深森の帝國§総目次 §物語ノ傍流 〉妖怪隠密・猫天狗が笑う!〜ウサミミ地蔵の不可思議を起こせし事

妖怪隠密・猫天狗が笑う!〜ウサミミ地蔵の不可思議を起こせし事

道照(どうしょう)は、豪雪地帯の山腹にポツンとある寺社で修行する青年僧だ。 師匠と兄弟子は、お国のお殿様からの急な仕事の依頼で山を降りており、道照が一人で留守番をしている。 静かな留守番の日々…の筈だったが、その日、吹雪の夜が明けると――山の方からデカい雪玉が転がって来て、お堂に突っ込んで来たのだ! その雪玉の正体は…そして、続いて寺社の居候となった謎のウサミミ少女の背後には、何やら不穏な事情があるようで…?!

  1. 何かが山からやって来た
  2. 迷子の迷子のウサギちゃん
  3. 疑惑が疑惑がポポポポーン
  4. クロヤギさんたら読み上げ食べた
  5. 行きはよいよい帰りはこわい
  6. うしろの正面だぁーれ
  7. 何かが山から去ってった

(2018/02/04〜2018/02/10公開、29,880文字)

1.何かが山からやって来た

豪雪地帯の名物の吹雪が終わり、夜明けと共に一面の雪原がきらめいた。

脊梁山脈を成す純白の連嶺が、黄金色の日の出に照らされて真赭色と紫紺色に燃えながらも、雄大に広がる。

厳しい冬だ。クマや鹿、狼などの出る森が山脈全体を覆っているが、山の頂まで迫っているブナの森林はすっかり葉を落としていた。 麓から見る山々は、遠目には、ほとんど真っ白である。

*****

雪深い山腹を走る峠道の辺り。その方角から、何やらゴロゴロ……という音が響いて来る。

それが、異変の始まりであった。

――ゴロゴロ、バキバキ。

途中にある細い下枝をへし折りながらも、ゴロゴロという音は続く。

そして――遂に、その異様な物音の正体が、山腹のブナ林の間から勢いよく転がり出た。 バキバキと言う道連れの装飾音は無くなったが、ゴロゴロ……という音の重量感は、ますます迫力の度を増している。

――それは、雪玉なのであった。元々、山の斜面の上に雪が盛大に積もっていた事もあり、それは既に、人を飲み込む程の大きさに達している。

雪玉は猛烈な勢いで山の斜面を転がり続け、好き放題に新鮮な積雪を巻き付けながら、 山腹を縫うように施工されている原始的な石畳の道に、『フワン』と激突した。その勢いで表面の雪はボロッと削れたものの、本体には全く響いていない。

石畳の道は、この山奥ならでは荒々しい舗装ではあるが、よく見ると参道らしき物である。 近所の者が既に除雪作業を済ませていたのだ。そこには、一人が歩ける程度の、一筋の溝が出来ていた。

素晴らしい精度で参道の中央部の溝にハマり込んだ雪玉は、そのまま道脇に並ぶ樹林にはぶつからずに、参道をゴロゴロと転がり続けたのであった。

参道を抜けると、境内である。

神社と仏閣が一体化した、この小さな宗教施設の境内の中は、神社様式の置き物と仏閣様式の置き物とが、てんでバラバラに混在している。 近ごろ流行っていると言う『札所巡礼』にも対応できる様式である――あっちに小型の鳥居&簡易型の祠、こっちに小さな五輪塔&お堂……

雪玉は、てんでバラバラに置かれている障害物を次々に避けていたが、遂に、その驀進(ばくしん)して行く先と、小さなお堂の一つとが交わった。

――バリバリ、ドシャーン、バキ・ボキ・バキ……

お堂の正面扉を兼ねていた格子戸は、見る影も無い程に粉砕される。

雪玉もまた粉砕し、大量の雪が飛び散る――お堂の床が真っ白になる。

お堂の奥――小さな階段を備えた台の上に、ささやかながら仏像三体が安置されている。

猛然と飛び込んで来た雪玉は、仏像が乗せられている台に、ドドンと正面衝突した。

勢いこそ充分に削がれていたものの、その衝撃は、台全体をゆるがした。 最大でも三尺(一メートル)程度の大きさに留まる三体の木製仏像は、揃って、蓮の花を模した三つの台座と共に、ガタガタと跳ねた。

*****

ゼイハアゼイハア言いながら参道の雪かきを済ませ、今しがた母屋に戻って来たばかりの、若い修行僧が居る。

名前は道照(どうしょう)。

豪雪地帯の真ん中のお国の――それも山奥の――このうら寂れた寺社で、一人ぼっちで留守番をしている青年だ。

「師匠と兄弟子は、もう麓(ふもと)に着いたかな」

道照(どうしょう)は、久し振りに晴れ上がった朝の空を見上げた。

峠道に沿って、ささやかな谷を三つほど踏み越えて降りて行った先の麓、お国の城と城下町は、目下、大事件で揺れている。

お国のお殿様の寝室に、デカイ化け猫が出たと言うのだ。一緒に添い寝していた奥方様が悲鳴を上げたり、 召使や警備のサムライたちが右往左往したりと、散々な騒ぎになった。それに、化け猫騒動に合わせて、千両箱が幾つも失せたと言う。

そういう訳で、霊験あらたかな事で高名な師匠が、化け猫退治に駆り出されたのである。 兄弟子は、師匠の付き添い世話役、兼、助手だ。化け猫を退治するため、お殿様やご家老ともども作戦を練る必要があるという事で、長く留守にしているところだ。

(昨夜は凄い吹雪だったし、この分じゃ谷の一つや二つは埋まってるな。 一日でも予定がズレていたら、師匠も兄弟子も、山の中で吹雪に巻き込まれて散々だったに違いないや)

道照(どうしょう)は、ふうっと息をついた。

(それにしても、我が師匠の天候予測は大したもんだ。座禅修行の効果だか何だか知らないが、妙な霊能力だか、神通力だかが、バリバリある御方だよ。 何年前だったか、祈祷で本当にお殿様の病気を治したという、ガチの事実もあるし。師匠は――……)

――バリバリ、ドシャーン、バキ・ボキ・バキ……ドドン!

「何だ、あの音は!?」

ただならぬ破壊音だ。何処から……あのお堂だ!

道照(どうしょう)は、駆け出した。不審者に対する用心のために、竹箒を持って。

境内のささやかな巡礼路の雪かきは後回しだったから、隣のお堂に駆け付けるにも一苦労だ。

(確か、あのお堂の中には、このうら寂れた寺社において唯一の宝物である神仏習合モノの山神の、阿弥陀如来像、一体と、左右の菩薩像、二体が……!)

――積もりたての雪は走りにくい!

「どうしよう、どうしよう」

どうしようも無い事を繰り返し喚わめきながらも、道照(どうしょう)は竹箒を竹槍に見立てて、お堂に飛び込んだ。

お堂の扉となっている格子戸は見る影も無い程に粉砕され、周りにはビックリするような量の雪が散乱している。

薄暗い奥の方に、雪のカタマリが見える。雪玉が飛び込んで来ていたのだ。

いったん振り返って、雪玉が来たと思しき方向を確認してみれば、そこには雪玉の軌跡がクッキリと残っている。参道の方から転がって来た事は明らかだ。

参道には、道照(どうしょう)が苦労して雪かきして開いた溝が通っている。

雪玉は、この一本道の形をした溝にハマり、ブレる事無く転がって来たのだ。

(昔、李白が「此地一たび別れを爲し、孤蓬萬里を征く」と吟じたと言うけれど、 一体、何処からやって来たんだか、此処にあるのは、転蓬じゃ無くて雪玉だよ……)

何たる奇禍。頭痛がして来る――

道照(どうしょう)は坊主頭をさすりながらも、お堂の中を慎重に見回した。

見るからに、人の大きさ程もある雪玉が突撃して来た事は明らかだ。雪玉の本体は、お堂の奥の台座を直撃していた。 雪玉の本体は、そこで、パックリと真っ二つに割れているのであった。

「どうしよう、どうしよう」

道照(どうしょう)は頭を振り振り、台座や、台座の上に乗っている三体の仏像に被害が無いかどうか確認し始めた。 ついでに、手に持っていた竹箒で、出来る限り雪を払っておく。

――幸いな事に、台座がズレたりしている他には、特に大きな被害は無いらしい。

(あらたかな神威仏徳、これこそ霊験と言うべきか)

道照(どうしょう)は「南無」と手を合わせた。

雪玉がぶつかった時の衝撃のせいだろう、お供え物の干し柿が飛び出してしまっている。 道照(どうしょう)はお供えの台の位置を直すと、干し柿を再びその上に安置した。

そして道照(どうしょう)は取り急ぎ、お堂を出て、雪かき用の道具を収めている納屋へと走った。

――実を言えば、道照(どうしょう)は、この時、パックリ割れた雪玉の周辺を、もっとシッカリと確認するべきだったのである。

2.迷子の迷子のウサギちゃん

――はあ。全く今日は、朝っぱらから何という日だろう。

再び袖にたすきを掛けながらも、道照(どうしょう)は、ため息が止まらない。

そろそろ朝ごはんが炊き上がる頃だ。

道照(どうしょう)は納屋から雪かき道具を引っ張り出して来たものの、それをお堂の前に差し掛けておくと、母屋に戻り、かまどの火を始末した。

腹が減っては戦が出来ぬ。

道照(どうしょう)は、味噌を詰めただけの簡単なオムスビで朝食を済ませた。ただし、かなり大きなオムスビであり、残りは昼食用に取り分けておく。

その後、道照(どうしょう)は気合を入れ直し、再びお堂へと乗り込んで行ったのであった。

「格子戸は既に粉砕されているから、ゴザか何かで代えるしか無いかなぁ」

そんな目論見をブツブツと呟きながらも、道照(どうしょう)はマメマメしく働き出した。 師匠には妙な霊能力――ないしは神通力――があり、道照(どうしょう)が怠けていると、何故か、すぐにバレてしまうのだ。

十二畳ほどの広さしか無い小さなお堂に入り、ご神体でもありご仏体でもある木像三体に向かって、うやうやしく一礼する。

三体の仏像は、いずれも三尺(一メートル)程度の小さな物でしか無いが、名のある仏師が彫刻したと云い伝えられているだけあって、精巧な出来だ。 光の具合によっては、本当に生きているように見える。 中央の阿弥陀如来像のご尊姿は別にして、両脇に控える立ち姿の仏像は、より人間に近い――童姿とも見える――親しみのある姿かたちである。

道照(どうしょう)は、諸々の作業を始めようとして――すぐに違和感に気付いた。

――お供えの台に戻した筈の、干し柿が消えている。

「タヌキか。それともキツネなのか!?」

道照(どうしょう)は取り急ぎ、お堂の外に顔を出し、それらしき獣の足跡の有無を確かめた。 放っておけば、恐ろしいクマだって狼だってやって来るのだ。山の中の寺社というのは、案外、危険で一杯なのである。

――特に、獣の侵入の痕跡は、無い。

だがしかし、道照(どうしょう)の直感を、しきりにつつく物がある。

明らかに、お堂の中には何かが居る――そんな気配がしてならないのだ。

――お化けとか、幽霊とか、人食い妖怪とか……?

道照(どうしょう)の心臓は、早鐘を打ち出した。

まばゆいばかりの青空が広がり、太陽が既に空高く上がっている時刻にも関わらず、新たに妖しい闇が広がったような気がする。 此処に来たばかりの見習い小僧だった頃、兄弟子に『肝試し』と称して数々の怪談を聞かされた末に、夜の便所に行けなくなってしまった事は、 今だに道照(どうしょう)の黒歴史だ。

竹箒を改めて構え――目をギュッと細め、暗がりを注目する。

確かに何かが居て、こちらを窺っている様子だ。床一面に散乱した雪玉の破片を踏み分け、そっと一歩踏み込んでみると、 見知らぬ息遣いは、パッと後ずさったような気配を見せた。

――あそこか……

大胆にも、三仏像が乗っている台座の裏側に入り込んでいるのだ。罰当たりな奴だ。

その台座をぐるっと回った先にも、ささやかな階段になっている段差があって、後ろの壁との間に、 隠れんぼに最適な空間が出来ているのだ――例えば、小さな子供が隠れるのに最適な。

不審者や大型動物にありがちな、ピリピリ、ジワジワと来るような、攻撃的かつ胡散臭い気配では無い――

見知らぬ侵入者も、道照(どうしょう)と同じように、緊張で心臓をドキドキさせているらしい。

――こちらに分あり、らしい。

道照(どうしょう)は、大きく息を吸い込んだ。

「――喝ッ!!」
「びゃあッ!」

叫び声なのか泣き声なのか良く分からない悲鳴が上がった。小さな人影が飛び上がり、物の弾みで、裏側の階段から転げ落ちて来た。 器用に、一段ずつ、段差に頭を打ち付けながら。

道照(どうしょう)は、すぐさま三仏像の裏側に駆け付けた。

その道照(どうしょう)の足元を、灰色の野良ネコのような影がサーッと走り抜けて行く。

瞬く間の事であったが、そのネコは、お堂の入り口の向こう側に身を潜めた様子だ。

正午に近い陽光が降り注いでいるため、道照(どうしょう)から見える所に、ネコの影が延びていた。その尾は、三本も四本もあるように見える。

――尾が何本もある? 化け猫……!?

一瞬、ギョッとしたものの――今は、三仏像の裏側の段差の下に落っこちた人物の正体を暴く方が、最優先だ。

身を伸ばして、段差の下の床に、素早く目をやる。連続打撲で朦朧とした小さな人影が、段差の下で、逆さまにひっくり返っていた。 小さな藁ぐつをはめた小さな足が、天井を指している。

近寄ってみると、やはり子供だ。身にまとっている蓑は二枚重ねだ。一つは子供用の小さな蓑で、そこに大人用の蓑を重ねてある。 厳しい冷気をしのぐためか、親が余計に重ねたらしい。外側の蓑は大き過ぎてブカブカしており、雪が不自然なまでに一杯張り付いている。

五歳か――六歳くらいの、それも、割と可愛い顔をした女の子だ。

転がり落ちた際にズレた蓑の隙間から、すり切れた藍染の着物が見える。そこには、女の子らしい赤い色の刺し子が施されていた。

道照(どうしょう)は暫し首を傾げた後、少女の背中部分をむんずとつかんだ。

宙づりにされた格好になった少女は、真っ赤になって「アワアワ」と言いながら、ジタバタし始めた。 元来お転婆な気質に違いない――隙を見て逃げ出そうと決心しているのは明らかで、道照(どうしょう)に向かって時折、可愛らしい足を蹴り出して来る。

「お供えの干し柿、食ったな?」

ジト目で睨んでやる道照(どうしょう)。

少女は不意に大人しくなり、『しまった』と言ったような顔つきになって、首をすくめた。 その口の周りには、急いで口の中に干し柿を入れたに違いない、甘味の欠片がくっ付いていたのであった。

小さな少女は、防寒用のほっかむりでもって、おかっぱ頭を包んでいる。

確かに防寒用の、ドウという事の無い、染めすらしていない質素な手ぬぐいを利用した、ほっかむりなのだが――よく見ると、 母親が面白がってそうしたのか、それとも少女のおねだりに応じての事か――頭のてっぺんに来る所に、詰め物をしたウサミミが縫い付けられていた。

――迷いネコ、と言うか、迷子のウサギ、いや、迷子のウサコだ。

やがて、奇妙な音が響いた。

――きゅう……るるる。

この音は、もしかしてウサコの腹から出ているのだろうか。道照(どうしょう)はウサコをジロリと眺めた。

ウサコは次第に涙を一杯溜め、小さな身体をプルプル震わせ始めた。

睨めっこをしているうちに――道照(どうしょう)は、遂にブハッと吹き出した。

「腹、減ってるんだろう?」

少女は、コックリと頷いた。そのほっかむりに縫い付けられたウサミミが、ピョコンと揺れた。

*****

母屋の囲炉裏の傍。

小さなウサコは、お腹が一杯になると、すぐに『うつらうつら』とし始めた。

舟を漕ぎ始めた頭の動きに合わせて、ほっかむりに縫い付けられていたウサミミが、ユラユラと揺れ始める。

――この『ウサミミ付ほっかむり』は、ウサコの母親が、養生所に入所している間に、ウサコ用の冬季の防寒具として作ってくれた物だと言う。 素人目に見ても、なかなか達者な針仕事だと分かる。ほっかむりをした時に、頭のてっぺんの位置にウサミミが来るように、上手く縫い付けられてあるのだ。

ウサコ母は、少し前までは元気だったが、今は難しい病気にかかっているらしい。 ウサコ母はお国の養生所に幸いに入れたのだが、月をまたぐ入所期間となっている。 更に高価な薬代も必要となったらしく、父親は毎日、遅くまで仕事をしていると言う。

ウサコが、吹雪く夜の山道に耐えられたのは、母親の愛情のこもった、『ウサミミ付ほっかむり』のお蔭もあるに違いない――

道照(どうしょう)は囲炉裏の近くにウサコを寝かせると、身体が冷えないように、ワタ入りのカイマキを被せた。

少女の眠りは、すぐに深くなった。

ウサコは――驚いた事に、ウサミミの付いたほっかむりが定番の格好だったせいか、 隣近所の人たちにも「ウサコ」と呼ばれていたらしい――余程お腹が減って疲れ切っていたらしく、 どうやって此処に来たのかについては、余り要領を得た説明になっていなかったのである。

――厄介なモノを抱え込んだので無ければ良いんだが。

小さなウサコの、要領を得ない身の上話を何とかして繋いでみると、こういう事らしい。

昨日、少女は、父親に連れられて城下町を歩いていた。何故、山に入る事になったのか、その理由までは分からない。 少女は、いつの間にか父親から離れた――はぐれた。 そして、城下町で迷子になっているうちに日が暮れ、更に道を外れて、吹雪く山の中に突っ込む羽目になったのだ。

間違いなく――ウサコは、相当の方向音痴である。

山に入って吹雪に巻き込まれた方向音痴の少女は、当然ながら、そのまま山の中で道を見失って、さ迷った。

お腹も空いて来て途方に暮れていたところ――金色の目ピッカピカの、尾が四本も生えている、不思議な『招き猫』が出て来たと言う。

不思議な『招き猫』に、「おいで、おいで」と言う風に招かれ、ウサコは山道を進み続けた。

そのうち、峠道の何処かで足を踏み外し、崖の下と思しき方向へ、ゴロゴロと転がり始めた――らしい。

雪玉に閉じ込められつつゴロゴロと転がっていた間は、都合よく失神していたらしく、余り記憶が無いと言う。

――かくして、雪玉ごとお堂の中に突っ込んで、雪玉がパカッと割れて、かの伝説の桃太郎よろしく、ウサコは外に出て来られた。

そして、今に至る訳だ。

「こんな事って、本当にあるのかねぇ」

散乱したお堂を片付けながらも、道照(どうしょう)はボヤいた。

太陽は既に真南を過ぎていた。真冬ながら久々に好天に恵まれた、のどかな昼下がりである。 いずれ二、三日も経たないうちに、次の荒天が到来するだろうけれども。

世に不思議な出来事は数多あるだろう。

しかし、あんな年端も行かぬ少女が、吹雪の日に山の中に放り出されて、それでも一晩生きていられたとは、 これこそ『事実は小説よりも奇なり』で無くて何だと言うのであろう。

――吹雪の山の中に放り出された。しかも日が暮れる時間帯に、だ。

道照(どうしょう)は、ウサコ父と思しき人物に対し、大いなる不審を抱き始めた。

「まるで、子捨てじゃ無いか」

この辺りは、貧しい土地が多い。貧しさに耐えられず、子供を売る親は居る。行く先は、女の子の場合は遊郭である事が多く、 男の子の場合は鉱山労働などといった類の、キツイ仕事先である事が多い。それでも、子供の行き先がある分、なけなしの慈悲はあるとは言えよう。<;p>

だが、これから吹雪く事が分かっている山の中に、猟師の跡継ぎでも無い、普通の町育ちの女の子を追いやると言うのは――

3.疑惑が疑惑がポポポポーン

「……道照(どうしょう)さんって、『どうしよう』が口癖だから『どうしょう』さん?」

――図星だ。

道照(どうしょう)は、ナニゲにグサッと来るものを感じた。

ウサコの、覚醒後の第一声が、コレだ。

白河夜船の間、夢の中で『どうしょう』の名前の意味を考えていたのだと言う。 流石、昨夜の吹雪を生き延びた機転の持ち主と言うべきか、余計な所で妙に頭の回る子だ。

だいたい、かの師匠には、妙な趣味があるのだ。 兄弟子がその名の由来を早くも察して、意味深にニヤニヤしていたのは、今だに切歯扼腕の気分にさせられる記憶だ。

――どうしようかな。

道照(どうしょう)は、自分の名前の由来となった呟きを、相も変わらず脳内で繰り返した。

囲炉裏の傍にちょこんと座り込んだウサコは、まさしく草を食むウサギみたいに口をモグモグさせて、大根の葉っぱのお味噌汁を消化している。

囲炉裏の周りには、おひとり様に加えてお子様一人分に増えた夕食の献立が並んでいる。

精進料理なだけに、一般家庭の献立と同じという訳にはいかないのだが、妙に感心させられる事に、ウサコは一言も文句を言わない。 或いは、下層階級の出で、こういう質素な食事には慣れているのだろうか。

本来ならば、城下町に住んでいるという父母の元に速やかに帰してやるところだ。 しかし、折悪しく、吹雪によって唯一の交通路が寸断されており、簡単に山麓にある城下町まで降りられる状況では無い。

そして、此処の寺社の最高責任者である師匠は、兄弟子と共に不在だ。用件が用件だけに、二日や三日で帰還して来られる見込みは、無い。

――考えても埒が明かない。

道照(どうしょう)は、腹をくくる事にした。

明らかに、まだ十歳にもなっていない女の子だ。暫くの間――数日の間――、この寺社で預かるのだ。

積雪の状態がもっと落ち着いて、猟師でも何でもない素人でも何とか山の中を行き来できる状態になったら、師匠と兄弟子も戻って来る筈だ。 そしたら、彼らに事情を説明して、この子を城下町に返そう。

一旦、方針が決まれば、後はやるべき事をやるだけだ。

道照(どうしょう)は先に夕食を済ませると、風呂場のタライに湯を張った。 そうして、ウサコが夕食を済ませた頃合いを見計らって、ウサコを風呂に入れた。

結論から言えばウサコは、聞き分けの良い子供であった。

ウサミミを付けたほっかむりに愛着があるのか、 ウサミミを外す事については少し抵抗したものの、「洗濯してやる」との言葉には、素直に「ヨロシク」と頭を下げたのである。

「ウサコ、何歳だい?」
「六さーい……」

ウサコは、身体が温まって眠くなって来たのか、答えの後ろ半分は欠伸と一緒になったのであった。

*****

――深夜。

母屋の囲炉裏の近くに布団を敷いて、すっかり熟睡していた道照(どうしょう)は、顔をペチペチ叩かれたり、肩をユサユサと揺さぶられたりするのを感じた。

「うるさい……」
「起きて、ねえ、起きて」

ウサコは夜中に起き出して来て、隣で寝ていた道照(どうしょう)を叩き起こしていたのである。

「なんだよ〜」
「お便所、一緒に行って」

道照(どうしょう)はボンヤリと目を覚まし、ウサコの様子を眺めた。 ウサコは泣き顔にも見える切羽詰まった顔つきで、道照(どうしょう)を布団の中から引きずり出そうとしている。

道照(どうしょう)は不機嫌になりながらも、引っぺがされた布団を引き戻した。

「便所はあっち。一人で行けるだろう」
「怖いから一緒に来て〜」

道照(どうしょう)は観念した。『泣く子と地頭には勝てぬ』という諺(ことわざ)は真実だった、という実感と共に。

――当分、寝不足になりそうだな……

道照(どうしょう)は、ここ数日に集中するであろう面倒を想像し、遠い目になった。

*****

翌日は落ち着いた曇天になったのだが、風が強い。山脈を覆っている雲模様も怪しい状態で、雪崩などの危険を考えると、遠出するには覚悟が要る。

道照(どうしょう)は、ウサコに、小僧が着る黒い袴付きの修行着を着せた。これしか子供用の着物が無いのである。 おかっぱ頭の珍妙なウサミミ小僧が出来上がり、道照(どうしょう)が吹き出しそうになったのは秘密である。

「朝飯を食ったら、お堂の掃除と雪かきだからな」
「ふぁい」

朝食の玄米飯を堪能中のウサコは、ウサギのように口をムグムグさせながら答えた。

――朝食後。

道照(どうしょう)とウサコは、一通りの掃除道具を抱えて、お堂へと向かった。

お堂の前では、昨日も見かけたような気がする、灰色の野良ネコがくつろいでいた。尾は、ちゃんとした一本である。 灰色ネコは、ピカリと光る金色の目で、道照(どうしょう)とウサコを眺めて来た。気のせいかも知れぬが、何やらニヤリとしたようである。

「あれ、ウサコが昨夜、山の中で見たっていう『招き猫』かな?」
「わかんない」

灰色ネコはユラリと立ち上がり、道照(どうしょう)とウサコの周りを数回クルクルと巡った後、不意に何処かへと走り去って行った。

(まさか、妖怪変化とかじゃ無いよな……)

道照(どうしょう)は首を傾げながらも、お堂に近づいた。

昨日の朝、雪玉が突っ込んだ古いお堂の中は、何とか半分だけは、片付けが進んだと言う状態だ。 扉を兼ねる格子戸の代わりにゴザが下がっており、数々の仏具の中には、まだ立て直されていない物が多い。お堂の床には、雪玉の名残の湿り気が広がっていた。

ウサコも流石に、自分が雪玉で突っ込んだという事に後ろめたさを感じているのか、お堂の端っこに飛んだ細かな板切れなどを甲斐甲斐しく集めて来た。

最奥部の祭壇に乗っている三体の仏像と、その台座のみ、位置をずらしながらも何とか無傷といった風だ。 ウサコは片付けをしながらも、独特の意味深な雰囲気をまとっている『ご本尊』が気になっている様子で、好奇心の眼差しでチラチラと盗み見している。

お堂の掃除があらかた終わり、お供えのオムスビを供する(干し柿はウサコが食べてしまったので、無い)。

道照(どうしょう)がチョイチョイと背中をつついて促すと、ウサコは神妙な様子で三仏像の前に立った。

「お供えを食べて済みませんでした」

ウサコは手を合わせて、ペコリと頭を下げた。ほっかむりに付いているウサミミも、ヒョコンと傾く。

偶然とはいえ、この三仏像が雪玉の爆走を押しとどめてくれた形なのではある。ウサコにとっては「恩人」、いや「恩仏」である。

「この仏さまの事は知らないよね?」
「ウン」

道照(どうしょう)は、いささか畏まって説明した。

中央が阿弥陀如来。向かって右が地蔵菩薩。向かって左が観世音菩薩。

ウサコは、まだ幼い子供だけに、それぞれの仏像の意味は分からない状態だ。 ウサコの認識に掛かれば、中央が「クルクルお団子」、右が「ツルツル頭」、左が「ビラビラ頭」という事になる。

道照(どうしょう)が、再び遠い目になったのは、言うまでも無い――

*****

昼過ぎ、雲が切れて薄日が差し、風が小休止状態になった。

道照(どうしょう)は、母屋の縁側に常備してあるタライで、遅い洗濯を始めた。

ウサコは、道照(どうしょう)の言いつけで、井戸から水を何度も汲み出しては道照(どうしょう)の元に運んでいる。 腕力が無いため、ちょびっとずつではあるが――駆け回るだけの体力は、それなりにあるのであった。

水汲みに一区切りついたところで、ウサコは縁側の縁石にちょこんと座って、休憩がてら道照(どうしょう)の様子を眺め始めた。

道照(どうしょう)はすぐに、昨夜以来、ウサコが目に見える所――道照(どうしょう)の周りをチラチラとうろつき、後を付いて来る事に気付いた。

山奥にポツンとあるきりの、うら寂れた寺社。見かける人間は一人、道照(どうしょう)のみ。

夜中に、「便所に行く時は付いて来てくれ」とおねだりする程なのだから、ウサコはウサコなりに、心細さを感じているに違いない。

道照(どうしょう)は、ウサコの着物を洗濯しながら、その着物を上から下まで観察した。

ウサコの着物は、雪玉に覆われていたためか、幸いに目立つ葉っぱや小枝の切れ端以外の汚れは無い。 城下町――それも相当に下町の方の――標準的な、実用的な着物だ。元々は大人の着物を縫い直した物であろう、すり切れた藍染の地。 赤い糸を使った刺し子。身元を示すような手掛かりは、特には無い。

汚れが少ないため、藍染の小さな着物は、意外に早く洗いあがった。

作業を見守っていたウサコに、絞った着物を手渡し、縁側の廊下の隅にある室内干し用の物干し竿に掛けるよう言い付ける。

小僧姿のウサコは、短い黒袴の裾をひるがえし、素直に駆け去って行った。

次いで道照(どうしょう)は、ウサミミが縫い付けられたほっかむりを調べ始めた。

これまた、何の変哲も無い白い手ぬぐいだ。布地は古びて痛んでいる――

――!?

道照(どうしょう)は、片方のウサミミに違和感を感じた。

ウサコの動きに合わせてヒョコヒョコ動いているから気付きにくかったのだが、詰め物が均等に入っていないせいか、形が不自然に歪んでいるのだ。

じっと見てみると、縫い目も曲がっている。もう一方のウサミミに比べると縫い目がガタガタだ。 針仕事に慣れていない人が無理につなぎ目を縫い合わせたせいか、布地が引きつれてしまっている。

「ウサコが自分で直した……訳じゃ無いよな?」

縫い糸が不自然に新しい。道照(どうしょう)は、まずはウサミミの中の詰め物を均ならそうと、不自然な方のウサミミをギュッと握った。

「何か、硬い物が入っている……?」

道照(どうしょう)はウサミミをニギニギしながら、顔をしかめた。棒みたいな物が入っている。妙に複数の印象もある。

ふと思いついて、不自然では無い方のウサミミも握ってみたが、こちらの方は強く握っても違和感は無い。

稲わらの細かな繊維や、糸くずなどが詰められている状態――という感触だ。

道照(どうしょう)は、下手くそな方のウサミミの縫い目を解き始めた。

程なくして、シュルッと糸が抜ける。詰め物の綿くずを分けて行くと、果たして違和感の原因となっていた細長いブツに行き当たった。

――美しい飴色をした、鼈甲(べっこう)の平打ち簪(かんざし)。その数、二本。

道照(どうしょう)は絶句した。

先端には、縁起物の花々を模した華やかな細工が施されている。 偉い所のお姫様や、天子さまの都の花街などで頂点に登り詰めた女性が用いるに相応しい、間違いなく第一級の品だ。

この一本だけでも、一体、幾らするのだろう――考えるのも恐ろしい程だ。

道照(どうしょう)が茫然としゃがみ込んでいる間に、いつの間にかウサコが傍に戻って来ていた。 道照(どうしょう)の様子がおかしい事に気付いたのであろう、ウサコは疑問顔で道照(どうしょう)の顔をのぞき込んで来る。

「ウサコ、このカンザシ、知ってる?」
「知らない」

ウサコは、フルフルと首を振って答える。

「父ちゃんが、このカンザシをウサミミに入れてたって事は無いのか?」
「知らない」

ウサコは再びフルフルと首を振った。本当にビックリしている様子だ。

「父ちゃん、こうゆうカンザシは、あんまり作ってなかった。フツーの、木のクシやカンザシの方を、いっぱい作ってた」

ウサコ父は櫛(クシ)や簪(カンザシ)を作っている職人らしい。道照(どうしょう)は納得しながらも、疑惑をつのらせる他に無い。

こういった高価な品は、城のお殿様やご家老、役人たちの監視の下、流通が厳重に管理されている筈だ。 加工や細工も、ご用達の店や職人が担当する。間違っても、ウサコみたいな一般庶民の目に触れるような品では無い。

――密輸品とか、禁制品とか……暴利をむさぼるために、密輸して加工した品とかじゃ無いだろうな……

父親は何故、ウサコを山に置いて行ったのか。そして、何処へ行ったのか。

考えれば考えるほど、道照(どうしょう)の心の内には、疑惑の黒い霧が立ち込めて行ったのであった。

沈黙に落ちた二人の背後では――

あの不思議な灰色ネコが、金色の目をピッカピカと光らせながら、ジッと佇んでいた。

4.クロヤギさんたら読み上げ食べた

翌日。

朝食後、道照(どうしょう)とウサコが、お堂の片づけの続きを始めていると、不思議な灰色ネコがやって来てウロチョロし始めた。 猫又ならば、尾の数は二本の筈だが――この灰色ネコの尾の数は、ちゃんとした一本だ。

「おや、この間も来てたよな、野良ネコめ。ご飯は無いぞ」
「ニャー」

灰色ネコは『フン、要らん』とでも言うように、金色の目をピッカピカと光らせた。口の中で何かをモグモグしている。

良く見ると、口の端から細長い、尻尾らしきモノが見えている。

その尻尾の正体が何なのかは、道照(どうしょう)は考えたくもなかった。

――寺社の屋根裏には、ネズミが一杯、住んでいたりするのである……

正午に近づいた頃。

灰色ネコの尻尾に誘われて境内のあちこちをウロチョロしていたウサコが、やがてウサミミをユラユラと揺らしながら、 道照(どうしょう)の居る縁側の近くへとやって来た。

「知らないオジサンが来てるぅ」

道照(どうしょう)は目をパチクリさせた。

――確かに、ウサコの後ろから、蓑笠姿の大柄な男がやって来ている。

ヒゲ面をした大柄な中年男だ。片方の肩に弓矢を抱えており、腰には恐ろし気な山刀を挿している。見るからに、冬山を駆ける猟師である。

道照(どうしょう)は、流石に一瞬ギョッとしたが――山刀と一緒に揺れている御守りが、この寺社の物という事に気付き、ホッと息をついた。

人相を見れば――確かに見覚えがある。昨年の冬も数回ほどやって来て、麓からの書状を配達してくれた。 そして、山の状況の事などを、師匠や兄弟子と話して行った男だ。

「こんにちは、クマさん」
「おう、一年ぶりじゃ、次郎坊。何や、この小ウサギ、何処から湧いて来たんだ? ヒゲの老師と、もう一人の坊主頭――太郎坊は何処じゃ?」
「二人とも麓に呼ばれて、山を降りてるんです」
「麓? ――って事は、お殿様とご家老と化け猫の件で、遂に動きがあったのか」

ウサコが目をパチクリさせて、金色の目ピッカピカの灰色ネコの居る方向を振り返った。

その灰色ネコは、何食わぬ顔で、一本の尻尾をユラユラさせている。

道照(どうしょう)は猟師の問いを検討し、この問いに答える事にした。この猟師は、人里には余り立ち入らないのだが、猟師だけあって調査能力は高い。 師匠と兄弟子の情報を教える事と引き換えに、ウサコの身元調査を依頼するのに、うってつけの人物だ。

「師匠と兄弟子は、お殿様とご家老の依頼のお仕事をしてるんですよ。化け猫騒動と同時に千両箱がお城から幾つも消えてるんで、 師匠の神通力でもって、化け猫退治をして欲しいとかで」
「猫に小判じゃ無かったのか。やたらと人臭い妄執のある化け猫だな」

そう言って、猟師は、ちょっと面白そうな顔になった。

「諸葛孔明以来の知恵者というヒゲの住職が出張ったからには、噂の化け猫騒動は何とかなりそうだな。よきかな、よきかな」
「それでですね、クマさん。このウサコの、父親の健在を確かめて来て頂きたいんですよ」
「ほうほう。ええよ。これからクマの毛皮なんかを市場におろすとこじゃし、任せてくれや」
「それじゃあ、ウサコの父親あてに、ウサコが無事で此処に居る事を書状にしたためるんで、 配達お願い出来ますか? この子、吹雪の山の中で一晩迷子だったんで、親たちも探すの諦めていそうだし」
「おう」

猟師は気安く請け合うと、ウサコの方を振り向いてニカッと笑みを見せた。ヒゲ面だけに、ものすごい迫力だ。 まだ幼い少女であるウサコが、ギョッとして思わず飛びすさったのは、当然の反応ではある。

「よぉ頑張ったな、小ウサギ。えらい子じゃ」

*****

ヒゲ面の猟師は、去年と同じように、山の神にお神酒でもってお供えをした後、道照(どうしょう)の書状を携えて寺社を退去して行った。

猟師は、途中の秘密の雪穴に保存していた獲物のクマを掘り起こし、山を下りて、麓の里に入った。 そこでクマの解体を済ませたら、城下町の市場におろすのである。

ここ数日ドカ雪が続いたため、山に入る者は滅多に無く、城下町の市場に持ち込んだクマの毛皮や肉は、良い値段で売れた。

城下町の市場に流布している最近の噂に耳を澄ませてみると、やはり化け猫騒動の話題が多い。 何でも、その化け猫は、金色の目ピッカピカに、四本の尾を持っていたそうだ。

お殿様のたっての依頼に応じて、 山から下りて来た霊験あらたかな老僧・玄照げんしょうのお蔭で、化け猫の『化けの皮』が遂に剥がれた――と言う喜びの声が多く聞かれる。

猟師がひそかに推測していた通り、以前から不正に手を染めていた一部の悪徳役人と、 禁制品の貿易の特権を侵犯して暴利を狙う悪徳商人の結託が、化け猫騒動の裏にあったのだ。

盗賊の先発隊が、化け猫の造り物を利用して騒ぎを起こしておいて、その隙に、盗賊の本隊が、 本命たる千両箱を――不正をするための資金を――城内の蔵から運び出す。その一連の活動が、本物の妖怪騒ぎと誤解されたのである。 人間は案外、先入観に大きく左右されるものなのだ。

結論から言えば、よくある、『**屋、お主も悪よのう』を地で行く、もはや様式美とすら言える汚職事件だったのであった。 目下、城下町では取り締まりと捕り物が進行中で、今や「千両箱を盗み出した盗賊と化け猫の正体」を割り出そうという、最終局面を迎えつつある。

「確か、小ウサギの父ちゃんの名前は、『ちょーへい』とか言ってたな」

クマの毛皮と肉を売りさばいた後、暇な時間が出来た猟師は、市場の最新の噂をあさりがてら、ウサコの父親を知ると思しき人々に、次々に声を掛けて行った。

ウサコの父親は櫛(クシ)や簪(カンザシ)を作っている職人。となれば、同業者であれば、誰かが知っている筈だ。

猟師が、市場にやって来た細工職人たちに順番に声を掛けていると、通りの向こう側から三人程の男の集団が、ブラブラとやって来た。 その辺の人々と同様に、寒気をしのぐための蓑をまとっているが、親分が一人に子分が二人――という雰囲気の三人である。

三人組は不意に足を速め、猟師に近づいて来た。親分と思しき中央の男が猟師に声を掛ける。

「おい! 簪(カンザシ)作りの長平を探してるってのは、てめぇか?」
「そうだが」

親分と思しき中央の男は、猟師と同じくらいの大男だ。クマを倒せるほどでは無いだろうが、かなり腕っぷしの強い男と知れる。 眼光が鋭く、頭の毛はボサボサで、もみあげが目立つ。左の頬に、十文字の傷が見える。着ている物は一般庶民にしては上等なのだが、見るからに柄の良くない雰囲気だ。

市場の人々は息を止めて、三人組と猟師とのやり取りを、遠巻きに見守っている。誰かが小声で、三人組の正体を呟いていた。

「久賂邪鬼(くろやぎ)の親分と子分じゃねぇか、アレ」
「んだ、んだ」

猟師は、キョトンとしていた。人里の事情には余り明るくないため、三人組がどういう立場の者であるか、余りピンと来ないのだ。

とりあえず、この三人が目的の人物『ちょーへい』を知っているらしい。そう見込んだ猟師は、早速、質問を発した。

「ちょーへい、とやら言う職人を知ってんなら話が早いや。顔に傷のある手前さん、誰じゃ? 『ちょーへい』の家、知っとるかい?」

子分と思しき二人は、一瞬お互いの顔を見合わせ、次に、親分と思しき、左頬に傷のある大男の表情を、おずおずと窺い出している。 十文字の傷を左頬に持つ大男は、偉そうに背を反らした。

「おうとも。俺は久賂邪鬼(くろやぎ)ってもんじゃ。案内してやってもエエが、てめぇ、長平に何の用じゃ? 長平は目下、訳ありなんでな、 そう簡単に他人を会わす訳にはいかんざき」
「大した用じゃねぇ。ちょーへいの娘の件で、書状を預かってるだけじゃ」
「娘? そう言えば何か、ちっこいのが居たな?」

久賂邪鬼(くろやぎ)と名乗った大男が、青髭が広がっているガッチリとした割れ顎をさすりつつ、脇に控えている二人の連れを順番に見回した。 ケチなヤクザ男といった風体の二人の連れは、揃って、首をブンブンと縦に振った。

「確か、ウサコでぃ。ホントは『サチ』ってんでぃ。普通だったら『サッちゃん』と呼ぶところだけど、ウサミミで……」
「珍妙なガキで、ウサミミをくっ付けた、ほっかむりを、こう……」

左頬に十文字の傷のある胡散臭そうな大男、久賂邪鬼(くろやぎ)の目が、ギラギラと剣呑に光り出した。

久賂邪鬼(くろやぎ)は、勿体ぶって猟師の方に向き直ると、もみあげの目立つ頬を歪ませて、何とも腹黒そうな笑みを見せた。 ニイと広がった口元は、イガイガしていそうな青髭の中、実にたくさんの黄色い歯を並べている。

「猟師どの、さっそく『長平の家』に行こうじゃ無いですか。さぁさぁ」

*****

「あれが、ちょーへいの家?」

久賂邪鬼(くろやぎ)の親分と、その二人の子分に伴われて――猟師は、その家の前で足を止めた。

見るからに、何かが変だ。

明らかに、零細職人が持てる家では無い。裕福な武家階級の――それも町中の数寄屋造りの別荘と言った感じの、瀟洒な邸宅なのだ。 それも、かなりデカイ家だ。

久賂邪鬼(くろやぎ)の親分が、その邸宅の立派な数寄屋造りの門をくぐり、中に向かって「おぃ!」と呼ばわる。

それが合図でもあったかのように、邸宅のあちこちから、十数人程度の体格の良い男たちが、バラバラと湧いて来た。 ガラも人相も良くない男たちだ。明らかにヤクザ者の風体である。

流石に不審を覚えた猟師が、久賂邪鬼(くろやぎ)の親分を振り返ると――

「こやつを捕らえて、ふん縛れ!」

久賂邪鬼(くろやぎ)の親分の命令に応じて、十数人のヤクザ男たちは、アッと言う間に四方八方から猟師を押さえつけ、グルグル巻きにして縛ってしまった。

「何すんじゃ、てめぇら」

猟師が抗議をしている間にも、久賂邪鬼(くろやぎ)の親分の指示に従い、十数人のヤクザ男たちは猟師の身柄を運び、邸宅の縁側の下に転がした。 よりによって、まだ雪が溶けていない部分なので、雪に触れている部分が冷たい。

「なぁに、ちっと書状とやらを見せてもらいたいだけよ、このボケのクマ男ぉ」

騙し討ちがキレイに決まった久賂邪鬼(くろやぎ)の親分は、上機嫌だ。 猟師の蓑の下に手を差し入れ、あちこち探っていたが、すぐに懐の隙間の中に、書状を見つけた。ついでに財布も抜き取る。

久賂邪鬼(くろやぎ)の親分は書状を開き、読み上げた。

「ウサコ-ノ-チチウエ-チョーヘイ-ドノ。ウサコ-ヤマウエ-ノ-チンジュ-ニ-キタ。 ミチ-ヒラケ-シダイ-ムカエ-ニ-コラレタシ。ホンドウ-ニテ-マツ。道照・ドウショウ」

久賂邪鬼(くろやぎ)の親分は、猟師に向かって凶悪な笑みを浮かべた。

「この書状は、此処には置いておけねぇーなぁ?」

そう言うと、久賂邪鬼(くろやぎ)の親分は、持ち前の黄色のたくさんすぎる歯でもって、持っていた書状をアッと言う間に粉々にし、食べてしまった。

「証拠、隠滅」
「さすが、親分!」

取り巻きの十数人の子分たちが、一斉に「おおお」と勝鬨(かちどき)を上げ、拍手である。

驚きの余り、目を白黒していたヒゲ面の猟師は、そのまま、邸宅の中にある座敷牢に押し込められてしまった。 その座敷牢の別の仕切りの中には、何やら他の人々が閉じ込められている様子だ。

「ひでぇ目に遭った」

久賂邪鬼(くろやぎ)の親分が子分たちを引き連れて、高笑いをしながら数寄屋造りの邸宅を出て行った後も、 猟師は縛られてゴロリと転がされたまま、ブツブツとボヤいた。

隣の仕切りに入れられていた数人の男たちが、猟師に向かって「大丈夫かい?」と問い始める。

「あんた、人里に長いこと降りてなかったんだろ。あいつぁ、久賂邪鬼(くろやぎ)の親分と言って、最近ハバを利かせてるヤツだよ」
「そうそう。悪徳役人と悪徳商人の手先として、禁制品の製造や運搬を一手に請け負ってて、それで、ボロ儲けしてる」
「このお屋敷も、悪徳役人の秘密の別宅でさ。元々は、愛人を囲ってたとか。秘密の愛の巣だとか」

――聞き捨てならぬ発言だ。

「今、何と言った?!」

猟師は驚きの余り、グイッと身を起こそうとして、馬鹿力を出した。グルグル巻きの縄が、大柄で逞しい体躯の動きに付いて行けず、ブチブチと切れる。

「ありゃあ?」
「あんた、縛られた振り、してたの?」

猟師は粉々になった縄を振り捨てた。 邸宅の仕切り戸の隙間から洩れる陽光で観察してみると――隣の仕切りに居る数人の男たちは、 年齢層こそバラバラだが、どれもこれも零細職人と見える男たちだ。

猟師は、目をパチクリさせている零細職人たちに向かって、矢継ぎ早に問いを投げた。

「あんたら一体、誰じゃ? 何で閉じ込められとるんじゃ」

五人ほどの職人たちを代表して、最も年配の男が、猟師の問いに答える。

「ワシらは全員、細工職人じゃ。鼈甲(べっこう)細工に覚えがあるモンは全員、此処に集められて、禁制品の鼈甲(べっこう)細工を作らされとるんじゃ。 櫛(クシ)に簪(カンザシ)、数珠、根付、将棋の駒……」

猟師は口をアングリした。目下、お殿様が取り締まり中の悪徳役人とつながっている、悪徳商人。 悪徳商人の手先が久賂邪鬼(くろやぎ)の親分と子分たち。その久賂邪鬼(くろやぎ)の者たちに閉じ込められて、禁制品を加工させられている零細職人たち。

「何たる繋がりじゃあ……『ちょーへい』とやらも、居るんかい?」
「オラが長平だが」

五人の男のうち、比較的若い方の、一人の男が応えた。平凡な体格に顔立ちだ。 身を構う時間も無いのであろう、浮浪人さながらに無精ひげに埋まっているが、ちゃんとヒゲを剃れば、ちゃんとした職人に見えるに違いない。

「手前さん、小ウサギ知っとるか? ほっかむりにウサミミくっ付けた、ちっこい女の子じゃが」
「生きてんのか?!」

長平と名乗った男の反応は劇的だった。座敷牢の仕切りとなっている木組みにガシッと取り付く。

「吹雪に備えて、食い物の買い出し係になって、娘を連れて買い出しに行ったんじゃ! これ幸いと思って、隙見て娘にブツ持たせて、 お役人様の所に走らせたんじゃ! オラも一緒に行こうと思ったが、途中で久賂邪鬼(くろやぎ)に捕まって、動けんかったんじゃ。 あとでアイツの子分たちが、町の何処にも居ないから山の方に行ったんじゃ無いかと言ってたから、もしやと――」

猟師は、やっと得心がいった――と言う風に、うなづいた。

「吹雪に巻かれると、すぐに方向感覚がおかしくなるからな。あの小ウサギ、一晩中、山ん中で迷子になっていたそうじゃ」

ウサコ父・長平は、絶句するのみであった。

その頃――

――久賂邪鬼(くろやぎ)の親分は、笑いが止まらない状態だった。

あの数寄屋造りの邸宅に、念のため残しておいていた秘密の子分たちが、猟師と零細職人たちの間で交わされた会話の内容を報告して来たのである。

その報告によれば、二点ばかりの鼈甲(べっこう)細工の簪(カンザシ)の紛失は、間違いなく長平のせいだ。

速やかにウサコを捕まえる。長平の目の前でウサコを拷問し、鼈甲(べっこう)細工の簪(カンザシ)の在り処を白状させる。 ブツを回収したら、取り締まりの手が入る前に、闇に流しておく。そうすれば、雇い主たる悪徳商人のカンペキな証拠隠滅が出来る。 この恩を売っておけば、どれくらいの見返りになるだろう。

将来図を考えれば考えるほど、極悪非道な久賂邪鬼(くろやぎ)の親分の口元は、ゆるみまくるのであった。

イイッヒヒヒヒヒヒヒヒヒ……

5.行きはよいよい帰りはこわい

この日も、天候は安定していた。

山間の雪は、だいぶ溶けて浅くなっている。これくらいの状態であれば、猟師やサムライなど体力のある男衆なら、雪をこいで往来できるだろう。

本堂の周りの雪かきがあらかた終わり、久しぶりに道照(どうしょう)とウサコは、朝の諸々の家事を済ませた後の、ゆっくりとした時間を過ごしていた。

ウサコの元々の着物――赤い刺し子の入った藍染の着物は既に乾いているのだが、ウサコは小僧の格好が気に入ったらしく、 今日も丈の短い黒袴を着けて走り回っている。頭には毎度、ウサミミを縫い付けたほっかむりをかぶっている。

ウサコが追いかけているのは、何故か、ウサコと共に新しい居候としてこの寺社に入り込んで来た、あの金色の目ピッカピカの灰色ネコだ。

目下、この金色の目ピッカピカの灰色ネコは、屋根裏や廊下の隅に潜むネズミを狩って食事をする事で、寺社に恩を売っているところだ。

境内のささやかな巡礼路は、如何にも寺社らしく、神社様式と仏閣様式の混然一体となった謎の施設と化している。 あっちに小型の鳥居&簡易型の祠、 こっちに五輪塔&お堂……といった風だ。

灰色ネコとウサコが、雪をこぎながら巡礼路をグルグル巡っているので、いつの間にか、巡礼路が踏み固められて歩きやすくなっている。

道照(どうしょう)は、陽光に照らされた灰色ネコの影を、ジッと注目した。

――やはり、奇妙なネコだ。

時たまに――ではあるのだが、灰色ネコの尻尾の影が、時々、三本も四本もあるように見えるのだ。

おまけに、境内の巡礼路からはみ出すことなくグルグル巡ってウサコを誘っているあたり、どう考えても、この灰色ネコは、 人間なみの知性を持っているとしか思えない。間違いなく、六歳のウサコを上回る知性の。

やがて、灰色ネコが、三角耳をピピンと立てた。クルリとネコ顔を回すと、巡礼路で最も高い仏塔の上に駆け上る。 ウサコがビックリして仏塔の下に駆け寄り、ささやかな段差に足を掛けた。

金色の目ピッカピカの灰色ネコは、鳴き声を震わせて「ニャウウウウ」と鳴いた。 その唸るような奇妙な鳴き声は、道照(どうしょう)やウサコをビックリさせるのに充分であった。

「何だい?」

灰色ネコの視線の先を、道照(どうしょう)とウサコも眺める。

峠道の方から、十数人と見える蓑笠姿の男たちが、寺社に向かって雪をこいで来ているのが見えた。 膝の上まで積もった雪に難儀しているところだが、あと少しすれば、参道に入って来るだろう。

「ウサコのお迎えかな?」

そう呟いた道照(どうしょう)は、ウサコの方を振り向いた。

ウサコは、ズンズンと山道をやって来る男衆をジッと眺めた後、サッと顔色を変えた。身体の震えに合わせて、ウサミミもプルプル震えている。顔色が悪い。

「ウサコ?」

見知らぬ男衆が遂に、参道に踏み入った。雪かきが済んだ一本道の上を、行列を組んでザクザクと軽快に歩み出す。

先頭に居るのは、見るからに大男だ。顔の下半分がイガイガの無精ヒゲで青くなっており、もみあげが目立つ。

ウサコは回れ右して、母屋の方へと走り去った。灰色ネコも仏塔から素早く降りて、ウサコを追いかけていく。

道照(どうしょう)は声を掛けようとしたが、ウサコの切羽詰まった雰囲気に戸惑う余り、声を掛け損ねてしまった。

ウサコと灰色ネコが、母屋に姿を消した直後。

蓑笠姿の男衆が、境内に踏み入って来た。先頭の大男が、見るからに剣呑な足取りで、道照(どうしょう)の前に立った。

「おい、クソ坊主! ここにガキが居る筈だ。出せや!」

もみあげの目立つ大男の怒鳴り声が、境内の空気を震わせた。大男の左頬には、十文字の傷が見える。

見るからにヤクザだ。

大男の左頬に見える物騒な十文字の傷は、割れ顎を覆う青髭に囲まれて、いっそう危険な雰囲気を醸し出していた。 腰には、ヤクザが持っていそうな、まともで無さそうな短刀が見える。

手下と思しき背後の男らの腰にも、何かが挟まっている。男らは、そろって腰に手を掛けていた。明らかに攻撃態勢だ。 その懐の内にも、穏やかならざる道具の数々が収まっている筈だ。

(何で、こんな時に、師匠も兄弟子も居ないんだよ!)

道照(どうしょう)は一気に緊張した。ヤクザ集団の方は、この寺社に人気ひとけが無い事を早くも察知しており、 数の優位に任せて、余裕しゃくしゃくの様子だ。

左頬に十文字の傷のある青髭の大男が、再度がなり立てた。

「耳が聞こえねぇのかぁ、クソ坊主。ガキは何処だ! そのガキは、とんでもねぇ物を盗んで行きやがった、お尋ね者だ。 下手に隠し立てすれば、坊主の命もどうなるか知れんざき」

道照(どうしょう)は、心当たりがパッと閃き、ごくりと生唾を飲んだ。

――ウサコが持っていた――というより、ウサコが知らない間に、ウサミミに入れられていた――あの、鼈甲(べっこう)の平打ち簪(カンザシ)。

事情は知れぬが、この男たちがウサコを優しく扱わないであろう事は、余りにも明らかだ。

「拙僧、『ガキ』と名乗る人物は見かけておりません」

道照(どうしょう)は、尊敬すべき師匠の応対の有り様を思い出しつつ、仏法僧らしく手を合わせて「南無」と唱えつつ、受け答えを始めた。

子分たちが、果たして大声を上げて来た。

「フザケてんじゃねぇ! そのウサコのガキは、ウサミミを頭にくっ付けた、五歳から六歳くらいのオナゴでぃ! 本名は『サチ』ってんでぃ!」
「久賂邪鬼(くろやぎ)の親分に逆らったら、命はねぇぞ、コラ、クソ坊主!」

脅迫されている事も忘れ、道照(どうしょう)は一瞬、ポカンとした。

(すげぇよ、師匠! ウサコの名前も、この謎のヤクザ集団の頭目の名前も、割れたよ!)

久賂邪鬼(くろやぎ)の親分は、短刀を抜いて、ニヤリと物騒な笑みを浮かべた。

イガイガの青髭に覆われた割れ顎あごの中、歪んだ三日月形に広がった口元に、実にたくさんの黄色い歯が並んでいるのが見える。

「ガキは、お尋ね者だ。よって、問答無用で、この寺社を捜索する。邪魔すんじゃねぇよ、クソ坊主」

左頬に十文字の傷のある物騒な大男に、刃の面でもって頬をピタピタとやられたら、流石に黙り込むしか無い。 道照(どうしょう)は、失神しないでいるのが精一杯だった。

(ウサコ、無事に逃げてくれよ……)

*****

久賂邪鬼(くろやぎ)の衆は、寺社の中を念入りに捜索し始めた。

廊下の隅や便所の裏の隙間など、縄で縛り上げた道照(どうしょう)を引きずって来て立ち会わせて、隠れ空間も暴いていくという念の入れようである。

お蔭さまで、掃除がなっていない部分がゴロゴロと出て来る。

久賂邪鬼(くろやぎ)の親分が率いるヤクザ集団は、目的が違うから何も言わないが、 師匠に見つかったらと思うと、道照(どうしょう)は、恥ずかしさの余り、身の置き所が無い。

久賂邪鬼(くろやぎ)の手下が、納戸の隙間に棒を突っ込むと、ビックリしたと思しきネズミ一家が、キィキィ鳴きながら出て来た。

「わッ……ネズミでぃ!」
「ネズミを見つけるのは滅法いかんざき、ウサギを早よ見つけろ!」

――などと、久賂邪鬼(くろやぎ)の親分と子分とで漫才が始まったが、道照(どうしょう)には如何ともしようがない。

幸いな事に――母屋のすべてをひっくり返した後になっても、ウサコは見つからなかった。

あの妙に知恵の回る灰色ネコが、どうやってかは知れぬが、ウサコを上手に誘導したのでは無いかと思えるほどである。

久賂邪鬼(くろやぎ)の親分と子分は、次に、お堂に向かった。あの三仏像が納められている、お堂である。

「仏様に、ご無体な事しないで下さいよ!」

寺社の物を傷付けられては困る。道照(どうしょう)は必死に訴えたが、久賂邪鬼(くろやぎ)の親分は聞く耳持たずであった。

「こちとらぁ、仏像の首をかき切って縄張り抗争の勝利の縁起担ぎにする事もあるんじゃ! カネも運も保証しないタダの置き物なんざ、 その辺の石ッころと同じじゃ!」

久賂邪鬼(くろやぎ)の親分は、次に、左頬の十文字の傷痕を歪ませてニヤリと笑った。かつては顔から血を流した男だ。 その迫力には、只ならぬものがある。

「売ればカネに化けるだけ、名のある仏像の方がまだマシかも知れんざき」

凶悪な本性を剥き出しにした久賂邪鬼(くろやぎ)の親分が、 そう言っている間にも、子分たちは、お堂の扉の代わりとしていた簾を乱暴に引き裂き、薄暗い空間の中に踏み入った。

十二畳ほどの広さしか無い空間――その奥の祭壇に、三仏像が並んでいる。中央が阿弥陀如来。向かって右が地蔵菩薩。向かって左が観世音菩薩。

瞬間。

タタッと軽い足音がした。

三仏像の裏側の、更に陰影に沈んでいる空間の中から、ウサミミをくっ付けた小さな人影――小僧の黒袴を付けた人影――が飛び出した。

その人影が、お堂の裏へと駆け去って行く。

「居たァ!」
「逃がすな、追えッ、捕まえろ!」

さすがヤクザと言うべきか、子分たちの動きは、速かった。

お堂の裏の戸をわずかに開けて、その狭い隙間から、外へ駆け出したウサミミ少女。

子分たちは、裏の戸に瞬く間に殺到した。その勢いのままに、戸をドドンと蹴破って、ウサミミ少女を追いかけて行く。

久賂邪鬼(くろやぎ)の親分も、縛られたままの道照(どうしょう)を捨て置いて、その後を走って付いて行った。

グルグル巻きにして縛られたまま、お堂の中に一人残された道照(どうしょう)は、目の前が真っ暗になるような思いだ。

(どうしよう、どうしよう)

すぐに、ウサコの甲高い叫び声が聞こえて来た。子供が転んだと思しき、雪の圧縮されたザシュッというような音、大柄な男たちが雪をザザザと蹴り分ける音。

続いて、ヤクザ男たちの「手間ぁ掛けやがって」などと言う怒鳴り声が届いて来た。

「お遊びは終わりだ、この野郎!」

そして――遂に、久賂邪鬼(くろやぎ)の親分の、矢継ぎ早の指示が響いて来た。

「おぅ、貴様ら、このガキを縛り上げて袋詰めにしろ。長平の目の前でコイツを拷問して、 ブツの在り処を吐き出させるんだ! 急げ! 城下町の役人どもが来る前に、サッサとブツを取り戻して逃げ出さんといかんざき!」

ヤクザ男たちは、ウサコの身柄を確保した後は、もはや寺社には関心が無い様子だ。境内から参道に向かって、 十数人の男たちが、ザクザクと雪を踏みしめて行く気配がする――だんだん、遠ざかって行く。

道照(どうしょう)の身体から力が抜けた。そのまま、お堂の床に、崩れるようにして呆然と座り込む。

「ウサコ……」

6.うしろの正面だぁーれ

――久賂邪鬼(くろやぎ)の衆は、早くも、あの数寄屋造りの邸宅に到着していた。

山腹にある寺社から三つの谷を越えて降りて来た。流石に体力のある男衆、日暮れと同時に、終着点たる邸宅に到着したのだった。

久賂邪鬼(くろやぎ)の親分たる大柄な男に続く子分の一人が、まるで泥棒か何かのように、大きな袋を――それも、 子供一人が入っていそうな袋を――抱えている。子分たちが交代で、山麓まで運び下ろした物だ。

久賂邪鬼(くろやぎ)の親分の、得意絶頂の大声が轟く。

「貴様ら、気を抜くなよ! 早速、座敷牢の奴らを脅迫するぞ!」
「おう!」

久賂邪鬼(くろやぎ)の衆は、座敷牢のある棟に踏み込んだ。日暮れという事もあり、木戸で締め切ってある邸宅の中は、既に真っ暗だ。

勝手知ったる邸宅の中を、久賂邪鬼(くろやぎ)の衆はズンズンと進む。

突き当たりにある座敷牢は、以前のままだった。格子になっている木組みの向こう側に、数人の人影がうごめいているのが、わずかな残光だけでも見て取れる――

「おい貴様ら、火を――」

久賂邪鬼(くろやぎ)の親分の指示は、途中で途切れた。

ガシャーン!

大音声と共に、座敷牢の仕切りを兼ねて格子になっている木組み部分が、『観音開き』よろしく二つに割れて、回転した。

まるで忍者屋敷の『どんでん返し』だ。

格子になっている木組みは高速で回転を続け、久賂邪鬼(くろやぎ)の衆を刷き込んだ。

「何じゃ、何じゃ?!」

余りといえば余りな、想定外の事態だ。親分も子分も呆然と尻餅をついたまま、格子状の木組みに身体を押され、転がされ続ける。

どんでん返しに回転した格子状の木組みは、再び『ガシャーン』と大音声を立てた。『ガチャリ』という、紛れも無く錠前が掛かった音がする。

「やったぜー!」
「灯りを付けろ!」

久賂邪鬼(くろやぎ)の衆の、誰からの者でも無い声が上がった。続いて、灯りが付いた。

「あッ、貴様は!」

久賂邪鬼(くろやぎ)の親分が目玉をひん剥いて、五人から六人ほどの人影の中で、最も大柄な人物を指差した。

「今ごろ気が付くとは、間抜けなヤクザどもめ! ガハハハハ!」

最も大柄な人物、すなわち、あのヒゲ面の猟師が呵呵大笑した。その左右には、様々な世代の五人ほどの零細職人たちが並んでいる。

何という事であろう――格子戸が回転した事で、久賂邪鬼(くろやぎ)のヤクザたちと、閉じ込められていた零細職人たちの立場が逆転してしまったのだ!

続いて、倍以上も増えた灯りに一気に照らされ、座敷牢とその周りは、真昼のように明るくなった。

「お前たちは、もはや、袋のネズミだ! 観念して縛につけい!」

飛び込んで来たのは、取り締まりと捕り物のための役人たちだ。その役人たちを指揮するのは、お殿様とご家老の直属部下に当たる高位役人の一人である。 その後ろには、二人ばかり、僧形の人物が控えていた。

久賂邪鬼(くろやぎ)の親分は、口をアングリした。

お殿様とご家老による、汚職の取り締まりと捕り物の手は、既に、この秘密基地まで伸びていたのだ!

「控えおろう!」

防寒性の高い立派な羽織を着用している高位役人が口を開いた。

「此処に居られる、偉大なる玄照(げんしょう)師と玄道(げんどう)殿の知謀の協力の甲斐あって、ようやく久賂邪鬼(くろやぎ)のネズミどもを一網打尽に出来たわ!」

手前にズイと出て来た部下の一人が、後を引き継いだ。

「久賂邪鬼(くろやぎ)の衆よ、お前たちの雇い主たる悪徳商人は既に、こちらが身柄を拘束済み。 なおかつ、鼈甲(べっこう)細工を中心とする禁制品を扱った大犯罪、既に露見しておる! 貴様たちも観念して、 かの『四本の尾の化け猫騒動』、『千両箱の紛失』、などなどの事件について、キリキリ白状せよ!」

久賂邪鬼(くろやぎ)の親分が、顔中を口だらけにして怒鳴る。

「四本の尾の化け猫など、知らんざき! 俺らが頂いたのは、千両箱だけよ!」

それは、ほとんど『白状』そのものだったのだが、怒りと動転の余り、久賂邪鬼(くろやぎ)の親分は意識していなかった。

「野郎ども、この座敷牢を何とかしろ!」

親分の命令に応じて、久賂邪鬼(くろやぎ)の子分たちは力任せに格子状の木組みをガタガタと揺さぶって動かそうとしたが、木組みはビクとも動かなかった。

猟師が大声で、久賂邪鬼(くろやぎ)の男たちに呼ばわる。

「無駄じゃ! その木組みはな、確かに最初は、ワッシの自慢の腕力で動いたわ! じゃが今は、此処に居る職人たちが、 ほぼ全ての要所を補強済みだから、どんなクマ野郎だろうと出て来られまいて!」

久賂邪鬼(くろやぎ)のヤクザ男たち、思わず「ぐぬぬ」である。

「かくなる上は……!」

久賂邪鬼(くろやぎ)の親分が腰に手を回した。一瞬の後には、既に、その手には物騒な短刀が握られていた。

「ヤイ、野郎ども、袋の中身を出せ!」
「おう!」

袋の中身が姿を現し、久賂邪鬼(くろやぎ)の親分が、それに刃を突き付けた。灯りを反射して、刃先がギラリと光る。

「目ン玉ァひん剥いて、コイツを見てみろ! 少しでも怪しい動きをすりゃ、ガキの命は無いぜ!」

座敷牢を取り巻く一同が、一斉に息を呑んだ。

久賂邪鬼(くろやぎ)の親分が刃を突きつけているのは、五歳から六歳と思しき、ウサミミのほっかむりを着けた少女だ。 今まで袋詰めにされていたせいか、グッタリとうつむいたままである。

「サ……サチ!」

哀れな叫び声をあげたのは、ウサコ父・長平であった。続いて、職人たちが「ウサコ!」と声を上げる。

脅迫と強要において優位性を確信した久賂邪鬼(くろやぎ)の親分の、勢いは止まらない。

「このガキの血を見たくなければ、サッサと鍵を開けるんだな!」
「やめてくれ!」

ウサコ父・長平の動揺は大きい。鍵を持っている老齢の職人の方を、チラチラと窺い始めた。

予想外の展開に、高位役人は絶句している。二人の僧形も、驚きに目を見張っている。

「おらおら、鍵を出せ、道を開けろ! このガキが死んでも良いのか!」

久賂邪鬼(くろやぎ)の親分は、いっそう狂暴に歯を剥き出した。久賂邪鬼(くろやぎ)の子分たちも既に、めいめい刃物を持って、反転攻撃の態勢である。

膠着状態だ。双方ともに、ヒリヒリするような緊張が続く。

しびれを切らした久賂邪鬼(くろやぎ)の親分が、少女の片腕を着物ごと、刃物でサッと引いた。

ウサコの着物の袖は、パックリと割れた。その着物の裂け目から、同様に、パックリと割れた切り傷が丸見えだ。その傷から、見る間に血が吹き出し、タラタラと流れ出す。

ウサコ父・長平が「ヒッ」と喉を鳴らした。ワナワナ震えながらも、呆然としている老職人の手から、鍵を抜き取る。

不意に、何やら読経のような声が始まった。

久賂邪鬼(くろやぎ)の親分が、苛立ちと共に、玄照げんしょう師と呼ばれた老僧を睨み付ける。その脇に控えているのは、弟子と見える青年僧だ。

確かに老僧・玄照(げんしょう)と青年僧・玄道(げんどう)は、仏教式に手を合わせて、読経のような事をしている。

余りにも意味不明の行動だ。二人の僧形を除く全員は、ポカンとするのみだ。

「あぁん? 何だ、生前弔いでもやってんのかぁ、フン!」

久賂邪鬼(くろやぎ)の親分が、馬鹿にしたように鼻を鳴らした。

それに応じたかのように、老僧・玄照(げんしょう)の目が久賂邪鬼(くろやぎ)の親分を見据え、ギラリと光った。

「――喝!!」

その一瞬、凄まじい迫力と気合が閃いた。久賂邪鬼(くろやぎ)の親分がビクリと反応すると共に、その手が跳ね踊る。

――ザクッ。

少女の身体――その首筋の中ほどに、深く刃が突き立った証の、不吉な音が響いた。

ウサコ父・長平も、猟師も、零細職人たちも、役人たちも悲鳴を忘れて――アングリと口を開ける。

一同の目線が、ウサコに集中した。

「うわわわわぁッ?!」

最初に仰天したのは、久賂邪鬼(くろやぎ)の親分だ。

やけに手ごたえのあり過ぎた刃。それが突き立っているのは――

木造の仏像――地蔵菩薩像の、首筋の位置なのだった!

「お地蔵さんに変わった……?!」

優れた狩人の目を持つ猟師が、即座にその『有り得ざる光景』を理解し、絶句した。

次に気付いた久賂邪鬼(くろやぎ)の子分たちが、驚きの余り、呆然と固まった。

力が抜けた子分たちの手から、木製の地蔵菩薩像が、床に向かって滑り落ち――

――生身の人間の物では有り得ぬ、『ゴトリ』という、硬い木の表面同士がぶつかる音を立てた。

良く見ると――その木製の、三尺(一メートル)ほどの大きさの地蔵菩薩像は、その滑らかな禿げ頭に、『ウサミミ付ほっかむり』を着けている!

老僧・玄照(げんしょう)が訳知り顔で、飄々と口を開いた。驚愕の気配が見える分だけ、玄道(げんどう)の方が、まだ未熟な人間らしい反応と言えた。

「かの地蔵菩薩は、我らが奉たてまつりし寺社の神仏よ。まことに、これ程に奇しき事があるとは、事実は小説よりも奇なり。 幼き者を憐み、身代わり地蔵の奇跡を顕わされたと見ゆる」

偉大なる老僧・玄照(げんしょう)は、ウサコ父・長平の方を慈悲深く見やり、茶目っ気のある笑みを浮かべた。

ウサコ父・長平は、緊張がドッと取れたお蔭で、ヘナヘナと床の上に座り込んだのであった。

今や、その木製の地蔵菩薩像は、首筋の後ろの方に刃物を突き立てられたまま、うつ伏せの格好で、ゴロリと床に横たわっている。 そのツルリとした頭部は、やはり『ウサミミ付ほっかむり』をシッカリと着用している状態である。

「地蔵に化かされた……」
「何で……どうして」

その『ウサミミ地蔵』を取り囲む形となっていた久賂邪鬼(くろやぎ)の親分と子分たちは、身体全身をわななかせ、顔を真っ白にしていた。 ちょっとつつけば、それだけで失神しそうだ。

かくして――

城下町を荒らし回り、悪徳商人と手を結び、鼈甲べっこう細工をはじめとする禁制品でもってボロ儲けしていた極悪非道なヤクザ、 久賂邪鬼(くろやぎ)の親分と子分たちは、あえなく、お縄となったのであった。

7.何かが山から去ってった

数日後の寺社――

お殿様やご家老から下賜されたタップリの褒美と共に、師匠・玄照(げんしょう)と兄弟子・玄道(げんどう)が戻って来ていた。 その道連れは、ウサコ父・長平と、病気が治ったウサコ母、猟師、それに調査記録係の役人が一人だ。

ウサコは母親と再会して以来、母親にベッタリである。

母屋の囲炉裏の前に集合した一同は、ここ数日の出来事を話し合った。

「――それが、どうも良く分からないんですよ」

その時、何があったのか――師匠と役人に委細を問われた道照(どうしょう)は、困惑するのみであった。

美しい飴色をした鼈甲(べっこう)の平打ち簪(カンザシ)は、二本とも、このたび出張して来た記録調査係の役人に提出してある。 ウサミミの詰め物の中から取り出した後、大事を取って、あのお堂の隙間に隠しておいた物だ。

久賂邪鬼(くろやぎ)の親分と子分たちは、『ウサコを捕まえて拷問し、ウサコ父・長平の口を割る』という作戦に熱中するあまり、 『ブツ』すなわち行方不明になった禁制品――鼈甲(べっこう)の平打ち簪(カンザシ)――の行方についてまでは、気が回っていなかったのだ。

まして、久賂邪鬼(くろやぎ)の親分と子分たちが、お堂に踏み込んだ瞬間、 仏像の裏からウサコと思しき人影が走り出て行って――親分も子分たちも揃って、頭に血が上のぼった状態になってしまっていたから、なおさらだ。

小さなウサコの、毎度の要領を得ない話を何とかつなぎ合わせてみると、こんな風だ。

*****

――話は、久賂邪鬼(くろやぎ)の親分と子分たちが、お堂に踏み込む、その少し前にさかのぼる。

久賂邪鬼(くろやぎ)の親分と子分たちが、母屋の捜索を始めた頃。

その隙を突くかのように、金色の目ピッカピカの灰色ネコが、『招きネコ』さながらに、母屋の隅に隠れていたウサコに向かって『おいでおいで』をした。

ウサコは、灰色ネコに導かれて、母屋をこっそりと抜け出した。人目の無くなった境内を走り、お堂に飛び込んだ。 だが、母屋の捜索が済めば、あの神仏をも畏れぬヤクザ連中のこと、お堂にもズカズカと踏み入って来るであろう。

ウサコは、まさに絶体絶命であった。ウサコは死に物狂いで、台座に乗っている三仏像に祈った。

――『神さま、仏さま。ウチ、良い子になります。お供えを絶対に食べません。お掃除をきちんとします。 お洗濯もします。それから、えーと、えーと……そういう訳で、道照(どうしょう)さんを、助けて下さい』

普通は、まず自身の助命を願うところなのだが――動転の余り、ウサコは気持ちがひっくり返っていて、 自身の事はスッカリ忘れていたのだ。

すると――何故か、三仏像の方から、応える声が聞こえて来た。

『そのウサミミのほっかむりを我々にお供えしたら、我々の後ろに隠れていなさい』

最後の方の『いなさい』が、妙に『いニャさい』と聞こえたのは、ご愛敬かも知れないところ。

ウサコは、素直に言う通りにした。三仏像の前にウサミミ付ほっかむりを置いた後、最初の日に隠れていた場所に、身を潜めた。

果たして、間もなくして久賂邪鬼(くろやぎ)の親分と子分たちが、お堂に踏み入って来た。

その荒々しい足音に、ウサコはギョッとする余り、気が遠くなった――どうも失神したらしいのだが、 本人がボンヤリしていた以上、詳しい事は分からない。

ともあれ――

ウサコが次に気が付いた時、既にお堂は静かだった。久賂邪鬼(くろやぎ)の親分と子分たちは、既に居なくなっていた。

境内にも人の気配は無い。お堂の床の上で、グルグル巻きに縛られていた道照(どうしょう)が、呆然と座り込んでいるだけだった。

金色の目ピッカピカの灰色ネコがお堂の隅に出て来て、ノンビリとした様子で『ニャー』と鳴いた。

何故かウサコは、『もう大丈夫だ』という事を確信した。 そして、隠れていた場所から出て来て、道照(どうしょう)の縄を解きに掛かったのであった。

そして。

人心地ついて、改めて三仏像にお礼を言おうと、二人で並んで、台座の上を見上げてみると。

向かって右の位置にある筈の、地蔵菩薩像が、いつの間にか消え失せていたのであった。

*****

積雪がだいぶ浅くなった、その日――

くだんの地蔵菩薩像が、氏子たちの手によって麓から運ばれて来て、寺社のお堂の中、本来の位置に戻された。

その地蔵菩薩像は、片袖の上に、ザックリと刃が走った痕跡を残している。 首の後ろの方にも深々と刃が突き刺さった跡――刃の断面の形をした細い穴が出来ている。 いずれも、久賂邪鬼(くろやぎ)の親分が付けた傷痕だ。

その地蔵菩薩像は、作られた当時からの、いつも変わらぬ慈悲深い笑みを湛えていた。 ウサミミが付いている、奇妙な『ほっかむり』をかぶったまま。

老僧・玄照(げんしょう)と共に、二人の弟子が、地蔵菩薩の再びの安置に関する、特別な儀式を務めた後。

――偉大なる師匠・玄照(げんしょう)が、不意にお堂の入り口の方を振り返った。

一番弟子・玄道(げんどう)と二番弟子・道照(どうしょう)が、ビックリしてその視線を追う。

お堂の入り口のところに――金色の目ピッカピカの灰色ネコが、ニヤニヤ笑いを浮かべながら座っていた。

その灰色ネコには、明らかに奇妙な特徴があった。その身は、四本の尾を持っているのである。

お殿様の寝室に出たと言われている『化け猫』と同じ、四本の尾だ。 何故か千両箱の紛失と共に、この妖怪騒ぎが起きていたからこそ、師匠が山を降りて、事件解決に直々に関わったのだ。

一番弟子・玄道(げんどう)と二番弟子・道照(どうしょう)は、目をパチパチさせ、何度も灰色ネコを見直した。

師匠・玄照(げんしょう)の方は、全く驚いていない。訳知り顔で飄々とした笑みを浮かべ、灰色ネコに声を掛ける。

「皆が皆、結局は、ネコに化かされたという事かのう? なぁ、『四尾(ヨツオ)の猫天狗』よ?」

一瞬、身の引き締まるような、ピンとした緊張感が走る。

『四尾(ヨツオ)の猫天狗』と呼ばれた奇妙な灰色ネコは、生真面目そうな様子でヒゲをピピンと揺らした。 金色をした意味深な眼差しで、霊験あらたかな老僧・玄照(げんしょう)をジッと見つめた後、 身をヒラリと返して雪原の先へと走り去り――そして、姿を消して行った。

「「どういう事です?」」

一番弟子・玄道(げんどう)と二番弟子・道照(どうしょう)の問いの声が、綺麗に重なった。

偉大なる老僧・玄照(げんしょう)は、長く伸びた白ヒゲを撫でつつ、謎めいた含み笑いをするのみだ。

「かの幼き少女の身代わりとなって凶刃をお受けになった事は、まことに、地蔵菩薩さまの本望であられたようじゃのう」

老僧・玄照(げんしょう)は、改めて、三仏像を深く礼拝した。

四本の尾を持つ灰色ネコが駆け去って行った、まっさらな雪原の上には、梅の花の形をしたくぼみが幾つも出来ている。

遥かに仰げば、脊梁山脈を成す純白の山々。まばゆいまでに晴れ渡った青空に、ぽっかりぽっかりと白い雲が浮かんでいる。 厳しい冬のさなかにあるこのお国にも、少しずつ春がやって来ているのであった。

*****

――我が国の豪雪地帯として知られる某県の、山地の某所。

山腹にある、その寺社が抱えるお堂には、地方文化財として指定されている三仏像がある。

その三仏像のうち一つ、特に地蔵菩薩像として知られる仏像は、片袖と首筋の後ろの方に、刃物による傷を持つ。 その傷痕の不思議な由来と共に、『ウサミミ付ほっかむり』を着用している事でも、 ちょっと名が知られている(ウサミミ付ほっかむりは、氏子が今も定期的に作り直して、お供えしている)。

この地蔵菩薩像は、別名『身代わり地蔵』、またの名『ウサミミ地蔵』である。 『幼い子供たちの身代わりとなって災厄を受けてくれる』と言う、有難いご利益がある事でも知られている。

当時より既に数百年を経た現代になっても、なお遠方からの参拝客が絶えないと言う、もっぱらの評判である。

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深森の帝國