深森の帝國§総目次 §物語ノ傍流 〉妖怪探偵・猫天狗が飛ぶ!~波打ち際の"禊"事件

妖怪探偵・猫天狗が飛ぶ!~波打ち際の"禊"事件

「あなたの死亡原因は?」と聞かれた。しかも死亡報告書によれば「不明ながら殺人の可能性あり」なる追記項目があるそうだ。 この事実に納得できない古代博士は、99歳の老体にむちうって自分の死亡原因の解明に乗り出した。 霊体になった古代博士の協力者は、妖怪変化・6本の尾を持つ猫天狗。猫天狗は、古代博士を助けて、八面六"尾"の大活躍をする!

  1. 黄泉平坂、黄泉路より
  2. 呼ばれて飛び出て、猫天狗
  3. ミステリアスナイトを捧ぐ

(2017/12/08~2017/12/11公開、15,849文字)

1.黄泉平坂、黄泉路より

「――あなたの死亡原因は?」

目が覚めて、最初に問い掛けられたのが、この質問じゃよ。

ポカンとしていたら、再び同じ問いがやって来たのじゃ。

「――古代博士、あなたの死亡原因は?」
「……ワシ、もしかして死んだのかのう?」
「確実に死んでござる。ここ、あの世の入り口でござる」

とりあえず、頭をハッキリさせなければならん。ワシは頭をブルブル振った。もうこんな年じゃ、毛髪は生えていないから、この辺は楽じゃが。

「あの世の入り口じゃと?」

ワシは聞き返した。謎の声は、真夜中と思しきミステリアスな闇の中から応答して来る。あちこちで仄暗い緑の炎がチロチロと瞬いている。

「さよう、ここは黄泉平坂(よもつひらさか)。黄泉国(よみのくに)の入り口でござる。 ツウの人は、『根ノ国』とも言うでござる。アテは『千引ノ大岩(ちびき-ノ-おおいわ)』、 またの名を『道返ノ大神(ちがえし-ノ-おおかみ)』、別の名を『塞坐黄泉戸ノ大神(さやります-よみど-ノ-おおかみ)』……」

待て、待て、待てぃ! そんな事が有り得るのかーッ!?

*****

――古代博士、享年99歳。

目下、黄泉平坂なる不思議な闇の中で、呆然と座り込んでいる――いや、人型の霊体となって、 空中に微妙に胡坐あぐらポーズで漂っている、立派な白ヒゲの老人である。ちなみに、理由は知れぬが、素っ裸である。

不思議な闇の中で、『千引ノ大岩』と名乗って来た謎の声の主は、今は人の姿を取っていた。

――白い直衣。平安貴族が乗せていたような古典的な冠。いわゆる衣冠姿だ。

しかし、『千引ノ大岩』の、その顔は――墓石だ。

「なぜ、顔が墓石なのじゃ?」
「我が国の最初にして最後の墓石が、アテでござるよ」

千引ノ大岩は再び自己紹介に入ろうとしていたが、さすがに『長くなる』と気付いたのか、コホンと咳払いした――という次第である。

そして、『本題だ』とばかりに、素っ裸の老人に語り掛けた。

「古代博士、死因を思い出しましたかな? 『死んだ』という事実をシッカリ理解しておかないと、人間、ちゃんと成仏できないでござるよ」
「成仏?」
「最近は、この言いかたのほうが理解されやすいので、こういう言葉を使っているのでござるが、何ぞ問題あり……で、ござるか?」

問題は無い。問題は無いが……

――古代博士は驚きの余り、頭がクラクラし過ぎていて、生前の出来事をよく思い出せない状態なのだ。

気付いたら、見知らぬ闇の中に居た――という感じである……

「ううむ。心臓に痛みを覚えて、その後、ここに居たという感じじゃのう」

古代博士は、自身が素っ裸であるという事実を、すっかり忘れていた。深いシワを刻んだ顔に、更にシワの数を加える。

「そうじゃった。だんだん、思い出してきたような気がするぞよ。確か、ワシは『夜島』に居たのじゃよ。 日本海の孤島の……あそこは古代史の宝庫での。 選りすぐりの古代史研究グループと共に、島に上陸したハズじゃったが……はて、ワシは、なぜ死んだのじゃろう?」

白い直衣を優雅にまとっている千引ノ大岩は、生真面目そうな様子で墓石の顔をちょっと傾げると、大きな袖の中から、何やら『光る板』のような物を取り出した。

その『光る板』には、何やら見覚えのある画面が出ている。有名アプリの各種アイコン。動画サイトやニュースサイトのアイコン……

「それは、『すまーとふぉん兼たぶれっと』では無いかの?!」

古代博士は目を剥いた。

「さようでござる。人間界で流行している品々は、一応、すべて心得ておく必要があるのでござるよ」

千引ノ大岩は、あいかわらず生真面目に受け答えしている。

「最も勉強熱心なのは稲荷神でござる。彼らは商工業者と縁が深いし、品々の特性に応じた加護を日夜、研究しているのでござる。 何でも、自動車や飛行機、宇宙船や人工衛星、量子コンピューターへの加護は、最も難しい神技だという話でござるよ。 あれらは、ハイテク技術のカタマリでござるから」

墓石の顔をした千引ノ大岩は、しばらくの間、手慣れた風でピポパポと『光る板』をつついていた。 そして、やがて、呆然と白ヒゲを撫でている古代博士の方を振り向いて来た。

「古代博士、この死亡報告書には『事故死』と書かれてござるが、その上に、『殺人』の項目に追記があるのでござる。 つまり、古代博士は殺されて死亡した可能性がある、ということでござるよ」
「何じゃと?!」

古代博士は、思わず立ち上がった。

もっとも、足が無いから、フワリと宙に浮いた形だ。古代博士は、頭が混乱してグルグルするままに、円を描いてグルグル歩き回る。 これは生前からのクセだ。考えごとをする時は、こうして歩き回っていたものである。

(――そんなことが、あるものか)

古代博士は、途方にくれながら天を仰いだ。

あいかわらずミステリアスな闇が、目に見える世界全体に広がっている。

パッと見た目には漆黒の闇そのものなのだが、ジッと見ていると、そうでは無いと知れる。紫紅とも緑金ともつかぬ、不思議な色合いに満ちた闇だ。

闇の中の闇。すべての色を溶かし込んだ闇。

黄泉の国、根の国――とは、よくぞ言ったモノだ――と感心してしまうほどの、ミステリアスな暗さ。本当の常夜闇とは、このようなものなのかも知れない。

ただし、黄泉平坂に限っては、現世からの光がボンヤリと差し込んで来ているらしく、『永遠の黄昏』という雰囲気が漂っている状態ではあるが……

やがて古代博士は、大きな溜息をついてうつむき、頭を抱える格好になった。ネタ切れの小説家がよくやるように、毛髪の無い頭をかきむしる。

「ダメじゃ、思い出せん。誰に殺されたのか、どうやって死んだのかも分からん」
「でも古代博士、とりあえず、自分が死んだという事実は納得したわけでござるね。まあ、黄泉平坂をまたいでおいでなさい。 闇の中の闇と見えて、実際は色々ござるから、問題なく過ごせるでござるよ」

墓石の顔をした千引ノ大岩は、ホッとしたように白い袖をヒラヒラと振り、黄泉平坂を越えて続いている『死出の道』を指し示したのであった。

長い長い影法師のように延びている一本の筋が、闇の中でさえ遠目に見える。 その一本道の上を、無数の、煙のような仄暗い緑の炎が、ユラユラと揺らめきながら移動している。

その、煙のような仄暗い緑の炎は、一つ一つが、亡くなった人々の霊体だ。時には『人魂』とも『幽霊』とも言われている、『よく分からない何か』の正体である。

古代博士は、その不思議な緑の炎と一本道に目を見張った――

――その直後、古代博士は目をギョロリと吊り上げ、千引ノ大岩を鋭く振り返った。フサッとした白ヒゲが、なびいた。

「ダメじゃ!」
「何ですと?」
「いいかね、千引ノ大岩。そこに特記事項があるなら、ワシの生前の活動についても、つまびらかに書かれてあるはずじゃが、どうじゃ?」

墓石の顔をした千引ノ大岩は、再び『すまーとふぉん兼たぶれっと』を眺めた。そして、コクコクとうなづいた。

「氏名、古代進。我が国における古代史の第一の権威。古代史を題材にした多数の大河ドラマや歴史教育ドラマで、数々の歴史考証を担当する。 特に古代史ミステリーの謎解きにおいて、広汎な知識を下敷きにした、その推察の深さは、他者の追随を許さない」

古代博士は、キリッと背筋を伸ばした。

もっとも99歳の老人の素っ裸なので、実際のところ、威厳は余りない。『フサッとした白い何かをくっ付けた枯れ木』が、反っただけ――というような感じだ。

「その通りじゃ! ワシは、ミステリーに目が無いのじゃよ! よりによって、このワシ自身が殺害されたかも知れんと言うのに、 この事件のミステリーが解けんとは!」
「しかし、古代博士。時が経てば、犯人は分かるでござるよ」
「それはいつ頃、分かるのじゃ?」
「閻魔帳に生前の業が全て記されるでござる。犯人が死んで地獄にやって来た時、閻魔大王が地獄の鏡でもって、その記録を……」

千引ノ大岩の、毎度の長い『解説』が始まろうとしていたが――古代博士は、それを遮ったのであった。

「ワシゃあ、それまで待っておれんわ! 気になって気になって、死後の生活に身が入らんというものじゃよ!」
「それは困るでござる。そういう迷いがあると、未成仏霊となって現世に迷い出てしまうでござる。 神代の昔、イザナギとイザナミの間で交わされていた聖なる取り決めが、メチャクチャになるでござる」

千引ノ大岩は、墓石の顔を左右にユラユラしている。見るからに、何やら善後策を考えている――という格好だ。 そして、千引ノ大岩は再び『すまーとふぉん兼たぶれっと』の盤面を、ピポパポと打ち始めた。

やがて。

「お呼びですか、千引ノ大岩どの」

ミステリアスな闇の中、新たに『シュタッ』とやって来た影がある。何やら細長い姿かたちだ。

「おお、リュージャどの。お力添えを頂きたいのでござる。これなる古代博士が、かくかく、しかじか……」
「ナルホド、死亡現場は夜島。確かに私の管轄だね。分かったよ」

リュージャなる影が、古代博士の傍に、にじり寄って来た。歩み寄って来たのだが、『にじり寄って来た』としか言いようがない。

「……蛇か! 蛇なのか?!」

古代博士は白ヒゲをブワッと膨らませて、飛び上がった。

蛇の妖怪変化そのものなのだ。胴体は人だが、首が異様に長く、頭が蛇だ。しかも、こちらも平安貴族みたいな衣冠姿である。

――もっとも、こちらは、白い直衣に、黄と黒のまだら模様の袴という、けったいな衣装ではあるが……

「どうも。人間には『龍蛇様リュージャさま』と呼ばれてるよ。元々はウミヘビなんだけどね。 昨日、私の神社に挨拶に来てたから覚えてるが……このたびは急に往生して来たもんだね」

古代博士の脳内に、その時の記憶がよみがえった。

確かに、『夜島』に渡る前に、古代史研究グループで揃って、諸々の祈願のため、本土にある龍蛇神社にお参りしていたのだ。 ご神体は、確かにウミヘビであった――丁重に祀られたウミヘビの剥製というスタイルだが。

ウミヘビの頭をしたリュージャ様は、少し戸惑ったように、白い直衣の袖口から見える『人の手』で、ツルリとした額を撫で回した。 よく見ると、直衣の袖口は折り返されていない。腕の長さが人類のモノより異様に長いため、袖口の折り返しの必要が無いのだ。

「1年ごとに代替わりしてるもんだから、人類には詳しくなくってね。海の生き物のことなら何でもござれ、なんだけど」

ウミヘビの顔をしたリュージャ様は、墓石の顔をした千引ノ大岩と何やらうなづきあった後、古代博士を手招きし始めた。 そのまま、明るい方へ――現世の方へと引っ張って行く。

古代博士は、妙な感覚を覚えた。

――透明な風船のような『ナニカ』に、くくり付けられて運ばれているような感じなのだ。霊体を引っ張る磁石みたいなものがあるようだ。

「これから、『古代博士・怪死事件』の真相解明を始めよう。古代博士の肉体は心臓が止まってて動かないから、霊体のまま現世に出てもらうよ。 現世に出たら霊体運搬の担当――依り代が来る。人類じゃないがベテランなんでね、それで容赦してくれ」

2.呼ばれて飛び出て、猫天狗

「古代博士は事故なんかじゃありません! 殺されたんです!」

わめいているのは、古代博士の一番弟子でもある、中堅の教授だ。古代博士の研究グループの中核メンバーである。

――ここは、『夜島』から最も近い対岸、本土の港湾地区。

いつものように、早くも既に、日はとっぷりと暮れている。真冬ならではの強い寒気が入り込んだため、気温はドンドン低下していた。 町角のイルミネーションが、日本海に面した、ささやかな港町の夜景を彩っている。

港湾地区にある警察署――その聴取室では、2人の刑事が『一番弟子』と話し合っていた。

一番弟子は、古代博士の研究グループを代表して、ガンガン疑惑を申し立てていた。 そのため、警察としては『古代博士の突然死』を、事故死として扱いにくくなって困惑中なのだ。

「博士は、もともと心臓に持病を抱えてたってのに、事前に連絡も入れたのに、強制的に! 『禊は必須だから』と、 寒風の中、真っ裸にして、冷たい海にドボンと投げ入れるなんて、あんまりです!」

――叫び声とも怒鳴り声ともつかぬ大声が、窓の隙間から漏れて聞こえて来る。

その窓の傍で身を丸めているのは、大きな灰色ネコだ。 光の具合によっては、その毛皮は、神々しいまでに幻想的な銀灰色にも見える。実に不思議な色合いなのだ。

モフモフの毛皮をまとった、大きな不思議なネコは、くつろいでいると見えながら、実は三角の耳を最大限までピンと立てて、窓の中の会話に注意を向けている。

そう……この大きな灰色ネコこそが、古代博士(霊体)の依り代である!

ウミヘビの化身にして『夜島』の守護神リュージャ様は、『夜島』とその周辺の海域、および本土にある『龍蛇神社』の敷地が管轄であり、 そこから先へは移動できない。このため、本土における古代博士(霊体)の運搬は、この大きな灰色ネコが担当しているのだ。

「――しかし、『猫天狗』とは……実に、実に、『九尾の狐』の如き、妖怪変化では無いかのう……」

灰色ネコの尾に取り付くという形になった古代博士(霊体)は、毛髪の無い頭を振り振り、白ヒゲの中でブツブツと呟いた。

――少し前の刻、日没の直前のこと。

――古代博士(霊体)が、リュージャ様に連れられて、地上に戻ってみれば。

そこは、『夜島』の港を兼ねている、見覚えのある波打ち際であった。"禊"海岸とも言う。そこから先の驚きは、筆舌に尽くしがたいものであった。

リュージャ様が、白い直衣の大きな袖を格調高く振り、『依り代、来たれ』などという謎の呪文を唱えた。

すると、沖の方に見える本土の方から、何やら、ワシ類タカ類ともコウモリ類ともつかぬ影が、 夕陽のオレンジ色の光に照らされながら、ものすごいスピードで飛んで来たのである。

――金色の目のピッカピカ、いとも凛凛しき三角耳ぞ――
――風切る黒き烏羽(からすばね)、末(すえ)になびくは、奇(くす)しき六尾(ムツオ)――

急接近して来たその影は、天狗さながらに大きな翼を生やした、大きな灰色ネコであった。見るからに、人類と同じくらいのサイズだ。

そして――その大きな灰色ネコの尾は、6本だった。『六尾(ムツオ)の猫天狗』と名乗って来た。

聞いてみれば――

普通のネコの尾は1本。

巷で知られているように、『猫又』に進化したネコは2本の尾を持つ。

そして『猫天狗』に進化すると、3本の尾を持つのだ。

修行を積んで『猫天狗』としての格が高まる程に、尾の数が増える。6本の尾を持つ猫天狗は、猫天狗としては最高ランクに属する。

この6本の尾を持つ『猫天狗』が更に進化すると、7本の尾を持つ偉大なる神猫にして猫神、『七尾(ニャニャオ)』になると言う――

――古代博士の回想は、灰色ネコが急に猛ダッシュした事で破られた。

古代博士の霊体は、急加速に伴って、アメのようにグーンと引き延ばされた。ちょっと見た目には、今にもちぎれんばかりだ。

もっとも、古代博士(霊体)は、リュージャ様の『不思議な風船の術』に保護された状態で、灰色ネコの尾にシッカリとくくり付けられているから、 何かの拍子に行方不明になるというような心配は、ない。その筋に詳しい人であれば、『依り代にシッカリと取り付いている』と表現するだろう。

古代博士は目を回しながらも、霊体の形を整え、体勢を立て直した。霊体ではあるのだが、一部ながら生きていた時の感覚を引き継いでいる状態だから、 こうした急加速によるショックは、生前の時とあまり変わらないのだ。

「いきなり何じゃ、猫天狗くん?」
「2人の刑事が出て来たニャ」

灰色ネコは、戦国時代なみの高度な忍者スキルを、完璧に会得していた。まさしく忍者のように、素早く灰色の壁にピッタリと張り付き、『隠遁の術』を使って同化する。

実体のある身で、警察署のど真ん中に忍び込んでおいて、なお見つからぬ――と言うのは、この灰色ネコの、実に驚くべき忍者スキルを実証するものであった。

大きな灰色ネコが溶け込んだ灰色の壁の前を――

――2人の刑事は、金色の目ピッカピカの灰色ネコの存在に全く気付くことなく、通り過ぎて行く。

見ていると、先輩刑事の方が、ヤレヤレと言った様子で口を開いた。

「古代博士は99歳で、その上、心臓に問題があったと言うじゃないか。 冬季の冷たい水に触れて、心臓ショックを起こして死んだ――というか、不幸な事故という所だろ、なぁ」

後輩刑事の方は、素直に傾聴し、相槌を打っているという格好だ。

「あの『夜島』は、『禊』をしなければ上陸できませんからねえ。その『禊』というのが、岩だらけの浅瀬で真っ裸になって、 頭のてっぺんまで海水に浸かるという、荒行さながらのハードなスタイルですし」
「冬となりゃ、壮絶なもんだよな。あの辺りは親潮がザブザブ入って来るし、潮の状態によっちゃ、0度近い水温になってたりするからなぁ」

そんな事を話し合いながらも、2人の刑事は、向こう側にある角を回って行った。

灰色ネコは、同化していた灰色の壁からペロリと姿を現すと、尾の先に取り付いている古代博士(霊体)を振り返った。

「心臓ショックで死んだのニャネ、古代博士」
「うーむ。心臓をナイフで刺されて……と言うようなことは無かったみたいじゃのう」

ちなみに古代博士は、相変わらず素っ裸である。霊体なので、寒さを感じないのだ。

その霊体は、形状記憶合金よろしく、死亡の瞬間の状態を留めている。素っ裸なのは、死んだ瞬間、何も着ていなかったからだ。

そして49日が経つと、人間の形を失い、いわゆる『人魂』イメージさながらの、ボンヤリとした炎のような形になると言われている。

(ワシが死亡した、その時の肉体は、全くの無傷なのじゃなあ。心臓ショックで死んだ、というのが正解らしいのう)

致命傷と思しき傷痕は、何処にも無い。救急隊の人が懸命に心臓マッサージをしてくれたのであろう、筋肉のこすれた痕跡が、心臓の位置の周りにハッキリ残っている。

(じゃが、ワシは、一度や二度の心臓ショックでは死なないように、念入りに情報収拾し、準備しておったのじゃぞ?)

古代博士は、自身の霊体の様子を眺め、幾つもの疑問符を頭の上に浮かべつつ、思案に沈んだ。

人類サイズ並みに大きな灰色ネコ――『六尾ムツオの猫天狗』は、金色の目を一層ピッカピカと光らせた。

「2人の刑事の話が続いているニャネ。もう少し尾行してみるニャ」

灰色の猫天狗はヒゲをピクピクさせると、大きな黒い翼を一振りした。弾丸ショットさながらに、その大柄な体格が飛び出す。

神速と言うべきだ。目にも留まらぬ猛スピードなので、動体視力のニブい人類の目では、その姿を捉えるのは不可能なのだ。 古代博士(霊体)は、再びグーンと引き延ばされた。

猫天狗は流れるような身のこなしで、あっと言う間に次の物陰に音も無く飛び込み、2人の刑事の傍まで忍び寄る。

「――でも、変ですね」

2人連れの刑事のうち、後輩刑事の声が、ビックリする程に近くから降って来た。

古代博士(霊体)は『ワッ』と驚き、霊体をギュッと縮めて手乗りサイズほどの大きさになり、柔らかな6本の尾の間に隠れた。 実際は、霊体は普通の人の目には見えないので、小さくなる必要もないし、隠れる必要もないのだが……

この灰色の猫天狗が潜んでいるのは、廊下に並ぶ自動販売機が作り出した暗がりである。 2人の刑事は、自動販売機で缶コーヒーなどを買って、喉を潤していたのだった。

自動販売機の前で、2人の刑事の会話は続いた。

「先輩。古代博士の心臓が悪いことは、先方に事前に連絡が行ってたんですよね。 何で夜島の神職たちは、心臓の悪い老人に、『冷たい水に入れ』と言えるんでしょうかねぇ?」
「あの神聖不可侵なる夜島じゃ、『禊』は絶対なんだから、しょうがないだろ。 その結果、出て来たのは、心臓が停止した古代博士だった、と言う訳だが……」

先輩刑事は、ブツブツとボヤき続けている。合間、合間に、手帳を繰っていると思しき、パラ、パラ、という紙音が入る。

――夜島の神社の神職たちは、古代博士を殺すつもりなんか全く無かったんだし、その点は明らかだ。

――現場は大きな岩だらけの浅瀬なもんで見通しが悪いんだが、そのこともあって、神職たちは、『禊』をしてる人を個別に見守ってる状態だし。 それで、古代博士が沈んだまま浮かんで来ないことに気付いて、大騒ぎになって、本土に通報して来たくらいなんだから。

――もっとも、救急隊にしても、『禊』なしでは夜島に上陸できなかったから、古代博士のスッポンポンの老体は、 神職の若いのが担いで、救急隊のボートまで泳いで行った、という形になったそうだが。

*****

2人の刑事と、一番弟子との話し合いは、その後も続いた。

タイミングよく――古代博士の身の回り品が、かの『夜島』から、まとめて戻って来たのである。

調査室のうち一室で、2人の刑事の立会いの下、一番弟子が荷物の確認を始めた。

一番弟子は真っ赤な目をして、古代博士の遺品を整理している。にっくき『夜島』の神社の面々を有罪に出来なくて、如何にもガッカリ――と言う様子だ。

猫天狗は、毎度の見事な忍者スキルを発動している。

調査室の天井には剥き出しの鉄筋が通っており、猫天狗は鉄筋を伝って、目標となった部屋の天井へと忍び込んでいたのである。 その尾の先には、古代博士(霊体)が取り付きつつ、漂っているところだ。

「大抵のミステリ小説でいけば、『一番弟子が、まさかの真犯人!!』という話になるところニャネ」
「何とも言えんのう」

猫天狗と古代博士は、そんなことを話し合いながらも、一番弟子の様子をジッと見守った。

一番弟子が古代博士のカバンを開け、紛失したものが無いかどうか、目を皿のようにしてチェックしている。

古代博士(霊体)は、天井の辺りに漂いながら見覚えのある品々を眺め、心の底にチクリとするものを覚えた――『無念』の思いだ。

「この『夜島』の古代文化遺産の研究は、国家予算も獲得している大型プロジェクトなのじゃよ。 『海の正倉院』とも言われている、あの有名な島ほどでは無いが、それでも、日本海の古代文化の集結地じゃからの。 今回の現地調査は、直に資料を観察できて、更に映像記録もできる、貴重な機会だったのじゃ」

猫天狗は金色の目をキラキラさせて、古代博士の述懐に聞き入っていた。

「人生、何が起こるか分からんもんだニャー」

部屋の中央部にある机の上に、古代博士の荷物が次々に並んでいく。

資料撮影用の特殊カメラ。高級ブランドの腕時計。その腕時計の方には、『何とか記念』というような文字が刻印されている。

「高価なモンが、ちょこちょこ混ざってるな」

荷物確認に立ち会っている2人の刑事は、そんな事を呟きつつ、感心しきりの目つきで眺めていた。

先輩刑事が口を開く。

「――『禊』の際に身に着けてるものは全部外すんだが、島の方でも責任もって預かってるだけあって、 金目のものも、それ以外のものも、いっさい無くなってないらしいな」

古代博士(霊体)は、自慢の白ヒゲに手を当てて、ひとしきり思案に沈んだ。

「あの『千引ノ大岩』の手元に届いたとかいう死亡報告書の内容は、案外に不正確だったのかのう。事件性は無いと見えるぞよ」
「逆にアヤシイニャ。ヒゲと直感に引っ掛かるモノがあるニャ」

猫天狗は金色の目をキラッと光らせ、超感覚を合わせ持つ優秀なヒゲを、ピクピク動かした。

古代博士のカバンには、ひときわ目立つ外部ポケットがある。赤十字とハートのマークを入れたポケットだ。 一番弟子は、そのポケットに手を突っ込んだ。そして、ギョッとした顔になった。

一番弟子は、凄まじい目つきで2人の刑事を振り向いた。

「心臓の薬が無くなってます!」

*****

真夜中の丑の刻。

某国による大型ミサイル連続発射の件が世間を騒がせているこの頃ではあったが、 夜間の漁に出ていた勇敢な漁師たちが、作業の合間に、不意に空を仰いだ。

――漁師たちは、不可解なものを目撃した。

2つの妖しい光のような『ナニカ』が、ピッカピカと金色に光りながら、UFOさながらにビューンと飛び去って行く。 その後ろには、仄暗い緑の煙のような、ボンヤリした『ナニカ』がたなびいている。

漁師たちは口をポカンと開けて、複数の正体不明の『ナニカ』が飛び去って行った方向を、眺めるのみであった。その方向は、『夜島』であった。

それは、まさに、某オカルト雑誌で特集されるレベルの怪異現象なのであった。

3.ミステリアスナイトを捧ぐ

――翌日。朝から快晴。

リュージャ様と猫天狗と古代博士(霊体)は、午前半ばの陽射しがサンサンと降り注ぐ、『夜島』の"禊"海岸に集まっていた。

実は、猫天狗と古代博士(霊体)は、未明の闇をついて、本土から『夜島』に舞い戻って来ていたのである。

猫天狗は、もともとネコだけあって、夜目が非常に利くのだ。その辺の鳥類とは違って、未明の闇の中を神速で飛行することなど、ヘッチャラである。

今、猫天狗は、灰色の背中に黒い翼をお行儀よくたたんで、昨夜の調査報告をしているところだ。

リュージャ様は、報告内容に耳を傾けながらも、その蛇顔をしかめ、長々とした腕を組んで思案中という風である。 白い直衣に、黄と黒のまだら模様の袴、頭の上に平安貴族風の冠……

定番の衣冠姿なのだが、ヒトの胴体に、ウミヘビの頭部――そんな姿のリュージャ様が、長い首を不吉にユラユラさせているので、 パッと見た目には、『どいつに噛み付こうか』と考えているようにも見える。

ほどなくして、猫天狗の調査報告が一区切りついた。

猫天狗の金色の目が、キラリと古代博士の方を向く。スフィンクスさながらの姿勢を取りつつ、猫天狗は、ゆっくりと口を開いた。

「古代博士。心臓の薬は、カバンからすぐに取り出せるように、目立つ外部ポケットに常に突っ込んであったのかニャ?」
「その通りじゃよ」

古代博士は、釈然とせぬ気持ちながらも、猫天狗の質問に応じる。

「何を考えているのかの、猫天狗よ? 心臓に問題を抱えている人が、発作に備えて心臓の薬を持ち歩くのは普通のことじゃよ。 今回は遠出じゃったし、知らない人でもすぐに分かるように、赤十字とハートのマークを入れた救急ポケットを準備していた……と言う次第じゃが」

リュージャ様が口を挟んで来た。

「古代博士、最悪の事態のことをよく考えてたんだな。心臓が止まって一時的に失神した場合は、『薬を出してくれ』って言いたくても言えないしね」
「うむ、『夜島』の神職たちの、"禊"に対する大変なこだわりは、地元の人から良く聞いていたからのう。 イヤ、流石に伝統の力と言うべきか、古代の文化風習が良く残っていると感心しているのじゃよ」

そんな古代博士の様子をシゲシゲと眺め、リュージャ様はポソリと呟いた。

「灯台下暗しというアレかな。人類は、自身のことは案外、見えないものだと言うがねえ」

疑問顔で振り返った古代博士を、リュージャ様は手招きした。 古代博士の素っ裸の霊体を、『風船の術』でくくり付けて、海岸を歩き出す。猫天狗が、訳知り顔で後を付いて来る。

リュージャ様は、"禊"海岸の一角――岩場に囲まれた浅瀬の前に立った。冷たい波しぶきが上がっている。

「くだんの死亡報告書を出して来た、現場の海岸の眷属たちに確認したんだがね、古代博士。ここが、古代博士の死亡現場な訳だが」
「ほほぉ。心臓ショックのせいか、ワシには記憶が無いのじゃが。何となく見覚えがあるぞよ。この辺で、確か素っ裸になって、水の中に入ったんじゃよ」

古代博士は、そこでギョッとして、サッと振り返った。

「リュージャの眷属とは、一体、何じゃ?」
「フジツボとか、ヒラメとか、ケサランパサランとか……まぁ色々だよ。死亡報告書に特記事項を記して来たのは、そこの棲息……幾つかの貝類だ」
「貝類じゃと?」

古代博士は、呆気に取られた。

リュージャ様は、古代博士の驚愕には取り合わず、すぐそこにある岩場の隙間を、長々とした腕の先にある『人の手』で指差した。

岩場の隙間に、何やらキラリと陽光を反射する、人工物がある。見るからに――薬のパッケージだ。

「それが、くだんの心臓の薬ニャネ」

目の鋭い猫天狗が、早くも指摘した。リュージャ様は渋い顔で、うなづく。

「古代博士を送り出した後、こちらでも、ちょっと調査をしたんだ。 この辺りのフジツボ君からの『人類が、なぜか見逃した物がある』という追加の報告が無きゃ、気付かなかったな。 普段は、神職たちが島全体をキッチリ清掃してくれるんで、あんまり注意を払ってなかったよ」

古代博士は、首を傾げた。

「しかし、ここにある、ということは……ワシが心臓麻痺を起こした後、救急隊の誰かが薬を取り出して来た……ということでは、ないかの」
「あの報告書には『本土版』もあってね、古代博士。救急隊の面々は、『夜島』に上陸していない。 したがって、古代博士のカバンを拾って、くだんの外部ポケットを開けられたはずが無いんだよね」

リュージャ様は、5パターンくらいの『渋い表情』を、連続でクルクルと変化させていた。顔がウミヘビなのに、表情豊かだ。

岩場のてっぺんに上がっていた猫天狗が、「ニャー」と鳴いた。

「本土の刑事たちが、渡し舟で近づいて来ているニャ」

*****

――渡し舟が、ポンポンポン……というエンジン音を響かせながら、近づいて来ている。

本土の警察署ご用達の渡し舟だ。

その甲板には2人の刑事がいて、操舵室には船頭を務める1人の刑事がいる。ちなみに甲板の2人は、昨夜も見かけた先輩刑事と後輩刑事である。

2人の刑事は、寒風にさらされて鼻を真っ赤にしながら、何やら額を合わせて手帳を繰っていた。

猫天狗は、不意に古代博士を振り向いた。

その灰色のネコ顔には、『不思議の国のアリス』に出て来るチェシャ猫さながらの、『ニヤニヤ笑い』が浮かんでいる。

「ちょいと、現世に干渉してやろうじゃニャイか?」

古代博士はポカンとした。ポカンとしているうちに――

――猫天狗の灰色の毛皮全体が、神々しい銀色に輝き出した。

猫天狗は、全身キラキラと銀色に光りながらも、まさに『不思議の国のアリス』のチェシャ猫よろしく、6本の銀色の尾から、みるみるうちに消失して行った。

6本の尾がかき消えると――銀色の後ろ足が、次いで銀色の前足が、スルスルと消えた。

つややかな黒い翼がシューッと消え、羽ばたき音のみの存在になった。

胴体が銀色のさざめきとなり、ユラリと消えた。

最後に残った銀色に輝く頭部もまた、キラキラ、ジワジワと消えて行った。

金色の目ピッカピカの、銀色の『ニヤニヤ笑い』が、最後まで空中に漂っていた。

古代博士は目を剥いた。

――渡し舟は、『夜島』にギリギリまで近づける場所、風の勢いや潮の流れが緩やかになるポイントに陣取っている。

真冬だけあって、猛烈に風が冷たい。

沖の流木が風に吹き寄せられて、ポイントに集まっていた。 後日、専門業者が拾っていく予定のその集団を、渡し舟は器用に回避している。操舵室に居る刑事は、なかなかの腕前だ。

甲板に出ている2人の刑事は、防寒着でムクムクになっている状態だ。島に上陸するには、『禊』が絶対である。 できれば冷たい海の中には入りたくない、そんな俗世間の刑事たちは、渡し舟に乗ったままなのだ。

渡し舟に気付いた神職の若いのが5人ばかり、刑事たちへの対応のため、波打ち際まで出て来た。

若い神職たちの、お揃いの白い狩衣の袖が、バタバタとはためいている。

この寒風の中で防寒着をまとっていない状態だから、普通の人間だと、まず凍えるはずなのだが……若い神職たちは、 かねてから強健な身体をなおさらに鍛えているのか、まさに気合で堪えている――という様子なのであった。

こうして眺めてみると、息を呑むほどに対照的な光景である。

古代博士(霊体)はリュージャ様と並んで、波打ち際の岩場の陰から、ハラハラして見守るのみだ。

――猫天狗は、何やら余計なことを思いついたらしいのだ。

目下、その猫天狗は、超絶的なまでの忍者スキルでもって、銀色の『ニヤニヤ笑い』のみの透明な存在と化して、岩場の辺りに漂っているところだ。

猫天狗の超高速の霊妙な羽ばたき音は、謎の忍者スキルを施されているらしく、全くといって良いほど聞こえて来ない。 ここまで来ると、もはや忍者スキルではなく、神通力そのものである。

渡し舟の刑事たちと、波打ち際に集まった神職たちとの間で、身振り手振りが続く。

ほどなくして、両者の間に了解が成り立ち、メガホンを含む音響機器がそれぞれ用意された。

2人の刑事のうち、先輩刑事の方がメガホンを取り、『夜島』の神職たちに呼びかけ始めた。

「古代博士の心臓の薬の行方を捜してんだー。島の中には無いのかー?」
「夜明けに一度、清掃しましたが、見かけておりませんよー。見つけたら連絡しますからー」

神職たちもメガホンを取って応答し始めた。メガホンの音量を『最大』に調節しており、渡し舟の面々との間に、ちゃんと応答が成り立っている状態だ。

波打ち際の岩場が、メガホンの大音量にさらされて、ビリビリと震えている。

刑事たちはメモを確認し、更なる質問項目を、がなり立て始めた。

潮流が変わり、大波がザッブンと来た。流木の集団が潮に流されて、"禊"海岸の岩場に、ガツンとぶつかった。

――それは、突然だった。

どっかーん!

「何じゃい?」

その場にいた全員が、目と鼻と口を丸く大きく開いて、棒立ちになった。

何と、『禊』に使われている波打ち際の一角が、大爆発したではないか……!!

*****

その日のうちに、『夜島』の周辺は大騒ぎになった。

本土から来た警察署の増援の面々は勿論、騒動を聞き付けた地元のマスコミも、ワラワラとやって来ている。『夜島』周辺の海域は、渡し舟で一杯だ。

爆発現場からは、古代博士の心臓の薬が、速やかに発見された――という次第である。

やがて、夕方も近い頃。

――『古代博士から心臓の薬を取り上げて、岩場に隠した』との容疑で、2人ばかりの神職の若いのが、手錠を掛けられ、 連行され、警察署ご用達の渡し舟に押し込められた。

更にメガホンを通して得られた言質を分析した結果、 『夜明けの清掃で、本当に薬パッケージを見つけられなかったのか?』という矛盾が取り沙汰されることになった。 『組織的な隠蔽があった』という可能性も出て来たため、夜島神社の残りの神職たち全員が、重要参考人として引っ張られて行ったのであった。

かくして。

謎に満ちた『古代博士・怪死事件』すなわち『波打ち際の"禊"事件』を、一気に解決にもっていった名探偵――猫天狗は、 岩場のてっぺんに2本足で立ち上がり、得意満面で演説をしていると言う次第だ。

「ちょいと化学的な話になるのだがニャ、心臓の薬って、ニトログリセリンで出来てるのだニャ。8度で凍り、14度で融ける化学物質だニャ。 こいつは、ちょっとした振動や摩擦で爆発しちまうという、爆薬としての性質も持ってるのだニャ。 医薬品では、添加物を加えて安定させているのだがニャ、これを六尾(ムツオ)の猫天狗さまの『神技』で、 ニャニャンのニャンと、不安定になるように加工して――」

古代博士(霊体)は、生前の時のようにワナワナと全身を震わせ、猫天狗の方を、強張った顔つきで眺めるのみである。

ついに古代博士は、白ヒゲをブワッと膨らませ、額に青筋を立てて怒鳴った。

「貴重な文化遺産の島で、心臓の薬を非合法的手段で加工して、大爆発させるとは……!」

リュージャ様が『まぁまぁ』という風に、古代博士をなだめに来た。

「ありゃ、本当は幻覚だよ。地元のマスコミは、UFO話とか幽霊話とか……『口裂け女の騒動』と同じレベルで、アレコレ書き立てることになるんだ」
「幻覚じゃと?」

毛髪の無い頭からの湯気が止まらない、スッポンポンの古代博士(霊体)である。

猫天狗は、「さすがに、悪ふざけが過ぎたかニャ……」と呟き、前足で灰色のネコ顔を撫で回した。次に、2本の前足で、『忍術の印』を組んだ。

「ヌンッ! シャーッ!」

猫天狗が背中の黒い翼を震わせ、6本の尾をピンと立てて、ナゾの気合を発すると――

――アラ、おどろき、爆発で黒焦げになっていたはずの現場の一角が、元通りになったではないか!

「どういうことなんじゃ?」

さすがに一瞬、怒りを忘れた古代博士であった。リュージャ様が口を開く。

「あとで、千引ノ大岩が解説してくれると思うんだけどさ。人類の最近の発明で、VR(仮想現実)技術ってのが注目されてるらしいね。 ラノベのコーナーでも、VRMMOジャンルが人気を博しているそうじゃないか」

猫天狗が追加の説明をして来た。

「VRMMOの仕組みを流用しただけだニャー。人類の認識システムを、ニャニャンのニャンッと刺激したのニャ。 古代博士も、49日の間は人類バージョンの認識システムを保持している状態だから、共鳴しただけだニャ」

古代博士は、天をも仰ぐ気持ちになったのであった。

そこへ、折よくと言うべきなのか――かの千引ノ大岩が、ユラリと現れて来た。 毎度の如く、白い直衣を優雅に身にまとっていて、その顔は神々しいまでの墓石だ。

「おのおのがた、大儀でござる。古代博士の死亡報告書の不明項目は、ほぼ解消されたでござる。これで安心して、死出の道へと旅立てるでござるね? 古代博士」

古代博士は顔をしかめた。

「それにしても……何で『夜島』の神職たちは、ワシの心臓の薬を、こっそりと抜き取っていたんじゃ?」

千引ノ大岩は、墓石の頭をユラリとさせて、人間が思案する時によくやるように、あごと思しき部分に手を当てた。

「いわゆる『正義』の観念が、化けてしまったのでござるな。古今東西、信仰に熱心な善人たちには、よくある現象でござる」

猫天狗とリュージャ様が、揃って「ウンウン」と、うなづいている。

「真っ裸で冬の海に入っても、全然へっちゃらな連中だからニャー」
「そうなんだよねえ。『禊』にコダワリ過ぎちゃったんだな。あの人たちは警察署でも、『自分たちは正しい事をしていた』という言い分を通してるよ」

猫天狗が、古代博士を改めて振り返って来た。金色のピッカピカの円弧になったのが、2つ並んでいる。

「実際、彼らには、殺意は全く無かったのニャン。未必の故意があった、と言う訳でもニャイ――貝類やフジツボが気付いた、 この違和感とミステリーは……たかだか500万年の歴史しかない人類たちには、多分、お手上げニャネ?」

猫天狗が、謎めいたウインクをして来た。

「人類は、まだまだ進化していかなきゃならないのだニャ」

古代博士は目をパチクリさせた。

――辺りは、いつの間にか、既に日が暮れている。冬の日は短いのだ。 波打ち際の向こうに見える東の空には、いつものように、夜のカーテンが広がり始めていた。

この夜、ついに古代博士は、千引ノ大岩に手を引かれて、黄泉平坂を越えていく。その霊体は、いつの間にか、死装束をまとっていた。 現世の遺族や研究仲間たちが用意して来た物なのだ。

猫天狗はリュージャ様と共に、そんな古代博士を見送るのであった。

古代博士は、ふと、感慨深く現世の方を振り返った。猫天狗とリュージャ様が、まだそこに居る。

猫天狗の灰色の顔には、『不思議の国のアリス』に出て来るチェシャ猫さながらの謎めいた笑みが、いつまでも浮かんでいた。

―《終》―

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深森の帝國