深森の帝國§総目次 §物語ノ傍流 〉妖怪探偵・猫天狗が光る!~密室の窓を金魚と泳ごう

妖怪探偵・猫天狗が光る!~密室の窓を金魚と泳ごう

元・天才プロフェッショナル空き巣の目暮啓司(めぐれ・けいじ)は、今は探偵事務所に勤める新人探偵だ。 今回の任務は張り込み。闇取引の現場を押さえ、ターゲットの容疑者を追い詰めるのだ。 だが容疑者は大暴走し消失。しかも瞬く間に怪異な密室の死体となっていた! 次に、死亡現場である金魚の釣り堀で、金魚の大量死事件が発生!これらに関連はあるのか。事件の全容は、いったいどうなっているのか。 目暮啓司(めぐれ・けいじ)の相棒にして妖怪探偵・猫天狗が、神技の大活躍をする!

  1. 金魚よ金魚、大暴走して消失か
  2. そこは怪異な密室だった
  3. 新たな疑惑ジャジャジャジャーン
  4. カバンのアレの秘密はね
  5. 密室の窓を金魚と泳ごう
  6. 一件落着とするのだニャン

(2021/12/01~2021/12/06公開、19,394文字)

1.金魚よ金魚、大暴走して消失か

重く垂れこめる冬の雲。空がいっそう低い。

妖怪うごめく、丑三つ時(深夜二時~二時三〇分ごろ)。

冷たいものがパラつき始めた。

「チクショウ、降って来たじゃねえか」

場末のコインパーキングの一角。

風俗チラシの大群に埋まった電信柱の陰で、くたびれたハーフ丈のヨレヨレ黒トレンチコート姿の若い探偵が張り込んでいた。その男の目は、既に不機嫌を通り越して、ギラギラと剣呑に据わっている。

苛立たしげに長めの前髪をのける探偵・目暮啓司(メグレ・ケイジ)の足元には、あやしくも半透明な銀色の、人体サイズほどもある大型の猫。

そのネコ尾は……七本。

神々しい銀色をまとう七本のネコ尾は、警戒心のままにビョーンと伸び広がり、ブワッと逆立つ毛が炎と揺らめく。神仏像でお馴染みの、火焔型の光背そのものだ。

金色の目ピッカピカの、この妖異なる猫こそ、偉大なる七尾(ナナオ)の猫、その名も高き『猫天狗ニャニャオ』。

コインパーキングの一角を照らす看板照明は古く、チカチカと点滅していて、薄暗い。

その下に……遂に、ターゲットが現れた。

ぎらつく黄金スカジャンの背中。禍々しいまでの蛍光レッド『金魚』の刺繍!

《……来たニャ!》

金色の目ピッカピカが、カッ! と見開かれた。

*****

おどろに点滅する看板照明の下、黄金スカジャンの袖がビラリ、ビラリ……と、ほのめく。

「マネー、マネー、ハッパ、クサ、テオシ、マネー」

闇の中で、もう一人の影がギクシャクと動く。おぼろに浮かぶその輪郭は、明らかに男子の学生服のもの。

安物のナイロンバッグが、学生の手から、黄金スカジャン人物の手に渡った。

蛍光レッド金魚が華麗に躍る。

黄金スカジャン人物はナイロンバッグを抱え、駆け出した。

凄まじいまでの爆速で。

オリンピック百メートル競走の金メダル選手レベル……いや、それすら超えている。

異能パワーだ。呪われたゾンビよろしく歪み踊りながらの、魑魅(ちみ)魍魎(もうりよう)マジック暴走。

《行くニャ、ケイ君!》

「うわ何をするメチャふじこニャオ」

半透明な銀色をした偉大なる猫が、ビューンと飛び出した。相棒を『神通力』にくるんだまま。まさに七尾(ナナオ)の神風、神速だ。

急加速による強烈な物理的風圧。

黒トレンチコートが『ドバッ』とはだけ、目暮啓司(メグレ・ケイジ)の若き顔面が『ぐいーん』と引き延ばされる。その足は、ほとんど空中を泳いでいると言う有り様だ。

先行する黄金スカジャンの背中で、蛍光レッド金魚が禍々しく燃えながら踊っている。

異様な暴走追跡劇。

冷たい雨脚が不意に強まる。

黄金スカジャンの背中で踊る蛍光レッド金魚の姿が、禍々しい炎を失っていった。いまや、普通に刺繍されているものに見える。

異常な高速も止まりつつある。

……雨に浄化されて、得体の知れぬ異能パワーが落ちて来たのか……

ぎらつく姿が、路地の角を曲がった。

つづいて、猫と男の探偵コンビも角を曲がる。

金色の目ピッカピカが驚きの余り、真円に近いまでに丸くなった。

《ニャンと!》

「チクショウ」

まばらな街灯がボンヤリと照らす、場末の路地。

私有地と公道を仕切る高いフェンスが続く。

あの派手な黄金スカジャン人物は、時雨に溶けてしまったかのように、消失していたのだった。

*****

「あの金ピカ野郎、何処へ行ったんだ」

若き探偵・目暮啓司(メグレ・ケイジ)は、はだけてしまった黒トレンチコートをキッチリ着込みながらも、人通りのない路地をキョロキョロし始めた。

「あの異常な逃げっぷりじゃ、これまで警察に捕まらなかったってのも納得だが……何かあるか? 七尾(ナナオ)」

《妖怪な気配が漂ってるニャ》

「てめぇが妖怪だろ。七尾(ナナオ)の猫(ネコ)なんて、九尾(きゅうび)の狐(キツネ)のお仲間じゃねぇか」

神々しいオーラに満ちる銀色のモフモフをキリリと逆立て、半透明の七本の尾を振りまわしつつ、偉大なる猫は方々を嗅ぎまわる。

《九尾の狐は、れっきとした妖怪だニャ。このニャニャオは、神猫にして猫神ニャ。この鼻をごまかせるものは、ニャイ!》

「そうだと良いんだがな」

《神に、二言(にごん)はニャイ》

金色ピッカピカの目が、横一本線に、スーッと細くなる。

偉大なる神ならではの神秘的な輝きをまとう半透明な銀色の七尾(ナナオ)の身体が、俗世の灰色ネコの身体に変わった。

しかも、普通の猫サイズに縮んだ。

目に見えるネコ尾も、一本のみ。

その変身ぶりに、目暮啓司(メグレ・ケイジ)がギョッとしていると。

後ろの方から、懐中電灯を持った姿が二人ばかり近付いて来た。

「おぉい、そこに居るのは目暮(メグレ)くんか」

「瞬間移動したのか、若き忍者よ!」

ひとりは、ブランド物の私服がシックリ馴染むセレブ風の中年刑事、伊織(イオリ)・ド・ボルジア・権堂(ゴンドウ)。さる外国の大貴族とのハーフである。

もうひとり、昔ながらの剣豪の気迫を持つ、和装・帯剣姿のかくしゃくたる老人。 目暮啓司(メグレ・ケイジ)の雇い主である香多湯出(カタユデ)・探偵事務所の代表オーナー、香多湯出(カタユデ)翁(おう)だ。腰に有るのは本物の日本刀である(ちなみに携行許可済みである)。

セレブ風の中年刑事・伊織(イオリ)は、目を見張って、目暮啓司(メグレ・ケイジ)の姿をマジマジと眺めた。

――髪の毛は凄まじく逆立っている。ヨレヨレ黒トレンチコートの各所に刻印された、いっそう強い、怪異なシワ。

「……おい、目暮(メグレ)くん、本当にすごい暴走だったようだな」

「しゃらくせえ! あのヘボ高校のガキ、捕まえたのかよ」

「部下が補導済みでな」

「ニャー」

過去の経緯(いきさつ)もあり、目暮啓司(メグレ・ケイジ)は反射的に、セレブ風の中年刑事につっかかってしまう。タイミング良く、それをたしなめるかのように、灰色ネコが声を上げた。

香多湯出(カタユデ)翁(おう)が灰色ネコの姿を捉えるべく、サッと懐中電灯を向ける。達人の剣豪ならではの感覚。正確な方向だ。

「おや、釣り堀じゃないか……こりゃ金魚の釣り堀屋だな。あの不審者、背中の金魚と一緒に、水の中へ逃げ込んだか?」

香多湯出(カタユデ)翁(おう)の懐中電灯に続いて、中年セレブ刑事・伊織(イオリ)の懐中電灯の光も動き、詳細を照らし出す。

大人の背丈を超す高さの、何処にでもあるような網フェンス。

目隠しのためであろう、肩の高さまである常緑性の植え込みが、ズラリと並んでいる。時雨に濡れた葉がキラキラと電灯の光を反射していた。

灰色ネコが毛を逆立てつつ、あたりを嗅ぎまわる。

「おい、七尾(ナナオ)?」

目暮啓司(メグレ・ケイジ)が声を掛けると、灰色ネコは金色の目を光らせてクルリと振り返った。

《此処で、臭跡が終わっているニャ》

「いけすかねぇ金ピカ野郎、此処でドロンしやがったな」

中年セレブ刑事・伊織(イオリ)が、目暮啓司(メグレ・ケイジ)の『独り言』に、不思議そうな顔をする。

「だが目暮(メグレ)くん、生身の人間は蒸発しないぞ。隠れ場所がある筈だ」

「妖怪変化でも無いかぎりな、若いの」

――妖怪変化が、目の前に居るんだが。

ひそかに突っ込む、目暮啓司(メグレ・ケイジ)であった。

「この通りは、袋小路じゃの。ということは、この釣り堀が怪しいのう」

「袋小路なんて反則じゃねえか」

「だが、此処まで追い詰めたのは目暮(メグレ)くんが初めてだよ。あのマーク中の容疑者、闇取引の場に必ず出て来るんだが、まるで妖怪変化のように逃げ足が速い。いつも取り逃がしていたんだ」

「ありゃ、筋肉増強剤を打ちまくったゾンビ野郎だったぞ」

「奇妙な特徴だな。メモしておこう」

――ドン。

ドドン。

何かが落ちたような物音。かすかな揺れ。

「何だ?」

その手の気配にするどい老剣豪・香多湯出(カタユデ)翁(おう)が、サッと腰の刀に手を回す。

《アイツだニャ!》

灰色ネコのヒゲが、ピピーンと張り切った。

2.そこは怪異な密室だった

美しい三角耳をビシッと傾けるや、灰色ネコは、金魚の釣り堀屋の角の平屋へと駆け寄る。

「この釣り堀の端っこに、何かあるのか」

三人の人類は、それぞれに驚きながらも灰色ネコの後を付いて行く。この妖怪じみた奇妙なネコが犯罪臭を嗅ぎつけるのは、全員、承知のうえだ。

その平屋の扉は、通常の玄関扉を二つ並べた風の両開き型。だが、フェンスに塞がれていないポイントだ。道路側から、大きさのある荷を運び入れるケースも想定してのことだろう。

平屋の扉に手を掛ける目暮啓司(メグレ・ケイジ)。

――ガチャ、ガシャン。

かつての天才プロフェッショナルな空き巣としての感覚が、その種別をキャッチする。

「鍵! 面倒なタイプのヤツだ」

「何だと」

「どきなさい、若いの」

老剣豪・香多湯出(カタユデ)翁(おう)が、見事な居合抜きを披露した。白刃が舞う。

ガキンと音を立ててドアノブが斬り飛ばされ、その場所に穴が空いた。

「うへぇ」

目暮啓司(メグレ・ケイジ)は目を白黒しながらも、かつての空き巣の腕前でもって、穴に『空き巣ツール』を突っ込み、ロックの残りを手際よく解除する。

場末の平屋にしては、頑張っている方の鍵。その手のツールを使ってこじ開けるのに、数分は要するタイプだ。香多湯出(カタユデ)翁(おう)のお蔭で、ものの数秒に短縮したところだが。

扉を開いて、押し入る。懐中電灯の光が躍り出す。

せせこましい空間の中……釣りの小道具がズラリと並んでいた。無造作に詰め込んだような雰囲気。

この平屋は、貸し釣り竿や釣り糸、日除けテント、諸々の大道具・小道具を収納するための備品倉庫なのだ。

グルリと見回すと――床の上で、一か所、場違いな程のギラリとした輝き。

「あれ、奴のスカジャンじゃねぇか」

セレブ風の中年刑事、伊織(イオリ)が懐中電灯をその方向に向けた。

「ややッ」

早くも飛び出した灰色ネコが、スカジャン男を嗅ぎまわり、ブワッと毛を逆立てている。

《遅かったニャ!》

目暮啓司(メグレ・ケイジ)もまた、スカジャン男の異変に気付いた。

「救急車!」

「死んでるぞ」

その男は、なかば万歳のような格好で横たわっている。

首元に、エスニックな首飾り。ペンダントトップが、鍵だ。倉庫の鍵に違いない。何かの機会に、ちょっと盗んで不正にコピーしたのであろうということが、ありありと分かる無刻印の品。

あおむけになって……死んでいた。間違いなく。

懐中電灯の光の中、床にジワジワと広がり続ける赤い血。近くに転がるのは、血痕が散ったコンクリートブロック石。

蛍光レッド金魚の刺繍を背負った黄金スカジャン男は、海外系のエキゾチックな顔立ちをしていた。二十代ないし三十代と見える若い顔面。その両眼は、ギョッとしたように見開かれたまま輝きを失っている。

死体と化した男の頭部は、深々と陥没し変形していた。

打ち所とタイミングが、最高に、かつ最悪に、悪かったのは明らかだ。

先ほど、聞こえて来ていた衝撃音は二回。

おそらく一回、何かがあって、あおむけに『ドン』と倒れ……少しの間、ショックで朦朧とした。

その直後、倒れた衝撃で近くの棚が揺らぎ、無造作かつ不安定に片付けられていたコンクリートブロック石が落ちて来て、男の頭部を直撃したのだ。それが二回目の『ドドン』だ。

*****

黄金スカジャン男は、頭部を陥没させた立派な死体となって、釣り堀の備品倉庫から搬送されていった。

セレブ風の中年刑事・伊織(イオリ)が、部下と共に付き添っているところだ。

病院へ緊急入院という形だが、夜明け前には『死体検案書』と共に退院して来るだろう。

香多湯出(カタユデ)翁(おう)は、自身よりも若い世代の死を、生真面目に悼んでいた。

「彼は『某Z国』難民のようじゃな。あの首飾りは『某Z国』の伝統的なアクセサリーだ。 最近の紛争の影響で相当数の難民が発生したと、この間のニュースでやっていたが、我が国はまだ正式に受け入れていなかったから、確実に、第三国からの不法ビザ入国だろう。 大金を国元へ仕送りするか、生活費にでも充てるつもりだったのだろうが、頓死するとは、哀れな」

「犯罪に手を出したうえに、ろくでもねぇタイミングで、ろくでもねぇ死に方しやがって」

舌打ちをする目暮啓司(メグレ・ケイジ)。

《それよりも、相棒ケイ君、この事件は不可解なミステリーだらけだニャ》

灰色ネコの目が、神々しく光っている。金色の目ピッカピカだ。

先ほどから備品倉庫を隅々までチェックしていた老剣豪・香多湯出(カタユデ)翁(おう)が、首を盛んに傾げている。

「この平屋、密室状態だった訳じゃ。明らかに殺人事件の可能性があるが、そうだとしたら、殺人犯は何処から出入りしたんじゃ?」

「……密室っすか? 殺人事件?」

「カバンが無い。あの男子高生、この件を依頼して来た大手会社の社長の――御子息でな。ポケットマネーは百万円をくだらない。それだけの札束が入っていた筈のカバンが、何処にも無い」

目暮啓司(メグレ・ケイジ)は、ハッとした。

黄金スカジャンの逃走姿を思い出す。

そう、確かに、あの派手な蛍光レッド金魚を背中に縫い付けた金ピカ男は、男子高生から奪い取ったナイロンバッグを持って、走っていたのだ。

「つまり、謎の殺人犯が、あの死体を作って、札束入りのカバンを持ち去った……?」

「そのように考えられるのじゃよ、若いの」

目暮啓司(メグレ・ケイジ)は改めて、備品倉庫の中を見回した。

灰色ネコが足元をするりと駆け抜けて、血だまりを飛び越えて行った。その突き当たりの壁を見てみると。

「……窓がある」

「うむ。状況的には、この窓から手を滑らせて、大の字に倒れたと見えるのう」

香多湯出(カタユデ)翁(おう)が窓を観察し始める。かつてのベテラン刑事時代を思わせる所作だ。

唯一の開口部となっている、その窓は、天井に近い位置にあった。パラパラと降る雨が跳ねて、周りを濡らしている。

用途としては、明かり取り用と換気用を合体したようなもので、面格子がセッティングされている。到底、人間が出入りできるサイズでは無い。

――いや、普通の猫なら、余裕シャクシャクではあるだろう。

何処にでも居そうな姿・サイズをした灰色ネコが、ヒラリと窓に飛びつき、ヒゲをピクピク動かし始め……やがて「ニャッ」と鋭い鳴き声を上げた。

「なんだ、七尾(ナナオ)?」

《ナイロンのクズ糸が引っ掛かってるニャ。カバンは、この窓を通って移動したのニャ》

「クズ糸?」

傍に、横倒しになった脚立(きやたつ)がある。

目暮啓司(メグレ・ケイジ)は早速、脚立(きやたつ)を立て直し、そのてっぺんに乗る。

「おっとっと。ネジがゆるんでるのか? バランス悪ぃな」

思わず、窓の面格子につかまる目暮啓司(メグレ・ケイジ)である。

窓に顔を寄せると、格子の一本を留めていたネジの周りに、フワフワした物が絡まっているのが分かる。ウッカリ引っ掛けた物に違いない。

「確かに、あのカバンの色っぽいな」

老剣豪・香多湯出(カタユデ)翁(おう)が、感心したように呟いた。

「いやはや目暮(メグレ)くん、お蔭で、あの容疑者がどうやってあんな状況になったのか、臨終パートが分かって来たぞよ。 カバンをそこに通した後、雨に濡れた面格子から手を滑らせ、脚立(きやたつ)から落ちたんじゃ」

――冗談じゃねぇ。

目暮啓司(メグレ・ケイジ)の全身に鳥肌が立った。

「はてさて、その謎の殺人犯、どうやって窓へ哀れな男を導き、そして落としたのじゃろう。札束入りのカバンは何処へ行ったのか?」

目暮啓司(メグレ・ケイジ)は、そそくさと、ガタつく脚立(きやたつ)を降り……それだけのことだが、足裏が不動の大地について、ホッとする。

クルリと後ろを振り返ると、すぐ傍に棚が迫っていた……

黄金スカジャン男が勢いよく頭を打ち付けてこさえたに違いない、不自然な変形と傾斜がある。

重力のゆえとは言え、一瞬、朦朧したのは確実だ。

よりによって棚の上にひとつだけ残っていたコンクリートブロック石が、朦朧として横たわった黄金スカジャン男の頭部を、劇的に凹ませたのだ。

3.新たな疑惑ジャジャジャジャーン

面格子の窓の外は、何の変哲も無いアスファルト舗装の路地裏が続いている。

雑然とした中小ビル、古びた民家、アパートメント、プレハブ貸倉庫、砂利で舗装された小規模パーキングエリア。

ちょっとした町外れならではの光景。

死亡現場となった平屋の備品倉庫の隣に、狭い路地裏を挟んで、小さなアウトレット店があった。

深夜かつ営業外の時間帯とあって、店内は暗い。

懐中電灯を向けてみると、ガラス窓の奥にマネキンが並んでいるのが見える。裸であったり、海外からの輸入品と思しき、民族衣装のような洋服を着ていたり。

「洋服屋か。エスニック・ファッションとか……民族衣装っぽいな」

《この店、奇妙な気配があるニャ》

「金ピカ野郎も、あっち系のツラだったっけか。アタリか」

《フーッ》

灰色ネコの全身が、ビシィ! と総毛だっている。尻尾もブワッと膨らんで、臨戦態勢だ。

老剣豪・香多湯出(カタユデ)翁(おう)が、チャキ、と腰の刀に手を添える。

神猫にして猫神、猫天狗ニャニャオ――程では無くても、達人の剣豪ならではの直感で、ただならぬ妖気を感じ取っている様子。

「此処はワシに任せろ、若いの」

「何かあるっすか」

「あるかも知れんし、無いかも知れん」

香多湯出(カタユデ)翁(おう)は呼び鈴を鳴らし始めた。レトロな呼び鈴が『ポンポーン』と、気の抜けた音を立てる。

やがて、卓上スタンドと思しき照明がパパッと光り、ガラス窓から見えるマネキンのひとつが動いた……いや、マネキンでは無く、ローブをまとう人間だ。

「ウェエルカム、ナンのヨウ?」

古そうなガラス戸を開いて出て来たのは、異世界ファンタジーの魔法使い、もとい、無国籍風のヒゲ面の男だ。

エキゾチックなスパイスを大量に摂取しているのか、ファンタジーな香炉があるのか……異国風の濃厚な空気が漂っている。

「貴殿、この店の主人か? それとも居候(いそうろう)か?」

「チガウチガウ。ココ、チンタイ。アパルト? カシのハウス」

「つまり、これは貸家で、オーナーから借りて住んでるって事か」

「ソウソウ。マネー」

「聞きたい事があってな。この先で事件があったんだが、誰か、見なかったかね」

「オウ~。ミテナイネ。ケガ? アル、レッド? ピィポー」

「あぁ、救急車は気付いたんだな」

そんなやり取りをしているうちに、灰色ネコがスルリと中へ入り込み……程なくしてスルリと忍び出て来る。

さすがにヒゲ男も気付き、ギョッとしたように、ネコを見下ろした。

「オウ、ニンジャ? キット?」

「キャットじゃ。猫じゃ」

「ゴールドアイ・キット、デビル。キャスパリーグ。シャパリュ。ラーフ」

バタン。

ヒゲ面の魔法使いのような男は、慌てたように扉を閉めた。

エキゾチックなスパイスの、ツンと来るような残り香が、しつこく漂っていた……

*****

翌朝。

昨夜の一刻、パラパラ降っていた冬の雨は、すっかり上がっている。

目暮啓司(メグレ・ケイジ)は、香多湯出(カタユデ)・探偵事務所の休憩室のソファで眠りこけていた。ソファの傍に、もうひとつの毛布の山。

次の瞬間。

電話がコール音を発生した。

――ドッカーン!

毛布の山が『ビョン!』とばかりに、偉大なる『猫天狗ニャニャオ』を噴き出す。人体サイズほどの大きさをした、銀色の大型の猫。七本の尾。背中に黒い烏羽(からすばね)……

「チクショウ、何で呼び出しが爆弾の音なんだよ。変なところでハードボイルド趣味じゃねえか、あの香多湯出(カタユデ)ジジイ」

寝ぼけ目をこすりながらも、かつての会社員時代をなぞる生真面目な所作で、サッと電話を取る目暮啓司(メグレ・ケイジ)であった。

「こちら香多湯出(カタユデ)・探偵事務所! 寝不足なんだ、とっとと切りやがれ」

『お早う、そして、ご苦労さん、目暮(メグレ)くん』

セレブ風の中年刑事、伊織(イオリ)・ド・ボルジア・権堂(ゴンドウ)だ。

「……香多湯出(カタユデ)のオッサンなら、付属の道場で素振りをやってる筈っす」

『ああ、別途メールを送ってあるから大丈夫。目暮(メグレ)くんの個人的な見解も聞きたくてね。実は、あの死体の件で、新しい展開があった。金魚の釣り堀の事務所に潜んでいた容疑者を発見、任意同行した』

「殺人犯が見つかった? 素早くて結構なことっすね」

『そうとも言えるし、そうで無いとも言える』

――要点を言いやがれ。

目暮啓司(メグレ・ケイジ)は電話を肩に挟み、探偵ノート速記の構えだ。

いつの間にか、七本の尾を神々しい光背のようにそろえた『猫天狗ニャニャオ』が傍に陣取り、集音器よろしく背中に黒い烏羽(からすばね)を広げ、キリッとした面持ちで傍聴している。

『被疑者が、日暮(ヒグレ)夫人のところの御子息でね』

その含むところが、目暮啓司(メグレ・ケイジ)の脳みそに染み込むまで、きっかり三十秒。

「……ちょっと待て、日暮(ヒグレ)の婆さんとこの、引きこもりでパチンコ三昧だった、無気力プータロー?」

『確かに、目暮(メグレ)くんの転身の切っ掛けになった彼だね』

「ムショを出所してたっすか?」

『三ヶ月ほど前にな。深い反省が見られたということで、時期を繰り上げ……』

「とにかく最近、金魚の釣り堀に来ていたって事実はさておいても、あの体育会系ゾンビ野郎のキンキラ密売人を、コンクリートブロックでナニするなんて意欲が、在ったっすか?」

『実に素晴らしいポイントだ。そう、アリバイは全く無いが、彼の気質を考慮して、決め手に欠けるという状況だ』

探偵ノートの上をペンが走る。しばし小休止する。

いつしか、目暮啓司(メグレ・ケイジ)はペンキャップの方で、こめかみをコリコリとやり始めていた。

「そもそも、日暮(ヒグレ)の婆さんとこの、引きこもり息子が、何で金魚の釣り堀の……現場に居たんだ?」

考えたままにブツブツと呟く。

その目暮啓司(メグレ・ケイジ)の呟きは、セレブ風の中年刑事、伊織(イオリ)に、シッカリ届いていた。

『正確に言うと、あの金魚の釣り堀屋の備品倉庫から、釣り堀を挟んだ反対側の事務所の中だ。出所後、住み込みの仕事で、釣り堀の管理アルバイトをしていた。 清掃とか、ちょっとした備品の修理とか。当然、備品倉庫に入って、予備のコンクリートブロックを整理する業務も含まれていた。 現場に残っていた指紋や毛髪ほか遺留物の大部分が、彼のものだった。死体のものを除いて』

――警察が、あの引きこもり男を、『容疑濃厚』ないし『容疑確定』と判断する訳だ。

『被疑者いわく、昨夜、物音には気付いていたが恐ろしくて外に出られなかった。日が昇ってから、恐る恐る、備品倉庫に近付いた。 そこを、現場警備していた部下の一人が発見し、任意同行となった、と言う訳だ』

「その光景が想像できるっす」

『しかも金銭がらみの殺害未遂の前科があるのでね。状況は、そちらでも推察している通りの方向へ確定しつつある。 今日は、ドラッグ取引ルートや札束の行方を聴取する予定だ。本人が無関係かつ無実なら、大したことは聞けそうに無いが』

「トコトン運の悪い人っすね」

『ほう、目暮(メグレ)くんの見解がそうなのか。もう一肌ほど、脱ぐ気になったかね?』

鼻を鳴らす目暮啓司(メグレ・ケイジ)。

《口は悪いが義理堅さが光ってるニャ、相棒ケイ君は》

金色の目ピッカピカ、訳知り顔をした猫天狗ニャニャオが、ピーンと立てた七本の尾を光背さながらに神々しく光らせ、「ニャー」と鳴いた。

*****

「とにかく基本は、現場百回と言うからな」

例の、金魚の釣り堀屋の前。

冬の朝の空気はキンキンと冷たく、吐く息は白い。

一陣の風が通り過ぎ、ブルッと来た目暮啓司(メグレ・ケイジ)。

いっそうヨレヨレになって怪異の度を増している、ハーフ丈の黒トレンチコートの出で立ち――無造作に襟を立てて、歩き始める。

金魚の釣り堀屋の周りは『立ち入り禁止』の警告テープが取り巻いていて、現場警戒中の刑事がうろついている状態だ。

――確かに、あの怪異な密室と化した死亡現場……備品倉庫から、金魚の釣り堀を挟んだ反対側に、寝食可能なプレハブ小屋がある。セレブ風の中年刑事が電話で説明していたところの、事務所だ。

目暮啓司(メグレ・ケイジ)の足元では、何処にでも居そうな普通の灰色ネコがウロチョロしている。そして。

《相棒ケイ君、改めて眺めてみると、例の窓の位置が変ニャネ》

「変だと?」

灰色ネコは、意味ありげに、ヒゲをピピンと揺らした。一本のネコ尾を振り振り、目暮啓司(メグレ・ケイジ)を先導する。

――単なる残像なのか、オカルト現象のゆえなのか、そのネコ尾は七本に見えたり見えなかったりする。霊感のありそうな刑事の幾人かが、「おや?」と不審な目を向けて来るのだった。

フェンスが続く路地の角を曲がる。

袋小路になっている路地裏で、若き探偵と灰色ネコは立ち止まり、備品倉庫の『例の窓』を眺め始めた。

「日暮(ヒグレ)の婆さんの息子は事務所に居た。この窓、釣り堀の方じゃなくて路地裏の方に向いてる。札束入りのカバンを、窓を通して受け取るには、いったん、フェンスの外に出なきゃいけない。 しかも、その後、数秒以内で事務所へ駆け戻る必要がある。非現実な時間を過ごす羽目になっただろうな」

《元ベテラン刑事にして剣豪たる香多湯出(カタユデ)達人の、目と耳と鼻をあざむけるレベルの密室テクニックと忍者テクニックが、日暮(ヒグレ)ジュニアにある筈が無いのニャ》

「あのゾンビ暴走を披露した黄金スカジャン野郎なら、やれたかな」

灰色ネコが、ビシッと尾を立てて振り返る。

「な、何だよ?」

《実に素晴らしいゾンビ・ツッコミだニャ、相棒ケイ君。この神猫にして猫神ニャニャオ、神技で相棒ケイ君を倍速してたニャ。単純な「倍速の術」は、科学的ドーピング効果や、魔法による暗示でも可能ニャ》

「だがスカジャン野郎は既に死んでた。ヤツが事務所へ走らなきゃならない理由はあったかも知れんが、ゾンビ映画みたいに、死体が走る筈がねえ」

《それは否定しないニャ》

目暮啓司(メグレ・ケイジ)は、『例の窓』をジッと眺めた。面格子をジックリ眺めた。

仕切りとなっているフェンスに近寄り、注意深く、鼻をひくつかせた。

あの黄金スカジャン男は、『某Z国』出身ならではの、エキゾチックな顔立ちだった。体臭の方も相応にエキゾチックだ。ツンと来るような……

「いや、あの黄金スカジャンのゾンビ野郎は、倉庫に入った後は、一歩も出てない。生きて出られなかったんだ。じゃ、外のフェンスに残ってる方は……」

面格子の幅のサイズを眺めつづけ、鼻をひくつかせて……

悪態をつき始める目暮啓司(メグレ・ケイジ)であった。

「何で最初から分かっていたかのように、札束入りナイロンバッグが、この面格子の幅を通過するサイズだったんだよ! あの札ビラ男子高生のクソガキ、締め上げてやる。こいつはキッチリ聞いておかなきゃならん」

《さすが相棒ケイ君だニャ。黄泉平坂(よもつひらさか)で、新しい死人の件で頭を抱えてた『千引(ちびき)ノ大岩(おおいわ)』にも、良いお知らせができそうだニャ。 「誰に殺されたのかも、何で死んだのかも、分からない」ってことで、現世(うつしよ)に迷い出る未成仏霊コース確実だったからニャ》

4.カバンのアレの秘密はね

香多湯出(カタユデ)・探偵事務所への依頼人である、大手会社の社長の――豪邸。

その豪華な応接間に、香多湯出(カタユデ)翁(おう)と目暮啓司(メグレ・ケイジ)は居た。

香多湯出(カタユデ)翁(おう)はビシッと決めた紋付袴の和装姿。目暮啓司(メグレ・ケイジ)は髪を七三に分け、マジメ百点スーツ姿だ。

茶注ぎメイドが下がった後、少し時間が空く。

午後の後半を指す高級な振り時計の辺りに、視線を走らせる。

――そこかよ。

世が世なら、『神の啓示』『神託』専門の神職が務まったであろう目暮啓司(メグレ・ケイジ)。それほどの高精細な霊感の持ち主でなければ、気付かない。

高級な振り時計の、銀細工を多く使っている辺りに、空中に浮かぶ透明な『ニヤニヤ笑い』がある。『隠遁の神通力』発動中の、七尾(ナナオ)の猫。猫天狗ニャニャオだ。

――ガチャリと音を立てて、応接間の扉が開く。

折り目正しそうな印象の社長と、オドオドした風の男子高生が入って来た。父と息子だけに、顔立ちは似通っている。

「待たせて申し訳ありません、香多湯出(カタユデ)さん」

「いや、こちらこそ急に訪問いたしましたから」

「愚息に確認したいことがあるとか。学校や警察の補導の方で、時間がおしているので、できれば手短に……」

社長は、痛む頭を押さえる格好で、どさりとソファに腰を下ろした。

禁断のドラッグ取引に手を出してしまった息子について、警察や学校との話し合いも含めて、色々と大変なのであろうということが、うかがえる。

男子高生はオドオドと落ち着かぬ様子だが、着ている制服は、富裕層メインの学校のものと言うだけあって、ガッツリ、ブランド製品だ。

――社長の跡取り御曹司として、将来を約束された若者なのだ。起きてしまったことは残念だし、当面はゴタゴタで大変だろうが、早々に露見したことは決して悪い結果にはならない筈。

実際、社長はマスコミへの影響力もある。この事件に血縁者がかかわっていた事実そのものがボカされて、伏せられている状態だ。

目暮啓司(メグレ・ケイジ)は再び、応接間のテーブルの上に、サッと目を走らせた。

今日付けの夕刊。

社会面の一角に、今回の事件のタイトルがある。

――『X県X市X区、金魚の釣り堀屋の住み込みアルバイト日暮(ヒグレ)XX(男、年齢N)が、本日、氏名不詳の男性(某Z国)殺害容疑により任意同行を求められる』

試してみようと、ついつい金に飽かせて手を出した男子高生の方は、匿名のまま保護され、ボカされ。

出所して、真面目にやり直そうとしていた中年男性の方は、当分は余計に名誉回復に苦労すること確実な、実名報道だ。過去は致し方ないが、男子高生の愚かな行動ゆえの、とばっちりだ。

この、微妙な格差。

理不尽な、因縁の波及。

微妙なだけに、未成年という条件を加味して考えてみてさえ、フツフツと来るものを感じる。

目暮啓司(メグレ・ケイジ)の目は据わっていた。剣呑にギラギラする視線を受けて、男子高生が、いっそう顔色を悪くする。

「単刀直入に聞くっす」

「はぁ」

「金ピカのスカジャン男に渡していた、札束入りのナイロンバッグ。スカジャン男から指定された種類サイズのカバンを用意していた。合ってるっすか?」

「え、はい、いえ」

「どっちなのか、ハッキリしろ」

男子高生はモゴモゴと口ごもった後、小さくなった。

「ちゃんと説明しなさい。それが社会的責任を取るということだ」

父親に諭され、男子高生は泣きそうな顔になっている。人生経験も考えも浅いだけであって、本質は邪悪ではないのだろう――『無知は罪』に通じる部分が、大きすぎるが。

「え、えと、あのカバンは、前もって、そこの駅のロッカーで受け取ってて。あれにお金を入れて渡せば、……あの、目がパッチリして頭が良くなるクスリ……テオシ……ヤサイを、くれるってことで」

社長が不意に首を傾げた。

「あぁ、妻と私が気付いたのも、カバンがきっかけでした。ツンとした奇妙なにおいがして、あのカバンを発見し愚息を問い詰めたら、このような次第だったという訳です」

「におってた?」

男子高生が、驚いたように面を上げる。

父親が生真面目そうに顔をしかめた。

「そこはかとなく。香道で使われる香や、流行のアロマの類なんかとは全く違う、不自然な」

香多湯出(カタユデ)翁(おう)が身を乗り出す。

「駅のロッカーには、前の利用者が独創的な漬物なんかを入れたりして、その異臭が染みつくことがあるが、そういうものではなく?」

「ええ。スパイスのブレンドのような」

「洗濯してたのに」

何もかも恵まれて、自分の事を何もしていなさそうな男子高生からの、意外な言葉――『洗濯』。

目暮啓司(メグレ・ケイジ)の口が、パカッと開いた。

「洗濯?」

「え、最初、ツンと来てキツかったから……それに何だかボロで、きたなかったし、少しでも落とそうと思って……洗濯機のところ行って、ちょうど棚にあった洗剤で……」

「問題のカバンは、よほど傷んでいて、ツンと来ていたのじゃな」

「はぁ、あの、悪臭と言う訳じゃないけど、普通に手に持って歩いてたら目立つかも、という感じで……」

社長がブツブツ言い始めた。その後、社長は茶注ぎメイドを呼び出した。

「お呼びですか?」

「妙なことを聞くが、最近、洗剤が減っていたか? 洗濯用の」

「はぁ。はい、確かに。急に二日分……三日分くらい、一気に減ったことがございまして、在庫も無くなりかけていたので、急遽、新しい洗剤を買い足しておりましたが。何か不都合ございましたでしょうか」

「いやいや、問題は無い。状況を知りたかっただけだから、報告ありがとう」

「では失礼いたします」

茶注ぎメイドが退出した後、香多湯出(カタユデ)翁(おう)が、呆れ顔で首を振り始めた。

「また随分と大量に使ったものじゃな。泡で一杯になったじゃろう。普通は、そんなに使わんでも落ちる。現代のハイテク洗剤は優秀じゃ」

「はぁ。えっと、だいたい泡が消えるまで、すすいで、乾かして……その後で、お金を入れて……」

次の瞬間。

香多湯出(カタユデ)翁(おう)の携帯電話が、和装の中の何処かで、呼び出し音を奏で始めた。

ポッポー♪

思わず目暮啓司(メグレ・ケイジ)が、応接間の一角を荘厳する高級振り時計の方を確認したのは、此処だけの秘密である。

「警察からの緊急連絡じゃな。もしもし?」

やがて、香多湯出(カタユデ)翁(おう)の立派なお眉が、ギリッと吊り上がった。達人の剣豪ならではの気迫。

「伊織(イオリ)くんからの連絡だ。例の金魚の釣り堀で、金魚の死体が大量に浮いて来たそうだ。マスコミが嗅ぎつけて、『ペラッター(SNS)』でも騒ぎが始まっとる。 殺人事件との関係があるかどうかも含めて、緊急で死因を調べているとのことだ」

「金魚の死体ですと?」

「まじ?」

唖然とする社長と、男子高生である。

「現場へ急がねばならん。急な訪問にも関わらず、会って頂いて感謝いたしますぞ。もう質問は無いな、目暮(メグレ)くん?」

「無いっすね」

「それでは、これにて失礼をば、社長どの」

「ああ、はい、ご苦労さんでした」

5.密室の窓を金魚と泳ごう

ささやかな路地裏の一角にあった金魚の釣り堀は、ほぼ全滅という有り様だ。

赤、黒、白、オレンジ……色とりどりの金魚の死体が、そこかしこの水面の上をプカプカ漂っている。

釣り堀の周りで、鑑識メンバーが忙しく動いていた。

「……ひでぇな」

立派な白い眉を逆立てている香多湯出(カタユデ)翁(おう)の隣で、目暮啓司(メグレ・ケイジ)は顔をゆがめる。

セレブ風の中年刑事・伊織(イオリ)が、あらかじめ部下に指示していたため、釣り堀の中をうかがえるフェンスの傍に陣取ることができたのだが。

積極的に見たいとは思わない光景である。

次に、目暮啓司(メグレ・ケイジ)は目をパチクリさせた。

――忍者よろしく『隠遁の神通力』絶賛☆発動中の、猫天狗ニャニャオが居る。

全身、完全に透明になった状態で、そこだけ見える『目・鼻・口』が、いつもの『ニヤニヤ笑い』とは違う生真面目な表情をして、フワフワと釣り堀の上を漂っていた。

「七尾(ナナオ)?」

神猫にして猫神、猫天狗ニャニャオが、釣り堀の暗い水の中を棒で探り続けている鑑識メンバーの背後に、ふわりと陣取る。

その鑑識メンバーは、即座にトランス状態へシフトした様子だ。集中力が高く、霊感も、それなりにある人間なのだろう。

釣り堀の端近くまで位置を変える。巫女が箒(ほうき)を持って神社の境内を清めているような所作が始まった。

鑑識の棒の先端が、釣り堀の底を左右に移動する。

「オッ?」

水の中で、何らかの手応えがあったようだ。

その鑑識メンバーは、ハッと息を呑むと同時に、トランス状態から戻った様子。そのまま、棒をゆっくりと引き上げる。

ほかの鑑識メンバーたちが首を傾げながらも、注目し始める。

夕陽にきらめく水の中から、引き上げられたのは……ナイロンバッグだ。

見覚えのある、ボロいカバンだ。

ギョッとする目暮啓司(メグレ・ケイジ)。

香多湯出(カタユデ)翁(おう)の額に、次第に青筋が走り始めた。

「若いの。我々は、だいたい同じ結論に到達したようだな?」

「そう思うっす」

「おおい、伊織(イオリ)くん。金魚の大量死の原因は、間違いなく、そのカバンだ」

「何ですと?」

セレブ風の中年刑事・伊織(イオリ)が、驚いた顔で駆け寄って来た。部下も付き添って来ている。

「新しい情報が得られたんでな。金魚の死因は、ほぼ界面活性剤による窒息だろう」

「界面活性剤?」

「家庭の洗濯用洗剤じゃ。それに、あの『某Z国』の男が早まった死を遂げたのもな……倉庫の面格子窓に残っている成分をトコトン調べれば、同じ界面活性剤の成分が出て来る筈じゃ」

伊織(イオリ)・ド・ボルジア・権堂(ゴンドウ)に付き添っている部下が、唖然とした顔をしている。

「つまり、どういう訳です?」

「例の男子高生が、あのカバンを『きたない』と思って、前もって洗剤だらけにしていたのじゃ。話を聞く限り、すすぎも適当だったのは間違いない。 カバンには大量の界面活性剤がこびり付いた状態だった……あの夜、雨に濡れて、当然ヌルヌルになった筈じゃ。 黄金スカジャン男は、ウッカリ、面格子窓からヌルリと手を滑らせ、あんな不慮の死を遂げたと言う訳じゃな」

セレブ風の中年刑事・伊織(イオリ)が「ふーむ」と思案を始め、血気盛んな若い部下は、燃え上がった。

「それでは、そのフザけた男子高生を……!」

「早まるのはダメじゃぞ、若いの。不幸な偶然が連鎖したという状況じゃからな」

「日暮(ヒグレ)夫人の御子息の容疑も、不幸な偶然の連鎖という要素が、大いに出て来ると……」

「カバンの金具に残っている指紋の中に、日暮(ヒグレ)の息子のものが無ければ、確実じゃろう」

やがて鑑識メンバーたちの方から、声が掛かって来た。

「例のカバン、重石(おもし)のための小石を詰めて、沈められてましたよ。その辺の小石で間違いないでしょうが、分析に回しておきます」

……次第に目が据わって来る目暮啓司(メグレ・ケイジ)。

「あの鑑識の棒、それ程、しなってなかった……あんまり重さが無かったんだな」

「何か思いついたのか、若いの?」

「小石を詰めたカバンを、フェンスの外から投げ入れたんだ。投げ入れて……あの金魚の倍速プンプン野郎、どこまで性根が腐ってんだ」

いつしか、目暮啓司(メグレ・ケイジ)の足元で、灰色ネコが顕現していた。

せまり来る逢魔が時の中、神々しい金色の目をランランと光らせる神猫にして猫神、猫天狗ニャニャオ。

《毎度、猫なみに真相を嗅ぎ当てる素晴らしい鼻センサーだニャ、相棒ケイ君》

*****

逢魔が時の後半。

あたりは急速に宵闇の暗さを増している。

金魚の釣り堀屋の路地裏を挟んだ隣、海外エスニック系の服を扱うアウトレット店の奥。

ヒゲ面をした無国籍風の魔法使いのような男が、「おぉ、神よ」と呟きつつ、エキゾチックな礼拝をしていた。

うやうやしく特殊なポーズをとる。

楽とは言えない姿勢を戻し、狂信者そのものの眼差しで、目の前に掲げられたポスターのようなものを仰ぐ。四〇センチメートル大。オマジナイの印でいっぱいだ。魔法の力を与える奇跡の宗教画。

偉大なる神は、蛍光レッド色に見えるほどの真紅色の光背を背負う。この世を滅ぼす偽の神にして大魔王とされる怪魚を、退治しているところである……

そして、この世のものならざる驚きに、男の目が、グワッと見開かれた。

――金色の目のピッカピカ、いとも凛凛(りり)しき三角耳ぞ――

――風切る黒き烏羽(からすばね)、末(すえ)になびくは、奇(くす)しき七尾(ニヤニヤオ)――

宇宙のような漆黒の翼を持つ猫が、虚空に浮かんでいる!

神々しい銀色をした、神猫にして猫神。

七本の尾が、火焔型の光背さながらに純白に輝き燃えている。あまりにも清らかな純白の雪が薄青い光をまとうように、ほのかな青い光が取り巻いていた。

不吉なニヤニヤ笑いを浮かべた金色の目は、恐ろしいほどにピッカピカだ。

「おおぅ、ニンジャ・キット、デビル、ラーフ、ダイモーン、ジャボ!」

ヒゲ面の男は『ビョン!』と飛び上がるや、ツンとした奇妙なにおいを放つ香炉を投げつけた。

あのカバンに染みついていた刺激臭。

アウトレット店の空気の中を漂っていた、奇妙なブレンドの、スパイスのような……

投げつけられた香炉が、偉大なる銀色の猫を襲う。

超能力の忍者さながらに、スッとかき消える七尾(ナナオ)の猫天狗……いや、目にも留まらぬ神速で、ゆうゆうと、かわしていた!

相応に重量のあった金属製の香炉は、そのまま、背後にあったベニヤ板の仕切りをブチ破る。

ばりーん!

派手に吹っ飛んだ、ベニヤ板の奥。

更に多くのベニヤ板でもって厳重に隠蔽されていた、秘密のスペースが現れた。

完璧な暗室となってしまった中で、二十四時間ずっと灯りつづけている数多の太陽光タイプ電球。日光の代用だ。

その数々の人工太陽の光のもと、みっしりと、植木鉢が並んでいる。

植えられているのは、全部、違法ドラッグを生産する植物だ!

ヒゲ面をした男は、激怒のままに追い回す。ヒラリヒラリと飛び回る七尾(ナナオ)の怪異な猫を。

がっこぉん。

角にぶつかった拍子で、そこに設置されていた機械が横倒しになり、ほぼ精製の済んでいたドラッグの粉が舞い散った。

凶悪なニヤニヤ笑いをした『七尾(ナナオ)の猫天狗』が、背中から生えている烏羽(からすばね)を、バサリとあおぐ。

天狗の団扇(うちわ)が生み出したかのような凶暴な突風が荒れ狂い、方々のベニヤ板が、一気に破れ飛んだ。

べりべりーん!

ベニヤ板で隠してあった裏口ドアも、異様な風圧を受けて、勢いよく開く。

冬の宵闇。

急速に気温を下げてゆく空気が、ドッとあふれた。

開き切った、裏口ドアの先に見えるのは。

路地裏を挟んだ隣の、金魚の釣り堀屋の……あの備品倉庫にハマっていた面格子窓。

猫天狗の金色の目ピッカピカが、サーチライトでもあるかのように、いっそう『ピカー』と光る。

「お、おぅ!」

ヒゲ面の男は、信じがたいものを見た。

あの面格子窓から……無数の金魚が、悪魔の軍勢か何かのように、ウオウオと、あふれ出して来る!

逢魔が時。

ゾンビ金魚の大群。

大いなる邪悪のしもべ、忌まわしき怪魚の群れ。

瞬く間に、ヒゲ面の男を、金魚の大群が取り巻く。

赤、黒、白、オレンジ……

不吉な童謡のような、地獄の底から湧き上がってくるような、ダークファンタジー風の音程とリズムの歌声。

密室の窓をぉお♪ 金魚と泳ごうぅう♪

――あの窓に魔界が! 忌まわしき魔界へ連れて行こうとしている!

不世出の天才としての評判を欲しいままにしていた魔法使いは、死にもの狂いで、香炉に手を伸ばした。

退魔パワーがあるとされている、祖国伝来の香炉に……

6.一件落着とするのだニャン

金魚の釣り堀屋の隣、胡乱なアウトレット店の前に、警察メンバーがそろった。

リーダーは、セレブ風の中年刑事、伊織(イオリ)・ド・ボルジア・権堂(ゴンドウ)。

人類に可能な限りの最速で、捜査令状を取って来たのだ。

次の瞬間。

アウトレット店の扉が、バターンと開いた。

ギョッとする警察メンバー。

「ニンジャ・キットォ、ジャボォ!」

ヒゲ面の男が、『金属製の何か』を振り回しながら飛び出して来た。明らかに正気ではない。

オリンピック種目ハンマー投げのハンマーよろしく、鎖につながれたソレを、物騒な速度で回転している。

「わわわ!」

異様な光景に浮き足立っていた目暮啓司(メグレ・ケイジ)は、謎のハンマーを顔面に食らいそうになった若い刑事と共に、無様に地面に転がってしまった。

「無駄な抵抗はやめよ」

付き添って来ていた老人が、腰の刀に手を掛けた。昔ながらの剣豪の気迫を持つ、和装・帯剣姿のかくしゃくたる香多湯出(カタユデ)翁(おう)だ。

まさに神技と言うべき、達人の居合抜き。

ガキーン!

一瞬の火花を散らし、刺激臭にまみれた『金属製の何か』が、宵闇の空へと斬り飛ばされた。

香多湯出(カタユデ)翁(おう)の返す刀が、ヒゲ面の男の急所を打つ。

芸術的なまでに美しい峰打ち。

ヒゲ面の無国籍風の魔法使いのような男は、白目をむいて、ドウと倒れ込んだのだった。

*****

「――かくして、違法植物の栽培、違法薬物取引、不法入国、不法侵入、器物損壊、動物虐待致死、業務執行妨害、その他の余罪も多々……と、フルコース料理みたいなセット込みで、お縄になったという」

目暮啓司(メグレ・ケイジ)が、擦りむいた額や膝に絆創膏(ばんそうこう)を貼りながら、ブツブツと呟く。

一夜明け、香多湯出(カタユデ)・探偵事務所は、いつものように爽やかな朝を迎えていた。

テレビから、興奮で甲高くなったキャスターの声が、よどみなく流れつづけている。内容は、『金魚の釣り堀』事件の顛末(てんまつ)だ。

別の一角では、香多湯出(カタユデ)翁(おう)が愛刀を手入れしている。

「結局、あの路地裏がポイントだったのじゃな。黄金スカジャン男はいったん、倉庫へ身を隠して、追跡をかわしていた。 仲間にしてボスであるヒゲ面の男の方は、面格子窓を通して首尾よく札束入りのカバンを受け取り、路地裏をサッと走って、隣のアウトレット店に潜むという形。 あの倉庫、二段構えで姿をくらますのに都合の良い潜伏先だったし、道理で警察が、なかなか追跡できなかった訳じゃ」

「ただ今回は、あのカバンを触った時に、ヌルヌルしていて『もう使えん』と感じたから、適当に小石を入れて、釣り堀の方に投げ捨てていた。 証拠隠滅……ついでに、以前から見かけていた中年アルバイト男に、罪をかぶせることも含めて。それがアダとなったというか、金魚の大量死という想定外の大騒ぎになった訳っすね」

「うむ。あのヒゲ面の男、仲間の黄金スカジャン男が、まったくの不慮の事故で既に死んでいたとは知らなかったそうじゃよ。言語の壁じゃのう。取調室の方で、通訳を通じて知ってショックを受けていたそうじゃ」

重々しく語る香多湯出(カタユデ)翁(おう)であった。

「あの刺激臭のする香炉を焚いていたのは、違法植物の栽培を隠蔽するためだったとか。収穫時期になると、あの種の草は特徴的な香りを持つからのう」

「何だか、『策士策に溺れる』の図を見てる気がするっす。においを長く嗅ぎつづけていると、人間の鼻、バカになるんじゃなかったっけ」

目暮啓司(メグレ・ケイジ)は顔をしかめた。

――あの男子高生が、最初に受け取った時のカバンは、どれだけキツイにおいがしていたのだろう。

「そう言えば、札束の行方は判明したっすか?」

「光熱費など経費を支払った後、仮想通貨の取引に、残額すべて突っ込んだと聞いておる」

「祖国だっていう、『某Z国』向けの送金じゃなかったって事すか?」

やがて、テレビニュースが切り替わった。

政情不安定な途上国『某Z国』のトピックだ。相変わらず武装勢力による各種テロや小競り合いが続き、難民が増えている状態。

ボランティアで『某Z国』への技術指導や難民支援を続けているという日本人へのインタビュー画面が映し出された。 武装勢力が横行している中、身の安全を図るためということで、その顔面には、ボカシが入っている。

ゆっくりと、苦い顔をする香多湯出(カタユデ)翁(おう)。

「かの危険な『某Z国』に、命懸けで残った日本人が居る一方で……日本に何とかして潜り込み、違法行為に手を染めてまで大儲けを狙う『某Z国』人も居る、ということじゃな。 あのヒゲ面の男も、黄金スカジャン男も、祖国『某Z国』では特権階級というか、富裕層クラスの人物だったようじゃ。 国外脱出のための不法ビザや航空券を買えるほどの財産がある……本当の難民ではない。 インターネットが発達した現代、先進国の豊かな生活をネットで垣間見て、自分も同じような生活をしたい……となるのは理解できるがの」

「何のためにボランティアが頑張ってるんだか、つくづく分からんっす」

「いつまでも事態が改善しない、新興国や途上国の全般に言えることじゃな。 援助マネーは、そのまま、当該国の特権階級のポケットマネーになってしまい、本当に支援を必要とする一般の人々には行き渡らぬ。 おまけに、そのマネー還流は複雑怪奇な状況になっておるからの。日本などの安全な国から出ぬまま、当該国からの還流を特権的に受けている名誉貴族の人権団体や宗教団体も多い」

「いまどきの人権団体と宗教団体、胡散臭いのが多いっすね」

「リベラル系らしき人権団体と宗教団体の一部の走狗が、早くも警察に噛みついているそうじゃよ。 あのヒゲ面の宗教関係者を理由なく拘束しているのは、かわいそうな外国人や移民への差別であり、人権侵害であり、宗教迫害であり、即刻、生活保護も込みで釈放せよ……とな」

「頭わいてるっすね」

「案外、彼らの金づるを調査すれば、興味深い事実が分かるかも知れんぞ。マネー還流ビジネスと、マネロンの醍醐味というところじゃな」

――あのヒゲ面の男、釈放されたら釈放されたで、ろくでもない人権団体や宗教団体の金づるとして利用され、夢に見た先進国での豊かな生活どころか、 祖国よりもひどい貧困の中で飼われて、死ぬまで……という可能性も、ある訳だ。

神猫にして猫神『猫天狗ニャニャオ』の方から、神の声が聞こえて来る。

《先進国の豊かな生活ってのはニャ、ヒゲ面の魔法使いや黄金スカジャン男が思っているような、選ばれた富裕層のための『特権』じゃないのニャ。 それが理解できれば、『某Z国』も豊かな先進国へ変身することができるニャ。『某Z国』の神、ヒゲ面の魔法使いの想像以上に、深遠にして偉大なる神ニャ》

目暮啓司(メグレ・ケイジ)は絆創膏(ばんそうこう)だらけになり、ソファにグッタリと沈み込んだ。

灰色ネコが横に来て、ことさらにお行儀よく座る。訳知り顔のニヤニヤ笑い。

「……昨夜、あのヒゲ面の魔法使いが急に錯乱したのって、七尾(ナナオ)のせいじゃねぇのか? お蔭でこっちは怪我人だぞ、妖怪猫め」

「ニャーオ」

「そいつは冤罪(えんざい)だと抗議しているようじゃなあ。実際、彼奴(きやつ)が吸い込んだ薬物の粉末、急性の錯乱症状を起こす成分が含まれているそうじゃ」

やがて、香多湯出(カタユデ)翁(おう)が首を傾げる。

「伊織(イオリ)くんが言うことには、例のヒゲ面の男、薬物摂取の後遺症なのか、金魚の亡霊に取りつかれている様子。 たびたび幻覚を見て『おぉ、窓に! 窓に!』と叫んでいるとか。ほぼ廃人じゃな。 彼奴(きやつ)の信仰するところの『某Z国』の神が、そういう神罰メニューも取りそろえているとは寡聞(かぶん)にして知らなかったがのう」

俗世の灰色ネコの姿をした猫天狗・七尾(ナナオ)は、無邪気な顔で毛づくろいを始めている。

……こやつ絶対、超次元『神サミット』か何かで、『某Z国』の神と話し合っただろう。

疑惑タップリの眼差しでもって、偉大なる神猫にして猫神『猫天狗ニャニャオ様』を眺める、目暮啓司(メグレ・ケイジ)であった。

―《終》―

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深森の帝國