深森の帝國§総目次 §物語ノ傍流 〉妖怪探偵・猫天狗!~「赤き緒のたまゆら」事件

妖怪探偵・猫天狗!~「赤き緒のたまゆら」事件

元・天才プロフェッショナル空き巣の目暮啓司(メグレ・ケイジ)は、探偵事務所の所員として勤める探偵だ。 目下、違法な海賊版グッズを追跡している。そんな中、先輩の所員から代行業務を受ける。 人気急上昇中の美少女アイドルの身辺警護だ。結局その話はナシになったが、なんと先輩の所員が、任務中に襲撃されて瀕死だと言う! しかも、海賊版グッズ問題も大いに関係している案件だ。事件現場は謎だらけ。急遽、これらを解明して、海賊版グッズ案件も含めて、犯人を突き止めなければならない。 目暮啓司(メグレ・ケイジ)の相棒にして妖怪探偵・猫天狗が、「ゆるキャラ」仲間も巻き込んで、大活躍をする!

  1. 時は春三月なかばの猫天狗~献血バスがやって来た
  2. 代行業務の予定は未定~ドタキャンはするモノされるモノ
  3. 出血多量な殺人未遂~今夜が峠でございます
  4. 敵の正体を突き止めよ~外堀埋め埋め重要ニャ(前篇・後篇)
  5. 赤き緒のたまゆらを~なかなか深い結びだニャン

(2025/12/01~2025/12/09公開、46,961文字)

■1.時は春三月なかばの猫天狗~献血バスがやって来た

時は春
日は朝(あした)
朝(あした)は七時(ななとき)
片岡に露みちて
揚雲雀(あげひばり)なのりいで
……
作:『春の朝』ロバート・ブラウニング/訳:上田敏『海潮音』

*****

三月の半ば。

香多湯出(カタユデ)探偵事務所の電話が鳴った。

ドッカーン!!

仮眠と称して昼寝を決め込んでいた目暮啓司(メグレ・ケイジ)は、毛布の中から飛び上がった。

はずみで、銀灰(シルバー)ネコも、『複数のネコ尾』をさらして飛び出し、事務所じゅうをニャアニャアと駆け回った。

「チクショウ、あの、ハードボイルド・ジジイ! なんでコール音が爆弾の音なんだよ!」

連日の尾行と隠密調査で、グッタリとしてはいたものの。

探偵事務所には、冗談では無くヤバい電話も掛かって来ると覚悟せねばならない。

しかも発信番号を見ると、ヤバいのか・ヤバくないのか、判断が付きにくいグループのものだ。

ドッカカーン! ド・ド・ド・ドカーン!

銀灰(シルバー)ネコは七尾(ナナオ)をさらしたまま、興が乗ったのか、電話コール音に合わせて空中浮揚タップダンスを踊りはじめた。 背中に烏羽(からすばね)を生やしているので、それで自由自在に飛べるのだ。

「空飛ぶネコマタを止めてくれ……尾が7本もあると気が散る」

寝ぐせがついてクルクルになった毛髪のごとく、寝ぼけてグルグルしている脳内。

カツを入れるべく。

拳骨(ゲンコツ)で、頭を、ゴッゴッゴッ……と、やり。

若手の所員・目暮啓司(メグレ・ケイジ)は、あらためて気を引き締め、受話器を取った……

「やあ、目暮(メグレ)くん。そちらの所長の了解済みだが、少し手を貸してもらえるかね?」

…………

……

目暮啓司(メグレ・ケイジ)に、飛び入りの、交通整理-兼-警備の予備スタッフ業務が割り振られた……

……もはや腐れ縁のような気がする、なじみの警察署から。それも、顔なじみの、セレブ風の刑事から。

*****

うらうらと暖かな陽射し降りそそぐ春、三月の半ば。

まさに「春眠(しゅんみん)、暁(あかつき)を覚えず」そのものの風光。

人使いの荒い香多湯出(カタユデ)翁(おう)が、目暮啓司(メグレ・ケイジ)を、急遽、人手不足をしのぐための派遣スタッフとして差し向けたのだ。

若き探偵・目暮啓司(メグレ・ケイジ)を迎えたのは、伊織(イオリ)・ド・ボルジア・権堂(ゴンドウ)。

地元の警察署に何故か務めている、セレブ風の刑事。トップブランドスーツで身を固めた、中年ベテラン男だ。

毎度の胡散くさそうな、明らかにカネのかかっている上品な笑み。

「こころよく承知してくれて、誠にありがたいよ」

「金輪際、警察などと縁があってたまるか、と誓った筈っす」

「ニャー」

定番のパート警備員スーツを着込んだ若き探偵・目暮啓司(メグレ・ケイジ)の足元には……普通の銀灰(シルバー)ネコの姿形に収まった猫天狗ニャニャオ。 そのネコ顔に浮かんでいるのは、ネコの種族ならではの、チェシャ笑いだ。

ここは、警察署と消防署の敷地の間にある、共同駐車場である。

双方の署員の協力によって広々としたスペースが開けられており、真っ白な大型車が駐車していた。

献血バスである。

白い車体に記された赤十字マークが鮮やか。

同じく鮮やかな赤がトレードマークの、女子供にウケそうな「カワイイ・ゆるキャラ」。

目暮啓司(メグレ・ケイジ)のほうでは、うすい興味しか無かったこともあって、その「ゆるキャラ」の名前を知らない。

また知らない新顔「ゆるキャラ」が増えたじゃねえか。

――という感想のみ。

共同駐車場の入り口には、地元の「警察署・消防署の合同」献血イベントの幟(のぼり)が立てられている。

すでに参加者の呼び込みと受付が始まっていたが。

チラチラと献血バスの白い車体へ視線をやりながらも、足早に通り過ぎる……諸般多忙な通行人のほうが、圧倒的に多い状況である……

…………

……

着慣れない警備員スーツのネクタイをそっと締め直し、所定の位置で交通整理をつづける目暮啓司(メグレ・ケイジ)。

本日の任務は、一日限定パート警備員。

地元開催の、ささやかな献血イベントの実施に際し、交通整理を兼ねる警備員が定数に足りないのを埋める「外注の予備スタッフ」である。

会場に近づく人々は、ほぼほぼ、ボランティア精神あふれる善男善女な一般庶民である。相応に……年配の割合が高い。

何ということのない日常のなかの、ちょっとした変化。予期せぬ出来事さえ無ければ、実入りは薄いながら、楽勝な業務と言えそうだ。

――この季節ならではの、すさまじい花粉の量を、別にすれば。

やがて。

見知った老婦人が、チョコチョコと、やって来た。どこにでも居そうな風体。

そして、見知った格好の飼い犬。

フッサフサ眉毛をした小型テリア種だ。立派な白い眉毛。まさに「ジジ眉毛」である。

ジジ眉毛テリア種は、目暮啓司(メグレ・ケイジ)と銀灰(シルバー)ネコを見つけるや、再会の喜びに満ちて、フッサフサ尻尾を千切れるほど振った。

「キャン! キャン!」

異世界モップ……のようなモフモフは、一目散に駆けてきて、目暮啓司(メグレ・ケイジ)の警備員スーツの足に、かぶりついた。ガブリ・ガブリ……これでも喜びの表現である。

「おいこら、仕事の邪魔するんじゃねえ、この、ジジ眉毛」

『無病息災で実に良きことニャネ、テリア=トップスター君』

目暮啓司(メグレ・ケイジ)が、足元にじゃれつく元気な小型テリア種を引きはがしていると。

引き紐を引っ張られるままに、小走りで近づいてきた老婦人が、目暮啓司(メグレ・ケイジ)を見て、目をパチクリさせる。

「あら、奇遇ね? メグレ探偵さん。今日は警備さんなのね」

「ジジ眉毛トップスター、……日暮(ヒグレ)の婆さんすか。献血に来たんすか」

「そうなのよ、若い頃からやってて。耳が遠くなって、電話の聞き間違いが増えたけど、いまはネット予約があって便利ねぇ」

老婦人は感心したように首を振り振りしていた。その後、一礼して、献血バスの近くにある受付へと、慣れた様子で近づいて行った。

この地区では常連だったらしく、受付の側も、老婦人と顔見知りといった様子。テキパキと問診が進んでゆく。

「あら、『献血ご卒業』が近くなりましたね。日暮(ヒグレ)さん」

「私も年を取ったわねぇ」

「キャン! キャン!」

「ワンちゃんは、どこかへ、おつなぎ頂ければ」

という訳で。

手が空いて暇(ヒマ)そうな予備の警備スタッフ目暮啓司(メグレ・ケイジ)が、しばらく、小型テリア種の番をすることになったのだった。

小型テリア種「ジジ眉毛」、本名「トップスター」は、お喋りだった。

神猫にして猫神ならではの猫天狗ニャニャオの通訳があって、目暮啓司(メグレ・ケイジ)は、動物どうしの情報交換の怪異を体験する羽目になった。

「キャン! キャンキャンッ!」

『最近、ロックな地雷ゴスロリが話題ニャ。あちこちのライブハウスで人気上昇中で、近いうちブレークしそうな、イケイケ女子高生アイドルだニャ。 日暮(ヒグレ)夫人も、息子の話を通じて概要を知ってる状態ニャ。「ジライちゃん」と言うそうだニャ』

目暮啓司(メグレ・ケイジ)も、心に覚えがある程度には記憶している。地元ネット記事の広告スペースで、名の知れたライブハウス出演スケジュールの宣伝を、多数見かけるからだ。

普通に「お化け屋敷の美少女っぽいな」とは思うものの、それだけである。

そもそも怪異に遭遇しまくっていることがあって、目暮啓司(メグレ・ケイジ)の、その方向の趣味は古典的なのだ。

*****

やがて午後の部。

生真面目な顔をした女子高生が――制服姿だ――呼び込みに応えて、献血バスの受付へと接近した。

モデル背丈というほどでは無いが、それなりに高身長。

シッカリした体格や足取りには、バランスの良い食生活などの背景が感じられる。

――400mL全血を一気に抜かれるのに耐えられるだけの、必要十分な、体力も体重も備えていると見え。

献血バスの中の人が臨戦態勢になった気配が、こちらへも伝わってくるようだ。

「若い人は珍しいし、学生さんは、いっそう珍しいっすね? ちゃんと、18歳すかね」

ポカポカ陽気がつづく午後、居眠りしそうになっていた予備の警備スタッフ目暮啓司(メグレ・ケイジ)も、さすがに目が覚めた。

献血希望の署員をあらたに引率して来ていたセレブ風の中年刑事、伊織(イオリ)・ド・ボルジア・権堂(ゴンドウ)も、目をパチクリさせている状態だ。

耳をそばだてていると、受付の問答が流れてくるのが判る。

女子高生は、初回ということもあって、それなりに緊張しているらしく……受付の質問に対する回答が、時々ズレていた。

「……ヨモギ・シオリです。今日が高校の卒業式で、四月から大学で。前から興味があったので、卒業記念になればと思って」

「ご卒業おめでとうございます。それに、献血ご協力ありがとうございます」

目暮啓司(メグレ・ケイジ)の足元で、猫天狗ニャニャオも珍しく感心したように、ネコのヒゲをピピンとさせていた。

『シッカリ18歳に到達してるネ。前に見た時は、ちっちゃな幼女だったニャ。大きくなったニャネ』

「会ったことが?」

『この近くの友神(ゆうじん)の氏子ニャ』

目暮啓司(メグレ・ケイジ)は、女子高生に改めて注目した。

先ほどから不思議な気配があるのだ。肩先か……背中か、あるいは頭の上に。

少し角度を変えると、女子高生の近くでフワフワと浮かんでいる光球(オーブ)のような「ナニカ」が見えてきた。

シッカリと光球(オーブ)を視野に捉え、目を凝らしてみる。

――明らかに普通では無い。確実に妖怪に近い部類。

目を凝らしていると、光球(オーブ)は、特徴的な姿形を二重に映し出した。

――どことなくテルテル坊主に似た純白「ゆるキャラ」。ふわもち・きらきら・ヌイグルミ風。頭のてっぺんに、なにか草を生やしている。

仰天のままに見つめていると、光球(オーブ)なテルテル坊主は、生真面目な視線を返してきた。

瞬間……圧倒的なまでの霊威に、震える。

ふわもち・きらきら・ヌイグルミな「ゆるキャラ」といえど、その眼差しは、時空を超越する領域のものだ。

その怪異が左右に携えているのは……双対(そうつい)のヒョウタン。マラカス楽器とも見えるが、正体は楽器などでは無いだろう。確実に。

猫天狗ニャニャオが、金色のネコ目をピッカピカと光らせつつ、目暮啓司(メグレ・ケイジ)を見上げてきた。

『さすが、ミー選抜の最高の相棒ニャ。あれは、ミーの古くからの友神(ゆうじん)ニャ。専門領域は医薬の方面ゆえ、医薬神の系統ニャネ。最近は稲荷の神々と一緒に、人工血液などの案件を……』

(……神だと!? あのテルテル坊主・ヌイグルミが!?)

『あの姿は「ゆるキャラ」流行テンプレに乗っかったのニャネ。別の姿パターンは全国的に有名ニャ。 神紋として頭に載せてるのは、古代から薬用植物として知られてる蒲(ガマ)。因幡の白ウサギの伝説は聞いてる筈ニャ』

(知らねえぞ! あんな神!)

『神話歴史書にまとめられた段階で、失伝してるニャネ。普通の人類の感度は、超ニブイから』

…………

……

ほどなくして。

若いゆえに献血時間が短く済んだのか、制服姿の女子高生「ヨモギ・シオリ」が献血バスから出てきた。

戸惑った風に頬を染めながら、何度もお辞儀して……謝礼の菓子ジュース類が入った袋を持って、もと来た道を歩いて行った。テルテル坊主な謎の神が宿るフワフワ光球(オーブ)を、肩先あたりになびかせつつ。

予備の警備スタッフ目暮啓司(メグレ・ケイジ)は、さらに不思議な光景を目撃することになった。

献血バスの傍に、いつしか、別の「ゆるキャラ」がフワフワと浮かんでいた。献血バスの白い車体にバッチリ描画されている「ゆるキャラ」が、ポンと三次元・実体化して、出てきたみたいだ。

その鮮やかに赤い装飾がトレードマークであるらしい「ゆるキャラ」は、英数字「О(オー)/-(マイナス)」が記された空色の旗を振って、見送りしていたのだった。

いちおう邪気は感じない。

それでも、れっきとした怪異現象には違いない。

思わず、目暮啓司(メグレ・ケイジ)は呟いていた。

「献血バスにも、妖怪だか妖精だかが、居るんすかね?」

「そのオカルト霊感で、異世界ファンタジーなみの『ナニカ』を見たらしいな、目暮啓司(メグレ・ケイジ)くん?」

一日、献血イベントの事務局を務めていたセレブ風の中年刑事・伊織(イオリ)・ド・ボルジア・権堂(ゴンドウ)は。

頭のおかしな予言者を見るような目つきで、目暮啓司(メグレ・ケイジ)を、まじまじと眺めた。

そして、銀灰(シルバー)ネコ姿をした猫天狗ニャニャオは、金色のネコ目ピッカピカ、チェシャ笑いを浮かべていた。

■2.代行業務の予定は未定~ドタキャンはするモノされるモノ

花粉対策マスク姿サラリーマンと、電車が、ひっきりなしに行き交う――とある町の中核、朝の通勤ラッシュ真っ最中の、駅前。

この間とはうって変わって、薄日ただよう曇り空。

一陣の風が吹きわたり、盛大なクシャミが飛び出した。

「チクショウ、温暖化だか異常気象だか、天候不順で凍えるほど寒いってのに、これで三月下旬かよ、おまけに黄砂スギ花粉かよ」

駅前ロータリーの自販機の前。

鼻をすすったのは、ハーフ丈の黒トレンチコート姿の若き探偵・目暮啓司(メグレ・ケイジ)。

「遂に花粉症なのかケイジ君も」

「ニャー」

かたわらで目をパチクリさせたのは、初老の花粉マスク男と……金色の目ピッカピカ銀灰(シルバー)ネコである。

初老男のほうは、マスクの間からでも、すこぶる目鼻立ちが整っているのが判る。往年の映画俳優を思わせる雰囲気。「街を歩いていてスカウトされることは、もしかしたら、ありそうだな」という風だ。

「この時間しか空きが無くてね、急に呼び出して悪かったな。近くの早朝営業のコーヒー屋で朝食をおごるよ」

「食い物にありつけるなら、いつでも嬉しいっす。カツオさんの選んだ店なら間違いないって、所長、香多湯出(カタユデ)ジイサンも言ってたすから」

そして。

男2名と猫1匹。

かねてから駐車場に停めていたカツオ氏の車に相乗りして、近くの早朝営業のコーヒー屋へと繰り出したのだった。

『毎度、食い意地が張ってるニャネ、ケイ君』

「夜明けまで、飲まず食わずで、ブラック労働精神あふれる違法ピンク転売ビジネス野郎を尾行して走り回ってたんだぞ、ゴチャゴチャ言うな妖怪猫」

「聞きしにまさる怪異だな、本当にその猫が言葉をしゃべってるみたいだ」

――実は、本当の怪異であり奇跡であった。

何を隠そう不思議な銀灰(シルバー)ネコは、本物の神猫にして猫神、七尾(ナナオ)の猫天狗ニャニャオ様なのであるから。

*****

閑静な住宅街を過ぎ、よい感じに自然あふれる商店街の区画へ入った。坂の多い区画である。

戦前戦後の頃のレトロ風味が残っていて、相応に歴史を感じるところだ。

「この辺は初めてっすね。ナントカ神社の方は、いつだったかチラリと鳥居があるのを見たけど、ええと、前の夏の、オレオレ詐欺……化け猫と焼肉の、怪異の時だったかな」

「薬玉(クスタマ)神社がある。この辺は、昔は門前町と宿場町だったところだよ」

「……クスタマ?」

『これぞ神縁ニャ。クスタマ君がケイ君を招いたのニャネ』

「神が居る?」

「そりゃ神社には神様が居られるだろうね、ケイジ君」

「ニャー(勿論)」

そうしているうちに町角のコインパーキングに落ち着く。

シニア男カツオ氏の車から降りて……

さっそく、目暮啓司(メグレ・ケイジ)は、違和感なブツを発見した。

かつての「天才プロフェッショナル空き巣」ならではの眼力でもって。

コインパーキング設備の隙間に、目下、追跡中の海賊版パッケージ(不正ピンク挿入改造版)が詰め込まれている。しかも、50人分ほど。

「チクショウ、やけに意欲過剰な転売ヤロウ、この辺まで出張ってたのか」

「これは驚いた。ケイジ君が追っている、例の案件がらみのブツじゃないか」

同じ香多湯出(カタユデ)探偵事務所の所員どうし、即座に認識を共有した。

――警察の立ち入り捜査などを前もって知り、警戒して、ブツの隠し場所を移動した。その結果に違いない。

「でも、なんで此処に」

違法な商品を確保しながらも、ふたりして首をかしげてしまう。

その足元で、銀灰(シルバー)ネコが、金色のネコ目を意味深にスーッと細めて、ニャムニャムと呟いていた。

『クスタマ君の思し召しニャネ。ここで、例の転売屋はゾンビタバコ麻薬フェンタニル作用で、想定外タイミングで、ボンヤリして……ドングリの隠し場所を失念した栗鼠(リス)よろしく、 ブツの隠し場所を失念した筈ニャ。気合満々ニャネ、クスタマ君』

*****

いささかの中断をはさんで、到着したのは『クスタマ珈琲屋』である。

レトロ風アットホームな軽食屋だ。

「おはようございます、いらっしゃいませ」

接客に出てきたアルバイト少女。

――「変な客よけ」のためか、「真紅コスプレ髪」+「山姥メイク」=「地雷系タヌキ」。

コーヒー色の飲食店キャップをかぶっている。

そして仕上げに、「ゆるキャラ」と思しき半透明ヌイグルミを、空中に飛ばしている……

少し変わったテルテル坊主にも見える。純白の、ふわもち・きらきら・ヌイグルミ。

最近どこかで見たような……

――ハッ! とする目暮啓司(メグレ・ケイジ)。

こいつはヌイグルミじゃない。空飛ぶ半透明ヌイグルミなんか、現実に存在しない。

怪異な存在(モノ)が、このふわもち・きらきら・ヌイグルミの姿をとって、顕現しているのだ。

記憶がよみがえる。いつだったかの。

――仰天した!

――献血バスに来てた、あの女子高生「ヨモギ・シオリ」だ! そして、このテルテル坊主だか神だか――このオカルト・ヌイグルミ、とにかく猫天狗ニャニャオの友神(ゆうじん)だとかいう……!

奥の方では、店主夫妻らしきシニア男女が、目を光らせている。

目暮啓司(メグレ・ケイジ)の気のせいかもしれないが――アルバイト少女の帽子のてっぺんで、テルテル坊主「ゆるキャラ」ヌイグルミの目も、鋭く光っている気配。明らかに、神が宿っていた。

「しばらくぶりですね、シオリちゃん。こちらの若いのは勤め先の後輩で。コーヒーと定食メニューをお願いしたいがよろしいでしょうか」

常連客らしいシニア男カツオ氏のほうは平然としていたが……目暮啓司(メグレ・ケイジ)は、さすがに気圧(けお)されてしまっている。

目暮啓司(メグレ・ケイジ)は、おとなしくヨレヨレ黒トレンチを所定の位置に置き、マジメ百点サラリーマンの体で、しずしずと客テーブルに着く形になっていたのだった。

つづいて店に入ってきた、銀灰(シルバー)ネコ姿の猫天狗ニャニャオ。

一瞬、猫天狗の金色の目ピッカピカと、空飛ぶ半透明ヌイグルミ「ゆるキャラ」テルテル坊主の生真面目キラキラが、交差したようだ。

猫天狗ニャニャオは、金色のネコ目をいっそうピッカピカと光らせ、ネコのヒゲをピピンとさせた。その理由は、いまは明らかでは無い。

とにもかくにも。

目暮啓司(メグレ・ケイジ)は、おかしな客では無い――という了解が成り立った様子だ。

いつしか、奥のほうで、店主夫妻がテキパキと定食メニューを仕上げていて……やがて「地雷系タヌキ」バイト女学生が、意外に上品な所作でもってコーヒーと定食を運んできて、並べていった……

…………

……

コーヒー屋の朝食メニューは美味だった。

目暮啓司(メグレ・ケイジ)が、ひととおり朝食を済ませ、美味コーヒーを一服して、落ち着いたところで。

ゆっくりとコーヒーをたしなむシニア男カツオ氏が、「さて」と声をかけた。

「実は、香多湯出(カタユデ)先生にも、前もって取り急ぎ相談していたんだが。ケイジ君に、今度の業務代行をお願いできるだろうか。同じ探偵事務所の所員どうし、業務都合は付くと思うが」

「カツオさんの業務というと、ええと探偵事務所の副業の……駐車場の交通整理と警備は、前に契約期間が終わってた筈っすけど」

「任務は、アイドルのボディガード」

「それ必要っすか?」

思わず、ズレた意図でもって聞き返す目暮啓司(メグレ・ケイジ)。

目の前の人物――カツオ自身が、本人が往年のアイドルだったとしても信じられそうな、顔立ちの良い初老男なのだ。

カツオ氏は、手際よく、仕事用ノートから写真を取り出した。

「アイドル少女『ジライちゃん』。目下の保護対象だよ」

卓上に示された写真。アイドル少女『ジライちゃん』顔アップ。

名前そのものの、地雷(ジライ)系統というのか、それっぽい不穏にして派手なメイク盛り盛り少女だ。

――最近は、こういうのがウケるらしい。理由は知れないが。

毛髪は、普通の黒髪よりも黒々とした漆黒で、血色を落とした雰囲気も相まって、ゴシック・ロリータ風ファッションが……素晴らしく……(?)ハマっている、美少女である。

「こっちのボディガード業務は、初っぽい話の気がするっす」

「例の海賊版――転売屋の追跡で忙しいケイジ君までは、話が行かなかったんだ。半年くらいになる。ケイジ君の担当案件がその一環だが、これも24時間体制だから」

シニア世代の先輩カツオ氏の説明は、以下のようなものであった。

「警護対象アイドル少女『ジライちゃん』は、いわゆる地下アイドル女子高生」

カツオ氏は、ベテラン警備員の顔をしていた。

仕事の顔だ。

「ケイジ君が追ってる海賊版パッケージでも、『ジライちゃん』撮影データが、大変よろしくない形でAI生成、編集されて、流用されてしまっている。重ね重ねの深刻な肖像権侵害、著作権侵害、ほか色々だね」

「うら若い肉体は高く売れるっすね。それが虚構の映像だけであっても」

目暮啓司(メグレ・ケイジ)は顔をしかめた。手持ちの黒トレンチコートは変態的なまでにヨレヨレだったりするが、これでも、立派な大人としての倫理は、ひととおり存在する。

「そういや先ほど拾ったピンク海賊版――『ジライちゃん』主演とうたった生成AI海賊版は、顔の無い下半身だけの触手ピンク男が、1万人くらいの『ジライちゃん』少女をまとめて監禁して、 時間を止めて順番にピンク版ガイコツにして、粉々にプレス破壊して、そこからドバドバ絞り出した流血プールの中で、うっとりと泳いでる映像……背景音楽が、 ファン限定グッズ発売前の、極秘の最新曲が編集されたものだとか……」

そのスジの趣向を極めた怪奇バイオレンス映像――かつ怪奇ピンク映像が、カルト情熱そのものの熱狂的な人気を集めている、とのこと。

実に不可解である。

――と、古典的なセンスでもって想起する目暮啓司(メグレ・ケイジ)であった。

閑話休題。

シニア男カツオ氏の端的な説明が、再開した。

「で、問題は、ここからだ。ここ2か月、3か月か……『ジライちゃん』宛の脅迫状が、所属先の芸能事務所へ届くようになった」

「不法な生成AI編集ピンク海賊版で勘違いしまくった、妄想昇天主義の暴力ファンだか、狂暴ストーカーだかが発生してたっすか」

「ご明察。『ジライちゃん』は、ワラオー芸能事務所が絶賛売り出し中の新人アイドル。よい感じに人気が出ている。 ワラオー芸能事務所の稼ぎ頭といえるくらいには、ファン限定グッズ販売でも利益をたたき出している。くわえて例の海賊版の問題がある。 それで、特殊な警護実績も兼ね備えている香多湯出(カタユデ)探偵事務所へ、『ジライちゃん』身辺警護の依頼が来ていて、それに応じていたという状況なんだ」

「あのハードボイルド所長、香多湯出(カタユデ)ジイサンからして特殊警護の達人すぎるから、納得するっす」

いつの間にか、猫天狗ニャニャオが目暮啓司(メグレ・ケイジ)の隣の椅子の上に陣取って、平凡マジメな銀灰(シルバー)ネコ顔で耳を傾けている……

シニア男カツオ氏は、いったん口を切り……コーヒーを一服して、困ったように「ふう」と息をついた。

「もうひとつの問題は……『ジライちゃん』は頑張り屋ではあるが、それでも10代ゆえ敏感で、もろい部分は、やはりある。最近の……脅迫状だの、海賊版トラブルだの、ストレスが深刻すぎる様子だ。 ついこの間、薬物過剰摂取(オーバードーズ)で病院へ運び込まれた。マネージャー堀井(ホリー)とも話したが、習慣になってしまっているらしい。芸能事務所の所長も、何とかすると言ってはいるが……」

「整理させてくださいっす」

混乱してきたままに、頭髪をシャカシャカとかき回す目暮啓司(メグレ・ケイジ)であった。

「ワラオー芸能事務所の所長って、何処のドイツっすか」

「破螺(ワラ)さんだ。実際に会っても驚いちゃ駄目だよ。自己流っぽい修験道にハマってて、坊主頭(スキンヘッド)でね。 戒名(かいみょう)が『良王(ラオー)』だ。だから経営している芸能事務所の商号が『ワラオー』なんだ」

「なんか胡散くさい気がしたけど、名前負けじゃ無いなら良いっすね。で、なんで、今度の任務……『ジライちゃん』ボディガード業務代行って、そんな話になったんすか」

「ああ……うん」

落ち着いた口調で端的に説明してくれる、シニア男カツオ氏であるが……妙に歯切れが悪い。

そして、困ったように窓の外を眺めはじめた。まだ桜は咲いていないのに。

……その耳が不自然に赤いような気がする。

目暮啓司(メグレ・ケイジ)の横でくつろいでいた銀灰(シルバー)ネコが、「ニャン」と口を出した。

『ワラオー芸能事務所の『ジライちゃん』マネージャー、ホリーさんの意向? って聞いてみると良いニャ』

即座に対応する目暮啓司(メグレ・ケイジ)である。

「くだんの『ジライちゃん』マネージャーのホリーさんって人が、状況を見て、話を決めたすか?」

「素晴らしい女性だよ」

「……は?」

予期せぬ回答ズレ。

目暮啓司(メグレ・ケイジ)が、キョトンとして、見つめていると。

カツオ氏は、ハッと気づいたように固まり……モニャモニャと呟きだした。その手元で、コーヒー皿とコーヒーカップが、危なっかしくカチャカチャと音を立てている。

「芸能事務所のもろもろ問題は収まってないが、香多湯出(カタユデ)先生のご尽力のお蔭もあって、なんとか解決に向かいそうなくらいに落ち着いてきている。 あとは、ケイジ君が追っている転売屋の案件へ集中できれば……というところだ」

「そりゃ助かるっすね。ブラック労働精神ガンギマリ転売屋を追跡するのは、キツくなってるっす」

カツオ氏は、ウンウンとうなづいて、同意した。香多湯出(カタユデ)探偵事務所で経験の長い所員として、その辺は、所長である香多湯出(カタユデ)翁(おう)から、シッカリ連携されているものと見える。

「状況が落ち着いたのを見て、『ジライちゃん』は、本格的な芸能活動を可能にするために、万全な警備体制が用意されているホテルで、仕事休憩や薬物治療など対応する予定だ。 ゆえに、私の仕事は、あまり必要では無くなる」

「さすが、香多湯出(カタユデ)ジイサン。方々、手は打ってあるんすね」

「マネージャー堀井(ホリー)も久々に休暇を取得して……ハードワークが続いたせいで体調が良くないとのことで。 かかりつけ医に診てもらいがてら、ずっと放置状態だったマンション部屋のベランダ菜園を、なんとかすると話していたから。手伝いを申し出てはいるから」

「体調が良くない? それだったら横になるのが優先じゃないすか?」

「なんというか……彼女は、ポストポリオなんだ。ワクチン義務化の前の世代で、性質(タチ)の悪い天然株に感染したゆえの、 ポリオ後遺症……足に残ったマヒ症状が、無視できないくらい悪化して、進行している。ゆっくりではあるんだが。 若い頃とは違って、専用の補助杖を使わないと歩くのは難しい。そもそもポリオという病気を完全に治す方法は、いまでも存在しない」

目暮啓司(メグレ・ケイジ)は、たまに香多湯出(カタユデ)探偵事務所を訪れる一部の高齢者が、医療用や高度リハビリ用と思しき特別な補助杖や歩行器を使っていたのを、なんとなく思い出したのだった。

「イザという時は介助が要(い)りそうな感じっすね……あ、それで……ってことすか」

無言ではあったが……カツオ氏は、しっかりと、うなづいて返して来た。赤面しながら。

(初老男の赤面フェイスって、ライトノベル的エンタメに、ならないんだが)

そんな失敬な脳内コメントをしつつ。

目暮啓司(メグレ・ケイジ)は、かつての天才プロフェッショナル空き巣ならではの察知力でもって、鋭く察知していた。

――堀井女史は、カツオ氏が「ホの字」になるほどには、良い雰囲気の人物であるらしい。

そして。

早朝営業の静かなコーヒー屋の店内。

声を潜(ひそ)めていたつもりでも、ポツポツと、内容は『クスタマ珈琲屋』店内メンバーへ伝わっていて。

懸念と気遣いゆえの……いつだったかの春の陽差しのような沈黙が、流れていたのだった。

*****

数日後。

香多湯出(カタユデ)探偵事務所の所長・香多湯出(カタユデ)翁(おう)の了解のもと、目暮啓司(メグレ・ケイジ)と、初老ベテラン警備員カツオ氏との間で、業務調整をしておいたものの。

結局、すべてはドタキャンされた。

最初の予定どおりの、業務となった。

年度末ゆえの、あわただしさ。というのも大きい。

くだんの地下アイドル女子高生『ジライちゃん』に、急な深夜ショー出演の仕事が入って。マネージャー堀井(ホリー)、ボディガード・カツオ氏ともに、通常の業務遂行が求められていたのだった。

■3.出血多量な殺人未遂~今夜が峠でございます

世間的には「普通に深夜」と定義されている、23時の前後。

港湾エリアに程々に近い街区を縦横する、大きな道路。

深夜トラックの数が増えている。

若き探偵・目暮啓司(メグレ・ケイジ)は、車のアクセルを踏み込んだ。追い越し車線へとコースを変える。

先行している転売屋の車が、探偵の尾行に気づいたのだ。

逃走追跡劇(カーチェイス)へと、瞬時に切り替わる。

「チクショウ、見失いそうだ」

『追跡を止めたら駄目ニャ!』

助手席で、人体と同じサイズほどの巨大ネコ・猫天狗が、七本のネコ尾を純白の後光のように展開させながら、鋭い声で突っ込んだ。金色ピッカピカのネコ目が、いまや炎のように燃えている。

『奴は、ドラッグで酔っぱらってるニャ! スピード上げて! 交通事故が発生する前に止めるニャ!』

「ムチャな矛盾を言うな!」

とは言いながらも、目暮啓司(メグレ・ケイジ)の、かつての「天才プロフェッショナル空き巣」ならではの直感力は、冴えわたっていた。

見る見るうちに、制限速度の領域へと到達する。深夜トラックの数々を抜けて、車間距離が詰まっていった。

坂の多い町の定番――丁字の交差点。

信号を完全に無視して暴走していた転売屋の車は、運転手の酔いが深くなったこともあったのか、角を曲がりそこねた。

ドガシャーン!!

アクセルとブレーキを間違えたらしく、さらなる暴走でもって直進して……高くたちはだかる「のり面」の藪(ヤブ)へ、突っ込んでいたのだった!

*****

「ホントに幸運だったな。藪(ヤブ)がクッションになって」

目暮啓司(メグレ・ケイジ)の通報で、早くも、警察が現場へ駆けつけてきた。

猫天狗ニャニャオの神業(かみわざ)のせいなのかどうかは不明だが、毎度の顔なじみ、あのセレブ風の中年ベテラン刑事と、若手の部下たちのチームだ。

丁字路「のり面」の藪(ヤブ)の中で、転売屋の車だったブツの残骸が、逆立ちしている。

周辺に、例の海賊版グッズが散らばっていた。

火気は無く、煙も上がっていない。幸いなことに。

ドラッグ性の深酔いで朦朧(もうろう)としていた男は、昨今の犯罪トラブルの多い移民事情を反映したかのように、特定の外国方面の、顔立ちであった。 耳の上部をぶち抜く型の勇ましいボディピアス『インダストリアル』が目立つ。

――違法ドラッグ男のボディピアス『インダストリアル』は、気持ち悪さを感じさせる歪んだ意匠だ。特定の外国方面の文化に、この類の趣味や習慣は無いと聞いている。 違法ドラッグを好むようになると、この類の意匠を好むようになるのだろうか。

それなりに原理主義なテキストが、袖から見える手首の部分に、刺青(タトゥー)されている。四六時中ありがたい「神の言葉(?)」として、見返せるように。

「禁制ドラッグ末端価格は、おそろしく高騰している。まさに濡れ手に粟。目がくらんで、はき違えるのも、さもありなん。外国の宗教は、ガッツリ倫理を仕込むというが、 その辺どうなってるのかね、まったく」

「手前の身勝手な都合にあわせて都合よく宗教だの礼拝だのを持ち出して、精神怠惰するのが習慣なんでしょ。そして『自分探し』だか『神の存在』だかスピ迷妄の末に、 社会正義テロだの無差別テロだのに走るんですよ。ロシア文学『大審問官』読書感想文くらいは必修にしておいてほしいですね」

同時並行で駆けつけていた救急隊の面々が首を振り振り、それでも任務に忠実に、診断と搬送の手続きを進めている。

自動車のエアバッグが正常に機能したお蔭で、転売屋の男は軽傷。一刻を争う状況では無い。

意識を取り戻すまで、救急車の設備でバイタルサインなど様子を見て、余裕のある病院へ搬送する手筈。そして、もちろん、厳重に身柄拘束のうえ警察で事情聴取するのだ。

いろいろの手続きが進み、セレブ中年ベテラン刑事の伊織(イオリ)は、若手の部下へ後続の業務を移行しはじめた。

その時。

セレブ刑事・伊織(イオリ)の携帯電話から、緊急コール音。

概要を聞き終えた後、伊織(イオリ)・ド・ボルジア・権堂(ゴンドウ)は、厳しい眼差しになった。

「緊急事態だ。目暮(メグレ)くん。カツオ氏が襲撃された。大量出血の重傷で意識不明だそうだ」

「……はあッ!?」

*****

シニア先輩カツオ氏が搬送された病院へ、パトカーで駆けつける。

伊織(イオリ)と共に同乗した目暮啓司(メグレ・ケイジ)と猫天狗ニャニャオは、サイレン音の合間に流れる、刻々の最新情報に耳をそばだてていた。

現在、判明している概要は、以下のようになる。

――事件が起きた場所は、『ジライちゃん』深夜ショー舞台となったライブハウス――の、スタッフ向けの非常階段である。

さきほど、深夜0時を相当に過ぎた頃。

深夜ショーが終了し、マネージャー堀井(ホリー)の手配で、『ジライちゃん』のための送迎車が回された。

脅迫状トラブルが続いて『ジライちゃん』は極度に神経過敏・精神不安定になっていた。

前もって人払いを実施しておいて、ほぼほぼ無人となったタイミング。

ボディガードを務めるシニア男カツオ氏と共に、ショー会場のスタッフ用の非常階段から、『ジライちゃん』は送迎車に乗りこむ手筈となっていた。

だが、その非常階段を地上階へ移動する、わずかな隙間タイミングに、暴漢が襲撃してきた「らしい」。

暴漢の目的が『ジライちゃん』だったのか、ボディガード・カツオ氏だったのかは、判らない。

カツオ氏は任務にしたがって『ジライちゃん』を警護し、その結果、暴漢の刃物を急所に受けて大量出血を起こした。

襲撃にかかった時間は、3分も無かったのではと推測される。

常に『ジライちゃん』から目を離さない有能マネージャー堀井(ホリー)が、続いて現場へ駆けつけていたのだ。

結果として、襲撃現場の状況は、不可解なものとなっていた。

非常階段の途中の階層で、大量出血で意識を失い、瀕死となったボディガード・カツオ氏。

再度の薬物過剰摂取(オーバードーズ)で、失神せんばかりに朦朧(もうろう)としていた地下アイドル女子高生『ジライちゃん』。

ワラオー芸能事務所の所長は、かねてから地上に居た。その先の駐車場ロータリーのところで、契約の送迎車の到着を待ち受けて、乗降の予定の位置へ誘導しているところだった。

犯人を目撃した人は居ない――

*****

不吉な流れじゃねえか、と目暮啓司(メグレ・ケイジ)は呟いた。

マネージャー堀井(ホリー)が第一容疑者になるところだ。

ワラオー芸能事務所の所長が、まさかの犯人である可能性もあるが。

――1分そこらで、非常階段の途中の位置から、駐車場ロータリーまで、移動できるだろうか?

――非常階段を駆け下りる時は、とんでもない足音がする筈だ。それらしい、怪しい物音すら立てずに?

ワラオー所長は、自己流だか、修験道の覚えがあるとか。

まさかのまさかで……天狗よろしく烏羽(からすばね)を生やして空を飛べるとか……とんでもない変態アスリートの可能性もあるじゃないか!

まずは、本人を確認してからだろう……

*****

あっという間に、救急搬送先の病院へ到着した。

常にせわしない雰囲気がただよっている区域。いまはいっそう、切羽詰まった雰囲気がピリピリと感じられるところである。

看護師たちに案内されて、目暮啓司(メグレ・ケイジ)たちが移動した先は、ナースステーションである。

近くに設けられている待合場所には、3人ほどの男女が……憔悴(しょうすい)したように座り込んでいた。

坊主頭(スキンヘッド)のゴツゴツした印象の、ガチムチ中年男。

特殊な形をした補助杖を携えているシニア女性。

――この男女2人が、ワラオー芸能事務所の所長・破螺(ワラ)氏と、マネージャー堀井(ホリー)に違いない。

残り1人は、急遽、駆けつけたという風の、かくしゃくとした和装老人。香多湯出(カタユデ)翁(おう)だ。厳しい表情で鎮座していた。

はやくも香多湯出(カタユデ)翁(おう)が、中年ベテラン刑事・伊織(イオリ)と、若き探偵・目暮啓司(メグレ・ケイジ)の到着に気づいて、振り返って来る。

「おお、伊織(イオリ)くんに、目暮(メグレ)くん」

「このたびは。……香多湯出(カタユデ)先生。カツオ氏の状況は、いったい」

「いまは集中治療室に居る。まだ意識は戻っておらんようじゃ」

さすがに目暮啓司(メグレ・ケイジ)も、不安でソワソワするところはある。

「よっぽど、……大怪我だったんすね」

「おお、紹介しなければのう。こちらがワラオー芸能事務所のワラオー所長、こちらがマネージャー堀井(ホリー)じゃ」

ひとまず紹介された順番に、一礼を交わす。

「おふたかた、この若いのは、わが探偵事務所の所員、目暮(メグレ)くんじゃ。カツオ氏に代わって助手をすることになるゆえ、お見知りおきを」

…………

……

ほどなくして、看護師がテキパキと近づいてきた。医師も居る。

重要な連絡事項に違いない。

香多湯出(カタユデ)翁(おう)も、坊主頭(スキンヘッド)ワラオー所長も、サッと立ち上がった。

坊主頭(スキンヘッド)をしたガチムチ中年男の動作は、意外に機敏だ。「山の男」といった風。これまた「山の男」好みと思しきポンチョ。

マネージャー堀井(ホリー)も不自由な脚をおして、慎重に立ち上がっていた。最近、ハードワークで体調が思わしくないと聞いていたとおり……顔色が相当に悪い。

補助杖をつかむ手が震えている。アッと思う間に、マネージャー堀井(ホリー)は危なっかしく、ふらついていた。 看護師が飛び出して支えようとしたが、幸い転倒の気配は無く、事なきを得る。しかし、その体軸の不安定さは、割合にハラハラさせられるところがある。

「ご無理なさらず」

医師は、慎重に、口を開いた。

「患者さん――麻生勝雄(アソウ・カツオ)さんの血液型は、О型マイナスですね」

「うむ、相違ないぞい」

「年度末ということもあって、すべての血液型にわたり、輸血用血液が確保困難な状況です。まして、О型マイナスは……正月以来、ほぼほぼ在庫が枯渇しているところで。 いずれにしても今夜が峠です。たいへん心苦しく残念ですが、最悪もありうるかと。病院としては手を尽くしますが」

「うむ……、お手数おかけ申し上げる」

医師はサッと一礼し、ナースステーションでスタンバイしていた別の看護師と専門的なやりとりを済ませると、助手の看護師と共に、テキパキと集中治療室のほうへ戻っていった。 ナースステーション電話コール音が、1台、また1台と、鳴りつづけている……

…………

……

セレブ風の中年刑事・伊織(イオリ)が、珍しく表情をゆがませ、頭を抱える格好だ。

「なんという事だ!」

ワラオー芸能事務所の坊主頭(スキンヘッド)所長が、イライラと足踏みをする。

極度の不安とストレスを感じているに違いない。

中年男の、ガチムチ・ゴツゴツとした印象の大柄な身体が、ガタガタと震えているのが、傍目(はため)にも判る。ガバッとかぶった風の、オーバーサイズなポンチョ型コートを通していてさえ。

ポンチョの端が揺れた拍子に、片方の腰から、古典的な赤い色をした複雑なロープの輪を垂らしているのが見えた。

――凝りに凝った財布用チェーンに見える。

「ボディガードは、いったい何をボンヤリしていたんだ!? おかげで、ウチは『金の生る木』を失うところだったんだぞ! カツオ氏は無能だったんじゃないか、香多湯出(カタユデ)ジジイ!」

――財布用チェーンにこだわるのも、納得するばかり……坊主頭(スキンヘッド)ワラオー所長の、カネへの執着心。

香多湯出(カタユデ)翁(おう)の眼光が、ギラリと閃いた。

「私は部下の能力を信じるぞい。自慢の弟子のひとりじゃ。まったくの想定外の状況があった筈じゃよ。我々には見えていない、謎の真相が」

「謎の真相……?」

ボンヤリと、マネージャー堀井(ホリー)が聞き返していた。しかし内容のある返答は期待していなかった様子で、再び補助杖にすがって、ヨロヨロとソファに腰を下ろしていた……

病院の外側から、別種のザワザワとした音が聞こえてくる。

坊主頭(スキンヘッド)ワラオー所長は、その方向の窓に駆け寄って、素早く様子をうかがい。

「マスコミが嗅(か)ぎつけたらしい。ヤツラは、どこへでも傍若無人に出入りするゴキブリだ!」

盛大な舌打ちの音が挟まった。

「例の『ジライちゃん』休養だの治療だので押さえてたホテル予約は、ウチの分までも取り消してないな。 そこへ『ジライちゃん』を押し込んでるから、フラフラと出歩いて変なことしないように、あたらしいボディガードを雇って、見張らなければ」

あっという間に、坊主頭(スキンヘッド)ワラオー所長は立ち去って行った。

*****

――芸能クリエイター業界というところは、過剰に冷酷で、訳の分からない部分が多すぎる。

目暮啓司(メグレ・ケイジ)はポカンとしながらも、当座の疑問点を口にした。

「噂のアイドル『ジライちゃん』、いまはホテルに居るんすか」

「あ、ええ、そう……そうですね」

答えたのはマネージャー堀井(ホリー)だ。

「警察から簡単な聞き取りを受けたけど、あの子、朦朧(もうろう)してて話にならなくて。いったん、ホテルに」

「襲撃の前から、もう再度の薬物過剰摂取(オーバードーズ)で、トリップしてたとか?」

「錠剤を隠し持っていて、ショー後半から大量摂取してたの。舞台の裏で、ちょっとしたスキマ時間に、水なしで、こう、ガッと飲み下してしまうのね。 こちらの病院で緊急に胃洗浄をしていただいて――胃に残っていた分だけではあるけど――それから、ホテルへ移動させておいてある」

目暮啓司(メグレ・ケイジ)の足元で、巧みに透明になった猫天狗ニャニャオが漂っている。

『重要なポイントニャネ。襲撃前から朦朧(もうろう)していたとすると、襲撃の瞬間『ジライちゃん』は、カツオ氏の指示どおり動けなかった状況ニャ。 素早く逃げるとか、そういう行動ができなかった筈だニャ』

さっそく、目暮啓司(メグレ・ケイジ)は、その言及を通訳した。

香多湯出(カタユデ)翁(おう)が、我が意を得たとばかりに大きくうなづく。

「自衛行動を取れなくなった――しかも、トリップゆえの予期せぬ挙動もする――警護対象を保護するのは、困難な仕事じゃよ。カツオ氏は、間違いなく最善を尽くした筈じゃ。わずかな時間といえど、 必要なだけの幅を勝ち取った。そして、襲撃犯は『ジライちゃん』に手を出せないままに……マネージャーたちが到着する前に、逃走せざるをえなかったんじゃ。どうやって逃走したのかは謎じゃがの」

「あの子、現場をまったく覚えてない筈です。お役に立てず。あの様子では、正常な感覚が戻るまで1日……2日は、かかるかも知れません。 勝雄(カツオ)さんには、お詫びしてもしきれません。申し訳ありません」

耐えかねたように、マネージャー堀井(ホリー)はうつむき、頭を抱えていた。苦悩の嗚咽が漏れ出てきている。

「お気になさらずじゃ」

それぞれに思案しつつ……やがて。

ナースステーション電話が再び鳴り、看護師がサッと受話器を取る。

「……はい、いつもお世話になっております。はい、その通りです要請は……え、見つかった!? 到着した……ぜひ! 緊急で!」

看護師は最後には浮足立つあまり、立ち上がってピョンピョンしていた。よほどビックリした様子だ。

一部の数人の看護師が、見事なチーム連携で、それぞれに走り回りはじめた……

「ふむ、何があったんじゃ?」

「あ、集中治療室の患者の……О型マイナス輸血パックが到着しました! 先ほど、その血液輸送車が到着したと」

あまりにも予想外の展開。

しばし全員で沈黙し、看護師たちが走り回っているのを眺めるのみだ。

「2単位!」

「緊急輸血、準備して! ちゃんと適合チェック通して!」

ボンヤリとするままに、目暮啓司(メグレ・ケイジ)は、その辺をフワフワと漂う透明な猫天狗ニャニャオを見やった。

(なんか、したか?)

『友神(ゆうじん)クスタマ君が来てるニャ。少し訳を聞いてくるニャ』

ナースステーションのほど近くで、不思議な光球(オーブ)が、ふたつばかり……フワフワと漂いはじめる。

いつかのように「或る角度」を取って、凝視してみると。

二重写しに、特徴ある姿形が、映し出されているのが判る。

一方は、我らが猫天狗ニャニャオ。

もう一方は、あのふわもち・きらきら・ヌイグルミな「テルテル坊主」風の姿だ。

テルテル坊主が、パッと純白マントを広げて一回転した。

なにかを召喚したらしく、もうひとつの光球(オーブ)が現れる。

――ポン。

その光球(オーブ)のなかから、なにやら以前に見たことのあるような、血のように赤い装飾を持つ「ゆるキャラ」が真剣な顔で飛び出してきて……

空色の旗を掲げながら、看護師たちが駆け込んだ別扉のなかへと、飛び込んでいった。

不意に、目暮啓司(メグレ・ケイジ)の脳裏に、最近の記憶がよみがえる。

(いつだったか献血イベントに来てた女子高生……? あの水色の旗は、献血バスの「ゆるキャラ」が持っていたような……?)

しばらくして、猫天狗からの霊界通信が飛び込んできた。

『確認が取れたニャ。ケイ君ご明察のとおり、いま来た輸血パックは、クスタマ君の氏子由来ニャネ。こんな状況だから、クスタマ君の神業(かみわざ)で、例の輸血パックの中身を増強しといてくれたニャ』

(……何とかなるのか!?)

『あとはカツオ氏の体力しだいニャ。翌日になったら、クスタマ君の知ってる別のO型マイナス血液型の氏子が、血液センターからの献血要請に応じてくれる見込みである。 だけど、いずれにせよ「今夜が峠」との医師の判断は間違っていない。付け加えることは無いニャ。神業(かみわざ)は、そこまでは干渉しないゆえ』

目暮啓司(メグレ・ケイジ)が霊界通信の内容を咀嚼(そしゃく)していると、横から、中年セレブ刑事・伊織(イオリ)が、ポンと肩をたたいてきた。

「なにか、オカルト直感が働いたようだな、目暮(メグレ)くん? 目暮(メグレ)くんの直感は異常に当たる、空振りも多いが。話してくれるね?」

穏やかで上品なセレブ所作だが、そのベテラン中年刑事の眼差しには、冗談では無い光がある。

思わずひるむ目暮啓司(メグレ・ケイジ)であった。

一方で。

マネージャー堀井(ホリー)は、香多湯出(カタユデ)翁(おう)と、いくつか相談を交わしていた。そして。

「もし、よろしければ、もう少し此処で待機させていただければ。あの人の近くに、もう少し居させていただきたく」

シニア女性の頬(ほお)には、乙女らしい赤みがさしていた。

「ご迷惑でなければ是非お願いしたいと思っていたところじゃよ、マネージャー堀井(ホリー)。無理のない範囲での。万が一の時は、こちらの携帯電話へ緊急連絡を入れてくださるかの」

「かしこまりました、香多湯出(カタユデ)さん」

■4.敵の正体を突き止めよ~外堀をシッカリ埋め埋め重要ニャ・前篇

探偵というもの、いったん事件が発生すれば、夜も昼も無いものだ。

目下、目暮啓司(メグレ・ケイジ)には、別の急ぎの……警察署へ足を向けるべき案件がある。

――例の、間抜けにも、ドラッグで泥酔して自動車事故を起こした、転売屋のさらなる調査だ。特定方面の、闇落ちした外国顔。

香多湯出(カタユデ)翁(おう)のほうでも、探偵事務所で担当している案件とあって、目暮啓司(メグレ・ケイジ)に付き添う形である……

……

セレブ風の中年刑事・伊織(イオリ)、若き探偵・目暮啓司(メグレ・ケイジ)、探偵事務所の所長・香多湯出(カタユデ)翁(おう)。

互いに異なる年齢層の男3人、連れ立って、警察署へ到着してみると。

伊織(イオリ)の部下の若手たちが、夜を徹して、後続の事情聴取を済ませているところであった。

不法ピンク海賊版の転売ルートを聞き取っているうちに、非常に気になる名前が捜査線上に浮かんできたとのことで……裏取り調査へづつく構えである。

転売屋がしゃべっている言語は、複数の外国語ちゃんぽん・スラング混合で骨が折れたが、最近の人工知能――生成AIを駆使した通訳技術の進歩は素晴らしく、大いに活用したとのことであった。

*****

夜はいつしか終わり、東の空に朝の色が広がった。

みるみるうちに、各種業界の勤め人たちが動きまわる時間帯になる。

別途、用意された来客用の会議室にて、セレブ風の中年刑事・伊織(イオリ)の立ち合いのもと。

目暮啓司(メグレ・ケイジ)が、香多湯出(カタユデ)翁(おう)と共に、不法ピンク海賊版の転売屋の証言レポートを読み込んでいると。

若手刑事がドアをノックして、用件を告げてきた。

「あの、伊織(イオリ)先輩。落とし物を拾ったという届け出があったのですが、拾ったという場所が、昨夜の襲撃現場から非常に近い位置なんで。来ていただけますか」

目暮啓司(メグレ・ケイジ)の足元で、いつの間にか顕現していた猫天狗ニャニャオ、すなわち銀灰(シルバー)ネコが、「ニャッ」と鋭く鳴いた。

『この猫のヒゲに、ビンビン来るものがあるニャ。これは重要かも知れないニャネ、ケイ君』

かくして。

好奇心のままに遺失物の引き取り手続きのコーナーを訪問した、目暮啓司(メグレ・ケイジ)と香多湯出(カタユデ)翁(おう)。

不特定多数が出入りするスペース。出入口は、よくある「全面ガラス張り扉」形式だ。

警察署の敷地の一角に広がっている一般向けの駐車場が、よく見える。

早朝ということもあるのか、駐車している車両は、1台のみだった。

見慣れない白い車。

車両の上にはパトカーに似たサイレンが設置されているから、一見してパトカーなのだが。

定番の黒塗りがされていない。ツートンカラーでは無い。全体が真っ白だ。

本来の後部座席に相当する部分には人が乗ることを想定していないらしく、白い保護プレートで完全に封鎖されている状態。ちょっと見には、割と胡散くさい。

「ありゃ何の車両すかね」

少し立ち位置が離れていた香多湯出(カタユデ)翁(おう)には、要所が一目瞭然だったらしく、「ああ」と納得の声が返って来る。

「赤十字マークがついとる。以前タウンニュース版で紹介されていたのをチラ見したぞい。血液輸送車じゃな。血液センターから、方々の医療機関へ、輸血パック色々を運搬する役割と書いてあった」

「昨夜の、О型マイナス輸血パックを運んで来た車っすかね」

「そうかも知れんし、そうではないかも知れんのう。おや、あれは修験の装備じゃな。珍しいものを見るぞよ」

「修験の装備?」

香多湯出(カタユデ)翁(おう)の視線は、遺失物の届け出コーナーの、卓上に置かれたブツにあった。

目暮啓司(メグレ・ケイジ)も、老人の視線の先を追う。

それは、赤い色をしたロープ類。

古典イラストで見るような複雑な編み込み。ロープの端は、古典イラストで見るような、大きめの房(タッセル)になっていた。

届け出を処理する担当と、謎の赤いロープを届けた人物ふたり――青い作業服姿――との間で、困惑混ざりの問答がつづいている。

「つまり、表通りに道路封鎖バリケードがあって使えなかったので、それを回避するための最短ルート、つまり『ジライちゃん』出演ライブハウスの横の通りを緊急走行していたら、 なにかに乗り上げたように車が跳ねた。いったん車を止めて、事故や異常が無いか調べていたら、この赤いロープに乗り上げたためだと判明した……そういう事ですか」

青い作業服姿ふたりは、順番にうなづいて応答していた。

「それに相違ありません」

「輸血パック緊急輸送が最優先でしたので、こちらの届け出が遅延しましたが。なにやら文化財のように見えましたし。神社仏閣の盗難事件は、この頃よく聞くなぁと思ったので、念のため」

届け出の処理担当者は興味深そうに、フンフンと相槌を打っていた。

「そりゃそうですね。ご協力ありがとうございました」

尋常に、書類がまとまったところで。

青い作業服姿ふたりは一礼して、あの白い車に乗り込んで……去っていった。

処理担当が戸惑い気味に、新しく来たセレブ風の中年刑事・伊織(イオリ)のほうを窺う。

「神社仏閣からの盗難物だったりしますかね?」

「私としては、あのカツオ氏が襲撃された現場と、やたら近いというのが気になるな。 そもそも、その表通りの道路封鎖バリケードは、今回の『ジライちゃん』襲撃事件の現場保存のため、我々警察の同僚どのが設置していたものだ。鑑識に回しておこう。なにか出てきたら連絡を入れてくれ」

「了解です……おッ、こいつは食い物じゃ無いぞ、ニャンコ」

銀灰(シルバー)ネコ――猫天狗ニャニャオが、いつの間にか卓上に飛び上がって、謎の赤い古典的なロープにネコの鼻を近づけ、「フンフン」においを嗅(か)いでいたのだった。

さすがに「ゲッ」となる目暮啓司(メグレ・ケイジ)。

慌てて、妖怪じみた銀灰(シルバー)ネコを抱き上げて、確保する。

――こいつは飼い猫じゃ無いんだけどなあ。トホホ。

*****

いったん情報を整理するため、香多湯出(カタユデ)探偵事務所へ戻った。

目暮啓司(メグレ・ケイジ)の手元で、このたびの事件メモがまとまってゆく。

こうしてまとめてみると、転売屋メンバー確保は意外にターニングポイントだったらしい、と気づくものがあった。

――そして、『ジライちゃん』案件だ。

いったい誰が、カツオ氏を襲撃したのだろう? そして、そいつは、どうやって現場から、瞬時に姿を消したのだろう?

まだ、この目で確認していないブツが――あった。

さっそく目暮啓司(メグレ・ケイジ)は、香多湯出(カタユデ)翁(おう)へ伺いを立てた。

「地下アイドル女子高生『ジライちゃん』は、脅迫状を送り付けられてたっすね?」

「うむ」

香多湯出(カタユデ)翁(おう)は、深く思案する時、いつもお気に入りの日本刀を手入れしている。

今回も、事務所の所長デスク隣に設置された畳タイプの台のうえに鎮座して、伝統作法どおりに日本刀を手入れしながら応じてきたのだった。

「その脅迫状、どこかに保管してたりするっすか」

「初期のものは、マネージャー堀井(ホリー)が『イタズラ』と判断して、『ジライちゃん』の目に触れる前に破棄処分したそうじゃ。おお、 カツオ君がマネージャー堀井(ホリー)から預かって保管していたのが、幾つかある筈じゃ。カツオ君のデスクのどこかに」

目暮啓司(メグレ・ケイジ)は、カツオ氏のデスクを探し回った。

カツオ氏の端正な性格を反映しているかのように、カツオ氏のデスクは、整理整頓が行き届いている。

脅迫状は、すぐに見つかった。

当然ながら、差出人不明。

新聞雑誌の誌面を使用文字ごとに切り取って、貼り付けるやり方だ。

随分と、古典的で、几帳面な犯人である。

『死ね死ね死ね』

『クソヤミアイドルが芸術を汚す レッドカード 退場しろ』

『やる気のない地下アイドル 身体売れ ピチピチ身体を欲しがる変態プレイ金持ちエリート 幾らでも居る 5歳や6歳の幼女の頃のほうが高く売れたな』

『若い女の臓器は売れる いまから体をバラすから覚悟しろ』

『海外へ売ってやろうか みだら ビッチ』

…………

……

つくづく。

ストレス重圧と薬物過剰摂取(オーバードーズ)でボロボロの10代女子高生に、こういった脅迫状を送り付ける人物の気が知れない。

目暮啓司(メグレ・ケイジ)は首を振り振り、脅迫状を片付けた。

「指紋なんかは見つからなかったすか?」

「うむ、残念なことに」

資料作成と整理にかかりきりになって、午後の後半。

カツオ氏のデスク上に置いてあったままの、カツオ氏の携帯電話がコール音を発した。

ジャ・ジャ・ジャ・ジャーン♪

香多湯出(カタユデ)翁(おう)が受信ボタンをプッシュする。

目暮啓司(メグレ・ケイジ)が唖然とするほどの素早さでもって。

そこへ、銀灰(シルバー)ネコが――猫天狗ニャニャオが――「無邪気なネコ」のイタズラという風で、さらに香多湯出(カタユデ)探偵事務所のなかで特別に連携するスピーカーボタンをプッシュした。

「ニャン」

「へ……?」

あまりにも一瞬の、対応。

香多湯出(カタユデ)翁(おう)が、受話口で、しゃべり出したところだ。

「こちら香多湯出(カタユデ)探偵事務所じゃよ」

電話の向こうで、あっけにとられたような沈黙が続いた。

「カッちゃんじゃないの?」

まさに10代女子高生の声。

「おお『ジライちゃん』じゃな。変わりないかの」

「あたし、その通称、好きじゃない……」

「では戸籍の本名のほうの小原樹里(オハラ・ジュリ)さん。ワラオー所長が怒りそうじゃが、なに、ワシのほうで上手に言いくるめて進ぜよう」

しばらくの間、むせび泣きがつづいた。色々と精神的に参っている様子が伝わって来る。

猫天狗ニャニャオの不意のイタズラのせいで、目暮啓司(メグレ・ケイジ)も傍聴の形となった状態だが……香多湯出(カタユデ)翁(おう)のほうでも、元からそのつもりだったらしく、 目暮啓司(メグレ・ケイジ)へ『通話内容を録音しろ』と目配せしてくる。

目暮啓司(メグレ・ケイジ)はサッと所定のボタンを押し、通話録音をスタートさせた。

やがて、女子高生アイドル『ジライちゃん』こと小原樹里(オハラ・ジュリ)の呟きの声が、再開した。

「あたし、ワラオー所長のこと好きじゃない。嫌い。新しいボディガードって2人が入って来たけど、知らない人だもん。カッチャンがいい。カッチャン居る? すぐに来て、ってお願いしてよ」

「残念ながら、カツオ氏は動ける状況では無いのじゃよ。ふむ。ワラオー所長も、新しいボディガード2人も、詳しい説明はしなかったようじゃな。マネージャー堀井(ホリー)は……」

「ホリーさんは自宅待機してるって聞いた。恐ろしい襲撃があったって。子供が知る必要は無いんだって。あたし大人だよ。知る権利あるじゃないの」

……その声は、薬物過剰摂取(オーバードーズ)の影響で爆速老化したかのように、かすれてしまってはいるものの。 その幼い言い草や、合間に漏れるシクシク嗚咽を聞いていると、どう考えても子供――未成年の範疇(はんちゅう)だ。

「じゃあ、いい。カッチャンが来れないなら、ユデチャンが来て。新しいショー出演の仕事があるから、ちゃんと寝て起きて仕事しろってんだけど、寝れないんだもの。 あたし、ユデチャンが来ないと寝ない。練習もしない。何も食べたくない……食べられないんだもん」

「ふむ。すぐに馳せ参じて進ぜようぞ。もっとも、ワラオー所長の許可しだいじゃが」

「あたしが頼めば、ワラオー所長は許可するよ。大丈夫だよ。すぐ来てね。頼んでたホテルにいるよ。おねがいだよ」

最後の声は弾んではいたが、それでも懇願(こんがん)の響きを帯びていたのだった。

そして電話が切られた。

香多湯出(カタユデ)翁(おう)は、早くも紋付き袴をそろえ、出陣態勢であった。

「聞いておったな、目暮啓司(メグレ・ケイジ)くん。3分で支度したまえ。急行するぞよ。例の避難用ホテルは、そもそも、マネージャー堀井(ホリー)を通じて私が手配したところじゃ。 万が一の押し入りルートは熟知しておる」

「了解」

*****

春の陽気は激変するものだ。

いつだったかの三月中旬をつつんでいた暖かな空気は、下旬のあたまを襲った寒気の力で吹き飛ばされてしまっていた。

その寒気は、そのまま居座り、三月末へ向かって分厚い曇り空を広げている。

天候は不順に移り変わり、あらたに吹き込んだ暖気にかき混ぜられて不安定を増し。

いまや全国的に荒れるような雨天、すなわち春の嵐の予報が出るようになっているところだ……

*****

雨のにおいが濃厚になってきた――三月下旬の、午後の後半。

空は夕方の色。

分厚い雲のもと、早い刻から、町明かりが煌々と輝いている。

目暮啓司(メグレ・ケイジ)の運転する車が、目下「避難用」と指定しているホテルの駐車場へ入った。

こんな場合ではあるが、一般庶民には縁の無いところじゃねえか――などと、お決まりの脳内コメントをしてしてみる。

政治家や、業界の筋のお偉方が、一時的に身を潜めるのに使うような、警備の行き届いたラグジュアリー・ホテルなのだ。しっかり、エリート区画の夜景の、とりわけ華やかな要素を構成しているホテルだ。

あらためて、このようなランクのホテルを手配できる香多湯出(カタユデ)翁(おう)の人脈が、不可思議である。

くわえて、かねてからホテル警備の責任者と、香多湯出(カタユデ)翁(おう)は、顔見知り。

あっという間にセキュリティ・ゲートが開かれ。

みるみるうちに、目暮啓司(メグレ・ケイジ)は和装老人の付き添いとして、当ホテルの誇りと思しき華麗ラグジュアリーなエレベーターホールへと、立ち入る状況になっていた。

エレベーターボタンに、ずらりと並んだ、目を疑うような数字の数々。その辺のアパートや団地では絶対に見ないだろう数字だ。

「27階じゃよ」

サラリと老人に告げられ、目暮啓司(メグレ・ケイジ)は慌てて、「27」の数字をプッシュである。

エレベーターが、ビックリするような快速で、なめらかに上昇しはじめた。頭上プレートに表示されている階層の数字の移り変わりが、小気味よいくらいである。

ふと、思い立って、足元を確認すると。

なんでもなさそうな顔をして、シッカリ、猫天狗ニャニャオが居た。相変わらず、見事なモフモフ毛皮。いったい、どうやって警備の厳しいラグジュアリー・ホテルへ侵入したのか、それもまた問題だ。

「目暮(メグレ)くんの相棒の忍者ネコ殿、なにやら、ひときわ怪異な状況が展開しそうじゃ。しっかりフォローを頼むぞよ」

「ニャー」

「なんか不安になって来たけど、こちらはどうすれば良いっすか」

「目暮(メグレ)くんは、そのままで大丈夫じゃよ。イザという時に、その天才的なまでのオカルト『空き巣』才能を発揮できるよう、準備を怠りなくしてくれたまえ」

「……どうにもこうにも……褒められているように聞こえないっすね……」

次の瞬間。

目的の階層に到着し、エレベーター扉がスーッと開いた。

団体割引パック旅行で泊まるような旅館ホテルの類を想定していただけに……目の前の廊下に並ぶ、宮殿のような大きな扉に、驚いてしまう。

香多湯出(カタユデ)翁(おう)は、勝手知ったるという風に、特定の部屋番号の扉まで来ると。

普通に、呼び鈴を、サクッとプッシュした。

扉がうすく開き、大柄な人物の気配が動いた。ボディガードに違いない。

タダモノでは無さそうな和装老人の人相を確認して、仰天している様子が、うっすらと伝わって来る。

逡巡の数秒ほどの間をおいて、豪華な扉が、さらに開かれた。ただし、扉のチェーンは掛かったままだ。

立派な体格の男が、チラリと困惑顔を見せてくる。もと軍人かと思うような、キビキビしたところがある。

その定番の警備員スーツの下にはシッカリと、各種の防具。ホテル提供のセキュリティ名札「渡辺」。

「貴殿のことは存じてます、香多湯出(カタユデ)先生。ただ、ワラオー所長からは、来訪予定(アポイントメント)をうかがっておらず」

「しかり、火急の訪問ゆえ当然じゃよ。ワラオー所長は了解済みじゃ」

――不意に。甲高い声が、かぶさって来た。

「来てくれたのね、ユデチャン! 分かってたもん! 入れてよ、お願い! あたし話したいの!」

扉のチェーンが外された。

香多湯出(カタユデ)翁(おう)が、すべり込むように入室した。そのまま扉を押さえ、目暮啓司(メグレ・ケイジ)にも、つづいて入室するよう目配せする。

もと「空き巣」ならではの身のこなしでもって、目暮啓司(メグレ・ケイジ)も入り込む……

…………

……

青白くゲッソリとした印象の少女が、涙ながらに香多湯出(カタユデ)翁(おう)にしがみついていた。

――この少女が、あの、有名な『ジライちゃん』なのか?

目の前に居る少女は、仰天するほどに弱々しく、ガリガリとやせ細っていて、小さい。

その、愕然とするほどの落差。

特殊メイクや舞台照明による演出カバーの威力に、恐怖すら感じる目暮啓司(メグレ・ケイジ)であった。

――数々のネット広告の映像には、なおさら、生成AIを縦横に駆使しての、画像編集テクニックが盛られている筈だ……

そして、広い部屋の奥へ、目をやると。

窓際の円卓の傍に、困惑顔をした警備員スーツ姿の女性が居た。

ホテル提供のセキュリティ名札が見える。もうひとりのボディガードに違いない。

円卓のうえに、4人分の茶器セット。

目下、この部屋の滞在人数――4人分の茶を淹れているところだった様子。

「おいこら、なんで、ジジイを入れた!」

ガラガラとした不機嫌な怒鳴り声が、広い部屋じゅうに響く。

ラグジュアリー扉で仕切られた続き部屋から、坊主頭(スキンヘッド)ワラオー所長が、シャツ姿で飛び出して来ていた。

その手には、アルコール度の高そうな酒瓶を持っている。

ヤケ酒の真っ最中だったようだ。

昨夜の襲撃からの大騒動……特に胃痛になること確実な、マスコミ対応などを考えると、同情するところはあるが。

坊主頭(スキンヘッド)ワラオー所長は、そのまま、ギロリと、少女をにらみつけた。ガチムチ大柄な体格の悪僧――鉄砲撃ちの僧兵にも見え。

「フン、これだからガキの、ワガママってヤツは!」

少女はビクリとして、香多湯出(カタユデ)翁(おう)の和装の袖に隠れる格好だ。

「このガキを、此処までにするのに、どれだけ苦労したと思ってんだ! そもそも最初にスカウトした時は、もっさりとした、垢抜けない、ブスだったんだぞ。それを、 化粧を仕込み、衣装の選び方を仕込んで、ファンサービスの立ち居振る舞いまでレッスンした。『ジライちゃん』は、ワシが育てた。これからブレークする才能なんだぞ!」

「ユデちゃんに居てくれないと、怖くて出来ないよ」

「しょうがない。今夜はジジイに加わってもらうから、ちゃんと仕事しろ。次のショーはもう2週間後だ、レッスンのスケジュールも、ギチギチ詰め込まないと間に合わん」

ワラオー所長は苛立たし気に口を切り、ゴバァとばかりに、酒瓶の酒をラッパ飲みした。

「時は金だ。くだらん薬物過剰摂取(オーバードーズ)やら脱糞(だっぷん)やらで、 迷惑かけやがって! どれだけ関係者に平身低頭したと思ってんだ! 錠剤(クスリ)はすべて取り上げた! 襲撃だろうが海賊版だろうが、 なんだ! 世界のビッグスターは、お前なんかよりも大量の血反吐(ちへど)を吐きながら、のし上がって来たんだぞ! 甘ったれんな!」

今までの鬱憤(うっぷん)もあったのだろうが、パワハラ暴言そのものと聞こえる言い草だ。

不穏な空気をまき散らした末に。

ワラオー所長は、ほかの面々を見まわして、あらためて「フン!」と憤慨(ふんがい)して……

身を返し、ドスドスと足を踏み鳴らしながら、もとの続き部屋へ引きこもっていった。

しばらくの間――にがい沈黙。

目暮啓司(メグレ・ケイジ)は、そっと少女を観察した。

少女の顔色は真っ白を通り越して蒼白になっていた。

その表情からは、感情すべてが抜け落ちたかのように見える。

直感的に「ヤバい」――と感じはしたが、成人男性の身では先行誤解も起きやすい。

手をこまねくまま、沈黙していると……

いつからそこにいたのか、銀灰(シルバー)ネコが、ニャゴニャゴと、少女の脚に身をこすりつけていた。

やがて。

ボンヤリと、少女はネコに気づき……しゃがみ込んで、モフり出し。次に、ネコを抱きしめて、シクシク泣きはじめたのだった。

何故だか理由は判らないが――感情崩壊か、人格崩壊か――目に見えない面での危機は、脱したように思える。

唖然とした顔で、女性ボディガードが慎重に近づき……ネコをしげしげと眺めた。

「ネコを、連れてきてたんですか? このホテルは厳しいのに、どうやって?」

「予定外のメンバーじゃが、結構じゃろう。さて、樹里(ジュリ)さんをベッドに連れて行ってくれたまえ。今後の対策について話し合わなければならん」

「承知いたしました、先生……あ、申し遅れましたが、わたくし『佐藤』と申します」

そう言って、女性ボディガードは、テキパキとした所作で、ホテル提供のセキュリティ名札「佐藤」を示して見せたのだった。

*****

ホテルの夕食サービスの刻。

空は、すっかり暗くなっていたが。

周辺は一等地とあって、華やかなイルミネーションで明るい。

ほどなくして女性ボディガード佐藤が、ホッとした様子で、応接間へ戻ってきた。

「彼女は、なんとか寝付きました。ニャンコのお蔭ですね」

チームを組む大柄な男性ボディガード渡辺が、フーッと息をつく。

「あの年頃の女の子は判らないな。とりあえず落ち着いて良かった」

そして夕食をつつきながら、お互いに情報交換が始まった。

男女チームの「渡辺」「佐藤」のボディガードは、このホテルのセキュリティサービスから派遣されて来ていた。 坊主頭(スキンヘッド)ワラオー所長は、カネの話に神経質なところがあり、やはり、負担をケチったものと見える。

通常は男・男チームだが、今回、『未成年女子』という要素がホテルのセキュリティサービス責任者の警戒心を刺激した。ゆえに数少ない女性メンバー「佐藤」を当ててきたという訳なのだった。

さすが超一流ホテルというだけのことはある、と目暮啓司(メグレ・ケイジ)は感心するのみである……

…………

……

襲撃事件が発生した夜、ワラオー所長は、その夜も明けないうちから病院を去っていた。その後の時間、現在まで、どうしていたのか――と思っていたのだが。

男女チームのボディガード「渡辺」「佐藤」によれば、特におかしな動きはしていなかったとの事だ。

マネージャー堀井(ホリー)が、今日の朝食の頃に一人でホテルへ来て、『ジライちゃん』こと樹里(ジュリ)の様子を確認した。 その際、30分ほど話をして、目につく錠剤という錠剤を没収して、自宅へ帰っていった。

応対をしたホテルスタッフによれば、マネージャー堀井(ホリー)は、集中治療室にいるカツオ氏を心配して、病院で徹夜していたこともあって……さすがにゲッソリと疲れている様子に見えたという。

昼食を少し過ぎた頃に、ワラオー所長が荒れた様子でホテルへ来て、『ジライちゃん』こと樹里(ジュリ)のボディガードを注文した。

かくしてボディガード「渡辺」「佐藤」が入室した。ちょうど機嫌の悪かった少女は、見知らぬ2人に対して、良くない印象を持ったようだ。 キツイ言い方をするワラオー所長が引き連れてきた――という状況もあったのかも知れないが。

…………

……

「なるほどのう」

概要を聞き終えて。香多湯出(カタユデ)翁(おう)は和装の袖を組んで、思案しはじめた。

「まだ未確定の情報やら疑惑やらがある。再検討の必要があるかも知れん」

■4.敵の正体を突き止めよ~外堀をシッカリ埋め埋め重要ニャ・後篇

草木も眠る丑三つ時(深夜2時~3時)。

ひとならざる怪異が跳梁(ちょうりょう)する頃合いである。

ラグジュアリー・ホテルの、特別ラグジュアリーな、複数の続き部屋を備える客室。

ボディガードを務める男女2人とともに、香多湯出(カタユデ)翁(おう)と目暮啓司(メグレ・ケイジ)は、備え付けのソファや椅子で仮眠の真っ最中だ。

目暮啓司(メグレ・ケイジ)は、いつものように……予想どおり怪異を眺め、体験する羽目になった。

オカルトの中のオカルト――霊体離脱である。

「あ、やっちまった」

と思った瞬間に、スッと抜けるのだ。

猫天狗ニャニャオいわく、高位の神官は霊的現象が日常的にできたとのことだが、ハッキリ言って眉唾(マユツバ)ものである。

先祖の功徳(くどく)の影響なのか、本格的な神職――平安時代のような恰好。

オカルト・コスプレだ。

気恥ずかしいこと、このうえない。

――所作の基本すら知らないのだから。

普段着っぽい白い着物だから、Tシャツと思えば耐えられる……と思えるくらいだ。正直、正月のころの、黒だか紫だかの着物の時は、最高に黒歴史だった。いや紫歴史だったのか。

長大な袖の中をさぐると、やはり異世界「ハタキ状」の白いのが出てきた。ネット百科辞典によれば、古式ゆかしき「大幣(おおぬさ)」らしい。

毎度のように、空中浮遊している怪異、すなわち「ホラー悪玉菌」や「クリーチャー・ゴキブリ」のような気色悪い「ナニカ」を、ハタキで、シッシッとやる。

目暮啓司(メグレ・ケイジ)自身としては、この状況を理解できないし理解したくも無いが、こうすると、呼吸やら、なにやら……雰囲気がすっきりして、楽になるのは事実。

だれだって、陰湿な怪異が群れを成して浮遊しつつ、ひしめくような、気持ち悪くなるような空間には居たくないものだ。

ほどなくして、猫天狗からの霊界通信がやって来た。肉体の時よりも明瞭に。

『あ、タイミング良いニャ。「ジライちゃん」のベッドへ来てほしいニャ』

(オレは男だ。女性ボディガード佐藤が適任だろ、それは)

『緊急事態ニャ』

霊体・目暮啓司(メグレ・ケイジ)は、とりあえず駆けつけた。

少女に割り当てられている続き部屋の「閉じられたままの扉」を、スーッと抜ける。霊体ならではの怪異。

みっしりと、よろしくない怪異「ホラー悪玉菌」が詰まっていた。

異世界ハタキ――断じて「大幣(おおぬさ)」とかいうような、ビックリするような代物では無いと思いたい――でもって、手早く「パパパ」と祓(はら)う。

『助かったニャ』

気色悪い群れが片付き、クリアになったベッド回り。

少女『ジライちゃん』は先ほどまで苦しそうな呼吸をしていたが、やがてウトウトと寝返りをうち、穏やかな呼吸に変わった。顔色は悪いけれども。

枕もとで、猫天狗ニャニャオが「フルル」と全身を震わせ、ネコの顔を片足で「コリコリ」やり出した。

『薬物過剰摂取(オーバードーズ)は、色々と問題だニャ。目には見えない分だけ』

(神々とやら……から見て、なかなか忌まわしい行為では、あるんだな)

『まったくニャ。もう大丈夫そうだニャ、クスタマ君』

猫天狗ニャニャオが、ふいに空中へ目を向けると、そこに光球(オーブ)がフワリと浮かぶ。

見る間に、あの「ゆるキャラ」テルテル坊主な姿が現れた。

常に生真面目な無表情で、なおかつ非常に奥ゆかしい性質で言葉を発しないらしく……意図が読めない。

それでも、じっと観察してみると……テルテル坊主の頭頂部に「#」が複数、浮き出ているのが、見て取れる。

どうやら猫天狗ニャニャオの友神(ゆうじん)クスタマは、激怒状態らしい。「神の怒り」ボルテージは分かりにくいのだが、「#」の数々を見る限りでは、修羅の領域なのであろう。

ちっちゃなテルテル坊主はピョコピョコ移動して、ベッドサイドに半分隠れた形になっている引き出しを、ゲシゲシ蹴りはじめた。

(そこに何かあるってのか?)

霊体・目暮啓司(メグレ・ケイジ)は、その引き出しに手をかけてみた。猫天狗ニャニャオが訳知り顔で、ネコの手を重ねてくる。

――鍵が掛かっている。

超一流ホテルが、カネをかけたとあって、相当……手こずる型だが。

霊体・目暮啓司(メグレ・ケイジ)は、実体・猫天狗ニャニャオの「ネコの手」を借りて、慎重に解錠した。名人級に極めつくした特技に限っては、怪異(神?)の協力でもって、実物に干渉できるのだ。

――たまに「鍵が自然に外れていた」というような不可解な怪談があったりするが、謎が解けてみれば、何ということは無い。神々の奇跡に比べれば、なんらかの物理的トリックのほうが圧倒的に多いものの。

猫天狗ニャニャオが「ネコの手」で、引き出しをスッと開ける。

各種錠剤を詰め込んだボトルが現れた。

色とりどりの既存薬物を乱雑に詰め込んだものだ。

明らかに、反社会的勢力が次々に参入するような「セキュリティ皆無ネット」流通の……相当に物議をかもす商品の類と知れる。

『クスタマ君が指摘したとおりニャ。まだまだ錠剤を隠し持ってたニャネ「ジライちゃん」こと樹里(ジュリ)ちゃんは』

テルテル坊主は、すでに臨戦態勢であった。

目をキラーンと光らせるや、双対(そうつい)ヒョウタンをマラカス楽器よろしく振りまわしつつ……ボトルの周りを高速で盆踊りした。

マラカス楽器から聞こえてくるのは、神楽鈴の音である。

純白のふわもち・きらきら・ヌイグルミなテルテル坊主の、高速マラカス、ないし神楽鈴を振りまわす盆踊りは、なかなかの見ものであった。

明らかにヤバい錠剤の数々が、不吉な霊光(オーラ)をギラギラと発していたが。

そのことごとくが、見る見るうちに、双対(そうつい)ヒョウタンの中へと吸い込まれてゆく。

一段落して。

霊体の目で見る限り、不吉な気配ギラギラだった錠剤の霊光(オーラ)が、力を失ったと判る。不思議な双対(そうつい)ヒョウタンの中へ、永久的に封じられた形。

その不思議な双対(そうつい)ヒョウタンを抱えたまま……テルテル坊主な純白「ゆるキャラ」は、ドロンと姿を消してしまった。

ひたすら唖然とするのみの目暮啓司(メグレ・ケイジ)。

(もしかして、無害なブツに変えた? ヒョウタンの力で? どうやって? テルテル坊主は、どこへ消えたんだ?)

『あれは麦茶ティーバッグの中身と同じになったニャ。このスピード、さすが医薬神の神業(かみわざ)ニャ。あの中身、本当にヤバい特定薬物が混入してたニャ。 この子が特定薬物を口にする前に、ケイ君が間に合ってくれて、ホッとしたニャ。製造・転売元は、キッチリ調べ上げるニャ。クスタマ君が「きっと神罰を当ててやる」と宣言してるニャ』

(もしかしてグローバル麻薬ビジネスなんかの類が混入してたってのか)

『世の中には、真実ヤバイ呪術を発動する特定薬物も存在するのだニャ。人類には、詳細は明かせないがニャ。 だから、薬物過剰摂取(オーバードーズ)などは、もってのほか、なのニャ』

意外に重々しい口調だ。

人類である目暮啓司(メグレ・ケイジ)にはピンと来ないが、なにやら複雑な事情をはらんでいそうだ……

『フーッ。本来、素人が、聞きかじりで薬物に飛び込んではならんのニャ。お菓子の振りをした薬物に、ヘタに手を出してはいけないのも、それが理由ニャ。 親しい友人が「友情と好意の証に」と、入手して来たブツであっても。ニャン』

猫天狗ニャニャオは、珍しく、本気で毛を逆立てていた。

『ともかく、例の特定薬物は神事あずかりニャン。今回の案件からは、クスタマ君の神業(かみわざ)でもって弾き出したゆえ、この要素は無視して、ドンドン進めて大丈夫だニャ』

(それにしても、どうやって、この子は、ワラオー所長の目をごまかして錠剤を持ち込んで……あの坊主頭(スキンヘッド)所長、錠剤は全部、没収したとか言ってたが)

『人類の男が「女の秘密」を見抜けないのと同じニャネ』

……

…………

いつしか『ジライちゃん』こと少女・樹里(ジュリ)が、ボンヤリと、寝ぼけ眼(まなこ)をうすく開いた。

女子高生ならではの鋭い感覚で、なにやら気配を感じたらしい。

ギョッとする霊体・目暮啓司(メグレ・ケイジ)。

(アヤシイもんじゃねぇ! 変なこと、何もしねぇ!)

「……神サマ? もっと、おカネください。所長、ぜんぜん稼ぎ足りないって……税金……いっぱい払って、ろくに残ってないって……」

文字どおり寝言だった。

次の瞬間には、少女は熟睡に落ちていたのだった。

ほぼ、同時に。

定刻ごとの見回りタイムだったらしく、仕切り扉がスッと開き。

女性ボディガード佐藤が入ってきた……

(ゲッ)

さすがに慌てて、その辺の適当な物陰へ隠れる霊体・目暮啓司(メグレ・ケイジ)。

――「医者でも何でもない成人男性が、寝ている少女のベッドの傍に居る」という状況は、「何かする気だったんだろう」との指摘に対して、いっさい反論できない状況でもある。

――という社会常識は、ある。

霊体離脱は、生きてる人の目には見えない超常オカルト現象である――とは理解しているが……

……

…………

プロならではの鋭い目でもって、女性ボディガード佐藤は即座に、新しく開かれた引き出しと、その中身に気づいた……

「隠れて錠剤を! ……でも封は切られてない、飲んだ気配も無い……服用する前に、間に合ったってこと……!? ニャンコが引き出しを開けたの?」

「ニャーオ」

「ナイス・アシスト!」

それなりに不可解な状況ではあったが、女性ボディガード佐藤は任務に忠実だった。

少女を起こさないように素早く、錠剤ボトルを没収して……退室していった。

*****

「寝ぼけてないで、サッサと起きたまえ目暮(メグレ)くん。緊急会議だ。新しい『隠し錠剤』が見つかったんじゃ。薬物犯罪データベースでも上位に出てきた、ヤバいブツじゃよ……」

気が付くと目暮啓司(メグレ・ケイジ)は、霊体離脱を終了させていて、尋常に寝ぼけている状態であった。

香多湯出(カタユデ)翁(おう)に、揺さぶられているところだ。

「待ってくださいっす。目ぇ覚めてるっす」

…………

……

夜明けが近づいているが、東の空は、いまだ闇の中。

応接室としているソファ周りは、急遽、ワラオー所長を交えての、緊急会議の間となっていた。

いつの間に出てきたのか、普通の銀灰(シルバー)ネコの姿をした猫天狗ニャニャオが、目暮啓司(メグレ・ケイジ)の足元に同席している。

「このまま薬剤過剰摂取(オーバードーズ)を放置できないのは明らかじゃ。ネット転売ルートには麻薬だの致死性の毒物だのがあふれておる。 このままだと命を落とす。可及的すみやかに薬絶ち……休養と治療が必要じゃよ」

香多湯出(カタユデ)翁(おう)の、揺るぎの無い、厳しい指摘が響いた。

卓上には、乱雑な錠剤入りボトル。

いましがた、『ジライちゃん』こと少女・樹里(ジュリ)の枕もとの引き出しから、女性ボディガード佐藤が没収したブツである。

――オカルト的に、中身が麦茶ティーバッグと同じくらい無害と知っていても。ギョッとするような古色のものになっているだけに、いっそう得体の知れない危険な錠剤に見える……

ワラオー芸能事務所を仕切る坊主頭(スキンヘッド)所長は、あからさまに気乗りのしない様子で、ボソボソとボヤいていた。

「バカ言え。事務所の命運かかってんだ。もう4月が目の前だ。4月には新しいライブハウス・ショー舞台の映像を仕上げなくちゃいけないんだぞ。回したカネが回収できなくなったら大損害だ」

男性ボディガード渡辺が、呆れたように突っ込む。

「カネの問題ですか」

「有名ライブハウスのスケジュール枠を取るのに、どれだけ金かかると思ってんだ! これを逃したら儲けがマイナスだ! ゴキブリ・マスコミ共が、 ヨダレ垂らして、キャホって、アレコレ書き立てるのは目に見えてる!」

香多湯出(カタユデ)翁(おう)がギッと眉を逆立てる。

「芸能界と言えど、身体が資本であることには変わらんじゃろう。健康を失えば得るものも得られんぞ。 聞けば、修験道でも有名な荒行をやり遂げたそうじゃな。それだけの有り余る体力と健康があるゆえに、考えが及びもしないのじゃろうが」

坊主頭(スキンヘッド)ワラオー所長は、震える手で、強烈な酒をあおった。

アルコールの力で少し平常心になったのか、再びワラオー所長のボヤキが始まる。ボヤキというよりは強烈な不満コミコミの愚痴。

「マネージャー堀井(ホリー)と、まったく同じことを言われるとは、配慮というものが無いですな香多湯出(カタユデ)のご老体」

「横から済みませんが」

警備員スーツ姿の女性ボディガード佐藤が口を挟んだ。硬い声。

「わたくし佐藤としても同じ見立てです。『ジライちゃん』――樹里(ジュリ)さんは、いますぐ治療を必要としています」

坊主頭(スキンヘッド)ワラオー所長は、あからさまに不機嫌な眼差しで、ギロリとにらんだ。「女が生意気を言うな」と言わんばかりの、蔑視の目線。

だが、女性ボディガード佐藤は、ひるまなかった。

「過去、当ホテルが関与した案件で、似た状況の女性を警護したことがございます。彼女は我々が気づかぬ間に、利害関係者(ステークホルダー)との関係で、大量誤飲で事故を起こしたと聞いています」

「死んだわけじゃ無いだろう!」

「死にはしませんでしたが。彼女は多くの利害関係者(ステークホルダー)との間に難しい問題を抱えていたため、各方面に高額な損害賠償金が。あわせて高額な医療費も。 事業者ふくめ利害関係者(ステークホルダー)の半分ほどは、失踪案件になったと聞いています。我々といたしましては、歴史が繰り返されることを望みません。 クライアントの御意向は尊重いたしますが……」

――恐ろしいばかりの類似の状況が刺さったのか。

坊主頭(スキンヘッド)ワラオー所長は、口の端をピクピクと震わせて、黙り込んだ。

ジリジリとした沈黙。そして。

「正直、参ってるんだぞ、こっちは。マネージャー堀井(ホリー)が、くどくど、早めの治療とか、うるさすぎる。イライラして来る。 マネージャー堀井(ホリー)は、マスコミ対策も秘密保持も満点な医療機関リストまで作ってた。 ライブハウス出演スケジュール調整も、商談スケジュール調整も、込みで! 指示してなかったのに勝手に! 余計な仕事だ!」

横で、流れてくる話に耳を傾けながらも。

目暮啓司(メグレ・ケイジ)は、チラと感心していた。

(それだけの仕事をやってのけただと? 一瞬たりとも目を離せない、不安定な少女アイドルのマネージャーをしながら?)

(マネージャー堀井(ホリー)、すさまじく有能じゃねえか)

条件の合う医療機関リストを作成しつつ、それぞれの受診スケジュールと、各業界との『ジライちゃん』商談スケジュールを、同時に調整する。

マルチタスクだ。

どれだけの膨大な管理・手数を必要とするのか、想像するだけでも失神しそうな仕事。

かつて、短い間とはいえ会社員をやっていた目暮啓司(メグレ・ケイジ)には、察するところ多々である。

マネージャー堀井(ホリー)は、カツオ氏が説明したとおり、ポストポリオの人だ。特別な補助杖を使わないと……使っていてさえも……立ったり座ったりするだけでも一苦労。

そういう状況にあることを、病院で見かけた。一緒に居合わせていた時に。

介助の必要な身体障害者ではあるが。それほどの明晰な頭脳と、バックオフィス管理をも兼ねたマルチタスク能力があるのなら、どこの会社でも欲しがる即戦力の人材だろう。

坊主頭(スキンヘッド)ワラオー所長の愚痴は、いつしか大声になっていた。

「カネだ。カネ! 稼いで稼いで、ギリギリいっぱい稼がなければ! 止まったら何もかもオジャンになるところなんだ! 夏まで……秋になってから……冬、いや来年以降……」

「ボロボロの身体が見えんのか。その目は節穴じゃな」

「アレは無理がきく! もともと馬車馬なみの体力! これまで大丈夫だったのを見てもいない部外者の意見ですな、それは! マネージャー堀井(ホリー)も、 機密保持どうなってんだか、この頃は無能をさらしてばかり! 先日など、カツオ氏と一緒に所長室のパソコン画面を見ていて、 カツオ氏にファイルをさわらせたり! 勿論すぐ止めさせて、所長室から追い出したが! 事務所の電話機まるまる交換して、余計な予算を無駄にした!」

……

…………

坊主頭(スキンヘッド)ワラオー所長は、不意に静かになった。

思いつくままに激高していたことに気づいたのか……アルコール副作用の興奮が鎮まったこともあるに違いない。

香多湯出(カタユデ)翁(おう)が、静かな、だが年齢ゆえの重量感のある声音でもって論じる。

「マネージャー堀井(ホリー)は、私が見てきた中でも、とりわけ優秀な仕事人じゃぞ。会場手配からスケジュール調整、いずれも特殊警護サイドの要求に応じて見せてきた。 カツオ氏の側も、ワラオー芸能事務所からの難しい要求に応じて、頑張っとった。半分はマネージャー堀井(ホリー)への好意からじゃがの」

坊主頭(スキンヘッド)ワラオー所長は、少しの間、ポカンとしていた。不自然なくらいには長い、沈黙の間だ。

「マネージャー堀井(ホリー)への好意、とは……?」

「業務関係としては、いささかアレじゃろうが、カツオ氏は、マネージャー堀井(ホリー)に、ホレ込んでおるのじゃ。公的な面でも、私的な面でも」

男女チームのボディガード2人ともが、「おや」「あら」といった顔つきになる。うっすらと納得の気配。かねてから察するものはあったという風だ。

次の瞬間、気分の悪くなるような嘲笑が響きわたった。

嘲笑しているのは、坊主頭(スキンヘッド)ガチムチ中年男ワラオー所長だ。

「終わってますな実に! 終わっとる! 香多湯出(カタユデ)センセ、あんなブス奇形女に惚れ込む男など居ないでしょう! ワハハ! こう、ギクシャクとしか動けない不細工オバハンですよ、 アレは! 雇用すると、ちょいと報奨金があるってんで雇ってやってるだけです! カツオ氏こそ、映画俳優なみのイケメンなのに! 20歳そこそこの若い女も、 よりどりみどりでしょうが! わざわざ、あのような奇形ゴブリン閉経オバハンとな! おっと奇形ゴブリンは言い過ぎでしたかな!」

全身が白髪な和装老人は、厳しい表情を、ピクリとも動かさなかったが。

目暮啓司(メグレ・ケイジ)と、男女チームのボディガード2人は、そろって、固まるのみだ。

足元で、普通サイズの銀灰(シルバー)ネコ姿をした猫天狗ニャニャオが「やんのか」ステップを踏みはじめた。全身の毛が、シャーッとばかりに逆立っている。

目暮啓司(メグレ・ケイジ)自身にしても、自分の顔色が青くなっている――と、自分で判ってしまう。

嘲笑が終わった後の……うすら寒いばかりの静けさ。

坊主頭(スキンヘッド)ワラオー所長は、見る見るうちに不機嫌になった。

「職場の冗談じゃ、これくらい普通だ、フン! 世間知らずの、ぬるま湯ですな、てめ……いや、皆さん! 寝る!」

本人としては、本当に「職場の冗談(=潤滑油)」の延長のつもりだったらしい。

ワラオー所長の専用とする続き部屋の扉が、バタンと音を立てて、閉まった。

しばし間をおいて、銀灰(シルバー)ネコが、「ニャー」と鳴く。

「やれやれ」

男性ボディガード渡辺が、そろそろと緊張を解き。大柄な体格を折り曲げて、フーッと、ため息をついた。

心理的な意味での息苦しさも覚えていたらしく、警備員スーツのネクタイを、ゆるめている。

「労働基準法その他、違反の疑い濃厚。以前にも類似事件に巻き込まれて散々だった当ホテルとしては、労働基準監督署へ話を上げるべきかどうか」

「本日付で、当ホテル出禁リストが1行、増えるかもね」

早くも、ホテル備え付けのロビー直通電話をとる、女性ボディガード佐藤であった。

静かではあるが、テキパキとした報告の内容がつづいた……

不意に、銀灰(シルバー)ネコ姿の猫天狗ニャニャオが、ネコ尾を振り振り、トテトテと別の仕切り扉の方向へと駆け寄る。

仕切り扉が半分ほど開いている。

女子高生アイドル『ジライちゃん』こと小原樹里(オハラ・ジュリ)が、そっと顔を出して、うかがっていたのだった。

スッピン。あっさりとした、トレーナー・パジャマ姿。そうしていると本当に普通の女子高生だ。割と可愛い顔立ちの。アイドル稼業をはじめる前は、こんな風だったかと思われるところ。

思わず声をかける目暮啓司(メグレ・ケイジ)。

「いつから、そこに」

「えっと、ユデチャンが、『目が節穴』と言ってたところから。なんか目が冴えちゃって……」

「こいつは、お見それしたのう。数々のライブハウス・ショーをこなすだけあって、耳が良いのを失念しておったのう」

「あの、おクスリ、ある? 見つけちゃったんでしょ? アレが無いと落ち着かない。ダメ」

少女の顔色は、土気色だ。明らかに、薬物過剰摂取(オーバードーズ)の副作用。

仕切り扉から出てきた――身体の全身が不自然に震えている。若干、体軸もフラフラしていて、足取りも不安定。各種の薬物の、禁断症状とも見え。

女性ボディガード佐藤が手際よく電話を置いて、振り返り……顔をしかめて見せた。

「マネージャー堀井(ホリー)から依頼されています。錠剤は、いっさいお渡しすることは出来ません。専門の医師の指示が無いと。ホットミルクなどは? 落ち着くかと思いますが」

「ミルクはお腹に入らない……食べられないし。おクスリじゃないと。1コ……2コだけ。3コとか」

猫天狗ニャニャオと、香多湯出(カタユデ)翁(おう)との間で、なにやら意味深な視線が行き交う。

「1錠のみじゃ。それ以上は、絶対にいかん。ちゃんと、ワシの目の前で、ホットミルクと一緒に服用するんじゃ。佐藤くん、ホットミルクを。ただし、……そう、体温ていどの温度で」

「かしこまりました、先生」

「1コだけなんて!」

「1コだけじゃ」

少女・樹里(ジュリ)はプリプリしていたが、錠剤にすがるだけあって、錠剤を見ると落ち着くらしい。

香多湯出(カタユデ)翁(おう)が卓上の錠剤ボトルを手に取って、1コ取り出すと……少女は、見る間にホッとした様子になった。それはそれで、深刻なのだが。

やがて女性ボディガード佐藤が、電子レンジから、ぬるい温度のミルクを取り出してきた……

そそくさと、少女は錠剤を飲み……老人の視線に気づいて、慌てた様子で、ホットミルクを流し込んだ。

文字どおり「流し込む」だ。味わうどころでは無い。

アイドル少女『ジライちゃん』にとっては、喉(のど)は大事な仕事道具の筈。喉(のど)を火傷する温度じゃなくて良かったというべきだ。

――香多湯出(カタユデ)翁(おう)の先見の明に、感心させられるところ。

猫天狗ニャニャオが、訳知り顔で、少女の膝の上に乗った。不安定な「モフり」がはじまったが、神猫にして猫神は、気にしていない様子。

目暮啓司(メグレ・ケイジ)が注意深くうかがっていると、毎度の霊界通信がやって来た。

『さっきの錠剤は、定番のビタミンC乳酸菌サプリニャ。ご老体が手品で、すり替えたニャ。催眠術をかけて、次第に眠らせとくニャデ、眠ったら、デカい渡辺クンに、ベッドへ運んでもらえば良いニャ』

猫天狗ニャニャオが宣言したとおり、やがて少女は、舟を漕ぎはじめた。

さすが神業(かみわざ)だ。オカルトだろうが何だろうが、受け入れるのみである。

眠気がはじまると同時に、気分的にも楽になったのか、少女・樹里(ジュリ)は、フニャフニャと語り出した。

「あのね、あたし、さっきの半分までは聞いてたよ……ユデチャン」

「うむ」

「マネージャー堀井(ホリー)……とても親切な人だよ。所長はまだ知らないみたいだけど、イイ年の恋人どうし、イイと思うよ。 ええとね海賊版、色々調べて、ホリーとカッチャン……あの深夜ショーの前、マスタデータが何処から流出したか、知れたかもって……」

ある意味、重要な証言。

香多湯出(カタユデ)翁(おう)の真っ白な眉毛が、ピシリと跳ね上がり。

男女チームのボディガード「渡辺」「佐藤」が、一気に緊張した表情になった。

「ほら、あたし頑張ってるのに、タダで、データ抜き取って転売……カネが入ってこない訳……、変な編集……誰が……なんか、 パソコンの……ログ? 取って……あたしがショック受けるかもだから、まだハッキリしない段階、明かせない……こないだの深夜ショー映像データも海賊版になっちゃう、編集? おさえとく……」

眠気が深くなったらしく、少女のお喋りは、ほとんど寝言になっている。

猫天狗ニャニャオが、不意に……金色のネコ目を、カッと見開いた。

『まずいニャ……!』

「しまった! マネージャー堀井(ホリー)が……!」

カツオ氏を瀕死に至らしめた襲撃事件の――謎の真相が、一気にひらめく。

目暮啓司(メグレ・ケイジ)のなかで、落雷のごとき衝撃が走っていた……

■5.赤き緒のたまゆらを~なかなか深い結びだニャン

夜明け前の闇は、いっそう深い。

いつの間にか、春の嵐が始まっていた。窓ガラスをたたく、大粒の雨。

「ワラオー所長の身柄を緊急確保、いや拘束せねば」

香多湯出(カタユデ)翁(おう)は早くもラグジュアリーな客室を大股で横切り、所長専用となっている、続き部屋の扉に手をかけた。

――開かずの扉。

「カギが掛かっておる! 目暮(メグレ)くん!」

「ガッテン」

目暮啓司(メグレ・ケイジ)は、肌身離さず持ち歩いている「空き巣ツール各種」を、仕切り扉の取っ手に突っ込んだ。

手ごたえのある不規則な金属音がつづき……数秒後、扉が開く。

「え、どうやって?」

空き巣の天才の仕事を目撃する形になった、男女チームのボディガード2人は、ポカンとするばかり。

矢のように飛び込んだ銀灰(シルバー)ネコ、すなわち猫天狗が、「フーッ」と、全身の毛を逆立てた。

『もぬけの殻(カラ)ニャ!』

――慌てて、コソコソ外出したという痕跡が、そこらじゅうにある。

乱暴に開けられたまま放置されている、ミラー付きクローゼット。

掛け布団の下に複数の枕や酒瓶などを詰め込んで、生きた人間がそこで寝ているように細工してあるベッド。

これから食べると言わんばかりに、夜食をチンするようにセッティングされた、備え付けの電子レンジ。まさに今、加熱しているところ。ゴゥンゴゥンという電子音を立てている。

そのチグハグな小細工が、かえって、深刻な疑惑を固めている。

「遅かったか!」

「いったい、どうしたんです先生?」

「ワラオー所長は、そこに寝てないんですか? アルコールをしこたま飲んで」

「修験道をこなすと、アルコールに強い性質になるんじゃ。ともかく。この続き部屋、別の出入り口があるのじゃな!?」

「え、あ、ハイ。当ホテルの構造上」

男性ボディガード渡辺が、その「別の出入り口」扉をサッと開いた。

ラグジュアリー・ホテルの廊下が、堂々と横たわっている。

最初に、香多湯出(カタユデ)翁(おう)と目暮啓司(メグレ・ケイジ)が通ってきた廊下とは、別の廊下。だが、同じく、エレベーターホールや、その先の地上エントランスへ通じるルートである。

「まずは、マネージャー堀井(ホリー)を、つかまえねばならん。連絡先!」

女性ボディガード佐藤が「5件ほど、持っております」と申し出た。素早く、携帯電話をセットする。

「マネージャー堀井(ホリー)は移動の多い方ですから、即つながるかどうか」

そういいながら、女性ボディガード佐藤は、次々にコールを入れた。

最後の5件目。

「ビンゴ」

付属スピーカーを通じて、マネージャー堀井(ホリー)の、ビックリしたような応答が流れてくる。

「佐藤さん、どうしたの? 樹里(ジュリ)に――『ジライちゃん』に緊急事態が?」

「緊急事態は貴殿のところなのじゃ、マネージャー堀井(ホリー)。とにかく、ワラオー所長は、まだ、そちらには現れてないのじゃな?」

「ええ、私は自宅に居ります。マンションの。香多湯出(カタユデ)さん? 何故、ワラオー所長が来ると? いま夜明け前――4時にもなってないのですよ? それに、この雨ですよ?」

「よろしいか、ワラオー所長がピンポン押して上がり込もうとするじゃろうが、絶対に、中に入れてはならん。補助杖だのなんだの、準備が大変と理由をつけて、外に居てもらうんじゃ。 じゃが、そこに張り付けておかなければならん。我々も急行する。いま、ワラオー所長に行方不明になられると、大変マズいのじゃよ」

「はあ、どういう事?」

「説明している時間は無い。やるんじゃ!」

香多湯出(カタユデ)翁(おう)は手を出して、女性ボディーガード佐藤の携帯電話を、瞬間切断(ブッチ)した。

「佐藤くん、『ジライちゃん』いや樹里(ジュリ)の集中警護を。ワラオー所長が急に気が変わって、引き返して来るかも知れん。『金の生る木』を引っこ抜くためにな」

女性ボディガード佐藤は、緊急指令には慣れている様子で、素早くうなづいた。

「よし、渡辺くんは、我々とともに急行じゃ。急ぐぞい!」

「判りました。――佐藤さん、何かあった時のために、無線中継ラインは接続のまま。報告提出用の音声データ記録も込みで!」

大柄な男性ボディガード渡辺は、すでに各種装備を装着していたのだった。

*****

男3匹となった一団は、妖怪のごとき速度で駆ける銀灰(シルバー)ネコを先頭にして、ホテル付属の駐車場へと急いだ。

春の嵐ならではの、暖かいのか冷たいのか分からない空気が、渦巻いている。むせかえるほどの、雨の匂い。

車は3名と1匹を乗せて、急発進した。

運転手は毎度、目暮啓司(メグレ・ケイジ)である。

猫天狗ニャニャオが、その妖怪じみた神業(かみわざ)でもって、旧式カーナビに高性能ガイドを召喚している。本格的な雨脚に邪魔されると、通信が乱れやすいのだが……奇跡的なまでに、クリア。

夜明け前のガラガラ道路は、本降りの雨に叩きつけられていた。

慎重に、かつ素早く速度を上げ、いよいよアクセルを踏み込もうとすると。

パトカーが並走してきた。

目暮啓司(メグレ・ケイジ)の運転する車を、速度違反の車と見さだめたのか。

「こんな時に!」

「いや……待て!」

パトカーを運転しているのは、目暮啓司(メグレ・ケイジ)もよく知る、同世代の若手の刑事だ。

――その上司は、確か……

パトカー後部座席の窓が開いた。そこから顔を出したのは、やはり、セレブ風な中年刑事だ。

「伊織(イオリ)くん、どうしたんじゃ?」

「例の、麻薬で酔っぱらって、衝突事故を起こした転売屋が、ついに海賊版データ取引先の名前の白状を」

「カツオ氏が推測し、私が想像したとおりの人物なら、なおさら緊急じゃな!」

「それに、襲撃現場の近くで血液輸送車が拾って警察へ届けてきた、修験道ロープ……赤い『貝の緒』の謎も、 鑑定で驚きの結果が……香多湯出(カタユデ)先生こそ、どちらへ急行されておいでで?」

「ワラオー所長を緊急確保じゃ」

「我々は同時に、同じ結論に到達したようですな。ワラオー所長の行方を追う。我がパトカーが同伴いたしましょう、ぶっちぎりでね」

――伊織(イオリ)・ド・ボルジア・権堂(ゴンドウ)も、熱い男なのであった。

パトカーがサイレン灯を回しはじめた。

夜明け前の道路を走行する数々の輸送トラックが察して、協力して道を開けてくれる。さすが大型車の免許を取得したプロフェッショナルというところ。

アクセルをいっぱいに踏み込む目暮啓司(メグレ・ケイジ)。

道路で跳ね上がる水しぶきが、いっそう高い。

ありとあらゆる信号を無視して、みるみるうちに速度を増してゆき……

自動車の速度メーターは、時速100キロへと急上昇したのだった。

*****

目指す中古マンションの、最寄りの公園が見えてきた。

車2台、そろって急減速した。パトカーのほうは、いつの間にか覆面タイプである。

公園の植え込みの脇に車を停め、全員で雨に紛れて、忍者さながらにマンションへ潜入する。それぞれに鍛えた男の足でもって、みるみるうちに目標の階層へ駆けあがった。

あと一歩のところで、慎重に一帯を探る。

静寂の中に響きわたるのは、春の嵐に伴う大雨の音のみ。

それらしき怪しい人影は、まだ見えないが、油断はできない。

香多湯出(カタユデ)翁(おう)が素早く携帯電話をかけた……

……と、同時に。

目暮啓司(メグレ・ケイジ)の脳ミソへ、霊界通信による、電話音声の中継が入りはじめた。

猫天狗ニャニャオの神業(かみわざ)――

――

「マネージャー堀井(ホリー)、到着したぞよ。ワラオー所長は来とるか?」

「ええ。先ほど。玄関カメラから確認済みです――あんな襲撃事件の後だから、少し話し相手が欲しくなったと。落ち着いたら善後策を相談しようとか……」

「明らかに嘘じゃな」

「ひとまず着替えと補助杖に時間かかると伝えました。それから、この階層は子供も多いので、あまりウロウロしていると、 このマンションの当直明け・早朝出勤サラリーマンたちが間違いなく怪しんで、撮影したうえで不審者として通報する可能性も」

こんな時ではあるが、目暮啓司(メグレ・ケイジ)は少し複雑な気持ちになった。

――昨今は、どこもかしこも、安心できない世の中になったものだ。

マネージャー堀井(ホリー)の伝言が、テキパキとつづく。

「待ち合わせ場所として、エレベーターホールと表階段をつなげる公共スペースを案内しましたから、所長はそこに移動しているかと。 自販機があって、配送業者もよく休憩するから、知らない人が居ても特に騒がれないポイントなんです」

「上出来じゃ。そのまま待機してくれたまえ。皆の者、エレベーターの間へ向かう。足音を立てずに行け」

電話を切り上げ、慎重に、公共スペースへと移動する。

次の瞬間、鉢合わせした。

――あからさまに「しびれを切らした」という風の、剣呑な坊主頭(スキンヘッド)ガチムチ中年男。

お互いに男どうし、察するところ――大。

「てめぇら!」

「観念して縄(ばく)につけい!」

夜明け前の、中古マンションの中階層。

数種の自販機がならぶ、中ていどの空間。

――公共スペースは、開放的な造りとなっていた。

端からの思わぬ落下を防ぐ設備はシッカリ存在するが……それでも、腰の高さほどのガードと、手すりアルミ落下防止フェンスの組み合わせ。

大きく広がった開口部からは、春の嵐がゴウゴウと吹き込んできている――

乱闘さながらの逮捕劇が炸裂した。

ワラオー所長が、ポンチョの下から、ギョッとするほど大きな山岳ナイフを振り上げる。今どきの、お洒落な折りたたみ式では無い。古典的なタイプのもの。

ちょうど悪い位置にいた目暮啓司(メグレ・ケイジ)の黒トレンチ・ハーフ丈が、ザックリと裂けた。

「うえッ」

もと『空き巣の天才』といえど目暮啓司(メグレ・ケイジ)は、銃刀バトルは専門では無い。本能的に、反射的に飛びすさる。

はずみで若手の刑事と衝突して、一緒になって転がってしまう。

だが、その「先手必勝」とばかりに踏み込んだ選択が、ワラオー所長の失敗だった。

踏み込んだ足元で、踏まれた形になった銀灰(シルバー)ネコ、すなわち猫天狗ニャニャオ。

必死ネコの、すさまじい絶叫。

「グエ――――!!」

坊主頭(スキンヘッド)ガチムチ中年男の体軸が、わずかに揺らぎ。

和装の剣客・香多湯出(カタユデ)翁(おう)が前に出た――その瞬間、日本刀が現れる。

空間を照らす天井灯に、青白い反射光。

ガキーン!

超人的なまでの居合術だ。山岳ナイフが弾き飛ばされ。

セレブ風な中年刑事・伊織(イオリ)が、意外なほどに器用な身のこなしで、その凶器を確保した。ワラオー所長の手が伸び、格闘で見るような足蹴りが繰り出されたが、いずれも、巧みに回避する。

「うおぉ!」

大柄な男性ボディガード渡辺が、横から急襲する。坊主頭(スキンヘッド)ガチムチ中年男へと、一気に間合いを詰めた。

そのまま、大柄な体格どうしガップリと組み。

猛烈な足蹴りがつづいて左右ふらついた後、双方ともに「ドウ」とコンクリート床へ倒れ込んだ。

またたくまに柔道の固め技が展開する。さすがプロフェッショナル・ボディガードの仕事。

再び、開放的な公共スペースの開口部から、春の嵐が、ザアッと吹き込んでくる。

妖怪めいた銀灰(シルバー)ネコ――猫天狗ニャニャオが、興奮した銀色の弾丸のように、高速で、対決の場の周りを駆け回った。

気のせいかも知れないが、『量子的ボンヤリ』とながら、唖然とするような姿をしているように見える。

――金色の目のピッカピカ、いとも凛凛(りり)しき三角耳ぞ――
――風切る黒き烏羽(からすばね)、末(すえ)になびくは、奇(くす)しき七尾(ナナオ)――

理由は明らかではないが、オカルト的には、なんらかの意義がある様子……結界とか。

――勝敗の状況は、確定した。

坊主頭(スキンヘッド)ワラオー所長の、抵抗の叫びが吹きあがった。

「押さえろ、手錠だ!」

中年刑事・伊織(イオリ)と、早くも跳ね起きた若手の部下とで、手際よく手錠をかけてゆく。

「銃刀法違反、動物愛護法管理法違反、公務執行妨害および暴行……現行犯逮捕!」

「本日04時21分、逮捕しました!」

「チクショウ……チクショウ! あいつらを逮捕しろよ! いきなり襲ってきやがって!」

拘束されながらも、ワラオー所長は傲然(ごうぜん)と顎(あご)を突き出して、あからさまに示した。

和装の香多湯出(カタユデ)翁(おう)、男性ボディガード渡辺、いまやボロの浮浪者な目暮啓司(メグレ・ケイジ)……

…………

……

ぎこちない補助杖つきの足音が、せかせかと近づいてきた。

シニア女性マネージャー堀井(ホリー)。

ワラオー所長を認識して、いっそう緊張して青ざめた顔になっていた。

「あの人を襲撃したのは所長ですね」

質問では無く、確認だった。

目暮啓司(メグレ・ケイジ)の足元で、すでに怪異では無い銀灰(シルバー)ネコ、すなわち猫天狗ニャニャオが、普通のネコの鳴き声でもって合いの手を入れる。

「ニャー(その通りニャデ)」

緊張しながらも目暮啓司(メグレ・ケイジ)は、記憶に引っ掛かっていた内容を述べた。

「ワラオー所長自身が、そう言ったのを聞いてる。カツオ氏とマネージャー堀井(ホリー)が、所長室のパソコンを……ファイルを、さわってたとか。 ワラオー所長は、2人を、すぐに所長室から追い出した、と……」

幾つかの疑問点が、見る見るうちに、回答となって結びついてゆく……

少女アイドル『ジライちゃん』こと樹里(ジュリ)が、証言していた。

深夜ショーの前に。カツオ氏とマネージャー堀井(ホリー)の2人が話していた、と。『マスタデータが何処から流出したか、知れたかも』――と。

パソコンのログ。

マスタデータの流出。

編集――押さえる。証拠。

――『ジライちゃん』こと樹里(ジュリ)が、大きなショックを受けること確実な……

マネージャー堀井(ホリー)もカツオ氏も、極秘レベルの慎重な追跡をしようとしたほどの――その人物に当てはまるのは……

「カツオ氏は、情報技術者の資格を幾つか持ってる。マネージャー堀井(ホリー)と協力して、ワラオー芸能事務所の所長パソコンの中に、『ジライちゃん』シリーズ海賊版の、違法編集ログを見つけた筈だ。 非公開データ流出アカウントとか、違法映像の生成AIアカウントのログとか……バレたと直感して、カツオ氏を始末しようと……電話機の交換の件は、よく分からないけど」

香多湯出(カタユデ)翁(おう)が、口を挟んでくる。

「電話の件は、わが香多湯出(カタユデ)探偵事務所が仕掛けた盗聴器があったからの。非公開の映像データ転売屋との、なんらかの連絡があるのではと睨(にら)んでおったゆえ」

「貴様か、クソジジイ! お蔭で事務所の電話機を全部、交換する羽目になった! いくら金かかったと思ってる!」

ワラオー所長はジタバタと、わめき散らした。若手の刑事と、男性ボディガード渡辺に、がっちり両脇を固められながらも。

目暮啓司(メグレ・ケイジ)のなかで、次々に、確信がひらめく。

「あれだけ『ジライちゃん』にブラック労働させてたら……医療保険とかの福利厚生も完全ブッチのうえで……、儲けは大きい筈だ。事務所の稼ぎ頭の、アイドルの稼ぎが少ないってのは、あり得ない。 本来『ジライちゃん』が受け取る筈だった報酬を、中抜き……横取りしてたんじゃないか? 税金を払ったから少なくなったんだとか、なんとか言って」

ワラオー所長は、グッと詰まった。図星だったらしい。

そして。

「私が受け取るカネだ、何が悪い! あのアイドル少女『ジライちゃん』は私が育てた! だのに、あっという間に燃え尽きた! これからブレークして、 ビッグスターになろうって時に! 地下アイドルのまま、プッツンした! レッドカード退場モノだ! ピチピチ身体を欲しがる変態プレイ金持ちエリート向けの、 ビッチ海賊版のほうが、はるかに儲かった! 所有主たる私の当然の権利だ! 海外からの高額売春の商談ドカドカ来てるんだ、ゴタゴタ言うな!」

――あまりにも、嫌な一致だ。

「それ、そっくり、あの脅迫状の文句と一緒じゃねえか。あの脅迫状も、ワラオー所長が送り付けてたってことか。几帳面に」

「カツオ野郎が、それくらい、やらかすべきなんだ! へッ、一皮むけば色ボケジジイだからな老害野郎は、ハニートラップの弱みとか……堀井(ホリー)のような奇形の閉経ババアと恋愛するか、 普通! だが念には念をだ! 親密な関係になってるのなら……堀井(ホリー)も機密情報を知りすぎてるからな!」

セレブ風の中年刑事・伊織(イオリ)が、呆れたようにフーッと息をついた。

「よろしくない方向に知能が回るのは、ワラオー所長だけじゃ無い。例の海賊版の転売屋が『ワラオー所長からデータをもらっていた』と証言した。 仲間のハッキング業者を使って、発信元のメールアドレスを分析して、ワラオー所長ということを突き止めていた。弱みを握ったので、近々、脅迫ビジネスを追加する予定だったとか」

しばしの沈黙。

因果は巡るというべきか。自業自得というべきか。

身の破滅を悟ったワラオー所長の顔面に、恐怖が浮かび。脂汗が流れはじめた……

やがて。

男性ボディガード渡辺が、ボソッと指摘した。

「カツオ氏は、襲撃者がワラオー所長と知っている筈。カツオ氏が意識を取り戻したら、どうするつもりだったんだ?」

ワラオー所長が、ビクリと飛び上がる。

「ヤツは、確実に死亡する筈だ! 致命傷だからな、意識を取り戻しなどしない筈だ!」

人体の急所を熟知したうえで、みずからの殺傷技術に自信をもって襲った――襲撃者・本人で無ければ、あり得ない言葉。

「奴はО型マイナス。その血液型の輸血パックは、もはや枯渇したと、病院で聞いた! 回復することは絶対に無い!」

マネージャー堀井(ホリー)が厳しい眼差しになって、ワラオー所長を見据える。

「カツオさんは、回復します。病院に、О型マイナスの輸血用血液が追加配送されているそうです。知り合いの当直の看護師が、ついさっき電話で教えてくれたの。峠を越えた、と」

目暮啓司(メグレ・ケイジ)は、さすがに息を吞んで……足元に居る猫天狗ニャニャオを、素早くチラ見した。

訳知り顔な銀灰(シルバー)ネコの傍で、ふたつばかり光球(オーブ)が揺らめいている。

うっすらと映し出されているのは、猫天狗ニャニャオの友神(ゆうじん)クスタマと……何故か同席している、あの献血バスの「ゆるキャラ」。 マネージャー堀井(ホリー)あての電波に乗って、特別に、やって来たのだろうか。そんな感じがする。

ワラオー所長は、もはや自暴自棄なのか、無駄にあがいていた。

「ヤツが意識を取り戻したとしても、襲撃者の顔は見なかった筈だ! そうとも、そうに違いない!」

セレブ風な中年刑事・伊織(イオリ)が、スッと、ビニール袋を取り出した。

ビニール袋の中には、見覚えのあるブツ。

あの赤いロープだ。

血液輸送車が、たまたま通りかかった事件現場の近くで、拾って、届けて来たという――

ギョッとして目を剥(む)く、ワラオー所長。

伊織(イオリ)・ド・ボルジア・権堂(ゴンドウ)は、冷静に言葉を継いだ。

「自己流とはいえ修験道に打ち込み、戒名(かいみょう)まで名乗っている貴殿には、一目で判るようだ。修験道の装束の一種『貝の緒』。山岳修行の際の、登山ロープなどとして活用される。 警察の鑑識の能力を舐(な)めてはいけない」

香多湯出(カタユデ)翁(おう)が顎(あご)に手を当てて、ピンと来た顔になる。

「ふむ。その『貝の緒』、左右一対に装着するものじゃ。いま、ワラオー所長の腰にもあるが、片方しか装着しとらんな、しかも自己流の、パッと外しやすいやり方で。 それでは、どこかに、もう片方があった筈じゃ……事件現場の近くに、犯人遺留物として」

ワラオー所長は足をジタバタさせて、がなり立てた。

「冗談を言うな!」

「鑑識に回したところ、襲撃事件が起きた後、現場近くの横の道路を通過した――例の血液輸送車が拾ったという『貝の緒』には、 カツオ氏の血液が付着していた。房を留める金具にも、ワラオー所長の指紋が」

「……ッ!」

「そして、現場の非常階段を緊急で再調査した。完全一致する『貝の緒』繊維と、強くこすれた痕跡が、流血の階層の取っ掛かりに見つかった。ゆえに、次のような推測が成り立った」

セレブ風な中年刑事・伊織(イオリ)は、そこで上品に「オホン」と咳払いをした。集中しているうちに自然に出てきたものだ。イヤミなどでは無く、本物の上流階級の仕草。

「襲撃された際、カツオ氏は瀕死の状態で『貝の緒』を確保していた。襲撃者の側は、ことを急ぐあまり『貝の緒』を奪われたことに気づかず、 残った『貝の緒』を非常階段の取っ掛かりにつないで、登山ロープの手法で、高速で地上まで伝い降り。そして『貝の緒』を回収しつつ、逃走した……」

「そこから先は、私にも読めるぞよ」

香多湯出(カタユデ)翁(おう)の静かな断言は、ほとんど、誇りと……驚嘆に満ちていた。

「カツオ氏は、残った体力気力の限りを尽くして、確保した『貝の緒』を思いっきり遠くへ投げたんじゃな。気づいた襲撃者が戻ってきても証拠隠滅できないようにするために。 そして『貝の緒』は、事件現場の横を通る道路へ落ちた。緊急バリケード対象外の区域だったところじゃ。 そこを緊急配送の血液輸送車が通りかかって、ビンゴ! 善良な担当者たちが、つないだ訳じゃな。これほど予想外のプロセスをたどるとは思わなかったがの」

大柄な男性ボディガード渡辺が、なんどもうなづいている。

「情報連携で承知していますが……不可解なまでの事件現場の状況も、瞬間ドロンも、納得ですね」

坊主頭(スキンヘッド)中年男ワラオー所長は、もはや、ブルブル震えていた。

「あの、『貝の緒』は……山の中で、足元が崩れたりとか、血に飢えた熊に遭遇したりとか、思わぬ危機の時に……いつも頼りになった。 命をつないでくれた。強運の証の! 人生の御守りのようなもんだったんだ! チクショウ!」

…………

……

いつしか。

雨は上がっていた。

そしてなお春の嵐の名残が残っている、東の空。

夜明けの刻が来ていた。

日の出の瞬間は、まだ到来していないけれども。

たたなわる雲の波が、金色と真紅とに輝きはじめていた……

*****

「あの後、マンションじゅうに、騒ぎが伝わってて。ワラオー所長がパトカーに詰め込まれるところを、大勢の人が鈴なりになって見物してたり、撮影してたり、ちょっと大変だったけど」

「今頃、ペラッター(SNS)の『ジライちゃん』界隈を、騒がせているんだろうね……」

病院の一室。

カツオ氏がベッドに居て、お見舞いに来たマネージャー堀井(ホリー)の報告に耳を傾けていた。苦笑いしつつ。

晴れて、集中治療室から一般病棟へ移ったところである。記憶も意識も、筋が通っていて明瞭。とりいそぎ、『ジライちゃん』襲撃犯――ワラオー所長の凶行を目撃したことを、警察へ証言済み。

「小原樹里(オハラ・ジュリ)さんも大変だっただろうな。これからどうするのか、話し合う必要があるのでは?」

「今はまだ、将来のことまでは……しっかり休養して、治療して、それから後になるけど。彼女は、我々大人が思っている以上に、いろいろ考えてたみたい」

「ふむ」

「アイドル活動はつづけたい。でも今のような形では無く。ちゃんと勉強して、ちゃんとやりたいって。 大学へ行って、映像技術とか、人工知能工学やデータ分析技術とか、メディア・コミュニケーション方面とかも学んで」

「頼もしいね。危なっかしい気はするけど」

「私のほうでも、できるところまではサポートするつもりでいるから。彼女、頭は良いほうだし」

業務上の話題が尽きた後は、ぎこちない流れになった。おたがいに、奥手なこともあって。

――

だが、しばらく後。

香多湯出(カタユデ)翁(おう)からの新しい連絡内容を持ち運んで、お見舞いがてら、カツオ氏を訪ねていた目暮啓司(メグレ・ケイジ)。

あまりにも静かなので、カツオ氏が大事を取って眠っている可能性も考え、病室の扉をそっと開いて……

相応にドギマギした気持ちになり。

「また後にしよう」

――そそくさと立ち去ったのは事実である。

*****

あたりは、すっかり春景色。

昼どきの青空のもと、満開の桜がまぶしい。

気の早い桜の花びらが、季節の小鳥たちと共に、暖かな風に舞っている。

『この近くに、友神(ゆうじん)クスタマ君がよく来る祠(ほこら)があるニャ。今回の事件では、いっぱい協力いただいたゆえ、御礼参りせよ。ニャン』

猫天狗ニャニャオにせっつかれ、目暮啓司(メグレ・ケイジ)は、病院の近く――薬局の隣にある無人の祠(ほこら)へ、足を向けることになったのだった。

――病院の近くには複数の薬局があったりするものだが。

(その薬局の、さらに隣の祠(ほこら)に、医薬神の系統とかいう謎の怪異テルテル坊主が出没するというのは、できすぎじゃねえか!?)

なんということもなく、隣に見えてきた、薬局の看板に目をやる。

――『ヨモギ薬局』。

(いつだったかの、献血に来てた女子高生「ヨモギ・シオリ」……近所の『クスタマ珈琲屋』でも給仕アルバイト『地雷系タヌキ』をしていた……あの子は、 ここの関係者で、テルテル坊主クスタマの氏子だったりして?)

薬局のガラス窓には、定番の、健康情報や薬剤関連の広報ポスターやら何やらが並んでいた。

その中に、新しい献血ポスターがある。

新年度からの献血バス巡回スケジュール案内や、献血キャンペーン案内。

ポップな雰囲気のポスターの中で、赤い装飾がトレードマークの「ゆるキャラ」が、複数、飛び回っていた。

献血バスにも描かれていた新顔「ゆるキャラ」だ。最近の献血イベント広報の顔になっているらしい……

つらつらと思案を巡らせつつ、祠(ほこら)に近づき。「○○天然水」系ペットボトルの水を捧げ、二礼二拍一礼をする。

いつしか、祠(ほこら)のうえで、光球(オーブ)が空中浮遊していた。

予想したとおり、ふわもち・きらきら・ヌイグルミな純白「ゆるキャラ」医薬神テルテル坊主が居たのだった。 生真面目な顔をして、「うむ、重畳(ちょうじょう)」と言わんばかりに、クルリンと一回転して返して来る。

あらためて、祠(ほこら)のあたりを眺めてみると。

樹高は低いものの、意外に長い年数を経ていると見える常緑樹が取り巻いている。

鎮座する祠(ほこら)の周りは清掃がゆきとどいていて、スッキリと落ち着くような、くつろぎ空間になっていた。隣の『ヨモギ薬局』のだれかが、管理しているのかも知れない。

祠(ほこら)の定位置には、定番の、御札の置かれるスペースがあり……

御札に浮かび上がっている文字は、ルール不詳の当て字となっている漢字だらけだが、「クスリのキキメのミコトヌシ」と読める。

「神の名前っぽいが、マジで神なのか? こいつの簡易名称が『クスタマ』だったりして?」

猫天狗ニャニャオが全身で「ネコ笑い」をしている。神猫にして猫神――ネコの尾が7本、神聖なる純白の後光のように広がっていた。

『最初から、そう言ってるではニャイかニャン、ケイ君』

そして、猫天狗ニャニャオは、不意に新しく気づいたといった風に、そこに置いてあった折敷(おしき)にネコの鼻を近づけた。ネコのヒゲが、ピピンと揺れる。

神棚などで見かける、定番の木製の……両手あわせた程度のサイズ感。

数体ほどの、おみくじ。数片ほどの短冊。短冊のひとつに、短歌が書きつけられていた。

『近所の誰かが、短歌の作品をお供えしてたのニャネ、クスタマ君』

毎度の生真面目な顔で、うむ……とうなづく、テルテル坊主。

『偶然と必然が重なった結果ではあるが、なかなか深い結びだニャン』

目暮啓司(メグレ・ケイジ)は、その「読み人知らず」の作品をチラリと眺め……「それも、そうだな」という気持ちになったのだった……

***************

――創作短歌テーマ「血」

時さやる境の命の赤き緒のつなぐ玉響かなしと思えば
(ときさやる かいのいのちの あかきおの つなぐたまゆら かなしとおもえば)

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時は春。

見上げてみれば、蒼穹の境界。

――なによりもとおく、

――どの星よりも明るく、

――熱くかがやき燃えたに違いない、

――星くずの緒(お)につらなるもの。

春や春。

桜の花びらが舞っていた。

―《終》―

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深森の帝國