深森の帝國§総目次 §物語ノ傍流 〉春雷の雨夜を君と駆け抜ける

春雷の雨夜を君と駆け抜ける/アストラルシアAstra-lucia~連作集

『春雷の雨夜を君と駆け抜ける』目次&概要

竜王都の若いヒラ女官アイヴィの実家・下町の錠前屋に、魔法で外見を変えられ窮地に陥った親友が転がり込んで来た。宮廷陰謀のとばっちりを受けた親友を救うため、アイヴィは秘密裏に行動を開始する。
一方、エリート文官セフィルは、王都雑多トラブル対応のため下町娘アイヴィとバディを組まされたのが気に入らないようで、常に不機嫌そうな顔。 上流社交界の方で忙しそうだし、身分の高い綺麗な恋人も居るし。分かってはいるけどモヤモヤする。親友のピンチの件も、胸に収めておいた方が…
ところが、余計な事に気付いたセフィルが、単身『毒ムカデの尖塔』へ乗り込もうとするアイヴィを追って来て…!?
たぶん青春ラブコメ風。ハラハラ&ドキドキ、ハイスピード・アクションあり。
※ゴキブリ・ムカデが苦手な方はブラウザバック推奨。気の遠くなるような大群に襲われる描写があります

(1)宮廷陰謀のとばっちりを受けた不運な親友
(2)気になるアイツ、毒ムカデの尖塔いざ偵察
(3)暴風雪の中を追跡して来たトラブルの正体
(4)店前の前哨戦、近所迷惑トラブル男との対決!
(5)乙女ゴコロは複雑に揺れ動くのです、いつでも
(6)キラキラお嬢様のクレームと白いリボン
(7)いざ毒ムカデの尖塔へ殴り込めば、アイツが
(8)毒ムカデの尖塔の最上階、悪夢のような光景
(9)救出、ピンチ、因縁の邂逅と急転回!
(10)そして海となり山となった恐るべき黒いカサコソ、一件落着の春

形式:短編
ジャンル:剣と魔法の異世界ファンタジー、アクション&サスペンス&ラブコメ、ハッピーエンド
総文字数:3万字未満

(1)宮廷陰謀のとばっちりを受けた不運な親友

 天球いっぱいに、雷電がひしめく。

 竜王都を擁する山岳地帯。牡丹雪の混ざった嵐が荒れ狂っている。

 季節(とき)は早春。

 連日の気温上昇に伴い、厳寒に凍て付いていた山岳地帯を彩る巨大な氷瀑の群れは、無数の氷柱(つらら)を伸ばし続けていた。

 *****

 重厚な執務室の窓を、雪嵐がたたく。

 窓辺に立つ二人の人影。

 中年武官が、前途洋々の青年文官に向けて、ニヤリと笑みを浮かべた。面白がっている風だが、ベテラン隊長の目は鋭い光を宿している。

「惜しくも取り逃がしたけど、容疑者は再び出て来るだろうな。宮廷でも話題の、謎の『青いドレスのエフェメラル』が目的で」

 中年ベテラン隊長をジロリと見返す、銀灰色の視線。

 やがて青年文官は目を反らし、相変わらずの不機嫌そうな眼差しで、眼下に広がる城下町を眺め始めた。

「……あのボケナス……」

 *****

 緑髪を振り乱し、上空を苛立たし気に仰ぐのは、成体になるかならないかの、うら若い竜人の娘。

 宮廷で見る令嬢のよう、という訳では無いけれど、量販の中古の防護マントを羽織っていてなお、ハッとするような清楚な透明感や溌溂とした明るさが目を引く。

 再び雷電が走り、娘の紺碧色の目が細められた……

 ……アイヴィが立ち止まっていたのは一瞬だけ。

 次の瞬間には防護マントをひるがえし、駆けてゆく。

 山頂の竜宮城エリアを発し、各所の城下町エリア――回廊街区の中央を貫き、山岳地形の変化に沿ってクネクネと続く、竜王都アーケード通路を。

 城下町の各役所に勤める一般スタッフの制服は、男女問わず、山岳地帯対応のパンツスタイルだ。カッチリとしたアオザイ風の膝丈の表着(うわぎ)を合わせる。

 娘らしさを示すのは、竜王国の紋章の入ったヒラの女官用リボン付きベレー帽と、少女趣味な花簪(はなかんざし)タイプ装飾のみ。

 雷鳴に伴う轟音で路面が震えるものの、ブーツを装着した足さばきに乱れは無い。

 アーケード通路の向こう側からやって来た貨物満載の三本角(トリケラトプス)車をかわし、三々五々の通行人もかわして、なおも足を速める。

 残り一ブロック。

 その分岐のある一角で、アイヴィは足を止めた。

 竜王都の誇る壮大な城壁が、奥の方に威風堂々とそびえている。

 城壁を支えるフライング・バットレス高架の支柱と、回廊街区の中央を走るアーケード通路とに挟まれて、ひとかたまりの雑然とした行列よろしく並ぶ下町商店街。

 その中のひとつ、どの回廊街区にも一軒はあるような平凡な錠前屋を、ひたと見つめる。

 国道でもある広幅のアーケード通路の中は、魔法防壁に守られていて濡れずに移動できたが。雑多な商店街を縫う脇道の群れは、剥き出しの雪嵐に叩き付けられている。

 これこそ下町。

 ベレー帽のリボンを留め紐として顎(あご)の下で結び直すと、落雷の合間をついて、最後の一ブロックをダッシュして行った。

 *****

 夕食の刻。下町の錠前屋の中の、一室。

「リリー、薬草スープならお腹に入るよね?」

 私服に着替え、アイヴィは料理を乗せたお盆を抱えて、クルクル動き回っていた。

 ベッドに横たわるのは、急な発熱でグッタリとした同い年の親友。

 リリーは辛(つら)そうに息をつき、夢見るようなラベンダー色の目を開いた。

「急に押しかけて、ゴメンナサイ」

「気にしてないわよ。さすがに一生分の驚きは使い果たしたけど」

「アイヴィが幻覚魔法スルーする体質で良かった。この身体、知らない男の人の《化けの皮》掛かってて、誰も私だと信じてくれないんだもの」

「天国のママからの遺伝なの。でもヘンテコな特技って感じで実用レベルとしては全然。錠前のゴマカシを区別するくらいかな」

 外は相変わらず雷電と雪嵐が荒れ狂っている。しかし、窓や壁に触れては防護魔法で弾かれてゆく牡丹雪は、春の訪れを告げていた。

「アイヴィ、《異常発熱》専用の薬草ブレンドを手に入れて来るの、大変だったでしょ? 上層回廊の方じゃないと扱ってないし」

「お兄ちゃんが得体の知れないビールに運悪く当たって、朦朧としたまま別人の魔法の杖で酔い覚ましの魔法を使って、《異常発熱》でブッ倒れたって説明したから、『これで様子を見て』って事でスムーズに支給してもらえたわ」

「……バジル兄さんの名誉とか、経歴とか? ……大丈夫?」

「へーき。『トキメキ・マーケット』盛り場で、そういう『革命的な新酒!』っていう胡乱なのが日ごとに出てるの。それで酒乱して、全裸でトキメキ乱闘祭りとかビンゴ祭りとか」

「ホントに、変なお酒に手を出してなければ良いけれど」

「あのロリコン事件から後は、そういうの無いから。あんな呑んべ兄ちゃんでも、考えるとこ、あったんだな」

「毒ゴキブリ誘引剤が入ってたお酒の事件の時は大変だったよね。蔵元さんの方で、誤記ラベルのせいで原材料から混ざってしまったから、そのお酒を扱ってたお店とか、お酒を飲んだお客さんが……」

「今も界隈の語り草で笑い種(ぐさ)よ『夏の夜のゴキ笑い』事件。アレでも革命的な美味だとかで、肝試し酒としてヒットしてるって話。呑んべの考える事って謎だわ」

 軽い夕食が済み、アイヴィはデザートの果物の皮を手際よく剝き始めた。

「話を戻すけどリリー、例の『毒ムカデの尖塔』にある筈の、本来の魔法の杖さえ取り戻せれば、この《異常発熱》も、今の変な《化けの皮》も、何とかなるのよね?」

「解除の魔法陣の構築、先生の書庫で勉強したから。何とかなる。元々こんな風になったの、あの杖が、私のじゃなかったせい」

 リリーが巻き込まれた陰謀は、普通では無い。

 だいたい、《化けの皮》を使ってリリーの外見を別人に変えてしまったという事実が、普通じゃ無い。

 誰かがリリーに成りすまして、好き放題に悪事をやっているとしたら……

 それに、個別に設定された魔法の杖は、そもそも本人以外の者が使ってはいけない。無理に使おうとすれば、魔法パワーが逆流して、かえって自身の命を失うリスクも大きい。

 改めてリリーの全身に、紺碧色の目を走らせるアイヴィ。

 不気味な色で呪いの邪眼模様をビッシリ描き込んだ、という風の、エーテル魔法で出来た暗いベールが、親友の全身を覆っていた。かろうじて目の場所に穴。そこから、本来の、夢見るようなラベンダー色の目が、のぞいている状態。

(とばっちりにしては、悪意と殺意がすごすぎ。魔法の先生も対応に苦労してるとか、上層回廊とか竜宮城の陰謀って、異常よ)

 アイヴィはブルッと身体を震わせた後、不吉な予感を振り払うべく、明るい声を出した。

「ハイ、リリー、フルーツ半分ね。これも《異常発熱》に割と効くやつ」

「ありがと」

(2)気になるアイツ、毒ムカデの尖塔いざ偵察

 翌日、竜王都の公休日。

 兄バジル、親友リリーと共に朝食を囲みつつ、アイヴィは竜王都スタッフの間で回っている情報網から分かった事を並べていった。

「例の『毒ムカデの尖塔44番3号』、基本的には中型モンスター『毒ムカデ』を飼育して、防虫剤を作ってる工場ね。真面目な納品が続いていて、前の監査でも『問題ナシ』だって」

「ああ、アレ、毒ゴキブリの侵入を防ぐのに一定の効果が……我が錠前屋でも、倉庫の塗料に混ぜて使ってる」

「効き目の方、工場ごとにクオリティに差があるって聞いた事あるわ」

「訪問の理由それにできるわね。事前偵察してみる」

「ホントに気を付けろよ。監獄から奉仕労役に来てる凶悪犯も居るみたいだから」

「承知のうえよ」

 バジルはヘーゼル目(アイ)を閉じて困惑の溜息をつくと、手早く朝食を済ませ、居間を出て行った。

 やがて、店頭スペースから、お馴染みの物音が響いて来る。錠前屋のカウンターが開く時の、『ガタン』と言う音も。

 リリーがベッドに落ち着き、眠りに落ちた後。

 アイヴィの魔法の杖の先端部が青く瞬いた。誰かから通信が入って来ている。

「回廊街区39番11ノ11号、バジルの錠前屋でございます」

『そこに居たか、ボケナス』

 アイヴィは一気に渋面になった。何で、こうも測ったように、アイツは、変なタイミングで連絡を入れて来るのか。

「これはこれは『風のセフィル卿』じゃございませんか。ご用件は?」

『落ち合い場所の変更だ、ボケナス。例の連続暴行事件の容疑者の出没予測、今日との結果が出た』

「公休日に出没? 随分と勤勉な犯人ね」

『竜宮城の直下の回廊街区2番5号、見張り塔3番。日没の刻。前に衣装を送っただろう、今夜もそれを着ろ』

「とりあえず了解、犯人おびき出すくらいは、やってやるわよチャランポラン」

『見せびらかすのは良いが奴と接触するな、ボケナス』

『セフィル卿、ユレイシア嬢が……』

 駆け込む足音。明らかに令嬢な、弾むような美声。そして……

 アイヴィは通信を切った。

 衣装棚を開き、宮廷ドレス丈をした華やかなアオザイ風衣装を取り出す。光沢と軽やかさのある青い生地の全面に豪華な花パターン刺繍。セットのアクセサリー類や、長く袖を引く総レース羽織が付いていて、仕事着と比べると着るのに時間がかかる。

「裾はしょっておいて、今のうちに着ておくか。裾を降ろすのと羽織とアクセサリーは夕方になってから」

 *****

 毒ムカデの尖塔44番3号。

 モンスター棲息地との前線となっている城壁の一角。

 フライング・バットレス高架から延び上がるような形で、その尖塔はあった。

 最寄りのアーケード通路の陰に潜みつつ、アイヴィは遠眼鏡を構える。暖気が入り込んで降雪が弱まり、見通しが良くなっている。

 アイヴィのような小型竜体の竜人は、大型竜体の竜人のような鋭い視力が無い。

 ――セフィルだったら、一瞬で全容を見て取れるに違いない。

 その一瞬、ロリコン事件以来の腐れ縁『風のセフィル卿』の姿が、脳裏に浮かぶ。

 下町娘アイヴィとバディを組む羽目になったのが気に入らないのか、常に不機嫌そうにしている。でも、大型竜体に付き物の威圧感は意外に感じない。文官姿のせいか。スラリとした体格のせいか。

 どうしても、むくれてしまう。何で、チャランポランなアイツが、大型竜体の、しかも高位の御曹司、出世街道まっしぐらな文武両道エリートなのか。不公平だ!

 気を取り直し、再び遠眼鏡を構える。

 尖塔の各所には、交換時期もとうに過ぎただろう、という荒廃が目立つ。

(これで監査に合格したと言うの? 本当の補修じゃなくて、幻覚魔法パッチワーク……ますます犯罪の巣みたいで怪しい)

 尖塔の各所で、『毒ムカデ』飼育に関わっていると思しき、防護マント姿の竜人たちが動き回っていた。

 軍事施設でお馴染みの、俊足の二足歩行タイプ馬……クラウントカゲも割と居る。

 あの尖塔の何処かに、リリーの魔法の杖が隠されている。隠した犯人の方は、必要とあらば白日の下に引きずり出して、ギッタギタに叩きのめさなければならない。

 アイヴィはフンと鼻を鳴らして意気込むと、尖塔スペースへと続く梯子に手をかけた。

(ボンボン野郎セフィル、生粋の下町育ちを舐めるんじゃないわよ。暴風雨どころか、暴風雪の中の梯子のぼりだって、全然、ヘッチャラなんだからね!)

 *****

 距離を詰めるにつれ、尖塔の壁やら何やらの荒廃が、思った以上に進行していることが判明して来る。

 フライング・バットレス高架を辿って急接近するアイヴィに気付き、尖塔の作業員の面々が、ギョッとしたように目を剥いた。

 大柄な竜隊士が、急に立ちはだかって来る。

 見ると、竜人に多い標準的なヘーゼル目(アイ)は、不自然に濁って血走っていた。足取りは確かだが、漂って来るのは特定のアルコール臭だ。それも、厄介な方面で有名な。

「部外者は立ち入り禁止だ! 死にたいか!」

「知ってるわよ。クレーム付けに来たんだから」

「クレームだぁ? 言ってみやがれ、この口から出マカセ女!」

 ――ご近所の『うっせぇクレーマーな下町オバハン』演技を見るがいいわ!

 内心、その体格から推測される竜体の大きさや、ゴツイ面相や筋骨に、ビビりまくりだけど。

「春モノの毒ゴキがワラワラ湧いて来たんで防虫剤を新調したのに、効きが悪くって困ってんのよ、オラ! 原液を出してる工場を確認したら44番3号、って事は此処だよね、オラ!」

「なにぃ、ない事ない事でっち上げて、損害賠償、稼ごうってのか、オラ!」

「品質管理局に訴えてやるわよ、このスットコドッコイ!」

「ごるぁ!」

 大男は一気に真っ赤になった。ブチ切れたのは明らかだ。

 多種多様なアルコール臭のする防護マントをバサッとあおると、ゴロツキさながらに剥き出しの片腕を向けて、趣味の悪い刺青をアピールして来る。

「この『三首竜アジダハク』の刺青が目に入らぬか、オラ!」

「鏡を見て反省して来い、悪趣味トリプルトサカ、オラ!」

「ごるぁ! この三つ心臓イカレポンチ雷電ポッキリ……!!」

 案外、図星だったらしい。

 凶悪な面相になった大男は、上品な人々、たとえば上層回廊の面々の前では、とても許されないような下品な言葉を口にした後。

 血圧が上がり過ぎたのか、口から泡を吹いて、酔っ払いタップダンスを踊り出した。

「禁制ビール『トキメキ』キメ過ぎじゃんか、オラ。酒池肉林の接待受けてるんでしょ、この不良隊士」

 後ろの方で、特に下っ端と思しき貧相な風体の作業員たちが、顔を見合わせてゴニョゴニョしている。

 視線が外れた隙を突いて、手持ちの魔法の杖を素早く尖塔へ向ける。

 ――『リリーの魔法の杖』探索用の魔法陣をセットした付属カードが、確かに反応していた。

 その手の気配に敏感なクラウントカゲが、鼻をヒクヒク動かし始めた。アイヴィの杖にくくりつけられた付属カードに鼻先を近づけた後、不思議そうに、尖塔の最も高い場所に向かって鼻先を巡らせる。

(あそこね)

 この偵察の、最大の目的は達した。

 アイヴィはクルリと踵(きびす)を返す。

 ――と。

 足首にヒシッと抱き着いて来るものがある。

 思わず目をやる。

 丸っこくて小っちゃなヌイグルミのような……クラウントカゲ。

 全身、薄緑色の産毛に包まれている。『王冠(クラウン)』の由来となっている、頭頂部の合歓(ねむ)の花のようなフッサフサも、可愛らしい花蕾の状態。

「クラウントカゲの幼体?」

 片手でヒョイと摘まみ上げてみる。異様に傷だらけだ。虐待されているのか。二足歩行タイプ駿馬として重宝されているクラウントカゲの虐待は、竜王国では立派な犯罪。

 ギッと目を吊り上げて、作業員の面々を見渡すと……分かりやすいくらいに、全員が目を反らす。

 タップダンス発作が治まった酔っ払い大男が、『ガーッ』といきり立った。

「ごるぁあ!」

 魔法の杖を、大きな柳葉刀に変形して斬りかかって来る。

 アイヴィは反射的に身体をひねったが、一瞬、間に合わなかった。

 ザクッと、中古の防護マントが切り裂かれる。片腕に痛みが走り、弾みで、クラウントカゲの幼体がもぎ取られた。

 この辺りが限界。

 下町でも治安の悪い街区では、この程度の刃傷沙汰は普通にある。アイヴィが巻き込まれたロリコン事件でも、同類の刃傷沙汰があった……下町育ちの経験と感覚が、引き際のタイミングを伝えて来ている。

「覚えてなさいよ、この分、損害賠償に上乗せだからね!」

 捨てゼリフだけはいっちょまえに、アイヴィは尻尾を巻いて逃げ出す形になったのだった。

(3)暴風雪の中を追跡して来たトラブルの正体

 あの悪趣味な、トリプルトサカ刺青男の命令を受けた追跡者が出たら、さすがにマズイかも。

 アイヴィはアーケード通路には入らず、知る限りの抜け道をジグザグに縫って行った。足取りをくらますためだ。

 場末の町角で目についた廃物収集ボックスに、使い物にならなくなった中古の防護マントを放り込んでおく。

 昼下がりの刻なのに凍て付くような寒さ。季節の戻りだ。厳冬期なみの天候になるに違いない。

 防護マント無しではズブ濡れになるし、シビれるし、凍えるけれど……あの凶暴な酔っ払いタップダンス男に斬り付けられるよりは、ずっとマシ。

 斬り付けられた場所を確認すると、直感したとおり傷口が開いていて、血が流れ出している。

 咄嗟に、本能的に竜鱗を表面に出していなかったら、もっと深い傷が出来ていたかも。自身より大きな竜体サイズの竜人と向き合う時は、どうしても避けられないリスク。

(竜体サイズの差は分かってたけど、あそこまで『トキメキ』キメ過ぎ野郎とは。こっちも本番に備えて秘密兵器を準備しなければ)

 人体で雷電の中を走るのは、さすがに冒険者気質なアイヴィでも、慎重になる。

「しょうがない」

 アイヴィは《変身魔法》を発動した。《水霊相》特有の青いエーテル光が身体全身を取り巻いた後、元の人体と同じくらいのサイズの、髪色と同じ緑色の竜体となる。背中に生える竜翼の色は、《水霊相》の青。

 竜の舌で傷口を舐め、応急止血した後。

 ……『水のアイヴィ』竜は、全速力で駆け出した……

 *****

「何故、全身に氷が張り付いてたの? アイヴィ」

 ラベンダー色の目がウルウルしている。

『予想外に色々あって。でもちょうど良いでしょ、《異常発熱》の熱冷ましにもなって』

「それは、そうだけど」

 アイヴィ竜は、兄バジルの錠前屋への帰還を果たしていた。

 冷え切った竜体を何とかするべく、《異常発熱》で熱くなっているリリーと身体を寄せ合っているところだ。

 アイヴィの方は竜体でフンフン吼えていて、リリーの方は人体で喋っているから、これはこれで、ちょっと妙な眺めではあるけれど。

 リリーは《異常発熱》でフラフラしながらも、アイヴィ竜の片腕に触れる。

「怪我してるじゃない」

『かすり傷よ。それにしても、あの尖塔、超いかがわしい。魔法の杖の隠し場所に選ばれるだけあって』

「うん……うん」

 充分に体温が回復したと見て、アイヴィは人体に戻った。リリーが既に、包帯その他の応急処置の道具を持って待機している。

「麻酔ナシで鱗を引っこ抜いた時のショックって、半端じゃないけど、竜体よりは人体の方がショックは少ないから。ベッドの真ん中に居てね」

「リリーは昔から鱗が弱かったせいで、こういう生傷(ナマキズ)、絶えなかったよね、うん」

 アイヴィは負傷した部分の竜鱗を表に出しながら、ソワソワし始めた。動転するままに、ブツブツと呟く。

「例の『毒ムカデの尖塔44番3号』。その一、禁制ビールをきこしめしてる。その二、クラウントカゲ虐待の疑惑。その三、建物補修や備品管理がなってない。あのトリプルトサカ男、メンテナンス費用を横領してるのかも。だから、リリーの杖を取り返した後で、上にチクってやる。監査してたっていうけど、竜宮城の監査メンバー、そろって無能じゃんか」

 リリーが力を込めて、アイヴィの刀傷ヒビの入った竜鱗を引っこ抜いた。特別なペンチで。

「……~~~ッッ!」

 麻酔ナシだと、キツイ。キツ過ぎる。

 ――気が遠くなる……

 プルプル震えながらも、バッタリと、ベッドに倒れ込む。

「よく頑張ったね、アイヴィ。替えの鱗、キレイに生える筈……」

 リリーが包帯を巻いている間も、ショック性の涙と鼻水を流して、ヒイヒイと呻くアイヴィであった。

 やがて。

 アイヴィの魔法の杖の先端が青く点滅し始めた。

 リリーが小型ペンの大きさにしてある杖を取り、目線で質問して来る。アイヴィはベッドにグッタリと横たわったまま、無事な方の腕を動かして耳をチョイチョイと指差した。

 ひとつ頷き、リリーは青い魔法の杖の両端を、アイヴィの口元と耳元に近づける。

 アイヴィは呼吸を整え、痛みに掠れがちな声音をごまかすべく、わざと明るく話し出した。

「ハーイ、……お兄ちゃん?」

『戻ってたか、アイヴィ。幸運にもクーロン爺ちゃんの手が空いてて、パパッと作ってもらえたよ。役所の魔法道具でも見分けがつかないくらいの精巧なレプリカを』

「やった。杖スリ替え作戦スタートよ、お兄ちゃん」

『あの例の尖塔、怪しいぞ。よろしくない連中が出入りしてるって、マジモンの噂があるぞ』

「テキトーに行って、ブツをスリ替えるだけよ。クーロン爺ちゃんのなら絶対バレないわ」

『ホントに一人でやるのかよ、妹よ。あー、その、『風のセフィル卿』にも話を通しておいた方がいいんじゃないか? なんだかんだ言っても、バディだろ』

「ああいう『卿』付き大型竜体の、しかも上層回廊の御曹司、下層回廊の場末まで出て来たら逆に目立ちまくって、……ッツゥ、作戦どころじゃなくなる、わ、よ」

『……おい、アイヴィ、どっか痛いとこあるのか!?』

「な、何でも無い。とにかく急いで帰って来て。途中で変な酒場に寄ったら承知しないからね、お兄ちゃん」

 アイヴィの目配せを受けて、リリーがそそくさと魔法の杖をアイヴィの手元に戻す。杖の先端部の青い発光は、既に終わっていた。

 次に、リリーが目を向けると。

 一時的な身体反応ではあるけれど……アイヴィは、竜鱗引っこ抜きショック性の失神に、落ちていたのだった。

 *****

 ――とある回廊街区の国道、アーケード通路。

 一定距離ごとに立てられている停車ポールの前で、三本角(トリケラトプス)が牽く乗り合いバスを待ちつつ。

 アイヴィの兄バジルは口をポカンと開けたまま、ウンともスンとも言わなくなった魔法の杖を眺めた。

 気温が急低下し、厳冬期さながらの雪嵐が舞い始めている。

 不吉な予感に口を引きつらせ……恐る恐る、背後を振り返る。

「え……ハ、ハハ……?」

 そのヘーゼル目(アイ)は、予想どおりの存在を、しかと認識した。

 彼(バジル)は極限まで青ざめつつ、後ずさった……

 *****

 失神から回復したアイヴィは、早くも夕食の準備にかかっていた。

 同時並行で、錠前屋の店番として錠前の修理や交換などの注文をさばきつつ、クルクル動き回る。小気味よい動きで、長い裾を降ろした青い衣装(ドレス)が軽快に揺らめいていた。

 手先が器用なリリーは、今夜のアイヴィの特別任務のための、華麗な総レース羽織やアクセサリー類を並べている。髪結い道具も。

 窓の外を見れば、既に暴風雪。天球を飛び交う雷電も勢力を盛り返している。

「そろそろ閉店時間……セフィルとの約束の時間も迫ってるし、もう閉めるか」

 ひときわ大きな雷電が走り、辺りがビリビリと震えた。思わず身を固くする。屋内は安全と分かってはいるものの、本能的な反応は止められない。

 アイヴィは、雪と氷が張り付いた吊り下げ看板に手をかけ……

「……!?」

 よく見ると、そこに無い筈の、小っちゃな『トカゲ雪だるま彫刻』がくっついている。暴風雪に吹き飛ばされて来たかのように。

 思わず、ガシッとつかむと。

 その丸っこい『トカゲ雪だるま彫刻』は、弱々しく「きゅー」と鳴いた。

 *****

「凍死寸前のクラウントカゲ幼体って、大事件じゃない。この暴風雪の中を逃げ出して来たって……最寄りの隊士の詰所まで届けなくて良いの?」

「今の時点で届けたら超マズイ。『毒ムカデの尖塔44番3号』で虐待されてた子なの」

 傷だらけのクラウントカゲ幼体は、毛布にくるまって、ウトウト状態だ。よほど疲れていたに違いない。

「ベイビー。明日、ルシュド隊長のとこの厩舎に連れてってあげる。ちゃんと話せば秘密を守ってくれるし、治療も保護もしてもらえる。竜宮城の近衛隊士のパトロールもあるんだよ」

 小っちゃな幼体は、「イヤ」と言わんばかりに、もがき始めた。必死の形相で「きゅうきゅう」と鳴き始める。

 その『古代恐竜語』を翻訳してみると。

「双子だったの!? で、例の尖塔の中に閉じ込められてる双子の兄弟が心配?」

「きゅう」

 リリーが『古代恐竜語』辞書をひきながら、口を引きつらせた。

「問題が大きくなってるよね、アイヴィ……兄弟を安全に連れ出せるまでは、厩舎へは絶対に行かないし、治療を受けるつもり無いって」

「むむぅ。双子もろともに塔からドロンされたら……こりゃ不意打ちで攻め込まないと」

「その刀傷、完全に治ってない。替えの鱗が生えて来ないうちは刃物受けたりとかは、ダメだよ」

 その時。

 締め切った錠前屋の店頭ガレージを、乱暴に叩くものがあった。

 ――雷鳴と風雪の合間に聞こえて来る、騒音。

 ガレージをゴンゴンと突く、破城槌のような……

「ごるぁ! クラウン双子その一、居るのは分かってんだ! その二のチビ、逆さ吊りにして《雷棒》で百回たたいたら、ゲロッたからな! 偉大なる『三首竜アジダハク』の刺青にかけて! とっととロックを解かねぇと、地獄もかくやと、ブチ破るぞ、オラ、オラァ!」

 一気に緊張するアイヴィとリリー。

 クラウントカゲ幼体は心臓が止まるくらい驚いたのか、『死んだフリ』状態になって、グッタリとのびてしまった。

(リリー、ベイビーと一緒に隠れてて!)

(気を付けて、アイヴィ!)

(4)店前の前哨戦、近所迷惑トラブル男との対決!

 治安の悪くなりやすい下町界隈、アイヴィも、タダでは挑発に乗らない。

 町内紛争の対策用の特別な錠前を、所定の配線が走っている場所に連結しておく。かねてから兄バジルや、町内の店主たちや職人たちと相談して、仕掛けておいてあるものだ。

 手持ちの魔法の杖を使って試験用エーテルをコッソリと流し、問題なく稼働することを確認した後。

「こちとら、今日の営業は終わってるのよ、オラ! 騒音を止めんかい、近所迷惑ヤロウ!」

「オラ、ごるぁ! トカゲ泥棒、とっとと扉を開けねぇと、このチンケな店ごと城壁の外の魔境に放り出してやるぜ、ごるぁ!!」

「言い掛かり付けるんじゃないわよ、オラ!」

 ガンガンと続く破城槌のような衝撃音が途切れた。窓の外を、《風魔法》の白いエーテル光が閃く。

「我が《風雷》アタック食らいやがれ、ごるぁ」

 ドドドドガーン!

 想定外の威力。

 白い風エーテルで出来た強烈な攻撃魔法の爆発は、ガレージ扉を一瞬で粉砕し、店頭の壁がめくれ上がった。

 天然の建材を多く使っている下町建築は、《地魔法》の粋(すい)を尽くした富裕層の建築ほどの堅牢さは無い。

 カウンターの後ろまで吹っ飛ばされるアイヴィ。竜王都スタッフとして訓練された受け身を取り、シュバッと起き上がる。

「近衛隊から横流しした魔法道具でも使ってんの!?」

「ギャハハ! その青いドレスのエフェメラル、現実に居たとはな! 手錠ハメて、天井からフックで吊るして、亀甲縛りを」

「その薄汚い口を縫うわよ」

 アイヴィは魔法の杖を振り、仕掛けを起動させた。

 町内紛争の対策用の特別な錠前が、青白く光る。電撃ロック用の放電が爆発し、出入口ラインに踏み込んだ瞬間の、隊士姿の大男を取り巻く。

「ぎゃあ! シビレル!」

 大男の緑髪をまとめていた髪留めが弾け、髪の毛がバリバリ言いながら逆立った。ご自慢の悪趣味な刺青さながらの、見事なトリプルトサカ髪型だ。

 アイヴィはすかさず、首輪タイプ錠前を得意の《水砲》魔法に包み、発射する。それは正確な軌道を描き、青いエーテル飛沫を散らしながら、手品のように男の首にガチャリとハマった。

 が。

 攻撃態勢のトリプルトサカ男は歯を剥き、頭のてっぺんから雷粒と湯気を出しながら、なおも踏み込んで来る。首にハマった錠前が、電撃ロックに反応しない。

 アイヴィは間違いに気づいた。

 ――故障中の方の錠前だった! 出入口ラインで電磁的に拘束できてない!

「ヒャッハー!」

 トリプルトサカ男は、魔法の杖を、投げ縄タイプの鞭(ムチ)に変形し。

 満を持したかのように襲い掛かって来た。

 絶体絶命……!

 *****

 次の瞬間。

 どたーん!

 トリプルトサカ男は、猛然と床面に叩き付けられていたのだった。

 床面がめり込んでいて、ヒビ割れも出来ている。恐るべき勢い。

「……なッ?!」

 トリプルトサカ男は、その後ろから出て来た謎のブーツ足に踏みつけられている。

 軽く踏みつけられただけの状況のようなのだが……そのまま、身を起こせていない。平均以上にゴツイ筋骨なのに。

 アイヴィは、頭部をガードする腕の間から、確認した。

 恐るべき対戦相手だったトリプルトサカ男を、あっさりと踏みつけて動けなくしている、謎のブーツ足の主を。

 この下町では場違いな程の、上等な……宮廷を闊歩する貴公子そのもの。

 その辺の令嬢などよりもはるかに艶やかに流れる緑髪は、今しがた手入れされセットされたばかりであるかのように、乱れが無い。竜人男性にしては線の細い印象のある美麗な面差しの中で、銀灰色を帯びたヘーゼル目(アイ)が、不機嫌そうに据わっている。

 ――風のセフィル卿。

 アイヴィは一気にむくれた。

 正直このような赤面モノの失敗は、セフィルだけには見られたくなかった。かえって、ツッケンドンになってしまうアイヴィ。

「何で、セフィルが居るのよ」

「今を時めく竜隊士の首に、電撃ロック用の錠前をハメて、この雷電の夕べに熱くやり合ってる理由は、聞かせてもらえるだろうね?」

「近所迷惑ヤロウを撃退してたのよ。茶々を入れないでくれるかしら」

「……近所迷惑ヤロウ?」

 何故か、セフィルは急に呆気に取られたような顔になっている。

「酔っ払いタップダンスの近所迷惑ヤロウ、何をどう見たら『今を時めく竜隊士』になるのよ。このトリプルトサカ、天下の禁制ビール『トキメキ』キメ過ぎて頭おかしくなってるわよ」

「トリプルトサカ?」

「そういう悪趣味な刺青してるからよ。あ、いま髪型も、そうなってる。ピョンピョコ踊りながら泡吹いてたし、美的感覚どころか社会常識さえも真剣に疑うわ」

 兄バジルが、ひょっこりと顔を出した。

「完全スルーかぁ」

「何のことよ、お兄ちゃん」

「ロリコン事件あっただろ。あの時もアイヴィ、ロリコン男の刺青のアレ、完全スルーして、一発で『あんなの、趣味じゃない』と返してさ」

「そんな事あった?」

「覚えてないだろ妹よ。トラウマ後遺症の治療で処置済みだから」

 続いて、馴染みの機動隊がドヤドヤとやって来た。近所の野次馬も加わっている。

「ややッ! もう拘束済みか! ありゃ話題の『今を時めく竜隊士』だぞ!」

「現行犯逮捕だぜ、乱暴狼藉の余罪も追加で」

「あー、あの『自動トラブル吸引機』と『不機嫌な御曹司』の二人組か、なら納得だわ」

 錠前屋の店頭の壊れっぷりを見て楽し気に笑う中年ベテラン、ルシュド隊長は、かつて近所の武官寮に住んでいた、古い知り合いだ。今は結婚し昇進もして、別の所で家を構えて住んでいる。

「おー、こりゃ『求愛の叫び』と称して、盛大にやりまくったねぇ。お年頃だねぇ」

「手錠ハメて、天井からフックで吊るした亀の背に縛り付ける、と脅して来たのよ。何処が『求愛の叫び』よ」

「それでこそ我らがアイヴィちゃんだ、イヒヒ。セフィル君のバディは、いつも予想もつかないところで、予想のつかない戦果を挙げて来るな」

 馴染みの隊長の軽口を振りかけられたセフィルは、不機嫌そうに、チラリと銀灰色の視線を返す。

 そして。

 セフィルは、大男の身体から、ようやくにして足をどけた。すっかり恐れ入った顔つきになっている大男の胸倉をつかみ、気だるげな様子で、何かをささやく。

 真面目にしていれば、それなりに好青年に見えるトリプルトサカ男の顔色が……何故か、一気に蒼白になった。

 傍で立ち会っていたルシュド隊長の口端も、ピキッと引きつっている。

 セフィルは、よほどの何かを口にしたらしいが……大型竜体ほどの鋭い聴力を持たないアイヴィには、何が何だかだ。

(どうせ、またチャランポラン言ってるんじゃないの。仲良しのユレイシア嬢との夜を邪魔しやがって、もげろ、とかさ)

(5)乙女ゴコロは複雑に揺れ動くのです、いつでも

 アイヴィの兄『地のバジル』は、《地魔法》による大工仕事は達者なものだ。

 近所の助っ人たちも三々五々集まって来ていて、トリプルトサカ男の乱暴狼藉によって粉々になっていた店頭が、みるみるうちに修復されていく。

 セフィルは、不機嫌そうな顔で眺めていた。機動隊に連行されて行くトリプルトサカ男を。

「例の連続暴行事件の発生場所が此処になるとは」

「出没ポイント予測、『竜宮城の直下の回廊街区2番5号、見張り塔3番』って言ってたわね。彼が本当に王都重鎮の親衛隊メンバーで、割とエリートだったのも意外と言うか、納得と言うか」

「ああいう求愛もとい殴り込みを受けたら普通は第一に緊急アラートだろ、ボケナス。何で急に、下町の錠前屋が殴り込まれたんだ?」

 アイヴィはグッと詰まった。

 犯人が、あの尖塔に特別出張していたのも、アイヴィが尖塔へ殴り込んだのも、ホントに単なる偶然。

 おまけに問題百出だ。

 クラウントカゲ幼体の双子だの、リリーの魔法の杖の行方だの、今は秘密にしたい内容が多すぎる。

「尋問すれば分かる事でしょ……この手は何よ、チャランポラン」

 いつの間にかアイヴィの背中に、セフィルの手が回っている。そして背中から首筋へ。思いがけず、ドキリとする仕草。

 そして次の瞬間、セフィルはハッと息を呑みつつ、アイヴィの片腕を取り上げた。

「なッ……ッツ!」

 まだ塞がっていない刀傷がズキリと来る。セフィルの目元が一瞬、ピクリと震えたようだ。

「おい、この傷は何処で付けた。せっかくの服が……この跳ねっかえりが」

 うっかりしていた。朝に袖を通したばかりの華麗な衣装の袖が、ザックリと切れたままだ。昼間、トリプルトサカ男が斬り付けて来た痕跡。

 こんなチャランポランでも、大型竜体の視力。それとも背丈の有利か。セフィルが近くに並ぶと、その背丈にビックリさせられる。

「その辺で転んだだけよ」

 セフィルはボンボンの御曹司だけに、流血に弱い性質だ。あの刃傷沙汰を取り巻く事情には、巻き込むわけにはいかない……

 *****

 ……数年ほど前の話。

 馴染みのルシュド隊長が、その筋に進言した事で、アイヴィは、幼体の頃からの奇妙な腐れ縁『風のセフィル卿』とバディを組んだ。

 その関係を誤解した、うるわしのユレイシア嬢の取り巻きが嫌がらせをして来た。

 バーサーク竜体の鎮圧と矯正治療の過程で出る『バーサーク血液』を、不意打ちで、アイヴィに浴びせて来た事があったのだ。

 当時、担当していた庭園メンテナンス作業……失せた備品の探索も兼ねて、背の高い雑草を大鎌で刈っていたアイヴィが、どんな外見になったのかは言うまでもなく。

 その直後。

 うるわしのユレイシア嬢と腕を組んで、そこに通りかかったセフィルが、大鎌を持った血まみれのアイヴィを見て。

 何と、失神して、バッタリのびてしまったのだ。庭園鑑賞用の、華麗な渡り廊下の真ん中で。

 ユレイシア嬢はパニックで、アイヴィを『大魔王インフェルノ』呼ばわりして、きゃーきゃー叫びまくって泣き出していたし。

 取り巻きたちも狂ったように走り回っていたし。

 近衛隊も、わんさか駆けつけて来て……

 *****

「……いま変な事を考えてただろう。転んだだけで、こんな傷が付くか、ボケナス」

「その魔法の杖、緊急の通信が入ってるわよ。さっさと気付かんか、チャランポラン」

 言われてセフィルは初めて、手持ちの杖の先端部の白い点滅光に、気付いた様子だ。

(恐ろしく察しが良いのに変なところでニブいわね、セフィルって)

 通信リンクを開いた瞬間……セフィルは慌てたように、アイヴィから距離を取った。

「……ユレイシア! 今夜はそちらに行けないと言っただろう」

 アイヴィの中で、何かが、ザックリと来る。

(――ウソこけ。今日は公休日じゃんか)

 公休日は、竜宮城を含む上層回廊の何処かで、必ず、華やかな政財界パーティーをやっている。アイヴィを含む、竜王都のヒラのスタッフの間では、暗黙の了解だ。

 セフィルは、これから本当にうるわしのユレイシア嬢との夜を、楽しむ予定だった訳だ。

 アイヴィの所に来たのは……

 分かってはいたけど。

 想定外ながら、かねてからの連続暴行事件という懸念が解決して、喜ぶべきところだけど。

 アイヴィが死力を尽くして対応していた暴漢を、こいつは、美人の恋人とのチャランポランなデートの合間に、鼻歌交じりで――実際は鼻歌は無かったが――倒したのだ。

 メチャクチャむかついてしまう。訳もなく。

「寝言は寝て言え、おめかし万端のクセして。あとはヨロシクー、お兄ちゃん。あ、頼んでたブツ、それね」

 アイヴィは小気味よい身のこなしで、兄バジルの持っていた『リリーの魔法の杖』レプリカの入ったケースをさらっていった。

 兄バジルは呆然とした後。近くの不吉な気配に気づいて、震え上がったのだった。いつものように。

 哀れな兄のボソボソとした呟きは、雷鳴と暴風雪に遮られ……遂に、アイヴィの耳に入る事は無かった。

「……なんで顔を合わせると、いつも憎まれ口をたたきあってるケンカップルなんだろうね……!?」

 *****

 アイヴィは、朦朧としてグッタリとしたリリーを、ベッドの上に引きずり上げた。

「うーん……ゴメンナサイ」

「いいから、いいから。《異常発熱》って、体内エーテル循環の単なる不調なんかより、よっぽど重症でしょ。陰謀だの暗殺だの巻き込まれてる場合じゃなければ、上層回廊の大きな医療院から救急を呼ぶところだよ」

 リリーは店頭が破壊された際の魔法の爆発で、壁に叩き付けられていたのだった。《異常発熱》真っ最中の身体に、物理的にも魔法的にもショックを受けた事で、急に動けなくなってきている。

 寝込んでいる状況が、寝たきりになるのも時間の問題。

 クラウントカゲ幼体が、花蕾の状態の頭頂フッサフサをフルフルと震わせ、つぶらな目をウルウルさせていた。

「リリーの魔法の杖のレプリカは準備できたし。先手必勝。決行は、明日の夜よ」

「きゅう」

 やがて。

 クラウントカゲ幼体が、つぶらな目をパチクリさせ、アイヴィの首筋に鼻先をくっ付けて来た。

「なに?」

 思わず首筋に手をやる。高い立ち襟がバトルで破られていて……首元まで破られている状態だ。それにもかかわらず、首筋をグルリと取り巻く感触。

 ――襟巻き?

 魔法の杖を手鏡に変形する。

 白いエーテルで出来たリボンが、チョーカーのように巻かれていた。白い色は《風霊相》のサイン。

 先ほどセフィルが触れて来た感覚が、まだ背中に残っていて……首筋まで上がって来て……あの時?

(セフィルが、これを巻いてくれたって事? 首は怪我してないんだけど)

 クラウントカゲ幼体が「きーきー」と怒りながら、リボンを外そうとしている。

 何かが変だ、と首を傾げながらも。

 ――セフィルは《風霊相》生まれ。

 アイヴィの頬は、いつの間にか上気していたのだった。

(6)キラキラお嬢様のクレームと白いリボン

 翌日。

 アイヴィは早退で上がるべく、竜王都スタッフとしての業務をテキパキと済ませた。

 昨夜の事件の報告書に目を通していた上司が、苦笑いをしながら声を掛けて来る。ルシュド隊長と同年代の、気の良い中年オッサンという風だ。

「見事な『自動トラブル吸引機』ぶりだなぁ、アイヴィ嬢。お蔭で公安部や軍部は大喜びだよ。ドラゴンパワー不足で、竜隊士としての採用は不可だが、特例メンバーとして引っこ抜きたいという話が来てるんだよね」

 アイヴィはフンと鼻を鳴らした。

「今の品質管理局の受付と調査の業務だけで手いっぱいですよ、ボス。雷電シーズン中は、設備メンテナンス案件が激増するんですから」

 書類の山の間をクルクル回り続けるアイヴィに、上司がさらに声を掛ける。

「そう言えば、あれからお友達とはどうした? リリー嬢。あんなに仲良く一緒に行動してたのに、今ほとんど上層回廊から降りて来てないね?」

「今の『本人』、それどころじゃないんです」

 気の合う同僚の女子スタッフたちが口を挟んで来る。

「そう言えば髪の色、変わってるって噂ね。淡いミントグリーン系なのに、最近は濃いアッシュグリーン系とか。あの子の虚弱体質、改善したって事?」

「性格も派手になったとか。中の人が別人みたい」

 アイヴィは沈黙を守りながらも、確信していた。

 今、上層回廊からほとんど降りて来ていない『噂のリリー嬢』こそが、《化けの皮》をかぶった偽物。

 本当のリリーは、大変な怖がりで、引っ込み思案なのだ。

 大型竜体だらけの上層回廊に積極的に通い、そのうえ、そこに平然と居座るという事は、絶対に有り得ない。

 リリーの魔法の杖をスリ替え、さらに姿形をも《化けの皮》でリリーに似せた犯人が、本当のリリーの身を、あんな状況に追い込んだ張本人。ないしは、その一味。

 だが、その張本人は、『何をしたのか』という事は、決して自分からはバラさないだろう。魔法の杖のスリ替えだけでも、立派に重犯罪なのだから。

(リリーの杖を取り戻したアカツキには、覚悟しとけよ、真犯人とその一味!)

 アイヴィは怒りと気合を込めて、文書の山をドスンと棚に押し込んだのだった。

 その時。

 仕事場に面する宮殿スタイルのアーチ回廊から、高価なアクセサリー満載のキラキラお嬢様が現れた。ユレイシア嬢の取り巻きの一人。

「何て荒っぽい。これだから卑しい奴隷竜人は」

「大型タンク満杯の血液を軽く浴びせて来た腕力お嬢様が、言ってくれるじゃない。で、何の用よ」

「これ以上、セフィル様を縛らないでいただきたいの! あんたが足手まといだから、セフィル様が苦労してるのよ。そんなセフィル様を心配してるユレイシア様がお可哀想で、見てられなくて」

「は?」

 何処をどう見たら、そんな見解が出て来る?

 珍しくも、真剣に検討した後。

 ――足手まとい。

 一瞬、目の前が暗くなった。思い当たり、あり過ぎる。

 ――合点は、いった。いったけど。セフィルも、迷惑だと思ったなら思ったで、放っておいてくれれば良かったのに。

 アイヴィは早速、襟元を開いた。立ち襟の陰になっていた白いリボンが現れる。

 お嬢様が、ギンッと目を光らせる。

「な、何なの、その《風》のリボン、まさか……!」

「セフィルが巻いてったヤツだと思う。怪我してないから包帯だって要らないんだけど、そっちの方で必要なら持ってってよ」

「セフィル様の《宝珠》でもない出しゃばり女が、持つべきモノじゃ無いわ! ユレイシア様のモノよ!」

 お嬢様は急に激怒し、アイヴィの首から乱暴にリボンをむしり取り。

 御礼も言わず、サーッと走り去って行った。

 *****

「宮廷の、ほのめかし社交とか、まったく訳分からんわ。結局、あのリボンは《宝珠》に関わる暗号か何かって事?」

「逆鱗パーツの位置だから、意味はあるのかもね」

 アイヴィは予定通り実家の錠前屋に帰宅し、早くも秘密作戦の準備に取り掛かっていた。アレコレとボヤキながら。

 リリーは寝込んではいたが、これから例の尖塔に殴り込むアイヴィを心配し、そのボヤキに生真面目に応じていた。

 窓の外では、雷雨が続いている。一気に気温が上昇したため、氷柱(つらら)落下の警報が出たけれど、雪嵐よりは動きやすい。

 忍者の扮装をまとったアイヴィの足元では、クラウントカゲ幼体が落ち着かなげに、クルクルと回り続けている。

 業務の合間に山ほど取り寄せた『毒ムカデの尖塔44番3号』資料に、目を通す。

「典型的な作業塔ね。最上階は、ムカデ毒エキス抽出のための蒸留装置が、雷電エネルギーで稼働中。魔法の杖を隠すとしたら……パイプラインの隙間かな」

 クラウントカゲ幼体がアイヴィの足元にヒシッとしがみつき、鳴き始めた。

「きゅうきゅう、きゅう!」

「あー、分かってるわよ、一緒に連れてってあげる。双子も見つける。だけど危険だから、ちゃんと言うこと聞くのよ、ベイビー」

 アイヴィはクラウントカゲ幼体をヒョイと摘まみ上げ、忍者の扮装をまとったばかりの肩に乗せる。

 幼体はスンスン言いながらも、静かになった。リリーが苦笑しながら、ベッドから、そんな幼体に話しかける。

「双子を救出したら、一緒に厩舎へ行って、ちゃんと治療を受けてね」

「きゅう」

 そして、忍者姿のアイヴィは、遂に本番の殴り込みをかけるべく、雷雨の中へ走り出たのだった。

「いざ出陣!」

「きゅう!」

(7)いざ毒ムカデの尖塔へ殴り込めば、アイツが

 毒ムカデの尖塔44番3号。

 天球には雷雲が渦巻き、ひっきりなしに雷電が閃き、雷鳴が重く轟いている。

 石畳を打つ激しい暴風雨は、うまい具合に、尖塔に接近するアイヴィの姿をごまかしてくれていた。《水霊相》生まれのアイヴィにとっては、雨の下闇に紛れる《水遁術》は、お手の物。

 何処かから、ガシャーンと言う破砕音が響いて来る。巨大な氷柱(つらら)が落下して、砕けた音だ。早春の風物詩。あと数日も経てば、融雪がもたらす水音に取って代わるだろう。

 梯子をスルスルと伝い、フライング・バットレス高架の通路へと踏み入る。

 所定の場所に、くたびれた隊士服をまとう見張り男が、退屈な様子で佇んでいた。傍の支柱にはクラウントカゲ成体がつながれていて、キョロキョロと長い首を巡らせている。

 最寄りの別の支柱に身を隠しつつ、アイヴィはブツブツと呟いた。

「あの見張りが、クラウントカゲに乗って逃げ出したらマズいわ。あっと言う間に、尖塔の悪の親玉まで報告が上がっちゃう」

「きゅう」

「そこで隠れてて、ベイビー」

 アイヴィは、念入りに確認した特製の大型錠前を、魔法の杖にセットした。見た目、大型トンカチである。

「ニンニン!」

「何だと!?」

 電撃ロックの安全装置が外れた大型錠前から、一撃必殺の電撃が飛ぶ。

 一瞬のうちに朦朧とした見張り男は、次に、アイヴィの物理的なトンカチ攻撃を受けて、支柱の筋交い部分へと吹っ飛ばされていった。

 アイヴィは素早く身体を寄せ、手持ちの鎖と多数の錠前でもって、男の身体を筋交い部分に縛り付ける。さながら磔(はりつけ)スタイル。

「出て来ていいわよ、ベイビー。こいつに聞きたい事あるんでしょ」

 アイヴィは振り返ってクラウントカゲ幼体を呼び……そして絶句した。

 クラウントカゲ幼体は、ヌイグルミのように摘まみ上げられていた。背の高い……竜宮城の文官姿の、呆れ顔の男に。

「セ、セフィル? 何で此処に?」

「壁ドンして拘束プレイしてるのか」

「どういう意味よ、それ」

「最近の風俗街の特別訪問サービス。女忍者が男客を壁ドンして色々プレイするというスリル満載の新メニューが、上層回廊でも評判になっている」

「へ、変態じゃん」

「こいつが大人しく壁ドンされているのは、そのせいだぞ」

 セフィルはアイヴィを意味深に眺めていた。一層、不機嫌な顔で。

 アイヴィは気が付いていなかった。

 下町の製品ならではの低クオリティな忍者の扮装は、雨水をタップリと吸って、うら若い娘の身体のラインをクッキリと出している。その手のドレスよりも、よほど刺激的。

 そんな反則な姿で、残りの鎖を固定するために、見張り男の身体によじ登っていたものだから……ちょうど、慎ましくも柔らかな胸の間に、男の頭が埋まる格好になっているのだ。

 セフィルは見張り男からアイヴィを引き剥がすなり、

「ニヤケ顔をするな、セクハラ累犯が」

 アイヴィの杖に取り付けられていた大型錠前を取り外し、それで、見張り男の頭をボコったのだった。

 脳天に大型錠前の最大強度の電撃ロックを食らい、見張り男は白目を剥いて失神した。

「ちょっと、質問できないじゃない。最大強度だと半日ぐらい失神が続くんだから」

「必要無い」

 セフィルが、クイと指差して見せた先を見ると。

 クラウントカゲ幼体は、近くの支柱につながれていたクラウントカゲ成体と鼻を突き合わせて、フンフン言いながら何かを会話している様子だ。

 やがてクラウントカゲ幼体は、グッタリとした見張り男に飛びつき、装備のアレコレをひっくり返し……やがて一対の知恵の輪のような暗号鍵を取り出した。

「きゅう」

「突然変異の双子だけあって、賢いな」

「……突然変異?」

「正確な古代恐竜語を喋る先祖返りは希少だ。しかも双子ともなると、どれだけ離れていてもパートナーの位置状況を感じる超感覚が発達する事が分かっている。暴風雪の中を走り、この雷電の中でも、うろたえない。優秀な軍馬の原種として、普通は王宮直属の厩舎で厳重に保護される」

「知らなかったわよ」

 セフィルはクラウントカゲ幼体が差し出して来た暗号鍵を受け取ると、クラウントカゲ成体の手綱の金属部分に通し、支柱から解放した。

「最初に、此処の厩舎のロックを解除して、他のクラウントカゲも別の回廊街区の方へ散らしておかないと」

「しゃしゃり出て来ておいて、作戦に口出ししないでくれるかしら」

「尖塔の攻略手順がそうなってるんだ。専門の軍事訓練を受けてないだろう、ボケナス」

 思わず詰まるアイヴィであった。

 *****

 雷電の中、暴風雨の下闇に紛れて、訳知り顔をしたクラウントカゲのひと群れが、一斉に散らばってゆく。

 小っちゃな幼体が虐待されていた事実は既に同族に知れ渡っていて、ロックを解かれたクラウントカゲたちは、皆、協力的であった。

 アイヴィがその様子を感心して見守っている間に。

 セフィルは、尖塔周りの常時駆動タイプ《監視魔法陣》をハックして、魔法的に無効化していた。

「これで、侵入者に気付きにくくなる筈だ。大事な馬が逃げ散っても気付かないくらいだからな。左遷と奉仕労役のための、うらぶれた作業塔って事情もあるだろうが」

「どうやって《監視魔法陣》を無効化するのよ」

「軍事機密だ、ボケナス」

 アイヴィは、ハーッと息をついた。

 いつもと違う様子を感じたのか、セフィルが怪訝そうな様子で振り返って来る。

「ねえ、セフィル。つくづく私、足手まといのボケナスだったと思うわ。この件が終わったら、王都の雑多トラブル対応バディ、解除しましょ。ルシュド隊長の推薦だったから彼にはご迷惑かけるけど、元が変な腐れ縁だから、こじれた訳だし」

「どういう意味だ?」

「言葉どおりの意味よ」

 奇妙な間が空く。

 随分と近い場所で、再び氷柱(つらら)が落下したらしい――ガシャーンという破砕音。

(8)毒ムカデの尖塔の最上階、悪夢のような光景

 セフィルは、『変態こそ芸術の神髄』なる名言にして妄言を残したと言われる歴史上の変人宮廷画家が描いた、伝説の美貌のホラー死体のような顔になっていた。

 天球を飛び交う青白い雷電のせいか。

 美形だと、こういう顔もサマになるのだと、初めて知るアイヴィであった。

「実は、ユレイシア嬢の方面からクレームがあったの。『足手まとい』は事実だし、書類審査の結果が変なのかも。それから、あの白いリボン、仲介のお嬢様に渡しといたから。今ごろはユレイシア嬢に届いてると思う」

「……は?」

「首を怪我してないのに要らなかったわよ、あのチョーカー型リボン」

「ちょっと待て」

 セフィルが、アイヴィの立ち襟を開いた。目にも留まらぬ素早い動きで。

 リボンも何も巻かれていない、まっさらの首元がさらされる。

「外せたのか……」

「女の襟を開くな、完璧な御曹司マナーどうしたチャラ」

 ンポラン、と続けて言おうとしたアイヴィは、息を詰まらせていた。

 ……セフィルが、アイヴィの身体をきつく抱きしめている。アイヴィの心臓が跳ね上がった。

 いつまでも続いてくれたら……そんな一瞬。

 再び、何処かで氷柱(つらら)が落下したらしい。ガシャーンという音。

 足元で、しびれを切らしたらしいクラウントカゲ幼体が「きゅう、きゅう!」と抗議するように鳴き始め。

 セフィルは、急に腕の力をゆるめて来た。

「この件は後で話し合おう」

****

 クラウントカゲ幼体の先導にしたがって、フライング・バットレス高架を移動しつつ、尖塔へと急接近する。

 セフィルが、ボソッと言葉を投げて来た。

「言っとくけど、アイヴィは足手まといなんかじゃないぞ」

「え?」

「職場の上司の方から、何も聞いてないのか」

「あ……『自動トラブル吸引機』とか」

「妙な言い回しするからな、ルシュド隊長のお仲間は。あと、何で此処が分かったかと言うと、今日の急な早退の前に、公文書館と機動隊資料庫への『毒ムカデの尖塔44番3号』に関する大量データ提供要請があったからだ」

 アイヴィは愕然とするのみだ。

「幾らバディだからって……プライバシー侵害じゃないの」

「そっちこそ何か重大な事を秘密にしてるだろう。第一、この尖塔は品質管理局の管轄外だ。それに王都機動隊……特にルシュド隊のメンバーの誰かが、アイヴィの不自然な行動に気付いて、『毒ムカデの尖塔44番3号』に注目し始める頃だ」

「何でよ?」

「天然の『自動トラブル吸引機』だからだろ。ちょっと、ストップ」

 尖塔の直下に到達したところで、セフィルは上着を脱ぐと、アイヴィに着せて来た。

「え?」

「今どき、そんな怪しい忍者の格好で侵入する奴が居るか」

 アイヴィは凹んだ。

 しかし、凹んでいる間も無く。

 セフィルがアイヴィを荷物みたいに小脇に抱えた。クラウントカゲ幼体が、訳知り顔で、素早くアイヴィの足首に取りつく。

 数歩、助走しただけで、尖塔の最上階を巡る張り出しフチへと、ひとっ飛びだ。大型竜体の持ち主ならではの、驚くべき跳躍力。

 手持ち無沙汰で警棒を振り回していた見張りが、不意に現れた不審人物に気付き、瞬時に警棒を魔法の刀剣に変える。

「……貴様ァ、」

 次の瞬間、セフィルの神速の蹴り技を食らった見張りは、吹っ飛ばされて失神していた。口元は『ァ、』の形のまま、ダラリと固まっている。

 つまらなさそうな顔をしつつ、セフィルは、魔法の刀剣で張り出しフチを突き刺す。

 見張りの身体は、隊士服の端を刀剣でもって張り出しフチに縫い留められていて、そのまま危なっかしくブラ下がっている状態だ。

 次に目を覚ました時、この見張りが、自身の置かれた状況に唖然となる事は間違いない。

 セフィルが何でも無さそうに突き刺した刀剣は、大型竜体の主ならではの圧倒的な怪力を受けて、柄まで沈んでいるのだ。並みの竜隊士では到底、引っこ抜けないだろう。

「これでも軍事施設だから、下手に扉や壁を破壊したら緊急アラートで騒がしくなる。錠前、破れるか?」

 アイヴィは自信満々で頷いた。

 錠前破りは、錠前屋の娘の十八番(おはこ)。

 扉を封印しているのは、種も仕掛けも無い天然の錠前だ。トコトン設備投資をケチっているのが明らかな、最安値の品。

 セフィルに降ろしてもらい、長すぎる袖をまくり上げ、ものの数秒でアイヴィは錠前を開錠する。

 扉が開く。

 資料にも記載されていた通り、スペースいっぱいに、モンスター毒エキス抽出のための多数のパイプラインが走っていた。

 端に見える特殊ガラスの大型容器の中では、今まさに新鮮な毒を抜き取っている真っ最中の、イキの良い中型モンスター『毒ムカデ』が、ウジャウジャとうごめいている。

 クラウントカゲ幼体がダッシュし、その容器のてっぺんによじ登り、「きゅうきゅう」と鳴き始めた。

 雷光が閃いた一瞬、そこを見ると。

 クラウントカゲ幼体の双子が、そこに閉じ込められていたのだった。

「なんて、ひどい事を」

 その悪夢そのものの光景に、思わず呻くアイヴィ。

 クラウントカゲ幼体の双子の片割れは、何らかの棒に尻尾を縛り付けられた格好で、容器の頂上部の方で逆さ吊りにされていた。全身、傷だらけで、グッタリとしている。

 容器の底の方では、『毒ムカデ』が美味しそうな獲物を何とかして捕食しようと、伸ばした毒牙から、盛んに毒をしたたらせているところだ。

 幼体が吊るされている最上部スペースと、毒ムカデのスペースとは、モンスター毒でも腐食しにくい特殊な金属製の格子で仕切られていたが……

 ……細長いタイプの毒牙が格子の隙間を縫って伸びて来て、クラウントカゲ幼体の身体をチクチクと刺したり、ガリガリと引っかいたりしている。

 セフィルが顔をしかめ、随分と高所にある頂上部を見やる。

「私は大型竜体の方だから、このガラス容器の上までは行けない。一気に撃破しても良いけど、何か問題がありそうな気がする」

「あり過ぎるわよ!」

 大型容器の中でうごめく多数の『毒ムカデ』が、ウジャウジャと溢れ出して来て、近所の回廊街区をモンスター襲撃するところなど、見たくない。

「だいたい推測がついて来たような気がする。もともと魔境に生息していて、モンスター毒への耐性のあるクラウントカゲと言えども、毒牙に刺される回数が限度を超えると一気に衰弱する。双子が死なない程度に、交互に吊るして量を稼いでいるんだろう。工場として報告されている生産量は増えていないから、製品は、何処かに不正に横流しか……」

(9)救出、ピンチ、因縁の邂逅と急転回!

 アイヴィは魔法の杖を振り、夜間照明を発動した。アイヴィの夜目は、セフィルほどに鋭くは無い。

 そして……アイヴィは、鋭く息を呑んだ。

 クラウントカゲ幼体の双子が縛り付けられている、あの棒が……リリーの魔法の杖だ!

 ほとんどの天然素材は、モンスター毒に負けて腐食する。魔法の杖は、ほぼ腐食しない……とはいえ悪意のある有効活用だ。リリーにとっても、双子にとっても。

 アイヴィは素早くスペース全体に目を走らせた。予想通り、メンテナンス作業に使うのであろう梯子が、所定の場所に取り付けられていた。

「行くわよ」

「落ちるなよ」

 アイヴィはスルスルと梯子を伝って行った。

 そこかしこに、歪んだ蜘蛛の巣のようなモノが掛かっている。中心に奇妙な空隙があり、そこで不気味に揺らめく薄いモヤがある。

(何だろう?)

 そろりと手を伸ばす。

 モヤに触れた瞬間、割れるような頭痛と目まい、吐き気が始まった。梯子を握り締め、ぐらつく身体を必死で抑える。

「……毒ガス!?」

「アイヴィ!」

 下の方でセフィルが魔法の杖を振った。一陣の魔法の風が通ったかと思うや、セフィルに着せられたままだった上着が、かすかなエーテル音を立てる。

「えッ?」

 上着に縫い付けられていたテキスタイル刺繍のひとつが、魔法陣となって輝き始めている。急激な不調が落ち着いて来た。

「モンスターの毒気を中和する仕掛けだ。今までは使ったこと無かったが」

「何処まで規格外なのよ……」

 アイヴィはブルブル頭を振って気を取り直すと、再び接近を開始した。

 横に走るパイプラインを渡り、遂に、ポイントの真上に到達する。

 容器の蓋を固定しているのは錠前だ。手際よく開錠して容器の蓋を開ける。

 慎重に蓋を持ち上げ、蓋の下に連結された魔法の杖ごと、クラウントカゲ幼体の片割れを釣り上げる。

(レプリカ用意しておいて正解だった)

 錠前の二段階の開錠と同じテクニックでもって、蓋にセットされている連結部を開き、クラウントカゲ幼体を縛り付けている魔法の杖と、レプリカ棒とを入れ替える。

 レプリカ棒はパチリと連結部にハマった。

 最後に、レプリカ棒を下に連結する形になった蓋を、閉じる。

 クラウントカゲ幼体は、魔法の杖に縛り付けられたままグッタリしている片割れにしがみつき、つぶらな目をウルウルさせていた。

「上着のポケット、かなり余裕ある。ポケットに入ってて」

 アイヴィは魔法の杖ごと双子たちを摘まみ上げ、上着のポケットに詰め込んだ……

 突如。

 歪んだ蜘蛛の巣のような多数の構造体が、極彩色のエーテル光を放った。

 どろりとした重圧感をまとう空気が瞬く間に充満する。高濃度のモンスター毒。

 アイヴィはとっさに、クラウントカゲ幼体の双子が入っているポケットの口を閉じた。上着の袖で鼻と口を覆う。

 セフィルから着せられた上着は、アイヴィの想像以上にハイテクだった。清浄な空気が《風魔法》を通じて送り込まれてくる。

 下方に広がる床の辺りから……信じたくないような音。誰かが倒れたような。

「セフィル……!?」

 心臓をわしづかみにされるかのような不安。

 アイヴィは、ほとんど転げ落ちるかのように梯子を下降した。

 床に倒れていたのは、果たしてセフィルだ。各所で稼働中の不気味な魔法陣のエーテル光が、血の気の無い顔をまだらに照らす。

「死んじゃダメ!」

 上着の片袖を脱ぎ、空いた片身の側でセフィルの鼻と口を覆う。顔をすり寄せてみると、呼吸が止まっているのが分かる。

(人工呼吸だったっけ? どうやるんだった?)

 アイヴィは清浄な空気をいっぱいに吸い込むと、口移しでセフィルの中に空気を送り込み始めた。

 一回、二回。……三回。

 セフィルの様子を再確認しようと腕をゆるめた瞬間。

 重苦しいエーテル光が雲散霧消するや、バターンと扉が開いた。

 ギョッとし、再びセフィルの頭をギュッと抱え込むアイヴィ。

「ハーハハハ! 低能バカな、イカレポンチ野郎! 大型竜体も一撃コロリの《猛毒気》魔法陣に掛かりやがって、ザマ見ろ!」

 踏み入って来たのは、ガラの良くない竜人の男たちだ。何処かから盗んで来た着衣セットらしい、チグハグな出で立ち。隊士服さえ、チグハグに着崩している状態だ。

 ひときわ筋骨の発達した男ざかりが、ズイと進み出て来た。

 アイヴィの紺碧色の目が、ザッと全身を見て取る。

 ――幻覚魔法パッチワーク。特に顔面を覆う幻覚魔法のツギハギは、失敗した縫合痕みたいにひきつれていて、元々イケてる造作の男の人相を、一層、不気味に見せている。

 奇妙に歪んだ幻覚パッチワークを透かして見ると、男の竜角は、過去のバトルか何かで折れまくったのか、すさまじく変形していた。

 人体変身時の耳に相当する場所から、ねじれた突起が、てんでバラバラに突き出している。

 気が付いた時には、アイヴィは頭に浮かんだ事を、そのままポロッと口に出していた。

「スペクタクル幻術の特撮ヒーロー人形劇の……定番の悪役『大魔王インフェルノ』……?」

「舐めてんのか、ごるぁ! この俺様の美貌、覚えてねぇのか!」

「会った事ないけど」

「ごるあぁ! 一発で『あんなの趣味じゃない』とか、真顔で、かましておいてよぉ!」

 男にとっては盛大な屈辱だったらしい。真っ赤になって地団太を踏んでいる。周りの、ガラの良くない手下たちが、怪訝そうな顔になった。

 ザワザワし始めた手下たちの間から。

 場違いな程の、高価アクセサリー満載のキラキラお嬢様が現れた。仰天するアイヴィ。

「何で此処に居るの? 腕力お嬢様が」

 彼女は確かに、うるわしのユレイシア嬢の取り巻きの、お嬢様だ。『セフィル様を縛らないで』というクレームを付けて来て、白いチョーカー型リボンを持ち去って行った……

 ……あれ?

 お嬢様の首元にあるのは、アレは、その白いチョーカー型リボンでは?

「奴隷のくせに、その態度がムカつくのよ! 奴隷の解放なんて間違った政策しているから竜王国が滅ぶのよ! 今の竜王国の弱体化、あんたたち卑しい奴隷竜人が思い上がって、上層回廊にまで出入りしてるからよ! アタシがセフィルのバディ候補ナンバーワンだったのに、下町の下種(げす)ルシュドと結託して、不正に、ねじ込んで来やがって!」

「不正じゃなくて腐れ縁……てか、ユレイシア嬢は? そのリボンは?」

「あの性転換魔法の忍者ヤロウ、用が済めばドウだっていいのよ! ねえ、あんた、身の程知らずにも、セフィルに恋してるんでしょ。でなきゃ、リボン外す時、あんな本気で辛(つら)そうな顔しないわよねぇ、見てて面白かったわ、ほほほほほ!」

 図星。アイヴィは呆然と座り込んだまま、いつの間にか震えていた。

「でも無駄よ! 宮廷でも話題の、謎の『青いドレスのエフェメラル』正体は実はアタシよ、って事で売り込む予定だし、セフィルの資産、地位、人脈ぜーんぶ、アタシのだからね! あの金と人脈! 竜宮城の高位高官を我が一族が独占して、奴隷制を完全に復活させる! そして竜王国の復興の英雄としての栄誉に輝く事も夢では無いわ!」

 お嬢様は更に、居丈高な様子で話し続ける。

「ガツンと言ってやらなければ気が済まない事があったわ! あのバーサーク血液、何で歯車メンテナンス用の研磨液にスリ替(かわ)ってるのよ! お蔭で、パパの秘密牧場の『甲羅コウモリ』『星イカ』『星クラゲ』全滅よ、どうしてくれるの!」

「あれ『トキメキ乱闘祭り』参加者が、まだ酔っ払ってる状態で誤記ラベル張ってたから……え、でも、バーサーク血液って高濃度エーテル燃料だから、工場機械の動力源として……いや、それより、雷電シーズン限定の狩猟肉(ジビエ)……バーサーク血液を飲ませて有毒バーサーク化させて、何するつもりだったの?」

 お嬢様は急に、一族の陰謀あるいは闇ビジネスを暴露するところだった、という事に気付いたらしい。

「あんたと話してると調子、狂うわ! あれだけバーサーク血液ブッ掛けてもバーサーク化しないなんて、よっぽどドラゴンパワーの無い、欠陥チビ竜体だわね! とにかく! あんたが欲しかったブツ、知ってるのよ!」

 お嬢様が、壁に取り付けられている操作盤に向かって魔法の杖を振ると、歯車の組み合わせパターンが変わった。

 ゴゴゴという音と共に、『毒ムカデ』入りの特殊ガラス容器が横倒しになる。

 お嬢様は手慣れた様子で蓋を取り外し、連結部に魔法署名を振りかけて解除した。パチリと音を立てて、魔法の杖が取り出される。

「この魔法の杖なかなか役立ってくれたわよ。あんたが此処で不法侵入者として逮捕されれば、セフィルとのバディ強制解除は確実だし、もう要らないわね!」

 お嬢様は高笑いしつつ、そこにあった『毒ムカデ』死体廃棄用ローラーに、魔法の杖を放り込んだ。

 やがて、流れて来るベルトコンベアの上に、粉々に砕かれた魔法の杖の破片が現れる。

「あ、多分、そこまで砕いてしまったら超マズい」

「うるさいわね! それに、そのヘタレ男は誰よ。幼女だった頃も、此処に居るピカイチ男を誘惑してお楽しみだったと聞いたわよ、破廉恥!」

 次の瞬間。

 セフィルが身を起こした。

「は?」

 アイヴィが目を白黒しているうちに、セフィルはアイヴィを抱きかかえ、あっと言う間に天井の梁(はり)へと跳躍したのだった。

 ガラの良くない男たちが、揃って口をアングリし、騒ぎ出す。

「なにい!」

「何で! あの猛毒の陣であれば、普通は……!」

(10)そして海となり山となった恐るべき黒いカサコソ、一件落着の春

 お嬢様が愕然となっている。

 顔面蒼白だ。スゴイ目で、ギンッと男たちを睨(にら)み。

「話が違うわよ、このバカども! どついたるわ! 麻酔ナシで竜鱗、剥がしたるわ!」

「待て、急に毒ゴキブリが湧いて来た……!」

「何ですって!?」

 哀れな手下の一人の指摘は、正確だった。

 あらゆる隙間から、油っぽく黒光りする恐るべきカサコソが、『ざわ、ざわわーっ』と湧いて来ている!

 毒ゴキブリの大群は、あっという間に床面に満ち、溢れ、嵩(かさ)を増していった!

 そして壁を、あらゆるパイプラインを、容器を、隙間なくウジャウジャと覆っていくのだった!

 急速に増殖し暴走し続ける、恐るべき黒いカサコソの大群に埋もれ。その中でもがき始めた、お嬢様とガラの良くない男たちは、パニックだ。

「駆除だ、駆除の魔法道具、防虫剤、ゴキ撃退の煙、何処だ!」

「何が、どうして、こうなって……!」

 アイヴィは呆然としながらも回答を口にしていた。

「レプリカ名工のクーロン爺ちゃん、リリーを孫娘みたいに気に入ってるから……毒ゴキブリ誘引剤、材料に混ぜ込んで……」

「ユーモア仕掛けの逆襲とは、愉快なレプリカ職人に違いないな」

 セフィルはアイヴィを抱えたまま再び跳躍し、別の梁(はり)に移ると、お嬢様とガラの良くない男たちに、白く光る魔法の杖をヒラリと掲げて見せた。

「今までの話、ルシュド隊長たちに転送しておいたから」

「ごるあぁ!」

「あと、その首に巻き付いてる白いリボンの作成者は、先日、現行犯逮捕したばかりの竜隊士。君たちの方が良く知っているだろうね」

「ウソォ!?」

 お嬢様が唖然と見上げて来ている。

 セフィルは、いつもの不機嫌そうな表情が嘘のように、胡散臭いほどの爽やかな笑みを返しているところだ。

 ――何故か分かる。こういう顔の時のセフィルには、絶対、近付いてはいけない。

「双子が言っていたけど、そのリボンには奴隷妻を手に入れるための禁術が仕掛けられているそうだ。獣人の闇ギルドの定番商品。本稼働が始まっているから、それなりの魔法官に解析と解除を頼むとなると順番待ちだな。それも年単位で」

 お嬢様とガラの良くない男たちは、尖塔全体を揺るがさんばかりの叫び声をあげた。

「な、なんだって――――!!」

 次の瞬間。

 セフィルは、高く跳躍した。大型竜体の主ならではの怪力で、尖塔の屋根パーツを一気に蹴り破る。

 尖塔の屋根が、丸々吹き飛んでいった。

 ――『毒ムカデの尖塔44番3号』の上に広がる、はるかなる天球。

 降りそそいで来る激しい暴風雨、雷電の閃光、轟音――

 わずか数回ほどの跳躍で、セフィルとアイヴィは、尖塔を取り巻くフライング・バットレス高架の間に移動していた。

 クラウントカゲ騎乗中の馴染みの機動隊が、高架を駆け上がりつつ喚いている。

「あの尖塔で何が起きてるんだ! 何で毒ゴキブリが大量発生してるんだ!」

「さっき魔法官に緊急出動を注文したところだ! アレ《下級魔物シールド》で現場封鎖するレベルじゃないか!」

「もう外の壁も、真っ黒ウジャウジャだぞ!」

 程なくして、もう一匹のクラウントカゲが、ヒラリと高架を飛び越えて来た。騎乗しているルシュド隊長が、愉快そうに呼びかけて来る。

「リアルタイム供述の転送ありがとー。あの尖塔の関係者、ほぼ全員、容疑確定したぜ。想定外の余罪もな。ついでに身柄も塔の中に拘束済みなんだろう、セフィルくーん」

 不機嫌そうに、ジロリと銀灰色の視線を返すセフィル。

 ルシュド隊長は急にニヤニヤし始めた。妙な訳知り顔で。

「意外にご機嫌じゃないか、イイ事でもあったか? ……お、魔法官が到着したな。さっさと『毒ムカデの尖塔44番3号』たたんじまえ!」

 ルシュド隊長の号令に応じて、今や遅しと待ち構えていた機動隊メンバーが、一斉に飛び出して行ったのだった。

 *****

 魔法官の形成した《下級魔物シールド》が、『毒ムカデの尖塔44番3号』をドームのように覆っている。

 かつて尖塔だったものは、今や、ひとつの山岳のようになった毒ゴキブリの大群に埋もれていて、何が何だかだ。

 あのウジャウジャとうごめく黒い山の中から、容疑者全員を発掘するのは……気の遠くなるような大仕事。

 アイヴィは、不意に気付くところがあった。動転するままに、セフィルの腕の中でジタバタする。

「……セフィル、あの時いつから起きてたの!?」

「人工呼吸の方じゃない、本当のキスをしてくれたら教えても良いかな」

「このチャランポラン!」

 *****

 数日後。

 ルシュド隊長の執務室。

 処理を引き継いだ部下たちによる『毒ムカデの尖塔44番3号』事件報告書が、次々に上がっているところである。

 品質管理局に勤めるアイヴィの上司がやって来て、困惑顔をしつつ、未整理だったままの書状をルシュド隊長に提示した。

「このアイヴィ嬢の魔法署名付き『バディ解消申請書』なんだが。この空欄にセフィル卿の署名を求める事に関しては、本気で命の危険を感じる。アイヴィ嬢は、事件トラウマ治療のせいで覚えてないが、セフィル卿の《宝珠》って事実は、我々含む訳知りの連中の間じゃ公然の秘密だ」

「毒ゴキに食われて紛失した事にしとけば良いだろ。あの尖塔、まだ毒ゴキの駆除が終わってないから、何かの時にでも放り込んどけよ」

「ほほぅ成る程、その手があったか」

 安心したついでに、アイヴィの上司は、先ほど野次馬気分で見物して来た光景を、ポロッと思い出したのだった。

「あの因縁のロリコン事件のあやつ、毒ゴキの海に沈められたのが原因だけじゃ無いな、トコトン燃え尽きた顔してるぞ」

「ロリコンなりに、アイヴィ嬢にホの字だからな。バジル兄さんを酒盛りで酔っ払わせて、幼女だった頃の彼女との婚約証書ゲットしてたくらいだ。幼体との婚約の場合は、保護者が代理で魔法署名する形だから、本物の有効な魔法署名付き証書だった」

 ルシュド隊長はシミジミと回想している。

「なんという奇縁(きえん)か、当時、竜宮城をめぐる爆弾テロの調査で、セフィル少年が下町まで出張していて、アイヴィ嬢の婚約証書について揉めてるところに遭遇した。即刻、婚約証書の無効化のための決闘手続きに移行し、竜角・四肢・竜尾にわたる骨格の完全粉砕という、伝説の半殺しが展開した。まぁ詐欺罪と連続幼女殺害の罪その他多くの余罪で、監獄入りは確定してたが」

「辺り一帯、血飛沫(ちしぶき)だの、竜角や竜鱗の破片だの、凄まじい有り様だったそうだな。大型竜体は総じて苛烈。幼女のトラウマ記憶喪失の処置は正解だった訳だ」

「あの娘(こ)、伝説の『坑道のカナリア』さながらに発動前の不確実な《毒気》魔法陣に反応してた。古代の鉱山奴隷『紺碧』の末裔。超高感度な分、禁術・幻術の焦点がズレまくるんだな。トラウマやら、実用レベルじゃ無いくらいに。セフィル君が気付いて手を打たなかったら……それに、竜角の美容整形で再びの禁術の類を使ってなければ、ロリコン男にも希望はあったかもな。モテるタイプの美形だし」

「セフィル卿に締められるぞ、最後の言い草」

「ハッハッハ! 秘密を共有する友よ、この事件、ヤバい展開してるぜ。竜宮城や上層回廊の暗黒面が芋づる式でな。ついさっき、例のユレイシア嬢、及び『偽・リリー嬢』の《化けの皮》が剥がれ落ちたという緊急連絡が回って来たんだ。ガッツリ女装した、のぞき魔とバーサーク殺人魔の前科持ちの男たち、要人暗殺が目的だった可能性ありとかで、近衛隊もショックを受けてるようだ」

 アイヴィの上司は息を呑んだ後、次第に思案顔になっていった。

「実に際どいタイミングだったようだな。今、リリー嬢は元気で、アイヴィ嬢と一緒に出勤して来てるんだ。あと一刻もしたら、あの二人、クラウントカゲ幼体の双子を竜宮城の城門の厩舎へ連れてゆくところでな」

「……今、お前、一刻後の私の命を救ったぞ」

「何の事だ、ルシュド?」

「いや、こっちの話さ。いずれにせよ遠くないうちに、政変レベルの大捕り物になるだろう。これから忙しくなるぞ、友よ」

 窓の外は、既に春。

 明るい陽射しが青空に満ちている。竜王都を擁する山岳地帯の各所で響くのは、融雪の音。

 今まで膠着状態だったものが大きく流動し始めるのを予兆するかのように、数多の白い雲が迅速に流れていたのだった。

 ―《終》―

目次に戻る

§総目次§

深森の帝國