■01■そして砦を出て港町へ向かう
アルジーは、現実なのか非現実なのか分からないモヤの中を漂っていた。
自身も、モヤとなって、ボンヤリとしている感じ。
――こんな事してる場合じゃ無かったような気がするんだけど、取っ掛かりが見つからない。
「白文鳥《精霊鳥》が蒸発したかと思ったら、夜明け前に火吹きネコマタが連れて戻って来たって?」
「本当の蒸発と成仏の消滅じゃ無かったみたいで幸いですねえ。
いや、もちろん、いつかは成仏して現世からオサラバしなきゃいかんでしょうし、いろいろ矛盾してそうな気がしますが」
遠くから……ボンヤリと、謎の会話が聞こえて来る。
「ドリームキャッチャー型の耳飾りの幻影が点滅しとる。すなわち例の霊魂は、いつものように憑依しようとしているが、何らかの問題が起きとるらしい。
ジナフ殿の占術で、新たに適合する《火の精霊石》を選別して交換済みじゃ。ちょいと手が掛かるが、この『人類史上の最高の天才』に任せておけ」
――見覚えのあるモッサァ白ヒゲが全世界に広がっている。こんなに巨大だっただろうか。
モヤモヤするままに漂っていると、老魔導士フィーヴァーが何やら怪しい作業をしている様子が、ボンヤリと感じられて来た。
多種類の《紅白の御札》が飛び交い、霊魂アルジー要素のモヤに触れた分は即座にペタリとくっつき、ペカリと光った。霊魂アルジーを捜索しているところらしい。
「……そして、この《紅白の御札》に霊魂の好む香料を仕込み、お焚き上げして《反魂香》となす訳じゃ。
霊魂が、こう、ススス……と寄りつく反応を示した線香、香水、コーヒー類やハーブ類など、なにか思いつかんか?」
「確か、薬用茶『凌雲』の湯気をジーッと見ていたかと」
「ほほお? 納得する点が繋がって来たぞ。あれは体調回復に効果テキメンじゃが、純正品は流通量が少なすぎるんじゃ。日常の代替品として各種ハーブから《瑠璃香》が調香される」
「医薬品を扱う専門の市場(バザール)界隈でも『凌雲』パチモン摘発が多いんですよねえ。まともな医師や調合師なら自家製《瑠璃香》で、どうにかすると言いますし」
「原料ハーブ各種の相性の問題があって『砂を噛むような風味』、効果が確実とは言え『凌雲』の半分にもならん。代替品の限界じゃ。
ゆえに香調も、患者の趣味や都合に合わせてローズ、ジャスミン、その他……あの髪オイルはサボテンリリー調じゃった。調合師が反応を見ながら変更したのか、配合比が奇妙にズレていたが」
『ミャオノアニャニャノネ(その筋から新しい情報を得た。それは正確には姫彼岸の花であるとの事ニャ。調合した本人も「今は納得したが色々あって想定外だった」とコメントして来た)』
――少しの間、翻訳を挟んだかのような空白が入った。
「サボテンリリー調と重なるのは白系の姫彼岸。園芸向けの改良種を含めて分布は幅広い。香りが非常に薄くベテランでも判別困難……その調合師は優秀じゃな。
植物学でいう同じ区分にリコリスがある。スパルナ部族などの土地では昔から風邪薬や甘味となる定番ハーブじゃ」
「よくご存じですね。のど飴とか、風邪をひいた子供へ苦い薬湯を飲ませる時に甘味に使いますが。園芸種のほうは観賞用で、香料としての活用も、ほとんど無いですよ」
「守護精霊が強大かつ精霊資源が豊かな土地では、突然変異的に、ダイヤモンド光沢と微香を合わせ持つ姫彼岸が出る。『魔除けとして用いた』との古代伝承があり、
大神殿の研究開発部門でも、たまに採集報告があるんじゃ。じゃが、あいにく手持ちを切らしとる。霊魂はとんでもなく精密じゃ、
組み合わせが異なると別人が入って来るぞい。港町で輸入物を探して調達するかの」
「少し前に、ここジャヌーブ砦の裏山で、紅系と白系の両方で突然変異を見つけて、報告用に採集していた分があります。乾燥処理がまだ途中ですし、ごく少量ですが……足りますか?」
「なんじゃと! さすがスパルナ部族の魔導士じゃな! 次は、誰か『凌雲』持っとらんか?」
『ニャニャーオ(セルヴィンに処方された残りが有るニャ)』
やがて、ゴソゴソ、カチャカチャという器具の音がつづき……
傍で、とてもとても馴染み深い、紅白の御札が焚かれたような気配。
――昨夜、体調回復の紅白の御札を枕元に敷いてたっけ? 特に疲れが大きくなる新月の時期は、その御札を更に自家製オイル《瑠璃香》に浸して、ランプで焚いて……
植物の霊体成分が繰り出す幻影なのか、目の前に、白い姫彼岸の花。母親シェイエラ姫から手渡されたような気のする花を、手に取ると。
――シャララン。
ドリームキャッチャー型の白い耳飾りが、風鈴のような音を立てた。物理的な音響では無い……邪霊にとっては魔除けとなる類の……
程なくして、点と点の間に線がつながるように、散らばっていた意識や感覚のような何かが、つながり。
アルジーは覚醒した。
心臓部に命の炎が灯ったようだ。実際は《火の精霊石》らしいけれど。
瞬間に、ドッと押し寄せる重力感覚――生前と同じという訳では無いけど、相当に実在感のある人体感覚。
ボンヤリとしていた物理的な全身にも、みるみるうちに神経が通ったようだ。霊魂が満ちた衝撃で、ピクリと全身が震える。
「……ほえ?」
瞬時に、目の前にモッサァ白ヒゲが広がった。
生成りターバンを乗せた、飄々とした面(おもて)はシワ深く老いていたが、好奇心タップリの少年のような眼差しがキラキラしている。
「天と地よみしたもう茶葉『凌雲』は《反魂香》としても効果テキメンじゃの! どうじゃ今の状況は?」
「え、虚無人形な感じです、ハイ」
気が付くと、霊魂アルジーは、あの《魔導》カラクリ人形『銀髪の美しすぎる酒姫(サーキイ)アルジュナ号』あらため『銀髪の虚無スナギツネ顔《鳥使い姫》号』へ憑依している状態であった。
いろいろ修理済みのカラクリ人形の、胴体中央部の蓋(フタ)がパカリと開いている状態。心臓部の位置で、着火したばかりという風の《火の精霊石》が、真紅に輝いていた。
霊魂の要素が、カラクリ人形の全身をひとめぐりして戻って来たのか、見る間に、心臓部に設置されていた《火の精霊石》の炎が、銀月の色へと変貌する。
チラリチラリと、《火の精霊石》の炎の中で、本来の人類の生命力の要素らしい真紅――或いは《薔薇輝石(ロードナイト)》――の色が揺らめくが、
ほぼほぼ純粋な銀月の色だ。《銀月の祝福》を受けた霊魂の色、ということらしい。
「予想どおり人類としての生命力は尽きておる。もう少し真紅の色が有れば、瀕死という程度には息はあったのじゃろうが。
それにしても驚くほど大量の《銀月の祝福》じゃな。『ほとんど銀月の色の幽霊』というオーラン君の目撃証言は、完璧に証明されたと言えよう」
老魔導士フィーヴァーは、その片手に『霊魂と幽霊の挙動に関する呪術概論』タイトルの、カビーカジュ文献と思しき古い巻物を持っていた。
少し後方で仰天しきりの顔をしたスパルナ出身の魔導士ジナフ。生真面目な老騎士という印象。
その隣に、中堅ベテランの鷹匠ユーサーと白タカ・ノジュムが居て、ホッと息をついたような雰囲気。
気配のみだが、セルヴィン少年やオーラン少年も、クムラン副官やオローグ青年も居るようだ。
いつもの談話室の中だが、妙に片付いている。
それに全員、外出姿……軍装をすっかり整えていて、これから遠くへ行くのかという感じだ。
思わず、虚無スナギツネ顔の、糸のように細い目をパチパチとやる、カラクリ人形アルジーであった。
「何がどうなっているんでしょう? それに皆さん、旅装のようですが何処かへ?」
「うむ、霊魂の状況が随分と変わったようで、カラクリ人形への憑依が、なかなか完了しなかったのじゃ。まる一昼夜じゃな。
これから南方の例の《人食鬼(グール)》発生源となっている廃墟へ出発するところじゃ。ただ、幾つか足らない装備がある。一旦ジャヌーブ港町を回って、それらを調達するんじゃよ」
老魔導士フィーヴァーが巧みな手つきで、《魔導》カラクリ人形の蓋(フタ)を閉じた。
次に、鷹匠ユーサーが、訳知り顔で、カラクリ人形の衣装を手渡してくれたのだった。
以前にも着ていた、庶民の日常着だ。男女共通のリネンシャツと広幅ズボン。淡いコーヒー色をした膝丈ベストとサッシュベルト。
男性型ながら「男の証明」も何も無いカラクリ人形だが、それでも何やら羞恥心を覚える。今回の《反魂香》術でも空振りだったら、
そのまま帆布に包んで運び出す予定だったらしい――偶然とはいえ、下半身が簡素な帆布でくるまれていて幸いだ。
察しの良い《火の精霊》火吹きネコマタが、シュバッと膝元へやって来て「ニャー」とイタズラっぽく笑った。火の色をした魔法の紗幕(めかくし)を適当に吊ってくれて、アルジーはホッとしたのだった。
そそくさと着衣を済ませると、何処にいたのか相棒の白文鳥パルが、鳥類アリージュの顔をして、ターバンの上へ止まって来た……生前のように。
次に、火の色をした魔法の紗幕(めかくし)がパッと消えた。
ホッとした様子の、いつもの談話室のメンバーが居た。
老魔導士フィーヴァー。セルヴィン少年と覆面オーラン少年、それに白タカ若鳥ジブリール。鷹匠ユーサーと白タカ・ノジュム。クムラン副官とオローグ青年。
早くも老魔導士フィーヴァーが、魔法使いの杖のような愉快な杖を手に取り、一同へ号令を下した。いつの間にか、雑多な実験道具らしき小道具の数々は荷造りが済んでしまったようだ。
「では取り急ぎじゃが出発じゃな。同士ジナフ殿、道々、空白を埋める時間は充分あるゆえ。鷹匠ユーサー殿、以前のように《鳥使い姫》の介助を頼むぞよ」
「承知でございます」
宮殿の侍従さながらに鷹匠ユーサーがスッと差し出してくれた片腕へ、素直につかまる、カラクリ人形アルジーであった。憑依したばかりで、まだ体幹が不安定だ。
ぞろぞろと、談話室を退室して廊下へ、そして午前半ばの陽射しが照り付ける外の石畳の道へと出たところで。
ようやく、カラクリ人形アルジーは、手元が心もとないことに気付いたのだった。
「あ、私の荷物袋」
鷹匠ユーサーがもう一方の手で、あの「ぼろい荷物袋」を持ち上げて示して来た。
「ここに持ち出して来ております、鳥使い姫。大きな汚れを取るため洗濯させていただきましたが、実に頑丈な荷物袋ですね。修理は、ほとんど必要ありませんでした」
呆れ気味の鷹匠ユーサーの近くの上空で、白タカ・ノジュムが、おかしそうにクククと笑いつつ旋回していた。カラクリ人形アルジーのターバンの上に陣取った白文鳥パルとも、なにか笑い話をしている様子だ。
厩舎区画へと向かう一行。そこから、めいめい騎馬姿となって城門へ赴く手筈になっている様子だ。
乗馬の前のささやかな準備時間。強烈な陽射しを避けるためのマントは必須だ。白鷹騎士団から貸し出された分をまとっていると。
黒衣の老騎士にして魔導士ジナフが、カラクリ人形アルジーへ、胸に手を当てて丁寧に一礼して来た。頭部を保護する額当に施されたレリーフ彫刻『白い鷲獅子グリフィン』紋章がキラリと光る。
白鷹騎士団の印。
「人形に憑依している時があると聞きました《鳥使い姫》。こちらではお初に。先日は大雨の中、鷹匠ユーサー殿と共に現場へ駆けつけて下さったとのこと、御礼申し上げます」
「はぁ、あの、ご無事で良かったです」
「……いま見ると、鳥使い姫のほうが重傷のようですね。首元にすごい縫合痕が見えますが」
「あ、なんか霊魂のほうで手術しておりましたので。全身バラバラにして、胴体を三枚おろしにして、足りない中身をペタッと貼った後で、それを再び縫い合わせるという……」
「……え?」
ショッキングな内容だったらしく、生真面目な魔導士ジナフの顔は真っ青になっていたのだった。考える事がいっぺんに出てきた様子で、
折り目正しく話を切り上げ……明らかにあたふたとした様子で、老魔導士フィーヴァーのほうへと移動していった。
首を傾げつつ、カラクリ人形アルジーは荷物袋をいつものように肩に掛けて……目の前に並ぶ、プロ仕様の鞍を装備した馬を眺め。
「いま気づいたけど、万が一、大型の邪霊害獣に遭遇した場合、隊商(キャラバン)傭兵のような戦闘経験は無いし、騎馬で全力疾走の経験も無いし……どうしよう?」
「ご心配なく」
鷹匠ユーサーが愛馬を引きつつ、カラクリ人形アルジーをエスコートして行った先は……ジャヌーブ砦の《精霊象》2頭が、2人の《象使い》と共に、あらかた荷物を固定し終えたところであった。
さっそく《精霊象》ドルーが、陽気そうに長い象の鼻を持ち上げて挨拶して来る。《精霊象》ナディがつづく。
『よう鷹匠ユーサー君』
『それに銀月《鳥使い姫》、いちご大福ちゃん』
中堅ベテラン鷹匠ユーサーが、《象使い》老女と壮年男の2人へ、折り目正しく一礼した。
「お手数おかけします《象使い》ナディテ殿、ドルヴ殿。かねてからの依頼どおり願います」
「ご丁寧に、どうもですじゃ鷹匠さん」
かくしゃくとした風の老女ナディテが、興味深そうに目をきらめかせて、カラクリ人形アルジーを眺め出した。
「確かに、この間も来てたスナギツネ顔の《鳥使い》幽霊娘さんじゃね」
「老魔導士どの渾身の《魔導》カラクリ人形ふくめて、大事にお預かりさせていただきまさ」
予想どおり《象使い》老女ナディテや壮年ドルヴの旅装マントの下は、鎖帷子に匹敵する強度の《象使い》装束フル装備であった。
カラクリ人形は人体の半分ほどの重さだけ。《象使い》ドルヴが帆布に包んで背負い、そのまま象の背中へ乗せる形であった。
生真面目な風で《精霊象》ナディが長い鼻を差し出し、壮年ドルヴがヒョイと乗り。象の鼻が持ち上げられて頭部へ行ったところで、軽業師よろしく象の頭部へ、そして背中へと移動するという風であった。
わずか数秒の早業。
壮年ドルヴが象の背中から飛び降りると、次に、老女ナディテ婆が同じように象の鼻を経由して、象の首元へ設置された御者席へヒョイと腰かけたのだった。
帆布の中からヒョコリと人形の首を出してみると、象の背中に積まれているのは、圧縮加工済み飼葉、水を入れた袋、野外テント道具類、保存食料、各種の料理道具のようだ。
「そこに座布団つき初心者向けの鞍があるで、座るかね娘さん」
「はあ、よろしくお願いします」
ギクシャクと素早く座布団へ落ち着き、鞍から飛び出している取っ掛かりをつかむ。
大きな《精霊象》の歩みで、みるみるうちに城門へと接近していった。
すでに白鷹騎士団や戦象隊の選抜団、一時的に公募した遊撃隊がそろっていて、そのまま出発する形だ。
遊撃隊の中に、シレッと『ラエド戦士』が混ざっていると聞く。
注意深く見ると、虎ヒゲ戦士マジードが居た。あの大型《人食鬼(グール)》対応の大斧槍(ハルバード)を持っている。
白金色に輝く雷のジン=ラエド《魔導陣》が施されているという、戦士の名誉な武器でもある……
*****
合流にともなう軍団の再編成が、白鷹騎士団のシャバーズ団長の指令のもと、瞬く間に済んだ。
総勢となってみると、40人ほどの軍団というところだ。
たまに、廃墟となっている地下神殿の宝探しのために集う発掘者や冒険者の団体の場合、傭兵を入れて平均20人ほど。それを考えれば、宝探しの延長と言えなくもない。
――ジャヌーブ砦に残っている病人カムザング皇子や、その取り巻きたちは、「セルヴィン皇子の失敗を確信している」と言う。
そして実際にそうなるよう熱望している、との不穏な噂も、いつもの城門前の日常の市場(バザール)で、ひそひそと、ささやかれていたのだった。「壁に耳あり」とも言うから、ほぼほぼ真実に違いない。
かくして、いまだ健康を回復できていないヒョロリ少年なセルヴィン皇子の軍は、出発した。帝国皇帝(シャーハンシャー)による、理不尽なまでの命令書に従って。
公示された命令書は、次のような内容だった……
『この日この刻、帝国全土、すなわち帝都と諸王国を守護する最高位の守護精霊《火霊王》のもと確定せり』
『セルヴィン皇子は、次の国家祭祀の節句が来る前に、ジャヌーブ砦の長年の問題、すなわち《人食鬼(グール)》異常氣象の発生元となっている邪悪な神殿なり礼拝堂なりを、
蹂躙し、殲滅せよ。人員および手段は問わぬ。成功するまで帝都帰還は認めぬ』
『凱旋の功績と栄誉は当代の帝国皇帝(シャーハンシャー)にすべて捧げ、セルヴィン皇子は完全に沈黙せよ。その代わり、この件の獲得物は――数百年もの間、
邪霊どもに盗掘され荒らされていた廃墟から得られる物など、たかが知れている――すべてセルヴィン皇子の物とする。当代の帝国皇帝(シャーハンシャー)かく命令せり』
*****
ジャヌーブ砦の城門を出ると、早くも。
チラホラと、代表的な小型の邪霊害獣《三つ首ネズミ》が、近辺をウヨウヨし出した。
血に飢えた小型の邪霊ネズミは、岩陰から飛び出して足元へ噛みつこうとしたりするものの、直射日光のダメージがあるらしく動きが鈍い。
近づきすぎた個体は、槍の穂先などに付けた《紅白の御札》をペタリとやって調伏する。
邪霊害獣《三つ首ドクロ》も足元に近い低空をヨロヨロするのみだ。カラクリ人形アルジーと白文鳥パルの方向へ近寄る個体は、《精霊象》が丁寧に踏みつぶしてゆく。
カラクリ人形アルジーは、ハラハラしつつ、周囲をキョロキョロと警戒するのみである。片手を、退魔調伏《紅白の御札》在庫が少し残っていた、「ぼろい荷物袋」に突っ込みつつ。
象の背中は、見れば、定番の魔除け「ドリームキャッチャー護符」の位置でもあった。
騎象のための鞍の背もたれに相当する位置に、帝国軍ご用達の強力な魔除け護符が取り付けられている。
邪霊害獣《三つ首ドクロ》が、ハラハラする程には近寄って来ない。もっと危険な大型の邪霊害獣などは踏み越えて来るだろうが……
……帝国有数の危険地帯《人食鬼(グール)》前線でもあるジャヌーブ砦。その周辺では「道中安全の護符」技術が進んでいるということが、よく分かる。
内心ホッとするアルジーであった。
「この辺りは初めてだとか。ようこそ、ネコミミ付スナギツネ面の《鳥使い》娘さん。あたしゃ《象使い》ナディテってもんだよ」
老女ナディテが、語りかけてきた。カラクリ人形アルジーをしげしげと眺めつつ。その老女ナディテの目線の動きを見ると、霊魂アルジーの姿のほうも、少し見えている様子だ。
「え、あ、お世話に。ご挨拶が遅くなりましたが、このたび《精霊契約》にて正式な《鳥使い》となりまして」
「あらま? 今まで仮の状態だったのかい。幽霊になった後で《鳥使い》になったとは怪談で聞く話だけど、
白文鳥の亡霊の大群を呼んだとか、よっぽど生前から《薔薇輝石(ロードナイト)》見込まれてたんだね。
人づてに……じゃなくて、相棒《精霊象》ナディとか精霊づてに、ストリートファイト武勇伝を聞いたよ娘さん。女戦士ヴィーダと大立ち回りしたんだって?」
「そんな感じだったかと……でも、物理的実体と、モヤモヤ霊体では……実際に倒してくださったのは、白鷹騎士団の女騎士サーラ殿でしたし」
「でも、ズル無しで、というか自分が幽霊って事スッカリ忘れてて、生身の人体の流儀でガチンコ勝負したんだろ。
真性の《鳥使い》って、突き抜けた鳥頭なとこ有るんだよね。誰もが予想だにしない部分で、必ず想像のナナメウエをカッ飛んでゆく」
カラクリ人形アルジーは目をパチクリさせた。
「ボンヤリしてて、そうなっただけで……種も仕掛けも無い凡人ですし」
前方で《精霊象》ナディが、長い長い象の鼻から、ブワッと息を吹き出した。吹き出し笑いをしたらしい。何故なのか。
老女ナディテのほうでも、いっそう『変人』という確信を深めたようだ。それは『極めつきの変人』老魔導士フィーヴァーにのみ当てはまる、異例中の異例な名誉の筈だ。何故なのか。
「うん、じゃ、ちょっと女戦士ヴィーダの話をしようかね。色々訳ありだったからね……あたしら《精霊使い》の間じゃ、
ヴィーダが、ひときわ力量のある《鳥使い》候補ってことは割と早くから分かってた。ただでさえ《鳥使い》は少ないからね、いつ《精霊契約》成立かな、って賭けになるくらいだったよ」
「見て分かるものなんですか? あとで、彼女が有望な《鳥使い》候補だったと聞いてビックリして……ほかの《鳥使い》と会ったこと無かったから……かも知れませんが」
「娘さんから見て、ヴィーダは末席の《鳥使い》にも見えなかったんだね。《邪霊ハシシ》だの禁術タバコ袋だのに関与してたと判明してみると、納得だけど」
老女ナディテは、しばし沈黙して思案に沈んでいた。
揺れる象の背中のうえ、老女《象使い》のベールを透かして、多彩なビーズを連ねた《象使い》装束がシャラシャラと魔除けの音を立てつづけているのが分かる。
ビーズは相当に強力で、宝飾に匹敵する格式のある品と知れる。
――老女ナディテは、王侯諸侯の称号あるいは宮廷の高位高官といった地位を持っているのかも知れない。
近くで、若い《精霊象》ドルーが、『なになに?』という風に長い鼻を揺らして説明をねだっていた。《精霊象》ナディが、象の流儀で、フンフン語り始める。
かすかな空気の震え。人間の可聴域の外にある、重低音のささやきだ。
直射日光のそそぐターバンの上で暑くなったらしく、相棒の白文鳥パルが、カラクリ人形アルジーの肩先へ避難してきた。
そこなら、ターバンの巻き終わりの端が都合よく垂れていて、日傘みたいになっているのだ。
程なくして、《精霊象》ナディと、白文鳥《精霊鳥》パルとで、高速《精霊語》のお喋りが始まった。精霊語を習得した人類にも理解できない内容だ……
…………
……
全員が騎馬および騎象という一行は、移動速度も大きい。
あれほど巨大なジャヌーブ砦が、もう岩石砂漠の向こう側の「何らかの人工物」という風。
ボコボコ岩山と、緑色をした四角な『麻雀サボテン』とが、交互に盛り上がりをつくる隊商道。エキゾチックだ。ジャヌーブ地方では定番の光景なのだろうけれど。
隊商道をわたる南風は、湿っていて熱い。かすかな海のにおい。
日常の生活を支える物流すなわち、小型のラクダやロバを連れた運搬業者たちが、意外にチョコチョコ行き交っている。2度ほど、向こうからやって来た、その類のにぎやかな団体とすれ違った。
セルヴィン皇子の軍を構成する遊撃隊の数人ほどが、情報交換のため、小型のラクダやロバを引き連れた運搬業者たちへ手際よく接近した。
陽気な運搬業者たちは皆お喋り好きで、情報料として提供された退魔調伏の紅白の御札をとても喜んでいた。どこで息継ぎしているのかと思うほどの立て板に水で、現況説明をして行ったのだった。
老女《象使い》ナディテが、再び、カラクリ人形アルジーへ声を掛け始めた。
「女戦士ヴィーダの近くには、白文鳥が居なくてね。弟子ドルヴも不思議がってたんじゃ。ときどき港町まで出て、召喚はしてたらしいんだけど」
「ジャヌーブ地方は《人食鬼(グール)》前線ということもあって、特殊な土地柄で、何百年も白文鳥の渡りが無かったと聞きましたが……」
「そう、それで最初は、我々も、ヴィーダの近くに白文鳥《精霊鳥》が居ない事実について、不自然とは思ってなかったんじゃ」
不意に《精霊象》ナディが、鼻息を荒くしてフンフンしはじめた。
老女《象使い》ナディテが象の身体の各所をさすり出した。なだめるように、しわ深い手で。砂のカタマリの類がこびりついたらしく、それを落としている様子だ。老女の言葉がつづく。
「……でも、娘さんが白文鳥の亡霊の大群をこともなげに呼び出して、カムザング皇子をコテンパンにしたという怪談があって、
あらためて《精霊使い》仲間で検討し合って、ヴィーダには疑義ありかと、モヤモヤしてたんだよ」
「怪異があったら普通はパニックになるかと思いますが、此処では幽霊は、割と普通ですか……あ、邪霊害獣の怪異が普通な、戦場だからでしょうか」
「うん、ちゃんとした人の姿を盛るのは精霊界でも手続きが大変だから、お手軽なランプ炎の姿をした人魂の怪異が多いんじゃ。
通行人をちょっぴり脅したり、夜ごとの酒宴や、娼館や宿屋の賭博で遊んだりして満足して、夜間照明ランプの消灯と共に、スーッと成仏する」
その間にも邪霊害獣《三つ首ドクロ》が漂い、老女ナディテが手際よく叩き落とした。退魔調伏の紅白の御札を多数まとめた、ハタキ……御幣(みてぐら)でもって。
行く手に、最初の昼食および休憩の場所となる、ささやかなオアシス集落が見えて来た。
常に聖火祠で聖火を焚いているらしく、道標オベリスクさながらに、白金色の光柱がスッと伸びているのが、遠くからも見えた。夜には灯台のようになるのだろう。
オアシス集落に近づくにつれて、ナツメヤシ類が密度を増した。街路樹さながらだ。
連続する大きな木陰の中に入ると、一気に体力消耗の度合いが変わる。
老女《象使い》ナディテは、意外に綺麗な所作で水筒の水を飲み……話を続けた。
「ストリートファイトで……娘さんの意図した内容が、ヴィーダの直感の、はるかナナメウエだったのは確かだねえ。
《鳥使い》特有の冠羽オーラ、もぎ取ったとか。ヴィーダ、さぞ呆然しただろうね。先読み直感の感覚が、急に無くなって。
その冠羽オーラ感覚にしても、ヴィーダ自身が訓練で育てたものじゃなくて『別人の落とし物』棚ボタ」
老女ナディテは、あらためてカラクリ人形アルジーを振り返り。
「ヴィーダの死体ね、《精霊使い》仲間と一緒に、防護処理の儀式に立ち会ってて驚いたよ。
髪の毛を染めてあったんで染料を落とした。そしたら、この数日の間に祝福されたばかりの、輝く銀髪が現れた……総銀髪ってほどじゃ無いけど、珍しいくらい大量の祝福。
帝国皇帝(シャーハンシャー)ご寵愛の銀髪の酒姫(サーキイ)が嫉妬するほどのね」
「あ、それでストリートファイトの時、ヴィーダは髪の毛が見えないくらい、シッカリとターバンを巻いてたんですね……ベール姿だった時も、
髪の毛が分からないくらい慎ましい装いでしたし……《銀月》祝福の銀髪……ですよね」
「白文鳥は《銀月》と関係が深い精霊だからね、スパルナ部族では割と聞く。
死後《祝福》はありえないから生前に何かあったんじゃろって事で、すぐにヴィーダの家を訪ねてみたんじゃよ。ええと、
タフジン大調査官と4人の長官たち、白鷹騎士団のお偉いさん、それに『筋肉道場』の銀ヒゲ毛深族ジイサンとか、クムラン副官とか、お若い子守の護衛さんとかの立ち合いでね」
「あ、アブダル殺害事件の捜査会議の皆さんですね」
「うん。そしたら、幽霊娘さんが着てた《鳥使い》装束が、ヴィーダの衣装箱の中から見つかった。娘さんに関わっている精霊が、ヴィーダの《鳥使い》装束を霊的に拝借した時に、
感謝の印に祝福してたんだね。あとで、白ヒゲ老魔導士さんが『なんたる灯台下暗し』とか仰天したと聞いたよ」
――そういう事があったとは知らなかった。
霊魂アルジーが、カラクリ人形に憑依できていなかった一昼夜の間、案外、みんなで忙しくしていたようだ……
グルグルと思案しながらも、カラクリ人形アルジーは……肩先でノンビリ羽づくろい中の相棒、白文鳥パルを見つめたのだった。
アルジーのあずかり知らぬ事とはいえ、正直、相応に複雑な気持ちではある。
火吹きネコマタの意味深な補足が、思い出されるところだ。
――スパルナ宮廷では《鳥使い》となった者には、ありとあらゆる名誉と栄達が約束される。
有望な候補と生まれつき、さらに驚異の能力を活用しはじめたヴィーダにとっては、望めば手の届く未来に見えたのだな――
(そして……この数日に、急に白文鳥を経由した《銀月》祝福による銀髪に変わった。いよいよ《鳥使い》となるのは確実、と確信したに違いない。自分だって、そう感じると思う)
……雨の中のストリートファイトに臨んだ時、女戦士ヴィーダは、こちらをバカにして見くだしているのが、あからさまに伝わるほどだった。
「自分は本物と認められた《鳥使い》であって、アルジーの方は自称ナンチャッテ《鳥使い》に過ぎない」という自信もあったのに違いない。
そのヴィーダの判断は、間違っていない。
その時、事実、アルジーは「仮」《鳥使い》状態だったのだから……
…………
……
しばしの間、いろいろあり過ぎた最近の数日の間の記憶が、よみがえる。ジャヌーブ砦に墜落して来た、最初の日からの。
禁術の邪霊の大麻(ハシシ)関連のすべてに関わっていたのは、カムザング皇子だ。
知らず、カラクリ人形アルジーは、ボソッと呟いていた。溜息と共に。
「ホントに、第六皇子カムザング殿下は……とんでもない時に、とんでもなく物議をかもす『禁呪の大麻(ハシシ)』問題を持ち込んで……『無礼者の腐(くさ)れ外道(げどう)』な夫と同じくらい、
罰当たりなギャング悪童というべきか……」
「おやまあ……カムザング皇子のような御夫君と結婚してたのかい。そんなに明瞭に化けて来て、ジャヌーブ砦じゅうで前代未聞の幽霊怪談を巻き起こして、なお『うらめしや』とは、よっぽどだね。
さて到着だから、象さんから降りて、宿へ入ろうかね」
先陣を務める一団がオアシス集落の入り口に到達して、早くもオアシス集落の顔役や役人との交渉が始まっていた。
前もって申し合わせが済んでいたらしく、割符と思しき文書類を突き合わせて了解が成り立った様子。3人ほどの若者が案内に立ち、手慣れた風で順番に誘導を始めている。
大きな《精霊象》2頭も、訳知り顔で行列に続く。指示棒など無くても、精霊の種族ならではの判断力の高さだ。
ポカーンと戸惑っている経験不足な馬の尻を、象の鼻先でつついて誘導して、渋滞を解消してあげたり……人類よりも賢い部分が、いっぱいある。
気が付けば。
対処を良く心得ている《精霊象》2頭ともに、所定の休憩位置へ収まったところであった。見上げるほどの大きなナツメヤシが、広々と大きな葉を広げている。
象に乗った時と同じように、壮年《象使い》ドルヴが、カラクリ人形アルジーを帆布に包んで荷下ろしする形だ。
地上に降りてみて。
2頭の《精霊象》の足元の異変に気付いて、文字どおり飛び上がったカラクリ人形アルジーであった。
「まさか、そんなに居たっけ、邪霊害獣《三つ首ドクロ》……!」
あの見覚えのある「三つ首」の形をした怪異なブツが、《精霊象》足元に、ブツブツと鈴なりだ。退魔調伏が済んではいるが、それだけに真紅の色をした怪異なナニカをくっつけているように見える。
訳知り顔の《象使い》ドルヴが、老女《象使い》ナディテと一緒に苦笑しながら、早くもハタキでもって掃除した。乾燥した無害な砂のカタマリなので、あっと言う間にパパパと祓われて、キレイになってゆく。
「ジャヌーブ名物でさ。ナディテ婆さまの語りは上手だからね、白文鳥の天敵への恐怖とか、なんとか紛れたでしょ娘さん」
――確かに。
「でも、いつの間に、どうやって? 退魔調伏の御札を使ってなかったような……」
「ナルホド、ナルホド……邪霊害獣《三つ首ドクロ》挙動パターンを知らなかったところ、確かに《鳥使い姫》さんはジャヌーブ地方の出身じゃ無いですね、
ナディテ婆さま。鷹匠ユーサー殿から、お伺いしてたとおりでありまさ」
「休憩中に、娘さんへ教授しとくよ。このジャヌーブ地方じゃあ必須の知識だからね。ドルヴ君、いつもお手数おかけするけど、後続作業お願いするよ」
「力仕事は任せてください。では、ごゆっくり」
*****
昼食の準備は、セルフサービスだ。
設備が完備されている広場のあちこちで、手際よく、炊事の煙が立ち上がった。宿場町を経営する集落から割り当て人員が出ていて、井戸水の汲み出しや燃料の運搬を担当している。
同じ帝国軍に所属する武官どうしであっても、その中身はグローバル。
帝国全体にひろく共通している主食・穀粉飯(おやき)は帝国軍からの支給品であるが、それ以外の付け合わせ食材は、故郷からの取り寄せだったり、
ジャヌーブ地方で見つけたトロピカル類似品だったり、少しずつ異なっている。
カラクリ人形アルジーには食事不要であるものの、何もせずポケッと座っているのも気が引けるところ。
という訳で。
かつて民間の代筆屋として市場(バザール)出張所で担当していたように、汲み置きの水壺に退魔調伏の紅白の御札をペタリとやって、飲み水の浄水の度を上げてみたのだった。
「あれまぁ手際が良いんだね。王侯諸侯の姫君と聞いてるけど、生前は水商売やってたのかい娘さん」
「それは聞かない約束で」
老女ナディテが、タイミングよくアルジーが差し出した『毛玉ケサランパサラン詰め詰めザブトン』に腰を下ろしつつ、好奇心タップリの質問。
焦って、思わず近場をキョロキョロする、カラクリ人形アルジーであった。
――ガッシャン。
ほど近い煮炊き場の一角で、ラクダ糞(フン)燃料の山が崩れ。
毎度、空気を読まない邪霊・通り魔《骸骨剣士》が、ガシャガシャと飛び出した。3体ほど。
とはいえ最弱の邪霊。訓練済みの戦士にとっては、昼メシ前の腹ごなし程度の相手だ。《火の精霊》退魔紋様を含む三日月刀(シャムシール)でもって、あっと言う間に退魔調伏がなされ、無害な熱砂と化して散らばる。
「あれまあ」
ピシリと固まったカラクリ人形アルジーの横で、老女ナディテが、ノンビリと呟いた。
やがて、老女ナディテの弟子《象使い》ドルヴが、やれやれと言わんばかりの様子でやって来て、近くの適当な『毛玉ケサランパサラン詰め詰めザブトン』に腰を下ろして昼食一式を開きはじめた。
「いま『トラブル吸引魔法の壺』とか実験してたでしょ、ナディテ婆さま。研究者気質、おさえといて下さいよ」
「悪かったねえ」
と言いつつ、そろいはじめた食事をゆっくりとたしなむ、豪胆な老女ナディテなのであった。
「さて、スナギツネ娘さん。《三ツ首ドクロ》について簡単に説明するよ」
「はあ」
「伝承によれば帝国創建の頃、ジャヌーブ地方に現れた新種の邪霊害獣じゃ。
最弱の類ゆえ放置していたが、百年くらい後になって、初動対応が甘かったことが判明した。《三ツ首ドクロ》は、その百年間に、白文鳥を捕食して駆逐したんじゃ。
いま、白文鳥はジャヌーブ港町に避難している状況じゃ。ジャヌーブ地方では、子供でも知っている常識じゃね」
「前後して、この辺り一帯が《人食鬼(グール)》前線となり、ジャヌーブ砦が置かれ、白文鳥は渡らなくなった……なにか訳アリですよね《三ツ首ドクロ》って」
「ご明察じゃね娘さん。ジャヌーブ近辺に白文鳥が渡らなくなった理由として、我ら《精霊使い》の間では色々な秘伝の謎がささやかれとる。
本質的には《三ツ首ドクロ》が原因じゃ無い、とも。ジャヌーブ砦の異常氣象すなわち《人食鬼(グール)》異常発生の原因と関連しとるんじゃね。
娘さんも《鳥使い》として、何か聞いてる筈だけど、どうじゃね?」
カラクリ人形アルジーの肩先で、相棒の白文鳥《精霊鳥》パルが「ぴぴぃ」とさえずり……アルジーは、問題の流砂の下の廃墟へ潜らなければならない理由を、パッと思い出したのだった。
「流砂の下の廃墟……地下神殿かなにかに、原因がある、というような事を。今回の目的地……」
「われら《象使い》の間でも同じ見立てじゃわ。《三つ首ドクロ》を活性化させる異常氣流が、流砂の下の廃墟から発生しとる。
それが《三つ首ドクロ》対応の要点じゃ。異常氣流を制御して弱体化させれば、《精霊象》象皮や、《精霊亀》甲羅の魔除けだけでも、充分に退魔調伏できるんじゃ。最弱も最弱の邪霊害獣だからね」
「じゃ《精霊象》象皮の天然の魔除けで、退魔調伏していたと……その邪霊の氣流の制御って、どうやるんですか?」
脇でモシャモシャやっていた壮年男《象使い》ドルヴが、得意そうに笑い……口を突っ込んで来た。
「そりゃあ娘さん、《精霊象》は、長い長い象の鼻で氣流を操作して、フーフーできまさ。《精霊象》の特技ですね。《精霊亀》のほうは、寄って来た分を退魔調伏するだけだから。
水の傍であれば《精霊亀》が強いんで、ジャヌーブ港町が安全圏ということになりまさ」
…………
……
カラクリ人形アルジーは、《精霊使い》同士の情報交換――新しい知識の詰め込みに集中していて、気付かなかったのだが。
衝立を挟んだ隣の休憩所に、番外皇子セルヴィン少年と従者オーラン少年、それに護衛オローグ青年が控えていたのだった。
そして会話の内容は、バッチリ、オーラン少年の地獄耳の才能でもって中継されていた。
「あそこまで前提知識が無くて、よく危険地帯に突っ込もうと思ったな」
「ホントですね、殿下」
■02■港町の十字路と相撲大会の夜…死体あらわる
休憩後も、ジャヌーブ南への移動は順調につづいた。
番外皇子セルヴィン少年を名目上の代表とする『白鷹騎士団』メインの混成軍は、パッと見た目には、退魔対応の傭兵をそろえた、中程度の隊商(キャラバン)である。
遺跡の宝探し用の装備一式も積んでいるという点では、「余裕があれば一獲千金の拾い物も」という団体だ。
日暮れの刻、《精霊クジャクサボテン》群生地となっている水場を選んで、野営地を設定する。
位置を教えてくれたのは、ジャヌーブ港町とジャヌーブ砦を日ごと往復する、伝書バトの群れだ。
伝書バトは、水場を完備した休憩地となる《精霊クジャクサボテン》群生地の場所を、よく知っている。上空から、近くを通過する隊商(キャラバン)の類を見付けて、先導してくれるのである。
――もっとも、伝書バト自身の、夜のねぐらの安全のために、退魔調伏の技術と戦闘能力を備えた人類を利用している――という理由が大きい。
邪霊害獣を恐れるという点では、伝書バトも、人類と変わらない。
残念ながら満月の夜はまだ先で、《精霊クジャクサボテン》は、開花していない状態だ。三つ首《人食鬼(グール)》のような、大型の邪霊が接近するリスクはある。
だが、日常の物流をつとめる小規模な隊商(キャラバン)が多数にぎやかにお喋りしたとおり……ここのところ退魔調伏を祈願した雨季の雨がシッカリ降っていたお蔭で、例年と同じ程度には安全なのだった。
邪霊ざわつく深夜になると。
果たして、小型の邪霊害獣《三つ首コウモリ》大群が、馬・ロバ・ラクダ、ついでに伝書バトを吸血しようと押し寄せて来て。
早朝に、血に飢えた《三つ首ネズミ》大群が、ギャアギャア叫びながら走り回ったが。
老魔導士フィーヴァー、白鷹騎士団の専属魔導士ジナフと数人の夜間警戒担当、それに《象使い》ナディテ婆と壮年ドルヴによる熟練の退魔調伏の結界の甲斐あって、
寝不足と、すり傷ていどの怪我で、しのぎ。
翌日の午前半ば頃には、ジャヌーブ港町へ到達したのだった。
事前連絡が先に到着していたこともあり、ジャヌーブ港町における宿の手配が、スムーズに進む。ほどほどの街路をはさんで隣近所に分散した、隊商宿や商館の類を間借りする形である。
*****
ジャヌーブ港は、南の大海洋に面する港の中では最大だ。帝国が誇る、南洋一の国際港。
港町の半分ほどが、異国情緒たっぷりの市場(バザール)。
数刻ほどの休憩をはさんで、体力自慢の戦士たちは次々に体力回復した。
情報収集、偵察、物資補給あるいは単なる楽しみ……それぞれ、交代制で、ジャヌーブ港町の界隈へと繰り出している。
空気のにおいは違えども、かつて、東帝城砦――東方領土でも最大の規模を誇る市場(バザール)界隈の住民だったアルジーにとっては、馴染みを感じる空間だ。
細々とした業務がつづいて、はや夕刻。だが、空は、まだ明るい。
セルヴィン少年やオーラン少年の相部屋となった商館の客室に、共に、カラクリ人形アルジーも落ち着いた。
目下、カラクリ人形アルジーは、小型の邪霊害獣《三つ首ドクロ》を祓うための、退魔調伏《紅白の御札》をターバン端から垂らして、幻影をギリギリまで薄くしている。
見た目はあからさまに、退魔調伏キョンシー風の自動機械(オートマタ)。
落ち着いた部屋からは、メインストリート街路となっている十字路の角が見える。
カラクリ人形アルジーは、好奇心いっぱいに窓からキョロキョロして……十字路の角のひとつに、ドキリとする物を見付けた。
肩先で、相棒の白文鳥《精霊鳥》パルが「ピッ」とさえずる。
周囲と同じような南国トロピカルな看板。
だが、帝国共通の伝書鳩をモチーフとした装飾が、ひときわ目立つ。堂々たる帝国文字でもって、『帝都伝書局の市場(バザール)出張所』と書かれてある。脇に、伝書バトが出入りする鳩舎。
ドキドキしながらも……長々と眺めていると。
程なくして、目の前の、広場を兼ねた十字路の交差点で、なにやら舞台が立てられた。
トロピカル風ターバンや、南海系エキゾチックな民族衣装をまとった、日焼けした人々で一杯だ。
次に、帆掛船(ダウ)の帆ほどもありそうな、堂々たるサイズの芭蕉扇が持ち出された。亀甲城砦(キジ・カスバ)など東方の異国では日除け傘にも使われる、一般的な祭礼道具。
トロピカル風の筆遣いでもって、多数の花々に囲まれた《精霊象》の絵が描かれてある。
つづいて出て来たのは、南国仕様の小さい太鼓や竹笛を揃えた、楽人と思しき集団。大きく振られる芭蕉扇に合わせて、チャカチャカ、ピーヒャラ、といった風の陽気なお囃子が始まる。
「東西そろうた、南北そろうた! 東西南北の、力自慢の力士たちが到着したぜよ」
「ジャヌーブ港の雨季の名物、相撲祭はじめらっさい! 南国の虹の晴れこそゆたかなれ、雨季ウキウキ楽しうぜよ」
ガチムチ体格とフンドシをしていて、見るからに力士という壮年男たちが10数人ほど。
威勢よく群衆へ向かって呼ばわるトロピカル祭礼服の人々が数人ほど。頭に南国の放射状をした葉っぱを乗せていて、それが愉快な形をした「カツラ付き宝冠」のように見える。
サンバさながらに、トロピカル南国の花々を掲げてピョンピョン踊っているトロピカル風な善男善女、子供たち。
気が付けば、周囲の建物という建物の窓が全開で、目をキラキラさせた見物人たちが、鈴なりだ。半身を乗り出して、地上の様子を熱心に眺めている観客も居る。
「お祭りが始まってるの? こんな時に?」
もの珍しさのあまり、窓枠から少し身を乗り出して、眼下に広がる十字路の喧騒を眺めていると。
茶卓のほうで午後のお茶を済ませていた、番外皇子セルヴィン少年と、その覆面従者オーラン少年が、「やっぱり出身地が違うよね」と目配せしつつ、口々に解説して来たのだった。
「雨季の真ん中ごろに、港町に『我こそは』という力士が集まって相撲大会やるんですよ」
「帝国創建の前から、ジャヌーブ港は南海の諸民族ほとんどが集まる中継港だったそうだから……伝統なんじゃないかな」
「近くで見物してみたいけど、大丈夫かしら」
「警備つきの貴賓席テラスが1階か2階か……どちらかにあったと思いますよ。先ほど《象使い》ナディテ殿がそちらへ歩いてるの見ました」
そんな訳で、2人の少年と一体のカラクリ人形およびターバンに隠れた白文鳥《精霊鳥》パルは、連れ立って、比較的に安全と思われる貴賓席へと降りて行ったのだった。
*****
テラス型の中二階へ設けられた空間に、貴賓席は、あった。
海岸沿いとあって、南方ジャングル風の雨が多いらしく、シッカリした雨どい付き屋根を備えている。
要所要所に衛兵が立ち、その傍らの武骨な軍用『魔法のランプ』には、白金の火花を散らす退魔調伏の小ぶりな聖火が燃えていた。
オベリスクのような、背丈を超える強力な光柱の形式では無い。ここが、それほど危険な場所では無いせいだ。
既に相応の人々が集まっていた。白鷹騎士団のシャバーズ団長や、専属魔導士ジナフ。臨時で出張って来たと思しき、それなりの高位の将官姿の戦士。
戦士の定番、迷彩柄をした赤茶ターバンに、意味深な金属レリーフ付の装飾を取り付けていて、なんとなく察することができる。
十字路の真ん中に設けられた土俵では、すでに立ち合いが始まっていた。そろそろ騎士見習いを考える年頃の、元気いっぱいの少年力士たち。
少年ならではの速度のある勝負がつづいて、上の年代の力士へと順番が回るのも速い。
「なかなか見どころのあるのが揃っているな。あとで、2人か3人ほどに声を掛けて、戦力に加わってもらいたいところだ」
割合に近くで、虎ヒゲ戦士マジードが、ウキウキ顔で行ったり来たりしていた。金と黒のシマシマ虎ヒゲを撫でながら、うら若い力士たちを熱心に眺めている。
そして戦士ならではの勘の良さでもって、虎ヒゲ・マジードは、クルリと振り返って来た。
「やや、これは。殿下に従者どの。強行軍の疲れも取れたようで何よりでございます」
ついで虎ヒゲ・マジードは、退魔調伏キョンシー風の自動機械(オートマタ)――カラクリ人形アルジーを眺めて、感心したような顔つきになる。
「まこと良く出来ておりますな……帝国始まって以来の極め付きの変人・老魔導士どのの、自動人形(オートマタ)は」
男装カラクリ人形アルジーは、目下、ギリギリまで幻影を薄くしている。関節人形ならではの、冷たい光沢を帯びた人工スキンや、人工の継ぎ目が、随所に見える状態。
くわえて虚無スナギツネ面を強調する細い糸目ゆえ、目玉の色も、よく見ないと分からないくらいだ。
「殿下も、相撲大会の見物ですかな。ナディテ婆どのの近くがよろしいかと。まさに生き字引ゆえ、歴史こぼれ話も解説してくれるでしょう」
示された方向を見れば、テラスの椅子に落ち着いた老女ナディテが、手をヒラヒラ振って招いてくれていたのだった。
「またお世話になります、ナディテさん」
「スナギツネ娘さん、来ると思ってたよ。先刻からずっと、あそこのナツメヤシで、ジャヌーブ港町の方々の白文鳥《精霊鳥》が集まって来て、さえずってたからね」
十字路を彩る街路樹のところどころで、確かに、白くて小さな、まるっとした姿がチラホラ、ピョンピョンしているのが見える。東帝城砦に居た頃と同じように――個体それぞれは、違うけれども。
セルヴィン少年とオーラン少年は、ちょっと見慣れない光景だったのか、しきりに不思議がっていたのだった。
*****
眼下に広がる相撲大会の会場。《火の精霊》もウキウキしながら見物しているらしく、賑やかな火花が音を立てて散っている。
「いよいよベテラン力士の真剣勝負が始まるじゃ! 黒ハチマキ、赤ハチマキじゃ!」
「いち、にのさんで、そら行け!」
「御立ち合い、御立ち合い! さあ行ったぞ!」
「押されてんじゃねぇぞ、赤のガウタム! 押せ! 押せ!」
十字路の真ん中に設けられた土俵で、今まさに2人の壮年力士が、がっぷりと組み合っていた。トロピカル模様のハチマキとフンドシが楽しいが、真剣パワー勝負だ。
足首には、相撲ながら神事ゆえの定番の装飾なのか、トロピカル色彩の細い装飾リングが何本もハマっていて、定番の魔除けのシャラシャラ音を立てている。
「残れ、残った」
不意に勝負の流れが変わった。
南国トロピカル風の赤ハチマキ姿をした、ガチムチ力士「ガウタム」が、まわしに手を掛ける。
その動きは性急に為されたもので、観客ほぼ全員が気付かなかった部分だが、ほんの少し、踏み込みが足りなかった。
同じくガチムチ体格をした対戦力士――黒ハチマキ姿――のほうは、瞬時に気付いた。
「うおお!」
裂帛の気合で、黒ハチマキ力士が踏み込む。まさに象の突撃だ。
赤ハチマキ力士「ガウタム」は、体勢を崩した。そのまま体重バランスを崩し、土俵の外へ半身を突き出す形で、仰向けに転がされる。
意外に長さのあったハチマキの尾が、黒色、赤色、双方ともに勢いに乗って華麗になびいた。
双方の力士の足首で、装飾リングが賑やかな音を立てる。
「勝負あったぞ!」
なかなかの名勝負だったらしく、通(ツウ)と見える年かさの観客たちが興奮してピョンピョン飛び跳ねた。
審判を務めていた、やはり南国トロピカル装束をした年輩の人物が、相当の大きさの芭蕉扇をブンブン振り回す。
「北のほーう、ジャヌーブ砦より参戦の黒ハチマキ力士ィ、ドルヴ殿!」
「おおお!」
貴賓席で、カラクリ人形アルジーは仰天しきりだ。
「参加してたの、あのヒト?」
「もちろんさ娘さん。あの弟子ドルヴ君、朝が苦手なのに早起き頑張って、神殿の衛兵たちと一緒に朝練に励むくらい熱心だったからね、喜びもヒトシオじゃろ」
老女《象使い》ナディテの適度な突っ込みのお蔭で、カラクリ人形アルジーも思い出した。壮年《象使い》ドルヴが、ここ数日、熱心に筋トレしていたことを。
「いやあ、参った、ドルヴ殿」
転がされていた赤ハチマキ力士「ガウタム」は、ヒョッコリ起き上がるや、南国人らしい陽気さでもって豪快に笑った。
「と言う訳で、約束どおり戦力として来てくれるな、ガウタム殿?」
「おぅ。あの流砂の下の廃墟だったな。腕試しと肝試しで、数回ほど偵察隊に参加したことがあるんだ。地下、第3層までの露払いは任せとけ」
ほどなくして次に、5歳か6歳くらいと思われる幼児たちによる、「おしくらまんじゅう」と「鬼ごっこ」を組み合わせたような集団相撲プログラムが少し挟まった。
土俵ならしも兼ねていたようだ。大物な力士の衝突でボコボコだった面が、或る程度、平らになり……御幣(みてぐら)の一種のようなホウキで更に整えられ。
頭上で、合図の花火がパパンと散った。
審判をつとめる年配が、再び大声を上げる。
「西のほーう、白のハチマキ力士ハイダル! 東のほーう、青のハチマキ力士ザザーン! さぁ御立ち合い!」
立ち会った2人の力士は、《象使い》ドルヴや陽気なトロピカル力士ガウタムよりも、ずっと筋骨隆々だ。ジャヌーブ港町でよく見かける体格では無い。南洋諸民族とは別の出身の民族に違いない。
双方の体格の様子が見て取れたのは、貴賓席という特等席から眺める形になったお蔭だ。宵闇が押し迫った刻の中でも、必要十分な程度には、見える。
――何かが変だ。どことなく、剣呑な……
集まって来ていた白文鳥も、アルジーの肩先に居る相棒の白文鳥パルも、何かを感じたらしい。スッ……と、静かになっている。
カラクリ人形アルジーの急変に気付いたのか、老女《象使い》ナディテが、怪訝そうに振り返って来た……
トロピカルで騒々しい鳴り物の音や、ヤジめいた掛け声がつづく。
けれども、不吉な気配のする時間。
2人の力士は尋常に組み合った。双方ともに、ドルヴやガウタムよりも若く、20代半ばの伸び盛りの青年というところ。
若い分、瞬発力はあるけど足元が安定していなくて、見た目はピョンピョン跳ねて、ド突き合いボクシングしているようにも見え。
双方の力士の足首に巻かれている装飾リングがしきりに鳴って、観客のヤジに華を添えている。動きの多い派手なスタイルの立ち合いに、湧き上がる歓声。
<>p次の一瞬。
相撲の型に詳しい老女《象使い》ナディテが、急に目を光らせた。年に似合わぬ素早い動きで飛び出し、手すりから身を乗り出す。セルヴィン少年もオーラン少年も唖然として、老女を見つめる。
「いかん! ありゃ反則技じゃ! 審判……ドルヴ、2人を止めるんじゃ!」
果たしてナディテの指摘どおり、青年力士2人の立ち合いは、暴力行為そのものへと変化した。
その名ザザーンと呼ばれた青年力士が、対戦相手の力士ハイダルの腕に、思いっきり噛みつく。くわえて、両手で首根っこを絞める。絞め殺さんばかりの勢い。
苦痛と抗議の叫び声。事態を見て取った観客たちの悲鳴。
「反則じゃねぇか!」
「止めろ、おい!」
青年力士ハイダルのほうも、黙って腕の肉を食いちぎられる訳にはいかない。男ならではの本能で、脚を振り上げた。
抵抗の蹴りが、ザザーンの股間に、したたかに命中する。これも反則技。
「ぶほぉあ!」
悲痛な叫び声をあげて、青年力士ザザーンは、股間を押さえて転げ回った。ハチマキにしていたトロピカル青の布が外れる。
勢いで、青年力士ハイダルも頭から土俵に叩きつけられ、そして段差を転げ落ちた。落下の衝撃で気が遠くなったらしい。
ビックリした観客たちがワッと集まって、「大丈夫か」と額をぺちぺち叩いたり、気付けの水を浴びせたり。
いまだ股間を手で押さえたまま土俵にうずくまる、青年力士ザザーン。ドルヴが駆け付けて、ガッチリ固める。ザザーンは「男の証明」の痛みから回復しても、逃走できなくなった状況だ。
青年力士ハイダルのほうも、熟練の壮年力士ガウタムが拘束だ。「正当防衛であった」という判断が決まるまでは一応、拘束しておくのが決まり。過剰防衛であった場合は、何らかの処分が必要になる。
少しの間ザワザワがつづいた後、観客の波が分かれる。
芭蕉扇を構えた審判と、4人ほどのお偉方と見える、トロピカル長衣(カフタン)姿の人物が土俵に上がって来た。
貴賓席から少し身を乗り出していたセルヴィン少年とオーラン少年が、さっそく気付く。
「確か、前の新型武器の展覧会にも来てましたね。ジャヌーブ港町の部族長が2人」
「とすると、あとの2人がジャヌーブ港湾の代表かな。鷹匠ユーサー殿から少し聞いただけだから、よく分からないけど」
十字路の交差点に設置されている土俵の上では、早くも、ドルヴとガウタムによって拘束された形の、2人の青年力士ハイダルとザザーンが並んでいた。2人ともに、顔面が血だらけだ。
なんとか正気が戻ったらしく、きまり悪げながらも、憤然としている表情。
カラクリ人形アルジーの肩先で、相棒パルがピョコピョコ跳ね始めた。
『例の《地の精霊》からの連携ピッ。なにか流血の危険が迫ってるピッ』
『? 了解、パル。でも、もう事後じゃないの? あの血だらけの……』
そうしている内にも土俵の近くでは、もうひとつのざわめきが起きていた。
「ハイダル! 襲われてたって……大丈夫なの!?」
つづいて、十字路のひとつの方角から、可愛らしい若い娘が現れた。トロピカル色彩ベールからのぞく顔は、成人の前後という雰囲気――シュクラ第一王女アリージュ姫の死亡年齢と同じくらいだ。
「審議中だ近づくんじゃない、ラービヤ!」
「いくら兄さんでも、ハイダルに何かしたら許さないからね! 血だらけじゃないの!」
「それとこれとは別だ! 相撲は神事なんだからな!」
よく見ると、口喧嘩をしているトロピカル色彩の2人――壮年力士ガウタムと、新しく乱入した娘ラービヤは、お互いに顔立ちが似ている。会話の流れからしても、兄妹に違いない。
青年力士ザザーンを取り押さえている壮年《象使い》ドルヴが、「まぁまぁ」となだめ始めた。
「静粛に! 静粛に!」
審判が芭蕉扇を大きく振り回し、声を張り上げた。お蔭で、周囲が静かになる。
「ひとつ、ハイダル力士! 何故にザザーン力士の股間を蹴るという反則をしたのか?」
青年ハイダルが、ザザーンを睨みつけながら怒鳴った。その人相は、頭部の怪我による出血で染まっていたが、意外に整っている。町角を歩けば、若い娘たちの視線を引き付けるだろうという程度には。
「あいつが、先に、私の腕を食いちぎろうとしたからです! そして殺意をもって私の首を絞めた! これは反則技です! 私は正当防衛をしただけです!」
観客のなかにいた目撃者たち一部が、「そうだそうだ」と賛同する。
「静粛に! このような場では、擁護者による嘘の上乗せも多い。次にザザーン力士! ハイダル力士の説明どおり、先に手を、いや歯を出したと認めるか! 殺害の意思はあったか!」
力士ザザーンは、苛立ちに震えて目元をピクピクさせ、歯を剥いていた……ゆえに審判にも、見て取れたようだ。確かに、ザザーンの歯列の一部に「偶然ではありえない」血が付いている。
ザザーンは驚くほどの察しの良さを発揮して、状況の変化を悟ったらしい。渋々ながら、頷いた。
「天地神明に誓って殺すつもりはありませんでした。私が先に、ハイダルの腕に噛みつきました……毒虫が這っているように見えたので」
「失礼な! 力士は全員、土俵入りの前に虫よけ薬草の煙を焚いて、全身を清めてるんだ! 祭礼服の審判団も立ち合いのうえでだ! キサマ何を、毒虫と!」
力士ハイダル青年が激しく抗議した。
毒虫の類をこっそり忍ばせていたと疑われるのも、神事たる相撲にのぞむ力士としては、非常に不名誉なことだ。
めいめい高級トロピカル長衣(カフタン)に身を包むお偉方4人が素早く協議し、審判へ結果を伝えた。
年配ベテラン審判は頷くと、芭蕉扇を振って再び大声を張り上げる。
「みな静粛に! 協議の結果を申し渡す。力士ザザーンは、神事に対する不敬不忠により、こたびの番付から外す! 次の相撲大会まで厳重に謹慎、精進潔斎せよ!」
観客が「おおお」と波打ち、どよめいて、その宣告に華を添える形になった。力士ザザーンの側には特に親しい友人などは居なかったようで、ザザーン擁護の声は無い。
力士ザザーン青年は、意外なほどにアッサリと退場した。2人の補助審判員に両脇を固められる形で。十字路を出た後に、自宅ないしは部屋を取っている宿へ引っ込む事になる訳だ。
偶然ながら、貴賓席の真下を通る街道の先に、ザザーン力士の自宅ないし宿泊所があるらしい。カラクリ人形アルジーの眼下を、筋骨ごつい大柄な体格が、よぎって行った。
カラクリ人形アルジーが、興味津々のあまり身を乗り出していると。
さすがに気配に気づいたのか、力士ザザーン青年が、怪訝そうな様子になって振りあおいできた。
――ギョッ。
骨ばった、ごつい顔立ち。ギラギラとして傲岸不遜な眼差し。力士として出場する程度には全身に自信あり、ということが見て取れる。
日焼けした両肩に施された刺青(タトゥー)は、伝統的な南洋諸民族パターンとは違っていて、裏社会に多い邪眼モチーフが目立つ。
イキがっている不良青年ならではの、それなりに荒れた少年時代だったらしい。
比較的に色の薄い両眼は、不気味に血走っていた。《人食鬼(グール)》と遭遇した証拠の、暗く色素沈着した傷痕が顔面の端に見える。名誉の負傷として、本人希望のもと、あえて残す場合もある。
「自動機械(オートマタ)か」
歪んだ声音で吐き捨てるように呟いた後、急に無関心になった様子で、力士ザザーンは歩き去って行った……
行く手には、路地裏への分岐が並ぶ。若者向けの簡易宿の看板が幾つか、表通りまで飛び出して、存在をアピールしていた。
とうてい女性向けとは言えない、痴漢コソ泥ホイホイな薄暗い路地。
戸締りもゆるい宿が並んでいる――と推測できるが、体力があって腕っぷしが良く、その辺の痴漢コソ泥など千切って投げられる実力者には、うってつけ。
「あのザザーン力士、なにか変なところがあるの?」
不意にセルヴィン少年の声がやって来て、「わっ」と驚く、カラクリ人形アルジー。
――今まで気にも留めてなくて、意識していなかったけれど。帝国の皇子だけあって、セルヴィン少年は通る声質をしている。
目下のヒョロリ体格も改善したら、なんとか色が戻って来ているダークブロンド髪も相まって、目を見張るような皇子さまになるのは確実だ……ナイスミドル神官リドワーン閣下に似た、整った容貌の。
老女ナディテが、首を傾げながらも。
「禁術の、邪霊の大麻(ハシシ)の気配でも感じ取ったのかね、スナギツネ娘さん?」
「ど、どうなんでしょう……不吉なモヤモヤ感はあるけど、それが何なのかは、あまり」
「ふうん。でも《鳥使い》の感覚は外れが無いからね、《青衣の霊媒師》や《亀甲の糸巻師》の占いと同じくらいには。ジャヌーブ港町は邪霊害獣が出没しない程度には安全なんじゃが。
魔除けの御札で結界して、腕っぷしの良い見張りを立てて警戒する必要はありそうだね」
その後は……なんらかの幸運によるものか、尋常に相撲プログラムが進んだ。
壮年《象使い》ドルヴは相応に良い順位につき、褒賞をもらってホクホク顔だ。そして同年代の相撲仲間ガウタム力士が、
流砂の下の廃墟への立ち入りに加わる事になったという結果についても、喜びが大きい様子である。
とはいえ、そのガウタム力士は。
相撲大会が終わった後も、妹ラービヤと口論をつづけていた。気の置けない兄妹だけに、言葉のド突き合いそのものの口論である。
「もう兄さん! 私は大人よ! ハイダルが頭から血を流して怪我してるのに、婚約者が傍にいなかったら変でしょうが」
「いいや、ラービヤ! ハイダルは、まだまだ落ち着きのないヒヨッコだ! それになんだ、路地裏の、不法ハッパ吸っていそうな安宿へ若い娘を引き込もうという男に、
任せられるか! それに、『ガジャ倉庫商会』で発覚した使途不明金の件だ! ハイダルに言いくるめられて、あの金に手を付けてはいないだろうな!」
ラービヤは一瞬、グッと言葉に詰まっていた。あちこちへ視線が泳いでいる。うしろめたさのゆえか。
「まさか、本当に父上と母上の事業資金を取り崩したのか? 後見人の目を盗んで?」
「兄さんの知ったことじゃ無いでしょ! 兄さんはハイダルが嫌いなんだわ、だからそんな、ひどいことが言えるのよ!」
さすがに壮年《象使い》ドルヴが、間に入って、なだめようとしている。
「いや、ラービヤちゃん、私めドルヴが最後に見た時は、あのハイダル青年は確か、そこの出張治療所に入って治療中……」
ラービヤはプリプリしたまま、足を踏み鳴らして、元気よく立ち去って行った。
年頃の娘ならではの分別はあるらしく、試合の後の宴会の整備に忙しい女たちに混ざって、配膳や片付けなどの作業である。
芭蕉扇を抱えた年配の審判たち、トロピカル長衣(カフタン)のお偉方、それにジャヌーブ港町の有力な商工業者たちが、宴会の酒杯を片手に、十字路いっぱいに歩き回っていた。
あちこちで、何度も乾杯がつづいている……
…………
……
やがて、ドルヴとガウタムが連れ立って、貴賓席へと近づいて来た。
――例の《地の精霊》からの連携ピッ。なにか流血の危険が迫ってるピッ――
相棒パルの警告が、不意に思い出される。
なんとなく直感が閃き、カラクリ人形アルジーは、カラクリ仕掛けの置き物そのものとなって、直立不動で突っ立つ姿勢になった。
「セルヴィン殿下、オーラン殿。私めドルヴが友ガウタムをご紹介させてください。ガウタムは、ジャヌーブ港町の『ガジャ倉庫商会』役員だった亡き両親の後を引き継ぎ、同じく役員を務めている者です」
「力士ガウタム殿が商会の役員でもあるとは驚かされた。知り合えてうれしい」
2人の少年は、なめらかに社交辞令を返している。皇子と従者としての位置取りも決まっている……帝都に居た頃は、何度もあったことに違いない。
「恐れ入ります。お初にお目にかかります。このガウタム、正確には、まだ老ダーキン後見人のもと役員見習いの身分ですが、今後とも『ガジャ倉庫商会』ご贔屓のほど」
「老ダーキン殿とは面識がある。『ガジャ倉庫商会』副代表とか。ジャヌーブ砦における様々な必需品の充実にも尽力いただき、帝都を代表して感謝したい。ガウタム殿の今後の活躍にも」
「かたじけなく存じます、セルヴィン殿下」
定例の社交辞令。カラクリ人形アルジーは、壮年ガウタムをじっくり観察した。人物紹介の内容に引っ掛かるものを覚えたが、おおむね生真面目そうな男だ。
「ええと、ガウタム君、ご両親の墓参りはもう済んだのかえ? あれから、もう10年以上も前になるかねえ」
老女ナディテが、のんびりとした様子で口を出した。
「お気に懸けて頂きまして、《象使い》ナディテ様……お蔭さまで」
「妹ラービヤちゃんは、最近、恋人ハイダルのことで神経質だね。あの兄妹喧嘩には、ちょっとビックリしたけど、まぁ結婚式の時までには機嫌が直ってるかね」
えもいわれぬ屈折した表情が、壮年ガウタムの、ハッキリした太眉の面(おもて)をよぎった。
パッと見た目にはトロピカル風の、陽気そうな容姿。ドルヴと親しく喋っていたところを見る限り、本来の性格は、底抜けに明るいものと知れる。
しかし、こうして見ると、無理の入っていそうな頑固さ……石頭な振る舞いがうかがえる。成長の過程で鍛えた、よそ行きの仮面に違いない。
両親を亡くしてから後、感情表現の豊かな……或る意味、一途で激しいともいえる性格の妹ラービヤを抱えて、ほかにも色々あって、苦労したのだろうという雰囲気。
「正直、ハイダルを信用しきれません。彼は、どうも金遣いが荒すぎる。ろくでもない路地裏に出入りして賭博しているとの情報も得ていますし」
「忍者やら諜報員やら、ゾロゾロ張り付けてんのかい」
「ええ、家族は妹だけですし。目下、私の不在時の代替でもあり。後見してくださっているガジャ倉庫商会の老ダーキン副代表からも、いっそう用心するよう助言いただいてますので」
やれやれ……という風に首を振って苦笑する、老ナディテ。
「ラービヤちゃんが機嫌を損ねるのも当然かね。
でも成人して結婚のあかつきには『ガジャ倉庫商会』重役だった、ご両親の残した莫大な遺産を相続するから……用心は大切だけど、
恋路を邪魔するヤツは馬に蹴られて象に踏まれるってのもあるから、程々にね」
「とはいえ、カムザング皇子ビジネスの大麻(ハシシ)横行は目に余るものでした。しかも、余波で妹は深みにハマりかけて、軽度だけど薬物中毒にも。
あの違法業者のセールストークは、実に、実に……ジャヌーブ商会でも評判のディロン殿にさえ勝つ腕前だったかと」
「おやまあ。ディロン殿の鼻っ柱も折れそうだね、ディロン殿の魅力を上回る色男が実在したなんて」
最後は、ジャヌーブ港町の第一位のセールストーク色男の批評となり、穏やかに話は切り上げられたのだった。
*****
壮年《象使い》ドルヴと、『ガジャ倉庫商会』見習い役員ガウタムは、このたびの相撲に出場した力士として、お偉方や審判との定例の挨拶回りがあるとのことで、いったん席を外した。
さっそく、カラクリ人形アルジーは気になった点を脳内整理する。
――相棒の白文鳥《精霊鳥》パルは、目下、忍者となっていた。そのへんの邪霊に気付かれないように、「アルジーの霊魂が憑依していない状況」設定だ。
考えているうちに、秘密でも何でもない考え事が口からこぼれるのは、お約束。
*****
一方で。
ほかの面々は、興味津々で怪談の光景……カラクリ人形に憑依した幽霊の発言をうかがう形だ。
突然ジャヌーブ砦に墜落して来た、見知らぬ幽霊――どこぞの姫君にして《鳥使い》――の挙動は、或る意味、素直で分かりやすい内容であった。
考え事に集中していると、幻影も色濃くなって生身の人間そのものだ。スナギツネ面そのものの細い糸目からチラリと見える人工の目の色は、
いまや鮮やかな《薔薇輝石(ロードナイト)》の色をたたえていたのだった。
*****
カラクリ人形アルジーは、ターバンの端からこぼれた人工銀髪を神経質に押し込みつつ、聞いた話をまとめ始めた。
「あの『ガジャ倉庫商会』見習い役員ガウタムと、ラービヤは、ご兄妹。ご両親が居ない。
それで『ガジャ倉庫商会』副代表の老ダーキンという人が、2人が成人になるまで後見してる状態……?」
生前は、シュクラ第一王女アリージュ姫だった身だ。人脈つながりを把握するのは、オババ殿の訓練のお蔭もあって、褒められる程度には上達した、という自負はある。
「ガウタム・ラービヤ兄妹の両親は、老ダーキン殿とは『ガジャ倉庫商会』仕事仲間だったんじゃよ」
訳知りな老女ナディテが情報を補足してくれる。
「昔、ジャヌーブ港町に、罰当たりな邪霊使い海賊どもが、海の怪物どもの襲撃と呼応して暴れたことがあったんじゃ。ジャヌーブ一帯の物流が大混乱した。
ジャヌーブ砦の馬や象のための飼葉の供給が途絶えて、ガジャ倉庫商会の大立ち回りで生命線――防衛線をつないだことがあった。
その時に活躍したのが、当時のサリムとアイシャ、つまりガウタムとラービヤの両親じゃね」
「海の邪霊害獣を扱う《邪霊使い》も居るんですね。山賊じゃ無くて、海賊……」
「陸もいろいろ海もいろいろじゃね。あれはジャヌーブ地方の《亀使い》全員出動した大事件でね。その後の処理も激務だった。サリムとアイシャは相次いで過労死したと聞いとる。
もっともカスラー大将軍は、商談と称した宴会を張って酒姫(サーキイ)や遊女とよろしくやっていただけで、物流修復とかの実務のほうは、四人の長官やジャヌーブ全域の部族長が駆けずり回って対応してたけど」
「いまや廃人のカスラー大将軍は、昔からカスだった訳だ」
脇のほうで呟いていたのは、やはり、地獄耳にも匹敵する聞き耳を立てていた、鬼耳族のクムラン副官である。
その隣で、生真面目にセルヴィン皇子の護衛をしているオローグ青年が、ビミョウな顔をして頭を抱えていた。
カラクリ人形アルジーは、カシャン、と人工の首を傾げて思案ポーズになった。合わせて、相棒の白文鳥パルが、肩先で器用にピョンと跳ねる。
「ガジャ倉庫商会は、このジャヌーブ港町でも大きくて有力な商会ですね?」
「そりゃあ、ジャヌーブ商会と並ぶ大きな商会さね。象が生息してる南洋諸島とか赤道ジャングルとか回ってるし、船もジャヌーブ商会に負けず劣らず数を持ってるし、
南洋一帯の《象使い》御用達だからね娘さん。ちょうど良い頃だ、少し夕食をつまんだらガジャ倉庫商会の倉庫街を見物してみようかね。翌日からの飼葉の調達状況も、気になるしね」
「ぜひご一緒させてください」
*****
夕食その他の細々とした所用に、ひと区切りつき。
興味津々でお忍びを即決したセルヴィン皇子と従者オーラン、護衛を含む《精霊使い》一行は、夜間照明で明るいジャヌーブ港町へと、繰り出したのだった。
途中の区画に工房街が並んでいた。東帝城砦の市場(バザール)の工房街のように、あらゆる部品や生活用品が調達できるだろう、というほどの多種多様な工房が、ぎっしりと並んでいる。
夕食の後の刻ともなると人通りは静かになるものだが……この工房街は、緊急の注文にも応じられるように、方々の窓口が、まだ開いていた。
帝国有数の危険地帯ジャヌーブ地方を抱えているという土地柄ゆえだ。
多数の窓口で、夜間照明が浩々と灯っていた。路上を照らすための持ち運びランプが要らないくらいだ。用心のために、皇子セルヴィン専用の《魔法のランプ》が用意されていたけれど。
やがて。
別の十字路で分けられた、程々の規模の区画に入って行った。
比較的に緑が多い。小鳥が好む豆苗の鉢植えの多さが、目立つのだ。
カラクリ人形アルジーは、ハッと息をのんだ……
「もしかして」
「この辺りが、《鳥使い》が詰める工房街だよ。ほぼほぼ、ドリームキャッチャー護符を専門に製作する工房じゃ。正式な《鳥使い》は居ないけど、《半・鳥使い》と言える力のある職人が揃ってる」
老女ナディテが、適度に解説を入れて来てくれる。まさに生き字引だ。
トロピカル街路樹には、店頭表示の品と思しき、大小の数々のドリームキャッチャー護符。白文鳥のまるっとした姿も幾つか。早くも、小鳥のさえずり。
鬼耳族のクムラン副官が、感心したように街路樹に目をやった。同じ能力を持つオーラン少年も、クムラン副官と同じことに気付いた様子だ。
「道理で、ドリームキャッチャー護符の工房のあちこちで、白文鳥《精霊鳥》が騒ぎ出す訳ですね。割り増しで、にぎやかですね」
そして、鷹匠ユーサーと白鷹騎士団の若い騎士が、新しいドリームキャッチャー型の護符を選んでいるところに行き逢った。
最寄りの工房看板で、鷹匠ユーサーの相棒の白タカ・ノジュムが、意味深に真っ白な翼をバサバサさせていた。舞い落ちた真っ白な鷹羽を、老齢《鳥使い》職人が拾って、籠(カゴ)に集めていたのだった。
どうやら、商品取引の交渉で、若干、白タカ《精霊鳥》ノジュムの白羽の追加の話があった様子だ。老齢《鳥使い》職人の選択眼は、護符の製作職人としての確かな腕前を感じさせる。
察しの良いベテラン鷹匠ユーサーが気付いて、サッと振り返って来る。
「夜歩きとは何をなさっているんです《象使い》ナディテ殿? それに《鳥使い姫》も」
ナディテ婆も慣れたもので、「視察と確認じゃ」と軽く返す。
*****
新しく鷹匠ユーサーと騎士1人をくわえた一行は、さらに街区を進んで行った。
工房街の並ぶ屋根の向こう側に、建造中の帆掛船(ダウ)の帆柱が並んでいるのが見える。向こう側は、広大な造船所や船ドック、各種の倉庫であろうと知れる。
かすかに、ズシン、ズシンという《精霊象》の足音。
死に物狂いで焦っているかのような、異常に不規則なリズム。
ポツポツ途切れていて、重量が有るのか無いのか、というような不思議な雰囲気もある。しかし、死ぬほど焦っている、というような気配にしては、仲間を呼ぶ類の、象の鳴き声を伴っていない。
老女ナディテが怪訝そうに首を傾げ……慎重な所作で、退魔調伏の御札で出来た特製ハタキを取り出した。
「なんか、あったのかねぇ。うちの象ナディも久し振りに同族と旧交をあたためたいって言ってたから、ドルーも付けて、この辺に向かわせてたんだけど。あの歩き方は……なにもかも奇妙だね」
警戒を高めた一行メンバーでもって、慎重に素早く、港湾沿いの倉庫街へと向かう。
そして、角を曲がった瞬間。
鷹匠ユーサーの手先に落ち着いていた白タカ・ノジュムが急に飛び出した。攻撃的に。
『討ち取ったり!』
退魔調伏の火花が散り、無害な熱砂と化した小型の邪霊害獣――《三つ首ネズミ》の形を残していたカタマリが、路地に撒き散らされた。
「ななな、なんで……!」
ドリームキャッチャー護符の運搬係と化していた若い騎士が、驚きのあまり、タタラを踏んだ。
「なにか起きたに違いない」
小粒と言えど邪霊害獣が出たとあっては、特有の毒牙にも注意しなければならない。クムラン副官が特製の退魔調伏の紋様入り皮手袋をハメて、《三つ首ネズミ》が飛び出して来ていた倉庫の扉へ、手を掛けた。
「鍵が外れている」
「夜中に? そんな筈は無いよ、この倉庫は……」
密封型の倉庫の扉が、大きく開いた。
ドッと湧き上がる、煙の残り香。
独特の、潮気を含む香ばしい空気。
それよりなにより、圧倒的なまでの……
「魚の燻製(くんせい)……工房か?」
「当たり前じゃないか、若いの。その辺を見りゃ分かる」
ジャヌーブ港町の夜間照明の光が、内部をボンヤリと照らし出している。
あちこちに、独特の作法でもって積み上げられた材木。
慎重に区画された、燻製(くんせい)のための空間。
程々の高さを縦横に走る横木から、ズラリと吊るされているのは、内臓を抜かれて適切に処理された、数々のトロピカル魚肉。
その一角――薄暗い隙間から、人間の足が突き出していた。
ピクリとも動いていない。生きている気配が無い。
その足首に巻かれたトロピカル色彩の装飾リングは、どこかで見覚えがあるような気のする品だ。
「あれは!」
「あの足首のリング、力士専用のヤツだぞ」
皆で、殺到する。
――大柄な人間が横たわっていた。
そして。
力士らしくガチムチと盛り上がった胸の真ん中、心臓の位置に、出刃包丁が突き刺さっていた。深々と。
港町なら何処でも見かけるような、魚料理で定番の刃物。あっさりとした、実用一辺倒の、装飾ナシの品。
「し、死んでる!」
ほの暗い倉庫の中でも見間違いようの無い、すこぶる大きな出刃包丁の、ギラリとした反射光。ドリームキャッチャー護符を運搬していた若い騎士が、驚愕の叫びをあげた。
黒髪の護衛オローグ青年が、セルヴィン皇子専用の『魔法のランプ』をサッと差し向ける。
死体の人相が、明瞭に照らされた。
見覚えのある顔だ。頭に巻かれた包帯は、真新しい。
「あのハイダル力士じゃないか! さっきまで生きてた筈だ」
ラービヤ嬢と結婚して、ジャヌーブ港町でも有力な資産家になる筈だった、前途洋々の青年力士は……いまや、だらりと、青黒くなった舌を出して絶命していた。
それなりに好青年と見える整った顔かたちだけに、いっそう、グロテスク。
ベテラン鷹匠ユーサーも相応に動揺している様子だ。いきなりの殺人現場で定番の疑問が、口から飛び出す。
「何故、魚の燻製(くんせい)を製造するための倉庫で、殺人事件が? しかも力士が……よりによって、相撲大会の夜に? 何のために?」
クムラン副官が――身に付いた性癖なのだろう――いささか皮肉っぽいツッコミで応じる形になった。
「力士の燻製(くんせい)を作ろうとしてたとか?」
*****
セルヴィン少年とオーラン少年は、人生経験の浅さもあってか、次の行動が思いつかず呆然と死体を見つめるままの状態だ。
それぞれの相棒の精霊――火吹きネコマタと白タカ若鳥ジブリールは、少年たちの精神状態をよく理解している様子で、余計な刺激を控えてジッとしている。
カラクリ人形アルジーも、似たようなものだ。得体の知れない恐怖を感じて、もっとも信頼できる人物と感じる鷹匠ユーサーの背後に、ソワソワと、ひっつく形。
目の前に横たわっている人体――かつて、ハイダル力士だった人物の、無残な死体。
夜間とあって、夜風対策のマントを簡単に羽織っているが……
護衛オローグ青年が、三日月刀(シャムシール)の鞘で、慎重に、その夜間マントをめくった。全体を留めるためのボタンや紐などは無く、ペラリと剥(む)ける。
胸の真ん中を突き刺している出刃包丁の全体があらわになった……刃は意外に大きく、その鋼鉄の重量でもって、胸にいちだんと沈み込んでいる気配。
誰が犯人にせよ、戦士ほどの筋力は無さそうだ――平均的な筋骨の人物と推察される。
死体は、半裸であった。つまりフンドシを装着した力士の姿。
反則技を繰り出した対戦者ザザーン力士による痕跡すなわち片腕に食いつかれた時の傷も、くっきりと見える。消毒の途中だったらしく、ツンとする消毒薬の匂い。
だが、邪霊害獣を呼び寄せた死体だ。
退魔調伏の御札も何も無い――このままでは、次の《三つ首ネズミ》を呼び寄せてしまう。
老女ナディテがハッと気づいて、倉庫の扉のほうへ回った。
「象ちゃん、居たのかい。こりゃ赤ちゃんも一緒じゃないか、道理で」
「はあ?」
扉からギョッとする程に近い距離の位置で……
冒険に出ていたと思しき幼い姉弟2頭の《精霊象》が、ウロウロしていた。
どちらも、人類の大人の背丈より低く――小さい。
乳離れしたばかりの姉象はポテポテ歩きだし、より小柄な乳飲み子の弟象にいたっては、よちよち歩きだ。
幼い姉象は、弟象にたかってくる邪霊害獣《三つ首ネズミ》を懸命に鼻で振り落とし、ドスン、ドスンと踏みつぶして回っていたのだった。これが不思議な《精霊象》足音パターンの正体だ。
老女《象使い》ナディテが早速、効果テキメン退魔調伏の御札を、2頭の《精霊象》の額部分へ次々に貼り付け……邪霊害獣《三つ首ネズミ》の出現が収束する。
カラクリ人形アルジーは、老女ナディテのほうと、死体ハイダル青年のほうと、忙しく首をカシャカシャ・クルクルするのみだ。いっぺんに色々なことが起きて、整理が追い付かない。
セルヴィン皇子と従者オーラン少年は、呆然自失がつづいていたが。小象の出現に、新しくぎらつく黄金の邪霊害獣《三つ首ネズミ》が沸いて来たのを見て、不意に、平常心に戻った様子だ。
「退魔調伏の御札を、割り増しで……いや、倉庫の中の魔法のランプを全部、着火するほうが早いかな」
セルヴィン少年の肩先で、ちっちゃな相棒の火吹きネコマタが「ニャー」と鳴いて同意した。手乗りサイズと言えども高位の《火の精霊》。
手乗りサイズ子ネコの姿をした《火の精霊》によるダイナミックな『ネコネコ・サンバ』踊りが展開して……真紅の火花が散った。
倉庫じゅうの魔法のランプに火が着いて、パッと明るくなり。
そこかしこの異次元の隙間から沸きだそうとしていた、数々の暗い黄金色をした怪しげな動きが、ワワワッ……とばかりに、引っ込む。
オローグ青年が、再び、ハイダル青年の死体を素早く観察する。
クムラン副官も死体の首元に手をふれ、脈が無いことを改めて確認だ。
「毒だ。よくある匂いがする。不注意な子供がうっかり舐めて、食中毒とかで担ぎ込まれる殺鼠剤とか……すぐに逆さまにして背中を叩くとか、
毒消しの茶を緊急で大量に飲ませて吐かせるとかして、吐き出させることができていれば……」
「右に同じだよ、友よ。放置された時間が長すぎて間に合わなかった状態だ、間違いなく。アルコール臭も残っている。
酒盛りとかで、毒杯を盛られたか。その後でグッサリとやられた。十中八九、殺人だな。それも二度重ねの」
一方で鷹匠ユーサーは相棒の白タカ・ノジュムを放って、応援を要請していた。
「それにしても、何で、ここで、いつ、死んだの? あの物騒な包丁は?」
「重要な着眼点だねぇ娘さん」
人間の死体に気付いて騒ぎ出した幼い小象の姉弟を落ち着けつつ、老女《象使い》ナディテは、ギュッと顔をしかめた。シワ深い顔が、いっそう深くたたまれたような感じになる。
「夕食の刻の前には、ハイダル力士は生きていたね。ハイダルが簡易治療所で頭部の傷を処置し始めたのを、ドルヴが見届けてるんじゃわ。
我らが夕食を食って散策して、此処に到着した時には既に死んでいた……とすると驚くべき手際良さじゃねぇ殺害犯は」
つづいて鷹匠ユーサーも、見立てを付け加える。
「出刃包丁は適当に現場調達したもののようですね。ハイダル力士が確実に死んだかどうか確信が持てなくて、そこの包丁の保管用の棚から、1本を取り出した……意外に、素人かも知れません」
「つまり、その人物は、ハイダル力士に強い殺意を抱いて……? なんで急に?」
*****
やがて10人かそこらの力強い足音。白鷹騎士団の調査メンバーだ。
応援に駆け付けた騎士たち、それぞれが、青年ハイダル力士の死体に気付いて、ひとりひとり驚きの声を上げる。
ほぼ全員一致で、毒殺との見立てが固まった。
さらに詳しく調べるため、死体を十字路の一角にある見張り塔へ運搬するとのことで、手際よく準備が進む。
「誰か、緊急で走れ。老魔導士フィーヴァーと、騎士団の魔導士ジナフ殿に、確実に検死していただく。それに団長へも報告を」
「了解」
若手の連絡係が、素早く走り去って行った。
クムラン副官が渋い顔を続けている。
「それにしても気が重いよ。ガウタム殿の妹ラービヤ嬢へ、恋人ハイダルが不自然な形で死んだ、と告げるのは。かなり、のぼせてる様子だからな、彼女」
「ガウタム殿も、微妙なことになりそうだな」
「それに、流砂の下の廃墟神殿の調査にも影響があるのは確実、ということが上積みされる。やれやれ」
*****
果たして相撲大会の盛り上がりの余韻が残っていた祝賀会は、急な変死体の出現への、恐怖と混乱が支配する場となった。
「出刃包丁が心臓に刺さってたとか!?」
「犯人は、あの反則力士ザザーンなのかい? 今夜の勝負で、ハイダル力士に反則負けしてただろ、元から不良っぽいし刺青(タトゥー)あるし」
「そんなまさか、そうだ反則負けの件、根に持っているんだ!」
「ザザーンは確か結婚してんだ。いや正式な結婚じゃ無くて適当な同棲のほうだったかな。女の目の前で恥かかされてんだから、その張本人ハイダルを殺しても不思議じゃねぇ」
「なんだと、やはり、ザザーン野郎が犯人か!」
元は、誰かの、どちらともつかぬ疑義だった内容が、勝手に暴走してしまって……もはや犯人は決定的だ、というようなデマ騒ぎだ。
一方で。
恋人ハイダルを殺害された、ラービヤ嬢のパニックは相当なものであった。
急遽、十字路の広場を睥睨(へいげい)する一角の見張り塔に捜査本部が設けられ。
老魔導士フィーヴァーと、老騎士魔導士ジナフが招集されて、見張り塔に担ぎ込まれた、力士ハイダル死体の調査に入っていたのだが……
衛兵として立つ白鷹騎士団の騎士の制止を振り切って、見張り塔の扉を開けようとしていたラービヤ嬢は、先だって参考人として呼びつけられていた兄ガウタムに、押しとどめられる羽目になっていた。
トロピカル色彩のベールを振り乱し、兄ガウタムに食って掛かる、恋する乙女ラービヤ。
「兄さんがハイダルを殺したんじゃないの!? そうだものね、だって私とハイダルが結婚したら、兄さんの事業だって、半分はハイダルが受け持つ約束だったからね!?」
「おまえは混乱してるんだ、ラービヤ! 性質の良くない大麻(ハシシ)中毒だった時の後遺症だ、それは。
いつもの薬を飲んで、宿に戻って寝てろ! いうこと聞かなきゃ、縄で、ダーキン殿の邸宅に縛りつけてやるからな!」
「陶銭(ゼニ)1枚まで見張ってる老人に、あれこれ言われたくないわ! 私のお金よ! 私、成人してるのよ!」
「今は亡き両親がとてもお世話になった御方だぞ! それに、おまえが得体の知れない麻薬中毒になった時にも、魔導士や医師を手配してくださったり、
使用罪の執行猶予の判決にも奔走してくださったんだ、口をつつしめ!」
「私は廃人じゃないわよ、病人でもないわ! ハイダルを殺されて、宿に戻って寝てられますか! 思い出の場所で悼んでるほうが、よっぽどマシだわ」
「廃墟へ行くのは禁じるぞラービヤ! ハイダルは、3日に1度は、あの変な流砂の下の廃墟へ通ってた! あの廃墟が、
定番のデートスポットなものか! ハイダルと一緒に、あの廃墟で怪しげな麻薬(ハシシ)パーティーで浮かれたから、おまえは麻薬中毒になったんだろうが!」
「あれはバカな事だったわ、将来の妻としてハイダルを止めるべきだったと反省してるわ」
「ハイダルが、だらしなかったんだ! あの麻薬(ハシシ)パーティーには疑惑満載のザザーンだって居たんだぞ! 大麻(ハシシ)取引でも、つながっていたと見るのが自然だ!」
「それは兄さんの誤解じゃないの! さっきの相撲大会の時も、ハイダルとザザーンは、あれだけ対立してたし、麻薬(ハシシ)パーティーで結託してたとかって、
そんなの思い込みに決まってるじゃないの! いい加減にして!」
「まかり間違えば、ハイダルじゃなくて、ザザーンと、抜き差しならぬ関係になっていたかも知れないんだぞ!」
そして、叫び合っている内容は最初に戻り、ループし始めた。
ひとめぐりごとに兄妹喧嘩がヒートアップして、通行人が「なんだなんだ」と言いながら集まって来る。
そして、次の瞬間、真ん前の扉が――「バタン!」と開かれ。
「おまえら、うるさい!」
老魔導士フィーヴァーの見事な白ヒゲが、入り口一杯に広がったかと思うや。
バケツ10杯ほどの水が、「ざばー」とばかりに、ぶちまけられた。
全身びしょぬれになって呆然顔の、ガウタム・ラービヤ兄妹。
口をアングリするばかりの、白鷹騎士団の見張り担当の面々。
それに、そこに混ざっていた、老ナディテの弟子《象使い》ドルヴ。
「事情聴取の前に、さっきの口喧嘩で、あらかた聴取が終了したぞい。おまえたち、今夜はもう良いから宿へ引っ込め。勝手に行方不明になったりしなければ、行動は自由。
そもそも、おまえたち2人とも、流砂の下の廃墟の調査メンバーじゃからな。死体の詳細は明日、落ち着いたら説明しよう。以上!」
飄々とした老魔導士フィーヴァーは、唖然として注目し始めた通行人たち全員を、ギロリとやり……
誰よりも立派な純白のフッサフサ眉毛を、「なにか?」とばかりに、ピクピクとさせた。
華麗な裾さばきでもって、魔導士ならではの、金の縁取り輝く黒い長衣(カフタン)をひるがえし。老魔導士フィーヴァーは、力強く、扉を閉めた。
モッサァ白ヒゲが、その長さの余り、扉の端に挟まった。
ちょっと扉が開かれて、白ヒゲの残りが無事に回収され……今度こそ、扉がピッタリと閉じられたのだった。
ヒョロリ皇子セルヴィン、覆面ターバン従者オーラン、2人ともに「お、おぅ」と絶句しつつ見つめるのみ。
その足元で、ちっちゃな火吹きネコマタと、若い白タカ・ジブリールが、目を丸くして、相棒の人間たちと同じ反応だ。
カラクリ人形アルジーの肩先で、相棒の白文鳥パルが珍しく、「ぴぴぃ(スゴイ……)」と、老魔導士フィーヴァーの対応を称賛する。
かくして。
呆然とした顔のまま、ガウタム・ラービヤ兄妹は、共に、フラフラと回れ右した。
ガウタム・ラービヤ兄妹へ、上等なトロピカル長衣(カフタン)姿の老人が声を掛ける。よく手入れされた口ヒゲが上品な印象の、いわゆる「イケオジ」。宿まで付き添う様子だ。
見知らぬ人物の登場。
思わず目をパチクリさせる、疑問だらけのカラクリ人形アルジー。
「あの、ガウタム・ラービヤ兄妹に付き添っている、裕福な資産家って感じの御老人、だれ?」
訳知りの鷹匠ユーサーが手際よく説明する。
「彼が、『ガジャ倉庫商会』副代表、ダーキン殿でございます。親しい関係者の間では、老ダーキン殿で通っていますね」
つづいて、生き字引な老女《象使い》ナディテが、詳細を呟いた。
「老ダーキン殿は、《精霊象》の多い南方ジャングル城砦(カスバ)出身じゃったかな。昔は《象使い》を目指した青年じゃった。
弟子ドルヴのような、相棒となる《精霊象》との巡り合いが無かったんで、『ガジャ倉庫商会』スタッフとなると同時に《象使い》組合から引退したと、
その筋から聞いとる。《精霊象》への理解がある重役さんだから、いろいろ助かっとるわね」
そして老女ナディテは、傍で可愛らしい鼻をピコピコさせている、幼い《精霊象》姉弟を見やり。
「あ、そうそう、ドルヴ君」
「お呼びでございますか、ナディテ婆さま。ややッ……その小象たちは?」
働きざかりの壮年らしく軽快に駆け寄って来たドルヴは早速、ちっちゃな《精霊象》姉弟に気付いて、仰天だ。
「死体発見の現場の傍を、何故か、うろついてたんだよ。母象を見付けられるかねえ? ハイダル殺害事件を目撃した可能性もあるんだけど、通訳できる母象が居ないんじゃ、聞き取るべき内容も聞き取れんからね」
「そういえば、この子たち象牙が生えそろってない。象牙って《銀月》要素が含まれてるから、生えそろって来れば……半年もすれば、姉象のほうは、人類との《精霊語》やり取りもスムーズになりますかね」
――《銀月》の便利で不思議な翻訳機能、そんな風になってるのね……と感心しきりの、カラクリ人形アルジーであった。
「ジャヌーブ港町の『象使い街道』で聞いて回りまさ。この小象たち、ちっちゃいから白鷹騎士団の馬と一緒に入ってもらっても余裕ありまさ」
壮年《象使い》ドルヴは早速、白鷹騎士団の若手の騎士とチームを組み、ジャヌーブ港町の、象のための厩舎が配置される街区へと移動して行った。
その方向は、あの殺害現場となった倉庫の方向だ。さらに先の、各種の造船所に近い区画に、象舎が配置されているという。
*****
ハイダル死体に対する検死。それに伴う調査と検討も終了して。
やっと見張り塔の食堂の広間――臨時の会議室――で、くつろぐ格好になった魔導士フィーヴァーと、騎士魔導士の老ジナフは、幼い小象2頭の件を聞いてグッタリとした様子になったのだった。
「情報過多じゃわい。色々なことが、いっぺんに起きていたのじゃな。今回のハイダル殺害事件に関して、《精霊象》の象牙や皮剥ぎなどといった密猟が絡んでいる可能性を否定できんが、
ひとまず、別に分けて置いておくしか無かろう」
「右に同じでございます、老魔導士フィーヴァー殿」
「という事は、ハイダル死体には、なにか他にも不審な点があったんだな? ジナフ殿」
白鷹騎士団のシャバーズ団長が考え深げに、口ヒゲをしごく。
カラクリ人形アルジーは、退魔調伏の御札を新しく貼り付けた「魔除けインテリア人形」となって、同じく日常の、衝立型の魔除けインテリア『中型ドリームキャッチャー』の近くに、静かにたたずんでいる状態だ。
事情を知らない騎士の出入りも多く、このほうが、余計な説明の手間が要らなくて楽だ。
さすがに、アルジーの身柄を管理してくれている鷹匠ユーサーは、時折、気遣いの眼差しを投げて来ていたが……
(このハイダル殺害事件の謎のほうが、重大な問題よ! ハッキリした確信というものは無いけど、なんだか忌まわしい気配をヒシヒシと感じるの!)
覆面ターバン少年オーランの頭から、白タカ《精霊鳥》としては若鳥のジブリールがパッと飛び立ち、カラクリ人形アルジーの最寄りのドリームキャッチャー護符へ、腰を据える。
『ハイダル殺害事件に関して、やっぱり、変な気配を感じるんだね《鳥使い姫》?』
『さすがに《怪物王ジャバ》が直接……ということは無いと思うけど引っ掛かる。「怪奇グロテスク」……ええと、東帝城砦の、トルーラン将軍と御曹司トルジンの周辺事情のように』
『ボク、白文鳥の種族じゃないから、その方面ニブイけど。その直感は、信じるよ』
白タカ《精霊鳥》ジブリールは、既に気付いていた……
カラクリ人形アルジーの肩先に、ひっそりと腰を据えている白文鳥パルも。
無意識のうちに、霊魂アルジーすなわちアリージュ姫は、左手首の特定の範囲を、ソワソワと触れていたのだ。
かの不思議な精霊界の手術の結果、シュクラ第一王女アリージュ姫の霊魂の全体に刻まれていた、怪物王ジャバの生贄《魔導陣》が、そこに集約された。――その範囲だ……
……
…………
ひととおり、「ジャヌーブ港町で定番の殺鼠剤が酒に混ぜられ、それを盛られたため死んだ」「死んだ後で、出刃包丁が心臓に突き立てられた」との見立てが、確認・同意され……
老ジナフは眉間に陰気なシワを幾本も刻みつつ、意味深な内容を述べた。
「聖なる《火の精霊》による《出生時の祝福》の確認を得て、ハイダルなる人物は存在しなかった、という事実が、明らかとなりました」
「どういうことなんだ、それは?」
近くで傍聴していたヒョロリ皇子セルヴィン少年が、驚きの声を上げる。
「かの者の出生時に、《火の精霊》が祝福した名前は『ムラッド』。これが本名であり、ハイダルは偽名であったということなのです。
ジャヌーブ港町の出身では無く、どこか別の遠い城砦(カスバ)から流れて来た者のようです。常時携帯の身分証も、偽造のものでした」
「身分詐称か……」
「ヒョロリ坊主よ。ことは、それだけに及ばんのじゃ」
老魔導士フィーヴァーが憤懣やるかたなし、といった様子で口を出した。
「あの嘘ツキ力士ハイダル、見かけ以上に不良青年じゃった。《禁術の大麻(ハシシ)》を摂取して、邪霊崇拝の踊りをやらかした痕跡がある。
女性の前で、こんな内容を述べるのもアレじゃが。カムザング皇子がハマった理由のひとつじゃ。一時的には、男の体力や、下半身のアレを増強する効果があるのじゃ」
会議室の中に数人ほど控えていた――女騎士たちが全員、明らかにドン引きした気配。
「ハイダルの身体は、邪霊害獣への変化が始まっておった。奇禍ではあったが、ハイダル=ムラッド青年の霊魂にとっては、この初期の段階で死んで幸いだった筈じゃ。
邪霊にやられていない霊魂の部分は、尋常に、三途の川を渡れるじゃろう。半身ほど切り取られる形になるが。下半身のアレは、まるごと」
なにやら――白鷹騎士団の老騎士にして魔導士ジナフを含めて、その場の男たち全員ひるんだ気配。
シャバーズ団長は素早く気を取り直し、王侯諸侯ならではの決断力を見せた。
「次は関係者への聞き込みですな、偉大なる老魔導士フィーヴァー殿。差し当たって、疑惑ふんぷんたる反則力士ザザーン青年の身柄確保、および事情聴取。
こちらはジャヌーブ港町の治安部隊と情報共有のうえ連携いたします。周辺の城砦(カスバ)から派遣された《象使い》《亀使い》も在籍しており、今回の事件に、積極的な協力の申し出を頂いております」
「周辺地域の《精霊使い》も関わる祭祀の類が穢(けが)され、死人も出たとあっては、関係者の怒りと不安も相当なものじゃろう。
よろしく頼むぞい、ジャバーズ団長どの。途中までで構わん、明日から予定どおり廃墟神殿へ向かうゆえ同時並行じゃがな」
「問題は無いと、おおせで?」
「うむ。あの近所迷惑と化していたガウタム・ラービヤ兄妹喧嘩で、重大な内容が言及されとった。ハイダル=ムラッド青年は不自然なほど頻繁に廃墟を往復したそうじゃ。
廃墟の近くで、けしからん大麻(ハシシ)パーティーも開催されていたらしい。謎と真相の一部は、かの胡乱(うろん)な廃墟にある筈じゃよ」
「ご慧眼のほど恐れ入ります。ところで、こうも高温多湿ですと死体の腐敗も早い。ハイダル死体は、早々に礼拝堂の脇の『お焚き上げ所』へ運ぶ……という事で、よろしいでしょうか」
老魔導士フィーヴァーの『毛深族』ならではの見事なモッサァ白ヒゲが、一層モッサァと膨らんだ。
「もちろんじゃ。高温多湿に死体、それに禁術の大麻(ハシシ)までもが重なると、次から次へと邪霊害獣が沸くものよ。魚の燻製(くんせい)工房にまで沸いて来たという事態は、よほどじゃ。
調査すべきブツは、すべて確保したという認識で良いな? ジナフ殿も」
白鷹騎士団の専属魔導士ジナフは、すでに席を立ち、シャバーズ団長の隣へ控えていた……そのまま、丁重な敬礼をして。
「右に同じでございます。ほか、ハイダル殿の居室の類を早急に押さえて、私物を押収・調査することが必要になります……治安部隊への依頼項目に含めておく所存でございます」
■03■噂の廃墟へ赴けば、疑惑が不吉が止まらない
翌朝……夜明け前の空は、うっすらと白いレースのような縁取りをまとい始めたばかり。
雨季ならではの通り雨が直前によぎったお蔭で、空気はしっとりと水気を帯びている。退魔調伏を祈願した雨ゆえ、その効果はテキメン。様々に有害な邪霊害獣の活動も、静穏化していた。
カラクリ人形アルジーは、性質としては、ほぼほぼ精霊(ジン)に近い……よほどエネルギー消耗していない限りは、眠らない。
皆が寝静まった深夜、アルジーは生前の時のように、文書をしたためていた。
相棒パルと共に、老女ナディテから教わった様々な知識を一覧表にしてみたり、ハイダル殺害事件で見聞きしたことを覚書にしたり――折を見て、定例の月誌の形にまとめてみるつもりだ。
途中から、火吹きネコマタや白タカ・ジブリールも加わって来て、《精霊語》のお喋りだったのだ。
そして、いま夜明け前。
朝の早い各種業界の仕事人が活発に動き始めた。道路の砂掃除や、路面の整備点検はもちろん――朝市の準備のための、様々な仕事。大量の商品を運ぶ、ロバやラクダの足音。牽引されてゆく荷車の音。
アルジーは物音を立てないよう、そっと行動を起こした。
談話室の窓辺「退魔調伏インテリア人形」の位置から移動して、宿泊所の水場へと向かう。
定番の隊商宿と同じく、この宿泊所も、中庭をグルリと取り巻く構造だ。
多数の回廊アーチと、各部屋。南方の直射日光に耐えるタイル舗装の中央部に、定番の水場。屋根が無く、雨よけを兼ねた鉢植えのトロピカル植物に囲まれている。
水場の周りには、早起きラクダや馬がたむろしていて、のんびりと水を飲んでいた。担当の水汲み人足が定期的に運搬するための、水汲み桶や水瓶も、適当に並んでいる。
カラクリ人形アルジーは、相棒の白文鳥《精霊鳥》パルを水浴びさせるべく、大きめの深皿を選んで、退魔調伏が済んだ水を、たっぷりと用意した。
白文鳥パルが水浴びを始めると、白タカ・ノジュムがやって来て、水場の仕切り石に腰を据え。
『おはようさん、鳥使い姫』
『早いわね、ノジュムも』
『身体不良や生贄《魔導陣》をかかえる人類にしちゃ感心なほどの勤勉……いや行動力だな《鳥使い姫》も。パル殿が、相棒に選ぶ訳だ』
水浴びを素早く済ませた白文鳥パルが、さっそく「ぴぴぃ」とやる。
カラクリ人形アルジーは、特に理由がなくとも調子を合わせて洗顔などして……ふと思い出したままに口に出していた。
『そう言えばシャバーズ団長は、あの刺青(タトゥー)力士ザザーンを捕まえて、色々聞けたのかしら』
『我が相棒ユーサーのところへ行ってみるか? そろそろ佳境だと思うぞ』
白タカ・ノジュムは、面白そうに「ケケケ」と笑った。
*****
噂の反則力士は、尋問部屋で、グラグラと揺れていた。
両肩に邪眼モチーフ刺青(タトゥー)を持つ不良青年ザザーン力士。
青年力士ハイダル=ムラッド殺害犯としては、もっとも、容疑者に当てはまる人物であった。
人生の名誉となる相撲の試合で、無様すぎる反則負けに追い込まれた――という経緯を考慮すると、怨恨と嫉妬のあまり、勝者ハイダルを毒殺して、さらに刺殺したとしても不思議では無かったのだから。
――だが。
不良青年ザザーン力士は……殺害犯では無かった。半分以上の、確かさで。
宿屋の定番マージャン賭博やサイコロ賭博に興じて、そこで強烈なアルコールをしこたま呑んで、泥酔していたのだ。
胴元を務めた宿屋の主人や、強い酒を給仕した複数人の少年スタッフによる、確かな目撃証言つきだ。
そして、ベロベロに酔いつぶれていた不良力士ザザーン青年は、グラグラと揺れまくった末に、ようやく、意味のある内容を喋れる状態になってきたところだ。
興味津々のカラクリ人形アルジーは、白タカ・ノジュムの案内で、尋問の様子をうまく垣間見できる位置へと近寄った。回廊アーチ支柱の並ぶ一角へ、忍び足で、身を寄せる。
都合よく開いている明かり取り用の細い隙間(スリット)から、そこそこ倉庫っぽい部屋が見える。
不良青年ザザーン力士を尋問するための部屋。出入口と見える扉の周りには、警戒の眼差しを投げる見張りが揃っていた。
『気を付けてね、アリージュ、ピッ』
爪先立って、さらに様子をうかがおうとしたカラクリ人形アルジーの肩先で、白文鳥パルが、以前のように、さかんに話しかけて来てくれる。
――不良青年ザザーン力士への尋問は、白タカ・ノジュムが教えて来てくれたとおり、確かに佳境であった。
ほどなくして、酔いの勢いもあるのか不真面目な態度をつづけている青年ザザーンの前で、適当に配置された茶卓(テーブル)が「ダン!」とばかりに、白鷹騎士団の誰かの三日月刀(シャムシール)で叩かれる。
さすがにビクリと跳ね上がる、不良青年ザザーン。
よく見ると、天板に衝突する直前で刃の向きが変わり、結果としては峰打ちとなっていた。それでも、天板に三日月刀(シャムシール)の刃の形をした凹みができたのには、変わらない。
尋問担当であろう、白鷹騎士団の誰かの怒鳴り声。
「観念しろ、ザザーン! キサマが禁術の大麻(ハシシ)に手を出していた事は、お見通しだ! それに宿屋のスタッフが目撃している、貴様が、どこかの女と密会していた、とな! その女は誰だ! 白状しろ!」
まだ酔いが回っていて頭がボンヤリしていたのか、ザザーンは、あからさまに動揺の表情になった。
「誰も見てねえ筈だ、ベラのことは!」
「ほほう、どこぞの人妻とのアレか? 運が悪いな。ここはジャヌーブ地方だ。南洋諸民族の法律体系では、男の側にも密通罪があるんだ、ムチ打ち100回食らっても文句は言えないぞ!」
「不倫じゃねえ! 俺の女じゃ!」
不意に不良青年ザザーンは、焦りの余りペラペラしゃべっていた事に気付き、「チクショウ」とばかりに、縛られていた足元をバタバタさせた。
グルグル首を巡らせて、方々の見張りだの立ち合いだのの騎士を順番に睨んでいると。急に殺気満載の眼光の主に見返されたらしく、グッと詰まったような音を立てて、その方向から顔を反らした。
そして……ゴツイ人相にふさわしく、ねっとりとした粘着的な目つきで、尋問担当の騎士を睨み。
「い、一応、前にジャヌーブ港町の祭で知り合って、なんつーか、同棲というか事実婚でよ」
「廃墟の大麻(ハシシ)パーティの女か?」
不良青年ザザーンは一瞬、息を止めていた。
その目元が、苛立たし気にピクピクと歪んでいる。正鵠を射たようだ。
「うがが……が、ガウタムと対決したドルヴだって、アヤシイじゃねえか」
不良青年ザザーンは、いやらしい口調で言いつのった。
「ガウタムには麻薬中毒になった妹が居るってな。そのガウタムの親友(マブダチ)だぞ、ドルヴは。ガウタムと、大麻(ハシシ)袋をやり取りしてたのを見てんだぞ」
本当に酔っているのか、酔っているふりをしているのか、半分ろれつが回っていない。
「ドルヴだって不法な大麻(ハシシ)持ってんだよ。さしづめ、象に大麻(ハシシ)仕込んでんじゃねえか。
要らない象のエサに大麻(ハシシ)をたっぷり仕込めば、砂漠の巨大怪獣へ飛び込ませて、楽に捨てることだって……」
しばしの間、当座の尋問部屋の空気が、重苦しく緊張していた……
*****
……夜明けの空に、朝日のまばゆい光芒が広がった。
ジャヌーブ港町の「時の鐘」の音が、鳴り響いている。
一般的な表現で言えば「麻雀サボテン第1開花の刻」――朝市が始まる刻でもある。
見れば、中庭の噴水小路の仕切り段差の代わりに植えられていた、四角い緑色の『麻雀サボテン』が……可愛らしいサボテン花をポツポツとつけ始めていた。
四角いフチの角に、濃いピンクの花々のフリルが現れたみたいに見える。
そろそろ部屋へ戻らなければ。
もう少しの間、あの尋問部屋のところに張り付いて、興味深い佳境の様子を知りたかったのだが。
こればかりは致し方ない……
……
…………
後ろ髪を引かれる思いで、アルジーは自動人形(オートマタ)インテリアとして、元の談話室へと戻る。この談話室は、セルヴィン皇子と従者オーラン少年が宿泊している相部屋に、付属しているものだ。
戻ってみると……部屋は留守であった。少年2人は、それぞれに朝の日課があった様子。
少年たちの着替えの旅装が、備え付けのスタンド式ハンガーに掛かっていた。身の回りの物も、おおかた荷造りが済んでいる。
まだ体調不安定なセルヴィン皇子が、出発前に服用する事になっている特別な薬用茶も、小さな茶卓のポットの中で、茶葉から滲出されている途中だ。
窓枠には、早朝から遊びに来た白文鳥《精霊鳥》が3羽ほど。
パルの食事として用意していた、ジャヌーブ港町の工房街では一般的な穀類を、少しだけ、やって。
カラクリ人形アルジーは、ギクシャクと、準備を始めた。
「午前半ばの、つまり『麻雀サボテン第2開花の刻』に廃墟へ出発する訳だから、ちょっと急がないと」
手持ちの「ぼろい荷物袋」から《退魔調伏の御札》製作一式を取り出し、せっせと仕掛けを作る。
まずは、邪霊害獣《三ツ首ドクロ》対抗用の御幣(みてぐら)型《紅白の御札》。パッと見た目には、ボワッとし過ぎているハタキだ。
遊びに来ていた白文鳥3羽が察し良く気付き、書き上がった分から御札を加えて飛び回り、高速乾燥を手伝ってくれる。
さらに、女商人ロシャナク提供の強力な紅緋色インク《紅白の御札》を製作し、4枚1セットで束ねて……耳飾りとして、カラクリ人形の耳パーツに装着だ。
相棒の白文鳥パルが、ホッとした様子で、その陰に潜り込んで来る。
帝国有数の危険地帯ジャヌーブ地方の土地柄は、数百年もの間、白文鳥《精霊鳥》種族を寄せ付けなかっただけあって、高位の精霊(ジン)であっても相応の警戒の必要がある、という様子だ。
『苦労かけるね、パル』
『お互いさまだよ、ピッ。普通は《世界の均衡》問題に人類を巻き込まないルール。《精霊界の制約》があるのは、そのため。
精霊と邪霊の間で同意している数少ないルールね。でも、邪霊教団《黄金郷(エルドラド)》の人類が、やらかしてる』
『大禁術《怪物王ジャバ復活》。老魔導士フィーヴァーが、皆に分かるようにハッキリ宣言してくれて、助かったよね。すごい推理力。ホントに《精霊界の制約》を飛び越えて来れる頭脳が存在したなんて』
『人類史上の最高の天才ってのは間違いナシね、ピッ。偶然とはいえ、ジャヌーブ砦に霊魂つないで、あそこまで明瞭に「黙示」展開できたアリージュ姫も、人類《鳥使い》としては希少な能力だよ」
『さっき、邪霊教団《黄金郷(エルドラド)》が禁忌やらかしてるって言ったよね。
ええと、あの従兄(あに)ユージドと、あの怪しい黄金骸骨仮面『毛深族』黒ヒゲと、8人の灰色骸骨仮面の、魔導士クズレ邪霊使い……証拠とか正体とか、つかめたの?』
白文鳥パルは、ヒョコンと首を振った。
『過去の痕跡は、ジャヌーブ港町に到着した日に南洋連絡網で、万年《精霊亀》と直接に裏取りできたよ。
天才・邪霊使い《炎冠星》が発見した禁術を、邪霊教団《黄金郷(エルドラド)》に伝授したのが居る、ピッ。
精霊界でも全力で追跡中だけど、帝都の大聖火神殿《黒ダイヤモンド書庫》からの情報漏洩も警戒しとかないとね、ピッ』
カラクリ人形アルジーは、いつだったかの夜、老魔導士フィーヴァーがポロリと説明した内容を思い出した。
――古代カビーカジュ著『魔導書』。
邪悪な奥義のほうは『禁書』扱い……禁書庫《黒ダイヤモンド書庫》で施錠保管されている。
『邪声をあげる怪物の顔をした異形の人面レリーフが、書物の表紙に浮き上がって来る……そんな怪談が付いてたよね』
『うん、関連業界では有名な話、ピッ』
『その人面レリーフが、重大な秘密を伝授する、とかは……あるのかしら?』
白文鳥パルが、心底ビックリしたように、肩の上で「ビョン!」と飛び跳ねる。
『それは盲点だった、ピッ。天才・邪霊使い《炎冠星》なら、地下神殿の遺跡の壁面彫刻(レリーフ)研究とかで、その「カビーカジュ」術を読み解けたかも知れないピッ。
セルヴィン皇子の火吹きちゃん、急いで連携するピッ!』
ポポンと、白毛玉ケサランパサランが数個ほど、目の前で浮かんだ。
唖然と眺めているうちに、白毛玉ケサランパサランがフワフワと漂っていって、セルヴィン皇子の《魔法のランプ》の口にくっつき、ポンと燃える。お焚き上げ形式。
急にノックされた形になった《火の精霊》も驚いた様子で、パチパチ火花ダンスだ。予想したとおり、留守番していた、代理《火の精霊》だ。
驚くくらい瞬間的に、《魔法のランプ》の口から、ちっちゃな手乗りサイズ《火吹きネコマタ》が、ニューッと現れた。おとぎ話の、ランプの精霊そのもの。
精霊界の異次元の移動とはいえ、ギョッとさせられる光景。
『問題の禁忌内容の情報漏洩ルートが判明したかも知れない、ニャと!? ホントかニャ、パル殿?』
ちっちゃな赤トラ猫は、興奮のあまり、ネコ尾を高速で振り回していた。倍の数の……4本の尾に見える。
『アリージュ姫が、老魔導士どのの言及した内容を、シッカリ記憶してたピッ。詳細、****』
後半は高速《精霊語》だ。人類には聞き取れない速度と密度。だが、火吹きネコマタは瞬時に了解した様子だ。バッと、全身のネコの毛皮が逆立っている。
『とすると、流砂の下の廃墟の調査、もしかしたら予想以上に、とんでもないモノが見つかるかも知れないニャ』
『注意していくピッ。例の発端の件も地下神殿ゆえ、ピッ。……また「条件分岐」が出て来る……「天の書」前兆があるピッ』
『うむ、例の《地の精霊》どのも動き始めた。ハイダル=ムラッド殺害事件に、ストリートファイトで出現した謎の狙撃者の件……上手に対応しニャければ』
ひととおり確認が済んで、火吹きネコマタは逆立ったネコ毛を収めるべく、全身シャシャシャと足でならした後、せっせと毛づくろいを始めた。
『ちょっと、あの尋問部屋で乱闘が起きたニャ。まぁ、すぐに収束するであろうが』
思わず、カラクリ人形アルジーは、《紅白の御札》製作の手を止めて振り返った。
『何があったの? 《火の精霊》さん』
『不良青年ザザーンによる、ドルヴへの言いがかりが、ドルヴ本人の耳に届いた。本人が修羅と化して乗り込んだのニャ。老女ナディテが場を収めに入ったから、大丈夫の筈ニャ。
セルヴィンもオーランも駆け付ける騒ぎには、なってはいるが』
『激怒するよね《象使い》としては……ナディテさん、もしかしたらドルヴさんと一緒に、不良青年ザザーンを叩きのめす方向へいくんじゃ……』
白文鳥パルと、火吹きネコマタは、同時に目をパチクリさせて……暫くの間、お互いを振り返っていた。
*****
指定された出発の刻となっている、「麻雀サボテン第2開花の刻」。
所定メンバーのほとんどは、既に指定の場所に集結して騎馬団を組んでいた。
飛び入りメンバーを見てみると、宝さがし冒険者といった風の装備で身を包む壮年ガウタムが居た。妹ラービヤも付き添っている。その背中には弓矢が用意されていた。
文字どおり「退魔調伏の御札を貼り付けた自動人形(オートマタ)」の形で荷車に鎮座していたカラクリ人形アルジーは、ガウタム・ラービヤ兄妹を発見して、当惑するばかりだった。
『弓矢の技術があるのかしら、ラービヤ嬢って』
『明らかに武術訓練されている筋肉だね。大麻(ハシシ)作用を鎮める薬は、ちゃんと定期的に飲んでる。
道端で三日月刀(シャムシール)振り回して同族を切り捨てようとしてた失業衛兵の酔っ払い中年ワリドに比べれば、危険人物じゃ無い、ピッ』
見ていると、見覚えのある人物が、敏捷そうなロバにまたがって、ヒョコヒョコとやって来た。
ネズミ鼻が目立つ人相の、中年の商人。
(誰だったかしら、ジャヌーブ砦でも見かけた人物で、ええと……)
カラクリ人形アルジーが、名前と人相を思い出そうとしているうちに……
定番の挨拶が始まった。
「ご縁ですやん、ガウタム・ラービヤ兄妹どの。このたびは、よしなに」
「ジャヌーブ商会の南洋沿岸アンティーク物商ネズル殿。こちらこそ。いよいよ念願の『古代のお宝』探しという訳ですね」
「ええ、ええ、もう、この機会を逃しては、ジャヌーブ商会の商人の名がすたるってもんですや、ふへへ。先取特権の記録の神官さまへの上納も、バッチリ。
世にふたつと無きアンティーク先取り、『南洋アンティーク物商』看板にかけて、ガッポガッポ儲けますわ!」
ネズミ顔の中年商人のネズミ鼻は、ウキウキ状態を反映して、ピクピクとユーモラスに動いていたのだった。
「そして、ラービヤ嬢もご参加とは心強くも、あやや。このたび第3層ダンジョンどころか、もっと深い層まで潜入調査するという話をお聞きして、オヨヨ。
かの《三つ首ドクロ》悪魔合体の、空飛ぶ《蠕蟲(ワーム)》が飛び出たアカツキには、是非、評判の弓矢の腕前のほど」
カラクリ人形アルジーが、ラービヤ嬢の隠れた特技に驚き、新しく聞く怪物の特徴への恐怖に震えながらも。
興味深いこぼれ話に、耳を傾けていると。
なにやら、ほうほうのていで、セルヴィン少年とオーラン少年、それに護衛オローグ青年やクムラン副官といった面々が……隊商宿のアーチ入り口から、現れたのだった。
つづいて老魔導士フィーヴァー。そして白鷹騎士団のシャバーズ団長や専属魔導士ジナフを含む、高位の面々。
(みんなゲッソリしている様子だけど、何があったのかしら?)
事情を知らぬ虎ヒゲ戦士マジードが、サッと敬礼しつつ……アルジーと同じことに気付いた様子で、怪訝そうな表情になる。
「いかがござったのでありますか老魔導士フィリヴォラルフ殿? 出発前から、えらく疲れておいでのようですが……」
「ニワカ重傷者が出たんじゃ。かの反則力士ザザーン青年が、左腕と、両方の脚を骨折した。急遽、逃走防止の鉄球と鎖を装着して、ヤツが滞在中の安宿へ担ぎ込み、監視を付ける措置をした。全治1年じゃ」
最初から最後まで、想定外の説明だ。
目を白黒させる、虎ヒゲ戦士マジード。
「それはまた随分と過激な……その一方で利き腕を残すとは、慈悲深い刑罰でございますな、老魔導士フィリヴォラルフ殿? しかし速報によれば、ザザーン青年は、
ハイダル=ムラッド殺害事件の犯人では無くて、参考人扱いになった筈」
「例の、何故かハイダル殺害現場の傍にいた《精霊象》幼体2頭の謎と状況が、《象使い》ドルヴ君の徹夜の聞き取り調査で明らかになったんじゃが。
今、ジャヌーブ港町の《象使い》全員が激怒している筈じゃ。詳細はあとで《象使い》2人から聞くが良い、間もなく来るからな」
老魔導士フィーヴァーは馬上にまたがると、すみやかに「居眠り」態勢になった。「立ち眠り」も可能な『毛深族』ならではの、驚くべき身体能力。
もちろん、担当になった馬のほうは、突然イビキをかき始めた乗り手に、唖然とした状態である。
シャバーズ団長は、いつものように点呼の報告を受け……まだ来ていない鷹匠ユーサーと《象使い》2人は、《精霊象》2頭と共に、余裕をもって追い付くとの見込みを持って、出発の号令をかけたのだった。
*****
――ジャヌーブ港町から、目的となる流砂の廃墟までは、意外に近い。
例の廃墟が安全な景勝地などといった場所であれば、ジャヌーブ港町の住民にとっては、二泊三日ないし三泊四日ほどの手頃な旅行先となった筈だ。
乗馬と戦闘の技術を持つ者にとっては、1日で行って、廃墟を1日探検して、1日で帰れる距離。
実際、あとからあとから邪霊が出現して来るという帝国有数の危険地帯と化す前――超古代の頃は、ジャヌーブ港町の折々の祭祀で足しげく訪れる、南洋諸民族の神殿であった、という伝承も残っている。
ジャヌーブ港町を出てから少しの間は、高温多湿トロピカル植物が繁茂する緑地がつづく。
隊商道とトロピカル街路樹は、要所・要所に退魔調伏の仕掛けが施されており、よく整備されていた。道脇には、意外に大きな田畑が広がっている。
カラクリ人形アルジーは、騎馬軍団『白鷹騎士団』行列の後半の位置あたりで付随する荷車に、荷物として――ただし貴重品として――乗せられている形である。
この荷車は、廃墟神殿の調査で何か貴重なブツが見つかった時のための、特別保管の機能を備えていた。
トロピカル街路樹の間で、相当数ピョンピョン飛び回っている……「真っ白な、いちご大福」が、まだ安全圏であることを示唆している。
荷車を牽引する馬の乗り手は、クムラン副官の部下シャロフ青年だ。それなりに信頼できる既知の人物――という安心感。
先行団につづいて、隊商道の石畳の上をゴトゴト揺れながら進む荷車は、右も左も分からない状況の馬にとっては、手ごろな目印になっている様子だ。
熟睡中の老魔導士フィーヴァーを乗せた馬が、おとなしくカポカポと随行して来ている。
少しして。
シャロフ青年が察しよく、並行状態の4人へ……特に直属の上司クムラン副官を選んで、声を掛ける。
「そろそろ、何があったか説明できる状態ですか、クムラン副官どの。好奇心で、はち切れそうなんですが」
疲労の影響で、並行している4人すなわちセルヴィン少年とオーラン少年、それに護衛オローグ青年とクムラン副官は、ずっとボンヤリとしていて、無言だったのだ。
やがてクムラン副官が、ポツポツと喋り出した。
「済まんな、シャロフ君。まだ頭がグルグルしている。目が回るほどの忙しさだったんだ。前後が混乱していると思うから、分からなかったら聞いてくれ」
「出来事の整理ですね、こちらは了解ですよ。必要なら覚書も取りますが」
アルジーも、代筆屋ならではの本能で「覚書」に反応する。手持ちの「ぼろい荷物袋」から瞬時に筆記用具を取り出し、速記を始めた。
まだボンヤリしている4人は、アルジーの挙動に気付いていない様子。
クムラン副官が頭痛と肩コリをほぐすように、グルグルと首を回しつつ、つらつらと語り始める。
「ああ、覚書ね、よろしく頼むよ。ええと、ザザーン青年は、《象使い》老女ナディテ殿に往復ビンタを10回くらった。
弟子ドルヴ殿が、ザザーン君に、ラリアート・アッパーカット・アイアンクローを連続かまして、とどめに、思いっきり背負い投げをかました。あの中央の水場……じゃなくて、そこから出てる排水溝まで」
「排水溝まで、はい。砦でも、しらばっくれてるゴロツキに激怒した時は、我々衛兵も、たまにやりますが。しかし超・過激ですね。
土木・建築・大型運搬の業界特有の荒くれ気性なのか、《象使い》ならではの隠れた気性なのか」
「まだ続きがある。ジャヌーブ沿岸ならではの。ザザーン青年は、朝食準備から出た野菜くずやら、砂掃除で出た退魔の砂やら、色々、まみれて、重傷を負った。
そしてジャヌーブ塩田の塩釜の水で洗われ、消毒されて、悲鳴あげっぱなしだった」
「傷口を塩釜の水で……つまり傷口に塩……!?」
まだ初々しい新人の雰囲気を残しているシャロフ青年は、一瞬、ギョッとしたように目を剥き、上司クムラン副官を振り向いたが……
すぐに手持ちの紙面を、素晴らしい速度で筆が走った。
パカポコする馬上で揺れている状態なのに、シャロフ青年の筆跡はサマになっている。半ば見なくても速記文字ができる様子。優秀な書記だ。
これで《精霊文字》もこなせるなら、東帝城砦の帝国伝書局・市場(バザール)出張所のバーツ所長が、嬉々として採用するだろう。
「あの不良ガチムチ刺青(タトゥー)ザザーンは、尋問が終わった後、《象使い》2人から順番に集中攻撃を受けたと。話に聞く『全治1年の重傷』も納得です。
でも何で、そんな事に? 尋問中の無抵抗の人物に、そんな前代未聞で問答無用の暴力かましたら2人とも逮捕連行でしょ普通は」
「あ、肝心な部分が抜けてた。その前に、帝国軍の名代としての『白鷹騎士団』から、ジャヌーブ港の治安部隊を経由して、《象使い》組合ジャヌーブ事務所へ、裁判権の特別移譲があったんだ。
セルヴィン殿下とオーラン君を急遽、呼び出して……」
「そんなことが一瞬で出来るのは、世界広しと言えども《象使い》ナディテ殿だけだな、間違いなく」
黒髪の護衛オローグ青年が、ボソッと口を挟んだ。神経質に、定番の赤茶色・迷彩柄の戦士ターバンを直しつつ。
「ナディテ殿は、裁判権の特別委譲文書の一式をシレッと作成して『白鷹騎士団』代表セルヴィン殿下の署名を求めた。セルヴィン殿下は皇族だから、正式に最初のふたつの手続きを省略。
帝国法に付則があるんだ。あっと言う間に、ジャヌーブ港の治安部隊から《象使い》組合ジャヌーブ事務所への裁判権の委譲が成立した。
委譲された裁判権のもと、すみやかに、ザザーンへの沙汰がなされた訳で、帝国法への違反は無い」
「すげぇすね」
思わず素が出た形のシャロフ青年。
クムラン副官が、少しの間、天を仰ぐ形になった。
「普通、特別裁判権の委譲に関わる正規の手続きは、ヘタしたら10年かかる。
カムザング皇子の例の《魔導》手術の手続きでさえ――《鳥使い姫》超常現象のお蔭で実際は解決済みだが――大神殿を経由した要請と、
第一皇女サフランドット姫の宮廷権力をもってしても、まだ端緒のところだ。それを一瞬で飛び越えてゆく手腕。天罰女神(ネメシス)ナディテ殿と法廷闘争する羽目になりたくないね」
「いったい何者なんでしょう、ナディテ殿って」
覆面オーラン少年が、そっと疑問を呟き。セルヴィン皇子が続く。
「代々王統《象使い》を輩出する南方の大きな城砦(カスバ)がある。毎年、帝都に送られて来る《象使い》組合の代表者名簿の、名誉相談役……名誉代表だったかな? 王侯諸侯の欄に、
いつも『ジャカランダ・カスバのナディヴァタ』が並んでるんだ」
「いつも? という事はセルヴィン殿下、ずっと前から、その名前……『ジャカランダ・カスバ王侯諸侯ナディヴァタ』が続いてるんですか?」
覆面オーラン少年の、驚きを含んだ問い。
セルヴィン少年は少しの間、左側に並ぶトロピカル街路樹の葉先を見上げながら……頷いた。
「確かに、そうだ」
ゆるやかに流れる潮風が、虚弱体質な番外皇子の、ターバン端からこぼれるダークブロンド髪を揺らした。
セルヴィン少年は、さらに思い出そうとしている様子。
少年の片方の手がソワソワと、ターバンの結び目をいじり始めた。そこにある透明な《精霊石》には、白金に輝く帝国の紋章。
――その紋章は、帝都を潤す両大河(ユーラ・ターラー)を模した象徴と、帝国の守護精霊《火霊王》を表す《精霊文字》を組み合わせたもの。
「その『ジャカランダ・カスバのナディヴァタ』名は、何十年も前から一覧表にあったと聞いてる。短縮の名前だと『ナディテ』になる。
ジャカランダ・カスバも、超古代は多島海王国だった――元は、象が生息する島々を統治した『ガジャ王国』王都だったそうだ」
「ジャヌーブ港町を代表する商会のひとつ『ガジャ倉庫商会』の起源になったのは明らかですね、セルヴィン殿下。
ナディテ殿ご本人が、寝言とかで『私の正体はジャカランダ王侯諸侯だ』と宣言しても、私もすぐに納得しますよ」
「ええと地元伝統の役職名が、相撲の祭祀でも有名な、学業と商業の神『神象ガジャ教』の女教皇ナディヴァタ。
今の《精霊象》彫刻は『純白ゾウ』だけど、古代は『純白の三つ首ゾウ』だったとか。帝都大神殿の古代宝物庫で見たことある」
クムラン副官が、珍しく生真面目に首を傾げた。
「あの抜かりない政治手腕、スキの無い法律運用、同一人物すなわち手練れの王侯諸侯かつ法治に関わる神職の可能性が高いですねえ。
南方は南方で、超古代から巨人族と外交・交易やってのけてるだけに、驚くほど狡猾なところがある」
シャロフ青年が興味深そうに頷き、さらに速記メモを加えた。そして。
「で、肝心の内容……ザザーン青年、即刻裁判にかけられるような、いったい何を、やらかしたんです?」
「済まんが、知らん」
「ご冗談でしょ、クムラン副官どの」
「本当に知らんったら知らん。公文書の裏書をした老魔導士フィーヴァー殿に、聞いてくれ」
「ヤですよ、あんなイビキしてる帝国随一の超・変人を無理に起こして、変な《魔導札》貼り貼りされたくありませんよ」
ゴトゴト揺れる荷車の中で、カラクリ人形アルジーと白文鳥パルは、お互いに首を傾げるばかりだった。
*****
例の廃墟へつづく隊商道。
白鷹騎士団をメインとする混成軍の進軍は、順調だ。
一定の距離ごとに、冒険者向けの勇敢な屋台店が集まった、小さな市場(バザール)が、ポツポツとある。
それなりに需要があるお蔭で、細々とした医療品や、宿を兼ねた出張医療所も、営業中。無謀な冒険者グループ相手に、相応に繁盛している様子だ。
程なくして、昼食休憩のために、途中の市場(バザール)集落に立ち寄る。
このたびの取引先となった市場(バザール)集落の業者の後ろに、おこぼれを期待する零細業者が鈴なりに連なっている状況だ。
白鷹騎士団をメインとする廃墟への潜入調査があるとの情報を、早くも聞きつけた様子なのであった。
*****
昼食休憩の場となった、市場(バザール)集落。
白文鳥や伝書バトが多く来ているお蔭で……小鳥のエサになる定番の草木の種を扱っている、零細の屋台店もあった。
手持ちの「ぼろい荷物袋」を調べると、やはり「草木の種」ストックが無くなっていた。さいわい財布の中身は、最初の時のまま残っている。
「なにか買うの?」
横から不意に、覆面オーラン少年の不思議そうな声。
振り返るとやはり、注意深さをたたえた黒い目が、カラクリ人形アルジーのほうを見つめていた。
昼食の定番、相応にボリュームのある穀粉飯(おやき)を腹に入れながらも、挙動を変えたカラクリ人形アルジーを、鋭く観察していたようだ。
最初に見た時と比べると、オーラン少年は、南方の陽光で随分と日焼けしたように見える。《地の精霊》祝福が定着しはじめているせいか、淡かった髪色も、
兄オローグ青年と同じような黒髪に近づいて来た。
そして少年兵の定番、赤茶色の迷彩ターバンのうえに、相棒の白タカ《精霊鳥》ジブリール――まだヒナの面影を色濃く残した若鳥――が、居心地良さそうに鎮座していた。
オーラン少年を熱心に祝福している《地の精霊》と、しょっちゅう何かを交信しているらしく、《精霊鳥》独特の冠羽が黒ダイヤモンドのきらめきを含みながら、ピコピコ揺れている。
――不思議だけど、同じ鳥類の精霊(ジン)を相棒に持つという共通点のせいか……オーラン少年とは色々と気が合いそうだ。
精霊(ジン)について、もう少し突っ込んだ内容を交換しても、大丈夫そうだと思える。鷹匠ユーサーに感じる「波長が合う」安心感とは、また別だけど。
アルジーは、先ほどまで調べていた財布の中身を、再び点検しつつ……
「相棒のゴハンというか、草木の種と……何となくだけど、予備のターバン、石鹸、山歩きブーツ。それに山岳用の汎用ロープ。『ペン先けずりナイフ』だけじゃ不安だから、シッカリした山刀みたいなのも」
覆面オーラン少年は目をパチクリさせていた。後ろで聞いていた、セルヴィン皇子も。
「なんか、王侯諸侯の姫君が欲しがる品じゃ無いような……石鹸は分かるような気がするけど」
「現実が見えてると言ってちょうだい。これから行くのは邪霊はびこる敵地であって、宮殿の大広間じゃ無いんだから」
カラクリ人形の肩先で、相棒の白文鳥《精霊鳥》パルが「ぴぴぃ」と同意した。半ば笑っているところだ。
ささやかな広場にぎっしりと並ぶ屋台店から、にぎやかに聞こえて来る取引の会話。
取引交渉の要点を検討し、市場(バザール)の価格交渉の相場を見定め。《鳥使い》ならではの直感でもって、品質の確かな中堅の屋台を選ぶ。
品々を保護するパラソルは、砂漠で定番の防火性の大判紗幕では無く、防水性のものだ。雨の多さを暗示している。タバコを買いに来たらしき三々五々の客の流れが途切れた後。
「いらっしゃいませ……スナギツネ?」
カラクリ人形アルジーを出迎えた屋台店の店主シニア男は、失敬をしたことに気付き、ハッと口を押さえた。そして急に、「あっちっち」と手をワタワタさせた。
さきほどまでタバコを吸っていたのだ。けむい空気が漂っている。
ただし大麻(ハシシ)では無く、アロマや線香、特定ハーブの類の、山野を思わせる香気だ。意外に、アルジーの好みにハマる。
「この煙、なに?」
「あら失礼ご不快でしたか商売仲間がタバコ屋なもので時々」
妙に、既知の人物を思わせる口調。次の瞬間、アルジーはパッと思い出したのだった。思い出せて良かった。
「なんか良い感じの香気だなと思って……その人って、タバコ屋シガロさん? もしかして」
「お知り合いでしたか!? こりゃ奇遇だわ同郷の商売仲間ですわジャヌーブ港町タバコ屋シガロ君は」
カラクリ人形アルジーの後ろで興味津々の少年2人からも、ビックリしたような気配。
「今のタバコですね潮風で荒れたノドに良くて子供にも優しい薫物バージョンもございます茶葉として用いることもできます『リコリス・ヴァーユ』コチラがよろしいでしょうかね」
可愛らしい手乗りサイズ香箱が、スッと出て来た。
見るからに質流れ中古品だがモノは良い。白漆を施された漆器で、淡白ながら深く落ち着いたハチミツ色をしている。草花模様の青漆が目に鮮やかだ。
パカリと蓋(フタ)を開くと、ほのかに甘い森林香。茶葉としても使える細かな砕片には、淡く、薄紫色が乗っている。
相棒の白文鳥《精霊鳥》パルも気に入ったらしく、肩先でピョンピョン跳ね始めた。お茶にして飲むのが良さそうだ。
いまのアルジーは、お茶そのものは飲めないけれど、淹れた茶の香りを楽しむことはできる。
「あまり高価だと見合わせるしか無いけど。ほかにも、そちらの草木の種とか、必要なモノあるから」
購入予定の品を並べてみて、あらためて会計だ。アルジーの財布の中身は、明らかに不足していた。
「値切り交渉の余地はある?」
「勉強させていただきますわ」
相場に合わせて、穏当に端銭を切り上げる。それでも手持ちに不足はある。残念だが、器も含めて掘り出し物の『リコリス・ヴァーユ』は、あきらめる方向だ。
「いかがでしょう同郷シガロ殿のヨシミもありますしお客様キチンとしてますしね3ケタまでサービスしてもよろしいですよ」
「危険地帯の近くなのに、それじゃ悪いわ。退魔調伏の御札10枚つけて支払う形でいい? 自慢じゃ無いけど効果は確かだし」
「是非ともハイ見ればお客様《鳥使い》ですわねジャヌーブ港町の《鳥使い》工房街のように白文鳥ドンドン集まって来てるから分かりますよ」
無事に取引が成立し、通貨のやり取りだ。
そして。帝国通貨を確認する店主シニア男の目がテンになる。
「ヘンですね刻印そのものは本物ですし明らかに贋金じゃ無いんですが……コレはいったいどういう事なんでしょう」
「贋金は入ってない筈だけど」
「えぇえぇバリバリ本物なんですけど製造年代が奇妙なんですわ1枚」
店主シニア男が首を傾げつつ、最も新しい帝国通貨を示して来た。
「製造年代が10年も先の未来のモノなんですわ」
アルジーは、その通貨を確かめた……特に妙なところは無い。
「今年の通貨の筈だけど、ジャヌーブ経済圏の表示方式が違うとか?」
経年劣化で削れた部分も、破損した部分も無い。金融商の天秤で注意深く残存重量を確認する必要が無いほどの、新品の通貨。東帝城砦では既に広く流通している。
――不意に、アルジーの中で、ピンと来る生前の記憶がよみがえった。大先輩ギヴ爺(じい)から聞いた笑い話だ。
「貨幣鋳造の工房で、ケタ配置ズレの失敗があったと聞いてる。
設備を新調する時に、配置がズレて違う年代の刻印貨幣が……もう帝都大市場(グランド・バザール)で流通してたから、当時の工房の全員で真っ青になって、帝都の金融商の組合へ押しかけたって話。
製造番号はあるから、照会すれば大丈夫かも」
覆面オーラン少年が素早く声を掛けて来た。
「とりあえず交換しましょう。同額の通貨を持ってますから、私のと」
そんな訳で、その場はスムーズに決着した。
問題の「奇妙」とされた通貨は、オーラン少年のふところに収まる形になったのだった。
オーラン少年の表情は、覆面になった戦士ターバンの下に隠れて、ハッキリとは分からないが……なにかを納得しかねているような雰囲気だ。
セルヴィン皇子は、ずっと驚愕と不審の表情であった……ちなみに皇族は現金を持ち歩かず、従者に任せることになっている。
――カラクリ人形アルジーへの、「贋金づくり(場合によっては死刑)」などの深刻な疑念に発展していなければ良いのだが。
*****
昼食休憩が、そろそろ終わろうという頃。
鷹匠ユーサーと《象使い》2人が、高速で追い付いて、合流して来た。
2人の《象使い》を乗せて走って来た《精霊象》は疲れ知らずだが、鷹匠ユーサーの馬は疲れ果てていて、予備の馬に交換される形だ。
先行していた白タカ・ノジュムが早速、カラクリ人形アルジーの頭上を舞う。合わせて、覆面オーラン少年の頭上からも白タカ若鳥ジブリールが飛び立ち、しばらく2羽でもって、不思議なやり取り。
そして白タカ2羽は、カラクリ人形アルジーの最寄りのトロピカル街路樹へ舞い降りた。
『パル殿。なにやら周辺の白文鳥が慌てていたようだが、特にマズい事態は無かったようだな』
『ギリギリだったピッ。白タカ・ジブリールと、よく協議しておいてよ、ピッ』
手持ちの「ぼろい荷物袋」をあらためて荷造りしていたアルジーの肩先で、白文鳥パルが珍しいくらい大声でさえずって、白タカ・ノジュムへ返していた。
クムラン副官と護衛オローグ青年は、シャロフ青年と一緒に速記を整理して、軍事記録として整えている真っ最中。
「ちょうど良いタイミングで到着されましたね、鷹匠ユーサー殿が」
シャロフ青年が、あからさまに、ホッとした様子。
*****
早くも『白鷹騎士団』シャバーズ団長と専属魔導士ジナフが、2人の《象使い》と鷹匠ユーサーを、同じ休憩所パラソルの下へ招いていた。
時間をかけてでも――出発時間を予定より遅らせてでも――報告を詳細に聞く態勢だ。
さすがに朝の出来事の後始末などが、ずっと気がかりだった、という風である。
それに、空き時間を使って何やら工作していたらしい老魔導士フィーヴァーが、ギョッとするほどの素早さで、同じ休憩所パラソルへ同席だ。
老魔導士のモッサァ白ヒゲには、愉快な木くずだのトロピカル塗料だのが、既にビッシリと、くっついていた。
機密保護も何もない、吹きさらしの、トロピカル休憩所パラソルとあって、色々小耳に挟むことも可能。
小さな市場(バザール)じゅうの屋台店という屋台店の、目と耳が、興味津々で集中していた。
――もちろん、カラクリ人形アルジーが先ほどまで買い物していた屋台店の、タバコをふかしていた気のいい店主シニア男も。
*****
「待ちかねたぞい! ドルヴ君、最初から説明してくれい。あの場で我々が聞いたのは、ナディテ殿から説明されていた概略だけじゃからな」
老魔導士フィーヴァーの鳶色(とびいろ)の目は、ランランと光っていた。
「かの反則力士ザザーンが、例の小象の母親《精霊象》へ、卑劣きわまる毒物『象ゴロシ』を用いていたという事実。毒が仕込まれていた三日月刀(シャムシール)という動かぬ証拠物。
その刃部分が明らかに使用後の異常変色を呈しており、所有契約の主が、かの不良青年ザザーンと判明したゆえ、ワシも即断で、公文書へ裏書はしたが」
概略ながら、その内容は、小さな市場(バザール)の全員が飛び上がるに足るものであった。
「超古代の伝説の邪悪な毒物『象ゴロシ』だって!?」
「昔の暗殺教団(アサシン)の残党が、まだ居たのかよ。この先の廃墟にゃ、その邪悪な毒物の原料となる《黄金ドクロ壺》は、もう無い筈だが」
「まさかのまさかで、誰かが、ハンパな邪霊《三つ首ドクロ》をどうにかして増強して《黄金ドクロ壺》にしたとか?」
「それこそ、まさかだろ! あんな、半分に千切った御札だけで、やっつけられるような小物」
ジャヌーブ沿岸一帯は、《精霊象》との長い共存関係がある。超古代には、学業と商業の神とされた純白の象『神象ガジャ』が信仰されていたという古い土地柄でもある。
――この『神象ガジャ』は、伝説の《怪物王ジャバ》が専横を極めていた時代は、恐怖の大魔王への畏怖と畏敬の念を表して、「三つ首の象」の姿で、彫刻されていたようだ。
――なおジャヌーブ地方では《精霊亀》生息数も多いが、どちらかというと『幸運の御使い』ないし『浮島へ導いてくれる良き友』という感覚だ。
より神的な存在として《精霊亀》を崇拝するのは、むしろ東方の「世界の屋根」高山地帯すなわち亀甲城砦(キジ・カスバ)の周辺が中心である。
壮年《象使い》ドルヴは、勧められたベンチに腰を下ろして口を開いたが……すぐに顔面を両手で覆って、うめいた。
「申し訳ありませんが偉大なる老魔導士フィーヴァー殿、自分まだ冷静を欠いていると思いまさ」
「あたしが詳細説明をやるよ。ずっと走りつづけて喉が渇いたから、なんかくれないかね」
人生の達人ナディテ婆は、やはり豪胆であった。程なくして手渡されたトロピカル系フルーティー茶を、ゴクリとやり。
テキパキと、「反則力士ザザーンによる《精霊象》襲撃事件」を説明し始めたのだった。
*****
その事件が起きたのは、おとといの夜だ。
すなわち『白鷹騎士団』混成軍が、ジャヌーブ港町へつづく隊商道の途中にある水場で……《精霊クジャクサボテン》群生地で野営していた、あの一夜。
さて。
不良ザザーン青年は、どこにでも居る若いチンピラ、ゴロツキの類だ。
帝都近辺の「騎士団訓練・準備所」で、ちょっとした暴力行為・反則行為をやらかして破門された。その後、これ幸いとばかりに放浪者をつづけている。
ちなみに、身分にかかわらず人材を選抜するための「騎士団訓練・準備所」のほうが、庶民にとっては一般的。「町角の筋トレ道場」という位置づけだ。
銀ヒゲ『毛深族』ジャウハラ老の『筋肉道場』も、その類。道場主ジャウハラが、とっても、普通では無いだけだ。
あの夜。
不良ザザーン青年は、いつもの郊外の酒場で『バズーカ』という男と落ち合う予定があった。
相撲大会の後どうするか、酒を飲みつつ将来を相談するつもりだったのだ。
バズーカは、ザザーンと一緒に破門された騎士見習い仲間だ。
訓練を勝手にサボって、水タバコで大麻(ハシシ)を吸う、不法営業の娼館へ入り浸る……にぎやかな市場(バザール)や繁華街の魔窟に堕ちた若者たちがやらかす、
定番の不良行為がバレて、破門されていた。
――年齢的にも、騎士見習い期間の最後の年回りになる。将来を考えると、いつまでもフラフラできない。
傭兵で稼ぐこともできるが、一定以上の退魔対応の戦闘技術が無い場合、つまらない傭兵クズレ盗賊ゴロツキのプータロー中年男になるのが、いいところ。
闇バイトなどの話に乗って、ケチな犯罪の手先として使い捨てられ……墓掘りや盗掘などで日銭を稼ぎつつ……砂漠を放浪して野垂れ死ぬのが、せいぜいだ。
身を立てるなら正規の職に就く最後の年齢チャンスだ。
殿様気分の愚かな放蕩ドラ息子・ドラ娘が、おかしな風にイキがって親や教育係に反抗しつつ、贅沢に乱脈経営しているような……隙だらけユルユルな城砦(カスバ)で、猟官活動など、運試しでもするか。
不良仲間バズーカは、いわゆる「口のうますぎる何でも屋」。
叩けば、いくらでも埃(ホコリ)の出る男だ。
カムザング皇子による大麻(ハシシ)ビジネスが横行していた頃は、バズーカは、そのケチな手先も務めていた。
だが他人を言いくるめて情報などを得る能力は高く、ひとつ先の帝国領土の城砦(カスバ)で「宴会場の管理人」という美味しい役職を手に入れた。翌月にはジャヌーブ沿岸を引き払う予定。
――すっかり日の暮れた、郊外の酒場。
――約束の時刻を大いに過ぎたが。
バズーカは来なかった。「口のうますぎる何でも屋」バズーカは、時間には、割と正確な男なのに――
何故なのか。
疑問を感じたが……ザザーン青年は、元々いい加減な男だ。反則技を平然と繰り出すくらいには。
ザザーン青年が「真面目に身を立ててみる」などというような、面倒でツマラナイことを考え出したのも……
同棲していた女ベラが、態度を変え始めていたからだ。
――「バズーカのほうが条件イイかなぁ? 顔もぉ、お喋りもぉ、夜の生活もぉ、全部つまらない人だけどさぁ。宴会場の管理人なんてサイコーォ」などと、のたまって……
財宝のように、この手に物理的に取れるものでも無い――「愛」などという、くだらないナニカに、キラキラと……いつまでも胸ときめかせている。
目を離したり、儲けや金づるが無くなったりすれば、次の瞬間には、ケロリと態度を変える。
女とは、かくも卑劣極まる……アホで愚かで、もっとも罪深き生き物なのだ。
そしてなおかつ、世の男と女の関係とは、おおかた、そういうものなのだ。
最初から最後まで理屈が合わないのだが……ザザーン青年は、当座の住まいとしている安宿へと引き返しているうちに、カッカと苛立ち始めた。
どす黒い疑念が一気に膨張した。
……まさかバズーカ野郎は、ベラと会って一緒に夜を……ザザーンを待ちぼうけにさせて、コケにして……
そして、帰り道の途中。何もかも忘れて、スカッとするべく……
無残に破壊してスカッとするのに良さそうな、ドリームキャッチャー護符の注連縄で結界された茂みを見付けた。
穏やかで平和で、雰囲気の良さそうな茂み。あっという間に枝葉が増えてボウボウになるような南国トロピカル植物が、適度に管理されていて、工房街の界隈では定番の鉄クズ系ゴミも、徹底的に掃除されている。
かねてから入手していた『とっておきの強烈な大麻(ハシシ)』を、服用し始めた。持ち運び用の水タバコ装置は、常に携帯していた。
本当に偶然だったのだが。
その場所は《精霊象》母象が、幼い娘象を連れて散策していた場所だったのだ。
娘《精霊象》はお転婆だが、割合に病弱で成長が遅かった。この時期、ココヤシが多くの実を付けていて、ちょうど食べごろ。栄養価タップリの、それがお目当てだ。
背の高いトロピカル茂みを少し行けば、大型船の帆柱が並ぶ造船所。
さらに、造船用の材木や港湾工事のための各種資材を運ぶ《精霊象》仲間の象舎。
――母親《精霊象》は、不良青年ザザーンが結界を越えて不法侵入して来たうえに、相当量の《禁術の大麻(ハシシ)》をキメていることに、即座に気付いた。
当然ながら、母親《精霊象》としては……割合に病弱な娘象を、《禁術の大麻(ハシシ)》の煙に、さらす訳にはいかない。そもそも《禁術の大麻(ハシシ)》は、人類の側としても最大レベルの禁忌。
かくして……不良青年ザザーンは、母親《精霊象》の怒りの「蹴り」でもって相当の距離を吹っ飛び。
お気に入りの水タバコ装置は、無残に、粉々になった。
不良青年は激怒し、とっておきの三日月刀(シャムシール)を取り出した。
卑劣なまでの反撃用の……とっておきの毒を仕込んだシロモノだ。
猟官活動コロシアムなどで負け確定となった場合に、これで対戦相手をちょっと突けば、ほんのちょっとの「かすり傷」であっても、イチコロ。
都合の良いことに、『象ゴロシ』毒は証拠が残りにくい。相手に死ぬほどのダメージを与えながら、短い時間で、決定的な証拠が消滅する。
見た目は、濃い目の《禁術の大麻(ハシシ)》を服用した痕跡と、変わらない。
――相手が《精霊象》で、無いかぎりは。
ザザーン青年は、いろいろと正常な判断力を失った状態だった。《禁術の大麻(ハシシ)》の副作用。
とっておきの三日月刀(シャムシール)は、象皮をつらぬいて《精霊象》へ『象ゴロシ』毒を注入した。不完全な太刀筋ではあったが、騎士団訓練所で訓練を受けた戦士ならではの、太刀筋。
同時に、頑丈な象皮に突き刺さったため、その三日月刀(シャムシール)は、どれほど力を込めても抜き取れなかった……ザザーン青年の所有契約の署名入りのそれは、どんなに頑張っても回収できなかった。
目の前で苦しむ母親《精霊象》を目撃して、娘《精霊象》は、パニックになった。
幼い象の悲鳴。
あっと言う間に象舎のほうで応答があり、地響きを立てて、相当数の《精霊象》が集結して来る。
ザザーン青年は恐れをなして、逃走した。
――このままでは、怒り狂った《精霊象》の群れに、報復される。踏みつぶされる!
メチャクチャに逃走して……
あの魚の燻製(くんせい)工房の扉の前で、一度、派手にスッ転んだ。
不良青年ザザーンは、両肩をケガして出血したが、暗い色の刺青(タトゥー)の範囲。相撲大会の時までには、ごまかせる。
一方で。
駆け付けて来た《精霊象》仲間たちは、逃走したザザーン青年を、惜しくも追跡できなかった。追跡できたのだけど。
何故なら。
致死性の魔性の毒を注入されたことで、母親《精霊象》の緊急の出産が――予定外の超・早産が――始まったのである。
母親《精霊象》は妊娠していた。
毒物が、腹の中の胎児に回らないうちに、体外へ出す形。
――弟《精霊象》が生まれた。退魔調伏の能力がまだ正常に用意されていない、未熟すぎる小象として。
幼い姉象はビックリして、保護のための集団壁を作った成体《精霊象》たちの周りを、クルクル駆け回るばかり。
訳知りの成体《精霊象》たちが居なければ、姉象は異例の恐怖とパニックの延長で、生まれたばかりの弟象を踏みつぶしていたかも知れない……
…………
……
老女《象使い》ナディテの説明は、いったん、一区切り。
喉の水分を補給して、続きが始まった。
驚きに次ぐ驚きで、小さな市場(バザール)はスッカリ静まり返っていた。全員が、固唾をのんで耳をそばだてている状態だ。
「そして一夜明けて――相撲大会の日だね――母親《精霊象》の意識は無くなってたけど、《精霊象》仲間のサポートで、最初の「授乳の儀式」は済んで。
あれは存在状態の不安定な生まれたての小象を、大地にシッカリ安定させるための、《精霊象》にとっては重要な通過儀礼だ。
その後、母親《精霊象》の身体は『象ゴロシ』毒の作用で、蒸発を始めたそうだ。10日ぐらいで、すっかり消滅する見込みだよ。いろいろ心残りだろうけど」
少しの間、老女ナディテは、ギュッと目を閉じていた。
強烈な『象ゴロシ』毒。急激に存続の力を失い、蒸発してゆく精霊(ジン)としての……母親《精霊象》を悼んでいる雰囲気。
だが、沈黙の時間はわずかだった。
早口で説明が再開した。出発の刻まで、残り時間は、あと少し。
「あの日は、象舎のほうも1日の業務がすべて吹っ飛んでたそうだ。あの幼い娘《精霊象》から少しずつ事情を聞き取ったり、
未熟児の弟象の「補助ミルク」を用意したり……《精霊象》仲間の通訳を数段階ほど挟む訳だからね、親戚筋の《精霊象》をすべて動員する羽目になって。
たまたま象舎を訪ねてたうちの相棒ナディもドルーも駆り出されて、あたしらの呼びかけに応じるどころじゃ無かった訳だね」
――ほど近いトロピカル街路樹の蔭に控えていた《精霊象》2頭が、『そうだよ』と言わんばかりに、それぞれに長い象の鼻をヒョコリと動かしていた……
象舎は、ずっとテンヤワンヤであったが……日が暮れた頃、調査報告にまとめられる程度には、聞き取り内容がまとまった。象舎に詰める《象使い》たちが、急いで《象使い》組合へ報告をあげようとしていたら。
「白鷹騎士団でも承知のとおり、なんとも間の悪いタイミングで、幼い姉弟《精霊象》2頭とも行方不明になった、という状況が起きてた」
説明の要点が白鷹騎士団でも了解している内容に入って来て。訳知りの白鷹騎士団の数人……ドリームキャッチャー護符を運搬していた若い騎士も、気付くところがあって、ハッと息を呑む。
「どうやら姉象が、パニックが治まった後、ザザーン青年の逃走して行った方向や、スッ転んだ音が発生した位置の特定――象の聴覚は優秀だからね――思い出していたらしい。
とはいえ非常な未熟児で生まれた弟象には、充分な退魔調伏の能力が無い。本来の出生予定日だった3ヶ月後までは、無防備なんだ。それで姉象と弟象とで一緒に、ザザーン青年の逃走方向を目指して探検に出た」
「無謀な冒険に出てた訳ですね」
適度に、シャロフ青年が突っ込んだ。
興味津々のあまり、シャロフ青年の速記の手が止まっていた……そこは、カラクリ人形アルジーが抜かりなく、手持ちの紙に速記済みだ。本能的に手が動く――専門の代筆屋ならではの、訓練の賜物。
「まったく無謀な冒険じゃね。ザザーン青年がスッ転んでた場所すなわち魚の燻製(くんせい)工房の前をウロウロしているうちに、
当然に、無防備な弟象に邪霊害獣《三つ首ネズミ》がドンドンたかって来て。幼い姉象は退魔調伏に必死になって、右往左往する羽目になった訳じゃね」
老女ナディテは、しばし、思案顔になって……不思議そうに首を傾げ。チラリと、カラクリ人形アルジーに視線を投げて来た。
「いわゆる『トラブル吸引魔法の壺』かねえ。しかし、それだけの重要な意義はあったと言えるかも知れない。
そのお蔭で、あたしらが早々に、邪霊害獣《三つ首ネズミ》を呼び寄せる原因となっていた、ハイダル=ムラッド死体を発見できたんだから」
白鷹騎士団の専属魔導士ジナフが、さっそく確認事項に気付いた。
「疑う訳ではございませんが《象使い》ナディテ殿。発端となったザザーン青年の水タバコ装置は見つかっているのですか?」
「象舎に詰めてた《象使い》同僚が保管してる。シッカリ、ヤツの署名が確認できたと聞いてるよ。
粉々の破片だし、ブツがブツだから、近日中にジャヌーブ港町の聖火礼拝堂へ持ち込んで、《お焚き上げ》予定だけど……必要なら提供できる。白タカ《精霊鳥》に、伝書と物品輸送を依頼できれば」
「では、そうさせて頂きたく。よろしいでしょうか、鷹匠ユーサー殿?」
専属魔導士ジナフの要請に、鷹匠ユーサーは即座に応えたのだった。相棒の白タカ・ノジュムも、やる気満々であった。
*****
一刻ほど遅延して、『白鷹騎士団』混成軍は、再び流砂の下の廃墟を目指して進み始めた。
白タカ《精霊鳥》ノジュムの素晴らしい飛行速度のお蔭で、一刻ほどで、例のブツ――不良青年ザザーンの遺留物「携帯用の水タバコ装置」だったものの残骸が、
無事、白鷹騎士団の専属魔導士ジナフの手元に届いたのだ。
同じ魔導士どうし、老騎士ジナフと老魔導士フィーヴァーは、不良青年ザザーンの遺留物「携帯用の水タバコ装置」残骸に付着している、禁術の大麻(ハシシ)成分の分析に集中していた。
ほぼほぼ、カムザング皇子が手掛けていた不法な大麻(ハシシ)ビジネス商品と一致していたことが立証され始めている。
しかも、カムザング皇子の愛用していた高級品に比べれば、質の良くないマゼモノであった。
数々のケチな違法業者の間を転売されているうちに中抜きされて、「出涸らしのカス」にも満たない「その気になるだけの、カス」以下にまで、品質劣化したと思しきシロモノだ。
ザザーンに比べれば、亡きハイダルのほうが上質な大麻(ハシシ)を吸っていた。その分、邪霊害獣への変化も進んでいた訳だが……
亡きハイダルにのぼせていたラービヤ嬢は、文字どおり、冷水を浴びせられたような表情になっていた。
機転が利いて適当に大人なジャヌーブ商会の商人ネズルが、せっせと軽口をたたいていなければ、ラービヤ嬢の気がまぎれなかったのは、確実だ。
――幸い、ハイダルとラービヤは、まだ「夜の関係」には至っていなかった。
いくら恋人にのぼせてはいても、ラービヤ嬢は、婚前の習わしはシッカリしていたのだった。有力な家柄に生まれついた、南国の淑女らしく。
後見人を務めている老ダーキンが、『ガジャ倉庫商会』が保証する優秀な家庭教師しかも女神官を選んでいたのも、大きい。
目下、兄ガウタムも《象使い》ドルヴも、ラービヤ嬢の扱いを、商人ネズルに、全力お任せ状態であった……
…………
……
老女《象使い》ナディテは、相棒《精霊象》ナディが道端の街路樹で腹ごしらえをしているのを眺めながらも、浮かぬ顔である。
荷車と隣り合う位置になったのを幸い、カラクリ人形アルジーは、声を掛けてみることにしたのだった。
「あの、ナディテさん、何か気になることがありますか? 白文鳥の方面から、分かるようなことであれば……」
「そうだねえ、気になることは大いにあるね」
いままでギュッとたたまれていた感じの老女の面相が、少し普通の様相になる。
「母親《精霊象》は、ザザーン野郎に三日月刀(シャムシール)で攻撃された時、何故《精霊象》仲間を呼ばなかったのかねえ。
実際に悲鳴を上げて仲間を呼んだのは、あの幼い娘《精霊象》だったんじゃ。もし母親《精霊象》が声を上げていれば、我らも異変に気付けた筈なんじゃ。1日も離れていなかったんだから」
「……《精霊象》の呼び声って、そんなに遠くまで届くんですか?」
「やろうと思えば、多島海の島々の距離ぐらいは、海を越えて、余裕で届くね」
それなのに、ザザーンに襲撃されていた《精霊象》は、助けを呼ぶ声を出せなかった……
――いわゆる『シビレル魔導陣』?
不意に、記憶がよみがえる。
白文鳥の姿だった時、アルジーは、邪霊の大麻(ハシシ)の毒気に絡みつかれて……雪花石膏(アラバスター)の彫刻と化してしまったことがあったのだ。いまでも、恐怖をもって思い出されるところだ。
「毒物が、邪霊の大麻(ハシシ)の濃縮版なら、精霊(ジン)としての声や動きを封印されて……助けを呼ばなかったんじゃ無くて、呼べなかった……?」
老女ナディテが鋭く振り返って来た。《精霊象》ナディも象の耳をバッと広げて、驚きを伝えて来る。
「何を知ってるんじゃね、娘さん?」
「いえ、一時的に白文鳥に憑依したことがあって、その時の体験です。うまく説明できるかどうか……」
カラクリ人形アルジーは、必死で、その時の体験を言語化しようとした。言葉にしづらいモノを言葉にするのは、何回やっても大変だ。
――説明のたびごとに、焦る。
もっと、適切な言葉があるんじゃないか? ――と。
選ぶ言葉が変わってしまう。
取り調べや事情聴取の際に「証言がコロコロ変わる」などという話も多く聞くけれど、
誠実かつ善良な証言者の場合、半分以上は、見聞きしたこと感じたことの説明が難しいせいに違いない――という直感がある。
「邪霊の大麻(ハシシ)の煙とか、細かな粉末が熱を持つと? ……特別な魔導陣が立ち上がるみたいで。
それが、白文鳥の身体を縛って……呪縛して石化させるというか、本当に麻痺させられて、石みたいに硬直して動けなくなって。
窓枠と衝突した時、その衝撃で全身が砕けたので……その時の大麻(ハシシ)は、《火の精霊》いわく出涸らし程度のカス品質、だったようですが」
老女《象使い》ナディテは、大きな衝撃を受けた――という風に震えていた。
「すごいね娘さん。いま超古代からの謎を、ひとつ解いてしまったよ。あたしの代で、解明が来るとは思わなかったけど。それも実地体験の報告つきで」
「ナゾ?」
「代々《象使い》知識じゃが。『象ゴロシ』毒の原料は分かってないんじゃ。カビーカジュ文献でも薬理が説明されてない。
数行ほどの欠落部分をはさんで、なんの脈絡も無く『邪霊植物《三つ首ハシシ》栽培と採集その他は《風の魔導書》第9巻を見よ』と記述されてるから、《三つ首ハシシ》を使う《魔導》関連じゃろという程度でね」
「当時は製紙の技術が広く知られてなかったから、紙は貴重だった。
カビーカジュ文献はページ全体にビッシリ書かれていて、一字一句も無意味に配置されてる訳じゃ無いとか……それで数行も欠落部分があるって大変なことですよね」
「うん。いまや邪霊植物《三つ首ハシシ》そのものが無い。《精霊象》をも消滅させる強烈な毒――カビーカジュ文献にある『象ゴロシ』名称だけが、残ったんじゃ」
……ふと気が付くと……
いつしか、乗馬中のセルヴィン少年とオーラン少年が荷車の後ろに馬を付けて、ナディテとアルジーの会話に、耳をそばだてていた。
少し距離を置いて、護衛オローグ青年とクムラン副官。
地獄耳の『鬼耳族』クムラン副官は、早口で、セルヴィン皇子の護衛を務めるオローグ青年へ、何かを話しつづけていた。
そのタイミングの様子からして、その常人ばなれした聴力でもって、ナディテとアルジーの会話の内容を連携しているのであろうと知れる。
老女ナディテの昔話は続いた。
前提となる知識の整理は、このような場合は必要になる。
「帝都創建のころは、『象ゴロシ』毒の入った「黄金ドクロ壺」が帝国全土の古代遺跡から発掘――盗掘されて、暗殺教団の間で不法取引された。
10年くらいで枯渇して幻の毒になったが、ジャヌーブ地方では何故か「黄金ドクロ壺」の新しい発見が続いた。次第に小物になり、破片になって、遂には枯渇はしたが。
ジャヌーブ地方は、古代ガジャ王国の御世からの最大の恐怖「黄金ドクロ壺」要素が、最後まで残っていた土地じゃ」
そこで、老女ナディテは、神経質にベールを直して、フーッと息をついた。色々思うところがある……という雰囲気。
「天才《邪霊使い》が……『炎冠星』暗殺教団が、幻の毒『象ゴロシ』を復活しようとした。
ここジャヌーブ地域の、ほぼ全ての古代遺跡で大掛かりな盗掘事業を展開し、忌まわしき研究開発をおこない、
恐怖の人体実験と《精霊象》実験をやらかした……それが、もっとも最近の、そして最後の歴史記録じゃ」
一陣の風が吹き、トロピカル街路樹がザワザワと葉鳴りの音を立てた。
どこにでも漂っている無害な邪霊、四色の毛玉ケサランパサランがワワッと流れ、早くも枝先に吊るされた数々のドリームキャッチャー護符につかまって、動かなくなる。
ドリームキャッチャー護符から長く垂れる飾り緒は、普通は鳥の羽根を使うが、ここ南国ジャヌーブ地方では、トロピカル貝殻を連ねた飾り緒が一般的。
風に揺れて、風鈴のような音を立てている……
「かの暗殺教団が解体すると、そこで研究開発されていた『象ゴロシ』と思しき毒物は、残党の手に渡って、方々に散らばった。さぞ、うなるような大金になったじゃろ。
ザザーンが入手してたのは《精霊象》を消滅させるのに10日ほどもかかるという程の出涸らしのカスだが、それでも、『炎冠星』暗殺教団が《魔導》して、再現してのけた『象ゴロシ』の残りじゃね」
カラクリ人形アルジーは、生き字引な老女ナディテの語る歴史に、仰天しきりであった。
伝説の天才《邪霊使い》が率いた暗殺教団『炎冠星』の、この世すべての邪悪と恐怖をギラギラと煮詰めたかのような……おそるべき行為にも。
いつだったかの夜、老魔導士フィーヴァーが『あれこそ邪悪の極み』と言及した事実が、いっそう重く感じられる……カラクリ人形には胃袋は無い筈なのに、胃袋に当たる位置が、重い。
老女《象使い》ナディテは、少しの間《精霊語》でもって、相棒《精霊象》ナディと意見交換して……ひとつ頷くと再び、アルジーへ語りかけて来た。
「娘さんの説明は筋が通っている。『象ゴロシ』毒が使われたという痕跡が、濃縮された《禁術の大麻(ハシシ)》成分そのものである、という不思議な現象にも説明がつく。
精霊(ジン)すべてが警戒して、あまり人類に話そうとしないのも」
次第に……見る間に、老女ナディテの表情が暗くなっていった。
「深刻な懸念が出て来おった。ザザーンは、かの廃墟の乱痴気騒ぎ――大麻(ハシシ)パーティーで、『象ゴロシ』毒を入手したと証言してるんじゃ」
耳を傾けつつ、カラクリ人形アルジーも、ギョッとする。
老女《象使い》ナディテの説明はつづいた。
「そして、かの暗殺教団『炎冠星』残党から絞り出した、真偽不明の証言がある。
異常氣象……《人食鬼(グール)》大群が最大級の猛威となった年のジャヌーブ地方でないと『象ゴロシ』が入手できない、という。
かの廃墟神殿の中で、はるか昔に絶滅した筈の邪霊植物《三つ首ハシシ》一族が、不完全な形態ではあっても、生き残っているのかも知れん」
「邪霊植物《三つ首ハシシ》一族……古代の邪悪な呪術や禁術の数々で、定番の素材」
幼い頃、世話役オババが語ってくれた寝物語のひとつ……その恐怖の物語の内容が、アルジーの脳裏に、一気によみがえった……
…………
……
――成熟した株の草丈は、一般の民家の、床から天井くらいまで。地上の姿は、黄金色をした大麻(ハシシ)に見える。茎の太さは、三日月刀(シャムシール)の柄くらい。
――ギラギラした黄金色の、頭蓋骨によく似た形の球根が三つ……《三ツ首ハシシ》の名は、そこから由来する。
――頭蓋骨によく似た形の球根から延びる、太いヒゲ根は、《蠕蟲(ワーム)》みたいにブヨブヨ蠢(うごめ)く。
――抜こうとすると、牙の生えた口そのものの、多数の裂け目が、株全体に開いて、すごい邪声を上げる。その邪声を聞いた生き物は、すべて狂い死にする。
ちなみに、その裂け目は有毒であるうえに、ヘタに指を突っ込むと食いちぎられるので、直接に触ってはいけない。
――花は蠕動(ぜんどう)する数多の舌……トゲ付き触手に似ていて、毒性の粘液を垂らす。種には《邪眼》が付いていて、その目玉が勝手にグルグル動く。
成熟して花と種を付ける時期になると、ひとりでに根っこを抜いて歩き回る……
…………
……
ハッと気が付くと、カラクリ人形アルジーは、思い出すままに、口に出して語っていたらしい。頭のおかしくなった虚言癖プータローさながらに。
緊張しながらも、注意深く、後ろのほうを振り向く。
……やっぱり。
恐怖と半信半疑が混ざった、えも言われぬほどに屈折している……2人の少年と2人の青年の眼差しが、返って来ている。
老女《象使い》ナディテは少しの間、しげしげとカラクリ人形アルジーを眺めて感心していた……
「娘さんも、たいした生き字引じゃね。《亀使い》《象使い》は、そこまで細かく伝承してないんじゃ。いま、二つ目の謎も解けたよ。
その《三ツ首ハシシ》の、『頭蓋骨によく似た形の球根』が、ジャヌーブ界隈の伝承『黄金ドクロ壺』で間違いない筈じゃ。最高値がつく完全体が『三ツ首の壺』だったそうだからね。
《鳥使い》が、もっとも《三ツ首ハシシ》を恐れ、警戒している……という余談も納得じゃね」
老女は、すぐにシワ深い顔を引き締めた。
ベールが再び風に揺れ……年老いた女《象使い》の面差しのあたりに、一瞬、王侯諸侯の雰囲気が漂った……
「ジャヌーブ地方の、《人食鬼(グール)》発生の激化。終わらない異常氣象。案外、その原因は……かの、
絶滅した筈の超古代の邪霊植物が生き残っているなら……ひとかけらと言えども、完膚なきまでに焼き尽くさなければいかん」
*****
ジャヌーブ沿岸の多雨地域を、急速に抜けたようだ。
みずみずしい緑の茂みが、にわかに途切れた。
乾燥した空気が広がり出すと、光景もサバンナめいてくる。そして急激に、本当の砂漠地帯に変わる。
地形の影響で海からの風が絞られるため、風速がある。しかも熱い。地面から、容赦なく水分を奪い去ってゆく風だ。
剥き出しの、荒々しい岩石の大地。
ごつごつした岩石の根元には、膨大な砂。
流砂地帯ならではの、乾き果てた、サラサラと流れる砂だ。ジャヌーブ砦を襲う異常氣象が連れて来る、あの砂嵐の砂は、ここから来ているのだと納得できる。
暑熱の午後。強烈な陽光。
大きな岩山がつくる陰影を、伝い歩く形になる。
堅牢な石畳の道路として整備されている南国トロピカル隊商道が、砂嵐を上手に防ぐ多数の岩塊の間を、クネクネとうねりながらも、ずっとつづいていた。
ジャヌーブ地方で高度に発達した道路技術。快適な石畳のうえを、快速で移動する一行。
ほどなくして、行く手に、見上げるほどの高さの尖塔オベリスクが現れる。ジャヌーブ南というお国柄を反映してか、台座が象の彫像。
超古代からある道標――オベリスクが、安全圏の境界だ。
オベリスクの壁龕(くぼみ)には、今なお定期的に交換されている強力な《火の精霊石》。その火力により尖塔の全体が聖なる光柱となって、白金の火の粉を散らしていた。
一行は、オベリスクの手前に配置されている広場で、いったん小休止した。
広場の端には、《火の精霊》や《水の精霊》、《地の精霊》によって施錠され守護されている、安全な水をたたえた井戸がある。
騎士団の数人の若手が手分けして、井戸の封印を開錠した。平らな岩盤を掘り込んで造成した人工池に、井戸水を満たすのだ。
施錠されていた水管を開くと、サイフォンの原理でもって、見る見るうちに、水がなみなみと満ちた。
急な暑熱と乾燥で、疲れが出ていた馬たちが――《精霊象》2頭も――ホッとした風で、勢いよく水を飲み始める。緑蔭の道から砂漠の道への激変は、体力自慢の象や馬にとっても、厳しい。
そして、この広場から先は、当然、荷車が行き来できる道では無い。
石畳の道路はこの広場で終わっていて……周囲には、廃墟から崩れ落ちて来たと思しき古い瓦礫や、彫像の破片がゴロゴロしていた。
その合間を縫うかのように、踏み固められた地面がヒョロヒョロとつづく。過去の冒険者たちが切り開いて来た、細い踏み分け道。
視線で、そのルートを辿ってみると……まさに廃墟ゲートと思しき、荒廃した構造物が見える。
カラクリ人形アルジーがギクシャクと下車した後、荷車はあっと言う間に荷物を降ろされ、解体された。
荷車だった物は、各所の留め具を外され、幾つかの大きな荷物箱、大型の盾、テント道具その他の汎用道具へと変形した。
宝さがし冒険者たちの間で発明され、せっせと進化した装備技術には、ビックリさせられるところだ。
やがて、シャバーズ団長の指示が響きわたった。
「おのおの、ここが最後の、通常の休憩所だ。これより先は、全身《退魔紋様》で武装しなければならぬ。
いま一度、三日月刀(シャムシール)や各種防備の退魔紋様を念入りに点検しておけ。
額プレートの『鷲獅子グリフィン』紋章にも欠けが無いかどうか、チェックを。《魔法のランプ》の聖火を切らさないように」
何度か冒険した経験のあるガウタム・ラービヤ兄妹や、ジャヌーブ商会の商人ネズルが、やはりピリピリと緊張した顔をしている。
「この古代オベリスクから、例の廃墟のゲートまで、すぐだ」
「特にここ数年は、急に古代の神殿が復活して来ているというような雰囲気があるわ。年々激しくなる砂嵐で研磨されてるせいかしら」
「そやそや、あの大きくてツルリとした超巨大《三つ首ドクロ》の形をした三つ首な丘だかや、なんだかや。この数年のうちに異様にツルリとして、暗い黄金色に輝き始めてるやん。
あれが、元・神殿のドーム屋根だったや言われてる構造物や。疑惑の怪奇な廃墟神殿、あの下や」
一気に警戒を高める面々であった……
…………
……
ジャヌーブ商会の商人ネズルは、アンティーク物を扱う商人として、遺跡から発掘される品に注目していた。その先取り特権を確保しようと、以前から熱心に、関連機関へ工作して回っていたくらいだ。
ガウタム壮年が参加していた数回ほどの過去の冒険調査にも加わって、事前調査をシッカリやっていた様子。
先陣をつとめる壮年《象使い》ドルヴや虎ヒゲ戦士マジードの聞き取りに応えていて、興味深いこぼれ話が、ポツポツと聞こえて来る。
カラクリ人形アルジーは、商人ネズルが「アヤヤオヨヨ」とせわしなく語っている方向を、振り向いて……少しハッとする。
真紅の長衣(カフタン)の中年神官と、その助手を務める見習い魔導士が居る。先陣をつとめる壮年《象使い》ドルヴや虎ヒゲ戦士マジードと一緒に、聞き取りに加わっているのだ。
見習い魔導士は、セルヴィン少年やオーラン少年と同じ14歳か15歳という印象。シュクラ出身に多い淡い髪色。「オッ」と目を見張るくらいの美少年。
特徴的な黒い縁取りのある、生成り色の旅装マント姿だ。その袷(あわせ)の間から見えるのは、真紅の縁取りを持つ黒い長衣(カフタン)。修行中の見習い魔導士。エスニックな首飾り護符が数本ほど。
見習い魔導士の少年は、記録簿と思しき巻物を整理しつつ、真紅の長衣(カフタン)の中年神官の助手として、聞き取った内容をまとめている様子だが……筆を持つ手がもたついている。
シャロフ青年とは違って、速記の訓練をしていない様子。画数の多い正規の文字では、記録モレが多く発生していそうだ。
注意を向けていると、中年神官が「ユジール君」と、少年助手を呼んだ。
……アルジーの記憶にある名前だ。
どういう状況で聞いた名前だったか。
考えながら見つめているうちに、先陣をつとめるメンバーたちの間に、新しい武器が配られた。配って回っているのは、経理担当の騎士エスヴァンと女騎士サーラの夫婦。
「よく引き金を点検して。黒毛玉ケサランパサランが、発射前から弾け飛ぶような不良品だったら、すぐ交換するから」
「さすがに砦きっての鉄砲職人サイブンが腕に一層もの言わせてるから、不安定な挙動は無いと思うけど」
――思い出した。
持ち運び用の雷帝サボテン発射装置。
大型の鉄砲になると三つ首の巨大化《人食鬼(グール)》にも対応可能。《雷霆刀》の次に頼りになる、武器。
鉄砲職人サイブンが、巨人族アブダルの壮絶な性暴力によって息子を殺されて、その恨みで荒れて。不意打ちの出合い頭に、八つ当たりして来たことがあった……あの雨降りの夜。
ギョッとするような乱闘の末に、なんとか鉄砲職人サイブンとの話し合いを成立させて。
無事に滞在部屋へ帰還して落ち着いた後で……初めて、『ユジール』少年の姿を見たのだ。格子窓枠と、夜の雨を透かして。
――あの見習い魔導士ユジールという少年が、どのような挙動をする人物なのかは、わからない。少なくとも今は。
カラクリ人形の、虚無スナギツネ面ならではの糸のような細い目が、いっそうスーッと細くなる。
『メッチャ気になる。しばらく足元を観察したほうが良さそう』
『なにか感じるところがあるの? ピッ』
カラクリ人形アルジーの首元に、相棒の白文鳥《精霊鳥》パルが居た。ターバン端が垂れる位置に身を隠しつつ、ささやきのような、さえずり。
『オババ殿に、さんざん注意されたんだよね。「相手の腹の中を知るには、その行動を見なさい」って。口では何とでも言える。でも実際の足取りで本性がバレる。
女商人ロシャナクも、市場(バザール)で商売相手を見極める時「フトコロ具合を見るには足元を見よ」と……』
かつてはシュクラ王国の第一王女アリージュ姫だった……民間の代筆屋アルジーの生前の人生の中で、もっとも悔やむことは。
――憎むべき敵、シュクラ王太子ユージドの、《邪霊使い》な本性を見破れなかったことだ。
あれで人生のすべてが狂った。
ユージドは、かの邪霊教団『黄金郷(エルドラド)』に属する悪辣な《邪霊使い》のひとりとして、嬉々として、アルジーを《怪物王ジャバ》への生贄にしたのだ。
体力が無さすぎて、隠密行動する忍者や諜報員のように、あの青年を偵察できなかった、という限界はあるけど。
キッチリ、足跡を追跡するべきだったのだ。それよりなにより、怪奇趣味の賭場へ、従兄(あに)ユージドが出入りしたという事実を、軽く考えるべきでは無かった。この目で見ていたのだから。
――ひるがえって。
老魔導士フィーヴァーや、覆面オーラン少年、セルヴィン皇子、それに護衛オローグ青年やクムラン副官の正体は、ほぼ把握できたと思う。
白文鳥《精霊鳥》に憑依できたというチャンスも生かして……
*****
訓練された手際良さでもって、虎ヒゲ戦士マジードをリーダーとする先陣メンバーが、『雷帝サボテン鉄砲』を装備しつつ、廃墟の入り口を通過して行った。
廃墟への入り口は、漆喰も何もかも崩れて荒れ果てた末の、古代様式の柱のようなナニカであった。
それでも、元は壮大なアーチ建築だった事実がまざまざとうかがえる。
そこかしこに散らばる、堂々たる大きさの彫刻石。かつては、まともな精霊崇拝の神殿だったのであろう――と言われるのも納得の、
古代ジャヌーブ様式・古代ガジャ王国様式、波乗り『三つ首の象』モチーフ彫刻。
虎ヒゲ戦士マジードや《象使い》ドルヴ、ガウタム壮年、ほか数人の勇敢な若手――先陣メンバーが入り口の奥に広がる暗い洞窟のような空間に入ってから、少し時間が経過した。
「足音はつづいてる。でもペースが落ちているようです。精霊と邪霊の前線だけあって、退魔調伏の砂の山が――邪霊害獣の形を残したままの紛らわしい砂彫刻っぽいのが、あちこちにあるとか。
退魔調伏の直後は真紅の熱砂でも、時間が経つと普通の砂なので」
鬼耳なみの地獄耳の能力を持つ覆面オーラン少年が、そっと呟いた。実に便利な《地の精霊》祝福だ。
「溜まった砂を掃除する人が居ないところだから、当然か」
セルヴィン少年が頷く。
そして、次の瞬間。
「なんじゃあ、こりゃあ!」
虎ヒゲ戦士マジードの大声が、轟きわたった。
つづいて、雷帝サボテン鉄砲の「ドバパン!」という爆竹のような音。
「こやつら多すぎる、いったん退却!」
「何があった!?」
ひとしきり、雷帝サボテン鉄砲の特有の爆竹音がつづく。
ついで奥のほうから、退却の足音がハッキリと響いて来た。先陣メンバー全員が慌てた様子で、暗がりから帰還する。
「三つ首《蠕蟲(ワーム)》じゃ! 大型のほうじゃない《三つ首ドクロ=イカタコ》変態!」
「数が」
先陣メンバーのトラブルに備えて警戒していた、白鷹騎士団の迎撃隊の動きは早かった。
――ラービヤ嬢もまた。熟練の手つきで、連続発射型の弓矢を構えていた。
小型の邪霊害獣は多数の《紅白の御札》で蹴散らせるが、《蠕蟲(ワーム)》となると隊商(キャラバン)の傭兵なみの戦闘能力が要求される。それぞれに退魔調伏の盾を構え、火矢や雷帝サボテン鉄砲が並ぶ。
先陣メンバー全員も、陽光のもとに出るや、手練れの戦士ならではの素早さで、地面に伏せ。
「発射!」
ぎらつく多数の「空飛ぶ黄金の肉塊」が、暗がりから、あふれ出た。
邪霊害獣としては、イカタコ翼膜で飛ぶタイプの三つ首《蠕蟲(ワーム)》挙動は、予測しやすい部類に入る。元となった《三つ首ドクロ》と同じように、イカタコ状の翼をばたつかせて、
ほぼほぼ、大人の背丈ほどの高度を群れて飛ぶ性質。
定番の高度でワッと広がった肉塊の群れに、火矢と、『雷帝サボテン鉄砲』の雷撃が集中した。
ひとしきり爆竹のような音響がつづく。
両手に乗るほどのサイズをした黄金《蠕蟲(ワーム)》の群れが次々に真紅の熱砂と化した。
文字どおり砂煙を立てながら、地面に落下する。
「なんで急に《蠕蟲(ワーム)》の群れが沸いて来たんだ? 雨季で、退魔調伏の雨が流れ込んだ後だから、単発の放浪個体ていどの筈だが」
経験者が次々に疑念を口にして。
後方で、セルヴィン少年とオーラン少年は、不思議そうに、カラクリ人形アルジーを眺めて来た。ついで、護衛オローグ青年とクムラン副官も。
前回と同じパターンだ。
アブダル殺害事件が発覚した時にも、疑惑の視線を向けられたのだ。この世で最強の『トラブル吸引魔法の壺』運び屋(比喩)――として。
「私のせいじゃ無いわよ!」
厳重に覆面ターバンをしつつ、小声で抗議するカラクリ人形アルジーであった。
一方で、騎士団の専属魔導士ジナフを中心とする上層メンバーが確認を始めている。
「虎ヒゲ・マジード殿、《蠕蟲(ワーム)》大群が途切れたようだが、急に沸いたヤツはこれで全部か? 状況報告を」
金と黒のシマシマ虎ヒゲを勢いよく「ブン」と揺らして、戦士マジードは頷いた。つづいて《象使い》ドルヴと壮年ガウタムが、ジャヌーブ育ちならではの確かな見立てを述べる。
「ありゃ、続きのエントランス区切りの空間に、なんか邪霊害獣のエサがある感じですね。バカな単発の冒険者たちが、不用意に残飯を捨てるとかで発生しますが」
「でも、それで発生するのは、ほぼ邪霊ネズミでありまさ。《蠕蟲(ワーム)》となると、よほどの量の残飯……最近ジャヌーブ砦の斥候の偵察隊が潜入しましたが、その時には何も無かったとか。
例の不気味な地震のほうが注目の的で」
珍しく《象使い》ドルヴは饒舌であった。やはり緊張のゆえか。
「その前の発掘隊が、巨大な《黒ダイヤモンド》発見した……という情報が流れて来たことが有りまさ。その影響ですかね。あの話、ホントだったのか、ガウタム殿?」
「それがそうでもないんだドルヴ。性質の良くない冒険者が、詐欺師と一緒になって嘘の投資話をでっちあげるために、真偽不明の情報をばらまくことが多い。
ガジャ倉庫商会でも、情報分析するための専門の部門を用意しているくらいだ。あの投資話はジャヌーブ商会のディロン殿が食いついたけど、怪しいところは、チラホラあったんだ」
近くでラービヤ嬢と共に耳を傾けていた、ジャヌーブ商会の中年商人ネズルが「あちゃー」とばかりに、ネズミ顔を覆った。
「いちおう、元の形は相当にでかいなぁという黒ダイヤモンド破片を見せられてはいたんだや、あの投資話」
「じゃあ、ディロン殿が乗ったのは、完全にガセ情報という訳では無かったのね」
「いや、ラービヤ嬢、ディロン殿はアレで、いい加減な『黒ダイヤモンド投資話』という副業にノリノリだったんだや。悪いのは、今は亡きラーザム財務官が動かしてた大金の額面に興奮してた、尻軽ディロンだや」
ネズミ男ネズルは、次の瞬間に『余計なこと閃いたピコーン!』と言わんばかりの顔つきになった。気ぜわしく、次の言葉を継いでいる。
「20年か30年くらい前だったかや、本当に大きな黒ダイヤモンド発掘されて大騒動になった事件……あれはジャヌーブ南じゃ無くて、
もっと東方の砂漠の古代遺跡での報告とそれに付随した噂だがや、たしか魔導士の若いのが欲に狂ったのか、その黒ダイヤモンドを持ち去ったまま、行方不明になったそうなんだや」
不意に、カラクリ人形アルジーは、ピンときた。
生前、そういう話を聞いたことがある……大先輩のギヴ爺(じい)から。ギヴ爺(じい)自身が、古代遺跡に熱烈な興味を持って、冒険者の団体に同行して。
そう――確かこんな話だった……
…………
……だんだん思い出して来たぞよ。あの大岩壁の洞窟……地下神殿の天井に彫り込まれた、極めて巨大な三つ首《人食鬼(グール)》の顔だけの彫刻があっての。あれは《怪物王ジャバ》じゃった。
何で分かったかと言うと、その真下に黄金祭壇があって、『いと恐ろしき《怪物王ジャバ》のもとへ』と彫られた古代《精霊文字》と紋章があったからじゃ。
忌まわしくも巨大で壮麗な、古代の失われし地下神殿。
その天井に彫り込まれた三つ首の中央の頭部、この辺……眉間にの、信じられないくらい大きな黒ダイヤモンドがハマっておった。
あれは最高額の大判の帝国通貨ほどもあったかのう。その台座が炎冠紋様で荘厳してあって……職人の間では『邪眼』紋章と呼びならわしておる、伝統の荘厳形式じゃ。
宝探し冒険者の一団に若い魔導士が居ての。そいつが夢中になって、持ってった。あれほど血走った眼は初めて見たのう。じゃが、そいつは不可解な状況で早死にしたようなんじゃ。
かの、どでかい黒ダイヤモンド、行方は知らんが、帝国の《魔導》法律にのっとって正しい使われ方をしている事を祈るのみじゃ……
…………
……
いま目の前に展開しているジャヌーブ南の廃墟とは、まったく別の、ずっと遠い場所の古代遺跡での話だけど。
――無関係と考えて良いものだろうか?
たぶん、それは無い。
アルジーの中で、不吉な直感が、雷光のように鋭く突き刺さって来る。
何らかの深遠な関係を含んでいる可能性はあるのだ、と用心していたほうが良い。深読みしすぎかも知れないし、うがちすぎかも知れないけど。
この様々な不可解な事象の中心に存在するのは、かの恐怖の大魔王《怪物王ジャバ》なのだから。
カラクリ人形アルジーは無意識のうちに、左腕の特定の箇所を、しきりに触れていた……
…………
……
程なくして、次の方針が固まった。
「ようし、《蠕蟲(ワーム)》発生が収束している隙に、発生源と思しきエントランス区切り空間を鎮圧するぞい。列柱が並ぶ、中ていどの古代様式の広間で間違いないな。面倒じゃが、紅白の御札を持て」
老魔導士フィーヴァーが号令をかけた。
「精霊象2頭に、退魔調伏の水を、壁だの柱だのに散布してもらう。水が乾かないうちに所定の方式で、すべての列柱に紅白の御札を貼る。もう夕方が近いゆえ、日が暮れる前に手際よく……頼むぞ」
「承知でありまさ。発生源の残飯か何か発見できたら、すみやかに片付けるか燃やすってことで」
■04■ラビリンス第一層…にっちもさっちも
改めて、白鷹騎士団の混成軍は、廃墟ゲートの前に陣を張った。
夕暮れが近い。
どのみち完全に日が暮れたら、危険なサイズの邪霊害獣が沸く前に、オベリスク広場まで退却するのみだ。
当座の至急の目標は、ラビリンス第一層となっている廃墟エントランス空間の退魔調伏である。
小型《蠕蟲(ワーム)》とは言え、本格的な邪霊害獣が活性化しているのだ。
理由は知れぬが、前の冒険者たちが適切に後始末しなかった大量の残飯か、何か――のせいと推察される。邪霊害獣の増強を考えると、これを放置しておくことはできない。
帝国有数の危険度という、不名誉を誇るジャヌーブ砦――その砦で鍛えられた戦士たちにとっては、日常の巡回の延長だ。比較的に大物の邪霊害獣が、城壁の中に居座った場合の対応と同じ。
だが、老女《象使い》ナディテは、さすがに高齢すぎて足腰が怪しい……カラクリ人形アルジーと同じくらいに。
専門的な戦闘訓練を受けていない神官や、ネズミ顔の商人ネズルも、足手まといにならないように後方で待機だ。
死にかけのヒョロリ皇子ことセルヴィン少年も半分ほどは持ち直した格好ではあるが、同様の扱いである。従者オーラン少年やオローグ青年も、皇族とその関係者という都合上、待機だ。
クムラン副官は謎の統率力が評価されて、万が一があった時に、部隊の半分を受け持つ予定である。
2頭の《精霊象》を使うのは壮年《象使い》ドルヴ。
老女ナディテは、思わぬ活躍をすることになった弟子を眺め、「頼もしくなったねえ」と呟き。パッとアルジーのほうを見て、シワ深い顔をギュッとしかめて見せる。
「あたしがホメてたってことは、ドルヴ君には秘密だよ。まだまだ、ケツの青い未熟者だからね」
カラクリ人形アルジーは、目をパチクリさせつつ、素直にコクリと頷くのみだ。
――とはいえ、神さまよりも達者な老女ナディテの目から見れば、どんな男であろうと……たとえ豪傑の中の豪傑『雷霆刀の英雄』であろうと、未熟者に見えるのではなかろうか。
――老女ナディテと真っ向にやりあえるのは、たぶん、この世で最大の変人かつ奇人・老魔導士フィーヴァーだけかも知れない。
そんな直感があるが、言わないでおく。
「突入!」
前方で、号令が響いた。
騎馬姿の先発隊が、活発すぎる余計な邪霊ネズミを蹴散らしつつ、駆けていった。2頭の《精霊象》が、忍者のような足取りでもって、唖然とするくらい素早くつづく。
あっと言う間に廃墟ゲートを通過し、奥の暗い空間へと消えて行った。
こうして見ると、象の巨体が余裕で動き回れるくらい、この廃墟の内部空間は巨大なのだということが窺える。超古代――いまよりも大きかった巨人族が支配的種族として繁栄していた時代ならではの、建築物。
(思い出してみれば、東帝城砦の地下神殿も信じられないくらい巨大だった。巨人族『邪眼のザムバ』だって、あの忌まわしくも広大な地下空間で、余裕シャクシャクだったのだ)
オババ殿からみっちり教わった古代伝承の知識と、目の前の現実と……
歴史はつながっている。
必要最小限ながら余裕をもって眺められるようになって、今さらながらに驚く。
まもなくして、カラクリ人形アルジーの人工聴覚でも聞き取れるくらい、大きな戦闘音が響いて来た。ジャヌーブ砦で、侵入してきた各種の邪霊害獣を討伐している時のように。
しばし、先ほども聞いた爆竹のような連続音が続き……静かになる。
単発の個体で出現するレベルになって来たらしく、たまに「バン」「バン」という音が続く。
ジャヌーブ砦の鉄砲職人サイブンが、腕によりをかけて製造していた……『雷帝サボテン鉄砲』が、縦横に活躍している様子だ。
「おっかないですやん」
退魔調伏の御札にまみれたネズミ顔の商人ネズルが、ブルブル震えていた。後方待機メンバーとして、手に持っている「退魔調伏ハタキ」も、フルフルしている。
戦闘に付き物の、囲みを突破して来た邪霊害獣が、入り口ゲートから沸いて来た。
単発の《三つ首ドクロ》が、まさに「グニョ」「グニョ」という風に、空飛ぶイカタコ翼を広げて――10数体ほど。毎度の忌まわしいドクロ型の黄金の膨らみが、三つ。
「そりゃ!」
毎度の見事な手並みでもって、老女ナディテが、退魔調伏ハタキを振るう。
ハエ叩きで、相当に大物のハエを、叩き落とす感じだ。
退魔調伏の御札が真紅の火花をふりまき、即座に、《三つ首ドクロ》を無害な真紅の熱砂と化す。
邪霊害獣《三つ首ネズミ》や《三つ首コウモリ》よりも倒しやすい――ハエ叩き、モグラたたき並みのコツは要るが――初心者向けのザコ、ということが、よく分かる光景。
商人ネズルも狙いは良い。だが、たまに的を外す。
退魔対応の戦士と同じくらいの反射神経は、うまれついた運動神経に訓練を重ねないと、身に付かないものだ。
狙いが外れて中途半端な退魔調伏となった《三つ首ドクロ》は、一層、ゲテモノに近づいていた。壊れかけのドクロ1個、2個が残ったまま、それでも、執念深くヘロヘロと漂っている。
白文鳥《精霊鳥》パルへと漂って来る個体は、カラクリ人形アルジーが退魔調伏ハタキを素早く振って、キッチリ砂にして処分する。民間の代筆屋でも、それなりに対応能力はあるのだ。
セルヴィン皇子は感心なことに、カラクリ人形アルジーの背後に回った個体へも、几帳面に対処していた。
先だって老魔導士フィーヴァーから「自動人形(オートマタ)をちゃんと管理しろ」と言いつけられたとおり。
虚弱な少年皇子は、すでにスタミナが尽きて、息切れしている状態だ。ごく微弱ながら、間の悪いタイミングで、生命力を吸い取る不正な《魔導陣》による発作があったらしく、心臓を押さえている。
(確か、生命力を奪うための生贄《魔導陣》が取り付いていて、あと3人ほどが、好き勝手なタイミングで、セルヴィンの心臓を止めようとしてるんだっけ)
――アルジーとしては、自分よりも虚弱な年下の少年の手を煩わせるつもりは無かったから、相応に微妙な気持ちではあるが……
数体が悪魔合体した不定形バージョン、すなわち、ブツブツと黄金ドクロを生やした、空飛ぶイカタコ・アメーバのような《蠕蟲(ワーム)》群体も、たまにボンと沸く。
総じて、この類の大型化・集団化した「ナニカ」は、割合に強敵だ。
手慣れた部隊の面々が、クムラン副官の指揮に応じて効率的に片付けてゆく。くわえて異例にスピードのある個体は、オーラン少年が、手持ちの手裏剣でもって退魔調伏していた。
いつだったか、宴会を襲撃して来た《骸骨剣士》を倒した時のように。
一刻から二刻。
邪霊の連続出現によって忌まわしく乱れていた空気が、鎮まったのを感じる。
程なくして。
先発隊として突入していたメンバーの面々が、ゲートから戻って来た。全員、生還だ。
髪の毛やヒゲの毛先が焼け焦げたり、相応の怪我をしてはいるが、馬や《精霊象》をふくめて、重傷者は居ない様子。
露払いを務めた先陣メンバーのほうは、邪霊害獣を次々に千切っては投げ、という状況だったらしい。ぎらつく黄金色の魔性の血液が全身にベッタリ付着していて、すさまじい有り様だ。
虎ヒゲ戦士マジードをはじめとする手練れの数名――それぞれの《火の精霊》退魔紋様を完備する各種の防具のうえで、バチバチと真紅の火花が散っていたり、真紅の砂になってパラパラと散っていたりしている。
カラクリ人形アルジーやセルヴィン皇子、ラービヤ嬢や商人ネズルは、思わず怯(ひる)んでいたのだが……さんざん《人食鬼(グール)》防衛の前線を見てきたクムラン副官やオローグ青年、
オーラン少年は、いつもと変わらぬ調子だ。
「それは何であろう、老魔導士どの?」
早くも、後方待機の代表としてドッシリと佇んでいた「白鷹騎士団」シャバーズ団長が、目ざとく気付いた。
なにやら、大人の背丈ほどもサイズのある、「帆布で巻き巻き」荷物が増えている。
しかも退魔調伏の御札を、仕上げに貼り付けてある。
「それに虎ヒゲ・マジード殿も、魔導士ジナフ殿も……この荷物は、最初は持ち込まなかったと記憶しているが」
「フーッ」
老魔導士フィーヴァーが、鼻息を荒くして応えた。『毛深族』特有のモッサァ白ヒゲが、ボンと膨らむ。
「また、変死体が出たんじゃ。絶妙なまでに死屍累々じゃな、このたびの探検は」
騎士魔導士ジナフ老のほうは首を振り振り、疲れ果てたような雰囲気だ。戦闘としては手が掛からないほうではあった様子なのだが……
「話に聞く、廃墟の大麻(ハシシ)パーティー会場が、あの、ラビリンス第一層となっている廃墟エントランス空間であったようです。水タバコだの宴会だのの、痕跡も」
後方待機の全員が、それぞれに驚き、息を呑み……ひとしきり、ざわめく。
ラービヤ嬢も唖然として、先陣メンバーに加わっていた兄ガウタムに視線で問いかけ。ガウタムが、それを肯定して見せるように頷いていた。
「変死体とは、老魔導士フィーヴァー殿? ここでも殺人事件が?」
「まさしく、そのとおりじゃ。まったく」
「しょっぱなから奇々怪々でござる。あらためて潜入の際は、私め虎ヒゲ・マジードが、この雷のジン=ラエド武器・大斧槍(ハルバード)の誇りにかけて、露払いをつとめて進ぜよう」
虎ヒゲ『毛深族』戦士マジードのほうは、いっそう、やる気満々であった。早くも、特製の大斧槍(ハルバード)に付着した邪霊害獣の血のりを落として手入れするべく、水場へと向かって行った……
*****
状況としては、二歩前進、一歩後退、というところだ。
日が暮れ、あたりは闇の色を増してゆく。
予期せぬ邪霊出現に備えて――「白鷹騎士団」混成軍は、いったん安全なオベリスク広場へ引き返して、野営だ。
やがて銀月が、東の空に現れた。
半月から満月へと変わる上弦の月だ。完全な満月には、あと3日ほど足りないものの、無いよりは、マシ。
暮れなずむ光景――岩石砂漠と流砂の中を、薄暮の光が漂う。
いやにドクロに似た三つの丘の盛り上がりが、異様な存在感を放っていた。
薄暮と銀月とに照らされて、不気味な黄金色に映えている。
――途方も無く巨大な恐怖の大魔王《怪物王ジャバ》頭部のように。
*****
帆布に包まれていた「変死体」の退魔調伏の処理が、老魔導士フィーヴァーと騎士魔導士ジナフの手によって、完全に施された。
ついに、帆布が解かれる。
興味津々のクムラン副官は、後方待機メンバーだったため現場を見ていない。早くも《象使い》ドルヴに近寄り。
「変死体は、いったい誰なんだ?」
「知らない顔ですが、若い男だと思いまさ。病的に老化してましたが例の大麻(ハシシ)の、死後に出る副作用の影響でありまさ」
「邪霊使いの目的と趣味を疑うよ」
「右に同じでありまさ」
帆布が、バサリと音を立てた。現れた変死体の人相に、全員で注目する。
ザワザワする冒険メンバーの隙間から、カラクリ人形アルジーも、そっとのぞいてみる。
知らない男。
有害物質の影響で、皮膚は人間らしい色と潤(うるお)いを失っていた。
老いさらばえた、青白いゾンビ=ミイラさながらだ。
皮膚が細かくヒビ割れて粉を吹き、緻密な泥パウダーのように、ゾンビめいた人相の全体を覆っていた。
だらしなく口がパカリと開いていて、歯列は、そこだけ魔性の黄金色。口回りに、とりわけ多くの不自然なシワ……ヒビ割れが出来ていて、生前は、お喋り屋だったのだろうと推測できる。
老魔導士フィーヴァーが解説する。
「年齢は30代前半じゃ。大麻(ハシシ)に手を出しておきながら、顔に自信を持っていたらしい。顔面保護のための《亀甲の赤護符》を完備していたんじゃ。
大麻(ハシシ)の影響でいろいろ崩れているが、人相は食われておらん。誰か、この顔に見覚えは無いか?」
胴体や四肢のほうは、帆布に包まれたままだ。邪霊害獣に手当たり次第に食われていて、一般人の目が耐えられる光景では無いためだ。
たとえば、セルヴィン皇子や商人ネズル、ラービヤ嬢などが失神するのは確実。
首を傾げるカラクリ人形アルジーの肩越しに、ネズミ男ネズルが、死体へ視線を投げ……
「こ、こりゃ、取次業者ディロン殿の好敵手――こりゃ、バズーカ君かや! 東方のどこかの城砦(カスバ)で採用されたってんで、来月にはジャヌーブ港町を引き払うって……なんで此処に……!」
「バズーカだって? あの不良ザザーン青年の知り合いだという?」
ラービヤ嬢がハッと息を呑み、もっとよく見るために、傍にひざまづいた。
そして……真っ青になってうつむく。その顔を包むベールが、ブルブル震え出した。
「この男を知ってるのか、ラービヤ?」
兄ガウタムが慌てた様子で、妹ラービヤに問う。
ラービヤ嬢は、真っ青になったまま、コックリ頷いた。
「あの、私、最初、この男のセールストークを信用して……大麻(ハシシ)だと知らずに、あの『トキメキ・アロマ』と称した薫物(たきもの)に手を出したの。ホントよ。
ハイダルと初めて踊った時の匂いだと思って、ステキだと思って……大麻(ハシシ)だと思わなかったの」
「やたら口のうますぎる、あの違法業者か! ガジャ倉庫商会の事務所の受付を色々言いくるめて、訪問販売だの、新作の試供品だので入り込んでた……!」
「兄さん、たまたま、大麻(ハシシ)取引を監視する役人さん同伴してたでしょ。役人さんが煙の正体に気付いて指摘した直後に、
すぐ殴って、大通りへ叩き出してたから、この人の顔を、よく見てなかったでしょ?」
「う……」
――兄ガウタムは、妹ラービヤのこととなると、心配の余り早トチリしたり、瞬間沸騰したりする傾向があるらしい。大通りの真ん中で、人目も忘れて、兄妹で仲良く口喧嘩もするわけだ。
それなりに、お互いにまっすぐで微笑ましい兄妹だけど。もう少し年齢と経験を食って、相応に行動に落ち着きを持ってもらいたいところ。
「――それで私、ハイダルが大変だと思って、廃墟パーティーに付いて行ってでも、ハイダルを、あの匂いから――『セールス業者バズーカ』からも、
引き離そうと頑張ってたのよ。どうも、真相は逆だったみたいだけど……」
注意深い騎士魔導士ジナフが、うむ、と頷きつつ、穏やかに問いを重ねる。
「その後も、この業者バズーカと何か話したことがあるようですね? 些細なことでも良いので、思いつくことがあれば」
ラービヤ嬢は相当に神経質になっていただけに、ジナフの穏やかさに勇気づけられたらしい。
老魔導士フィーヴァーも医師の目で鋭く気付いたらしく、残りの事情聴取を、魔導士ジナフに任せていたのだった。
前後の記憶をまとめている様子で、ラービヤ嬢の呼吸が変わり……
「ハイダルはバズーカと、『三つ首サソリ』『ご存知マッチョ盛り合わせ』の件という理由で、よく会って取引していたわ。
ゲテモノ・ペットショップへ納品するための《三つ首サソリ》調達はともかく、『ご存知マッチョ盛り合わせ』というのが何なのかは知らないけど」
「ふむ。なかなか重要な指摘ですね、ラービヤ嬢」
騎士魔導士ジナフは、少し目を見張っただけで……興味深そうに先を促していたのだった。みごとな役者ぶり。
訳知りのセルヴィン皇子やオーラン少年は、お互いに慌てた顔を見合わせている状況。
ラービヤ嬢は、少年たちの不思議な挙動に気付いたのか、チラリと視線を投げて首を傾げていたが……告白はつづいた。
「取引のたびに足が出るほどの、高額ハイリスク商品だったみたいで。ハイダルからお願いされて、ハイダルの代わりに、ちょこちょこ不足金額を穴埋めして。
あの、集金担当が、ザザーン夫人ベラで。いま思うと、ザザーンとも『ご存知マッチョ盛り合わせ』取引があったのかも知れないけど。そこまでは判らない」
壮年ガウタムが頭を抱えて、ガックリと膝をついた。
「ラービヤ。お前は、すぐに私に説明するべきだったんだ。私も、友ドルヴから聞いたばかりだけど、『ご存知マッチョ盛り合わせ』というのは、
ジャヌーブ砦の第一長官の候補だったアブダルの、秘密取引・不法取引の際の偽名だったそうだ! ……巨人族アブダル戦士は、つい先日、砦で、大麻(ハシシ)がらみの、第一級スキャンダル殺人事件で……!」
横で聞いていたネズミ顔の商人ネズルも続いて、頭を抱えて、ガックリと膝をついた。すっかり涙目だ。
「バズーカ君は口がうますぎる男だったや。あのディロン殿をけむに巻いたうえ、バシール夫人から、秘密取引の上客名簿『ご存知マッチョ盛り合わせ』の本名を見事に引きずり出してたんだや。
名目は、娼館で扱ってる、不法スレスレ過激すぎるオモチャの新商品の取引だったけど」
老女《象使い》ナディテが、フーッと息をついた。
「成る程ね。読めて来たよ」
老女ナディテは、持ち前の強力な思考力でもって、あっと言う間に連関を組み立ててしまった様子だ。老魔導士フィーヴァーも、目をランランと光らせていた。こちらも同様に、結論に至ったらしい。
ひとつ間をおいて、老女ナディテは、慎重に語り出した。
「ラービヤちゃんが恋人ハイダルに貢いだカネ、相応の額面になったんじゃろうね。『ガジャ倉庫商会』の財務に、致命的な穴は開かなかったみたいだけど」
うら若いラービヤ嬢が、震える両手で口を覆った。
――勇ましい冒険者さながらに《退魔紋様》武装をしてはいても、やはり中身は、南国の良家の、ほぼほぼ純粋培養な深窓の令嬢だ。
「このあたしでさえ、ハイダルの本性は判らなかったんじゃ。ハイダル、ザザーン、ベラ、そして目の前の死体バズーカ……」
老女ナディテのシワ深い面相が、いっそうシワ深くなったが……ラービヤ嬢を見やる痛ましげな眼差しには、非難の色は無かった。
「4人がかりのロマンス詐欺でもって、カムザング皇子の不法の大麻(ハシシ)ビジネス、
すなわち『この世に2人と居ない頭脳明晰・文武両道・容姿端麗・品行方正・モテモテ無双カムザングちゃまの裏金』を肥やしていたのかと思うと、
手玉に取られた我らとしては、やはり臍(ほぞ)を噛(か)むところじゃね」
じわじわと、全容が、全員の頭に染み込んでいったらしい。
――ここ最近のジャヌーブ砦で連続していた、アレコレの事件の経緯の記憶と共に。
「ここでも第六皇子カムザングか……」
「感心するほどの腐敗ぶりというか、皇子本人は遊んでただけなのに、腕が長すぎるというか」
「それだけ、今は亡きラーザム財務官の、集金の手腕がすごかったってことなんだろうな。手先になってた『三つ首サソリ』氏、すなわち今は亡きドニアスも」
「あの……闇の勢力の小太り野郎」
「財務文官ドニアス、ナンチャッテのくせして、凄腕の邪霊使い・三つ首サソリを気取ってたよな。ヤツが何処に、あの三つ首の邪霊害虫を隠して飼っていたかって……ブルル、恐ろしすぎる」
「帝都が騒ぐほどの派閥の重鎮と、その手先だっただけの事はあるわな。ジャヌーブ港町を代表する商会を、次々に手玉に取って金ヅルにするとか」
「帝都の金融商も一枚、いや百枚や千枚かんでるだろ。ロマンス詐欺とか、こんな変換効率の良すぎる儲け話」
「例の極道の酒姫(サーキイ)も邪霊害虫《三つ首サソリ》飼ってたな。世界を裏側から動かす闇の勢力とか気取ってたのかね。すげぇ悪趣味」
ジャヌーブ砦で起きた連続事件を見聞きしたメンバーの間で、ひとしきり、噂話がつづく。
そして。
白鷹騎士団を率いるシャバーズ団長が、納得しかねるといった表情で、ボヤいた。
「もっとも肝心なところだが。ザザーンは、おとといの夜、バズーカと郊外の酒場で待ち合わせしていたが、会えなかったとか」
老若《象使い》2人が、同時に頷いた。朝っぱらから不良ザザーン青年を即刻裁判にかけ、証言を絞り出し、直接にとっちめていた2人だ。
「たしかに、あの卑劣漢ザザーン野郎は、そのように証言したよ」
「そろそろ真面目に就職活動、いや猟官活動を、とか……ふー。《精霊象》襲撃の件でゲキ詰めしましたが、戻ったら、もう一度……」
シャバーズ団長は、部外者ならではの冷静さでもって、話の筋が飛びそうになったのを察知し……「そこまで」という風に頷き、咳払いして見せた。
そして、ベテラン中年団長は、テキパキと老魔導士フィーヴァーの方向へと向き直り。
「このバズーカが殺害されて死んだのは、おととい……すなわち3日前なのか、老魔導士どの? えらく変わり果てた死体だが、検死で分かるだろうか?」
老魔導士フィーヴァーが自信たっぷりに頷く。その首元で、エスニックな意匠の首飾りが、ジャラリと魔除けの音を立てた。
「もちろんじゃ。禁術の大麻(ハシシ)は、やたらと死後の時間変化が正確なんじゃ。邪霊とはいえ植物ゆえの開花時刻の正確さなどの性質があるんじゃな。
この変わりようを見ると、死亡時刻は、その日の夕方あたりで間違いない。不良仲間……おそらく弟分ザザーンとの約束の酒をすっぽかして、死体になっていた筈じゃ」
専属魔導士ジナフも頷き、つづいた。
「こちらも毒殺と思われます。南方の毒は種類が多いので、特定に時間いただきますが」
「殺害犯は、毒物の扱いに長けた人物……暗殺教団などというイメージか?」
「熟練の刺客(アサシン)では無いですね、シャバーズ団長。ただ……立ち回りや時間調整……アリバイ工作など、証拠隠滅については熱心であると感じます。周辺の残飯も工作されておりました。
途中の宿場の残り物などを集めて、ばらまいたようで……」
「工作したと、何故わかるのだ?」
「このバズーカなる死体に、相当量の『清め塩』が、振りかけられていました。最初は、その辺の砂かと思いましたが、確かに塩でありました」
「冒険者向けの屋台でお馴染みの、魔除けグッズが?」
「逆に言えば、このバズーカ死体の邪霊変化を『規則的に』遅くした要因。塩漬け肉片がジワジワ食われた後で、《骸骨剣士》が一体、増えていたでありましょう。
犯人は、魔導士でも無く霊媒師でも無いが、邪霊の類への対抗措置を、それなりに専門的に勉強した民間の――例えば、砦の非戦闘員とか、取次業者ディロン殿とか」
思わぬ名指しに、ジャヌーブ商会の中年商人ネズルが「ビョン!」と飛び上がった。
「じゃじゃじゃ……我々『ジャヌーブ商会』は暗殺教団のような不法な殺人稼業はやっておりませんや、や! ディロンは浮気男で色男で、
人妻の寝取りもやらかしちゃいますが、死体工作などのような、おおお恐ろしいことは」
「申し訳ありません、ジャヌーブ商会のネズル殿。犯人の人物像イメージの例としてであって、深い意味はございません」
シャバーズ団長が首をフリフリ、それなりにゲッソリとした様子で、ボヤく。
「バズーカは何故、誰に殺害されたのだろうな。ハイダル死体に比べると明らかに計画的な殺人ゆえ、捜査するにも知恵が要る……ここでも疑惑の不良青年ザザーンを疑うところだが、ヤツには確実なアリバイがある」
ボヤキは続いた。
「ザザーンの女ベラにはバズーカを殺害する理由が無い。バズーカを『新たな金ヅル夫』と見て浮気心をポロリと出した、という話が真実なら。謎の殺害犯とその動機、占い師に探っていただく他あるまい」
*****
その後、流砂の下へ、バズーカ死体の埋葬――簡素ながら封魔葬である――をおこない、夕食となった。
銀月は相応に高度を増していて、浩々と夜空を照らしている。
カラクリ人形アルジーは夕食を必要としない。まして銀月が勢力を増している時期だ。
セルヴィン皇子やオーラン少年が食事をしている位置に、軍用ドリームキャッチャー護符が据えてあり……退魔調伏の門番を務める自動人形(オートマタ)として「立てかけられた」形。
覆面ターバンを解いて布面積の大きいベール方式に替え、結構な数の、紅白の退魔調伏の御札をぶら下げているところ。
近くを、真紅の長衣(カフタン)が通りかかった。このたびの発掘物(特に古代宝物)の記録をつとめる……少し口数の多そうな中年神官。
ビックリしたように、「老魔導士フィーヴァーの最高傑作」を眺めて来た。
用心深く憑依を薄くして、文字どおり、薄っぺらな糸目カラクリ人形を装うアルジー。
中年神官は、人形の顔が期待したような美形では無かったのがお気に召さなかったようで、
「酒姫(サーキイ)とは似ても似つかんムダ金ブオトコ野郎ポンコツ駄作スナギツネ」などと呟いて、遠ざかって行った。
さすがに、その悪口雑言が地獄耳に届いたようで……オーラン少年が、ビミョウな表情をして振り返って来たのだった。その覆面ターバンには、白タカの羽が1本、留められているのみ。
目下、オーラン少年の守護精霊である白タカ・ジブリールは、セルヴィン皇子の守護精霊《火吹きネコマタ》と共に、
全力で、このオベリスク広場を守護している。
物理的実体では無く、本来の《風の精霊》《火の精霊》として異常氣象を抑え込んでいる。それ程に、この廃墟の周辺は危険なのだ……
…………
……
真紅の長衣(カフタン)をまとう中年神官が通り過ぎた後、生成りマント姿の見習い魔導士ユジール少年が、つづいて来た。中年神官に忠実な、助手だ。マントの間に、真紅の縁取りを持つ黒い長衣(カフタン)。
――腰に、雷帝サボテン鉄砲。
食事のための焚火に照らされて、黒光りする砲身。早くも邪霊害獣との戦闘で使い込まれた風。黄金《魔導札》を束ねた弾倉セット。
白鷹騎士団の騎士エスファン&サーラ夫妻が、邪霊害獣と一戦まじえる前に、メンバーへ配布していたから……所有しているのは当然だが。
(あれ?)
アルジーは、そこはかとなく違和感を覚えたのだった。それが何なのか、わからないけれど……
*****
夕食も後半になって、シャバーズ団長の指示による「バズーカ殺害犯を探る占い」結果が、トピックになった。とうてい食事中の話題にふさわしい内容では無いが、時間が限られている状況では致し方ない。
「まずは《白羽の矢》占断を、ご報告いたします」
口火を切ったのは、白鷹騎士団の専属魔導士ジナフ老。いささか戸惑ったように咳ばらいをして。
「連続殺人事件であるとの占断を得ました。殺害犯は同一人物。
身分詐称の青年ハイダル=ムラッド、違法セールス業者バズーカの両名と浅からぬ因縁あり、必然ながら、相撲大会の周辺に現れた……または、その名を言及された人物となります」
「ガウタム・ラービヤ兄妹と、関係おおありなのじゃろうな」
老魔導士フィーヴァーが、モシャモシャと穀粉飯(おやき)を咀嚼しつつ突っ込んだ。
「そもそも身分詐称ハイダル=ムラッドは、婚約者という顔の裏で、その実、違法業者バズーカと結託して、ロマンス詐欺をやらかしていた。それが、急に2人とも殺された。
利益分配の争いか――ザザーンは犯人では無い。女ベラは、バズーカを殺す理由が無い。『ガジャ倉庫商会』財産を狙う、別グループ詐欺師かね?」
「事情が込み入っているのは確実です。ですが占断は、そこまで詳しく示さず」
困惑顔の魔導士ジナフ老は、何故か……鷹匠ユーサーへと視線を投げた。
一同の視線も疑問を含みつつ、鷹匠ユーサーへと集中する。
中堅ベテラン鷹匠は、スッと立ち上がり、訳知り顔で一礼した。
「このたびの状況を鑑み、ゆかりの《青衣の霊媒師》からも、補助の占断の報告を」
「珍しい事だな、ユーサー殿。かの御方は別件多忙ゆえ、それほど連絡をされる余裕は無いと聞いていたのだが」
「それだけ、シャバーズ団長どのの判断力を信頼されておられるのです。なれど今は非常事態でございますゆえ」
鷹匠ユーサーの相棒、白タカ《精霊鳥》ノジュムが、ほど近い上空を旋回しつつ、『人類はまだるっこしいな、さっさと要点に入れ』と急かしている。
「この事件、出発点に、過去の『ガジャ倉庫商会』関係者の死去があるとのご指摘がございました。
僭越ながら公的に知られている内容と、『天の書』刻印との間に、食い違いがあるとの事。特に、アイシャ殿の死去ないし葬儀に関して、誰かが何かを誤解しているか、隠蔽しているのでは、と」
老女《象使い》ナディテが、不意に眉をひそめ、シワ深い顔を、ギュッとしかめた。
うろたえた様子の、ガウタム・ラービヤ兄妹。
対して壮年《象使い》ドルヴと、ジャヌーブ商会の中年商人ネズルは、首を傾げるばかりだ。
「アイシャ殿の葬儀かや。まぁ確かに参列させて頂いたや。奇妙な経緯はあったが悼む気持ちには変わらなかったから」
「右に同じでありまさ……あ、ネズル殿も、あの妙な経緯を小耳に挟んでましたか」
「取次業者ディロン殿も『死体が蒸発したように無くなってるなんて、伝説の月下美人みたいだねぇ』と何度も首ひねってましたや。
確かにラービヤお嬢さんの美貌も納得の、宝石のような青い目をした絶世の美女でしたや、同じ人間とも思えないくらいの、アイシャ殿は」
セルヴィン少年とオーラン少年が、同時にピンと来たように顔を見合わせ。護衛オローグ青年が代表して、質問を口にした。
「10年ほど前、サリム殿の過労死につづいて、アイシャ殿も死去した――アイシャ夫人の葬儀の時、棺桶は何故か空っぽだった、ということですか?」
老女ナディテが、頷く。
「死化粧と死装束はすでに済んでたんじゃが。葬儀と埋葬の手はずを整えるのに3日。葬儀の当日、最後の別れに棺桶を開いて、故人が好んだ花々を添える段階になって、発覚した。
内部関係者の全員で大騒ぎだったよ、あの時は。参列者に事情説明しにくい出来事だったから、その事実を伏せて所定の墓地に埋葬したんじゃ。だが、勘の鋭い数人は、やはり異変に気付いてたようだね」
クムラン副官が生真面目に首を傾げた。
「盗難の類なら、あらためて捜索すれば……防護処理の儀式が完璧だったのなら、飢えた邪霊ネズミの巣へ移動させられたとしても遺骨だけは残る筈だ。
護符も付いていれば、人相判別が可能な程度には、毛髪や、名残の肉は残る」
「捜索しても見つからなかったんじゃ。『ガジャ倉庫商会』専属の霊媒師や、同僚《亀使い》の糸巻師も、お手上げでね。さすがに1周年をまたいだところで、打ち切りとなったが」
――そんな奇妙な経緯があったとは知らなかった。
さすがに説明しにくい事情だし、親しい参列者たちも気を遣っただろう。この経緯に気付いても、あえて噂にしなかった筈だ。
カラクリ人形アルジーは、手の平でピョコピョコしている相棒パルを、見やり。
『禁術《歩く屍(しかばね)》ってことは無いよね? 暗殺教団が死体を持ち去ったとかは……アイシャは《銀月の祝福》生贄では無いよね?』
『うん、その気配は無い。占いでも追跡できない種類の場所かも知れないピッ。それにね、そういう状況を現出する《魔導》存在するよ』
『そんな《魔導》あったっけ?』
『2年前、トルジンが宮殿からアリージュ姫を追い出した後、アリージュ姫が一時的に行方不明になった、アレ。パル、アリージュ姫を見つけるの大変だったよ』
その時のことを思い出したのか、白文鳥パルは《精霊鳥》特有のキラキラと輝く冠羽をピッと立てて、武者震いした……次に、冠羽をピコピコ揺らしながら、とてもとても得意げな様子で、真っ白な胸を張った。
『でも、パルが、その《魔導》が終わる前に、ウヨウヨする《邪霊使い》よりも早く、アリージュ姫を発見したよ』
――あの最初の夜だ!
何故か、いつも付いて来てくれる相棒パルが一時的に居なくなったように感じられた、あの婚礼の夜――
『すごい妨害の《魔導陣》とか言ってたよね? 禁術の大麻(ハシシ)、いわゆる「シビレル」術……?』
『説明は難しいの。毛玉ケサランパサランが気まぐれに引き起こす、天然の、スゴイ……なによりも遠い彼方の、『天の書』へも響いてゆく《魔導》。禍福はあざなえる縄の如し、の類ピッ。
アリージュ姫の、ドリームキャッチャー型の耳飾りの糸も、白毛玉ケサランパサラン込み込み細工、ピッ』
『たいした伏兵よね、なんとなくその辺を漂ってる無害な邪霊なのに……モコモコ四色の毛玉も。とすると、アイシャ遺体消失に、毛玉ケサランパサランによる天然の《魔導》が介入した可能性もある……』
『亀甲城砦(キジ・カスバ)では「神隠し」と表現するピッ。世界は簡単では無いピッ』
カラクリ人形アルジーは、そっと周囲を見やった。
いつものように、月下の流砂地帯の空を、チラホラと毛玉ケサランパサランが不意に漂い……定番の軍用ドリームキャッチャー護符に引っ掛かって、動かなくなる。
不意に、アルジーの心の奥底で――胸騒ぎが生まれた。
……垂れこめる不安と、鋭い直感の入り交ざる、雲のようなものが……羽ばたく鳥の影のように、高く高く、どよめき舞い上がる。《鳥使い》直感の、類だろうか?
耳飾り――装飾品。
アイシャの死装束にも、毛玉ケサランパサラン込み込みの装飾品が、付属していただろうか?
ふと、ラービヤ嬢の《退魔紋様》武装が、目に入った。
人工の視線で……ゆっくりと、顔回りをなぞる。
うら若い娘の片耳で、耳飾りがキラリと光っていた。
――片耳……片方の耳だけ?
耳の輪郭を包み、挟み込むような、イヤーフック&クリップ形式。
奇しくも、シュクラ第一王女アリージュ姫の耳飾り護符と同じタイプだ。
幾つもピアス穴を開ける必要が無く、緊急時に大振りで重厚な《精霊石》護符も装着できるため、この耳飾り方式は《精霊使い》の間では人気がある。
細く長いチェーンが垂れている。伝統の意匠を思わせる。星のようにきらめくビーズ・チェーン――《精霊石》かも知れない。
先端に、魔除けの力を感じる……糸を紡いだ、玉結び細工。
全体的に、青い色で彩られていた。多島海の文化が育てた色に違いない。ラービヤ嬢の、母親ゆずりなのだろう宝石のように青い目を、引き立てている。
鷹匠ユーサーが新しい飲み水を交換し、移動して、さりげなく隣に佇み……問いの視線を向けて来た。
「気付いた点がございましたか、鳥使い姫? 解決への糸筋を見い出すのは《鳥使い姫》であろう、と《青衣の霊媒師》が占いを」
鋭い。
カラクリ人形の、不審な挙動に気付いたのか。
ギクシャクとしつつ、そっと頷いて見せる、アルジーであった。
「解決というよりは疑問だから、意味が有るかどうか。あの、ラービヤ嬢の耳飾り、片方しか無いのは何故? 伝統的な意匠っぽいから、両耳ペアが正式のような気がするんだけど」
無言で目を見張る、鷹匠ユーサー。
中堅ベテラン鷹匠は、何かに思い当たった様子だ。アルジーには、まったく見当がつかないのだが。
「つかぬことをお尋ねします《象使い》ナディテ殿。ラービヤ嬢の耳飾りは、訳ありでしょうか」
「そりゃまあ鷹匠どの。精霊(ジン)に負けず劣らず目が良いね」
老女《象使い》ナディテが、目をパチクリさせた。
「ラービヤちゃん、まだ形見の耳飾りしてたんじゃね。10年も経つのに、吹っ切れてなかったのかね」
隣に座っていたうら若い娘を、老女は、気づかわし気に見やった。ガウタムも似たような眼差しで、妹を見る形だ。
一同の興味津々な視線も、また移動した。
「遺留物じゃ。死装束と一緒に……何故か片方だけ棺桶に残っていた。生前のアイシャが最も愛用してたヤツじゃ」
フーッと息をつく老女ナディテ。ガウタム・ラービヤ兄妹と目配せをした後……再び、ポツポツと語った。
「ビジネスの恩師と尊敬してた老ダーキン殿から、『ガジャ倉庫商会』役員の着任祝いに贈られた品と言うとった。
いまでも退色しておらんね。《瑠璃光貝》数珠チェーンに、青毛玉ケサランパサラン糸の水引き細工。古代ガジャ王国の頃からあった、幸運のオマジナイを兼ねた装飾品じゃ」
「アイシャ殿は過労死とのことでしたが、死因は、それでお間違いないでしょうか? 睡眠中に急死したというような状況でしたか?」
「誰が見ても過労死じゃね。正確には、事務所のデスクから立ち上がって移動しようとした時に失神して倒れた。棚に頭を打ち付け、床に頭から落ちて、心臓も止まった。
隣室で残務していた老ダーキン殿が音に気付いて、アイシャの危篤を確認し、医師を呼んだ。
駆け付けた医師が、心臓の薬を口の中に押し込んで蘇生を試みたが、疲労がたまっていた心臓を再び動かすことは、できなかったそうじゃ」
「お気の毒でした。色々とご説明いただき、感謝します。いつか心安らぐ日が来るよう祈ります」
「お心遣い痛み入るよ鷹匠さん。遺体消失は実に不可解なミステリーじゃ。あたしが生きてるうちに真相を明らかにしたいもんだね」
「お察しします」
かくして、情報交換は、自然に切り上げられた。
白鷹騎士団のシャバーズ団長と専属魔導士ジナフは、「実に不可解な遺体消失ミステリーですな」と、興味深く私見を交わし始めた。
老魔導士フィーヴァーも、専門的な見地から、興味津々の様子である。
――カラクリ人形アルジーが最初に、色々と思いついたように。
禁術《歩く屍(しかばね)》の可能性も、検討されはじめていたのだった。
*****
「今のところは、これくらいでしょうか。鳥使い姫。気付く点がございましたら、いかなる事でも」
鷹匠ユーサーの手先の定位置に、いつしか相棒の白タカ・ノジュムが、訳知り顔で腰を据えていた。
「よく分からないけど、色々ありがとう。あの青い耳飾りが、ケサランパサラン糸を使ってると分かったから、次に行けそう。
行けたら……なんか引っ掛かるんだけど、今はモヤモヤしてるから、なんとも」
「ゆかりの《青衣の霊媒師》どのが告げたように、先ほどの内容に何かあったようですね。
毛玉ケサランパサラン糸を魔除けの水引き細工にするとは、興味深く。刀剣や祭器の手入れに適した毛玉ですから、微弱なれど《護符》の力も持つのかも知れません」
ふと見直してみると、鷹匠ユーサーは、一方の手に、あの《精霊魔法》水盤を持っている。
――手入れするところだったらしい、青毛玉ケサランパサラン雑巾も添えて……
いつだったか、オババ殿の亡霊を映したことのある水盤だ。うっすらと青い光に包まれているようだ……見る間に、その青さは雲散霧消していった。
――つい、さっきまで、稼働していたのだろうか?
水盤の向こう側に、誰か居たのだろうか。
老女《象使い》ナディテの語りに、興味深く耳を傾けていた……?
毛玉ケサランパサラン糸で紡ぐ、幸運のオマジナイ。水引き細工。魔除けの効力。あざなえる縄の如し……
微風にさえフワフワと漂う、四色の毛玉ケサランパサランは……満月の夜《精霊クジャクサボテン》に呼ばれて、開花に付き合って、受粉を媒介している……
(……あれ?)
なにかが、チラリとアルジーの脳裏をかすめたが……幾つものモヤモヤとした直感と共に、思考の雲の中に沈んで行った。
2人の《象使い》老女ナディテや壮年ドルヴ、ネズミ顔の商人ネズル、ガウタム・ラービヤ兄妹は、同じジャヌーブ地方の出身同士、アイシャ遺体消失に立ち会った面々として、
当時の出来事について、色々と話し合っている。
その後は――夕食は、順調に終了となったのだった。
*****
明日に備えて、オベリスク広場の野営地は、早々に寝静まっていた。
例外的に強力な《火の精霊》による守護があるため、夜の見張りは交代制で――約1名。
セルヴィン少年とオーラン少年は、2人まとめて、大人1人分として換算だ。
たまにフラリと沸く単発の邪霊害獣《三つ首ドクロ》または《三つ首ネズミ》が、パチリとやられて無害な熱砂と化し、ザザッと砂煙の音を立てる。
音も無く天頂に到達する銀月。
目下、霊魂アルジー=シュクラ王国の第一王女アリージュ姫は、眠らぬ精霊(ジン)と同様に、眠らない。
満月に近い形の銀月が天頂に到達するいま、体力気力(それとも、この場合は霊力?)が充実し、目は冴えていた。
相棒の白文鳥《精霊鳥》パルが、《空中浮揚》精霊魔法でもって、音も無くスーッと不思議な旋回を始める。
とても真剣な局面なのだが。
ナンチャッテ怪異「空飛ぶ・いちご大福」。
『満月から3日もズレてるけど《白孔雀》守護の儀式、念のため、やっておくピッ。例の邪霊の《黄金の風》ホントに危険だし、アリージュは感覚鋭敏すぎるから、ピッ』
『了解、パル。シュクラ王国の月下剣舞の祭祀、すっかり忘れてた。ホントは満月の時にやるけど、こんな状況だから前倒しだね』
カラクリ人形アルジーは、「ぼろい荷物袋」から手際よく、街道の途中の市場(バザール)で買ったばかりの、山刀を取り出した。
正式には、シュクラ王国の礼拝堂に安置されている宝物《風の剣》――当然ながら男性仕様だ――を使うのだが。
シュクラ王国の建国の時から引き継がれていた伝統祭祀に使う国宝として、それなりに宝飾されていたという現物は……トルーラン将軍に奪われていて、存在しない。
やむを得ず、姫君が国家祭祀の月下剣舞をやる場合、代用の刀剣でも、なんとかなる。
――いままで色々ありすぎて気にも留めていなかったうえ、気候がまったく異なるジャヌーブ地方だから、失念していたのだが。
3日後の満月は、カビーカジュ文献にも言及がある特別な銀月なのだ。
銀月と、星座『帆掛船(ダウ)』を構成する「帆柱頭の灯火」とが重なり、増光しあう。夜空が明るすぎて個別の観測は難しいけれど、意味合いとしては、炎冠星を伴う皆既月食『闇と銀月』の対極。
――月齢が浅い弓月のうちに、なんとか妨害しようと……いつだったかの部分月食の際に、邪霊害獣がうるさく騒いだ訳だ。
山刀は、全体的に、鳥の風切羽のような形をしている。偶然ながらジャヌーブ沿岸には頑丈なトロピカル樹木が多くて、こういう品も扱っていたのだ。
男性仕様の定番の三日月刀(シャムシール)を女性仕様に縮小したかのような造りで、体力に自信の無いアルジーにも扱える。助かった。
訳知り顔の火吹きネコマタ――セルヴィン皇子の守護を務める《火の精霊》――が、舞台の範囲を区切って、白金色の聖火の円陣を張ってくれている。
ほどなくして、鷹匠ユーサーが、手頃な帝国軍仕様のドリームキャッチャー護符を持って近づいて来た。折よく夜の見張りに立っていたところを、相棒の白タカ《精霊鳥》ノジュムに呼び出されて来たらしい。
「どうも、このたび私は《風の精霊》ゆかりの城砦(カスバ)出身として、名誉な役回りを申し付けられたようですね、鳥使い姫。《青衣の霊媒師》が『国家祭祀の警護はどうするのか、
シャヒン王シャバーズ陛下や専属魔導士ジナフ殿に依頼するのは恐れ多いし、オーラン君に頼む訳にもいかんだろうし?』と困惑していた理由が、納得できましたよ」
第一王女の作法でもって優雅に会釈しながらも、カラクリ人形アルジーは、首を傾げた。
「何故、ここでオーラン君が出て来ますの?」
「オーラン君も、色々と訳ありでして」
白文鳥《精霊鳥》パルが、ドリームキャッチャー護符の手頃な位置に腰を据え……歌う。
軍用ドリームキャッチャー護符が、不思議な精霊魔法の共鳴でもって、銀月の色に輝き……天上の音楽ともいうべき、玉響(たまゆら)を奏ではじめた。
ただし、精霊(ジン)の波長に感覚を合わせないと、判別しにくい性質のものだ。
パッと感じる限りでは――月下の銀色の砂漠をわたる、静かな風音そのもの。そして、サラサラと風に流れる、砂の音。
色々と浮かんでいた疑念を鎮め、感覚を調整して、精神統一する。スナギツネ顔の糸目が、スーッと、いっそう細い糸のようになった。
国家祭祀のための装束も、その振袖も、何も無い状況だが……剣舞の所作を繰り返すだけの体力気力だけは、ある。
祭祀のためにターバンを解いて流していたシルク製の人工銀髪が、銀月の光に照らされて、本物の銀髪のように流れた。
右へ左へと、ゆっくり円を描くように山刀を返した後、つづいて古代剣法で定番の、演武の一式。体力的にキツイところ。
ただでさえ体力の無かった生前のアルジーは、いつも中盤の後半の部分で息切れして、演武が乱れたものだ。
――息切れしない! 失神が来る前の、目まいも無い!
すこぶる、まんざらでもない気持ち。
体重を感じさせないように見えるために「風乗りの歩」と名付けられている、儀礼の歩みでもって――いま気付いたが、
この応用が「空飛ぶ・いちご大福」空中浮揚の曲芸だ――上下に山刀を打ちながら、所定の筋道を回る。
余計な邪霊害獣《三つ首コウモリ》が、近くにフラリと沸いた。白タカ・ノジュムの神速の退魔調伏でもって、瞬時に無害な真紅の熱砂と化し、砂煙を立てて流れる。
そして、すみやかに最終パートの月下剣舞となった。
山刀を天頂の銀月に捧げるように、両手で掲げ持ちながら……キッチリ6等分の歩幅で、円周を等分割する舞踏形式に入る。
左右の足を前後に踏みかえつつ反時計回りで後進し、次に時計回りで前進する。舞扇を使うほうの、ごくごくゆるやかな方式であれば、神殿舞踊における女神官の動きと、ほぼほぼ一致する。
最後に、再び山刀を利き手に取り。
剣士の定番の刀礼……すなわち身体の真ん前で、刀剣を高く上げて下ろす所作をして、終了だ。
儀礼の刀剣と見立てた山刀を、高く上げた瞬間。
――おや?
月光の反射なのかどうかは分からないが……山刀の表面を、銀月の色と輝きをした波が、揺らいだように見える。
(気のせいかな?)
元の位置に下ろす所作と共に、山刀を輝く銀月の色にしていた不思議な光は消えた。元通りの、中古品らしい鉄色の刀剣だ。
いまいち釈然とせぬまま、山刀を鞘(さや)に納める、カラクリ人形アルジーであった。
白タカ・ノジュムが、頭上でゆっくりと、輪を描いて飛び始めた。その《風の精霊》軌跡が白く輝く。白タカ《精霊鳥》独特の、称賛の所作。
やがて、別の紅白の軌跡も1本ずつ加わって2回ほど旋回した。セルヴィン皇子の守護《火の精霊》火吹きネコマタと、オーラン少年の守護《風の精霊》白タカ・ジブリールだ。
2頭《精霊象》のほうでも気付いていたらしく、「ぱおん」という精霊(ジン)の声が聞こえて来る。
『最近まで体力気力の無かった人類にしては、見事な手続きだ。日常生活の合間を縫って相当に練習したようだな。キッチリ《銀月の祝福》を受け取ってたぞ、いま』
『満月に3日ほど足りないけど、ラビリンスに潜る前に確保できる分は、ギリギリまで確保できたピッ』
先ほどまで、天頂で留(りゅう)となっていた銀月が、再び運行を始めていた……月の軌道――天体観測でいう「白道」。
――ユラリと、かすかな……「世界の運行」そのものが変化したかのような、不思議な気配。
どこまでもつづく天空の海を渡る純白の帆掛船(ダウ)が、アストロラーベ星団に対して新しい進行方向を調整するべく、舵を切り替えたかのような雰囲気だ……
いくつもの疑問に首を傾げつつ、カラクリ人形アルジーがクルリと向き直ると。
鷹匠ユーサーが、アルジー以上に、あからさまに疑問だらけになって立ち尽くしていたのだった。
「いったい何者なんです、鳥使い姫は?」
「へ、それは《精霊界の制約》で……」
あわてて、周囲をクルクルと窺う。怪異な引き寄せが起きていないかと焦りつつ……
だが、それは、別方向への疑問だったようで……空気の乱れは、そよとも起きていない。感覚に引っ掛かるような、不吉な雰囲気も無い。
白タカ・ノジュムが鷹匠ユーサーの手先に降り立ち、クチバシをカチリと鳴らす。
『人類にしては珍しいほど大量の《銀月の祝福》を受けた器ゆえ、我ら精霊(ジン)も、ほぼほぼ《銀月の精霊》と認識するレベルだ。
かつて我ら精霊(ジン)は人の姿をして人類と交流した。《銀月》も人の姿を地上に映した。超古代の夢を見た、とでも思っておけば良いさ』
鷹匠ユーサーは、カラクリ人形アルジーをしげしげと眺めた後、別の困惑顔になる。
思わずカラクリ人形アルジーは、ビシリと緊張したのだった。なにかマズいことがあっただろうか。たとえば、かの『邪眼のザムバ』のような、怪物へのオーバーキル変身とか……
――よほど怪異な幻影が出てたとか!? そう言えば、あの地下神殿の台座彫刻《銀月の精霊》とされている《逆しまの石の女》って……!
「私の頭部、逆さまに、付いてないですよね? あの《逆しまの石の女》とか」
「おかしな造形になっている部分は、ございませんよ」
ワタワタし始めたアルジーとは逆に、鷹匠ユーサーは何かを納得したような段階に至ったらしい。
先ほどまで詰めていた息をフーッと吐き出した後は、いつもの鷹匠ユーサーに、戻っていたのだった。
*****
地平線が白みはじめた頃。
白鷹騎士団をメインとする混成軍は、満を持して、廃墟のエントランス階層へと踏み入った。
古代彫刻がゴロリゴロリと崩れている段差を渡り終えたところから、大広間の空間が始まっていた。
壮大なサイズの、古代様式の列柱が並ぶ空間。絶頂期の頃は、華麗な内装やレリーフに彩られていたに違いない。
先陣メンバーが報告したとおり、そこかしこが、元・邪霊害獣の残骸だらけだ。
――退魔調伏が済んだ砂のカタマリ。
――明らかに宴会の跡と見える大小の酒杯。酒のおつまみとして持ち込まれていたらしい、とりどりの肴(さかな)。
――賭博の賭けチップ定番の、ガラス製コイン。幾つかの種類がある。その中に、琥珀色の、あの見覚えのある邪眼モチーフの物も。
「ホコリっぽいわね」
カラクリ人形の関節――接合部に砂が入ると、不快なくらいジャリジャリする。
山歩きブーツで足元を固めておいて、正解だった。カラクリ人形アルジーは厳重にターバンを巻き、ターバン布を細く千切って、四肢のあちこちを巻き巻きした。
調査隊となった混成軍は、シャバーズ団長や専属魔導士ジナフをはじめとして、バズーカ死体が横たわっていた位置を慎重に捜索している。殺害犯につながるヒントが転がっている可能性があるためだ。
やがて日の出の刻。
南国の力強い陽光が、廃墟ならではの多数の割れ目や石積みの隙間から洩れて来て、内部を照らした。
エントランスにふさわしい、巨人仕様の壮大な石造の列柱の群れが、石畳を敷き詰めた広間全体に林立している。
広大な空間の全体にわたって、石造の表面が荒れていた。波打ち際で見られる、小さな穴ぼこだらけの岩石のように。
数百年もの間、直接に、雨季と乾季の激しい落差、欲にまみれた人類の出入りと人外の出入りの数々を、受けつづけた結果だ。
古典彫刻の名作であったろう台座。要所・要所に刻まれた華麗な彫像。すっかり面影を失い、削れてしまっている。
そして、所定の作法でもって、広間に立つ列柱すべてに、退魔調伏の《紅白の御札》が貼り付けてあった。強力な糊(のり)を使っているため、厳しい寒暖差のある流砂地帯でも、10日間はもつとのこと。
ジャヌーブ商会の中年商人――南洋沿岸アンティーク物商ネズルは、さかんにキョロキョロしつつ、休みなく口を動かしていた。ネズミ男ネズルならではの流儀で、恐怖を振り払っているのだ。
「そう、普通、こんな感じの筈だや。第1層は、たまに《三つ首ドクロ》が跳ねるだけだや。それをハタキで、ハエ叩きみたいに、パチッとやれば」
やかましい男だが、トロピカル南国なまりが相まって、底抜けに陽気な軽口の延長という雰囲気である。こうも不気味な場所では、かえって気がまぎれるところ。
バズーカ死体のあった辺りで、何か他に手掛かりが無いかと慎重に捜索しているメンバーは、商人ネズルを、好きに喋らせている状態であった。
「雨季で、しかも《人食鬼(グール)》異常氣象の警報が出ていない時は安全なんだや、いまの、この状態のように。大麻(ハシシ)パーティーとか、怪奇趣味の賭博とか、肝試しとか、バカ踊り出来るくらいだや」
そして商人ネズルは、本当にタップダンスの足踏みを始めた。
さすがに、砂ぼこりが、ドンドコ舞いはじめる。
セルヴィン皇子とオーラン少年はもちろん、近くに居たラービヤ嬢や、記録調査の中年神官や助手の見習い魔導士ユジール少年も、咳き込む有り様だ。
商人ネズルと並んで、安全と確認されたスポットに置かれていたカラクリ人形アルジーは、アワアワしつつ。
人工の両腕を上下にシャカ(ジャリ)シャカ(ジャリ)と動かして、「落ち着いて」というサインを送らざるを得なくなったのだった。
「あら済まんかったや、スナギツネ人形キョンシーさん。退魔調伏の自動人形(オートマタ)の関節が、これ以上ジャリジャリしたら大変だや」
商人ネズルが「申し訳ない」という風に、最後のジャンプで、タップダンスを止める。
――ズドン。
次の瞬間。
ギクリとするような震動。
列柱という列柱が、ガタガタと揺れている。天井から、パラパラと小石が落ちて来た。
グギギギギ、という嫌な音響が、広間全体から――
「地震だ!」
察しの良い誰かが、正解を叫んだ。
*****
調査メンバーほぼ全員が、咄嗟に、盾を頭上へと掲げる。
その判断は正しかった。
破片につづいて、中・小の石がゴン、ゴン、と落ちて来た。
「私がジャンプしたから、ですかや!? 私の体重は標準だや!」
商人ネズルが、アワアワしていると……
すみやかに震動が収まった。ごく小規模の揺れだった様子。
老魔導士フィーヴァーが、緊張に「ボボン!」と白ヒゲを膨らませつつ、周りをギョロリとやる。
「いや、単なる自然現象じゃ、タイミングが悪かっただけじゃろ。いっそう頻度が増えた、という偵察隊の報告は真実じゃったな」
シャバーズ団長が、すっかり青ざめている。視界をさえぎる物の少ない草原の民であるシャヒン部族にとっては、いっそう恐怖を感じるところであるらしい。
「頻度が増えたとは、老魔導士どの? 激化するようなら、退避を考えねば」
「不規則な増減の波があるゆえ、判断が難しいのじゃ。これっきりかも知れんし、激化するかも知れん。いずれにせよ……同士ジナフ殿、今のところ、占断の結果はどうなっとるんじゃ?」
「白羽の矢の占いでは、『恐るるに及ばず、進むべし』となります」
「まだ余裕は有りそうじゃな。調査を続けよう」
先ほどの地震でさらに砂ぼこりが舞っていた。一部の砂ぼこりのカタマリが崩れて、古代タイル床だったものが、垣間見えるようになっている。
鬼耳族の地獄耳を持つクムラン副官が、不意に耳端をピクリとさせた。
「なんか、コイン? ……数珠ワイヤーか? 落ちた音が」
上司であるクムラン副官の挙動を熟知する腹心の部下――シャロフ青年が、「この辺りですかね」と、バズーカ死体があった位置の近くを探り出した。
「おッ! 帝国通貨ですかね」
違法業者バズーカが、邪霊害獣に四肢を食い荒らされていた時に、こぼれたのだろう……というような数枚ほどの陶銭(ゼニ)。
「変だな、シャロフ君。さっき聞いたアレは、もう一種類あったが」
「当たりです」
シャロフ青年が、まんざらでもない顔で、細いチェーンのような……ナニカを、埃の中から拾い上げた。
「先刻の揺れのせいで、こう、ギリギリ重なってた陶銭(ゼニ)から、遂にズリ落ちたんでしょう。こんなに軽い代物なのに、さすが地獄耳ですねクムラン殿。お? たいした耳飾り細工ですね、こりゃ」
「見せてくれ」
さっそく、上位メンバーが集まった。老魔導士フィーヴァーや、騎士魔導士ジナフ、全体の統率者シャバーズ団長。
「青い貝殻製ビーズ・チェーンに、青の水引き細工……こういう細かい装飾品には詳しくないんだが」
「見せとくれ」
なにかを直感したらしく、緊張した表情のナディテがサッと駆け寄り、手を差し出した。迫力に呑まれたシャロフ青年は、おとなしくブツを渡した。
「やめなさい、出土した宝飾の類は、まず先取記録を担当する、この神官ゴーヨクに」
中年神官が駆け付けて、神経質に抗議したが。
「強欲にカネを吸い込んで強欲にブツを横流しする神官ゴーヨクさんが、なに言ってんのかや。こちとら神官ゴーヨクさんの秘密取引ぜんぶ計上して照合しただや。免状の転売取引の疑惑ありや」
さんざん苦労させられたらしい商人ネズルが、恨みがましい口調で突っ込んだ。
「卑しい金儲けの商人風情が、聖職に疑惑を吹っ掛けるとは」
「ジャヌーブ港町『帝都伝書局・市場(バザール)出張所』や、付き合いのある各商会や、ジャヌーブ傭兵組合の指摘だや」
「なにを……たわけた事を!」
「最近、騎士団訓練所の免状を悪用した、退魔対応の傭兵戦力の転売と脱税の手法が存在するっていう話を聞いただや。隊商(キャラバン)傭兵を多用する、我々ジャヌーブ商会にとって巨額の損失だや。
それ以上に、偉大なる帝国や、帝都の大聖火神殿にしたら、第一級の背任行為になるだや!」
神官ゴーヨクは、グッと詰まった。
――横で、助手を務める見習い魔導士ユジール少年が、白けた顔をしている。
「興味深い話じゃの。我らが偉大なる帝都・大聖火神殿の顔に、泥を塗るような真似は、しておらんじゃろうな?」
老魔導士フィーヴァーがギョロリと、神官ゴーヨクを見据え……その視線が痛かったようで、神官ゴーヨクは、そそくさと後退した。
――まだ「免状の転売取引の疑惑あり」段階だ。神官の信用を上乗せしたうえでの、より悪徳で外道な転売ビジネスに、ガッツリ手を染めたかどうかは、いまは分からないけど。
何処にでも、権威をかさに着た強欲な人物は居るものだ……
免状を悪用した、傭兵戦力の転売。東帝城砦を支配する東方総督トルーラン将軍や、御曹司トルジンが、さんざん関与していた、巨額脱税ビジネスだ。
帝国の国庫に響く規模の税収の中抜き。12年分の国税の未納分、天文学的な額面に達した筈……
――そして、あの日、東帝城砦は「税金を払え」と、取り立てのために派遣された帝国軍に、包囲される羽目になったのだった。確か。
見習い魔導士ユジール少年の表情と同じように、白けた気持ちになる、カラクリ人形アルジーであった……
…………
……
一方で。
真っ青になった老女ナディテが、ゆっくりと、ラービヤ嬢へ、先ほどの細工物を手渡していた。
「……信じられないね。こんな場所で、アイシャの遺留物の片割れが見つかるなんて。しかも地震でちょいと崩れたところから。トラブル吸引魔法の、アレかね」
「なんですと!?」
白鷹騎士団の専属魔導士ジナフが、鋭く問いを投げた。
「あたしの目に間違いは無い。棺桶の中に残っていた耳飾りの、今まで見つからなかった片方じゃ。消えたアイシャ遺体は、此処に運ばれているのかも知れん。
何故、占いでも追跡できなかったのかは、謎だけどね」
ラービヤ嬢は衝撃が大きすぎたのか……老女ナディテから受け取った耳飾りを握りしめて、列柱の下にうずくまった。
こちらに背を向けて……肩を震わせて、無言の嗚咽(おえつ)をしはじめた。
2頭《精霊象》が、困惑して佇むガウタムと、《象使い》ドルヴの肩先を、象の鼻でチョンチョン、と、つつき。
以前から割れて崩れていたと思しき、古代の床タイルの一点を、象の鼻で指し示した。
『すごく気を付けて、相棒ドルヴ。底が抜けてるから』
『? 了解さ、相棒』
気が付けば《精霊象》2頭とも、足元に緊急の水たまりを作っていて、摩訶不思議な《精霊魔法》で……指先1本ほど、空中に浮いている。
海面のうえを歩いて移動する『波乗り象』などという、不思議な伝説や古代彫刻モチーフが存在する理由だ。
思わず、二度見するカラクリ人形アルジー。
『精霊象の精霊魔法って、幾つあるの?』
『ごめん、同族の間だけの公然の秘密なんだ。薔薇輝石(ロードナイト)が適合する相棒が居ると、できる事もある、とだけ明かしておくよ』
『ニャンコも、トリピヨも、あまり話してない内容だろうけど。感度が良いんだねえ、鳥使い姫』
若い《精霊象》ドルーが目をパチパチさせつつ……老《精霊象》ナディと共に、感心していた。
――薔薇輝石(ロードナイト)が適合する相棒が居ると、できる事もある。
(そう言えば、白タカ・ジブリールも、薔薇輝石(ロードナイト)が適合する相棒を得ることができれば、大きな個体になれるとか、
三つ首の巨大化《人食鬼(グール)》も殲滅できるようになるとか、言っていたような気がする)
――同じ人類の男と女の間で協力できなかった民族は、部族社会から発展できず、新たな時代を開く英雄も輩出できず、遂に王国をつくれなかった。
王国の守護精霊となりうる高位の精霊(ジン)との協力関係も、築けなかったのニャ。そして邪霊に食われたのニャ――
そして邪霊に食われた……思い出せば、そこだけ、奇妙に主語が落ちていたような気がする。
怪物の王国で、精霊たちは奴隷の状態だった、という伝承もある。
――相棒ナシで浮遊する《地の精霊》を見ると、その《祝福》を得ようとして《人食鬼(グール)》は狂暴化する、という。
邪霊の側に、一方的に、精霊としての《祝福》の力を奪われて、食い尽くされてしまう……というのは、あったのかも知れない。対抗措置も限られていて、最悪、食われていたのかも知れない。
世界は簡単では無い……
…………
……
(それよりも、いまはガウタム・ラービヤ兄妹と、遺留物の耳飾りの謎と、アイシャ遺体消失の謎!)
カラクリ人形アルジーは、気を引き締めた。
頭部に巻いたターバンから、ベールのように端を幅広に垂らしてつくり出した隙間――退魔調伏の御札もガッツリ吊るした耳元の、秘密の隠れ場所で、相棒の白文鳥《精霊鳥》パルが、ピョコピョコしている。
(アイシャ遺体消失の謎を解決しないと、大勢の《象使い》と関係があるという『ガジャ倉庫商会』が、おかしな事になりそうな気がする。
経営や財務の深刻な疑義が放置されてしまうとか、最悪、『ガジャ倉庫商会』の崩壊とか)
壮年ガウタムと《象使い》ドルヴが、慎重に、瓦礫と化している床石を、どけはじめた。
調査の一環だが、なにやら感じるところがあったのか、クムラン副官やシャロフ青年が加勢した。
中・小の瓦礫除去だけならば、と、セルヴィン少年とオーラン少年も手伝いはじめた。感心な少年たちだ。
一方で。
中年神官と、見習い魔導士ユジール少年は、宴会の痕跡となっている水タバコ装置や賭けチップ、黄金《魔導札》の類を調査し、回収しつつ記録していた。
ブツは、おおむね卑金属やガラス製。だがしかし、怪奇趣味の賭博の場合は、血祭りにあげた邪霊害獣の、お焚き上げを要する新鮮な骨片がくっついている事がある。《魔導札》は再利用できる事もある。
作業分担のうえではあるけれど、それでも時折、2人して「お小遣いになる」と見込んだらしいブツを、個人の荷物に分けて突っ込んでいるのは、モヤモヤするところがある……
…………
……
やがて、シャロフ青年が、照明用の『魔法のランプ』を割れ目の中へ突っ込んで……驚きの声を上げた。
「こりゃあ、下の階層まで、スッポ抜けてますね。吹き抜けっぽいな。地震とかで割れ目が増えてたのかも」
「見せてくれ、シャロフ……お、ここも砕けてたか。意外に穴が広がってたらしいな。今後うっかりする事もあるから、どこまで広がっているのか、可能な限り、穴を広げておいてくれ」
固定されていなかったと思しき破片が、ガシャン、と音を立てて、割れ目の中へと入って行った……入って行って……
――落下音が聞こえて来ない。
その物理的な不自然さに、作業中の全員で気付いた様子。
「どこまで深い穴……割れ目が?」
セルヴィン少年が、琥珀色の目を見張って、少し怯(ひる)んでいる。頭部の保護のために慎重に厚く巻いたターバン。
その布を固定する装飾《精霊石》のうえで、チラリと《火の精霊》の色がおどった。守護精霊の火吹きネコマタが、本来の《火の精霊》のまま、そこを座布団にして宿っているのだ。
「静かに。……ひとつ……、ふたつ。よし。どこかで1回バウンドして、最終的に底、というか水面にボチャ、だな」
同じ地獄耳を持つ覆面オーラン少年が、「同意します」と頷いた。
「いままで偵察隊の報告書にも無かったが、ごくごく浅い噴水プールか、なにかが有るらしいな。オローグ殿、落下にかかった時間は?」
訳知り顔の護衛オローグ青年が、意味深な間を置いて、指を鳴らした。1回……2回、3回。
「自由落下の筈だ。結構、落下距離がでかいな。ケタ数の多い計算は苦手なんだぞ、ソロバン」
シャロフ青年が腰の荷物袋から、魔法かなにかのように、ソロバンを出した。準備の良い部下だ。ガウタムも、ドルヴも、感心した顔になっている。
クムラン副官の手元で、パチパチとソロバン玉が弾かれ。結果が、出た様子。
「……信じられんな。いや古代『精霊魔法文明』、巨人族が繁栄した時代の巨大建築物だから当然なのか。ジャヌーブ砦の最高地点になってる聖火礼拝堂のドーム頂点から、
最下層の氷室(ひむろ)の底……いや、そこから、もうひとつ階層を下げた場合の深さ、まであるぞ。まさかのまさかで、さっきの瓦礫は、最下層まで旅したのか? 最下層には水が有るってのか?」
「1回バウンドしたらしい、とかいう位置は?」
「謎の水面から、繰り上げて、古代様式のドーム屋根の高さ、の辺りだな。構造がどうなってるのかは知らんが、瓦礫を通す程度の穴があるんだろう。
ここみたいに、床タイルで全面を塞いでいない、とすると『タイル敷きの部屋では無いナニカ』という事になるが」
耳を傾けているうちに、カラクリ人形アルジーは、全身の毛が逆立つような思いになっていった。人形に体毛は生えていないが。
――あの、忌まわしい地下のジャバ神殿と、同じような構造なのではないか?
東帝城砦の地下神殿は、ずっとずっと、吹き抜けの空間が続いていた。
あの瓦礫は、たまたま吹き抜けの……《怪物王ジャバ》仮面が掲げられる真ん中の定位置――中央軸――から、絶妙にズレた場所を、落下したのでは?
あの時は、ただただ恐怖に震えて、現実を見たくないあまり、目を閉じたりしていたから……吹き抜けの空間に至るまでの階層が、どうなっていたかは分からない。
古代遺物の展示用の地下1階は、確かに見た。ほかにも階層があったような気がする。下降する階段のほかにも、別の部屋へ通じる通路があったような気がするけれど、よく覚えていない……
…………
……
程なくして、元気の良いシャロフ青年の声が聞こえて来た。
「……もろくなっているのは此処までですね」
「どうも、そうらしいな」
続いてオローグ青年の声、ほか。
計算を済ませた後、再び手分けして、せっせと、穴を広げていたのだ。
いまや、調査メンバー全員、全力で注目している状況だ。
意図的な「破壊調査」による穴の拡大は、止まっていた。
本格的な落とし穴、といった規模。大人ひとり、余裕のサイズ。
そこかしこで、息を呑んだ気配……驚きに、あえいでいる気配も。
「こりゃ、たまげましたや……!」
ネズミ顔の商人ネズルの大声が、エントランス空間いっぱいに響きわたった。
■05■ラビリンス第二層…不意打ちの炎、ひとつの破滅と道開き
先ほどの不意打ちの地震が、刺激になったのか。
大人1名ほどを落下させられる程度には、ポッカリと開いている落とし穴。
おそらくは最下層へ到達するほどの、深い深い割れ目が、その下に広がっている。
ジャヌーブ南、流砂地帯の謎の古代廃墟――ラビリンス第一層とされているエントランス広間に、いきなり開いた、謎の上下貫通孔。
全員で、畏怖の念を抱いて見つめる。
次の瞬間、あの穴から、この世界で最大最強の……かの恐ろしい恐怖の大魔王が出現して来るのではないか?
そんな疑念を、白鷹騎士団のシャバーズ団長も、同時に思いついていたのだった。
「魔導士ジナフ殿、鷹匠ユーサー殿。ひとまず予兆を、占ってみてくれ。私は、あの穴を塞ぐべきか、このまま空けておくべきか、判断がつかんのだ。
あれほど深い穴が突然に開けた、という出来事は、前例が無い」
即座に、それぞれ占術を始める、魔導士ジナフと鷹匠ユーサー。
シャバーズ団長の、なんとなく無精ヒゲを生やした人相――以前、カスラー大将軍から「陛下称号の似合わない男」と酷評された――面差しに、一瞬、全体統率者としての鋭い気迫がひらめく。
「……個人としての覚悟はあるが、同時に私は、メンバー全員の命を預かる立場だ。なにも分からぬ状況へ、部下を放り込むつもりは無い」
「承知しておる、シャバーズ殿」
老魔導士フィーヴァーの、モッサァ白ヒゲが……珍しく、すぼまったままだ。最大級に警戒している様子。その油断の無い鳶色(とびいろ)の視線は、次の瞬間、スッとカラクリ人形アルジーへと向かった。
さすがに「ビシリ」と緊張する、カラクリ人形アルジー。
「やはり、なんらかの非常事態なのじゃろうな。前例の無い事象が相次いでおる。新たに『創造』された、完全なる想定外の要素。条件分岐の産物とは恐るべきものよ。慎重に取り扱わねば」
オローグ青年が、慎重に、穴回りに積んだ瓦礫を手に取って、観察し始めた。
「もう一度、瓦礫を調べてみる必要がありそうだ」
「どういう事だ、オローグ殿?」
「故郷の城砦(カスバ)が山の中ゆえ類推できたんだが、クムラン殿。いったん、穴が開いたのを、こう、瓦礫をジグソーパズルのように組み合わせて、塞いだように見える」
「誰かが、いったん穴を開けて、その辺の瓦礫で、埋め戻して隠したってことか?」
「日焼けの度が違う」
クムラン副官が、オローグ青年の身振りに促されて、陽射しの方向を確かめる。
なんとなく居合わせた冒険メンバー全員も、周囲を見回し始めた。
南国の強烈な陽光は、いつしか、角度を変えていた。多数の割れ目から洩れる陽光は、より南中に近い高度から来ている。
エントランス広間の床タイル表面は、まだらに日焼けしていた。数百年の間にできた割れ目やヒビの順番にしたがって、変色している。
やがて……クムラン副官が幾つかの瓦礫を上下左右にクルクルと回しながら、納得したような顔になった。
「瓦礫は、周囲の床石よりも、日焼け経年劣化の度が進んでる。自然に、陽光による退魔調伏が進んだ瓦礫で、塞ごうとしていたらしいな」
「最近できた穴であることは確実だ。地震か、なにかで天井に穴が開いた。南中する太陽や雨季の豪雨で、急速に床石がやられて、穴が広がった……と結論できそうだ」
オローグ青年が、スッと真上を指さした。
つられて、皆で天井を注目する。
――ちょうど真上に当たる位置の、天井が破れていた。古代様式の――原料が分からない超古代金属で出来ている――梁(はり)が、露出している。
壮大な曲線を描いているのが見て取れる。
あの怪異な、巨大な三つ首ドクロに似た丘を形作る……おそらくは三つのドーム屋根のうちの、ひとつ。
「偶然なのか、ほぼほぼ天頂の位置だな。いつ頃できたんだろう?」
全員の疑問を代表して、シャバーズ団長の声が響いた。
早くも白鷹騎士団の専属魔導士ジナフが、静かに応答する。
「我らが《白羽の矢》占術の得意分野です。20年から30年ほど前。30年前に近い頃、最初のヒビ割れがあったようです」
専属魔導士ジナフは、つづけて、思案深げに言葉を継いだ。
「ただ、きっかけの事件は、よく判りません。かの邪悪なる天才《炎冠星》暗殺教団は、ここでも盗掘や《魔導》実験を多数おこなったとの記録がございますゆえ、その頃から何らかの干渉があったかと」
鷹匠ユーサーが、例の水盤からキビキビと顔を上げた。
「老魔導士フィーヴァー殿ご指摘のとおり『条件分岐の産物』だそうです。『天の書』――天の運行によるもの。穴を塞いでも、再び開くとのこと。地震の増加も原因なのでしょう。ゆえに、このまま放置で」
「なるほど。実際、穴が開いた瞬間に邪霊害獣が飛び出して来なかったんじゃ」
老魔導士フィーヴァーの白ヒゲが、何かを言いたげのようにモサモサと震えた。老魔導士の頭脳は高速回転しているところだ。
「それ自体、邪霊害獣が一方的に走り回る経路では無いことを示しておるな。
この下のラビリンス第二層は、前回の調査報告から、それほど変わらぬ情勢に違いない……中・小の邪霊害獣と遭遇する程度じゃろう」
「御意。穴が開いたのは偶然。しかし穴が塞がれたのは『意図的』。盤面が示したのは、それのみ。必要ならば、我々の手で解き明かすまででございます」
説明を終え、鷹匠ユーサーは慎重に水盤を荷物袋へ戻した。
クムラン副官が慎重に瓦礫を片付け、腕組みをして思案ポーズになる。
「これだけの瓦礫を動かして、わざわざ意図的に穴を塞いだヤツがいる訳だ。犯罪では無いが、だれが最初に穴を発見して、何故に報告もせず、そのまま穴を隠したのか……気になるな」
「右に同じく、クムラン殿」
オローグ青年がターバンを直しつつ、慎重に頷いた。
「第一発見者には栄誉と褒賞が約束されている。その誰かにとっては、それよりも遥かに、穴の存在を隠蔽するべき重大な理由があった、ということになる。
思いつくのは暗殺教団くらいだが、そうした痕跡は無い。謎だな」
*****
順番に、勇気のあるメンバーたちが穴をのぞき込んで、検討しはじめた。
「ラビリンス第二層の床タイルは確認できる。ここよりもでかい割れ目が、真下にある。あれが、もっと深い層まで貫通してるらしい」
「今までのどの偵察隊の報告書にも無いルートだな。ラビリンス第二層へ降下する定番ルートから大きく外れている」
「秘密の扉がありそうだ。通路か? 方向は見当がつくから、降下した後で、調査済みのラビリンス各部屋を抜けて目指す形になるか」
「第二層にも各種の邪霊が沸いてる筈だが、何故この割れ目まで取り付かなかったんだろうな」
「それは潜入してみないと判らん。この穴からぶら下がる方法は……危険すぎる。ヘタしたら最下層まで一直線だ」
前回の偵察隊から引き継がれた調査マップと比較しつつ、斥候の資格を持つメンバーが、検討した方角などをメモする。
そして、シャバーズ団長や専属魔導士ジナフ、虎ヒゲ・マジード、老魔導士フィーヴァーなどと共に、次の計画を相談しはじめたのだった。
カラクリ人形アルジーも順番に並んで、そっと穴をのぞいてみた。最後の順番になっていたが、鷹匠ユーサーが几帳面に付き添ってくれた。
「ラビリンス第二層から過去に見つかった発掘物とかはあったりする?」
「帝都創建の頃は、《象使い》ナディテ殿の言う『三つ首ドクロ壺』の欠片が掘り出されていたとの……記録では無く、伝説がございます。
超古代の頃は、巨人族や《人食鬼(グール)》交易の物流倉庫の類だったとか」
近くに佇んで様子を窺っていた老女ナディテが、感心したように、フーッと溜息をつく。
「すごい記憶力だねえ、鷹匠ユーサー殿。あたしゃ、自分で言ってて失念してたよ」
その隣にガウタム・ラービヤ兄妹が並んでいて、いまだに驚愕の眼差しで、穴を見つめつづけていた。
いまや、そのラービヤ嬢の左右の耳には、亡きアイシャの形見という青い耳飾りが装着されていた……
……耳飾り。
アイシャ遺体は片方の耳飾りをしたまま行方不明になった。此処へ運び込まれて、此処に横たえられた……?
不意に、アルジーの中で、ギクリとするものがある……
――こんな事、ここで言える?
アイシャ遺体は、たまたま、ここに配置されていた?
地震などで、いきなり穴が開いたとして……近くに居た誰かが、あわてて、アイシャ遺体の落下を止めようと……遺体がまとっていた死装束とか、手首とか掴んで……
耳飾りが、その弾みで、外れて飛んでいたとしたら。
先ほどシャロフ青年が発見していた位置になるかも知れない。
――アイシャ遺体は、割れ目を落下して……もっと深い層へ……ラビリンス最下層へ?
霊魂アルジーの耳に装着してある「ドリームキャッチャー型の耳飾り」分霊が、意味深に、魔除けの霊的な音を立てた。
――「その不吉な直感が正しい」とでも言うかのように……
*****
冒険メンバーは手際よく装備を整えて、ラビリンス第二層へと向かった。
ラビリンス第一層とされているエントランス広間の奥まった一角、比較的に装飾の少ない、広大でガランとした「突出の間」へと、足を踏み入れる。
一定距離ごとにまばらに支柱が並ぶ、開放的な空間だ。支柱の間の巨大な開口部から、ジャヌーブ南の流砂地帯が一望できる。かつては、踊り場や搬入口に相当するような部分だったらしいと論じられている。
この開放的な「突出の間」の南側だけが、壮大かつ重厚な、城壁さながらの石積みの壁だ。その壁に、いきなりポッカリと巨大トンネルが開いていて、下降する坂道が始まっていた。
ジャヌーブ商会の商人ネズルは、廃墟に関する先行報告をみっちり読み込んでいた。
物珍しそうにキョロキョロするセルヴィン皇子と従者オーラン少年をはじめとする、廃墟について初体験な冒険メンバーに、立て板に水で解説している。
生き字引な老女《象使い》ナディテも「博識じゃのう」と感心するほどの通暁(つうぎょう)ぶり。
老魔導士フィーヴァーでさえ、ほぼほぼ商人ネズルに、観光ガイドを任せきりであった。観光している場合では無いが、最低限の前提知識は必要だ。
オベリスク広場では無く、この「突出の間」を経由して第二層へ潜入するのも不可能な訳では無い。
この廃墟が鬱蒼としたジャングルの中にあった古代は、この「突出の間」から巨大な主要道路が延びていたという、かなり確かな伝承がある。
しかし、乾燥しきった現代、もはや古代道路は深い流砂の下に埋もれてしまった。実際、いきなり流砂が始まっていて、危険のほうが大きい。
あまりにもサラサラした流砂のうえで足を踏ん張るのは難しく、流れる砂の下に埋もれかねない……
セルヴィン少年がさっそく、不思議そうに首を傾げ。
「こちらの側は、オベリスク広場と比べると随分と地盤沈下してるんだな。標高の位置が低い」
「ご指摘のとおりですや、セルヴィン殿下。極度の乾燥が進んで流砂地帯となると共に、地下水層の水位が大きく低下したんですや。大量の水が抜けて、地盤沈下したんだや。
オベリスク広場の側は、ジャヌーブ沿岸ジャングルからの地下水の供給がつづいているから、古代のままの標高がつづいてるんですや」
「よく分かった。納得したよ。ありがとう」
虎ヒゲ・マジードの率いる斥候メンバーが、騎馬で手際よく要所を偵察して回り、簡単な報告をあげた。
後始末のなっていないような侵入者は「突出の間」への関心が薄かったらしく、問題になるような残留物は無い。
毎度、流砂地帯へ開けている開口部のほうで、フラリと単発の《三つ首ドクロ》が沸く。若い《精霊象》ドルーが、長い象の鼻で「パチリ」と撃ち落とした。
そして……急に象の耳をパタリとやって、開口部の下――流砂をのぞき込む。《精霊象》ドルーは、ビックリしたように「ぱおん」と鳴いた。
『ありゃ、ワッ。沸いて来たアレ退魔調伏したほうが良いよ。突然変異で知能がある。世が世なら《怪物王ジャバ》側近になる将軍とかの個体だよ。片言《精霊語》で「オマエラ、ゼンブ食ウ」と宣言して来た』
壮年《象使い》ドルヴも、象の背中から身を乗り出して、「お、おぅ」とドン引きした様子だ。
商人ネズルが「なんですかや!?」とばかりに、立て板に水を止めて、ビョンと飛び上がる。
見ると、開口部より半階層ほど下にひろがる流砂のうえで、ドヨドヨしている、忌まわしい異形。
かなり大型化した三つ首《蠕蟲(ワーム)》が一体。
群れを作っていない。冒険メンバー全員を、すなわちエサを、独り占めして、美味しくいただくつもりなのは明らかだ。
上半身でぶつ切りにしたような寸胴の後半にあるのは、《人食鬼(グール)》の二本足では無い。
貧弱なクラゲ足さながらの「ウネウネする糸状の集団のナニカ」。三つ首《人食鬼(グール)》への進化と増強の過程を、間違ったかのような……
――進化の過程を間違った、とは言えないかも知れない。このような流砂では、クラゲ足のほうが、効率的に移動できるかも知れない。確かに、巨人族よりも知能はありそうだ。
忌まわしい三つ首の「ナンチャッテ砂漠クラゲ《人食鬼(グール)》(?)」は、ぎらつく黄金色をしたクラゲ型の多足を高速で動かして、半階層の落差をよじ登ろうとしている。
よじ登ろうとしつつ、左右の手に交互に、新しく《三つ首ドクロ》を召喚して、戦士の間で定番の競技「砲丸投げ」でもあるかのように、投げつけて来た!
「信じられん! あいつ《三つ首ドクロ》を、《魔導》召喚できるのか!」
「かなり形が仕上がってるほうの《人食鬼(グール)》型だ、気を付けろ!」
「来るぞ、《三つ首ドクロ》が!」
反射神経の良い斥候メンバーが、退魔紋様の三日月刀(シャムシール)でもって、次々に《三つ首ドクロ》を斬り捨て……無害な熱砂にする。
次から次へと、《三つ首ドクロ》が召喚されて、ボン、ボン、と投げ込まれた。
白鷹騎士団も応戦する。
商人ネズルも退魔調伏ハタキを振って叩き落とすが……焦って、打球棒(バット)のように振り回して、《三つ首ドクロ》をボールのように打ち返してしまう。とはいえ、結構なホームランだ。
退魔調伏の御札が貼り付いた位置から、真紅の熱砂が流れ、空中をたなびいている。
「野球じゃないんですぜ、ネズル殿」
「分かっとりますや!」
外野がワチャワチャしている間にも、目を見張るような反応速度でもって白鷹騎士団の一部が隊列を組み、一斉に弓矢を構えた。
「火矢を打て」
シャバーズ団長の指令が飛び、白鷹騎士団の得意の弓矢が、発射された。
寸胴の胴体が、真紅の熱砂となり、流砂のうえへ撒き散らされる。
そして《精霊象》ドルーが慌てたのも納得の、想像以上に執念深い個体であった。唯一、原形を残した三つ首が、上下のあごの間を非現実的なまでにグングン伸ばして、上昇して来る!
あまりにもあまりな……悪夢のごとき三つ首の異形が、「突出の間」の中ほどの高度まで到達した。
「ひええぇ!」
初見だったらしく、商人ネズルが腰を抜かして、ひっくり返った。
腰が抜けた時の状況は、よく分かる。足に力が入らなくなるのだ。自分でもおかしくなるくらいに。
カラクリ人形アルジーは素早く商人ネズルを引っ張って、共に《精霊象》ナディの足元へと転がった。老いた象の長い鼻が、さっそくガードしてくれるのを感じる。
鷹匠ユーサーが間髪入れず、白タカ・ノジュムを放つ。
つづいて白タカ・ジブリールも。
白タカ《精霊鳥》2羽の連係プレー。鋭いタカの爪が、宙に浮いた三つ首の頭部をズタズタに切り裂いた。切り裂いた箇所から急速にバラバラと崩れ、無害な熱砂と化す。
形が崩れて動きが鈍くなり、いっそう「ゲテモノ」と化した異形の頭部へ……再び弓の名手によって、退魔調伏の御札を巻き込んだ矢が発射された……
…………
……
順調に退魔調伏が完了した。
いまや邪霊害獣だったものは、ひとかたまりの真紅の熱砂となって、流砂の上に散らばっている。
帝国有数の危険度で知られるジャヌーブ地方。
膨大な流砂の下に、定番の三つ首《蠕蟲(ワーム)》のほか巨大な《三つ首ゴキブリ》《三つ首ムカデ》《八叉巨蛇(ヤシャコブラ)》といった、恐ろしい砂漠の怪獣が潜んでいたりするのは、お約束だった……
「済まない。私の生贄《魔導陣》が呼んだ個体かも知れない。久し振りに強めの発作があって」
セルヴィン少年が心臓を押さえてゼィハァしていた。目まいや頭痛も出たらしく、もう片方の手で頭を押さえている。従者オーラン少年が、いつもより多めの体力回復《紅白の御札》を貼っていた。
中年神官ゴーヨクが「どうしたものか」と思案ポーズになり、シャバーズ団長へ進言しはじめる。
「いかがでしょう、セルヴィン殿下には、オベリスク広場まで……いや、ジャヌーブ港町の商館へお戻りいただくというのは。医療環境も、退魔調伏グッズも充実している。
あの帝国皇帝(シャーハンシャー)の命令書にも『手段は問わぬ』と記してあったんですから、待機というのも手段のひとつな訳でして」
「それを決めるのはセルヴィン殿下ご本人ですから、神官どの」
シャバーズ団長が、気づかわし気にセルヴィン少年のほうを、うかがい。
ヒョロリ皇子セルヴィン少年は、頑固に首肯した。
「このまま行く。引き返さない」
「承知いたしました、殿下。体調回復されしだい潜入をはじめましょう。邪霊害獣の様子見もございますから、お時間については、お気兼ねなく」
シャバーズ団長がなめらかに一礼する傍で、中年神官ゴーヨクは真紅の長衣(カフタン)の裾をいじりつつ、不満げな表情であった。
当座の脅威が解消したことで、中年商人ネズルが、ようやく落ち着きを取り戻した。世俗的なことには感覚の鋭い商人だ。中年神官の振る舞いを興味深そうに観察している。
「転売疑惑の取引を見ると、神官ゴーヨクさん、帝都の金融商ホジジンの手先っぽいんだや。第三皇子ハディードへの献金と見せかけて、ホジジンへの迂回の賄賂らしき大金が動いてたや」
「訳知りですね、ネズルさん。興味深い話」
「セルヴィン殿下、帝都大市場(グランド・バザール)の偽造宝石ショップ摘発の実績ありますやん。相当に影響あったらしくて神官ゴーヨクさん、損失だのなんだの怒り狂ったとか。
港町に愛人と豪邸を買ってたやが、その後ローン未払つづき。収入ほとんど金融商ホジジンにむしり取られてそうだや。各商会の間でも、信用ブラックリストなんだや」
――そんな事があったとは知らなかった。
カネに対する執着なら、アルジーも負けない。ガッポガッポな額面を想像して、カラクリ仕掛けの手をワキワキさせて、ウキウキしていると。
手乗りサイズのちっちゃな火吹きネコマタがやって来て、2本の尾の先でパチリと火花を打ち上げた。呆れたように。
『すごく「化け猫オニババな悪人顔」してるニャよ、鳥使い姫。そのスナギツネ顔が限界なのは我らの限界ではあるが、セルヴィンとオーランを別の意味で怯えさせるのは控えてくれニャ』
クルリと振り返ると、確かに。
2人の少年が、いささかドン引きの様子で、こちらを、うかがっている。
我に返り、スナギツネ顔の糸目を糸のように細くして「え、えへ?」と笑みを引きつらせるアルジーであった……
…………
……
やがて、白鷹騎士団は陣容を整え、ポッカリと口を開けているトンネルの内部へと踏み入った。
ジャヌーブ砦の軍用通路でも定番の、幅と角度のある坂道――地下通路が、進行方向に展開している。
その地下通路の高さと幅は、象の巨体でさえ、ゆうゆうと2頭分がすれ違える規模。「貿易倉庫や物流倉庫の類だったのではないか」と論じられているのも納得の、大量運搬に適した通路。
――人類の種族にとっては悪夢と恐怖の大魔王の時代だったとはいえ、古代『精霊魔法文明』は、どれほど高度な繁栄を極めていたのか、と驚かされる。
騎馬と騎象でもって、スピード降下する。
カラクリ人形アルジーは、緊急対応ができる鷹匠ユーサーの馬に、ユーサーと共に相乗りする形となった。
老女ナディテの《精霊象》に乗せてもらった時の応用で、なんとか馬の鞍につかまる事が出来る。
ちなみに、セルヴィン少年とオーラン少年も、一頭の馬に相乗りという形である。セルヴィン少年が、またいつ生贄《魔導陣》による発作を起こして失神するか、分からないためである。
第二層へつづく地下通路は、ぐるりと、巨大エントランス広間に相当する規模の面積を回り込むように、建築されていた。
壮大かつ意味深なカーブ。石積みの端は経年劣化でボロボロになっているものの、まだまだ頑張れるという堅牢さ。古代文明の技術の驚異。
一定の間隔で、明かり取りと換気のための上下貫通孔が設けられている。
真昼から昼下がりの今は、外光が差し込んでいて、意外に明るい。周辺にいくらでもある岩石が建築素材となっていることもあり、人類にとっては、まだ馴染み深い空間だ。
毎度の、単発の邪霊害獣《三つ首ドクロ》《三つ首ネズミ》が沸いて来る。此処まで降下すると、《三つ首コウモリ》も出現する。
定番の紅白《退魔調伏》御札や《邪霊退散》御札で、無害な真紅の熱砂に変えつつ進む。退魔紋様の盾が、意外に「パワーアップ版コウモリ叩き」となっていた。
攻撃的な個体は、退魔紋様セット三日月刀(シャムシール)などといった武器で蹴散らす。
程なくして、坂道の角度が消えて、平坦な通路となる。
「先行の偵察隊や冒険団の報告書によれば、此処が、ラビリンス第二層だ」
「やはり地上が遠くなった分、暗くなったな。上下貫通孔の位置は、先行の偵察隊の時から変わったところは無いが。此処で、地上のあの三つの丘の周りを一周した位置になる。松明を出してくれ」
露払いを務める虎ヒゲ・マジードの斥候グループが、慎重に、進行方向へ向けて、松明を左右した。
グルリと照らし出された空間は、いままで下降して来た通路の幅と高さを維持している。大通りに匹敵する規模だが……広間というような感覚は無い。
そして、前回の偵察隊や冒険団のメンバーが、分かりやすく設けた道標――石畳で出来た路面へ、進行方向を示す記号を刻んである――が、列を成して残っていた。
「まずは、この先を点検だ。者ども、来い」
虎ヒゲ・マジードが大斧槍(ハルバード)を構えつつ、総勢5人ほどで先行する。
腕っぷしに定評ある《象使い》ドルヴ、最近の様子を知る壮年ガウタムも、虎ヒゲ・マジード小隊に同行している。
後方待機組に混ざって、注目するアルジー。
斥候の移動ごとに、松明も移動する。光源の移動に伴って、奥の様子も照らされていった。
路面に刻まれた道標に沿って進んだ先に――古代様式アーチ出入口が、そびえている。
その様子を初めて眺めたセルヴィン皇子が、「大きいな」と驚嘆の声を上げた。やはり、実際に見ると衝撃、というところ。
古代巨人族の体格に合わせた、巨大建築の類である。一般的に見かける聖火礼拝堂のアーチ出入口の、3倍くらいの大きさ。
壁の音響反射でもって、斥候チームの情報交換の内容が、意外に近くに聞こえる。
「あれが第三層へ潜入するルートだ、友ドルヴ。此処から先、中型・大型の邪霊害獣の出現率が急に高くなる」
「前回の冒険の時から変わったところは? 友ガウタム」
「ほぼ変化は無さそうだ。《人食鬼(グール)》は、おそらくもっと深い層に設置されていると思われる《魔法》か《魔導》経由で、ジャヌーブ砦に面する『異常氣象の岩山』から、一気に、大量に沸いて来る。
ジャヌーブ砦を攻略するのに、物理的な、こうしたアーチ出入口の移動が面倒なんだろうな」
「邪霊の異次元の通路『超転移』。現代は、ほとんど精霊界の《魔法の鍵》管理下にあって、ほぼほぼ《精霊魔法》。
巨人族や暗殺教団の類も勝手に発動できない……とはいえ古代『精霊魔法文明』も、厄介な高度技術を残してくれたもので」
虎ヒゲ・マジード小隊は手際よく、古代様式アーチ出入口の各所を松明で照らしていた。
斥候チームの手で、点検作業がみるみるうちに進む。
古代様式アーチ出入口の周りには《邪霊退散》紋様を掘り込んだブロック石が隙間なく並べられていて、ちょっとした階段セット控え壁さながらだ。
この先へ冒険者たちが潜入する時は、階段を昇降するようにして、段差を乗り越えて向こう側へ渡る形。
総仕上げと言わんばかりに、帝国軍仕様の強力なドリームキャッチャー護符5個ほどが、配列されている。最近ジャヌーブ砦から派遣されていた勇敢な先行偵察隊が設置したものとの事で、新品の状態だ。
盗掘に入る盗賊も《人食鬼(グール)》や邪霊害獣の大群は恐怖らしく、例外的に荒らされていない。
「ここのところ地震が続いているとの報告があるんだけど、目立った影響は無いみたいだねえ」
見晴らしの良い《精霊象》ナディの背中の鞍には、老女《象使い》ナディテと、若いラービヤ嬢が相乗りしていた。
ラービヤ嬢のほうは、老女《象使い》ナディテの護衛-兼-介助要員といったところ。老女ナディテが手頃な望遠鏡でもって、虎ヒゲ・マジード隊の点検作業を熱心に眺めていて……その姿勢が、時々ぐらつくのだ。
こういった状況は、以前にも頻々とあったらしく、スムーズに連携が取れている様子。
カラクリ人形アルジーは、肩先で、ベール型にしたターバンの隙間からキョロキョロしている相棒の白文鳥パルへ、そっと呟いた。
『あの《象使い》ナディテって、王侯諸侯の人だよね』
『必要なら帝都宮廷のお歴々へも殴り込める人だね、ピッ。アリージュは、皇子セルヴィンと従者オーランの、宮廷の地位確立に必要な人脈を仲介できたよ、ピッ』
『あ……《火の精霊》さんも言ってたっけ。セルヴィン皇子が宮廷における政治的立場を確立するまでは、いまの皇帝に死なれては困る……とか』
『クムラン君が「天罰女神(ネメシス)」とまで恐れる女傑につなげたのは大金星ピッ。あとは火吹きちゃんと2人の才覚にお任せピッ』
*****
単発《三つ首コウモリ》が、チラホラと飛び交う。エサとなる人類や馬の滞留を感じた様子。
出現する邪霊害獣の種類や個数が増えるのは、第三層に近い場所ならでは、というところ。
手慣れているメンバーたちが、襲いかかって来る邪霊害獣を退魔紋様セット武器で迎え撃ち、順番に無害な熱砂にする。
人類にとって優秀な機動力であり頼りになる相棒でもある馬を、ズタズタに吸血されては、たまらないからだ。
白タカ・ノジュムと白タカ・ジブリールも、白鷹騎士団と契約している守護精霊として、チームを組んで手際よく片付けている。
早くも、その横で、専属魔導士ジナフと斥候チームとが、ラビリンス見取り図を眺めはじめた。
そろって首を傾げている。
「先ほどの割れ目は、いままでの通路に直接には空いていなかった」
「秘密の抜け道か、秘密の部屋か……ラビリンス第二層には多くの先行調査が入っているが、まだ発見されていない空間があるのか。方角で言えば、一区画から三区画ほど戻った位置だと思うが」
「あんな規模の割れ目が急速に崩れないということは、傍に支柱か、梁(はり)が通っているんじゃないかな。壁を崩すことになるか? 邪霊害獣が大量に沸く危険が予想されるから、今まで誰もやってないが」
*****
やがて老女《象使い》ナディテが、望遠鏡を降ろした。
首を傾げながら、横に居た中年商人ネズルへ問いを投げる。
「最近、地震が観測されてるけど商人さん。ジャヌーブ商会では、地震の発生原因とか推移とか、どういう風に見てるんじゃ? 変な噂も色々聞いてるんじゃろ?」
「詳しい内容となると、雨季に定期的にジャヌーブ砦から派遣されてる偵察隊からの報告書が頼りだや。我々ジャヌーブ商会でも、沿岸の宝探し投資家や冒険者たちの報告を超えるような情報は持ってないですや」
商人ネズルが、ロバの鞍の上でブルルと震え、座りなおしながら応答する。
「ただ、お察しのとおり顔の広すぎる取次業者ディロンが色々聞き込んで来るんですや、それこそ不法行為に片足突っ込んでる賭場の噂もね。
偵察隊が潜入した時の地震は一段と大きかった……その直前に、なんか異例な奴がうろついていたようだ、という噂がありますや」
「異例な奴? 初耳だよ商人さん。怪奇趣味の賭場で、シャレコウベを頭に乗せて踊ってるのは見かけるようになったから、そういう類は、ディロン君も異例とは言わんじゃろ。どんな奴じゃ?」
「信用度かぎりなくゼロ、とは言っておきますや」
商人ネズルは「うーん」と首を傾げはじめた。
「ガラの悪い巨人族が、ラビリンス第三階層よりも下を――ずっと下の階層らしい――忌まわしい邪霊害獣の血だらけで、うろついてた、という怪談があるんですや」
持ち前の地獄耳で聞き付けたらしい――『鬼耳族』クムラン副官が目をキラキラさせて、ヒョイヒョイと駆け寄り、調子よく突っ込んだ。
「初耳ですぜ、商人ネズル殿。昨日のエントランス退魔調伏に備えての検討会じゃ、巨人族の「キョ」の字も、出なかったじゃないですか」
「酒場の船乗りたちの、肝試し勝負の怪談ヨタ話なんだや。ただ、廃墟の黒ダイヤモンド発掘に関する補強ネタが出てたから、
ディロン殿がえらい興味を持って、船乗りシンドも巻き込んで、その話を追ってたんだや」
商人ネズルは、集中的に思案しはじめた。断片的に聞きかじった話のようだ。
「カネと命が掛かってるこの現場で、ヨタ話を真剣に検討してるなんて信じられませんや」
やがて……前後の秩序がまとまった様子で、商人ネズルはポツポツと語り出した。
「航海の時、神殿の学士資格もちの占い屋を雇うんですや。嵐の接近や海の怪物の接近を占う……天気予報の担当なんで、そりゃもう真剣に見定めて。
その占い屋の水晶玉を通した目撃談や。清め塩とか御神酒とかでシッカリ清めたヤツだけど、混線した水晶玉の解釈の、伝聞の、伝聞を、マジメに考えるのも、どうなのかや」
馬上で、早速ピンと来るカラクリ人形アルジー。
民間の代筆屋の習慣でもって、即座に速記を始める。
相乗り警護を務める鷹匠ユーサーが、カラクリ人形アルジーの無言の意図をよく読み取り、さりげなく騎馬を、商人ネズルの近くに寄せてくれた。
「あくまでも酒場の船乗りたちの怪談ですや、ご注意のほど。
占い屋いわく、その巨人族、地震が起こる直前のタイミングで、どっか深い階層の金ピカ祭壇で、どでかい黒ダイヤモンド王冠を発見したらしくてね、それを頭にハメたんだや……」
耳を傾けているうちに、カラクリ人形アルジーは……何故か、ゾクリとするものを感じていた。
モレなく書き留めなければ。あとで、じっくり検討できるように。
正体不明の黄金祭壇。黒ダイヤモンド王冠。
その王冠は……変身中の『邪眼のザムバ』の頭部からニョキニョキと生えて来た、あの異形の構造物と、共通の意匠だろうか? あるいは、その種子となるものだろうか?
――不吉な予感がする。
この怪談ヨタ話、真実かも知れない……
…………
……商人ネズルの「ヨタ話」語りはつづいた。
「その瞬間、その巨人族、おかしくなったらしくて暴れ狂ったんだや。占い屋の水晶玉の脚色かも知れんが、沸いて来た邪霊害獣を100体や200体は千切って投げ、床石10枚や20枚、支柱10本くらいは破壊したとかや。
水晶玉の観測タイミング的に、この間のジャヌーブ砦を襲った異常氣象すなわち《人食鬼(グール)》連続の襲撃や、それに伴う地震だったりの、原因かや、てことで」
「知能退化してる現代の巨人族なら、そのくらい、やりそうじゃ。真剣に検討する必要があるね」
老女《象使い》ナディテは感心の面持ちで、ネズミ男ネズルを眺めはじめた。
「ヨタ話にしてはスジが通っている。ディロン君が、ラーザム財務官の周辺に、黒ダイヤモンド発掘の投資話をばらまこうと企てたのも納得できるよ」
「俎上(そじょう)に載せる程度の価値はありそうですかや《象使い》の婆さま」
「うん。邪霊使いの色々な禁術《魔導》のほうに注目してたから、盲点じゃった。この廃墟を建築したという実際の歴史伝承すら、巨人族の中では途絶えてる様子だからね」
「占い屋もピンキリや、ホントとウソと半々でね。ジャヌーブ商会でも扱いかねて判断保留、ディロン君の嗅覚に任せきりでしたや」
商人ネズルは、フーッと息をついたところで、なにやら、ピコーンと閃いた顔になる。
「巨人族と言えば、商売仲間の船乗りシンドが『サイコーに陰険な巨人を見た』とか言ってましたや」
ラービヤ嬢が、「アッ」というような顔になった。すぐに訳知り顔になり、何度も相づち。
「少し前までジャヌーブ港町の方々に、『危険取扱注意=巨人族=警報』が回ってたわ、確かに」
「そうなんだや、ラービヤ嬢。南洋の『巨人の島ジャヌー』から新しく渡海して来たデカブツ。名乗りと人相が正反対ってヤツだや。
もうターラー河船で上京した後だから、いまは警報が解除されたや。廃墟で暴れた巨人と同一人物かどうかまでは知らんが、なんかウヨウヨしてるかや、ねぇ」
*****
程なくして、虎ヒゲ・マジード小隊による点検と再整備が終わった様子だ。
虎ヒゲ・マジードを先頭に「前線、異状なし」との報告を受けるシャバーズ団長。
「あの謎の割れ目は何処に開いているんだろうな。邪霊害獣の出入りが無かった穴だ。この辺に開いていれば、うってつけの事前偵察ポイントになった筈。
皇帝の、あの無茶な命令書がある以上、ここは思案のしどころだ」
定例の偵察隊と同じ標準的なコースを辿るなら、ここで一旦、小休憩。満を持して、より困難な第三層へ、可能ならば第四層へ潜入する。
第三層は、より増強した邪霊害獣が沸いて来るため、労力に対して成果が乏しいことが知られている。そこらじゅう盗掘の痕跡だらけ、という事も。
そして第四層は《骸骨剣士》が多すぎるうえに、大型の邪霊害獣や《人食鬼(グール)》との遭遇率が急上昇する。ほぼほぼ、即時退却を余儀なくされる。生還率も低い。
当然ながら第四層の詳細は判明しておらず、見取り図も、ろくなものが無い。「盗掘の痕跡がずっと続く。第三層と同じパターンで、降下すると思しき出入口が存在する」という伝聞があるだけだ。
「ともあれ、いったん小休憩とする。毎度、三つ首ドクロが跳ねてるな。邪霊退散の結界を敷け。ジナフ殿、あらん限りの手段で、あの割れ目の位置を精密に特定できるか試してみてくれ」
「承知でございます」
*****
貴重な小休憩の時間だ。
食べ歩き程度の量ながら、軽食とお茶。武器の点検。
三つ首コウモリに貴重な食物を奪われないように、コウモリよけの退魔調伏パラソルが開かれ、その下で荷物が解かれる。
必要は発明の母。ジャヌーブ砦の界隈は、退魔対応グッズの種類が豊富だ。
カラクリ人形アルジーは「ぼろい荷物袋」から筆記一式を取り出しつつ、セルヴィン皇子へ声を掛けた。
「今のうちにまとめたい文書があって、《火の精霊》さんお借りできる?」
「いいですよ?」
セルヴィン皇子は不思議そうに、目を金色にきらめかせながらも、魔法のランプを差し出してくれたのだった。
魔法のランプにネコミミ炎が灯り、光源となった。
あらん限りの筆の速度で、先ほどの速記メモを、正式な報告書の様式へと整備する。
「さっきの、巨人族が、どこか深い階層の祭壇で暴れたらしいとかいう、談話? あ、謎の深い穴の発見とか」
「すごい筆が速いですね。プロの書記みたいですね……っていうか、神殿の御札の代理作成って、そんなに、低コスト大量生産の方式ですか?」
セルヴィン少年と、覆面ターバン少年オーランが、絶句気味に……ポツポツと感想を呟いた。アルジーの筆記作業を観察しつつ、次の紙を補充してくれる。
謎の穴が開いた過程、クムラン副官の計算結果などは、シッカリ記憶しておいた物だ。念のため後から追記修正するための行間スペースも合わせて、みるみるうちに、30枚ほどの報告書に仕上がる。
「よっしゃ。お蔭で頭に入った。必要ならシャロフ君の速記と一緒に施錠保管しても大丈夫よ、オーラン君。あとで、砦への報告にも使えると思うし」
「はあ」
オーラン少年は唖然としながらも、手際よく、アルジーから受け取った紙束を綴じはじめた。セルヴィン皇子が隣からのぞきこみ、金色に染まった目をパチパチさせる。
「ジャヌーブ砦どころか、大神殿への報告書にも、そのまま使えると思う……」
――そんなモノなのか。
役所の文書や公文書のアレコレのイロハを色々と教授してくれた、赤ヒゲ『毛深族』バーツ所長サマサマだ。
元々はトルーラン将軍や御曹司トルジンの不正ビジネスの証拠をスッパ抜くという、市場(バザール)界隈ならではの諜報戦の目的が含まれていたものの……
カラクリ人形アルジーが、シミジミ回想に浸っているうちに、オローグ青年やクムラン副官へも回覧された様子だ。順番に絶句の気配。
さすがに砂ボコリが入った関節は動かしにくかった。久し振りに、生前の時のような疲労感。
――老魔導士フィーヴァーの手つきを観察して、関節の手入れ方法は、なんとなく分かって来ている。
右手、左手、と順番に手首の関節をパカリと外し、拾っておいた毛玉ケサランパサランで、砂を払っておく。
「カラクリ人形の身体に馴染んでるね……」
セルヴィン少年が、怯(ひる)んだような苦笑いを浮かべた。怪奇パンクホラーな光景ではあるから、人類のひとりとして、とても理解できるところだ。
ふと周辺の状況を見回す。
……中年神官と、その助手の見習い魔導士ユジール少年は、邪霊害獣の残骸を探って、金目のブツを確認している様子だ。
邪霊害獣の退魔調伏が不完全に終わるケースも多く、そこでは、黄金色にぎらつくビーズのような穴あき骨片が見つかりやすい。《邪霊害獣の金鎖》素材だ。
一般的には歓迎されるブツでは無いが、退魔紋様を施した製品の品質検査で、一定の需要がある。増強型の邪霊害獣の骨片などは、《魔導》工房で高く売れる。
微妙にモヤモヤする感触を抑え込んで……圧倒的存在感な《精霊象》へと、視線を向ける。
2頭《精霊象》巨体のかたわらで、2人の《象使い》が、象の形をした『魔法のランプ』をともして南国茶を淹れていた。
トピックは、ジャヌーブ沿岸の各商会が独自に派遣した冒険団の報告書の、おさらいだ。
カラクリ人形アルジーは興味津々で、古代ガジャ風『魔法のランプ』のエキゾチックな造形に見入った。
全体的にふっくらとした象の形をしており、4本足が、そのまま台座となっている。長い象の鼻が優美なパイプラインを描いて持ち上がっていて……その先で、チロチロと炎が燃えている。
老女ナディテが、カラクリ人形アルジーの興味津々な視線に気づき、振り向いて来た。
「物理的な茶は飲めないんだろうけど、好みはあるかい、スナギツネ娘さん? 余りの湯があるよ。線香を立てることもできるけど」
「あ、それでしたら、これ試してみたいなと」
さっそく、街道の小さな市場(バザール)で購入した、白漆の香箱を差し出す。パカリと蓋(フタ)が開かれ。
「リコリス・ヴァーユかい」
「よくご存じですね?」
「潮風による喉荒れ対策の定番じゃ」
老女《象使い》ナディテはキラーンと目を光らせ……一緒に入っていた商品タグも合わせて、即座に鑑定してしまった様子だ。
「結構な掘り出し物じゃね。船乗りの贈答品とかの余り物の類かね。製造した年は凶作による原料不足――サボテンリリー香料の不足で、大変だったらしいけど」
かくして手際よく予備の茶器に、薄紫色をした砕片から滲出された茶が満たされた。定番のハーブティーの色をしている。
「草原リコリス茶葉と、砂漠サボテンリリー香料とが、ターラー河デルタのジャヌーブ港町で出逢う。
そして南洋貿易の国際商品になる。交易の取り合わせの妙というところじゃ」
リコリス定番のものらしい、爽快で甘い森林香。
――かすかに、サボテンリリーや姫彼岸を思わせる香調が混ざっている。不思議な懐かしさを感じる。
気が付くとアルジーは、茶香に吸い寄せられるように、霊魂となってカラクリ人形から抜け出していた。香りの濃い湯気の周りを、ご機嫌でクルクル回る形だ。それに合わせて、湯気がユラユラと揺れた。
白文鳥《精霊鳥》パルが、気分が乗ったらしく、人形の肩先で「スサー」をした。老魔導士フィーヴァーの手になる堅牢な守護結界の中で、くつろいでいる様子。
『宮殿付属《白孔雀》礼拝堂の灯台の間で、王国の開祖がよく焚いてた茶香炉に近いピッ。アリージュ姫も毎日のように遊びに来てたところね。
スパルナ《鳥巫》カルラと、開祖《鳥使い》シュクラが、親友で、よく贈答品を』
『? それ「貧乏神ハサン」……開祖さまが《怪物王ジャバ》退魔調伏の旅から持ち帰って来た伝説の香料に近い? 伝承で聞いたことは無いけどジャヌーブ地方へも行ってた?』
『古代から国際交易と中継加工のジャヌーブ港、色々あるね。《精霊クジャクサボテン》が、サボテンリリー不足分を埋めるために入ってる。
ジャヌーブ工房街の職人が頑張って当たりを引いたピッ。開祖シュクラの時代は《精霊クジャクサボテン》栽培技術が断絶してなかったから、交易品や贈答品に含まれてたの』
『ここへ来る途中に通った水場の《精霊クジャクサボテン》株のもの? これを製造した年は、サボテンリリー凶作の年だったって……』
折よく、敏感な象の耳でもって聞き耳を立てていた2頭《精霊象》ナディとドルーが同意して……「パオン」と調子を合わせた。
『凶作の偶然で、古代の香料が半分くらい復活した形ピッ。シェイエラ姫が同類の香調の――厳冬期の山岳でも育つ――白花の姫彼岸で、園芸研究してたピッ。
姫彼岸《精霊素材》取り扱いに成功したら、『凌雲』をはじめとする薬草茶シリーズに、新しく『沙羅』が誕生してたかも、ピッ』
『謀反人ケンジェル大使、とんでもない事を。産業育成の頓挫。両親の離婚と、父と私の国外追放を企んだだけじゃ無かった訳ね。
三途の川の向こうで、ケンジェル大使の亡霊を見たら、従兄(あに)ユージド、罰当たり夫トルジン、言いがかり総督トルーラン将軍、まとめて、ここで会ったが百年目よ』
白文鳥《精霊鳥》パルは、ビックリしたようにピョンと跳ね。そして、片足で、真っ白な鳥頭をシャカシャカとやり出した。
『アリージュ姫、地獄の底まで追い詰めて、自分で疾風迅雷の天罰くだしそうだね。天罰女神(ネメシス)の異名を取った《象使い》ナディテのように、ピピッ』
高速《精霊語》のやり取りが一段落した。人間の感覚で言えば、ほんの2呼吸か3呼吸ほど。
カラクリ人形に再び憑依しつつ、あらためて恨みを燃やすアルジーであった……
*****
……感傷にひたれたのは、わずかであった。
次の瞬間。
一定間隔で設けられている上下貫通孔から洩れる外光が、紅蓮の炎の色に染まったかと思うや。
ドドドドガーン!!
明らかに、人工的な爆発。
大爆発の衝撃で石積みが震え、パラパラと小石が落ちて来る。
――記憶にあるような気のする、共鳴する《火の精霊》たちの、焦げ付くようなにおい。
「なんだ!?」
全員で浮き足立つ。土木系に詳しい《象使い》2人が、口々に推測を叫んだ。
「ありゃ土木工事に使う黄金の火の《ジン=イフリート》魔導札じゃないかい」
「というよりも、軍事用でありまさ、あの騒音は……」
つづいて《精霊象》2頭が、長い長い象の鼻と、大きな象の耳とで、状況を読む。
『誰かが廃墟の出入口ゲート前で《火の玉》大砲を撃ったよ! それも《人食鬼(グール)》対応の大型の雷帝サボテン大砲……』
『ジャヌーブ砦の物を持ち出してるよ、アレ、誰だろ? ……あ、カムザング皇子?』
『何故、監視入院の処置をされてるカムザング皇子が、こんな廃墟のところまで、大砲と一緒に出張るの?』
思わず《精霊語》で返す、カラクリ人形アルジー。
生前からの習慣――生命線となる仕事道具の入った「ぼろい荷物袋」を素早く肩にかけて、逃走態勢になった。
同じく一般人である商人ネズルも、アワアワ言いながらロバに乗ろうとしている。慌てすぎて、ズッコケている。
頭上から「ごごぉぉ」という崩壊音が、いつまでも、とどろいている。
下降傾斜のある通路へと、瓦礫の一部が流れて来ているらしい。
これ程に長くつづくという事は……、一部とはいえ、相当に大量の瓦礫ではないか?
クムラン副官が珍しく深刻そうに眉根を寄せて、「まずいな」と呟いた。クムラン副官は山育ちだったのだろうか。その筋の覚えがあるようだ。
「何があったか分からんが、エントランス広間ほぼほぼ、崩落していても不思議じゃ無い。あの空間は瓦礫で埋まって……かろうじて外壁で、三つの丘めいたドーム構造を支える状況になって来ていそうだ」
「いよいよとなったら、第三層へ避難――潜入する手筈を。角度が折れてるから、少なくとも直撃は」
「了解です、兄上」
護衛オローグ青年と覆面オーラン少年の兄弟も、山岳出身ならではの経験度でもって、似たような事態を察知している様子。青ざめている。
虎ヒゲ・マジードは判断が付きかねるあまり、同時に二つの指令「瓦礫への迎撃」「第三層への潜入用意」を、小隊へくだす有り様だ。
「何処のバカが、何をやらかしとるんじゃ?」
老魔導士フィーヴァーが怒髪天だ。早くも、対抗措置なのであろう黄金の魔導札を取り出し、見事な抑揚で呪文を唱える。
『不動なる《地の精霊》よ、ここに生ずる《魔導》及ぶかぎり、かの音響の手前で石畳を砂防へと変形せよ――』
不吉な「ゴロゴロ」という大音響が急激に大きくなる。
「此処で死ぬのは嫌じゃ!」
真紅の長衣(カフタン)が、ビックリするような速度で、もと来た通路を駆けのぼり始めた。明らかに恐怖パニックゆえの、狂ったような全力疾走。
先取り特権の記録担当の、中年神官ゴーヨクだ。
神官よりは戦場に慣れていた虎ヒゲ・マジードが、「ゲッ」という顔になる。
「止まれ、そっち行くんじゃねえ、アカ野郎!」
慌てるあまり、ざっくばらんな言葉遣い。
中年神官ゴーヨクは、正気を失っていた。
真紅の長衣(カフタン)が、エントランス広間から転がり落ちて来た瓦礫に――土石流に――呑まれた。
苦悶の絶叫。
凍り付くような恐怖の一瞬。
神官の身柄を確保するべく追っていたベテラン戦士でさえも……蒼白になって、立ち尽くす。
「引き返せ、おい! 瓦礫だ!」
察しの良いメンバーの一人が叫ぶ。中年神官を呑んだ瓦礫の勢いが止まらない。
そして、何者かが瓦礫から逃げるように、こちらへ向かって走って来る!
「冗談だろ」
「急げ、走れ!」
次の瞬間、2頭《精霊象》が大音響を発した。
ぱおーん!!
2頭の象の声が重なり合い、倍増した《精霊魔法》が発動する。
それは、土木系のものであった。大音響を受けた一部の……通路の両サイドの石積みが、粘土のように折れ曲がり、変形した!
全員で絶句して、石積みの激変を見守るのみだ。
次の瞬間、老魔導士フィーヴァーの魔導札が、黄金色をした粒子を爆発的に発した。
――黄金の粒子に包まれた底面の石畳が、粘土のように盛り上がった!
石の形ごと、粘土のようにグニャリと変形した石積みが、三方向から突出しつつ、合体する。
人体の幅ほどの空隙を開けつつ。
――《精霊魔法》成分と、《魔導》成分の、磁石的な反発力ゆえの空隙だ。
現れた其れは、人類の背丈ほどの……まさに砂防ダムだった。
元の石積みならではの堅牢さでもって、恐ろしい瓦礫の流れを押しとどめる。
下降通路を延々と流れ落ちて来ていた勢いで、10数個ほどの瓦礫が防壁の高さを越えて飛んで来たが……
膨大な物量を持つ土石流の暴威に比べれば、はるかに危険度は小さい。
数人の戦士たちが、持ち前の反射神経で、衝突しかけたブツを回避する。
――そして、皆で、息を詰めて見守ること暫時。
瓦礫の襲来は、いまや、停止していた。
「亀甲城砦(キジ・カスバ)の禁足地『大崩谷』では定番と聞く《精霊魔法》じゃな」
老魔導士フィーヴァーが「フーッ」と大きな息をつく。
「尾根の見張り小屋に駐在する《象使い》と《精霊象》が、定期的に砂防ダムを点検すると聞く。想定外の土砂崩れでは、《精霊魔法》による緊急措置も。
ただ、大量の精霊エネルギーを使う。《精霊象》の消耗は激しく、引き換えに蒸発することは珍しくない。大災害の年は、《象使い》殉職も多い」
畏怖を含んだ眼差しが《精霊象》へと集中する。
2頭《精霊象》は半透明であった。相応に、向こう側が透けて見える。
老いた《精霊象》ナディが、おかしそうに半透明の巨体を震わせて笑った。
『あたしゃ、今日が寿命かと思ったね。まだ存続できてるの、ピンピンしてる相棒のお蔭だね』
相棒の老女《象使い》ナディテは、呆然としたように、長年の連れ合いを撫でるのみだ。
『ええと、それより、あの人……驚いたな! まさかの商会役員ダーキンじゃないか』
若い《精霊象》ドルーが、半透明の象の鼻をピョコピョコ動かし、防壁の手前でうつぶせになっている人物を示す。
それなりに上質なターバンをした人物だ。防壁の隙間から突出して来た瓦礫に、片足を挟まれている。
土砂崩れが止まったのを察知したのか、腕をついて、起き上がろうとしていた。まだ意識があるのは明らかだ。
「……おい、さっさと救助だ!」
クムラン副官が声を張り上げ。半分ほどの人数が気を取り直した。
ジャヌーブ砦で鍛えられた戦士たちは、救助も早い。
混乱をチャンスと沸いて来た《三つ首ドクロ》《三つ首コウモリ》を手あたり次第、退魔紋様セット三日月刀(シャムシール)でもって落としつつ……
ほどなくして。
不運にも何故か巻き込まれていた『ガジャ倉庫商会』老ダーキンは、《邪霊退散》結界へと保護されたのだった。
*****
――最初に見た時は、よく手入れされた口ヒゲを持つ、上品な「イケオジ」という印象だった、老ダーキン。
何故に廃墟までやって来たのかは知れぬが。
いまや砂ボコリにまみれて、同じく砂ボコリをかぶった冒険メンバーさながらだ。
老魔導士フィーヴァーと、白鷹騎士団の専属魔導士ジナフとで、順番に、老ダーキンの怪我の状態を診察する。
「足を骨折しておりますな。残念ながら此処では簡単な応急処置しかできませんので……」
「おまけに、何処かのバカが出口を塞ぎおったからの。こいつは街道の医療所へ担ぎ込むレベルじゃが」
老ダーキンは、戦場仕様の速効性の痛み止めを処方され……なんとか落ち着いたようだ。
「あの爆発を引き起こしたのは誰か、については目撃しておりましたので。カムザング皇子と、その親衛隊が、廃墟ゲート前に集結を。
小姓それぞれが引き連れている子飼いの軍勢がそろっていまして、総勢200名ほど」
「カムザング皇子じゃと? あの『この世にふたりと無き』バカめが」
ボボン! と、モッサァ白ヒゲを膨らませる老魔導士フィーヴァー。その後ろで、白鷹騎士団のシャバーズ団長が絶句している。
老ダーキンは頷き、ポツポツと説明しはじめた……
…………
……
昼下がりの刻。
手が空いたのを幸い、老ダーキンは、エントランス広間の列柱にわずかに残存するレリーフ彫刻を記録するため、廃墟へ入った。
業務の合間に、個人的に古代伝承を研究している。ジャヌーブ港町では、ほどほどに余裕ができた教養人は、趣味と好奇心の延長で、地元歴史・地元伝承の研究へと乗り出すことが多い。
廃墟は、邪霊にまみれた災厄のスポットだが、同時に広く興味が持たれている研究対象――失われし古代の記憶を伝える遺跡だ。
ジャヌーブ港町の商館もちまわりで、個人的な調査結果や、冒険者の目撃談・発掘品の鑑定結果を持ち寄って発表する『ジャヌーブ古代史研究会』が、定期的に開かれている。
その研究会で発表された内容が会報誌にまとめられ、港町の図書館へも献本されている。
ちなみに、ジャヌーブ商会の南洋アンティーク物商ネズルも、研究会の会員だ。アンティーク物品を扱う商人や工房は、スケジュール都合がつく限りの範囲で、研究会に、熱心に出席している。
――老ダーキンが『退魔調伏の御札』多数を用意して、廃墟のエントランス広間へと足を踏み入れた時。
白鷹騎士団メインの混成軍は既に第二層または第三層へ潜入している様子で、ラビリンス第一層とされているエントランス広間には、誰も居なかった。
目当ての列柱に刻まれているレリーフ彫刻の記録を始めて、間もなく。
オベリスク広場に200人ほどの軍勢が現れたのだ。
華麗な甲冑や装飾の多すぎるマントなど、出で立ちは、儀礼兵さながらだ。そして、早くも、出入口ゲート前に、唖然とするほど大きな大砲が設置された。
日除けパラソル付きの贅沢な天幕から、不健康なシワガレ声で命令を叫んでいるのは……徹底的に病みくずれて老いさらばえた姿をした、シワシワで、タプタプな、ナニカであった。
「野郎ども、セルヴィン皇子の軍が出てきたら全滅しろ、財宝をすべて奪え! 手柄は全部カムザングちゃまの物なんだ! 百人力、千人力だ! セルヴィンの、たかだか40人の寄せ集めなど、死体も残さずに死ね!」
第六皇子カムザング青年。
砦からの伝聞で、容貌が変わるほど病んでいる、と承知はしていたが……
絶頂期の「それなりの好青年」の姿を知る者からすれば、想像を絶する激変ぶりだ。
青白いゾンビの肌色をしていて、粉を吹いて、シミだらけだ。
ほとんど脱毛している。かつての自慢だったに違いない、娼館でも多くの女性の目を引いていた豊かなダークブロンド髪は、灰色の藁クズのような「1本、2本のナニカ」のみだった。
妙に発音がシッカリしているのは、総入れ歯のお蔭だ。カムザング本人の趣味なのか、黄金のメッキがされていて、豪華な総・金歯。
体臭は二日酔いをきつくしたような悪臭だ。香水があまり効いておらず、それどころか悪臭とまざって、なんともいえぬ腐臭になっている。
近くで派手な赤マント中年男がブンブンと腕を振り回して、軍隊の半分ほどを、カムザング皇子の命令とは別に、勝手に動かしていた。
失脚して以来すっかり狂気の目つきとなったらしい、カスラー大将軍。
「この偉大なる大将軍カスラー様は、東方総督トルーラン将軍と同じように、いやそれ以上に、この世にふたりと無き救国の英雄として帝都へ凱旋することになっている。
私はここで終わらんぞ、終わってやるものか! 末は帝国軍の第一将軍、軍務大臣、帝国皇帝(シャーハンシャー)キングメーカー、約束されし栄誉栄達栄華」
かつての金満シャレ男は何処へやら、荒廃しきった印象の人物になっている。
「亡国の危機をもたらしたのは、あのポンコツ、すなわち死にぞこないヒョロリ餓鬼なのだ。そうとも。番外皇子など、ひとり、ふたり消したところで、どうってこと無いわい」
出入口ゲート前に、大砲を設置したり。点火用の松明を命令したり。
――貴重な古代遺跡を破壊するつもりなのか。
――かの伝説の暗殺教団が、かつての盗掘の際に、銀色をした古典彫刻を、ありとあらゆる《火の邪霊》由来の火薬でもって粉々に破壊した時のように。
――あれは『逆しまの石の女』とは別に《銀月の精霊》の姿と伝えられている、唯一の既知の、古典彫刻の名品だったのだ。
それも、一般人が、それなりに邪霊対策をして近づける範囲にあった。あの事件は、世界を、特に古代研究アカデミー界隈を揺るがした大犯罪だ。
老ダーキンはギョッとしつつ、列柱の影から出て行って、「何するつもりなんです?」と、てんでバラバラな軍勢に呼びかけたのだが。
カムザング皇子の、きたない黄色に濁った目は、焦点が合っていない。
「まだ死んでなかったとは、セルヴィン! とっとと死ね、大砲でバラバラになって死ね! 大砲を撃て!」
狂人カムザング皇子は、老ダーキンを、セルヴィン皇子と誤認していたのだ。
話に聞く禁術の――邪霊の大麻(ハシシ)がもたらす後遺症の幻覚ゆえか、それほど親しくない人物は、皆、セルヴィン皇子に見えるらしい。
誤解を解こうと、口を開いたところ。
もはや正気では無い様子の小姓――かなりの美少年――が飛び出し、カスラー大将軍の松明を奪って、大砲に点火した。
そして、間違ったタイミングで暴発した大砲。
これまた過剰な火薬とジン=イフリート《魔導札》を詰め込まれていた状態だった。
大量の雷帝サボテンを詰め込んだ、ひと抱えほどもありそうな砲弾。
エントランス広間で、激烈な雷光が爆発した。
列柱が切り刻まれてゆく。
とことん間違った配合でもって発動していた、過剰な火薬とジン=イフリート《魔導札》は、列柱をさらに、粉々に爆散した。
老ダーキンは、唯一の脱出路となる方向――すなわち、ラビリンス第二層へ潜入する下降通路へと、飛び込まざるを得なくなった。
その後から、恐ろしい瓦礫の流下が迫って来たのだった……
…………
……
ジャヌーブ港町を代表する『ガジャ倉庫商会』副代表・老ダーキンによる目撃証言が終わった。
「クソ程の脳ミソすらない、どこまでも限りなく、ドバカでドアホな、何もかも、まちがっとる『キ印6号』めが」
老魔導士フィーヴァーの見事な白ヒゲは怒髪天の余り、まん丸に膨らんでいた。
「我々のような平凡人には、その仇名(あだな)は普通、思いつかないですぜ」
クムラン副官が、感嘆の眼差しをして、老魔導士フィーヴァーを眺める。
白鷹騎士団シャバーズ団長の顔は青ざめていた。
「これは途方もなく困ったことになった、という状況ではないか、老魔導士どの」
シャバーズ団長の視線が、地下通路の天井をたゆたう。
「上下貫通孔から、まだ炎の色が見える。我々の潜入計画のあらましは報告書にして砦へ提出済みであるうえ、帝国皇帝(シャーハンシャー)の命令書にも期限が指定されている。
カムザング皇子もカスラー大将軍も、我々が『次の国家祭祀の節句』までに帰還する予定であることを知っている状態だ。その期限まで、あらゆる出入口を炎で塞いで、
セルヴィン殿下を妨害して――あわよくば焼き殺すつもりでいるらしい」
専属魔導士ジナフも「異論はありません」と、陰気に頷く。
「こちらは40人規模、あちらは200人規模。圧倒的な戦力差でございます。我々が地上脱出に成功したとしても、カムザング皇子とカスラー大将軍そろって、大砲をも利用して、我々を殲滅する予定であるかと。
察するに、セルヴィン皇子が成功した場合に、その成果をことごとく奪い取るつもりなのでしょう。宝探し盗掘に入った盗賊や山賊の間で、そういう仲間割れの話は多く聞くところですが……」
ジナフ老は、あきれ果てたように溜息をつき、首をフリフリするのみだ。
動揺が広がる。
若手の斥候メンバーが、ブツブツと疑問を呟いた。
「リドワーン閣下が代理でジャヌーブ砦を管理されていた筈だが、カムザング皇子とカスラー大将軍は、何故、どうやって……」
「でも砦の中は、割とバラバラでしたよ。カムザング皇子の派閥に属する軍事力は、まだ砦の中で多数派だった筈です」
シャロフ青年が首を傾げながらも、応答している。意外に砦の内情をあれこれ見聞していた様子。
「法律は詳しくないんですけど、カムザング皇子とカスラー大将軍の今回の軍事行動、謀反罪に問えるんじゃないですかね。あと歴史遺跡の破壊の罪とか」
「大麻(ハシシ)ビジネスでさえ無罪で逃げ切った皇子だろ? この暴発も、無罪になるんじゃないか」
「宮廷勢力のお歴々が、どう見るかでござるなぁ」
虎ヒゲ・マジードが恐怖に引きつった笑いを浮かべつつ、そわそわと大斧槍(ハルバード)を握り直している。
「カムザング皇子の皇族籍の剥奪について、第一皇女サフランドット姫の派閥が熱心に動いているようでござるが。
第一皇子ロジュマーンと第二皇子ズゥルバハルは、寵愛されし第六皇子カムザング病変の情報をつかんで喜色満面でござろうし、
第三皇子ハディードも機を見るに敏らしいが、政敵同士、手を取り合って……という珍事でも発生するでござるかなぁ?」
「リドワーン閣下が、軍隊をも統率できるかどうかは判らない。ただ、砦の4人の将軍たちが充分な軍勢を整えて、カムザング皇子たちをなんとかするのには、日数が要るのは確かだと思う。
3日じゃ短いな。でも10日以内には、というところか?」
「水や食料などは余裕をもって用意してあるが……第三層へ潜入するべきか、ここ第二層で頑張るべきか、迷うところだな。ともあれ、あの神官ゴーヨクの死体は……回収は無理か」
「そもそも、瓦礫のどこに埋まったか分からん」
馬たちも、なにかしら深刻な雰囲気を感じ取った様子で、落ち着きなく足踏みを繰り返していた。
騎士団メンバーが、かろうじて正気の一線を保つことができたのは……相棒の馬をなだめているうちに、自身の不安や恐怖もなだめられていったお蔭、というところだ。
いつしか、あちこちに配されていた『魔法のランプ』灯は消えていたが、まだ、明瞭に明るかった。
光源は銀月の色をしていた……2頭《精霊象》の立派な象牙が、それぞれ銀月の光を宿していた。
半透明になったという異常事態の影響なのか、《銀月》要素が含まれていると言われている《精霊象》象牙の性質が、表面化していたのだった。
言わずもがな、この世にも奇妙な現象を初めて見るメンバーがほとんどで……このような絶望的な状況下ではあったが、驚きと好奇心が混ざった、不思議な冷静さがつづいている。
一方で。
老女《象使い》ナディテは、奥歯にものが挟まったような、何とも言えぬ含みのある眼差しで、老ダーキンを見つめていた……
*****
小休止を置いて、地上脱出路の探索がはじまった。
瓦礫に押しつぶされずに残った部分を、くまなく調査する。
例の上下貫通孔は数か所ほど発見できたが、いずれも、カムザング皇子やカスラー大将軍の手配によるものと思われる炎に、塞がれている状態だ。
老魔導士フィーヴァーが早速、不思議なポイントに気付いた。
「既知の空気穴がすべて密封された状態――しかも『キ印6号』関与の爆炎によって、どんどこ浪費されている状況の筈じゃが、まだ空気の出入りがあるようじゃな。何処から空気の供給が来とるんじゃ?」
斥候メンバーが早速、指先を舐めて、慎重に立てる。
「第三層の出入口からです、老魔導士どの。つまり地下の、もっと深い層から……」
「この廃墟自体が、全体の巨大な空気循環をも考慮して設計・建築されたのは明らかじゃな。一部の空気循環ルートが、かのジャヌーブ砦に面する『異常氣象の岩山』と連携しているのは確実じゃ。
驚異の古代『精霊魔法文明』の叡智よ。じゃが、邪霊の成分を含んでいるのは明らか。いまは偶然、象牙《銀月》寄与あって、当座の《火の精霊》でも退魔調伏できている状態じゃが、長居はできん」
自称「人類史上最高の天才」とかますだけある。老魔導士フィーヴァーは早くも、その油断のない鳶色(とびいろ)の目でもって、銀月の光の中で、退魔調伏の微細な火花が散っているのを捉えていた。
「この空気の流れが、かの異常氣象の増強に大いに関わる筈じゃ。異常氣流の発生源を退魔調伏せねばならん――む? ふむ!」
老魔導士フィーヴァーは、目をキラーンと光らせて、カラクリ人形アルジーを振り向いた。
察しよく「カシャン」と頷いて見せる、カラクリ人形アルジー。
カラクリ人形アルジーの後ろで、セルヴィン少年とオーラン少年が、ちょっと目を見張ったような気配。
「精霊界でも、同じ懸念を抱いているということじゃな。精霊界の手先としての新しい使命……何故あれだけの《精霊魔法》関与の事件やら、奇妙なブツやら、怪談やら、急に湧いて出たのかと思うとったが。
ヒョウタンからコマの『条件分岐』か、それとも、これが本命か」
「少なくとも精霊界では、なんらかの勝算を見込んでいそうですね。当方の『白羽の矢』占断も、『不利だが、絶望するにはまだ早い』との結果であります」
持ち前の研究心を刺激されたのか、白鷹騎士団の専属魔導士ジナフも、少し元気を取り戻した様子である。
「そう言えば、あの不思議な『深すぎる穴』の件がございます。方角や位置は推測済みですから、シャバーズ団長と戦略を立て直して、もう少し探索してみましょう」
「うむ。同意じゃ。この第二層、つづく限りの頑丈な石積みゆえ、第三層への潜入ルートという以外、さほど注目されておらん。
ただの石材が、これほどに《魔導》や《精霊魔法》に反応したのは、驚くべき初の発見じゃ。《精霊金属》へ近づけるための、謎の加工技術が加わっとる可能性がある」
「驚異の土木加工技術ですね。現実には不可能な建築もできたかも知れません。水中都市ですとか、天空に浮遊する城のような」
先ほどから熱心に耳を傾けていた壮年《象使い》ドルヴが、アッと気付いたように口を出した。
「多島海の海底に、ポツポツ古代遺跡ありまさ。『ガジャ倉庫商会』の研究会で、水中カニ型の自動機械(オートマタ)による調査つづいてまさ」
壮年《象使い》ドルヴにつづいて、その友ガウタムも、ポツポツと記憶を掘り起こしはじめた。
「信じられないくらい高度な技術の痕跡が……巨大橋梁とか高速水中船『潜水艦』残骸とかが報告されてるな、確かに。
大地震か大噴火で、失われし大陸ごと沈没した、というのが歴史学の定説。でも、最初から、神話に聞く海底都市だったかも知れない」
「うむ。大神殿でも『ガジャ古代史研究会』会報誌を取り寄せて、興味深く読んでおるぞ」
老魔導士フィーヴァーのほうでは、2人の働き盛りの壮年に、ようやく平常心が戻って来たのを理解していた。一流の知識人ならではの分けへだての無さで、鷹揚に頷く。
「古代ジャヌーブ伝承に関する『ジャヌーブ古代史研究会』の今後の成果にも、期待するところじゃの。とりわけ、
このたびの瓦礫を吸い込んだ、謎の貫通孔――古代表現で言えば、かの『深淵の間』について」
*****
老魔導士フィーヴァーによる……『深淵の間』という、古代の流儀の言及が、なされた瞬間。
不自然なまでに「ギクリ」と飛び上がった気配。
見ると、『ガジャ倉庫商会』副代表・老ダーキンであった。
ちょうど、老ダーキン向けのお茶を運んでいたラービヤ嬢と商人ネズルが、見てるほうがギョッとした、と言わんばかりに目をパチクリさせる。
「あの、骨折されてるんですや、ダーキン殿」
「それにお年ですから、ご無理なさらないほうが」
よほど神経質になっていたのか……老ダーキンは、至近距離まで来ていたラービヤ嬢を振り向いた瞬間、目を剥(む)いて、ギョッとした顔になった。
「とりあえず此処は、軍事と魔導の専門家を信頼してお任せするのみですや、同士・老ダーキン殿。お茶を」
老ダーキンは、ギクシャクとしながらも、一礼してお茶を受け取っている……
怪我をしたという状況。地下に閉じ込められて絶体絶命という状況。一般人としての老ダーキンの心理としては、かくのごときであろう……と納得できる光景ゆえに。ほぼほぼ、見逃されている状況だが。
――ある筈の、反応が無い。質疑応答がはじまっていない。
――不審な挙動。
なにかが、アルジーの直感に引っ掛かった。
ベール形式にしたターバンの下、アルジーの肩先に隠れている相棒の白文鳥《精霊鳥》パルも、ブルッと身体を震わせる。意味深に。
白文鳥パルの姿は、他人の目からは見えない位置にあるが……精霊(ジン)の種族の注意を、大いに引いている状態だ。
――人間の感覚の領域の外で。
セルヴィン皇子の守護を務める《火の精霊》火吹きネコマタや、白タカ《精霊鳥》ノジュムと若鳥ジブリール、いまだ半透明な《精霊象》2頭の間で、
ひそやかな連携が行き交った……「想定外のナニカ」に備えて。
白タカ・ノジュムを相棒とする鷹匠ユーサーも、何らかの直感ないし精霊(ジン)からの連携があったのか、さりげなく腰の短刀に手を添えて立ち位置を変え、臨戦態勢だ。
霊魂アルジーのほうでも、違和感の正体を検討する。
カラクリ人形の、スナギツネ顔をつくる糸目が、スーッと細くなった……
……
…………
老ダーキンが、先ほどの目撃談で語った内容には、明らかに不自然な箇所がある。
いや「無かった」というべきか――それは実際には、口に出しては語られなかった項目だったのだから。
先ほど――老魔導士フィーヴァーも言及した。
地震の刺激で、いきなり床面に開いた……深い深い穴。『深淵の間』。
過去の、どんな報告書にも記載されていなかった……エントランス広間の床の、貫通孔。
白鷹騎士団の斥候メンバーは、潜入の前に、廃墟の潜入調査に関するあらゆる文献を必死で読み込んだ筈だ。
シャバーズ団長も、魔導士ジナフも、アブダル殺害事件、女戦士ヴィーダ問題、ハイダル殺害事件と、次々に事件発生したゆえの、多忙な合間を縫って。
その彼らでさえ、あの深い穴『深淵の間』に仰天した。
初めて見た、不可解すぎる光景。
――だが、穴の存在を知っていた人物は居た筈だ。
あの奇々怪々な穴は、その人物の隠蔽工作によって、隠されていた状態だったのだから。
最下層への直通ルートとなりうる上下貫通孔を、普通、冒険者たちが見逃すだろうか。邪霊害獣ルートから外れている……安全な潜入に、うってつけの穴を。
最初に発見した冒険者が秘密独占していたとしても、酒の席とかで口を滑らせる可能性は大いにある。
盗掘した宝物を独占したところで、鑑定に持ち込めば、そこからあっと言う間に情報が拡散する。
暗殺教団もウヨウヨしている闇取引マーケットなら、なおさらだ。拷問してでも、穴の存在を絞り出すに決まっている。
つまり、盗掘などの利益を得るつもりの全く無い……それどころか、自身にとって、逆にマズい事になる……そんな事情を含んだ人物なら、穴の存在を、ずっと秘密にしつづける。
――それほどの、動機や理由が有れば。
アルジーの脳ミソは、いまや高速回転していた。直感のままに、考えた内容が口からこぼれる。
「ラビリンス第一層エントランス広間の、あの謎の穴、はじめから知ってるんですね」
老ダーキンは、あからさまに飛び上がっていた。カラクリ人形の人工の眼差しから身を守るかのように、瓦礫から適当に拾った棒を杖として、ジリジリと後ずさる。
「亡きアイシャ夫人の青い耳飾り、いままで片方だけだった。記念に贈った品。贈った本人が、よく知っているでしょう? 一目で分かった筈でしょう? 伝統細工の品は、オーダーメイド。
ナディテさんも一目で見分けた。何故、もう片方の耳飾りがラービヤ嬢の耳にあるのかと聞かないんですか? それとも聞けないんですか?」
鷹匠ユーサーの臨戦態勢に気付いて、クムラン副官と護衛オローグ青年も、ザッと立ち上がった。
白鷹騎士団メンバーもサッと注目して来る。つづいて虎ヒゲ・マジードを含む小隊も。
異様な沈黙が満ちた。
やがて……老女《象使い》ナディテが、悲痛な表情をしつつ、口を開いた。
「老ダーキン殿が、廃墟にいきなり興味を持って『ジャヌーブ古代史研究会』の名目で直接に出入りし始めたのは、アイシャ遺体消失事件の後からじゃったね。
最初は、色々ショックを紛らわすためだろうと思っていたけれど」
老ダーキンは蒼白な顔をして、口を食いしばっている。
「新しく見つかった死体……違法業者バズーカを死体にした毒、その後の『清め塩』使用、ピンと来るものがあった」
「名にし負う生き字引ですね、ナディテ様」
老ダーキンは口を引きつらせながらも、年相応に威厳をもって、応答した。
「禁術の大麻(ハシシ)で《八叉巨蛇(ヤシャコブラ)》と化した三つ首《人食鬼(グール)》や巨人族を退治するために、古代《象使い》の英雄が発見して編み出した対抗措置。
御神酒の製造用の、よく知られた発酵キノコカビ菌。安全な種類。発酵に失敗した御神酒も、それほど危険ではない」
「そうじゃ。帝国全土の、汎用種じゃ。発酵に失敗して腐らせてしまった酒を誤飲しても、軽い食中毒ていど。早期対応は必要じゃがねえ」
老女ナディテの博識ぶりは驚くべきものだ。老ダーキンも、負けず劣らずだ。
フウと息をつき、老女ナディテは顔をしかめた。
「我ら《象使い》の間では公然の秘密じゃが。裏伝承の秘法製造を経由した発酵キノコカビ菌は、特級の危険物じゃ。
八叉巨蛇(ヤシャコブラ)をも倒す強烈な毒になる。《象使い》修行の経験を持つ老ダーキン殿なら、裏伝承の秘法製造も、薬理も、良く知っている筈じゃね。
まして若い青年だった頃から、何故か、その方面の才能が有った。持って生まれた頭脳の出来が違うんじゃろうが」
老魔導士フィーヴァーと騎士魔導士ジナフが、目を光らせる。半分は研究心――学問的好奇心だ。
「巨大怪獣《八叉巨蛇(ヤシャコブラ)》退治は、昔から《象使い》戦象隊の本領。ジャヌーブ砦でも、ヤツが出た時は、戦象隊が防衛戦の主導権をとる。そんな秘密があったか」
白鷹騎士団シャバーズ団長をはじめとする戦士の面々は、佳境に入った言論に、交互に聞き入るのみだ。
老女《象使い》ナディテの指摘は、立て板に水の如く、つづいた。
「人類の場合は毒入りの酒を呑んだ後、個人差はあるが、長くて半日ほどは気持ちよく酔っぱらったまま、無症状で歩けるんじゃ。馬にも乗れる。
道理で、街道の冒険者向けの……ジャヌーブ港町の郊外の市場(バザール)や宿で、殺人事件の噂を聞かなかった訳じゃ。
飲み歩きの客など、いくらでも居るからね。不良ザザーンも、そうだったように」
商人ネズルが察しよく、ラービヤ嬢を引っ張って、老ダーキンとの間に距離をつくる。
「我らが到着する前の夜、老ダーキン殿は、違法業者バズーカを計画的に始末した。我らの到着を見計らって、アイシャ遺体消失事件の真相に関する、
何らかの隠蔽を企てておったのか? その動機は何じゃ? 老ダーキン殿を動かす程の動機じゃ。場合によっては情状酌量やとりなしも考えない訳では無い。
ただ、ラービヤちゃんを長い間、不可解な謎に巻き込んで苦しめたのは、許せん」
――沈黙。
老ダーキンによる、老女ナディテの指摘への反論は……無かった。
痩せても枯れても『ガジャ倉庫商会』副代表としての、地位と立場と……それに伴う覚悟と誇りが、そうさせているのは明らかだ。
ラービヤ嬢のほうでは、その脳ミソに、指摘の内容がだんだん染み込んでいった様子だ。見る間に真っ青になって震えはじめる。ガウタムも、ただ呆然と、口を引きつらせるのみだ。
老いてなお威厳を増した男の、静かな声音が響く。
「何から説明するべきか……いえ、最初の、アイシャ遺体消失のなりゆきから説明いたしましょう」
いつしか、最初の動揺が過ぎ去った後の老ダーキンの眼差しは……冷静沈着をたたえていた。狂気の色は無い。だが、狂気の可能性を疑うほどに、透明で、静かな眼差しだ。
骨折した足の痛みに、わずかに顔をしかめ、当座の杖に寄りかかる。
「確かに私は、かの複雑な製造法と薬理を持つ毒物を、如何に扱えば、想定どおりの結果が出るか、直感的に分かる。名前も顔も知らぬ、南洋で混血した先祖から引き継いだ能力でしょう」
老ダーキンはターバンを外した。ひと房の毛髪が、白髪などではあり得ない光沢を示す。
全員で、ハッと息を呑む。
――ひと房の銀髪。《銀月の祝福》だ。
「あのアイシャ君の葬儀の、前日。棺桶の当番が私に回って来た。形式的ながら夜の護衛。邪霊害獣に、遺体が食われないように。邪霊害獣は異次元ルートを沸いて出る。
一定時間ごとに棺桶を開き、退魔調伏の御札の点検もする」
「そうじゃったね。老ダーキン殿が担当したのは、草木も眠る闇の刻の辺りじゃったか」
「御意。その刻……今でも思い出せる。妙に毛玉ケサランパサランが多く漂っていた。耳飾りの水引き細工が呼んだのか。ドリームキャッチャー護符も、毛玉でビッシリ埋まっていた。
棺桶に舞い降りた毛玉を簡単に払って、点検のために棺桶を開き……そして摩訶不思議を目にした」
老ダーキンの声は、一瞬、震えた。
「アイシャ君の目が開いていた。心臓の薬が、今ごろ効いたのか……心臓の鼓動が復活していた。医学には詳しくありませんが、
仮死状態の場合、数日後に蘇生する事例があるそうですね」
ラービヤ嬢が激しく息を呑み、いまにも失神しそうな顔色になっていた。
「生き返っていた……!? 母が……! どうして……!」
「落ち着いて、ラービヤちゃん」
商人ネズルがアワアワとしつつ、ラービヤ嬢を支える。
老ダーキンは悩ましそうに、額に手をやっていた。
「もちろん私は、声を掛けた。生き返ったのか、と。アイシャ君は切羽詰まっていた様子だった。
『私、すぐに行かなければならないの。すぐに! あの光景が本当だとしたら!』仮死状態の間に、なにか重大な……精霊界の警告を受けたらしい」
「そこまで具体的に推測したということは、なにか、そういう兆候があったのかい?」
「耳飾りで、《水の精霊》の光が青い炎のように燃えていた。水引き細工の糸玉もまばゆく光り輝いていた。
ご存知でしょう、《瑠璃光貝》は占い師の水盤の螺鈿細工に使われる、定番の《精霊魔法》素材です」
「うむ。続けてくれ、老ダーキン殿」
「アイシャ君は身体の感覚が戻っていない様子で、それこそ、カラクリ人形のように、ギクシャクと。その時に片方の耳飾りが外れて、棺桶に残った」
「成る程ね。筋は通っている。空っぽの棺桶に、片方の耳飾りだけが残っとった。確かに」
「行き先は廃墟。商館につながれていた中で一番速い馬を借りて、相乗りで向かった。
いま思えば私も冷静では無かった。もう一人か二人、声を掛ければ良かったのかも知れないが……あの時は何故か、チラとも頭に浮かばなかった」
「責めはせんよ。精霊界からの干渉は、そういうところがある。我らも《魔導》という手段でもって動かすから、お互い様じゃ」
老女《象使い》ナディテは、チラリとカラクリ人形アルジーのほうを見やった。アルジーの事情を、或る程度は推測している様子。
アルジーもまた、何も分からないまま、ジャヌーブ砦へ問答無用で放り出された身だ。大いに……共感するところはある。
「廃墟へは意外に早く到着した。馬の足に《精霊魔法》があったかも知れない。草原地帯の伝説に聞く、天馬のごとき速さで。
アイシャ君は、恐怖も見せず、エントランス広間へ真っ直ぐに向かった。一度も廃墟を訪れたことは無かったのに、何があるのか最初から分かっているかのように」
喉が渇いたのか、老ダーキンは、先ほどもらっていた茶をひとつ飲み。再び、語りはじめた。
「アイシャ君はしばらく歩き回り、迷いなく、あの不思議な位置に立った。やがて銀月が天頂へ達した。その時、初めて気づいたが、ドーム屋根の、
その位置が破れていた……天頂の銀月の光が真っ直ぐ差し込んで……まこと古代の夢のような光景だった。その時の銀月は下弦の、だいぶ進んだ弓月だったが」
*****
――やがて、異変が起きた。
耳飾りが片方しか無かったのが、不運だったのか。アイシャは病気か何かのように震えはじめた。そして、うわごとが始まった。精霊語だ。
もともと《象使い》の修行を積んだ老ダーキンには、分かる言葉だ。
しかしアイシャは知らない筈だった。その、明らかな不自然さ。
見る間に、アイシャの顔色が恐怖に青ざめていく。なにか、途方もなく忌まわしい幻覚か――送り込まれている光景を、見ているようだ。
恐怖そのものの光景から、かえって目を反らすことが出来ない。そういう、究極の状況のようだ。
『千と一つの夜と昼――すべての星が落ちる時――』
カビーカジュ文献の、謎の禁忌の呪文だ。絶対に《精霊語》で唱えてはならない、と言われている語句だ。
片方の耳飾りの、青い聖なる色が食われていった。見る間に、邪霊の黄金の色に染まっていく。
老ダーキンの中で、ハッキリと、不吉な直感が閃いた。
アイシャは、先ほど蘇生したばかりだ。身体の一部分は、仮死状態から抜けきっていない。いわば、棺桶に片足を突っ込んでいる状態だ。
かくも、異常なまでに、不安定な状態で。邪霊の影響を受ければ……
――禁術《歩く屍(しかばね)》。
アイシャを、そのような忌まわしい状態にさせることは、絶対にできない。
なにか対抗措置は無かったか、と、逡巡しているうちにも。
アイシャの青い目の色が、邪霊の色に変わっていった。暗く、不吉にぎらつく、闇の黄金色だ。
そしてアイシャは、邪霊崇拝のステップらしきものを踏み始めた。手をカギ爪のように曲げ、老ダーキンを敵と認識したのか、不明瞭なうめきと共に襲い掛かって来る!
老ダーキンは、必死で抵抗した。
邪霊の力は、想像以上に強かった。自分よりも小柄な女性なのに、まるで相撲大会で優勝した力士のような、筋力。
歩く屍(しかばね)にはさせない。殺して、本当の死体にしてでも――
揉み合っているうちに、老ダーキンの手がアイシャの首に掛かった。
一気に力を込め、締め上げる。
締め上げつつ……ふたりともに、床へ倒れ伏した。
床へ倒れ伏して間もなく、アイシャは本当に絶命した。
首を絞められて殺される形ではあったが……本当の、自然な死としての……死体となって。
うっすらと開いていた目は、元の、美しい青い目に戻っていた。
いまわの言葉を聞いたような気がする。「ありがとう、師匠」と。
視界の端で、ひとつの人影が動いた。
ハッとして視線を向ける。
最近ジャヌーブ港町へ移住して来た、よそ者が居た。見るからに不良青年。
――それが、バズーカだった。
*****
いまや、皆、無言だった。しんと静まりかえる。
老ダーキンは、自嘲の笑みを浮かべた。
「そして、バズーカによる長年の恐喝がはじまった。口止め料として、『ガジャ倉庫商会』から、バズーカに支払った金額は……省略しましょう。記録を調べれば判る。
そしてバズーカはジャヌーブ港町の業者として成功していった。元の口のうまさもあって」
老ダーキンは杖をつき直し、「だが」と付け加えた。
「バズーカは、あの時、現場からサッと立ち去っていたのでね、その後の出来事は、遂に知らなかった。禍福はあざなえる縄の如し、とは此の事でしょう」
老いた心臓が痛むとでも言うように、老ダーキンは懐に手をやっていた。
「ヤツが立ち去った理由は、あの瞬間の直後の、不意打ちの地震。あの地震は、かなり強く揺れた。それに長かった。バズーカは、尻尾を巻いて逃げて行った。
だが私は、アイシャ遺体をなんとかする必要があった。それに、このまま廃墟が崩落して、アイシャもろとも私も死ぬことができれば……との思いもあった」
「いきなり副代表まで行方不明になったら、『ガジャ倉庫商会』の混乱は、サリムとアイシャ死亡後の混乱よりも、ひどいことになっていただろうね」
「買いかぶりですよ、ナディテ様。それに……最近つづいた、ラーザム殺害事件、アブダル殺害事件、カムザング皇子の失脚といった、
奇跡的なまでの偶然の連続が無ければ……それに帝国皇帝(シャーハンシャー)の、あの不可解な命令書がジャヌーブ港町にもたらした諸々の激変が無ければ、
私は、この秘密を墓場まで持って行ったでしょう」
老ダーキンは、今まで固く秘めていた内容を明かすことで、不意に気持ちが晴れたらしい。不思議なほどスッキリした雰囲気だ。
「あの地震で……アイシャ遺体の直下の床が、いきなり抜けた。アイシャ遺体は、いずことも知れぬ深淵へと落下。
必死で腕をつかんでいたが、地震の揺れもあって……耳飾りだけが弾みで外れて地上に残っていたとは、この10年……知りませんでしたよ。心臓が止まるほど驚きました」
ラービヤ嬢は、もはや無言で目を見張っていた。ガウタムも。
老女《象使い》ナディテが思案顔になり、神経質に、頭部をおおうベールを調整する。
「それ以来、ずっと廃墟へ通ってた訳じゃね。あの穴の底を、どうにかして調べようと? 列柱のレリーフ調査は、単に、後付けの理由で」
「いえ、完全に無関係という訳でも。エントランス列柱のレリーフの一部に、かの『深淵の間』を説明していると思しき内容がありましたので」
その瞬間、ジャヌーブ商会の商人ネズルが「ビョン!」と飛び上がった。
「ちょちょちょちょっと待ってくださいや! 老ダーキン殿! 古代史の教科書を塗り替える、どでかい成果じゃないですかや! そんなの聞いてませんやジャヌーブ港町の商館の研究会では、ずっと」
「済みません、ネズル殿。秘密裏に、個人的に探求していましたもので」
老ダーキンは「フーッ」と大きく息をついて、白髪頭をかき回した。《銀月の祝福》の銀髪が、美しいきらめきを見せて、波打つ。
「生還できたら……『ガジャ倉庫商会』商館の私の執務デスク引き出しのひとつが、黒ダイヤモンド鍵の書庫。過去の研究考察ノートがあります。
しかし残念ながらマスターキーは、あの瓦礫の中に……時すでに遅しですが、地獄の聖火で火あぶりにしなければ、あのカムザング皇子の、間の悪すぎる暴発は終わりますまい」
「完全同意するところじゃね。カムザング皇子にはキッチリ、利子を付けて、ゴリゴリ請求してやる予定じゃ」
「先だって、ナディテ様とドルヴ殿が、不良ザザーン青年へおこなったお仕置き、笑いましたよ。実に、久し振りに爽快に。カムザング皇子についても、お手並みのほど期待します。
話が飛びました……連続殺人事件について説明しましょう」
再びお茶を一服し、ほどほどの間を置いて、老ダーキンは語り出した。
「バズーカの手先ハイダルが何も知らなければ、私は、これも運命と耐えるつもりだった。だが、バズーカは別の城砦(カスバ)で猟官活動に成功して、高飛びする際に、
恐喝のネタを、ハイダルへ引き渡していた。口止め料は、ハイダルを『ガジャ倉庫商会』財務担当の重役にすること」
老女《象使い》ナディテの面(おもて)は、いまや、ギュッとたたまれていた。
――違法業者バズーカは、底なしの卑劣漢だった。
こうした粘着質な、性質の悪い詐欺師の思考パターンは決まっている。
バズーカは、高飛びした先の城砦(カスバ)で栄誉栄達してなお、『ガジャ倉庫商会』を「金のなる木」とする気合、満々だったのだ。
なにか気に入らぬことがあれば、恐喝ネタを面白おかしく捻じ曲げて、帝国全土の津々浦々で吹聴して回ったに違いない。『ガジャ倉庫商会』への誹謗中傷という形で。
殺意を非難はするが、同情はする。他に解決手段は無かったのかと、悔やまれるところだ。
「それで、殺害を決心した訳だね」
「バズーカの手先ハイダルは、ラービヤの心をスッカリ捉えていた。ラービヤは、兄ガウタムと喧嘩してでもハイダルと結婚する勢い。結婚式の日取りも決まった。
ハイダルを殺したくても殺せない。ラービヤが悲しむから。若い娘にとって、結婚式が流れることは最大級の悲劇でしょう」
ラービヤ嬢のことはさておいても、この「口止め料」は法外すぎた。
新しい役員――それも重役を決めるには、まず踏まなければならぬ数多くの法的手順がある。いいかげんな違法業者をつづけていたバズーカには、その事情が分からなかった。
違法業者バズーカは、なかなか話が進まぬ状況にイラついていた。その「金のなる木」確約が取れないまま、別の城砦(カスバ)へ移動することはできなかったからだ。
バズーカにしてみたら、サッサとケリをつけて、栄誉栄達の場へと高飛びしたいところ。それが、老ダーキンの煮え切らなさのせいで、ズルズルと、引っ越しの予定が延びていたという形だ。
本当のところは、重役の選抜にかかる根回しや審議会、役所との文書やり取りなど、各種の法的な手続きに、相応の時間を要するせいなのだが。
――そして、急に、のっぴきならぬ状況となった。
銀髪の絶世の酒姫(サーキイ)との色事に夢中で、スッカリ、ボケてしまっている――と思われていた帝国皇帝(シャーハンシャー)が、ついに狂ったのか、
正気に戻ったのか、あまりにも突飛なタイミングで、奇妙な命令書を公示した。
――「セルヴィン皇子が、ジャヌーブ南の廃墟を討伐し殲滅せよ」という……間違いなく皇帝による直筆の、命令書だ。
そして、不法の大麻(ハシシ)ビジネスの総元締めカムザング皇子が失脚し、おまけに監視入院を命じられた廃人になった。
つづいて買収工作でタップリ儲けの種(タネ)になってくれる筈の、カスラー大将軍が、失言問題で権威失墜した。
討伐軍にくわわることが確実視されていた、「金のなる木=上客」巨人戦士アブダルまでが、突然スキャンダル死体となった。
二転三転して、セルヴィン皇子を名目の代表とする白鷹騎士団が、ジャヌーブ港町へ来る――との急報が、やって来た。
わずか数日で、これほどの大激変だ。
運命という名の盤面――どの選択肢をとっても「詰み」だった筈の状況を、幸運の女神が大逆転してくれた、としか思えない。
卑劣漢バズーカと同じくらい、卑劣で陰気かつ残忍な手段になるが、新たに策定しなおした計画が、想定どおり、タイミングよく実行できるならば……!
あまりにも、あまりにも、情勢変化が急激すぎて、注意深く情報網を張っていたバズーカでさえ、なにがなんだか判らないくらいだったようだ。
いずれも、あと一歩で、バズーカの破産や破滅に直結するほどの事態をもたらしていた。実際に、本当に、痛いくらいの損失を出していた。
この激変に付いてゆけたのは、ジャヌーブ商会でも評判の、天才的な取次業者ディロンくらいだろう。
理由は知れぬが、バズーカにとっては、《魔導》にも《精霊魔法》にも長けた白鷹騎士団は脅威だったようだ。
白鷹騎士団は帝都の大麻(ハシシ)取り締まりで名を上げていたから、バズーカが帝都に居た頃、何かがあったのだろうと推測するのみだ。
それはさておき。
違法業者バズーカは、「白鷹騎士団がジャヌーブ港町へ到着するまでに、ハイダルを重役にしろ。期限までに実現しなければ、
ガウタム・ラービヤ兄妹へ、母親アイシャ殺害事件をバラしてやる」と、強硬に要求したのだ。
無知と無法。そのうえに焦りもくわわって……バズーカは、欲をかき過ぎた。
灰色な取引交渉にも長けている老ダーキンから見れば、まさに、「もはや死体同然の愚者が、みずからの死亡証明書に進んで署名した」という状況に持ち込めたのと、同じ。
「私は、根負けした風をよそおって、すべての発端となった最初の廃墟で文書契約を、と申し出た。ついては祝杯を。
ラービヤの熱愛ぶりは巷でも評判で、バズーカは、勝利を確信するあまり油断していた。
バズーカは毒杯をいくども飲み、気持ちよく酔っぱらって、ラービヤの恋をあらん限りの表現で愚弄しつつ、私と共に廃墟へ向かった。想定どおり」
――想定どおり、違法業者バズーカは、死体となった訳だ。ついでに、ハイダルも。
「老ダーキン殿は、昔から、計画を実行にうつす手際は大したものじゃったね。そのくらいじゃなきゃ『ガジャ倉庫商会』副代表など務まらんというのもあるが。
決心したにしても、たった2日間や3日間のうちに、2人の連続殺害をやり遂げるとは……もちろん称賛できることじゃ無いんじゃが」
フーッと、溜息をつく老女ナディテ。
ジャヌーブ商会の商人ネズルは、憐みに目を潤ませながらも、すこぶる恐怖の面持ちであった。
シャロフ青年は、察しよく速記をつづけていた。事情聴取での速記には、やはり慣れている様子だ。
老ダーキンの語りは、終わりに近づいて来た様子で……口調がすこし、ゆるやかになった。
「ハイダル殺害についても似たようなもの。バズーカとの例の契約文書を作成した。ついては南洋の習慣により、契約の杯を。あの相撲大会の直後で、もちろん口から出まかせだが、
よそ者、かつバズーカの手下ハイダルは、南洋の文化風習について無知。こちらも簡単に、治療所の中で毒杯をあおった」
少しの間、老ダーキンの含み笑いが入る。
だがその表情は、実際の年齢よりも老いてやつれた印象であった。自分よりも若い青年を害したゆえの、苦悩であろうかと思われるところだ。
「ハイダルは、あの燻製(くんせい)工房までスキップを。『利益分配の話し合いが決裂した末にバズーカを殺害した』という風に工作するために、
本当は、その先の、郊外の街道の酒場まで導く予定だったが……ハイダルは例の工房をこじ開け、酒場と認識して、バッタリと。
燻製(くんせい)の煙を、酒場で出される肴(さかな)などと取り違えたらしい」
クムラン副官が首を傾げつつ、突っ込む。
「話を折って済まんが、老ダーキン殿。ハイダル=ムラッドは、殺鼠剤(さっそざい)を飲んで死んだと、我々は判断していた。
本当は違うのか? その……特殊なキノコカビ毒が入った御神酒?」
「体質なのか、ハイダルは毒の進行が乱れていて。確実を期すため、そこにあった原液を喉へ流し込んで飲ませ、さらに出刃包丁で心臓を刺しておく形に。
もっとも、出刃包丁を持ち出したところの前後で、キチンと死んでいたようだが」
「道理で、あんな奇妙な死体になった訳だ。殺鼠剤(さっそざい)のにおいは強くて、その辺の普通のアルコール臭をかき消してしまう。まして燻製(くんせい)工房で使ってる原液じゃあ、お手上げだ」
老魔導士フィーヴァーと、白鷹騎士団の専属魔導士ジナフも、困惑した顔を見合わせるのみであった。
「検死用の道具に不足があったとはいえ、完全なる想定外じゃったな」
「まさに、老魔導士フィーヴァー殿」
護衛オローグ青年が思案深げに、クムラン副官と視線を交わし。
「これで、生き残っている関係者は、不良ザザーン青年と、その女ベラ、という状態になったな。2人は完全なる下っ端だろうし、恐喝ネタについては引継ぎは無さそうだが。
クムラン殿の見立ては?」
「親分バズーカと、詐欺仲間ハイダル=ムラッドが、連続で殺害されたという事実に、なにかを察するかも知れんが……材料が少なすぎて、判断保留だな」
老ダーキンが、陰気な忍び笑いを洩らした。
「不良ザザーン青年と、その女ベラは、今ごろは、排水溝にたかる《三つ首ネズミ》が、骨まで食い尽くしているかと。この目で確認を」
あまりにも現実味のある表現。クムラン副官が思わず確認の問いを投げる。
「どういう事だ? まさか2人とも、老ダーキン殿が……?」
「2人を殺害して安宿の排水溝に捨てたのは、カムザング皇子の一味。亡きラーザム財務官が、
大麻(ハシシ)ビジネスの下っ端リストを相応の精度で作成していたようで……大麻(ハシシ)ビジネス証拠隠滅の続きをやったという形かと。判明しただけでも、他10数名ほどの死体が」
――どこまでも卑劣な人物は居るものだ。
カラクリ人形アルジーは、ドン引きであったが。
番外皇子セルヴィン少年と、その従者オーラン少年は、第六皇子カムザングの人となりについて、帝都で経験があったのか落ち着いている気配であった。
*****
残りの茶をゆっくりと飲み干し、老ダーキンは、チラリと上下貫通孔の方向を眺めた。
「カムザング皇子の一味が炎で塞いでいるせいで、時刻が……宵の刻、もう銀月が昇っていると思うが、天頂へ達する時刻は……だれか判る人は?」
セルヴィン皇子が抱えていた魔法のランプで、ネコミミ炎が「ポン」と火花を出した。
カラクリ人形アルジーが、さっそく《火の精霊》伝言を聞き取る。
「オベリスク広場《火の精霊》からの連携ですけど、もう月が出たそうで、銀月が天頂へ達するのは、さっきの告白に要した時間の半分で、ええと……」
「それで充分。私の告白が長すぎて、余分な時間をとらせてしまったようだ」
老ダーキンは骨折した片足をかばいつつ立っているのに疲れたらしく、ホッとしたように、近くに転がっていた手頃な瓦礫に腰かけた。
「内容あり過ぎだよ。内容消化するのにも時間かかるんじゃ、バカ野郎。精霊と邪霊についての理解は、《精霊使い》では無い一般人には難しいとはいえ……なんで10年も黙っていたんじゃ」
老女ナディテも、その辺の瓦礫にドカッと腰かけて、腕を組み……思案ポーズだ。善後策について、猛烈な速度で思案中なのは確実だ。
非難に限りなく近い言い草ではあったが、老ダーキンを責めている調子は無い。
その気配を悟ったのか、老ダーキンは意外そうに目をパチクリさせ……フッと微笑んだ。
「……ナディテ様、いえ……、畏敬すべき王統なる《象使い》女教皇ナディヴァタ猊下。ひとまず世俗のゴタゴタは後回しに。アイシャ遺体消失事件につづいて、報告したい異例事項があります」
「まだ何かあると申すか」
「最初、私は見ている光景の意味が判らなかったのでね。アイシャ君に起きた異変の分析検討と、古代レリーフの研究考察の10年を通じて、うっすら浮かび上がって来た内容くらいですが」
老ダーキンは、なにげに顎(あご)に手をやって、思案しつつ語る格好になった。
「アイシャ遺体消失事件の後、最初の満月の夜のことです。総・銀髪をした絶世の美少年が、大柄な黒マント・黄金骸骨の仮面をした男と共に、廃墟に現れました。
あの頃、私はアイシャ遺体をなんとか地上へ戻せないかと日をおかず通っていたので、偶然、目撃を」
「10年前。銀髪の絶世の美少年。何やら心当たりあるような気がするよ」
「帝都上京する前の、銀髪の酒姫(サーキイ)アルジュナで間違いないかと」
老魔導士フィーヴァーが息を呑み、「詳しく話してくれたまえ!」と割り込んだ。
「御意。もとより、そのつもりでございましたから」
*****
――かの満月の夜。
銀髪の美少年は、謎の黒マント男の指示にしたがい、かつてアイシャが邪霊踊りのステップをした位置に佇んだ。つまらなそうに、ふてくされた様子で。
ターバンを外して銀髪をさらし、天頂から注ぐ銀月の光を浴び……やがて美少年は正気を失い、やがて狂ったような異形の舞踏をはじめた。
その目は、元は平凡な色合いだったようなのだが。いまや、邪霊の黄金の色に、ギラギラと光っていた。異形の舞踏は、明らかに邪霊の踊り。
アイシャが染まりかけた、かの、忌まわしき……謎の禁術の、気配。
……あれは、『千と一つの夜と昼』?
老ダーキンは不吉な予感に震えつつ、身を隠していた物陰から、うかがうのみだった。
つづいて忌まわしい抑揚で唱えられた《精霊語》は、だが、あのカビーカジュの例の四行詩では無かった……
……
いまひとたび踊りくるえ心臓が破れるまで
月下美人の石の眠りにも終わりが来るもの
屍(しかばね)よ心臓とりて千と一つの夜と昼を捧げよ
永遠なる王の中の王ジャバしろしめす時まで
……
人間の声と思えぬ声音――まさに邪声。
謎の黒マント男の足元の床パネルが、ぎらつく黄金色のモヤを噴出していた。有毒ガス鉱山の地盤の裂け目から、勢いよく噴出する毒煙さながら。
――あれは、本当に、アイシャ遺体が落下していった、あの深淵の奥底から噴出して来たもののように見える。
見る間に黒マント・黄金骸骨の仮面をした男の体格が歪んだ。遠目からも分かるほどの異形と化している。
黒マントに覆われていてなお、三つ首を抱えた頭部がニョッキリ生えたかのような、忌まわしい造形が見て取れるのだ。黒マントをはぎ取ったら、本当に、かの恐怖の怪物王の姿を現すのでは?
そして……黒マント・黄金骸骨の仮面をした男ならぬ異形は、邪霊の黄金色にぎらつく、長いカギ爪をした手を、突き出し。
ズブリと、美少年の胸の真ん中に、手を突き刺し……
カギ爪で胸の中をギタギタにかき回し……
ズブズブと……
何故か美少年のほうは、いっさいの痛みを感じていないようだ。ぎらつく邪霊の色をした目を、限界に近いまでに、カッと見開いたまま。邪霊の踊りも、凍り付いたように停止していたけれど。
程なくして、黒マント・黄金骸骨の仮面をした男ならぬ異形は……美少年の胸から、邪霊の種族さながらの、異形の手を抜き取った。
つかんでいたのは、ビクンビクンと鼓動を打ちつづける……美少年の心臓だ。怪奇なことに、美少年の息はつづいていた。目をパチパチしたり、呼吸したりしている。
いっそう怪奇なのは、先ほどまでギタギタ・ズタズタにされていた筈の美少年の胸の傷穴が、いつしか、綺麗にふさがってゆき……ひとつの傷跡も無い、なめらかな、元の胸に戻っていったことだ。
心臓が失われてしまったのに、美少年の鼓動の雰囲気はつづいている……おそらく「命があるフリ」「鼓動しているフリ」……「生きている人間のフリ」をしているのだ。自動機械(オートマタ)的に。
そして、天頂の銀月へ向かって、心臓が掲げられた。
鼓動しつづける心臓は、暗い黄金色の炎をあげた……しだいに燃え尽きていった。その奇怪な燃え方は、異次元へ呑み込まれてゆくような光景にも見えた。
――世界が闇に向かっている気がする。月の色が赤い……?
老ダーキンは、ハッとして、見える限りの夜空へと、目をやった。夜空の全体が、闇のような赤い光に包まれている。
(そうだ……今夜は皆既月食だ! それも『闇と銀月』。炎冠星を伴うほうの!)
天頂をいろどる、暗赤色をした闇の月。さらに向こう側に、謎の天体《炎冠星》が重なっていた。
奇妙に闇色を思わせる暗い黄金色の炎冠が、暗赤色をした月影の周縁をチラチラと取り巻いている。
太古から続く天空の舞踏劇――カビーカジュ著『魔導書』記載《闇と銀月》として、知られている……不思議な時間と空間だ。
いつしか……皆既月食は終わっていた。
銀月から暗赤色の陰影が外れてゆき、暗い黄金色の炎冠も消える……
…………
……得体の知れぬ予感と不安に、老ダーキンが震えているうちに。
謎の、黒マント・黄金骸骨の仮面をした男――すでに人類の姿に戻っていた――と、銀髪の美少年は、なにごとも無かったかのように、忌まわしいまでの儀式を終えていた。
2人で連れ立って、馬に乗り、駆け去ってゆく。
気が付けば、オベリスク広場を守護している筈の……偉大なるオベリスクの台座に安置されている筈の、《火の精霊石》が消えていた。
あの怪しい2人連れが、旅行費用などにするために、ついでに盗んでいったとしか思えない。
実際、その後。
街道の冒険者向けの市場(バザール)で、出どころの判らない軍用《火の精霊石》が転売に出されていた。バラバラに砕かれた欠片となって。しかも、赤色をした塗料として。
*****
「それが正しい手順でおこなう禁術《歩く屍(しかばね)》じゃ! なんという事じゃろう! その怪奇事件の後、その銀髪の美少年が、帝都へ現れた。
銀髪の酒姫(サーキイ)! 日程も矛盾なく、つながっとる」
老魔導士フィーヴァーが、驚きのあまり、白ヒゲをかき回しつづけている。
「大麻(ハシシ)を浴びておいて、若さと美貌を維持できている訳じゃ。毒殺でも刺殺でも死ななかった、などという噂も、
まさかの真実だったとは! 巨人族アブダルが帝都に居た頃だったか、手籠め拷問バラバラ惨殺死体などというような、めくるめく過激な夜の行為メニューでも、死ななかった訳じゃ!」
弾丸トークさながらの分析と解説がつづく。
「アイシャ夫人の場合は強烈な引き寄せがあったものの、幸運にも日取りが別、おそらく発動したのも禁術《歩く屍(しかばね)》とは別の術だった! 最悪の事態を免れたんじゃ! じゃが、
禁術というのは、想定外の災厄を引き起こすゆえに禁術。まかり間違えばアイシャ夫人が、かの極道の酒姫(サーキイ)の役回りをしたかも知れん」
あまりにも怪奇な内容に、白鷹騎士団の半分ほどが、ドン引きだ。
気分悪さのあまり後ろを向いて、吐き気を押さえているメンバーも出ている。
「残り時間が無い。次の報告に移りましょう」
老ダーキンは思案をまとめるためか、スックと立ち上がり、杖をついて、ゆっくりと円を描くように歩んだ。程なくして、第三層のアーチ出入口の見える位置で歩を止める。
「手前味噌ながら、レリーフ彫刻の現在の研究結果と考察を……そう言えば、そろそろ馬を引いて、荷物も武器も、しっかりまとめておくべきかと。
カムザング皇子とカスラー大将軍の軍事行動パターンからすると、次の大砲を撃つ頃合いでしょう」
「失念してた。野郎ども、準備!」
虎ヒゲ・マジードがハッとした顔になって、配下チームへ指令を下した。あまりにも、もっともな指摘だった様子だ。シャバーズ団長も号令をかけて、手早く騎士団の即応体制を整える。
早くもあちこちの荷物がたたまれ、縄を掛けられ、運搬用の馬の背中や象の背中へ乗せられてゆく。
「説明の途中で、バタバタと申し訳ない、老ダーキン殿」
「準備しながらでも報告できますから、お構いなく……商会の期末・期初の繁忙期ともなると、こんなものではございません」
壮年《象使い》ドルヴが、かいがいしく働き、ナディテの荷物もまとめはじめた。その様子を眺めつつ、老ダーキンは、テキパキと説明を再開したのだった。
「私が注目した古代レリーフ彫刻は、モチーフ彫刻の類では無く、古代《精霊文字》と判明。『深淵の間』と読めた。アイシャ遺体が落下した位置の最寄りの支柱。
古代『精霊魔法文明』には《超転移》の技術があった。『深淵の間』の希望の場所に超転移できるよう、位置座標を伝える案内板のようなものであったと推測」
「すさまじい論理飛躍じゃね、老ダーキン殿。じゃがスジは通っているようじゃ。案内板はあった筈じゃ。
国際港の近くの巨大建築、遠いところからも人が……当時は巨人族や《人食鬼(グール)》……来た筈だからね」
老ダーキンは頷き、おもむろに懐に手を入れた。
なにやら水引き細工が取り出された。
首飾りとしていたのか、鍵付きチェーンでつながれている。先ほどの全力疾走でも、紛失しなかった訳だ。
素材は毛玉ケサランパサラン糸らしく、定番の四色に彩られている。盤面のように平たく、妙に大きい。最高額の帝国通貨ほどのサイズ感。
水引き細工の楕円形の盤面に、なにか文字が記載されている訳では無いが……
老ダーキンは、水引き細工でできた楕円形の盤面を、開いた巻物でもあるかのように眺め……立て板に水で語りつづけた。
「それらしき精霊文字の呪文レリーフがあった。落書きのような稚拙な精霊文字で。邪霊の幼体の類が、記念イタズラなどで刻んだものに違いない。
だが、古代ガジャ王国の伝承として一節のみ伝わる呪文――《鳥舟(アルカ)》道開き――その全文があった。簡易版の四行詩だった、確かに」
老女《象使い》ナディテは息を呑んでいた。なかば、あえいでいる。
――だが、古代の四行詩を呪文と解釈することに、異論は無い様子だ。
老ダーキンの説明がつづく。
「もっとも適応すると思われる白毛玉ケサランパサランを所定の位置に配し、あの貫通孔を開けて呪文を試したが、変化は無く。
この世の領域の外の魔法ゆえか理論も謎で、取っ掛かりが無い。だがひとつ例外がある。日常の中のイベントで、見逃しがちな現象が」
「? 満月の夜の《精霊クジャクサボテン》開花の際の、毛玉の振る舞いか? 受粉媒介の際の召喚、奇妙な点滅……」
「御意。さすがナディテ様ですね」
老ダーキンは不意に立ち止まった。第三層への潜入ルートとなる出入口アーチの前で。
それ自体は、不思議では無い。
カムザング皇子の大砲に備えて、少なくとも、瓦礫の更なる流下を回避できそうな折れ曲がりを備えている空間だ。不安と覚悟とないまぜになった冒険メンバー全員が、詰めている。
「満月の夜まで2日待たねばならない。だが超転移は時を超える。満月の夜と共鳴する瞬間、毛玉ケサランパサランが超転移するルートが開く。その道開きの場に、我らを物理的に放り込むことは可能。
タイミングを合わせるのが困難なだけだ。精霊の波動は極めて高精細。我らの大雑把な感覚器官では、共鳴は、ほぼほぼ不可能に近い」
「なにを考えとるんじゃ、老ダーキン殿!?」
「オベリスク広場へ到着した時、非常に異例なことが。オベリスク台座の《火の精霊石》が私に話しかけて来た……いえ、《火霊王》御使い第二位が一時的に宿り、
精霊文字メッセージを台座プレートに焼き付けて見せて来た」
「それほどの高位《火の精霊》が伝言を打って来たのか!? 老ダーキン殿へ直接に!?」
冒険メンバー全員が、老女ナディテと、老ダーキンとの意味深すぎるやりとりに耳を澄ましていた。
中年商人ネズルは、口をパクパクさせたまま、もはやワナワナと震えていた。
老魔導士フィーヴァーと騎士魔導士ジナフもまた、相棒の馬を引く手が、緊張と集中力とで、ブルブル震えている。
老ダーキンは、なめらかに復唱した……
同じ内容を2回。
1回目は《精霊語》で。
2回目は人類の――帝国語で。
「我《火霊王》御使い第二位なり。御使い第一位の要請によりて、ここに降臨し、《銀月》に全面協力するもの。《銀月の精霊》剣舞もて《条件分岐の契約》を固めたゆえ。
銀月が天頂へ達した時、不可能を可能にするのに力を貸す。だが今宵、不可能を可能とするよう願う場合は、満月に2日足りない。引き換えに2人の命の炎を燃やす」
老ダーキンは、《火の精霊》の伝言を正しく受け取っていた。
――精霊語の素養は、充分すぎるほどに充分。
同じく精霊語の知識を持つ人物、すなわち老魔導士フィーヴァー、魔導士ジナフ、老女ナディテ、壮年ドルヴ、鷹匠ユーサー、……いずれからも、誤訳の指摘は、出て来ない。
――それでは、これは、嘘いつわりなき真実!
この中のだれか……だれか2人が、死ぬ。
いずれ来るであろう瓦礫の流下を生き延びるのは、ほぼほぼ不可能だ。「生き延びる」という不可能を可能にする方法があるらしいが、可能にするには、この中の、だれか2人が、死ななければならぬ。
――死ぬのは、誰だ?
冒険メンバーの間に、不吉な予感が広がる。ジワリと、後ずさる気配。
老ダーキンの、冷静な断言が響く。
「ひとりは既に用意された。不幸ながら、神官どのが横死されたと。あと、ひとりは……この私と、いたしましょう」
絶句が広がる。だれかが、あえいだ。
次の瞬間。
遂に、大砲の音がとどろいた。カムザング皇子とカスラー大将軍の、もはや正気では無い行動だ。
これ程に、地上の瓦礫が、まだ残っていたのかと驚くほどの、不吉な大音響。
2頭《精霊象》と老魔導士フィーヴァーとで押し立てた、当座の砂防ダムが、ギギギギ、という嫌な音を立てた。
層をなす建築構造にも影響が出ているらしく、あちこちで、天井石がバラバラと落下する。
――ラビリンス第二層に居る全員を、まとめて埋めつぶしてしまえ。そうするのが正義なのだ。
逆恨みの八つ当たり怨念が元であろうが、そういう、カムザング皇子の一味の側の、狂信そのものの猛烈な殺意と悪意を、ひしひしと感じる。権力闘争の中で燃え上がる憎悪には、そういうところがある。
押し迫る瓦礫の……死神の大音響。
押さえきれない、死への恐怖と動揺。
数人ほどが、震えながらも、第三層へとつながるアーチ出入口へ、身を向ける。
「アーチ出入口を、くぐってはなりません。目指すべき位置から、大きくずれているからです」
老ダーキンが、瓦礫の音響に負けない大声を張り上げた。大きな商会の重役ならではの、重量感のある声だ。
「この辺りでお別れです。皆さま生還の時は、どうか、みごと反社会的勢力を排除しおおせた『ガジャ倉庫商会』を、御贔屓のほど……」
「老ダーキン殿!」
カラクリ人形アルジーは、鋭い直感が閃いて……男性型カラクリ人形ならではの腕力で、老女ナディテの身体を力強く抱え込んだ。
老女ナディテは、自身で思っている以上に精神を安定できていない。
この異常な状況の中で老女ナディテが落命してしまうことは、老ダーキンの、もっとも望まないことの筈だ。
――アルジーの不自然な在り方が、逆に、老女ナディテの危うさをカバーできるのなら……!
老ダーキンは一瞬、カラクリ人形アルジーを認めて目を見張った。
――この非凡な頭脳の持ち主は、きっと真相を悟った。
いまのアルジーが、限りなく《銀月の精霊》に近似する存在である、と。《条件分岐の契約》は、このカラクリ人形に宿る存在が関係している、と。
カラクリ人形アルジーと、老ダーキンとの間で、同じ《銀月》同士の――同族と感じる気配の――ひそやかな了解が行き交った。
老いた男は、限りなく透明な、妖しい笑みを浮かべる。人相も性別も年齢層もまるで違うのに、かの《逆しまの石の女》を、とても彷彿とさせる、聖性と魔性を揺らぐ笑みだ。
ターバンを巻いていない、むき出しの白髪の中……《銀月の祝福》を受けたひと房の銀髪が、いっそう、まばゆく輝いた。
全員で、目を見張る。
いつしか老ダーキンは、あの不思議な水引き細工の楕円形の盤面を掲げていた。
それは、時計回りの渦の形として編み上げられていた。
「前回の満月の時に、《精霊クジャクサボテン》受粉媒介の活動中の毛玉ケサランパサランを捕獲して、編んだものです。視線を外してはなりませんよ。
持てる感覚すべて動員して、水引き細工の点滅に、意識を集中するのです!」
見る間に、楕円形をした水引き細工が銀月の色に染まり、点滅し始めた。現実と幻覚の間を揺らいでいるようだ。
身体そのものの感覚も、虚空と現実の間を、猛烈な速度で行き来しているような――異次元の中に引きずり込まれるような――存在感そのものの不安定さ!
アルジーは、この状態を知っている!
精霊語の呪文が聞こえて来る。祈りの絶唱のように……
……
…………
いちしろし銀月の
高き天上影のもと
そらみつ《鳥舟(アルカ)》道開き
《無限》と織れる流星の道
…………
……
いまひとたび、カムザング皇子の大砲によるものか、不思議な魔法によるものか、空間全体が、非現実的なまでに激しく揺動(ようどう)した。立っていられないほどだ。
大判通貨ほどのサイズをした水引き細工が、銀月の光をした人体サイズの炎となって燃え上がり、老ダーキンの姿を呑み込んだ。
――精霊魔法が増強した。まばゆい銀色が爆発する。
アルジーの背中が、謎の強烈な熱を持ち……純粋なエネルギーとなって膨れ上がり、同調するかのように爆散した。
無数の白羽が、いちめんの花吹雪のように舞い散っている。
白羽の嵐が過ぎ去ると……夜の闇よりも深い藍色をした、あの虚空が広がった。
全員で、言葉にならない叫びを繰り返している。
人類のひとりとして、アルジーも、同じ叫びを繰り返すのみだ。
深い藍色をした虚空いっぱいに、幾条もの銀月の色をした、細い光線――流星が流れている。
次の瞬間、それは巨大な渦を巻いた……時計回りに。
銀月の色に輝く流星の渦は、みるみるうちに、古代様式の《魔導陣》の形に編み上げられていった。
月下美人の花の形を思わせる……あまりにも精緻で、複雑な《魔導陣》。
ただ、最初にアルジーをジャヌーブ砦まで連れて来た時の、あの圧倒的なまでの大輪の花と比べると、随分とサイズが小さい。とても可愛らしく小粒な花というところだ。
――渡る距離が……渡る時間が、空間が、とても短いせいだ。この直感は、おそらく正しい。
あの時の、どこまでもつづく湾曲した回廊は、無いのだ。あの幾条もの分かれ道……複雑な分岐も無い。
ひと呼吸か――ふた呼吸。
空間全体に、バサリと、鳥の羽ばたきのような音響。
そして。
不意に終わった。
行く手に銀月の色をした波紋がひとつ生まれ、空間全体をよぎると……
花の形に似た《魔導陣》のすみやかな解体消滅と共に、藍色をした虚空は、晴れ上がったのだった。
■06■ラビリンス第三層…夜と朝の間、紙一重なる幕間劇
――背中が痛む。
最初にアルジーの意識をつついたのは、その痛みだった。それと、途方もなく疲労を感じる。
とにかく眠い。
――このまま深い深い眠りへと沈んでゆけたら、楽になれる……
その瞬間、残り香が散った。
姫彼岸とかの香り……じゃない、新しくお気に入りになった茶の香り……リコリス・ヴァーユ。
ご機嫌で湯気の周りをクルクル回った時に、残り香が霊魂にくっついていたらしい。
次に、ドリームキャッチャー型の耳飾りが玉響(たまゆら)の音を立て……アルジーの意識は、空気の泡が水面へと浮上するように、覚醒の度を増した。
覚醒と共に、記憶も浮上して……ポンと、はじけた。
ジャヌーブ廃墟の最下層を退魔調伏しなければ。
――まだ最下層は遠いのに、ここでヘタレていられるか!
必死で瞼(まぶた)を開けようとする。
だが、やけに身体が重い。現実の身体が重い……「もっと休息を」という感じ?
なにやら《精霊語》が聞こえて来る。慌てているような……
『御使い二位から特製《火の精霊石》預かってるニャ。急いで3本目を差し込むニャ、パル殿』
『3本目の《白孔雀の守護》到着したピッ、目を覚まして、ピッ、いち、にの、アリージュ!』
心臓がポンと跳ねて、新しい位置へ収まったような感覚。
新たなエネルギー回路を作りながら全身をめぐっているらしく、前の時より少しゆっくり。でも確実そうな感じ。
『超転移ゆえ「これも有り」なのだろうが、あんな《アル・アーラーフ》時空幾何の充填ルートは想定外だったニャ。過去にあった事例だろうか、ジン=グロート殿?』
『人類の霊魂では初だ。最後の銀月の波紋……可能性なきにしもあらずだが。《火の精霊石》が妙にきれいにハマってる。《火霊王》御使い二位と《銀月》との間で、
なにか合意したか? 私は知らぬゆえ、レクシアル殿が二位どのへ確認してくれ』
……しばし、沈黙が漂った。
火のジン=レクシアルと名乗る《火の精霊》――火吹きネコマタが、ブルブル震え……次に、尻込みしたような雰囲気になる。
『二位は我よりも優秀な必殺仕事人だが、チョー正確、チョー精密で、口うるさいのニャ。例の件で、ずっと激怒していて、目下、触らぬ神に祟りなしニャ。
あれは、いまの帝国皇帝(シャーハンシャー)と第六皇子カムザングを地獄送りにして、《火霊王》の「地獄の聖火」を呼び出して、念入りに火あぶりにして、ニャンニャン焼くニャ』
『二位どのにしてみれば激怒ストレート案件だったか……いまの帝国皇帝(シャーハンシャー)と第六皇子カムザングは、相当ビミョウな事になりそうだな』
『かつて《火霊王》名代として、《地霊王》《水霊王》《風霊王》と協調して東方の巨大山脈を瞬時に造山してのけた、しかも予期せぬ損害も最小限にとどまった、
大地変動の熱源操作の……あの一片の狂いも無き火力を、ぶつけられる身にもなってくれニャ……』
命の炎というべきエネルギーが背中へと送り込まれている……白孔雀の尾羽の形をして……背中? 背中に心臓あったっけ?
かくも「ありえざる」「自然な感覚」に、戸惑っているうちに。
物理的な感覚のような、なにかが戻って来た。
うつぶせにされているらしい。
次に、鷹匠ユーサーの声が降って来た。
「憑依が安定したようです。老魔導士どの」
「確かに。なにがキッカケか判別がつかんが、とにかく心臓部《火の精霊石》波動回路が、安定した熱回転を再開した。
よし、ともかく砂などが入らんように割れ目を塞ごう。帆布を、割れ目に縫い付ける形じゃがな」
トテテテン、という、トンカチと釘の音がひとしきり。背中に釘を打っているらしい。
誰かがドン引きしている気配。
ようやく声が出せる程度の元気が戻って来た。
「イッタイ、ナニガ、ドウナッテマスノ?」
「しゃべった!」
――ひどいなあ。私、化け物じゃないわよ。そりゃ化けて出た怨霊だけど。息も絶え絶え……にしては、いろいろ恐ろしい怪談やらかしてるけど。
カシャコン、と人形の身体が起こされた。やはり、うつぶせ状態だった。起こしてくれたのは、鷹匠ユーサーだ。
そのまま、いつの間にか立てかけられていたらしい軍用ドリームキャッチャー護符の脇のクッションに、座る位置になる。
専用スタンドの柱が、当座の背もたれだ。相棒の白文鳥《精霊鳥》パルが、軍用ドリームキャッチャー護符を織りなす網目の間で、ピョコピョコしている。
傍に魔法のランプ。夜間照明が煌々と灯っていた。
「戻って来られたようですね《鳥使い姫》?」
常に冷静沈着と丁重さを崩さぬ中堅ベテラン鷹匠の眼差しは、ハッキリと、不安と懸念の色を浮かべていた。
肩先に、疲れた顔をした白タカ・ノジュムが居て、冠羽をピッと立てて、こちらをうかがっている。
『無茶をした割には憑依は安定している。《超転移》魔法の共鳴と増幅にくわえて、あの「羽翼の守護」発動がなきゃ、
今回の人類の半数は虚空に落下し、命の炎も吹き消された筈だ。《精霊界の制約》ゆえ詳細の説明はできないが……説明しても、いまの人類の知識体系では理解できんだろう』
白タカ・ノジュムの真っ白な全身の羽毛は、何故か、全速力で暴風を飛び越えた直後のように、盛大に乱れていた……
『少し周囲の状況を観察させてやれ相棒ユーサー。《超転移》は、人類としての存在と感覚を超えるシロモノ。《精霊魔法》として厳重に管理する大きな理由のひとつ。
《鳥使い姫》霊魂は改造手術済みとはいえ、まだ縫合の定着が不安定だし、もと人類だから、推して知るべしだ』
やがて、老魔導士フィーヴァーが、鷹匠ユーサーの後ろから、ヒョイとモッサァ白ヒゲな顔を見せた。なにやら道具袋をゴソゴソしている。
「なんとかなったようじゃな、ユーサー殿」
「我が相棒によれば容体は安定しているとのこと。周囲の状況をつかみかねているゆえ、しばらく安静が必要かと」
「大手術の直後で、前後把握などがボンヤリしている状態の患者、といったところじゃな?」
「御意」
老魔導士フィーヴァーは得心した顔で「うむ!」と頷き、踵(きびす)を返した。モッサァ白ヒゲに縁どられた黒い長衣(カフタン)が行った先で、ザワザワと言う集団の声。申し合わせだ。
――夜間照明として『魔法のランプ』が各所にある。《火の精霊》協力による、燃料節約型の灯り。
数が少ない割に、明るいような気がする――天頂に当たる部分から、なにやら明るさが来ているようだ。
カラクリ人形アルジーは、しばし、キョロキョロした。
相応に高さと幅のあった地下通路よりも、いっそう広大な空間らしい。向こう側の壁などといったものは、闇に沈んで見えない状態だ。
水の流れる音がする。どこかに水場があるのか。水音の周りにカポカポという馬の足音が集まっているからして、水飲み場か。安全な水が通っている?
「ここ、何処なんでしょう? 私、長い間、失神してました?」
「実に驚くべきことですが、我々は老ダーキン殿の呪文と――《鳥使い姫》共鳴のお蔭をもって、無事《超転移》を果たしたようです。
位置的には第三階層、かの『深淵の間』と名付けた空間に、我々は居ります」
ボンヤリと、頭上を見上げるアルジー。
唖然とするほど大きな割れ目が、天井に開いていた。
民家の居間ほどもありそうな面積の破損。謎の古代金属でできた梁(はり)が、むき出しだ。
満月に近い銀月の、明るい光が洩れている。角度がだいぶ付いている状態だが、真夜中から、それほど過ぎていない刻らしい。
鷹匠ユーサーの解説がつづく。
「いまの場所に超転移してから、二刻ほど経過した頃合いです。魔法の衝撃で人形の背中が吹き飛ぶと同時に、憑依も不安定になっていましたが……だいぶ安定して来たようですね」
「背中が吹き飛んでた?」
ゆっくりと背中へ手を回してみる。ギクシャクしつつ。
帆布で覆われて、塞がれているが……人工スキン金属の手ごたえが返ってこない範囲を確認すると……ギョッとする程の、背中の割れ目。
生身の人体だったら、背中側のアバラが、ほぼ露出しているくらいの面積。
――では、あの時に、猛烈な熱のカタマリが背中で爆発したように感じたのは、幻覚では無かったのか。
カラクリ人形には痛覚は無いが、理解できないだけに……えもいわれぬ、ゾワゾワした不安感が付きまとう。
呆然としながら、鷹匠ユーサーから提供された帆布をまとい……巡礼者さながらに、半裸だった上半身をグルグルに覆う。
習慣で開いていた首元に、訳知り顔の白文鳥パルが、ピョンと飛び降りて来て、腰を据えた。馴染み深い相棒の「ふわもち」感触に、ホッとする。
やがて、鷹匠ユーサーからの身振り合図があったらしく。
お見舞いの体で、セルヴィン少年とオーラン少年が近づいて来たのだった。恐る恐る、といった風に。老女《象使い》ナディテが、つづいている。
「あの、大丈夫かな、鳥使い姫?」
「たぶん? ……割と少し、クラクラするというか、足に力が入らないというか」
セルヴィン少年の手の中に鎮座していた、ちっちゃな赤トラ・子ネコの姿をした火吹きネコマタが、身軽に飛び降りて来た。アルジーの膝にピョンと乗って来て、フンフンにおいを嗅ぎ始める。
『あの二位の手際に、間違いは無い筈であるが。それだけ合致していて、ちゃんと手足が動かぬとは不思議ニャネ。人類スパルナ族ジナフ殿に、例の占術を依頼するかニャ』
老女ナディテが、鷹匠ユーサーの隣に膝をついて、驚嘆の眼差しで見入って来た。
「娘さん本当にたいした《鳥使い》じゃね。まずは御礼を言うよ、相棒ナディが解説してくれた。《精霊象》ナディ自身が半透明となるまでに弱体化していて、
あたしも相棒も年がいってるから、ともに《超転移》の爆風に耐えられない可能性があった、とね」
「あ、それじゃ、あの、魔法が始まった時の直感は間違いなかったんですね。ナディテさんが一番、危ないと感じて……」
「魔法学における高度な概念が関わるんじゃが、共鳴の軸が、つまり娘さんの位置が、最も安定するポイントだったんじゃ。不安定な端に居たら、
今ごろは……虎ヒゲ・マジード殿の虎ヒゲの変化を見て、ゾッとしたよ、ホントに」
「虎ヒゲさんに何かあったんですか? 大怪我とか?」
オーラン少年が、鋭い聴力でアルジーの呟きを聞きつけ、フルフルと首を振った。
「怪我はしてない。だけど、虎ヒゲが爆風で引っこ抜かれて、無くなった。毛深族の人だからショック受けてたけど、すぐに立ち直ってる」
覆面ターバン姿のオーラン少年の頭上に、ピョコリと、白タカ若鳥ジブリールが姿を現した。こちらも、驚くほど羽毛が乱れている。
『半分はボクの実力が足らなかったせいだから、気にしないでね。《風の精霊》として、ノジュム先輩と一緒に超転移の補助してたんだけど。
40人規模の騎馬団となると、馬も一緒に運ぶから、体力と経験が必要だし』
「あ、それじゃ、ほかの皆さんは……」
鷹匠ユーサーが察しよく、間を空けた。
その方向の先で、白鷹騎士団メンバーが、ザワザワしているのが見える。
水場と思しき水槽のような施設があり、周りに馬が集まって、順番に水を飲んでいた。
半透明になっている《精霊象》2頭も水分補給していて……少しずつ存続の力が戻って来ているらしい。スケスケ感が、マシになって来ている。
大きな割れ目から洩れて来る、満月に近い明るい月光。
あと一刻ほどもすれば、入射角度がズレて、闇に閉ざされるだろうけれど……
真昼のような明るさをさいわい、水場の近くに作業台が据えられていて、シャロフ青年が速記をまとめていた。白鷹騎士団の書記スタッフとして動員されている様子。
経理担当の騎士エスファン&サーラ夫妻も手分けして忙しく作業をしていて、ラービヤ嬢が助手に入っている。
虎ヒゲ・マジード小隊が近くに居た。壮年ガウタムと《象使い》ドルヴも含むメンバー全員で、さらに別の場所への偵察を繰り返したらしく、次々に報告が上がっている。
「廃墟の中ですよね? 馬たちが飲んでる、あの水、大丈夫なんですか?」
「御意。《精霊象》2頭とも、安全について保証しまして……オベリスク広場の水場と同じ水でした。《鳥使い姫》はカラクリ人形に憑依する形ゆえ感覚が別だったのでしょうが、《超転移》副作用として、
非常に喉が渇くというのが、あるようです。古代の頃も、運搬に使われていた象・馬・ラクダ類が、あのようにして水分補給をしたものなのでしょう。我々も充分に、いただきました」
*****
偵察活動が一段落した。
方々に邪霊退散グッズを仕掛けたうえで、野営テントを設置する。
予想どおり天井穴から洩れて来る月光タイムが終わり、わずかな星明かりのみの闇となった。必要最小限の数に絞られた各々『魔法のランプ』に、夜間照明が灯る。
「まったく驚異の空間を隠していたものだな、この古代廃墟は」
白鷹騎士団シャバーズ団長が、まだ驚き覚めやらぬ顔で、周囲を見回していた。
水場を中心にした、ちょっとした広間――オベリスク広場よりもひとまわり小さい――ていどの面積にわたって、古代様式の魔除け紋様に彩られた『精霊魔法文明』石材で舗装されていた。
しかも、牛・馬・ラクダ類が危険な空間に間違って出入りしないように設計されたと思しき、人類の胸の高さほどの仕切り石の壁で、グルリと囲まれていたのだった。
訓練された戦士にとっては、この高さの壁を乗り越えることは、容易だ。攻城戦でおなじみの、高い城壁を攻略するための登攀の道具は充分にある。
偵察隊が慎重に、仕切り石の壁にのぼって、向こう側をうかがったところ。
――ラビリンス第三層への潜入報告でお馴染みの、多数の増強型の邪霊害獣がウヨウヨしていた。重量のある足音。
夜の闇に沈んでいて詳細は判りにくいが、大広間のような巨大な面積が広がっている様子が、目でも耳でも感じられる。
多数の壮大な列柱の間を、邪霊害獣のぎらつく黄金の眼差しが、チラチラと、うごめいていた。
一方で。
仕切り石の壁に隙間なく施された古代様式の退魔紋様は、数百年の時を経てなお効果テキメンらしく……増強型の邪霊害獣でさえ、人類ひとり分ほどの距離を空けて、ウヨウヨしているという状況であった。
もちろん、仕切り石の壁を完全に乗り越えて、邪霊うろつく大空間の側へと降り立つと、ラビリンス第三層へ潜入した場合と同じようになる。
増強型の邪霊害獣が獲物を認識して、舌なめずりしつつゾロゾロ集まり、そして襲い掛かって来るのである。
だが、安全に退却できる空間を確保した今、虎ヒゲ・マジードや壮年ガウタムを含むベテラン偵察チームにとっては、ラビリンス第二層と第三層の間で突撃と退却を繰り返す方式が、
そのまま応用できる状況となっていた。
かくして、新しい見取り図が作成された。
短い時間で偵察できる範囲は限られていて、大雑把な目視と推測が、大部分を占めているが。
シャバーズ団長と専属魔導士ジナフ、老魔導士フィーヴァーが、新しい見取り図をためつすがめつ、検討を重ねはじめた。
「ラビリンス第二層との地上通路は塞がれてしまっているが、第三層や、それより下の階層のどこかのアーチ出入口が、脱出ルートになっている可能性がありそうだ」
「可能性はあります。《象使い》ドルヴ殿が、相棒《精霊象》から聞き取りを。古代の大規模な地下建築では、地上脱出ルートを設計するのが定番だったので、此処にもあるだろう、と』
「まったく《精霊象》の種族は有用情報の宝庫じゃな、同士ジナフ殿。これもまた古代『精霊魔法文明』の叡智かの」
「もとは『怪物王のための生贄が、邪霊害獣の大群にコッソリつまみ食いされて食い散らかされる前に、逃がすため』という物騒な事情があったそうですが、
この際、確実に地上へ生還できるなら理由は問いませんよ」
虎ヒゲ・マジードをはじめとして、体力の限りを尽くした斥候チームは疲労困憊であった。《象使い》ドルヴも壮年ガウタムも、野営テントの中で熟睡している。
「あの、ジナフ殿、よいだろうか?」
ヒョロリ皇子セルヴィン少年が声をかけ、黒衣の老騎士にして魔導士ジナフは「御意」と、一礼した。
「済まぬが、カラクリ人形の動力源《火の精霊石》が、また合わなくなって来たようなのだ。適合する《精霊石》を占断いただきたい」
目下、カラクリ人形アルジーは、足が思うように動かないため、歩けない状態だ。恐れおおくも、鷹匠ユーサーの背中におんぶされている形。
「これは注意が及ばず。あれほどの変化があれば、色々と影響が出るは必然」
専属魔導士ジナフは、状況を瞬時に事情を悟った様子だ。白羽のついた矢を懐から取り出し、お馴染みの護符チェーンをシャラシャラと手繰りはじめる。
シャバーズ団長も、カラクリ人形アルジーと老魔導士フィーヴァーを交互に眺めながら、思案顔になる。
「つくづく前代未聞だ。憑依中の薔薇輝石(ロードナイト)の目の色を見れば、
確かに傑出した《鳥使い》と理解できるのだが。神話伝説にしか存在しない《超転移》を実現するほどとは」
鷹匠ユーサーの背中で、カラクリ人形アルジーは、カシャカシャと首を横に振った。
「あの《超転移》魔法を発動したのは老ダーキン殿で……私は、なにも。《魔導》拡声器みたいに、共鳴増幅器とか、翻訳器をしたというか。
昔から、色々ドジ踏んで失敗する性質なので……もう少し上手に対応できれば良かったですが」
「シャヒン&スパルナ部族の言い方になりますが、まさしく『天馬に乗ってやって来た鷲獅子グリフィンの鷹匠』。白文鳥《鳥使い》どころではなく。
白文鳥を軽視している訳では無いが、騎馬の民として、やはり示威の要素に注目するもので」
老女《象使い》ナディテが、魔法のランプの火を使って、既に茶を準備していた。
自然にうながされて、皆で適当に、座布団(クッション)に落ち着く。
「そう言えば、鷲獅子グリフィンの鷹匠が、帝都近くに沸いた巨大化《人食鬼(グール)》大群を殲滅しおったとの武勇伝、我々《象使い》組合でも感心して聞くところじゃ。
しかし、その後、発生源『帝都の盾』連山で邪霊の増強がつづいてるとか。この廃墟と同様、山奥まで潜入して、退魔調伏する必要ありじゃね」
「同意でございます、ナディテ様。遠い過去、亀甲城砦(キジ・カスバ)の技術による退魔調伏の結界が造成されていたが、例の巨大化《人食鬼(グール)》発生の際に、
残念ながら一部破損。修復しても、さほど効力が復活しなかったとか……邪霊崇拝の地下神殿が存在するらしいが、いまだ詳細不明」
シャバーズ団長が思案顔で、ヒゲ面に手を当てつつ、応答していた。老女ナディテから茶杯をいただき、ゴクリとやる。
――なにやら、ピンと来る記憶がある。カラクリ人形アルジーは思わず、鷹匠ユーサーの背中から乗り出し、疑問を口に出していた。
「あの、帝国の近現代史の、大事件ですか? 両大河(ユーラ・ターラー)上流の一部分で、巨大化《人食鬼(グール)》が異常発生して、
それを討伐する戦争があったとか……『大徳もて巨大化《人食鬼(グール)》討伐指令くだせり帝国皇帝(シャーハンシャー)偉大なり』とか……」
シャバーズ団長が目をパチクリさせ、鷹匠ユーサーを眺めて……次に、背中から顔を出しているカラクリ人形アルジーのスナギツネ顔を眺めていた。
「……失念しておりましたが《鳥使い姫》、どこかの王侯諸侯の姫君だったとか。城砦(カスバ)や宮廷の社交界で噂を聞かれたようですね。
いまだに全国的に、そのように語られていますし……お耳汚しでございました」
――正確には、東方総督トルーラン将軍から「昔の自慢話」という形で吹き込まれただけだ。東方諸国の各部族と各ハーレム妻もそろう、折々の公的な祭祀に伴う宴会の際に。
帝国皇帝(シャーハンシャー)派閥の重鎮として、当時、大活躍していたという、過剰な脚色つきでもって……
だが、あえて修正説明する必要は無いので……曖昧にうなづいておく、カラクリ人形アルジーであった。
チラリと横目でうかがうと、ヒョロリ皇子セルヴィンと従者オーラン少年が、2人そろって微妙な表情である。因縁を考えれば、納得できるところ。
白鷹騎士団シャバーズ団長は、シャヒン・カスバ王侯として、老魔導士フィーヴァーと同じくらい裏事情に通じている様子。茶杯を傾けつつ、さりげなく話を元に戻した。
「巨大化《人食鬼(グール)》発生源となった『帝都の盾』連山は相応の広域エリア。《精霊魔法》土地占いにて『特に要注意』との警告が出た邪霊増強スポットに注目して、
我々含む有志の城砦(カスバ)連合による、合同調査と対応を進めています。若手閣僚クロシュ殿の出身アヴァン・カスバが中心となって」
老女《象使い》ナディテが、片眉をピンと跳ね上げる。
「それにしては、遅々たる進展という状況じゃね? シャバーズ殿?」
「オローグ殿の城砦(カスバ)が、うってつけの精強な工兵団を抱えていますが、以前の邪霊案件の際、謀反を起こした隣国の邪霊信仰の城砦(カスバ)と結託していた、との疑惑を吹っ掛けられて。
邪霊使いの忍者軍団として破壊活動しただの、全部ムチャクチャな言いがかりですが、共謀罪の確定・連座の危機だったもので」
「アヴァン侯クロシュと接触した瞬間、宮廷の権力闘争のネタとして、ガッツリ巻き込まれたかい。クロシュ殿は次期宰相と見込まれるほどの切れ者じゃが、無派閥ゆえ、
有力皇族の各派閥の間で引き抜き合戦を……特に第二皇子ズゥルバハルが難癖つけて、証拠捏造してでも名誉回復を妨害して。
オローグ殿をクロシュ殿から引き離すべく、ジャヌーブ砦へ飛ばしたの、陰険な第二皇子ズゥルバハルじゃろ?」
「正しい詳細でございますが、どこから情報を仕入れて来るんです、ナディテ様? その本体ジャカランダ・カスバ王侯ナディヴァタ様は、
新年祭祀と夏至祭祀の時期だけ帝都の宮廷社交界にお出ましになってるだけで、老齢を理由に、ずっと隠遁状態でしょう?」
「我ら《象使い》組合の連携がある。『ガジャ倉庫商会』でも老ダーキンの整備した諜報網が傑作でね。
第二皇子ズゥルバハル、その城砦(カスバ)をぶっ潰してでも、その精強な工兵団を奪い取って、第二皇子の親衛隊として独占したがってるとか。
巨大化《人食鬼(グール)》に対応できる戦力だから……災難じゃね」
「隣国と含めての、城砦(カスバ)そのものの名誉回復が必要ゆえ、王侯諸侯レベル全方位の折衝と交渉がつづいています。
オローグ殿も本来は折衝担当ですが、引き続き白鷹騎士団の一兵卒として……お蔭で色々と……とはいえ、こちらが立てばあちらが立たず、微妙なところ。
我らの任務を可及的すみやかに完遂することで、オローグ殿が本来の任務に戻れるよう協力するのみです」
――おや。
カラクリ人形アルジーは、鷹匠ユーサーの背中から降ろされて、隣の座布団(クッション)に置いてもらっている間……
ふと、覆面ターバン少年オーランの不思議な挙動に気付いたのだった。
なにごとか思い詰めているように……どこにでも居る少年兵の姿をしたオーラン少年は、じっとうつむいて、手元に落ち着いた相棒の白タカ若鳥ジブリールを、そわそわと撫でている。
――恐怖だろうか? それとも不安?
気のせいなのか、オーラン少年と白タカ若鳥ジブリールの周りを、「運命の悪意の陥穽のようなナニカ」多数が取り巻いているように見える。
暗く、よどんだ雰囲気。暗黒星のような――占い的に言うなら、どの選択をとっても「詰み」といわんばかりの、気配……
白タカ《精霊鳥》ジブリールのほうは、暗黒星のような謎の気配を、精密に感受しているらしい。時折ピッと冠羽を立てて、鋭いクチバシで、ビシッと、つついている。
人の目には、鳥の種族ならではの、何ということのない挙動の類だ。どうしても、見逃されがち。
カラクリ人形アルジーすなわち今は亡きシュクラ王国の第一王女アリージュ姫の、《鳥使い》ならではの鋭敏な感覚が、何かを捉えた……という感触はあるものの。
そのモヤモヤ感は、現実的・論理的な言葉では説明しにくい。
どうしても、いかがわしさ満杯の、占いの言葉になってしまう……
……
…………
……やがて白鷹騎士団・専属魔導士ジナフによる『白羽の矢』占術が終了した。
しきりに首を傾げている。
「これまで、ほのめかし程度の曖昧な示唆に留まっていても、外れたことは無いのですが。いま装着しているものが、もっとも精密に適合する《火の精霊石》である――との占断となっております。
実際、問題なく帝国語に適応しているうえ、ひととおり動作も可能ですね?」
「今まで歩いたり走ったり出来ていたものが、それが出来なくなった、という事態は『適合している』とは言わないのでは?」
セルヴィン少年が不可解さに首を傾げ。
その手に持っていた専用『魔法のランプ』の口では、ネコミミ炎が、ビックリしたように火花をパチリと弾いた。
ついで「ランプの精霊」さながらにニューッと伸びあがり、ちっちゃな手乗りサイズの火吹きネコマタの姿を取る。
老魔導士フィーヴァーが「む!?」とばかりに、鳶色(とびいろ)の目をランランと光らせ。身を乗り出すと共に、『毛深族』ならではの見事な白ヒゲが、モッサァと膨張した。
「例の『条件分岐の産物』延長と思われますが、この魔導士ジナフの判断を超えるゆえ何とも」
専属魔導士ジナフは、再び、シャラシャラ音を立てる護符チェーンを手繰り寄せ、各々のチェーン玉を、ひとつずつ選び出す態勢になった。
筆記の速度と似たような速度で、もう一方の手先が、白羽の矢をクルクル回している。
「やはり『白羽の矢』は、繰り返し同じ内容を告げております」
魔導士ジナフは、集中のシワを眉間に寄せて、慎重に、口述していった。
1回目は《精霊語》で……2回目は、人類の言葉で。
――別途、累卵の危うき。『三つ首の象と一つ首の象』展開の技術もて《銀月》が薔薇輝石(ロードナイト)派遣されたし。《生存証明》契約の特別条項が介入する領域へ《命の炎》達す。
『条件分岐』充足の臨界へ達する時、《精霊石》駆動では無いものを選ばねばならぬ。以下は《精霊界の制約》に触れる。言及つつしむべし――
何故か。
カラクリ人形アルジーの肩先で、相棒の白文鳥《精霊鳥》パルが、心底、仰天したように「ビョン!」と跳ね。
そのまま、幻影の煙か、なにかのように、姿をかき消してしまった。
どこか異次元へ――おそらく、あのエメラルドグリーンの海の、トロピカル島へ。
あまりにも、あまりな反応。
アルジーは呆然と……山ほどの疑問にまみれて、固まるのみだった……
一方で、白鷹騎士団の専属魔導士ジナフは、占断結果を文書にまとめ、老魔導士フィーヴァーへと手渡していた。
「老魔導士どのならば、この意味を理解できますでしょうか?」
みごとなモッサァ白ヒゲが、自信なさげに、ユラユラと揺れていた。『毛深族』ならではの豊かな体毛は、時に、顔の表情よりも雄弁なのだ。ひとしきり「むむぅ」という、うなり声が聞こえて来る。
「ワシは《象使い》用語に明るくないんじゃ……ナディテ殿、『三つ首の象と一つ首の象』展開の技術とは、なんじゃ?」
「いまラービヤちゃんが装着している、亡きアイシャの耳飾りの水引き細工……糸玉細工が、それじゃね」
問いを向けられた老女ナディテは、戸惑いの顔を見せていた。
「そう言えば老ダーキンは手先も器用じゃった。奥義を極めたレベルじゃったから、《象使い》装束の工房職人もイケるじゃろ、とか言った覚えがある」
「多彩な才能の持ち主だったのですね、老ダーキン殿は」
「そうなんじゃ、ジナフ殿。別名『マンダラ結び』。《象使い》装束の随所に使う。ドリームキャッチャー護符のマクラメ細工も同系『羽翼結び』じゃね。
一度、水引き細工の技術から類推したアンティーク羽翼紋様の白い絨毯を、ジャヌーブ港町《鳥使い》工房と、コラボ製造したことがある」
老魔導士フィーヴァーが早速、ピコーンときた様子で、誰よりも立派なモッサァ白眉を吊り上げた。ランランと目を光らせて、老女ナディテのほうを注目する。
「精霊魔法の不思議のひとつ――空飛ぶ白い絨毯かね?」
老女《象使い》ナディテは「うん」と頷いた。
「試作品のひとつが、微妙に成功してる。財務官ラーザム殺害事件の幕開けとなった、あの『空飛ぶ白い絨毯のような未確認飛行物体』怪談のアレとは別じゃね。
それは、ちゃんと高く飛ばなかった。だが、伝説の《波乗り象》さながらに、水の上に、わずかに浮いた」
「ふうむ。筏(いかだ)くらいには、役立ちそうじゃが。前もって路面に水をまけば――運河とつなげて――物流業者が泣いて喜ぶではないか」
「製造コストが恐ろしく割高だったんじゃ。防火・防水・防毒など災害対応の魔法の絨毯のほうが、よほど採算が取れる。製品化は見送るという結果になった。
20年前から30年前の話になる。いまの魔導大臣……当時は若手エリート魔導士だった……ザドフィク君も研究メンバーだったんでね、
彼が帝都まで運搬して、魔導大臣の管轄の倉庫に収めた筈。古代技術の再現研究の一環として」
「秀才魔導士ザドフィク君へ、確認の依頼を出すべきじゃろうな。前に在庫チェックの機会があったが、その時は、噂の絨毯は見当たらなかったぞい。
ヤツは、おのれの体毛をもっと金ピカにする事、専用部屋の扉の《魔法の鍵》を宝飾盛り盛りにする事のほうに熱心じゃ。まったく最近の若いのは嘆かわしい。フンッ!」
残り半分は、いつか聞いたことのあるような、職場のボヤキだ。持ち前の飄々としたユーモアが混ざって、愉快な印象になっている。
「豪華絢爛な美形さんなんだよねえ金ヒゲ『毛深族』ザドフィク君は。『美しき金獅子ザドフィク』って、みんなでコッソリ呼んでるくらいだからね」
噂の現・魔導大臣ザドフィクは、昔から印象深い人物だったらしい――人生の達人な老女ナディテが、シミジミと感想を寄せるくらいには……
…………
……不意に、ポンと思い出される生前の記憶がある。
かの、不運にも爆殺された、横領やらかし神官ハシャヤル氏の、ケチケチ・ピシーな横領の記録の、最後のページ。
金融商オッサンの店の新人スタッフ、赤毛クバル青年が見つけて、そのページを見せて来てくれて……
――《怪物王ジャバ》再臨を食い止めるほどの力量を持つ強大な魔導士は、現・魔導大臣ザドフィク猊下と、前・魔導大臣フィーボル猊下をおいて他には無い――
(この件が片付いたら、急いで帝都まで行って――行ければ――現・魔導大臣ザドフィクと、前・魔導大臣フィーボルの協力も引き出せれば……)
ただでさえ政治的発言力の無いシュクラ・カスバには難しい仕事だ。帝都の大神殿と、宮廷の上層部を、一斉に説得して動かす、というのは。
もっとも有望な手掛かりは、リドワーン閣下だろうか。
……
…………
「それにしても《生存証明》契約じゃと?」
老魔導士フィーヴァーが、みごとなモッサァ白ヒゲをかき回し、爆発させていた。その壮観と来たら、ボンヤリとしたアルジーの回想すら、中断させられるほどの迫力だ。
「大魔導士の資格持ちゆえ《魔導》手続きは理解できるが、あれは精霊の側からの全面協力が無いと特別条項ルートが開けんのじゃ。
選ばれし毛玉ケサランパサランを、人手で山ほど集めて順番にお焚き上げする手間なんぞ、考えるだけでも疲れるわい。
とりあえず、いま、カラクリ人形の駆動《精霊石》が、どうなっているか、じゃな」
かくして、カラクリ人形アルジーは、横たわって、パカリと蓋(フタ)を開かれたのだった。
もちろん充分以上に怪奇パンクホラーな光景であるから、老魔導士フィーヴァーと鷹匠ユーサー以外の全員が、一瞬、のけぞったのは言うまでも無い。
「……む、むむ! これは」
「異変がございますか、老魔導士どの」
老魔導士フィーヴァーは気もそぞろに、同士ジナフを手まねきした。2人で並ぶ。
カラクリ人形アルジーが目をパチクリさせていると。
「済まんが、蓋(フタ)周りをもう少し広げるぞい、詳しく診断できるようにな」
「え、それは構いませんが」
――このカラクリ人形が男性型で良かった。医療行為の延長とはいえ、女性型だったら、さすがに羞恥のあまり身もだえしてたかも知れない。
乙女ゴコロは複雑で繊細で、しばしば、とっても論理的じゃ無いのだ。
「同士ジナフ殿、医療《魔導》の面から、どう診断をつける? 信じがたいことが起こっておると見ゆるが」
「御意。『白羽の矢』の意図はこれで間違いないかと。水引き細工のような構造を結ぶ薔薇輝石(ロードナイト)の輝線すなわち《命の炎》成分が見られます。これでは憑依が安定しない筈です」
「同意じゃ。精霊(ジン)に相当、すなわち亡霊か幽霊の場合、《精霊石》駆動を経由する憑依は安定する。もともと本来の最初の『アルジュナ号』には、
その辺の適当な娼館で『魔法のランプ』をやっとる《火の精霊》の、演技が上手で協力的なヤツに、入ってもらう予定だったんじゃ」
――生真面目な老騎士でもある専属魔導士ジナフは、無言で目をパチクリさせて……圧倒されたように頷いていた。
同じように、琥珀色の目をクルリとさせて唖然とした……ヒョロリ皇子セルヴィン少年の肩先で、ちっちゃな火吹きネコマタが、2本のネコ尾の先で火花をパチリとやった。呆れたように。
邪霊が関わっていない時は、《火の精霊》は相応に気まぐれなのだ。イタズラ好きな火吹きネコマタの流儀でもって、別の方向で、おかしな状況になった筈だ。
老女ナディテが、ズバリと突っ込んだ。
「老魔導士どのと気が合うような精霊の性質は、相当に奇天烈なモノになるじゃろ。
下手したら、夜の行為の最中に、ターゲットとする帝国皇帝(シャーハンシャー)の、微妙な部分の毛なんかにイタズラして燃やしてたんじゃないかい」
「ニャイ……(否定はできない……)」
セルヴィン少年の肩先で、ちっちゃな火吹きネコマタが、ネコの手でネコの顔を撫でていた。あからさまに、焦っている様子で。
しばしの間、吹き出し笑いのような溜息や、咳き込みがつづく。そして。
「熱回転や波動回路が乱れた場合。ほぼほぼ亡霊であれば、別のタイプの《精霊石》を選ぶ必要があるが、適合すれば安定する、前回の時のようにな。同士ジナフ殿も、ワシと同じ見立てに到達しとるか?」
「見解は一致しているかと。生きている身体の《命の炎》に近づいている。すなわちアイシャ夫人に起きた事例のごとく、仮死状態から蘇生しようとしている」
――その場に爆弾が落ちて、炸裂したようなものだ。
深い沈黙が広がる。
カラクリ人形アルジーは、目を泳がせた後……いささかの諦観と共に、ぼそりと呟いた。
「あの、私、死に過ぎるほど死んでるんですよ? 城壁の石落としの下敷きになって……財務文官ドニアスの、オーバーキルで」
覆面オーラン少年が不明瞭に頷いて、同意した。そわそわと、白タカ・ジブリールを撫でまわしつつ。
「本来の人体は、葬式用にすら使えないほどメチャクチャになった、とか。それに霊魂そのものも、大手術したと言うような……」
「今の時点で結論を出すのは早すぎるぞい。人類史上最高の天才であるワシでさえ理解するのが難しいのじゃ、見立て予測にとどめるしか無い」
老魔導士フィーヴァーは、再び、カラクリ人形アルジーの心臓部を成す《火の精霊石》駆動回路を一瞥し……モッサァ白ヒゲを一層モサモサとさせつつ、パタンと蓋(フタ)を閉めた。
「同士ジナフ殿の見立てたとおり、臨界に達する瞬間は、我々の想像以上に近づいているんじゃろう。目下、最下層だろうが何処だろうが、異常氣象の発生源の退魔調伏に全力を尽くすのみじゃ。
それも可及的すみやかに……《精霊石》が《命の炎》を支えきれなくなって、破綻する前に」
「私ジナフも同意いたします、老魔導士フィーヴァーどの」
*****
奇跡的にも安全圏であった、廃墟ラビリンス第三層の中央部。水場施設を備えた『深淵の間』。
疲れを知らぬ精霊(ジン)の種族――セルヴィン皇子の火吹きネコマタと、鷹匠ユーサー相棒の白タカ・ノジュムが、さらに守護の結界を維持していた。
本来の《火の精霊》《風の精霊》による、紅白の、強力な退魔能力のある光が、古代様式の『精霊魔法文明』石材に刻まれた魔除け紋様を、活性化している。
前日のオベリスク広場で皆が寝静まった時のように、見張り以外の全員が寝静まる時間がつづく。
ゆっくりと夜が更け……翌日が近づいて来た。
大きく破損している天井穴を行き交う風は、夜明け前の空気のにおいをまとっている。
交代の見張りに、ラービヤ嬢が立った。弓矢を構えて、勇ましい出で立ち。
チームを組む形になっているのは、見習い魔導士ユジール少年と、虎ヒゲ・マジード、それに白鷹騎士団の女騎士サーラ。バランスの取れた人選と言える。
最弱の邪霊害獣《三つ首ドクロ》が単発でフラリと沸き、ぎらつく黄金の火花を振りまいた。
最寄りに居た虎ヒゲ・マジードが、退魔紋様の盾でバシリと撃ち落とし、無害な真紅の熱砂に変える。
(ホントに虎ヒゲが、ごっそり無くなってる)
横目で見てビックリして、次に感心する、カラクリ人形アルジーであった。
虎ヒゲがスッカリ無くなってみると、その顔の下半分が、毛色に応じたトラ模様に彩られているのが判る。ヒゲを彩る色素が関係しているのは確実で、
部族の文化風習の一種としての、ペイント化粧にも見える。それに毛根は死滅していないから、数日のうちに、みごとな虎ヒゲが復活するだろう。
次に、ガシャガシャと音を立てて《骸骨剣士》が沸いて来た。ラビリンス第三層というだけあって、第一層に比べて、出現する邪霊の種類と頻度が、明らかに増加している。
ラービヤ嬢が、瞬時に退魔調伏の矢を放った。
感心するほどの正確さで《骸骨剣士》の額に矢が刺さる。一撃必殺の急所。《骸骨剣士》は見る間に、無害な熱砂と果てた。
「どこか、結界に切れ目がござろう」
虎ヒゲ戦士マジードに促されて、見習い魔導士ユジール少年が、怪しそうな箇所をチェックし始め。
「当たりです。ラビリンス第三層ともなると、邪気が濃くなりますね。邪霊退散の御札の消耗スピードが、速まってます」
見習い魔導士ユジール少年は、せっせと、くたびれてきた紅白の御札を交換しはじめた。重労働では無いが、面倒くさい作業には変わりない。
ただ、退魔調伏インテリア自動機械(オートマタ)といった方式の、カラクリ人形アルジーについては、自分で紅白の御札を交換してズラズラと吊り下げるので、特に作業の必要は無い。
……そんなカラクリ人形アルジーの近くに。
不意に、白い毛玉ケサランパサランが、フワリと現れた。
結構な大玉で、レースのようなヒラヒラが付いている。
白毛ケサランパサランの大玉は初めてだ。赤毛ケサランパサラン大玉は、聖火の色をした炎冠をくっつけて出て来たのを見たことはあるが……
大型の白毛玉ケサランパサランって、ヒラヒラのレースをまとって、漂うものなのか。
目下、思うように足が動かないだけに……カラクリ人形の視線でもって、興味深く、そのフワフワを追っていると。
アルジーの方向へ向かう風の流れに乗ったのか、レースをまとう白毛玉が、フワフワ接近して来た。
ここまで近づくと、そのレース状のヒラヒラは、姫彼岸モチーフらしいと判る。超絶技巧のレース編みか、水引き細工のように見える。
カラクリ人形アルジーの首筋へ、フワリと白毛玉の大玉が触れる。
――シャララン。
気まぐれにか「ドリームキャッチャー護符の耳飾り」分霊が、共鳴する。
次の瞬間、霊魂アルジーは、「左右の耳飾り」分霊ごと、フワリと白毛玉ケサランパサランに憑依する形になった。
『ありゃりゃ、大丈夫なのコレ?』
思わず、ワタワタ、クルクル、と空中で回転していると……折よく、白タカ若鳥ジブリールが飛び掛かり……シュバッと、捕まえてくれた。
『先刻「そっちへ人類ダーキンの傑作が飛んで行ったよ」って白文鳥パル殿から連絡が来たんだ。シッカリ見張ってて良かった』
『え? パルは、トロピカル島へ行ったんだろうなぁと感じてたけど、老ダーキンと一緒に居るの?』
『あの人、精霊(ジン)に近い霊魂なんだ。相棒となれるような《精霊象》との出逢いは無かったけど、修行を積んだ《象使い》としては驚異の最高位階。
波長の近い《精霊象》が居れば、霊魂の交換できるくらいだよ。アリージュ姫と似たり寄ったりだね』
『そんな事もあるのね』
『人類ダーキンは三途の川を渡って、アリージュ姫の事情を知って仰天して、全面協力してくれてる』
――エメラルドグリーンの海。
深い深い藍色の天空の下、真っ白な浜辺に佇む、イケオジな老ダーキン。
そして、ひと房の銀髪が風に揺れて――
渋い。
なんだか、ハマってるわね。
『いま変な想像してたでしょアリージュ』
『(ドキッ)そ、そんなこと無いわよ、ジブリール君』
『だって気まぐれに点滅してる。シッカリ意識を固定してないと、毛玉ケサランパサランだから、思い付きで、へんなとこに《超転移》しちゃうんだよ』
『へんなとこって、……変なところ!』
気が付くと、施錠された箱の中だ。
籐(ラタン)トランク風。軽量化を図るため、空隙だらけのスカスカ。
退魔紋様の風呂敷で包んで、人類の背中に「どっこらしょ」と背負うタイプ。
夜間照明に照らされた個人テントの中。スカスカの空隙を透かして、周りの様子が丸見えだ。
微小な隙間を、ものともしない毛玉ケサランパサランにとっては――まだ小柄な若鳥《風の精霊》ジブリールにとっても――気まぐれに出入りできる場所ではあるけれど。
『だから言ったじゃん。ここ、あの見習い魔導士ユジールの荷物箱の中だよ。隣が寝床になってる。見習い魔導士ユジールが、見張り当番に出ているタイミングで良かったね』
白毛玉アルジーは、見習い魔導士ユジール少年の荷物のなかを、ポンポン跳ねはじめた。偶然まぎれこんだ場所だけど、施錠された荷物箱の中だなんて、正体を探る絶好の好機ではないか。
さっそく不自然な下着類を発見し、モコモコと潜入する。早くも成果が出て来た。
『ヤミ取引所へ《邪霊害獣の金鎖》を高値で売ろうと言うのかしら。使い古しのパンツに、ジャラジャラと隠すなんて。
資金力のある御曹司じゃ無くて、苦学生だというなら、奨学金を申し込むのもあるけど。学費を稼いでるとか……?』
『妙齢の男のパンツを、それも洗濯してないパンツを、ひとつ残らず引っ繰り返すなんて深窓の姫君の羞恥心どこ行ってんのさ』
『男というヤツは、こういうポイントに隠すのよ不倫の証拠や裏金を。娼館の遊女たちの、アドバイス。
このくらい平然とやれなかったら、結婚した後で、夫や息子のパンツや、おねしょベッドシーツ洗濯する時なんか、どうするのよ。
女には体調が悪い時もしょっちゅうあるのに、いちいちショック受けてたら、ヤローどもの世話なんか出来ないでしょ』
『わお、女商人ロシャナクの薫陶(くんとう)スゴスギ。アブダル汚部屋は、
さすがに想定外だったみたいだね……んん? あの、三途の川で罰金とられてた中年神官ゴーヨクの、覚書、かな。勤勉にも、先取り特権の記録の業務引継ぎ?』
丈夫な紐を通して、シッカリ重ねられた紙束。見るからに業務報告書。
白毛玉アルジーも力を合わせて、モコモコとページの隙間に潜入する。
『業務記録、人事異動の項目。保管ブツは『雷霆刀』訓練の特典がある騎士団訓練所の免状。ジャヌーブ傭兵組合、加入……えーと、
直前になって、免状持ち女戦士ヴィーダ急死。免状持ち見習い魔導士ユジールを代替要員として派遣』
若鳥ジブリールは、ヒョイと首を傾けて思案顔になった。
『たしかに女戦士ヴィーダは、ジャヌーブ傭兵組合へ加入して砦へ流れて来る形だった。女戦士ヴィーダが中年神官ゴーヨクの助手の予定だったの? 女戦士ヴィーダが急死して、
その代替? そういえば、白鷹騎士団では最初、追加戦力として、女戦士ヴィーダに声かけてたから……ふーん?』
次の瞬間。
グラリと世界が揺れた。
つづいて、ギョッとするような、ガタ揺れ。
『わ、地震だ!』
バランスを崩して、白タカ若鳥ジブリールは、タタラを踏んだ。
――グシャ。
そこにあった古そうな包み紙が少し解けて、はずみで、『謎の金粉』がフッと飛び散る。
包み紙の狭間から、特徴的な光沢をした黄金色が見える。
紙のようで普通の紙では無い、特徴的なペーパー音。古い黄金《魔導札》2枚か3枚ほど。廃墟の中にポツポツ散らばっているのを、せっせと拾い集めたような……
聖火と同じ金色をした白タカの目が、驚いたように「カッ」と見開かれ……鋭く光った。
白毛玉アルジーは、『謎の金粉』に触れたかと思うや。
『ふぇ、ハックション! ハックション! ハァックション!』
盛大に連続クシャミをした。クシャミが止まらない。
全方位へ噴出するクシャミで、周囲の空気が飛び散る……銀月の色をしたキラキラが一面に充満し、パパパンと花火のごとく爆発して、チカチカとフラッシュしまくり、そして散った。
白タカ若鳥ジブリールが、花火スペクタクル展開すぎる連続クシャミに、ビックリして転がったまま……唖然として、アルジーを見つめている。
その辺に漂っていた『謎の金粉』すべてが、クシャミで飛び散るか、謎の打ち上げ花火と、キラキラと連続フラッシュで、どうにかなったらしく……
ようやく「空気浄化」された感じになり……やっとクシャミが鎮まる。
――毛玉ケサランパサランという不思議なブツに、派手に、連続クシャミする能力があったなんて、初めて知った。
何回クシャミしたのか覚えていないが、クシャミしすぎて疲労困憊だ。
大量の涙と鼻水が出たかのように、病的に干からびた気持ちだ。
連続クシャミ攻撃を、これでもかとばかりに集中的に食らっていた「包み紙の中の黄金《魔導札》数枚」は……すっかり錆びてしまったかのように、特徴的な輝きを失っている。
『フェーーーッックショーーンッッッ!』
とどめの、大型クシャミ攻撃というところ。「包み紙の中の黄金《魔導札》数枚」は、もはや粉々の「燃えクズのようなナニカ」と果てた。
『いきなり花粉症になったのかしら、私って、ずび』
超絶技巧ヒラヒラ・レースをクルリと巻き取り、「手」にとって「涙」をぬぐう。毛玉ケサランパサランに「手」「鼻」という物理的な器官は無いから「鼻」と感じる部分をチーン、とやる。
白タカ・ジブリールは、もはや物も言えないほど、アルジーの連続クシャミに圧倒され尽くしたのか、ボンヤリと座り込んでいる格好だ。
『それこそ、まさかでしょ……《精霊クジャクサボテン》受粉媒介するんだよ、毛玉ケサランパサランって……』
穀粉飯(おやき)の定番素材となる多数の穀類植物が次々に花開く青葉嵐の季節のころ、「花粉症」という奇病が流行して、たびたび話題になったことが思い出される。
不運にも御曹司トルジンのハーレム妻にさせられた女性たち12人と、チラホラ会話をしていたのだ。
季節の祭祀を伴う宴会の際に、周辺地域の部族長も招かれて集まって来るから、自然に話題になる。
伝染性は無く、邪霊とは無関係で、致命的な病気でも無いとのことだが……体力を消耗するし、生活の意欲も減退する。微妙に困りモノな奇病なのだという。
――「クシャミと涙と鼻水が止まらない」という謎の奇病にとりつかれた患者の苦労が、しみじみと想像できる……
そして……「バッ」と、周りが明るくなった。夜間照明の明かり。
「クソが、何してる!」
険しい顔をした、見習い魔導士ユジール少年が、のぞきこんでいた。
――毛玉ケサランパサランの動きは、一般的にトロい。
見習い魔導士ユジール少年は、すっかり激怒している様子だ。
ビックリしてフワリと跳ねた格好の白毛玉アルジーを、握りコブシで殴り。
地上へ叩き落とすや、スパイク付の戦闘ブーツで踏みにじり、ゴリゴリとやり……ヒラヒラ・レースまでボロ雑巾のようにして、空中へ蹴り飛ばす。
『あ~れ~!?』
『大丈夫ッ!?』
ボロ雑巾となって漂流する白毛玉を追って、トテテと走り出す白タカ若鳥ジブリール。
白タカ若鳥をも捕らえようと……見習い魔導士ユジール少年は、ビックリするような素早さで、乱暴に腕を突っ込んで来た。
誇り高い白タカ・ジブリールは、怒りの冠羽を立てて、その非友好的なユジール少年の頭部に飛び掛かる。勢いで、ターバン布を引っぺがす。
「シャー!」
「やめろ!」
鋭いタカの爪に、色白のなめらかな美貌を引っ掛かれそうになり、ユジール少年は飛びすさって……テントの外にまで転がって、尻もちをついた。
「どうしたの?」
「なんだ、なんだ?」
同じく見張りに出ていた、虎ヒゲ・マジードや、ラービヤ嬢、女騎士サーラが集まって来た。
ターバン布を引っぺがされて転がっている、黒い長衣(カフタン)の見習い魔導士ユジール少年。むき出しになった頭髪は、淡い茶色。その、ひと房が、銀髪だ。
まだ怒りが収まらぬ様子で、両足を踏ん張って威嚇している白タカ若鳥。
その若鳥の黄色いクチバシに……なにやらボロ雑巾と化した、白毛玉ケサランパサラン。
ここから導かれる結論は、だいたい決まっていた。
「こりゃあ白タカの、わんぱく小僧が白毛玉ケサランパサランで遊んでるうちに、さっきの地震で驚いて、ユジール君のテントに突っ込んで……で、ござろうか」
虎ヒゲ・マジードが苦笑いをしつつ、ヒゲの無いシマシマ・ペイント風の顎(あご)をさすった。チラホラと、早くも無精ヒゲ。
「これだけボロ雑巾にしたんじゃお焚き上げね。朝食の火を起こす頃合いだから、燃料にでも」
女騎士サーラが手を差し伸べたが。
小ぶりな白タカ・ジブリールは『激おこぷんぷん丸』と言わんばかりに再び「シャー!」と威嚇して。
ボロ雑巾な白毛玉ケサランパサランを引っ掛けたまま、飛び去って行ったのだった……
……昨夜からずっと、軍用ドリームキャッチャー護符のもとに鎮座している、老魔導士フィーヴァー傑作の《魔導》カラクリ人形のところへ。
「なにか、あったのかしら? この間、全身洗浄した後みたいに、あのカラクリ人形、ほとんど憑依が抜けてたけど」
「一応さっきの地震の被害は無いわよね、ユジール君? あらユジール君も、ひと房《銀月》の銀髪あるのね。老ダーキン殿と同じ。……テントの中、被害を調べるわよ、いい?」
ラービヤ嬢が若い娘ならではの遠慮の無さで、テントの幕を、サッとめくり上げる。
見習い魔導士ユジール少年は赤面しつつ、入り口の前に立ちはだかった。テントの中のアレコレを隠す形で。
「自分でチェックしますから、お構いなく……! ラービヤ嬢」
ラービヤ嬢よりは訳知りな女騎士サーラが、ピンと来た顔になった。猪突猛進なラービヤ嬢の腕にそっと手をかけて、イタズラっぽく片目をつぶる。
「お年頃の少年は、いろいろ訳ありだったりするのよ。マジード殿も少年時代の黒歴史とか、胸に覚えがあったりするでしょウッフフフ! さて、ラービヤちゃん、朝食の準備しましょう」
――その場に、微妙な空気が横たわったのは、言うまでもない。
口の端を変な形に引きつらせるしか無い、見習い魔導士ユジール少年。プルプル震えるたびに、ターバンを巻いていない頭部の……淡茶髪のなかの、ひと房の銀髪も、フルフル震えた。
虎ヒゲ・マジードが、首をフリフリ……ボソボソと、こぼす。
「……なあ少年。我々オトコというモノは、かくのごとき理不尽な数々を耐えて、ホンモノのオトコにならなきゃいかんのさ。ま、落ち込むなよ。
こんなの青春の恥の数にも入らん、まして私がうらやむくらいの色白スッキリ美形で、女にモテモテ確実だからな。いつでも相談に乗るでござるよ」
騒ぎに気付いた周囲の野営テントの数々。
その入口の垂れ幕が、そっとめくられていて……同情と共感の眼差しが、思い思いに行き交っていたのだった。
*****
そして朝食の席。
覆面オーラン少年は、飼育中の白タカ・ジブリールに、シッカリ言い聞かせて管理していなかったということで、シャバーズ団長から、ガッツリお叱りを食らう形になった。
白鷹騎士団においては、オーラン少年は、見習い騎士-兼-見習い鷹匠といった位置づけである。中堅ベテラン鷹匠ユーサーの弟子。
シャバーズ団長から鷹匠ユーサーがお叱りの言葉をいただく。
鷹匠ユーサーが、師匠として、弟子たる少年へ向けて復唱して……
オーラン少年がさらに復唱して「以上の件、反省いたします」と受け答えする。
いまだに怒りの冠羽をピッと立てて「シャー!」が止まらない白タカ・ジブリールのクチバシを押さえつつ……
覆面ターバン少年オーランは、神妙な態度で、同い年の見習い魔導士ユジール少年へ静かに頭を下げた。
「たいへん申し訳ありませんでした。以後よく言い聞かせて、私のほうでも気を付けて、白タカを管理します」
――それ程という訳では無いが、ちょっと気まずい状態というところ。白鷹騎士団の訓練所の訓練生だったら、反省部屋で反省文を書かされているところだ……
…………
……
一方で。
カラクリ人形へ無事に憑依したアルジー。
先ほどと同じ軍用ドリームキャッチャー護符の支柱スタンドを背もたれとして、カラクリ人形を座らせてある。
そこから、水場の近くで進行している「お叱り」と「反省」の様子を、ハラハラして眺めるばかりだ。
中年商人ネズルは「血気盛んな少年の間で喧嘩のようなことがあったらしい」と察しているらしく、立食形式の朝食を好機として、鬼耳族のクムラン副官へ、ちゃっかりと聞き込みをしていた。
護衛オローグ青年がクムラン副官と小声で情報交換しているところへ、突っ込む形である。
誰に何を聞けばよいのか――を検討するには人脈をつかむ必要があり、この点で、商人ネズルの才覚は、たいしたものと言える。
適当に気が利いて適当に大人な商人ネズルが、間に挟まって来るなら、少年たちの間に一触即発のようなことがあっても、何とかなりそうだ……
覆面オーラン少年と、見習い魔導士ユジール少年との間にある、不穏なモヤモヤが、何とかなりそうなのを確認して。
アルジーは、条件が合致している筈の《火の精霊石》と、実際のカラクリ人形の駆動とがズレている理由を、どうにかして突き止めようとしていた。
原因はある筈なのだ。
それが判れば、少なくとも、よりマシになるように対処することは可能。感覚さえ通っている状態なら、以前のように、なめらかに動くのだから。
そして、その頃には白タカ・ジブリールも、冷静に説明できる程度には落ち着いてくれる筈。
目下、若鳥ジブリールは「激おこぷんぷん丸」なのだ。
見習い魔導士ユジール少年のテントから蹴り出された直後、「何があったの?」と聞いたのだが。
怒髪天のあまりなのか「絶許(シャー)! 絶許(シャー)!」というスラングしか、返って来なかったのだ。
白タカ・ジブリールの《精霊鳥》独特の冠羽で、黒ダイヤモンド光沢がチラチラしている。オーラン少年を祝福している《地の精霊》を全力で説得しているらしく……ディープな高速《精霊語》だ。
ゆえに、アルジーには「何が何だか」なのだ。
繰り返し、カラクリ仕掛けの手足を、カシャカシャと動かしてみる。
(なんとなく状況は、つかめて来たかも)
――上半身はおおむね正常に動くが、手先まで思いどおりに動かすには、霊魂の手先のほうを、その位置まで移動しなければならない。
――足の感覚そのものは膝あたりまでは有るが、足先の感覚が無い。こちらも霊魂の足の位置を移動すれば解決する。しかし、そうすると、上半身を動かすための霊魂の憑依がスカスカになって、
頭部は完全にコントロールを外れてしまう……つまり人工声帯を動かせなくなるので、帝国語で喋れなくなるのだ。
(大人のための着ぐるみに、うっかり入ってしまった子供みたいな感じなんだよね)
……水のジン=ユーリュメルが『手術の影響で不安定ゆえ、しばらくの間は少女の姿をした霊体がゆらぐ』と説明してくれたことと、関係あるのだろうか。あの時は、9歳か10歳くらいの体格だったような……
…………
……
やがて、朝食が済む。
ヒョロリ皇子セルヴィン少年が、不思議そうな様子で近寄って来た。食後の薬草茶を滲出中の、茶器セット『魔法のランプ』を抱えつつ。
「えーと、《鳥使い姫》。まだ身体が、おかしな感じ?」
カラクリ人形アルジーは目下、手探りで、山岳ブーツの紐を締め直しているところであった。
うなづく格好で、上半身をヒョコリと動かした拍子に。
憑依コントロール下に無いカラクリ人形の頭部が、ガクリと落ちてしまった。文字どおりグニャリと首回りが折れ曲がって、頭部が、胃袋の位置に「ゴツン」とぶつかる。
絶句して怪奇に青ざめながらも。
セルヴィン少年は、アルジーの頭部がそれ以上もげて落下するのを、止めてくれたのだった。ただでさえ貧弱な、死にかけの腕力でもって。
最近、食後の薬草茶セット(準備用の一式が相応に重い)を、自分で持ち運ぶなどして、ようやく筋トレを始められるようになったらしいが……
火吹きネコマタが金色の目をギョッと見開きつつ、クルクル駆け回り。
気付いたオーラン少年と白タカ・ジブリールもやって来て、やっと人形の首を、元の位置に戻す。
「いったい何が、どうなってるんだろう?」
セルヴィン皇子の琥珀色の目は、不安でいっぱいだ。こちらはピンピンしてるのに、ただ、ひたすら申し訳ない。
霊魂アルジーは、新たに学習した適応でもって、頭部への憑依を復活させる。カラクリ人形の、スナギツネ顔をした首がヒョコリと起きた。正常な位置に。
「頭はシッカリしてるわよ、ただ、衣服の、じゃなくて、人形のサイズが合わないだけだから」
「人形のサイズが合わないって?」
覆面オーラン少年は首を傾げ、腰回りの荷物袋から工具を取り出した。短剣の鞘(さや)からも、針金セットを取り出す。
そして初歩的なネジ止めの部分を外して、バネの接続状況をチェックし始めた。オーラン少年もなかなか手先が器用。
数個ほど、ゆるんでいた部分を締め直したり……《魔導》カラクリ人形の各所調整について、一夜漬けながら勉強していたらしい。
ふと、気づくところがあって……覆面オーラン少年と、その肩先の白タカ・ジブリールを眺める。
何故か――昨夜のオーラン少年と白タカ・ジブリールを取り巻いていた、あの不吉な……暗黒星を思わせるような、奇怪に歪んだ気配は、半減しているようだ。
半減している分、見通しが良いというのか、スッキリとして見える。
火吹きネコマタがフンフンと各所を嗅ぎまわり始めた。やがて、2本のネコ尾の先で、火花がパチリパチリと連続で光る。
『ホントだニャ。霊体サイズが合わないニャ。《生存証明》契約の特別条項が介入する領域へ《命の炎》達す。仮死状態から蘇生しようとしている分、霊体サイズが、この時空の肉体に近づいてる。
下手したら大破綻の危機ニャ。あの二位の手際に間違いは無かろうが、思案のしどころニャ』
いつしか、鷹匠ユーサーと、白タカ・ノジュムが来ていた。
ベテラン白タカ・ノジュムは、白タカ若鳥ジブリールを視線を合わせた後、ビックリしたように翼をバサリとやって、カラクリ人形アルジーを眺めはじめる。
『銀月の。全身全霊の盛大な連続クシャミ「お清め」のうえに、ギタギタに踏みにじられて、霊体の延長パーツをゴリゴリ削られたそうだな。
人類ダーキンが、あの世から白毛玉にくっつけた「水引レース編み」が、あれ程に精緻じゃ無かったら、またバラバラのポンコツになっただろう』
『え、あの超絶技巧ヒラヒラ・レース編みが? せ、せっかくの素敵なレースだったのに、あっと言う間にボロ雑巾にしてしまって、いろいろ申し訳ないというか』
『逆だ、逆。銀月が霊魂を削って、死中に活路を開いてくれた。真性の《鳥使い》とは突き抜けた鳥頭にあり、キメ技がクシャミ連発とは予想はるか沖ナナメウエだが。
次世代グリフィン消滅の危機を回避してくれたこと礼を言う。昨夜パル殿が慌てて蒸発(ドロン)したのは、それ程の緊急事態の警告を受けたからだ』
『ジブリール君、消滅の危機だったの!? 緊急事態? だれも何も言わなかったわよ?』
覆面オーラン少年の肩先で、白タカ若鳥ジブリールは面目無さそうな様子である。
『……数が多すぎて……グリフィン一族とはいっても、産毛が取れたばかりの若鳥のうちはね……天敵のタネを、せっせと、つついていたんだけどね……』
プルルッと尾羽が震えている。
まだ成長途上な若鳥・ひな鳥にとっては、捕食される危機は、成鳥よりも大きいのは当然だけど……相応に恐怖の局面だったようだ。
何があったか判らないが、いまは、その時を振り返って息をつける程度には、解決しているらしい。
ベテラン白タカ《精霊鳥》ノジュムは素早く翼を整え、フーッと溜息をついた。
『もと人類の霊魂だったな鳥使い姫。またしても失念していた。人類ジナフの「白羽の矢」占術に割り込んだ、アレだ。一位の伝令ラスールが割り込んでた』
――別途、累卵の危うき。『三つ首の象と一つ首の象』展開の技術もて《銀月》が薔薇輝石(ロードナイト)派遣されたし――
思い出してみれば。
白鷹騎士団の専属魔導士ジナフが、そのように繰り返し述べた、謎の占断があった。確実を期すため、1回目は精霊語で、2回目は人類の帝国語で。
その直後、相棒パルは、いきなり居なくなったのだ。たしかに。
白タカ・ノジュムの、立て板に水のごとき説明がつづいた。
『夜明け前に、急に「天の書」盤面が入れ替わって、《青衣の霊媒師》が仰天している。パル殿も挙動不審……奇行してるんだ。
この世で最強の「トラブル吸引魔法の壺」の底が近づいて、《火霊王》御使い二位どのが、せっせと手ぐすね引いている。
我々も、背後にいっそう気を付けなきゃならんが……謎の取っ掛かりも、更に引きずり出せたんじゃないか』
『取っ掛かり?』
『だが、その憑依用の人形を動かせないのは深刻な問題だ。クシャミ「お清め」対決した分だけ霊体が縮んでいるんだ、それは理解できてるだろう』
『それは判る、なんとなく』
時間の余裕が無いらしく、白タカ・ノジュムはすでに高速《精霊語》でポンポン喋っていた。それでも、わざわざ時間を取って人類の亡霊向けに、かみ砕いて説明してくれる。
『カラクリ人形を抱えて最下層へ向かうには、セルヴィンは体力が無さすぎる。オーランは別途やる事が多すぎる……あとで詳しく説明するから、いい加減、人形の手首を離して、盗み聞きを止めて、
こっち来い少年。《鳥使い姫》は相棒ユーサーの背中につかまってろ。ただでさえ此処は危険地帯ゆえ』
カラクリ人形アルジーは、目をパチクリさせて、オーラン少年のほうを見やった。
「……聞いてた?」
覆面オーラン少年の漆黒の目は、ばつの悪そうな表情を浮かべていた。
その少年の手は、カラクリ人形アルジーの手首を、シッカリ握っていたのだった。
翻訳機能のある《銀月》要素との、不思議な接触効果で……ハイレベル高速《精霊語》による会話が、バッチリ翻訳されて聞こえたに違いない。
■07■ラビリンスの奥の巨大空間…下降する螺旋
白タカ・ノジュムにせっつかれて、困惑顔で立ち去るオーラン少年。
少年のターバンから白タカ・ジブリールが素早く飛び立ち、先行している。
行き先は、何故か、《象使い》2人の相棒をつとめる《精霊象》2頭だ。どちらの《精霊象》も訳知り顔で、少年の接近を待ち受けているところだ。
老魔導士フィーヴァーが「《精霊象》の種族は有用情報の宝庫」と感心していた。そのとおり、《精霊象》2頭が、いまのオーラン少年に必要な情報を持っている――ということなのかも知れない。
セルヴィン少年が、疑問と好奇心とで、琥珀色の目を金色にしている。首を傾げた拍子に、ターバンの間から、ダークブロンド髪がこぼれた。
「白タカ・ノジュムが、白タカ・ジブリールの件でオーランを呼び出して、「トラブル吸引魔法の壺」をカチ割れるよう鍛錬する、ということで合ってるのかな?」
――《精霊語》習熟において初心者レベルゆえの影響が大きく、解釈がズレているが、ヒョロリ皇子セルヴィン少年の推理力には感心させられる。グルッと回って、本質を突いてるかも知れない。
鷹匠ユーサーが、番外皇子とはいえれっきとした皇族へ、丁重な一礼をする。
「このたびは我が弟子のことで、色々とお手を煩わせることに。ご寛恕いただければ幸いです」
「緊急で必要なことだったのだろう。聞きたいことがあるが良いだろうか?」
「お答えできる範囲であれば」
「地震の前後で、ユジール魔導士のテントから急に元ケサランパサランらしきボロ雑巾が飛び出して来たが、関係してるのか?」
鷹匠ユーサーは微妙な顔になって、カラクリ人形アルジーを眺めた。さっきの白タカ・ノジュムの《精霊語》を、ほとんど理解していたのは明らかだ。
「見たままを申せば大いに関係はしております、セルヴィン殿下。このような場所ですから精霊と邪霊の暗闘はすでに始まっています。殿下もいっそう、ご警戒のほど」
*****
地平線から太陽が顔を出し、上昇をはじめる。
天井を損壊する穴から洩れている陽光は、圧倒的なまでに明るい。
照り返しを受けて、ぼんやりと階層の全体が照らし出されているほどだ。
夜間と比べると、陽光の気配があるだけでも、気の持ちようは相応に上がっていた。昨夜はしきりに目を覚まして落ち着かない状態だった数々の馬も、陽光や外の空気の気配を感じて、ホッとした様子。
名称『深淵の間』。
巨大な円筒形をした地下空間だということが判る。
白鷹騎士団が野営スポットとした水場周りは、方角で言えば、この広大な円形空間の中、特にオベリスク広場の方向の端に設置されていたことが判明した。
オベリスク広場と同じ水源から延々と水を引いて来る水路工事が必要だったのは当然で、その手間を考えれば、実に合理的。
そして。
一般的な意味でいう「天井」「床」構造をセットで持っているのは、いま居るラビリンス第三階層が最後であった。
邪霊害獣が多数ウヨウヨしている巨大空間を少し行った先の突きあたりに、さらに下の階層へ降下するためのアーチ出入口が存在することが、昨夜の偵察活動の結果、分かっている。
アーチ出入口そのものが、緻密な退魔紋様を施された古代技術の石造。邪霊害獣の大群と遭遇する可能性が低い――「安全圏」の状態だ。
そして、そのアーチ出入口からつづく下降通路が、最下層まで達しているらしいという……『白羽の矢』占術の予想が出て来たのである。
*****
水場の反対側の区壁となっている端。
ジャヌーブ商会の中年商人ネズルが望遠鏡を取り出し、キョロキョロと周辺を窺っている。
妙に、絶好の観光ポイントを見つけ出す商人だ。きっと興味深い光景が見えるに違いない。
「ユーサー殿、商人ネズルさんのところへ行けますか?」
「もちろんです、鳥使い姫」
恐れおおくも鷹匠ユーサーに背負われて、驚くほどの高速移動だ。なんとなく脇に居たセルヴィン少年が、好奇心のままに後ろをついて来る。
中年商人ネズルは、2人の接近に気付いていた。気さくに場所を空けてくれる。
早くも、先ほどまで望遠鏡で眺めていた方向を指差して、ペラペラと喋り始めた。
「あそこに見えるの、此処ラビリンス第三層の床に抜けた穴ですや。なおかつ第四層の天井穴ですや。あれが最後の穴だそうで、あそこからは、もうずっと、ドーンと、スカスカ空間だそうですや。
我々は、これから何を見ることになるんでしょうかや」
その方向に広がる大広間のような大空間の床を見ると、いっそう大きな裂け目が開いている状況と判る。上のほうに開いている天井穴と、位置・座標をそろえたかのように。
午前の前半の角度をもって差し込んで来る陽光は、ちょうど、その場所が明るくなるように照り返していた。
さすがに多数の列柱と、その間でうごめく忌まわしき数々の姿を透かして、細かく見ようとすると、望遠鏡が必要になるが。
……古代建築にかかわった精霊の側の勢力が、せめてもの技術的な抵抗でもって、照り返しの角度を計算して仕掛けていたのだろうか。
廃墟となった後の、長い長い年月――地上階の天井部分が荒廃して、崩落した現在。
南中の時の、南国の強烈な陽光や月光が、天頂から最下層へと、真っ直ぐに差し込む筈だ。退魔調伏の作用も最大級の、直射光が。
白鷹騎士団の作戦も、それを計算に入れて、南中の刻に合わせてギリギリまで降下するという方針になっている。
三つ首の巨大化《人食鬼(グール)》大群などの、あまりにも致命的な危険に遭遇した場合は、日が暮れる前に、ここ第三層の水場へ退却する手筈だ。
セルヴィン皇子が、ぼそりと呟く。
「亡きアイシャ夫人は、ずっと真っ直ぐに落下したのかな」
「そうなんでしょうねえ。アイシャ夫人が、我々に、安全な潜入ルートを教えてくれたんですやね。水先案内の占い屋のように」
「こんなこと言うと不謹慎だろうけど、アイシャ夫人の遺体は、どうなったんだろう」
「帝都皇族として気にかけていただきまして、まこと感謝いたしますや」
深く感じ入った様子で……中年商人ネズルは向きを正して腰を折り、素朴ながら、意外に綺麗な一礼をした。
「アイシャ夫人を祝福した《火の精霊》と、折節に礼拝していた港町礼拝堂の《水の精霊》が、なんとかしたと思いますや。
仮死と蘇生という異例事項が重なりましたが、遺体防護の儀式は完遂してましたや……魔導士ジナフ殿の占断の受け売りですやが」
ひと区切りついたところで、護衛オローグ青年がやって来た。なにかと多忙らしく、黒髪をターバンに押し込みつつ。
「どうしましたかや。出発時間までは、まだ一刻ほどの余裕が」
「ええ、出発時刻は変わりません。取り急ぎ、老魔導士フィーヴァー殿や専属魔導士ジナフ殿から、情報共有の件がありまして」
――《魔導》案件だろうか。
ピンと来て、鷹匠ユーサーの背中からヒョコリと顔を出す、カラクリ人形アルジーであった。
「今回の冒険において先取り特権の記録担当として派遣された神官――ゴーヨク殿の横死について、不審な点が判明しました」
「どういう事なんだ、それは……オローグ殿?」
ポカンとするセルヴィン少年。
「老ダーキン殿に促されて我々は大急ぎで荷物をまとめましたが、その時に偶然、神官の私物が老魔導士フィーヴァー殿の私物に混ざりました……帝都の大聖火神殿の刻印セット施錠箱です。
今さらですが老魔導士どのの荷物には、奇妙な施錠箱が多数」
――それはそれで納得できる話だ。
「神官ゴーヨク殿の私物――のど飴に、禁制薬物が振りかけられていました。同じく入っていた救援用の呼子笛にも、みっちり詰め込まれていた状態で。
以前、ジャヌーブ商会の商人バシール殿を不自然に暴走させていた《魔導》薬物です」
「成分が完全一致したと? オローグ殿」
珍しく鷹匠ユーサーが、ギョッとしている。
同じジャヌーブ商会の商人ネズルも、「ビョン!」と飛び上がっていた。
「あああ、あの、ラーザム財務官が殺された日の次の夜、あの社交と商談の宴会ですかや、酒盛りで、バシール殿が急に『ろろろのキョケキョケ、カキクケコ!』と叫んで、
ババーッと走って行って、行方不明になって……なんか変な合成薬物でも盛られてたんじゃ、って、仲間内でだべってましたがや」
「その薬物になります。正式名称が難解ゆえ薬理の特徴として『邪魅ノ暴走』。
セルヴィン皇子を謀殺するべく皇帝を操ろうとして、カムザング皇子がジャヌーブ港町で調達した薬物がありましたが、これは港町の裏街道で扱っている不法の媚薬を代用する簡易版」
商人ネズルが「なんとまあ」と呟きながらも、盛んにコクコクと頷く。
「後日談ながら小耳や。第六皇子カムザング殿下が裏街道で例の媚薬その名も『色欲情欲の中で死ね』を、とりわけ熱烈な行為の最中に本当に死ぬくらい、大量購入されてた件。
なんで死なんのや、と皆で不思議がってましたや」
――カムザング皇子の性格と行動それに異常性癖については、特に疑問は無い様子だ。
それどころでは無いが、あらためて、カムザング皇子のやらかしに呆れ果てる、のみだ。ハーレム異母弟セルヴィン皇子の生命力を死ぬほど強奪して、そんな「とってもくだらない」行為を楽しんでいた訳だ。
(カムザング皇子、ジャヌーブ港町で、どんだけ不法と狼藉やらかしてるの……)
カラクリ人形アルジーが口を引きつらせていた間にも。
護衛オローグ青年はメモを取り出して確認しつつ、言葉を継いだ。
「商人バシール殿へ盛られた薬物は正式版『邪魅ノ暴走』。秘法ゆえ詳細は省かれましたが、原料は、或る種の黄金《魔導札》、禁術の大麻(ハシシ)、《邪霊害獣の金鎖》加工粉末。
この《邪霊害獣の金鎖》加工状況が、個別特定の要素となります。神官ゴーヨク所有だった薬物と、バシール殿に盛られた薬物とで、これが完全一致しました」
鷹匠ユーサーの背中で、カラクリ人形アルジーは恐怖に震えながらも、突っ込んだ。
「あの、神官ゴーヨクさんが、商人バシールさんに、変になる薬……『邪魅ノ暴走』盛ってたということ? あの、大麻(ハシシ)の煙を口から噴射する、アレ……」
「それこそ、まさかや。神官ゴーヨクさんは強欲ケチケチでしたやが、複雑な薬を使うとか、そういう陰険は無い性質だったや、やと思うがや、それに、あの宴会には神官ゴーヨクさんは居なかった筈ですや。
ジャヌーブ砦じゃ無くて、ジャヌーブ港町に居た筈ですや?」
「はい、本人は宴会バシール事件のアリバイ有り、確実に無関係です。その宴会の、まさにその刻は、先取り特権の対象となる文物について『ガジャ倉庫商会』派遣の冒険団と激論を……」
護衛オローグ青年は、ターバンの間の黒髪に指を突っ込みつつ――無意識の思案のクセ――説明をつづけていた。
「その場にガウタム・ラービヤ兄妹も居て、先取り特権の激論は深夜に及んだとのこと。第三層へ潜入して増強型の邪霊害獣と遭遇したのを退魔調伏した時、腹の中から《精霊象》象牙の古代彫刻、
三つ首から一級品《黒ダイヤモンド》三羽烏(トライアド)を得ていたゆえ」
セルヴィン皇子が感心した顔になっている。
「ガジャ倉庫商会の戦力も、すごいんだな」
「雷撃を投げて来る増強型の大型に埋まってる《黒ダイヤモンド》三羽烏(トライアド)には、質の良いのが割とあって、先行投資ハイリスク・ハイリターン商品の定番ですや、
取次業者ディロン君がセールス・トークして回ってたのも……さすがに成功率の低い無謀な商品なんで、ほとんど冒険団への寄付ですやが」
不意に、アルジーの中でピンと来るものがあった。
――論理的に納得できる現象だ。《地の精霊》祝福は《雷の精霊》と大いに共鳴して、戦闘力を増強する――精霊(ジン)たちの説明にもあったことだ。
雷帝サボテン砲も同系。《地の精霊》要素のある黒毛玉ケサランパサランが《魔導》雷帝サボテンと化して雷撃能力を持つのも、その関係があるから……雷撃を使う攻撃能力の発現。
商人ネズルの、雑学トークがつづく。
「一級の《黒ダイヤモンド》三羽烏(トライアド)持ちの邪霊害獣を倒すのは大変やが、さすが『ガジャ倉庫商会』派遣の冒険団……《精霊象》象牙の古代彫刻が含まれてたら、
そりゃ『ガジャ倉庫商会』が徹底抗戦しますや。古代ガジャ王国の失われし文物であることが多いですや」
鷹匠ユーサーが、ブツブツ呟きはじめた。
「いま一度、確認しなければ。神官ゴーヨク殿は、急にパニックになって瓦礫の流下へ向かって暴走しましたが……商人ネズル殿。神官ゴーヨク殿は、我を失って暴走するような人物でしたか?」
商人ネズルが、ハッとした顔になる。
必死に検討しているらしく……しだいに目が、本当のネズミのようにキョロキョロと泳ぎはじめた。
やがて。
商人ネズルは、ボソボソと語った。
「思い出してみると確かに不自然かも知れませんや。神官ゴーヨク殿は先取り特権の記録の任務で、港町から派遣されてる色々な冒険団に、割と同行してましたや。
それに神官として、老魔導士フィーヴァー殿、白鷹騎士団の専属魔導士ジナフ殿の実力は、よくよく検討して理解してた筈、と思いますや」
セルヴィン皇子が青ざめて、口に手を当てた。その口は、恐怖に引きつっている。
「だれかが、神官ゴーヨク殿に『邪魅ノ暴走』を盛っていた……? 常備薬――のど飴とか、呼子笛とか……」
「クムラン殿が、そう推測を。ただ確証がございません。施錠箱は手順を知っていれば誰でも開錠できます。邪霊対策があれば充分なので……誰にも機会はあった。
しかし、薬物の入手は誰でも……という訳では無く」
オローグ青年は、そのうら若い面差しに、困惑と苦渋の色をにじませた。
「老魔導士フィーヴァー殿が第一の容疑者という状況です。必要な原料と薬理の知識技術を完備されているうえに、
のど飴の匂いを嗅いだ瞬間、異常を察知されて。『人類史上最高の天才』ゆえなのでしょうが、真犯人としか思えないくらいの神速で」
「老魔導士フィーヴァー殿が犯人だなんて、ありえない」
「僭越ながら私も同感です、殿下。捜査ロジックのうえでの話です。緊急の在庫チェックでも……《邪霊害獣の金鎖》は、退魔調伏グッズを製作する《魔導》工房で需要があり、
白鷹騎士団でも半数以上が、拾ったものを《魔導》工房へ寄贈するため所有保管している状況です。そして危険な原料一式は、老魔導士フィーヴァー殿の機密施錠箱の中のみ」
鷹匠ユーサーが、陰気な溜息をついた。
「猛毒と良薬は同じ紙の裏表ですからね……」
*****
幾分モヤモヤを含みながらも。
いよいよジャヌーブ南の廃墟の最下層を目指す潜入だ。
「者ども、邪霊害獣を蹴散らすぞ!」
群を抜いて立派な体躯をした馬に、虎ヒゲ・マジードが騎乗していた。そのまま先頭に立ち、再編成された突撃隊を率いる。
相当数の大型を含む、邪霊害獣の大群の排除。
熟練のベテラン戦士――ラエド戦士――『毛深族』虎ヒゲ・マジードの本領だ。
よく手入れされた自慢の大斧槍(ハルバード)は、白金色に輝く雷のジン=ラエド《魔導陣》武器だ。豪快な回転と共に、虎ヒゲ・マジード自身のような、豪快な雷撃が投げられていった。
目の前に立ちはだかった、象ほどもありそうな大型《三つ首ネズミ》。
虎ヒゲ・マジードの大斧槍(ハルバード)が、ぎらつく邪体の、頭のてっぺんから尾の先まで一刀両断する。
その断面から、いっそう豪快な白金色の火花がバチバチと散った。
つづく白鷹騎士団の騎馬戦士たちが、退魔紋様セットの三日月刀(シャムシール)を振るう。大型《三つ首ネズミ》は、見る間に、真紅の色をした無害な熱砂へと崩れていった。
次の瞬間。
「三つ首《人食鬼(グール)》が出たぞ!」
黄金の、古代の巨人族並みの大柄な邪体が立ちはだかっていた。
まだ《蠕蟲(ワーム)》要素のほうが優勢。人類の肉を食い足りていない、したがって飢えている様子だ。
やっと二足歩行を始めたといった風の、骨の通っていない短足――完全体というよりは、忌まわしい「混ぜこぜ型」という印象が強い。
それでも、恐るべき怪物王の申し子《人食鬼(グール)》の種族。
最近の第三層の攻略シリーズで、最強の怪物として報告されてきた邪霊害獣だ。
「あいつが第三層の将軍ランク怪物だ! 間違いない!」
近ごろラビリンス第三層の冒険調査に入っていたため、その覚えのある壮年ガウタムが指摘した。
一般人な商人ネズルが「いやあぁ」と悲鳴を上げる。
かねてからシッカリ申し合わせていたとおり、別の突撃隊チームが、鉄砲職人サイブン特製の『雷帝サボテン発射砲』を構えた。
息を合わせて、一斉に発射する。
……ドゴォーン!
綺麗に隊列がそろった、雷光をまとうバチバチ・トゲトゲ砲弾が、空気を震わせながら、三つ首《人食鬼(グール)》へと飛びかかる。
鉄砲職人サイブン特製の『雷帝サボテン発射砲』の威力は、絶大であった。
ガーッと開いた、大きな洞穴のような怪物の口に飛び込んだ多数の《雷帝サボテン》は、そこで更に「バババ」と弾けまわり、白金色の雷光を四方八方へ放射する。
雷光が刃物のように、怪物の身体を切り刻んだ。怪物の体躯の表面に無数の裂け目が開き、青白いほどの白金の火花が噴き上がる。
べろりと剥がれて落ちた肉片は、ぎらつく黄金色から、真紅へと変色していた。
オローグ青年が既に多数の手裏剣を放ち、大人ならではの筋力でもって、《人食鬼(グール)》の黄金の腕の各所に、深く刃を打ち込んでいた。
相当数の腱を断ち切ったようで、《人食鬼(グール)》手先のカギ爪の動きが、鈍い。
断末魔の絶叫の中から、なおも執念深く……人類を捕食するための、数十本もの奇怪な触手の形をした、舌が噴射する。
忌まわしき触手の群れが向かって行ったのは、1頭の騎馬に相乗りしていた覆面オーラン少年とセルヴィン皇子だ。
セルヴィン皇子は、まだ生贄《魔導陣》を完全に解除できていない。それが、怪物の感覚にとっては、目にも明らかな餌食サインと見える様子。
なんらかのエネルギー共鳴の争奪関係があるのか――セルヴィン皇子が軽い発作状態になり、苦し気に心臓を押さえながらオーラン少年にしがみついた。
オーラン少年が驚くほど巧みに馬を操って触手の直撃を回避しつつ、手裏剣を放つ。
――オローグ青年とオーラン少年の故郷の城砦(カスバ)では、縦横に使われる一般的な武器らしい。
アルジーすなわち元シュクラ王女アリージュ姫にとっては馴染みの無い異国の武器だが、
隣国オリクト・カスバでは、鉱山地帯に出る邪霊害獣その他、大型獣の狩りに使われていると聞く。当然ながら、手裏剣の発祥は亀甲城砦(キジ・カスバ)だ。
回転する手裏剣が、先行して襲来する数本の舌……触手を次々に断ち切った。
――それでも、襲い掛かって来る多数の触手は、さすがにトラウマだ。
鷹匠ユーサーの背中にくくりつけられた形のカラクリ人形アルジーは、あわあわと、退魔調伏のためのハタキを左右に振る。
アルジーの方向へ飛んで来た、千切れた舌の欠片が、ジュッと音を立てて熱砂と崩れた。
気付けば、魔導士のフィーヴァーとジナフが同時に黄金《魔導札》を掲げて、《精霊語》呪文を詠唱している。
流砂地帯のように熱く乾いた空気が充満した。三つ首の怪物の回りで、真紅の色をした《火の精霊》の炎群(ほむら)が渦を巻く。
「火矢を打て」
冷静に好機を見計らって、シャバーズ団長の指令が飛んだ。
白鷹騎士団の主力が包囲して、一斉に火矢を放つ。
怪物の身体に、次々に火矢が突き立ち……退魔調伏の真紅の炎を立ち上げた。
――三つ首《人食鬼(グール)》の動きが鈍い。不完全な体躯なりに執念深くドヨドヨとうごめくものの、火の回りのほうが、はるかに速い。
2人の魔導士による黄金《魔導札》詠唱の進行と共に、真紅の炎群(ほむら)が怪物の巨体を縛り上げるような姿形となった。
忌まわしい肉塊は、見る間に熱砂へと崩れていく。
怪物に生じた現象であるが。
――見ようによっては大自然『天の書』運行のなかの、宿命と運命の循環。荘厳な光景だ。
「退魔調伏が完了したとみて良いだろうか、魔導士どの? ここは陽光が無いゆえ、勝手が違う」
自身もまた三日月刀(シャムシール)を構えて、慎重にうかがう、シャバーズ団長。
老魔導士フィーヴァーが「うむ」と頷いた。
「聞きしにまさる見事な退魔調伏の手並みじゃ、白鷹騎士団の団長どの。有象無象の邪霊害獣が、再び統率された群れを回復する前に、急いでアーチ出入口を目指すとしよう」
周囲を見渡せば、たしかに、急に司令塔を失った小型・中型の邪霊害獣が、てんでバラバラに騒いでいる風だ。たまに捕食本能でもって襲いかかって来るが、それは単発のものになっている。
「走るぞ!」
騎馬軍団ならではの速力で駆け抜ける。つづく《精霊象》2頭が、仕上げに、追いすがって来る小型・中型を踏みつぶして、退魔調伏だ。
*****
一行は、目標とするアーチ出入口に到達した。
その石材に刻まれた邪霊退散の紋様は、事前に偵察隊が報告したとおりの精緻さだ。効果が及ぶ範囲を見極めて、展開する。
「先は、どうなっている?」
斥候チームが、松明を前方に広がる床面に投げ、しばし、うかがう。
「邪霊害獣の気配は、ありません」
「これぞ天祐というべきか。みな松明を掲げよ。第四層に相当する深度ともなると、いっそう闇が深い。邪霊害獣への警戒はもちろん、思わぬ段差や落とし穴に注意しろ」
「了解」
*****
アーチ出入口から、下降の螺旋階段がはじまっていた。
配合比が判らない古代の合金製。驚異の、失われし古代『精霊魔法文明』の高度技術。
千年単位の時間が経過しているらしいことはジワジワと感じられるが、どこも錆びたり歪んだりしていない。
ビッシリと邪霊退散の紋様が刻まれていて、いまでも有効に稼働している気配がある。
――そして、この下降する螺旋階段は……途方もなく巨大な施設と言えた。円筒形の巨大空間の壁にへばりつくようにして、螺旋階段が設置されている。
大いなる体躯と体力を誇った古代種族といえども、延々と続く螺旋を昇降するのは面倒くさいものだったらしい。
ジャヌーブ砦の軍用通路と似たり寄ったりの角度を持つ坂道。合金製の板の、その表面仕上げは石板のようにザラザラしていて、意外にシッカリと踏ん張れる。
必要最小限の数と高度差に留まる――各個の段差。象・馬・ラクダ類が歩行するのに少し技術と工夫は要るが、修練を積めば速度も出る……
…………
……
虎ヒゲ戦士マジード率いる先行部隊の面々から、驚異の呟きがポツポツと聞こえて来る。
「案外、ジャヌーブ砦を上下するのと変わらないな」
「もっとも実用的で合理的な、高速の移動通路を設計しようとすると、こういう形に収斂していくんだろう」
「それより、この巨大な円筒形の空間、どこまで、つづいてるんだ?」
「もうじき判る。羅針盤が一回転するまで、あと少し」
「羅針盤が一回転した」
「合計の歩数を教えてくれ」
数字に強いクムラン副官が、さっそくソロバンを弾いた。
「ジャヌーブ砦の聖火礼拝堂の面積の、5倍くらいはあるな。地上の、ドクロ型3つの丘がすっぽり入る」
「いったい何を詰め込むために、この大空間を?」
「最下層へ行けばわかるんだろう」
「我々は、どのくらい降下したんだ? なんだか不安になって来たぞ」
「南中の刻まで、まだ間がある。ひたすら降下するのみさ、古代の礼拝者のように」
目の前に広がる大深度・地下建築。
ゆるやかなカーブを成すなめらかな壁面にも、円筒形の屋根を支える数多の壮大な支柱にも、何を意味しているのか分からない古いレリーフが、退魔紋様と組み合わされる形でビッシリと刻まれていた。
「いま、ワシに、もう100年ほどの暇があれば良かったものを」
もっとも忙しいのは老魔導士フィーヴァーであった。尽きせぬ好奇心に、目はランランと光りっぱなしだ。グルグルと休みなく方々を見回していて、モッサァ白ヒゲが、さながら回転モップである……
…………
……
数々の魔除けを突破して来る邪霊害獣のうち、《三つ首ネズミ》と《三つ首コウモリ》、ゴロツキ邪霊《骸骨剣士》はお約束だ。
それでも潜入の距離が延びるほどに、大型のものが増加している。
なおかつ、三つ首《蠕虫(ワーム)》を共連れにしている、ギョッとするような混成集団も。
先頭団の1人がギョッとしたように、円筒形の巨大空間の、向こう側の壁を指差した。
「マジード殿! 反対側に《人食鬼(グール)》3体ほど。距離があり過ぎて、触手も此処までは届かないようですが……」
見れば、闇にぎらつく黄金の邪体が、向こう側の螺旋階段でドヨドヨしているところだ。獲物の遠さに、地団太を踏んでいる気配。それに、ざわざわと、多数の邪霊害獣の……軍隊の気配。
クムラン副官がハッとしたように、螺旋階段の構造を見直した。望遠鏡も併用して。
「我々は知らないうちに、天祐のもとにあったらしいな。この螺旋階段、二重螺旋だったんだ」
オローグ青年が三日月刀(シャムシール)の柄(つか)に手をかけつつ、鋭く質問を飛ばす。
「どういうことだ、クムラン殿?」
「この闇の中じゃハッキリとは断言できないが、《人食鬼(グール)》が通行する螺旋階段のほうには、退魔紋様が施されてないんだろう。オローグ殿も望遠鏡で確認してくれ。
ほかにも誰か、望遠鏡を持ってたら」
カラクリ人形アルジーの近くで、商人ネズルが熱心に観察しはじめた。
南中の刻が近づいていて、出発した頃よりも、周辺は明るくなっていた。闇に慣れた目で或る程度、特徴はつかめる。
「向こうの螺旋階段、確かに、こちらの螺旋階段とは造りや特徴が異なるようですや。あの図体の後ろの壁にある巨大レリーフ装飾、邪霊崇拝で定番の《邪眼》紋章ですや。
あ、壁じゃ無くて、アーチ出入口ですかね。縁取りの構造が見えますや……わ、新しく一体が沸いて来た。邪霊の異次元の扉とか、ですかや」
オローグ青年が思案に集中していた。ターバンの間に指を突っ込み、黒髪をワシャワシャとやる。
「実際に建築したのが何者であれ、物流ルートを兼ねて、千年後の遠い未来まで見通していたかも知れないな。
あのラビリンス第三階層に、何故ああいう形で、安全圏が配置されていたのか謎だったんだが。確か大広間の見取り図には、もうひとつ――円形空間の対極の側に、謎のアーチ出入口があったんじゃないか?」
壮年ガウタムが、呆然としたように頷いた。
「それっぽいのは、昨夜の事前偵察で目視確認してる。アーチ出入口としては天井まで届くような、とんでもない高さの。
距離があり過ぎたのと、邪霊害獣の増強の度合いが高すぎたのと、謎の合金で封印というか、塞がれていたから……」
「精霊界には《魔法の鍵》という精霊魔法があるんじゃよ。異次元の扉を開く。ガウタム君が見たのは、邪霊の側が使っている螺旋階段の、《邪眼》封印扉を通り抜ける超転移ルートかも知れんな」
老魔導士フィーヴァーが、博識を披露した。
「一般的に知られているように《精霊魔法》封印扉の場合は、いちめんに魔除けの聖火紋章を施すのが定番じゃ。大聖火神殿の封印扉がそうじゃ」
前提となる知識。
「かの『雷霆刀の英雄』による『怪物王ジャバ』退魔調伏の後、古代『精霊魔法文明』崩壊すなわち怪物王国は滅亡した。
いまの怪物たちは皆バラバラで、《魔導》に応じるゴロツキ状態。古代巨人族も矮小化し、知性が退化した」
これは、各地の聖火礼拝堂でおこなわれる一般向けの講話で、たびたび言及される古代伝承であるから、或る程度、一般常識だ。
詳細となると、神官や魔導士なみに専門的に歴史を学ぶ必要があるが。
老魔導士フィーヴァーは、新たに思いついた内容が衝撃的だった様子で、ヒュッと息を呑み……モッサァ白眉を「むむッ」とばかりに吊り上げた。
「――じゃが、ジャヌーブ地方では、まだ高度技術《魔法の鍵》の残り香がある様子じゃの。
いま此処に《魔境》が復活し、向こう側に居る《人食鬼(グール)》も、かつての驚くべき知性を取り戻すような事態になれば――我々にとっては、悪夢の再来じゃろうな」
「右に同じでござる」
豪胆な気質の虎ヒゲ・マジードが、ブルッと身を震わせた。
いわば対岸の側でうろつく《人食鬼(グール)》の存在は気になるが、或る程度の安全は確保できるとみて……一行は、降下をつづけた。
行く手で、再び、単発の邪霊害獣とのバトルが発生した。
「大型の三つ首《蠕虫(ワーム)》だ、気を付けろ!」
「雷帝サボテン発射装置!」
手練れの迎撃チームの奮戦でもって。
三つ首の異形の頭部をくっつけて跳ね上がった、忌まわしき巨体は、最近ジャヌーブ砦の前に現れたブツのように、やがて雷光まみれ・火まみれになって、無害な熱砂と果て。
真紅の熱砂は、はるか下の大空間へと舞い散っていった。
同時に沸いて来た数体ほどの《骸骨剣士》に対しては、見習い魔導士ユジール少年が意外に有能な戦力であった。
退魔調伏の三日月刀(シャムシール)でフラフラになった《骸骨剣士》の額に、正確に、退魔調伏の御札をペタリとやっている。
一戦を交えて、小休憩となったところで。
「――そろそろ、頃合いだろうな」
白鷹騎士団のシャバーズ団長と専属魔導士ジナフが、慎重に繰り返した『白羽の矢』占術を通じて、ひとつの決断をくだした。
「いかがでしょう老魔導士どの。例の特製《魔除けの御札》を使うタイミングかと」
「うむ、ワシも頃合いと感じておるぞ」
大きく頷く老魔導士フィーヴァー。魔導士ならではの黒い長衣(カフタン)の、その首元を彩る数々のエスニックな数珠チェーンは、いまや、濃厚な邪気の中で、ジャラジャラと盛大に魔除けの音を立てていた。
2人の《象使い》ナディテとドルヴが装着している、魔除けビーズを連ねた《象使い》装束も……鎖帷子さながらに、ひっきりなしにジャカジャカと鳴っていた。
金属音のようで金属音で無い……これもまた魔除けの音。
ふと、カラクリ人形アルジーは、故郷シュクラの山間の隊商道を守護する、魔除けの鳴子の音を連想したのだった……
小休憩の間、簡易版ながら、邪霊退散の《魔導陣》を随所に配置する。
背中の重量が消えた馬の数々は、ホッとした様子だ。防具を着込み、三日月刀(シャムシール)や雷帝サボテン砲を装備した人類は、ただでさえ重量マシマシである。
手際よく、老魔導士フィーヴァーの機密施錠箱のひとつが、開かれた。
壮年《象使い》ドルヴが、臨時の夜間照明として松明を準備しつつ、首を傾げる。
「防具強化の定番の、亀甲の赤護符? にしては色合いが少し変わってまさ?」
「かの『雷霆刀の英雄』の時代には存在した、亀甲城砦(キジ・カスバ)発祥の幻の護符じゃ。千年モノ《精霊亀》甲羅を用いた護符じゃよ。最近、特効薬が云々、という微妙な噂は聞いとったじゃろう」
歴史に詳しい魔導士ジナフが、息を呑んだ。
「怪物王ジャバの退魔調伏の旅に出た英雄王と、旅の仲間たちの身体を守ったという――《人食鬼(グール)》裂傷を防ぐ伝説の護符ですか!」
「うむ。普通は全身バラバラの肉片と果てるところ、人類どうしの果たし合いと変わらぬ程度まで防護してくれる筈じゃ。
体重によって振り分けるのじゃ。伝承に語られたように、各々の馬には3枚。我らは1枚を食う。防護盾に1枚」
老魔導士フィーヴァーは、あっと言う間に人数分をよりわけ、魔導士ジナフへと手渡す。
「もちろん相手は強大な《人食鬼(グール)》じゃ。連続の直撃を回避するよう慎重に立ち回らなければならぬ。
じゃが《人食鬼(グール)》裂傷を受けた場合の治療は、任せてくれたまえ。治療できる場所が確保できたらの話じゃがな」
しばらくの間、それぞれに……おそるおそる護符を食う、パリパリ音がつづいた。
騎士エスファンと女騎士サーラの夫妻にとっては、とりわけ印象深い味わいだったようで、目を白黒しているところだ。
「なんだか、海苔のような味がするわ」
「海の《精霊亀》なのかな? 砂漠の真ん中にも塩湖はあるけど……とりあえず馬の口には合うようだ」
商人ネズルは「なかなか、いけますやん」と堪能している風だ。
セルヴィン皇子とオーラン少年もまた……同じように目を白黒しながら、御札をパリパリしはじめた。
ふと、鷹匠ユーサーの背中にくくり付けられている、カラクリ人形アルジーのほうを見て。
「「……どうやって御札を食べる?」」
異口同音。
老魔導士フィーヴァーは、カラクリ人形アルジーを一瞥した。次に、顔をしかめて、白ヒゲをいっそう、モサモサさせた。
「カラクリ人形の防護方法は無いんじゃよ」
「それでは、無防備ってことになりますよ?」
カラクリ人形アルジーが「気にしないで」と手を振る前に、覆面オーラン少年が切り返しをはじめていた。
「古代から《黒ダイヤモンド》が有効なことは判っとるがのう」
老魔導士フィーヴァーのほうでも質問や議論は歓迎する方針らしく、自身の考察を整理するためもあるのだろう、面倒がらずに応じている。
「あれは採集も加工も困難すぎるし、価格が高すぎるんじゃ。ほぼほぼ城壁の防護扉や、機密《魔法の鍵》……この人形に関しては、全身粉々になっても霊魂は存在するゆえ、
しかる後に《魔導》素材を集めれば良い。それが最善の方法ならば、やぶさかでは無いが、色々妙なことになって来とるからの」
「霊体サイズとかが合致しない、とかですか」
「うむ。とりわけ気になるのは《命の炎》増大じゃのう。臨界に達した時に、霊魂は《精霊石》では無いものに憑依しなければならん。もっとも適応するのは本人の、本来の身体じゃ」
老魔導士フィーヴァーは、見事なモッサァ白ヒゲを、モサモサとかき回した。
「どこかの地方の、聖火神殿の付属の医療所に肉体が保管されとるなら、人相書を回すのは可能じゃがの……ネコ顔、いや虚無スナギツネ顔じゃな。人相書は必要ないかも知れんな」
――相当に突っ込んで真面目に論じているのではあるけれど。
飄々とした所作の数々と物言いが、どうしても、どこか愉快で笑えてしまう。
*****
一行は再び、降下を再開した。
やがて、平坦なリング状の通路の形式をした、不思議な階層へ到達する。
ずっとつづいていた一定角度が無く、階段を成していた段差も無い。
その不可解さに、白鷹騎士団の騎士のひとりが、あわてたような大声を出した。
「最下層へ到達したのか? 随分と早い気がするが」
「いや、まだだ。一巡したところで、がくんと段差がある。そこから、また今までのような螺旋階段がつづいてるぞ」
歩行スペースは比較的に幅広い。
等距離ごとに、倉庫らしき施設が配置されている。いずれも、扉は固く施錠されていた。
クムラン副官が再びソロバン計算で距離を出す。
「おおよそになるけど、謎の水底と――最初のラビリンス第一層の床と――だいたい等距離になる。中央階層とか、折り返し点とか、そういう位置づけかな。供物の中央保管庫か、なにかか?」
「目的が判らない施設というのが、これほど不気味なモノだったとは思わなんだでござる。見た目は普通の、円形をした回廊型の市場(バザール)の、倉庫商店街のようだが」
先陣を務めていた虎ヒゲ・マジードが、薄気味悪そうな顔で、ぐるりと見回した。
壮年《象使い》ドルヴが、はるか上から洩れて来る陽光の角度を推し量る。
「だいたい、南中の刻でありまさ。陽光が、真っ直ぐでありまさ」
「さっきの大型の三つ首《蠕蟲(ワーム)》と《骸骨剣士》の退魔調伏で、予想以上に時間を取られたからな、友ドルヴ」
好奇心タップリの若手の騎士が、最寄りの倉庫の扉に手をかけた。
「……開けて見るか?」
ギョッとした同僚と、中堅ベテラン騎士が、素早く制止の手を入れる。
「邪霊害獣がゾロゾロ出て来るのに何百年も破られない錠前なんて普通じゃない」
「中から《人食鬼(グール)》が出てきたら大変だぞ!」
――ただでさえ異常な状況で、《人食鬼(グール)》の一言は衝撃的だ。
なおかつ成体《人食鬼(グール)》1匹や2匹は、余裕で飼えそうなサイズ感の倉庫だらけだ。
若手は一瞬で飛び上がり、後ずさった。
そして、それを誰も笑わなかった。
「確かに……扉の取っ手の位置が異様に高い場所にある。騎乗の状態で上に手を伸ばして開けようとしただろう、お前」
「人類向けの施設じゃ無いな。ほとんどの邪霊害獣が届かない位置ではあるが。古代巨人族とか……」
「成体《人食鬼(グール)》なら普通に、こう、手を掛けられそうだ。ヤツの腕は異形で長い」
松明を掲げてザッと見回して。
あらためて、ジワジワと……不気味な違和感が漂って来たのだった。
シャバーズ団長は少しの間、異例に平坦な床となっている辺り一帯を見回し……無精ヒゲを生やした顎(あご)に手を当てて思案顔になった。
「確かに奇妙な倉庫らしき連続の施設が、何を収納しているのかは気になるな」
しばしブツブツと呟く。
「ジナフ殿、この階層の安全性について、『白羽の矢』占術は何と言っている?」
「これまで同様、半々。通り過ぎるにしても調べるにしても――ラビリンス第三階層へ戻るにしても、我ら次第」
「そして地上には相変わらず、カムザング皇子の大砲が並んでいる状況。あれだけ邪霊害獣が騒いでいる第三階層で、地上脱出路を見付けるのも相当に困難なクエストだな。頭が痛くなる」
望遠鏡で辺りを偵察していた斥候チームが早速、報告を上げた。
「この平坦な一巡を過ぎたら、また、これまでと同じ下降の螺旋階段がつづいていますが、途中から切れているようで」
「闇が深いので明瞭には見えませんが、ドーム屋根の梁(はり)のようなものが、うっすらと。
それに壁が、急に分厚くなっている様子。もしかしたら最下層はドーム構造になっていて、最後に、左右の壁に挟まれた階段を通るのかも知れません」
「ご苦労。最下層へ到達する前に、心臓が悪くなるような狭い場所を通る可能性がある訳だ」
シャバーズ団長は、「むむぅ」と言わんばかりに顔をしかめた。難しい判断を迫られている局面。
「ちょうど昼時ではあるから昼食休憩を入れよう。昼食が済みしだい余裕のある者は、この倉庫だらけの階層を偵察して見取り図の報告をあげてくれ。私も一通り回ってみて、少し検討してみたい」
白鷹騎士団のほうでも、否やは無い。全員から「応」と返答が返って来たのだった。
――そして、シャバーズ団長の慎重な判断は、即座に、目に見える成果となって返って来た。
ラビリンス第三階層と同じ方角に相当する場所に、再び、安全な水が来ている水場があったのだ。
オベリスク広場と同じ水だ。設計と施工を考えれば、延々と、直下へ水路を引くのが、もっとも合理的である……いずれにせよ、地下の様々な施設の掃除や洗浄、メンテナンスといった目的もあったのに違いない。
早速、馬たちが水を飲み始めた。
2頭の《精霊象》も長い鼻で水を吸い上げ、水浴びを始める。
廃墟の地下深くとはいえ気温は高く、流砂地帯をつくり出すだけあって、空気は極度に乾燥している。くわえて、なにかと溜まった邪気を体外に出して、体調を整えてサッパリするには、水分が必要だ。
ほうぼうの城砦(カスバ)や隊商宿で、公衆浴場が必須の公共施設とされている理由である。
カラクリ人形アルジーは、シャバーズ団長の優秀な判断力に舌を巻く思いだった。
経理担当の騎士エスファンが、熱く慕う筈だ。経理や購買といった後方支援の担当の人だから、このような危険な古代廃墟の冒険チームに加わらなくて良いのに、敢えて手を上げて、前線に加わったのだから。
鷹匠ユーサーの背中から降ろされながらも。
「なんというか、すごい判断力お持ちの王侯諸侯というか……シャバーズ団長って」
「まことに光栄です、鳥使い姫」
つねに生真面目な表情の中堅ベテラン鷹匠ユーサーが、口の端に、うっすらと笑みの形を浮かべていた。
「シャヒン部族の王に即位される前は、席次が下ということもあって、訓練中の未熟な若手や弱兵の部隊を任されることが多かったそうです。
ですが、その頃から、隊商道に出る邪霊害獣の討伐作戦の成功率や、配下の生還率が高いことが評判となっておりました」
なんとも興味深い話だ。フンフンと相槌を打つ、カラクリ人形アルジーであった。
「例の近現代史の大事件と言及された、両大河(ユーラ・ターラー)上流の《人食鬼(グール)》討伐作戦で、シャヒン・カスバ前王と、主だった王族が、次々に戦死されたので……急遽、即位されて。
帝国軍の一部隊としても討伐の成功に貢献され、同じく《風の精霊》崇拝の同盟国スパルナ・カスバと共に、シャヒン・カスバの名誉を大いに高められました」
そこで、アルジーは不意にピコーン、と来た。
シュクラ王国――現シュクラ・カスバも《風の精霊》崇拝だ。
でも故郷では、シャヒン部族やスパルナ部族の話は、あまり聞いていなかった。距離が遠すぎるせいだろうか。
それとも、当時のアルジーすなわち元アリージュ姫が、そういった政治や歴史の話を理解するには、幼過ぎたせいだろうか。
「同じ《風の精霊》崇拝の同盟関係の城砦(カスバ)って、シャヒン、スパルナ、だけですか?」
「隊商道沿いに双方混血の支族が幾つかありますが、群雄割拠の時代を生き延びた古代王家は無く。
ユーラ河デルタの水仙海岸に同盟国ウトパラ・カスバ、《水の精霊》崇拝。部分的に《風の精霊》白孔雀の崇拝の古代伝統が存続しております。
ウトパラ出身の霊媒師が、若く放浪修行していた頃、伝承にしか存在しなかった《風の精霊》崇拝の伝統を維持している城砦(カスバ)を、新たに発見されました」
「それ、どこ?」
「訳あって機密でございますが歴史を塗り替える成果であります。帝都社交界の王侯諸侯の接触を通じて、思いがけぬ縁も出来まして。
ウトパラ・カスバ方式の盟約に応じるとの積極的な返答をいただき、手続きが進んでおりましたが、残念ながら帝国の紛糾に巻き込まれ……ジャヌーブ砦と同じような経過になるかと」
「ジャヌーブ砦と同じような経過……?」
そこへ昼食を持って通りかかった老女《象使い》ナディテが、南方の生き字引ならではの博識を披露した。
「ジャヌーブ砦は、元は古代ジャヌーブ王国の王都だったんじゃ。《地の精霊》崇拝の古代王国。昔は海岸線がもっと内陸まで食い込んでいて、古代港も廃墟の近くにあったと言われとる。
古代ガジャ王国と同じく南洋交易の拠点じゃった。ここ良いかい? ユーサー殿」
「歓迎いたします、ナディテ殿。私は南洋の事情には詳しくありませんので、助かります」
冒険仕様の、小ぶりながら頑丈な絨毯が敷かれ、昼食が並ぶ。
「さっきの話に出た水仙海岸も、かつては古代ウトパラ王国じゃったよ。帝国領土の東南の港町じゃね。蛇足ながら、そこから北方へ海路が延びている。グルッと回ると、亀甲城砦(キジ・カスバ)直通の港町じゃ」
「知りませんでした」
生前に教わった歴史地理を、急いで思い返す。
カラクリ人形アルジーの指先が、記憶にある世界地図『ジャ=バビロン=ムー大陸』の輪郭をなぞった。
記憶を掘り起こすための無意識の所作ではあったが……カラクリ人形に憑依している霊魂の、王侯諸侯としての基礎教養を、それは明らかに示していたのだった。
老女ナディテは得心した顔でうなづき、帝都社交界トピックと同じ方式で、説明をつづけた。
「古代伝統の王国は《精霊魔法》資源が豊富な土地ゆえ、目を付けられがちでね。群雄割拠の時代に、帝都の干渉による《精霊魔法》資源の争奪戦がつづいた。
その中で、古代ジャヌーブ王国は王統を失い、王国としては滅亡したんじゃ。傍系や支族が、ジャヌーブ諸部族に伝わっとる」
不意に、ポンと思い出される内容がある。
諸部族が集まる社交パーティーとなっていた新型武器の展覧会で、カスラー大将軍がやらかした失言スキャンダル問題。
――その辺の部族から手当たり次第に強制徴用すれば、どうにでもなる――
「いつだったか、あの新型武器の展覧会の夜の……カスラー大将軍の失言は、
ホントに政治生命を終了するほどの大失態だった訳で……南方ジャヌーブ全土の諸部族からの反発が大きくなって、帝国が分裂する羽目になるから……」
口は禍いの元――とはまさに、このことだ。
無知は、国をすら滅ぼす。実に恐ろしい。
王侯諸侯として、生まれながらに問答無用で背負わされる「国運」という名の責任、それはすさまじい重圧だ。
カラクリ人形アルジーの眉間に、シワが寄った。実際にシワが寄ったのは、人形にかぶせていっている、虚無スナギツネ顔の幻影のほうであるが。
「必要最小限しか教わらなかったから……もう少し歴史地理を勉強しとけば良かったかも」
「たいていの帝都皇族と張り合えるよ、それだけ基礎できてりゃ」
セルヴィン皇子は、よく、あのカスラー大将軍の大失言の場を収められたものだ。リドワーン閣下による帝王教育のすごさがあるのは確かだけど。
14歳の少年が、あのような政局の爆心地で適切な判断を下すのは、なかなか難しいと思う。いざという時に重要な判断を間違えないようにするのは、王侯諸侯として必須の心がけだ。
――もしかしたら、セルヴィン少年、見かけ以上にやり手な皇子なのかしら……見るからに虚弱で、病的に線が細いから、とても、そうは見えないけど……繊細なところあるし、
ボンヤリしてるくせに怒りっぽくて、子供っぽいし……
元・藁クズ少年「ヒョロリ殿下」の第一印象に、むくむくと疑惑を覚えるアルジーであった。
大きくなる疑惑のままに、ふと見やる……
セルヴィン皇子と、従者オーラン少年が、居ると思しき方向を。
――偶然の水場。
壮年《象使い》ドルヴが、昼食の穀粉飯(おやき)を豪快にほおばりつつ、《精霊象》2頭へ水を飲ませていた。
オーラン少年が、壮年《象使い》ドルヴの作業を手伝っている。
パッと見た目、不自然でも何でもない光景。
覆面オーラン少年と《象使い》ドルヴは、何かしら重要な話をしている様子だ。時々、国家儀式を思わせる荘重な身振り手振りが入る。
2頭《精霊象》と、白タカ・ノジュムと、若鳥ジブリールも、ひっきりなしに、《精霊語》でもって口を突っ込んでいた。
壮年の中肉中背ながらガチムチとした男ドルヴの声音は大きいほうだから、この距離でもバッチリ小耳に挟める筈なのだが……《風の精霊》による臨時の情報封鎖《風の壁》魔法が掛かっているようだ。
漏れて来るのは、噂話のようなモニョモニョした内容のみ。
(やる事が多いというようなことを、白タカ・ノジュムが言ってたけど、その説明とか準備とか、かしら?)
首を傾げているうちに。
鷹匠ユーサーと老女ナディテの昼食が終わり、2人は若干数の食器をさげるため席を外した。
「すぐ戻って来るからね、スナさん」
「お気になさらず」
背中のほうには、鷹匠ユーサーの手で衝立のように立てられた、軍用ドリームキャッチャー護符があるのだ。万が一の邪霊害獣《三つ首ドクロ》接近などを防ぐため。
シッカリした台座に手をかけて、バランスに注意すれば、台座スタンドを使って直立することはできる。
亀甲城砦(キジ・カスバ)の伝統と聞く「竹馬あそび」をやったことは無いが、生前から空中バランス能力には自信があったから、重心配分のコツさえ覚えれば、なんとかなるだろう。
おりしも、横を通った商人ネズルが「おや」といった風に目をパチクリさせ。
「なんか歩きにくいとか聞きましたがや。お手伝いしましょかや?」
「いえ大丈夫、練習なので」
「お気をつけて。私これから水場で洗濯するんですや。必要なら、いつでも呼んでくださいや」
商人ネズルが、その辺に、ヒョイと行きがけの風呂敷包みやら荷物箱やら置いて。
天頂からまっすぐ降りそそぐ真昼の陽光の中を、洗濯物を持って、ヒョコヒョコと歩み去って行った。
そして……次の一瞬。
――ガタン。
(扉が開いた音?)
――《鳥使い》ならではの高感度が、ありえない異例な方角から、ありえない異例な音――気配を捉えた、と思う。音源の方角は、後ろの、壁側の……
ヨロヨロと、つかまり立ちしつつ。
カラクリ人形アルジーは、ドリームキャッチャー護符と荷物箱の集積を回った。ヨタヨタと歩を進め、目当ての、壁沿いの謎の倉庫街の、一角を窺おうとし……
暗がりで、何者かの気配を感じた――と思うや。
――ゴッ★
その方角から、横殴りに殴られた気がする。
カラクリ人形の首部分が、生身ではありえない角度に折れ曲がり……
接合部が外れた人形の頭部は、殴打の衝撃のままに、スッ飛んで行ったのだった。
巨大な円筒形の空間の中央部へ向かって……
すなわち最下層へ、まっすぐに、墜落する方向へ。
■08■ラビリンスの奥の巨大空間…背反あらわる
気が付くと霊魂アルジーは、浮遊していた。
真上から真下まで、壮大な列柱がそびえている、中央部の空虚な空間を。
(いきなり殴られて、どうしたんだっけ? だれが、いったい……)
(ボーッとしてる場合じゃ、無いよね!)
急に意識が明瞭になる。
と……同時に。なにやら、ふたつのネコミミ炎のような真紅の光が、傍へ寄って来た。
『あそこに居たニャ!』
『二位たる我が手際に不可能の文字は無いと申したであろう、レクシアル殿。あとは以前のように特製《精霊石》へ戻せば良いのだ』
『恩に着るニャ』
『銀月の祝福した霊魂に対して2度目のオーバーキルとは我も恐れ入る。細かなことを気にせぬ《火霊王》をも激怒させるとは大したものよ。3度目は無い。
例の者に関して邪霊から付与されている免罪符の条項も、ひとつ残らず燃やした。面倒な付則の抵抗が入り乱れているが、かの者の決断しだいである』
そして、ネコミミ炎がひとつ消えた。もうひとつが、更に近寄って来る。どこかユーモラスな……
ネコミミ炎は、ネコの手を、ポンと出した。見覚えのあるネコの手だ。
見る間に、霊魂アルジーの耳飾りから、ドリームキャッチャー糸を引き出し。その銀月の色をした白糸の端をネコの手に持ち、差し出して来た。
いつだったかのように、霊魂アルジーは、その糸の端をシッカリつかんだ。
『ポンコツの手続きを繰り返すのはよろしくないのであるが非常事態。例の人形《精霊石》に戻すニャ』
『あ、私、首と胴体、霊魂で千切れてる?』
『うむ、引きずられてな。そこに首無し胴体の霊魂が浮かんでおる。霊魂改造の手術は済んでいるゆえ接着は容易。ただ縫合痕は長引くニャネ。うら若き乙女としては気になるところであろうが』
『死に過ぎるほど死んでる死体で、気にするもなにも無いと思うけど』
ネコミミ炎が、チラと指差した先で、頭部の無い――斬首死体さながらの――霊魂が、フワフワ浮かんでいた。
死亡年齢19歳にしては、やたらと小柄な気がする。
手先が袖の端から見えないし、裾のほうからも足先が見えていない。
だが、生前の病的衰弱を考えれば、そんなものか。
長く引く袖が揺らめく純白の《鳥使い》装束。いまや羽翼紋様がハッキリ出ていて、羽衣そのものではあるが、相当にホラーだ。
ネコミミ炎に促されるままに、首の位置に意識を置くと、なにやら、スッと「本来の身体感覚(身体全身がそろっている)」に移行した気がする。
霊魂をバラバラにした手術が終わった後の、あの自然な感覚のように。
手の感覚が本来の位置に移動した……あらためて、ドリームキャッチャー糸を、シッカリつかみなおす。
『やはり、水のジン=ユーリュメルの技術は称賛モノであるニャ。すみやかに戻るニャ。人類たちがパニックを起こしておるゆえ』
『ああ……そうよね。申し訳ないことを。そういえば、どれくらい時間が?』
『いまは、人類の腹時計で言えば夕食の刻。ちなみに人形の頭部が失われておるゆえ、新しい頭部を見つくろう必要がある。思案のしどころニャネ』
霊魂アルジーは、かなり下の階層まで落下していたらしい。
ネコミミ炎に引っ張られるままに、壮大な列柱の傍を、スーッと上昇していった。
真上の天井穴から洩れて来る陽光はすでに無かった。《火の精霊》の説明のとおり、月光の兆しが見えている。
やがて銀月が天頂に達する刻だろう。アルジーが不注意に襲われたせいで、皆を、より危険な状況に置いてしまったのではないかと、ザワザワするものがある。
一瞬だが、ふと下方を振り返り。ドーム屋根を成す梁(はり)構造までの螺旋階段が、5回めぐっているのが見て取れた。もうじき最下層に到達するのだ。
やはり此処は、あの悪夢の東帝城砦の地下神殿と同系の、邪霊崇拝の建築物。最下層に、きっと、退魔調伏しなければならない存在が居る……
…………
……
上空で、白タカ・ノジュムとジブリールが旋回していた。
ネコミミ炎と霊魂アルジーの到着を察知したらしく、ホッとしたような様子になる。
『やれやれ、だったな』
『白文鳥パル殿もこっちへ戻って来れない状況なんだ。でも良かった。商人ネズルが、無実の罪で、すごくマズい状況になっててさ、早く事態収拾しないと』
『商人ネズルさんに、何があったの?』
言い交わしている間にも、問題の光景が見えて来た。
商人ネズルが、冷や汗ダラダラで座り込んでいた。事情聴取されている格好だ。クムラン副官と、オローグ青年と、鷹匠ユーサーに包囲されて。
「絶対、私じゃありませんや、人形は襲ってませんですや! 断じて! 信じて!」
クムラン副官が、三日月刀(シャムシール)の柄(つか)に手を掛けたまま尋問を重ねている。
「だが人形の首をスッ飛ばして、はるか最下層まで落とした凶器は、商人ネズルどのの退魔調伏ハタキ、というか野球の打球棒(バット)モドキ、なんだよな」
――もっとも剣呑な気配がするのが、無言のままの中堅ベテラン鷹匠ユーサーだ。こちらへ背を向けていて表情は判らないが、商人ネズルのビビり顔が、見ているほうが、いっそう怖い。
「気が付いたら盗まれていたんですや! 普通に風呂敷に包んでいたから誰でも取り放題ですや、きっと誰かが、え、火吹きネコマタ!」
「火吹きネコマタ? ……お!? ありゃ幽霊か!」
クムラン副官が、唖然とした顔になった。つづいてオローグ青年と、鷹匠ユーサーも。
全員の唖然とした眼差しが突き刺さる。
幽霊アルジーは、思わずアワアワしてしまう。
ちっちゃな火吹きネコマタが、ネコの口に、銀月色をした糸の端をシッカリくわえていて……その糸の、もう一方の端を、フワフワと宙に浮く幽霊アルジーが、つかんでいる格好だ。
「こりゃ、この間も化けて出て来た……ネコミミ付スナギツネのお面の幽霊娘さんじゃね確かに」
老女《象使い》ナディテが、《精霊象》ナディの巨体の横からヒョコリと顔を出して、納得した風になる。
『ちょいと、空けてくれニャ。霊魂にも空間は必要ニャ』
ニャーと言うネコの鳴き声ではあったが、意図は伝わったらしい。一部がパッと分かれて。
老魔導士フィーヴァーが両手に工具を持っていて……その横に。心臓部を修理中の、首無し人形が、座らされていた。
「ううむ。霊魂そのものが吹っ飛んでおったのか。道理で《精霊石》が静かだった筈じゃ。邪気が濃厚な状況のせいか、降雨が無くても姿が見える。という事は、再び憑依は可能じゃな、鳥使い姫?」
霊魂アルジーは、コクリと頷いて見せた。
だが、人形の頭部が見事に消滅している以上、どうしても違和感はぬぐえない。ポッカリとした首の穴を幽霊の指でピコピコ触りながら、
どうしたものかと、ヒョコリと首と傾げる……スナギツネ顔の霊魂であった。
人工声帯が無いと、帝国語で喋れないではないか。
困惑顔でキョロキョロしていると。
唖然とした――しかし、今まで相当にパニックだったのだろう――だんだん落ち着いていっている風の、セルヴィン皇子とオーラン少年が、こちらを見ているのに気付いた。
壮年《象使い》ドルヴが、意外に面白がっているような眼差しだ。《象使い》の中では、割に仲間の幽霊を見かけると聞くから、慣れもあるに違いない。
その後ろに、まだ目を白黒しているシャバーズ団長と、専属魔導士ジナフ。
ネズミ顔の商人ネズルは必死の面持ちで、霊魂アルジーを見つめていた。なにやら人形アルジーを襲った犯人扱いされていたようだ。だがアルジーの記憶にある限り、商人ネズルは犯人では無いのだ。
早く、冤罪を晴らさないと。
その時、打ち上げ花火さながらに名案が閃いた。
念ずれば通ず。相当に奇妙な現象になるが……
生前、ちょこちょことやっていた《紅白の御札》裏技が――通称『お喋り身代わり居留守』御札が――ある!
『なにか思いついたニャネ、鳥使い姫?』
『手段はあるけど、頭部をどうするか思案中よ。どうも退魔調伏ハタキが、頭部と同じサイズっぽい気がする』
人形の足元に転がっていた「ぼろい荷物袋」に取り付いて、開こうとして……いま霊体だったことに気付き、赤面する。荷物袋の物理的実体を、霊体の手が、スカスカと透けてしまうのだ。
「憑依しなきゃできん物理的作業なら、憑依してやれば良かろう。いま心臓パーツの扉を閉めたぞ。首無し人形とはいっても、動作そのものに問題は無い状態じゃからの」
老魔導士フィーヴァーは、霊魂アルジーが何を始めるつもりなのか興味津々な様子だ。飄々とした鳶色(とびいろ)の目が、楽しそうな色を浮かべている。
霊体アルジーが、人形の中に溶け込むように消えてゆき……首無し人形が、ヒョコヒョコと動き始めた。
充分以上に、怪奇パンクホラーな光景だ。
半数ほどが青ざめて、ギョッとしたように後ずさる。
カラクリ人形アルジーは、「ぼろい荷物袋」から、ジャヌーブ港町で補給した紅白の御札と筆記用具を、サッと取り出した。
赤インクでもって、『お喋り身代わり居留守』御札を素早く書き上げる。
御札に宿る《火の精霊》が、声音を中継する形になる……生前の、あの最後の夜、スタンド式ハンガーを通して、遠隔で喋っていたように。
荷物袋から、更に退魔調伏ハタキを取り出して、新作の御札を吊り下げ。
退魔調伏ハタキを、首の穴に差し込んだ。
――このまま人類の声で喋るのは、さすがに見かけ上、不気味すぎる……
というのは良く分かるから、予備の生成りターバン布を広げて、大判ベールのように、かぶったのだった。ガバッと、頭部を含めて、上半身そのものを覆い隠すスタイルだ。
「あの、どうも、このたびは、お騒がせしました」
ヒョコリと頭を下げる。
喪中であるかのように厳重に大判ベールをかぶって、誰が誰だか判らなくなった格好の人形だが……声音は、今までと、だいたい同じ感じではあるかと思う。
中堅ベテラン鷹匠ユーサーが、珍しく息を呑み。その肩先で、白タカ・ノジュムが『なかなか名案だな』と呟いた。
クムラン副官が唖然とした顔つきで、しげしげと眺めて来た。
「びっくりですね? これが《鳥使い姫》の本来の肉声に近いんでしょうかね、老魔導士どの?」
「知らん。じゃが今までの頭部の人工声帯は、男の声域で製作しておった、確かに」
老魔導士フィーヴァーが、モッサァ白ヒゲを一層モッサァとさせて、かき回している。『人類史上最高の天才』と自画自賛する頭脳の中から、
なにやら、新しい論文を執筆している筆の音が、聞こえてきそうだ……
「特に中継する声調の指定が無ければ、『身代わり御札』に宿る《火の精霊》は、本人の肉声を複写する。
したがって、どこかで蘇生しようとしている身体の肉声が、遠隔中継されとるんじゃろう」
なにやら予想外の話になって来て、ふたたび首を傾げる人形アルジー。ベールがヒョコリと揺れる。
「そんなに変わっていないように聞こえますし、普通の声だと思いますが?」
「実を言えば人工聴覚は、その人形には、そもそも備わっていなかったのじゃ。人工声帯さえ正常に動けば、不要な器官じゃからな。
音声も波動ゆえ、霊魂は本来、音声を感じる性質を持つ。ただ、肉体器官に制約されない分、感じ方は相当に変わると推察される。《精霊語》のほうが聞き取りやすい状況かも知れん」
老魔導士フィーヴァーは、大きく、フーッと息をついた。
「音声のありようが、これほど印象を決定づける要素とは思わなんだ。ワシの研究には、まだまだ不備があったのう。霊魂の挙動の方面は、どこまでも深遠なところがある」
人形の肩先に、火吹きネコマタが、ピョンと乗って来た。ベール越しに、フンフンと、気配のようなナニカを確認して……
『失念してたが今までは、かの酒姫(サーキイ)を模した声音すなわち生物学上の男の声だったニャ。今は、間違いなく女の声……というか、正確には、
あの呪縛《魔導陣》の影響で、かすれてる少女の声ニャネ。あれはノドに傷を残すゆえ納得する部分ニャ』
カラクリ人形アルジーは、人形の手を顎(あご)の部分に当てて、思案する格好になった。やはり水のジン=ユーリュメルが言及した「揺らぎ」があるのだろう。
「……そんなに声の調子が変わりましたか?」
鷹匠ユーサーが、無言で頷いて返して来た。
無言の反応だけに……「知らぬは本人ばかりなり」状況に置かれたカラクリ人形アルジーは、再び首を傾げるところだ。
「ええと――」
護衛オローグ青年が少しの間、目を泳がせて……
「――詠唱士もできそうな風かと」
「精霊語の聖句や四行詩の詠唱は専門じゃないです。ひとまず。先刻、私を殴り飛ばしたのは、商人ネズルさんじゃ無かったですよ」
「現場に転がっていた遺留物は、確かに商人ネズルの退魔調伏ハタキではあったが?」
クムラン副官が目を鋭く光らせた。
「いきなり、こう、横殴りだったから、顔は見えませんでしたけど……」
「ほぼほぼ人類の視野――ならば死角を取られた形か……」
「直前にネズルさんが横切って、洗濯物をもって水場へ向かって。私、なんか物音がしたなと思って、護符の衝立とか荷物の後ろへ回ろうとしていて。
回ったら、いきなり壁――倉庫の方向から殴られて。商人ネズルさんが、あっと言う間に、荷物やら何やらを飛び越えて、反対側へ移動できた筈が無いですよね」
商人ネズルが涙目になって、まさに拝む格好になっていた。首をブンブンと縦に振りつつ。
「そうですや! 真実その通りですや、位置関係が、そうだったですや」
護衛オローグ青年が困惑した風に、腕組みをして思案ポーズになった。
「と、すると振り出しに戻らないといけないな、クムラン殿。謎の、第3の人物」
「倉庫から《人食鬼(グール)》でも出て来たかな? 嫌な前提条件のもとに、我々は置かれたことになるぞ」
*****
人形の憑依が元に戻ったことで、今後の、一行の行動計画が、やっと話し合われる状況となった。
すでに日は暮れている。
これからラビリンス第三層へ戻るのも非効率だ。戻る頃には明け方になってしまい、結局、輪をかけて無駄足だったという羽目になりかねない。
「邪霊退散《魔導陣》を倍に増やして、野営しよう」
――という結論になったのだった。
*****
それぞれに、不安とモヤモヤを抱えながらも夕食を済ませ。
野営テントや《魔導陣》の準備がはじまった。
ラビリンス第三階層に存在した安全圏――水場に基づく類推からして、比較的に安全圏であろうと判断されるのは、当然ながら、ここでも水場の近辺だ。
そして実際、古代様式の精緻な退魔紋様がビッシリと刻まれた石材で守護されていた。
馬や象への水分補給だけでなく、武器・装備の手入れチェック、戦闘に付き物の怪我の応急手当、その他、細々とした野暮用にも水は必要となるもので……にぎやかなざわめきがつづいている。
銀月が天頂へと差し掛かる刻。
少しずつ深くなる入射角度にしたがって、円筒形の空間の上層部がジワジワと明るくなっているところだ。
霊魂アルジーにとって《銀月の祝福》は生命力の根源。生前の習慣どおり月光浴をはじめるべく、光の多い中央側へと寄る。ドーナツのように床面が空いているから、限界はあるが。
ご迷惑をおかけしたお詫びもあって、カラクリ人形アルジーは、《退魔調伏》御札の大量生産にいそしんでいた。
邪気がいっそう濃厚になった大深度のなか、《退魔調伏》御札の交換回数が増えている。交換用の在庫を補充するべく、せっせと、ブランク《紅白の御札》へ精霊語の聖句を連ねる。
その質と量を維持したままの大量生産スピードは、民間の代筆屋の本領だ。
老女《象使い》ナディテが、アルジーの製作スピードに呆れながらも《退魔調伏》御札を束にまとめていた。
「あんた、よっぽど、こき使われてたんだねえ」
「いえ今は割と元気ですよ。満月に近い銀月の後押しがあるので」
『思いがけない《御札》補充戦力だよ銀月の』
傍で、老《精霊象》ナディが巨体を横たえていて、のんびりと《精霊語》で突っ込んで来た。
『老魔導士フィーヴァーも魔導士ジナフも別件多忙だから。
この平面の階層の謎、霊媒師と魔導士の古代伝承に回答っぽいのが含まれてるらしくて、見取り図と首っ引きで、絶賛、分析中。古代史の教科書、次々に塗り替えてるし』
老女《象使い》ナディテが、「ふむ?」というように、相棒《精霊象》へ、続きの話を促す。
『雷霆刀の英雄王が、豪傑の仲間たちと地下神殿もぐってた時。我々《精霊象》種族は、ドンドコ沸いて来た八叉巨蛇(ヤシャコブラ)の大群の退魔調伏で忙しくて、
この謎の平面の階層へは入ってなかったんだよ。したがって伝承に残せなかったんだよね』
おっとりとした所作で、《精霊象》ナディが、《退魔調伏》御札の束を、長くて器用な象の鼻につかんで……老魔導士フィーヴァー指定の『御札の箱』に、丁寧に詰め込む。
目下、カラクリ人形アルジーは不穏な暴力事件に巻き込まれたということもあり、老女《象使い》ナディテの協力を得て《精霊象》ナディの巨体の傍をお借りする形だ。
要・交換の御札がパラパラと出て来たらしく、見張り当番のシャロフ青年がやって来て「ありがたく」と一礼した。
老魔導士フィーヴァー指定の『御札の箱』から、《退魔調伏》御札の束を、ひとつばかり取り出している。
「シャロフ君、スナギツネ娘さんが半殺しに遭った現場の件だけど、捜査に進展はあったかい」
生真面目さと陽気さが混ざる面差しをした若者は、弾かれたようにフルフルと首を振った。
「最も近くに居て、凶器もそろってたのが、不運なネズル殿だったんですよ。いまだに容疑者の立場っす」
シャロフ青年は、喪中よろしくベールで上半身を覆い隠した格好のカラクリ人形を、不思議そうに眺めはじめた。そこには、怪奇ホラーを見るような眼差しは無い。
――咄嗟の思いつきだったけど、人類の形をしていない頭部(退魔調伏ハタキを首の穴に突っ込んだ状態)を透けないベールでカバーする、というのは、本当に名案だった……
「倉庫の陰に誰かが、という見立てもあるんですけど、姿をくらました人は居なくて。いきなり首ナシ死体が! って大騒ぎになって、全員が集まって来ましたしね、
向こう側の離れた位置で、《象使い》ドルヴ殿と色々と怪しげな作業で忙しくしてたオーラン君でさえ」
気が付くと、ヒョロリ皇子セルヴィン少年が傍に来て、興味深そうに耳を傾けていたのだった。
自主的な筋トレを兼ねて、自力で薬草茶の準備をしているところだ。ダークブロンド髪をターバンに収める少年皇子の腕には、相応に重量のある茶器セット。
ネコミミ炎がチロチロと揺らぎながら、茶を滲出している。
「これはセルヴィン殿下」
シャロフ青年は器用に敬意の一礼をして、説明を続けた。
「まぁココだけの話ですが、オーラン君の事情がよく分からないんで、ネズル殿の次の容疑者って感じです。
あちこち、ちょこちょこ移動してたって証言が、見習い魔導士ユジール君や騎士エスファン殿、ラービヤ嬢からありましたし」
「オーランについては絶対に有り得ないけど、疑心暗鬼が広がるのは良くないだろうな」
「右に同じですね……お、大丈夫ですか殿下」
セルヴィン少年は急に青ざめて心臓を押さえていた。
――そしてグラリと傾いだ。生贄《魔導陣》の発動。
だれか卑劣な相乗りが、《魔導》ルートを通じて、生命力を吸い取ったらしい――見ていてもギョッとする発作。
人間が「あッ」と言う前に、《精霊象》ナディが長い鼻をサッと伸ばして、失神した少年の転倒を受け止めた。
茶器のほうは、ちっちゃな火吹きネコマタが器用に受け止めた。半分ヘニャッと、ツブれながらも。
『久し振りに急に強めの発作ニャ。正直あぶなかったニャ、相乗り野郎ニャロメ』
「あれあれ、老魔導士どのを呼ぶかい」
もとから頑健な老女ナディテは、心臓の薬に相当するような持ち合わせが無く。
カラクリ人形アルジーと、シャロフ青年とで、アワアワしていると……
通りかかった見習い魔導士ユジール少年が、一目で事情を察知した顔になり、サッと医療用《魔導札》――体力回復の御札――を提供してくれたのだった。
「お、気合が戻って来ましたか、殿下」
セルヴィン皇子が琥珀色の目をパチパチとやり、シャロフ青年はホッとしたように顔をのぞきこんだ。
つづいて見習い魔導士ユジール少年もセルヴィン皇子の様子を見て取り、ひとつ、頷いた。
「ユジール殿が、さっき御札を貼ってくれたのか? ありがとう」
「お役に立てて光栄です」
セルヴィン皇子はボンヤリと身を起こしつつ、「そう言えば」と言葉を継ぐ。
「神官ゴーヨク殿の不自然な死に方が気になってるんだ。ユジール殿から見て神官ゴーヨク殿は、どんな人物だった? 弟子や助手に八つ当たりする人物だったかどうか」
「私は遊学の身で。このたび急に決まった話で参りましたし、日も浅かったので、なんとも」
「そうなのか。この件、アブダル殺害事件と違う面がありそうだな」
セルヴィン皇子は、そこで少しの間、深呼吸を繰り返した。
強めの発作だった――というだけあって、呼吸が苦しくなる部分があった様子だ。
原因が分かっていても不安が取れない場合は多いというのに、なかなか気丈。
「巨人戦士アブダルは生前の人格がアレだった……神官ゴーヨク殿も深夜まで激論するような性質と聞いたし、
商人ネズル殿の言ってたことからすると、カネに執着する性質だったらしいから、だいたい似たような事情があるのか、とは思ったんだが」
見習い魔導士ユジール少年は、ビックリしたような雰囲気になった。眉目秀麗な顔に、疑問が浮上している。
「最近、中二階の広間で殺害されていたという――巨人戦士アブダル殿は、弟子や助手に八つ当たりするような人格だったのですか?」
「強きに媚(こ)びへつらい弱きを虐(しいた)げるという人物だったそうだ。平民出身の訓練生への虐待が特に多かったと聞いてる。
あ、オーランも白鷹騎士団の訓練所に居た頃、子弟たちの指導者の立場だったアブダル戦士から、虐待を受けてたとか」
「それじゃ、オーラン君も巨人戦士アブダルを恨んでるでしょうね……相当」
セルヴィン皇子は、ようやく体調が整った様子で、ぎごちなく立ち上がった。ちっちゃな手乗りサイズ《火吹きネコマタ》が鎮座する茶器セットを、抱えつつ。
「それについて、オーランは、ここ1日で真相に近づいたと言ってる」
「ほほぉ、オーラン君は、なんか急に《象使い》ドルヴ殿と、いろいろ妙な作業をやってるなと思ってましたが。いまは鷹匠ユーサー殿もくわわって」
シャロフ青年が興味津々で、目をキラキラさせ始めた。あとで、クムラン副官やオローグ青年へ報告するつもりなのは明々白々だ。
セルヴィン少年はポツポツと慎重な調子で、語りつづけた。
「鷹匠《精霊語》上達もあって、当時、訓練所に居た白タカ若鳥や、たまに遊びに来てた白文鳥《精霊鳥》からの証言とか、集められるようになってて。《風の精霊》の種族だから、
証言は、此処へも流れて来るんだ。詳しくは知らないけど、オーランが、鷹匠ユーサー殿と《象使い》ドルヴ殿と、集中的に一緒にやってる作業の一部で」
「うんうん、その作業、近現代史の大事件となった巨大化《人食鬼(グール)》討伐でも、白鷹騎士団の鷹匠たちが実施したと聞いとるよ」
老女《象使い》ナディテが、その『生き字引』ぶりを、チラリと披露していた。
「巨大化《人食鬼(グール)》大群を不法に召喚した黒幕が、あれで判明したんじゃ。私も《象使い》として協力してたよ、弟子ドルヴが助手でね。
国家転覆罪でもって、黒幕まとめて速攻処刑して《魔導》ルートを破壊。そして帝国軍からの反転攻勢が可能になったんじゃね」
――そんな不思議な作業があるのね。
故郷シュクラの諜報機関も、そんな感じかしら。鷹匠だった父エズィールが生きていた頃は……シュクラ宮廷の侍従長タヴィスさんも、最新の情勢に通じてる様子だったし……
カラクリ人形アルジーは感心するばかりだ。
それにしても少年たちの成長ぶりは頼もしい。「男子、三日会わざれば刮目(かつもく)して見よ」とは至言だ。
――少し前までは、アルジーの持ち込んだ不自然な状況、すなわち『トラブル吸引魔法の壺』のせいか、次々に発生した非常識な連続トラブルの数々に、呆然としている状態だったのに。
目を回していたり、失神していたり、右往左往するので手一杯だったり……
セルヴィン皇子は、茶器をザブトンにしている手乗りサイズ火吹きネコマタを、ポンポンとやり……火吹きネコマタは「ニャー」と鳴いて、再び茶葉を滲出するネコミミ炎に戻った。
「明日にも時系列を整理した内容がまとまる見込みだから、こちらとしても、オーランから報告が上がり次第、ナディテ殿と法的対応とか相談しようと思ってる」
「そうなんですか」
見習い魔導士ユジール少年は、感心したように頷いていた。
先輩としての鷹匠ユーサーや《象使い》ドルヴの協力があるとはいえ、14歳や15歳の少年の仕事としては、
驚くべき成果であるらしい――相棒《精霊象》ナディが、長い象の鼻を持ち上げて『ブラボー』と称賛していたのだった。
*****
やがて、天頂から洩れて来る月光タイムが終了した。
老女《象使い》ナディテは、引きつづき鷹匠ユーサーから、カラクリ人形アルジーの身辺管理について任されているとのことで、
アルジーは、ありがたく老女ナディテの野営テントにお邪魔する形となった。
さすがに老骨には、冒険はこたえる様子で……老女は、先に寝袋へ入ってスヤスヤと眠っていた。
中堅ベテラン鷹匠ユーサーは、壮年《象使い》ドルヴと共に、オーラン少年の作業をサポートしているという。
過去の――数年前、白鷹騎士団の訓練所に居た頃の、オーラン少年の――巨人戦士アブダルから受けた虐待などの因縁がかかわるからして、
よほど重要な作業だろうということは良く判る。
族滅の任務を帯びた刺客(アサシン)への情報漏洩も続いている様子であるし、兄弟であるオローグ青年・オーラン少年の命の安全を考えてみても、到底、放置できない問題だ。
そもそも闖入者は、アルジーのほうなのだ。そのうえ、危険なジャヌーブ南の廃墟まで連れ込んで来ているのだ。アルジーすなわちシュクラ第一王女アリージュ姫の事情に巻き込む形で。
老女《象使い》ナディテ提供の、象をモチーフにした造形をした古代ガジャ風『魔法のランプ』の口に……協力的な《火の精霊》に、邪霊退散を兼ねた夜間照明として、灯ってもらう。
そして、持ち慣れたペン先を削る作業がつづいた。
交換用《退魔調伏》御札を大量に生産していたから、思ったとおりペン先が摩耗している。筆の長さそのものも、以前からの酷使と摩耗を重ねた末に短くなって来ているから、
女商人ロシャナクの文房具店『アルフ・ライラ』で、手頃な中古品を見つくろう頃合いだ。
ペン先に残ったインクで手が汚れるので、ペン軸まで汚れる前に、ちょくちょく石鹸で手を洗う――という中断が入る。
ペン軸をインクで汚したままだと、思わぬ拍子に、御札に余計なインクが付いてしまうからだ。
目下ほかにも筆はあるから在庫に不安は無いけれど、プロの代筆屋としては、手先も仕事道具も、きめ細かく管理しておきたいものだ……
テントの傍に控えていた《精霊象》ナディが、『おや』という風に「パオン」と小さな声を洩らした。
『セルヴィンの子守《火》さんだね』
見ると、《火の精霊》が交代していた。「やあ」とばかりに新しく灯ったのは、あの、ユーモラスなネコミミ炎だ。
つづく人の気配に、その方向を振り返ってみると……ヒョロリ皇子セルヴィン少年が居たのだった。薬草茶を飲んで安静にして、元気になって来たらしい。
「あの、いいかな?」
前回は体力的にも余裕が無かったせいか、寝起きの、ターバン無しのダークブロンド髪がクシャクシャに爆発している状態だったが。
――今回は、病み上がりという条件は変わらないとは言え、身だしなみを整える程度の体力がある様子だ。東帝城砦の名物の市場(バザール)をお忍びできる程度には、装備も揃っている――合格。
「護身用の短剣も持ち運べるようになって良かった。でも夜更かしはドクターストップ項目だったような気がしますけど?」
作業の邪魔にならないポイントを示すと、ダークブロンド髪に琥珀色の目をした痩身の――それでも以前よりは筋肉が付いたように見える――少年は、素直に、そこに座布団を敷いて落ち着いたのだった。
「あとで、叱られる予定だから」
「お、おぅ」
なんだか前にも聞いたことがあるセリフだ。実に冒険者気質な皇子だったという訳だ。
カラクリ人形アルジーは、上半身まるっとカバーする厚手ベールを、ヒョコヒョコ揺らして反応するのみだ。そして、ペン先の整備作業に戻った。
セルヴィン少年は、アルジーの作業を興味津々で眺めながら……やがて、ポツポツと喋り出した。
「憑依が安定してないというのは判るんだけど、いきなり、その、蒸発して消えたらギョッとする。今日は本当に蒸発したかと思った」
――ああ……首ナシ死体が転がったら……普通は気絶するほどショックを受けると思う。それが人形であっても。
アルジーは遠い目になった。
現在のカラクリ人形には、人工の目どころか、人工の頭部すら付いてないけど。
ベールを調整するために人工の手をアチコチ動かす。手ごたえとなって返って来るのは、当座の頭部の代用とした、退魔調伏ハタキの輪郭である。
「なんか二度目のオーバーキルとか精霊(ジン)が言ってたから……霊魂の首と胴体が離れたまま浮いてたし。ご迷惑おかけしました。殿下」
「称号は付けなくていい。迷惑とも思ってないし」
セルヴィン少年は不意にうつむく格好になったが、その頬(ほお)は紅潮しているようだ。血色が戻って来ているのは良い兆候だ。
ずっと考えていたのか、セルヴィン少年は生真面目な顔になって、再び振り向いて来た。光の角度のせいか金色の目だ。聖火を思わせる金色に、理知の光がきらめいていて、ちょっとドキッとする。
「神官ゴーヨク殿の事件だけど。だれかが、神官ゴーヨク殿に『邪魅ノ暴走』を盛っていたことは判明してる。商人バシールをおかしくした薬物と、一致したとか。不審な点があって」
「不審な点って、なにか気付くことがありましたか? 殿下」
「称号は付けなくていい。その薬物、ターゲットは別人だったかも。神官ゴーヨク殿を狙った暗殺工作じゃなくて、ほかの人を狙った暗殺工作……または犯罪のなすり付け、もしくは排除」
ショリショリとペン先を削りつづける、カラクリ人形アルジーの手が止まった。
ペンを押さえていたほうの手をベール越しに顎(あご)に当てる形で、思案ポーズになる……手先まで憑依が届いていない状態で、手首から先が、パタッと垂れさがる。
「施錠箱は手順を知っていれば誰でも開錠できる……オローグさんが言ってたこと考えると、その疑惑は濃厚かも。でも、何故?」
ネコミミ炎が、『魔法のランプ』先端からニューッと伸びあがる。2本のネコ尾の先に夜間照明を灯した、ちっちゃな手乗りサイズ火吹きネコマタになった。
『我が自慢の相棒セルヴィンの推理ニャ。例の薬物を仕込まれていたのは、のど飴と、呼子笛。のど飴はともかく呼子笛は、薬物を盛るには、奇妙な選択だと思わニャイか?』
「のど飴……と、呼子笛?」
セルヴィン少年が、目をキラリとさせて頷いた。
「神官ゴーヨク殿を暴走させた犯人は、鷹匠が使う鷹笛と、神官の呼子笛の区別がつかなかったかも知れない。狙われたのは、鷹匠ユーサー殿だった可能性もある」
「あるいは、訓練中とはいえ鷹匠の道具を持っている、オーラン君……」
「うん。神官ゴーヨク殿の施錠箱、一般的な普及型だったし。ユーサー殿とオーランも同じ型の箱に、予備の鷹笛を入れてる」
「鷹匠の判断をおかしくさせる目的があったとして、それは何かしら? 白鷹騎士団にとって、鷹匠は貴重な戦力の筈……」
「そこが、いくら考えても思いつかないんだ。煮詰まってしまって。オーランは族滅の刺客(アサシン)の問題がまだあるから、そのセンだと思ってはいるけど」
――失念していた。もっとも身の危険があるのは、オーラン少年じゃないか!
「確か、オーラン君の相棒の白タカ・ジブリール君は、いずれ鷲獅子グリフィンと化す個体……アブダル戦士と同じように、横取りして思いどおりにするという、フザケた下心が、あったのなら……」
現場100回。証拠100回。百聞は一見に如かずだ。
「くだんの施錠箱、もう一度、見てみる必要がある。クムラン副官が持ってるよね。テントへ押し掛けるわよ」
カラクリ人形アルジーは、スックと立ち上がろうとして……思うとおりに動かない脚の下半分が崩れ、倒れそうになった。
転倒するかと思った瞬間。
横から支えの手が入る。
「立つ前に、ひと声かけてくれないと」
セルヴィン少年が慌てた顔になって、カラクリ人形アルジーの転倒を支えていたのだった。ついでに、ベールの端から見えた「退魔調伏ハタキ」頭部に、ギョッとした顔になった。
何故か訳知り顔をしている老《精霊象》ナディが、長い長い象の鼻を、ユーモラスに、ピコピコ動かした。
『押し掛ける先がヤローたちの野営テントかい。思ってたのとは違う流れになったみたいだけど、まぁ頑張りなさいよ少年』
傍でチョロチョロする火吹きネコマタは、ニガワライをしているようだ。
――なにを頑張るつもりのセルヴィン少年であったのかと、疑問に思ったアルジーであった。
*****
「新しい歩き方を練習中だから、肩、貸してくれます?」
アルジーの確認に、セルヴィン皇子はコクリと頷いた。いまだに鳩が豆鉄砲を食ったような表情だ。
ヒョロリ少年の顔には戸惑いが浮かんでいるが。
ひとりでに「ぼろい荷物袋」を抱えるなど、カシャカシャと動く奇怪なカラクリ人形に対して、拒否感や恐怖感は無い様子。
それでも、ポンと人工の手を置くと、少年の痩せこけている肩が、ちょっとだけ飛び上がったのを感じる。
ヨタヨタ歩きながら、介助サポートのお蔭で意外に早く、目当ての野営テントの入り口まで到着した。
ちょうど、クムラン副官とオローグ青年が一緒に雑魚寝しているタイミングで、別のテントを訪問する手間が省けた。
「もしもーし!」
真夜中をとうに過ぎて、草木も眠る闇の刻。暁闇。
――ほぼほぼ夜討ち朝駆けを受ける形になった、クムラン副官とオローグ青年。
青年2人とも、寝ぼけ眼を何度もパチパチする羽目になっていた。さわやかな青年といえども、眠っているうちに、むさくるしくなるものだ。解けかかっていたターバンを巻き直しつつ。
「神官ゴーヨク殿の、例の施錠箱の中身を再確認したい? だって?」
「危険薬物は、もう洗浄済みだった筈。お焚き上げして……老魔導士どのが……」
ちょうど見張り当番に出ていたシャロフ青年も、野営テントの方向へ目をやって、なんども首を傾げているところである。
「軍用の機密施錠箱に保管してたんだ。ジャヌーブ砦に戻ったら本格的に、という申し合わせで」
厳重な錠前を備えている黒い箱が、本部テント脇の荷物集積所から取り出され。そのなかから、亡き神官ゴーヨクの、大聖火神殿の紋章のついた施錠箱が取り出された。
施錠箱そのものは、中程度の巻物を数巻ほど収めるサイズ感だ。いかにも「身辺の小物入れ」という雰囲気。
薬物が仕込まれていた「のど飴」そのものは既に無かったが、飴玉(ナバット)を保管する定番の容器がある。それに、洗浄済みの呼子笛。
「意外に趣味が良かったのね? 神官ゴーヨクさんって」
問題の飴玉(ナバット)が入っていた――という手乗りサイズの容器を手に取り。
カラクリ人形アルジーはヒョコリと、厚手ベールに包まれた上半身を傾ける形になった。
エキゾチックな青色をしたガラス容器は、亀甲城砦(キジ・カスバ)特産のガラス容器を連想させる。
ガラス職人のみごとな手並みがうかがえる、全面に入った白い装飾模様。無数に飛び交う流星のような白いラインは、青いガラス地の中で一面に重なり舞う白羽のようにも見える。
護衛オローグ青年が生真面目にメモを引っ繰り返し、解説をして来てくれた。
「あとで記録を調べる予定ですが、先取り特権の関係でゴリ押し横領した発掘品だったのでは、という分析がありますね。一緒に入ってた覚書が、横領記録だったもので」
「カネにキタナイ神官のやることは決まってるわ。でもセルヴィン殿下の推理は、案外、命中してるかも。鷹匠が好みそうな意匠だもの、これ」
カラクリ人形アルジーは、次に、呼子笛を手に取り、ためつすがめつ、観察しはじめた。
「私も鷹匠の道具については素人だから、同感。鷹笛と見分けがつかない。鷹匠ユーサー殿か、オーラン君か、あるいは2人の命をいっぺんに取ろうと虎視眈々と狙っている状況で、
こういった箱の中身を見たら、まず鷹匠の持ち物だと判断したと思う」
クムラン副官が、苦笑いを洩らした。
「恐ろしいことを、サラッと口にしますねえ、お嬢さん」
「セルヴィン殿下に言ってちょうだい」
――ヒョロリ少年からの「称号は付けなくてもいい」というセリフは、出て来なかった。やはり気まぐれだったのだ、皇族の。礼儀を失する羽目にならなくて良かった。
なにか、《鳥使い》の直感をつつく存在がある……カラクリ人形アルジーは、念入りに箱をチェックし始めた。
南国タバコ。予備のインク。数枚の貨幣。ヒゲ抜きピンセット。鼻紙。
そして……カネにキタナイ神官の定番……やはり、二重底があった。さっそく、仕掛けを解除してみる。
「女性の下着……というか遊女ダンス衣装」
なんとも色っぽく艶めく真珠色のシルクの紐パンツに、真珠色のシルクの紐ブラジャー。肉体をカバーする部分は、申し訳ていどの面積のみだ。
精緻な総レース地の逸品で、キラキラ・ビーズを組み込んだ結び紐をつけてある。そしてグルリと、膝下丈ほどもある飾り緒キラキラ・ビーズを、密に連ねてある。
「神官ゴーヨクさん、女装趣味があったのかしら? 自分で着て、踊ってたとか?」
クムラン副官と、護衛オローグ青年と、セルヴィン少年が、3人そろって唖然とした顔になった。
「そんなの有ったっけ?」
「どうやって見つけるんです……? 老魔導士どのが、《鳥使い》は感覚が鋭くて、色々と妙な物を拾って来るとか、解説してましたが……」
「こいつぁ、ヘタに、袖の中に、或る種の細密画なんか隠せないじゃないか」
2人の青年のほうは何故か、あまりにも煽情的な舞台衣装を見て、スッカリ目が覚めたらしい。
「あ、やっぱり自分で着て踊って、楽しんでた。意外に趣味人(オタク)だったのね、帝国皇帝(シャーハンシャー)や巨人戦士アブダルよりは、無害で上品で哲学的な」
なまめかしい舞台衣装の間に、神官ゴーヨク自身をモデルにしたと思しき細密画が数枚あった。美麗な総天然色。
そして中年男な神官ゴーヨク自身が、色っぽい衣装を着て、得意満面で全身をくねらせて、「遊女アイドル」そのもののキメキメ・イェーイ・カワイイ・ポーズを取っていた。
ペラリと手渡す。
――男3匹と、ちっちゃな火吹きネコマタ1匹が、どんな顔をして、その細密画を鑑賞したのかは……言わないでおく。
さらに。
遊女へ変身するための一式が入っていた隙間の……次に、もうひとつ隙間があった。
数種の書類が詰まっている。
「二重底に見せかけた三重底。こっちの三重底の書類のほうが、業務上の本領だったかも」
カラクリ人形アルジーは、素早く書類を取り出し。
夜間照明ランプの灯りのもとへ持っていった。
「偽造の署名文書っぽいけど。『ナントカ騎士団の免状』。商人ネズルさんが言ってたとおり、神官さんは、騎士団免状の不正売買に手を出してたわね」
「……!? 見せてくれ!」
クムラン副官が、意外に目覚ましい反応を見せた。若者の手が素早く書類の束をめくる。
書面に記載された騎士団の名称を、目でも耳でも確かめるように、順番に読み上げてゆく……
――炎霧騎士団。虎牙騎士団。赤甲騎士団。白鷹騎士団。蒼甲騎士団。修羅車工兵団。亀甲工兵団。長河水兵団。江湖水兵団……
「すごいな。それほど有名じゃ無いが帝都でも実力を認められている、というような中堅層を、網羅する勢いだ」
護衛オローグ青年が、呆れたような溜息をついた。セルヴィン皇子のほうでも、いくつかは既知の名称だったらしく、早くも思案顔になっている。
「あまりにも帝国軍に近い高名な騎士団、たとえば『雷霆騎士団』とかだと目を付けられやすい。
かといって、帝都大市場(グランド・バザール)裏街道のチンピラ集団のような類だと、引っ掛けにくい……という感じかな?」
クムラン副官は、セルヴィン皇子の見立てに異論は無い様子だ……無言で素早く頷いている。
――カラクリ人形アルジーも、『雷霆騎士団』の名は耳にしたことがある。
外道な夫、御曹司トルジンが箔をつけるために所属していた、名門のなかの名門だ。トルジンは、そこで『英雄王の剣舞』を習得したと言っていた。
とてもとても軽くした模造刀を使う、きらびやかなだけの、見世物だったけど。
いつしか、クムラン副官は早口で、オローグ青年と検討を始めていた。
「物的証拠が、こんなところから出現するとは。違法業者バズーカに『白鷹騎士団』ニセ免状を高額転売してる」
「神官ゴーヨク殿が、騎士団の不正免状の取引窓口だったのか……相当、儲けただろうな」
「この『鬼耳』で、たまたま小耳に入れたんだが、商人ネズル殿がチラリと。神官ゴーヨク殿は、帝都大市場(グランド・バザール)の例の偽造宝石ショップの不正ルートに一枚かんで、
愛人と豪邸を持つほど成功したが、偶然、セルヴィン殿下の摘発に遭って大損失を出した。その際に、なにか弱みを握られたんだろうな。金融商ホジジンへ大金を流さなければならない立場になったとか」
――その話は、アルジーも覚えがある。
ラビリンス第一階層の突出の間で、チラリと、中年商人ネズルが、口にしていた内容だ。
それにしても、あれをシッカリ小耳に挟んだのか。驚くべき『鬼耳』の地獄耳だ。
カラクリ人形アルジーは、セルヴィン少年と一緒になって、熱心に耳を傾ける姿勢になった。これらの、一見ゴチャゴチャした要素の数々には、なにか、連関がある……
護衛オローグ青年がターバンに手を突っ込んだ。思案のクセで黒髪をワシャワシャやっているうちに、パッと閃いたような顔になり。
「神官ゴーヨク殿は、金融商ホジジンへ大金を流すために、騎士団の不正免状ビジネスに乗り出した、ということになる……そして、
神官ゴーヨク殿から不正免状を買い取った人物の中には、ここにある証拠やら記録のとおり、違法業者バズーカも含まれていた……」
「猟官活動に成功したバズーカが、白鷹騎士団が来ると聞いて、死ぬほど焦った理由も説明できるな。
神官ゴーヨク殿から買い取った、ニセ免状……白鷹騎士団の実績と信用を横取りする形で、猟官活動したのは確実だ。
ガジャ倉庫商会の老ダーキン殿を恐喝しつづけていたのも、回り回って、神官ゴーヨク殿と同じように、金融商ホジジンへの不正送金を要求されてたから……だったりしてな」
クムラン副官は、問題の書面に付属していた金融関連の書類を引っ繰り返し。「オッ」という顔になった。
「転売利益の、おこぼれを受け取る側が、ラーザム財務官。もう一方の署名を見てみろ、オローグ殿」
「第二皇子ズゥルバハル直属の書記長の筆跡……!」
「ヤツを失脚させられるぞ。第二皇子の派閥も強大だから、ヤツを完全に後退させられないにしても、返り討ちはできる。
メンツをつぶして権威を失墜させる程度には――第六皇子カムザング派閥のラーザム財務官と結託していたというのも、身内への裏切りになりかねないからな」
「願ってもない土産物になるな、アヴァン侯クロシュ殿への」
「彼なら上手に活用するさ、このうえなく」
セルヴィン皇子が、しげしげと書類を眺めはじめた。
ヒョロリとした体格の、その細い肩先で、ちっちゃな手乗りサイズ火吹きネコマタが、さかんにニャアニャアと口を突っ込んでいる。
「ニセ免状……二種類の書式が混ざってる……だれかが混ぜ込んで加えたみたいだ。こっちは、ジャヌーブ傭兵組合とか、南方領土の書式。クムラン殿の持ってるのは、帝都の書式……?」
「む……? ということは、南方領土で神官ゴーヨク殿の管理してた書類と、帝都の誰か手先が管理してた書類が、一緒になった状態? そんな状況が有り得るのか……?」
書類をゴソゴソしている、うちに。
場違いなまでの――黄金《魔導札》が出て来た。帝都の様式の書状の中から。
「なんか見かけたことがあるな。見たのは、どこだったかな? 最近の記憶のような気がするが」
首を傾げるクムラン副官。
やがてオローグ青年が、ハッとした顔になった。
「宴会バシール事件で使われていた、不法侵入用《魔導札》だ」
火吹きネコマタが金色の目をキラーンと光らせ、カラクリ人形アルジーへ早口で告げる。
『帝国軍仕様の魔除け紗幕(カーテン)を、あっさり突破して来た、アレだニャ。帝都でも評判の、《炎冠星》後継を名乗る暗殺教団に属する《邪霊使い》作成、不法侵入用《魔導札》ニャ……!』
アルジーの中で、記憶の火花が散った。
「その《魔導札》――使用前なら……まだ御札の購入者の所有契約が残っている状態かも知れない……!?」
購入した黄金《魔導札》を「自身のもの」として所有するには、所有契約を《魔導札》へ入れる必要があるのだ。退魔紋様を施した三日月刀(シャムシール)を、所有主として所有する場合と同じ。
盗難を警戒する理由はもちろんだが。
そうしないと、精霊・邪霊が宿る道具類は、道具としてはブランク状態だ。ブランク状態では、期待するような退魔能力も、不思議な作用も、発現しない。
そして、「おひとり様おひとつ限り」パターンの場合は、使用後に、所有契約が消える。任務を果たした精霊・邪霊が抜け出して、道具としては、ブランク状態に戻る。
食い詰めた魔導士や霊媒師が小遣い稼ぎに販売するような、市場(バザール)の片隅で見かけるような御札は、たいてい「おひとり様おひとつ限り」だ。
――作用する内容も、クジ引きの景品のような軽微なものが、ほとんど。
たとえば、『恋敵を蹴落とすオマジナイ』『恋敵を転ばせるオマジナイ』『恋敵に悪夢を見せて眠れなくするオマジナイ』『酒の素晴らしい味と酔いが来るオマジナイ』『情事がもっとスゴクなるオマジナイ』……
金融商ホジジンが帝国皇帝(シャーハンシャー)に工作したような、不気味なパターンもあるけれど。
不法侵入用《魔導札》などと言うような、明らかに犯罪につながる御札は、とりわけ証拠を残さぬようにするため「おひとり様おひとつ限り」条件しばり。
邪霊が関わるのがほとんどで、「所有契約」も、「任務完了まで、邪霊を拘束する」形式だ。
クムラン副官が、緊張の面持ちで、ゆっくりと黄金《魔導札》の裏を返した。
「先取り特権の記録業務の臨時助手として、急遽、加える。引き換えに、神官ゴーヨクへ、所有契約を承継。例の免状ネタ一式含む。元・所有契約ユージド。帝都で購入。シュクラ出身――」
――シュクラ王国。
かの、憎むべき従兄にして敵――ユージド王太子……!
ユージド王太子が、巨額の不正ビジネス陰謀の手先とか、してた……!?
――してたじゃないか……! 御曹司トルジンと結託して……!
口をアングリと開けて、棒立ちになる、カラクリ人形アルジーであった――いまのカラクリ人形の頭部は、人類の頭部じゃ無いけれど……
…………
……
凍り付くような、ひととき……ひと呼吸か、ふた呼吸の間をおいて。
暁闇のなか。
程々に離れた一角――倉庫の壁ギリギリに配置されていた、ひとつの野営テントが、いきなり爆発的な炎を出して燃え上がった。
「爆発だ! 火事だ!」
見張り当番をしていたシャロフ青年の、驚愕の大声が上がり。
方々の野営テントの入口となっている垂れ幕が、次々に跳ね上げられた。火気に気付いた馬たちが総立ちで蹄を鳴らし、仰天した顔の戦士たちが、寝起きの顔を突き出す。
「全軍、消火せよ!」
辺り一帯は、にわかに騒がしくなった。
*****
少し時間をさかのぼる。
アルジー、すなわち今は亡きシュクラ第一王女アリージュ姫の、あずかり知らぬところで。
決定的な状況が進行していたのだった……
…………
……
いよいよ締めの段階となった《作業》。
あらためて張り直した野営テントの中で、オーラン少年、鷹匠ユーサー、壮年《象使い》ドルヴが車座になって、立膝で控えていた。
その中央に、不思議なまでに純白の炎を燃やす『魔法のランプ』。純白の炎は、よく見ると、偉大なる翼を広げた鳥の姿をしているように見える。
オーラン少年は、ターバンを外して、ほとんど黒髪となった頭部をさらしていた。一筋の銀髪が、漆黒の中でいっそう目立つ。
いくぶんか長めの黒髪に縁どられた面差しは、群を抜いた美少年といってよい程に整っていて……いま、一抹の不安の色をたたえていた。
「方角は、これで良いのですか?」
「もちろんだ、オーラン君。我々《象使い》がおこなう《精霊魔法》土地占いでは、誤差は出ないゆえ……だろ? 相棒」
壮年《象使い》ドルヴが親し気に声をかけた先で、ミニサイズ《精霊象》ドルーが、ヒョコリと長い鼻を振り上げた。小象になったかのようなサイズ感。
ここまで空間圧縮するのは物理的実体では不可能なことで、目下、若手《精霊象》は、半透明の姿となっていた。
「さぞ決断に迷われたかと思いますが」
鷹匠ユーサーが、気づかわし気な眼差しでオーラン少年を見やった。
――いま、ここにあっては――鷹匠としての師匠と弟子の関係では無い。古代からの王統を受け継ぐ者への敬意が、そこにはあった。
「トルーラン将軍が仕掛けて来る族滅の刺客(アサシン)へ、シュクラ王太子の裏の動向について情報漏洩していたのが、まさか同郷の、腹心とも頼んでいた同輩とは思わなかった」
オーラン少年は顔を伏せていたが、膝に置いた両手は、怒りで震えていた。
「偶然、本名が同じ『ユージド』だから、王太子の代理にも影武者にも、うってつけだった……シュクラ王国を再建したら、彼を真っ先に筆頭の国王名代に指定するつもりだったし。
王家の侍従長タヴィス殿の信頼もあつかったし」
「なかなか複雑怪奇な展開だったでありまさ。思いもよらなかったでしょうね、私もいまだに、半信半疑なくらいでありまさ」
中央の『魔法のランプ』で、鳥の形をして燃える純白の炎が、青白いほどの白金の光を帯びた。
国家祭祀の時のような、荘重な《精霊語》が流れる。
『代々白孔雀《魔法の鍵》引き継ぐシュクラ王統、当代の第一王子ユージド。シュクラ《族長》の権限もて述べよ』
オーラン少年が、それに応じて《精霊語》を繰り出す。
『事項は、ふたつ』
『ひとつ目』
『ケンジェル大使が長子ユージドを、シュクラ部族より永遠に《絶縁》する』
鳥の形をした純白の炎は、コクリと頷く仕草を返した。
『――かの者の《絶縁》を完了した。ふたつ目』
礼儀正しく聞き耳を立てていた、中堅ベテラン鷹匠ユーサーと壮年《象使い》ドルヴが、少しの間、唖然としたのは言うまでも無い。
「なんか、かねてから準備してたみたいに、疾風迅雷よりも神速でありまさ!?」
「かの銀髪の酒姫(サーキイ)アルジュナの《絶縁》では、やらかした内容の精査など相応に時間をかけたと記憶しているが……」
オーラン少年も、さすがに漆黒の目をパチクリさせ、「もう済んだの……?」と口ごもる。
それでも、すぐにフルフルと頭を振って、気を取り直し。
『私は、シュクラ第一王子として授かった我が本名ユージドを、天への供物として捧げる。
ここに前王統の第一王子として、従妹アリージュを、白孔雀《魔法の鍵》引き継ぐシュクラ王統の第一王女と承認する。
確か国家守護の精霊は、王統の第一の継承者を、第一に守護してくれるとか……』
……鳥の姿をした純白の炎は、しばらくの間、ユラユラと不安定に揺れた。
『風のジン=****より風のジン=****へ移譲に際し国王名代の特例事項あり水のジン=******地のジン=****連名をもて、
地のジン=*****引き継ぐ《魔法の鍵》オリクト王統が支族の系統へ切り替え、鷲獅子グリフィンが一族に属す白タカ《精霊鳥》ジブリール名における雷のジン=ラエド契約……』
チラチラと、鳥の形をした純白の炎の輪郭が揺れている。
その不思議な姿形は、最初は白孔雀のように見えたが、やがて、鷲獅子グリフィンへ変容したようにも見え。
王統の切り替えにかかわる調整に手間取るせいか。
高位の精霊にしては不思議なくらいに、手間取っている気配。精霊を彩る特徴的な輝線が多数あらわれ、複雑な連鎖を構成している。
「あの……大丈夫?」
思わず、不安な顔になって様子をうかがうオーラン少年であった。
鷹匠ユーサーと壮年《象使い》ドルヴが、疑問顔を見合わせる。
「伝承に聞く、過去の王統の切り替えで生じた手続きの例からすると、随分と多くの高位の精霊が、条項の変更に関与しているように見えまさ」
「帝国創建の頃まで辿れるほどの、長い伝統の王家ゆえでしょうか?」
――そして次の瞬間。
『火事だ!』
半透明のミニサイズ《精霊象》ドルーが、飛び跳ねた。《精霊象》がピョンと跳ねるのは、めったにない事態。
瞬く間に、野営テントが火炎のカタマリと化した。
野営テントは、もともと防火性の素材を活用している筈が――火の回りが、想定外に早い。
「普通の火では無い。これは――」
鷹匠ユーサーが、ハッとする間にも。
見る間にテント全体を包んだ炎は――左右一対の、見上げるような大きさをした篝火(かがりび)の行列と化した。
倉庫の方向へ、一直線に、闇のような色をした炎の通路が開いている。
その通路の形をした邪霊の炎の中心で、ヒラヒラと舞っているのは、既視感のある1枚の黄金《魔導札》。この黄金《魔導札》が、導いているのだ!
「不法侵入用《魔導札》……!」
いつだったかの宴会でジャヌーブ商会の商人バシールが、不自然に暴走させられ。軍用ドリームキャッチャーの厳重な封印をあっさり破って侵入していた際に、
「いつの間にか袖に突っ込まれていた」と主張していた、あの《魔導札》と同じ。
卑劣な罠へ誘い込まれているのであろう――と分かっていても。
それでも。
いまや、目の前にまで引きずり出せたのだ。
――《天の書》を超えて舞い降りて来た《鳥使い姫》が、白日のもとにさらした……決定的な取っ掛かりを。
虎穴に入らずんば虎子を得ず。
それぞれに一筋縄ではいかぬ事情を秘める《精霊使い》3人と、相棒の精霊3体は、勇敢な一歩を踏み出した。
*****
炎の壁の向こうから、白鷹騎士団のどよめきが、うっすらと伝わって来る。
時間的に、見張り当番に出ていたのであろうシャロフ青年の「爆発だ! 火事だ!」という、仰天したような叫びにつづいて。
すぐさま目を覚まして事態を見て取ったらしい、シャバーズ団長の大声が響きわたった。
「全軍、消火せよ!」
多くの足音と、水音と……
*****
オーラン少年、中堅ベテラン鷹匠ユーサー、それに壮年《象使い》ドルヴの、目の前で。
テント最寄りの倉庫の扉は、大きく開かれていた。
元の大きさに戻った、相棒《精霊象》ドルーでさえ、少し身をひねって通過できるほどの、幅と高さ。明らかに、古代に栄えていたという古代巨人族や成体《人食鬼(グール)》の体格に合わせたもの。
このたびの冒険団のリーダーを務めるシャバーズ団長の指示なしに、独断で勝手に開かれた……両開きの扉。
不法侵入のための、奇怪な篝火(かがりび)の通路を作り出した黄金《魔導札》――その《魔導札》の仕掛け主が、開いたのだ。
「ジャヌーブ商会の商人バシールも、このように走らされたか……」
陰気に呟きながらも……もっとも年かさの者として鷹匠ユーサーは、三日月刀(シャムシール)を構え、先頭に立っていた。左右の脇を、オーラン少年と壮年《象使い》ドルヴが固める形。
白タカ・ノジュムと白タカ・ジブリールが頭上で旋回しつつ、降りそそぐ邪霊の火の粉を弾き。
早くも元の大きさに戻っている《精霊象》ドルーが、最後尾に位置取り、火の粉から沸いて来ようとする有象無象の邪霊害獣を踏みつぶして、念入りに退魔調伏だ。
邪霊の炎に縁どられた、古代様式の謎の巨大倉庫の扉を、通り抜けた瞬間。
なんとなく予想していたとおり、倉庫の扉が、閉まり……閉じ込められた形になった。
――倉庫の中は、驚異の空間だった。
精霊への供物だったか、邪霊への供物だったかは分からぬものの、今なお燦然たる輝きを失わぬ古代宝物の……群れ。膨大な数だ。
金銀財宝がぎっしりと連なっている間に、ゾッとするような多数の、人類のシャレコウベ。
過去に、幸運にも潜入に成功したらしいものの、頭蓋骨と成り果てるまでに邪霊に食い尽くされたらしいと見える。
そして更に――不吉なまでに大きな、ドクンドクンと脈打つ血管に取り巻かれた異形の卵のような……カタマリが3個ほど、ゴロゴロと転がっていた。
よく見ると、卵殻のように見えるのは、それほどに頑丈な筋肉の膜だと判る。
邪霊そのものの、ぎらつく黄金色をした不気味な物体。大人の背丈を超える大きさ。
三つ首《人食鬼(グール)》の、休眠状態の……卵では無く、蛹(さなぎ)だ。三つ首の巨大化《人食鬼(グール)》を内に秘めているのが、確実に見て取れる大きさ。
「まったく、どこまでも目障りなヤツだ。シュクラ王太子ユージド」
うず高く積み重なった宝物の陰から、声の主が悠然と現れた。多彩な色と輝きにあふれた宝物の群れの中で、全身にまとう黒装束の黒さが、いっそう禍々しく映える。
「見習い魔導士ユジール……」
壮年《象使い》ドルヴが、或る程度は予想していたかのように、その名を口にした。
「気が狂ったのか? ユジール」
「残念ながら冷静にして正気だよ、明らかに男より劣っている女を、それも死にぞこない耄碌(もうろく)ババアを、師匠と仰ぐような低能男よりは」
『ビックリするくらい歪んで振り切れた本性だねシュクラ王太子の名代くん。シュクラ王太子が倒れた場合には、その王統と地位を引き継ぐ位置立場だったのに』
相棒の《精霊象》ドルーが、呆れたように、長い象の鼻を左右に振って「ぱおぅん」と鳴いた。
簡易な精霊語のお蔭か、ユジール魔導士のほうでも、その内容を把握した様子。
「私は、いまや邪悪なオリクトの黒に染まったユージドを、王太子と定義しない。ここに居るのは、ただの、帝国に寝返ったオリクト・カスバから来た悪辣なる帝国女を母親とする、売国奴の一族の長子。
すんなりと、オリクト・カスバ《地の精霊》が祝福したのが、その証拠」
「そんな破綻ロジックで、タヴィス殿をはじめとするシュクラ重臣たちが納得するか、ケンジェル大使が長子ユージド」
オーラン少年が鋭く切り返した。
「もっとも信頼の篤いシュクラ貴族として、わが従妹アリージュ姫との婚約も決まっていた立場だろう。トルーラン将軍が強引に工作してきたが、《火の精霊》立ち合いのもと婚約は現在でも有効な状況なんだ」
邪霊の炎に包まれて乱れる空間の中にあっても、オーラン少年の声は、よく通る声質だ。そこに含まれている覚悟と、気迫……王統を受け継ぐ者――本物のシュクラ王太子ユージドならではの。
同じく本名ユージドを持つ魔導士ユジール少年が、わずかに、たじろぐ。次にフンと鼻を鳴らし、嘲るような笑みを見せた。
「アリージュ姫など、こちらから願い下げだったよ。母親は確かに《シュクラの銀月》シェイエラ姫だが、父親が帝国出身のエズィール、しかも卑しい平民。
シェイエラ姫殿下も、貴様ら売国奴と反逆者の道具と成り果てた末に……哀れなものだな」
空気を読まない余計なゴロツキ邪霊《骸骨剣士》2体ほどが沸き、一同に斬りかかって来た。
鷹匠ユーサーが、即座に、一刀のもとに斬って捨てる。
もう1体は、白タカ・ノジュムと《精霊象》ドルーが挟み撃ちにして、退魔調伏だ。
無害な真紅の熱砂と化した《骸骨剣士》2体の残骸が、豪華絢爛な古代宝物の山々の間に、散らばった。
中堅ベテラン鷹匠ユーサーが、ゆっくりと、怖いくらいの静かな声音で、断言するかのように説明する。
「亡きケンジェル大使が長子ユージド侯。鷹匠エズィール殿ご本人の希望で、身分を伏せただけでございます。シュクラ国王陛下ご夫妻は委細ご存知でした」
「関係ないね。いずれにしても、卑劣なる帝国の手先だったという事実は変わらない。
純粋なシュクラ人では無い、ミソッカス姫アリージュにも、自分の立場を理解するようジックリ言い聞かせてある……この手で」
オーラン少年が、ハッと息を呑む。
「アリージュに……なにを言った!?」
「あれは傑作だったね。皆で大騒ぎして、礼拝堂の隅っこの小さな戸棚まで捜索してた一件は。『バカと煙は高い所が好き』というような余計な勘が閃いたニセ王太子が、
宮殿で一番高い聖火祠の鳥の巣に首を突っ込んだりしなければ……アリージュは、5歳かそこらで凍死してた筈だけど」
絶句する面々の前で。
見習い魔導士ユジール少年は、ニヤニヤ笑いを深くした。
5歳かそこらの幼女を平然と死なせるような――まさに「いじめっ子」だったのだろうと確信させる、凶悪な愉悦の表情だ。
オーラン少年が陰気に呟いた。
「行方不明になった日……宮殿で一番高い聖火祠。いやに覚えがある気がする」
「帝王学の大事な試験を放り出して、身辺警護の従者も衛兵も連れずに夜まで走り回って、あとで教育係の全員にガッツリ怒られたからだろ、落第の王太子さま」
*****
いろいろな意味で忘れがたい――過去の情景。
ケンジェル大使の長子ユージド。御年10歳ほどの貴族少年にとって。
どこの馬の骨ともわからぬ平民の鷹匠エズィールを父に持つアリージュ姫は、最初から「ミソッカス」扱いすべき対象であった。
――《シュクラの銀月》とも称えられるシェイエラ姫の総・銀髪を受け継いでおらず。ひと筋の銀髪も、平民に見られる「おとなしい毛量」レベルだ。
ついでに言えば、目障りなシュクラ王太子ユージドも、同じ程度の毛量の、ひと筋の銀髪だ。
シュクラ王家の係累につながる5歳ほどの幼女は、地味に苛立たしい存在だった。
総・銀髪を素直に受け継がなかったくせに――影のような灰色に曇らせたくせに――シュクラ王妹殿下シェイエラ姫の美貌のほうは、素直に受け継いだ絶世の美少女。
本人は、そんな自分の容貌を認識していなかったらしく、天然ボケの、お転婆だった。
世間一般の枠に到底ハマらぬ、破天荒な姫君。
隣国から来た《象使い》兼-軽業師の芸に感動したあまり、桑畑で「宙返り」の練習をやって泥んこになったり。
父・鷹匠エズィールにオネダリして、相棒の白い鷲獅子グリフィンの背中に乗せてもらって、空を飛んだり。幼女らしく泣き叫ぶと確信していたのに、
終始キャッキャと笑っていて、ケロリと大空を堪能して帰還して来た。
そして、さらに信じがたいことに。
鉱山の有毒ガス検知・落盤の検知のための『白文鳥の捕獲ビジネス』を手掛ける国境の業者と、いつの間にか懇意になって……白文鳥の鳥の巣のところまで、木登りや崖登りをやらかした。
シュクラの姫君とは知らずに連れ回した生真面目な業者が(珍しいが、本当に悪意は無かったのだ)、その後とても恐縮して、シュクラ国王夫妻に向かって平身低頭したのは言うまでも無い。
ちなみに業者いわく「てっきり、幼女に化けた白文鳥《精霊鳥》だと思った」――大聖火神殿の高名な魔導士たとえば前・魔導大臣フィーボル猊下などが興味を持つのは確実だから、
珍品「幼女に化けた白文鳥」売買取引を持ちかける計画すら立てていたと言う。
そう思うのも当然で。
アリージュ姫の周りには、いつも白文鳥《精霊鳥》が集まって来ていたのだ。それも楽し気に。
――《精霊語》上達そのものは遅く、感覚もピントがズレていて、ドリームキャッチャー飾り緒につかう羽の組み合わせもトンチンカン、だったのに――だ。
一度、白孔雀の礼拝堂の中で、居並ぶ神官たち、貴族子弟たち――衆人環視の状況のなか、その組み合わせのおかしさを指摘して、アリージュ姫に恥をかかせてやったことがある。
もちろんアリージュ姫は、全員に大爆笑されて、顔を真っ赤にして泣きながら遁走した。
こちらの完全な勝利だ。所詮、同じく《鳥使い》候補と占断された幼女といえど、取るにも足らぬミソッカスに過ぎない。
シュクラ王国の最高幹部の地位にあるケンジェル大使の長子ユージドとは、貴族としての血統も、《鳥使い》としての能力も、天と地の差だ。
こちらは、最高位の《鳥使い》になるだろうと占断され、そのとおり鋭敏な感覚などの天賦の才能も、最初から備わっていたのだから。
それなのに。いつしか、気が付いてみると。
白孔雀の御使い――白文鳥《精霊鳥》の群れは、ケンジェル大使が長子ユージドの指令に応じなくなっていた。
月次の国家祭祀の時に、白文鳥の群れが流星群のような白く輝く数多の輝線になって、祭祀の場を祝福する――という段取りがあるのだ。
もっとも優秀な《鳥使い》候補と目されていたケンジェル大使の長子が、幼少の頃から、ずっと、白文鳥の群れをあやつる役割だったのだが。白文鳥が、いうことを聞かない。
それで一度、仮病を装って雲隠れした。
急遽、その筋の占いによって立てられた代役が、5歳のアリージュ姫だった。
おりしも。ちょうど、ユージド王太子が国王の助手として、初めて祭祀に出席する回。
こちらの不在やらアリージュ姫の不手際やらで祭祀が頓挫すれば、それも二重の意味で、いい気味だと思っていたのだが。
アリージュ姫は初回から大成功した。ついでながらユージド王太子の国家祭祀デビューも。
――「指令」じゃなくて、「友達としてお願いする」という形で。《精霊語》詠唱すら無く、定義も概念もまるで判っていない、いつものフニャフニャなお喋りの延長で。
*****
……見習い魔導士ユジール少年こと、その本体ケンジェル大使が長子ユージドは、いったん、問わず語りを中断した。
目を見張るような速度で、退魔紋様セット三日月刀(シャムシール)が閃き、その足元に沸いた邪霊害獣《三つ首ネズミ》2体を、あっと言う間に一刀両断にする。14歳や15歳の少年としては、相応に油断ならぬ腕前。
見習い魔導士ユジール少年は、無害な真紅の熱砂と崩れていく《三つ首ネズミ》をさらに踏みにじった。
新たに沸いた《三つ首ネズミ》3体ほどが、恐れ入ったように、チョロチョロと奥へ引っ込む。倉庫のさらに奥のほうで、何らかの作業をしている様子で……ゴソゴソという気配が伝わって来たのだった。
オーラン少年がハッとして、指摘する。
「――《邪霊使い》なのか!?」
「必要な時だけだ! 白鷹騎士団でも邪霊害獣を使うだろうが!」
カッと激昂したかのように、ユジール少年=ケンジェル大使が長子ユージドは、言い返した。
「どこまでも目障りだ! 鷲獅子グリフィンのヒナのことだって、そうだ! アレは私のほうが目を付けるのは早かったのに、不法にも横取りするとは。昔から貴様、そういう卑怯なところがあるんだ!」
そして、再び、問わず語りが再開したのだった……
…………
……
国家祭祀で、シュクラ王太子ユージドは初回にもかかわらず無難に手順をこなした。だが王太子の実力では無い。祭祀の進行を補助した神官が優秀だったお蔭なのは明らかだ。
問題はアリージュ姫だ。あの、いい加減な精霊語は許しがたい。そして、そんなフニャフニャな精霊語にしたがう白文鳥《精霊鳥》そのものも、間違っている。
――次回の祭祀が近づいてきた時。
アリージュ姫を、宮殿付属《白孔雀》礼拝堂の『灯台の間』から引きずり出して。
礼拝堂のなかで最も人目につかない回廊の一角まで引きずって来て、強硬に要求した。
――白文鳥へ命令しろ。私が《精霊語》で指令したら、その通りにしろと白文鳥に言い聞かせるんだ。
――なんで?
苛立たしいくらい、アリージュ姫は、キョトンとするばかりだった。幼女だろうと、頭の回らないバカ女だ。祭祀の意義も、白文鳥へ指令する、ということの意味も、まるで理解していない。
白文鳥の存在意義は「白孔雀の御使い」ということにある。精霊としては最小で最弱だ。そのくせ付け上がるのだから、こちらから厳しく指令して、完全服従させるのが正しいというのに。
このバカが。言うとおりにすれば良いんだ。
思いっきり殴ったのだ。
無礼な平民を殴り倒すのと同じように。
平民と変わらない灰色な頭が回廊から転げ落ちて……みぞれ降りの庭園の泥に、アリージュ姫の全身が真っ逆さまに突っ込んだのを眺めて、本当にスカッとした。
殴打と転落のショックで、一時的に失神したらしい幼女を、そのまま捨て置いて宮殿へ戻った。
その日は、帝王学の達成度を見るための重要な試験があったからだ……ユージド王太子や、並み居る幹部候補の貴族子弟たちと、机を並べて。
試験の前半が終わった後、ひそかに例の回廊へ、様子を見に戻ってみた。
アリージュ姫は、失神から回復したが早いか、自然に破れたらしい守護結界からチョロチョロと沸いて来た邪霊ネズミに、追いかけられていた。泥だらけで。
腹を抱えて笑いながら見物するのに、相応しい光景。
だが、同時に、腹立たしく――あってはならない、光景だ。
いつものように周りに集まって来ていた白文鳥《精霊鳥》が、本来、苦手とする寒さの中にもかかわらず……身を挺して邪霊ネズミを攻撃して、アリージュ姫を守護している。
蒸発して、《根源の氣》に還るのも構わずに。
あの、途方もないバカで、無能なばかりでなく無価値なミソッカスを、何故、白文鳥がそろって守護しようとするのか。
こちらのほうが、あのように、身を挺した最高の守護を捧げられるべき価値のある、選ばれし《鳥使い》なのに。
アリージュ姫は、白文鳥に導かれて遁走した。
シュクラ宮殿の中でも、もっとも堅牢な守護結界を備えていると評価されている、一番高い聖火祠の方向へ。
冷え切って、みぞれが降っているせいで、いつもの人目も少ない――目撃者も無い。
お転婆すぎる姫君だけあって、崖登りの手際は見事というばかり。梯子も無いのに、わずかな手掛かりに手足を引っ掛けて、スルスルと登っていって……
幼女の体格が幸いしたのか、てっぺんの、白文鳥の鳥の巣のある小空間へと、スッポリと入ってしまった。
月に一度くらいしか点検されないポイントだ。
そして、夜は氷点下にまで冷え込む。体力の無い子供が凍死しても、不思議では無い季節。
邪霊ネズミに追われて恐ろしい思いをした筈だ。そして守護結界に阻まれながらも、獲物の気配を確信した邪霊ネズミの群れが、しつこくガジガジと聖火祠を――その退魔紋様を――かじっている。
夜間ともなれば、邪霊の力が増す。いかにお転婆な性質とはいえ、アリージュ姫ひとりでは降りられないだろう。
再び、アリージュ姫を、そのまま捨て置いて宮殿へ戻った。試験の後半が始まる時間だから。
計算外だったのは、侍従長タヴィスが、オヤツの時間に、アリージュ姫の不自然な蒸発に気付いたことだ。いつも遊びに行っているという、宮殿付属《白孔雀》礼拝堂の『灯台の間』にも居ない。
念のためということで、シュクラ宮廷霊媒師オババ殿が、余計な占いをして。
――『宮殿の、どこかで邪霊害獣に襲撃されている。命の危機である』
オババ殿から緊急の知らせを受けて、アリージュ姫の両親が真っ青になり、宮殿あげて捜索がはじまった。
さらに想定外が重なった。
宮殿の騒ぎに、ユージド王太子が気付き。捜索にあたっていた衛兵のひとりから、事情を聞き出して。
ユージド王太子は信じがたいことに……こちらにとっては愉快にも……午後の試験を、放棄した。帝王学の落第――確定。
日暮れを過ぎ、夕食の刻が近づいたころ。
ユージド王太子は、平民並みの毛量の、ひと筋の銀髪しか持たぬくせに、なにかの閃きがあったらしく……行方不明になったアリージュ姫の居場所を、みごと探し当てた。
持っていた護身用の短剣で邪霊ネズミ数体ほど退魔調伏し、聖火祠のてっぺんから、冷え切っていた幼い姫君を救出して。
ユージド王太子は、結構な風邪をひき、邪霊害獣にアチコチかじられて毒蛇咬傷と同様の症状に悩まされながらも、ちょっとした英雄になった。
本来は、ケンジェル大使の長子が英雄になる筈だったものを、卑怯にも横取りしたのだ。帝王学の落第は、別にして。
アリージュ姫は高熱を出して、7日ほど寝込んだ。
そのせいか、アリージュ本人は、ケンジェル大使の長子に殴られて泥に落とされたり、そのまま放置されたり、邪霊害獣に追われたりしていたことは、
まるで覚えていなかった。「白文鳥と遊んだ後、そこの鳥の巣で、パタッと昼寝してた」という無邪気な話に落ち着いたのだった。
*****
見習い魔導士ユジール少年の、シュクラ王国での自慢話。
――あきれ果てた――とは、このことだ。
「感心するほど邪悪なイジメ……どころか、れっきとした殺人未遂事件でありまさ。ご存知でしたか、鷹匠ユーサー殿?」
壮年《象使い》ドルヴの問いに対し、鷹匠ユーサーは、無言だった。だが、その無表情のなか額に浮かんだ青筋が、心情を雄弁に物語っている。
黒髪オーラン少年が、感情の無い声で、見習い魔導士ユジール少年へ話しかける。
「道理で、私の動向を、トルーラン将軍から派遣された族滅の任務の刺客(アサシン)へ売るのに、躊躇は無かった訳だ」
「なかなか貴様が死なないせいで、こちらも儲けさせてもらったよ」
見習い魔導士ユジール少年は「フン」と鼻を鳴らすのみだった。平然と。
「白鷹騎士団の訓練所では、見合う実力の刺客(アサシン)の選別に苦労させられたけど、巨人戦士アブダルが食いついて来た。楽しませてもらったよ。
だが、あれほど早々にアブダル自身が不満だらけになって、暴言を吐いて出ていくとはね。つまらん」
いつしか、ユジール少年こと、ケンジェル大使の長子ユージドの近くには、あらかじめ盗んでいたと思しき馬3頭が並んでいた。
別途、邪霊害獣を黄金《魔導札》で、けしかけていたらしく……そこには既に、特に高価な古代宝玉の数々が、馬の体力の限界ギリギリまでに荷造りされている状態だ。
うまく地上へ生還できたら、目もくらむほどの財産になる筈だ。ユジール少年こと、ケンジェル大使の長子ユージドが、その財力を、何に使うのかは、分からないけれども。
「倉庫の中身を知っていた――過去の時点で、既に扉を開いて調査済みだったということだ。昼どきの頃か?」
オーラン少年の漆黒の眼差しが、怒気を帯びた。
「たまたま、そちらへ回って来た……あの自動人形(オートマタ)を……生身の人間に目撃されたと思って……それで、襲ったんだな。ネズル殿への罪なすりつけも……ネズル殿の、退魔調伏ハタキを使って」
「スナギツネ顔の欠陥人形のくせに、アレは、いつも目の前に現れては私の計画を邪魔する原因になる。当然の報いだ!」
憎悪を込めた切り返しが響く。
「夜明け前の時にも、あのスナギツネ野郎は、しれっと、目線で白毛玉を呼び寄せた。
白毛玉が、籐(ラタン)施錠箱の中で転がったせいで、念入りに準備していた『暴走・暴発《魔導札》セット』が全滅したよ。バラバラにしても、まだ足りない」
――想定外の内容が、飛び出して来た。
全員で、少しポカンとする。
見習い魔導士ユジール少年は、癇癪(かんしゃく)を爆発させた。
「ラビリンス第二層で! クソ神官ゴーヨクじゃ無くて貴様が! なにかの拍子にバシールのように暴走して壁に頭をぶつけて、
みじめに死ぬ筈だった! 私の立場というものを考えたことあるのか! 貴様が何故、しゃあしゃあと正気で生き延びるんだ!」
思わず壮年《象使い》ドルヴが突っ込んだ。
「そりゃ怠惰なくせに腹立ちとプライドだけは《地霊王の玉座》を超えてるような、ねたみ・そねみ・ひがみ……」
「うるさい!」
黄金《魔導札》が投げられた。
小型の邪霊害獣《三つ首ドクロ》1体が「ボン!」と沸く。
即座に《精霊象》ドルーが長い象の鼻から空気を噴射して……直撃を受けた《三つ首ドクロ》は、パラパラと、徐々に真紅の砂に変わっていった。フラフラと床に落下していって、動かなくなる。
「あらためて、一晩かけて練り直したさ、もちろん。夜の見張り当番の際に、『暴走・暴発《魔導札》セット』を、貴様のテントに放り込む手筈で。
成鳥になってない白タカ《精霊鳥》が解毒のために蒸発して消滅するが、本当に高貴な血統を見分けられぬ精霊など、どうでも良い」
本名ユージド=見習い魔導士ユジール少年の、刺々しいまでの敵意を含んだ眼差しは……まっすぐに、同じ本名ユージドを秘めるオーラン少年を、突き刺していた……
…………
……
たがいに、絶対的に相容れぬ位置立場を、あらためて了解する――うら若きシュクラ王侯諸侯、2人。
一方は豊かな毛量の先祖ゆずりの銀髪に淡茶髪をした、いかにもシュクラ民族にして高位貴族――という外見のユージド。
もう一方は、亡命したにもかかわらず族滅の刺客(アサシン)の脅威にさらされ。縁のある《地の精霊》祝福のもと漆黒の髪と目をもつ外見へと変わり、名乗りや王統すら切り替えざるを得なかったユージド……
……
…………
「貴様が暴走して、シャバーズ団長の指示に背いて、ヨダレを垂らしながら倉庫の扉を開けて、暴れる筈だった! 衆人環視の中で、だ! なんで私の思いどおりに、
恥をさらしまくって、みじめに死んだうえで、私へ王統を勝ち取らせるという状況へ持っていかないんだ、この、売国ゴミクズ王太子!」
鷹匠ユーサーが眼差しを険しくし、オーラン少年もまた、三日月刀(シャムシール)の柄(つか)に手を掛ける格好だ。
充分以上に明らかな殺気を感じている筈だが。それでもなお、見習い魔導士ユジール少年こと、ケンジェル大使が長子ユージドは、不思議に余裕しゃくしゃくの様子だ。
「間抜けな白タカと白毛玉ケサランパサランが……『暴走・暴発《魔導札》セット』の証拠となるところだった《魔導札》を粉々にしてくれたお蔭で……私への疑義がスッカリ無くなった形になったのは、幸運だった」
酷薄を極めたかのような含み笑いが入った。黒装束の少年は、なにやら、マントの下で怪しげな挙動をし始めた……
「死にぞこない番外皇子セルヴィンが、あたらしい報告を受け取る予定だったそうだが。その機会は永遠に来ないね」
――いやな気配だ。
明らかには現れぬ不吉な気配を、白タカ若鳥ジブリールが鋭く気付く。
『気を……つけて!』
次の瞬間。
見習い魔導士ユジール少年の手に。
黒光りする『雷帝サボテン鉄砲』が握られていた!
*****
目にも留まらぬ、『雷帝サボテン』3連射が爆発した。
その、あまりにも場にそぐわない雷撃は、まっすぐに……
この巨大倉庫の空間の中、古代宝物の数々の間にゴロリと転がっていた、3個の《人食鬼(グール)》蛹(さなぎ)を襲った!
*****
白タカ・ノジュムと白タカ・ジブリールが、既知の『雷帝サボテン鉄砲』ということに気付いた。
鬼耳族なみの地獄耳と弁別能力を持つ、黒髪オーラン少年も。
「女戦士ヴィーダを射殺した鉄砲と同じ……!」
「――という事は、女戦士ヴィーダを暗殺していた、あの奇怪な刺客(アサシン)の正体は……!」
鷹匠ユーサーが、驚きに、目を見開いた。
そして、壮年《象使い》ドルヴと相棒《精霊象》ドルーも、また。かの女戦士ヴィーダ事件を、横から見聞きしていた形だっただけに……絶句していたのだった。
*****
一方、倉庫の外では。
邪霊の色をした黄金の炎の壁を通して、雷帝サボテン鉄砲の音が、とどろきわたっていた。
「いったい何が起きてるんだ!?」
虎ヒゲ・マジードをはじめとする臨時の消火隊が、目を丸くするばかり。
早くも事態を察した《精霊象》ナディが、せっせと水場から水をくみ上げて、水桶へ移し。
老女《象使い》ナディテと、カラクリ人形アルジーとで、そこへ退魔調伏《紅白の御札》を突っ込む。
退魔調伏の御札がくわわった水は、それなりに有効に、邪霊の炎を鎮めたものの。
よほど念入りに、邪悪な黄金《魔導札》を仕掛けていたのか――火の回りのほうが、圧倒的に早すぎる。
「キリが無いですぜ、老魔導士どの」
「とにかく、この忌まわしき邪霊の炎の退魔調伏が先じゃ。《渦巻貝(ノーチラス)》に匹敵するような、強大な《水の精霊》を召喚せねばならん、同士ジナフ殿!」
「流砂地帯に囲まれていて、呼べるかどうか……いえ、やらなければ」
2人の熟練の魔導士の手によって、青い色の入った黄金《魔導札》が掲げられ、特別な《精霊語》呪文の詠唱が始まった……
■09■ラビリンスの奥の巨大空間…名も無き死闘の日のもとに
古代の金銀宝玉が、ぎっしりと詰まっている巨大倉庫の中。
見習い魔導士ユジール少年は、財宝を満載した馬を引き、後方へと立ち位置を変えた。
――帝都大市場(グランド・バザール)の盗賊から学んだのか、とも思われるような……大小の様々な物品が密集した空間の中の、素早い所作。
「この倉庫は驚異の結晶だったよ。倉庫のふりをした、地上脱出ルートだったんだ」
ほぼほぼ《邪霊使い》へ堕ちたとはいえ。
ユジール少年その本体ケンジェル大使が長子ユージドの、優秀な頭脳と、かつてシュクラ最高位《鳥使い》候補と占断されたほどの勘の良さは、本物だ。
「地上脱出路……」
さすがに呆然とするあまり、オウム返しにするのみの……黒髪オーラン少年。
オーラン少年も頭は悪くないのだが、勘の良さという点ではユジール少年ほどでは無い……そして、目下、別の方向で修行中だ。
禍々しい黒装束の少年は、生成りマントをあらためて羽織った。見た目、その辺のどこにでも居る、隊商(キャラバン)に参加している旅人といった風。
引き連れている馬の多さだけは不自然だが、良家の御曹司なら、というところ。
「この山ほどの財宝は、過去、供物として連れ込まれた人類や精霊が、いつか地上へ戻る日のために――最悪の運命の日、《人食鬼(グール)》に見つかって不成功に終わったようだが。
古代は《人食鬼(グール)》退魔調伏とまではいけなくても、このように不活性化して固める技術はあったらしいな。天祐というものだ」
壮年《象使い》ドルヴと、相棒《精霊象》ドルーが、思わず横目で――不吉なデカブツ3個を、確認する。
邪霊そのものの、ぎらつく黄金色。大人の背丈を超える大きさ。ドクンドクンと脈打つ血管に取り巻かれた異形の卵のような……
黒装束をまとう美少年は、さらに奥へと後退し、そこにあった倉庫の、もうひとつの壁を押す仕草をした。
――ギィィン。
古代風の精緻なレリーフに埋もれている奥の壁が、開いた。回転扉のように。
「ユージド……!」
かつては同郷シュクラで、机を並べた同輩の本名を呼ぶ。それに対して返って来たのは。
「今度こそ確実に、死体も残さずに死ぬがいい! 余計な心配せずとも、本物の完璧な『シュクラ王太子ユージド』とは、この私のことなのだからな!」
大型の回転扉が回転して、財宝を満載した3頭の馬と、同じく手一杯に財宝を抱えた1人の少年の姿を、呑み込んだ。
「目障りな欠陥ヤロウ……永遠にさらばだ! アーッハハハハハ……!」
――そして、数秒後。
そこでも、邪霊の色をした、闇を思わせる黄金の火の手が上がったのだった。
同時に。
不吉なまでに大きな、ドクンドクンと脈打つ血管に取り巻かれた異形の卵のような……筋肉質の3個のカタマリが……恐怖と絶望の姿形をして、ぬらりと立ち上がった。
全身に、バチバチと鳴る雷光をまとっている。
さきほどの『雷帝サボテン鉄砲』から発射された雷光で、活性化されたのは確実だ。
「先手必勝!」
鷹匠ユーサーの投げナイフが飛んだ。
今しも、最初に立ち上がろうとしていた……最大の体格をした《人食鬼(グール)》1体の急所を、正確に貫く。
人外のうめき声が上がった。
――がああぁぁぁあ!
ベテラン白タカ・ノジュムが、反射的に《風の壁》を立ち上げた。無いよりは、マシ。
めいめい素早く退魔紋様の三日月刀(シャムシール)を防護盾のように立てながらも……
「うお!」
壮年《象使い》ドルヴのガチムチ体格が、半歩ほど、のけぞった。
より小柄なオーラン少年は言うに及ばず……文字どおり強風に押し倒され、地べたを引きずられるかのような格好だ。
密封状態の倉庫空間の中。
邪声による破壊的な音響が乱反射と増幅を繰り返した。空気が乱れる。その異様な衝撃。
元気いっぱいの《精霊象》ドルーが、その衝撃波を打ち消す「象の大声」を繰り出したものの、半減というには弱い。
あちこち雑に置かれていた、古代の壺が次々に砕けてゆく。
壺に格納されていた宝飾品が、ビシバシと弾かれて、飛び散った。
――『人類史上、最高の天才』とかます老魔導士フィーヴァー特製の、『幻の護符』は強力に発動した。
鼓膜は激しく震えながらも破れず。いわゆる《人食鬼(グール)》裂傷も、普通に引きずられた時のスリ傷レベルに留まった。その衝撃こそ、相当こたえるものの。
思わず、白タカ・ノジュムと、《精霊象》ドルーが、『ブラボー』と叫ぶくらいだ。
白タカ・ジブリールが急上昇しながら、オーラン少年に鋭く声をかけた。
『黒い短剣!』
定番の――ただし少年兵仕様の――三日月刀(シャムシール)を構え直しながらも、ハッとするオーラン少年。
三日月刀(シャムシール)を倉庫の床に突き立てて、もう一方の手で、虎ヒゲ・マジードからの黒い柄の短剣を、サッと抜いた。
筋骨の未発達をカバーするべく、全身を使って反動を付けて、オーラン少年は肉薄した。
少年の身体が、バネのようにしなる。
鷹匠ユーサーの投げナイフが目印のように突き立った、その急所を狙う。
山育ちの中で自然に身についた身軽さでもって、致命的な触手群の一撃を回避する。
黒い柄(つか)の短剣が、青白いまでの白金の光に輝いた。
雷撃の威力をまとった黒い短刀は、あっさりと《人食鬼(グール)》の三つ首を支えている頑強な筋肉を切り裂き……瞬時に真紅と化した肉片が、めくれ上がる。
幾条もの雷撃が飛び散り、《人食鬼(グール)》の三つ首が、肉でできた花のように破裂した。ギョロリとした3つの邪眼も、ベチャリと音を立てて歪む。
「よけろ、オーラン!」
壮年《象使い》ドルヴが既に、両手に『雷帝サボテン鉄砲』を構えている。
オーラン少年が軽業師さながらに大跳躍して、壁にズラリと並べられていた古代コンテナの上へと着地した。そのコンテナもまた邪声の衝撃で頑丈な蓋(フタ)が破壊されていて、
裂け目から、数々の華麗な芸術品が詰め込まれているのが見える。
――ドバガガァン!
中背ながら、かねてから相撲大会のためにガチムチに鍛えていた、壮年《象使い》ドルヴの筋骨は……二丁拳銃の発射の衝撃に、耐えた。反動で3歩――4歩ほど、ずり下がりながらも。
しばし動きを止めていた《人食鬼(グール)》へ、雷光をまとう多数のトゲトゲ砲弾が命中した。
胴体の――ど真ん中、おりしも凶悪な裂け目が開いていた位置に。
雷撃ショックで、《人食鬼(グール)》巨体が後方へ跳ね飛び。
その後ろで立ち上がっていた《人食鬼(グール)》2体目へ激突する。2体でまとめて感電したかのように、ビリビリと震えはじめた。
――ぐおぉぉおお!
最後の3体目でも、雷帝サボテン弾が飛び跳ねたようだ。
ギョロリと引き剥かれたまま白目がつづく邪眼。奇怪な三つ首をグルグルさせながら、おかしなステップ。
目覚めたばかりで動きが遅く、予測可能なステップを踏みつづける2体目《人食鬼(グール)》へ……満を持して、鷹匠ユーサーが強烈な斬撃。
相棒《精霊鳥》白タカ・ノジュムが純白の流星のような輝線となり、独特な飛行痕をつくった。
退魔紋様の輝く刃は、《風の精霊》後押しを受け、音速に近い高速でもって……ぎらつく上半身それも心臓に近い部分を、背骨に接触する深さまでに、したたかに切り裂く。
――近現代史の大事件とも名高い、かの巨大化《人食鬼(グール)》戦場をすら駆け抜けて来た、ベテラン戦士ならではの、刀剣の腕前だ。
百聞は一見に如かず。
先達の太刀筋に驚くばかりの、オーラン少年と……壮年《象使い》ドルヴ。
真紅の色をした退魔調伏の炎が、必要十分に着火して。
2番目に目覚めていた《人食鬼(グール)》1体の崩落がはじまった。
残り《人食鬼(グール)》2体――最初に目覚めたモノと、第三のモノ。
早くも感電ショックから抜け出している。
三つ首をグルグル回して獲物の姿を探し求めながら、それぞれに、多数の忌まわしい触手の形をした舌を噴射した。
各々、その一撃を回避する。倉庫の中のあらゆる文物が次々に崩れ。
その怪物の触手の、凶悪なまでの勢いは、倉庫の壁を、あっさりと貫いた。
知能にもとづく戦略的な攻撃では無く……ただ、ひたすら暴力を全方位に爆発させるだけの、本能。
怪物の触手の数々は、邪霊の炎との相打ちとなって灰燼と化した。
苛立ちのうめき。――と、より多くの獲物の気配を感じたゆえの雄たけび……
…………
……
倉庫の壁がバラバラに吹き飛んでいて、白鷹騎士団の面々が、反射的に散開していた。
「……《人食鬼(グール)》の巣なのか!?」
「防護盾!」
「なんたる展開じゃろう!」
驚愕が広がっている間にも……
…………
……
最初に立ち上がっていた《人食鬼(グール)》が、9本の長大なカギ爪の付いた、異形の手を振り回した。
粉々になって吹き飛ぶ、古代様式コンテナ。
破壊的なカギ爪を、オーラン少年は器用に避けていたが……それでもタイミングがずれた拍子に、片方の二の腕に深手を負う。
足取りを崩して横ざまに倒れた、黒髪の少年。
若々しく新鮮な血の匂いを感じた《人食鬼(グール)》は、いっそう荒れ狂った。
――ぐばがぁ!
勝利の雄たけびを上げて、ぎらつく黄金の巨体が……獲物の上に覆いかぶさる。新たなトゲトゲ触手が繰り出された!
「オーラン!」
同じ黒髪のオローグ青年が声を掛けつつ、援護の手裏剣を放った。その半数は突き刺さり、残り半数は頑丈な黄金筋肉に弾かれて、飛び散る……
…………
……オーラン少年の黒い短剣が、先ほど見て学んだばかりの、ベテラン鷹匠ユーサーと同じ――太刀筋を描いた。
青白い《雷の精霊》の、雷光に輝く刃先が、三つ首《人食鬼(グール)》急所を正確に断ち切る。
その瞬間、世界が止まったかのような――沈黙。
雷のジン=ラエドの青白い閃光が、《人食鬼(グール)》肉塊にあふれた。
黄金の巨体が寸断され、その断面は既に、ジュウジュウと沸き立つ真紅の肉塊と化していた。沸騰の勢いで見る間に形を失い、無害な真紅の熱砂と崩れてゆく。
「ブラボー!」
ラエド戦士としては先輩にあたる虎ヒゲ・マジードが、称賛を叫んだ。そのまま先陣を切って倉庫内へ駈け込む。
自慢の大斧槍(ハルバード)を振り回し、最後の《人食鬼(グール)》1体へ殺到して……
虎ヒゲ・マジードそのものの豪快な雷光が、大斧槍(ハルバード)から発射された。
おりしも若い《精霊象》ドルーが、後ろから《人食鬼(グール)》巨体に体当たりしていた。ぎらつく黄金の三つ首が、その軌道の前に飛び出している。
「食らえ!」
大斧槍(ハルバード)は、その豪快な太刀筋でもって、三つ首をえぐり取っていた。三つの邪眼ごと。
視界を失って、地団太ステップを踏む《人食鬼(グール)》。メチャクチャなまでに全方向に、無数の触手が爆発する。
白鷹騎士団の全員が、防護盾を押し立てた。
――ぱおおぉん!
老練な《精霊象》ナディの守護魔法の声が響きわたり、おぞましい触手の威力を相応に弱めたものの……距離が近すぎる。次々に、脅威的なまでの破砕音がつづいた。そして相当数の血しぶき。
重傷者を出しながらも。メンバーは持ちこたえた。
――老魔導士フィーヴァー特製の『古代伝承の護符』と、土木に強い《精霊象》援護――無しの状態では、ほぼほぼ全員が、原形を失った人類の残骸と化したに違いない。
持ち前の勘の鋭さでもって、カラクリ人形アルジーが手前に立ちはだかる。触手の余波を受けて、人工スキンの被覆(カバー)が散った。四肢の、カラクリ仕掛けが丸見えだ。
当然ながら、セルヴィン皇子も無傷とは、いかなかった。
防護盾を突き抜けて襲って来たトゲトゲ触手を切り落としたものの、以前の襲撃から万全には回復しきっていなかった脇腹に、再びの裂傷が――それも《人食鬼(グール)》裂傷が――開く羽目になる。
『ニャロメ!』
激怒そのものの勢いで、セルヴィン皇子の守護《火の精霊》が飛び出した。
豪速球の火の玉となって。
摩訶不思議な精霊魔法の増強が来たのか、それは見る間に、真紅の炎冠のような姿形となった。
そして、虎ヒゲ・マジードに三つ首を飛ばされて「首ナシ」となっていた《人食鬼(グール)》巨体へ、深々と着火した。
瞬く間に……《人食鬼(グール)》巨体が、真紅の灰燼と化す。爆速の、退魔調伏スピード。
文字どおり、あっと言う間に……それは真紅の熱砂となって爆散した。
目の前にあって、なお信じがたいまでの、圧倒的な退魔調伏の火力。
かの手乗りサイズの、ちっちゃな火吹きネコマタの、いったい何処に、そんな壮烈な威力があったのか――と思うほど。
余波を受けて、巨大倉庫は、崩れはじめた。
「緊急救助しろ、早く」
重傷を負って後退する形になったシャバーズ団長に代わって、クムラン副官が矢継ぎ早に指令をくだす。
幸いにも軽傷でしのいだシャロフ青年のチームが、虎ヒゲ・マジードや、オローグ青年、鷹匠ユーサーと連携して……今しも倉庫の下敷きになろうとしていた、オーラン少年を引きずり出した。
壮年《象使い》ドルヴと、相棒《精霊象》ドルーが、落下しようとする倉庫の屋根パーツを支えて、必要最小限の空間を維持していた。
老魔導士フィーヴァーの、とどろくような大声が響きわたった。帝都に存在する広大な閲兵場の、隅々まで届くような――『毛深族』ゆえの天性の身体能力が生み出す、大声。
「相当数の《人食鬼(グール)》裂傷が出ておる。治療テントを立てる! 同士ジナフ殿、助手を頼む」
「承知。サーラ殿に――エスファン殿、ラービヤ嬢! 邪霊退散の護符、ある限り出してくれ! ガウタム殿、ネズル殿も……動ける者を集めて……水場の水を煮沸消毒!」
老女《象使い》ナディテが、手際よくリネン製の清潔なエプロンをしながら、ずいと前面に出た。
「あたしも《人食鬼(グール)》裂傷の治療じゃ多少の覚えがある。手術も手伝うよ」
――かくして、にわか仕立ての野戦病院が設立されたのだった。
*****
応急処置の済んだセルヴィン皇子やオーラン少年、シャバーズ団長が詰め込まれた、いわば貴賓病棟の一角。
思うとおりに歩けず、人工スキン被覆(カバー)すら吹き飛んだ格好の、カラクリ人形アルジーに出来ることは、余り無い。
退魔調伏インテリア自動人形(オートマタ)として《邪霊退散》御札を自前で交換しつつ、鎮座するのみだ。
そして、中年商人ネズルは、意外に洗濯物・布類の取り扱いが上手で、そちらで貴重な戦力となっていた。
邪霊成分が血痕と共に染み込んだ包帯などは、洗濯と消毒をして再利用できる物と、お焚き上げ処分するしかない物が出て来るのだが……
商人ネズルは、商品を見分ける眼力でもって、意外に、細かく見分けていた。判別がつかない分は、カラクリ人形アルジーが《鳥使い》直感でもって、手伝う形だ。
「あの、ネズルさん、皆さんのお怪我の様子は?」
「包帯やら布類の交換と補充で出入りしてるだけなんで、正確なところは判らないんですが、お嬢さん。幸い、死亡者は居ないんですや。それは老魔導士どのが太鼓判を押しましたや。老ナディテ様も」
商人ネズルは、せっせと各種の布をよりわけながら、あちこちで小耳に挟んだ話を次々に披露していた。この異常事態で、気分を紛らわせるために口数が多くなっているのは明らかだ。
「行方不明者1名は見習い魔導士ユジール君ですが、ジナフ殿の占断によれば、彼の気分は上々で心臓も動いてるそうですから、どこかで元気にしてる筈ですや」
「良かったと言って良いのかしら。《人食鬼(グール)》裂傷、いろいろ大変な話を聞いてるから……」
「千年モノ《精霊亀》甲羅が充分にあるそうなんで活用しまくってて、回復も劇的に早い見込みだとか。
もともと白鷹騎士団が《人食鬼(グール)》前線ベテラン揃いだったのも幸いしたとかや。それにしても伝説の特効薬、そんな量を、いったい何処から入手したんでしょうかや」
ヒョイと振り返った商人ネズルは……ギョッとした顔になった。
カラクリ人形アルジーの、いっそう怪奇パンクホラーな、外見のせいだ。
ベールがズレていて、戦闘の余波で破れた端から、「退魔調伏ハタキ」頭部が垣間見えている状態。
左右の手指のスキン被覆(カバー)はヒビ割れながらも原形が残っていたが、両腕の部分、両脚の部分が、金属製の骨格だけになってしまっている。
まして胴体部分の金属製の骨格が、派手に、露出状態、なのだ。
カラクリ人形アルジーは、ベールの端を念入りに結んで、「人類の形をしていない頭部」が見えないようにした。
少なくとも、頭部まわりだけは、ベールをガバッとかぶった人物の姿になる。金属製の機械の胴体もろ見えで、すさまじく不審人物……「不審人物をはるかに超えてる、ナニカ」だけど。
「あの、オバケじゃ無いですけど、いえ、ホントのところ、オバケですし、やっぱり不気味ですよね。こんな状況じゃ、邪気に強い生成りの大判の布とかは、貴重だから……」
「いやいや、そんな意味で驚いたのでは無くてや。セルヴィン殿下、人形の外見を気に入ってるご様子でしたから、目が覚めたらギョッとしますやね。
ベールも元・ターバンだけに端が短いですし……ちょっと待っててくださいや」
なにかを思いついたようで、商人ネズルは近くにあった私物の施錠箱を取って来て、開きはじめた。
戸惑うばかりの、カラクリ人形アルジー。
「え? これは酒姫(サーキイ)がモデルだから、そんな筈は」
「もともと野営テント内部の仕切り紗幕(カーテン)とか大判の風呂敷の予備だったですやが、『パレオ』着付けで、なんとかなりそうですやね」
いかにも南国トロピカルな染色布が現れた。南洋の船乗りシンドが、ターバンにしていたような布地もチラホラ。
「あの幽霊の時の、純白の衣装……白地のコレが、イメージ近いですやね。ちょっと当てさせてくださいや」
商人ネズルは器用に布端を折って。
ポカンと突っ立つままの、カラクリ人形アルジーの肩の端に、布を当てた。
そして「良き」と頷き、布全体をパッと広げた。
白地に赤い南国花モチーフ。
赤色とはいっても鮮烈な一色では無く、淡いコーラルピンクを主色とするグラデーションだ。目を見張るほどには大判サイズ。
両腕の下で胴体全体にフワリと巻き、交差した布端を1回ひねって、首に回して、ホルターネック形式で結ぶ。幸いに大判・長尺サイズなため、山岳ブーツ部分まで、布端が届いた。
ミモレ丈の長衣(カフタン)ドレス相当。
「常夏の気候風土の衣装なんで袖は無いんですが、ええと、船荷を運ぶ時のアームカバーでも、よろしいでしょうかや」
「じゅ、充分です」
手際よく両腕に着付けられたアームカバーの一対は、様々な形式の船荷からの衝撃に対応するためか、とりわけ厚手の布から造られていた。
金属製の骨格がゴリゴリと触れない分、ギョッとするような不気味な異物感は、人工スキン被覆(カバー)よりも抑えられている――筈だ。
――着付け方式は違うが、故郷シュクラ国家祭祀のための長衣(カフタン)や、《鳥使い》レギュレーション衣装の、変形版として対応できる。
男装では無いから、オババ殿からトコトン仕込まれた第一王女としての所作になるが、特に支障は無さそうだ……
「いろいろ、あの、ありがとうございます」
商人ネズルが、不思議そうに首を傾げた。
「女性の霊魂が憑依してるとうかがいましたが、こうして見ると本当に、良家の令嬢だったんですやね。アイシャ夫人とか、ラービヤ嬢のような」
――ちょっとだけ、ギクリとする。さすが、プロの商人の眼力。
やがて、グッタリと疲れた様子の老女ナディテが、集中治療テントから出て来た。ひと区切り付いたらしい。
「おやまぁ、スナさんかい。良いじゃないか。金属カラクリ骨格まる見えじゃ《骸骨剣士》だからね。名案だね、ネズル殿」
「お褒めいただき光栄ですや、ナディテ様」
ヒョコリと腰を折る、商人ネズルであった。
「ちょいと、坊やたちと、シャバーズ殿の様子を見るかね」
老女ナディテは女医の目になって《邪霊退散》仕掛けの垂れ幕をめくり、順番に、熟睡中の患者3名をチェックしはじめた。
セルヴィン少年、オーラン少年、シャバーズ団長。3人ともに、包帯まみれ。床に敷かれた厚手の絨毯のうえに横たわって、グッタリと意識を失っている状態だ。
やがて。
老女ナディテは「うーん」と言いながら、難しい顔をして、首を振る。
「どんな様子ですかや」
「シャバーズ殿は問題ないよ。昼どきにはシャッキリして食事可能になるし、夕刻には歩けるようになるじゃろ。オーラン坊主もね。問題はセルヴィン坊主じゃ」
「あの、セルヴィン殿下に、なにか問題が……?」
「生命力がドンドン吸い取られとるんじゃ。生贄《魔導陣》問題は、老魔導士どのから聞いとる。不正《魔導》ルート相乗りしてる誰かが、好機と感じて、
セルヴィン坊主の生命力を、一気に干上がらせようとしてるようじゃね」
「なんとも恐ろしい呪縛ですや」
「このままじゃ、生きて夜を越せるかどうか――守護精霊どこじゃ?」
それに応えるように、血色を失いつつあるセルヴィン少年の枕元で、透明なターバン装飾石――帝都皇族が持つ護符《精霊石》が、キラリと光った。
いかにも「ヨレヨレ」といった風の弱々しい真紅の火の玉が、その透明な護符《精霊石》のうえで、ポッと灯る。
『我なりにチカラ尽くしてはいるのだが、見立てどおり日暮れの刻が、峠ニャネ。ここは邪気が濃厚ゆえ。なにやら増強成分を感じたのであるが『天の書』配置がシンクロしていたゆえ、偶然かも知れないニャ』
――底冷えのするような不安感が、横たわった……
*****
忙しくしているうちに、あっと言う間に、正午から昼下がりの刻となった。
まばゆいばかりの陽光が差し込む中、動けるメンバーは、それぞれに、あわただしくも簡易な昼食でもって、エネルギー補給をはじめている。
「邪霊退散の御札を交換する頃合い……」
カラクリ人形アルジーが、ベールの下でせっせと御札を交換していると……やがて、《邪霊退散》仕掛けの垂れ幕の奥で、なにやら動く気配。
クルリと振り返ると。
驚きを含んだ漆黒の眼差しと、ぶつかった。
テント床に敷かれた、厚手の絨毯のうえ。
オーラン少年が、包帯だらけの上半身を、わずかに起こしている。シャバーズ団長よりも早かった。成長期ならではの回復力もあるに違いない。
「……も、もしかして、鳥使い姫……?」
「良かった。目が覚めたんだね。お腹、減ってるでしょ? というか、まずは水だっけ」
念入りに退魔調伏が済んでいる水杯を差し出す。退魔紋様が施されたヒョウタン製の壺に、充分以上に「おかわり」を溜めていて、気持ちよく冷えている状態だ。
砂漠の真ん中で行き倒れになった旅人さながらに、オーラン少年は、大量の水を続けざまに飲みほしたのだった。ようやく一息ついて……
「あの、なんかボンヤリと聞いた気がするんだけど、セルヴィンが危ないって……」
「お、おぅ」
――失念していた。オーラン少年は『鬼耳』さながらの地獄耳だった! 確か《地の精霊》祝福の……!
どう説明したものか――と、両手をワタワタと迷わせ、ベールをヒョコヒョコさせるのみの、カラクリ人形アルジー。
オーラン少年は、少し不思議そうにアルジーの挙動を眺めた後……懊悩の表情になって、漆黒の黒髪をワシャワシャとやりはじめた。さすが、オローグ青年の弟。無意識のクセが、共通だ。
ほぼ同時に。
オーラン少年の起床タイミングをどうやって悟ったのか、鷹匠ユーサーが垂れ幕を上げて、バッと入って来た。つづいて、白タカ・ノジュムと、白タカ若鳥ジブリールが。
ベテラン鷹匠ユーサーの手元には、あの不思議な水盤――いつかの水鏡。なんらかの占いをしていた様子。
「オーラン君。緊急で、ゆかりの《青衣の霊媒師》どのより『天の書』占断が。例の《作業》に例の『条件分岐』特例条項が、くわわっていたと。
いま歩ける状態なら、もう一度あの倉庫へ入らなければ。日が暮れる前に見つけなければならない物が――証拠かなにかは判りませんが――あるとのこと」
「え、こんな、起床して、すぐに?」
唖然とするばかりの、カラクリ人形アルジー。
テントの支柱にそれぞれ止まった大小の白タカ2羽が、順番に、説明を投げて来た。
『そう、すぐに、だよ!』
『これもまた死闘ではある訳だ。セルヴィンにとってもな』
オーラン少年は、力強く頷いていた。
「日暮れまで時間が無い。行く」
「付き合うわよ」
「感謝いたします《鳥使い姫》。《鳥使い》独特の感覚の後押しが無ければ発見は困難であると、占断でも重ねて言及がございました」
*****
とるものも、とりあえず。
いまや粉々に崩れ果てた、古代倉庫の残骸へと駆けつける。
目もくらむような古代宝物が、無造作に散らばっていたが……
そこに居た、壮年《象使い》ドルヴと、相棒《精霊象》ドルーは、鷹匠ユーサーと同様、もっと重大な問題を理解している様子で……ほぼほぼ宝物の群れには、無関心であった。
カラクリ人形アルジーは、鷹匠ユーサーの背中から、ヒョコヒョコとベール頭を突き出して……古代倉庫の成れの果てを、ザッと見回した。数百年レベルの時間経過のせいで、埃(ほこり)の量がすごい。
「何を探せば良いのか、見当がつかないんだけど」
若い《精霊象》ドルーが、長い象の鼻でもって、せっせと瓦礫を引っ繰り返しながら「ぱぉん」と返した。
『ピンと来るものを教えてくれれば良いよ。「この世に2人と居ない頭脳明晰・文武両道・容姿端麗・品行方正・モテモテ無双カムザングちゃまの裏金」を詰め込んだ手提げ金庫を、みごと見つけた時みたいに』
「あの時は、遊女と一緒にやってた時の経験だから、役立つかどうか」
ベールの中でブツブツと呟く。
――いま此処に、相棒の白文鳥パルが居れば。思いつくままに喋りながら、現場をキョロキョロしていたと思う。
もうずっと昔になってしまったような気がするけれど、不運にして異常な死亡を遂げた、あの風紀役人ハシャヤル氏の殺害現場を、ウロチョロしたように……
この際、なんでもいいから、思いつくままに喋るのみだ。
腹を決めたアルジーは、再び、現場をグルリと見回した。
「ええと《人食鬼(グール)》……その3体、何故そこに居たの? 邪眼紋章の扉も無いのに? カムザング皇子か手下の魔導士とかが大砲で叩き起こしたとか……? と言うか、
何故この倉庫に入ってて、どの辺から飛び出して来てたの……?」
――何故か。
黒髪オーラン少年、壮年《象使い》ドルヴ、鷹匠ユーサーともに少しの間、沈黙がつづいた。
年若い2人が、もっとも年かさの鷹匠ユーサーを窺うような、微妙な顔つきになる……
意味深な空白が、横たわった後。
中堅ベテラン鷹匠ユーサーが、ひとつ頷いて……慎重な口調で、アルジーの問いかけに応答しはじめたのだった。
「……入口のほうから3体。最初は古代の戦いで封印されていた、いわば蛹(さなぎ)状態でした。順番に封印を解いて目覚めたゆえ、あのような事態に。
手前味噌ながら《鳥使い姫》。私が《人食鬼(グール)》2体目を退魔調伏いたしました」
「ひとりで?」
ギョッとするアルジー。
鷹匠ユーサーが無言で頷き……壮年《象使い》ドルヴも、オーラン少年も否定して来ない。
少しだけ、頭をクラクラさせる……
――最初の微妙な空白が気になるが、ともかく、位置と順番は把握できた。
入口から奥へ向かって順番に《人食鬼(グール)》3体が並んでいて、1番、2番、3番――と、順番に動き出したということだ。
そもそもの最初に、何があったのか、何が起きていたのかは知れぬが……
――3体。3匹。三つ首の申し子。三つ揃い。
なんだか引っ掛かる。
この直感もう少し突き詰めれば……ああ、もう、此処にパルが居れば……!
「ほかには、《人食鬼(グール)》蛹(さなぎ)は、倉庫には無かったとか……?」
オーラン少年が、その辺の瓦礫の棒を拾って杖として歩きながら、目をパチクリさせ……瓦礫全体をサッと見やって、身体をブルリと震わせた。その恐怖は、とても、とても、理解できる……
「そこまでは……見てなかったから……もしかしたら、あったのかも知れない。でも、あったとしても、何故あの時に動き出さなかったのか、今でも静かなのか、判らない……」
急に、《精霊象》ドルーが「ぱおん」と口を挟んだ。
『雷光かな。3体とも、雷光に包まれながら起き上がってたんだ。怪物の心臓に、アレで、テキメンに雷光エネルギーが送り込まれてたとすると……あ、増強型になってた?』
アルジーの中に、雷撃のごとき直感が走った。
――3体――三羽烏(トライアド)!?
雷撃を投げて来る増強型の大型に埋まってる《黒ダイヤモンド》三羽烏(トライアド)……!
商人ネズルが言ってた気がする。さすが『ガジャ倉庫商会』派遣の冒険団、とか。
『あの、《精霊象》ドルーさん――《黒ダイヤモンド》三羽烏(トライアド)見つけられる?』
『え、あるって感じ? やってみるよ。普通は鉱脈や鉱床の土地占いで見つけるんだけど、《黒ダイヤモンド》三羽烏(トライアド)なら……』
がぜん《精霊象》ドルーは気をみなぎらせた。
傍に居た、壮年《象使い》ドルヴが「オッ?」とばかりに、目をキラーンと光らせる。
壮年《象使い》ドルヴと、相棒《精霊象》ドルーが、精霊語で唱和した……
…………
……
幾星霜を重ねしが深く青らむ時の底より
遠雷の春野のように若き芽をふくもの
融雪の小川のように若き瀬をなすもの
涼しき地の境にいまひとたび立たせたまえ
……
…………
精霊語で唱えられたのは、あまりにも定番の四行詩だ。
「――《地の精霊》系の城砦(カスバ)では、月ごとの祭祀で定番の……鉱脈や鉱床の豊穣を願う……?」
「ここで、鉱床とか見つけるの?」
鷹匠ユーサーとオーラン少年が、同時に首を傾げる形になった。
『やった!』
上空を旋回していた白タカ・ジブリールが、急に舞い降りた。地上に獲物を見付けて、飛びかかるかのように。
『おい!』
ベテラン白タカ・ノジュムが援護に入る。
次の瞬間、そこで邪霊害獣《三つ首ネズミ》が躍り上がった。先ほどから、うろついていたか――のようだ。
小柄な白タカ・ジブリールと、割合に大きな邪霊害獣《三つ首ネズミ》とが、なにかを取り合う格好になって……危うく、もつれ合いになり。なにかがキラリと光を反射しながら、転げ落ちた。
間に割って入った白タカ・ノジュムが、手際よく、邪霊ネズミに退魔調伏を施して、片付ける形になる。
「急に、どうしたんだ?」
重傷でヨタヨタと歩くのみのオーラン少年。
壮年《象使い》ドルヴが素早く、その場へ到達し……「おお!」と声を上げた。
転げ落ちていた何かに、さらに邪霊害獣がたかっていたようで、ドルヴが数回ほど、三日月刀(シャムシール)を振り回した……
結構な量をした無害な熱砂が、散らばった宝物のうえに、あらたに積もっている。
血のりを振って弾くように、真紅の熱砂を三日月刀(シャムシール)から振り落としつつ。
壮年《象使い》ドルヴは、まんざらでもない様子で……手に取ったものを、鷹匠ユーサーとオーラン少年へ、見せて来た。鷹匠ユーサーの背中から、カラクリ人形アルジーも、のぞきこむ形になる。
「ふー。こいつは、掘り出し物でありまさ。道理で、邪霊害獣がたかりまさ。気付かずに放置してたら、日暮れ前に、
我々は増強型の大型の――雷撃でもって攻撃して来る――面倒な邪霊害獣に襲われてたに違いない、でありまさ」
ドルヴの、ガッチリとした手の平のうえで……三つ揃いの《黒ダイヤモンド》が光っていた。
パッと見た目――四刃を持つ《黒ダイヤモンド》手裏剣、3セットにも見える。綺麗に湾曲した刃は翼のようなラインを描いていて……見ようによっては、千鳥モチーフ。
「こんな形の《黒ダイヤモンド》なんて、あったの?」
驚きのままに、ベールをヒョコヒョコと揺らすばかりの、カラクリ人形アルジーであった。
「見ようによっては鳥の形でありまさ。だから《黒ダイヤモンド》三羽烏(トライアド)と称するでありまさ。
これは形も色も良き……市場(バザール)でも、最高水準の価値になりまさ」
白タカ・ジブリールが上空で、クルクル熱心に旋回している。
『オーラン仕様の「雷霆刀」にハマる黒ダイヤモンド《精霊石》は、探してたのは、コレだよ! 双子石じゃ無くて、まさかの三羽烏(トライアド)だったのは、こんな場所にあったのも、想定外だったけど!』
壮年《象使い》ドルヴが、まだ興奮が収まらない状態の白タカ若鳥ジブリールを眺めて、納得したような顔になる。
「――例の《作業》で、多くのものを失ったが、ひとつ得た。オーラン君のものでありまさ」
ポンと手渡され……オーラン少年は呆然と……黒く鋭利に輝く鳥の形をした、3セットの、不思議な黒ダイヤモンド《精霊石》に見入るのみだった。
「あの、たとえば、大物の赤毛玉ケサランパサランとか見つかるかな、と思ってた……昨日の……夜明け前には、大物の白毛玉ケサランパサランが出てた、って……あいつが……」
――こういう従者を得たセルヴィン殿下は、幸運と言うべきだ。
――日暮れ前に命の炎が消えるであろう、という絶体絶命の不運は、ともかく。
そもそも、アルジーすなわちシュクラ第一王女アリージュ姫の問題に巻き込むべきでは無かった――のではないか!
くじけそうになる気持ちを……ブルブルと頭を振って、振り払う。カツを入れるべく。
こんな時、オババ殿だったら、どうしただろうか?
生前に受け取っていた、あたたかな励ましの言葉が思い出される。
――姫さんに教えられる限りの知識と技術は、すべて教えた。頑張るんだよ――
(体調回復の紅白の御札とか……あれ元々どういう論理だった……? 毎日のように使ってたから気づきにくかったけど、枕元に……ドリームキャッチャー耳飾りと触れるように、
体調回復の紅白の御札を敷いていた間は、毛玉ケサランパサランとの遭遇が、とりわけ多かったような気がする)
いろいろな記憶がゴチャゴチャなままに、ベールの中でカラクリ人形の手を、ワシャワシャとやる。
(ドリームキャッチャー糸を経由して大物の白毛玉ケサランパサランに憑依できたんだから、
大物の赤毛玉ケサランパサランだって……捕獲できなくても、くっつけて、吊り上げて来ることは、できるのでは?)
魔除けインテリアの定番――ドリームキャッチャー護符。どこからともなくフワフワと漂って来て、そこにつかまる、4色の毛玉ケサランパサラン。精霊でも無く、邪霊でも無い、中間の存在……
…………
……
定かでは無いものの、うっすらと……或る可能性が浮上してきたように感じる。
「かなり……運任せになるけど……」
「なにか、ございましたか? 鳥使い姫?」
鷹匠ユーサーが、礼儀正しく問い返して来る。
「こっちから、何か吊り上げてやろうと思うの」
肌身離さず持ち回している「ぼろい荷物袋」から、手際よく、いつもの筆を取り出した。
試供品の瓶に入っていた紅緋色のインクは、残り少なくなっていた。強いインクと言えども、濃厚な邪気の中では早く消耗してしまう。
もっとも頑強なのは《魔導士》仕様の黄金インクだけど、それはアルジーに扱える代物では無い。
さらにベールの中、当座の頭部の代用としている「退魔調伏ハタキ」をゴソゴソ探り、ブランクの紅白の御札を選び出す。
「おや? 紅白の御札で何を吊り上げると言うんでありまさ? お嬢さん」
『鳥頭をきわめた《鳥使い》は、だれも思いつかないような「はるか彼方ナナメウエ」を拾って来るんだよね……ホントに、なにか妙なモノ吊り上げそうだね』
壮年《象使い》ドルヴと、相棒《精霊象》ドルーが、興味津々で眺めて来ていた。
鷹匠ユーサーのガッチリした背中を借りて、紅緋色のインクでもって、セルヴィン皇子のための「体調回復のオマジナイ」の御札を書き上げて……
火吹きネコマタがやっていたみたいに、霊魂の耳の部分を、丁寧に探って……
分霊となっている、ドリームキャッチャー耳飾りの形式をした護符から、糸の端を引き出した。
銀月の色にきらめく、細い細い幻のようなドリームキャッチャー糸。
想像したとおり、紅白の御札に……くっついた。
どこまでシッカリくっついているのかは分からないけど、それは、糸の素材となっていると聞く、元・白毛玉ケサランパサランの気分しだい、だろう。
――大深度の巨大空間を循環しているという、空気の流れを見極め。
鷹匠ユーサーの背中から、紅白の御札を、そっと放る。
紅白の御札は、なんということもなく空中をヒラヒラと漂い始めた……まるで、小さな凧がヒラヒラしているような動き。
鷹匠ユーサーが早速、その紅白の御札の内容が定番のものであることに気付く。
「あれは、体調回復の紅白の御札ですね」
「え? よく分かりますね?」
「目下すべてのテントで、大量に使用されていますから」
「あ、ナルホド」
オーラン少年が《地の精霊》祝福の漆黒の目を、パチクリさせた。
「……御札にくっついてる糸、アレ、何? 銀月の魔法の糸……?」
カラクリ人形アルジーの手から繰り出した銀月色のドリームキャッチャー糸は、やがて、その銀月の要素でもって、毛玉ケサランパサランを呼びはじめた様子だ。
植物の姿をした《銀月の精霊》――《精霊クジャクサボテン》が、毛玉ケサランパサランを呼び寄せる時と同じように。
フワリフワリと、点滅しながら漂う、4色の毛玉ケサランパサラン。
白、青、黒は、御札の周りで点滅しつつ、数を減らし。赤毛玉ケサランパサランの数が増えていった。
しだいに、御札に、鈴なりに連なってゆく。赤い毛玉を集めて作ったモコモコ薬玉と、その飾り緒みたいだ。
帝都皇族として《火の精霊》守護を受けているセルヴィン皇子のための――体調回復の御札が結び付けられているせいか……
そして、「ちょっとした大きさの薬玉と飾り緒を完成した」状態の、赤毛玉ケサランパサランの集団は、一斉にシンクロ点滅しつつ、御札を、モシャモシャと食べ尽くしていった。
「なんとも摩訶不思議な光景でありまさ」
「同感です、ドルヴ殿。精霊使いの鷹匠としても、この光景を目撃したのは、私が初になるかと」
「あの毛玉ケサランパサラン集団が合体して、大物に変身するとか……?」
見ていると……赤毛玉ケサランパサランの集団は、糸の端を持っているアルジーを『御札の作成者』と認識したのか、特定の位置に引き寄せようと、糸を引きはじめたのだった。
訳が分からない。なにか、あそこにあるのか。
首をひねりながらも。カラクリ人形アルジーは、あいかわらずシッカリと背負ってくれている鷹匠ユーサーへ、声を掛けた。
「ユーサー殿、あの赤毛玉たちを、ビックリさせないようにして……そっと近づけますか? あの、毛玉たちが糸を引いてる方向で……」
「……やってみましょう。毛玉ケサランパサラン相手の隠密は、まったく想定外で、初めてではございますが……」
言いながら鷹匠ユーサーは、気配を消し……移動しはじめた。
古代宝物だの瓦礫だのがザクザク混在する状況のなかで、まったく足音を立てていない。驚くべき隠密の技術。
いまや、好奇心でいっぱいのオーラン少年と《象使い》ドルヴも、そっと後を付いて来る。
――抜き足――差し足――忍び足。
「ふむ……? 相棒《精霊象》ドルーが頭突きした《人食鬼(グール)》……3番目に起き上がったデカブツが、だいたい砂と散った位置でありまさ?」
「え、そうだったんですか?」
「あの位置で相棒《精霊象》が、ヤツの背後から頭突きして。そこへ、虎ヒゲ・マジード殿が、みごと斬首してのけたでありまさ。ええと、その後、セルヴィン殿下の《火の精霊》が……デカくなって……」
「デカくなって……? 精霊魔法の増強?」
『そういえば、それっぽい感じだったよ。ニャロメって豪速球で、爆速の退魔調伏だった……』
慎重に観察していると。
赤毛玉ケサランパサラン集団は、間違いなく、その位置の直下の瓦礫の中へ、点滅しつつ潜り込んでいったのだった。
「……ここ、なのかしら?」
「うむ、ここ掘れって言ってるようでありまさ。掘ってみまさ」
『任せてよ、相棒』
ウキウキ気分の《精霊象》ドルーが、長い象の鼻で、次々に瓦礫を取り除いていく。
やがて、証言のとおり、まだ熱を持っている無害な真紅の砂の山が現れた。
――元《人食鬼(グール)》だったものの残骸だ。
「ぱぅん」
急に、本当にビックリした――という風に、《精霊象》ドルーが足踏みして、声を上げた。
真紅の砂山の中に突っ込んでグルグルしていた象の鼻を、ゆっくりと……引き上げる。
赤毛玉ケサランパサラン鈴なりの――ナニカ。
任務を果たしたとでも言うかのように、赤毛玉ケサランパサラン集団は、点滅しつつ消滅していった。
現れて来たのは……腕輪(アームレット)の形をした、とても精緻な装飾品だ。
金属さながらの光沢。古代の芸術の結晶というべき見事なレリーフ細工。
しかし、現代の、あらゆる金属とも合金とも異なる……高い透明感に満ちた不思議な彩り。
――透けるように淡い金色。角度が変わるたびに、真紅の火花のような微細な光が、星々の群れでもあるかのように……チラチラと揺らめく。
「古代宝物でありまさ? ――正式な手続きで《魔法のランプ》に着火した、聖火を映したかのような……火焔光背の連続展開レリーフ……」
次に、オーラン少年が手に取り、ためつすがめつ。
「腕輪(アームレット)ですね? 古代《精霊魔法文明》の――護符?」
上空で旋回していた白タカ・ノジュムが、感嘆の声を出した。
『護符だ! セリーン妃の選んでいた護符《精霊石》と、対になる護符だ……ブラボー! まさかの《人食鬼(グール)》の腹の中にあったのを、本当に吊り上げた!』
『やば。もう日暮れの刻だよ!』
「戻ろう!」
鷹匠ユーサーが、踵(きびす)を返す。
まだ本調子では無いオーラン少年を、壮年《象使い》ドルヴが、ヒョイと小脇に抱えて駆け出した。
軽傷だった騎士たちが、興味津々で一部始終を見物していた……クムラン副官やオローグ青年をはじめとして、ズラリと並んでいた目撃者たち。瞬時に分かれて、道を開いてくれる。
既に、日暮れの闇に包まれていた。赤々と燃える夜間照明の篝火(かがりび)。
――間に合え!
あっと言う間に、セルヴィン少年が収容されている治療テントへと到達する。
緊急事態を感じ取ったらしい老女ナディテが、仰天した顔で、垂れ幕をサッと上げた。
「どうしたんだい、いまセルヴィン皇子へ末期の水を――」
「その儀式を中止されたい、ナディテ様!」
床に敷かれた絨毯。死人の色で横たわっているセルヴィン少年。
その「パッと見て死体」のうえへ、若くて俊敏な《象使い》ドルヴが、小脇に抱えていたオーラン少年ごと、ガバァと、かぶさった。
相撲大会で勝利を収めていた力士ならではの衝撃で、末期の水を含んだ「聖別の綿」と水杯が、盛大に弾け飛ぶ。
儀式を先導していた老魔導士フィーヴァーとジナフが、口をアングリした。
最高位の代表として、沈痛な表情で背後に控えていたシャバーズ団長も、混乱のあまりポカンとして腰を浮かせ……後ずさる。
「いったい、これは!?」
「なんじゃ……どうしたんじゃ!?」
「護符を、オーラン君!」
透明度の高い金色にきらめく古代装飾の腕輪(アームレット)が、当座の位置――セルヴィン少年の手首へ通された。
次の一瞬。
腕輪(アームレット)の形をした護符が、偉大なる聖火の光を放射した。守護する対象を認識した様子だ。
セルヴィン少年の心臓の位置に、あの透明なターバン装飾石――《精霊石》護符が乗っていた。末期の儀式のために、心臓のうえに配置されていたに違いない。
そのターバン装飾石が、腕輪(アームレット)の形をした護符とシンクロするかのように、同じ聖火さながらの光輝を宿した。
そこをザブトンにしながら、ほとんど消えかかっていた火の玉《火の精霊》が……ビックリしたように、ネコミミ炎となって飛び跳ねる。
パパパン! とばかりに連続で打ち上げられる、まばゆい真紅の火花。
「おお!?」
老魔導士フィーヴァーが鳶色(とびいろ)の目を、まんまるく引き剥(む)いていた。ボン! と爆発するモッサァ白ヒゲ。
連続火花は見る間に、3本の輝線となって、渦を巻くように燃え上がった……よく見ると、禍々しくゆらめく「糸のようなもの」に、巻き付いているようだ。
――いつか見た……不気味な闇の色をしたカラクリ糸のように、うねっている。邪霊植物の大麻(ハシシ)成分が吐く、呪縛の糸。
鷹匠ユーサーの背中で、ひたすら絶句するのみの、カラクリ人形アルジー。
呪縛の糸を包囲するように渦を巻きつづける真紅の輝線が、白金の輝きとなり、そして鋭利なまでの青白さを帯びて燃え上がる。
闇の黄金色にぎらつく不気味な呪縛の糸が、3本とも、みるみるうちに焼き尽くされていった。
思わずカラクリ人形アルジーは、見たままを口に出していた。
「3本……呪縛の色してる糸を……焼き切った……!」
「残り3つの《魔導》ルート、すべて解呪じゃと……!?」
この場で、その意味を瞬時に理解したのは、みずから「人類史上の最高の天才」とかます老魔導士フィーヴァーのみであった。
『やったニャ! ご照覧あれ《火霊王》……!』
美しい真紅の炎冠の姿となって、勝どきを上げる《火の精霊》。
同時に――世界がグラリと揺れた。地震のようだ。
――ドン、ドドオォ……ン!
主要な衝撃は、3回のみに……とどまった。それでも、ギョッとするような揺動。
巨大倉庫の幾つかに、派手にヒビが入る。
はるか上、ラビリンス上層部の天井穴がさらに崩れた。
地上の太陽が、地平線の下へと完全に没した、その瞬間。
大人の背丈を超えるような大きな瓦礫が、真ん中の吹き抜けの空間を、ガラガラと音を立てながら落下していった……
■10■ラビリンス最下層…月下の玉座、対決の行方
「腹、減った」
ありとあらゆる衝撃が、ひとまず静穏化して……ホッと息をついた、ひととき。
ふらつきながらも血色を取り戻したセルヴィン少年。
朝食・昼食抜き状態だったオーラン少年。
成長期さなかの、少年2人の第一声は、異口同音であった。
とりわけ。
摩訶不思議な回復プロセスをたどったセルヴィン皇子のほうは、研究心のカタマリとなった老魔導士フィーヴァーに、半裸にされ。
衆人環視の中で、ニワカ助手となった魔導士ジナフと老女《象使い》ナディテも揃ったうえで、身体各所を医学チェックされつつ……きまり悪く顔を赤青しながら、
あわただしく食事を済ませる形になっていたのだった。
オーラン少年も、現場に居合せた壮年《象使い》ドルヴや鷹匠ユーサーと共に、微に入り細に入る聞き取り調査の対象となり……話すために口を動かすのと、食べるために口を動かすのとで、大忙しだ。
そして、カラクリ人形アルジーは、《お喋り身代わり居留守》御札を、3回ほど交換する羽目になった。
早い夕食の刻といった頃。
巨大な円筒形をした、吹き抜けというべき、古代廃墟の地下ラビリンス空間。
はるか上層でポッカリと損壊している天井穴を通して、宵の空を彩るグラデーションが、わずかに見えている。
満月となった銀月の、浩々とした明るさが、うっすらと漂っていた……
*****
いまや、スッカリ元通りの、ちっちゃな火吹きネコマタの姿となった《火の精霊》。
精霊仲間の白タカ《精霊鳥》2羽と、《精霊象》ドルーとナディと、ディープな高速《精霊語》で情報交換を手早く済ませ。
『ニャンたる展開ニャ! 定番のオマジナイ紅白の御札《体調回復》で、火焔光背の護符を吊り上げて来るとは!』
『海老で、とんでもない鯛を釣ってるんだけど、目的ロジックは完璧に合ってるんだよね。体調回復の素材を集めて来るという、基本のなかの基本な手法で』
若い《精霊象》ドルーが、ヒョコヒョコと象の鼻を振りながら、南洋ならではの言い回しを披露している。
『我ら白タカ一族としても盲点であった』
ベテラン白タカ・ノジュムが、半ば天を仰ぎつつ、述懐を挟んだ。
『銀月のドリームキャッチャー耳飾りの護符は、体調回復の素材――《銀月の祝福》を生命力に転換するために、素材としての月光を集めて来る。
体調回復の御札を重ねると、耳飾り護符に仕込まれていた白毛玉ケサランパサランが仲間を動員して、遠く離れた場所からも、素材としての月光を集めて来る。基本は同じだ』
『奪われていた生命力が逆流して、戻って来たニャ。体調回復の素材として』
ちっちゃな手乗りサイズ赤トラ猫の姿をした《火吹きネコマタ》は、ネコのヒゲを久々に、ピピンとさせた。
白タカ若鳥ジブリールが、まだ興奮が収まらない様子で、ピョンピョン跳ね回る。
『セルヴィンの生贄《魔導陣》解呪まで到達したのは超・大金星だよ』
『まったくニャ。あの3体目の《人食鬼(グール)》へ肉薄した瞬間、我が精霊魔法が何故に急に増強していたのか、もっと突っ込んで探索すべきだったのニャネ』
火吹きネコマタは、おもむろに、ネコの手でネコの顔を撫でまわし……聖火と同じ金色をした目を、スーッと、不穏に細くした。
『……ついでながら帝国皇帝(シャーハンシャー)へ連結してた不正《魔導》ルートも、皇帝本人は《花酔い》つづきで有効活用していないが、我のほうから、念に念を入れて焼き払っておいたニャ』
老《精霊象》ナディが長い象の鼻から、フッと溜息をつき……
『銀月は、想定外の大当たりを引く傾向があるね』
意味深な締めで、精霊同士の密談は、あわただしく終了した。
*****
白鷹騎士団のシャバーズ団長は、別件の報告を受けていた。
引き連れて来ていた馬たちの被害状況である。
「目が覚めた時に、ザッと見て馬の数が少ないと思ったが、やはりか」
「14頭。半減……以下ですね」
経理担当の騎士エスファンが、まだ愕然とした顔で、数字を読み上げていた。
「逃げられる空間が無い――屋内の状況において三つ首《人食鬼(グール)》が3体も出ていたゆえ。かつての巨大化《人食鬼(グール)》戦場での全滅に近い被害よりは、マシではありますが。
ええと、死体が見つからない馬が5頭……6頭?」
「おそらく6頭」
目を回している騎士エスファンへ、女騎士サーラが助け舟を出す形だ。
「虎ヒゲ・マジード殿の馬も行方不明。あれは大斧槍(ハルバード)と大男をまとめて走れる、大型で屈強なタイプだから、惜しまれるところだわ」
「商人ネズル殿のロバは重傷ながらも無事。特効薬のお蔭で回復が早かったです。同じように無事なのは、小回りが利くほうの小柄な馬に集中している状況で。
あの《人食鬼(グール)》触手の的になりにくかったお蔭か……」
シャバーズ団長が腕組みをして思案ポーズになり、首を傾げた。
「妙に不自然な状況に思えるが……ともあれ調査と報告ご苦労だった、エスファン君にサーラ君。生き残った馬の管理をいっそう慎重にすることとして、次の方針を検討しなければ」
「御意」
一方で。
その様子を小耳に挟んでいた3人――壮年《象使い》ドルヴ、鷹匠ユーサー、オーラン少年が、複雑な表情をしていたのだった。
「ヤッコさんが持ち出していた馬の数、財宝の量、見えていた以上の倍だった様子で、ありまさ」
「ぱぉん」
若い《精霊象》ドルーが、大きな象の耳をパタパタさせつつ。老《精霊象》ナディと、なにかしらディープな精霊語を交わしはじめる……
…………
……水場の傍に、当座の机が用意され。
数字に強い騎士エスファンが、妻の女騎士サーラと、商人ネズルと、ガウタム&ラービヤ兄妹とでチームを組み……ソロバンを弾きつつ、被害状況の記録をまとめはじめた。
「いったん馬と備品と、もろもろ合わせて、在庫やら損害額やら取りまとめる必要があるわね。馬のほうは、帝都の騎士団でも共通の損害保険かかってたから、ええと金融商の組合の……」
ラービヤ嬢がいくつかの文書を持って、カラクリ人形アルジーへ声を掛けて来た。うら若き南国トロピカル美人であるうえに、夜間照明のランプの光に照らされた青い目が美しい。
「スナさんは、大神殿への報告書の書式こなせるなら……帝都の金融商の組合で使われてる報告書方式も、できるかしら? シャロフ君の専門は事件報告書のほうで」
――それこそ代筆屋の本領だ。
「やってみましょう、ラービヤさん」
特に帝都の金融商の間で大量にかわされる文書方式などは、バーツ所長から、ガッツリ仕込まれたのだ。東帝城砦の総督トルーラン将軍と御曹司トルジンによる不正な数字操作を見抜いて、自衛するために。
いまや「退魔調伏ハタキ」頭部にベールをかぶっているという訳の分からない外見になってしまっているが、「霊魂の目」のほうは機能する。
アルジーが張り切って、文書の高速の清書をつづけて、はや一刻。
――次第に妙な感覚がして来る。額面の処理そのものには、矛盾は無いけれど。
「あの、帝国の、帝紀の年月これで合ってます? なんか……そもそも今は砂嵐というか青葉嵐の季節でしたよね? 南方の季節には詳しくないけど」
とりまとめ清書の相方をしながらも、キョトンとするラービヤ嬢と、商人ネズル。
「青葉嵐? 帝国領土の、どこか別の地方の言い方? ジャヌーブの銀月が天頂にかかるのは新年の頃だけよ?」
「そうですや雨季ど真ん中の、冬ですや。まぁ南方の暑熱やら流砂地帯の極度の乾燥やら、帝都からは、とっても冬には見えんでしょうかや」
――あれ!?
生前のアルジーが、最後に意識があったのは、青葉嵐の終わりの頃だ。初夏だ。半年もズレてる……?
――いや、でも死んだ後だから、どこかで知らないうちに……シックリ来ないけど、死んで化けて出るまでに、色々あるのかも知れない。無理にでも呑み込むのみだ。
「それにまあ、あの両大河(ユーラ・ターラー)の上流の山野の、巨大化《人食鬼(グール)》の戦いとか、感覚的には『ごく最近の事件』ですや。
ほんの10年――いや正確には12年前と13年前の間ですや。うん、そうですや」
――ちょちょちょ……ちょっと待ってくれ。その事件って、確か。
思わず目を白黒するアルジー。実際の頭部は、ベールに包まれた「退魔調伏ハタキ」だけど。
確か……此処に居る「死んで化けて出て来たアルジー」すなわちシュクラ第一王女アリージュ姫が生まれる前の出来事――の筈だ。
次に、頭を抱える。
どうなってるんだ……!?
トルーラン将軍がいくらボケていたとしても、あんな最大級の自慢話で、「ほぼ10年前」と「ほぼ20年前」を間違えるか? あれは正確には、23年前の出来事……アルジーから見ると、
まるまる一世代前の話だ。
それに当時、アリージュ姫は生まれていなかったが。御曹司トルジンは既に生まれていて、そこらじゅう肩で風を切って歩き回る、悪ガキに育っていた筈だ。
商人ネズルの示唆した年数が正しいとすると、「現在のアリージュ姫は9歳か10歳のころ」……? そんな事ありえるのか?
書類を確認する。二度見。三度見。
「帝都の金融商の組合。帝都の金融商オッサヌフ。ええと帝都の金融商ホジジン、名前だけは知ってたけど。いま帝都に居るの? 金融商オッサンの現在の居場所、間違ってない……?」
「え? 間違ってないわよ? 彼は間違いなく帝都に居るわ。まして新年だし副業ビジネス確定申告とか、帝国全土の支店の年次決算とりまとめとか、
金融商の組合の社交界――帝都宮廷や帝都大市場(グランド・バザール)の政財界の付き合いとか、多忙なんじゃないかしら」
「地方に飛ばされてた、とかは? ええと、ずっと……」
「頭取として方々の支店を回ってるそうだけど、飛ばされたとは聞いてないわ。あの性格なら、冗談で言いそうだけど」
ラービヤ嬢が首を傾げる。
商人ネズルは、やがて何かを思い出したような顔になり、つづいて、なめらかに喋りはじめた。
「金融商オッサヌフ殿は、白鷹騎士団が最初にジャヌーブ砦へ来られた日に、エスファン殿、サーラ殿、それにオローグ様もご一緒に、
ジャヌーブ港町にも来ましたや。商館で楽しく儲け話をさせていただきましたや。光栄にも、メイン取引先を我らがジャヌーブ商会に決めていただいて」
「あ、そうそう、そうだったわよ、ネズル殿。タイミングがズレちゃったわね、スナさん。ラーザム財務官の殺害事件が起きる前……2か月くらい前だったから」
「楽しい、儲け話……是非お会いしたかった……」
話そうとしていて、つっかえた。
――何故か、久々に、強烈な《精霊界の制約》に引っ掛かった。金融商オッサンを親しく知っている、という事実が――
*****
とにもかくにも。
清書が終わった一連の報告書を、所定の軍用の機密施錠箱へ詰め込み、一息ついて……
――そして……
世界が、グラリと揺れた。
近ごろ増えたという、怪異な震動の繰り返し――にしては、異変を感じるくらいには大きく、異例。
地盤が崩れたかのような、これまでとは圧倒的に異なる「ビキビキ」という……不吉なまでの、崩壊の音。
訓練されたベテラン戦士たちは、即座に異常な気配を察知した。生き残った馬に寄り添い、荷物を押さえ……
「じ、地震とかや!」
アワアワ言いながら、商人ネズルが慌てるあまりに、右手でロバを、左手でテントを、持ち上げようとする。
白鷹騎士団のシャバーズ団長と専属魔導士ジナフも立ち上がり、真っ青になって叫んだ。
「これは……崩れるぞ! 全員、備えろ!」
「ロープで荷物を確保しろ! 武器も!」
老魔導士フィーヴァーが、どこかに手掛かりが無いかと、モッサァ白ヒゲを回転モップのように振り回しはじめた。
「……《鳥使い》……!」
セルヴィン少年が飛んで来て、カラクリ人形アルジーの身体を支えて来る。次いで、従者としてオーラン少年が。
――どこに、そんな俊敏さがあったのか。
それとも、あたらしく見つけた「体調回復の護符」の効果が、それ程に大きいのか。
セルヴィン少年の肩先で、ちっちゃな火吹きネコマタが、鋭い警戒の声を上げた。
『ロープを取るニャ! これは崩れるニャ!』
精霊の警告は、たいてい的中する。手際よく、カラクリ人形アルジーは、「ぼろい荷物袋」から山岳用ロープを取り出した。
セルヴィン少年が受け取り、オーラン少年が山岳用ロープを広げ……何が来るのかと、身構えた。
クムラン副官が、ハッと気づいたように。中央部の巨大な吹き抜け空間と、巨大な支柱へと、鋭く視線をやる。
「落盤か――巨大な怪物が――八叉巨蛇(ヤシャコブラ)か――底に居るぞ!」
*****
――冗談じゃ無い!
世界の果てを旅する勇敢な冒険者たちの冒険談や、子供を怖がらせるための夜の怪談だけに聞くような……「怪獣山の怪獣」が居て、たまるか!
その、クムラン副官の指摘は、残酷なまでに正しかった。
驚くべき『鬼耳族』の地獄耳の、弁別能力。
次の瞬間。
ぎらつく闇そのものの黄金色をした、信じがたいほどの円周を持つ――大人の象ほどもある――黄金マダラ模様の触手か、触腕めいた何かが、中央の壮大な支柱に巻き付いた。蛇さながらに。
ゾッとするような「ガリガリ」音。呆然となるほどの大きさの、ウロコの群れの音響だ……
あまりにも大きく響く「こすれ合い」の音が、《人食鬼(グール)》邪声のように、人類の全身をブルブルと震わせていた。いましも崩れようとしている平坦な階層の、構造も。
「間違いなく八叉巨蛇(ヤシャコブラ)です老魔導士どの!」
「普通は――流砂地帯の怪物じゃ。しかも大型と言えど、民家ていどのサイズじゃ。そもそも、このような閉鎖的な空間には潜り込もうとしない……」
「いま、その大百科事典の常識をまるっと改めた方が良いですぜ、物好きな個体が――しかも桁外れのデカブツが――」
かの恐ろしい怪談によれば、八叉巨蛇(ヤシャコブラ)は、8本足のヒトデの形をしているという。
足の1本、1本が、ヘビの尾のような形をしている。
イカタコみたいに吸盤が付いている。その吸盤の大きさときたら、人類1体を丸呑みできるくらいだ。
実際に、海の巨大怪獣《三つ首イカタコ》が上陸したのが、八叉巨蛇(ヤシャコブラ)だとも言われている。
8本足のヒトデ状の形の触腕の中心に「頭部」があって、その中央部を盛り上げれば、ちょっとした「山」が出現したようにも見える――「怪獣山」――という目撃談が、伝えられている。
そのとおり、目の前の奇怪にして巨大な触腕――巨大ヘビに似ている――ぎらつく黄金マダラ模様の、長大なブツは、3本ほどに増えていた。
勇敢な誰かが火矢を放ったが、硬すぎるウロコ壁に阻まれて、弾かれるのみ。
「……これ程の、デカブツは……異例じゃ! 元・巨大化《人食鬼(グール)》か……!?」
老魔導士フィーヴァーが、目を険しく細めた。
ガン、ガツン、という嫌な破壊音が響く。巨大怪獣が、平坦な階層を、下のほうから破壊しているようだ……
…………
……
そして遂に、平坦な階層の全体が、支えを失った!
平べったいドーナツであるかのように、巨大空間の底へと落ち込んでゆく。
足場となる筈の石畳が次々に砕け、形を失っていく。
あたりを圧する大音響が、いつまでも終わらない……
…………
……
全員で絶句する。果ての無い恐怖に凍りつくのみの、静寂。
護衛オローグ青年が、次の可能性に気付いて、大声を上げた。
「つかまれ! 足元だ! 梁(はり)に、つかまれ!」
石畳がバキバキに破砕されていても、階層の構造は、原形を維持していた。破砕された石材の隙間から、精霊金属で造成されたと思しき、巨大な梁(はり)が見える。
偶然にもロープを手に持っていた戦士たちが、次々に梁(はり)の取っ掛かりに、ロープを通して、拠り所とする。
各所の梁(はり)に固定された軍用ロープを命綱として、ほぼほぼ全員が、つかまり……
オーラン少年も、最寄りの足元の梁(はり)の出っ張った部分に、カラクリ人形アルジーが取り出した山岳用ロープを巻き付けて、当座の支えとした。
合図されて、セルヴィン皇子とカラクリ人形アルジーも、そのロープに取り付く。
*****
途方もなく想定外の、巨大なドーナツ構造の落下はつづいた。
ラビリンス奥の中央部を貫く、巨大空間の中を。
どこまでも、どこまでも。
*****
さらに最下層へと、落下速度を増す、巨大なドーナツのような平坦な階層。
落下速度に合わせて……中央部の壮大な支柱の古代レリーフが、目まぐるしく移り変わりつつ、「見かけ上」、上昇している。
足元から――さらに下に延びていた螺旋階段の、次々に圧壊する衝撃音がつづいた。落下の衝撃で、最下層へと螺旋を描いていた構造が、飛び散っている……!
螺旋階段の崩れる衝撃が、落下し続ける平坦なドーナツの如き階層へ、さらなる破砕を及ぼしていた。グルリ、グルリと、周回するかのように。
――1周。2周。3周。4周……
さらなる破砕にしたがって、最も外枠に設置されている床石――石材――石畳が、順番に弾け飛んでゆく。
各所の摩擦が大きすぎるせいか、実際の落下速度が、ゆるくなっている。
しかも石畳の破砕も、何故かもっとも端の範囲に限られていたので、人類のほうでも、なんとか次に来る衝撃に備えて足場を移動できていたが……
大人の背丈の、2倍も3倍もあるような破片が、あまりにも、気軽に飛んでゆくのは……恐怖だ。
どこまで――つづくのだ。
最下層の床へ――そこに広がっていると予想される謎の水面へ到達するまで――この悪夢は終わらないのか。
*****
誰かが叫んだ。
「ドーム屋根だ!」
中央部を貫いていた壮大な支柱は急に終わり、そこで、蜘蛛の巣のような網目構造をした、スカスカなドーム屋根に変わっていた。
地上からの恐るべき重量を支えるためか、1本、1本の梁(はり)が、驚異的なまでの巨大さだ。
老魔導士フィーヴァーが、さっそく博識ならではの叫びをあげた。
「なんという……! 重力分散の構造とかいうヤツじゃ……!?」
「私ジナフも、先ほど思い出しましたぞ! 階層の全体が、多数の倉庫や宿泊施設を並べた隊商宿にして昇降機……!」
――古代《精霊魔法文明》の……圧倒的なまでの、壮麗な土木インフラ。
あまりにも高度すぎて、奇跡の魔法そのものの科学技術――
「ワシも、いま、古代文書の真の意味が判ったところじゃ! この中央の空洞の全体が、巨大な自動機械(オートマタ)だったんじゃ! 階層の全体がグルグル回転して、中央柱のレリーフを、
あますところなく観光しながら、眺めながら……!」
「このような古代伝承の奇跡を見る羽目になるとは……まさか、これほど広大な階層全体を、エレベーター昇降の仕組みに乗せていたとは。それも観光だの、グルグル回るのを楽しむため、だので」
「奇跡じゃ無い、単なる建築技術じゃ、だが、とんでもなく高度な……何故、残りの螺旋構造に入るところで、ガクンと段差があるのか、
これも謎が解けたぞ! おそらく上と下とで施工の業者や様式が異なっていたのを、協力して、なめらかに接続してのけたとか、そういう事情があったのじゃろう」
「ですが、いま、それは怪獣に破壊されて機能せず、回転せずに、そのままズルズルと落下していたという状況ですね……!?」
「古代文明の精華、巨大にして精密な自動機械(オートマタ)の仕組みを、無残に破壊しながら……という訳じゃ! 単純な性欲・破壊欲にまで退化した知能と感情、
文明と技術の衰退……知識と伝統の消失とは、恐るべきものじゃわい!」
*****
そして急に落下が止まった。にぶく響く重低音。
――ゴオォォン。
平坦なドーナツ形式の階層は、ボロボロに崩れながらも。
梁(はり)構造は、ほぼほぼ破綻せず。
ところどころに大判の床石の名残を残しつつ。
急に分厚くなった壁――段差――の屋根となるように掛かる形で、固定された。
いまや、ドーナツの穴に相当する中央部には、巨大なドーム屋根が……見上げるほどの高さに、そびえ立っている。
素材の分からない古代の梁(はり)で組まれているのが、見て取れる。
――グガァアア、アァァ……
巨大な怪獣《八叉巨蛇(ヤシャコブラ)》のものと思われる、苛立たし気な……轟音のような、うめき声。
――偶然なのか、必然なのか……
人類の側が取り付いていたドーナツ形式の平坦な階層と、最下層を取り巻くと思しき「分厚い壁」の上部分とが、接触した結果……そこに、3本か4本の触腕が、したたかに挟まれたらしい。
石畳が粉々に破砕された結果としての、大きな隙間から――あの闇にぎらつく黄金マダラ模様をした、巨大な怪獣のウロコ付き触腕が見える。
――急ごしらえの巨大な圧搾機に、ギュウギュウに挟まれたようなものだ……
巨大な怪獣は、苦痛と苦悶と……苛立ちに、震えている様子。
ガリゴリ……という、ウロコの、こすれ合いの音。
巨大な瓦礫がぶつかり合う、ガツン、ガツンという音響……
邪霊害獣ならではの、むせる程の……大量の血の臭い。ジュウジュウと音を立てる、熱気。
クムラン副官が、神経質に口元を引きつらせつつ、状況を分析しはじめた。
「最下層のドーム屋根の下――あの謎の水面が広がっている場所だな……水音がする。あの巨大怪獣《八叉巨蛇(ヤシャコブラ)》の、巣になってる……?」
「目下、この世で、もっとも潜入したくない場所でありますよ、クムラン副官どの」
腹心の部下シャロフ青年が、軽口で応じながらも真っ青になっていた。
その近くで、ほかの白鷹騎士団のメンバーもブルブル震えながら、コクコク頷いている……誰だって恐怖は恐怖だし、こんな絶体絶命の状況にあってさえ、命は惜しいのだ。
ザリゴリという、そそけ立つような音響がつづいて……やがて静かになる。
さしもの巨大怪獣も、ニワカ圧搾機に参ったのか。
闇の黄金色をした触腕の数々が、おおむね、中央部の方向へと引っ込んだ後は。異様なほどに……おとなしい。
いっそう深い大深度の底、宵闇のなか、うちつづく静寂。
瓦礫が積み重なったポイントから、壮年《象使い》ドルヴと『ガジャ倉庫商会』冒険者ガウタムが、代わる代わる慎重に顔を突き出して。
巨大な梁(はり)で出来たドーム屋根を透かして、望遠鏡を構える。
「何が起きてるんだろう? 友ドルヴ」
「私にも分からないのだが友ガウタム。でも……なんだか……」
「ぱぱぉん」
後ろのほうで《精霊象》ドルーが、武者震いしていた。
シャバーズ団長が素早く態勢を立て直し……近くに居た黒衣の老騎士に、テキパキと声を掛ける。
「魔導士ジナフ殿、『白羽の矢』占術で或る程度、見通しができるなら頼む。我が過去の知見と直感は、当分の間は安全らしいと告げている。信じられないが。受けた苦痛を……考える程度の知能が、
あの怪獣には有るらしい。人類に近い反応――裏街道チンピラ程度だが――行動を感じる」
「それはそれで、ゾッとしますよ、団長どの。それなりに考える程度の頭があるということは……」
一方で、シャバーズ団長の洩らした言及に驚いたのは、カラクリ人形アルジーのほうだ。
「巨大怪獣《八叉巨蛇(ヤシャコブラ)》と、バトルしてた経験あるの? 白鷹騎士団って」
「あ、ハイ、近辺の砂漠の集落では《人食鬼(グール)》よりも定番の怪獣だし」
黒髪オーラン少年が、慣れた手つきで戦士ターバンを直しつつ、応答して来た。
「私もジャヌーブ地方の隊商道沿いの諸部族の砦へ出張して、連戦で経験を積ませていただいて。虎ヒゲ・マジード殿が手慣れてますし、ジャヌーブ砦の戦象隊の本領です」
ターバンが頭部へシッカリ巻かれたところで、相棒の白タカ若鳥ジブリールが、腰を据えた。
「でも、あんなにデカいのは出逢ったこと無いです。クムラン殿が指摘するまで、ぜんぜん正体が判らなかった……オローグ兄貴も地元で慣れてるし、
クムラン殿の故郷の城砦(カスバ)では大型も出現するそうですが、さすがに、あの……昔の『怪獣山』伝説レベルの超大型は……」
次に、セルヴィン少年とオーラン少年とで一緒になって、クムラン副官とオローグ青年の方向を眺めはじめる。
すでに斥候チームを組んで、梁(はり)の後ろから……望遠鏡でもって、慎重に偵察しているところだ。顔色は、蒼白ではあったが。
セルヴィン少年の肩先――ちっちゃな火吹きネコマタが、クルリと上のほうを仰いで……2本のネコ尾の先で、パチリと火花を散らした。仰天したように。
『……《天の書》運行が……月光ニャネ』
次の瞬間……銀月が、天頂に位置を取りはじめた。
古代ラビリンス遥か上層部に開いた天井穴から、まっすぐに、銀月の光が降りそそぐ。
ドーム屋根の梁(はり)に使われている精霊金属が、月光を受けて、荘厳なまでの白銀に輝いた。古代レリーフ彫刻の層があったのか、螺鈿細工めいた光が揺らめいている。
「こんな状況ではあるが、見ものじゃな」
老魔導士フィーヴァーが凝視していた。モッサァ白ヒゲを、ユラユラとさせながら……
――次の瞬間。
だれの耳にもハッキリと聞こえるような、水の波立ちの音が充満した。
最下層の水が、ザワザワしている……波打ち際であるかのように。
「あれは何じゃ?」
老女《象使い》ナディテが息を呑み……相棒の老《精霊象》ナディが、あからさまに警戒を強めて、長い象の鼻を中空に構えている。
「ぱおん」
精霊語を察知し、老女《象使い》ナディテは不意に、カラクリ人形アルジーのほうを振り向いた。
銀月の光の……ひとしずくが、カラクリ人形アルジーの肩先で、白文鳥《精霊鳥》となった。光が、物質化したかのようだ。
カラクリ人形アルジーのほうでも、ビックリしたあまり……肩先に居る、真っ白なフワモコを振り返って……確かめる。
「……パ……、パル?」
『そうだよ、ピッ。とてもとても重要なことが進行してる……』
――いつもとは違って、重々しい口調。
いつだったかの、霊魂の不思議な大手術の際に、一時的に人の姿をしていた純白の精霊《ジン=パユール》。あの圧倒的なまでの天上的な存在感や、威厳に満ちた口調が、うっすらと感じ取れるくらいだ……
…………
……
銀月に照らされている状態の……ドーム屋根を成す梁(はり)構造が、いっそう透明感を増した。
透明な素材で建築されているみたいだ。物質的な現実感すら無い……
偵察チームが、警戒心のあまり、距離を取る。透明になった瞬間に、転げ落ちそうな――という、冗談では無いほどの切迫感。一緒に後退していたクムラン副官は、無言で、心底、ビビっている状態だ。
ザワザワという水音の合間に、重低音の精霊語が響く。
人類の声のようだが、人類の声というべき、声調をしていない。しかも複数の存在が一斉に喋っているような、異様な気配だ。
『銀月が薔薇輝石(ロードナイト)のみ天蓋に立つべし。他は立つことあたわず』
すさまじい重圧感だ。恐怖を伴う……異様に縛りつけて来る声音。
これが、邪声のなかの邪声。
記憶には無くても、魂に刻まれた代々の先祖の記憶でもって、直感できてしまう。
永遠の暗黒時代を現出した……神話伝説の恐怖『世界の王の中の王』を引き継ぐ猛威、古き邪神の声そのもの。
飄々とした老魔導士フィーヴァーでさえ、その古代めいた言葉遣いの要求に、抵抗できていない。
カラクリ人形に宿った霊魂――シュクラ第一王女アリージュ姫も、また。
――これは私の問題なのだ。
いわく――『トラブル吸引魔法の壺』。
今ふたたび、あざやかに思い出される……どこまでもどこまでも続く、湾曲した千夜一夜の回廊。闇よりも深い藍色の虚空『アルフ・ライラ・ワ・ライラ』をわたって、ここへ持ち込んでしまった……
カラクリ人形アルジーは、ベールを結んだ頭をキリッと上げて、第一歩を踏み出そうとして……
アームカバーの掛かった腕を不意に引っ張られて、思わず振り返る。
セルヴィン少年が引き留めている格好だ。その少年の手が震えていた。
――病み上がりの14歳ないし15歳。琥珀色と金色の間を揺らぐ不思議な色合いの目は、あからさまに不安をたたえているところ。
とはいえ、ほとんどの大人が意思反応を押しとどめられて、凍らされたように固まるのみ――という状況で。
ヒョロリ少年の、この妙な耐性は何処から来るのか。
――三日月刀(シャムシール)を鞘(さや)から抜くくらいには。一矢、報いるくらいには、動けそうだ。
そして、この少年が大きく動き出せば……魔性の呪縛が焼き尽くされて剥がれ落ちたかのように、皆も、動き出すような気がする。何故か、そういう、確信に近い直感がある。
細い肩先でチロチロと金色の聖火を燃やしている相棒――《火の精霊》火吹きネコマタの存在もあるのかも知れないが……
神話伝説の豪傑『雷霆刀の英雄』が存在した証を、確かに引き継ぐ裔(すえ)。
最初にジャヌーブ砦へ放り込まれた時、チラと小耳に挟んだ……老魔導士フィーヴァーの、半ば呆れたような寸評が、何故か思い出された。
――これほど《火の精霊》の祝福したもう火の気性じゃったとは、この世は驚きに満ちているのう――
そう言えば。帝都皇族が持つという、あの不思議な護符は何処へ行ったのだろう?
セルヴィン皇子が10歳の時に、聖火礼拝堂で御母堂セリーン妃が選んだという、透明な色をした護符《精霊石》。
白金に輝く帝国の紋章と、《火霊王》を表す《精霊文字》が、巧みに仕込まれてあったと記憶している。
なんとなく気配は漂っているから、いまでも肌身離さず装着しているのは確実だが。
新たに不思議な腕輪(アームレット)形式の護符を得て、スタイルが変わったのか……ターバン装飾石として身に着けている訳では無いらしい。
ともあれ、生贄《魔導陣》が解呪された今、本来の生死の軌道へ戻れたのは確かだ。
そこから先は、あくまでもセルヴィン自身が選択してゆく人生であって、アルジーの関与できる領域では無いし……そもそも他人が動かそうとしてはならない領域だ。
シュクラ第一王女アリージュ姫の問題に巻き込まれて、此処まで不自然に引きずられて来た形なのだ――本来は此処で死ぬことになっていなかった人たちであるし、そうなっては、いけない。
カラクリ人形アルジーは、ベールに包まれた頭部をヒョコリと動かした。中身は「退魔調伏ハタキ」だけど、なんとかお辞儀らしく見えるとは思う。
「……ここまで連れて来てくれて……セルヴィン殿下と皆には、とても感謝してる。でも今は、御礼は言わない。かならず戻って来る。その時に、本当に御礼を言うために」
いささかの逡巡の後、セルヴィン少年の手が離れていった……
*****
カラクリ人形アルジーは、実際のところ「サッソウ」と歩き出せた訳では無い。
ちょっとした竹馬に乗って歩いている時のように、「おっとっと」と、ブレながら。月下、透明度を増して輝くドーム構造の梁(はり)にしがみつき。
四つん這いになって、天蓋へ……ドーム屋根の頂点へと、にじり寄るという形であった。
シビレを切らしたらしく。底から、不機嫌な邪声が湧き上がって来た。
『サッサと! 動きやがれ! ふざけてんのか、ごるぁ!』
『霊魂までまとめて、オーバーキル死体にしたのは、あんたら邪霊の手先の数々じゃないの、ごるぁ!』
『……うぐ! ごるぁ! その素顔のマジ顔で、真剣白刃取りダブルテイク漫才をやるんじゃねぇ、ゴルァ!』
フウフウ言いながらも、なんとか天蓋へと到達する。
死体になり、さらに《魔導》カラクリ人形に憑依したとはいえ、山育ちならではの実力。
――ぽっかりと、出入り穴とも思える穴が、開いている。
そこだけ――梁(はり)が、まばらに空白だ。
肩先で、相棒の白文鳥《精霊鳥》パルが「ピピッ」と口を差し挟んで、説明して来る。
『古代の自動機械(オートマタ)の昇降機が付いてるんだよ。まだ動く。それに、つかまって』
見ると、「いかにも、それではないか?」という円盤状のものが、そこにはあった。
天蓋から――最下層の床面とおぼしき水面まで、3本の列柱に囲まれたスペースがある。その列柱の真ん中の空白を埋めるように、足場と思える円盤状のものが設置されている。
乗り移ってみると。
円盤状のものは、カラクリ人形アルジーを乗せたまま、スーッと降下していった。
さすがに経年劣化に耐えられなかったのか、3本の支柱の表面はボロボロに荒れていた。円盤状の足場の移動のための軸になっていた其れは、足場すなわち昇降機の降下の動きに伴って、ザリザリと音を立てている。
――元・職人の、代筆屋の大先輩ギヴ爺(じい)が、怒鳴り散らすわね。油を差しとけ、メンテナンスをちゃんとやれ、と言って――
昇降機の到着は早かった。あっと言う間に、謎の水面へ到達した。
正しくは、天蓋とつなぐ3本の支柱を支えている、ちょっとした台座の島、というところへ。
いかにも玉座の間というような、黄金の装飾にまみれている。
――まるで黄金郷(エルドラド)だ。
最下層の広大な大広間いっぱいに、供物として捧げられたのであろう財宝の数々。浅い水面の水が波立ち、うずたかく積もった黄金や財宝の数々を洗っている。
すぐ目の前に、黄金の祭壇。ここで闇にぎらつく黄金は、まるで闇の太陽だ。
全面に、ビッシリと、忌まわしいレリーフ彫刻。
その黄金祭壇が受けた、すさまじい被害が見て取れる。それに、最下層の全体にわたる経年劣化と荒廃ぶりも。
天頂から真っ直ぐにそそぐ、無情なまでに明るい銀月の光のもと――浩々と照らし出されている状態。さすがに広大な空間の、隅々のほうは、闇に沈んでいるけれど。
『真っ二つ。あちこち、ボコボコ』
『バカな巨人族が付け上がって、暴れてくれたからだ、ごるぁ。即刻、追い出した』
『商人ネズルさんの怪談は、真実だった訳ね』
同じ階層の広間を共有してみると、不気味な邪声の主は、意外に人体らしいという気配がする……何故なのだろう。
警戒しつつ、視線を動かして……グルリと見回す。
東帝城砦で見かけた、あの恐るべき三つ首――《怪物王ジャバ》仮面は、祭壇の真上の天井には無かった。
――構造が、違うせいか。それとも、過去のどこかで盗掘されて……他の場所へ、持ち出されたためか。
いつしか、ジャリジャリと言うウロコ音。
『くだんの巨人族は、祭壇にあった《黒ダイヤモンド王冠》に取り付かれるだけの暴虐はあったようだ。あれは《怪物王》のもの。
たいていのジャバ神殿は黄金仮面を掲げて崇拝するが、ここジャヌーブは古代から、かの王冠を拝して来た特別な地』
遂に、ウロコ音の主が、ヌーッと現れた。浅い水の中から、図体を持ち上げる形で。
肩先で、白文鳥パルが鋭く鳴く。
当座のミモレ丈の長衣(カフタン)とした、パレオ着付けのその中にサッと腕を回し。
カラクリ人形アルジーは、冒険者向けの街道の市場(バザール)で入手していた、中古の山刀を握った。
何の変哲もない、現代の鉄製品。
だが3日前には、満月に満たない銀月のもと、この山刀でもって国家祭祀に準ずる剣舞を奉じていた……
銀月の光のもと、現れたその姿形は――悪夢そのものの忌まわしさだ。
大判ウロコに覆われた、8本足。極太にして長大な触腕。黄金マダラ模様。巨大ヘビの尾の形をして、ウネウネと、うごめく。
巨大ヒトデを思わせる……巨大怪獣《八叉巨蛇(ヤシャコブラ)》。
ばかでかい図体を持ち上げると共に、今までウットリと戯れていたのかも知れない古代黄金や財宝の数々が、その巨体からザラザラとすべり落ちた……次々に水音を立てて、水中へと没する。
水中の中にあってさえ、その輝きは鮮烈。
黄金祭壇の向こう側に、カラクリ人形アルジーと対峙するように、相応なサイズの小山が持ち上がる。巨大怪獣《八叉巨蛇(ヤシャコブラ)》頭部に当たる部分。
てっぺんに突き出した突起部分に、人類の上半身の姿形をした「化けの皮」をかぶっていた。
例によって、その人類の造形をした「化けの皮」もまた。
邪霊の種族ならではの、三つ首の異形の姿。
みごとな総・銀髪。
スラリと均整の取れた体躯――妙齢の男性。「三つ首」という異常な容姿を除けば、見惚れるほどの、絶世の美形。
いかにも酒姫(サーキイ)にして男妾という雰囲気。熱心にお肌のお手入れをしていたのか……端々の様子を観察すると30代に差しかかっているようだが、20代といっても通りそうだ。
人物紹介が無くても、数々の噂や人物評から、直感的に理解できる。
――清純と妖艶と、神々しいまでの光輝の、見事な掛け合わせ。
この人が、銀髪の酒姫(サーキイ)アルジュナだ。
と言うよりは、元・その人物だった人類の、巨大怪獣《八叉巨蛇(ヤシャコブラ)》に食われてしまった、その成れの果てだ……
…………
……
ひとつ上の、梁(はり)で組まれたドーム屋根のほうからも、極限に透明になっている梁(はり)を透かして……
浅い水面の各所に配置されている巨大な台座の幾つかや、中央の黄金祭壇の残骸――それに、カラクリ人形アルジーと、その周辺の様子が見えているらしい。
驚きの、どよめきの声が降って来るのが感じられる。
「あの酒姫(サーキイ)、行方不明になった後、ここへ来てたってのか……!」
「信じられん! いや禁術の大麻(ハシシ)を大量にたしなんでいたから、三つ首の邪霊の怪物と化すのは、当然じゃが……!」
「三つ首だ……化け物だ!」
「なんと忌まわしい変身であることよ! あの腰回りについてるのは、間違いなく禁術の大麻(ハシシ)……! とうの昔に忌まわしき黄金の大麻(ハシシ)に食い破られ、その苗床と化していたか!」
巨大怪獣《八叉巨蛇(ヤシャコブラ)》に生えた、その三つ首「銀髪の酒姫(サーキイ)」上半身の造形をした突起は、《三ツ首ハシシ》と融合している状態。
異形どうしが接触している、その境界は、絶叫の形に歪んだ黄金色の三つのドクロ……球根に彩られている。
奇怪な球根からヒゲ根が、網目織りのスカート状レースのように密に延びて広がっていて、《蠕蟲(ワーム)》みたいにブヨブヨ蠢(うごめ)いていた……
…………
……
ヒトデ形状をした巨大怪獣《八叉巨蛇(ヤシャコブラ)》は、得意げに身を震わせ、全身のウロコをジャラジャラと鳴らした。
ちょっとした山と化した中央部の盛り上がりで、三つ首「銀髪の酒姫(サーキイ)」造形をした突起物が、今度は、人類の――帝国語で、喋り出した。
三つ首、同時に、重複して喋っている。酒姫(サーキイ)の頭脳にあった言語知識も、奪い取ったに違いない。
「フハハ……この愚かなる人類は、永遠の美貌を望んで身を捧げて来た。黄金の大麻(ハシシ)が遂に活性化して、
身の内に根を張っていたとも知らずに! かくして我『ジャヌーブの永遠の巨人王ジャヌー』は、偉大なる黄金の大麻(ハシシ)の更なる威力でもって、
このように『人類の知能』『人類の声』を得た、という訳だ」
そこで、巨大怪獣《八叉巨蛇(ヤシャコブラ)》は、真っ二つに破壊されている黄金祭壇をチラリと見やり。
「化けの皮」である三つ首「銀髪の酒姫(サーキイ)」を動かして、「チッ」と舌打ちをして見せて来た。
人類の反応そのもの。
酒姫(サーキイ)アルジュナの記憶の再現なのだろう。市場(バザール)の裏街道にたむろするような、下等なチンピラの舌打ちに、そっくりだ。
順番や経緯こそ違うが、霊魂アルジーが白文鳥《精霊鳥》の身に憑依して、「人類っぽい反応を返す小鳥」をしていたのと、同じ。
――かつては、ジャヌーブ地方に栄えた古代巨人族の、おそらくは最後の王だったのだろう巨人ジャヌー。
黄金の大麻(ハシシ)に狂って、巨大な邪霊害獣《八叉巨蛇(ヤシャコブラ)》と化し。
その後、数百年にもわたって禁術の大麻(ハシシ)を我が身で育てて地上へ供給しつづけて……ジャヌーブ地方の《人食鬼(グール)》前線を、維持しつづけた。
ジャヌーブ地方の、数々の暗殺教団の繁栄。《人食鬼(グール)》発生の激化。終わらない異常氣象。
……そして今、かつての恐るべき《魔境》が復活しようとしている……
ひとたび、三つ首「銀髪の酒姫(サーキイ)アルジュナ」を、じっくりと観察する。真正面、左横顔、右横顔。
30代から40代にかけて、男の顔は、本当の人格や本性を映し出す形で、人相を完成するという。
ひとりの大人の男として完成されてゆく顔面は、青少年期の、下積みと成長にかけた数々の、人生の結実――そのものなのだ。
どことなく締まりの無い、邪霊害獣《蠕蟲(ワーム)》のような……ブヨブヨとした印象をもつ人相。
形そのものは美麗であっても、どこか途方もなく歪んで崩れている、しかも腐っているらしい、と感じられる人相――が、そこらじゅうの鏡という鏡に、映し出されるようになって。
酒姫(サーキイ)アルジュナは、人相の変化を「劣化」と感じて、焦ったに違いない。
――髪を見事な総・銀髪にするために、白文鳥《精霊鳥》から不正に奪いつづけてきた精霊エネルギー。それゆえの、過敏なほどに敏感な感受性か、美的感覚があったのだろう。
少年時代の頃の、繊細と未完成ゆえの「特別な魅惑の輝き」が衰えてゆけば……帝国皇帝(シャーハンシャー)は、酒姫(サーキイ)アルジュナを、ゴミそのものとして放り捨てただろう。
帝国全土を代表する美男美女の群れを見慣れてしまっている、帝国最高位の権力者だ。
それで、生前の酒姫(サーキイ)アルジュナは、ジャヌーブ廃墟の、最下層まで来たのだ。
かつての全盛期の輝きを取り戻し、なおかつそれを永遠のものとして、国家祭祀から戻って来た帝国皇帝(シャーハンシャー)を、いっそう強烈に魅惑しつづけるために。
……生前の「銀髪の酒姫(サーキイ)」を正確に写し取ったと思しき「化けの皮」の、美麗な顔面を透かして感じるのは、途方もなく歪んで、ブヨブヨと腐り果てた果実そのものだ。
何も悩むことも無く、色々と考えることも無く。気に入らぬことがあれば、文句を言って騒ぐだけで。贅沢と享楽と特権に明け暮れるだけの、「永遠の少年」で居たかった……ひとりの男の末路……
モヤモヤと湧き上がる、疑念。
(銀髪の酒姫(サーキイ)アルジュナは、何故、「永遠の美貌」という望みを、ジャヌーブ廃墟が叶えてくれると考えたのだろう? どうやって最下層まで……)
不意に、アルジーの中で、記憶と直感がつながった。
(帝都でうごめく数々の暗殺教団の伝承などを頼りにして……おそらく、いや確実に、かつての少年アルジュナに禁術「生ける屍(しかばね)」を施した、謎の奇怪な魔導士クズレ、邪霊使いが関係している……!)
ここに来る途中で、『ガジャ倉庫商会』副代表の老ダーキンが説明していた、かの異例事項――10年前の禁術「生ける屍(しかばね)」の情報が、あった!
…………
……
階上のドーム屋根をした梁(はり)構造の向こう側では、白鷹騎士団をはじめとする冒険メンバーたちの、衝撃と沈黙の気配が、まだつづいている。
目と耳を凝らして、こちらの動向を窺っているのは明らかだ。
黄金マダラ模様をした巨大怪獣《八叉巨蛇(ヤシャコブラ)》ウロコの、ジャラリと、摩擦する音が響く。
山のように盛り上がっている頭部てっぺんの、三つ首「化けの皮」が、再び帝国語で喋り出した。銀髪の酒姫(サーキイ)だった絶世の美形を形作っている、忌まわしき「化けの皮」だ。
――元・人類だった肉体だ。しかも生前は、精霊語の知識の無かった――かつては白文鳥《精霊鳥》捕獲ビジネスを手掛けていた民間業者のところで、
アルバイトをやっていた、市井の少年だった人物だ。人類の帝国語のほうが、喋りやすい感じがするのに違いない。
明らかに、銀髪の酒姫(サーキイ)アルジュナの声帯を使っている。娼館のホストのように、寝台の中でも外でも、帝国宮廷の数々の貴婦人を相手したであろうと思しき、
少年の声に寄せて裏声にした男の、声音。
「銀月が薔薇輝石(ロードナイト)。取引をしよう。この大広間は、驚異の財宝でいっぱいだ。もと怪物王ジャバへの供物だった。同時に精霊魔法文明の、富と権力の根源だった。
我が要求に応じるなら、これらの財宝をすべて手前にやろう。これらを自由にできれば、一生、いや、永遠の繁栄を極めることも可能。王国を復興して、全世界を征服して、わがものにすることさえも」
――グラリと……
一瞬。気持ちがグラついたのは否定しない。
これだけの財宝を地上へ持ち上げて、存分に使えば、シュクラ王国が復興できよう。
トルーラン将軍が必死に汚職に励んで用意した賄賂など、ちっぽけな評価額にしか見えないほどの――古代文明の驚異の、財宝の群れ。
帝都の数々の派閥へバラまいて、かつての言いがかりと決定を引っ繰り返して、トルーラン将軍を追い落とすことも、できよう。
数々の「有罪」罪状もくっつけてやれば、ヤツの一族は、二度と、晴れ舞台へは浮上できないだろう。
食い詰めて、猟官活動を手掛けたうえに、無力な集団として、どこかの砂漠の邪霊害獣のエサと果てる、没落諸侯の数々のように。
その時、肩先で、相棒の白文鳥《精霊鳥》パルが、荘重な精霊語を繰り出した。
『この取引に際して、邪霊から悪知恵を叩き込まれたと見える、いにしえの巨人族が王ジャヌーよ。「我が要求」と称する条件を、提示せよ。
この銀月が薔薇輝石(ロードナイト)は、白孔雀《精霊契約》成立せし者なり』
『この時空において、成立が終了しておらぬ薔薇輝石(ロードナイト)条項あり! この場に立ち会うことも、反論も許されぬ筈よ、白の者よ!』
『オーバーキル工作を仕掛けて来た理由いま知れたり。それは「歩く屍(しかばね)」同様、精霊と邪霊の間で合意せし禁制事項の筈。
汝は禁制事項を、ひとつ犯した。我が此処に顕現することが可能となった所以である』
――あまりにもディープな精霊語で、傍聴していてさえ、アルジーには何が何だかだ。
一方で邪霊害獣《八叉巨蛇(ヤシャコブラ)》は、本来の精霊語でもって、本意を理解している様子だ。
もしかしたら、いま此処で喋っているのは、《邪霊ハシシ》副作用で巨大怪獣《八叉巨蛇(ヤシャコブラ)》と化した、古代巨人族では無いのかも知れない。そういう、二重にも三重にも嫌な気配を感じる……
…………
……
『むう、ちょこざいな! 我らが永遠にして偉大なる《王の中の王ジャバ》の世のもと、奴隷の身分に過ぎぬ、精霊の種族どもが』
『口をつつしめ、怪物王のしもべなる邪霊の者よ。いま一度、前提となる立場すなわち《闇と銀月》確認するべし。
この銀月が薔薇輝石(ロードナイト)は、《銀月のジン=アルシェラト》召喚の権能を有する《白孔雀》管理下にある。我が認識せぬ条項ありき取引は、すべて銀月のもと無効と化すものである』
精霊語による、古代の儀式めいた、高速やり取りが一段落した。人類の時間感覚からすると、一瞬で終わったように見える。
相応に努力を要する作業だったのか、巨大怪獣《八叉巨蛇(ヤシャコブラ)》頭部は、疲れたように「山」の高さを低くした。
見上げるほどの高さにあった「化けの皮」の位置が、アルジーと、ほぼ似たような目線の位置まで、繰り下がって来た……
銀髪の酒姫(サーキイ)アルジュナの上半身――という格好をした三つ首「化けの皮」は、変貌していた。
別人のように老衰しきっている。髪はボロボロに禿げ、銀髪の輝きを失っていた。藁クズのようなナニカが、1本、2本。
妙にタプタプしたボロ雑巾――皮膚らしきモノが骨格を取り巻く様式だが、見えている皮膚の全体に、暗い色合いのシミが、マダラに出現していた。
《八叉巨蛇(ヤシャコブラ)》ウロコの黄金マダラ模様を、いっそう暗くして、皮膚移植をしたとしても信じる。
まるで、第2のカムザング皇子(上半身、三つ首)が出現したみたいだ。
「その爆速の変化は、何なの?」
不可解さと有り得なさに、思わず、疑問を口に出してしまう。
白文鳥《精霊鳥》パルが溜息をつきながら、的確に解説して来てくれた。
『大自然の理に反して、本来ありえないことを実現していた代償だよ、ピッ。アルジュナを食った後、アルジュナの持ってた《魔導札》に相乗りして、セルヴィンの生命力を吸い取ってたからね。
火吹きちゃんがヨレヨレになる筈だよ、ピッ。でも、いまや生贄《魔導陣》は解呪された。エネルギー在庫が尽きたんだね』
次の一瞬。
異形の三つ首「化けの皮」だったモノが、低くなった「山」のような頭部から、すべり落ちて来た。
奇声を上げ……
タプタプの両手の指を、カギ爪のように曲げて、アルジーを襲って来た!
『危ない!』
実態は、シワクチャ異形ではあるけれど、まさに寸胴の――ジャヌーブ砦を襲う定番の邪霊害獣――三つ首《蠕蟲(ワーム)》!
「無礼者!」
反射的に、王侯諸侯としての反応を返すカラクリ人形アルジー。
かねてから握り込んでいた山刀を逆袈裟に振り上げて、迎え打つ。
シュクラ第一王女として学んだ基本的な護身術の中には、剣術もある。模擬のものに過ぎないし、刀が重すぎるから、普段から短刀すら持ち運ぶことは出来なかったけど。
――こちとら卑劣な《邪霊使い》と化した従兄(あに)ユージドと、ガチンコ対決したことだってあるのだ。相手は三日月刀(シャムシール)で武装していて、こっちは丸腰で、魔法のランプが武器だったけど。
幸いなことに、三つ首「化けの皮」素材となっていた酒姫(サーキイ)アルジュナの生前の記憶・経験の中には、武闘や護身術のものは無かったようだ。
不良少年が、イキがって暴れているのと変わらない。しかも女性を性的に侮辱する、破廉恥なポーズ色々でもって。
カムザング皇子に比べれば、倒せる相手だ。御曹司トルジンと、似たようなもの。
模擬戦闘の範囲を出なかったものの、山刀でもって、所定の剣撃を続けざまに浴びせて……
敵の体軸が崩れた一瞬。
王族の高貴な「飛び蹴り」が炸裂した。女性としての激怒も込めて。
「きぇーい!」
異常にタプタプしている真正面の顔面に、ストレートに、山岳ブーツで固めた足が、めり込み。
――気持ち良いくらいに。
ナンチャッテ邪霊害獣《蠕蟲(ワーム)》モドキ三つ首「化けの皮」は、空中を吹っ飛んでいった。
相棒の白文鳥《精霊鳥》パルが起こした、精霊魔法――物理的な風による後押しもあり。
放物線を描いて、浅い水面へ――「ジャボン!」と没して。
そのまま、死体のように動かなくなった。
上空で、闇の色をしたカラクリ糸の群れが、みすぼらしく漂っている。「化けの皮」を動かしていたカラクリ糸、すなわち《魔導》ルートだったらしい。
素早く舞い上がった白文鳥《精霊鳥》パルが《風の精霊》輝線となって、シュバッと一周する。みすぼらしいカラクリ糸の群れが、見る間に蒸発して、消滅していった。
なにやら階上のドーム屋根のほうで、騒ぎがつづいているが……いまは目の前の敵に、全力対峙だ。
カラクリ人形アルジーは、怒りのままに……ダン! と足を踏みしめて。
改めて山刀を構え。
さらに紅白《邪霊退散》御札を、刃先にペタリとくっつけて、差し向けた。
「まだやるの《八叉巨蛇(ヤシャコブラ)》ジャヌー!? なんだったら『我が要求』とやらを喋るまで、御札ドンドン貼り付けるわよ! 何枚目で、そのバカげた図体が砂と果てるか、
やってやろうじゃないの!」
ジャリジャリという邪霊害獣のウロコ群のこすれる間に、「うぐぅ」という邪声が混ざる。
よく見ると、月光に直接に当たらないように、態勢を変えつづけているのが判る。
うっかり月光にさらしてしまった部分では、ぎらつく黄金色が錆びたような色合いになり、さらに、あの真紅の無害な熱砂が、まるで粉を吹いたように広がっていた。
天頂から注ぐ白銀の月光もまた、邪霊害獣にとっては恐るべき退魔調伏の光だ。天文学によれば、夜の闇を反射して来た――闇の底にあって、なお衰えなかった――選ばれし太陽光なのだから。
何故この刻を選んで、「銀月が薔薇輝石(ロードナイト)」アリージュ姫を呼び寄せたのかは判らないが。
この刻は、月の満ち欠けに応じて揺らいでしまうアリージュ姫の体力気力が――おそらくは霊力も――満月のごとく極大になる刻なのだ。《闇と銀月》という要素が関係するに違いない。
直感に近い確信がある。
――千尋の海の底までも、あまねく統(す)べるは闇と銀月。
数々の『魔導書』を著した、謎の著者カビーカジュの、禁断の呪文。
やがて、巨大《八叉巨蛇(ヤシャコブラ)》の、極太の8本の触腕がザラザラと動き……うち1本の先端が、ゆっくりと、黄金祭壇のうえに乗せられた。
黄金祭壇のうえに乗せられた先端部は、人類の指ほどの、細さ。見かけが同じサイズだけに、うねっていると、いっそう不気味だ……
そして、黄金祭壇から、《八叉巨蛇(ヤシャコブラ)》触腕の先端部が外れていった。
『置いたものを、手に取れ。種も仕掛けも無い……試しても構わん』
先ほど「化けの皮」を不意にぶつけられただけに、こちらが最大限に警戒しているのは、理解しているらしい。
一歩、慎重に近づいて……そのブツの形状を目視するなり、アルジーは文字どおり、飛び上がった。
――あの羽ペンだ!
白孔雀の尾から出来ている――あの《魔法の鍵》だ! 確か、あの、闇よりも深い藍色の虚空の、星々の激流の中で落として、失ってしまっていた筈の……!
「ほ、ホンモノ?」
白文鳥パルが、肩先に戻って来て、苦渋のさえずりを返した。
『正確には、其れ、じゃ無いけど……限りなく其れ、ピッ。分霊のようなモノ。時空に応じて顕現する分身。ピッ』
邪霊害獣《八叉巨蛇(ヤシャコブラ)》が、ブツブツと不満げに、つづく。
『それは、かの《白孔雀》波動がとても強烈ゆえ。我は、この手に持って《精霊文字》を書くということができぬ。どれほど焦慮し、どれほど渇望しても。
それは、天上の銀月を地上に連れて来るに等しい、難事業』
ジャリジャリという、ウロコ摩擦音が響いた。
『いまいましい精霊どもが、この最下層を建築し終わった時。この黄金祭壇の台座に、精霊魔法《孔雀の玉座》を敷いた。それが何であるかは、我は、この身を滅ぼしてでも告げるということは、してやらぬ、
絶対にな!』
邪霊害獣《八叉巨蛇(ヤシャコブラ)》の、別の極太の触腕が、苛立ちまぎれに、浅い水面を打った――バシャリ。
すると、そこに自動機械(オートマタ)を動かすための何らかの装置があったのか……真っ二つに破壊されていた黄金祭壇が、ゴゴゴと動きはじめた。
とっさに純白の羽根ペンを手に取り――黄金祭壇から、距離を取る。
台座と一体化していたかのような黄金祭壇は、さらに「ジャゴジャゴジャゴ……」と、錆びつき混ざりの音を立てて、位置を変え。
空白になった、その位置の……床面には。
――黄金祭壇と同じくらいの堂々たる面積の、青色をした六角形タイルが、ひとつ、あった。
古代から変わらぬ造形の、水路を固めるためのタイル。《精霊亀》の甲羅を模したもの。
タイル面を装飾するのは……青い《渦巻貝(ノーチラス)》を模した、古代様式の螺旋紋様。
その中心に、漆黒の……『鍵穴』の絵。
『魔法の鍵の……鍵穴?』
『先ほど説明したように、これは精霊魔法《孔雀の玉座》が敷かれたもの。開錠できるのは、その白孔雀の《魔法の鍵》と……銀月の祝福せし薔薇輝石(ロードナイト)のみ。
詳しいロジックは、そこの精霊鳥が知ってるだろう。《銀月のジン=アルシェラト》召喚の権能を有する《白孔雀》。《白孔雀》は《銀月》と最大限に共鳴する精霊』
『私が、これを開錠するの?』
『なにも考えずに開錠するが良い。開けゴマ、と』
そこで再び、白文鳥《精霊鳥》パルが、怒りの言葉を返した。
『まだ条項を満たしていない。元・巨人族なる《八叉巨蛇(ヤシャコブラ)》ジャヌー。「我が要求」と称する条件を、提示せよ』
『その《魔法の鍵》の開錠。それが「我が要求」。引き換えに、何の付帯条件も拘束条件も無く、この大広間すべての財宝を、銀月が薔薇輝石(ロードナイト)へ、やろうと言うのだ。
条項は満たしている! ゴチャゴチャ言うな!』
ジャリジャリジャリ、と、ウロコ音が響く。こうも繰り返し聞かされると、いま《八叉巨蛇(ヤシャコブラ)》が、どういう気分で居るのか、なんとなく、パターンもつかめようというものだ。
『この精霊、不当なヤツだ。必要最低限の知識すら、銀月が薔薇輝石(ロードナイト)に教授していないのは明らかだ。我が説明に耳を傾けよ、銀月が薔薇輝石(ロードナイト)。
この鍵穴には、ありとあらゆる望みを可能にする存在がある。そう《アル・アーラーフ》へ直通する流星の道が広がっているのだ』
ギクリ、とする、アルジー。
かつての古代巨人族の王としての記憶がある――《八叉巨蛇(ヤシャコブラ)》は雄弁を振るった。
人類としての生命力が払底してしまった状況のアリージュ姫が耐えられるのは……《銀月の祝福》のお蔭だということを、痛いほど感じる。《天の書》の、天上の霊威。
まして満月の光のもと、最大限に増強している状態だ……
…………
……盛り上がった「怪獣山」のてっぺんに、ちっぽけな黄金の王冠のごとき、三つ首《大麻(ハシシ)》球根――黄金ドクロ形状の三つ組。
歪んだ絶叫の顔をした面3つ。
そのうえに、コブラさながらに、長く鎌首をもたげる頭部が3つ、ニョッキリと生えていた。
黄金ドクロ三つ首のうえに重なる、鎌首スタイルをした三つ首の頭部。
いまや「化けの皮」が取れた状態の《八叉巨蛇(ヤシャコブラ)》自身の――頭部。
最初の、変身前の、古代巨人族だったと思しき3つの顔面。人類と共通する面差しではあるが、かつて邪霊崇拝の種族だったゆえの、その異質さは明らかだ。
現代の亜人類・巨人族は、この面差しと共通する部分が多数。頸部の無気味な異形ぶりや長さはさておき、なるほど先祖と子孫の関係だと納得できる。
3つの声が同時に重複している。
異様な重圧でもって押しつぶして来る……古代様式の邪声。
――永遠の繁栄、永遠の命、永遠の富。王の中の王ジャバが極めつくした、かの理想の黄金郷(エルドラド)。
とこしえに両大河(ユーラ・ターラー)が逆しまに流れ、大陸の水は尽きず、砂漠の飢えと渇きに苦しむことは無い。夏の暑熱と冬の極寒に苦しむことは無い。
闇と銀月のもと。緑の沃野は永遠なり。
精霊魔法の資源は無尽蔵に取れる。
此処にある財宝など、その、ごくごく微小な、一部に過ぎない。
かつて此処ジャヌーブが享受していた無限の繁栄は、王の中の王ジャバが、そうして、もたらして来たものなのだ!
永遠の命さえあれば、親しい人の死に絶望し、悲嘆にくれる、というようなことも無い。そうであろう……
…………
……
ジャリジャリジャリ……黄金マダラ模様ウロコ音が、催眠術のように響く。《八叉巨蛇(ヤシャコブラ)》は、アルジーの弱い部分を揺さぶって来た。
『精霊は救えないのだ、しょせん。銀月が薔薇輝石(ロードナイト)の師匠だったという青衣の婆を。いとしい両親を。偉大なる王国を、救えなかったではないか。
我には、それが出来る。両大河(ユーラ・ターラー)を逆しまに流すことさえ、できる。銀月が薔薇輝石(ロードナイト)が、ここを開錠してくれさえ、すればな』
いつしか、相棒パルの声が聞こえなくなっていた。肩先でピョコピョコ跳ねているのは判るのだが。
ガンガンと、やかましく、《八叉巨蛇(ヤシャコブラ)》の演説のみが、脳ミソで反響する……
――精霊語の、ほぼほぼ霊的波動の性質を持つがゆえの、弱点だ。
『そう、これは正しいことなのだ。銀月が薔薇輝石(ロードナイト)よ。そもそも、手前にしてからが、このような下等な人類の肉体に封印されて、それを良きとするのか。
我には判る。その奥に漂うは、確かに、かの《銀月のジン=アルシェラト》――』
次の瞬間、真っ二つになっていた黄金祭壇の間に、半透明の幻影が現れた。
――あまりにも有り得ない気のする、幻影だ。
母シェイエラ姫。
星明かりにさえも鮮やかに映える総・銀髪が、その足元まで、滝のように流れている。
光の加減のせいか、陰に沈んだ容貌は不鮮明だが……かつてアリージュ姫が7歳だった頃の夢にも出て来ていた、あの《シュクラの銀月》の姿だ。
声は無く、口の形のみだが。内容は読話できる。
――鍵を開けて。そうすれば。わたしたち皆が救われる。見捨てないで。過去、生贄にされた、多くの人たちも――
アルジーは、ブルブル震えながら……羽ペンに、インクを詰め込んだ。
試供品の瓶に入っている、もはや少なくなった紅緋色のインク。
あと1回分しか、残っていない。
通常の赤インクよりも鮮やかに深い紅緋色インクを認識したのか、母シェイエラ姫の幻影が、口元いっぱいに笑みの形を浮かべた。それこそ歓喜で踊り出しそうなほどの……
絶体絶命の危機に陥った時のように、記憶がグルグルとめぐる。動揺のあまり、目が回りそうだ。
どこか、遠い感じのする位置で、かすかに、白文鳥パルの声がする。《八叉巨蛇(ヤシャコブラ)》の声も。
『あれ程に強力なトラブル吸引魔法の壺は禁制事項ではないか、白の者よ。しかも《アルフ・ライラ・ワ・ライラ》を、まるまる、すべて飛び越えてくるなど、本来はあってはならない。
まぁ《精霊界の制約》は、キッチリ線引きしたようだがな。お蔭で、両大河(ユーラ・ターラー)も逆流できようというものだ』
『銀月が薔薇輝石(ロードナイト)が、ありとあらゆる禁制事項を超越して、かの《アルフ・ライラ・ワ・ライラ》を渡ったのは、そもそも邪霊の側に理由がある』
『な、なにを言う』
『深遠なる《天の書》運行の抜け穴を見付けて、穴を広げることに熱心で、常に私利私欲もて専横を試みる邪霊たちよ。
不正に相乗り可能な範囲を超えてまで、大自然の理に反して、本来ありえないことを実現しつづけた。《闇と銀月》対称性の崩れ、反作用の次元が、どれほど広がっているか認識しないのであろう』
白文鳥パルの重々しい口調が、つづいている。
『酒姫(サーキイ)アルジュナと物理的に融合するほどに波長が合ったのも、むべなるかな。
いみじくも《火のジン=レクシアル》指摘せり。専横の極致を極めるゆえに、物事の原因と結果を考察する能力が無い、いや、それを必要としない。汝の司令塔すらも』
『事象いまや此処に至る。無力な奴隷の種族どもは、本来のとおりの位置立場に還るが良い』
ボンヤリと、アルジーの中で。何故か。
謎の《地の精霊》の言葉が思い出された。
――時が来たら案内する。だが今はまだ無理だ。「アル・アーラーフ」の時空幾何を充填するまでには、条件が整っていないゆえ――
――「アル・アーラーフ」へ至る条件というのは、白孔雀の尾羽を7枚まで増やすことだ――
白孔雀の尾羽、まだ3本だけだった……よね?
そんな、半分以下に不足している状態で、白孔雀《魔法の鍵》――羽ペン――が、尾羽7本だった時と同じように使えるものなのか?
邪霊害獣《八叉巨蛇(ヤシャコブラ)》は自信満々だ。「同じように使える」と確信している。それだけの根拠が無ければ「いま此処で開錠しろ」とは要求しないだろう。いくら邪霊でも。
浅い水面が波立ち、ちゃぷん、と音を立てている。
――銀髪の絶世の酒姫(サーキイ)アルジュナ。最初は、どこにでも居るような、ちょっとした不良少年だった筈だ。邪霊の巻き起こす「大自然の理に反した、本来ありえない」奇跡に関わって――そして……
そして、最後は、邪霊害獣《八叉巨蛇(ヤシャコブラ)》の、三つ首「化けの皮」と、果てた。それが代償だった。
白孔雀の尾羽の数は、まだ3本のみ。
おそらく、邪霊の流儀の手続きでもって、つなぐ事になるのだ。「アル・アーラーフ」の時空幾何を。
いま手に持っている白孔雀《魔法の鍵》羽ペンも……邪霊の側の流儀でもって取り寄せて来た結果――大自然の理に反して本来ありえないことを実現した結果――
その代償は、判らない。
聞いても、教えてくれないだろう。精霊の側も、邪霊の側も。
黄金祭壇の傍に出現した、母シェイエラ姫の幽霊は、まだそこに在る。助けを求めているのが判る……
ベールに包まれた頭部をゴソゴソやり、ブランクの紅白の御札を取り出す。
大人5人、6人ほどは余裕で並べそうな面積――六角形タイルの端に。
国家祭祀の定番の姿勢――立て膝でもって、控える。
早くも邪霊害獣《八叉巨蛇(ヤシャコブラ)》が、極太の触腕の先端部を巧みにくぼませ、お椀のようにして、そこに、浅い水面からの水を汲み……六角形タイルのうえに、水を撒いた。
ちょっとした水たまりが、六角形タイルの面に、できた。紅白の御札をひたすのに、手頃な水たまりが。
紅白の御札に――開錠のための、精霊文字を記す。
確か、生前にも同じように開錠した、という記憶がある。
――『孔雀の玉座いま来たれり、開けゴマ』
ここに並ぶ精霊文字は、とてもよく似た字形の精霊文字があって、取り違えないように注意しなければならない。
慎重に……字形を作って。紅緋色インクが完全に乾かないうちに素早く、ひたす。
あの時の、生前に体験した不思議な出来事と同じように――紅白の御札は、水の中に溶ける代わりに……白く輝きながら形を変えた。
古代アンティーク風の――白い鍵。
邪霊害獣《八叉巨蛇(ヤシャコブラ)》の邪声が響く。
『見事だ! 銀月が薔薇輝石(ロードナイト)……!』
肩先で、白文鳥パルが、無言で身を固くしていた。これから起こる不吉な変化を、直感しているかのように。
『……やるわよ!』
雪花石膏(アラバスター)で出来ているかのような、純白の鍵を取り出すなり、六角形タイルの中央部へ駈け込み。
そこにある『鍵穴の絵』へと、魔法の鍵を突っ込む。
抵抗なく、スッと、白い鍵が……漆黒の『鍵穴の絵』に沈み込んだ。そして、回った。
――パシャン。
白文鳥《精霊鳥》パルが、仰天したかのように飛び跳ねた。
六角形タイルが、秘密の地下室へつづく「持ち上げ戸」のように、持ち上がった。
――瞬間、純白の流星群が、そこから湧き上がった!
*****
邪霊害獣《八叉巨蛇(ヤシャコブラ)》が、驚愕のあまり。
最下層の大広間の全体どころか、ラビリンス遥か上層部にまで轟くような、邪声の大音声を、ほとばしらせた。
『ぐおぉぉがああぁぁ―――――――――?!』
六角形の形をして開いた地底の謎の空間から、圧倒的なまでの勢いと規模の、純白の流星群が……爆発しつづける。
それは次々に、目を見張るような大きさの羽根となった。
同時に、白文鳥パルが、精霊魔法の増強成分をうけて、巨大化した。
まるで――純白の白孔雀の姿形、そのものだ。此処に来た時に最初に見たような気のする姿――純白の炎に燃える、火の鳥の姿だ。
『銀月のジン=アルシェラト祝福せし薔薇輝石(ロードナイト)なる小さき姫よ! 見事だ、相棒!』
『ぐごぉ……いったい何をした!? 忌々しい銀月の……!』
まさか、これほどの激しい事象を目撃することになるとは想定外――カラクリ人形アルジーは、ワタワタと、逃げ惑うのみだ。
『せせせ、先祖伝承のアレ! 破産したハサン……あの御札に書いてたの、孔雀の玉座いま来たれり破産ゴマ!』
『開けゴマ……じゃ無くて、破産ゴマ、だとぉ!? アホを極めし、かの鳥頭の二つ名、はるか彼方ナナメウエ《貧乏神ハサン》……ありえない! ありえるものか――――!』
『カシコイ・カシコイ邪霊には絶対ありえない選択だったねピッ!』
無数の、純白に輝く大きな羽根の数々は、見る間に、邪霊害獣《八叉巨蛇(ヤシャコブラ)》の巨体を押し包んだ。
同時に。
純白に輝く大きな羽根の数々の別動隊は、とりわけ豪華絢爛な気のする財宝の数々へと、突き刺さった。何かしら超絶的な判断能力を発揮したかのように……
まるで財宝に羽が生えたかのようだ。そして実際に羽が生えて、舞い上がっていた!
天頂から降りそそぐ、真白に明るい満月の、月光のもと。
財宝の数々は、中空で、白い羽根でもって羽ばたきながら……黄金の火花を盛大に散らした。
黄金の火花が散り果てた後……もとから、そうであったかのように、最弱の邪霊害獣《三つ首ドクロ》の大群へと変じた。
呆然となるほどの多数の邪霊害獣《三つ首ドクロ》が、邪霊ならではの幻惑《魔導》を大いに使って、財宝へ化けていたようだ。
次々に、純白のエネルギーに包まれ、退魔調伏され……真紅の砂と果てるどころか、そのまま根源の氣へと還っていった。爆速の退魔調伏スピードだ。
階上のドーム屋根のほうでも、仰天の気配が広がっている。動けるようになっていたのか、多数の人の足音。うちつづく指令と応答の声。
六角タイルだった穴から爆発的に湧き上がる、純白に輝く膨大な流星群の流れ。いまだに止まらず、更に数量を増した白羽となって、あふれかえる。
邪霊害獣《八叉巨蛇(ヤシャコブラ)》の大声は、悲鳴に変わっていた。
その巨体を押し包んだ純白の羽根の数々が、その強大な飛翔の力でもって、「8本足のヒトデ」巨体を、中空へと吊り上げていた。
ちょうど階上に居た《火の精霊》ジン=レクシアルが加勢して来た――「8本足のヒトデ」巨体に、「地獄の聖火」と表現するにふさわしい、巨大かつ壮麗な烈火が、着火する。
あざやかな真紅と、聖火の白金と。
みるみるうちに、白金色は、いっそうまばゆい青白さとなり……邪霊害獣《八叉巨蛇(ヤシャコブラ)》を「お焚き上げ」してゆく。
「おい、ちょっと鎮まれ、鎮まってくれ! 燃えてしまう!」
どこか遠くで、セルヴィン皇子のものらしい、慌てた少年の声がする。
――そして実際に、壮絶なまでの輻射熱を受けて……
アリージュ姫が憑依していた満身創痍のカラクリ人形が、火柱と化していた。
激しい火勢のなかで、みるみるうちに焼き尽くされ、存在すら抹消されてゆく。
だが、《火の精霊》の対応は、全体から見ると、とても正しいのだ。
何故なら……このカラクリ人形が。人質として使える存在であることを、嫌らしくも察知していた邪霊害獣の数々が。
少しでも直撃をまぬがれようと……カラクリ人形を盾にして、ビッシリと張り付き、きつく巻き付いていたのだから。
邪霊害獣《三つ首ドクロ》の群れが。邪霊害獣《八叉巨蛇(ヤシャコブラ)》の、極太にして長大な、忌まわしい触腕が。
元・カラクリ人形であった火柱の周りで、次々に、真紅の熱砂と果てたカタマリが、ゴロゴロと転がる。
いまや、この世の、どの《魔導》溶鉱炉の中よりも高温になった灼熱の空気が、浅い水のうえに充満していた。
大広間の全体に広がっていた浅い水面が、ぐつぐつと煮えたぎっている。
たまらず、財宝の間に隠れていた各種の邪霊害獣《三つ首ネズミ》《三つ首コウモリ》《骸骨剣士》《蠕蟲(ワーム)》、果ては成形途中の《人食鬼(グール)》未熟体までが、飛び出して来て。
次々に、「お焚き上げ」の的となった。
灼熱の空気の中で、純白の輝線が、不思議な《魔導陣》を描いた。
――いつか見たような気のする、月下美人に似た形状の、複雑な《魔導陣》だ。
なおも天頂から降りそそぐ銀月の光のなかで、それは、共鳴した証の、銀月色の輝きをまとい……《魔導陣》がグルリと回転しつつ、開花したかのような形状へと変貌する。
異次元の、あの闇よりも深い藍色の時空が閃いた。
たまゆらの一瞬――
かねてから準備されていたらしい、あの《逆しまの石の女》彫刻石が、ドッと、最下層の広間の全体に落下して……整然と配置された。
地底が震えたゆえの、重低音の衝撃。
――その銀色をした不思議な彫刻石の数、きっと1001個におよぶ。
老女《象使い》ナディテの驚きの声がつづいた。
「――地下神殿の魔除けの彫刻『逆しまの石の女』じゃ! 古代ガジャ神殿遺跡の地下にもある――ありゃ《怪物王ジャバ》封印石で、最強の魔除けという……!」
「なんという事じゃろう! 歴史が動く! 精霊が強力に干渉する筈じゃ!」
「それよりも此処、早くしないと崩れますぜ、せめて梁(はり)にロープを……」
その指摘は正しかった。
――次の瞬間、立っていられないほどの、巨大な揺動(ようどう)が襲って来た。
当座の憑依先を失った霊魂となって漂う……アリージュ姫に、精霊語の響きが届いて来る。
『銀月のジン=アルシェラト来たりて去り、時は来たれり。二位なる火力ご照覧あれ《火霊王》――ジャヌーブが《地の精霊》地殻変動を始められたい。初期の契約の成立時より、
大幅に遅延に遅延を重ねたが、今こそ、成就の時である』
『ちょちょちょ、ちょっと待って地殻変動!? 山でも造るの!? 造山活動とか?』
本能的な直感でもって、霊魂サイズを小さく縮めて、ワタワタ・クルクルしていると。
元の大きさに戻っていた白文鳥パルが、「シュバッ」とやって来て、霊魂アリージュ姫をつかんだ。
高温の空気がジュウジュウと音を立てながら湧き上がっている……その中を舞い上がってゆく。ドーム屋根の形をした梁(はり)構造へ向かって。
『アル・アーラーフ時空幾何の充填が完了した! 深遠なる《天の書》が書き換わった、ピッ!』
『て、ことは、白孔雀の7枚羽――原状復帰クエストは!?』
『ゴメン、此処に来る前に、白孔雀の7枚羽すべて復帰してた。だから、白孔雀の羽ペン《魔法の鍵》が完全に機能した。反作用ふくめて何が起こるか、まったく判らなかったから。
アリージュ姫の可能性に賭けて秘密にしてたんだ、ピッ。巨大熱源が動いた。予測していた以上の大変動が来る、ピッ!』
激しい揺動(ようどう)は、いつしか、激烈な地震となっていた。
最下層の大広間の天井を支えていた巨大な列柱の数々に、次々にヒビが入り、バキバキと音を立てている。
ラビリンス上層部の天井穴は、あらかた崩落していた。
大広間と同じくらいの巨大な面積にわたって、空隙がポッカリと開いている。
その巨大な空隙からのぞくのは、満月の光が満ちわたる、とてもとても明るい夜空。
ガラガラ、ゴン、ガゴン、ドドン――
大きな大きな、大量の瓦礫が、ラビリンス上層部から降って来る……いやに、絶体絶命の結末を確信させる。
ゲッ、とばかりに息を呑む霊魂アリージュ姫。
『どどど、どうするの! 白鷹騎士団の皆さんとか――空飛ぶ絨毯とか……《鳥舟(アルカ)》……!』
梁(はり)を抜けてみると……高温の空気が、見る間に冷えて、いちめんの濃厚な雲霧と化していた。
『わ、邪霊やらかしの反作用が、さっそく来たよ、アリージュ姫! ホントに帆掛船(ダウ)が召喚されて来た、ピッ!』
見ると、濃厚な雲霧――まさに雲海と化した蒸気の中で、あの天がける帆掛船(ダウ)が浮かんでいた。
口々に驚きの声を上げて、指差す面々。
「なんじゃ、こりゃ!? 」
「帆掛船(ダウ)が、急に現れたですや……!」
「し、しかも、何だか空中に浮いてますよ、クムラン殿!」
「何が何だか――とにかく、空飛ぶ船でありまさ! チラと《鳥使い》伝説で聞いたこと、ありまさ!」
「あの幽霊娘さんは霊魂になってるじゃろうが、何処じゃ? 船に乗ってるのか?」
次の瞬間、2頭《精霊象》が船へ乗り込んだ。生き残っていた14頭の馬も、1頭のロバも、走り出した。大跳躍して、次々に船に乗り込む。精霊の指示を受け取った様子だ。
「小船ですよ、もう象や馬でいっぱいで、人間のほうは全員は乗れないと思いますが――」
察しの早いシャロフ青年が、視界を阻む蒸気をかき分けながら、的確な状況分析をしている。
言っているうちに、《精霊象》と馬とロバを抱えた帆掛船(ダウ)は、上昇した。
上昇しながら――その舷から、多数のロープを垂らしている。パッと見、充分な長さと、数。しかもロープ梯子になっている。ひとまず全員が、ぶら下がれそうだ。
「全員、走れ! 手荷物と武器は捨てなくて良い、帆掛船(ダウ)の限界を見極めて都度、重量を調整する!」
シャバーズ団長の号令が飛び、全員でロープ梯子につかまり、鈴なりにぶら下がる。
致命的なまでの高度差を、多数の瓦礫が、雨のように降りそそいでいる。
相応に多数の瓦礫が、梁(はり)で組まれているドーム屋根にも直撃しはじめ……壮絶なまでの圧壊と崩落が、はじまっていた。
……帆掛船(ダウ)は、みるみるうちに、なめらかに舞い上がった。知覚があるかのように、落下する瓦礫の空隙を縫って、右へ左へと、舵取りしつつ。
いっぱいに張られた三角帆のはためく音は、大きな鳥が力強く羽ばたく音に、よく似ている……
地殻変動の衝撃は、ラビリンス廃墟の吹き抜け全体に及んでいた。
ひとたび大きく震動して、最上層から最下層まで達する、長大な、ひび割れが出現する。その長大な裂け目の数々が更に広がり、多数の瓦礫を吐き出していた。
いまや、はるか下方へ見下ろす形になった底のほうは、大量の土埃が上がっていた。さらに濃厚な蒸気に包まれていて、なにが起きているのか判らない。
ふとした一瞬、蒸気の切れ目から、灼熱の炎の色が見える。その異様な輝きと――熱量。
「なんだか、火事というよりは、溶岩が湧き上がって来てるような色合いじゃないか? クムラン殿」
「認めたくないが、オローグ殿――地下の裂け目が開いて、溶岩が噴き出して来ていると思える、確かに。とんでもない重低音が、ずっとつづいてるんだ」
「何故、爆発して噴火しない……いや、口に出して言うには不吉すぎるが」
「溶岩の性質……地質条件が、帝国北方の火山帯とは違うんだろう」
近くの別のロープ梯子の段につかまっていた老女《象使い》ナディテが、さっそく口を差し挟んだ。
「南洋の火山島と共通の地質条件なんじゃろ。ジャヌーブ南海の諸島には火山島が多いんじゃが、爆発的な火山は無くて、こう、
溶岩の川が、ゆっくりと海へ流れるんじゃ……溶岩の川の傍まで近づいて観察もできる。観光資源になっとる」
見立てを交わしているうちにも、帆掛船(ダウ)は上昇していった。器用に、落下して来る瓦礫をかわしながら……目下、増えた重量を、チラとも気にしていない速度。
やがて……老魔導士フィーヴァーが、風に揺られて視界が広がった拍子に、空飛ぶ帆掛船(ダウ)の船首にある、鳥の彫刻に気付く。
「この帆掛船(ダウ)、船首が鳥の彫刻になっとる。しかも船全体が純白じゃ。スパルナ部族やシャヒン部族のほうで、なにか、その類の古代伝承はあるか? 同士ジナフ殿」
「我らがスパルナ部族の青き《鳥巫》カルラ伝説のなかに一節ございます。天がける白き帆掛船(ダウ)。
白孔雀の御使いなる白文鳥《精霊鳥》が、どの鳥よりも遠くへ飛べるのは、白孔雀の分け御霊なる白き帆掛船(ダウ)の存在ゆえ。《象使い》でも同様の伝承であるかと」
また別のロープ梯子に取り付いていた壮年《象使い》ドルヴが、コクコクと頷いていた。
「異論ナシでありまさ。この帆掛船(ダウ)を召喚したのは、間違いなく《鳥使い》娘さんでありまさ」
やがて、ラビリンス第三層と第四層を仕切る、広大な天井床に相当する階層へと到達した。
中央部に出来ていた空隙は、倍以上の大きさに広がっている。
逃げ場を失った邪霊害獣が多数チョロチョロしている。崩落しながらも、まだ面積を残していた床面では、同士討ちや共食いが、はじまっていた。
そして大部分が、地上脱出路に気付いたらしい。早くも大挙して地上へと向かっている、ぎらつく黄金の……割合に多数の増強型の大型をも含んでいる……大群。
純白の帆掛船(ダウ)は、さらに飛行高度を増してゆく。はるか最下層から、雲霧のような濃厚な蒸気が湧き上がるのを、上昇気流としてとらえている様子。中央部の空隙を通り、ついに地上階へと浮上した。
「どこまで浮上するんでありまさ……とんでもない精霊魔法でありまさ」
壮年《象使い》ドルヴが指摘したとおり。
帆掛船(ダウ)の上昇速度は、まるで変わっていない。
遂に、無残に崩落しきった、巨大なドクロを思わせる三つの丘の、上空へと舞い上がったのだった……
…………
……
いつもの、通常の夜空よりも、いっそう明るい夜空が広がっていた。
天頂で「留」を維持していた銀月と、全天でもっとも明るい星座『帆掛船(ダウ)』を構成する「帆柱頭の灯火」とが重なり……共鳴し、増光しあっている。
たがいに共鳴し増光しあう白銀の光は、孔雀の尾を思わせる長い長い純白の光条を、天空に張り巡らせていた。
――『闇と銀月』の対極。『白孔雀と銀月』。
偉大なる白孔雀が、天空いっぱいに、純白の尾羽を広げたかのような荘厳な光景だ。しばしの間、息を呑み……純白の神聖におののくゆえの静寂が、横たわる……
…………
……
或る高度で……純白の帆掛船(ダウ)は上昇を止めた。
南海から押し寄せる、潮気をふくんだ空気の流れ。いっぱいに張られた三角帆が、その南風を受けて大きく膨らみ……帆掛船(ダウ)は、方向を変えはじめた。
一方で。
地下熱源は、大量の蒸気を噴出しつづけていた。地殻変動に伴う濃厚な蒸気が、廃墟全体を、モウモウと包んでいる。
流砂地帯へ面している広大な「突出の間」は……すでに面影が無い。ひっきりなしにつづく激しい震動。地盤の隆起と沈降を繰り返して、ボコボコに地形を変えた流砂地帯のうえに、残骸が散らばっている。
巨大なラビリンス廃墟の反対側に、オベリスク広場が見える。古代の驚異の建築技術の賜物であるか、まだ原形を残していた。
オベリスク広場は、邪霊害獣の大群に包囲されている。
カムザング皇子の軍は、オベリスク広場を安全圏と見て退避していた。それは軍事上、正しい選択である。オベリスク広場いっぱいに展開して、大挙して沸いて来た邪霊害獣の数々との戦闘に入っていた。
次から次へと際限なく押し寄せる、ぎらつく黄金の群れ。先ほど目撃した、ラビリンス第三層の邪霊害獣の大群――増強型の大型も相当に含んでいる状態――もまた、そこへ加わるのは確実だ。
カスラー大将軍その他の取り巻きたちも、大砲をひっきりなしに撃ちまくり。大型の邪霊害獣が雷光に巻かれて、真紅の砂と化している。
真夜中を過ぎた「草木も眠る闇の刻」ではあるが、満月の光のもと、割合に戦況が読める状態だ。
白鷹騎士団のメンバーたちが戦士としての眼差しになり、戦況分析コメントがつづく。
「邪霊害獣の数が多すぎるが、何とか、しのげるか?」
「カムザング皇子の側は、勝利を確信しているようだ。大砲も、砦にあったのを、持ち出せる限り持ち出したようだし……こちらから援軍に出向くことはできないだろう。
カムザング皇子の軍は、我々を発見するなり、邪霊害獣の退魔調伏を放り出して、我々へ大砲を撃ってくる筈だ」
はるか上空から見守っているうちに……ぎらつく邪霊害獣の大群の一部が、方向を変えて、北方へとあふれ出しているのが見て取れるようになった。
「カムザング皇子の弾幕を抜けてるらしい。邪霊害獣の群れが、ジャヌーブ砦を目指しているぞ」
「定番の異常氣象だ! いまは雨季だから多少は静穏化してる筈が……」
若い騎士のひとりが目ざとく気付き、焦った様子になる。
「かなりヤバイな。パニックになってるのか、やたらと攻撃的――大型《人食鬼(グール)》も――ジャヌーブ砦が危ないんじゃないか。夜討ち朝駆け……」
若い騎士が指摘したとおり、やがて、地形の盛り上がりが見えて来た。「異常氣象の岩山」だ。
ラビリンス廃墟の地下構造が大破綻する前に、すでに脱出していたらしい邪霊害獣が、多数うごめいている。
虎ヒゲ・マジードがグルリと四方を見回し、片手にシッカリ携えていた大斧槍(ハルバード)を、いっそう固く握り込んだ。
「帆掛船(ダウ)がどこまで飛ぶのか判らんが、ともかく北へ帆走してござる。ジャヌーブ砦の方向へ」
やがて。
少しの間、帆掛船(ダウ)の甲板を訪問していた白タカ・ノジュムと、白タカ・ジブリールが、それぞれ鷹匠ユーサーとオーラン少年のもとへ、戻って来た。
鷹匠ユーサーが素早く情報交換を済ませ、ひとつ頷く。
「残念ながらカラクリ人形は燃え尽きましたが、《鳥使い姫》霊魂は、甲板に居るとのこと。ついでながら間もなく目的地に到着します。
行きの時にも通過した《精霊クジャクサボテン》群生地……《鳥使い姫》のほうでも、ジャヌーブ周辺の地理で、そこしか『適当に安全そうな場所』を知らない状態ですので」
「あ、ああ……それは、そうじゃろうな」
老魔導士フィーヴァーが白ヒゲをモッサァとさせ、毎度、脳内で論文を記しはじめたようだ。
しばし、驚愕と納得の入り交ざった、呆然とした沈黙が横たわり。
その言葉どおり、すぐに《精霊クジャクサボテン》群生地が、間近に見えて来た。
満月の姿をした銀月の「留」は、とうに終わっていた。天頂の位置を大きく外れていて……銀月は、いまや西の空にある。夜空は、通常の月夜ならではの、ほの明るさ。
「なるほど……帆掛船(ダウ)の速度は、おおむね鳥が空を飛ぶ時の速度じゃな! 海上の帆走よりも高速じゃ!」
帆掛船(ダウ)は旋回しつつ、急速に高度を下げていった。見る間に、《精霊クジャクサボテン》群生地との距離が縮まる。
満月のもと、数々の《精霊クジャクサボテン》が純白の花を付けているのが、うっすらと見て取れた。各所でホタルのように点滅しているのは、毛玉ケサランパサランだ。
同時に不穏な揺れがはじまり、船全体が、きしみ音を立て始めた……
クムラン副官が、鋭い聴覚でもって異変を捉え、ギョッとした顔になる。次いで、オーラン少年も。
「なんだ、この……きしみは?」
白タカ・ノジュムが鋭く鳴き……鷹匠ユーサーの通訳が、再び挟まった。
「本来、この帆掛船(ダウ)が停泊できるポイントは、極めて限られているそうです。通常は聖火礼拝堂や聖火神殿の、聖別されし尖塔の天頂とのこと。かなり揺れるかと……!」
不吉なきしみ音は、ガリガリ音へと変化した。暗礁の狭間を通過しようとして、ガリガリこすっている状況かというところだ。物理的な衝撃となって、ガツンガツンと伝わって来る。
気流が支配的な上空と、重力が支配的な地上付近とでは、空飛ぶ帆掛船(ダウ)にとっては相当に条件が異なるらしい――という雰囲気。
船底の被覆(カバー)が順番に弾け飛び、ボロボロになり、やはり純白の色をした竜骨が、露出した。
水上の船と同じように、浸水・沈没プロセスのような何かがはじまったらしく……帆掛船(ダウ)は、いっそう高度を下げた。
高度は、もはや、ジャヌーブ砦の城壁と同じくらい。
純白の帆掛船(ダウ)の被覆(カバー)全体に、細かな亀裂が入るや……一気に、無数の純白の鳥の羽根となって舞い散っていった。次々に蒸発して《根源の氣》へ還る。
精霊魔法による飛翔の力が失われていった。旋回が終わり、ひたすら直進になる。
空を飛ぶ鳥が着陸する時のように、ごくごく浅い角度で地上へ突入する。速度を落としたとはいえ、全速力の馬くらいには、高速だ。
みるみるうちに、「見かけ上、暴走している」地表面が迫って来る。
「……全員、衝撃に備えろ!」
降下の順番が入れ替わり、つかまっていたロープ梯子のほうが、船の甲板よりも高い位置になった。純白の甲板のうえで、象・馬・ロバが、ひしめいていて、驚き慌てているのが見える状態。
――遂に、《精霊クジャクサボテン》群生地を成す砂場へ着陸した。
次に、たなびくロープ梯子につかまったままの、各々の冒険メンバーが。
砂場のうえを、結構な速度と衝撃でもって、滑走して……
暴走している馬の後ろにつながれて、引きずられているような……
船底が骨格のみとなり、もろくなっていたせいで。船の下部が、バキバキと音を立てながら構造崩壊していた。だが、甲板や帆柱を含む上部構造のほうは、激しく揺すぶられながらも、原形を維持している……
……そして、止まった。
モウモウと砂ぼこりが立つ。
元・帆掛船(ダウ)であったものの残骸は、なかば砂の中に埋もれていた。ゆっくりと首を傾げるかのように……ななめになった格好で、落ち着く。
……まだ現実感が無い。
呆然とした、深い虚脱がつづく。緊張のあまり、ロープ梯子をつかんでいた手が、まだ強張って震えている状態だ。
もっとも頑強さに恵まれていた『毛深族』虎ヒゲ・マジードが、最初に衝撃から回復した。「うおぉ」と、うめきながら、自慢の大斧槍(ハルバード)を支えとして身を起こす。
「生きてるぞ! おい、生きてござるか!」
ついで、体力に自信のある者から、順番に起き上がった。引きずられた衝撃で、スリ傷だらけだが、とにかく命はある。
まだ起き上がれないメンバーは、手助けしてもらって、起こしてもらう形。早くも点呼がはじまる。
「全員、生還! 骨折など重傷者は12名、まだ失神中が7名……!」
ちなみに、骨折した重傷者の中に、ラービヤ嬢と老女ナディテと――老騎士にして魔導士ジナフが居た。老ジナフは、まだ失神していた。老体には、大きすぎる衝撃だったのだ。
「済まんねぇ、ラービヤちゃん」
「いえ! 我が誉れでございますわ」
ラービヤ嬢のほうは若者ならではの俊敏さでもって、この状況にしては上々の受け身を取り、老女ナディテの下敷きになった形であった。非常識なまでの危機的状況の連続であったが、
生還した今、人生の別の方向で自信がついたのか……骨折の痛みに歯を食いしばりながらも、青い目は、まぶしい程にキラキラしていた。
一般人な商人ネズルは、当然ながら、みごと骨折していた。誰よりも多い骨折数。
衣服もボロボロに破れていて、全身まるっと傷だらけで、驚愕の表情を張り付けたまま白目をむいて気絶していたが……名誉の生還というところ。
老魔導士フィーヴァーは骨折しなかった。誰よりも砂まみれであったが、シャッキリしていて、ピンピンしている。モッサァ白ヒゲが、クッションになった形。
「同士ジナフ殿、目を覚ますんじゃ。休むのは後でもできる。まだ仕事が残っとるぞい!」
早くも、老魔導士フィーヴァーがジナフの鼻先に気付け薬を近づけ。黒衣の老騎士ジナフは、クシャミをしながら、目を覚ました。
老魔導士フィーヴァーがテキパキと老ジナフの骨折の処置を済ませ、松葉杖で歩ける程度には、整える。
砂山の中で座礁した格好の、帆掛船(ダウ)。
甲板の周辺を残して無残に全壊した船だが、帆柱と三角帆が、西へ傾いた銀月の光を受けて、夢のような純白に輝いている。
白タカ・ノジュムと白タカ・ジブリールが船尾に腰を下ろして、甲板の上に居る《精霊象》と情報交換していた。真っ白な翼をバサバサとやったり、クチバシをカチカチ鳴らしたり。
《精霊象》の長い長い象の鼻が、ユラユラしているのが、チラリと見えている状態だ。
ようやく歩けるようになったセルヴィン少年とオーラン少年が、驚きのままに、ヨロヨロと船尾へ接近する。
ついで、鷹匠ユーサーが。オローグ青年とクムラン副官が。好奇心いっぱいの虎ヒゲ・マジードも、後ろにつづく形だ。
白タカ・ノジュムが、さっそく鷹匠ユーサーへ声を掛ける。
『態勢を立て直すのを急がなきゃならん。ジャヌーブ廃墟の崩落でパニックして狂暴化した邪霊害獣やら《人食鬼(グール)》やらが、此処も目指してるんだ。
船尾を開けて、馬を降ろすのが先だ。まだ呆然としている状況だが、指令すれば走る』
鷹匠ユーサーが、帆掛船(ダウ)の船尾に取り付く。大人の背丈の高さにある、その留め具は、ことごとく古代様式だ。
「古代様式には詳しくないが」
ためつすがめつ。クムラン副官とオローグ青年も加勢した。間に合わせの機転をくわえつつ、知恵の輪のような雰囲気のする留め具を、なんとか取り外す。
船尾が一枚の板状の形式で開き、甲板と地上をつなぐ傾斜路になった。
船の傾きに沿って想定外の角度が付いた傾斜路を、馬とロバ、それに《精霊象》が、慎重な足取りで降りて来た。半数が、衝撃のあまりボーッとしていて、おとなしい。
ほぼ全身に、打撲痕やスリ傷。相応に痛むことは痛むと見て取れるが、深刻な状態を免れている。
白タカ・ノジュムと白タカ若鳥ジブリールが、訳知り顔で飛び交いつつ、クチバシでもって、三角帆を帆柱から取り外した。
斜めになった甲板のうえに、バサリと落ちる三角帆。
その正体は、羽翼紋様を織り込まれた白い絨毯だ。
「あの最初の怪談――『白い絨毯のような未確認飛行物体』の……まさか、空飛ぶ魔法の白い絨毯……!」
クムラン副官が仰天して、正解を口にした。
平たく横たわっていた白い絨毯が、ヒョコリと動き、ヒョコヒョコと、シーツの山のような盛り上がりを作った。とても馴染み深い動きだ。なかに、本当に人間が居るかのような……
傾いてしまっている甲板をチョコチョコと伝い、そこに落ちていたと思しき《紅白の御札》を拾う。
見ていると、中の存在は、白い絨毯の内側へ御札を取り付けたようだ。
そして。
中の存在が、オバケ遊びのオバケ役のように、白い絨毯を引っ掛けたまま、パッと振り返った……
■11■千尋の海の底までも あまねく統べるは闇と銀月
帝国の南方領土《人食鬼(グール)》戦線、ジャヌーブ地方。
防衛の要としてそびえたつ軍事要塞『ジャヌーブ砦』と、南海に面する国際貿易港『ジャヌーブ港町』を結ぶ隊商道の途上――
数々の隊商(キャラバン)の定番の夜営ポイントとなる安全圏、《精霊クジャクサボテン》群生地の水場。
雨季のさなか満々と水をたたえた、ちょっとした湖の岸辺にそって、グルリと、《精霊クジャクサボテン》が純白の花をつけていた。
受粉活動のため《精霊クジャクサボテン》の花々に呼ばれて、ホタルのように点滅しつつ浮遊する、4色の毛玉ケサランパサラン。
水場から距離を取るにつれて、乾燥しきった砂丘が並ぶ。そこから先は、ジャヌーブ地方の光景――強大な邪霊害獣がうろつく、荒々しい岩石砂漠が広がっていた……
…………
……
満月の姿をした銀月は、順調に、西の地平線へと近づいていた。
砂丘の連続の中、あたらしく盛り上がった、ひとつの砂山。その中央部に、ありえない物体が出現していた。
――夢のような純白色をした、帆掛船(ダウ)の残骸。
目下、激しい地殻変動に見舞われているジャヌーブ南の古代廃墟。その絶体絶命の危機を抜け出し。空を飛んで、ここまでやって来た――驚異の精霊魔法の証だ。
*****
霊魂アリージュ姫が、目下、霊魂であるゆえに、物理的に言葉が届かないことに気付いたのは。
中堅ベテラン鷹匠ユーサーが、船尾の留め具を取り外そうと、しはじめた時だ。
甲板から見ると一目瞭然なのだが、船の外側からだと、見当がつきにくい様子なのだ。
船尾でピョンピョン飛び跳ねながら、方法を述べたのだが……鷹匠ユーサーも、手助けしはじめたオローグ青年とクムラン副官も、気付いていない。
白タカ・ジブリールが帆柱に横ざまに取り付きながら、「ピョッ」と話しかけて来る。
『いま、純粋に霊魂だからね、銀月アリージュ姫。憑依してたカラクリ人形は全焼してしまったし』
『ぐるっと回って元どおりじゃないの! まだ伝えなきゃならない件が……もう、あそこに《人食鬼(グール)》数体、出てるとか!』
『しばらくは、しのげるよ。《精霊クジャクサボテン》の花が、まだ残ってる。開花中は強大な邪霊は近づいて来ない』
ホッと息つく間もなく、アリージュ姫の肩先へ落ち着いた相棒・白文鳥《精霊鳥》パルが、せかせかと飛び跳ねた。
『夜明けが近いから急がないとね、ピッ。《時空幾何ねじれ対称性》が、ものすごい勢いで』
『おぅ』
幸いに、鷹匠ユーサーとオローグ青年とクムラン副官は、無事に船尾をこじ開けた。
傾斜路となった一枚板を、馬やロバが、ヨロヨロと降りていく。
最後に、馬の尻を象の鼻でチョンチョンつついて、促していた、《精霊象》2頭。
『この現代に空を飛んだ《精霊象》なんて我々くらいだね。仲間に自慢するよ』
『ジャヌーブ側の《時空ねじれ対称性》の戻りの衝撃を押さえるのは、ボクら《精霊象》に任せて』
『頼むピッ。アリージュ姫は引き受けるピッ』
白タカ・ノジュムと白タカ・ジブリールが協力して、手際よく、帆柱から、空飛ぶ白い絨毯《鳥舟(アルカ)》を取り外していった。
肩先で、白文鳥パルが、テキパキと説明しはじめる。
『あの白い絨毯を、頭からベールのようにかぶれば、当座の霊魂イメージ投影できるから。半透明になるけど』
『了解』
不気味な半透明イメージであっても、位置を特定できる「姿」が見えるのと見えないのとでは、随分と違う。
アリージュ姫も人類のひとりだ。見当違いの、アサッテな方向へ向かって応答されるよりは、本人(本・霊魂?)の位置へ向かって応答してもらうのが、自然な感覚がする……
『甲板のどこかに落としちゃったけど、《お喋り身代わり居留守》御札があるよ。ピッ。それで、物理的に伝言を』
その合間にも、バサリと、傾いた甲板のうえへ、空飛ぶ白い絨毯《鳥舟(アルカ)》が降って来た。
さっそく潜り込む、アリージュ姫であった。何故か大人の体格にしては、スッと潜り込めた。しかも丈が、微妙に長くなっているような……
――だが、その奇妙な違和感を、検討する余裕は無い。甲板のどこかに《紅白の御札》が……
白文鳥パルの、早口の説明がつづいた。
『復活した白孔雀の尾羽7本、もう大型ドリームキャッチャー護符に戻してあるんだけど、どうしても、時空幾何の空隙に突っ込むことになる、ピッ。
一時的とはいえ行方不明になるから、『白孔雀の尾羽の羽ペン』よりも、発見は難しくて、ピッ』
『……あぁ! 少女時代の女戦士ヴィーダの頭にくっついた、あの霊体パーツとか、のような……』
『まさに、そうなの。こちらでも、同族かき集めて捜索かけておくけど。鷹匠ユーサーたちに、どこかで大型ドリームキャッチャー護符を見つけたら、拾って、シッカリ持っててくれるよう、頼まないと、ピッ』
幸いに、舵輪に近い場所で、紅白の御札《お喋り身代わり居留守》が見つかった。
手際よく拾って、絨毯の内側にペタリ、と、やり。パッと振り返る……
…………
……みな奇妙な表情だ。
早くも「霊魂イメージ投影の結果」を認識したらしいが。絶句して、呆然としている様子だ。まさに「だれ?」と問うときの顔。
――この非常事態、全員で、ポカンとしてる場合じゃないでしょ!
アリージュ姫はプリプリしながら、傾いた傾斜路の真ん中に、適当に位置を取った。舷からつづいている手すりに、つかまりながら。
「なに、ポカンとしてるの! もう《人食鬼(グール)》デカブツが近づいてて、それも数体」
最後尾に居た虎ヒゲ・マジードが、珍しく真面目な顔をしながら、しげしげと……眺めはじめた。熟練の戦士らしく、すでに大斧槍(ハルバード)はシッカリ握り込まれているが……
「娘っこ、どこから来たんだ? 半透明ってことは幽霊のようでござるが」
「いままで一緒に居たわよ、あのカラクリ人形に、憑依してる本人として!」
「おぅ、こりゃ失礼。しかし憑依してる霊魂は、不遇ハーレム妻だった女性だとか……包帯まみれの小さき姫、とは聞かなかったでござるな」
「大男から見れば、ほとんどの人間は小さいでしょ。これでも、れっきとした、結婚も済んでる大人ですからね!」
キメ言葉を強調するために仁王立ちになって、背をキリッと反らし、迫力タップリに腰に手を当てて見せる。
返って来たのは面白がっているような視線であった。「あぁ、うん」と言うような。
次に、なにかに気付いたように――仰天そのものの顔つきになったのは……黒髪オローグ青年と、オーラン少年の2人だ。
「まさか――アリージュ姫?」
「アリージュなのか? なんで、此処に? ――幽霊で? その全身の包帯は、いったい?」
……ほぇ……!?
頭を――満水の、大きな素焼き壺で、殴られたような衝撃。
次に、相当量の冷や水を「ざばー」と、かぶったかのような……
セルヴィン少年が驚いたように、オーラン少年、ついでオローグ青年を振り返っていた。
「少し前に、チラと名前を聞いたけど――あの東方辺境の、シュクラ王国の……イトコ……9歳の妹姫?」
虎ヒゲ・マジードが感心したように、ミッシリと生えて来ている虎ヒゲを、撫ではじめた。
「それなら納得でござる、お転婆なお年頃の……小さき姫君、こりゃ驚くべき真相でござるな」
戸惑ったように再び振り向いて来た、セルヴィン少年の肩先で。チョロリと、ちっちゃな手乗りサイズ火吹きネコマタが、姿を現した。
『伝える順番が逆転したニャネ《鳥使い姫》。水のジン=ユーリュメルが説明してたとおり、10歳の少女の姿が、例の手術後の包帯ごと投影されてるニャ。
エネルギーゼロで、《鳥使い》装束は人類の目には見えにくいニャ。それに、すっかり灰色の髪ニャネ』
――失念してたわ! その説明、霊魂の手術の後で、確かに聞いた! 少女の姿をした霊体が揺らぐとか……!
次に、ゲッ、という気分になる。
――《精霊界の制約》は!?
「シュクラ王女……私、アリージュだった……」
紅白の御札《お喋り身代わり居留守》が、アリージュ姫の動転すら精密に再現して、呟いた。
……身元情報に関して《精霊界の制約》が外れたのだ! きっと、ラビリンス最下層で、巨大《八叉巨蛇(ヤシャコブラ)》と対決したことが関係している!
パルの緊急の伝言に関して、長くなる説明が……不要だ……!
「鷹匠ユーサー殿、お願いがあるの!」
――中堅ベテラン鷹匠ユーサーが、ハッと息を呑み。即座に、丁寧に胸に手を当てて応じて来た。まだ衝撃が抜けていない顔だが、何故か、どこかで深く納得がいったような雰囲気だ。
「シュクラ王国の国宝に、白孔雀の尾羽7本を飾り緒とする――大型ドリームキャッチャー護符があって……」
このくらいの大きさだったか、という風に、クルクル腕を回す。
「存じております。ゆかりの霊媒師より、詳細を聞いたことが」
「知ってるなら話は早いわ。説明スッ飛ばすけど、訳あって、その護符が行方不明になるようなの。もし、それを見つけられたら――」
白タカ・ノジュムが鋭く鳴く。
『――《条件分岐》充足の臨界へ達した! かの《時空ねじれ対称性》が来る……!』
ジャヌーブ南方――あの古代ラビリンス廃墟の方角で、呆然となるような轟音が上がった。
みなで驚愕のあまり、南の地平線を注目する。
満月に照らされた夜空の中……
南方の地平線のうえをどよめく、壮大な、砂嵐のようなもの。
むくむく、もくもく……と、変幻自在な入道雲のように、刻々、規模を増している。恐ろしいまでの爆速の、勢力拡大。
砂嵐によく似た入道雲モドキの最下層の部分は、地下に何か大きな光源があるのか、真っ赤に照らされて輝いていた。激しくどよめく乱流の各所で、多数の雷光すら走っている。
そして。
夜空の別の一角。目立ってきらめく明るい星座――『帆掛船(ダウ)』。
夜の間ずっと沈まない天測基準の星々……通称『アストロラーベ星団』。
あのアルフ・ライラ・ワ・ライラの中で目撃した光景とは異なる。星座『帆掛船(ダウ)』と、『アストロラーベ星団』の位置関係が反転しているのだ。
霊魂アリージュ姫が、その意味を考える間もなく。
壮大な砂嵐らしき何かは、みるみるうちに、夜空を覆った。
いっそう西の地平線へ近づく銀月。銀月も砂嵐の闇に包まれてゆく……
次の瞬間、霊魂アリージュ姫の中で、異様な直感が閃いた。
それどころじゃないのに、連関が止まらない。
――最初に、その名「アリージュ」を口にしたのは……オローグ青年。オーラン少年。
いままで特に意味を込めて、黒髪の兄弟2人を、眺めていた訳では無いけれど。
初対面――ジャヌーブ砦へ来て、初めて会った人々。
東帝城砦から遠く離れた、南部《人食鬼(グール)》前線の人が、何故、東方辺境の、小さな王国の姫を、知っているの? まして帝都宮廷へ一度も顔を見せていない――9歳・10歳かという、
一度も会ったことの無い、アリージュの姿を?
この人たち最初に、何と言ってたっけ?
最初に飛び込んで来た、漫才のような会話。名前。発音……
…………
……
フン、ケツの青い坊主どもは聞き分け良く黙っとるもんじゃよ、オローグ君。
名前の発音がおかしいのですが、老フィーヴァー殿……
出身の城砦(カスバ)が互いに遠く離れているんじゃから、『毛深族』方言くらい受け容れるが良い。
……
…………
氏名「オローグ」という発音は、『毛深族』方言に属する発音方式?
でも、セルヴィン少年も「オローグ」って発音してたよね? あれ、でも帝国語の発音方式って、確か……
――精霊文字にも、字形がよく似ていて注意しないと取り違えてしまうパターンがある。『開けゴマ』。『破産ゴマ』。
遠く離れた土地の間でも、発音方式が重複するパターンがある。「ローグ」という名前が、そのひとつだ。
幼い頃、聞いたことがある。その、オリクト・カスバのローグ本人から。
年齢が上だったから、ユージド王太子より一足先に、帝都宮廷デビューして。たまに故郷へ帰還する時があって、ついでにシュクラ宮廷へも足を延ばしてもらって。
笑い話の――帝都の土産話の――ひとつ。今まで……忘れてた。
――毛深族の人たちからは、いつも「オローグ」と呼ばれてしまう。親友は、ちゃんと「ローグ」と呼んでくれるけどね。
訂正しても無駄だし、帝国全土の折衷語でも「オローグ」が多数派だから、もう放置するしか無いかなあ、ハハッ――
もし、ここに居る黒髪オローグ青年が、すなわちオリクト・カスバの、ローグ様だとしたら。
親友って……クムラン副官!?
――訳あって、名前の発音流儀を変えてるんだ。『オローグ』で通ってるから、その呼称で――
クムラン副官は……その妙な要請、すぐに承知してたよね!? それって……! 親友として、発音流儀の問題を、よく知っていた、ということ以外に、ありえない!
ありえない――以上に、もっと、ありえない。
だって、ローグ様、今30代じゃないの!?
どうみても、いま目の前に居るのは、20代なりかけの青年なんだけど……10年くらい若いんだけど……!?
ローグ様に弟は居なかった筈だ。
まして「オーラン」と言う名前の弟――黒髪の側近が居る、というような、微妙な話は、なにかで小耳に挟んだけど。
限りなく「弟分」という立ち位置で、同時に側近で、周囲の人も納得するような、「兄弟」系統の、血縁関係がある人物となると……
いまや霊魂アリージュ姫は、ブルブル震えながら、オローグ青年とオーラン少年を見つめるのみだった。
オーラン少年が瀕死の重傷――《人食鬼(グール)》裂傷で寝込んでいて、白文鳥に憑依していたアリージュ姫へ、ボンヤリと、話しかけて来た内容がある。
――耳が良いってことで、兄貴の助手――書面では、側近かな――採用されてるところ。兄貴は、城砦(カスバ)の王侯諸侯の血筋――
つながった。
信じられないけど。
霊魂アリージュ姫の激しい動揺と同期するかのように。
ジャヌーブ廃墟から発したと思しき奇怪な砂嵐が、遂に、《精霊クジャクサボテン》群生地へ到達した。
「伏せろ!」
シャバーズ団長の大声が飛び。ドヤドヤと騎士たちが動く。
そして、オローグ青年とオーラン少年が、まさしく血縁ならではのシンクロで、霊魂アリージュ姫を振り返って来た。
「アリージュ!」
黒髪オーラン少年が、片手でターバンを覆面にしながら、霊魂アリージュ姫へと手を伸ばして来た。
生前――同じ所作を見たことがある! 年齢層は、まるっと10年ちがうけど! 何故か妙に訳知りだったような、あの人は、黒髪をしていた……こんな感じの色合いの、黒髪を!
足元が崩れるほどの衝撃。
激しく突き抜けてゆく、身体全体が消滅せんばかりの衝撃。
それは、砂嵐から来る豪風ゆえか。霊魂アリージュ自身の驚愕ゆえか。
闇よりも深い――藍色の虚空『アルフ・ライラ・ワ・ライラ』が、目の前いっぱいに広がっていた。
流星群のような白い光跡の群れが、あふれる。
夜の深淵を思わせる藍色の深みから次々に延長して上昇してゆく――落ち込んでゆくのとは逆に――湾曲した回廊。
かねてから巻き付けていた、空飛ぶ魔法の白い絨毯は……霊魂アリージュ姫をつつんだまま、その超越的な時空へと飛翔していた。
ドッとやって来る、高速移動に伴う風圧。グルグルと回り続ける……「時計回り」に。あの時に見たのは、確か「反時計」回りだった筈。
いくつもの「夜の穴」が……千夜一夜が……通過してゆく。
そして、まばゆい流星群の大河の中に、壮大な空間が開けた。
浩々と明るい満月のもと、いっそう摩訶不思議な奇岩地帯。
上下逆転している巨大な正三角錐『アル・アーラーフ』。
空飛ぶ魔法の白い絨毯は、霊魂アリージュ姫と白文鳥パルを抱えたまま、グルリと方向転換した。
世界の軸が、大きく変わったみたいだ。時空そのものの角度が、まるごと逆転したような……
肩先で白文鳥《精霊鳥》パルが、ひっきりなしに、さえずっていた。とても、とても、難しい精霊語を――おそらく《超転移》呪文の、詠唱を。
上下逆転している巨大な正三角錐『アル・アーラーフ』が、点滅しつつ反転していた……いま見ると、平坦な三角形の面のほうでは無く、鋭い頂点のほうを、天に向けている。
――10年前。時計回り――10年後。反時計回り。反転……10年前。
トラブル吸引魔法の壺。時空の歪みの極致……
…………
……
いきなり思い出されて来る。
訳知りな《火の精霊》火吹きネコマタの言及……疑問と応答と……
『かの《逆しまの石の女》ジン=アルシェラトの精霊魔法。《鳥使い姫》は、生身じゃなくてポンコツ霊魂なのに、100%近い驚異の変換効率ニャ。
詳細に説明することはできないが、そもそも《鳥使い姫》が、この時空に共鳴して存在するという事実が、既に、極めて高度な精霊魔法《鳥舟(アルカ)》であるニャ』
『分かったような、分からないような……? ジン=アルシェラトは《銀月の精霊》だね。なぜ地下のジャバ神殿の、一番底の階層で、逆さまの首の彫刻の形で並べられているのか分からないし。
美形だと思うけど、精霊(ジン)にしては、なんか不安定だし、妖しいというか』
『千夜一夜の満月の光と新月の闇を揺らぐゆえ。銀月から発した千夜一夜の精霊魔法《鳥舟(アルカ)》稼働時間は、我ら現在の時空では、1001日かも知れぬし、50日足らずかも知れぬ。
「時空の歪みの極致」だの「時空の特異点」だの言いならわすところだが、人類の言語の範囲で正確に説明するのは難しい。「この世で最強のトラブル吸引魔法の壺」の魔法という風に、理解しておいてくれニャ』
……
…………
ふとした折に奇妙な指摘をされた、もっとも新しい帝国通貨。
――バリバリ本物なんですけど製造年代が奇妙なんですわ1枚。製造年代が10年も先の未来のモノなんですわ――
それが真相なのか。
――10年という「時」を、おしわたっていたのか。
南方ジャヌーブ前線で過ごした、あの短くも色々ありすぎた、濃厚な日々。同じ時空の、はるか東帝城砦の「人質の塔」には、9歳か10歳くらいの、アリージュ姫の肉体が存在していたのか。
この時空に存在する物理的肉体に共鳴して、揺らいで、形状を変えてゆく霊魂。
霊魂には、そういう性質があるのだろう。
19歳のアリージュ姫は、そもそも、一定期間以上に長く、この10年前の時空には、共鳴して存在しては居られなかったのだ。そんなことが出来たのは、おそらく「奇跡」なのだろう。
――そもそも《鳥使い姫》が、この時空に共鳴して存在するという事実が、既に、極めて高度な精霊魔法《鳥舟(アルカ)》であるニャ――
条件分岐の臨界。
それが、きっと精霊魔法《鳥舟(アルカ)》の――限界の瞬間なのだ。
いまや……銀月から発した千夜一夜の精霊魔法《鳥舟(アルカ)》稼働時間は、終了した。
本来の肉体が存在する10年後の現在(いま)へ、還ってゆくところなのだ。《根源の氣》へ還るかのように。
……超古代の伝説の、偉大なる千夜一夜の魔法《鳥舟(アルカ)》……!
いままで迷い込んでいた「ジャヌーブ前線の時間」は、オババ殿が、まだ元気で生きていた「過去の時間」だったのだ!
もっと、はやく、気付いていれば。気付いていれば……!
かの《逆しまの石の女》ジン=アルシェラト。揺らぎつづける銀月の精霊。何故「逆しま」で、あったのか。
――千尋の海の底までも――あまねく統(す)べるは闇と銀月――
この世の領域の外。
霊魂アリージュ姫は、いまや全身全霊で絶叫していた。
「うーそーだ――――――――!!」
■12■南方前線の、そして、その後
奇怪な砂嵐の変化は、あまりにも急激――というべきものであった。
ジャヌーブ南の古代廃墟の方角から出現し、信じがたいほどの爆速の移動速度でもって、《精霊クジャクサボテン》群生地の水場を襲って来た――砂嵐のような、なにか。
白鷹騎士団のシャバーズ団長の号令で、皆で砂地に伏せて姿勢を低くして――砂混ざりの豪風が過ぎ去るのを、やり過ごす。
もっと長い時間、死ぬほど最低な気分を味わうことを、覚悟していたのだが。
どこかで《精霊象》2頭が、交互に、不思議な大声を轟かせている。
――オオオォォォオーン!
――ウゥゥイウウウーン!
砂嵐のような、なにか――すなわち、奇怪な豪風は。
現れた時と同じように、またたく間に通り過ぎて……そして、すみやかに消えていった。
みるみるうちに、元の明るい輝きを取り戻す満月。
すでに暁闇。
あと数刻ほどもすれば、月の端が、西の地平線へ接触するところだ。
一方、東の空には、うっすらと夜明けの予兆。
あるかなきかの――薄明。
全員が、夜空の変化に気付いた時には、すでに、もとの澄んだ空気が……砂漠地帯ならではの厳しく乾燥した空気が……広がっていたのだった。
*****
難破船さながらの、元・純白の帆掛船(ダウ)だったものの残骸の、前。
「蒸発した……!」
オーラン少年が、手を伸ばしたまま、呆然と固まっていた。
先刻までは確かに、そこに佇んでいた――半透明の「小さき姫」が、かき消えてしまっている。
怪異にも慣れている性質である、虎ヒゲ戦士マジードも、ポカンと口を開けるのみだ。
「あの『空飛ぶ魔法の白い絨毯』ごと、砂嵐に、持って行かれたでござるか。ま、まぁ幽霊では、あったし?」
白タカ若鳥ジブリールがグルリと真っ白な船の残骸を一周して。オーラン少年の頭上へと戻って来た。
『もう行っちゃったよ。あの霊魂は、この世界の、どこにも居ないよ』
『そんなバカな……アリージュは……』
『正確に理解するのは難しいんだけど、アリージュ姫は居るよ。まだ死んでないから確認もできると思うよ。東帝城砦へ忍びを送る手段があれば』
すこぶる動転している風のオローグ青年とクムラン副官が、オーラン少年へ質問の視線を投げていた。白タカ・ジブリールは、何と言っているのか、と。
「え、ええと、兄貴……あの、なんだか混乱してるんだけど。総合すると、あのアリージュは、此処から居なくなって……どうも東帝城砦のほうへ戻って行った、みたいで」
オローグ青年が顎(あご)に手を当てて、思案ポーズになった。
「確かに、いま、アリージュ姫は東帝城砦『人質の塔』に軟禁状態だ。7歳の時から、御曹司トルジンの13番目のハーレム妻として」
「お、おぅ、そうだったな」
呆然と頷くクムラン副官。その口元は、あからさまに引きつっていた。
虎ヒゲ・マジードが、フーッと息をつき。
「あの小さき姫の言ってたことは事実でござったか。あんな小さな子供が『すでに人妻だ』と主張するのは変だと思ったが、たしかに、そりゃ相当……笑えん話……しかも13番目だって?」
「話は前後するが、最初はトルーラン将軍の、45番目のハーレム妻に設定されていたんだ。「お楽しみの一夜妻」というか期間限定という位置づけだった筈。
シュクラ王室の侍従長タヴィス殿が随行していて、実際に目と耳で確認しているゆえ、ほぼほぼ事実だ」
「うむ。おぞましい初耳だが納得はできるでござる。あんな絶世の美少女、この世に2人と居ない筈。まこと、かの《シュクラの銀月》の再来でござるな」
クムラン副官が、まだ衝撃が抜けていない風で……砂嵐をかぶったターバンを、そわそわと手入れしつつ。
「ニセモノ王女ってことは無いよな」
「シュクラ王家の代々の秘宝の、ドリームキャッチャー護符を知ってた」
あっさりと頷いて見せる、オローグ青年。
「飾り緒には古代の幻術があって――幻術を得意とする《水の精霊》協力だそうだ――羽根の本当の形状は、シュクラ王家の者ないし《精霊使い》にしか見えない。本物だよ。
私には、《魔導》工房で普通に造られている大型ドリームキャッチャー護符と同じように見えるんだが……たまたまシュクラ王室の直接のイトコだから……直接さわって、本当の形を知る機会があった」
つづいてオローグ青年は、複雑な表情を浮かべた。
「シュクラ王国も相応に前の代で、すでに《地の精霊》系へ移行済みではあるんだ。
ケンジェル大使の一族が天性の《鳥使い》候補を輩出したことで、ウトパラ・カスバ方式の盟約も確実になったんだが、まだ果たされていない。
例の天才少年が、まだ相棒となるような白文鳥《精霊鳥》との出逢いが無くて」
「ああ、シュクラ王太子と同じ名前の。まぁ美少年だな。確かオーラン君と同い年だっけ? それで、
まだ相棒の白文鳥《精霊鳥》を得てないってのか? 生前のケンジェル大使が、ことあるごとに天才的な《鳥使い》候補と自慢していた、ご子息どのだろ?」
「ウトパラ・カスバ方式の盟約をつなぐのは、アリージュ姫ということになるのかも知れない。
すでに《鳥使い》だったとは聞いてないんだが、小さい頃から多くの白文鳥と遊んでいたようだから……もう相棒の白文鳥が居るようだし、
精霊語も精霊文字も……伝説に聞くシュクラ開祖さながらの……もう人妻という立場だから、手遅れか? 難しいことになりそうだ」
「天罰女神(ネメシス)ナディテ殿にでも相談してみるか? とはいえ、あれほどの美少女を、噂に聞く性格の御曹司トルジンが手放す筈が無いぞ。にしては……他にも、いろいろ妙な点が出て来てるな?」
セルヴィン少年は、訳知りの大人たちの情報交換に耳を傾けつつ、深い思案に沈んでいった。
一方で。
鷹匠ユーサーは、あの水盤を開き……占術をしながらも、その鏡面に《青衣の霊媒師》オババ殿を呼び出し。相棒の白タカ・ノジュムと共に、当座の確認をはじめていた……
*****
ほどなくして、新たな騎馬団――それも戦象隊をも含む面々が、並ぶ砂丘の向こう側に姿を現した。
「おーい、そこに居るのは、シャバーズ団長どのか!?」
「いったい何なんだ、あの真っ白なのは!? 砂山で座礁した帆掛船(ダウ)そのものじゃないか!」
「どうやって、この砂漠ど真ん中に、船を持ち込んだんだ? ターラー河でも、その支流でも無い……! 運河からも離れている場所に……!」
響いて来るのは、ジャヌーブ砦の第四長官バムシャード将軍の声、それにジャヌーブ砦に詰めている頼もしい同僚の、戦士たちの声だ。
早くも、バムシャード長官の部下として、クムラン青年が駆け寄る。
「副官クムランであります、バムシャード長官! 数々の高度《魔導》事情を含み説明は長くなるゆえ、老魔導士どのとジナフ殿が落ち着かれた時に改めて。
今すぐに果たさねばならぬのは、接近中の《人食鬼(グール)》群を含む、異例なる邪霊害獣の大群の退魔調伏でありますぜ!」
馬上からバムシャード長官が身を乗り出し、クムラン副官へ大きく頷いて見せた。
「うむ、ジャヌーブ天文台の占い師たちの天体観測と占断による警告があったゆえ、承知している。ゆえに第四長官として、私バムシャードが、
ここ、ジャヌーブ隊商道の重要拠点《精霊クジャクサボテン》群生地の防衛のため出張したのだ。さらに心強きことに、強力な助っ人、毛深族ジャウハラ戦士の参戦も頂いておる」
その説明のとおり、バムシャード長官が率いる部隊の中に、みごとなモッサァ銀ヒゲを持つ、筋骨隆々の『毛深族』戦士が居た。ユーモアたっぷりに、口の端をニヤリと吊り上げている。
バムシャード長官は、相変わらず苦労人の中年という格好であるが、最近は気が楽になったのか随分と顔色が良くなり、闊達な雰囲気さえも感じられるところだ。
――明らかに。カムザング皇子やカスラー将軍をはじめとする扱いの面倒な人々が、砦から居なくなったため、というのが大きい。
セルヴィン皇子の任務を邪魔するため、ひいてはセルヴィン皇子を暗殺するため、という、実に身勝手な理由――宮廷勢力図の都合上、バムシャードには手出しができず、切歯扼腕するのみではあったが……
「第一長官と第二長官は本拠地であるジャヌーブ砦を維持するためとどまっている。第三長官はターラー河へつづく重要拠点である運河の始点の部族集落の防衛のため出張しているところだ。
それにしても、偶然にも今宵は満月、夜明け前ゆえ、まだ《精霊クジャクサボテン》花が残っているのは実に幸いである」
意外なほどにテキパキとした速度で、老魔導士フィーヴァーがクムラン副官の横へと並んだ。
「お勤めご苦労じゃの、バムシャード殿。黄金《魔導札》在庫があれば提供してくれ。みごとジン=ラエド《魔導》を行ない、邪霊害獣の奴らに、あらん限りの雷撃を落としてくれるわ」
「実に頼もしきことであります、老魔導士どの! そこにいらっしゃるリドワーン閣下が、黄金《魔導札》在庫をお持ちでありますゆえ、是非とも」
バムシャード長官が示した先には、ヒラ神官に見えないヒラ神官――紅の長衣(カフタン)姿の、騎馬の中年男性が居た。
まだ驚愕の表情を浮かべてセルヴィン皇子のほうを注目している、リドワーン閣下であった。
――そうしているうちにも、満月の端が西の地平線へ接触していた。《精霊クジャクサボテン》の、最後の花が散る。
同時に、ぎらつく黄金色の三つ首《人食鬼(グール)》の群れが、おまえら食い尽くしてやる――と言わんばかりの、忌まわしき邪声をあげる。
その足元には、三つ首の邪霊害獣が更に密な群れを成していた。
かくして、忌まわしき邪霊の各種の種族は、一斉に、ぎらつく黄金の津波のごとく、押し寄せて来た!
満を持して、バムシャード長官の大声が響きわたった。
「それでは皆、かねてからの打ち合わせどおり! 白鷹騎士団と連携して、邪霊害獣どもを殲滅せよ!」
「御意!」
かくして。
特に大型《人食鬼(グール)》と激突した地点では、銀ヒゲ『毛深族』ジャウハラ戦士の神技が、炸裂した。
「忌まわしき邪霊どもよ、奥義《雷帝の金剛千裂斬(こんごうせんれつざん)》を食らえ!」
その名称から明らかなように、雷帝サボテン発射砲と、三日月刀(シャムシール)とを組み合わせた……まさに一騎当千の砲術&剣術なのだった。
*****
払暁の刻と共に始まった、《精霊クジャクサボテン》群生地における退魔調伏の戦いは、激闘の末、午前半ば過ぎの頃に終了した。
――「戦死者を数える」という気の滅入るような作業が入ったが。
全体から見れば、ダメージを最小限に抑えたうえでの、圧勝である。
かの伝説の「近現代史の大事件」――「大徳もて巨大化《人食鬼(グール)》討伐指令くだせり帝国皇帝(シャーハンシャー)偉大なり」と同じくらいだ。
ジャヌーブ砦の第四長官バムシャード将軍や、シャバーズ団長の戦績は、とりわけ歴史的な大成果として帝都方面へ報告されるのは確実となった。
当座の司令塔としているパラソル・テントのもと、バムシャード長官は戦士仕様のあわただしい食事をしながらも、白鷹騎士団のシャバーズ団長や専属魔導士ジナフ、
それに老魔導士フィーヴァーと情報交換をおこなった。部下としてクムラン副官が同席。
もちろん、リドワーン閣下をはじめとして、セルヴィン皇子と従者オーラン少年、護衛オローグ青年および鷹匠ユーサーは、陪席する形である。
「帝都方面の《魔導》急報である。……もう夜が明けたゆえ昨日か? 満月の日の、というほうが分かりやすいな」
バムシャード長官は簡単にまとめた箇条書きメモに目を通しながらも、まだ整理しきれぬ部分があるのか、戦士ターバンに包まれた頭をワシャワシャとやっていた。
「満月の日の日没の刻、第一皇子ロジュマーンと第二皇子ズゥルバハルが急死。体調すぐれぬ帝国皇帝(シャーハンシャー)の名代として、国家祭祀『白孔雀と銀月』に列席するため、
大聖火神殿の皇族専用の控室で、衣装など整えている最中に。帝都宮廷の勢力図の都合があって表向き『危篤』すなわち生存中の扱いだが」
「なにゆえ! 第一皇子も第二皇子も、優れた容姿や頑健さには定評あった筈じゃが!」
老魔導士フィーヴァーが驚きのあまり、モッサァ白ヒゲを「ボン!」と爆発させた。
セルヴィン少年もオーラン少年も「え?」という顔になる。
「2人とも、危篤の際に、頭部が《三つ首ドクロ》に、胴体が《蠕蟲(ワーム)》に変身したと。前駆症状は、カムザング皇子が呈した症状と共通してるらしい。急激な老化、腐敗臭、脱毛その他」
「最初に、カムザング皇子と同じような異変。次に、邪霊害獣へ変形。ふーむ!」
「魔導士と神官と神殿衛兵が大挙して、三つ首《蠕蟲(ワーム)》として退魔調伏し、事なきを得たが、秘密裏の『封魔葬』は確定……人類史上の最高の天才なる老魔導士どの、
そもそもの忌まわしき変身の原因に、見当は付くであろうか?」
「もちろんじゃ。例の、極道の銀髪の酒姫(サーキイ)がやらかした禁術、セルヴィン坊主の生贄《魔導札》に関与した残り2名が判明し、全容解明したも同然じゃ」
あまりにも、あっさりと、回答、いや、それ以上の爆弾が飛び出して来たようなものだ。
「ついでながら、忌まわしき前駆症状が出た後も、カムザング皇子が人体を維持できていたのは、徹底的かつ圧倒的多数の『白羽の矢のお清め』があったからじゃ、
本人は早くも無駄にしおったが。実に実に驚くべき不愉快さではあるが今は重要では無いゆえ、あとで詳しく説明するぞい。長ったらしくなる専門の説明だの何だのも加えてな」
圧倒されたように、バムシャード長官は頷くのみであった。
一方で……リドワーン閣下は絶句していた。
*****
「ええと、こちらは人的被害は無いゆえ重大項目には加わっていないが」
バムシャード長官は歴戦の戦士らしく、すぐに気を取り直して説明をつづけた。
「セルヴィン殿下が廃墟の冒険へ出発された後、その当日の午後半ばに、帝都の大聖火神殿で『機密施錠の宝物庫』が爆発していた」
「爆発じゃとな? ふーむ。『機密施錠の宝物庫』……ふん」
「老魔導士どのも前・魔導大臣フィーボル猊下としてご存知のとおり、現・魔導大臣ザドフィク猊下が熱心に管理していた、宝物庫のひとつなのだ」
いまだに伝説の英雄とされている高名なる前・魔導大臣フィーボル猊下は、「フン!」と盛大に鼻を鳴らすのみであった。
――前々・魔導大臣ボゾルグメフル猊下の大徳ある指令のもと、かの邪悪なる暗殺教団『炎冠星』を徹底的に殲滅し。
その仕事を引き継いで、帝都にひしめく暗殺教団の数々の破壊活動をすら、長年にわたって抑え込んだ――という大いなる実績は、簡単に成し得る内容では無いのだが……
「あの秀才魔導士ザドフィク、いつか、やらかすと思ったわい。《精霊石》には、壊滅的に相性の良くない組み合わせもあるのじゃ。
考えなしに《精霊石》宝飾だらけにするのは、《魔導》工房でもやらん愚行じゃよ」
次に、陪席者のひとりとして耳を傾けていた鷹匠ユーサーが、首を傾げた。
「なにか特例事項が加わっているのですか、バムシャード長官どの? 大聖火神殿の一角の爆発事故は事件ではありますが、学究所のほうでは《魔導》実験研究で、日常的に爆発が起きていたかと」
「おお、そうだった。そう言えば、こちらはリドワーン閣下が説明されるのが良きかと」
バムシャード長官がひとつ頷き、リドワーン閣下のほうを見やった。
大聖火神殿の財政理事リドワーン閣下が、素早く頷く。
「くだんの『機密施錠の宝物庫』爆発事件の後、帝都の金融商の組合と連携している大型《黒ダイヤモンド》が、ひとつ無くなっていたとの報告があった。こちらが要点となる」
ナイスミドル神官リドワーン閣下は、いったん両手を組んで、「このくらいの大きさ」という風に示して見せた。ビックリするくらいには大きなサイズの《黒ダイヤモンド》と知れる。
「亀甲カット細工のものだ。例によって、方々の金融商の金庫を守る《黒ダイヤモンド鍵》司令塔として機能していた《精霊石》ゆえ、金融商の組合では大騒ぎになっている」
老魔導士フィーヴァーが「ふむ!」と頷いた。
「東方辺境の砂漠の遺跡から出た有名な《黒ダイヤモンド》じゃな。魔導士の若いのが欲に狂ったという程の、いわくつきのデカブツじゃ。
かつて悪名をとどろかせた暗殺教団『炎冠星』が手を伸ばしておった。たまたまじゃが、同時期に、いまは亡き前々・魔導大臣ボゾルグメフル猊下の大徳ある指令によって密輸ルート壊滅が進んだゆえ、
すんでのところで無事に大聖火神殿の管理下に入った」
「前々・魔導大臣ボゾルグメフル猊下の大仕事、帝都皇族としても感謝する。この度の不始末は、悔やまれるところだ」
リドワーン閣下は少し疲れたように溜息をついたが、すぐに説明が再開したのだった。
「いくつかの大きな商会の財務情報と共に、白鷹騎士団の財務情報も含まれていたゆえ、こちらでも早期解決を図るよう指示しておくが。
ここ1ヶ月分の取引記録は曖昧になったと覚悟しなければ。特に例の『族滅の任務の刺客(アサシン)』へ流れていた、横領による損害分が。
直近では、確か、このたび急に代替で入った見習い魔導士ユジール君の不正利益になる分か? アヴァン侯クロシュ殿が秘密裏に追及していた、これもいわくつきの案件だ」
クムラン副官がアレアレと言わんばかりの顔になり、魔導士ジナフが相応に衝撃を受けた顔になった。
「あのユジール君が? やけに美少年の?」
「大事件です。すぐにでも、経理担当のエスファン殿とサーラ殿へ連携させていただきます」
「極秘案件ゆえ、情報の取扱い注意を含めておいてくれたまえ」
リドワーン閣下は、にわかに、顔をしかめた。その当時の、衝撃や困惑を思い出したように……
「そして即座に、白鷹騎士団の財務方面を任せている金融商オッサヌフが『亀甲カット《黒ダイヤモンド》盗難事件』犯人だと言いがかりを付けられ、刺客(アサシン)を差し向けられた。
目下、彼は、東方領土へでも逐電しているところだろう。かねてから例の霊媒師より警告していたとのことで、避難行動が早かったのは幸いだ」
「何故そんな事態に?」
白鷹騎士団の専属魔導士ジナフが、唖然とした顔になっていた。
「かねてから同業者どうし足の引っ張り合いが有ったのだろうが、捏造のブツもそろえて金融商オッサヌフを犯人と名指ししているのは、カムザング派閥の系列の業者たちだ。
本気で排除をはじめた原因は、さだめし帝国皇帝(シャーハンシャー)の急な命令書。『セルヴィンがジャヌーブ南の廃墟を殲滅せよ』という内容の」
複雑怪奇な金融商の行動原理は、よく判らない。しばし、首を傾げるのみの沈黙が横たわり。
再びリドワーン閣下が口を開いた。
「手前味噌で恐縮だが、セルヴィンが古代廃墟の冒険で何か発見した場合に備えて、発掘物やら何やら横取りできるように策謀を進めていたと結論している」
「むむ、かの命令書が出てから実際に廃墟へ潜入するまで、アブダル事件だのなんだので日数は掛かりましたし、その間に、それくらいは捏造ネタを仕込みそうですな」
目を回しながらも、シャバーズ団長が頷いていた。
或る程度、理解が進んだことを確認し、リドワーン閣下は更に言葉を継いだ。
「セルヴィンが白鷹騎士団の警護を受けていることは事実。発掘物は白鷹騎士団の管理下に、すなわち白鷹騎士団の財務方面を担当する金融商オッサヌフの管理下に入る。
金融商オッサヌフを排除すれば、代わりの金融商が、発掘物やら何やらを管理することになる。カムザング皇子やカスラー大将軍が急に打って出たことからしても、その辺りが、オッサヌフ排除へ動いた筈だ」
思わず、オーラン少年がボソッと呟く。
「いじきたない。カムザング皇子を廃墟の前まで差し向けたばかりか、カムザング派閥の業者を押し込んで、横取り……」
通常の場であれば不敬発言も含めて注意するべき言動だが、リドワーン閣下は鷹揚に頷いていた。
「実に適切な表現だな、オーラン君。ともあれ大聖火神殿のほうで急遽、帝都の金融商リストから、オッサヌフの名を削るよう、折り返し、指示は済んでいる。排除する理由が無くなれば、オッサヌフは安全だ。
都落ちの末に不遇をかこつ状況にはなるだろうが、なにか埋め合わせを考えておこう」
魔導士ジナフが、若干落ち着いた様子になった。骨折した片足をさすって、痛みをなだめつつ。
「それではリドワーン閣下、オッサヌフ殿については、廃業の危機は無いとお考えでございますか」
「帝国大市場(グランド・バザール)の面々は、オッサヌフが犯人だとは全く信じていない。熱心に排除に賛同した、第三皇子ハディード派閥の業者でさえ……オッサヌフは、
あのとおり少し変わり者だが、女商人からの信用も高い。かの名高い文房具店『アルフ・ライラ』女商人ロシャナクも含めて。女性だからと言って差別したり見くだしたりするような取引はしない人物ゆえ」
そして、余談ながら、と補足が入った。
「第一皇子と第二皇子の急死で、帝都大市場(グランド・バザール)の裏街道のチンピラ騎士団や密輸業者、暗殺教団どうしの抗争の盛り上がりは、確定したも同然だ。
あの目端の利く女商人、オッサヌフと同様に逐電する勢いで、東方領土のどこかの城砦(カスバ)に支店をつくるくらいの経営判断はするかも知れん」
リドワーン閣下は思案顔で腕を組み、セルヴィン少年やシャバーズ団長のほうを、意味深に見やった。
「本題からズレたな。ともあれ古代廃墟へ押しかけた筈のカムザング皇子やカスラー大将軍が、今どうしているのか、この目で確認せぬことには、大聖火神殿の財政理事としても次の方針が決まらぬ。
それゆえバムシャード長官に同行した訳だ。少なくともオベリスク広場までは、白鷹騎士団にも同行いただきたい」
魔導士ジナフが、いささか、うろたえた様子になる。
「あの怪異な砂嵐の原因となった正体不明の大爆発が……いえ、『白羽の矢』占術にて、安全性を判断させていただきたく」
「良い。安全な位置までで構わぬ」
――しばし、時間を置いて。
誰もが仰天したことに。『現在、オベリスク広場は安全である』との結果が現れたのだった。
*****
ジャヌーブ砦の第四長官バムシャード将軍の部隊と、白鷹騎士団メインの冒険メンバーは、あらためて――ジャヌーブ南の廃墟を目指す形になった。
まだ戦闘の疲れが大きく……《精霊クジャクサボテン》群生地の水場で、昼食と、仮眠(シエスタ)を兼ねた午後休憩を済ませたら、頃合いを見て出発という形である。
夕食の刻には、ジャヌーブ港町へ到着する見込み。
前回と同じように港町で一泊。必要なら、二泊とする。邪霊害獣の群れとの遭遇や、野営が必要になる可能性に備えて、前回と同じように、各種の装備を万全に整備したうえで……
満を持して、オベリスク広場へ赴き、確認作業を実施するという計画であった。
*****
昼下がりの《精霊クジャクサボテン》群生地に、当座の野営テントの数々。
暑熱の時間だが、雨季の水を満々とたたえた水場の周りには多数のナツメヤシ類が並び、緑蔭が広がっていて涼しい。部隊の半数が仮眠(シエスタ)に入り、静かな時間が過ぎていった。
ほど近くの砂山に横たわっている純白の帆掛船(ダウ)の残骸は、相応にミステリーの的となっていた。ふとした折に、あちこちの野営テントから、視線を集めている状態だ。
残余の精霊エネルギーに引かれて集まって来た毛玉ケサランパサランが、ホタルさながらに点滅を続けている。
必然、白タカ・ノジュムと白タカ・ジブリール、2頭《精霊象》をはじめとして、戦象隊が引き連れていた《精霊象》も、
白い難破船の周りに出来た手頃な日陰の数々に腰を据えて、お喋り――情報交換をしていたのだった。
そして今、セルヴィン皇子の肩先にお座りしていた、ちっちゃな火吹きネコマタも、また。ピョンと日陰に降りていって、疲れを知らぬ精霊仲間に、加わったところだ。
老魔導士フィーヴァーは、興味深い研究対象に目が無い。
早くも帆掛船(ダウ)の残骸に接近し、ウロウロしはじめた。手頃な破片を拾い上げ、色々と角度を変えて観察する。
同時に、疑問をいっぱい抱えたリドワーン閣下と、セルヴィン皇子と、オーラン少年の質問に、テキパキと応じていた。
当座の貴人の護衛として付き添って来た、虎ヒゲ・マジードや、銀ヒゲ・ジャウハラ戦士の質疑にも、応じる姿勢である。
「第一皇子ロジュマーン・第二皇子ズゥルバハルの、急死――の謎についてじゃな。リドワーン殿」
「私が推測した内容は、真実なのだろうか? 老魔導士どの」
「おそらく大きく間違っとらん。まさに同時に、かの満月が始まる日暮れの刻に。セルヴィン坊主の生贄《魔導陣》が解呪した。オーラン坊主も頑張りおった」
いつの間にか、ちっちゃな火吹きネコマタがチョロチョロと足元に来ていた。得意げな様子で、ネコのヒゲをピピンとさせている。もちろん毛並みは、以前とうってかわって、ツヤツヤである。
リドワーン閣下は改めて、驚きの眼差しになり。
パッと見、相変わらず虚弱と不健康を引きずっているようなヒョロリ少年を振り返り……
当のセルヴィン少年のほうは、まだ実感が無く……自信なさげに小首を傾げて、頷いて見せるのみだった。
「……かの《鳥使い姫》が動き回ったのが、大きいのであろうな、老魔導士どの……前・魔導大臣フィーボル猊下……」
「まさしく精霊界の使命やら任務やらが第一だった筈じゃ。禁術の解呪その他は、運命の条件分岐と共に記された条項に過ぎん。いみじくも老ダーキン殿が述べたように、
我々にとっては、運命という名の盤面――どの選択肢をとっても「詰み」だった筈の状況を、幸運の女神が大逆転した、というほどの事態じゃが」
「同意するほか無い。あらためて、ラーザム財務官の殺害事件をはじめとする諸々の出来事の変化を検討していたが。
個別の事件そのものは帝国全土のどこでも見られるような内容だ。それなのに、たった数日間で、帝都の宮廷勢力図すら書き変えるような『余波』が発生するとは……」
いつしか、ポツポツとした野営テントの間のざわめきは、シンとした静寂へと変わっていた。そよ風の音すら聞こえてきそうだ。
耳という耳が、老魔導士フィーヴァーと、リドワーン閣下の間で展開する、あまりにも興味深い分析内容を、窺っていた……
「すべては、偉大なる大自然『天の書』運行の歪み、すなわちジャヌーブ南の異常状態を正すため」
老魔導士フィーヴァーは、誰よりも早く正しい考察と結論に到達していた。「人類史上の最高の天才」とかますだけのことはある。
「かの《雷霆刀の英雄》の時代に、魔境は終焉した筈じゃった。だが、なんらかの『いじきたない』抜け道にあずかって、ジャヌーブ南には古代の濃厚な邪気やら、邪霊植物やらが存続したんじゃ。
この現代にまで《異常氣象》――魔境の苗床がつづいた理由じゃよ」
いつしか、老魔導士フィーヴァーの、純白の船の欠片を引っ繰り返す手の動きは、止まっていた。
「あそこの邪霊どもには、かつての恐るべき知能が復活しつつあった。召喚魔法を使う邪体さえ発生しておった、すぐさま退治したが。
最下層の怪物王というべき……あまりにも想像を絶する巨大な八叉巨蛇(ヤシャコブラ)。高度な概念を完璧に操った。あらん限りの甘言と計略を弄して、《鳥使い姫》を操ろうとした」
みごとなモッサァ白ヒゲが、ブルリと震えた。その震えは……恐怖から来ていた。
老魔導士その本体、前・魔導大臣フィーボル猊下は、最後に小さく、ボソリと呟いた。
「あれほど、ワシをゾッとさせた存在は無い……正直、まだ《雷霆刀》出現前の暗黒時代の、悪夢の光景を見ていたような気がするのじゃよ」
*****
当座の代表をジャヌーブ砦の第四長官バムシャードとして『ジャヌーブ廃墟の再調査隊』は、順調に出発した。
最初の、名目上の代表セルヴィン皇子の冒険団だった時より、メンバー数は倍に増えている。
上空を悠然と飛翔する白タカ・ノジュムと白タカ・ジブリールが、ちょっとした見立て情報を交換していた。
『まだ占い師の盤面とかの情報は来てないけど、いよいよ帝都宮廷の中に『セルヴィン派閥』できそうだよね?』
『おそらくな。アヴァン侯クロシュが、誰よりも早く詳細な情報を取得して宮廷工作に動く。かねてから方々の有力な城砦(カスバ)の王侯諸侯への打診は進んでたんだ、ここジャヌーブ砦でも。
バムシャード殿が筆頭になりそうだな』
『諜報機関どうなってんの』
『クムラン君とシャロフ君がアヴァン侯クロシュ直属だ、判ってるだろう。クムラン君はアヴァン・カスバ王族の係累だぞ』
白タカ・ノジュムは、一陣の風に乗って軽く旋回し、気付いて面(おもて)を上げた鷹匠ユーサーと、意味深な視線を交わした。
『クムラン本人は楽しく身をやつしてるが、我らが《風》に負けず劣らず、感心するくらい優秀な地獄耳『鬼耳』諜報員だ。せっせとアヴァン侯クロシュへ情報を送っていた。
相棒ユーサーの隠密技術でさえ、監視の網にかけるのに苦労した。あとで「見逃さないポイント」を教えるから、覚えとけ後輩』
地上では、白鷹騎士団のシャバーズ団長を代表として、バムシャード長官への「ジャヌーブ廃墟の調査報告」が口頭でなされていた。そのまま神話伝説になりそうなほどの冒険談である。
「今宵の悪夢に出てきそうだ。巨大《八叉巨蛇(ヤシャコブラ)》のくだりなどは」
――概要を聞き終えたバムシャード長官は、震えあがって、感想を述べたのだった。
*****
順調に旅程をすすめ、ジャヌーブ港町へ到着する。
かの怪異な砂嵐を伴う大爆発と、激しい震動の影響を、ジャヌーブ港町は「一応は」耐え抜いていた。
しかしながら、間違いなく大被害である。町全体が廃墟から吐き出された大量の噴砂をかぶっている状態で、いまだに砂掃除が終わらない。
港町の《象使い》と《精霊象》は、船荷の運搬にかかわる本来の業務と共に、噴砂の運び出し作業をフル回転しつづけていた。
町並みの半分は地震によるヒビが入っていて、場所的に廃墟に近かったエリアは、全半壊という有り様。
冒険者向けの街道の市場(バザール)は、ほぼほぼ屋台店だったものが多く、移動して逃げられたから、意外に被害は少なく済んだ――とはいえ、死傷者の数を数える事態には、なっていた。
被害状況を、地元の商館が中心になって、手際よくまとめていた。
ジャヌーブ商会をはじめとする地元の商工業者の団体が、ジャヌーブ港町の役所へ押しかけて、口をそろえて申告した内容は、おおむね以下のようなものであった。
「昔の、海の邪霊害獣を差し向けて来た凶悪な海賊に襲われてた時よりは、被害は少ないかと」
「ですが、カムザング皇子による種々の迷惑のほうが痛いくらい響いております。無関係の商工業者のほうでも、相当の死傷者や金銭的損害が出ており」
「以前から猖獗を極めていた『カムザング不正ビジネス災害』にくわえて、今回の『廃墟の大爆発・地震・噴砂の嵐による複合災害』の影響は今後に大いに響くものであり」
「帝国はジャヌーブ砦より、納税免除やゼロゼロ融資をはじめとする復興再建の政策を、是非とも早々に実施いただきたく存じます」
「当座の復興計画は、ここに持参した報告書のとおりになります。概要を説明させていただきますと、かくかくしかじか……」
必然ながら、町内の自治の半分以上を民間の商会などに任せていた役所は、パンク状態であった……
…………
……
ジャヌーブ派遣の役所の長官、以下の面々は、バムシャード将軍の到着を察するなり。
文字どおり業務の隙間ができた時刻――すなわち夜討ち朝駆けを仕掛けるタイミングでもって、バムシャード将軍の滞在した宿泊所へ突撃した。
当座の謁見の間となったのは、偶然、あの不良青年ザザーンが、相撲大会で出た死体ハイダル殺害の容疑者として事情聴取されていた空き室であった。物置部屋と変わらぬところだが、そこしか空きが無かったのだ。
真ん中にデンと置かれていた机は、まだ代替品に交換されていなかった。その天板には、三日月刀(シャムシール)による峰打ちの真新しい痕跡が、深々と刻まれていた。
「よほど事情聴取の担当を怒らせる容疑者だったらしいな。行きがけに《精霊象》をブスリとやって害した、不良青年ザザーンとか言うのは」
寝ぼけ眼をこすりつつ、バムシャード将軍は、涙目で並ぶ役人の面々を一瞥した。過労と寝不足で、フラフラ状態の。
規則どおりに随行したシャバーズ団長その他――夜中に叩き起こされた身辺警護の面々までが、目を白黒する光景である。
そのなかに、番外皇子セルヴィン少年と、その従者オーラン少年。
少年2人で少しボソボソと相談して……当座の結論を、護衛オローグ青年に伝え。オローグ青年とクムラン副官の間で「いいんじゃないか?」と確認が入った。
「バムシャード長官どの、提案がございますぜ」
「聞こう、クムラン副官」
「事務をさばく人手が足りないのは判り切ってます。そして我々の軍には、目下、重傷ではあるが動けるメンバー相当数あり、援軍として送り込みましょう。
老女ナディテ殿、ガジャ倉庫商会のラービヤ嬢などは、このたびの骨折で廃墟へ再調査に入るのは困難だが、ここでは将軍レベルの戦力となります」
「ふむ。私バムシャードとしても同感だ。皆の者としても異論は無いな」
随行メンバーが、それぞれに「応」と返した。
つづいて大聖火神殿の財政理事リドワーン閣下が、書状をバムシャード長官へ手渡す。
「ジャヌーブ港町の聖火神殿の神官たちへ協力を要請する文書だ。帝都の大聖火神殿で人事評価の項目に含めるゆえ、神官たちも積極的な態勢になるだろう」
代表として最前面に居た中高年世代の役人は、拝まんばかりに頭を下げた。
次の財務担当とおぼしき役人が、ずいと前面に出る。寝不足と過労を極めたその目の周りは、みごとなクマに襲われている状態だ。
「復興財源の見通しは立ちますでしょうや!? 実務と運用は各々の商会へ任せるとしても、それが気がかりでございます。カムザング皇子の件がござりましただけに」
「目下、大いなる財源不足ではあるのだ。カムザング皇子とカスラー大将軍その他が、例の廃墟へ押しかける時に、皇族特権を濫用して砦から莫大な軍事費を引き出していったゆえ。
いまごろは、カムザング皇子と結託していた暗殺教団やら密輸業者やら、闇の勢力ナントカやらの、フトコロへでも消えているかも知れん」
バムシャード将軍は「頭痛が痛い」と言わんばかりにコメカミを揉んで、思案顔になった。
「ともあれ、徹底的に無駄を省きつつ、最低限必要な経費のみに抑えて運用するように。財源確保の件は、帝都の財務部門へ要請すべき筆頭の事項として控えておく。納税免除までは判らんが、
ジャヌーブ砦の第四長官たる私の名で、意見を申し添えておこう」
*****
役人たちによる夜討ち朝駆けの騒動で、なんとなく目が冴えてしまった状態だ。
セルヴィン少年とオーラン少年はボンヤリと、談話室となっている相部屋に落ち着いて。
大きなアーチ窓枠によりかかって、夜明け前から夜当番の砂掃除人たちでザワザワしている街路を眺めつづけていた……
その窓枠の台座に置かれた『魔法のランプ』で、ネコミミ炎がチロチロと灯っている。
間仕切りとなっている衝立のうえに白タカ・ジブリールが腰を据えていて、ネコミミ炎《火の精霊》と、風の音そのものにしか聞こえない《精霊語》会話を交わしていた。
1回目の時と同じ部屋である。
薬草茶『凌雲』が不要となった現在、朝の目覚めを促す紅茶の香りが馥郁(ふくいく)と漂っていた。
ザワザワとした街路の雑踏の中、いっそう静寂を感じる。幽霊にしては活発すぎた――夜明け前からなんとなくカシャカシャ動き回っていた《鳥使い姫》人形が居なくなってみると、なおさら。
説明のつかない廃墟の大爆発、それに伴う怪異な砂嵐。アリージュ姫の幽霊を持って行ってしまった、かの豪風が去った後……ジャヌーブ地方には、誰の目にも明らかな変化が現れていた。
それは、ここ夜明け前のジャヌーブ港町でも、顕著であった。
みな気付いているのだが、あまりにも明らかな変化であるため、却って、全員で、首を傾げて沈黙してしまう――
ジャヌーブ地方の名物にして定番……最弱の邪霊害獣《三つ首ドクロ》が居ないのだ。
白文鳥《精霊鳥》を駆逐したとの記録も伝承もある……あの群れを成して漂う小型の害獣が、一体も出て来ていない。
帝国全土の状況と共通になったのは、明らかだ。大型の邪霊害獣――怪獣は、もともと邪霊崇拝の土地だったところや、鉱山の難所と同じように、これからも多数、出現するだろうが……
ゆえに、退魔調伏のための費用も装備も、異常氣象の激化に対応して際限なく膨張していたのが、今後は――将来的には――帝国全土の平均と同じ程度に並ぼうという見込み。
際限なく指数関数的に膨張するジャヌーブの軍事予算が、不正の温床にもなっていただけに……そこだけは、ジャヌーブ復興に向けての好材料となっている。
やがて、談話室の扉の前で、人の気配。
耳の鋭いオーラン少年が、サッと振り向く。ついでセルヴィン少年も。
『やあ少年たち』
先触れとして現れたのは、白タカ・ノジュムだ。ということは、扉の前に来たのは、鷹匠ユーサーだ。
「夜明け前から失礼いたします。起きておいでとのことでしたので」
白鷹騎士団に属していながら妙に独立行動しているように見える――謎の隠密でもある鷹匠ユーサーは、音も無く入って来た。
その鷹匠ユーサーの後ろにつづいて入って来たのは、壮年《象使い》ドルヴだ。ガチムチに鍛えた中肉中背の男は、しきりに恐縮している格好である。
「どうもでありまさ」
「いったい、どうしたんですか?」
とりあえずお茶を、と動き回るオーラン少年へ、鷹匠ユーサーが静かに「必要なし」と合図を送る。
談話室に敷かれている絨毯の上へ、みなで、ひとまず車座に腰を据え。
鷹匠ユーサーが口火を切った。
「色々と立て込みました。まずはオリクト・カスバのオーラン侯。元・シュクラ王太子ユージド殿下へ、ということになりますが。
かの満月の日が、妹姫アリージュ殿下の10歳の誕生日でありました。生き延びて10歳を迎えられたこと、お喜び申し上げます」
少しの間、呆然とした沈黙が横たわる。
セルヴィン少年はどう反応しようか迷うままに、チラリとオーラン少年を見やるのみだ。
すっかり漆黒の黒髪となった少年は、ほぼ真っ白と言って良いほどに呆然としていたのだった。
「青衣の霊媒師のご判断により伏せられていた事情。かの満月の夜が、アリージュ姫が倒れた日より900日目の夜だったとのこと。
そして過去の占断のとおり、いまは寝台を降りて、次第に歩けるようになって来たそうです」
鷹匠ユーサーは、そこでいったん、戸惑い気味の沈黙を入れた。
「千夜一夜、アルフ・ライラ・ワ・ライラ……闇と銀月の、千と一つの夜と昼。なにぶん高度な概念が関わる領域ゆえ理解およばぬ箇所がありますが。老魔導士どのなら、或る程度は把握されますでしょうか……」
横で、壮年《象使い》ドルヴも、コクコク頷いていた。たいていの《精霊使い》にも、理解が追い付かない領域なのだ。
「占断によれば今後10年は生存しうるであろうとのこと。寿命を引き延ばす精霊魔法が数種あるそうで……ただ、代償は、やはり大きなもの。
副作用で、記憶喪失を起こしているそうです。我々と直接に会っても、今までのことを思い出せる見込みは薄い。生きていれば再会の時はあるでしょうが、慎重に接触してゆくことになるかと」
オーラン少年がブツブツと呟き。そして。
「あの《鳥使い姫》幽霊には奇妙な矛盾があった。最初は確かに成人前後の女性だった筈なんだ。それが、何故あの時に子供の姿だったのか……ともかく、
あの《鳥使い姫》は、『10年後』から来ていたアリージュなんじゃないか?」
――鷹匠ユーサーは、否定も、肯定も、しなかった……
「詳細は霊魂の性質を長々と論じることになるゆえ省きますが、カラクリ人形の動力源《火の精霊石》が合致しなくなった現象を覚えておいでかと」
「仮死状態から蘇生しようとしてるとか――生身に戻らなければならないとか……」
「御意。《命の炎》増大により、霊魂は、いま・ここに存在する本来の身体へと、色濃く共鳴しはじめた。それが、あの最後の日、実際の少女の姿の幽霊が投影されていた理由となります。
いま・ここに存在する本来の身体は、霊魂の共鳴を通じてカツを入れられ、仮死状態を抜けていました」
傍聴していたセルヴィン少年が戸惑った顔になり、ダークブロンドの髪に手指を突っ込んで、ウンウン悩み始めた……
「よーく、わかりまさ。とっても混乱するでありまさ」
壮年《象使い》ドルヴが、共感と同情の苦笑いを浮かべる。
「本人も霊魂と身体の変化を認識してなかったでしょう、あの天然な言動からして……不自然な状態ゆえ大破綻するところだったようでありまさ。
実際、あの……天球がめくれ上がったかのような、不思議な豪風がありまさ。我々の相棒《精霊象》が、最小限の衝撃に抑え込んでくれたようでありまさ」
フー、とささやかながら、複雑な思いのこもった溜息。
「邪霊は、他者の命を強奪してギタギタにして、永遠の命だの、精力だの、不正な儲けのための踏み台とする方式でありまさ。大自然の食物連鎖とは異なる、かの生贄の呪縛でありまさ。
食われた側は『ウチのモノになった印』として永遠の傷を刻まれ、ゆがめられて、それなのに遊ばれて捨てられて、踏みにじられるだけでありまさ。
あの怪獣《八叉巨蛇(ヤシャコブラ)》が、例の酒姫(サーキイ)を禁術にかけて遊びつくして、そして、汚物と放り捨てたように」
そして少しの間、沈思黙考の時間が横たわった……
*****
鷹匠ユーサーが、テキパキと立ち上がる。
「次の件が本題でございますが、説明はドルヴ殿からされますか?」
壮年《象使い》ドルヴは、はにかんだ風で首の後ろに手をやった。
「説明がうまくないでありまさ。それにこの通り、なまりまさ」
「御意」
鷹匠ユーサーは素早く頷き、了解して見せた。早くも、腕の先の定位置に白タカ・ノジュムが止まって来る。
「オーラン君、夜明け前だが一仕事を。セルヴィン殿下は体調が本調子ではありませぬゆえ休まれるのが良きかと存じます。護衛オローグ殿を派遣する手筈になっておりますが、いかがいたしましょうか」
セルヴィン少年は「抜かりないんだな」と呆れつつ……興味津々で、同行を希望したのだった。
*****
行き先は、ほど近くにある大きな商館のひとつだ。
みごと大量の噴砂をかぶっていたが、造りが良かったお蔭で重量に押しつぶされていない。
夜明け前から、あちこちから避難して来た商品や人々でごった返していた。
いまだに街道の砂掃除が佳境で、砂掃除スタッフが、ひっきりなしに現況報告をしつつ横切ってゆく。各種の道路の啓開は、後半戦に入った様子らしいという内容が聞き取れる。
「ガジャ倉庫商会が入っている商館です……そういえばジャヌーブ商会もでしたか」
「さようでありまさ」
歩を進めていると、早くも、ひとつ先の角から、全身包帯だらけで松葉杖をついた格好の商人ネズルが、ヒョコヒョコとやって来た。
「待ちかねましたや! ナディテ婆さまと、ガウタム・ラービヤ兄妹もそろってますや。この時間しか空きが無くて、ご足労おかけしますや」
「こちらこそ……骨折が痛むかと存じますが」
「いえいえ、魔導士ジナフさんの痛み止めが良く効いておりますや。いやはや余り動き回ると回復が遅くなると注意されてますや、気をつけませんとや」
せかせかと商人ネズルは案内に立った。
「今は亡き老ダーキン殿の研究結果が収納してあるという《黒ダイヤモンド書庫》を開錠できる可能性があるとかや……居ても立ってもいられませんでしたや」
セルヴィン少年もオーラン少年も、パッと思い出した――という顔になった。
「……老ダーキン殿がそう言ってたな。『ガジャ倉庫商会』商館の執務デスク引き出しのひとつが、黒ダイヤモンド鍵の書庫で、過去の研究考察ノートが……とか」
「しかし、マスターキーは、あのラビリンス第二層の土砂崩れの際に――カムザング皇子がやらかした大砲の連続砲撃が引き起こした――瓦礫の中で失われていたのでは?」
鷹匠ユーサーも同意して頷いた。そして。
「ゆえに、こじ開ける。シュクラ《魔法の鍵》権限を失ったが、オーラン君はオリクト系と地続きになる《地の精霊》祝福を直々に受けている……オローグ殿、
いえローグ殿と同じくオリクト王家に連なる者として、オリクト系の精霊魔法《魔法の鍵》を、使える可能性がある。まさか、いきなり本番とは思いませんでしたが」
息を呑むオーラン少年。
あれこれ考える間も無く、またたく間に目的の部屋へ到達した。『ガジャ倉庫商会』副代表だった老ダーキンの執務室だ。
有能な仕事人だったことがうかがえる……老ダーキンの執務室の中は効率的な家具の配置となっていた。重厚な執務机もまた、装飾よりは実務を重視した造り。
すでにガウタム・ラービヤ兄妹と老女ナディテが居て、期待を込めた眼差しで、鷹匠ユーサーやオーラン少年を見つめていた。
老女ナディテは骨折部分が幸いに利き腕で無いほうの上腕部だった。重傷は重傷だが歩行可能。日常活動のほうも、より軽傷であったラービヤ嬢の介助あって、それほど不自由は無い状態だ。
案内係の商人ネズルをはじめとして、壮年《象使い》ドルヴと、セルヴィン少年は、開錠の作業に立ち会う形だ。
「済まんねえ。我らとしては、老ダーキンの研究ノートを、できるだけ早く見たいんじゃよ。どうやって毛玉ケサランパサランを使う《超転移》方式を導いたのか、
我らには想像もつかんのじゃ。もちろん二度と再現できない精霊魔法であることは判っとるが、古代の伝説を実地体験したからね」
「お察しいたします、ナディテ様。老魔導士どのも神速で駆け付けられるほどの、興味深いテーマであるかと」
「もう来とるねえ、そこに」
そのとおり、扉の前に、すでにモッサァ白ヒゲの老体が来ていた。
商人ネズルがビックリして、「アヤヤ、オヨヨ」と、足踏みしている。
「ホントだや! どうやって聞き付けたんですかや!?」
「それは企業秘密じゃよ、フフン!」
信じがたい登場をした老魔導士すなわち前・魔導大臣フィーボル猊下は飄々と片目をつぶり、唖然とするばかりの全員の中に、これまた飄々と混ざったのだった。
「始めてくれたまえ! 時間は有限。同士ジナフ殿も興味津々じゃったが、彼は骨折していて動けんのでな、ワシから伝えることになっとる」
――いざ開錠を始めてみると。
最初は、普段から使っていた手持ちの小道具の針金が、《地の精霊》にとって変換効率の良い金属素材で無かったため、失敗したが。
オーラン少年の相棒、白タカ・ジブリールが、ためつすがめつ、的確な分析をして来た。
『たぶん《黒ダイヤモンド》三羽烏(トライアド)に、とっても適合しちゃったからだね。精霊金属の針金にも種類があるけど、ええと、あ、室内装飾ドリームキャッチャー護符。
黒毛玉ケサランパサランの張り付いてる、あの針金部分が良いんじゃないかな』
見ると、執務室の間仕切りとして、割に上等な大型ドリームキャッチャー護符の衝立が立ててあって……いつものように、4色の毛玉が引っ掛かっているところであった。
「済みません、あのドリームキャッチャー護符の針金、お借りしても?」
「もちろん」
針金を《黒ダイヤモンド》引き出しの鍵穴に突っ込むと、割に、スムーズに《地の精霊》作用が通り抜けていった。順調に、開錠される。
「なんと本当に開錠だ!」
ポカンとする壮年ガウタム。次に……『ガジャ倉庫商会』将来の役員候補でもある南国トロピカル壮年ガウタムは、思案顔になった。
「我々『ガジャ倉庫商会』の用意する《黒ダイヤモンド》商品の堅牢さには、すこぶる自信があったんだが……まぁ開錠できて良かったが微妙な気分だ」
「いや自信もって大丈夫だ、友ガウタム。精霊魔法に関与した《地の精霊》は相当に高位だそうで。精霊同士で相談して、開錠という結論に落ち着いたってのもある」
そして早速、研究ノートなどといった書類の取り出しと確認がはじまった。相当に大量の文書類。
興味深い内容の連続であり、さっそく老女ナディテと老魔導士との間で、専門的な議論が交わされ……
壮年ガウタムと《象使い》ドルヴとで、間仕切りで仕切られた応接スペースに、椅子を用意する騒ぎになっていたのだった……
…………
……
応接スペースの後方で……オーラン少年が目をパチクリさせていた。手元の数種類の針金を、しげしげと見比べながら。
「もう少し契約《地の精霊》と適合する素材を準備できれば、意外に応用も利きそうな気がする……」
「母の出身の城砦(カスバ)が、そういう鑑定が得意だから聞いてみよう。専門業者の組合を通じて、適合する三日月刀(シャムシール)を製造してくれる《魔導》工房も、紹介できると思う」
「ありがとうございます、セルヴィン殿下。是非」
常に無表情をきわめた鷹匠ユーサーの、2人の少年を眺める眼差しは……かすかな柔らかさをたたえていたのだった。
*****
ジャヌーブ南の廃墟の再調査隊メンバーは、順調にスケジュールをこなしていった。
おおむね予定どおり、目的地へ出発する。
ボロボロに被害を受けたが早くも再建が進む、冒険者向けの屋台店がならぶ市場(バザール)だったり、ちょっとアヤシゲな簡易の酒場だったり、宿泊宿だったりを通過してゆき……
いよいよ、ジャヌーブ南の廃墟へつづく流砂地帯の道路へと入る。
実際に踏み入ってみると、廃墟の爆発で出て来たと思しき謎の噴砂の影響は、想像以上にすさまじいものであった。
いちめんに広がっていた「いかにも砂」という色合いをした流砂地帯は、大深度の地層から出て来た、新たな火山灰――大量の砂で、すっかり色が変わっていた。
南国トロピカル隊商道でさえ、路上に、「火山灰による流砂地帯」をつくったような光景。
砂嵐を上手に防ぐ多数の岩塊の間にあっただけに、あれほどの爆発の直下にあってなお『完全に埋没』という最悪状態はまぬがれていたが……
不規則に崩れる砂山の群れの中で、人類も馬も――壮年《象使い》ドルヴが操る若い《精霊象》もまた――大いに速度を削られるという有り様。
わずかに見える道路の痕跡と、冒険者としても地元の地理に詳しい壮年ガウタムの案内が無ければ、早々に、流砂地帯の岩山の中で遭難していたかも知れない……
「新たに派遣するジャヌーブ偵察隊の最初の任務は、ジャヌーブ港町との協力でもって大量の砂掃除をすること、になりそうだな。おまけに最低賃金すら用意できない見込みとなると、気の滅入る話だ」
ブツブツとボヤき、久し振りに胃薬を服用する……苦労人なバムシャード長官であった。
戻る時のために、簡単ながら砂をならして路面を整備しつつ、進む。
通常の倍の時間をかけることになり、再調査隊は、砂まみれの「道のようなナニカ」のうえで一夜を過ごす羽目になった。砂が入って来るのを防ぐため、野営テントの隅々までシッカリ結んだうえで。
かろうじて好材料と言えるのは「当分は激しい砂嵐は無いだろう」という予測だ。
異常氣象という要素があっても無くても、季節の真ん中は、安定した天候がつづく傾向。
新月へと向かって形が欠けはじめている銀月は、それでも充分に明るく、夜空は澄んでいた。
もっとも明るい星座として知られている『帆掛船(ダウ)』も、天測基準の星々『アストロラーベ星団』も、あますところなく観測できる。
先行して、偵察のためにオベリスク広場の位置まで飛翔していた白タカ・ノジュムと白タカ若鳥ジブリールが、やがて戻って来た。
『意外に近づいてる。この調子で、明日の朝には到着するよ』
『激変の光景ゆえ、オベリスク広場《火の精霊》の説明を受けるまで、我も「わけわかめ」だったぞ。
あの二位どのは「チョー正確」「チョー精密」だけでなく、口(くち)うるさい「チョー過激」にもなるらしいな。憶えておくべし』
謎めいた報告を手早く済ませ。精霊の種族は早くも、若い《精霊象》ドルーの周りに集まって『審議中』の状態になった。そして。
白タカ・ノジュムが、鷹匠ユーサーの手先を腰を据えて、あらたに報告事項を喋った。
『目下オベリスク広場は安全だ。魔導士ジナフ殿の『白羽の矢』占断のとおり。当座の邪霊どもは退魔調伏が済んだ。
カムザング皇子やカスラー大将軍の軍隊は、爆風と邪霊の大群を乗り切れなかった。死体も残さず全滅した。数百年後には古戦場として、数体ほどの白骨死体くらいは発掘されるだろうが』
鷹匠ユーサーが、さすがに、珍しく驚いた顔になった。夜営の焚火を共有していた、シャバーズ団長とバムシャード長官――それに、最強の護衛として控えていた銀ヒゲ・ジャウハラ戦士を振り返り。
「カムザング皇子とカスラー大将軍をはじめとする、あの軍隊は全滅したとか。死体すら残さず」
「ううむ」
精霊の感覚に近かった鷹匠ユーサーとは対照的に……シャバーズ団長とバムシャード長官、ジャウハラ戦士は、まったき人類として、大きく息をついて納得していたのだった。
「爆心地ど真ん中に居たと聞いている。私バムシャードは深く納得するところだ。とことん虫が好かぬ人々ではあったが。南無」
バムシャード長官は、戦場スタイルの弔いをした。握りこぶしをターバンに――額の中央部分に――おごそかに触れる方式。
白鷹騎士団シャバーズ団長も、銀ヒゲ・ジャウハラ戦士も、バムシャード長官にならって、同じ所作をする。
「我々が居た《精霊クジャクサボテン》群生地でさえも、相当な衝撃波が通っていた。爆心地では、ひとたまりも無かったろう」
銀ヒゲ・ジャウハラ戦士が、武道の達人ならではの優れた察知力でもって、気付く。
「鷹匠ユーサー殿の考えは異なるようじゃ」
「御意」
鷹匠ユーサーもまた戦場の弔いの所作をして……そして、銀ヒゲ・ジャウハラ戦士の言及に、静かに首肯してみせた。もっとも信頼する相棒、白タカ・ノジュムと、意味深な視線を交わす。
「カムザング皇子は皇族として、霊験あらたかな強い護符を幾つもお持ちでした。カスラー大将軍も、ジャヌーブ砦の最高責任者ゆえに。
守護は爆心地でも強力に発動した筈。実際、我々は、かの《鳥使い姫》が、精霊としても護符としても強力だったからこそ、同じ爆心地から生還できたようなものです」
「いつも白文鳥と一緒に居た、あの自動人形(オートマタ)……ひとりでに動いているところを一度チラリと目撃したが、ほぼほぼ精霊そのものの波動を感じたぞい。
さだめし最高位の精霊であろうと推測を。超人的なまでの直感を備えていたに違いない」
前提知識の無い、別の観点からの――それも武道の達人からの――見立てだっただけに……バムシャード長官もシャバーズ団長も、興味津々で相槌を打ったのであった。
鷹匠ユーサーは見解を述べた。
「護符に宿る精霊も含めて、精霊の種族は、一見して絶望的な内容も告げて来ます。なおかつ《精霊界の制約》が強烈に発動する。秘密主義です。
ですが、ひととおり対峙して乗り越えてみると、不思議に思われるほどに、未来へつづく運命の道が開けている。なぜそうなるのかは判りませんが」
「ふむ。吾輩ジャウハラも同じく感じるところぞ。長年かけて奥義をきわめてゆくと、みずから鍛えた感性や知見が、いつの間にか正しい道を照らしているのじゃ」
銀ヒゲ・ジャウハラ戦士は腕組みしつつ、思案を口に出していた。みごとな銀ヒゲが考え深げにユラユラと揺れ、美しくきらめく。
「カムザング皇子やカスラー大将軍の行動で、吾輩がもっとも問題と見たのは、次から次へと、評判になった強い護符を買いあさり、飽きては放り捨ててゆくという浪費ぞ。
禁術の大麻(ハシシ)へ溺れていったのも……ジャヌーブ砦の軍事予算は指数関数的に増大していたし、不正に手を突っ込んで、砂嵐が吸い込むごとくカネを浪費できる立場が、そうさせたのもあろうが」
鷹匠ユーサーは、納得がいったという様子で、溜息をついた。
「ジャヌーブ砦の日々が浅かったゆえ詳細は存じませんでしたが。いまお話されたとおりであるとすると……カムザング皇子やカスラー大将軍は、
護符の性質をうかがい知れる程度の、精霊との、まともな付き合いすら普段から無かったかと存じます。
精霊の警告が入って来ても、それを知覚するだけの経験が無く、感覚は有っても思考能力を失っていたのかも知れません」
「私バムシャードも同意するところである。さすが、白鷹騎士団の、伝説の亡き鷹匠エズィール殿の懐刀(ふところがたな)であったと聞く鷹匠どのだ。
なんとも興味深い考察であるゆえ、つづけてくれたまえ」
少しの間、意義深い沈黙がつづいた……焚火が、パチリと弾ける。
不思議に静かな夜闇のなか、いくつかの野営テントでは、リーダーたちのやり取りに耳を澄ましている気配。
ほどなくして、鷹匠ユーサーの述懐が再開した。
「邪霊は大声で助言を告げて来ますが、それは、救済の皮をかぶった絶望と、紙の裏表。『絶望の扉は救済のタペストリーで飾られている』という箴言のとおり。
オベリスク広場《火の精霊》は可能な限り生存ルートを占い、示した筈……彼らが身に着けていた定番の護符も総動員して。
ですが邪霊の声のほうが大きく、より輝く救済イメージ……たとえば『至福の楽園』を投影してきたのでしょう」
「ふうむ。『至福の楽園』とは、こういう内容だったりするのであろうか」
首を傾げつつ、突っ込むバムシャード長官。
「最高級の絹織物を敷いた寝床。英雄となった我が姿を称賛するタペストリー紗幕が、目もくらむほどの金銀財宝と共に並ぶ。
歓迎する酒姫(サーキイ)全員が、天上の永遠の美をきわめし少年の姿。いくらでも飲める美酒。飛んで来る鳥は次々に美味な鶏肉となり、数々の豪勢な料理と共に、目の前の食卓に並ぶ……」
バムシャード長官は、いまや黒歴史な青少年期の「男子の夢」を披露していた。かつて若い頃に、新入りの後輩であった虎ヒゲ・マジードたちと共に悪ノリして、妄想し語らった内容だ。
「永遠に尽きぬ美味の数々を、思いのままに食い、歌い踊る。熱き恋心に燃えて、かいがいしく尽くしてくる高貴な美姫たちは、全員、男を知らぬ『床上手の処女』である。
あらんかぎりの大人の楽しみを様々に尽くし、しかる後に、美姫は再び処女に戻る。恋心に燃える色とりどりの処女の美姫は倍々で無限に沸いて来るゆえ、我が男の力を無限に再確認できる」
焚火の近くでくつろいでいた白タカ若鳥ジブリールが、あからさまにビックリした顔で、ピョンピョン跳ねた。
『ぜんぶ大正解だよ! なんで、そんなとこで、天も恐れ入るほどの千里眼なのさ!』
『いま此処に、アリージュ姫が居なくて良かったニャ。二位どの白文鳥どの、ふたりがかりで、「アリージュ姫に変なこと教えるな」と、
ニャンニャン尻尾に火を付けられて怒られるところだったニャ』
白タカ若鳥ジブリールの傍に来ていた、セルヴィン皇子の守護精霊――ちっちゃな手乗りサイズ火吹きネコマタが……ネコヒゲを、グッタリと垂らしてヘタレていたのだった……
いつしか銀月は、だいぶ西の空を傾いていた。
おもむろに。
鷹匠ユーサーは思案深げに……はるかな夜空へと視線を投げた。
全天でもっとも明るい星座『帆掛船(ダウ)』が、真冬の角度で輝いている……
「厳しい時間制限や制約条件の中で、精霊たちは可能な限り、手掛かりを織り込んで伝えて来ます。それを、どこまで受け取れるか。
かの精霊魔法の帆掛船(ダウ)は、ロープ梯子を降ろして、未来へつづく運命の道を伝えて来ました。カムザング皇子は、きっと、その意図を占うことは出来なかった。
カスラー大将軍なら、ターラー河や港湾で同類の光景を見たことがあって、意味を悟ったかも知れませんが」
バムシャード将軍が「むむ」と、うなり。シャバーズ団長がハッと気づいたように目を見開く。
そして、銀ヒゲ・ジャウハラ戦士が合いの手を入れた。
「水難事故の際に、沈没船の乗員へ向けて、救助船がロープ梯子を降ろす。そう、カムザング皇子は、ロープ梯子がどのように使われるか、技術的な興味や知識すら無かったであろうぞ。
港町でも貿易輸送船の座礁や難破がよく話題になるのじゃが」
「私バムシャードも同意するところである。カムザング皇子は、娼館と大麻(ハシシ)の関連情報についてだけ、緻密であった。
カスラー大将軍は、無礼な象や馬を降ろして、自分を甲板の上座へ、と命令した筈。戦場や実務の知識・経験が少ない分、頭でっかち……理論先行と言うか、地に足のつかぬ部分が大いにあった」
「占断とは、ただしく知識と訓練を積んだ末の、連関の閃きと経験値の発動であるかと。ゆかりの《青衣の霊媒師》どのも『無知は、国をすら滅ぼす』と戒めてこられる訳でございますね」
それぞれに振り返りつつ……夜は、静かに過ぎていった。
*****
翌朝、順調に出発した面々は、やがてオベリスク広場へ到達した。
――文字どおり、驚天動地のあまり……深い深い絶句がつづいていた。
かつて巨大な廃墟のドーム屋根を形成していた、あの3つの黄金ドクロめいた丸い丘は、すっかり消滅していた。
壮絶なまでの爆速な地殻変動の結果、もともと「突出の間」と流砂地帯との間に出来ていた断層が、大きく大きくズレ動いていて……
あの「異常氣象の岩山」と直結する巨大な断崖段丘が出来ていた。向こう側の端が、おぼろにかすんで見える。
ほぼ中央部と思しき谷底では、ぐつぐつ煮える多彩な硫黄泉が多数。活発な火山帯ゆえの絶景。
望遠鏡を向ければ、破滅的な状況でさえ生存したと思しき巨大な黄金色の邪体が、各所で、ぎらついているのが見える。
巨大な三つ首《蠕蟲(ワーム)》。黄金にぎらつく古代巨人族サイズ《骸骨剣士》。超大型の三つ首ネズミ、三つ首コウモリ、その他、名前の無い新種の巨大怪獣たち。
大型の八叉巨蛇(ヤシャコブラ)も、ゾロゾロと、うごめいていた。かのラビリンス最下層に潜んでいた神話的なまでの超大型には、
とうてい及ばないサイズではあるが……邪霊崇拝だった土地柄や、特殊な鉱山帯で見かける、『怪獣山』伝説レベルの大型ではある。
一気に開けた視界の中、南方へ目を向ければ、背の高い奇岩が杭のように群れるゴツゴツの海岸を、海が洗っているところ。
満潮・干潮のたびに、杭の列のように海岸に並ぶ奇岩の足元が、海面から出たり没したり……という興味深い光景が見られるだろう。
壮年ガウタムが、やっと、呟く。
「大峡谷だな」
「ジャヌーブ大峡谷ということになるでありまさ、ねえ?」
「海岸のほうは、海の邪霊害獣が暴れる危険海域だ。ジャヌーブ大峡谷は、海岸から奥地までの全域にわたって帝国有数の新たな危険地帯という不名誉に輝くんだろうが、あとで次の冒険調査の企画を起案しておこう」
かつての「突出の間」で真新しく林立している奇岩の間で、壮年ガウタムと《象使い》ドルヴ、それに《精霊象》ドルーまでもが目を回している。
「実に興味深い! これこそ火山活動、造山活動じゃ! この先の南海諸島は、いずれも火山島として有名じゃ。その地質は、此処まで延びていたんじゃな! そして露出した訳じゃ!」
老魔導士フィーヴァーは早くもグルグル駆け回り、興味深い大自然のサンプルを幾つか入手していた。
元・廃墟だった壮大な建築物は、ボコボコに地面が隆起した結果、流砂地帯の各所で見かける岩塊で出来た岩山・奇岩が、密に並ぶ土地柄となっていた。
ここまで辿って来た南国トロピカル隊商道をとりまく独特の流砂地帯の地形が、廃墟周辺まで拡大して、そして少し様相を変えて「異常氣象の岩山」へ延長拡大した……と見て取れる地形である。
「あの『深淵の間』と名付けていた、あの巨大空洞はどうなったんだろう?」
もっともな疑問が、オーラン少年から発されて。
白タカ・ノジュムと白タカ・ジブリールが、あらためて上空から偵察する形になった。
大人の背丈を超えるサイズをした密な岩塊が、巨大廃墟の名残の瓦礫と共にゴロゴロしている。見通しが効かず、歩きにくいこと、この上ない。うっかりすると、この岩群の迷路のなかで遭難しそうである。
クムラン副官とシャロフ青年は、もともと世慣れているほうではあったのだが。呆然とするままに、変わり果てた光景を見回すばかりだ。
「これは……カムザング皇子やカスラー大将軍の率いていた軍隊、死体すら残さず……との事でしたが、これじゃ、
ひとたまりも無かったでしょうね……クムラン殿……老ダーキン殿が証言していたように、あの『空飛ぶ魔法の船』から観察してみても総勢200名ほどという感じでしたが」
「地面に、なんども大きな割れ目が広がっては閉じた筈だ。火山雷も《精霊クジャクサボテン》水場から見えるくらいデカかったし、数千回……数万回は落雷してただろう。
精霊の警告をちゃんと聞いていれば……新しくできた岩山の隙間やら、空洞やらへ避難して、生き延びる可能性があったのかも知れんが。
邪霊の大群が、死なばもろとも、とばかりに『至福の楽園』幻影を張ってたんだとしたら……」
「幻影の美女たちに囲まれて極楽できたことを祈りますよ。今ごろは『地獄の聖火』で歓迎されているのでしょうが……」
*****
結論から言うと、かつて『深淵の間』だった場所は、見つかった。密になった奇岩の間に、ポッカリと開けている状態。
かつての大空洞の痕跡は残っていた。
残ってはいたのだが……その最下層だった場所は、地下3階層ほどの高さにまで押し上げられていた。
ちょっとした――とはいえ、あまりにも巨大な、大広間なみの面積の――窪地という風だ。
古代の謎の素材、すなわち或る種の精霊金属で出来たドーム屋根の形をした梁(はり)構造が、地上2階層ほどの高さに上昇している。
中央部にあった昇降機を含む自動機械(オートマタ)構造は、元からの経年劣化が大きかったのか跡形も無くなっていて、そこは空虚であった。
あたらしく、謎の礼拝堂が出来たような光景だ……それも宮殿に付属しているような、巨大な空間を誇る礼拝堂が。
そして。
城壁を攻略するような丈の長い梯子を使えば、降りて行けそうな――地下3階層ほどの床面は、いまだに輝きを失わぬ、驚異の古代宝物でいっぱいだった。
――よく見ると、色とりどりの財宝で出来た海のなか、《怪物王ジャバ》最強の封印として知られている銀色の彫刻石《逆しまの石の女》が、不思議なほどに、整然と配置されている。
銀色をした人工島にも見える、その数1001個。
激烈な地殻変動と共に、精霊たちが謎の工事を進めたのは明らかだ。どうやってか、精霊金属で出来たドーム屋根の形をした梁(はり)構造と、
地下3階層ほどの底面との間に、新たな列柱ができている。その列柱の台座となっているのが、銀色の彫刻石《逆しまの石の女》だ。
なお、銀色の彫刻石《逆しまの石の女》も、うまく運び出せれば、とんでもない高値がつく古代アンティーク品であることが知られている。
彫刻された「人類系統の顔面」そのものが、とんでもない絶世の美女の顔面である、というのも大きい。
古代遺跡の場合は、銀色の彫刻石《逆しまの石の女》は、真っ先に狙われる品である……破壊と盗掘でもって、首尾よく運び出せる場合は。
いったい、どれ程の価値になるのか――考えていると、震えてくるくらいだ。燦然ときらめく古代宝飾の数々はもちろん、砂ぼこりをかぶってくすんだ数々も、拾って磨けば、かつての輝きを復活しよう。
「これは……すごい」
バムシャード長官、シャバーズ団長、それに同行したリドワーン閣下でさえも、そろって異口同音に、感想を漏らした……
壮年《象使い》ドルヴと鷹匠ユーサーが、それぞれに意味深な目線を交わす。
「……例の、見習い魔導士くんが、悔しがるでしょうね。高価な馬を盗むと共に、山ほどの財宝を苦労してコソコソ荷造りして、持ち出していただけに」
「彼は、彼に見合うものを得た……それだけの事でありましょう」
やがて早くも復活したクムラン副官が、目をパチクリさせ。同じように、同じ重大なポイントに気付いたオローグ青年と、目配せをする。
「あの、お取り込みのところ。あの帝国皇帝(シャーハンシャー)の命令書がありますぜ、バムシャード長官どの」
「うん? うむ? どういう事かな、クムラン副官」
「これらの財宝の数々すべて、セルヴィン殿下の所有物になりますぜ?」
「そうだったか? そうでありましたか、リドワーン閣下?」
しばし沈黙が入り……
大聖火神殿の財政理事リドワーン閣下は「たしかに」と、頷いた。
神官ならではの着実な記憶力でもって、砦の掲示板にも公示されていた、くだんの命令書を暗唱する……
…………
……
ひとつ、セルヴィン皇子は、次の国家祭祀の節句が来る前に、ジャヌーブ砦の長年の問題、すなわち《人食鬼(グール)》異常氣象の発生元となっている邪悪な神殿なり礼拝堂なりを、
蹂躙し、殲滅せよ。人員および手段は問わぬ。成功するまで帝都帰還は認めぬ。
ふたつ、凱旋の功績と栄誉は当代の帝国皇帝(シャーハンシャー)にすべて捧げ、セルヴィン皇子は完全に沈黙せよ。その代わり、この件の獲得物は――数百年もの間、
邪霊どもに盗掘され荒らされていた廃墟から得られる物など、たかが知れている――すべてセルヴィン皇子の物とする。
…………
……
短い精霊語の呪文を詠唱する程度の、空白の時間が入った。
あらためて。
かねてから中立的な派閥では「奇妙」とささやかれ。敵対的な派閥では「番外皇子にふさわしく愉快である」と冷笑のタネになっていた……「いわくのあり過ぎる命令書」の内容を、脳ミソで反復して。
一同のなかに、理解と――それ以上の驚愕が、広がった。
「いやはや。いかがですセルヴィン殿下。一夜にして、帝国全土トップの資産家になった気分は。
かの皇帝の宝物庫を私物化していた第一皇子ロジュマーン殿下すら、自由にできる古代宝物の量じゃ、これ程じゃ無かったでしょう」
クムラン副官の軽口は、空回りな雰囲気だった。クムラン自身の驚愕を抑え込む、という目的もあって。
セルヴィン皇子のほうは、一度は三途の川を渡りかけた――ということもあってか、奇妙な冷静さに包まれていた。
少しの間、ダークブロンド髪に指を突っ込んで、思案に沈み……やがて、ボソッと呟く。
「ひとりで全部を管理するのは大変だ。金融商オッサヌフ殿か、白鷹騎士団の慣れてる誰か――エスファン殿とかに、管理を依頼したいところなんだけど」
シャバーズ団長が息を呑み、ついで一礼する。
「白鷹騎士団を信用していただき、恐悦至極でございます。ですが私でさえ、これ程の財宝を管理するとなると、正直、気持ちがぐらつくところです。そもそも騎士団であり、財宝の管理は専門では無く」
飄々と、いつもと変わらぬ態度でもって解決策をぶち上げたのは、老魔導士すなわち、前・魔導大臣フィーボル猊下であった。みごとなモッサァ白ヒゲを一層モサモサ、目をキラキラさせながら。
「当座は、ガジャ倉庫商会とジャヌーブ商会をはじめとした、港町の金融組合や商会組合の共同管理で良いじゃろう。
相互監視が効く。それにジャヌーブ港町は、今すぐにでも復興財源が必要じゃ。こいつを財源に当てれば良かろう。のう、バムシャード君!」
「素晴らしき解決策ぞ!」
銀ヒゲ『毛深族』ジャウハラ戦士も、モッサァ銀ヒゲを「ボン!」と膨らませて、賛同の意を示す。
バムシャード長官は飛び上がり……セルヴィン皇子へ、素早く一礼した。
「恐れながらセルヴィン殿下、私バムシャードといたしましては、老魔導士の――偉大なる前・魔導大臣フィーボル猊下の、ご提案のとおりにさせて頂きたく存じますが」
セルヴィン少年は、実に、あっさりと頷いた。そして。
「必要なだけ持っていって良い。ジャヌーブ港町には、私も色々と世話になった。すみやかな復興と、いっそうの発展を願ってる」
まだ戸惑いの笑みを浮かべている段階だが。
遠からず、健康だった頃の感覚や体調が戻ってくれば……そして数年もすれば、大派閥を率いる力量のある皇族のひとりになるだろう。そういう素質を充分に感じさせる、少年皇子であった。
かつて、帝国皇帝(シャーハンシャー)よりも評判の高かった、皇弟リドワーン閣下の、若い頃と同じように――
虎ヒゲ・マジードが「いやはや」と感心して、首をフリフリ。
二度、三度、と財宝の山を眺める。
オーラン少年も、無言で、マジマジと眺めるのみであった……
……見習い魔導士少年ユジール、その正体ケンジェル大使の長子ユージドが、シュクラ随一の優秀な能力や頭脳それに容姿を誇って、策を弄しすぎたあまり、その末に、遂に得ることの無かったものを。
いったん目の前にすれば、ものすごい勢いで「ぜんぶ私のものだ」と叫んだ筈のものを……
護衛オローグ青年とクムラン副官が、再び、驚異の光景へ視線を投げた。
「見張りを付けなきゃいかんだろうが……ふむ」
「オベリスク広場《火の精霊》や《水の精霊》が、やる気満々っぽいから、大丈夫だろう」
その言及のとおり、早くも《火の精霊》結界が出来ていた。財宝に埋もれる大広間の天蓋となっている、精霊金属の梁(はり)で出来たドーム屋根に、真紅の色が通っている。
要所・要所に、ネコミミ炎が灯る。
非常に生真面目な雰囲気を感じるネコミミ炎――《火の精霊》事情を熟知する精霊たちの間では、《火霊王》御使い一位でさえ恐れる、《火霊王》御使い二位の派遣のもの、と知れる。
やがて薄青いモヤが立ち込めた。《水の精霊》による幻術の紗幕(カーテン)だ。
見る間に、目もくらむほどの(気もおかしくなるほどの)財宝の山は……その辺にゴロゴロと転がる、古代遺跡の瓦礫の群れのイメージで、おおわれていった。
*****
いったん、食事休憩その他、諸々のため、安全な水場を備えたオベリスク広場へ引き返した後も。
ジャヌーブ廃墟の再調査に臨んだ面々の驚愕は、大きなままであった。
第一、このすべてが、バムシャード長官やシャバーズ団長、リドワーン閣下……それに今なお伝説である、前・魔導大臣フィーボル猊下の立ち合いのもと、即座に国家機密と決まった案件である。
今後の行動方針や計画立案について、日暮れまで、秘密会議と、地形調査などの各種調査がつづき……
やがて、ジャヌーブ港町への帰還準備がはじまった。
もともと1日ていどで、簡単に確認して戻る予定だった。これほどの激変の状況を、とことん調査して全容を把握するには、時間も、装備も足りなかったのだ……
…………
……
荷物確認と最終的な点呼の合間。あわただしい動きが続くなかの、静かな時間。
セルヴィン少年は、オベリスク広場《火の精霊石》へと近寄り……
老ダーキンへ向けて精霊語の伝言が焼き付けられていたという、いわくつきの台座プレートを、しげしげと眺めはじめた。近くの目立たないところでは、護衛-兼-従者オーラン少年が控えている。
当然ながら、かつて存在したであろう『《火霊王》御使い二位によるもの』と言う精霊文字は、すでに消えてしまっている。
ほどなくして、リドワーン閣下が、ふらりと立ち寄って来た。
「体調はどうだ? セルヴィン」
「吐き気や心臓発作は無くなりました。軽い頭痛とか、疲労は溜まっているけど……」
「それが正常な体調というものだ」
リドワーン閣下は、セルヴィン少年と並んで、いわくつきの台座プレートを眺めた。
「あの信じがたい冒険談で言及されていた『御告げの台座プレート』というのが、これか」
しばし、リドワーン閣下は腕を組み、思案顔をして……
「――私の、気のせいかどうかは判らぬが。あれ程の財宝の山を目の前にして、よく冷静で居たものだ。というよりも、別のことに気を向けていたようだが。かの《鳥使い姫》――アリージュ姫のことか?」
セルヴィン少年はグッと口を結んで、あらぬ方へと、プイと顔をそむけた。まだ人生経験の浅い少年の頬は、紅潮していたのだった。
或る意味、素直で、分かりやすい反応。
大聖火神殿の財政理事を務める最高位の神官に対して、皇族とはいえ、これは建前上、礼儀を失している範囲になるのだが……リドワーン閣下は口に手を当てて、吹き出し笑いに似た物音を立てるのみだった。
むくれた顔になって、チラリと振り返るセルヴィン少年。
「済まんな。《鳥使い》アリージュ姫については、ほとんど知らぬが……母堂すなわち、シュクラ王妹シェイエラ姫のほうは知っている。
ベール越しではあったが、それでも《シュクラの銀月》と評判の面差しは、印象深いものであった……気立ても良い姫君で、白鷹騎士団の鷹匠エズィール殿が一目惚れすると納得したものだ」
「スパルナ貴族……鷹匠エズィール殿ですか」
「知らぬ状態だと思っていたのだが、ジャヌーブ港町に居る間に調べたらしいな。王侯諸侯と取引する大きな商館では、各種の名簿を、販路開拓のための必須資料として揃えている……」
無言でセルヴィン少年は頷き、リドワーン閣下は「ふむ」と返した。
「スパルナ・カスバでは、身分にかかわらず鷲獅子グリフィン鷹匠を高く評価して、スパルナ貴族とする。エズィール本人は『柄じゃ無い』と身分返上を希望していたそうだが」
「身分……返上?」
「エズィール殿とユーサー殿は、もとは平民の孤児だった。よくあるように、掛け持ちで土木作業や荷役作業、白文鳥の捕獲アルバイトをしていた。ジナフ殿が言うには、少年2人して、それなりに荒れていたらしい」
「出発点は、例の酒姫(サーキイ)と同じだったんですね……」
番外皇子とはいえ、生まれた時から帝都皇族であるセルヴィン少年にとっては、想像もつかない――あまりにも意外な過去。さすがに首を傾げてしまうところだ。
オーラン少年もまた――個人的に知る限り、生前の鷹匠エズィールは、鷹匠ユーサーと同じく過去を語らない人物であった。
なによりも、アリージュ姫の破天荒なまでのお転婆や天然ボケを、笑って受け容れていた――当時、王太子だった少年にとっても、自然体や闊達さというものを教えてくれた叔父だったのだ。
リドワーン閣下の昔語りはつづいた。
「警戒区域の高灯籠や鷹小屋の増改築の大工手伝いをしていた頃、仲良くなった白文鳥や白タカと戦略を立てて、その警戒対象だった大型《人食鬼(グール)》5体、みごと退魔調伏したそうだ。
魔導士ジナフ殿は巡回の際に報告を受け、2人を見い出した。即座に、素質を見抜き、鷹匠として育て上げ、宮廷でも適切に振る舞えるよう高度教育を施した。
2人の少年にとって、ジナフ殿は偉大な師匠だったに違いない」
様々に考えさせられる――沈黙の時間が横たわった。そして。
リドワーン閣下は、腕を組み……思案顔をしつつ、言葉を継いだ。
「かの伝説的な業績により、エズィール殿は死後10年叙位で、スパルナ=アルシャイン王族に列せられる――と聞いている。スパルナ宮廷の満場一致は確実だ。
トルーラン将軍・トルジン父子は、いまや《鳥使い》と知れたハーレム妻アリージュ姫を通じて、スパルナ王族係累でも最高位の扱いになる……大いなる名誉、かつ特権となろう」
「……させませんよ、名誉や特権には」
一瞬、穏やかならぬ鋭い眼光が、セルヴィン少年の金色の目をよぎった。
反射的にグッと握りしめていたコブシに、セルヴィン自身で気付いて……そっと手を開く。
そこにあったのは、何の変哲もない、真新しい帝国通貨1枚。庶民が市場(バザール)で日常的にやり取りするような、陶銭(ゼニ)に近い低価格の通貨。
だが、きわめて奇妙な――普通では有りえない事実が、その帝国通貨には、あきらかに刻まれていた。
贋金では無いにもかかわらず、製造年代が……10年も先の未来のものなのだ。
「それは?」
さすがに元・皇族として、冗談では済まされぬ不審点に気付くリドワーン閣下。
――という訳で。
最後の点呼が終わり……暮れなずむ空のもと、ジャヌーブ港町への帰還を急ぐ途上で。
セルヴィン少年とオーラン少年は、例の帝国通貨がアヤシイ・ブツでは無いことを、交互にリドワーン閣下へ説明する羽目になったのだった。
いまや、セルヴィン皇子は他人の手を借りなくても、以前のように騎馬が可能になっていた……従者オーラン少年と仲良く馬を並べて、皆と共にジャヌーブ港町への帰路を急ぐ形だ。
――例の、ありえない帝国通貨がポンと出た後、アリージュ姫は相変わらず天然ボケをかましていたが、精霊たちの様子が少し妙だった……という状況まで、説明が済んだところで。
リドワーン閣下は驚愕混ざりの溜息をつき……意外なほどに、真剣な顔になる。
「精霊は徹底的にモレの無い後始末をする。老魔導士どのいわく『完全犯罪』いや『完全陰謀』レベルの。いくつかのボンヤリとした怪しい食い違いの感触を残して、
きれいに『いま・ここ』10歳アリージュ姫へ収める形だったのだろう。たまたま、こぼれ落ちて来た決定的な矛盾――しかも物理的な証ということになる」
「虎ヒゲ・マジード殿は、なんというか綺麗に納得を。オローグ殿とクムラン殿はどういう理解状況なのか判りませんが……鷹匠ユーサー殿は――私は……」
セルヴィン少年はそこまで言いつのって……語彙の限りが尽きて、戸惑うのみという風になった。もともと、普通の言葉では説明しにくい領域だ。
だが、リドワーン閣下は、言外に含む内容を、おおかた察していたのだった……
「鷹匠ユーサー殿は精霊に近い。口が非常に堅いゆえ、信頼できる人物ではあるのだが。あの秘密主義については、私にも言いたいところが有る。山脈ひとつぶんは」
少年2人で、目をパチクリさせる。
リドワーン閣下の言葉はつづいた。
「ひとつ指摘できる。今も将来も『貨幣鋳造の工房でケタ配置ズレの失敗品が出る』ことは絶対にありえない。
何故なら老魔導士どのの肝いりで、徹底的に技術改造が済んでいるからだ。その事件が発生した当時、帝都大市場(グランド・バザール)全体で、上を下への大変な混乱になったゆえな」
「本当ですか? 本当にあったこと?」
「30年より前の話だ。姫君は、老齢で引退した職人から聞いたのだろう。純粋に、印象深い昔話として」
……しばし、沈黙が漂う。えもいわれぬ沈黙が……
暮れなずむ太陽は、西の地平線へ接触しつつあった。
再びセルヴィン少年を振り返った――リドワーン閣下の眼差しには、からかいの色は無かった。
「本気で、かの姫君に思いをかけたか。だが、困難な問題がある。生贄の教義に狂った邪霊教団だ。大聖火神殿としては彼らを殲滅せねばならぬ……かつて暗殺教団『炎冠星』を殲滅したように」
「生贄……邪霊教団」
「老魔導士どのから聞いている。かの姫君の幽霊の首元に、生贄として斬首された痕跡……《人食鬼(グール)》裂傷が残っていた、と。それに動転した際に、忌まわしき『黙示』が飛び出していたそうだな」
ハッとして息を呑む――セルヴィン少年とオーラン少年。
――なんとなく記憶はしていたが、あまりにも忌まわしく非現実的な光景だった……悪夢だったのだろうと片付けたい気持ちもあって、真剣に、意識していなかった。
かの不気味な黙示。
邪眼紋章が刻まれた……琥珀ガラス製の、謎の賭けチップ。
暗い地下神殿。邪霊の黄金の炎を灯す、1001台の魔法のランプ。《人食鬼(グール)》カギ爪から削り出した三日月刀(シャムシール)。
生贄の首を刎ねる作法でもって、それを振り上げる、黄金骸骨の仮面をした黒衣の巨漢――
リドワーン閣下の見立ては、つづいた。
「その不気味な『生贄の儀式』黙示もまた、例の帝国通貨と同じく『精霊界の制約』を超えて来た情報。10年後には間違いなくアリージュ姫を襲う事実なのだろう。
それまでに間に合うように、セルヴィン自身としても早々に帝都宮廷での政治的立場を確立する必要がある」
「え? でも……それは……」
「現在進行形で、すでに生贄祭壇という決定的証拠がジャヌーブ砦の中二階の広間から出ている。邪霊教団『黄金郷(エルドラド)』。
かの暴虐きわまる歴史的事件をまきちらしていた『炎冠星』の後継が、取締りの網に掛からないという状況は深刻だ。
皇族利権やら宮廷勢力やらを大いに活用し、哀れな被害者として無罪放免で逃げ切ってのけた、かのカムザング皇子の黒幕ですらある」
リドワーン閣下は、いったん言葉を切った。
その眼差しは、少年たちに真剣に問うていた――
――その覚悟はあるのか、と。
一陣の風が吹き抜けた。
見わたす限りの、いちめんの流砂地帯をおおい尽くした、暗色の火山灰の熱を含む熱い風だ。
黒髪オーラン少年が、陰気に呟く。
「……身内の恥をさらすようで心苦しいですが、新しくシュクラ王太子を名乗る人物が、邪霊教団『黄金郷(エルドラド)』と、おそらく結託している……いえ、確実に」
「手先が、帝都宮廷の勢力図に食い込んでいる――」
少年たちの変化を敏感に察したのか、肩先で、ちっちゃな火吹きネコマタがチョロリと現れて金色の目を「カッ!」と見開き。頭上で、白タカ・ジブリールが急旋回する。
やがてリドワーン閣下は、意味深に頷いた……
「老魔導士どのは、すでに次の対策へ移っている。鷹匠ユーサー殿も、身分を伏せて、東帝城砦へ潜入するとのことだ。
逐電していった金融商オッサヌフが、東帝城砦の市場(バザール)で、金融商の店を開く準備をしている……その番頭として」
様々な思惑が、この夕暮れの短いたまゆらの間に、交錯した。
――そして……
ジャヌーブ南の夕日は、思いのほか、長いようで短かった1日を終えて――没していった。
*****
以下は、ジャヌーブの日々の、ささやかな後日談である。
帝国皇帝(シャーハンシャー)の奇妙な告示は、いささかのズレも無く、実行された。
ジャヌーブ南の廃墟は、セルヴィン皇子の冒険の結果、確かに殲滅されていた。
かの地方の名物・邪霊害獣《三つ首ドクロ》が発生しなくなったことが、その明らかな証拠のひとつである。
同じく南部《人食鬼(グール)》前線ジャヌーブ砦の長年の邪霊案件、帝国建国以来の頭痛の種であった《異常氣象》の激化も、収束した。
怪異な大爆発と砂嵐、大いなる謎につつまれた地殻変動の際の大騒動を、最後にして。
――ジャヌーブ地方は、平均以上に強大な怪獣が発生する多くの難所を抱えるものの。
同様に怪獣発生の難所の多い草原の隊商道や、鉱山地帯の道、東方砂漠の隊商道などといった例と類似する土地柄へと、落ち着いていった。
その栄誉は、ほぼほぼ帝国皇帝(シャーハンシャー)に捧げられる形となり、帝国皇帝(シャーハンシャー)の英雄的な業績を称える数々の四行詩や歌物語がつくられた。
セルヴィン皇子は、帝都へ帰還した後も……この歴史を変えるほどの成果について、固く沈黙した。
なお、帝都宮廷の全員が、歴史的事実は異なることを熟知していたゆえ、例の業績を称える数々の四行詩や歌物語の主人公は、いつしか、バムシャード将軍に置き換えられていった。
結果バムシャード将軍は、南方《人食鬼(グール)》戦線の英雄としての名を高めた。後に、帝国の中央軍団を率いる「バムシャード大将」となる。
セルヴィン皇子の所有になる財宝は、いっそう厳重な国家機密の監視下のもと、名だたる金融商が管理する方々の金庫や宝物庫へ運ばれていった。
ジャヌーブ商会・ガジャ倉庫商会はもちろん、鉱山ギルド『修羅車』顔役の金融商グーダルズ、同じく『亀甲衆』顔役の金融商タモサ、
『白鷹騎士団』財務を遠隔から支える金融商オッサヌフ――といった面々が、財務管理の担当を分担する形だ。
ほどなくして国庫管理下になった部分は、謎の特殊部隊『ラエド』の運用資金にも回されてゆくこととなる。
もちろん金融商ホジジン系列をはじめとする、末端の偽造宝石ショップなどといった反社会的業者は、ことごとく、この財宝ルートからは注意深く排除された。
つづいて。
かねてから懸案事項であった、『帝都の盾』連山エリアで深刻の度を増す邪霊案件について、帝国として、本格的に国家プロジェクトとして、対策に着手するという閣議決定がなされる。
――両大河(ユーラ・ターラー)の上流部に横たわる『帝都の盾』連山。帝都や、帝都大市場(グランド・バザール)との距離は、意外なほどに近い。かつての歴史的大事件が起きた場所。
帝国の近現代史における災厄の現場……巨大化《人食鬼(グール)》発生源だったところだ。
主体的に動いたのは、急に政治工作力を増強した、若き宰相候補アヴァン侯クロシュ。
この国家プロジェクトの総司令官となったのは、新しく任命された国土建設大臣だ。劇的に名誉回復となったオリクト・カスバの、王族フォルード侯である。
どこからか無尽蔵に湧いて来たらしい圧倒的な財力でもって、上流における砂防ダム造成工事がはじまり。
帝国全土の数々の有力な城砦(カスバ)が関与して……ほぼほぼ不正な猟官活動で埋まっているような有象無象の城砦(カスバ)も、利権にあずかろうと、手を上げはじめた。
そして、東帝城砦における東方総督トルーラン将軍も、利権のにおいを嗅ぎつけて、熱い関心を寄せはじめることになるのである……
…………
……
ちなみに、大爆発で散った古代ジャヌーブ遺跡の残骸は、色々あり。
古代の驚異の金属でできた、「人類サイズの螺旋階段」建材もあった。
神殿で定番の施設『瞑想の塔』に素晴らしく合致する古代遺跡アンティーク品だ。
南洋アンティーク物商ネズルが、ネズル夫人と共に、ホクホク顔で選んだのは言うまでも無い。
古代金属製の螺旋階段は、帝都大市場(グランド・バザール)で出品された。『ジャヌーブ復興資金オークション』の目玉商品として、他の素晴らしいアンティーク品の数々と共に。
多数の見込み客へと仲介したのは、もちろん、ジャヌーブ商会の取次業者ディロンである。
競り落としたのは、東方総督トルーラン将軍の利権でもって潤った、東帝城砦に属する建築業者。
幸運な建築業者は喜色満面で、東帝城砦へ戻り。自信満々で、聖火神殿『瞑想の塔』の改装・新築工事を請け負い。そして、例の螺旋階段は、『瞑想の塔』へと取り付けられた。
かの聖火神殿の神官にして風紀役人ハシャヤル氏が、驚くべき奇禍に遭うことになる『瞑想の塔』であるが……それは、まだ10年後の、未来の話である。