシール、クロフォード伯爵とクレイグ牧師に一礼。
   手提げ袋とブローチを手に取る。
   速やかに応接間を退出。

○クロフォード伯爵邸、地上階、書斎(夕)

   ルシール、ディナーのため服装を整え、サテンリボンを付ける。
   時間はあるが、黒ドレスを縫い直す程の余裕はない状態。
   比較的に綺麗な方の作業用シャツ姿。

   ルシール、ダレット家の面々を警戒。
   大広間を避けて書斎に入室。
   書斎の本棚を見て、ルシール、感心。

ルシール「蔵書がいっぱい。相続確定の裁判の資料は……」

   ルシール、『判決事例の解説』を選び、窓の外を観察。
   風は強いが、書斎の中と比べると、はるかに明るい。

   ルシール、出入り用の大窓から、南の中庭に出る。
   南の中庭に、あずまやがあり、そこに入る。
   周りの庭木が強い風を防ぐため、読書にピッタリの場所。

   ルシール、適当に柱に寄りかかり、読書開始。
   精読予定のページを発見し、目がパッと輝く。

ルシール「しおり……あ、これ」

   ルシール、アントン氏の私信の封書をはさむ。
   読書を続ける。

キアラン「……ルシール?」

   ルシール、本からを顔を上げる。
   あずまやの階段の下、キアランが来ている。
   小脇に難しそうな資料本を抱えている。

ルシール「あら? キアラン様?(集中していたので少しボンヤリ)」

   キアラン、目を見張り、小首をかしげる。
   ルシール、ハッと我に返って赤面。口元を抑える。

ルシール「済みません、リドゲート卿……ダレット嬢のが思わず移っていたみたいで……」
キアラン「成る程(軽い頷き)……それなら、ダレット嬢に多少は、感謝は出来るかも知れません」

   ルシール、ちょっとうつむいて目をしばたたく。
   すぐに気を取り直した様子で顔を上げ、ニッコリ。

ルシール「まあ、それなら良かったですわ……可愛い婚約者と、一歩前進ですね」
キアラン「……婚約者?」
ルシール「マティから聞きました」

   キアラン、額に手をやり、ガックリしたポーズ。

キアラン「マティは変なところで口が軽すぎる……(ボソッ)」
ルシール「……?(首をコテンと傾ける)」

   キアラン、フッと溜息をつき、あずまやの欄干に手をかける。
   ルシールの方を振り向きつつ、

キアラン「父のお見舞いを有難うございます。ルシールは、父と気が合うようですね」
ルシール「伯爵様はお優しい方ですね」
ルシール「――その本は、書斎から?」

   キアラン、本のタイトル『判決事例の解説』を見て、目をパチクリ。

ルシール「え、えっと(しおり代わりの封書を抜きつつ)……タイター氏の隙を突けないかと思いまして」

   ルシール、キアランに本を差し出す。
   キアラン、本を受け取り、ルシールの横に並ぶ。
   相続問題の解説ページを開いて、ザッと目を通す。

キアラン「父親不明問題を突破する方法は、余り無いですね」
ルシール「……そうですよね。ビリントン家はライト家の本家に当たりますから、 余計難しいとか……相続問題が紛糾するとは思わなくて……クロフォード伯爵家には、大変ご迷惑おかけしてしまいましたわ」

   一陣の風が吹き、ルシールの前髪を吹き上げる。
   お見舞い用のライラックの花からの移り香。
   キアラン、少しの間、ルシールを見つめる。
   再び手元の本に視線を落とす。数行、見直して、

キアラン「……突破口は、全く無い訳では無い……」

   キアラン、おもむろに本を閉じながら、

キアラン「私と結婚すれば、強力な社会的立場が保証されますから……この方法は如何ですか、ルシール?」
ルシール「検討に値するかと……(ボンヤリ)」

   ルシール、口元に手を当てて思案顔。
   一息遅れて、「え?(ギョッ)」という顔になる。
   口を開けたまま、パッとキアランを振り向く。

ルシール「今……あの、何とおっしゃいました!?」
キアラン「少し前の事例で、夫の社会的地位が不備を補うとした決着があります。 私とルシールが結婚すれば良い……ローズ・パーク相続の問題は、ほぼ解決すると思いますが」
ルシール「け……? 結婚……!?(いっそう目を大きく見張る)」
キアラン「……(無言&無表情のまま、あっさりと頷く)」
ルシール「え、あの、何か、冗談をおっしゃっているとしか思えません……ダレット嬢が、婚約者の」
キアラン「公式には、その婚約話は認知もしていません」
ルシール「キアラン様は、いえ、リドゲート卿は、衝動的に何かを決定するような、お方には見えないですし……この、 お話自体が、全く不自然な上に間違っているとしか……あの、冷静に落ち着いて……」
キアラン「私は至って冷静ですよ」

   キアラン、真顔で応答。
   ルシールを真正面から、しげしげと見つめる。

ルシール「ダレットの皆サマと関係が上手くいってないから、こんな話になって来たとしか……」
キアラン「何故ダレット一家が、そこで出て来るんですか?」
ルシール「婚約者に対する態度としては、ダレット嬢への態度は、あっさり……と言うよりも、明らかに冷淡過ぎるんですわ」
キアラン「浅い角度で光が入って……紫色ですね」

   キアラン、一歩ルシールに接近。
   ルシール、固まる。

○クロフォード伯爵邸、最上階、クロフォード伯爵の私的な応接間(夕)

   クロフォード伯爵、思案に暮れた顔。
   松葉杖を突いて部屋を歩き回る。
   南側に面する窓際に立ち寄り、庭園のあずまやの方を、ふと見下ろす。

クロフォード伯爵「あれは……」

   クロフォード伯爵、驚きの顔になって立ち尽くす。

クロフォード伯爵「今のは一体、何だったんだ……」

○クロフォード伯爵邸、大広間(夕)

   アラシア(19)、南の窓の傍で、怒りを激しく爆発させる。
   乱暴に足を踏み鳴らし、大広間の扉へと走る。

アラシア「よくもよくも、あの茶ネズミの泥棒ネコが! 生き皮剥いで、むごたらしく釘に吊るしてくれるわよ!」
ベル夫人(62)「ネズミ捕りがご入用ですか?(キンキン声から両耳をガードしつつ)」
アラシア「あのクソ女、キアラン様とキスしたの! パパったら! さっき、そこでクソ女が」

   アラシア、ダレット一家が独占する西棟へと走り去る。
   アラシアの怒りの叫び声、広い廊下全体に、キンキンと響き渡る。

   ベル夫人、首を傾げ、耳をガードしていた手を外す。
   南側の大窓にそっと近付く。

   キアラン一人、あずまやの前で、封書を拾い上げているところ。
   封書を上着のポケットに収め、書斎の方向に向かって歩き出す。

   ベル夫人、思案顔になり、窓越しに見送る。

○クロフォード伯爵邸、ルシールの部屋のバルコニー(夕)

   マティ、子犬のパピィを背負い、いつもの大樹をスルスルと登る。

マティ「風が強いぜ! パピィ、静かにしてるんだぞ」
パピィ「ワン」

   マティ、バルコニー到着。
   パピィをそっと降ろし、いつものように毛布で寝床を作ってやる。
   窓越しにルシールの部屋の中を窺う。
   窓を開けてルシールの部屋に入る。

   ルシール、グッタリとした様子で、ベッドに倒れ伏している。

マティ「寝てる? ルシール」
ルシール「(沈黙)」
マティ「……何だか顔色悪いけど、大丈夫?」
ルシール「うーん……頭痛が……」
マティ「風邪? ドクター・ワイルドを呼んだ方が良いよね?」
ルシール「大丈夫よ、風邪じゃ無いし……えーと、……低気圧が余計、響いてて……」
マティ「低気圧?」

   マティ、窓の外の方を振り向く。
   雷雲が急速に広がり、雨が降り出している。
   マティ、窓にシッカリと鍵を掛けて固定。

マティ「今夜のディナーは欠席って言っとくよ……これから寝るの?」
ルシール「多分……」
マティ「分かったよ、お休み……また明日ね」

   マティ、部屋のドアをそっと開いて、人目が無い事を確認。
   素早く部屋から駆け出し、姿をくらます。

○クロフォード伯爵邸、食堂(夕)

   ディナー中。窓の外、雷雨を伴う春の嵐。
   時折、ビックリするような大きな雷光。

プライス判事「ライト嬢はどうしたんだ?」
執事「ライト嬢は欠席だそうです」
プライス判事「さっきまで元気そうに見えたが……?」
執事「低気圧だとか」
プライス判事「ああ、何か聞いた事あるような。嵐が接近すると、急に調子が悪くなるとか……」

   プライス判事、納得顔。
   怒髪天アラシア、キンキン声を張り上げ、

アラシア「あの女の正体は、吸血鬼なのよ!」

   レオポルドとライナス氏、一瞬ビクッとして顔をしかめる。
   少しの間、耳をさする。
   アラシア、更に大きく息を吸い込み、口を開き始める。

   次の瞬間、ギョッとするような凄まじい雷光。轟音。
   食堂全体が震動。
   アラシアのキンキン声、かき消える。

プライス判事「おおッ! 凄い雷だな、マティよ!(ウインク)」
マティ「こりゃ、結構ヤバイかも(落ち着かなく、キョロキョロ)」

   執事、いったん姿を消す。
   ふたたび、執事、姿を現す(食堂のドアを開ける)。
   弁護士カーター氏(57)、現れる。

プライス判事「おや……? カーター殿!?」
カーター氏「ディナーの時分に、大変申し訳ございません」 キアラン「一席空いておりますから、お構い無く。ライト嬢が欠席ですので、ちょうど良いです」
カーター氏「ライト嬢が? 私は彼女に、急用があったのですが……」
キアラン「内密の案件ですか?」
カーター氏「いえ……(苦笑)、先日、舞踏会でナイジェル氏が骨折した件で……タイター氏が甥に代わって、ライト嬢を訴えているんです」

   プライス判事、驚き顔でポカン。
   マティ、ピンと来た顔で身を乗り出し、

マティ「またギャング=タイターなの!?」
カーター氏「さようで(真顔で頷き)。直談判の上、示談にする必要があり。取り急ぎ、明日の約束を取り付けたところで……(苦笑)」
プライス判事「ほほう(顔を引き締め)! では、ライト嬢は再び町に直談判に出る必要があると……」
マティ「しかも、明日……!」

   カーター氏、丁重に頷き、着座。

カーター氏「さようでございます、プライス様。この前と同様に、こちらの馬車をお願い致したく……」

   アラシア、奇妙な沈黙。
   カーター氏の説明の内容を窺っている。
   執事、一旦、姿を消し、また現れる。

執事「リドゲート卿……閣下がお呼びでございますが……」
キアラン「父が?」

   キアラン、ディナー席の面々に一礼、食堂を退出。

○クロフォード伯爵邸、廊下(夜)

   キアラン、クロフォード伯爵の部屋に向かう。

   廊下の途中、ベル夫人と行き逢う。
   ベル夫人、滑らかに道を開けて一礼。

   キアラン、ふと気づいたという顔になり、懐から封書を取り出す。
   ベル夫人、用件を察し、無言で控える。

キアラン「ルシール……ライト嬢に、これを。アントン氏の文書だから」
ベル夫人「かしこまりました」

   ベル夫人、丁重に封書を受け取り、一礼。
   キアラン、先へと進む。

○クロフォード伯爵邸、最上階、クロフォード伯爵の私的な応接間

   キアラン、入室。

キアラン「父上。私をお呼びだとか」
クロフォード伯爵「ああ、まあ……ハッキリさせておきたくてな」

   クロフォード伯爵、戸惑っている様子でソファを示す。
   キアラン、ソファに座る。

クロフォード伯爵「単刀直入に聞くが、キアランは、あの子をどう思ってるんだ?」
キアラン「どういう事です?」

   キアラン、ポカンとし、クロフォード伯爵を注視する。
   クロフォード伯爵、南側の窓を指差す。
   窓から見える黒雲の各所で遠雷が弾け、鋭い光が閃く。

クロフォード伯爵「そこの窓から見えたんでな……あの子とは、一体どういう話をしたんだ?」

   キアラン、言葉に詰まって、固まる。
   戸惑ってうつむき、目を伏せる。目の端がわずかに赤い。

キアラン「ルシール・ライト嬢に求婚しました(堅苦しい声)」
クロフォード伯爵「……まあ、そりゃそうだろうな。こんな事を確認するのは馬鹿げてるし、信じられんが……どのように求婚したと?」
キアラン「彼女のローズ・パーク相続案件が長引いているのは、父親不明という要素が大きいためです。 裁判で有利を取れる条件となると限られていて、既に相応の紳士と結婚しており男子の子孫を持つ事が確実な状態である事が必須になります。 それで、私が申し出ました。……ローズ・パーク相続における利点は、案外素直に理解していたようですが、 ダレット家との関係を誤解した節があるので、その辺りは改めて説明する予定です」

   キアラン、堅苦しく説明。
   ビジネス報告をしている雰囲気。
   クロフォード伯爵、顔を伏せたまま、沈黙。

   キアラン、チラリとクロフォード伯爵の様子を見て取る。
   膝の上に置いた手をコブシの形にする。

キアラン「私としては、彼女の気持ちが定まらない限り、諦めるつもりはございません。彼女がレオポルド殿の私生児だったとしても、一向に構わないのです。 むしろ、それならそれで……一部の親族たちを、納得させる事も可能でしょう」

   クロフォード伯爵、顔を伏せたまま、沈黙が続く。
   キアラン、歯を食いしばって、うつむく。

キアラン「……客人に対して、一線を踏み越えている事実は承知しております(硬い声)」

   気詰まりな程に長い沈黙、更に続く。
   クロフォード伯爵、ようやく、溜息をつき、

クロフォード伯爵「……実に、私が思ってる以上にバカなヤツだな」
キアラン「……?」

   キアラン、反射的に顔を上げ、目を見張る。
   クロフォード伯爵、困惑しきりの雰囲気。頭を抱え込み、

クロフォード伯爵「そこまで徹底して堅物だったとは……お前は、女の子を分かっとらん!」
キアラン「……反対では無いと言う事ですか?」
クロフォード伯爵「お前の事務的な求婚のやり方に、呆れただけだ!」
キアラン「承諾、有難うございます……父上」

   キアラン、目をパチクリさせながらも、堅苦しく一礼。

   ドアがノックされ、開かれる。

執事「失礼いたします。カーター氏が別件で来られているのですが……お会いになられますか?」
クロフォード伯爵「……! 即刻、連れて来たまえ! クレイグ牧師も一緒にだ!」

   執事、引っ込む。
   一息置いて、カーター氏とクレイグ牧師、入室して来る。
   クロフォード伯爵、焦った様子でキアランに目配せ。
   キアラン、怪訝そうな顔になりながらも頷き、席を立つ。

   キアラン、入れ替わりの際に、カーター氏とクレイグ牧師に会釈。
   クレイグ牧師、しきりに杖の持ち手を替え、ソワソワした一礼。
   キアラン、首を傾げる。

   執事、おもむろにドアを閉じる。

カーター氏(ドアから洩れる声)「夜分、失礼致します……閣下、緊急の件だそうで」
クロフォード伯爵(ドアから洩れる声)「カーター氏の報告書には、重大な抜けがあるようだ」
カーター氏(ドアから洩れる声)「……はい?」
クロフォード伯爵(ドアから洩れる声)「ルシール・ライトの出生データに関わる、四カ月のズレだ!」
カーター氏(ドアから洩れる声)「あ、あの件ですね。修正報告書が到着してから報告する予定だったのです。ローズ・パーク相続に関する限り、その要素は、さして重要では無く」
クロフォード伯爵(ドアから洩れる声)「これ以上、重要な件があるか!!」

   窓の外、激しい風雨の中、雷光。雷鳴がとどろく。

本文/第五章

■第五章-01話:音楽会の夜の前に

《人物表》

・アンジェラ・スミス(25、ダブル女主人公)…金髪緑眼の絶世の美女。
・エドワード・シンクレア(27)…キアランの親友。
・ヒューゴ・レスター(25)…アンジェラの従兄弟。エドワードの後輩。
・ハクルート公爵(55)セバスチャン…エドワードの父親。王国の大臣。
・縮れ毛の従者(26)…レスター家の使用人の一人。アシュコート伯爵の使い走りも。
・イザベラ・ジャスパー(25)…縁組ビジネス仲間、ビジネス団の代表。
・スタッフ令嬢1(25)…縁組ビジネス仲間。
・オズワルド・スミス(26)…スミス家の御曹司。アンジェラの遠縁の従兄弟。
・ランスロット・ナイト(29)…遊び人風の洒落た紳士。リリスの愛人の一人。

○アシュコート伯爵領レイバントン町、レスター邸、庭園の端の墓地(夜)

   レイバントンの名士レスターの豪邸。
   広々とした敷地の一角に、一族の墓地。庭木に囲まれた静かな空間。

   墓地の周り、風にざわめく樹葉の群れ。
   白いショールをまとうアンジェラ(25)。
   アンジェラ、一つの墓の前で足を止め、見入る。

(墓石の刻印)『シルヴィア・G・スミス夫人、此処に眠る』

   近づくもう一人の人影。手にランプ。

オズワルド(26)「やはり此処だったのか……アンジェラ」
アンジェラ「久し振りね、オズワルドさん」
オズワルド「再会するたびに美しくなっていくね、アンジェラは」
アンジェラ「フフ、口がお上手ね」

   オズワルド、アンジェラの手を取り、甲に口づけ。
   上流社交界仕込みの洗練された所作。

アンジェラ「レスター本家が催す音楽会だから、お歴々のご招待に加えて一族が全員集まってるでしょ。『スミス家の大奥様』に気付かれたら、 大目玉じゃありませんか? 仮にもスミス家の御曹司さまだし」
オズワルド「(顔を上げてウインク)抜け出して来たんだ……お祖母様は気付かないさ」

   墓地を取り巻く樹木の茂みの中、もうひとつの人影。
   アンジェラとオズワルドの会話に聞き耳を立てている。

   アンジェラとオズワルドは気付かないまま。

オズワルド「……つかぬ事聞くけど、ヒューゴ・レスターと付き合ってるのかい?」
アンジェラ「ヒューゴさんは弁護士よ。目下の裁判のパートナーで、それ以上でも以下でも無いわ」
オズワルド「弁護士なら、他にもいるじゃ無いか」
アンジェラ「それはそうなんだけど。予算の問題で。トラブルの際の身辺安全込みで、彼は格安で引き受けてくれたの」
オズワルド「あ、そうか。あんな流血のゴシップも出るくらいだ……ヒューゴは、どうやってか、寄宿学校では戦闘技術の上手な先輩に恵まれたらしいね。 軍隊からスカウトされたらしいという噂を聞いたよ」

   オズワルド、心配そうな目でアンジェラを見やる。

オズワルド「でも本当に、予算だけの理由? お祖母様が、また何か言ったんじゃ無いだろうね?」
アンジェラ「……(目を伏せ、フッと溜息)」

   アンジェラ、キリッと顔を上げ、ニッコリ微笑んで見せる。

アンジェラ「それは、流石に特定秘密だわね……知ったところで、どうにかなる訳でも無いでしょうし」
オズワルド「そう言う事じゃ無いんだけどね」

   アンジェラ、何とはなしに小首をかしげ、思案ポーズ。
   一陣の風。ひとしきり庭園の木々や足元の草葉がざわめく。
   アンジェラ、シッカリとショールを身体に巻き付ける。

   オズワルド、生真面目な様子で、思案に没頭。
   アンジェラ、やがて、目をパチクリさせ、レスター邸を見やる。
   アンジェラ、眉根を寄せて思案顔。    アンジェラ、オズワルドをサッと振り返り、

アンジェラ「大奥様が、あなたを呼び始めてるわ」
オズワルド「えッ? もう?」
アンジェラ「ご機嫌が、どんどんお悪くなってるの……私の勘が外れた事が無いと言うの、ご存知でしょ」
オズワルド「ああ……(溜息)、後で、大事な話があるから……アンジェラ」

   オズワルド、名残惜しそうにレスター邸に向かって身を返す。
   アンジェラに手を振り、足を速めて立ち去る。
   アンジェラ、手を上げて応え、オズワルドを見送る。

   オズワルドの姿が見えなくなった頃合。
   アンジェラの背後、庭園の木立の中から、エドワード(27)姿を現す。

エドワード「ふーん……なかなか興味深い逢瀬だな」
アンジェラ「……!?(息を呑む)」

   アンジェラ、キッと眉根を寄せてエドワードを振り返る。

アンジェラ「あなたってホント油断ならない人ね、エドワード卿! あなたの職業って、もしかしてスパイとかじゃ無いの!?」
エドワード「(イタズラっぽい笑み)……私が此処にいるのは、レスター本家の当主の直々のご招待ゆえだよ」
アンジェラ「そう言えば、ハクルート公爵家の御曹司であらせられたわね……」

   アンジェラ、改めてエドワードをキッとにらむ。
   コブシをプルプル震わせる。苛立ちで上気。呼吸が乱れている。
   アンジェラ、我に返り、あさっての方を向いて息を整え始める。

   アンジェラ、片頬に手を当てて真剣な思案顔。

アンジェラ「(ブツブツ声)私の勘、本当に鈍ったのかしら。まだ花嫁が未定だなんて。紹介した令嬢たちなら、 このシーズンの間に話がトントン拍子でまとまるだろうに、いよいよ謎だわ。まさか、『男同士の恋人縁組』が真の希望とか……(ブツブツ)」

   エドワード、一歩アンジェラに歩み寄る。
   不意に真面目な雰囲気になり、

エドワード「先程、大広間でレスターの一族の面々が会した時、『スミス家の大奥方』がアンジェラ嬢を無視したと言う一場面を拝見してしまってね」
アンジェラ「……!」

   アンジェラ、ギクリとした顔でエドワードを振り返る。
   エドワード、物問いたげな眼差し。

   アンジェラ、うろたえた顔になる。
   あらぬ方を向いて、うつむく。歯を食いしばっている。
   白いショールを握りしめた手、震える。

   エドワード、墓石に近づき、刻印を確認。

エドワード「シルヴィア・G・スミス夫人……?」
アンジェラ「……私の祖母です。スミス家の先妻で。母を出産した後の状態が良く無くて、早死にしたとか……」
エドワード「シルヴィア……オリヴィア?」

   エドワード、不意にアンジェラをサッと見やる。

エドワード「ヒューゴが以前、説明していた……レディ・オリヴィアの双子の妹どのか? レスター分家のスミス家に嫁いだとか言う話の……」
アンジェラ「察しの良い方ですわね(溜息)」

   アンジェラ、ボンヤリとショールの端をいじる。

アンジェラ「今のスミス家の大奥様は、後妻で……直接の血縁は無いけど、祖母に当たる方です。オズワルドは、 今の大奥様の孫だから……遠縁の従兄弟と言う感じかしら? 話に聞くところでは、祖父のスミス氏に似ているそうです」
エドワード「スミス家の御曹司・オズワルド殿は、アンジェラに相当、好意を持っているな……逢瀬も、これが初めてと言う訳じゃ無い」
アンジェラ「10代の頃は、彼との結婚を夢見てたわ……禁じられた恋って盛り上がるし……」

   アンジェラ、ショールをいじり続ける。
   照れ隠しであらぬ方を向いている。仄かに頬が染まっている。

エドワード「……それで今は?」
アンジェラ「え?(思わず振り向く)」

   エドワード、ハッとするような強い眼差し。
   アンジェラ、気を呑まれ、呆然と見入る。

   しばし、緊張感のある静寂が続く。
   エドワード、不思議そうに瞬き。眼差しから鋭さが消える。

エドワード「オズワルドの最後の言葉を聞かなかった?」
アンジェラ「え?(目をパチクリ)」
エドワード「オズワルドは近日中に、あなたに求婚するらしい」

   アンジェラ、口をアングリ。
   高速で首を振る。

アンジェラ「……それは無いわよ! ロックウェル裁判が片付くまでは、絶対考えられない話……」

   アンジェラ、更に言いつのろうとする。
   急に目がテンになる。眉根を寄せて、辺りを見回す。
   ポジションを決め、不動になる。
   女占い師さながらの神秘的な沈黙。

   エドワード、ポカンとして無言。用心深くアンジェラを見つめる。

エドワード「……何だか、冷静だね……」
アンジェラ「勘だけど、オズワルドさんには将来の花嫁がいるわ。大奥様のご親戚の紹介の令嬢。 相性ピッタリ……! さっき、オズワルドさんが真剣に考え込んでたのは、コレね!」

   アンジェラ、顔を引き締めると、身を返す。
   レスター邸に向かって駆け出す。

エドワード「縁組の作戦スタート?」
アンジェラ「当たり前じゃ無い、すぐ動かないと儲からないわ! イザベラと作戦会議だから、失礼ッ!」
エドワード「成功を祈るよ」

   アンジェラ、素晴らしい速さで駆け去って行く。
   一陣の風。庭木の葉群がさざめく。
   エドワード、額に乱れかかった金髪をかき上げ、意味深な笑み。

エドワード「実に喜ばしいね……両方の意味で(鋭い笑み)」

○レスター邸、談話室(夜)

   縁組ビジネスに関わる女性グループの三人、茶を囲む。
   イザベラ代表、アンジェラ、スタッフ令嬢1。
   イザベラ、お金を入れた袋を持ち上げ、喜色満面。

イザベラ「クリプトン氏とララ嬢の婚約成立、礼金がご到着ッ!」
スタッフ令嬢1「我らがチームは、成功率が良いわッ!」
アンジェラ「山分けって、気分最高!」

   お金の山分けが終了。
   スタッフ令嬢1、別件で早々に抜ける。
   アンジェラ、お茶のお代わりを準備。
   イザベラ、衝立の位置を調整。
   イザベラとアンジェラ、談話を続ける。

イザベラ「今回の収入も、裁判資金に化けるのね?」
アンジェラ「そうなの」
イザベラ「裁判、まだ決着つかないんだ」
アンジェラ「向こうも結構しぶとくてね(溜息)」
イザベラ「ロックウェル公爵って、完璧に頭のおかしい異常人物じゃ無いの! 縁切りしたって、 誰も何も言わないわよ! 今、父が首都の高等法院と連絡取ってるから、そのうちロックウェルに司法処分が掛かってくると思うけど……」
アンジェラ「ジャスパー判事にはホント感謝してるわ。 縁切りするには、縁を認めて頂く必要がある、なんて変な法律があるせいで、此処までこじれてる訳だし」
イザベラ「クレイボーンの名を受け継ぐ気持ちは全く無いって事ね」
アンジェラ「完全に無いわ」

   談話室を仕切る衝立の反対側。
   中年の金髪紳士、ひそかに着席。
   イザベラとアンジェラの会話に耳を傾けつつ、お茶。

アンジェラ「……ルシールが近々、ローズ・パークのオーナーの一人って事になるし、そうなったら、彼女と一緒に新しい事業を始めようかと思ってるの」
イザベラ「そしたら、私にも声を掛けてね。新しいビジネスのアイデアがあるのよ」
アンジェラ「楽しみ。そうそう、スミス家のオズワルドの縁組作戦の件だけど、『スミス家の大奥方』が絡むから、私の名前を出すのはマズいのよ」
イザベラ「話を詰めて、スミス家の大奥方に礼金を出させるのは、私からやってみるわ。任せて頂戴」

   イザベラとアンジェラ、一息ついて、お茶を一服。
   イザベラ、思案顔になり、アンジェラを見やる。

イザベラ「大丈夫? アンジェラ、オズワルドに恋してたんじゃ無かったっけ?」
アンジェラ「そうねえ……案外、平気みたい」
イザベラ「それで今は?」
アンジェラ「……ゴフッ(お茶を吹き出す)」
イザベラ「あら!?」
アンジェラ「ご、ごめん。ビックリしてむせただけだから」
イザベラ「もう、一体どうしたのよ。まぁ、オズワルドは典型的なオットリ御曹司ちゃんで、アンジェラとは釣り合わないとは思ってたから、 こうなって安心したけど」
アンジェラ「どういうイミよ(困惑の苦笑)」
イザベラ「(ウインク)言葉通りのイミよ、フフン。じゃ、一刻の後に、会場の例の場所で」
アンジェラ「了解」

   イザベラとアンジェラ、テキパキと退出。
   談話室のドアを出て、各々別方向に分かれる。

○レスター邸、長い廊下(夜)

   アンジェラ、最初はテキパキとした足取りだが、次第にゆっくりに。
   無人の曲がり角に到達し、窓の外を見ながら悩まし気な溜息。
   困惑顔。アンジェラの頬、上気している。

アンジェラ「それで今は? って……あんなタイミングで、同じ首都方面のイントネーション……」

   酔っ払いの伊達男ランスロット・ナイト(29)、躍り出る。
   アンジェラの手首をガシッとつかみ、

ランスロット「おや! これはまた見事な金髪美少女だねえ!」
アンジェラ「酔っ払い、お断り!」

   アンジェラ、手を外そうとするが、ランスロットの執念、意外に強い。
   ランスロット、不気味なニヤニヤ笑い。
   そのまま、ズルズルとアンジェラを連れ去ろうとする。

   アンジェラ、ギョッと目を見張る。
   ヒールの付いた靴でランスロットの足を力いっぱい蹴る。
   ランスロット、ニブイ。

   アンジェラ、ランスロットの人相を改めて確認し、

アンジェラ「何か見覚えがあると思えば、あの時の……マダム・リリスに何か薬盛られてるんじゃ無い」

  アンジェラ、なおも、ランスロットの足をゲシゲシと蹴る。
  ランスロット、痛みに気付き、ムッとした顔になる。

ランスロット「甘く見てりゃ、この子猫は……」
アンジェラ「だから放しなさいよ!」

   ランスロット、狂暴な人相になる。
   片手をコブシにして振り上げ、

ハクルート公爵(55)「オッホン!」
ランスロット「……!?」

   ハクルート公爵、ランスロットのコブシの動きを封じている。
   ランスロット、ギョッとした顔で振り返る。
   アンジェラ、目を白黒。

   次の瞬間、ランスロットの身体が回転。
   手首を逆さにひねられ、拘束されている。

ハクルート公爵「アシュコートの判事の仕事量は、並大抵では無いと言う訳だな」
ランスロット「いきなり何だ! いて、いてて……! この腕力ジジイ……!」

   アンジェラ、ランスロットの手から逃れる。
   ハクルート公爵に戸惑い顔で一礼しつつ、スタコラと逃げ出す。

   入れ替わりに、ヒューゴ、エドワード、縮れ毛の従者、現れる。
   三人、揃ってビックリ。

ヒューゴ「ハクルート公爵様!」
エドワード「父上? 何かトラブルでもありましたか?」
ハクルート公爵「この男がな」

   ハクルート公爵、涼しい顔でランスロットを取り押さえている。
   次の瞬間、拘束を解く。
   ランスロット、目を回して転倒。
   縮れ毛の従者、ランスロットを拘束。
   ヒューゴ、改めて人相を確認し、

ヒューゴ「マダム・リリスの、最近の愛人……!」

   縮れ毛の従者、手際よく、ランスロットを取調室に連行。
   ハクルート公爵、厳しい眼差し。その様子を眺めながら、

ハクルート公爵「しかし、ここ最近、捨てられたと言う噂を聞いているぞ。その恨み故か、アンジェラ嬢にちょっかいを……」
エドワード、ヒューゴ「……え!?(異口同音)」

   ハクルート公爵、エドワードを眺め、困惑顔になる。

ハクルート公爵「マダム・リリスの新しい愛人は、金髪……つまり、お前だと言う噂があるが」

   エドワード、ばつが悪そうに顔をしかめ、髪をかき回す。
   ヒューゴ、冷や汗しつつ、

エドワード「あのマダムが流言飛語の女王だと言う事を、すっかり失念していた……」
ヒューゴ「こッ、これには、色々と複雑な訳がありまして……」

   ハクルート公爵、アンジェラの走り去った方向をチラリと見やる。

ハクルート公爵「どの娘が、あの脅迫状を書いた彼女かは、すぐ分かったよ」

   ハクルート公爵、胸ポケットから封書を取り出す。
   ヒューゴに手渡す。
   ヒューゴ、書面を開いてギョッとした顔。
   エドワード、興味津々、のぞき込む。

(アンジェラの脅迫状・上流レディ風の美しい筆跡) 『この件から手を引け。さもなければ、今度は貴殿が、誰も知らない冷たい場所で、バラバラ死体となって転がっているであろう』

ヒューゴ「これが、『忠告も、ちょっと入れた』だって……!?」
エドワード「珍しい物を見たような気がする」

   ハクルート公爵、フッと息をつき、くつろいだ顔になる。

ハクルート公爵「ロックウェル公爵令嬢、アンジェラ・スミス・クレイボーンか。ユージーンの面影が、確かに存在する。 ……それ以上に、レディ・シルヴィアに良く似ている……」
エドワード「シルヴィア? アンジェラの祖母の事をご存知でしたか?」
ハクルート公爵「エスター侯爵令嬢レディ・シルヴィア。少年の頃にな、首都の社交界で拝見した事がある」

   ハクルート公爵、中庭を取り巻く回廊を歩き出す。
   エドワード、ヒューゴ、後に続く。

   館から洩れる光が、ボンヤリと回廊全体を照らしている。
   レスター邸の自慢の中庭だが、人払いがされていて無人。
   やがて三人、誰からと言う事も無く、回廊の一角でゆっくりと足を止める。

ヒューゴ「……(首を傾げつつ)、エスター侯爵は、ゴールドベリ一族では無い筈です」
エドワード「デンプシー家ですね? 確か」
ハクルート公爵「私が言うのは、アルヴィン・G・フレイザーだ。話題になるような人では無かったし、息子の居なかった貴族の常で、死後は別の家系に爵位が移行したからな」

   ハクルート公爵、中庭の花々を眺めつつ、

ハクルート公爵「故エスター侯爵のミドルネームは、G……表向きの名乗りこそ無かったが、彼はゴールドベリ一族の子孫の一人だったのだ」
ヒューゴ「名乗らなかったって事ですか?」
ハクルート公爵「過去の歴史を思えば、かの徹底した秘密主義は正しい選択かも知れんな。 いにしえの騎士の時代に連なる狂信者の時代、魔女弾圧が猖獗を極めた頃、ゴールドベリ一族は、 神話時代にまでさかのぼる叡智と伝統と神秘的な能力の故に、魔女と同一視されていた。 激しい弾圧の結果、一族の直系と言う意味での血筋は、火刑台の上で直系の最後の魔女が燃え尽きた時に完全に断絶したのだ」

   エドワード、目をパチクリ。

エドワード「そこまでは寡聞にして存じませんでした」
ハクルート公爵「政府高官でも限られたメンバーにしか伝えられない事だからな。 ゴールドベリの名は、血縁の中でも限られた人しか名乗れない。 その分、世間では、自称『ゴールドベリ』の偽者が絶えない訳だが……今でも、巫女の託宣で一族の宗主を選ぶそうだ」

   ハクルート公爵の説明、しばし途切れる。
   真剣な眼差し。虚空を睨んでいる。

ハクルート公爵「レディ・シルヴィア・G・フレイザーには、双子の姉がいた。当時、姉の方は生死不明の扱いだった」
ヒューゴ「レディ・オリヴィアは、脚を悪くしていらっしゃって、若い頃から社交界に出ていなかったそうですが」
ハクルート公爵「アシュコート伯爵に聞いた時は驚いたよ。ゴールドベリの巫女として、こちらに隠棲していたとは……」

■第五章-02話:流転の令嬢

《人物表》

・アンジェラ・スミス(25、ダブル女主人公)…金髪緑眼の絶世の美女。
・エドワード・シンクレア(27)…キアランの親友。
・ヒューゴ・レスター(25)…アンジェラの従兄弟。エドワードの後輩。
・ハクルート公爵(55)セバスチャン…エドワードの父親。王国の大臣。
・レディ・オリヴィア・ゴールドベリ(68)…ゴールドベリ邸の女主人。金髪緑眼。
・アシュコート伯爵ギルバート(69)
・縮れ毛の従者(26)…レスター家の使用人の一人。アシュコート伯爵の使い走りも。
・イザベラ・ジャスパー(25)…縁組ビジネス仲間、ビジネス団の代表。
・スタッフ令嬢1(25)…縁組ビジネス仲間。
・オズワルド・スミス(26)…スミス家の御曹司。アンジェラの遠縁の従兄弟。
・ハリエット・スミス夫人(65)…『スミス家の大奥方』。オズワルドの祖母。
・レスター当主(54)…ヒューゴの父。
・スコット夫人(62)…ゴールドベリ邸の家政婦。

○レスター邸、音楽会場(夜)

   ハクルート公爵、音楽会場となっている大広間に入室。
   エドワード、ヒューゴ、後に続く。
   既に社交界のお歴々が到着済み。
   あちこちで人物紹介や社交辞令が交わされている。

   ハクルート公爵、出席者の数人を確認し、意味深な笑み。
   次に、重鎮グループの一団を注意深く眺める。

   アシュコート伯爵(69)、レスター当主(54)、他、高位高官。
   重鎮メンバーの中心に、レディ・オリヴィア(68)。
   幾つかの重要な相談に応じている風。

ハクルート公爵「もう60代の筈だが、あの謎めいた美貌……魔女の噂も納得だな。ゴールドベリ一族の宗主との、秘密の通信もある筈……」
エドワード「ゴールドベリの宗主? グウィン氏は、100歳を超えているとの噂もありますが……まだ生きていたんですか?」
ハクルート公爵「(溜息)……彼の地位や影響力からすれば、このロックウェルの問題は些細な代物に過ぎん。 表立って動かないのは理由があるのだろうが、私には訳が分からん」

   会場のシャンデリアやランプが調整され、半分くらいの明るさ。
   観客席、次々に埋まる。
   舞台に楽団メンバーが揃い、演奏プログラムが始まる。

   会場の端に近い、お忍び風の席。
   ハクルート公爵、ヒューゴ、エドワード、着席。
   オーケストラ曲が流れている。

ハクルート公爵「アンジェラ嬢は、スミス家とは上手くいってないらしいな」
ヒューゴ「そこまで、お聞き及びでしたか」

   ヒューゴ、少しの間、目をアチコチ。

ヒューゴ「シルヴィア・スミス夫人が早死にした後、スミス氏は残された娘のセーラの養育の事もあって、後妻を迎えたんです。 その後妻が、今の大奥方、ハリエット・スミス夫人であります」
ハクルート公爵「予想がつくな……良く聞くところの確執と言う訳だ」

   ハクルート公爵、会場の上座の方に目をやり、納得の表情。

   『スミス家の大奥方』=老ハリエット・スミス夫人(65)。
   オズワルドと共に、レスター家の第二位の席次に着座している。
   だが、取り巻きはレスター家の下位親族メンバーに留まる。
   レディ・オリヴィアを取り巻く重鎮メンバー程の人脈は無い状態。

   老ハリエット、チラチラとレディ・オリヴィアを気にする。
   威厳のための表情が、単に刺々しい表情になってしまっている。
   実年齢よりも老けて見える。

   老ハリエットの死角、アンジェラが動いている。
   イザベラと目線で合図しつつ、仕事中。

X X X

(回想)

○レスター邸、大広間(夕)

   老ハリエット・スミス夫人、レスター家の第二位の上座に鎮座。
   並み居るレスター親族の挨拶を受け入れている。

   アンジェラ、入室。
   ハリエット・スミス夫人、化粧がひび割れる程に顔を引きつらせる。
   手に持っていた扇で無言の指示=『即、この場から立ち去れ』。

   アンジェラ、彫刻さながらの取り繕った表情。
   ヒューゴやヒューゴ父レスター当主(54)との最小限の挨拶のみ。
   その後、速やかに退室。

   老スミス夫人、徹頭徹尾アンジェラを無視。
   アンジェラに近付こうとする下位親族を険しく睨み付け、牽制。

   オズワルド、迷いの表情ながらも、アンジェラの為には動かず。
   あからさまに冷え冷えとした空気。

(回想終わり)

X X X

   ハクルート公爵、腕組みをして少しの間、思案ポーズ。
   ヒューゴを見やる。

ハクルート公爵「貴族名簿やら何やらで下調べしておいたが。シルヴィアの夫・スミス氏は、確か、再婚した後、間も無く死んでいなかったかね?」
ヒューゴ「その通りです。二代目も早死にして……今はオズワルドが目下の独身当主で、花嫁募集中です」

   エドワード、無言。
   関心をもって注意深く耳を傾けている。

ヒューゴ「セーラは10代半ば頃、スミス家を出て、レディ・オリヴィアの付き人として生計を立てていたそうです。 その後、セーラがロックウェル公爵の奥方に迎えられて……(一瞬、口ごもる)スミス家の大奥方にしてみれば……まあ、 実の娘を差し置いて、追い出していた筈の先妻の娘が公爵夫人に出世してしまった訳ですから、余計、複雑らしくて……」

   ハクルート公爵、ゆっくりと頷く。思案深げな顔。

ハクルート公爵「流転の令嬢だな。二代に渡る因縁が、アンジェラ嬢の上にたたっとる訳だ。その上に、ロックウェル公爵の問題がある……か」

   ハクルート公爵、長い沈黙。
   エドワード、注意深くハクルート公爵を見つめる。

   今夜の注目プログラム、華やかな新作オーケストラ曲が流れる。

○レスター邸、庭園(夜)

   ハクルート公爵とエドワード、音楽会場をひそかに退出。
   庭園をそぞろ歩き。無言。

ハクルート公爵「お前も、妙な存在に惹かれる性質らしいな……あの奔放な弟に預けたのが、やはり問題だったのかね」
エドワード「でも、そのお蔭で、想像以上に色々な事を学びましたよ。叔父が居なかったら、キアランとも会っていなかったでしょう」
ハクルート公爵「リドゲートか……彼の腕前も大した物だな」
エドワード「銃と剣の名人と名高い叔父が、私たちの師匠でしたからね」

   沈黙の間。
   ハクルート公爵、腕組みで思案顔。

ハクルート公爵「あの手紙の追伸に書いた事は、本気なんだな?」
エドワード「ロックウェル事件にケリが付いたら、彼女に求婚します」

   エドワード、音楽会場の方角を眺めている。真剣な眼差し。
   (現在、音楽会場で、イザベラやアンジェラが縁組作戦を実行中)
   ハクルート公爵、片眉を上げる。

ハクルート公爵「よりにもよって、私に脅迫状を書いた娘に?」
エドワード「私もまさか、多忙を極める父上が、本当に此処に来られるとは思いませんでしたよ」 ハクルート公爵「……(フッと含み笑い)、弟のヤツ、脱税の内偵の技術ばかりか、減らず口まで仕込んでいたらしいな」

○レスター邸、音楽会場の控えの間(夜)

   音楽会が終了し、夜会ダンス会場になる。
   車椅子のオリヴィア(68)、レスター当主(54)との挨拶の後、退出。
   アシュコート伯爵(69)、車椅子を押し、介助。
   レディ・オリヴィア、目を見張り、振り返る。

レディ・オリヴィア「スコット夫人が来ているから大丈夫なのですけど」
アシュコート伯爵「私がやりたいんだ、気にしないでくれ。ハハハ」

   レディ・オリヴィア、上品な苦笑を返す。
   アシュコート伯爵、別の視線に気づき、チラと一瞥して思案顔。
   老ハリエット・スミス夫人、険しい眼差しを投げて来ている。

アシュコート伯爵「スミス家の女主人は、今年もレディ・シルヴィアの孫娘どころか、レディ・オリヴィアすらも避けているようだな……」
レディ・オリヴィア「予想できた事ですわね」
アシュコート伯爵「顔を合わせるのは、年に一度の、この催しの時だけと言うのに」

   アシュコート伯爵、首を傾げつつも、口を閉じる。

○レスター邸、オリヴィア用の客室(夜)

   アシュコート伯爵、オリヴィア、夜のティータイム。
   スコット夫人(62)、お茶を用意し、一礼して退出。
   卓上、多数の手紙が入れられた小さなバスケット。

アシュコート伯爵「(バスケットをのぞき)……、また近辺の相談事が集中かな?」
レディ・オリヴィア「フフフ、ギルバート様のご令息がたの相談もありますわね……夫婦喧嘩のようです」
アシュコート伯爵「あいつら……」

   アシュコート伯爵、呆れ顔で髪をかき回す。
   気を取り直し、お茶を一服。

アシュコート伯爵「今でも我が領地に滞在を続けてくれているのは光栄だが、レディ・オリヴィア……アンジェラにとっては、 必ずしも良い環境だとは言えないのが……(口ごもる)」
レディ・オリヴィア「アンジェラも私も承知の上ですから、お気になさらず。あの子が成人した時、長く話し合って決めた事でもありますから」

   レディ・オリヴィア、憂い顔になり、窓の外を眺める。
   夜の風の音。意味深にざわめく葉群の影。
   レディ・オリヴィア、溜息をつき、目を伏せる。

レディ・オリヴィア「アンジェラが生まれた時も、このように風の声がさやいでいたものですわ……あの子の運命は、私の勝手のせいと言えるかも知れませんね」
アシュコート伯爵「どう言う事かな?」
レディ・オリヴィア「シルヴィアが此処のスミス氏と出逢ったのは、私が此処に来たから。 そして、私がアシュコートに来たのは……ギルバート様が、いらしたからですわ(ほのかに赤面)」
アシュコート伯爵「……!?(お茶を吹き出す)」

   レディ・オリヴィア、布巾を差し出す。
   アシュコート伯爵、年甲斐にもなく赤面して、ギクシャク。

レディ・オリヴィア「エスター侯爵の邸宅で、ギルバート様を迎えていたのは私だったのです。双子と言うだけあって、シルヴィアとは見分けが付かなかったでしょうね。 若い頃は私の脚も、ごまかせる程度には大丈夫でしたし」
アシュコート伯爵「混乱して……何が何だか……」

   レディ・オリヴィア、イタズラっぽく微笑む。

レディ・オリヴィア「あの頃、妹のシルヴィアは、連日の脅迫状を受け取っていて、心底参っていた状態だったのです。 私にはストーカーの類と分かっていましたから、私がシルヴィアの替え玉となり、ストーカーの正体を暴いて撃退するという作戦でしたの。 そこに、六人目の容疑者としていらしていたのが、ギルバート様だったという訳ですわ」

   アシュコート伯爵、しばらく視線が左側に泳ぐ。
   すぐに納得顔になる。

アシュコート伯爵「あの頃は……エスター侯爵邸の周囲で、悪趣味な脅迫状や落書きが……いや、あれは黒魔術だったな、 意中の女性の心を得る為の、オマジナイとか何とか……」

   アシュコート伯爵、茶カップを受け皿に戻す。
   (まだ驚愕が残っていて危なっかしい手つき)

レディ・オリヴィア「歪んだオカルト趣味の、稚拙な小細工でしたわね」
アシュコート伯爵「オリヴィアも相当だったではないか。その不自由な脚で、銃と剣の心得のあるストーカー男と、一戦まじえようとしたのだからな。 現実は、おとぎ話の『戦乙女(ワルキューレ)』と同じようにはいかない物だというのに(呆れた溜息)」

   レディ・オリヴィア、ちょっと目を見張る。
   少女のようにコロコロ笑う。

レディ・オリヴィア「ギルバート様が代わって、鉄拳で話し合いをして下さいましたわね。印象深い出来事でしたわ。 父は……とても優しい人で、そういう荒事とは無縁でしたから。その分、私が気を張っていたところがあって……」

   レディ・オリヴィア、感慨深い溜息。お茶を一服。

レディ・オリヴィア「気が付いたら、あなたを愛しておりましたわ」

   アシュコート伯爵、赤面してうつむく。
   照れ隠しに、髪をしきりにかき回す。

アシュコート伯爵「詳細不明の双子の件は聞いていたが、本当に双子とは……確かに、印象は、最初の舞踏会の時とは面白いくらい違うなと思ってはいたが……何処で再び、 入れ替わったのか……あ、あの後か? あのストーカー事件が解決した後、馬車で一人、外出した事が……」

   レディ・オリヴィア、肩をすくめ、イタズラっぽい笑み。
   アシュコート伯爵、大きな溜息。

アシュコート伯爵「道理で。あの日を境に、最初の印象どおりの、おとなしい令嬢に戻ったな、とは思っていたんだ……」

   アシュコート伯爵、複雑な表情になる。

アシュコート伯爵「あの時、私は……あなたの手を取るべきだったか……?」
レディ・オリヴィア「そうは参りませんでしたわね。私には……近いうち、伯爵になるギルバート様も、奥方の姿も……見えておりましたから……」
アシュコート伯爵「グレースの姿が……か? 子供たちの姿も?」
レディ・オリヴィア「ええ。年を取る程に悪くなる、私の脚の事もございました。ギルバート様のご両親は、私を認めなかったでしょうね。 私にしても、当時の貴族社会が求めるような、良き妻としての能力が無かった。私には、生まれながらにして、ゴールドベリ一族の未来を占う巫女としての義務がございました」

   アシュコート伯爵、しばし無言。

アシュコート伯爵「……ゴールドベリの巫女、それも、最も強い先祖返り……か。いにしえのゴールドベリ直系の巫女ともなると、どれ程の物が見えていたのだろうな」
レディ・オリヴィア「直系の最後の巫女は、いわゆる『神』の相も見えていたそうですわ。それが、狂信者の怒りをかった理由にもなったのですけれども」

   レディ・オリヴィア、穏やかに微笑む。

レディ・オリヴィア「私は、レディ・グレースには、なれない。でも、ギルバート様の余生の旅路を……今は既に遠くなった青春の思い出と共に――古い友人として、 また戦友として、お供させて頂くだけで光栄です」

   アシュコート伯爵、微笑み返す。

アシュコート伯爵「私にとっては、オリヴィアはいつでも謎と神秘に満ちた火の乙女だったよ」
レディ・オリヴィア「相変わらず口がお上手ですわね」

■第五章-03話:ゴールドベリの巫女

《人物表》

・アンジェラ・スミス(25、ダブル女主人公)…金髪緑眼の絶世の美女。
・レディ・オリヴィア・ゴールドベリ(68)…ゴールドベリ邸の女主人。
・アシュコート伯爵ギルバート(69)…領主。
・アイリス・ライト(回想、25)…ルシールの母親。

○レスター邸、オリヴィア用の客室(夜)

   アシュコート伯爵、顔を引き締める。
   真面目な様子。

アシュコート伯爵(69)「しかし、奇妙だ……その透視能力をもってしても、ロックウェル事件が依然として謎ばかり、という状況とは。 勿論オリヴィアの能力無しには、此処まで追及する事も、また出来なかったが」
レディ・オリヴィア(68)「占いの類の言葉になってしまいますが。『深淵の迷宮』が広がっていて、透視しようにも難しい状態ですから……」

   レディ・オリヴィア、透視能力を発動中。
   いっそう神秘的な光をたたえる緑の目。
   アシュコート伯爵、我知らず、じっと見入っている。
   レディ・オリヴィア、目を伏せ、首を振る。

レディ・オリヴィア「……今の時点では、まだ見えない物が多すぎますわ。雪闇の中に、多くが封印されている。謎が、記憶が、愛が、凍て付いた迷宮と化している……」
アシュコート伯爵「オリヴィアの、その類の話は、いつも壮大で難しいな(困惑顔)。真相は、『深淵の迷宮』の中に封印されているという事か」
レディ・オリヴィア「あるいは、運命の仮面の下に。直系の最後の巫女は、『界(カイ)』という言葉で、それを言っていたのですわ。 当時の言語では、それが精一杯だったのでしょうね」

   レディ・オリヴィア、ゆっくりと溜息。

レディ・オリヴィア「仮面の下は別の顔。かの迷宮と化した城に住まう仮面の公爵は、仮面舞踏会の名手ですわね。 私たちの知るロックウェル公ユージーンその人であるか否かは分かりませんが、決して赤の他人ではありません。浅からぬ因縁があるようですわ。 奇妙な事に、ルシールの父親が不明と言う一件も絡んで来ている……私に見えるのは、そこまでです」

   アシュコート伯爵、あごに手を当てて思案ポーズ。

アシュコート伯爵「彼の仮面は近いうちに……いつか必ず、剥ぎ取らねばならんな」

   レディ・オリヴィア、アシュコート伯爵をそっと見つめる。

レディ・オリヴィア:心の声(不思議な事だが、こう言う愛し方は、ライト夫人に教わったのだ)

X X X

(回想)

○ゴールドベリ邸、客室(昼)

   25年前の冬。
   アイリス(25)がゴールドベリ邸に運び込まれてから数日後。
   嵐が去り、非常に穏やかな降雪。
   降ったり止んだり、陽射しも少し。

   アイリス、容体、ほぼ落ち着いている。
   ベッドに半身を起こしている。

   レディ・オリヴィア、赤ちゃんのアンジェラを抱っこ中。
   アンジェラ、ウトウト状態で落ち着いている。
   アイリス、生真面目にレディ・オリヴィア(43)を眺めつつ、

アイリス「貴方ほどの御方が、どうして、この辺境にお住まいでいらっしゃるのですか?」
レディ・オリヴィア「どうしてかしら……あら、フフフ、色々あったけど……」

   赤ちゃんのアンジェラ、ムニャムニャと身じろぎ。
   レディ・オリヴィア、バランスを取る為、抱っこし直し。

レディ・オリヴィア「……そもそもは、初恋の人を、近くで、ひっそりと見ていたかったから、だったわ」
アイリス「(目を見張る)……あの、結婚はされなかったんですか?」
レディ・オリヴィア「ええ。貴族の妻としての務めを果たせない……子供を産めない身体だったから、というのもあるわね(苦笑)」

   アイリス、長い沈黙。
   窓の外に見える木立。木立の間に視線をさ迷わせる。

アイリス「……私にも、そういう愛し方ができますでしょうか?」

   レディ・オリヴィア、思慮深く小首をかしげる。
   あえて沈黙。

アイリス「いつか、お互いに年老いた時に、再びあの人に出逢って……遠い青春の頃の思い出を共有する良き友として、愛する事が?」

   厳粛な沈黙の時間が横たわる。

   アイリス、口を固く引き結び、窓から目をそらす。
   ペンダントトップのリング(指輪)を外す。
   指輪には『九月』を暗示するシンボルが刻まれている。
   (結婚指輪であり、九月に結婚したという証でもある)

   アイリス、手を微かに震わせながらも、指輪をはめる。
   仮面のようにピクリとも動かない、恐ろしい程に静かな決意の顔。

(回想終わり)

X X X

○レスター邸、オリヴィア用の客室(夜)

   夜の風。窓の外でざわめく木の葉影。
   卓上、静かなランプの炎。
   レディ・オリヴィア、茶を一服。

レディ・オリヴィア「あれは、そういう事だったのね。仮面の下は別の顔……かつては結婚のために、これからは流転のために……」
アシュコート伯爵「何の事だね?(キョトンとした顔)」
レディ・オリヴィア「現在、このような『深淵の迷宮』が存在する理由……混沌とした状況となっている大きな要因は、今は亡きライト夫人なのです」
アシュコート伯爵「数年前に死亡した、女庭師?」
レディ・オリヴィア「彼女自身が意図した事ではありませんけど、彼女の星の軌道が構築した『迷宮(ラビリンス)』……その奥にある、 かの恐るべき暗さ激しさ……運命としか言いようが無いですわ」

   アシュコート伯爵、腕組みをして思案ポーズ。

アシュコート伯爵「そう言えば、ライト夫人は……『未亡人』という扱いだったが。良い再婚話が来ても、遂に首を縦に振る事は無かった。 ローズ・パーク相続問題が持ち上がった今、それが逆に、ルシール嬢を窮地に追い込んでしまっている筈だ……」

   レディ・オリヴィア、憂い顔。

レディ・オリヴィア「忍ぶ恋こそ、まことなり……そのとおり、真実の愛とは、言い知れぬものですわね。エロス、フィリオス、アガペー。 教会による解釈では、『性愛、友愛、神の愛』となっていますけれども。いにしえのゴールドベリ一族の直系の中では、『劫初の愛、終極の愛、超越の愛』という解釈だったそうですから」
アシュコート伯爵「その解釈は初耳だ。論文に残っていれば、牧師の誰かが発見して、教会の講話で引用したと思うが……」
レディ・オリヴィア「魔女弾圧の時代に、地下にもぐった内容ですから(苦笑)」
アシュコート伯爵「公的な歴史からは、失われていたという訳か……(溜息)」

   レディ・オリヴィア、窓の外を眺めつつ、思案顔。

レディ・オリヴィア「真実の愛。不滅の愛。アマランタイン。それは時の彼方の永遠へと超越しつつ、光明と暗黒の軌道を、流転と変容を遂げてゆくもの。 劫初から終極へと至る流転。傷を負うて漂泊する神。愛の変容の軌跡。 多次元の界(カイ)と荒らぶる、かの迷宮なす凶星の群れは、超越的な流転の軌道を描く。その相は、まさしく不滅の花の影、アマランタイン。 迷宮なす凶星、それは『癒(いや)しの星』に変容しうる流転の星。 命を障(さや)るものと命を癒(いや)すものは、基本的に同一。如何なる星々も、光明星としての側面と暗黒星としての側面を持つ……」

   アシュコート伯爵、圧倒されて、ひるんでいる顔。

アシュコート伯爵「それは、ゴールドベリ一族の叡智か……言い伝えかね?」
レディ・オリヴィア「地下にもぐっていた古文書の一部ですわ。傷を負うて漂泊する神、すなわち『迷宮(ラビリンス)』を抱いて流転する凶星は、特別である。 かの暗さ激しさ、かの深淵の牢獄の星、底知れぬ領域『界(カイ)』、必然として、はるかに遠い超越的・根源的な場から、 癒(いや)しと救済の力を引き出して来るものゆえに……」

   レディ・オリヴィア、深い溜息をつく。
   アシュコート伯爵の方に向き直り、

レディ・オリヴィア「ごめんなさいね。いろいろ口走ってしまいましたわ」
アシュコート伯爵「いや、実に興味深い内容だったよ」
レディ・オリヴィア「結局、分かっているのは、これだけですわね。ライト夫人は、死ぬのが早過ぎましたわ」
アシュコート伯爵「そうだな。私も、そう思う」

X X X

○レスター邸、オリヴィア用の客室(夜)

   アシュコート伯爵、退出の刻限。
   アシュコート伯爵とオリヴィア、いつものように挨拶を交わす。

アシュコート伯爵「ハクルート公爵が、ロックウェル公爵を刺激する手筈になっている……また明日、訪ねるよ」

   部屋を仕切るカーテンの裏側、聞き耳を立てるアンジェラ。
   アンジェラ、顔を引き締め、コブシを握る。

アンジェラ:心の声(決行の時は近いわ!)

■第五章-04話:風雲の緑の丘〜ロックウェル城へ

《人物表》

・アンジェラ・スミス(25、ダブル女主人公)…金髪緑眼の絶世の美女。
・エドワード・シンクレア(27)…キアランの親友。
・ヒューゴ・レスター(25)…アンジェラの従兄弟。エドワードの後輩。
・ハクルート公爵(55)セバスチャン…エドワードの父親。王国の大臣。
・レディ・オリヴィア・ゴールドベリ(68)…ゴールドベリ邸の女主人。
・アシュコート伯爵ギルバート(69)…アシュコート伯爵領の領主。
・ジャガー氏(54)…レスター家の古株の御者。縮れ毛の従者(26)の父。
・縮れ毛の従者(26)…レスター家の使用人の一人。アシュコート伯爵の使い走りも。
・黒ネコ…アンジェラにくっついて来ている不思議なネコ。
・レスター氏(54)…ヒューゴの父。レスター家の当主。
・スコット夫人(62)…ゴールドベリ邸の家政婦。
・仮面舞踏会の招待客たち…80人ほど
・ロックウェル城の召使たち…30人ほど

○アシュコート伯爵領、レイバントンの町の空(昼)

   壮大な雲の群れが流れ、どよめく。
   空を覆う雲は厚みを増し、あたりは薄暗くなっていく。
   雲の切れ間から、薄明光線。

○アシュコート伯爵領、レイバントンの町の空(夕)

   分厚い雲から夕陽の色が洩れている。異様な赤らみを増した空。

○アシュコート伯爵領、レスター邸の私有地のコテージ(夕)

   コテージの前、大型馬車が準備されている。
   ハクルート公爵(55)、エドワード(27)、ヒューゴ(25)が打ち合わせ中。
   ジャガー氏(54)、縮れ毛の従者(26)、馬車の整備作業中。

   ヒューゴ、落ち着かなくウロチョロ。
   柵の上によじ登り、辺りをキョロキョロ見回す。

ハクルート公爵「警戒すべきは、ロックウェル城の仮面舞踏会の筈……今から何をそんなに警戒しとるんだ?」

ヒューゴ「アンジェラは、やると言ったらやる人なんです。御祖母シルヴィア様も御母堂セーラも、そろって物静かで大人しい淑女だったそうなんですが、 アンジェラの性格はレディ・オリヴィアの方を受け継いだようで……」

   ヒューゴ、馬車の床下にも入って念入りにチェック。
   フーッと息をつきながら立ち上がり、

ヒューゴ「大丈夫みたいです。アンジェラの影も形も、一応、皆無……」
エドワード「ゴールドベリの勘を逃れるのは、大変らしいな……(苦笑)」

○馬車の中(夕)

   大型馬車、快速で走り続ける。
   樹林の多い地を過ぎていく。灌木低木が増える。

ヒューゴ「ロックウェル公爵の本人確認に、ご協力頂きまして……(ペコリと一礼)」
ハクルート公爵「礼は要らんよ。ユージーンと会うのは、随分久し振りになる。 大事故の後、人が変わってしまったと言う噂も気になっているんだ……こちらにしても、王室を巻き込んだ疑獄事件で、ゴールドベリ一族の協力を頂いたしな」
エドワード「あの疑獄事件ですね。あの時に老グウィン氏を初めて拝見しましたが、年齢が分かりませんでした。噂のとおり、本当に百歳を超えておられるんですか?」
ハクルート公爵「ヒーラーでもあるからな。だが、あの特殊な毒を盛られて死にかけた証人を、どうやって喋れる状態にしたのかは、今でも分からん」
エドワード「重い錯乱作用のある毒だったとか」
ハクルート公爵「考えたくない死に方をする毒なんだが、あの証人の死に顔は、穏やかなものだった。老グウィン氏の癒しの術のお蔭で、あまり苦しみを感じずに逝けたらしい」

   雷が遠くで響く。いちめんの黒雲。
   ハクルート公爵、馬車窓の外を見やる。

   外景、岩がちな草原、荒れ地。
   荒れ地でも育つ丈の高い草、いちめんに繁茂。

ハクルート公爵「嵐が接近しているな」
ヒューゴ「御者・従者のマントは新品だから、大丈夫の筈です」

   馬車窓の外、黒い妙な影が動く。
   三人、パッと振り返る。
   小さな黒ネコ、馬車窓に張り付き、ニャアニャア。

ヒューゴ「どうやって張り付いた……」
エドワード「止めろ! 何か変だぞ」
ジャガー氏(54)(馬車の連絡窓から)「何です?」

   ジャガー氏、直ちに馬車を止め、車両チェック。
   馬車の後ろに回った瞬間、

ジャガー氏「どわーッ!」

   馬車の中の三人、即座に下車。

○アシュコート伯爵領とロックウェル公爵領の境界の荒れ地・草原(夕)

   ジャガー氏、直立不動で動転。
   ハクルート公爵、ヒューゴ、エドワード、従者席を確認。

   縮れ毛の従者(26)、マント姿の侵入者一名。
   黒ネコ、ニャアニャアと駆け寄り、マントの裾にスリスリ。
   マント姿、諦めたような溜息。

   縮れ毛の従者、地面に飛び降り、土下座。

縮れ毛の従者「大変、申し訳ありません! 騒ぐなと脅迫されて……!」

   マント姿、フードを外す。渋面のアンジェラ。
   ヒューゴ、愕然とした顔。

ヒューゴ「やっぱりやった……!」

   アンジェラ、黒ネコの首筋を吊るし、

アンジェラ「後でお仕置きするからね!」
黒ネコ「ニャニャア〜」
アンジェラ「(大袈裟な溜息)……、従者・尾行・作戦、上手く行くとは思ったんだけど、この程度のドッキリで大声とは……」

   ジャガー氏、涙目。

ジャガー氏「そんな訳無いでしょ、お嬢さん! 馬車の従者席に女性を放置したままで走るなんて、 御者の名折れ……この私ジャガーも、プロの名にかけて、『安全運転』だけは守るんですから!」

   ヒューゴ、頭をかきむしりつつ、

ヒューゴ「あれだけ隠密行動したのに、何でバレた……」
アンジェラ「ジャガー氏を尾行したのよ。(黒ネコを抱っこしつつ)……ああ、でもジャガー氏を怒らないで。半分は私の勘だから」
ハクルート公爵「これがゴールドベリの勘と言うヤツか……」

   ヒューゴ、黒ネコを『ピッ』と指差す。
   黒ネコ、意味ありげに『ピッ』と尻尾を立てて応える。

ヒューゴ「この黒ネコを飼い始めた?」
アンジェラ「何故か後を付いて来たの。私もまさか、馬車の窓に張り付くとは思わなかったわよ(困惑の溜息)」

   強い風に吹かれ、丈の高い草がざわめく。
   再び雷が鳴る。
   急に大粒の雨が降り出す。
   一行、急いで馬車に乗り込む。

○馬車の中(夕)

   馬車の座席に、各々改めて落ち着く。
   ヒューゴとアンジェラ、神妙に頭を下げる。

ヒューゴ「私の親戚が大変お騒がせ致しまして」
アンジェラ「昨夜はご親切にも助けて頂きまして」
黒ネコ「(ハクルート公爵を見上げつつ)ニャー」

   ハクルート公爵、呆れた顔で腕組み。
   エドワード、横を向いて吹き出し笑いをこらえる。

ハクルート公爵「ユージーンの度胸も受け継いだらしいな……馬車の従者席に張り付いたまま、ロックウェル城を訪れる作戦だったと言うのかね?」
アンジェラ「その通りでございますわ、ハクルート公爵様」

   平坦な道。馬車、快速スピード。
   馬車窓には大きな雨粒が斜めに流れる。

アンジェラ「ロックウェル公爵の口から真実を聞きだせるのは、まさに今回しか無いと言う直感がございました」
ハクルート公爵「父親の記憶は無いそうだが、ロックウェル公を見付けられるとでも言うのかね?」
アンジェラ「ネズミの死体と一緒に入っていた血付きのナイフが教えてくれますわ。間違い無く、本人の手が触れた物ですから……」
ハクルート公爵「……ネズミの死体!?」

   ヒューゴ、慌てた様子で、

ヒューゴ「え、えっと、バラバラ死体の事件があって間もなく、ロックウェル公爵家の紋章付きの贈答用の小箱に、バラバラになったネズミの死体と、 血付きのナイフが詰められていて、それがアンジェラの元に届けられていたという一件がありまして……」
ハクルート公爵「……(絶句)」

○荒れ地を貫くロックウェル街道(夕)

   春の雷雨の中を行く馬車。
   行く手にひときわ高い丘。
   大きな雷光が閃き、緑の丘の上に一瞬、壮麗な城の姿が浮かび上がる。

○ロックウェル城、鳥観図(夕)

   雷雨、本格的。
   岩山に囲まれた緑の丘の上に建つ壮麗なゴシック様式の城。
   フロント城壁に並ぶ尖塔の上、ロックウェル公爵家の紋章旗。

○ロックウェル城、前庭〜玄関広間(夕)

   ロックウェル城の前庭ロータリーに多くの馬車が停車。
   玄関広間、仮面舞踏会に出席して来た招待客たち。
   ロックウェル城の召使たち、招待客たちを次々にさばく。
   招待客、順次、割り当てられた控えの間へと誘導されている。

○ロックウェル城、控えの間(夕)

   控えの間、ハクルート公爵の一行。
   中央テーブル、陳列ボックスの中に定番の幻想的な仮面セット。
   (定番じゃ無い仮面は招待客が自分で用意するスタイル)

   備え付けのクローク所の前、アンジェラ、マントを脱ぐ。
   レトロ風だが華やかなローズ色、たっぷりのフリルとレース。
   ハクルート公爵、油断無くアンジェラに目を配っている。

ハクルート公爵「あのドレスには見覚えがある……母親の物か」
エドワード「そう言う話ですが」

   ハクルート公爵、深刻な面持ちで頷く。
   それと知られぬよう、慎重にアンジェラを観察。
   アンジェラとヒューゴ、定番の仮面を各々選んでいる。

ハクルート公爵「私の警護は構わんから、ヒューゴと共にアンジェラ嬢に張り付いていろ。あれは、爆発する直前のマリアと全く同じなんだ。 刺し違える覚悟すらあるかも知れん……事情を考えれば無理も無いが」

   エドワード、思わず目をパチクリ。

○レスター邸の一角、私設の礼拝堂(夕)

   レディ・オリヴィア(68)、備え付けの椅子に座っている。
   思案顔で、真正面のバラ窓を眺める。

(バラ窓の縁に刻まれている刻印)『劫初、終極、界(カイ)を湛えて立つものよ』

レディ・オリヴィア「運命の偶然、なのかしら。火刑台の上で、ゴールドベリ一族の直系の最後の巫女が詠じた辞世の句。 狂信者が全知全能の神を称える聖句としたゆえに、いまや全国の教会や礼拝堂で、バラ窓にお馴染みの聖句として刻まれている……」

   スペースの脇に、車椅子。
   傍に控えているスコット夫人(62)。
   不安げな顔で、しきりに近くの窓を眺める。
   春の嵐。窓には大きな雨粒が叩き付けられている。

   オリヴィア、ふと辺りを見回す。
   不意に眉根が寄せられる。憂い顔。
   そして、スコット夫人を振り返り、

レディ・オリヴィア「――アンジェラが見えないわね」
スコット夫人「……!(不意打ちを食らって、あからさまにギョッ)」
レディ・オリヴィア「アンジェラが何処へ行ったか、知ってるでしょう?」
スコット夫人「はあ……あの……」

   スコット夫人、みるみるうちに青ざめていく。
   落ち着かなくソワソワ。震えだす。
   レディ・オリヴィア、ハッと息を呑み、緑の目を見開く。

レディ・オリヴィア「知ってるのね」

   スコット夫人、くず折れるように膝を突き、声を震わせる。

スコット夫人「申し訳ありません、レディ・オリヴィア。アンジェラお嬢様に、固く口止めされておりました……じ……実は……!」

   バラ窓の外で、ひときわ大きな雷光。
   礼拝堂の床の上に、一瞬、花の影。

○レスター邸、当主の執務室(夕)

   アシュコート伯爵(69)、レスター氏(54)、報告書に目を通す。
   執務室に集まった役人たち6名ほど、補足説明中。

   不意に、扉が開かれる。
   執務室の中の全員、驚いて振り向く。

   杖をつくレディ・オリヴィア、決死の形相。
   息を切らしている。
   後方に、動転中のスコット夫人。

役人1「誰だ!?」
役人2「まだ『予定』より早い……?」
レスター氏「これはッ……レディ・オリヴィア!」
役人3「え!?」
役人4「あの、伝説のゴールドベリの貴婦人……!?」

   レディ・オリヴィア、脚の痛みによろめき、扉に取りすがる。

スコット夫人「脚に無理をお掛けになっては!」
アシュコート伯爵「オリヴィア! 一体どうした……!?」

   アシュコート伯爵、駆け寄り、オリヴィアを支える。
   窓の外、雷光と雷鳴。
   レディ・オリヴィア、蒼白な顔。

レディ・オリヴィア「一番速い馬車を貸して下さい! 私は……アンジェラを死なす訳にはいかない……!」

○ロックウェル公爵領へ向かう街道(夕)

   あたりは本格的な雷雨。
   快速馬車、スピードを上げる。六台ほどの馬車が疾走。

○ロックウェル公爵領へ向かう街道、馬車の中(夕)

   馬車の一つに、アシュコート伯爵、レディ・オリヴィアが同乗。
   馬車の揺れが大きくなる。
   アシュコート伯爵、レディ・オリヴィアの身体を支える。

レディ・オリヴィア「……何故か、最初の、ゴールドベリ邸に来た頃のセーラを思い出しますわ。 あの子は、孤独で、自ら命を絶つことを考えるまでになっていて……」
アシュコート伯爵「それは初耳だが、今は納得できる」
レディ・オリヴィア「……え?」

   レディ・オリヴィア、ボンヤリとアシュコート伯爵を注目。
   アシュコート伯爵、戸惑ったように目をしばたたく。

アシュコート伯爵「その、レスター氏が口を割り、いや、事情を語ってくれてな」
レディ・オリヴィア「……その場面が見えるような気がしますわ」
アシュコート伯爵「透視してくれなくても良い(ちょっと慌てている)」

   レディ・オリヴィア、首を傾げる。
   馬車窓の近くで、大きな雷光と雷鳴。
   馬車が大きく揺れ、車内ランプが消えて暗転。
   レディ・オリヴィア、思わず目を閉じ、首をすくめる。
   身体が緊張で震える。

アシュコート伯爵「大丈夫だ、オリヴィア」
レディ・オリヴィア「雷が怖い訳ではありませんわ。あの……25年前の、雪闇の始まりのビジョンが、このような感じで……」
アシュコート伯爵「25年前の馬車事故を透視していたと?」

   レディ・オリヴィア、震えながらも大きく息をつく。
   震える手で顔を覆う。

レディ・オリヴィア「あの馬車事故は、私の不注意のせい……五分だけ、馬車が遅れていれば……或いは、 早めに出ていれば……? そのたった五分で変化した路面状況が、私には見えたのに……私は家を出られず、何もできなかった!」
アシュコート伯爵「……予想もせぬ条件が絡み合っただけだぞ、オリヴィア」

   アシュコート伯爵、強い口調。

アシュコート伯爵「それに、あの困った老ハリエットが拗ねて、あんな辺境の小屋に一人引きこもった上に高熱を出さなければ、 オリヴィアが調合した薬をセーラが持っていく必要も無かった。あの吹雪をおして、狩猟場まで往診に来るような医者は居ないだろう。 薬は老ハリエットの娘が届ける形になり、老ハリエットは、あの事故に関してオリヴィアが一切動かなかった事を非難したが。 まだ生後二ヶ月だったアンジェラをゴールドベリ邸に残して、 馬車事故が起きた現場に駆けつける……という事は、オリヴィアには出来なかった筈だと私は思っている」

   沈黙の時間。
   馬車窓の外では、激しい雷雨。

アシュコート伯爵「今がどうあれ、25年前、ロックウェル公ユージーンは、出産後間もない新妻のセーラを心配し、付き添っていた。 お忍びまでしてな」

   再び、長い沈黙。
   行く手の丘の上、時折の雷光に浮かぶ巨大な城の影。
   レディ・オリヴィア、ボンヤリと顔を上げる。
   次第に近づく城の影を見つめつつ、

レディ・オリヴィア「アンジェラは……彼らが遺してくれた、私の夢のような物です。 若い頃の私に出来なかった事が、あの子には出来る……今は、貴族社会の間でも条件付きながら、 養子縁組も認められていて……孫に我が夢を託すと言う点では、ハリエット・スミス夫人は、もう一人の私ですわね」
アシュコート伯爵「それは違う、と断言してやる」

○ロックウェル公爵領の街道(夜)

   土砂降りの悪路を走り抜けて行く馬車の数が増えている。
   馬車の前部に取り付けられているランプが明るい。

■第五章-05話:仮面舞踏会

《人物表》

・アンジェラ・スミス(25、ダブル女主人公)…金髪緑眼の絶世の美女。
・エドワード・シンクレア(27)…キアランの親友。
・ヒューゴ・レスター(25)…アンジェラの従兄弟。エドワードの後輩。
・ハクルート公爵(55)セバスチャン…エドワードの父親。王国の大臣。
・兜仮面(年齢不詳)…当代ロックウェル公爵を名乗る人物。
・マダム・リリス(年齢不詳)…ロックウェル公爵の59番目の愛人。
・執事(66)…ロックウェル城の執事。
・仮面舞踏会の招待客たち…80人ほど
・ロックウェル城の召使たち…30人ほど
・ギャングたち…40人ほど

○ロックウェル城の大広間、仮面舞踏会の会場(夜)

   灯りは最小限まで絞られ、ゴシックホラーの舞台さながら。
   招待客は、全員、華麗で幻想ゴシック的な仮面を付けている。
   半数以上の人々、ダンスに興じる。

   時折、ゴシック風の細く高い窓の外で、雷光が閃く。
   妖しげにうごめく人外の仮面の群れ。

   会場、凝った装飾がされた一角、ギャング売人の一群。
   アヘンや禁制ドラッグ類、アルコールのフリをして供給。

   仮面姿のハクルート公爵(55)、ヒューゴ(25)、入場。
   仮面姿のエドワード(27)、アンジェラ(25)、腕を組んで入場。
   ロックウェル公爵を探し、慎重に巡る。

ハクルート公爵(黄金仮面)「皆、仮面だから、誰が誰だか良く分からないな。挨拶も省略。此処まで無礼講のスタイルを取るとは思っていなかったぞ」
ヒューゴ(仮面:ゴブリン)「でも、シャンデリアの数が少なくて薄暗いのは、接近に好都合ですね」

   ヒューゴ、盛んにキョロキョロしている。
   やがて、急に足を止める。
   『ゴブリン』仮面、会場の中央部分をキョロリと向く。

   会場の中央部、奇怪で冒涜的な造り物の祭壇。
   きわどいドレスをまとって立つ、マダム・リリス。
   愛人の一人らしき『邪神の神官』と、アヤシイ遊びの真っ最中。
   邪神を召喚する儀式の真似事。

ヒューゴ(仮面:ゴブリン)「中央に居る『邪神の聖女』の仮面が、マダム・リリス……彼女がこの会場を仕切っていまして」

   ハクルート公爵(黄金仮面)、頷く。
   辺りを窺う。

ハクルート公爵(黄金仮面)「ユージーンも、この近くか……」

   エドワード(仮面:蝙蝠)、アンジェラ(仮面:胡蝶)をエスコート。
   気付く所があり、そっと後ろを確認。

   ロックウェル城の執事(66)。会場スタッフとして、素顔。
   凍り付いたようにアンジェラを見つめ続けている。

   アンジェラ(仮面:胡蝶)、執事には気付かず。
   或る方向に視線を定め、ピタリとそこから動かなくなる。

エドワード(仮面:蝙蝠)「アンジェラ?」

   エドワード(仮面:蝙蝠)、アンジェラの視線の先を窺う。
   鋭く息を呑む。

   マダム・リリスから少し離れた、目立たない場所。
   中世の兜仮面、マント姿の男。

   エドワード(仮面:蝙蝠)、身振りで合図。
   ハクルート公爵(黄金仮面)、ヒューゴ(仮面:ゴブリン)、気づく。

ハクルート公爵(黄金仮面)「彼が……そうか!」

   アンジェラ(仮面:胡蝶)、決然とした足取り。
   エスコートの手を外し、兜仮面の男に接近し始める。
   ヒューゴ(仮面:ゴブリン)、飛び出し、アンジェラを拘束。

アンジェラ(仮面:胡蝶)「邪魔しないで、ヒューゴさん」
ヒューゴ(仮面:ゴブリン)「ダメですよ! ハクルート公爵が、あの人の本人確認をなさるのが先です」

   兜仮面の男、胡蝶仮面とゴブリン仮面の妙な動きに気付く。
   ギギギ、と身体の方向を変える。

兜仮面「そのドレス、何処かで見たような……」

   ハクルート公爵(黄金仮面)、気配も無く立ちはだかる。
   不意を取られ、兜仮面、息を呑んで硬直。

兜仮面「お前は……!」
ハクルート公爵(黄金仮面)「久し振りだな、ユージーン? 私の声に覚えがある筈だが……?」
兜仮面「セバスチャン・シンクレア……」
ハクルート公爵「ほう、記憶はあるんだな。昔の声からは多少、変化したようだが……」 兜仮面「あの事故のせいだよ」

   兜仮面、焦ったように、ふいと首をそむける。
   ハクルート公爵(黄金仮面)、親しさを見せて苦笑。
   会場を見回す。

ハクルート公爵(黄金仮面)「寄宿学校の時の事を思い出す……冗談で、このような仮面舞踏会を企画した事があった」
兜仮面「……」
ハクルート公爵「まあ、寄宿学校だったからな。クジに負けた半分は女装するという事で、大騒ぎになった。君も確か、クジに負けた側だったか……」
兜仮面「ああ(あらぬ方向を見やりながら)」

   一瞬の沈黙。
   ハクルート公爵(黄金仮面)、仮面の下で鋭く息を呑む。

ハクルート公爵(黄金仮面)「君は誰だ……!? ユージーンは、クジに勝った側だったんだ!」
兜仮面「何だと!?(ギョッとしたように振り返る)」

   『邪神の聖女』マダム・リリス、目を険しく光らせて、サッと振り返る。

マダム・リリス「あんた! そいつ、引っ掛けだよ!」

   兜仮面、素早く、腰の剣を抜く。

兜仮面「この野郎ッ!」

   剣、一閃。
   風圧で舞い上がる黄金仮面。
   ハクルート公爵、紙一重の差で刃先をかわしている。

ハクルート公爵「基礎訓練が、なっとらん……寄宿学校にすら行ってないな!?」
兜仮面「黙れッ!(怒髪天)」

   兜仮面、急に、アンジェラ(仮面:胡蝶)に顔を向ける。
   殺気を察し、棒立ちになるアンジェラ。

兜仮面「……そうだ、そのドレスだ……セーラは事故で死んだ筈だぞ! この、化け物め!」

   兜仮面、アンジェラ(仮面:胡蝶)に斬りかかる。
   非常識な動きとスピード。

   次の瞬間、鋭い金属音が響き渡る。
   兜仮面の剣、人の背より高い放物線を描いて舞い上がる。
   会場の中央部、ハリボテ祭壇の傍に落下。金属音。

   『邪神の聖女』リリスと『邪神の神官』の男の目の前。
   重い剣がバウンド、再び固い床との間で音響。

マダム・リリス(仮面:邪神の聖女)「……!(目を剥く)」
愛人の男(仮面:邪神の神官)「ひいぃ!?(腰を抜かし、へたり込む)」

   兜仮面、しびれる手首を押さえて後ずさる。
   アンジェラ(仮面:胡蝶)の前に、エドワード、既に割り込み済。

   エドワード(仮面:蝙蝠)、ステッキを構え直す。
   (特製のステッキ=剣と同じ鋼で出来ている)

アンジェラ「……(絶句)」
愛人の男(仮面:邪神の神官)「あの剣術、何なんだ……!」
兜仮面「貴様、『蝙蝠』……! リリスの新しいペットじゃ無かったのか……!」

マダム・リリス(仮面:邪神の聖女)「あ……あ……(後ずさり、逃走の態勢)」
兜仮面「……無能は、この城には要らん……!」

   兜仮面、一瞬で短剣を放つ。
   マントが高くひるがえる。
   短剣、リリスの心臓に命中。
   周囲のダンス客たち、口々に悲鳴を上げて散らばる。

マダム・リリス(仮面:邪神の聖女)「……あんた……よくも……!」

   マダム・リリス(仮面:邪神の聖女)、身を震わせる。
   口から血をあふれさせる。
   身を二つに折り、崩れ落ちながらも、兜仮面を睨み付ける。

マダム・リリス(仮面:邪神の聖女)「……逃げ出してた、あの弁護士を……あたしが、この手で始末してやったと言うってのに……!」
ハクルート公爵「何だと!?(息を呑む)」

   マダム・リリス(仮面:邪神の聖女)、一瞬、痙攣。
   そのまま絶命。

兜仮面「死ねぇ!」

   兜仮面の手がひるがえる。短剣、飛ぶ。

ヒューゴ(仮面:ゴブリン)「うわわ!」

   ヒューゴ(仮面:ゴブリン)、間一髪で短剣をかわす。
   短剣、ヒューゴの頭上を飛び、後ろの衝立に深々と突き刺さる。

   兜仮面、返す手で、再び短剣を放つ。
   エドワード(仮面:蝙蝠)、ステッキを一閃。
   短剣、叩き落とされる。

兜仮面「野郎ども! こいつらをやっちまえ!」

   会場の端々から、ギャングの男たちが湧きだす。
   様々な種類の刃物を持っている。
   『魔人』、『邪神のしもべ』、『吸血鬼』など魑魅魍魎の仮面付き。

ダンス客1「化け物が出たー!」
ダンス客2「あうぅえぇ」
ダンス客3「天国天国! 地獄地獄!」
ダンス客4「もっと、アヘン……!」

   舞踏会場、パニック。
   女性客の一部、手近な柱やカーテンに登り出す。
   相当数の男性、口からよだれを垂らしながら、壁に頭突き。
   ダンス客の一部、衝立に歯で噛みつき出す。

兜仮面「ロックウェル城の宝石が欲しけりゃ、さっさとやれぇ!」

   魑魅魍魎の仮面のギャングたち、一斉に襲い掛かる。
   ヒューゴ(仮面:ゴブリン)、隠し持っていた銃を両手に構える。
   シャンデリア目掛けて百発百中の射撃。
   弾が尽きると、スリングショットに持ち替え。

   シャンデリア、次々に灯りを落とす。
   会場は瞬く間に闇に包まれる。
   外で閃く雷光。

ダンス客1「一体、何がどうなっているんだ!」
ダンス客3「真っ暗よ! ドアは……!?」

   会場の招待客たち、泣き喚きながら逃げ惑う。
   踏んだり踏まれたりの騒動。続く悲鳴。

   兜仮面と魑魅魍魎ギャングたち、いきなりの闇で戸惑い。

エドワード「アンジェラ! この隙に、ロックウェル公爵の手がかりを探せ!」

   アンジェラ、会場を飛び出す。

■第五章-06話:闇の中の迷宮、狂える仮面の男

《人物表》

・アンジェラ・スミス(25、ダブル女主人公)…金髪緑眼の絶世の美女。
・エドワード・シンクレア(27)…キアランの親友。
・ヒューゴ・レスター(25)…アンジェラの従兄弟。エドワードの後輩。
・ハクルート公爵(55)セバスチャン…エドワードの父親。王国の大臣。
・黒ネコ…アンジェラにくっついて来ている不思議なネコ。
・兜仮面ラルフ(56)…当代ロックウェル公爵を名乗る人物。
・マダム・リリス(年齢不詳)…ロックウェル公爵の59番目の愛人。
・アシュコート伯爵ギルバート(69)…アシュコート伯爵領の領主。
・ジャスパー判事(54)…アシュコート伯爵領の次席判事。
・ジャスパー判事の手勢、その他、役人…50名ほど
・仮面舞踏会の招待客たち…80人ほど
・ロックウェル城の召使たち…30人ほど
・ギャングたち…40人ほど

○ロックウェル城、長い回廊(夜)

   細長く高い窓が並ぶ壁、何処までも続く。
   しきりに閃く雷光。豪雨の雨音。
   アンジェラ、走り続ける。
   黒ネコも傍を走っている。

   行く手で、不自然に歪んだ格好の人影が動く。
   再び雷光が閃き、アンジェラ、ギョッとして急停止。

アンジェラ「……まさか……!」

   再び雷光。
   40代から50代と見える中年の男。(ラルフ、56)
   手に剣を持っている。兜仮面と同一人物と知れる。
   マントを脱ぎ捨て、シャツ&ベスト姿。
   やつれた面差し、狂おしいまでの殺意に満ちて歪んでいる。

ラルフ(56)「……ユージーンの娘――殺す……!」

   ラルフ、ギクシャクした走りで接近して来る。
   アンジェラ、回れ右して逃走。
   恐ろしさの余り、声も出ない。
   他には人が居ない回廊。雷光がしきりに閃く。

   アンジェラ、走り続ける。
   黒ネコ、アンジェラの後に付いて走る。
   後ろから、不気味な足音や物音が追いかけて来る。

   大きな雷鳴。
   窓ガラスに、ヒビが入る。
   廊下の絵画のひとつ、床に落ちる。

   ゴシック風の廊下が続く。
   幾たびも折れ曲がり、階段やトンネルになる。
   アンジェラの思考も複雑に混乱する。

アンジェラ:心の声(迷宮の奥底に棲む怪物の名前は、何だっただろうか……闇のベールを剥いだ瞬間、 『吾に恥見せつ』と怒り狂い追って来た邪神の名は)

アンジェラ:心の声(迷宮は怪物の棲み処とされているが、元々は神の家だとも言う……迷宮の怪物と、邪神と、出逢ってしまったのか)

アンジェラ:心の声(復活祭を境に行方不明になった弁護士も、復活祭の巨大卵のハリボテから出て来たバラバラ死体の謎の男も、 迷宮(ラビリンス)の、その奥底に棲む怪物と、出逢ってしまったから……?)

アンジェラ:心の声(『邪神の聖女』の仮面をしたリリスと『邪神の神官』の仮面をした男が、 冗談で遊んでいた邪神召喚の儀式は、本当に、本物の邪神を召喚していたのか?)

○ロックウェル城、屋上、空中廊下(夜)

   アンジェラ、無我夢中で走り続ける。
   アーチの下をくぐる。
   顔面をたたく大きな雨粒。
   雨の勢いで仮面が後方へ舞い落ちる。

   城壁と通じる古い空中廊下を走る。雨ざらしの石積み。
   元は中世の防衛戦用の設備。
   行く手には、ゴシック風の尖塔の群れが立ち並ぶ。

   ラルフ、アンジェラが落とした仮面を発見。
   アンジェラの逃走先を推察。
   狂笑を顔に張り付け、剣を振り回す。

   アンジェラの後方、硬い刃先が壁に当たる音。
   意外に近い感じ。
   アンジェラ、ギクリとして一瞬、振り返る。
   口を食いしばる。

○ロックウェル城、屋上、フロント城壁(夜)

   アンジェラ、空中廊下から城壁に飛び降りる。
   最も遠い端の塔を目指し、豪雨が叩き付ける中を走る。
   塔の上に登るための、外付けの階段に到着。

○ロックウェル城、フロント城壁の尖塔(夜)

   アンジェラ、階段を登りつつ、よろける。
   雨を吸ったドレス、岩のように重い。

   アンジェラ、塔の上に到着。
   ボンヤリと上の方を仰ぐ。
   ゴシック風の尖塔の屋根部分が頭上に鋭く伸びる。
   その頂点部、紋章旗を取り付けた鋼鉄のポール。

   アンジェラ、屋根の端を慎重に伝って行く。
   (屋根の周りの縁の部分)
   身体が思うように動かない。
   息を切らして震えながら、スペースの端でしゃがみ込む。

   雷光と雷鳴。
   激しく降り注ぐ雨。
   アンジェラの足元を流れ、滝のように落ちる。

   奇妙にリズムの崩れた重い足音。
   階段を登って来る。
   塔の上に到着。

   アンジェラ、ギクリと震えながらも振り返る。

   ラルフ、大きく肩で息をしながらも、ゆっくりと迫る。
   上半身、ギクシャクと揺れる。不気味で奇妙な歩み。

ラルフ「……チョロチョロと逃げ回りやがって……そこへ直れ! あの馬車事故の古傷のせいで、私は節々がおかしい」

   ラルフ、剣を構える。
   雷光が閃き、刃がギラリと光る。

ラルフ「ユージーンの娘! お前の身体も、ユージーンと同じように……バラバラ死体にしてくれる!」

   再び雷光と雷鳴。
   塔全体が不気味に震動する。
   アンジェラ、何とか立ち上がる。
   ラルフを見据える。

アンジェラ「あなたは……、一体、誰……!?」

○ロックウェル城、正面玄関[エントランスホール](夜)

   少し時間をさかのぼる。
   大広間から、ヒューゴの銃撃音が続けざまに響く。

   ロックウェル城の召使たち、うろたえる。
   ジャスパー判事(54)、手勢、玄関広間になだれ込む。
   ロックウェル城の大広間へと突撃。
   招待客たちの悲鳴と戦闘音が響いて来る。

○ロックウェル城、大広間(夜)

   ジャスパー判事(54)、手勢、真っ暗な会場に踏み込む。
   雷光と雷鳴。招待客たちの悲鳴。
   ギャング勢がドウと倒れる音。

召使1「何で真っ暗なんだ!?」

   様々な武器の音、人が倒れる音。

ジャスパー判事「灯りを持て! ならず者どもを連行しろ!」

   続く手勢、次々に松明やランプを持ち込む。
   会場の中は白昼のような明るさになる。
   仮面を付けた大勢の招待客、口々に呻き声を上げる。
   ギャングたちが倒れて呻いている。

   ヒューゴ(25)、兜仮面のマントを拾い上げる。
   愕然とした顔。

ヒューゴ「あの偽のロックウェル公爵が消え失せた……!」
ハクルート公爵「何だと!?」
エドワード「まさか……!」

   エドワード、兜の仮面を発見。手に取り、唖然。

エドワード「仮面の下は……誰だ!?」

○ロックウェル城、前庭ロータリー(夜)

   いちめん、叩き付けるような雷雨。
   多くの馬車と人々とで騒然としている。
   正面玄関に近い場所、ジャスパー判事の馬車や馬。

   アシュコート伯爵の馬車、停車。
   アシュコート伯爵(69)、キビキビと下車。
   部下からひととおり報告を受けている。

   多数の後続の馬車、次々に停車。
   罪人を拘束し連行するための移動型牢屋を含む。
   ハクルート公爵(大臣)の特派員たちが次々に下車。

   ハクルート公爵の派遣の強制捜査チーム、踏み入る。
   次々にギャングが逮捕され、移動型牢屋に押し込められる。

ギャング1「てめぇら、何なんだ! こんなことする権利あんのか!」
役人1「残念ながら、あるんだ」
役人2「我々は政府から派遣された特派員だ。非合法アヘンや脱税を取り締まるためにな!」
ギャング2「何だとぉ」

   押収された大量の非合法アヘン類、馬車に積み込まれる。
   移動型牢屋に、大勢の非合法アヘン業者が押し込められて行く。
   特派員に拘束され、連行されて行く、ギャングの行列。
   まだ魑魅魍魎の仮面をかぶっているギャングも大勢。

   移動型牢屋、瞬く間に犯罪者で溢れ返る。
   仮面舞踏会の招待客も混ざり、一緒になって口々に騒ぐ。

■第五章-07話:塔と落雷

《人物表》

・アンジェラ・スミス(25、ダブル女主人公)…金髪緑眼の絶世の美女。
・エドワード・シンクレア(27)…キアランの親友。
・ヒューゴ・レスター(25)…アンジェラの従兄弟。エドワードの後輩。
・ハクルート公爵(55)セバスチャン…エドワードの父親。王国の大臣。
・レディ・オリヴィア・ゴールドベリ(68)…ゴールドベリ邸の女主人。
・アシュコート伯爵ギルバート(69)…アシュコート伯爵領の領主。
・縮れ毛の従者(26)…レスター家の使用人の一人。ジャガー氏の息子。
・黒ネコ…アンジェラにくっついて来ている不思議なネコ。
・兜仮面ラルフ(56)…当代ロックウェル公爵を名乗る人物。
・ジャスパー判事(54)…アシュコート伯爵領の次席判事。
・ジャスパー判事の手勢、その他、役人…50名ほど
・執事(66)…ロックウェル城の執事。
・仮面舞踏会の招待客たち…80人ほど
・ロックウェル城の召使たち…30人ほど
・ギャングたち…40人ほど

○ロックウェル城、フロント城壁の下、ロータリー(夜)

   レディ・オリヴィア、安全の為アシュコート伯爵の馬車内に居る。
   防寒ショールをかき抱き、そわそわと馬車窓の外に視線を投げる。
   馬車のドアの前、アシュコート伯爵の従者が警備に立っている。

   近くを、特派員たちとギャングたち、ゾロゾロと通って行く。
   ギャングたち、まだ魑魅魍魎の仮面をかぶっている。
   一部の容疑者たち、まだしつこく抵抗、小規模ながら乱闘あり。
   さながら雷雨の中の百鬼夜行の光景。

レディ・オリヴィア(68)「アンジェラ……」

   レディ・オリヴィア、馬車ドア開く。
   警備の従者、ギョッとして振り向く。

警備の従者「だ、ダメです、レディ・オリヴィア。アシュコート伯爵に特に指示されてまして……」
レディ・オリヴィア「それどころじゃ無いのよ」

   レディ・オリヴィア、半身を乗り出す。
   警備の従者、あわてて身体を支える。
   レディ・オリヴィア、降り立ち、眉根を寄せて辺りを見回す。

   レディ・オリヴィア、不意に鋭く振り返る。

   フロント部の城壁に並ぶ細い尖塔。頂上に紋章旗。
   大きな雷光が閃く。
   尖塔の頂上、鋭い屋根を挟んで対峙する二つの人影。

   レディ・オリヴィア、目を見張る。

レディ・オリヴィア「アンジェラが、塔のところに……!」

   アシュコート伯爵と部下たち、驚きつつも尖塔を注目。
   再び雷光と雷鳴。
   尖塔の上、くっきり浮かぶ二つの人影。

   部下たち、ロックウェル城の前庭に集結。
   塔の方向へ松明を振り向けて方々に合図。

部下1「とにかく急げ! 身柄を確保しろ」

   部下たち、尖塔の下へと殺到。
   城壁に到達、外付けになっている階段を駆け上がる。
   雷鳴、石積みが震える。
   年数を経て脆くなっている石積みが崩れ落ちて来る。

部下2「気を付けろ! 古い塔だから石積みが……!」

○ロックウェル城、フロント城壁の尖塔(夜)

   尖塔の上、アンジェラ(25)とラルフ(56)、対峙。
   ラルフ、傷痕だらけのやつれた顔を歪ませて嘲笑。
   笑い顔とも泣き顔ともつかぬ、悲痛な表情。

ラルフ(56)「私が……誰か……だと?」

   ラルフ、剣先をアンジェラに突き付ける。

ラルフ「冥土の土産に教えてやろう! ユージーンの娘! 私はかつて、お前の父親の従者であった、ラルフだ!」
アンジェラ「……」
ラルフ「畜生! 従者だぞ! ふざけた血統主義! 私がユージーンより先に生まれたってのに、嫡子じゃ無いと!」

   アンジェラ、呆然と震えるまま立ち尽くす。
   ラルフ、高く剣を振りかぶる。

ラルフ「私がロックウェルの正義と正統の当主! 我が手によって天誅だ、ユージーンの娘!」

   雷光が閃く。雷鳴で尖塔が震える。
   ラルフの剣、振り落とされる。
   黒ネコ、ラルフに向かって身を躍らせる。

   黒ネコの身体から、男の幽霊が現れる。
   幽霊、ラルフに向かって身を広げる。
   ラルフ、ギョッと目を剥く。

ラルフ「おぉお……!?」

   とっさに幽霊に対応しようと勢い余る。
   ラルフ、体勢を崩す。
   アンジェラ、反射的に飛びのく。

   塔の上に、ひときわ大きな雷が落ちる。

   雷はラルフが振りかぶった剣先に落ち、ラルフの身体を貫く。
   アンジェラの脚を貫通。
   その下の石積みの中に侵入して激しく弾ける。
   石積み、爆裂。四方八方へと吹き飛ぶ。

   アンジェラとラルフ、塔の上から墜落を開始。

○ロックウェル城、尖塔の下の踊り場(夜)

   城壁の周りには数多のランプや松明が集結。
   二人の墜落の様子、ボンヤリと照らし出されている。

   塔の直下、石畳で舗装された踊り場スペース。
   先陣グループの面々、既に踊り場に到着済み。
   驚き慌てながらも駆け寄る。

   アンジェラの身体、緩やかな落下軌道を描いて落ちて来る。
   踊り場の先陣グループの先頭、エドワード、躍り出る。
   エドワード、落下してくるアンジェラに向かって手を差し伸べる。

   アンジェラの落下の衝撃と、エドワードの突進の衝撃、かち合う。
   エドワード、アンジェラの身体を捉える。
   エドワード、身体をひねって下を取り、受け身。
   衝撃のほとんど、石畳を横滑りする勢いへと変わる。
   二人の身体、踊り場の端へ向かって横滑りしていく。

   まるで氷の上を滑って行くかのように、相当の距離を横滑り。
   踊り場からの落下防止の障壁の前で、二人の身体、止まる。

   先陣グループの一部、エドワードとアンジェラの周りに集まる。

縮れ毛の従者(26)「大丈夫か……!」
ヒューゴ(25)「あんな所から、よく――」

   ヒューゴ、前に出て、松明で辺りを照らす。
   石畳との激しい摩擦でエドワードの上着はいたく破れている。
   エドワード、何事も無かったかのように身を起こす。

ヒューゴ「せ、先輩?」

   エドワード、ユーモラスに片目をつぶって応じる。

ヒューゴ「よくよく、不死身ですね! あ、アンジェラは?」
エドワード「あ……(アンジェラを抱き起こす)、立てるか?」

   アンジェラ、ショックで半分フラフラ。
   次第に目の焦点が合い、しきりに瞬き。
   エドワード、先に身を起こし、アンジェラを立たせる。
   アンジェラ、一旦、直立するが、すぐにグラリと傾ぐ。

エドワード「どうした?」

   アンジェラ、ボンヤリと足元を見下ろす。
   ローズ色のドレスの裾には、雷が貫いた証の黒焦げ。
   エドワードに身を支えてもらい、裾をたくし上げる。

   タイツも裂けたように焼け切れていて、膝下は素足。
   脚の表面、薄赤い、異様な模様が広がっている。
   放電図形と見える樹状フラクタルのようなパターン。

アンジェラ「……火傷みたい(呆然)」

   エドワード、ギョッとして、アンジェラの素足に目をやる。

エドワード「あの雷が、灼いていった痕か……」
縮れ毛の従者「神の刻印……」

   ヒューゴ他、畏怖の念に打たれて絶句。

   ラルフ、垂直に墜落したため、人々の手が間に合わず。
   墜落のショックで意識朦朧の状態。
   先陣グループの残り、既に周囲を取り囲んでいる。

役人1「先刻、ラルフだと言った……!」
役人2「ラルフだ! 本当だ! あの事故の後、行方不明で……覚えてますよ、昔の彼を……!」

   第二陣の人々が、松明で辺りを照らしながら上がって来る。
   ジャスパー判事(54)やハクルート公爵(55)も駆け付けている。

   アシュコート伯爵(69)とレディ・オリヴィア(68)が現れる。
   アシュコート伯爵、レディ・オリヴィアを介助。

   ラルフ、意識はあり、ブツブツと何事かを呟いている。
   ジャスパー判事、ラルフを観察しながらも真剣な悩み顔。

役人1「一体、どういう状態なんです?」
役人2「きちんと治療すれば、事情聴取ができる状態にまで回復するんですか?」
ジャスパー判事「ううむ……(レディ・オリヴィアを振り返り)、レディ・オリヴィア?」

   レディ・オリヴィア、近寄り、ラルフを目に入れる。
   蒼白になり、震えながらも、

レディ・オリヴィア「手の施しようが全く無い状態よ。雷撃のショックが、心臓まで到達してしまっているの。一見、状態が良いように見えるけど、夜明けを見る事はきっとできないわ」

   ハクルート公爵、ラルフの胸倉をつかみ、激しく揺さぶる。

ハクルート公爵「ラルフ! 何故こんな事をした!? ユージーンの忠実な従者であった、お前が!」
ラルフ「う……、せ、先代の野郎は……私を絶対に嫡子と認めなかった……あの女には、複数の恋人が居たのだし……父親は別人だろうと!」

   ラルフ、身を震わせながらも喋り続ける。

ラルフ「あの馬車事故の後、ユージーンは一生目覚めぬだろうと医者が宣告した……あの日は、 確か……ゴールドベリの魔女が生後六ヶ月の女の子を……ユージーンとセーラの娘、ロックウェル公爵令嬢だ、と、言って、連れて来た、日で……(苦しそうな息切れ)、 魔女だろうが、赤子だろうが、得体の知れない輩が、よくも! 我がロックウェル公爵家を、奪う事は、許さん……」

   ラルフの目の焦点、既に合っていない。

ラルフ「その時……我、確信せり! 我が天啓にして天恵を、正義と正統の証を……! ユージーンを地下に閉じ込め、 何も知らぬ村の婆に世話をさせ……ふん! 仮面があれば、変装など……幾らでも、できる! あの、復活祭の日に……! ヤツが、 25年ぶりに、目を覚まさなければ……このままだったよ!」

   レディ・オリヴィア、いっそう蒼白な顔色。

レディ・オリヴィア「植物状態になっていても……起きている時と変わらぬ意識が、ある事がある……」

   ヒューゴ、顔を歪ませる。
   エドワードに支えられているアンジェラ、ハッと息を呑む。

ヒューゴ「25年もの間……?」
ラルフ「……どうも、そうらしいな……」

   ラルフ、意識混濁しながらも執念で受け答え。

ラルフ「ヤツは、状況を完全に理解していやがったよ……クソ! 夜な夜な地下まで降りて、自慢話をするんじゃ無かった! ユージーンのヤツ、 目覚めたが早いか、あの裁判弁護士を見つけて……相談を始めやがってな! ……即その場で、あの化け物をメッタ打ちにしてやった……!」

   ラルフ、絞り出すような息遣い。

ラルフ「我が憎しみの過去……ユージーンの娘も味わうが良い……!」

   沈黙が横たわる。

   ジャスパー判事とハクルート公爵、怪訝な顔。
   ラルフの顔をのぞき込む。

ハクルート公爵「ラルフ……?」
レディ・オリヴィア「――死んだわ」

   眉根を寄せ、緑の目を伏せるオリヴィア。
   アシュコート伯爵、呆然。

アシュコート伯爵「ロックウェル公爵のふりをしているのに、認知と縁切りの場に出なかったのは……」
レディ・オリヴィア「アンジェラの……レディの称号は、そのままなのね。憎しみゆえか、愛ゆえか……己にも、分かっていなかったかも知れないわ……」

   アシュコート伯爵、無念そうに首を振る。
   春の夜の嵐。なおも降りつのる雨。

アシュコート伯爵「バカなヤツだ……!」
レディ・オリヴィア「あの黒ネコ……」

   レディ・オリヴィア、黒ネコに目をやる。
   雷撃で崩れた石積みの砕片の上に鎮座している。
   黒ネコ、瞬きすらせず、不動。
   限界まで見開かれた目は、異様なまでに妖しく光っている。
   周囲の人々、異様な雰囲気を感じて、無言。

   レディ・オリヴィアの声、驚嘆に満ちて震えている。

レディ・オリヴィア「幽霊が憑依しているの……まさか、ユージーンの幽霊とは……あれが無ければ、ラルフが全てを話す程に動転したかどうか……」

   ヒューゴ、黒ネコに近づく。黒ネコ、不動。深い放心状態。
   ヒューゴが抱きかかえても、ネコは放心したまま大人しい。

X X X

○ロックウェル城、城壁にある出入口の一つ(深夜)

   ジャスパー判事、手勢と共にロックウェル城の出入口に接近。
   思い詰めてやつれた様子の執事(66)、ジャスパー判事を出迎え。

ジャスパー判事「ロックウェル城の執事か?」
執事「……(目を伏せて身を震わせ)、私が早く呼び止めて、 話を致すべきでした……! セーラ様のドレス……彼女と同じ金髪――レディ・アンジェラ以外にありえないと分かったのに!」

   ロックウェル城の執事、口を押さえて呻く。

X X X

○ロックウェル城、地下の冷蔵室(深夜)

   ロックウェル城の執事、ジャスパー判事、手勢を案内。
   城の奥の間。地下の冷蔵室=石造りの広い密室。
   松明の灯り、古い血の流れた跡を照らす。

   冷たい石の床のあちこちに、巨大な刃物が転がっている。
   狩猟で大型の獣を解体する時に使う刃物。
   『赤黒い何か』がベッタリと付いたまま。

   ジャスパー判事の部下の一人、更に松明を掲げる。
   中央に、搬送用の帆布で覆われた箱。棺桶サイズ。
   残りの部下たちが数人がかりで帆布を取り払う。
   蓋をこじ開ける。

   人間の死体が発する、特有の強烈な臭気が噴き上がる。

   一瞬、部下たち、のけぞる。
   覚悟して、箱の中を、恐る恐る観察。

   箱の中は、流れた血でドス黒く染まっている。
   かつては人間だった物の、おぞましい断片の群れ。
   ジャック・オー・ランタンに似た丸い物。
   目・鼻・耳・口などと思しき若干の凸凹、毛髪のボサボサ。

   何人もの部下が、一気に青ざめる。

部下2「バラバラ死体だ!」
部下1「あの行方不明になった弁護士の……!」
部下3「な、生首……!」
ジャスパー判事「四肢の切断……第二のバラバラ死体を作る予定だったらしいな」

■第五章-08話:ロックウェル公爵の公文書

《人物表》

・アンジェラ・スミス(25、ダブル女主人公)…金髪緑眼の絶世の美女。
・エドワード・シンクレア(27)…キアランの親友。
・ハクルート公爵(55)セバスチャン…エドワードの父親。王国の大臣。
・レディ・オリヴィア・ゴールドベリ(68)…ゴールドベリ邸の女主人。
・アシュコート伯爵ギルバート(69)…アシュコート伯爵領の領主。
・黒ネコ…アンジェラにくっついて来ている不思議なネコ。
・アイリス・ライト(回想、25)…ルシールの母親。
・セーラ・スミス・クレイボーン(回想、25)…アンジェラの母親。
・ユージーン・クレイボーン(回想、28)…アンジェラの父親。
・スコット夫人(62)…ゴールドベリ邸の家政婦。
・ジャスパー判事(54)…アシュコート伯爵領の次席判事。
・ジャスパー判事の手勢、その他、役人…10名ほど
・執事(66)…ロックウェル城の執事。
・ロックウェル城の召使たち…10人ほど
・馬車の御者

○ロックウェル城、執務室(深夜)

   ジャスパー判事(54)中心の捜査チーム、聴取中。
   ロックウェル城の執事、主だった召使がそろっている。

   一区切りつく。
   エドワード(27)、ハクルート公爵(55)、退室。
   外の嵐は落ち着き、雨もやんでいる。

○ロックウェル城、前庭ロータリー(早朝)

   嵐一過の夜明け方。見事な朝焼け。

   ハクルート公爵とエドワード、前庭ロータリーに現れる。
   行く手に、使用予定の馬車、スタンバイ。

   エドワード、ロックウェル城を振り仰ぐ。    朝もやにかすむロックウェル城。

エドワード「これだけ猟奇的な事情が重なってみると、アンジェラとの結婚について、母上の了解を得るのは難しくなりそうですね」
ハクルート公爵「マリアは既に了解済みだよ」
エドワード「どういう事です?」
ハクルート公爵「実はお前は、アンジェラ嬢とは赤子の時に、既に婚約済みではあるんだよ」
エドワード「は……!?(ハクルート公爵を振り返り、絶句)」

   ハクルート公爵、少し照れた顔。

ハクルート公爵「若気の至りか……親のロマンチックな計画と言うヤツだ。ユージーンとは寄宿学校以来の親友で、なおかつ公爵同士だった。 それだけで、如何なる経緯があったかは予想つくだろう? まさか令嬢が生きていたとは思わなかったよ。 ゴールドベリの先祖返りと言うのも意外だった。まあ、基本的には、そう言う事だ……」

○レイバントンの町、レスター邸、回廊(早朝)

   雨上がりの早朝。
   リネンタオルを運んでいるスコット夫人(62)。
   使用人の出入り口で馬車の御者とかち合い、一礼、会話。

○レスター邸、オリヴィア用の客室(早朝)

   部屋の大窓からは、ほの明るい朝の光が差し込んで来る。
   窓脇ベッドの布団の上で、黒ネコ、丸くなっている。

   窓脇のベッド。
   脚の火傷の処置を済ませたアンジェラ(25)。
   車椅子のレディ・オリヴィア(68)、付き添い。
   アンジェラ、半身を起こし、一枚の書状に見入る。

(書状の内容)『アンジェラ・ゴールドベリ宛。ゴールドベリ一族の名簿にアンジェラ・スミス嬢を記入。 ゴールドベリ一族としての名乗りを認める。当代宗主グウィン・ゴールドベリ』

レディ・オリヴィア「スミス家ともクレイボーン家とも、既に縁が切れていると言う事になるわね。こうして良いのかどうか、私もかなり迷ったけれども……」
アンジェラ「私、大丈夫です。この子が居ますから」

   アンジェラ、ベッドの上で丸くなっている黒ネコを見やる。
   黒ネコ、アンジェラの視線に気づき、ピンと尻尾を伸ばす。
   オリヴィア、しげしげと黒ネコを眺める。

レディ・オリヴィア「あの黒ネコ? 確か最初の日、隠れ家の庭先に迷い込んで来てたわね。飛んで光る妖魔ネコマタだと思われたとか。 ユージーンの幽霊が憑依していたのだから、そういう妙な現象も納得ね」
アンジェラ「彼の名前はクレイです」
レディ・オリヴィア「クレイボーンのクレイだと、このネコが自分で名前を言ったのね」

   レディ・オリヴィア、黒ネコを撫でる。
   黒ネコ、目を閉じ、気持ち良さそうに喉を鳴らし始める。

レディ・オリヴィア「奇妙なネコが出て来たものね。あの人の幽霊は、今はもう此処には居ないけれども。幽霊に憑依されていた間の、奇妙な記憶を持っている……」

   レディ・オリヴィア、黒ネコを抱き上げる。
   少しの間、黒ネコと意味深に目線を交わす。
   イタズラっぽい目付きでアンジェラを見やる。

レディ・オリヴィア「馬車に張り付いてアピールしている間、尻尾が縮み上がる程、怖かったそうよ。ユージーンの幽霊が、どんな風に脅迫したのか興味深いわね」

   アンジェラ、思わず言葉に詰まる。

X X X

○レスター邸、オリヴィア用の客室(朝)

   朝食後の時間帯。
   スコット夫人(62)、ドアを開ける。
   アシュコート伯爵(69)、入室。

   アシュコート伯爵、レディ・オリヴィア、会釈。
   休養のため横になっていたアンジェラ、半身を起こす。

アシュコート伯爵「取り込み中に済まんが……」
レディ・オリヴィア「お気遣い痛み入ります。事件の処理でご多忙なところ、お見舞い頂きまして……」

   アシュコート伯爵、椅子を自分で引いて来て、腰を下ろす。
   一つの古びた封書を取り出して見せる。

アシュコート伯爵「ジャスパー判事からの速達が届いたんでな。ロックウェル城のその後の捜索で、ロックウェル公直筆の、オリヴィア宛の私信が出たのだ」
レディ・オリヴィア「私信?(不思議そうに目を見張る)」

   黒ネコ、アンジェラの膝の上に飛び乗り、尻尾を揺らし始める。
   訳知り顔の雰囲気。
   アシュコート伯爵、ちょっとギョッとして黒ネコをチラ見。

アシュコート伯爵「日付は、あの馬車事故の直前になっている。事故の後、ラルフが忠実な従者として城に持ち込んだが、ラルフが狂った後は、そのまま忘れられた状態だったらしい……」
レディ・オリヴィア「……」

   レディ・オリヴィア、口元に手を当てて思案ポーズ。
   目を伏せて、精神集中の顔になる。

レディ・オリヴィア「長く凍て付いていた『深淵の迷宮』が、今まさに解け始めた。雪闇の中に封印されていた、かの運命の軌道が、謎が、記憶が、愛が、浮かび上がって来る……」

   レディ・オリヴィア、目を開く。
   確信の顔で、ゆっくりと頷く。

レディ・オリヴィア「見えますわ……あの馬車で出かける前夜……馬車の待ち合わせの間に書かれた物ね。私が25年前に受け取る筈だった私信……」

   レディ・オリヴィア、古い封書を受け取り、開封。
   アンジェラ、呆然として眺める。
   レディ・オリヴィア、内容の読み上げを始める。

(ロックウェル公爵の私信)『前略、レディ・オリヴィア』

(ロックウェル公爵の私信)『乗合馬車の宿場駅で、訳あって一人の娘を保護し、なおかつ道連れとしています。 戻った時に彼女をゴールドベリ邸に連れて来て良いかどうか、お返事を頂きたく思います。 彼女は一人旅の途中にて路銀を盗まれてしまい、人知れず真冬の川に出て身を沈めようとし、妻がその直前で止めたのです。 娘の名はアイリス・ライト。予期せぬ妊娠にて妊娠六ヶ月との事。詳細は、そちらに戻りました時に説明いたしますが、やむにやまれぬ事情で家出した娘と申せます』

   アシュコート伯爵、愕然とした顔。

アシュコート伯爵「ライト夫人? 訳ありの未亡人だと思ってはいたが、未婚の母だと……?」
レディ・オリヴィア「動転の余り、全ての事情を話すような心理状態にあったということね」

X X X

(回想)

○峠の馬車駅、宿場沿いの道路(夕)

   25年前の二月、連日の大雪。
   山岳地帯の冬季の狩猟場をつなぐ山道。道路封鎖中。
   道路工事メンバー、道路整備の作業。雪かき。
   ほぼ終わりかけており、一部バリケード解除、始まる。

○峠の馬車駅、宿場の一室(夕)

   セーラ(25)、椅子に座るよう促す。
   アイリス(25)、ボンヤリと椅子に座る。
   髪はまだ湿り気が取れておらず、流したまま。

   程なくして、ユージーン(28)、入室。

ユージーン「明日には、乗合馬車が出るそうだ。予約を取っておいたよ」
セーラ「有難う、あなた」

   アイリス、ボンヤリとユージーンに会釈。
   ユージーン、着席。
   セーラ、茶器を用意していて、カモミール茶を淹れる。
   アイリスに勧める。意外に素直に茶カップを手に取る。

セーラ「ラルフさんは?」
ユージーン「隣で荷物をまとめてるよ」
セーラ「そう。あとでラルフさんにも、お茶を運びましょう」

   セーラ、改めてアイリスを眺め、感心。

セーラ「綺麗な娘さんね」

   アイリス、お茶を一服。
   不意に奇妙な表情を浮かべる。
   慌てた様子で、お腹に手をやる。
   セーラ、怪訝そうな顔をして、様子を窺う。

   アイリス、切羽詰まった顔。
   お腹を押さえながら、セーラに取りすがる。

アイリス「あの……赤ちゃん、生まれると思います!?」
セーラ「え……?(キョトン)」
ユージーン「な、なんだって……!? さっきは、真冬の川に身を沈めていて……!」

   ユージーン、思わず立ち上がる。

セーラ「落ち着いて。あなたは、妊娠してるのね。大丈夫だから、座って」

   セーラ、カモミール茶を白湯で薄める。

セーラ「ちょっと濃く入れてたから、お腹がきつくなっただけよ。カモミールは、そう言う成分あるから……」

   アイリス、お腹を押さえつつ、次第に疑問顔になる。
   違和感の正体を突き止めようと、お腹を何度もさする。

アイリス「……これ、胎動……?」
セーラ「何カ月になるの?」
アイリス「六カ月……」
セーラ「それなら、胎動だわ(ニッコリ)」

   セーラ、アイリスのお腹に触れて、大きさを確かめる。

セーラ「随分、小さな赤ちゃんなのね」
アイリス「……(赤面)」
セーラ「ええと、レディ・オリヴィアの受け売りだけど。カモミール茶には子宮収縮成分が含まれているそうなの。 いきなりお腹が縮むような刺激を受けて、中に居る胎児が、ビックリすることがあって。 妊娠初期はリスクはあるけど、六カ月なら安定期だから、少量なら問題は無いとも聞いてるわ」

   アイリス、生真面目な顔で耳を傾けている。
   セーラ、安心させるようにアイリスの肩にそっと触れる。

「もう自殺なんか考えたらダメよ」

   アイリス、戸惑いの顔になり、うつむく。
   無言で顔を赤らめている。
   お茶のお代わりが出される。

セーラ「どうして、こんな吹雪の日に一人で……お連れさんは何処に居るの?」
アイリス「連れって……?」
セーラ「ご夫君に決まってるでしょ? とっても長い話をする事になるわよ……赤ちゃんのパパは?」
アイリス「……」

   アイリス、少しの間、ポカンとしている。

アイリス「あの人は……」

   アイリス、やがて、次第に青ざめていく。

   アイリス、身を震わせて、テーブルの上にワッと泣き伏す。
   セーラとユージーン、唖然。
   アイリスのすすり泣き、続く。

(回想終わり)

X X X

○レスター邸、オリヴィア用の客室(朝)

   レディ・オリヴィアによる書状の読み上げ、続く。

(ロックウェル公爵の私信)『……極度の精神不安定で説明が混乱しており、彼女が愛人の立場にあったか否かは慎重に確認しないと分からないのですが、 彼女の子供についての救いは、ラルフのように父親が曖昧では無い事かも知れません。 本人による説明、及び、本人所有物に含まれていた恋文などを確認して、我々が知り得た内容を、まずは先行情報として此処に記しておきます』

   アシュコート伯爵、驚愕しきりで溜息をつく。

アシュコート伯爵「恋文などあったのか……」
レディ・オリヴィア「事情を考えれば、思い出の品を旅に持ち出していた筈……馬車事故で、ほとんどの荷物は崖下に落ちてしまって、 ペンダントトップにしていた結婚指輪や、あのブローチ以外は、持っていないと言う状態だったけれど……」

   オリヴィア、ひとつ頷く。
   書状をめくる。残りは最後のページのみ。

(ロックウェル公爵の私信)『オリヴィア様の判断次第、我がロックウェル公爵家による直筆の公文書として公開可能なページを同封いたしました。 アイリス・ライトの息子ないし娘の父親は、偶然にも我が知人です。彼の人格を考慮しても、それ程、困った事態にはならぬと存じます』

   アシュコート伯爵、身を乗り出す。

アシュコート伯爵「公文書?」
レディ・オリヴィア「ご覧になります?(該当ページを手渡す)」
アシュコート伯爵「(ざっと目を通し)宣誓書だな。日付は……あの事故の前日か!」

(宣誓書)『下に記す内容は、これ真実である事を名誉にかけて宣誓す。 当代ロックウェル公爵ユージーン・クレイボーン、及び公爵夫人セーラ・クレイボーン。 日付時点において妊娠六カ月たる妊婦、アイリス・ライトの息子ないし娘の父親は――』

   深い衝撃と沈黙。
   アンジェラ、両手で口元を覆う。

アンジェラ「そんな……こんな事が……!」
レディ・オリヴィア「これは取り急ぎ、弁護士カーター氏に届けるべき文書ね。親展の速達便……あぁ、貴族の宣誓書だから、 他にも整えておかなければならない事項があった筈……」
アシュコート伯爵「貴族の名誉に関わる案件だ。その方面の諸項目は私がやろう」
レディ・オリヴィア「よろしいのですか?」

   アシュコート伯爵、頷きつつ、キビキビと立ち上がる。
   レディ・オリヴィア、アンジェラを振り向きつつ、

レディ・オリヴィア「今日は大仕事だけど、アンジェラは休んでいて頂戴。脚に無理をかけたら、後々が大変よ」

   アンジェラ、頷く。
   アシュコート伯爵、レディ・オリヴィアの車椅子を押す。
   スコット夫人、ビックリ顔でドアを開く。
   急ぎ足で部屋を退出。

   黒ネコ、ウロウロと落ち着かない状態。
   微妙な気配を察するや、弾丸のようにベッドを飛び出す。

アンジェラ「ダメよ、クレイ!」

   黒ネコ、すぐに捕まる。
   エドワードに首筋をつかまれ、大人しく吊り下げられている。

アンジェラ「忍者……?(唖然)」

   エドワード、黒ネコをアンジェラの手に戻しつつ、

エドワード「先刻の話を、立ち聞きしてしまってね」

   アンジェラ、無意識のうちに黒ネコをモフモフしつつ、頷く。
   沈黙が横たわる。
   やがて、アンジェラ、ゆっくりと呟き始める。

アンジェラ「あの……塔から墜落していた時、ビジョンが見えたの。運命の軌道を描く、無数の星々の群れが……雪闇の迷宮が。 レディ・オリヴィアが透視していたのは……あの壮絶な密度と深度の連続で……色々、勉強して知っていなかったら、 私、あれを処理できなくて、パニックを起こしていたかも知れない」

   エドワード、無言で耳を傾けている。

アンジェラ「ロックウェル城を、魑魅魍魎が跋扈する迷宮と化したのは、今は亡きラルフさんの狂気だけど。 ……そのラルフさんを狂気に突き落とした、そもそもの邪神は……」
エドワード「マダム・リリスでは無い、別の女性だな」
アンジェラ「レディ・オリヴィアは、分かってた。『仮面の下は別の顔』って……」
エドワード「亡きアイリス・ライト夫人もまた、仮面舞踏会の名手だったんだな」
アンジェラ「……雪闇の中の運命の軌道を、深淵の迷宮の底を、重い光明と暗黒の円舞曲を、見事に舞い切った……ライト夫人は……死ぬのが、早すぎたわ」

   アンジェラ、無意識のうちに爪先を噛み始める。
   エドワード、アンジェラの手をつかむ。
   アンジェラ、目を見張って、エドワードを見上げる。
   急に息を詰まらせ、そそくさとうつむく。頬が上気している。

黒ネコ「ニャアー」

   アンジェラ、頬を染めたまま、おずおずと振り返る。困惑顔。

アンジェラ「スコット夫人が、来客に気付かない筈が無いんだけど……あなた、まさか忍び込んだの?」

   エドワード、イタズラっぽく微笑んで見せる。
   ヒョイと身を乗り出す。
   口元は笑みを浮かべているが、真剣な眼差し。
   アンジェラ、落ち着かなくなる。

エドワード「オズワルドが来る前に、お話を済ませておこう。体調は大丈夫かな? レディ・アンジェラ」

   アンジェラ、絶句したまま、次の言葉を待ち受けるのみ。

■第五章-09話:春雷の夜話〜連関と連鎖(前)

《人物表》

・ルシール・ライト(25、女主人公)…濃茶色の髪、一見して茶色の目。
・ベル夫人(62)…クロフォード伯爵邸の家政婦長。
・子犬のパピィ…クロフォード伯爵邸に迷い込んで来た子犬。

○クロフォード伯爵邸、外景(夜)

   激しい春雷、豪雨。
   近くの丘の上に、ひときわ大きな落雷。
   辺りが一瞬、真昼よりも明るくなる。

○クロフォード伯爵邸、ルシールの部屋(夜)

   大きな雷鳴。部屋の窓がビリビリと震える。
   ルシール、ビックリしてベッドから飛び起きる。
   窓の外で閃く春雷に注意を向ける。

ルシール「ああ……ビックリした!」

   ルシール、ブルッと身体を震わせる。
   そっとベッドから降りて、大窓に手を触れる。

ルシール「アンジェラの叫び声が聞こえたような気がする……気のせいかしら?」

   ルシール、少しの間、憂い顔、不動の姿勢。
   頭をフルフルと振り、気を取り直す。
   口を引き締め、窓を開ける。

   激しい風雨が吹き付けてくる。
   ルシール、思わず顔をそむける。
   ルシールの髪、ザアッとひるがえる。

ルシール「……すごい嵐! 吹雪みたい」

   ルシール、窓を押さえつつ、バルコニーをキョロキョロ。
   雨風に当たりにくくなっている隅の方に毛布がある。
   モフモフの毛玉が見える。

   ルシール、窓を固定して、毛布に接近。
   モフモフ毛玉、ルシールの気配を感じてフルフルと動く。
   すぐに二つの黒い目がルシールを見上げて来る。

   ルシール、パピィの毛布を取り、おいでおいでをする。

ルシール「パピィ、おいで……濡れちゃうわ」
パピィ「ワフン(サッと立ち上がり、チョコチョコ付いて来る)」

   部屋の床の毛布を敷く。
   パピィ、嬉しそうな顔をして、毛布の中に潜り込む。
   ちょっと撫でてやると、尻尾フリフリ。

ルシール「食事は済んでる……ディナー前に、マティが厨房から失敬してたのね」

   ルシール、服・髪の湿り気を取り、別の作業着に着替え。
   時計を見やる。

ルシール「もうこんな時間だけど、お茶だけなら飲めるかしら?」

   ルシール、灯りを持って部屋を出る。
   廊下と正面階段を降り、食器室を目指す。

ルシール「食器室で確か、お湯を沸かせる……」

○クロフォード伯爵邸、食器室(夜)

   食器室のドアを開けると、明るいキャンドル光。
   ルシール、一瞬、呆気にとられる。

   食器室の中央部、堂々とした雰囲気の女性の影。
   クルリと振り返って来る。

ベル夫人(62)「――ライト嬢?」
ルシール「あ、あの、失礼いたします、ベル夫人……、お茶を頂きたいと思って……(赤面)」
ベル夫人「分かりました。砂糖を多めで頂きますね? そちらの椅子にお掛け下さい」

   ベル夫人、落ち着き払った様子。
   キッチン前のカウンターテーブルを示す。
   キャンドル燭台、セット済。椅子6脚ほど。

   ルシール、テーブル上に燭台をそっと置き、着座。
   ベル夫人、キッチンに向かい、ヤカンでお湯を沸かし始める。

ベル夫人「マティ様から、お加減が良くないとお聞きしましたが……」
ルシール「あ、今は、大丈夫になりましたので……(恥じ入り、うつむく)」
ベル夫人「それは、ようございました(物わかり良く頷く)」

   ヤカンの火の、パチパチという静かな音。
   窓の外からは時折、春雷の閃光と轟き。
   絶え間ない豪雨の音。
   ベル夫人、ヤカンの様子を眺めつつ、

ベル夫人「……アントン庭師とは、17年ほどの縁がございましたが、アイリスとおっしゃるお嬢様がいらした事は初耳でした」
ルシール「祖父は、非常に無口な人だったみたいですね」
ベル夫人「頑固一徹の人嫌い、ガミガミの偏屈と言うご老人で――新年の挨拶の時以外は、頑として館に入ろうとなさいませんでした」
ルシール「……(当惑、目をパチクリ)、よほど、変人だったんですね……」

   ベル夫人、古びた書状を取り出す。
   テーブル上においてルシールに示しつつ、

ベル夫人「アントン氏の私信を拾った……と、リドゲート卿が……」
ルシール「……!?」

   ルシール、真っ赤。ギクシャクしつつ書状を手に取る。
   ベル夫人、少し困惑顔をして小首を傾げつつ、

ベル夫人「失礼ながら、中身を見せて頂きました。三ヶ月前に急に不審な死に方をされた方でいらっしゃいましたし、ここ最近は、館内でも、おかしな出来事が続きましたから……」

   ルシール、コクコクと首を縦に振る。

ルシール:心の声(そうよね。お金が盗まれたとか、伯爵様がいきなり馬車事故に遭遇とか……いわくありげな文書があったら、家政婦としては、当然調べる筈だわ)

ベル夫人「……偏屈庭師の、意外な面を見せて頂きましたわ」

   ヤカン、シュンシュン言い始める。
   ベル夫人、手慣れた所作で茶を淹れ、ルシールに勧める。
   二人、カウンターテーブルを挟み、無言でお茶を一服。

   春雷のピークは過ぎ去っているが、豪雨の音はまだ続いている。
   ルシール、落ち着きなく窓の外をチラチラと眺める。
   やがて、手元に視線を落とし、モジモジしながらも、

ルシール「妙な事を聞きますが……レオポルド殿は、リドゲート卿を怒鳴っていらっしゃるとか……強圧的と言うか……」
ベル夫人「いつもの事でございますよ……子爵の特権が忘れられないと言う訳ですね」
ルシール「マティは……彼は準男爵だと言っていたような……?」
ベル夫人「レオポルド殿は、かつて『リドゲート子爵』だったのです」

   ルシール、驚いて顔をパッと上げる。開いた口が塞がらない。

ルシール「……じゃ、ローズ・パークや領地を切り売りしようとして……爵位継承権を失った跡継ぎ……って、彼……!?」
ベル夫人「ええ、その通りです。レオポルド殿の異母兄にあたられる先々代の伯爵が、レオポルド殿に最後通牒をお突き付けになりました。 でも、ああいうお方ですから、収まらなくて――親族中から資金をかき集め、それで準男爵の地位を買われたのです」
ルシール「……(唖然とする余り、二の句が継げない状態)」

   ルシール、頭を抱えて、記憶を思い出しながら、

ルシール「そ、そう言えば、以前、マティが……いえ、ダレット一家は、クロフォード伯爵家の筆頭の、直系親族だそうですね……しかも、ダレット当主が、 先々代のクロフォード伯爵の腹違いの弟さまで、王族に近い血統とか……」
ベル夫人「ええ。そして、そのダレット家の現在の負債は、膨大な額になります。ダレット夫人は、その負債を帳消しにする努力は、 なさいますが……その手段には、多くの問題がございますね」

   ルシール、再び唖然。
   茶カップの中のお茶を見つめつつ、必死の思案顔。

X X X

(ルシールの回想)

○クロフォード伯爵邸、玄関広間[エントランスホール](昼)

   正面扉は大きく開かれ、召使とメイド、前庭までズラリと整列。
   ダレット夫人、レオポルドのエスコートで、傲然と中央を歩む。
   ダレット夫人、馬車に乗り込む。
   マティ、小バカにしたように鼻をかき始める。

マティ「元・貴族なのに、筋が通らねーよ」
ルシール「元・貴族って?」
マティ「ダレット家は準男爵なんだよ。アラシアの方も、本当はレディの称号は付かないんだぜ。キアランの婚約者って事で、伯爵令嬢扱いだけどさ」

   ダレット夫人を乗せた馬車、荘重なペースで出て行く。

マティ「キアランにチクってやる……どうせ、賭博の集会なんだ」

(回想終わり)

X X X

○クロフォード伯爵邸、食器室(夜)

   ルシール、茶カップを見つめつつ、困惑顔。

ルシール「レオポルド・ダレット準男爵さまが、『かつてのリドゲート子爵』で、『昔のローズ・パークの地主』で……色々……大変ですね……」
ベル夫人「ダレット家が、リドゲート卿に強圧的な態度を取る理由は、もう一つございます」

   ベル夫人、少しの間、思案顔で沈黙。
   程なくして、淡々とした説明口調で語り始める。

ベル夫人「リドゲート卿は、クロフォード伯爵家の血を引く方ではございません」
ルシール「え?」
ベル夫人「リドゲート卿のフルネームは、『キアラン・グレンヴィル・ダグラス』とおっしゃるのです」
ルシール「グレンヴィル……?」
ベル夫人「以前に、画廊で……グレンヴィル夫妻の肖像画を、ご覧になりましたか?」
ルシール「……あ、あの黒髪の……伯爵様の亡き兄上様かと思っておりましたが……」

   ベル夫人、かぶりを振る。

ベル夫人「グレンヴィル氏は、首都の出身の紳士で……、リドゲート卿の実の父親でございます」
ルシール「……!?」

   窓の外、うち続く雨音。

ベル夫人「先々代伯爵は、フレデリック・セルダン様でございました。その異母弟が、レオポルド・セルダン、今のレオポルド・ダレット準男爵です」
ルシール「はあ……」
ベル夫人「まだ独身だったフレデリック様には嫡子が居らず、故に、目下、腹違いの弟レオポルド殿が、クロフォード伯爵家の跡継ぎ『リドゲート卿』でした。 この辺りは、ご承知でしょうか?」
ルシール「ええ、ローズ・パーク訪問の時に、『前のリドゲート卿』について、少しお聞きしました」
ベル夫人「それなら、30年ほど前の件も、ご存知ですね。レオポルド殿は膨大な負債を抱え、領地切り売り問題で爵位継承権を失って、失脚なさいました」

   ルシール、理解して頷く。

ベル夫人「借金取りやギャングの抗争が、クロフォード伯爵家にも及んだ結果、『レオポルド殿の失脚の後の、次のリドゲート卿は誰か?』と言う政局騒動と重なって、 クロフォード伯爵領内に一層の混乱をもたらしたのです。クロフォード伯爵家の二つの直系親族が、ギャング襲撃や暗殺などによって、爵位継承者をすべて失い、断絶しました」
ルシール「……(眉根を寄せつつ、謹聴)」
ベル夫人「ギャング抗争の中で、前の治安判事も死亡しました。そのような混乱を収めたのが、ロイド・グレンヴィル氏だったのです」

   ベル夫人、一息入れ、お茶を一服。

ベル夫人「ロイド・グレンヴィル氏は、後任の治安判事が決まるまでの間の代理として、首都から派遣されて来た臨時の裁判官でした。 軍人の経歴もお持ちで、銃と剣の腕前も、武装役人を取りまとめる指揮官としての能力も、相当のものだったとお聞きしています。 グレンヴィル氏は、カーター氏を始めとする町の若手弁護士たちと問題解決のためのチームを組み、数多のトラブルを次々に示談や調停に持ち込んでいきました」

   ルシール、生真面目な顔で相槌。

ルシール:心の声(そう言えば、カーターさん、見かけによらず、ギャングと渡り合える凄腕の弁護士でいらっしゃったわ。 きっと、この頃に、グレンヴィル氏の手法を色々ご覧になっていたからに違いない)

ベル夫人「グレンヴィル氏には、高等法院の判事としてのスカウトの話も来ていたようです。 ですが、28年前、テンプルトンの町の中で、クロフォード伯爵フレデリック様をターゲットとする闇討ちと遭遇し、 フレデリック様を護衛しながらも、殉死されました……」

   ベル夫人の声、乱れる。
   少しの間、窓の外を見て、気持ちを落ち着けている様子。
   ルシール、静かに次の言葉を待ち受ける。

ベル夫人「闇討ちを図った黒幕の正体は不明ですが、暗殺者は、巨大な戦斧の使い手だったという証言がございます。 グレンヴィル氏のご遺体の状況は……いえ、これは、想像はおつきになるかと」
ルシール「……(こっくりと頷く)」

   しばらくの間、沈黙。

ベル夫人「闇討ちの時の傷が元で、フレデリック様の余命は、わずかでございましたが。 フレデリック様は、弁護士カーター氏や後任の治安判事プライス氏、伯爵家の主治医ドクター・ワイルドを立会わせて、 口頭で遺言書を遺されました」
ルシール「遺言書?」
ベル夫人「その遺言書には、爵位継承者が生き残っている直系親族、ダグラス家に爵位を移すと共に、 爵位を継ぐ条件として、グレンヴィル未亡人ホリーを妻に迎えて保護するように――と記されてあったのです」

   ルシール、絶句。

X X X

(フラッシュ・ルシールの回想)
   グレンヴィル夫妻の肖像画。
(回想終わり)

X X X

ルシール:心の声(ホリー・グレンヴィル夫人……クロフォード伯爵夫人。あの人が……!)

   窓の外で、再び春雷が閃く。雷鳴と雨音。

■第五章-10話:春雷の夜話〜連関と連鎖(後)

《人物表》

・ルシール・ライト(25、女主人公)…濃茶色の髪、一見して茶色の目。
・ベル夫人(62)…クロフォード伯爵邸の家政婦長。
・子犬のパピィ…クロフォード伯爵邸に迷い込んで来た子犬。

○クロフォード伯爵邸、食器室(夜)

   カウンターテーブル上、一本の短いキャンドル、燃え尽きる。
   ベル夫人(62)、キャンドルを交換。
   雨音、少し弱まっている。

ベル夫人「何処まで話したでしょうか……あ、遺言書のところでしたね。遺言書により、フレデリック様の死後、セルダン家に代わり、ダグラス家が宗家となりました。 ダグラス家の長子、ベネディクト・ダグラス様は独身で、遺言書の内容にも納得しておられました。 遺言書の内容は速やかに執行され、ベネディクト様はグレンヴィル未亡人ホリーを正式に妻に迎えて、新しいクロフォード伯爵になりました」

   いつしか、春雷の音は遠くなっている。
   窓に叩きつける雨の勢いも、それほど強くない。

ベル夫人「……ホリー様は、その時、既に身ごもっておられました」

   ルシール、呆然。

ルシール「その子が……リドゲート卿……」
ベル夫人「法的には、キアラン=リドゲート卿は、先代伯爵ベネディクト様の嫡子でございます。 しかし、実父がグレンヴィル氏と言う事実は、親族の間では公然の秘密……皆が、ご承知でございますね」

   ベル夫人、憂い深く眉根を寄せる。

ベル夫人「ですが、先代が急に死亡されたのです。極めて疑わしい状況で。爵位をお継ぎになってから、まだ三年も経っていませんでした……」

   深い溜息をつくベル夫人。
   額に手をやり、少しの間、こめかみを揉む。

ベル夫人「レオポルド殿はホリー様を犯人とし、私どもは逆にレオポルド殿の仕業を疑い、領内の人々は再びのギャングの陰謀かと噂をしていましたが、証拠はありません。 リドゲート卿は二歳にもならぬ子供でしか無く、ベネディクト様が嫡子と定めておられたものの、血統と言う裏付けは一切ございませんでした。 他のクロフォード直系親族は前の政局騒動で断絶していて、一層の領内の混乱は必至でした」

   ルシール、キュッと眉根を寄せ、うつむく。
   口元に手を当てて思案ポーズ。
   少し青ざめている。

ルシール「確か……領内の混乱も大変な頃で……ローズ・パークの巨額の負債に発する、借金取りやギャングの抗争の問題すら収まっていなかった、のですよね?」
ベル夫人「さようでございます……そういう訳で、ダグラス家・次子、リチャード様が爵位をお継ぎになり、更にホリー様とリドゲート卿も相続されたのでございます」

   ルシール、無言で相槌。

ベル夫人「急な状況変化で、閣下は長く多忙をお極めでいらっしゃいましたが……諸々の混乱も落ち着いて来て、私どもも非常に安心いたしました」

   ベル夫人、感慨深げな溜息。

ベル夫人「レオポルド殿が、身辺整理を含めてレディ・カミラと結婚し、クロフォード伯爵家の分家、ダレット家を創始と言う事になったのも……あれは翌年の二月頃でしたが、 やはり大仕事でございました」
ルシール「25年前の二月……ですよね?」
ベル夫人「ええ。難しい問題の処理が続いておりまして、私どもにしても、目の回るような忙しさでございました。 ダレット夫人……独身の頃は『レディ・カミラ』とお呼び申し上げておりましたが……彼女は当時は、首都方面の社交界でも評判の、絶世の美女であられました。 幼少時から先々代クロフォード伯爵フレデリック様の婚約者と目されていらっしゃいましたが、社交界デビューして間も無く、レオポルド殿と深い関係になっていたそうです」

   ルシール、首を傾げる。

ベル夫人「レオポルド殿は、お若い頃は、それはもう目を見張るような絶世の美青年でいらっしゃいました。 血統、財産、地位、容貌ともに申し分のない御方とされておられましたし、テンプルトンの淑女たちの憧れの存在でいらっしゃったとか」
ルシール「想像できるような気がします……(引きつった曖昧な笑み)」
ベル夫人「先々代伯爵フレデリック様は、『レオポルド=リドゲートの廃嫡』という厳しい決定で臨んでおられました。 『レディ・カミラ』を挟んでの、異母兄弟ならではの深刻な確執も、おありになったのだろうという事です」

   ベル夫人、一息つき、お茶を一服。
   ルシール、口元に手を当てて思案顔。

ルシール「それだけの因縁があったのならば、結婚話をまとめる段階からして……あ、ほんの少しですが、聞いておりますわ。伯爵様は、ずっとお忙しくされていたとか……」

   ルシール、次に言うべき事が見つからず沈黙。
   おずおずとベル夫人を眺める。

ルシール「でも……随分、込み入ったお話なのに……お詳しいんですね」
ベル夫人「私は、奥方様の侍女でした……ホリー様が独身の頃から、お傍で勤めていたので……」
ルシール「……」
ベル夫人「ホリー様は大変に苦労されましたが、ベネディクト様もリチャード様も、お優しい方で幸いだったと存じます。 リドゲート卿が寄宿学校にお上がりになる前、死亡されましたが……誠に穏やかな最期でございましたから」

   ベル夫人、深く息をつく。
   憂い顔でキャンドルの炎を眺める。
   程なくして、いつもの淡々とした態度に戻る。

ベル夫人「ホリー様は、死亡される直前まで、ダレット一家を懸念しておられました。レオポルド殿は、自分が失脚したと言う事実を認めてらっしゃいません。 グレンヴィル氏への逆恨みもおありだったのでしょうが……まだ子供であられた頃のリドゲート卿にも、猛烈に八つ当たりなさっていましたので……」

   ルシール、茶カップの中に残ったお茶を見つめる。
   真剣な思案顔。

X X X

(ルシールの回想)

○クロフォード伯爵邸、食器室(深夜)

レオポルド(ドア隙間からの声)「大体、貴様はなっとらん! 親族中の評判は地の底に落とす! 我々夫妻からは一つ残らず奪う! 何と言う面汚し!  貴様は所詮、法律上の嗣子に過ぎんのだぞ! ……この、成り上がり者めが!」

   キアラン、無言。

(回想終わり)

X X X

   ルシール、口元を覆うように手を当てる。
   眉根、キュッと寄せられる。

ルシール:心の声(リドゲート卿とダレット一家との冷たい関係って……これは良縁どころじゃ無いわ。二代続いた仇敵同士もいいところ……アンジェラなら、『即却下!』と決める話だわ)

ルシール:心の声(マティは、正確には何と言ったかしら……ダレット家の方から婚約話を……?)

X X X

(ルシールの回想)

○クロス・タウン、メインストリート交差点(昼)

   レナード、ルシールをエスコートしようと腕を差し出す。
   レナード、不意に振り返る。ギョッとした表情を浮かべる。

   ルシール、つられて振り返り、キアランを認める。

   キアラン、無言で眼差しを険しくする。
   レナード、気色ばんで身を反らす。

   レナード、不意に身を返す。
   挨拶も無しに別の通りへと足早に立ち去る。

   ルシール、混乱してポカンとし、立ち尽くす。

(回想終わり)

X X X

   ルシール、困惑顔で首を傾げる。

ルシール「親の恨みが子に報い……とは、言ってみても。レナード様が館の出入り禁止を食らったと言う話……、仕返しにしては、やり過ぎでは……?」
ベル夫人「それは別の話です。最近、地元社交界で、賭博借金や女性問題が絡んだ恐喝詐欺などのスキャンダルが、数ヶ月続いていたのです。 その恐喝詐欺に関与した地元紳士グループのトップが彼でしたので、相応の処置がされた……と言う次第ですわ」

   ルシール、思わず眉根を寄せる。

ルシール「レナード様が、恐喝詐欺を……? 町角の新聞雑誌の『事件&ゴシップ面』や、『今季シーズンの放蕩紳士のスキャンダル特集』に出て来ても不思議ではない内容ですが……あ、 王族親戚って事で、どこかの誰かが揉み消した……?」
ベル夫人「レナード様の寄宿学校での友人が、コツを伝授されたとか……なかなか巧みなやり口でございました」

   ベル夫人、瞬きし、不思議そうな顔。

ベル夫人「もしかして、ライト嬢は……数日前、レナード様の馬に蹴られた一件を覚えておられない?」

   ルシール、キョトンとする。目をパチクリ。

ルシール「数日前、馬に蹴られ……あ、えっと、マティと一緒に庭園を散策していた時……、タイター氏の馬賊では……?」
ベル夫人「裏の柵から侵入し、暴走して来たのは、レナード様ですよ」

   ベル夫人、不意にアッと気付いた様子。
   頬に手を当てる。

ベル夫人「後ろから蹴られたのでは、彼の顔は見えていない筈ですね。しかも、一瞬で失神したとか」

   ルシール、愕然。口アングリ。
   わなわな震えつつ、茶カップを両手で握り締める。

ルシール:心の声(何たる事! あの日は確か、タイター氏の脅迫状が届いていたので、あの暴走馬の乗り主の正体は、 てっきりタイター氏だと思っていて……! 彼が馬に乗れなくなるように、馬が嫌がるハーブを、まぶしてしまったとか……!)

   ルシール、無意識のうちに、ギクシャクとお茶を一服。
   ベル夫人、慎重にルシールの様子を観察。

ベル夫人「つかぬ事をお聞きしますが。リドゲート卿は、ライト嬢に求婚をなさったのでしょうか?」
ルシール「……(ゴフッ)」

   ルシール、むせ始める。

ベル夫人「驚かせてしまい、申し訳ございませんでした。気になる事を小耳に挟んでおりましたので……」

   ベル夫人、手際よくティーセットを片付ける。
   ルシールとベル夫人、各々灯りを持って、食器室を退室。
   一礼して別れる。

○クロフォード伯爵邸、ルシールの部屋(夜)

   ルシール、部屋の円卓の上にキャンドルを置く。
   椅子にも座らないまま、物思いに沈む。

   パピィ、不思議そうに身を起こしてルシールを眺める。
   首を傾げた後、尻尾を振ってルシールの脚にじゃれつく。

   ルシール、ボンヤリとしたままパピィに応え、床に座り込む。
   パピィ、膝の上に乗って来る。
   ルシール、物思いにふけりながらも、パピィを撫で回す。

ルシール「……ねえ、パピィ、大変な内容を色々聞いたの。もう頭が、どうかしてるって言うか……」

   ルシール、パピィをギュッと抱き締める。

パピィ「クゥン?」
ルシール「知らなかったとは言え、私がリドゲート卿をひどく誤解して、おバカな事を言ってしまったのは確かよね。冷淡どころか、最大限の礼儀だったんだわ」

   ルシール、ひとしきり、パピィをモフモフ。
   パピィを毛布の中に包み込む。
   大人しく寝入るパピィ。

   ルシール、ボンヤリと座り込んだまま、窓の外を眺める。
   嵐のピークは既に過ぎ去っている。
   強く弱く降り続ける、不安定な春の夜の雨音。

ルシール「この問題は、一人の手には余ってしまう……正解なんて存在するのかしら? アンジェラに相談してみようかしら……」

本文/第六章

■第六章-01話:アラシア嬢の高笑い〜少年は走り、子犬は鳴く

《人物表》

・ルシール・ライト(25、女主人公)…濃茶色の髪、一見して茶色の目。
・マティ・トッド(9)…イタズラ少年。
・子犬のパピィ…クロフォード伯爵邸に迷い込んで来た子犬。
・アラシア(19)…金髪碧眼。ダレット準男爵令嬢。
・プライス判事(54)…クロフォード伯爵領の首席判事。
・武装役人たち…プライス判事の部下たち、15名ほど
・馬丁…クロフォード伯爵邸の使用人
・執事(60)…クロフォード伯爵邸の使用人
・厨房のメイド…10名ほど。クロフォード伯爵邸の使用人
・厨房のコック…3名ほど。クロフォード伯爵邸の使用人

○クロフォード伯爵邸、ルシールの部屋(早朝)

   雨、もうほとんど上がっている。
   ルシール、戸棚の中を片付けている。

   軽やかにバルコニーに飛び降りる人影。足音。
   窓が開き、マティが現れる。

マティ「……あれ? ルシール……まさか一晩中、起きてた……!?」
ルシール「早いわね、おはよう」

   マティ、首を傾げて目をパチクリ。
   ルシールの手にある数枚のリネンタオルに気付く。

マティ「リネンタオルって……これから地下のフロアで、入浴とか……?」
ルシール「夜なべで黒服を縫い直したから、目覚ましにね。前より風が強かったから、パピィを中に入れてたわ」

   マティ、顔をパッと輝かせ、パピィを抱き上げる。

マティ「サンキュー! さすがに昨夜はヤバイかもと思ってたんだ」

○クロフォード伯爵邸、東側の庭園(早朝)

   庭園、薄明のもやに包まれている。
   マティ、子犬パピィを抱えて駆け抜ける。

   車庫と厩舎の間の細道に入る。
   使用人棟がある。窓をのぞき、馬丁の熟睡ぶりを確認。
   アントン氏の倉庫に続く隠れ小道に入る。

   もやに霞む木立の間で、人影が動く。
   マティ、ハッと息を呑み、傍の茂みの中にサッと隠れる。

マティ「しーッ、パピィ」

   子犬パピィ、静かになる。
   ヌイグルミのように動かなくなる。
   マティ、パピィを地面に降ろし、慎重に匍匐前進。
   茂みの中から目を凝らす。

   アラシア(19)、アントン氏の倉庫の前をウロウロ。
   マティ、驚きと怪訝さの余り、目を見張る。

マティ「アラシアじゃねえか……夜更かしが朝っぱらから一体、何を……」

   アラシア、ヒラヒラ&フリフリ&ハデハデのドレス。
   一足ごとに、雨上がりの泥に、ハイヒールのかかとを取られる。
   アラシア、アントン氏の倉庫に出入り。

マティ「アントンの倉庫から何か持ち出したな。ルシールが中の道具を、できるだけ整理してたってのに……」

   アラシア、背中を丸め、ギクシャクとした歩き方。
   一歩ごとに地面を突き刺しているような異様な足音。

   アラシア、薔薇園のアーチをくぐって行く。
   マティ、警戒心タップリに目を細める。

マティ「……向こうはバラ園だけど、本格的な花は無い筈だぞ」

   アラシア、少しの間、緑の葉群の中に沈んでいる。
   再び身を現し、バラ園から出て来る。

マティ「戻って来る!」

   マティ、再び、茂みの奥深く身を隠す。
   茂みの前を、アラシア、横切って行く。

   マティ、こっそりとアラシアの後を尾行。
   子犬パピィも、こっそりと付いて行く。
   アラシア、角を曲がり、屋根のある一角に入り込む。

マティ「……厩舎……?」

   マティ、アラシアの死角を窺いつつ、茂みを移動。
   パピィも、ピッタリくっついて来る。
   手頃な茂みに身を隠す。
   恐る恐る、アラシアの様子を窺う。

   アラシア、バラの小枝を持っている。
   バラの枝を、馬車用の馬の装備の裏側に突っ込み始める。
   馬、怪訝そうな様子で、何度もアラシアの方に首を向ける。

マティ「あれじゃ、馬車を引き始めたら馬が痛がるって……バカじゃんか」
パピィ「……(黒い目キラッ)」
マティ「馬が暴走しても……暴走、させる……!?」

   マティ、ハッと息を呑む。

アラシア「……これで良いって、レナード兄様が言ってたわ……」

   アラシア、恐ろしい笑みを浮かべる。
   青い目、攻撃的な光を帯びてギラギラと光る。

アラシア「……馬車から放り出されて! 首の骨を折って死ぬが良いわ! あの茶ネズミの、 オールド・ミスの乞食女なんか……! ホホホホホ! オーッホホホホホ……!!」

   マティ、ブルブル震える。青ざめる。
   パピィも、歯を剥き、胴震いし、毛を逆立てる。

   ひとしきり高笑いをした後、アラシア、身を返す。
   小型ハサミをその辺に放り捨て、サッサと館の中に戻って行く。

   少しの間、シーン。

マティ「パピィ……オイラ、大変だ!」

   マティ、パピィを茂みの中に隠す。
   アラシアとは別のコースで館へと向かいながらも、

マティ「パピィ、イイ子にしてろよ! 非常事態なんだ!」
パピィ「ワンッ☆」

○クロフォード伯爵邸、厨房(早朝)

   厨房の出入り口。
   既に野菜くず他、雑多なゴミの小さな山がある。
   マティ、ゴミの山を跳び越えて、駆け込む。

   朝食の準備作業をしていたコックやメイド、驚き慌てる。

メイド1「キャア!?」
メイド2「マティ坊ちゃま!?」
コック「うわ! ナプキンを押さえろ!」

   マティ爆走コースに沿って、ナプキン類が危なっかしく空を舞う。
   マティ、ドアを通り廊下を爆走。

執事(60)「マティ様……!?」

   マティ、別の廊下へと駆け去る。
   目的の部屋の前まで到達し、勢い良く扉を開く。

○クロフォード伯爵邸、プライス判事の部屋(早朝)

マティ「判事! プライス判事ッ! 大変なんだ、起きてよ!」

   プライス判事(54)、グッスリと寝入っている。
   マティ、部屋の中に侵入。
   泥だらけの靴を脱いで放り出し、布団の上で飛び跳ねる。

マティ「事件だ! 起きろ!」
プライス判事「な……何だ……何なんだ!?」

   プライス判事、寝ぼけ眼。
   窓から見える空を確認するなり、

プライス判事「冗談だろ、まだ夜明け前だぞ!」
マティ「早く、早く!」
プライス判事「……(ピンと来た顔)、待ってろ! 今から着替えるんだ」

○クロフォード伯爵邸、馬丁の棟(早朝)

   プライス判事、マティと部下(1名)を引き連れ、飛び出す。
   部下、例の馬丁のドアを叩く。

馬丁「ふぁい? 朝っぱらから何事で?」
部下「プライス判事がお呼びだ!」
馬丁「へぇ……!?」

   部下、馬丁を引きずり出し、庭園の散策路に連行。

部下「ただ今、馬丁を此処に起こして参りました!」
プライス判事「馬車用の馬の装備をチェック!」
馬丁「おぉ? あぁ? 装備、へい」

   馬丁、帽子をシッカリかぶり直す。
   首を振り振り、厩舎に続く小道に出る。

   泥の上、見慣れぬ足跡でいっぱい。

馬丁「こりゃあ、何じゃ!?」
プライス判事「何だ、この足跡は!?」
部下「厩舎の前でウロウロ、庭園の一区画でウロウロ、此処で回れ右してますね」
プライス判事「かかとが細い。女の靴だな。えらく高いヒールの……」
マティ「……! アラシアのハイヒール! 取って来る!」

   マティ、即座にピコーンと来て、いきなり館内に駆け込む。

   プライス判事と部下、マティの様子に仰天。
   すぐに気を取り直し、馬丁を伴って厩舎へ直行。

○クロフォード伯爵邸、厩舎(早朝)

   馬丁、不審そうに首を振り振り、馬を調べ始める。
   馬、違和感を訴えているような素振り。
   馬丁、馬の装備を降ろし、裏側を慎重に探る。
   手に違和感、ギョッとした顔。

   馬丁、驚愕しつつ、仕込まれていた小枝を取り出す。

馬丁「は……判事さま、そんな馬鹿な……バラの枝が……!」
プライス判事「リチャード殿の事故の時と同じだ!」
馬丁「ひえぇ……!?」
プライス判事「現場保存! 役所に飛んで応援を呼べ、捜査が済むまでは誰も近づけるな!」
部下「了解です、判事!」

X X X

○クロフォード伯爵邸、厩舎(早朝)

   役所から緊急の部下(14名ほど)が駆け付ける。
   足跡の広がりを調査。
   マティ、アラシアのハイヒールを持ち出し、到着。

マティ「泥だらけで放り出してた……この靴を履いて歩いてたんだぞ、この泥の中を!」
プライス判事「凄い才能だな」

   部下たち、足跡の形とハイヒールとを比較。
   ハイヒールを持って各所を走り回る。

部下1「現場の足跡と完全一致!」
プライス判事「キアラン君を呼び出してくれ、非常事態だ!」

   部下の一人、館の方へ走る。

   プライス判事、マティを一睨み。
   マティ、ピンと来た顔になり、一歩後ずさる。

プライス判事「……マティ君、そろそろ白状してみないか?」
マティ「何で、オイラが!?(ギョッ!)」
プライス判事「とぼけんな!」

   プライス判事、マティをガッチリと捕まえる。
   その小さな額に人差し指をグリグリ。
   マティ、変な声を上げて身をよじる。

プライス判事「坊主がライト嬢を巻き込んで何かを隠してる事は、こちとら既に、 昨日からお見通しだ! アラシアの行動は、いずれ解明してやるがな、坊主は何故に、朝っぱらから此処に居た!?」

   マティ、真っ赤になって口をパクパク。
   キアラン、到着。不思議そうな顔。

   マティ、モジモジと小さくなる。
   横目で大人たちを、チラリ・チラリ。

マティ「怒んないって約束してくれるかな」
プライス判事「この期に及んで、なお司法取引とは……全く大した坊主だな!」
キアラン「……(無言)」

   マティ、茂みからパピィを出して見せる。
   子犬パピィ、楽しそうな顔つき。尻尾フリフリ。

パピィ「ワフン♪」

   プライス判事とキアラン、驚きの余り呆然。
   部下たち、吹き出し笑いをこらえ、身をプルプルと震わせる。

○クロフォード伯爵邸、老庭師の倉庫(早朝)

   マティ、大人たち一同、アントン氏の倉庫の前に集合。
   倉庫は無残な状態で、見る影も無い廃屋という状態。
   昨夜の雷雨でズブ濡れになり、更に荒廃の度を増している。

プライス判事(54)「アントン氏の倉庫を、犬小屋に拝借しただと……アントン氏が生きていたら、怒髪天だったに違いないな」

   プライス判事、呆然とボヤく。

マティ(9)「オイラが、じいじと一緒にこっちにお泊り開始した時から、ずっとこんな状態だったんだよ。で、パピィが、この辺で遊んでて……」

   大人たち一同、開いた口が塞がらない。
   倉庫だった物の残骸を、まじまじと眺めるのみ。

   パピィ、プライス判事の大きな腕の中。
   上機嫌でモフモフ&ワフワフしている。

プライス判事「屋根の半分が破壊されてるな。何で、チビの毛玉は全然濡れてなくて、元気なんだ……?」
マティ「ルシールの部屋のバルコニーに避難させていたからさ。車庫の上から、ちょうどイイ具合に、バルコニーまで大枝が張ってて……」

   大人たち一同、驚愕の面持ちで、館の東側の棟を見上げる。
   太陽が空高く上昇し始めているところ。
   大樹の大枝がバルコニーに接近、ロープ細工が確かに見える。
   (ただし指摘されて見ないと、それとは分からない)

キアラン「バルコニーに登ったのか……(呆然)」
プライス判事「坊主は、レディの部屋に、夜な夜な侵入したのか!?」
マティ「(顔をしかめる)もう。ルシールも知ってるんだ……昨夜は、パピィを部屋の中に入れて暖めてくれたし」
プライス判事「全く、何たる事だ! 全く」

   プライス判事、頭の毛をかきむしる。
   その後ろに控えていた判事の部下たち、ブツブツ呟く。

部下1「ガキの特権か……」
部下2「うらやま……、けしからんガキだな!」

   プライス判事、不意にハッとして、倉庫を振り返る。

プライス判事「ちょっと待てよ……もしかして、坊主がレナードのカフスを見つけた場所。この、無残な倉庫の中か!」
マティ「そーだよ。その奥の方に、大型ハサミが転がってる。裏側の柵をメッチャ破壊できるような、バカでかい代物が」
プライス判事「大型ハサミ……」

   部下たち、倉庫に押し入って調査。
   程無くして大型ハサミを発見。
   倉庫内から取り出して来る。

部下3「ありました、判事どの! 太い枝を剪定するヤツで!」

   マティの背丈程もありそうな大型ハサミ。
   マティ、大型ハサミの中央部分のネジを指差す。

マティ「レナードのカフスは、そこのネジにハマってた……思いっきり倉庫の奥に放り捨てた時、カフスが挟まって行ったんだろうね」

   プライス判事、納得顔。

マティ「今、考えてみりゃ、レナードがこの間、侵入して来たのは……カフスを何処で落としたのかを思い出したからかも知れないな。 都の社交シーズンも近いし……見栄えの良いカフスが必要になったんだろ」

   パピィ、大型ハサミに執着している。
   尻尾をモフモフ振りながら、大型ハサミに接近。
   フンフンと嗅ぎ回っている。

   部下の一人、パピィをガッチリとホールド。
   パピィ、不満そうな顔になり、クンクン鳴き始める。

部下4「このチビの毛玉、何でまた、こうも大型ハサミがお気に入りなんですかね?」
部下3「まだ素敵な光り物がハマっているとでも思ってるんじゃ無いか?」

   マティ、不意にピコーンと来た顔になる。

マティ「ねえ、キアラン……リチャード伯父さんが乗ってて暴走した馬車は、キアランが普段使ってた方だろ」
キアラン「……(頷き)」
マティ「あの日は偶然、上天気で急に気が変わったでしょ? ……町のトランプ屋に、馬車で行ってたら?」
キアラン「……(目を見張る)」
マティ「仕込んだのは勿論、レナードで決まりだ……本当のターゲットは、キアランだったのさ。キアランが死ねば、 レナードが自動的にリドゲート卿だろ? それにプラスで、出入り禁止通達の逆恨みって言うか、カッとして……てか、復讐じゃんか」
キアラン「それはそうだな」

   キアラン、顔を引き締める。

プライス判事「恐ろしい頭脳だな、マティよ」

   プライス判事、顔をしかめ、あごに手を当てて思案。
   マティ、脇目も振らず、推理に集中。
   キアランとプライス判事、見守る。

マティ「アラシアは、『これで良いって、レナード兄様が言ってたわ』とか言ってたな。アラシアのターゲットになったのは……」

■第六章-02話:未必の故意〜ワイルドな老医師はワイルド

《人物表》

・ルシール・ライト(25、女主人公)…濃茶色の髪、一見して茶色の目。
・マティ・トッド(9)…イタズラ少年。
・子犬のパピィ…クロフォード伯爵邸に迷い込んで来た子犬。
・クロフォード伯爵リチャード(53)…領主。
・キアラン・ダグラス(27)…公称「リドゲート卿」。
・レオポルド(55)…金髪碧眼。ダレット準男爵。
・アラシア(19)…金髪碧眼。ダレット準男爵令嬢。
・ライナス氏(28)…ダレット家の縁戚の赤毛青年。
・プライス判事(54)…クロフォード伯爵領の首席判事。
・弁護士カーター氏(57)…クロフォード伯爵家の顧問弁護士。
・ドクター・ワイルド(76)…クロフォード伯爵の主治医。
・クレイグ牧師(72)…マティの祖父。現役引退中。
・執事(60)…クロフォード伯爵邸の使用人
・ベル夫人(62)…クロフォード伯爵邸の家政婦長。
・召使、メイド…各10名ほど
・武装役人たち…プライス判事の部下たち、15名ほど
・馬丁、御者…各5名ほど、クロフォード伯爵邸の使用人

○クロフォード伯爵邸、大広間(朝)

   ルシールとカーター氏、円卓の一つに着座中。
   呆然とした様子のルシール。

ルシール「……タイター氏との直談判……」

   ルシール、戸惑いながらも、着ている物をチラと見下ろす。
   黒服、舞踏会仕様から普段着仕様に修正済み。外出、対応可。

カーター氏「さすがに今度は、場末とは言え、屋根付きで……今日のご予定は、大丈夫ですね?」
ルシール「え……ええ」
カーター氏「他にも重大なお話がございまして……これは道々、説明いたしましょう」
ルシール「とりあえず、急いで用意を致しますので」

   ルシール、大広間を退出。
   上座ソファ、アラシア、マニキュア爪をいじりつつ忍び笑い。
   レオポルドとライナス、上座ソファで自慢話とゴマすり。

   アラシア、頃合を見て、急に立ち上がる。

アラシア(19)「お父様! テンプルトンに行って来るわ!」
レオポルド「は?(ポカン)」
アラシア「お母様を迎えに行くの、当然でしょ! テンプルトンの集会からまだ戻ってないから、心配になって来て」
ライナス氏「おお、レディ・アラシア……美しいのはお姿だけどころか、心の中まで実に類無き優しさに満ち溢れていますな! どうか、私めにエスコートの栄誉をお与え下さいますか」
アラシア「小間使いと行くのよ! 宝飾店でカフスのイヤリング加工も注文する予定だし、買い物もあるし……座席は広い方が良いんだから!」

   アラシア、ライナスを無視。
   ライナス氏、立ち上がったが戸惑うのみ。
   レオポルド、ソファの中でふんぞり返ったまま、傲然と命令。

レオポルド「えっへん、おっほん……執事! 急いで馬車を回せ!」

   執事(60)、素早く一礼して退出。
   カーター氏、急に騒ぎ始めた人々を、不思議そうに眺める。
   ルシール、外出準備を済ませて大広間に戻る。
   カーター氏、済まなさそうな様子で、

カーター氏「ダレット嬢のお見送りを、先に済ませましょう」
ルシール「?(小首を傾げつつ、承知)」

○クロフォード伯爵邸、玄関広間[エントランスホール](朝)

   召使とメイド、美しく整列。アラシアのお見送り。
   カーター氏とルシール、整列に混ざって後ろに並ぶ。
   ライナス氏も並ぶ。

   アラシア、ルシールをこっそりと窺う。
   レオポルドにエスコートされつつ、上機嫌でほくそ笑む。

○クロフォード伯爵邸、厩舎(朝)

   馬丁1、厩舎の前に駆け込む。

馬丁1「ダレット嬢からの馬車の注文ですよ! 至急、テンプルトンにお出掛けでして……」 馬丁2「冗談だろ、こんな朝っぱらから?」

   プライス判事、部下と共に遅い朝食を取りつつ、調書作成中。
   全員でそろって、ポカン。
   キアランとマティも、唖然。

   馬丁や御者たちが、厩舎と車庫の間をせわしく走り回る。

馬丁1「特に金の縁が付いた馬車を、との事でして……四頭立てだから、この馬と、この馬を足して……」
馬丁2「ほらほら、急いで! ご機嫌を損ねると大変だ」
馬丁3「ダレット仕様の馬、用意しました!」

   マティ、馬の出入りで慌しくなった様子を注目。
   目、だんだん据わって来る。

マティ「……バラの枝を仕込まれた馬が、残されたね……」
プライス判事「まさか……(息を呑む)」

   金縁の大型馬車、正面玄関の扉の前に速やかに横付けされる。
   残りの御者や馬丁たち、プライス判事を振り返る。

馬丁1「あッ、今日は、ライト嬢も馬車ですね? カーター様と一緒に外出で、タイター氏と直談判とか」
馬丁2「二頭立ての馬車に、残りの馬……」

   一同、ハッと気づいた顔になる。開いた口が塞がらない。

御者「バラ枝を仕込まれてた馬!?」
馬丁2「暴走馬車……仕立て?」
馬丁3「事故に遭う予定だったって事か!?」
マティ「条件工作は仕上がったと言う訳だね……ひっでー、鬼畜!」
プライス判事「何たる事だ! カーター氏も御者も巻き添えで死ぬところだぞ!」

   キアラン、血相を変えている。険しい眼差し。

キアラン「プライス殿、後を頼みます……毛玉の方もよろしく」

   キアラン、パピィをプライス判事に預ける。

キアラン「今日の外出は中止させる……行くぞ、マティ!」
マティ「いえぃ!」

   キアラン、マティ、駆け出す。

○クロフォード伯爵邸、玄関広間[エントランスホール](朝)

   マティ、玄関広間に到達。
   アラシアのお見送りは既に終了している。
   カーター氏とルシール、飛び出して来たマティに仰天。

   マティ、すぐには立ち止まれない状態。
   カーター氏とルシールの周りをクルクル回る。

マティ「ルシール!」
ルシール「……あら、マティ! 今まで何処に? クレイグ牧師様が探してたわ!」

   カーター氏、執事(60)、ベル夫人(62)、戸惑い。

執事「これは、今日は山が空を飛ぶんでしょうか」
マティ「今日の……外出は中止だって!」
ベル夫人「はい?」

   マティ、息を切らしながらも急停止。
   ルシール、首を傾げて、マティを見つめるのみ。

   キアラン、玄関広間に到着。

カーター氏「リドゲート卿?」
キアラン「急を要する事が。耳を」

   キアラン、カーター氏に耳打ち。
   カーター氏、穏やかなポーカーフェイスながら青ざめる。
   キアランとカーター氏、身を返し、玄関広間から退出。

   ルシール、ベル夫人、執事、そろって唖然。

マティ「ねッ! オイラの言った通りだろ」
ルシール「何だか良く分からないけど、本当に中止ね」
ベル夫人「あのカーター様が、予定変更を告げずに……余程、動揺する事があったんでしょうか」
執事「常にポーカーフェイスなお方だけに、謎です」

○クロフォード伯爵邸、ルシールの部屋(朝)

   ルシール、外出姿を解くため、いったん部屋に戻る。
   帽子や手提げ袋を、ロック付き戸棚に片付ける。

ルシール:心の声(リドゲート卿が急に現れたから、ドキッとしたわ)

   ルシールの顔、少しの間、赤く染まっている。

○クロフォード伯爵邸、正面玄関(朝)

   執事、扉の傍に控えている。
   クレイグ牧師(72)、快速馬車に乗り込んでいる。
   身辺警備担当として用意された従者が付き添い。

ルシール「急な遠出との事で、驚きましたわ」
クレイグ牧師「まぁ、日帰りですから……ルシール嬢も、身辺にはくれぐれも注意を」
マティ「オイラ、ちゃーんと見張ってるから大丈夫だよ!」
クレイグ牧師「もちろんだ、だが、マティ、誰がお前を見張るんだね?」

   付き添いの従者「ぷぷぷ」状態。控えている執事、苦笑。
   クレイグ牧師と付き添いの従者を乗せた馬車、走り出す。
   マティとルシール、お見送り。

ルシール「トワイライト・グリーン・ヒル教会って、初めて聞いたわ」
マティ「湖水が売りな観光地にあって、教会も観光仕様なんだけど。『辺鄙な田舎』ってヤツだし、観光に来るのは近所の人くらいだよ」
ルシール「そうなの?」
マティ「じいじ、牧師を継いでる伯父さんと一緒に、昔の書類を探して来るんだってさ。探し物ならオイラに任せろって言ったんだけど、 じいじ、なんか今回は、すごーく秘密主義なんだよ(ちょっと、むくれている)」
ルシール「牧師の守秘義務とか何かじゃないの? その辺、厳しいって話は聞いた事があるわ」

   マティ、しばらくの間、プリプリ。
   やがて機嫌を直す。

マティ「ルシール、今日も庭園、行く?」
ルシール「これから書斎に。アンジェラに手紙を書くから」
マティ「ふーん?(目をキラキラ)」

○クロフォード伯爵邸、大広間(昼)

   上座のソファ、レオポルドとライナス氏。
   新聞ゴシップ面に目を通し、論評とゴマすり。
   執事、茶器セットを用意して給仕。
   レオポルド、退屈そうに、

レオポルド「執事! あの娘は、ずっと隣の書斎の方に閉じこもっているが……」
執事「えらく長大なお手紙を書いておいででした」
レオポルド「手紙?」

   レオポルド、不審そうな顔。
   ライナス氏、タイミング良く小用に立つ振りをし、席を外す。
   ライナス氏、書斎ドアに忍び寄る。

   ライナス氏、気取って赤毛を綺麗に整え、クラヴァットを締め直す。
   そっと音を立てずに書斎ドアを押し開ける。

   次の瞬間、ライナスの目、大きく見開かれる。

   巨大なとぐろを巻く大蛇、現れている。
   人の背丈ほどの高さに鎌首をもたげ、クネクネと動き回る。

   ライナス氏、失神する。

   執事、書斎ドアの前で倒れているライナス氏を発見。
   不思議そうに首を傾げる。
   ドア隙間から、マティが顔を出し、鼻をポリポリかいている。

   執事、マティの様子を観察し、何となく納得顔。
   腕っぷしのある召使を手招き、ライナス氏の介抱を指示。
   召使、事情を見て取り、驚きつつ愉快そうな顔。
   意識朦朧のライナス氏を運び出す。

○クロフォード伯爵邸、書斎(昼)

   窓際の机、ルシール、戸惑いながらもマティを振り返る。

ルシール「さっき、何か音してた?」
マティ「単なるスケベ」

   マティ、イタズラ小僧の笑みを満面に浮かべている。
   手元で大蛇のオモチャを動かす取っ手を操作中。
   大蛇のオモチャ、再び書斎ドア前でスタンバイ状態になる。

   ルシール、首を傾げた後、再び手紙を書き出す。
   (アンジェラ宛の長い手紙)

   マティ、近くで自慢の工作道具を広げ、何やら工作中。
   海賊の宝箱のような小箱。大小何種類もの強力なバネ。
   詰め物をした革袋で出来た、大きな『謎の手』。
   数々の、極彩色の香辛料の粉の袋。

○クロフォード伯爵邸、厩舎の前(昼)

   ドクター・ワイルド、ひょっこりと現れる。
   クロフォード伯爵の往診の為、診療カバン持ち。

ドクター・ワイルド「おや? 武装役人が、チラホラと……」

   ドクター、鋭いギョロ目で観察し始める。
   騒ぎの発生地点に見当を付ける。
   こっそりと厩舎に近づいて行く。

   がっくりとうなだれ、仕事が手に付かない様子の馬丁。
   ドクター・ワイルド、背中から近寄り、穏やかな声音で、

ドクター・ワイルド「やあ馬丁君、顔色が悪いな……何かあったか」
馬丁「ハイ、実はショックで」
ドクター・ワイルド「ショック?」
馬丁「朝、起きてみたら、この馬の装備の裏側に、バラの枝が仕込まれていて……」
ドクター・ワイルド「……!? 破壊工作か? どういう事だ!?(鋭い声音)」

   馬丁、ハッとして振り返る。口アングリ。
   ドクター・ワイルドの目、恐ろしいまでにらんらんと光っている。

馬丁「あッ……! 口止めされてたんです、済みませんッ!」

   ドクター・ワイルド、馬丁の胸倉をつかむ。
   物凄い迫力で怒鳴り始める。

ドクター・ワイルド「洗いざらい喋りたまえ! それとも注射しようか?」
馬丁「あわわッ……注射、嫌いです」

○クロフォード伯爵邸、最上階、クロフォード伯爵の執務室(昼)

   クロフォード伯爵、執務室の机で書類にサイン。
   周囲、キアラン、カーター氏、プライス判事、控えている。

   執務室ドア、勢いよく開かれる。
   ドクター・ワイルド、ズカズカという足取り、早足で入室。
   カーター氏、目を見張る。

カーター氏「ドクター・ワイルド! 今は取り込んでいて……往診は後で……」

   ドクター・ワイルド、腰に手を当てて胸をそらす。仁王立ち。

ドクター・ワイルド「フン(鼻息)! 馬丁君が口を割りましてな……閣下の馬車が暴走した理由が知れましたよ。全く、もう! 殺人未遂事件なんですぞ!」

   プライス判事、情けない顔をして呆然。

プライス判事「口止めしたのに……」
ドクター・ワイルド「注射の恐怖を目の前にすれば、大抵の男は喋る」
プライス判事「ワイルド先生の顔が、怖いからじゃ無いんですか……」
ドクター・ワイルド「穏やかで非力な老人を捕まえて、言ってくれるね(フン!)」

   ドクター・ワイルド、真剣な面持ち。
   クロフォード伯爵を振り返る。

ドクター・ワイルド「閣下の事だから、司法処分の用意はされたと思うが……」

   クロフォード伯爵、頷きつつ、署名文書を手に取る。
   滅多に見ない程の厳しい表情。
   改めて内容に目を通しつつ、

クロフォード伯爵「書類送致だ……都の高等法院の面々が必要と判断すれば、監獄送りになる」

   ドクター・ワイルド、目を見張り、クロフォード伯爵を見つめる。

ドクター・ワイルド「……それは、随分と思い切りましたな」
クロフォード伯爵「保釈金や賄賂と言う抜け道も一応あるから、甘い処置かも知れんが……」

   クロフォード伯爵、署名文書をキアランに手渡す。
   キアラン、書類チェック。

   カーター氏、驚きが抜けていない様子で溜息。

■第六章-03話:訳ありの来客〜ローズ・パークのオーナー協会の人々

《人物表》

・ルシール・ライト(25、女主人公)…濃茶色の髪、一見して茶色の目。
・マティ・トッド(9)…イタズラ少年。
・レオポルド(55)…金髪碧眼。ダレット準男爵。
・ライナス氏(28)…ダレット家の縁戚の赤毛青年。
・ウォード氏(54)…ローズ・パークのオーナー協会員。庭園管理担当。
・ウォード夫人(50)…ローズ・パークのオーナー協会員。
・グリーヴ氏(63)…ローズ・パークのオーナー協会員。元は同邸の執事。
・グリーヴ夫人(62)…ローズ・パークのオーナー協会員。
・カーティス氏(55)…ローズ・パークのオーナー協会員の代表。二代目。
・カーティス夫人(51)…ローズ・パークのオーナー協会員。二代目。お喋り。
・執事(60)…クロフォード伯爵邸の使用人
・ベル夫人(62)…クロフォード伯爵邸の家政婦長。
・召使、メイド…各10名ほど

○クロフォード伯爵邸、玄関広間[エントランスホール](昼)

   ルシール、発送予定の手紙を執事に託す。
   傍にマティ。
   結構な厚みのある封筒。執事、ちょっと苦笑。

執事「宛先、アシュコート伯爵領、レイバントンの町……確かにお預かり致しました」

   玄関広間の窓から、前庭ロータリーが見える。
   陽光が降り注ぐ中、見知らぬ四頭立ての馬車が現れる。
   マティ、気付き、パッと振り向く。
   執事、ルシール、続いて窓の外に目を向ける。

執事「ローズ・パークのオーナー協会のどなたかが、訪問されて来られたようですね」

   マティとルシール、目をパチクリ。
   執事、手際よく召使を手配。

X X X

   カーティス夫妻とウォード夫妻、玄関広間に入って来る。
   ルシールとマティに気付き、パッと顔を輝かせる。

ウォード氏「こんにちは、ライト嬢……館においでで良かったです」
カーティス夫人「まあまあ、腰の故障は大丈夫でしたの? お元気そうでホッとしましたわ!」
ルシール「お気遣い、ありがとうございます」

   各々、会釈を交わす。
   カーティス夫人、愉快そうな様子でマティの頭を撫でる。

カーティス夫人「まあ、トッド家のマティ坊ちゃま! あの復活祭の前夜の近所騒乱って、社交界じゃ大した語り草ですよ!」
カーティス氏「ありゃあ、傑作だったね。ハハハ!」

   執事、苦笑の顔で目礼し、大広間に向かう。
   (急な訪問の場合は、大広間での準備が整うまで
   玄関広間でスタンバイするルールになっている)

ルシール:心の声(復活祭の頃に、何か物凄いイタズラをしたらしいけれど、マティって何をやったのかしら?)

○クロフォード伯爵邸、大広間(昼)

   執事、入室。
   上座ソファでふんぞり返っているレオポルドに一礼。
   傍ソファ、回復済みのライナス氏。

執事「ローズ・パークのオーナー協会の代表たるカーティス夫妻と、庭園オーナーのウォード夫妻が、館に参りましてございます」
レオポルド「おお、舞踏会の返礼に来た訳だ……この大広間に通したまえ!」

   レオポルド、大仰な仕草でソファから立ち上がる。
   腕っぷしの強い召使たち、所定の場所で防御用の盾を持ち、控える。
   (談話スペースからは見えにくい場所。レオポルドの癇癪を警戒)

   カーティス夫妻、ウォード夫妻、入室。
   レオポルドに表敬の一礼。
   レオポルド、傲然と頷いて見せる。
   ルシールとマティ、続いて大広間に入室。

   ルシール、レオポルドに表敬の一礼。
   レオポルド、殊更に傲慢に仁王立ち。
   ルシールを指差し、命令。

レオポルド「ブラウン! 給仕しろ! そこの女だ! グズグズするな!」

   大広間の空気、凍る。
   執事、ベル夫人、メイドたち、サッと顔色を変える。
   ルシール、穏やかに一礼して退出。

   大広間ドアの陰で、ベル夫人とメイド、一緒に退出しつつ、

ベル夫人「必要ならば声を掛けて下さい」 ルシール「大丈夫ですわ、レディ・オリヴィアのところで慣れておりますから……」

   レオポルド、ドスンとソファに腰かける。
   ライナス氏、着席し、カーティス夫妻とウォード夫妻に目配せ。
   カーティス夫妻、ウォード夫妻、ギクシャクと着席。
   執事、不満顔のマティを何とか座らせる。

   ルシール、再び茶器セットを持って入室。
   レオポルド、目を光らせるが、ケチの付け所無し。

   無事にお茶が給仕され、ルシール、控えの位置に立つ。
   カーティス夫人、いつもの陽気な調子を取り戻す。

カーティス夫人「リドゲート卿は、ご不在ですの?」
レオポルド「今はワシが当主なのだ」
カーティス夫人「当主の代理でございますか、一層の健康をお祈り致しておりますわ!」

   レオポルド、目が点になっている。
   ルシール、警戒の顔。
   マティ、席を替え、こっそりとルシールに耳打ち。

マティ「カーティス夫人は、天然でボケかますオバサンなんだ」
ルシール「……(引きつり笑い)」

   カーティス夫人、ペラペラと喋り続ける。

カーティス夫人「本来は、グリーヴ夫妻や私どもの姪・シャイナを伴うところでしたが、今、グリーヴ夫妻は新しい企画で多忙な上、 シャイナはレナード様を接待中でして。ウォード夫妻が代理を申し出てくれまして。まぁ今回はビックリしましたわ、ホントに、 年に数回の社交イベントにしかご参加されないのに、この急な時に有り難くも、もう、助かりましたわ」
ウォード氏「どうもです(カーティス夫人のお喋りにちょっと圧倒されている)」

   ルシール、物静かなウォード夫妻の様子を、チラチラと注目。
   ウォード夫人の着こなしに気付く。

ルシール:心の声(母と同じような着こなしをされる方だわ)

カーティス夫人「……それにしても、レナード様はいつもながら、罪深い程の美形でいらっしゃいますわねえ! 先日の舞踏会では、 若いレディの視線を一身に浴びていらして……」
レオポルド「えっへん、倅は私譲りの美形なのでね」
ライナス氏「レオポルド殿も、今でもテンプルトンどころか、全国の社交界の花形の紳士でございますね!」

   レオポルド、得意そうに鼻を鳴らす。

レオポルド「もう20年、30年も前の話ではある。そう、この娘の母親とも……確か社交の都合上、ダンスをした事があるんだ。確かアイリスとか言ったか、珍しく金髪で、紫色の目の……」

   レオポルド、横柄な様子でルシールを指差す。
   上機嫌に笑いながら、

レオポルド「見覚えのある顔つきだと思ったが、こっちは金髪じゃ無いから、この間まで忘れていたよ!」

   ルシール、ハッとする。
   マティ、ハッとして目を丸くする。
   ウォード夫妻、ピクリと身体を震わす。

   ウォード夫人、急にレオポルドをまっすぐに見つめ、

ウォード夫人「レオポルド殿は、アイリスの事を、やはり記憶しておられたと言う事なのですね」
レオポルド「……む? ……ウォード夫人、あなたを社交界で見かけた事が無いのだが」
ウォード夫人「ええ。私は早い時期に夫と一緒になれたので、他の相手とダンスする必要性が余りありませんでした」
レオポルド「そ……、そうなのか」

   レオポルド、気を呑まれたように口を閉じる。    ウォード夫人、お茶を一服し、

ウォード夫人「私は、アイリスとはテンプルトン社交界の同期でございましたの。オーナーの手続きなど、各種の事情が落ち着いてウォード家に移るまでは、ライト家の隣人でした」
カーティス夫人「まあ驚きだわ、ウォード夫人! ライト家の隣人だったなんて! アントン氏は無口で偏屈な方だったし……あのグリーヴ夫妻の方も、 初めからローズ・パークにいらしたから、余り詳しい事情をご存じじゃ無いのよ!」

   ウォード氏、戸惑った顔で、チラリとルシールを見やる。

ウォード氏「デイジーとは随分、相談したんですよ。タイター氏が、ローズ・パークのオーナー権の相続の件で、ずっと騒いでいたから、大体の事情は承知しています。 タイター氏との裁判になる前に、分かっている事は多い方が良いと結論しまして……」

   ウォード氏、レオポルドをおずおずと見て、

ウォード氏「極めて微妙な……プライベートな問題ですから……、ライト嬢と、ごく内密で話をしたいのですが」
レオポルド「ダメだ! ダメだ! 私がいる限り、秘密は一切合財、無しなのだ!」
ウォード夫人「分かりました、レオポルド殿……」

   ベル夫人、茶菓子の補充。
   一旦、大広間を退出しながらも、目を光らせる。
   執事とすれ違いの際、互いに目配せ。

■第六章-04話:回想の中のローズ・パーク

《人物表》

・ルシール・ライト(25、女主人公)…濃茶色の髪、一見して茶色の目。
・マティ・トッド(9)…イタズラ少年。
・クロフォード伯爵リチャード(53)…領主。
・キアラン・ダグラス(27)…公称「リドゲート卿」。
・レオポルド(55)…金髪碧眼。ダレット準男爵。
・ライナス氏(28)…ダレット家の縁戚の赤毛青年。
・プライス判事(54)…クロフォード伯爵領の首席判事。
・ドクター・ワイルド(76)…クロフォード伯爵の主治医。
・ウォード夫妻(54、50)…ローズ・パークのオーナー協会員。庭園管理担当。
・カーティス夫妻(55、51)…ローズ・パークのオーナー代表。二代目。
・執事(60)…クロフォード伯爵邸の使用人
・ベル夫人(62)…クロフォード伯爵邸の家政婦長。
・召使、メイド…各10名ほど
・アイリス・ライト(回想、20)…ルシールの母親。
・デイジー・フレミング(回想、20)…アイリスの親友。現ウォード夫人。
・ビリントン夫妻(回想、52、56)…テンプルトンの名士。
・タイター・ビリントン(回想、24)…ビリントン夫妻の次男。

○クロフォード伯爵邸、正面階段(昼)

   キアラン、プライス判事とドクター・ワイルドを先導。    階段を降り始める。
   時刻は正午に近い。細長く高い窓から差し込む陽光。

   プライス判事、コキコキと肩を鳴らし、コリをほぐしつつ、

プライス判事「内密で詳細を詰めるとは……カーター氏も秘密主義だな」
ドクター・ワイルド「伯爵と弁護士の密談が済むまで、大広間で茶など頂くとしようか」

   大広間のフロアに到着。
   キアラン、ベル夫人と執事の不審な行動に気付く。
   ヒソヒソ話、忍び足で歩き回り、脇の扉を少し開けている。
   中の様子を窺っている。
   プライス判事とドクター・ワイルドも気付き、首を傾げる。

プライス判事「来客があるのか?」
執事「はッ……(ギョッとした顔で振り返る)お、お静かに……カーティス夫妻とウォード夫妻です」

   ドクター・ワイルド、愉快そうにギョロ目をきらめかせる。

ドクター・ワイルド「コソコソと盗み聞きじゃな?」
執事「ええ、まあ、ちょっと……」

   ベル夫人、冷静な様子で振り返る。

ベル夫人「ウォード夫人が、25年前のアイリス様の蒸発の事情について、ご存知のようです。結婚後も、町の抗争を避けて実家に居られたそうで……しかも、驚くべき事に、ライト家の隣です」
ドクター・ワイルド「という事は証言者……」
プライス判事「25年前の……」

   ベル夫人、やがて片眉を上げる。
   テキパキと立ち去りつつ、

ベル夫人「追加のお茶を、お持ちいたしますわ」

○クロフォード伯爵邸、大広間(昼)

   執事、扉を開ける。
   キアラン、プライス判事、ドクター・ワイルド、入室。
   大広間の面々、一斉に振り返り、会話が止まる。

カーティス夫人「あらッ、まあ! みなさま、お久しぶりで御座います。本日は何故か、みなさまのお取り込み中に訪問しまして、まぁ、色々と」

   レオポルド、あからさまに「チッ」と舌打ち。
   カーティス夫人、天然ボケを発揮し、気づいていない。

キアラン「館にようこそ、カーティス夫妻、ウォード夫妻」

   キアラン、生真面目に返礼。
   ウォード夫妻、戸惑った様子。
   レオポルド、なおも傲然とした態度のまま上座から動かない。
   キアラン、無表情のまま、下座の席に腰を下ろす。

   ルシール、そっと窺う。
   レオポルド、ギラギラとキアランを睨みつけている。
   ウォード夫妻、不安そうにソワソワ。
   カーティス夫妻、顔面に愛想笑いを張り付けている。
   ライナス氏、愛想笑い。マティ、ジト目。

   プライス判事とドクター・ワイルド、着座。
   ドクター・ワイルド、鷹揚な笑みを満面に浮かべる。

ドクター・ワイルド「こちらこそ、お話の途中で失礼したようじゃな……構わず続けてくれたまえ」

   ウォード夫妻、ホッとしたように頷く。
   話を再開。

ウォード氏「昔の戸籍を確認頂ければ分かりますが、デイジーは旧姓フレミングです。 ライト家とフレミング家は、テンプルトン町の郊外の村の隣人同士でした。互いの家の往来は、徒歩で、だいたい20分から30分……」
ウォード夫人「アイリスと私は同い年でした。テンプルトンやローズ・パークの社交界デビューは、30年前の事です」

   ウォード夫人、ルシールの方に視線を投げる。

ウォード夫人「タイター・ビリントン氏が、かつてアイリスの婚約者だった事は知っていますか?」
ルシール「直談判の時に、少し聞きました」
ウォード夫人「ライト家の本家であるビリントン家が、本人確認もせず決めた婚約です。亡きアントン氏が超・偏屈で知られる方だった事もあり、 厄介者同士で結婚すれば、一挙に片が付く……と言う思惑があったようです」

   レオポルド、ピンと来た顔になる。

レオポルド「ビリントン家か? テンプルトンの名家の一つだな。前の当主、ウィリアムは知っているが。今はタイターが当主か……」
ウォード氏「え、ええ。昔のテンプルトン抗争で、そのウィリアム・ビリントン氏と彼の長子ニック氏が同時に死亡したので、タイター氏がニック氏の長子ナイジェル氏を後見しています」

   レオポルド、ソファの中で偉そうにふんぞり返る。
   考え深げにアゴに手を当てて見せる。

レオポルド「ビリントンも、最近は没落して見る影も無いな……ド・ラ・リッチ家と比べると、血統が劣るから当然か」

   ルシール、戸惑って目をパチクリ。

ルシール「ド・ラ・リッチ家……?」
マティ「(耳打ち)ダレット夫人の旧姓さ……レディ・カミラ・ド・ラ・リッチ。何でも、リッチ公爵家の由緒正しき血縁とか」

   ウォード氏、口ごもりながらも話を続行。

ウォード氏「アイリス嬢とタイター氏の最初の対面が、ローズ・パーク舞踏会での事でして。当時の地主は、レオポルド殿でいらっしゃいました。 私たちは全員、下のフロアにいましたから、レオポルド殿は、この件については初耳と推察申し上げますが……」
レオポルド「当然だ!(※いささか不満だが爆発する程ではない)」

X X X

(回想・30年前)

○ローズ・パーク邸、大広間(夜)

   盛大な舞踏会。地元の名士たち、ほぼ出席。
   上座、レディ・カミラ(20)が最も注目の的になっている。
   レオポルド(25)含め、有力な紳士たちが集まり、ちやほや。

   ビリントン夫妻(56、52)、会場を回り、親戚と挨拶。
   後ろを、むくれた顔のタイター青年(24)が付いて来ている。

   ビリントン夫妻、段差の下のフロアに入る。
   顔見知りの仲介で、アイリス・ライト(20)と対面。

アイリス(20)「お初にお目にかかります、ビリントン夫妻。アントン・ライトの娘、アイリスです」
ビリントン氏(56)「君が、あの偏屈アントン氏の!? いや、これは……」
ビリントン夫人(52)「ビックリだわ。あ、アントン氏の奥さんの方に似たのね……」
タイター(24)「今夜ほど嬉しい時があろうとは思えない!」

   アイリス、戸惑ってギョッとする。

タイター「あのアントンに、これ程に綺麗な娘がいたとは!」

   タイター、これ幸いとアイリスの手をねちこく撫でさする。
   実にたくさんの歯を見せて、下心タップリに笑う。
   スーツに染み付いた紫煙、全身から立ち上るタール臭やニコチン臭。

○ローズ・パーク邸、大広間、窓際(夜)

   アイリス、窓際でグッタリとした顔。

デイジー(20)「顔色が悪いわよ?」
アイリス「頭痛がして……本家の方が決めたという婚約者、タイター・ビリントン氏なの」
デイジー「あのギャング=タイター!? そんなバカな(唖然)」
アイリス「困ったわ……(青ざめ、ガックリ)」

(回想終わり)

X X X

○クロフォード伯爵邸、大広間(昼)

   大広間、シーンとなる。

マティ「ひっでー話! 本人確認しなかったのかよ!」
ウォード夫人「ええ、あの、アントン氏は非常に偏屈な方だったので、その娘も偏屈だろう、という思い込みがあったとか。 ビリントン夫妻は、その夜のうちに、婚約話を無かった事にしようと努力はして下さったそうです。 でも、タイター氏は既にその気になっていて、首を縦に振りませんでした。逆に、我が物顔でアイリスを付け回し始めたのです」

   プライス判事、困惑顔で頭をシャカシャカとやる。

プライス判事「立派なストーカー案件として成立するレベルの話だが……当時の治安判事は……あぁ、そうか」
ウォード氏「アントン氏が激怒して、ビリントン家に怒鳴り込む騒ぎになりました……まあ、それはともかく、 アントン氏は、ローズ・パーク邸の執事グリーヴ氏との親交がありました。その関係で、アントン氏は、ローズ・パークの庭園管理の仕事に、 助手として、私だけではなくアイリスさんも毎回、伴って行くようになりました。 タイター氏と一人で行き逢わないようにするための対策でしたが、アイリスさんは庭園管理の仕事が気に入っていたようで、それは熱心でした」

   ルシール、納得顔で相槌。
   ウォード氏の説明、時折、不器用につっかえながらも続く。

ウォード氏「私たちは、ローズ・パーク舞踏会には三回、出席しました。最後の舞踏会の夜、ローズ・パーク邸の破産宣告が出てたんですが、 あの大騒ぎは凄かった……どのようにして聞き付けたのか、門前にギャングや借金取りが集結……、勿論、その中にタイター氏も居たんですが。 貸した金返せとか、負債の額面とか、ローズ・パーク邸の豪勢ぶりは存じてましたが、あんなに借金があったとは……」

   ウォード氏、困惑の表情。

ウォード氏「……おまけに、その舞踏会の後、ローズ・パークを巡る政局騒動がスタートして……テンプルトン全体、 もうムチャクチャな状況になりました。ローズ・パークが破産宣告された後、すぐにオーナー協会が創設されたんですが……」

   ドクター・ワイルド、訳知り顔でヒゲを撫でる。

ドクター・ワイルド「最初の頃、ローズ・パークのオーナー協会の代表になれるのは、クロフォード直系親族に限られていたのじゃったな。 それも、次のクロフォード伯爵と決められた後継者が務めるという決まりだった。それが政局騒動において、余計に火に油を注ぐ事態になっていた」
プライス判事「当時は、対症療法的な解決手段しか思いつかない状態だったな(渋面)。ギャング抗争も激化していたし、 得体の知れない無敵の暗殺者が送り込まれて、爵位継承権者が次々に死亡していた」
レオポルド「自業自得だ! 貴族社会では、一瞬のスキが命取りなのだからな(傲然とふんぞり返る)」

   ルシール、目を見張る。
   プライス判事、渋面で首を振り、溜息。
   ドクター・ワイルドと意味深な視線を交わす。

ドクター・ワイルド「かくして、首都から、武装役人と武装裁判官が送り込まれた訳じゃな。ロイド・グレンヴィル氏じゃ。ふむ」
プライス判事「ウォード氏、口を挟む事になって済まんな」
ウォード氏「いえ。私、その辺りはあまり存じませんので」
プライス判事「あぁ、当時は、公的な事はあまり洩らさない事になっていたんだった……ロイド氏は、オーナー協会の抜本的な改革をやってな。 ローズ・パークのオーナー協会の代表を、クロフォード傍系親族ハワード氏に割り当てたんだ。 政治的な面から言えば、ローズ・パークの権益がクロフォード伯爵家のお家騒動から切り離された事で、町内抗争の激化に関わる要素が大幅に整理された。 ハワード氏も、見事、流血の抗争を生き延びていた」

   カーティス氏、納得顔。感心したように頷き。

カーティス氏「そう言えば、従兄弟ハワード殿は、賢い男でした。テンプルトン町長も全うしていて。理想的に抗争をさばけた、という訳では無かったみたいですが」
カーティス夫人「郊外の村にも影響があったのでしょ、ウォード夫人?」

   ウォード夫人、頷く。

ウォード夫人「私はもう既に結婚していましたが、ウォード家はテンプルトン町の通りにあって危険だったのです。 それで、実家フレミング家に避難しておりました。町には滅多に行かなくなっていたので、 ロイド氏とは余り会った事は無いのですが……カーター氏の話によれば、優秀な調停者だったとか……」
ウォード氏「実際、抗争の数がグンと減ったので、そりゃ驚きでした。しかし、先々代の伯爵様と共に、いきなり闇討ちされて、ロイド氏も死亡したとか……」

   ドクター・ワイルド、手を振って注意を引く。

ドクター・ワイルド「いや、正確に言うと、先々代の伯爵様は、その襲撃後も一週間は生存しておった。28年前の話になるな……ワシが看取った」
プライス判事「あの殉死事件か! 先々代伯爵フレデリック殿を闇討ちするために、暗殺のプロを……その場で暗殺に成功していれば、事態はもっとひどい事になっていた筈だ」
マティ「オイラもママから聞いた事あるぜ! トッド家の本邸もテンプルトンにあるから、別邸に避難してたって」

   ルシール、小首を傾げ、憂い顔。
   近くに座っているキアランを、後ろからそっと見つめる。

   ウォード氏、雑談の間に素早くお茶を一服。

ウォード氏「先代伯爵ベネディクト様の代には抗争も減り、まあ以前ほど頻繁と言う訳では無いけど、町にも出かけられるようになりまして……町は変わりました。 テンプルトンの牧師さまも、抗争で死んでおられた。クレイグ牧師様でしたね、後任が決まるまでの代理の牧師さまが……」

ルシール:心の声(そう言う訳で、クレイグ牧師様は母をご存知でいらした。納得だわ)

   ウォード夫人、改めてルシールをしげしげと眺める。

ウォード夫人「……本当にアイリスに生き写し……恋人と結婚するかどうかと言う話は聞いていたけど。まさか、あの頃のアイリスが妊娠していたなんて……」

   ルシール、顔を赤らめ、少し顔を伏せる。
   ウォード夫人、思案深げに、

ウォード夫人「アイリスは大体、私と同じ頃に妊娠していた筈です。でも、アイリスが妊娠に気付いたのは、私よりずっと後だったのかも知れません。 26年前、11月頃――妊娠二カ月で、つわりがひどかった頃でしょうか。アイリスがお見舞いに来ていて……彼女も、私と一緒に戻した事があって。 あの時は、こんなハプニングにまで気が合うのかと面白く思って、『もしかして、アイリスもオメデタだったりして』と笑ったものでしたが。 親友同士の他愛の無い冗談だったのですけど、アイリスは不意に黙り込んでしまいました。今、考えてみると……その後は、アイリスは随分と注意深くなっていたわ」

   ドクター・ワイルド、おもむろにルシールに目を向ける。

ドクター・ワイルド「ライト嬢は何月生まれ?」
ルシール「六月です」
ドクター・ワイルド「それなら、妊娠したのは九月頃で……時期は、ピッタリ合うな」 マティ「九月? 何で?」
プライス判事「大人になったら分かる……(苦笑)」

   ウォード夫妻、ビックリ顔でルシールを眺める。

ウォード夫人「長女のソフィアも六月生まれだわ……夫の祖母に似て、超・のっぽさんになったけど……」
ドクター・ワイルド「あのグレート・ソフィアですか。ソフィア・ウォード嬢の逸話は良く聞いておりますぞ。先日の舞踏会でも、ナイジェル氏を退治するなど、素晴らしい大活躍じゃったとか」
ウォード夫人「は、まぁ……」
ウォード氏「元はと言えば、ソフィアがケンプ氏と一緒にナイジェル氏を吹っ飛ばしていたのが、ナイジェル氏の脚の骨折の原因だったのに、 何故かタイター氏が、ルシール嬢を訴えるという事になってしまって……大変、申し訳ない……」

   プライス判事、目をパチクリ。

プライス判事「ソフィア嬢が、ナイジェル氏を吹っ飛ばしたのか?」
ウォード氏「ダンスのターンの弾みで……(恐縮)」
プライス判事「ナイジェル氏は、あれでも、基本的な戦闘術の覚えはある大男の筈だぞ」
カーティス氏「段差の下に落ちてましたから、それで骨折しただけかと」
プライス判事「いや、そういう意味で言ったんじゃ無いんだが……グレート・ソフィアなら、信じられる……(引きつり笑い)」

■第六章-05話:追憶ラビリンス

《人物表》

・ルシール・ライト(25、女主人公)…濃茶色の髪、一見して茶色の目。
・マティ・トッド(9)…イタズラ少年。
・キアラン・ダグラス(27)…公称「リドゲート卿」。
・レオポルド(55)…金髪碧眼。ダレット準男爵。
・ライナス氏(28)…ダレット家の縁戚の赤毛青年。
・プライス判事(54)…クロフォード伯爵領の首席判事。
・ドクター・ワイルド(76)…クロフォード伯爵の主治医。
・ウォード夫妻(54、50)…ローズ・パークのオーナー協会員。庭園管理担当。
・カーティス夫妻(55、51)…ローズ・パークのオーナー代表。二代目。
・執事(60)…クロフォード伯爵邸の使用人
・召使、メイド…各10名ほど
・アイリス・ライト(回想、25、45)…ルシールの母親。
・デイジー・フレミング(回想、25)…アイリスの親友。現ウォード夫人。
・メイプル夫人(45)…ライト家の家政婦。

○クロフォード伯爵邸、大広間(昼)

   マティ、興味津々でウォード夫人を振り返る。

マティ「ルシール・ママは、その後、お医者さんに行ったの? 急に具合、悪くなったんでしょ」
ウォード夫人「どうだったかしら。彼女は何も言わなかったから……」

   ウォード氏、思案顔。

ウォード氏「ローズ・パークのオーナー手続きが本格化した頃で、アントン氏も私も、長く家を空ける事が多くなっていたんだ……」
ウォード夫人「(ルシールを改めて振り返り)ローズ・パーク邸の借金返済も始まっていて、私とアイリスは村から直接ローズ・パークに通って、 グリーヴ夫妻と一緒にローズ・パークの資産の整理をしていました。私は妊娠が判明した事もあって、お医者様には軽度の館内作業しか許可を頂けなかったのです。 アントン氏と夫の分の屋外の作業は、アイリスが一手に請け負っていました」

   ドクター・ワイルド、顔をしかめ、呆れたように首を振る。

ドクター・ワイルド「無茶な事を! アントン氏の仕事内容は知っとるが……あの重労働では、身体に無理が来る筈じゃ。流産しなかったのが不思議なくらいじゃな」

   ウォード夫妻、ルシールと目を合わせて戸惑った顔。
   ウォード氏、首を傾げつつ、

ウォード氏「タイター氏の不在でリラックスできた事が大きいかも知れない」
ドクター・ワイルド「――うむ?」
ウォード氏「10月から12月まで、都の社交シーズンになってますでしょう。今の伯爵さまが爵位を継いで、初の都入りをなさっていて。この辺の名家も揃って不在でした。 タイター氏を含めて、ギャングや借金取りも伯爵さまを追って都に行ってて……目下、地元は静かだったんですよ」

   大広間のあちこちで、ハッと息を呑む気配。

プライス判事「ああ……そうだった! リチャード殿が爵位を継いだのが、その年だ!」
ウォード氏「私たちローズ・パークのオーナー協会員も、登記の件で都に出張していました。都まで押しかけていたギャング団の邪魔がしきりに入っていて、 年末まで帰れなくて、長く家を空ける羽目になっていたんです」
ウォード夫人「アイリスは、度々私のお手伝いに来て、お医者様と私の話を熱心に聞いていました。今になって考えてみれば、妊娠出産についての知識が欲しかったのかも知れません」
ウォード氏「アントン氏は、あの無骨な性格……娘さんの妊娠には気付かなかったんじゃ無いかな。タイター問題が深刻だったし」
ウォード夫人「メイプル夫人も絶対、気付いてなかったわ。次の年の二月になってアイリスが蒸発した時、本当に動転していたし……」

   カーティス夫人、ピンと来た顔になり、頬に手を当てる。
   カーティス氏を振り返る。

カーティス夫人「そう言えば、メイプル夫人は何処なのかしら? アントン氏の死後、タイター氏に暇を出された後は……」
カーティス氏「情報通のグリーヴ夫人も、その後の消息は聞いて無いって。まあ、テンプルトンの近くに引っ込んでいるんだろうけどねえ」

   ルシール、目をパチクリ。

ルシール「メイプル夫人……?」
ウォード氏「ライト家の家政婦です。長く勤めていて……アイリスさんの母親代わりでもあったんですよ」

   プライス判事、愕然。

プライス判事「タイターめ、嘘ついたな……アントン死亡の前に、彼女は既に行方不明などと抜かしおって……」
マティ「案外、現場の目撃者ってヤツかも知れないね」

   ウォード氏、手元を見つめ、いっそう真剣な面持ち。

ウォード氏「年末年始になって、やっと都での登記作業が完了しました。他のオーナー協会員と共に、アントン氏と私も地元に戻りましたが、 地元の新年社交シーズンが始まると、タイター氏も近所に舞い戻って来ました。一月から二月が、一番キツい時期だったかも知れません。 私もアイリス嬢の恋人と間違われて、大立ち回りでした」
ウォード夫人「新年の頃は、私のお腹はもうハッキリしてたし胎動もあったけど、アイリスのお腹は分からなかったわ」
ウォード氏「そう、彼女は明らかに過労状態だった。二月になると、レオポルド殿とレディ・カミラの結婚式の準備に大わらわで、 地元の人たちと共に、色々な所に駆り出されたし……」

   ウォード氏、憂い深そうに眉根を寄せる。

ウォード氏「急な発熱で倒れたんです。あの日に」

X X X

(回想)

○クロフォード伯爵領、丘陵地帯の村(昼)

   25年前の二月。    冬、ちらつく雪。葉を落としたオーク林。

○ライト家、居間(昼)

   窓枠に雪が張り付き始める。まだ小雪という降り方。
   暖炉の炎に照らされた数人掛けの中古ソファ。
   毛布を掛けられた状態のアイリス(25)、グッタリと横たわる。

   アイリス(25)、苦しそうに息を切らす。
   額に手を当てながらも、ソファから半身を起こす。

○ライト家、居間の扉近く(昼)

   メイプル夫人(45)、バタバタと走り回っている。
   半身を起こしかけたアイリス(25)に気付き、ギョッとして

メイプル夫人(45)「アイリス様、熱が出てるんですから、お休みになっていてください!」

   メイプル夫人、勢いよく扉を開けながら、

メイプル夫人「お隣さんに、お医者さまが来られる頃で良かったです、馬車で、すぐに呼んで来ますからね!」

x x x

○ライト家の庭先(昼)

   柵の間、簡素な車道がある。薄く雪が積もっている。
   ライト家所有の田舎馬車が走り出す(メイプル夫人による操縦)。
   車輪が雪で滑り、馬車の端が柵に衝突。
   柵の一部が少し壊れる。バキバキと言う音。

○フレミング家、居間(昼)

   本降りの雪。
   玄関ドア、ドンドンと叩かれる音。
   ウォード夫人(25)、怪訝そうな顔。

○フレミング家、玄関(昼)

   ウォード夫人、お腹を押さえつつ、よちよちと歩く。
   医者(45)、ウォード夫人を気遣い、前に出る。
   玄関ドア、開く。
   血相を変えたメイプル夫人。

医者「あれ? 確か、お隣さんの?」
メイプル夫人「ああ、いらして良かったです。この時間だから、もう往診が終わっていたかと……あの、アイリス様が急に熱を出して、倒れて」
ウォード夫人「なんですって? あのアイリスが倒れるなんて、余程の事だわ」

   医者、メイプル夫人、ウォード夫人、すぐに出発。
   メイプル夫人が乗って来たライト家の馬車で移動。

○ローズ・パーク村、道の辻(昼)

   交差点、六台の馬車が雪に車輪を取られ、立ち往生。
   立ち往生の馬車のうち、ひとつはライト家の馬車。
   馬車1の御者&乗客一人、馬車に縄をかけ、移動の試み。
   馬車2の御者&乗客二人、馬車1に協力し後方を押す。
   四台の人力荷車も立ち入り、混ざって渋滞、混乱。
   本降りの雪が続く。

○ライト家、庭先(夕)

   馬車、到着。

○ライト家、居間(夕)

   メイプル夫人、居間の扉をバタンと開く。
   医者が急ぎ足で立ち入る。
   次の瞬間、医者、ギョッとして目を大きく見開く。

医者(45)「熱を出したって言う患者さんは何処ですか?」

   メイプル夫人とデイジー・ウォード夫人、続いて居間に入る。
   誰も横たわっていない中古のソファ。その傍に落ちている毛布。
   メイプル夫人もデイジーも、口をポカンと開ける。

デイジー・ウォード夫人(25)「居ない!」

x x x

(フラッシュ)
   中古ソファ横、ローテーブルの上に書置きが置いてある。

x x x

   デイジー(妊娠六カ月)、妊娠中のお腹を押さえながら身を屈める。
   ソファ横のローテーブルから書置きを拾い、読み上げる。

デイジー「……『旅に出ます』……?」
メイプル夫人「そんなバカな」

   メイプル夫人、呆然と毛布を抱きしめる。

   両開き窓から見える外の光景。
   馬車の車輪が雪に埋もれているのが見える。
   積雪は膝丈の深さ。
   吹雪さながらに激しく降る雪。

   医者、窓の外を眺めながら、

医者「この雪では……足跡は、あらかた消えてしまっていますね」
メイプル夫人「そんな……」
ウォード夫人「蒸発した……!」

(回想終わり)

X X X

   大広間、シーンとなる。
   プライス判事、圧倒された様子。

プライス判事「たった一時間か二時間のうちに、蒸発した訳だな」
マティ「すげー早業」

   ウォード氏、長い溜息をつく。

ウォード氏「タイター氏を警戒して、いつでも逃げられるよう、こっそりと準備していたとしか思えないのです。 事実、タイター氏は激怒していました。何処で知ったのか、アイリスさんに恋人が居る……という情報を、つかんでいましたから」
ドクター・ワイルド「そして、その二月のうちに、アイリス嬢の死亡報告書が届いた訳か。 アシュコート……首都直通の国道がある。オフシーズンの首都に行こうとしていたか……」
ウォード氏「ギャング抗争が激化していて、本人確認のために出張できる状況じゃありませんでした。 実際は、アイリスさんは生存していたとか。それも、五年前まで。本人確認が出来ていれば、今頃は……」

  ルシール、少し顔を伏せ、思案顔。

X X X

(回想)

   晴れた冬の海。
   深い青さに魅せられて立ち尽くすアイリス(45)。
   物思わしげな顔で、胸元のブローチに手を触れる。
   アメジストの薔薇のブローチ、クローズアップ。

(回想終わり)

X X X

   ルシール、不意に目をパチクリさせる。
   ウォード夫妻を改めて見つめる。
   ウォード夫妻、気付き、視線で応える。

ルシール「あの……もしかして、母の恋人の名は、頭文字『L』ではありませんか?」
ウォード夫妻「……(二人でハッと息を呑む)」
ウォード夫人「アイリスは、その人の事を『ローリン』と言っていました。タイター氏は、 彼を探し出してぶち殺す……と公言していましたが、知らない名だし、誰の事なのかは分からなくて……」
ルシール「ローリン……(呆然しつつ、両手を握り締める)」
ウォード夫人「私が聞いたのは、これだけですね……テンプルトンの近辺で出逢った、青い目の紳士」

   ドクター・ワイルド、得心した様子でヒゲを撫でる。

ドクター・ワイルド「青い目の父親か……」
マティ「ビンゴだぜ、ヒゲ先生……!」
プライス判事「ローリン? 家名か個人名か……この近辺では聞かない名だな」

   プライス判事、戸惑いの顔で頭をシャカシャカとやる。
   キアラン、眉根を寄せ、口を固く引き結んでいる。

ウォード氏「タイター氏を避けるための、愛称や偽名だった可能性も高いです」
ウォード夫人「これは私じゃ無くてタイター氏が言っていた事ですが。自分がこれほど拒否される理由は、 そのローリン氏がよっぽど良い身分だからで、社交界でも評判の男だからだ、との事でした」

   ウォード夫人、一つ間を置く。
   不意に、レオポルドに視線を向ける。
   レオポルド、一瞬、疑問顔になる。

ウォード夫人「タイター氏は、『ローリン氏』とは、即ちレオポルド殿だ――という事を、突き止めています」
レオポルド「なッ……なッ……!」

   レオポルド、青ざめ、硬直。

ウォード夫人「こんな事を申すのも何ですが。レオポルド殿は当時、数人の……いえ、十数人の方と、浮名を流しておられましたね」
カーティス夫人「そう! それもロマンス小説に出て来るような駆け落ちの話が! 絶世の美男美女、禁じられた恋! レナード様と言う、 二歳になられる隠し子が判明して、過ちを正すためながら、先々代の伯爵の婚約者であったレディ・カミラと数年越しの熱愛結婚をされたと―― 『騎士道物語』の禁じられた恋人たちの伝説もかくや、過酷な運命を乗り越えて、ドラマチックなゴール・イン!」

   大広間の面々、全員で、呆然と聞き入る。

カーティス夫人「それも、その二月に――あんまりにもモテ過ぎなので、関係した淑女は数知れずで……全員は記憶しておられないけど……、とにかくッ、身辺整理も兼ねて……」

   カーティス夫人、ハッとし、ピタッと喋りを止める。

   大広間、異様な緊張に包まれる。
   レオポルドに疑惑の視線、集中。
   レオポルド、ワナワナと震える。口元も震える。
   ライナス氏、レオポルドをチラ見、逃走体勢。

   ドクター・ワイルド、あからさまに顔をしかめる。

ドクター・ワイルド「他にも隠し子が居た……としても、ワシは驚かんね。あの頃も多数の養子縁組で、結構、大変だったしな」
プライス判事「こちらも、幾つ修羅場を見た事か……(青ざめる。視線が泳ぐ)」

   カーティス夫人、目をキラーン。
   カーティス氏、ギョッ。手をワタワタ。

カーティス夫人「養子縁組? グリーヴ夫人が言う事には、10人だか、それ以上……」
カーティス氏「え? あれって、まさかッ」

   レオポルド、額に青筋を立てて、バッと立ち上がる。
   ライナス氏、シュバッと飛び出し、ソファの背に回る。
   レオポルド、コブシを振り回しつつ、

レオポルド「し、証拠は無い! 隠し子だの、不倫だの……私のスキャンダルをでっち上げようったって、 そうは行くものかッ! 頭文字Lなら、他にも居る! ライナスが、そうだッ!」
ライナス氏「ひどい! 私の父は何も……」

   レオポルド、カッと目を見開く。
   キアランを睨み付け、指を突き付ける。

レオポルド「グレンヴィルだ! ロイド・グレンヴィルは、頭文字Lで青い目だ!」

   キアラン、無表情、無反応。
   視線だけ、険しく凍る。
   ルシール、硬直する。

ルシール:心の声(恐れ多くも、リドゲート卿と兄妹になるの……!?)

   大広間、シーンとなる。
   ドクター・ワイルド、溜息をつき、首を振り振り。

ドクター・ワイルド「それは絶対に有り得ませんな。ワシは、グレンヴィル氏の死亡報告書も作成した。 彼の死亡は28年前ですが、ライト嬢の出生は25年前になります。確実に信頼できる医学知識を持つ者が、保証する数字ですぞ。 三年に及ぶズレが存在する状況では、親子関係は絶対に成り立たんのです」

   ドクター・ワイルド、背もたれから身を起こす。
   ギョロ目をぎらつかせる。
   レオポルド、ギョッとする。

ドクター・ワイルド「アイリス嬢が倒れたのは、レオポルド殿とレディ・カミラの結婚式の準備の真っ最中だとか。 レオポルド殿が即ちローリン氏だとすれば、倒れる程のストレスを受けるのも納得じゃな」

   ルシール、レオポルド、青ざめながらも視線を交わす。

ルシール:心の声(私の母が愛したのは、この人だったの?)

   レオポルド、後ろめたそうな様子で視線をそらす。
   大広間の全員の疑惑の視線、集中。

ドクター・ワイルド「迷宮入りというところか。じゃが、クロフォード伯爵家の血縁関係、それも直系親族と王族親戚に同時に関わる大問題じゃ。 過去の養子縁組の時と同様、爵位継承権の認否において早々に決着を付けておかなければならん。 かつてクロフォード伯爵領を血の海に沈めた問題じゃぞ。必要とあらば、自白剤を注射する事も、やぶさかではない」

   ドクター・ワイルド、物騒に目を細める。
   レオポルド、青ざめる。ちょっと尻込み。
   重苦しい雰囲気。
   執事、急に大広間の扉を開けて現れる。

執事「ダレット夫人、及びダレット嬢、ただ今、お帰りでございます!」

   大広間の全員、ハッと息を呑む。
   緊張が走る。

■第六章-06話:青い目の紳士“L”

《人物表》

・ルシール・ライト(25、女主人公)…濃茶色の髪、一見して茶色の目。
・マティ・トッド(9)…イタズラ少年。
・キアラン・ダグラス(27)…公称「リドゲート卿」。
・レオポルド(55)…金髪碧眼。ダレット準男爵。
・ダレット夫人(50)…金髪碧眼。カミラ・ダレット準男爵夫人。
・アラシア(19)…金髪碧眼。ダレット準男爵令嬢。
・ライナス氏(28)…ダレット家の縁戚の赤毛青年。
・プライス判事(54)…クロフォード伯爵領の首席判事。
・ドクター・ワイルド(76)…クロフォード伯爵の主治医。
・ウォード夫妻(54、50)…ローズ・パークのオーナー協会員。庭園管理担当。
・カーティス夫妻(55、51)…ローズ・パークのオーナー代表。二代目。
・執事(60)…クロフォード伯爵邸の使用人
・召使、メイド…各10名ほど

○クロフォード伯爵邸、大広間(昼)

   アラシア、上機嫌で大広間に駆け込んで来る。

アラシア「まあ、良かった事! 皆さん、大広間にお揃いなのね!」

   アラシア、華麗な所作でクルリと回って見せる。

アラシア「ホラ見てッ! 町で発見したの! 有名デザイナーの新作よ!」
ライナス氏「おぉ。レディ・アラシア。まこと女神のよう……(ギクシャク)」
アラシア「最新モデルのドレスも今日仕上がったの! あのローズ・テイラーズは仕事が速いわ! 残りのドレスは明日にも上がるって言ってるから、明日も行くわ!」

   ダレット夫人、もったいぶって傲然と入室。
   カーティス夫妻、ウォード夫妻、表敬で立ち上がる。
   プライス判事、ドクター・ワイルド、キアラン、表敬の立ち。
   レオポルド、逆に、ソファに乱暴にドシンと腰を下ろす。

   ダレット夫人、いっそう気取って頬に手を当てる。

ダレット夫人「アラシアが、あのカフスを見つけたとは驚いたわよ! レナードには別の新しいの買ってやるわ、 ロイヤルの方で第一級のダイヤが入ったそうだし」

   ドクター・ワイルド、プライス判事、下座に移動。
   ドクター・ワイルド、目をパチクリさせ、

ドクター・ワイルド「カフスとは何の話だ?」
マティ「(耳打ち)昨日、アントン氏の小屋からレナードのカフスが出て来たんだよ。で、それ、プライス判事に見せたんだけどさ、 アラシア、オイラとルシールを泥棒扱いしてさ、そんで、自分のものだって言って、取ってちゃったんだよ」
ドクター・ワイルド「ほぉほぉ」
マティ「レオポルドのオッサン、さっきのショッキングなお話を喋らないね……」
プライス判事「そりゃ当然だろ、マティ坊主よ(引きつり笑い)。レオポルド殿には、アヤシイ事情が多過ぎるしな……おじさんだって、 ダレット夫人とダレット嬢が今、暴れたら困るぞ」

   ルシール、丁重にお茶を給仕。
   アラシア、ルシールの姿を眺め、あからさまに軽蔑の笑み。
   聞こえよがしに、母親ダレット夫人に、

アラシア「所詮、下等階級よ。あれが身分相応なのよね!」
ダレット夫人「身のこなしは覚えときなさい。あれが正統派の貴婦人の所作なの。本物のレディ教育を受けてるわ、あの女」
アラシア「なによ、ママ。最近、変よ」

   アラシア、むくれながらも上品にお茶を一服。
   ダレット夫人、アラシアの所作を観察。
   次に横目でチラリとルシールの所作を観察。

   ルシール、にこやかな様子。
   カーティス夫妻とウォード夫妻への応対も完璧。
   ダレット夫人、眉根をきつく寄せ、不機嫌な顔。

ダレット夫人「(小声の呟き)……何処で教育が足りなかったのかしら。わたくしとしたことが」

   ウォード夫妻、下座の席に改めて落ち着き、

ウォード夫人「聞きたい事があるんだけど……」
ルシール「なんでしょう?」
マティ「んん?(ピョンピョン飛び跳ね、ルシール近くに陣取る)」

   レオポルド、落ち着かない様子で目を吊り上げる。

レオポルド「我々にも聞こえるように喋りたまえ!」

   事情を知らないアラシア、一気に不機嫌な顔になる。
   アラシア、目を吊り上げ、ルシールを睨み付ける。

   ウォード夫妻とルシール、恐る恐る、

ウォード夫人「あなたは、何故アイリスの恋人の頭文字を知っているの?」
ルシール「あ、それは、母の……」
マティ「あ、ねぇ、ルシール(袖を引く)」
ルシール「?」 マティ「(耳打ち)今、アラシアが物凄い目で睨んでるんだ。今はブローチ出さない方が絶対に良いって。レナード・カフスを拾って来た時だって、物凄かったじゃん」 ルシール「……(戸惑って口ごもり)」

   ルシール、少しの間、目を泳がせる。

ルシール「あの、今は、そのブローチは無いんですが……あの先日の舞踏会の時、髪飾りにしていた……」
ウォード夫人「あ……あのアメジスト細工のバラの花ね」
アラシア「あらまあ! アメジストだなんて! オモチャの石じゃ無い。ダイヤとか、 ルビーじゃ無いとねえ……エメラルドも持ち合わせて無いのかしら! お可哀想にね、舞踏会じゃボロも同然の黒服だっだし、 ホントにみっともなかったわね、オホホホッ!」

   ダレット夫妻、うんうんと頷いて同意の態度。
   ライナス氏、青ざめて、ドン引き。
   ジリジリと距離を取り始める。

マティ「(口を覆って呟き)フッ……予想通り、だから底の浅いヤツは……」

   ルシール、深呼吸して気を取り直す。

ルシール「そのブローチに、贈り主の刻印が刻まれていたので……それが『L』です。それに、『F&F』の刻印があります」
ウォード夫人「F&F……?」
ウォード氏「……あッ、昔の『F&F』かな」
ウォード夫人「もしかして」

   ウォード夫人、胸元のブローチに手をやる。
   白いヒナギクのブローチを外し、裏側をルシールに示す。

ウォード夫人「このブローチは、『F&F』の品なの……こう言うロゴ?」
ルシール「(目をパチクリ、頷き)それですわ」

   マティ、身を乗り出し、ブローチを観察。

マティ「古そうな文字だね。凝ったデザインなのに、こんな狭い場所に精密に刻むなんて、すげー腕前じゃん」

   ダレット夫人、不意にピンときた顔になる。
   横目で、ギロリとレオポルドを睨む。

ダレット夫人「あなたって……昔は浮気相手に、下らないゴミの宝石とか買って与えてたわよね。頭文字Lの正体……なかなか興味深いじゃありませんの」
レオポルド「……!(青ざめ、高速でブルブル首を振って否定)」

   ライナス氏、いっそう距離を取る。
   ついに下座に控えているキアランの隣まで下がる。
   プライス判事とドクター・ワイルド、同感と憐れみの眼差し。

アラシア「ホホホ、聞いたこと無いお店だわねッ! F&Fなんて、最近の話題のJ&J商会の真似じゃ無い。ヤクザが出入りするような場末の下品な店のクセに、 著作権侵害で、そのうち訴えられるわよ!」

   カーティス氏、青ざめながらも愛想笑い。
   カーティス夫人、首を傾げつつ、

カーティス夫人「私も聞いたこと無いのよねえ」
ウォード氏「新しい人は知らなくて当然ですよ。その『F&F』と言うのは、『フィン&フィオナ』のロゴだったんです。 テンプルトンの老舗の宝飾店でしたが、今は合併して改名していて、『ロイヤル・ストーン』系列なんですから」
カーティス夫人「高級商店街の、あのお店が? まあ驚いた! あの宝飾細工は手が掛かってるわ、特注の品の筈よ」
ウォード氏「かつての『F&F』の時代の頃から、宝飾細工では高く評価されていますね。 新年の社交シーズンの頃でしたか、レナード様のカフスのダイヤモンド宝飾の件、大変な話題でした」 ドクター・ワイルド「フィン&フィオナか……腕の良い職人が揃っている老舗じゃった。昔の抗争の影響で、倒産しかねない程、困っていたとか」
マティ「へー、なんか、海賊の宝物って感じだね。幻のアンティークとか(目をキラキラ)」

   キアラン、腕組みをして思案ポーズ。
   ルシールの方を注意深く眺める。

   ルシール、キアランの視線に気づき、チラリと振り返る。
   戸惑い顔になって、そそくさと顔を伏せる。
   ルシール、次第に、重ね合わせていた両手を固く握りしめる。

ルシール:心の声(母の過去に何があったのか、それだけは知りたい。父が誰なのかは、あまり知りたいとは思っていなかったけれど。 でも、ローズ・パークをちゃんと相続して、本当に先に進むためには、知らなければいけないのかも知れない……)

   アラシア、ますます不機嫌。
   凄まじい敵意を込めた視線をルシールに向ける。

   ルシールとマティ、不穏な視線に気づく。
   アラシアの方をコッソリと窺う。
   ルシールとマティ、ギョッとする。

○クロフォード伯爵邸、大広間(昼)

   ウォード夫妻、気遣うようにルシールを見つめる。

ウォード夫人「あの、大丈夫? 微妙な内容だという事は分かってはいたけれど」
ルシール「いえ、話してくださって有難うございます。今後の事を含めて、いろいろ考えることが出て来ましたので……」
ウォード氏「今のところ、これ位だけど、聞きたい事があれば、いつでも」

   ルシール、微笑んで感謝の一礼。

   カーティス夫人、終了を察して立ち上がる。
   ウキウキした様子でルシールに接近。

カーティス夫人「そう言えば、ライト嬢! ちょっとしたお誘いの話があるんだわ! グリーヴ夫妻がローズ・パークの夕食会の計画を立てていて、 ライト嬢も招待しようと話しているの。ウォード夫妻とも、またゆっくり話せるかと……」

   ダレット夫人の扇の音、ピシッと響く。
   大広間に緊張が走る。
   ライナス氏、ビクビクし始める。
   ドクター・ワイルドとプライス判事の口元、引きつる。

   ダレット夫人、ギラギラとした目付き。
   カーティス夫人を目線で圧倒する。
   カーティス夫人、殺気を感じて笑みが引きつる。

ダレット夫人「ローズ・パークも落ちぶれた物だわね。道端をうろつく庶民を、夕食会に招待する場所になるとはねえ」
カーティス夫人「まあ、オホホ、そんな事ございませんわ。オーナー協会の内輪の夕食会になりますから」

   ダレット夫人、扇の上から、殺気の目線。
   なおかつ上品な嫌味を込め、傲然とした笑み。

ダレット夫人「ダレット家が本来のオーナーよ、お忘れかしら、カーティス夫人? オーナー協会の地位は所詮、 召使いや使用人の地位を越える物では無いわ。真のオーナーの帰還の拒否は、不可能って分かってるわね?」

   カーティス夫妻、揃って青ざめながらも、

カーティス夫人「ダ、ダレット一家のおいでを頂くのは、常に身に余る光栄でございますわッ!」

   ドクター・ワイルド、プライス判事、ジリジリと後退。

マティ「そんなの、ありかよ」
プライス判事「法的解釈では、実際に、えらく揉めているんだ」

   大広間の控えの間で、召使たちが合図。
   ダレット一家の癇癪の気配を察知。
   緊急出動に備えて、次々に盾を構えている。

   大広間の端々まで凄まじい緊張が張り詰める。
   カーティス夫人、愛想笑いを張り付けながらも、

カーティス夫人「話が決まりましたら、招待状をお送りします……ご一緒できる夜を楽しみにしております」
ダレット夫人「まあ、本当に感心な事ね、オホホ。何と言っても、ローズ・パークですからね! 相応の格式たる物だと、期待してよろしいわね?」

   ダレット夫人、扇を構え、優雅に高笑い。
   カーティス夫人、満面に阿諛追従の笑み。

カーティス夫人「それは勿論でございますわ、姪のシャイナも出席の予定で」
ダレット夫人「私の娘も、明日やっと20歳なのよ……少し早いけれど、シャイナ嬢と同じ大人の淑女として社交界活動しても良い頃合なのよね。 こちらも色々と準備しなくてはいけなくて……」

   ダレット夫人、意味深な様子でチラッと視線を動かす。
   カーティス夫人、即座にピンときた顔になり、

カーティス夫人「まあ! 是非お喜びを申し上げなければ! 取って置きのお祝いを用意いたしますわね、お嬢様!」
アラシア「まあ素敵! 何かしら、とても楽しみ!」

   ドクター・ワイルド、感心の顔つき。

ドクター・ワイルド「カーティス夫人の、あのボケをかます手腕は大した物じゃ。煮ても焼いても食えぬ、政治家の才能がある」
プライス判事「オバハンには、オバハンか……」

   プライス判事、大量の冷や汗。
   大広間の控えの間、召使たちのホッとしたような雰囲気。

マティ「すげえ横車、ごり押し……」

   ウォード夫人、困惑の笑み。

ウォード夫人「夕食会に来てくれますね? 話したい事が色々ありますから……」
ウォード氏「ダレット一家は、カーティス夫妻とシャイナ嬢に任せれば大丈夫」
ルシール「はあ……」

■第六章-07話:一触即発

《人物表》

・ルシール・ライト(25、女主人公)…濃茶色の髪、一見して茶色の目。
・マティ・トッド(9)…イタズラ少年。
・キアラン・ダグラス(27)…公称「リドゲート卿」。
・レオポルド(55)…金髪碧眼。ダレット準男爵。
・ダレット夫人(50)…金髪碧眼。カミラ・ダレット準男爵夫人。
・アラシア(19)…金髪碧眼。ダレット準男爵令嬢。
・ライナス氏(28)…ダレット家の縁戚の赤毛青年。
・プライス判事(54)…クロフォード伯爵領の首席判事。
・ドクター・ワイルド(76)…クロフォード伯爵の主治医。
・ウォード夫妻(54、50)…ローズ・パークのオーナー協会員。庭園管理担当。
・カーティス夫妻(55、51)…ローズ・パークのオーナー代表。二代目。
・弁護士カーター氏(57)…クロフォード伯爵家の顧問の弁護士。
・執事(60)…クロフォード伯爵邸の使用人

○クロフォード伯爵邸、大広間(夕)

   大広間に並ぶ大窓から差し込む夕陽。
   (午後の後半)

   執事、大広間ドアを開ける。
   弁護士カーター氏(57)、入室。

カーター氏「皆さん、おいでのところ、失礼いたします」
プライス判事「おッ……カーター氏、やっと上の用件が終わったんだな」
カーター氏「お蔭様で」

   カーター氏、素早くキアランに近づく。

カーター氏「遅くなりました、リドゲート卿……(耳打ち)」

   マティ、気付く。
   カーター氏とキアランの密談を眺め、首を傾げる。
   密談、終了。

   キアラン、ドクター・ワイルドを振り返る。
   ドクター・ワイルド、「おや?」という顔。

キアラン「ドクター・ワイルド、再確認ですが、父は階段昇降は、もう問題は無い状態なんですね?」
ドクター・ワイルド「うむ? ああ、勿論じゃ。多少の注意は必要じゃが……」

   キアランとカーター氏、素早く意味深な視線を交わす。

   上座、ダレット夫妻、カーティス夫妻、ライナス氏が談笑中。
   自慢話と阿諛追従とゴマすりの応酬。
   キアラン、接近し、

キアラン「申し訳ありませんが、カーティス夫人。この度、ダレット一家は、クロフォード伯爵が催す明日のディナーに出席して頂く予定になりました。 ローズ・パークの夕食会の日取りは、当分、延期して頂きたいのですが」
カーティス夫人「まぁまぁ、当方、了解でございますわ、リドゲート卿」
ダレット夫人「無礼な……まぁ、伯爵邸のディナーなら……」

   ダレット夫人、ムッとした顔。
   レオポルド、疑わしそうに顔をしかめる。

レオポルド「改めてディナー招待とは、珍しい風の吹き回しだ」
キアラン「父が、階段昇降可能な程度まで回復しています。明日のディナーは、レナードにも出席して頂きます……出入り禁止は一旦、解除と言う事で」
レオポルド「フン? やっと、リチャードも、異常な状況を正す気になった……と言う訳か」

   キアラン、身を返し、ライナスに声かけ、

キアラン「ちょうどトッド夫妻も帰国する……トッド夫妻と、ライナス氏も招待します」
ライナス氏「有り難き幸せ。喜んで出席いたします(滑らかな一礼)」
キアラン「父の回復祝いという事で……プライス判事とドクター・ワイルドも来て頂けますか」
ドクター・ワイルド「そりゃ、勿論じゃが……」
プライス判事「回復祝いと言うが、何かあるんだな?」

   ダレット夫人、ピクリと片眉を上げる。
   レオポルド、ゲストとなる面々をザッと確認。
   ピンときた顔になる。

レオポルド「アラシアとの婚約を公式に発表、という訳か」
ダレット夫人「あら……」
カーティス夫人「回復祝いの、当主ご臨席の正式なディナー、何て、めでたい事でしょう!」
カーティス氏「さすが高貴なるダレット一家、テンプルトンの町でも、このディナー、大変な話題になりますでしょう」

   カーティス夫妻、阿諛追従の笑顔を張り付け、称賛。
   ダレット夫人、片頬に優雅に手をやりつつ、

「わたくしには何でも無いわね、クロフォード伯爵家の大奥方ともなれば……アラ、これは秘密ね、ウフフ」

   ウォード夫妻、驚いたように顔を見合わせる。
   それぞれ、肩をすくめる。

ウォード夫人「どうやら、このたびは難しいようですわね。また次の機会に」
ルシール「その折は、よろしくお願いいたします」
ウォード氏「そろそろ我々も、カーティス夫妻にならってリップサービスを。ローズ・パークのオーナー協会メンバーとしての任務だね」

   ウォード氏、イタズラっぽくウインク。
   ルシール、苦笑して頷く。
   ルシール、茶器を整理しつつ、マティに微笑みかける。

ルシール「伯爵様が回復ですって、良かったわね。パパとママが海外出張から戻るって話も。そう言えば、ご兄弟は?」
マティ「姉・兄・兄だけど、一番上の姉御は女学校行ってて、二人の兄は寄宿学校さ。オイラは、まだ……家庭教師は、じいじなんだ」

   キアラン、おもむろにルシールを振り向いて来る。
   ルシール、コテンと首を傾げる。

キアラン「マティとルシールも招待されていますから」
マティ「ルシールもなんだ」

   マティ、ルシールを見上げる。

マティ「伯爵の回復祝いと言う名目だと、公式の集まり……シルクのドレス、持ってたっけ?」
ルシール「……(引きつった笑み)、明日の夕方までに、何とかしないといけないわね……」

   ルシール、頭を抱える。

○クロフォード伯爵邸、正面玄関前(夕)

   マティとルシール、執事と共にお見送り。
   カーティス夫妻、ウォード夫妻、馬車で退去。
   続いてカーター氏、ドクター・ワイルド、プライス判事、退去。

○クロフォード伯爵邸、大広間(夕)

   来客のお見送り終了。
   マティとルシール、今夜の夕食のため大広間で待機。

   マティ、自慢の図画工作をルシールに見せびらかす。

マティ「見て見て。スゴイだろ。このバネ、工場でも使われてる最新技術のヤツなんだ」
ルシール「海賊の宝箱から、バネ仕掛けの『謎の手』……? 何に使うの?」
マティ「それは、後のお楽しみさッ」
ルシール「そ、そう?(ちょっとハラハラ)」

   アラシア、派手なドレスで身支度を済ませ、入室。
   先に入室していたマティとルシールを見て、あからさまに舌打ち。
   談笑している様子をしきりにチラチラと睨む。

アラシア「(聞こえよがしの大声)伯爵様はお怪我をされて、判断も完全にお間違いになってるだけなのよねッ!」

   ルシール、振り向く。
   アラシア、華麗にプイと顔を背けて見せる。

アラシア「あんたは招待もされてない筈だわ、サッサと引っ込め! はしたない茶ネズミ女、今朝の馬車で死んでいれば良かったのよ!」
ルシール「今朝の馬車?」
マティ「うげ……(真っ青)」
アラシア「父親も分からない女が、どの面さげてディナーに出席するっていうの、空気も穢れるってのに……! ホーラ、口紅、失敗したじゃ無い! もう! あんたのせいでよッ!」

   アラシア、手に持っていた手鏡をブン投げる。
   ルシール、直感と反射神経で、パシッと受け止める。
   アラシア一瞬、「え?」という顔。
   マティ、結構ビックリして感心。

   ルシール、困惑しながらも手鏡をテーブルに安置。

   執事、大広間ドアを開く。
   キアラン、ライナス氏と共に大広間に入室。
   ルシール、丁重に一礼し、

ルシール「申し訳ございませんが、今宵のディナーも欠席させて頂きたく……」
キアラン「……」
ライナス氏「え?」
アラシア「どうしましょう! あたくしが居るのが、そんなにお嫌なのかしら!」

   アラシア、被害者ぶった口調で叫ぶ。
   あっという間に目に涙を溜め、はかなげに身を震わせる。

   ルシール、アラシアに対して、所定の仕草で首を傾けて見せる。
   『貴婦人の無言のサイン』。

   キアランとライナス、サインを読み取り、理解。
   アラシア、ルシールのサインに気付かず。
   アラシアは、いっそう悲劇的な表情になって、大粒の涙。

   マティ、白けた表情。
   ダレット夫妻、入室。

   ダレット夫妻、ルシールとアラシアを交互に見る。
   ダレット夫妻、怒髪天の気配で、ずかずかと歩み寄る。

   ドア傍の執事、目を見張る。
   ライナス氏、真っ青になり、素早く避難。
   マティ、口を引きつらせる。

   ルシール、心臓部の前で手を組み、歯を食いしばる。
   (予期せぬ攻撃に備えての受け身の用意)

   レオポルド、手を振り上げかけたところで、

キアラン「では、速やかに退去を」

   キアラン、既に間に割って入っている。
   レオポルド、目をテンにして、動きを止める。
   キアラン、ルシールの手首を素早くつかみ、連れ出す。
   (不法侵入者を速やかに摘まみ出すやり方)

   ダレット夫妻、手を振り上げた格好のまま、ポカン。
   アラシア、ハッと息を呑み、両手で淑やかに口を押さえる。
   (※一方で、目元には痛快な笑みが浮かぶ)

   キアランとルシール、大広間ドアを通過。
   執事、ダレット夫妻に慇懃に一礼し、ドアをサッと閉める。

   アラシア、大広間ドアが閉じる最後の一瞬、ギョッとする。
   キアラン、ルシールの手を取り、手の甲に素早く口づけ。

   アラシア、手で覆い隠したままの口を悔しさに歪ませる。
   ライナス氏、アラシアの機嫌を素早く察知、避難済み。
   マティとライナス氏、冷や汗しつつ、お互いに目配せ。

   アラシア、両手をコブシにしてプルプル。
   マティとライナス氏、背後の物陰で、こっそりと敵情視察。

アラシア「何で、あんな下賤な茶ネズミ商売女が、敬意と忠誠を贈られて、レディ扱いなのよ……! あの石頭ったら、 守護する相手まで間違っちゃって! テンプルトンで判明した、クソ女の秘密をバラしてやれば良いんだわ……!」

   マティとライナス氏、お互いに目配せ。

■第六章-08話:アラシア嬢、真夜中を駆け抜ける!

《人物表》

・マティ・トッド(9)…イタズラ少年。
・キアラン・ダグラス(27)…公称「リドゲート卿」。
・レオポルド(55)…金髪碧眼。ダレット準男爵。
・ダレット夫人(50)…金髪碧眼。カミラ・ダレット準男爵夫人。
・アラシア(19)…金髪碧眼。ダレット準男爵令嬢。
・ライナス氏(28)…ダレット家の縁戚の赤毛青年。
・執事(60)…クロフォード伯爵邸の使用人。
・召使…10名ほど。クロフォード伯爵邸の使用人。

○クロフォード伯爵邸、大食堂(夜)

   長方形の食卓。
   一方の側、レオポルド、アラシア、ダレット夫人。
   他方の側、キアラン、マティ、ライナス氏。

   アラシア、唯一の若い女性(特等の者)として、丁重にもてなされる。
   結構、上機嫌。

   アラシア、とっておきの秘密を漏らすような調子で、

アラシア「テンプルトンじゃ大した噂だったわ! あの女、チビでデブでハゲのギャング=タイターと、ご親戚ですってよ! ギャングの親戚がクロフォード伯爵家に出入りするなんてね!」

   レオポルド、パッと顔を輝かせる。

レオポルド「そうか。それなら、今夜のうちにでも国外追放しなければな。いや、国外追放じゃ生ぬるい。あの商売女、女衒か奴隷市場にでも売り払えば、金になるだけマシと言うものだ」
アラシア「何でも邪悪な魔女の手下だとかで、恐ろしい禁術の儀式とか、お手の物だそうよ。復活祭の頃にも、ズタズタになったネズミの死体を使って、 何か凄まじい血みどろの儀式してたって噂だわ! アシュコート社交界じゃロックウェル事件が連日のニュースだったけど、 あのバラバラ死体の正体も、案外、ルシールの邪悪な儀式の犠牲者だった方かも知れなくてよ」
ダレット夫人「情報通はいいけど、『テンプルトンの集会』は、アラシアにはまだ早いものもあるんですからね」
アラシア「まぁ、お母様! 今は時代が違うわ! 私の友人など、もう色々と顔が広くって。少し前に、ロックウェル城の仮面舞踏会に招かれたって自慢してたわ。ほら、 あのロックウェル公爵よ! あの神秘のゴールドベリ一族とも、ゆかりがあるとか。私も頑張らないと負けちゃうわ」

   給仕の召使、強張った顔のまま、ギクシャクと給仕。
   異様な雰囲気のディナー。

ダレット夫人「彼女の『正式な客人』としての立場は、あくまでも、クロフォード伯爵の『破格な好意』によって与えられた物でしか無いのよねえ。 この犯罪のあれこれが、テンプルトンだけでなく、首都へも広まったら。伯爵、この事態をどうしてくれるのかしらねぇ」
アラシア「他にもすごい話があるのよ、お母様。あの女の母親、とんでもない恥をさらして蒸発したって、 たいしたゴシップだったわ。婚約者を裏切って、のうのうと不倫してたんですって。ま、金髪美人だったって話だったし、 その辺の哀れな男を釣るのは、たやすい物だったんでしょうね」

   ライナス氏、ドン引き。無言でもくもくと食事。
   マティも、不思議なくらい無言で食事。

アラシア「ルシールの祖父アントン、あの下賤なヤミ商売人・ビリントン家の、一番の恥さらしだったそうなのよ! アントンの奥さんも美人なだけの浮気女で、 不埒にも、他の男と不倫して駆け落ちしてたんですって! アイリスも、 妻子のある貴族と不倫して、その末に逃げ出して……ホント破廉恥な女ね。流石、あの卑しい商売女の祖母と母親だわね!」
ダレット夫人「そんな破廉恥な女と、仲良くはしていないでしょうね、あなた(ギロリ)」
レオポルド「とんでもない! 私は最初から分かってたんだ! あの商売女は犯罪者の一族だとな!」
アラシア「そうそう、或る確かな筋によれば、ルシールの父親の正体も、本当は貴族どころか、身分詐称の卑しい犯罪者なんですって! よりによって、 監獄から脱走していた腐れ外道なんですってよ。血は争えぬって事ね。ルシールったら、ギャングたちと、破廉恥なハーレムやってるし。二股どころか百股かも知れなくてよ」
レオポルド「まともな紳士は、あんな下賤な商売女は相手にせぬものだ!」
アラシア「結局は、正義と正統が勝利した訳よね!」

   ダレット一家、高笑い。

ライナス氏「(ボソボソ)同じ情報でも、これ程に意味合いが変わって来るものなのか……」

   ライナス氏、隣のマティを、恐る恐る振り返る。
   マティ、不思議な程に沈黙。

ライナス氏「今日は静かだね、マティ君」
マティ「たまにはね」

   マティ、カップのスープを不味そうにゴクリ。

マティ「明日の、リチャード伯父さんご臨席のディナーに招待されて、得意満面じゃねーかよ」
ライナス氏「……うん、まぁ、将来の……大事な話も出るだろうからね」

   キアラン、先に食事を済ませ、立ち上がる。

キアラン「ダレット嬢……ディナーが済んだら執務室に来て下さい。内密の話があります」
アラシア「内密の話……?(可愛らしく首を傾げる)」

   キアラン、食堂を退去。
   マティとライナス氏、不思議な顔になって見送る。

X X X

アラシア「内密の話ですって。あらッ、まあ……何か照れるわ」

   アラシア、淑やかな様子で頬に手を当てる。

レオポルド「これは求婚されるな! 明日のディナーで婚約成立の公表も、きっとあるだろう!」

ダレット夫人「リッチ公爵家にも、都の王族親戚にも報告しなくてはね……都の社交シーズンでは、婚約のお披露目とかで色々忙しくなるわよ」

   マティ、デザートを食しつつ、フンッと鼻を鳴らす。
   やがてマティ、夕食を終わらせる。

   ライナス氏、マティの一時的な保護者として付き添う。
   マティ、物陰に潜り込み、コッソリと隠していた包みを取り出す。
   マティ、大いに下心のある不穏な笑みを浮かべ、

マティ「フンッ、細工は上々……悪魔も裸足で逃げ出す最新の大発明……スペクタクル超大作だぜ」
ライナス氏「なッ……何を作ったんだ……新手の蛇のオモチャ!?」

   マティ、ライナス氏に、意味深な視線を投げる。

マティ「今宵が明けてからの、お楽しみさ……」

   マティ、ただならぬ迫力を見せて立ち去る。
   ライナス氏、身体を震わせつつ見送る。

ライナス氏:心の声(このクソガキ、ハードボイルドの才能ありだぜ……)

○クロフォード伯爵邸、執務室(夜)

   執事、執務室ドアを開ける。
   アラシア、可憐な様子で執務室に入室。
   執事、執務室から出たが、ドア薄く開けたまま待機。
   (貴族特有のルール。未婚の淑女の名誉のため)

   キアラン、アラシアの入室を確認するなり、

キアラン「――これは、今朝の殺人未遂の企てに関する報告書です」

   アラシア、ハッとして、突き付けられた書類を見つめる。

アラシア「な、何よ、これ。レナード兄さまの時の書類と同じ……犯罪捜査の記録用の表紙じゃないの」
キアラン「告発者は、主たる被害者ルシール・ライト嬢となります。あなたが今朝の馬車に何を工作したか、記録してある。正式な客人の命のみならず、 クロフォード伯爵家の顧問弁護士や使用人の命をも巻き添えにしようとした『未必の故意』と解釈され、クロフォード伯爵家は、この事態を重く見る事になります。この意味は、理解できますね」

   アラシア、鼻で笑い飛ばす。

アラシア「冗談よ。ちょっとした、親しみを込めたユーモアってだけよ! あの女の犯罪に比べれば、ちょっとしたイタズラ、いえ、偶発事故に過ぎないじゃない!」

   キアラン、眼差しを険しくする。
   アラシア、一瞬は怯むが、再び鼻で笑う。

アラシア「こんな物で、あたくしを脅せると思ってるの? おあいにく様ね! お父様とお母様は、バラされても信じないわよ……! そう、 これ程に卑劣な濡れ衣なんかね! この大事な時に!」

   キアラン、腕組み。

キアラン「話の筋が通っていません」
アラシア「……じゃ無くて、あれは、あたくしじゃ無い……あの、悪魔のガキに、クソ女が……そ、そう、ライナスに脅迫されたのよ! だから、仕方無く――」
キアラン「だから?」
アラシア「このあたくしに対する陰謀よ! あたくし、伯爵夫人になるのよ! だから……!」

   キアラン、ムッツリとアラシアを一瞥。

キアラン「――お似合いですよ、その髪型は」

   アラシア、目を吊り上げる。

キアラン「大人としての責任を問うても良いと言う証だ。ダレット嬢は明日、20歳になる。未来の伯爵夫人ともなるレディならば、一人の貴婦人として、責任を負える能力もあるでしょう」
アラシア「責任ですって? 『責任』だの何だのは、卑しい平民どもにこそ課せられる物であって、生まれながらの貴族であり貴婦人であるあたくしには、全く関係が無いわ!」

   アラシア、腰に手を当てて、傲然と胸を反らす。
   上から目線でビシッと指を突き付け、

アラシア「キアランは、あの茶ネズミに、たぶらかされているんだわ! あのアバズレの嘘八百を信じるなんて、狂ってる……! あたくしが、キアランを正気に戻してやるわよッ!」
キアラン「正気に戻す?」
アラシア「知ってるのよ! 宮廷に連なる上流社会の親族たちは、伯爵家の宗家筋の直系の筋たるあたくしとの結婚じゃ無いと絶対、 納得しない! キアランの立場は、あたくし次第だわ! あたくしを失えば、あんたは破滅よ! 伯爵の評判も、地獄に落ちる……! 分かってる筈よ!」

   キアランの目元、ピクリと緊張する。

アラシア「あの、お下劣極まるアバズレ女の口車に乗ったばかりにね! 明日になればキアランは、泣いて土下座して、 あたくしの許しの手を求めてるわ! そうしたとしても、タダじゃ許さないから、覚えててよ!」

   アラシア、乱暴に執務室のドアを開けて飛び出す。
   執事、ドアが壁にぶつかる直前で押さえ、静寂を保つ。
   アラシアの捨て台詞、響いて来る。

アラシア「あたくしが居ない間に、あの悪魔よりも悪辣なクソ女が、いろんなデタラメを吹聴してたんだわ! よくも高貴な血統を辱めてくれたわね! 絶対に、 許さない! 今に見てなさい! 明日には形勢逆転しているんだから……!」

X X X

○クロフォード伯爵邸、ライナス氏の部屋(深夜)

   アラシア、ライナス氏の部屋に侵入。
   ベッドで寝入っているライナス氏を叩き起こす。

アラシア「ライナス! 今すぐ全部、荷造りして出発よ!」
ライナス氏「こんな夜中に?」

   ライナス氏、寝ぼけ眼でボンヤリ。

アラシア「夜中だからこそ、決定的に重要なの!」
ライナス氏「うう……キンキン響く……」
アラシア「何か言った!?」
ライナス氏「い、いや……」

   ライナス氏、頭痛を抑えるように頭に手を当てる。
   アラシア、怒髪天でベッドに飛び乗る。
   ライナス氏をベッドから蹴り落とす。

ライナス氏「うあ!」
アラシア「今すぐ、あたくしの荷物をまとめなさい! クローゼットのドレスは、全部よ!」

   ライナス氏、首を振り振り、作業スタート。
   今まで作業担当だったので手慣れた様子。
   ライナス氏、アラシアから少し離れた所で、ブツブツ。

ライナス氏「(呟き)リドゲート卿、ダレット嬢と結婚したら苦労するんだろうな。毎日、ベッドの中でも、あのキンキン声を聞かされる事になる訳で……」

   ライナス氏、ブルッと身体を震わせ、もくもくと作業。
   アラシア、ソファでくつろぎつつ、キンキン声で叫ぶ。

アラシア「グズグズするんじゃ無いわよ、このクズ男が! 早くしないと今すぐパパに言い付けるわよ。 大事な婚約前の高貴なレディを傷物にしたって! あ、そこの有り金、全部もらうわよ! 目に付く限りの金銀宝石もね!」

   ライナス氏、ゲッソリしながらも作業続行。

ライナス氏「その有り金、私の金なんだけどなぁ」

X X X

○クロフォード伯爵邸、裏の回廊(深夜)

   アラシアとライナス氏、こっそりと裏の回廊を進む。
   ライナス氏、大量の荷物を引きずりつつ、

ライナス氏「夜中に裏口から黙って出るなんて、大騒ぎになるに違いないのに」
アラシア「それが目的に決まってるわよ、この脳タリン!」

○クロフォード伯爵邸、車庫の前(深夜)

   アラシア、車庫をビシッと指差し、

アラシア「さあ! 早く馬車を出して走らせて!」
ライナス氏「人手も無しじゃ大変なんだよ、御者や馬丁を呼んで来なくちゃ……」

   アラシア、目を更に吊り上げる。

アラシア「あたくしの事を聞けないなら、パパに言って、鞭打ち百回よ!」

   ライナス氏、もくもくと作業。
   意外にスムーズに準備が済む。
   クロフォードの快速馬車、伯爵邸の裏口からひっそりと出発。

○クロフォード伯爵領、街道(深夜)

   夜の冷え込みが続く。
   街道を走り続ける快速馬車。御者はライナス氏。

ライナス氏「全く畜生だよ、あの報酬の話は一体、どうなっているってんだよ。何だってまた、こんな夜中に、急にコソコソ抜け出す事になったんだ……?」

   ライナス氏、ピンときた顔になる。

ライナス氏「ウォード夫人の、あの爆弾発言は絶対に荒れる。悪魔も裸足で逃げ出す程の、 かの『モンスター夫人(オバハン)』と『モンスター令嬢(アバズレ)』の耳に入ったら……地獄になる前に、 早めに逃げた方が良い気がする……」

   ライナス氏、馬車の行き先を、アシュコート伯爵領に切り替え。

ライナス氏「馬車の行き先については何も言ってなかったからな。アシュコート伯爵領なら急げば丸一日だし、 頑張ればレイバントンの町にも着くし……まだアシュコート伯爵が滞在していらっしゃるから、地元社交のピークも続いてる筈」

   ライナス氏、外套を慎重に巻き付ける。

ライナス氏「レイバントンの町に着いたら、何とか逃げ出すんだ。モンスター令嬢(アバズレ)も楽しむ事で頭が一杯になって、 男一匹、不意に居なくなっても気にしない筈さ……」

   更けてゆく夜。スピードを上げる快速馬車。

■第六章-09話:歳月の足跡をたどれば

《人物表》

・ルシール・ライト(25、女主人公)…濃茶色の髪、一見して茶色の目。
・キアラン・ダグラス(27、男主人公)公称「リドゲート卿」。
・マティ・トッド(9)…イタズラ少年。
・クレイグ牧師(72)…マティの祖父。
・ベル夫人(62)…クロフォード伯爵邸の家政婦長。
・執事(60)…クロフォード伯爵邸の執事。
・メイド…5名ほど。クロフォード伯爵邸の使用人。
・馬丁、御者…各2名ほど。クロフォード伯爵邸の使用人。

○クロフォード伯爵邸、大広間(朝)

   爽やかな朝の光、大広間の窓から差し込む。
   マティ、不機嫌な顔をしながら、物陰をコソコソ。
   コソ泥さながらに、覆面代わりのスカーフを巻いている。

   クレイグ牧師、モゴモゴしているカーテンに向かって、

クレイグ牧師「何をいつまでむくれているんだ、マティ坊主よ」
マティ「アラシアが来ないんだ、手ぐすねで待ち構えてるってのに」

   マティ、ヒョッコリと顔を出して来る。
   執事、「おッ」とビックリし、タジタジ。
   クレイグ牧師、思いっきり顔をしかめて見せる。

クレイグ牧師「またイタズラか? アラシア嬢の機嫌を損ねると大爆発だ……やめときなさい、 あの『癇癪令嬢』の件は、リチャード伯父さんが最高責任者たるクロフォード伯爵として、キチンと対応される事になっとるんだぞ」
マティ「もう、ガチの悪魔祓いの儀式じゃないといけないんだよ」

   マティ、むくれる。
   クレイグ牧師、渋面。ふと大広間を見回す。
   若いメイドたち、執事を囲み、ささやき合っている。

メイド1「ええ、それが、もうビックリするような大仕掛けで」
メイド2「悪魔も裸足で逃げ出す程の、スペクタクル超大作」
メイド3「あの大蛇のオモチャの魔改造バージョンっていうか」
メイド4「取り巻きの細工も、見事に手が込んでて」
執事「どうしましょうかね……(苦笑)」
メイド5「お化け屋敷オツというか、なんというか」

   クレイグ牧師、真剣な顔で立ち上がる。
   マティを急かす。

クレイグ牧師「よっぽど、とんでもない代物なんだろう。イタズラの仕掛けは、全部回収するんだ。しようの無い子だね……全く」
マティ「ちぇー」

   マティ、盛大な不満顔で、仕掛けを手繰り寄せる。
   物陰から、彩り豊かな化け物のオモチャが次々に現れる。
   どれもこれも相当の傑作にして芸術品。

   幾つかの小物の行列の最後、ギラギラの多頭の大蛇。
   大人の背を超える大物。怪奇幻想的モンスター風。
   素晴らしいまでの不気味さで、真に迫っている。

   クレイグ牧師、額に手を当て、ガックリと頭を垂れる。

クレイグ牧師「全く、私の孫は、いつも変な事に才能を無駄遣いしている……」

○クロフォード伯爵邸、ルシールの部屋(朝)

   ルシール、ベル夫人と対談。

ルシール「昨夜のディナーで、そんなことが……(ちょっと圧倒される)」
ベル夫人「名誉の問題の紛糾は後々まで響きますし、ダレット一家は、この点に関しては何故か優秀ですから」
ルシール「緊急で何とか対処しようと思います……」

   ベル夫人、部屋を退出。
   ルシール、鏡台の前で外出準備。

ルシール:心の声(何としてでも、母の形見のブローチの贈り主……ローリン氏を、見つけなければ。見つけて、きちんと話をしなければ……)

○クロフォード伯爵邸、大広間(朝)

   ルシール、玄関広間に出ようとして、ハッとする。

ルシール「外出する前に、クレイグ牧師様とマティに、挨拶しなきゃ」

   ルシール、大広間に入室するなり、ポカン。
   大広間いっぱいの魑魅魍魎の群れ。
   操り糸でシャカシャカと動く。

ルシール「お、お化け屋敷?」

   ルシール、ドキドキしつつ、魑魅魍魎の後を付いて行く。
   化け物の群れが消えて行く大広間の一角。
   渋々、イタズラの仕掛けを片付けているマティ。
   傍に、困惑顔のクレイグ牧師。

   ルシール、思わず吹き出し笑い。
   クレイグ牧師、ルシールに気付いて振り返る。
   頭に手をやって、苦笑。

ルシール「お早うございます、クレイグ牧師様」
クレイグ牧師「今日は外出ですか?」
ルシール「ええ、テンプルトンです。母のブローチを扱っていたお店が判明したので……それに、手持ちのディナードレスがありませんので、古着屋で手頃な物を探しませんと……」
クレイグ牧師「それは結構、動き回る事になりますね。大丈夫ですか?」

   マティ、目をきらめかせながら、

マティ「テンプルトンの商店街なら、オイラ、案内できるよ! テンプルトン生まれのテンプルトン育ちさ!」
ルシール「……(しげしげと眺め)、それでは……、マティをお借りしても良いですか?」
クレイグ牧師「勿論ですよ、お嬢さん」
マティ「いえぃ!」

   マティ、ピューッと姿を消し、やがて舞い戻って来る。
   既に帽子や上着を準備済み。
   クレイグ牧師、子供用のスカーフを整えてやりながらも、

クレイグ牧師「しっかり、お行儀良く、お供をして来るんだよ。退屈してイタズラを始めるのは、いかんぞ」
マティ「信用してよ、じいじッ!」

   クレイグ牧師、渋面になって頭を振り振り、

クレイグ牧師「お前の信用は、東洋の鼻紙よりも、もっと薄いんだ。復活祭の時、イタズラして空き家を一軒吹き飛ばしただろう、 マティ……プライス判事の温情ある判決に感謝しなさい。伯父さんも笑って許してくれたがな、本来は騒乱の罪に問われるんだぞ」

   ルシール、思わずポカン。

○クロフォード伯爵邸、車庫前(朝)

   マティとルシール、連れ立って、車庫へ向かう。
   マティは手荷物の中で、何やら手をゴソゴソ。

マティ「敵は、注文のドレスを取りに、また出るって言ってたな。テンプルトンなら、町角でチャーンス、なーんて事も♪」
ルシール「今日はご機嫌ね、マティ(訳が分からないながらも感心)」

   ルシール、心当たりある一角に目をやる。首を傾げる。

ルシール「子犬のパピィは、何処へ行ったのかしら?」
マティ「プライス判事が取調べ中なんだ」

   ルシール、目をパチクリ。
   先日の雷雨でまだ地面に凸凹あり、足元注意しつつ歩む。
   車庫の前に到着。

マティ「カフスボタンの片割れ、食ってたらしいんだって」
ルシール「取調べ? パピィの事、バレたって事なの?」

   車庫の前、既にキアランが御者や馬丁と共に居る。
   馬車と馬の装備をチェック中。
   キアラン、マティとルシールに気付いて振り返り、

キアラン「昨日、マティが白状しました。他にも、実に興味深い話を聞きましたよ」
マティ「ワッ(思わず飛び上がる)」
ルシール「キアラン様……あ……その、リドゲート卿」

   ルシール、戸惑って顔を伏せる。

キアラン「キアランで結構ですよ……今日の行き先は、テンプルトン?」
ルシール「……?(首をコテンと傾げる)」
キアラン「昨日、ブローチがテンプルトンの店の品だと判明しました。ルシールなら自分の足で確かめる筈だ。謎の父親の事が聞けるかも……と言う可能性もあるし」

   ルシール、目が泳ぐ(動揺)。
   やがてキアラン、馬丁や御者の方を振り向く。

キアラン「馬の装備は、問題ないか?」
馬丁「はい! これから馬車を出します」

   馬丁、若い御者と一緒に車庫の扉を開け始める。

ルシール「気のせいかも知れないけど、普通は装備の裏側まで目を通す必要は……」
マティ「昨日、大騒ぎだったから」
ルシール「……何があったの? そう言えば、ダレット嬢が馬車に付いて何か……」
マティ「実は、すげえ破壊工作……あッ」

   マティ、両手でパッと口を押さえる。
   ルシール、目をパチクリ。

マティ「プライス判事が良いと言うまで、喋れないんだ」
ルシール「そうなの?」

   車庫の前、御者と馬丁、慌てた顔になる。
   車庫に顔を突っ込んだ後、パッとキアランを振り返り、

御者「リドゲート卿! 快速馬車が、一台消えています!」
キアラン「何だと?」
馬丁「まさか、馬……!」

   馬丁、近くの厩舎に駆け付ける。

馬丁「――やられた! 隣の仕切りの、健脚の四頭が消えてる……!」
御者「馬車泥棒!? 一体、誰が……!」

   マティとルシール、ポカンとする。

マティ「アラシアじゃねーの。テンプルトン行くって、確か昨日、言ってた……」

   ルシール、館の方を振り返り、上の方のフロアを眺める。

ルシール「彼女が外出する時は、いつも大騒ぎでしょ……今日は、まだ部屋から出てないから……彼女の筈は無いわ」
マティ「また夜更かしで寝坊してんのかな。朝食にすら出てないし」

   キアラン、眉根を寄せて思案顔。
   やがて、溜息をついて首を振る。

キアラン「とりあえず馬車泥棒の件、判事に届けておいてくれ」
馬丁「へえ」

   御者、馬丁、青くなりながらも、馬車を準備。

御者「また泥棒が出るとも限らないし、リドゲート卿の馬を、車の後ろに」
馬丁「昨日に続いてコレだよ、全く……そろそろ交代制で寝ずの番を立てるべきじゃ無いか?」
御者「門番と相談しなくちゃな」

○クロフォード伯爵領、テンプルトン行きの道路(朝)

   クロフォードの馬車、快速で走り続ける。
   クロフォード・タウン(役所の町)を通過。
   緑の丘陵地帯、オーク林、農地、牧場。

○クロフォードの馬車の中

キアラン「……『F&F』の事は知らなかったので、クレイグ殿に少し聞いておきました」

   ルシール、首を傾げ、静聴。

キアラン「知る人ぞ知る老舗ですね。トッド家も、古くからの顧客だとか。正確には、クレイグ殿の娘の現トッド夫人が」
マティ「ママの首飾りの古いのが、『F&F』だ! 一番古い首飾りは、じいじと伯父さん二人から誕生日にもらった物だって……『F&F』って、暗号かなと思ってたよ」
ルシール「伯父さん二人?」
マティ「ママの従兄弟だよ……その後で先代伯爵と今の伯爵になってる」

   ルシール、目をパチクリ。

ルシール:心の声(すっかり忘れてたわ……しっかり意識しておかなければ。クロフォード伯爵家にとても近い親族、 つまり地元では名家中の名家の御曹司ってこと……)

   ルシール、やがてキアランの視線に気付く。
   キアラン、ずっとルシールを注目している様子。
   ルシール、パッと顔を赤らめ、顔を半分伏せる。

ルシール「昨日……じゃ無くて、一昨日は……、色々誤解を申し上げて済みません」
キアラン「――誤解?」
ルシール「ダレット家の事情とか……、グレンヴィル夫妻の事とか……」
キアラン「……後日、改めて説明する予定でしたが。誰かから聞いて、事情は了解した……と言う事ですか?」
ルシール「その……ベル夫人に、色々と……」
キアラン「――成る程」

   キアラン、思案顔になる。
   しばし馬車窓を眺めた後、再びルシールを見つめる。
   ルシール、思わずキアランに視線を返す。
   キアラン、笑みを見せる。

キアラン「――あの申し出はまだ有効ですから、検討して頂ければ幸いです」

   ルシール、返事に詰まる。
   真っ赤になって在らぬ方(馬車窓の外)の方を向く。

マティ「申し出って、何の話?(キョトン)」

   ルシール、不自然な沈黙。
   マティ、首を傾げる。

   キアラン、背もたれに背を預け、くつろいだ格好になる。

キアラン「いつか聞こうと思っていたんだが。マティは、何処でルシールの目がアメジストだと分かったんだ?」
マティ「ルシールが来た次の日に、パピィを取りに行っててさ」

   マティ、得意そうに目をきらめかせる。

キアラン「あの部屋のバルコニー?」
マティ「あの日ってば、夜中ずっと嵐だったんだぜ。夕方の遅い頃に馬車がやって来て、ルシールが降りて来るのは見たけど、 あの部屋だとは思わなかったんで、おッたまげたぜ。考えてみりゃ、ダレット家は西翼に居たんだから、納得だけどさ」
キアラン「確かに西翼はダレット家の占有だったが」
マティ「あの部屋のバルコニーは東向きなんだ……朝の光が、浅い角度で入る」
キアラン「成る程」
マティ「後で、大広間で茶色の目を見た時は、ホント目を疑ったよ」
キアラン「それは分かる」

■第六章-10話:薔薇の名前

《人物表》

・ルシール・ライト(25、女主人公)…濃茶色の髪、一見して茶色の目。
・キアラン・ダグラス(27、男主人公)公称「リドゲート卿」。
・マティ・トッド(9)…イタズラ少年。
・メイプル夫人(70)…元・ライト家の家政婦。
・職人ギネス(47)…宝飾細工のベテラン職人。名工。
・御者…若い御者。クロフォード伯爵邸の使用人。
・町の人々(店員、従業員)

○クロフォード伯爵領、テンプルトンの町(昼)

   クロフォードの馬車、中央ロータリーに到着。

御者(馬車の連絡窓から)「到着ですよ、最初は古着屋ですよね!」
キアラン「角の『ローズ・テイラーズ』へ回してくれ」
御者(馬車の連絡窓から)「了解です」

   馬車、メインストリートの町角を回る。『ローズ・テイラーズ』前。
   キアラン、マティ、ルシール下車。
   高級仕立て屋。店内、首都圏の最新流行ドレスのトルソーが並ぶ。

   ルシール、唖然、戸惑い。

ルシール「新品のドレスの予算は無いわ!」
キアラン「館に戻る時に説明しますが、あなたはアラシアを追及し告発する事になっているんですよ」

   店の代表者、キアランを出迎え。
   女性店員たち、ルシールを取り囲み、採寸室へ連行。

   マティ、顔見知りの従業員と話し合い。
   顔見知りの従業員、にこやかな営業スマイル。
   テキパキと布地を選んでいる。

マティ「ディナードレスは超特急で……支払いは、こちらが持つから」
従業員「珍しいですな、ダレット嬢の注文じゃ無いなんて。お急ぎなら、こちらのモデルは如何でしょう」

○テンプルトンの町、メインストリート(昼)

   『ローズ・テイラーズ』ドレスの注文、終わる。
   キアラン、マティ、ルシール、商店街を歩く。

マティ「ディナードレスは仕上がり次第、館に配達するってさ! アラシアの目をごまかせるよう、オイラの名前で」

   ルシール、注文書の内容を確認、呆然。

ルシール「お出掛け服の注文は、一体……夏物の服って……?」
キアラン「ローズ・パーク庭園の視察の時に如何ですか。上京する時にも使える筈ですが」 ルシール「え?」

   近くでクロフォードの馬車、スタンバイ中。

○テンプルトンの町、古いストリート(昼)

   クロフォードの馬車、老舗が集まる古い通りに入る。
   中規模の宝飾品店の前で停車。
   鉄格子ガラス窓など、厳重な造り。
   看板に『ロイヤル・ストーン』と書かれてある。

マティが「この辺は、中期の大抗争の被害を受けた街区でさ……修復・改装の工事したって話だから、以前の面影とかは無さそうだけど」

   三人、下車。
   ルシール、慎重に看板を見上げる。
   わずかながら基礎ブロック部分に往年の面影あり。

ルシール:心の声(ここが、昔の『フィン&フィオナ』と言うお店……改装する程の被害を受けたと言われているけれど、記録とか、残っているのかしら?)

   キアラン、ルシール、マティ、入店。
   従業員の一人が滑らかに出て来て一礼。

従業員1「いらっしゃいませ……どのような品をお探しでしょうか?」
キアラン「この店は以前、『フィン&フィオナ』と言った筈だが」
従業員1「先代の頃は、そうでした」
キアラン「その頃の品を持って来たので、見て頂きたい」

   キアラン、ルシールを指し示す。
   従業員1、ルシールに会釈。

従業員1「それでは、拝見いたします」

   接客カウンター、従業員、アメジストのブローチを調査。

従業員1「これは良品でございますね。確かに刻印は、かつての当店の物でございます」
ルシール「誰がこの品を買ったのか分かりますか? 青い目の紳士と言う事しか聞いていないのですが……」

   従業員1、一番古い記録を持ち出して目を通す。
   やがて、困惑した様子で頭を振る。

従業員1「残念ながら、先代が既に死亡していて詳細は分からず。顧客台帳も、合併前の物は職人ごとに分散していますから。辺りの街区を巻き込んだ抗争の影響で……」
キアラン「必要ならば、職人を個別に訪ねます」
従業員1「それは、さすがに……(困惑顔で首を振り振り)、改名後は職人も都とかに異動してしまってるんです、系列店ですし……」

   店内の別ドア開き、年配の従業員2、現れる。
   従業員1、ピンと来た顔で、手を上げて呼び止める。

従業員1「少し相談が。この品、作風がかなりハッキリしていて……ご存知でしょうか」
従業員2「アンティーク? ……これは、まさか……」

   従業員2、驚きの表情を浮かべつつ、振り返る。

従業員2「当店を代表するベテラン職人の、若い頃の一品に違いありません。ギネスの工房をお訪ねになってみて下さいませ。空振りでも、彼が該当する職人を知っている筈です」
マティ「――やった!」

   キアラン、ルシール、目を見張る。

○テンプルトンの町、ギネスの工房前のストリート(昼)

   最寄りの停車場。
   キアラン、マティ、ルシール、下車。
   ギネスの工房の扉に近づく。

ギネス(47)「一見さん、お断りだ! 帰りやがれ!(野太い声)」

   キアラン、マティ、ルシール、更に工房に接近。
   工房の中の様子を一斉に注目。

○ギネスの工房(昼)

   店内をカウンターが仕切る。奥の方に工房の主ギネス。
   ギネス、背を向けて作業台の前に座っている。
   工房のそこら中の壁、様々な大きさの紙をピン止め。
   工房の床、なめたように綺麗。戸棚と金庫あり。

   ギネス、ボサボサ頭、クマのような巨体。
   むくつけき大男。

ルシール「昔かたぎの職人さん……」
マティ「ガミガミ・アントンみてえだ」
キアラン「……」

   マティ、カウンターに身軽な動きでよじのぼる。

マティ「レナード・カフスを作ったの、ギネスだろ? 新年社交でスッゲェ評判だったってさ! ダレットのオバハンを覚えてる?」
ギネス「あァんだと? 人間のツラと名は忘れろ! この虚しき世間に覚えても無意味だ」
マティ「それって哲学かい、おっさん」
ギネス「うるせえガキだな! 手が空いたら放り投げるぞ、首、洗ってろ!」

   ギネス、マティに釣られてウッカリ振り返る。
   もっさりと毛深い、熊のようなヒゲ面の中年男。
   ギネス、そのまま、訝しそうな顔になる。

   マティ、生真面目な顔つきになる。
   大先輩の技術者に敬意を表して、速やかにカウンターから降りる。
   ギネス、フンと鼻を鳴らす。

ギネス「変な三人組だな、黒に茶に栗かい。五秒で説明しろ、私は忙しいんだ」
ルシール「……(ブローチを取り出し)、このブローチを作ったのは、あなたでございますか?(五秒で完了)」
ギネス「!?(目がテン)」
マティ「ホントに五秒で説明したね……」

   ギネス、素直にアメジストのブローチを調べる。
   次第に、戸惑いと驚愕の色が浮かぶ。
   やがて顔を上げ、

ギネス「確かに私が注文で作ったブローチだ……26年前の二月受注、制作期間七ヶ月なり」
マティ「すげー記憶力」
ルシール「誰が注文を?」
ギネス「私は納品済みの客のツラと名前を忘れちまうんだよ。頭の配線が、生まれつきイカれてる」

   ギネス、顔をしかめ、自分の頭を指差して見せる。

キアラン「顧客台帳がある筈です」
ギネス「……(一瞬、キアランを見つめる)」

   ギネス、納得の表情。
   むくりと立ち上がり、工房の中をのしのしと歩き回る。
   奥の書棚に手を突っ込み、引っ掻き回す。

ギネス「良く気付くな、黒エナメルは」
マティ「ギネスの頭が、別仕様なだけだと思うけど」

   ギネス、一番古い台帳を発見、取り出す。

ギネス「作品七番、九月納期……これだな、納品時の確認に直筆のサインを頂いてたんだ。刻み文字の注文もあった。『愛しいアイリスへ、結婚の記念に、L』……」

   ルシール、息を呑む。
   ギネス、該当ページの台帳をカウンターに置く。
   ルシール、緊張の面持ちで該当サインを見つめる。
   マティ、カウンターの上に身を乗り出し、のぞき込む。

ルシール「R・ローリン……」
マティ「家名の方のローリン! レオポルドじゃ無いんだ……!」

   キアラン、納品書に書かれた受領サインに注目。
   意外に流麗な筆跡。

キアラン「まさか……?」

   キアラン、急に息を呑み、目を見張る。

キアラン「急用が出来た……確認する必要がある」

   キアラン、身を返し、ギネスの工房を飛び出す。
   ギネス、マティ、呆気に取られる。
   ギネス、マティ、慌てながらも、釣られて表に。

○テンプルトンの町、ギネスの工房前のストリート(昼)

   キアラン、乗馬で遠ざかって行くところ。

ギネス「急に何だ? 顔色、変わってたけど……」
御者「クロフォードの町に行って来るとか、何とか。一時間も経たずに、戻って来られるんじゃ無いかと思いますが」

   マティ、ルシールの方をクルリと振り返る。

マティ「どうする? ルシール……新聞に尋ね人の広告を出す?」

   ルシール、心ここにあらず。
   台帳に記されたサインを、ボンヤリと眺める。

ルシール「……何だか訳が分からない……正式に結婚した筈なのよ。母は何故『アイリス・ローリン夫人』じゃ無かったの? 何故『ライト』名のままだったの?」

   ルシール、だんだん暗い顔になって行く。

ルシール:心の声(庭師として、植物が成長していく長い時間を考える事の多かった母が、 男性の一時的な美貌や財布の中身に、目がくらむような女性だったとは、とても思えないけれども。 それでも、若い頃のレオポルドには――或いは『レオポルドでは無い胡乱な誰か』には――それ程の、何かがあったのだろうか。 一生の愛を捧げ、人生を投げ打っても良いと思う程の何かが……)

   マティ、困惑と不安の顔。
   ルシールの周りをソワソワと歩き回る。

   ギネス、工房の入り口から、マティとルシールの様子を窺う。
   いかついボサボサ眉をしかめ、不機嫌な熊のような顔。
   やがて、控えめにフンと鼻を鳴らす。

ギネス「聞いてみりゃ、深刻らしいな」
御者「相続問題に名誉の問題も紛糾しまして……父親を突き止めて、母親の名誉を証明しないといけないそうなんですよ」

   御者、困惑した様子。

   ギネスの工房の隣の店舗から、メイプル夫人(70)現れる。
   ぽっちゃり小柄。ちょこちょこ歩き。
   手には重そうなヤカンを持っている。

メイプル夫人「お茶持って来ましたよ、ギネスさん。あらま……お客さんですか?」
ギネス「私の駆け出しの頃の作品を持って訪ねて来たんだ。20年以上も前のヤツだが、状態良好でな……ムゲにする訳にもいかんし」
メイプル夫人「まあまあ……、それじゃ、作者冥利に尽きますね」

   メイプル夫人、にこやかに微笑み、何度もコクコク。

○ギネスの工房(昼)

   ギネス、メイプル夫人と御者を工房の中に招く。

ギネス「隣のばあさんのお茶は美味いぞ、ちょっと飲んでけ」
マティ「?(パッと振り返る)」
メイプル夫人「まッ、可愛い坊ちゃま! お菓子もあるのよ」

   ルシール、振り返る。気を取り直して薄く微笑み。
   メイプル夫人、目をパチパチ。感心し始める。

メイプル夫人「まあ、綺麗な娘さんねえ」
ルシール「お手伝い致します(ヤカンに手を差し出す)」

   まばゆい昼日中の陽射し。
   ルシールの目、アメジスト色に変わる。
   メイプル夫人、呆然とした顔。

メイプル夫人「アイリス様……」

   メイプル夫人、気を失ってゆっくりと後方へ倒れる。

   ギネス、ギョッとしてワタワタ。
   御者、慌てて飛び出す。
   マティ、シュバッと飛び、メイプル夫人の片手を捕まえる。
   ギネスと御者とで、メイプル夫人の身体を支える。

ギネス「こんな所で失神するな、ばあさん!」
御者「何が何だか……このお婆ちゃん、一体、誰です?」

   ルシール、仰天しながらも動けず。
   熱いお湯で満杯のヤカンをホールド。

   ギネス、工房の奥に駆け込む。
   その辺の椅子を適当に持って来る。
   若い御者の手を借りて、グッタリとなった老婦人を座らせる。

   ギネス、どもりながらも、早口。

ギネス「隣の庭園道具店のメイばあさんだよ、臨時雇いの店番だ……元・家政婦だが、三ヶ月前に急に失業したとか……不景気だしな」

   やがて、椅子の上で老婦人が目をパチパチさせる。

ギネス「おッ、気付いたか」

   ギネス、ホッとした顔。メイプル夫人をのぞき込む。
   メイプル夫人、驚愕の面持ちでルシールを注目。

ルシール「あの……?」
メイプル夫人「ああ……、そんなバカな……アイリス様……」

   メイプル夫人、震える手で口を覆う。
   マティ、ピンと来た顔で身を乗り出す。

マティ「ルシール・ママ、知ってるんだね。じいじも、幽霊を見たような顔をしてたんだよ」
メイプル夫人「お嬢さんは、一体……?」
ルシール「私はアイリス・ライトの娘です」
メイプル夫人「おぉ……(再び失神)」
ギネス「ありゃ」
御者「こりゃ」

X X X

○ギネスの工房(昼)

   メイプル夫人、目を覚ます。
   自己紹介しつつ、お茶が回る。

   ルシール、呆然としてメイプル夫人を眺める。
   ギネス、御者、マティ、お茶をゴックンしつつ、眺める。

ギネス「……それじゃあ、ばあさんが勤めてた家と言うのは、三ヶ月前に急に死亡したとか言う、ローズ・パークのオーナーの一人、アントン老の家だったのかい……」
メイプル夫人「ええ。アントン様もアイリス様も庭園道具店の常連で、よくお供したので、店主とは昔から顔見知りで……その縁で置いて頂いてたんです。店主は、 トッド家の海外出張のお供で、復活祭の直後から不在なので、その間の留守も預かってて……」

   ギネス、黒いボサボサ頭をガシガシと掻きむしる。

ギネス「愉快な噂のトッド家か? 都も回って来るとか……そろそろ、帰ってる頃だよな?」
御者「そう、主人のトッド夫妻はまだだけど、先行の荷物は到着済み……本当に変てこな記憶パターンがあるんですねえ」

   メイプル夫人、再びルシールの方を振り返る。長々と眺める。

メイプル夫人「アイリス様が、あの頃、妊娠してらしたなんて……そうと知ってみれば、色々と納得する事が……」

   マティ、目をキラーン、カウンターに身を乗り出す。

マティ「謎の恋人のローリン氏について、聞いた事はある?」
メイプル夫人「お名前だけは聞いていたけど、私は彼に会った事は無いのよ。夏の終わりの頃、九月だったかしら? 秘密結婚の話が出ていたけど……それだけで……」
マティ「秘密結婚……! 二人で駆け落ちしたって事……!?」
メイプル夫人「駆け落ちとは、ちょっと違うわね。『状況が落ち着くまで公表しない』と言うだけの事で。タイター氏の付きまといが、深刻だったし」

   メイプル夫人、思案顔。ピンと来た様子で、

メイプル夫人「あの頃で唯一思い当たるのは、確か、二泊三日で……トワイライト・グリーン・ヒルに旅行してた事が……」
御者「ああ……そりゃ、ダグラス家の昔の地所じゃ無いですか」
マティ「あ……そうだ! じいじが昔、担当してたって言う教区のとこだ!」
メイプル夫人「そうなの? この辺りじゃ、観光地と言う認識だけど。同期の女友達との数ヶ月に一回くらいの、いつもの旅行だと言う話だったから、 あのタイター氏もストーカーはしてなかったけど……」

   メイプル夫人、ちょっと首を傾げる。

メイプル夫人「考えてみれば、ご帰宅の時はお一人だったわ。もしかしたら、デイジー様……ウォード夫人も、口裏を合わせていたのかしら?」

   ルシール、緊張で息を止めている。

X X X

(回想)

○ゴールドベリ邸、アイリスの部屋(夜)

   五年前の冬、病床のアイリス(45)。臨終タイミング。
   ルシール、アイリスの手を取り、看取っている。

アイリス(45)「……あの日、夕暮れの緑の丘[トワイライト・グリーン・ヒル]の上で……」

   窓の外、夜の雪が降り続ける。雪闇。

(回想終わり)

X X X

   メイプル夫人、眉根を寄せ、首を傾げる。

メイプル夫人「……でも、恋人と一緒に居たとは、とても思えないわ。アイリス様はご帰宅の時、何だか、すごく暗くて疲れた顔してらしたから……」
ルシール「すごく暗くて疲れた顔?」

   ギネス、フンフンと相づちを打ちながら謹聴。
   ふと、陽光の角度に気付き、「おっ」という顔をする。
   ギネス、ノッソリと、

ギネス「続きの話を聞きたいのは、山々だが……新しい宝飾デザイン図面が完成していて、早く店に送らねえと……急ぎの仕事でな」

   ギネス、図面を手に取り、手際よくクルクルと巻く。

ギネス「カフス石をイヤリングに作り直すってヤツなんだ」
御者「忙しいとか言ってたのは、そう言う訳でありますか」

   ギネス、急ぎ足で表に出る。
   御者、付いて行く。

御者「馬車で行けば早いですよね! 今、出しますよ」
ギネス「おぉ。そりゃ助かる」

○テンプルトンの町、ギネスの工房前のストリート(昼)

   工房を含む中小ストリートから出る交差点の一角。
   駐車場を兼ねている広場。
   ギネス、馬車に乗り込みつつ、

ギネス「それじゃあ、メイばあさん、工房の留守番もよろしく頼むぜ」
メイプル夫人「お安い御用でございますよ。往復20分も無いでしょ」

   ルシール、メイプル夫人、マティ、馬車を見送る。

マティ「ダレットの鬼婆の注文だったんだ」
メイプル夫人「ダレットの鬼婆? 確かにダレット夫人は、ご大層な方らしいけど……」
マティ「鬼婆ってのは、20歳になる娘の事さッ!」
ルシール「……(曖昧な苦笑)」

本文/第七章

■第七章-01話:タイター、怒髪天!

《人物表》

・キアラン・ダグラス(27、男主人公)公称「リドゲート卿」。
・子犬のパピィ…クロフォード伯爵邸に迷い込んで来た子犬。
・タイター・ビリントン(54)…裏街道のギャング。ルシールの遠縁の叔父。
・弁護士カーター氏(57)…クロフォード伯爵家の顧問弁護士。
・弁護士トマス・ランド(28)…タイターの弁護士。赤毛のヒョロヒョロ。
・プライス判事(54)…クロフォード伯爵領の主席判事。
・ギャングたち…タイターの手下、四名。
・片目の巨人ビル(46)…無敵の巨人。タイターの新入りの手下。戦斧使い。
・職人ギネス(47)…宝飾細工のベテラン職人。名工。
・パーカー氏(73)…ギネスの工房の隣人。庭園道具店の店主。
・ナイジェル・ビリントン(28)…タイターの甥。
・御者…若い御者。クロフォード伯爵邸の使用人。
・武装騎馬隊…武装役人。プライス判事の部下。部下代表コナー。
・町の人々(店員、従業員、通行人)

○テンプルトンの町、古いストリート(昼)

   御者とギネス、『ロイヤル・ストーン』に到着。
   従業員2、ギネスと、宝飾デザインの図面の受け渡し。

従業員2「そう言えば、さきほど、リドゲート卿とマティ坊ちゃまと、アメジストの淑女の三人連れ、ギネス殿の工房に来ましたか?」
ギネス「来た。こいつが、一緒に来た御者だ」
従業員1「ケンカにならなくて良かったです。先代『フィン&フィオナ』の顧客さんが関わっているのは確かで、深い訳がありそうな淑女さんでしたし」
ギネス「深い訳がありすぎて、ビックリ・ポンだよ。続きの話があるんで、急いで戻るぜ」
従業員2「やはりギネス殿の渾身の一品でございましたか」
従業員1「書類が出来ておりますので、どうぞお持ち帰りください」

   ギネスと御者、一礼、『ロイヤル・ストーン』を出る。
   中央ロータリーの駐車場へ向かう。

   中央ロータリーの駐車場。
   標識ポールの傍に、年配の小太りの男パーカー氏(73)。
   人待ち顔で、あちらこちらに目をやっている。

ギネス「おや? 隣の庭園道具店のオーナーだ!」

   ギネス、のしのしと近寄り、

ギネス「奇遇だな、パーカー氏。何してるんだ?」

パーカー氏「あら、ギネス氏。見ての通り、乗合馬車を待っているんですよ。今、トッド夫妻や他のオーナーと解散したところなんですけどね、出張帰りだから、 この通り荷物が多くてねえ……」

   ギネス、驚いた顔で、荷物の群れを見回す。
   乗合馬車に積み込むには、ちょっと苦しい量。
   クロフォードの馬車を回して来た御者、気づき、

御者「それじゃ、こちらの馬車を使って下さいよ。帰り道は同じですし」
パーカー氏「おッ、世話になりますわ(帽子を取って一礼)」

   クロフォードの馬車に、パーカー氏の荷物が積み込まれる。
   ギネス、御者、パーカー氏、手分けして作業。

ギネス「パーカー氏は、アイリスって娘、知ってたのか?」
パーカー氏「そりゃ勿論! 常連のお得意様でしたし」
ギネス「偏屈アントンに、娘が居たとは初耳だったぞ」
パーカー氏「昔の話ですからねぇ。急に蒸発して死亡したのは、25年も前の話になりますわ。ギネス氏が独立して隣に工房を構えたのは10年前でしたかねえ、後期ギャング大抗争の後の事で……」

   パーカー氏、シミジミとした顔になる。

パーカー氏「15年程も、すれ違いになってしまいましたねえ。アイリスってのは目の色がアイリス、つまり紫色の花と同じ色だからで。金髪に紫色の目の、綺麗なお嬢さんでしたよ」
ギネス「……成る程……、アメジスト宝飾を注文したのは……そういう事だったんだな」

○テンプルトンの町、中小ストリート(昼)

   クロフォードの馬車、中小ストリートを走る。
   馬車の中、荷物でいっぱい。少し速度が落ちている。
   男三人、御者席に、若い御者を真ん中にして並んで座っている。

パーカー氏「……しかし何で、そう言う話題になったんです?」
ギネス「今、私の工房にアイリスの娘が来ているんだ」
パーカー氏「はあ……!? 彼女、25年前に死亡しているんですよ!?」
ギネス「ところがどっこい、遺体の確認ミスだった。5年前まで健在だったそうだ」
御者「目下、アイリスさんの娘さんの方で、父親不明とか名誉の問題が紛糾してまして。それで、形見のブローチを手掛かりに、こちらに来られたという訳で」
ギネス「生き写しだとか言って、メイばあさん、二回、失神した」
パーカー氏「メイプル夫人が二回も失神するなんて、そんなに似てるんですか。これは是非、お会いしてみませんと」

   パーカー氏、はたと思いついた様子で、

パーカー氏「ウォード夫妻は、もう彼女と会っておられるのかな……」

○クロフォード・タウン、カーター氏の弁護士事務所(昼)

   タイター(54)、カーター氏の弁護士事務所ドアに取り付く。
   手こずりつつも、器用に、事務所ドアの鍵を破る。
   タイター、太く短い足を事務所に踏み入れ、

タイター(54)「鍵をこじ開け、不法侵入だが構うもんか! フンッ!(盛大な鼻息)」

   タイター、鋭い目線で、事務所の各所を観察。
   ゴミ箱をあさり始める。

タイター「あのカーターの裏をかくには! まず情報だッ!」

   タイター、事務所を駆け回り、ゴミ箱をあさり、書庫をあさる。
   即座に、いわくありげな封筒を発見。

タイター「定期便だな……なになに? ……修正報告書……在中……」

   タイター、勝手に封筒を開封し、中身を改める。

(書類タイトル)『アイリス・ライト/25年前の馬車事故/死亡報告書の修正』

   タイター、修正報告書を読み込み。
   つぶらな目をカッと見開く。顔色が変わる。
   次第に、口元と手、ブルブル震え始める。

   タイター、怒髪天。顔を真っ赤にする。
   修正報告書をメチャクチャに床に叩き付け。
   紙束がバラけ、部屋中の床に、乱雑に撒き散らされる。

タイター「本人確認の矛盾が解決されている! あの娘、一片の疑いも無くアイリスの子孫と立証されてる! クソ! アントンの遺言書に、 『子孫』などという余計な一筆が無ければ……!」

   タイター、怒りのままに事務所を荒らしつつ駆け回る。

タイター「あの娘っ子、この間のローズ・パーク舞踏会で、地元の男どもに注目されてんだ! たとえば、カニング家のボンボンとかな、 既に何人かはプロポーズを考え出したとか、いよいよとなったら、こっちは終わりじゃねぇか! チクショウ!」

   タイター、怒りのステップダンス。
   超メタボ体重で、事務所の床にヒビが入る。

「この調子で父親不明の問題も解決されちまうと、裁判を起こしても負けてしまうぞ! 秘密の父と確定するところのローリン=レオポルドのヤツ、 王族親戚だ! 今も伯爵に次ぐ権力者! リドゲートの野郎だって、ダレットのアバズレと結婚すれば、爵位継承権を完備して、クロフォード伯爵!」

   タイター、最後の仕上げに、ダンと床を踏む。
   床の表面に、ひときわ大きなヒビ。

タイター「顔だけのパシリ貴族に! 我が財産ローズ・パークを、奪われてなるものかよ! 有利のうちに! 決定的に決着を付けてくれる!」

   タイター、逆上するままに猛然と駆け出す。
   弁護士事務所ドア、勢いよく開く。

   まさにその時、カーター氏を訪問していた弁護士トマス氏(28)。
   猛然と飛び出して来たタイター氏の身体と衝突。
   華麗に弾き飛ばされ、反対側の廊下の壁に叩き付けられる。
   叩き付けられた格好のまま、トマス氏、壁をズリ落ちる。

   トマス氏、尻餅。目を回しながら、

トマス氏「な……何で、タイターが出て来た……」

   タイター、手すりの向こう、裏階段の下へ駆け降りる。
   トマス氏、首を傾げつつ、手すりから身を乗り出す。

   裏階段の先に広がる裏の広場。
   タイター、太く短い腕を振り回している。

タイター「野郎どもッ、整列ッ!」

   ギャングの手下5人、集まって来る。
   (5人のうち1人は戦斧を持つ大男=片目の巨人ビル)
   タイター、高く飛び上がる。
   近くの飾り台の上に、一ッ跳びで着地。

   タイター、飾り台の上で傲然と短身を反らし、

タイター「標的ルシールは、確かクロス・タウン通っているんだな!」
手下1「帰りの馬車は通ってないから、テンプルトンに居る筈ですぜ」
タイター「よし! 標的をとっ捕まえる! このチャンスを逃すものか!」

   裏階段の上の方、トマス氏、青ざめる。

   ギャング手下たち、タイターの馬を牽いて来る。
   タイター、馬に乗ろうとする。
   馬、タイターを振り落とす。
   何度やっても、タイター、馬から振り落とされる。

   他の手下の馬も一緒になって、タイターから逃げ回ろうとする。
   または、踏み潰そうとする。
   手下たち、驚き、戸惑う。

手下1「魔女の呪いは本物らしいです」
手下2「何度試しても、馬がおかしらを振り落とすし……」
手下3「乗馬不可になる呪いって……」
手下4「ホントにあったんだな……」
手下5(片目の巨人ビル)「……」

   タイター、めげない。
   飾り台の上に再度よじ登り、尚更に傲然と短身を反らす。

タイター「馬車を用意!」

   軽装馬車1台&1頭の馬、5頭の馬。

タイター「野郎ども、出撃ッ! 偉大なる尊大なる、このワシに続け!」

   タイターと5人の手下たち、暴走族となって飛び出す。
   タイターの怒鳴り声、建物の壁で反響しながら響いて来る。

トマス氏「あわわ……何という事を……!」

   カーター氏、外出から戻る。
   カーター氏、トマス氏を認め、怪訝そうな顔をする。

カーター氏「トマス・ランド氏ではありませんか、タイター氏の弁護士の……」
トマス氏「……!!(バッと振り返る)」
カーター氏「お待たせして、大変、済みませんでした。アシュコートから届いた親展の特別速達便の受け取り署名で、留守にしていて……」
トマス氏「大変です、カーター氏! さっきタイター氏が、ギャング連中を全員、引き連れて出撃……!」

   カーター氏、目を見張りながらも急いで事務所に入る。
   中、荒らされている。鍵は壊されており、床にヒビ。
   部屋一杯に、新旧も内容も様々な文書が散らばっている。

   カーター氏、破られた封筒を発見、息を呑む。

カーター氏「アイリス・ライトの修正報告書が……! 娘さんが危ない……!」

○クロフォード・タウン、治安判事の役所(昼)

   カーター氏とトマス氏、プライス判事(54)の所に駆け込む。

   厩舎の周りの広場に騎馬姿の武装役人が集結。
   子犬のパピィも、取調べのため身柄拘束中。
   ※『証拠品たるレナードのカフスの片方を食べた容疑』による。

プライス判事(声のみ)「タイターの身柄、緊急確保だ!」

   武装騎馬隊、緊急出動。
   パピィ、プライス判事とその部下の緊急出動に気付く。
   お気に入りの毛布から、弾丸顔負けの勢いで飛び出す。
   一斉に駆け出した武装騎馬隊の、最後の馬の上に飛び乗る。

○クロフォード伯爵領、テンプルトンへの道路(昼)

   テンプルトンへと急ぐプライス判事が率いる武装騎馬隊。
   クロフォード・タウンと急ぐ騎馬姿のキアラン。
   道路上でかち合う。

   両方ともに、馬を急停止。

   武装騎馬隊、捕り物用の大道具を屋根に積んだ快速馬車も同行。
   カーター氏とトマス氏、馬車内に居る。
   (乗馬対応の服装では無いため、馬には乗れない)

キアラン「プライス判事! カーター氏も……手勢を引き連れて一体、何処へ?」
武装役人1「タイター氏が手下共を率いて、テンプルトンに走ったんです!」
武装役人2「修正報告書を見て逆上したらしくて」

   カーター氏、馬車窓から身を乗り出し、

カーター氏「ルシール嬢を襲うようです。彼女は今、テンプルトンなんですか?」
キアラン「……しまった……!」

○クロフォード伯爵領、クロス・タウン前

   プライス判事の一団、クロス・タウンに迫る。
   一頭立ての怪しげな小型馬車が、軽快なスピードでやって来る。

   先頭の騎馬隊メンバー、指差し、

武装役人2「前方注意! ナイジェルの馬車、接近中!」
プライス判事「タイターの甥じゃ無いか……妨害か!?」

   先頭の騎馬隊、素早く警戒態勢を取る。

武装役人2「止まれ! 検問だ!」
ナイジェル(28)「おおーい! 良いところで会いましたな……プライス判事さまに、 一報入れるところだったんですよ! 叔父の手下の連中が、ライト嬢の居場所を捜索しているところを見たもんでね……!」

   ナイジェル、馬車を停車。下心タップリの笑み。
   包帯ぐるぐる巻き片脚、得意そうに見せびらかしながら、

ナイジェル「私は骨折中にも関わらず、努力して通報した功労者! ローズ・パーク問題で、叔父と私との裁判になってしまった場合に、 相続権の優先順位に関して、判事さまの口添えを頂きたいんですよ……良いでしょ? へへッ」
プライス判事「貴殿も信用ならんのだぞ、ナイジェル氏」

   プライス判事、サッと手を振り上げ、騎馬隊に合図。

プライス判事「ナイジェルを馬車に拘束、かつ護送! 参考人を一歩も外に出すなよ!」

   コナーを代表とする騎馬隊(武装役人)一団、一斉に動く。
   ナイジェルの身柄確保、小型馬車の中に押し込める。
   馬車の各所を鎖でもって封印(間に合わせの移動型牢屋)。

ナイジェル「どういう事です、プライス判事ッ!」
プライス判事「参考人は! 当分、我々の監視下だ!」
ナイジェル「そんなバカな!」

   プライス判事、以下、騎馬隊の面々、テンプルトンに急行。

○テンプルトンの町、古いストリート(昼)

   クロフォードの馬車、中小ストリート分岐の角に到達。
   斜め後ろの方から、暴走族のような蹄鉄の音と車輪の音。
   ギネス、振り返る。

   人馬一体の暴走族、猛スピードで追突せんばかりに迫って来る。
   一味の中に、速度違反の一人乗り軽装馬車。

御者「ぶつかる!」

   御者、車両同士の衝突を避けるため、馬車のスピードを緩める。
   馬賊一味、何の合図も返礼も寄越さぬまま、ジグザグに追い抜く。
   更に公園を突っ切りつつ爆走。

   暴走馬車の車輪に引っ掛かった屋台、次々に引き倒される。
   悲鳴を上げながら逃げ惑う客、売り子たち。

   パーカー氏、御者、ギネス、呆然と見送る。

御者「ありゃ何です?」
ギネス「馬賊だな。場末の何処かで、ギャング同士の果たし合いでもあるんだろうよ」
パーカー氏「全く嫌ですねえ、ギャングってのは。三ヶ月前に老アントン氏が急に死んだのも、ギャングによる殺人ですわな」

   御者、目を丸くし、バッと振り返る。
   ギネス、息を呑む。

ギネス「今、何と言った!?」
パーカー氏「メイプル夫人が、そう言ったんです。判事に話さないといけないだろうって言ってみたんですが、アントン氏もアイリス嬢も居ないでしょ。意味無いってボヤいてて……」
ギネス「あの馬賊って、行き先……まさか、我々の街区……」
御者「確かに彼ら、向こうの角に消えましたよ……そんな馬鹿な……ギャング=タイター!? 大変だ!」

■第七章-02話:ギャング襲撃!

《人物表》

・ルシール・ライト(25、女主人公)…濃茶色の髪、一見して茶色の目。
・キアラン・ダグラス(27、男主人公)公称「リドゲート卿」。
・マティ・トッド(9)…イタズラ少年。
・子犬のパピィ…クロフォード伯爵邸に迷い込んで来た子犬。
・タイター・ビリントン(54)…裏街道のギャング。ルシールの遠縁の叔父。
・弁護士カーター氏(57)…クロフォード伯爵家の顧問弁護士。
・弁護士トマス・ランド(28)…タイターの弁護士。赤毛のヒョロヒョロ。
・プライス判事(54)…クロフォード伯爵領の主席判事。
・ギャングたち…タイターの手下、四名。
・片目の巨人ビル(46)…無敵の巨人。タイターの新入りの手下。戦斧使い。
・メイプル夫人(70)…元・ライト家の家政婦。
・職人ギネス(47)…宝飾細工のベテラン職人。名工。
・パーカー氏(73)…ギネスの工房の隣人。庭園道具店の店主。
・ナイジェル・ビリントン(28)…タイターの甥。
・御者…若い御者。クロフォード伯爵邸の使用人。
・武装騎馬隊…武装役人。プライス判事の部下。部下代表コナー(47)。
・町の人々(店員、従業員)

○テンプルトンの町、ギネスの工房(昼)

   ギャング=タイターの一味、ギネスの工房に到達。
   タイター、工房の前の植え込みに身を隠しながら、

タイター「野郎どもッ! ギネスの工房を厳重に包囲! 煙幕弾を撃て」
手下1、2、3、4「キャッホーイ!(煙幕弾を投げる)」

   煙幕弾、爆発。
   ギネスの工房、猛烈な煙に包まれる。
   マティ、ルシール、メイプル夫人、煙に巻かれて咳き込む。

タイター「突撃! まずは標的を確保!」

   片目のビル、入口ドアを戦斧で一撃。
   ドア、粉砕しつつ、吹っ飛ぶ。
   タイターと四人の手下、片目のビル、続々と工房内部に侵入。

   手下1、マティとルシールとメイプル夫人を蹴り飛ばす。
   手下2、3、4、金銀宝石に目が眩み、戸棚や箱の中を物色。

手下2「ウッヒョーッ!」
手下3「さすが宝石屋の工房だねえ!」
手下4「金銀お宝が、あちこちにあるぜッ!」

   片目のビル(46)巨大な戦斧をぶん回す。刃先が風を切る轟音。
   手下1、2、3、4、次々に吹っ飛ばされ、ノックアウト。

タイター「バカヤロウッ! まずは、偉大なる尊大なるワシが改めてからだ!」

   手下1、2、3、4、渋々、整列。

手下1「新しい用心棒はメチャクチャ乱暴じゃ」
手下2「軍人をも殺すプロだとよ、『片目の巨人』。あの片目のヤバイ傷痕、軍人とやった時に付いたらしいぜ」
手下3「無敵の巨人、どうしてタイターの手下になったんだろ」
手下4「賭場の借金返済のためだなんて、ぜってぇ、嘘だろ」

   タイター、カウンターの上に立ち上がる。
   ギリギリで、片目の巨人より上から目線の状態。
   フサッとした金髪のカツラ付き特製のシルクハット。
   タイター、両手で金髪のカツラをフサッとさせ、もったいぶって、

タイター「さて、大事な話をしようじゃ無いか」

   ルシール、片目のビルに、ヒョイと吊るされる。
   タイターの前まで、引きずられる。
   マティ、巨人の肩によじ上り、巨人の髪の毛を引っ張る。

マティ「放せったら、この野郎!」

   片目のビル、軽く巨体を揺すり、マティを振り落とす。
   マティの上着をつかんで、高速でぶん回す。
   マティ、勢い良く工房の端まで転がされる。

   マティ、端までクルクルと転がる。壁に衝突。
   飛び起きたマティ、服を見下ろして、仰天。
   上着、ビリビリに破られており、原形を留めていない。

マティ「無くなってる!」
メイプル夫人「(腰を抜かしながらも)子供にまで、何て事を!」

   マティ、引きつった顔で、巨人を見上げる。

   片目のビル、片手で、ルシールを軽々と吊り下げている。
   ルシール、その手を外そうとジタバタするが、無駄な抵抗。

タイター「隠蔽工作じゃ! カーテンを全部引け! お宝を全部袋に詰めろ! グズグズするな!」

○テンプルトンの町、ギネスの工房前のストリート(昼)

   工房が入っている小さな雑居ビル、煙幕弾による濃い煙が広がる。

雑居ビルの人1「爆発だ!」
雑居ビルの人2「火事だ!」

   雑居ビルに入っている他の店舗や工房の人々、飛び出して来る。

雑居ビルの人3「ギャングの襲撃だ!」
雑居ビルの人4「火事だ! 避難しろ!」

   雑居ビルに続いて、周辺ストリートでも、パニック。
   ギネス、パーカー氏、若い御者、工房前に到着。

ギネス「私の工房が!」
パーカー氏「私の店が!」

御者「あわわ……!」

   一足ずれ、プライス判事および武装役人、現場に到着。

プライス判事「クソッ! 一足遅かったか!」
コナー(47)「至急、速やかに状況確認ッ!」
パーカー氏「お役人様! 私の理解に間違い無ければ、今、中に居るのは、店番のメイプル夫人と、マティ坊ちゃまと、ライト嬢の筈で!」
ギネス「要するに、女子供だけしか居ないって事だ」
プライス判事「何だと」

   部下代表コナー、次々に部下たちに指示を飛ばす。

「最悪の状況ですぞ、判事さま! ですが、やる事をやらねば。 皆の者、物音を立てずに速やかに包囲ッ! 逃げ足を絶つ! ギャングたちの馬を探し出して、没収しろッ!」

   武装役人たち、方々に散る。
   ギャングの馬車や馬を見付けて来て、押収。

   騎馬隊の最後の馬、到着。子犬のパピィが相乗り中。
   パピィ、素早く馬から飛び降り、ギネスの工房に忍び込む。

   ストリートに響き渡るタイターの大声。

タイター(声のみ)「此処に新たに作成した誓約書が用意されてある! ルシール・ライト、テーブルの上の筆を取りたまえ! ローズ・パークの! 相続権を捨てると言う誓約書じゃ!」

   プライス判事たち、ギョッとして、方々の物陰に身を潜める。

武装役人1「ドアや窓ガラスが割れているから、中の会話が筒抜けだ……」
コナー「速記しろ、会話を全て記録だ!」

○ギネスの工房の中(昼)

   タイター、カウンターテーブルの上で、なおも居丈高にふんぞり返る。
   ルシール、片目の巨人ビルの手によって、拘束されている状態。
   タイター、マティとメイプル夫人に向かって、

タイター「やい、クソガキ! ジタバタするな! 偉大なる尊大なるタイター様が、指をパチンと鳴らせば! 片目の巨人が! ルシールの首を引っこ抜くぞ!」

   片目の巨人ビル、改めてルシールを片手で宙づり。
   マティとメイプル夫人、真っ青。
   片目の巨人ビル、ルシールの左袖をチョンとつまむ。
   事も無げにドレスの袖を引き裂いて見せる。

タイター「ギャハハァ! この片袖のようにッ!」

   タイター、その片袖を、マティとメイプル夫人の前で振り回す。

○テンプルトンの町、ギネスの工房前のストリート(昼)

   プライス判事、武装役人の一団、青ざめる。

プライス判事「片目の巨人?」
武装役人2「全国指名手配の連続殺人犯です……怪物ですよ!」

■第七章-03話:口論と応酬

・ルシール・ライト(25、女主人公)…濃茶色の髪、一見して茶色の目。
・キアラン・ダグラス(27、男主人公)公称「リドゲート卿」。
・マティ・トッド(9)…イタズラ少年。
・子犬のパピィ…クロフォード伯爵邸に迷い込んで来た子犬。
・タイター・ビリントン(54)…裏街道のギャング。ルシールの遠縁の叔父。
・弁護士カーター氏(57)…クロフォード伯爵家の顧問弁護士。
・弁護士トマス・ランド(28)…タイターの弁護士。赤毛のヒョロヒョロ。
・プライス判事(54)…クロフォード伯爵領の主席判事。
・ギャングたち…タイターの手下、四名。
・片目の巨人ビル(46)…無敵の巨人。タイターの新入りの手下。戦斧使い。
・メイプル夫人(70)…元・ライト家の家政婦。
・職人ギネス(47)…宝飾細工のベテラン職人。名工。
・パーカー氏(73)…ギネスの工房の隣人。庭園道具店の店主。
・ナイジェル・ビリントン(28)…タイターの甥。
・御者…若い御者。クロフォード伯爵邸の使用人。
・武装騎馬隊…武装役人。プライス判事の部下。部下代表コナー(47)。

○ギネスの工房の中(昼)

   ルシール、再び片目の巨人ビルの手によって拘束されている。
   カウンターテーブルの天板に突っ伏している状態。
   目の前には、タイターの手からぶら下がった文書。

文書タイトル:『誓約書』

   ルシール、準備されてある筆を執らず、署名拒否の態勢。
   タイター、カウンターテーブルから飛び降りる。
   文書と筆を手下の一人に預ける。
   ルシールの頭を揺さぶり始める。

タイター「何度も同じ事言わせるんじゃねえぞ、小娘! 流石にあの偏屈アントンの孫だ、強情なヤツめ! 遅かれ早かれ、貴様は署名をするのだよ!」

ルシール:心の声(こんな卑劣な奴らに絶対に負ける訳にはいかない……言うなりになって、ローズ・パークを諦めると言う誓約書になんか、署名してたまるか!)

   ルシール、頭をガクガクと揺さぶられ、目を回している。
   長い髪がほつれた拍子に、タイターの手、滑る。
   ルシールの顔、勢いよくカウンターの天板に打ち付けられる。
   口の中が切れて血がにじみ出し、鼻血が溢れる。

   頭を打ち付けたショックで、ルシール、グッタリ。
   タイター、一旦、手を止める。

タイター「チッ(舌打ち)、気絶されると、法的に有効な本人署名が取れないからな」

   タイター、気障な仕草で腕を広げる。
   観客たるマティとメイプル夫人の方に向かって、

タイター「偉大なる尊大なるタイター様は、常に勝利するのだよ! ワシこそが、ローズ・パークの正当なオーナー! ワシこそが、 かの極悪非道な借金魔王レオポルド一族の魔手からローズ・パークを守護する至高の大天使、正義の救世主なのだ! 金! 女! 権力! ハーハハハハッ!」
メイプル夫人「タイター! お前は……! アントン様を殺しただけじゃ、飽き足らないと言う訳なの!」
マティ「……!?(サッとメイプル夫人の方を振り返る)」
ルシール「……!?(ピクリとし、耳をそばだてる)」
メイプル夫人「タイターがアントン様を突き飛ばして、殺したのよ! お金の無心から始まった口論の末に……お医者様を呼んでいる間に、 タイターは逃げたのよ! 靴跡から何から、全部消して……」

   タイター、怒りのピョンピョン・ステップダンス。
   工房の床、ガンガン響く。ヒビが入る。

タイター「あれは事故死で処理されてる! 実際に、打ち所が悪かっただけさ! しかし、まあ……タイミング良く死なれたもんで、 ラッキーだぜ! (ダダン、と足を踏み鳴らしてダンス終了)、証拠の隠滅はするものだ! ギャハハハハ!」

○テンプルトンの町、ギネスの工房前のストリート(昼)

   タイターの大声、割れた窓ガラスを通じて筒抜け。
   武装役人たち、声を抑えつつ、どよめく。

コナー(47)「判事さま! これは重要な供述ですぞ!」
プライス判事「分かっとる! 速記を続けろ」

○ギネスの工房の中(昼)

   タイター、再びカウンターの上によじ登る。
   傲然と短身を反らす。

タイター「このババアを、戸棚の中にでも閉じ込めろッ!」
手下3「へい、親分!」

   手下3、メイプル夫人を戸棚の中に閉じ込め、カギを掛ける。
   マティ、カギを奪い取ろうと、手下3を追いかける。

マティ「窒息死するじゃねえか!」
手下3「カギは此処じゃ、取ってみな〜、うっひょひょひょお!」

   子犬のパピィ、工房の内部に入り込む。
   カギを追って走り回るマティの背中が接近。
   パピィ、高く飛び上がり、マティの背中に飛び付く。

マティ「……!?(息を呑み、急停止)」

   マティ、しばらく目が泳ぐ。
   次に、目がキラーンと光る。

   パピィ、再び物陰に身を隠す。
   マティ、タイター氏に向き直る。

マティ「やい、タイター!」
タイター「何だ、クソガキ!」

   マティ、自身の手荷物を高く掲げながら、

マティ「オイラ、爆弾持ってんぞ! そいつが爆発すれば、全員がお陀仏だぜ!」
タイター「ウソコケッ! ガキが、そんな代物持ってる筈が無い!」
手下2「おかしらッ! コイツは只のガキじゃねえ!」
手下4「トッド家の神童、マティですぜ! 花火を魔改造して、アジトのロッジを吹き飛ばした!」
タイター「何いッ!」

   カウンターテーブルの上、タイター、一気に青ざめる。
   マティ、袋の中から謎の小箱を取り出す。
   手下1、手下3、目を引き剥いて飛び上がる。

手下1「たッ、確かに袋の中から妙な箱が!」
手下3「魔改造爆弾!」

   片目の巨人ビル、一瞬のうちに戦斧を振り回す。
   大音響。カウンターテーブルの半分、粉砕、吹っ飛ぶ。
   片目の巨人ビル、戦斧を軽々と振り回し、超高速で大回転。

   高速回転する戦斧の柄、手下1と手下3を吹っ飛ばす。
   吹っ飛ばされた手下たちの身体の下、椅子が粉々。

   マティ、腰を抜かして座り込む。
   ルシール、ひたすら恐怖で呆然。

片目の巨人ビル「その度胸は褒めてやる」

   片目の巨人ビル、マティの前に立ちはだかる。
   片手に、謎の小箱をつかんで見せる。
   マティ、呆然。

片目の巨人ビル「トッド家の神童が、復活祭の気晴らしに爆弾を作って、空き家を丸々吹っ飛ばした……実話らしいな」
手下2「あのカーティスのお喋りオバハンが宣伝しまくるから、界隈の伝説ですぜ」
手下4「トッド家の神童は、目下、大破壊の罪で、お尋ね者って話だ」
マティ「(ムッとしてピョンと立ち上がる)……、そりゃ誤解だぜ! 『ツクモガミ』に出て来る打ち上げ花火を再現しただけじゃん! 第一、 あの空きコテージはトッド家の持ち物で、解体前の空き家なら誰も居ないから……」

   マティ、不意にギョッとし、タイターを見やる。

マティ「って……てめえ! 『アジトのロッジ』って! うちのコテージに、不法侵入していたのかよッ!」
タイター「それがどうした!」

   タイター、激怒で顔を真っ赤にしている。
   シルクハットを乱暴に外す。見事な禿げ頭。
   タイター、腕を振り回す。
   金髪カツラ、フサッフサッと輝く。

タイター「ワシのこの禿げ頭、どうしてくれる! あの大爆発で死に掛けたぞ! 復活祭の祝福で、 不死身の復活を遂げたがな……! 美しいフッサフサ・ウェーブを無残に燃やしやがったな! 我が自慢の髪を!」
マティ「自業自得だぜ、クラーケン・劣化コピー・イカタコ!」
タイター「こ……このッ、超・生意気なクソガキ!」

   タイター、茹でダコさながらに、頭から湯気が出ている状態。

○テンプルトンの町、ギネスの工房前のストリート(昼)

   方々の物陰、プライス判事の部下たち、浮き足立つ。

武装役人1「あの凄まじい破裂音は何だ?」
武装役人2「一応……人質は無事らしいが」
武装役人3「マティ坊ちゃまが元気に、ギャングの気分を逆撫でしてるからな」
武装役人4「やっぱり大物だ、マティ坊ちゃま……」

   物陰のひとつ、キアラン、ますます眼差しを険しくする。
   傍に控えている弁護士カーター氏、早口でキアランに耳打ち。

コナー(47)「余罪も成立しましたね。トッド家のコテージへの不法侵入」
プライス判事「最近、タイターが禿げ頭だったのは、そう言う訳か……」

   プライス判事、ズキズキ頭を押さえている。
   ギネスとパーカー氏と御者、唖然。
   その更に後ろでは、馬車に拘束されているナイジェル。

ナイジェル(28)「叔父貴……(呆れ返り&引きつった表情)」
弁護士トマス氏(28)「タイター様……(呆れ返り&引きつった表情)」

■第七章-04話:乾坤一擲の大爆発!

・ルシール・ライト(25、女主人公)…濃茶色の髪、一見して茶色の目。
・キアラン・ダグラス(27、男主人公)公称「リドゲート卿」。
・マティ・トッド(9)…イタズラ少年。
・子犬のパピィ…クロフォード伯爵邸に迷い込んで来た子犬。
・タイター・ビリントン(54)…裏街道のギャング。ルシールの遠縁の叔父。
・弁護士カーター氏(57)…クロフォード伯爵家の顧問弁護士。
・弁護士トマス・ランド(28)…タイターの弁護士。赤毛のヒョロヒョロ。
・プライス判事(54)…クロフォード伯爵領の主席判事。
・ギャングたち…タイターの手下、四名。
・片目の巨人ビル(46)…無敵の巨人。タイターの新入りの手下。戦斧使い。
・メイプル夫人(70)…元・ライト家の家政婦。
・職人ギネス(47)…宝飾細工のベテラン職人。名工。
・パーカー氏(73)…ギネスの工房の隣人。庭園道具店の店主。
・ナイジェル・ビリントン(28)…タイターの甥。
・御者…若い御者。クロフォード伯爵邸の使用人。
・武装騎馬隊…武装役人。プライス判事の部下。部下代表コナー(47)。

○ギネスの工房の中(昼)

   タイター、マティの『謎の小箱』をガッチリと抱える。
   マティを指差しつつ、

タイター「おいッ、片目の怪物!」

   片目の巨人ビル、マティを見る。
   不気味な片目、ギラリ。
   マティ、ギョッとした顔になり、一歩、後ずさる。

タイター「このクソガキの首をかっ切れッ! 悲鳴が長続きするように、ジワジワと!」

   片目の巨人ビル、手際良くマティを捕まえる。

マティ「うわああぁぁ! 何すんだよ!」
ルシール「……!?」

   片目の巨人ビル、ルシールの隣にマティを拘束。
   テーブルの天板の上、うつ伏せに押さえ付けられる。
   ルシール、呆然と見守る。

   片目の巨人ビル、マティの首筋に、戦斧の刃を当てる。
   首筋の薄皮一枚を刻み、ジワジワと沈み込んでいく。
   ルシール、極限まで青ざめる。

   ルシール、タイターの足首に取りすがる。
   (※タイター、天板の上にふんぞり返っている状態)

ルシール「待って下さい、署名します!」
タイター「では待ってやる、早く署名しろ!」

   片目の巨人ビル、戦斧の動きをピタリと止める。
   手下1、タイターの合図に応じ、筆と誓約書を取り出す。
   ルシールの目の前に、羽ペンとペーパーが置かれる。

文書内容:(タイターの筆跡・気取った風)『誓約書』
(タイターの筆跡・気取った風)『この私、アイリス・ライトの娘たるルシールは、この誓約書により、ローズ・パーク庭園のオーナー権について、これを永久に放棄することを誓約いたします。』
(タイターの筆跡・気取った風)『署名:____』

   ルシール、口を食いしばる。
   鼻と口元から流れる血をぬぐう。
   息を詰めて、誓約書を見つめる。
   マティ、抵抗を止めており、不思議なまでに大人しい。

   ひとときの静寂。
   羽ペンが紙の上を滑る音。

誓約書・署名スペース『ルシール・ライト、本人署名』

   ルシール、署名を済ませた誓約書を、無言で差し出す。
   タイター、意外な程に丁重な手つきで誓約書を受け取る。

タイター「良し! 解放しろ!」

   片目の巨人ビル、マティから手を放す。
   タイターは、一度、二度、と署名入り誓約書を確認。
   得意満面。

タイター「ハハハッ! これで、ルシールは用済み……! 偉大なる尊大なるタイター様は、また勝利を収めた!」

   マティ、大急ぎでルシールに駆け寄り、しがみつく。
   マティとルシール、抱き合う。

タイター「おっと! その前に! こんなフザケた小箱が爆弾の筈が無い! ハハッ! 神童と言っても、ガキの傑作じゃ、こんな物よ!」

   タイター、『謎の小箱』のフタに手を掛ける。

タイター「裕福なトッド家、お宝の程も――」

   箱のフタが開いた音。
   マティ、ハッと息を呑み、振り返る。

   マティの小箱、大爆発!

   第一、閃光弾シリーズ。
   いきなり閃く強烈なフラッシュと煙。
   タイター以下、ギャング全員、目が眩み、叫び声を上げながら目を塞ぐ。
   ルシール、閃光弾の爆発の衝撃で、マティもろとも後ろに吹っ飛ぶ。

   第二、ビックリ箱の攻撃。
   タイターの顔面、バネ仕掛けの『謎の手』がビッタン。
   プロレスラーの渾身の一撃に等しい程の強烈なバネの衝撃。
   一瞬、『謎の手』を顔面に張り付かせたまま宙に浮かぶ。

   第三、大量の煙幕弾による連鎖爆発シリーズ。
   大量の煙を撒き散らし、狭い工房の中、一気に暗くなる。
   ギャングたち、煙にむせ、咳き込む。

   第四、香辛料パチンコ玉による催涙弾シリーズ。
   大量のバネ仕掛けによる無数のパチンコ玉、爆発。
   極彩色の粉末を大量に撒き散らす。
   極彩色の微粒子で出来た、超高速・連続打ち上げ花火。

   工房内部の空気、異様な色に染まっていく。
   赤、黄色、オレンジ、茶色、灰色、その他、様々の極彩色。

手下1「涙が! 鼻水が!」
手下2「カラシの粉とトウガラシ……!」
手下3「クシャミが止まらねえ」
手下4「カーテンを! ドアを開けろッ、外の空気を……!」

   片目の巨人ビル、目と鼻を巧みに覆い、防衛。
   戦斧を振り回し、あたりを粉々に破壊して脱出口を開く。
   ギネスの工房のストリート側、全面的に粉々。

○テンプルトンの町、ギネスの工房前のストリート(昼)

   ギャングたち、転げ出す。
   武装役人、厳重に包囲し、逮捕の準備完了の状態。

コナー「袋のネズミだ! 一網打尽にせよ!」

   ギャングたち、連続クシャミの方に忙しい。
   次々に捕縛される。

   片目の巨人ビル、症状が軽い。
   巨大な戦斧を振り回し、武装役人を一歩も近付けない。
   役人たち、恐れを成して、次第に遠巻きになる。

武装役人1「気を付けろ!」
武装役人2「あの斧はヤバイぞ!」
武装役人3「うわ!(戦斧の刃が届き、倒れる)」

   キアラン、第一線に出て来る。
   片目の巨人ビル、キアラン、正面から対峙。

   巨大な戦斧が横切った瞬間、刃の衝撃と風圧。
   キアランのシルクハットが吹っ飛ぶ。
   片目の巨人、キアランの人相に気付き、不気味な笑み。

片目の巨人ビル「グレンヴィル……!」

   片目の巨人ビル、駆け寄る。
   巨大な戦斧を回転。

片目の巨人ビル「死ね……!」

   キアラン、鋭い身のこなしで巨大な刃をかわす。
   特製のステッキ、刃を受け流す。
   一瞬のタイミング。ステッキをひねる。

   戦斧の刃、ステッキのひねりに巻き取られる。
   片目の巨人ビルの手から、戦斧、もぎ取られる。

片目の巨人ビル「……!?(目をカッと見開く)」

   巨大な戦斧、人の手の届かぬ空中を舞う。
   キアラン、片目の巨人ビルの脇をすり抜ける。
   ステッキ、目にも留まらぬスピードで閃く。

   片目のビルとキアラン、数歩ほど、互いにすれ違った位置で停止。
   武装役人たち、プライス判事、その他の面々、呆然と見つめる。

   巨大な戦斧、ガランと音を立てて路上に転がる。

   片目の巨人ビル、愕然とした表情。ゆっくり倒れ伏す。
   鈍く重い衝突音。
   キアラン、あっさりと、残心の構え。

   数秒の沈黙。

ギネス「何なんだ? 何か一瞬で」
パーカー氏「え? え?」
ナイジェル「な、何が起きたんだ?」
御者「肩を斬ったと思うけど、他は分からんです」

   プライス判事、口を引きつらせる。
   コナー以下、武装役人、ポカン。

プライス判事「……シンクレア家、直伝の剣術……!」
コナー「み、身柄……、確保しろ!」
武装役人・先陣の数人「イエッサー!」

   武装役人たち、一斉に、片目のビルの巨体に取り付く。
   数人、片目のビルの巨体を仰向けにする。
   別の数人、運搬のための板を運び出して来る。

○ギネスの工房の中(昼)

   異様な色の空気に包まれ、そこらじゅう瓦礫の山。
   ルシール、半分失神したまま瓦礫の中に埋まっている。
   マティ、瓦礫の中からルシールを掘り出し始める。
   片目の巨人ビルが倒されている事に気付き、唖然。

○テンプルトンの町、ギネスの工房前のストリート(昼)

   武装役人たち、片目の巨人ビルを運搬用の板に縛り付け、拘束。
   片目の巨人ビル、異様な程に大人しい。
   その異常性に、作業中の何人かが、遅ればせながら気付く。

   武装役人1、片目の巨人ビルの身体に触れ、チェック。

武装役人1「げッ、何ヶ所も骨を折ってる……」
武装役人2「……え!?」
武装役人3「(片目の巨人ビルの脚の関節に触れて)……ひえッ!」 武装役人4「骨折してる! あっちも、こっちも……ひえぇ!?」

   他の武装役人たち、愕然とするままに、一斉にまさぐる。
   片目の巨人ビル、うめき声を上げるが、激しい抵抗が出来ない。
   全身の激痛に顔を歪ませながらも、

片目の巨人ビル「戻って来いッ! 俺と勝負しろ、グレンヴィル!」

   キアラン、片目の巨人ビルの呼びかけを無視。
   ギネスの工房の中に駆け込む。
   ギネス、キアランの後に続く。

○ギネスの工房の中(昼)

   ギネス、肌身離さず持ち歩いているマスターキーを取り出す。
   めぼしい戸棚の鍵を開ける。
   メイプル夫人、戸棚の中から現れる。

ギネス「大丈夫かよ、メイばあさん!」
メイプル夫人「(キョトンとした顔)爆弾とか言っていたようだけど、トウガラシじゃ無いの? これ」

   キアラン、手際よく瓦礫の中からルシールを掘り出す。
   ルシールをヒョイと抱き上げ、表へ運び出す。

ルシール「ふぁたし、あふけ、ふあ、……ヒャックション!」

   ルシール、クシャミ混じりの鼻声涙声。
   様々な種類の粉塵が全体にビッシリ張り付いている状態。
   鼻血、口内出血、打ち身、多数。刺激性の涙が止まらず。

   マティ、初動対応が出来ていた分、症状はずっと軽い。
   手荷物を持ち出し、キアランの後を付いて行く。

パーカー氏「ハックション……! こりゃすごい。早くしませんと。裏の仕切りも開けて換気しませんとね」

   パーカー氏、ギネス、メイプル夫人、工房の中を走り回る。
   あちこちのドアや仕切りを次々に開ける。
   換気が進み、空気が澄んで行く。見通しが良くなって来る。

タイター「ギャアア! 何か怪物が居るぞお! 毛だらけの、爪のある……」

   タイター、クシャミ混じりの鼻声、床の上を転げ回る。
   プライス判事や部下、タイターを取り巻く。
   そろって、目がテン。

プライス判事「パピィ君が、じゃれてるだけだろう」

   プライス判事、モフモフ毛玉を、タイターから引き剥がす。
   すさまじい色合いの毛玉、正体は子犬のパピィ。

プライス判事「それにしても、パピィは何処から混ざって来たんだ?」
パピィ「ギャフンッ☆」

■第七章-05話:老庭師の遺言書、法的決着

・ルシール・ライト(25、女主人公)…濃茶色の髪、一見して茶色の目。
・キアラン・ダグラス(27、男主人公)公称「リドゲート卿」。
・マティ・トッド(9)…イタズラ少年。
・子犬のパピィ…クロフォード伯爵邸に迷い込んで来た子犬。
・タイター・ビリントン(54)…裏街道のギャング。ルシールの遠縁の叔父。
・弁護士カーター氏(57)…クロフォード伯爵家の顧問弁護士。
・弁護士トマス・ランド(28)…タイターの弁護士。赤毛のヒョロヒョロ。
・プライス判事(54)…クロフォード伯爵領の主席判事。
・ギャングたち…タイターの手下、四名。
・片目の巨人ビル(46)…無敵の巨人。タイターの新入りの手下。戦斧使い。
・メイプル夫人(70)…元・ライト家の家政婦。
・職人ギネス(47)…宝飾細工のベテラン職人。名工。
・パーカー氏(73)…ギネスの工房の隣人。庭園道具店の店主。
・ナイジェル・ビリントン(28)…タイターの甥。
・御者…若い御者。クロフォード伯爵邸の使用人。
・武装騎馬隊…武装役人。プライス判事の部下。部下代表コナー(47)。

○テンプルトンの町、ギネスの工房前のストリート(昼)

   マティとルシール、運ばれて来た新しい水で目や鼻を洗う。
   キアラン、新しいリネンタオルを都度、二人に差し出す。

キアラン「ルシールから目を離している場合ではありませんでした……申し訳ありません」
ルシール「い、一応、ヒック、無事ですから」

   ルシール、鼻声。
   マティ、盛大に水タライに栗色の頭を突っ込んでは流している。

ルシール「涙と鼻水で、きっとひどい顔してるわ、恥ずかしい」
マティ「直撃してねーし、ディナーまでには治ってると思うよ」

   タイター、ナイジェルと共に、即席の移動型牢屋に拘束中。
   タイターの顔面の中央部、『謎の手』の痕がバッチリ。

タイター「ふ、ふ、ふぅ……、ブアックション! フザケやがって! ヒックヴォン! 今頃、援軍が来ても遅いぞ!」
片目の巨人ビル「俺を無視するな! グレンヴィル!」

   片目の巨人ビル、運搬のための板に拘束されている状態。

   プライス判事、路上に拘束中のギャング手下4人を眺める。
   タライに頭を突っ込んでは、刺激物を洗い流している。

プライス判事「あの凄まじい催涙弾は、一体、何なんだ?」
マティ「想像以上に大爆発したな……アラシアへの仕返しのためだったけどさ」
プライス判事「アラシアへの仕返しだと?」
マティ「名付けて、カンシャク・バクハツ・ボックス!」
コナー「変な物、発明するんだな」

   コナー、口を引きつらせている。
   バネ仕掛けだらけの『謎の小箱』を恐る恐る持ち上げている。
   周りに緊張顔の武装役人たち。遠巻きにして取り囲む。

   即席の移動型牢屋の中、タイターとナイジェル、言い争いを始める。

ナイジェル「あの大声はマズイじゃ無いか! アントンやら何やら! 調書にシッカリ取られてたぞ!」
タイター「貴様の場合は、アシュコートのセクハラ訴訟や、縁組詐欺訴訟を何とかするのが最優先だろう! 我が甥ながら、情けないッ!」

   タイター、ナイジェルを押しのける。
   タイター、皆に見えるように、一枚の文書を高々と掲げて見せる。

タイター「やあやあ! 遠からん者は音にも聞け! 近くば寄って目にも見よ……新しい誓約書は、まさに此処だ! ルシール自筆サインだぞ!」
カーター氏「誓約書?」
トマス氏「なんと」

   弁護士カーター氏、弁護士トマス氏、目を見張りつつ駆け付け。
   タイターから誓約書を受け取り、内容の確認。

   タイター、太く短い腕を振り回す。
   勢いで、カラシ&トウガラシの粉末、飛び散る。
   吸い込んだナイジェル、盛んにクシャミ。

タイター「しかと見るが良いぞ、弁護士どもよ! ルシールは既に! ローズ・パーク邸の相続権を放棄してしまったのだッ!」
カーター氏「何という事だ!」
トマス氏「これは法的に有効で……」

   弁護士トマス氏、信じられぬと言う面持ちで、タイターを振り返る。

トマス氏「こんなに慌てて文書確定するとは思わなかったです……タイター様!」
タイター「偉大なる尊大なるタイター様は、常に先回りするのだ!」

   トマス氏、奇妙に口を引きつらせる。
   カーター氏とトマス氏、互いに目配せ、頷き合い。
   二人の弁護士、改めて威儀を正す。
   おもむろに、タイターとルシールに向き直る。

タイター「いよいよ法的決着の時だ! 天も御照覧あれ、我が完璧なる勝利を……!(得意満面、喜色満面)」

   ルシール、破れた袖をリネンタオルで覆う。
   カーター氏に視線で促され、タイターの近くに立つ。
   興味津々のマティ、ピッタリくっ付いて来る。

   カーター氏、誓約書を読み上げ。

カーター氏「この私、アイリス・ライトの娘たるルシールは、この誓約書により、ローズ・パーク庭園のオーナー権について、これを永久に放棄する……」
トマス氏「確かに確認いたしました、タイター様、ルシール様」
カーター氏「――指定相続人が、本人署名をもって、当該相続権を確かに放棄しました。 故アントン氏の遺言書に従い、件のオーナー権は、ただちに、クロフォード伯爵家に全返還されることとなりました」

   全員、その意味を考え出す。
   奇妙な沈黙が広がる。
   不意に、全員の口がパカッと開く。

タイター「今、貴様、何と言いやがった!」
カーター氏「治安判事どの、公証人として、この誓約書に裏書を願います」

   プライス判事、目をパチクリさせながらも誓約書を受け取る。

カーター氏「以上……これにて、クロフォード伯爵家による、オーナー権の没収は完了です」

   ルシール、タイター、ナイジェル、驚愕と混乱。
   口をパクパク。
   見物しているプライス判事の部下たち、唖然。
   涙と鼻水とリネンタオルに埋もれるギャングたち、絶句。

マティ「そうなの!?」
キアラン「そう言えば……」
片目の巨人ビル「うおおお!(錯乱の叫び声)」
プライス判事「今、大事な話の途中なんだから静かにしてろよ、『片目の巨人』君」

   タイター、ナイジェル、ルシール、なおもポカンとした顔。
   カーター氏、アントン氏の遺言書を提示しつつ、

カーター氏「直談判の際に説明した筈です。故アントン氏の遺言書の内容は、ご承知でしょう」

(アントン氏の遺言書)『我が所有する、ローズ・パーク邸の一区画の庭園オーナー権、其を我が子孫アイリス・ライト、 及び、アイリス・ライトの子孫が着実に相続するを、我望むものなり。 かつ、此処に厳密に指定せし相続人の全てが既に死亡せし時、相続人による相続放棄の真正なる意思の確定せし時、 ただちに其のオーナー権を、謹んでクロフォード伯爵家に全返還するものなり』

トマス氏「つまりですね、指定相続人たるライト嬢が本人署名をもって相続放棄を誓約した瞬間に、『相続人による相続放棄の真正なる意思が確定』したのです。 そして、ただちにオーナー権の全返還、すなわちクロフォード伯爵家による完全な没収が実現した訳です」

   タイター、ナイジェル、ルシール、天をも仰ぐ格好。

トマス氏「(困惑顔&引きつり笑い)新しいオーナー協会員は、伯爵さまが改めて選定されますが……あんなに余罪があるんじゃ、 ビリントン家が選定される可能性は無いかも……あッ、そうだ。タイター様、此処で弁護の契約終了なんで、後で料金を請求しますんで、よろしくです」
ナイジェル「そんなバカなッ! 叔父貴! 何と言うヘマをしたんだ! あれは俺の物になる筈で……!」
タイター「ワシの物だぞ!」

   タイター、キアランの方を向いて怒鳴り出す。

タイター「クロフォード伯爵家に、何の権利があって――」

   キアラン、無言で、タイターとナイジェルを睨み付ける。
   不吉な殺気。鋭利な視線。
   タイターとナイジェル、すぐさま口ごもる。

X X X

○テンプルトンの町、ギネスの工房前のストリート(昼)

   役人たちによる、事件現場の後片付け、続く。
   住人たちも三々五々戻って来て、被害の確認など。

   タイターとナイジェル、法的決着に納得せず。
   プライス判事に向かって、

ナイジェル「権力者の横暴ッ!」
タイター「社会革命! 造反有理! 強者打倒! 弱者救済!」
プライス判事「タイター氏が誓約書を書き、ライト嬢が署名したんだ……私の出る幕が、あったかね?」
コナー「判事さま! 子犬のパピィが、ただ今、カフスを排出しました!」

   役人たち、極彩色の毛玉と、排泄物を包んだ手巾を示す。
   子犬のウンコの中、豪華なカフスボタンが埋もれている。
   タイターとナイジェル、子犬の笑い顔と、その排泄物を目撃。

ナイジェル「最高級のダイヤモンドじゃねぇか!」
タイター「子犬のウンコから、何でダイヤモンドが出て来るんだよ!」
プライス判事「話せば長くなる」

   コナーその他の役人たち、ニヤニヤと面白そうな笑み。

プライス判事「このチビの毛玉、復活祭の前には既にブツを発見しているんでな。お漏らししたのは、催涙弾のショックのせいに違いないな……」

X X X

○テンプルトンの町、ギネスの工房前のストリート(昼)

   昼下がりの後半頃。
   クロフォードの馬車、クロフォード伯爵邸への帰還の準備中。
   虚ろな目をしたルシール、植え込みの前に座り込んでいる。

   マティ、馬車の後ろから心配そうに首を伸ばす。

マティ「ルシール、放心してる」
御者「ローズ・パーク相続の可能性が消えたんですよ、頭の整理も大変なのに違いない」

   カーター氏、近くを通る。
   マティ、気づき、

マティ「ルシールの案件って、結局どうなってんの?」
カーター氏「遺言書の内容は、これで全て終了……今回の案件も終わりました。案件に伴う、館への滞在も終了です」

   カーター氏、暫し沈黙し、ルシールを眺めやる。
   ルシール、ギネスと会話を始めている様子。

   やがて、マティ、馬車の御者席の隅に座り込む。
   戸惑ったように顔を伏せる。

マティ「ルシールは、アシュコートに帰るのかな?」
カーター氏「それは、彼女の自由ですが……ただ、彼女に関して、別の重大な案件が持ち上がりまして。この案件で、もう少しクロフォード伯爵領内に拘束させて頂く事になりましたので」
マティ「(パッと顔を上げる)重大な案件?」
カーター氏「目下、機密です。しかし、仕事とは言え……此処は悩むところですね」

   カーター氏、思案顔。
   不意に胸ポケットの違和感に気付く。
   カーター氏、「アッ」という顔。

カーター氏「そうだ……あの親展の速達、まだ開封していなかった……」

   カーター氏、胸ポケットから速達便を取り出し、開封。
   中の書類に素早く目を通す。
   カーター氏の顔、押し隠せぬ驚愕の表情。

カーター氏「これは……」
マティ「何か古そうなお手紙っぽいね。アシュコート伯爵領、レイバントン発、特別速達便……?」

   カーター氏、慌てて書類を封筒に戻す。

カーター氏「ああ、済みません、マティ様。目下、機密の案件に関わる内容なので……」
マティ「ふーん、ケチ!」

   マティ、むくれ返って文句。
   程なくして、マティの興味関心は別の事に移行。
   カーター氏、心底ホッとする(内心、冷や汗)。

カーター氏「(呟き)マティ様の頭脳、とんでもないタイミングで秘密のベールを剥がしますからね……つい先だっても、 どうやって、非公式かつ内密の打診というレベルの『リドゲート卿とダレット嬢の婚約』を察したんだか……しかも、 閣下とクレイグ牧師様の言われるところによれば、いつの間にかルシール嬢にも伝わっていたとか……」

X X X

○テンプルトンの町、ギネスの工房前のストリート(昼)

   マティ、ルシール、メイプル夫人、馬車に乗り込む。
   メイプル夫人、馬車窓から顔を出し、申し訳なさそうに、

メイプル夫人「ルシール様が落ち着かれたら、またすぐにお手伝いに戻りますから」
パーカー氏「こちらは大丈夫ですよ。アントン氏の事件の証言者としてのお勤めもあるんでしょ、しっかりお勤めして来てくださいね。 私の店もギャングにやられていて、到底、人を泊められる状況じゃ無いですし」
ギネス「よぉ、マティ坊主、お前もついにギャング抗争サバイバーだな。 あの片目の怪物、ありゃ何なんだ、って破壊レベルだったしな。ギャング保険に入ってなきゃ、雑居ビルのオーナーも夜逃げしてたかも知れんな」

   カーター氏、若い御者と共に御者席に腰を落ち着ける。
   キアラン、乗馬。馬車の脇に控えている。
   カーター氏、声を潜めてキアランに語り掛け、

カーター氏「館に戻ったら、ダレット家との対決ですから……リドゲート卿」
キアラン「……(ムッツリと頷く)」

○クロフォード伯爵領、伯爵邸へ向かう街道、馬車の中(夕)

   車窓の景色、流れるように移り変わる。
   夕陽の色に染まる、緑の丘陵地帯。

   ルシール、ギネスとの会話の内容を回想。

X X X

(回想)

   ギネス、アメジストのブローチをチェック。

ギネス「少し壊れてんな」
ルシール「……え?(ボンヤリ)」
ギネス「この部分の留めは頑丈な筈なんだが……母親の形見が、娘の身代わりになった、みたいな感じがする」
ルシール「……(ブローチの壊れた部分をじっと見つめる)」
ギネス「少し預かるが良いか? お詫びと言っちゃなんだが、優先で修理しておくぜ」
ルシール「有難うございます。よろしくお願いいたします……」

(回想終わり)

X X X

   ルシール、溜息。

ルシール:心の声(頑張ってはみたけれど、アメジストのブローチしか残らなかった。まるで25年前の母のように……)

■第七章-06話:運命の大広間

《人物表》

・ルシール・ライト(25、女主人公)…濃茶色の髪、一見して茶色の目。
・マティ・トッド(9)…イタズラ少年。
・キアラン・ダグラス(27)…公称「リドゲート卿」。
・クロフォード伯爵リチャード(53)…領主。
・レオポルド(55)…金髪碧眼。ダレット準男爵。
・ダレット夫人(50)…金髪碧眼。カミラ・ダレット準男爵夫人。
・レナード(27)…金髪碧眼。ダレット準男爵令息。
・弁護士カーター氏(57)…クロフォード伯爵家の顧問弁護士。
・ドクター・ワイルド(76)…クロフォード伯爵の主治医。
・トッド夫妻(43、40)…マティの両親。
・執事(60)…クロフォード伯爵邸の使用人。
・ベル夫人(62)…クロフォード伯爵邸の家政婦長。
・メイプル夫人(70)…元・ライト家の家政婦。
・召使、メイド…各10名ほど。クロフォード伯爵邸の使用人。

○クロフォード伯爵邸、外観(夕)

   辺りの光景は夕陽の光に包まれている。

○クロフォード伯爵邸、大広間(夕)

   執事、おもむろに大広間の扉を開く。

執事(60)「レオポルド殿、レディ・ダレット、ダレット準男爵家が嗣子レナード様、ご到着です」

   三人、傲然とした態度で入室。王侯貴族さながらの装い。
   大広間には既に先客がそろっており、表敬で立ち上がり、迎える。
   ※先客=ドクター・ワイルド、トッド夫妻、クレイグ牧師。
   (クレイグ牧師は足腰が悪い為、伯爵と共にソファ着座のまま)

   レオポルド、上から目線でクロフォード伯爵を見据える。
   得々とした笑みを満面に浮かべる。

レオポルド(55)「フフン、正常化まで、いま少しだな。リチャード殿」
クロフォード伯爵(53)「……(いっそうの渋面。眉間にシワ)」
レオポルド「(傲然と首を巡らし)――フン、トッド夫妻か」
トッド氏(43)「お久し振りです、ダレット家の方々」

   トッド夫人(40)、硬い表情。
   ダレット夫人(50)、辺りを見回し、怪訝な顔。

ダレット夫人「アラシアったら、まだ出て来てない……こんな大事な日に、おかしな事ね。少し様子を見て来るわ」

   ダレット夫人、いそいそと身を返す。
   大広間を退出。

   大広間の面々、各所のソファに着座。
   レオポルド、上から目線でトッド氏を見やり、

レオポルド「まったく、トッド氏! 館も領地も財産も、本来はクロフォード伯爵宗家の直系子孫たるダレット家の所有なのだよ。 正統も正義も無い今の世は、明らかに異常と言える!」

   クロフォード伯爵、頭を抱えて溜息。
   眉間のシワ、いっそう増える。

トッド氏「テンプルトンの住民には、異なる見解を持つ者もいるようですが」
レナード「フフン、所詮、下等で無知な庶民の寝言ですね。白と黒の区別すらも付かない奴らだから、我々、高貴なる者として正義を守る我らは、常に苦労するのです」

   トッド夫人、硬い表情。マズそうに茶を一服。
   クレイグ牧師、トッド夫人をそっと見やり、半ば耳打ち。

クレイグ牧師「辛抱強いご夫君で良かったな、キティ……」
トッド夫人「帰ってみたその足で館を訪問してみたら、マティが不在だと言う事の方が気を揉むわよ、お父様」

   キティ・トッド夫人、茶カップを置いて、ふうと溜息。
   コミカルに腕を広げ、

トッド夫人「あの子、また何か、とんでもない事やらかしていないでしょうね?」
クレイグ牧師「朝っぱらから、この大広間にお化け屋敷のイタズラを仕掛けていたよ(苦笑)。でも事前にやめさせたから、大丈夫だ」
トッド夫人「それだけで済んだの? ちょっと信じられないような気もするけど……」
ドクター・ワイルド「すごい心配ぶりじゃな(ニヤリ)」
トッド夫人「心配になりますわ! あの子ったら、去年の夏、運河の海賊ごっこ遊びで、 本物のギャングの密輸の証拠を見つけ出したんですから! ギャング同士の銃撃戦になって、リドゲート卿を巻き込んで、ご迷惑して。 クロス・タウン運河の大捕り物にも発展して。リドゲート卿が銃撃戦を制圧して下さってなかったら……本当に心臓が止まりましたわ」
ドクター・ワイルド「ふむ。彼の銃と剣の戦闘術、あれ程の腕前とは思わなかったからな。シンクレア家の直伝じゃとか」

   トッド夫人、眉根をひそめ、更なる困惑顔。
   近くの『配達ボックス』を疑惑の眼差しで見つめる。

トッド夫人「それに、この荷物は、『ローズ・テイラーズ』の店主が、『マティも一緒に来ていたのでビックリ』と言って渡して来たものなの。 彼は信頼できる仕立て屋だけど、マティ経由だけに、何が入ってるのか、警戒の余り開封もできないんだわ……」

   ドクター・ワイルド、興味津々。
   箱を引っ張り、箱のラベルを確かめる。

ドクター・ワイルド「ディナードレス?」
クロフォード伯爵「受取人が、マティか……」
クレイグ牧師「つまり、マティが、女物のドレスを注文した……?」

   クロフォード伯爵、クレイグ牧師、妙な感心をし始める。

クロフォード伯爵「マティは、何か新しいイタズラ・プロジェクトを思い付いているらしいな」
クレイグ牧師「今度は一体、どんな『とんでもない事』を始めようとしているのか」
ドクター・ワイルド「しかも、女物のディナードレスをネタにして、じゃな」
トッド夫人「マティは、女装趣味でも始めたのかしら!?」

   トッド夫人、だんだん、顔が引きつって来る。

   大広間の扉、大音響を立てて開く。
   ダレット夫人、ひどく動転した様子で駆け込む。
   ビックリして注目する面々。

ダレット夫人「た……大変! あ……ああ……、アラシアが!」
トッド氏「どうされました、ダレット夫人?」 ダレット夫人「アラシアが、ライナスと駆け落ちをしたの……!」
レオポルド「何だと!?」
レナード「アラシアが?」

   ダレット夫人、ワナワナと震える手で、一通の手紙を掲げる。

ダレット夫人「なかなか部屋から出て来なくて、変だと中をのぞいてみたら……お金も、宝石も、あらかた消えてしまっていて……こ……、この……、置手紙が!」

   レナード、手紙を抜き取り、読み上げ。

(アラシアの手紙)『ライナスと、ちょっと遠方までお出掛け! 『こんな夜中に?』ってビックリするお顔が、とても見たかったわ! これは、 あくまでも正義の行方不明よ! お金やら宝石を盗ったのは、あのクソ女って事にしといて頂戴! あの悪辣なクソ女の悪巧みが全部バレて、 破滅する時は近いわ! この事件は、全国の社交界を席巻するでしょうね! 新聞記者やロマンス作家を呼んで来ても、 全然構わなくてよ♪ キャハ☆』

   レナード、「はあ?」という顔。
   傍聴のトッド氏、唖然。

トッド氏「意味不明な行方不明!」
トッド夫人「あのライナス氏に、オニババのネコババが可能だとは……!」
ドクター・ワイルド「何たる展開じゃ! アシュコート辺りで、嘘八百のゴシップを流して騒ぐつもりでいるのじゃろうが……」

   レオポルド、激怒しつつ、ダレット夫人に向き直り、

レオポルド「この時間まで気付かないとは、お前は、それでも母親かーッ!」
ダレット夫人「あんたが、ちゃんと娘を見ていないから、わたくしが苦労するんじゃ無いの! バカッ!」

   執事、再び大広間の扉を開く。
   後ろでは、並み居る召使がザワザワしている。

執事「リドゲート卿が出張より、お戻りでございます!」

   続いて、テンプルトンから帰還した一行、入室。
   キアラン、マティ、ルシール、カーター氏、メイプル夫人。
   大広間の面々、驚きの余り、絶句。

   マティとルシール、極彩色の粉末ペインティングを施されている格好。
   目と鼻、相当に充血しており、極彩色のザンバラ髪。
   全身、怪我だらけの傷だらけ。凄まじいばかりの衣服の破れ。

クレイグ牧師・トッド氏・ドクター・ワイルド「な……な……何だ、そのボロボロの格好は……!?」

   ドクター・ワイルド、素早くマティに駆け寄る。

ドクター・ワイルド「こりゃ何じゃ!? ……カラシ粉とトウガラシの粉?」

   ドクター・ワイルド、マティの頭や衣服に貼り付いた粉末を検分。
   興味津々の余り、目を物騒にきらめかせ、

ドクター・ワイルド「人体実験のレベルを超えとるじゃ無いか! こりゃ話を聞かねば……」

   トッド夫妻、驚きの余り、立ち上がったまま棒立ち。
   口がふさがらない。
   マティ、充血したままの目で辺りをキョロキョロと見回し、

マティ「あッ、ママ! パパも……!」

   マティ、駆け寄る。
   トッド氏、戸惑いながらも手を差し伸べる。

マティ「タイターのギャング団と、すっげえ抗争やってたんだ! もう少しで死ぬかもと思ったよ!」
トッド氏「ギャング抗争……!?」
クロフォード伯爵「冗談じゃ無いのか」
カーター氏「いえ……その説明で、ほぼ正しいです。後ほど、プライス判事より報告書が提出される筈です」

   大広間の面々、改めて呆然。
   ダレット夫人、いきなりルシールに指を突き付ける。    金切り声を張り上げ、

ダレット夫人「テンプルトン界隈のギャング=タイター! 確か、ルシールの仲間!」
ルシール「……?」
ダレット夫人「アラシアが急に駆け落ちしなきゃならなくなったの、下等で不潔なネズミ女めが脅しまくったせいだわッ!」
レオポルド「おおッ、そうだ! 不明の父親だって、ギャングの誰かに決まってるんだッ!」

   ドクター・ワイルド、瞬時に振り返り、

ドクター・ワイルド「ちょっと待て! 何で、そう言う話になる!?」 マティ「破壊工作付きで脅しまくったの、アラシアの方じゃねーかよ」 メイプル夫人「……? ……!?」

   レナード、両親の目論見が理解できず、目を見張る。

レナード「何と言う論理飛躍!」

   ダレット夫人、癇癪を暴走させる。
   ルシールの髪を引っ張り、よろけさせる。
   ケープ代わりのリネンタオルを剥ぎ取る。
   危険な程に鋭く長い爪をした手を振り上げる。

   キアランが割って入る。
   目立つ動きでは無いが、護身術の一種、展開。

キアラン「暴力禁止です、ダレット夫人」

   ダレット夫人の両手、ルシールの身体をそれる。
   反動で流れたルシールの髪の一房を触れるだけに留まる。
   ダレット夫人、驚くべき反応速度で、ルシールの髪をギュッと握り締める。

   ダレット夫人、ルシールの髪をグイグイと引っ張る。
   ルシール、髪を引っ張られる痛みに、口をパクパクさせる。

ダレット夫人「ギャングの両親、親戚が凶悪犯! この恥知らずが! 色仕掛けで他人の婚約者を奪うのも当然だわよねッ! アラシアが言ってたわ、 レナードとも二股かけてるとか……何て、破廉恥な、女ッ!」

   すっかり激高しているダレット夫人、悪鬼の如き形相。
   レオポルド、一瞬、恐怖を感じて飛びすさる。
   キアラン、一瞬のゆるみを捉え、ダレット夫人の手を弾く。
   ルシールの髪、解放される。

   キアラン、ルシールを背中にかばう。
   ルシール、無意識のうちにキアランの背中にしがみつく。
   物陰に控えていた召使が、癇癪対応の盾を構えて飛び出して来る。
   執事とベル夫人、大広間に緊急に駆け付け、入室。

ルシール「それは誤解……」
ダレット夫人「お前は、存在そのものが罪というもの、すぐに監獄送りよ! 鞭打ち百回や二百回じゃあ済まないから、覚悟なさいッ! 二目と見られぬ程に顔面をつぶして、 八つ裂きにしてやるからね! この、父無しの、不倫の破廉恥――」
クロフォード伯爵「やめんか!」

   威厳のある大喝。
   大広間の面々、ハッと息を呑む。

クロフォード伯爵「ルシールは、私の娘だ!」

   大広間に居合わせた全員、棒立ちになる。

   重苦しい沈黙。
   ルシール、ボンヤリとクロフォード伯爵を注目する。
   クロフォード伯爵、緊張の面持ちで視線を返す。

ルシール:心の声(父親は青い目……)

   ルシール、クロフォード伯爵の目の色を確かめる。
   深い青。

X X X

(回想・フラッシュ)

   五年前の冬、晴れた冬の海。
   深い青さに魅せられて立ち尽くすアイリス(45)。

(回想終わり)

X X X

○クロフォード伯爵邸、大広間(夕)

   ルシール、意識を失い、ゆっくりと崩れ落ちる。
   キアラン、ギョッとして息を呑み、

キアラン「ルシール!」

   ルシールの倒れていく方向、レナードが居る。
   レナード、身体を受け止めようと手を伸ばす。
   キアラン、一足早くルシールの身体を捉え、抱きかかえる。

   キアラン、疑問顔で、クロフォード伯爵を見つめる。
   クロフォード伯爵、蒼白な顔色。
   緊張の面持ちながら、キアランの眼差しを真っ直ぐに受け止め。

   ドクター・ワイルド、診療カバンを手に取る。
   大広間ドアへ向かいながら、

ドクター・ワイルド「部屋へ運べ、ワシが診る!」

   キアラン、ルシールを横抱きにしたまま、退室。
   メイプル夫人、アワアワしながらも、後に付いて行く。

トッド氏「一体、これは……」
マティ「今日は、ルシールにとっては、散々な一日でもあったからさ……、ショック続きで……キャパ超えちゃったんだ……」
カーター氏「的確な解説ですね」
ダレット夫人「わたくしのせいじゃ無いわ! 勝手にひっくり返って……ホントに厚かましいッ!」

   大広間の面々、召使も含め、茫然自失から覚める。
   盾持ちの召使、目配せし合い、物陰に戻る。

   トッド夫人、マティを眺めつつ、

トッド夫人「マティ……とにかく、凄い格好」
トッド氏「この『配達ボックス』なんだが、一応、女装する予定は無いよな?」
マティ「それ、ルシールのドレスさッ!」
クレイグ牧師「私が風呂に入れて来る……着替えも用意してあるし」

   クレイグ牧師、マティを大広間から連れ出す。

○クロフォード伯爵邸、地下の風呂場・男用(夕)

   マティ、お湯を張ったタライの中。
   頭のてっぺんまで石鹸の泡に浸かっている。

マティ:心の声(何かが引っ掛かる……)

   マティ、急にピコーンと来た顔になる。
   石鹸の泡を頭に乗せながら、バッと半身を乗り出す。

マティ「ちょっと待てよ、じいじ! 伯父さんは何て言ったんだ!? ルシールが、娘、だって!?」
クレイグ牧師「お前にしちゃ、理解するのに随分と時間が掛かったな。道理で、妙に落ち着いてると思ったよ」
マティ「あんな事、急に言われても普通、分かんねえよ! じいじは、前から知ってたのッ!?」

   マティ、仰天が収まらぬまま、泡の中で手を振り回す。
   タライの周りに、石鹸の泡が次々に飛び散る。

マティ「ルシール・パパは頭文字Lなんだよ、ローリンと伯父さんが何でつながるんだ。伯父さんの名前は、頭文字だと、R・Dになって……」
クレイグ牧師「ローリン? アイリスさんは、彼の事をローリンと呼んでいたのか?」
マティ「……? ……!?」

○クロフォード伯爵邸、大広間(夕)

   大広間の各所に蝋燭の灯りが配置される。
   カーター氏、ギャング抗争について事情説明。
   大広間の面々、ソファに落ち着き、謹聴。

カーター氏「以上が、タイター氏との揉め事の顛末(てんまつ)でございまして。余罪その他の詳細は、後ほどプライス殿が調査報告をします」
トッド氏「マティが死に掛けたのは、冗談では無かったって事ですか……」
クロフォード伯爵「(書状を眺めつつ)この誓約書に署名したとは……あの母親にして、この娘ありか……」

   レオポルド、圧倒された顔で無言。
   レナードも無言のまま、何やら思案に沈んでいる。
   ダレット夫人、イライラがつのって、目元をピクピク。
   ダレット夫人、遂に、ソファからバッと立ち上がる。

ダレット夫人「今は、こんな些細な事より、アラシアの方を!」

   トッド氏、敬意を表して立ち上がりながらも、ヒョイと肩をすくめる。

トッド氏「トッド家の子が死に掛けた事は、些細な事件ではありませんよ」

   大広間ドア開き、マティとクレイグ牧師、入室。
   マティ、トッド氏に駆け寄る。
   トッド氏、クレイグ牧師に目線で礼。
   マティを高く抱き上げる。

トッド氏「タイター抗争の件、カーターさんからご説明を頂いたが、実に大変だったな。後でルシール嬢に、紳士らしく丁寧にお礼をするんだよ」
マティ「アラシア、駆け落ちしたの!?」
トッド氏「昨夜、ライナス君と一緒に快速馬車で抜け出したとか」
マティ「何と言う驚き!」
トッド氏「(ユーモアたっぷりの笑み)驚く仕事は、我々が既に済ませてる」

   ダレット夫人、癪に障った様子で、更なる金切り声。
   物陰で、盾持ちの召使、不安そうに目配せを始める。飛び出す準備。

ダレット夫人「トッド氏は、マティが末の子だからって、甘やかし過ぎよッ! 今この瞬間にも、わたくしのアラシアが、 大変な目に遭っていると言うのに……、こんな無礼千万な悪ガキ、厳しくお仕置きしておかないと! 棘付きの鞭を使って!」

   マティ、『あかんべえ』と舌を出して見せる。
   ダレット夫人、『キーッ!』状態。

トッド氏「アラシア嬢は、もう20歳……分別つく大人でいらっしゃるでしょう?」
トッド夫人「……(据わった眼でダレット夫人を眺める)」

   マティ、不意に、上座の動きに気付く。
   クロフォード伯爵、カーター氏、クレイグ牧師の密談。
   特別速達便から出て来た、古い書状を話題にしている様子。
   マティ、首を傾げる。

○クロフォード伯爵邸、地下の風呂場・女用(夕)

   ルシール、風呂桶の中で、石鹸の泡の中に埋もれている。
   半ば失神している状態。ベル夫人とメイプル夫人が介助。

ドクター・ワイルド「カラシ粉の影響がまだ強く残っとる……風呂の後で診察しよう」

○クロフォード伯爵邸、地下の廊下(夕)

   ドクター・ワイルド、手際よく引っ込む。
   後ろに控えていたキアランの方を振り返り、顔をしかめる。

ドクター・ワイルド「テンプルトンで何があったんだ? それに、彼女が、あのメイプル夫人?」
キアラン「(眉をひそめながらも、当惑顔)……何処から説明したものか……」
執事「とにかくリドゲート卿も、お着替え下さい(着替えを用意している)」

○クロフォード伯爵邸、地下の風呂場・女用(夕)

   メイプル夫人、不思議そうな顔でベル夫人を振り返る。

メイプル夫人「あの方は、確か、ベネディクト様の弟様ですよね?」
ベル夫人「当代の伯爵さまでもございますが」

   メイプル夫人、少しの間、ボンヤリした顔。
   次に、口アングリ。
   仰天の余り、腰が抜けそうになる。

■第七章-07話:時の娘(前)

《人物表》

・ルシール・ライト(25、女主人公)…濃茶色の髪、一見して茶色の目。
・マティ・トッド(9)…イタズラ少年。
・キアラン・ダグラス(27)…公称「リドゲート卿」。
・クロフォード伯爵リチャード(53)…領主。
・レオポルド(55)…金髪碧眼。ダレット準男爵。
・ダレット夫人(50)…金髪碧眼。カミラ・ダレット準男爵夫人。
・レナード(27)…金髪碧眼。ダレット準男爵令息。
・弁護士カーター氏(57)…クロフォード伯爵家の顧問弁護士。
・ドクター・ワイルド(76)…クロフォード伯爵の主治医。
・プライス判事(54)…クロフォード伯爵領の主席判事。
・トッド夫妻(43、40)…マティの両親。
・召使、メイド…各10名ほど。クロフォード伯爵邸の使用人。

○クロフォード伯爵邸、大広間(夕)

   大広間の中央、ダレット夫妻とトッド夫妻の議論が白熱する。
   ダレット夫妻の方、ほとんど、わめいている状態。
   傍観者レナード、しらけている顔。
   盾持ちの召使たち、物陰でハラハラしながら見守っている。

ダレット夫人「アラシアが、どうなっても良いって言うのッ!」
レオポルド「トッド夫妻は、やはり金儲けにしか興味の無い、正義を知らぬ連中だったと言う訳だな!」
トッド氏「そんな事は言ってません。発見までの費用は、多少なら、援助できますから……」
レオポルド「ほお! どのくらい援助してくれるというのだ」
トッド氏「私は事業家です。投資に見合う行動力と影響力を見せて頂けませんと。アシュコート伯爵領への交通費くらいは、ダレット家のお小遣いからポンと出せるでしょう?」
レオポルド「非道な! そもそも、マネーの話は卑しいものだ! 無礼な! 援助すると言ったんだから、すぐに金を寄越せ! ダレット家の地位にふさわしい大金をな!」
ダレット夫人「平民は、貴族の命令に従わねばならないのよ! すぐに金を出しなさい! マネー! マネー!」

   レナード、少し距離を取る。
   思案顔になる。

レナード:心の声(何だか変な事になって来た。今夜のディナーの、本当の目的は何だ?)

   レナード、マティが静かな事に気付き、マティを観察。
   マティの視線の先を追って、クロフォード伯爵を眺める。

   クロフォード伯爵、カーター氏、クレイグ牧師、密談。
   そろそろ密談が終わった、という様子で頷き合っている。

レナード:心の声(あの時、クロフォード伯爵は、『ルシールは私の娘だ』と言わなかったか? だが、ルシールは……)

   マティ、レナードの視線に気づき、パッと振り向く。
   一瞬、ルシールに似た面差しの気配が漂う。意外に、姉と弟の感じ。
   レナード、不意にギクリとする。

X X X

(回想)

   ルシール、意識を失い、ゆっくりと崩れ落ちる。
   ルシールの倒れていく方向、レナードが居る。
   レナード、身体を受け止めようと手を伸ばす。
   キアラン、一足早くルシールの身体を捉え、抱きかかえる。

(回想終わり)

X X X

レナード:心の声(キアランは、私の目の前から、ルシールをかっさらって行った。『ルシールは私の娘だ』……伯爵、令嬢……?)

   レナード、急に落ち着かなくなる。
   あせって腕組み。
   内心の動揺を抑えようとするが、そわそわと身体がブレる。

   大広間の扉、不意に、乱暴に開かれる。
   キアランとドクター・ワイルド、入室。
   目を見張る面々。

   クロフォード伯爵、二人の穏やかならざる様子に気付く。
   ハッと息を呑む。

   キアラン、血相を変えたまま、つかつかと伯爵に近寄る。
   のっぴきならぬ口調で、

キアラン「先刻の言葉は、一体どう言う事です? 父上」
ドクター・ワイルド「ワシにも、きっちり、ご説明頂きますぞ。いつだったか閣下は、あのお嬢さんとは血の繋がりは無いと言われた筈です」

   レナード、目を見張りつつ注目。
   トッド夫妻とダレット夫妻、口論を中止。

ドクター・ワイルド「ああ……先に報告しときますぞ。ライト嬢は、急性ストレス障害を起こしたのじゃ。相当量の鎮静剤を投与して、後をベル夫人とメイプル夫人に任せてある」

   ドクター・ワイルド、憤然として腰に手を当てる。
   鋭いギョロ目で伯爵を凝視しつつ、

ドクター・ワイルド「驚くべきところじゃが……同時に納得する。閣下の血筋なら、さもありなんと言うところじゃ。結局、ワシの医学的見立ては正しかった訳じゃ。 ライト嬢の――ルシール嬢の、あの骨格の形は、ダグラス家の特徴を示しているのじゃからな」

   少しの間、息詰まるような沈黙。
   クロフォード伯爵、ソファの中で頭を抱え、深い溜息をつく。

クロフォード伯爵「タイミングを選んで、話す予定だったんだ……ああ、確かに私は、あの時は血縁では無いと言ったが……その時は私は、 まだ正しい医学データを知らなかったんだ……娘だと分かったのは、彼女がお見舞いに来て、雑談の中で、六月生まれだと言う話をした時だ」

   ドクター・ワイルド、目を見開きつつ、立ち尽くす。

ドクター・ワイルド「出生データの、四ヶ月のズレ? ……てっきり知っておられるものと……」
クロフォード伯爵「何処かの弁護士が、ローズ・パーク案件を左右するような要素では無いと判断して、省いてくれたんでな(苦り切った表情)」

   キアラン、疑問顔でカーター氏を振り返る。
   カーター氏、恐縮した様子で丁重に一礼。

カーター氏「修正報告書によって正式に訂正された後に、報告申し上げる予定でございましたので……」
キアラン「(再び伯爵に向き直り)ギネスの台帳に、『R・ローリン』とサインしたのは……父上ですか?」
クロフォード伯爵「ああ、短い間だったが、ローリンは私の家名だったんだ。兄の後を継いでホリーと結婚した時、消滅した名だが」

   カーター氏、資料を取り出しつつ、

カーター氏「故ベネディクト・ダグラス様が爵位を継いで伯爵になり、ダグラス家が即ち伯爵宗家とされた後の事です。弟リチャード様の方は、結婚した場合、 独立してクロフォード直系親族ローリン家の主となる筈だったのですが、ベネディクト様が急死された時と同時に、分家の創設の話も消滅していたのです」

   ドクター・ワイルド、ギョロ目をいっそう見開く。

ドクター・ワイルド「先代伯爵の生存中の、三年足らずの間に……アイリス嬢と結婚していた……?」
クロフォード伯爵「兄の跡継ぎが法的に承認され、親族の間でも意見の相違が決着してからの後だ。私は、その時点でリドゲート名を喪失したが、 何のしがらみも無く彼女に求婚できるようになったから……実際、重圧からの解放感で、天にも舞い上がる程の思いだったよ」
クレイグ牧師「式の担当が、私でした。正式な結婚であり、結婚証書も存在します。目下タイター問題があったし、 伯爵家でも子爵問題の後処理でそれどころじゃ無く、秘密結婚、及び事後公開……という事で取り扱っていました」
トッド夫人「お……お父様!」

   トッド夫人、目を丸くして絶句。
   トッド氏、マティ、口アングリ。
   数秒経過した後で、マティ、ようやく口を動かす。

マティ「じいじ……それじゃ、26年前の九月の、ルシール・ママの、謎の旅行って……」

   クレイグ牧師、頷いて見せる。

クロフォード伯爵「私は、彼女と正式に結婚していた。一日の間だけだが。翌日の朝、兄が……先代伯爵が急死したと言う一報が届いて、クレイグ牧師の立会いで、今度は離婚を行なった」

   大広間、ショックに包まれる。シーンとなる。

クロフォード伯爵「領内の混乱はひどくなる一方、収まる気配すら無く……危険な立場になった未亡人と遺児が居た。 グレンヴィル氏が殉死してまで調停に導いた全ての問題が、再び紛糾しかねない。決着すべき問題も、山ほど残っていた」

   クロフォード伯爵、苦悩の表情。

クロフォード伯爵「親族の一つでしか無いローリン家――伯爵宗家としての地位と権力を持つダグラス家――、 どちらを取らなければならなかったかは……余りにも、明白だった。 アイリスは、すぐに離婚証書に署名し、私をダグラス家の者に戻してくれた。まさか、あの時……娘が、出来ていたとは……」

   ドクター・ワイルド、蒼白な顔色。
   額を押さえる手、細かく震えている。

ドクター・ワイルド「何たる事だ! 先々代の遺言も復活していた……恩人たるグレンヴィル氏に対する感謝の印の……精一杯の、 善意の計らいだった筈が……こんなむごい選択は無いぞ!」

X X X

(回想)

(先々代伯爵フレデリックの遺言書) 『ダグラス家に爵位を移行すると共に、爵位を継ぐ条件として、グレンヴィル未亡人ホリーを正式に妻とし、保護せよ』

(回想終わり)

X X X

○クロフォード伯爵邸、大広間(夜)

   カーター氏、改めて、大広間の面々に向き直り、

カーター氏「当時の社会情勢を考慮すれば、『アイリス・ローリン夫人』が何も明かさずに出奔した理由も、推測は可能です。 テンプルトンの抗争で、クロフォード直系親族が続けざまに壊滅したのを、彼女は見聞きしていた。 25年前の状況において、クロフォード伯爵宗家たるダグラス家の直系の息子ないし娘の出生は、必然として、 領内に再び更なる抗争と混沌とを呼び起こしたでしょう。そして、アントン氏も、その辺りの事情を良く理解していた筈です」

   大広間、再びシーンとなる。納得と理解の広がり。
   ダレット夫妻さえも、特に異論が思い付かず、沈黙。

   カーター氏、手元の書類を改める。    クロフォード伯爵を意味ありげに振り向き、

カーター氏「では……よろしいでしょうか、閣下」

   クロフォード伯爵、頷く。

カーター氏「アイリス・ライト、即ちローリン夫人は、閣下の正式な前妻と認められる者です。そして、その娘であるルシール嬢の父親は、当時のR・ローリン氏、 即ち閣下であります。タイター氏による間断無き確認もあり、この事実について、疑念を挟む余地は全くございません」

   ドクター・ワイルド、目をパチクリさせる。
   ヒゲを撫で、思案顔。
   カーター氏、伯爵の方を振り向く。

カーター氏「この事実に従って、ルシール・ライト嬢を正式にルシール・ローリン嬢と認め、我が実の娘と公認されますか」

   大広間の面々、ハッと息を呑む。

クロフォード伯爵「――公認する!」

カーター氏「(厳粛な態度で一礼)(厳粛な態度で一礼)――公証人としてクレイグ牧師、親族代表としてダレット家当主レオポルド殿の立会いを頂き、 ここに、クロフォード伯爵家の直系親族、ルシール・ローリン嬢の公認が確定いたしました」

   大広間に広がる驚愕。
   最初の衝撃が過ぎた後、

トッド夫人「彼女って、私の姪!?」
トッド氏「マティの従姉でもある……?」

   ダレット夫人、顔をひきつらせる。

ダレット夫人「アラシアを差し置いて――」
レオポルド「み、認めん! 断じて、私は認めんぞ! これは全て茶番だッ! 第一、卑しい平民の結婚証書など……」
カーター氏「ロックウェル公爵の直筆の公文書が、此処にございます(古い書状)」
レナード「ロックウェル公爵!?」
マティ「あッ! その古い手紙……!」

   カーター氏、公文書ページを、一堂に示す。

カーター氏「この公文書が作成されたのは25年前の二月。かの馬車事故の前日です。故ローリン夫人は、縁あって、ロックウェル公爵夫妻の出張のお供として加わっていました」

(ロックウェル公爵の公文書)『下に記す内容は、これ真実である事を名誉にかけて宣誓す。当代ロックウェル公爵ユージーン・クレイボーン、及び公爵夫人セーラ・クレイボーン。 日付時点において妊娠六カ月たる妊婦、アイリス・ライトの息子ないし娘の父親は、当代クロフォード伯爵リチャード・ダグラス氏である事を、此処に明記するものである』

レオポルド「ロックウェル公爵……」
ダレット夫人「リッチ公爵家よりも古い、あの、由緒ある大貴族の……」

   ダレット一家、青ざめたまま、全身をワナワナと震わせる。

カーター氏「この公文書が本物である事は、アシュコート伯爵が保証するものです。従って、この文書の真実性を疑う者は、 貴族の名誉において確認された事実をも疑うと言う事です。レオポルド殿は、勇猛な人物と評判のアシュコート伯爵に、決闘を申し込まれますでしょうか?」

   レオポルド、ぐっと息を詰まらせる。
   次に、腕を振り回しつつ、

レオポルド「謀ったな! この……この……油断のならん弁護士めが!」
カーター氏「私は特に、出席の強制はしておりません。立会いを望まれたのは、レオポルド殿ご自身の意思によるのですよ」

   レナード、キアラン、感心してカーター氏を眺める。

レナード「直系……」
キアラン「……!」

   レナードとキアラン、驚愕の表情で、顔を見合わせる。
   鏡うつしのように、同じ表情。
   お互いに考えている事が、瞬時に(論理的に)わかってしまう。

キアラン:心の声(レナードにとっては、より伯爵家に接近するのに都合の良い、宗家直系の娘)
レナード:心の声(キアランにとっては、自分の政治的立場をより強固にするのに都合の良い、宗家直系の娘)

ダレット夫人「ア……アラシアじゃ無くて、何で、あのネズミ女が、伯爵令嬢……!」
レオポルド「レディ・ルシールと呼べと……!?」
カーター氏「いえ。ルシール嬢は、正確には伯爵令嬢では無いのでございます」
レオポルド、ダレット夫人「……!?(異口同音の沈黙)」
クロフォード伯爵「爵位を継ぐ前に、離婚が済んでいた前妻の娘だ。直系親族の一つ、ローリン家の娘。それ以上でも、以下でも無い」

   ダレット夫人、瞬時に推察。

ダレット夫人「あの下等者には、クロフォード直系親族の名を名乗る資格すら無いわ! 母親の離婚と同時に資格喪失している筈よ!」
カーター氏「それでは、レナード様の爵位継承権も、父親レオポルド殿の爵位継承権と共に、30年前にさかのぼって既に喪失しているのですね。 更にダレット夫人が離婚した場合、ダレット兄妹には、クロフォード直系親族の名を名乗る資格は無い……」
ダレット夫人「これだから、弁護士ってのは……(歯ぎしり)!」

   レオポルドとレナード、素早く目配せ。

レオポルド「フン、実に不運な事だったろうな? リチャード殿……彼女が男子なら、押しも押されぬ跡継ぎだった。 フフン、如何かな? 伯爵令嬢どのを、リドゲートたるレナードの妻にすれば……諸々の難問は、解決だ」

   クロフォード伯爵、厳しい表情を崩さず。

クロフォード伯爵「私の話を、ちゃんと理解しなかったな? 私は、ルシールを伯爵令嬢として迎える事はしない。 ルシールは、あくまでもローリン家の者であり、男に生まれたとしても、ダグラス家の跡継ぎになる可能性は、無い!」
レオポルド「……ッ!?(一瞬、気を呑まれる)」
クロフォード伯爵「レオポルド・ダレット……或いは元セルダン家のレオポルド。お互いの立場、改めて確認をしておこう。 私の兄が爵位を継いだ時をもって、クロフォード伯爵宗家は、我がダグラス家に移行した。 ダグラス家の正式な嫡子にして嗣子たるキアラン以外に、リドゲートの名前を許す事は、絶対に有り得ない。 セルダン家の者に、後継者を決定する力は既に無いという事実を、改めて承知しておきたまえ」

   一瞬の静寂。

レオポルド「よくも、抜かしてくれる!」

   レオポルド、怒りのままに腕を振り回し、殴り掛かる。
   身辺警護上の警戒エリアに接触した瞬間、キアランが飛び出す。
   レオポルドと伯爵の間に割って入り、護身術の構え。

   レオポルド、殴りかかりのコブシを封じられている。
   クロフォード伯爵、驚愕した様子。

   レオポルド、口元を引きつらせ、青ざめる。下唇ピクピク震える。
   傍目には軽く抑えられている状況だが、レオポルド、下手に動けない状態。
   (素人目で見ても、キアランの構えには隙が無いと分かる)

   カーター氏、おもむろに口を開く。

カーター氏「では、そろそろ『本題』に移らせて頂きます……」

   レオポルド、おののいて、ザッと後ずさる
   (キアランから数歩、距離を取る)。
   ダレット夫人、レナード、息を呑む。

カーター氏「先日、庭師の倉庫にて拾われたと言うカフスは、レナード様の所有でした。そして、レナード様が、新年社交シーズンの装飾として用いた物です」

   大広間の面々、一斉にレナードを注目。

カーター氏「カフスの紛失の前後にわたって、レナード様は館に一度も立ち入りされておられない。従って、カフスが館の敷地に存在すると言う状況は絶対に有り得なかった。 それなのに何故に、レナード様のカフスが館の敷地にあったのか?」
レナード「……!(一気に青ざめる)」 カーター氏「そして、アラシア嬢は何故に、馬車馬の暴走の仕掛けをご存知なのか? レナード様より、納得のゆく説明を頂きたく存じます」
レナード「あ、あのカフスは、盗まれたのであって、落とした訳では!」
カーター氏「復活祭の前の日に、館に入り込んでいたパピィと言う子犬が、もう片方のカフスも見付けていました。まさに此処、館の敷地の中で。復活祭の前日、カフスは此処にあったのです!」

   カーター氏、一つの包みを出して、開いて見せる。
   プライス判事から提供されたカフス。

カーター氏「レナード様は、ご自分のカフスを如何なる状況にて紛失したのです? まさか、復活祭の……伯爵さまの馬車事故の前に……という事は?」

   レナード、いっそう青ざめる。

ドクター・ワイルド「答えたくない質問らしいな」
マティ「何で、門番の目を盗んで、こっそり館に侵入してたのか……って事で、長い説明、必要になるからねー?」
レナード「今は……! こんな意味の無い問答をしている場合では無かった筈だ……!」

   レナード、素早く身を返す。
   逃走そのもののスピードで、慌しく大広間を退出。
   レオポルド、ダレット夫人、ギョッとしつつ、釣られて退出。

レナード「あ、アラシアを連れ戻す方が、もっと重要だ! すぐにでも出発しなければ!」
ダレット夫人「レナード!」
レオポルド「カミラ! 我々も、アラシアをすぐに見付けないと!」

   ダレット一家、遁走。
   大広間の扉、バターンと開く。
   外側に居たプライス判事、ギョッとして素早く身を引く。

プライス判事「おぉ!?」

   ダレット一家、振り返りもせず、慌しく駆け去る。

■第七章-08話:時の娘(後)

《人物表》

・マティ・トッド(9)…イタズラ少年。
・キアラン・ダグラス(27)…公称「リドゲート卿」。
・クロフォード伯爵リチャード(53)…領主。
・レオポルド(55)…金髪碧眼。ダレット準男爵。
・ダレット夫人(50)…金髪碧眼。カミラ・ダレット準男爵夫人。
・レナード(27)…金髪碧眼。ダレット準男爵令息。
・弁護士カーター氏(57)…クロフォード伯爵家の顧問弁護士。
・ドクター・ワイルド(76)…クロフォード伯爵の主治医。
・プライス判事(54)…クロフォード伯爵領の主席判事。
・トッド夫妻(43、40)…マティの両親。
・召使、メイド…各10名ほど。クロフォード伯爵邸の使用人。

○クロフォード伯爵邸、玄関広間[エントランスホール](夜)

   マティ、大広間をピューッと飛び出す。
   プライス判事と共に、前庭ロータリーが見える窓の前に陣取る。

   ダレット一家の御用達の馬車、慌しく正面扉の前に横づけ。
   ダレット一家、焦った様子で乗り込む。

   御者席から御者が突き落とされている。
   レオポルド自身が、御者席に座って手綱を取っている。
   遠目にも見て取れる程に、激しい怒りと焦りの入り交ざった形相。

   マティ、憤然。ぷうっとむくれる。

マティ「あれじゃあ、テーブルの上に飛び乗ってさ、『見てくれ! 私は、これこれ、こう言う犯罪をしたんだ!』って、大声で白状したのと同じじゃんか」
プライス判事「容疑者の逃亡だな」

   プライス判事、重々しく頷いて見せる。

プライス判事「いずれにしろ、例の王族親戚の所に駆け込むだろうって事は分かるし……放っとくか」

○クロフォード伯爵邸、大広間(夜)

   トッド夫妻、呆然。

トッド夫人「これは、カーティス案件だわね……」
トッド氏「カーティス夫人、大騒ぎするね……四方八方にお喋りして」

   ドクター・ワイルド、カーター氏を振り返る。
   疑わしそうに目を細める。

ドクター・ワイルド「伯爵に対する殺人及び殺人未遂は、確か謀反罪に相当し、爵位継承権を失う理由の、第一になるのでは無いかね?」
カーター氏「さようにございます。かつてのレオポルド殿の爵位継承権の喪失に続き、嫡子レナード様もまた、爵位継承権を喪失……と言う事になりましょう」

   プライス判事とマティ、大広間に入室。
   プライス判事、驚き覚めやらぬ様子で首を振り振り、

プライス判事「それにしても、えらい話ですな! 途中から、立ち聞きしてしまいました。あのライト嬢が……リチャード殿の、 まさか実の令嬢どのとは! てっきり、我々は、レオポルド殿の私生児かと……」 ドクター・ワイルド「うむ。ワシも半分以上、そう確信しておったぞ。先刻まではな」

   クロフォード伯爵、戸惑った表情になる。
   しばらくの間、あごに手を当てて思案ポーズ。
   意外そうに瞬きし、近くに控えていたキアランを見やる。

クロフォード伯爵「まさか、キアランも……あの子の事を、レオポルド殿の私生児だと思っていたのか……?」

   キアラン、無言のまま、ギクシャクと頷く。

クロフォード伯爵「何たる事だ!」

   クロフォード伯爵、途方に暮れたように頭を抱える。
   ドクター・ワイルド、顔をしかめ、ヒゲを撫でつつ、

ドクター・ワイルド「レオポルド殿には、誰の目にも明らかな前科があったしなあ。しかも、当時は絶世の美青年じゃった。かの放蕩ぶり、実に伝説的なレベルでな。 不倫ハーレムの結果としての私生児、10人以上は居る事が確実なのじゃからな」
クロフォード伯爵「無理も無い……私にしてからが、今だにあの子が私の娘だと言う実感が無いんだ」
プライス判事「実感が無いだと?」
ドクター・ワイルド「それは、いささか誤解を招く物言いと言う物ですぞ」

   クロフォード伯爵、目をパチクリさせ、慌てたように、

クロフォード伯爵「実の娘と公認する事には、変わりは無いよ」

   クロフォード伯爵、途方に暮れたようにうつむく。
   不自然なほど長い間、黙り込む。やがて、つぶやくように、

クロフォード伯爵「――25年と言う時間は……青春を共にした恋人が手の届かない存在になり、実の親子もまた他人同士になるには、充分過ぎる時間だ。 キアランの事は、実の息子以上に、息子と思うが……ルシールの場合は、私にとっては、謎めいた見知らぬ娘なんだ……」

   ドクター・ワイルド、懐中時計を取り出す。

ドクター・ワイルド「ふむ……そろそろ、鎮静剤が切れるタイミングですな」
クロフォード伯爵「やはり、見舞いに行かねばならんな」

   クロフォード伯爵、幾分か決まり悪そうに呟く。
   松葉杖を取って、立ち上がる。

カーター氏、資料を整理しつつ、キアランに語り掛け、

カーター氏「先程の閣下の護衛、実にお見事でした」
キアラン「……いつもして来た事です」
カーター氏「レオポルド殿の怒りの度合いは予想できましたが、実際に閣下に害を成す行動に出る事は、想定外でした」

   キアラン、若干、戸惑いの顔ながら、頷いて見せる。

   クロフォード伯爵、松葉杖を突いてギクシャク歩く。
   大広間ドアの前、不意にキアランの方を振り返り、

クロフォード伯爵「キアラン、内々の話がある。ちょっと一緒に来たまえ」

   キアラン、いつものように伯爵の元に急ぐ。
   クロフォード伯爵とキアラン、大広間を退出。

   ドクター・ワイルド、ヒゲを撫でつつ、奇妙な表情。
   プライス判事、「?」という顔。
   ドクター・ワイルド、カーター氏を振り返り、

ドクター・ワイルド「ギャング=タイターのストーカー振りが、逆にルシール嬢の両親の、真実を立証するとは。何がどう転がるか、分からぬ物じゃな」
カーター氏「ええ。昔の人は、こう言いました。『真実は時の娘』……と」

   カーター氏、穏やかに微笑む。

X X X

○クロフォード伯爵邸、大食堂(夜)

   予定より少し遅くなったものの、ディナーが始まる。
   クロフォード伯爵、ルシールの見舞いのため不在。
   キアラン、いつものように当主の代理を務めている。

   プライス判事、ワインを一口、

プライス判事「ギャング=タイターの手下に混ざっていた、謎の『片目の巨人』の調べが付いたんだが、古い記録を調べてみて、驚いたの何の。 『片目の巨人』なる大男、ロイド氏殺害犯だった」
ドクター・ワイルド「ほう……!? 戦斧のような武器を、本当に持っていたのじゃな?」
プライス判事「ロイド氏の抵抗で片目を潰されていて、以来、グレンヴィルに対して根に持っていたとか」

   プライス判事、しばし思案顔(記憶の掘り起こし)。

「例の巨人が片目になったのは、ロイド氏が隙を突いて、戦斧の方向を狂わせたのが原因だそうだ。 その時、戦斧は思わぬ方向に滑って、巨人の半面をしたたかに襲った。片目の巨人の顔面に残った恐ろしい傷痕は、その時の物だったという訳だ。 あやつ、『グレンヴィルとの勝負』に対して、狂気といえるほど執着していた。父と息子の違いが分からなくなるくらいに」
ドクター・ワイルド「ふうむ……」

   キアラン、思案顔で静聴。

プライス判事「今、片目の巨人は正常な受け答えをしていないんだな。壊れてるんだ。あそこまで敗北し、無視されていた……死より耐えがたい屈辱だったらしい」

   ドクター・ワイルド、片目の巨人の奇妙な症状に興味。
   医者ならではの見当を付けて見せる。

ドクター・ワイルド「ショック性の退行現象じゃな」
マティ「あの怪物が? 信じらんない」
クレイグ牧師「因縁とは言え、このような不思議な事があるとは……」

   カーター氏、キアランを気づかわし気に見やる。

カーター氏「大丈夫ですか、リドゲート卿」
キアラン「何だか奇妙な気分がするだけです……血の復讐は、いつの間にか終わっていた……」

   キアラン、少しの間、目に闇を宿す。

キアラン「本当の黒幕を聞けないのは残念ですが……」
カーター氏「いずれにせよ、この件の首謀者は、近いうち暗殺者の運命を知る筈でございます。今後、手を引く事を考えるでしょうね」

   ドクター・ワイルド、注意深く耳を傾けている。

ドクター・ワイルド:心の声(クレイグ牧師がいみじくも述べたように、つくづく不思議な巡り合わせだと思わざるを得ない。 暗殺者を倒す仕事は、体格上の素質を欠くダグラス家の者には不可能だった。ダグラス家は線の細い体格を持つ家系で、平均以上の身体能力は無い。 しかし、キアラン=リドゲート卿は、シンクレア家の戦闘術を身に付ける事が可能な体格に恵まれて……)

X X X

(回想)

   グレンヴィル夫妻の肖像画。
   ロイド・グレンヴィル氏、クローズアップ。軍服姿。

(回想終わり)

X X X

   ドクター・ワイルド、キアランを注意深く観察。
   キアラン、カーター氏やトッド氏と話し込んでいるところ。

ドクター・ワイルド:心の声(復讐の後に来る反動で放心状態になるかと思ったが、いつの間にか、何やら新たに、気に掛かる事が出来ていたか)

   やがてキアラン、頭を抑え、呆れたような溜息。

キアラン「カーター氏が何故、タイターの無茶な誓約書に、すぐに納得して見せたのか分かりましたよ。クロフォード直系親族は……ローズ・パークのオーナー協会員には、なれない」
カーター氏「閣下の意志は、固かったのです」

   カーター氏、困惑気味の苦笑。

カーター氏「ルシール嬢の説得では悩みましたが……タイター氏の、思わぬ横槍のお蔭ですね」
トッド氏「これ程に奇妙な事態が現実に起きていたとは信じられません。 いっぱしの事業家が、条件の成就にあたって、最も重要な要点を失念するなんて……タイター氏は、よほど焦っていたとしか」
カーター氏「まったく同感であります、トッド氏。信じがたい程の迂闊さの故とは言え、タイター氏が、 あそこまで全力で――しかも脅迫的な手段すら用いて――アシストしなければ、ルシール嬢は、きっと、『ローズ・パーク相続を諦める』という選択はしなかったでありましょう」

   トッド氏、あごに手を当てて思案ポーズ。
   トッド夫人、物思わし気に、

トッド夫人「それはそれで、将来、また別の紛糾につながるような、複雑な政治的状況が展開していたかも知れませんね」
プライス判事「うむ。アントン氏は、こういう結果は望まなかっただろうし、ルシール嬢も、新たな現実を受け入れるのは難しいだろうとは思う。 だが私は、これが最も理想的な解決だと信じているんだ」

   キアラン、思案を巡らせる。

キアラン「アントン氏が手がけたバラ園が、この館にもある……私から彼女に話してみます」
カーター氏「それは、良い事でございましょう」

   次の話題、トッド夫妻の土産話に移る。

トッド氏「商会仲間の速報、小耳に挟んで来ました。遂に宮廷疑獄事件の大法廷が開かれて、王室の血縁たる王族親戚や、大貴族の方々も、大勢が連座して弾劾されるとか」
クレイグ牧師「そりゃ、大変なニュースだね」
ドクター・ワイルド「来月からの都の社交シーズンは、大政変の話題で埋まりそうじゃな」

■第七章-09話:クロフォード伯爵の告白ともうひとつの因縁

《人物表》

・ルシール・ライト(25、女主人公)…濃茶色の髪、一見して茶色の目。
・マティ・トッド(9)…イタズラ少年。
・キアラン・ダグラス(27)…公称「リドゲート卿」。
・クロフォード伯爵リチャード(53)…領主。
・弁護士カーター氏(57)…クロフォード伯爵家の顧問弁護士。
・ドクター・ワイルド(76)…クロフォード伯爵の主治医。
・プライス判事(54)…クロフォード伯爵領の主席判事。
・執事(60)…クロフォード伯爵邸の使用人。
・ベル夫人(62)…クロフォード伯爵邸の家政婦長。
・メイプル夫人(70)…元・ライト家の家政婦。
・召使、メイド…各10名ほど。クロフォード伯爵邸の使用人。

○クロフォード伯爵邸、ルシールの部屋(夜)

   クロフォード伯爵とルシール、円卓で夕食を囲んでいる。
   ルシール、『配達ボックス』ディナードレス姿。
   クロフォード伯爵、ポツポツと長い話。

クロフォード伯爵「当時、私は気楽な立場だった。プレイボーイの一人として、各地の社交界をフラフラと巡っていた。 レオポルド=リドゲートが主催する舞踏会にも、親戚づきあいの都合上……そして、30年前の春、ローズ・パークの庭園で、アイリスと出逢ったんだ。 彼女は、アントン氏の庭園作業の助手として、頻繁に庭園に来ていた。不思議な話だが、アイリスと私は、一目惚れだったよ」
ルシール「……じゃ、タイター氏が、その頃、出没していたとかは……」

   クロフォード伯爵、少し苦笑い。

クロフォード伯爵「出没していた。一度、逃げ遅れた事があって、私の馬にアイリスと相乗りして、逃げた事があったよ。 タイター氏は既に、ギャングの手下を引き連れていたからね」

   ルシール、目をパチクリ。

クロフォード伯爵「その春も終わらないうちに、先々代クロフォード伯爵フレデリック殿による、ローズ・パーク破産宣告があった。 レオポルド殿の廃嫡もセットで付いて来て、領内は、にわかに騒がしくなった……当時の情勢を詳しく説明する事は出来るが……大丈夫か?」
ルシール「ベル夫人とウォード夫妻から、詳しくお聞きしました。主だったクロフォード直系親族が、すべて断絶するような深刻な騒動に発展したとか……」

   クロフォード伯爵、ちょっと驚く。
   次に納得顔になる。

クロフォード伯爵「そうか。ベル夫人とウォード夫妻なら、領内の情勢について、比較的公平な視点から、あらかた説明しただろうな……よし」

   クロフォード伯爵、夕食のワインで喉を潤す。
   おもむろに説明を再開。

クロフォード伯爵「ローズ・パーク破産が確定した後から、アイリスとの頻繁な交際が始まったんだ。 ローズ・パークのオーナー協会のバックアップとして、他のクロフォード直系親族と共にダグラス家も参入していて、財務状況の建て直しに関わっていたからね。 あの頃は、ビジネス上の都合で、今よりも舞踏会が頻繁に開催されていた。 忙しくはあったが、オーナー協会の親交と言う名目で二回までは堂々とダンスのペアを組めたから、それは楽しみだったよ。 レオポルド殿は廃嫡という決定を受け入れていなかったから、たびたび舞踏会に踏み入って来て、荒れ模様にはなったが」

   ルシール、納得して頷く。
   クロフォード伯爵、ルシールの納得顔を見て、苦笑。

クロフォード伯爵「政局的には激動の時代で、年間を通して血なまぐさい事件が絶えなかった。ロイド・グレンヴィル氏が介入しなかったら、 我がダグラス家も断絶していたのは確実だったと思う。グレンヴィル氏には、尽きせぬ恩がある」

   クロフォード伯爵、物思わし気に、ふうっと息をつく。
   メイプル夫人、隅のランプの光を調整。
   慎ましく一礼し、控えに引っ込む。

クロフォード伯爵「もうこの時間か……だいぶ話をはしょるが、先々代のフレデリック殿が死亡した後、私の兄が爵位を継いだ。 遺言書にしたがい、グレンヴィル未亡人ホリーを妻に迎えて――キアランの事を、ちゃんと説明する必要があるな……」

   ルシール、相槌。静かに耳を傾けている。

クロフォード伯爵「偶然とはいえ、微妙な時期に生まれたキアランは、非常に危うい立場のまま貴族社会に放り込まれた形になった。 先々代フレデリック殿の予想を超える出来事だった……まかり間違えば、『要らない子』だ。だが、先代――つまり私の兄は、 そういう状況に子供を置く事を絶対に許さないという人だった。 兄は、手を尽くして、キアランを正式に我がダグラス家の嫡子として認め、更にクロフォード伯爵家の嗣子たるリドゲートと定めたんだ。 親族の間で相当に紛糾はしたが、『新・リドゲート卿』の存在は、国家の名のもと、法的に承認された」

   クロフォード伯爵、長い溜息をつく。

クロフォード伯爵「キアラン=リドゲートが二歳の誕生日を迎える前に、先代……私の兄は不審な状況で急死した。 ホリーが生前、ひそかに調べて教えてくれたが、当時アリバイが無かったのはレオポルド殿だ。 動機も死因も、おおかた推察できたが……大変な混乱になって、事件の捜査どころじゃ無かったから、ウヤムヤになってしまった。 今でも悔いが残るところだ」

   少しの間、沈黙が横たわる。

クロフォード伯爵「もうひとつの悔いは、アイリスとの離婚だな。選択の余地は無い状況だったが、今でも、この選択が正しかったのかどうか分からない」
ルシール「……(思案顔でうつむく)」
クロフォード伯爵「キアランが再び危うい立場になったのは、ホリーが病死した時だ」

   ルシール、パッと顔を上げ、目をしばたたく。

クロフォード伯爵「キアランの立場を保証し、更に親族たちをも納得させる事が出来るような、 高位の身分の――『新しい母親にしてクロフォード伯爵夫人』が必要になって来たんだ。方々から再婚話が持ち込まれて来た。 理由は分からないが、ダレット夫人からの……申し出もあった。まかり間違えば不倫ないし重婚になってしまうから、論外だったが」

   クロフォード伯爵、ゲッソリした様子。渋面。
   ルシール、呆然しつつ相槌。
   クロフォード伯爵、ゆっくりと思案顔になる。

クロフォード伯爵「その頃だった。アントン氏が、珍しく、話しかけて来たのは……」

X X X

(回想)

○クロフォード伯爵邸、庭園の一角、新しいバラ園(夕)

   17年前の初秋、秋のバラが盛り。
   クロフォード伯爵(36)、悶々としながら、そぞろ歩き。

   バラ園の茂みから、麦わら帽子がヌーッと現れる。
   クロフォード伯爵、ギョッとして足を止める。
   アントン(57)、茂みから半身を現す。
   無骨な仕草ながら伯爵に敬意を込めて一礼。

   クロフォード伯爵、返礼。
   アントン、顔をしかめ、のっそりと背中を向ける。
   (※人嫌いの偏屈ジジイという感じ)

   アントン、秋バラの枝に目を留めつつ、

アントン(57)「あの若さんは、見込みのある若枝に育った。母親は、素晴らしい人だったに違いない」
クロフォード伯爵「……(複雑な表情で立ち尽くす)」
アントン「その昔、私の妻は、他の男と駆け落ちして出て行った。私がビリントン家の厄介者だったせいで、色々とあってな。アイリスは幼い頃だったが、覚えていて……いや……、私事だ」

   クロフォード伯爵、少し目を見張る。静聴。
   アントン、喋り慣れていない様子。
   麦わら帽子にしきりに手をやり、次の言葉を考えている気配。

アントン「……若枝の時間は、とても速い。今、手を離したら、取り返しがつかん。私は、再婚はしなかった。閣下が、いかがされるかは分からんが。あの若さんは……」

   クロフォード伯爵、無言で目を見張る。
   再び秋風がザアッと吹く。
   秋バラの花々が、ざわめき揺れる。

(回想終わり)

X X X

○クロフォード伯爵邸、ルシールの部屋(夜)

   ルシール、目を見開いている。

ルシール「そんな事があったんですか」
クロフォード伯爵「ああ……」

   クロフォード伯爵、固く組んだ手元に視線を落とす。
   少しの間、深い沈黙。

クロフォード伯爵「世相の変化の不思議と言うべきかな。同時並行で、貴族社会における養子縁組の法律整備が急速に進んでいたんだ。 あの秋の間に、法律が公布され、全国に施行された。キアランの立場は不安定ではあったが、結婚適齢期までの法的な余裕を得る形になった」

   ルシール、うつむく。
   クロフォード伯爵、思案顔が続く。

クロフォード伯爵「ホリーを看取った後、アイリスが生きていた事を知っていたら……再婚を真剣に考えたと思う」

   クロフォード伯爵、不意に目をパチクリさせる。

クロフォード伯爵「……ただ、キアランは、当時は難しい年頃でもあったからな。アントン氏は、そういう事まで配慮してくれたのかも知れない」

ルシール:心の声(祖父は、伯爵さま宛の私信を書かなかったのだ。アイリスが生きていた、という事実を、 沈黙し続けた……祖父は、理解していたに違いない。遺された子供の、不安や孤独感を……)

   ルシール、深い物思いに沈む。沈黙が続く。
   ふと、クロフォード伯爵の視線に気づき、面を上げる。
   クロフォード伯爵、心配そうな表情。

   ルシール、改めてライラック色のショールを引き寄せる。

ルシール「……リドゲート卿は、良い伯爵におなりになると思いますわ。母も、きっと、そう思っていたと思います……」

   クロフォード伯爵、驚いたように目を見張る。
   ルシールをしげしげと眺める。ルシール、笑みで応える。
   クロフォード伯爵、ホッとしたかのように顔を伏せ、深い溜息をつく。

   クロフォード伯爵、やがて、パッと思いついた様子。
   再び顔を上げ、また別の意味深な眼差し。

   奇妙な間が空く。

   ルシール、不思議そうに小首を傾げる。
   クロフォード伯爵、不意に、笑みを浮かべる。

クロフォード伯爵「実に光栄だ……時に、キアランは、ルシールに求婚をしているそうだが」
ルシール「……!」

   ルシール、真っ赤になってソワソワ。
   クロフォード伯爵、面白そうに眺める。イタズラっぽい微笑み。

クロフォード伯爵「あれは、つくづく堅物だし、言葉も相当、ひねくれているヤツだ。しかし、政略結婚やら血統の都合は別にして、ルシールにぞっこんではあるらしい。 実にひねくれた物言いではあったが、改めて、クロフォード直系親族ローリン家の令嬢に求婚する、と言って来た」
ルシール「……(真っ赤になったまま、うつむく)」
クロフォード伯爵「ふむ……脈は、あるらしいな」

   クロフォード伯爵、意味深に呟く。
   ひょこっと顔を出して来たメイプル夫人に目配せ。
   メイプル夫人、松葉杖を出して来る。

   クロフォード伯爵、松葉杖を突いて立ち上がりつつ、

クロフォード伯爵「色々あって疲れただろうな……今宵は休んでくれたまえ」
ルシール「お気遣い頂いて有難うございます、伯爵さま……」

   ルシール、無意識のうちに、社交界における公式な礼儀作法。
   身分の高い人物である伯爵に合わせて椅子を立ち、丁重な礼。

   クロフォード伯爵、少しの間、思案顔。
   ゆっくり微笑み、頷いて応える。
   クロフォード伯爵、ルシールの部屋を退出。

○クロフォード伯爵邸、正面階段(夜)

   執事が待機していて、クロフォード伯爵を介助。
   細く高い窓の外で輝く、夜の星の光。

クロフォード伯爵「不思議なくらいに、絶妙なタイミングで出逢ったものだな。今の『この時期』で無ければ、 その前であっても後であっても、同じように出逢ったとしても、このような結果になったかどうか」
執事「さようでございましょう。僭越ながらわたくし、バラ窓の刻印の聖句『劫初、終極――』の、真の意味が分かったような気がいたします」
クロフォード伯爵「あの『花の影』とも言われているフレーズか。全知全能の神を称える聖句と言われている割には、不思議な言葉だ」

   クロフォード伯爵、少しの間、星の光を眺める。

○クロフォード伯爵邸、地階の回廊(昼)

テロップ『数日後』

   ルシール、ベル夫人やメイドと共に、荷物の整理中。
   マティ、ピョンピョン飛び跳ねながら、やって来る。
   大蛇のオモチャの魔改造バージョン、マティの周りでユラユラダンス。

マティ「上京の時の荷物がちょっと増えるけどさ、これも、持ってって良いだろ」
ルシール「それは、さすがに考え物じゃないかしら……(圧倒されつつ、苦笑)」
ベル夫人「首都の夏の社交界で、恐ろしいモンスターが出現したという騒ぎになりそうですね(真面目な顔)」
メイド1「私も同感でございます……(引きつった笑み、尻込み)」
メイド2「(回廊の端から走って来て)あの、プライス判事とカーター氏が、玄関広間にいらっしゃいました……キャーッ! オバケ!?」

   メイド2、仰天の余り、失神してバタッ。
   メイド1とベル夫人、メイド2を介抱。
   ルシールとマティ、後をベル夫人とメイド1に任せる。
   メイド2に代わって、プライス判事の応対のため、玄関広間に向かう。

マティ「ルシールは、上京の日まで、ずっと居るの?(目をキラキラ)」
ルシール「まぁ、伯爵さま直々に、ご依頼があったし……」
マティ「上京の時は、ルシールも一緒に来るよね、ね!?」
ルシール「アントン氏の事件の後処理も、それなりに済んで来たところだから、ご依頼があればお供するわ」
マティ「じゃ、リチャード伯父さんにオネダリしとこう(何かを企んでる顔)」
ルシール「……(苦笑)」

○クロフォード伯爵邸、最上階、クロフォード伯爵の応接室(昼)

   ドクター・ワイルド、クロフォード伯爵の往診に来ている。
   ルシールとマティ、応接室に顔を出す。

ルシール「伯爵さま、カーター氏とプライス判事が、おいでですわ」
マティ「カーティス案件だから、耳に入れといた方が良いってさ」

   ルシールとマティ、連れ立って退室。
   ドクター・ワイルド、奇妙な目つきでクロフォード伯爵を眺める。
   ギョロ目を細め、眉を鋭く上げて見せる。

ドクター・ワイルド「――『お父様』じゃ無いのかね?」

   クロフォード伯爵、無言で苦笑い。
   執事、松葉杖を取り出しつつ、

執事「リドゲート卿と結婚すれば、閣下を『お父様』とお呼びになりますでしょう」

   ドクター・ワイルド、再び、奇妙な目つき。
   ヒゲを撫でつつ、クロフォード伯爵をじっと眺める。
   クロフォード伯爵、苦笑しつつ、

クロフォード伯爵「まだ確かな話じゃ無い……」

○クロフォード伯爵邸、大広間(昼)

   大広間に一同、揃う。
   クロフォード伯爵、プライス判事、キアラン、カーター氏、
   ドクター・ワイルド、マティ、ルシール、クレイグ牧師。
   プライス判事、茶を一服。

キアラン「アシュコート伯爵領への緊急の出張の用事は、済んだのですか?」
プライス判事「その件で、報告する必要が出て来てな。いやあ、実に驚いたの何の。都の社交シーズンが始まったら、絶対にカーティス夫人が宣伝しまくるぞ」
キアラン「確か、あの召喚状は『ナイジェル・ビリントン氏の身柄を早急に確保し、アシュコート伯爵領・レイバントンの町の裁判所まで護送せよ』という内容だった筈ですが」
プライス判事「うむ。たまたま別件逮捕でナイジェルを拘束中だったんでな、そのまま直行した」

   カーター氏、訳知り顔で沈黙。穏やかなポーカーフェイス。
   ドクター・ワイルド、カーター氏を眺める。
   ピンと来た顔になり、ギョロ目をキラーン。

ドクター・ワイルド「やけに、もったいぶっているな、プライス判事。カーター氏も、さっさと要点を言わんかね」

   プライス判事、無邪気な顔で、目をくるっと回して見せる。
   口元だけは、笑いをこらえるようにピクピクしている。

プライス判事「指定の裁判所で、アラシア・ダレット嬢とナイジェル・ビリントン氏が、結婚した」

   大広間の面々、一瞬、沈黙。

マティ「アラシアとナイジェルが結婚した……!?」

   ルシール、目をパチクリ。

   クロフォード伯爵、疑問顔でカーター氏を振り返る。
   カーター氏、苦笑して一礼。

プライス判事「あのお二人は、レイバントンの町で、縁組詐欺の罪で訴えられていたと言う話でな。かのアラシア嬢、訳の分からん深夜の駆け落ちだか出奔だかで、 アシュコート伯爵領に到着した瞬間、身柄拘束されていたそうだ」

   カーター氏、苦笑しつつ、咳払い。

カーター氏「タイター氏がナイジェル氏に、アシュコートのセクハラ訴訟や縁組詐欺訴訟の件について指摘していた件、真実でございました。 アシュコート社交界の『縁組サービス』は評判ですし、その評判に傷がつきかねない事件だったそうで。 被害者たる『縁組サービス』代表のイザベラ嬢は、法廷の召喚状まで手抜かりなく作成しておられました」
クレイグ牧師「……(戸惑い)最近の法律には疎いのですが、カーター氏、それですと、確か交通費や裁判費用、それに結婚費用も、お二方の負担になるのでは?」
カーター氏「イザベラ・ジャスパー嬢は、ベテラン弁護士も恐れ入る程の淑女でございますね(苦笑)」

   クロフォード伯爵、目をパチクリ。
   ドクター・ワイルド、珍しく圧倒されている。

プライス判事「アラシア嬢とナイジェル氏は、裁判所の中で、賠償金を払うか、結婚を行なうか、二つに一つだと、『縁組サービス』のイザベラ代表、 その他の幹部スタッフ嬢の面々に脅迫され……、いや、説得された。後々までの語り草だな(シミジミ)」
ドクター・ワイルド「レオポルド殿とダレット夫人、レナードは、何をしていたんじゃ?」
プライス判事「裁判所の中で、アラシア嬢と一緒に脅迫され、いや、説得されて、震えあがっていた」
ドクター・ワイルド「あのダレット一家をか? タダ者では無いな」
プライス判事「まったく。伝説の戦女神(ワルキューレ)は実在した訳だ。アラシア嬢の事だ、暇つぶしの冗談で縁組作戦に乗っていたんだろうが、 イザベラ代表の『縁組サービス』は、正式な結婚を前提にしていたからなあ……」

   プライス判事、感慨深そうに、お茶を一服。

ドクター・ワイルド「全く、何たる事じゃ! 全く」
クロフォード伯爵「信じられんが、納得は出来る」
クレイグ牧師「ライナス氏も、やれやれだね……」

   ルシールとキアラン、お互いの当惑顔を、無言でそっと見交わす。

マティ「アラシア・ビリントン夫人ーッ!? 何かスゲェ!」

■第七章-10話:首都、拉致事件と銃撃戦

《人物表》

・ルシール・ライト(25、女主人公)…濃茶色の髪、一見して茶色の目。
・アンジェラ・スミス(25、ダブル女主人公)…金髪緑眼の絶世の美女。
・キアラン・ダグラス(27、男主人公)公称「リドゲート卿」。
・エドワード・シンクレア(27)…キアランの親友。
・ヒューゴ・レスター(25)…寄宿学校時代のキアランとエドワードの後輩。
・マティ・トッド(9)…イタズラ少年。
・クロフォード伯爵リチャード・ダグラス(53)…領主。
・ランスロット・ナイト(29)…遊び人風の洒落た紳士。リリスの愛人の一人。
・レナード・ダレット(27)…金髪碧眼の美青年。赤毛男に変装。
・小太り牧師(27)…寄宿学校時代のレナードの不良仲間。
・黒ネコ・クレイ…アンジェラの飼い猫。
・首都の人々

○首都、メインストリート、中央公園(昼)

テロップ『首都の初夏の社交シーズン』
テロップ『メインストリート、中央公園』

   正午に近い頃。
   中央公園の樹林の散策路。各所に休憩用のベンチ配置。
   近くにカフェテラスがあり、紳士淑女の人通りが多い。

   アンジェラとルシール、パラソルを差して散策中。
   黒ネコのクレイ、二人の足の間をクルクルと走り回る。

アンジェラ「ナイジェルとアラシアね……結構うまく行く組み合わせかも知れないわよ」
ルシール「……案外、良い夫婦って事?」
アンジェラ「人騒がせな夫婦ってとこね。互いの非常識が見事、合致するの。『喧嘩する程に仲が良い』というか……芸術的なまでに」

   アンジェラ、緑の目をキラキラさせ、イタズラっぽい顔つき。
   口元、吹き出し笑いを押さえようとして、プルプル震えている。

アンジェラ「離婚と再婚の大騒動を、何度も繰り返す未来が見えるわ」
ルシール「……(目をパチクリ)」

   カフェテラスを横切る。新聞・雑誌の棚がある。
   アンジェラとルシール、少し立ち止まり、見出しを眺める。

(雑誌の見出し1)『話題のトラブル・メーカー・カップル、銃弾の飛び交う夫婦喧嘩! ギャングも入り乱れての、痴話喧嘩の行方に刮目せよ!』
(雑誌の見出し2)『セントラル湖にて、話題の巨大モンスター浮上か! 伝説の多頭の大蛇モンスター、ハイドラは実在した!?』
(雑誌の見出し3)『某・伯爵領の出身のギャング某氏、モンスター捕獲ビジネスを開始との噂。トラブル・メーカー・カップル、 ライバル事業家の舞踏会に乗り込み、豪邸の屋根を吹っ飛ばす大乱闘!』

   アンジェラとルシール、肩をすくめ、苦笑。
   散策を再開。
   少し先のベンチに到着。

   ルシール、ベンチの前でパラソルを畳みつつ、

ルシール「脚は、まだ痛む?」
アンジェラ「ちょっとだけね。ゴールドベリの通過儀礼が、軽く済んで幸いだわ。あの雷撃にしては結構、良い結果だし、進行性じゃ無いし」

   アンジェラ、庭園のベンチに手を掛けて身体を支える。
   黒ネコのクレイ、ベンチの上でピョンピョン飛び跳ねる。
   二人、ベンチに腰を下ろす。

アンジェラ「……それより、ショックじゃ無かった? ローズ・パークの相続は、無しになったでしょ」
ルシール「(コックリ頷く)……クロフォード伯爵邸の方にも、祖父が手がけたバラ園があって……少し拡張して、管理を任せると言ってくださったの。 土に手を入れて、ハーブも植えてみようかと……」
アンジェラ「成る程。そのうち、ゴールドベリからハーブを送るわね」
ルシール「良いのかしら……私、まだ慣れなくて……」
アンジェラ「あら、ベスト・カップルよ、あなたたち」

   黒ネコのクレイ、不思議な蝶とクルクル回っている。
   不思議な蝶、アンジェラの視線の先に飛んで行く。
   アンジェラ、気付き、しばらく観察。
   やがて、ルシールに向かって、ウインク。

アンジェラ「想定外の結果だけど……公認の件は、喜んでるって言ってるわよ」
ルシール「……?」
アンジェラ「――お母様が(蝶を指差す)」

   ルシール、驚きに頬を染めて、蝶を見つめる。
   蝶、意味ありげにルシールの周りを一周し、飛び去る。

   昼時を告げる時計台の鐘の音。

アンジェラ「そう言えば、お昼の会議が終わる頃だわ。そろそろ、約束の喫茶店で待ち合わせと行きましょか」

○首都、メインストリート(昼)

   アンジェラとルシール、メインストリートに移動。
   乗合馬車の列が続いている。多くの馬車と人々とで混雑。

アンジェラ「この道路の混雑ぶりって、さすが首都ね。……エドワード! 此処よ!」

   アンジェラ、道路の向こう側に向かって、手を振る。
   ルシール、背伸びをしてキョロキョロ。
   背の高い赤毛男、背後から素早くルシールに接近。

   背の高い赤毛男、ルシールのパラソルを叩き落とす。
   ルシール、ビックリ。
   ルシール、パラソルを拾おうと身をかがめる。
   背の高い赤毛男、ルシールを一気に抱きかかえる。

ルシール「……!?」

   背の高い赤毛男、ルシールを抱えたまま、逃走。
   アンジェラ、ギョッとする。

アンジェラ「ルシール!」

   アンジェラ、身を返す。
   別の男ランスロット、近づき、アンジェラを拘束。
   背後の物陰に引きずり込もうとする。

アンジェラ「ちょっと何するのよ!」
ランスロット「まあまあ、ステキな事しようじゃないか」

   アンジェラ、腕を振り回し、抵抗。
   エドワードとキアラン、異変に気付く。
   馬車の行き交うメインストリートを横切って駆け付け。

   エドワード、ランスロットを鉄拳制裁。
   ランスロット、路上にゴロリと転がる。

ランスロット「話と違う……」
アンジェラ「(サッと見回し、愕然)交通の多い道路だから、乗合馬車の列が死角になって……!」

   エドワード、転がった男の人相を確認。

エドワード「また、お前か! マダム・リリスの遊び相手の……!」
ランスロット「私にも、ちゃんと名前があるんだ! ランスロット・ナイトと言う――」

   エドワード、胸倉をつかむ。ランスロットの衣服、ズレる。
   バラバラと硬貨や紙幣が落ちる。
   ハッとして目を剥くアンジェラ。

ランスロット「ゲッ」
アンジェラ「人さらいとグルだったのね……!」
エドワード「貴様、金を受け取って邪魔を!?」

   キアラン、ステッキを構え、ランスロットを見据える。
   ランスロット、恐怖。口を引きつらせる。

ランスロット「わッ、私は無実だ!」
アンジェラ「ルシールをさらった男は一体、誰よ!」
ランスロット「しッ、知らないよ、覆面なんだから! その辺で意気投合しただけの関係で、最近は金欠でさ」

   エドワード、ランスロットの胸倉をつかんで持ち上げる。
   キアランと不穏に目配せ。
   ランスロット、ギョッとし、更に慌てる。

ランスロット「彼の情熱の恋、決死の駆け落ち、協力しても罰は当たらん筈だ」
アンジェラ「あれが駆け落ちの筈、無いでしょ! この節穴ッ!」
キアラン「すぐに追わないと……他の交差点に到達する前に、身柄確保を」
アンジェラ「待って! ルシールが何処へ行くか、見えるのよ!」
エドワード「……透視能力か!」

   エドワードとキアラン、目を見張る。
   ランスロット、ビックリ。

アンジェラ「その次の通りを大回りした裏よ……あの建物の中、突っ切れるなら、先回りできる」
エドワード「公文書館の、二号館か!」

   エドワード、ランスロットを路上に放る。
   キアラン、駆け出す。
   エドワード、アンジェラを抱えて後に付く。
   (※アンジェラは余り走れない身体)

○首都、メインストリート、公文書館の二号館(昼)

   公文書館の中に突入。
   受付警備人、ビックリしながらも人相に気付く。
   配下の門番グループに向かって、

受付警備人「すぐに通せ! リドゲート卿とエドワード卿だ!」

   門番多数、次々に道を開ける。

アンジェラ「忘れてたわよ、顔パスで役所を突っ切れる程の身分だったのね」
エドワード「この前の疑獄事件の時は、常連だったんだ」

   廊下の突き当たりに到達。
   何らかの荷物をゴソゴソやっていたヒューゴ、仰天。

ヒューゴ「先輩!?」
エドワード「ヒューゴは、何故か常に必要な時に居るんだな」
キアラン「裏通りはどちらだ! 赤い壁飾りの集会所の前に出るドアは」
ヒューゴ「向こうですよ。一体、どうしたんですか!?」

   ヒューゴ、目的のドアを案内。
   ドア、開く。

○首都、裏通り、場末の集会所(昼)

   小さな集会所に到達。
   ほとんど使われておらず、さびれている。
   目印の赤い壁飾りが目立つ。
   裏通りの建物に特有の、薄暗さ、いかがわしさ。

   集会所の奥の方に、大きな窓。家具は、ほとんど無い。
   ボロボロでガタついている円卓、数種のビリヤード台。
   無人。

エドワード「誰も居ない?」
アンジェラ「先回りが速すぎただけよ!」
ヒューゴ「裏口から、誰か来た!」

   四人、物陰の暗がりに素早く身を潜める。

   裏口の扉が無造作に開かれる。
   二人の怪しげな男が入り込んで来る。
   片方は、人間を横抱きにかかえている格好。

   大きな窓の前、不審人物が並ぶ。
   一人は、小太り牧師(27)。
   もう一人は、男は背が高く立派な体格。不自然な赤毛。

エドワード:ささやき(裏街道の牧師か……、確実にモグリだな)
ヒューゴ:ささやき(あの赤毛、女性を小脇に抱えてますよ。さらって来たんですか……え!? 彼女、ルシールじゃないですか!)

   キアラン、険しい眼差し。

   小太り牧師、懐から儀式用の書物を取り出す。
   不真面目な態度ながらも、

小太り牧師「この秘密結婚の礼金は、タンマリ用意しておけよ。招待客は居ないが、異議あらば唱えん……」

   ルシールの口、赤毛の男の手によってシッカリ塞がれている。
   異議どころか何も言えない状態。

   キアラン、物陰から立ち上がる。
   手に持っていたステッキを構える。

キアラン「異議あり!」
小太り牧師、赤毛男「何いッ!(異口同音)」
アンジェラ「食らえ、ネコ爆弾!」

   アンジェラ、『殺(や)る気』満々の黒ネコのクレイを差し向ける。
   黒ネコのクレイ、飛び掛かり、曲者の顔を次々に引っかく。

小太り牧師「ぎゃああ!」
赤毛男「痛い、やめろ!」

   ルシール、拘束を抜け出し、キアランに飛びつく。

ルシール「あの人、銃いっぱい持ってる!」

   小太り牧師、赤毛男、それぞれ銃を取り出す。

赤毛男「この野郎どもが!」
小太り牧師「神の名において殺す……! 正義の鉄槌、食らえや!」

   小太り牧師、多くの銃口を備えた新型銃で銃乱射。
   弾幕を避けるため、五人、一斉に物陰に身を潜める。
   大音量の銃声。大量の硝煙、もうもうと漂う。

   赤毛男、銃を構えながらも、ポカン。
   硝煙の煙幕に阻まれて、狙いを付けられなくなっている。
   弾幕の嵐が過ぎ去った後の集会所の壁、穴だらけ。

エドワード「下らん腕前だ」
アンジェラ「何言ってるのよ! 銃乱射が、ご趣味の、極道牧師だなんて、存在自体が犯罪よ!」

ヒューゴ「え、えーと、心配しなくても、証拠写真を撮れば逃げられません」

   ヒューゴ、先程から手に持っていたカメラに手を掛ける。

   強烈なフラッシュ、爆発。
   煙幕と衝撃の大砲、小太り牧師と赤毛男を襲う。
   二人とも吹っ飛ばされ、床の上に勢い良く叩き付けられる。
   静電気らしき青白い電光に取り巻かれ、謎の痙攣。

エドワード「……あれが、カメラ?」
ヒューゴ「まさか」
アンジェラ「な、なんなの? あれ」

   小太り牧師、完全に失神。
   赤毛男、よろけながらも身を起こし、

赤毛男「クソッ!」
ヒューゴ「あッ、逃げた!」

   赤毛男、裏口へ逃走。    エドワード、ヒューゴ、アンジェラ、追う。

○集会所の裏、裏通りの裏通り(昼)

   エドワード、ヒューゴ、アンジェラ、裏口の扉から外に出る。
   裏通りの街路樹に沿って、猛スピードで駆け去っていく乗馬姿。

アンジェラ「馬が……!」
エドワード「手回しの良い奴だ」

   ヒューゴ、辺りを確認。    裏通りを仕切る掘割と柵の向こう側を見渡す。
   掘割の中には、射撃場がある。

ヒューゴ「射撃場の裏……! これじゃ、牧師が銃を撃っても、誰も来ませんよね」
アンジェラ「髪の毛が落ちてる。あの赤毛、カツラを使った変装なんだわ」
エドワード「悪くない計画だ。奴は本気で、婚姻の事実を成立させる予定だったんだな」

   三人、呆然としながらも、集会場に引き返す。

   裏通りの街路樹の中、息を殺して潜んでいる人物。
   別ルートで追いかけて来た、ランスロット・ナイト。
   ランスロット、赤毛男が走り去った方向を眺めつつ、

ランスロット:心の声(フフフ。尾行はしてみる物だ。あの怪しい赤毛の覆面男の正体は、シッカリ見たぞ! こりゃ素晴らしいゴシップの種……!)

○首都、裏通り、場末の集会所(昼)

   ルシール、まだ恐怖と動転が続いている。
   キアランにしがみ付いたまま。
   キアラン、ルシールを何とか落ち着かせる。

   エドワード、ヒューゴ、アンジェラ、裏口から戻る。

エドワード「馬で逃げられた。あの赤毛は変装だったし、手がかりは、このモグリ牧師だけだな」

   小太り牧師を一斉に注目。
   完全に失神しており、当分、目が覚める様子はない。

エドワード「証拠写真とか言ってたけど……撮れたのか?」
ヒューゴ「それが……余り確信、無くて」
エドワード「それにしても、煤(スス)まみれだな」
ヒューゴ「カメラと言う説明でしたがね、まるで宇宙人のSF兵器です。マティ少年の発明だけに、謎ですね」 キアラン「マティの発明なら、納得できる」
ヒューゴ「なんですか、その恐ろしい納得は!」

   アンジェラ、雨水の溜まったバケツを持ち込む。
   小太り牧師に水を掛けてみる。反応なし。

アンジェラ「バケツの水でも目を覚まさないわ……こういう類の極道牧師には、天罰テキメンってところね」

   バケツの水で煤(スス)が流れ、牧師の人相があらわになる。
   中年を思わせる小太りの体型の割には、意外に若い男。

ヒューゴ「このモグリ牧師……! 寄宿学校の先輩だ! 僕たち下級生からカツアゲしていた、不良グループの! 確かレナードも、そのグループメンバーで」
エドワード「驚きの再会だな。殆どの科目で――特に武術で全て落第して、確か留年していた筈だが……」
ヒューゴ「卒業はしてます、親の七光か何かで。彼の父親が確か、銃器工場を所有する資産家で……準男爵の名誉を受けてるんで」

   アンジェラ、ピンと来た顔。

アンジェラ「成る程……それで銃乱射の趣味って訳。学内で新型銃を見せびらかして、ボスを気取って歩くような学生だったんでしょ」
ヒューゴ「大当たりです。学校では最大の不良グループを仕切ってました。工場主&準男爵どころか、裏街道のモグリ牧師とは、落ちぶれたって言うか……」

   ルシール、不意にハッとする。

ルシール「レナード様に恐喝詐欺のコツを伝授していた、寄宿学校の友人って、まさか……」
アンジェラ「この人脈は、納得だわ……(確信を持って頷き)」
エドワード「レナードはルシールと結婚すれば、身分回復する可能性がある。動機を考えるとレナードで決まりだが。こいつに白状させる事は、難しいだろうな」

   キアラン、不機嫌な様子ながら、頷いて同意。

ヒューゴ「モグリとは言え、牧師で、秘密結婚じゃ沈黙の義務がありますしね。子孫の名誉に関わる問題じゃ無いと、情報公開は出来ないし」

   黒ネコ・クレイ、アンジェラの足に擦り寄る。
   アンジェラ、黒ネコを抱き上げる。自信タップリに、

アンジェラ「犯人を捜すのは難しくないかも。最近、ネコに顔を引っかかれた男を調べれば良いわ。そろそろ落ち着いて来たかしら、ルシール?」

   ルシール、おずおずと頷く。

   五人、失神したままの小太り牧師を集会所に放置、退去。
   キアラン、ルシールにエスコートの腕を差し出す。
   ルシール、腕を取る。

○首都、メインストリート、中央公園(昼)

   五人、公園に入る。

エドワード「とんだ午後の冒険だったな」
キアラン「この件を冗談で済ますつもりは無い……今日中にも中央の筋に報告する」

   アンジェラとルシール、パラソルを回収するべく、脇に入る。
   二人、パラソルを手にしたところで、カメラのシャッター音。
   ビックリして振り返る。
   近くの木の枝の上、マティがカメラを構えている。

ルシール「……まあ、マティ!」
マティ「何処に行ってたんだよ? 角の喫茶店に居なかったから、どうしたかと……」

   マティ、ヒューゴに気付き、カメラを見せびらかす。

マティ「オイラの新発明のカメラ・オブスキュラ、すっげえイイだろ?」
ヒューゴ「あッ、マティ君。このカメラに、もしかしたら、変な爆弾とか入れてない?」
マティ「種も仕掛けも無いけど……(カメラを調べ始める)、げ! あッ、やっちゃった。フラッシュ用の燃料が多過ぎた……」
ヒューゴ「それだけで、あんな威力が出るなんて」
キアラン「また変な物を発明したな」
エドワード「軍は、えらく興味を持つぞ」

   黒ネコ・クレイ、一同の足の間を気ままに巡り歩いている。
   不意に、急に、毛を逆立てて茂みに近づく。

アンジェラ「どうしたの、クレイ?」
ルシール「アンジェラ?」

   アンジェラとルシール、移動開始。茂みに分け入る。
   エドワード、キアラン、マティ、興味津々で後に続く。

■第七章-11話:虚実流転〜花の影を慕いて

《人物表》

・ルシール・ライト(25、女主人公)…濃茶色の髪、一見して茶色の目。
・アンジェラ・スミス(25、ダブル女主人公)…金髪緑眼の絶世の美女。
・キアラン・ダグラス(27、男主人公)公称「リドゲート卿」。
・エドワード・シンクレア(27)…キアランの親友。
・ヒューゴ・レスター(25)…寄宿学校時代のキアランとエドワードの後輩。
・マティ・トッド(9)…イタズラ少年。
・クロフォード伯爵リチャード・ダグラス(53)…領主。
・レナード・ダレット(27)…金髪碧眼の美青年。ダレット準男爵令息。
・シャイナ(26)…金髪碧眼。絶世の美女。カーティス夫妻の姪。
・ランドール氏(31)…裕福な資産家。シャイナの秘密の夫。
・黒ネコ・クレイ…アンジェラの飼い猫。
・首都の人々

○首都、メインストリート中央公園、ひそやかな茂み(昼)

   聞き覚えのある男女の声が聞こえて来る。
   茂みの中に潜む五人&黒ネコで、耳を澄ます。

   二つの人影が動き、姿をあらわにする。
   レナードとシャイナ。

シャイナ「世間では妙な噂を聞くのよね。噂では、謀反の罪で爵位継承権を喪失と言う話だけど? ダレット家のレナード様。 そう言えば、そのお顔の傷、真新しいけど、変な事してネコにでもやられたのかしら? 不幸と失敗は、不思議な程に重なるのよね」

   レナード、引きつった笑みを浮かべつつも無言。    シャイナ、ナイスバディをくねらせ、レナードの頬を撫でる。

シャイナ「この間の、妹アラシア様の駆け落ちと結婚も、巷のゴシップよね。宮廷の一大疑獄事件の大法廷の話、 お聞きになりました? お父上にゆかりのある王族親戚の方々、大法廷で弾劾を受けている真っ最中だそうだけど?」
レナード「我がダレット家にとっては、些細な話だ」
シャイナ「フフフ……ローズ・パークのオーナー契約の法的解釈の歪曲、ライバルとなる直系親族を潰す陰謀の数々――ギャングと共に、 かの王族親戚の権勢拡張の手先となって、ダレット一家がクロフォード伯爵家を乗っ取る計画……全て水の泡になったって事は無いかしら?」

   レナード、ギョッとした顔になる。
   すぐに気を取り直す。

レナード「証拠は無いんだ。ダレット家の無実は立証されている」
シャイナ「ギャング抗争に紛れてリドゲート卿を暗殺するという作戦は、レナード様が立案したそうだけど、血の海に沈める前に、奇想天外すぎる大爆発が起きた訳よね」

   レナード、息を呑み、愕然とした表情。

レナード「何故……」
シャイナ「……私が秘密を知っているのかって事かしら? フフフ。先日、かの王族親戚のトップを説得したのよね……この美貌でね。 魚心あれば水心……と言うじゃ無いの」
レナード「どうやって接近した!?」
シャイナ「本当に観察力が貧困な方だわね……この美貌を見て、誰かに似ている……と思わない?」
レナード「まさか……」
シャイナ「先日、カーティス夫妻から、ルシール嬢がレオポルドの私生児では無いか――と言う疑惑を聞いた時、驚いたわ」

   シャイナ、ドラマチックに間をおいて、

シャイナ「そう……この私こそが、レオポルドの私生児の一人なのだから……!」

   茂みに潜む五人、息を呑む。

シャイナ「それに、もっと興味深い真実を教えてあげるわ、腹違いのお兄様。 アラシア嬢は、本当はレオポルドの子供じゃ無いのよね。レディ・カミラが、ご夫君の留守の間に浮気した結果なの」

   茂みに身を潜めて聞き耳を立てていた一同、再び唖然。

シャイナ「年が少しばかり離れていて当然ね。テンプルトン抗争で記録が混乱するのを良い事に、火遊びを楽しんでらしたし」
レナード「し……信じられるか!」
シャイナ「私は、すぐに分かったわよ。兄妹にしては、顔立ちが異なっていらっしゃるし。色々考えると、ナイジェル氏は、実にアラシア嬢にピッタリのお相手だと感心したわ」

   レナード、もはや恐怖に打ち震えている。

レナード「じゃ、だ、誰が、アラシアの実父だと……?」
シャイナ「片目の巨人よ」

   恐ろしい沈黙が漂う。
   シャイナ、慈悲深いとすら言える笑みを見せる。

シャイナ「若い頃は、彼も美青年だったとか。海賊のような危険な魅力があったそうよ。最近は使い物にならなくなったという話だけど。 でも、何かの拍子に正気に返って、この真実を暴露したら。首都の社交界で、この話が広まったら……」

   レナード、顔に恐怖を張り付かせ、遁走。

シャイナ「予想外に早く消えて頂けたわね……あら、そろそろね」

   シャイナ、事も無げに懐中時計を手にしている。
   程なくして、大富豪ランドール氏、姿を現す。

ランドール氏「待ったかな、愛しい妻よ」
シャイナ「ええ! 私にはあなただけなの、秘密の旦那様」

   茂みの中に潜む面々、ひたすら驚き。

ランドール氏「私が居ない間は寂しかっただろう、美しいシャイナ。経営会議が一杯、押して来たんだ。大勢の貴族から投資話が来るし」
シャイナ「まあ、ダレット家からも投資話があったでしょう?」
ランドール氏「良く分かるね」
シャイナ「気になる噂を聞き込んだのよ、愛しいあなた。今宵にも社交界で、アラシア様の実父の名前とか、関連のゴシップが炎上する見込みなの」

   シャイナ、無邪気に目をパチパチさせ、

シャイナ「大急ぎで投資を引き上げた方がよろしくてよ」
ランドール氏「片目の巨人と、レディ・カミラの火遊びの件だな。これは貴重な情報だ……賢い妻のお蔭で、我が資産は年内にも倍増の見込みだよ」

   秘密の夫婦、改めて情感タップリに抱き合う。
   ルシール、慌てて、「子供には目の毒よ」とマティの目を塞ぐ。
   『きわどい大人の戯れ』特有の、妙な喘ぎ声と物音と息遣いが続く。

   やがて、ランドール氏、名残惜し気に熱いラブシーンを終える。

ランドール氏「シャイナの亡き姉上殿は、レオポルドの私生児だった……ひとつ、無念を晴らせたね」
シャイナ「ええ、本当に。あ……そう言えば、レナード様は、本当は私の方が私生児なのだと誤解しているかも知れないわね」

   シャイナ、情感タップリにランドール氏の頬に口づけ。
   再び、秘密の夫婦の、第二の『きわどい戯れ』。
   特有の、妙な喘ぎ声が再開する。

シャイナ「本当は、あなたの方が、レオポルドの血筋なのだけど……」
ランドール氏「そう、この程度で驚いてはならない……レオポルドの子供は、まだまだ出て来る。 その全員が、ダレット準男爵家の嗣子の座を狙っている。マダム・リリスの愛人だった伊達男ランスロット・ナイトもレオポルドの息子、 レナードを陥れるネタを見付けたとかで、ゴシップを作ってるよ……」
シャイナ「公認の嗣子なら、準男爵の地位は確実ですものね。血縁詐欺師の活動も、全国で始まってるわ。ダレット家に押し掛ける自称・後継者が何人まで増えるのか、 今から恐ろしい程よね」

   時計台の鐘の音、響き渡る。
   秘密の夫婦、情感タップリに眼差しを交わす。

ランドール氏「では、シャイナ、我が秘密の妻よ、今夜の舞踏会の逢瀬を楽しみに……」
シャイナ「ええ、あなた……」

   ランドール氏、充分に遠くまで離れる。
   シャイナ、再び、得体の知れぬ妖艶な笑みを浮かべる。

シャイナ「記録の混乱に乗じて、姉上を捏造しといて良かったわ、フフフ」

   シャイナ、懐中時計を取り出し、時間を計算し始める。

シャイナ「今夜が、アラシア・ゴシップの爆発に悩める哀れなレナードを、慰める頃合ね……マダム・リリスのヒモなる伊達男ランスロット、きっと使えるわ……」

   シャイナ、懐中時計をバッグに仕舞う。
   固くコブシを握り、

シャイナ「安心の老後生活に、貯蓄は欠かせないわ! レナードには、まだまだお金を吐かせられる! これがチャンスで無くて、何だと言うのかしら……!」

   シャイナ、誇り高き戦士の如く、コブシを突き上げる。

シャイナ「あの宝石の群れ……! ダレット家の全財産を分捕るのは、この私よ! 天国のお母様、シッカリ見ていてね! オーッホホホ……!」

   あでやかな高笑い。
   シャイナ、足早に立ち去る。

   一同、やっと緊張から解放され、息を付く。

エドワード「盗聴して正解だったな。不穏な密談を聞かされたよ……」
マティ「シッカリし過ぎてて、こえーよ」
キアラン「確かに百戦錬磨だな」

   ルシール、戸惑いながらも、アンジェラを振り返る。

ルシール「そう言えば、誰だったかしら。レナード様にピッタリとか言っていた令嬢……」
アンジェラ「実は、シャイナ嬢だったんだけどね。根性叩き直し、再教育も上等……ランドール氏と秘密結婚してるのも驚きだけど、 物凄い才能だわね。三角関係どころか、恐怖の多角関係もさばけるなんて」

   アンジェラ、首を振り振り、天をも仰ぐ格好。

   ヒューゴ、指を折ってアレコレと思案顔。
   やがて、困惑の表情になる。
   ヒューゴ、忌まわしき可能性に打ち震えながらも、

ヒューゴ「誰が真実を言ってるのか混乱して来た……二重、三重の近親相姦……じゃ無くて、彼ら全員が、血縁詐欺師って事……?」
エドワード「ヒューゴがそう言う位なんだから、ダレット家の将来の混乱が、今から明確に想像つくよ。 ウカウカしていると、レナード自身の血統上の正統性にすら、疑惑が生じる羽目になるだろうな」

   エドワード、苦笑。
   黒ネコ・クレイ、面白そうな笑い顔。

黒ネコ・クレイ「ニャー」

   キアラン、いつものようにムッツリとシルクハットを直す。

キアラン「結局、彼らの真実は、藪の中……それもまた、結果の一つではあるだろうな」
エドワード「冷静だな、キアラン」
キアラン「私の関与する問題じゃ無い」
エドワード「……あまり驚いていないように見えるぞ」
キアラン「一生分の驚きは、既に使い果たした」

   キアラン、チラリとルシールを眺める。
   エドワード、「ああ、そうか」と納得顔。

○首都メインストリート交差点、大教会堂前の広場(夕)

   五人&黒ネコ、メインストリートをそぞろ歩き。
   交差点、大教会堂前の広場に至る。
   歩行者天国。多くの人々が行き交う。

   マティが新発明のカメラを見せながら、得意そうに説明中。
   時折、ヒューゴがツッコミ。
   アンジェラとルシール、感心してカメラを眺めている。

   エドワードとキアラン、とぎれとぎれに雑談。
   キアラン、ルシールの様子を眺めつつ、

キアラン「昔の人が、こう言ったという。『真実は時の娘』……」
エドワード「時の娘、花の影……か」

   エドワード、思案顔で、目の前の大教会堂を見上げる。
   バラ窓が見える。

(バラ窓の縁の刻印)『劫初、終極、界(カイ)を湛えて立つものよ』

エドワード「……《藪の中》も、《花の影》も――世界が見せる『真実』の二つの相だな。生と死のように、二つの相は、一つの世界を構成する……」

   エドワード、キアランを振り返る。
   イタズラっぽいが、感慨深そうな笑み。

エドワード「……多分、我々は幸運だったんだ。我が友よ」

   キアラン、無言。
   ゆっくりとバラ窓を見上げる。
   バラ窓、夕陽に染まり、金色に輝いている。

○首都、タウンハウスのストリート(夕)

   一同、各々解散。

   キアラン、ルシールに腕を差し出す。
   ルシール、物慣れぬ様子で戸惑った後、キアランの腕を取る。
   キアランとルシール、帰路を歩き出す。まだ人通りが多い。

キアラン「ギネス氏から、あのブローチの修理が済んだ……と連絡がありました」
ルシール「……?(キアランを見上げる)」
キアラン「品も到着したので、タウンハウスの方に転送してあります。別の言葉が、上書きで刻印されています……形見のブローチに相応しい言葉だと思いました」
ルシール「別の言葉?」

○首都、タウンハウス、クロフォード伯爵家の区画(夕)

   ルシール、喫茶室となっている小間に落ち着く。
   やがて、クロフォード伯爵、宮廷の業務から帰宅。

   クロフォード伯爵、驚愕と安堵の入り交ざった溜息。

クロフォード伯爵「キアランは、事件の報告に行ってるんだ。今日は大変だったな……無事で良かった」
ルシール「お蔭様で……ご心配お掛け致しました……」

   ルシール、赤面。
   困惑顔で小包をそわそわと撫で回す。

ルシール:心の声(伯爵さまの耳に既に入っていると言う事は、カーティス夫人の耳にも入っているって事よね……あとで知ってビックリしたけど、 カーティス夫人の宣伝力、ケタ外れだし……)

   クロフォード伯爵、椅子に落ち着く。
   ルシールが持っている小包を不思議そうに眺める。

   小包、開かれる。送り主は職人ギネス。
   中身は、修理済みのアメジスト細工のバラのブローチ。
   クロフォード伯爵、ブローチを手に取る。
   裏のフレーム部分を眺める。

クロフォード伯爵「……『花の影を慕いて』……か」

   クロフォード伯爵、ルシールに微笑む。

クロフォード伯爵「ギネス氏も、粋な事をやるな」

   夕陽、更に傾く。
   父と娘に、柔らかな金色の光を投げ続けている。

夕映のエピローグ

《人物表》

・ルシール・ライト(25、女主人公)…濃茶色の髪、一見して茶色の目。
・キアラン・ダグラス(27、男主人公)公称「リドゲート卿」。
・クロフォード伯爵リチャード・ダグラス(53)…領主。
・首都の人々
・(回想)ルシール(5)…女主人公、少女時代。
・(回想)アイリス・ライト(24、30)…ルシールの母親。
・(回想)リチャード・ダグラス(27)…クロフォード伯爵になる青年。
・(回想)クレイグ牧師(47)…リチャードの伯父。

X X X

(回想)

○クロフォード伯爵領、緑の丘陵地帯、26年前、九月某日(夕)

   道の辻に立つ大きな木の下。
   アイリス(24)、左の薬指から結婚指輪を外す。
   顔を上げ、対面する男クレイグ牧師を見る。
   指輪を握り締めたまま、つらそうに視線を外す。

[シルエット]アイリス「本来ならば結婚指輪をお返しするところですが……もう少しだけ、持っていても良いですか?」
[シルエット]クレイグ牧師(46)「お気持ちは分かります。かような内容を即日ご承知頂き、感謝するばかりでございます」

   [シルエット]クレイグ牧師、アイリスに会釈。

   [シルエット]クレイグ牧師、近くに停車中の馬車に乗り込む。

○馬車内(夕)

   [シルエット]クレイグ牧師と、もう一人の紳士リチャード(27)。
   [シルエット]リチャード、馬車の窓を振り向く。
   [シルエット]辻の木の下に佇むアイリスの姿を眺める。

   馬車の窓から見えるアイリスの不動の後姿。
   うつむいている格好。いつまでも振り返って来ない。

○道の辻(夕)

   [シルエット]大きな木のかたわらに立つ女。
   [シルエット]走り出す馬車。

○馬車内(夕)

   馬車の窓から見えるアイリスの後姿。
   ぐんぐん遠くなる。
   馬車、丘陵地帯の勾配を渡る。
   アイリスの後姿、遂に見えなくなる。

○丘陵地帯、パノラマ(夕)

   日が暮れてゆき、闇に包まれる。

(回想終わり)

X X X

○首都タウンハウス、窓辺ルーム(夕)

   夕日の差し込む窓。窓は開けられている。
   地上のストリート、人通り多く、営業中の店舗も華やか。
   ルシール、窓枠下部の段差にちょこんと腰かけている。
   夏の夕風を感じながら、ボンヤリとほつれ髪をいじる。   

X X X

(回想)

○ゴールドベリ邸、庭園(昼)

   幼女ルシール(5)、母親アイリス(30)の後を付いて庭園を歩き回る。
   アイリス、庭園のベンチに座る。ルシールも隣によじ登って座る。
   ルシール、少しの間、真剣な思案顔をした後、アイリスを見上げて

ルシール「パパって、いけない人だったの? アンジェラのパパの……ように」
アイリス「……(少しの間、苦笑いをする)、ちゃんとした紳士だったわ」

   アイリス、面差しを上げて、遥か彼方の空を眺める。寂しそうな顔。

アイリス「遠くへ行ってしまったの……それだけなの」

   アイリス、顔を伏せて、思い切るかのように、フッと息をつく。
   生真面目な顔のルシールを振り返り、ニッコリと微笑む。
   幼いルシールを抱きしめながら

アイリス「ルシールを産んだ事は、私の人生で最高の出来事だったのよ。ルシールも、大人になれば分かるわ……20歳になったら、お話してあげる」

   少しの間キョトンとした後、母親の胸の中でご機嫌になるルシール。

(回想終わり)

X X X

○首都タウンハウス、窓辺ルーム(夕)

   窓枠に寄りかかり続けているルシール(25)。
   ゆっくりと目を伏せて溜息をつき、顔を伏せる。
   ボンヤリと物思いに沈む。少しウトウト。

   不意に、背中からライラック色のショールが掛かる。
   ギョッとし、腰かけていた段差から跳び上がる。
   あわてて振り返る。
   ルシールの後ろには、キアランが立っている。

ルシール「(どもりながら)い……いつ、お戻りに、なっていたんですか……」
キアラン「……驚かせるつもりはありませんでした。余りにも静かなので、眠っているのかと……」

   キアラン、ムッツリ顔で、ルシールを眺め回して

キアラン「……日が落ちたら、あっと言う間に冷えますから」

   ルシール赤面し、息を詰まらせる。
   落ち着かない状態で、ギクシャクとキアランに一礼。
   ライラック色のショールをシッカリと身に巻き付ける。
   そわそわと、開け放たれている窓から適当な方向を眺める。

   キアラン、ルシールの隣に寄り添うように立つ。
   開け放たれた窓から、無言で外景を眺める。
   夕陽に照らされた地上のストリートの賑やかさが続いている。
   ルシールの赤面が収まり、リラックスして呼吸も落ち着く。

キアラン「都のシーズンの後、地元に戻ったら……トワイライト・グリーン・ヒルに旅行すると言うのは、如何ですか?」
ルシール「……?(不思議そうにキアランを振り返り、小首をかしげる)」

   キアラン、スッとルシールを振り返る。

キアラン「……二人で」

   ルシール、目をパチクリさせる。
   キアランは何かに気付いたように、そのままルシールを注目する。
   ルシール、再び真っ赤になるが、キアランは視線を外さない。

キアラン「浅い角度で光が入って……紫色ですね」

   ルシールの目、アメジスト色。
   キアランの手がルシールの頬に触れる。

X X X

   夕映えの空。夕風に揺れるバラの花々の一群。

―終―

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深森の帝國