深森の帝國§総目次 §物語ノ傍流 〉鳥使い姫と魔法の鍵

鳥使い姫と魔法の鍵*~千夜一夜ファンタジー

ストーリー制作メモ

執筆(プロット作成)開始メモ=2020.01.05

舞台モデル=千夜一夜ファンタジー異世界

■ファンタジー部分の特殊設定

超古代に失われた高度文明の世界《精霊魔法文明》があった。 いまは特に邪霊と呼ばれている、強大な人外種族(怪物など)が支配する《魔法》の時代。人類は被支配種族として捕食される側であった。

古代に人類の中に出現した勇者が怪物王を退治、調伏に成功した。邪霊による支配が終わり、現在は人類繁栄の時代。 精霊・邪霊・怪物の種族すべて弱小になり、人類が編み出した《ジン》操作技術《魔導》に沿って動くようになる。

■ファンタジー部分の特殊専門職、上位の職業から順に:

(1)魔導士=黄金色の《魔導札》、《魔導陣》を使い、精霊・邪霊を強制的に操作。邪霊討伐の際の戦力ともなり、聖火神殿のお抱えの他、帝国軍でも活躍する。

(2)霊媒師=《精霊文字》や《護符》を使い、穏やかな性質の精霊に協力依頼。「よく効くオマジナイ」程度であり、ほとんどの場合、町角の占い屋や民間医療師などとして生計を立てる。
なお「青衣の霊媒師」は特別に《精霊魔法文明》知識が豊富であるため、超古代の知識を保持する諸国や豪族の宮廷の間では、賢者・相談役として重用されている。

(3)精霊使い=《象使い》《亀使い》《鳥使い》の3種。
《象使い》…土木工事や、超重量の運搬業メイン。工事現場ではお馴染み。
《亀使い》…水路メンテナンス専門。噴水・水道・地下水路などで、お馴染み。
《鳥使い》…白タカ《精霊鳥》や白文鳥《精霊鳥》の世話係として生計を立てるのが多い。《精霊語》能力はトップクラスだが、《魔導》が発達した現代では存在意義が薄く、数が少なくなっている。

本文

■16■帝都から来た悪童の、朝につづく昼と夜

帝国の南方領土の要、ジャヌーブ砦は雨季を迎えていた。

昨夜の驟雨を受けた早朝の大地は、シットリと濡れている。昼日中の陽光と暑熱で、あっと言う間に乾燥する見込みだが……

階段状の居住区を擁するジャヌーブ砦は、上の階層に宮殿や軍人・役人たちの区画があり、下の階層に砦の日常を支える非戦闘員たち住民の区画がある、という構造である。 老魔導士フィーヴァーの詰める医療区画は、その中で、中の上ほどの位置に設置されていた。

極め付きの変人という、おかしな理由で帝都から追放された……いわく付きの老魔導士に割り当てられた滞在部屋は、番外皇子セルヴィンの体調管理も含めて、 重傷者仕様の入院室や、診察を兼ねる談話室などと続き部屋になっている。

番外皇子セルヴィン殿下は、生贄《魔導陣》の作用でもって、異常な虚弱に見舞われているところ。 最近は軽快してきたものの、体調不良の完全な解決には程遠い……かつての人類アリージュ姫=アルジーが生贄《魔導陣》で呪われて以来、頻繁な体調急変に悩まされていたのと同じように。

白文鳥アルジーは、朝の小鳥の習慣――水浴びを念入りに済ませた後、まだ朝焼けの色を残す空を見上げた。

砦の周りは乾燥した岩山砂漠が広がっている。標高の高い部分は、ほぼ禿山の群れというべき、ゴツゴツとしたスカイラインを形づくっていた。

早朝の空を舞う、勇壮な鳥影。

夜明けの狩りに出かけて食事を済ませ、そして帰って来る白タカ《精霊鳥》たちだ。

しばらく眺めていると、そのうちの一羽が、白文鳥アルジーの居る談話室の大窓へと、素晴らしい速度で急降下し始めた。 最後の一瞬に速度をゆるめ、ふわりと、窓枠の、白タカ専用の出入口に器用に着地する。

白鷹騎士団の中堅ベテラン騎士のひとり、鷹匠ユーサーの相棒を務める、白タカ《精霊鳥》ノジュム。

談話室へ入るや、ベテランならではの風格ある白タカは、定位置、窓近くのスタンド式ハンガーに腰を据えた。 部屋の定番の調度、ドリームキャッチャーが吊るされているスタンド式ハンガーだ。

『朝が早いな、銀月アリージュ』

『白文鳥の身体に入る前は、市場(バザール)の民間の代筆屋だったもの。朝早くから代筆文書の注文チェックやってたし。例の呪術のせいで体調安定してなくて、 余分に時間を取らないと、普通の人なみに仕事できなかったからね』

『道理で、昨夜セルヴィン皇子が倒れた時も、落ち着いて「寝台に入れ、霊験あらたかな茶を飲め」と、指示できる訳だ』

『いつか全部の問題にケリ付いたら、こんな禁術で私を呪殺して、いまのような亡霊に変えた従兄(あに)ユージドを、おキレイな顔の形が変わるまで殴り倒してやるわよ。 罰当たり夫トルジンもね。市場(バザール)の裏路地の流儀で』

改めて怒りと決心を新たにしつつ、真っ白モコモコ小鳥の巣のうえを、ドスドスと歩き回る白文鳥アルジーであった。

……白タカ・ノジュムは羽づくろいしつつ、こっそりと恐れ入ったように呟いた。アルジーには聞こえない程度の、小声で。

『精霊界の厳しい制約のもと、真実は教えられないが。かの《銀月のジン=アルシェラト》が、ガッツリ見込んで祝福した人類を、怒らせるものじゃないな、まったく』

*****

程なくして、朝食を済ませた老魔導士フィーヴァーが談話室にやって来て、魔導士の定番の装束である黒い長衣(カフタン)を整え、往診カバンを準備し始めた。

「今日の捜査が始まる前に、大急ぎでカムザング皇子の往診を済ませてしまおう。昨日の中庭での経緯を聞く限りでは、骨折多数および神経衰弱と思われるがのう。 帝都皇族ならではの強力な《護符》が全く役立たず、それ程の重傷者となってしまったという怪異現象の原因を、突き止めておかねば」

「私も同行させてください」

「ふむ!?」

意外にキッパリとした様子で、セルヴィン皇子が申し出たのだった。顔色は本調子では無いものの、琥珀色の目に浮かぶ強い光は、反対があっても退(ひ)かぬという雰囲気。

「帝都の目もあるので。中庭であれだけの騒動があって、お見舞いに行かないほうが不自然に思われる」

「成る程。宮廷事情というのも難儀なことじゃ。ということは、リドワーン殿も?」

奥のほうで、すでに紅衣を整えていたダークブロンド髪のナイスミドル神官が軽く頷いて来た。元々カムザング皇子の従者という建前で、お忍びして来たという事情があって、 紅衣は一般的な神官のものだけど……とことん、ヒラ神官に見えないヒラ神官だ。

程なくして、護衛オローグ青年と共に、キッチリ覆面ターバンを整えたオーラン少年が加わって来て。

一同、カムザング皇子のもとを目指したのだった。

老魔導士フィーヴァーを先頭とする一同は、城壁沿いの道を延々とたどって行き、階段をいくつか登って行った。

白文鳥アルジーは、覆面オーラン少年の相棒の白タカ《精霊鳥》ヒナ・ジブリールの足元に隠れる形で、コッソリと同行した……

鷹匠ユーサーと鷹匠ビザンは、白鷹騎士団の用件があって席を外している。この後の予定すなわち、違法な賭場が開かれていたのではないかとの疑惑のある、中二階の捜査の事前準備のためだ。

――宮殿のある高層の区画。

その中でも特に豪華絢爛な装飾に彩られた区域に、カムザング皇子の宿泊用の部屋があった。しかも複数の間取りを贅沢に占有する、続き部屋だ。

ジャヌーブ砦でも高い位置に設置されている、区画ゲートをくぐる。

カムザング皇子のための専用区画を、帝国軍の中でも特に上等な、お揃いのお仕着せをまとう護衛、兼、従者たちが警備していた。 半数ほどは、家筋の良いところの、カムザング皇子と同じようなボンボンという雰囲気。

――その手の、おべっか使いや取り巻きが、ほとんどだ。

白文鳥アルジーは、罰当たりな夫である御曹司トルジンの親衛隊……その実、色とりどりの称賛や、おべっか使い担当であった取り巻きメンバーの雰囲気を思い出して、達観の溜息をつくのみだ。

所定の作法にしたがって、美形だが頭の空っぽそうな少年1名が出て来た。先触れとして、老魔導士フィーヴァーの一行を案内し始める。

幾つかの仕切り扉を過ぎ――見覚えのある、あの贅沢すぎる錠前付きの扉へと、到達した。カラクリ人形アルジーがカムザング皇子を投げ飛ばした、あの寝室を続き部屋として持つ、皇族専用の間取りの……

先触れを務める少年1名の呼びかけに応じて、過剰に派手な宮廷仕様の長衣(カフタン)をまとう小姓が出て来た。 身分の高い皇子の小姓を務めるだけあって、相当の器用さを感じさせる美少年だ。セルヴィン少年やオーラン少年と、同年代。

「早朝から済まんのう、小姓どの。カムザング皇子の重傷の件を聞き、往診に参ったのじゃ。担当の医師は、当然、控えておられると思うが」

「いえ、それが! 白ヒゲ先生!」

帝国随一の名医という評判の、老魔導士フィーヴァーの見事なモッサァ白ヒゲを目にして、小姓は感極まったようにドッと涙を流した。

次の瞬間には小姓は、老魔導士へとしがみついていた。

「ぜぜぜ是非、診ていただきたく! 担当の医師どのには、もう理解不能な状況で! 恐ろしい呪術があるのでは、とのことで、お役を降りて行ってしまいまして! 老魔導士どのへ連絡されるとか、どうとか」

「ワシは、まだ連絡を受け取っておらんのじゃ。ということは、ワシのほうで思い立つのが早かったようじゃの。では、案内を頼もうかの」

「是非こちらへ。えぇと、セルヴィン殿下と、御付きの方も……」

一同は贅沢すぎる応接間へと進み入り……その奥の続き部屋となっている寝室のほうへと、案内されて行った。

小姓が、間仕切りとなっている贅沢な宝飾ビーズ製カーテンを透かして、主君カムザング皇子へ声をかける。

「老魔導士の、白ヒゲ先生が参りました。お見舞いの方も」

――返事は無い。代わりに、守護精霊を務める《火の精霊》が、部屋の照明となっている魔法のランプに「ポポン」と灯った。

『済まぬ。皇子カムザングは今むくれているのだ。現実を拒否している。身体が思うとおりに動かず、発熱も引かず、鏡を見て衝撃を受けまくったゆえ』

『……鏡?』

思わず、覆面オーラン少年の肩先で「ぴぴぃ」とさえずる、白文鳥アルジーであった。

寝室の間へ入るや、腐敗臭のような異臭が広がった。

備え付けの大窓や小窓を開けて風を通しているが、それでも雨季の湿気を含んだ空気の中で、ドブさらいの前のドブのような、いわくいいがたい空気が漂っている。

飲み水などを運ぶためであろう、付き添いの面々が数人ほど、口と鼻を手でふさぎつつ、控えている。全員が全員、腰が引けている状態だ。

「む、これは……! 禁術の大麻(ハシシ)患者のものじゃな、それも末期の……!」

老練な医師としての経験でもって、老魔導士フィーヴァーは即座に指摘した。サッと、寝台に接近する。

一方で、セルヴィン皇子や覆面オーラン少年、護衛オローグ青年、付き添って来たリドワーン閣下は、経験の無い腐敗臭に圧倒されて、呆然としている。

ちなみに忠実な小姓も素早く距離を取って、付き添いの面々に混ざってしまった。ビクビクしながら。

許可さえあれば、全員、すぐにでも異臭ただよう部屋から逃げ出そうという意欲満々だ。 部屋の外で警備をつづけている、お揃いのお仕着せをまとう護衛、兼、従者たちの群れに混ざるつもりでいる、という考えが読み取れる。

「ザッと診察させて頂きますぞ、第六皇子カムザング殿下」

老魔導士が、掛布団をめくる。

ドラ息子の全身は、骨折処置のための固定棒をくくり付けられた状態だ。担当した医師は、カムザング皇子の性格をよく知っていたようで、 勝手に固定棒を取り外せないように特製の石膏でガチガチに固めていた。

確かに、これでは、鼻をかくことさえ大仕事だろうという風だ。鼻をかくことは、可能だけど。

そして……別人のように衰えていた。若者らしい体格はすっかり失われていた。妙にタプタプしたボロ雑巾が骨格を取り巻いているという風だ。

――異様なガイコツ少年であった頃のセルヴィン皇子のほうが、まだ人間らしかった、というくらいに。

かなり激しい脱毛があったらしく、髪はボロボロに禿げた状態だ。毛髪そのものも、かつてのダークブロンドの輝きと艶を失い、藁クズよりもいっそう腐り果てた藁クズのような印象。

見えている肌の全体に、暗い色合いのシミが、マダラに出現している。《人食鬼(グール)》傷を思わせる異様な雰囲気。

顔面は、病み崩れた老人のように崩壊していた。クッキリとシワが刻まれた口元も、形がおかしい。何本か、歯が抜けてしまっているらしい。

ドラ息子なカムザング皇子は、口だけは良く回った。

「おいごぁ、老いぼえ! こぇを何とかしぉ、ふぐい! 変な呪術、だのの、せいなんだかぁな! ほぉのクズ皇子セゥウィン何ぁやったんだぉう、ほうとも、ほぅにゆがいない!」

老魔導士フィーヴァーはカムザング皇子の難癖を華麗に無視して、キビキビとした態度で問診を始めた。カムザング皇子が思わず口を閉じて注目するほどの、圧倒的な気迫。

「その前に確認させて頂きますぞ、カムザング殿下。大麻(ハシシ)を摂取した筈じゃが、どこで、どれくらいの量を吸ったのじゃ?」

カムザング皇子はギクリとしたように口ごもり、そして、わめいた。

「ほ、ほんなの、はんへいあぃか!」

「関係は大いにある、大いに。それが回復までの期間を計算するデータとなるのじゃからの」

やがて、カムザング皇子は「ぶすぅ」とした顔つきになった。発熱している割には、元気そうだ。帝都皇族の護符ならではの、強力な守護を感じる。

「……おもぇてない」

「成る程、覚えていないと。禁じられた黄金の大麻(ハシシ)を、人体の限界を超えて大量に摂取すると、このようになるのじゃが。 かつて潜入調査していた暗殺教団で、散々、観察した症例じゃ」

老魔導士フィーヴァーは続けて、往診カバンから、ハーブオイル類を詰める定番の大瓶を取り出した。

中身は、なめらかに流動するジェル状オイル。浮遊する微粒子が陽光を反射して、虹色の星々のようにキラキラと光っていた。

庶民向けの日常品を扱う市場(バザール)ではお馴染みの品だが、カムザング皇子は初めて見た、という風に目を見開いている。

「なんや、ほぇは?」

「どこにでもある庶民向けの常備薬の定番《虹如星》オイルじゃよ。原因が呪術系であるか自然系であるかを問わず、体調を整える。 長時間の労働のうえに、一日でも休むと生活が苦しくなりかねない、庶民ならではの高難度の要求に応えつづけて来たものじゃからの」

老魔導士は熟練の手業でもって、カムザング皇子の病み衰えた全身に、医療オイルを塗りたくった。

ベースとなっている量販の無香オイルは、元々は、全国の鉱山の地下各所で、安定して入手が容易な鉱油。 鉱脈や鉱床を形成する多種多様な《地の精霊》と《精霊亀》の反応による副産物であることが判明している。

専門の《魔導》工房で精製加工された無香オイルは、機械油・刀油など応用範囲が広い。定番の薬効成分を加えて、多少の精霊魔法でもって錬成したのが《虹如星》だ。 有効成分を含む各々の微粒子の反応により、多彩な色がチカチカと光り、虹色をした星々のように揺らめくのが、名前の由来。

各人の体質に合わせて、町角の医師や薬剤師が独自の薬効成分を新たに添加して、自家製・特製の医療オイルを製作するのも多い。

――早くも、得体の知れない刺激的な腐敗臭が、穏やかな性質のものへと変わった。

二日酔いをキツくしたような異臭だが、よく見かける既知のものに近い、耐えられるギリギリの範囲へと収まったのは大きい。

カムザング皇子自身も、その変化を感じたようで、驚きの眼差しをしている。

「済まんが、紗幕(カーテン)をもう少し開いてくれ。この診断は、直接の陽光を使う必要があるのじゃ」

小姓が驚いた顔をしながらも、紗幕(カーテン)を開く。

老魔導士フィーヴァーが、透明なレンズがハマった手鏡のような道具を取り出した。特大の虫眼鏡のようだ。ハマっている透明な面は、偏光ガラスのように、角度を変えるたびに反射色が変わる。

「ふむ……肉眼では消滅しているように見えるが……精霊魔法《偏光》を通すと、確かに小鳥の白い足跡スタンプが、ビッシリある。これは、精霊の目ではバッチリ見える代物じゃな」

確認するように、老魔導士は、クルリとこちらを振り返る。

セルヴィン皇子の肩先で手乗りサイズ招き猫よろしく鎮座する《火吹きネコマタ》が、「応」と言うかのように、2本のネコ尾をピコピコ振って返していた。

「呪術を発動するための『黄金の邪悪な印』が、ひとつも無い。徹底的に浄化済み、なおかつ聖別済みじゃ。実に信じられん。 穢(けが)れた毛穴という毛穴、秘孔という秘孔をすべて退魔調伏してある。これほど緻密で高度な精霊魔法を見るとは思わんかったのう」

「つまり、どういう事なのだ、老魔導士どの?」

作法どおりに紅の長衣(カフタン)をまとっているが、皇族ならではの堂々とした雰囲気があって、ヒラ神官に見えない中年ヒラ神官――リドワーン閣下が、そっと問いを投げた。

「禁術の大麻(ハシシ)成分がひとつも残っておらんのじゃ、幸運なことに。 かつて学んだ邪悪な知識が正しければ、いま此処で、カムザング皇子の頭部を食い破って邪霊の大麻(ハシシ)が成長してゆき、胴体はその苗床となって食い尽くされたであろう」

真っ青になって、アワアワとし始めるカムザング皇子。

モッサァ白ヒゲがなおも動き、不気味な解説は、つづいた。

「そして、邪悪な大麻(ハシシ)は暴走し、巨大化して、一帯を荒らす新種の怪獣へと進化した筈じゃ。 数多の隊商(キャラバン)を悩ませている忌まわしく巨大な怪物だの怪獣だのは、そうして出現して来るのじゃ。 傭兵団や冒険者、発掘探検隊、各地の城砦(カスバ)からの、怪獣退治や退魔調伏の報告も日々、帝都に届いている。アレじゃよ」

――カムザング皇子は、人の姿形を失って、化け物になるところなのだ!

それを悟った小姓、その他の付き添いの面々が、全員、全速力で、部屋の隅まで避難した。退魔紋様が刻まれてある、定番の護身用の短剣や、三日月刀(シャムシール)に手を掛けつつ。

速やかに、その場の緊張が落ち着いたのは、老魔導士フィーヴァーが相変わらず、冷静沈着そのもの――という様子だったお蔭だ。

「それが、禁術の大麻(ハシシ)を、限度を超えて摂取した者の末路。報告によれば《鳥使い》幽霊に襲われたとのことじゃが、感謝しても良いくらいじゃ、いや、 忌まわしき運命から救ってくれた命の恩人と崇めるべきじゃぞ。その護符の聖なる力が効いているのは、そのお蔭じゃよ」

「ぜんぜん、ひぃてないぞ! こんなグダウダなのに!」

「邪霊の大麻(ハシシ)に穢(けが)された毛穴という毛穴、秘孔という秘孔をすべて退魔調伏してあるうえに、帝国全土でも最強との定評のある、皇族のための護符の力が上積みになっているからこそ、 カムザング皇子は怪獣にならずに済んでおるのじゃぞ、このバカモン!」

老魔導士フィーヴァーの怒声が爆発した。

「診断を述べよう。耳かっぽじって、よく聞きたまえ! 禁術の大麻(ハシシ)のせいで健康を維持するための生命力さえ枯渇しておる。 ふざけた邪霊使いの技術なぞ用いて他人から生命エネルギーを奪い取ることは、もはや不可能じゃ」

「邪霊ふぁいなんぁ、やってない!」

「忌まわしき怪獣が1匹増えることに比べれば、そんな些細なことは、ドウでも良い。《精霊使い》に準ずる禁欲生活を始めたまえ。 暴飲暴食、大麻(ハシシ)、タバコ、不特定多数との夜の行為などは、徹底的に厳禁じゃ」

「ほんな!」

「羽目を外すたびに、護符に宿る守護精霊が剥がれてゆく。その身体は、荒廃と不健康と老衰のカタマリじゃ、子孫を残す能力すら失われておる。 閨(ねや)の中で絶頂に達した瞬間、心臓が止まろう。命数の枯渇は、現代医学でも、どうにもならぬ領域じゃよ」

「ハ、ハーレムの、ほうは……」

「50人以上の男女との性欲爆発の裸踊りなど、そんなクダラン妄想しておったのか。徹底的にドクターストップじゃ、もちろん。 大麻(ハシシ)だの、大麻(ハシシ)副作用による100種超えの性病の発症だので、『男の証明』が腐り落ちているゆえ、無意味な指示じゃがな」

老魔導士フィーヴァーはギラリと鳶色(とびいろ)の目を光らせ、老練な医師としての気迫でもって、第六皇子を見据えた。

「大神殿の最高位の医師として、緊急の監視入院を命ずる。カムザング皇子が発症しとる100種超えの性病の中に、空気伝染する種があれば厄介じゃ、帝国全土に厳重な防疫体制を敷かねばならん。 ワシの知る最悪の性病が含まれていたなら、すべての人類の男という男の股間のモノが、完全に不能になる。《怪物王ジャバ》が、その昔、人類の男を駆除するために発明した『地獄の呪病』ゆえ!」

その場に居た「生物学上オス」全員が絶句し、微妙に特定の位置を守るように、手を当てた。恐怖に青ざめつつ。

もはや動けずにいるドラ息子へ向かって、老魔導士フィーヴァーの容赦ない指摘が、なおも降り注ぐ。

「その他にも、魔導士のひとりとして、絶対に看過できぬ所業がある。他人を死に至らしめる《魔導札》を酒姫(サーキイ)アルジュナより入手した件、胸に覚えが有ろう。 5人の魔導士の若者が、急に居なくなった事実も。 宮廷の重鎮の筋より、カムザング皇子の皇族籍剥奪の相談を受けたアカツキには、ワシは、カムザング皇子の皇族籍を剥奪すべき、と意見しておくぞ」

――カムザング皇子は、白いシーツよりも真っ白になって、グンニャリと脱力したのだった。

*****

お見舞い品として、医療ハーブオイル《虹如星》の大瓶を、カムザング皇子の寝室に残して。

老魔導士フィーヴァーを先頭とする一同は、カムザング皇子の部屋を辞した。

そこで、戸惑った顔の小姓が、覆面オーラン少年を呼び止めた……

セルヴィン皇子が眉をひそめて制止しようとしたが。覆面オーラン少年は、『大丈夫』というような意味深な目配せを送った。

そして、白文鳥アルジーが摘まみ出され、セルヴィン皇子の手に移されたのだった……

…………

……少しの間――カムザング皇子の部屋の外をめぐる回廊の中、少し距離をとった位置で。

カムザング皇子の小姓と、覆面オーラン少年との間で、ヒソヒソ話のやり取りがつづく。

やがてオーラン少年が、覆面にしていたターバンを外した。かつてチラリと見えた淡い茶髪は、いまは微妙に黒さを増した茶髪になっていた。 かの《地の精霊》との守護契約が成立した証。いずれ兄オローグ青年と同じ黒髪となるであろう茶髪の中で、ひと房の銀髪が、いっそう目立つ。

オーラン少年の顔面には、老魔導士フィーヴァーによる設定と指示を受けた結果の、迫真の《人食鬼(グール)》裂傷……それを認めた小姓が、ギョッとしたように2歩ほど後退した。

程なくして。

不思議なヒソヒソ話が終了したらしい。オーラン少年が、再び覆面ターバン姿になる。

まだ納得しかねる、という表情をした小姓を残して……覆面オーラン少年が、戻って来たのだった。

「……もう、いいのか? オーラン」

「ハイ、セルヴィン殿下」

――いわゆる、「男と男の話し合い」だろうか。

セルヴィン皇子の手の平のうえで、白文鳥アルジーがヒョコリと首を傾げていると……

覆面オーラン少年の肩先で落ち着いていた白タカ《精霊鳥》ヒナ・ジブリールが、『あとで説明するよ』という風に、片目をつぶって来たのだった。

*****

思ったより早く、カムザング皇子のお見舞いが終わり。

老魔導士フィーヴァーを代表とする一同は、中二階の最寄りの定番の待ち合わせ場所で、虎ヒゲ・タフジン大調査官や、戦士マジード、 礼拝堂の魔導士、白鷹騎士団からの派遣メンバーなどといった、中二階の捜査チームと合流することになった。

定番の待ち合わせ場所は、砦の伝書局で管理している鳩舎のある、城壁沿いの広場となっているポイント。

近くに《精霊象》小屋や厩舎もあり、ちょっとした運動会が開けそうな場所だ。

複数階層を持つ建築物の間に、大判の紗幕が張り渡されていて、手ごろなパラソルとなっている。

都合よく日陰となっている窪み部分には、噴水の水を流すための水路があって、交代で待機中の数頭ほどの《精霊亀》が、ノンビリと泳いでいた。

目の前に、《精霊象》のための大きな象小屋が、デデンと立っていた。馬小屋や鳩舎が近くにあったが、象小屋に比べると、小さな人形の住宅さながらだ。

雑多なサイズの荷箱が並ぶ一角。適当な荷箱を選んで、老魔導士フィーヴァーが腰を下ろした。懐から紙束を取り出し、「カムザング皇子の担当医へ連携しておこう」と言いながら、要点メモを記し出す。

壁沿いの警備しやすいポイントに、セルヴィン皇子や覆面オーラン少年が並んで、ヒソヒソ話を始め……護衛オローグ青年は、聖火礼拝堂へ向かうというリドワーン閣下を護衛しつつ、立ち去って行った。

セルヴィン皇子の守護精霊――手乗りサイズの火吹きネコマタは、近くの高灯籠へと入り込み、そこに居る《火の精霊》と情報交換である。

ついでなので、白文鳥アルジーは、昨日の中庭の騒動で怪我をしていた2頭の《精霊象》を、お見舞いすることにしたのだった。

白文鳥アルジーは、白タカ《精霊鳥》ヒナ・ジブリールと共に、石畳をピョンピョン跳ねつつ、象小屋を目指した。

『差し支えなければ。オーラン君と、あの小姓は、いったい何を話してたの?』

『それぞれの主君と従者の……考え方について、というところだね』

白タカ・ジブリールは、片足を挙げて、頭部のフワフワをコリコリとやった。幼鳥の身体に残っている真っ白フワフワ産毛がかゆくなった様子。

『オーランは綺麗な顔してるから。ふとした際に、カムザング皇子に目を付けられて、小姓、兼、男妾として、引き抜きされたことがあったんだよ。 でも、あの小姓が何かと言いがかり付けて、追い出した。カムザング皇子の皇族特権のおこぼれを独り占めしたかったんだろうね』

『追い出されたオーラン君は、兄者オローグ青年に付き従う形で、兄弟そろって、セルヴィン皇子の従者になった感じ?』

『そう。オーランにとっては幸いだったよ。セルヴィン皇子が死にかけたうえにジャヌーブ砦へ追放された頃は、あの小姓は、 得意満面の絶頂期だったみたいだね。でも、このたび、カムザング皇子が、あんなことになって』

『オーラン君のツテでもって、主君を乗り換えようとしてたってこと?』

『だから、オーランは覆面を外して見せたんだ。従者として、こういうことあるよ、と、説明して。セルヴィン皇子が受け取った皇帝の命令書、知ってるよね。 ジャヌーブ南の廃墟すなわち《人食鬼(グール)》異常発生源へ突っ込む予定。この件に関して皇帝からの褒賞ゼロだけど、付いて来れる? と確認してた』

『推察するに、小姓くんは、主君を変える決心が付かなかったみたいだね』

『そういうこと。オーランの、スゴイ顔のアレは、設定上のペイント化粧だけど。人相が崩れた部下を、カムザング皇子は大事にしないだろうね。 ほかの、美形な小姓に取り換えて、すぐに捨てる。退職金も、ビタ一文やらずに。セルヴィン皇子とは違って』

白文鳥アルジーは、シミジミと納得するのみだった。

『そういえばカムザング皇子は、大麻(ハシシ)転売がバレた際、自分が無罪で逃げ切るために、手先として使っていた実働部隊の面々、暗殺だのなんだので口封じしておいて、 連座制でもって無関係な親族まで亡き者にしようとした、とか』

『皇族特権しかウリが無いんだよね、カムザング皇子。裏金ルート壊滅したし、皇族籍を失うのは確実。 ボクたち精霊にとっては、正直、ホッとする結果だよ、カムザング皇子にとっては不本意な朝につづく昼と夜の始まりだろうけど』

ちょっとビックリして、クルリと、白タカ幼鳥ジブリールを振り返る。もう目の前に、仕切りを超えて垂れて来ていた、《精霊象》の長い長い鼻が迫ってたけど。

『そうなの? あのカムザング皇子は、精霊たちにとって、そんなに害になる行動してたの?』

『大麻(ハシシ)転売ビジネス拡大の影響で、《精霊使い》の数を減らされてるんだ。 オーランも、あの小姓が偶然にも追い出していなかったら、カムザング皇子の異常性癖な夜の相手にされて、貴重な薔薇輝石(ロードナイト)を散らされてたよ』

『相棒となる《象使い》候補も、数を減らされていたねぇ。あの悪童カムザングに関しちゃあ、我ら、まったく同感よ』

長い長い鼻の穴から、《精霊象》の溜息の風がブワッと吹いて来た。

白文鳥アルジーは、コロンと転がってしまった。

『わ、ビックリした……傷の具合はいかが? あれは大物な《三ツ首サソリ》だったから……《精霊象》さん』

『お焚き上げ処置が早かったから、お蔭さまでね。我、老女ナディテの相棒。ナディで良いよ』

隣の象小屋に入っていた2頭目の《精霊象》も、長い長い鼻を垂らして「フッ」と息をついた。

『我、ドルヴの相棒ゆえドルーと呼んでくれれば良い。退魔調伏が済めば回復は早いよ。それにしても数百年ぶりだね、ジャヌーブ界隈で白文鳥《精霊鳥》を見るのは。娘さん、もしかして、 この間の雨降りの朝、幽霊で来てたか? 最初は、訳あって超古代の頃のように人類の姿をとった《銀月の精霊》アルシェラトの一族と思ってたけど、よく見ると、本物の人類だね』

『え、う、うん……分かるんだ?』

『そこに人類の耳飾りがあるから。白文鳥の白羽をくっつけた、小型ドリームキャッチャー細工の。うん、気配は覚えた。ほとんど《銀月の精霊》だね』

若い《精霊象》ドルーは、興味深そうに長い鼻を動かして、白文鳥アルジーの周りをフンフンと探っていた。

『地上で見かける《銀月の精霊》は、植物《精霊クジャクサボテン》くらいだよ。《地の精霊》のほうが、よほど活動的。 さっき《地の精霊》の依頼を受けたってことで、《雷の精霊》御使いが渡って来て、ラエド戦士の招集かけてったよ。ジャヌーブ南の廃墟へ、遂に突撃するとかって』

『え?』

思いもかけない情報に、思わず「ピョコン」と飛び上がる、白文鳥アルジーであった。

『ラエド戦士の招集って……聞いたこと無いけど、いったい誰が? いつの間に? どうやって?』

年かさの《精霊象》ナディが不思議そうに、大きな象の耳をパタパタさせた。

『娘さん、聞いてなかったっけ?』

『人類アリージュ、此処に来て10日も経って無いから』

白タカ幼鳥ジブリールが、訳知り顔で応じていた。

■17■呼ばれて飛び出て、謎の死体で大混乱

2頭の《精霊象》のための象小屋の前で、精霊(ジン)同士で話し込んでいる間に。

かねてから申し合わせていた時刻となる。

セルヴィン皇子の守護精霊を務める火吹きネコマタが、ピョンピョン跳ねながら、やって来た。手乗りサイズの、ちっちゃな赤トラ猫だ。

『そちらに居たニャネ、《鳥使い姫》。中二階の捜査の準備があらかた整ったニャ。間もなく現場調査だニャ』

白文鳥《精霊鳥》アルジーは『承知』と応じて、真っ白な小鳥の羽をパタタッと振って見せた。

象小屋の中から、2頭の《精霊象》は礼儀正しく長い象の鼻を伸ばし、ちっちゃな赤トラ猫の2本のネコ尾に、順番にそっと触れている。

『あとで、我ら《精霊象》にも教えておくれ、《火の精霊》さん。あの《三ツ首サソリ》を走らせる原因になったという賭場、我々も見てみたかったけど、身体が大きすぎるからね』

『任せてくれニャ』

*****

――禁断の『生贄918番の儀式』という殺人事件が生じていたのではないか、との疑惑のある中二階の広間に、いよいよ捜査の手が入る。

捜査隊の集合場所、中二階の最寄りにある厩舎区画は、城壁を縦横する多数の階段が交差している石畳の広場である。馬小屋や《精霊象》の象小屋、鳩舎などといった公共施設の前に開けた空間だ。

ジャヌーブ砦の各所から招集されて来た捜査要員が、集結して来ていた。

以前にも見かけた虎ヒゲ・マジード。相変わらず自慢の大斧槍(ハルバード)を、シッカリ携えている。

虎ヒゲ・マジードの大柄な体格を余裕で上回る、巨人族の戦士が近くに居た。黄金肌というよりは、陽気な潮焼け肌。左右の大型戦斧を豪快に振り回している。早くも、 厩舎の馬を狙って飛び込んで来た《三ツ首コウモリ》2体ほど退治して、得意満面。

――《火の精霊》の祝福を少し受けたという風の、赤みを帯びた体毛。カラリとした陽気な性格がうかがえる。陰湿そうな目付きをしていた巨人戦士ザムバとは、対照的。

「朝メシ後にピッタリな腹ごなしじゃ! 幸先いいぞ、酒も美味くなろう、ガハハ!」

「酒瓶は持ち込んでないよな、巨人族ギムギン殿。巨人族アブダル殿も招集されていた筈だが、彼はどうしたんだ? 中二階は武器展示室として使われているし、 巨人族アブダル殿は、とりわけ新型武器には目が無かっただろう?」

「うむ、俺も不思議に思っているんだ、虎ヒゲ・マジード殿。朝っぱらから不在で。最近イイ女の尻を追ってると話してたから、そっちかな。 どうも俺ら巨人族は、好みの酒と女にゃあ、のぼせちまう」

巨人戦士ギムギンは、左右の大型戦斧を、ちゃちゃっと腰回りのアックスホルスターに収めた。 同族が申し訳ない、と言わんばかりに……定番の、赤茶の迷彩柄をした戦士ターバンごしに、大振りな頭部を、ガシガシとやり始める。

横のほうで、以前にも見た高位高官――帝都紅の文官服をまとう虎ヒゲ・タフジン大調査官が、困惑顔をしながら、老魔導士フィーヴァーと話し合っていた。

「巨人戦士アブダル殿は、まだ到着しておらんのか? 虎ヒゲ・タフジン君」

「そうなのだ、老魔導士フィリヴォラルフ殿。ジャヌーブ砦の第一長官の代理をも務めるほどの手腕があり、いずれはカスラー大将軍の後継に、とも目されるほどの男なのだが……これは、どうしたことか」

程なくして、格式のあるマント姿の人物が階段を上がって来た。黒衣の老魔導士が後につづいて現れる。

両者ともに定番の戦士ターバン。頭部を保護する額当に施されたレリーフ彫刻が、『白い鷲獅子グリフィン』の紋章。白鷹騎士団の者だろうと知れる。

ついで現れて来たのが、馴染みの中堅ベテラン鷹匠ユーサー。

白文鳥アルジーはホッとして、さっそく鷹匠ユーサーの肩先へと飛んで行った。ユーサーの相棒を務める白タカ・ノジュムは、外出の際の定位置、皮手袋を装着した側の手に落ち着いているところ。

『第六皇子カムザングのお見舞いでは、《鳥使い姫》、なかなか興味深い光景が展開したそうだな』

『そういえば、鷹匠ビザンと白タカ・サディルは? 中二階の捜査に乗り気だったと思うけれど』

なんとなくクルリと首を巡らせる白文鳥アルジー。

ベテラン白タカ・ノジュムは、訳知り顔で端的な説明を寄越して来た。

『皇弟リドワーンの護衛に回った。ジャヌーブ南の廃墟への道開きの件で、聖火礼拝堂に詰めている神官や魔導士たちと交渉をしている。 帝国皇帝(シャーハンシャー)の命令が書面で出て来たのは、それだけの影響がある』

マント姿のシニア男が、鷹匠ユーサーの肩に落ち着いた白文鳥《精霊鳥》アルジーを、マジマジと注目し始める。

「確かに、白文鳥《精霊鳥》だ! 本当にジャヌーブ砦に渡っていたとは……鷹匠ユーサー殿、これに《鳥使い姫》幽霊が憑依していると?」

「ご推察のとおりで、団長殿、魔導士ジナフ殿。王侯諸侯の姫君であることは確かですが、調査およばず……『身元不明』にて、ご了承ねがいます」

白文鳥アルジーは早速、白タカ・ノジュムに確認である。

『シャヒン王シャバーズ陛下……だよね?』

『うむ。専属魔導士はスパルナ出身だ。元はスパルナ王家の係累の諸侯だが、魔導の才を見込まれた。「魔導士ジナフ」と呼べば良い。 いま思いついたことだが、タイミング次第では《鳥使い姫》、スパルナ部族あるいはシャヒン部族の、王子の誰かと結婚というのも選択としては有り得たかも知れんな』

白文鳥アルジー、すなわち今は亡きシュクラ王国の第一王女アリージュ姫は、一気に老けた気分になった。

『結婚は、もうコリゴリだわ正直』

『あらゆる脱税ビジネスにいそしんだという罰当たりな御夫君には、随分と苦労させられたみたいだな』

『生き返ったところで連座制で裁判、即、処刑だもの。私の名を使った不正な工事してたし、反乱罪だの何だのくっ付いてたから』

不意に視線を感じて……白文鳥アルジーは、クルリと老ジナフのほうへと、首を向けた。

老魔導士ジナフは、驚愕の眼差しをしていた。此処ジャヌーブ砦に来て最初の宴会の夜、魔法の《水鏡》を通して驚いていたオババ殿と、 同じような眼差しだ。《水の精霊》祝福があるのだろう、かすかに青みを帯びた、特徴的な目の色。

「本当に、白文鳥が、半透明の姫君を背負ってますな」

シャバーズ団長が興味深そうに、老魔導士ジナフを見やっている。

「霊魂が見えると? 老魔導士ジナフ殿」

「ハイ、《火の精霊》補充の力でしょう、ネコミミ付スナギツネのお面で。下にもうひとつの顔。《水鏡》占い方式で見ると例の四行詩も納得するところです。霊魂が揺らいでいて不鮮明ですが」

老魔導士フィーヴァーが「我が意を得たり」という風に頷き。

「霊魂の挙動について興味深い議論が出来そうじゃの、魔導士ジナフ殿。素晴らしい再会じゃ。ふむ、巨人族アブダル殿の代わりも到着したようじゃし、そろそろ中二階へ向かおうではないか」

気が付くと、戦士ターバン姿の人物が2名、階段を駆け上がって来て、一礼していたのだった。

戻って来ていた護衛オローグ青年と、驚いたことに――クムラン副官だった。

*****

一同は中二階へつづく階段へ入った。手を、それぞれの武器に沿えて警戒しつつ。

アーチ列柱が並ぶ階段である。風通しが良いせいか、比較的に多数のドリームキャッチャー護符が備え付けられていて、四色のケサランパサランが次々に掛かっていた。

「この辺り、一定時間ごとに事務員が巡回して、ケサランパサランを少しずつ回収して、近くの角の集積所へ貯めとくんですよ。 量が溜まったら、まとめて業者が持ち出して、ジャヌーブ砦の城門前や近隣の城砦(カスバ)の市場(バザール)でさばいたり、色々活用する」

事情に明るいクムラン副官が、道々解説している。聞き上手な性質で、古株の衛兵や駐在員から、あれこれ仕入れたのだろうという事が分かる。

目的スポット、中二階の広間の、堂々たる中央扉が見えて来た。あと少し――というところで。

――バン!

中二階の控え区画への入り口、すなわち、簡素なサボテン製の扉のほうが、大きく開いた。

「何だ!?」

そこは、ケサランパサラン集積所として使われている、控え区画。

四色の毛玉ケサランパサランが、ドッとあふれた。そこらじゅう、動かなくなったモコモコ毛玉だらけだ。

これを警戒すべきか、見過ごすべきか……全員で一瞬だけ迷う。

ついで飛び出て来たのは、中年女性だ。ベールを振り乱している。

最近どこかで見たことのある――なんとなく記憶にある女性。

真っ青な顔色で、涙目だ。明らかに、ひどく怯えて、動転している。

中年女性は、捜査要員の面々に全く気付かない様子で、毛玉を運び出すための作業員用の脇の通路へと入っていった。四色モコモコ毛玉に足を取られつつ、おかしなステップで飛び跳ねて。

その先へ延びている外付けの下降階段へ、駆け去って行った。生活臭あふれる城下町へ降りてゆく階段だ。

「何だったんだ? あれは」

「人払いしてあった筈なんだが」

反射的に大斧槍(ハルバード)を構えていた先頭の虎ヒゲ・マジードと、案内役のクムラン副官が、同時に目をパチクリさせていた。

護衛オローグ青年と覆面オーラン少年が……それにセルヴィン皇子も、疑問いっぱいの眼差しで……

……鷹匠ユーサーの肩先に居た、白文鳥アルジーを見つめて来た。

白文鳥アルジーは、ギョッとしつつ。白い翼をバサバサとやり、ピョンピョン飛び跳ねた。

『私、何もしてないわよ!』

先導していたクムラン副官が、後方の面々を振り返って来る。

「赤毛商人バシールの、奥さんですよ、あのご婦人。バシール殿のほうは、財務官ラーザム殺害事件で一時的に容疑者と思われていた……昨日か今日、 礼拝堂のほうで、《魔導札》でもって禁術の大麻(ハシシ)を無効化する医術を施していた筈。《魔導札》で何とかなる程度の軽微な状態だったので、今日にも釈放の予定とか」

早速、老魔導士フィーヴァーが、目をキラーンと光らせた。

「ほほう? こんな場所で何を見たんじゃろうな? よほど仰天する代物があったと見ゆる。タフジン君、これは調べて見なければ」

「うむ、老魔導士フィリヴォラルフどの。何があったのか明確にせんことには。戦士マジード君、先陣を切るのは任せる。注意せよ」

「承知です。行くぞ、巨人族ギムギン殿」

虎ヒゲの戦士と目配せし、陽気な巨人族は、気合満々で大型戦斧を構える。

不測の事態に備えて、白鷹騎士団の専属魔導士・老ジナフが黄金《魔導札》を用意して呪文を唱えていた。真紅にきらめく《火の精霊》が、多数の火の玉の形をして、チラチラと漂い始める。

サボテン製の仕切り扉が再び大きく開いた。

向こう側に、中二階の広間――広大な空間が見える。控えの位置にある脇扉からの方向であるため、見えるのは一部のみだが、立派な武具が並んでいるのが分かる。 一部は新品や高額品らしく、帆布で覆われて保護されていた。

……ドッと湧き上がる邪霊の気配!

大物《三ツ首ネズミ》、ぎらつく黄金色の十数体が飛び出した!

「そんなバカな」

中二階の広間の入り口で、反射的にめいめいの武器を構え、一気に防御展開する手練れの戦士たち。

虎ヒゲ・マジードが大斧槍(ハルバード)を回転させ、先頭の大物《三ツ首ネズミ》の首を、3つまとめて切り落とした。

猛烈な速度で、巨人戦士ギムギンの大型戦斧が縦横する。黄金色の血液が撒き散らされ、邪霊害獣の熱と臭気が立ち込めた。半数ほどが一刀両断だ。

戦闘の余波を受けて、近くに陳列されていた武具の一部がグラつき、パーツが落下する……連続する金属音。

一方で、2人の老魔導士が黄金《魔導札》を掲げ、呪文を唱え続けている。

熟練の《魔導》の力に乗って、多数の火の玉――《火の精霊》が、高速の炎の旋風を作った。真紅の火炎の流れが、斬り飛ばされた邪霊害獣を次々に退魔調伏し、無害な熱砂に変える。

あとからあとから数を追加して湧いて来る、《三ツ首ネズミ》の勢いが弱まり。

やがて、セルヴィン皇子やオーラン少年の防戦もくわわって、決着がついた……

各種の邪霊との前線となる城壁では、頻繁に発生する戦闘であるが……宮殿の一角といって良い安全エリアで、邪霊害獣が沸くという事態は、それなりの異常な原因が考えられる。たとえば、不正召喚など。

虎ヒゲ・タフジン大調査官が、素早く戦況判断をくだした。

「みな御苦労。退魔調伏が完遂したようだ。次の邪霊害獣どもの波が来る前に原因を突き止めて、急ぎ、穴を塞ぐ必要がある。速やかに展開せよ」

「もって一刻から二刻。その間にカタを付けるのじゃ」

無害な熱砂と化して積み重なった邪霊害獣の成れの果てと、四色の毛玉ケサランパサランが入り交ざって、そこらじゅうの床の上に、所狭しと転がっている。

毛玉の山と砂の山をかき分け、手当たり次第に「これは」と思われる幾つかの盛り上がりを、注意深く検分する……

ベテランの白タカ《精霊鳥》ノジュムが早くも違和感に気付き、鋭く鳴きながら、怪しげな盛り上がりのひとつに舞い降りた。

年若いオローグ青年が、即座に気付いた。つづいて、同年代のクムラン副官も。

「そこか!」

「死体がある!」

白タカ《精霊鳥》ノジュムが飛び立つと、早くも、その周りを塞いでいた、あれやこれやの堆積物が、どけられてゆき。

「なんと、巨人戦士アブダル殿だ! アブダル殿の死体だ!」

「タフジン殿の召喚に応じず、此処で油を売って死体になっていたという訳だ」

巨人族の戦士ギムギンが、確かに此処に転がっているのは同族アブダルの死体である――と認めて、不可解のあまり大声を上げた。

「我が同族は、こんな所で何をしていたんだ?」

早くも、2人の老魔導士がめいめいの黒い長衣(カフタン)の袖の中から、束になった多数の《邪霊退散》御札を取り出した。見る間に、紅白の御札が敷き詰められてゆく。

「死体を聖別して、これ以上《三ツ首ネズミ》が沸いて来ないようにせねば」

「偉大なる御札に宿りし《火の精霊》よ、大柄な人物だが、よろしくない邪霊どもからの守護を、シッカリ頼むぞよ」

白文鳥アルジーは早速、鷹匠ユーサーの肩先で『ビョーン』と身を伸ばした。

四色の毛玉ケサランパサランの大群の中に、巨人族の末裔の、大柄な体格が横たわっているのが見える。『紅白の御札』の聖別の光に照らされた、極太の四肢や黄金肌がのぞいていた。

頑丈そうな割れアゴが、特徴的な面差し。邪霊害獣にかじられた痕跡が、少し。そして局部に相当する部分が、不自然に血まみれだ。

老魔導士フィーヴァーが素早く気付き、不審そうにモッサァ片眉を跳ね上げ……サッと、その場所をめくって確認した。

「なんじゃ、邪霊ネズミどもは、『男の証明』に熱心にかじりついたのじゃな。《精霊亀》の甲羅に聖なる赤インクを塗ってスタンプして作成する、 局部保護のための赤護符が下着の『特定の位置』に貼ってあるにもかかわらず、ほぼ食われていて、無くなっている。こりゃ生存していても機能回復は絶望的だったじゃろう」

「え? つまり《精霊亀》守護札が機能しなかったってんですか?」

クムラン副官の口元は、その不自然な事態を理解して――引きつっていた。

「なんと恐ろしい」

「この世の恐怖」

虎ヒゲ戦士マジードと、巨人戦士ギムギンは、『男の証明』に施された破壊の内容に震えあがり、下半身の特定の位置を手で隠しつつ、尻込みしていた。すこぶる涙目だ。

――死んでから、それほど時間は経っていない。

せいぜい死後一刻ほどに違いない、いま死んだばかりのように新鮮な死体。

では殺人犯は誰だろう。

そんな疑問が、全員の脳ミソに浮かび。

当然ながら、直前に飛び出して来ていた――そして恐怖の表情をして走り去って行った――女性に思い至る。

早くも、シャヒン部族長にして白鷹騎士団長シャバーズが、その事実に思い至った様子で、呆然と呟いた。

「まさか……あの運の悪い赤毛商人バシールの、奥さんが?」

つづいて、騎士団の専属魔導士ジナフが、白鷹騎士団長シャバーズと、疑問顔を見合わせる。

「それこそ、まさか、と言うところじゃ」

「その辺の中年女性が、殺傷したと? 帝国でもトップクラスの武勇を誇る巨人戦士アブダル殿を……」

*****

「取り急ぎ、中二階の広間で本当に生贄の儀式があったのか、確認するのじゃ」

老魔導士フィーヴァーは、最初の要点をシッカリと踏まえていた。

その号令に応じて、クムラン副官やオローグ青年を含む捜査要員の面々は、モコモコ毛玉ケサランパサランの群れをどけて、方々を捜索し始めた。

急遽、呼ばれて来た中二階の広間の管理人は、「市場(バザール)界隈の物知りオジサン」という印象の初老の男であった。不意打ちの死体出現に戸惑いながらも、途中から捜索に参加である。

「これら素晴らしい新型武器の数々の中で、生贄の儀式がおこなわれたのが本当だとしたら、大変な事で。技術情報の流出の可能性も考えなければ」

初老の管理人は、普段の広間の様子を熟知しているだけあって……即座に「そこに存在する筈の無い調度」が見い出されたのだった。

天井を支える数々の柱。中央にほど近い一柱のもと、うず高く積み重なった四色の毛玉ケサランパサランの群れが、どけられると。

「こ、これは……!」

初老の管理人が真っ青になって飛びすさった。次に半分ほど意識を失い、倒れんばかりになり……ちょうど傍に控えていたシニア男すなわち白鷹騎士団長シャバーズが、器用に支える。

現れたのは……柱の基部に横付けされるようにして、人体サイズの天板を持つ「陳列台のようで陳列台で無い、異形の調度」。

――《怪物王ジャバ》を称える地下神殿でお馴染みの、生贄の祭壇。

傍目にも見て取れる禍々しさ。天板には、流血の飛び散った痕跡があった。

祭壇の側面には、異形の化け物の姿を、これでもかとばかりに彫刻してある。さらに金メッキが施されていてギラギラの黄金色だ……そこに、 生贄の血が流れた跡と思しき、不気味な色をしたスジが、幾本もこびりついている。

首を刎ねられたら、この位置に、このように血が流れたであろう――という直感に、ピタリと合致する痕跡だ。

床面に、グネグネとした血痕。おぞましい触手か、化け物の舌の類が這いまわったと思われるパターン。

いびつな《精霊文字》で『918』と読めるパターンが含まれている。絨毯の中に織り込められた謎の紋様のように。この類に関しては、邪霊は嘘をつかない。

新鮮な血痕は、ここ1日か2日の間に出現したものだと知れる。カムザング皇子の秘密メモに記載されていた『生贄918番』の儀式のものに、違いない。

埃よけと装飾を兼ねた布クロスで隠されていて――砦の衛兵による定期巡回においても、長く気付かれにくい状況だ。発見されるまでに、何回、使われていたのか……

予想済みとはいえ。

実際に忌まわしき儀式と流血の痕跡が出現するとなると、相当の衝撃がある。

目撃した面々は絶句するのみだ。

……少しばかりの間、蒼白な沈黙が横たわった……

早くも気を取り直した老魔導士フィーヴァー。忌まわしき布クロスを、退魔紋様の紅白の風呂敷に交換しつつ、口火を切る。

「この祭壇は、一旦、封印しておくべきじゃ」

「異論ございません」

中堅ベテラン鷹匠ユーサーが意味深に頷き、老魔導士フィーヴァーの作業の手伝いを始めた。

白文鳥《精霊鳥》アルジーは、鷹匠ユーサーの肩先に落ち着いたまま、その作業を眺め始める。

老魔導士フィーヴァーを補助する鷹匠ユーサーの手つきは、熟練のものだった。特定の作法でもって封印するため、風呂敷の端に特殊な結び方を重ねるなど、手がかかる内容であることを承知している様子。

「おお、そうじゃ。白鷹騎士団長シャバーズ殿に専属魔導士ジナフ殿、このジャヌーブ砦の中で誰が行方不明になったのか、そちらの騎士団を動員して、秘密調査しておいてくれるかの。 一般庶民や、潜伏中の工作員や逃亡者が生贄だった場合は、割り出すのは難しいじゃろうが」

「御意」

白鷹騎士団長シャバーズと専属魔導士ジナフ老は、青ざめた顔色をしながらも、即座に了解したのだった。

簡単な申し合わせを済ませ、ちょうど巡回して来た衛兵へ、相当数の加勢を依頼する。巨人族ならではの戦士アブダルの、重量のありすぎる死体を移動させるためだ。

衛兵は状況を把握するや、とことん仰天した表情を顔に張り付かせたまま、感心するような速さでもって、必要な仕事を進めて行った……

*****

あっと言う間に正午。昼食休憩の刻。

しかし、異常な痕跡の発見者となった面々の胃袋は、重苦しいままだ。

日除けのための大きな紗幕を張り渡してある、《精霊象》小屋の前が、当座の打ち合わせ場所となり……目下の方針が話し合われる。

邪霊が関わっているのが明らかな『生贄918殺害事件』の調査は、邪霊の類への造詣も深い老魔導士フィーヴァーが、専門に預かる事になり。

巨人戦士アブダル殺害事件は、虎ヒゲ・タフジン大調査官がリーダーとなって捜査を開始する事になった。

ちなみにシャバーズ団長の率いる白鷹騎士団の主力団員は、老魔導士フィーヴァーの指示を受けて、既に『生贄918番』と思われる行方不明者の特殊捜索に入っている。

――むごたらしく斬首されたと思しき、哀れな生贄は、いったい誰だったのか? 特に身体特徴はあったのか。髪や衣服の端が残っていれば、それを元に人物特徴を割り出して、捜索できる。

紅白の魔除けの風呂敷で封印された忌まわしき祭壇の周りに、白鷹騎士団から動員された数名の団員が警備に立ち、専属魔導士ジナフ老の指導に沿って、更なる現場調査を続けていた。

その調査を妨害するかのように、手の平に乗るような小型の《三ツ首ネズミ》が三々五々と沸いている。新鮮な血痕の気配に呼び寄せられたためだ。

紅白の魔除けの風呂敷による結界を、無理矢理に突破して来た、執念深い個体。 ぎらつく黄金の毛玉は、キッチリ、真紅の退魔紋様を完備した三日月刀(シャムシール)の火煙となって消えているところだ。

警備のひとりが、数匹の小型《三ツ首ネズミ》を次々に退魔調伏しつつ、ボヤく。

「キリがねぇな!」

「もう少しで血痕の記録が終わる。それまで頑張ってくれ。そしたら普通の流血と同じように清める。邪霊害獣が、いっさい来なくなるように」

中二階の管理人を務める初老の役人が白鷹騎士団の特別調査に立ち会っていて、魔導士ジナフ老の質問や確認に応じて、備品などをチェックし始めた。

「実に奇妙で、流浪の精霊(ジン)に『いないいないばぁ』をされた気分でございます、魔導士ジナフ殿。 長年、この中二階を管理してまいりましたので、少しでも備品のズレが有れば分かるのですが。この祭壇の設置のほかには、異常などは、今のところ無く」

その辺の市場(バザール)で見かける『物知りオジサン』といった風情の初老の役人――中二階の管理人は、薄気味悪そうな表情をして、改めて生贄祭壇のほうを眺め始めた。

「そもそも、この調度……布クロスで覆った陳列台という名目だったのです。布クロスのうえに、あれやこれやの、新品の……展示している内から傷が付いたら商品価値が下がるというような新型武具を。 あの類の布クロスは、なめらかな生地をしていて、品を傷つけにくいので……」

「ふむ。巨人戦士アブダル殿は、このたびの指令なく勝手に中二階に入った訳ですが、特に手を触れるなどといった余計な動作はしていなかったという事ですな、お役人さま。 という事は、団長どの、巨人戦士アブダル殿は、死ぬまで、この生贄祭壇には気付かなかったという事でございますじゃの」

「私シャバーズも同意だ、魔導士ジナフ殿。この位置で、ケサランパサランがこれだけうず高く積み重なっているうえに、控えからは、祭壇は見えにくい。 生贄儀式を実行した犯人は、一応、この忌まわしき血痕に余計な邪霊害獣を寄せ付けないようにする《魔導》を心得ているらしいな。相当に腕のある《邪霊使い》の魔導士か、霊媒師だろうか」

*****

2頭の《精霊象》が入れられている象小屋の広場の一角。

老魔導士フィーヴァーとセルヴィン殿下、オーラン少年、鷹匠ユーサーは、邪魔にならない場所で静かに待機していた。

その象小屋の広場から、ひとつ階段を降りた、下の階層――数々の調査道具を備えた衛兵の詰所の前では。

巨人戦士アブダルの死体が横たえられ、検死が進行中である。

セルヴィン少年こと『半分ほどヒョロリ殿下』と、覆面オーラン少年は、そろって、階段の上から熱心に眺め始めた。同じ14歳、好奇心の強いお年頃だ。

覆面オーラン少年が、持ち前の鬼耳族なみの地獄耳でもって、階段の下でつづいている会話を聞き取り、セルヴィン少年へ解説している。

死体の周囲をグルリと取り巻く衛兵の中に、虎ヒゲ・タフジン大調査官と同族の戦士マジード、それに巨人戦士ギムギンが立ち並んでいた。

検死に立ち会っている全員が全員、深刻そうな顔をしてブツブツと相談を繰り返している。検死を務める砦の医師へ、目撃者として、アレコレと情報提供しつつ。

好奇心いっぱいの《精霊象》2頭は、象小屋から長い鼻を突き出し、とても鋭い聴力を備えた大きな耳をパタパタさせて、熱心に様子を窺っていたのだった。

セルヴィン皇子の相棒の火吹きネコマタが、驚くばかりの早口で、ほとんどの出来事を説明した。

『中二階の、先ほどの騒ぎは、かくかくしかじか……という訳だニャ。目下「生贄918殺害事件」と、「巨人戦士アブダル殺害事件」は、事件発生タイミングからして、 明らかに別々に起きたものであって、関連性は無いという見立てニャネ』

事情を把握した老《精霊象》ナディと、年若い《精霊象》ドルーは、互いに象の顔を見合わせて目をパチパチさせ。

『えらい事態になったもんだねえ。巨人戦士の『男の証明』かじられてたって? そこの《精霊亀》みんな反応して無かったから、意外だよ。その筋に「礼儀正しく」呪われてたのかね。 我ら《精霊象》守護は担当領域が違うから分かんなかったよ』

『誰かが急に走り去った気配がしたが、あれは赤毛の商人バシールの、妻だったのか。あれ? その少し前に、何かが「パチッ」と言ったような音がしてたが』

『重大な情報じゃないか、ドルー。あたしゃ年取って耳が遠くなったから、そういうの、分かりにくいんだよ。 その描写だと《雷の精霊》っぽい? ジン=ラエドは忙しくて、この辺には出没してない筈だけど、おかしいね』

『いや、あの感触は確かに《雷の精霊》呼び出したみたいな感じだったよ。雷霆刀じゃなくて……雷帝サボテンっぽい』

『黒毛玉ケサランパサランを、海洋生物ウニみたいに硬化させて、バチバチ帯電させて敵に投げつける、あれ? まさか』

驚きの余り、老《精霊象》ナディが、長い鼻の穴から、ブワッと空気を噴射させた。毎度のごとく、白文鳥《精霊鳥》アルジーは吹き飛ばされて、転がる羽目になった。

やがて。

クムラン副官と、護衛オローグ青年が、タフジン大調査官が率いる調査員たちと情報交換を済ませて、階段を駆け上がり……老魔導士フィーヴァーの居る一角へと帰還して来た。

「お待たせいたしました、老フィーヴァー殿、ユーサー殿」

白文鳥アルジーは早速、鷹匠ユーサーの肩先へと飛び上がり、聞き耳を立てる態勢である。

「巨人戦士アブダル殿の死因が判明しました。心臓発作ないし心臓麻痺。巨人族ゆえ心臓は頑健であり、完全に機能停止するのに半刻ほど。 何らかの原因で意識が戻らないまま、体調急変を誰にも告げられず、死亡したとの見立てです」

老魔導士フィーヴァーの、誰よりも立派なモッサァ白眉が、いかにも疑わしいと言わんばかりに、ピクピクと跳ね始めた。

「おかしいのう。中二階の新型武器は、どれもこれも殺害道具の候補になるが、管理人どのの説明によれば、予期せぬ心臓停止に及ぶような《魔導》発動にかかわる仕掛けは、固く封印しておるとの事」

「御意。ともあれ、『生贄918殺害事件』と、『巨人戦士アブダル殺害事件』とは、無関係であると立証されたと存じます」

「うむ……実に邪悪なことじゃが、生贄の意識は、その時その場まで明晰で無ければならん、と《怪物王ジャバ》が定めたと伝えられておる。人類のナマの恐怖の表情を、楽しく眺めたいがためにな」

老魔導士フィーヴァーが、毛深族ならではの見事な白ヒゲをモッサァとさせ、思案に沈む。

クムラン副官は、護衛オローグ青年と素早く目配せをすると、再び階段を降りて行き。衛兵仲間たちと合流して、城下町へと立ち去って行ったのだった。

「オローグ殿、とにかく可及的速やかに、ジャヌーブ港町商人バシール夫婦の、身柄確保だ。目撃者および関係者として。あの2人、気の毒なくらいツイてないな。同情するところだが」

「2人とも自由行動を始めている筈だが、居場所は分かるか? クムラン殿」

「ジャヌーブ砦で一番深い地下の、最も奥の氷室の隅に隠れていようと、必ず見つけて引きずり出すさ。この事件の解決が長引いたら、後々面倒になるのは、目に見えてる」

*****

邪霊害獣《三ツ首ネズミ》にかじられかけていた巨人戦士アブダルの死体。

最も大切な局部『男の証明』が完全に食われて、血まみれとなって失われてしまった等々、 大量の異変と疑問を満載した変死体は、更に詳しい調査のため、《邪霊》対策を完備するジャヌーブ砦の聖火礼拝堂へ運ばれていった。

数々の邪霊害獣の跋扈や、忌まわしき生贄の祭壇の発見、もろもろの不穏な事情を考慮した結果、捜査本部は聖火礼拝堂の中に設けられている。

おりしも、カムザング皇子のお見舞いの後で別行動となっていた、紅衣のナイスミドル神官リドワーン閣下が出張っていた。専属の護衛を務める、中年の鷹匠ビザンと共に。

既に白タカ《精霊鳥》による伝令ネットワークを通じて、中二階の事件発生の状況は了解済みだ。

立て続けの事件発生に呆然とするのみの神官たちや事務員たちではあったが、高位高官でもある巨人戦士アブダルの変死体を取り巻き、所定どおりに記録を取りつづける。

紅ドーム屋根を持つ聖火礼拝堂の中、高所にぐるりと配置されている幾何学的唐草文様のアーチ窓から、昼下がりの陽射しが差し込んで来ていた。

鷹匠ユーサーの肩先で、白文鳥アルジーはグルリと周りを見回す。

以前の、ラーザム財務官の遺体の防護処理の時にも、この空間が使われていたのだ。いちめんに広がる、聖火礼拝堂の定番のタイル装飾。

規則的に配置された周囲の台座のうえ、各『魔法のランプ』の口先で、《火の精霊》による魔除けの炎が立ち上がり、当座の結界を構成している。

やがて、見覚えのある神官が、厳粛な顔をして出て来た。白文鳥アルジーは即座に、パッと思い出した。いつだったか、ラーザム財務官の死体の防護処理を担当していた神官だ。

遺体の防護処理の儀式は、遺体を棺桶に詰めて埋葬する前に、その辺の邪霊害獣にたかられないようにするための手続きである。

神殿舞踊でお馴染みの所作でもって、紅の長衣(カフタン)をまとう神官は、両手に持つ《魔法のランプ》を操り始めた。細かな火の粉が空中に配置され、幻想的にチラチラと輝く。

「おお闇を照らす高き聖火よ、いとも輝く恵み深き生命を与える炎よ」

――防護処理の儀式に参加している関係者は、まず、砦の代表カスラー大将軍の代理として、ヒゲ面の苦労人バムシャード長官。最下位の4人目の将軍という事で、つくづく引っ張り回される人物だ。 クムラン副官の直属の上司で、作戦立案など話しやすい人物だから、今後の捜査もスムーズに進みそう。

偶然のめぐり合わせの結果ではあるけれど、大魔導士の地位を持つ老フィーヴァーや、皇弟リドワーン閣下が参列したことで、高位高官の儀式に相応しい格式が整っている。

巨人族アブダル戦士と最も親しい人物、同じ巨人族のギムギン戦士が、中央列で神妙な顔つきをして……ボソリと呟いた。

「何ゆえに、我が同族アブダルは、急に、不可解に死ぬ羽目になったんだろうな」

「以前、何かでチラリと話した気がすると思うが、殺人の動機は、金か、名誉か、女、だそうだ」

巨人戦士ギムギンの不安そうな呟きに、同僚の虎ヒゲ戦士マジードが、思慮深く応じている。

「アブダル殿が賭場に出入りしているのを見かけたことはござるが、危ないカネの噂を聞いたことは無い……名誉という点でも特に思い当たらず。 女と言えば、ギムギン殿、亡きアブダル殿は『最近イイ女の尻を追ってる』ところだったとか?」

巨人族ギムギンは赤らみのある髪をパッと振り立てて、ごつい面(おもて)を上げた。まさに天啓を得た、と言わんばかり。

後ろのほうで参列していた鷹匠ユーサーの肩先で、白文鳥アルジーは早速、聞き耳を立てた。

鷹匠ユーサーの隣に控えている、ヒョロリ殿下ことセルヴィン少年と、覆面ターバン少年オーランも同様だ。

巨人族ギムギンの声量が小さくなり、ボソボソとなる。合わせて、虎ヒゲ戦士マジードの声も小さくなった。

さすがに通常の聴力しか無いアルジーには、聞き取れない。焦って『魔法のランプ』のひとつを見やる。

そこには、ネコミミ型の灯火が――セルヴィン皇子の守護精霊を務める高位《火の精霊》が――、シレッと混ざっているのだ。

ネコミミ炎の姿をした《火の精霊》は、訳知りな様子で、かすかにパチリと爆(は)ぜた。

『巨人戦士アブダルがストーカーセクハラしていた女性は実在するようだニャ、《鳥使い姫》よ。巨人戦士ギムギン証言によれば、巨人戦士アブダルは優秀な退魔対応の戦士だったが、女癖が悪かった。 過去にもセクハラ問題があったものの、いずれも軽微とされ、カスラー大将軍へは報告が上がらなかったそうだニャ』

白文鳥アルジーは、ゲンナリするものを感じた。そして《火の精霊》は、苦笑いを加えて来たのだった。

『砦の中は、軍事社会かつ男社会ゆえ、致し方ニャいのだが。人類がいつまでも野蛮な価値観から抜け出せぬ、大きな欠点である。 やすやすと《怪物王ジャバ》に付け込まれ、社会分断され後退させられるところ。人類社会が精霊社会レベルまで到達できず、常に我ら精霊(ジン)の後塵を拝する理由でもある』

そうしているうちに、巨人戦士アブダルの遺体防護の儀式が終了した。

巨人戦士ギムギンの証言は、即座に物議をかもし。

虎ヒゲ戦士マジードが真剣な顔になって、亡きアブダルに対する人物評を集め出したのだった。

「儀式が終わったばかりで、またご負担おかけするが、亡き巨人戦士アブダル殿は、お主らに対して本当に鼻持ちならぬ態度で接していたのか、明かしてくれい。 他人から聞いたというような、どのような批判や悪評でも構わぬのでな」

――亡き巨人戦士アブダルは、上っ面が良い性質だったことが、すぐに明らかになった。

皇弟リドワーン閣下を含む高位高官の類からは、巨人戦士アブダルに対する悪評は出ず。

更衣室や倉庫を見回るヒラ事務員や、受付業務を担当するヒラ神官、出入りの業者たち――特に底辺労働者に属する道路清掃人や水汲み人足などの各種人足――からは、 巨人戦士アブダルの粗暴な振る舞いの証言が、次々に出て来たのだ。

ジャヌーブ砦の聖火礼拝堂が抱える《象使い》《亀使い》といった、《精霊使い》のための更衣室を見回るヒラの女神官すなわち若手の神殿事務員は、とりわけ爆発した。

「死人を悪く言うのは、さすがにアレですけど! 巨人族アブダル殿、いつか誰かが、ブチ殺すと確信してましたわよ、私は! あのヒト、 私の友人の女性の……《亀使い》水着を狙ったばかりか、私にも、ギラギラ・ベトベト・キタナイ物言いで、ベールの間から手を突っ込んで来て、ベタベタ胸と尻をさわって来て、 セクハラ痴漢して来ましたもの!」

「その女性《亀使い》……彼女、手持ちの水着が穢されたのを見て、ショックで1ヶ月も寝込んだりして、立ち直れてなかったし。すごく憔悴して血走った眼で、灰色《魔導札》を、たくさん買って来て」

「まさか」

次に予期される内容を即座に察し、虎ヒゲ・マジードが、男ゆえの恐怖で真っ青になる。

ヒラの女神官は、無慈悲に、証言をつづけた。くだんの女性《亀使い》の友人だけに、思うところが大量にあった様子だ。

「巨人族アブダル殿の『男の証明』が不可逆的もげるように、《精霊亀》噴水の傍に設置されている聖火祠で呪ってましたよ。 昏倒した巨人族アブダル殿が、邪霊害獣《三ツ首ネズミ》にかじられても《精霊亀》守護札が反応しなかったそうですわね。彼女が、相棒の《精霊亀》に、よく言って聞かせてたからじゃ無いかしら」

――まさしく天罰テキメン。

老魔導士フィーヴァーと、魔導士ジナフが、納得の面差しで天を仰ぎ。

その場の男たちが、微妙な場所に手を当てて青ざめたのは、言うまでもない。

さらに、意外な所からも証言が出て来た。覆面ターバンの少年兵オーランだ。

「白鷹騎士団の訓練所で、巨人戦士アブダルは、問題のあり過ぎる剣術指南役だった……」

「そうなのか? オーラン」

セルヴィン皇子のポカンとしたような問いに、覆面オーラン少年は、改めてシッカリと頷いていた。

「兄貴が――以前、フォルード侯の側近を務めていた頃のオローグ兄貴が、当時の帝都宮廷のゴタゴタで引責とか大変だった数年の間に、剣術指南役としてパッと入って来て。 でも、《精霊鳥》鷲獅子グリフィンを餌付けなどして、カッコよく従える事が目当てだったみたいで。『こんな汚い鳥小屋の奴隷どもと居られるものか』と言い捨てて、すぐにパッと辞めて行ったんです」

覆面ターバンをしたオーラン少年の頭上で、相棒の白タカ幼鳥ジブリールが、せっせとクチバシを入れてオーラン少年の発言の調整をしていた。精霊界の制約に触れる項目が、少し含まれていた様子だ。

「巨人戦士アブダルが……白鷹騎士団の訓練所の剣術指南役だった間、訓練所は、ずっと嫌な雰囲気でした。訓練生の間でも怪我人が絶えず。 白鷹騎士団で飼ってる、全部の白タカ《精霊鳥》も馴染まなくて。白タカ《精霊鳥》は、分かってたんでしょう。 エスファン殿とサーラ殿が対応して、急遽、つなぎの剣術指南役を兄貴に取り換えて……その後は特に問題は出ませんでした」

――白鷹騎士団に所属する、すべての白タカ《精霊鳥》が、巨人戦士アブダルに近寄らなかった?

白文鳥アルジーは、驚きに目を見張るのみだ。

退魔対応の巨人戦士アブダルが、精霊が『近寄りたくない』と感じるような性質だったとすると……あの陰湿な巨人戦士ザムバほど、という訳では無いだろうけど、 群を抜いた戦闘力でもって邪霊害獣を千切っては投げ……という戦士だったに違いない。

頼りがいのある中堅ベテラン鷹匠ユーサーの肩先で、チョコチョコと向きを変え、あらためて巨人戦士アブダルの死体のほうを慎重に眺める。

――アブダルの死に顔は、緊張が解けているせいなのか穏やかな常識人にも見える。生前そのような問題のある人物だったというのは、想像するのも難しい。不思議なものだ。

次に、鷹匠ユーサーの片腕に落ち着いている白タカ《精霊鳥》ノジュムへと、白文鳥アルジーは、視線を投げた。

『巨人戦士アブダルって、本当に問題のある人物だった?』

ベテランの白タカ《精霊鳥》ノジュムは、困ったように首を上下して応えた。少し離れた所で、鷹匠ビザンの相棒、白タカ《精霊鳥》サディルも戸惑った様子で、目を泳がせてキョロキョロしている。

『我らは直接には見聞きしていないゆえ証言にならんが。当時、訓練所に居た同族からは、階級差別を好む欲深だったと聞いている。強きに媚(こ)びへつらい弱きを虐(しいた)げる。 金も利権も持たぬ下層身分の訓練生への扱いが、よほど酷かったようだ。キラキラ目立つ任務に就いていないように見える、白文鳥《精霊鳥》や小型の白タカ《精霊鳥》たちへの扱いも。 オーラン少年の言ったことを考えると、エスファン殿とサーラ殿なら詳しく知っている筈だ』

『そうなんだ……よし、近いうちに、エスファン殿とサーラ殿の2人へ聞き込みしなくちゃ』

白文鳥《精霊鳥》アルジーは気合を入れて、真っ白な胸を張った。

*****

クムラン副官と護衛オローグ青年の指揮は素晴らしく、配下の衛兵の一団は、ジャヌーブ砦の街路という街路を効率的かつ徹底的に捜索していた。

赤毛商人バシールと、その妻の身柄は、速やかに確保された。ジャヌーブ砦の、城門の近くで。一刻の後には通行証が確認されて、城門を出ようとしているところを。

まだ夕陽は沈んでいない。昼下がりの後半といった頃だ。

さっそく、聖火礼拝堂に付属している取調室で、バシール夫妻の事情聴取をする手筈となる。代表を務めるのは、バムシャード長官だ。

――ちなみに、少し前、錠前破りに近い事をやらかした少年兵オーランが尋常に捕まっていれば、事情聴取のため連行されたであろう取調室である。

不運な赤毛商人バシールとその妻は、取調室へ移動させられる前から、大声で「アブダルを殺してない」と繰り返すばかりであった。

「殺しなんか、やってねぇ! だいたい今までずっと冤罪で牢屋に入れられてたんだぞ、このバシールに鼻持ちならねえ誰かを殺す手間暇なんぞ、そもそも無いじゃろ!」

「クソデカ巨人アブダルとは商取引の関係しか無いわよ、ここんところ、主人バシールの商売の代理人だったんだからねぇ! 朝っぱらから『商談したい』って呼び出しの手紙があって、 時間になって中二階へ行ったら、いきなり巨人戦士の死体があったんだよ、そりゃビックリ仰天だったわよ!」

バシール妻である中年女性は派手なベールを振り乱しつつ、巨人戦士アブダルから寄せられていたと言う文書を振り回していた。その文書は当然ながら、即座に証拠品として押収となったのだった。

事件捜査の責任者として、バムシャード長官が文書をあらため。生真面目な中年ヒゲ面いっぱいに、疑問をたたえ始めた。

「差出人は『ご存知マッチョ盛り合わせ』。巨人族ご用達の、一文字ずつの字型スタンプで文章が作成されている。 筋骨隆々の体格を自慢していた巨人族アブダル殿が、本当に作成しそうな偽名に、文書ではあるが……?」

あまりにも、あまりな指摘……その非現実的なまでの内容に仰天するあまり、白文鳥《精霊鳥》アルジーは、ポカンと薔薇色のクチバシを開くのみだ。

ポカーンとしているうちに、不意に白文鳥アルジーは、鷹匠ユーサーの手に捕獲され、ユーサーの肩先から摘まみ出された。

「ぴぴぃ?」

「オーラン君に預かって頂きます《鳥使い姫》。さてオーラン君、たいへんなお転婆であるから、くれぐれも目を離さぬように」

「承知いたしました、ユーサー殿」

――あ、なんだか前と同じパターン。

新たに少年の両手に挟まれて、それどころじゃ無いのよ、と言わんばかりにバタバタしていると、やがて、指の間がちょっと開いて、外界が見えるようになる。

次に、怪文書が見える方向へとオーラン少年の手が向いた。覆面ターバン少年オーランは、白文鳥アルジーの意を良く汲んでくれている。

隣のセルヴィン殿下の手の上に、既に手乗りサイズ招き猫よろしく相棒の火吹きネコマタが陣取っていて、例の怪文書を熱心に観察していた。2本のネコ尾の先で、火花がパチパチと散っている。

『巨人族からの呼び出し状にしては小細工が多すぎて不自然ニャネ。バシールの妻は、アレを信じるだけの理由があったのかニャ?』

――ジャヌーブ南洋物産の交易商バシール殿の夫人どの。約束の日《麻雀サボテン》開花の刻、中二階の広間の控室に来られたし。清算について。ご存知マッチョ盛り合わせより――

『清算の話……って、何か、カネの貸し借りがあったのかしら? それに《麻雀サボテン》って何?』

『両大河(ユーラ・ターラー)のうち、此処ジャヌーブ地域を含むターラー河の下流デルタで、お馴染みのサボテン種である。《鳥使い姫》は出身地が違うゆえ知らなかったのニャネ。 麻雀の駒よろしく個別の壁状の直方体に生育するゆえ、建材として重宝する。《麻雀サボテン》開花の刻は、夜明け直前の刻と、ジャヌーブ砦の午前の業務休憩の刻ニャネ』

『……とすると、早朝の刻か、午前休憩の刻が、巨人戦士アブダルの殺害時刻、すなわち死亡時刻に違いないわ。午前休憩の刻かしら。死んだばかりという、あの感じからすると』

『まずは、目撃者が他に居ないか探すニャネ。あの辺りは元々、安全圏。魔除けを務める同僚《火の精霊》が少ないゆえ、人類の目が頼りだニャ』

『見込みのありそうなのは、毛玉ケサランパサラン回収業者かしら。クムラン副官が、もう手を回していそうだけど』

――中年女性であるバシール夫人、商人の妻らしく口数の多さが目立つけれど、それはそれで賑やかで活気があるし、よく見ると、なかなか色気があるのだ。

もっと、圧倒的に度量が据わっていたら、女商人ロシャナクのような人物ではあるだろう。

夫バシールが禁術の大麻(ハシシ)所持の疑いで逮捕され、牢屋に繋がれていた間、バシール夫人は、必死で様々なツテをたどって、夫バシール解放を試みていた。 それは確かだ。以前のラーザム財務官の儀式の場に乱入して、ラーザム第一夫人に食って掛かっていたし。

粗が多く、問題のある行動ではあったけど、あの気迫は、本物だった。

そして。

――『第一、城壁の『石落とし』の操作だって、なんか特別な『錠前破り』が必要だとか、黒ダイヤモンド《魔法の鍵》が必要なんだってねぇ!?』

いま考えて見ると、間違いなく不自然な言動だ。ラーザム第一夫人に食って掛かる前、バシール夫人は……そういう軍事情報を仕入れていたのだ。

南洋物産の商人の妻という立場で、その類の軍事情報を仕入れるチャンスがあっただろうか? 城壁の『石落とし』仕掛けと、 黒ダイヤモンド《魔法の鍵》の――かつての人類アリージュ姫でさえ知りかねていた、内容を。

ラーザム第一夫人に食って掛かる前……バシール夫人が、軍事情報に詳しい人物と会っていたとすると……

巨人戦士アブダルは、下の身分の者へは、無遠慮に接していたという。 バシール妻のような女性には、特に……セクハラまがいの行為をやらかしたのでは……頭の良さや地位の高さを誇示しようとして、軍事機密を含む自慢話もしたのでは……と推測される。人妻であっても、無くても。

バシール妻をおびき寄せた書状。巨人戦士アブダルからの、何らかの『清算』を匂わす、謎の書状――

色濃くモヤモヤする直感を持て余すばかりの……白文鳥《精霊鳥》アルジーであった。

*****

その日のうちに、生贄の祭壇を調査していた白鷹騎士団のもとへ、毛玉ケサランパサランの異変について、回収業者から報告が上がった。

聖火礼拝堂に設置された捜査本部へ急遽おもむいた、白鷹騎士団の専属魔導士ジナフ老は、困惑顔だ。

事情聴取がつづいている取調室から、ほど近い会議室――虎ヒゲ・タフジン大調査官、以下の面々が集結しているところで、魔導士ジナフ老は、おごそかに一礼し、説明し始めた。

「虎ヒゲ・タフジン大調査官どの。巨人族アブダル死亡現場の脇にて毛玉ケサランパサラン回収を担当していた専門の回収業者が、 不自然に硬化した黒毛玉ケサランパサランを数個ほど発見しました。我々が調査しましたところ、黄金《魔導札》の欠片が残っておりました」

「なんと。報告ご苦労である、魔導士ジナフ殿。ということは、巨人戦士アブダル殿の死因は、 殺意に基づく《魔導》によって強制的に活性化させられた、黒毛玉ケサランパサラン――雷帝サボテンに間違いないか?」

「タフジン大調査官のご指摘のとおり。検死担当の医師へ連携いたしましたところ、確かに、巨人戦士アブダルの胸部に、多数の雷帝サボテンを受けた痕跡が確認されました。 巨人族といえども、ひとたまりもなく昏倒したものと推測されます」

さっそく、参列していた老魔導士フィーヴァーが、白ヒゲをモッサァとさせた。

「容疑者の絞り込みが大変じゃの。一定以上の《精霊文字》と黄金《魔導札》の技術を会得していれば、モグリの魔導士でも誰でも、発動可能な《魔導》じゃ」

■18■不穏に影なす、過去と現在の点と線

捜査会議が一段落し、体力切れの番外皇子セルヴィン少年は、老魔導士フィーヴァーの医師としての指示のもと、早々に寝台に入っていた。

護衛と従者を兼ねる少年兵オーランが、甲斐甲斐しく、セルヴィン皇子の身の回りの世話を務めている。

成人前の少年であり大した戦力にはならない、禁術による体力低下がある、などといった諸々の事情を考慮して、少年たちだけ、医療区画に準備された部屋へ戻された形だ。 周辺警備を兼ねて、戦闘訓練済みの医療関係者が、医療区画の各所に詰めている。

セルヴィン皇子に取り付いている生贄《魔導陣》は、その忌まわしい効果に相乗りして、少年の生命力を吸い取りつづけている人物が5人――という厄介なものだ。 他人の生命力を奪い取って、みずからの健康や、若さや美容に替えることが可能。その、おぞましさ。

厄介な相乗りのうち、2人は判明していて、ほぼ解決済み。まだ突き止め切れていない、残りの相乗りは3人。 彼らは気まぐれに、セルヴィン少年の生命力を奪い取ろうとして時々《魔導陣》を活性化させているらしく、不意に《骸骨剣士》が沸いて来る状況。

随分と近くの、城壁沿いの街路で、《骸骨剣士》が数体ほど沸いていた。医療関係者たちが《紅白の御札》を手際よく貼り付けて、退魔処理を始めている。 その「ちょっとした戦闘」の様子が、幾何学的格子に装飾された窓から、チラリと見える。

「ふがいない……」

とは、生贄《魔導陣》による不意打ちの立ちくらみと心臓発作で倒れた後、まだ目が回っているセルヴィン皇子の、寝言に近い呟きだ。

夕闇の刻を迎えて薄暗くなった部屋の中、セルヴィン皇子の寝台の脇の『魔法のランプ』には、既に、相棒にして守護精霊である《火の精霊》による、ネコミミ炎が灯っている。

チラリと、その様子を一瞥し。

白文鳥アルジーは、一息ついた。

(当分の間は、深刻な問題にはならないわね)

以前、此処に迷い込んで来たばかりのアルジーが見かけた《火の精霊》は、ヒョロヒョロした弱小な炎の姿でしか無かった。 あの頃に比べると、随分と力強い炎の姿。せっせと生命力を補給しているのであろうと知れる。

白文鳥《精霊鳥》アルジーは、目下、巨人戦士アブダル殺害事件に伴う、不自然な感覚――かねてからのモヤモヤを扱いかねていた。

気分が落ち着かぬまま、モコモコ鳥の巣の中でクルクル回ったり、神経質に両翼をつついたり、小鳥の首を、ヒョコヒョコ左右に傾けたり。

グルグル考えつづけていると。

オーラン少年の手が、白文鳥アルジーを掬い取って来た。

「ぴぴぃ?」

ドッキリするあまり飛び跳ね、手の平の中で「ふわもふ・コロリ」と1回転して、あらためてオーラン少年を見上げるアルジーであった。

オーラン少年の、《地の精霊》祝福を受けた漆黒の目は、戸惑いの色を浮かべていた。なにかを理解しようとして納得しきれていない、というような奇妙な雰囲気。

ボンヤリとした呟きが降って来た。

「本当にお転婆ですね、鳥使い姫。故郷の妹と、気が合いそうというか。妹も、謎の呪病で寝込む前は、そういう風にグルグル走りながら物を考えてて。 姿が見えなくなったと思ったら、とんでもない所で……近くの一番高い聖火祠の中というか、仲良くしていた白文鳥の巣の隣で、パタッと昼寝してたりとか。まぁ5歳ごろの話だけど……」

白文鳥アルジーは、ふむ、と首を傾げ。

『私は大人しいほうだから、そんなに走り回らないけど。破天荒な妹さんだね。まだ面会謝絶とか? 早く元気になると良いね』

視界の端のほう、血色の悪いセルヴィン殿下が、枕の中に、こけた顔面おしつけて、不健康に細い肩を震わせている様子がチラリと見える。 傍らに《精霊語》教科書。半分くらいは意味を聞き取れたらしい。

(吹き出し笑いできるくらいには元気になったのは良いけど。ウケるポイント、違ってなくない!?)

――と、不意に。

白文鳥アルジーの脳裏に、ピコーンと来る物があった。

(そうだ。あの書状。見た目は送付状なのに、重要なポイントが、送付状の定番と違っている状態なんだ。それで、理解はできても納得できない文面、という形になってたのよ)

白文鳥アルジーは早速、真っ白な両翼をパタタッと震わせる。

『急なお願いだけど《火の精霊》さん、あの、巨人族アブダルと、赤毛商人バシールの奥さんとで、やり取りしていたという変な書状、再現できる?』

『それは可能ニャ。複製ニャネ。白紙に焼き付ける形で良いかニャ』

ネコミミ炎が、『魔法のランプ』の口でパパパッと火花を噴き上げる形になった。音は無いけど、爆竹みたいだ。

ギョッとして注目する、セルヴィン皇子とオーラン少年の、目の前で。

見る間に、傍の小卓に適当に置かれていた白紙の1枚に、《火の精霊》による真紅の火花が降りそそいだ。あの不審な書状の内容が複製され、焼き付けられてゆく。

――『ジャヌーブ南洋物産の交易商バシール殿の夫人どの。約束の日《麻雀サボテン》開花の刻、中二階の広間の控室に来られたし。清算について。ご存知マッチョ盛り合わせより』

オーラン少年のターバンの上に腰を据えていた白タカ《精霊鳥》ジブリールが、訳知り顔で小卓に飛び降りた。幼鳥ならではの黄色いクチバシでもって、ヒョイと、書状を持ち上げる。

『この書状が、どこかオカシイって事だね? 鳥使い姫』

『やたら公的な呼び出し状、という不自然な感じがしたのよ。特に先頭の、「ジャヌーブ南洋物産の交易商バシール殿の夫人どの」なんて。秘密取引の呼び出し状で、堂々と名指しするのが、そもそもオカシイ。 こういう場合、親しい両者の間だけで通用する符丁や、あだ名を使うものなのに。末尾の「ご存知マッチョ盛り合わせ」という差出人の名乗りとも、釣り合ってない』

オーラン少年がパッと黒い目を見開く。

「不自然な呼び出し状……」

訓練中の鷹匠《精霊語》でもって、白文鳥アルジーと白タカ・ジブリールの会話を、上手に聞き取れた様子。

「どういう事だ、オーラン?」

セルヴィン殿下が興味津々な様子で、寝台の中から、血色悪い面差しをあげていた。

「アブダル殿の書状には奇妙な部分があります。秘密の呼び出し状にしては、相手を本名で名指ししている。容疑のなすり付けが目的かも」

「本物の書状のほうは、すぐに捜査会議のほうで押収されていたから、あまり良く見てなかったな」

セルヴィン殿下は、だるそうにゴロリと身体の向きを変えていたが、その金色を帯びた眼差しは、好奇心でキラキラしていた。目の間にかぶさって来たダークブロンド髪ひと房をかき上げつつ、 オーラン少年から、書状を手に取る。

オーラン少年の、もう一方の手の平の上で、白文鳥《精霊鳥》アルジーは改めてセルヴィン少年を注意深く眺めた。

――セルヴィン少年の生命力を奪い取る禁術に相乗り中の加害者たちは、眠っているかボンヤリしているらしく、セルヴィン少年の体調異変の気配は無い。 霊験あらたかなお茶はあるし、最低限必要な睡眠が確保できれば……

書面を一瞥した瞬間、セルヴィン殿下がハッと息を呑んだ。

「名指しの宛名部分と、本文の印字とで、字型一式が違う」

――字型一式が? 思わずキョトンとする、白文鳥アルジーであった。

オーラン少年が早速、反応する。

「という事は……」

「インクは市井共通のものだから、特定はできないけど。本文の印刷に使われた字型一式と、名指しの宛名の印刷に使われた字型一式……似ているけど、明らかに別の物だ。 偶然だけど、字型を製作した工房が違うんだろうな」

「それは確かですか、セルヴィン殿下?」

「宝飾鑑定の応用だから難しくは無い。《火の精霊》複製物は、形状も正確だから……」

白文鳥《精霊鳥》アルジーは、驚きに目をパチクリさせて、探偵の素質を発揮し始めたセルヴィン少年を眺めるのみだ。

――そういえば、亡き御母堂セリーン妃が宝飾鑑定の達人で、セルヴィン皇子に、鑑定技術を仕込んだとか……!

セルヴィン少年は生真面目な顔になり、手をあごに当てて思案し始めた。

「力加減が調整できなくて筆を破壊してしまう巨人族は多くて、彼らの間では、筆よりは、金属製の字型で文字を打つほうが主流だ。 昔は戦斧で、その辺の巨石とか岸壁とかに、大雑把に記号を刻む方法だったそうだけど」

――おおぅ。博識だ。

感心するままに、少しの間、チラリと前世に思いをはせる白文鳥アルジーであった。

シュクラ第一王女アリージュ姫だった頃、帝国の宮廷社交へ出席する機会は無かったけど。 この少年皇子や少年従者と、宮廷社交で尋常に出逢っていたら、興味深い話題に事欠かず、楽しい時間を過ごせていたかも知れない。

番外皇子とはいえ、セルヴィン少年は、れっきとした皇族。帝国領土の歴史・地理や民族構成、おもな習俗などは、帝王学を通じて、だいたい頭に入っているのだろう。

青衣の霊媒師オババ殿はとても頑張ってくれたけど、アリージュ姫の王族教育は、それ程、充分では無かった。 死にかけの虚弱児が、普通の子と同じように充分な学習時間を確保するのは難しい。

まして、かつてのシュクラ第一王女アリージュ姫の場合、禁術への対抗措置としての特殊な体調管理のほうが、緊急の課題だった。 結果としては《精霊語》をはじめとする、最低限の命と健康をつなぐために必要な、知識と技能に片寄ってしまった……

……いつしか回想に気を取られてしまっていた。

いまは、目の前の問題に集中しなければ。 可及的速やかに、《白孔雀の守護》――尾羽7枚を揃えたうえで《地の精霊》と再交渉して、かの不思議な「アル・アーラーフ」にあると聞く、羽ペンの形をした《魔法の鍵》を回収しなければならないのだから。

白文鳥アルジーは、プルプルと小鳥の頭を振って気を取り直したのだった。

やがて、セルヴィン皇子は思案顔をしながら、ひとつ頷いた。

「アブダルも筆を持つのが難しい性質だったと思う……アブダル直筆の報告書は全部、字型だったし。宛名のほうは、巨人族アブダルとは別の人物が、 後から、別の……手持ちの字型で打ったという可能性がある」

「セルヴィン殿下、そのような書状の細工があったとすると、問題のアブダル殺害現場を訪れた人物は、2人になるかも知れませんね」

オーラン少年が、ひときわ眉目秀麗な人相をしかめて、推理に集中し始めた。

――こうしてみると、ギョッとするような《人食鬼(グール)》裂傷のふりをした濃色ペイント化粧が有っても無くても、つくづく美少年である。

と、ふと感心する白文鳥アルジーであった。

知っている誰かに似ているような……という、かすかな直感が閃いたものの。その直感は、すぐに記憶の暗がりへと沈んでいった……

声変わり途中で声質が安定しないオーラン少年の、かすれ声がつづく。

「最初に1人目がアブダルに呼び出され、何かがあってアブダルを殺害した。その1人目は、この事件を隠蔽する必要があった……バシール夫人に罪をかぶせようとした。 それで、元の書状の宛名部分を加筆して細工し、バシール夫人を呼び出した。かくして、バシール夫人はアブダルの死体を発見する羽目になって、 驚いて我々の前で逃げ出して行った……その謎の1人目の思惑どおり、容疑者として目撃される形で」

セルヴィン少年は楽な姿勢で寝台に横たわりつつ、オーラン少年の推理した内容に、ひとつずつ頷いて見せていた。特に異論は無い、という風に。

「にわかには信じがたいけど、私も、そう思う。そのセンで追ってみる価値はありそうだ。タフジン大調査官どのの捜査会議とは、別に」

――突飛な推理だけど、矛盾は無さそうだ。

白文鳥アルジーへ向かって、オーラン少年が『いかがですか?』と問いかけ。アルジーは『同意』と、さえずって返したのだった。

『その推理で追って行くとして、次に調べる当てはあるのかしら? 私、ジャヌーブ砦の中を知らないから、ピンと来るのは無いのよ。 先刻まで、白鷹騎士団のエスファン殿とサーラ殿に、巨人族アブダルの不公平な行為について、聞き込みをしようと思ってたくらいだから』

『奇遇ですね、鳥使い姫。取っ掛かりはエスファン殿とサーラ殿かなと、私も考えてました』

『どういう事?』

『エスファン殿とサーラ殿ご夫妻は、私よりも訓練所の内情に通じてるので。念のためだけど、巨人族アブダルを特に恨んでいた訓練生が居たかどうか、雰囲気だけでも……と思って。 それに聞き込みだけなら、殿下の負担も少ないです』

――成る程。オーラン少年、親友かつ専属の従者だけあって、セルヴィン少年の性質を良く理解してる訳だ。

寝台の上でセルヴィン少年が身を起こし、霊験あらたかなお茶を急いで飲み終えて……早くも夜間外出の準備を始めていた。

今までグッタリしていたのは何だったのだろうと驚くところだけど、こういう事を考えて休憩していたという事か。アルジーは、もと人類であった前世の経験から、納得するのみであった。

かくして。

オーラン少年の相棒を務める白タカ《精霊鳥》ジブリールと申し合わせのうえ。ひとまず白文鳥《精霊鳥》アルジーは、セルヴィン殿下の肩先に、手乗りサイズのちっちゃな火吹きネコマタと共に腰を据えた。

「夕食の時間だから、白鷹騎士団の詰所のほうでエスファン殿とサーラ殿に必ず会える筈だ」

*****

雨季、雲影がチラホラと見える夕焼け空は、陽光の照り返しを受けて、乾季には見られない複雑多彩な色に染まっていた。日没後も、ほんのりと明るさが残っている。

白文鳥《精霊鳥》アルジーが何となく予測したとおり、白鷹騎士団の詰所は、あの厩舎区画の近くに設置されていた。

厩舎区画から2つほど城壁通路を挟んだ先に、白タカ《精霊鳥》が羽を休めるため鷹小屋があり、隣り合う詰所の区画が、白鷹騎士団が駐在するエリアになっている。 ジャヌーブ砦で管理している伝書バトおよび鳩舎の、邪霊害獣《三つ首コウモリ》からの護衛も兼ねているのだ。

2人連れの少年は、早くも鷹小屋の角へ到達した。

お馴染みの、魔除けの《火の精霊》が灯される聖火祠が、城壁沿いに並んでいる。その城壁沿いに設置された鷹小屋の向こう側、堅牢な造りの詰所が見えた。 武器庫や、馬小屋の区画への緊急通路も併設されている。

セルヴィン皇子の肩先で、白文鳥《精霊鳥》アルジーは、火吹きネコマタと一緒になってキョロキョロしていた。

『少し離れた城壁の区画にも、似た建物があるのね。あれも詰所かしら? 鷹小屋は無いみたいだけど』

『あの詰所や向こうの別の詰所は、南方領土の、近隣の城砦(カスバ)から派遣されて来た騎士団らが使っている詰所ニャネ。象小屋に一番近いのが、戦象隊ニャ。白鷹騎士団の詰所は、此処だけニャ』

『近隣の城砦(カスバ)から?』

『ジャヌーブ砦の騎馬戦力の充実のため、10数人ずつ徴発ニャ。《人食鬼(グール)》異常発生の激戦地ゆえの特殊事情。 白鷹騎士団は《精霊鳥》戦力ゆえ本来は帝都駐在であるが、セルヴィン護衛のため期間限定で大聖火神殿から派遣されている。その辺は、リドワーンの政治的手腕であるニャ』

『納得』

火吹きネコマタは、少しの間ネコのヒゲをピピンとさせた後、『特に異常ナシ』と判断した様子で、ネコの顔をネコの手でお手入れし始めた。

そうしている間に。

白鷹騎士団の詰所の、門扉の前まで来た。門扉には、白鷹騎士団の紋章旗『白い鷲獅子グリフィン』が掛かっている。

見張りに立っていた若手の騎士が、セルヴィン皇子とオーラン少年に気付き、ポカンと口を開けながら一礼した。 定番の、赤茶の迷彩柄をした戦士ターバンは、白鷹騎士団の紋章『白い鷲獅子グリフィン』レリーフ額当で固定されている。

「こんばんは、殿下、それにオーラン君。何故また夜間外出を? あの白ヒゲ老魔導士どのの許可とか?」

「独断だ。あとで叱られる予定だから、確認が飛んで来たら、見たまま報告してくれれば良いよ」

「仰せのままに。殿下、元の区画へ戻られる時は護衛いたします。そういう決まりなんで」

若手の騎士は困惑顔をしたままではあったが、感動させられるほどに融通を利かせて、すぐさま少年2人を奥へ通したのだった。

そして相応に華やかな食堂の棟へと入る。

どこでも食事の時間は楽しみなもの、血なまぐさい前線と位置付けられているジャヌーブ砦でも、食堂は、凝った細工の吊りランプ多数に照らされて、明るくなっていた。 市場(バザール)の大衆食堂と同じように、数人掛け程度の卓と椅子が適当に並べられていて、セルフサービス夕食が始まっている。

装飾アーチ窓の間で、定番のドリームキャッチャー型の魔除けが、ポツポツと、浮遊する四色の毛玉ケサランパサランを捉えていた。

奥のほうに厨房が設置されていて、ドシドシ燃えるカマドの炎の前で、清潔なエプロンをした料理人たちが忙しく立ち回っている。 白文鳥アルジーのほうへも、料理ナベや各種道具のぶつかり合う音が聞こえてくるくらいだ。

白鷹騎士団の騎士夫妻エスファン&サーラは、すぐに見つかった。繁忙期らしく、明らかに経理書類という風の、数字でいっぱいの紙束をめくりつつ食事している。

「ここの費用、取引の経緯が不明だから担当者に連絡と確認を……あら、セルヴィン殿下に、オーラン君。何かございました?」

女騎士サーラは女官風ベールで頭部を覆っていたが、その下は、ガッツリ騎士姿。御夫君エスファンのほうは、先刻まで高速で踊っていた算盤を脇に置いて、ノンビリとした笑みを浮かべて一礼して来た。

オーランが軽く一礼し、従者らしく用件を告げる。

「お食事中、済みません。セルヴィン殿下のお尋ねに、差し支えない範囲で応じて頂ければ」

「まぁ、ご丁寧にどうも……何かしら、こっそり2人だけで冒険して来られたようですが……不審な物事がございましたか、殿下?」

「疑問がふたつ、関連して、ひとつ……くらいかな。巨人戦士アブダルの件だけど」

騎士エスファンが目をパチクリさせ、うっすらと生えているアゴ髭(ヒゲ)をさすり始めた。

「お昼前の、あの大騒動になった殺人事件ですか。禁術の生贄の祭壇も見つかって、邪霊害獣も多数ウヨウヨしていたそうで。お体にお変わりは無いようですが……物騒な事件つづきですので、お気をつけて」

いつの間にか、少年2人と経理担当の男女騎士2人との問答は、ささやかな食堂の注目の的になっていた。居合わせた食事休憩中の騎士たちの興味津々な目線が、すべてこちらを向いている。

「アブダル殿は、白鷹騎士団の訓練所で、訓練生となった子弟たちの指導者を務めていた時、色々と問題が多かったと聞いている。それは真実か?」

騎士エスファンとサーラは揃ってセルヴィン殿下を見つめた後、苦虫を嚙み潰したような顔になった。そして。

何故か、オーラン少年へ、意味深な……意味深すぎる視線を投げたのだった。

「詳しい話はしてなかったのね。アブダル殿が最も虐待していたのが、訓練生だった頃のオーラン君だわ」

「オーラン君は色々と『訳あり』で、流刑地からの脱走者と同じくらい疑惑のあり過ぎる存在として、目を付けられてたから。 しかし、例の族滅の任務を帯びた刺客(アサシン)の問題、ほぼ解決したと見て良いのでは?」

「…………いえ、エスファン殿」

表情が消えたオーラン少年のターバンの上で、白タカ《精霊鳥》ジブリールが、幼鳥ならではの、短く、甲高いさえずりを返した。

騎士エスファンは、思案顔で、白タカ《精霊鳥》ジブリールを眺めていた。《精霊語》理解度は鷹匠ユーサーほどでは無いものの、初歩的な素養を持つ人物と見て取れる。

「まだ《風の精霊》警告があるんですね。何故オーラン君の動向が、情報統制を破って刺客(アサシン)の側に洩れるのか分かりませんけど。 何処かに、まだ居るのか……オーラン君の身元を知っていて、動向の情報を売って金を稼ぐ……盗聴の技術を心得た《邪霊使い》か、モグリの間者が」

「白鷹騎士団の内部に潜伏しているんでしょうね。シャバーズ陛下、いえ、シャバーズ団長がアブダル殿の異動を決定した際、異動先への経歴情報提供のための調査の一環で、 オローグ殿と協力して人脈や情報漏洩の経路を徹底的に洗ったけど、それらしい人物は割り出せなかったわ。我々の気付かない盲点があるのかしら」

セルヴィン少年は傾聴しつつ、チラリと、オーラン少年へ痛ましげな視線を投げ。そして、ボソッと呟いた。

「巨人戦士アブダル殿を最も恨んでいる可能性がある人物――訓練生が、オーランだったとは想定外だよ」

「でも、私はアブダル殿を殺していません」

「信じる」

一瞬、オーラン少年はビックリした風にセルヴィン少年のほうを見つめ……慎ましく顔を伏せる。

――それでは、アブダル殺害犯は誰なのだろう?

捜査チームが到着する直前まで、あの赤毛商人バシール夫人である中年女性よりも前に出入りして、現場に居たのは誰?

随分と素早く、手練れの巨人戦士を殺害できたというのも、すごく謎めいている。初めから殺意をもって準備していたという事だろうか。雷帝サボテンは、速効性あるけど……

白文鳥《精霊鳥》アルジーはセルヴィン少年の肩先で思案しつつ、小鳥の片足でシャシャシャと鳥頭をかき回し……ボンヤリと呟いた。実際は小鳥のさえずりになったが。

『白鷹騎士団の中で雷帝サボテン攻撃……連続攻撃が得意な騎士は居る? 訓練済みの魔導士は全員できるけど、そっちは老魔導士フィーヴァーが徹底的に調べてくれる筈。 白鷹騎士団じゃ無くても、砦に詰めている衛兵とかの中で……』

『居るよ。鷹匠ユーサーと先輩ノジュムと一緒に来た時に、各騎士団が共通で利用している聖火礼拝堂の隣の修練所……《象使い》ドルヴも常連で……、ひとり見たことある。 女騎士だったからビックリだったよ、アレは』

白タカ・ジブリールが早速、応じて。白タカ《精霊鳥》の《精霊語》は、オーラン少年へも伝わっていた。

オーラン少年がハッとしたような顔になり、「忘れてた」と、同じ趣旨の質問をする。

「ジャヌーブ砦の中で、雷帝サボテンを使いこなせる戦士とか、いま分かりますか? 雷帝サボテン投擲だけのほうじゃ無くて、 最初から黄金《魔導札》で、黒毛玉ケサランパサランを《魔導》できる……」

「白鷹騎士団の人事部門のほうで、他騎士団の分についても技能スコアや経歴の情報を持ってるわ。雷帝サボテン《魔導》を使える人材は、ラエド精霊契約の戦士の補助として重宝されるし、 今度のジャヌーブ南の廃墟攻略の一環で、急いで候補を選抜しているところだから。明日の朝一番で、一覧を送るという事で良いかしら」

女騎士サーラの反応は目覚ましかった。目がきらめいているのは、大部分が、事件の真相への好奇心のせいではあるけれど。

「いずれにしても、2人だけじゃ危険だから、必ずオローグ殿や鷹匠ユーサー殿と一緒に動いて。無断で夜間外出やらかした件、シャバーズ団長にも報告を上げるからね」

2人の少年は、一本取られた、という風に、決まり悪げにソワソワし始めたのだった。

そして、一呼吸ほど置いた後――食堂の扉が開いて閉じる音がした。新しい人物が入って来たという事だ。

「あれあれ、なんで此処に居るんですかね、セルヴィン殿下、オーラン君?」

その陽気な声音は、良く知る人物のもの。

少年2人ともにギョッとして振り返れば、そこには2人の青年が、呆れたような顔をして佇んでいたのだった。

なんとも折良く、いや、折悪しく、というべきなのか。

オローグ青年とクムラン副官が揃って、白鷹騎士団の食堂へと出張って来ていた。

「こんばんは、オローグ殿、クムラン殿。良い頃合いで来られましたね」

騎士エスファンが困ったような笑みを浮かべ、一礼する。

「ええ、老魔導士フィーヴァー殿の急な指示で。雷帝サボテン《魔導》を扱える戦士の名簿を提供してくれ、と」

「あらまあ。今しがた、我々は、此処のセルヴィン殿下とオーラン君から、同じ依頼を受けたところですわよ。まぁ結局、取次の手間が省略できて良かったですわ」

……ニガワライのような、なんとも微妙な雰囲気が漂った。

そして、番外皇子とは言えセルヴィン殿下のような高貴な人物が居ると、食堂の面々も微妙な気分になる、という事で。

2人の少年は、2人の青年に護衛されつつ、早々に騎士団の詰所の食堂を退出することになった。

「マントのご用意を、セルヴィン殿下。夜の雨の予報が出ております」

護衛オローグ青年が生真面目に進言する傍から、早速、冷たいものがポツリと落ちて来た。雨季ならではの変化だ。

セルヴィン少年の肩先に落ち着いていた白文鳥《精霊鳥》アルジーの頭上にもポツリ。その冷たさに、アルジーは飛び上がった。白文鳥は、想定外の冷気に弱い。

隣に居た手乗りサイズのちっちゃな火吹きネコマタが『失念してたニャ』と言いながら2本のネコ尾の先からパッと聖火を出し。 反射的に出現していた《精霊鳥》特有の冠羽に、チョンと、灯してくれたのだった。

送り込まれて来る暖かさ――精霊エネルギーの流れに、ホッとする白文鳥アルジーであった。

「やっぱり反応が人間ですね、分かりやすいっすねぇ」

クムラン副官は、常にチャランポランとしていて注意力散漫な印象なのに、ビックリするほどの注意深さだ。

セルヴィン少年が、かねてから気にしていたという風に、テキパキと言葉を継ぐ。

「先刻の聖火礼拝堂のほうで、商人バシールの妻という女性がすごく荒れていたのが、気になっているんだ。 あの不審な書状で呼び出されたのは、商人バシールが牢に入れられていた――夫の留守を預かっていたタイミングだろう? その手の呼び出しには慎重になると思うけど、 ホイホイと……ということが、あるのかな?」

「ああ、それでしたら」

クムラン副官が近くの《聖火祠》で間に合わせの松明を作りながら、訳知り顔で応じた。

「彼女――バシール夫人が興味深い供述を。虎ヒゲ・マジード殿がポロリと、亡き巨人族アブダル殿の女癖の悪さについて洩らしたところ、ものすごい反応でね。 バシール夫人、以前から、巨人族アブダルにしつこく付きまとわれて――ストーカーされて、大変だったそうで。 よりによって浮気のお誘いとか、断ったら『娼婦のくせに』と毒づかれたとか、大したセクハラ行為ですね。『商人の妻』と『娼婦』の区別が付いていなかったか、或いは都合よく無視していたか」

さすがに少年という年代には、刺激の強い内容だ。

セルヴィン少年もオーラン少年も、興味津々ながら引きつった顔をしている。

「それでも、アブダル殿はジャヌーブ砦の高位高官。夫バシール殿の釈放に尽力してくれると見込んで、すぐさま尋ねて――嫌々ながらセクハラ行為を受け入れていたそうです。 ほんの数刻後、未明の《人食鬼(グール)》不正召喚で大騒ぎになり、アブダル殿も緊急出動する羽目になったお蔭で危機一髪、 賄賂として持ち込んだカネをむしり取られただけで、本番の肉体交渉のほうは免れた」

クムラン副官は《火の精霊》が灯った松明を器用に立てて、いつものように一行を先導し始めた。

「翌日、バシール夫人は、アブダル殿の、ダラダラ続いたセクハラ自慢話の中で、城壁の『石落とし』には特殊な鍵を使わなければならない――という軍事機密を聞き込んだことを思い出した。 あらためて夫バシール殿は無実と確信した。そしてラーザム財務官のハーレム第一夫人や虎ヒゲ・マジード殿へ、夫バシール殿を釈放するよう、直訴に及んだという事でした」

護衛オローグ青年が『頭痛が痛い』という風に、こめかみを揉んでいる。

「あの直訴は聖火礼拝堂の真ん中で決行されたため、大騒ぎになったと聞いた、クムラン殿。虎ヒゲ・マジード殿が、あれ程ガックリした顔になったのを見たのは、初めてだな」

「まったく、オローグ殿。訓練生への虐待、ストーカー罪、セクハラ罪、浮気強要罪――とりわけ、一般の非戦闘員に、城壁の軍事機密を漏洩したのは、ジャヌーブ砦においては致命的な失態だ。 死後という遅すぎる措置タイミングだが、アブダル殿の懲罰追放は確実だな。カスラー大将軍の、人を見る目は、真実、カスだった訳だ」

白文鳥アルジーは傾聴しつつ、不審な呼び出し状の文章を慎重に思い返した。

――『ジャヌーブ南洋物産の交易商バシール殿の夫人どの。約束の日《麻雀サボテン》開花の刻、中二階の広間の控室に来られたし。清算について。ご存知マッチョ盛り合わせより』

巨人族アブダルの、女癖の悪い――卑劣セクハラ暴力ストーカー虐待趣味――二重人格を知ってみると、 真犯人が、もっともらしいアブダル殺害犯として、ストーカー被害者の1人、バシール夫人をリストアップしたのは、必然だ。

不思議でも何でも無い。

あの呼び出し状は、繊細な筆記用具を扱いにくい巨人族のための、頑丈な字型スタンプでもって作成されたもの。個人を特定する筆跡といった証拠は残らない。

おびき寄せる相手も……バシール夫人じゃ無くても、もう1人の被害女性《亀使い》でも良かった。ただ、《亀使い》を犯人に仕立て上げるのは難しい。相棒の《精霊亀》が、アリバイ証明する筈だから。

白文鳥アルジーは、いつしか、推理をブツブツと呟いていた。

『あの書状、「清算」という語句があったわ。「不自然な関係の清算」と誤解して呼び出されたとしても納得できる。 アブダルは、砦の大将軍の後継候補とか……地位と名誉と権力があった。ラーザム殺害事件に関しては、バシール氏は無関係だったとはいえ……詳しい事情を知らされないまま突然ご夫君を逮捕されたうえ、 セクハラとストーカーとで追い詰められていたバシール夫人としては……』

その白文鳥アルジーの《精霊語》は、即座に白タカ《精霊鳥》ジブリールが、人類向けの初歩的な《精霊語》に翻訳していた。

適宜、オーラン少年による人類の言葉への翻訳が入り。

「成る程、成る程」

と、真面目なのか茶化しているのか良く分からない形で、クムラン副官の同意が入った。

雨季の真っただ中とあって、見る間に、夜の石畳を打つ雨脚がハッキリして来る。

引き続き推理に没頭していた白文鳥アルジーは、手乗りサイズ火吹きネコマタの口に、パクリとつかまった。

「ぴぴぃ!?」

『濡れるゆえ、我が相棒セルヴィンの手の中に避難してくれニャ。《鳥使い姫》の霊魂の炎は、自身で思っているよりも安定しておらぬ』

そのまま、ちっちゃな火吹きネコマタは、咄嗟に差し出されていたセルヴィン少年の手の上へ、器用に着地した。

落ち着いて物静かな雰囲気のオローグ青年が、仰天したように目をパチクリさせ。

「やれやれ、どちらも精霊(ジン)と承知していなければ、その辺の子ネコが小鳥を食べようとしているようにしか見えませんね……」

そして城壁沿いの角を曲がる。

日が暮れて薄暗くなる中――怪しげな人影が、いかにも怪しげな挙動でもって角の建物の壁に張り付き、コソコソ動いていた。

全員でハッと息を止め、城壁には定番の、各所の適当な窪みへ潜む。

クムラン副官も、唖然となるほどの素早い判断で、聖火祠の傍に身を隠していた。その手に持っていた松明と聖火祠の炎が重なって、みごとに目立たない。

怪しげな人影は中年男に見える。しかも割とキザな性質らしい。夜目にも分かるような多彩のお洒落なターバンと長衣(カフタン)だけど、何となく着こなしがズレている。

公衆浴場の覗きをやろうとしているかのような、スケベ心が透けて見える挙動だ。もっとも、此処には、公衆浴場は設置されていないのだが。

彼は、いったい何をしているのか。

セルヴィン少年の、上下に重なった手の平の間から、白文鳥アルジーは、グイグイと顔を出し。火吹きネコマタの視線の方向を確認して、同じ方向を窺った。

城壁の角にある建築は、今は亡き財務官ラーザムが夜な夜な根城にしていたような、贅沢なものでは無い。

衛兵が詰める――大型の詰所だ。

複数の棟から成り立っている。見張り塔、武器弾薬の備蓄倉庫、寝台が設置されているであろう休憩所、軍馬の厩舎。 軍馬の寝藁の足しにするのであろう柔らかそうな草が、近くの溝で栽培されている。人より高い背丈のモサモサは、子供たちが鬼ごっこ遊びに活用する定番スポットだ。

各部分の破壊ぶりが目立つ。

あちこち修理中なのが明らかな、漆喰の塗り残し、仮固定された石積み、格子をハメ込まれるのを待っている窓枠……屋根まで昇り降りできるように取り付けられたハシゴや足場が、そのまま固定されている状態。

目下、建築を修理中のため、衛兵は居ない――人の気配は無い。無人の隙を狙ったように、コソコソ動き回る、不審でキザな中年男。

早くもクムラン副官とオローグ青年が検討を付けていた。

「確か、この間の《人食鬼(グール)》大群の攻撃で、大型の邪霊害獣にやられていた見張り施設じゃなかったか?」

「だと思う、報告によれば。巨人族と同じくらいの大きさの大物《三つ首コウモリ》が、その翼のカギ爪で壁に穴を作り、口に生えていた牙で、常駐の馬2頭の生き血を吸って干物にしたうえ、ズタズタにした」

そうしている間にも、怪しげな人影は建築物の石積みの壁にピッタリ張り付き。その石積みの隙間に目と耳を順番に当てて、中の状況を探っている様子だ。

やがて、《地の精霊》祝福のお蔭で精霊なみに夜目の利くオーラン少年が、不穏に呟いた。片手が既に腰の短剣に回っている。

「あの不埒者、取次業者ディロンです」

セルヴィン少年が驚いたという風に、パッとオーラン少年のほうを振り返った。

「この間、中庭で、カラクリ人形アルジュナ号に憑依中の《鳥使い姫》に求婚したという、例の?」

もはや正体が知れた今、この人物は脅威では無い。とっ捕まえて、事情聴取だ。

全員で合意のうえ、標的を包囲するように、足早に近づく。代表して、クムラン副官が呼ばわった。

「おい、愉快な挙動不審の取次業者どの、夕食の時分に何やらかしてるんだ?」

「あわッ」

中年男は、ようやく掴みかけていた高い位置の窓枠で手を滑らせ、すってんころりと石畳に転がった。

「ひでぇな、ニイちゃん! 大怪我したじゃないか!」

「抜かせ、それだけ上手な受け身の技術が有って。髪の毛ひと筋の傷すら無い筈だ、ディロン殿」

キザな中年男――取次業者ディロンは、包囲して来た4人を見回して、観念した顔になった。

気になる事があるのか、ソワソワと振り返り、建築の奥のほうを窺うディロン。今すぐにでも逃げ出そうとしている、トビネズミのようだ。

「なんか、訳があったのか?」

感度の鋭いクムラン副官がピンと来た顔になり、声を潜める。

――回答は、すぐにやって来た。異変と共に。

『よけるニャ!』

セルヴィン皇子の相棒、高位《火の精霊》火吹きネコマタが、「シャーッ」とネコらしい警戒の声を上げた。

2本の尾を持つちっちゃな子ネコは、見る間に真紅の炎の姿へと変身し、神々しい聖火のカーテンとなった。

緊急的に立ち上げたとあって、向こう側が透けて見える程に薄い。

向こう側から、ぎらつく黄金色の雷光を放射する何か――トゲトゲした剣呑な砲弾のような――が、数個ほど。

全部で5個、飛んで来た!

「危ない!」

白文鳥アルジーは、セルヴィン少年の手の中にギュッと握り込まれ、息が詰まるような思い。

トゲトゲ砲弾は、その全体を取り巻く黄金色の雷光で、聖火のカーテンを破り、突き抜けて来た。聖火の防壁で、大いに威力を削られながらも。

1個がセルヴィン少年へとまっすぐ飛んで来て、白文鳥アルジーは瞬時に警戒の冠羽を立てた。聖火カーテンに比べると、微風バリアでしか無いけど。

トゲトゲ砲弾が「パパン」と弾け、四方八方へ雷光を発射した。ぎらつく刺が発射されたみたいだ。傍の瓦礫の端にピシリと当たり、結構な火花と破片が飛ぶ。明らかに危険。

次の瞬間、白金色のフラッシュが瞬く。フラッシュ源は、セルヴィン少年のターバン装飾石――《精霊石》。

飛んで来るトゲトゲ砲弾の、トゲトゲが、白金の煙となって蒸発した!

オーラン少年の短刀が、目にも留まらぬ速度で閃く。トゲを失った砲弾が斬り落とされて転がり、石畳で白金色の煙を噴出しながら転げ回った。

白タカ《精霊鳥》ジブリールが飛び出し、短刀の届かない空隙をカバーするように急上昇する。2個めが、その翼で叩き落とされた。真っ白な幼鳥は感電したようにブルッと震え、ヨタヨタしながらも無事に着地。

つづいて、クムラン副官とオローグ青年が、それぞれ退魔紋様を完備する三日月刀(シャムシール)を振るう。

三日月刀(シャムシール)の刃先とトゲトゲ砲弾のような何かが衝突し、派手な黄金と真紅の火花が散った。砲弾のような何かは、雷光ごと粉々になりながら石畳へと叩き落とされ、そこで多数の爆竹のように跳ね回る。

残りの1個は、微妙に勢いが落ちていた。ちょうど逃走しかけていた取次業者ディロンの足元へ転がる。

ぎらつく黄金の雷光の余波を受けて、キザな中年男は、ビリビリと震えながら飛び上がった。

「あはぁん! おほぉん!」

キザな意匠のターバンごと、髪型が静電気を帯びたかのように、ボワッと爆発する。

身をくねらせながら倒れ込むディロン。そこで接地(アース)したのか、急に雷光が収まった。

目を回したディロンの、キザな長衣(カフタン)の各所から、焦げ臭い白煙が、シュウウ……と立ち上がっている。

「雷帝サボテンだ! いったい誰が……」

護衛オローグ青年が飛び出した。唖然となるような身のこなしで、当たりを付けた建築の物陰へと入り込む。

「危険だ、オローグ殿!」

ギョッとしながらも、援護に入るクムラン副官。

白文鳥アルジーは一瞥しただけで、護衛オローグ青年の目論見を察知できた。

次の瞬間、風を切る音が響いた……小型の投げナイフ。手裏剣だ。オーラン少年も使いこなしていた、あの武器。

――かつてのシュクラ王女アリージュ姫は、祖国を襲った三つ首の巨大化《人食鬼(グール)》との戦いの中で、良く見て、知っている。 隣国オリクト・カスバの武器だ。オリクト・カスバから援軍として派遣されて来た戦士が、怪物《人食鬼(グール)》の群れと相応にやり合えていたのは、この飛び道具のお蔭もあるのだ。

「うがぁ!」

雷帝サボテンを操っていたと思しき不審者の、叫び!

「まさか」

セルヴィン少年もオーラン少年も、仰天するままに、一瞬だけ立ちすくむ。一方、クムラン副官は、オローグ青年のもとへと殺到していた。

果たして、半ば崩落している石積みの陰に、うずくまる人影!

建物の裏の溝で栽培されている、軍馬の寝藁に使うモサモサ草の中へ逃げ込もうとしていて、オローグ青年が、逃がすものかと、峰打ちを浴びせている。苦悶の叫びが、3回ほど。

「縄を使え、縄を」

元から気の合うクムラン副官とオローグ青年は、あっと言う間に、不審者を縛り上げ……城壁沿いの、表の石畳の道へと引きずり出したのだった。

雷帝サボテンの影響で、まだビリビリしている取次業者ディロンが、訳知り顔で不審者を指差した。

「そう、コイツやで、そこで怪しげにコソコソしてたのは。腰のもの全部が雷帝サボテン発射用の鉄砲なんだ、押収しろよ、お巡りさんよ」

「ディロン、貴様だったのか! 俺の大事な大事な秘密を盗み見しようとして盗み聞きしようとして、チョロチョロ産業スパイやってたのは、この、エロパロ痴漢が!」

「誰が、半端な毛深族の、半分ハゲてる毛髪やヒゲや、ワキ毛や股間の毛を見たいと思うんだ、この自意識過剰ナルシストが」

お互いにイイ年の、口の減らぬ中年男同士の、口喧嘩だ。

不審者をよく見ると、取次業者ディロンが指摘したように、確かに毛深族。

全身、あまり手入れされていない、モッサァ・ボサボサ茶色の体毛が目立つ。砦で見かける平均的な毛深族の人々ほど、ミッシリとしては居ない。その分『体毛マシマシ人類』『半分だけ毛深族』印象が大きい。

ふと白文鳥アルジーは、毛深族の子孫という、東帝城砦の帝都伝書局・市場(バザール)出張所の、バーツ所長を思い出したのだった……

クムラン副官と護衛オローグ青年が、日ごろの職務と訓練の成果か、速やかに、不審者の腰のもの――様々な大きさの物騒な砲身と見える――を、全て取り払い、押収する。

「確かに、どれもこれも、雷帝サボテン鉄砲だ。城壁から大型の邪霊害獣を撃ち落とすヤツだ。小型のは、衛兵が時々、戦士階級の不審者を誰何して理不尽に反撃された時に、大人しくさせるために使う」

「泥酔していても退魔対応の戦闘能力を発揮する戦士は居るな、巨人族ギムギン殿のように」

――そんな自衛用の武器があるのね、と感心する白文鳥アルジーであった。さすが帝国でもトップクラスの危険度を誇る南部《人食鬼(グール)》前線は、人材も武器も充実度が違う。

ふと、かの最低な夫トルジンを、雷帝サボテン鉄砲の、特に大型で、10日間は、ビリビリさせられたら……という危険な誘惑がチラリとよぎったのは、否定しない。

「この男を知ってるのか? ディロンとやら」

セルヴィン殿下が興味津々で突っ込み始めた。

「偶然ながら顔見知りでして、皇子サマ。ジャヌーブ港町の賭場で、時々、顔を合わせるんですよ、なぁ、雷帝サボテン《魔導》工房の鉄砲職人サイブン。あ、南洋の船乗りシンド君だったら良く知ってるな」

「雷帝サボテン《魔導》工房……」

呆然とした顔で、オーラン少年が呟いた。

取次業者ディロンは、なおも畳みかけるように、鉄砲職人サイブンなる中年男へ語り掛ける。揶揄しているようだが、相応に緊張していることが見て取れる。

「率直にいって、私は、巨人族アブダル殺害にかかわった飛び道具を作ったのは、サイブン殿と思ってるんだが」

「抜かせ。俺は今、ものすごく気分が悪いんだ。さっき、聖火礼拝堂の広報の張り紙で、あの筋肉てんこもり野郎が死んだと知ってな。 アヤツをブチ殺すのは、この俺だった筈なんだ、父親の復讐だ! あのクソ野郎アブダル、俺の見てる前で、俺の息子を手籠めにして、自殺させやがったんだからな!」

「……は?」

しばし、取次業者ディロンをのぞく全員で、呆然とする。

ディロンは訳知り顔で、痛ましそうな表情を浮かべた。殺意を非難はするが、同情はする、という風だ。

「なんだ、殺してないのか? アブダル戦士が急に死んだという聖火礼拝堂の張り紙を見て、コイツはホントに、鉄砲職人サイブンが遂に殺(や)りやがったんじゃと思ってたよ、こっちは。 賭場の顔見知り仲間を通じて、散々、特大の雷帝サボテン大砲で地獄バラバラ黒焦げにするだのなんだの、身の毛もよだつような実現可能な殺害計画、聞いてたからな」

クムラン副官が戸惑った顔をして、髪をシャカシャカとやる。珍しく、生真面目に困惑している。

「私がジャヌーブ砦に流れて来る前の話らしいな。職場の引継ぎの時に『下半身を大怪我して麻痺で歩けなくなった青年の自殺事件があった』というような事は聞いてたが、詳しくは知らないんだ」

「どうせ、お蔵入りゴニョゴニョ扱いだったんだろうよ、お若いお巡りさんよ。理解と想像の範囲外なんだろう、『男が男に手籠めにされて、それを苦にして自殺した』てぇのは。 『病死であり事件性は無い』という結論を、当の巨人アブダルから、『あの時は息子もイイ気持ちで楽しんでたんだから、イイだろ』って、ニヤニヤ笑いで聞かされた時の俺の気持ち、わかるか!」

――下半身の大怪我とは、どういう大怪我だったのか。父親の目の前で、巨人男に手籠めにされた末の、歩けなくなるほどの大怪我……麻痺。

巨人族との、その類(たぐい)の交渉。想像はつく。とても嫌な想像だけど。

昔は、巨人族は、邪霊崇拝の習俗を持つ亜人類だったのだ。

まして、「弱きを虐(しいた)げる」と酷評された、パワハラ巨人戦士アブダル。

高位高官の戦士階級としての特権でもってゴリ押し……三ツ首の怪物《人食鬼(グール)》さながらの、流血と暴力の光景だったに違いない。

オーラン少年よりは繊細な育ちだったらしいセルヴィン少年が、口を押さえて背を向け。近くの溝で何やら、戻し始めた。 もとから生贄《魔導陣》による体力不足のうえに、大きな心理的衝撃で、胃袋その他の内臓が耐えられなかった様子。

オーラン少年が、有能な従者として、かいがいしくセルヴィン少年の世話をし始めた。

白文鳥アルジーは、早くもセルヴィン少年の手の中から飛び立っていた。《火の精霊》火吹きネコマタの頭上に止まり、適切に控える距離を取る。

鉄砲職人サイブンは、セルヴィン少年の虚弱ぶりに同情しながらも白けたような顔つきで、ブツブツと呟き始めた。

「そういえば、巨人アブダルの死体は、どんな風だったんじゃ? できるだけ血まみれの惨殺死体だったのなら、なんとか、息子の墓に、穏やかに報告できそうな気がするんだよ」

クムラン副官とオローグ青年は、しばし視線を合わせ……そっと頷き合った。

――鉄砲職人サイブンは、それなりの理由があって暴れていただけだ。その理由が無くなった今、抵抗や逃走をやろうという様子は無い。 むしろ、戦士アブダルの新たな情報が取れるというのなら根を生やしてでも居座るほうだろう。

オローグ青年は手際よく、中年男サイブンの縄を解いた。見込みどおり、サイブンは、おとなしく座り込んでいた。

やがて、オローグ青年が静かに説明を始める。

「事情が事情だから、此処だけの話だが。巨人戦士アブダルは、最近、聖火礼拝堂の女性《亀使い》を痴漢していたらしい。 具体的な内容は省くが、《亀使い》は激怒して、『灰色の御札』を使って全身全霊で呪ったと聞いてる。『男の証明』が永久的にもげてしまうように」

思わず、と言った風に、ヒゲ面の鉄砲職人サイブンは目を剥いた。半分は男ゆえの恐怖だ。

「原因は調査中だが、巨人戦士アブダルは雷帝サボテンによる心臓発作で死亡。その死体の局部は、すこぶる大型の邪霊害獣《三ツ首ネズミ》の群れに食い荒らされて、無くなっていた。 『男の証明』を守護する《精霊亀》守護札が、まったく機能しなかったことは分かっている。大事な時に守護札が機能しなかったのは、女性《亀使い》の呪いのせいだという予想は、付いてる」

……少しの間、意味深な沈黙がよぎった……そして。

大きな息をついて、ハーフ毛深族の鉄砲職人サイブンは、うつむいた。復讐心に膨れ上がっていた何かがしぼんだみたいで、身体も、小さくなったように見える。

「女とは、なんと恐ろしい……」

――その言及の裏にある、真の意図は、『完璧な復讐だ!』という雰囲気が、アリアリなのだけど。

白文鳥アルジーは、ちょっと、プンスカ気分だ。女性のひとりとして。

(そういう言い方って、微妙すぎるわよ)

好奇心満々で耳を傾けていた取次業者ディロンが、突っ込み始める。

「巨人戦士アブダルは雷帝サボテンで死んだってのか? その雷帝サボテンを発射した武器って、鉄砲職人サイブンのところの《魔導》工房で製造した武器なのか?」

クムラン副官が乗り気になって、フムフムと頷き始めた。

「意外に重要な指摘だな、ディロン殿。専門の職人としての見解はどうなる、サイブン殿? 調書に名前を記録されたく無ければ、匿名で見解を受け付けることは出来るぜ」

鉄砲職人サイブンは思案顔になり、かたわらに積み上げられた多種多様な雷帝サボテン発射砲を眺めた。

「どうせ息子はもう居ねぇ、バリバリに名前を記録してくれて構わん」

セルヴィン少年が、吐き気がようやく収まって、近くのベンチに座り込んでいた。建築の修理工事の大工たちのための、複数のベンチのひとつ。 なんとなく、その場の全員で、近くのベンチにそれぞれ腰を下ろす。

鉄砲職人サイブンも、ドッカリと腰を下ろした。

「武器の現物を見なきゃ分からんが、特製の鉄砲の可能性は、大いにある。 俺が勤めている《魔導》工房はジャヌーブ砦ご用達の武器を製造しているし、雷帝サボテン発射装置は大量に納品してるんだからな」

そこで、鉄砲職人サイブンは適当に半分モッサァなヒゲをしごいて、適当にボサボサな眉毛を、モッサァとさせた。

「とはいえ……扱える奴は限られる。そこのヒョロリ坊主は、まず無理だ。ガッツリ筋肉を鍛えないと。非力な素人だと、逆方向に吹っ飛ばされるか、雷帝サボテンが反転して自分が感電する」

ヒョロリ坊主と名指しされたセルヴィン少年が、目をパチクリさせて当惑顔になっていた……

*****

毛深族のハーフであるヒゲ面オッサン、鉄砲職人サイブンは、復讐心に燃えていない時は、意外に――必然なのか――冷静沈着で、博識で、協力的だった。《魔導》工房の熟練の職人そのもの。

近々、セルヴィン皇子は、ジャヌーブ南の廃墟へ突撃する予定がある。

その件について軽く話を振ってみると、鉄砲職人サイブンは、ジャヌーブ南の廃墟で必要になる、《人食鬼(グール)》対応の鉄砲の数を揃えておくと請け負ってくれたのだった。 雷帝サボテン発射装置の一式が完備されている鉄砲だ。

*****

鉄砲職人サイブンや取次業者ディロンとの話し合いを切り上げ、セルヴィン皇子の一行は医療区画へと帰還した。

クムラン副官と護衛オローグ青年が、手慣れた風で談話室に食卓を準備した。

実務に関わる青年2人は遅めの夕食をつつきながら、捜査会議に出た話題と、つい先刻の鉄砲職人サイブンの騒動を合わせて、報告書にまとめるべく検討を加え始めていた。

セルヴィン少年は、普通に食欲はあるけれど、同い年のオーラン少年と比べると、グッタリと疲れたという感じ。食事のスピードも、ゆっくり。

精霊(ジン)の定位置《魔法のランプ》の長い口先に、ネコミミ炎の姿をした《火の精霊》。 白文鳥《精霊鳥》アルジーは、『魔法のランプ』の優雅な取っ手の上に、いつものように腰を下ろして、夕食の光景を眺めていた。

『一応、セルヴィンの体力は何とかなりそうね、セルヴィンの相棒《火の精霊》さん?』

『想定外の、あの鉄砲職人サイブンの騒動が挟まったゆえ、エネルギー補給に手間取ったニャ。 帝国皇族の《精霊石》――亡き母堂セリーン妃が選んだ、ターバン装飾石の強靭さと頑固さがハードルである』

『先刻の騒動でも、白金色のフラッシュ守護、すごかったわね。納得』

『やはり前にもボヤいたように、よく適合する精霊魔法の護符を早く見つけたい。腕輪でも首飾りでも良い。 波長ピッタリの薔薇輝石(ロードナイト)の目をした相棒とはいえ、変換効率が悪くて悪くて、イラつくニャ』

ネコミミ炎は、パチリと白金色の火花を飛ばした。相当にプンスカ状態だ。

『いや《鳥使い姫》、色々ボロボロだが感謝しなければニャ。いわゆる「この世で最強のトラブル吸引魔法の壺」が持ち込まれたお蔭で、様々な事象が一気に集約されてきている。 この1日で、どれほど運命の経路が変化したか、驚嘆するところであるニャ。いままで、どれ程、体当たりを仕掛けても開かなかった運命の扉が、こうも次々に破れるとはニャ』

『わたし、何もしてないわよ?』

『かの《逆しまの石の女》ジン=アルシェラトの精霊魔法。《鳥使い姫》は、生身じゃなくてポンコツ霊魂なのに、100%近い驚異の変換効率ニャ。 詳細に説明することはできないが、そもそも《鳥使い姫》が、この時空に共鳴して存在するという事実が、既に、極めて高度な精霊魔法《鳥舟(アルカ)》であるニャ』

『分かったような、分からないような……? ジン=アルシェラトは《銀月の精霊》だね。なぜ地下のジャバ神殿の、一番底の階層で、逆さまの首の彫刻の形で並べられているのか分からないし。 美形だと思うけど、精霊(ジン)にしては、なんか不安定だし、妖しいというか』

『千夜一夜の満月の光と新月の闇を揺らぐゆえ。銀月から発した千夜一夜の精霊魔法《鳥舟(アルカ)》稼働時間は、我ら現在の時空では、1001日かも知れぬし、50日足らずかも知れぬ。 「時空の歪みの極致」だの「時空の特異点」だの言いならわすところだが、人類の言語の範囲で正確に説明するのは難しい。 「この世で最強のトラブル吸引魔法の壺」の魔法という風に、理解しておいてくれニャ』

――白文鳥アルジーは首を傾げながらも。

ふっと、水鏡の向こうに見えた、懐かしいオババ殿の幻影――あれは亡霊に違いないと思う――が、発した、謎の、似たような言葉を思い出していた。

……超古代の伝説の、偉大なる千夜一夜の魔法《鳥舟(アルカ)》……!

白文鳥アルジーの、つらつらとした物思いは、そこで中断した。

セルヴィン少年が胸を押さえて「ウッ」と、うめいて、崩れ落ちたのだった。

いずことも知れぬ場所で、生贄《魔導陣》を軽く活性化させた相乗りの誰かが居たらしい……幸い致命的な発作では無いけど。

(心臓発作は軽くても、かなり、こたえるわね)

生前に、シュクラ王女アリージュ姫あらため民間の代筆屋アルジーが、幾度も味わった痛みだ。針を突き刺すような痛み、冷気。眩暈。ドッと吹き出す脂汗……

白文鳥アルジーは早速、呆然としたオーラン少年のもとへ飛んだ。

『心臓の薬を飲ませるのよ、セルヴィンの口が開かないようだったら、こじ開けて。あのお茶が有るなら、お茶を』

クムラン副官とオローグ青年が、素早く、セルヴィンの身体を寝台へ運び。オーラン少年が、老魔導士フィーヴァーから処方されていた回復薬を、セルヴィンの口に押し込んだ。

程なくして、セルヴィンは、いつもの失神から回復した。格子窓枠の外では、また骸骨剣士が沸いて来ていた……3体ばかり。巡回していた衛兵が気付き、退魔調伏する音が聞こえて来る。

「まだ一体ガシャガシャ動いてるぞ、退魔調伏して砂に変えてしまえ。あとで道路清掃の人足が来て砂掃除してくれるから」

「退魔調伏の紅白《御札》在庫が切れてるんです、短剣のほうでやりますね、時間かかりますが」

「ああ、魔導士ユジール君は、まだ見習いだったか」

窓の隙間を通して聞こえて来るのは、聞き覚えのある若手の馴染みの衛兵の声と、声変わり途中の新人の少年のかすれ声だ。 少年のほうは、初めて聞く声だ。セルヴィンやオーランと同じ、14歳か15歳の雰囲気。

白文鳥アルジーは、警戒の冠羽と聞き耳を立てつつ、息を呑んでいた。

あの見知らぬ、見習い魔導士少年の発音は、シュクラ周辺の流儀だったような気がする。一瞬だったから、確信は持てないけど。

そして、ハッとして鳥の首を回すと……

オーラン少年もまた、驚愕の顔だ。《地の精霊》祝福の地獄耳でもって、アルジーと同じ事実に――見習い魔導士少年の、シュクラ風の発音に――気付いた様子。 小首を傾げ……すぐに、いつもの従者の表情に戻る。

白文鳥アルジーは、素早く、格子窓枠の外へ視線を投げた。退魔調伏の進行中らしく、まだ特徴的な物音がつづいている。

見覚えのある人相の若い衛兵と……見習い魔導士の少年。 魔導士の黒い長衣(カフタン)をまとう段階では無いらしく、真紅の縁取りのある黒マント姿だ。学生風。エスニックな首飾り護符が数本ほど、シャラリと音を立てている。

そして、うっすらと記憶にあるような、淡い茶髪。シュクラ王太子ユージドにも似ているような気がする。名前も年恰好も、記憶の中にあるボンヤリとしたイメージと似ているせいだろうけど。

(あれが、見習い魔導士少年ユジール君。此処からだと詳しくは分からないけど、美少年っていうくらい綺麗な顔してるわね。オーラン君とも、少し似てるような気がするわ)

シュクラ・カスバ周辺の出身と思しき見習い魔導士少年ユジールの体格や人相の特徴を、シッカリ頭に叩き込んでおいて。

白文鳥アルジーは小鳥の首を戻して、セルヴィン少年のほうを確認した。

帝国の皇族セルヴィン殿下は、さすがに落ち込んだ様子。ほとんど動けなかった時と比べると、少しは動けるだけに、口惜しい気持ちがあるに違いない。

「あの鉄砲職人サイブンの話を聞いただけでもフラフラになったし、色々と情けないな」

『そうは思わないわよ、お腹のものを戻したり、発作で倒れたりするのは、禁術のせいだし』

ぴぴぃ、と、さえずる白文鳥アルジー。

『まだ14歳だもの、色々見聞きして考えてちょうだい。それに王族だの皇族だのとなると、特権に保護されて感性も愚鈍になりがちで。カムザング皇子が典型的な例。 気持ち悪くなった経験は糧(かて)として取っておくといいわ、この手の話題に繊細なことは悪いことじゃ無いし。むしろ私はセルヴィンの感覚が普通の範囲って分かって安心してる』

白文鳥《精霊鳥》の精霊語は高難度レベルと聞く。まだまだ初心者の少年に、正確に伝わったかどうかは、分からないけど。

セルヴィン少年もオーラン少年も思案顔だ。何かしらポツポツと、伝わる部分はあったらしい。

少し間をおいて、巨人戦士アブダル殺害事件についての、クムラン副官とオローグ青年の検討が再開した。

「そういえばオローグ殿、セクハラ・パワハラ満載のアブダル殿、実は妻帯者だ。すこぶる美人の奥さんが1人。知ってたか?」

「あぁ、エスファン殿とサーラ殿から聞いた。白鷹騎士団の訓練所の剣術指南役として指名された時、 『解雇を不服とした闇討ちリスクあり』前任者の人事情報として……重要な内容だとは思わなかったが」

(巨人戦士アブダルは、あれで、結婚してたのッ!?)

驚きにビョーンと伸びあがりつつ、薔薇色のクチバシをポカーンと開ける、白文鳥アルジーであった。

さすがに、あからさまな反応が目に留まった様子。クムラン副官とオローグ青年が、目をパチクリさせて注目し。その後、苦笑いを見せて来た。

「いろいろ観察する必要がありますよねぇ、名探偵《鳥使い姫》。方々連絡が回りましたから、話題の奥さん、明日にも礼拝堂へ来るかと。ご遺体の最後の処理の儀式と、遺産の処理があるそうで」

――カネ! 高位高官の戦士だったアブダルなら、きっと、ザックザク! 是非に!

白文鳥アルジーは張り切って、白い小鳥の羽をパタタッとやった。

■19■筋肉は嘘つかない!筋肉は裏切らない!

翌朝。

セルヴィン殿下が滞在する医療区画へ、白鷹騎士団で経理事務を務める夫婦、騎士エスファンと女騎士サーラが訪れて来た。

白文鳥《精霊鳥》アルジーと、セルヴィン皇子の相棒《火の精霊》火吹きネコマタが気付き、扉の前へ行って「ピピピ」「ニャー」と鳴いて、応じる。

まだ半分寝ぼけている老魔導士フィーヴァーが、ヨロヨロと続いた。 昨日の夕方に急に発生した『雷帝サボテン事件』すなわち鉄砲職人サイブン騒動が加わったため、聖火礼拝堂での捜査会議が、深夜まで及んでいたのだ。

「ターバン装甲に、手甲のレリーフ……白い鷲獅子グリフィン紋章……白鷹騎士団じゃな。ええと、何の用件じゃったかのう?」

それだけで、やっとだったらしく……老魔導士フィーヴァーは、立ったまま、豪快なイビキと共に眠り出した。モッサァ体毛と同様、『毛深族』特有の愉快な特技として知られている、驚くべきバランス能力。

一瞬、目をテンにした壮年の騎士夫妻であった。小脇に、文書の束を抱えつつ。

奥の続き部屋でセルヴィン少年の着替えの補助をしていた従者オーラン少年が、大慌てで自分の上着をまといつつ、熟睡を始めた老魔導士フィーヴァーの隣へ駆けつけた。

「えっと、エスファン殿とサーラ殿。昨日の依頼……雷帝サボテン《魔導》を扱える戦士の名簿リスト、お願いしていたんでしたね。まとまったのでしょうか?」

壮年の騎士夫妻は、ホッとしたような苦笑を見せた。

「おはよう、オーラン君。偉大なるフィーヴァー殿が遂に『ご老体』に……と、ドッキリしたよ」

「老魔導士どのは、ご多忙なうえに、お取り込み中だったようね。これから早朝の鍛錬があるから、文書お渡しておくわ。セルヴィン殿下にも、よろしくね」

そして最後に、多忙な騎士夫妻は、老魔導士フィーヴァーの肩先に鎮座した《火の精霊》火吹きネコマタ、白文鳥《精霊鳥》アルジーにも、挨拶として順番に頭を撫でて、退出して行ったのだった。

――早くも。

セルヴィン少年が、壁に手をつきながら談話室へ出て来た。少し調子が悪かったらしく、着替えや洗顔など、身を整えるだけで息切れしていた様子。 だが、その琥珀色の目は好奇心でキラキラしていて、金色に近い。

従者を務めるオーラン少年が飛んで行って、セルヴィン少年の介助に回った。

「気が回らず済みません。おかけになってください、セルヴィン殿下」

談話室の卓上には、既に報告書が広げられている。

白文鳥《精霊鳥》アルジー、《火の精霊》火吹きネコマタとで並び、《精霊魔法》の力でもって報告書をめくり、ザッと目を通した。

扉のところでは、こちらに背を向けたまま「立ち眠り」している老魔導士フィーヴァーの、豪快なイビキが鳴り響いていた。まだ睡魔が去っていないらしい。

早速、白文鳥アルジーは、名簿リストの傾向に気付いた。

『意外に女騎士も多いみたいね』

『であるニャ。雷帝サボテンは元々、黒毛玉ケサランパサラン。とても軽い。だが鉄砲職人サイブン特製の発射装置を使っても、遠くまで放り投げたり、威力を加えたりするのは、やはり男の筋肉のほうが有利ニャネ』

白文鳥アルジーは、天を仰ぐ気持ちになって、チョコンと座り込んだ。

『男の人ばっかり有利で、世界を管理する神やら創造神とやらは、ずるいわね』

『つくづく、筋肉の大小から来る人類社会の強弱の観念は、シツコイ困りモノニャネ。古代、各種の精霊(ジン)と協力関係を築けなかった人類の民族は断絶したのだが』

ちっちゃな手乗りサイズの赤トラ猫の姿をした火吹きネコマタは、意味深に金色の目をキラリとさせ、ネコのヒゲをピピンと震わせた。

『同じ人類の男と女の間で協力できなかった民族は、その延長線上にある、精霊(ジン)との協力関係も、築けなかったのニャ。そして邪霊に食われたのニャ。カムザング皇子の末路も、本質は同じニャデ』

『……理解はできる』

『さすが《白孔雀》の御使いのパル殿が見込み、銀月のジン=アルシェラトが祝福した、シュクラ王統の第一王女ニャネ』

不意に。

直感めいたものが、アルジーの脳裏に、ピコーンと閃く。

『――案外、今回のパワハラ脳筋な巨人族アブダルの死因も、その辺の筋肉の、どこかに関係あるのかしら?』

視線を感じて、ふと気づくと。

セルヴィン少年とオーラン少年が不思議そうな目をして、白文鳥アルジーを見つめていたのだった。

「巨人族アブダルの死因が、筋肉に関係してる、って?」

白文鳥の鳥の顔は赤面しないけど、アルジーは内心、赤面した。

――そんなに、真面目に受け取らなくて良いわよ。口から出た思いつき。

扉の前から響いて来るイビキが止まった。老魔導士フィーヴァーが、やっと目を覚ましたらしい。素っ頓狂な叫びが飛んで来る。

「さっきまで、白鷹騎士団の事務の2人と話していたと思うが、彼らは何処へ消えたんじゃ!?」

*****

朝の、いつものアレコレを済ませた後。

怪奇な殺害現場となっていた中二階の片付けが済み、忌まわしき祭壇も隅々まで調査のうえ、今朝にも運び出して、礼拝堂の所定の場所で特別な清めの儀式をおこなうとの事で。

老魔導士フィーヴァーと少年2人、それに白文鳥アルジーと火吹きネコマタとで、連れ立って、現場を再訪問したのだった。

最寄りの厩舎広場。明け方の雨は早くも上がっていたが、石畳はまだしっとりと濡れていた。

2頭の《精霊象》が象小屋から出て来ている。

前にも見た事のある2人の《象使い》、老女ナディテと壮年男ドルヴに綱を引かれて……《精霊象》は、足の怪我のリハビリを兼ねて歩き回っていた。 《精霊象》たちは早くも、同じ精霊(ジン)である火吹きネコマタに気付き、ついで、半分ほど精霊(ジン)である白文鳥アルジーにも気付き。

『そろそろ来る頃だと思ったよ』

長い長い象の鼻を、ちっちゃな火吹きネコマタと白文鳥アルジーに、順番に寄せて来た。

2人の《象使い》も気付いて、アレアレ、という顔をする。身じろぎのたびに、《象使い》専用の、幅広の襟飾り……エスニックな多色ビーズ編みの襟飾りが、相応の重厚な音を立てた。

「この間も来てた新顔の精霊(ジン)だね、白文鳥さん」

「白文鳥なんて、この辺には渡って来ないもんだと思ってたが。昔はどうだったかな? 聞いた事ありますか、ナディテ婆さま」

「500年前は来てたらしいけどねぇ。おや、おはようございますじゃ、偉大なる老魔導士どの、それに殿下さんと……従者さん」

挨拶を交わしていると、白鷹騎士団の専属魔導士・老ジナフが、白鷹騎士団の所属の護衛騎士と共にやって来た。

魔導士・老ジナフの脇に、鷹匠ユーサーが控えていた。

――昨夜、色々あり過ぎたせいで、久しぶりのような気がする。

白文鳥《精霊鳥》アルジーは、早くも、鷹匠ユーサーの肩先に止まり、ホンワカ、まったり安心した気分になったのだった。

鷹匠ユーサーの手甲と皮手袋を定位置とする、白タカ《精霊鳥》ノジュムが、訳知り顔で『おはよう。昨夜は色々あったようだな』と挨拶して来た。

セルヴィン少年とオーラン少年は、いっそう気持ち良さげに「ふわもち」になった白文鳥を眺め、それぞれに少しずつ首を傾げている。

「やっぱり、鷹匠ユーサー殿が良いのか……」

「ユーサー殿は一時期、白文鳥《精霊鳥》の高灯籠の管理も、代理でされてた事が……」

――ゴメンよ! なんだか鷹匠ユーサーのほうが、雰囲気とか、霊魂から出ている不思議な波長か何かが、合う気がするの!

半分は人類とは言え、精霊(ジン)の特有の感覚に引きずられている白文鳥アルジーなのであった。

白鷹騎士団の紋章の額当を装着している魔導士・老ジナフが白文鳥アルジーを眺め……少し小首を傾げた後、納得したような顔になり。あらためて、老魔導士フィーヴァーへ、声をかける。

「大魔導士どの、ご足労いただきまして。これより例の黄金祭壇を運び出しますので、御立ち合いのほどを」

「いやはや、老いぼれ魔導士で構わん。先ほども寄る年波か『立ち眠り』をやらかしてのぅ」

「どうやって直立不動の姿勢を保つのか……『毛深族』では無い我らには、永遠の謎でございますよ。さて、かの問題の黄金祭壇の件ですが、相当の重量がございまして。《精霊象》運搬といたしました」

「やはり、そうなったか。巨人族も怪力じゃが、残念ながら彼らには、極めて慎重を要する運搬作業を任せる事はできん。各所の破損など、日常茶飯事じゃからな」

申し合わせが済んだところで……訳知り顔で、壮年の《象使い》ドルヴが、相棒の若い《精霊象》ドルーをポンポン触れて、指示をし始めた。

若い《精霊象》ドルーが、精霊(ジン)ならではの不思議な魔法でもって、ロバと同じくらいの大きさに縮んでゆく。

生前に、それ程《精霊象》を見た事が無かった――シュクラ王女アリージュ姫あらため白文鳥アルジーは、仰天して注目するのみだ。

『身体サイズ変化できるの!?』

『同族の中では定番の精霊魔法だよ。小さくなるのは、ギュウギュウに身を縮めるのと同じで、違和感がすごくなるんだけどね。 パッと回転すると、倍速でパパパッと回転してしまうから、いつもより、ずっと、ゆっくり動くんだよ』

そう言いながらも好奇心も相まってか、《精霊象》ドルーは協力的だった。相棒ドルヴが引綱をとってリードし始めると、おとなしく付いてゆく。

現場には、若干数の見張り衛兵や騎士たちと共に、毎度、護衛オローグ青年とクムラン副官が控えていた。近くで、ヒゲ面の生真面目な中年バムシャード長官と、中二階の初老の管理人がヒソヒソ話をしている。

特に力自慢と見える、筋骨隆々の衛兵や騎士が黄金祭壇に取り付き、声を出し合って、慎重に持ち上げ始めた。

「1、用意。2、3で、そら行け!」

「こらしょ!」

黄金祭壇が程よい高さへ持ち上がり、下に出来た空隙へ、ロバほどの大きさに縮んだ《精霊象》ドルーが、器用に潜り込んだ。

相棒の《象使い》ドルヴが「よーしよし」と声を掛けながら、黄金祭壇の取り付け位置を調整する。《精霊象》ドルーは、その背中へ祭壇が取り付けられている間、おとなしい。

――その、ふとした一瞬……

祭壇オブジェの底面の端から、糸のような何かが、細くキラリと光りながら垂れ下がった。

――感覚の鋭い《精霊象》ドルーは、見逃さなかった。

『垂れ下がってるよ、お祓いの済んでないモノが』

火吹きネコマタが金色の目をピカッと光らせ、ネズミを捕らえるネコそのものの素早さで、飛び掛かる。

パチパチと魔除けの火花が散った。ちょっとした爆竹のように。

邪霊成分の残りカスが漂っていた様子だ。

仰天する一同……白文鳥アルジーも、鷹匠ユーサーの肩先で「ピョン!」と飛び上がったほどだ。

白タカ《精霊鳥》ノジュムが、鋭い視力で即座に気付く。

『銀髪だぞ、それ。一瞬だが《銀月の祝福》の微小な欠片が光った』

『うむ、間違いないニャ。微小すぎて《怪物王ジャバ》が取りこぼした部分ニャネ』

手乗りサイズのちっちゃな赤トラの子ネコ……その実、高位《火の精霊》である火吹きネコマタは、華麗な身のこなしで、シュタッと床に降り立った。 元々《火の精霊》。マジカル曲芸そのものの空中回転と、着地。

そして、ちっちゃなネコの手から、そーっと、銀色の細いスジを垂らした。

若い《精霊象》ドルーが慎重に象の鼻を持ち上げ、ひと筋の銀髪の周りをフンフン探り始めた。 パッと見た目、何らかのにおいを嗅いでいるようだが、その実、霊魂の名残のような何かを捉えようとしているのだ。

『白文鳥に憑依してる霊魂アリージュと同じ色をしている……いや《銀月の祝福》は共通だけど別人かな。別人だよね』

長い象の鼻を不安そうに震わせ、多少うろたえながらも、《精霊象》ドルーは落ち着きを取り戻した様子だ。そして、白文鳥アルジーの周りを探り始めた……おそらく霊魂の波長のような何か、の再確認。

『霊魂アリージュは、間違いなく《鳥使い》で、ジン=アルシェラトによる千夜一夜の魔法が掛かってる。祭壇に残っていた謎の銀髪には、《鳥使い》の気配は無いし、 その他の《精霊使い》の気配も無い。千夜一夜の魔法の気配も無い。ふうぅー。別人のものだね』

――精霊(ジン)は、霊魂の波長のような何らかの要素から……人物の背景を読み取れるのだ。不完全な精霊である白文鳥アルジーにとっては、あまりピンと来ない感覚だけど。

老魔導士フィーヴァーが慎重に近づいて、火吹きネコマタに、目線で尋ねる。火吹きネコマタの「了」の身振りを確認し、老魔導士は、ゆっくりと銀髪を手に取った。

「これは間違いなく、生贄にされた哀れな犠牲者の遺留物じゃよ。これまでの調査では気づかなかった部分じゃろうが……魔導士ジナフ殿」

「恥ずかしながら」

呆然とし恐縮するばかりの魔導士ジナフへ、老魔導士フィーヴァーは鷹揚に言葉を継いだ。

「いや魔導士としての不備では無いぞ、元々この邪霊祭壇の隅々の調査は、礼拝堂の専用の調査所へ運搬した後の作業となっておったのじゃ。 余計な邪霊を近づけないのが最優先ぞよ……《象使い》ドルヴ殿、速やかに、じゃが慎重に運び出してくれよ」

「承知でございます」

壮年の《象使い》ドルヴは、斬首スタイルの生贄の儀式が本当に実施されていた、という決定的な証拠を目撃して……少し青ざめて震えていた。

そして……ゆっくりと、《精霊象》ドルーが動き出した。

力強い《精霊象》の背中には、黄金祭壇がシッカリ取り付けられてある。 妙な挙動をしそうな疑わしい要所・要所は、《火の精霊》の退魔紋様を織り込んである紅白の風呂敷で、封印済みだ。

着実な運搬でもって、生贄祭壇が、中二階の外へと運び出されてゆき……

強烈な直射日光を受けた瞬間、邪霊祭壇から、邪霊成分の欠片――忌まわしくギラつく黄金のモヤが、ザッと沸き立った。無害な砂ぼこりとなって、折からの風に流される。

今さらながらに、白文鳥アルジーは、《怪物王ジャバ》を称える黄金祭壇が地下深く、暗く湿った場所に設けられてきた理由を、シミジミと納得したのであった。

黄金祭壇が置かれていた元の場所では、おこぼれを狙う邪霊害獣《三つ首ネズミ》の小さいのが、異次元の隙間から這い出て来て、チョロチョロと動き回った。

かねてから警備していた衛兵たちや騎士たちが、退魔紋様の三日月刀(シャムシール)や短剣でもって、次々に余計な邪霊害獣を退魔調伏してゆく。 あちこちに、退魔調伏後の無害な熱砂のカタマリが出来て行った……

…………

……

厩舎広場まで到達したところで、《精霊象》ドルーは本来の大きさに戻った。封印済みとは言え、背中に忌まわしき物体が存在することは気になるらしく、長い長い鼻でもって、しきりに黄金祭壇の周囲を探っている。

人類の相棒でもある《象使い》ドルヴが忙しく周囲を駆け回り、《精霊象》の装備を整え……改めて、引綱を持って《精霊象》を牽き始めた。 仕事仲間を心配していたのであろう老女《象使い》ナディテが出て来て、《精霊象》ナディと共に、黄金祭壇に目を丸くしている。

「大丈夫だ、落ち着け、相棒。さぁ聖火礼拝堂へ運ぶぞ。婆さま、あとをよろしく」

いつしか、近くの噴水プールからは、居合わせていた全ての《精霊亀》が、ヒョコリヒョコリと目鼻を出して、邪霊崇拝の祭壇の運搬の様子を注目していた。

老魔導士フィーヴァーが適当な日陰のベンチに座り、白鷹騎士団の専属魔導士ジナフを手招きする。もう一方の手に、シッカリと、黄金祭壇の底面から出て来た、ひと筋の銀髪をつかみつつ。

「さて魔導士ジナフ殿よ。少し議論しようぞ。この銀髪じゃが、哀れにも生贄にされた人類のもの……という見立てに、異論は無いかのう」

「はい、右に同じでございます」

モッサァ白ヒゲが見事に爆発している『毛深族』老魔導士フィーヴァーに比べると、魔導士ジナフは老齢ではあるものの、均整の取れた体格、物静かな印象である。 戦士ターバンに、白鷹騎士団の鷲獅子グリフィン紋章のある額当を装着しているため、黒衣の魔導士というよりは、黒装束の老騎士だ。

ごく自然に、捜査会議の要員が近くに控える形になり。

鷹匠ユーサーも、ひっそりと入り混じる。

白文鳥アルジーは、ユーサーの肩先で、2人の魔導士の専門的な議論を傾聴する態勢になった。

鷹匠ユーサーの手甲に腰を落ち着けている白タカ《精霊鳥》ノジュムが、気づかわし気な眼差しを投げて来る。

『あれは《銀月の祝福》の銀髪だ。見ず知らずとは言え《鳥使い姫》と同じ状況の人物。衝撃が強すぎるようであれば、すぐに言ってくれ』

『ううん、大丈夫よ。だって私、もう死んでるから』

『……なにやら、白文鳥パル殿は、大胆すぎる説明をしたようだな』

何故か、恐れ入ったように目をパチクリさせた、白タカ《精霊鳥》ノジュムであった。

老魔導士フィーヴァーと、白鷹騎士団の専属魔導士ジナフ老の議論はつづいた。捜査会議の面々が、興味津々で耳を傾けている。

「犠牲者つまり、この毛髪の持ち主は、男か、女か。『毛深族』体毛では無いゆえ、ワシには読み取りにくい。女と推測するところじゃが」

「私の見立ては男です。と申しますのは、祭壇の表面を流れていた血液の分析で。《火の精霊》の精密読み取りにかけたところ、血液の赤み濃度が男であるとのことで」

「おぉ、そうじゃったのか。あの後、《火の精霊》の協力を得られたのじゃな」

「邪霊の痕跡を相当に嫌がっていましたが、何とか。何やら『罰ゲーム』というような《精霊語》が聞こえてまいりましたよ」

精霊(ジン)たちの近ごろの流行語であるらしく、魔導士ジナフ老は、生真面目な顔に戸惑いの色を浮かべた。

「よほど『禁断の熟成』が進んでおるのかのう。では、次は、この辺りで銀髪を持つ結婚適齢期の男が居たかどうかじゃな。 これも邪悪な事じゃが、生贄の年齢層は、男女ともに7歳から25歳。邪霊の影響の強すぎた城砦(カスバ)で、今でもハーレム婚や夜伽を可能とする年齢層――として残っておるな」

「目下、事情を言い含めた調査員たちに、ジャヌーブ城下町の住民の再確認をさせております。候補の一人は、ご存知、最近行方知れずの、かの皇帝の酒姫(サーキイ)アルジュナ殿でございますが……」

「ううむ」

その場に、微妙な空気が流れたのだった……

*****

正午に近い頃合い。

城門前広場――日常の小さな市場が立っている。

日常の物流を担う小規模な隊商(キャラバン)が、ひっきりなしに出入りしていた。大型ラクダや象や馬よりは、暑熱と乾燥に強くて小回りの利く、中小ラクダとロバのほうが主流。

珈琲つきの昼食を出す屋台。バシール夫妻が、ゲッソリとした顔でベンチに座り込んでいた。相席しながらも、不思議そうな顔をした商人仲間――ネズミ男ネズル夫妻と、南洋の船乗りシンド。

城門前広場で日常の市場(バザール)が運営されている。安価な惣菜や一皿料理、衣服の洗濯や修復、包丁研ぎサービス等を提供する行商人・小商いの屋台が多い。 《邪霊害獣》退散の護符の張替えを担当する下級神官や礼拝堂の事務員も出張って来ている。

あちこちに、魔除けと監視を兼ねた《火の精霊》聖火祠。

目下、バシール夫妻には、切れ目の無い行動監視が付いていた。行く先々で、聖火祠に《火の精霊》ネコミミ炎が順番にポツポツと並ぶのだから、理由を知る2人にとってはギョッとする事この上無い。

白髪混ざりながら、それでも見事な赤毛をした中年の商人バシールが、ぬるくなった珈琲をゴクリと飲み欲し、ブツブツとボヤいた。

「あの巨人族アブダル、ラーザム財務官の死亡の直後、近くにいた疑わしい人物って事で俺らを詰所へ縛り付けただけじゃ無くて、手あたり次第セクハラ仕掛けてたってのかよ」

「なんと、災難だったがや。俺たちに相談してくれれば……いや、それどころじゃ無かったかや」

相席しているネズミ男ネズルと、船乗りシンドが、順番に溜息をついた。

小柄なネズル夫人が、南洋沿岸アンティーク物商ネズルと調子を合わせるかのように高い鼻をピクピクさせ、甲高い声で突っ込んだ。

「だから言ったでしょがッ。巨人族アブダルが、その辺ウロウロしてる時は気ぃ付けなってッ。あの性欲ジャバジャバ、発情したら、女だろうが男だろうが襲うよって噂だったんだからッ」

「俺らも、あの宴会での契約締結に備えた事前の夜間商談の途中で、商談相手ごと別の詰所へ引っ張られて、『ラーザム財務官を殺害してたのか』とか何とか、延々と事情聴取されてたからなぁ。 なんか急に化けて出たっていう《人食鬼(グール)》騒動で、緊急避難的に、別の衛兵が解放してくれたが」

「俺もだ。巨人族アブダル配下とは別の、話の分かる衛兵が、解放してくれたんだった。ヤケ起こして、宴会では深酒しちまったけど」

ネズル夫人とバシール夫人は、男たちの深酒には批判的だ。バシール夫人が、早速ブチブチと文句を言い始めた。

「バシールったら、あんた深酒したうえに、いつの間にか変な催眠術セットの大麻(ハシシ)を盛られてオカシクなったりしてさ、ホント、どうなるかと思ったよ、あたしゃ」

ネズル夫人が素早くピコピコと頷きながらも、しきりに首を傾げている。

「あれは不可解だったわねッ。酔い覚ましの水を持って来てくれた給仕の美少年が居たけど、あの水の中に、なんか盛られてたのかしらねッ」

南洋の船乗りシンドが、おや、と言うように身を起こした。

「給仕の美少年? そりゃ初耳だよ、ネズル夫人」

「色白の、ちょっと見ないような美形だったわねッ。ユーラ河の辺境から来たとか……王族か豪族の子弟って感じでッ。 魔導士を目指してて帝都での学費のために給仕やってるとか何とか、感心してね、ちょっとチップ多めにやってたんだわッ」

バシール夫人はベールを整えながらも、チラチラと、聖火祠のネコミミ炎を気にしていた。さすがに、同業者仲間との気の置けない雑談は聞き逃してくれるのでは……という期待を込めながら。

「アブダル殺害現場で、4色の毛玉ケサランパサランに埋もれてた本人の死体、バッチシ目撃しちゃったけど、今でも訳が分からないんだよね。 あのクソ野郎デカブツ戦士アブダルが、女《亀使い》さんを痴漢してたってのは聞いた事あるんだけどさ」

「実話や、それ。女《亀使い》を痴漢。取次業者ディロンが、シッカリ確認して仕入れてきた話だから、間違いない」

ネズミ男ネズルが力強く同意し、バシール夫人は「ふぅん」と言いながら記憶を掘り返した。

「あー、そのせいかな? あたし、その女《亀使い》さん知ってる。新婚だったかな、出産育児の資金貯めてるって聞いたし。 相棒の《精霊亀》甲羅の脱皮の断片、割とサイズが大きくて欠陥も少ない良い状態だったから、色付けて買い取ったんだよ。あんたも覚えてるだろ、ジャヌーブ海岸の馴染みの工房組合さんの」

「新しい護符アクセサリー注文の件だったか。そうか。砦でも良い《精霊亀》甲羅があったら調達しとこうって事で、話をまとめてたからな」

「うん、確か、その取引で割と……日数と時間いただいて金額交渉して決済してたんでさ、アブダルが期待していたタイミングに、その女《亀使い》が現れなかった、という状況があった気がする」

ネズミ男ネズルが、『完全に理解した!』という顔になり、身を乗り出した。

「陰湿で嫌なヤツだったやで巨人族アブダル。絶対それが原因や。恋路だか欲望だか、その邪魔の排除や。奥さんが女だから、ついでに性的嫌がらせ手出しする気になったんだや」

南洋の船乗りシンドも、異論は無いとばかりに、浅黒く日焼けした頭を大きく上下した。

「筋の通らんマウント行動に走るよな、性質の悪い巨人族は。知り合いの船乗り仲間からの情報なんだが、南洋の『巨人の島ジャヌー』から、 もっと陰湿な巨人戦士が渡海して来たそうで、最近、取扱注意の警報が回ってる。巨人族の半数は、ギムギン殿みたいに常識的な範囲で付き合えるんだが、頭痛が痛いところだ」

「面倒なデカブツが新しく出て来てんの? まして就職活動中? そいつ誰さ」

南洋の船乗りシンドは、再び珈琲に口を付けた。やや食い気味のバシール夫人を「まぁまぁ」となだめつつ。

「名前……何だったかな。『ジャムバ』とか『サンバ』とか、熱帯ジャングルの陽気な祝祭パレードと似た名前。だけど、すげぇ陰湿。 捕らえた毛玉ケサランパサランを、手の中でゴリゴリ粉々にするとか、過剰殺戮が好きって感じだ。 額に不気味な刺青(タトゥー)、『邪眼の』アレだな。ターラー河船に乗って帝都へ上京して行ったけど、あんな陰気な奴、雇うのが居るのかな」

「案外、雇い主は居るかも知れねえだや。かの伝説の、世界の屋根なる山脈《地霊王の玉座》の横たわる東方に」

ネズミ男ネズルは眉根を寄せ、本物のネズミみたいに警戒で鼻をピクピクさせた。赤毛商人バシールが、思わず口を差し挟む。

「前にも話してた、東帝城砦の――東方総督トルーラン将軍とか?」

「そうなんだや。あの人、えらい美々しい容姿だし宮廷の高貴な女たちからの人気も高いけど、ふとした折に、ぞーっとするくらい陰険な目付きになるんだや。 こっそり邪霊崇拝してるような悪逆非道な巨人を喜んで飼う悪趣味を持ってても驚かないや、このネズルは」

そうしているうちに、市場(バザール)の向こうを、派手な真紅と黒のシマシマの、ポンチョさながらの貫頭衣ドレス姿が通過してゆく。袖ナシ、左右の脚部に長いスリット。

南洋の船乗りシンドが、ハッと息を呑み、そちらへ注目の視線を投げる。

「あれは。噂をすれば巨人族アブダルの愛妻どのだ。近ごろは別居中だったそうだが、最近、アブダル割り当ての居住区に戻って来ているとか……巨人族の女だけあって、筋骨隆々の巨体だな」

ネズミ男ネズルと、小柄なネズル夫人が、まさにネズミさながらの動きでキョロキョロとし……話題の人物を捉えて、鼻をピクピクさせた。

「大きすぎる女だわねッ。それに噂どおり官報どおり、巨人族の男女共通の黄金肌に、巨人女は全員、何故か共通して銀髪って。彼女も確かに、お見事な銀髪ねッ」

「デリラ、って名前だったがや。巨人女だけに胸板がスゴイ逞しい、重量挙げ大会で優勝しそうな筋肉モリモリ太腕に、巨岩をも砕く筋肉モリモリ太腿(ふともも)ってとこだや」

「ウソかホントか、単身、砂嵐と共に出現した大型の三つ首《人食鬼(グール)》を、色仕掛け格闘技の一式で退治した実績があるとか」

「顔だけは、巨人男と釣り合わないくらいに、銀髪の美女ってとこなのに……色気よりも、あの巨体の、極太の腕と脚とでブチ殺されそうな恐怖を感じる。あな恐ろしや」

そこで不意に、バシール夫人が『パッと閃いた』という顔になった。

「あー、なんかさ、くだんの女《亀使い》が歴史に詳しくて少し聞いたんだけどさ。巨人女が銀髪なのは《銀月の精霊》が関係してるって。 邪霊崇拝お盛んだった超古代の頃に、巨人族の女のほうだけで、《銀月の精霊》と取引したとか。《銀月》崇拝の祭祀儀式をやる対価が、銀髪。 いわゆる《銀月の祝福》とは違うそうだけど、銀色の毛髪はキレイだし、珍しいから目立つわよね」

「超古代の頃の魔法の取引かや。何を取引したんだかや?」

南洋の船乗りシンドが、当意即妙に応じる。

「南洋諸島で割と知られてる神話伝説があってな。《銀月の精霊》は新月・半月・満月の三相を持つ。巨人族の女たちは、超古代の或る時期、半月のもとで祭祀の儀式をやり始めた。半月の相と取引したんだろうな。 不思議な事に、その後《怪物王ジャバ》が退魔調伏されたという事になっている」

「巨人族が邪霊崇拝だったり聖火崇拝だったり、曖昧なのも、その辺にありそうねッ。新月の相と満月の相は? どこの誰と、どういう取引をしたのかしらねッ」

「その辺は精霊にでも聞いてみないと。南洋の諸民族に巨人族のアレコレが伝わってるのは、『巨人の島ジャヌー』が南洋諸島の中にあるからだよ」

やがて話題が変わり、商人仲間の雑談は、少しずつ落ち着いていった……

…………

……

実際は、商人仲間の談話は、聖火祠のネコミミ聖火となって燃えている《火の精霊》によって、記録されていた。精霊(ジン)の流儀で。

*****

――《精霊象》ドルーと、相棒の壮年《象使い》ドルヴが、特に選抜された退魔対応の衛兵たちに護衛されつつ、聖火礼拝堂へと入ってゆく。

その興味深い一行を眺めながらも。

白文鳥《精霊鳥》アルジーは、すこぶる「プンスカ」であった。礼拝堂の特別な場所でおこなわれるという生贄祭壇の詳細チェックには立ち会えない、と告げられて。

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深森の帝國