■1■もしもし月よ、亀さんよ
波打ち際に居るようだ。
寄せては返す波の音――
『そろそろ目が覚めるころかね、娘さん』
――聞き覚えのあるような気のする、穏やかで渋い声音。精霊語。だけど人の声っぽいような……
人の声!?
パチリと目を開ける。
現実の肉体感覚よりも、ずっと馴染んだ気のする、霊魂の感覚の、目を。
頭上に広がる葉っぱの隙間から、夜よりも深い深い――藍色の空。
椰子らしき緑の葉っぱが広がっていて、トロピカル異国情緒あふれるパラソルだ。螺鈿のような光沢があって、現実の植物じゃないことが判る。
螺鈿のような反射光を生み出している元の照射光は、天の方向から降り注いでいるのではなく、地の方向から湧き上がって来ていた。
波の音の方向へ顔を向ければ、そこにはエメラルドグリーンに輝く海。実際は川――三途の川だそうだけど。やっぱり、いまでも海としか思えない。
――もしかして例の、トロピカル島に居るのだろうか?
ボンヤリと、人の気配に焦点を合わせ……
そこには既知の人物が居た。物理的な人体ではなく、霊魂が。
『え、老ダーキン殿?』
老齢の白髪イケオジ風の、きれいにヒゲを整えた男性。生前はジャヌーブ港町でも大きな商会とされている『ガジャ倉庫商会』副代表だった人だ。
ひと房の銀髪は、昔の先祖返りという《銀月の祝福》のもの。
老ダーキン亡霊は、淡く端正な笑みを浮かべて会釈してきた。
あっさりとした生成りのターバンに、長衣(カフタン)。
だが細長いストールとしているトロピカル更紗は、《象使い》定番の魔除けの数珠モチーフを織り出した見事な品と知れる。
――《象使い》装束そのものでは無いが、かつては《象使い》修行者だったという過去をうかがわせる。
『こちらでは、お初にお目にかかりますな。《鳥使い》アリージュ姫』
『はあ……』
――お互いに亡霊だから、三途の川で再会するのも、納得するところ。とはいえ想定外の驚き。
霊魂アリージュは、慎重に起き上がった。
――包帯だらけの全身に、シュクラ風《鳥使い》装束。霊魂の状態が変わったのか――純白をした装束は、羽翼紋様も意外に明瞭だ。
『アリージュ姫の相棒・白文鳥どのは色々と忙しくしていてね。娘さんの目が覚めるまで、目を離さないでいてくれと依頼された次第。それに、あらたに説明する内容も』
『恐れ入ります……』
まだ10歳ほどの子供の姿をした霊体らしく、袖や裾が、あまっている。意識は、19歳の大人なのだが。どうしたものかと、端をブラブラさせるのみだ。
ボンヤリと、エメラルドグリーン色の海の向こうを眺めると。浮島らしい岩塊がプカプカと漂っていた。
――穏やかならざる雰囲気に包まれた「浮かぶ岩塊」のうえに、なにやら見覚えのある、キズのある人相。
思わず、霊魂アリージュは、怒りに燃えて、バッと立ち上がっていた。
『邪霊使いユージド! なんで、そこに居るの! て言うか、シュクラ王太子ユージドじゃ無かったよね! 謀反シュクラ貴族ホニャララ! いったい、ダレなの! 名を名乗れ!』
岩塊のうえ、左右の頬(ほお)に暗い《人食鬼(グール)》裂傷を刻んだ黒装束の青年は、真っ白になったシーツよりも青ざめた顔に、激怒を浮かべていた。
アリージュ姫の隣に佇んでいた老ダーキンが、ふうと溜息をつき。
『牢獄島流しのうえに、かつてシュクラ宮廷で一族郎党そろって祝賀会までした――その婚約相手たるアリージュ姫が、まるっと覚えていないのでは、
いまなおシュクラ王国の最高位を自負する男としては、激怒もするのであろうな。それほどの《呪いの御札》を婚約相手に盛ったのが、原因なのだが』
『私に婚約者は居なかったわよ? 強いて言えば生前、結婚してて、御曹司トルジンと』
『嘘をつけぇ! シュクラ宮廷では、あれだけ良くしてやってたってのに、その記憶を、思い出せてないってのかぁ!』
見かけ上、対岸となっている「浮かぶ岩塊」のうえで、《邪霊使い》美青年は地団太を踏む形だ。なにかの拍子に「化けの皮」でも剥がれたのか、1枚、べろりと剥がれる。
現れたのは――帝国全土でも1位、2位を争うほどの超・美形。《人食鬼(グール)》裂傷は相変わらず、左右の頬(ほお)に刻まれてたけど。
老ダーキンが感心して、二度見、三度見するほどであった。
『絶世の銀髪の酒姫(サーキイ)とは、タイプは異なるが、大した美形だ。例の《作業》とやらで、先祖由来の銀髪を失ったそうだが、《魔導》変装には、便利だったようだな』
『帝都宮廷デビューして、普通に、絶世の美貌を自慢すれば良かったのに』
『その予定だったさ! シュクラ王家の護符の、白孔雀の《腕輪(アームレット)》が、国家祭祀の際に、正常に私の呪文に、
応えていたなら! 銀髪はなんとかなる、例の酒姫(サーキイ)が見つけた方法があるからね!』
『……あの《白孔雀》守護の、銀色の腕輪(アームレット)? 二の腕にハメてた、国宝のアレ?』
『あれが機能したのは、ただ1回、アリージュが近づいた時だけだった! あの十字路で《骸骨剣士》に、やられかけていた時に! しかも、その後、存続する気が無くなったのか、この腕から、蒸発した!』
シュクラ貴族の超・美青年は苛立たし気に、二の腕まで、邪霊使いの装束である黒衣の袖をまくって、見せて来た。
――確かに、生前は、その位置と感じたが……いまは気配すらも無くなっている。
護符は、本当に消滅したのだ。シュクラ王統を継承する生存者がひとりも居なくなったことで、国家守護の契約も無効となって、消え去った……
『私にだって反応しなかったわよ、あの《白孔雀》守護の腕輪(アームレット)』
『それについては、いささか説明が要る。それが《白孔雀》からの重要な伝言のひとつである』
老ダーキンが器用に口をはさんだ。大きな商会の副代表だったのも納得の、よくとおる声。
邪霊使いユージドも、霊魂アリージュ姫も、思わず口を閉じて注目する……いずれも、シュクラ王家の子孫として。
『いつ、という事は明らかにされなかったが、シュクラ王太子ユージドは、その名「ユージド」を天へ返上し、前王統となった。そして宣言した。現シュクラ王統はアリージュ姫へ引き継いだ。
邪霊使いユージドは、そもそもシュクラ王統と認識されていない。シュクラ民族とも認識されていない。ゆえに、死後のいまでも、シュクラの銀髪も、《白孔雀》護符の分霊も、付属していないのだ』
『私は絶対に認めん!』
『私は単なる「仮」引継ぎだったわよ!』
『シュクラ王太子を暗殺するための、邪霊使いユージドの放火が間の悪い時に始まったため、薔薇輝石(ロードナイト)条項が中断したままである、と聞いている。
もっと重要な条項の成立が優先したゆえ、後回しに。その《白孔雀》護符は、10年の待機期間をおいて、シュクラ王統を引き継ぐ薔薇輝石(ロードナイト)不在と認識し、現世から消滅したのだ』
『いまや、シュクラ王国断絶! 滅亡! 邪霊使いユージドの、せいじゃないの!』
『ことごとく悪いのは、無能なシュクラ王太子だ! ジャヌーブ廃墟で《人食鬼(グール)》に食わせてやった時点で、シュクラ王統は、私のほうへ移行していた筈だ!』
――それは「シュクラ王太子ユージド暗殺を、族滅レベルで実施した」という宣言そのものだ。そして――なおかつ。
『ユージドは、2人居たのね。シュクラ王太子ユージド。邪霊使いユージド。シュクラ王太子ユージドを暗殺したうえに、怪物王ジャバ生贄《魔導札》を貼り付けてきた邪霊使いが、
元シュクラ貴族ホニャララで、私の婚約者だったなんて信じられないけど』
『平民の父親を持つような、相変わらず一筋の銀髪しかない、ニセモノ王女など! 願い下げだ!』
老ダーキンが、上手に間を捉えて、静かに指摘する。
『アリージュ姫のご父君はスパルナ貴族だとか。その後、スパルナ王族に列せられたと聞いている。たしか、そちらの浮島にも、スパルナ王族の墓標名簿の複写は有ったと思うが』
シュクラ美青年の姿が、浮島の岩塊の間に消えた。
そして、石碑と思しき物体を破壊している音が聞こえてきた。
『牢獄島流しの期間が延びるが、致し方ないところであろうか……私も相応の罪を犯し、地獄の聖火か、牢獄島流しか、選ばされたが……』
腕組みをして、シミジミと思案ポーズになった、老ダーキン。
『シュクラ王国が10年前に滅亡してたなんて。トルーラン将軍・御曹司トルジンを、地獄の聖火で、徹底的に、とっちめてやらないと、とっても気が済まないわ』
あらためて、長すぎる純白の袖の中でコブシを握り、フルフル震わせる霊魂アリージュであった。
そして「おや」と気づく。
『牢獄島流し?』
ゆっくりと頷く老ダーキン。こころもち長い白髪が風に揺れ、ひと房の銀髪が、海からの照射光に、きらめいた。
『牢獄島流しにも色々あるようだ。私は、やむを得ずだったとは言え……《精霊使い》修行で会得した特殊技能をもって、やってはならぬ連続殺人事件を起こしたゆえ、こうして牢獄島に居る訳だ』
『正式な名前が牢獄島? 知らなかった』
――トロピカル植物キラキラの、元・偉大なる万年《精霊亀》と思しき、とっても牢獄に見えない牢獄島だったり、
荒れた岩塊の「いかにも」牢獄島だったり……トロピカル・エメラルドグリーンな海の姿をした不思議な「三途の川」の浮島には、色々あるらしい。
『私、何故、牢獄島に居るの? 生前に何か罪おかしてた? ……というか、あの巨大《八又巨蛇(ヤシャコブラ)》が、それっぽいこと言ってた気がする。
トラブル吸引魔法の壺を持ち込むのは禁制事項だったとか、なんとか』
『それはあるかも知れん。意図せずとは言え。カムザング皇子とカスラー大将軍の軍隊が全滅していて、少し前まで、大勢の亡者を乗せた渡し舟で渋滞していた』
『……』
『偉大なる帝国の第一皇子と第二皇子までが、首と胴体がヨコシマに変形して離れた状態で、「地獄の聖火」牢獄島で流れてきた時など、こちらも仰天したものだ。
我々はエメラルドグリーン色をした南海の亀島の数々を認識しているが、彼らは別の光景を認識するらしい。牢獄島の状況と同類の光景を』
『という事は、邪霊使いユージドは、いま岩塊の世界を認識していたり?』
老ダーキンは否定しなかった。
『時空幾何への高度な理解が必要になるが、三途の川は《アル・アーラーフ》を縁取る胸壁に相当すると聞く。
時空の形は判らぬが、《アルフ・ライラ・ワ・ライラ》をわたった《鳥使い姫》なら、この世の領域の外から見えた可能性はある』
『銀色の、上下逆転してる……点滅して反転してたりする正三角錐だったけど。頂点のところから、なんか水が流れ落ちてた……』
『三途の川の、水源かも知れぬな。何故「三途」という言葉が冠されたのか、「正三角錐」から説明がつきそうだ。カビーカジュ呪文「三ツ辻」の謎も。
亀甲城砦(キジ・カスバ)には『月読(ツクヨミ)の変若水(おちみず)』議論がある。銀月の不死の水……いや節(フシ)の水だったか。いずれにせよ人類の知識体系の外側のものだな』
――つくづく、三途の川というのは不思議だ……
『私もあらためて亡霊になったけど、生きてる皆さんの様子は気になる。現世を見る手段あるかしら。おとぎ話だと、特別な精霊魔法の水鏡や水晶をのぞいたりするけど』
老ダーキンは穏やかな微笑みを見せて来た。
『おや。アリージュ姫は現世へわたる予定と聞いているが違ったかな。それとも白文鳥どのは忙しすぎて、説明を失念していたのだろうか?』
『ほぇ……?』
老ダーキンは、アリージュ姫の左右の耳元へと、注意深い視線をやって……
『ドリームキャッチャー耳飾りが《白孔雀》護符の分霊ゆえ、大丈夫そうだ』
『シュクラ王国の《白孔雀》護符は消滅したとか、言ってませんでした?』
『王国の契約に基づいて守護する、腕輪(アームレット)形式をした護符は消滅した。オリクトとシュクラは、長年の交通の便や産業連携そして血縁関係があり、
すでに連合王国の形式。亀甲城砦(キジ・カスバ)はすでに承認済み。帝国にとっては、トルーラン将軍に代わる、亀甲城砦(キジ・カスバ)との正式な外交窓口だな」
邪霊使いユージドが、再び岩塊の間から姿を現して、叫んだ。
『だから私は、古代シュクラ王家から分かれた純潔の血統の子孫として、オリクト血筋にまみれた王太子ユージドを族滅する必要があったんだ! アリージュも、シュクラ王家の一族なら、
王太子ユージドが、いかに間違った存在であるか、わかるだろう!』
『じゃあ、なんで、シュクラ王太子ユージドの振りをしてたのよ』
『正義の目的のためなら、手段は、どうでも良いだろ!』
しばし、絶句の時間が広がる。
アリージュ姫は、虚無スナギツネの顔つきになり。
老ダーキンが、生前の罪の記憶を――正義のために2人を毒殺してのけた件を――思い出したような渋面になった。
『白文鳥どのの伝言によれば、シュクラ王族として、《水の精霊》系ウトパラ・カスバを訪ねる必要があるとか。古代《白孔雀》崇拝も並行してつづく土地柄であるが、実例を見なければ理解しにくいもの。
スパルナ部族とシャヒン部族は、ウトパラ部族と、併合や連合とは異なる形の盟約を結び、《風の精霊》系の連携を強化している』
――鷹匠ユーサー殿から、ドンピシャの話を聞いたわ!
アリージュ姫は口をあんぐりするばかりだ。
『帝都社交界の王侯諸侯の接触を通じて、古代《風》崇拝の謎の城砦(カスバ)から、ウトパラ・カスバ方式の盟約に応じるという返答をいただいたって……鷹匠ユーサー殿が……じゃ、
その謎の、古代《風》崇拝の城砦(カスバ)って、シュクラのこと……!?』
『その理解で間違いない。私のほうは、生前「ガジャ倉庫商会」連絡網を通じて、スパルナ・シャヒン・ウトパラ宮廷外交を断片的に聞きかじっただけだが。
いまでも《白孔雀》ドリームキャッチャー護符が消滅していないのは、《風の精霊》系の盟約をつなぐための精霊宝物ゆえとか。本来は《鳥使い》候補ユージド君がその役割だったと聞いている』
対岸といった風の岩塊の島で、邪霊使いユージドが、蒼白な顔になり。なにやら、わめき始めた。
『その盟約を乗っ取れば、シュクラ王国が《風霊王》のもと諸国の偉大なる盟主となって、帝国の《火霊王》契約の皇統にとって代わって……亀甲城砦(キジ・カスバ)も征服して……!』
『できるの?』
思わず疑わしい気持ちになって、疑問を口にするアリージュ姫。
返ってきた言葉は意外な内容であった。
『トルジンと取り合いになって、真っ二つに割れたよ!』
『国宝ドリームキャッチャーの輪っかを、真っ二つに割っただとぉ――――――――!?』
絶望と激怒の絶叫が、夜よりも深い藍色の空へと響きわたっていった。
*****
夜の闇よりも深い藍色をした空のもと。
とてもとても明るいエメラルドグリーン色の海。
トロピカル植物の繁茂する、真っ白な浜辺が広がる――波打ち際。
やがて、相棒の白文鳥《精霊鳥》パルが、戻ってきた。
アリージュ姫が激怒のあまり、その辺に落ちていた椰子の実を、高々と構えて。
対岸の浮島、別件で激怒中の邪霊使いユージドへと、ぶつけようとしていて……
老ダーキンが、そんなアリージュ姫を引き留めている(目下アリージュ姫は10歳かそこらの少女の姿なので、それほど難しくない)――ところへ。
『あ、やっぱり何か投げようとしてるとこだった、ピッ。前回は《魔法のランプ》をホントに投げたんだ、ピッ』
『それは、また。相当な見もの……ガチンコ勝負だったに違いない』
『ここだけの話だけど、黒き《ジン=グロート》殿も、真っ白になるくらい驚愕してたよ、それはさておき、ピッ』
『ドリームキャッチャー護符が破壊された件だな、白文鳥どの』
『うん。修復刷新の加工に、銀月ダーキンの、奥義レベル工芸技術が必要ピッ。協力ねがいたいピッ』
『お役に立てるなら、よろこんで。白文鳥どの』
その意味深なやり取りに、思わずアリージュ姫も振り返り……
次に、岩塊の浮島の方向を振り返ると。
牢獄島流しから、「地獄の聖火」お焚き上げへと処遇が変わったらしい――邪霊使いユージドは、白金の聖火に包まれて骨格標本と化しながらも、
アリージュ姫へ向けて、侮辱と思しき所作を次々と繰り出していた。
『あれは、怨念の浄化が済むまで致し方ないピッ。しばらく、シュクラ謀反貴族ケンジェル大使や、カムザング皇子やカスラー大将軍と一緒に、反省文の内容を話し合ってもらうピッ』
『しばらく? どれくらい?』
『100年単位ピッ。筆頭は、100万年分の反省文を課してる暗殺教団《炎冠星》天才の邪霊使い、ピッ。
あの天才《邪霊使い》の反省文が100万年分になったのは、反省文を真面目に作成せず、三途の川の穴を広げて、邪悪な計画立案を現世の邪霊使いに妄想させてたからピッ』
霊魂アリージュ姫は、スナギツネ顔になって、ため息をついた。
『邪悪の極みの輝ける星、かの伝説の暗殺教団《炎冠星》後継を目指す、フザケタ邪霊使いが絶えない訳ね』
『そうなの、ピッ』
……かくして……
『銀月ダーキン、銀月アリージュ。付いて来てね、ピッ』
白文鳥パルに導かれて。
老ダーキンと、アリージュ姫は、祖父と孫娘のように手をつないで、連れ立つ形で……
いよいよ、不思議なトロピカル浮島の最高地点の方向へと、歩を進めたのだった。
――その最高地点は、亀の甲羅のような形の、ドーム状の地形をしていた。亀甲紋様をした螺鈿細工の壁タイルで、繊細に固められているように見える。
『万年《精霊亀》が化けてるように見えるんだけど……』
『実は、私も、そう感じているんだよ。娘さん』
参詣の道を思わせる、トロピカル樹木の列を通過してゆく。枝葉の各所で、ふわもち多数の白文鳥《精霊鳥》が、にぎやかにさえずっていた。
『ようこそ、ようこそ銀月、ピッ』
やがて、不思議な建築物の前に出た。
やはり亀の甲羅モチーフ礼拝堂と思しき、ドーム建築だ。
一回、ぐるりと一周する。なだらかな螺旋スロープ。
甲羅から飛び出した亀の四本足――四本ヒレのように、四隅の突出部があることが判る。いずれも、ちょっとした階段になっていて、聖火祠らしき高燈篭と、アーチ出入口らしき造形が設けられていた。
螺鈿細工で出来た丸い腰掛け、といった感じの《精霊亀》が、三々五々。
各所の持ち場リーダーと思しき、大きめのサイズをした《精霊亀》個体が、「やあ」という風に、亀の手を振ってくる。
白文鳥パルの案内は、つづいた。
『この四方のアーチ出入口は、不審者を誘い込んで捉えるための出入り口ピッ。さっきのユージド君と、カスラー大将軍、それに第一皇子と第二皇子が、
一度、別の亀島へ飛び移って、亀甲建築へ侵入してたんだ。アーチ出入口で捕獲して、もとの浮島へ戻した、ピッ。目下、全員、常時監視の対象だよ』
『やれやれ。久しぶりに、にぎやかだと思ったが』
『ここが出入口ね、ピッ』
そこもまた、アーチ出入口になっていた。四方のアーチ出入口の状況から推測する限りでは、亀の頭部が出入りする位置だ。しかし、本体の亀は存在せず、殻だけらしい――と見える。
アーチ出入口から、不意に立ち上がる螺鈿ドーム建築。摩訶不思議な光景。
白文鳥パルが羽ばたきながらアーチ出入口へと進入して……初訪問の老ダーキンと、アリージュ姫は、恐る恐る、後をついてゆく形だ。
暗いトンネルを抜けると、すでに明るいドーム屋根の中の空間に居た。
町内の、割と大きな礼拝堂という程度の面積。宮殿付属のものほど壮大では無い。
6本の支柱が、ドーム屋根を支えている。支柱の間に、薄青い透明な紗幕。ドーム屋根の下、何も無いガランとした空間のように見えるのは、きっと《水の精霊》幻術が掛かっているせいだ。
螺鈿細工そのものに不思議な照明効果があるのか、柔らかな月光のような光に包まれていた。
床はドーム屋根に沿った円形になっていて、亀甲タイルが敷かれている。おおむね六角形だが、少しずつ規則的に変形しつつ、円周の端に近づく。
端に近づくほどに小さなサイズの亀甲タイルになっていて、最小サイズは目に見えないほどの細かさ。
『マンダラ分割らしいな』
アリージュ姫が首をかしげる横で、老ダーキンは、何やら訳知り顔で感心していた。
やがて《水の精霊》幻術が解けたらしく、薄青い紗幕がサッと晴れ上がった。
中央に、ガラス製の水槽のような施設。多数の配管のようなものが取り巻いている――真珠色に照り揺らめいている。螺鈿細工と同系統の、しかし、想像を絶するような素材であるらしい。
背の高い不思議な水槽の脇に、見覚えのある、青い《精霊の仮面》をした背の高い女性が佇んでいた。深い青をした髪が波打ちつつ、足元まで流れている。
『お待ちしておりました。アリージュ姫。ダーキン殿』
『水のジン=ユーリュメル?』
思わず目をパチクリさせる、アリージュ姫。
『はい。ウトパラ・カスバ守護《水の精霊》一族に属するものです。人類向け通称「ユーリュメル」は、
ダーキン殿もお聞き及びと存じますが、シュクラ宮廷《青衣の霊媒師》より、精霊契約の際に、捧げられた名でございます』
『という事は、かの《青衣の霊媒師》の成人前の名は、ユーリュメルだったと……水仙海岸の地方の名前……』
老ダーキンは「なるほど」と、納得したような顔になった……
白文鳥パルが、いつものように、アリージュ姫の肩先に腰を据える。
『これから、アリージュの耳飾り護符を刷新するよ、ピッ。その間の霊魂が不安定になるから、そこの物理身体に入ってて、ピッ』
『物理身体?』
アリージュと、老ダーキンとで、思わず「水槽の中の物体」に注目する。
目隠しのようになっていた密な配管の、真珠色の照りが引いて……プカプカと漂っているナニカが、明瞭に示された。
透明な水の中に、物理的な身体が浮遊している。
いかにも病人服な、簡素なガウン状の衣服がヒラヒラしていた。
成人前後といった年齢の、うら若い姫君の、物理的肉体。
腰の下まで届くような長い淡色の髪が、ゆらゆらと水中に揺れている。灰色の影のような色だが、光に透けると銀色になるような気がする。
骨格標本というほどでは無い。霊魂アリージュが《精霊界》の使命を果たしつつ、謎のなかの謎をめぐって、《白孔雀》尾羽7本を回収しただけの甲斐は、あったらしい。
それでもなお、青白く病的なまでの痩身。禁術――生贄《魔導陣》――の影響下にある事実を、明らかに示している。
首元には、相変わらず《人食鬼(グール)》裂傷の痕跡。黒く沈んだ色の縫合痕が、すさまじい。
瞼(まぶた)を固く閉じていて目の色は分からない。クッキリとした濃灰色の眉毛が、なにかを真剣に悩んでいるような表情の曲線を描いていた。
口はへの字だし、眉間には年季の入ったようなシワが寄っている。
『満月の前後の体調が最高っぽい時に、なんとか肉を盛れた感じだけど、眼を閉じてる時って、私こういう顔だったかしら?』
何故か……老ダーキンは、しきりに感心しはじめた。
『貴族ユージド君は大した美貌だが、娘さんも、いっそう大した美貌だな。帝国皇帝(シャーハンシャー)の《花酔い》の逸話も納得するところ』
『あの変態な帝国皇帝(シャーハンシャー)の趣味は、やっぱり骸骨顔だったんじゃないの』
霊魂アリージュ姫は、プリプリ怒り出した。
あの最低かつ最悪を極めた夜は、いまだにトラウマだ。精霊界の緊急の任務だの、放置していたら世界がおかしくなってしまう、だのというような場合が有っても無くても、
あんな裸踊りや、こんな裸踊りは、二度とゴメンだ。
そう言ってるうちにも、ジン=ユーリュメルが、その辺の踏み台に乗って、水槽のうえから手を伸ばし。
手際よく、水中の、アリージュ姫の物理身体から、ドリームキャッチャー耳飾りを取り外した。
白文鳥《精霊鳥》パルが「ぴぴぃ」とさえずった瞬間、霊魂アリージュの周りで「ジャブン」と水音が響いた……
…………
……
どこか水の中を、プカプカ浮いているような気がするが、気のせいだろうか……?
……
…………
次に霊魂アリージュが、目をパチクリさせた時には……ほぼほぼ作業が終わったという雰囲気であった。
老ダーキンと、水のジン=ユーリュメルが、お互いに労をねぎらって、一礼しているところ。
霊魂アリージュは、以前と変わらぬ位置でボンヤリと佇む形であった……肩先で相棒の白文鳥パルが、相変わらずピョンピョン跳ねている。先刻よりは、上機嫌な雰囲気。
次に、水のジン=ユーリュメルが再び水中に手を入れて、何かを……すくい上げた。
そしてアリージュの目の前へ、差し出してきた。
水の精霊ならではの、青い手袋をしたような手の平の上には、左右一対のドリームキャッチャー耳飾り。飾り緒としている小さな白羽は、変わっていない。
『新しい耳飾り護符の分霊です。これを、今までどおり、耳にどうぞ』
真っ二つにされたと聞く、シュクラ国宝ドリームキャッチャーの現在を反映したかのように、左右ともに、輪っかは半分になっていた。残りの空白は、白いビーズを連ねて埋められている。
そして、改めての羽翼紋様と見える網目が、輪っかの中に造形されていた。素人目にも、みごとな修復――細工と知れる。
ハッと気づいて、水槽の中の物理身体の耳元も、確かめると。
ソックリ同じ細工(物理的実体)が、耳元で輝いていた。
感心して見つめていると、水のジン=ユーリュメルが、説明を加えて来た……
『半分はダーキン殿の仕事です。我々精霊の目から見ても、傑作ですね』
アリージュ姫はクルリと振り返り。
『ありがとうございます。老ダーキン殿』
白髪をした老齢イケオジは、意外に晴れやかな笑みで応えて来た……長年にわたって職人を務めあげた、ギヴ爺(じい)を思わせる笑みだ。
『恐れ入ります、アリージュ姫。なかなか興味深い内容でしたよ。現世へ帰還した折には、ナディテ殿やドルヴ君へ、私は元気でやっているとお伝えいただければ』
そして次に、老ダーキンは、おかしそうに笑い声を立てた。
『あんなに元気な仮死状態は初めて見たかと。寝言なのでしょうが、いろいろ喋ってましたよ』
耳飾りを装着しながらも、アリージュ姫はギョッとする。寝言であっても、恥ずかしい内容を口にしていたとしたら……
『ななな、なに、喋ってました!?』
『現世へ戻る準備の一環でしょうか。ジャヌーブへ来る前の、最後の出来事の実況を。巨人戦士「邪眼のザムバ」オーバーキル変身の描写は、大したもので』
水のジン=ユーリュメルも、真剣な雰囲気で頷いてきた。
『身体は存外、精密に記憶しているもの。怪異な銀髪グラマー美女は、我々も注目するところです。
人の姿を地上へ映した時のジン=アルシェラトの容姿を、《魔導》複写したものですね。誰かの趣味に合わせて、胸や尻の大きさを盛るなど端々の均衡を欠いたようですが』
『あの宙に浮く銀髪の双子の美女、知ってるんですか?』
『直接に見聞きしていないので確定的なことは言えませんが、かの容姿を《魔導》複写できる素材は、現在、2種ないし3種のみです。《逆しまの石の女》。《銀月の精霊石》。そして《アマニータ》です』
『地下神殿の《逆しまの石の女》は判るけど、《銀月の精霊石》と《アマニータ》って?』
『暗殺教団《炎冠星》がジャヌーブ廃墟を盗掘した時に破壊したのが、地上では最後の《銀月の精霊石》。《銀月の祝福》銀髪と同じように、
危険な《魔導》を安定させる素材でしたので、《魔導》爆弾などで散々に粉砕され、持ち去られた』
――なんか、そんな話を、生前の老ダーキンが説明してた気がする。
霊魂アリージュ姫は、記憶が閃くままに、口を挟んでいた。
『かの伝説の暗殺教団が、かつての盗掘の際に、銀色をした古典彫刻を、ありとあらゆる《火の邪霊》由来の火薬でもって粉々に破壊した? その頃の全世界の古代アカデミー界隈が衝撃を受けた、大犯罪?』
『よく覚えてますね、娘さん』
老ダーキンは「そのとおり」と、頷いて見せて来た。
肩先で跳ねている白文鳥パルからも、水のジン=ユーリュメルからも、否定は無かったのだった……
水のジン=ユーリュメルは、まさに薬師そのものの冷静な調子で、的確な解説をつづけた。
『トルーラン将軍・トルジン、父子の両方の「寝室」で目撃された件を考えると、確実に、媚薬キノコ「アマニータ」。等身大の人体の形をした高価なキノコで、名前のとおり媚薬の原料。
ただ効果は極めて薄く、好みに合わせて、他の強い媚薬、防腐剤、それに防腐剤のニオイをカバーするための香水を、大量に注入します』
まさに、立て板に水。アリージュ姫は、感心して聞き入った。
『最初に見た時、すごい量の香水「バビロン」を使っている……と思ったんだけど、道理で。納得』
水のジン=ユーリュメルの説明はつづいた。
『例の「炎冠星」一味が、《銀月の精霊石》破壊前に、古代金属の金型で精密に顔面の型を取っていたとのアーカイブ記録があります。
その金型で「キノコ=アマニータの傘」パーツを、銀月の容貌に似せて、変形することは可能。そのうえで、刺繍用の銀糸などを銀髪として植毛し、
念入りにペイント化粧を施して、《魔導》カラクリ人形の仕掛けを埋め込んだ……と推察できますね』
老ダーキンが「ふむ」と頷く。元から学んでいた豊富な知識に加えて、持ち前の強力な思考力でもって、すみやかに謎の概要を把握してしまった様子だ。
『要点――重要な鍵のひとつは、銀髪キノコ=アマニータ人形カラクリ仕掛けを動かす、邪霊使いの正体を解き明かすこと。または演技の上手な邪霊なのか。
この辺りの解明は、娘さんの《鳥使い》直感と、老魔導士どのの任務でしょうか』
『同意です。ダーキン殿』
感心したように頷く、水のジン=ユーリュメルであった……
…………
……
霊魂アリージュ姫の肩先で、白文鳥パルが「ピッ」と、さえずる。
『水のジン=ユーリュメル殿、銀月ダーキン殿。貴重な見立て感謝するピッ。万年《精霊亀》アーカイブ問い合わせも。必ず老魔導士へ伝えるピッ』
ほどなくして。
どこから召喚されて来たのか――圧倒的多数の白毛玉ケサランパサランが、水槽にモフモフ・モフモフ・モフモフ・モフモフ……と、現れた。
みるみるうちに、水槽の中を漂うアリージュ姫が、モフモフ白毛玉だらけになる。
等身大の白毛玉ケサランパサランが、出現したみたいだ。
霊魂アリージュ姫も、また。気付いた時には、すでに。
ワワワッと集まって来た、モフモフ白毛玉ケサランパサランの大群に、埋もれる形になっていた。
『毛がー! 毛がー!』
不意打ちの白毛玉ケサランパサラン包囲。
アリージュ姫は目を回して、ジタバタするのみだった……
■2■死線上の合間に異状あり
日数をさかのぼる。
東帝城砦、豪華絢爛な宮殿付属の……壮麗なまでの、大型の聖火礼拝堂。
その広大な空間の真下は、古代からつづく地下神殿であった。
かつての古代ジャヌーブ廃墟とは、若干、様式は異なるが。
最下層に浅い水面があり、中央部に忌まわしき生贄の儀式のための黄金祭壇をしつらえる――という構造は、共通だ。
草木も眠る闇の刻。西の空で傾いているのは、新月へと向かう下弦の月。
いつものように静かな筈の、この夜に限っては……世界の終末を迎えたかのような、大いなる恐怖とパニック、それに戦火に彩られていた。
東方総督トルーラン将軍が支配する、偉大なる帝国の東方拠点――東帝城砦は、12年にわたる脱税の罪を問われ、取り立てのために来た帝国の軍隊に、包囲されていた。
攻防戦も佳境というころ。
どこの邪霊使いが召喚したのか、巨大化の三ツ首《人食鬼(グール)》が城壁の中に侵入するという、「あってはならぬ」災厄が発生し。
その衝撃も収まらぬままに。
今度は、この宮殿付属の礼拝堂の底の底、剣戟の火花を散らす戦闘がはじまり。
怪物王ジャバを崇拝する忌まわしき黄金祭壇のうえ、恐るべき1001人目の生贄の儀式が始まり、いままさに完遂しようという瞬間――
――摩訶不思議なまでの、大爆発が生じ……
地下神殿の出入口となっている鋼材のアーチ扉が、凄まじい音響と共に爆発飛散した。
真紅の宝冠のような形をした火炎が、見る間に強烈な白金色に燃え上がり、あたりは真昼よりも明るくなった。
明らかに、上位の《火の精霊》の攻撃。
――その一瞬に、重大な変化が進行した。
目もくらむ閃光の中で、元・邪眼のザムバだった異形が、双子の銀髪の妖女に左右を抱えられて、真っ直ぐに引っ張り上げられた。
双子の銀髪の妖女は、すでに、生贄の身体の下から『空飛ぶ魔法の白い絨毯』を失敬していたのだった。その飛翔力だ。
恐ろしいまでの爆速でもって上昇し、はるか天井の真ん中に掲げられていた黄金ジャバ仮面が「ぐわぁ」と大口を開けている、その空洞の中へと飛び込み。いずことも知れぬ次元へと消えていったのだ!
その巨人ザムバの片手は――間違いなく、黄金ガイコツの仮面をした首領魔導士を捉えていた。
あまりにも、あまりな、爆速ゆえに、巨漢の黒ヒゲが引っこ抜かれて……浅い水面の上へ、落ちた。その上へ、黄金ガイコツ仮面がパラリと落ちた。
なにやら不可思議な忌まわしい《魔導》でもって、黒ヒゲも黄金仮面も色彩成分を引っこ抜かれて、青白い骨灰色へと変じていた……
瞬きの間――摩訶不思議な閃光が、収まってみると。
魔法のランプ1001台のうえで燃えていた邪霊の炎が、一気に退魔調伏されていた。いまや「普通の」物理的な炎だ。
黄金祭壇の脇に、ビックリするような、深いひび割れが、できている。気付けば地下神殿の全体に、大小のヒビが入っていた。
「なんだとぉ!」
取り残された格好になった、8人の上級の邪霊使いが口々に悲鳴を上げながら逃げ惑い……黒装束の信奉者たちも、パニックだ。
無数の邪霊ネズミが、邪霊コウモリが、ブーツも、黒装束も、仮面も構わずに、ガジガジと、かじりつく。
何故か――邪霊使いユージドには、邪霊ネズミが、たからない。傍でその様子を見て取った御曹司トルジンが、ユージドの持っていた物に、手を掛けた。
「それは何だ! よこせ!」
「我が一族の物だ!」
それは、シュクラ王国の国宝――大型のドリームキャッチャー護符。
「よこせー! お前のモノは俺のモノー!」
邪霊使いユージドと、御曹司トルジンとで、力いっぱい引っ張り合った結果。
――バキリ。
古ぼけていたドリームキャッチャー護符は、真っ二つに割れた!
断面から純白のエネルギーが噴出する。
「なんという事を!」
その壮絶なまでの、精霊エネルギー噴出の勢いは、男ふたりの手で抑えられるものでは無い。
御曹司トルジンの手から弾け飛んだ片割れは、高速で回転しつつ、白金の炎の中へと消えていった。
――「ニャン!」という仰天の声が聞こえたのは、偶然なのか、どうか――
邪霊使いユージドの手から弾け飛んでいた、もうひとつの片割れは、黄金祭壇の脇にできていた、深い深いひび割れの中へと落下して……消えていった。
「くそぉ!」
――邪霊使いユージドは、実に平凡な死に方をした。
御曹司トルジンが、落下して来た瓦礫をよけようとして、ユージドへ、ぶつかった結果。
ちょうど穴の中に手を伸ばそうとして重心が不安定になっていた――邪霊使いユージドが、その方向へ、大きく押し出されたのだ。
爆散していた鋼材のアーチ扉の、重量のある破片が。次々に、邪霊使いユージドの上へ落下し……積み重なり。
逃げ惑っていた有象無象の邪霊崇拝者たち――怪奇趣味の賭博の客たち――とともに、「その他、大勢」という形の、死に方をしたのだった。
トルジンは、汚水と化した浅い水面の中で、無様に引っくりかえった。軽度の骨折をして失神しながらも……有象無象の幸運な生存者たちと共に、生存した。
「捕らえろ」
地獄の聖火さながらの豪炎が引き、ドッと踏み入ってきた集団は、非常に統率が取れている軍隊であった。
「生贄、発見!」
「救助しろ!」
――生贄アリージュの首の上へと落ちていた黄金の三日月刀(シャムシール)の刃は、先刻の《火の精霊》爆炎の攻撃を受けて、無害な真紅の灰燼(かいじん)と化していた。
ネコミミ炎の姿をした《火の精霊》が高速の火の粉となり、アリージュ姫の全身を一周して、診断をくだす。
『まだ《命の炎》は残ってる、すぐに物理的手術ニャ!』
首元の位置に、ギョッとするほどの傷が開き、出血はしていたが……首をとおる主要な動脈に達する寸前に、邪霊の刃は爆散していたのだった。
*****
裂傷の拡大と大量出血を止めるため、アリージュ姫の首元の傷は《火の精霊》火力によって焼かれて火傷のようになり、体温は仮死状態にまで下げられていた。
素人目でパッと見る限りでは、悲惨な有り様であるが……
聖火礼拝堂の一室を手術室として陣取った、老練な医師にして薬師――モッサァ白ヒゲ老魔導士は、その処置に感服するのみであった。
かねてから控えていた、頼もしい助手たちを振り返り。
「――《人食鬼(グール)》裂傷の手術じゃ! まずは傷の洗浄と消毒!」
*****
アリージュ姫が生贄の祭壇に乗せられ、瀕死の状態になって、数日後。
新月の夜が来て、朝が来た。
アリージュ姫の意識は戻らないままだったが、《人食鬼(グール)》裂傷はシッカリ縫合され、分厚い退魔調伏の包帯で保護された。
ギリギリ搬送に耐えられる状態との診断がくだされ……手術室をかねた集中治療室から、アリージュ姫を慎重に運び出すことが決定された。
搬送先は、金融商オッサヌフの店奥の別室である。
もともと各種の強盗の類を警戒する金融商の店ゆえの構造上、「目下もっとも静かで、厳重な警備を敷くことも可能」という条件があったためだ。
聖火礼拝堂の中は、あの忌まわしき地下神殿の戦闘も佳境であったし、上から下まで隙間なく邪霊害獣が沸いて、騒がしい状態だったのだ。
特にトルーラン将軍が、聖火礼拝堂のもっとも上等な「財宝づくりの部屋」に、お気に入りのハーレム妻や親衛隊と共に引きこもって、徹底抗戦していたのが大きい。
聖火礼拝堂の中は、いわば、ちょっとした市街戦さながらの戦場。なおかつ膠着状態がつづいていた。
偉大なる白ヒゲ老魔導士から特に指示があったため、手術室-兼-集中治療室の周りでは戦闘を激化させられなかったのだ。先方からの突撃や威力偵察に対して、
「全容をつかませない」「防衛に徹する」という、高度な軍事行動を強いられていたのだった。
帝都から派遣された帝国軍としては「聖火礼拝堂のなかで、集中治療室と前線を一緒にするな」と怒鳴りたい気分では、あったが。
――新月の翌日の昼と夜が過ぎて、特別搬送の作戦は無事に遂行され……集中治療室は解除された。
満を持して――宮殿付属の聖火礼拝堂で、本格的な戦闘が始まった。
トルーラン将軍が制圧していた領域との境界で「滞納分の税金を払え」「知らぬ存ぜぬ」の、激しい戦闘がつづいた。
いまや「帝国全土に2人と無き脱税王」と名指された東方総督のもと、邪霊害獣を使う《邪霊使い》が多数。突出した戦闘力で知られる巨人戦士も相当数。
「素晴らしい娼館」「素晴らしい酒」「素晴らしい合成薬物」で洗脳済みの、巨人戦士たちである……
…………
……
東帝城砦の城下町、メインストリートに配された市場(バザール)広場に面する、そこそこ一等地の一角。
いちはやく治安を回復した市場(バザール)のひとつとして、緊急に必要な食料品や薬品が運び込まれ、早くも取引に来た人々で、ごった返していた。
金融商オッサン――オッサヌフの店は、その街区の市場(バザール)を管轄する商館と連なるようにして、構えられている。
必然ながら店スタッフは、為替の発行や両替など金融商の定番の接客ビジネスで、忙しくしていたのだった。
外見上よくある中堅の金融商の店の奥、中庭を成す噴水の間。
日は高い。昼下がりの、気だるいまでの暑熱。
色濃い日陰には、適当に茶卓とクッションが並んでいる。オアシスから引いてきた噴水の水が、涼を提供していた。
茶卓には茶器セットが配されており、店主と来客――金融商オッサヌフと、元シュクラ王室侍従長タヴィス、それに、女商人ロシャナクが、クッションに腰を下ろして人待ち顔であった。
目下、東帝城砦の中央、東方総督トルーラン将軍や御曹司トルジンが住まう宮殿や、宮殿付属の聖火礼拝堂では、急に戦闘が本格化し、激しい戦火の飛び交う激戦区となっている。
宮殿へ直結する主要な街道は、城下町のほとんどを制圧した帝国軍による交通規制が敷かれていて、一般住民の立ち入りを禁じていた。
城下町の方々の屋上では、住民たちがピリピリしながら望遠鏡を構え、戦況を実況したり、その後の動きを予測して運送ルート変更を相談したり……非日常の騒ぎがつづいているところだ。
にわかに騒がしくなった雰囲気を反映してか……定番の魔除けインテリア・ドリームキャッチャー護符の網には、いつもより多めという数の毛玉ケサランパサラン4色が、次々に引っ掛かっていた。
毛玉ケサランパサランで埋まったドリームキャッチャー護符を、ごま塩頭をした番頭が取り外して、手際よく毛玉を、専用の収納袋へと分離する。
ほどなくして。
奥まった別室の扉が、そっと開閉した……
急に体調を崩した来客向けの、寝台が備え付けられている――例の別室の扉である。
厳重な警備のもと、重要人物が緊急搬送されてきたばかり。人員は極限まで絞られていたものの、先ほどまで大変な騒ぎと緊張に包まれていたところだ。
回診を終えた白ヒゲ老魔導士が、中庭を成す噴水の間へ出て来た。当座の助手としている遊女ミリカを伴って。
遊女ミリカは、アリージュ姫が女性である事実を考慮して、身辺の都合で呼び出されていたのだった……もちろん女商人ロシャナクの即断つきだ。
病み上がりの初老男タヴィスが、白ヒゲ老魔導士と、当座の助手・遊女ミリカを振り返った。タヴィスは元シュクラ王室の侍従長である。
「アリージュ姫は、大丈夫なのでしょうか?」
「体温が下がったまま、脈も呼吸も無くて。首元の《人食鬼(グール)》裂傷は処置済みですが……普通は『末期の水』儀式を考える頃合いかと……」
遊女ミリカが困惑顔をして、首を傾げながら応答した。遊女として振る舞う必要が無い今、まさに生真面目な、教養あふれる令嬢である。着衣も、医療スタッフに準じるリネン作業着だ。
いまなおカクシャクとしている老魔導士は、自信満々で、モッサァ白ヒゲを撫でていた。
「棺桶に両足を突っ込んでいるが、容体は安定しておる」
老人にしてはシッカリとした足腰で……適当にクッションへ腰を下ろす。遊女ミリカは助手として、その近くに腰を下ろし。たしかな医学知識が窺える素晴らしい手際でもって、回診記録を整理しはじめた。
「今までも、満月の時期に元気になっていた筈じゃよ。《魔導》医療の観点から見て『満月の頃に意識が戻る』という診断となる。
10年前のジャヌーブ砦での日数を考えると、論理的には合致するのじゃ」
遊女ミリカが唖然とするあまり、書類を整理する手を止めた。
「ジャヌーブ砦? 南部《人食鬼(グール)》前線ですか? アルジー、いえアリージュは、そんな遠いとこ、行ったこと無いですよ?」
「まことに。当時のアリージュ姫は、呪病で寝たきり状態がつづいていて、外出もできなかったかと」
初老男タヴィスも、困惑顔である。
「ジャヌーブ地方――謎の爆発で急に《異常氣象》問題が収束したということは聞いてますが。『南方《人食鬼(グール)》戦線の英雄バムシャード武勇伝』で。
帝都の聖火神殿を巻き込んで連鎖した大爆発や、砂漠の真ん中で死去した皇子の噂……火山噴火と同時に出現した『ジャヌーブ大峡谷』は、帝国全土に名高い武者修行の名所とか」
女商人ロシャナクも、合の手を入れる。
「界隈じゃ『銀月の戦士ルゥルゥ=ジャウハラの驚くべき武勇伝』としても知られてるね」
合いの手を入れた、その手で、他タイトルも数え上げ。
――『この世にふたりと居ない頭脳明晰・文武両道・容姿端麗・品行方正・モテモテ無双の金剛皇子と絶世の銀月姫のボーイズラブ溺愛または熱烈な磔(はりつけ)プレイ物語』。
――『首と胴体が離れた財務官の問答または葬儀における《三つ首サソリ》大爆発事件』。
――『雨降る門前の市場(バザール)の怪談:ネコミミ=ガイコツ幽霊と、チャラチャラ皇子と、タバコ屋オヤジの、いみじき三つ巴の対決』。
――『薔薇色の目の乙女に捧げる帝国皇帝(シャーハンシャー)の恋愛四行詩、1001篇』。
――『巨人戦士カップルの股間に起きた世にも恐ろしき物語、または世にも・イワク・イイガタイ・ケガレハテタ汚部屋に展開せるテンコモリ・ウンコ宇宙的恐怖』。
――『恋ペテンの若者と象ゴロシの若者に、疾風迅雷の天罰女神(ネメシス)の鉄槌がくだった物語』。
――『女装ジャヌーブ神官「真珠華」恋の舞い、または廃墟の死にかけ皇子と気の毒な従者のボーイズラブ心中』。
「他にも話が色々あるけど、主要な物語や四行詩なんかが、コレだけある訳だよ」
女商人ロシャナクの、その手の情報網は素晴らしく。金融商オッサン――オッサヌフのほうでも異論は無い。コクコク頷いて、賛同するのみである。
「まこと奇妙奇天烈な、千夜一夜の怪談奇談でございますな。怪奇と変態を極めた趣味の妄想なのか、賭場や酒場で語られる真偽不明の武勇伝やら冒険談やら、
隊商宿の噂が現実になったのか……『南方《人食鬼(グール)》戦線の英雄バムシャード武勇伝』半分以上は事実と判断し、顧客サービスとして方々お伝えしておりましたが」
「うむ、非常に特殊な怪談になるんじゃよ。時間はあるゆえ説明しよう」
ごま塩頭の番頭は、訳知り顔――というよりは何食わぬ顔で、各人へ向けて新しい茶をついで回っている。
……さすがに「ピン」と来た女商人ロシャナクは、疑わしげな眼差しになり。妙に戦士なみのガッチリとした体格をした番頭を注目した。
無口な番頭の、ターバン装飾となっている「一見、平民仕様」白羽は、白タカ《精霊鳥》の羽だ……
モッサァ白ヒゲ老魔導士は早くも、快く冷えた茶をゴクリとやり。カクシャクと語りはじめた。
「オッサヌフ殿が急に帝都から逐電する羽目になった理由も、10年前ジャヌーブ砦に着弾して炸裂した怪異『トラブル吸引魔法の壺』にあったんじゃ。
偉大なる《青衣の霊媒師》も、番頭――鷹匠ユーサー殿も、帝都宮廷で一般的に知られている内容までしか明かさなかったのじゃろう」
*****
それからも何かとあわただしい時を過ごしているうちに、数日の夜が来て、朝が来た。
戦闘につきものの、怪我人の続出。
火事場泥棒の取り締まり。
もともと東帝城砦は、トルーラン将軍の悪政のもと治安を守るべき衛兵が恐ろしいほどに削減されていて、どこもかしこも人手が足りない。
帝国軍の最初の仕事は、トルーラン将軍に代わって城下町の治安部隊を再建することであった。
多数の邪霊害獣の跋扈は、大通りにまであふれていて、それにともなうロバ・馬・ラクダたちの被害を抑えるのも大仕事だ。聖火神殿スタッフも、ずっと大車輪であった。
ちなみに、アルジーの仕事仲間・金髪ミドル代筆屋ウムトは非常勤の神殿衛兵なのだが、戦闘が始まって以来、常勤なみの忙しさであった……
…………
……
金融商オッサンの店奥の別室。
いつものように医療助手として遊女ミリカが入室し、意識の無いアルジーの体温を測りはじめた。
寝台の上に横たえられた、骨格標本さながら。簡素な病人用ガウンに包まれた身体は、相変わらず骨と皮だ。
しかし、以前よりは、明らかに肉の量が増えて、血色が付いている。みじめな藁クズそのものの灰髪も、まともな髪に見える。
「洗髪を考えても良いね」
そして遊女ミリカは、娼館で習い覚えた技術でもって、器用にアルジーの洗髪をこなしていった。
今までにも、アルジーの体調が悪い時に、ウサギ小屋のように狭い住居の中で、桶にお湯を汲んで洗髪を手伝っていたから、手慣れたものだ。
――ちなみに、アルジーの元・住居は、もともと治安の怪しい裏路地だったこともあり……にわかに湧いて出たコソ泥や火事場泥棒に、やられてしまっている。
アルジーの身柄を金融商オッサンの店へ担ぎ込んだのは、正しい選択だった。アルジーが普段から、めぼしいものを「ぼろい荷物袋」にまとめていたのも。
くだんの「ぼろい荷物袋」は、いまでも信じがたい冒険談によれば、10年前のジャヌーブ廃墟の戦いのなか、憑依していた《魔導》カラクリ人形ごと全焼してしまったという……
偶然とはいえ女商人ロシャナクが提供していた――遊女ミリカもその場に居たので覚えがある――「紅緋色インク試供品」が、10年前へ飛んで行って、決定的な局面を左右する要素になっていたのも驚きだ。
ここだけの話だが、女商人ロシャナクが、茶器を取り落とすほど呆然としたのを見たのは、初めてだったと思う……
…………
……
窓辺には入れ代わり立ち代わり、東帝城砦に居を定めている白文鳥《精霊鳥》が来る。明らかに《鳥使い》アリージュのお見舞いだ。遊女ミリカにも、なにかを「ピピピ」と、さえずりかけて来ているのだった。
「なーんとなくだけど、見分け付くようになったかも。もしかして君がコルファンとかいう子かな。クバル君に飛びかかって、物騒な矢を教えてくれたの」
名指された白文鳥1羽がビックリしたように「ぴょん」と飛び上がり……得意そうに真っ白な胸を張った。
次に白文鳥コルファンは、何かに気付いたように、遊女ミリカの左右の耳へと、視線をキョロキョロとやりはじめた。
「ぴぴッ?」
「耳飾り? そういえばアルジーも、私の故郷の城砦(カスバ)と似た耳飾りしてるよね。女どうしで偽装結婚した時、おそろいだーってキャッキャしたわよ、ホントに。
青衣の婆さまが、偶然ウチの故郷の近くの出身だったりして?」
遊女ミリカは、ちょっとベールをよけて見せた。いまは実用的な無地の品である。
耳飾りは、イヤーフック&クリップ形式で吊りさげたドリームキャッチャー護符だ。色合いは青。輪っかの中に編み込まれた蓮華モチーフ網の各所に、
花に置く露のように白い精霊石を織り込んである。飾り緒として、しずく型をした3連の青い精霊石……青というよりは、すみれ色。
当然ながら精霊の種族には、護符に設定された所有契約が見える――「ウトパラ部族ミリーシャ」という本名が。
コルファンと一緒に来ていた、ほかの白文鳥《精霊鳥》も、一斉にピヨピヨさえずり出した。「ビックリしたねー」「ホントだねー」と、さえずっているように見える。
そして遊女ミリカは、意識の無いアルジーの耳飾りの位置を注意深く眺め……その目を、点にしたのだった。
「――生贄の儀式に巻き込まれてたって聞いたけど、耳飾り、衝撃かなにかで、壊れた? にしては、すごく上手に修復してあるっていうか? んー? 耳飾りそのものが光ってるね……!?」
なにかと鋭い遊女ミリカは、白ヒゲ老魔導士が「この変化を見ていなかった」ことに気付いた。
そう、首元の、意外に深刻だった《人食鬼(グール)》裂傷の処置が、最優先だったからだ。それに心臓と、呼吸の安定的な確保も。
なおかつ男性というもの、意外に、女性の細かなアクセサリーには目が向かないものだ。
邪霊害獣の骨片をつないだギラギラ派手な金鎖とか、大粒ダイヤモンドみたいにギラギラ反射していれば、目を向けることもあるだろうけれど。
――だから、ベリーダンス衣装アクセサリーなんかは、ちょっとした焚火にもギラギラ輝いて見えるように、ベールの外側にシャラシャラを密に連ねたり、大きく派手なデザインが定番なんだよねッ!
遊女ミリカは洗髪を仕上げるが早いか、飛び出した……
…………
……
駆け付けるなり、白ヒゲ老魔導士は、すぐさま意味を悟った。
「同様の《魔導》医療の方面の報告を聞いたことがあるんじゃ、非常に興味深い事例をな。蘇生が始まっておるんじゃろう」
つづいて、老魔導士は首をひねり出した。
「新たな謎は、シュクラ王国の国宝という大型ドリームキャッチャー護符が、どうなっとるのか、じゃな。それに左手首の、謎の黄金の呪具と思しき装飾品の出現じゃ! 以前は、
こんな奇怪な幅広ブレスレットはしていなかった筈じゃ! 幽霊だった時にもな!」
みごとなモッサァ白ヒゲが、ボン! と爆発した時には。
老魔導士はすでに、新たな人々を呼びつけることを、思いついていたのだった。
*****
偶然ながら、みな忙しくして失念していた。
その日は満月であった。
少ない夜間照明でも真夜中まで歩けるため、市場(バザール)も、深夜を超えて営業中。金融商オッサンの店も、同様だ。
白ヒゲ老魔導士は、帝都の大聖火神殿の理事すらも、顎(あご)で使う老人である。呼びつけた人々が来るまでの間に、来客対応の準備など、ちょっとした空白の時間があった……
…………
……
最初に目撃したのは、一刻から二刻ごとに代筆屋アルジーの状況を医療チェックしていた、遊女ミリカ。
扉を開けて入室するなり、絶句のあまり、口をポカンと開けて立ち尽くすのみ。
目の細かい格子窓と、ぽっかり浮かんだ満月を背にして。
等身大の白毛玉ケサランパサランが、寝台のうえに、出現していたのだった。
なにやら、
「毛がー! 毛がー!」
――と慌てている様子。寝台から転がり落ち、ポンポンと跳ね……
その後を、あの見覚えのある相棒・白文鳥パルが、ピヨピヨ言いながら追っかけている。
「もしかして、アルジー!?」
遊女ミリカは素晴らしい身のこなしでもって等身大の白毛玉へ飛びつき、手当たり次第に小さい白毛玉を剝がしていった。見る間に、床が、モコモコ白毛玉で埋まってゆく。
果たして出てきたのは、あの男装の代筆屋アルジーであった。いまは男女共通の病人用ガウンだけど。
明らかに以前よりは髪らしい髪をした、腰の下まで届く長い濃灰髪の間、左右の目を、パチリと開くなり。
「ミリカさん?」
「おぅ肉付き割と良い調子じゃないの」
反射的に、ふに、と頬(ほお)をつまんでみる、医療スタッフ作業着な遊女ミリカであった。
お互いに再会の驚きの中で、ちょっと呆然として。
次の瞬間。
物音――物音としか思えないけど――バサリ、というような異音がした。
部屋の外の位置から。
そして静寂。
金融商人オッサンの店の表側から聞こえてくる市場(バザール)の喧噪は、ザワザワと、つづいていたけど。それとは明らかに違う。
不自然だ。
アルジーとミリカとで……固まる。白文鳥パルも、クチバシをパカリと開けたまま固まっている。
「なんだろ?」
「ええと、側溝の筈だけど……」
普段から人通りが無い――筈の場所だ。たまに、水路点検《精霊亀》と、点検作業員《亀使い》が通る程度。
「何があったのか確かめないと」
「生き返った瞬間から忙しいね、アルジーも」
幸いに、白毛玉ケサランパサランに包まれてワチャワチャしているうちに、血流は復活していた。走れる程度には、体調は整っている。
部屋の間仕切りを回ると、側溝の路地へ通じる裏の扉。
さすがに、念のためということで、病室の定番、病人用の歩行杖を棍棒として構えて……そっと裏の扉を開けて、キョロキョロする。
何の変哲もない側溝の路地だ。
満月の光に照らされた――中堅層な建物と建物の間、人間ひとり通るていどの、細い路地。
路地の真ん中を、ずっと、敷石が並んでいるのが見える。側溝を被覆するための敷石だ。この敷石を剥がせば、水を流すための側溝が現れる。
綺麗に管理されている敷石の列をはさんで、向こう側の建物は、水耕ハーブ栽培のための施設であった。盗難を防ぐため、厳重な鍵付きの家サイズの籠になるように仕立てた、ハーブガーデンというところ。
「ここの街区の市場(バザール)の、香辛料屋ハムジッチャンの?」
「だと思う。なじみの香辛料屋ハムザさん……香辛料と一緒に、自前で育てた水耕ハーブも売ってる。近所の、行商やってる一皿料理屋の夫婦も常連客。市場(バザール)の知り合い同士」
「あの物音なんだったんだろ?」
「植木鉢が落ちるような音じゃ無かったよね」
さらに一歩、接近する。
「そちらにいらっしゃる? ハムジッチャーン?」
ハーブ苗が密に並ぶ縦・横の枠組みの間を、なにやら、サッと横切ったもの。
息を呑んで固まる。そして……2人、息を合わせて、ジリジリと近づく。
砂漠地帯の夜、冷え込んだ風に乗って流れる、ハーブグリーンのにおい。
きつくは無いが、クセのあるグリーンのにおいに、生き返ったばかりの鼻が過敏に反応して……アルジーはブルリと震え。
「クシュン!」
その拍子に、第2の影が動いた。小さくて敏捷。
慌てたような、トテテ……という子供の足音がつづいた。その姿が、建物の隙間からの満月の光に照らされる。
4歳くらいの坊やだ。隣近所の家のひとつへと、駆けてゆく。
そして、思いがけぬ小さな姿は、出てきた時と同じルートなのであろう細く開いていた裏口を通って、その家の中へと入り込んでいった。
「誰だっけ。なんか見覚えあるような。市場(バザール)の子供は、それなりに居るけど」
「香辛料屋ハムザさんの、隣家の坊や……ヤジドちゃん……じゃなくて、その友達? バーツ所長さんとか、ウムトさんとか、ギヴ爺(じい)なら知ってるかな」
少しだけ恐怖が紛れて……思い切って、男の子が出入りしていたと思しき、水耕ハーブ栽培施設の裏口を、くぐってみる。
満月の光が、屋根の明かり取りの隙間から差し込んでいた。
大小のハーブ株がワサワサと並ぶ奥のほうに――黒々と横たわる、なにか。ターバンの形は……商人風の老人のように見える。
「ハムジッチャン?」
「寝てます? 風邪ひくけど」
満月が、浩々と照らしていた。そんなこと有り得ないと言わんばかりに。
神さまよりも年老いた風の香辛料屋は、うつぶせに倒れていた。
ちょっと横を向いた、シワ深い顔――その目には、すでに命の光が無い。
地面に、おびただしい出血。ドクドクと流れている。全身ズタズタ。あまりにも新鮮すぎる無残な傷跡。
まさに今、つい先刻、殺害された――だれに?
さっきの物音? 殺人犯は、まだ近くに――この傍に――
「ひんへぅ(死んでる)」
「ウホへょ(嘘でしょ)」
顔見知りの知人の、血みどろ死体は、いっそうの恐怖だ。この年齢ともなれば――老衰による自然死なら――大往生だったろうに。
アルジーも、ミリカも、真っ青になってガタガタ震えるのみだ。歯の根が合わなくて、変な発音になってしまう。
――と、そこへ。
「おい誰か居るのか? ランプが」
水耕ハーブ栽培施設の正面扉、すなわち表通り側の鍵が開いていたらしく、ガチャガチャという扉の開閉音。そして、ドヤドヤという複数の人影。
「火事場泥棒か!? おい!」
ギョッとするほどの高速の足取りで距離を詰められ、ポンと肩に手を置かれて。
「ぎゃわー!!」
「わー! じゃないぃ!」
アルジーとミリカは飛び上がり、パニック涙目になって、自衛用の武器としていた、病人の歩行杖を振り回した。メチャクチャに。
そして勿論、誰何(すいか)の声をかけてきたのは、熟練の衛兵と戦士たちであった……あっという間に、取り押さえられたのだった。
*****
目下、冷や汗ダラダラ状態の、金融商オッサンの店の中――応接室。
「感動の再会どころか、その辺の怪談を超える怪談でしたぜ、老魔導士どの」
色々落ち着いて苦笑いしつつ、こうボヤいたのは、最近なんとなく金融商オッサンの店前で見かけるようになっていた、あの中堅の鬼耳族の、陽気な傭兵であった。
目下、パッと見た限りでは10人程度の部隊の「隊長」。実際は違うかも知れないが。
「実にご苦労じゃったなクムラン君。あの凄惨きわまる殺害現場を取り扱いながら、オローグ君とも協調して、目撃者の身元について、よく秘密を維持してのけたものじゃ。感服して進ぜるぞよ」
対面して鎮座するモッサァ白ヒゲ老魔導士が、白ヒゲをいっそうモサモサさせている。
「まぁ訳知りのメンバーを厳選してましたからね。さいわい鷹匠ユーサー殿もいらっしゃいましたし」
老魔導士の称賛に、中堅ベテラン傭兵といった出で立ちの戦士は、宮廷仕様の一礼で軽快に応えた。陽気で軽妙な挙動は10年前と変わらぬものの、年相応に「中堅ベテラン」の雰囲気。
そのクムラン部隊のメンバーといった体で、2人の青年が控えていた。2人とも、まだ怪談の衝撃が抜けていないという風。
衝撃が抜けていないのは、生き返ったばかりのアルジーの付き添いとして同席した遊女ミリカも、同じだ。
「黒髪だったんだねクバル君。じゃなくてオーラン殿」
「従妹アリージュが大変お世話になっております。じきに戻る兄オローグからも、感謝を」
その平凡なやりとりをきっかけに、一段階ほど、緊張がゆるんだ。
察し良く、いつものように茶器を配して回っているのは、もちろん、無表情な番頭――鷹匠ユーサーだ。
金融商オッサンは店の主人として上座に居たものの、来訪の面々を熟知しているゆえに、落ち着かぬ様子である。
あらためて、アルジーはベールの下から、一堂に会した面々を確認した。肩先には、いつものように相棒の白文鳥パルが居る。ちょっと疲れた様子だけど。
ジャヌーブ砦の日々から10年後の今、鷹匠ユーサーと、白ヒゲ老魔導士(なんと、前・魔導大臣フィーボル猊下!)は、すぐに分かった。分からなかったのが不思議なくらいだ。
クバル青年とオーラン少年も一致した。クムランと、先刻チラリと顔を見せてくれた、ローグ――公的にはオローグで通っている――2人も。
オーラン青年とコンビを組んで行動していると見える濃紺ターバン青年――ダークブロンド髪をした訳アリ令息という雰囲気。
いまは覆面を解いて、クセの無い綺麗な面差しが、うかがえる状態。骨格や色彩を見ると、確かにセルヴィン皇子だ。旅ができるくらい健康になったのは良かった。
金髪ミドル代筆屋ウムトがコメントしたとおり、酒姫(サーキイ)や男娼といった夜の副業で稼げそうな感じ。
あの覚えのあるユーモラスな雰囲気のネコミミ炎が、茶卓の『魔法のランプ』にチョロリと灯ったのを確認して、予想はしていたものの唖然とする。
セルヴィン皇子と精霊契約した、火のジン=レクシアルと名乗る《火の精霊》。
「じゃあ落ち着いたところで、そろそろ事情聴取いきましょうかね、お嬢さんがた。どうやって、あんな驚天動地の状況の死体を発見したんですかね」
クムラン隊長が、テキパキと口火を切った。所作や口調は、こちらの緊張をほぐすためもあってか軽妙な雰囲気だが、その眼差しには真剣な光が浮かんでいた……
…………
……
「いやはや、白毛玉ケサランパサランに包まれて生き返ったが早いか隣人の血みどろ死体を発見したと。殺意モリモリの犯人とスレ違った可能性もあり。例の『トラブル吸引魔法の壺』健在ですね。
想像はるかナナメウエ、どころか、世界の果てを超えて、この世の外まで、ぶっちぎってんじゃないですか」
「完全同意するところじゃぞ」
むむぅとばかりに腕を組み、うなる老魔導士フィーヴァー、いやフィーボル。その横で、金融商オッサンは、ハンカチを絞れそうなほど冷や汗ダラダラであった。
「巨人戦士『邪眼のザムバ』邪霊害獣1001匹の血祭り事件ですとか、泥酔の衛兵ワリドが三日月刀(シャムシール)を振り回して暴れた事件ですとか、ちょこちょこ何かとありましたものの。
ギタギタ殺人事件が、すぐ隣で起きたとは、まったく何という事でございましょう。くだんの香辛料屋ハムザ氏は、いわゆる「正直な働き者」。
競合店の若い店主からも尊敬されていたほどで、誰かの恨みを買っていたとは思えませんが」
途中から戻ってきた従兄ローグ――オリクト・カスバのオローグ大使も、呆然とした状態であった。
呆然としながらもオローグ大使は、手際よく現況報告をおこなった。クムラン隊長に代わって部隊を指揮して、配下は、すでに方々へ手配済みだ。
「香辛料屋ハムザの死体は搬出済み、最寄りの衛兵の詰所へ保管、市場(バザール)の町医者が検死を。ハムザの店は、同じ市場(バザール)の競合店のアルバイト店員が協力して店番していて、
目下ハムザ夫人は不在。親戚が戦闘区域の流れ弾で大怪我をし、駆け付けたためとのこと。一報が届き次第、翌日以降には戻る見込みです」
「よし、ワシも検死の様子を見てみるとしよう。いずれにしても次の対応は、香辛料屋ハムザ妻が戻ってきてからじゃな」
「御意」
当座の必要事項はテキパキと切り上げられた。とはいえ、相応に時間かかったのは明らかで、東の空は払暁の色をしていた。
老魔導士フィーボルが早速、ひとりの護衛と共に「死体が搬送されて検死中」という最寄りの衛兵の詰所へと外出する。
クムラン隊長は相変わらず面白そうに、アルジーを観察していた。黒髪の兄弟オローグ大使・オーラン青年、次に訳アリ令息といった風の濃紺ターバン青年セルヴィンと視線を交わし。
無表情で控える番頭――鷹匠ユーサーとも視線を交わして、最後に意味深な笑みを浮かべて……丁重にアルジー・ミリカへと、一礼した。
「殺人事件の捜査体制の都合上、当座の席次一位として、あらためて。ささやかながら隊長として、いち捜査部隊を率いておりますクムランと申します。
お見知りおきを……とはいえ、代筆屋アルジーあらためアリージュ姫は、10年前にさかのぼって我々を思い出したようですね。最初の頃とは明らかに目線が違いますぜ」
「正直、まだ飲み込めてないけど」
「こちらも気を張る必要が無くなって、やれやれですぜ。恐ろしき鷹匠ユーサー殿の厳命でしたからね、《鳥使い》直感に引っ掛からないよう慎重に接触せよ、というのは」
――そんなに恐ろしい鷹匠?
目をパチクリさせて、無表情な番頭――鷹匠ユーサーを振り返る。ごま塩頭の鷹匠ユーサーは、かつてのように、丁重に目礼を返して来るのみだ。
とはいえ、あの恐ろしい説教とか、上司バーツ所長まで恐れ入るほどの「強硬な要求」をしたという小耳を考えてみると、納得するしかない、というのも……
帝国伝書局・市場(バザール)出張所の所長は、気まぐれに治安が悪化する市場(バザール)から仕事場を警備するという役割もあって、武闘派じゃないと務まらないのだ。
退魔対応の三日月刀(シャムシール)について、ある程度の腕前があることも、必須条件。
いつしか白タカ《精霊鳥》2羽、間仕切りとしている室内装飾ドリームキャッチャー衝立に腰を据えていた。白タカ・ノジュム、白タカ・シャール。念に念が入っている。恐るべき深謀遠慮。
白タカ・ノジュムと、白タカ・シャールが、見覚えのある挙動で「ピッ」と《精霊鳥》特有の冠羽を出し、高速《精霊語》で挨拶して来た。
『さっそく鋭い直感だな《鳥使い姫》。我ノジュムは、表立つ訳にはいかなかったが、それで正解だったようだ。隣の若手は、我が後輩《ジン=ジブリール》。幼鳥の頃のアレコレを、もちろん承知してるだろう』
『人類向けの通称「シャール」で通っている。その辺よろしく。トルジンに放逐された最初の夜、ジン=パユール殿に急かされて《超転移》を使ったゆえ、
身に覚えナシ「わけわかめ」で対応せざるを得なかったが。時間をさかのぼって保護が間に合い、綺麗に収まって、やれやれだったな』
そう、確かに覚えている。初対面の時、この白タカ・シャールの純白の翼には、すさまじく高速で飛んだと思しき乱れが残っていたのだ。普通の乱れ方じゃ無かったから「アレ?」とは思っていた。
――10年前の、真っ白フワフワ幼鳥を知っているだけに、見違えるほどの成長に言葉を失ってしまう。
もともと鷲獅子グリフィンは高位の精霊として、二つの名前が並行している。白タカから鷲獅子グリフィンへと変容すると共に、
オーランが名付けた呼称が《ジン=ジブリール》名へ昇華したのだ。白文鳥パルが、別に《ジン=パユール》名を持っているのと同じだ……
…………
……
「その節は色々とお世話に……ご迷惑も……」
「や、その辺は事情が込み入ってますからね、さておくとしましょうぜ」
クムラン隊長は苦笑いを浮かべて、肩をすくめて返して来た。他の訳知りの面々も、ちょっと疲れたような雰囲気になったように見えたのは、きっと、見間違いでは無い……
「お嬢さんがた、いきなり超ド級の変死体を目撃した後じゃ色々お疲れでしょう。日を改めて、また聞き取りに参りますんで、新たに思い出したことがあったら整理しておいていただければ」
帝国軍の捜査部隊として、これまでにも似たような怪奇事件を扱ったことがあるのか、手慣れている。ありがたく受け入れるのみだ。
頃合いを見て、退出する前に、丁重な一礼をする。
2人の従兄すなわちオリクト・カスバのオローグ大使、および青年貴族オーラン侯へは、アリージュ姫として、目上の親戚への挨拶を、順番に重ねる形になった。
相手の右手の甲に口づけをし、次に自分の額を、相手の右手の甲にふれる方式である。
偶然ながら、蘇生する前に、「三途の川」で自分の物理的な顔をジックリ見ておいて良かった。あらためて間近で眺めると、ホントに親戚筋だ。各所が似通っている……
…………
……
ちなみに。
見ていてハラハラする程の病み上がりとはいえ、「骨格標本」から「ギリギリ痩身の女性」へと回復していたアリージュ姫の姿は、実際は、再会の面々を、とことん仰天させるものであった。
かつて10年前、ジャヌーブ砦の降雨の中に投影されていた「ギリギリ痩身の女性」幽霊イメージそのもの。
首元に開いていた《人食鬼(グール)》裂傷の謎も、いまや明らかだ。
10年前のジャヌーブ地方の日々の中で霊魂の修復が済んでいたため、老魔導士の熟練の手術でもって物理的な傷の処置も無事に済み、包帯も取れた。
縫合痕は「斬首ゾンビ」を思わせる壮絶さだが……いずれ傷跡は薄くなろうし、首元を隠すための衣類や装飾品を、色々考えることはできる。
霊魂の手続きをしていた《火の精霊》流儀による「スナギツネ仮面」は、傑作であったのだ。アリージュ姫の《シュクラの銀月》ゆずりの面差しを、暗示する程度には。
「……認識を改める。例の酒姫(サーキイ)ひと筋だった先代の帝国皇帝(シャーハンシャー)を、酒姫(サーキイ)への関心が無くなるレベルでハニートラップに沈め、例の四行詩を作らせて、
想像の彼方ナナメウエの命令書を公示させただけのことはある、と納得だよ」
相応に長い時間をかけて、内心の衝撃を収め。クムラン隊長は、やっと、ボソッと呟いた。
もとから可愛い盛りの7歳ごろの従妹アリージュを知っていたオローグ大使やオーラン青年にとっては、「大きくなったな」と、ホロリとする……というものではあったけど。
金融商オッサンの店主ならではの誘導でもって、全員で座に落ち着き……クムラン隊長はさっそく、オローグ大使へ声を掛けた。
「妹姫どのが、深窓の令嬢として、ひととおり身の安全に気を使っているのは見て取れたが、オローグ殿。市場(バザール)の裏街道などに戻す訳にはいかんな。あの顔だけでも『トラブル吸引魔法の壺』だろ」
それは金融商オッサンと番頭のほうでも……濃紺ターバン青年セルヴィンにとっても、共通の認識であった。くわえて今まで、かろうじて働けていたというのが奇跡である。
「バーツ殿へ話は通してある。『一身上の都合により退職』も含めて」
「お、相変わらずの手際じゃないか、友よ」
「サシで話して来たよ。クムラン殿が評価したとおり有能な男だ。かねてから、身辺事情を察してたのは確実だ。正式な騎士団免状を持っていて、退魔対応の技術は確か。
くわえて経理に明るいのは願っても無い。市井のほうが長い没落諸侯……ほぼほぼ平民だから、数年かけて段階的に引き上げる形になるが、新しい東方総督を任せられる人材だと思う」
そこで、オローグ大使は、少し思い出したという風に思案顔になった。
「現・東方総督トルーラン将軍に追い落とされていた、前・東方総督――は、失念してたな。ザルリン侯と、その係累……調査済みだったかな? ザルリン侯が、元の地位に返り咲く、というのは?」
それに応えたのはセルヴィン青年であった。濃紺ターバンを再び覆面へと巻きなおしつつ。
「却下だ」
怒気が混ざった低い声。帝都皇族ならではの威厳。
「裏街道チンピラ騎士団の団長と化してる大酒呑みだ。東帝城砦のほとんどの酒場で、《灰色の御札》適用の酒乱として名を挙げている。
故カスラー大将軍と同じく、過剰なくらい『山吹色の菓子』を食わせないと積極的に動かない」
オローグ大使が溜息をついた。半分以上は、やれやれと言わんばかりの納得の溜息だ。
「東方総督ザルリン侯の頃は、山吹色の賄賂に、各地方の珍酒・名酒を上乗せするのが定番だったんだ。場合によっては、その手の遊女も。
酒乱などの酒癖の悪さも帝都宮廷の噂になっていて……失脚後の生活の中で改善したかなと思っていたんだが、変わってなかったか」
「バーツ殿は、これから忙しくなるな」
ニヤリとするクムラン隊長であった。さっそく、東方総督の業務に関するアレコレの内容を押し付けて進ぜる気合、満々である。
ベテラン金融商――世慣れた風の小太り中年男オッサヌフが、「はあぁ」と溜息をつく。
「機密保持は万全にしておりますものの。私の店の中で、東方諸国をいっぺんに動かすような『どでかい陰謀』をされるというのは、やはり心臓に来るものがございますよ」
*****
蘇生したばかりで体調が本調子では無かったアルジーは、1日、高熱で寝込む羽目になった。
相棒の白文鳥《精霊鳥》パルも、アルジーにシンクロして、その枕元で「もちーん」と休養スタイルに入っている状態。
――昼日中の明るさの中、隣の水耕ハーブ栽培施設のほうで、ずっと、ザワザワとした気配がつづいている。殺害現場の後処理などがつづいているのであろうと知れる……
(体調回復したら、また筆記用具そろえなくちゃ。それから体調回復の御札……紅白の御札とか……代筆屋の仕事をいきなり休んでしまったから、バーツ所長へも……)
夕食の頃になって、アルジーの体調が戻ってきた。
気まぐれにチラリと現れて、生命力を補充してくれたのは、セルヴィン皇子と契約している《火の精霊》である。やはり、あの可愛らしい、毛並みツヤツヤ赤トラ子猫・火吹きネコマタであった。
枕元で、同じく調子が戻って来た白文鳥パルが、火吹きネコマタと、情報交換をはじめている。
『オーランは半分フツーに戻ったけど、セルヴィンは相変わらず挙動不審してるピッ。あれじゃ判らないでしょピッ』
『うむ。借りてきた猫の置き物になっていて、我も驚いたニャ。まぁ、その後の打ち合わせは、いつものセルヴィンだったゆえ』
アルジーはボンヤリと起き上がりつつ、首をかしげるのみだ。
『健康になって良かったね……以前のように相談させていただく事は有ると思う』
ちっちゃな火吹きネコマタは、猫のヒゲをピピンとさせた。その口元には「チェシャ笑い」が浮かんでいる。
『相談いつでも歓迎ニャ。取次業者ディロン必殺技・息継ぎナシ完全ノンストップ長広舌セールスではニャイが、本人が矢よりも早く飛んでくるゆえ』
ほどなくして、扉が開いて閉じた。ミリカが入ってきて、顔をパッと明るくする。
「あ、起きてて良かった。熱は下がってたし、夕食も大丈夫そうだね。タヴィスさんが心配してたから。
アルジーの代理で、殺害現場の後続の捜査と処理の立ち合いしてて、さすがに真っ青になってたからね」
「それはまた……血の量すごかった気が……」
「まあ……ね」
立ち会ったミリカも、口を引きつらせる程度には血だらけの現場だったと見える。ミリカは素早く気を取り直して、手持ちの風呂敷を開きはじめた。
タヴィスが用意したと思しき、新しい衣類がある。
「1日かけて現場を清めてたから、余計な邪霊害獣は沸いてこないと思うよ。白ヒゲ先生も念入りに邪霊退散の御札、仕掛けてたし。
あ、そうそう、なんか大型ドリームキャッチャー護符の話があるみたい。シュクラ国宝とか」
――失念してたわ!
久しぶりに、病人用ガウンでは無い衣類に袖を通す。男女兼用の簡素な生成り上下に膝丈ベスト&サッシュベルトの一式だが、それでも気持ちが引き締まるのを感じる、アルジーであった。
ついでに首元の縫合痕を、簡単にスカーフで覆う。
夕食は、座椅子を連ねた談話室に複数の卓を並べ、その卓上に食事が供される形式だ。
金融商オッサンと、番頭の鷹匠ユーサー、老魔導士フィーボル、元シュクラ侍従長タヴィスが、すでに揃っていた。
いつかのように白ヒゲ老魔導士が、食事が進んだ頃合いを見計らって口火を切る。
「まずシュクラ国宝ドリームキャッチャー護符について、ワシが預かった内容を説明するぞい」
初老の侍従長タヴィスが、熱心に耳を傾けはじめた。
「タヴィス殿も知るところ、シュクラ国宝ドリームキャッチャー護符は《風の精霊》祭祀のための精霊魔法の祭器。
かねてから、古代《風》崇拝の伝統を引き継ぐ城砦(カスバ)すなわちシャヒン、スパルナ、ウトパラ、シュクラ間で連携して、
祭祀を共有する盟約をつなぐ――という外交政策が進められており、帝都宮廷でも大聖火神殿でも、合意されておった。祭器は、その手続きに使われる」
アルジーすなわちシュクラ王女アリージュ姫は、ポカンとするのみであった。肩先で白文鳥パルが同意してピョンピョン跳ね、食卓の『魔法のランプ』で、ネコミミ炎が、同意の火花を打ち上げていたのだが。
「あの、私その話……帝都の大聖火神殿でも、という部分、知らなかったですけど」
「私も帝都上京の際に立ち寄った王侯城砦(パシャ・カスバ)で『四方の風の盟約』小耳に挟んだけど、それだけだったわね」
思わず、パッと、ミリカを振り返る。
ミリカは両手で顔面を覆い、相応に気まずそうな様子だ。
「ごめん、詳しい自己紹介してなかったね。正式名ウトパラ諸侯ミリーシャ。先祖がウトパラ王家の侍医で、王女降嫁で城砦(カスバ)ひとつ持ち、王族係累の諸侯として代々医学を研究。
たいていの精霊と気が合ってたから、ウトパラ王侯城砦(パシャ・カスバ)から、帝都の神殿で女神官の資格とる話いただいて上京。見習いの際に本命の医学コース受験したけど色々あって弾かれたというか」
――アルジーに負けず劣らず波乱万丈ではないか。
あらためて、幾つも年の違わない先輩『姫君』をマジマジと眺める……アルジーであった。
白ヒゲ老魔導士フィーボルが、ふーっと、ため息をつき。モッサァ白ヒゲをモシャモシャかき回した。
「済まんな。例の酒姫(サーキイ)の後始末だの、帝都大市場(グランド・バザール)のチンピラ《人食鬼(グール)》抗争の盛り上がりだの、
政局のゴタゴタで、女医に関する法整備が遅延してるんじゃ。合格者トップ10名簿に『ミリーシャ姫』の名前が載った段階から、第一皇女サフランドット姫が気にかけておられたから、
そのうち会って話してくれい。ジャカランダ・カスバのナディヴァタ殿も関心を寄せている問題じゃよ」
金融商オッサンは興味深い顔になって、メモを取っていた。何らかのビジネス可能性を思いついたらしい。
初老の侍従タヴィスはもとより、鷹匠ユーサーも顎(あご)に手を当てて感心している風である。
老魔導士フィーボルは茶をゴクリとやり、話を再開した。
「話がズレたな。そう、その『四方の風の盟約』じゃ。その手続きには、めいめいの国宝級《白孔雀》ドリームキャッチャー護符と、
いずれかの国家祭祀で認められる王統を引き継ぐ直系が輩出した祭祀王、すなわち、いずれかの王家直系の《鳥使い》が必要になる」
老魔導士は、感心するほどの博識でもって、立て板に水で語りつづけた。
「今まで、シュクラ諸侯が輩出した《鳥使い》候補の段階で話が止まっていたが、
ようやく、古代シュクラ開祖に匹敵する――亀甲城砦(キジ・カスバ)との外交・縁戚関係もある――《鳥使い》が出現した訳じゃ」
初老男タヴィスが相槌を打ち。
「このたび、シュクラ祭祀王《鳥使い》としてアリージュ姫が盟約に臨むことは、シュクラ・カスバの総意となっております。
ですが目下、ドリームキャッチャー護符は精霊魔法《生存証明》契約の特別条項を形成するもの、すなわち直系断絶の危機において《鳥舟(アルカ)》として使われたとか。
現在、ドリームキャッチャー護符は、どうなっているのでしょう?」
老魔導士フィーボルは、陰気に呟いた。
「分かっているのは、問題のシュクラ国宝の護符が、真っ二つに破壊されたという事実じゃよ」
「ま、真っ二つですって? 何という事を!」
初老男タヴィスは、いまにも失神しそうな顔色だ。
「まったく。かの『キ印6号』と同じくらいの『キ印の御曹司』が実在するとは、まさしく想定外。
セルヴィン皇子とオーラン君が、地下神殿の生贄祭壇の間へ踏み入った時、邪霊使いと化していた《鳥使い》候補ユージド、御曹司トルジン、2人の間で、ドリームキャッチャー護符が取り合いになっていたらしい。
そこらじゅう邪霊害獣が沸いていたそうだから、理由は推して知るべしじゃ」
そして、食卓の『魔法のランプ』ネコミミ炎がニューッと変形し、火吹きネコマタの姿になった。
『祭壇の間への鋼鉄扉の破壊に手間取ったゆえ済まぬ。老魔導士どのに匹敵する力量の「宝冠魔導士」が封鎖していたニャ。
オーランが目撃した、空飛ぶ「宝冠魔導士」、ヤツの正体は必ず暴かねばならぬ。黄金ガイコツの仮面も、かの黙示の物と一致していた。
今ごろは念入りに変装して隠蔽しているであろうが……真っ二つになった護符の半分は、我が炎の手へ飛び込んだゆえ、厳重に保管していたニャ。いま出すニャ』
火吹きネコマタの2本のネコ尾の先で、両手で抱えるくらいの、真紅の火の玉が揺らめいた。
真紅の火の玉はなめらかに天板へ舞い降りて、フッと消え。
そこには、いつかも見た気のする、手乗りサイズ水晶玉――その真っ二つになった片割れ――が現れていた。
「ややッ……! これは《白羽の水晶玉》でございますな。たしかに半球になっておりますね」
金融商オッサンが、すぐに正体を鑑定してのけた。かつて《青衣の霊媒師》オババ殿の遺言と共に、慎重に預かって保管していたのだ。なんども手に触れて扱っただけの経験値はある。
白ヒゲ老魔導士フィーボルが、そっと手に取り、観察しはじめる。
「本物じゃ、確かにの。かの大型ドリームキャッチャー護符が次元転換したものじゃ。古代水晶玉の中に、白孔雀の尾羽7本の彫刻が仕込まれる形式なのじゃが。
真っ二つになったというだけあって、この中には3本の尾羽しか入っておらんの」
アルジーも、しげしげと眺めつつ。
「残りの半球が、あの地下神殿のどこかにあって、その中には尾羽4本が入っている……?」
『それが見つからなかったのニャ《鳥使い姫》。我が一族も方々探し回ったのであるが。当座は《鳥使い姫》生体の救護が最優先だったゆえ後手に回ったのは致し方ないところであるニャ。
精霊魔法《鳥舟(アルカ)》が終わり、ドリームキャッチャー護符《生存証明》解約されたゆえ、《命の炎》に直結する問題では無かったのもある』
アルジーの肩先で、白文鳥パルが「ピピッ」とさえずった。
『難問ピッ。天文台には優れた占術師が居るけど、地下の失せ物探しは本領では無いピッ』
「じゃ、いま必要なのは、失せ物探しの上手な占術師を探すことね」
ポロリと考え事を口にして……アルジーは、皆の視線が集中していることに気付いて、目をパチクリさせた。
珍しく、鷹匠ユーサーが、仰天した雰囲気だ。
老魔導士フィーボルが白ヒゲをモッサァと膨らませる。
「失せ物探しの上手な占術師は、有効な手段じゃ。色々ありすぎて失念しとったわい。先刻まで、捕らえた御曹司トルジンに、《魔導》自白剤を盛ることを考えておったからの。
邪霊使いユージド死体は、既に秘密裏に《封魔葬》済みなのじゃ」
「三途の川で、邪霊使いユージドと会って話したから知ってます……あ、じゃあ、いきなり『お焚き上げ』始まってビックリしたけど、あれが《封魔葬》完了したタイミングだったのかしら……」
「なんと興味深い臨死の目撃談じゃろう」
「白金の聖火の中で骨格標本になったけど、相変わらず『侮辱キメキメ踊り』してましたし、骨の髄まで怨念を浄化するのは100年単位だそうなので時間かかりそうです、あれは……でも、夫トルジンは……」
アルジーは、さらに首を傾げつつ……思案検討のままに語った。
「夫トルジンが、そこまで訳知りとは、とても。自称『本物のアリージュ姫』に貢いだり、
その一方で『独身女狩り』やってたり……私もハーレム妻のひとりとして毎日《灰色の御札》で呪ってたから、
その対抗措置で忙しかった筈……対抗措置してるうちに、邪霊使いユージドと親しくなったのも、あるのかも……」
説明しているうちに、気分がズンズン落ち込んでゆくのを覚える。
胃が痛い。今になって、これだから、何かと問題を起こしまくっていたカスラー大将軍のもと、ジャヌーブ砦の4人の長官の常備薬が胃薬だったのだと、納得できる。
なんとも外道な夫を持ってしまったものだ……
やがて、文字どおり、ガックリと頭を抱えるアルジーすなわちアリージュ姫であった……
「いちおう聖火神殿で《婚礼の儀》を済ませた夫だから、妻として連座制の適用は確定だし、過去12年間の脱税だとか、アリージュ姫の名前を使った不正工事とか、その辺どうにかしてからでないと……」
「カムザング皇子の場合にも問題化した点じゃな。連座制で、いくつもの有力な城砦(カスバ)が、身に覚えの無いことで没落の憂き目にあい、
帝都宮廷の重鎮の面々の半数以上が激怒した。帝国分裂の危機じゃったぞい」
ついで、老魔導士フィーボルは、誰よりも立派な白眉をビシバシと動かした。「人類史上の最高の天才」とかますだけの頭脳でもって、新たな、重大な懸念に気付いたのだった。
「とんでもない問題を含む重要な指摘じゃ。《婚礼の儀》と『四方の盟約』は重複する条項がある。
盟約成立させた祭祀王が人妻だった場合、《婚礼の儀》特例条項でもって、夫がその地位を占有することが可能。夫へ、ハーレム妻の地位や財産が移行するのと同じ理屈じゃ」
業務上、契約の取り扱いに詳しい金融商オッサンが、ピキッと固まった。次に侍従長タヴィスも。
「そ、それでは現状を勘案いたしますと、ご夫君トルジン様が、契約、いや盟約における地位と立場を乗っ取り、奪取して帝国樹立することも……」
ミリカが口を引きつらせる。御曹司トルジンには、散々、嫌な思いをさせられていた被害者のひとりだ。
「いやですよ、3歳や5歳の男児への性暴力もやりまくりな、トルジン帝国なんて。あの御曹司トルジンに、
精霊の盟約を乗っ取れるような頭脳も知恵も技術もあるとは思えないけど、変な邪霊使いが、後ろで操ってたら……」
「我らが帝国も『四方の火の盟約』を下敷きにしとる。ヘタしたら、我らが帝国と、トルジン帝国とが、ぶつかる羽目になるぞい。戦力として、巨人戦士の洗脳は簡単じゃ。邪霊の種族も《魔導》取引には応じる。
邪霊使いは、そういう不備の穴をついて争乱を巻き起こすのが得意なのじゃ。天才《炎冠星》と対決した時にも、散々悩まされた条項じゃよ」
断固とした口調で、鷹匠ユーサーが意見を述べた。
「目下『四方の風の盟約』は、帝都宮廷においても重要な外交任務との結論がございます。香辛料屋ハムザ殺害事件も早期解決を図らねばならず、
くだらぬ枝葉末節に気を回す余裕はございません。必要なら、御曹司トルジンの余罪を逐一、調べ上げ、斬首に相当のものを見つけ次第、穏当に処分するのみです」
老魔導士フィーボルが、にわかに頭痛がはじまったかのように顔をしかめた。
「その『穏当に処分する』という部分に、逆に不穏な気配を感じるのは気のせいかの。《婚礼の儀》は、あれで色々と取り扱いが面倒じゃ。
かつて両大河(ユーラ・ターラー)上流域で巨大化《人食鬼(グール)》召還をやらかした邪霊使い49名を《魔導》暗殺した前例があるが、
あれは《婚礼の儀》が関わらぬゆえ可能だった、カビーカジュ魔導書『禁書』経由の超法規的措置ぞい」
その手の苛烈な方面には疎いほうの、初老タヴィスと、金融商オッサンと、ミリカが、「お、おぅ」と震えた。
火吹きネコマタが、アルジーの身体の各所をフンフンと嗅ぎ始める。2本のネコ尾の先で、いぶかしげに、パチパチと火花が散っていた。
とりわけ、アルジーの左手首の位置で、ネコヒゲがピピピンと揺れている。念入りに。
その様子を見て、アルジーは袖をまくり上げて見せた。
左手首に取り付いている、怪異な装飾品が現れる。
――暗くぎらつく黄金色をした、幅広のブレスレット。
歪んだ目のような刻印――あの《邪眼》紋章が、中央にある。人間業とは思えぬ精緻な炎冠紋様が、幅広ブレスレット全体を覆い尽くしている。
見た目は、何処かの遺跡から発掘された、古代《精霊魔法》装飾品。しかし、その無気味な呪縛の色は、明らかに忌まわしき物体であることを示していた。
重さは無く、クルクル回せる程度にユルいが……どこにも留め具や鍵穴が無く、取り外すことができないのだ。
一般的な工具などで破壊することも、できない。『失われし高度技術』特殊合金のように、とても堅牢な素材。
精霊としては長い、検討の時間が横たわる……
『呪縛の第一次情報の結晶ニャ。《婚礼の儀》契約と、それを利用した呪縛の内容も、ブツから読み取った内容で間違いニャイ』
火吹きネコマタが慎重に、見立てを呟きはじめた。《火霊王》御使い第一位ジン=レクシアルとしての確信をもって。
『奇妙なことに、《婚礼の儀》条項の破棄が成立してるニャ。《絶縁》も込みで、しかも正式な手続きニャ。我ら精霊の関知せぬ手続きというと、邪霊の次元を経由した手続きかニャ。
邪霊は、生贄の際の手続きを高速化するため、《離縁》と《絶縁》の区別を付けないで、一緒くたにして処理するのニャ』
『そんな事あったのピッ?』
白文鳥パルが、火吹きネコマタの隣に飛び降りて、卓上をチョコチョコ歩き始めた。そして小鳥の首を左右にヒョコヒョコ動かした。
そして――薔薇色のクチバシをポカンと開けて、ピョン! と、飛び跳ねた。
『あの時に地下神殿に居た、1001の《火の邪霊》一柱でも呼び出して確認が必要ピッ。御曹司トルジン「名誉の殺人」正式宣言したうえに、帝国語と精霊語の両方で「離縁」正式宣告してるピッ』
……その最悪の局面は、アルジーが、実際に目と耳で確認したことだ。いまでも思い出すたびに、はらわたが、フツフツと煮えくり返るところである。
白文鳥パルは、さらに驚くべき言及をした。
『もし、その場に、巨大化《人食鬼(グール)》召喚権能を有する神官ないし魔導士が立ち会っていたならば、《火の邪霊》次元を経由して《絶縁》《離縁》同時に成立してるピッ。
あとは《火の精霊》の側の追認、双方合意だけピッ』
『そんな難しい条件充足、いっぺんにやらかしたかニャ!?』
『1001番目の大台だったゆえ可能性はあるピッ。裏付け追認、即行依頼したいピッ。
だけど悩むところピッ。《人食鬼(グール)》3体を倒さないと、《火の邪霊》は引き換えに、信頼できる回答を寄こして来ないピッ』
火吹きネコマタは、文字どおり腕を組むかのように、2本のネコ尾を組んで「うーん」と思案しはじめた。
『オオゴトになるが、それで行けば、細々の条項についても手続きが一気に省けるニャ。カビーカジュ魔導書の例の「禁書」にも記録された事実ニャ。
こんなところで《人食鬼(グール)》3体に出て来られるのは災厄であるが、やるのみだニャ』
――そして、その奇天烈な情報は、鷹匠ユーサー相棒の白タカ・ノジュムを通じて、即座に共有されたのだった……
■3■十字路に、さまよえる亀、入り乱れる夜目
翌日。
朝から、金融商オッサンの店が位置する街区の市場(バザール)は、活発な取引がはじまっていた。
火事場泥棒の多い地区がポツポツと点在するように残っていたが、帝国の東方領土の支配の拠点――東帝城砦の城下町は、少しずつ日常を取り戻していた。
豪華な宮殿を含む中央街区の戦闘は、終わりの段階だ。トルーラン将軍・御曹司トルジンを含めた反乱軍勢力を、ほぼほぼ制圧し、捕縛して、牢屋に順番にぶち込んでいるところである。
「脱税して得た不正なカネで、大勢の《邪霊使い》を雇ったに違いない」
――というバムシャード大将の愚痴含みのボヤキが正鵠を射たくらいに、宮殿の中も、付属の聖火礼拝堂の中も、退魔調伏せねばならぬ邪霊害獣で埋まっていたのであった。
*****
アルジーとミリカは、お世話になってばかりというのも、落ち着かず。
ひととおり体操などして調子を整えた後、店内でも数日とどこおりがちであった掃除・洗濯を担当し、相応の御駄賃を溜めて。
男性たちにとっては理解の範囲外にある、女性特有の小道具の買い足しなどを計画しはじめていた。
また、体操の際に判明したことだが。
アルジーの霊魂が微妙に10歳の大きさであり、現在の19歳の体格との共鳴をそろえるのに、数日ほど、かかる見込み。
ミリカの医学知識は、この状況を正確に理解した。私物を包んでいた風呂敷の中から、ウトパラ方式の医学書籍も、数冊。
「大手術した後に、身体に違和感があって、数日リハビリを要するのと一緒。首元の傷も、霊魂の時に、オーバーキルで二度も離れてたとか? 違和感とか痛みは、倍くらいは長引きそうだね。
市場(バザール)で大きめの荷物が出てきた時は、荷物運びの人を雇う必要があるかも」
――物理的な身体というものは、疲労もたまるし、不調や痛みも感じるし、なにかと取り扱いに手間がかかる。
アルジーは処方された痛み止めを服用しつつ、少しの間、虚無スナギツネ顔になった……
…………
……
金融商の店先、午前の客足がはけたところで。
アルジーとミリカは、さっそく金融商オッサンへ相談をもちかける……客として、カウンター前の間仕切りに控えつつ。
「当面の生活道具が必要で……将来の収入返済を見込んでの借金という形になるんだけど」
「ハイ、具体的におうかがい致しましょう、お客様がた」
ビジネス話という形になり、金融商オッサンは本領とあって、イキイキと応対しはじめた。
「筆記道具の一式を買いそろえる分……あと《紅白の御札》《灰色の御札》在庫も……あと必要なモノあったっけ? ミリカさん」
「簡単な製薬セット一式だね。青衣の婆さまが持ってたような。ほか調剤用天秤、薬包紙、薬箱。
戦闘が始まったの急だったし、裏路地の店舗-兼-住居から婆さま遺品の道具一式を救出しようと思ったけど、とても余裕無かったし」
「筆記道具は、やはり定評のある文房具店『アルフ・ライラ』お取り寄せを考えておられますでしょうね。
製薬セット一式は、モノによっては古物商でお得に入手できることも。ザッと検討いたしましょう」
金融商の手元でソロバンが踊り、金額がまとまる頃。
近くを通った傭兵の類といった風の2人の青年が、フラリと来店した。セルヴィンと、オーランだ。いっそう隠密を心がける方針になったのか、2人とも定番の赤茶迷彩ターバン。
その辺の待合ベンチに座って取引の様子を眺め、興味深そうに、うかがってくる。
金融商オッサンは2人を眺めて、ピンと来た顔になった。
「仲介のほうが確実かも知れませんな。お2人様、先行投資に興味はおありでしょうか。
このたび戦闘に巻き込まれて生活資材を失った状況ですのでね、再起資金を、という訳でございまして」
黒髪オーラン青年が、呆れたように苦笑して、アルジーに視線をやった。
「言ってくれれば良いのに」
「あくまでもビジネス。大事なところの線引きはキッチリと。女商人ロシャナクも言ってる」
「仲介料にて、ガッポリ儲けさせていただきます、ふっふっふっ」
悪徳商人のようなことを言っているが、金融商オッサンの提示した条件は公正な相場の範囲である。
そしてビックリさせられたのは、仲介手数料込みで、即座に全額が出て来たことだ。
――スムーズに話が進むのは有り難いけど。
しげしげと、雑用の傭兵といった体の、定番のターバンをした青年セルヴィンを観察する、アルジーであった。
いきなり注目されて驚いたのか、セルヴィン青年は、10年前の少年のころと同じように琥珀色の目をパチクリさせている。
――5人がかりの卑劣な生贄《魔導陣》解呪の甲斐あって、無事に健康的な好青年に育った。そのほかの部分は、それほど変わらないように見える。
奇妙に物静かな部分には違和感を覚えるが、ここまで旅して来た事実が、もともと冒険者気質であることを証明している。
「番外皇子でしょ、セルヴィン殿下。2年前まで、トルーラン将軍や御曹司トルジンの宴会でも『セ』の一文字すら出なかったし、皇族利権の面で考えても収入ゼロの筈だけど、
大丈夫なの? 利子付けて返せるようになるのは少し先になる……あ、夜の副業で稼げる顔だから、ミリカさんと同じで手堅く貯金すれば……」
セルヴィン青年が「え?」とばかりに困惑顔になり、その後ろで、オーラン青年が背を向けて爆笑しはじめた。
『天然ボケでもって、前提知識と挙動不審から直感的に結論すれば、そうなる訳だ』
オーラン青年の手先の定位置で、若い白タカ・シャールがフムフムと思案顔になっていた。
金融商オッサンが目をパチクリさせ、「何という事でございましょう」と呟いている。薄いハンカチで、ギクシャクと冷や汗をぬぐう気配が見えたのは、きっと見間違いでは無い。
「帝国軍の給料は良いと聞いてるから普通に大丈夫でしょ、アルジー。目下、クムラン隊長の配下という形だし」
「それも、そうかも」
ミリカの意見に、生真面目に頷いて納得する、アルジーであった。
「こんな状況だから、呼称も、フツーにセルヴィン殿、オーラン殿で良い? あと、買い物の時に、荷物運びをお願いしたくて」
ようやく呆然自失から戻って来たらしい――セルヴィン青年が、戸惑いながらも微笑みを返して来た。
「うん、それで。荷物運びのほうも」
その足元でウロチョロしていた、やけに毛並みの良い、ちっちゃな火吹きネコマタが「チェシャ笑い」と共にプルプル笑いをこらえつつ、『挙動不審から一歩、前進したじゃニャイか』と呟いていた……
…………
……
もろもろ話がまとまり、やがて昼食の時分。
リハビリを兼ねて、目の前の市場(バザール)で昼食の買い食いを検討していると、代筆屋仲間のギヴ爺(じい)が、金融商オッサンの店に現れた。
ギヴ爺(じい)は、さっそくアルジーに気付き、ステキにモフモフな白茶ヒゲを楽しそうに震わせた。
「おやおや、急に退職したそうじゃが元気そうじゃのう、アルジー君」
「急にご挨拶も無く済みませんでした」
「いやはや、伝書局・市場(バザール)出張所は戦闘でみごと全焼してしまって仕事にならんしな。バーツ所長も急に引っこ抜かれて宮殿へ栄転じゃよ。
いまは隣近所の鷹小屋を仮の作業所として、ワシと、若い鷹匠アルバイト連中と、伝書バト担当とで、厩舎の害獣駆除の申請書類だの、よろず取次をやっとる訳じゃ。
ウムト君は常勤の神殿衛兵になった。巡回衛兵の人手不足がすごくてな」
頃合いの良いところで、金融商オッサンがなめらかに腰を折った。
「毎度ご来店ありがとうございます。ご用件をお伺いしましょう」
「おお、ガメツイ・オッサン殿。不動産売買の申請書類の処理じゃよ。打診中のブツがこの市場(バザール)のショバでの、仲介役の金融商となると、やはりこの街区の金融商オッサン担当となる訳じゃ」
数枚の書類がやり取りされ、手際よく処理が進む。
「先日ご不幸のございました、香辛料屋ハムザ殿の店や水耕ハーブ栽培施設が、売りに出されるということでございますか」
「そうなんじゃ。ハムジッチャンには子供は居らんし、ハムバッチャンのほうも親戚の世話になったり世話をしたりということでの。近くに競合店もできたし、
店や栽培施設を経営する体力も余裕も無いゆえ、処分して老後の資金を、という訳じゃ」
「不動産業者ムムターズ。評判の、熱い男ですな」
「夜・昼となく男盛りのモテモテ色男にゴリゴリ値切られて、ヒイヒイの老いぼれなのじゃ」
「同情いたしましょう。ムムターズ殿の署名を確認しだい対面のうえ土地取引の商談を。ロバ車に乗られますか?」
一段落して、ギヴ爺(じい)は書類を風呂敷にまとめた。
「ムムターズは、いま、そこの市場(バザール)に来とるんじゃ。ハムジッチャンの香辛料屋を訪問しとるんじゃよ。ハムバッチャンを、乙女らしく、ウットリ・ポーとさせてるぞな。
署名をいただいたら、帰りにまた寄るぞい。値切られた額以上に儲けを出すには、効率よく生産性を上げ、テキパキ済ませんとじゃ」
「お待ち申し上げております」
ユーモラスに手を振って、ギヴ爺(じい)は隣の市場(バザール)へと歩き出した。
興味津々で、アルジーが声を掛ける。肩先の白文鳥パルも、それなりに「安全」を占い済みの様子で、ピョンピョン楽し気に跳ねていた。
「ご一緒しても良いですか?」
「おお構わんぞアルジー君。ミリカ君も。両手に若くうるわしき花じゃ、無駄に色男なムムターズの悔し顔が、いまから目に見えるわ。
この老眼ゆえ読み上げをしてくれると助かるぞい。昔は一目で、帝国通貨の製造年代ミスを見破ったもんじゃがの、ふぉふぉふぉ」
セルヴィン青年とオーラン青年がニガワライしつつ、何やら疲れたような雰囲気になったように見えたのは、きっと気のせいでは無い……
…………
……
金融商オッサンの店の隣には、定番の中堅タイプの商館がある。
商館広場の角を曲がると、この街区の市場(バザール)が広がっていた。十字路の交差点が、相応の広場となったようなもの。
昼食を提供する屋台や、日除けパラソルを並べた大衆食堂の数々が、ピークを迎えている。
一皿料理屋、コーヒー屋台、総菜ピザ屋、冷や水ハーブ茶屋、氷菓屋、駄菓子屋……よくある並び。小さな子供たちが氷菓や駄菓子に集まるのも、定番の光景だ。
ギヴ爺(じい)が、さっそく目当ての人物を見付けた。
「軽食コーヒー屋台で昼デート、しゃれこむぞい」
ズンズン接近していったその先には、既知の老女「ハムバッチャン」こと、未亡人になったばかりの香辛料屋ハムザ夫人が居た。喪中とあって長く黒いベール。
同じ食卓に相席している男盛りの商人男が、噂の不動産業者ムムターズと知れる。その手の不動産業者に多い、多少の「叩けばホコリが出そうな」特有の雰囲気。
まともな業者でも、そういう雰囲気が出るのは、今回のハムザ氏が巻き込まれたような、怪異な事故物件も多く扱うせいかも知れない。
食卓の料理に手をつけながら、香辛料屋ハムザ夫人と、不動産業者ムムターズは、熱心に話し込んでいる。
色男ムムターズが気遣いと微笑みの表情を見せるたびに、老ハムザ夫人は、若返ったかのように、少しウットリとした顔になっていた。
鬼耳族なみの地獄耳で、オーラン青年がすでに、先行の会話の内容をつかんでいた。
「ハムザ夫人の決心は固そうだな。焦っていると足元みられがちだけど、金融商オッサンが間に入るから、問題なくまとまることに期待か」
「前金か何かじゃないか? 当座の医療費の確保とか。親戚が大怪我したそうだから」
「――ふむ。当たりでしたよ。ムムターズの側は、うまいこと取引金額に織り込んで、土地の割引入手を狙ってるな」
そうしているうちにも、2人はギヴ爺(じい)の接近に気付いた様子で、お互いに「やあ」と挨拶を交わした。
「まずは、ハムバッチャン、いやハムザ夫人どの。このたびはご愁傷様ですじゃ」
「ギヴチャンや。あの水耕ハーブ栽培施設の建築では、良い職人をご紹介いただいて、ジッチャンも喜んでましたほ」
亡き香辛料屋ハムザ老と同じように、シワ深い老婦人だ。
子供は出来なかったが、香辛料屋ハムザ氏は、ほかにハーレム妻を迎えることはしなかったと聞く。競合店の若い店主も、元はハムザ夫妻の店の見習いアルバイトだったそうだ。
一夫一妻のハムザ夫妻が連れ添って来た長い年月を考えると、尊敬するのみである。
水もしたたる男盛りの色男といった風の不動産業者ムムターズが、器用に合いの手を入れた。
「本店ともども素晴らしい水路工事でございます。ご不幸な事件でしたが、ご主人は立派な物件を残されたもの。
濡れ手に粟と言うべきデリシャス物件の両手に花、いや、お大事に預からせていただき、必ずや、市場(バザール)のいっそうの発展に寄与させていただく所存ですよ」
ギヴ爺(じい)のモフモフ白茶ヒゲの中で、口元がイタズラっぽい形を描いた。
「いま、うるわしき花々に目を奪われておられたのか、本心が聞こえたような気がしますぞよ、ムムターズ殿。ふぉふぉふぉ」
「これは参りました。聞かなかったことにしていただけると有り難いのですが」
確かに不動産業者ムムターズは、セールストークの途中で、ギヴ爺(じい)の助手といった体で控えているアルジーとミリカに気付き、「おぉッ」とばかりに目を見張っていたのだった。
「ふぉふぉふぉ、うむ、聞かなかったことにして差し上げるゆえ、所定の書類にテキパキと署名いただこうではないか」
一本とられた、と言った風で、首をフリフリ……色男な不動産業者ムムターズは、意外に器用な手つきで筆を手に取った。プロならではの速度で書面を確認し。
「仲介は金融商オッサヌフ殿が担当。我が第一希望は、反対側の先の角の、昔より懇意にしている金融商ヤヴァレク殿でしたのですがねぇ。ガッツリ勉強させていただきますよ」
「いやいや、金融商ヤヴァレクはいかんぞよ」
代筆屋ならではの情報網でもって、ギヴ爺(じい)は驚きの情報を語り出した。
「ここだけの話、我が行き付けの酒場の、鬼耳の給仕の小僧が地獄耳で小耳に入れた内容からすると、この世に2人と無き脱税王トルーラン将軍へ、
かの『東帝城砦から出ていくカネの流れを止める』などというフザケた献策を、トルーラン将軍お気に入りのオベッカ財務役人に吹き込んでいた、という一人なのじゃ。
給仕の小僧の目の前で、オベッカ役人が吹き上がったから間違いないぞよ」
「噂の『酒場もげたチンピラ事件』経緯ですな。例の給仕の小僧、ヤバい話を小耳に入れる才能がある。いま一度、与信管理を。オッサヌフ殿にも調査を入れますよ。
帝都から逐電したというのに、どこかで財宝ザックザク掘り当てたのか、ヤケに盤石な財務基盤が気になってしょうが無い」
「おやおや」
ミリカが、急にピンと来た、という風に、アルジーへ耳打ちした。
「私のほうでも、ロシャナク姉御と遊女仲間の情報連携に出て来てたよ『酒場もげたチンピラ事件』に絡んで。
少し前《灰色の御札》15枚、取引したじゃない。『酒乱の客を速やかに眠らせて、おとなしくさせる』っていうの」
「なんか覚えあるけど。ロシャナクさんの知り合いの酒場が、ひどい酒乱の客に手を焼いてたって……」
「それ。オベッカ役人が献策の報奨金を自慢して。酒乱チンピラが聞きつけて『本来は俺が貰うカネだ』とか暴れて。
恐喝と酒乱と乱闘。チンピラとはいえ血統お貴族さまなんで頭痛が痛い。それで《灰色の御札》出番になった訳。『もげる御札』と交互に使って、酒場を殺害現場にされる前に、排除できた」
――そりゃあ、どんな酒乱チンピラ男でも「この酒場に行くと、もげる」となったら、その酒場には二度と行きたくなくなるだろう。
色々とモヤモヤしながらも、アルジーは、ギヴ爺(じい)が1枚ずつ渡して来る不動産取引に関する所定用紙を、1枚ずつ読み上げていった。
「署名済み用紙に欠番は無しですよ、ギヴ爺(じい)」
「やれやれじゃぞい。お疲れさん」
「信用が無いとは、この扱いはひどすぎますよギヴ殿。よりによってハムザ夫人の目の前で」
水もしたたる男盛りな不動産業者ムムターズは、大げさに嘆く所作をして見せて来た。とはいえ、その目は狡猾に光っていて、あからさまに色目を使う構えだ。
「ムムターズ殿の得意技じゃろ、ひょんな欠番を逆手にとって取引価格を調整する裏技。目下、『酒場もげたチンピラ事件』など政情不安ゆえ全方位警戒じゃぞい」
気の良いハムバッチャン=老ハムザ夫人は、不思議そうに、不動産業者ムムターズのドラマチックな表情変化を見物していた。
「年を取って耳が遠いもんで、聞き違えたかねえ? 噂の『酒場もげたチンピラ事件』、宮殿の衛兵団長クッサイ様が、駆け付けた事件だったかねえ?」
「あ、そうですね」
なめらかに頷く不動産業者ムムターズ。次いで、「おお」と頷く白茶ヒゲ代筆屋ギヴ爺(じい)であった。
変わった名前に、目を白黒させるアルジー。首をかしげるミリカ。適度に距離をとって興味深く耳を傾けていた、セルヴィン青年とオーラン青年も、口を引きつらせていた。
白茶ヒゲ代筆屋ギヴ爺(じい)が訳知り顔になって、アルジーとミリカを振り返った。
「金融商オッサンが詳細を知ってるぞよ。この前、ハシャヤル爆殺事件の容疑者として、冤罪で逮捕されて散々だったシュクラ人が居たじゃろ。逮捕してた衛兵団長じゃよ。
金糸刺繍の丈長ベストで、肩で風を切って、ウフン・ウフン吹き上がっとった」
――思い出した。いままで忘れてたけど。
あそこまで目が節穴な衛兵団長じゃ、誰が被害者なのかも見分けがつかなかったに違いない。
「酒場の乱闘で、間違った誰かを逮捕してたとか? その……宮殿ウフン衛兵団長クッサイ、って人」
「いや、何もしなかったそうじゃ。その役人、トルーラン将軍のお気に入りじゃし、クッサイ氏も賄賂で衛兵団長の地位を手に入れたクチ。
あの金ピカ衣装からして、どこかで別に、トルーラン将軍への賄賂になるカネを荒稼ぎしてるぞい」
「トルーラン将軍に賄賂を捧げてる、いつもの汚職役人おかわり毎度って感じだね」
ミリカが察しよく肩をすくめて、応じる。あらゆる時事の話題に応じてみせる、プロの遊女ならではの接客テクニック。ギヴ爺(じい)がウンウン頷き、またしても驚きの追加情報を語った。
「じゃが、宮殿の衛兵団長クッサイは、攻城戦がはじまった瞬間ウフン・ウフンと、宮殿を逃げ出したらしい。無関係者の顔をして、ナンジャモンジャ判らん、カメハメ騎士団へ加わったとか」
不動産業者ムムターズが気づかわしげな顔になり、老ハムザ夫人を見やった。
「割とすぐに三日月刀(シャムシール)を振り回す御方でしたね、宮殿の衛兵団長クッサイ氏。このたびの土地取引に口を挟みそう、というような懸念(けねん)が?」
「前に、別件取引があったのを思い出したんじゃわ。あの時、衛兵団長クッサイ様は『賄賂を上乗せしろ』とかで、隣の肉屋にちょうど居た食用亀を、生きたままウフン・ウフンと、
ギタギタにして脅して来たんじゃわ」
――香辛料屋ハムザ夫妻の前で、食用亀を、ギタギタにした?
想像してみると、なんとも異様な場面だ。
「うむ、久々に一緒に酒を呑んだ時だったかの。ハムジッチャンが、そんなことをボヤいとった」
訳知り顔のギヴ爺(じい)。
「目の前に、切断されてなお、モゴモゴ動いてた頭部だの、バラバラ四本足だの、血まみれポチャポチャ内臓だのが並んでいったとか、血抜き処理してなかったとかで生き血ダラダラで、
肉屋のほうも売り物にならないから悲鳴上げてたとか、ハムバッチャンも大変じゃったのう」
ほかの面々は、口をあんぐりするのみだ。アルジーとミリカ、付き添いの傭兵と言った体のセルヴィン青年とオーラン青年も。おまけに、白文鳥パルも唖然として固まっていた。
近くの聖火祠に腰を据えていた白タカ・シャールが、首を傾げた。
『亀スープ用の食用亀は美味で知られているが。亀を血祭りにするとは変わった性癖だな、その人類クッサイは』
さすがに不動産業者ムムターズも、ドン引きしつつ。なめらかに同情の言葉を継いだ。
「それは災難でしたね、とんだトバッチリ……ウフン刀剣の腕前は素人目にも疑わしい感じで……いやいや、お隣さんの肉屋と、亀にとっても」
「いったい誰がジッチャン襲ったのか、いま考えて見ると、ギタギタにしたの、クッサイ様かねえ。
死亡の一報を受け取って、仰天して帰って来るなり、衛兵さんから色々聞かれてね。なにせ色々怖くて混乱しとるんじゃわ」
「きっと衛兵の皆さんが、今日明日にでも犯人を捕まえて、そいつがクッサイ氏だろうと誰だろうと、縛ってくれるぞよ。ハムバッチャン」
ギヴ爺(じい)の励ましが染み入った様子で、老ハムザ夫人は手を頬(ほお)にあてて、ホーッと溜息をついた。
「ほうじゃね。今日、いや明日の夕方が遺体防護の儀式なのね。神殿から連絡が来ているか、うちに戻って見てみないとね。通夜には来てちょうだいね、ギヴチャン」
*****
老ハムザ夫人は、市場(バザール)の、すぐそこにある香辛料屋の店舗-兼-住居へと帰っていった。
そして、ギヴ爺(じい)をはじめとする後続メンバーは昼食の買い食いをはじめた。
昼食の途中だった不動産業者ムムターズもくわわって、ギヴ爺(じい)との間で、土地取引に関する細々とした専門的な書類が交わされる。
意外にその手の知識を備えていた傭兵・セルヴィン青年とオーラン青年のチェックのもと、風呂敷に詰まっていた書類の中身は、順調に処理されていった。
同時並行して、細々とした当面の生活雑貨も、大判の風呂敷に詰まっていく。アルジーとミリカの裁縫道具、文箱、紅白の御札、製薬道具としてのスプーンといった、生活再建のための取っ掛かりだ。
男盛りの色男ムムターズは、傭兵の青年2人組に気付いていた。護衛-兼-荷物運び……といった体で控えているが相応に育ちは良く、可愛い娘2人にとっては、ピッタリの恋人になりうる候補であることに。
妙齢の男としてのナニカを熱く刺激されたらしく、ムムターズは、アルジーとミリカに熱心に色目を使い、ムンムン男盛りの魅力を過剰に振りまいたのだった……
*****
自前の営業所で処理しなければならない書類を抱え……不動産業者ムムターズが、アルジーとミリカへ締めの「投げキッス」を送って、颯爽と市場(バザール)を立ち去った後。
ギヴ爺(じい)は、呵呵大笑した。
「ふぉふぉふぉ、ヤツの、女の子の趣味はピカイチじゃのう。酒場では、旨い酒や、コマ遊びや、ダーツ遊びの相手になるぞい彼は。ハムジッチャン、いや老ハムザ氏も、最高の飲み友達だったんじゃよ」
娼館で、その手の客をさばくのに慣れている元・遊女ミリカに比べて、アルジーは目を回して疲労困憊であった。1日の体力気力が尽きている。肩先で白文鳥パルがピヨピヨさえずっていた。
『いきなりの集中被弾にしては上手に対応してたよアリージュ』
ほどほどの距離で控えている護衛担当の傭兵――雑用係――といった風のセルヴィン青年は、何故かプリプリしていた。
「第三皇子8号と第四皇子5号に、取次業者ディロン2号だろ、アレは」
「オローグ兄貴も『オリクト宮廷で保護のうえ帝都宮廷デビュー』の是非については慎重だったんです。
対応を決める前に、今は亡き第二皇子の言いがかりで名誉問題が紛糾したうえ、トルーラン将軍に動かれてしまいましたけど」
ミリカは手際よく茶屋へ寄り、茶屋の初老夫婦が持っていたお品書きを確認した。
「アルジー何か飲む? 冷たいコーヒーやレモン水もあるけど。お、薄荷リコリス。砂糖ナシをいただくわ」
「毎度あり。器は、そこのカゴへ返却ね」
ちょうど昼食後のデザートの時間帯であった。
支払いを済ませて踵(きびす)を返したミリカは、横から湧いて来た、子供たちの集団とぶつかる羽目になった。
デザートの甘味が楽しみなお年頃、4歳から6歳くらいの子供たちだ。身なりは割と良く、庶民というよりは、中の上の層の子供たち、というところ。
どやどや、わー、きゃー、と、押すな押すなの、ひと騒動。
「アレアレ」
咄嗟に傭兵オーラン青年が支えに入り、ミリカは転倒をまぬがれたが。ハーブ茶が半分ほど、こぼれてしまった。
茶屋の初老夫婦も、ギヴ爺(じい)も振り返って、「大丈夫かい」「気い付けや」と身を乗り出す有り様であった。
ついで茶屋の初老の主人が、そこに屋台店を並べていた駄菓子屋の若いのへ、コブシを振り上げた。
「ちゃんとガキどもを叱れ若いの! 商品の配列もなってねぇカオス、それじゃ万引き大歓迎といってるようなモンだぞ」
「俺は単なる代理じゃワーワー言うな! 命令じゃなきゃ、こんな宮殿前でもねえ市場(バザール)へ繰り出すもんか」
「なんじゃと、ショバ代ちゃんと納入してんだろうな」
「知るもんかワレ! 刺されたいかぁ」
見るとガラの良くない駄菓子屋だ。
口は「への字」を超えて侮辱の形に曲がっているし、イキがって部族のものでも何でもない悪趣味な刺青(タトゥー)を両手の甲に施してあるし、チンピラ不良青年そのもの。
そして本当に、駄菓子屋の店主に見えない不良青年は、短剣をチャチャッと取り出して、突く所作をして来た。
恐れをなした子供たちが、ワッと逃げ出した。シッカリ、万引きした数々の駄菓子を、持って。
不良青年が、商品の行方など気に懸けぬ様子で短剣を振り回し、腹立ちまぎれに、茶屋の主人へと飛びかかった瞬間。
――ゴッ★
不良青年は、地べたへ、うつ伏せになっていた。
「え、なんで?」
唖然としたあまりの静寂が横たわり。
ギヴ爺(じい)がヒョコヒョコと近づいて、不良青年の顔面をピコ、と、仰向かせて、調べ始めた。
「白目を剥いて完全に失神してるぞよ。それに派手な鼻血じゃの。貧血にはならんと思うが、目が覚めたらビックリするじゃろうな」
不良青年の顔面は、鼻血で、血だらけになっていたのだった。
頭部には、みごとな大きさのコブが出来ている。ターバンの上からも見て取れるほどだ。
ギヴ爺(じい)が不思議そうに首を傾げて、傍らに佇んでいた若い傭兵――セルヴィン青年へと視線をやる。
セルヴィン青年は、今まさに、鞘(さや)に入ったままの三日月刀(シャムシール)を手に持っていて、改めて所定の位置へ佩(は)いているところであった。
立ち位置と所作からして、傭兵セルヴィン青年の神速の鉄槌だったことは、確かである。確かであるが……、一見、雑用係のように見える平凡な体格だけに、あまりにも現実感が無かったのであった。
その近くで、ちっちゃな子猫の火吹きネコマタが、「チェシャ笑い」をしていた……
おっとりと駆け付けたという体で、巡回衛兵団がやって来た。
定番の戦士ターバン。赤茶の迷彩柄。それに、聖火紋章が装着された鎖帷子。聖火神殿から派遣された衛兵団だ。
「おや、良いところに、お巡りさんが」
さっそく衝撃から生き返った市場(バザール)の面々が、巡回衛兵団へと駆け寄り、かくかく、しかじか……と説明し始める。
幸いにして、代表は、見覚えのある人物であった――いつだったか、かのハシャヤル爆殺事件で、アルジーが勤めていた伝書局・市場(バザール)出張所へも聞き込み調査をおこなっていた、神殿調査官だ。
赤い吹き流しを取り付けた大斧槍(ハルバード)を持つ、見覚えのある神殿衛兵も、同行している。
アルジーやギヴ爺(じい)にとっての、ちょっとした驚きは、その一団に、さっそく、金髪ミドル代筆屋ウムトが含まれていたことだ。非常勤から常勤へ変わっただけのことはある。
ウムトのほうも驚いた様子で、ちょっと手を挙げて挨拶してきたのだった。
「ふむふむ、成る程。市場(バザール)へ屋台店を出すのに、場所占有のための手続き金が未納との疑惑は濃厚であるな。本官、特に注意して調査しよう」
紅衣をまとった神殿調査官は、生真面目に、ノートにメモを取っていた。
「万引きもよろしくない。幼児とはいえ、キッチリ注意のうえ、親へ損害賠償金を請求すると共に、万引き経験があること人事情報に記録しておこう。
神官の選考において万引き経験者は、最初から除外せねばならぬ。ニセ騎士団免状も蔓延しているゆえな」
「あれま、幼児からですか」
「三つ子の魂百まで。転売や万引きの味を覚えてしまうと矯正が効かぬ。魔導士として訓練しても、邪霊の誘惑に負けて、魔導士クズレと化すのは目に見えている」
神殿調査官は、渋面で語りつづけた。
「攻城戦の夜を境に、急に経理担当の神殿役人ゾルハンが居なくなって、経理部門で大騒動になってな。人事情報の項目に、チラリと、万引き記録があった。
神官ゾルハン宅を捜査したところ《邪霊使い》定番の小道具の色々に、方々から万引きして来た品、転売する予定の品が並んでいて、調査隊の全員で納得したものだ」
「それは大変なことでしたな。神官ゾルハンを見かけなくなりましたが、さだめし、どこかの暗殺教団で、邪霊崇拝の踊りをやってるんでしょうな」
金髪ミドル代筆屋ウムトが、ボソボソと口をはさんだ。
「まじめで細かい人という印象だったでよぉ。人は見かけによらんものでよぉ」
目新しい話だったらしく、市場(バザール)の店主も客も、全員で興味深く相槌である。
「全員が顔見知りで助かった。このたび万引きをやらかした子供たちには、神官や魔導士・霊媒師としての将来は、絶対に無い。ゆえに別の稼業を探すよう、親へ通達しておこう」
ついで、神殿調査官の「引ったてい」との号令のもと。金髪ミドル代筆屋ウムトを含む衛兵チームが、失神したままのチンピラ不良青年を、ズルズルと引きずって行った……詰所の方向へ。
人の流れが、はけた頃。
ふらりと「その辺をうろつく傭兵」といった風で、クムラン隊長が現れた。すでに苦笑を浮かべている。
「やれやれ、また騒動があったみたいですねえ」
「おぉ、若いのの傭兵仲間じゃな。攻城戦では色々あったようじゃが、お互い生き延びて幸運じゃったの。また行き付けの酒場で色々お喋りしようではないか。
さっき不動産業者ムムターズが、愉快な飲み友達になると判明したところじゃよ」
白茶ヒゲ代筆屋ギヴ爺(じい)が書類を風呂敷にまとめつつ、ニコニコである。
「さて、ハーブ茶を飲みなおしたら、金融商オッサンのところへ戻るかの。おぉワシの好みをよく分かっとるではないか、ミリカ君」
ミリカが新しく手渡したのは、各種ハーブをブレンドして酒に似せた風味の、よく冷えた炭酸水である。
クムラン隊長も、2人の青年も、暑熱の中で喉が渇いていたらしく、各々一服する……
アルジーは、ボンヤリと思案に沈んだ。なにかが、ビシバシ引っ掛かる。
「あの駄菓子屋さん、この市場(バザール)では見かけない屋台店を出してたし、店主も駄菓子屋さんっぽくないよね? 子供向けの商売なのに」
ミリカも少し思案顔になった。思い返して、あらたに奇妙な点に気付いた様子。
「宮殿前の市場(バザール)って言ってたわね。あんな商品ゴチャゴチャ屋台店が、普通、宮殿前の市場(バザール)に出るかしら。
帝都大市場(グランド・バザール)の高級ブランド店の陳列と化してたところだわよ、トルーラン将軍や御曹司トルジンの通達で」
聞き耳を立てていたクムラン隊長が「なるほど、なるほど」と、あっという間に要点をつかんだ様子。
セルヴィン青年が、万引きしていた子供たちの手からこぼれ落ちた駄菓子――もう売り物にならない――数品ほど拾い上げて、ためつすがめつ。
「偽造宝石ショップと同じような事情があるのか? あの店も偽造の看板で……店の連中は自信タップリだったけど看板が本物じゃ無かった。
それで品揃えに注意して、偽造宝石に気付いたし」
「例の女装神官の飴玉(ナバット)という物騒な事例もあったし、一度、老魔導士どのへ見せてみますか」
「そうしてくれ、オーラン」
簡単に打ち合わせが終わったころ。
市場(バザール)定番の聖火祠のところで、小さな人影が不自然にうろついていた。
最初に気付いたのはクムラン隊長だ。
「おや? 4歳くらいの坊やですかね」
4歳くらいの坊やは、小型の琵琶を抱えていた。驚くくらい達者な演奏をしながら、聖火祠の台座のほうをうかがっている。確かに不自然な挙動である。
ミリカが「あッ」と気づいた。
「あの夜、ハムジッチャンの水耕ハーブ栽培施設から出てきた子」
「なんですと?」
さすがに想定外すぎる情報。クムラン隊長が口をあんぐりするほどだ。
「あの夜、現場に来てたみたいだし、なんか見てたかも。ちょっと聞いてみる」
クムラン隊長が何か言う前に、ミリカはテキパキと、坊やへ近づいた。
「こんにちは、ボク? 何してるのかな」
4歳の坊やはギョッとして飛び跳ね、たたらを踏んだ。
首を左右にプルプル振って口ごもりながらも、小型の琵琶を、聖火祠の物陰に隠すかのように、押し込むなり。
おっかなびっくり慌てた足取りで、トテテ……と、走り去って行った。あの夜の時と同じように。
走り去って行った先は、やはり、あの夜に駆け込んだ位置にある、市場(バザール)の店舗-兼-住宅。
こうして市場(バザール)の表側から見ると、パッと分かる。
金融商オッサンの店から見ると、ひとつ奥まった裏路地の店に相当する。日常の雑貨小物を扱う店が並ぶところだ。かつてのアルジーの代筆屋よりは良い位置。
「カゴ屋さんの坊や? 野菜洗いカゴ、洗濯カゴ、荷物運びカゴ……籐(ラタン)トランクとか」
「おぉ。カゴ造り屋バルジッチャンのとこの、テージュ坊やじゃな」
ギヴ爺(じい)が、スラスラと身辺情報を解説した。
「父親は隊商(キャラバン)傭兵やってて戦死。母親は街角に沸いた《骸骨剣士》にやられて死亡。以来、喋らなくなってな。近所では無口で変わった子じゃと言われとるが、
訳知りの間では、お互い承知しとる。目の前で母親が死んだからの。祖父バルジュが、孫テージュを引き取って世話して、カゴ造りも仕込んでるところじゃよ」
クムラン隊長が「ほうほう」と相槌を打っている。脳ミソに、キッチリ、メモされたに違いない。
「テージュ坊やが、どうかしたのかのう?」
「いえ真夜中に外を歩いてたから。夜中に歩き回るの? あの子」
全員で「……さあ?」と首をかしげてしまう。
ちょっと思いついて、聖火祠の隙間から、小型の琵琶をちょっと出して、調べてみる。
ギヴ爺(じい)が、往年の熟練職人ならではの目で、観察し始めた。
「小琵琶じゃの。宮殿近くの街区の、ゴミ箱とかから拾ったようじゃ。共鳴胴の塗装がボロボロ……見栄えが悪くて、不要とされて処分されたんじゃな。
じゃが、音は大丈夫じゃ。テージュ坊やがコレで遊んでいたのは知らなかったが、夢中になるものを見つけたようで良かったの。どれ、弦を調律しておいてやろう」
そして応急処置を施された小琵琶は、再び、元の位置へ戻されたのだった。
――人々が、毎度の忙しさで、急ぎ立ち去った後。
聖火祠の隙間から、ヨロヨロと《精霊亀》が現れた。大人の片手の、手の平ほどの大きさ。
不自然に瘦せていて弱々しい状態だ。同じく痩せた亀の手で、修復された小琵琶を嬉しそうにスリスリした後。
痩せた《精霊亀》は、聖火祠の台座の隙間へと、ヨロヨロと戻って行った……
*****
ギヴ爺(じい)が持ち帰った、不動産業者ムムターズ署名入りの書類の数々は、金融商オッサンの店で即座に受理された。
次に、特別仕込みの伝書バトが、金融商オッサンの店先にやって来た。
金融商の店先に巣をかけている白文鳥が「ぴぴぃ(こんにちは~)」とさえずって出迎える。
取り扱いに慣れているギヴ爺(じい)とアルジーとで、伝書筒を確認して……
「おぉ、幸先が良いわい。不動産業者ムムターズが、二刻後には商談のため来店する、とのことじゃ。ハムバッチャンの早期決着の希望を見透かされて値切られた分を、取り返せそうじゃの。ふぉふぉふぉ」
かくして、金融商オッサンと店スタッフは、すぐさま応接室のひとつを開けて、商談の準備に入ったのであった。
ミリカが察し良く、ピンと来る。
「商談が長引いて営業時間外まで延長した場合は、深夜営業の許可つき酒場――たいてい宿を兼ねてる――で、商談つづけるよね。
ロシャナク姉御が、うってつけの幾つかの酒場-兼-宿場に顔きくから、声かけとくわね」
*****
ほどなくして、金融商オッサンの店奥の談話室では。
手際よく場を整えていた初老タヴィスが、茶卓に置かれた駄菓子に、さっそく不思議そうな視線を向けた。
「これは、どうしました? そこの市場(バザール)では、今まで見かけなかった品ですね」
セルヴィン青年がターバンを整えつつ、応じる。
「市場(バザール)へ一時的に来たらしい、不審な駄菓子屋の品だ。子供たちが一部を万引きして、落としていった」
「それでは売り物にならないでしょうね……その状況ですと、ほかにも駄菓子が転がっていたかと思いますが」
やがて、少し外出していたクムラン隊長とオーラン青年が戻って来た。
「老魔導士どのの到着は少し後っぽいですねえ。駄菓子の件ですが、売り物にならない分は、市場(バザール)のほうで、手が空いた人たちで掃除して処分済みでしたよ。
まだ売り物になると判断された分は、一時的に、付属の倉庫に保管」
次いでオーラン青年が、生真面目に眉根を寄せた。
「駄菓子屋の本店スタッフが回収しに来ることになっているそうですが、あの不良チンピラを店番として派遣して来るような本店が、マジメに対応するかは謎です」
ほどなくして。
方々にヒョイヒョイと顔を出して、戻ってきた老魔導士フィーボル。
さっそく目をランランと光らせ始めた。
モッサァ白ヒゲ老魔導士は、「人類史上の最高の天才」とかますだけの頭脳でもって、即座に、駄菓子の不審点を見破った。
「大麻(ハシシ)入りの駄菓子じゃな」
ゲッ、とばかりに目をむく、セルヴィン青年とオーラン青年であった。
「き、禁術の?」
「普通のアヘンじゃ。まだ未発見のアヘン畑や製造所が残っているんじゃろう。オアシス周りの葡萄畑を破壊した、あの不正工事も、アヘン畑や製造所の建築が目的だったのかも知れんぞ。
帝都大市場(グランド・バザール)でも、大調査官タフジン君が、新トルジン系列タバコ店で――毎度、脱税しておった――こいつを摘発しとるんじゃ」
――あの腐(くさ)れ外道が、子供までアヘン漬けにするとは、なんという事を……!
改めて、アルジーは、フツフツと煮えたぎる思いである。
――夫トルジンが、妻アリージュに対して、「名誉の殺人」だの「離縁」だの宣言できる筈だ。
帝国軍に逮捕される前に、その手続きが済んでいれば。
御曹司トルジンは、不正工事だのの犯罪を『離縁済みの妻13号』へ押し付けておいて、無害な被害者として、無罪放免で逃げることができるのだ。
――かつて、アルジーの花嫁姿を「信じがたいほどのゴミクズ」にして「地位も名誉も持参金も無いスッテンテン、ゴロツキ邪霊の不細工ヤロウ」と批評したうえ、
即座にゴミ箱へ捨てた、夫トルジンだ。あの場で、13番目のハーレム妻へ改めて宣言することなど、何の躊躇もなく可能であろう。
アルジーの結婚生活に詳しい分、察するところのあったミリカと、初老タヴィスは、天を仰ぐ格好である。
「今の時点で駄菓子屋を捕まえても、トカゲ尻尾切りで逃げられる。肝心な黒幕、トルジンも引きずり出せそうだけど、どうやって抑えるか……」
オーラン青年が黒髪に手を突っ込んで、思案しはじめた。オローグ大使も10年前によくやったクセだ。さすがに兄弟――正確には従兄弟だが。
「妙なところで悪知恵が回りますねえ」
追加の爆弾に驚きながらも、クムラン隊長が冷静に突っ込み始める。
「場合によっては、過去のトルジン主体の脱税アヘン事業も「アリージュ姫」の名前で、やらかしていた可能性がある。その辺、オローグ殿や、鷹匠ユーサー殿の調査網で調べてもらうか」
談話室の一角のスタンド式ハンガーでは、白文鳥パルと、火吹きネコマタと、白タカ・ノジュムと、白タカ・シャールが、早くも高速で情報交換していた。
白タカ・ノジュムが居るからして、すでに、不動産業者ムムターズとの商談の場では、金融商オッサンと共に、番頭――鷹匠ユーサーも同席しているに違いない。
水と油のような2人の間で、何が交わされているのか、別の方向で興味深いのではあるが……
…………
……
老魔導士フィーボルは、医師・薬師としてアルジーの回診を済ませた後、ミリカと数点ほどの注意事項を共有した。
首元の傷の痛みや違和感は長引くこと、女性だからその点は心配はしていないが、清潔を保ち消毒を欠かさないこと、などである。
「大神殿の医療部門でも、《人食鬼(グール)》裂傷の管理は難しい項目なんじゃよ。ジャヌーブ砦へも、訓練済みの精鋭を派遣しとったもんじゃ。
アリージュ姫の傷は異例かつ重傷じゃが、ジャヌーブ砦で見られたものと同じ経過をたどっておる。大神殿の新版の医学教本をあげるゆえ、判らぬ部分があったら調べてみてくれい」
もちろん、ミリカは目をキラキラさせて、貴重な教本を有り難く受け取ったのだった。
*****
おおかた予想された通り、金融商オッサンと不動産業者ムムターズの商談は、夜間に及んだ。
土地・金融の取引に関わる仲介業者として、双方ともに真剣勝負である。
営業時間外のため、近くの十字路の酒場で夕食をつつきながら、商談をつづける形であった。
適当に間仕切りがあり、必要十分なだけの機密は守れる。本当に機微に触れる取引情報は、専門業者の間で通じる暗号メモをしたためて、長衣(カフタン)の広幅の袖の間に相互に差し入れて、やり取りする形である。
見込み客について問われた不動産業者ムムターズは、酒杯を傾けつつ、思案顔になった。
「香辛料屋ハムザ老の土地は、市場(バザール)でも良き場所。ハムザ老の訃報が町内看板に掲示された直後から、相応の数の希望者が問い合わせしてきておりましてね。
店舗そのもの、店舗内部の加工施設、そして離れの水耕ハーブ栽培施設」
「水耕ハーブ栽培施設にまで問い合わせがありますとは、よほど事情通の見込み客ですな」
「競合店の若い店主で。かの施設を維持継続との計画をうかがっております。老ハムザ夫人も水耕ハーブ栽培施設を任せるなら彼だろうと。
私ムムターズにも思うところが……いや商売に私情はいけませんが、丁寧に育成されたハーブ各種、方々の酒場でもよく出されている。美味しく頂いておりますもので」
「舌と胃袋は正直でございます。食い物を舐めてはならぬとは、永遠不変の鉄則ですな。それでは、店舗そのものと、店舗内部の加工施設を如何にするかでしょうか。
あれは古代の精霊魔法文明に由来する機械。ガッポリ額面を決めましょう」
「情報を押さえておいでとは恐れ入ります。とんでもなく精密な加工をやってのける機械が存在する。職人ギヴ氏が称賛すべき腕前でもって動くようにし、老ハムザ氏が丁寧にパッチ補修を。
その昔、機械の故障で操業停止した製薬工房だった。その精密機械がよみがえっている。すでに神殿の製薬部門から問い合わせが……ほかに数件の加工業者、製粉業者ですな」
やがて、店内の各所テーブルで、夕食に来ていた客たちが、はけた。
客層も回転して、ザワザワとした動きが続く。夜当番の見回り、仕事後の打ち上げ、飲み歩きの人々。深夜営業の宿場では賭博の宴会が開催されていることが多く、罪深い楽しみで、ギラギラしている人々。
満月に近い銀月の空は明るく、ハチミツ色の夜間照明がズラリと並んだ不夜城そのものの市場(バザール)の繁華街は、いよいよピークである。
毎度の顔見知り「地獄耳の鬼耳」給仕の小僧が、チョコチョコ動き回っている。
出入りの総菜屋すなわち一皿料理屋の夫婦がやって来て、商品を前にして、店スタッフと定番のやり取りを始める。客入りピークに合わせて新しい総菜が仕入れられていった。
魚肉・獣肉・野菜・ハーブ・スパイス等を取り合わせて串に通してあぶった串料理である。深夜の軽食(おつまみ)では定番。
その後、行商の一皿料理屋の夫婦は「今日の仕事は終わり」という風に、くつろいだ風になった。給仕の小僧の手配で、新しいテーブルへチョコチョコと座り込む。
一皿料理屋の夫婦の隣席になったトロピカルベール女客が、「やあ」と一礼。堂々とした40代ほどの女性だ。ふくよかな体格。
「その後、あの裏路地の治安はどうだい、夫婦さん」
「へぇ占い屋さんに占って頂いたとおり帝国軍さんに入って頂けて、サクサク不審チンピラ排除できましたわぁ」
「そりゃ良かったね。超ヤバい連中だと盤面にクッキリ出てたからね」
「んだ。代筆屋のとこなんか留守を良いことに、刃物持ち変態チンピラ居座ってて、異臭トラブルも発生してて、大騒ぎでよ。
あの変態『恋人だから居座るんじゃ』と主張してた割には、朝っぱらから『女の匂いじゃ』下着クンカクンカしてて、同じ男ながら本気で気味悪かったぜよ」
一皿料理屋オジサンが、ブルルと震えた。
女占い屋は、前もって占った時に鋭く察していたこともあり、同情の眼差しである。
「自称『恋人』追っかけかい。御曹司トルジン親衛隊の誰かが不倫調査や『独身女狩り』の名目でウロウロ……は見たけど、その時にでも目を付けたのかね。
代筆屋さんへ警告を飛ばさなきゃいかんね」
「いま何処に居るか分からんでよ。バーツ所長さんにも聞いたが急に退職とかでよ。職員住宅契約も解約されとったでよ」
「賢明な逐電だねぇ」
「ホントだよ占い屋さん。あのテカテカ黄金肌に、不自然な筋肉モリモリ。悪趣味な邪霊害獣の金鎖デザイン防具アレコレ。
美容と健康のため……じゃなくて不正な筋肉増強のために、古代の巨人族の邪霊崇拝をマネして、邪霊害獣の血を絞った浴槽に浸かってたんだわ。異臭トラブルの原因が、それだったのよ。
近所みんなで、全員で震えあがったわよ」
女占い屋は「ふうん」と驚きながらも、フムフムと納得顔になっていった。
「超ヤバい連中って占いに出たのも納得だ。邪霊害獣の血を絞った筋肉増強《魔導》浴槽が出たってのは、驚きだよ。チンピラ段階で排除できて、ホント幸運だったね」
一皿料理屋の夫婦は、急に降ってわいた異臭トラブルなどを思い出して、青い顔をしていたが……
女占い屋に誘われるように、酒を一口、二口ほど飲んで、ようやく顔色が戻って来たのだった。いつもの調子のほうも。
「居座り変態チンピラども追い出した後、徹底的に消毒・消臭して、間仕切りも解体して、元どおり公共水飲み場になったでよ。
水汲み人足が出入りして、水壺ズラズラ並んでんだ。まぁ、うちらも利用させて頂いてるでよ」
「その自称『恋人』変態チンピラとか、同時に入って来たテカテカ黄金肌の不審な連中とか、どこの誰なのかは分かったのかい?」
「2人が、ウフン団長クッサイ様の金魚フン。攻城戦の時にクッサイ様が逃げ込んだ先の愚連隊ナンジャモンジャ増強したというから、そっち系だと思うんだわ。
ねえ、あんた、なんか拾っただろ『この免状が目に入らぬか』、そんなの」
「おお、目に入らなかったし、よく分からねえから、明日の焚きつけにでもしようかと思ってたでよ。なんか甲羅スタンプあるでよ、カメハメ騎士団。《地の精霊》か《水の精霊》系かね」
一皿料理屋オジサンがピラリと紙を取り出し、堂々とした40代ふくよか女は、興味津々で身を乗り出した。そして吹き出した。
「ぷはぁ。笑わせるね『酒場もげたチンピラ事件』で名を挙げたザルリン様のカメハメ騎士団が、『蒼甲騎士団』ニセ免状。ねえ、もらえる? ホント傑作だよ。
これで千夜一夜バカ笑いできる。ホントにヤバい連中は、なんとかしなきゃいけないけどね」
「持ってってくれ。笑う門にゃ福来たるというでよ。なんとかなるよう祈るでよ」
――ほどよいところで、給仕の小僧が、酒と夕食を持ってきた。
一皿料理屋の夫婦と、女占い屋との間で、あらためて乾杯と噂話が始まる。
「しかしまぁ神殿の掲示板でビックリしたぜよ。香辛料屋ハムジッチャン急死ぜよ。なんでもギタギタ殺人事件とか。明日、埋葬の前の防護の儀式とか」
「市場(バザール)の顔見知りなんだね、夫婦さん」
「そうなんだよ占い屋さん。知り合いの母子(おやこ)、スージアさんとヤジドちゃんが隣の通りなんだよね。別居旦那ワリドさぁ、相変わらず近所で暴れてるじゃないか、
もしかしたら、って近所の奥さん同士で井戸端会議になってたんだよね。二日酔い失業衛兵ワリドさんが、カーッと来て、ハムジッチャンをギタギタにしたんじゃ、ってさ」
「ワリドさんも毎度、疑われるだけのことは有るわなぁ。泥酔して帰宅するたびに奥さん殴って、家のもの壊しまくって、カネ取って出て行って、叩けばホコリの出る宿屋の賭場に入り浸ってるからでよ。
あれじゃ奥さんも坊やも肩身が狭いぜよ、なぁお前」
「そぅそぅ。ワリドさん、その夜また、たいそう暴れててさ。ねぇ小僧ちゃんも聞いただろ、地獄耳の鬼耳でさ」
給仕の小僧が、ピョコピョコ跳ねた。
「うん聞いた聞いた。ワリドさん『離縁じゃー』って帝国語と精霊語の両方で宣言してただよ。
ちょうどそこに居た《精霊亀》踏んづけて、つまづいて転んで『男を連れ込んで浮気した女を名誉の殺人じゃ離縁じゃ』とか、カーッとなって。
ヤジドちゃんが持ち込んでた《精霊亀》だけど。で、バーッと走ってっただよ。通り魔《骸骨剣士》ギタギタにしながら」
「あれあれ、ついに離婚が成立したんか。スージア奥さん、殴られた時の腫れもひいてなくて、鼻血やら青あざだらけの顔で、夜明け前から神殿へ駆けこんでて、アレ? と思ったけど、そうだったんかい」
「あの夜ワリドさん、ちゃんと《骸骨剣士》退魔調伏してなかったから、近所に声かけて、御札ハリハリしただよ。
そしたら、その夜も明けないうちに、ひとつ先の通りで、ハムジッチャン死んでたんかいって仰天しただよ。みんなと一緒に《骸骨剣士》詰めた袋を捨てに行ってたから、なにも聞いてなくてビックリしただよ」
「んだんだ。ワリドさんが、バーッと走ってった先で、香辛料屋ハムジッチャンを、ギタギタにしたんじゃねぇかって話になったんだよな、ぐるっと回って八つ当たりで」
堂々とした40代ふくよかな占い屋の女――占い屋ティーナは、真剣な眼差しで、聞き入っていた……
…………
……
香辛料屋ハムザ殺害事件の真相に触れそうなほどの、あまりにも興味深い情報。
聞き入っていたのは、商談中だった金融商オッサンと不動産業者ムムターズも同様であった。
付き添っていた、無口な番頭……鷹匠ユーサーも。
「これは、神殿調査官や衛兵さんたちへお知らせしたほうが、よろしいでしょうね」
「市場(バザール)の噂も、時にギョッとする内容がございますな、オッサヌフ殿。噂のワリド氏が、もしかしたら走ってる途中で、真犯人を目撃していたかも知れない。いや、その可能性は高そうです」
そして、また。
何食わぬ顔をして、さりげなく近くの席を取っていた傭兵3人――といった格好の、クムラン隊長、セルヴィン青年、オーラン青年も。
「従妹(アリージュ)が妙に商談に興味を持って、男装して酒場まで尾行する勢いだったけど、直前で『静養中だから』と制止をかけて正解だったような気がする」
「まとめると、裏路地に一時的に居座った自称『恋人』変態チンピラは、クッサイ配下。
攻城戦で逃走した衛兵団長クッサイが駆け込んだのが、前・東方総督ザルリン侯の運営するカメハメ騎士団で、『蒼甲騎士団』ニセ免状持ち。邪霊崇拝の疑いあり。
チンピラ類ゆえ情報が上がって来なかったようだが、訳ありすぎじゃないか」
「ハシャヤル殺害事件で一時的に容疑者だった失業衛兵ワリドが、ここでも、あの直前に大騒動を巻き起こしていたとはねえ。取り急ぎオローグ殿へ連携して、事情聴取だな。
ひとつ先の通りに人目が集まっていて、老ハムザ事件現場の保存と秘密保持が手っ取り早く済んだ……そういう状況だったとは」
おのおの酒杯を寄せていた口元を、いまや色々な意味で、引きつらせていたのであった……
■4■疑惑のヨコ糸、思惑のタテ糸
夜明け――払暁の刻。
早朝の市場(バザール)は、砂掃除の清掃業者や、日替わりの屋台店の建材を積んだロバ荷車が、ザワザワしている段階だ。
代筆屋の習慣で、夜明け前からアルジーは覚醒していた。ひとしきり体操して、身体感覚を確かめる。
微妙に10歳サイズに縮んでいた霊体も、19歳サイズへ近づいて来ていた。数か所の微妙なズレを除けば、最初の頃のように自然な風。大自然は偉大だ。実に、よろこばしい。
「市場(バザール)処分品の、コーヒー滓入り麻袋(サンドバッグ)をいただいて、筋骨鍛錬をはじめても良い頃だね。それで、もう少し体力が着いたら、おいとまして《白羽の水晶玉》を探す旅に出て……」
『目下それは次の項目ピッ。もっと重要な任務が割り込んで来てるピッ。ハムザ殺害事件の真犯人を見付けて、解決して、お世話になってる金融商オッサヌフのために、周辺の心配と不安を減らさなくちゃ。
ギタギタ殺害犯が自由にうろついてるという状況を止めないとね、ピッ』
白文鳥パルが、室内スタンド式ハンガーから、「ピピッ」とさえずって応えて来た。ドリームキャッチャー護符を吊り下げた退魔インテリアとなっている、スタンド式ハンガーである。
相棒の意見に同意して頷くアルジー。
『そう言えば、どうやって此処に担ぎ込まれたのか、記憶が無いんだけど。色々用意していただいて、このお部屋だけでも、きっと想像以上にコスト掛かってる。失念してた』
『その辺は気にしなくて良いよ、ピッ。10年前の時点で、かかわった精霊仲間のほうで、「ジャヌーブ魔境の退魔調伏」任務への協力に対して、感謝の品を贈ってるピッ』
『知らなかった。どんな内容?』
『女戦士ヴィーダから《鳥使い》衣装の霊体を拝借した時の感謝と同じような感じで、みんなに感謝の物品ね、ピッ。老魔導士が正確に意図を理解してくれて、みんなで分けて上手に活用してたよ』
『髪の毛を《銀月の祝福》銀髪にした……とかは違うよね。でも、それに相当する物品ってこと?』
『うん、そうだよ、ピッ』
――それなら、ひと安心だ。
アルジーは、前日に元シュクラ侍従長タヴィスが用意してくれた膝丈ベストを、サッシュベルトで固定した。
淡い裏葉柳の地に白ポンポン付きの小さな縁取りは、故郷シュクラでも、お気に入りだった意匠。
イマドキ風に言うなら「少女趣味(ガーリー)」な意匠である。
今まで、なんとなく選択していなかった方向だが……不思議に「今の気分に合う」感じがする。
霊魂の大手術の時に、元々あった要素の一部が戻って来て統合されたというから、その時に、元々あった趣味も戻って来たのかも知れない。
ちょっと思いついて。
『私、まだ19歳だけど《精霊契約》済んでる?』
『20歳に半年足りないだけだから、誤差のうち。何もかも大急ぎだったからね、ピッ。もちろん20歳になったら、できる範囲が正式の物になるよ』
白文鳥パルは、いつものようにピョンと肩先に乗って来て、フワモチ……と、くつろぎ始めた。
格子窓枠の外から、琵琶の演奏が聞こえて来る。
「あ、水路点検《精霊亀》と《亀使い》が、市場(バザール)に来てる。ブランク《紅白の御札》《灰色の御札》、買えるよね」
ミリカと示し合わせて、店スタッフ用の出入口へ向かうと。
元シュクラ侍従長タヴィスが、これから遠出するといった風で、旅人マントや荷物を整えているところであった。そして、無口な番頭――鷹匠ユーサーが、荷造りを手伝っていた。
「おお、おはようございますアリージュ姫。ミリーシャ姫」
ミリカがベールを整えつつ、目をパチクリさせた。
「お早いですね、タヴィスさん。通称『ミリカ』のほうが慣れてるから、少し変な気持ち」
「これから、何処かへ?」
アルジーが疑問顔で2人を交互に眺めていると、鷹匠ユーサーが訳知り顔で解説して来た。
「タヴィス殿は急遽、シュクラ・カスバへ。各国の意を受けた王族係累の魔導士や霊媒師といった国交使節が、オリクト宮廷ルートを通じて来訪されているとのことで、対応のため」
「王侯レベル外交ですよね」
「筆頭がスパルナ宮廷の使節。独自の諜報網ないし占術による情報網においては、御曹司トルジンに放逐されて以来2年ほど行方不明だった、シュクラ第一王女の生存情報が浮上しているかと。
第一王女の離縁・絶縁は、帝都宮廷においては大きな意味がございます」
「……忘れてた」
「王侯だから大変だねアルジーも。諸侯よりも、責任がドカンと」
「シュクラ王太子が復活とかしたら、シュクラ諸侯に戻ると考えてたんだけど……」
アルジーが戸惑っていると、初老男タヴィスが気遣うように微笑んで来た。
「シュクラ・カスバは、色々と過渡期でございます。帝都宮廷における新たな位置立場を占めるに際し、外交文書や認証文書のやり取りを積み重ねて、固めてゆく形になります。
その領域は、シュクラ外交部門の任務でございますゆえ、お任せを」
鷹匠ユーサーが思案顔で、タヴィスを見やった。
「例の書面は、いかが致しますか。追認の書面でございますが、空気を読まぬ者が並ぶリスクを考えますと、私としてもタイミングを判断しかねるところでございます」
「御曹司トルジン殿の頭脳または黒幕しだいかと。セルヴィン殿下と対談いたしまして、まこと鷹匠ユーサー殿が後見された人材と感じ入るところがございました」
「恐れ入ります」
謎めいたやり取りが終わり、連れ立って、市場(バザール)へ足を運ぶ形になる。
市場(バザール)の水路点検は、つづいていた。
広場の中央の噴水の周りで、生成り長衣(カフタン)をまとう《亀使い》が琵琶をつま弾いている。衣服の端を補強する縁取り刺繍が、亀甲紋様だ。
琵琶曲の変化に応じて、数々の《精霊亀》が、順番に噴水の水路へ潜水している。
――聖火祠の傍に、小さな人影。
早速ピコーンと来る、アルジーとミリカであった。
「テージュ坊やだ」
「ホントだ」
訳が分からない様子で首を傾げる初老男タヴィス。意外に近隣に詳しかった番頭――鷹匠ユーサーが解説する。
「ひとつ裏の露地に面する、カゴ造り屋バルジュ老の孫息子でございます。4歳、間もなく5歳だったかと」
テージュ坊やは生真面目な顔つきで、水路点検をつづける《亀使い》を見つめていた。なにも持っていなかったが、腕の動きを見れば、琵琶をつま弾いている真似と知れる。エア指使いであるが、達者なものだ。
「なんで小琵琶をコソコソと隠してるんだろう? って思ったけど、オジイチャンに隠れて練習してるっぽいね」
しばらくすると、そのミリカの推理を裏付けるかのように、頑固そうな老人がズカズカと、やって来た。
ビクッと飛び上がる、テージュ坊や。
「なに道草を食ってんだ、とっとと紅白の御札買えって言ったじゃろ! 退魔調伏と、邪霊退散と、家庭安全のな! あそこの香辛料屋ハムジッチャン殺されて血だらけだったそうじゃ、
ガイコツもネズミも沸くじゃろ!」
怒鳴り声が響く。
噴水回りで水路チェックを続けていた数人《亀使い》も、ビックリして振り返って来た。噴水の端から《精霊亀》が、ヒョコリと顔を出す。
気まずそうなテージュ坊やを、祖父バルジュ老がつかんでズルズル引きずり。戸惑っている青年《亀使い》から、当座の必要枚数と思しき紅白の御札を、そそくさと買い取り……ズンズンズンと立ち去って行った。
「事情は分かるけど、ピリピリし過ぎ。あれじゃあ、穏やかに、あの夜の目撃談を聞くどころじゃないね」
ミリカが口を引きつらせて、思案顔になった。
次の瞬間、聖火祠のてっぺんに、白タカ・ノジュムが、スッと現れた。まさに神出鬼没。
『例の元・衛兵団長ウフン=クッサイ接近中だ。全員で身を隠したほうが良いぞ、特にタヴィス殿は』
「わお!」
アルジーがギョッとして。
鷹匠ユーサーも察するところがあった様子。「失礼を」と言いながら、初老男タヴィスを手際よく引っ張って、上手に、聖火祠の陰へ隠れる格好になった。
果たして。
ウフン・ウフンという荒い鼻息の音をさせながら、派手な中年男が現れた。記憶にある、金糸刺繍付きの丈長ベスト。
荒稼ぎしたカネで特別にあつらえたのか、平均よりも分厚い、幅広の三日月刀(シャムシール)。意外に短い刃長。奇妙な曲がりがあって、鎌(かま)に近い印象だが……鎌(かま)じゃ無い。
筋肉ムキムキ、ガラの良くない手下が、まさに金魚のフンのように随行している。5人ほど。2人が、妙に巨人族を思わせる体躯に、テカテカ黄金肌。
「普通の人類が、巨人族のような筋骨っぽい感じになるの?」
「モグリ傭兵にありがちの不正な筋肉増強剤の可能性はあるけど、アルジー。黄金肌にするのは無かった気がするわよ」
聖火祠の後ろに隠れながら、首をひねっている間にも。
金ピカ衣装ウフン衛兵団長クッサイ氏は、その手下を両脇にズラリと揃えて威嚇の態勢を取り、《亀使い》リーダーと思しき、杖を突いた白ヒゲ老人へ、怒鳴りはじめた。
「ウフン、宮殿の衛兵団長である! 此処において《精霊亀》個体を目撃したとのネタが上がったんじゃ! ウフン!」
「今はもう違うだろう臨時の東方総督であられる偉大なるバムシャード大将の名をもて新月の日付で懲戒免職された前・衛兵団長」
暴言に応じたのは、しがない・オッサン《亀使い》だ。左右の各々の手に、長い六角棒を持っている。それぞれの六角棒の先端に、照明用の、丸い提灯。
亀甲紋様をしたスイカ大玉サイズほどの球体――提灯が、各々の六角棒の先端に取り付けられている形。
白ヒゲ老人《亀使い》の脇に、用心棒のように控えていたのだ。ほとんど空気みたいに、気配が無かったから判らなかった。
その辺の何処にでも居るオッサン風。とりわけ、地下の迷路のような鉱山地帯では、魔除け提灯持ちの露払いとして、多く見かける姿形。照明の数は単数なのが、一般的だけど。
「新月の夜明け前に宮殿から脱走して2日後の夕食の刻に市場(バザール)の裏街道ナンジャモンジャ酒乱カメハメ騎士団へ潜伏して翌日の夜明け前から一部を私物化したうえ
配下を邪霊害獣の血の池に漬け込んでトルーランも知らないトルーランの威を借りた遊撃隊として《骸骨剣士》だの通り魔だの発生させて各所の市場(バザール)界隈と宮殿の決戦をかき回して
物のついでに盗み取った数多の銘酒を夜な夜なザルリン侯への賄賂にして現在」
――かの取次業者ディロンでさえも兜を脱ぎそうなほどの、息継ぎナシの驚異の長広舌だ。
しかも、お見事な節回し。
それほど頭が良くないように見えるウフン団長クッサイの手下たちも、一発で内容を呑み込んだ様子だ。
当然ながらウフン団長クッサイは、真っ赤になって爆発した。
「黙れ黙れ黙りおろうッ! 貴様ぁ地誌編纂所の窓際族の雑用係のクセに、ウフン、時々刻々レベル人事と素行の情報どこから手に入れるんだ、この野郎!」
一見して何処にでも居るような、しがない・オッサン風《亀使い》は、想像以上に戦闘態勢であった。
次の瞬間、しがない・オッサン風《亀使い》は、熟年ベテラン戦士と化していた。
左右の、丸い提灯セット六角棒が、明らかに異国風の武器の構え。
つい先刻までは、亀甲模様をした提灯――亀甲提灯――夜間照明ランプのような気がしていたけれど。
――大斧槍(ハルバード)の刃部分が、球体に差し替えられたようなものだ。オリクト戦士が持っているのを、たまに、チラリと見たような記憶。
「あれ何?」
見慣れない異国の武器。
思わず目を見張るアルジーであった。ミリカも同じだ。
意外なことに、タヴィスが解説してきた。
「亀甲錘と言います。亀甲城砦(キジ・カスバ)の最強の打撃武器、人食鬼(グール)対応。かの国では三日月刀(シャムシール)より一般的な退魔調伏の武器ですが、ここで見かけるのは珍しいかと。
帝国領土でも、わがシュクラの隣国オリクトなどの東北辺境に数ありますが、両手使いの達人は珍しく」
「隠密の武器ですか、タヴィス殿」
「亀甲城砦(キジ・カスバ)の技術が高度なだけです。普段は亀甲提灯――夜間照明ランプ……いえ、鉱山の坑道ランプも兼ねる、《亀使い》定番の手持ち道具です。ただ《精霊亀》流儀のユーモア、というか」
*****
早朝、営業時間前の市場(バザール)の一角は。
物理的な火花を散らさんばかりの闘気が、充満する場となっていた。
砂掃除スタッフや、屋台組み立て大工、色とりどりの品を運び込んでいた運送スタッフたちは、サササッと、邪魔にならない隅へと避難している。
代表者・白ヒゲ老人《亀使い》は、冷たい激怒に燃える「しがない・オッサン風」ベテラン戦士《亀使い》を抑えることを放棄している様子で、
もはや虚無スナギツネ顔をしていた……ほかの若手《亀使い》メンバーも。
「かねてから、ウフン衛兵団長クッサイ氏が、カメハメ騎士団《邪霊使い》と結託して通り魔《骸骨剣士》を不法に操り、
その騒動を利用して、《精霊亀》甲羅を狙う乱獲や密猟および密輸作戦を実行しているとの疑惑が濃厚に漂っている。
ここでキッチリ、お手持ちのブツをカチ割って、回答を引きずり出してやろう」
「ウフン! 根も葉も無い、根拠も無い、ウンコ……」
つづけて「……妄想だ」と叫ぼうとしていたのであろう、ウフン男クッサイ。
次の瞬間、ウフン団長クッサイは、ターバン飾りとしていた防具――宝飾だらけの額当――を、ターバンごと弾き飛ばされていた。
現れたのは、みごと禿げ上がった頭部だ。
俗に中年ハゲとも言うが。
クッサイ氏の場合、申し訳ていどに残った毛が、宇宙人のような奇妙な髪型を作っていた。
ミリカが目を丸くして「ウンコ星人?」と呟いたくらいである。
「ドタマ割られたくなければ、キリキリ白状しろ!」
しがない・オッサン戦士は、鋭い口調で、ウフン団長クッサイへ、畳みかけていた。
「香辛料屋ハムザ老から情報は上がっているんだ、貴様が不法に《精霊亀》捕獲したうえ虐待していた証拠がな! あの《精霊亀》個体を何処へやった! さだめし貴様が、
あの夜、ハムザ老をギタギタにして、《精霊亀》個体を持ち去ったのであろう!」
「言いがかりじゃ! 卑しい底辺どもは、ウフン、だまらっしゃい!」
ウフン団長クッサイは、がなり立てた。その盛大な鼻息で、口ヒゲを大いに変形させつつ。
「あの夜は、もっと重要な任務に出張ってたんじゃ、ジジイを殺す暇なんぞ無かったわ!」
そこに、嘘やゴマカシの気配は感じられない。不思議なくらい。
「さだめし、噂のガキは、手前らへ《精霊亀》を横流ししたに違いない、ウフフフフン! 逮捕されたくなければ、《精霊亀》盗んだガキごと《精霊亀》を引き渡せ! おい野郎ども、
ウフン、この無礼者をやっちまえ!」
5人の、ガラの良くない筋肉ムキムキ用心棒が、一斉に三日月刀(シャムシール)を抜いて斬りかかる。
*****
――勝負は、ひと呼吸の間に決着した。
その辺の男たちにとっては、恐怖の方向で。
5人の、ガラの良くない筋肉ムキムキ用心棒は、ガラ空きだった下半身の微妙な部分を、謎の武器「亀甲錘」先端すなわち、亀の甲羅の模様をした球体に、したたかに打撃されていた。
5人全員。
えもいわれぬ(女性にとっては理解の彼方にある)激痛に声も出ず。
地べたにうずくまって、丸くなって震えるのみ。
「次は貴様じゃ」
今しがた、「男の証明」5人前を撃滅した球体を向けられて。
ウフン衛兵団長クッサイは口をアングリするのみであった。
そして。
「ウッフゥゥン、おぼえてろぉぉおおお!」
創意工夫に欠けた定番の絶叫と共に、5人の手下を見捨てて、中年ハゲの髪の毛をなびかせて、逃走して行ったのだった……
…………
……
しばし、なんとも言えない沈黙が横たわる。
市場(バザール)のあちこちで、チンピラ5名、オッサン《亀使い》1名の、理不尽な決闘を見物していた人々――砂掃除スタッフや屋台組み立て大工、各種の運搬人たちが、ザワザワし始めた。
「えれぇこった」
「お巡りさん呼べ、お巡りさん。そうだ、あの神殿調査官さんが良かべ」
「お、おぅ」
「ラクダ乗って走ってけ、そら!」
少年といった年頃の若いのが、ラクダに乗って、神殿へ向かって暴走して行った。
払暁の刻の、空の下。
そして、白ヒゲ老人《亀使い》が、先刻まで驚くべき戦士であった、しがない・オッサン風《亀使い》を、疲れた目で眺め。
「わしゃあ、日が昇る前に老衰死した気分じゃよ」
「何をおっしゃいます。誰よりも激怒してた所長が。ともかく重要な言及は引きずり出しましたよ」
「確かに。話題の失業衛兵ワリドの息子……ヤジド坊やじゃったか」
白ヒゲ老人《亀使い》は、みごとな白ヒゲをボンヤリと撫でつけ、毛流れを整理していた。あちこちへ飛び散りがちな思考を、丁寧に束ねつつ。
「ワリド&スージア夫婦喧嘩の際に、例の《精霊亀》らしき個体が目撃されているのは確か。例の酒場の、給仕の鬼耳の小僧は、アレで意外にホラを吹かんし、相応に確実な情報と判断できる。
噂の《精霊亀》の行方について、聞いてみなければならんの。父親ワリドの了解を得るのが、手こずりそうじゃが」
「いま、元・衛兵ワリドは、場末の賭場に付属する宿で、馴染みの『パパ活』少女に貢いで、ヤッて寝ています。父親していない父親の了解に意味あるとは思えませんがね。
給仕の鬼耳の小僧の情報によれば、離縁が成立した筈。一度、神殿へ確認とってからでしょう」
――えぐい話である。
市場(バザール)の裏路地では、よく聞く話であるが。
気が付けば。
しがない・オッサン風《亀使い》の手にある打撃武器「亀甲錘」は、既に、よくある「夜間照明ランプ」形式へ戻っていた。
そのような《精霊魔法》を発動したに違いない《精霊亀》たちは、しれっと、噴水の水路点検を再開していた……
一段落したタイミングをはかって、アルジーとミリカは、先ほど紅白の御札を取り扱っていた青年《亀使い》へ声をかけた。幸い、顔見知りだ。
「お取り込みのところ。ブランクの《紅白の御札》と《灰色の御札》があれば……」
「あ、いつもの代筆屋さん。はい、在庫がございます。今月は珍しく、御札の在庫補充も、月に1度の小鳥の便箋も無かったから、どうしたかと」
「死にかけてたからね、アルジーは」
「それは、また……例の《精霊亀》が気にして、予定外の外出する筈ですよ。そのまま行方不明になったもんで大騒ぎなんです。ま、コチラの問題ですので、お気になさらず」
とにもかくにも、取引が済む。
さっそく新品の《紅白の御札》へ精霊文字を書き込み、『道中安全の護符』として……様子をうかがっていた格好の元・侍従長タヴィスを振り返り。
「あの、どうかお気をつけて」
「ありがとう存じます」
噴水の前で、しがない・オッサン風《亀使い》が、ポカンと口を開けて……こちらに注目していた。アルジーと、ミリカと、鷹匠ユーサーを順番に見まわして。
「お知り合い同士でしたか、タヴィス殿。金融商オッサンの番頭どのは、顔見知りで存じてましたが」
「こちらも驚きました。ゼイン殿が亀甲錘の達人とは、お伺いしておりませんでしたもので。地誌編纂所から貸してくださる《亀使い》護衛さんの腕前も、納得でございます」
「いやはや。縁は異なもの味なもの。同郷の占い屋から、近々仰天する出会いがあろうと告げられてたが、想像以上だ」
訳知り顔で《亀使い》グループの傭兵ひとりが近づいてきた。鷹匠ユーサーと同じく、かつては帝国軍に所属していたであろう中年ベテラン戦士と知れる。
ほどなくして――元・侍従長タヴィスと、傭兵の姿をした《亀使い》護衛は、シュクラの方向にある城門を目指して、旅立っていった。
入れ替わりに、毎度の少しおっとりした調子で、紅の色を各所にまとう神殿衛兵団が、やって来た。
衛兵たちが、うずくまって失神しているチンピラ5名に驚きながらも、ふん縛り……最寄りの牢屋付き詰所へと連行して行く。
代表である生真面目な神殿調査官は、寝不足の目をこすりつつ、ボヤいた。
「被害者ではあるが、邪霊崇拝の痕跡が全身に見えるゆえ天罰テキメンとしか言いようがない。本部へ緊急報告せねば。なんで、こうも次から次へと、非常識な事案が連続するのであろうか」
市場(バザール)関係者が、口々に「お疲れさん」と同情を呟く。
「ちょうど良き、というところでしょうか。調査官どの。現在、捜索中の行方不明《精霊亀》の件ですが」
どこにでも居るような「しがない・オッサン」風の体をして、《亀使い》提灯持ちゼインが、神殿調査官へ声をかけた。
「オアシスの主《渦巻貝(ノーチラス)》様と、不思議に仲の良い《精霊亀》個体の件であるか」
「元・衛兵ワリド氏の息子ヤジドちゃんのところに、何処から来たか分からない《精霊亀》が居るらしい、との目撃談が上がって来まして。
どうも、元・衛兵団長クッサイ氏も、同じ個体を探している様子。かねてから《精霊亀》密漁・密輸の問題がありますし、早々に決着したいところ。ヤジドちゃんへ聞き込みしたいのですがね」
「残念ながら、ヤジド坊やが、それどころじゃ無さそうだ。母親スージア殿が危篤ゆえ」
「ほぇ?」
*****
金融商オッサンの行動は、小太り体型を感じさせないほどに、素早かった。
取り急ぎ、店に戻った番頭――鷹匠ユーサーから「ヤジド坊やの母親スージア危篤」一報を仕入れるなり、顧客データを再確認したのである。
そして。
「当店で管理している口座が、ふたつ。投資用の口座、貯金用の口座。帝都の土木事業に投資して、相応に実入りの良い配当を得ており、
ヤジド養育資金――ヤジド名の貯金口座へ、別途、定期コツコツ預金あり。臨時の生活資金ていどの出金が重なったため、多くは無いが、まとまった額面になっている。
神殿の奨学金と合わせて、卒業時の成績次第では、中の上あたりで就職活動できる見込みですな」
「揉めそうですね、頭取」
金融商オッサンの店の番頭として、応答する鷹匠ユーサー。ごましお頭の男の面(おもて)には、懸念の色が浮かんでいた。
「話に聞く限りでは、《離縁》成立した後ではありますものの、息子と父親の血縁は生きている状況。帝都宮廷でも幾度も指摘され、血で血を洗う紛争の要因になってきた部分です」
「ワリド氏が、父親の意義に目覚めるかどうかでしょうな。ともかく縁戚からの、お小遣いていどの送金が細々と入っている……ふむ、シュクラ口座からですな。
これは直接、縁戚さんの人となりをおうかがいしてみなければ。いま危篤ということは、神殿付属の医療所に担ぎ込まれて、縁戚が呼び出されている筈。番頭さん、頼めますか?」
「承知」
アルジーは、ベールを男装ターバンに巻きなおしつつ、鷹匠ユーサーのところへ駆けつけた。
「シュクラ口座って事はシュクラの人が関わってるでしょう!? 私も連れて行ってください」
鷹匠ユーサーは少しの間、戸惑いを見せたが。
店前スタンド式ハンガーに腰を据えていた相棒の白タカ《精霊鳥》ノジュムからは、反対は無く。
アルジーのターバンの上で、白文鳥パルもピョコピョコ跳ねているのを確認して、何かを悟った様子である。
ミリカも、緊急の荷物を包んだ風呂敷を持って、飛び出して来た。
「アルジーの首元の傷に何かあったら、私が対応するよ。付属の医療所なら、白ヒゲ先生が居そうだけど」
かくして。
金融商オッサンの店前で、ロバ車を用意しながら待機していた、しがないオッサン風《亀使い》ゼインは。
倍に増えた人数に驚きながらも……ロバ車を、最高速度で走らせたのだった。
*****
聖火神殿は、オアシス側の城門へと通じる、大きな街路に面している。
午前の早い刻の陽光が、オリーブの木々の街路樹をめぐっていた。
街路樹に沿う赤砂岩の外壁。さらに向こうの高い箇所に、礼拝堂ドーム屋根と、数多の細い尖塔が見える。
赤砂岩の長い外壁はアーチ回廊になっており、各所に立つ門番が眠たげな眼をこすっていた。早朝礼拝が終わる頃合いで、三々五々といった老若男女たちが、アーチ出入口を通過しているところ。
敷地へ入ってみると、訳知り顔の火吹きネコマタが数匹。
先行していた白タカ・ノジュムを見るなり、金色のネコ目をパチリと開き、「ニャー」と鳴いて。つづく番頭や、しがないオッサン《亀使い》ゼインの注意を引く。
火吹きネコマタの後を付いていく形で、あっという間に付属の医療所へ到達した。
三々五々、清潔なリネンや水壺を運んでいた若手の医療スタッフが、《亀使い》姿のオッサンに気付いて仰天しながらも、道を開けた。
「どなたかの、お見舞いで?」
番頭がテキパキと応じる。
「近隣のスージアという女性が危篤と聞きまして。金銭関係に特殊事情を含むため、確認事項を持ってまいりました次第」
「お、そうですか。なんでも《離縁》騒動があったとかで認証専門の神官さんが立ち会っています。詳細は神官さんと確認してください」
……
…………
隔離室の格子扉には、定番のドリームキャッチャー護符の飾り緒と共に、邪霊退散の御札が数枚ほど吊られている。
待合ベンチに、4歳ヤジド坊やが呆然と座っていた。付き添っている大人――市井の中年女性は予想どおり、シュクラ民族衣装のベール女性であった。淡色の髪がベール端から見える。
――予想していたものの、驚きは、する。
シュクラ民族衣装の特徴は、東方山岳地帯の周辺諸国と同様、亀甲城砦(キジ・カスバ)の文化影響を受けた広幅袖。
機動性を要求される山岳の中では、袖先に通した紐で端を縛るが、ここ城下町にあって袖先の紐は解かれた状態だ。
袖先や襟元を彩る補強刺繍が、シュクラ部族の伝統の、しずく模様と矢羽根模様を繰り返す幾何学的パターン。
中年ベール女性も、急に接近した番頭や、しがないオッサン《亀使い》、アルジーとミリカを認めて、仰天した顔つきになる。
「ど、どなた……? え、そのお顔、シェイエラ姫殿下……では、ございませんよね?」
ベール女性は、アルジーの人相を確認した瞬間、絶句していたのだった。
番頭が手際よく話を進める。
「スージア殿の縁戚がたでありますでしょうか」
「え、あ、ハイ。従姉です。亡き祖父が同じで。シュクラ部族ジーナと申します。主人が亀甲城砦(キジ・カスバ)の人で『亀甲商会』東帝城砦・出張所に勤めてます。
主人は目下、商会の取次で留守ですので、私が」
つっかえながらも必要事項をサッと述べるところは、地頭の良さを感じさせる。
従妹に当たるスージア奥さんも、実入りの良い投資先を選別するだけの地頭があったのは確かで、従姉妹どうし共通する部分かも知れない。
「金融商オッサヌフ代理の者です。時々、スージア殿の口座へ少額の振り込みを確認しておりましたが、ジーナ殿がされていたのでしょうか」
「あ、投資と貯金――いえ、貯金口座のほう。そうです主人と私とで。スージアは頑固なところがあって、ひとりで大丈夫だと言ってましたが」
中年シュクラ女性ジーナの額に、プチ、と激怒の青筋が走った。
「致命的な脳出血があったそうです。しょっちゅう殴られて微小な出血がつづいていたので、年齢の割に血管がもろくて、今回の強打に耐えられなかったとか。
誘拐してでもスージアを保護するべきだったと後悔してますわ。ワリド=クソ野郎は、どこかの性質の悪い女に引っ掛かったとかで、以来、クソ野郎の金銭要求や暴力が激化してましたからね、あら失礼」
ヤジド坊やが不思議そうに、4人の大人を順番に眺めはじめていた。
「ジーナ伯母ちゃん、この人たちダレ? 番頭さんは知ってるけど……?」
「ええと……?」
全員で戸惑っているうちに格子扉が開き、紅の長衣(カフタン)をまとう中年神官が『魔法のランプ』を抱えて出て来た。
「お取り込みのところ。残念ながら治療およばず、末期の水の儀式となりました」
――古式ゆかしき意匠の『魔法のランプ』には『魔法の鍵』の形をした紋章が刻まれている。明らかに認証専門の道具。
「なお《離縁》《絶縁》正式に成立済みを確認、所定の用紙に署名することで養育権が移行します。ただ最終的には、父・母どちらかの部族長ないし領主による《精霊文字》署名が必要です。
この場合は『トルーラン・トルジン代行人』または『シュクラ部族長の代行人』ですね」
「最終署名ナシだと、遡及で不備を問われる訳ね」
シュクラ中年女性ジーナは、訳知り顔で頷く。
「こんな時にトルーラン将軍も御曹司トルジンも牢屋で取り調べ中で、シュクラ第一王女も所在不明なんて。
暫定大使タヴィス様に依頼するところだけど緊急帰還とか。シュクラ宛に速達で送付しなくちゃ……上層部の考えてることは意味不明だわ」
故郷シュクラ・カスバ上層部についてブチブチ言いながらも……中年女性ジーナは、中年神官から差し出された所定の用紙に、達筆で署名を済ませていた。
――『キジ=カイロス部族イェシル署名・代行人、妻ジーナ=シュクラ出身』。
アルジーは、ちょっと考えて、認証専門の中年神官へ声をかけた。
「署名『シュクラ部族長の代行人』は、『シュクラ第一王女』署名でも受け付け可能?」
「シュクラ部族長ご本人ゆえ、最上位の格式になりますね。所在不明だけど生存してるので。精霊界による『生存の証明』があって」
「それじゃ私が署名します。筆を」
事情を呑み込めていない4歳児ヤジド坊やを除いて、大人たち一同の目線が集中したのは、言うまでもない。半数が、半信半疑。
養育権の移行に関する所定の書面――所定の位置に《精霊文字》アリージュ姫の署名が並んだ。
次に、認証専門の中年神官が、半信半疑の顔のまま。
手持ちの『魔法のランプ』から、《火の精霊》の真紅の火花を飛ばした。
記録スペースに、《火の精霊》による認証《精霊文字》が、焼き付けられてゆく。
『帝紀X年X月X日において成立。最上位の署名者は以下の者である。現シュクラ王統の第一王女アリージュ姫』
認証専門の中年神官が腰を抜かし、たたらを踏んだ。
「え、ご本人でしたか……白ヒゲ先生から若干、聞いておりましたが……」
シュクラ中年女性ジーナは、驚愕の眼差しでアルジーを眺めていた。次にアワアワしながらも、ペコリと一礼した。
「事情を知らぬとはいえ、ご無礼を、姫殿下」
「いえ別件で来てたんですが、居合わせて良かったです。今のところは『アルジー』と」
アルジーの頭上に腰を据えていた白文鳥パルが、締めに「ぴぴぃ(任務完了!)」と、さえずった。
「こりゃまた仰天の遭遇ですな」
しがないオッサン《亀使い》ゼインが、ヤレヤレと言わんばかりの困惑顔をしながら、手を首にやった。
その一方で、その油断の無い熟練の戦士としての眼差しは、目立たぬ隅に落ち着いていた白タカ・ノジュムが、すでに防音《精霊魔法》を実施済みであることを確認していた。
番頭――鷹匠ユーサーが一礼する。
「目下、暗殺教団との間に多くの懸案事項を抱えておりますゆえ。邪霊害獣や《人食鬼(グール)》による暗殺の危険を避けるため所在をくらませておりますので、皆様ご内密のほど」
「と、とにかく、末期の水の儀式をいたしましょう。ご入室を。少ないとは言え人目がございますし。そう、防音《魔導札》も」
認証専門の中年神官が、素早く格子扉を開く。
*****
――隔離室の中は、意外に狭かった。
認証専門の中年神官、鷹匠ユーサー、オッサン《亀使い》ゼイン、アルジーとミリカ。中年シュクラ女性ジーナは、ヤジド坊やを抱きかかえる格好になった。
中央の寝台に、臨終のスージア夫人が横たわっていた。
寝台に据え付けられている『魔法のランプ』――今にも消えそうな弱い炎。
青あざの痕跡が各所にある。
普通に眺められる状態――と見えるのは、《火の精霊》による幻影《精霊魔法》の影響だ。いわば死化粧である。逆に言えば、《精霊魔法》で死化粧せねばならぬほど、ひどかったという事だ。
神官が、綿に含ませた水をスージア夫人の口元に寄せ……所定どおり儀式が完了した。
儀式が完了して……いつしか。
寝台に据え付けられていた『魔法のランプ』の炎は、静かに燃え尽きていたのだった。
……少しの間……全員で、弔いの所作をする。
そして、番頭として、鷹匠ユーサーが手際よく、中年シュクラ女性ジーナへ声をかけた。
「このたびは、お悔やみ申し上げます。幾つか聞かせていただきたいところがあり、よろしいでしょうか」
「ご丁寧にありがとうございます。分かることであれば」
鷹匠ユーサーに促されて……オッサン《亀使い》ゼインが、ヤジド坊やを眺めつつ。
「実は、坊やが《精霊亀》を持っていたとの目撃談がありまして。いきさつを教えてもらえれば、と」
「なんか《精霊亀》居たって話だけど、私は近所の奥さんから、邪霊《骸骨剣士》10体の怪談のついでに聞いただけで、実際には見てないので。重要なことだとは思わなかったし」
中年女性ジーナは少しの間、生真面目に口を引き締めて、思案顔になり。小首を傾げつつ、抱っこしているヤジド坊やへ、テキパキと質問を投げた。
「ヤッチャン、亀を拾って来たって言ったけど、どこから拾って来たの?」
「えぇと、チョウチョが飛んでて……テッチャンとお庭……ハムジッチャンの……じゃない!」
何かを思い出しかけたという風になりながら、ヤジド坊やは急にパッと口を閉ざした。可愛いお手手で、文字どおり口を塞いでいる。
「ん? だれかから、バラすとコワーイ事されちゃう、とか言われたのか?」
「じゃないけど、ううん、じゃないから! 血だらけとかも、なんも見てないから! テ、テッチャン、なんも拾ってないし、拾った亀、一時的にウチにも預けてないから!」
――ちっちゃな子供だけに、嘘が上手じゃないのは、自然なことである。この状況で「拾ってない」とは、すなわち「拾った」ということだ。
「なに訳の分からないこと言ってんの、ヤッチャン」
ジーナ伯母さんが慌てて急かしていたが、ヤジド坊やは目をギュッとつぶって、黙り込んでしまった。亀が甲羅の中に引きこもって、出てこない時の雰囲気。
様子を見ていたミリカが、ふむ、と思案顔になった。
「ヤジド君が『ヤッチャン』なら、『テッチャン』って、お隣の友達テージュ君のことかしら」
あからさまに、びくう! と反応するヤジド坊や。だが何か決心しているのか、感心するほどに固く口を閉ざしている。ペラペラしゃべりたい、お年頃だろうに。
認証専門の中年神官が、首を傾げた。
「ハムジッチャンって香辛料屋ハムザ老ですか。防護の儀式を準備中の……あんなギタギタ死体じゃ怖いですよね。
特殊な刃物――暗殺用の刃物が使われていたかもという指摘があり、目下、鋭意、調査局あげて、一致する刃物を捜索中とのことですが」
「暗殺用の刃物。我々が追っている《精霊亀》密漁・密輸業者の武器か、道具だとすると……」
しがないオッサン《亀使い》ゼインが渋面になり……少しの間、沈黙が横たわったのだった。
*****
東帝城砦の城下町と市場(バザール)。
――金融商オッサンの店が属する街区の一角では、新しく死人スージアが出たということで、掲示板への新たな追加連絡などの処理が、すみやかに進んでいった。
いろいろと「訳あり」案件のため、夜逃げ作戦さながらの速度である。
スージア遺体は、老ハムザ死体よりも優先で『遺体の防護』儀式を完了した。その後、老ハムザ死体と並んで通夜を越した後、老ハムザ遺体と前後して、埋葬されることになっている。
急死したスージアの遺体を埋葬する際の代表者は、老ハムザ夫人が引き受けた。
イェシル・ジーナ夫妻とヤジド坊やは、身の安全を図るため、神官と《火の精霊》協力を得て、葬儀に匿名参加する形式である。
アルジーとミリカも、近隣の住民どうし。体力と相談して、協力する形。
――亡きスージア夫人の別居旦那であるワリド氏は、素行の悪さで知られている。何らかのイチャモンや暴力でもって妨害して来る可能性は、充分以上にあった……
金融商オッサヌフの番頭を務める鷹匠ユーサーも、しがない・オッサン《亀使い》ゼインも、特別に出張って警戒していたのだが……
――ワリド氏は現れなかった。1日じゅう、ずっと。
そして、スージア宅の緊急的な遺品整理の作業については、「隣の頑固ジイサン」風な、カゴ造り屋バルジュ老も、協力的であった……
「お気の毒に、ジーナ夫人どの。ヤジド坊やは、少しの間は、いつもと変わらない調子で喋ったり笑ったりするかも知れん。じゃが数日後から喋らなくなるかも知れん。
ひとりでフラリと出歩くとか、夜泣きとか奇行が出る可能性はあろう。注意してやってくれ」
「まぁ老バルジュ殿。そう言えばテッチャン、テージュ坊やも目の前で母親を亡くしてたんでしたね。貴重な助言、感謝しますわ。主人にも伝えて、シッカリ、ヤジド坊やの面倒みていきます。
何かあったら、ご相談させてくださいませね」
「おお、イェシル・ジーナ夫妻は、3人のお子が居るとか。2人の息子さんは独立済み、末娘さんが諸般手伝いしつつ良縁を探して……年取ってからの、訳ありの子供の養育は大変じゃよ。
いつでも相談においでくだされ」
思わぬ励ましを受けて、ジーナ夫人は、涙ぐんでいた。
4歳児であるヤジド坊やとテージュ坊やには、それほどできることは無く……市場(バザール)の顔なじみの老ハムザ夫人のところで、おとなしくしている。
喪章を付けて閉店中の香辛料屋。その店前のベンチへ、時々目をやってみると。
4歳児どうしで、2人で仲良くチョコチョコ並んで座り込み、ハムバッチャン=老ハムザ夫人からもらったオヤツを分け合いながら、何かを真剣にささやき合っているのが見える。
――遺品整理があらかた片付き、処分品を積載したロバ荷車が、ひっそりと移動した……午後の後半の刻。
クムラン隊長と、セルヴィン青年とオーラン青年が、フラリとやって来た。市場(バザール)の掲示板を一瞥して。
「スージア夫人が急に亡くなったというのは、ビックリしたな」
「あ、良いところに」
遺品整理の際に出た洗濯物の色々を詰め込んだ――洗濯カゴを運んでいたミリカが、さっそく、鬼耳族のクムラン隊長に声をかける。
「ヤジド坊やとテージュ坊やが、本格的にコソコソ話し合ってるんだけど、私たちには聞き取りが難しいのよ。なに話しているのか判るかしら?」
「んー、難しい注文だな。4歳の幼児語は独特だから」
そう言いながらも、クムラン隊長は、当座の部下オーラン青年をチョイチョイと手招きしつつ、近くの物陰へ移動した。
ベンチの陰になったところで、4歳の坊や2人が、真剣な顔つきで陰謀していた。当座の秘密基地といったところである。
隠れているつもりで、可愛いお尻が出ているから、そこに居るのがバレバレなのだけど。
まもなくして、盗聴結果が出る。
「おおむね『戦士の誓い』および『敵討ち』といったところか」
クムラン隊長が手際よく要点をまとめた……
…………
その一、《精霊亀》を拾った場所や、隠した場所は、男と男の秘密だ。例の《精霊亀》が安全になるまでは、隠した場所は口外厳禁だ。
その二、今朝の市場(バザール)で起きた口論バトルをひそかに目撃した結果、『ウフン男』が《精霊亀》をイジメている卑怯者であるのは間違いない。
おまけに邪霊《骸骨剣士》を仲間にしてるからテージュ母を殺した敵でもある。2人で力を合わせて、『ウフン男』をやっつけよう。
…………
……クムラン隊長は、最後には、皮肉っぽく口を引きつらせていた。驚愕の代わりに。
「油断ならないくらい、子供たちはモノをよく見てますね。『毛玉ケサランパサランも飛べば竜巻に掛かる』……文字どおり。要警護および事情聴取、裏付け捜査、確定です。以上」
さすがに黒髪オーラン青年が、セルヴィン青年と一緒になって。あからさまに疑惑の眼差しで……ミリカの作業を手伝いしているアルジーを、振り返ってきた。
すっかり『口うるさい兄』の顔になっている。
「新たなトラブル発生の予感しか、しないんだが」
かくして。
アルジーとミリカは、今朝に遭遇した珍事、すなわち《亀使い》団体から飛び出た謎オッサン戦士と、ウフン団長クッサイおよび5人のチンピラが対決した一件を、説明する羽目になったのだった。
――14歳の時に、大人たちに隠れて陰謀してた少年2人が、いま、大きな顔できているのが、実に謎。
と、アルジーは思った。
*****
市場(バザール)の一角で、噴水の水の中で良く冷やしておいたスイカや椰子の実の、カット作業がつづいている。
ヤジド坊やの新たな養父母であるイェシル・ジーナ夫妻が、スージア宅の遺品整理に協力してくれた近隣住民たちへの感謝として、市場(バザール)の八百屋に依頼したものである。
暑熱の中の肉体作業がつづいた後の、定番の甘味。
いままで不健康だったアルジーにとっては、見慣れない光景のひとつ。そもそも故郷シュクラ王国には、トロピカル果物は無かったのだ。桑の実は、いっぱいあったけど。
ガン見しつづける4歳児のヤジド坊や・テージュ坊やと一緒になって、カット作業をつづける八百屋スタッフの手元に、興味津々である。
「椰子の実は固いと思うけど、よく、サクサク切れるよね? 山刀でも無いし、ノコギリでも無い、刃の形も異国風というか、変わってる……これは何?」
「ククリ包丁。東南とか南岸の山地ジャングル定番の調理道具ね。出刃包丁みたいなモノ」
意外にミリカが詳しく、サクッと解説してくれた。
「亀甲城砦(キジ・カスバ)南方とか、ウトパラ・カスバ周辺だと一般的。竹・笹・ソテツ伐採もサッサカ進む、スグレモノ。食用トカゲのウロコ剥ぐのもサクサク。
東南地方の冒険者は、ククリ包丁で、八叉巨蛇(ヤシャコブラ)のウロコを剥ぐよ。邪霊ウロコも《魔導》工房の退魔調伏グッズ品質検証の素材として売れるし」
八百屋オジサンと一緒になって、フルーツカットを手伝っていた肉屋オジサンが、ボソボソとボヤいた。
「本来は、こう使うのが正しいんじゃ。それを、あのウフン男クッサイ野郎、うちの食用亀を、大きさも変な大型ククリ包丁で、メチャクチャな解体やりやがって」
――不意に、アルジーの脳裏に、ピンと来るモノがあった。
肩先に居る相棒・白文鳥パルのほうでも何かを感じ取ったらしく、ジッと思案している雰囲気。
確かに、今朝やって来た、あのウフン団長クッサイの腰に……三日月刀(シャムシール)にしては異形と言うべき、大振りな刃物があったのだ。
――大型ククリ包丁の形状だったとすれば、ピッタリ当てはまる。人間ひとり、サクサク……ギタギタにできる刃物の類では、ありそうだ。
香辛料屋ハムザ老を殺害したのは、ウフン男クッサイだったのだろうか?
しかし。
あの無意識のクセと化しているらしい鼻息「ウフン」を押さえるのは、難しそうな気もする。
鼻息を隠して、あのゾッとする静寂の中の殺人を、やってのけた可能性はあるけれど……どこか、スッキリしない。クッサイ氏は、この世で、もっとも暗殺者としての才能に欠ける男だろう。
「このククリ包丁っていうか、こういう刃物を専門的に使ってる冒険者は、居る訳だよね。騎士団とかも、あったりする?」
首を傾げるアルジー。同じように首を傾げるミリカ。
「カメハメ騎士団かなあ? ウフン団長が潜り込んだところ。ウフン団長も東南の城砦(カスバ)の出身で、地縁メンバー多い感じ。
ほとんど裏街道チンピラ騎士団だし、ナンチャッテ冒険者クズレしか居ない感じだけど」
聞いていると、恐喝詐欺ビジネスにいそしんでいた、不法業者バズーカと結婚詐欺師ハイダルと不良青年ザザーンと集金係ベラのグループが大きくなったような感じだ。
ジャヌーブ港町をうろついて、ガジャ倉庫商会の副代表だった老ダーキン殿から、大金を巻き上げていた……
――カメハメ騎士団という謎の団体について、調べてみなければ。
アルジーは、いまだ骨と皮というガリガリな胸の奥に、そっと留めたのだった。
*****
昼下がりの後半。
帝国の東方領土における支配の拠点――東帝城砦の空は、夕方の色をまといはじめた。
直射日光に焼かれた街路は熱かったが、一方で、日陰や噴水の周りでは、冷却が進んでいた。たゆたう空気も、適温のあたりだ。
――東帝城砦の中央通りの端を占有する聖火礼拝堂。
民間墓地に接する一角の小ぶりな棟で、ささやかな通夜がはじまった。
香辛料屋の主人すなわち老ハムザの遺体を、邪霊害獣から防護するための儀式である。
喪主は老ハムザ夫人。早くも、近隣地区の顔なじみの人々が集まっていた。
ぐるりと取り囲んだ人々の中央部で、紅の長衣(カフタン)をまとう神官が、聖別された『魔法のランプ』を掲げつつ、所定の《精霊語》呪文を詠唱している。
もっとも重要な呪文の一節が仕上がったところで、一部の顔見知りが、それぞれに立ち話を始めた……配慮のある、ささやき声で。
「ホントにビックリしましたわな。いったい誰がハムジッチャンを襲ったんでしょうね真夜中に」
「大きな攻城戦があったばかりだから、みんな気が立ってるのかねえ」
傍の台座に据え付けられていた『魔法のランプ』のネコミミ炎がパチパチと火の音を立てながら、噂話を始める。
『例の《精霊亀》は何故、行方不明になったんだかニャ。亀の一族は、つくづく秘密主義ニャネ』
『白文鳥の一族と同じくらい秘密主義ニャン』
ミリカと共に、台座の近くに控えていたアルジーは、そっと聞き耳を立てた。
『珍しい顔が混ざってるニャネ、野次馬……、一般参列スペースのところに』
ネコミミ炎がパチリと弾け、アルジーは、その方向へと視線をめぐらせた。ミリカも気付き、首を傾げながら挙動を合わせて来る。
示された位置に、意外にも見覚えのある人相――ターバン端から見える毛髪は、ほぼ白髪――老齢らしき男が、陣取っていた。
先祖の恩恵なのか、周囲の一般参列の市場(バザール)関係者たちの中で、際立つだけの背丈がある。
アルコールやタバコの影響があからさまな、不健康な顔色。たるんだシワが多いので、老人に見える……テカテカ脂ぎった皮膚が、中高年世代であることを告げていた。
老ダーキンと同じような、地元の富裕層といった風の、贅沢な長衣(カフタン)。
だが、かつての老ダーキンが年齢の割に若々しく見えたのに対して、こちらの豪族風シニア男は、年齢以上に老い崩れたような雰囲気。実際に、年齢よりも老けているに違いない。
ミリカも息を呑んでいた。ミリカにとっても、既知の人物だったのだ。
「めっちゃ驚いた。噂のカメハメ騎士団の団長きどってるザルリン侯だよ、あの男。この前の『酒場もげたチンピラ事件』の重要人物。オベッカ役人に難癖つけて乱闘やらかした酒場荒らしの酒乱チンピラ、
その実、血統お貴族さま。彼だよ」
「昔から場末の酒場に入り浸ってるよね。大声でわめいていたのを見たことある。前の東方総督。トルーラン将軍に、賄賂の力で追い落とされて、恨み骨髄とか」
「あ、そうか。アルジー、『人質の塔』に軟禁されてた頃から、城下町の市場(バザール)へ繰り出して、あちこち探検してたんだっけ。場末の酒場までとは、スゴイね」
「あの頃は、まだ呪いの影響が少なくて、今のように動けてたから。でも、あいつ、いったい何故ここに居るんだろ?」
窺っていると、さらなる驚愕があった。
不良チンピラ青年が、不健康シニア男ザルリン侯の横に居た。なにかをヒソヒソ耳打ちしている。
近所の市場(バザール)に不意に現れて、アヘン入り飴玉(ナバット)などという不埒(ふらち)な商品を並べていた、怪しい駄菓子屋の青年だ。
駄菓子屋チンピラ青年の両手の甲に、相変わらず、悪趣味な刺青(タトゥー)が施されているのが見える。
――ますます怪しい……
防護の儀式が進行中の、集会所の一角。
親しい関係者のひとりとして、比較的に前列に佇んでいたギヴ爺(じい)。その顔の広さでもって、方々から声を掛けられている。
市場(バザール)の顔見知りの行商人から、さっそく疑問をぶつけられていた。
「なぁギヴ爺(じい)さま。あそこに居る色男ムムターズ、やけにハムバッチャンに馴れ馴れしいじゃねぇか。不動産業者ムムターズは信用ならん男で通ってんのに、大丈夫なのかね」
「土地取引が順調なんじゃろうな」
「何をやらかそうとしてんだろね。それに比べりゃ、ナンジャモンジャ、宮殿前の市場(バザール)の、帝都大市場(グランドバザール)でも通ってる名店の菓子屋が、直接、
ハムバッチャンから買い取ったほうが確実だろ」
「確実って、何が、どう確実だというのじゃ?」
「高級菓子店がひとつ出来るんだなぁと、こちらもハッキリ判るじゃねえか。判らないまま、ずっとモヤモヤすんのは、ヤなんだよ。それに不動産業者、ゴッソリ中抜き、仲介手数料とるだろ」
「この世に、確実な要素など、なにひとつ無いものじゃろうに」
素敵な白茶ヒゲをモフモフさせながら、ズバリと大賢者のような述懐をしてのけたギヴ爺(じい)。
愚痴っぽくからんでいた顔見知りの行商人は、少しの間、ポカンと口を開けていたのだった。
一方で、やがて、噂の的の老ハムザ夫人と、ムンムン男盛り不動産業者ムムターズは、目下の懸案事項について何らかの合意を見い出したらしい。
友好的な雰囲気でヒョコヒョコお辞儀をかわしつつ、それぞれの所用を順番に済ませはじめていた。
折よく、香辛料屋・老ハムザ氏の防護の儀式が終了していた。
儀式を進行していた紅衣の神官が、ホッとした様子で、肩や腕をコキコキとほぐしている。そこへ、老ハムザ夫人が、ヒョコヒョコと近づいた。
「神官さま。このたびは感謝でいっぱいですほ」
「まこと、ご愁傷さまで。ハムザ夫人。旧友ギヴ爺(じい)どのが、ともに夜通し、埋葬の前の一夜の見張りに付き添ってくださるとか。夜が明けたら葬儀ですな、よろしくお願いします」
やがて、いつしか。
老ハムザ夫人の傍に、生真面目な顔をした4歳児テージュ坊やが近づいていた。喪に伏す老女の、暗色の長衣(カフタン)の裾を、遠慮がちに引いている。
「なんですほ、テージュ坊っちゃん?」
4歳児は、つたない文字の――苦労して字形を作ったらしい――メモを、老ハムザ夫人へ差し出した。心因性の口のぎこちなさがあって、うまく喋れないので、文字で伝えようとしているのが明らかだ。
老ハムザ夫人は少しの間メモを見つめて、困ったような笑みを返す。
「ごめんなぁ、この婆には読めん文字じゃほ。紅白の御札で見かける感じ……《精霊文字》かねえ?」
それは重大な指摘。
アルジーの肩先でも、相棒の白文鳥パルが「ビョン!」と、飛び上がっていた。
息を呑みながらも……アルジーは、老ハムザ夫人とテージュ坊やへと駆け寄った。戸惑い顔のミリカも、付いて来てくれる。
「そのメモ、見せて!」
老ハムザ夫人は目をパチパチしながらも、メモを差し出してくれた。
たしかに《精霊文字》だ。とぎれとぎれの……絵文字の切れ端さながらだけど。
……『寄す、挽歌』。
「テージュちゃん、誰かから……と言うか、白文鳥《精霊鳥》? それとも《精霊亀》や《精霊象》? 精霊から、助言もらって書いてた? 帝国文字は、まだ全部の文字は書けないでしょ?」
4歳児は、おずおずと応じた。はじめに縦に首を振り。次に、フルフルと横に振る。
意外に医療従事者として観察力の鋭いミリカが、細かく見分けた。
「んー、《精霊亀》から《精霊文字》を教わったってことかな? 不思議な話だね」
「老ハムザ氏に曲を贈りたいの、テージュちゃん? ええと、定番の挽歌」
テージュ坊やは再びコックリ頷き……あの見覚えのある小琵琶を、風呂敷から取り出して見せたのだった。
ほど近いところで、テージュ坊やの祖父バルジュが仰天して……口をポカンと開けたまま絶句している。あまりにも想定外のことだったのか、どう反応すべきか判らなくて戸惑っている状態だ。
4歳児は、子供なりに失礼にならない距離をとって、老ハムザ氏の遺体の横に立った。
……老ハムザ氏の遺体は、邪霊害獣を寄せ付けない魔除けシーツをかぶって、所定の位置に横たわっている……
達者な指使いでもって、小琵琶の弦が弾かれていった。
テージュ坊やがつま弾く音楽に合わせて、白文鳥パルが挽歌をさえずっている……《精霊語》で。
……
そらみつ天のいずこより来たり
いずこへゆくや 汝が姿
おお東は東 西は西 両大河のように
かぎりない変転の本質が注がれよう
……
定番の詠唱――それでも、印象深い旋律と音調。
いつしか、小琵琶の伴奏に招かれたかのように。四色の毛玉ケサランパサランが、フワフワと遺体の周りを漂っていた。
ひとしきり絶句が、つづいた後。
「これは驚いた」
しがないオッサン風《亀使い》ゼインが、ボソリと呟いた。そして次に、ガバッとばかりに、テージュ坊やの祖父バルジュ老へ、向き直る。
不意打ちの挙動に、驚きのあまり、のけぞる老バルジュ。
「ご老体。貴殿のお孫さんは、とんでもない天才だ。毛玉ケサランパサランが呼び寄せられてくるほどだ。伝説的な《亀使い》になるだろう。是非《亀使い》地誌編纂所へ。養成所を兼ねてる」
「し、知らん……知らん!」
頑固ジイサンといった風の籠造り屋・老バルジュは、アワアワと首を振り。キョトンとしている4歳児テージュ坊やを小脇に抱え、まるで逃げるかのように、退去してしまったのだった。
勢いのあまり小琵琶が弾んで、カランと転がる。
しがないオッサン風《亀使い》ゼインが拾い上げ……意味深な身振りをした。
数人ほどの、配下と思しき人影がサッと動き。老バルジュとテージュ坊やを追跡し始める。
『目を付けられたね、ピッ』
アルジーの肩先で、訳知り顔で小鳥の足を持ち上げ、シャシャシャと頭部をかく、白文鳥パルであった。
『当面は、バルジュ老とテージュ坊やは、安全だと思うよ。《亀使い》忍者戦隊が全力で保護するから、ピッ』
一方で「あれあれ」とポカンとするばかりの老ハムザ夫人。
「御礼を言おうと思ってたんだけどねえ」
「坊やは寝る時間じゃのう、ハムバッチャン」
苦笑するギヴ爺(じい)。
「ハムジッチャンの葬儀が済んだら、ゆっくり御礼を言おうではないか。どっさりお菓子を持って」
ミリカが、そっとアルジーを振り返って来る。以前に「精霊と気が合う」と言っていたとおり、2個・3個ほどの毛玉ケサランパサランが、ミリカのベールにくっついて、そして離れていった。
「どうやら、歴史的瞬間に立ち会ったみたいだね」
アルジーは衝撃が抜けないままに、コクリと頷くのみ……
…………
……先ほどまでの光景の、意味を考える間もなく。
俄然、集会所の入り口がさわがしくなった。
気付いて振り返ると、いつの間にか……手に届きそうなほど近くに、若い傭兵2人。
セルヴィン青年とオーラン青年。忍者さながらだ。かねてから警戒していたらしい。
「どうしたの?」
「少し、さがって! ハムザ夫人とギヴ殿のところへ。目立たないように」
声量は小さなものであったが、刃物を思わせる鋭い声音。
アルジーは目をパチクリさせて、指示どおり、ミリカと共に……ギヴ爺(じい)や老ハムザ夫人、神官たちの位置へと、立ち位置を変えた。足元で、ちっちゃな相棒の火吹きネコマタが、チョロチョロ走り回っている。
警告の音源は、セルヴィン青年だ。――こういう声だっただろうか?
一瞬、誰の声かと思った。
次に果たして、以前にも聞いたことのある剣呑な大声が、集会所いっぱいに轟いた。
「ごるぁ! てめぇら隠してんだろうコソコソと! 妻と息子を出しやがれ! ヤジド! スージア出て来い! カネ出せ! 斬るぞ!」
ミリカが早くも気付き、ゲッという顔をする。
「噂の失業衛兵ワリドじゃん。深酒キメてて荒れてる。ここ、その手の酒場のように乱闘して良い場所じゃ無いよ」
近くに居た一般参列者がワッと分かれて、三日月刀(シャムシール)を高く振り上げている中年男が現れた。シミだらけの生成り長衣(カフタン)。
指摘どおり、二日酔いならではの強烈な異臭。
荒れた生活がうかがえる、顔色の悪さ。
不健康に突き出した腹部と、こけた頬とが、対照的だ。
「元・衛兵ワリド氏でございますな。ここは通夜の場であるゆえ、控えられたい」
聖なる儀式を取り仕切っていた代表として、紅の長衣(カフタン)の神官が声を張り上げた。
「てめぇ斬るぞ、ふざけんな! とっとと妻と息子を出せ! そうすりゃ引っ込んでやるさ!」
「だれかが、そう言ったんですか?」
「老いぼれハムザの通夜ともなれば隣人として当然、出席してる! スージアもヤジドも、
数日前から隠れていて出て来ねぇんだ! オレのカネ盗んだままでな! とことん、ブン殴ってやる、この三日月刀(シャムシール)で、そうとも!」
紅衣の神官は、呆れたように息をついていた。
「ワリド殿。貴殿には、妻と息子は居なかった筈です」
「ウソつけ!」
「記憶喪失ですかな。《離縁》宣告された筈です。《名誉の殺人》も成就した」
「あれは、単なる躾(しつけ)だ! 妻のクセに夫に反抗しやがったからな! しかも、家にも誰も居ない! 逃げたんだよ! スージアを出せ! あいつは殴らねえと言うこと聞かねえ」
「スージア殿は、いまは貴殿の妻では無い。貴殿から《離縁》され、《名誉の殺人》沙汰を受けましたゆえに」
「つまらんことを、グダグダと……」
続きを言おうとしていた酔っ払い中年男ワリドは、不意に口をつぐんだ。酔いが薄くなり、幾分か冷静になったらしい。ポカンとした顔。
「……《離縁》……《名誉の殺人》だと?」
静寂が広がる。
中年男ワリドは、戸惑った顔で、ぐるりと周囲を見渡した。
その視線に応えて……老ハムザ夫人もギヴ爺(じい)も、一般参列の人々も、全員一致で、コックリと、うなづいて見せる。
「最寄りの市場(バザール)の掲示板に、お知らせが」
「んだ。私も見ただよ。ええと、老ハムザ氏が殺された日と同日で《離縁》だったから、ビックリしただね」
「ワリドさん、掲示板を見てないの? スージアさん、今日、死んだよ」
中年男は浮き足立ち、慌てたように首を振った。
「オレは殺してねえ! め、《名誉の殺人》なんか……スージアが死んだなんて、そんなバカな……ちょっと殴っただけで……そ、そうだ、ヤジドは……」
口の良く回る、顔なじみの一皿料理屋の夫婦が、口を差し挟んだ。
「ヤジドちゃんも《絶縁》してるでしょ。帝国史に、いくらでも前例あるわよ《名誉の殺人》。不倫したハーレム妻と、その子供も、連座で処刑」
「んだんだ。子供のほうは、正しくない血筋つまり『要らない子』でよ。ええと、ワリドさんは不倫された被害者の側だから、無実だっけ?」
紅衣の神官が肯定する。
「そう、ワリド氏は確かに《離縁》宣言をして、そのうえで《名誉の殺人》すなわち《絶縁》を。ゆえに、スージアとヤジドは存在しないという結論になっている」
「そんなふざけた結論、無効にしやがれ! ヤジドはオレの息子だ! そうだ復縁すればスージアのほうから反省して、土下座して、すがり付いて来てでも、復縁を申し出てくる筈さ! そしたら、
殴って、カネを……」
「スージア殿は《名誉の殺人》のもと死んでいます。お子さんも『ワリド氏の直系では無いゆえ殺処分』。お疑いなら、占い屋に依頼して確かめればよろしいでしょう」
神官は、うんざりした顔つきになっていた。
「じ、冗談じゃねえ」
「さよう、冗談ではございません。《名誉の殺人》を貴殿が宣言し実行したんですよ、正式な《精霊語》も添えて」
ワリド氏の目は、落ち着きなく、キョトキョト動いていた。曖昧に、首を縦に振っていたが……やがて。
「冗談じゃねえぇ! スージア出て来い! その辺に隠れてるんだろう土下座しても許してやらんからなぁああ! こよなく! 愛してたのに! 裏切りやがって! たたッ斬るうぅう!」
ワリド氏は、キンキン声で絶叫した。遂に正気を失ったかのように。
ついで、抜身の三日月刀(シャムシール)を振り回しはじめた。ほぼほぼ、八つ当たり。
「ぎゃあ!」
「危ない離れろ止めろ」
一般参列の人々がビックリして、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑った。
狂ったワリド氏は、周囲の反応にさえ激高した様子で、投げナイフを投げはじめた。
2本ばかり、アルジーとミリカと……老ハムザ夫人、ギヴ爺(じい)の方向へ飛んで来る。
流れ弾ならぬ流れ刃(やいば)。
あまりのことに、アルジーの反射神経は止まっていた。珍しく。
動いたのは、セルヴィン青年とオーラン青年。その手には、すでに護身用の短剣。いつだったか目撃したような気のする、驚きの腕前でもって、投げナイフを叩き落とした……
「バカめ」
しがない・オッサン《亀使い》ゼインが飛び出し、三日月刀(シャムシール)の太刀筋をかわしつつ、ワリド氏に足払いを食らわす。
ワリド氏はひっくり返って、したたかに頭を打ち付け……朦朧(もうろう)とした状態になった。
そして、ワリド氏は、駆け付けて来た神殿衛兵の一団の手によって縛り上げられ、留置場へ拘束されたのだった。
■5■タテ糸をヨコにハメ、ヨコ糸をタテにハメ
太陽が、西の空を舞い降りてゆく。
夕方の色を帯びる空の下、東帝城砦の城下町の目抜き通りに位置する聖火神殿――その敷地内の、ささやかな一角の集会所。
吹き渡る風は、まだ真昼の暑熱を帯びている。
集会所の窓から、区画がわりのナツメヤシの行列を透かして、留置場となっている陰気な建物がチラリと見える。
集会所で暴れた酔っ払い中年男ワリドは、相応に抵抗していたが。神殿衛兵の手練れ数名が取り押さえ……尋常に、留置場へぶち込んでいるところだ。
*****
元・民間の代筆屋アルジーすなわちシュクラ王統の第一王女アリージュ姫。
先ほど目撃した光景に、思っている以上に動揺していて……呆然としている状態であった。
シュクラ部族の出身だった、亡きスージア夫人。
……あくまでも、偶然に過ぎない。それでも……
4歳になるヤジド坊やが居る――という部分を除けば、ほぼほぼ、アリージュ姫と類似した立場の……人妻だった人物だ。
意識して切り分けて、省察しようとしていても、無意識のうちに状況を重ね合わせて見てしまう。
――こよなく! 愛してたのに! 裏切りやがって!
アルジー自身の目で見る限り、ワリド氏は、妻だったスージアに対して、不実な夫だった。
繰り返し暴言と暴力を浴びせ……そして遂に、《名誉の殺人》すなわち究極の《絶縁》を宣告したうえで、妻スージアを殺処分した人物だ。
しがない・オッサン《亀使い》ゼインが、チラッと言及したところによれば、どこかの場末の宿場で、うら若い少女と、口をはばかる内容の夜を過ごしていた――と言う。とうてい「妻を愛していた夫」には見えない。
それなのに、どうして、あの場で「こよなく愛してた」と叫んだのであろう?
復縁してやる、とも言っていた。土下座して、詫びて、すがり付くなら……という条件つきだったけど……
幾つかの相違を除けば。
あのスージア夫人の末路は、いつか、アリージュ姫に到来する運命だ。
アリージュ姫は、すでに、夫トルジンから《離縁》を、そして《名誉の殺人》をも宣告された身の上なのだから……
…………
……
アルジーは、いつしか、隣人として喪章をつけていたベールの下で、キュッと眉根を寄せていた。
暮れなずむ空の下――酔っ払い男ワリドが連行されて行った聖火神殿の一角、留置場の方向を眺めつつ。
男性名「アルジー」を名乗り、男装して暮らしてはいたけれど、中身は「アリージュ」という女性であって……それ以上でも、以下でもない。
男の人が、ハーレムという形で、色とりどりの多数の妻との結婚を望む心理は理解できない。
結婚というよりも、「責任を取らなくて良い趣味」好奇心、気まぐれ、遊び――やり捨て、という範囲、と言うべきだけど。
愛していない妻とも、愛している妻とも、不特定多数の他人の人妻である女性とも、同じように、夜の肉体交渉ができる――男性の側に、
それを可能ならしめるのが何であるのかが、女性としてのアルジーには、判らない。
誠実な夫として、ひとり(ないしは複数)の妻を愛していると宣言していながら、気軽に別の女性と浮気して来れる、という行動も、理解の範囲の外にある。
女性の側にも、浮気する女性は多く居る――この現実では珍しくも何ともない――お互い様だけど。
かくして、多種多様な性病が蔓延する。娼館は性病対策に追われる。
超古代の神話的恐怖《怪物王ジャバ》時代の、置き土産。
娼館のプロの防疫管理のもとに無い不特定多数の「素人」を取る客は、性病の流行のたびに、男・女ともに健康な子孫を作る能力を失い、
若くして容姿も生殖器官も腐敗して崩れてゆく。たとえば、カムザング皇子のように。
――《怪物王ジャバ》が発明した多種多様な性病に悩まされ、いくたびも種族消滅の危機に瀕した――人類史は、その繰り返しという側面がある。
性的対象が、みるみるうちに乳幼児の年齢にまで広がっていったのは、「未経験の新鮮な幼児であれば、性病感染リスクが無いと考えられる」理由があるためだ。
もっとも実際は。
精霊の説明によれば。
――《怪物王ジャバ》時代に、人類の祖先の肉体に埋め込まれた先天的要素であるゆえに、なにをどうしても性病の根絶はできない。
全人類に共通の宿命的な宿痾(しゅくあ)として、性病は、常に、その手の行為に耽溺した「健康体」から発生する。
人類史に《雷霆刀の英雄》が出現し、《怪物王ジャバ》は退魔調伏された。怪物王の申し子《人食鬼(グール)》による支配の恐怖が、終焉した現在ではあるが。
現代でもなお、ハーレム風習がつづく民族の間では、ハーレム婚および床入り可能な年齢が、7歳から始まっている。
御曹司トルジンにいたっては、ハーレム婚が可能な範囲を嬰児まで含める、とする条例を、制定しようとしていたくらいだ。
ハーレム婚という理由があったのなら、その手の交渉の末の嬰児殺害も、無罪放免。
さすがに家臣や、父親トルーラン将軍が、その過剰性にのけぞって、お蔵入りにしたようだけど。「何をしても許される」御曹司トルジンが、こっそりと特権を行使しなかった筈が無い。
その手に疎(うと)いアルジーの耳にさえ、怪しげな噂が入って来たほどである。
トルジンが居た宮殿や宿場の下水溝に、その手の「お楽しみ」の結果、ズタズタに破壊された嬰児の遺体――もはや人間の姿を失っていた、むごい肉塊――が、無造作に捨てられていた、という話は複数あるのだ。
――そもそも人類の男女にとって、男女の愛とは、その社会慣習としての結婚とは、何なのだろう?
邪霊崇拝をする人類であれば、《人食鬼グール》の種族をはじめとする邪霊の論理や倫理が当てはめられよう。亜人類である巨人族の原初的な部分に、その片鱗を観測できる。
三つ首《人食鬼グール》や邪霊害獣は、人類にとっては不倶戴天の敵ではあるけれど、その論理は極めて堅牢で、男(オス)・女(メス)の間においても、絶対ブレない。
精霊を反転した種族。森羅万象をつらぬく真理……
…………
……程なくして。
ワリド氏が暴れたために色々と転倒していた調度などが、駆け付けていた神官たちの手によって元の配置へ戻され……当座の作業が済んだようである。
重い調度の運搬には男手が必要であること、聖火神殿の常で神官にしか適切な配置が判らないこと、その他諸般の理由があり、アルジーやミリカをはじめとする一般人には、手が出せなかった部分だ。
やがて、遠ざけられていた一般参列の人々が――居残り組が戻って来て、老ハムザ夫人へ、順番に挨拶をはじめていた。
アルジーは、ようやく、グルグルと迷いつづける思案から浮上して……ワリド氏が拘束されている留置場の方角から、視線をはがした。
いつしか光景は、夕闇の中にあった。
ふと気づかわし気な視線が複数来ていることに、気付く。
一番ちかくに、ミリカ。
ミリカが、サッと近づいて来て。
珍しく、アルジーの頭を「ペチン」とやる。
「青衣の婆さまが用心深かったのも、アルジーの限界も、サイテー夫に苦労させられてたのも理解してるけど。クソ男トルジンを基準にして男の性質を考えすぎだわよ、もう」
「ん? 私ずっと何も、しゃべって無かった筈だけど。脳ミソの中、なんで分かったの?」
「良く当たる占い屋のおばちゃんが、亀の甲羅を撫でて透視して、ペラペラ占断したわよ。ホントに的中してたとは恐れ入るわ」
ミリカは苦虫を嚙み潰したような顔になって、クルリと、その方向へと視線を向けた。
――見知った顔が、「やあ」とばかりに片手を上げて来た。
堂々とした40代、なにげに迫力の、ふくよか女性。濃色ベール姿の、占い屋ティーナ。
――いつだったか、代筆屋アルジーの死相を鋭く読んで来て、即席の護符と思しき赤い糸を、アルジーの足首に巻き付けて来た人だ。
いまでは、『青衣の霊媒師』に匹敵する占断の技術を持つ、『亀甲の糸巻き師』なのだろうと推測できる。
女占い屋ティーナの近くで、ポカンとした顔つきで、セルヴィン青年とオーラン青年が佇んでいた。女占い屋ティーナの、歯に衣着せぬ占断を、耳に詰め込んでいたのは明らかだ。
「お嬢さん、頑張って生き延びたんだねえ。生存証明《七つの白羽》くっつけてるのが見えるよ、肝心の現物は行方不明みたいだけど。提案が有るんだけどね、聞くかい?」
女占い屋ティーナは何かを思案しているかのように、手を顎あごに当てながら、アルジーを直視していた。
「何かがあるなら、ぜひ」
「ちょいと留置場を訪問して、ワリドの事情聴取、傍聴してみるのはどうだい? ろくな内容でも大した内容でも無い――うまく行かなかった夫婦には割とありがち――だけど。
今まで、そういうのを見聞きする状況に無かったせいで、世間に暗いところあるね、お嬢さんは。訳が分からないことばかりで、グルグルしてるところだろう」
「傍聴できるんですか?」
「たまたまだけど、亀甲提灯持ち《亀使い》ゼインが、あたしと同郷の同輩でね。彼は東帝城砦の神殿衛兵にも顔が利くから」
――それは納得できるところだ。
実際、しがない・オッサン風《亀使い》ゼインは、あの生真面目で優秀そうな神殿調査官と、親しく話し合っていた……
*****
頑丈な鉄格子に封じられた風の、神殿付属の留置場。
折よく、と言うべきか。折あしく、と言うべきか……
それなりの修羅場になっていた。
新しい人物が、無理難題と共に、押しかけて来ていたのである。
廊下じゅうに響きわたる、苛立ちの大声。
「カネ! カネ払えよ! あたし妊娠したんだよ!」
「知らねえ! お前が勝手に妊娠したんじゃねえか!」
「オジサンが避妊しなかったせいだわよ、酒ガバガバ飲んでさ! ちょっと待って、と言っても聞かないで、ドタドタ襲って来てさ!」
「パパ活なんちゃら売春アバズレの言う事など信用できるかよ、とっとと死ね!」
「アバズレは、そっちだよ、オジサン! 妻も子も居たなんて一言も言ってなかったじゃないか! 嘘つきやがって!」
「俺は浮気はしてねえ! オレに妻は居ねえ!」
「この嘘つきサイテー野郎! 今度は、妻が居ないふりかよ! 今朝のプロポーズ、あたし本気で検討してたってのにさ!」
*****
神殿衛兵の若者が、留置場へ続く廊下を警備していた。神殿衛兵の若者は、セルヴィン青年やオーラン青年と、ほぼほぼ同年齢だが……げっそりと呆れ返っているあまり、中年のように疲れた顔である。
げっそりとした顔の若い神殿衛兵に目礼をして、女占い屋ティーナが留置場の建物の中へ入って行った。
かねてから、亀甲提灯持ち《亀使い》ゼインを通じて、話がついていたらしい。
つづく、アルジーとミリカ。
そして護衛といった体で、セルヴィン青年とオーラン青年。
*****
失業衛兵ワリドが放り込まれた区画の鉄格子の前で、下世話な口論と、事情聴取がつづいていた。
「いったん、そこまで」
「元・衛兵ワリド氏と、『パパ活』いや失礼、兄からの性暴力に耐えかねて家出して風俗で稼いでるラシンダ嬢は、先刻の供述どおり、
場末の酒場で意気投合して以来、一夫一妻の結婚を前提として同棲していたとの理解で間違いないな」
「あたし、これでも、ハーレム習慣の無い部族の出身だよ。結婚する時は、一夫一妻と決めてんだよ。
多妻はべらせの嘘つきクズ男なんか、価値あるのは持って来てくれるカネだけだよ、カネ!」
「このアバズレ! オレの他にも、俺が居ない時に、10人や20人のヤロウ相手にしてたんだろう! ハーレム習慣の無い部族出身って言ってたから、
浮気女スージアなんかよりも、オレひと筋に違いないと、オレは信じてたんだぞ!」
「サイテー! やっぱ妻が、いたじゃないか!」
「妻は居ない!」
「誠実と苦労と健気の自画自賛は、あとでやれ。本筋に戻ろう」
手頃な段差にドッカリと腰掛けて尋問をしているのは、お互いイイ年の中年男2人だ。しがない・オッサン風《亀使い》ゼインと、生真面目な神殿調査官。
*****
酔っ払い中年ワリドや、家出『パパ活』娘ラシンダのほうからは死角になるポイントで……女占い屋ティーナは、テキパキと立ち止まっていた。
「噂の『パパ活』少女が居るね。ラシンダ。アレはアレで、男も女も食い物にするヤクザ娘ではあるよ。今まで、お涙頂戴で、どんだけカネをむしり取ったんだか。たくましい」
「分かるものなの?」
「ヤクザ娘の手を見りゃ分かるさ。ありゃ苦労も労働もしてない、怠け者の手だよ。んー、いわくありげな刺青(タトゥー)があるね。
あとで、黒幕がどこなのか探りを入れてみるか。案外、重大な、ナニカを掘り当てそうな気がするよ」
――成る程、自称・家出娘ラシンダの手は、きらびやかで高価なマニキュアが施されている。
左右の手の甲に彫り込まれている刺青(タトゥー)は、どこかで見たような気がする。民族の風習のものに見えるが、妙に暗い黄金にぎらついているようだ……不自然なまでに「見事すぎる」意匠。
注意してみれば、高級ブランド化粧品で飾り立てていると判る。爪の形も、とことん気取った風。質素を装った長衣(カフタン)ではあるが、チラリと見えるサッシュベルトは唖然とするほど贅沢な品物だ。
……ふと、気づくと。
傭兵の姿をしたセルヴィン青年の視線が、アルジーの手先をなぞっている様子だ。
何故か訳も無く、ドキリとする。
なにかが困った状況になったような、不思議な気持ち。
――別になにも困るような状況では無い筈なのだが、急に気になった理由は、自分でも分からない。
肩先でフワモチしている相棒の白文鳥パルも、奇妙に……素知らぬ顔をしている風だ。
――わずか2年間だったとはいえ、集中的に民間の代筆屋の仕事をして来た。
骨と皮ばかりの手には、洗っても取れない各種インクがこびりついている。手入れを兼ねて、しょっちゅう石鹸で手を洗っていたせいで、それなりに皮膚はガサガサ。
いきなり裏路地での生活がスタートして、みずから炊事・掃除・洗濯もして来た……
…………
……
アルジーが訳も無くアワアワしているうちに。
しがない・オッサン《亀使い》ゼインと、生真面目な神殿調査官は、素晴らしい凸凹コンビでもって、失業衛兵ワリドの『自分語り』を引き出していた。
失業衛兵ワリドは、声高に、自説を披露しているところだ。
「オレの妻は! オレの為だけに居るんだ! 一点の曇りもない無償の愛を捧げ、奉仕するものなんだ! でないとオレの価値が減るってもんじゃないか、
ああ! オレの為なら、すべてを投げうつ! それでこそ、オレの妻ってもんだ!」
「それこそ、どれだけ殴られても、ワリド様のためなら、どんな犠牲も惜しくは無い。ほどに熱愛を。か」
しがない・オッサン《亀使い》ゼインが、ボンヤリとした口調で、ボヤくように折り返す。
「どれだけ殴っても殴っても、ニッコリ笑って身体を差し出してくれないと、オレのほうが辛いんだよ! それが、もっとも価値のある男であることの証なんだからな! 何度でも、
オレの為に証明してくれなきゃな、オレの女ならな! 俺がチョイチョイッと抱けば、いつでも女はコロッと参るもんだ、カネも命も捧げてくるもんだ、そういうもんだろ、そうとも!」
「あのな。男の力で思いっきりボコボコ殴ったら、普通、女は死ぬぞ。あんたのスージア奥さんのように」
「オレは無実だ! あんなの、ちょっとだけ、お仕置きしただけじゃねえか! 離縁だって《名誉の殺人》だって、妻の貞淑ぶりをテストしただけに過ぎないんだからな! スージアは、
オレを捨てたんだ! あんなの妻失格だ! 最低の妻だった!」
多少ながらでも意味のあるような言葉は、そこまでだった。
「嘘まみれ妻殺しのクズ」
風俗『パパ活』にいそしむ少女ラシンダが、すさまじい侮蔑の調子でもって、せせら笑った。
「自尊心も世間体とやらも何もかも、ドロドロに依存してたんだ。『戦利品としてさらって来た、敗戦国の出身の奴隷でしかねぇ』とかいう、番外の妻とやらに。
持ってくるカネまでも、奴隷だか妻だかから、出してもらってた。ざまぁ。底なし底まで堕ちてろ。男どころか、シバンムシにも劣るクズ。タカリ無責任ケチンボ金欠ゴミ」
ポカンとする《亀使い》ゼインと神殿調査官を差し置いて、『パパ活』少女ラシンダは高笑いしながら、留置場をサッサと出て行ったのだった。
そして、ワリドは屈辱と激怒にまみれて、絶叫した。
「あのアバズレを殺せ! バラバラにして下水道へ放り捨てろ! シバンムシとは何だよ、何だ!」
「今朝、ベッドの中で『真実の愛』に目覚めた運命の恋人の男女であったと報告を受けてるし、『唯一の妻として愛する』とベッドの中で宣言した、とも聞いているが、たいした誠実・夫だな」
しがない・オッサン《亀使い》ゼインは、やれやれとばかりに伸びをして……コキコキと肩をほぐした。
この世の全ての悩みと絶望を背負ったかのように、生真面目な神殿調査官は、ガックリとなり……大袈裟なまでに、溜息をつく。
「ただでさえ哀れな男に、あのように残忍に振る舞えるとは。女はすべて悪女である。納得するところであるぞ。本官は」
「亡きスージア夫人は違うんじゃないかな、調査官どの」
「そうとも。母親は、女じゃない」
生真面目な神殿調査官は、顎(あご)をコリコリとやりながら、ワリド氏を眺めた。
「シバンムシを知らない父親が実在したとは驚きだ。スージア夫人には体調が悪い時もあっただろうが。
ホントに何もしてなかったんだな、夫婦生活というものを。出産にすら立ち会わなかったんだろう。徹底的に放置で。
シバンムシは、月をまたいで保存中の穀類や香辛料なんかに沸く虫の定番だ。普通に家庭生活をしてたなら、毎度で見かけた筈だ」
つづいて、しがない・オッサン《亀使い》ゼインが補足する。
「台所や倉庫についた《精霊亀》が、シバンムシ駆除をやってる。おもに育ち盛りの幼体が。それにしても、こんな一般常識を、既婚の成人男性に解説するとは想定外。
亡き香辛料屋ハムザ老は、仕事の延長でシバンムシ研究もやってて、《精霊亀》幼体がコッソリ駆除してたと報告してくれてな。地誌編纂所のほうから教えを乞うほど、とても詳しかった。
寺子屋の教育に、家庭科も含めておくよう進言しておこう」
「せ、《精霊亀》が駆除……なんか《精霊亀》が居たような……あれが?」
「聞けば、《精霊亀》の仕事を『間男やらかし』と認識したとか? スージア夫人が懸命に整えていた自宅は、娼館ハシゴのついでの、
タダでヤれる、カネも奪い取れる、都合の良い風俗宿でしか無かったらしいな。精霊界のほうで、スージア夫人の不貞は皆無、かつ、ヤジド坊やは確かにワリド氏の直系だったという証は出ているが」
「グダグダ言うな! 手前、英雄の誇りと自覚は無いのかよ! ああ無いんだろうな『英雄は色を好む』べきだが、神官だの《精霊使い》だのは、身を慎んで、何とか、かんとか」
しばし、沈黙が漂った。
そして。
生真面目な神殿調査官が、ポツリと呟くように、質問を投げた。
「ヤジド坊やの誕生日、言えるか?」
……
…………
鉄格子のなかからは、回答は無かった。
――我が子の誕生日にすら、無関心で、知らなかったという事実を証している。ヤジド坊やの誕生日祝いも、買って来ていなかったのだ、という事実も。
ただ、最初から、「敗戦国からさらって来た奴隷妻に過ぎず、性奴隷でしかない」と認識していたのなら。
実態が、人身売買ビジネス、ないし売春、強盗殺人などに付き物の、劣情に基づく暴力的破壊と隷属の関係であったのなら。
――暴力を基礎とする弱肉強食の関係には、愛は存在しない。
男・女にかかわらず、どちらが絶対的勝者となれるか――勝者として、弱者から、どこまで貪欲に収奪しきれるか――その単純明快な「100対0」だけが、正義。
結婚とは名ばかりの――「お互い様」ということの無い――それが、自然な結果であるのには……違いない。
そして。
いつしか、外は、夜のとばりが降りていた。
*****
老ハムザ氏の遺体と共に、埋葬の前の最後の夜を過ごす老ハムザ夫人と、それに付き添うギヴ爺(じい)。
あわせて匿名埋葬されることになっているスージア夫人の遺体については、匿名という形で――ギヴ爺(じい)の助手として――もっとも近い親族のイェシル・ジーナ夫妻と、ヤジド坊やが、共に夜を過ごす形である。
集会所の前で挨拶を済ませ、アルジーやミリカを含む近隣の人々は、各々引き払っていった。40代ふくよか女占い屋ティーナも、急ぎの用件があるということで、先に退出している。
主だった調査官といった人々も、それぞれの所用があり……アルジーとミリカの帰路については、セルヴィン青年とオーラン青年が護衛である……
…………
……
聖火神殿が属する目抜き通りの市場(バザール)の街区。
晴れわたった夜空の中、下弦のさなかの銀月が、ようやく顔を出したところだ。ゆっくりと天上を目指している。
通りに沿って、ハチミツ色をした夜間照明がズラリと灯っていた。
「亀甲提灯もち《亀使い》ゼイン殿の驚きの情報網によれば、昔のワリド氏は、やはり戦利品としてスージア夫人を得た形だったそうだ。
敗戦国の女子供に対する、よくある『非同意の内容』経由で、たいていは人身売買ビジネスや売春ビジネス商品として奴隷市場へ売り払われる。
スージア夫人はワリド氏の息子ヤジドを出産したことで、最低限の体裁を得た形だ」
オーラン青年が、赤茶の迷彩ターバンを神経質に整えつつ、ブツブツと呟いている。
「昔のワリド氏は、衛兵稼業の関係で、男同士の酒盛りだの、夜の見回りを口実にした娼館ハシゴだのに熱心で、家庭に無関心だった。
というよりは、さらって来た奴隷妻を世話するつもりは無く、ヤジドは単なる結果に過ぎず、タダで身体だけ楽しむという風だったらしい」
「似た話が、帝国の皇族ハーレムにもあるな」
セルヴィン青年のコメントが、ボソッと差し込まれた。
チラリとその方向へ、アルジーは視線をやった。セルヴィン青年には、意外に背丈があって、ビックリする。
皇族が遺伝的に引き継ぐらしいダークブロンド髪。夜空の下、それは一般的な茶髪に紛れて目立たなくなっていて……その下に見える青年の顔は、微妙な表情を浮かべていた。
相棒《火の精霊》の気配が近くに感じられるが、あの《火吹きネコマタ》の姿は出現していない。静かにしている状態と見える。
アルジーは無言で傾聴するのみだ。
10年前の時空で聞いて来たから、何となく察するところはある。
皇室において番外皇子のひとりであるセルヴィン青年の出生事情は、相当にややこしいのだ。いまでも、きっと、そういう扱い――そういう状況に違いない。
オーラン青年が、ひとつ頷き。言葉を継いだ。
「スージア夫人は、市場(バザール)の雑務を手伝ったり、そうして得た手取りを株投資に回したりして、自力で稼がなければならなかったが、平穏ではあった。
しかし、ワリド氏が、怪物教団の賭博や大麻(ハシシ)にハマって素行が悪くなって、カネを無心するようになってからは……」
元・遊女ミリカが、どこか悟ったような口調で、ぼやき始めた。
「賭博や大麻(ハシシ)は、カネと一緒になって、際限なく人間性を破壊するわね。娼館でも散々見て来たわよ。あのパパ活ちゃんも、手の甲に物騒な刺青(タトゥー)があったし、意外に、
どこかの賭博ビジネスの手先だったりするかも。あのスッゴイ脅迫、フツーの人は――遊女仲間も――ちょっと思いつかないわね」
珍しく、ミリカの問わず語りはつづいた……
「そもそも男女の愛というのは、成人した後の、人間性の、たゆまぬ成長と努力の産物。単純に『好き好き』いうのとは違う。
ワリド氏が叫んだ『こよなく愛してた』は……肉食ガツガツ少女からも『要らない』と言われるような、幼稚なまま腐敗したナニカだった。薄ぎたなくて、みじめな、獣的本能の残骸でしか無かった。
香辛料屋ハムザ夫妻が平凡に成し遂げた恋愛のほうが、世界じゅうの黄金よりも価値が有るわよ。人類というものに絶望しなくて良いのかも知れない、と思えるから」
オーラン青年が漆黒の目をパチクリさせて……ビックリしたように、ミリカを眺めていた。意外に、真剣な眼差しで。
「やだね、ロシャナク姉御の受け売りだよ」
カラカラと笑う、ミリカであった。
*****
他愛もない雑談を重ねているうちに、古物商が並ぶ市場(バザール)の小路を横切る一行。
中堅層の古物商の店が軒を連ねる小路である。
聖火神殿が相手にするような取引先では無いが、市井ないしは野良の研究者が出入りしている雰囲気だ。
ほかの街路と同じように、ハチミツ色をした夜間照明が並んでいるが……その夜間照明は各々、店ごとの趣向を凝らした独創的な細工物になっている。
船を模したランプ、縁起物の獅子や象を模したランプ、果ては酒瓶・薬瓶モチーフまで。
そして、やはり独創的な風体の「身なりに気が向いていない」愉快なオタク長衣(カフタン)姿が、チョコチョコ動いている。
目という目がぎらついていたが、その輝きは、大自然と宇宙の節理の謎に対する、熱い知的好奇心から来るものだ。
ミリカが俄然、狩猟者の顔になって……古物商の店頭に並んでいる不思議な品々を吟味しはじめる。
「なんか良さげな製薬道具が並んでそうな気がするわよ。少し時間ちょうだい」
「了解。そっちに夕食の屋台あるから、ちょっとツマミでも」
程なくして古物商が見込み客に気付いた様子だ。
にこやかな顔をして、店内から出て来る。その辺で見かけるような、ちょいとコダワリ趣味人オッサン。染色ターバン布には、染色素材への知識と、おしゃれ心を感じる。
――にこやかな顔をしているが、取り扱うブツがブツだけに、なかなか手ごわい商売人の雰囲気。胸元には、しっかり、魔除けのためのエスニックな首飾りが、ジャラジャラと連なっていた。
「お嬢さん、なにやら、製薬道具を探しておいでとか? 察するに、調剤用の天秤や、薬研(やげん)、薬剤庫といった一式でしょうかね」
「驚いた。店主さん、耳が鋭いんだね」
「これも商売でございます。うふ」
ちょいとコダワリ趣味人オッサン古物商は、ミリカをザッと観察して、「ふむ」と感心したような様子になった。目をキラーンと光らせ。
「腕に覚えアリでございますな。しかも、コッソリ大麻(ハシシ)を栽培して云々、という目的は無し、と」
「どこで区別つけるのさ?」
さすがにミリカも、口を引きつらせていた。
「この商売をしておりますとね、蛇(ジャ)の道は蛇(ヘビ)でございまして。最近『よろしくない筋の嬢』が出入りしたのでね、目下、同業仲間あげて警戒中なのです」
古物商は、定番の商売ボヤキをしながらも、手際よく、店頭の品を並べなおしていた。
「ふうん。『よろしくない筋の嬢』って刺青(タトゥー)娘が定番だけど、両手の甲に刺青(タトゥー)あったりして? 先刻、聖火神殿で修羅場やってた『パパ活』嬢ラシンダ、とか……」
古物商はカッと目を見開き、振り向いて……仰天していた。その拍子に、コダワリ趣味風な長衣(カフタン)の裾が、派手に広がった。
オーラン青年とセルヴィン青年も、その反応に「おやおや」という雰囲気。
「図星だったか?」
「ラシンダ本人? 彼女も何故か、製薬道具を買い求めているということか?」
古物商は、緊張した時の金融商オッサンのように、冷や汗をダラダラと流しはじめた。手持ちのハンカチで、そっと額をぬぐいつつ……
「大型の製薬道具を注文してまして。そこに店を出してる同業仲間に。砂糖の精製などという目的理由でしたが、大麻(ハシシ)対応も可能なことで名のあるブツ。
この種の取引は、帝都の大聖火神殿と司法局の証書を取ってからでないと不可能。しかも、若い娘が、当局を買収できるほどの大金を用意したことも怪異。
ヤバい所と接触しているのではと、同業仲間で警戒を」
アルジーは無意識のうちに、あごに手を当てて考え込むポーズになっていた。
「ラシンダが持っていた大金のなかに、ワリド氏から巻き上げた『パパ活』マネーも当然、含まれていたとすると……」
「どっかに、マネロンやってる、賭博や大麻(ハシシ)ビジネスにも手を出してる、フザケタ金融商だか、ヤミ業者だかが居そうだわね。
ワリド氏も賭博だの風俗だのでカネ巻き上げられて、それで回り回って復職できないまま、最後は鉄格子のなか……」
「カネの使い道を間違えると、ホント悲惨」
古物商はフーと息をつきながらも、コクコクと頷いて同意している有り様。
「同業者仲間でも同じ見立てですが、可能性だけでは通報できないのが、難しいところでございます。
手前どもにも商売がございますからね。暴力団に因縁つけられて、店や商品を破壊されるのは困るので。まして衛兵も足りないし」
そうしているうちに、何やら似たような雰囲気の、オタクな商人がやってきた。
「なにか、問い詰められてっか? ご同輩」
「いやいや大丈夫ですよ。あ、そうだ。この間、例の『よろしくない筋の嬢』の注文、どうしたんだっけ」
「カネの威力」
げっそりした風の、オタク商人。
「いちおう試用期間を設けて貸し出した。もともと火薬製造も可能なブツだから、念のため防火区域の貸工場に付けてある。神殿の爆発実験の試験場もあるから、防火・防爆のほどは折り紙付き。
定番の《防火の御札》《見張り御札》完備だけど、相手が手練れの《邪霊使い》をそろえていた場合は、なぁ」
*****
防火区域は、一見して、簡素な厩舎がポツン・ポツンと建築されているような印象のあるエリアだ。
市場(バザール)のなかにあって、珍しく、ほぼほぼ無人の区画である。
仕切りを兼ねてか、空間の有効活用を兼ねてか、建築の際に出た残土といったものが、あちらこちらに、どっさりと積んであった。
にわか調査員となったアルジー、ミリカに、セルヴィン青年、オーラン青年も付き添う形だ。状況を見て取るべく、ざっと観察をはじめる。
残土の一部は、オアシス周りの土砂によく似ている。
しかも、葡萄の木の根と思しき欠片が、含まれている。
――まばゆい銀髪ナイスバディの偽アリージュ姫がやらかしていた謎の不正工事――の際に出ていた、残土かも知れない。
元・民間の代筆屋アルジー、すなわち本物のアリージュ姫は、思わず、苛立ち交じりのボヤキをこぼした。
「御曹司トルジンが欲をかいて、不法の数々に手を出したりしなければ」
近くに居たセルヴィン青年が、気付いて、振り返って来る。
その琥珀色と金色を揺らぐ不思議な色合いをした目には、生真面目な表情。
いつの間にか、セルヴィン青年の相棒のちっちゃな《火の精霊》火吹きネコマタが、肩先でチョロチョロしていて……何故か、同じように生真面目なネコの目線を寄越して来ていた。
10年前は、火吹きネコマタは少年の肩先で窮屈そうにしていることもあったような気がするから、少しドキッとするところだ。
「――いまは、トルジンから『名誉の殺人』宣告されているところだと記憶してるけど。離縁・絶縁も」
「? それはそうだね」
「もしトルジンから『復縁してやる』と言われたら、アリージュ姫としては、どうする?」
「正直もうコリゴリではあるわね」
ふうっと息をつくアルジーであった。積年の恨みつらみが、溜息となって出て来るのは、致し方ないところ。
「私が《婚礼の儀》に同意しなきゃならなかったのも『いう事を聞かないと、オババ殿も、シュクラ王国の民も皆殺しにするぞ』という通達があったからだし。
まだ七歳だったし変な病気で寝込んでたから、私が何に同意してたのかも、あの時は意味が判ってなかったわよ」
ボヤいていると、アルジーは不意に、夜間照明の少なすぎる防火区域の夜闇の中で、つまづいた。
足元に、なにか石塊のように固いものが横たわっている。
「ほえぇ!」
物理的な身体は、本当に不便だ――
――次の一瞬、アルジーの身体は、空中で一時停止していた。
ハタと気付くと。
アルジーは絶句したまま、セルヴィン青年に支えられている格好だった。
なるほど空中で一時停止したまま、安定している筈だ。
異国の恋愛ロマンス物語のなかで妄想するような、乙女チックな体勢・状況だけに落ち着かず……ギョッとした後、ソワソワしてしまう。
はずみで飛び出した、ちっちゃな《火の精霊》火吹きネコマタ。
チョロリと石塊に近づき「ニャー」と鳴いた。
『何で此処に居るのニャ、栄養失調の《精霊亀》が?』
…………
……
「栄養失調の《精霊亀》……?」
セルヴィン青年が金色の目をパチクリさせて、火吹きネコマタの指摘を、オウム返しに繰り返していた。
アルジーのほうは、ジタバタするのみだ。
「と、とりあえず地面へ降ろして……」
「それは止(よ)したほうが良いわよ、アルジー。呪いの腕輪(ブレスレット)が不気味に光ってるよ」
シュバッと指差すミリカ。オーラン青年もギョッとした顔になる。
セルヴィン青年もアルジーも、そろって、パキッと硬直して……
そして……
話題の、アルジーすなわちシュクラ王女アリージュ姫の、左手首を注目する。
アルジーの長衣(カフタン)の袖を透かして、暗い黄金色の光が漏れ出ていた。
地面との距離が近づくたびに、その怪異な光量が、あからさまに増える。
オーラン青年が警戒に目を細くして、いわくありげな……地上の《精霊亀》とおぼしき石塊を観察しはじめた。
若干、小さめの個体サイズ。両手の平を合わせたくらいか。
「亀甲の模様をした石……《精霊亀》だというのか、これが?」
ちっちゃな《火の精霊》火吹きネコマタが、クルクル回りながら、フンフンと嗅いでいる。意味深に「ピピン」と揺れる、ネコヒゲ。
『我が10年前にそうだったように、異常な栄養失調で、甲羅キラキラ螺鈿が弱まってるニャ。話せるかニャ、同士?』
『***……、**……』
亀甲模様をした石塊が《精霊語》らしきものを発したが、あまりにも微小。人類としては高度に訓練されているアルジーの感覚でも、よく判らない。
だが、いきなり。
――ビョン!
ちっちゃな手乗りサイズの火吹きネコマタが、人類の背丈よりも高く飛び上がり。パパパンと真紅の火花を散らした。
つづいて白文鳥パルが、そこらじゅうに純白の鳥の羽根を散らして飛び回り。
普段は風と同化している白タカ《精霊鳥》シャールまでが実体化して……いきなり残土の山から躍り上がって来た邪霊害獣《三つ首ネズミ》を仕留めた。
「な、なに?」
『結界に入れるニャ! ここ邪霊の結界ホットスポット! ニャン!』
次の瞬間――暗い黄金色の、怪異な蜘蛛の巣のような――邪霊の《魔導陣》と思しきものが立ち上がった。
アルジーにとっては、忘れようとしても忘れられない、かの忌まわしき異形のブツ。
「邪霊の三ツ首の大麻(ハシシ)……!?」
怪異な黄金色の蜘蛛の巣のようなモノは、揺らめいて……アルジーを生贄と理解しているかのように、アルジーへ向かって触手の形を投げる。
火吹きネコマタが「シャー!」と威嚇しつつ、2本のネコ尾から盛大な火花を散らした。
高位の《火の精霊》ならではの威力ある退魔調伏の火花と、忌まわしき暗い黄金色の触手とが衝突して、激しく揉み合う。
傍目には、盛大に火花が散って突風が舞ったような光景。
副産物としての煙幕も、驚くくらい大量だ。
皆でギョッとしつつ、最寄りの残土の後ろへと回る。
怪異な黄金の蜘蛛の巣は、火花に焼かれ、煙に阻まれながらも、不気味にうねっていた。
ひとつ先の残土の山――の向こう側の、簡易型の工場とおぼしき建築物から、なんとなく見覚えのある人影。
聞き覚えのある、剣呑な怒鳴り声。
手に、ぎらつく刃物。その刃物の形は……異国風の、何処かで見たような、大型ククリ包丁のような……
「ウッフゥゥン、コソコソしやがって、煙の、ウフッフフフン、侵入者か!」
果たして。
ククリ包丁に近い異国風の三日月刀(シャムシール)を振り回しているのは、あの、元・宮殿のウフン衛兵団長クッサイだ。
怪異な煙から湧いて来た、定番の小型の邪霊害獣《三つ首ネズミ》《三つ首コウモリ》を斬って捨てている。
素人目にも明らかに見て取れる、陳腐な腕前。
だが、刃の切れ味が上々。その切れ味のお蔭で、ウフン団長クッサイは助かっているようなものだ。
「あの香辛料屋のジジイが死んだとか言う夜、ワシは此処で、邪霊害獣どもを駆除してたんじゃ宮殿の衛兵団長としての任務でな、フフフン! 目にもの見さらせフフン! 英雄バッタバッタじゃ!」
――明らかに、かのヒゲ面(づら)は、真実を語っていると見える。
「あの夜……香辛料屋ハムザ老が殺害された夜のことか」
「クッサイ氏は、老ハムザ殺害事件についてはシロか……」
半分ほどは予期していたとはいえ……順番に驚きを述べる、セルヴィン青年とオーラン青年であった。
あとからあとから沸いて来る邪霊害獣の勢いは止まっていた。
だが、怪異な黄金の煙は、その暗さと輝きを増した。
『来るニャ!』
ちっちゃな火吹きネコマタが『カッ!』と目を見開く。
その2本のネコ尾の先で、退魔調伏の火花が再び散った。
禍々しい黄金の《魔導陣》が、大いなる炎の形をして大地に燃えあがる。それは着実に、大地を引き裂いて拡大していた。
なんとも言いようのない異様な地響き。
忌まわしき怪獣の、ひそやかな、ひそやかな、重低音の、ささやきのような……
さすがに、ウフン団長クッサイも異変に気付いた様子。怪異の中心を、振り返る。
……おおぉおおぉ……!
……ぐおぉおお……!
……おぉおぉ……!
暗い黄金色をした悪夢が、現実となって立ち上がった。
――大型の三つ首《人食鬼(グール)》、3体。
巨大化した場合ほどの体格は無いが、それでも充分以上に脅威。
ウフン団長クッサイ氏は、叫び声を上げる手間もかけぬまま、脱兎のごとく、沈黙の逃走を成し遂げた。
間近に『死の恐怖』を見た人間としては正しい対応だ。宮殿の衛兵団長としては、完全なる職務放棄にして敵前逃亡であるけれど。
「逃げなきゃ」
きわめて正しい行動方針を、ミリカが呟く。
一方で、非常に異例な事象が立ち上がっているのを、無視することは出来なかった。
ケサランパサラン――無害な邪霊にして謎の精霊――多数が、不意に出現しているのだ。
四色モコモコ毛玉が、暗い黄金色をした《人食鬼(グール)》3体を取り巻く空間の一帯で、ホタルのように幻想的に点滅している。満月の夜でも無いのに。
アルジーは真っ青になったまま、動けなかった。
大型の三つ首《人食鬼(グール)》。
人類では有り得ないほどの首回りの太さ。三つ首を支えるための強大な筋骨ゆえだ。
ガチムチとうごめく怪異な球体とも見える、それぞれの頭部に……それぞれ、ひとつずつの、炎のように赤々と燃える――これまた不気味に大きな邪眼。
いやに三日月刀(シャムシール)に似た9本のカギ爪が、巨大熊を思わせる恐ろしい異形の指先から、飛び出している。
注目すべきは、そのバカでかい怪物の、手の甲に……刺青(タトゥー)よろしく刻まれた、おそろいの《精霊文字》だ。
『王の中の王ジャバへ献上するや。トルジン第13室《婚礼の儀》。条項継続のうえ』
――なにを意図しているものなのかは、「あちら側」事情に詳しくない人類には、判らないが。
御曹司トルジンとアリージュ姫の、離婚の手続きに際して派遣された、邪霊の側の立会人ないし目撃証人なのだろうと知れる。言い方は奇妙だが。
アルジーの相棒《精霊鳥》白文鳥パルが珍しく「キロロ!」と怒り出した。
『カムザング派閥の「特定やらかし」もカスむ、いじきたない手続き、ピッ』
『さだめし例の、謎の黒装束「宝冠魔導士」の入れ知恵ニャネ』
高速《精霊語》が終わらないうちに、大型の三つ首《人食鬼(グール)》3体が、何者かに指示されたかのように――アルジーの方向へと向き直って来た。
白タカ《精霊鳥》シャールが、電光石火で牽制を仕掛けた。
純白に輝く《風の精霊》軌跡が空中に掛かった通行止め用ロープのように広がり、三つ首《人食鬼(グール)》が、苛立ちのようなブツブツ騒音を洩らす。
――どうやって倒せば……?
アルジーは焦りのままに、サッシュベルトの間や袖の中を探った。なにか、退魔調伏のためのオマジナイ道具は……
――無い。
紅白の退魔調伏の御札はこれから作成する予定だった。在庫は無いのだ。筆も、インクも、種類が揃っていない。筆箱も。御札の在庫と仕事道具をまとめて運ぶための、かつてのような丈夫な荷物袋も無い!
老ハムザ氏とスージア夫人の通夜のための、ささやかなお供え物を包んでいた風呂敷。
いまやその風呂敷の中身は、ハンカチや鼻紙といったエチケット小物と、替えのターバン兼ベール布と、若干の筆記道具、財布だけだ!
「そのまま結界の中で待機してて」
セルヴィン青年の、鋭く低い声が、耳の中に飛び込んで来た。同時に、その場に降ろされて、アルジーの足が地面につく。
ポカンとして、セルヴィン青年を見上げるアルジー。
訳知り顔をしたミリカが、ガシッとアルジーの腕をつかんだ。傍にあった適当な石積みを防壁と見立てて、アルジーを引きずり込む。すでにオーラン青年から、そういった指示を受けていたらしい。
当座の防壁とする石積みを見れば、爆発実験の試験場の定番の、防火・防爆の仕立てだ。
仕上げに、要所・要所に《防火の御札》《見張り御札》を貼り付けてある。すでに《火の精霊》が活性化していて、真紅に輝いている状態だ。
その辺のどこにでも居る傭兵の姿をした2人の青年は、想像以上に息の合った、強力なコンビであった。
どちらが先に三日月刀(シャムシール)を抜いたのか判らない。
大自然の疾風迅雷であるかのように……退魔紋様の真紅の閃光が走った。
――大型ないし巨大化《人食鬼(グール)》打倒の戦闘力を持つ人材ともなると、身体能力の鍛え方が違う。
次の瞬間には。
第1歩を踏み出しかけていた三つ首《人食鬼(グール)》1体が、真紅に輝く「ネコミミ型」火柱を立てて、姿形を崩壊させはじめていた。
その三つ首《人食鬼(グール)》1体目は、複数の急所への集中斬撃のうえに、高位の《火の精霊》火吹きネコマタに、退魔調伏の炎を付けられている状態。
「い、いつ、斬ったんだっけ?」
「そんなの素人に判るわけ無いでしょ、アルジー、あ、手首」
目ざとく、ミリカは、アルジーに取り付いている不気味な呪物の変化を見て取っていた。
促されて見るなり……息を呑むアルジー。
音も無く、その暗い黄金色をした腕輪(ブレスレット)の一部が、ひび割れていた。
目の前では、今まさに、セルヴィン青年とオーラン青年の三日月刀(シャムシール)によってとどめを刺された黄金色の巨人が、断末魔の踊りを始めている。
その大型《人食鬼(グール)》の周りで、《邪霊の大麻(ハシシ)》由来と思しき魔導陣が、光背のように燃えていた。
不気味にねじれた異形の枝葉のような物が、断末魔の踊りと共にグルグル回っていて、逆に大型《人食鬼(グール)》に接近できない。
残り《人食鬼(グール)》2体が早くも奇襲に出て、胴体にガバァと開いた怪異な口から、無数の触手を出している。
いつしか近くに居た白タカ《精霊鳥》が集まって来て、《風魔法》防御を繰り出していた。触手の勢いを押し返しているところだ。火吹きネコマタによる退魔調伏《火魔法》と反応して、無数の火花が舞っている。
一方で。
アルジーの無気味な腕輪(ブレスレット)のヒビは、手首を取り巻くように、円周を描いて拡大した。三つ首《人食鬼(グール)》1体の断末魔と、同期しているかのようだ。
怪異な腕輪(ブレスレット)は、遂に、3分の1ほどの断片が、グルリと分離した。ヒビは拡大して……次に、縦方向の、ひび割れが生じた。
「分離した部分、外れるかも……?!」
「やるよ、アルジー」
ミリカが一気に、3分の1の断片の取り外しに掛かる。元・遊女なだけに、装飾品の取り扱いは巧み。
いつしか、アルジーの肩先で、相棒の白文鳥《精霊鳥》パルが、ひっきりなしにピョコピョコ跳ねている。
「いてててて」
割れた腕輪(ブレスレット)を引っこ抜こうとすると、以前よりは肉付きが回復している手首の肉が、つっかえてしまう。
「手首をちょいと回してよ、この幅いけるよ、アルジー」
ミリカが瞬時に角度を調整した。通常の腕輪(ブレスレット)――C型バングルを外す時のように、ヒビ割れで出来た空隙を、手首の最も細い部分へと押し付ける。
意外に、なめらかに……手首の細い部分が、ヒビ割れの空隙を通った。
「あ、抜けた」
思わず、アルジーとミリカとで、暗い黄金色をした不完全な輪っかを見つめる。
おおむね手首から肘(ひじ)まであった、異様に幅広の腕輪(ブレスレット)。その3分の1が、断片となって取れていた。アルジーの手首に取り付いているのは、残りの3分の2の部分。
断片を手に持っているミリカの顔色が、明らかに悪い。すぐに、その手が震え出した。
触れているだけで、説明のつかない何か――特級呪物ならではの、おぞましいナニカ――を感じるらしい。
――信じがたい事に、アルジーから完全に分離した、暗い黄金色をした怪異が、そこにある。3分の1程度の異形の断片だけど。
間を置かずして白文鳥パルが、アルジーから分離した「3分の1の呪物」へ飛び掛かった。《精霊鳥》の証である真っ白な冠羽を、勇ましく振り立てて。
薔薇色のクチバシで「ドドッ」とつつくと共に、冠羽で銀月の光が閃き……
3分の1の黄金色の断片は、見る間に錆びた鉄のような――皆既月食の月の色を思わせる――赤さとなり。
……風砂のごとく崩れていった!
異例な現象は、セルヴィン青年とオーラン青年が対峙している先の、三つ首《人食鬼(グール)》のほうでも起きていた。
断末魔を踊る《人食鬼(グール)》の暗い黄金色をした全身が、黄金色をした岩塊のように硬直して動かなくなり、ついで螺鈿のような虹色と化す。
その《人食鬼(グール)》は、全身の裂け目から白金の炎を出すや、粉々に爆散した!
2人の青年が唖然としている間に。
残り2体の《人食鬼(グール)》は、至近距離に出現した白金の炎に恐れおののき……別次元へつづくと思しき洞穴をつくって、そこへ消えていった。
おなじみの邪霊害獣《三つ首ネズミ》が神出鬼没をやらかす時に使うのと同じ、異次元の通路。
邪霊害獣《三つ首ネズミ》の、相当数の無残な死体が、その場の地面に積み上がったのが、証拠だ。強引に召喚されたうえ、理不尽にも、逃走の際の踏み台にされたのだ。
――ただ、邪霊の種族としては、偉大なる《人食鬼(グール)》様のお役に立てて光栄、というところなのかも知れない。真実は、判らないけど。
火吹きネコマタ《火の精霊》による退魔調伏の真紅の炎が、一帯を清めはじめる。
とうに、とっぷりと暮れた夜闇の中、一面に火花が広がっているかのよう。
一角に積み上がった邪霊害獣《三つ首ネズミ》死体の山も、退魔調伏の火花に包まれる。
そこらじゅうに、邪霊の要素を焼いた後の煙のにおいが広がった。通常の煙よりも金属くさい……戦塵を思わせる類(たぐい)。
――しばしの静寂。
「どうやら、しのいだらしい」
「かなり不利な状況だったから、最悪の場合も考えたんだが」
ふーっと、息をつくオーラン青年であった。
セルヴィン青年の相棒《火の精霊》火吹きネコマタが、『ニャンと!』と声を上げながら、元・邪霊ネズミ死体の山の、ほど近くへ駆け寄る。
程なくして、ちっちゃな火吹きネコマタは、なにかを口にくわえて……セルヴィン青年のもとへ戻って来た。
「なんだ? 相棒」
ちっちゃな子ネコの、持ち上げてくれ、といわんばかりの挙動に応じて。セルヴィン青年は三日月刀(シャムシール)を素早く鞘(さや)に収め、ついで手を差し伸べた。
青年の片手のひらのうえに乗った子ネコは、金色の目に驚愕の表情を浮かべていて……くわえているものをヒョイと見せる。
――銀月色をしてきらめく、水晶玉の破片のような、ナニカ。パッと見た目には、球体を6等分した後の、その一片となる幾何学的構造体。
子供の目線で見れば、6分の1カットの、透明で小さなスイカの断片だ。
「あの三つ首《人食鬼(グール)》の腹の中にあった……? にしては奇妙な品だな。ん? アリージュに見せるべき物……?」
オーラン青年が首を傾げた。精霊語については、セルヴィン青年よりは一日の長があって、意図を正確につかんでいた。
そんなところへ。
当座の後方防壁――ささやかな石積みの間から、ヒョコリと顔を出して、ミリカが声をかけた……
「おーい、《人食鬼(グール)》どこ行ったの? アルジーの例の腕輪(ブレスレット)が大変化して……大丈夫だったの? 2人とも」
■6■織り出されるは、疑惑と怪異の絨毯模様
とりいそぎ退却という形で、予定より随分と遅くなって、金融商オッサンの店へ戻った一行。
精霊の種族が、1体、増えている。
あの不気味な三つ首《人食鬼(グール)》戦の場となった防火区域の貸工場で、何故かうろついていた……謎の《精霊亀》である。
ほぼほぼ「亀甲模様の石」という姿形――精霊語も、普通には聞こえて来ない。
だが、最初に目撃した時と比べると、若干ではあるが、《精霊亀》の証である螺鈿の輝きが戻っているように見える。
*****
退魔調伏の御札による浄化が済んでいる湯で全身を清め、入れ代わり立ち代わり……色々と落ち着いたところで。
金融商オッサンの店の奥。会議室を兼ねた談話室に、一同が揃った。
真夜中をとうに過ぎている刻だが、充分な量の夜間照明ランプが、適度に手配されている。
毎度、中心的な位置の座布団(クッション)に、白ヒゲ老魔導士が、どっかりと腰を下ろした。
急遽やって来た「人類史上の最高の天才」魔導士フィーボルは、色々と聞き知ったとあって、モッサァ白ヒゲを爆発させているところ。
「まったく何ということじゃろう」
「大したトラブル吸引魔法の壺ですねえ」
「……(無言)」
帝国軍の捜査部隊のひとつを率いるクムラン隊長と、アリージュ姫の従兄すなわち隣国オリクト・カスバのオローグ大使が、2人して、天をも仰ぐ格好であった。
2人ともに別件で忙しくしていて、ようやく時間が取れたと思ったら、この有り様、という状況。
毎度、冷や汗ダラダラの金融商オッサンと……謎めいた眼差しをした無表情なシニア番頭すなわち鷹匠ユーサー。
ひとまず、アルジー、ミリカ、セルヴィン青年、オーラン青年は、神妙な態度で控えるのみである……出来の良くない後輩として。
「目下、明らかな変化事項から整理じゃな」
モッサァ白ヒゲ老魔導士は、卓上に鎮座する『水晶玉の欠片』と思しきブツを、丁重に手に取った。
――手のひらに乗るサイズの水晶玉の、6分の1の切片に見える形状。
「こいつは《白羽の水晶玉》の欠片じゃ、確かに。オッサヌフ殿、例の水晶玉を出してくれい」
「はぁ、此処に」
金融商オッサンが、天鵞絨(ビロード)の袋を、長衣(カフタン)の袖の中から取り出した。いつだったかアルジーも見た事のあるシュクラ産の品。
その中から、水晶玉の欠片――ほぼほぼ半球の状態――が出て来る。毎度ながら、見事な手品を見ているような気がする。金融商オッサンの、隠れた特技のひとつに違いない。
老魔導士フィーボルは、不思議な水晶の欠片どうしを手に取り、なめらかに組み合わせた。昔取った杵柄(きねづか)の腕前。
不思議な水晶の欠片たちは、キラリと銀月の色にきらめくや、次の瞬間には……半球に6分の1の断片が加わった、一体のブツとなっていたのだった。
「なんと、《精霊魔法》とは不思議なものですな」
その場の専門外の面々を代表して、金融商オッサンが驚きのコメントを寄せた。
老魔導士フィーボルのほうでも驚愕はあったらしく……冷静を保とうとしながらも、その荒い鼻息で、白ヒゲが「ボボン!」と膨らんでいる。
「アリージュ姫の《生贄魔導陣》3分の1の解除の結果ぞい。時を同じくして御曹司トルジンに起きた、かの奇妙な突発症状も納得じゃの」
「それは、どのようなものでございましたのでしょうか?」
「御曹司トルジンが、今夜の尋問の真っ最中に、いきなり悪性の性病のひとつを発症したんじゃ。病状を聞けば、男という男が恐怖に震えよう。
実際『性欲爆発の裸おどり』をやらかした勇者は、この100年間、カムザング皇子のみじゃった。勇者トルジンが続くまではな」
「それは……また……娼館でも、例の『性欲爆発の裸おどり』サービスは、種族存続や健康への害が大きすぎるということで封印されてるとか。
皇族相手にサービスした瞬間、『皇統断絶を企んだ』国家反乱罪を適用されて、首チョンパの筈」
同じ男とあって、金融商オッサンは恐怖の面持ちである。
「幸い感染爆発する前に、特別な処置を実施できた。巨人族に使う鎖で拘束しておいて、徹底的な荒療治を指示してある。
最悪の場合――精力増強のために邪霊契約を利用していた場合――『男の証明』3分の1を切り取って、《人食鬼(グール)》へ捧げねばならん。おそらくは、そうなるじゃろう」
老魔導士フィーボルの、「歯に衣(きぬ)着(き)せぬ」恐怖の解説はつづいた。
「そして、精霊契約と邪霊契約は、作用と反作用の関係にあるのじゃ。《白羽の水晶玉》がアリージュ姫にかかわる精霊契約の結晶である以上、
この3分の1の呪物の解除で生じた作用と反作用の結果は、当然、もっとも近い関係すなわち、契約上の夫トルジンへ返る。実に実に不愉快な事実じゃが、トルジンが邪霊契約に手を染めたのは確実じゃな」
いつしか、卓上の魔法のランプでネコミミ炎となっていた《火の精霊》――セルヴィン青年の相棒――が、感心したようにパチリと火花を散らした。
『ほぼほぼ、その理解で正解ニャ。さすが人類史上の最高の頭脳ニャネ』
一方で。
無口なシニア番頭すなわち、ごま塩頭をしたベテラン鷹匠ユーサーは、「亀甲模様をした石」を手に取り、注意深く観察していた。
しげしげと観察して……そして。
「老魔導士どの。この個体、地誌編纂所から失踪した《精霊亀》の可能性がございます」
「なんじゃと?」
老魔導士と一緒に、もの慣れた風のオローグ大使とクムラン隊長も、無言で息を呑んでいる。
金融商オッサンが興味深そうに、番頭の手の平の「亀甲模様をした石」に目をやり、「オッ」と声を上げた。
「葉っぱが付いていますな。これは、ハーブの葉ですね」
クムラン隊長が身を乗り出し、当然の疑問を口にする。
「ちょっと待てよ。それは香辛料屋ハムザ氏の水耕ハーブ栽培施設の葉っぱ、なのか? 定番ハーブは、そこらじゅうにある」
「まず、前提として。ここ東帝城砦の《精霊亀》個体数は、ほぼほぼ、各区画の《亀使い》運営の地誌編纂所によって把握され、定期的に聖火神殿へ報告されます。精霊契約の個体はもちろん、
新規の出入り個体まで……新規の個体は、把握が済むまでに数日ほどの誤差が出ますが、地上の亀の移動はたいてい、ゆっくりですから」
東帝城砦の市場(バザール)事情に通じている金融商オッサンが、ウンウンと頷いて同意している。
「市場(バザール)で《精霊亀》脱皮の甲羅は高く売れますしね。各種の穀類と並んで、先物取引の花形です」
「正確な鑑定は、《亀使い》ゼイン殿を通じて地誌編纂所へ依頼する必要がございますが、どうも不思議な事になって来ましたね。
地誌編纂所で捜索している行方不明の個体。香辛料屋ハムザ老が買い取っていた個体……」
「おお、思い出しましたよ。香辛料屋ハムザ老が対応した件は、近所でも騒動になりました。衛兵団長クッサイ氏が、どこかから持って来た《精霊亀》個体を、あの市場(バザール)で殺処分しようとして。
甲羅の彩りが思わしくなく成長も遅くて、無価値ということで。ハムザ老が、その個体の買い取りを持ちかけて。クッサイ氏は、値段を吊り上げようと、別の食用の亀をギタギタにして脅迫していたのでしたな」
――そういう経緯があったのは知らなかった。
アルジーが民間の代筆屋として居住していたのは裏路地のほうだったから、目抜き通りに近いほうの細々とした出来事は、あまり入って来ていなかったのだ。
いままでにポツポツと小耳に挟んでいた内容を、つらつらと思い返して……
「確かに聞いてる……その話。クッサイ氏のほうは賄賂の上乗せも要求していて、買取交渉が難航したとか……クッサイ氏は、ハムザ夫妻の目の前で食用亀をギタギタに解体して、カツアゲしてたとか?」
「それで間違いないわよアルジー。ギヴ爺(じい)が話してた。その取引交渉があったのが、いつ頃だったのかは聞いてないけど、ウフン団長が詳細ド忘れしてる程度には過去の話だよね」
「ええ、はい。隣の市場(バザール)にて当該の取引がなされております。御曹司トルジン殿が『もげた』例の事件の翌日で。結構な額面で、老ハムザ氏から借金の相談もございましたよ」
その手の時事に強い金融商オッサンが、器用に情報補足した。
「かねてから宮殿の衛兵団長クッサイ氏の異常なカネ回りの良さ、副業《精霊亀》捕獲ビジネスは、疑惑の的。
それから、隊商(キャラバン)傭兵の報酬を決める、対《骸骨剣士》指数ランク――クッサイ氏の場合、赤点なのです。騎士団訓練所の免状スコアが満点で、それで衛兵団長に。明らかに実力詐称ですな」
中堅ベテラン外交官といった風のオローグ大使が、渋面になった。ターバン端の黒髪をワシャワシャとやりつつ、ボヤく。
「今日、報告が上がって来たばかりだ。例の鼻息・団長は『蒼甲騎士団』ニセ免状で猟官活動していたそうだ。
ザルリン侯が率いる武装勢力は正式な騎士団では無い。役所の目の届かないところで、《亀使い》戦士を抱える『蒼甲騎士団』を詐称して活動していた。
そして鼻息どのは、ザルリン侯と同じ城砦(カスバ)の出身。つながっているのは間違いない」
クムラン隊長が皮肉たっぷりに付け加える。
「バーツ殿とも情報連携したが、前・東方総督ザルリン侯が率いる私兵団には、かねてから『蒼甲騎士団』を詐称した脱税や金儲けの記録が多い。不正密輸ビジネス疑いは濃厚。
例の鼻息・団長を通じて、現・東方総督トルーラン将軍の脱税ビジネス利益に乗じておいて、私腹を肥やす形だ。数々の疑惑がつながって来た。『脱税の帝王』トルーラン将軍と、いい勝負ではあるな」
他人事ながら、ゲンナリと来るものを覚える、アルジーであった。
――前・東方総督ザルリン侯と、現・東方総督トルーラン将軍とで、どれだけ卑劣な不正と汚職と脱税の不名誉に輝くのか、勝負してくれなくても……
…………
……
オローグ大使、クムラン隊長それぞれの意見に、番頭――鷹匠ユーサーは丁寧に頷いて、賛同を示していた。
番頭は、謎の亀甲模様をした石を、ゆっくりと慎重な所作で卓上へ戻しつつ。
「最優先の事項は、解呪の場に出て来た石化《精霊亀》の謎解きでありますね。地誌編纂所の《亀使い》ゼイン殿へ連携しておきましょう」
人類史上の最高の天才とかます老魔導士からも、異論は無く。
次の瞬間、一陣の風が談話室を通り過ぎた。鷹匠ユーサーの相棒である《風の精霊》白タカ・ノジュムのものだ。
モッサァ白ヒゲを一層モサモサとしつつ、老魔導士がブツブツとボヤいた。
「鼻息ウフン、とやらの団長が《精霊亀》を香辛料屋ハムザ氏に売りつけていたという事実は、案外、重要かも知れんな。
しかも《亀使い》戦士を抱える『蒼甲騎士団』ニセ免状で猟官活動。例の鼻息ウフンは《亀使い》戦士を自称したことがあった筈じゃ。
ザルリン侯と鼻息ウフンの前科を調べ、現在、何をしているのか明らかにする必要がある。オローグ君、クムラン君、頼むぞ」
「承知」
数々の深刻な疑惑を、ウフン団長クッサイ氏に振りかけたところで、この夜の会談は、お開きになった……
*****
深夜、真夜中をだいぶ過ぎた頃。
アルジーは、寝台の中で、なんとなく目が冴えて……覚醒していた。
怪異な腕輪(ブレスレット)として手首に取り付いていた呪物。その3分の1が消滅した事実は、虚弱がつづいていた体調に、意外に活力をよみがえらせていたのだった。
――夜の後半をわたる下弦の月が、城下町の底を照らしている。
アルジーは、そっと起き上がり。
幾何学格子窓を透かす月光の方向へ手首を差し向け……しげしげと、異形の腕輪(ブレスレット)を見つめた。
暗い黄金色をした、正体の知れない合金製。あからさまに、本来あった「3分の1」端部分が失われていると見える造形。
不可思議な精霊魔法《鳥舟(アルカ)》の力で、10年前の過去に飛ばされた時。
銀月の精霊ジン=アルシェラト――逆しまの石の女――による、強力な干渉。
生贄《魔導陣》と、肉体との結合関係に、変化が起きたのだと結論できる。
肉体のほうは、ほぼほぼ、あの神秘的なトロピカルグリーン海の中の亀島に、保管されていた状態だったけど。
精霊の力で、肉体と霊魂を手術することで、このような物理的な形式――腕輪(ブレスレット)形式にできた……というような説明があった。
この世の生と死を超越している論理は、生きている人類には判らない。
だが、精霊・邪霊の種族と、《精霊魔法文明》は、すでにその領域まで到達していた。想像もできないくらいの、大いなる知性と霊性を……種族として積み重ねた恐るべき歴史を感じるところだ。
――そんな恐るべき論理のもとに組み立てられた呪術を、解除できるのだろうか? 博識で知られる《青衣の霊媒師》オババ殿でさえ、一生をかけて解除できなかった呪術を……?
相棒をしてくれている白文鳥パルの力は信頼しているけれど、全容が判らないだけに……不安な気持ちがにじみ出て来るのは、否定できない。
知らぬ間に訓練して来た形となった《鳥使い》直感も、この領域については、なにも伝えて来ないのだ。
或いは、アルジーの学習が、または人類全体の文明知識が、あまりにも足りないから……とも言える。
目の前に現れた「事象」をきちんと理解するためには、その「事象を理解できる」だけの学びが必要だ。精霊語を理解するために、精霊語を学ばなければならないのと、同じ。
人類の側は、世界について、あまりにも知らないことが多すぎる。
――精霊の種族と、人類の種族との間の……絶望的なまでの、『知』の格差。
いつしか、アルジーは腕組みをして、ウンウン考える姿勢になり……
溜息をついた拍子に、幾何学格子窓を見やった。
過去の時空から現在へと戻ってきた時に、最初に目に入った窓だ。いま、窓の外は下弦の月……あの時は、満月で、とても明るかったのだけど。
――この格子窓の向こう側には……老ハムザ氏の水耕ハーブ栽培施設。
ここ最近の異変のすべてが、始まった場所なのだ。
なんという事もなく。
アルジーは、ふらりと立ち上がって……いつだったかのように、裏口の扉を目指した。
季節の変わる頃合い。風は強い。
だが東帝城砦は、ひときわ富強の城砦(カスバ)だ。階層を重ねた建築が並び、季節の風に対応する風防の仕掛けも充実しているお蔭で、砂はあまり飛んで来ない。
風に飛ばされそうなベールを押さえつつ……慎重な足取りで、水耕ハーブ栽培施設の仕切りへと接近する。
数々のハーブの、クセのあるグリーンの匂いで、いっぱいだ。
――今まで考えたこと無かったけれど、ここには、どれくらいの種類のハーブがあるのだろう?
生前、ハムザ老人は研究熱心だったと聞いた。シバンムシの生態についても、地誌編纂所のほうから教えを乞うほど、とても詳しかったとか……
――珍しい種類のハーブも、研究のために栽培していたかも……大いにありそう。
再び突風が入り、あの時のように、アルジーの鼻がムズムズしはじめた。
「……ハックション!」
はずみで、ベールが風に舞い上がった。
いつしか顕現していた相棒の白文鳥《精霊鳥》パルが、アルジーの肩先の定位置で「ピョン!」と跳ねる。ビックリしたかのように。
深夜を照らす月光のもと。
長い長い灰髪が、ザアッと、風に舞うかのように広がる。髪が目に入りそうになって、思わず目を閉じるアルジーであった。
――ガサッ。
(誰か居る!)
反射的に、うっとうしい毛髪を跳ね上げて、護身のための腰の短刀に手を伸ばしていると。
かすかな足音が――気配が――施設の出入口の位置をよぎった。
そして、静寂。
ハーブの葉が風に吹かれてざわめいているが、人の気配は、それきり途絶えたままだ。
アルジーは、ようやく……そっと呟いた。
「……なんだったんだろ?」
肩先で、同じくピリピリしていた白文鳥《精霊鳥》パルが、「ピピッ」と返した。
『だれも居ないよ、アリージュ。あ、オーラン君が居るよ』
「……へ?」
次の瞬間、一陣の風が渦を巻き……若手の白タカ《精霊鳥》シャールが、脇のハーブ枝に出現していたのだった。呆れたように、純白の翼をバサリとやりつつ。
『トラブル吸引魔法の壺、絶対、増強してるだろう、鳥使い姫』
ついで、ハーブ数多の茂みの中から、傭兵……迷彩ターバン姿をした黒髪の青年が現れた。
驚愕と安堵の表情。
なぜ気付いたのかは理解できる。《地の精霊》祝福の地獄耳でもって聞き付けたのだ。
アルジーは、従兄オーラン青年を心配させたことを悟り……きまり悪くなって慌てつつ……思いつくままに、ボソッと呟いた。
「ホント《人食鬼(グール)》裂傷のふりをしたペイント化粧が有っても無くても、綺麗な顔ね」
オーラン青年は文字どおり、目をテンにしていた。しばらく、ワタワタした後。
「と、とにかく戻れ。まったく、いつも何故、突然、とんでもない場所に居るんだ……!?」
――幼いころ、耳にタコができるほど聞かされた「ボヤキ」だ。
シュクラ王太子ユージドだった頃の、従兄オーランから。
最初にその「ボヤキ」を耳に入れたのは、7日ほど高熱で寝込んだ後のことだったと記憶している。
よりによって雪が降った日に、白文鳥と外で遊ぶことに夢中になって、一番高い塔の上で昼寝して……風邪をひいて……
白文鳥は寒さに弱いから、雪が降るような日は、室内の鳥籠でまったりしてる筈なのだ。何故、雪の日に外に出たのかという、永遠の謎と矛盾を感じるけれど。
…………
……
目がスッカリ冴えてしまったこともあり、ひとまず談話室に落ち着く。
協力的な《火の精霊》が、談話室の隅の夜間ランプから飛び出して来て、常備されている茶器セットの中に落ち着いた。
オーラン青年が手慣れた風で水と茶葉を入れてセットすると、《火の精霊》が、湯を沸かし始める。
ほどなくして、定番の紅茶の香りが漂いはじめた……
そして馥郁とした香りをたたえる茶カップが鎮座した。10年前の時空へ迷い込んだ時にも見かけた、妙な意味で馴染み深い所作。
茶を一服すると、アルジーは、自分でも意外に動転していたことに気づいて……手が冷たくなっていたことにも……いまさらながらに、ギョッとしたのであった。
アルジーの状況が落ち着いたとみて、オーラン青年は口を開いた。いくぶんか緊張の気配。
「隣のハーブ栽培施設に、誰か居たか?」
「誰か……?」
言いかけて、瞬時に記憶がよみがえる。
「誰か居たような気はする。えっと、足音じゃなくて……ハーブの葉ずれの音しか無かったけど」
『間違いなく犯人の類が居た筈だ、相棒オーラン』
談話室に設置されたスタンド式ハンガーのうえで、白タカ《精霊鳥》シャールが神経質に口をはさんだ。
「犯人の類って?」
『現場100回とは至言。犯人は必ず現場に戻ってくる。未遂に終わった何かを完遂するために。実際、最初の時の、あの老ハムザ殺害現場は、犯人が急いで立ち去った状況だった』
「さっきのアレは、老ハムザ氏の殺害犯だった……?」
「そこまでは判らない。関係者かも知れないが、断定するのは危険だ」
オーラン青年が盛大に顔をしかめて、渋面をつくった。
「だけど、あそこまで、コソコソ姿をくらました。先刻のヤツにとっては、都合が悪かったのは確実だ。アリージュに顔を見られた――と受け取って、刺客(アサシン)を差し向けてくる可能性は大いにある」
青年オーラン自身の過去の経験――実感がこもっているせいで、聞いているだけで、雰囲気が怖い。
グルグルするままに、直感のままに、アリージュは呟いた。
「そいつは、私のガイコツ顔が怖くなって逃げたんだわ。きっと」
気付くと、オーラン青年が、口をポカンと開けたまま固まっていた。失神する直前のような雰囲気。
――少しの間、奇妙な沈黙が横たわる。
白タカ《精霊鳥》シャールが、テキパキと口を挟んだ。
『間違いなく《鳥使い》直感が入っているから、その見解の内容は正しいと確信する。黒幕の正体につながる鍵でもある筈だ。人相に関する前提が食い違ってる部分を除けば』
何故か、盤石なまでの確信の気配である……
*****
夜が去ると、毎度すみやかなる朝が来た。
目下、失業中の代筆屋アルジーは――今はアリージュと呼ばれることが多くなった――亡命に近い形で、つてを頼って、身柄保護されている立場である。
シュクラ・カスバの第一王女アリージュ姫としては、契約上のハーレム夫に相当する御曹司トルジンから、離縁・絶縁と「名誉の殺人」宣告を受けている。
したがって、アルジーすなわちアリージュ姫の、生命の危険は、充分以上にある。
義父に当たるトルーラン将軍の、東帝城砦の東方総督としての失脚もあって、そちら方面からの希望は皆無。
元シュクラ王家の侍従長タヴィスの説明によれば、カスバ第一王女の絶縁・離縁すなわち独身状態になった事実は、帝国においては相応に微妙な事態である。
はやくも察知した諸国カスバからの使節たちがシュクラ・カスバへ来ているとの事だから、国際外交の真っ最中の筈である。
精霊・邪霊の事情が絡む異常事態もあって、アルジーすなわちアリージュ姫は、以前からお世話になっている金融商オッサンの好意と協力によって、警備の行き届いた店奥の住居スペースに、
一時的に滞在させてもらっている形だ。
安全な避難場所を提供してくれている金融商オッサンと店スタッフたちへの御礼として……アルジーとミリカは、日課の掃除と洗濯を済ませてゆく。
洗濯物は、屋上階で干せば完了だ。あとは、砂漠オアシス地帯ならではの強烈な陽射しと乾燥が、あっと言う間に乾かしてくれる。
「昨夜、だれかが、隣の水耕ハーブ栽培施設というか、老ハムザ殺害現場をうろついてた、らしい?」
もと遊女ならではの持ち前の察知力でもって、ミリカは昨夜の異変の内容を、すでに小耳に挟んでいる状態であった。
本日の準備すなわち、亡きハムザ老の埋葬の儀式へ立ち会うための、喪章を取り出しながら……
「皆目、見当つかないんだけど。誰がうろついてたのかと」
「ふうん。昨日の遺体防護の儀式じゃ、失業衛兵ワリド氏の乱入で大騒ぎだったからね。だれか胡散くさそうな人が、カネになりそうなネタ探して、ハーブ畑まで忍び込んだのかしらね」
「そういうものなの? ミリカさん」
ミリカはテキパキと外出用ベールを着付けながら、あっさりとうなづいた。
「小人閑居して不善を成す。あ、『無能な働き者』かな。失業衛兵ワリド氏がハムザ氏を殺害したかもって話になってたでしょ。衛兵への復職を目指すワリド氏のような男って、カツアゲ金脈になるんだよ。
ワリド氏からカネむしり取るために、ヒマな小悪党がハーブ畑へ不法侵入して『ワリド不法侵入の動かぬ証拠』でっち上げ工作するくらいは有り得る」
「そういうことをやりそうな悪党っていうと、市場(バザール)に来てた怪しい菓子売りのチンピラ青年とか、お仲間らしい不良富豪ザルリン侯とか……」
「刺青(タトゥー)娘ラシンダもね。彼女の場合はアレでも女子だから、頼みを聞いてくれそうな男を派遣して、という形になるだろうけど」
……
…………
やがて、オーラン青年の相棒の白タカ《精霊鳥》シャールが、少し慌てた様子で、アルジーとミリカへ伝言を告げた。
『昨夜の《精霊亀》が居なくなった』
『あの、三つ首《人食鬼(グール)》が出現した場所に、何故か居た《精霊亀》?』
「なんとなく、精霊語の意味は分かるよ。あの《精霊亀》、ほとんど石のようになって動かなくなってた筈だけど、いまは動けるようになってるって事?』
『ご明察。我が相棒オーランと、セルヴィン皇子とで探し回っているんだが、見つからん。ひとまずユーサー殿から地誌編纂所へ異変を連絡済みだ。《精霊亀》のほうで何か秘密の訳が有ったんだろうが』
「何か訳アリ。そりゃあ、アルジーを呪縛してた、すっさまじい恐怖の呪術の部分的な解除に居合わせていた個体だから、なんか妙な関係はあるんじゃないかなとは思ってたけど」
――元・遊女ミリカ=ミリーシャ姫の指摘も、もっともなのだ。
アルジーは思わず、左手首の腕輪(ブレスレット)を触れてしまう……《怪物王ジャバ》の恐怖と直結している、邪霊の黄金の呪物を。
『アリージュ姫もミリーシャ姫も、なにか気付いたら知らせてくれ。オローグ大使とクムラン隊長と老魔導士は色々調整のため、トンボ返りだ。援軍が来るまでは、はぐれたりするなよ』
はた目にも分かるくらい、事態が動いている状況だ。
アルジーとミリカは、それぞれに耳を傾けつつ、背筋を震わせるのみだった……
*****
近隣の市場(バザール)では顔の知られていた、老ハムザ氏の埋葬の日。
金融商オッサンも埋葬の儀式に参加する予定である。埋葬が行われるのは午前中で、その間は、番頭を務める鷹匠ユーサーが店番である。
神殿の墓地まで、急ぎで無ければ徒歩で大丈夫な距離だ。神殿の駐車場はスペースが限られているため、一般参列者は、特段の理由が無ければ徒歩を要請される。
アルジーとミリカは、慎重に身の回りを整えて、出発した。
金融商オッサンが代表者として葬儀に参列する形であり、アルジーとミリカは、従業員として随行する形である。
セルヴィン青年とオーラン青年が、金融商オッサンやその番頭の雇った傭兵の体で、護衛として付き添っているところ。
各所で活発な取引がつづく市場(バザール)の大通り。
色とりどりのターバンやベールで装っている広い年代の男女たちが行き交い、にぎやかだ。
十字路の交差点で、複数の荷車が先を争って、交通事故を起こす。
呼び出された神殿衛兵がニワカ交通整理をするのは、いつもの光景。
そのザワザワとした雑踏の中で、陽気な一皿料理屋の夫婦と行き逢った。
裏路地の――民間の代筆屋アルジーの隣人でもあった――人が良くて、気も良い、中高年世代の夫婦だ。ほどほど良い商家へ嫁いだ娘が居て、孫も居ると聞く……相変わらず、にぎやか。
「あれまあ、しばらく姿を見かけないなと思ってたけど、案外、肉がついて元気そうじゃないか、骨と皮の代筆屋さん」
「うむ良きかなでよ。やっぱ若い娘さんは、こう、いろいろ肉が付いてるのが良いぜよ、こんがり焼けば美味しいぜよ」
「それじゃ《人食鬼(グール)》と一緒だよ。誤解される言い方すんじゃないよ、あんた」
市場(バザール)では古株で、少しばかり口数が多く人脈の豊かな中高年世代の夫婦は、いつもの調子であった。
ひとしきり、下町界隈ならではのやりとりが落ち着いた後。
一皿料理屋の夫婦は口々に、下町界隈の井戸端会議ならではの噂を披露しはじめた。
それも、かなり興味深く、根拠もそろった内容を。
「昨夜いつもの惣菜を酒場へ運んでたら、交差点で台車どうしの事故があったんだよね。いつもより遅延して酒場へ到着してさ」
「一戦まじえたって感じのウフン団長クッサイが入店するなり、ガツガツ食いながら自慢話してたぜよ」
「邪霊害獣の大群だの恐怖の大型《人食鬼(グール)》大群だの、ひとりでギタギタに退魔調伏したとかってんだよね、笑うところだよね、あんた」
「おぉ、服だの、ククリ三日月刀(シャムシール)だの血ついてたでよ、邪霊ネズミとナニカしたんだろうが、ありゃ話半分以上は嘘っぱちだよなあ、おまえ」
――間違いなく一皿料理屋の夫婦の情報網は、ピカイチだ。
実際に、昨夜のアルジーとミリカ、そしてセルヴィン青年とオーラン青年が遭遇した内容である。真実だ。
金融商オッサンが「ほぉほぉ」と熱心に耳を傾け、上手に先を促す。
アルジーは勿論、ミリカも注目だ。護衛の位置を取っているセルヴィン青年とオーラン青年も。
一皿料理屋オバサンが、相変わらずペラペラと喋っている。
「鼻息ウフン団長のウフン自慢話は置いといてさ、夜間営業の途中で来た占い屋オバチャンと、提灯持ち《亀使い》オジチャンがさあ、仰天するような話を教えてくれたんだよね。まっさら真新しい警告も」
「んだんだ。ウフン団長クッサイ黄金フン、じゃなくて、ガチムチ筋肉増強の変な奴らゾロゾロ居ただろ、マジ邪霊崇拝《蠕蟲(ワーム)憑き》ていうか、ヤバイ邪霊憑きだとよ」
「道理で邪霊害獣の黄金の血を絞った浴槽いたすよね。提灯持ち《亀使い》オジチャンが調べて来たところでは、結託つながりで、ザルリン侯のチンピラ騎士団も普通にヤバイとかさ」
「奥さまのご見識に感服いたします。つながりで、ヤバいとは、どういうことでしょう?」
穏やかならぬ要点にピコーンと反応する、金融商オッサンであった。
一皿料理屋オジサンが、得意顔で、つづく噂話を並べてゆく。
「この間、帝国軍の摘発で市街戦さわぎになった、宮殿の聖火礼拝堂の地下の怪奇趣味の賭博ぜよ。ザルリン侯のチンピラ騎士団、ガッツリ関与してるぜよ。おまけに、ここで浴槽ぜよ」
「ここで浴槽とは?」
一皿料理屋の夫婦は興が乗りまくった様子で、いっそう得意そうな顔になって、いっそう早口で喋りまくっていた。
「例の、行方不明になって指名手配の陰険な巨人族ザムバ、邪霊害獣の血を絞った浴槽で、美容と健康のために筋肉増強してたって怪談があるじゃないの」
「ここで浴槽を提供してたのが、なんとビックリ『酒場もげたチンピラ事件』中心人物ザルリン侯の、カメハメ騎士団ぜよ」
「道理で、ザルリン侯と結託してる鼻息ウフン団長の、黄金ウンコ手下が、黄金ガチムチ増強の浴槽タダで使いまくる筈だわ、ほら、代筆屋さん不在の、異臭トラブルの時にもだわ」
「魔導士向けの、黄金インク筆洗の商品として転用できるぜよって、文房具屋の女商人が、ザルリン侯とウフン騎士団長のチンピラ騎士団から、場末の酒場のツテで仕入れててよ。
それを占い屋オバチャンが分析してさ。ヤバい《魔導》素材成分が一致したとか。邪霊害獣の血を扱えるヤバい《魔導》素材って、そんなに無かろぜよ」
…………
……
聖火礼拝堂へとつづく大通りの雑踏の中。
アルジーは、見えてきた連関を、必死で整理した……ブツブツ呟きつつ。
「つまり前・東方総督のザルリン侯は、手先ウフン団長クッサイ氏を経由して、現・東方総督トルーラン将軍と御曹司トルジンの脱税ビジネスだのなんだのに食い込んで、
不正な利益をかすめ取っていた……という理解で良いのかしら」
ミリカが「やれやれ」と言わんばかりに目をクルリと回しつつ、応じて来る。
「私も同感だわよアルジー。黄金浴槽ビジネスは知らなかったけど、2人で結託して邪霊教団の賭博ビジネスの手先だったのなら、当然、邪霊教団の禁術《魔導》商品を転売するビジネスに手を出してた筈よ。
副業的に荒稼ぎできるなら、人脈で、ワッと広がる」
後ろのほうで目立たぬように護衛している形の、セルヴィン青年とオーラン青年もまた、呆れ顔であった……
*****
程なくして一行は、順調に、老ハムザ氏の埋葬される墓地へと到着した。
東帝城砦の乾燥した気候を反映して、墓地に生えている植物は、サボテン類がほとんど。水気がある隅のほうでは、チラホラと花をつけるダマスクローズ株が並んでいた。
三々五々といった感じで、後からも参列者が集まって来ている。
やがて、壮麗な聖火礼拝堂の方向から、紅あざやかな長衣(カフタン)の神官が現れた。連れ立っている老ハムザ夫人は、暗い喪の色をしたベール姿である。
さらに後ろのほうから、老ハムザ氏の遺体を詰めた棺桶が、ゴトゴトと揺れる台車に乗せられて、運ばれてきていた。
互いに近隣の顔見知りな人々は、軽く一礼や目礼をかわし……思い思いの立ち位置から、老ハムザ氏の棺桶が通過してゆくのを見守る。
……驚いたことに、男盛りの不動産業者ムムターズが、ちゃんとした喪章をつけて参列していた。水のしたたるような男盛りゆえ、その手の噂に事欠かない男で、そのような印象が薄かったのだが。
「いやはや奇遇と申せましょうか」
アルジーやミリカ一行の驚きを代表して、金融商オッサンが声を掛ける。プロの商人ならではの、なめらかな所作で、上品かつ丁重に一礼しながらも。
「いやいや、ひそかに敬意をもって眺めていたご老体でしたもので」
キザな色男を自負する不動産業者ムムターズは、アルジーやミリカ若い女性陣が加わっているのをシッカリと確認したうえで、若い女性の気を引くようなキザな所作でもって、なめらかに一礼を返して来た。
埋葬の場ゆえの荘重さを器用に含みつつ。
「これ程に早くお別れが来るとは思いませんでしたよ。それに土地取引も順調に進みましてね」
不動産業者ムムターズが、さりげなく振り向いて見せた先には……新しく見る若い商人風の人物が居た。生真面目そうな壮年の男は、老ハムザ夫人と並び、色々と話をかわしているところだ。
「おお、いつだったか話題に出た、競合店の若い店主どのですな」
「ちょうど良いところですな、オッサヌフ殿。本日あの水耕ハーブ栽培施設について署名取引が成立しました。早ければ、この後、貴殿の金融店へ書類をお持ちしましょう」
「承知いたしました、ムムターズ殿」
いつしか、神官による魔除けの詠唱が始まっていた。墓掘り人足の手際良い仕事もあり、老ハムザ遺体を収納した棺は、すみやかに埋葬されていったのであった。
そして尋常に、仕上げの墓石が安置された。その形そのものに魔除けの機能がある――金字塔の形をしている墓石だ。
埋葬の作業が終了した後も、金字塔の形をした墓石の周りで、不思議な4色の毛玉ケサランパサランが点滅しつづけていた。
老ハムザ氏の墓を守っているかのように……
昨夜、4歳児テージュ坊やが、驚くべき小琵琶の演奏でもって召喚していた毛玉たちであった……
*****
ふと思いついて、アルジーは、テージュ坊やの姿を探す。
坊やは、すぐに見つかった。
半ば野生と化したダマスクローズ株の傍で、祖父バルジュ老と共に、大人の参列者たちの間に混ざっている形だ。
テージュ坊やは生真面目な顔をして、お気に入りの小琵琶をシッカリ抱えている。肌身離さずといった雰囲気。
先日はちょっとした騒ぎになり、パニックになったバルジュ老が、テージュ坊やを抱えて遁走したから、微妙に気になっていたのだが……
いま、バルジュ老は、どこか悟ったような、あるいは茫然と心ここにあらず、といったような雰囲気である。
しがない提灯持ち《亀使い》ゼインと――あるいは彼の上司である地誌編纂所《亀使い》所長と――、テージュ坊やの驚くべき優秀な素質について、長い話をしたと見える。
バルジュ老が根負けして納得している風なのは、孫テージュ坊やの近くで、さりげなく《亀使い》戦士が護衛している事実もあるのかも知れない。
*****
老ハムザ氏の埋葬が終わった。
近隣から集まって来た参列者たちは、来た時と同様に、日常の方向へと戻ってゆく。
アルジーたちの一行も、近隣の参列者どうしで適当に挨拶を交わしながら、聖火神殿の敷地を移動していると……
なにやら、穏やかならぬ口論が、聖火神殿の誇る長々とした外壁の一角から――赤色系統の石を積んで造成された立派な石造アーチ出入口のほうから、聞こえて来る。
「嘘をつけ噓を! カネ払えよ!」
「てめぇらが盗んでったことは判ってんだ! 数が不自然に増えてんだからな!」
「いいがかりだ! イチャモンだ! チンピラ・ニセ騎士どもが、オラ!」
着飾ったチンピラ風の団体と、神殿勤務の赤茶の長衣(カフタン)をまとう役人や職員らしき団体が騒いでいる。
「あれは、いったい」
さすがにセルヴィン青年が、傭兵の定番ターバンを巻いた頭に手をやって、戸惑い顔だ。
ひとまず……聖火神殿の敷地の街路樹となっているオリーブ木々の後ろに身を潜めて、目立たぬように、様子をうかがう。
手足さえ振り回す派手な口論は、通りがかりの人々全員の目を引いていた。
ちょうど出入口となっている荘重なアーチ出入口の下、大声でのド突き合いは、つづいている。
「よくも、ニセ騎士などと侮辱してくれたな! この騎士団免状が目に入らぬか、免状が!」
不真面目に防具を取り付けて騎士ごっこしているとしか思えない――チンピラ風の若者が、どこかで見覚えのあるような書類を掲げて、ビラビラと振り回した。
「おぅ、俺ら、天下に名高き『蒼甲騎士団』なんだからよ! おら《精霊亀》ぜんぶ寄越せ! 特に螺鈿光彩がある個体をな!」
「ふざけんなテメェら、ニセ免状じゃねえか!」
アルジーやミリカと同じように、一皿料理屋の夫婦も、近くの手ごろな茂みに隠れて、様子をうかがっていて……
「あ、あんた、あの紙、いつだったか、鼻息ウフン団長クッサイの黄金フン筋肉ガチムチが振り回してたのと一緒じゃないか」
「ホントだぜよ、おまえ! それにウフン団長クッサイの手下が半分まざってるぜよ」
「あいつらが急に押しかけてきた理由って、あ、もしかして、あんた」
「うへぇ、ホニャララぜよ……!」
その不自然な会話の流れに耳ざとく気づいたのは、オーラン青年だ。《地の精霊》祝福の、鬼耳族なみの地獄耳。
クルリと向きを変え、逆方向から――裏口から――遁走しようとしている、一皿料理屋の愉快な中年夫婦。
次の瞬間には、一皿料理屋の夫婦は、それぞれターバン端とベール端をとっつかまれて、その場に縫い付けられたように不動にさせられていたのであった。
その辺の普通の傭兵といった恰好なのに、オーラン青年の素早さは全然、普通の傭兵じゃない。
「最初の聖火神殿への道々、いろいろと興味深い情報を披露してくれましたね。それ、ほかの誰かにも、ペラペラしゃべっていたんですね?」
傭兵姿オーラン青年は、丁寧に質問しているのだが……いまは、その礼儀正しさが逆に怖い。
「師匠の、鷹匠ユーサー殿に似てきてるじゃないか」
――とセルヴィン青年が呆れたのも、むべなるかな。
もちろん近くに控えていた金融商オッサンは、無言で、冷や汗ダラダラ状態である。
一皿料理屋の夫婦は、手足をてんでバラバラに振り回しつつ、告白した。
「そりゃまあ、そりゃまあ、総菜の納品の仕事帰りで、知り合いの営業先の酒場ハシゴしてたからね」
「最後のハチミツ酒場でメチャ酔っぱらってたかもぜよ。皆で歌って踊っててよ。
このごろ落ち目の金融商ヤヴァレクが、ライバル金融商オッサンと不動産屋ムムターズの不正結託ネタ、でっち上げてやるとかなんとか、ヤケ酒かっ食らって踊ってたのは覚えてるでよ」
「そうそう、酒場の裏のほうでね、なんか賭けてたよねサイコロ踊り公式競馬ダーツ、ええと景品の飴玉(ナバット)の取引とか」
「あっちで騒いでたラシンダ嬢ちゃんもぜよ。ええと、将来は帝都大市場(グランドバザール)の高級菓子店の女商人になってやるぜよとか? 女商人ロシャナクみたいに、
大成功するぜよとか? パパ活の顧客さんしてる金融商ヤヴァレクが貢いだ、大型の錬金術の機械、じゃなくて、砂糖の製造機械で、あ、運んでるぜよ」
苦しまぎれならではの増強版の察知力でもって、一皿料理屋の夫婦は、ビシッと指さした。
目下、腰のものに手を添えてイキリつつ激論にいそしんでいる、チンピラ騎士団の端っこを。
アルジーも、肩先の相棒・白文鳥《精霊鳥》パルも、つられて視線をやる。
確かに運搬の途中だったらしい――大型の台車が、チンピラ騎士の群れの端っこに停められていた。その台車は、明らかに製粉工場の系統でおなじみの、製粉系の機械を運んでいる。
ちょっと特殊な台車だ。相当に険しい山道でも活躍するタイプの――アルジーにとっては懐かしいタイプの、台車。
オリクト鉱山帯や万年雪シュクラ山岳を含む、東方辺境の山脈《地霊王の玉座》――凹凸の地形の多い東帝城砦エリアでは、一般的に見かけるタイプの台車である。
自然、アルジーの視線は、その台車のプレート位置を注目した。プレートに刻まれている所有主ないし事業者の名前は故郷シュクラでは無いが、それでも、注目は、する。
――『アマニータ』。
当然、偽名の所有主ないし事業者の名称であるが……なにかが、引っ掛かる……
…………
……
聖火神殿の役人・職員たちと、着飾ったチンピラ風の団体「自称・蒼甲騎士団」との激論は、収束しつつあった。
「不足分の《精霊亀》は、そちらが隠し持っているんだろう、寄越せ!」
「そんなに疑うなら数えろ!」
「ひい、ふう、みい……チクショウ、覚えてろ!」
目当ての個体が見つからなかったのか、それとも本当に個体数について結論が出たのか……着飾ったチンピラ団は、そそくさと立ち去って行った。台車に乗せた製粉機械を、運搬しながら。
ミリカが首を傾げた。
「あの砂糖の製造機械とか言うの……パパ活ラシンダ嬢が、出所の判らない怪しい大金で購入した商品かしらね。
いろいろ繋がったとは思うけど、謎が多すぎるわよ。《精霊亀》紛失だか行方不明だかの事件との関係が、判らない」
――そうなのだ。
老ハムザ氏が殺害された現場。
その現場・水耕ハーブ栽培施設から行方不明になったという噂の《精霊亀》。
今回の全ての騒動は、此処から発生している。
不正密輸の疑惑のある、チンピラ騎士団「自称・蒼甲騎士団」――前・東方総督ザルリン侯が代表者。
出身地元……地縁のつながりで鼻息ウフンな宮殿の前・騎士団長クッサイが転がり込んでいて。
詳しくは知らないけど、帝国領土・東南地方では一般的な、ククリ型の刀剣を多く使っている事実からすると、そちら方面の地縁。
東南地方の中堅の騎士団として名を知られている『蒼甲騎士団』を詐称する程度には、《精霊亀》の取り扱いに手慣れている。
彼らは十中八九、《精霊亀》の不正な密漁と密輸をしている。禁術《魔導》商品ビジネスも。《亀使い》地誌編纂所の調査と指摘。
怪異な刺青(タトゥー)を刻むパパ活ラシンダ嬢は、怪しい菓子店とつながりのある集金係らしい。
パパ活ラシンダ嬢は、この反社会的勢力な金脈に、ズブズブに関与している筈だ。
そうでなければ、一皿料理屋の夫婦の耳にまで、将来は帝都大市場(グランドバザール)の高級菓子店の女商人になるラシンダ嬢……などという噂が、転がり込む筈がない。
同じ怪異な刺青(タトゥー)を刻んでいた、高級菓子店の怪しい店番チンピラ青年。
市場(バザール)へ出張って来た、問題の高級菓子店は、禁術の大麻(ハシシ)を扱ってはいなかったけど。
老魔導士フィーボルが指摘した。アヘン入りの駄菓子であった、と。
帝都大市場(グランドバザール)でも、御曹司トルジン系列の脱税タバコ店で、アヘンを扱っていた。
どこかに、トルジン系列の、アヘン栽培工場がある筈……脱税タバコ店向け、そして胡乱な高級菓子店向け。
いまや、アルジーの頭脳は、高速回転していた。
物理的な視界に展開している形じゃないけど、これまで見聞きしていた出来事が、タテ糸・ヨコ糸で構成される絨毯模様のように、連関をもって、織り出されて見えてくる。
――《鳥使い》直感のたまもの。
直感のままに、アルジーは呟いていた。
「あの怪しい高級菓子店の店番チンピラ青年と、パパ活ラシンダ嬢、同じ刺青(タトゥー)持ってて、アヘン疑惑のある高級菓子店の、新しい機械の購入案件で、つながってる? その高級菓子店、
トルジンが金脈に関わってるとしても、トルジンの尻尾もとい名前を出さない筈……表向きの所有者は誰?」
「よく気づくねアルジー!? 場末パパ活ラシンダ嬢と、アヘン疑惑の宮殿前の高級菓子店の関係なんて!」
ミリカが仰天した顔になった。
「店番チンピラ男の刺青(タトゥー)、確かにラシンダ嬢と同じ流儀で、
同じ手の甲に彫ってたわ! ヤバい邪霊崇拝カルトは、信徒へ禁術の刺青(タトゥー)を仕込んだりして結束してるし、あれが本物の禁術の刺青(タトゥー)だったら、間違いなくアタリ!」
脇で注意深く聞き耳を立てていた金融商オッサンが、ヒョコリと、オリーブ樹の陰から顔を出した。
「あの、ウッカリしてましたが、その高級菓子店の表向きの所有主は、前・東方総督ザルリン侯でございますね」
相当に動揺している様子で、金融商オッサンの目線が、キョトキョト動いている。
「かねてから不正アヘン存じてましたが、単純な横流しだろうと思ってましたよ。帝都大市場(グランドバザール)の脱税アヘン・タバコ店へ、アヘンを流すための。
タバコも砂糖も、同じ『粉(コナ)モノ』で扱ってますからね、帝国伝書局のバーツ殿も、その筋で追ってらっしゃるとのことですが」
オーラン青年とセルヴィン青年が、互いに、合点がいった顔を見合わせる。
「要点は、粉末状のものという訳か」
「駄菓子の原料の砂糖……の、フリをした粉……」
セルヴィン青年の肩先で昼寝している格好だった《火の精霊》火吹きネコマタが、金色のネコ目をパッと見開き、アルジーへ向かって、2本のネコ尾の先から火花を散らして見せた。
『水のジン=ユーリュメルから先ほど次元通信が来たニャ。一味の周りに邪霊の気配が多い事実、それで説明がつくニャ。奴らは証拠隠滅に長けていて追跡が困難。いっそう警戒ニャネ』
*****
一行は、いくばくかの予感と不安を抱きつつ、金融商オッサンの店に戻った。
店の周りに、異例の緊張感が広がっている。内でも外でも、事務の補助や警備を務める雇用スタッフたちが、ザワザワしているところだ。
おや、と思う間も無く。
店番を務めていた無口なシニア番頭――鷹匠ユーサーが、出迎えがてら、駆け付けて来た。一行の帰還を確認して、いくぶんか落ち着きを取り戻した様子ではあるが……それでも常ならぬ緊張感である。
「お帰りなさいませ頭取。実は、取り急ぎ報告すべき出来事が」
「何か問題発生でしょうか番頭さん」
「頭取を名指しての、尋問のための出頭命令書が到着しております。内容は、不動産業者ムムターズと不正に結託しての、老ハムザ香辛料店に設置されている加工機械の窃盗、および不正転売の疑惑でございます」
「――はぁッ!?」
金融商オッサンは驚愕のあまり絶句。
アルジーとミリカ、セルヴィン青年とオーラン青年も珍しく、驚愕の声を洩らすのみであった。
「告発者は、相当な懸念ありの同業者、すなわち金融商ヤヴァレク殿とうかがっております。
不動産業者ムムターズ殿は、先ほど、大通りの真ん中で宮殿派遣の小隊に取り囲まれて身柄確保され、最寄りの見張り塔へ連行されたとのこと。まもなく、宮殿から指示を受けた小隊が、当店へも到着する頃かと」
番頭を務める鷹匠ユーサーの説明が、終わるか終わらないかのうちに。
午後の営業が始まる頃合いの、昼下がりの陽差しのもと。
金融商オッサンの店前に、帝国軍の軍装をした小隊が、ズラリと、到着していたのだった。
*****
あれよあれよという間に、金融商オッサンは、最寄りの見張り塔のほうへと連行されて行った。
――「不動産業者ムムターズと不正に結託して、貴重な機械に関して不正取引をしていたとの匿名の告発(タレコミ)があった。出頭して、詳細を述べよ」という急な出頭命令書によって。
いつものような強い陽光が降りそそぐ昼下がりのもと、働きざかりの中年小太りオッサンを連行していったのは、困惑顔をした帝国軍の小隊……クムラン小隊の面々である。
不意打ちの、ちょっとした捕り物劇は、あっと言う間に近隣の市場(バザール)の注意を引いた。
みるみるうちに、物見高い人たちが、道路の両脇に集まって来て……ザワザワと騒ぎ始める。
「なんじゃもんじゃ」
「なんで逮捕なんじゃ、オッサン」
「あれか、悪徳の儲けが本当に悪徳だったのかね」
群衆の中に、一皿料理屋の夫婦も、あの地獄耳の鬼耳の給仕の小僧も居て、目を丸くしてキャンキャン騒ぐという有り様だ。
そして群衆のひとりが、これみよがしにビシィ! と、指差す。
「はーははは! ざまみろ、小太り都落ちの分際で、この東帝城砦の一級金融商ヤヴァレク様のライバルなど務まる筈が無いのよ!」
その男は、二日酔いの名残のアルコール臭にまみれていた。運悪く近くに寄られた鬼耳の給仕の小僧が、「ウワッ」とばかりに鼻を摘まんでのけぞったから、遠目から見ても明らかだ。
ついついアルジーは、金融商オッサンへと手を伸ばそうとして……
不意に、従兄オーラン青年に引き留められる。
思わず振り返り……
「大変じゃないの、なんとかしないと」
「なんとかする」
そういうオーラン青年の目線は、忙しく、別の方向を探っている様子だ。
――ナニカが、オカシイ……
ピンとくるアルジー。
……その方向へ視線を合わせて見ると。
ヒョコリと現れて、群衆の中で見物を始めた通行人のひとり……傭兵姿の中堅の男。
――クムラン隊長だ。なぜ、小隊から離れた、そこに位置しているのか?
金融商オッサンを連行している小隊の隊長であるクムラン自身は、忍者さながらに独立行動。
もう一度、行く手の群衆をかき分けている小隊の面々を注意してみると……クムラン隊長の影武者と思しき「空似の他人」が、訳知り顔をして、まさにクムラン隊長そっくりに、飄々と指揮をとっている。
…………
……
しばし間をおいて、もう一度しげしげと見直して……
アルジーは、唖然とするあまり、ポカンと口を開けるのみだ。肩先で、白文鳥《精霊鳥》パルが、「ぴぴぃ(お見事)」と呟いている。
――持ち前の《鳥使い》直感が無かったら、きっと気付かなかった……
…………
……
ざわつく群衆の中。
いかにも成金という風体、金ピカ模様が目立つ長衣(カフタン)。
中年の金融商ヤヴァレクは、まさに『二日酔いシニア成金男』さながらに、勝利の舞を舞っていた。金融商オッサンを指差して高笑いしつつ……
「ホレ見よ皆の衆! これが正義なのだ! 都落ちの怪しい流れ者が金融商をやれるようなところでは無いわ、我らが東帝城砦は! 偉大なる東方総督トルーラン将軍バンザイ!」
さっそく、妙に事情に通じている群衆の一部が、ワヤワヤと突っ込み出す。
「ヤヴァレクが、せっせと『脱税王』トルーラン将軍へ賄賂してたの知ってんぞ、こら」
「大徳もて巨大化《人食鬼(グール)》討伐指令せし偉大なる帝国皇帝(シャーハンシャー)、その死因が、酒姫(サーキイ)との夜のアレだっていう」
「その帝国皇帝(シャーハンシャー)の懐刀(ふところがたな)トルーラン将軍、てな名前の御威光で、クッサイ宮殿騎士団長と共に、堂々と私腹を肥やしてた金ピカ悪徳商人が何を言ってんだ」
痛いところを突かれたらしく、金融商ヤヴァレクは金切り声をあげて反論にかかる。
「だまらっしゃい! トルーラン将軍の利用価値に気付かん貧乏人どもは!」
「酔っぱらって、本心を、べらべら喋ってんじゃねーかよ」
連行されてゆく金融商オッサンをよそに……通りの真ん中で定番の、いさかいが続く。
無差別格闘ストリートファイトへ発展すれば、定番の「路上の喧嘩」である。昔の吟遊詩人の誰かが「火事と喧嘩は路地の華」と歌い上げたとおり。
予想どおり、余計なチンピラが、楽しそうな騒動を聞きつけて「なんだ、なんだ」とばかりに集まってきたのだった。
同時に、意外な人々もフラリと現れた。
見知った面相も多い《亀使い》戦士団である。騒動の気配を占ったかのように最寄りの地誌編纂所から派遣されてきた格好で、治安悪化を防止する方向なのは明らかだ。
あの「占い屋オバチャン」こと『亀甲の糸巻師』ティーナと、しがないオッサン風な亀甲提灯持ち《亀使い》ゼインが後方に控えていて、早口で言い交わしている。
「占い線の上には明らかに出てきてないけど、取っ掛かりのチンピラが居る筈だから、ちゃんと身柄確保しとくんだよ、ゼイン殿」
「難しい仕事なんだがな、人相の判らない奴を捕まえるのは」
「誰かが見てた筈さ、例の近所迷惑になってたっていう駄菓子屋の騒ぎが、神殿調査官から説明されてたとおりの規模ならね」
――理由の判らない安心感だけど、彼らが居るなら、この一触即発のヤヴァレク騒動は、死人を出さずに穏当に押さえられるだろう。
アルジーの肩先で、相棒の白文鳥《精霊鳥》パルが再び「ぴぴぃ」とさえずった。
『そこの市場(バザール)の聖火祠に巣をかけてる同族から連絡が来たよ、アリージュ。香辛料屋ハムザ夫人に危険が迫ってる。ギヴ爺(じい)が付き添ってるけど、ご老体だから。走ってってね、ピッ』
『……!? 了解、パル』
アルジーは、毎度の慣れた手順で、頭部ベールをターバンへ巻き直して戦闘態勢である。
接触の効果で白文鳥《精霊鳥》の言葉が通じていたらしく、オーラン青年が仰天しながらも、アルジーの動きを抑えるのを止めてくれていた。
「香辛料屋さんのほうで何か問題が起きてるみたい。セルヴィンとオーランは子供だから、安全なところへ待機……じゃ無かったっけ」
10年前の調子で2人の青年を振り返ってしまって、ちょっとだけ口をアングリするアルジーであった。
セルヴィン青年もオーラン青年も、いまや……アルジーよりも、余裕で背丈があるのだ。
*****
市場(バザール)の喧騒を抜けて……幾つかの屋台店の、その奥。
屋台ではなく、ちゃんとした戸建てとなっている香辛料屋の店。
いまは閉店となっていて、定番商品も競合店に移行済みとなったから、見た目、空き店舗といった風。
店前で、柄の良くない筋骨隆々チンピラ風体の男たち5人ほどが、すごんでいた。
リーダーらしき男は、ギラギラ・テカテカしていて、妙に背丈がある。衣服もひときわキンキラ成金風な不健康シニア男。
「おらおらおら! 戸締りの鍵を寄越せ、ごるぁ!」
「例の製粉機械は買い取り済だ! 邪魔だてすれば、ごるぁ! 詐欺と脱税と盗みとチョロマカシと……」
「とにかく色々の嫌疑でもって我々『蒼甲騎士団』が、ただじゃ、おかねぇぞ」
足腰も弱ってきている老婆――主人を失ったばかりの老ハムザ夫人は、口をアングリと開けたまま、オロオロするばかりだ。
心配顔をした旧友ギヴ爺(じい)が付き添っていたが、こちらも老人であるうえ、護身になりそうな物は、腰に差した定番の小刀のみ。
近くで、5羽ばかりの白文鳥《精霊鳥》が飛び交い、攻撃的さえずりでもって騒いでいる。
勇敢な2羽ばかりが、リーダー格とおぼしき最高身長の成金風な不健康シニア男をドツキはじめた。
白文鳥は、しょせん小鳥だから、チクチク・つついたという程度の衝撃でしか無いけれど。
ギラギラ・テカテカ雰囲気の、成金風な不健康シニア男が、苛立たし気に手を振りまわした。
「誰か、このうるさい鳥どもを黙らせろ! 焼き鳥にでもしろ!」
手下チンピラの面々が、不健康シニア長身男を戸惑ったように振り返り。若干の間合いができた。
かねてから老ハムザ夫人の脇を支えていた旧友ギヴ爺(じい)が、ようやくモッサァ白茶ヒゲを震わせて反論する。
「何回も言うとるが、例の製粉機械は売りに出しとらんのじゃ。自称『蒼甲騎士団』ナンジャモンジャ、パチモンを持ち出して誤魔化そうとしとるんじゃろ!」
「抜かせジジイ!」
痛いところをえぐられたのか、最高身長の成金風な不健康シニア男は真っ赤になって、がなり立てた。
「叩っ斬ってやる! ロクデナシ共が!」
ひときわキンキラ成金といった長衣(カフタン)の袖が閃いた。その手には既に、ククリ型の三日月刀(シャムシール)。
「危ない!」
殺到せんばかりに駆け付けた勢いで、もと民間の代筆屋アルジーは飛びかかったが……直前で、いつの間にか並走していた従兄オーラン青年に、ハッシと捕まえられていた。
そしてアルジーが手を触れていないのに、ククリ型の三日月刀(シャムシール)が、派手な音を立てて石畳に叩きつけられていた。
その場に居合わせた全員……驚きのあまり沈黙である。沈黙のまま……全員の目線が、原因となった人物を見つめる。
――どこにでも居そうな傭兵姿の青年。見るからに『訳あり御曹司』といった風の姿勢の良い立ち姿。
セルヴィン青年である。その実、帝都皇族のひとりであるから、やんごとなき人物。
「な、なんじゃ、貴様は! おい、ヤローやっちまえ!」
チンピラ4人が一斉に飛びかかり。
当然ではあるのか無いのか、チンピラは次々に、なぎ倒された。
いつの間にか鷹匠ユーサーと《亀使い》戦士ゼインが飛びこんでいて、《火の精霊》火吹きネコマタのイタズラも加わって、およそ1対1の戦闘であった。
「覚えてろ貴様ら」
朦朧(もうろう)とした手下チンピラ全員を見捨てて、不健康シニア男は遁走した。キンキラ成金風の長衣(カフタン)を派手になびかせつつ。逃げ足は達者である……名人級に。
「いったい、この騒ぎは何なんだ?」
手際よくチンピラ男4人をふん縛りながらも、《亀使い》戦士ゼインは首を傾げていた。
「やっこさんは、例の『酒場もげた事件』の主人公、カメハメ騎士団の名誉団長ザルリンじゃよ」
さっそく血色を取り戻したギヴ爺(じい)が立て板に水で説明である。
「近ごろ、御曹司トルジンと昵懇(じっこん)になって、トルジン親衛隊カメハメ騎士団の副業として菓子作りに首を突っ込んでるとかで、
ハムバッチャンが店を片付けようという時に『製粉機械を買い取ったから寄越せ』と言って、押しかけて来たんじゃ。
こちとら金融商オッサン発行の証明書が無ければ応じられんと反論したんじゃがな。頭が悪いんじゃろ……ヤツは、理解しておらんかったのじゃよ!」
セルヴィン青年とオーラン青年が、同時に目をパチクリさせ、疑問顔だ。
「ザルリン侯が、自称チンピラ騎士団のほかにも副業やってるなんて、何も聞いてなかったけど」
「菓子作り? クムラン殿やバーツ殿の調査網から洩れてたかな。バーツ殿は元・民間の伝書局の長だったから、事情には通じてる筈……」
ミリカが、持ち前の医学的な観察力でもって、チンピラ男たちの身体の特徴に気付いた。
「この不潔ヤローたち、頭にキノコ生やしてるじゃないの。ホントに脳ミソ腐ってたりする?」
思わず目をパチクリさせ……チンピラ・ターバン端に注目するアルジーであった。
全員のまなざしが、朦朧(もうろう)としているチンピラ男たちのターバン端へと注がれる。
――奇妙に人類の皮膚に似た質感のキノコが、ひとり当たり3~4本ほど生えている。まるまると盛り上がる形は、女体のお尻の肉によく似ていた。あるいは巨乳の胸の谷間か。
男たちで、チンピラ4人へ次々に縄をかけつつ……口々に疑問が飛び出す。
「確かに変な肉色のキノコが生えてるな」
「種類は判りますでしょうか、《亀使い》ゼイン殿? 地誌編纂所には、あらゆる資料が……」
「そっちは不案内ゆえ申し訳ない、鷹匠ユーサー殿。同郷の占い屋なら――おぅ、ティーナ殿、こっちだ」
おっとり刀といった調子で、あの堂々とした、ふくよかな40代オバハン占い屋がやって来た。雑踏の中から現れたのは、いかにも占い屋というような夜の色を帯びた濃色の長衣(カフタン)。
同じく濃色ベールからのぞく目は、好奇心でキラキラしている。
「やっぱり動きが出てきたねぇ予想以上に。何がキッカケかはともかく、奴らは焦り出している。『トラブル吸引魔法の壺』とは言いえて妙だよ」
女占い屋ティーナは得々とした顔だ。
――全員が全員、訳が分からぬままポカンとするばかり。
老ハムザ夫人が目をパチパチさせながら、新入りの中年女性を眺める。
「年いってガタが来てる心臓が、ついに止まるかと思いましたほ。えぇと……えぇと、そちらの、占い娘さんは、提灯《亀使い》さんの、奥さんですかほ」
「へ……!? って、そんなもんじゃないよ」
ブンブンと首を振る、40代ふくよか女。
珍しく慌てたように――押しの強いベテラン女占い屋ではあるが、少女だった頃は、そんな感じだったかも知れない。
その辺のしがない・オッサン《亀使い》ゼインは、天をも仰ぐ格好だ。年季の入った中年男の眉間のシワに浮かぶのは、ちょっとしたショックの表情である。
何故なのか。
――ピンと来るものがあって、アルジーが首をかしげていると……
女占い屋ティーナは気を取り直して素早く駆け寄り、大胆にもチンピラ4人のターバンを次々に剥いだ。
「あれあれ、いいんですかい」
縄をかけ終わったところで、クムラン隊長が素っ頓狂な声を上げた。
――男にとっては、女にターバンを取られるという事態は、意外に大きな恥辱である。
チンピラ男たちが拘束されて朦朧(もうろう)としている状態でなければ……女占い屋ティーナは通りの真ん中で、逆上したチンピラ共に、ボコられていたかも知れない……
……
…………
チンピラ4人の、見るからに不潔な、ターバンを剥いでみると。
奇妙な肉色をした異形キノコは、毛髪をハゲさせていることが明らかだ。
ハゲ頭の全体に、ぼこぼこと、多数のキノコ群落が広がっている。
いくつものミニ女体の尻――あるいは胸と、胸の谷間。
その類の性的な造形の盛り上がりが、群れを成しているような……
老ハムザ夫人とギヴ爺(じい)が、好奇心タップリに首を突き出して、観察しはじめた。老いたりといえど、頭はシッカリしている。
「なんですほ、それは?」
「いっそう奇怪なシロモノじゃのう。なんか夜のほうの、口にするのもはばかる悪い妄想セットの、変な病気をしてるように見えるぞよ」
「実際に悪い裸踊りの妄想してる筈さ。こいつぁ『アマニータ』って媚薬キノコだよ。今夜にも、邪霊崇拝の教団だの娼館だので、むしられて、禁術の媚薬の原料になった筈。
凶悪すぎて『邪魅の暴走』と一緒に生産禁止令が出た致死性の媚薬『色欲情欲の中で死ね』シリーズ商品とか。小粒で質が不揃いな不良品でも、地下市場では、結構イイ金額になるんだわ」
「突っ込む形になって済まんがティーナ殿、なんで、その類の事柄に詳しくなるのか聞きたいね」
世慣れた風のしがない・オッサン《亀使い》ゼインが、さすがに相応にビビった顔になっている。
「占い屋をやってると、色々聞き込むんだよ。女商人ロシャナクも、アレで色々ヤバい案件をかかえてる。馴染みの顧客の元・代筆屋さんの件が、絶賛・展開中の最大級にヤバい案件だ。世界転覆レベルのね」
40代ふくよか女占い屋ティーナの、漆黒の視線は、間違いなく、アルジーの方向を向いていたのだった……
…………
……
アルジーの《鳥使い》直感を、しきりにつつくものがある。
先ほど、女占い屋ティーナから飛び出して来た語句。
――邪霊に属する媚薬キノコ『アマニータ』。
娼館と媚薬にまつわる諸々。
帝国全土の、定番の不法ビジネスの類。
だが、いま目の前にある諸々は、決して無視できない。
人類社会の「不法」の範囲を遥かに超えた、不穏な「ナニカ」がある。
どこかで、民間の代筆屋アルジーあらためシュクラ第一王女アリージュ姫の命運にかかわる、重要な内容が……示唆があった筈なのだ。精霊界のほうから。色々ありすぎて、何が何だか判らないけど。
霊体だった時に比べて、物理的肉体は、記憶を引き出すのが遅い……ピンと来にくいのだ。
なにか重要なことを聞いた筈なのに、思い出せない。
――裸踊り。誰かが「なんで死なんのや」とまで呆れたという、致命的なまでの有害な媚薬ドラッグ『色欲情欲の中で死ね』。
黄金の夜叉巨蛇(ヤシャコブラ)……禁術『歩く屍(しかばね)』……じゃなかった、裸踊りの肉塊の……超絶的な肥満体の金融商ホジジンが仕掛けてた催眠術……
怪異なまでに、不健康なブヨブヨ。この奇妙な媚薬キノコ『アマニータ』群落が、身体全身に根付いて、その皮膚の下にはびこっていたら。
どこかで見たような、あの人間らしくない――黄金の三つ首《蠕蟲(ワーム)》さながらの化け物めいた――ブヨブヨとした肉塊になるような気がする。
トルーラン将軍も、そんなブヨブヨ印象だったし、御曹司トルジンも、人間と言うよりは邪霊害獣《蠕蟲(ワーム)》の気配に近い……もっとも近いと感じたのは、
ほかでもない、かの禁術の大麻(ハシシ)まみれだった帝国皇帝(シャーハンシャー)。
脱税タバコと高級菓子店ビジネスに絡む、不正アヘン問題と、『邪霊キノコ・アマニータ』は、つながっているのだろうか。
どちらもトルーラン将軍とその御曹司トルジンの巨額脱税にかかわる金脈なのは間違いないけれど……
アルジーは、なんらかの引っ掛かりををつかもうと、必死でキョロキョロして……ハッとした。
市場(バザール)では比較的に大型の、見慣れない台車が、そこに放置されている。
何も積載されていない台車。これから何かを積載して運搬する予定だったのか。
――不健康シニア男ザルリン侯が、逃走の際に放り出していったブツに違いない。
その台車のプレートが奇怪だ。
店名や所有主の名を記すプレートに、ズバリ精霊文字で『アマニータ』とある。
唐突な……偶然の一致。
「え、あの台車は、いったい何?」
アルジーの肩先で早くも、相棒の白文鳥《精霊鳥》パルが「ぴぴぃッ」とさえずった。強めに。
『注目! 注目!』
ひとまず近寄って観察だ。
ギヴ爺(じい)も興味深そうに、しげしげと眺めはじめる。老ハムザ夫人も。
「こりゃ、ちょうど、あの《精霊魔法文明》オーパーツな製粉機械を運搬できる大きさの台車じゃの。本当の本当に、ザルリン侯とその手下たちは今日、
無理矢理に取り外してでも、持ち出すつもりじゃったんかのう」
「そのつもりだったのかも知れません」
オーラン青年が、ボソッと突っ込んだ。顎(あご)に手を当てて思案顔をしていて……次第に、その黒い眼差しに、不穏な怒りの気配が混ざってゆく。
「聖火神殿のほうで、製粉機械を積載した台車を見ました。元・宮殿衛兵団長クッサイ配下のチンピラたちが担当していた様子で……時系列が前後しましたが、
此処にある老ハムザ氏の製粉機械と取り換えて、ごまかす計画があったという推測が成り立ちます。
その後でシレッとこの店を横取りして、高級菓子店の系列店として、ラシンダ嬢あたりが店主をやる、というような計画も……」
クムラン隊長と《亀使い》ゼインが、それぞれ、フムフムと相槌を打つ。
「筋は通ってるぞ、オーラン君。事情聴取その他で裏取りする必要はあるが、それで間違い無さそうだ」
「本当にヤツラ、死に物狂いで焦ってるらしいな。ティーナ殿が占ったとおり」
ギヴ爺(じい)は放置された台車を観察しつつ、呆れて……モッサァ白茶ヒゲをモサモサと振った。苛立たし気に。
「ハムジッチャンの機械は、要点を知らない者が下手に操作すると壊れるぞい。運搬にしても、特別な方法が必要なんじゃぞ。盗ッ人猛々しいとは、この事じゃよ」
「恐ろしい世の中になりましたほねえ……」
横で、オッサン《亀使い》ゼインが「あちゃー」と言わんばかりに、ターバン頭をガシガシとかき回し。
「あいつら技術者じゃないからな。どこまで行っても転売屋の延長……市場(バザール)の真ん中で、常に人目があって、命拾いした形だな。
妙に想定外の騒動やら事件が相次いで、神殿衛兵の出入りが途切れなかったのも……」
老ハムザ夫人が不思議そうな顔になり、オッサン《亀使い》ゼインと、オバハン占い屋ティーナを順番に眺める。
「いつだったか早朝から、えらい大揉めしてましたほ、ねえ。《亀使い》さんと、クッサイ団長さん。ガチムチ手下を引き連れて、《精霊亀》を盗んだとか、どうとか。
ザルリン侯とクッサイ団長さんは昔からアレで、アレも、ザルリン侯が裏で、クッサイ団長さんに依頼なんかしてたり?」
「昔から、アレって?」
一瞬、老ハムザ夫人の意図が分からず、聞き返すアルジー。
「おぉ、酒場の鬼耳の給仕の小僧が、色々と小耳に入れて来るんじゃが、兄弟の血の杯を交わした仲、とか言うとったぞよ」
ギヴ爺(じい)は、素敵にモワモワした白茶ヒゲを撫でつつ、慎重に記憶を掘り返していた。
「兄弟の契りとか……義兄弟とか。東南地方では意味のある習慣だそうじゃの」
不意に元・遊女ミリカが顔色を変えた……
「それ知らなかったわよ。意外に重要な関係じゃないの」
「ミリカさん? ――そういえば、ミリカさんは東南地方の出身……」
「ちょっと待ってて。いま考えてる。そこまで、ガッチリ手を結んだという関係なら……、え、テッチャン……テージュ坊や?」
ミリカが思案に集中しはじめ、自然に首をかしげた際に――その先にあった聖火祠へと、視線が向いていた。
――その、何の変哲もない聖火祠の後ろから、テージュ坊やが、かわいい顔をヒョッコリ出していたのだった。
4歳児テージュ坊やは、ミリカの注目に気付いた様子。あわてた様子で、クルリと向きを変え、祖父バルジュ老の家へ向かって駆けて行った……
クムラン副官が、ハッと気づいた顔になる。先祖から受け継ぐ、左右の鬼耳の端がピコッと動いていた。
「なんか落としたぞ?」
「同意します」
同じく《地の精霊》祝福の聴力で、同じ兆候を聞き付けていた――オーラン青年が頷き、サッと聖火祠のもとへ駆け寄った。
「あった」
早くも聖火祠の足元から、サッと、なにかを拾い上げ……戻って来たオーラン青年が手にしていたのは。
「……籠(カゴ)?」
――幼児向けヌイグルミ程度の大きさ。丸っこく、ユーモラスな雰囲気。
達者な手際でもって、六角形の亀甲模様が組まれている。明らかに亀を模した細工。頭部もシッカリ作り込まれている。台座となっている四つ足は、海洋の亀を想定していたのか、安定度の高そうなヒレ型。
その中には、何故なのか、『ヤジド』名が刻印された、習字用ペン先が入っていた。
順番に見せられたギヴ爺(じい)が早速、同じ技術者の目でもって、確信した様子で解説をはじめた。
「夜間照明ランプシェード、じゃな。籠(カゴ)づくり屋バルジュ爺(じい)の品に、幾つかあったのを見たぞい。いつもながら見事な細工じゃの。
ペン先入れとして使ってるのは謎じゃが」
「でも、なんで、テッチャンが、これ持って来たのかしら? 故意に置いていった、って感じだったわよ、あれ」
ミリカが当惑顔をしながら、違和感を指摘した。
「……テッチャン、さっきの、ザルリン侯の一味との押し問答も、見聞きしてたのかしら?」
「見聞きしてたと思う……」
「見聞きしてたね」
オバハン占い屋ティーナが、占い道具の亀の甲羅――脱皮の後に残された甲羅――を撫でながら、ウンウン頷いて同意していた。
バルジュ老の孫息子テージュ坊やの意図は、よく判らない。だが、4歳児なりに、何かを伝えようとしている……という気配はある。
そういえば、4歳児どうし、テージュ坊やとヤジド坊やは、何か秘密を共有している様子だった。
おおむね『戦士の誓い』および『敵討ち』。
…………
その一、《精霊亀》を拾った場所や、隠した場所は、男と男の秘密だ。例の《精霊亀》が安全になるまでは、隠した場所は口外厳禁だ。
その二、今朝の市場バザールで起きた口論バトルをひそかに目撃した結果、『ウフン男』が《精霊亀》をイジメている卑怯者であるのは間違いない。
おまけに邪霊《骸骨剣士》を仲間にしてるからテージュ母を殺した敵でもある。2人で力を合わせて、『ウフン男』をやっつけよう。
…………
無理やりにでも問い詰めれば、聞き出せるだろうけど。
4歳児のしゃべる内容が、どこまで信頼できるのか? 悩ましい問題である。
もっとも現在テージュ坊やは、目の前で母親を殺されたショックが響いていて、無口がつづいているところだ。普通に、しゃべれる相手は、同い年の遊び友達・ヤジド坊やに限られている様子。
目の前にある、ザルリン侯の所有の台車――プレート名『アマニータ』、その意味『邪霊植物・媚薬キノコ』――と、どこかで、つながっているのだろうか。
そして。
――相変わらず真相不明である、老ハムザ殺害事件。
――失せた《精霊亀》。
――『パパ活』ラシンダ嬢ふくむ、チンピラ転売屋に狙われている老ハムザの店の、『古代精霊魔法文明』遺産であるハイテク製粉機械。
――暴力団「自称・蒼甲騎士団」だの、不正アヘン使用の高級菓子店だの、脱税タバコ屋だの、相変わらず怪しく陰謀している前・東方総督ザルリン侯と、
もと宮殿衛兵団長クッサイ。不正アヘン脱税ビジネスつながり……御曹司トルジン。
ひとつながりに、つながっている筈。確実に。
――この《鳥使い》直感か何かが、間違ってなければ良いけれど……
アルジーは、いつしか、思いつくままに呟いていた。
「この間、テージュ坊やとヤジド坊や、そこのベンチの陰で秘密会議してたけど。ウフン衛兵団長が、本当に、テージュ坊やの母親を殺した?」
「あ、あれなあ」
オッサン《亀使い》ゼインと、クムラン副官が、互いに、訳知り顔で、視線を交わした。
「不意打ちの《骸骨剣士》群れが出てたんだ。私が詰めてる《亀使い》地誌編纂所の近所でもあったから、ちょいと人手を出して討伐に加わっていた。
もと東方総督トルーラン将軍の方針で、治安を受け持つ衛兵がドンドン削減されてて、ヤバくなってたのもある。討伐しそこねた《骸骨剣士》残党が、テージュ坊やの母親をやっちまった」
「それ、聖火神殿の経理担当の役人ゾルハンが生きてた頃?」
「なんだ、そいつは?」
「あ、連携し忘れてたよ、ゼイン。ゴメンよ」
横からオバハン占い屋ティーナが突っ込んだ。
「代筆屋アルジーに強烈な死相が出てた、あの異常な夜の原因になった要素だよ。
そこのギヴ爺(じい)さんが、たまたま《月下老人》星回りが良かったんで、それ経由で、《精霊亀》精霊魔法『赤い糸』を結んでもらってたんだわ」
いきなり名指しされて、ギヴ爺(じい)が目をパチクリさせ、「お、おぅ」と呟いた。
40代ふくよか女占い屋ティーナの説明は、なめらかに続く。
「その『赤い糸』の御告げが、『しもべ918号ぞるはん』だった。てっきり呪文の切れ端だと思ってたよ。実在する人名だったとはね。
手ごたえは確かにあったから、何らかの証跡をくっつけられた筈。《骸骨剣士》魔導の成分を捕捉したよ」
――証跡どころか、その手のものでしかありえない、特殊な傷痕がバチバチ言ってて、バッチリだったと思う。
今さらながらに、アルジーは、あの悪夢の黄昏の光景を思い返していた……
オッサン《亀使い》ゼインが困惑顔をしつつ、ターバン頭をガシガシとやり出した。脳内の記憶を整理しているところらしい。
「事情は理解できたと思う」
オッサン《亀使い》ゼインが困惑顔をしつつ、ターバン頭をガシガシとやり出す。
「で、なんだ『ゾルハンが生きてた頃』って? 奴は行方不明で、絶賛、指名手配中だ。攻城戦の夜を境に、急に居なくなった。神殿衛兵から連携を受けて、わが地誌編纂所でも鋭意、追跡中だ……」
そこまで言って、オッサン《亀使い》ゼインは、不意にハッとした顔になり、アルジーを振り返って来た。
「……あの細長い顎(アゴ)の元・万引き少年にして邪霊グッズ転売屋、死んでるのか? 代筆屋さんよ」
…………
……
いつしか、アルジーの顔は引きつっていた。
あの恐怖は、忘れようとしても忘れられるものではない。
悪夢の極みの黄昏――全容が思い出される……
――見たんだね、代筆屋くん――
耳まで裂けるような……異様に歪んだ笑みだった。
神殿役人ゾルハンの、神経質そうな細い顎(あご)が、異形さながらに歪み、尖りながら動き……
最初に、アルジー=アリージュ姫が、怪異な黄金仮面の首領魔導士の手によって、生贄にされかけた――夜が、あの悪夢の黄昏から始まっていたのだ。
――同志よ、いよいよ『黄金郷(エルドラド)』の時は来た――
そして、そして……
ミリカが何かに気付いたように、気づかわし気な視線を投げて来た。
「真っ青だよ、アルジー。話せないなら、無理には……」
「たぶん、大丈夫……あの、ゾルハンが死んだところ見てたから。超大型の三ツ首《人食鬼(グール)》の触手……舌で、粉々になって……」
――しばしの沈黙。
やがて、それまで空気のように沈黙していた鷹匠ユーサーが、不意にシッカリした声で補足を述べた。
「攻城戦の前哨戦、謎のブランクがございます。《亀使い》ゼイン殿もご存知のとおり。前・魔導大臣フィーボル猊下……魔導士フィーボル殿が、そのようにおっしゃいました」
全員で、ギョッとして、ごま塩頭のシニア番頭を注目する。つくづく、気配の読めない男である。本来、隠密――忍者であるから、当然なのだが……
ごま塩頭のシニア番頭――鷹匠ユーサーの、思案深げな言及がつづく。
「超大型の三ツ首《人食鬼(グール)》が城壁のうえに出現して、降下した。その後に、聖火祠が爆発して《人食鬼(グール)》に着火し、もろとも崩落した。
聖火祠をねぐらにしていた白文鳥《精霊鳥》が正確な刻を証言しています。そこで、謎のブランクが。何を破壊していたか説明できないカギ爪の痕跡が、桑林の地面に……広範囲にわたって刻まれていました」
しがない・オッサン《亀使い》ゼインが、すこぶる青ざめた顔になった。亀甲提灯をつかむ手も、明らかに震えている。熟練の戦士であるからこその、超大型の三つ首《人食鬼(グール)》への、恐怖。
「じゃ、そのタイミングか……?」
クムラン副官が、口元を引きつらせた。
「超大型の三ツ首《人食鬼(グール)》が、男1匹を食らうには、十分な時間ではあるな」
ギヴ爺(じい)と老ハムザ夫人が、「おや」「あら」と、目をパチクリさせた。半信半疑の顔だ。
不意に、セルヴィン青年が、琥珀色の目をしばたたき。アルジーへと視線を向け……
訳も無く、ドキリとするアルジー。
「――神殿の経理担当の役人ゾルハンが、あの夜……《骸骨剣士》小隊を操作していた、
灰色の骸骨仮面と黄金マントの……例の怪物教団メンバーの邪霊使い、通称『しもべ918番』。まさかの神殿役人、というところまでは調査できてなかったけど」
「居たの? あの時は、巨人戦士ザムバが最も怪しいってことで、バーツ所長と先輩ウムトさんと、ギヴ爺(じい)だけで、尾行してた記憶が……《骸骨剣士》に包囲されてヤバかった時に、
援護に出て来たの、偽ユージド=ホニャララ……だけだったような気が? 後で迎えに来てくれてたの、番頭さんだけだったような気が……」
午後の半ばの空の下、意味深な気配が流れた。
――なにやら、男どうしの間で、訳知り顔が複数。
何故か、オバハン占い屋ティーナも訳知り顔だ。
アルジーには意味が判らない。
しかしながら目下、進行中のミステリーのほうが重要である。
「ともかく、そのテージュ坊やの母親を殺した《骸骨剣士》発生、本当に偶然だったのかどうか……神殿役人ゾルハンは、
その手の操作が出来る邪霊使い……ゾルハンが、まだ生きていた時だったのなら……」
「なるなる……『しもべ918番』こと邪霊使いゾルハンが、そのタイミングで《骸骨剣士》小隊を発生させてた可能性もあるわね」
ミリカがタイミングよく頷く。
「なにか重要な事から目をそらすための陽動として。《骸骨剣士》は数がそろうと、組織化して、急に強大になる。
その邪悪な協力の報酬が『媚薬キノコ・アマニータ』だったとしたら、男としては張り切った筈だわよ」
オッサン《亀使い》ゼインは素早く頷き、ミリカの言及に賛同する旨、示して来た。
「女神官の修行してたと聞くだけあって素晴らしい頭脳だな、ミリカ嬢。テージュ坊やの母親が《骸骨剣士》襲撃に巻き込まれた件、意外に重要な取っ掛かりかも知れない」
つづいて《亀使い》ゼインは、手持ちの亀甲提灯の棒をソワソワと握り直しつつ……思案を呟いた。
「話を戻して……大型の《精霊亀》闇取引マーケット情報をつかんで、ヤミ運送業者を追跡する作戦があった。地誌編纂所としては町中に出て来た《骸骨剣士》軍団への対応で……」
ギヴ爺(じい)がモワモワ白茶ヒゲを撫でながら、感服しきりである。
「そんな事情があったとは知らんかったぞい。クッサイ団長、無関係な食用亀さえもギタギタにするほど熱心なのじゃなぁ……と感心してたがのう」
オッサン《亀使い》ゼインは思案顔のまま、ふくよか女占い屋ティーナを振り向き……
「テージュ坊やの母親が死んだきっかけになった《骸骨剣士》騒動は、地誌編纂所としても《精霊亀》闇取引マーケットを逃す結果になった不意打ちの騒動でもある。
邪霊使いゾルハンが《骸骨剣士》軍団を操作していたのか。その目的は《精霊亀》ヤミ運送業者の取締りを妨害するためだったのか? 占いの方面で、裏を取れるか? ティーナ殿」
「可能だよ。ゾルハン自身が『なんら機密には当たらない出来事』と感じていそうだ。幽霊になってもペラペラしゃべるだろうね」
女占い屋ティーナは、そこまで言って、不意にピンとした顔になった。手首のバングルをシャラシャラと回している。
「例の怪物教団の仲介で、《邪霊使い》ゾルハンと衛兵団長クッサイが裏で結託していたとすれば……ゼイン殿が、生存中のクッサイ団長を捕まえて『物理的に』尋問するほうが早そうだけど」
「時は金なり。そっちで行ってみるか」
ただならぬ気配に、ちょっとだけ、のけぞる……アルジーであった。
――『物理的に』尋問するってなに。それ怖い。
*****
クッサイ団長の緊急確保について申し合わせが済んだ後。
取り急ぎ、地誌編纂所からやって来た《亀使い》戦士たちが、《亀使い》ゼインや女占い屋ティーナと共に、ザルリン侯の所有の、『アマニータ』プレート付き台車を没収する形となった。
地誌編纂所で、台車に怪しい仕掛けが無いかどうか専門的なチェックをおこない、何か問題点が見つかれば、それを理由にしてザルリン侯を拘束する構えである。
そして勿論、媚薬キノコ『アマニータ』成分は、即・逮捕モノの、禁制ドラッグの類である……
*****
金融商オッサンの店へ戻ってみると。
不意打ちの来客が居た。
黒衣の老魔導士フィーボル。このモッサァ白ヒゲ毛深族の老人は、自称『人類史上の最高の天才』。
つい先ほどの、表通りの拘束・連行の騒ぎには、気付いていなかった様子だ。一心不乱に、何かを書きつけていて……
「老魔導士どの? どうしたんです?」
「おお、鷹匠ユーサー殿。それに若いのも。昨夜の三つ首《人食鬼グール》出現の件で、聖火神殿との質疑応答を色々まとめておったのでな」
早くも老魔導士は、持ち前の好奇心を発揮して……籠細工の亀型ランプシェードに目を留めた。4歳児テージュ坊やが故意に落としていったと思われる、細工物。
「縁起物じゃな。土産物っぽいが、これは何処から?」
セルヴィン青年とオーラン青年から、端的な説明でもって、先ほどの出来事の概要を聞き取り。
老魔導士フィーボルは、俄然、モッサァ白ヒゲを、一層モッサァと膨らませた。鳶色とびいろの目がランランと輝きだす。
――「人類史上、最高の天才」を自称するだけの頭脳でもって、何かに気付いた様子。
「そのテージュ坊やとやらに、可及的すみやかに聞き込んでみなければならんぞ。《亀使い》素質があるそうじゃの! 場合によっては……!」
老魔導士フィーボルは、もはや頭脳と同じ速度で足を動かす有り様。
テージュ坊やが居住する路地裏の一角へ、爆走、一直線だ。
即座に、アルジーやミリカをはじめ、セルヴィン青年・オーラン青年も……念のため三日月刀(シャムシール)を携えたまま……飛び出す羽目になったのだった。
…………
……
金融商オッサンの店隣にある市場(バザール)は、平均よりやや大きめの規模である。
市場(バザール)の路地裏は、その市場(バザール)へ店を出している各種職工の工房や、中小の運搬業者の出張所が並ぶ。市場(バザール)の種類や規模に応じて、路地裏も様々。
そうした中に、籠(カゴ)造り屋バルジュ老の営業する自宅-兼-工房があった。
4歳児テージュ坊やは、祖父バルジュ老の言いつけで、工房の保管庫にある籐(ラタン)の束を、えっちら・おっちらと集めているところだった。籠(カゴ)の材料になるのだ。
そして坊やは、急に「ババーン」とばかりに現れた黒衣の白ヒゲ老人にビックリして、可愛いお目目とお口を、真ん丸にした……
一見して、微笑ましい光景。
アルジーは、はたと気付いた。
(確か、テージュ坊やは、目の前で《骸骨剣士》に母親を殺されて以来、ショックで、声を出せない状況が続いてるとか……!)
ひとときの緊張。
老魔導士フィーボルは、老体とは思えない機敏さでサッとしゃがみ、テージュ坊やと視線を合わせる。
次に、老魔導士の手の平の上に、籠細工の亀型ランプシェードが現れた。
その次に、亀型ランプシェードから取り出される……『ヤジド』名が刻印された、習字用ペン先。
「単刀直入に聞くぞい。お友達のヤジド坊主と一緒に、会いに行っている《精霊亀》が居るじゃろ。そこへ連れてってくれるかの?」
「……」
4歳児テージュ坊やは、じっと老魔導士フィーボルを眺め……観察している様子。
アルジーの肩先に居た相棒、白文鳥《精霊鳥》パルが、タイミングよく、老魔導士フィーボルの頭部――生成りターバンの上へ止まる。
テージュ坊やは真っ白な小鳥を見つめて、驚いたように目をパチクリさせ……無言でコックリ頷いた。
かくして……
4歳児でなければ思いつかなそうな路地裏へと、テージュ坊やは歩いて行った。
自然、老魔導士フォーボルと、アルジー含む「ニワカ探偵団」は、後を付いて行く形になる。
いまは亡き老ハムザ氏の、水耕ハーブ栽培施設へと面する路地裏を横切り。
市場(バザール)のバックヤードに相当する裏道へ入る。
中身を出し切った穀物の運搬袋の群れ。
各種の野菜の運搬袋の行列。
香辛料の袋の溜まり場。
衣料品が入っていたと思しき衣装箱の数々の山。
オーラン青年が、不思議そうに首を傾げて……老魔導士フィーボルへ声を掛けた。
「どうして、あの亀型ランプシェードが、《精霊亀》の居場所に関係あると、お考えになったんですか?」
「以前に、クムラン君から、4歳児どうしで意味深な密談をしていたと報告を受けたぞい。『大人にバレないと信じている』符丁でもって連絡を取り合ってたのは確実じゃ。
その符丁が亀型ランプシェードじゃ。ふん、坊主どもも14歳の時に、衣服も武器も交換して変装するなど、コソコソやっとったじゃろうが」
――ここだけの話ではあるが、セルヴィン青年とオーラン青年が、そろって「恐れ入りました」と呟くのを見たのは、初めてかも知れない。
到着したのは、亡き老ハムザ氏の香辛料屋の、店の裏――バックヤードである。
ちょうど工房に相当する部分。
各所に設置された採光窓を通じて、古代『精霊魔法文明』の遺産とされている製粉機械の……漏斗の形をした筒が、チラと見える。
まだ整理の途中だったらしい香辛料袋が、採光窓の間に鎮座していて……定番のシバンムシが沸いていた。
4歳児テージュ坊やが、おずおずと老人を振り向いて。
採光窓を通して、香辛料袋を、そっと指差して見せる……
見ていると、シバンムシが一体、「パクッ」と、やられたみたいに消えた。
「おお、《精霊亀》じゃな」
「ぴぴぃ」
白文鳥《精霊鳥》パルが飛び立って、誘うように飛び回ると、すぐに《精霊亀》が姿を現した。
一体。そして、もう一体。子供の両手に収まる程度の大きさ。
「昨夜、抜け出した個体……此処へ移動していたっていうのか?」
「距離的には、納得するけど。もう一体は、何処から」
仰天する、セルヴィン青年とオーラン青年。
アルジーは《鳥使い》ならではの精霊語の能力でもって、すぐに、《精霊亀》が説明している概要を、聞き取った……
「そっちが地誌編纂所の古株《精霊亀》ジオ。こっちが老ハムザ氏が保護してた新入り《精霊亀》ハムザ。ってこと?」
2体の《精霊亀》頭部が、順番に、「うんうん」というように縦に振られた。
よく見ると、地誌編纂所の古株《精霊亀》ジオは小粒ではあるが、東帝城砦のオアシスをつかさどる巨大な《水の精霊》=『渦巻貝(ノーチラス)さま』と同じくらいの、高位の精霊の気配がある。
これ程に甲羅から螺鈿の輝きを失った――という事態は、相当の危機だったに違いない。
新入り《精霊亀》ハムザのほうは、老ハムザ氏の世話の成果がうかがえる。かつてクッサイ団長のもとで乱暴な扱いをされていたに違いなく、甲羅に古傷がついているが……その螺鈿の輝きは良好だ。
つづいて、事件の夜の、テージュ坊やの行動の説明。
アルジーは、自分の理解のためもあって、いつしか人類語で復唱していた……
…………
……テージュ坊やは、老ハムザ氏の水耕ハーブ栽培施設に、クッサイ団長から買い取られた《精霊亀》ハムザが居る事を知ってて、たびたび見に来てた。
老ハムザ氏とテージュ坊やは《精霊亀》世話で意気投合した仲間。ヤジド坊やも世話してたけど、距離的にもテージュ坊やのほうが近くて、熱心だった。
あの夜もテージュ坊やは、いつものように見に来てた。
そしたら、いつもの場所には《精霊亀》ハムザと、もう一体の《精霊亀》ジオが居た。地誌編纂所からの。老ハムザ氏も知らなかった《精霊亀》。
2体も居るので、テージュ坊やはビックリして、拾って様子を見ようとしたら。
バサッという音。
なんらかの移動の気配。
次に、隣から、女の人の声、クシャミ、物音がして……
…………
……
ミリカが合の手を入れる。
「それ、あたしたちだね。で、ビックリして、テージュ君は《精霊亀》抱えたまま走ってった?」
「2体とも。《精霊亀》ハムザと、《精霊亀》ジオを、まとめて抱えたまま」
テージュ坊やは、バツの悪そうな顔で、コックリと頷いた。
「う、あ、……」
まだ言葉を出しにくい状況がつづいているらしく、4歳児テージュ坊やは、右手で1本、左手で1本……左右に各々、1本指を立てながらも、口ごもっている。
再び《精霊亀》がプツプツと音を立てた。精霊語。
「いっぺんに《精霊亀》2体、扱いかねて……最初の夜は、ヤジド坊やと、テージュ坊やとで、1体ずつ、家に隠してた、っていうの? 食事や移動の時なんかには、
亀型ランプシェードを交わして合図して?」
翻訳してみて、あらためて唖然とするアルジー。
最初の夜――実際は夜明け前だが――ヤジド坊やの家に《精霊亀》が居たとの情報も、納得だ。
そして、クッサイ団長が、老ハムザ氏に《精霊亀》売りつけていたとの情報とも、矛盾は無い。
いつだったかの早朝、クッサイ団長が手下と共に市場(バザール)――老ハムザ氏と《精霊亀》を売買取引をした市場(バザール)――へ押しかけて、
『逃走した《精霊亀》を隠してるだろう、返せ』というようなことを怒鳴ったのは、単にド忘れしていたせいだ。間違いなく。
あるいは『老ハムザ氏に《精霊亀》を売りつけたという事実』をド忘れした振りをしておいて、余計な疑惑を、誰でも良いから他人へ上塗りしようとしていたか……本能的に。
ミリカと、オーラン青年とセルヴィン青年は、もはや天をも仰ぐ格好。
老魔導士フィーボルが、誰よりも立派なモッサァ白眉をビシバシと跳ねさせた。相応に、驚愕の成分が混ざっている。
「道理で、《精霊亀》の情報が錯綜する筈じゃな! 実は2体おったとは!」
衝撃が過ぎ去った後。
もっとも重要な疑問が出て来た。ミリカが素早く口を挟む。
「テッチャン、誰が、あんな夜中にハムジッチャンと会ってたのか……見てた?」
――残念ながら4歳児テージュ坊やは、『見てない』と、首を横に振るのみだった。
そして《精霊亀》のほうも。
『目くらましの禁術かかってたから……』
とは、市場(バザール)で売買されて、老ハムザ氏に世話されていた《精霊亀》ハムザ。
地誌編纂所の古株《精霊亀》ジオのほうは、ボヤいていた。
『人類の「禁術スキスキ」にも困ったもの。目くらましの禁術は代償が大きい。最近、急に不健康な格好になった人物が居たら、そいつだ。
媚薬の系統の禁術。老魔導士なら、その忌まわしき禁術の全容を、人類向けに説明できる。だれよりも詳しく、端的に』
アルジーの翻訳を通じて、老魔導士フィーボルは、その意味を精査していた。いまや、モッサァ白ヒゲが、爆発せんばかりに膨らんでいる。
「現場100回じゃ。現場に戻って、再調査するぞい。刃物のみの、単純な殺傷事件という思い込みがあって、《魔導》方面の特殊調査はやっておらんかったのじゃ」
「え、今からですか?」
…………
……
取り急ぎ、皆で引き返す。
4歳児テージュ坊やも、勢いに呑まれたまま――好奇心のままに、2体の《精霊亀》をターバン頭に乗っけながら付いて来た。4歳児ながら、すでに《亀使い》の性質あり。
緊急の行き先は、亡き老ハムザ氏の水耕ハーブ栽培施設だ。
セルヴィン青年とオーラン青年が、順番に、雑感を述べていた。
「あの現場を見たら、普通は、凶器は三日月刀(シャムシール)系統の刃物だと想像しますよ、ご老体」
「オローグ兄貴から検視結果を連携してもらって。刀傷を見ても、ひととおり訓練の入っている太刀筋が。相当に熟練の剣客だろうとは思いましたが」
■7■絨毯爆撃してみれば煙の香より亀の甲
今は亡き老ハムザ氏の、水耕ハーブ栽培施設。
到着してみると。
新しい持ち主となった若い香辛料屋の男が居て……かいがいしく、ハーブ苗を世話しているところであった。
老ハムザ氏が経営していた店にとっては競合相手である新興の店の主人。もとは老ハムザ氏の店のアルバイト店員-兼-弟子だった人物。
ターバンを作法どおりに真面目に巻いていて、実直そうな印象の香辛料屋である。
さっそく、施設の戸口に立った老人――と道連れの面々――に気付いて、振り返って来た。
「これは老魔導士さん。毎度ごくろうさんで。老ハムザ師匠さんの事件の調査でしょうか?」
「お察しのとおりじゃよ。いささか花火を使うが大丈夫かの」
「? ……最低限、ハーブ苗に着火さえしなければ……」
「ご協力、感謝するぞい」
老魔導士フィーボルは、小気味よいまでの手際でもって、不思議な作業を飄々と進めていった。
多種多様な種類の《紅白の御札》が、次々に、モッサァ白ヒゲの間の、黒い袖の中から現れる。老魔導士の黒い長衣(カフタン)の袖は、まるで魔法のビックリ袋である。
無造作にアチコチ、御札をペタペタと貼りまわっているように見えるのに、その位置取りは正確な《聖火の陣》を形成していた。
しかも、退魔調伏のための最強の『地獄の聖火』も、念のため召喚できるようになっている。
いつの間にか、毛並みの良い《火の精霊》火吹きネコマタが出て来て、2本のネコ尾を立ててウロチョロしていた。セルヴィン皇子の相棒をしている赤トラの子ネコ。
「ちょいと《魔導》実験といこう。念のため皆の者、ターバンをシッカリ押さえ、布端で耳と鼻を押さえるのじゃ。ワシの考えているとおりだとすると、結構な数の、邪悪な胞子が飛ぶ。
耳の穴から、鼻の穴から、尻の穴から、変なカビやキノコを生やしたくなかろう」
その言葉に、若い香辛料屋がビビッた。頭部ターバンを覆面にして、ガチガチに押さえつつ。
「ハ、ハーブが、やられて、カビたら」
「そちらは心配いらん。だいたいがな、植物には、我々のような耳や鼻は無いのじゃぞ」
次々に新しく大量に取り出された《紅白の御札》の束は、行列をつくり、舞い広がり。
見る間に、かつて老ハムザ氏の遺体が横たわっていた位置へと、降り敷いた。
退魔調伏の《紅白の御札》で織られた、紅白の絨毯というところ。
かねてからウロチョロしていた火吹きネコマタの2本のネコ尾の先で、パパパと真紅の火玉が打ちあがったかと思うや……
御札が次々に跳ねて、弾けた。さながら、花火のように。
パンパパン! パ・パ・パーン! パパン・ガ・パン! パンパカパーン!
見ていると、邪霊の黄金色の粉が舞い散っているのが判る。
菌糸とおぼしき、クネクネした糸を引いていて……間違いなく、胞子の類。
「邪霊キノコ・アマニータじゃな。早く気付いたのは運が良かった。あと数日も放置していたら、この水耕ハーブ栽培施設が大量の菌糸に包囲され、カビやキノコで恐ろしい事態になったじゃろう」
「なんという事でしょう。砂漠の廃墟がそうなって、巨大な怪物や《人食鬼(グール)》の産卵場所になったとか、苗床になったとか、恐ろしい怪談で聞いてましたが」
生真面目な若い香辛料屋が震えあがっている。
セルヴィン青年がギョッとした顔になり……
「この変な『糸引き胞子』が、邪霊キノコ由来のものだという根拠って?」
「邪霊キノコ・アマニータ胞子の、特有の現象なのじゃよ。『糸引き胞子』とは、そのものズバリの上手な言い方じゃな。大神殿の学究所で、学界用語にしておこう。
それはさておき、こいつは、本当に爆弾の原料にもなる。敵の町をカビさせたいなら、それが最も有効な手段じゃ」
ミリカが目をパチクリさせる。その目に浮かんでいるのは、未知への好奇心と、邪霊への恐怖だ。
「邪霊カビ・キノコ爆弾って……あまり考えたくないわよね?」
「右に同じじゃ。通常は、怪物どもの苗床や離乳食としての役割であり、食物連鎖の中で完膚なきまでに始末される。じゃが禁術の素材として採取した分を不真面目に放置して腐らせると、
腐肉や糞尿どころではない猛烈な悪臭が、大海原や大砂漠、大草原を超えて広がるのじゃ」
「それは、我々、飲食業界にとっては最大の恐怖でございますよ」
生真面目な若い香辛料屋が、ブルブル震えている。意外に想像力の豊かな性質だったらしい。
「そうとも、我ら魔導士にとっても悪夢じゃ。だから禁術に手を出してはならんのじゃ。実際に、《骸骨剣士》が肉体を捨てて骨だけになったという極めつきの事件――奴らの魔導士クズレの集落で、
禁術の後始末の不備の末に、糞尿アマニータ爆弾が炸裂したためである――という神話伝説は、真実じゃよ」
老魔導士フィーボルによる恐怖の解説はつづいた。
「全世界が白骨化して全滅しかねない最終兵器・悪臭を、かの『怪物王ジャバ』へ集中的に大量吸引させて、やっと退魔調伏できたとの別伝も、あるのじゃよ。
巨人戦士アブダルの築いた『テンコモリ・ウンコの宇宙的恐怖』など、全然おとなしいモノじゃわい」
一同、絶句である。
絶句しているうちにも。
老魔導士の熟練の《魔導》――紅白の御札による退魔調伏の火花は、あらかた、邪霊の「糸引き胞子」を焼き尽くしていった。
水耕ハーブ栽培施設の土壌、いちめんに広がる火花。
邪霊の糸引き胞子を徹底的に退魔調伏する、《火の精霊》による絨毯爆撃。
若い香辛料屋が、おそるおそる、その様子をうかがいつつ……
「でも、どうして? 老ハムザ師匠は、有害なカビや、キノコ胞子を、持ち込まなかった筈」
「素晴らしい指摘じゃ。そのとおり殺傷をしでかした犯人によって持ち込まれたものに違いない。この火花の分布からしても明らかじゃ。
すなわち、犯人は、邪霊キノコ・アマニータに取り付かれて、胞子の苗床かつ運び屋になった人物じゃよ」
老魔導士が勢いよく頷き、誰よりも見事なモッサァ白ヒゲが「ボン」と膨らむ。
「殺害現場の謎についても判って来たぞい。『透明人間になって、通り魔的に、手あたり次第、いたす』という、ムナクソ悪辣なアマニータ禁術がある。それを応用したのは確実じゃな」
一瞬、驚愕ゆえの沈黙が漂った。
「いたす……? つまり、老ハムザ師匠は……その……男性ですが?」
若い香辛料屋の顔には、恐怖が浮かんでいる。
ミリカが、その話題の危険性を鋭く察して……ポカンとしている4歳児テージュ坊やの耳を、シッカリ塞いで、保護した。
老魔導士フィーボルは、ミリカの賢すぎる対策を了解するや、誰よりも立派な白眉をビシバシと動かす……
「男が、気まぐれに強姦されて殺されるのは珍しくない。老ハムザ氏は、強姦され、殺害されて、そのまま捨てられたのじゃ。
強姦された痕跡については、証拠隠滅のための小細工もされておった。この事実に間違いは無い。あまりにも、むごたらしい強姦の痕跡ゆえ、機密扱いじゃ。情報の取り扱いに注意してくれたまえ」
「初耳ですよ」
セルヴィン青年とオーラン青年も、恐怖の面持ちである。
「邪霊教団《炎冠星》の邪悪な奥義によれば、男が男を強姦するのが、快楽の強度がケタ違いなのじゃ。さらに秘術により、権力を縦横するに必要な異能を、後天的に獲得できる。
やらかしの数が増えるほど、異能は濃縮され強化される。邪霊教団がやすやすと帝国権力へ食い込むことができ、方々の城砦(カスバ)で国盗りもできているのは、その秘術のゆえじゃよ」
アルジーの脳内に、可能性のある犯人像が描かれていったのは……当然の結果である。
「御曹司トルジン……トルーラン将軍でも無いよね……今は、2人とも……」
「将来有望な神童という占断があった3歳や4歳の男児を拉致して強姦して、ゴミ捨て場に捨ててたってのは、聞いてる。例のおぞましい条例の騒動もあったし。
でも今は2人とも、宮殿の地下牢かどこかで尋問中の筈だわよアルジー」
ミリカは、老魔導士フィーボルと目配せを交わし、ひとつ頷いて……ポカンとしている4歳児テージュ坊やの耳から、会話を塞いでいた手を外した……
……やがて。
絨毯爆撃さながらの《火の精霊》による退魔調伏は、終盤へと移った。
ひときわ大きな「糸引き胞子」の束が残っていた様子で、いっそう大きな火花が打ちあがる。
――ドッカーン。
それは割合に深いところまで潜り込んでいた、邪悪な菌糸であった。
地震というほどでは無いが、あたり一帯が、グラリと揺れる。
その衝撃は、水耕ハーブ栽培施設をめぐる側溝を伝播してゆき……
伝播していった先の――水耕ハーブ栽培施設の出入口の先の通りの――夜間照明の街灯を兼ねる高灯籠の蓋(フタ)が飛んだ。
そして、高灯籠の蓋(フタ)が、飛んで落ちた。
――ゴットン。
「あれは……!」
次の瞬間、オーラン青年は顔色を変え。唖然とするような素早さで、その高灯籠へ駆け寄った。
「どうした?」
おっとりと続いて、通りを渡るセルヴィン青年。
オーラン青年が、落下した蓋(フタ)の近くから、何かを――細長いものを――用心深く拾い上げた……
……見るからに大型のククリ包丁のような、異国風の短剣。短剣にしては、大きいほうだ。
「え、何を拾ったんだ、オーラン? それは、いったい?」
「老ハムザ氏を殺害した凶器かも知れませんよ」
オーラン青年とセルヴィン青年が検討しているところへ、早くも老魔導士フィーボルが駆けつける。
つられた形で、水耕ハーブ栽培施設の中から、若い香辛料屋も駆けつけて……4歳児テージュ坊やも、アルジーとミリカも。
黒衣の老魔導士は、熟練ならではの鋭い眼差しでもって、刃物を注意深く観察しはじめた。
「オーラン君の推測は、ほぼほぼ正しい。誘爆していった先にあった事実からしても。老ハムザ殺害犯すなわち『胞子の苗床かつ運び屋になった人物』が、つづけて関与したブツで間違いなかろう」
短剣にしては大きく、異国風の曲線的な造形。ククリ包丁を大型にしたような印象。
「ベッタリと血がついとるな。血痕は新しい……新しすぎるし、食肉解体の類のようじゃの」
モッサァ白ヒゲ老魔導士は、確信を得たようにひとつ頷き、さらにブツブツと言及した。
「老ハムザ殿を殺害した凶器では無い。だが、小細工にしては妙じゃな。殺傷した犯人の足音は、この方向だったと聞いておる。なんらかの意図を感じるのう。どこかに、持ち主の刻印はあるか?」
オーラン青年とセルヴィン青年が協力して、慎重に、血まみれの大型ククリ包丁のような刃物を、引っ繰り返す。
「ギタギタ死体を、効率的につくれる刃物ではありそうだが」
「――名入れは『バルジュ』とあります」
「籠(カゴ)造りの……老バルジュ殿?」
若い香辛料屋が、仰天のあまり、どもりながらも言及する。
「そ、そういえば、そのタイプの刃物、……竹とか、籐(ラタン)とか、籠(カゴ)の原料を……短く切ったり加工したりする時にも使うんじゃ?」
――まさか。
――テージュ坊やの祖父バルジュ老が、老ハムザ氏を惨殺した、というのか?
――強姦して、この大型ククリ包丁のような凶器で、ギタギタに殺害したのか?
4歳児テージュ坊やが深刻な違和感を覚えたのか、ソワソワしはじめている。
老魔導士フィーボルは腕組みをして……モッサァ白ヒゲを膨らませつつ、思案に沈んだ。
アルジーとミリカは、何も言えず、おし黙るのみ。
その場に、なんとも言えぬ沈黙が落ちた。
ふと……違和感を覚える。
凶器と思しき、血まみれの大型ククリ包丁のような刃物――特殊な形をした、謎の三日月刀(シャムシール)。
そこから、既視感のあるような、においが漂って来ていた。
種々のハーブの香りでは無い。
むしろ花の香りに近いが……おそらくは人工の、におい。
香水の系統だ。あまりにも場違いな部類。
アルジーの鼻センサーと記憶は、やがて回答をはじき出した。
帝都大市場(グランド・バザール)でも宮廷社交でも、高級ブランド品として知られている……
――高価な香水『バビロン』。
何故、『邪霊キノコ・アマニータ』要素と共に、『香水バビロン』要素が出て来たのだろう?
いっそう記憶をつつくものがある。
――たしか、最初の、御曹司トルジンに放逐された夜。まばゆい銀髪の偽アリージュ姫から、香水バビロンのにおいが漂っていた……
老ハムザ氏を強姦して、ギタギタに血まみれにして、放置した犯人は……かの、銀髪妖女=偽アリージュ姫なのか?
生贄祭壇の場では、邪悪にして怪異な双子の銀髪妖女としての正体を現していた。
あの傲岸不遜な振る舞いは、間違いなく、命令することに慣れていて、かいがいしく奉仕されることにも慣れている……たとえば、奴隷商人や人身売買の商人の、最高位の首魁を思わせるもの。
邪霊カビ・キノコ胞子の運び屋を嬉々としてやりそうな雰囲気ではあったけれど、この類の肉体作業を進んでやる性質とは思えない……
*****
ひとまず、金融商オッサンの店の番頭を務める鷹匠ユーサーの助言もあって……《精霊亀》2体を、近くの地誌編纂所へ届けることが決定した。
その地誌編纂所には、《亀使い》戦士団が詰めているのだ。民間の自警団として、周辺地区の治安維持をも請け負っている。しがない・オッサン戦士《亀使い》ゼインも居るところ。
なお、オッサン戦士《亀使い》ゼインは、40代ふくよか女占い屋ティーナと同郷。すなわち亀甲城砦(キジ・カスバ)の出身。
――《亀使い》ゼイン本人は詳細を語らないが、なんらかの理由があって亀甲城砦(キジ・カスバ)から派遣された、手練れの《亀使い》戦士だろうということは窺える。
実際、かの地では最強の打撃武器という『亀甲錘』の達人である。そのうえ、さらに数少ないと聞く、両使いだ。
*****
テージュ坊やは《精霊亀》との相性が良い。
目下、本調子では無い《精霊亀》2体にとっては、テージュ坊やの手で運ばれるのが、精霊(ジン)としても存在状態が安定しやすいのだ。
存在が不安定な状態の精霊は、予期せぬ邪霊の攻撃を受けると、あっけなく蒸発して《根源の氣》へ還る羽目になる。
そして、4歳児テージュ坊やの取り扱いは、やはり現在の保護者である祖父・老バルジュへ任せる形。
アルジーとミリカ、セルヴィン青年・オーラン青年とで連れ立って、市場(バザール)の路地裏の籠造り屋バルジュ老の工房を訪ねる。
時は、もう午後の後半である。夕食の準備など、あわただしくなる頃合い。
「――ごめんください、お願いしたい事がありまして……」
バルジュ老は、毎度『盛大に顔をしかめる頑固ジイサン』の類ではあったが。
4歳児テージュ坊やが、今回の殺人事件に関係する《精霊亀》2体を、地誌編纂所へ届ける。ついては、保護者として付き添って頂きたい――と、依頼したところ。
バルジュ老は仕事道具を片付けつつ、あっさりと承諾した。意外なほどに。
「あの子は《精霊亀》の事になると夢中らしい。ハムバッチャンから聞いた。《精霊亀》について、隣の……今はもう別の区画へ引っ越したか……ヤジド坊と、ペチャクチャ話していたようだ、と。
正直ワシは、このすべてが気に食わん。だが、テージュが、また喋れるようになるのなら……」
……
…………
しだいに夕方の色を帯びる東帝城砦の、市場(バザール)の方々の路道。
建物の陰、早くから暗くなる多数の小路で、ハチミツ色をした夜間照明ランプが次々に繰り出されている。
やがて、ひとつ先の十字路の方向に、《亀使い》たちが詰めている『地誌編纂所』が見えて来た。
元は、すでに失脚済みの東方総督トルーラン将軍が、事業仕分けだのなんだので、お払い箱にしていた……街角の見張り塔のひとつである。
その見張り塔と、それに付属する詰所が、帝国の共通形式の防護柵で守られている。
――数人ほどの見張り。どこの街区でも見かけるような、定番の赤茶の戦士ターバンをした傭兵姿。
アルジーの肩先で、相棒の白文鳥《精霊鳥》パルが「ぴぴぃ(着いたよ)」と、さえずった。
現『地誌編纂所』は、さらに近づいてみると、《亀使い》流儀のもと増改築が施されている事が判る。噴水付き中庭を備えていて、その中庭に、チラホラと馬やラクダ、《精霊亀》の姿が見える。
民間の伝書局や中小の隊商宿と同じように、地上階は食堂と集会所を兼ねており、上階層は民宿の様式。内部は意外に面積がありそうだ。
夜間照明ランプとして、長い六角棒に取り付けられた亀甲提灯が並ぶ。東のかた『亀甲城砦(キジ・カスバ)』を思わせる、異国風味(エキゾチック)。
――元・民間の代筆屋アルジーとしては、街歩きの体力に余裕が無さすぎて、訪れたことの無い一角だったから……初めて見る建物だ。
傭兵の姿をした見張り《亀使い》が、さっそく、複数人の接近に気付いた様子。ひとりが建物の中へ駆けこみ、瞬時に連携がなされた気配だ。
はやくも、ビックリした顔をしたオッサン《亀使い》戦士ゼインが、詰所の扉の中から、出て来た。
「こりゃまた『トラブル吸引魔法の壺』持ちの皆さん。老魔導士どのに、テージュ坊やにバルジュ爺さんも……まだ『出頭命令書』は回ってない筈だが」
先頭に居た老魔導士フィーボルが、モッサァ白ヒゲを「ボン!」と膨らませて応じた。半分は、怒りだ。
「事態が変わった。色々とな。先ほど聖火神殿へ指示書を飛ばしたばかりなのじゃ、鷹匠ユーサー殿の相棒の白タカ《精霊鳥》ノジュムの翼でもって。此処へも飛んでくれたのだな、白タカ・ノジュムは」
いつしか、もと見張り塔だった詰所を取り巻く夜間照明ランプ、すなわち長い六角棒に取り付けられた亀甲提灯のうえに、立派な白タカ《精霊鳥》ノジュムの姿が見える。
早くも一行の認識および理解状況を察知した様子で、白タカ・ノジュムは訳知り顔をしながら、金融商オッサンの店の方向へと、飛び去って行った。
白タカ・ノジュムの姿を見送りながらも、老魔導士フィーボルは、早口の言及をつづけている。口の動きに合わせて、モッサァ白ヒゲが、ひっきりなしにモサモサと動いていた。
「ジャヌーブ砦でも、こういう先回りは必須だったのじゃ。三ツ首《人食鬼(グール)》を使う邪霊使いが含まれていて、
しかも工作の時系列も逆転して来ると、一般的な手続きや稟議でさえも先回りで進めねばならん」
「了解。ああ、若いの、2人ばかり立ち会え。これから口頭で述べるから、聖火神殿の報告書の形式で代筆しろ」
オッサン戦士《亀使い》ゼインは、しがない・オッサン風だが、役職の序列では上位だったらしく……2人ばかりの若手《亀使い》傭兵が、テキパキと門前に並んだ。
さすがにミリカが首を傾げて「いったい、なに?」と呟く……
若い《亀使い》傭兵が、少しばかり慣れない所作でもって、筆記用具を取り出した。
「ゼイン殿、我々、《精霊文字》は苦手ですよ。誤字脱字チェックのほうが時間かかりますよ」
毎度、ここで手を上げるのは、元・民間の代筆屋アルジーだ。
「私がやりますよ」
「お、バーツ殿も認める《精霊文字》有資格者の存在を忘れてたぞ。じゃ、代筆屋どの、さっそく」
しがない・オッサン《亀使い》ゼインは、早くも役人口調になって口述をはじめた。隣で若手の傭兵《亀使い》2人が、何故か捕り物の道具を用意している。
集まった面々――テージュ坊やと老バルジュはもちろん、セルヴィン青年とオーラン青年も、ミリカも、ポカンと聞き入るのみである。
真剣な訳知り顔なのは、老魔導士フィーボルのみだ。そのモッサァ白ヒゲに覆われた黒衣の下から、ヒョイと、あの謎のククリ包丁に似た三日月刀(シャムシール)が出て来て。
オッサン《亀使い》ゼインが、同じく訳知り顔で謎の刃物を受け取って、口述をつづける。
「帝紀X年X月X日ここに出頭命令。当該容疑は《精霊亀》隠匿。および老ハムザ氏を殺害した凶器と思われるククリ型の三日月刀(シャムシール)隠匿。
籠造り屋バルジュ老に、出頭のうえ事情説明を命ずるものである」
習慣で、元・代筆屋アルジーは、聞き取ったままに聖火神殿の書式となっている紙面に筆記していて……あらためて、その文面に仰天するのみだ。
「……えっと……どういう事?」
若手の傭兵《亀使い》2人は、感心するほどの素早さでもって、老バルジュを逮捕した……ひとまず丁寧に。
ミリカも目を白黒だ。
「ちょっと待って、なんで? その三日月刀(シャムシール)、先刻、ハムジッチャンの水耕ハーブ栽培施設の……向かいの高灯籠から出て来たブツだよね。誰が隠したのか、まだ分かってない状況の筈」
オッサン戦士《亀使い》ゼインは、オホン、と咳払いして……
「済まんな、説明が前後したが、老バルジュ殿に《精霊亀》盗難および隠匿の疑いあり、という状況が進んでるんだ。したがって、本来は神殿衛兵が、ご老体を見張り塔へ拘束することになってはいたんだが、
我々『地誌編纂所』も代行権限にあずかってるから、ここで即、逮捕拘束と相なった訳だ」
いつかも聞いた記憶のある、流れるような役人口調。断定そのもので言い切るや、《亀使い》戦士ゼインは、クルリと、老バルジュへと向き直る。
「という訳で老バルジュ殿、わが『地誌編纂所』拘置所まで、ご案内させて頂こう」
「冗談でしょ、こんなオジイチャンを、牢屋へ、夜は冷え込むでしょが」
意外に、ミリカが食い下がる。アワアワしながらも。
「それに私たち全員、《精霊亀》の件、それに、ククリナイフ三日月刀(シャムシール)が殺害現場に存在していた件も、ついさっきまで知らなかった状態だわよ、ねえ」
「一刻前まで、《精霊亀》が近所に居付いていたということも知らなかったんじゃが……」
老バルジュは仰天のあまり、ボソボソと呟く有り様だ。
オッサン《亀使い》ゼインが手を振って、つづく言葉を遮る。手慣れた所作。
「日暮れまで時間が無い。お前たち、可及的すみやかに、ご老体を特別室へ御案内しろ」
「了解」
若手の《亀使い》戦士が左右から老バルジュを腕を抱え……あれよあれよという間に老バルジュは、『地誌編纂所』の一角へ連行されてゆく。
テージュ坊やは口をアングリして……トテテと追いかけて行って、老バルジュの着衣の裾を、必死につかんだ。
「あ、の、じいじは悪くない……ボク、やったの、ボク」
一瞬。
驚愕ゆえの沈黙が広がった。
しがない・オッサン《亀使い》ゼインも、若手の《亀使い》傭兵も、「へ?」という顔。
――地誌編纂所の全体で、「目の前で母親を《骸骨剣士》に殺されたことによる心理的ショックのため、テージュ坊やは喋れない」という事情は、共有されていた様子。
ミリカが、医療従事者ならではの眼差しで、4歳児を注意深く観察しはじめる。
「テージュ君、今、しゃべったよね……?」
4歳児は、泣きそうな顔になって、プルプルしている。
祖父バルジュ老は、呆然としながらも拘束されていた腕を振りほどいて。言葉を詰まらせたまま、4歳児テージュ坊やを、抱きしめるのみだった……
老魔導士フィーボルが、さっそく、テキパキと指示を出し始めた。
「この際、異例事項かつ緊急変更じゃが《亀使い》ゼイン殿、老バルジュ殿とテージュ坊やを一緒に保護してくれたまえ。前もっての伝言のとおり《紅白の御札》で厳重に結界した特別室へ。
どのみち、クッサイ団長が配下を引き連れて――場合によっては《骸骨剣士》をけしかけつつ――市場(バザール)か、老ハムザ氏の水耕ハーブ栽培施設へ、突撃するのは、目に見えておる」
「あのハムザ氏の水耕ハーブ栽培施設での《火の精霊》絨毯爆撃は、大した見ものだったそうですな。こちらでも《精霊亀》という《精霊亀》が騒ぐ筈です。
盛大な宣戦布告の打ち上げ花火になった筈ですよ、敵にとっても」
オッサン《亀使い》ゼインが頭を振り振り、若い部下へ向かって、「お連れ申し上げろ」と、あらためて指示を下す。
――すると……そこへ。
場違いなまでの……喧噪が飛び込んで来た。
向かい側の街路から、数人ほどの人だかりが接近してきている。
人だかりの中心には担架があった。
そろそろ孫も居るだろうという年代の、中高年の男女2人。随分と騒いでいて、年の割に元気な患者である。
「いた、いたーい! も・ちょっと、も・そっと運んで!」
「うへぇ、ホニャララ、いてて、ぜよ……!」
聞き覚えのある声だ。
早くもオーラン青年が、声の主を判別する。セルヴィン青年と、意味深な目配せを交わし。
「あの愉快な一皿料理屋のご夫妻ですよ」
「何が有ったんだろうな? 骨折しているようだが……転んだにしては青アザ多くないか?」
「聞いてみましょう」
*****
ふたつの担架を中心にした人だかりは、《亀使い》地誌編纂所の前で停止した。
若い商人らしい男が、一皿料理屋を経営する中高年の夫婦に、声を掛けている。
「こっちに、ちょうど医学に詳しい人が居るとか、診てもらいましょ」
言っているうちにも、老魔導士フィーボルが、野次馬そのものの好奇心を発揮して……オーラン青年と共に喧噪の場へと駆け付けていた。
「おお随分とボコられたもんじゃな! 大きなコブが出来とるが、ひとまず命に別状は無いぞよ」
「ご夫妻ふたりとも、いったい何をして殴られる羽目になったんですか?」
――その問いにつづく次の言及は、単に、オーラン青年の思いつきだったのだが。
「そういえば昼頃、ニセ『蒼甲騎士団』チンピラや台車が、聖火神殿の前で騒いでいましたが、もしかして、アレ、尾行した……とかは無いですよね?」
……
…………
図星、だったようだ。
担架に乗せられている一皿料理屋の夫婦は。
青アザ打撲傷に埋まった、ボロボロな全身を、ピーンと強張(こわば)らせ。
シワが増えている顔全体に、「鳩が豆鉄砲を食ったような」表情を張り付かせていた。
オーラン青年の隣に並んだセルヴィン青年が、「あれあれ」という顔をしている。
「聖火神殿で騒いでいた自称『蒼甲騎士団』チンピラ連中の後を付いて行って、場末の酒場とか……危ないところへ入り込んで見つかって、という流れかな」
ギクゥ! とばかりに、愉快な一皿料理屋シニア夫婦は、担架の中で、器用に飛び上がっていた。
「だから言ったでしょ、お母さん!」
付き添って来ていた商人風ベール姿の若い女性が、やかましく口を開く。
夕食の準備中だったのは明らかで、エプロン姿。端に、スパイスやソースの粒が散っている。ポケットからは、数種の刻んだ野菜が飛び出していた。慌てていたのか、まな板にあったのを無意識に突っ込んだ風。
「もう、もう、年甲斐も無く『忍者ごっこ』しないで、って! お父さんも、お父さんよ、もう! 骨折だらけで、もう!」
「いたた、そこ叩くと痛いでよ」
商人風ベール姿の若い女性は、一皿料理屋の夫婦の娘であると知れる。以前、商家へ嫁いだと聞いている。
脇で、その女性のエプロン端を握っている4歳ばかりの幼女――は、一皿料理屋の夫婦にとっては、なおカワイイ孫娘に違いない。
「チンピラ騎士団と台車の! 後を付いて行ったら! 銀髪アリージュ姫の別荘の不正工事してたところって! オアシス湖畔の、もと葡萄畑って!」
心配のあまり激怒している娘から、父親へ、容赦ないポカポカ殴り。
付き添っている商人の男が「まぁまぁ」と仲裁に入っている。
アルジーとミリカは、その様子をハラハラして眺めながらも、圧倒されるのみ。
「殴らんでくれ、骨折が痛いでよぅ」
「爆破《魔導》工事のあった崖の近くに! 変な黄金の図形が描いてあって! 邪霊害獣がウジャウジャ、チンピラ騎士団や謎の台車と仲良くしてるのが見えたとか! クルリと振り返って、
バレて、押し寄せて来て怖かったとか! 変な集団に近づくからじゃないの、お父さん!」
つづいて指摘の指先は、同じく担架に乗せられている一皿料理屋の妻にも向けられた。
「お母さんもお母さんよ《紅白の御札》御守り代わりにギュッと握ってて、オマジナイのお蔭とか……オアシス湖から、《渦巻貝(ノーチラス)》が出たとか! あわやという時に、
葡萄畑の古い農業用水の水槽が! いきなり崩壊したって!」
「いやいや、だから、それで、チンピラたちが流されたから、逃げられたんだわ、偉大なるオアシス湖の主(ヌシ)《渦巻貝(ノーチラス)》サマのお蔭だわ」
「もう、もう、バカね! その鉄砲水で、お父さんもお母さんも、こんな怪我したんでしょう! 一歩でも間違ったら死んでたわよ! たまたま私たちの運搬車が、
近くに居て、水槽の破壊の音に気付いて駆け付けてなかったら、ヤバかった状況じゃないの!」
――聞き捨てならぬ言及だ。
老魔導士フィーボルが感心しはじめる。
「かの娘さんは優秀な調査官じゃな! 騒動の全容について、あらかた事情聴取が済んだぞい。あの若い夫婦は重要な証言者じゃ。地誌編纂所で一緒に保護して、周辺状況を聞き取っておいてくれい」
「あれだけお子さんに泣かれて殴られたら、懺悔(さんげ)・懺悔(さんげ)・六根清浄(ろっこんしょうじょう)せねばならんでしょうな」
オッサン《亀使い》ゼインが、呆れた顔をしながらも、若手に追加の指示をくだした……
一方で。
大騒ぎしていた娘――商家の嫁――のエプロン端をつかんでいた4歳ほどの幼女が、クルリと振り返り。4歳児テージュ坊やを見て、目をパッと見開いた。
「あ、テッチャン。こないだの、オヤビンチャンが市場(バザール)で、タダで拾って来たっていうお菓子、食べてないよね?」
4歳児テージュ坊やは、「うん」と言わんばかりに、首を縦に振った。
「良かった。ええと、マンビキ? っていう飴玉(ナバット)、食べてた子、みんな急にお腹いたくなっちゃったとか、吐いたとか、頭が変になったとか、アッヘン中毒とか、お医者さんに診てもらってるんだ」
幼女は、もっとお喋りしたそうな雰囲気だったが。
目下お怒り中の母親に手を握られ。
せかせかと引っ張られて「じゃあね」と手を振った……
…………
……
注意深く観察していたミリカが、アルジーを振り返り、渋い顔をして見せて来た。
「あの時、神殿衛兵たちの取り締まりから洩れた『万引きお菓子』が、周辺の寺子屋とか汚染してたみたいだね。アヘン入りのお菓子いろいろ」
「刺青(タトゥー)チンピラ店番ヤローへ、『もげる御札』貼り付けてやらないと」
アルジーは、新たなる怒りを込めて、コブシをプルプルと握りしめたのだった……
*****
その後。
地誌編纂所では、一皿料理屋の夫婦への事情聴取や、老バルジュ・4歳児テージュ坊やの特殊な保護のための御札の追加作成などがつづいたのだった。
*****
前後して……金融商オッサンの店へ、来客があった。
目下、頭取オッサヌフは最寄りの見張り塔に出頭している形で留守だったため、番頭をつとめる鷹匠ユーサーが応対する形。
暮れなずむ通りをやって来て、金融商オッサンの店を訪れたのは。
背丈のある女商人だ。
見る人が見れば、目抜き通りの文房具店『アルフ・ライラ』代表と知れる。
身をやつすための質素なベールの間から、見事な真紅の髪がひと筋。チラと見えるのは、中年ベテランながら年齢不詳の美貌。
腰にはシッカリ、護身用の短剣。退魔紋様セット短剣は、よく使い込まれている。ひとり歩きできる程度には腕に覚えあり――と知れる。
「お世話様だね、番頭さん」
「ご清祥のほどお喜び申し上げます。文房具屋『アルフ・ライラ』代表ロシャナク殿」
ごましお頭の番頭は、いつものように、堅苦しく丁重な一礼を返した。
「さっそくだけど、注文品を届けに来たよ。金融商オッサン気付(きづけ)。元・代筆屋アルジー宛。筆記道具の一式と聖火神殿の《紅白の御札》。それに通常の黒インクと、聖なる赤インク」
「まこと、ありがとう存じます……当人が戻って来ましたので、さっそく小包を検品させていただきます」
――そのとおり、金融商オッサンの店前には、老魔導士フィーボルを先頭とした道連れが居た……その構成員として、アルジーが戻って来ていたのだった。
「あ、お久しぶりです、ロシャナクさん」
「元気そうだね。ところで、みんなして何だか色々あったような顔だけど、なんか、あったのかい?」
女商人ロシャナクの軽妙な調子の声掛けに応えたのは、老魔導士フィーボルだ。フン! と鼻息を荒くして、モッサァ白ヒゲを爆発させつつ。
「例の4歳児テージュ坊やの件が、想定外の範囲まで及んでおった。それに一皿料理屋の夫婦が骨折しながらも、デカいネタを持って来おった。文字どおり『骨折の功名』と言えるかも知れん」
「なんだか色々すごい展開したみたいだねえ……おっと!」
店前の表の通りで、相当の大きさの《三つ首ネズミ》が跳ねた。
ビックリするような大きさをした黄金色の邪体が、入口扉にかじりつく。
瞬間、邪霊ネズミは、ギョッとするほど長いカギ爪を「外して」飛ばして来た。手裏剣のように。
「危ない!」
夜間照明ちらつく夕闇のなか……目にも留まらぬ速度で、複数の短剣が走った。
真紅の色をした、《火の精霊》退魔調伏の閃光が複数。
1本は、素早いネコの姿形となって、ぎらつく黄金カギ爪を叩き落とし。
もう1本は、邪霊害獣《三つ首ネズミ》中央の頭部へ命中。
つづく5本ほどが、邪霊害獣の急所の、各所へと命中して……
……黄金にぎらつく邪霊害獣《三つ首ネズミ》は、5倍速でもって、無害な真紅の熱砂と果てた。
残心をとっている使い手の面々。
セルヴィン青年に、オーラン青年……それに、意外なことに、女商人ロシャナクだ。
剣術に詳しくないアルジーとミリカは、唖然としながら、夕闇の風に舞う真紅の熱砂を見つめるのみ。
老魔導士フィーボルが、感心したような眼差しで、女商人ロシャナクを眺めはじめた。
「良い腕じゃのう」
「若い頃、男装して武者修行していて、帝都の騎士団養成所で、お世話になった事があってね……ところで邪霊害獣《三つ首ネズミ》が、
あんな風に沸くって自然なのかい? 帝都に居た頃も、あのような『自然な襲撃』の事例は聞いてなかったけど」
女商人ロシャナクは冷静にしているように見えて、その足元は、いささか不安定に揺れていた……
老魔導士フィーボルはさっそく、モッサァ白ヒゲをビシバシ動かして、鼻をピクピクさせた。
モッサァ白ヒゲの下の、黒い長衣(カフタン)の袖の中から、いつだったか見たような気のする、透明なレンズがハマった手鏡のような道具が、取り出される。特大の虫眼鏡のような……
セルヴィン青年の相棒《火の精霊》が、珍しく、真面目な夜間照明の炎の姿をとって……店の扉へと、パッと照射した。
老魔導士フィーボルが構えた、特大の虫眼鏡に似た不思議な道具のレンズを、《火の精霊》による光線が通ってゆく。
不思議なレンズを通った光線は、いまや無害な真紅の熱砂と果てた《三つ首ネズミ》残骸の周りに、糸のようなナニカを浮かび上がらせていた。
――闇の色をした、糸状の……もつれた糸のようなもの。
――《魔導》カラクリ糸に違いない。
かつて、邪霊使いゾルハンが、《骸骨剣士》集団を遠隔操作するのに使っていた、禁術だ。
――それでは、この邪霊害獣《三つ首ネズミ》は、誰かが遠隔操作していた……
――ならば、いったい、誰が? 誰が、けしかけた?
老魔導士フィーボルが首を傾げつつ、ブツブツと呟きだした。
「間違いなく《魔導》工作によるものじゃな。じゃが面妖なことに《魔導札》の痕跡が無いのう。このワシにも匹敵するような、天才的な魔導士が仕掛けてきたとしか思えん」
女商人ロシャナクが、真剣に眉根を寄せて、思案顔になった……
「怪異だね」
再び、表の通りを、夕風が流れた。気付けば既に、太陽は日没の姿をしていた。
――既視感のあるような、かすかな、におい。記憶をつつくものがある。
(香水っぽい気がするけど……何だったっけ……)
一気に全容が明らかになる取っ掛かりのような気がするけれど、いまは、まだピンと来ない。
この短い間に見聞きした物事が多すぎて、記憶の整理が追い付かないのだ……
アルジーは、不意に虚脱感を感じた。おさえつけていた疲労感が、爆発したせいだ。
――生贄の祭壇で斬首されかけた時の傷が、微小ながらも、ピリピリと……確かにうずいている。
目の前の光景が、不意打ちの闇に落ちてゆく。
相棒の白文鳥《精霊鳥》パルの、少し焦っているような、さえずり。
そして。
誰かに背中を支えられたような……不思議な感触。
その後の、アルジーの記憶は……無かった。
*****
気が付くとアルジーは、霊体離脱しかかっていた。
医学的には『仮死状態』と判断される状況。
耳元で、亡き恩師オババ特製のドリームキャッチャー耳飾りが、しきりに揺れているのを感じる。
白文鳥《精霊鳥》パルの《精霊語》さえずりが聞こえて来た。
『あ、つながった。アリージュ良かった。ドリームキャッチャー護符が、シッカリ霊魂をつかんでてくれたお蔭だね』
アリージュ姫の霊魂は、実体と霊体とをつなぐドリームキャッチャー護符を経由して、アリージュ姫の肉体とリンクしているところだ。
護符の形を成す円環の半分には、帝国南方領土ジャヌーブ地方の名士であった、亡き老ダーキンによる霊的修復が入っている。
不思議なエメラルドグリーン色の海「三途の川」の亀島で製造されていた網目ビーズ細工である。
かくもいわくのある純白の耳飾り、すなわちドリームキャッチャー護符から、長い長い銀月の色をした糸が延びていて……アリージュ姫の霊魂をつないでいた。
銀月の色をした糸を辿って、白文鳥パルが、霊魂アルジー=アリージュ姫の傍で羽ばたいている。
『いまの肉体は、精霊界で保管されてる状態じゃ無いから、すぐに戻らなくちゃ。邪霊が徘徊してる。火のジン=レクシアルが絨毯爆撃して侵入を防いでるけど、限界はあるから』
促されて、アルジー=アリージュ姫は肉体へ帰還しようとジタバタして……
ふと明瞭な羽翼紋様の袖が見えて、ビックリしたのだった。
そして。
急に霊体の記憶がよみがえった。
本来の時空の肉体へ戻る前、異次元のエメラルドグリーン色の海のなかの亀島すなわち通称「牢獄島」で、水のジン=ユーリュメルや、亡霊の老ダーキンから聞いて来た内容だ。
東帝城砦を支配する、不吉な怪異の要点。
水のジン=ユーリュメルいわく。
――『怪異な銀髪グラマー美女は、我々も注目するところです。人の姿を地上へ映した時のジン=アルシェラトの容姿を、《魔導》複写したものですね。
誰かの趣味に合わせて、胸や尻の大きさを盛るなど端々の均衡を欠いたようですが』
――『確定的なことは言えませんが、かの容姿を《魔導》複写できる素材は、現在、2種ないし3種のみです。《逆しまの石の女》。《銀月の精霊石》。そして《アマニータ》です』
――『トルーラン将軍・トルジン、父子の両方の「寝室」で目撃された件を考えると、確実に、媚薬キノコ「アマニータ」。等身大の人体の形をした高価なキノコで、
名前のとおり媚薬の原料。ただ効果は極めて薄く、好みに合わせて、他の強い媚薬、防腐剤、それに防腐剤のニオイをカバーするための香水を、大量に注入します』
老ダーキンは、帝国南方の国際港・ジャヌーブ港町の名士のひとり。大きな商会――『ガジャ倉庫商会』の副代表をつとめていた頭脳明晰な人物。
――『要点……重要な鍵のひとつは、銀髪キノコ=アマニータ人形カラクリ仕掛けを動かす、邪霊使いの正体を解き明かすこと。または演技の上手な邪霊なのか。
この辺りの解明は、娘さんの《鳥使い》直感と、老魔導士どのの任務でしょうか』
…………
……
思い出した。
何故、いままで失念していたのだろうか……これほど重要な内容を!
『アマニータ! あの台車プレート「アマニータ」だった! 一皿料理屋さんは、台車を尾行して、偽アリージュ姫の別荘工事の現場を見たって……!』
『東帝城砦オアシス湖畔! 葡萄畑だったところね、ピッ!』
『すぐ行かなきゃいけない! 諸悪の根源、銀髪グラマー双子の美女、偽アリージュ姫が居る筈!』
死に物狂いの一念で、銀月の色をしたドリームキャッチャー糸を、パパパと移動して……
*****
最初の衝撃は、いつだったかの、ジャヌーブ砦のカラクリ人形へ憑依した時に似ていた。
だが、無機質な人工物だったカラクリ人形と、天然の肉体とでは……衝撃の度合いが、まるで違う。
物量が決まっている肉体に、あやふやな漂流状態の霊魂を押し込むのは、かなり「シビレル感覚」圧力を伴うのだ。
無害な邪霊――精霊とも邪霊とも言えない――フワフワ漂う毛玉ケサランパサランは、肉体と霊体をつなぐ方面でも優秀な緩衝材だったのだと、シミジミするほど。
相棒の白文鳥《精霊鳥》パルが、《精霊語》さえずりを繰り返していた。大慌てで、白毛玉ケサランパサランを大量召喚している……
…………
……
アルジーは、パチリと目を開く。
視界に、ミリカが、パッと現れた。仰天の顔。
「アルジー生き返った!? さっきまで脈が無かったわよ! この間みたいに白毛玉がワーッと集まって来たんで大丈夫そうだと思ったけど。
それに店の外で《三つ首ネズミ》だの《三つ首コウモリ》だの、きゃあぎゃあ言ってて……白ヒゲ先生とかが……」
気が付くとアルジーは、意識を失った時のままだった。金融商オッサンの店の、窓口の待ち客用ベンチに横たわっているところ。
左右の耳元で揺れている耳飾り――ドリームキャッチャー護符が熱を持っている。
アルジーはバッと起き上がった。
勢いで、ビックリするくらい多数の白毛玉ケサランパサランが、舞い上がる。アルジーが横たえられていた周りに、うず高く重なっていた様子だ。
夜間照明ランプが、煌々と灯っていた。
ランプに取り付けられている精密な『ネコの目時計』――《火の精霊》協力の精霊魔法――を確認すると、ほぼほぼ、真夜中の刻。
「ありがとう。でも行かなくちゃ。工事現場へ」
「工事現場? 偽アリージュ姫の別荘とか、真面目オッサン……タヴィスさんが強制労働させられてた……オアシス湖畔の?」
「うん、そこ」
「冗談じゃないわよね? 一緒に行くよ……援護お願いできます?」
ミリカが、白毛玉ケサランパサランをどかして、振り返って……声をかけた先には、すでに臨戦態勢の女商人ロシャナクが居た。
理不尽に巻き込まれた形だろうに――度量の据わっている女商人ロシャナクは、「応」と返してきたのだった。
*****
偽アリージュ姫の工事現場への最短経路は、区壁で区切られた段差を飛び越えるコースである。
工事現場へ急ぐアルジーの援護として、老魔導士フィーボル一行も加わっていた。それも、オーラン青年・セルヴィン青年、それに鷹匠ユーサーとともに。
先刻まで、金融商オッサンの店前にたかった《三つ首ネズミ》と《三つ首コウモリ》の群れと、一戦交えて来たばかり。
モッサァ白ヒゲ老魔導士の頭脳と駆け足の速度が一致するのは、かねてから知られている事実だが。ここでも、同行する面々は、老いてなお頑健な『毛深族』の体力・気力を、再度、
思い知らされる羽目になっていたのだった。
モッサァ白毛に包まれた人体が飛んだり跳ねたり、軽業師(かるわざし)さながらに大きな段差を懸垂降下したりするのは、それだけで壮観である。
*****
深夜の空に現れた月影は、下弦の半月。
月下の東帝城砦オアシス湖は、夜空の色をした水を湛えている。
手前に、別荘工事の名のもと荒らされた葡萄畑――湖畔を成す崖の下、見覚えのある窪みが月光に照らされていた。土木工事用ジン=イフリート《魔導札》爆発が造成した痕である。
さらに接近しようとしたところ。
『丁字路より急襲!』
露払いをかって出ていた白タカ《精霊鳥》ノジュム、シャールが、相次いで警告を飛ばした。
セルヴィン青年の相棒《火の精霊》火吹きネコマタの放った火球が急激に輝度を増し、あたりが白昼のように明るくなり。
角を曲がった次の瞬間、行く手から、車輪の大音響……
……大型の台車が、交通事故を起こさんばかりに、暴走して来る!
「危ない!」
それぞれに身をかわしつつ、《風の精霊》の援護を受けて、回避する。
台車は、丁字路の行き止まりで、派手に衝突して停止した。
積載しているのは、ぎらつく黄金色をした箱、複数。よくみると、邪悪な紋様を掘り込んだ、黄金浴槽と知れる。
夜目の利くオーラン青年が、早くも気付いて指摘した。
「証拠として押さえなければなりません、アレ『カメハメ騎士団』密輸品――自称『蒼甲騎士団』チンピラが筋肉増強に使っていたモデルです」
「代理の東方総督バーツ殿に、見つけ次第、報告せよと御触れを出すよう依頼していたブツじゃと!? むむう!」
邪悪そのものの数々の黄金の箱――ぎらつく黄金浴槽。
箱の中から、多数の《骸骨剣士》がゾロゾロと沸いて来た。
「……出たッ!」
急停止する一行。
あっという間に包囲される。
ぎらつく黄金《魔導札》が舞っていた。禁術の召喚《魔導》を使ったのは明らか。だれかが――《邪霊使い》が、けしかけている!
老魔導士フィーボルが、ビックリするような速度で、退魔調伏の《紅白の御札》を放り込んだ。
鷹匠ユーサー、オローグ青年、セルヴィン青年が、かねてから図ったかのように防御隊形を展開する。
それぞれの振るう三日月刀(シャムシール)の刃先で、退魔調伏の真紅の火花が散り、見る間に、相当数の《骸骨剣士》が無害な熱砂と果てた。
とはいえ多勢に無勢。
次から次へと沸いて来て戦力増強する《骸骨剣士》の群れに押されまくっていると……
「助太刀いたそうぞ! 奥義・二刀流《火弾斬裂刃(かだんざんれつじん)》!」
モッサァ銀髪キノコ頭が、別の角から、ヒョーンと出現した。全身、毛深い。
どこかで見た気のするような――『毛深族』の老練の戦士。両方の手に三日月刀(シャムシール)。
「おお、銀月の戦士ジャウハラ殿!」
一帯の《骸骨剣士》の群れが、二刀流の三日月刀(シャムシール)による、謎の奥義《火弾斬裂刃(かだんざんれつじん)》を食らった。
2本の三日月刀(シャムシール)の相互増強によるものか、火の玉となった赤毛玉ケサランパサランが出現し、取り巻いた。爆炎と見えるまでの真紅の火花が噴出しつづけ。
次々に《骸骨剣士》が無害な熱砂と化し、飛び散る。
高火力の退魔調伏の炎による余波――爆発音に近い火花の音がつづく……
予想どおり。火の玉となった赤毛玉ケサランパサランの炎が、黄金浴槽に深々と着火した。
怪異な台車の積荷が、盛大な火花を噴出して……
…………
……火花の噴出によって反動を受けた台車が、逆方向へと――すなわち、工事現場の方向へと――暴走してゆく。
盛大に燃え上がる、数々の黄金浴槽すなわち《骸骨剣士》運搬箱を満載したまま。
「いかん!」
種々の《魔導》要素に詳しい、白ヒゲ老魔導士フィーボルが、モッサァ白ヒゲを「ボン!」と膨らませた。
老魔導士フィーボルの兆候をよく知っている面々――セルヴィン青年・オーラン青年、鷹匠ユーサーが、一斉にギョッとした様子になる。
アルジーの肩先で、相棒の白文鳥《精霊鳥》パルも、珍しく動転しきり。
『ヤバイ・ヤバイ・ヤバイ・ピッ! 毛深族ジャウハラ戦士は《銀月》祝福! 毛玉ケサランパサラン干渉渦は《天の書》も予想がつかない領域ピッ!』
台車のうえで、仕掛け人と思しき《邪霊使い》が必死な様子で……黄金《魔導札》をばらまいている。
「止めろおぉ! 止めてくれ!」
黄金《魔導札》経由で指示を受けたらしい《骸骨剣士》数体ほどが、次々に台車の前に身を投げ出すものの……台車の下敷きになって、逆に退魔調伏されている有り様。
「吾輩、規定容量はキッチリ守っとるぞよ! さだめし《邪霊使い》が禁術を仕込んだに違いない、この大バカモン!」
「ということは銀月ジャウハラ殿、あれほどの爆発を起こす想定では無かった?」
「当たり前ぞ! ヤツを生け捕りすれば、色々と話を聞けようぞ」
先へつづく道路は、急角度をした工事用の運搬路となって、下降していた。
眼下のオアシス湖畔、すなわち工事現場となっている一帯を、真っ直ぐに目指して。
何が何だかのうちに――目指す方向が一致していることもあり――全員で、燃える台車を追いかける形になる。
いっそう《雷電サボテン》火花を散らして燃え上がる怪異な台車は、下降する坂道を転がるように、爆走していった。
一方、オアシス湖畔の、その位置に広がる工事現場。
夜闇の中、黒い影姿――明らかに魔導士と見える数々――が、うごめいていた。
周囲に多数の夜間照明ランプが配置されていて……邪霊の暗い黄金の炎が灯っている。さだめし、魔法のランプの数1001台。
いつだったかの、あの忌まわしき生贄祭壇の場を思わせる、陰々とした雰囲気。
各々の邪悪な色をした夜間照明ランプの間に、チラチラと炎の線が引かれて、図形が現出しているところ。
老魔導士フィーボルが怒髪天だ。
「禁術の中の大禁術《生贄の儀式・魔導陣》じゃ! あのバカモン!」
向こう側では、急接近する大音響に仰天して、次々に振り返って来ている雰囲気だ。想定外の事態に、身体が動かなくなっている黒衣――《邪霊使い》魔導士の姿、多数。
「台車が!」
みるみるうちに。
盛大な火の玉と燃え上がる赤毛玉ケサランパサラン満載の台車は、更に爆走し、その暗く怪異な黄金の図形へと突っ込んだ……
■8■三ツ辻に望みを捨てよ 巌根ひとつをともにして
壮絶な大爆発が、そこに出現した。
軍事用《火の邪霊》ジン=イフリート1001体を、まとめて爆発させたかのような……
あたりは真昼よりも明るくなった。
巨大な爆風で、オアシス湖面が大きく波立つ。
つづく連鎖爆発は、その場に集まっていた相当数の黒影――《邪霊使い》魔導士の数々を、世界の果てまで飛ばすかのような勢いで、空中へ舞い上げてゆく。
「来るぞ、そこに伏せろ!」
老魔導士フィーボルの一行は、瀬戸際で、最寄りの区壁の後ろへ回り込んだ。セルヴィン青年、オーラン青年、鷹匠ユーサー、毛深族《銀月》戦士ジャウハラ、アルジーとミリカ、それに女商人ロシャナク。
衝撃波が到達した。
区壁の端を構成していた石積みが、あっけなく空中へ舞い上がった。各所に、背筋の凍るような不吉なひび割れが、一気に走る。
この区壁は、かつて偽アリージュ姫の不正工事の範囲のなかで解体が進んでいたため、ほぼほぼ廃墟の残骸。
避難所にした区壁が標準的な強度にもかかわらず持ちこたえているのは、高位の《風の精霊》白タカ・シャールと、白タカ・ノジュムが、協力して、《精霊魔法》防壁を立ち上げているお蔭。
全員で、本能的に身を縮めてうずくまり、つづく破壊の衝撃に備えるのみ。
ひび割れた石積みが、相当の衝撃をもって、次々に身を打って来たが。
アルジーの側へ押し寄せて来る圧倒的な破壊力は、なんとか耐えられる程度まで抑えられていた……
「ぐおお!」
「おおお!」
連鎖爆発による、地獄のような爆風は、まだつづいている。爆発に巻き込まれた《邪霊使い》魔導士たちの絶叫も。
アルジーの側へ、人影がいくつか、空中を吹っ飛んで来た。《精霊魔法》で強化されていた区壁――その残骸――に衝突して、その場にズルズルと落下する。
次に、ぎらつく黄金色をした、合金製のブツが衝突して来た。
爆発で飛ばされて来た、黄金浴槽だ。
『『『耳を、ふさげ!』』』
女商人ロシャナクも、老魔導士フィーボルや、アルジーと同じくらい、素早く反応した。《精霊語》の教養はあるのだ。
邪悪な黄金浴槽は、白タカ《精霊鳥》2羽が協力して立ち上げた《精霊魔法》防壁に衝突した。
禍々しい大音響。
強く耳を塞いでいてさえ、身体全身を圧壊してくるかのような、重すぎる衝撃音。
――《人食鬼(グール)》の、あの雄たけびを、破壊的なまでに増幅したかのようだ。
周辺の方々の近い位置から、おそらく遠い位置からも、岸壁だのなんだのに、新しくヒビが走ったかのような、不吉な反響音が返って来た。大地の悲鳴とも言えるかも知れない。
黄金浴槽の素材に、《人食鬼(グール)》成分が混ざっていたのかも知れない。その忌まわしき可能性に、ゾッとするところ。
そして……オアシス湖畔の全体へ、《人食鬼(グール)》の雄たけびのような、ひび割れるような反響音が……長々と、とどろき渡った。
空気が大きく歪んだのか、次元が歪んだのか。オアシス対岸の光景までもが――ほぼ夜間照明の灯りのみだが――少しの間、陽炎(かげろう)のように揺らいだ。
共振によるものか……足元の大地もが、ブルブル震える。
アルジーが隣の動きに気付いて振り向くと、女商人ロシャナクが、頭痛に耐えかねたかのように頭を抱えて、うめいているところであった。手の端から、女商人ロシャナクの、先祖ゆずりの『鬼耳』が見える。
「これはキツイね」
……いつしか、爆発は終わっていた……
早くも、老魔導士フィーボルと、セルヴィン青年とオーラン青年が、区壁の残骸から身を乗り出した。状況を窺う態勢。
各所で、大きな火柱が高々と立ち上がりつづけている状況。
日没後の闇におおわれたオアシス湖畔ではあるが、意外に明るい。
半数ほどが《火の精霊》の真紅の炎。邪悪な反響音に合わせて、しきりに震えていた。邪悪な音響の数々を退魔調伏しているらしいと知れる。みるみるうちに、足元の大地の無気味な共振も落ち着いてゆく。
つづいて。
あの工事現場だった広場には――なおも奇怪な図形が描かれている中央部の領域には――悪夢が展開していた。
林立する火柱の間で、ゆらりと立ち上がっている――人体の背丈を超える、ぎらつく黄金色の、人の姿のようなもの。
――人体にしては、いちじるしい奇形と言えるまでの、発達しすぎたような筋骨。
一般民家の屋根の高さを余裕で超える――城壁沿いの高灯籠や、見張り塔の高さほどもある――超大型、1体。
筋肉の異形のカタマリ……そのものの、三つの頭部。
頭部の、それぞれの中央で、赤々と一つ目《邪眼》が燃えている。
いやに長すぎる異形の二本腕。先端に、巨大な、9本のカギ爪。
「超大型の三つ首《人食鬼(グール)》……!」
退魔調伏の設備が完備されている城壁の内部に居る限りは、滅多に見かけない化け物だ。
ミリカと、女商人ロシャナクが、神話的なまでの恐怖に震えあがった。かつての、あの夜のアルジーのように。
先立っての想定外の大爆発で、一帯が焼け野原だ。
不幸にも巻き込まれた、《邪霊使い》魔導士たちの死屍累々。
そのなかで、暗くぎらつく黄金の炎が、超大型《人食鬼(グール)》1体の巨大な光背のように空中に立ち上がっている。
あれは、太古の邪悪な力によるものなのか。宮殿付属の聖火礼拝堂の、ドーム屋根までの高さがありそうだ。
邪霊の炎による光背。その、くらめく光輝を背にして……
超大型《人食鬼(グール)》の、さらに左・右の位置に。
人類サイズを上回る大型《人食鬼(グール)》2体が、出現しているのが見える。
――中央に超大型《人食鬼(グール)》。左・右に大型《人食鬼(グール)》。異国の信仰体系でも定番の「三尊形式」配置だ。ところによっては、「三神一体」とも「三位一体」とも呼ばれるところ。
不気味な地鳴りがつづいている。
全員で、物も言えず圧倒されるままに、見つめるのみ。
「嫌な配置じゃのう。魔導士や霊媒師の、秘伝の伝承では、あの配置を《三ツ辻》とも言いならわすのじゃ」
博識を誇る老魔導士フィーボルが、ブツブツと呟きはじめた。
「我らが帝国の『雷霆刀の英雄』が対峙した《怪物王ジャバ》も、《三ツ辻》のなかに顕現した。伝承のとおりだとすると、あの配置を並べての顕現だったと伝承されとるが」
「こんなところで最悪の予言しないでくださいよ」
さすがに生真面目なオーラン青年も、クムラン隊長ゆずりの言い草で返すのみだ。
セルヴィン青年の肩先で、相棒《火の精霊》――ちっちゃな手乗りサイズ赤トラ猫の姿をした《火吹きネコマタ》が、シャーッと威嚇の姿勢をとっている。
やがて……
左・右の大型《人食鬼(グール)》の肩の上に乗る形で、やけに女体を思わせる人影が、ふたつ盛り上がった……いや、現れた。
まるで、肉体そのものを変形させて、ぐにゃりと生えて来たみたいだ。腐肉の上に、怪異なキノコがグニャリと生えて来る時のように。
双子――鏡写しそのものの、奇怪なる双対の女。
まばゆい銀月の色に輝く、長い銀髪。
過剰なまでに胸と腰を強調したグラマー体型。
そのボン・キュッ・ボンな体型をいっそう強調する、スケスケ・レース長衣(カフタン)ドレス。
ただよってくる大量の香水の気配。
いつかの時にも流れていた。高価な香水『バビロン』――
知らず、アルジーは歯を食いしばっていた。
――あの最悪を極めた生贄祭壇の夜、すべての不吉なる怪異が集結していた。あの時と同じだ。
「銀髪グラマー偽アリージュだ」
ミリカと、女商人ロシャナクが、そろって目を白黒だ。
「え、あれが……!?」
「あれまぁ! たいしたもんだ! あそこまで人相を盛れる娼館メイクアップ・アーティストなんて、帝都でも数名くらいだよ!」
総・銀髪の怪異な双子アリージュ姫は、一斉同時に、しゃべりだした。
「「そこに居るのは、ハナから分かっているのだよ銀月の。出でよ。そして、かの夜の続きを果たさねばならぬ」」
――強烈な誘引の気配を感じる。あの魅惑的な、あらがいがたい魔性の風のにおい。
怪物の、溶岩のようなエネルギーだ。暗い闇色を秘めた黄金の暴威。
無限の豊穣――不死身の魔性の変容と再生力を与えるもの。
肩先で、相棒の白文鳥《精霊鳥》パルが、ひっきりなしに早口でさえずっていた。どのような呪文なのかは知れぬが、とてもとても難しい《精霊語》を。
アルジーは、訳の分からない衝動に全身ブルブル震えながらも、こらえていた。
内奥で、二分裂してゆく「人格のようなもの」を感じる。
……気が遠くなりそうだ……
ミリカが、医療スタッフとしての手際でもって、アルジーの身体の異変を突き止めようと、アチコチ触れて来ているのを感じる。
「気を確かにもって、アルジー、すごい発熱だよ! わお、背中が熱い! ……白ヒゲ先生、熱冷まし《魔導札》か、医療用の御札、無いの!?」
「この原因が判らんのじゃ、対応のしようが無い――ただ、こいつは物理的な原因では無い筈じゃよ」
ミリカがアルジーの身体をガクガク揺さぶっているらしいということが、ボンヤリと伝わって来る。夢うつつ。
邪霊の次元と、意識の波長が同期したのか……
――目の前に一瞬、伝承に聞く太古の大森林の情景が閃いた。白日夢のように。
――どこまでもどこまでも続く、緑したたる沃野、木下闇。
――《雷霆刀》の英雄と旅の仲間たちが渡ったという、ありとあらゆる怪物たちがざわめく、緑蔭の道。
太古の昔は、暴力的なまでに、どこまでも続く豊穣な、どこまでも続く単調な、世界だったのだ。
破壊と再生は、怪物と生贄の呪縛のなかで、何事も無かったかのように進行する。
他者の命を過剰に強奪しておいて、散々むさぼって、放り捨てる方式だ。大自然の食物連鎖とは異なる。あまたの他者の苦痛を、ひとときの快楽の素材とするだけの、単調な破壊と浪費の世界。
いっそう強烈な刺激を求めて、より多くの破壊行為へと走るようになるのは必然。大麻(ハシシ)の快楽を覚えた者が、ますます強烈な禁術の大麻(ハシシ)へと溺れるのと同じ。厳格なまでの、邪霊の論理。
――《人食鬼(グール)》が手あたり次第に貪欲に生贄を食らって、永遠の命と独裁を満喫するためだけの世界だった……この世も、あの世も。
現在とは、まるで異なる……
多種多様な、複雑に入り組んだ大自然が展開している現在とは、まるで異なる……
大陸には砂漠が、沃野が、大河流域が、高山と地底の世界が、それぞれに併存している。
同じように海洋では、浅い海面から深い海底まで、多種多様な地形と地質の島々が浮かんでいる筈だ。
大自然『天の書』運行は、宿命と運命の、連関と連鎖で構成される。あの世には、不思議なエメラルドグリーン色をした三途の川が広がっていた……
…………
……
再び、魔性の風が、銀月色の髪を見せびらかす魔性の声を、運んで来た。
「「われら手を取り、完璧な三位一体と融合して人類の帝国を滅ぼし、とこしえに変わらぬ我らの夜と昼を、かの歓喜の時代(アイオーン)へと、ともに原状復帰しようではないか」」
なにかが違う。
内奥で、なにかが、抵抗の羽ばたきのように打ち返して来た。
ほぼほぼ《銀月の精霊》とも指摘された、霊魂アリージュの記憶と感覚から来るものかも知れない。あるいは、かつて鳥類アリージュとして存在していた欠片(かけら)。
アルジーの脳裏に、何処かで聞いたことのあるような、四行詩の記憶が流れる……
――今は昔の王国も
深い深い流砂の下よ
時は戻らぬ夜と昼
また新たなり天の書よ――
「時代(アイオーン)も今は昔だ! 千夜一夜の時は、もはや逆さまには巡らぬ!」
ほとんど本能的に切り返しただけだが。
アルジー=アリージュ姫自身で、本当に自分の言葉だったのか? と、戸惑うところがある。
太古の霊的存在と共鳴したかのような、不思議な、おののき。
アルジーの耳元で、純白の色をした《精霊魔法》の結晶であるドリームキャッチャー護符が、すずやかな魔除けの音を立てた。
魔性の暴威の気配が、ザアッと引いていった……アルジーの身体を呑み込もうとしていた、怪異な熱が消えてゆく。
ひとときの、意味深すぎる沈黙が横たわり。
総・銀髪の双子の妖女は激怒に満ちて、クワッと口を開いた。
大型の三つ首《人食鬼(グール)》2体それぞれの肩のうえで、鏡写しのように、おのおのの人相を左右対称に歪ませながら。
「「銀月の……銀月の三相のなかの、まさに忌々しき《逆しま》よ……」」
そこから先は、もはや、古典《精霊語》であった。
『『……《逆しまのジン=アルシェラト》よ、時代(アイオーン)の反逆者よ……』』
双子の銀髪の妖女は、工事現場の一角へ向かって、サッと腕を上げた。
『『さっさと立ちあがって、あの《逆しま》を捕まえて来るのだ! 愚鈍にして卑小なる人類、性欲と破壊欲のみの鉄砲玉どもよ!』』
工事現場の扉となっている岸壁の裏から――なじみ深い姿が複数、現れた。
前・東方総督トルーラン将軍。
その御曹司トルジン。
不健康な中年メタボ男ザルリン侯。
いつだったかの、駄菓子屋の店番をしていた胡乱な暴力チンピラ青年。
次にポツポツと現れたのは、プレート『アマニータ』の怪しい台車を運んでいた面々と見える。
頑強な岩陰に隠れていたゆえに、あの破壊的なまでの爆発を免れたのは明らか。
そのうえ、全員が全員、筋骨の発達しすぎた異形な体格だ。《人食鬼(グール)》に似た異形。
プレート『アマニータ』台車によって運ばれて来た黄金浴槽で、不正に筋肉増強したに違いない。かの巨人戦士ザムバが、そうだったように。
その体質も頑丈さも、《人食鬼(グール)》に準じた強度になっているに違いない――あの爆発に耐えられるだけの強度に。
トルーラン将軍と御曹司トルジンは、もはや変わり果てていた。脱獄して来ていたのが明らかな、ぼろい囚人服。
爆発の影響か、異形な体格と変じた結果か……あちこちに致命的な怪我が見えるが、平然と動いている。さながら《歩く屍(しかばね)》ゾンビである。
そして、トルーラン将軍も、御曹司トルジンも、異様に毛髪が少なくなったザンバラな頭部や、耳の穴から、多数の怪異なキノコを生やしていた。鼻の穴からも。
トルーラン将軍と御曹司トルジンが、さっそく父子そろって、アルジーすなわち本物アリージュ姫――いまだ体調万全でなく、骸骨のような貧相さを残している――に、気付いた様子だ。
あちこちに怪異キノコを生やしているトルーラン将軍・トルジン父子そろって、アルジー=アリージュ姫を指差し、わめく。
「帝国への反逆者、シュクラの、ゴミが! 三つ首の巨大化《人食鬼(グール)》大群を発生させて帝国に攻め込もうとし、国境の安全保障における重大な条約違反と欠陥を呈しておいて――」
「この狂暴な骸骨ヤロウ! 地位も名誉も持参金も無いスッテンテン、ゴロツキ邪霊の不細工ヤロウが! 今度こそ《名誉の殺人》で、ギタギタにバラしてくれる、この手でな!」
弾劾や脅迫こそ堂に入っているが、その眼差しや声音は……どこか異様に、ブヨブヨと崩れたものを思わせた。
『よろしくない憑依キノコが表面化してるピッ』
アルジーの肩先で、相棒の白文鳥《精霊鳥》パルが震える。
あらためて、トルーラン将軍と御曹司トルジンによる信じがたいまでの暴言の数々を、見聞きする羽目になったセルヴィン青年。
番外とはいえ帝都の皇族のひとりとして、相応に唖然とした顔になっているところだ。
「あれが東方諸国における帝国の発言と受け取られていたら、過去のカスラー大将軍のような、外交上の失言や失態どころじゃない」
「現実は小説よりも奇なり。速攻で前・東方総督にできて幸運だった、というところですね。2人とも、邪霊の力で脱獄したのは明らかです」
オーラン青年が、クムラン隊長ゆずりの口調で応じている。
アルジーは、不意にピンと来る物を感じた。
直感のままに、不健康中年メタボを見据える。今まさに、双子の銀髪妖女の指令に応じて、ジワジワと接近してきているところだ。目の焦点は合っていないが。
前々・東方総督ザルリン侯。
――いつ頃そうなったのか、ザルリン侯の利き手、と思しき片腕が、無くなっている状況。
だが、ザルリン侯が本当に片腕を無くしたのか――とても怪しい。
その位置に見えるのは、ククリ包丁に似た異国風の三日月刀(シャムシール)……不自然に、宙に浮いている。
アルジーは、ハッと気づいた。無意識のうちに、護身ナイフを握り込み。
……あれだ! 間違いない!
「それよりも重要なことがあるわよ! とにかく、ザルリン侯が、老ハムザ氏を殺したよね!」
アルジーのハスキー声は、聖火礼拝堂に勤める詠唱士の詠唱のように、広範囲へ明瞭に響きわたった。
大気の中に《風の精霊》が充満しているところだ。「壁に耳あり」状況をはるかに超えて、《魔導》拡声器が方々に設置されている状態。
ひとときの、全員がポカンとした気配。
不健康な中年メタボ男ザルリン侯が、大きなダミ声をあげた。不自然に歪む声質は、おそらく禁術の大麻(ハシシ)などの影響によるもの。
「それがどうした! 証拠は有るのか!」
「その三日月刀(シャムシール)持ってる手が、透明じゃないの! 邪霊キノコ・アマニータに取り付かれて『透明人間になって、
通り魔的に、手あたり次第、いたす』禁術! 透明人間になって、老ハムザ氏を、ギタギタにしたに決まってる」
かつて、口論の場で御曹司トルジンをやり込めた、骸骨アリージュ姫の長広舌は、健在だ。
「おまけに香水『バビロン』つけてるし。ニセ『蒼甲騎士団』カメハメ騎士団の台車と、裏ビジネス駄菓子店の台車が同じ! 身体からキノコ生やして、『糸引き胞子』運び屋になってる!」
「うるさい! あの死にぞこないジジイ、ここに出来るアヘン菓子製造工場の裏ビジネスの目玉となる筈だった、製粉機械の、ヤミ売買に応じなかった!」
ザルリン侯は顔じゅうを口だらけにして怒鳴り返していた。
「おまけに、あのジジイ、別途クッサイにやらせた《精霊亀》ビジネスを邪魔しやがったんだ! 市場(バザール)で横から手を出して買い取ってまでして! だから殺した! 今まさに、
この手にある我が誉(ほま)れの三日月刀(シャムシール)でな!」
筋骨の発達しすぎた異形の体型と姿勢でもって、ピョンピョン飛び跳ねている。飛び跳ねるたびに、人類であった時の贅肉という贅肉が、ブヨブヨと震えていた。
ククリ包丁に似た異国風の三日月刀(シャムシール)が、空中でギラギラと光っている。見事な刃文が、燃える炎のようだ。ただし、暗くぎらつく黄金色の。
本来は《火の精霊》の真紅であったのだろうが。それなりに真面目に、御曹司トルジンよりも、よほど手入れしているのは明らか。
「死んでまでも《精霊亀》つながりで、忌々しいジジイだ! だから早々に、現場の高灯籠へ小細工した! あのクソ籠造りジジイと間抜けなガキを牢屋へぶち込むべく、
ハムザ殺しをしたと見えるように、籠(カゴ)造りの倉庫にあったのを取り出して」
語るに落ちた。
――『この自分が、老ハムザ殺害犯である』、『籠(カゴ)造り屋バルジュ老の倉庫へ不正に侵入し窃盗した』、『事件現場の証拠隠滅の工作をした』と宣言したも同じ。
気合満々のアルジーの後ろ……アルジーの知らないところで、
白タカ・ノジュムと白タカ・シャール、それにセルヴィン皇子の相棒《火吹きネコマタ》が、『トラブル吸引魔法の壺だな』と、早くも合意していた。
鷹匠ユーサーが、耳ざとくも、相棒の精霊(ジン)たちの呟きを捉えて、微妙な表情になっているところ。
アルジーの弾劾の言葉は、つづく。
「ウフン団長クッサイとも結託して、不法な裏ビジネス、たくさん、やってたよね!」
「うるさい! 貴様こそ、裏ビジネス・ふしだら・みだら娼婦アリージュ姫! いつまでも現場をうろつきやがって、あの夜は――珍しく全裸にならず、誘惑もして来ないと思ったら、チクショウ!」
内容が謎だ。アルジーにとっては不自然な言いがかり。
――あの夜とは何のことだ?
――いつまでも現場を、うろついた?
思わず口を閉じて、慎重に窺っていると……
急に冷静さが回ったのか、不健康な中年メタボ男ザルリン侯もまた……ハッと口を閉じた。
全員の眼差しが、大型の三つ首《人食鬼(グール)》の上に立ち上がっている、双子の銀髪の妖女へと集まる。
――その見事なグラマラス体型を除いて……いやに、銀髪にしたアリージュ姫に、似た容姿。
ハッキリとした違いは、とてつもなく高価な香水『バビロン』の有・無。
魔性の、総・銀髪の双子の妖女。宮殿で『アリージュ姫』を名乗っていたのは確実だ。常識的な人の前ではとても口に出来ないような方面で、活動しながら。
その妖女のどちらもが、一斉に『逆しま』と言及した……その、灰髪のアリージュ姫。
ひとつの推測が、浮かび上がって来る……
――実際に老ハムザ氏の死亡現場を、すなわち水耕ハーブ栽培施設を、夜中にうろついたのは、灰髪アリージュだ。
その夜は、意義深く特別な夜だったのだ。
1体目の大型《人食鬼(グール)》を退魔調伏した結果、《生贄魔導陣》つながりの左手首の呪物、3分の1が解除された夜だったのだから。反動的に、体調も過剰に良くなっていた状況だったかも知れない。
いつになく風の強い夜だった。
適当に押さえていたベールが吹き上げられ、灰色の長い髪もまた、ザアッと流れて広がり。
視界が髪に阻まれた一瞬、誰かが――更なる隠蔽工作や捜査の混乱を目論んだザルリン侯だったのだろう――現場をよぎって行った。アルジー=アリージュ本人が覚えている。
ザルリン侯は、その時、アルジーを見かけた筈だ。
その灰髪の骸骨アルジー=アリージュ姫を、銀髪グラマー美女アリージュ姫だと確信したに違いない。
――それは、何故なのか?
不気味な推測と確信と、恐怖のこもった視線が……アルジーと、不健康な中年メタボ男ザルリン侯の間で、行き交った。
アルジーの左手首に、なおも取り付いている、暗い黄金色の呪物。まだ3分の2が残っている。素材の分からない金属による――《怪物王ジャバ》と関連する――腕輪(ブレスレット)が、熱を帯びる……
…………
……
ブルブル震えながらも、じわじわと双子の銀髪の妖女を振りあおぐ、ザルリン侯。もともと東方総督としての教養はある人物。何らかの真実を悟った、と言わんばかりの表情。
「銀月の三相……三位一体……」
魔性の双子の妖女は、瞬時に、その謎の言及に気付いた――らしい。
『『よくも卑小なる人類のくせに、禁断の秘密にふれたものよ。死ぬが良い』』
銀月の女神そのものの美麗なるグラマー容姿と、女の声域をしているのに――陰々と忌まわしく響く邪声。
次の瞬間。
恐怖が爆発した。
銀髪の双子の妖女を立ち上げている、二体の大型の三つ首《人食鬼(グール)》が、いきなり、ガバァと、胴体の中央の穴を開く。
ザルリン侯のダミ声の悲鳴が、上がるか上がらないかのうちに……
その場に、元・ザルリン侯だったモノの、バラバラな肉片が飛び散った。更に、血しぶきが。
次いで、青白いまでの灼熱の爆炎。
闇夜の中の工事現場が、いっそう明るくなった。
「ぐおぉ!」
触手を破壊された大型の邪霊2体、三つ首《人食鬼(グール)》の、痛みの叫び。
多数の触手の形をした《人食鬼(グール)》の舌も、バラバラに破壊されていて、灰燼となって空中を待っていた。
爆炎のなかを、なおも黄金《魔導札》が舞っている。
「なんだ、なんじゃあ」
怪異キノコを各所に生やした前・東方総督トルーラン将軍と、その御曹司トルジンが、人間らしい恐怖を覚えたのか、うるさく騒ぎ出した。
ついで、ザルリン侯が率いていた、自称『カメハメ騎士団』にして裏ビジネス=ニセ駄菓子屋の、有象無象チンピラも。
双子の銀髪の妖女が苛立ち、カッと目を見開き、ガッと口を開けて、牙を見せた。
耳まで裂けるまでに開かれた、その口に、狂暴な黄金にぎらつく牙が、グルリと輝く……
…………
……
全員の注目を浴びているのは、モッサァ白ヒゲ老魔導士フィーボル。老体はブツブツと、何かをボヤいている雰囲気。
その横で、セルヴィン青年が《退魔調伏》紋様も鮮やかな三日月刀(シャムシール)を、聖火神殿でよく見かける刀礼の形式で掲げている。その三日月刀(シャムシール)が、聖なる太陽柱のように輝いていた。
老魔導士フィーボルとセルヴィン青年が、事前から、なんらかの《魔導》連携をしていたと見えるところ。
「ふー。かろうじて超大型では無く、大型《人食鬼(グール)》2体とはいえ、この、人類史上の最高の天才たる魔導士の腕前が通じぬとは……伝説の邪霊使い《炎冠星》以来の、規格外の化け物じゃな」
『さかしらな、老いぼれめが! 火のジン=レクシアルの火焔光背《精霊魔法》めが!』
総・銀髪の怪異な妖女たちが激怒する。
2人の妖女が足場にしていた大型の三つ首《人食鬼(グール)》は、2体ともに、触手を通じて《火の精霊》退魔調伏の炎を送り込まれていて……延焼する形で、グズグズに崩れはじめていた。
『『次は無い、銀月の!』』
銀髪の妖女2人は、真っ直ぐに、アルジー=アリージュ姫の左手首に取り付いている呪物を指差した。
*****
ハッとして、アルジーは、左腕を注目する。
――左手首に取り付いている腕輪(ブレスレット)――暗くぎらつく黄金の呪物が変形していた。
腕輪(ブレスレット)は、素材の分からない不気味な合金製である。《怪物王ジャバ》生贄魔導陣の意味を持つ邪悪なレリーフが緻密に彫刻されているものの、
永続的に錆びも崩れもしない一流の細工品である事実は変わらない。
それが、非現実的なまでのピキピキという破砕音と共に、今まさに半分に割れようとするかのように、切れ目が入りはじめている。正確には、最初の幅の、さらに3分の1の幅に相当する。
――外れるのか!? さらに3分の1だけ、解呪されるところなのか。でも、何故?
見る間に、呪物=腕輪(ブレスレット)の半分が、邪霊の黄金の光輝を失った。
まったく同時に、双子の銀髪の妖女が、邪霊の黄金そのものの異様な光輝をまとった。
アルジーの中で閃くものがある。
――この呪物には、邪霊の力の根源となる成分が仕込まれているのだ。そして、おそらく《怪物王ジャバ》が振るっている邪霊の力と同じくらいの強度を期待できる。
――さらに、《怪物王ジャバ》申し子とも定義されている《人食鬼(グール)》種族の都合に左右されないような、
人類でもなんとか操作できるような……この呪物の正体は、《魔導》カラクリ糸の結晶か、それに相当するものなのかも知れない……!
そのアルジーの直感を、裏付けるかのように。
いまや、銀髪の怪異な双子の妖女は、超大型の三つ首《人食鬼(グール)》と同じくらいの、濃厚にぎらつく黄金色の光背に、荘厳されていた。
アルジーに取り付いている邪霊の呪物、すなわち黄金の腕輪(ブレスレット)から、邪霊の力を引き出したのに違いない。必要な量だけ。
アルジーのほうでは、ひそかに真剣に期待していたが、黄金の腕輪(ブレスレット)の割れ目は、グルリと一周しなかったのだ。完全に分離できるほどでは無い……
…………
……
『『有象無象の人類ども、《人食鬼(グール)》変身せよ。そして人類の男と女を手籠めにし、うち捨てよ』』
「なにメチャクチャ言ってるの! ニセ双子!」
『知れたこと。性欲と破壊欲にまみれし愚鈍なる人類の欲望に、応じて見せたまで』
銀髪の妖女2人は、どこかから馳せ参じたと言わんばかりの、白い絨毯に飛び乗った。
――いやに見覚えがある。空飛ぶ魔法の白い絨毯。
そして。
空飛ぶ魔法の絨毯を操っている人類……黒衣の首領魔導士。あの贅沢な宝冠にも、覚えがある。
贅沢な宝冠をした大柄な首領魔導士は、サッと毛深い手を伸ばして、すれ違いがてら御曹司トルジンをつかみ上げて行った。御曹司トルジンには、まだ利用価値があるという事なのか――
御曹司トルジンの、間抜けなまでの叫び声が、たなびいてゆく。
「例の宝冠魔導士だ!」
「何故、トルジンを……!」
「むむむ……!」
白ヒゲ老魔導士フィーボルが、怒髪天だ。怒りのあまり無言に近い状態。
全員が、想定外の展開に唖然とするばかりの、ひととき……
…………
……
アルジーの肩先で、相棒の白文鳥《精霊鳥》パルが、鋭い警告をさえずる。
『気を付けるピッ! あの巨人戦士ザムバの変身前・オーバーキル変身後の、禁術の手法を使ってるピッ!』
『巨人戦士《邪眼のザムバ》にやらかしたのと同じ、邪霊の種族への変身の手法を、今ここで繰り返してるってこと?』
もと人類であったが今や人類では無い、忌まわしい集団が、どよりと動いていた。
前・東方総督トルーラン将軍、先ほど粉みじんと散ったばかりのザルリン侯の手下たち――カメハメ騎士団だの、ニセ駄菓子屋だのの、手下チンピラの男たち。
全員、邪眼の目となっている。
各々の額には、第三の目がバックリと開いていた。暗い黄金色の炎が、純粋な性欲と破壊欲に、ぎらついている。
――人体の構造上、頭部を3つに増やすのは難しい。だが、邪眼という形で、額にもうひとつの眼を増築することは可能なのだ。
前もって、刺青(タトゥー)という形で邪悪な術を受け入れる準備ができていたのなら、なおさら容易ということは推測できる。
明らかに正気では無い、人類のものでは有り得ぬ邪声をあげている。人類のものではとうてい有り得ぬ――異形の、忌まわしき歯並び。
人体の有り様も、異形の変形を遂げていた。人類の体型と《人食鬼(グール)》の体型が不完全に入り交ざった、見るもおぞましい、どちらともつかぬ――暗い黄金色の混合体。
女商人ロシャナクでさえ、いよいよ恐怖に震えている。
一方で、老魔導士フィーボルは経験度が違った。
「かつての伝説の邪霊教団《炎冠星》が発明した禁術じゃ! あれは殲滅するほか無い! あの妖女たちと性交渉をおこない、禁術の黄金浴槽に浸かった瞬間、人類としての命数が尽きておったのだ!」
銀月の戦士ジャウハラが、唖然となるような速度で腕を回転させた。
見事な銀ヒゲがモッサァと乱れなびき、その下から、その手先に握られている『雷帝サボテン鉄砲』の破裂音が連続する。
「わが奥義《雷電銃乱射(らいでんじゅうらんしゃ)》を食らえ!」
バチバチと雷光を散らす《雷帝サボテン》が、半人半魔の一団へと放り投げられた。
威力は《人食鬼(グール)》向けより二割引であるが、ひたすら圧倒的多数の《雷帝サボテン》だ。
かつて自称『蒼甲騎士団』だった不法「カメハメ騎士団」の面々――が、ほぼ全員バチバチと感電しながら飛び跳ねている。あのニセ駄菓子屋の店番だったチンピラ青年が、情けない叫び声をあげて引っ繰り返った。
「先手必勝ぞ! 援護せよ、弟子たちよ!」
老練な『毛深族』銀ヒゲ戦士ジャウハラが既に察していたとおり、工事現場でつづいた異常な閃光や爆裂音が、帝国軍の精鋭その他、民間の自警団を呼び寄せていたのだった。
最寄りの区壁の陰に、クムラン隊長ひきいる帝国軍の小隊が控えていた。既に退魔調伏の火矢を構えている。ジャヌーブ砦でも定番だった武器。
「あれあれ遂に解決ですかね、邪霊害獣が沸いたぞ、野郎ども討て!」
クムラン隊長の指摘は正確だった。
忌まわしき異形と化していた「カメハメ騎士団」の面々が引っ繰り返った後から、さらに大型の邪霊害獣の数々。おもに大型《三つ首ネズミ》。大型・不定形《蠕蟲(ワーム)》。
女商人ロシャナクも、ようやく平常心に近いものを取り戻して。「大型の色々な邪霊害獣との戦闘」という珍しい事態に焦りながらも……退魔調伏の御札を取り付けた投げナイフを、次々に投げている。
――オアシス湖畔は湿気が多い。いっそう退魔調伏がやりにくい条件だ――
オーラン青年が、半人半魔と邪霊害獣の混成団へと、オリクト・カスバ様式の手裏剣を放った。
後から見ると、それは、フェイントであった。
次いで、セルヴィン青年が、同じくオリクト・カスバ様式の手裏剣を放つ――
――邪霊の側でさえも、まったくの、想定外の方向へ。
退魔紋様を備えていた手裏剣。
闇の中、《火の精霊》特有の退魔調伏の炎が、たなびいている。
真紅の色をした流星さながらに、一直線に。いままさに動き出した超大型・三つ首《人食鬼(グール)》へと、到達した。
『ニャロメ!』
三つ首《人食鬼(グール)》の左頭部――そこにある邪眼――に、退魔調伏の炎の手裏剣が命中し。
盛大な退魔調伏の爆炎があがった。高位の《火の精霊》によるもの。
空飛ぶ魔法の白い絨毯のうえで、双子の銀髪の妖女の片方が、全身から真紅の炎を噴き上げた。超大型の三つ首《人食鬼(グール)》を燃やす退魔調伏の炎が、延焼したかのようだ。
『おのれ、レクシアル!』
真紅の色をした爆炎は、《火の精霊》火吹きネコマタの形をしていた。
まさにネコが「ネコパンチ」を繰り出す時と同じように、容赦のない「炎のネコの手」が、超大型《人食鬼(グール)》左頭部を、高速でバリバリと引っかいた。
見る間に退魔調伏の炎は熱量を増し、超大型の三つ首《人食鬼(グール)》左頭が、灰燼と化し、ついで無害な真紅の熱砂と果ててゆく。
銀髪妖女の片方もまた、もろともにコンガリと焼き上がっていた。ボン・キュッ・ボンの全身から、無害な真紅の燃えカスをばらまき始める。まさに「化けの皮」が剥がれてゆく過程。
今ひとたび盛大に爆炎が上がり、大きな「化けの皮」成分が、一気に、ゴッソリと……真紅の岩塊であるかのように、脱落した。
銀髪妖女の片方すなわち退魔調伏の炎が着火していたほうの「化けの皮」が、燃え尽きたのだ。
――現れたのは、化け物めいた見かけの大型キノコだ。人類と同じくらい大きなサイズの。
「え、なんで?」
全員で一瞬、その見慣れないブツを注目する。
空飛ぶ魔法の白い絨毯のうえで、もう片方の銀髪妖女とともに間際に居た御曹司トルジンが、メチャクチャな叫び声をあげていた。
「聞いてねぇぞ、キノコの化け物なんて、我が最愛を誓う、本物の、いとしい新妻が!」
控えていた謎の宝冠魔導士が「うるさい」とばかりに御曹司トルジンの頭部を殴り。
ゼロ戦力でしか無い御曹司トルジンは、バッタリ倒れて静かになった。
同時に。
大地が不自然に震えた。
正確には、工事現場だった広場に描かれていた、奇怪な黄金色の図形が。
大小の精霊や邪霊の爆炎でも、邪悪な音響の衝撃波でも、びくともしなかった図形。
不自然に震えつづける大地。震えつづける黄金色の図形。
その地上の図形のうえに、真紅の色をした「化けの皮」残骸が落下していた。
真紅の岩塊めいた「化けの皮」残骸に引き寄せられたのか、大量の黒毛玉ケサランパサランが、たかっていた。銀月の戦士ジャウハラの『雷帝サボテン鉄砲』から大量に発射されて、そのまま散らばっていた毛玉たちだ。
黒毛玉ケサランパサランの数々は、まだ青白い雷電が活性化していて、バチバチと雷光を放っている状態。
何故なのか、アルジーに取り付いている邪霊の黄金の呪物――不十分に割れ目が入った状態の腕輪(ブレスレット)が、同期したかのように、黒毛玉たちの雷光に似た、青白い光に燃えた。
傍に居たミリカが気付き、「えぇ?」と、見つめるのみ。
訳が分からず不安に突き動かされるままに、アルジーは、左手首の腕輪(ブレスレット)を、もっとよく見ようと、下弦の銀月の方向へと差し上げた……
怪異な呪物=腕輪(ブレスレット)が、次の瞬間、天空をわたる銀月の光を発した。
大地のうえでも、闇の色をした黄金に輝く図形と、青白い雷光に輝く黒毛玉ケサランパサランが、なんらかの相互干渉をしたのか、双方ともに、妖しいまでの銀月色の閃光を放った。
聖性と魔性の間を――天空と大地の間を――揺らぐ妖しい銀月の色。
精霊と邪霊が連動し、さらに毛玉ケサランパサランの気まぐれが関与する、「なんらかの世界法則」が連動したらしく。
グラリと……世界が揺れたのだった。
大いなる浮遊感。
そして不意に、戦闘につきものの……騒音が終わった。
この、不意打ちの大いなる違和感の「正体」である何者かが――呪物=腕輪(ブレスレット)の構築に関係していた古代魔法なのか――強力に介入したのだと知れる。
老魔導士フィーボルやクムラン隊長や、その小隊をはじめとする人類の側も、襲撃して来る「カメハメ騎士団」半人半魔チンピラたちも、
それぞれに大声を上げたり叫んだりしている筈だが、人類の肉声は、ここでは通用しないらしい。
有効に響きわたっているのは、《精霊語》だ。
どこか遠くで、だれかが、陰々と詠唱している。超古代の呪文を詠唱しているのか……
…………
……
三ツ辻に 望みを捨てよ 巌根(いわね)ひとつを ともにして
千尋の海の底までも あまねく統(す)べるは 闇と銀月
天の果て地の限り やよ逆しまに走れ 両大河(ユーラ・ターラー)
千と一つの夜と昼 すべての星が落ちる時
…………
……何故なのか、逆回しの詠唱だ。それでも、意味は通っているようだ。
いやに覚えのある浮遊感が、いつまでもつづく。
いつしか、浮遊感の中、不思議な虚空が開けていた。
目を凝らしてみるが、目の前に広がっているのは、オアシス湖畔の工事現場の光景では無い。
いちめんの、いちめんの、深い深い藍色をした空間。やがて星空のような光で満たされてゆく。
まるで、かの《アル・アーラーフ》への次元通路が開いたかのような……
……超転移なのか?
どこか遠くの、別の場所へ飛ばされてゆくところなのか?
もと遊女ミリカや、女商人ロシャナクもまた、同じ異様な浮遊感を覚えているのは確実――顔色がすっかり変わっていた。アルジーの腕をしっかりつかみ、支えながらも、その手はブルブル震えている。
アルジー=アリージュ姫のなかで、いっそう強烈な違和感が、急に広がった。
不気味な四行詩とは別に、いつか聞いた気のする、でも非常に聞き慣れない《精霊語》が、どこかで響いている。
アルジーの相棒・白文鳥パルや、火吹きネコマタと、難しい応答を繰り返しているような……
『――東帝城砦を混乱させていた銀髪妖女「ニセ・アリージュ」の化けの皮が剥がれたニャ』
『前にも言ったと思うけど、偶然と必然の果ての想定外、ピッ』
『老魔導士どのは当然、理解した筈。かの銀髪妖女の正体を。明らかに、キノコの形が出現した。水のジン=ユーリュメル殿が推測したとおり』
『邪霊キノコ=アマニータ細工、ピッ』
…………
……
媚薬キノコ「アマニータ」。等身大の人体の形をした高価なキノコ。
重要な鍵のひとつは、銀髪キノコ=アマニータ人形カラクリ仕掛けを動かす、邪霊使いの正体を解き明かすこと。
…………
……
『あの双子の銀髪アリージュ姫の正体が、邪霊キノコ=アマニータ人形! カラクリ仕掛け!』
アルジー=アリージュ姫は、直感と記憶が閃くままに、思わず《精霊語》で突っ込んでいた。
『邪霊キノコを、カラクリ人形として遠隔操作してるのは……! 巨人戦士「邪眼のザムバ」を《怪物王ジャバ》へ変形させたり、
その後も老ハムザ殺害事件だのなんだの、先刻の戦闘で異形の変身の禁術を使ったり、その《邪霊使い》というのは……!』
どこかで、「うむ」と言わんばかりに、パチリ・パチリと火花が散る気配。
『超古代以来の、禁術の中の大禁術が関与しているのは間違いニャイ』
『帝都・大聖火神殿のカビーカジュ魔導書から情報流出していたのは確実ピッ。おそらくアリージュ姫が直感し、指摘した方法ピッ。魔導書の表紙に出現する「喋る仮面」ピッ……』
その部分は、アルジーの記憶にもある。ジャヌーブ砦の老魔導士フィーヴァー、いや、フィーボルから、印象深い昔話として聞かされた怪談だ。
――邪声をあげる怪物の顔をした異形の人面レリーフが、忌まわしき禁書『魔導書』表紙に浮き上がって来る……そんな内容の怪談。
『あまり時間が無いゆえ、パル殿、事を急ぐ必要がある。この邪悪な運行を食い止めないと、《怪物王ジャバ》が、近いうち復活しかねない。
「帝都の盾」連山の地震活動が急増しているのだ。あの地下の巨大洞穴には……』
謎の、思慮深い声音がつづく……かつて、ジャヌーブ砦に居たオーラン少年を祝福し、精霊契約していた、謎の《地の精霊》に違いない。
(聞いたことのあるような地名だけど、『帝都の盾』連山って、どこ……帝都の近く?)
さらに記憶をたどろうと、アルジーは集中する。
だが。
背中が急に熱くなって、それどころではない。灼熱の炎が、背中に着火したようだ。
『頑張って、銀月アリージュ、水のジン=ユーリュメルによる霊魂改造の手術は済んでる、《怪物王ジャバ》対抗措置となる異形の変身、耐えられる筈、ピッ!』
白文鳥《精霊鳥》パルの、高速さえずり。多少ならぬ不安と懸念の響きを感じる。
やがて、背中の熱源が爆発したかのような衝撃が、全身を打った。
久し振りのような、首元の痛み。生贄として斬首されかかった時の傷が、しびれている。
アルジーは、気が遠くなった。
ボンヤリとしながらも、意識の端で……視界いっぱいに純白の羽根が舞っているのを確認する。
――いつかの時と同じような気がする。いつだったっけ?
無数の純白の羽根は、純白の花吹雪となり、そして流星の道となる。
夜よりも深い藍色をした無限の虚空。明(あ)かき流星の道。きっと、千と一つの……
アルフ・ライラ・ワ・ライラ。
壮絶なまでの、高速移動の圧力が掛かって来たのを感じる……
………
……
再び、世界が、大きくグラリと揺れた……
■9■東は東 西は西
少し時間をさかのぼる。
俗にいう「銀髪の偽アリージュ姫の工事現場」は、以前から、新任の代理・東方総督バーツのもと懸案事項として警戒されていた、いわくつきの場所であった。
この件で指摘されているのは、いわゆる「脱税王トルーラン将軍」すなわち解任済みの前・東方総督のやらかした国家反乱罪との罪深い連関の数々である。
sそのほかにも、貴重なオアシス水源喪失、東帝城砦の特産品・輸出品となる高級葡萄畑の喪失――など多くの問題が列挙されるところだ。
この夜――下弦の半月が天空をわたる深夜。
東帝城砦の全体を揺るがすような、天空を焦がすような爆発の光と、壮絶な爆発音が、とどろきわたった。
それも「偽アリージュ姫の工事現場」として警戒されていた、オアシス湖畔の一角から。
「出会え、出会え!」
代理・東方総督バーツと、帝国軍の各部隊、聖火神殿の神殿調査官や衛兵団、市場(バザール)の民間自警団の面々が出張ったのは、言うまでもない。
《亀使い》ゼインを含む『地誌編纂所』戦士団の面々も含めて。
そして数々の丁字路――三つ辻――を曲がって、オアシス湖畔へ駆け付けた彼らが目撃したのは、以下のような光景であった。
火の邪霊ジン=イフリート爆発を引き起こす黄金《魔導札》の、いっそう多数の空中散乱。
圧倒的多数の雷電をまとう《雷帝サボテン》と、《三つ首ネズミ》や《三つ首・蠕蟲(ワーム)》、《骸骨剣士》をはじめとする邪霊害獣との、揉み合い。
早急に片付けないと、暴走する邪霊害獣が城下町にあふれてしまう。あらゆる街区が散々な事態になるのは、火を見るよりも明らかだ。
その中央あたりに、どこからか沸いて来た、2体の大型《人食鬼(グール)》と思しき不完全な異形が見えた。
想定外の誘爆と誤爆の合わせ技でも食らったのか、退魔調伏の真紅の炎につつまれて、断末魔の踊りをはじめたところ。
退魔調伏の過程が始まっていたのはもっけの幸いだが、可及的すみやかに退魔調伏の御札や火矢などを繰り出して、完全に無害な熱砂になるまでに分解しておかなければならない。
ほんのちょっとしたきっかけで、忌まわしき復活を遂げてしまうからだ。
近くを、『空飛ぶ魔法の白い絨毯』が飛んでいた。
その場違いなまでの白いヒラヒラのうえに、4名ばかりの人影。
銀髪の怪異な妖女2人、わめき続ける御曹司トルジン、以前の報告にもあがっていた「宝冠魔導士」なる黒衣の邪霊使い。
その背後に高々とそびえ立っている、超大型の三つ首《人食鬼(グール)》。暗くぎらつく、黄金色の炎のような光背に荘厳されている。
あまりにも忌まわしく恐ろしい光景が、かつて工事現場だった場所に、いちめんに広がっている。
工事現場へ駆け付けた勇敢な戦隊の面々であったが。
――究極の恐怖、すなわち超大型の三つ首《人食鬼(グール)》を目にして、一度ならず足踏みし、それ以上の接近をためらうところ。
もと帝国伝書局・市場(バザール)出張所の所長だった赤毛の大柄中年な熊男バーツもまた、代理・東方総督として、現状把握しながらも……恐怖に震えた。
まず対処しなければならないのは、大型の三つ首《人食鬼(グール)》2体と、超大型の三つ首《人食鬼(グール)》1体。
目下、2体の大型《人食鬼(グール)》が、全身から退魔調伏の真紅の炎を噴き出して、崩れようとしているところだ。それでも、ぎらつく黄金の邪肉がうごめき、ドヨドヨと復活しようとしている……
そして、なお悪いことに……そこらじゅうのチンピラ人類が異形へと変身して、邪声をあげていた。
どこかの高位の邪霊に呪われたのか。人類の体型と《人食鬼(グール)》の体型が不完全に入り交ざった、見るもおぞましい、どちらともつかぬ――暗い黄金色の混合体。
人類――帝国軍の側は、まったく当然ながら、腰が引けてしまっていた……
――すると。
帝国軍で構成される一部隊から、中堅ベテランといった風の黒髪の外交官が現れた。
オリクト・カスバのオローグ大使。南部ジャヌーブ前線の経験があり、大型の三つ首《人食鬼(グール)》が出現する状況に対して場慣れしている人物。
オローグ大使は、代理・東方総督バーツのもとへ駆け付けながらも、テキパキと基本事項を指摘する。
「バーツ殿、邪霊軍団を殲滅しなければ。あらん限りの退魔調伏の《紅白の御札》を」
「おう、そうだったな」
赤毛の熊男バーツは、ターバンをしごいて気合を入れた。
「全軍、退魔調伏の構え!」
「り、了解……弓矢隊、前へ! 左翼部隊と右翼部隊《雷帝サボテン鉄砲》準備!」
各隊の隊長の声も震えている。
そのなかで、クムラン隊長の率いる小隊が、真っ先に最前線へと並んだ。
既に退魔調伏の火矢を構えている。さすが南部《人食鬼(グール)》戦線ジャヌーブ砦で連戦して来た精鋭は、場慣れの程度が違う。
いきなり事態が動いた。
夜目にも目立つ、かの伝説の英雄――『銀月の戦士ルゥルゥ=ジャウハラ』が、工事用道路に近い眼下の一角から、躍り出て来たのである。
「わが奥義《雷電銃乱射(らいでんじゅうらんしゃ)》を食らえ!」
モッサァ銀ヒゲ戦士が、目にも留まらぬ速度で腕を振り回し、次々に『雷帝サボテン鉄砲』を連射する。
雷電の火花が、暗い黄金色にぎらつく異形のチンピラ戦士団の、そこらじゅうで火花を放ち……その動きを鈍くした。
「先手必勝ぞ! 援護せよ、弟子たちよ!」
銀月ジャウハラ戦士の、とどろくような大声の呼びかけに、クムラン隊長が陽気に応じた。
「あれあれ遂に解決ですかね、邪霊害獣が沸いたぞ、野郎ども討て!」
すでに準備万端だったクムラン隊長の小隊から、次々に火矢が飛び出し……銀ヒゲ戦士その他の人影が見える一角から、異形のチンピラ戦士団の足取りを後退させ始めた。
つづいて、別の区壁を防壁として潜んだ《亀使い》戦士団も、火矢を打ち始めた。
オローグ大使は、かねてから実力者として知られているオッサン戦士《亀使い》ゼインが指揮をとっているのを素早く確認し、代理・東方総督をつとめる赤毛『毛深族』バーツと、目配せを交わした。
ひとときの間をおいて、代理・東方総督バーツも戦況の移り変わりを把握しはじめた。将軍としての戦場判断の学習は、早いほうだと知れる。
「邪霊害獣の大群が沸いている! 各部隊、援護射撃!」
数多の火矢の群れ。半人半魔と化している異形のチンピラ戦士団が、さらに後退した。
銀ヒゲ・ジャウハラ戦士の近くで、オーラン青年と見える人影が、異形のチンピラ戦士団へと、数本の投げナイフを続けざまに放つ。
つづいて、セルヴィン青年と見える人影が投げナイフを構えた。
さらなる追加攻撃と見えたが、投げナイフは予期せぬ方向へと、真紅の尾を引いて飛翔した……
投げナイフの真紅の流線は、いままさに動き出した超大型・三つ首《人食鬼(グール)》の左頭部へと吸い込まれてゆき。
超大型・三つ首《人食鬼(グール)》の左頭部で、盛大な退魔調伏の爆炎があがった……
誰もが予想だにしなかった戦果に、駆け付けた戦士団の面々が、どよめく。
「信じられん、やったか!?」
何故なのか理由は知れぬが、超大型・三つ首《人食鬼(グール)》の動きが鈍い。
目下、三つ首の「左/右/真ん中」のうち、左の頭部が全焼する勢いだ。
4人を乗せている『空飛ぶ魔法の白い絨毯』が、うろたえたように、その周りを浮遊し、漂っている。
絨毯に乗っている4人のなかで、禍々しい気配のある銀髪妖女2人が《精霊語》を叫んでいるのが見て取れる状態だ。超大型・三つ首《人食鬼(グール)》の遠隔操作をしていたのだと、傍目にも推察することができる。
いま、その怪異なる銀髪の妖女の片方――左側に居た女は、超大型・三つ首《人食鬼(グール)》左頭部の退魔調伏の炎が延焼したかのように、全身を燃やされているところだ。
間違いなく、怪異な妖女の双子は、超大型・三つ首《人食鬼(グール)》を操っていられる状況では無いと見える。二つで一つなのか、片方が不調だと、邪悪な操作もスムーズにいかない様子なのだ。
各部隊の隊長が、次々に、配下の部隊へ命令を飛ばしている。半人半魔のチンピラ団と邪霊害獣の群れは、討伐対象である。
「とにかく連続で退魔調伏をつづけろ、火矢を絶やすな!」
「超大型・三つ首《人食鬼(グール)》へも、そっちの崩れかけてる大型のデカブツへも、退魔調伏の火矢を撃ち込め! 念入りに隙間なく」
双方ともに一進一退を繰り返す。装備の数もあって人類の側が優勢だが、戦況は、いつでもガラリと変わる。胃袋の痛くなるような膠着状態。
今ひとたび。
超大型・三つ首《人食鬼(グール)》左頭が、盛大な爆炎をあげて、すっかり吹き飛んだ。
同調するかのように、怪異な銀髪妖女の片方でも、ひときわ大きな退魔調伏の、真紅の色をした火の手が上がる。
――銀髪の怪異な妖女の「化けの皮」成分が、一気に、ゴッソリと……真紅の岩塊でもあるかのように、脱落したようだ。
左側に居た銀髪妖女の、残骸の位置に現れたのは。
なにかの化け物めいた見かけの――人類と同じくらい大きなサイズの――大型キノコ。
「あれは何だ? いったい、どういう事だ?」
聖火神殿から出張って来ていた衛兵団の一角から、大声があがった。
――超大型の三つ首《人食鬼(グール)》の周りをフラフラと飛びつづける魔法の白い絨毯のうえに、いきなり現れた、燃え上がる大型キノコの怪異。
全員で一瞬、その見慣れないブツを注目する。
空飛ぶ魔法の白い絨毯に乗り合わせていた御曹司トルジンが――今や不完全な《蠕蟲(ワーム)》のような印象しか無い――恐怖のあまりか、メチャクチャな叫び声をあげていた。
その傍に居る「謎の宝冠魔導士=邪霊使い」が殴りつけると、毎度ゼロ戦力でしか無い御曹司トルジンは、バッタリ倒れて静かになる。
一部始終を見て取った代理・東方総督バーツは、思わず身を乗り出す。
「空飛ぶ絨毯のヤツラ、全員、重要人物に違いない! 全員、身柄を確保できるか?」
「やってみましょう、長弓!」
複数の戦士団が反応した。次の瞬間、飛距離のある矢が、複数――飛んでゆく。
だが、銀髪の魔性の妖女の怒髪天は、すさまじく……その銀髪が、ヘビのようにうねって、矢を叩き落したのだった。
「まさしく怪物だな」
長弓隊の近くで、《亀使い》ゼインが、冷や汗を流した……
…………
……
やがて、前線で、不可思議な動きが始まった。
ボンヤリと空中のそこらを漂流している、黒毛玉ケサランパサラン。ワラワラと、意味深な隊形を組んだように見える。
銀月の戦士ジャウハラが《雷帝サボテン鉄砲》でもって大量に発射していた、黒毛玉ケサランパサランである。
まだ海洋ウニのように固い状態だ。
黒毛玉ケサランパサランの、バチバチという雷電の火花は、まだ収まっていない。
そこらじゅうの黒毛玉の漂流が、地上で不気味に輝く黄金色の謎の図形を目指して、ワラワラと集結した。
真紅の色をした岩塊のようなものが地上の図形のうえに横たわっていて、これにたかっているのだ。
意味深な漂流の隊形がつながるや、あらたな雷電の相関が、銀月の色をして、ひらめく。
それは、複雑な編み目となって輝き、一瞬の花火のように現れて消えた。超古代の、意味深な《魔導陣》を構築していたかのようだ。
雷電スパークの衝撃によるものか。摩訶不思議な花火――複雑な図形の生成消滅によるものか。
グラリと、大地が――空間が、震えた。
大きく傾斜し、どこまでも深い藍色の虚空を、はるかなる天涯の果ての深淵を、のぞきこんだかのような……
――底知れぬ揺動、浮遊感――
全身に鳥肌が立つような違和感をおぼえながらも、全員で再び、一帯を警戒すると。
その謎の大いなる揺動に同期して、オアシス湖が波立ち……オアシス湖をつかさどる偉大なる《水の精霊》『渦巻貝(ノーチラス)』が、ゆらりと顕現していた。
あたかも、闇夜にボンヤリと立ち上がった、巨大な虹――あるいは蜃気楼。
危険な角度になるまでに揺動した「ナニカ」が、揺りもどった。
偉大なる《水の精霊》『渦巻貝(ノーチラス)』の調整が入ったのでは――という直感が、全員にひらめいて……
…………
……
えたいの知れない浮遊感、据わりの悪さが、やがて落ち着いた。
同時に、いつもの調子も戻って来て。
各部隊の面々、全員で、あたりを確認しはじめる。
「いったい何が起きたんだ!?」
「超大型・三つ首《人食鬼(グール)》が消滅してます!」
黒髪オローグ大使も、前線を仕切る区壁の後ろから身を乗り出した。代理・東方総督を務める赤毛の熊男バーツも共に、確認する。
「大型《人食鬼(グール)》2体は崩落しているが、念入りに退魔調伏の仕上げをしなければ。それに邪霊害獣の大群が城下町へ侵入して来るゆえ、早急に街区ごとに連携を」
「右に同じだ、オローグ殿。伝令は、それぞれ担当街区に分かれて走れ! 残りは、クムラン部隊の援護へ」
それまで正確に目標を観察しつづけていた弓矢隊の面々が、次々に驚きの大声を上げた。
次に、そこに控えていた《亀使い》ゼインが、大声で報告する。意外に遠くまで通る声質。
「バーツ殿! あの『空飛ぶ魔法の白い絨毯』が消えてます!」
聖火神殿から出張って来た衛兵団も仰天して、あたりを再確認しつつ……
戦闘の真っ最中ゆえの、戦火で延焼した面積が広がっていて、いちめん、チラチラと照らされている状態だ。
「クムラン部隊が見えません! 老魔導士どのも……! なんらかの強力な《魔導》で、一緒に消えたとしか思えません!」
「銀ヒゲ戦士ジャウハラ殿も……! どこへ行ったのか……!」
「ええい、うろたえるな! 今は謎でも、とにかく緊急で必要な手を打たねば」
当座の最大の脅威――《人食鬼(グール)》要素――は、なぜか、急に片付いた形ではあったが。有象無象の邪霊害獣の大群が、夜闇のなか、いっそう増強して押し寄せて来ていた……
*****
やがて。
東帝城砦の、短くて長い夜が明けた。
地平線の境界があかあかと輝くや、もと工事現場だった戦場を走り回っていた邪霊害獣の大群は、見る間に、その魔性ならではの、ぎらつく黄金色と濃厚な邪気を失ってゆく。
さらに弱体化した邪霊害獣の群れの討伐すなわち退魔調伏は、聖火神殿に所属する衛兵団の独壇場。
討伐隊の主力が、聖火神殿からあらたに派遣された経験豊かな衛兵団に交代したところで。
代理・東方総督を務める、モッサァ赤ヒゲ『毛深族』バーツは、やっと休憩が取れる状態になったのだった。
*****
一方で《亀使い》ゼインをはじめとする《亀使い》戦士団は、その粘り強い努力でもって、遂に、ウフン団長クッサイ氏の身柄を確保していた。
――忌まわしき尻尾が生えていたり、手足の長さが違っていたりするなど、深刻な異形と化していた半人半魔の集団のなか……
クッサイ氏は、第三の眼《邪眼》構築に失敗していて、比較的に人類の原型を残していた。額には邪眼の刺青(タトゥー)が出来ていて、肌の色も、邪悪な黄金色にぎらついていたが。
緊急の取調べ室は、偽アリージュ姫の工事現場に残っていた、工事長のための事務小屋。
すでに解体が始まっている状態だ。
山岳修行の見習い魔導士が寝起きする掘っ立て小屋も同然の……簡素を極めた「野外テントのようなナニカ」となっているものの……一応、直射日光を防ぐ屋根はある。
――夜明けも終わらぬうちから、ウフン団長クッサイ氏は、身ぐるみ剥がされて全裸にされた。
代理・東方総督バーツや、オリクト・カスバのオローグ大使、それに聖火神殿の調査官たちの立ち合いのもと、《亀使い》戦士団の司令部たちの手によって。
近くで見ると、クッサイ氏は、「黄金色のブヨブヨとしたナニカ」という異形の印象が強い。
かろうじて、口ヒゲを生やした中年男という原形が窺える。頭部ターバンはすっかり外れていて、世にも奇妙な髪型が丸見えになっている。
呪われし黄金浴槽などの邪悪な禁術に身も心も捧げていた影響で、その体格は《蠕蟲(ワーム)》を思わせるブヨブヨした贅肉のようなナニカに包まれている状態だ。
神殿調査官の一団は、即座に、邪霊成分による忌まわしき末期症状と診断した。所属している魔導士は、偉大なる白ヒゲ老魔導士フィーボルの、弟子のひとりである。
――かの先代の帝国皇帝(シャーハンシャー)や第六皇子カムザングを襲ったのと同様の、不自然な腐敗症状。
――邪霊害獣の血液に浸かっただけで、三つ首の大麻(ハシシ)などという邪悪な成分が身体に入っていなかったのが、幸いというべきだが……予後が、よろしくないものであることは確実。
取り急ぎの尋問が始まった。
「手前は、クッサイ氏に相違ないな?」
「当たり前だ、この田舎者めが、ウッフンッ!」
ウフン団長クッサイ氏は相変わらず、ウフン・ウフンと鼻息を荒げながら、傲然と受け答えした。
邪霊成分の影響で、状況を把握できなくなるほどに、クッサイ氏の意識分裂が進んでいるのは明らか。自分が厳重に縛られていることさえ認識していないのだから。
「ウッフフーン! 貴様ら下等な虫ケラどもに、この選ばれし聖炎ククリ刀剣の尊大の極み、東南の英雄王クッサイ黄金・皇極・宇宙・尊大・猊下が解説してやろう!」
「おぅ、ドンドン喋ってくれい」
代理・東方総督を務めるモッサァ赤毛の熊男バーツは、器用にクッサイ団長を煽っていた。
――そもそも市井で盛んにやり合っていた、知り合い同士だ。その性質について、表も裏も知り尽くしている相手なのである。
立ち会っている筆記や調査官、各部隊の代表者たちが唖然・呆然だ。もちろん、立ち会っているオローグ大使や、しがない・オッサン《亀使い》戦士ゼインも。
「東南の交易で、もっともカネになるのは、そうとも賭博だ麻薬だアヘンだ! つまらん有象無象の野郎どもには、絶対こなせねぇ裏ビジネスよ! まずは菓子に混ぜ込んで、
ガキを落とすところからだ! 聖火神殿の調査官も、帝国軍の忍者も、イチの、コロさ!」
「帝国軍の忍者を殺処分したこともあるらしいな、選ばれし聖炎ククリ刀剣の尊大の極み、東南の英雄王クッサイ黄金・皇極・宇宙・尊大・猊下」
「ウフン、10人や20人はくだらねぇフフン、ウッフフン! そして、こっちは《精霊亀》をバラバラにして特効薬でもって無限に回復すると言う訳フウン! くだらねぇ欠片なんぞは、特効薬の原料として、
アホ・ボケ・マヌケの東方総督トルーランの名前を使って、東南へ『カメハメ騎士団』をやって、特別な販路に流したり、ウッフフフーン!」
傍で聞いている《亀使い》ゼインの額には、ハッキリとした青筋が浮かんでいた。
「偉大なる《精霊亀》の甲羅にかけて、きっと、その卑劣なる首を、世界の果てまで飛ばしてくれる」
ウフン団長クッサイの『自慢話』という名の白状は、なおもつづく。
「トルーランのヤロウ、ザルリン裏アヘン菓子ビジネスの上がりをむしり取られた事にも気づかず、おかしいね、
ワハハ! 此処には、もうひとつ、アヘン工場ができる! そしたら、老ハムザの製粉機械を入れて、もっと、ガッポガッポ……!」
赤毛モッサァ熊男バーツが、ふーっと息をつき、頭をフリフリした。
「あとで今までの不正脱税の額面の数字をまとめて、照合しなくちゃいけないな。先だって戦場で、前・総督トルーラン将軍の残骸やら前々・総督ザルリン侯の残骸やらを確認する羽目になって、
このたびの脱税犯罪だの《精霊亀》密輸事件だのは、迷宮入りかと覚悟していたが」
「右に同じでであります、総督閣下」
聖火神殿から出向していた生真面目な調査官も、紅マントをバサリとやって、生真面目に大きく頷いた。
「此処で実施されていた不正工事と、老ハムザ殺害事件の動機については、ほぼほぼ解明されたかと」
…………
……
ウフン団長クッサイ氏は、目の焦点が合わないまま、さらに重要な内容をわめき出した。
「知らざあ言って聞かせるゥウッフフゥン! 我が『カメハメ騎士団』の正体は、かの名高い『蒼甲騎士団』精鋭なり」
「そのように身分詐称して、東の隊商道の数々の集落を回って詐欺したり盗賊したりした訳だな。『蒼甲』名を使われた我が友の怒りを、そのウンコ頭へ叩きつけてやるから、せいぜい、しゃべれ」
もはやゲッソリとした風のオッサン《亀使い》ゼインが、それでも鋭く突っ込んでいた。
その片手は既に亀甲提灯の棒を固く握り締めている。次の瞬間には『亀甲錘』として振り回せる状況だ。東方の大国である亀甲城砦(キジ・カスバ)の最強の打撃武器、それも、人食鬼(グール)対応。
ウフン団長クッサイ氏は、ウフン・ウフンという鼻息の合間に、切れ目なく自慢話を乱発しつづけていた。
「我々『カメハメ騎士団』は東帝城砦を完全に支配下に置き、かくして水仙海岸の『江湖水兵団』精鋭と手に手を取って、東南の帝国として独立する!」
クッサイ氏の大声は、ほぼほぼ掘っ立て小屋である当座の取調所の周りじゅうへと、明瞭に響いていた……
…………
「あれホントかよ」
「昨夜の《人食鬼(グール)》騒動へつながったと考えると、まったく笑えない冗談だな」
「水仙海岸の『江湖水兵団』も、その筋では名の知れた実力派ぞろいだが、あのウフン団長の言ってる『江湖水兵団』は、さしづめ、そう自称してる海賊チンピラだろうな」
「そうに違いねぇ」
聞き耳を立てていた各部隊の戦士たちが、ヒソヒソと突っ込んでいる状況である……
…………
……
「あとは、邪魔なウトパラ・カスバ王統をサクッとヤッて、ありとあらゆる財宝ザックザク!」
ウフン団長クッサイは、もはや幻想のなかに生きていた。
「この世は我が世の望月の春なのだ……そうとも! ウトパラ王統の血で封印されし太古の地下神殿へ踏み入るための《魔法の鍵》を手に入れて!」
次の瞬間。
東南地方の事情に詳しい幾人かの立会人が――《亀使い》ゼインも含めて――棒立ちになり、血相を変えた。
さすがに、代理・東方総督バーツが「なんだ?」と目を見張る。
「ウトパラ王統の血で封印されし太古の地下神殿だと?」
「ウトパラ王家が代々、念入りに特別な《魔法の鍵》の祭祀を重ねて封印してるアレは、扱いを間違えたら世界が崩壊するぞ」
「伝承によれば、かの神殿には《怪物王ジャバ》王国の第一位の聖女が産み落とした『魔の卵』が、《魔法の鍵》でもって封印されている。すなわち次代《怪物王ジャバ》を封印してる状態だ」
「水仙海岸、江湖というほど水が豊かな土地だから、いちめんの密林だったという古代『精霊魔法文明』――怪物王国の環境に近いのは確かだし、《魔法の鍵》が無くなったら何が起こるか分からん、とか」
ザワザワと警告の談話がつづき。
やがて《亀使い》ゼインが、ターバン頭をガシガシやりながら、掘っ立て小屋さながらの取調所を飛び出した。黒髪オローグ大使が驚きながらも、その姿を目で追う。
「魔法の鍵! 白ヒゲ老魔導士や銀月ジャウハラ殿が――クムラン隊長とその小隊も――何処へ消えたか、分かったような気がする。裏取りして来るから、ちょっと時間をくれ」
そして《亀使い》ゼインが飛び出して行った先は。
一般の野次馬たちを仕切る区壁の、向こう側だ。
図ったかのように、一般の野次馬たちに混ざって、馴染みの濃色ベール姿をした中年の女占い屋ティーナが佇んでいた。
自然に《亀使い》ゼインの後を付いてゆく形になっていた、黒髪オローグ大使。そのまま、《亀使い》ゼインと占い屋ティーナの検討を、小耳に挟む……
40代ふくよか女占い屋ティーナは、同世代のオッサン戦士《亀使い》ゼインから、手早く端的に情報連携を受けていた。ウフン団長クッサイの発言内容の、要約だ。
女占い屋ティーナは、いつもの手持ちの《精霊亀》甲羅を撫で回しながら、訳知り顔をしはじめる……
「ああ、やっぱりね」
歯切れの良い説明がはじまった。
「精霊界の強烈な干渉があったね。東は東、西は西、しかれども――冒険者や発掘隊が秘境を探検していたら、いつの間にか別の場所に居たとか、
それで正確な宝探しの地図を作りそこねて、次の冒険者がえらい苦労したとか」
同世代オッサン《亀使い》ゼインは、やれやれと言わんばかりに、首をフリフリしつつ応じている。
「そっち系か、ティーナ殿。亀甲城砦(キジ・カスバ)でも、世界の屋根なる大山脈《地霊王の玉座》で聞かれる摩訶不思議な瞬間移動は怪談奇談のタネだ。
気付いたら深い深い千尋の谷を飛び越えて向こう側の崖に居た、山の精霊に招待されたようだ、という内容。たいていは夢遊病だった、という結論だが」
「彼らは瞬間移動したんだよ。まさに夢遊病の、夢路のような経路を……アルフ・ライラ・ワ・ライラ……」
「移動先は占いで判るのか、ティーナ殿?」
「いや。こいつは、占える範囲を超えてる。でも、偶然だけど、クッサイ団長が答えをくれたね。一両日もしないうちに、東方から、とんでもない怪異な事件の噂が聞こえて来る筈だよ」
女占い屋ティーナは、慎重に、手の中にある《精霊亀》甲羅を撫でまわしつつ……ハッとするほど美しい黒い目を、キラリと光らせた。
「ウトパラ王侯城砦(パシャ・カスバ)か、その係累の城砦(カスバ)……あたしは、ミリーシャ姫の出身の城砦(カスバ)に賭けるね。アリージュ姫の傍に、もっとも長く居る人物だ」
「ガンダル・カスバか。あそこは江湖――水仙海岸の港湾のひとつだが、古代からの国際港、かつ風待ちの港だけあって、古代《風の精霊》信仰も混ざって、つづいてる土地だ……」
そして、応答が途切れた。
しがない・オッサン風な《亀使い》戦士ゼインは、次の瞬間には、腕組みをして沈黙に落ちていたのだった。
40代ふくよか女占い屋ティーナは、長年の腐れ縁を意味深に眺め……
「ふう。年の割に落ち着かない男だね。もう頭の中から、東西の高速移動を組み立てているところの、歯車の音が聞こえて来るよ」
女占い屋は苦笑しつつ、テキパキとした所作で、占い道具、すなわち《精霊亀》甲羅を、手持ちの風呂敷に仕舞った。そして、近くで聞き耳を立てていたオローグ大使へ、これまた意味深に頷いて見せた。
オローグ大使のなかでも……すでに次の方針に対する決断はくだっていた。
――我々も取り急ぎ、東へ赴かなければ――
いつしか、東帝城砦の乾いた空のうえを、次の季節の風がわたっていた。