深森の帝國§総目次 §物語ノ傍流 〉鳥使い姫と魔法の鍵

鳥使い姫と魔法の鍵*~千夜一夜ファンタジー

ストーリー制作メモ

執筆(プロット作成)開始メモ=2020.01.05

舞台モデル=千夜一夜ファンタジー異世界

■ファンタジー部分の特殊設定

超古代に失われた高度文明の世界《精霊魔法文明》があった。 いまは特に邪霊と呼ばれている、強大な人外種族(怪物など)が支配する《魔法》の時代。人類は被支配種族として捕食される側であった。

古代に人類の中に出現した勇者が怪物王を退治、調伏に成功した。邪霊による支配が終わり、現在は人類繁栄の時代。 精霊・邪霊・怪物の種族すべて弱小になり、人類が編み出した《ジン》操作技術《魔導》に沿って動くようになる。

■ファンタジー部分の特殊専門職、上位の職業から順に:

(1)魔導士=黄金色の《魔導札》、《魔導陣》を使い、精霊・邪霊を強制的に操作。邪霊討伐の際の戦力ともなり、聖火神殿のお抱えの他、帝国軍でも活躍する。

(2)霊媒師=《精霊文字》や《護符》を使い、穏やかな性質の精霊に協力依頼。「よく効くオマジナイ」程度であり、ほとんどの場合、町角の占い屋や民間医療師などとして生計を立てる。
なお「青衣の霊媒師」は特別に《精霊魔法文明》知識が豊富であるため、超古代の知識を保持する諸国や豪族の宮廷の間では、賢者・相談役として重用されている。

(3)精霊使い=《象使い》《亀使い》《鳥使い》の3種。
《象使い》…土木工事や、超重量の運搬業メイン。工事現場ではお馴染み。
《亀使い》…水路メンテナンス専門。噴水・水道・地下水路などで、お馴染み。
《鳥使い》…白タカ《精霊鳥》や白文鳥《精霊鳥》の世話係として生計を立てるのが多い。《精霊語》能力はトップクラスだが、《魔導》が発達した現代では存在意義が薄く、数が少なくなっている。

本文

■16■帝都から来た悪童の、朝につづく昼と夜

帝国の南方領土の要、ジャヌーブ砦は雨季を迎えていた。

昨夜の驟雨を受けた早朝の大地は、シットリと濡れている。昼日中の陽光と暑熱で、あっと言う間に乾燥する見込みだが……

階段状の居住区を擁するジャヌーブ砦は、上の階層に宮殿や軍人・役人たちの区画があり、下の階層に砦の日常を支える非戦闘員たち住民の区画がある、という構造である。 老魔導士フィーヴァーの詰める医療区画は、その中で、中の上ほどの位置に設置されていた。

極め付きの変人という、おかしな理由で帝都から追放された……いわく付きの老魔導士に割り当てられた滞在部屋は、番外皇子セルヴィンの体調管理も含めて、 重傷者仕様の入院室や、診察を兼ねる談話室などと続き部屋になっている。

番外皇子セルヴィン殿下は、生贄《魔導陣》の作用でもって、異常な虚弱に見舞われているところ。 最近は軽快してきたものの、体調不良の完全な解決には程遠い……かつての人類アリージュ姫=アルジーが生贄《魔導陣》で呪われて以来、頻繁な体調急変に悩まされていたのと同じように。

白文鳥アルジーは、朝の小鳥の習慣――水浴びを念入りに済ませた後、まだ朝焼けの色を残す空を見上げた。

砦の周りは乾燥した岩山砂漠が広がっている。標高の高い部分は、ほぼ禿山の群れというべき、ゴツゴツとしたスカイラインを形づくっていた。

早朝の空を舞う、勇壮な鳥影。

夜明けの狩りに出かけて食事を済ませ、そして帰って来る白タカ《精霊鳥》たちだ。

しばらく眺めていると、そのうちの一羽が、白文鳥アルジーの居る談話室の大窓へと、素晴らしい速度で急降下し始めた。 最後の一瞬に速度をゆるめ、ふわりと、窓枠の、白タカ専用の出入口に器用に着地する。

白鷹騎士団の中堅ベテラン騎士のひとり、鷹匠ユーサーの相棒を務める、白タカ《精霊鳥》ノジュム。

談話室へ入るや、ベテランならではの風格ある白タカは、定位置、窓近くのスタンド式ハンガーに腰を据えた。 部屋の定番の調度、ドリームキャッチャーが吊るされているスタンド式ハンガーだ。

『朝が早いな、銀月アリージュ』

『白文鳥の身体に入る前は、市場(バザール)の民間の代筆屋だったもの。朝早くから代筆文書の注文チェックやってたし。例の呪術のせいで体調安定してなくて、 余分に時間を取らないと、普通の人なみに仕事できなかったからね』

『道理で、昨夜セルヴィン皇子が倒れた時も、落ち着いて「寝台に入れ、霊験あらたかな茶を飲め」と、指示できる訳だ』

『いつか全部の問題にケリ付いたら、こんな禁術で私を呪殺して、いまのような亡霊に変えた従兄(あに)ユージドを、おキレイな顔の形が変わるまで殴り倒してやるわよ。 罰当たり夫トルジンもね。市場(バザール)の裏路地の流儀で』

改めて怒りと決心を新たにしつつ、真っ白モコモコ小鳥の巣のうえを、ドスドスと歩き回る白文鳥アルジーであった。

……白タカ・ノジュムは羽づくろいしつつ、こっそりと恐れ入ったように呟いた。アルジーには聞こえない程度の、小声で。

『精霊界の厳しい制約のもと、真実は教えられないが。かの《銀月のジン=アルシェラト》が、ガッツリ見込んで祝福した人類を、怒らせるものじゃないな、まったく』

*****

程なくして、朝食を済ませた老魔導士フィーヴァーが談話室にやって来て、魔導士の定番の装束である黒い長衣(カフタン)を整え、往診カバンを準備し始めた。

「今日の捜査が始まる前に、大急ぎでカムザング皇子の往診を済ませてしまおう。昨日の中庭での経緯を聞く限りでは、骨折多数および神経衰弱と思われるがのう。 帝都皇族ならではの強力な《護符》が全く役立たず、それ程の重傷者となってしまったという怪異現象の原因を、突き止めておかねば」

「私も同行させてください」

「ふむ!?」

意外にキッパリとした様子で、セルヴィン皇子が申し出たのだった。顔色は本調子では無いものの、琥珀色の目に浮かぶ強い光は、反対があっても退(ひ)かぬという雰囲気。

「帝都の目もあるので。中庭であれだけの騒動があって、お見舞いに行かないほうが不自然に思われる」

「成る程。宮廷事情というのも難儀なことじゃ。ということは、リドワーン殿も?」

奥のほうで、すでに紅衣を整えていたダークブロンド髪のナイスミドル神官が軽く頷いて来た。元々カムザング皇子の従者という建前で、お忍びして来たという事情があって、 紅衣は一般的な神官のものだけど……とことん、ヒラ神官に見えないヒラ神官だ。

程なくして、護衛オローグ青年と共に、キッチリ覆面ターバンを整えたオーラン少年が加わって来て。

一同、カムザング皇子のもとを目指したのだった。

老魔導士フィーヴァーを先頭とする一同は、城壁沿いの道を延々とたどって行き、階段をいくつか登って行った。

白文鳥アルジーは、覆面オーラン少年の相棒の白タカ《精霊鳥》ヒナ・ジブリールの足元に隠れる形で、コッソリと同行した……

鷹匠ユーサーと鷹匠ビザンは、白鷹騎士団の用件があって席を外している。この後の予定すなわち、違法な賭場が開かれていたのではないかとの疑惑のある、中二階の捜査の事前準備のためだ。

――宮殿のある高層の区画。

その中でも特に豪華絢爛な装飾に彩られた区域に、カムザング皇子の宿泊用の部屋があった。しかも複数の間取りを贅沢に占有する、続き部屋だ。

ジャヌーブ砦でも高い位置に設置されている、区画ゲートをくぐる。

カムザング皇子のための専用区画を、帝国軍の中でも特に上等な、お揃いのお仕着せをまとう護衛、兼、従者たちが警備していた。 半数ほどは、家筋の良いところの、カムザング皇子と同じようなボンボンという雰囲気。

――その手の、おべっか使いや取り巻きが、ほとんどだ。

白文鳥アルジーは、罰当たりな夫である御曹司トルジンの親衛隊……その実、色とりどりの称賛や、おべっか使い担当であった取り巻きメンバーの雰囲気を思い出して、達観の溜息をつくのみだ。

所定の作法にしたがって、美形だが頭の空っぽそうな少年1名が出て来た。先触れとして、老魔導士フィーヴァーの一行を案内し始める。

幾つかの仕切り扉を過ぎ――見覚えのある、あの贅沢すぎる錠前付きの扉へと、到達した。カラクリ人形アルジーがカムザング皇子を投げ飛ばした、あの寝室を続き部屋として持つ、皇族専用の間取りの……

先触れを務める少年1名の呼びかけに応じて、過剰に派手な宮廷仕様の長衣(カフタン)をまとう小姓が出て来た。 身分の高い皇子の小姓を務めるだけあって、相当の器用さを感じさせる美少年だ。セルヴィン少年やオーラン少年と、同年代。

「早朝から済まんのう、小姓どの。カムザング皇子の重傷の件を聞き、往診に参ったのじゃ。担当の医師は、当然、控えておられると思うが」

「いえ、それが! 白ヒゲ先生!」

帝国随一の名医という評判の、老魔導士フィーヴァーの見事なモッサァ白ヒゲを目にして、小姓は感極まったようにドッと涙を流した。

次の瞬間には小姓は、老魔導士へとしがみついていた。

「ぜぜぜ是非、診ていただきたく! 担当の医師どのには、もう理解不能な状況で! 恐ろしい呪術があるのでは、とのことで、お役を降りて行ってしまいまして! 老魔導士どのへ連絡されるとか、どうとか」

「ワシは、まだ連絡を受け取っておらんのじゃ。ということは、ワシのほうで思い立つのが早かったようじゃの。では、案内を頼もうかの」

「是非こちらへ。えぇと、セルヴィン殿下と、御付きの方も……」

一同は贅沢すぎる応接間へと進み入り……その奥の続き部屋となっている寝室のほうへと、案内されて行った。

小姓が、間仕切りとなっている贅沢な宝飾ビーズ製カーテンを透かして、主君カムザング皇子へ声をかける。

「老魔導士の、白ヒゲ先生が参りました。お見舞いの方も」

――返事は無い。代わりに、守護精霊を務める《火の精霊》が、部屋の照明となっている魔法のランプに「ポポン」と灯った。

『済まぬ。皇子カムザングは今むくれているのだ。現実を拒否している。身体が思うとおりに動かず、発熱も引かず、鏡を見て衝撃を受けまくったゆえ』

『……鏡?』

思わず、覆面オーラン少年の肩先で「ぴぴぃ」とさえずる、白文鳥アルジーであった。

寝室の間へ入るや、腐敗臭のような異臭が広がった。

備え付けの大窓や小窓を開けて風を通しているが、それでも雨季の湿気を含んだ空気の中で、ドブさらいの前のドブのような、いわくいいがたい空気が漂っている。

飲み水などを運ぶためであろう、付き添いの面々が数人ほど、口と鼻を手でふさぎつつ、控えている。全員が全員、腰が引けている状態だ。

「む、これは……! 禁術の大麻(ハシシ)患者のものじゃな、それも末期の……!」

老練な医師としての経験でもって、老魔導士フィーヴァーは即座に指摘した。サッと、寝台に接近する。

一方で、セルヴィン皇子や覆面オーラン少年、護衛オローグ青年、付き添って来たリドワーン閣下は、経験の無い腐敗臭に圧倒されて、呆然としている。

ちなみに忠実な小姓も素早く距離を取って、付き添いの面々に混ざってしまった。ビクビクしながら。

許可さえあれば、全員、すぐにでも異臭ただよう部屋から逃げ出そうという意欲満々だ。 部屋の外で警備をつづけている、お揃いのお仕着せをまとう護衛、兼、従者たちの群れに混ざるつもりでいる、という考えが読み取れる。

「ザッと診察させて頂きますぞ、第六皇子カムザング殿下」

老魔導士が、掛布団をめくる。

ドラ息子の全身は、骨折処置のための固定棒をくくり付けられた状態だ。担当した医師は、カムザング皇子の性格をよく知っていたようで、 勝手に固定棒を取り外せないように特製の石膏でガチガチに固めていた。

確かに、これでは、鼻をかくことさえ大仕事だろうという風だ。鼻をかくことは、可能だけど。

そして……別人のように衰えていた。若者らしい体格はすっかり失われていた。妙にタプタプしたボロ雑巾が骨格を取り巻いているという風だ。

――異様なガイコツ少年であった頃のセルヴィン皇子のほうが、まだ人間らしかった、というくらいに。

かなり激しい脱毛があったらしく、髪はボロボロに禿げた状態だ。毛髪そのものも、かつてのダークブロンドの輝きと艶を失い、藁クズよりもいっそう腐り果てた藁クズのような印象。

見えている肌の全体に、暗い色合いのシミが、マダラに出現している。《人食鬼(グール)》傷を思わせる異様な雰囲気。

顔面は、病み崩れた老人のように崩壊していた。クッキリとシワが刻まれた口元も、形がおかしい。何本か、歯が抜けてしまっているらしい。

ドラ息子なカムザング皇子は、口だけは良く回った。

「おいごぁ、老いぼえ! こぇを何とかしぉ、ふぐい! 変な呪術、だのの、せいなんだかぁな! ほぉのクズ皇子セゥウィン何ぁやったんだぉう、ほうとも、ほぅにゆがいない!」

老魔導士フィーヴァーはカムザング皇子の難癖を華麗に無視して、キビキビとした態度で問診を始めた。カムザング皇子が思わず口を閉じて注目するほどの、圧倒的な気迫。

「その前に確認させて頂きますぞ、カムザング殿下。大麻(ハシシ)を摂取した筈じゃが、どこで、どれくらいの量を吸ったのじゃ?」

カムザング皇子はギクリとしたように口ごもり、そして、わめいた。

「ほ、ほんなの、はんへいあぃか!」

「関係は大いにある、大いに。それが回復までの期間を計算するデータとなるのじゃからの」

やがて、カムザング皇子は「ぶすぅ」とした顔つきになった。発熱している割には、元気そうだ。帝都皇族の護符ならではの、強力な守護を感じる。

「……おもぇてない」

「成る程、覚えていないと。禁じられた黄金の大麻(ハシシ)を、人体の限界を超えて大量に摂取すると、このようになるのじゃが。 かつて潜入調査していた暗殺教団で、散々、観察した症例じゃ」

老魔導士フィーヴァーは続けて、往診カバンから、ハーブオイル類を詰める定番の大瓶を取り出した。

中身は、なめらかに流動するジェル状オイル。浮遊する微粒子が陽光を反射して、虹色の星々のようにキラキラと光っていた。

庶民向けの日常品を扱う市場(バザール)ではお馴染みの品だが、カムザング皇子は初めて見た、という風に目を見開いている。

「なんや、ほぇは?」

「どこにでもある庶民向けの常備薬の定番《虹如星》オイルじゃよ。原因が呪術系であるか自然系であるかを問わず、体調を整える。 長時間の労働のうえに、一日でも休むと生活が苦しくなりかねない、庶民ならではの高難度の要求に応えつづけて来たものじゃからの」

老魔導士は熟練の手業でもって、カムザング皇子の病み衰えた全身に、医療オイルを塗りたくった。

ベースとなっている量販の無香オイルは、元々は、全国の鉱山の地下各所で、安定して入手が容易な鉱油。 鉱脈や鉱床を形成する多種多様な《地の精霊》と《精霊亀》の反応による副産物であることが判明している。

専門の《魔導》工房で精製加工された無香オイルは、機械油・刀油など応用範囲が広い。定番の薬効成分を加えて、多少の精霊魔法でもって錬成したのが《虹如星》だ。 有効成分を含む各々の微粒子の反応により、多彩な色がチカチカと光り、虹色をした星々のように揺らめくのが、名前の由来。

各人の体質に合わせて、町角の医師や薬剤師が独自の薬効成分を新たに添加して、自家製・特製の医療オイルを製作するのも多い。

――早くも、得体の知れない刺激的な腐敗臭が、穏やかな性質のものへと変わった。

二日酔いをキツくしたような異臭だが、よく見かける既知のものに近い、耐えられるギリギリの範囲へと収まったのは大きい。

カムザング皇子自身も、その変化を感じたようで、驚きの眼差しをしている。

「済まんが、紗幕(カーテン)をもう少し開いてくれ。この診断は、直接の陽光を使う必要があるのじゃ」

小姓が驚いた顔をしながらも、紗幕(カーテン)を開く。

老魔導士フィーヴァーが、透明なレンズがハマった手鏡のような道具を取り出した。特大の虫眼鏡のようだ。ハマっている透明な面は、偏光ガラスのように、角度を変えるたびに反射色が変わる。

「ふむ……肉眼では消滅しているように見えるが……精霊魔法《偏光》を通すと、確かに小鳥の白い足跡スタンプが、ビッシリある。これは、精霊の目ではバッチリ見える代物じゃな」

確認するように、老魔導士は、クルリとこちらを振り返る。

セルヴィン皇子の肩先で手乗りサイズ招き猫よろしく鎮座する《火吹きネコマタ》が、「応」と言うかのように、2本のネコ尾をピコピコ振って返していた。

「呪術を発動するための『黄金の邪悪な印』が、ひとつも無い。徹底的に浄化済み、なおかつ聖別済みじゃ。実に信じられん。 穢(けが)れた毛穴という毛穴、秘孔という秘孔をすべて退魔調伏してある。これほど緻密で高度な精霊魔法を見るとは思わんかったのう」

「つまり、どういう事なのだ、老魔導士どの?」

作法どおりに紅の長衣(カフタン)をまとっているが、皇族ならではの堂々とした雰囲気があって、ヒラ神官に見えない中年ヒラ神官――リドワーン閣下が、そっと問いを投げた。

「禁術の大麻(ハシシ)成分がひとつも残っておらんのじゃ、幸運なことに。 かつて学んだ邪悪な知識が正しければ、いま此処で、カムザング皇子の頭部を食い破って邪霊の大麻(ハシシ)が成長してゆき、胴体はその苗床となって食い尽くされたであろう」

真っ青になって、アワアワとし始めるカムザング皇子。

モッサァ白ヒゲがなおも動き、不気味な解説は、つづいた。

「そして、邪悪な大麻(ハシシ)は暴走し、巨大化して、一帯を荒らす新種の怪獣へと進化した筈じゃ。 数多の隊商(キャラバン)を悩ませている忌まわしく巨大な怪物だの怪獣だのは、そうして出現して来るのじゃ。 傭兵団や冒険者、発掘探検隊、各地の城砦(カスバ)からの、怪獣退治や退魔調伏の報告も日々、帝都に届いている。アレじゃよ」

――カムザング皇子は、人の姿形を失って、化け物になるところなのだ!

それを悟った小姓、その他の付き添いの面々が、全員、全速力で、部屋の隅まで避難した。退魔紋様が刻まれてある、定番の護身用の短剣や、三日月刀(シャムシール)に手を掛けつつ。

速やかに、その場の緊張が落ち着いたのは、老魔導士フィーヴァーが相変わらず、冷静沈着そのもの――という様子だったお蔭だ。

「それが、禁術の大麻(ハシシ)を、限度を超えて摂取した者の末路。報告によれば《鳥使い》幽霊に襲われたとのことじゃが、感謝しても良いくらいじゃ、いや、 忌まわしき運命から救ってくれた命の恩人と崇めるべきじゃぞ。その護符の聖なる力が効いているのは、そのお蔭じゃよ」

「ぜんぜん、ひぃてないぞ! こんなグダウダなのに!」

「邪霊の大麻(ハシシ)に穢(けが)された毛穴という毛穴、秘孔という秘孔をすべて退魔調伏してあるうえに、帝国全土でも最強との定評のある、皇族のための護符の力が上積みになっているからこそ、 カムザング皇子は怪獣にならずに済んでおるのじゃぞ、このバカモン!」

老魔導士フィーヴァーの怒声が爆発した。

「診断を述べよう。耳かっぽじって、よく聞きたまえ! 禁術の大麻(ハシシ)のせいで健康を維持するための生命力さえ枯渇しておる。 ふざけた邪霊使いの技術なぞ用いて他人から生命エネルギーを奪い取ることは、もはや不可能じゃ」

「邪霊ふぁいなんぁ、やってない!」

「忌まわしき怪獣が1匹増えることに比べれば、そんな些細なことは、ドウでも良い。《精霊使い》に準ずる禁欲生活を始めたまえ。 暴飲暴食、大麻(ハシシ)、タバコ、不特定多数との夜の行為などは、徹底的に厳禁じゃ」

「ほんな!」

「羽目を外すたびに、護符に宿る守護精霊が剥がれてゆく。その身体は、荒廃と不健康と老衰のカタマリじゃ、子孫を残す能力すら失われておる。 閨(ねや)の中で絶頂に達した瞬間、心臓が止まろう。命数の枯渇は、現代医学でも、どうにもならぬ領域じゃよ」

「ハ、ハーレムの、ほうは……」

「50人以上の男女との性欲爆発の裸踊りなど、そんなクダラン妄想しておったのか。徹底的にドクターストップじゃ、もちろん。 大麻(ハシシ)だの、大麻(ハシシ)副作用による100種超えの性病の発症だので、『男の証明』が腐り落ちているゆえ、無意味な指示じゃがな」

老魔導士フィーヴァーはギラリと鳶色(とびいろ)の目を光らせ、老練な医師としての気迫でもって、第六皇子を見据えた。

「大神殿の最高位の医師として、緊急の監視入院を命ずる。カムザング皇子が発症しとる100種超えの性病の中に、空気伝染する種があれば厄介じゃ、帝国全土に厳重な防疫体制を敷かねばならん。 ワシの知る最悪の性病が含まれていたなら、すべての人類の男という男の股間のモノが、完全に不能になる。《怪物王ジャバ》が、その昔、人類の男を駆除するために発明した『地獄の呪病』ゆえ!」

その場に居た「生物学上オス」全員が絶句し、微妙に特定の位置を守るように、手を当てた。恐怖に青ざめつつ。

もはや動けずにいるドラ息子へ向かって、老魔導士フィーヴァーの容赦ない指摘が、なおも降り注ぐ。

「その他にも、魔導士のひとりとして、絶対に看過できぬ所業がある。他人を死に至らしめる《魔導札》を酒姫(サーキイ)アルジュナより入手した件、胸に覚えが有ろう。 5人の魔導士の若者が、急に居なくなった事実も。 宮廷の重鎮の筋より、カムザング皇子の皇族籍剥奪の相談を受けたアカツキには、ワシは、カムザング皇子の皇族籍を剥奪すべき、と意見しておくぞ」

――カムザング皇子は、白いシーツよりも真っ白になって、グンニャリと脱力したのだった。

*****

お見舞い品として、医療ハーブオイル《虹如星》の大瓶を、カムザング皇子の寝室に残して。

老魔導士フィーヴァーを先頭とする一同は、カムザング皇子の部屋を辞した。

そこで、戸惑った顔の小姓が、覆面オーラン少年を呼び止めた……

セルヴィン皇子が眉をひそめて制止しようとしたが。覆面オーラン少年は、『大丈夫』というような意味深な目配せを送った。

そして、白文鳥アルジーが摘まみ出され、セルヴィン皇子の手に移されたのだった……

…………

……少しの間――カムザング皇子の部屋の外をめぐる回廊の中、少し距離をとった位置で。

カムザング皇子の小姓と、覆面オーラン少年との間で、ヒソヒソ話のやり取りがつづく。

やがてオーラン少年が、覆面にしていたターバンを外した。かつてチラリと見えた淡い茶髪は、いまは微妙に黒さを増した茶髪になっていた。 かの《地の精霊》との守護契約が成立した証。いずれ兄オローグ青年と同じ黒髪となるであろう茶髪の中で、ひと房の銀髪が、いっそう目立つ。

オーラン少年の顔面には、老魔導士フィーヴァーによる設定と指示を受けた結果の、迫真の《人食鬼(グール)》裂傷……それを認めた小姓が、ギョッとしたように2歩ほど後退した。

程なくして。

不思議なヒソヒソ話が終了したらしい。オーラン少年が、再び覆面ターバン姿になる。

まだ納得しかねる、という表情をした小姓を残して……覆面オーラン少年が、戻って来たのだった。

「……もう、いいのか? オーラン」

「ハイ、セルヴィン殿下」

――いわゆる、「男と男の話し合い」だろうか。

セルヴィン皇子の手の平のうえで、白文鳥アルジーがヒョコリと首を傾げていると……

覆面オーラン少年の肩先で落ち着いていた白タカ《精霊鳥》ヒナ・ジブリールが、『あとで説明するよ』という風に、片目をつぶって来たのだった。

*****

思ったより早く、カムザング皇子のお見舞いが終わり。

老魔導士フィーヴァーを代表とする一同は、中二階の最寄りの定番の待ち合わせ場所で、虎ヒゲ・タフジン大調査官や、戦士マジード、 礼拝堂の魔導士、白鷹騎士団からの派遣メンバーなどといった、中二階の捜査チームと合流することになった。

定番の待ち合わせ場所は、砦の伝書局で管理している鳩舎のある、城壁沿いの広場となっているポイント。

近くに《精霊象》小屋や厩舎もあり、ちょっとした運動会が開けそうな場所だ。

複数階層を持つ建築物の間に、大判の紗幕が張り渡されていて、手ごろなパラソルとなっている。

都合よく日陰となっている窪み部分には、噴水の水を流すための水路があって、交代で待機中の数頭ほどの《精霊亀》が、ノンビリと泳いでいた。

目の前に、《精霊象》のための大きな象小屋が、デデンと立っていた。馬小屋や鳩舎が近くにあったが、象小屋に比べると、小さな人形の住宅さながらだ。

雑多なサイズの荷箱が並ぶ一角。適当な荷箱を選んで、老魔導士フィーヴァーが腰を下ろした。懐から紙束を取り出し、「カムザング皇子の担当医へ連携しておこう」と言いながら、要点メモを記し出す。

壁沿いの警備しやすいポイントに、セルヴィン皇子や覆面オーラン少年が並んで、ヒソヒソ話を始め……護衛オローグ青年は、聖火礼拝堂へ向かうというリドワーン閣下を護衛しつつ、立ち去って行った。

セルヴィン皇子の守護精霊――手乗りサイズの火吹きネコマタは、近くの高灯籠へと入り込み、そこに居る《火の精霊》と情報交換である。

ついでなので、白文鳥アルジーは、昨日の中庭の騒動で怪我をしていた2頭の《精霊象》を、お見舞いすることにしたのだった。

白文鳥アルジーは、白タカ《精霊鳥》ヒナ・ジブリールと共に、石畳をピョンピョン跳ねつつ、象小屋を目指した。

『差し支えなければ。オーラン君と、あの小姓は、いったい何を話してたの?』

『それぞれの主君と従者の……考え方について、というところだね』

白タカ・ジブリールは、片足を挙げて、頭部のフワフワをコリコリとやった。幼鳥の身体に残っている真っ白フワフワ産毛がかゆくなった様子。

『オーランは綺麗な顔してるから。ふとした際に、カムザング皇子に目を付けられて、小姓、兼、男妾として、引き抜きされたことがあったんだよ。 でも、あの小姓が何かと言いがかり付けて、追い出した。カムザング皇子の皇族特権のおこぼれを独り占めしたかったんだろうね』

『追い出されたオーラン君は、兄者オローグ青年に付き従う形で、兄弟そろって、セルヴィン皇子の従者になった感じ?』

『そう。オーランにとっては幸いだったよ。セルヴィン皇子が死にかけたうえにジャヌーブ砦へ追放された頃は、あの小姓は、 得意満面の絶頂期だったみたいだね。でも、このたび、カムザング皇子が、あんなことになって』

『オーラン君のツテでもって、主君を乗り換えようとしてたってこと?』

『だから、オーランは覆面を外して見せたんだ。従者として、こういうことあるよ、と、説明して。セルヴィン皇子が受け取った皇帝の命令書、知ってるよね。 ジャヌーブ南の廃墟すなわち《人食鬼(グール)》異常発生源へ突っ込む予定。この件に関して皇帝からの褒賞ゼロだけど、付いて来れる? と確認してた』

『推察するに、小姓くんは、主君を変える決心が付かなかったみたいだね』

『そういうこと。オーランの、スゴイ顔のアレは、設定上のペイント化粧だけど。人相が崩れた部下を、カムザング皇子は大事にしないだろうね。 ほかの、美形な小姓に取り換えて、すぐに捨てる。退職金も、ビタ一文やらずに。セルヴィン皇子とは違って』

白文鳥アルジーは、シミジミと納得するのみだった。

『そういえばカムザング皇子は、大麻(ハシシ)転売がバレた際、自分が無罪で逃げ切るために、手先として使っていた実働部隊の面々、暗殺だのなんだので口封じしておいて、 連座制でもって無関係な親族まで亡き者にしようとした、とか』

『皇族特権しかウリが無いんだよね、カムザング皇子。裏金ルート壊滅したし、皇族籍を失うのは確実。 ボクたち精霊にとっては、正直、ホッとする結果だよ、カムザング皇子にとっては不本意な朝につづく昼と夜の始まりだろうけど』

ちょっとビックリして、クルリと、白タカ幼鳥ジブリールを振り返る。もう目の前に、仕切りを超えて垂れて来ていた、《精霊象》の長い長い鼻が迫ってたけど。

『そうなの? あのカムザング皇子は、精霊たちにとって、そんなに害になる行動してたの?』

『大麻(ハシシ)転売ビジネス拡大の影響で、《精霊使い》の数を減らされてるんだ。 オーランも、あの小姓が偶然にも追い出していなかったら、カムザング皇子の異常性癖な夜の相手にされて、貴重な薔薇輝石(ロードナイト)を散らされてたよ』

『相棒となる《象使い》候補も、数を減らされていたねぇ。あの悪童カムザングに関しちゃあ、我ら、まったく同感よ』

長い長い鼻の穴から、《精霊象》の溜息の風がブワッと吹いて来た。

白文鳥アルジーは、コロンと転がってしまった。

『わ、ビックリした……傷の具合はいかが? あれは大物な《三ツ首サソリ》だったから……《精霊象》さん』

『お焚き上げ処置が早かったから、お蔭さまでね。我、老女ナディテの相棒。ナディで良いよ』

隣の象小屋に入っていた2頭目の《精霊象》も、長い長い鼻を垂らして「フッ」と息をついた。

『我、ドルヴの相棒ゆえドルーと呼んでくれれば良い。退魔調伏が済めば回復は早いよ。それにしても数百年ぶりだね、ジャヌーブ界隈で白文鳥《精霊鳥》を見るのは。娘さん、もしかして、 この間の雨降りの朝、幽霊で来てたか? 最初は、訳あって超古代の頃のように人類の姿をとった《銀月の精霊》アルシェラトの一族と思ってたけど、よく見ると、本物の人類だね』

『え、う、うん……分かるんだ?』

『そこに人類の耳飾りがあるから。白文鳥の白羽をくっつけた、小型ドリームキャッチャー細工の。うん、気配は覚えた。ほとんど《銀月の精霊》だね』

若い《精霊象》ドルーは、興味深そうに長い鼻を動かして、白文鳥アルジーの周りをフンフンと探っていた。

『地上で見かける《銀月の精霊》は、植物《精霊クジャクサボテン》くらいだよ。《地の精霊》のほうが、よほど活動的。 さっき《地の精霊》の依頼を受けたってことで、《雷の精霊》御使いが渡って来て、ラエド戦士の招集かけてったよ。ジャヌーブ南の廃墟へ、遂に突撃するとかって』

『え?』

思いもかけない情報に、思わず「ピョコン」と飛び上がる、白文鳥アルジーであった。

『ラエド戦士の招集って……聞いたこと無いけど、いったい誰が? いつの間に? どうやって?』

年かさの《精霊象》ナディが不思議そうに、大きな象の耳をパタパタさせた。

『娘さん、聞いてなかったっけ?』

『人類アリージュ、此処に来て10日も経って無いから』

白タカ幼鳥ジブリールが、訳知り顔で応じていた。

■17■呼ばれて飛び出て、謎の死体で大混乱

2頭の《精霊象》のための象小屋の前で、精霊(ジン)同士で話し込んでいる間に。

かねてから申し合わせていた時刻となる。

セルヴィン皇子の守護精霊を務める火吹きネコマタが、ピョンピョン跳ねながら、やって来た。手乗りサイズの、ちっちゃな赤トラ猫だ。

『そちらに居たニャネ、《鳥使い姫》。中二階の捜査の準備があらかた整ったニャ。間もなく現場調査だニャ』

白文鳥《精霊鳥》アルジーは『承知』と応じて、真っ白な小鳥の羽をパタタッと振って見せた。

象小屋の中から、2頭の《精霊象》は礼儀正しく長い象の鼻を伸ばし、ちっちゃな赤トラ猫の2本のネコ尾に、順番にそっと触れている。

『あとで、我ら《精霊象》にも教えておくれ、《火の精霊》さん。あの《三ツ首サソリ》を走らせる原因になったという賭場、我々も見てみたかったけど、身体が大きすぎるからね』

『任せてくれニャ』

*****

――禁断の『生贄918番の儀式』という殺人事件が生じていたのではないか、との疑惑のある中二階の広間に、いよいよ捜査の手が入る。

捜査隊の集合場所、中二階の最寄りにある厩舎区画は、城壁を縦横する多数の階段が交差している石畳の広場である。馬小屋や《精霊象》の象小屋、鳩舎などといった公共施設の前に開けた空間だ。

ジャヌーブ砦の各所から招集されて来た捜査要員が、集結して来ていた。

以前にも見かけた虎ヒゲ・マジード。相変わらず自慢の大斧槍(ハルバード)を、シッカリ携えている。

虎ヒゲ・マジードの大柄な体格を余裕で上回る、巨人族の戦士が近くに居た。黄金肌というよりは、陽気な潮焼け肌。左右の大型戦斧を豪快に振り回している。早くも、 厩舎の馬を狙って飛び込んで来た《三ツ首コウモリ》2体ほど退治して、得意満面。

――《火の精霊》の祝福を少し受けたという風の、赤みを帯びた体毛。カラリとした陽気な性格がうかがえる。陰湿そうな目付きをしていた巨人戦士ザムバとは、対照的。

「朝メシ後にピッタリな腹ごなしじゃ! 幸先いいぞ、酒も美味くなろう、ガハハ!」

「酒瓶は持ち込んでないよな、巨人族ギムギン殿。巨人族アブダル殿も招集されていた筈だが、彼はどうしたんだ? 中二階は武器展示室として使われているし、 巨人族アブダル殿は、とりわけ新型武器には目が無かっただろう?」

「うむ、俺も不思議に思っているんだ、虎ヒゲ・マジード殿。朝っぱらから不在で。最近イイ女の尻を追ってると話してたから、そっちかな。 どうも俺ら巨人族は、好みの酒と女にゃあ、のぼせちまう」

巨人戦士ギムギンは、左右の大型戦斧を、ちゃちゃっと腰回りのアックスホルスターに収めた。 同族が申し訳ない、と言わんばかりに……定番の、赤茶の迷彩柄をした戦士ターバンごしに、大振りな頭部を、ガシガシとやり始める。

横のほうで、以前にも見た高位高官――帝都紅の文官服をまとう虎ヒゲ・タフジン大調査官が、困惑顔をしながら、老魔導士フィーヴァーと話し合っていた。

「巨人戦士アブダル殿は、まだ到着しておらんのか? 虎ヒゲ・タフジン君」

「そうなのだ、老魔導士フィリヴォラルフ殿。ジャヌーブ砦の第一長官の代理をも務めるほどの手腕があり、いずれはカスラー大将軍の後継に、とも目されるほどの男なのだが……これは、どうしたことか」

程なくして、格式のあるマント姿の人物が階段を上がって来た。黒衣の老魔導士が後につづいて現れる。

両者ともに定番の戦士ターバン。頭部を保護する額当に施されたレリーフ彫刻が、『白い鷲獅子グリフィン』の紋章。白鷹騎士団の者だろうと知れる。

ついで現れて来たのが、馴染みの中堅ベテラン鷹匠ユーサー。

白文鳥アルジーはホッとして、さっそく鷹匠ユーサーの肩先へと飛んで行った。ユーサーの相棒を務める白タカ・ノジュムは、外出の際の定位置、皮手袋を装着した側の手に落ち着いているところ。

『第六皇子カムザングのお見舞いでは、《鳥使い姫》、なかなか興味深い光景が展開したそうだな』

『そういえば、鷹匠ビザンと白タカ・サディルは? 中二階の捜査に乗り気だったと思うけれど』

なんとなくクルリと首を巡らせる白文鳥アルジー。

ベテラン白タカ・ノジュムは、訳知り顔で端的な説明を寄越して来た。

『皇弟リドワーンの護衛に回った。ジャヌーブ南の廃墟への道開きの件で、聖火礼拝堂に詰めている神官や魔導士たちと交渉をしている。 帝国皇帝(シャーハンシャー)の命令が書面で出て来たのは、それだけの影響がある』

マント姿のシニア男が、鷹匠ユーサーの肩に落ち着いた白文鳥《精霊鳥》アルジーを、マジマジと注目し始める。

「確かに、白文鳥《精霊鳥》だ! 本当にジャヌーブ砦に渡っていたとは……鷹匠ユーサー殿、これに《鳥使い姫》幽霊が憑依していると?」

「ご推察のとおりで、団長殿、魔導士ジナフ殿。王侯諸侯の姫君であることは確かですが、調査およばず……『身元不明』にて、ご了承ねがいます」

白文鳥アルジーは早速、白タカ・ノジュムに確認である。

『シャヒン王シャバーズ陛下……だよね?』

『うむ。専属魔導士はスパルナ出身だ。元はスパルナ王家の係累の諸侯だが、魔導の才を見込まれた。「魔導士ジナフ」と呼べば良い。 いま思いついたことだが、タイミング次第では《鳥使い姫》、スパルナ部族あるいはシャヒン部族の、王子の誰かと結婚というのも選択としては有り得たかも知れんな』

白文鳥アルジー、すなわち今は亡きシュクラ王国の第一王女アリージュ姫は、一気に老けた気分になった。

『結婚は、もうコリゴリだわ正直』

『あらゆる脱税ビジネスにいそしんだという罰当たりな御夫君には、随分と苦労させられたみたいだな』

『生き返ったところで連座制で裁判、即、処刑だもの。私の名を使った不正な工事してたし、反乱罪だの何だのくっ付いてたから』

不意に視線を感じて……白文鳥アルジーは、クルリと老ジナフのほうへと、首を向けた。

老魔導士ジナフは、驚愕の眼差しをしていた。此処ジャヌーブ砦に来て最初の宴会の夜、魔法の《水鏡》を通して驚いていたオババ殿と、 同じような眼差しだ。《水の精霊》祝福があるのだろう、かすかに青みを帯びた、特徴的な目の色。

「本当に、白文鳥が、半透明の姫君を背負ってますな」

シャバーズ団長が興味深そうに、老魔導士ジナフを見やっている。

「霊魂が見えると? 老魔導士ジナフ殿」

「ハイ、《火の精霊》補充の力でしょう、ネコミミ付スナギツネのお面で。下にもうひとつの顔。《水鏡》占い方式で見ると例の四行詩も納得するところです。霊魂が揺らいでいて不鮮明ですが」

老魔導士フィーヴァーが「我が意を得たり」という風に頷き。

「霊魂の挙動について興味深い議論が出来そうじゃの、魔導士ジナフ殿。素晴らしい再会じゃ。ふむ、巨人族アブダル殿の代わりも到着したようじゃし、そろそろ中二階へ向かおうではないか」

気が付くと、戦士ターバン姿の人物が2名、階段を駆け上がって来て、一礼していたのだった。

戻って来ていた護衛オローグ青年と、驚いたことに――クムラン副官だった。

*****

一同は中二階へつづく階段へ入った。手を、それぞれの武器に沿えて警戒しつつ。

アーチ列柱が並ぶ階段である。風通しが良いせいか、比較的に多数のドリームキャッチャー護符が備え付けられていて、四色のケサランパサランが次々に掛かっていた。

「この辺り、一定時間ごとに事務員が巡回して、ケサランパサランを少しずつ回収して、近くの角の集積所へ貯めとくんですよ。 量が溜まったら、まとめて業者が持ち出して、ジャヌーブ砦の城門前や近隣の城砦(カスバ)の市場(バザール)でさばいたり、色々活用する」

事情に明るいクムラン副官が、道々解説している。聞き上手な性質で、古株の衛兵や駐在員から、あれこれ仕入れたのだろうという事が分かる。

目的スポット、中二階の広間の、堂々たる中央扉が見えて来た。あと少し――というところで。

――バン!

中二階の控え区画への入り口、すなわち、簡素なサボテン製の扉のほうが、大きく開いた。

「何だ!?」

そこは、ケサランパサラン集積所として使われている、控え区画。

四色の毛玉ケサランパサランが、ドッとあふれた。そこらじゅう、動かなくなったモコモコ毛玉だらけだ。

これを警戒すべきか、見過ごすべきか……全員で一瞬だけ迷う。

ついで飛び出て来たのは、中年女性だ。ベールを振り乱している。

最近どこかで見たことのある――なんとなく記憶にある女性。

真っ青な顔色で、涙目だ。明らかに、ひどく怯えて、動転している。

中年女性は、捜査要員の面々に全く気付かない様子で、毛玉を運び出すための作業員用の脇の通路へと入っていった。四色モコモコ毛玉に足を取られつつ、おかしなステップで飛び跳ねて。

その先へ延びている外付けの下降階段へ、駆け去って行った。生活臭あふれる城下町へ降りてゆく階段だ。

「何だったんだ? あれは」

「人払いしてあった筈なんだが」

反射的に大斧槍(ハルバード)を構えていた先頭の虎ヒゲ・マジードと、案内役のクムラン副官が、同時に目をパチクリさせていた。

護衛オローグ青年と覆面オーラン少年が……それにセルヴィン皇子も、疑問いっぱいの眼差しで……

……鷹匠ユーサーの肩先に居た、白文鳥アルジーを見つめて来た。

白文鳥アルジーは、ギョッとしつつ。白い翼をバサバサとやり、ピョンピョン飛び跳ねた。

『私、何もしてないわよ!』

先導していたクムラン副官が、後方の面々を振り返って来る。

「赤毛商人バシールの、奥さんですよ、あのご婦人。バシール殿のほうは、財務官ラーザム殺害事件で一時的に容疑者と思われていた……昨日か今日、 礼拝堂のほうで、《魔導札》でもって禁術の大麻(ハシシ)を無効化する医術を施していた筈。《魔導札》で何とかなる程度の軽微な状態だったので、今日にも釈放の予定とか」

早速、老魔導士フィーヴァーが、目をキラーンと光らせた。

「ほほう? こんな場所で何を見たんじゃろうな? よほど仰天する代物があったと見ゆる。タフジン君、これは調べて見なければ」

「うむ、老魔導士フィリヴォラルフどの。何があったのか明確にせんことには。戦士マジード君、先陣を切るのは任せる。注意せよ」

「承知です。行くぞ、巨人族ギムギン殿」

虎ヒゲの戦士と目配せし、陽気な巨人族は、気合満々で大型戦斧を構える。

不測の事態に備えて、白鷹騎士団の専属魔導士・老ジナフが黄金《魔導札》を用意して呪文を唱えていた。真紅にきらめく《火の精霊》が、多数の火の玉の形をして、チラチラと漂い始める。

サボテン製の仕切り扉が再び大きく開いた。

向こう側に、中二階の広間――広大な空間が見える。控えの位置にある脇扉からの方向であるため、見えるのは一部のみだが、立派な武具が並んでいるのが分かる。 一部は新品や高額品らしく、帆布で覆われて保護されていた。

……ドッと湧き上がる邪霊の気配!

大物《三ツ首ネズミ》、ぎらつく黄金色の十数体が飛び出した!

「そんなバカな」

中二階の広間の入り口で、反射的にめいめいの武器を構え、一気に防御展開する手練れの戦士たち。

虎ヒゲ・マジードが大斧槍(ハルバード)を回転させ、先頭の大物《三ツ首ネズミ》の首を、3つまとめて切り落とした。

猛烈な速度で、巨人戦士ギムギンの大型戦斧が縦横する。黄金色の血液が撒き散らされ、邪霊害獣の熱と臭気が立ち込めた。半数ほどが一刀両断だ。

戦闘の余波を受けて、近くに陳列されていた武具の一部がグラつき、パーツが落下する……連続する金属音。

一方で、2人の老魔導士が黄金《魔導札》を掲げ、呪文を唱え続けている。

熟練の《魔導》の力に乗って、多数の火の玉――《火の精霊》が、高速の炎の旋風を作った。真紅の火炎の流れが、斬り飛ばされた邪霊害獣を次々に退魔調伏し、無害な熱砂に変える。

あとからあとから数を追加して湧いて来る、《三ツ首ネズミ》の勢いが弱まり。

やがて、セルヴィン皇子やオーラン少年の防戦もくわわって、決着がついた……

各種の邪霊との前線となる城壁では、頻繁に発生する戦闘であるが……宮殿の一角といって良い安全エリアで、邪霊害獣が沸くという事態は、それなりの異常な原因が考えられる。たとえば、不正召喚など。

虎ヒゲ・タフジン大調査官が、素早く戦況判断をくだした。

「みな御苦労。退魔調伏が完遂したようだ。次の邪霊害獣どもの波が来る前に原因を突き止めて、急ぎ、穴を塞ぐ必要がある。速やかに展開せよ」

「もって一刻から二刻。その間にカタを付けるのじゃ」

無害な熱砂と化して積み重なった邪霊害獣の成れの果てと、四色の毛玉ケサランパサランが入り交ざって、そこらじゅうの床の上に、所狭しと転がっている。

毛玉の山と砂の山をかき分け、手当たり次第に「これは」と思われる幾つかの盛り上がりを、注意深く検分する……

ベテランの白タカ《精霊鳥》ノジュムが早くも違和感に気付き、鋭く鳴きながら、怪しげな盛り上がりのひとつに舞い降りた。

年若いオローグ青年が、即座に気付いた。つづいて、同年代のクムラン副官も。

「そこか!」

「死体がある!」

白タカ《精霊鳥》ノジュムが飛び立つと、早くも、その周りを塞いでいた、あれやこれやの堆積物が、どけられてゆき。

「なんと、巨人戦士アブダル殿だ! アブダル殿の死体だ!」

「タフジン殿の召喚に応じず、此処で油を売って死体になっていたという訳だ」

巨人族の戦士ギムギンが、確かに此処に転がっているのは同族アブダルの死体である――と認めて、不可解のあまり大声を上げた。

「我が同族は、こんな所で何をしていたんだ?」

早くも、2人の老魔導士がめいめいの黒い長衣(カフタン)の袖の中から、束になった多数の《邪霊退散》御札を取り出した。見る間に、紅白の御札が敷き詰められてゆく。

「死体を聖別して、これ以上《三ツ首ネズミ》が沸いて来ないようにせねば」

「偉大なる御札に宿りし《火の精霊》よ、大柄な人物だが、よろしくない邪霊どもからの守護を、シッカリ頼むぞよ」

白文鳥アルジーは早速、鷹匠ユーサーの肩先で『ビョーン』と身を伸ばした。

四色の毛玉ケサランパサランの大群の中に、巨人族の末裔の、大柄な体格が横たわっているのが見える。『紅白の御札』の聖別の光に照らされた、極太の四肢や黄金肌がのぞいていた。

頑丈そうな割れアゴが、特徴的な面差し。邪霊害獣にかじられた痕跡が、少し。そして局部に相当する部分が、不自然に血まみれだ。

老魔導士フィーヴァーが素早く気付き、不審そうにモッサァ片眉を跳ね上げ……サッと、その場所をめくって確認した。

「なんじゃ、邪霊ネズミどもは、『男の証明』に熱心にかじりついたのじゃな。《精霊亀》の甲羅に聖なる赤インクを塗ってスタンプして作成する、 局部保護のための赤護符が下着の『特定の位置』に貼ってあるにもかかわらず、ほぼ食われていて、無くなっている。こりゃ生存していても機能回復は絶望的だったじゃろう」

「え? つまり《精霊亀》守護札が機能しなかったってんですか?」

クムラン副官の口元は、その不自然な事態を理解して――引きつっていた。

「なんと恐ろしい」

「この世の恐怖」

虎ヒゲ戦士マジードと、巨人戦士ギムギンは、『男の証明』に施された破壊の内容に震えあがり、下半身の特定の位置を手で隠しつつ、尻込みしていた。すこぶる涙目だ。

――死んでから、それほど時間は経っていない。

せいぜい死後一刻ほどに違いない、いま死んだばかりのように新鮮な死体。

では殺人犯は誰だろう。

そんな疑問が、全員の脳ミソに浮かび。

当然ながら、直前に飛び出して来ていた――そして恐怖の表情をして走り去って行った――女性に思い至る。

早くも、シャヒン部族長にして白鷹騎士団長シャバーズが、その事実に思い至った様子で、呆然と呟いた。

「まさか……あの運の悪い赤毛商人バシールの、奥さんが?」

つづいて、騎士団の専属魔導士ジナフが、白鷹騎士団長シャバーズと、疑問顔を見合わせる。

「それこそ、まさか、と言うところじゃ」

「その辺の中年女性が、殺傷したと? 帝国でもトップクラスの武勇を誇る巨人戦士アブダル殿を……」

*****

「取り急ぎ、中二階の広間で本当に生贄の儀式があったのか、確認するのじゃ」

老魔導士フィーヴァーは、最初の要点をシッカリと踏まえていた。

その号令に応じて、クムラン副官やオローグ青年を含む捜査要員の面々は、モコモコ毛玉ケサランパサランの群れをどけて、方々を捜索し始めた。

急遽、呼ばれて来た中二階の広間の管理人は、「市場(バザール)界隈の物知りオジサン」という印象の初老の男であった。不意打ちの死体出現に戸惑いながらも、途中から捜索に参加である。

「これら素晴らしい新型武器の数々の中で、生贄の儀式がおこなわれたのが本当だとしたら、大変な事で。技術情報の流出の可能性も考えなければ」

初老の管理人は、普段の広間の様子を熟知しているだけあって……即座に「そこに存在する筈の無い調度」が見い出されたのだった。

天井を支える数々の柱。中央にほど近い一柱のもと、うず高く積み重なった四色の毛玉ケサランパサランの群れが、どけられると。

「こ、これは……!」

初老の管理人が真っ青になって飛びすさった。次に半分ほど意識を失い、倒れんばかりになり……ちょうど傍に控えていたシニア男すなわち白鷹騎士団長シャバーズが、器用に支える。

現れたのは……柱の基部に横付けされるようにして、人体サイズの天板を持つ「陳列台のようで陳列台で無い、異形の調度」。

――《怪物王ジャバ》を称える地下神殿でお馴染みの、生贄の祭壇。

傍目にも見て取れる禍々しさ。天板には、流血の飛び散った痕跡があった。

祭壇の側面には、異形の化け物の姿を、これでもかとばかりに彫刻してある。さらに金メッキが施されていてギラギラの黄金色だ……そこに、 生贄の血が流れた跡と思しき、不気味な色をしたスジが、幾本もこびりついている。

首を刎ねられたら、この位置に、このように血が流れたであろう――という直感に、ピタリと合致する痕跡だ。

床面に、グネグネとした血痕。おぞましい触手か、化け物の舌の類が這いまわったと思われるパターン。

いびつな《精霊文字》で『918』と読めるパターンが含まれている。絨毯の中に織り込められた謎の紋様のように。この類に関しては、邪霊は嘘をつかない。

新鮮な血痕は、ここ1日か2日の間に出現したものだと知れる。カムザング皇子の秘密メモに記載されていた『生贄918番』の儀式のものに、違いない。

埃よけと装飾を兼ねた布クロスで隠されていて――砦の衛兵による定期巡回においても、長く気付かれにくい状況だ。発見されるまでに、何回、使われていたのか……

予想済みとはいえ。

実際に忌まわしき儀式と流血の痕跡が出現するとなると、相当の衝撃がある。

目撃した面々は絶句するのみだ。

……少しばかりの間、蒼白な沈黙が横たわった……

早くも気を取り直した老魔導士フィーヴァー。忌まわしき布クロスを、退魔紋様の紅白の風呂敷に交換しつつ、口火を切る。

「この祭壇は、一旦、封印しておくべきじゃ」

「異論ございません」

中堅ベテラン鷹匠ユーサーが意味深に頷き、老魔導士フィーヴァーの作業の手伝いを始めた。

白文鳥《精霊鳥》アルジーは、鷹匠ユーサーの肩先に落ち着いたまま、その作業を眺め始める。

老魔導士フィーヴァーを補助する鷹匠ユーサーの手つきは、熟練のものだった。特定の作法でもって封印するため、風呂敷の端に特殊な結び方を重ねるなど、手がかかる内容であることを承知している様子。

「おお、そうじゃ。白鷹騎士団長シャバーズ殿に専属魔導士ジナフ殿、このジャヌーブ砦の中で誰が行方不明になったのか、そちらの騎士団を動員して、秘密調査しておいてくれるかの。 一般庶民や、潜伏中の工作員や逃亡者が生贄だった場合は、割り出すのは難しいじゃろうが」

「御意」

白鷹騎士団長シャバーズと専属魔導士ジナフ老は、青ざめた顔色をしながらも、即座に了解したのだった。

簡単な申し合わせを済ませ、ちょうど巡回して来た衛兵へ、相当数の加勢を依頼する。巨人族ならではの戦士アブダルの、重量のありすぎる死体を移動させるためだ。

衛兵は状況を把握するや、とことん仰天した表情を顔に張り付かせたまま、感心するような速さでもって、必要な仕事を進めて行った……

*****

あっと言う間に正午。昼食休憩の刻。

しかし、異常な痕跡の発見者となった面々の胃袋は、重苦しいままだ。

日除けのための大きな紗幕を張り渡してある、《精霊象》小屋の前が、当座の打ち合わせ場所となり……目下の方針が話し合われる。

邪霊が関わっているのが明らかな『生贄918殺害事件』の調査は、邪霊の類への造詣も深い老魔導士フィーヴァーが、専門に預かる事になり。

巨人戦士アブダル殺害事件は、虎ヒゲ・タフジン大調査官がリーダーとなって捜査を開始する事になった。

ちなみにシャバーズ団長の率いる白鷹騎士団の主力団員は、老魔導士フィーヴァーの指示を受けて、既に『生贄918番』と思われる行方不明者の特殊捜索に入っている。

――むごたらしく斬首されたと思しき、哀れな生贄は、いったい誰だったのか? 特に身体特徴はあったのか。髪や衣服の端が残っていれば、それを元に人物特徴を割り出して、捜索できる。

紅白の魔除けの風呂敷で封印された忌まわしき祭壇の周りに、白鷹騎士団から動員された数名の団員が警備に立ち、専属魔導士ジナフ老の指導に沿って、更なる現場調査を続けていた。

その調査を妨害するかのように、手の平に乗るような小型の《三ツ首ネズミ》が三々五々と沸いている。新鮮な血痕の気配に呼び寄せられたためだ。

紅白の魔除けの風呂敷による結界を、無理矢理に突破して来た、執念深い個体。 ぎらつく黄金の毛玉は、キッチリ、真紅の退魔紋様を完備した三日月刀(シャムシール)の火煙となって消えているところだ。

警備のひとりが、数匹の小型《三ツ首ネズミ》を次々に退魔調伏しつつ、ボヤく。

「キリがねぇな!」

「もう少しで血痕の記録が終わる。それまで頑張ってくれ。そしたら普通の流血と同じように清める。邪霊害獣が、いっさい来なくなるように」

中二階の管理人を務める初老の役人が白鷹騎士団の特別調査に立ち会っていて、魔導士ジナフ老の質問や確認に応じて、備品などをチェックし始めた。

「実に奇妙で、流浪の精霊(ジン)に『いないいないばぁ』をされた気分でございます、魔導士ジナフ殿。 長年、この中二階を管理してまいりましたので、少しでも備品のズレが有れば分かるのですが。この祭壇の設置のほかには、異常などは、今のところ無く」

その辺の市場(バザール)で見かける『物知りオジサン』といった風情の初老の役人――中二階の管理人は、薄気味悪そうな表情をして、改めて生贄祭壇のほうを眺め始めた。

「そもそも、この調度……布クロスで覆った陳列台という名目だったのです。布クロスのうえに、あれやこれやの、新品の……展示している内から傷が付いたら商品価値が下がるというような新型武具を。 あの類の布クロスは、なめらかな生地をしていて、品を傷つけにくいので……」

「ふむ。巨人戦士アブダル殿は、このたびの指令なく勝手に中二階に入った訳ですが、特に手を触れるなどといった余計な動作はしていなかったという事ですな、お役人さま。 という事は、団長どの、巨人戦士アブダル殿は、死ぬまで、この生贄祭壇には気付かなかったという事でございますじゃの」

「私シャバーズも同意だ、魔導士ジナフ殿。この位置で、ケサランパサランがこれだけうず高く積み重なっているうえに、控えからは、祭壇は見えにくい。 生贄儀式を実行した犯人は、一応、この忌まわしき血痕に余計な邪霊害獣を寄せ付けないようにする《魔導》を心得ているらしいな。相当に腕のある《邪霊使い》の魔導士か、霊媒師だろうか」

*****

2頭の《精霊象》が入れられている象小屋の広場の一角。

老魔導士フィーヴァーとセルヴィン殿下、オーラン少年、鷹匠ユーサーは、邪魔にならない場所で静かに待機していた。

その象小屋の広場から、ひとつ階段を降りた、下の階層――数々の調査道具を備えた衛兵の詰所の前では。

巨人戦士アブダルの死体が横たえられ、検死が進行中である。

セルヴィン少年こと『半分ほどヒョロリ殿下』と、覆面オーラン少年は、そろって、階段の上から熱心に眺め始めた。同じ14歳、好奇心の強いお年頃だ。

覆面オーラン少年が、持ち前の鬼耳族なみの地獄耳でもって、階段の下でつづいている会話を聞き取り、セルヴィン少年へ解説している。

死体の周囲をグルリと取り巻く衛兵の中に、虎ヒゲ・タフジン大調査官と同族の戦士マジード、それに巨人戦士ギムギンが立ち並んでいた。

検死に立ち会っている全員が全員、深刻そうな顔をしてブツブツと相談を繰り返している。検死を務める砦の医師へ、目撃者として、アレコレと情報提供しつつ。

好奇心いっぱいの《精霊象》2頭は、象小屋から長い鼻を突き出し、とても鋭い聴力を備えた大きな耳をパタパタさせて、熱心に様子を窺っていたのだった。

セルヴィン皇子の相棒の火吹きネコマタが、驚くばかりの早口で、ほとんどの出来事を説明した。

『中二階の、先ほどの騒ぎは、かくかくしかじか……という訳だニャ。目下「生贄918殺害事件」と、「巨人戦士アブダル殺害事件」は、事件発生タイミングからして、 明らかに別々に起きたものであって、関連性は無いという見立てニャネ』

事情を把握した老《精霊象》ナディと、年若い《精霊象》ドルーは、互いに象の顔を見合わせて目をパチパチさせ。

『えらい事態になったもんだねえ。巨人戦士の『男の証明』かじられてたって? そこの《精霊亀》みんな反応して無かったから、意外だよ。その筋に「礼儀正しく」呪われてたのかね。 我ら《精霊象》守護は担当領域が違うから分かんなかったよ』

『誰かが急に走り去った気配がしたが、あれは赤毛の商人バシールの、妻だったのか。あれ? その少し前に、何かが「パチッ」と言ったような音がしてたが』

『重大な情報じゃないか、ドルー。あたしゃ年取って耳が遠くなったから、そういうの、分かりにくいんだよ。 その描写だと《雷の精霊》っぽい? ジン=ラエドは忙しくて、この辺には出没してない筈だけど、おかしいね』

『いや、あの感触は確かに《雷の精霊》呼び出したみたいな感じだったよ。雷霆刀じゃなくて……雷帝サボテンっぽい』

『黒毛玉ケサランパサランを、海洋生物ウニみたいに硬化させて、バチバチ帯電させて敵に投げつける、あれ? まさか』

驚きの余り、老《精霊象》ナディが、長い鼻の穴から、ブワッと空気を噴射させた。毎度のごとく、白文鳥《精霊鳥》アルジーは吹き飛ばされて、転がる羽目になった。

やがて。

クムラン副官と、護衛オローグ青年が、タフジン大調査官が率いる調査員たちと情報交換を済ませて、階段を駆け上がり……老魔導士フィーヴァーの居る一角へと帰還して来た。

「お待たせいたしました、老フィーヴァー殿、ユーサー殿」

白文鳥アルジーは早速、鷹匠ユーサーの肩先へと飛び上がり、聞き耳を立てる態勢である。

「巨人戦士アブダル殿の死因が判明しました。心臓発作ないし心臓麻痺。巨人族ゆえ心臓は頑健であり、完全に機能停止するのに半刻ほど。 何らかの原因で意識が戻らないまま、体調急変を誰にも告げられず、死亡したとの見立てです」

老魔導士フィーヴァーの、誰よりも立派なモッサァ白眉が、いかにも疑わしいと言わんばかりに、ピクピクと跳ね始めた。

「おかしいのう。中二階の新型武器は、どれもこれも殺害道具の候補になるが、管理人どのの説明によれば、予期せぬ心臓停止に及ぶような《魔導》発動にかかわる仕掛けは、固く封印しておるとの事」

「御意。ともあれ、『生贄918殺害事件』と、『巨人戦士アブダル殺害事件』とは、無関係であると立証されたと存じます」

「うむ……実に邪悪なことじゃが、生贄の意識は、その時その場まで明晰で無ければならん、と《怪物王ジャバ》が定めたと伝えられておる。人類のナマの恐怖の表情を、楽しく眺めたいがためにな」

老魔導士フィーヴァーが、毛深族ならではの見事な白ヒゲをモッサァとさせ、思案に沈む。

クムラン副官は、護衛オローグ青年と素早く目配せをすると、再び階段を降りて行き。衛兵仲間たちと合流して、城下町へと立ち去って行ったのだった。

「オローグ殿、とにかく可及的速やかに、ジャヌーブ港町商人バシール夫婦の、身柄確保だ。目撃者および関係者として。あの2人、気の毒なくらいツイてないな。同情するところだが」

「2人とも自由行動を始めている筈だが、居場所は分かるか? クムラン殿」

「ジャヌーブ砦で一番深い地下の、最も奥の氷室の隅に隠れていようと、必ず見つけて引きずり出すさ。この事件の解決が長引いたら、後々面倒になるのは、目に見えてる」

*****

邪霊害獣《三ツ首ネズミ》にかじられかけていた巨人戦士アブダルの死体。

最も大切な局部『男の証明』が完全に食われて、血まみれとなって失われてしまった等々、 大量の異変と疑問を満載した変死体は、更に詳しい調査のため、《邪霊》対策を完備するジャヌーブ砦の聖火礼拝堂へ運ばれていった。

数々の邪霊害獣の跋扈や、忌まわしき生贄の祭壇の発見、もろもろの不穏な事情を考慮した結果、捜査本部は聖火礼拝堂の中に設けられている。

おりしも、カムザング皇子のお見舞いの後で別行動となっていた、紅衣のナイスミドル神官リドワーン閣下が出張っていた。専属の護衛を務める、中年の鷹匠ビザンと共に。

既に白タカ《精霊鳥》による伝令ネットワークを通じて、中二階の事件発生の状況は了解済みだ。

立て続けの事件発生に呆然とするのみの神官たちや事務員たちではあったが、高位高官でもある巨人戦士アブダルの変死体を取り巻き、所定どおりに記録を取りつづける。

紅ドーム屋根を持つ聖火礼拝堂の中、高所にぐるりと配置されている幾何学的唐草文様のアーチ窓から、昼下がりの陽射しが差し込んで来ていた。

鷹匠ユーサーの肩先で、白文鳥アルジーはグルリと周りを見回す。

以前の、ラーザム財務官の遺体の防護処理の時にも、この空間が使われていたのだ。いちめんに広がる、聖火礼拝堂の定番のタイル装飾。

規則的に配置された周囲の台座のうえ、各『魔法のランプ』の口先で、《火の精霊》による魔除けの炎が立ち上がり、当座の結界を構成している。

やがて、見覚えのある神官が、厳粛な顔をして出て来た。白文鳥アルジーは即座に、パッと思い出した。いつだったか、ラーザム財務官の死体の防護処理を担当していた神官だ。

遺体の防護処理の儀式は、遺体を棺桶に詰めて埋葬する前に、その辺の邪霊害獣にたかられないようにするための手続きである。

神殿舞踊でお馴染みの所作でもって、紅の長衣(カフタン)をまとう神官は、両手に持つ《魔法のランプ》を操り始めた。細かな火の粉が空中に配置され、幻想的にチラチラと輝く。

「おお闇を照らす高き聖火よ、いとも輝く恵み深き生命を与える炎よ」

――防護処理の儀式に参加している関係者は、まず、砦の代表カスラー大将軍の代理として、ヒゲ面の苦労人バムシャード長官。最下位の4人目の将軍という事で、つくづく引っ張り回される人物だ。 クムラン副官の直属の上司で、作戦立案など話しやすい人物だから、今後の捜査もスムーズに進みそう。

偶然のめぐり合わせの結果ではあるけれど、大魔導士の地位を持つ老フィーヴァーや、皇弟リドワーン閣下が参列したことで、高位高官の儀式に相応しい格式が整っている。

巨人族アブダル戦士と最も親しい人物、同じ巨人族のギムギン戦士が、中央列で神妙な顔つきをして……ボソリと呟いた。

「何ゆえに、我が同族アブダルは、急に、不可解に死ぬ羽目になったんだろうな」

「以前、何かでチラリと話した気がすると思うが、殺人の動機は、金か、名誉か、女、だそうだ」

巨人戦士ギムギンの不安そうな呟きに、同僚の虎ヒゲ戦士マジードが、思慮深く応じている。

「アブダル殿が賭場に出入りしているのを見かけたことはござるが、危ないカネの噂を聞いたことは無い……名誉という点でも特に思い当たらず。 女と言えば、ギムギン殿、亡きアブダル殿は『最近イイ女の尻を追ってる』ところだったとか?」

巨人族ギムギンは赤らみのある髪をパッと振り立てて、ごつい面(おもて)を上げた。まさに天啓を得た、と言わんばかり。

後ろのほうで参列していた鷹匠ユーサーの肩先で、白文鳥アルジーは早速、聞き耳を立てた。

鷹匠ユーサーの隣に控えている、ヒョロリ殿下ことセルヴィン少年と、覆面ターバン少年オーランも同様だ。

巨人族ギムギンの声量が小さくなり、ボソボソとなる。合わせて、虎ヒゲ戦士マジードの声も小さくなった。

さすがに通常の聴力しか無いアルジーには、聞き取れない。焦って『魔法のランプ』のひとつを見やる。

そこには、ネコミミ型の灯火が――セルヴィン皇子の守護精霊を務める高位《火の精霊》が――、シレッと混ざっているのだ。

ネコミミ炎の姿をした《火の精霊》は、訳知りな様子で、かすかにパチリと爆(は)ぜた。

『巨人戦士アブダルがストーカーセクハラしていた女性は実在するようだニャ、《鳥使い姫》よ。巨人戦士ギムギン証言によれば、巨人戦士アブダルは優秀な退魔対応の戦士だったが、女癖が悪かった。 過去にもセクハラ問題があったものの、いずれも軽微とされ、カスラー大将軍へは報告が上がらなかったそうだニャ』

白文鳥アルジーは、ゲンナリするものを感じた。そして《火の精霊》は、苦笑いを加えて来たのだった。

『砦の中は、軍事社会かつ男社会ゆえ、致し方ニャいのだが。人類がいつまでも野蛮な価値観から抜け出せぬ、大きな欠点である。 やすやすと《怪物王ジャバ》に付け込まれ、社会分断され後退させられるところ。人類社会が精霊社会レベルまで到達できず、常に我ら精霊(ジン)の後塵を拝する理由でもある』

そうしているうちに、巨人戦士アブダルの遺体防護の儀式が終了した。

巨人戦士ギムギンの証言は、即座に物議をかもし。

虎ヒゲ戦士マジードが真剣な顔になって、亡きアブダルに対する人物評を集め出したのだった。

「儀式が終わったばかりで、またご負担おかけするが、亡き巨人戦士アブダル殿は、お主らに対して本当に鼻持ちならぬ態度で接していたのか、明かしてくれい。 他人から聞いたというような、どのような批判や悪評でも構わぬのでな」

――亡き巨人戦士アブダルは、上っ面が良い性質だったことが、すぐに明らかになった。

皇弟リドワーン閣下を含む高位高官の類からは、巨人戦士アブダルに対する悪評は出ず。

更衣室や倉庫を見回るヒラ事務員や、受付業務を担当するヒラ神官、出入りの業者たち――特に底辺労働者に属する道路清掃人や水汲み人足などの各種人足――からは、 巨人戦士アブダルの粗暴な振る舞いの証言が、次々に出て来たのだ。

ジャヌーブ砦の聖火礼拝堂が抱える《象使い》《亀使い》といった、《精霊使い》のための更衣室を見回るヒラの女神官すなわち若手の神殿事務員は、とりわけ爆発した。

「死人を悪く言うのは、さすがにアレですけど! 巨人族アブダル殿、いつか誰かが、ブチ殺すと確信してましたわよ、私は! あのヒト、 私の友人の女性の……《亀使い》水着を狙ったばかりか、私にも、ギラギラ・ベトベト・キタナイ物言いで、ベールの間から手を突っ込んで来て、ベタベタ胸と尻をさわって来て、 セクハラ痴漢して来ましたもの!」

「その女性《亀使い》……彼女、手持ちの水着が穢されたのを見て、ショックで1ヶ月も寝込んだりして、立ち直れてなかったし。すごく憔悴して血走った眼で、灰色《魔導札》を、たくさん買って来て」

「まさか」

次に予期される内容を即座に察し、虎ヒゲ・マジードが、男ゆえの恐怖で真っ青になる。

ヒラの女神官は、無慈悲に、証言をつづけた。くだんの女性《亀使い》の友人だけに、思うところが大量にあった様子だ。

「巨人族アブダル殿の『男の証明』が不可逆的もげるように、《精霊亀》噴水の傍に設置されている聖火祠で呪ってましたよ。 昏倒した巨人族アブダル殿が、邪霊害獣《三ツ首ネズミ》にかじられても《精霊亀》守護札が反応しなかったそうですわね。彼女が、相棒の《精霊亀》に、よく言って聞かせてたからじゃ無いかしら」

――まさしく天罰テキメン。

老魔導士フィーヴァーと、魔導士ジナフが、納得の面差しで天を仰ぎ。

その場の男たちが、微妙な場所に手を当てて青ざめたのは、言うまでもない。

さらに、意外な所からも証言が出て来た。覆面ターバンの少年兵オーランだ。

「白鷹騎士団の訓練所で、巨人戦士アブダルは、問題のあり過ぎる剣術指南役だった……」

「そうなのか? オーラン」

セルヴィン皇子のポカンとしたような問いに、覆面オーラン少年は、改めてシッカリと頷いていた。

「兄貴が――以前、フォルード侯の側近を務めていた頃のオローグ兄貴が、当時の帝都宮廷のゴタゴタで引責とか大変だった数年の間に、剣術指南役としてパッと入って来て。 でも、《精霊鳥》鷲獅子グリフィンを餌付けなどして、カッコよく従える事が目当てだったみたいで。『こんな汚い鳥小屋の奴隷どもと居られるものか』と言い捨てて、すぐにパッと辞めて行ったんです」

覆面ターバンをしたオーラン少年の頭上で、相棒の白タカ幼鳥ジブリールが、せっせとクチバシを入れてオーラン少年の発言の調整をしていた。精霊界の制約に触れる項目が、少し含まれていた様子だ。

「巨人戦士アブダルが……白鷹騎士団の訓練所の剣術指南役だった間、訓練所は、ずっと嫌な雰囲気でした。訓練生の間でも怪我人が絶えず。 白鷹騎士団で飼ってる、全部の白タカ《精霊鳥》も馴染まなくて。白タカ《精霊鳥》は、分かってたんでしょう。 エスファン殿とサーラ殿が対応して、急遽、つなぎの剣術指南役を兄貴に取り換えて……その後は特に問題は出ませんでした」

――白鷹騎士団に所属する、すべての白タカ《精霊鳥》が、巨人戦士アブダルに近寄らなかった?

白文鳥アルジーは、驚きに目を見張るのみだ。

退魔対応の巨人戦士アブダルが、精霊が『近寄りたくない』と感じるような性質だったとすると……あの陰湿な巨人戦士ザムバほど、という訳では無いだろうけど、 群を抜いた戦闘力でもって邪霊害獣を千切っては投げ……という戦士だったに違いない。

頼りがいのある中堅ベテラン鷹匠ユーサーの肩先で、チョコチョコと向きを変え、あらためて巨人戦士アブダルの死体のほうを慎重に眺める。

――アブダルの死に顔は、緊張が解けているせいなのか穏やかな常識人にも見える。生前そのような問題のある人物だったというのは、想像するのも難しい。不思議なものだ。

次に、鷹匠ユーサーの片腕に落ち着いている白タカ《精霊鳥》ノジュムへと、白文鳥アルジーは、視線を投げた。

『巨人戦士アブダルって、本当に問題のある人物だった?』

ベテランの白タカ《精霊鳥》ノジュムは、困ったように首を上下して応えた。少し離れた所で、鷹匠ビザンの相棒、白タカ《精霊鳥》サディルも戸惑った様子で、目を泳がせてキョロキョロしている。

『我らは直接には見聞きしていないゆえ証言にならんが。当時、訓練所に居た同族からは、階級差別を好む欲深だったと聞いている。強きに媚(こ)びへつらい弱きを虐(しいた)げる。 金も利権も持たぬ下層身分の訓練生への扱いが、よほど酷かったようだ。キラキラ目立つ任務に就いていないように見える、白文鳥《精霊鳥》や小型の白タカ《精霊鳥》たちへの扱いも。 オーラン少年の言ったことを考えると、エスファン殿とサーラ殿なら詳しく知っている筈だ』

『そうなんだ……よし、近いうちに、エスファン殿とサーラ殿の2人へ聞き込みしなくちゃ』

白文鳥《精霊鳥》アルジーは気合を入れて、真っ白な胸を張った。

*****

クムラン副官と護衛オローグ青年の指揮は素晴らしく、配下の衛兵の一団は、ジャヌーブ砦の街路という街路を効率的かつ徹底的に捜索していた。

赤毛商人バシールと、その妻の身柄は、速やかに確保された。ジャヌーブ砦の、城門の近くで。一刻の後には通行証が確認されて、城門を出ようとしているところを。

まだ夕陽は沈んでいない。昼下がりの後半といった頃だ。

さっそく、聖火礼拝堂に付属している取調室で、バシール夫妻の事情聴取をする手筈となる。代表を務めるのは、バムシャード長官だ。

――ちなみに、少し前、錠前破りに近い事をやらかした少年兵オーランが尋常に捕まっていれば、事情聴取のため連行されたであろう取調室である。

不運な赤毛商人バシールとその妻は、取調室へ移動させられる前から、大声で「アブダルを殺してない」と繰り返すばかりであった。

「殺しなんか、やってねぇ! だいたい今までずっと冤罪で牢屋に入れられてたんだぞ、このバシールに鼻持ちならねえ誰かを殺す手間暇なんぞ、そもそも無いじゃろ!」

「クソデカ巨人アブダルとは商取引の関係しか無いわよ、ここんところ、主人バシールの商売の代理人だったんだからねぇ! 朝っぱらから『商談したい』って呼び出しの手紙があって、 時間になって中二階へ行ったら、いきなり巨人戦士の死体があったんだよ、そりゃビックリ仰天だったわよ!」

バシール妻である中年女性は派手なベールを振り乱しつつ、巨人戦士アブダルから寄せられていたと言う文書を振り回していた。その文書は当然ながら、即座に証拠品として押収となったのだった。

事件捜査の責任者として、バムシャード長官が文書をあらため。生真面目な中年ヒゲ面いっぱいに、疑問をたたえ始めた。

「差出人は『ご存知マッチョ盛り合わせ』。巨人族ご用達の、一文字ずつの字型スタンプで文章が作成されている。 筋骨隆々の体格を自慢していた巨人族アブダル殿が、本当に作成しそうな偽名に、文書ではあるが……?」

あまりにも、あまりな指摘……その非現実的なまでの内容に仰天するあまり、白文鳥《精霊鳥》アルジーは、ポカンと薔薇色のクチバシを開くのみだ。

ポカーンとしているうちに、不意に白文鳥アルジーは、鷹匠ユーサーの手に捕獲され、ユーサーの肩先から摘まみ出された。

「ぴぴぃ?」

「オーラン君に預かって頂きます《鳥使い姫》。さてオーラン君、たいへんなお転婆であるから、くれぐれも目を離さぬように」

「承知いたしました、ユーサー殿」

――あ、なんだか前と同じパターン。

新たに少年の両手に挟まれて、それどころじゃ無いのよ、と言わんばかりにバタバタしていると、やがて、指の間がちょっと開いて、外界が見えるようになる。

次に、怪文書が見える方向へとオーラン少年の手が向いた。覆面ターバン少年オーランは、白文鳥アルジーの意を良く汲んでくれている。

隣のセルヴィン殿下の手の上に、既に手乗りサイズ招き猫よろしく相棒の火吹きネコマタが陣取っていて、例の怪文書を熱心に観察していた。2本のネコ尾の先で、火花がパチパチと散っている。

『巨人族からの呼び出し状にしては小細工が多すぎて不自然ニャネ。バシールの妻は、アレを信じるだけの理由があったのかニャ?』

――ジャヌーブ南洋物産の交易商バシール殿の夫人どの。約束の日《麻雀サボテン》開花の刻、中二階の広間の控室に来られたし。清算について。ご存知マッチョ盛り合わせより――

『清算の話……って、何か、カネの貸し借りがあったのかしら? それに《麻雀サボテン》って何?』

『両大河(ユーラ・ターラー)のうち、此処ジャヌーブ地域を含むターラー河の下流デルタで、お馴染みのサボテン種である。《鳥使い姫》は出身地が違うゆえ知らなかったのニャネ。 麻雀の駒よろしく個別の壁状の直方体に生育するゆえ、建材として重宝する。《麻雀サボテン》開花の刻は、夜明け直前の刻と、ジャヌーブ砦の午前の業務休憩の刻ニャネ』

『……とすると、早朝の刻か、午前休憩の刻が、巨人戦士アブダルの殺害時刻、すなわち死亡時刻に違いないわ。午前休憩の刻かしら。死んだばかりという、あの感じからすると』

『まずは、目撃者が他に居ないか探すニャネ。あの辺りは元々、安全圏。魔除けを務める同僚《火の精霊》が少ないゆえ、人類の目が頼りだニャ』

『見込みのありそうなのは、毛玉ケサランパサラン回収業者かしら。クムラン副官が、もう手を回していそうだけど』

――中年女性であるバシール夫人、商人の妻らしく口数の多さが目立つけれど、それはそれで賑やかで活気があるし、よく見ると、なかなか色気があるのだ。

もっと、圧倒的に度量が据わっていたら、女商人ロシャナクのような人物ではあるだろう。

夫バシールが禁術の大麻(ハシシ)所持の疑いで逮捕され、牢屋に繋がれていた間、バシール夫人は、必死で様々なツテをたどって、夫バシール解放を試みていた。 それは確かだ。以前のラーザム財務官の儀式の場に乱入して、ラーザム第一夫人に食って掛かっていたし。

粗が多く、問題のある行動ではあったけど、あの気迫は、本物だった。

そして。

――『第一、城壁の『石落とし』の操作だって、なんか特別な『錠前破り』が必要だとか、黒ダイヤモンド《魔法の鍵》が必要なんだってねぇ!?』

いま考えて見ると、間違いなく不自然な言動だ。ラーザム第一夫人に食って掛かる前、バシール夫人は……そういう軍事情報を仕入れていたのだ。

南洋物産の商人の妻という立場で、その類の軍事情報を仕入れるチャンスがあっただろうか? 城壁の『石落とし』仕掛けと、 黒ダイヤモンド《魔法の鍵》の――かつての人類アリージュ姫でさえ知りかねていた、内容を。

ラーザム第一夫人に食って掛かる前……バシール夫人が、軍事情報に詳しい人物と会っていたとすると……

巨人戦士アブダルは、下の身分の者へは、無遠慮に接していたという。 バシール妻のような女性には、特に……セクハラまがいの行為をやらかしたのでは……頭の良さや地位の高さを誇示しようとして、軍事機密を含む自慢話もしたのでは……と推測される。人妻であっても、無くても。

バシール妻をおびき寄せた書状。巨人戦士アブダルからの、何らかの『清算』を匂わす、謎の書状――

色濃くモヤモヤする直感を持て余すばかりの……白文鳥《精霊鳥》アルジーであった。

*****

その日のうちに、生贄の祭壇を調査していた白鷹騎士団のもとへ、毛玉ケサランパサランの異変について、回収業者から報告が上がった。

聖火礼拝堂に設置された捜査本部へ急遽おもむいた、白鷹騎士団の専属魔導士ジナフ老は、困惑顔だ。

事情聴取がつづいている取調室から、ほど近い会議室――虎ヒゲ・タフジン大調査官、以下の面々が集結しているところで、魔導士ジナフ老は、おごそかに一礼し、説明し始めた。

「虎ヒゲ・タフジン大調査官どの。巨人族アブダル死亡現場の脇にて毛玉ケサランパサラン回収を担当していた専門の回収業者が、 不自然に硬化した黒毛玉ケサランパサランを数個ほど発見しました。我々が調査しましたところ、黄金《魔導札》の欠片が残っておりました」

「なんと。報告ご苦労である、魔導士ジナフ殿。ということは、巨人戦士アブダル殿の死因は、 殺意に基づく《魔導》によって強制的に活性化させられた、黒毛玉ケサランパサラン――雷帝サボテンに間違いないか?」

「タフジン大調査官のご指摘のとおり。検死担当の医師へ連携いたしましたところ、確かに、巨人戦士アブダルの胸部に、多数の雷帝サボテンを受けた痕跡が確認されました。 巨人族といえども、ひとたまりもなく昏倒したものと推測されます」

さっそく、参列していた老魔導士フィーヴァーが、白ヒゲをモッサァとさせた。

「容疑者の絞り込みが大変じゃの。一定以上の《精霊文字》と黄金《魔導札》の技術を会得していれば、モグリの魔導士でも誰でも、発動可能な《魔導》じゃ」

■18■不穏に影なす、過去と現在の点と線

捜査会議が一段落し、体力切れの番外皇子セルヴィン少年は、老魔導士フィーヴァーの医師としての指示のもと、早々に寝台に入っていた。

護衛と従者を兼ねる少年兵オーランが、甲斐甲斐しく、セルヴィン皇子の身の回りの世話を務めている。

成人前の少年であり大した戦力にはならない、禁術による体力低下がある、などといった諸々の事情を考慮して、少年たちだけ、医療区画に準備された部屋へ戻された形だ。 周辺警備を兼ねて、戦闘訓練済みの医療関係者が、医療区画の各所に詰めている。

セルヴィン皇子に取り付いている生贄《魔導陣》は、その忌まわしい効果に相乗りして、少年の生命力を吸い取りつづけている人物が5人――という厄介なものだ。 他人の生命力を奪い取って、みずからの健康や、若さや美容に替えることが可能。その、おぞましさ。

厄介な相乗りのうち、2人は判明していて、ほぼ解決済み。まだ突き止め切れていない、残りの相乗りは3人。 彼らは気まぐれに、セルヴィン少年の生命力を奪い取ろうとして時々《魔導陣》を活性化させているらしく、不意に《骸骨剣士》が沸いて来る状況。

随分と近くの、城壁沿いの街路で、《骸骨剣士》が数体ほど沸いていた。医療関係者たちが《紅白の御札》を手際よく貼り付けて、退魔処理を始めている。 その「ちょっとした戦闘」の様子が、幾何学的格子に装飾された窓から、チラリと見える。

「ふがいない……」

とは、生贄《魔導陣》による不意打ちの立ちくらみと心臓発作で倒れた後、まだ目が回っているセルヴィン皇子の、寝言に近い呟きだ。

夕闇の刻を迎えて薄暗くなった部屋の中、セルヴィン皇子の寝台の脇の『魔法のランプ』には、既に、相棒にして守護精霊である《火の精霊》による、ネコミミ炎が灯っている。

チラリと、その様子を一瞥し。

白文鳥アルジーは、一息ついた。

(当分の間は、深刻な問題にはならないわね)

以前、此処に迷い込んで来たばかりのアルジーが見かけた《火の精霊》は、ヒョロヒョロした弱小な炎の姿でしか無かった。 あの頃に比べると、随分と力強い炎の姿。せっせと生命力を補給しているのであろうと知れる。

白文鳥《精霊鳥》アルジーは、目下、巨人戦士アブダル殺害事件に伴う、不自然な感覚――かねてからのモヤモヤを扱いかねていた。

気分が落ち着かぬまま、モコモコ鳥の巣の中でクルクル回ったり、神経質に両翼をつついたり、小鳥の首を、ヒョコヒョコ左右に傾けたり。

グルグル考えつづけていると。

オーラン少年の手が、白文鳥アルジーを掬い取って来た。

「ぴぴぃ?」

ドッキリするあまり飛び跳ね、手の平の中で「ふわもふ・コロリ」と1回転して、あらためてオーラン少年を見上げるアルジーであった。

オーラン少年の、《地の精霊》祝福を受けた漆黒の目は、戸惑いの色を浮かべていた。なにかを理解しようとして納得しきれていない、というような奇妙な雰囲気。

ボンヤリとした呟きが降って来た。

「本当にお転婆ですね、鳥使い姫。故郷の妹と、気が合いそうというか。妹も、謎の呪病で寝込む前は、そういう風にグルグル走りながら物を考えてて。 姿が見えなくなったと思ったら、とんでもない所で……近くの一番高い聖火祠の中というか、仲良くしていた白文鳥の巣の隣で、パタッと昼寝してたりとか。まぁ5歳ごろの話だけど……」

白文鳥アルジーは、ふむ、と首を傾げ。

『私は大人しいほうだから、そんなに走り回らないけど。破天荒な妹さんだね。まだ面会謝絶とか? 早く元気になると良いね』

視界の端のほう、血色の悪いセルヴィン殿下が、枕の中に、こけた顔面おしつけて、不健康に細い肩を震わせている様子がチラリと見える。 傍らに《精霊語》教科書。半分くらいは意味を聞き取れたらしい。

(吹き出し笑いできるくらいには元気になったのは良いけど。ウケるポイント、違ってなくない!?)

――と、不意に。

白文鳥アルジーの脳裏に、ピコーンと来る物があった。

(そうだ。あの書状。見た目は送付状なのに、重要なポイントが、送付状の定番と違っている状態なんだ。それで、理解はできても納得できない文面、という形になってたのよ)

白文鳥アルジーは早速、真っ白な両翼をパタタッと震わせる。

『急なお願いだけど《火の精霊》さん、あの、巨人族アブダルと、赤毛商人バシールの奥さんとで、やり取りしていたという変な書状、再現できる?』

『それは可能ニャ。複製ニャネ。白紙に焼き付ける形で良いかニャ』

ネコミミ炎が、『魔法のランプ』の口でパパパッと火花を噴き上げる形になった。音は無いけど、爆竹みたいだ。

ギョッとして注目する、セルヴィン皇子とオーラン少年の、目の前で。

見る間に、傍の小卓に適当に置かれていた白紙の1枚に、《火の精霊》による真紅の火花が降りそそいだ。あの不審な書状の内容が複製され、焼き付けられてゆく。

――『ジャヌーブ南洋物産の交易商バシール殿の夫人どの。約束の日《麻雀サボテン》開花の刻、中二階の広間の控室に来られたし。清算について。ご存知マッチョ盛り合わせより』

オーラン少年のターバンの上に腰を据えていた白タカ《精霊鳥》ジブリールが、訳知り顔で小卓に飛び降りた。幼鳥ならではの黄色いクチバシでもって、ヒョイと、書状を持ち上げる。

『この書状が、どこかオカシイって事だね? 鳥使い姫』

『やたら公的な呼び出し状、という不自然な感じがしたのよ。特に先頭の、「ジャヌーブ南洋物産の交易商バシール殿の夫人どの」なんて。秘密取引の呼び出し状で、堂々と名指しするのが、そもそもオカシイ。 こういう場合、親しい両者の間だけで通用する符丁や、あだ名を使うものなのに。末尾の「ご存知マッチョ盛り合わせ」という差出人の名乗りとも、釣り合ってない』

オーラン少年がパッと黒い目を見開く。

「不自然な呼び出し状……」

訓練中の鷹匠《精霊語》でもって、白文鳥アルジーと白タカ・ジブリールの会話を、上手に聞き取れた様子。

「どういう事だ、オーラン?」

セルヴィン殿下が興味津々な様子で、寝台の中から、血色悪い面差しをあげていた。

「アブダル殿の書状には奇妙な部分があります。秘密の呼び出し状にしては、相手を本名で名指ししている。容疑のなすり付けが目的かも」

「本物の書状のほうは、すぐに捜査会議のほうで押収されていたから、あまり良く見てなかったな」

セルヴィン殿下は、だるそうにゴロリと身体の向きを変えていたが、その金色を帯びた眼差しは、好奇心でキラキラしていた。目の間にかぶさって来たダークブロンド髪ひと房をかき上げつつ、 オーラン少年から、書状を手に取る。

オーラン少年の、もう一方の手の平の上で、白文鳥《精霊鳥》アルジーは改めてセルヴィン少年を注意深く眺めた。

――セルヴィン少年の生命力を奪い取る禁術に相乗り中の加害者たちは、眠っているかボンヤリしているらしく、セルヴィン少年の体調異変の気配は無い。 霊験あらたかなお茶はあるし、最低限必要な睡眠が確保できれば……

書面を一瞥した瞬間、セルヴィン殿下がハッと息を呑んだ。

「名指しの宛名部分と、本文の印字とで、字型一式が違う」

――字型一式が? 思わずキョトンとする、白文鳥アルジーであった。

オーラン少年が早速、反応する。

「という事は……」

「インクは市井共通のものだから、特定はできないけど。本文の印刷に使われた字型一式と、名指しの宛名の印刷に使われた字型一式……似ているけど、明らかに別の物だ。 偶然だけど、字型を製作した工房が違うんだろうな」

「それは確かですか、セルヴィン殿下?」

「宝飾鑑定の応用だから難しくは無い。《火の精霊》複製物は、形状も正確だから……」

白文鳥《精霊鳥》アルジーは、驚きに目をパチクリさせて、探偵の素質を発揮し始めたセルヴィン少年を眺めるのみだ。

――そういえば、亡き御母堂セリーン妃が宝飾鑑定の達人で、セルヴィン皇子に、鑑定技術を仕込んだとか……!

セルヴィン少年は生真面目な顔になり、手をあごに当てて思案し始めた。

「力加減が調整できなくて筆を破壊してしまう巨人族は多くて、彼らの間では、筆よりは、金属製の字型で文字を打つほうが主流だ。 昔は戦斧で、その辺の巨石とか岸壁とかに、大雑把に記号を刻む方法だったそうだけど」

――おおぅ。博識だ。

感心するままに、少しの間、チラリと前世に思いをはせる白文鳥アルジーであった。

シュクラ第一王女アリージュ姫だった頃、帝国の宮廷社交へ出席する機会は無かったけど。 この少年皇子や少年従者と、宮廷社交で尋常に出逢っていたら、興味深い話題に事欠かず、楽しい時間を過ごせていたかも知れない。

番外皇子とはいえ、セルヴィン少年は、れっきとした皇族。帝国領土の歴史・地理や民族構成、おもな習俗などは、帝王学を通じて、だいたい頭に入っているのだろう。

青衣の霊媒師オババ殿はとても頑張ってくれたけど、アリージュ姫の王族教育は、それ程、充分では無かった。 死にかけの虚弱児が、普通の子と同じように充分な学習時間を確保するのは難しい。

まして、かつてのシュクラ第一王女アリージュ姫の場合、禁術への対抗措置としての特殊な体調管理のほうが、緊急の課題だった。 結果としては《精霊語》をはじめとする、最低限の命と健康をつなぐために必要な、知識と技能に片寄ってしまった……

……いつしか回想に気を取られてしまっていた。

いまは、目の前の問題に集中しなければ。 可及的速やかに、《白孔雀の守護》――尾羽7枚を揃えたうえで《地の精霊》と再交渉して、かの不思議な「アル・アーラーフ」にあると聞く、羽ペンの形をした《魔法の鍵》を回収しなければならないのだから。

白文鳥アルジーは、プルプルと小鳥の頭を振って気を取り直したのだった。

やがて、セルヴィン皇子は思案顔をしながら、ひとつ頷いた。

「アブダルも筆を持つのが難しい性質だったと思う……アブダル直筆の報告書は全部、字型だったし。宛名のほうは、巨人族アブダルとは別の人物が、 後から、別の……手持ちの字型で打ったという可能性がある」

「セルヴィン殿下、そのような書状の細工があったとすると、問題のアブダル殺害現場を訪れた人物は、2人になるかも知れませんね」

オーラン少年が、ひときわ眉目秀麗な人相をしかめて、推理に集中し始めた。

――こうしてみると、ギョッとするような《人食鬼(グール)》裂傷のふりをした濃色ペイント化粧が有っても無くても、つくづく美少年である。

と、ふと感心する白文鳥アルジーであった。

知っている誰かに似ているような……という、かすかな直感が閃いたものの。その直感は、すぐに記憶の暗がりへと沈んでいった……

声変わり途中で声質が安定しないオーラン少年の、かすれ声がつづく。

「最初に1人目がアブダルに呼び出され、何かがあってアブダルを殺害した。その1人目は、この事件を隠蔽する必要があった……バシール夫人に罪をかぶせようとした。 それで、元の書状の宛名部分を加筆して細工し、バシール夫人を呼び出した。かくして、バシール夫人はアブダルの死体を発見する羽目になって、 驚いて我々の前で逃げ出して行った……その謎の1人目の思惑どおり、容疑者として目撃される形で」

セルヴィン少年は楽な姿勢で寝台に横たわりつつ、オーラン少年の推理した内容に、ひとつずつ頷いて見せていた。特に異論は無い、という風に。

「にわかには信じがたいけど、私も、そう思う。そのセンで追ってみる価値はありそうだ。タフジン大調査官どのの捜査会議とは、別に」

――突飛な推理だけど、矛盾は無さそうだ。

白文鳥アルジーへ向かって、オーラン少年が『いかがですか?』と問いかけ。アルジーは『同意』と、さえずって返したのだった。

『その推理で追って行くとして、次に調べる当てはあるのかしら? 私、ジャヌーブ砦の中を知らないから、ピンと来るのは無いのよ。 先刻まで、白鷹騎士団のエスファン殿とサーラ殿に、巨人族アブダルの不公平な行為について、聞き込みをしようと思ってたくらいだから』

『奇遇ですね、鳥使い姫。取っ掛かりはエスファン殿とサーラ殿かなと、私も考えてました』

『どういう事?』

『エスファン殿とサーラ殿ご夫妻は、私よりも訓練所の内情に通じてるので。念のためだけど、巨人族アブダルを特に恨んでいた訓練生が居たかどうか、雰囲気だけでも……と思って。 それに聞き込みだけなら、殿下の負担も少ないです』

――成る程。オーラン少年、親友かつ専属の従者だけあって、セルヴィン少年の性質を良く理解してる訳だ。

寝台の上でセルヴィン少年が身を起こし、霊験あらたかなお茶を急いで飲み終えて……早くも夜間外出の準備を始めていた。

今までグッタリしていたのは何だったのだろうと驚くところだけど、こういう事を考えて休憩していたという事か。アルジーは、もと人類であった前世の経験から、納得するのみであった。

かくして。

オーラン少年の相棒を務める白タカ《精霊鳥》ジブリールと申し合わせのうえ。ひとまず白文鳥《精霊鳥》アルジーは、セルヴィン殿下の肩先に、手乗りサイズのちっちゃな火吹きネコマタと共に腰を据えた。

「夕食の時間だから、白鷹騎士団の詰所のほうでエスファン殿とサーラ殿に必ず会える筈だ」

*****

雨季、雲影がチラホラと見える夕焼け空は、陽光の照り返しを受けて、乾季には見られない複雑多彩な色に染まっていた。日没後も、ほんのりと明るさが残っている。

白文鳥《精霊鳥》アルジーが何となく予測したとおり、白鷹騎士団の詰所は、あの厩舎区画の近くに設置されていた。

厩舎区画から2つほど城壁通路を挟んだ先に、白タカ《精霊鳥》が羽を休めるため鷹小屋があり、隣り合う詰所の区画が、白鷹騎士団が駐在するエリアになっている。 ジャヌーブ砦で管理している伝書バトおよび鳩舎の、邪霊害獣《三つ首コウモリ》からの護衛も兼ねているのだ。

2人連れの少年は、早くも鷹小屋の角へ到達した。

お馴染みの、魔除けの《火の精霊》が灯される聖火祠が、城壁沿いに並んでいる。その城壁沿いに設置された鷹小屋の向こう側、堅牢な造りの詰所が見えた。 武器庫や、馬小屋の区画への緊急通路も併設されている。

セルヴィン皇子の肩先で、白文鳥《精霊鳥》アルジーは、火吹きネコマタと一緒になってキョロキョロしていた。

『少し離れた城壁の区画にも、似た建物があるのね。あれも詰所かしら? 鷹小屋は無いみたいだけど』

『あの詰所や向こうの別の詰所は、南方領土の、近隣の城砦(カスバ)から派遣されて来た騎士団らが使っている詰所ニャネ。象小屋に一番近いのが、戦象隊ニャ。白鷹騎士団の詰所は、此処だけニャ』

『近隣の城砦(カスバ)から?』

『ジャヌーブ砦の騎馬戦力の充実のため、10数人ずつ徴発ニャ。《人食鬼(グール)》異常発生の激戦地ゆえの特殊事情。 白鷹騎士団は《精霊鳥》戦力ゆえ本来は帝都駐在であるが、セルヴィン護衛のため期間限定で大聖火神殿から派遣されている。その辺は、リドワーンの政治的手腕であるニャ』

『納得』

火吹きネコマタは、少しの間ネコのヒゲをピピンとさせた後、『特に異常ナシ』と判断した様子で、ネコの顔をネコの手でお手入れし始めた。

そうしている間に。

白鷹騎士団の詰所の、門扉の前まで来た。門扉には、白鷹騎士団の紋章旗『白い鷲獅子グリフィン』が掛かっている。

見張りに立っていた若手の騎士が、セルヴィン皇子とオーラン少年に気付き、ポカンと口を開けながら一礼した。 定番の、赤茶の迷彩柄をした戦士ターバンは、白鷹騎士団の紋章『白い鷲獅子グリフィン』レリーフ額当で固定されている。

「こんばんは、殿下、それにオーラン君。何故また夜間外出を? あの白ヒゲ老魔導士どのの許可とか?」

「独断だ。あとで叱られる予定だから、確認が飛んで来たら、見たまま報告してくれれば良いよ」

「仰せのままに。殿下、元の区画へ戻られる時は護衛いたします。そういう決まりなんで」

若手の騎士は困惑顔をしたままではあったが、感動させられるほどに融通を利かせて、すぐさま少年2人を奥へ通したのだった。

そして相応に華やかな食堂の棟へと入る。

どこでも食事の時間は楽しみなもの、血なまぐさい前線と位置付けられているジャヌーブ砦でも、食堂は、凝った細工の吊りランプ多数に照らされて、明るくなっていた。 市場(バザール)の大衆食堂と同じように、数人掛け程度の卓と椅子が適当に並べられていて、セルフサービス夕食が始まっている。

装飾アーチ窓の間で、定番のドリームキャッチャー型の魔除けが、ポツポツと、浮遊する四色の毛玉ケサランパサランを捉えていた。

奥のほうに厨房が設置されていて、ドシドシ燃えるカマドの炎の前で、清潔なエプロンをした料理人たちが忙しく立ち回っている。 白文鳥アルジーのほうへも、料理ナベや各種道具のぶつかり合う音が聞こえてくるくらいだ。

白鷹騎士団の騎士夫妻エスファン&サーラは、すぐに見つかった。繁忙期らしく、明らかに経理書類という風の、数字でいっぱいの紙束をめくりつつ食事している。

「ここの費用、取引の経緯が不明だから担当者に連絡と確認を……あら、セルヴィン殿下に、オーラン君。何かございました?」

女騎士サーラは女官風ベールで頭部を覆っていたが、その下は、ガッツリ騎士姿。御夫君エスファンのほうは、先刻まで高速で踊っていた算盤を脇に置いて、ノンビリとした笑みを浮かべて一礼して来た。

オーランが軽く一礼し、従者らしく用件を告げる。

「お食事中、済みません。セルヴィン殿下のお尋ねに、差し支えない範囲で応じて頂ければ」

「まぁ、ご丁寧にどうも……何かしら、こっそり2人だけで冒険して来られたようですが……不審な物事がございましたか、殿下?」

「疑問がふたつ、関連して、ひとつ……くらいかな。巨人戦士アブダルの件だけど」

騎士エスファンが目をパチクリさせ、うっすらと生えているアゴ髭(ヒゲ)をさすり始めた。

「お昼前の、あの大騒動になった殺人事件ですか。禁術の生贄の祭壇も見つかって、邪霊害獣も多数ウヨウヨしていたそうで。お体にお変わりは無いようですが……物騒な事件つづきですので、お気をつけて」

いつの間にか、少年2人と経理担当の男女騎士2人との問答は、ささやかな食堂の注目の的になっていた。居合わせた食事休憩中の騎士たちの興味津々な目線が、すべてこちらを向いている。

「アブダル殿は、白鷹騎士団の訓練所で、訓練生となった子弟たちの指導者を務めていた時、色々と問題が多かったと聞いている。それは真実か?」

騎士エスファンとサーラは揃ってセルヴィン殿下を見つめた後、苦虫を嚙み潰したような顔になった。そして。

何故か、オーラン少年へ、意味深な……意味深すぎる視線を投げたのだった。

「詳しい話はしてなかったのね。アブダル殿が最も虐待していたのが、訓練生だった頃のオーラン君だわ」

「オーラン君は色々と『訳あり』で、流刑地からの脱走者と同じくらい疑惑のあり過ぎる存在として、目を付けられてたから。 しかし、例の族滅の任務を帯びた刺客(アサシン)の問題、ほぼ解決したと見て良いのでは?」

「…………いえ、エスファン殿」

表情が消えたオーラン少年のターバンの上で、白タカ《精霊鳥》ジブリールが、幼鳥ならではの、短く、甲高いさえずりを返した。

騎士エスファンは、思案顔で、白タカ《精霊鳥》ジブリールを眺めていた。《精霊語》理解度は鷹匠ユーサーほどでは無いものの、初歩的な素養を持つ人物と見て取れる。

「まだ《風の精霊》警告があるんですね。何故オーラン君の動向が、情報統制を破って刺客(アサシン)の側に洩れるのか分かりませんけど。 何処かに、まだ居るのか……オーラン君の身元を知っていて、動向の情報を売って金を稼ぐ……盗聴の技術を心得た《邪霊使い》か、モグリの間者が」

「白鷹騎士団の内部に潜伏しているんでしょうね。シャバーズ陛下、いえ、シャバーズ団長がアブダル殿の異動を決定した際、異動先への経歴情報提供のための調査の一環で、 オローグ殿と協力して人脈や情報漏洩の経路を徹底的に洗ったけど、それらしい人物は割り出せなかったわ。我々の気付かない盲点があるのかしら」

セルヴィン少年は傾聴しつつ、チラリと、オーラン少年へ痛ましげな視線を投げ。そして、ボソッと呟いた。

「巨人戦士アブダル殿を最も恨んでいる可能性がある人物――訓練生が、オーランだったとは想定外だよ」

「でも、私はアブダル殿を殺していません」

「信じる」

一瞬、オーラン少年はビックリした風にセルヴィン少年のほうを見つめ……慎ましく顔を伏せる。

――それでは、アブダル殺害犯は誰なのだろう?

捜査チームが到着する直前まで、あの赤毛商人バシール夫人である中年女性よりも前に出入りして、現場に居たのは誰?

随分と素早く、手練れの巨人戦士を殺害できたというのも、すごく謎めいている。初めから殺意をもって準備していたという事だろうか。雷帝サボテンは、速効性あるけど……

白文鳥《精霊鳥》アルジーはセルヴィン少年の肩先で思案しつつ、小鳥の片足でシャシャシャと鳥頭をかき回し……ボンヤリと呟いた。実際は小鳥のさえずりになったが。

『白鷹騎士団の中で雷帝サボテン攻撃……連続攻撃が得意な騎士は居る? 訓練済みの魔導士は全員できるけど、そっちは老魔導士フィーヴァーが徹底的に調べてくれる筈。 白鷹騎士団じゃ無くても、砦に詰めている衛兵とかの中で……』

『居るよ。鷹匠ユーサーと先輩ノジュムと一緒に来た時に、各騎士団が共通で利用している聖火礼拝堂の隣の修練所……《象使い》ドルヴも常連で……、ひとり見たことある。 女騎士だったからビックリだったよ、アレは』

白タカ・ジブリールが早速、応じて。白タカ《精霊鳥》の《精霊語》は、オーラン少年へも伝わっていた。

オーラン少年がハッとしたような顔になり、「忘れてた」と、同じ趣旨の質問をする。

「ジャヌーブ砦の中で、雷帝サボテンを使いこなせる戦士とか、いま分かりますか? 雷帝サボテン投擲だけのほうじゃ無くて、 最初から黄金《魔導札》で、黒毛玉ケサランパサランを《魔導》できる……」

「白鷹騎士団の人事部門のほうで、他騎士団の分についても技能スコアや経歴の情報を持ってるわ。雷帝サボテン《魔導》を使える人材は、ラエド精霊契約の戦士の補助として重宝されるし、 今度のジャヌーブ南の廃墟攻略の一環で、急いで候補を選抜しているところだから。明日の朝一番で、一覧を送るという事で良いかしら」

女騎士サーラの反応は目覚ましかった。目がきらめいているのは、大部分が、事件の真相への好奇心のせいではあるけれど。

「いずれにしても、2人だけじゃ危険だから、必ずオローグ殿や鷹匠ユーサー殿と一緒に動いて。無断で夜間外出やらかした件、シャバーズ団長にも報告を上げるからね」

2人の少年は、一本取られた、という風に、決まり悪げにソワソワし始めたのだった。

そして、一呼吸ほど置いた後――食堂の扉が開いて閉じる音がした。新しい人物が入って来たという事だ。

「あれあれ、なんで此処に居るんですかね、セルヴィン殿下、オーラン君?」

その陽気な声音は、良く知る人物のもの。

少年2人ともにギョッとして振り返れば、そこには2人の青年が、呆れたような顔をして佇んでいたのだった。

なんとも折良く、いや、折悪しく、というべきなのか。

オローグ青年とクムラン副官が揃って、白鷹騎士団の食堂へと出張って来ていた。

「こんばんは、オローグ殿、クムラン殿。良い頃合いで来られましたね」

騎士エスファンが困ったような笑みを浮かべ、一礼する。

「ええ、老魔導士フィーヴァー殿の急な指示で。雷帝サボテン《魔導》を扱える戦士の名簿を提供してくれ、と」

「あらまあ。今しがた、我々は、此処のセルヴィン殿下とオーラン君から、同じ依頼を受けたところですわよ。まぁ結局、取次の手間が省略できて良かったですわ」

……ニガワライのような、なんとも微妙な雰囲気が漂った。

そして、番外皇子とは言えセルヴィン殿下のような高貴な人物が居ると、食堂の面々も微妙な気分になる、という事で。

2人の少年は、2人の青年に護衛されつつ、早々に騎士団の詰所の食堂を退出することになった。

「マントのご用意を、セルヴィン殿下。夜の雨の予報が出ております」

護衛オローグ青年が生真面目に進言する傍から、早速、冷たいものがポツリと落ちて来た。雨季ならではの変化だ。

セルヴィン少年の肩先に落ち着いていた白文鳥《精霊鳥》アルジーの頭上にもポツリ。その冷たさに、アルジーは飛び上がった。白文鳥は、想定外の冷気に弱い。

隣に居た手乗りサイズのちっちゃな火吹きネコマタが『失念してたニャ』と言いながら2本のネコ尾の先からパッと聖火を出し。 反射的に出現していた《精霊鳥》特有の冠羽に、チョンと、灯してくれたのだった。

送り込まれて来る暖かさ――精霊エネルギーの流れに、ホッとする白文鳥アルジーであった。

「やっぱり反応が人間ですね、分かりやすいっすねぇ」

クムラン副官は、常にチャランポランとしていて注意力散漫な印象なのに、ビックリするほどの注意深さだ。

セルヴィン少年が、かねてから気にしていたという風に、テキパキと言葉を継ぐ。

「先刻の聖火礼拝堂のほうで、商人バシールの妻という女性がすごく荒れていたのが、気になっているんだ。 あの不審な書状で呼び出されたのは、商人バシールが牢に入れられていた――夫の留守を預かっていたタイミングだろう? その手の呼び出しには慎重になると思うけど、 ホイホイと……ということが、あるのかな?」

「ああ、それでしたら」

クムラン副官が近くの《聖火祠》で間に合わせの松明を作りながら、訳知り顔で応じた。

「彼女――バシール夫人が興味深い供述を。虎ヒゲ・マジード殿がポロリと、亡き巨人族アブダル殿の女癖の悪さについて洩らしたところ、ものすごい反応でね。 バシール夫人、以前から、巨人族アブダルにしつこく付きまとわれて――ストーカーされて、大変だったそうで。 よりによって浮気のお誘いとか、断ったら『娼婦のくせに』と毒づかれたとか、大したセクハラ行為ですね。『商人の妻』と『娼婦』の区別が付いていなかったか、或いは都合よく無視していたか」

さすがに少年という年代には、刺激の強い内容だ。

セルヴィン少年もオーラン少年も、興味津々ながら引きつった顔をしている。

「それでも、アブダル殿はジャヌーブ砦の高位高官。夫バシール殿の釈放に尽力してくれると見込んで、すぐさま尋ねて――嫌々ながらセクハラ行為を受け入れていたそうです。 ほんの数刻後、未明の《人食鬼(グール)》不正召喚で大騒ぎになり、アブダル殿も緊急出動する羽目になったお蔭で危機一髪、 賄賂として持ち込んだカネをむしり取られただけで、本番の肉体交渉のほうは免れた」

クムラン副官は《火の精霊》が灯った松明を器用に立てて、いつものように一行を先導し始めた。

「翌日、バシール夫人は、アブダル殿の、ダラダラ続いたセクハラ自慢話の中で、城壁の『石落とし』には特殊な鍵を使わなければならない――という軍事機密を聞き込んだことを思い出した。 あらためて夫バシール殿は無実と確信した。そしてラーザム財務官のハーレム第一夫人や虎ヒゲ・マジード殿へ、夫バシール殿を釈放するよう、直訴に及んだという事でした」

護衛オローグ青年が『頭痛が痛い』という風に、こめかみを揉んでいる。

「あの直訴は聖火礼拝堂の真ん中で決行されたため、大騒ぎになったと聞いた、クムラン殿。虎ヒゲ・マジード殿が、あれ程ガックリした顔になったのを見たのは、初めてだな」

「まったく、オローグ殿。訓練生への虐待、ストーカー罪、セクハラ罪、浮気強要罪――とりわけ、一般の非戦闘員に、城壁の軍事機密を漏洩したのは、ジャヌーブ砦においては致命的な失態だ。 死後という遅すぎる措置タイミングだが、アブダル殿の懲罰追放は確実だな。カスラー大将軍の、人を見る目は、真実、カスだった訳だ」

白文鳥アルジーは傾聴しつつ、不審な呼び出し状の文章を慎重に思い返した。

――『ジャヌーブ南洋物産の交易商バシール殿の夫人どの。約束の日《麻雀サボテン》開花の刻、中二階の広間の控室に来られたし。清算について。ご存知マッチョ盛り合わせより』

巨人族アブダルの、女癖の悪い――卑劣セクハラ暴力ストーカー虐待趣味――二重人格を知ってみると、 真犯人が、もっともらしいアブダル殺害犯として、ストーカー被害者の1人、バシール夫人をリストアップしたのは、必然だ。

不思議でも何でも無い。

あの呼び出し状は、繊細な筆記用具を扱いにくい巨人族のための、頑丈な字型スタンプでもって作成されたもの。個人を特定する筆跡といった証拠は残らない。

おびき寄せる相手も……バシール夫人じゃ無くても、もう1人の被害女性《亀使い》でも良かった。ただ、《亀使い》を犯人に仕立て上げるのは難しい。相棒の《精霊亀》が、アリバイ証明する筈だから。

白文鳥アルジーは、いつしか、推理をブツブツと呟いていた。

『あの書状、「清算」という語句があったわ。「不自然な関係の清算」と誤解して呼び出されたとしても納得できる。 アブダルは、砦の大将軍の後継候補とか……地位と名誉と権力があった。ラーザム殺害事件に関しては、バシール氏は無関係だったとはいえ……詳しい事情を知らされないまま突然ご夫君を逮捕されたうえ、 セクハラとストーカーとで追い詰められていたバシール夫人としては……』

その白文鳥アルジーの《精霊語》は、即座に白タカ《精霊鳥》ジブリールが、人類向けの初歩的な《精霊語》に翻訳していた。

適宜、オーラン少年による人類の言葉への翻訳が入り。

「成る程、成る程」

と、真面目なのか茶化しているのか良く分からない形で、クムラン副官の同意が入った。

雨季の真っただ中とあって、見る間に、夜の石畳を打つ雨脚がハッキリして来る。

引き続き推理に没頭していた白文鳥アルジーは、手乗りサイズ火吹きネコマタの口に、パクリとつかまった。

「ぴぴぃ!?」

『濡れるゆえ、我が相棒セルヴィンの手の中に避難してくれニャ。《鳥使い姫》の霊魂の炎は、自身で思っているよりも安定しておらぬ』

そのまま、ちっちゃな火吹きネコマタは、咄嗟に差し出されていたセルヴィン少年の手の上へ、器用に着地した。

落ち着いて物静かな雰囲気のオローグ青年が、仰天したように目をパチクリさせ。

「やれやれ、どちらも精霊(ジン)と承知していなければ、その辺の子ネコが小鳥を食べようとしているようにしか見えませんね……」

そして城壁沿いの角を曲がる。

日が暮れて薄暗くなる中――怪しげな人影が、いかにも怪しげな挙動でもって角の建物の壁に張り付き、コソコソ動いていた。

全員でハッと息を止め、城壁には定番の、各所の適当な窪みへ潜む。

クムラン副官も、唖然となるほどの素早い判断で、聖火祠の傍に身を隠していた。その手に持っていた松明と聖火祠の炎が重なって、みごとに目立たない。

怪しげな人影は中年男に見える。しかも割とキザな性質らしい。夜目にも分かるような多彩のお洒落なターバンと長衣(カフタン)だけど、何となく着こなしがズレている。

公衆浴場の覗きをやろうとしているかのような、スケベ心が透けて見える挙動だ。もっとも、此処には、公衆浴場は設置されていないのだが。

彼は、いったい何をしているのか。

セルヴィン少年の、上下に重なった手の平の間から、白文鳥アルジーは、グイグイと顔を出し。火吹きネコマタの視線の方向を確認して、同じ方向を窺った。

城壁の角にある建築は、今は亡き財務官ラーザムが夜な夜な根城にしていたような、贅沢なものでは無い。

衛兵が詰める――大型の詰所だ。

複数の棟から成り立っている。見張り塔、武器弾薬の備蓄倉庫、寝台が設置されているであろう休憩所、軍馬の厩舎。 軍馬の寝藁の足しにするのであろう柔らかそうな草が、近くの溝で栽培されている。人より高い背丈のモサモサは、子供たちが鬼ごっこ遊びに活用する定番スポットだ。

各部分の破壊ぶりが目立つ。

あちこち修理中なのが明らかな、漆喰の塗り残し、仮固定された石積み、格子をハメ込まれるのを待っている窓枠……屋根まで昇り降りできるように取り付けられたハシゴや足場が、そのまま固定されている状態。

目下、建築を修理中のため、衛兵は居ない――人の気配は無い。無人の隙を狙ったように、コソコソ動き回る、不審でキザな中年男。

早くもクムラン副官とオローグ青年が検討を付けていた。

「確か、この間の《人食鬼(グール)》大群の攻撃で、大型の邪霊害獣にやられていた見張り施設じゃなかったか?」

「だと思う、報告によれば。巨人族と同じくらいの大きさの大物《三つ首コウモリ》が、その翼のカギ爪で壁に穴を作り、口に生えていた牙で、常駐の馬2頭の生き血を吸って干物にしたうえ、ズタズタにした」

そうしている間にも、怪しげな人影は建築物の石積みの壁にピッタリ張り付き。その石積みの隙間に目と耳を順番に当てて、中の状況を探っている様子だ。

やがて、《地の精霊》祝福のお蔭で精霊なみに夜目の利くオーラン少年が、不穏に呟いた。片手が既に腰の短剣に回っている。

「あの不埒者、取次業者ディロンです」

セルヴィン少年が驚いたという風に、パッとオーラン少年のほうを振り返った。

「この間、中庭で、カラクリ人形アルジュナ号に憑依中の《鳥使い姫》に求婚したという、例の?」

もはや正体が知れた今、この人物は脅威では無い。とっ捕まえて、事情聴取だ。

全員で合意のうえ、標的を包囲するように、足早に近づく。代表して、クムラン副官が呼ばわった。

「おい、愉快な挙動不審の取次業者どの、夕食の時分に何やらかしてるんだ?」

「あわッ」

中年男は、ようやく掴みかけていた高い位置の窓枠で手を滑らせ、すってんころりと石畳に転がった。

「ひでぇな、ニイちゃん! 大怪我したじゃないか!」

「抜かせ、それだけ上手な受け身の技術が有って。髪の毛ひと筋の傷すら無い筈だ、ディロン殿」

キザな中年男――取次業者ディロンは、包囲して来た4人を見回して、観念した顔になった。

気になる事があるのか、ソワソワと振り返り、建築の奥のほうを窺うディロン。今すぐにでも逃げ出そうとしている、トビネズミのようだ。

「なんか、訳があったのか?」

感度の鋭いクムラン副官がピンと来た顔になり、声を潜める。

――回答は、すぐにやって来た。異変と共に。

『よけるニャ!』

セルヴィン皇子の相棒、高位《火の精霊》火吹きネコマタが、「シャーッ」とネコらしい警戒の声を上げた。

2本の尾を持つちっちゃな子ネコは、見る間に真紅の炎の姿へと変身し、神々しい聖火のカーテンとなった。

緊急的に立ち上げたとあって、向こう側が透けて見える程に薄い。

向こう側から、ぎらつく黄金色の雷光を放射する何か――トゲトゲした剣呑な砲弾のような――が、数個ほど。

全部で5個、飛んで来た!

「危ない!」

白文鳥アルジーは、セルヴィン少年の手の中にギュッと握り込まれ、息が詰まるような思い。

トゲトゲ砲弾は、その全体を取り巻く黄金色の雷光で、聖火のカーテンを破り、突き抜けて来た。聖火の防壁で、大いに威力を削られながらも。

1個がセルヴィン少年へとまっすぐ飛んで来て、白文鳥アルジーは瞬時に警戒の冠羽を立てた。聖火カーテンに比べると、微風バリアでしか無いけど。

トゲトゲ砲弾が「パパン」と弾け、四方八方へ雷光を発射した。ぎらつく刺が発射されたみたいだ。傍の瓦礫の端にピシリと当たり、結構な火花と破片が飛ぶ。明らかに危険。

次の瞬間、白金色のフラッシュが瞬く。フラッシュ源は、セルヴィン少年のターバン装飾石――《精霊石》。

飛んで来るトゲトゲ砲弾の、トゲトゲが、白金の煙となって蒸発した!

オーラン少年の短刀が、目にも留まらぬ速度で閃く。トゲを失った砲弾が斬り落とされて転がり、石畳で白金色の煙を噴出しながら転げ回った。

白タカ《精霊鳥》ジブリールが飛び出し、短刀の届かない空隙をカバーするように急上昇する。2個めが、その翼で叩き落とされた。真っ白な幼鳥は感電したようにブルッと震え、ヨタヨタしながらも無事に着地。

つづいて、クムラン副官とオローグ青年が、それぞれ退魔紋様を完備する三日月刀(シャムシール)を振るう。

三日月刀(シャムシール)の刃先とトゲトゲ砲弾のような何かが衝突し、派手な黄金と真紅の火花が散った。砲弾のような何かは、雷光ごと粉々になりながら石畳へと叩き落とされ、そこで多数の爆竹のように跳ね回る。

残りの1個は、微妙に勢いが落ちていた。ちょうど逃走しかけていた取次業者ディロンの足元へ転がる。

ぎらつく黄金の雷光の余波を受けて、キザな中年男は、ビリビリと震えながら飛び上がった。

「あはぁん! おほぉん!」

キザな意匠のターバンごと、髪型が静電気を帯びたかのように、ボワッと爆発する。

身をくねらせながら倒れ込むディロン。そこで接地(アース)したのか、急に雷光が収まった。

目を回したディロンの、キザな長衣(カフタン)の各所から、焦げ臭い白煙が、シュウウ……と立ち上がっている。

「雷帝サボテンだ! いったい誰が……」

護衛オローグ青年が飛び出した。唖然となるような身のこなしで、当たりを付けた建築の物陰へと入り込む。

「危険だ、オローグ殿!」

ギョッとしながらも、援護に入るクムラン副官。

白文鳥アルジーは一瞥しただけで、護衛オローグ青年の目論見を察知できた。

次の瞬間、風を切る音が響いた……小型の投げナイフ。手裏剣だ。オーラン少年も使いこなしていた、あの武器。

――かつてのシュクラ王女アリージュ姫は、祖国を襲った三つ首の巨大化《人食鬼(グール)》との戦いの中で、良く見て、知っている。 隣国オリクト・カスバの武器だ。オリクト・カスバから援軍として派遣されて来た戦士が、怪物《人食鬼(グール)》の群れと相応にやり合えていたのは、この飛び道具のお蔭もあるのだ。

「うがぁ!」

雷帝サボテンを操っていたと思しき不審者の、叫び!

「まさか」

セルヴィン少年もオーラン少年も、仰天するままに、一瞬だけ立ちすくむ。一方、クムラン副官は、オローグ青年のもとへと殺到していた。

果たして、半ば崩落している石積みの陰に、うずくまる人影!

建物の裏の溝で栽培されている、軍馬の寝藁に使うモサモサ草の中へ逃げ込もうとしていて、オローグ青年が、逃がすものかと、峰打ちを浴びせている。苦悶の叫びが、3回ほど。

「縄を使え、縄を」

元から気の合うクムラン副官とオローグ青年は、あっと言う間に、不審者を縛り上げ……城壁沿いの、表の石畳の道へと引きずり出したのだった。

雷帝サボテンの影響で、まだビリビリしている取次業者ディロンが、訳知り顔で不審者を指差した。

「そう、コイツやで、そこで怪しげにコソコソしてたのは。腰のもの全部が雷帝サボテン発射用の鉄砲なんだ、押収しろよ、お巡りさんよ」

「ディロン、貴様だったのか! 俺の大事な大事な秘密を盗み見しようとして盗み聞きしようとして、チョロチョロ産業スパイやってたのは、この、エロパロ痴漢が!」

「誰が、半端な毛深族の、半分ハゲてる毛髪やヒゲや、ワキ毛や股間の毛を見たいと思うんだ、この自意識過剰ナルシストが」

お互いにイイ年の、口の減らぬ中年男同士の、口喧嘩だ。

不審者をよく見ると、取次業者ディロンが指摘したように、確かに毛深族。

全身、あまり手入れされていない、モッサァ・ボサボサ茶色の体毛が目立つ。砦で見かける平均的な毛深族の人々ほど、ミッシリとしては居ない。その分『体毛マシマシ人類』『半分だけ毛深族』印象が大きい。

ふと白文鳥アルジーは、毛深族の子孫という、東帝城砦の帝都伝書局・市場(バザール)出張所の、バーツ所長を思い出したのだった……

クムラン副官と護衛オローグ青年が、日ごろの職務と訓練の成果か、速やかに、不審者の腰のもの――様々な大きさの物騒な砲身と見える――を、全て取り払い、押収する。

「確かに、どれもこれも、雷帝サボテン鉄砲だ。城壁から大型の邪霊害獣を撃ち落とすヤツだ。小型のは、衛兵が時々、戦士階級の不審者を誰何して理不尽に反撃された時に、大人しくさせるために使う」

「泥酔していても退魔対応の戦闘能力を発揮する戦士は居るな、巨人族ギムギン殿のように」

――そんな自衛用の武器があるのね、と感心する白文鳥アルジーであった。さすが帝国でもトップクラスの危険度を誇る南部《人食鬼(グール)》前線は、人材も武器も充実度が違う。

ふと、かの最低な夫トルジンを、雷帝サボテン鉄砲の、特に大型で、10日間は、ビリビリさせられたら……という危険な誘惑がチラリとよぎったのは、否定しない。

「この男を知ってるのか? ディロンとやら」

セルヴィン殿下が興味津々で突っ込み始めた。

「偶然ながら顔見知りでして、皇子サマ。ジャヌーブ港町の賭場で、時々、顔を合わせるんですよ、なぁ、雷帝サボテン《魔導》工房の鉄砲職人サイブン。あ、南洋の船乗りシンド君だったら良く知ってるな」

「雷帝サボテン《魔導》工房……」

呆然とした顔で、オーラン少年が呟いた。

取次業者ディロンは、なおも畳みかけるように、鉄砲職人サイブンなる中年男へ語り掛ける。揶揄しているようだが、相応に緊張していることが見て取れる。

「率直にいって、私は、巨人族アブダル殺害にかかわった飛び道具を作ったのは、サイブン殿と思ってるんだが」

「抜かせ。俺は今、ものすごく気分が悪いんだ。さっき、聖火礼拝堂の広報の張り紙で、あの筋肉てんこもり野郎が死んだと知ってな。 アヤツをブチ殺すのは、この俺だった筈なんだ、父親の復讐だ! あのクソ野郎アブダル、俺の見てる前で、俺の息子を手籠めにして、自殺させやがったんだからな!」

「……は?」

しばし、取次業者ディロンをのぞく全員で、呆然とする。

ディロンは訳知り顔で、痛ましそうな表情を浮かべた。殺意を非難はするが、同情はする、という風だ。

「なんだ、殺してないのか? アブダル戦士が急に死んだという聖火礼拝堂の張り紙を見て、コイツはホントに、鉄砲職人サイブンが遂に殺(や)りやがったんじゃと思ってたよ、こっちは。 賭場の顔見知り仲間を通じて、散々、特大の雷帝サボテン大砲で地獄バラバラ黒焦げにするだのなんだの、身の毛もよだつような実現可能な殺害計画、聞いてたからな」

クムラン副官が戸惑った顔をして、髪をシャカシャカとやる。珍しく、生真面目に困惑している。

「私がジャヌーブ砦に流れて来る前の話らしいな。職場の引継ぎの時に『下半身を大怪我して麻痺で歩けなくなった青年の自殺事件があった』というような事は聞いてたが、詳しくは知らないんだ」

「どうせ、お蔵入りゴニョゴニョ扱いだったんだろうよ、お若いお巡りさんよ。理解と想像の範囲外なんだろう、『男が男に手籠めにされて、それを苦にして自殺した』てぇのは。 『病死であり事件性は無い』という結論を、当の巨人アブダルから、『あの時は息子もイイ気持ちで楽しんでたんだから、イイだろ』って、ニヤニヤ笑いで聞かされた時の俺の気持ち、わかるか!」

――下半身の大怪我とは、どういう大怪我だったのか。父親の目の前で、巨人男に手籠めにされた末の、歩けなくなるほどの大怪我……麻痺。

巨人族との、その類(たぐい)の交渉。想像はつく。とても嫌な想像だけど。

昔は、巨人族は、邪霊崇拝の習俗を持つ亜人類だったのだ。

まして、「弱きを虐(しいた)げる」と酷評された、パワハラ巨人戦士アブダル。

高位高官の戦士階級としての特権でもってゴリ押し……三ツ首の怪物《人食鬼(グール)》さながらの、流血と暴力の光景だったに違いない。

オーラン少年よりは繊細な育ちだったらしいセルヴィン少年が、口を押さえて背を向け。近くの溝で何やら、戻し始めた。 もとから生贄《魔導陣》による体力不足のうえに、大きな心理的衝撃で、胃袋その他の内臓が耐えられなかった様子。

オーラン少年が、有能な従者として、かいがいしくセルヴィン少年の世話をし始めた。

白文鳥アルジーは、早くもセルヴィン少年の手の中から飛び立っていた。《火の精霊》火吹きネコマタの頭上に止まり、適切に控える距離を取る。

鉄砲職人サイブンは、セルヴィン少年の虚弱ぶりに同情しながらも白けたような顔つきで、ブツブツと呟き始めた。

「そういえば、巨人アブダルの死体は、どんな風だったんじゃ? できるだけ血まみれの惨殺死体だったのなら、なんとか、息子の墓に、穏やかに報告できそうな気がするんだよ」

クムラン副官とオローグ青年は、しばし視線を合わせ……そっと頷き合った。

――鉄砲職人サイブンは、それなりの理由があって暴れていただけだ。その理由が無くなった今、抵抗や逃走をやろうという様子は無い。 むしろ、戦士アブダルの新たな情報が取れるというのなら根を生やしてでも居座るほうだろう。

オローグ青年は手際よく、中年男サイブンの縄を解いた。見込みどおり、サイブンは、おとなしく座り込んでいた。

やがて、オローグ青年が静かに説明を始める。

「事情が事情だから、此処だけの話だが。巨人戦士アブダルは、最近、聖火礼拝堂の女性《亀使い》を痴漢していたらしい。 具体的な内容は省くが、《亀使い》は激怒して、『灰色の御札』を使って全身全霊で呪ったと聞いてる。『男の証明』が永久的にもげてしまうように」

思わず、と言った風に、ヒゲ面の鉄砲職人サイブンは目を剥いた。半分は男ゆえの恐怖だ。

「原因は調査中だが、巨人戦士アブダルは雷帝サボテンによる心臓発作で死亡。その死体の局部は、すこぶる大型の邪霊害獣《三ツ首ネズミ》の群れに食い荒らされて、無くなっていた。 『男の証明』を守護する《精霊亀》守護札が、まったく機能しなかったことは分かっている。大事な時に守護札が機能しなかったのは、女性《亀使い》の呪いのせいだという予想は、付いてる」

……少しの間、意味深な沈黙がよぎった……そして。

大きな息をついて、ハーフ毛深族の鉄砲職人サイブンは、うつむいた。復讐心に膨れ上がっていた何かがしぼんだみたいで、身体も、小さくなったように見える。

「女とは、なんと恐ろしい……」

――その言及の裏にある、真の意図は、『完璧な復讐だ!』という雰囲気が、アリアリなのだけど。

白文鳥アルジーは、ちょっと、プンスカ気分だ。女性のひとりとして。

(そういう言い方って、微妙すぎるわよ)

好奇心満々で耳を傾けていた取次業者ディロンが、突っ込み始める。

「巨人戦士アブダルは雷帝サボテンで死んだってのか? その雷帝サボテンを発射した武器って、鉄砲職人サイブンのところの《魔導》工房で製造した武器なのか?」

クムラン副官が乗り気になって、フムフムと頷き始めた。

「意外に重要な指摘だな、ディロン殿。専門の職人としての見解はどうなる、サイブン殿? 調書に名前を記録されたく無ければ、匿名で見解を受け付けることは出来るぜ」

鉄砲職人サイブンは思案顔になり、かたわらに積み上げられた多種多様な雷帝サボテン発射砲を眺めた。

「どうせ息子はもう居ねぇ、バリバリに名前を記録してくれて構わん」

セルヴィン少年が、吐き気がようやく収まって、近くのベンチに座り込んでいた。建築の修理工事の大工たちのための、複数のベンチのひとつ。 なんとなく、その場の全員で、近くのベンチにそれぞれ腰を下ろす。

鉄砲職人サイブンも、ドッカリと腰を下ろした。

「武器の現物を見なきゃ分からんが、特製の鉄砲の可能性は、大いにある。 俺が勤めている《魔導》工房はジャヌーブ砦ご用達の武器を製造しているし、雷帝サボテン発射装置は大量に納品してるんだからな」

そこで、鉄砲職人サイブンは適当に半分モッサァなヒゲをしごいて、適当にボサボサな眉毛を、モッサァとさせた。

「とはいえ……扱える奴は限られる。そこのヒョロリ坊主は、まず無理だ。ガッツリ筋肉を鍛えないと。非力な素人だと、逆方向に吹っ飛ばされるか、雷帝サボテンが反転して自分が感電する」

ヒョロリ坊主と名指しされたセルヴィン少年が、目をパチクリさせて当惑顔になっていた……

*****

毛深族のハーフであるヒゲ面オッサン、鉄砲職人サイブンは、復讐心に燃えていない時は、意外に――必然なのか――冷静沈着で、博識で、協力的だった。《魔導》工房の熟練の職人そのもの。

近々、セルヴィン皇子は、ジャヌーブ南の廃墟へ突撃する予定がある。

その件について軽く話を振ってみると、鉄砲職人サイブンは、ジャヌーブ南の廃墟で必要になる、《人食鬼(グール)》対応の鉄砲の数を揃えておくと請け負ってくれたのだった。 雷帝サボテン発射装置の一式が完備されている鉄砲だ。

*****

鉄砲職人サイブンや取次業者ディロンとの話し合いを切り上げ、セルヴィン皇子の一行は医療区画へと帰還した。

クムラン副官と護衛オローグ青年が、手慣れた風で談話室に食卓を準備した。

実務に関わる青年2人は遅めの夕食をつつきながら、捜査会議に出た話題と、つい先刻の鉄砲職人サイブンの騒動を合わせて、報告書にまとめるべく検討を加え始めていた。

セルヴィン少年は、普通に食欲はあるけれど、同い年のオーラン少年と比べると、グッタリと疲れたという感じ。食事のスピードも、ゆっくり。

精霊(ジン)の定位置《魔法のランプ》の長い口先に、ネコミミ炎の姿をした《火の精霊》。 白文鳥《精霊鳥》アルジーは、『魔法のランプ』の優雅な取っ手の上に、いつものように腰を下ろして、夕食の光景を眺めていた。

『一応、セルヴィンの体力は何とかなりそうね、セルヴィンの相棒《火の精霊》さん?』

『想定外の、あの鉄砲職人サイブンの騒動が挟まったゆえ、エネルギー補給に手間取ったニャ。 帝国皇族の《精霊石》――亡き母堂セリーン妃が選んだ、ターバン装飾石の強靭さと頑固さがハードルである』

『先刻の騒動でも、白金色のフラッシュ守護、すごかったわね。納得』

『やはり前にもボヤいたように、よく適合する精霊魔法の護符を早く見つけたい。腕輪でも首飾りでも良い。 波長ピッタリの薔薇輝石(ロードナイト)の目をした相棒とはいえ、変換効率が悪くて悪くて、イラつくニャ』

ネコミミ炎は、パチリと白金色の火花を飛ばした。相当にプンスカ状態だ。

『いや《鳥使い姫》、色々ボロボロだが感謝しなければニャ。いわゆる「この世で最強のトラブル吸引魔法の壺」が持ち込まれたお蔭で、様々な事象が一気に集約されてきている。 この1日で、どれほど運命の経路が変化したか、驚嘆するところであるニャ。いままで、どれ程、体当たりを仕掛けても開かなかった運命の扉が、こうも次々に破れるとはニャ』

『わたし、何もしてないわよ?』

『かの《逆しまの石の女》ジン=アルシェラトの精霊魔法。《鳥使い姫》は、生身じゃなくてポンコツ霊魂なのに、100%近い驚異の変換効率ニャ。 詳細に説明することはできないが、そもそも《鳥使い姫》が、この時空に共鳴して存在するという事実が、既に、極めて高度な精霊魔法《鳥舟(アルカ)》であるニャ』

『分かったような、分からないような……? ジン=アルシェラトは《銀月の精霊》だね。なぜ地下のジャバ神殿の、一番底の階層で、逆さまの首の彫刻の形で並べられているのか分からないし。 美形だと思うけど、精霊(ジン)にしては、なんか不安定だし、妖しいというか』

『千夜一夜の満月の光と新月の闇を揺らぐゆえ。銀月から発した千夜一夜の精霊魔法《鳥舟(アルカ)》稼働時間は、我ら現在の時空では、1001日かも知れぬし、50日足らずかも知れぬ。 「時空の歪みの極致」だの「時空の特異点」だの言いならわすところだが、人類の言語の範囲で正確に説明するのは難しい。 「この世で最強のトラブル吸引魔法の壺」の魔法という風に、理解しておいてくれニャ』

――白文鳥アルジーは首を傾げながらも。

ふっと、水鏡の向こうに見えた、懐かしいオババ殿の幻影――あれは亡霊に違いないと思う――が、発した、謎の、似たような言葉を思い出していた。

……超古代の伝説の、偉大なる千夜一夜の魔法《鳥舟(アルカ)》……!

白文鳥アルジーの、つらつらとした物思いは、そこで中断した。

セルヴィン少年が胸を押さえて「ウッ」と、うめいて、崩れ落ちたのだった。

いずことも知れぬ場所で、生贄《魔導陣》を軽く活性化させた相乗りの誰かが居たらしい……幸い致命的な発作では無いけど。

(心臓発作は軽くても、かなり、こたえるわね)

生前に、シュクラ王女アリージュ姫あらため民間の代筆屋アルジーが、幾度も味わった痛みだ。針を突き刺すような痛み、冷気。眩暈。ドッと吹き出す脂汗……

白文鳥アルジーは早速、呆然としたオーラン少年のもとへ飛んだ。

『心臓の薬を飲ませるのよ、セルヴィンの口が開かないようだったら、こじ開けて。あのお茶が有るなら、お茶を』

クムラン副官とオローグ青年が、素早く、セルヴィンの身体を寝台へ運び。オーラン少年が、老魔導士フィーヴァーから処方されていた回復薬を、セルヴィンの口に押し込んだ。

程なくして、セルヴィンは、いつもの失神から回復した。格子窓枠の外では、また骸骨剣士が沸いて来ていた……3体ばかり。巡回していた衛兵が気付き、退魔調伏する音が聞こえて来る。

「まだ一体ガシャガシャ動いてるぞ、退魔調伏して砂に変えてしまえ。あとで道路清掃の人足が来て砂掃除してくれるから」

「退魔調伏の紅白《御札》在庫が切れてるんです、短剣のほうでやりますね、時間かかりますが」

「ああ、魔導士ユジール君は、まだ見習いだったか」

窓の隙間を通して聞こえて来るのは、聞き覚えのある若手の馴染みの衛兵の声と、声変わり途中の新人の少年のかすれ声だ。 少年のほうは、初めて聞く声だ。セルヴィンやオーランと同じ、14歳か15歳の雰囲気。

白文鳥アルジーは、警戒の冠羽と聞き耳を立てつつ、息を呑んでいた。

あの見知らぬ、見習い魔導士少年の発音は、シュクラ周辺の流儀だったような気がする。一瞬だったから、確信は持てないけど。

そして、ハッとして鳥の首を回すと……

オーラン少年もまた、驚愕の顔だ。《地の精霊》祝福の地獄耳でもって、アルジーと同じ事実に――見習い魔導士少年の、シュクラ風の発音に――気付いた様子。 小首を傾げ……すぐに、いつもの従者の表情に戻る。

白文鳥アルジーは、素早く、格子窓枠の外へ視線を投げた。退魔調伏の進行中らしく、まだ特徴的な物音がつづいている。

見覚えのある人相の若い衛兵と……見習い魔導士の少年。 魔導士の黒い長衣(カフタン)をまとう段階では無いらしく、真紅の縁取りのある黒マント姿だ。学生風。エスニックな首飾り護符が数本ほど、シャラリと音を立てている。

そして、うっすらと記憶にあるような、淡い茶髪。シュクラ王太子ユージドにも似ているような気がする。名前も年恰好も、記憶の中にあるボンヤリとしたイメージと似ているせいだろうけど。

(あれが、見習い魔導士少年ユジール君。此処からだと詳しくは分からないけど、美少年っていうくらい綺麗な顔してるわね。オーラン君とも、少し似てるような気がするわ)

シュクラ・カスバ周辺の出身と思しき見習い魔導士少年ユジールの体格や人相の特徴を、シッカリ頭に叩き込んでおいて。

白文鳥アルジーは小鳥の首を戻して、セルヴィン少年のほうを確認した。

帝国の皇族セルヴィン殿下は、さすがに落ち込んだ様子。ほとんど動けなかった時と比べると、少しは動けるだけに、口惜しい気持ちがあるに違いない。

「あの鉄砲職人サイブンの話を聞いただけでもフラフラになったし、色々と情けないな」

『そうは思わないわよ、お腹のものを戻したり、発作で倒れたりするのは、禁術のせいだし』

ぴぴぃ、と、さえずる白文鳥アルジー。

『まだ14歳だもの、色々見聞きして考えてちょうだい。それに王族だの皇族だのとなると、特権に保護されて感性も愚鈍になりがちで。カムザング皇子が典型的な例。 気持ち悪くなった経験は糧(かて)として取っておくといいわ、この手の話題に繊細なことは悪いことじゃ無いし。むしろ私はセルヴィンの感覚が普通の範囲って分かって安心してる』

白文鳥《精霊鳥》の精霊語は高難度レベルと聞く。まだまだ初心者の少年に、正確に伝わったかどうかは、分からないけど。

セルヴィン少年もオーラン少年も思案顔だ。何かしらポツポツと、伝わる部分はあったらしい。

少し間をおいて、巨人戦士アブダル殺害事件についての、クムラン副官とオローグ青年の検討が再開した。

「そういえばオローグ殿、セクハラ・パワハラ満載のアブダル殿、実は妻帯者だ。すこぶる美人の奥さんが1人。知ってたか?」

「あぁ、エスファン殿とサーラ殿から聞いた。白鷹騎士団の訓練所の剣術指南役として指名された時、 『解雇を不服とした闇討ちリスクあり』前任者の人事情報として……重要な内容だとは思わなかったが」

(巨人戦士アブダルは、あれで、結婚してたのッ!?)

驚きにビョーンと伸びあがりつつ、薔薇色のクチバシをポカーンと開ける、白文鳥アルジーであった。

さすがに、あからさまな反応が目に留まった様子。クムラン副官とオローグ青年が、目をパチクリさせて注目し。その後、苦笑いを見せて来た。

「いろいろ観察する必要がありますよねぇ、名探偵《鳥使い姫》。方々連絡が回りましたから、話題の奥さん、明日にも礼拝堂へ来るかと。ご遺体の最後の処理の儀式と、遺産の処理があるそうで」

――カネ! 高位高官の戦士だったアブダルなら、きっと、ザックザク! 是非に!

白文鳥アルジーは張り切って、白い小鳥の羽をパタタッとやった。

■19■筋肉は嘘つかない!筋肉は裏切らない!

翌朝。

セルヴィン殿下が滞在する医療区画へ、白鷹騎士団で経理事務を務める夫婦、騎士エスファンと女騎士サーラが訪れて来た。

白文鳥《精霊鳥》アルジーと、セルヴィン皇子の相棒《火の精霊》火吹きネコマタが気付き、扉の前へ行って「ピピピ」「ニャー」と鳴いて、応じる。

まだ半分寝ぼけている老魔導士フィーヴァーが、ヨロヨロと続いた。 昨日の夕方に急に発生した『雷帝サボテン事件』すなわち鉄砲職人サイブン騒動が加わったため、聖火礼拝堂での捜査会議が、深夜まで及んでいたのだ。

「ターバン装甲に、手甲のレリーフ……白い鷲獅子グリフィン紋章……白鷹騎士団じゃな。ええと、何の用件じゃったかのう?」

それだけで、やっとだったらしく……老魔導士フィーヴァーは、立ったまま、豪快なイビキと共に眠り出した。モッサァ体毛と同様、『毛深族』特有の愉快な特技として知られている、驚くべきバランス能力。

一瞬、目をテンにした壮年の騎士夫妻であった。小脇に、文書の束を抱えつつ。

奥の続き部屋でセルヴィン少年の着替えの補助をしていた従者オーラン少年が、大慌てで自分の上着をまといつつ、熟睡を始めた老魔導士フィーヴァーの隣へ駆けつけた。

「えっと、エスファン殿とサーラ殿。昨日の依頼……雷帝サボテン《魔導》を扱える戦士の名簿リスト、お願いしていたんでしたね。まとまったのでしょうか?」

壮年の騎士夫妻は、ホッとしたような苦笑を見せた。

「おはよう、オーラン君。偉大なるフィーヴァー殿が遂に『ご老体』に……と、ドッキリしたよ」

「老魔導士どのは、ご多忙なうえに、お取り込み中だったようね。これから早朝の鍛錬があるから、文書お渡しておくわ。セルヴィン殿下にも、よろしくね」

そして最後に、多忙な騎士夫妻は、老魔導士フィーヴァーの肩先に鎮座した《火の精霊》火吹きネコマタ、白文鳥《精霊鳥》アルジーにも、挨拶として順番に頭を撫でて、退出して行ったのだった。

――早くも。

セルヴィン少年が、壁に手をつきながら談話室へ出て来た。少し調子が悪かったらしく、着替えや洗顔など、身を整えるだけで息切れしていた様子。 だが、その琥珀色の目は好奇心でキラキラしていて、金色に近い。

従者を務めるオーラン少年が飛んで行って、セルヴィン少年の介助に回った。

「気が回らず済みません。おかけになってください、セルヴィン殿下」

談話室の卓上には、既に報告書が広げられている。

白文鳥《精霊鳥》アルジー、《火の精霊》火吹きネコマタとで並び、《精霊魔法》の力でもって報告書をめくり、ザッと目を通した。

扉のところでは、こちらに背を向けたまま「立ち眠り」している老魔導士フィーヴァーの、豪快なイビキが鳴り響いていた。まだ睡魔が去っていないらしい。

早速、白文鳥アルジーは、名簿リストの傾向に気付いた。

『意外に女騎士も多いみたいね』

『であるニャ。雷帝サボテンは元々、黒毛玉ケサランパサラン。とても軽い。だが鉄砲職人サイブン特製の発射装置を使っても、遠くまで放り投げたり、威力を加えたりするのは、やはり男の筋肉のほうが有利ニャネ』

白文鳥アルジーは、天を仰ぐ気持ちになって、チョコンと座り込んだ。

『男の人ばっかり有利で、世界を管理する神やら創造神とやらは、ずるいわね』

『つくづく、筋肉の大小から来る人類社会の強弱の観念は、シツコイ困りモノニャネ。古代、各種の精霊(ジン)と協力関係を築けなかった人類の民族は断絶したのだが』

ちっちゃな手乗りサイズの赤トラ猫の姿をした火吹きネコマタは、意味深に金色の目をキラリとさせ、ネコのヒゲをピピンと震わせた。

『同じ人類の男と女の間で協力できなかった民族は、部族社会から発展できず、新たな時代を開く英雄も輩出できず、遂に王国をつくれなかった。 王国の守護精霊となりうる高位の精霊(ジン)との協力関係も、築けなかったのニャ。そして邪霊に食われたのニャ。 部族・派閥のバカ殿でしかなかったカムザング皇子の末路も、本質は同じニャデ』

『……理解はできる』

『さすが《白孔雀》の御使いのパル殿が見込み、銀月のジン=アルシェラトが祝福した、由緒ある王統の第一王女ニャネ』

不意に。

直感めいたものが、アルジーの脳裏に、ピコーンと閃く。

『――案外、今回のパワハラ脳筋な巨人族アブダルの死因も、その辺の筋肉の、どこかに関係あるのかしら?』

視線を感じて、ふと気づくと。

セルヴィン少年とオーラン少年が不思議そうな目をして、白文鳥アルジーを見つめていたのだった。

「巨人族アブダルの死因が、筋肉に関係してる、って?」

白文鳥の鳥の顔は赤面しないけど、アルジーは内心、赤面した。

――そんなに、真面目に受け取らなくて良いわよ。口から出た思いつき。

扉の前から響いて来るイビキが止まった。老魔導士フィーヴァーが、やっと目を覚ましたらしい。素っ頓狂な叫びが飛んで来る。

「さっきまで、白鷹騎士団の事務の2人と話していたと思うが、彼らは何処へ消えたんじゃ!?」

*****

朝の、いつものアレコレを済ませた後。

怪奇な殺害現場となっていた中二階の片付けが済み、忌まわしき祭壇も隅々まで調査のうえ、今朝にも運び出して、礼拝堂の所定の場所で特別な清めの儀式をおこなうとの事で。

老魔導士フィーヴァーと少年2人、それに白文鳥アルジーと火吹きネコマタとで、連れ立って、現場を再訪問したのだった。

最寄りの厩舎広場。明け方の雨は早くも上がっていたが、石畳はまだしっとりと濡れていた。

2頭の《精霊象》が象小屋から出て来ている。

前にも見た事のある2人の《象使い》、老女ナディテと壮年男ドルヴに綱を引かれて……《精霊象》は、足の怪我のリハビリを兼ねて歩き回っていた。 《精霊象》たちは早くも、同じ精霊(ジン)である火吹きネコマタに気付き、ついで、半分ほど精霊(ジン)である白文鳥アルジーにも気付き。

『そろそろ来る頃だと思ったよ』

長い長い象の鼻を、ちっちゃな火吹きネコマタと白文鳥アルジーに、順番に寄せて来た。

2人の《象使い》も気付いて、アレアレ、という顔をする。身じろぎのたびに、《象使い》専用の、幅広の襟飾り……エスニックな多色ビーズ編みの装飾品が、相応の重厚な音を立てた。

「この間も来てた新顔の精霊(ジン)だね、白文鳥さん」

「白文鳥なんて、この辺には渡って来ないもんだと思ってたが。昔はどうだったかな? 聞いた事ありますか、ナディテ婆さま」

「500年前は来てたらしいけどねぇ。おや、おはようございますじゃ、偉大なる老魔導士どの、それに、お子様がた」

朝も早くから「お子様」扱いされたセルヴィン少年とオーラン少年であったが。

帝国でも有数の危険度を誇る南部《人食鬼(グール)》前線、ジャヌーブ砦。長年その砦を《象使い》として守りつづけて来た偉大なる老女ナディテ。 しかも神様よりも年上であっても不思議では無い程の大先輩とあって、少年2人とも、素直に受け入れるのみだ。

挨拶を交わしていると、白鷹騎士団の専属魔導士・老ジナフが、白鷹騎士団の所属の護衛騎士と共にやって来た。

魔導士・老ジナフの脇に、鷹匠ユーサーが控えていた。

――昨夜、色々あり過ぎたせいで、久しぶりのような気がする。

白文鳥《精霊鳥》アルジーは、早くも、鷹匠ユーサーの肩先に止まり、ホンワカ、まったり安心した気分になったのだった。

鷹匠ユーサーの手甲と皮手袋を定位置とする、白タカ《精霊鳥》ノジュムが、訳知り顔で『おはよう。昨夜は色々あったようだな』と挨拶して来た。

セルヴィン少年とオーラン少年は、いっそう気持ち良さげに「ふわもち」になった白文鳥を眺め、それぞれに少しずつ首を傾げている。

「やっぱり、鷹匠ユーサー殿が良いのか……」

「ユーサー殿は一時期、白文鳥《精霊鳥》の高灯籠の管理も、代理でされてた事が……」

――ゴメンよ! なんだか鷹匠ユーサーのほうが、雰囲気とか、霊魂から出ている不思議な波長か何かが、合う気がするの!

半分は人類とは言え、精霊(ジン)の特有の感覚に引きずられている白文鳥アルジーなのであった。

白鷹騎士団の紋章の額当を装着している魔導士・老ジナフが白文鳥アルジーを眺め……少し小首を傾げた後、納得したような顔になり。あらためて、老魔導士フィーヴァーへ、声をかける。

「大魔導士どの、ご足労いただきまして。これより例の黄金祭壇を運び出しますので、御立ち合いのほどを」

「いやはや、老いぼれ魔導士で構わん。先ほども寄る年波か『立ち眠り』をやらかしてのぅ」

「どうやって直立不動の姿勢を保つのか……『毛深族』では無い我らには、永遠の謎でございますよ。さて、かの問題の黄金祭壇の件ですが、相当の重量がございまして。《精霊象》運搬といたしました」

「やはり、そうなったか。巨人族も怪力じゃが、残念ながら彼らには、極めて慎重を要する運搬作業を任せる事はできん。各所の破損など、日常茶飯事じゃからな」

申し合わせが済んだところで……訳知り顔で、壮年の《象使い》ドルヴが、相棒の若い《精霊象》ドルーをポンポン触れて、指示をし始めた。

若い《精霊象》ドルーが、精霊(ジン)ならではの不思議な魔法でもって、ロバと同じくらいの大きさに縮んでゆく。

生前に、それ程《精霊象》を見た事が無かった――シュクラ王女アリージュ姫あらため白文鳥アルジーは、仰天して注目するのみだ。

『身体サイズ変化できるの!?』

『同族の中では定番の精霊魔法だよ。小さくなるのは、ギュウギュウに身を縮めるのと同じで、違和感がすごくなるんだけどね。 パッと回転すると、倍速でパパパッと回転してしまうから、いつもより、ずっと、ゆっくり動くんだよ』

そう言いながらも好奇心も相まってか、《精霊象》ドルーは協力的だった。相棒ドルヴが引綱をとってリードし始めると、おとなしく付いてゆく。

現場には、若干数の見張り衛兵や騎士たちと共に、毎度、護衛オローグ青年とクムラン副官が控えていた。近くで、ヒゲ面の生真面目な中年バムシャード長官と、中二階の初老の管理人がヒソヒソ話をしている。

特に力自慢と見える、筋骨隆々の衛兵や騎士が黄金祭壇に取り付き、声を出し合って、慎重に持ち上げ始めた。

「1、用意。2、3で、そら行け!」

「こらしょ!」

黄金祭壇が程よい高さへ持ち上がり、下に出来た空隙へ、ロバほどの大きさに縮んだ《精霊象》ドルーが、器用に潜り込んだ。

相棒の《象使い》ドルヴが「よーしよし」と声を掛けながら、黄金祭壇の取り付け位置を調整する。《精霊象》ドルーは、その背中へ祭壇が取り付けられている間、おとなしい。

――その、ふとした一瞬……

祭壇オブジェの底面の端から、糸のような何かが、細くキラリと光りながら垂れ下がった。

――感覚の鋭い《精霊象》ドルーは、見逃さなかった。

『垂れ下がってるよ、お祓いの済んでないモノが』

火吹きネコマタが金色の目をピカッと光らせ、ネズミを捕らえるネコそのものの素早さで、飛び掛かる。

パチパチと魔除けの火花が散った。ちょっとした爆竹のように。

邪霊成分の残りカスが漂っていた様子だ。

仰天する一同……白文鳥アルジーも、鷹匠ユーサーの肩先で「ピョン!」と飛び上がったほどだ。

白タカ《精霊鳥》ノジュムが、鋭い視力で即座に気付く。

『銀髪だぞ、それ。一瞬だが《銀月の祝福》の微小な欠片が光った』

『うむ、間違いないニャ。微小すぎて《怪物王ジャバ》が取りこぼした部分ニャネ』

手乗りサイズのちっちゃな赤トラの子ネコ……その実、高位《火の精霊》である火吹きネコマタは、華麗な身のこなしで、シュタッと床に降り立った。 元々《火の精霊》。マジカル曲芸そのものの空中回転と、着地。

そして、ちっちゃなネコの手から、そーっと、銀色の細いスジを垂らした。

若い《精霊象》ドルーが慎重に象の鼻を持ち上げ、ひと筋の銀髪の周りをフンフン探り始めた。 パッと見た目、何らかのにおいを嗅いでいるようだが、その実、霊魂の名残のような何かを捉えようとしているのだ。

『白文鳥に憑依してる霊魂アリージュと同じ色をしている……いや《銀月の祝福》は共通だけど別人かな。別人だよね』

長い象の鼻を不安そうに震わせ、多少うろたえながらも、《精霊象》ドルーは落ち着きを取り戻した様子だ。そして、白文鳥アルジーの周りを探り始めた……おそらく霊魂の波長のような何か、の再確認。

『霊魂アリージュは、間違いなく《鳥使い》で、ジン=アルシェラトによる千夜一夜の魔法が掛かってる。祭壇に残っていた謎の銀髪には、《鳥使い》の気配は無いし、 その他の《精霊使い》の気配も無い。千夜一夜の魔法の気配も無い。ふうぅー。別人のものだね』

――精霊(ジン)は、霊魂の波長のような何らかの要素から……人物の背景を読み取れるのだ。不完全な精霊である白文鳥アルジーにとっては、あまりピンと来ない感覚だけど。

老魔導士フィーヴァーが慎重に近づいて、火吹きネコマタに、目線で尋ねる。火吹きネコマタの「了」の身振りを確認し、老魔導士は、ゆっくりと銀髪を手に取った。

「これは間違いなく、生贄にされた哀れな犠牲者の遺留物じゃよ。これまでの調査では気づかなかった部分じゃろうが……魔導士ジナフ殿」

「恥ずかしながら」

呆然とし恐縮するばかりの魔導士ジナフへ、老魔導士フィーヴァーは鷹揚に言葉を継いだ。

「いや魔導士としての不備では無いぞ、元々この邪霊祭壇の隅々の調査は、礼拝堂の専用の調査所へ運搬した後の作業となっておったのじゃ。 余計な邪霊を近づけないのが最優先ぞよ……《象使い》ドルヴ殿、速やかに、じゃが慎重に運び出してくれよ」

「承知でございます」

壮年の《象使い》ドルヴは、斬首スタイルの生贄の儀式が本当に実施されていた、という決定的な証拠を目撃して……少し青ざめて震えていた。

そして……ゆっくりと、《精霊象》ドルーが動き出した。

力強い《精霊象》の背中には、黄金祭壇がシッカリ取り付けられてある。 妙な挙動をしそうな疑わしい要所・要所は、《火の精霊》の退魔紋様を織り込んである紅白の風呂敷で、封印済みだ。

着実な運搬でもって、生贄祭壇が、中二階の外へと運び出されてゆき……

強烈な直射日光を受けた瞬間、邪霊祭壇から、邪霊成分の欠片――忌まわしくギラつく黄金のモヤが、ザッと沸き立った。無害な砂ぼこりとなって、折からの風に流される。

今さらながらに、白文鳥アルジーは、《怪物王ジャバ》を称える黄金祭壇が地下深く、暗く湿った場所に設けられてきた理由を、シミジミと納得したのであった。

黄金祭壇が置かれていた元の場所では、おこぼれを狙う邪霊害獣《三つ首ネズミ》の小さいのが、異次元の隙間から這い出て来て、チョロチョロと動き回った。

かねてから警備していた衛兵たちや騎士たちが、退魔紋様の三日月刀(シャムシール)や短剣でもって、次々に余計な邪霊害獣を退魔調伏してゆく。 あちこちに、退魔調伏後の無害な熱砂のカタマリが出来て行った……

…………

……

厩舎広場まで到達したところで、《精霊象》ドルーは本来の大きさに戻った。封印済みとは言え、背中に忌まわしき物体が存在することは気になるらしく、長い長い鼻でもって、しきりに黄金祭壇の周囲を探っている。

人類の相棒でもある《象使い》ドルヴが忙しく周囲を駆け回り、《精霊象》の装備を整え……改めて、引綱を持って《精霊象》を牽き始めた。 仕事仲間を心配していたのであろう老女《象使い》ナディテが出て来て、《精霊象》ナディと共に、黄金祭壇に目を丸くしている。

「大丈夫だ、落ち着け、相棒。さぁ聖火礼拝堂へ運ぶぞ。婆さま、あとをよろしく」

いつしか、近くの噴水プールからは、居合わせていた全ての《精霊亀》が、ヒョコリヒョコリと目鼻を出して、邪霊崇拝の祭壇の運搬の様子を注目していた。

老魔導士フィーヴァーが適当な日陰のベンチに座り、白鷹騎士団の専属魔導士ジナフを手招きする。もう一方の手に、シッカリと、黄金祭壇の底面から出て来た、ひと筋の銀髪をつかみつつ。

「さて魔導士ジナフ殿よ。少し議論しようぞ。この銀髪じゃが、哀れにも生贄にされた人類のもの……という見立てに、異論は無いかのう」

「はい、右に同じでございます」

モッサァ白ヒゲが見事に爆発している『毛深族』老魔導士フィーヴァーに比べると、魔導士ジナフは老齢ではあるものの、均整の取れた体格、物静かな印象である。 戦士ターバンに、白鷹騎士団の鷲獅子グリフィン紋章のある額当を装着しているため、黒衣の魔導士というよりは、黒装束の老騎士だ。

ごく自然に、捜査会議の要員が近くに控える形になり。

鷹匠ユーサーも、ひっそりと入り混じる。

白文鳥アルジーは、ユーサーの肩先で、2人の魔導士の専門的な議論を傾聴する態勢になった。

鷹匠ユーサーの手甲に腰を落ち着けている白タカ《精霊鳥》ノジュムが、気づかわし気な眼差しを投げて来る。

『あれは《銀月の祝福》の銀髪だ。見ず知らずとは言え《鳥使い姫》と同じ状況の人物。衝撃が強すぎるようであれば、すぐに言ってくれ』

『ううん、大丈夫よ。だって私、もう死んでるから』

『……なにやら、白文鳥パル殿は、大胆すぎる説明をしたようだな』

何故か、恐れ入ったように目をパチクリさせた、白タカ《精霊鳥》ノジュムであった。

老魔導士フィーヴァーと、白鷹騎士団の専属魔導士ジナフ老の議論はつづいた。捜査会議の面々が、興味津々で耳を傾けている。

「犠牲者つまり、この毛髪の持ち主は、男か、女か。『毛深族』体毛では無いゆえ、ワシには読み取りにくい。女と推測するところじゃが」

「私の見立ては男です。と申しますのは、祭壇の表面を流れていた血液の分析で。《火の精霊》の精密読み取りにかけたところ、血液の赤み濃度が男であるとのことで」

「おぉ、そうじゃったのか。あの後、《火の精霊》の協力を得られたのじゃな」

「邪霊の痕跡を相当に嫌がっていましたが、何とか。何やら『罰ゲーム』というような《精霊語》が聞こえてまいりましたよ」

精霊(ジン)たちの近ごろの流行語であるらしく、魔導士ジナフ老は、生真面目な顔に戸惑いの色を浮かべた。

「よほど『禁断の熟成』が進んでおるのかのう。では、次は、この辺りで銀髪を持つ結婚適齢期の男が居たかどうかじゃな。 これも邪悪な事じゃが、生贄の年齢層は、男女ともに7歳から25歳。邪霊の影響の強すぎた城砦(カスバ)で、今でもハーレム婚や夜伽を可能とする年齢層――として残っておるな」

「目下、事情を言い含めた調査員たちに、ジャヌーブ城下町の住民の再確認をさせております。候補の一人は、最近、行方知れずになった……皆々もご存知、 かの皇帝の酒姫(サーキイ)アルジュナ殿でございますが……」

「ううむ」

その場に、微妙な空気が流れたのだった……

*****

正午に近い頃合い。

城門前広場――日常の小さな市場が立っている。

日常の物流を担う小規模な隊商(キャラバン)が、ひっきりなしに出入りしていた。大型ラクダや象や馬よりは、暑熱と乾燥に強くて小回りの利く、中小ラクダとロバのほうが主流。

珈琲つきの昼食を出す屋台。バシール夫妻が、ゲッソリとした顔でベンチに座り込んでいた。相席しながらも、不思議そうな顔をした商人仲間――ネズミ男ネズル夫妻と、南洋の船乗りシンド。

城門前広場で日常の市場(バザール)が運営されている。安価な惣菜や一皿料理、衣服の洗濯や修復、包丁研ぎサービス等を提供する行商人・小商いの屋台が多い。 《邪霊害獣》退散の護符の張替えを担当する下級神官や礼拝堂の事務員も出張って来ている。

あちこちに、魔除けと監視を兼ねた《火の精霊》聖火祠。

目下、バシール夫妻には、切れ目の無い行動監視が付いていた。行く先々で、聖火祠に《火の精霊》ネコミミ炎が順番にポツポツと並ぶのだから、理由を知る2人にとってはギョッとする事この上無い。

白髪混ざりながら、それでも見事な赤毛をした中年の商人バシールが、ぬるくなった珈琲をゴクリと飲み欲し、ブツブツとボヤいた。

「あの巨人族アブダル、ラーザム財務官の死亡の直後、近くにいた疑わしい人物って事で俺らを詰所へ縛り付けただけじゃ無くて、手あたり次第セクハラ仕掛けてたってのかよ」

「なんと、災難だったがや。俺たちに相談してくれれば……いや、それどころじゃ無かったかや」

相席しているネズミ男ネズルと、船乗りシンドが、順番に溜息をついた。

小柄なネズル夫人が、南洋沿岸アンティーク物商ネズルと調子を合わせるかのように高い鼻をピクピクさせ、甲高い声で突っ込んだ。

「だから言ったでしょがッ。巨人族アブダルが、その辺ウロウロしてる時は気ぃ付けなってッ。あの性欲ジャバジャバ、発情したら、女だろうが男だろうが襲うよって噂だったんだからッ」

「俺らも、あの宴会での契約締結に備えた事前の夜間商談の途中で、商談相手ごと別の詰所へ引っ張られて、『ラーザム財務官を殺害してたのか』とか何とか、延々と事情聴取されてたからなぁ。 なんか急に化けて出たっていう《人食鬼(グール)》騒動で、緊急避難的に、別の衛兵が解放してくれたが」

「俺もだ。巨人族アブダル配下とは別の、話の分かる衛兵が、解放してくれたんだった。ヤケ起こして、宴会では深酒しちまったけど」

ネズル夫人とバシール夫人は、男たちの深酒には批判的だ。バシール夫人が、早速ブチブチと文句を言い始めた。

「バシールったら、あんた深酒したうえに、いつの間にか変な催眠術セットの大麻(ハシシ)を盛られてオカシクなったりしてさ、ホント、どうなるかと思ったよ、あたしゃ」

ネズル夫人が素早くピコピコと頷きながらも、しきりに首を傾げている。

「あれは不可解だったわねッ。酔い覚ましの水を持って来てくれた給仕の美少年が居たけど、あの水の中に、なんか盛られてたのかしらねッ」

南洋の船乗りシンドが、おや、と言うように身を起こした。

「給仕の美少年? そりゃ初耳だよ、ネズル夫人」

「色白の、ちょっと見ないような美形だったわねッ。ユーラ河の東方辺境から来たとか……王族か豪族の子弟って感じでッ。 魔導士を目指してて帝都での学費のために給仕やってるとか何とか、感心してね、ちょっとチップ多めにやってたんだわッ」

バシール夫人はベールを整えながらも、チラチラと、聖火祠のネコミミ炎を気にしていた。さすがに、同業者仲間との気の置けない雑談は聞き逃してくれるのでは……という期待を込めながら。

「アブダル殺害現場で、4色の毛玉ケサランパサランに埋もれてた本人の死体、バッチシ目撃しちゃったけど、今でも訳が分からないんだよね。 あのクソ野郎デカブツ戦士アブダルが、女《亀使い》さんを痴漢してたってのは聞いた事あるんだけどさ」

「実話や、それ。女《亀使い》を痴漢。取次業者ディロンが、シッカリ確認して仕入れてきた話だから、間違いない」

ネズミ男ネズルが力強く同意し、バシール夫人は「ふぅん」と言いながら記憶を掘り返した。

「あー、そのせいかな? あたし、その女《亀使い》さん知ってる。新婚だったかな、出産育児の資金貯めてるって聞いたし。 相棒の《精霊亀》甲羅の脱皮の断片、割とサイズが大きくて欠陥も少ない良い状態だったから、色付けて買い取ったんだよ。あんたも覚えてるだろ、ジャヌーブ海岸の馴染みの工房組合さんの」

「新しい護符アクセサリー注文の件だったか。そうか。砦でも良い《精霊亀》甲羅があったら調達しとこうって事で、話をまとめてたからな」

「うん、確か、その取引で割と……日数と時間いただいて金額交渉して決済してたんでさ、アブダルが期待していたタイミングに、その女《亀使い》が現れなかった、という状況があった気がする」

ネズミ男ネズルが、『完全に理解した!』という顔になり、身を乗り出した。

「陰湿で嫌なヤツだったやで巨人族アブダル。絶対それが原因や。恋路だか欲望だか、その邪魔の排除や。奥さんが女だから、ついでに性的嫌がらせ手出しする気になったんだや」

南洋の船乗りシンドも、異論は無いとばかりに、浅黒く日焼けした頭を大きく上下した。

「筋の通らんマウント行動に走るよな、性質の悪い巨人族は。知り合いの船乗り仲間からの情報なんだが、南洋の『巨人の島ジャヌー』から、 もっと陰湿な巨人戦士が渡海して来たそうで、最近、取扱注意の警報が回ってる。巨人族の半数は、ギムギン殿みたいに常識的な範囲で付き合えるんだが、頭痛が痛いところだ」

「面倒なデカブツが新しく出て来てんの? まして就職活動中? そいつ誰さ」

南洋の船乗りシンドは、再び珈琲に口を付けた。やや食い気味のバシール夫人を「まぁまぁ」となだめつつ。

「名前……何だったかな。『ジャムバ』とか『サンバ』とか、熱帯ジャングルの陽気な祝祭パレードと似た名前。だけど、すげぇ陰湿。 捕らえた毛玉ケサランパサランを、手の中でゴリゴリ粉々にするとか、過剰殺戮が好きって感じだ。 額に不気味な刺青(タトゥー)、『邪眼の』アレだな。ターラー河船に乗って帝都へ上京して行ったけど、あんな陰気な奴、雇うのが居るのかな」

「案外、雇い主は居るかも知れねえだや。かの伝説の、世界の屋根なる山脈《地霊王の玉座》の横たわる東方に」

ネズミ男ネズルは眉根を寄せ、本物のネズミみたいに警戒で鼻をピクピクさせた。赤毛商人バシールが、思わず口を差し挟む。

「前にも話してた、東帝城砦の――東方総督トルーラン将軍とか?」

「そうなんだや。あの人、えらい美々しい容姿だし宮廷の高貴な女たちからの人気も高いけど、ふとした折に、ぞーっとするくらい陰険な目付きになるんだや。 トルーラン将軍が、こっそり邪霊崇拝してるような悪逆非道な巨人を喜んで飼う悪趣味を持ってても驚かないや、このネズルは」

ネズミ男ネズルの声音が少し高くなっていた。珈琲(コーヒー)屋台のある城門前の市場(バザール)の通りは、お昼前とあって賑やかさが最高潮。

昼食用の惣菜を見つくろう主婦。午後の体力となる弁当を求める昼食休憩の各種人足。城下町の人々でさんざめく市場(バザール)。

――そして、ふと、人の波が分かれた。向こう側の通路を、ひときわ大柄な人物すなわち巨人族が通過している。 派手な真紅と黒の迷彩パターンに彩られた、ポンチョさながらの貫頭衣ドレス姿。袖ナシ、左右の脚部に長いスリット。

南洋の船乗りシンドが、ハッと息を呑み、そちらへ注目の視線を投げる。

「あれは。噂をすれば巨人族アブダルの愛妻どのだ。近ごろは別居中だったそうだが、最近、アブダル割り当ての居住区に戻って来ているとか……巨人族の女だけあって、筋骨隆々の黄金の巨体だな」

ネズミ男ネズルと、小柄なネズル夫人が、まさにネズミさながらの動きでキョロキョロとし……話題の人物に注目して、高い鼻をピクピクさせた。

「大きすぎる銀髪女だわねッ。巨人女は全員、何故か、共通して銀髪なのよねッ」

「デリラ、って名前だったがや。巨人女だけに胸板がスゴイ逞しい、重量挙げ大会で優勝しそうな筋肉モリモリ太腕に、巨岩をも砕く筋肉モリモリ太腿(ふともも)ってとこだや」

「大型の三ツ首《人食鬼(グール)》を色仕掛け格闘技で退治したとか。この間の襲撃の時。取次業者ディロン殿が近所から聞き込んで来た話だが、褒賞の件で、亡きアブダルと大喧嘩してたらしい」

「顔だけは、巨人男と釣り合わないくらいの銀髪の美女なのに……色気よりも、あの巨体の極太モリモリ腕と脚とでブチ殺されそうな。あな恐ろしや」

そこで不意に、バシール夫人が『パッと閃いた』という顔になった。

「あー、なんかさ、くだんの女《亀使い》が歴史に詳しくて少し聞いたんだけどさ。巨人女が銀髪なのは《銀月の精霊》が関係してるって」

「あらッ? それホントなのッ?」

「なんでも邪霊崇拝お盛んだった超古代の頃に、巨人族の女のほうだけで、《銀月の精霊》と取引したとか。《銀月》崇拝の祭祀儀式をやる対価が、銀髪。 いわゆる《銀月の祝福》とは違うそうだけど、銀色の毛髪はキレイだし、珍しいから目立つわよね」

「超古代の頃の魔法の取引かや。御幣(みてぐら)捧げる古代祭祀の方式かや? いまでも辺境の、古代の儀式を受け継ぐ城砦(カスバ)では続いているそうだが」

南洋の船乗りシンドが、当意即妙に応じる。

「南洋諸島で割と知られてる神話伝説があってな。《銀月の精霊》は新月・半月・満月の三相を持つ。巨人族の女たちは、超古代の或る時期、半月のもとで祭祀の儀式をやり始めた。 上弦か下弦かは分からんが、半月の相と取引したんだろうな。不思議な事に、その後《怪物王ジャバ》が退魔調伏されたという事になっている」

「巨人族が邪霊崇拝だったり聖火崇拝だったり、曖昧なのも、その辺にありそうねッ。新月の相と満月の相は? どこの誰と、どういう取引をしたのかしらねッ」

「その辺は精霊(ジン)にでも聞いてみないと。南洋の諸民族に巨人族のアレコレが伝わってるのは、『巨人の島ジャヌー』が南洋諸島の中にあるからだよ」

やがて話題が変わり、商人仲間の雑談は、少しずつ落ち着いていった……

…………

……

実際は、商人仲間の談話は、聖火祠のネコミミ聖火となって燃えている《火の精霊》によって、記録されていた。精霊(ジン)の流儀で。

*****

高くそびえたつ紅ドームが鮮やかな聖火礼拝堂。

帝国の守護精霊へ捧げられた敷地は、ジャヌーブ砦の中でも有数の広さだ。

――《精霊象》ドルーと、相棒の壮年《象使い》ドルヴが、特に選抜された退魔対応の衛兵たちに護衛されつつ、聖火礼拝堂へと入ってゆく。

その興味深い一行を眺めながらも。

白文鳥《精霊鳥》アルジーは、すこぶる「プンスカ」であった。礼拝堂の特別な場所でおこなわれるという生贄祭壇の詳細チェックには立ち会えない、と告げられて。

背丈のある鷹匠ユーサーの、見晴らしの良い肩の上で、ソワソワ、ピョンピョンと飛び跳ねるばかりだ。

(気になる。気になる。気になるのにッ!)

鷹匠ユーサーの相棒を務める白タカ《精霊鳥》ノジュムが、面白そうに話しかけて来る。

『間もなく《精霊象》と《象使い》が戻って来るから、そしたら騎士団の鍛錬所を見物してみないか? もうじき祭祀の相撲大会があるから、《象使い》ドルヴも鍛錬に熱が入ってる』

――程なくして、白タカ・ノジュムが告げたとおり。

礼拝堂を仕切る《精霊象》専用の扉から、いそいそと、《精霊象》ドルーが出て来た。不気味な荷物を降ろせてホッとした、という様子だ。 《象使い》ドルヴは、何かしら気になった事があったかのように、チラチラと、黄金祭壇があると思しき方向を眺めていた。

そして……先ほどから《象使い》ドルヴを待っていたと思しき手持無沙汰な若い衛兵が、「よぅ」と、ドルヴへ向かって手を上げる。 《精霊象》ドルーとも顔見知りの様子で、ドルーは象の尻尾をピコピコ振って、若い衛兵に応えていた。

『よぅ、シャロフ君』

白文鳥アルジーは、その様子を眺めて、不意にピコーンと、衛兵シャロフを思い出したのだった。

(シャロフと言えば、クムラン副官の腹心の部下の、ひとりだわ)

若手衛兵シャロフと《象使い》ドルヴは挨拶がてら早速、鍛錬所についての情報交換である。

「いま虎ヒゲ・マジード殿が非番で、鍛錬所へ出向いてるから、格闘術いくつか教えてもらえる筈だ。相撲に応用してみたいと言ってただろう、ドルヴ殿」

「おぉ、是非」

「それからな、城門前の市場を巡回してた同僚から、注意が回って来た。あの噂の故人アブダル殿の妻って言う巨人族デリラが市場を歩いてたそうなんだ。どうも鍛錬所へ向かっていたらしい。 そう言えば、以前に話してた……巨人族デリラに関する変な噂、本当なのか?」

「おぉ。確かだ、シャロフ殿。あの古株ナディテ婆さまも、ガッツリ指摘してるから。ナディテ婆さまの推理では、アブダル殺害犯は妻デリラだよ。 アブダル夫婦は、この間の《人食鬼(グール)》大群の撃退に関する褒賞の分配で揉めて、町内迷惑となるような大声で大喧嘩をしてたって噂だ」

「私は詳しく知らんのだ。クムラン先輩……クムラン副官と一緒に赴任して来た新入りに過ぎないし、 アブダル周辺のトラブルは、カスラー大将軍が必ず揉み消しを指示して来る。長官レベル同士でも、アブダル問題は、あまり共有されてないんだ」

若い衛兵シャロフは、眉根をギュッとしかめて、しきりに首を傾げていた。

さっそく聞き耳を立てていた白文鳥《精霊鳥》アルジーは、目をパチクリさせるばかりである。

『巨人族アブダルの妻……アブダル夫人デリラに関する変な噂って、何かしら?』

『我ノジュムも、よく知らんのだ。《火の精霊》***アル殿は知ってたか?』

『先ほど、同僚《火の精霊》から連絡が入ったニャ。アブダル夫人デリラは、この間の三ツ首《人食鬼(グール)》襲撃の時に、《人食鬼(グール)》を女体で誘惑して、 色事の最中に退魔調伏を成し遂げ、輝かしい武勲を立てたらしいニャ。その巨人族ならではの怪異な戦いぶりが、人類の間で怪談として広まり、変な噂に変化したのであろう』

セルヴィン少年の肩先で、手乗りサイズのちっちゃな赤トラ猫である火吹きネコマタ――高位《火の精霊》は、ネコのヒゲを意味深にピピンとさせた。

『巨人族デリラも、巨人族アブダル殺害事件の容疑者の1人なのね、《象使い》ナディテさんの見立てでは。是非とも1回、見ておかなければ。彼女、鍛錬所へ来てるようね。鍛錬所へ行くわ』

白文鳥《精霊鳥》アルジーは、パタタッと翼を動かし……

……次の瞬間には、かねてから注意深く見張っていた鷹匠ユーサーの手の中に捕まっていた。既に飛び立っていた白タカ・ノジュムが「ケケケ」と変な笑い声を立てている。

そのまま、白タカ・ノジュムは飛び去って行った。飛び去って行った先に、鍛錬所があるのだろうと推測できる。

「聖火礼拝堂の鍛錬所まで御案内いたします、鳥使い姫。お転婆は控えられますよう、願います」

セルヴィン少年とオーラン少年が、2人ともに、いまにも吹き出しそうな、変な顔をしていた。

かくして。

先行した2人と1頭――非番の若手衛兵シャロフと、《象使い》ドルヴ、《精霊象》ドルー。

続いて、三々五々という形で、鷹匠ユーサーと、セルヴィン少年とオーラン少年、それにクムラン副官とオローグ青年。

聖火礼拝堂に付属する鍛錬所とは言っても、パッと分かりづらい仕切りに囲まれた広場。武器貯蔵庫が並ぶものの、周辺に明るくない新人の類は、迷いやすいだろうと思われるところ。

既に鍛錬を始めている戦士たちが居て、三日月刀(シャムシール)に見立てた木刀を振り回していた。虎ヒゲ・マジードをはじめとする大斧槍(ハルバード)使いは、 ジャヌーブ砦の周辺から刈り取って来た大きなサボテン株を《人食鬼(グール)》と見立てて、一刀両断の技術を磨いているところだ。

大型サボテン株が目に入った瞬間、白文鳥《精霊鳥》アルジーは、思わず「ピロロ」と変な声が出た。

『ちょっとちょっと待って、あんなに四角いサボテンあるの!?』

今しがた、虎ヒゲ戦士マジードの大斧槍(ハルバード)でもって綺麗に切り飛ばされた、大扉サイズのサボテン株。岩石に勝るとも劣らぬ、硬質な斬撃音。

――建材として切り出されて来た、大型の石材とも見まがうオブジェ。それが、サボテンそのものの緑色で無ければ。

『帝国の南方領土の特産ニャネ。ターラー河川輸送があって、帝都では一般に見かける建材ニャ。鳥使い姫の出身周辺では、建材の主流は、本物の石材や日干し煉瓦と聞くが』

虎ヒゲ戦士マジードが見事な金と黒のシマシマ虎ヒゲをモッサァを振って、こちらへと視線を向けて来た。先着して見学していた、若手衛兵シャロフや《象使い》ドルヴと共に。

「やや、鷹匠ユーサー殿も鍛錬でございますか、精が出ますな」

「例の殺人事件の調査の一環で」

「かのアブダル戦士の死には、謎が多すぎますな。何かありましたかな、ユーサー殿。我々に協力できることが有れば」

そうしているうちにも。

……ドーン!!

鍛錬所の向こう側のほうから――轟音と地響き。

白文鳥アルジーも、驚きの直方体サボテンどころでは無い。皆でビックリして、その方向へと視線を向ける。

騒音の発生源で、盛大な土埃が立っていた。

土埃の真ん中に立つ黄金肌の巨人族。銀髪をした巨体の女戦士デリラ。目の覚めるような美貌と銀髪。その黄金肌に包まれた体格は、シッカリ分厚い胸板、極太の腕、極太の脚……逞しい巨人族ならではの図体。

距離があっても見て取れる――巨人族デリラの、女神さながらの美貌に浮かぶのは、明らかに激怒の表情だ。

鍛錬所に居合わせた、訓練中の非番の衛兵たち戦士たち、男も女も全員で、訳が分からず無言で見守っているうちに。

「ボンクラが!」

男なみの野太いハスキー怒声が、響きわたった。石畳さえもビリビリ震えるほどの暴力的な音量。

その後に広がった震えるような静寂の中、美貌の巨人族・女戦士デリラは、みごとな銀髪をなびかせて、鍛錬所を立ち去って行った。怒気を込めて、ドスドスと足を踏み鳴らしつつ。

轟音の発生源には、なおも土埃を巻き上げている……巨石細工があった。元・聖火祠だったものの残骸だ。長く掃除されていない事が明らかな、鳥籠タイプのもの。 ビックリするような土埃の原料は、かつて白文鳥《精霊鳥》の巣だった、数百年モノの古い枝葉の類に違いない。

そして……その巨石の残骸の下から、何やら人類の二本足が飛び出している!

傍らで、血相を失って呆然と立ちすくんでいるのは――白鷹騎士団の女騎士サーラだ。

持ち前の眼力で、素早く気付いたクムラン副官。

「下敷きだ! あれ持ち上げろ、腕自慢の野郎ども集まれ!」

その鋭い指示で、虎ヒゲ戦士マジードも、若手衛兵シャロフや《象使い》ドルヴも、弾かれたように駆け付けて来る。

「あ、ちょうど良い! そら急げ、相棒!」

壮年の《象使い》ドルヴが素早く腕を振り、なんとなく近くをウロウロしていた相棒《精霊象》ドルーを、急かした。

上空では、白タカ《精霊鳥》ノジュムが旋回している。

オーラン少年の覆面ターバンの上に腰を落ち着けている白タカ《精霊鳥》ヒナのジブリールも、落ち着いた様子で、上空を旋回する白タカ・ノジュムへ、視線を投げていた。

――《風の精霊》同士の感覚でもって、何故か白文鳥《精霊鳥》アルジーは、不運にも巨人族の渾身の怪力でもって巨石の下敷きになってしまった人物は、ひとまず無事、と確信できたのだった。

象の長い鼻でもって、巨石の大きな破片が、素早く取り除かれ。

程なくして、救助に集まって来た男たちの手でもって、下敷きになっていた騎士が掘り出された。

白鷹騎士団の経理担当の、騎士エスファン。女騎士サーラの夫。

「あ、あなたッ!」

「おい、大丈夫なのか、エスファン殿!」

女騎士サーラがユサユサと揺さぶって、騎士エスファンは、ボンヤリと目を覚ました。一時的に失神していたという雰囲気だ。どこも……骨折していない様子。

「何があったんです? いきなり頭に固いものが『ゴン』と来て……いや、同時に、謎の突風か、竜巻に巻かれてたような……」

いつもどおり、生真面目にポヤポヤした雰囲気で返答する、騎士エスファンであった。女騎士にして妻サーラは、安堵で気が抜けたあまり、泣き笑いで、ヘタレて座り込んでいる。

クムラン副官が状況を素早く読み取り、上空を旋回する白タカと、地上でのびた格好の騎士エスファンを、交互に眺めた。

ホッとした顔のオローグ青年が、早口で説明し始める。

「なんだ、《風の精霊》の守護が入ってたのか。あの白タカ《精霊鳥》の力だな。エスファン殿、巨人族デリラから、必殺『巨石の脳天落とし』食らってたんだぞ。普通なら全身粉砕して、ツブれてるところだ」

「いったい何があって、何を話してて、巨人族デリラが、あんなに激怒してたんだ?」

残りの衛兵たち騎士たちは、まだ恐れ入った様子で、巨人族デリラが出て行った出口のほうを眺めている。

「えーと、その、つまり」

騎士エスファンは目を白黒させつつ、口ごもっていた。顔色は青い。

折よく、鍛錬に来ていた若手の騎士のひとりが、戸惑って青ざめた顔で、ボソボソと話し出した。

「なんかその、巨人族デリラ殿は、騎士エスファン殿に、深い交際の要求を。あの、夜のオツトメ、っつーか、そっち系の」

「とどのつまり、男妾を使って性欲処理か」

虎ヒゲ・マジードが、『毛深族』ならではの、あまりにも直接的な物言いをした。

「よく見りゃガッツリ鍛えた身体してるな、エスファン殿。目元涼やかな文官ツバメって感じの、繊細な面構えや所作なんかが、気に入られたって事か」

納得顔を見せて、ウムウムと頷いた後……虎ヒゲ・マジードは、更に衝撃的な情報を告げた。

「前に巨人族ギムギン殿からチラッと聞いてるんだが、あの銀髪美女の巨人族の女戦士デリラ殿は、 騎士エスファン殿を手籠めにして楽しんだ後は、オローグ殿を襲って、手籠めにする予定だとか。未亡人になったから、性欲が爆発してるそうだ。 オローグ殿も当分の間、覆面ターバンで潜伏しとくか? 巨人族デリラ殿の怪物レベルの性欲を満足させる巨人族の夫候補が、都合よく出現してくれるまでの間」

――オローグ青年は、すこぶる長い間、真っ青になって凍り付いていた。

その横で、クムラン副官と、若手衛兵シャロフ、それに《象使い》ドルヴが、顔を寄せ合って相談し始めている。

「巨人族が好む強烈な蒸留酒を、しこたま仕入れる必要がありそうですよ、クムラン副官。巨人族は、あの巨大怪物の八叉巨蛇(ヤシャコブラ)かっていうくらい、酒をガバ飲みするし」

「私ドルヴも、ほぼ同意だ。ナディテ婆さまの助言なんだが、強いアルコールは、そっち方面の鎮静剤になってくれるそうだから」

「特別に予算計上して、バムシャード長官どのに掛け合う必要があるな。いや今日のうちにも、ジャヌーブ砦の、酒豪チャンピオン向けの酒場という酒場から特別に集めなければ」

半分は大人の男女の夜の事情が絡むため、セルヴィン少年とオーラン少年は、鷹匠ユーサーの手によって早くも隔離されていた。巨人族デリラが粉砕した巨石の片づけ場所まで。白文鳥《精霊鳥》アルジーも一緒だ。

セルヴィン少年やオーラン少年と同じような年頃の訓練生が、三々五々来ていて、巨石の欠片を掃除し、移動し始めている。

白文鳥アルジーは、鷹匠ユーサーの大きな手の中に、シッカリ握り込まれている状態だ。抗議の意思を込めて「ぴぴぃ」とやる。

『私は成人を済ませた一人前な大人で、結婚してるのよ。此処に来る前、生前は夫が居たわよ。鷹匠ユーサー殿、私まで隔離する必要は無いわよ』

「恐れ入りますが《鳥使い姫》は明らかに白い結婚であります。《青衣の霊媒師》殿も特別な占いをもって断言されたうえ、要請して来られました。不潔かつ破廉恥な内容を《鳥使い姫》のお耳に入れないように、と」

取り急ぎの状況という事もあって、中堅ベテラン鷹匠ユーサーの切り返しは自然に、人類の言葉になっていた。《精霊語》では無く。

シッカリ小耳に挟んでいたセルヴィン少年とオーラン少年が、目を丸くして、「白い結婚」「不潔かつ破廉恥な内容」と、オウム返しに繰り返している。

早くも、白タカ《精霊鳥》ノジュムと、《火の精霊》火吹きネコマタが、近くの足場に腰を据え、顔を寄せ合って相談を始めた。

『ひとまず我ノジュムのほうで、巨人族デリラを常時監視しておく。アブダル殺害の容疑者のひとりでもあるし、胡乱な動きを見せたら、同族の白タカと共に、すぐに連携するゆえ』

『よろしく頼むニャ。目下、巨人族デリラの頭にあるのは、伴侶の巨人族アブダルの遺産よりも、今宵の性欲処理であろう。同僚《火の精霊》が、大急ぎで礼拝堂の御神酒を火酒に加工しているゆえ、 いよいよの時は、それを飲ませて大人しくさせると良いニャ』

『同僚サディルと、その相棒の鷹匠ビザン殿に連携しておこう。彼らは巨人族に酒を飲ませる特別な技術の免状持ちゆえ』

そんな特殊な技術資格があるのね、と生真面目に感心する白文鳥アルジーであった。後学のためにも是非、見物したいところだ。

――そんなこんなで、混乱が一段落した後。

やや波乱含みながらも尋常に昼食休憩を挟んで、いつも通りの――午後の鍛錬が始まっていた。

白鷹騎士団の騎士エスファンが、鍛錬所に隣接されていた治療所から、出て来ていた。新しく頭部に巻いた包帯が痛々しいが、幸い足取りはシッカリしている。

時折フラフラしながらも……訓練済みの騎士エスファンは、確かな視力でもって、新しく増えた人物に気付き、その方向を注目していた。

「あ、ヴィーダ教官どのだ。午後の訓練は予定どおり受けるだろ、サーラ」

騎士エスファンの怪我を妻として心配して、付き添っていた女騎士サーラのほうは、ベールにソワソワと手をやっている。内心、迷っている様子。

――ヴィーダ教官って、何処にいるのかな?

白文鳥アルジーは、女騎士サーラのベール越しの視線を追って、その方向を注目した。背丈の高い戦士たちが範囲を塞いでいる。

折よく、セルヴィン皇子の相棒の火吹きネコマタが、高い聖火祠のてっぺんに落ち着いた。

鷹匠ユーサーの相棒、白タカ・ノジュムが一緒だ。白タカ幼鳥ジブリールがヨタヨタと練習飛行をしていて……今まさに、聖火祠の屋根の上へ到達したところ。そして精霊(ジン)3体で並んで、落ち着いている。

早速、翼をパタタッとやって追い付いた白文鳥アルジーへ、白タカ・ジブリールが誇らしげに、幼い翼を広げて見せた。

『やぁ、鳥使い姫。やっと、屋根まで飛べるくらいの翼がそろって来たよ。ジャヌーブ南の廃墟への突撃までに間に合うかどうか心配だったけど』

『おめでとう、白タカ・ジブリール。ところで、ヴィーダ教官って知ってる? 来てるらしいんだけど』

『あそこに居るニャネ。小柄な人物のうえ隠密に長けた女戦士ゆえ見つけにくいニャネ。暗殺術も上等で《人食鬼(グール)》戦で、割と重宝……白タカ・ノジュムのほうが詳しかった筈』

『組織を統率する力量のある、総大将《人食鬼(グール)》が出て来る事があるのだ。その総大将の個体を暗殺すれば、組織は総崩れになる。ゆえに暗殺術は重宝される』

『頭目を不意打ちで討ち取れば、群れを撃退できるというのは知らなかったけど……対応方法あったのね』

『超古代《人食鬼(グール)》社会は、いまの人類社会よりも中央集権化が強烈。狂信的カルト独裁ニャ。総大将の個体は群を抜いて《怪物王ジャバ》ハーレム妻として選ばれし最高位の聖女である。その名残ニャネ』

『納得はできる。三ツ首《人食鬼(グール)》聖女は、《怪物王ジャバ》御神託を受け取れたと聞いてるし。《怪物王ジャバ》と床入りして、次世代《人食鬼(グール)》大量産卵もするから、 ものすごい権威があったとか』

白文鳥アルジーは、遂に、ヴィーダ教官と思しき人物を見い出した。

高い聖火祠の、見晴らしの良さのお蔭だ。

女騎士サーラと同じように慎ましいベール姿。ふとした拍子に垣間見える身体の端々の、筋肉の付き方が美しい。動作がキビキビしていて、鍛えられた足さばきは、知り合いの遊女ミリカを思わせるところがある。

意外に小柄な体格をした女戦士は、ヒョイとベールを上げて、女騎士サーラと会釈を交わしていた。

ベールの隙間から、可もなく不可もなくといった風の、しかし、冷静沈着で度量のある大人――という風の女性の面差しが見える。体力・気力ともに充実している中堅ベテラン年代。

比較的に若手の、キャピキャピした女官という印象もある女騎士サーラとは、相応に対照的。

「今日の騒ぎ聞いたわよ、巨人族アブダル夫人デリラが来て暴れたとか。ご夫君が狙われたとは、とんだトバッチリだったわね、サーラ殿」

「お気遣いありがとうございます、ヴィーダ教官」

「白鷹騎士団の特別隊の編成でも多忙で、徹夜がつづいていると聞いてるわ。今日のところはサーラ殿、訓練は休んで良いわよ。寝不足の徴候がいっぱい。 手が空いたタイミングで補講を考えても良いから。これ案内チラシね、とっといて。できたら、騎士団のほかの団員にも宣伝してくれると嬉しいわ」

1枚のペラ紙が、ベール姿の女戦士の間を移動する。意外にカラフルで、なかなか商売っ気たっぷりな宣伝チラシ、という雰囲気。

そして、ヴィーダ教官はキビキビと今日の訓練生のところまで戻り「さあ始めるわよ!」と号令をかけたのだった。

結局のところ、女騎士サーラは前半の基礎戦闘の部分をおさらいして、型の正確さをチェックしたところで終了、ご夫君の騎士エスファンと引き上げる形となった。

白文鳥アルジーは早速、気合を入れた。

『よし、あの宣伝チラシに何が書いてあるのか見てみるわよ。夫トルジンをとっちめる戦闘術の訓練とか、案内されてるに違いない』

『鳥使い姫が関心を持ったのなら、我々も見てみるか。今まで真面目に書面を眺めたことは無かったゆえ』

白タカ・ノジュムが生真面目に応じた。もっとも、半分以上は、相棒の鷹匠ユーサーと示し合わせてのこと。

連携を受けた覆面オーラン少年が、騎士エスファン・サーラ夫妻を呼び止める。

「差し支えなければ、その宣伝チラシ見せて頂けますか?」

「? いいわよ。そう言えばオーラン君、意外に暗殺術とか向いてるかもね。このチラシ持ってくなら、あげるわ」

白文鳥アルジーは一番乗りの勢いで、オーラン少年の手先に着地した。ほとんど「ボボン」と、ぶつかる形。 まるっとした、ふわもこ白文鳥の体格が、弾みで「ポポン」と弾んだ。まだ憑依経験が浅くて、このあたりは上達していない。

弾んでいった先で、白文鳥アルジーは、タイミングよく差し出されて来た女騎士サーラの手の中に、コロンとハマってしまったのだった。

騎士エスファンが生真面目な風で、小首を傾げた。

「変なところでズッコケてそうだね、この小鳥」

実に正確な観察に、言及だ。白文鳥アルジーは、凹んだ。

だが幸い、騎士夫妻エスファンとサーラのほうでは、気分がほぐれるきっかけになったらしい。最初よりは軽い足取りで、2人は鍛錬所を退去して行った。

白文鳥アルジーは面目ない気分のまま、摘ままれる形で、あとから来た、線の細いヒョロリ少年――セルヴィン皇子の手の中に移動する。

白タカ幼鳥ジブリールが、早くも覆面オーラン少年のターバンの上に、腰を落ち着けていた。宣伝チラシの内容をしげしげと眺めている。

『あれ、こりゃ知らなかったな。あのヴィーダ教官、筋トレ専門の道場もやってるんだ。戦闘術の習得に必要な筋肉は特別に鍛えるのが必要な箇所もあるし、 激戦地な《人食鬼(グール)》前線だから、安定した需要があるんだね、きっと』

『うむ、《象使い》ドルヴが好みそうな内容だ。彼は、実際には通っていないが……《精霊使い》共同宿泊所や、あの象小屋からは遠いから、通いにくくて断念したんだな』

白タカ・ノジュムは、相棒の鷹匠ユーサーの手甲に収まりながらも、成体ならではの鋭い視力で、あっと言う間に内容を了解する。

そして中堅ベテラン鷹匠ユーサーが、ことさらに堅苦しく生真面目な顔をして、青年2人に指示を出していた。

「オローグ君、クムラン君。私は午後の捜査会議と白鷹騎士団の報告会へ出席しなければならぬ。セルヴィン殿下や《鳥使い姫》の護衛をシッカリするように」

「承知いたしました、鷹匠ユーサー殿」

*****

女戦士ヴィーダ教官が配布していた宣伝チラシを、さっそく眺める。

『筋肉は嘘つかない。筋肉は裏切らない。筋骨隆々の身体を手に入れよう! 下級コース内容で、小型から中型の邪霊害獣を倒せます。 上級コース内容は暗殺術を含む《人食鬼(グール)》戦闘術の訓練も付きます。ジャヌーブ砦から奨学金もあり、驚くほど、お得! 是非、こちらの筋肉道場へ!』

白文鳥アルジーはフンフンと頷き、白タカ・ノジュムから提示された見解に同意していた。

『確かに《象使い》ドルヴが興味を持ちそうな内容ね。亡き巨人戦士アブダルも、あの呼び出し状で「ご存知マッチョ盛り合わせ」なんて自称していたから、こういう道場へ行って余計に筋肉を盛ってたかも知れない』

そこで、ふと気づいて、白文鳥アルジーは、訓練に来ていた筈の《象使い》ドルヴと、その相棒《精霊象》ドルーの方向を見やった。

業務との兼ね合いで、《象使い》ドルヴの訓練は午前の部で終了したらしい。壮年のガチムチ体格の《象使い》と、若手《精霊象》は、ひとつ向こう側の城壁の道を歩いていた。 午後の仕事場を目指しているところ。

セルヴィン少年の肩先で、手乗りサイズのちっちゃな高位の火の精霊《火吹きネコマタ》が、金色の目をランランと光らせている。

『言われてみれば、亡き巨人戦士アブダルが、こういった筋トレ道場でせっせと筋肉を盛り上げていたと考えるのが自然ニャネ』

『私は巨人族の平均的な体格について詳しくないけど、あの、巨人戦士アブダルの体格……筋肉の付き方って、標準的?』

『我の見るところ、《毛深族》鉄砲職人サイブンが攻めあぐねる程度には、筋骨隆々ニャネ。毛深族は、恵まれた大柄な体格も多いのであるが。どうかニャ、白タカ・ジブリール』

覆面ターバン少年オーランの頭のてっぺんで、真っ白な幼鳥は、クルリと首を傾げた。ふわもこ産毛が散る。

『精霊(ジン)が見る姿形と、人類の目に映る姿形は、印象が違うっぽいから。ねぇ相棒オーラン、人類の目から見て巨人戦士アブダルの筋肉は、どんな感じに見えるの?』

問いかけられた覆面ターバン少年オーランは、しばし思案顔になった。《精霊語》を脳内翻訳している間、漆黒の目が泳ぐ。

「巨人戦士アブダルの体格? 巨人族の平均を遥かに超えた、ゴリゴリ筋肉てんこ盛りの……大型の三つ首《人食鬼(グール)》に近い体格という印象かな……」

白文鳥アルジーは、クムラン副官、オローグ青年、ヒョロリ少年セルヴィン皇子を順番に眺めた。首を傾げつつ。

――今のところ3人とも、オーラン少年と同意見のようだ。

程なくして。

少年2人と青年2人、それに3体の精霊(ジン)は、ジャヌーブ城下町の、普段はあまり立ち寄らない地区を歩いていた。

中の中から中の下――という風の雑多な雰囲気のある地区で、時々、身なりの良くないゴロツキを見かける。クムラン副官とオローグ青年の警戒は、目下、高まっていた。

覆面ターバン少年オーランが気を利かせて、特徴の無い「中の中」風なマントをセルヴィン皇子に着せた。番外皇子とは言え、セルヴィン少年の上等な普段着は、此処では悪い意味で目立ってしまう。

物珍しさで好奇心いっぱいにキョロキョロする白文鳥《精霊鳥》アルジーに、白タカ幼鳥ジブリールと火吹きネコマタが適宜、解説し始めた。

巨人族向けの字型スタンプを製造する《魔導》工房。

中古の、質流れ武器の修理工房が軒を連ねている。その辺の傭兵向けという安価な雰囲気。

工房の前の縁石に、周辺の田舎の集落からポッと出た風の、簡単な装備に身を包む初々しい青年戦士たちが数名ほど腰かけて、最近の《人食鬼(グール)》襲撃などの時事談義と、 マージャン賭博に興じているところだ。時々「この辺に、安価で良さげな強化訓練所か道場は無いか」などと情報交換している。

――この近所にヴィーダ教官が属する筋トレ道場があるのも、納得だ。 チラシには「奨学金が付く」との案内があったが、その原資は《人食鬼(グール)》対応の戦士育成費の類に違いない。ジャヌーブ砦の軍事予算に含まれている筈。

少し奥まったところに、南国のエキゾチックな香炉の並ぶ占い屋と……分かる人には分かる、その手の、酒場・軽食付きの宿を模したモグリ娼館。

占い屋の路地から漂って来るのはヒーリング効果のある真面目な線香の類だと分かるが、薄暗く怪しそうな路地裏のほうからは、熱烈な夜を演出する類の――娼館ではお馴染みの甘い香が漂って来ている。

女商人ロシャナクの裏稼業、娼館『ワ・ライラ』のザクロ型の香炉で頻繁に焚かれていた、夜の香の一種だ。

『セルヴィン少年とオーラン少年の好奇心を「媚薬の香」から引き離しておかなくちゃ。ヤバいくらい誘発性があるのよ。知り合いの娼館の女商人が言ってたわ、14歳の少年には早すぎるって』

付き合いのある民間の代筆屋として、その手の知識を獲得していた白文鳥アルジーは、精霊(ジン)ならではの高感度もあって、すぐにピンと来たのだった。

『よく気付いたニャネ、鳥使い姫』

『生前、娼館に出入りしてて毎日のように「媚薬の香」浴びてたから、全種類、知ってるわ。あれは少なくとも18歳まではお預け。聖火神殿の風紀担当が取り締まってる筈。 風紀担当の神官、細かくて厳しいし。賄賂でお目こぼししてもらってるのかしら?』

少しの間、奇妙な沈黙が漂った。

はて? と、目をパチクリさせて、火吹きネコマタのほうを見やる、白文鳥アルジー。

『……かなり問題のある発言であるニャ、鳥使い姫。偶然、《精霊界の制約》に引っ掛からない内容であったニャ』

セルヴィン少年の肩の上で、火吹きネコマタは、ネコの手でネコの頭を抱えて、冷や汗ダラダラといった様子だ。

『問題ある発言って?』

覆面ターバン少年オーランが、ギクシャクとしつつ、質問を投げて来た。硬い声。

『……毎日、娼館に出入りして、何をしていたんですか? 鳥使い姫?』

『市場(バザール)でガッツリ・ガメツク稼ぐなら、その業界が手っ取り早いわよ。3年で巨額を稼げるのは、不法な賭博の胴元だそうだけど』

オーラン少年のターバンの上で、白タカ幼鳥ジブリールが『話、かみ合ってない』と呟きながら、クルリと目を回している。

結局、お蔭で……ヤバい性質の「媚薬の香」から、少年たちの注意がそれたのだった。

*****

お目当ての筋トレ道場が、程なくして現れた。

宣伝チラシに描かれていたものと同じ意匠の看板。

――『筋肉道場』。

城壁沿いの中程度の広場を訓練場にしている――民営の道場。それなりに稼いでいるらしく、中の中から中の下という地区の中で、施設は小綺麗で整っている。

扉の隙間を通して、「えい」「おう」という、太い掛け声が聞こえて来た。営業中かつ訓練中だ。

しばらく扉の前で窺っているうちに、中の人が出て来た。近づいてきた人を察知できる設計となっていた様子。

――大柄な体格の……珍しい銀ヒゲ面の毛深族だ。幅広の戦士ベルト装飾が凝っている。

半裸の上半身を固める筋肉は、みごとに鍛えられていた。銀色のモッサァ体毛に荘厳されて、神話伝説の豪傑の神々さながらの、芸術的な美しさすら感じる造形。

ターバン無し、剥き出し銀髪モッサァ頭。個人的ファッション流儀のためなのか頭部の毛を剃っていない。

巨大モサモサ多毛キノコ頭。神々しいまでの銀髪。

銀髪に縁どられた顔面は年老いていたが、眼光には老練な戦士ならではの鋭さと、イタズラ小僧のような茶目っ気がある。飄々とした雰囲気。

「入門希望者かな? いつでも見学は自由であるぞ、未経験の若者たちは大歓迎じゃ! 入ってきたまえ!」

陽気な、かつ野太い調子に思わず誘われて、道場見学に来た入門希望者という風になった、4人であった。珍しい銀色の体毛をした、モッサァ毛深族への注目もあるが。

門下生たちの訓練内容は、基礎トレーニング部分が終わって佳境に入っていた。

それなりに広さのある筋肉道場の天井。その梁(はり)から、麻袋(サンドバッグ)が10数個ほど吊るされている。道場内の脱臭を兼ねて、その中身はコーヒー滓だ。独特のにおいが漂っている。

筋骨隆々の体格をした壮年の10数人ほどの門下生たちが、「えい」「おう」と野太い声を掛けつつ、ありとあらゆるパンチ技とキック技を麻袋(サンドバッグ)に浴びせている。

神々しい銀色に輝く巨大モサモサ多毛キノコ頭をした毛深族のオッサンは、キラキラとした銀ヒゲをいっそうモッサァとさせながら、みごとに盛り上がった上腕部を折り曲げて、力こぶを作った。

「おぉ若者たちよ。このとおり、この筋肉道場は新しいが、その訓練内容は、よくある口先だけのマガイ物では無い。現に、道場の卒業生である女戦士ヴィーダは、数々の栄えある戦績を上げた。 そして、免許皆伝者として、道場の教官も兼務している」

「か、考えておきます……」

覆面ターバン少年オーランが、輝かしい銀色の巨大モサモサ多毛キノコ頭をした毛深族オッサンの熱烈な勧誘に戸惑いながらも……意外に興味深そうな素振りであった。

クムラン副官が、筋肉道場の隅々を興味深そうに見回しつつ。

「此処は知らなかったな。見込みのありそうな部下の1人か2人、自己研鑽のための休暇を与えて派遣しても良さそうだ。帝都にも同じ系列の道場があったかどうか……」

「残念ながら、ジャヌーブ砦が本拠なんじゃ。《人食鬼(グール)》前線でこそ役立つ技術ゆえ。 南部《人食鬼(グール)》前線が落ち着けば、帝都で道場を開く事も考えるがの。申し遅れたな、吾輩が道場主。毛深族ジャウハラと呼んでくれ。 毛深族の本来の発音による本名は、ほとんどの帝国人には発音しにくいらしく、皆が皆、おかしな名前で吾輩を呼ぶのでな、通名ジャウハラ、としておる」

オローグ青年が、まだ少し呆然としながら、毛深族ジャウハラの、美しいまでの銀色の巨大モサモサ多毛キノコ頭を眺めていた。

「済みません、容姿の事では、あまり感想を言わないのですが……みごとな……銀髪というか、あの例の酒姫(サーキイ)アルジュナの事もあって……微妙な気分になったもので」

「構わんぞ若いの。《銀月の祝福》を受けた影響じゃ。ジャヌーブ港へ勧誘に出るたびに、港町では色々と言われる。 どうも《銀月の祝福》銀髪というヤツは、《邪霊使い》やら《人食鬼(グール)》《邪霊害獣》やら、引き付けるらしい。 お蔭で実戦を重ねて《人食鬼(グール)》暗殺術に開眼し、戦闘術を極めたのだから、まっこと『禍福はあざなえる縄の如し』じゃな」

銀色の巨大モサモサ多毛キノコ頭がいっそう神々しく、モッサァとなった。毛深族オッサンのジャウハラは、みごとに鍛え上げられた体格を自慢そうにひねった。 次々にマッスルポーズを決めつつ、陽気に言葉を継ぐ。

「吾輩の代で、南部《人食鬼(グール)》どもを根絶できれば言うことなしじゃ。 そうなれば、吾輩は、かの英雄王に匹敵する人類最高の天才戦士として、永遠に銅像に刻まれ、全人類から称賛されるに違いない、ワハハ!」

つくづく老魔導士フィーヴァーと気が合いそうな飄々ぶりである。動機は溢れんばかりの名誉欲とは言え、本物の確かな実力・実績のうえに、 こうもアッサリと陽気に告げられると、ユーモアとしか思えないのだから不思議だ。

白文鳥《精霊鳥》アルジーは熱心に、銀髪の毛深族ジャウハラを見つめた。

『それにしても、本物の《銀月の祝福》の人が、此処に居るとは思わなかったわ。いつ、どこで、どうやって《祝福》を?』

或る意味《銀月の祝福》仲間だ。巨大モサモサ多毛キノコ頭をした毛深族オッサンとは想定外だったけど。霊魂の雰囲気も同類。「孤独では無い」という風の心強さを感じる。

覆面ターバン少年オーランが《地の精霊》祝福の鬼耳なみの聴力でもって、白文鳥アルジーの呟きを捉えていた。

「あの、毛深族ジャウハラ殿。差し支えなければ。いつ頃、何処で《銀月の祝福》を受けられたのですか?」

「非現実そのものの出来事であったゆえ、あまり他人に明かしておらんのじゃ。どうしても知りたいという事であれば、日を改めて、此処とは別の場所で説明しよう。すまんな、少年」

「いえ、こちらこそ不躾を申しました」

そうしているうちに、門下生たちの麻袋(サンドバッグ)訓練が一段落した。

毛深族ジャウハラが早速、門下生たちに指示をする。

「皆々ご苦労、今日の訓練は此処までじゃ。業務に戻るが良い。夕食の内容にも注意じゃ。それは明日の筋肉を作る。就寝前の復習も、怠らぬようにするのじゃ」

「オス!」

クムラン副官やオローグ青年と同年代の、若き門下生たちは、筋骨隆々の身体を折り曲げて一礼し、ゾロゾロと退出してゆく。

退出が続く中、門下生の、気の利きそうな若者が手持ちの荷物からペラ紙を取り出して、こちらへと足を向けて話しかけて来た。

「ジャウハラ師匠、前にお話されていた新型武器の展覧会の見学の件ですが、なんか例の宮殿付属の中二階の会場で事件があったらしくて、別会場へ移動になったとか。お聞きでしたか?」

「おお、免許皆伝の弟子の女戦士ヴィーダから聞いておる。彼女は聖火礼拝堂へも出張しているから、情報が早いのじゃ」

「さようでしたか。それでは、新型武器の展覧会をやっている別会場のほうでお会いできるのを楽しみにしております、ジャウハラ師匠」

「うむ、帰り道は気を付けるのじゃぞ、いつもの事じゃが。執念深い邪霊害獣は、退魔調伏の雨季を、ものともせん」

「今日はジャウハラ師匠の御帰還も早くて、アブダル殿の訪問も無かったので落ち着いて訓練できました。師匠が以前、アブダル殿を破門しておられたのは存じてますが、 師匠の不在を狙って筋肉道場へ来てたんです、最近」

聞き捨てならぬ情報だ。

毛深族ジャウハラは、いつもの事後報告として聞いている風であったが……オローグ青年とクムラン副官が目を光らせたのに気付き。

「おや? 破門済みの弟子たる巨人戦士アブダルの事で、何か?」

ただならぬ雰囲気を察知した様子で、輝かしい銀色の巨大モサモサ多毛キノコ頭がボワッと膨らみ、銀色キラキラ・ヒゲが、モッサァと膨らんだのだった。

ようやく、それまで絶句していたセルヴィン少年が気を取り直し。肩先でネコのヒゲをピピンとさせている手乗りサイズの火吹きネコマタと、謎の視線を交わした。

「……聖火礼拝堂の掲示板を見れば分かりますが、巨人戦士アブダル殺害事件がありました。人脈など洗う必要があって。この道場が巨人戦士アブダルとの関係があったのは、知りませんでしたが」

カッ! と、眼を見開く毛深族ジャウハラ。銀色の巨大モサモサ多毛キノコ頭が、驚愕の勢いに反応して、ボボン! と容量を増した。その、ド迫力。

白文鳥アルジーは思わずギョッとして、覆面ターバン少年オーランの頭の上へと飛び上がった。白タカ幼鳥ジブリールの、まだ残っているフワモコ産毛の下に潜り込む。

そして素早く辺りを窺う。

セルヴィン少年は少し戸惑った風ながら、ポーカーフェイスの範囲に抑えていた。番外皇子とは言え、さすが帝国皇族の立ち居振る舞い。貴人の従者を務めている形のオーラン少年も同様だ。

クムラン副官が「まぁまぁ」と、なだめる風に片手を軽く振って、緊張した空気を払う。

「いや、『毛玉ケサランパサランも飛べば竜巻に掛かる』ですねぇ文字どおり。と言う訳ですので偉大なるジャウハラ師匠どの、少し話をしましょうかね」

「あのアブダルが殺されたというのは聞いておらなんだ。言っておくが、吾輩は問題児アブダルを破門追放はしたが、その後はヤツとは話しておらん。お互いジャヌーブ砦に勤務する戦士ゆえ、 ジャヌーブ港町や《人食鬼(グール)》撃退作戦で姿を見かけることは、あったが」

「今ちょっと気づいたんですけどね、門下生たちの筋肉の盛り上げ平均って、ああいう感じなんですか。巨人戦士アブダルの筋肉テンコモリの有り様は、感服させられましたが」

「確かに、あの問題児アブダル、筋肉が歪んでおった。その件で問い詰めたぞい。暗殺教団から出ている不法の大麻(ハシシ)の誘惑に負けたんじゃ。 その大麻(ハシシ)は特別な方法で服用すると筋肉増強剤として作用するが、元々は暗殺専門の《邪霊使い》が邪霊害獣を操作するための邪悪な薬物。それで破門した」

オローグ青年が、敏感に反応した。

「不法の大麻(ハシシ)……ジャヌーブ港町の裏街道で時々、そういう話がありますね」

「毎度、ジャヌーブ砦の暗黙の了解ぞよ。目下、亡きラーザム財務官の莫大な資金源ともなっていたターラー河の下流の極道商人どもは、暗殺教団との取引が噂になっておって、要警戒じゃった」

「その筋の情報には注意していたのですね」

「うむ。薬物に頼れば、その分だけ歪む。これを正常化するのは、ほぼ不可能じゃ。 港町のほうでは、カムザング皇子の失脚に、タフジン大調査官からの『不法の大麻(ハシシ)根絶』沙汰も重なって、不渡手形だの取り立てヤクザ抗争だの権力交代が続いとる。 金の切れ目が縁の切れ目、というヤツじゃな」

早口でまくし立てた後、《銀月の祝福》を受けて輝く銀髪の毛深族ジャウハラは、頭痛が来た……という風に、日に焼けた額にゴツイ手をやった。

「巨人戦士アブダルが執念深く、我が道場まで接近していたというのか……今回の留守の間にも来ていたのか? いったい何の目的があって……」

最初に話を持ち込んだ若い門下生は、此処まで深刻な話になるとは予想外だった、と言わんばかりに、呆然としていた。

「え、あの、巨人族アブダルの件は主にヴィーダ教官が対応されてたようです。アブダル殿の暴力を抑え込めるのは彼女くらいですし、少し話をして追い出すとか、そんな感じで。 アブダル殿のほうでも、それで満足していたみたいで妙な虐待行動や破壊行動はしてなかったようです。最近デリラ奥さんの反応が不満だったのか、 周辺の住民への八つ当たりというか、セクハラの噂はありましたが」

「むむ。女戦士ヴィーダが戻ってきたら聞いてみなければならん。まさか、また道場に通いたいとか、そういう話では無いじゃろうが」

「興味深いですねえ。後ほど、捜査会議から聞き取り調査官を派遣しますんで、ご協力よろしく」

「減らず口の茶髪の若者よ、まったく話を進めるのが上手じゃな。ジャヌーブ地方では見かけん顔じゃが、名は何と言ったかの」

「バムシャード長官の副官を務めております、クムランと申します」

「ほほぉ。バムシャード殿とは古い知り合いじゃよ。噂のカス・ツッコミ副官じゃったのか。覚えておくぞよ」

――クムラン副官が、少し凹んだような顔になるのを見たのは、これが初めてだった。

■20■展覧会、社交界、目と耳シッカリ見開いて

やがて夕方を迎えるジャヌーブ砦。

帝国の南方領土、南部《人食鬼(グール)》前線のうえに広がる空は、夕の赤と、夜の青との、グラデーションに彩られていた。

南の大海洋からは、雨季ならではの濃く湿った季節風が渡って来る。熱く乾ききった岩石砂漠の大地は、変化の大きい地形ごとに気まぐれな驟雨を受けて、ところどころ緑の草原を繁らせていた。 雨量が多い時は、いっそう濃い緑蔭がよみがえった枯れ谷の底に、天の色を映す湖沼が現れることもある。

地平線に近い夕陽は、オレンジ色の浅い角度の陽光を、セルヴィン皇子が滞在している医療区画へと投げている。 部屋の中の白漆喰の壁には、繊細さと頑丈さを併せ持つアーチ窓枠の、幾何学模様の陰影が、長く延びていた。

セルヴィン少年にとっては、多忙を極める一日となっている。

夜までスケジュールが詰まっているのだ。

虚弱な番外皇子とはいえ、帝国皇族。式典などの格式を確定する存在として、大いに意味がある地位立場。

――夕方から深夜までおよぶ新型武器の展覧会。その名誉会長。

とはいえ、老魔導士フィーヴァーの担当医師としての意見が入って、「開催の挨拶」限定の名誉会長である。

この展覧会は、ジャヌーブ砦の周辺の部族長たちや各種の商会が集う社交界を兼ねていて、宴会形式。

本来の会場となる筈だった中二階の広間は、アブダル殺害事件、および、忌まわしい生贄儀式の現場となってしまったことが判明していて、特別捜査のため封鎖されている状態だ。

今宵の新型武器の展覧会の会場は移動していた。カムザング皇子が特権的に独占していた、きらびやかな区画に属する、大広間へ。

その情報を、式典の開催直前に、白タカ幼鳥ジブリールから聞かされた白文鳥アルジーは唖然呆然だ。

『自称「この世に2人と居ない頭脳明晰・文武両道・容姿端麗・品行方正・モテモテ無双カムザングちゃま」第六皇子が、 ありとあらゆる悪徳お遊戯していた大部屋ですって? 異常性癖な夜の楽しみの痕跡とか、バッチリ残ってるんじゃ無いの、白タカ・ジブリール?』

白タカ《精霊鳥》の真っ白なヒナは、人類の相棒オーラン少年と同じくらいの器用さで、白文鳥アルジーのツッコミをいなした。

『その辺は訳知りの小姓が上手に調度を使って隠蔽するから大丈夫だよ、鳥使い姫。片付けが間に合わなかった変な小道具があっても、新型武器の一種として誤魔化せる』

『いい加減なのね結構。それでよく帝国が、天下を取れてるものだわ』

ふわもこ白文鳥《精霊鳥》の柔らかな頬(ほお)が、アルジーの怒りに合わせて、いっそう「プゥ」と膨らんだ。

『外道であればある程、権力を極める、という謎法則でもあるのかしら? 東帝城砦で専横してる東方総督トルーラン将軍も、ぞんざいで、いい加減な人物だし』

かつて、生前は、シュクラ王女アリージュ姫だった身だ。東帝城砦に君臨する東方総督トルーラン将軍に、 故郷シュクラ王国を滅ぼされ、シュクラ王国の民としての名誉さえもズタズタにされた恨みは、一度や二度死んだくらいでは消えるものでは無い。

さらに衝撃的なのは、東方総督トルーラン将軍と裏で結託して、シュクラ王国の滅亡の原因となっていたのが、祖国シュクラの高位貴族という事実だ。

母シェイエラ姫に横恋慕していたシュクラ王国貴族ケンジェル大使が、邪悪な禁術でもって、三つ首の巨大化《人食鬼(グール)》大群をシュクラ王国内に引き入れ、 さらには帝国将軍トルーラン将軍の軍隊も呼び寄せて、王国滅亡という事態を引き起こしたのだ。

シュクラ国王が存命であれば、かの腐敗貴族ケンジェル大使に、外患誘致罪を適用して死刑に処しただろう。

次代シュクラ王となる筈の従兄(あに)ユージド王太子は、さらに情けないことに《邪霊使い》と化していた。 アルジーの見る限りでは、《邪霊使い》ユージドは、不倶戴天の敵であるトルーラン将軍や御曹司トルジンと、よろしくやっている様子だった。

(首そろえて待ってなさいよ、いつか全員まとめて、この世で一番高い塔のてっぺんから吊るして、『地獄の天罰の袋叩き』にしてやるからね!)

気合を入れて、さらに日課と用心を兼ねて、勢いよく小鳥の水浴びをするアルジーであった。

程なくして、正装を済ませたセルヴィン殿下とオーラン少年が、そろった。

ヒョロリ殿下とも陰口されている少年皇子は、正装をしていてなお、死にかけの虚弱児という印象がある。それでも、生命力を奪う邪悪な禁術《生贄》魔導陣を、半分ほどは調伏できたのだ。 半分ほど持ち直した重病人というだけでも、大いなる進歩である。

貴人の従者として地味な正装に身を包んだオーラン少年のほうは、かねてから族滅任務の刺客(アサシン)に追われているという事情がある。 近ごろ《人食鬼(グール)》に捕食されかけたという事実を利用して、「顔面が変形する程の傷痕だらけ」設定のもと、慎重に覆面ターバンを巻いた姿だ。

「参りましょうか、鳥使い姫」

――もちろん!

白文鳥アルジーは、さっそく、覆面ターバン少年オーランの肩先へと取り付いた。具合の良い場所を見つけるため、少しの間ピョンピョン跳ねる。 都合よくターバン端が流れていて、万が一の時は、ちっちゃな白文鳥が紗幕(カーテン)の中に隠れるようにして、身を隠す事ができる。

(新型武器の展覧会の式典会場には、殺害されて死んだ巨人戦士アブダルの戦士仲間、 すなわちアブダルを倒せるほどの戦闘能力のある容疑者たち全員が、ほぼほぼ出席している筈。その中に、真の殺害犯が居る筈よ!)

ふんす、とばかりに、小鳥の細い両足を踏ん張る。そんな白文鳥アルジーをチラリと眺めて来た覆面ターバン少年オーランの漆黒の眼差しは、楽しそうな雰囲気だ。

『真犯人とかち合うかも知れないのよ、油断大敵よ、オーラン君。注意深くピシッとしててね、ピッ』

かくして。

少年2人と火吹きネコマタと白タカ・ジブリール、それに白文鳥アルジーは、扉のほうで控えていた護衛オローグ青年と合流して、新型武器の展覧会の会場へと赴いたのだった。

*****

展示会場は急ごしらえではあったが、きらびやかな空間だった。

元々の設備が、突出した財力を誇る第六皇子だったカムザング好みの、華麗な類であったことは明らか。

ほとんど新たな飾りつけを必要としない程に、それ自体がキラキラしている大広間。各所にズラリと展示された各種武器と共に、訪れた人々を感心させる要素になっていた。

各所の照明ランプが、真面目な「普通の炎」光を投げかけている。

窓際や支柱の曲がり角といった要所・要所では、お馴染みの魔除けインテリアが吊られていた。歩兵の盾ほどの大きさのドリームキャッチャー護符。

ジャヌーブ砦の多くのドリームキャッチャー護符は、南洋特産のトロピカル貝殻に魔除け《精霊文字》を刻んで、飾り羽パーツ代替としている。 南洋に面したジャヌーブ地方ならではのトロピカル風ドリームキャッチャー護符の間に、正式な飾り羽パーツに彩られた帝国軍様式のドリームキャッチャー護符が配置されていた。

正式なドリームキャッチャー護符を多く用意できるのは、白タカ・白ワシ《精霊鳥》と関係の深い部族を多く抱える白鷹騎士団だ。 管理を担当する白鷹騎士団メンバーが、会場警備を兼ねて近くに控えていて、 魔除け能力のある《精霊鳥》飾り羽をコッソリ盗んで私物化しようとする不埒な参加メンバーを取り押さえ、別室へ連行したり、口頭注意をしたりしている。

白タカ幼鳥ジブリールは、早くも《風の精霊》特性を発揮して、若い白タカ仲間たちと共に、大広間に設置されている多くの換気扇のひとつへと飛び込んでいた。 新たな動力源を得た数々の換気扇はリズミカルにクルクル回り出し、大勢の人と照明ランプとで淀み始めた大広間の空気を、新鮮な外気と交換し始める。

主だった高位高官の招待メンバーは、既にそろっている。特設の演台で、ジャヌーブ砦の総大将をつとめるカスラー大将軍が、セルヴィン皇子の到着に備えて待機している状態。

青年クムラン副官が、事前に軽口を叩きつつ説明していたとおり。

キザに若作りしている中年男カスラー大将軍は、帝都紅のマントや金糸銀糸の貴族階級の仕立物でもって、盛大にめかしこんでいた。

脇に並ぶ中年ベテランの『虎ヒゲ』毛深族、タフジン大調査官が、カスラー大将軍の派手な扮装に感心していた。苦笑いしつつ、金と黒のシマシマ虎ヒゲをしきりに撫でている。

威儀を正した護衛オローグ青年と従者オーラン少年を伴って、セルヴィン皇子が会場を訪れると。

カスラー大将軍が大きなマントを華麗にバサァとやった。目にもあざやかな帝都紅ビロードを振り回し、大仰な一礼で歓迎して来る。

人相と背丈だけは立派な偉丈夫という風体。いかにもベテラン軍人という角張った風貌。

美しい天使を思わせるツヤツヤ髪が、ターバン端を彩っていた。暇さえあれば櫛を入れているかのような……そして、毛髪と同じように、芸術的なまでに整えられた、カイゼル髭(ヒゲ)。

注意深く見直してみると、大将軍にふさわしく鍛えられた中年男カスラーの体格の下には、各所に何か詰め込んでいるのが見える。立派な体格は、見せかけだけかも知れない……と推測されるところ。

「おぉ、いとも恐れおおくも、かしこき伝説の、《雷霆刀》英雄を始祖といただかれる偉大なる帝国の皇子セルヴィン殿下、はるばる帝都より御足(オミアシ)お運びいただき誠に恐悦至極」

白文鳥アルジーが初めて間近に見るカスラー大将軍は、抑揚の大きすぎる大声の持ち主だった。

覆面ターバン少年オーランの肩先の隠れ場所……肩先に垂れたターバン端の陰で、白文鳥アルジーはビックリして、ピョコンと飛び跳ねる。

セルヴィン皇子は硬質な礼節の笑みでもって、軽く会釈を返していた。帝都大神殿の高位神官――理事リドワーン閣下による、帝王教育の仕込みの痕跡が、随所に見える。

(お年頃の少年って、成長が早くてビックリするわ)

――などと、シミジミとする白文鳥アルジーであった。これでも生前は、恩師オババ殿に、帝都宮廷に並ぶ王侯諸侯としての行儀作法を叩き込まれた、 シュクラ王国の第一王女。「優秀な後輩を眺める」という気分。

セルヴィン皇子は第一の護衛オローグ青年を伴い、カスラー大将軍と左右の衛兵にかしづかれつつ、設置されていたひな壇へと昇った。

ちなみにオローグ青年は、昼間の不吉な指摘があったため、オーラン少年と同じ地味な覆面ターバン姿だ。巨人族の女戦士デリラに手籠めにされるのを避けるためだが、 前線で目立たない斥候を兼ねているように見える。

ジャヌーブ砦を取り巻く帝国南方の群雄たち――諸部族の族長たちや酋長たちの、鋭く探るような視線も集中する中……セルヴィン少年は、帝国の皇族ならではの儀礼的な笑みを浮かべながら、口を開いた。

「今宵は帝国が南方領土の要、ジャヌーブ砦の武器展覧会に共に参加できることを光栄に思います。 数々の新型武器が今後に渡り、いまだ《人食鬼(グール)》災厄の絶えぬ南部戦線において、強力な安全保障となることを確信する夕べとならんことを」

簡素な一礼と共に短く終わった「名誉会長」の挨拶ではあったが……

皇族としてのセルヴィン少年に何かしら感ずるところのあったらしい、相当数の首長たち。 それぞれの周囲に控えるベール姿のハーレム妻あるいは首長夫人たちと共に、意味深な眼差しを交わしていた。かすかな、どよめき。

そして、セルヴィン少年がひな壇を降りて従者や護衛と共に退いた後は……いつもの宴会のように、数々の陳列物を囲む商人たちや有力者たちの、活発な社交辞令が始まった。

「ジャヌーブ南の、徹底して撃滅予定となった《人食鬼(グール)》基地すなわち例の廃墟まわりの、部族長たちへ根回し……ゴホン、挨拶しておきましょうか」

生真面目な護衛オローグ青年の語尾は、ゴマカシの咳払いでゴニョゴニョとなっていた。 親友クムラン副官の独特の言い回しが移っていたのは、明らかだ。注意しないと、あの軽口は調子が良くて、思わず染まってしまう。

セルヴィン少年は覆面オーラン少年と視線を合わせて、少し首を傾げた後、苦笑で応えていた……

やがて、覆面オーラン少年のもとへ、相棒の白タカ《精霊鳥》ジブリールが帰還して来た。オーラン少年の頭上に腰を据え、幼鳥ならではの好奇心でもって、近くに陳列された新型武器に熱心な視線を向け始める。

白文鳥《精霊鳥》ならではの高感度で、その気配に目ざとく気付いた、元・人類のアルジー。小声で「ピッ」と、さえずる。

『どうかしたの、幼鳥ジブリール?』

『前に、万年《精霊亀》から占ってもらってるんだよね、相棒オーランにピッタリの……雷霆刀と短剣と一式で守護してくれる、黒ダイヤモンド《精霊石》について。 いまオーランの短剣に入っている《地の精霊》が入れる代物となると、相応に条件の揃った双子石が必要なんだけど……あんな感じかなぁ?』

白文鳥アルジーは早速、白タカ《精霊鳥》ジブリールの視線の先へと注意を向けた。

市場(バザール)でもよく見かける標準的な陳列台。そこに丁重に固定されているのは、左右セット一式の戦斧だ。大柄な体格に恵まれた毛深族や巨人族が振り回すような大きさ。 なかなか良さげな雰囲気をした双対の黒ダイヤモンドが、左右それぞれの戦斧の柄で輝いている。

『元気そうな守護石ね。戦斧も頑丈そうだし。巨人族ギムギンは今の戦斧を気に入ってる様子だったけど、これにも惚れ込みそうね。そういえば、あの毛深族ジャウハラとか……』

――噂をすれば影。

目の前にそびえる列柱の間を、見覚えのあるモッサァ銀色ヒゲ面が横切った。

ハッとして注目する、白文鳥アルジーと、白タカ幼鳥ジブリール。

昼間に見かけた、巨大キノコのようなモッサァ銀髪に彩られていた頭部は、いまは、清潔な生成り色のターバンに包まれていた。

さすがに公衆の場の礼装――ターバンを巻くために、急遽、頭の毛を剃った様子だ。 パッと見た目には、同族の魔導士フィーヴァーと似通った上半身。体格は個人差がある分、相応に違うけど。

『ホントに来たんだ、《銀月の祝福》受けし毛深族ジャウハラ。毛髪を剃ったの確かだけど、髪束どうしたかな。《銀月の祝福》モノは、取扱注意だし』

『え、取扱注意なの? し、知らなかったわよ、ジブリール君』

白文鳥《精霊鳥》アルジーは、生前の人類であった頃の記憶をおさらいしつつ、慌て出した。

すぐに「髪の毛を切ってはならない」というオババ殿の戒めを思い出して、そもそも処分する機会が無かったから、その件に関して問題は出していない筈……と、一息つく。

そうしている内にも、毛深族ジャウハラが、目にも留まらぬ短剣の技術でもって、幼虫と思しき《三つ首サソリ》を退治した。刀剣の魔除けとしてお馴染みの《火の精霊》による、真紅の火花が散る。

「幼虫とは言え、出現する位置が違えば退魔調伏せねばならん。フッ」

毛深族ジャウハラが、いかにも満足そうな様子で、銀色のヒゲをモッサァと膨らませ、鼻息を荒げると……

退魔調伏で無害な熱砂と化した《三つ首サソリ》幼虫の成れの果てが、細かな粉塵さながらに、毛深族の豪快な鼻息に吹き飛ばされていった。 そして、最寄りの換気扇に吸い込まれ、野外へと排出されていったのだった……

何という事のない日常の光景だが。

毛深族ジャウハラの場合、ひとつひとつの所作にユーモラスな味わいがあって、思わず見入ってしまう。

そのまま、しげしげと眺めていると、毛深族ジャウハラへ、見覚えのある女戦士が話しかけ始めた。聖火礼拝堂の近くの訓練場で、ジャウハラ格闘術の出張訓練を担当していた女教官ヴィーダ。

「連絡を受け取りました。私に確認されたいことがありましたとか? 毛深族ジャウハラ師匠」

「おお、弟子ヴィーダ。実は今日の昼どき、わが『筋肉道場』へ照会があったのだ。 最近ここ数日、吾輩が留守の間、急に変死したという破門弟子の巨人族アブダルが、生前、道場へ押しかけて来ておったとか。いったい、どんな用件だったのじゃ?」

ひと呼吸ほどの間が空いた。

比較的に小柄な女教官ヴィーダの、慎ましいベールに縁どられた顔には、驚きが浮かんでいた。そして思慮深く、小首を傾け始めた。

「大した用件ではありませんでした。前払い済の個別指導料の返金……カネの無心ですとか、皆伝免許状の発行ですとか、そういう内容が主であったかと存じます。 帝都上京して栄達など考えていて、資金や、箔付けが欲しかったのでは……と思料いたします」

「確かに問題児アブダルは、貰えるものはゴッソリ頂く、しかも他人への分け前をも横取りして、という欲深な性質じゃったの。 ううむ。後ほど、聖火礼拝堂に設置されていると聞く捜査会議のほうへ報告しておこう。忙しいところ足労かけたな」

「お気遣いいただきありがとうございます。個別指導の弟子たちと共に、ジャヌーブ砦の将軍たちや部族長たちへの挨拶回りがございますので、これにて……」

女教官ヴィーダは丁重な一礼をすると、前にも見た、あのキビキビとした足取りで、速やかにその場を立ち去って行った。

『実に実に、この世で最強のトラブル吸引魔法の壺であるニャ、鳥使い姫よ』

いつしかヒョロリ皇子セルヴィンが、近くに佇んでいた……相棒の《火の精霊》すなわち、手乗りサイズのちっちゃな火吹きネコマタの導きによって。

ミニサイズ招き猫の置き物といった赤トラ猫は、セルヴィン少年の肩先で、2本のネコ尾の先でポポンと花火を上げていた。呆れたように。

もとより、《地の精霊》祝福の地獄耳を持つ覆面オーラン少年は、シッカリ立ち止まって、毛深族ジャウハラと女教官ヴィーダの会話を耳に入れていたのだった。

「後で手が空いたら、クムラン殿へ情報連携しなければ」

若い護衛オローグ青年が、覆面ターバンを締め直しつつ、生真面目にボソッと呟いた。

気を取り直し、改めて挨拶回りへと乗り出す一行。

まずは、ジャヌーブ砦の防衛をあずかる長官のひとり――バムシャード長官。四名の長官の中では末席に当たるが、クムラン副官の素質を見抜いて大抜擢したという人物だ。

『じかに見てみたい人物だわ』

白文鳥《精霊鳥》アルジーは、オーラン少年の覆面ターバンの上に飛び上がって、ピョンピョン飛び跳ねた。

「目立ちますから、鳥使い姫」

「ぴぴぃ」

抗議のさえずりが終わらないうちに、白文鳥アルジーはオーラン少年の手の中に拘束されていた。さすがにオーラン少年も、この頃、奇妙な白文鳥《精霊鳥》の性格や扱いに、慣れて来た様子である。

そして、そのオーラン少年の判断は極めて正しかった。

心当たりのある位置へ近づいてみると、バムシャード長官は、ひときわ目立つ帝都紅マントで荘厳されたカスラー大将軍、および10人ほどの部族長たちと、 情報交換を兼ねて、社交儀礼の杯を交わしているところだったのである。

バムシャード長官の脇に、ご存知クムラン副官が控えていた。目ざとくも、護衛オローグ青年やセルヴィン皇子、オーラン少年に気付いて、『慎重に行け』という風に、目配せをして来る。

改めて、クムラン副官が警戒している方向を見ると。

カスラー大将軍の隣に、女神のような美貌の巨人族の――女戦士デリラが、居た。

*****

女戦士デリラ――巨人族ならではの見上げるような体格。

圧倒的なまでの怪力と重量を感じさせる極太の骨格。山のように盛り上がる爆発的な筋肉。

銀月のように輝く見事な銀髪は、腰回りに届くほどの長さだ。ベールも無しで、大胆に銀髪を流して、惜しげもなく見せつけている。

巨人族アブダル未亡人となったばかりの彼女は、権力者や特権階級のグループに囲まれているという認識があるのか、昼の時分とは打って変わって、どこかの有力なマダム――といわんばかりの雰囲気だ。

『ねぇ、白タカ・ジブリール君。巨人族デリラは、昼の時は荒れてたと思うんだけど、いまは落ち着いているように見える。何かあったの?』

白タカ幼鳥ジブリールは、覆面ターバン少年オーランの頭上でヒョコヒョコ首を動かし、考え深げに呟きを返した。

『アルコールの匂い。あの後、聖火礼拝堂で、お神酒……特別製ツヨツヨ火酒にしたのを……飲ませた筈だよ。どのくらいの量かは分からないけど、性欲鎮圧したうえで、正気がつづくだけの量を』

『あ、思い出した。鷹匠ビザンと、その相棒の白タカ・サディルは、チームで、性欲に狂った巨人族に火酒を飲ませて鎮める技術が有るとか。それにしても、どうやって飲ませるのかしら?』

『やり方が有るんだけど、ボクはまだ幼鳥だし、相棒オーランもこれからだから、そのうち』

性欲に狂っていない時の巨人族デリラは、不思議だが、本当に高位の王侯諸侯の淑女に見える。

銀月のように輝く銀髪、女神を思わせる絶世の美貌。

巨人族ならではの群を抜く背丈と、盛り上がりすぎる黄金の筋肉でさえ、古代神話でお馴染みの、美しき戦女神(ヴァルカーラ)と見えるくらいだ。 今は亡き巨人戦士アブダルが、彼女を妻にしたという事実も、納得できる。

カスラー大将軍も、アブダル未亡人デリラの美貌に見惚れている様子だ。 今宵の付き添いは、亡きアブダルへの礼儀もあるのだろうけど。女神のような美女を同伴した男ならではの虚栄心も、うっすらと、ほの見える。

「これは、セルヴィン殿下。ご機嫌うるわしゅう存じます」

実直かつ苦労人な性質がうかがえるヒゲ面の中年男バムシャード。そのターバンは「長官」という地位役職に応じて、聖火に見立てて赤く染めた大振りな飾り羽で装飾されていた。 儀礼的な場とあって、帝国軍の軍装でお馴染みの『雷霆刀』紋章付き装甲は、省略されている。

標準的な濃い目の茶髪には、年齢以上に白髪が多く見えるものの、むしろ思慮深そうな印象だ。 緊張も少し見えるのは、巨人族デリラの性欲の現在状況を、腹心の部下クムラン副官から、シッカリ聞き及んでいるせいに違いない。

同様に、周囲に控えている十人十色な10人の部族長も、酒杯を持つ手とは別に、各々の片手を《火の精霊》退魔紋様セットの短剣に添えていて、少し緊張している気配。 こういう場でも、短剣だけは「社交上の威儀を正す」小道具なだけあって許容範囲だ。

10人の部族長たちのうち半数は、セルヴィン皇子と初体面であった。

「亡きラーザム財務官どのの葬儀の場では、よろしくご配慮いただき、御礼をば……」

「お初にお目にかかります、セルヴィン殿下」

巨人族の女戦士デリラは、セルヴィン少年の面差しに目を留めたものの、そのヒョロリ体格に魅力を感じなかった様子。礼儀正しくはあるが、無関心な笑みを湛えている。

――次の瞬間、あらぬ方から騒音が急接近して来た。

「聞いた話と違うぞ、改善されて無いじゃないか、この、カスめが!」

何らかの告発めいた大声と共に、護衛オローグやクムラン副官と同年代の青年が、カスラー大将軍へ飛び掛かったのだった。

「危ない!」

10人の部族長たちは咄嗟に散開し、護身用の短刀を手に取る。反応が遅かったカスラー大将軍は、自慢の帝都紅マントを、ザックリと切り裂かれる形になった。

「狼藉者め!」

バムシャード長官が動いたが、巨人族の女戦士デリラのほうが早かった。

派手な真紅と黒の迷彩パターンに彩られた、ポンチョさながらの貫頭衣ドレス姿がひるがえる。

長いスリットが入った裾(すそ)から、巨大サボテン幹のような、圧倒的な太さ逞しさを誇る黄金の脚部が飛び出し、回転した。

どこかの骨が折れたらしい「ボキリ」という音響。

白文鳥アルジーが唖然と見守っている間に、比較的ほっそりした体格の文官っぽい闖入者は、華麗に空中を飛び――結構な距離だ――衝立のひとつへと、頭から突っ込んだ。

興奮の止まらない女戦士デリラは、肉食獣の牙のような歯を剥いて、過剰攻撃を始めようとしたが。

かねてから注意深く見張っていた白タカ・サディルが、矢のように割り込んだ。一瞬のつむじ風。

驚いた女戦士デリラが大きな口をポカンと開けた瞬間――携帯用の酒瓶が、手品のようにポンと現れた。濃厚なアルコール臭のする琥珀色の蒸気と液体が、噴射する。

鼻から琥珀色の蒸気を吸わされ、口から琥珀色の液体を流し込まれた女戦士デリラは、見る間にトロンとした目つきになり……泥酔した人そのものの挙動で、よろけ出した。

デリラの急変ぶりに、部族長の面々が、それぞれに短刀を構えたまま唖然とする。間を置かずして、ベテランのシニア鷹匠ビザンが割り込んで来た。

女戦士デリラは、見る間に《精霊象》に使われる強力な鎖でもって動きを制限され、《火の精霊》がチラチラと瞬く琥珀の霧の中に取り巻かれて、いっそう朦朧となった。

「た、確か、聖火礼拝堂で特別に精製されるという《火の精霊》の火酒でございますか」

「聞くところによれば、あまりにも高濃度アルコールゆえ、極北の永久凍土の、吹雪の中でも凍らないとか」

しまいには、狂暴な巨人族の女戦士は、鷹匠ビザンと、臨時の助手となったクムラン副官と護衛オローグとに引きずられて移動した末に、巨人族の怪力にも耐えられる鉄製列柱のもとへ、つながれたのだった。

『す、すごい?』

『あれが、我ら《火の精霊》特製の火酒ニャ。とにかく吹っ飛ばされた彼の身柄を確保ニャ。いま同僚へ照会しているから身元はすぐに分かるであろうが』

近くに居たヒョロリ皇子なセルヴィン少年の肩先で、ちっちゃな手乗りサイズの赤トラ猫が素早く解説していた。

既に、覆面オーラン少年が、従者-兼-護衛として、脇からセルヴィン皇子を護衛している体勢。

カスラー大将軍が、ようやくと言うべきなのか……発生した内容を認識し、パニック気味の大声でわめき始めた。

「ももも……者ども、こやつを何とかするのだ」

日常的に発生する邪霊害獣トラブルに対応している部族長の面々のほうが理解が早く、とうの昔に、口々に「取り押さえろ」と号令をかけ合いながら、バムシャード長官の作業を手助けし始めていた。

「おのおのがた、ご協力いただき感謝する」

バムシャード長官は口早に感謝を並べるや、次の瞬間には、意識朦朧としている細身の若者の人相をあらためていた。部族長のひとりが医術の心得を発揮して、若者の骨折に応急処置を施す。

その部族長が、骨折の処置を終え、首を傾げ始めた。

「ところで、この狼藉者は、いったい誰なのだ?」

セルヴィン少年とオーラン少年も、巨人族の戦士に派手に骨折させられた哀れな男性を慎重に眺めつつ、「名前を知らないが、なんか見覚えがある気がする」と、首を傾げ始めた。

やがて、近くの照明ランプで、《火の精霊》の火花がパチッと散った。

セルヴィン皇子の肩先に居た手乗りサイズ《火吹きネコマタ》が、2本のネコ尾をピピッと揺らす。

『判明したニャ。亡き巨人戦士アブダルの性的暴力の被害者のひとりニャネ。医療局の治療スタッフ。 巨人族アブダルは、以前に邪霊害獣の返り討ちを食らって入院した時、拒否する彼をベッドに引きずり込んで、悪趣味な肉体交渉の変態の諸々を……カスラー大将軍が、もみ消したとか』

『つくづく腐ってるわね』

果たして《火の精霊》指摘のとおり、明瞭な意識を取り戻したところを尋問された若い男性は、ついでにカスラー大将軍の人事管理の甘さにも言及し始めた。

「あの悪魔アブダルのせいで、私はいまだに《人食鬼(グール)》裂傷の治療局に復職できるような状態じゃ無い! あの凶悪アブダルを放し飼いにしていた大将軍、カスもカスが、 尻に不潔な鞭たたき食らって、紅白『邪霊退散』御札もアルコール消毒も無しで死ねや、この私利私欲の塵芥(じんかい)カス野郎!」

「だれか、この無礼者の口を閉じろ、無礼打ちにして処刑だ」

気が小さいうえに気の短いカスラー大将軍は、カッとなって、腰の三日月刀(シャムシール)に手を伸ばす。

そんなカスラー大将軍の性質を良く理解していたらしく、バムシャード長官は素早く、その前に立ちはだかった。目配せを受けて、クムラン副官が、カスラー大将軍を羽交い絞めにして背後から押さえる形になる。

「どうか、お静まりを大将軍カスラー閣下。我らがジャヌーブ砦は、《人食鬼(グール)》裂傷の治療に長けた優秀な医療スタッフを、ひとりも失う訳にはまいりません」

「そんなもの、命令書を出して、その辺の部族から手当たり次第に強制徴用すれば、どうにでもなるでは無いか!」

――それは失言だった。

政治生命を自爆させて失脚するに値するほどの、大失言。

ジャヌーブ砦の最高責任者を務めるカスラー大将軍が。

絶対に、口にしては、ならなかった筈の。

さすがのクムラン副官もポカンとして、護衛オローグ青年と目配せを交わして「ホントにそう言ったのか?」と確認するほどである。

伝説に聞く、永久凍土の最北の氷山宮殿よりも、はるかに凍て付いた空気が、横たわった。

居合わせた10人の部族長たちが、一斉に剣呑な雰囲気になっている。カスラー大将軍も、サッと青ざめ、二の句が継げぬままだ。

覆面ターバン少年オーランの頭上で、白タカ幼鳥ジブリールが、つぶらな目をパチクリさせ。

『鳥使い姫って、ホントに、この世で最強の、トラブル吸引魔法の壺だ……』

虚弱なヒョロリ皇子セルヴィン少年は、大爆発の真ん中に居合わせている事実を察したのか……しばらくの間、せわしなく会場のあちこちに警戒の視線を走らせていた。

ひと呼吸の後。

番外皇子セルヴィン殿下は、わざとらしく咳払いした。目論見どおり、周囲の眼差しが集中する。オーラン少年の手の中で、アルジーは反射的に、警戒の冠羽をピッと立てた。

「私の見るところ、カスラー大将軍は連日の業務で疲れておいでのようだ。惜しまれるところであるが、私室にて休養いただくのが適切であるかと。参列の方々におかれても、異論なければ――」

そこで、おとぎ話の《魔法のランプ》から出現したかのように、老フィーヴァー魔導士と、白鷹騎士団の専属の魔導士・老ジナフが割り込んで来た。

「まさしくカスラー大将軍の顔色は、極度の疲労の兆候で、いっぱいじゃぞ」

「ささ、速やかにお部屋にてお休みのほどを。大将軍カスラー閣下」

病人あつかいされた、カスラー大将軍。

タイミングよく、クムラン副官の腕力がゆるんだ。鍛えられた戦士ならではの若者の腕力は、興奮した中年男カスラー大将軍の動きを封じるには、充分以上のものがあったのだ。

これ幸い――とばかりに、カスラー大将軍は、クムラン副官の羽交い絞めから抜け出す。地味で真面目な雰囲気をした白鷹騎士団の老ジナフの介助に、大袈裟に寄りかかり。 ジャヌーブ地方の部族長たちの突き刺すような眼差しから、退散を決め込んだのだった。

クムラン副官が、大袈裟に困ったような風で、「ヤレヤレ」と肩をすくめる。

老魔導士フィーヴァーが、モッサァとヒゲを膨らませつつ、なおも怒気を含んでいる細身の若者へ語りかけた。

「済まんな、若いの」

偉大なる大魔導士にして、人類史上最高の名医。その謝罪を耳にして……一瞬、ポカンとする医療スタッフ青年。

「ここで血を見ると、ただでさえ不安定な政局が更にガタガタになりかねん。詳しくは明かせんが、事と次第は、帝都の政局事情と、ウラオモテなのじゃ」

そこまで言って、老魔導士フィーヴァーは、急に「むッ!」と目を光らせた。

「な、なんです?」

そのド迫力にギョッとした細身の若者。身体が跳ね、その拍子に骨折に響いて、「いてて」と、その位置をかばう。

覆面オーラン少年が、ハッと目を見開いた。

「なにか、紙の音が」

「紙?」

オーラン少年の、《地の精霊》祝福の地獄耳と動体視力が、即座に位置を割り出した。「失礼」と言いながら、骨折した細身の若者に接近し、着衣を探り出す。

夜間仕様の定番の重ね着となっている長衣(カフタン)の袖の間から。

果たして、いわくありげに折りたたまれた書状が現れた。

「何だ、それは?」

居合わせた部族長の面々も、バムシャード長官も、興味津々だ。

最高責任者として、バムシャード長官が書状をあずかる形になった……その書状を、開いてみると。

どこかで見覚えのあるような気のする、金属製の字型をスタンプして並べてある文字。

――『余計なことを、ごちゃごちゃと嗅ぎまわるな。アブダル』

死人の名前で仕込まれた――或る意味、既に死者となったアブダルに、さらに罪をかぶせる形、すなわち利用して冒瀆している形となっている、小細工。

老魔導士フィーヴァーとバムシャード長官、それに部族長の面々は、驚愕に目を剥き。

クムラン副官が思わず、という風に「ヒュウ」と口笛を吹いた。

極限まで青ざめて慌てまくる、細身の医療スタッフ青年。

「わ、わ……私じゃない! この書状の存在など、さっきまでチラとも知らなんだ! だ、誰かが、そうだ、出入口で、 ちょっとスレ違った知らない誰かが……覆面だか、ベールだか……覆面だか、ぶつかって、たぶん、その時だ」

「ひとまず信用しますぜ、骨折りの医療スタッフ君」

クムラン副官が、この場の緊張をほぐすためもあってか、軽妙な受け答えをした。

「貴殿には、こういう内容の書状を仕込む理由が無い。むしろアブダルの悪事も、それを隠蔽したカスラー大将軍の不正ぶりも、まとめて告発する書状を準備する筈ですぜ、 さっき叫んでいた事が真実なら。まぁ早急に方々で聞き取りして、裏付けはしておきますがね」

「それはそれとして、まずは医療局へ行って、骨折の処置の残りが先だろう」

「ありゃ、そうだった。お気づきありがとう我が友オローグ殿」

いつの間にか、中堅ベテラン鷹匠ユーサーが現れていた。一見して、影の薄い壮年男といった印象のユーサーは、訳知り顔で、骨折した細身の若者を介助しつつ、 老ジナフを追う形で、医療区画へと連れ去って行ったのだった。

セルヴィン少年が、熱心に怪文書を眺めている……バムシャード長官の片手から、怪文書の文面が飛び出していて、バッチリ見えている状態だ

「あの字型スタンプの持ち主が、やはり真犯人かも知れない。あの二種類の字型スタンプが使われていた不自然な呼び出し状……、あとから文章を加えて内容を操作した誰かが、 今回の怪文書も作成したに違いない。字型も力の入れ具合も、同一人物っぽい気配があるし」

「私も同意です。セルヴィン殿下」

慎重に呟く、覆面オーラン少年であった。

そのオーラン少年の手の中に隠されたままだった白文鳥《精霊鳥》アルジーは『うんしょ、こらしょ』と、指の間から、真っ白な小鳥の首を出し。

『さっき、あの骨折した人、言ってたわよね。白タカ・ジブリール君。あの人、誰かと廊下で出会い頭にぶつかって、その隙に怪文書を突っ込まれたらしいとか何とか』

『鷹匠ユーサーが、医療区画のほうで、キッチリ聞き取ってくれると思うよ。男(オス)か女(メス)かまでは分からないだろうけど』

『うむ、我も聞いたニャ。あの様子では、彼は文書を持ち込んだ怪人物の特徴など覚えてはおらぬだろうが、そやつが人類と知れたのは大きいニャ。 しばらく彼に、同僚《火の精霊》の見張りを着けとくニャ。用心のため』

『先輩の白タカ・サディルと、鷹匠ビザンとで見張ってる巨人族デリラ、ほどよく酔っぱらったせいで色々しゃべってる。案外、真犯人は戦々恐々か? 集まって来る面々に注意だね』

『女戦士デリラ、酒が回ると口数が増すタイプなのかしら? ねぇオーラン君、デリラに接近できる? 彼女はアブダルの妻で重要人物なのよ。これはチャンスよ、聞いてみなきゃいけない事が山ほどあるわ』

「了解、鳥使い姫。接近してみましょうか……セルヴィン殿下」

「やってみよう」

ヒョロリ皇子は金色に近い色合いの目をキラキラさせて、ノリノリであった。冒険者気質が透けて見える。再び健康を回復できる日が来たら、これはこれで、ハラハラさせられる皇子になりそうである。

戸惑い気味の部族長たちに一礼して、2人の少年と護衛オローグ青年は、巨人族デリラへと近寄って行った。

折よく、バムシャード長官とクムラン副官、老魔導士フィーヴァーが先行して、鷹匠ビザンと共にデリラを診察……いや、監視しているところだ。

意外に、10人ほどのジャヌーブ近辺の部族長たちは興味津々で、遠からず近からずの位置を取り……番外皇子ゆえに知られていない部分が多いセルヴィン殿下の、あらゆる言動をチェックする勢いであった。

*****

女戦士デリラは、強烈な火酒をガブガブ飲みながら、女神のように輝く銀髪と美貌を、これでもかとばかりに見せつけている……

給仕さながらに控えている鷹匠ビザンが、器用な手つきで、次々に、大きな酒杯をデリラの手に送り込んでいた。

巨人戦士の飲酒スピードに追い付くほどの素早い所作、その切れ目の無さは、専門の給仕もビックリだ。 時々手間取る局面があるが、そのたびに白タカ・サディルの風が、琥珀色をした高濃度アルコール蒸気をデリラの鼻の中へ送り込み、間を持たせている形。

ヒョロリ皇子セルヴィン少年は、信頼する護衛オローグ青年の身体を挟んで、巨人族デリラの様子を慎重に観察しつつ、そっと呟く。

「巨人族はターバンを巻く習慣が無くて、任意とはいえ……銀髪を持つと、男女問わず見せびらかしたくなるものらしいな。 酒姫(サーキイ)アルジュナといい、あの不思議な毛深族ジャウハラ殿といい……」

「皆が皆では無いですよ、セルヴィン殿下。実例は、偶然ながら私の親戚ですから。それで鳥使い姫、巨人戦士デリラに聞きたい事があるとか?」

『いっぱいあるわ、でも最も重要な確認事項は、巨人戦士アブダルが、邪霊植物《三つ首ハシシ》由来の、《邪霊使い》ご用達の大麻(ハシシ)を、どこから入手していたかよ。 具体的な入手先が何処だったかは、重大な問題だわ』

「どうやって質問したら良いでしょうかね。『お宅のご夫君は、何処で大麻(ハシシ)を買ってましたか?』って……おいそれとは聞けないでしょうし」

「難しい質問だな。だけど、酔っぱらっているから……」

護衛オローグ青年も、セルヴィン皇子とオーラン少年のやり取りに耳をそばだてていて、思案顔だ。

そうしているうちにも。

アブダル未亡人デリラは、酔いが回って舌がなめらかになった様子だ。近くに居たクムラン副官へ向かって、昂然とあごを突き出す。

「クムランとか言ったっけ、鬼耳族の。ねぇ、バシールの女って、ブス、ガリガリ、色気も無いのにさ、よくもまぁアレで、アブダル『その気』になったもんだよね、ゲテモノ容貌のくせに……ハハハ!」

素早く目線で合図する鷹匠ビザンと、クムラン副官。一瞬の後、クムラン副官はデリラの放言に、滑らかに応じてゆく。

「偉大なる巨人族の心理って、あんま良く分からないんで、済みませんねぇ。恐ろしくも美しき銀月のデリラ殿」

クムラン副官の上手なお世辞に乗って、巨人戦士デリラは一層、喜色満面になった。シッカリ酔いが回って、目の焦点が合っていない。

「あら、お上手ねン。そうそう、バシール妻は怪しいよ、南洋物産のツテで色々、非合法な物品も扱ってる筈だからね。倉庫とか捜索してみなよ、面白いものが出てくる筈だよ。ご禁制とやらの大麻(ハシシ)とか」

「確信があるんですか? なにか知っているとか?」

覆面オーラン少年が、ビックリしたように質問を重ねる。

「此処へ来る時、たまたまだけどね、ジャヌーブ商会の組合の、出張事務所だか宿泊所の前を通ったんだよ。えーと、尻軽の道化師オッサンとか、ネズミ男のヤツとか。皆でこの武器展覧会へと言う時に、 なんかバシール妻が、ちょっと引き返して、倉庫でゴソゴソしてたからね」

「よく見てるんですね」

「巨人族は夜目が効くんだよ、距離があってもね。通りを三つ離れていても、アブダルが何処のアバズレ尻軽とヨロシクやってるか、一目瞭然ってもんさ」

老魔導士フィーヴァーが、モッサァ白ヒゲを、鼻息で豪快に「ブワッ」とやった。

「そうじゃったな。巨人族は精霊(ジン)なみに夜目がきく。そもそも超古代の頃は、三つ首《人食鬼(グール)》と血を分けた事もある、邪霊崇拝の種族じゃったからな」

クムラン副官が、陽気な調子で、再び口先を挟み始めた。鷹匠ビザンの手が、再びデリラの手へ、大きな酒杯を押し込む。

「ナルホド、ナルホド。ではデリラ殿、お互いに、別々の……性欲パートナー、合意の上なんですかね?」

「あんた、どこまでもバカ? 何言ってんのさ、クムラン君とやら。偉大なる巨人族が、頭脳も体格も容貌も劣っている人類どもと、 いちいち合意する必要あんの? 人類なんて、遊びたいときに遊べる下等なオモチャでしか無いんだからね。楽しく無かったら、城壁の上からでも放りだせばスッキリするだろ。 不細工な人類が、高所から落下してツブれたトマトみたいに壊れるところって、見てて笑えるじゃないの、アハハ!」

白文鳥《精霊鳥》アルジーは気分悪くなって、真っ白な小鳥の首をヒョコヒョコ左右するのみだ。

人類に属する全員もまた、ドン引きしたのは言うまでもない。

会場の一角のほうで、ジャヌーブ砦の周辺の勇敢な部族長たちが、ジワジワと後ずさっている動きが見える。

その横に、さすがに巨人戦士デリラの大声を聞き付けた様子で、あの筋肉道場の道場主である毛深族ジャウハラ老が来ていた。見事な銀色のヒゲをモッサァと膨らませ、意味深な眼差しを投げている。

――巨人戦士は、ここ三ツ首《人食鬼(グール)》前線となっているジャヌーブ砦では、実に頼りになる戦力なのでは、あるけれど。

なにげに近くに来ていた巨人戦士ギムギンが、酔っぱらった巨人女戦士デリラの放言を耳にして、頭を抱えて膝をついていた。

「舌禍事件から外交問題を起こしてくれるなよ……ジャヌーブ砦の第一長官と『巨人族デリラの活動範囲はジャヌーブ砦の近辺に限定するものである』との覚書を締結済みで、幸いだった。 《銀月の聖女》家系の出身なのに、巨人族の男たち全員の夢を壊してるぞ、デリラ姫……」

その涙目ぶりと来たら、隣に居た戦士仲間――毛深族の虎ヒゲ・マジードが、「まぁまぁ」と肩を叩いて慰めるほどだ。

白タカ幼鳥ジブリールも、目下、覆面オーラン少年の頭部をゲシゲシ足蹴にして、『冷静になれ』と注意喚起しているところだ。

『巨人戦士デリラは、巨人族の女としては、随分と平均から外れている性質と考えて良いのかしら?』

白文鳥アルジーが首を傾げていると、セルヴィン少年の肩先で、手乗りサイズ《火の精霊》火吹きネコマタが、2本のネコ尾の先でパチッと火花を弾いて、応じて来た。

『血統書にすら使えない程の、使い道のない令嬢ニャネ。だが《銀月の聖女》家系は、巨人族では王侯諸侯に相当する名門、確かに、虚栄と野望の巨人戦士アブダルが好む高級ブランド血筋ニャネ』

『白タカ・サディル先輩によれば、バムシャード長官は胃薬が手放せないんだって。ジャヌーブ砦の第一長官も、胃袋に穴が空いてそうだね』

クムラン副官は、しょげ返っている巨人戦士ギムギンをチラリと一瞥した後、気を取り直して内容を整理し始めた。

「話を戻しましょうかね、うるわしき銀月デリラ殿。赤毛商人バシールの奥さん、いったん倉庫に戻って、何をゴソゴソしてたんですかい」

クムラン副官の、人から話を聞き出す手腕は、巧みなものだ。鬼耳族であることを示す、普通の人より少し大きめに発達した耳の、その端は、内面の感情を映しているかのように微妙に震えていたけれど。

「なんか赤毛バカ面バシール、前の宴会の時に、不法の大麻(ハシシ)に手を出してたって言うじゃないのさ。 あのブス女のせいさ。あのアバズレ、ジャヌーブ砦で禁術の大麻(ハシシ)を売りまくってんだよ。バレないように念入りに梱包とかしてたんだよお、絶対ね」

「ほうほう」

「バシールのブス女、アブダルを呼び出して殺したっていうし、あの黄金の不法の大麻(ハシシ)って、即、死刑なんだってね。 あたしに処刑まかしてくれりゃ、あのアバズレの内臓ズタズタにかき出して、城門前に、派手にバラまいてやるよ。面白い見ものになるよ」

喜色満面でクダを巻きまくった後。

女神のような銀髪と美貌の巨人戦士デリラは、急に眠気に襲われた様子だ。

圧倒されそうなまでの黄金色の筋肉モリモリ巨体が、ガクリと力を失い。

世界を揺るがさんばかりの、落雷のような大音量のイビキが、会場じゅうに轟きわたった……

……

…………

呆然としつつ。覆面ターバン少年オーランが、そっと呟いた。

「ジャヌーブ商会の、南洋物産の交易商バシール殿……の、奥さんが何か知ってそう、というところまでは分かりましたね」

「異論は無いよ。バシール夫人が、以前の内容以上のものを知っているとは思えないけど」

セルヴィン殿下の慎重な同意と意見。

その脇で護衛オローグ青年が、セルヴィンの言葉に、ゆっくりと頷いた。クムラン副官とも目配せしつつ。

「それでも、ひとまず、バシール夫妻へ事情聴取しなければならないでしょうね。バシール夫妻やネズル夫妻……ジャヌーブ商会の取次業者ディロン殿のほうでも、もうウンザリでしょうが……」

「バムシャード長官の持っている、あの怪文書『余計なことを、ごちゃごちゃと嗅ぎまわるな。アブダル』というのを、誰が作成したのか、取っ掛かりだけでも見つかれば良いな。 怪文書の作成者自身が、禁術の大麻(ハシシ)を密売していた可能性は、充分以上にあるし」

「御意」

*****

程なくして、中堅ベテラン鷹匠ユーサーが、相棒の白タカ《精霊鳥》ノジュムと共に会場へ戻って来た。

カスラー大将軍を襲おうとしたところをデリラに蹴り飛ばされた、哀れな細身の若者の骨折治療と尋問が一段落した様子。

白タカ・ノジュムは早速、巨人戦士デリラの方へ飛んで行き、シニア鷹匠ビザンの相棒である白タカ・サディルとタッグを組んだ。

鷹匠ビザンは、切れ目の無い緊張とスピード作業で、見るからに疲労している状態。 巨人戦士デリラの深酔いがつづくよう、白タカ《精霊鳥》2羽がかりで、高濃度アルコール蒸気の風を鼻の中へ送り込み始めた……

「――おお、鷹匠ユーサー殿か」

待ちかねていたとばかりに、毛深族ならではの見事な白ヒゲを、モッサァを膨らませる老魔導士フィーヴァーであった。

鷹匠ユーサーは静かに一礼し、次いで、白文鳥《精霊鳥》アルジーはじめセルヴィン皇子やオーラン少年、オローグ青年の一団へも素早く目礼した。

「老魔導士フィーヴァー殿。医療スタッフを務めている、かの若者の回答には不審点はございませんでした。 亡き巨人戦士アブダルから性暴力を受け、不眠や閉所恐怖症など多数のトラウマ症状の長期化もあり、休職および通院中です。 老魔導士フィーヴァー殿の医療区画に詰めているスタッフの中に、現場に居合わせた目撃者3人ほど。証言者として裁判所への出廷は可能です……カスラー大将軍による政治干渉が無ければ」

「そうじゃな。大将軍だの大総督だのの法的特権は強い。帝国法の欠陥じゃよ、こういった類の問題では、政治的に対抗する有力派閥に事情説明して、動いてもらわねばならん。 カムザング皇子の大麻(ハシシ)密売の罪を告発する点でも、それが難問だったのじゃ。第一皇女サフランドット姫の派閥が、強大な財力基盤と、第一帝国軍への影響力を有しているのは幸いじゃ」

「御意。このたび偶然にも、あのカスラー大将軍の、とんでもない失言が加わりました。帝都の政局も流動しやすくなるかと。さらに、 アブダル死体の精査報告がまとまっておりました。詳細は文書にて……老魔導士どのの書斎へも配送済です」

「うむ……! 帝都大神殿の医療部門としても重要な記録。このたび忌まわしき祭壇を運び込んだ時点、特別な死体保管所にて、 あやつには既に禁術の大麻(ハシシ)による『苗床』兆候が見えておった。 若い頃、暗殺教団《炎冠星》で散々見かけた現象。邪悪の極みというヤツじゃ、魔導士でも何でもない一般人には、到底、直視できる光景では無い。 して、アブダル死体は当然、ジャヌーブ砦の外の例の専用土地に『封魔葬』するのじゃろうな」

「目下、聖火で、アブダル死体を無害な熱砂となるまでに焼き尽くし、魔除けのドリームキャッチャー細工および御神酒をもって、残存骨格に至るまで、厳重に退魔調伏を施しております。 夜が明ける前には終了見込み、既に聖火礼拝堂にて『封魔葬』準備を。葬式に出せる無害なブツは、アブダル殿の形見となる戦斧のみ」

――意味深すぎる、やり取りが終わったところで。

折よく、手に届くような近さの、列柱の位置に。

ジャヌーブ商会の取次業者ディロンが現れた。面倒事にさえ首を突っ込む、スケベな気質が透けて見える中年男。色事師なところがあって、顔立ちは、それに見合うだけの美形ではある。 相変わらず、日ごとに異なるデザインの、キザなまでにオシャレなターバンと長衣(カフタン)の組み合わせ。

「巨人族デリラが言ってたとおり、ジャヌーブ商会仲間で武器展覧会に来ていたんだ。という事は、バシール夫妻も……」

果たして、ピンときた覆面ターバン少年オーランの言葉どおり。

以前にも見かけた、ジャヌーブ商会の面々が連なっていた。

「ホントに物凄いイビキでぶっ倒れてるねぇ、あの銀髪巨人の女戦士デリラ。おぉ、ババーンと開脚してフンドシが見える。おぉ、高級ブランド万年雪山の、白虎の毛皮のヤツだ。 巨人族のフンドシって虎皮なんだよな。熱帯雨林やら万年雪山やら乾湿大草原やらの、世界中の虎の毛皮が売れる訳だよ」

「ああ、南洋の帆掛船(ダウ)の中継貿易でも手堅く儲けさせてもらってるよ。巨人族の島ジャヌーの市場(バザール)へも輸送して」

「ありゃ、ほんとや! あの巨人デリラ、誰かが上手に鎮圧して安全にしたんだや。すげぇ酔っぱらってグッスリだや」

「しこたま火酒飲んだのねッ。出てきて大丈夫じゃない、バシール夫妻ッ」

ネズル夫人の甲高い促しに応じて、前にも見た事のある中年の赤毛商人バシールと、すこぶる色っぽい中年のバシール夫人が、隣の列柱の影から、そっと顔を出していた。明らかに怯えている様子。

「お、起きないんだろうね、あんた」

「しっかし、恐ろしい大声だったな。あの化け物デリラ、お前の内臓をかき出して城壁から放り出すとか、どうとか。なんで狂暴な巨人戦士を飼っとくのかねえ、ジャヌーブ砦は」

「三ツ首《人食鬼(グール)》のほうが、ずっと恐ろしいからだや。あの流砂に埋もれた謎の本拠地で、邪悪な儀式でも続いているんだかや」

さっそく覆面オーラン少年が、忍者の所作でもって、急接近した。白文鳥《精霊鳥》アルジーを手の平に乗せたまま。

「少しばかり、お尋ねさせてください」

「あやや、およよ、あの時の覆面少年かや? 急に出て来たから、ビックリしただや」

仰天の余り、ネズミさながらに跳ね回る小柄な中年オッサンな商人、南洋沿岸アンティーク物商ネズルであった。

「あの、バシール夫人どの。ご禁制の大麻(ハシシ)の被害の件がありましたが、その後、役所へまだ届けてない大麻(ハシシ)とかを、 何処かへ移動した、誰かへ私的に渡した、という事はありませんでしたか?」

「当たり前じゃないのさ、少年」

バシール夫人は、思いっきり、フルフルと首を左右に振っていた。つられて、ベールがグルグル回る。

「あれがご禁制の大麻(ハシシ)って知ったの、主人がヘンテコになって逮捕されてから後の話だよ、いきなり事情聴取で仰天したくらいだよ」

中年の赤毛商人バシールは、ひたすら首を縦に振って、妻からの弁解を全肯定する勢いだ。

こんな時ではあるけれど、夫のほうが首を縦に振っていて、妻のほうが首を横に振っているから、こうして並んでいると……或る意味、なにがなんだかだ。

バシール夫人は、早口で弁解しているうちに――それなりに老魔導士フィーヴァーや覆面オーラン少年を信用しているらしく――興味深いこぼれ話も、ペラペラ喋り出したのだった。

「南洋諸民族トライバルタトゥー施術の、医療用でも珍しい種類の大麻(ハシシ)は取引した事ある。1ヶ月くらい前。そこの船乗りシンドが、緊急で必要になった時に代理で、南洋諸民族の馴染みの仲買人とで。 ちゃんとジャヌーブ港町の役人が立ち合ってたから役所記録にも残ってる筈。大麻(ハシシ)品目の例外取引は、それっきりだよ」

こってりと浅黒く日焼けした船乗りシンドが「あちゃー」と言わんばかりに、南洋エキゾチック柄のターバン頭を抱えて困惑顔だ。

「あの時は、ご迷惑おかけして済まんかったよ、バシール夫人。部下の結婚式で、祝福タトゥー施術の立ち合いだので結婚会場の礼拝堂から動けなかったし、 相手が、急に《銀月の祝福》入って、標準の大麻(ハシシ)にアレルギー出るタイプになってたんだ。珍種を取り寄せる羽目になって慌てまくって……お蔭さまで助かったわ」

「まぁそれなりにバタバタしてたわよねッ。それにバシールさんがオカシクなった大麻(ハシシ)っての、前にも検討してたけど、 給仕の魔導士の美少年が持って来た、酔い覚ましの水の中に変なの入ってたんじゃないかって話になったわよねッ」

モッサァ白ヒゲの老魔導士フィーヴァーが、素早く割り込んだ。

「その給仕の魔導士の美少年について分かる事を、出来る限り詳しく説明してくれたまえ」

「あらまッ。あらまッ。そのお見事なモッサァ白ヒゲ、噂に名高い毛深族の大魔導士フィルボア様じゃございませんのッ。どうも、おこんばんわッ」

ネズル夫人はビックリしながらも、端的に説明した。老魔導士の名前が、より南洋寄りの、変形発音バージョンになっている。

「ユーラ河の東方辺境の、王侯諸侯の子弟とか言ってたわねッ。名前も聞いたこと無いような田舎の有象無象の城砦(カスバ)のッ。 魔導士になるため留学で上京、学費稼ぎしてるとかッ。色白で淡い茶髪で割と均整の取れた体格ッ、そうねッ、そこの覆面少年っぽい……お肌が、そんなに日焼けしてなければッ……それくらいよッ」

――覆面ターバン少年オーランの手の中で、白文鳥アルジーは首を傾げていた。

(オーラン少年と似た民族的特徴を持っていて、同じくらいの年恰好の……?)

それっぽい、見習い魔導士の少年を見かけたと思う。

雨季ならではの、気まぐれな雨の夜に……魔導士ユジール。シュクラ周辺の流儀の、発音をしていた……

しばし呆然としているうちに。

バシール夫人が不意に目をキラーンと光らせて、とある方向へ首を伸ばした。

目線の先には。

つつましやかなベール姿の、比較的に小柄な、女戦士にして女教官ヴィーダ。

バシール夫人がソワソワとした様子で、女戦士ヴィーダへ話しかける。

「久し振りじゃないのヴィーダ女史。なんだか、あたし色々トラブルだらけになっちゃってさ。この頃ツイて無いよ、ホントに」

女戦士ヴィーダは、眉根を憂い深く潜めて同情の意を示しつつ、静かに応じた。

「お察しします、バシール夫人。その節は、いつもお世話に」

「あ、そう言えばさ、巨人戦士アブダルが死んだってことはさ、『筋肉道場』備品購入で、巨人族関連の備品発注が無くなるとか?」

「――その通りでバシール夫人。それで取り急ぎ、ご一報差し上げようと思って……」

「いえいえーお気づかいなく。お得意さまだからね。あとで、『筋肉道場』道場主だっけ責任者の……あの毛深族マッスル爺さん署名捺印の、正式な変更リスト連絡状を、商会窓口まで送ってくれれば。 今後ともジャヌーブ商会の南洋物産商バシールの店を御贔屓よろしく」

「こちらこそ。あの、ちょっと立て込んでるので、失礼しますね」

「ああー、色々あるだろうに今夜はご一報ありがとうよ。ご安全にね、ヴィーダ女史」

――少しの間、社交辞令シリーズが続いた後。

予定どおりに……新型武器に関する商談と、深夜までつづく宴会とが、尋常に進行した。

もとより虚弱なセルヴィン殿下は早々に退出である。専属の護衛や従者、担当の医師も、セルヴィン殿下の動向に合わせる形だ。

深夜までつづく商談のお供の音楽だけが、いつもと違っていた。

それは、定番の軽やかで陽気な舞踏音楽ではなく……酔いつぶれた巨人戦士デリラの、爆音のようなイビキであった。

■21■黒毛玉が化けて飛び跳ねて

ジャヌーブ砦の一角、新型武器の展覧会は順調に進んでいる。

夜は更けてゆき……いつしか、ほぼ半月に近い銀月が雲に隠れるやいなや、気まぐれな通り雨が降り出した。

老魔導士フィーヴァーが詰めている医療区画の談話室。

新型武器の展覧会を早めに退出して、病人向けメニュー混ざりの夕食を始めていた、セルヴィン少年・オーラン少年、それに護衛オローグ青年は。

モッサァ白ヒゲの老魔導士が、不意打ちで始めた奇妙な作業に、興味津々だ。

寝ぼけた見習い魔導士でもあるかのように、口元に夕食「カレー味おやき」をくわえながら――大急ぎで脇目も振らず――とっておきの《魔導》カラクリ人形を、保管用の棺桶から取り出して来ているのである。

その《魔導》カラクリ人形は、腰の下まで流れる、長い人工銀髪が見事である。モデルになったのは絶世の美貌を持つと言われている、酒姫(サーキイ)アルジュナ。

――手頃な談話クッションの上にポンと置かれた『身代わりカラクリ人形アルジュナ号』。

人形の肩腕の全体は、スキン加工の覆いがスッカリ外されていて、金属製のカラクリ骨格が丸見えだ。

財務官ラーザム殺害事件が解決に向かう際に、《三ツ首サソリ》の尾の熱毒によって破壊された……複雑なカラクリ仕掛けを修理中なのである。

老魔導士フィーヴァーは、人形の頭部をセットし直し、その顔面が、皆に見えるように角度を調整した。

かの酒姫(サーキイ)の絶世の美貌をかたどった頭部は、別の人相のものに交換されていた。どこかで見たような……寝不足の虚無の顔つき。 かの酒姫(サーキイ)と同じくらい均整の取れた美形の類ではあるけれど。

「「「あのスナギツネ幽霊の顔じゃないですか!」」」

セルヴィン皇子と従者オーラン少年と、護衛オローグ青年の驚きの声が、キレイに重なる。

年齢を感じさせぬテキパキとした所作で、老魔導士は、精霊(ジン)の定番の落ち着き場所へと、クルリと振り向いた。

「これで良し」

精霊(ジン)の定番の落ち着き場所は、幾何学的格子の窓の前に据え付けられた、魔法のランプである。

白文鳥《精霊鳥》アルジーは、魔法のランプの優美な取っ手に腰を据えて、ふわもふ……と、くつろいでいるところであった。

セルヴィン皇子の相棒《火の精霊》火吹きネコマタが、同じ魔法のランプの注ぎ口の先端で、ネコミミ炎の形をしてユラユラしている。 隣に、ドリームキャッチャー護符をハメ込んである衝立型の調度。横棒を止まり木として、白タカ《精霊鳥》ジブリールが腰を下ろしていた。

モッサァ白ヒゲ老魔導士は、口にくわえていた「カレー味おやき」をモシャモシャとやってゴクリ呑み込むや、矢継ぎ早に説明し始めた。

「さて《鳥使い姫》、人形に憑依できるかの。取り急ぎのモノではあるが、付き合いのある《火の精霊》に加工を手伝ってもらったから、憑依の際にも違和感は無かろう。 《精霊語》は高速じゃが、人類の言葉への翻訳に手間がかかって、しょうが無い。目下、退魔を祈願中の雨があるゆえ、帝国語で話すにも幻影を出すにも、それほど危険は無い筈じゃ」

老魔導士フィーヴァーの肩先に、イタズラっぽい雰囲気をした真紅の「火の玉」が、ポンと現れた。挨拶のようにネコミミ炎をチラリと出した後、スッとかき消える。

――何故か、もうひとつ、チラリと。生真面目な、しかも微妙に白金色の炎冠をしている《火の精霊》が、もう一度、挨拶するかのように現れて消えたみたいだけど。

『やってみるわ』

さっそく、カラクリ人形の肩先へ止まる白文鳥《精霊鳥》アルジー。

人形そのものは、今までの『アルジュナ号』。頭部は、顔面の造作を、かの酒姫(サーキイ)から、スナギツネ顔へと、彫刻し直しただけだ。前回の憑依で学習した内容が、まるまる使える。

すぐに、いつだったかの《火の精霊》流儀の「スナギツネ面」をした《鳥使い姫》の、実体さながらの幻影がポンと現れた。 《火の精霊》補充成分が大きい影響で、虚無スナギツネ顔は、シュールなネコ顔にも見える。

姫ベール幻影には、本当は幽霊である証拠……半透明のネコミミが、きっちり現れていた。

人類に近い視界を得て、あらためて奇妙にスースーする着衣を確認すると……《火の精霊》が霊的に持って来てくれた、半透明のスパルナ系《鳥使い》衣装をまとっているところだ。

思いついて、金属製のカラクリが丸見えの片腕を見ると、それも半透明の袖の幻影に包まれている状態。衣装の袖の幻影を透かして、修理中のスチームパンクな見かけが、バッチリ見える。

「成る程」

老魔導士フィーヴァーは注意深く、熟練の医師として魔導士として、カラクリ人形アルジーを観察していた。モッサァ白ヒゲを撫でつつ。

「やはり《火の精霊》駆動の波動回路を経由するゆえに、薔薇輝石(ロードナイト)の目の色が投影されるのじゃ。ネコミミもな。人工肌スキン加工は、意外に、幻影の完成度に寄与するらしいの。 いま、その人形『元・アルジュナ号』は全裸なんじゃ。その《鳥使い》衣装、それだけ詳細な幻影という事は、砦のどこかに現物が存在するようじゃな。手が空いたら占いなど依頼して、探してみるかのう」

カラクリ人形に憑依した霊魂アルジーは、衣装の謎について、ちょっと考え込んでしまった。

時系列的には、まだ相棒の白文鳥《精霊鳥》パルと、正式な《精霊契約》を交わしていない状態だ。だから、正確には《鳥使い》では無い。相棒としての契約はあるから、仮免許の状態なのだろうけど。

「あの、《精霊使い》幽霊は、相棒の精霊(ジン)にちなむ衣装で化けて出る決まり、とか、あるんですか?」

「定番じゃな。ふむ! 前回はあまり見ていなかったが、ドリームキャッチャー護符の耳飾りを着けとるな。白文鳥の羽の。 スパルナ部族《鳥使い》は、こういう耳飾りは装着せんのじゃ。ターバンやベールを留める守護石を、羽飾り石として宝飾加工して装着する。辺境の文化かの。こいつは思わぬ手掛かりになるかも知れん」

セルヴィン皇子、オーラン少年、オローグ青年の興味津々な三者三様の眼差しが、耳飾りの辺りに集中した。 雨天のお蔭で、魔導士では無くても、うっすらと投影されているのが見えている様子。

老魔導士フィーヴァーがメモを取り始めると、談話室の廊下サイド入り口のサボテン扉で、ノック音。

「邪魔すんな! だれじゃ?」

「(咳払い)リドワーンなのだが。《火の精霊》先触れは無かったのか?」

――確かに、さっき、老魔導士の肩先に、なんか生真面目で微妙に白金色の炎冠をしている謎の《火の精霊》が出ていた!

虚無スナギツネ顔のカラクリ人形アルジーが、目をパチクリさせている内に。

「は、ただいま!」

黒髪の護衛オローグ青年が、泡を食って、サボテン扉を開いた。

帝都大神殿の理事を務める高位神官リドワーン閣下と、その護衛を務める鷹匠ビザン、それに鷹匠ユーサー。 それぞれの相棒の白タカ《精霊鳥》サディルとノジュムは、既にスルリと入り込んで来て、ドリームキャッチャー衝立の横棒に止まっていた。白タカ幼鳥ジブリールを真ん中にして。

老魔導士フィーヴァーが白ヒゲをモッサァと膨らませる。

「随分と早いような気がするぞい」

「つくづく人使いの荒い老魔導士どのだ。大聖火神殿の理事を、あごで使う老人など、貴殿くらいだな」

親しい関係ならではの軽い応酬の後、皆でそれぞれの座に着く。

中高年のベテラン鷹匠ビザンが、半分以上白髪になった頭部に巻いてあるターバンを整えて、丁重に一礼し。

「巨人族デリラ殿の取り扱いは、巨人族ギムギン殿を筆頭に、ジャヌーブ砦駐在の巨人戦士団が引き継いでくれることに相成りまして。 バムシャード長官のご紹介により『筋肉道場』を運営する毛深族ジャウハラ殿が、緊急で立会人を。民間ながら信頼できる戦士とのこと」

「毛深族ジャウハラ……同族なのか。初耳じゃな、そのうち会いたいものじゃ。それにしても巨人族は、たいてい、面倒事を嫌がるのでは無かったかね。 確か、あの類の宴会では、夜を徹して酒樽に張り付きたがる筈。何故、速やかにデリラ問題を引き継いでくれたのじゃ?」

「ジャヌーブ商会の取次業者ディロン殿のご意見が効いたようでございます。デリラ殿の放言騒動の件、このまま帝国の全土津々浦々に広がりますと、 虎狩り産業の城砦(カスバ)の、各商会との虎皮取引がやりにくくなるとの、もっともな指摘がございました。虎皮フンドシ問題は、巨人族にとっては切実なものでございますようで」

「意外じゃったのう。この年になっても、まだまだ知らんことは多いな。南方領土には、あまり関知していなかったのもあるが。フッ! フッ!」

老魔導士フィーヴァーは鼻息を荒げて、モッサァ白ヒゲの形を整えた。

「取り急ぎ話を整理しよう。アブダル殺害事件は、急に混沌と化しておる。先刻の大失言で、カスラー大将軍が急に権威失墜した。アブダル殺害犯の逮捕において、 部族長たちの協力が必要になった場合に、協力を仰ぐのが困難になりそうじゃ。事件解決を急ぐしかない。 目下、ジャヌーブ砦の管理統制について、大神殿の理事にして元・皇族リドワーン殿に、カスラー大将軍の代理をしてもらう」

紅の長衣(カフタン)のナイスミドル神官リドワーン閣下は、やれやれと言った様子で、頭に手をやった。とはいえ、いきなり降りかかった責任を拒んでいる様子は無い。

「どうせ、そんな事だろうと思った。緊急で、ジャヌーブ砦の長官全員の連名の依頼状を受け取ったゆえ。カスラー大将軍は、あれでも口先の種類は選んでいたと思うが、よほど動転していたのだろうな」

「ラーザム財務官の葬式が大騒ぎになって以来、頭のネジが外れたままなのじゃろう。半分はワシが原因かも知れん。 カムザング皇子が忌まわしき怪獣と化す可能性をつまびらかに教授して、余計な薬物を近づけぬよう、出入り管理を徹底するべく、カスラー大将軍をみっちり『指導』したのは、このワシじゃからな」

――それでは、ほぼほぼ老魔導士フィーヴァーが原因だろう。半分どころでは無く。

カスラー大将軍の、彼らしくない異例の行動の数々は……帝国随一の恐るべき変人たる老魔導士に、ガチで脅されたゆえだ。間違いなく。

カラクリ人形アルジーを含めて、大いに納得する面々であった。

やがて、鷹匠ユーサーが冷静に咳払いし、話を変える。

「新しく判明したことをまとめて、整理させて頂きます。巨人戦士アブダルを恨む、殺害動機のある人物がひとり増加した訳ですね。女性《亀使い》は『呪いの灰色御札』容疑。動機のみの容疑者として、 ジャヌーブ商会のバシール夫人、毛深族の鉄砲職人サイブン。今回新しく加わったのは、あの若手医療スタッフ」

タイミングよく、鷹匠ビザンが後を引き取る。

「アブダル殿の行動範囲に応じて被害者数はこれからも増加する見込みでございます。 アブダル戦士は禁術の大麻(ハシシ)を服用していた事が判明しており、訓練先の『筋肉道場』の主・毛深族ジャウハラ殿を、ひとまず重要参考人といたしましょう。 巨人族の生態からして相当に疑問符がつきますが、アブダル未亡人デリラ殿も容疑者として数えます。アブダル殿の遺産の評価金額が相当のものになるゆえ」

「まったく、生前の巨人戦士アブダルは、方々で不法をやらかし、激烈な恨みを集めておったようじゃの。カスラー大将軍にまで余波が及ぶほどとは、想定外じゃった。 一方で、あの忌まわしき生贄祭壇や、禁術の大麻(ハシシ)の出どころの件は、目ぼしい手掛かりが無いようじゃ。 謎の給仕少年なぞ、ジャヌーブ砦では宴会のたびに違う出稼ぎアルバイトが出入りするところじゃし」

「不法の大麻(ハシシ)の件ですが」

オーラン少年が口を挟む。

「バシール夫人の説明の中に気になる部分が。ええと、南洋の船乗りシンドが、一ヶ月ほど前に部下の結婚式に出席した際、花婿か花嫁かは分かりませんが、 急に《銀月の祝福》があって、刺青(タトゥー)施術用の大麻(ハシシ)にアレルギーが出て、あわてて別の種類の大麻(ハシシ)を取り寄せる羽目になったとか」

「なんか、そう言っておったのう、確かに」

「南洋諸民族の間では、《銀月の祝福》を受けると大麻(ハシシ)アレルギーが出るというのは、常識になっているくらい有名な話みたいですね」

「ふむ。何やら思いついておるのじゃな。続けてごらん」

老魔導士フィーヴァーは真剣に耳を傾けていた。超一流の知識人ならではの、分けへだての無さ。

「ジャヌーブ港町は、ジャウハラ殿が説明していましたが、カムザング皇子の密売ビジネス関係で、禁術の大麻(ハシシ)も溢れていたとか。 魔導士クズレが、その辺を堂々とウロウロしていて、急に大麻(ハシシ)アレルギーになった――急に《銀月の祝福》の銀髪になった――人間を発見しても、おかしくない……」

オーラン少年の指摘に頷きながらも……老魔導士は不意に立派なお眉をしかめた。

「外科手術の際の大麻(ハシシ)使用は定番じゃが、《銀月》由来の銀髪を受け継いだ民族の間で、そういう症例の報告は無かった筈じゃよ」

「え、そうなのですか?」

「それにオーラン君も同類の銀髪じゃな。《人食鬼(グール)》裂傷の処置手術の際、相当量の大麻(ハシシ)で長時間の麻酔をおこなったが、アレルギー症状は出ていなかったぞい」

オーラン少年は少しの間、当惑していたが。すぐに、ピンと来たような顔になった。

「あの、《銀月の祝福》成分の量が関係するのかも知れません。私の場合は先祖からの血筋によって受け継いだ分――ひと房だけなので、大麻(ハシシ)アレルギーを起こす程のものでは無かったのだと思います」

――納得できる指摘。

「それ、ありえる……《銀月》成分の量によっては」

カラクリ人形アルジーは、思わず声を出していた。

生前の肉体とは随分と違うが、人工の喉のカラクリ構造は良く出来ていて、記憶にある低めハスキー音声による、人類の帝国語を合成できている。

「白文鳥の時の感覚だから、曖昧だけど。城門前の市場(バザール)でカムザング皇子を見かけた時、大麻(ハシシ)混ざりの体臭が不潔な感じで……正直、結構、『あまり近づきたくない』というか忌避感あって」

しばし沈黙して、内容をまとめ……説明を続ける。

「最初の頃、《精霊亀》甲羅を運び込んでいた時――白文鳥《精霊鳥》の身体に入っていた時――禁術の大麻(ハシシ)の、 毒々しいくらい甘ったるい匂いで気分悪くなっていて。身体も硬くなって、結晶化して動かなくなって。 白文鳥《精霊鳥》の身体を縛る……暗い黄金の糸で出来た捕獲網のような感じの……《魔導陣》が、自動的に立ち上がっていた感じ……」

談話室に……えもいわれぬ驚愕と沈黙が横たわった。

鷹匠ユーサーと鷹匠ビザンが、動転しきりの顔をしている。

セルヴィン少年とオーラン少年は、開いた口が閉じていない。リドワーン閣下は首を傾げ。

老魔導士フィーヴァーは目をランランと光らせつつ、研究メモ用紙をつかんで速記を取っていた。

「え、なんか、変なこと言いました?」

想定外の皆の反応に、思わずギョッとするカラクリ人形アルジーであった。

「貴重な報告じゃぞ《鳥使い姫》。白文鳥《精霊鳥》は、銀月と関係が深い精霊であることが知られているが、それ以外の、精霊としての性質については未知の部分が多い。 その手の記録が多い超古代カビーカジュ文献でも、あまり言及が無いんじゃよ」

老魔導士フィーヴァーの速記メモは、あっと言う間に埋まっていった。

「白文鳥《精霊鳥》が、何故に白タカ・白ワシよりもはるかに、禁術の大麻(ハシシ)に対して感覚鋭敏なのか。急性の硬化現象についても、原因が解明できるレベルの情報じゃよ。 人類の感覚では絶対に、そこまで到達できなかったじゃろう。白文鳥《精霊鳥》の目で見て取れるものなのじゃな、それは」

リドワーン閣下が、戸惑いの顔で呟く。

「話が見えんのだが。いや、カムザング皇子の件は事情は分かる。現場に居合わせたからな」

シニア鷹匠ビザンも戸惑った風で、曖昧に頷く形。

折よく、中堅の鷹匠ユーサーが解説を入れた。

「最初の《精霊亀》甲羅の話ですね。宴会で、ジャヌーブ商会の商人バシール殿が禁術の大麻(ハシシ)を服用した件はご存知かと思います。 バシール殿が錯乱し、大麻(ハシシ)成分を撒き散らして暴れた時、《鳥使い姫》は、白文鳥《精霊鳥》の姿で、現場に居たのです」

「なんと。それでは、間違いなく、禁術の大麻(ハシシ)を浴びた状態……!」

鷹匠ビザンが、唖然とした顔になる。鷹匠ユーサーは、ひとつ頷いて、説明をつづけた。

「翌朝、その白文鳥が《精霊亀》甲羅を運びました。その間に異常硬化して、窓枠に衝突して砕け散り、蒸発したという次第があったのです」

「……本当に、二代目の実体でしたか。現在の白文鳥《精霊鳥》の物理的実体は、老魔導士フィーヴァー殿が召喚された方の……」

「そうか……そういう訳か」

原因と結果がシッカリと連結できれば、あとは他の事例と比較検討して、矛盾が無いかどうか――簡単な推察だ。

セルヴィン皇子が素早く、次の予想へと到達した様子。真剣な眼差しでオーラン少年を見やる。

「大麻(ハシシ)アレルギーが出る程、としたら、船乗りシンドの、その知人、銀髪の毛深族ジャウハラ殿と同じくらい、総銀髪になった可能性がある。 市井の一般人が、《人食鬼(グール)》対応の戦士ジャウハラ殿と同じくらい戦える筈が無い。一ヶ月かそこらで、あの祭壇の生贄にされたとは思いたくないけど」

「魔導士クズレが、すぐ近くをうろついていて、目撃したのなら……」

「すぐに、確認しなければ。船乗りシンドに」

いまやスッカリ事情を理解した鷹匠ビザンが、オローグ青年の切羽詰まった応答に、素早く頷いていた。

「異論ございません、オローグ殿。老ジナフ殿とシャバーズ団長どのに、緊急連絡をいたしましょう。可能ならば、その人物の……隠密調査も」

老魔導士フィーヴァーが顔を引き締めて、同意の印に頷いて見せた。

「うむ、事は一刻を争う事態じゃ。よろしく頼むぞい、鷹匠ビザン殿」

鷹匠ビザンは一礼し、すでに訳知り顔で待機していた白タカ・サディルを腕に止まらせ……近くの書卓で、一報をしたため始めた。

*****

研究メモ用紙の速記を整理し終えた老魔導士フィーヴァーが、再び、老練な魔導士の目で、カラクリ人形アルジーを観察し始めた。じっくりと。

「ふうむ。こいつは相当に不思議なことになって来たのう」

腕組みをしつつ、ブツブツと呟いた後、クルリと、ナイスミドル神官リドワーン閣下を振り返る。

「のう、リドワーン殿。帝都の大聖火神殿の理事として、ワシ以上に、大勢の、海千山千の王侯諸侯とも会見しとるじゃろう。このカラクリ人形のスナギツネ顔を見て、なにか感じる事は?」

リドワーン閣下が、おもむろに思案顔をして、カラクリ人形アルジーを眺めはじめた。意外に鋭い琥珀色の目。さすが元・帝国皇族。

思わず、王侯諸侯の反応としてシャキッと背筋を伸ばす、カラクリ人形アルジーであった。

「妙に素顔と感じられない、という点なら、そこは同意する、老魔導士どの。パッと見た目、確かに以前に見かけた幽霊の姫君の人相だが、 こうしてみると、いっそう『仮面』に見える。素顔が違うかどうか、というところまでは分からんが」

「まさしく、精霊(ジン)が人の姿を取る時に、人面として用意する『精霊の仮面』じゃよ。超古代の頃は、精霊がこうした仮面を装着して人の姿を取り、人類と交流したと聞く。 邪霊のほうは今でも《三ツ首》をした人類の仮面を装着して、化けて出る。《火の精霊》どの、ワシの見立ては間違っとるか?」

魔法のランプの口で、ネコミミ炎が、ちっちゃな手乗りサイズ赤トラ猫――火吹きネコマタとして実体化した。感心した、といわんばかりに、パチッと、2本のネコ尾の先で火花が散る。

白タカの姿をした《風の精霊》ノジュム経由で、鷹匠ユーサーが翻訳する。

「かの《火の精霊》いわく、これが「素顔に最も近い傑作」だそうです。構築の都合で、どうしてもネコ顔に傾斜するとか。ネコ顔に比べれば、スナギツネ顔は人類の面に近いでしょうか。 仮面の印象が前より強まっているのは、銀月が満月に近づき、エネルギー再充填が進んでいるゆえとのこと」

「何故なのかは、もちろん《精霊界の制約》に触れるのじゃろうな」

「御意」

老魔導士フィーヴァーは、モッサァ白ヒゲをしきりにしごいて、思案顔だ。

再び、カラクリ人形アルジーを観察しはじめ……ブツブツと、考えを口に出している。

「以前、《人食鬼(グール)》裂傷で死にかけていた時のオーラン君の証言によれば、まっさらの《鳥使い姫》幽霊は、銀月の色だとか。 相当に《銀月の祝福》が入っとるんじゃろうな、忌まわしき斬首の儀式の生贄として選ばれてしまう程度には」

思わず記憶がよみがえり。我知らず震える、カラクリ人形アルジーであった。

そわそわと、首の根あたりに手をやる。《人食鬼(グール)》カギ爪から削りだされた、あのぎらつく黄金の刃が当たった――と思しき位置。

――千と一つの夜と昼 すべての星が落ちる時
天の果て地の限り やよ逆しまに走れ 両大河(ユーラ・ターラー)
千尋の海の底までも あまねく統(す)べるは 闇と銀月
……三ツ辻に、望みを捨てよ――

暗い闇色を秘めた黄金の暴威。

無限の豊穣――不死身の魔性の変容と再生力を与えるもの。

もはや過去のものである筈の記憶――その中に、ズブズブと引きずり込まれるような感覚――ただの記憶なのに、気配のほうは、実在感が有る……?

……《精霊界》の異次元の通路が開いている! 邪霊の方向に!

どこかで、《魔法の鍵》が異次元の扉の鍵穴に差し込まれて、回されている……あの不思議な音響。

その、身の毛がよだつような違和感を、覚えるやいなや。

――バスンッ!

オーラン少年の相棒の、白タカ《精霊鳥》――幼鳥ジブリールが、カラクリ人形アルジーの顔面へ、体当たりを食らわして来たのだった。

接合のゆるかった、カラクリ人形の首が……

……見事すっぽ抜けて、床に転がった。人工銀髪を撒き散らしつつ。

撒き散らされたのは人工銀髪だけでは無かった。

白タカ《精霊鳥》の、魔除けの羽も一緒に舞い散っている。羽根布団から飛び出した羽根が舞っているかのよう。

あのズブズブと引き込まれるような、異様な音響と空間の流れは、的確に遮断されていた……

…………

……

一瞬、ポカーンとするあまり。

まさしく「斬首されて転がった生首」スタイルで、純白の鷹羽の群舞を透かして、夜間照明ランプが吊られている天井を眺める。

「急に、なんで、ジブリール……鳥使い姫?」

慌てた顔をしたオーラン少年が、のぞきこんで来る。

次に、緊張した様子の老魔導士フィーヴァーが、オーラン少年の隣から、のぞきこんで来た。

「意識は続いているんじゃな。説明は後じゃ、とりあえず頭部を胴体に戻すぞい」

――予想どおり、周囲では、派手に生首が飛んだ(ただし血しぶきは無い)カラクリ人形アルジーにギョッとしたあまり、凍り付いた面々が居たのだった。

冷静なのは、何らかの事情を承知しているらしい鷹匠ユーサーであった。

談話室の窓枠の外には、ギョッとするような大きさの邪霊害獣《三ツ首コウモリ》の、ぎらつく黄金色の邪体が張り付いている。

――グアアアァァァ!

石板をひっかいているかのような刺々しい邪声。そして、ねじくれた奇怪なカギ爪が、窓枠を破壊しようと、ガンガン打ち付けられていた。

「危ない!」

電光石火の速度で、鷹匠ユーサーは相棒の白タカ・ノジュムを駆り、窓枠へと差し向けた。

ひと呼吸ほど遅れて、鷹匠ビザンも、白タカ・サディルを放って加勢する。

2羽の白タカ《精霊鳥》は、《風の精霊》ならではの謎の透過力で、窓枠を縦横無尽に行き来し、鋭い足の爪で、《三ツ首コウモリ》を的確に攻撃しつづけていた。

程なくして、大型ワシほどのサイズをした邪霊害獣《三ツ首コウモリ》は、ぎらつく魔性ならではの黄金色を失い、無害な熱砂へと崩れていった。

――いつ、邪霊害獣《三ツ首コウモリ》が現れたのか? あんなデカブツなのに、空気や窓枠を叩く翼の音は無かった。気配も全く無かった……異次元の通路から?

同時多発の、あれこれの色々な現象をグルグル考えている内に。

いつの間にか、老魔導士フィーヴァーが器用な手つきで、カラクリ人形アルジーの頭部を、胴体へセットし直していた。

老魔導士の首回りを装飾する数々のエスニックな魔除けビーズ精霊石の連なりが、いつになく、ジャラジャラと魔除けの音を立てている……にぎやかな音だが、 警備の行き届いた安全な市場(バザール)の雑踏のように、不思議に心落ち着くものが有る。

「やれやれ、《鳥使い姫》が、まさしく《鳥使い》すなわち《精霊使い》という事実を、失念しとったわい。しかも、それだけ見事な薔薇輝石(ロードナイト)の目じゃ。 ジャヌーブ砦の裏の山の天文台から、予測が出てたんじゃ。今夜は、闇黒星《炎冠星》が、弓月の端をちょいと食う形の、部分月食が起きとった」

「部分月食?」

うろたえたように、窓枠を透かして夜空を見上げるセルヴィン少年とオーラン少年。だが、雨雲に遮られていて、月の影は見えない。

「この闇黒星《炎冠星》による今回の部分月食は、ほんの瞬きほどの時間だけじゃ。白タカ・ジブリール君が人形の首に飛び掛かった時に始まり、首を飛ばした後には、既に終わっとった」

「そんな一瞬で?」

「じゃが、《人食鬼(グール)》前線たるジャヌーブ近辺では、空飛ぶ《邪霊害獣》が少しの間ざわつく訳じゃ、先刻のように。 ゆえにジャヌーブ砦の天文台は、闇黒星《炎冠星》の挙動を、とりわけ綿密に観測しておる。軌道の関係で一刻もつづいた場合は、前日のように《蠕蟲(ワーム)》大群まで沸きかねんからな」

窓枠の外では、元《邪霊害獣》だった物の残骸が、流砂さながらに、ザーッと音を立てて落下している……

呆然としていたリドワーン閣下が、やっと気を取り直し。聖火神殿の神官として学習していた内容を、掘り起こした様子だ。

「思い出した。闇黒星《炎冠星》は、確か、異界の扉。銀月の軌道と交差する時、精霊界の扉が開く――いや、ざわつくのは邪霊ゆえ、魔界の扉が開く、と言うべきか。 いまのように《守護石》や《精霊石》が普及していなかった昔は、聖火や聖水の円陣で魔除けの結界を敷き、物忌や精進潔斎をおこなう決まりだった……深い理由までは分からんが」

「それはリドワーン閣下が《精霊使い》では無いからじゃよ」

老魔導士フィーヴァーが、こともなげに解説する。

「我々《魔導》術者の間では常識じゃが、《精霊使い》の目の薔薇輝石(ロードナイト)は無防備で、《守護石》無しでは、鍵の無い窓のようなものじゃ。 魔界の扉が開く一瞬に、邪霊に攻撃されるのじゃ。精霊にとっては相棒でも、邪霊にとっては目の上のタンコブゆえな」

「まったく、世の中は色々と複雑だな、老魔導士どの」

「簡単では無い事は、ハナから分かっとろうが。『光あれ。光があった』なぞという『妄想の巻物』の数々は、 たいてい『ダラダラと何も考えず怠けて、格下の人々を弾圧し、際限なく搾取して、自分だけは聖なる正義の楽園したい』という欲望のカタマリに過ぎん。暗殺教団《炎冠星》が、まさに、その筆頭じゃった。 そんなクダラン怠惰な考えに、複雑精妙きわまる宇宙が、つきあってくれるものかね」

――老魔導士フィーヴァーの最後の呟きは、ちょっとした愚痴のようになっていた。

そうしている間にも、相当の大きさだった邪霊害獣《三ツ首コウモリ》の退魔調伏が完了していた。

窓枠の下を通る石畳の道には、ちょっとした砂山が出来ている。夜が明けたら、定例の砂掃除だ。

ひとまず、ホッと息をつき……

…………

……次の瞬間。

ドバドドバドガーン!

巨大な落雷のような轟音と震動が、雨の中のジャヌーブ砦に響きわたった。

「な、なんだ?」

浮足立つ面々。

護衛オローグ青年と、オーラン少年が真っ先に、石畳の通路に出た。

ほどほどの幅の通路の先に、胸壁。

そこから適度に身を乗り出すと、ジャヌーブ砦の、その方向に広がる城下町が、眼下に一望できる。

夜目のきくオーラン少年が、早くも息を呑む。

「兄上、あそこ! 城門前の市場(バザール)へつづく小路の一角!」

「何かが爆発したみたいだな。あの感じからすると……『雷帝サボテン』か? 小路に、そういう弾薬庫は無かった筈……行って、見てみなければ」

*****

つづけざまに極端な出来事に遭遇すると、たいていの人は判断基準がおかしくなるものである。

老魔導士フィーヴァーも、お忍びで来ていた元・皇族リドワーン閣下も、番外ながら帝国の皇子であるセルヴィンも、ご同様であった。 鷹匠ビザンが途中でハタと気付いて、退魔紋様の三日月刀(シャムシール)でシッカリ武装した生真面目な護衛-兼-従者として随行する形。

霊魂アルジーも人形への憑依を解いて、白文鳥《精霊鳥》として、鷹匠ユーサーの肩に飛び乗った状態である。

月食が終わった後も、なおも近辺をウロウロと飛ぶ《邪霊害獣》三つ首コウモリが、数匹――露払いを務める白タカ・ノジュムとサディルが連携しつつ、次々に退魔調伏して、路地の砂へと変えて行った。

半分は野次馬の心理でもって、《邪霊害獣》を警戒しなければならない夜間の連絡路へと、駆け付ける一同。

やがて、爆発現場と思しき位置を間近に見下ろす、絶好のポイントに到達した。

篝火(かがりび)の光が、ほどよく辺りを照らし出している。

視界に入って来たのは、眼下に横たわる現場の、破壊状況のすさまじさ。

瓦礫の山と成り果てるまでに、粉砕されてしまっている。

ギョッとするほど多数の黒毛玉ケサランパサランが、《魔導》雷帝サボテンと化して爆発していたという事が、明らかに見て取れた。

黄金《魔導札》の数多の破片が、爆炎の熱気にあおられて、空中をクルクルと舞っている。

刺々しい黒毛玉の数々が、爆竹さながらの黄金の火花にまみれて、瓦礫のあちこちで跳ね回っているところだ。黄金の火花に照らされて、その小路一帯が、黄金で出来た街角のように明るい。

現場を特定して、老魔導士フィーヴァーが驚きの声を上げた。

「なんという事じゃろう! こいつはジン=イフリート《魔導札》で火力倍増されとる! 道理であんな大爆発が起きた訳じゃ。 見よ、相当数の《魔導札》の欠片が、流星のように炎の舌を長く長く吐いとる。あの現象が、その証拠じゃ!」

暴発した火のジン=イフリートは、折からの退魔調伏の小雨に遭い、見る間に勢いを失っていった。

鷹匠ビザンがつづく。

「あの、原形を保ったまま吹き飛ばされた看板『ジャヌーブ商会・出張事務所』とある!」

オーラン少年がつづいて、全体状況をつかもうとキョロキョロしつつ。

「三階建てだったようです。一階が店舗、二階が事務所、三階が民宿のような……出張の際の、駐在宿泊所だったのかも。全壊するほどって、すごい爆発だったんですね」

絶妙に運が良かったのは、傍目から見ても明らか。

サボテン製の看板は、あれ程の大音響をまき散らした爆発の真ん中にありながら、ほぼほぼ無傷で吹っ飛んでいた。 反対側に並ぶ別の商会の細々とした事務所だのなんだのの、細長い明かり取り窓の穴に、雨戸さながらに、ピッタリ、ハマり込んでいるところだ。

崩落した壁の漆喰のあちこちに、防火《魔導札》の密な痕跡。商品保管のための倉庫を兼ねていたことが察せられる。大型《火の精霊》である《ジン=イフリート》の火力を浴びながらも、 あわや大火事となるところを免れたのは、この注意深い備えのお蔭。

あのジャヌーブ商会の面々は、全員、無傷でピンピンしていた。

今夜の新型武器の展覧会からの帰還タイミングが、これまた絶妙に、ズレていた様子。 「今夜の宿はどうなるのか」「カネが!」などと、パニックで喚(わめ)いているが……命があっただけ、もうけもの。

すでに到着していた巡回と警備の衛兵団が、小路に集結して来ていた野次馬を整理しつつ、ボヤを消火していた。新たに来た集団は白鷹騎士団の一隊だが、見る見るうちに連携が取れてゆく。

「いい動きだと思ったら、クムラン副官の小隊だったか!」

ほどなくして、統率の業務が一段落した様子だ。

クムラン副官が、階上の老魔導士フィーヴァーの一行に気付き、「やあ」と手を上げた。

見知った顔の若手衛兵シャロフが近くに居て、クムラン副官と衛兵シャロフとで、目配せが行き交う。かねてから、後続業務をシャロフが引き継ぐことを申し合わせていた様子だ。

クムラン副官は、すぐに駆け上がって来た。

「さいわい死人は出てない。表向き、小路で発生した単純な倒壊事故ということで、片が付く見込みだ。元々ジャヌーブ砦は戦闘地帯だし、城壁の仕事は目下ヒマだから修復業者もすぐに手配できる」

「だが、巻き込まれた被害者に、目下、禁術の大麻(ハシシ)疑惑をひきずってるバシール夫妻が居る訳だ。アブダル殺害事件と関連していたら、ちょっと面倒なことになる」

護衛オローグ青年が察しよく指摘すると、クムラン副官は「まさしく」と頷いて同意した。

「まさしく現場から掘り出されるブツ次第だよ、友よ。タイミングがタイミングだし、まして《雷帝サボテン》というところに、嫌なメッセージ性を感じる……あの怪文書のように」

「あの大量の、不自然な雷帝サボテンは……」

「正体不明の人物に仕掛けられたんだろうな。さっき、バシール夫人が興味深い事を証言した。巨人族デリラがクダを巻きながら言ってた目撃内容への反論で」

「バシール夫人が此処で不自然にウロウロしていたという、あの奇妙な言及か」

「黒毛玉ケサランパサラン密封施錠と、夜間照明ランプなんかの火気との距離を、再確認してたんだと。密封施錠は標準のヤツだが、火気厳禁だ、 もちろん土木工事用の、ささやかな火のジン=イフリート《魔導札》も」

「もしかして、砦じゅうから集められて整理された、黒毛玉1000個単位で密封されてるヤツか?」

「南洋物産商だからな、ジャヌーブ砦から出るケサランパサラン処分の取引も扱ってた訳だよ。 道理で、どこぞの流砂の下の遺跡の先取り特権を得たアカツキには、派手に土木工事《魔導札》とか爆弾で豪快に大穴あけて、お宝を見付けて……という計画も思いつく訳だ」

「黒毛玉ケサランパサランを、雷帝サボテンとして暴走させるための《魔導札》、もしかして、その辺にあったか?」

「ご明察。詳細はこれから調査だが、仕掛け主を調べるのは大変だと思うぜ。聖火礼拝堂から武器類の備品として大量に納品されるし、市場(バザール)でも買える普及品だ。 作動させられるのは一定以上の筋力のあるヤツに限られるが、ジャヌーブ砦じゃ、力自慢の戦士がゴロゴロ居るからな」

クムラン副官と護衛オローグ青年の間で、手際よく情報が整理されたところで。

階下の現場のほうでは、新たなやり取りが始まっていた。

副官助手シャロフへ向かって、あのジャヌーブ商会の商人バシール夫妻が、口々に泣き言を言っているのが聞こえて来る。

「扱ってた黒毛玉の数量は許可の範囲内だ。だいたい《雷帝サボテン》爆発用の《魔導》加工も無い。ヘタに爆発するような『ウッカリ』は無い筈なんだ、これから取引するところだったんだから」

「急に、ジャヌーブ南の邪霊神殿の討伐とか言うのが持ち上がったから、こりゃ商機と思って、今夜の武器展覧会で、馴染みの黒毛ケサランパサラン密封業者と話を付けたばかりなんだよ、 取次業者ディロンを挟んで。3日後だったら、これくらいの量があっただろうけどね」

「だからねッ、お若い衛兵さんッ、商売敵か、ワルの競合業者が、ジン=イフリート《魔導札》モリモリ山盛り紙爆弾にして、ここに不正に放り込んだに違いないのよッ」

しばらくの間、押し問答がつづいたが。

不運なジャヌーブ商会の面々は、いったん、まとめて拘留される羽目になってしまったのだった。聖火礼拝堂に付属する牢屋のほうへ。

聖火礼拝堂の紅ドームの見える方向へと、連行されてゆく人々――

少しの間、見送っているうちに。

虚弱児なセルヴィン少年が、当然のように、半分ほど失神してふらついた。生贄《魔導陣》がもたらす体力の限界。

「殿下!」

護衛オローグ青年が支えると同時に、近い位置で毎度、空気を読まない通り魔《骸骨剣士》が3体ほど、沸いて出て来た。

戦闘技術の無い一般人や女子供には脅威だが、最弱のゴロツキ邪霊ゆえ、手練れの戦士たちの手で、あっという間に退魔調伏となる。

老魔導士フィーヴァーが、不機嫌そうにモッサァと白ヒゲを逆立てながらも、セルヴィン少年へ、体力回復《紅白の御札》を貼り付けた……虚弱な少年は見る間に調子を取り戻し、 ボンヤリとながら立ち直ったのだった。以前と比べると、回復速度は上がって来ていた。

「何処のどいつが、タダでさえ死にかけとるヒョロリ坊主の生命力を横取りしているのやら。ひとりは間違いなく、かの酒姫(サーキイ)アルジュナ本人の筈じゃが、ヤツはいったい、どこへ雲隠れしとるんだ?」

半分以上は白髪頭のシニア鷹匠ビザンが、目をパチパチさせつつ、記憶を確かめるように呟いた。

「確か、かの銀髪の酒姫(サーキイ)、あとは残り2人――どこかの皇族と思しき人物だとか」

「少なくとも、かの極道の酒姫(サーキイ)はジャヌーブ砦の近辺に居る筈じゃ、カムザング皇子の自慢話が真実ならな。 カムザング皇子は、酒姫(サーキイ)と、ジャヌーブ港町のあらゆる風俗店をハシゴしておったという。どうせ、かの酒姫(サーキイ)、悪徳のままに、ろくでもない場所に居るのじゃろうが」

中堅の鷹匠ユーサーの肩先に落ち着きつつ、白文鳥アルジーも、会った事の無い酒姫(サーキイ)アルジュナの行方について、少し思いを巡らせたのだった。

――何か、直感をつつくモノがある。《精霊鳥》の身に入ったゆえの直感なのかどうかは、分からないけど。

帝都の第一位の金融商ホジジン。帝国皇帝(シャーハンシャー)をすら操作しおおせるほどの圧倒的な財力、陰謀の影響力。 生前とてもお世話になった金融商オッサンが、不倶戴天の商売敵と説明していた人物。

ラーザム財務官の葬式に出席していた時、金融商ホジジンは、左右の脇に、小柄な感じの、奇妙な護衛らしき人物を従えていた。

あの小柄なフード姿の2人の人物は、いったい誰だったのだろう。片方が、酒姫(サーキイ)アルジュナだったりして……?

――銀月の酒姫(サーキイ)の雇用主は私……私自身は雇用主の特権として、タダで、かの魅惑の美を楽しませて頂いておりますがね、フフフ……!

――非常事態だったから、この件、精霊界の制約が外れたんだよ《鳥使い姫》。酒姫(サーキイ)と金融商ホジジンの、例の異常性癖、精霊から見ても、邪霊から見ても、 打ち首・獄門モノだから……禁術《歩く屍(しかばね)》……

(禁術《歩く屍(しかばね)》……オーラン君は、詳しい内容を教えては……くれないだろうな)

この件に関しては、セルヴィン少年の相棒《火の精霊》火吹きネコマタも、オーラン少年の相棒・白タカ幼鳥ジブリールも、何故か口をつぐんでいる。気さくで、話好きな雰囲気の精霊(ジン)なのに。

いまでも厳重に潜伏している――いつか、かの不思議な巨大建築『アル・アーラーフ』へと道案内してくれるという――高位《地の精霊》は、論外だろう。 オーラン少年と、やっと守護契約を成立させたばかりで、デリケートな時期の筈だ。

まして数々の邪霊が、ひいては《人食鬼(グール)》もが、ウロウロする南方ジャヌーブ戦線。うっかりフラフラと漂うということは、絶対にできない……

……どこを見回しても、難関で難問だらけ。

白文鳥アルジーは、居心地が良くて信頼できる鷹匠ユーサーの肩先で、そっと小鳥の足を踏みかえ、少し先に佇んでいる2人の少年を眺めた。

オーラン少年と、護衛オローグ青年に支えられた形のセルヴィン少年とが、仲良く並んで、小雨に濡れつつ、ヒソヒソ会話をしている。

こうしてジックリ、少年2人の後ろ姿を観察してみると。

今でこそ平均的な少年兵と虚弱なヒョロリ少年――という体格の組み合わせだが、成る程、背丈が同じで、 ある程度は観察力がある魔導士クズレ刺客(アサシン)でさえ、ちょっと区別しにくいだろうという雰囲気だ。

――おそらく、王侯諸侯として学んだ帝王教育の様式が、とても似ていたのだ。

オーラン少年は、兄オローグ青年と同じ教育を受けている筈だ。そのオローグ青年は、れっきとした王侯諸侯の類であるのは間違いない。 辺境の弱小の城砦(カスバ)といえど、国を代表するような《地の精霊》神殿の、えりすぐりの教育コースだった筈。

ヒョロリ皇子セルヴィン少年は、大聖火神殿の奨学金コース。亡き御母堂セリーン妃が、武器宝飾《魔導》工房ビジネスを営む城砦(カスバ)出身だったそうだから、 当然《地の精霊》と関係が深い奨学金コースになった筈だ。

立ち姿や所作が似通うのも、妙に納得するところ。

2人の少年は、それぞれに気の合う相棒の精霊(ジン)との関係が進んだお蔭か、以前より落ち着いている様子。良い兆候だ。

(以前のように、相棒の白文鳥《精霊鳥》パルと直接お話して、いっぱい相談したい)

しばし目を閉じて……回想に沈む白文鳥アルジーであった。

いつしか、気まぐれな小雨は止んでいた。

爆発事件の余波で、さざ波だつ気分はつづいていたが……夜が更けて就寝の刻となった頃。

真夜中に近い空の西端では、これから満月へ向かおうという弓月の形が、レースのように薄い銀色の光を地上へと投げかけていた。

*****

翌朝。

日の出前ではあったが、精霊の定位置『魔法のランプ』がしつらえてある談話室で、白文鳥アルジーは活動を始めていた。

虚無スナギツネ顔をした《魔導》カラクリ人形に挑戦だ。

あのカラクリ人形は、昨夜の騒動の直前の時のまま、談話室のクッションに腰を据えていた。しかし、白文鳥アルジーは、その位置を、もっと便利な場所に変えたかったのだ。

精霊の定位置『魔法のランプ』の近くが、一番、体力的にも気力的にも楽。『魔法のランプ』は或る意味、エネルギー基地のようなもの。

平凡な茶褐色のガラスの目をした、カラクリ人形。その肩先に飛び移り、白文鳥の身体から霊魂が移ると、見る間に、人形の目が薔薇輝石(ロードナイト)の色を帯び、生気をもって輝いた……

『もしもーし。一応《精霊語》は大丈夫ね。もう少し馴染んだら、人類の帝国語でも自然に喋れそう』

慎重に、ジワジワと立ち上がり。

ギクシャクと談話室を横切り、定位置の最寄りの円卓を見定め、慎重にクッションに腰を下ろしてゆく。

これまで知らなかった新しい《精霊文字》を訓練しているようなもので、集中していないと、人工関節が想定外の方向へ曲がってしまう。修理中の片腕の箇所は、なおさらだ。利き腕では無いのは、幸い。

老魔導士フィーヴァーの、余分な作業を増やさないようにしなければ。修理中の箇所に大きな力が掛からないように、慎重に動かしてゆく。

『だいたい、こんな感じかしら。よし、黒毛玉ケサランパサラン爆発事件の記録を書いて、気合入れるわよ。もともと生前は、この月齢の日の頃に月誌を書いてたから、単なる習慣だけど』

『せいが出るね、鳥使い姫』

既に《魔導》カラクリ人形と同じ小卓でスタンバイしていた白タカ幼鳥ジブリールが、成長と共に力強さを増す鷹の足で、アルジーの荷物袋をヒョイと卓上に乗せた。

ランプの口先では、ネコミミ《火の精霊》が大きく伸びあがり、夜明け前の暗さの中で「ニャーニャー」言いながら、最寄りの小卓の上に十分な光量を注いでいる。

談話室には十分な量の余りの紙があった。活動的な研究者でもある、老魔導士フィーヴァー・サマサマだ。

見かけはボロボロだが、遠洋航海に使われる帆布なみに頑丈な荷物袋から……いつもの筆記用具を取り出す。 ついでに、ドリームキャッチャー護符に引っ掛かっていた白毛ケサランパサランも、インク吸い取りスポンジ、羽ペンお手入れスポンジとして、ポンポン取り出す。

『日付は後で入れれば良いから……えぇと上弦の月の頃、雨季、ジャヌーブ砦。夕食の刻、小雨、黒毛ケサランパサランが雷帝サボテンと化して大爆発』

『ジャヌーブ城門前の市場(バザール)小路、壊滅的な被害を受けたのは、ジャヌーブ商会の出張事務所ニャネ』

『補足ありがとう、《火の精霊》さん。問題点を整理してみるわ』

――分かっていること。

一、アブダル殺害事件において、凶器に使われたのが、黒毛ケサランパサランを《魔導》した雷帝サボテンである。黄金《魔導札》が使われた。

二、怨恨の線から浮かぶ容疑者は複数いるが決め手に欠ける。息子が被害に遭った鉄砲職人サイブン。セクハラ被害者《灰色の御札》使いの女性《亀使い》、バシール夫人。性的被害を受けた医療スタッフ青年。 『筋肉道場』道場主としてアブダルを破門した毛深族ジャウハラ老。白鷹騎士団の訓練所で一時的に剣術指南役だったアブダルに虐待されたオーラン少年。

三、ジャヌーブ商会の出張事務所の爆発は、《魔導》雷帝サボテンによるものである。黄金《魔導札》が使われた。さらに大爆発にするために、ジン=イフリート《魔導札》着火があった。

四、亡きアブダルは、秘密裏かつ不正に購入した禁術の大麻(ハシシ)を使って、筋肉を異常に増強していた。この事実は『筋肉道場』道場主である毛深族ジャウハラ老の指摘による。

五、ジャヌーブ商会のバシール夫人は怪文書で、殺害現場に呼び出されていた。字型スタンプ文面は次の通り 『ジャヌーブ南洋物産の交易商バシール殿の夫人どの。約束の日《麻雀サボテン》開花の刻、中二階の広間の控室に来られたし。清算について。ご存知マッチョ盛り合わせより』

六、くだんの怪文書は、セルヴィン皇子の指摘によれば、2種類の字型スタンプが、別々に使われていた。字型その1「ジャヌーブ南洋物産の交易商バシール殿の夫人どの」。 字型その2「約束の日《麻雀サボテン》開花の刻、中二階の広間の控室に来られたし。清算について。ご存知マッチョ盛り合わせより」。

…………

……

「よし、次はこれを調べなくちゃ。アブダル殺害現場にあった黄金《魔導札》と、ジャヌーブ商会の出張事務所を爆発させた黄金《魔導札》……」

カラクリ人形アルジーは、思いつくままに、口に出して喋っていた。

「同一人物の手で、黒毛ケサランパサランが雷帝サボテンとなるように《魔導》作動させられたのなら、アブダル殺害事件とジャヌーブ出張事務所の爆発事件は、つながってる筈。 どうやって作動したのかが分かれば……そういえば、字型スタンプの実物を見たこと無いけど、重量ある?」

「充分以上に重量がありますよ、鳥使い姫」

不意打ちの背丈のある人影に、低い声。

――思わずビョン! と飛び上がる、カラクリ人形アルジー。

カラクリ人形ゆえの不安定な手元から、弾みで、羽ペンが外れる。

「驚かせてしまったようですね、済みません」

羽ペンを拾い、差し出して来たのは、いつもは背景の一部であるかのように控えめな護衛オローグ青年であった。申し訳なさそうな苦笑を浮かべている。

「い、いえ……」

「夜明け前から、聞き慣れない物音がするなと思いましたので、つい。半分以上、怪談の光景ですね」

気が付けば、東の空がほんのりと明るい。早朝の市場(バザール)の準備が始まる頃だ。

「早起きですね、オローグさん」

「山育ちだと、こんなものですね。弟は、遅くまで寝付けなかったせいか……まあ、たまには良いでしょう」

――あれ?

カラクリ人形アルジーは、ふと記憶に引っ掛かって……人工の耳をそばだてた。本当の人類の耳で聞くことができれば、もう少し、この違和感の正体を突き止められるような気がするが……

(なんだか、この声の抑揚とか……あの高位《地の精霊》が遠隔で送り込んで来た、クバル青年っぽい感じ。本人とか直系じゃなくて、親戚という感じで……面差しも、よく見ると整っていて、似通ってるような)

その思い付きは、すみやかに断たれた。

談話室のサボテン扉が、そっとノックされている。

――誰かが来ている。

と思う間も無く、先触れが来た。白タカ《精霊鳥》ノジュムだ。

『やあ、鳥使い姫。月齢が進んだせいか、元気そうだな』

護衛オローグ青年がスッと扉を開いた……予想どおり、鷹匠ユーサーが来ていた。そして、クムラン副官も。クムラン副官は朝食のワゴンを引いて入室して来た。

「朝っぱらから、カラクリ人形の怪談とは、なかなか刺激的ですねえ。お、なんか書き物が。アブダル事件の推理してましたか」

クムラン副官の察しの良さには、舌を巻くところだ。

「え、あの、アブダル殺害にかかわった黄金《魔導札》と、昨夜の大爆発事件にかかわった黄金《魔導札》、どうやって動作したのかと思って……」

「ああ、その方面の情報は、そちらには連携されてなかったんですね。息つく間もなく次々に事件が相次ぎましたからね、ウッカリしてましたよ」

そう言っている間にも、クムラン副官、鷹匠ユーサー、オローグ青年の手で、手際よく談話室の各テーブルに朝食が並んだ。 いつ何があるか分からない前線「食える時に食っとけ」ということもあるのだろうけど、配膳のスピードには驚かされる。

鷹匠ユーサーが手際よく朝食を済ませており(いつの間に?)、食後のお茶をいただきつつ、解説を始めた。

「黄金《魔導札》の件ですね、鳥使い姫。聖火礼拝堂の調査官をつとめる若手の魔導士が分析したところ、いずれも、単純な物理的な圧迫で、作動しておりました。つまり筋骨の類ですね。 鉄砲職人サイブンが、その技術を縦横に披露していたかと思いますが」

「あまり良く見てなくて。弓矢を構える時みたいに、どこかギリギリ引き絞るのかなと思っているんだけど。雷帝サボテン発射装置を作動させると、ものすごい反動が来るとか言ってたから」

「原理は、雷撃を放つ『雷霆刀』と同じです。一定以上の筋力があれば、 雷のジン=ラエド契約の必要な『雷霆刀』技術が無くても、《魔導札》経由で雷撃の類を扱えるという形式にしたのが、雷帝サボテン発射装置ですね。 若干、操作に手間取るので、巨人族の間では一般的ではございませんが……」

中堅ベテラン鷹匠は少し思案顔をした後、三日月刀(シャムシール)の剣帯から『黒い筒状の物』を取り出した。パッと見た目、若干ゴツイ形の手持ちの望遠鏡で、明らかに砲身の類と見える金属構造が取り巻いている。

「これが、雷帝サボテン発射装置で、鉄砲? 砲身の退魔紋様が正確だし、精霊石――精霊金属ね、良いモノ使ってるし、小型化の技術すごいわね」

思わず《精霊使い》の目で、しげしげと見つめる、カラクリ人形アルジーであった。

「セルヴィン殿下が聞いたら喜ぶでしょう。御母堂セリーン妃の出身の城砦(カスバ)にある《魔導》工房の主力商品ですから。 我々、白鷹騎士団がセルヴィン殿下の身辺警護を担当する関係で、優先的に卸して頂いている品となります」

「知らなかったわ」

「安全装置は掛かってますので、さわっても大丈夫です」

好奇心のままに、黒光りする雷帝サボテン発射装置を持ち上げて、色々な角度から観察してみる。

砲身は、ズッシリと重かった。短剣とそれほど変わらない尺なのに、短剣よりもずっと重い。

確かにヒョロリ少年が持ち運ぶのは難しいだろう――オーラン少年なら、そろそろ日常的に持ち運んでも良い頃かも知れないけど。

黒毛ケサランパサラン密封の弾丸を筒に詰め込み、安全装置を外して爆発的に加速して弾き出す構造という事が読み取れた。 黄金《魔導札》を筒の底にあるネジ穴に詰めて、ネジ型ハンドルを巻いて締め付ける。なるほど筋力が無いと、それだけ強力に締めるのが難しくなる訳だ。

「1枚の黄金《魔導札》で、何回か発射できるみたいね」

「お察しのとおり、充分な筋力があって過不足なく設定できれば、黄金《魔導札》効力が尽きるまでに、10連射が可能です。電撃ショックを含む反動の逃がし方には、訓練が要りますが」

「10連射。連鎖爆発ね。昨夜のジャヌーブ商会の事務所の爆発事件も、黒毛ケサランパサランが密封されてたから、それだけ連鎖したって事かしら」

「御意。真犯人は充分な筋骨を備えていたであろうと指摘されています。威力のある《魔導》雷帝サボテンが飛び散れば、連鎖爆発も、 それだけ大きくなります――ジン=イフリート《魔導札》も追加されていれば、なおさら」

カラクリ人形アルジーは慎重に相槌を打ちながら、鷹匠ユーサーへ、雷帝サボテン発射装置を返却した。

「考えてみると、真犯人、かなり奇妙な性質……タイミングがタイミングとは言え、退魔調伏の雨だったでしょう、城下町を大混乱させるには不足してる。 邪霊害獣テロや砲火テロなどの意図は無くて、あの程度の……町内騒動に収まるように、見計らっていたのかしら?」

クムラン副官とオローグ青年が朝食を済ませながら、各々、頷いている。

「やはり、ジャヌーブ城下町の住人か、ジャヌーブ砦の周囲で生計立ててる人物……という犯人像が浮かび上がって来るな」

「邪霊崇拝では無いゆえ防衛拠点がつぶれたら困る、だが、真相を隠せる程度の混乱が欲しかった。という風にまとめられるか」

「右に同じだよ、オローグ殿。邪霊崇拝の方向から考える限り、アブダル殺害犯もまた、生贄祭壇の存在を知らなかった筈だ。 当初から現場は、あの大量の毛玉ケサランパサランに埋もれてたんだろうな。大量のケサランパサラン自体が、生贄祭壇を隠蔽するためだったかも知れない」

「タイミングを考えても、生贄の儀式は宴会が始まって少しの頃、アブダル殺害は翌日の《麻雀サボテン》開花の早朝の刻。 あのアブダルの血の乾き具合や、邪霊害獣が結界を突破する手間暇を考慮すると、《麻雀サボテン》開花の午前休憩の刻のほうでは無い。だが、実行したと思しき時刻が別々なのは変わらない。 下手人も、別々と考えるのが自然だな」

検討が一段落したところで。

セルヴィン少年とオーラン少年が起き出して来た。東の空の端には、陽光の帯が見えている。

鷹匠ユーサーが早速、情報連携している。

「老魔導士フィーヴァー殿と、リドワーン閣下は、喪章をつけて聖火礼拝堂へ出張っておられます。アブダル死体の『封魔葬』がありますので。 その他、直接の伝言がありますゆえ、セルヴィン殿下にもご足労いただきたいとの事です」

「分かった」

面倒がらず、受け答えするセルヴィン少年であった。

*****

紅ドーム屋根の聖火礼拝堂へ到着してみると、そこでは、ひと騒動が持ち上がっていた。

かなり……特殊な物議をかもす騒動が。

礼拝堂のエントランスの一角に、《精霊使い》装束の一団が固まっていた。

以前にも会った《象使い》老ナディテ、壮年ドルヴ。エントランスの広いスペースに《精霊象》2頭。 あとは《亀使い》の男女が6人ほど。礼拝堂の水回りの点検に来たと言う感じで、各々、琵琶を持ち、相棒《精霊亀》を連れている。

「おんや、お子様がたに、子守さんに、白タカ使いと白文鳥《精霊鳥》さんかね」

老女ナディテが、新しく到着した一行に気付き、声をかけて来た。100歳とも見える老女だが、総白髪シワだらけのお年頃にもかかわらず、かくしゃくたる雰囲気。

毎度、お子様と子守あつかいされた、セルヴィン少年とオーラン少年、それに護衛オローグ青年とクムラン副官であった。――そして鷹匠ユーサーであった。

護衛オローグ青年は、もはや諦観の面持ちである。

礼拝堂には、チラホラと警備のための衛兵団が控えていた。そのうちひとつの集団から、キビキビとした足取りで、クムラン副官の部下シャロフが現れた。

「あの、問題発生が。前日に捕縛して尋問していた、あの元・財務文官ドニアス殿が不可解な狂乱をして、牢内自殺を遂げました。 異常な死体ゆえ、アブダル死体と共に『封魔葬』をするため、緊急で、老魔導士どの立ち合いで、死体処理を。 此処に居る《精霊使い》たちには、かなり時間を延長して待機して頂いてる形です」

「ドニアス殿が自殺した、だと? ラーザム財務官の殺害犯および各種の禁術の行使、その他諸々の重大犯罪という罪状で、 ひとつ残らず取り調べのうえ裁判にかける予定だったんだぞ! それじゃ、ラーザム財務官の事件の裏事情とか――自白とかは?」

「大したことは何も。恐怖に錯乱したゆえの絶叫を、隣の元・刺客(アサシン)が聞いていました。『あぁ窓に! 窓に!』だったそうです」

「何故、ドニアス殿が急死して『封魔葬』という事に――いや、愚問だったか?」

「そうでも無いです。カムザング皇子が禁術の大麻(ハシシ)の重度の中毒者でした。近くに居たドニアス殿にも、大麻(ハシシ)の苗が植え付けられてたって事です。 ドニアス殿は、ええと、本物の邪霊使いじゃ無かったですけど、邪霊害虫《三ツ首サソリ》使役してた訳ですよね。禁術の大麻(ハシシ)で、邪霊使いの能力を得て。 実際、邪悪の極み『苗床』兆候があったそうです、老魔導士フィーヴァー殿の調査によれば」

「それはまた。ドニアス殿は帝都皇族の血筋じゃ無かったし、皇族が持っているような強い護符も無かったから、ひとたまりも無かったんだろうな……カムザング皇子の容貌の激変は、こっちの耳まで届いてる」

クムラン副官は、気味悪そうに、口を引きつらせていた。

白文鳥アルジーは、鷹匠ユーサーの肩の上で、ポカンと絶句するのみだ。「ピロロ」と鳴く事すら忘れて。

見れば、セルヴィン皇子も相応に衝撃を受けた様子だ。顔色が悪く、ふらついていて、オーラン少年がさりげなく支えている。

――やがて《精霊使い》の一団が、慌てた様子で散開した。

何やら図体のあるものが、中央にある。

用心深い距離を取って取り囲んだ《亀使い》たちが、早くも琵琶を手に取って達者な合奏を始めた。いまひとつ気が乗らない様子の《精霊亀》たちに、丁寧に懇願している。

『もしもし亀よ亀さんよー♪ 何故にー気分がー乗らんのかー♪ あまーい水をあげるからー♪ 邪霊の大麻(ハシシ)の粉末をー♪ キレイキレイしておくれー♪』

護衛オローグ青年が唖然として、《精霊使い》たちが取り囲む形になった「横たわる図体」を見つめた。

大型台車に横たわっているのは巨人族デリラの巨体だった。

かの女神のように輝く銀髪は、何故か、白茶けた藁(ワラ)クズのように、色あせたザンバラ髪。ぐったりと力が抜けている様子。 容貌もハリを失って、老婆のように見える。老女ナディテのほうが生気があってかくしゃくとしている分、まだ若そうに見えるというくらいだ。

白文鳥アルジーはギョッとして、鷹匠ユーサーの肩先でピョンと跳ねた。

『ホントだ、邪霊の大麻(ハシシ)の粉末が髪の毛についてる。割とビッシリ。あれ取り除かないと、硬化……巨人族だと、老化という現象で出るのかしら?』

『何かがあったようですね。このまま距離を維持しますので、鳥使い姫。白タカ・ノジュム、空気の壁を』

『了解、相棒』

鷹匠ユーサーと白タカ・ノジュムが警戒している隣で。

護衛オローグ青年が戸惑った様子で、近づいて来たシャロフ青年へ矢継ぎ早に確認の質問を投げ始めた。

「巨人族デリラが、まだ二日酔いがつづいて酩酊しているのか? あの髪は――顔も――何があったんだ?」

「それが、ホントに偶然の巡り合わせとしか言えない、というか」

若手衛兵シャロフ青年が、適度に解説を入れた。

「実を言えば、妖怪変化が始まっていたドニアス殿を止めた――というか相打ちの形で、退魔調伏したのがデリラ殿だそうです。 あの銀髪、すごい退魔調伏の力があったみたいで。さすが《銀髪の聖女》血筋とかいうアレですよね」

シャロフの取り急ぎの解説によれば、全体は以下のような物だった……

…………

……

昨夜、巨人族デリラは、ジャヌーブ商会の出張事務所の大爆発にも気づかないくらい、酩酊していた。騒動がすっかり落ち着いた後、真夜中になって、パチリと目を覚まし、大量の酒を所望した。 付き添いの巨人戦士たちも予備の酒樽が無くて困ったため、まだ火酒が残っていることが確実な、聖火礼拝堂へ赴いた。

そこで、ドニアスが錯乱していて、怪力で牢破りをしつつ、見るも恐ろしい妖怪変化をしていたという。

巨人族デリラは当然に反応して戦闘態勢となった。『苗床ドニアス』へ、 お得意の頭突き攻撃を食らわした。《人食鬼(グール)》や大型の邪霊害獣との戦いでは、巨人族の特有の必殺技として、この頭突き攻撃が出る。巨大な岩盤をもカチ割る、絶大なる威力を持つ。

そこで凄まじい純白の炎のような光が炸裂したという。それは純白の火の鳥にも見え――『苗床ドニアス』の『苗床』部分を焼き尽くした。 同時に、巨人族デリラの見事な銀髪もツヤと輝きを失い、色あせたザンバラ髪と化した。

どうやら、あの場で顕現した忌まわしき『苗床』部分を焼き尽くすには、それだけの銀髪――《銀月の祝福》――が、必要だったらしい。

その後、ドニアスは『あぁ窓に! 窓に!』と叫びながら、不可解な自殺を遂げたのだ。

一方デリラは、謎のアレルギー症状が出て、立てないくらいの血圧降下、脈拍低下、眩暈、過呼吸の状態にあった。

要は、グンニャリしていた訳だ。そして容貌が急速に衰えていった。

そして現在、その凄まじい重量のある巨体を台車に乗せられて、出て来たという訳だ。巨体を台車に――器用に、繊細に――乗せるのに、巨人族5人がかりで、代わる代わる運ばなければならなかったという……

…………

……

「巨人族が、謎のアレルギー症状を? ……巨人族を昏倒させるほどの、急性の重症アレルギーなんて、聞いたことも無い。 老化のほうは……カムザング皇子は確かに大麻(ハシシ)の後遺症で、急速老化しているが……」

護衛オローグ青年が首を傾げ。

「それが《銀月の祝福》にまつわる、大麻(ハシシ)アレルギーじゃよ」

聞き覚えのあるような、飄々とした気配の、ツッコミが入った。

「吾輩も最初の頃は、訳が分かるようになるまでは大変だったのじゃ」

全員で振り返ってみると……筋骨隆々の大柄な人物。

見事なモッサァ銀ヒゲ『毛深族』ジャウハラ老。ジャヌーブ城下町の中小街区にある『筋肉道場』の、道場主だ。 あの巨大キノコ頭を形作っていた壮大な銀髪は、ひきつづき、赤茶の迷彩の戦士ターバンを巻くために、綺麗に剃ってある。

「これは、毛深族ジャウハラ殿。そのような訳がおありとは、寡聞(かぶん)にして存ぜず」

護衛オローグ青年が、綺麗な所作で一礼した。ふとした折の品格ある雰囲気は、やはり王侯諸侯としての行儀作法などの、帝王教育の存在を感じさせる。

ジャウハラ老も護衛オローグ青年の地位身分について察するところがあった様子で、銀ヒゲをモッサァと膨らませながらも、礼儀正しく「うむ」と、なめらかに社交辞令を受けたのだった。

「昨夜の宴会のつれづれで、南洋の船乗りという男が、『急に《銀月の祝福》受けた知り合いが、大麻(ハシシ)アレルギー発症した』とか言っておった。いままさに合点がいったところじゃよ。 かくも微妙な問題は、種族を超えて症例を集めんと、なかなか明らかに見えて来ないモノじゃ。人類の知覚の限界じゃの」

毛深族ジャウハラ老は、次に、老練な戦士ならではの鋭い観察力でもって、鷹匠ユーサーの肩先にチョコンと止まっている白文鳥アルジーに見入った。

思わず、「ビシッ!」と身構える白文鳥《精霊鳥》アルジー。

「ほとんどの《精霊使い》は――当の、ドリームキャッチャー護符を整備している多数の《鳥使い》も――何も知らぬ存ぜぬだが、 このジャヌーブ砦に白文鳥が渡って来なくなった深遠な謎のひとつと、吾輩は推察しておる。 ジャヌーブ南における大麻(ハシシ)は、そもそも南洋諸民族の習俗という基礎によって、取扱量が底上げされておる。 ごまかしやすい条件のもと、他の地域より悪い意味で蔓延しとる、もちろん禁制の大麻(ハシシ)もな」

若手衛兵シャロフ青年が好奇心のカタマリになって、速記メモを取っていた。目がランランと光っている。

「なんと、これほど示唆的な内容を聞けるとは思いませんでしたよ。ジャヌーブ地方の数々の部族たちの噂によれば、白文鳥《精霊鳥》が渡って来ないのは、 『空飛ぶ邪霊害獣が多すぎるから』というのが定説なのです。奴らは白文鳥を捕食する。白タカのヒナとかも。老魔導士フィーヴァー殿とリドワーン閣下にも連携しなければ」

――し、知らなかったわ! 地域によって、邪霊害獣の種類や数が異なるのは、ちゃんと学んでたけど……!

捕食される恐怖に震えあがる、白文鳥アルジーであった。

■22■不穏な事実はニョキニョキ生える

ゲッソリした様子の老魔導士フィーヴァーが、聖火礼拝堂のエントランスに現れた。

つづいて、紅の長衣(カフタン)のナイスミドル神官リドワーン閣下と、帝都紅マント姿の虎ヒゲ毛深族タフジン大調査官。

――聖火礼拝堂の特別隔離室でつづいていた、取り急ぎの退魔調伏の手続きが終了した様子。

この手続きは、普通の火葬などといった類よりも複雑で大掛かりな作業になるため、術者の負担は大きくなる。 そして実際、作業に当たっていた専門のベテラン魔導士たちは、奥のほうから出て来ない……急遽、用意された休憩室のほうで、グッタリとしている筈だ。

エントランスの一角に固まっていた《精霊使い》たちが一斉に注目する。

居合わせた《精霊使い》たち総がかりで、老化衰弱中の巨人戦士デリラに付着していた禁術の大麻(ハシシ)破片を取り除き、有害物質の保管用の水桶に貯める――という作業は、一段落していた。

相応に水量が入っていて重くなっている水桶を、《精霊象》が、長い長い鼻で、外側の所定の場所に配置したところだ。速度はゆっくりだが、自然陽光の力による退魔調伏の過程が進んでいる。

状況を見て取り、老魔導士フィーヴァーは、『毛深族』ならではのモッサァ白ヒゲを大きく揺らして頷く。首元のほうで、エスニックな護符チェーン類が「ジャラリ」と魔除けの音を立てた。

それに応じて。

みごとな金と黒のシマシマ虎ヒゲを誇る『毛深族』タフジン大調査官が、礼拝堂の隅々まで聞こえるような大声で、宣言した。

「待たせたな。皆の者、これより、アブダル死体とドニアス死体の『封魔葬』を始める」

老魔導士フィーヴァーが矢継ぎ早に、次の指示を出し始める。

「さあ《精霊使い》一同、それにセルヴィン坊主たちも、裏の山へ出発するのだ。かねてからの通告どおり、 無害なブツ、つまりアブダル所有だった戦斧一式を、巨人族デリラの脇にでも添えて……いや、いったん礼拝堂に留め置き、デリラが意識を取り戻したら、改めて手続きすれば良い」

「たいそう、お疲れさまでございましたじゃ、老魔導士さま」

居合わせた《精霊使い》一同を代表して、最高齢にして最高位《象使い》ナディテ婆が一歩ほど前に出て、 受け答えをしていた。《象使い》装束をキッチリ装着し、喪章も付けて、いつになく威厳に満ちている。

「それでは《精霊象》の、めいめいの背中に、ひとつずつ棺桶を積みましょうかね。ドルヴ、頼むよ」

「了解です、ナディテ婆さま。退魔調伏された骨灰とはいえ、生前は巨人族と、小太りの人類だったから、相当の重量……巨人族の棺桶のほうは、若い《精霊象》相棒の方に積みまさ」

壮年ドルヴがアチコチと立ち回るたびに、老女ナディテと同じように正式に装着した重厚な《象使い》装束が、シャラシャラと魔除けビーズの音を立てた。

*****

意外に、さっさかと《精霊象》2頭の背中に、それぞれの棺桶が積載されていった。棺桶には、重厚な退魔紋様が、ビッシリと施されている。

「退魔調伏の棺桶も、尺度も重量もあるから慎重に……」

やがて《精霊象》2頭とも、積載状態が「ちょうど良い状況」になったらしく、長い鼻を、めいめいの《象使い》の手先にチョンチョンとやって、合図した。

そして一同そろって聖火礼拝堂を出発する。

最も高い城壁のてっぺんへ向かって、相応に傾斜のある上り坂がつづく。3階層ほどもある上り坂が終わったところで、裏の山へ直結する城壁回廊へ到達した。 そのまま、しばらく、城壁を形作る石畳の道を歩く。

太陽が高度を増し、見る間に陽射しがきつくなってゆく。

訳知り顔の《精霊使い》たちが、大振りなパラソルを広げた。相棒の《精霊亀》や《精霊象》を直射日光から守るための小道具である。絹布の類を張ったもので、相応に値が張るが軽量かつ高機能。

怪物との戦闘にも対応するジャヌーブ砦の構成員とあって、機動力は高い。普段はおっとりしている《精霊亀》も、精霊魔法か何かで加速しているのか、戦闘員の歩行速度に、さっさか並行できている状態だ。

紅ドームと同じ高さになっている高階層の城壁回廊の、ゆるい曲がり角を2回ほど折れた。

白文鳥《精霊鳥》アルジーにとっては初めての行き先。

中堅ベテラン鷹匠ユーサーの肩先で、「おのぼりさん」さながらに、キョロキョロと見回すのみだ。

ふわもち白文鳥の身体でキョロキョロしていてもズッコケない。鷹匠ユーサーの身体軸が安定していて、結構な急ぎ足にもかかわらず、揺れがほとんど無いお蔭だ……

…………

……

行く手に、ジャヌーブ砦の後背地に当たる巨大な岩山帯が、衝立のように現れた。

雨季のさなか――みずみずしい緑の色を増した「裏の山」。

ジャヌーブ地方にただよう《水の精霊》たちによる、強力な守護の存在を感じ取れる。白文鳥《精霊鳥》ならではの、高感度のお蔭。

季節風として吹き寄せる海風は、潮の香りを含む湿度の高い空気だ。神秘的なうす青さをまとっている。 この岩山帯は、ジャヌーブ砦の運命を左右する重要な水源や資源を、多数かかえている。とても納得するところだ。

虎ヒゲ『毛深族』タフジン大調査官や白ヒゲ『毛深族』老魔導士フィーヴァーを先頭として――『封魔葬』にのぞむ一行は、やがて山道に入った。

太陽がいっそう高度を増し、陽射しも強くなったが。「裏の山」に入った今は、街路樹さながらに密に並ぶ緑蔭の下、荒々しい舗装の状況を別にすれば、山歩きは意外に苦では無い。 パラソルが片付けられ、山歩きのための補助杖として用いられる形になる。

やがて、勾配が急に平坦になった。

見回してみると、ほどよく平地が広がっていて、テラス状となっている。

テラス状の平地を取り囲むように、城壁でもお馴染みの聖火祠がズラリと並んでいる。想像以上に多数。「裏の山」を、数々の邪霊から防衛するための、定番。

結界《魔導陣》構成軸に沿うように慎重に配置された、山から水を引いている水場が数か所。

帝国創建の時代からの、由緒ある施設だ。ジャヌーブ砦が着工された古代の頃に比べると、頻繁な整備や強化改良の工事が入っているため、昔の面影は全く無いが……

この先へと延びてゆく急傾斜の山道に備えて、しばし、ささやかな朝食と各種の休憩を取る。

山岳修行と思しき見習い魔導士たちが、4人ほど通りかかった。4人とも、その辺で普通に見かけるような生成りの長衣(カフタン)だが、特徴的な黒い縁取りや、 魔除けのための多数のエスニック風ビーズ首飾りが、魔導士たちであることを告げている。

4人の見習い魔導士たちは、いずれも沈黙の誓いを立てている様子。無言で丁寧な会釈をしつつ、別の分岐へと移ってゆく。

将来の魔導士の卵たちを簡単に見送った後、『封魔葬』にのぞむ一行は再び、山道の移動を始めた。

ふと、樹林が途切れて、岩山帯の展望が開ける。

ジャヌーブ砦の「裏の山」を中心に、複雑に折れ曲がりながら延長する大小の岩山帯。各所の緑蔭の間に、多彩な色合いの岩盤が見えた。

豊かな鉱山帯をかかえていると読み取れる。

実際、あちこちに、ジャヌーブ周辺の諸部族が管理運営していると思われる鉱山基地や、空中回廊を成す梯子や吊り橋といった構造物があって、人影がチラホラと動いていた。

そして、よく見ると、最高点の山頂の位置に、円塔を備えた基地のような建造物がそびえていた。倉庫か納屋のような建造物が、数棟ほど周囲に散らばる。

――不意に、オーラン少年の覆面ターバンの上に腰を据えていた白タカ幼鳥ジブリールが飛び立つ。ジグザグの岸壁を駆け抜ける上昇気流に乗って、山頂の建造物へと、舞い上がって行った。

『ちょっと行って来る。例の占いの続報があったら聞いておかなくちゃ、すぐに戻って来るよ』

オーラン少年はセルヴィン少年と一緒になってポカンとしていたが、すぐに何らかを納得した様子で、落ち着きを取り戻していた。

白文鳥アルジーは首を傾げつつ、白タカ幼鳥ジブリールの真っ白な鳥影と――その行く先の、円塔型の建造物を眺めるのみだ。

『あの建物って、もしかして……』

毎度、察しの良い中堅ベテランの鷹匠ユーサーが、端的に応じる。

『お察しのとおり、あれが、闇の惑星《炎冠星》運行をきめ細かく観測している、ジャヌーブ砦の天文台でございます。鳥使い姫』

付かず離れずの上空を滑空している白タカ・ノジュムと白タカ・サディルが、意味深な鳴き声でつづいた。《精霊語》で。

『我ら、白タカ・白ワシ諸族――《鳥の精霊王リューク》につらなる《風の精霊》にとっては、重要な情報拠点。若鳥も含めて我々は、しょっちゅう、あの天文台を行き来しているのだ』

『だが《鳥使い姫》の来訪は、天文台の観測図録にはおろか、《青衣の霊媒師》や《亀甲の糸巻師》が透視して占う『天の書』『時の書』にさえ、 まったく示されていなかった。不意打ちだったゆえ、ジャヌーブ砦じゅうの白タカ・白ワシが、一時的とは言え、パニックになってな』

『そもそも《鳥舟(アルカ)》は、はるかに超越的な時空幾何の次元の軌道を渡る。白孔雀《魔法の鍵》ゆえ納得はするが、 千夜一夜の迷路のような鍵穴をことごとく通りぬけて、《アル・アーラーフ》をも開錠してのけるのは、最高難度の精霊魔法なのだ。 銀月のジン=アルシェラトの積極的な協力……白孔雀との共鳴があったのは確実。《怪物王ジャバ》事情がきっかけとはいえ、極めて異例な事態ではある』

――いまでも、あざやかに思い出される。

空飛ぶ白い絨毯《鳥舟(アルカ)》に乗せられて、千夜一夜……アルフ・ライラ・ワ・ライラ……と思われる、異常な夢のような空間を、振り回された記憶が。

千と一つの夜と昼。すべての星が落ちる時。

夜の深淵を思わせる藍色の深みに向かって落ち込んでゆく、湾曲した回廊。

古代カビーカジュの謎の詩句のごとく、無数の分岐に分かれてゆく暗い激流を、まざまざと目撃したのだ。

天の果て地の限り、やよ逆しまに走れ両大河――特別な分岐と思われる、夜空の穴の姿をした喉(のど)は、無数の星々の流れる大河そのものだった。

白孔雀の羽ペンを呑み込んで流し去ってしまった、まばゆい激流の果ての……銀月のもとに横たわる謎の奇岩群。

一帯の主と見える大奇岩の頂上に……幾何学的に完全、かつ巨大な――それも上下逆転した姿の、銀色の正三角錐。

あの謎の建造物へ至ると思われる道の途上に、古代遺跡にお馴染みの、聖なるオベリスクがあった。この世界のどこかに実在する、古代『精霊魔法文明』の遺跡であることは間違いない。

とてつもなく遠い旅になるような気がするけれど。

ここで数々の事件に巻き込まれてバタバタしているところなのに……限られた短い時間で、あの、はるかな目的地へ到達できるのだろうか?

白文鳥アルジーは、天をも仰ぐ気分だ。

『先触れなしで割りこんで、随分と、ご迷惑おかけしてしまったわ。三途の川を渡って完全に成仏するまでは、 当分の間ご迷惑してると思うし、《鳥の精霊王リューク》にも、よろしくお伝えいただければ』

しばし、奇妙な沈黙が漂った。

怒りや不機嫌の気配は、まったく感じないが……

どちらかというと、何やら想定外といった風。

やがて……白タカ・サディルが、ディープな《精霊語》を繰り出した。『青衣の霊媒師』レベルの。

『ノジュム、説明と違うぞ。白孔雀《魔法の鍵》……いや、白文鳥パル殿は、鳥使い姫に、正確に説明しているのか?』

『いささかと言うには、サディル殿、機微に触れる部分がありすぎる。そもそも《精霊界の制約》が厳しい。 南洋の秘境《三途の川》の島で、最長老の万年《精霊亀》が、かの人体に何をしているか、考えてもみてくれ。 それに《アル・アーラーフ》への道開きを考えると簡単な問題では無いだろう、今も手に負いかねる部分が大きいのだから』

『白文鳥パル殿も、よくよく見つけたものだな。かくも稀有な、薔薇輝石(ロードナイト)を』

『まったく。この世で最強の、トラブル吸引魔法の壺というだけの事はある。運命の扉を、みごと蹴り飛ばしているゆえ』

『わたし、じゃじゃ馬じゃないわよ!』

ディープな話の流れゆえ、半分ほどしか分からないが……何やら爆弾をかかえた危険人物のような評価をされて、さすがに、すこぶるプンスカ気分の白文鳥アルジーであった。

*****

「聖別されし墓地へ到着しましたぜ、やれやれですね、老魔導士フィーヴァー殿」

飄々とした調子のクムラン副官の呟きが流れて来て、ハッとして辺りを見回す。

――そこは、野生化したダマスクローズなどの乾燥に強いヤブ類が、グルリと取り巻く土地だった。

古色蒼然とした太古の岩盤が、お椀の端のようにグルリと顔を出しているのが見える。ミッシリと密集する地衣類。

谷間にできた、ごくごく浅い盆皿のような地形。土葬するのに充分な量の土砂。雨季ごとに繰り返す強めの驟雨(しゅうう)を受けても、地衣類による天然の砂防があって、土砂が流れにくい。 なおかつ、予期せぬ崖崩れなど長期の地殻変動の影響も受けにくいポイントの様子。

ウチワサボテン類、オリーブ類、ムギ類、ナツメヤシ類、アロエ類……

そして、帝国の南方領土では普遍的な植物と聞く、不思議なまでに真四角な《麻雀サボテン》株。

聖別された一枚岩から削り出された金字塔が、中央に鎮座していた。

底面は正方形だ。その一辺の長さは、8人掛け宴会用テーブルの長辺ほど。

帝国領土の辺境でも見かける、標準的な無名墓地と同じ形式。金字塔の形そのものに天然の魔除け効果があることは、もはや常識だ。

現地の岩盤から削り出したという事実が見て取れる……多彩な色合いの鉱脈が見える、ジャヌーブ岩山ならではの岩石。

――植生こそ随分と違うが、オババ殿が埋葬されていた無名墓地と同じような、清められた雰囲気を感じる。

大人の腕ひと回りほどの《麻雀サボテン》株が、うち棄てられた古代神殿の石積みの列柱のように、周辺で四角い形を積み重ねていた。 普通に見かける、直射日光と砂嵐にすすけた植物の緑色のオブジェではあるが、意外に荘厳な空間を作っている。

ナツメヤシの大きな葉が天然のパラソルとなって、適度に多数の日陰を作っていた。

何らかの気配や空気の流れを読んだ様子で、《精霊亀》たちがそれぞれの日陰に位置を取る。付き添う《亀使い》たちが、それぞれに、そこへ佇む。 琵琶を抱えて、魔除け効果を含む鎮魂曲を、しめやかに合奏し始める……人類の声による合唱は無い。

ひと節の曲の区切りと合わせて、《精霊象》2頭の背中から、棺桶が降ろされた。

毎度のように、定番の邪霊害獣《三つ首ネズミ》が数匹ほど這い出たが、金字塔の魔除け効果や鎮魂曲の音響によるダメージが響く様子で、スゴスゴと異次元へと沈んでゆく。

白文鳥《精霊鳥》の高感度でもって、『棺桶を地中に沈めるのは、今だ!』という気配の流れが来たのを感じる。天空を巡る星座の配置や惑星の軌道といった、各種の微細な要素が組み合わさったもの。

並み居る《精霊亀》や《精霊象》、それに《精霊使い》たちも、それを感じ取っている様子。

とりわけ土木パワーを誇る《精霊象》2頭の象の足でもって、ボコボコと、金字塔の周囲に適当な穴が掘られ。象の鼻でもって、あっと言う間に棺桶が穴にハマり込んだ。

穴埋め道具を持って待ち構えていた男手――壮年《象使い》ドルヴや、壮年の男《亀使い》3名、クムラン副官、 護衛オローグ青年に毛深族ジャウハラも加勢して……魔除けの《紅白の御札》が注意深く重ねられ、土がかぶせられる。

老魔導士フィーヴァーが、首飾りとなっているエスニック風な魔除けビーズ類を琵琶の曲に合わせてジャラジャラさせつつ、精霊語で、『封魔葬』呪文を詠唱していた。

神官の資格をシッカリ持つリドワーン閣下が『魔法のランプ』聖火を掲げて、曲ひと節ごとに、めいめいの『封魔葬』墓穴へ差し向けている。 パチッと弾ける白金や真紅の色をした火花が、ドンドン埋められてゆく墓穴の周りで、意味深にチラチラとしていた。

――『封魔葬』って、こういう手続きなのね。

書物で勉強して想像するだけだった光景を実際に眺めて、感心しきり。

かつてのオババ殿の埋葬の時は『封魔葬』の必要がそもそも無かったから……お世話になった金融商オッサンや女商人ロシャナクが、個人的好意で、一般的な葬式……密葬を手配してくれる形だった。

一般公開の、野ざらしの無名墓地への埋葬は、身元不明の行き倒れや無名戦士がほとんどで、墓掘りを申し出た一般人が適当に穴を掘って、雑に埋めて終わるのが普通。

ここジャヌーブ砦「裏の山」の金字塔が守る墓地は、《人食鬼(グール)》や数多の邪霊害獣、それに、 邪霊の大麻(ハシシ)に取り付かれた死体も多く出るところとあって、厳重な整備と維持が成されている訳だ。

――かつてのシュクラ第一王女アリージュ姫としての生涯は終わってしまっているが、人生、学ぶことは尽きないモノだ……

土を固める仕上げは、再び、《精霊象》2頭と《精霊亀》6頭。《精霊象》2頭が代わる代わる歩き回って固まった地表を、《精霊亀》6頭が舗装して、なめらかに封じてゆく。

棺桶の位置にある地面が、六角形タイルのようなもので舗装されていった。その各々の六角形タイル表面は、人間業とは思えぬ――実際に人間では無く、精霊による――精緻な退魔紋様を施されてある。 《精霊亀》の高度技術に、驚かされるところだ。

*****

順調に作業が進み、『封魔葬』手続きが終わりに近づく。

老魔導士フィーヴァーが、白ヒゲをジワジワ・モッサァと膨らませ、「さて」と声をかけた。

「死体がふたつに増えた分、作業量も、退魔調伏の手続きも2倍になったが、幸い、問題は無いようだ。時間の余裕が無いゆえ、この際に、問題の生贄祭壇について判明したことを説明しよう。 《精霊使い》の皆は、ここで聞き知った事を、ジャヌーブ砦の残りの《精霊使い》へも連携してくれたまえ」

一斉に、注目が集まった。

老魔導士フィーヴァーは思案顔で白ヒゲを撫でつつ、戦士として随行して来ていたひとり――モッサァ銀ヒゲ毛深族ジャウハラを注視した。

「我が同族の、銀月スヴャトスラフクジマルルズヴァイラ、いや、銀月ジャウハラ殿。このたび、お初にお目にかかって実に光栄じゃ。 野生の天才というのは居るものじゃの。この事件の解決には困難が多いのじゃが、是非ご理解ご協力いただきたい」

「承知でござる。この老体にできる事があれば、何なりと」

虎ヒゲ毛深族タフジン大調査官も、大いなる関心をもって、しげしげと銀ヒゲ毛深族ジャウハラ戦士を見つめていた。『毛深族』は相応に多彩な毛色を持つが、それでも銀色は珍しい部類の様子だ。

まだ微妙に漂っている邪気を清めるかのように、一陣の涼風が吹き……

……老魔導士フィーヴァーの説明がつづく。

「白鷹騎士団の専属魔導士・老ジナフ殿の渾身の隠密調査により、生贄にされた哀れな犠牲者が、ほぼほぼ判明した、と判断しておる」

動揺が広がる。《精霊使い》たちが、目に見えてソワソワし始めた。

「昨夜の宴会で、ジャヌーブ商会に属する船乗りシンドが、チラリと説明した知人すなわち男友達じゃ。 一ヶ月ほど前から新婚ハネムーンが始まっていたが、直近この数日に、急に消息を絶ったことが判明しておる。 花嫁の嘆きや、親族たちの混乱については致し方ないが、ここでは省く。その船乗りシンドは目下この砦に来ているうえに、小路の爆発事件のとばっちりで留置場に入れられているのでな、 夜明けと共に届いたこの情報は、まだ知らんじゃろう」

耳を傾けている面々は、いささか、というには大きすぎる衝撃を受けた様子だ。

しんと静まり返る。

「一ヶ月ほど前、ジャヌーブ港町の海岸の礼拝堂において、南洋諸部族の流儀のもと、彼の結婚式および祝福の刺青(タトゥー)儀式がおこなわれておった。 その礼拝堂の後ろを通る裏街道で、禁術の大麻(ハシシ)取引が同時進行しておった……バカ皇子カムザングが仕切っていた不法取引がな」

人生経験度の長い老女ナディテが、「アッ」と気付いたように口を挟んだ。

「もしかして《銀月の祝福》が大量に入ったという事例かね、老魔導士さま。一生に一度くらいしか出逢わない出来事だから、私も記憶が薄いけど、 なんか急に大麻(ハシシ)で失神したとか、姿を消したまま二度と帰って来なかったとか……」

銀ヒゲ毛深族ジャウハラ戦士が真剣な眼差しになり、つづいて口を出した。

「さよう、吾輩がまさに経験した。その哀れな彼は一般人で、邪霊害獣との戦闘について訓練を受けていなかったに違いない。 吾輩も、ヒゲが銀月の色に染まった後、ひっきりなしに邪霊害獣どもが集まって来た。 神官へ相談して、より強力な『魔除け《紅白の御札》護符』や《火の精霊石》、ドリームキャッチャー護符を整備するまでは、おちおち寝ても居られんかった」

老魔導士フィーヴァーが大きく頷く。その拍子に、魔除けビーズを連ねた首飾りが、ジャラリと音を立てた。

「ジナフ殿の報告によれば、彼は間違いなく《銀月の祝福》による大麻(ハシシ)アレルギーを発症した。禁術の大麻(ハシシ)取引が、同じ建物を挟んだ裏側で進行していたのじゃ、 生贄祭壇と邪霊崇拝に狂った魔導士クズレに目を付けられたのは、確実じゃな。そして、この数日の間に、おぞましき祭壇の生贄として拉致されたと見ゆる」

少しの間、老魔導士の悩まし気な溜息がつづいた。そして。

「生贄祭壇に残されていた銀髪と、話題の彼の遺留物である銀髪が、一致しおった。実に残念なことにな。生存は絶望的じゃろう。そして、なおかつ……」

不意に湧き上がり、急速に腑に落ちてゆく、異様な確信……

「……かの忌まわしき邪霊崇拝の暗殺教団《炎冠星》で企てられていた伝説の邪霊復活の儀式を、残党の魔導士クズレ邪霊使いが引き継いで、秘密裏に運営していることが、立証されたわけじゃ」

その場に、重苦しい沈黙が落ちた……

「その組織名は『黄金郷(エルドラド)』じゃ。第六皇子カムザングによる禁術の大麻(ハシシ)密売事件でも言及されていた符丁。便宜のため邪霊教団『黄金郷(エルドラド)』とする。 我々は、『この世に2人と居ない頭脳明晰・文武両道・容姿端麗・品行方正・モテモテ無双カムザングちゃま』の黒幕を気取っておるバカ野郎どもを、徹底的に調伏せねばならん。人類の未来のために」

金字塔のもと『封魔葬』が完了していて幸いだったというべきか……老魔導士フィーヴァーが、安全になるタイミングを、充分以上に承知していたというべきか。

琵琶の合奏による魔除けの鎮魂曲は止まっていたが、余計な邪霊害獣の出現は、抑えられていた……

*****

新たな爆弾となる新事実。

すなわち「邪霊復活を望む、かつての暗殺教団『炎冠星』残党によって、おぞましき生贄儀式が継続している可能性」について、それぞれに思案を巡らせつつ。

来た道を戻って、金字塔の墓地からジャヌーブ砦の聖火礼拝堂へと向かう、老魔導士、訳知りの高位高官と、鷹匠を含む護衛の戦士たち、《精霊使い》、《精霊象》《精霊亀》、《精霊鳥》の一行。 その中に、鷹匠ユーサーと白文鳥アルジーが混ざる形。

太陽は、南中の位置。

影が差さない城壁回廊では、めいめいのパラソルが再び頭上に開いた。

終始、無言だった高位神官リドワーン閣下が、やっと、老魔導士フィーヴァーへ質問を投げる。

「本当に、かの伝説の《炎冠星》教団の残党が居ると考えているのか? 老魔導士フィーヴァー殿」

「充分な技量を備えた魔導士クズレ邪霊使いは、残っておらん。 かの暗殺教団が輩出した伝説の天才、邪霊使い《炎冠星》――ヤツの個人名は歴史に残してやらぬ、絶対にな――の打倒と、邪悪極まる手法の断絶は、為(な)された。 大徳ある前々魔導大臣ボゾルグメフル猊下が全身全霊を投じられた大仕事だったのじゃ。じゃが、《炎冠星》後継を自称する不届き者は、ゾロゾロと続いておる」

「その後、の各種の出来事が問題だな。現に、ジャヌーブ砦は、邪霊使いが堂々と出入りする有様だ。 カムザング皇子のような、利用価値のある有力者に取り入っている、というのもあるが……皇族特権か何かで、大神殿の『黒ダイヤモンド禁書庫』へも出入りされると、最悪の事態となるだろう」

「帝国の政治――国家の運営方法そのものも、考え直さなければいかん」

老魔導士フィーヴァーが、ずっと昔から考えていた課題なのであろう、ボヤキは止まらない。

「宮廷政治は、ますます莫大な賄賂が横行する場となっている。弱小な城砦(カスバ)は賄賂を用意できねば、虚偽の言いがかりで叩かれ、 帝国軍の威を借りて乗っ取りをもくろむ私利私欲どもの私兵軍団に蹂躙されるのみ」

「前から、老魔導士どのが、とりわけ問題視していた部分だな。耳にタコができるほど聞かされた」

リドワーン閣下も、大神殿の理事という立場で、思うところも議論するところも多々だった様子――なめらかに受け答えしていた。

「賄賂や裏金による利権の増大が、禁術の大麻(ハシシ)ビジネスなどで大金を稼ぐ邪霊使いの栄誉栄達ひいては国盗りのための経路となっている。 実際そういう国盗り工作によって、政治的・軍事的につぶされた辺境の城砦(カスバ)が増えているとの、憂慮すべき報告がある」

「そうとも、何とかせねばならん。地方や辺境の……崇拝する精霊が違えど各種の城砦(カスバ)の衰退消滅は、帝国の終わりの始まりじゃ。 実際、『精霊魔法文明』由来の高度技術を独自に伝承している城砦(カスバ)が存在する、たとえば自動機械(オートマタ)じゃ」

帝国随一の『自称・人類史において最高の天才』老魔導士と、大聖火神殿の理事。

大きな組織の運営に関わる専門家同士の議論は、その分野に興味や教養のある人々の注意を、大いに引いていた……

……虎ヒゲ・タフジン大調査官はもちろん、クムラン副官や護衛オローグ青年、それにセルヴィン皇子や、オーラン少年も。

「王侯諸侯の宮廷社交、族長の政治献金、そういう懸命な外交折衝の努力によって、一族ぶら下がり的に権益を得た末端たちは、権益が何処から来たのか理解しておらん、 能力と範囲に応じて権益贈与されたという認識も無い。各々権益贈与されたという状況は、それに応じる義務を各々負担することになった、という状況でもあるのじゃ」

老魔導士フィーヴァーは、思考と同じ速度で口を動かしていた。複雑で長大な人名を、一発で間違いなく発音してのける、『毛深族』ならではの身体能力の驚異。

「無知蒙昧かつ夜郎自大な末端どもが不満を抱くのは当然じゃが。大いなる重圧に耐えて、皆が立ちすくむような難しい状況をさばいてのける傑出した人材にこそ、 より大きな権益と義務とが降りかかるものなのじゃ。本来、皇族特権とはそういうものじゃった。人類を代表するような豪傑たちを統率し《怪物王ジャバ》を退魔調伏してのけた、 豪傑の中の豪傑にして王の中の王《雷霆刀の英雄》が、始祖だったのじゃからな」

リドワーン閣下が、老魔導士フィーヴァーの弾丸トークの合間を捕らえて、ボソッとツッコミを入れた。

「社会単位で考える『権益と義務』贈与サイクル、というのは相当に高度な概念だ。国家と民族の興亡に直結する急所ゆえ、いっそう広い視野と、深い考察とを、要求する。 すべての臣民に、帝王教育なみの教育をする必要があるな」

「右に同じじゃ。人類の文明がそこまで到達するには、千年、いや万年を超える種族としての歴史経験度が必要じゃ。 超古代の驚異『精霊魔法文明』は、既にその段階をはるかに超越していたというのに、つくづく人類の身勝手よ、精神の未熟さよ、思考・認識の能力の停滞ぶりよ」

老魔導士フィーヴァーは、真面目に激怒しているのではあるけれど。飄々とした挙動や言葉の選択ぶりが……奥底の本性なのであろう、常に陽気なユーモア風味をまとっている。

「カムザング皇子のように、自治能力に欠けた欲深バカどもは、必要最小限の義務にすら不満タラタラじゃ。 ゆえに『もっともっと際限なく分捕って良いのだ、それは高貴な出自を持つお前の正当な権利だ』という歪んだ甘言をささやく邪霊使いに、たやすく流され、操られてしまうのじゃ」

――とはいえ。

白文鳥アルジーは、ちょっと思案した。

――カムザング皇子や、邪霊使いユージドのような人たちは、みずから進んで、そうなるのだろう……という感じがある。不平不満をつのらせた末の必然なのだろうけれど、モノの見方が歪んでいた。

かつての、シュクラ第一王女アリージュ姫もまた。恩師オババ殿による手厚い教育と指導が無かったら。 「犯罪してでもカネを」と暴走した末に、邪悪の極み「禁術の大麻(ハシシ)」権益に、おぼれていたかも知れない。

弾丸トークそのものの、老魔導士フィーヴァーのボヤキは、続いていた。

「国家運営に対して見識の無い下衆(ゲス)どもは、『お前の物は俺の物』分捕りで欲深に私腹を肥やしながら、さらに身勝手な嫉妬と不満をつのらせ――邪霊どもの養分となって――より過激な利権工作や、 族長タラシコミ、族長暗殺などの内乱テロなどを仕掛けたがるんじゃ、酒姫(サーキイ)アルジュナ、欲をかいた財務文官ドニアス、魔導士クズレ、カムザング皇子の手先となった愚かな密売人や転売人どものようにな」

そこで、老魔導士フィーヴァーは勢いよく「フンッ!」と鼻息を荒げ。 モッサァ白ヒゲが「ボワッ!」と爆発して、巨大毛玉のような愉快な有り様になった。よく前が見えて、ちゃんと歩けるものだと感心するくらいだ。

「結局のところ、裏金だの賄賂だのが際限なくつづくのは、不満タラタラな無知蒙昧の佞人(ねいじん)ども、ボケッと口を開けておこぼれを待っているだけの欲ボケ餓鬼根性、 嫉妬と怠惰、無責任と迷妄狂信がもたらすものなのじゃ。嘆かわしいことに、我らが帝国皇帝(シャーハンシャー)もまた立場に伴う責任を心得ぬ、クダラン餓鬼感覚あふれる衆愚的な佞人(ねいじん)でな……」

老魔導士フィーヴァーは、昔の帝国皇帝(シャーハンシャー)がやらかした、リドワーン閣下への『人道の範囲を超えた』冷遇すなわち政治的イジメ工作の歴史を、詳細に語りはじめた。

その当時、邪霊使いの余計な跳梁(ちょうりょう)も加わって、帝都近傍で大型の三つ首《人食鬼(グール)》大群が召喚されて散々だった、という経緯も。

以前に、セルヴィンの守護精霊《火吹きネコマタ》から聞いた内容だ。《精霊界の制約》関連を省いて、人類の側から眺めた内容となっている。

老魔導士フィーヴァー自身が経験した「そこにあった世界滅亡の危機」。昔話なのに、実際に見聞した内容ならではの、圧倒的な現実感と迫力……

…………

……老魔導士フィーヴァーの説明を聞くと、大勢の刺客(アサシン)を使ったせいで、邪霊使いの側に、目もくらむような大金が流れ込んだのは確実。

それが、かの黒ヒゲの首領魔導士が率いる《黄金郷(エルドラド)》の立ち上げ資金にもなっていた筈。金融の方面を、帝都の金融商ホジジンが管理して。

シュクラ王国が叩きつぶされる形になったのも、トルーラン将軍と邪霊使いが結託しての国盗り工作だったのだ……

…………

……いつだったかの、帝国皇帝(シャーハンシャー)の、最低かつ最悪かつ醜怪なベッドの裸踊りを見せつけられる――という、オトメ目線にとっては拷問そのものの、夜の時間を過ごした後。

大柄な超・肥満体をした金融商ホジジンが、コッソリと入って来て……タプタプ贅肉(ぜいにく)を揺らしながら、得意げに連ねた内容が、思い出される。

――セルヴィン皇子の回復は、都合が悪いのですよ。あの偽造宝石ショップの裏金の流れ、あのまま《黄金郷(エルドラド)》まで調査が進めば、どうなっていたか。 対立している皇族たちを炎上させて、セルヴィンを集中攻撃して、皇族政争を激化させておいて万々歳でした。宝飾の目利きセリーン妃の横死という、思っても無い大金星ボーナスも付いて来ましたしね――

(帝都の金融商ホジジンも、直接か間接かは分からないけど、シュクラ王国滅亡の原因をつくった大悪人だ!)

心の中で、かつてのシュクラ王国の第一王女アリージュ姫として、キュッとこぶしを握り。

あらためて、トルーラン将軍の一味をとっちめてやる事を、固く誓う。

――三途の川を渡り切る前に、必ずや、関係者全員に、目にもの見せてくれる。

(お世話になった金融商オッサンの望みを取り上げる形になってゴメンナサイだけど、金融商ホジジンについては、シュクラ王家の名のもと斬首でもって処刑してやるつもりだ。 その死体から『男の証明』を切り取って、金融商オッサンに、協力費と一緒に褒美として与える、ということで……)

はやる心のままに、ピッと《精霊鳥》特有の冠羽を立てて、白文鳥アルジーが耳を傾けていると。

『将来なにかの役に立つかも知れんから、鳥使い姫――』

頭上で警戒滑空している白タカ・ノジュムが、《精霊語》で、ささやいて来た。

『伝説の邪悪なる天才、邪霊使い《炎冠星》の個人名を連携しておこう。 各種《精霊使い》の間でも、《精霊契約》の際に秘密裏に共有する情報だ。鳥使い姫の場合、正式な《精霊契約》の前に、人体がおかしくなったという特殊事情もある』

『じゃ、聞いてもいいのね。《精霊界の制約》の範囲じゃ無い』

さっそく耳をそばだてる、白文鳥アルジーであった。

『くだんの邪霊使い《炎冠星》は、《銀月の祝福》を大量に受け取った人物だ。鳥使い姫や、毛深族ジャウハラのように』

『驚いた。《銀月》は……人を選ばないという事? 《青衣の霊媒師》とかは厳しい節制や修業が必要なのに。資格も、心構えも、何も無し?』

『創世記に展開した時空幾何に、 「逆(さか)しまの石の女」すなわち「銀月のジン=アルシェラト」が白孔雀どのを通じて共鳴関数展開した時空幾何の精霊魔法《鳥舟(アルカ)》量子波動の方程式が――いや、 《精霊魔法文明》知識をもってしても説明は難しい』

思わず目を回す白文鳥アルジー。半分以上、意味が取れない。

白タカ・ノジュムは、空中で器用に咳払いして、説明を変えて来た……

『先刻の部分は放念してくれ。ともあれ《炎冠星》は、《銀月の祝福》を天才的なまでの悪辣さでもって縦横に活用し、《怪物王ジャバ》復活をやらかそうとした。 前々魔導大臣ボゾルグメフル殿の強襲的な介入のお蔭で、未遂に終わったんだ』

さっそく、白文鳥アルジーは、ピンと来たのだった。

『老魔導士が前に話してた部分。単なる自慢話じゃ無かったんだ。スゴイ。理解できる』

『白ヒゲ老魔導士は、《雷霆刀の英雄》に匹敵する豪傑のひとりだな。 話を戻して――《人食鬼(グール)》不正召喚術は、邪霊使い《炎冠星》の手によって発明され、技術確立されてしまった』

『あ、あの、オーラン少年を襲った、中型《人食鬼(グール)》の不正召喚とか』

『ご明察。皮肉な偶然だが、邪霊使い《炎冠星》は、かの酒姫(サーキイ)と同じ、本名アルジュナだ』

『なんてこと』

『かの酒姫(サーキイ)の悪運が妙に強いのも、すでに肉体が滅んだ邪霊使い《炎冠星》の怨念が届いているからなのかも知れんな。 我々としては、問題の酒姫(サーキイ)アルジュナの悪趣味の中に、禁術《歩く屍(しかばね)》が含まれていた件を懸念している。 帝都の第一位の金融商ホジジンの挙動も怪しすぎる。だが調査分析は難しくなりそうだ』

『皆が皆、怪しく見えて来るわね』

あらためて気を引き締める、白文鳥アルジーであった。

*****

――『封魔葬』を終え、ジャヌーブ砦の聖火礼拝堂へ帰還したのは、正午少し過ぎ。

新たな騒動が持ち上がっていた。

聖火礼拝堂の周りに、ジャヌーブ砦の各所の巡回警備を担当する衛兵団が集まっていて、ザワザワしている。

クムラン副官が、上司バムシャード長官へ『封魔葬』報告するため、聖火礼拝堂の紅ドーム屋根の下、エントランスを通過しようとする。

白文鳥アルジーは、さっそく鷹匠ユーサーの肩先で、ビョーンと背筋を伸ばした。

『砦の長官たちが普段から詰めているところって、宮殿の役所のどこかの筈だけど?』

『ああ、あの通路が、各々の長官の執務室との距離が近いのです、鳥使い姫』

『どういう事? カスラー大将軍だと、たしか宮殿の一等室よね?』

『各種の邪霊への《魔導》反撃拠点となる聖火礼拝堂が、実務上いかに重要な防衛施設であるか、という事ですね』

鷹匠ユーサーの適切な解説に、成る程……と、ヒョコリと首を傾げる白文鳥アルジー。

そうしている間にも……副官助手シャロフ青年が、クムラン副官の帰還に目ざとく気付き、駆け寄って来た。

「あ、クムラン殿! いま4人の長官と白鷹騎士団のシャバーズ団長と勢ぞろいで、さっき巡回担当の衛兵へ指令が出たところなんですが」

「礼拝堂の周りに衛兵団が揃ってたのは、そのせいか。また何かあったのか?」

「今度は、ジャヌーブ商会の面々です。老魔導士どのたちが『封魔葬』出発した後、監視付きで保釈となってたんですが、バシール夫人が公衆浴場へ入ってすぐに消息を絶って。 昼時になっても姿が見えないんで、ジャヌーブ商会の皆さんでもパニックしてるんです。それで、衛兵団の出動となりました」

「はあ?! 単に、その辺の占い屋で、長時間の占い診断中だから、とかじゃないのか? 嫌な問題が起きてなきゃいいが」

「あ、それアリアリですね! 占いの種類によっては、割と本格的な隠蔽用の『魔法の紗幕(カーテン)』使いますし。バシール夫人は不運続きで散々な様子でしたから、案外、真っ当に、そこかも。 バシール夫人の謎の行動力について、我らがバムシャード長官がさすがにお怒りなんで、速やかに次の巡回担当へ、つなげておきます。あ、それから、あと、」

「まだ何かあるのか?」

「白鷹騎士団の経理担当の騎士エスファン殿が、第一長官マフレガー殿の、裏取引とか不正取引の疑問に引っ掛かったとの事で、第一長官の取調室へ連行されました」

聖火礼拝堂のエントランスで進んだ、そのやり取りに、セルヴィン少年もオーラン少年も、呆然だ。

「連行された? あの……エスファン殿が?」

「なんで、そんな事に? 不正取引? 巨人族デリラ騒動の余波?」

護衛オローグ青年でさえも、少しの間、絶句である。

近くに居た毛深族ジャウハラ戦士は、興味津々という風に銀ヒゲをモッサァとさせて、耳をピクピクしていた。

黒髪の護衛オローグ青年が、生真面目に首を傾げ……

「騎士エスファン殿は、今まで不正した事は無い。何かの間違いでは……シャバーズ団長どのは?」

副官助手シャロフ青年が思案顔をしながらも、生真面目に応答した。

「オローグ殿お察しのとおり、白鷹騎士団のシャバーズ団長どのが直々に掛け合っておられます。原因は、取次業者ディロン殿の軽口と言うべきでしょうか、 元々、第一長官マフレガー殿の側で用意していた尋問の内容がアレでしたし、タイミング的に」

――白鷹騎士団の騎士エスファンが、何故か第一長官マフレガーの取調室へ連行された。

という報告に、セルヴィン皇子とオーラン少年も、驚きと懸念を見せていた。

白鷹騎士団の中でも、経理担当の騎士エスファンとは、女騎士サーラと共に相応に話す機会があって、親しく顔を合わせていた人物。

大聖火神殿と数人の諸侯など有力者たちの肝いりでもって、セルヴィン皇子の身辺警護を担当しているのが、白鷹騎士団だ。 セルヴィン皇子は番外とあって、皇族特権などの分け前も最底辺。積極的に番外皇子の身辺警護を担当しようという騎士団が無い中、白鷹騎士団は、セルヴィン皇子にとっては、貴重な軍事力だ。

さっそく、第一長官マフレガーの取調室へと、赴く――クムラン副官、護衛オローグ青年、セルヴィン少年、オーラン少年であった。

中身はお転婆すぎる姫君である白文鳥アルジーを、片手に握り込んだ鷹匠ユーサー。いつもの察知力でアルジーの希望に気付いた様子で、セルヴィン少年とオーラン少年の後ろにつづいた。

不思議そうな顔をした老魔導士フィーヴァー。虎ヒゲ毛深族タフジン大調査官。それに好奇心で一杯になった、毛深族ジャウハラ戦士。

一方で、高位神官リドワーン閣下と、その護衛を務める鷹匠ビザンは、カスラー大将軍に代わってジャヌーブ砦の監督をするという任務がある。カスラー大将軍が威信を失ってしまったためだ。

カスラー大将軍がかつて常在していた執務室へと、2人は移動して行った……相応の数の、困惑顔をした赤茶の長衣(カフタン)文官を引き連れつつ。

*****

第一長官マフレガーの取調室へと通じる、ジャヌーブ城館の廊下。

地獄耳に恵まれたクムラン副官とオーラン少年が、さっそく、押し問答に気付いた。

何故か、カスラー大将軍が横やりを突っ込んで、クレームをつけている形だ。キチンと確認を取ろうとしているマフレガー長官の意図を、かえって妨害している様子。

困惑顔の見張り衛兵が2人、扉の角で振り返って来て、助けを求めるような視線を投げて来て……通路を開けて来た。

カスラー大将軍が何かを叫んだ後、騎士エスファンが明瞭な発音でもって、釈明を繰り返しているところだ。 いくども同じ内容を言わされたに違いなく、その眼差しには、隠しようもない疲労感が漂い始めている。

「先ほど口頭説明にて申しあげたとおりです、大将軍カスラー閣下。各商会と約定した黒毛玉ケサランパサランの数量の詳細は、南方の流砂地域への進軍において軍事機密にふれるゆえ、伏せます。 ですが概算量は、ご報告のとおりです」

「グダグダ言うな! その概算の量の中に密輸が混ざってるんだろう、混ざってる筈だ! キリキリ白状せよ、この、王国と名乗ってるだけの草原の盗賊上がりが、盗賊の輩が、このタワケが!」

脇に居た白鷹騎士団のシャバーズ団長が、素早く口を出した。ちなみにシャヒン部族をまとめる部族長、すなわちシャヒン王シャバーズ陛下でもある。

「その侮辱は、白鷹騎士団としては受け入れられません。帝国宮廷でも周知のとおり、我々シャヒン部族は、栄誉ある城砦(カスバ)が一、シャヒン王国の民でございます」

「王侯なら王侯らしくせんか、シャバーズ侯。つくづく陛下称号の似合わない男だな」

――ゴッ。

いつもは穏やかな騎士エスファンが、したたかな殴打をカスラー大将軍へお見舞いしていた。

失神して無様に転倒する、カスラー大将軍……

居合わせた目撃者の全員が――セルヴィン皇子や老魔導士フィーヴァーはもとより、護衛オローグ青年、クムラン副官、銀ヒゲのジャウハラ戦士まで――鷹匠ユーサーまで――ギョッとする事態ではあったが。

見張りの衛兵は、目をパチクリさせただけで、不動の姿勢のままだった。

気付けば、マフレガー長官が「待て」の合図をしていたのだった……

シニア世代の盛りのベテラン長官は、これ以上ない、という程の渋面であった。

――夕食の刻までには、きっと、マフレガー長官の眉間のシワが、倍増しているに違いない。 白髪のほうも、カスラー大将軍への対応によるものであろう、既に半分以上の量。この後、八割までいくかも知れない。

「マフレガー長官どの?」

キョトンとするばかりのシャバーズ団長と、おのれの行動の意味に気付いて真っ青になり膝をつかんばかりの騎士エスファン。

ジャヌーブ砦の第一長官マフレガーのこめかみには、文字どおり、激怒の証の青筋が浮かんで、震えていた。

「私マフレガーの見るところ、カスラー大将軍は、脳のご病気がいっそう深刻になって来た模様でござる。南方の流砂地帯への進軍は帝国皇帝(シャーハンシャー)ご自身が、 ご直筆の公示にて指令された内容だというのに、この任務を妨害する言動がつづいたとあっては、いよいよ、カスラー大将軍を、反乱罪と外患誘致罪でもって中央へ告発する必要がござる。 この手続きは、ジャヌーブ砦の第一長官としての地位を拝命したる私マフレガーが実施する」

「は、はあ……」

激怒の向かう先が予想外だった事もあって、騎士エスファンは「訳が分からぬ」とばかりに目を回している。

「カスラー大将軍の余計な飛び入りで、確認の内容がズレてしまったが、あらためて。先ほど口頭説明にて示された、新規購入の黒毛玉の概算量が、 その通りなら、取次業者ディロン殿の説明と一致する。帝国皇帝(シャーハンシャー)の命令書に応じて、という理由も至極、当然のものと理解する」

その部分は、見張りの衛兵たちも、プロの軍事関係者として大いに納得した部分だったらしく、2人そろってコクコク頷いていた。

「帝国軍の共通報告書の形式に沿って、白鷹騎士団の最新の武器弾薬の概算保有量を、ジャヌーブ砦へ報告してくれたまえ。 これは、予期せぬ大量盗難や紛失を警戒するためである。何しろ、『元・カスラー大将軍』が大声で明らかにしたとおり、よからぬ密輸業者は、その辺にゴロゴロ居るものでな」

そして、思ったよりもすみやかに、騎士エスファンは解放されたのだった。

*****

「あのカスラー大将軍が、本当に政治生命を完膚なきまでに失い、しかも中央へ告発されることになるとは意外な!」

銀ヒゲ毛深族ジャウハラ戦士は、首をフリフリ、城下町へと戻って行った。遅い昼食の後、『筋肉道場』で門下生たちを迎え、午後の訓練に立ち会うものと見える。

一方で。

厩舎区画――鷹小屋の隣近所に設置されてある白鷹騎士団の詰所では。

騎士エスファンの早期解放、すなわち無事な帰還を確認して、その妻である女騎士サーラは、少しの間、泣いたり笑ったりと忙しい状態であった。

「ホントに、もう。誤解させるようなこと喋った取次業者ディロンのほうは、私自身がこの手で、成敗しましたわよ」

「まさか、全部の白タカ《精霊鳥》に襲わせて、三途の川送りにしたんじゃないだろうね、サーラ?」

「騎馬の後ろにつないで、通りの端から端まで引きずり回しただけですわ」

――見かけはキャピキャピしたイマドキ女官という印象の女騎士サーラもまた、中身は、シャヒン部族の、勇ましく誇り高き女戦士であった……

同じく厩舎区画の象小屋の近くに構えられた『戦象隊』の詰所からは、お馴染みの壮年《象使い》ドルヴが、3人ほどの戦象隊士と一緒に心配そうに出張って来ていて……いまは、引きつった顔で震えていた。

「大草原の鷹狩と騎馬の民シャヒン部族の、女性の過激な気性は、南方領土で、充分に周知しとかなくちゃな」

「お、おぅ。あの哀れな取引業者ディロン殿の末路の姿を目撃すると、うむ、たしかに」

「ともあれ早期解放されて良かったな、騎士エスファン殿。他の城砦(カスバ)から来てる戦士たちにも連携しとくわ。カスラー大将軍ご乱心、結構、話題になってたからね」

同僚の早期解放を祝福しながらも、青ざめて引きつった笑みで退出してゆく『戦象隊』の面々を眺め。

女騎士サーラのお仕置きは、そんなに過激だったのか……と、アレコレ想像する、白文鳥アルジーであった。

――どうやら、大草原の騎馬民族の間では「割とキツイけれど慈悲深いお仕置き」というような感覚らしい……

シャヒン部族やスパルナ部族が主力である白鷹騎士団の、皆が皆、いつもと変わらぬ雰囲気なのだ。時に、民族と文化の感覚的な違いというのは、すさまじいものがある。

*****

時間も頃合いという事で。

セルヴィン皇子と従者オーラン少年、護衛オローグ青年、それに、騎士エスファンの釈放に付き添ったシャバーズ団長と老魔導士フィーヴァーは揃って、白鷹騎士団の詰所の食堂の棟で、昼食を提供される形となった。

鷹匠ユーサーは、白文鳥アルジーを肩から取り外し、オーラン少年の相棒、白タカ幼鳥ジブリールがくつろいでいたドリームキャッチャー護符の台の横棒へポンと置いた。

『どこか行くの?』

「私は、これから、白鷹騎士団にゆかりのある《青衣の霊媒師》と話を詰める予定がございまして。例の、流砂の下の邪霊神殿の討伐準備も急ピッチながら仕上がりました。 しかし、精霊や邪霊につきましては、常に人類には理解しがたい部分が大きく、不安な要素はひとつでも取りこぼさぬようにしなければ。くれぐれも身辺おこたりなきよう、鳥使い姫」

『任せてちょうだい、セルヴィン少年とオーラン少年の分もね』

白文鳥アルジーは、細い小鳥の足を「ふんす」と、ふんばり、自信満々に応えた。

相棒の白タカ・ノジュムと共に、食堂の棟をキビキビと出て行く鷹匠ユーサーを見送りつつ。

ヒョロリ皇子セルヴィン殿下と覆面ターバンの従者オーラン少年、 それに、ミニサイズ《火の精霊》火吹きネコマタと、《風の精霊》に属する《精霊鳥》白タカ若鳥ジブリールが、なにやら含みのあるような、 生温(なまぬる)い微妙な眼差しを白文鳥アルジーに向けて来ていたが……

……その生温(なまぬる)い微妙な眼差しの意味は、白文鳥アルジーのほうでは、遂に関知するところでは無かった……

…………

……

昼食を豪快に食しつつ、クムラン副官が、護衛オローグ青年と、ささやかな相談を始めている。

「なあ、オローグ殿。ナゾに行動力のあるジャヌーブ商会のバシール夫人だが、彼女が何処へ行ったか、思いつく当てはあるか?」

「さすがに昨夜の、爆発でオシャカになった小路の出張事務所ぐらいしか思いつかないな。あとは、そうだな、ジャヌーブ商会の……馴染みの顧客とか?」

「取次業者ディロン殿に、取引先名簿を提出させてみるか。与信管理と同じくらい商売のキモだから、先方は嫌がるだろうが」

「ジャヌーブ商会の取引先管理は、反社会的勢力の排除対応など信頼できるレベルと聞いた。元々、白鷹騎士団が、 備品購入のメイン取引先や、今回の討伐作戦にかかわる武器弾薬の手配に関しても、ジャヌーブ商会を通しているのは、それゆえだが」

「ありゃ、そうなのか。白鷹騎士団が自信をもって、ということは相当に事前調査したんだろうな。諜報や占術ルートも使って。 となると、あとは、どのあたりから着手すれば……」

「差し当たって『筋肉道場』あたりから様子を見ていくのが良いような気がする。生前のアブダル戦士が、しょっちゅう出入りしたところだ」

「お。それイケそうだぞ、友よ。さすが、ご存知の御方から『側近に戻れ、大使をやれ』と矢の催促うけてる文武両道の御曹司だな。 食い終わったら、ちょっと見てみるか……いかがですか? セルヴィン殿下、オーラン君」

――もちろん、好奇心いっぱいの少年たちに、否やは無かったのだった。

*****

老魔導士フィーヴァーは、白鷹騎士団との《魔導》方面での色々な調整のため、引き続き、白鷹騎士団の事務所に留まった。 シャバーズ団長や騎士エスファン、新たに戻って来ていた専属魔導士の老ジナフなどと、細かな打ち合わせが始まる。

そして、クムラン副官や護衛オローグ青年、それにセルヴィン少年とオーラン少年は、『筋肉道場』訪問へと出発した。

いっそう陽射しのきつい昼下がり。

南方ならではの強烈な直射日光が降りそそいでいる。

この時間帯のそぞろ歩きは、各所のバルコニーや、通りの上に張り渡された日除け用の大判紗幕などがつくる涼しい下陰を、フラリフラリと伝い歩いてゆくという風だ。

『そう言えば、巨人族アブダルの家って何処だったのかしら?』

不意に白文鳥アルジーは、首を傾げていた……覆面オーラン少年の肩先の上で。

隣に並ぶセルヴィン少年の肩先で、手乗りサイズ火吹きネコマタが、キラリと金色の目を光らせ。

『アブダル死体が出た日の午後には、白鷹騎士団の老魔導士ジナフ率いる小隊が、既に特別な家宅捜索してたニャネ。怪しげな魔導札だの禁術の仕掛けだのは、ひとつも無かったニャ。 ゆえにアブダル殺害事件は迷宮の状態である……あ、これは同僚《火の精霊》連携によるものである』

そのまま、火吹きネコマタは、ネコのヒゲをピピンとさせて半眼になっていたが……やがて、再び、聖火と同じ繊細な色合いをした薄い金色の目を真ん丸に開いて、 2本のネコ尾の先で、パパッと火花を散らした。

さすがに、セルヴィン少年が気付き。いささか火花が飛んでパチッと弾けた部分の、ダークブロンド色をしたホツレ髪を、邪魔にならないようにターバンへ押し込む。

「急になんだ?」

オーラン少年のターバンの上で、白タカ・ジブリールが「ピョッ」と口を出した。

「あ、私の相棒の白タカ・ジブリールの翻訳ですが、亡き巨人族アブダル戦士の家宅、再調査すべきであるかと」

クムラン副官と護衛オローグ青年も、オーラン少年のほうを振りかえり。

「成る程」

――と、もろもろの事情を察した様子。

予定変更して、少し寄り道だ。

通路の各所に配置された聖火祠で、順番に《火の精霊》ネコミミ炎がポツポツと灯り、クルクルと回転して行き先を示しつつ……道案内をしてくれている。

その様子を見て、クムラン副官が怪訝そうな顔になった。

「セルヴィン殿下の守護精霊――《火の精霊》、よっぽど高位の精霊なんじゃないですかね? かの歴史上の『雷霆刀の英雄』血筋ですから、まぁそれなりに相応の位階の精霊が担当してるんでしょうけど」

「精霊(ジン)からは何も聞いてない。守護精霊の契約が確立したという説明は受けたけど……お焚き上げ用の紙に、精霊文字の……古典で勉強していた定例文をあぶりだす形式で」

「成人前に適用される精霊とのつながり――契約ですね。成人後に展開する予定の相棒契約が、少し混ざる。俗に『子守の契約』とも」

クムラン副官は顎(あご)をコリコリしつつ思案顔で相槌を打っていた。鬼耳族の子孫ならではの先端の尖った耳が、活発な思考に応じるかのようにピコピコ振れている。

(……あれ?)

知らず知らずのうちに、白文鳥《精霊鳥》アルジーは、《精霊鳥》の証である冠羽をピッと立てていた。

なにやら――生前の記憶をつつく、引っ掛かり。

(日常の光景の中の、違和感のような……これは何だろう。生前、なんとなく眺めていた光景――「知っていた人物」のような気がする。 でも、ボンヤリとしていて、何がどうだったのか、特定しにくい……)

ザワザワする違和感を振り払おうと、「スサー」と、小鳥の伸びをしてみる。

次に、ヒョコリと後ろを向き、尾羽をチェックしてみる。

最近なんとなく気になっていた……でも普段はスッカリ忘れている……尾羽のなかの、妙に長さの違う2本ほどの羽根は相変わらず、その位置にあった。

目にしているものの意味を考えているうちに。

急に、一回り、二回りほども、扉や窓の大きさの違う区画に入った。ジャヌーブ砦へ駐在する巨人戦士のために設けられた区画だ。

一般的な人類のものとは、明らかにサイズ感の違う造り。

見た目は、かつて生前の「民間の代筆屋アルジー」が暮らしていた、簡素なウサギ小屋が並ぶ市場(バザール)裏街道の区画という感じなのに、各棟が、普通に思い描くものの5倍くらいは、ある。

『こ、こんなに大きいの? さすが巨人族の区画……?』

巨大化ゆえの建設費用を抑えるためか、大いなる城壁にピッタリ張り付いた集合住宅の形式。奥の壁は、段差を固める城壁を流用してある。

なにやら、隣から忍び笑いのようなものが……聞こえて来る。

思わず白文鳥アルジーは、肩先を貸してくれているオーラン少年を見つめた。

次に、セルヴィン少年のほうにも視線を向け。クムラン副官と護衛オローグ青年の様子も確認して。

――どうやら、本気で目をパチクリさせて仰天しているのは、白文鳥アルジーだけのようだ。

思わず小鳥の怒りの鳴き声で、「キャルル!」と叫んでしまう。

『ここ、笑うところ!?』

「いえいえ、とんでもない……鳥使い姫。教育係の人、よほどシッカリ王女教育されていたんですね」

『それは、まぁ、古典的な、というか昔ながらの考えをする人だったから……って、どういう意味よ?』

「巨人族の性癖ゆえというのもあるんですが、巨人族の居住エリアは、深層の姫君が、絶対に出入りできるような性質の場所じゃないので」

オーラン少年は、少しの間、思案顔で小首を傾げた後……そろりと、とある方向を指差した。

そこは、趣向を凝らした風俗店の小路であった。巨人族向けの。

どうやら巨人族は、その手のことに関しては怪奇な方向へ発展しやすいらしく……

『邪霊害獣と巨人族? ……の、彫像よね? ……って、あらゆる三つ首の邪霊害獣との夜の行為を、からみあってる彫像なの?』

非常識な範囲すらも大いに超越した、過激な行為に耽溺している……壮絶なまでに恐怖かつ破廉恥な彫像の数々が、風俗店の壁レリーフとなって、ズラズラと並べられていた。

しかも黄金色……というよりも、目の痛くなるような黄金色に近い極彩カラシ色で、べったりと厚塗りされて。

――怪奇恐怖サイケデリック絶頂の小路。

「教養ある表現ですね、鳥使い姫。怪奇恐怖サイケデリック絶頂の小路……実態を暗示しながらも、ジャヌーブ城下町の地図に記せる程度には、整った名前かと」

覆面オーラン少年が、感心しきりといった風に、漆黒の目をパチパチしていた。

「上手に言語化したもんですね。高難度の精霊語に上達すると、そうなるんですかね」

クムラン副官が、いつもの軽い調子で受け答えしていた……とはいえ若干、緊張の気配が見える。巨人族テリトリーに入ったゆえの。

「超古代の巨人族は邪霊崇拝だったというし、こういうのが落ち着くらしいが……」

「アブダルの住居は無人だ……さっさと家宅捜索を済ませるに限る」

護衛オローグ青年が切羽詰まった様子で急かし、クムラン副官も無言でサッと応じる。

忍者さながらに小路を素早く移動して、目標の扉の前へ到達した。扉の看板に、シッカリ『夫アブダル&妻デリラの家』と書いてある。 いかにも巨人族向けという風の、ビックリするような大きな錠前が、デンとあった。

「錠前破りは行けるか、オーラン?」

「初歩的なヤツです、兄上」

手慣れた所作で、オーラン少年は、短剣の鞘から、意味深に折れ曲がっている細い金属棒を取り出した。黒光りしている――その特徴的な光沢をみると、精霊金属の品と分かる。

精霊語の呪文を唱える必要も無いくらい、単純な錠前構造であったらしい。

オーラン少年が、鍵穴に突っ込んだ金属棒を3回か4回ほどグルリと回すと、すぐにガチャガチャンと音がして、ロックが解除されたのだった。

(さすが、セルヴィン皇子のために特大サイズの赤毛玉ケサランパサランを探して、夜な夜な、あちこちの城壁で、軍事専用の大型錠前を破っただけあるわね)

適度に開いた巨大扉を抜けて、アブダルの邸宅へ押し入る4人と、精霊3体。

念のため、巨大扉の隙間に小石を挟んで、閉じ込められないようにしておく。

入ったが最後、出られないようにしている罠タイプ門扉は、ジャヌーブ砦では、よくあるためだ。邪霊害獣の効率的な討伐には、中へ閉じ込めておいて、専用《魔導札》を放り込んで袋叩きに、という手法もある。

*****

アブダル家の中身は……乱雑を極めていた。

超絶だらしない「生物・男(オス)」の超・汚部屋パターン。

アルコール性の吐瀉物の痕跡。単に水を流して脇に寄せただけの、ズボラ処理。

あたりに漂うのは、必然的なまでの異臭。ここが乾燥の強い土地で無かったら……雨ざらしの位置だったら……訳の分からないカビだの、キノコだの、何だの、ニョキニョキ生えて超スサマジイ事態になっていた筈だ。

夜な夜な酒宴や宴会からごっそり頂いたのであろう豪勢な「おつまみ」の食べ残し。滅多に見ないような南国トロピカル高級フルーツや高級スイーツの、最も甘美な部分を食い散らかした後の、ボロボロこぼれた欠片。

スイカの種を口から飛ばして壁に当てて楽しんでいたに違いない……窓枠や各種の段差に積もった、ベトベトの種。窓ガラスに、よだれの痕跡。

脱臭のためのコーヒー滓(かす)入り麻袋を据えてあるタイル張りの小間は、その端が排水溝になっていて、まさしく用を足すための小間なのだが……山盛りの排泄物と吐瀉物にまみれていた。 予備の大型コエツボに、テンコモリになってはみ出しているのは、それ程の、大量のウンコ。

ウンコを流すという作業さえも、アブダルにとっては面倒くさいものであったらしい。山盛り排泄物は腰の高さに達している。 新たな排泄の際に、局部からの勢いで飛び散ったのか、得体の知れないドロドロした汚れが、天井にまで……ビッシリ、こびりついている。

洗濯されないまま、えもいわれぬ異臭を放つ虎皮フンドシが、巨人族サイズのサボテン座布団を敷いたベッド脇に放り出してある。 そしてアブダル好みらしい新品の、封を切られていない状態の高級ブランド虎皮フンドシが、魔法のランプを置くための壁龕(くぼみ)に、突っ込まれてあった。聖火を冒瀆するかのように。

中央にデンとある巨人族仕様のベッドには、男が夜の方面の不満を吐き出すための、 色々な……間違いなく子供の目の毒になるような……「大人のオモチャ」の数々が、アブダル本人が死んでからの日数分の埃(ホコリ)と、意味深な不潔成分とにまみれて、転がっていた……

……

…………

……

しばしの間、呆然とした沈黙が横たわった。

「……妻デリラ殿と結構な間、本当に別居状態だった事実がアリアリですね。こりゃあ、あまりマジメに見ないほうが良いですぜ、まともな人類のご婦人がたは」

クムラン副官が皮肉っぽい感想を披露している横で……

中身は純粋培養な深窓の姫君である白文鳥アルジーは、目を回すほどの衝撃を受けていたのだった。

小鳥の細い足がふらついて、オーラン少年の肩先から転がり落ち。

白文鳥アルジーは、気分悪さのあまり半分失神した状態で、オーラン少年の、手の平の上に横たわる形となった。

セルヴィン少年もオーラン少年もビックリして、「アレアレ」と戸惑いつつ見つめるのみである。

『鳥使い姫を失神させるレベルの汚部屋の基準は判明したのである。さっそく、同僚《火の精霊》たちに連携するのである』

セルヴィンの肩先で、ちっちゃな招き猫さながらの《火の精霊》火吹きネコマタが……オタオタと、赤トラ猫をしたネコの手で、ネコの顔を撫でていた。

「この程度で? 帝都のほうの巨人族の区画じゃ、もっと散らかっていたり、えらい進歩的な、局部拡大の細密画をベタベタ貼ってあったりするのが普通……」

覆面ターバンの上で、白タカ・ジブリールがピョンピョン跳ねて注意を引いた。

『いま詳しく解説するのは中止、相棒オーラン、鳥使い姫の耳は開いてるんだからね。ヘタしたらボクが、鳥使い姫の相棒パルに怒られる。 とんでもない高位で気難しいし精霊界では有名だし、こんなクダラナイ汚部屋の件で、お叱り食らいたくないよ、ボク』

そして。

不意に白タカ・ジブリールは金色の目をピカリと光らせて、ベッド脇の小卓へと飛びついた。

『ここ、老魔導士ジナフと一緒に捜査に行ってた先輩たちの報告と違ってる。この小卓、この位置に無かった筈なんだ……あ、あれ、台座がズレてて……あ、台座のところが貴重品箱になってるんだね。 カネは……持ち出されていて空っぽになってる。保管用のフタが破壊されてるから、アブダル本人じゃない誰かが、カネを取り出した……』

「誰かが小卓を動かしてた? 白鷹騎士団の特別捜査が入った後で? カネが盗まれて無くなってるって? 誰が――」

そのやり取りを耳にして。クムラン副官と護衛オローグ青年が、基本的な精霊語の知識と合わせて、即座にハッとした顔になり。

「調べよう」

青年2人は大の男の筋力でもって、見る間に、小卓の台座を兼ねている貴重品箱の中身を取り出した。

――今は亡き巨人戦士アブダルが愛用していたと思しき、字型スタンプ一式。字型スタンプの衝撃に耐える、文書用紙。

セルヴィン皇子が息を呑んだ。

「それは! あの怪文書の紙と同じ――字型スタンプは……まさか……」

いまや理解した、と言う風に、護衛オローグ青年が、推論をまとめ始める。

「白鷹騎士団の魔導士ジナフ殿は、生贄祭壇の件もあって《魔導》類の要素に注目していたから、巨人族の日常品の……字型スタンプのほうは、気付きにくかったんだな」

「まさしく。これだけで大収穫だろう、オローグ殿。捜査本部へ報告しよう。誰がゴソゴソしてたのかは、多分わかる」

「当然デリラ殿だろうな。夫の遺産の処理とか称して。武器展覧会の際の出で立ちは、妙に新品の衣装だった。白虎の毛皮のフンドシも、取次業者ディロンによれば高級ブランドだとか。高価だろうな。 巨人族の性格からして、死んだ夫アブダルのカネを掘り出して着服したに違いない。ジャヌーブ砦の各商会……巨人族の衣装を扱う、その手の店へ照会すれば、すぐに分かるだろう」

「右に同じだよ。その時にデリラ殿が、その辺に転がっていた字型スタンプ一式を、この中へ詰め込んだというのも推測できる。夫のカネを盗んだという事実を誤魔化すために」

早口で、クムラン副官は補足を付け加えた。新たにピンときたという様子で。

「さすがに巨人族の間でも、正式な遺産相続の手続きを無視して、カネを私物化するのだけは犯罪行為という認識だ。 邪霊崇拝の時代から利益分配では激しく揉めたそうだからな。当時は《怪物王ジャバ》生贄としての人身売買ビジネス利益だっただろうが」

思ってもみなかった収穫。

字型スタンプ一式と文書用紙を、巨人族ご用達の頑丈な帆布に包んで――門扉へ取り付けられていた軍事支給品の配達受取箱に、奇跡的に綺麗な状態で残っていた――

人類4人と、精霊3体は、これ以上ないほどのすみやかさで、巨人区画を退去したのだった。

*****

そして、やって来た『筋肉道場』。

午後の訓練の真っ最中であった。交代制で、1日の後半がヒマになった見張りや巡回の衛兵たちが数人ほど。

いつかのように、銀ヒゲ毛深族ジャウハラが目ざとく気付き、ワクワクして若返ったような様子で、「入りたまえ!」とばかりに門扉を開けた。

「今朝の『封魔葬』では、なかなか有意義な話を聞いたものじゃ。実は、吾輩のひそかなシュミが、謎解きなのじゃ。 アブダル殺害事件が、存外に根深く混沌とした謎を含んでおると知って、吾輩の長らく枯れていた好奇心が、大いに刺激されたぞよ!」

「その節は、どうも……巨人族の酒乱騒動につづいて、例の2人の『封魔葬』にも立ち会っていただき、ご理解ご協力、感謝いたします」

セルヴィン少年が、定番の社交辞令をなめらかにつないだ。訓練された皇族そのもの。対人経験が薄かったゆえの、警戒の意味での硬さはあるが、 その金色を帯びた目は、失礼にならない程度の好奇心できらめいている。

「ありがたき幸せ……、社交辞令は恐れながら、この辺りで如何ですかな。時に、体調変化をお見受けする限り、基礎体力づくりの筋トレなどオススメしたきところでござるぞ」

「できそうなものが有れば是非。ところで、以前この道場に巨人族アブダルが通っていて、巨人族対応の備品など存在するというような事を聞いた気がするのですが……」

「ふむ! いくつか巨人族対応の道具類が残っていた筈じゃ。急に破門して追放したものでな、収納箱に、虎皮フンドシの着替えやら、妙なガラクタやら転がってた気がするぞい。 ジャヌーブ港への出張などの時は、ほぼほぼ弟子ヴィーダに管理と運営を任せておったゆえ、吾輩は詳しくは知らん。弟子ヴィーダは事務職としても、すこぶる有能な女戦士なのじゃ」

毛深族ジャウハラは大きく頷き、筋トレにひと区切りついた数人ほどの弟子に、声をかける。

「だれか、アブダルの収納箱を整理する勇気のある弟子は居るか?」

「「「オス!」」」

さっそく、3人ほどの青年・壮年が、陽気な調子で立候補して来たのだった。

*****

道場に隣接する控えの棟が、私設の公衆浴場となっていた。

そこで、訓練した後の汗をシッカリ流すことが出来る。毛深族ジャウハラは、実に清潔好きな性格なのだ。 普通の人類よりも、モッサァと毛深く、しかも汚れが目立ちやすい銀色の毛髪。その管理が大変という事情もある……

入口をくぐるや、住み込みで雇っている管理人の初老の夫婦が番台で気付いて、振り向いて来た。所有主である毛深族ジャウハラへ、サッと敬礼する。 いずれも熟練の戦士の所作だ。さすが武闘派の道場の関係者というところ。

「これは銀ヒゲ・ジャウハラ師匠。ただいま掃除と各種処理のため閉鎖中で、一刻後には。筋トレ訓練の真っ最中のお時間と思っておりましたが」

「おぉ構わぬ、そのまま。急用とは言え、用があるのは脱衣場の収納棚のほうでな。破門弟子アブダルが何を突っ込んでいたか調べるのじゃ」

初老の管理人夫婦は、つづいて入って来たクムラン副官やオローグ青年に気付き、即座に納得の表情を見せた。セルヴィン殿下については多少、顔を見知っていた様子で、驚きの気配が少し混ざっている。

「さようでございましたか。それでは、アブダル殿が使用していた合鍵を……どうぞ、そちらへ」

早くも脱衣場へと案内される一行。

公衆浴場を仕切る壁が、限られたスペースの有効活用として、個人向けの収納棚を兼ねている状態であった。

当然ながら、生前、どこまでも欲深で傲慢だった巨人戦士アブダルは、2人分の特注の大きな収納庫を独占していたのだった。

「まったく予想にたがわぬ破門弟子じゃわい。さて、何が出て来るか見てみよう」

「「「オス!」」」

鍵穴と鍵は、下駄箱で広く使われている簡素な木札スリット形式だ。金庫よりもセキュリティは薄いが、信頼できるスタッフを揃えた市井の公衆浴場では、これで充分。

生真面目で少し暑苦しい3人の弟子は、本業・衛兵や見張り兵ならではの手際よさで、次々に中身を取り出して行った。

最初に出て来たオオモノは、巨人族仕様の、頑丈な鋼鉄製の水タバコ。

さっそく銀ヒゲ毛深族ジャウハラが「ほほぉ」と感心し始める。

「成る程、不肖の弟子というだけの事はあるわい。大麻(ハシシ)を吸うための水タバコを持ち込んでおったとは。 吾輩のほうへは報告は上がっておらなんだが、浴場に誰も居ない時を見計らって、豪快に堪能しておったのかのう……禁術の大麻(ハシシ)のほうも」

次に出て来たオオモノは、ズボラな巨人族にしては珍しく、帆布に包まれて縛られていた。そのうえ、その結び目には、固定のための錠前が装着されていた……

「何だ、これは?」

「特注の肖像画とか、将来の『雷霆刀の英雄』勲章のための額縁とか? それにしては何だか円盤のような、独創的な意匠のドリームキャッチャー護符のような……」

「最上級の宝石顔料などを使う細密画ならば、この大きさだと同量の黄金に劣らぬ金額になる筈だけど、まさか……」

さいわいに、錠前は、市場(バザール)で売られている簡素な民芸品であった。3人の弟子たちが手分けして、強力な大工の工具で破壊し、帆布を広げる。

出て来たのは……ぎらつくまでの異様な黄金色。

セルヴィン少年の肩先で落ち着いていた《火の精霊》火吹きネコマタが、急激にビョーンと伸びあがり、金色の目を「カッ!」と光らせた。

威嚇の形、すなわち背中を盛り上げ、ネコ尾を高々と振り上げる格好――火吹きネコマタの、2本のネコ尾の先で、真紅の雷光が走る。

――その場に、魔除けの火花が爆発した。そのまま真紅の火の玉となって、四方八方へと飛び散り……いっとき場の注目を集めたのだった。

実際に、その火吹きネコマタの反応は正しかった。

レンガ積みの隙間で、ドブネズミ類の邪霊害獣が多少うごめいていた……火吹きネコマタの火炎攻撃を受けて、恐れ入ったように、異次元の中へと姿を消す。

あらためて、帆布から現れたものに注目する一同。

非常に古い品ということが、素人目にも見て取れる。

シッカリと《三つ首》をしている、邪霊崇拝の儀式用の、定番の仮面だ。

いまでも、邪霊崇拝の痕跡をとどめる忌まわしき古代遺跡から、《怪物王ジャバ》を模した「三つ首の仮面」が出土することがある……巨人族の遺跡からのものが多い。 超古代の巨人族は、邪霊崇拝の民であった。その名残とも見え。

本物の黄金製の仮面なら、溶かされ細分化されて、方々へ流失していた筈だ。 しかも、想像もつかないほどの古さが明確に見て取れるのに、大の男の腕一杯ほどの大きさをした怪異な「三つ首の仮面」は、歪みも、破損も、いっさい無い。

現代人類の技術では太刀打ちできない特殊合金なのだ。金属の種類は不詳。『精霊魔法文明』――「失われた高度技術」による名品と知れる。邪霊害獣が急に沸いて出て来たのも、必然だ。

「邪霊崇拝の最高峰、かの、世界の王の中の王《怪物王ジャバ》じゃな」

「こ、これは、ジャウハラ師匠。す、すぐにでも、聖火礼拝堂へ届けるべきかと存じます!」

3人の筋骨隆々の弟子たちが、いずれも顔色を悪くして固まっていた。

「まさしく。こやつは本物。『封魔葬』に準じるような封印の儀式が必要な筈じゃ。緊急で届けるぞい!」

銀月ジャウハラ戦士も、モッサァ銀ヒゲを緊張に膨らませる。

白文鳥《精霊鳥》アルジーと同じように、《銀月の祝福》を大量に受けた人類として。

かつて、人類アルジーが生前の頃にまみえた不気味な白昼夢の時のように、ぎらつく黄金に満ちた毒々しいまでの闇黒の空気――忌まわしき気配を感じているに違いない。

「――こんな事になりましたが立ち合い願えますかな、セルヴィン殿下」

「もちろんです、ジャウハラ殿」

「弟子たちよ、ほかには何か怪異な品は残っておらんじゃろうな?」

呆然としていた筋骨隆々の弟子たちが、ハッと我に返り。取り急ぎ、収納棚の捜索を再開した。立場上、クムラン副官と護衛オローグ青年も手助けする形になる。

幸いなことに……残りはガラクタのみだった。

ただし、故アブダル戦士の犯罪的なまでの加害趣味と残虐性を立証しまくる、気分の悪くなるようなガラクタの数々だ。ここでは詳細は明らかにしない。

毛深族ジャウハラが首をフリフリ、ボヤく。

「人類の男女を手籠めにしておいて、オモチャにして残忍に楽しむ時の、悪趣味なガラクタじゃな。被害者は、死んだほうがマシという程の苦痛を味わう筈じゃ。なんとも非人道的な拷問道具の数々よ。 禁術の大麻(ハシシ)に溺れたうえに、これほど醜悪な手籠め拷問と殺害の道具の開発に、熱心に取り組んでおったとは……恐るべき知性の欠如よ。文明の荒廃の有り様よ」

そして毛深族ジャウハラは、立派な銀月色のお眉を、ギッと逆立てた。

「これらも、すべて捜査本部へ運ぶ必要がある。帆布で厳重に荷造りして、台車へシッカリ固定しておくのじゃ。 お主ら弟子たちも、可愛い恋人の女の子に、このガラクタを運搬しているところを目撃されて、『男』という存在そのものに失望されたくなかろう」

「「「オス!!」」」

口元を引きつらせながらも、いっそう熱心に応え、ビックリするような速度で作業を進める弟子たちであった。

――なお、白文鳥アルジーは「唾棄すべきガラクタ第1号」が出て来た時点で、オーラン少年の手の中に握り込まれ、目隠しされた状態であった。《地の精霊》祝福の、オーラン少年の並外れた動体視力と地獄耳が、 相棒の白タカ・ジブリールの警告と共に、悪徳ガラクタの存在をシッカリ認識したのは間違いない。

不意に気付いた、というように、護衛オローグ青年が、銀ヒゲ・ジャウハラへ声を掛ける。

「字型スタンプも台車へ積みたいが、良いだろうか、ジャウハラ殿? 重くて、そろそろ限界ゆえ」

「おぉ。それは構わぬが。何故、字型スタンプを持ち運んでおったのじゃ? あれは1セットだけでも、大型の満杯の酒樽ほどはあるぞ?」

「色々と訳ありゆえ。アブダル殺害事件に関係した巨人族仕様の怪文書があって、その字型スタンプ痕と比較する必要が」

「怪文書じゃと! ますます興味深い謎じゃ。あとで、ジックリ見せていただきたいモノじゃな、オローグ殿」

細々とした交渉がつづく間にも、物議をかもす不穏な小道具の数々が台車に積まれ、いよいよ……という頃。

「おや?」

アブダル専用となっていた大振りな収納棚の最終チェックをしていた、公衆浴場の管理人たち――初老の夫婦が、疑問顔になった。

「なにか?」

首を傾げつつ乗り出したクムラン副官と護衛オローグ青年へ、管理人夫婦は、収納棚の中が見えるように立ち位置を変え。

「あの、なんか、アブダル殿らしくないなという感じの……」

初老の管理人夫婦は戸惑いながらも。空っぽになった収納棚の一箇所を、指し示す。

――2か所、3か所ほど、字型スタンプ用インクで汚れた痕跡が見える。

そこに、字型スタンプが置かれていたと思しき痕跡。字型スタンプの大きさをした「ひび割れ」が、収納棚の床部分に残っている。 インクが飛び散った間の短い時間だろうが、それだけでも、ひび割れるほどの重量があったのだ。

使用後の字型スタンプを、インクも拭かずに適当に放り込んでいたに違いない。そこまでは「ズボラ戦士アブダル」らしい。

だが。

几帳面にボロ布か何かで拭き取ったような……インクが薄く延びた、カスレ痕が残っていた。

――字型スタンプ用の堅牢な性質のインクのせいで。どのような字型がそこにあったのか、カスレ痕の中の、ひときわ濃い痕跡として、うっすらと読み取れる。

『……わるな。アブダル』

ちなみに、この収納棚は、南方ジャヌーブ特産、四角い《麻雀サボテン》類で作られている。よく乾燥させてから建材として利用する。 その材質は、亀甲城砦(キジ・カスバ)で定番の建材、巨竹に非常に近い。インクが浸みこんで痕が残るのは、必然ではあるが……

「几帳面に拭き取ったような……確かに、アブダル戦士なら絶対にやらんだろうな。 黄金仮面のほうは、古代の巨人族にとっては崇拝対象だった……古代から遺伝的に引き継ぐ本能が、そうさせた、というのは、あり得るとは思うが、インクのほうは……」

クムラン副官が、珍しく生真面目に呟いている。言葉の端々に、動揺の気配。

「何故、わざわざ、丁寧に……何度も拭き取ったんだろう? 黄金仮面の管理の都合上、というのはあり得ない。黄金仮面が出たのは隣の収納棚だ。保管場所が違う」

「だれか、字型スタンプを見てないか?」

護衛オローグ青年が、筋骨隆々の『筋肉道場』弟子たちを振り返って、問いを投げた。

「字型スタンプ? あったか?」

「いや、無い。あんな巨大で重い道具、絶対に見落とさない筈だし」

「最初から入ってないから、持ち出した後なんじゃ?」

首をフリフリ応じる、3人の弟子たちであった。

そこで、初老の管理人夫婦が、私見を出す。

「アブダル戦士は、こちらには字型スタンプを保管してなかった……持ち込んでもいなかったと思いますが。そもそも、此処は公衆浴場であって、どこも城壁の壁になっていないし。 字型スタンプを打つ時の騒音も、ここ公衆浴場では聞いていません」

「巨人族の区画、俗に『怪獣スプラッタ・グロテスク・ストリッパー区』ですね。家の奥壁が城壁。城壁に用紙を貼り付けて、字型スタンプを持ち上げて壁を叩く……こう、ドンドンと。 城壁の段差の位置に巨人族の居住区を用意しているのは、城壁の段差の突き固め仕上げが、自然に堅牢になるように……」

――字型スタンプ用のインク痕は存在するのに、字型スタンプが存在しない……?

白文鳥アルジーは、その矛盾に……モヤモヤしながらも首を傾げるのみだった。

*****

紅ドームの聖火礼拝堂の総合受付窓口は、さっそく大騒ぎになった。

まず、故アブダル戦士の、悪趣味なガラクタの数々。

台車で運び込まれ、入り口で中身を改められた瞬間、事務処理を担当する女神官たちの冷たい視線の数々を浴びた。 その悪趣味なガラクタの周囲には、「集中氷線(アイスビーム)」による凍て付いた空気が漂っていた。北極の果てにあると聞く伝説の氷山神殿もかくやだ。

そそくさと再び帆布で覆って、アブダル殺害事件の捜査本部へと、悪趣味な数々のブツの引き渡しを済ませ。

――『筋肉道場』の道場主・毛深族ジャウハラ師匠の後ろに並んだ3人の弟子たちは、あとで、「あの空気は、《人食鬼(グール)》100匹よりも怖かった……」と漏らしたという。

次に、怪文書の作成にかかわったと思しき、字型スタンプ。

再度のアブダル住居の家宅捜索の結果、発見したブツだ。礼拝堂の中に設けられた捜査本部のもと、各々の押収したブツの上に上積みになったのは、言うまでもない。

そして何といっても、最も注目されたブツは、物議をかもす古代遺物、すなわち故アブダル戦士が秘密裡に所有していたと思われる「三つ首の黄金仮面」である。

ちょうど、聖火礼拝堂へ戻って来ていた、老魔導士フィーヴァーと鷹匠ユーサー、白鷹騎士団の専属魔導士・老ジナフの注意を引いた。

「大型の水タバコ器具、これは大問題でございます……老魔導士フィーヴァー殿」

「白鷹騎士団、いや、シャヒン部族かスパルナ部族のほうでも、《怪物王ジャバ》に関して伝承されている古代知識か何かが有るのかね、老ジナフ殿?」

「一応、《風の精霊》――白タカ・白ワシ《精霊鳥》との精霊契約が多い民ゆえ。それに我らがスパルナ部族の偉大なる《鳥巫》カルラ導師より引き継いでおります、 スパルナ系の魔導士が共有する占術および魔導の手続きの知識がございます」

白鷹騎士団の専属魔導士・老ジナフが、すこぶる青ざめつつ、所見を加えた。

「古代の頃は常識であったゆえ、カビーカジュ文献においても記録は不要と判断されていたのでしょう――そういった記述はございませんから。 《怪物王ジャバ》崇拝をおこなった巨人族の地下神殿の祭祀では、大型の水タバコ器具をつかう《風の邪霊》魔導の手続きが存在したのです」

「なんと。規格外れの大きさゆえ、巨人族仕様の水タバコ器具として受け取っておったが、巨人族仕様であっても、コイツは、本来は祭祀器具であったのか!」

老魔導士フィーヴァーが目をランランと光らせつつ、毎度の速記メモを始めた。

聖火礼拝堂において、邪霊崇拝は最大の禁忌だ。

それまで、何でもない小道具、いや巨人族向けの大道具の一種と思われていた、鋼鉄製の大型の水タバコ器具は、一斉に、場の注目を集めていた……

「伝承によれば、地下神殿の天頂部に黄金仮面を掲げ、そこへ向かって、この類の水タバコ器具にて、邪悪なる禁術の大麻(ハシシ)を焚くとされています」

白鷹騎士団の専属魔導士・老ジナフの、陰気な説明がつづく。

「そして崇拝者の全員で喫煙して《黄金の風》で地下神殿を満たし、忌まわしき手続きを……生贄も含まれていたそうです。 《黄金の風》の正体は、我らスパルナ系の魔導士の間では最大の謎。 禁術の大麻(ハシシ)の煙を、《風の邪霊》が、《怪物王ジャバ》のもとへ運ぶという意味なのかも知れませんが……」

「ううむ。想像以上に、とんでもないブツだったのじゃな。《黄金の風》という平凡な名称からしても、確かに古代は、巨人族の間では常識的な歴史伝統の一部だったのじゃろうな。まったく次から次へと……」

老魔導士フィーヴァーは、モッサァ白ヒゲを鼻息で「ボン!」と膨らませ。持ち前の素晴らしい博識を披露し始めた。

「巨人族には《魔導》を操れるだけの知能は無い。超古代は、象よりも大きな巨体を誇り、《怪物王ジャバ》とも対等に交渉する腕前を持つ大魔導士をも輩出したという伝説があるが。 現代の巨人族は、知性も体格も矮小化している……矮小化した結果、『精霊魔法文明』の支配的種族としての傑出していた文明も技術も、歴史伝統も失った。 かの卓越した想像力や創造力といったものも、ごくごく下等な物欲や性欲、妄想、破壊欲へと、退化した……」

あまりにも、なめらかに、サラッと呟かれたものだから、周囲の神官たち役人たちは、唖然呆然だ。

「何故、このような爆縮な種族劣化が進行したか。やはり、大麻(ハシシ)への耽溺そのものに、血筋や能力の劣化を引き起こす要素が有るな。 一般的な医学そのものを超えた――《怪物王ジャバ》がもたらす宇宙的恐怖そのものの、何かが」

…………

……

白文鳥《精霊鳥》アルジーは、耳を傾けている内に、《黄金の風》の正体について不意に悟るところがあった。

地下神殿を満たす《黄金の風》――禁術の大麻(ハシシ)の煙を遠くまで運ぶ、空気のようなものの流れ。

あの白日夢だ……きっと。

生贄の儀式が発生するたびに、そのおぞましい状況の幻覚を、まざまざと見せられたのだ。

異常にボンヤリとさせられると同時に、ズブズブと引き込まれるような……邪悪な大麻(ハシシ)の、毒々しいまでに甘ったるい誘引力を備えた、明晰夢。 あれは、次の生贄としてアルジーを引きずり込もうとしていた。

かの生贄祭壇の時空との共振。または共鳴……《超転移》。それが《黄金の風》の正体なのだ。それがあるから、どこでも生贄の儀式ができるのかも知れない。

――かつて、幼いアリージュ姫の目の前で、不意に邪霊の黄金の炎に呑み込まれていった、母シェイエラ姫。

あれが、かの大麻(ハシシ)の煙がもたらす悪夢の、強力な呪縛力に巻き込まれた……《黄金の風》に巻き込まれた、生贄という事になる。

アルジーも、あの悪夢へ落ちていたら――夢は逆夢――

夢と現実が反転するほどに酩酊した瞬間……

……闇よりも暗い黄金の炎に焼かれて、目の前の現実から消滅していった……母シェイエラ姫と、同じ末路をたどっていた筈だ。

夢から覚めない悪夢。それを人は「現実」と言うのではなかったか。

生贄を次々に悪夢の中へ引きずり込んで、ひとり、またひとり、と捕らえ……

そのセンでいけば、《黄金の風》は、生贄を《怪物王ジャバ》の胃袋へ送り込むための……精霊魔法《超転移》を裏返したもの、と理解できる。

魔導士ジナフは、知識は豊富だけど……生贄の候補では無いから、アルジーのように直感しづらいだけだ……

……

…………

鷹匠ユーサーの片腕に落ち着いていた白タカ・ノジュムが、呆れかえったように「スサー」をやりつつ。

『実に、この世で最強の、トラブル吸引魔法の壺だな。鳥使い姫』

『すべては、亡き巨人族アブダル戦士の、数々の冒瀆的なまでの悪徳のゆえであって、私のせいじゃ無いわよ』

覆面オーラン少年の手の中からピョコリと小鳥の顔を出し、プリプリとしながら切り返す、白文鳥アルジーであった。

やがて、白タカ・ノジュムが、老魔導士フィーヴァーの方向を注意深く見やる。

――白ヒゲ老魔導士フィーヴァーが目をランランと光らせつつ、銀ヒゲ老戦士ジャウハラへ、発見時の状況を詳しく聞き取りしているところだ。

問題のブツ「三つ首の黄金仮面」は、魔除けの円陣の形に配置された魔法のランプが、聖火でもって取り囲んで、妙な挙動をしないように一時的に封印中だ。

『白タカ・ノジュム殿にサディル殿、それに若鳥ジブリール君も集まって傾聴してくれニャ。ちょっと検討しなきゃいかんニャ』

火吹きネコマタが、最寄りの魔法のランプにネコミミ炎となって灯り、チラチラと、聖火の円陣に取り囲まれた「三つ首の黄金仮面」を振り返りつつ……精霊(ジン)どうしの高速会談を呼びかけた。

『承知、《火の精霊》ジン=***アル殿』

本当は人類の幽霊である白文鳥アルジーには、高速会談の内容は半分ほどしか伝わらなかった。

――精霊(ジン)の、各々の名称が出て来る内容だ。例えば「火のジン=イフリート」「鳥の精霊王リューク」などというような、人類の名前と共通の形式をした、通称のほうじゃ無い。 「何の精霊(ジン)が何した」というような部分になると、どこの、どのような精霊(ジン)なのかが分からなくて、お手上げだ。

いや、いまはそれどころじゃ無い。

アブダル殺害事件は、いまひとたび、大詰めに入ったと思う。

早く解決しないとマズイ。真犯人の隠蔽が成功して、完全犯罪と化してしまったら、もっとマズイ。そんな直感が有るのだ。白文鳥《精霊鳥》の身体ゆえの高感度が、そう感じさせるのかも知れないけど。

大急ぎで、今朝まとめたポイントを思い返す。

ひとつ。アブダル殺害に使われた黄金《魔導札》と、ジャヌーブ出張事務所の爆発事件に使われた黄金《魔導札》の謎は、すでに解明されている。 いずれも黒毛玉ケサランパサランを《魔導》して雷帝サボテンに変え、鉄砲で攻撃するための御札だった。

この類の魔導札は、相当な筋力が無いと充分に扱えない。雷霆刀も同じ攻撃ができるけど、これまで雷霆刀が使われた気配は無い。 したがって真犯人は、雷霆刀を使わない、使えない――けれども鉄砲職人サイブンのように、特製の鉄砲を使う――相当に筋骨隆々の、戦士クラスの人物。

もうひとつ。真犯人の、相当な筋力を立証しているのが、巨人族仕様の字型スタンプだ。クムラン副官と護衛オローグ青年は、青年戦士ならではの若く鍛えられた筋力でもって、何とかブツを運んでいたが、 それでも重心の配分に工夫が居る様子だった。礼拝堂へ運び込む時は、さすがに台車に乗せて運んだ。

字型スタンプは――

そこで、いきなり、ミステリーのジグソーパズルが組み合わさった。雷撃のような衝撃。

――セルヴィン少年が言ってたじゃない! 字型スタンプは2種類あったかも、って! アブダル家にあったのが1種、公衆浴場にあったのが、もう1種のヤツだ!

――じゃ、公衆浴場の備品のように、あそこにあったのは――犯人が……!

『きっとバシール夫人だ! バシール夫人を、犯人を見付けなくちゃ! 彼女どこなの!?』

「鳥使い姫?」

急に飛び立つ形になった白文鳥アルジー。

覆面オーラン少年の――《地の精霊》祝福も加わったゆえの――とんでもない動体視力と地獄耳と反射神経が、ここぞ、とばかりに発揮された。

――白文鳥アルジーは、すぐさま、ハッシと、捕まってしまったのだった。

もともと白文鳥《精霊鳥》の捕獲そのものは単純な作業で、《鳥使い》の資格を持っていなくても、鳥網などの小道具や身体能力の次第で対応可能。――とはいえ。

すこぶる高難度タイミングでの捕獲に成功したオーラン少年のほうから、まんざらでもない雰囲気が漂って来ている。

『真剣に急いでいるのに、とっても失礼しちゃうわ! 激おこだからね覚えてろ~!!』

「急にどうしたんだ、鳥使い姫は?」

隣に居たセルヴィン皇子が不思議そうに首を傾げて、オーラン少年の手の中に握り込まれてジタバタしながら「キャルキャル」怒り狂っている白文鳥を、のぞき込んだ。

そして、次の瞬間。

礼拝堂の奥へつづくアーチ廊下のほうから、バタバタと、見張り衛兵が飛び出して来た。見たことのある人相だ。

「老先生! あの、急に、マフレガー長官閣下が、襲われて! ジャヌーブ砦の第一長官が……意識朦朧で……往診ねがいます!」

「なんじゃと? すぐ行くぞ! だれか護衛に立て――押収したブツ、アレやコレやは、捜査本部へ連携してシッカリ管理じゃ、特に《三つ首の黄金仮面》紛失に気を付けろ!」

「え……え? 了解です、老魔導士フィーヴァー殿」

当座は、白鷹騎士団の専属魔導士である、苦労人な老ジナフが、後処理を引き取る羽目になったのだった。

*****

ジャヌーブ砦の第一長官マフレガーが、突如、何者かに襲われた――

往診へと急ぐ老魔導士フィーヴァーの護衛として、銀ヒゲ『毛深族』ジャウハラ戦士が、ノリノリで立候補した。

一団となって見張り衛兵の誘導に従い。

聖火礼拝堂の中、長官たちの執務室として割り当てられた階層へと急ぐ。

後につづいたのは、セルヴィン皇子とオーラン少年、クムラン副官に護衛オローグ青年、それに鷹匠ユーサーだ。

一瞬、セルヴィン皇子が苦しそうに呻き、心臓を押さえて崩れ落ちた。

咄嗟にオーラン少年が支えて、かねてから準備していた体力回復用《紅白の御札》を、セルヴィン皇子の背中に貼り付ける。

――いつもの、生贄《魔導陣》の発動だ。相乗りの誰かが、気まぐれに、セルヴィン皇子の生命力を吸い取ったと見える。

ものの弾みで放り出された白文鳥アルジーは、訳知り顔をした鷹匠ユーサーの手の中に、確保される形となったのだった。

白文鳥アルジーの無事を確認して、セルヴィン皇子の肩先で絶妙にバランスを取っていた守護精霊――《火の精霊》火吹きネコマタが、2本のネコ尾を忙しく振り回して、火花をパチパチと弾いていた。

『なんと忌々しい事ニャ、こんな時に。鷹匠ユーサー殿にシッカリ張り付いて居れよ、鳥使い姫、ジャヌーブ定番の、 白文鳥《精霊鳥》を捕食する害獣が侵入した。白文鳥の渡りがあったとの機密情報が邪霊のほうへ漏洩したらしい――白文鳥パル殿の緊急の警告を受け取ったゆえ、厳重警戒ニャ』

――なんですと!

驚く間も無く、鷹匠ユーサーの相棒、白タカ・ノジュムが警戒の鳴き声を上げた。

『三ツ首だ!』

次の瞬間、純白の影が縦横によぎったかと思うや、ぎらつく黄金の邪霊害獣の血しぶきが散った。1回、2回。

白タカ《精霊鳥》の勝どきの声が響き、小型の邪霊害獣の死骸が、行く手の廊下の――タイル床に落ちた。べちゃ、べちゃ、と、黄金の血液を撒き散らしつつ。

「わわわ! 2体!?」

「小型の……《三ツ首ドクロ》だ!」

「城壁の魔除けを突破したのか!? 城壁の外に出れば、ボロボロ出て来るが……」

先頭で、見張り衛兵と、老魔導士フィーヴァーが慌てていた。次いで、銀ヒゲ・ジャウハラ戦士。クムラン副官と護衛オローグ青年も。

「白文鳥を捕食する邪霊害獣! 何ごとも無いか、鷹匠ユーサー殿!」

鷹匠ユーサーは「応」と短く答え、手の中に握り込んだ白文鳥《精霊鳥》を掲げて見せたのだった。

「むむ、いずれ、たかって来るだろうと予測はしていたが。その小鳥は貴重な実験材料じゃ、そのまま頼むぞよ」

「その穏やかならぬ用語、《青衣の霊媒師》どのへ報告させていただきますよ、老魔導士フィーヴァー殿」

「言葉のアヤじゃ、笑って流すのじゃ鷹匠どの」

ちょっとした、ボケとツッコミ。

邪霊害獣《三ツ首ドクロ》は、ジャヌーブ地方では、あまりにも普通な存在に違いない。全員、ビックリした様子はあるものの、 ゴロツキ邪霊かつ通り魔《骸骨剣士》と同じように日常の光景の延長という雰囲気で、一定以上の恐怖などの気配は無い。

呆然とするままに、見慣れぬ邪霊害獣《三ツ首ドクロ》残骸に注目する――白文鳥アルジーであった。

白文鳥《精霊鳥》にとっては、本能的な恐怖の対象だ。天敵。全身が衝撃に震えて……冠羽ばかりでなく、尾羽まで逆立っている。

――三つ首の黄金仮面を彷彿とさせる、魔性の頭部。ぎらつく黄金色の肉塊で出来ていて、断末魔の段階にあってなお、しきりにブヨブヨ歪み、どよめいている。

通常の意味で言う胴体は無い。パッと見た目、極小型《三つ首イカタコ》。ドクロの印象が強すぎて《三つ首ドクロ》という名になった感じ。 イカタコ吸盤セット多足の代わりに、コウモリ翼のような飛行膜が生えていて、その中央に、捕食のための貪欲な口が開いている。

東帝城砦で見かける《三つ首コウモリ》――馬やラクダを襲って吸血する――と同じように、空を飛べるのだ。そして白文鳥を捕食する。なんて恐ろしい。

*****

白文鳥アルジーが呆然としている内に、前方で、衛兵の手によって、以前にも見かけた第一長官マフレガーの執務室の扉が開いた。

入室してみると。

シニア男マフレガー長官は、備え付け休憩室の談話クッションに、グッタリと横になっている状態だった。

マフレガー長官の側近――従者と思しき中堅の戦士が傍についていて、退魔調伏《紅白の御札》を周囲に貼り続けている。老魔導士フィーヴァーの到着を見て、ホッとしたような顔になり、サッと位置を開けた。

「お待ちしておりました老魔導士どの!」

「ご苦労じゃ、側近どの。退魔調伏の御札ということは、邪霊害獣の類が入り込んだのか?」

「ハッ、《三ツ首ネズミ》のほか《三ツ首ドクロ》がたかって来てますので。あの、執務室の机を見て頂ければわかりますが、最初は、『雷帝サボテン鉄砲』テロ急襲か何かだったようで」

「雷帝サボテンじゃと? という事は、《魔導》の鉄砲が持ち込まれていたのか?」

矢継ぎ早に質問を投げながらも、老魔導士フィーヴァーの手は忙しく動き、あっと言う間に、回復に必要な、特別な《紅白の御札》が出来上がって来ていた。

「ジャヌーブ砦では普通に見かける備品ですから、何が何だか――急に爆発音がして駆け付けたら、この有り様で……」

相槌を打ちながも、老魔導士フィーヴァーは、マフレガー長官に必要な医療処置を、素早く済ませていた……

…………

……クムラン副官と護衛オローグ青年が、早くも執務室の机に残った焼け焦げ痕を確認していた。

「確かに、雷帝サボテン鉄砲。全力全開のものでは無い。黒毛玉が燃え残る程度の、弱い様式の痕跡が3個。この弱さであれば、礼拝堂の検問を通って、衛兵の立ち合いナシで自由に動ける。 殺害の意図は無く――数時間ほど失神させるのが目的だったのか……」

「その数時間で何を仕込むつもりだったのかが問題だぞ、オローグ殿。犯人は、礼拝堂の中でも自由に動ける人物……マズいな」

「我々も同じ見解です、クムラン副官」

第一長官マフレガーと同年代の、白髪混ざり頭の側近が頷いた。少し手が空いたのを幸い、崩れて来ていたターバン布を素早く整えながら。

「目下、マフレガー殿の代理で第二長官から第四長官までテンヤワンヤで。長官それぞれに護衛が付きましたが、可及的速やかな対抗措置とはいえ『時すでに遅し』という部分は致し方なく。 いま邪霊害獣《三ツ首ドクロ》も活性化していて」

「吾輩ジャウハラ見るかぎり《三ツ首ドクロ》は、白文鳥を狙ったものであろう」

老練なる銀ヒゲ戦士は、すでに、邪霊害獣《三ツ首ドクロ》侵入経路と、白文鳥との間に位置を取っていた。白文鳥を確保している鷹匠ユーサーと、隣り合う位置。

銀月ジャウハラは、腰の左右に取り付けていた小袋に各々の手を突っ込み、退魔調伏の御札の束を、わしづかみにして取り出した。そして拳闘の構えを取る。

次の瞬間。

新しく沸いて殺到する邪霊害獣《三ツ首ドクロ》編隊へ向かって、目にも留まらぬ高速連打の拳骨アタックが爆発した。

黄金《三ツ首ドクロ》の群れが、みるみるうちに真紅の色をした死骸へと変じる。そして、カタマリのまま床へ落下を始めるどころか、空中で瞬時に無害な熱砂となって、パラパラと舞い散ってゆく。

「吾輩が、この銀ヒゲに変わった時、最初にたかって来た邪霊害獣どもよ。《紅白の御札》五指の間に挟み込み、奥義《炎の爆轟閃烈拳》ぞ、あたたたたたー!」

まさしく神速。

拳骨にセットされている、退魔調伏《紅白の御札》による真紅の火花――その残像が描く軌跡は、真紅に輝く複雑な《魔導陣》にも似て。

守護精霊の火吹きネコマタは、セルヴィン少年の命の炎を安定させる難工事の途中であったが、それでも銀月ジャウハラ戦士の神技に感心して、チラチラと視線を向けて来ていた。

『なんと素晴らしい動き。あれ程であれば、三ツ首《人食鬼(グール)》攻撃に対抗しうる魔導陣が、雷霆刀の太刀筋で作れるニャ。古代《雷霆刀の英雄》も、その免許皆伝の豪傑ニャ』

白文鳥アルジーもまた、圧倒されながらも。

不意に、生前の記憶をポンと思い出していた。

ニセ赤毛クバル青年が、謎の黒い雷霆刀を構えて、三ツ首の巨大化《人食鬼(グール)》と対峙した時。 クバル青年は、神速の太刀筋で魔導陣を描くという驚くべき剣術でもって、三ツ首の巨大化《人食鬼(グール)》の邪音攻撃を防いでいたのだ……

……

…………

……見る見るうちに、多数の邪霊害獣《三つ首ドクロ》が退魔調伏され。

第一長官マフレガーの執務室の床に、無害な熱砂でできた砂山が、テンコモリとなる。

ポカンとしつつ、感心しきりの、第一長官マフレガーの従者であった。鷹匠ユーサーも感心しきりだ。

一方で。

セルヴィン少年は、生贄《魔導陣》発作が治まった後も、ふらついていた……オーラン少年が衛兵の了解を得て、談話クッションへ、セルヴィン少年を座らせている。 セルヴィン少年は、また、いつもの、口惜しいと言わんばかりの様子だ。

邪霊害獣が殺(や)る気満々なのは、セルヴィン少年の生贄《魔導陣》活性化の影響だ。発作が止まった今、《三つ首ドクロ》も、そそくさと退散する見込み。

やがて……かすかながら、第一長官マフレガーの口元から、低いうめき声。

老魔導士フィーヴァーが瞬時に気付く。

「呼吸はシッカリしておる、意識が明瞭になれば問題は無い筈じゃ。しばらくの間、頭痛になやまされるだろうが……何と言ったのじゃ、マフレガー殿?」

シニア男は、わずかながら覚醒していた……必死で、混濁している意識をかき分けている様子だ。

「無理せんで良いのじゃぞ、話があれば、後で、ゆっくり……」

「……ハ、シシ……」

老魔導士フィーヴァーが目を光らせ。マフレガー長官の口元へ、注意深く耳を近づけたが。

ジャヌーブ砦の第一長官マフレガー閣下は、そこで本格的に、回復のための深い眠りへと落ちていたのだった。

■23■謎と真相、転回す、ストリートファイトは雨の中

一時は倒れ込むほど弱っていたセルヴィン皇子の体調が、戻って来た。

幸いに、紅ドーム聖火礼拝堂の区画と、医療区画とは、あまり距離が離れていない。

と言う訳で、急遽、セルヴィン皇子の安静その他も含めて、ジャヌーブ砦の医療区画へと帰還した一行であった。

三つ首《人食鬼(グール)》をはじめとする有害な邪霊による負傷への対応や、異例な裂傷の治療を専門とする医療区画。

その中でも、邪悪な禁術・生贄《魔導陣》に取り付かれたセルヴィン皇子のために整備された一角は、 主治医を務める老魔導士フィーヴァー自身が『人類史上の最高の天才』と自画自賛するだけのことはある。退魔調伏や魔除けの設備が、ひときわシッカリしているのだ。

鷹匠ユーサーが早くも、続き部屋となっている談話室の窓枠をチェックする。邪霊害獣《三つ首ドクロ》をはじめとする数々の怪異が張り付いていないことを確認して、頷いて見せて来た。

白文鳥アルジーは、ホッとして、鷹匠ユーサーの手の中からピョコリと小鳥の頭を出し……精霊の定位置、談話室の窓辺に安置された『魔法のランプ』に、ふわもち……と、腰を据えたのだった。

つづいて、白タカ《精霊鳥》ノジュムと、白タカ若鳥ジブリールも、傍に設置されている衝立型ドリームキャッチャー護符の横棒に留まる。 大多数で押し寄せて来た邪霊害獣《三つ首ドクロ》退魔調伏で、すこぶる体力を使った様子。

ひとまず落ち着いて、あれこれと思案を巡らせることができる。

聖火礼拝堂のほうで第一長官マフレガーが倒れたせいで、第二長官から第四長官まで、代行業務フル回転だ。 必然ながら、クムラン副官とオローグ青年は、その方面の応援へ回って忙しい――医療区画へは同行できなかったのである。

代わりに、従者オーラン少年が、かいがいしく、セルヴィン皇子の護衛と世話をする形。

鷹匠ユーサーによる誘導も入って、みなで談話室に落ち着き、医学的にも呪術的にも体調を整える薬用茶が準備され。

セルヴィン皇子のほうでも、本来に近い元気が復活して来た様子だ。相変わらず虚弱なヒョロリ少年ではあるが、細かくみると筋肉が増して来ているのが分かる。 銀月ジャウハラ戦士が、セルヴィン皇子に筋トレ訓練を勧めて来たのも、納得できる。そういう気力がうかがえるのだ。

そして……早くも、第一長官マフレガーが失神する直前に残した一言を、気にし始める。

「マフレガー殿は、なんと言っていたんだ? オーランは聞き取れたか?」

「大麻(ハシシ)……と呟いていたかと存じます。あの時、クムラン副官とも意見が一致しましたから間違いないかと」

「クムラン殿は地獄耳の『鬼耳族』だったな。いつもは、それっぽくしてないから、ついつい忘れてる」

白文鳥アルジーは、そのやり取りに、聞き耳を立てていた……やがて目が据わって来た。

『やはり大麻(ハシシ)が重要な要点ってことになるよね。カムザング皇子の密売ビジネスの延長。禁術の大麻(ハシシ)密売ルートが、 あの自称「邪霊使い・三つ首サソリ」財務文官ドニアスの他にもあったのは当然』

若鳥ジブリールが――フワフワ産毛がすっかり取れていて、もはや幼鳥の姿では無い――スッキリとした首をクルリと回して、白文鳥アルジーのほうを慎重に窺い始めた。

『そう言えば、さっきも、なんかバタバタしてたね、鳥使い姫。なにか思いついたの?』

『……! そうよ!』

魔法のランプの優雅な取っ手の上で、ピョンと飛び跳ねる白文鳥アルジー。

『緊急でバシール夫人を……怪文書のアレを……取引したか確かめなきゃいけないの! アブダルは、ふたつめの字型スタンプの存在を知らなかった。 知ってたら、それが誰が購入したものであれ「お前の物は俺の物」なアブダル、嬉々として新品を私物化して、あの超・汚部屋のコレクションに加えた筈だから』

『ちょっと待ってよ。なんで、ふたつめの字型スタンプが新品って分かるの?』

『公衆浴場に残ってた字型の痕跡がキレイ過ぎたわよ、民間の代筆屋の目をナメないでちょうだい。 アブダル汚部屋のズボラな管理状況からして、アブダル本来の字型スタンプには、埃(ホコリ)だの、古いインク固まりだの、サビだの――他にもイロイロ・クダラナイ・ケガレハテタ成分が、こびりついてた筈よ』

白文鳥アルジーの中で、新たなジグソーパズルが連結した。

『あの公衆浴場の収納棚のインクのカスレ、元の文字がバッチリ読み取れたわ。「……わるな。アブダル」。記憶に間違いなければ、全部オカシイ怪文書の末尾。 「余計なことを、ごちゃごちゃと嗅(か)ぎまわるな。アブダル」脅迫状、覚えてるでしょ。アブダル死体お焚き上げ真っ最中に、アブダルの名前で差し込まれた』

『あ。武器展覧会の宴会の夜。飛び入りの医療スタッフ青年が、カスラー大将軍を刺そうとしてた。青年の長衣(カフタン)に、いつの間にか、入り込んでた怪文書……』

『真犯人、すごく手際いいわね。直感が鋭いのかしら、騒動を起こしそうな人物を見抜けるなんて。 アブダルが死んで、公衆浴場のアブダル専用の収納棚を使えるようになったから、万が一でもアブダルに犯罪おっかぶせられるように、ニセ字型スタンプをそこに入れてた』

白タカ若鳥ジブリールが、ハッとしたように金色の目を光らせた。

『そのセンだと、アブダルが生きてた頃から、ニセ字型スタンプを手に入れてた可能性もある。 自分の名前で取引する時に都合が悪い場合に――禁術の大麻(ハシシ)取引してたのは確実だ――アブダル別名「ご存知マッチョ盛り合わせ」習慣的に流用してたかも。 武器展覧会で出て来た怪文書も、文脈を考えると矛盾してるんだ。アブダル本名スタンプするなんて。よっぽど慌てて、アブダルに犯罪なすりつけようとしてたか?』

『でも、あの武器展覧会の怪文書で、致命的な失敗をした事に気付いた。だから、大急ぎでインク拭き取って、公衆浴場の収納棚から、ニセ字型スタンプを持ち出したんだわ』

『犯人像、かなり絞れて来たね。芸が細かい。几帳面に、毎回、アブダル戦士とバシール夫人へ、犯罪なすりつけてる。筋肉道場に付随してる公衆浴場を使っても、不自然に思われない人物――戦士!』

『2つめの字型スタンプ、証拠隠滅される前に確保しなきゃいけないわ。ひと晩やふた晩で、粉々に破壊粉砕できたなら別だけど』

『さすがだな、鳥使い姫。筋は通っているようだ』

白タカ・ノジュムが素早く要点を理解し、フム、と真っ白な首を傾ける。透明な金色――聖火の色と輝きをしたタカの目が、きらめいた。素早く相棒の鷹匠ユーサーへと視線を投げ。 鷹匠ユーサーが、サッと反応して来ていた……

白タカ・ジブリールは若鳥らしく、成体の物に比べて少し小ぶりな翼をバサバサとやった。

『ズボラ管理……ねねね、《火の精霊》ジン=***アル、あの最初の怪文書の複写、もう一度、見せてくれる? ボク、伝達内容に気が向いていて、字型まで細かく見てなかった』

『にゃにゃにゃ盲点だったニャ。複写文書ニャ。確かに』

手乗りサイズをした、ちっちゃな赤トラ猫――火吹きネコマタが、『魔法のランプ』の周りでピョンピョン飛び跳ねながら、ぺらりと怪文書の複写物を出す。

さすがに、精霊たちのワチャワチャした挙動は、セルヴィン皇子とオーラン少年と鷹匠ユーサーの注目を集めていた。

怪文書に残された、2種類の字型スタンプ痕。

――『ジャヌーブ南洋物産の交易商バシール殿の夫人どの。約束の日《麻雀サボテン》開花の刻、中二階の広間の控室に来られたし。清算について。ご存知マッチョ盛り合わせより』

火吹きネコマタの《火の精霊》ならではの正確無比な複写物を、よく見ると……確かに。

本文「約束の日《麻雀サボテン》開花の刻、中二階の広間の控室に来られたし。清算について。ご存知マッチョ盛り合わせより」を記した字型のほうは、 不規則かつズボラな、にじみが残っていた。綺麗な、新品の状態の字型スタンプでは、絶対このようにならない筈だ。

そして、怪文書の冒頭の、不自然な名指し部分「ジャヌーブ南洋物産の交易商バシール殿の夫人どの」……その字型は。

――新品そのものの綺麗な字型。

そして後から、細いペン等で描画したと思しき、本文の字型と似た、にじみパターン。

字型スタンプを済ませた後で、宛名部分が新品パターンだった事実に気付いて。「本文の中古の字型へ形を寄せよう」と苦心した様子がうかがえる。

これを仕掛けた真の殺害犯――やはり几帳面かつ観察力の高い人物。別々の字型スタンプの筈なのに、すごく上手に形を寄せているから、同一の字型スタンプのように見える。

セルヴィン少年の、亡き御母堂セリーン妃仕込みの鑑定眼が無ければ、まず2種類の字型スタンプが使われたとは気付かなかっただろう。

なおかつ、「2種類の字型スタンプでもって記述された」という前提情報なしで、この文面を見たら、最初から、まるまる事情が読み取れなかった筈。

『武器展覧会の宴会の夜に出て来た脅迫状も複写したニャ』

火吹きネコマタが、素早く、その辺の白紙へ文章を転写した。各種文字をあぶりだす形式で。

――『余計なことを、ごちゃごちゃと嗅(か)ぎまわるな。アブダル』

真犯人が慌てて作成した、という気配が、窺える。妙な小細工も何も無い――ズボラな管理ゆえの余計なゴミの痕跡などの乱れも無い――綺麗な字型。新品そのものだ。

『ほぼほぼ、状況は判明したニャネ!』

――あれやこれやの、気付いた点を含めて、鷹匠ユーサーへ伝達する。

鷹匠ユーサーが怪文書の複写版を持って翻訳と説明を始め。セルヴィン少年とオーラン少年は、驚きっぱなしの様子だ。

……

…………

真犯人は、禁術の大麻(ハシシ)取引で、巨人戦士アブダルと関係があった。

けれども何かがあって、アブダル戦士を殺害しなければならない、という事になった。

動機は、真犯人を捕まえて聞くしか無いけど。カムザング皇子の大麻(ハシシ)密売ビジネスが瓦解していたタイミングでもある。 ジャヌーブ港町にもタフジン大調査官の指示による捜査の手が入って、その筋の闇業者たちが逃げ出したり、残りの利益を奪い合ったりする抗争を激化させたりしていた。 入手リスクが急に大きくなって、金額方面で折り合わなくなったのかも……という事情は推測できる。

真犯人は、バシール夫人をピックアップして、名指しの怪文書でもって、アブダル殺害の罪をなすり付けた。

最近のセクハラ・ストーカー関連で、バシール夫人が、アブダル戦士に対して殺意に変わるほどの恨みを持ったのは確実だから。 バシール夫人の驚くべき行動力と行動範囲、ジャヌーブ商会が取り扱う様々な物品――緊急時の大麻(ハシシ)取引にも対応していた――は、アブダル殺害犯として仕立て上げるのにうってつけだった。

新たな容疑者として、偶然に鉄砲職人サイブンが湧いて来た件は、容疑者の増加による真相隠蔽のチャンスと、真相の発覚へ至るピンチ、同時だったに違いない。

アブダルは、なんらかの雷撃ショックで心臓停止させられて、放置される形――で、殺されたことが判明していた。 雷撃ショックの原因として、もっとも有力なのが「雷帝サボテン《魔導》鉄砲」。バシール夫人には、絶対に不可能な殺害手段。

そして『筋肉道場』周辺へ捜査の目が向いた。何としてでも、バシール夫人のほうへ、捜査の目を戻さなければ。

――武器展覧会で致命的な失敗となった、怪文書……真犯人は、とても慌てていたに違いない。退魔調伏お焚き上げ真っ最中の死体からの差出状なんて、有り得ない。

あれで、すべての目算が狂った。「バシール夫人が怪しい」という設定を維持するべく、ジャヌーブ商会の入っていた小路で、雷帝サボテン爆発を起こさなければならなかった程に。 ジャヌーブ商会の面々の誰かが、雷帝サボテン爆発コントロールできるくらい、技術があったというような印象付けを狙って。

でも、ジャヌーブ商会の面々が現場に居なかった。またしても目算が狂ってしまったのだ。

ニセ字型スタンプは、これ以上、公衆浴場の収納棚に、アブダルの振りをして隠しておくことは、できない。 だから大急ぎで取り出したのだ。最初から、もうひとつの字型スタンプなど無かったように見せるために、インクを拭き取って……

ジャヌーブ商会の商人として、商品の入手や運搬などに直接にかかわったバシール夫人なら、ニセ字型スタンプの取引記録を含めて、キッチリ説明できる筈。

真犯人にしたら「字型スタンプが2つあった」という事実を立証されては、身の破滅。 バシール夫人に罪をかぶせたまま、口封じして、殺さなければならない、と考えた筈。

第一長官マフレガーを襲ったのは、破れかぶれにも見えるけど、バシール夫人が、パッと見た目、不可解な行動に出て、行方をくらましたタイミング。

真犯人が、真相の隠蔽をつづけているのは確かだ。この新たな襲撃と騒動で、何を得ようとしているのかは、聞いてみないと分からないけど。

…………

……

セルヴィン少年とオーラン少年が、一斉に、同じ結論に達した。

鷹匠ユーサーが静かな声で、でも断固として指摘する。

「真相の隠蔽が不十分ですね。マフレガー殿の次に、真犯人が襲うのは――」

「バシール夫人が危ない」

「ナゾの行動力で行方不明になった状態だけど、早く身柄確保しなければ」

『いま同僚《火の精霊》すべてに出動かけてるニャ。医療区画のように聖火祠が少ない安全圏に居る場合は、発見が遅れる。 《火の精霊》としての気質の問題で済まぬが、邪霊が近づいていない時は、我々は、かなり気まぐれで不真面目なのだ』

……真犯人は、今度こそ、バシール夫人を確実に殺す!

これ以上の混乱と流血と隠蔽は絶対にダメ……!

――考えろ、考えるんだ!

白文鳥アルジーは必死で想像を巡らせた。

バシール夫人は、とんでもなく頭の回転が速い。その分、衝動的に行動しがち。

前の事件で。夫バシールが禁術の大麻(ハシシ)で朦朧となって宴会で騒ぎを起こして、拘束された時も。

バシール夫人は、アブダル戦士へ賄賂を渡して、夫の釈放を試みた。

さらに、「城壁の『石落とし』を動かすには特別な鍵が必要」という情報を入手するが早いか、 「ラーザム殺害事件と夫バシールは完全に無関係」という論理を素早く立ち上げて、聖火礼拝堂へ乗り込んで、ダメ押しで釈放を迫っていた。

たった1日で、いや1日も経たないうちに、だ。

ジャヌーブ商会の南洋物産商バシールの妻。

その立場上、ジャヌーブ商会の大勢の顧客と取引するだろう。

雑談の延長で、『筋肉道場』も取引先のひとつ、お得意さんと言ってたじゃないか。

不自然なタイミングで、新品の字型スタンプを取引した人物が……顧客が居た。『筋肉道場』周辺の顧客の中に。いずれにせよ、そいつに思い当たったのだ。

思い当たって――自分の命の危険を悟って――

ジャヌーブ商会の入っていた小路で、急に不自然な爆発事件があったのだから、本当にゾッとした筈だ。タイミングが悪かったら殺されてた。口封じ。

釈放されたのを幸い、公衆浴場を利用するふりをして、身を隠したとすれば。

バシール夫人には、アブダル殺害を決心するのも当然であろう、という、もっともらしい理由があったから……真犯人が別に居ると主張しても、捜査員の誰も、すぐには信用してくれない。

真犯人は、誰もが「まさか」と思う人物に違いない。普通に捜査している限りでは、絶対に捜査線上に浮かんで来ないだろう――というような。

時間が無い。ボヤボヤしてられない。捜査会議のメンバーを説得しきる前に、バシール夫人自身が先に殺される可能性のほうが、大きいのだ。

――自分がバシール夫人なら、何処に身を隠すだろう?

真犯人は、巨人戦士をも殺害する手練れ。

傑出した筋骨の能力でもって、雷帝サボテン《魔導》鉄砲を巧みに使う。字型スタンプをも上手に使う。

あんな狭い小路で適切な騒ぎになるように《雷帝サボテン》爆発を調整できるくらい、土木工事の爆発用《ジン=イフリート魔導札》合わせ技にも長けている。

――もしかしたら。

ジャヌーブ商会の取引先の中でも特に実力があり、誠実さもあり、犯罪に無関係――禁術の大麻(ハシシ)関係に、ことごとく敵対する――と見込んだ、軍事関係者とか……!

不吉な直感が湧き上がる。

バシール夫人が身を隠したと思われるポイント。

アルジーが思い当たったという事は、真犯人のほうでも、真相の隠蔽に死に物狂いになって、同じ結論に至った可能性がある……

魔法のランプの上で、白文鳥アルジーは、必死でピョンピョン跳ねていた。

『バシール夫人が行方不明になったという公衆浴場……何処のあたり? 聖火礼拝堂から、そんなに離れてないでしょ?!』

白タカ・ノジュムが幾何学的格子の窓枠に取り付いて、《精霊鳥》の証の冠羽をピッと立てた。冠羽が震えて光っている。何やら遠隔通信をしている様子。

『同族の白タカ・サディルと、相棒の人類の鷹匠ビザンから、巡回の報告文書の確認の返事が来た。折よく、マフレガー襲撃現場の執務机の下に、その報告書が落ちてたそうだ。 最初のアブダル殺害事件の現場に近い公衆浴場だ。イメージとしては、そうだな、厩舎区画からそんなに離れてない』

白文鳥アルジーの、ふわもち純白の小鳥の身体が、驚愕と緊張のあまり、ビョーンと細長く伸びあがる。全身に鳥肌。ピッと、警戒の証の冠羽が立った。

――バシール夫人は、きっと、そこだ。

真犯人も、そこへ向かっている筈だ。

読みは当たっている筈――間違いない!

白文鳥アルジーは決死の形相で、談話室の中をバタバタ飛び回った。

吊りランプを突いてグラグラさせたり、小卓の紙束をバラバラに散らしたり、ごく薄い紗幕(カーテン)の端をグイグイやって、少しだけ破いたり。

一同のビックリした眼差しが集まって来るが、気にもならない。

『厩舎区画へ連れてって! いえ、厩舎区画じゃなくて、そこに隣接してる戦象隊の詰所とか、白鷹騎士団の詰所とか! あそこ《火の精霊》少ない区画だけど、 その代わり《風の精霊》《地の精霊》が集まってる! それに《地の精霊》って頑迷なまでの秘密主義でしょう!』

『承知、だが、最後の「頑迷なまでの秘密主義」言及は、大きな誤解がある。そこの《地の精霊》ジン=*ロー*殿が、ショックを受けて涙目だぞ』

あきれたように目をパチクリさせる白タカ・ノジュム。その隣で、なにがウケたのか白タカ若鳥ジブリールがひっくり返って、咳き込んだような吹き出し笑いを洩らした。

「ちょっと待てよ、雨が始まってる。大雨になりそうだけど――行くのか」

セルヴィン皇子が呆然としながらも――それでも、早くもマントを装着したオーラン少年につづいて、マントを装着する勢いだ。

『殺されるわよ、子供は《魔除けの紅白の御札》シッカリ握って、おとなしく部屋に居なさい! えーと、鷹匠ユーサー殿! 真犯人を捕まえなくちゃ、援護お願い!』

『そこまで我が相棒ユーサー殿を信頼してもらえてうれしいよ、お嬢さん』

白タカ・ノジュムが早くも空中へ舞い上がった。

動線が開いて、白文鳥アルジーは、すぐさま鷹匠ユーサーの肩に飛び乗る。

鷹匠ユーサーなら、いきなり沸いて襲って来た邪霊害獣《三つ首ドクロ》への対応の見事さを見ても、真犯人に対抗できる筈だ。 精霊語に巧みで、白タカ・ノジュムとの連携もカンペキ。狙ったように、うってつけ。

セルヴィン皇子が気付いたとおり、夕方の驟雨(しゅうう)が急に始まっていた。

石畳を叩く雨脚は、相当に跳ね上がっている。

風も強い。

夕方の赤らみを増しながらも、急速に暗くなってゆく空。

かくして。

白文鳥アルジーは、白タカ・ノジュム、鷹匠ユーサーと共に、雨風の下へ飛び出した……

……筈だった。

冒険心と好奇心の真っ盛りの少年たちが、いう事を聞かないのは当然なのだ。

――「子供たち」と指摘されたセルヴィン少年とオーラン少年であったが。2人ともにマントをまとい。

それぞれの相棒の精霊《火吹きネコマタ》や若鳥ジブリールと共に、鷹匠ユーサーの後を追いはじめていたのだった。

*****

今日の夕方の驟雨(しゅうう)は、珍しいくらいの激烈なゲリラ豪雨と化した。

激しく跳ね上がる雨脚は、膝上まで届く勢い。

吹き付けてくる強い風に押されて、大粒で高密度の水滴が、ザアッと身体を叩きつけて来る。大量の水分で、ジャヌーブ砦の気温が急激に下がっていた。

続く限りの大草原を高速で移動する騎馬の民や、天候が定まらぬ山岳地帯を上下する民にとっては、割合に遭遇する荒天。

しかし、生まれた時から帝都近傍に居たセルヴィン皇子にとっては初、しかも物理的に襲って来る雨嵐だ。

「こ、こんなに走りにくいのか、大雨の……中って、段差を踏みはずしたら、目はどうやって開けてるんだ」

「片腕を上に当てて視界ガードを、殿下。ターバンの巻き方も目出し方式が違う、あとで教えますから……いまは昇降の補助鎖、適当につかんで、 足裏全体で――岩だらけの雨天の山道だと危険度はこんな物では済みませんよ、気を抜けば滑落して目もくらむような崖下へ真っ逆さま、身体バラバラになります」

「それに水の染み込んだマントが重すぎる、冷たくて」

「退魔調伏の祈願が済んでる雨で幸いだったですよ、マントは後で、その帝都の品じゃなくて白鷹騎士団のほうから入手を……悪寒や息切れは……大丈夫そうですね!?」

「たぶん。さっきの発作の分で、奴ら充分に満足したか、なんかで忙しいらしい。式典行事かな。表向きの体力、美容とか若作りのために吸ったんだろう」

「? 先方の気配とか伝わって来るんですか?」

「発作の後、少しの間だけだが。生贄《魔導陣》活性化の間、霊魂が一時的に、呪術的に連結されるとか……老魔導士どのが、相当の集中力が必要って言ってたし」

「殿下のほうでも、異常な現象を分析できるだけの、体力気力の余裕が出て来たのも大きいのかも知れませんね」

*****

一連の階段をくだりきり、平坦なテラス状の角に到達する。

厩舎区画と同じ階層に属する軍事専用テラス。邪霊害獣の類を警戒かつ撃退するための衛兵の詰所が設置されていた。

相応の規模を持つ詰所。

以前に、鉄砲職人サイブンが潜んでいたような……軍馬のための厩舎を含む、複数の棟が配置されている。

「白鷹騎士団から派遣された衛兵が居ます。馬を借りましょう」

鷹匠ユーサーの判断は早かった。見張りに立っていた、白鷹騎士団の装備をしている衛兵に、一言、二言。すぐに合意が成立する。

様々な地形に熟練していると思われる白鷹騎士団の騎馬2頭が、即座に貸し出された。

「感謝します、衛兵どの」

「シャバーズ団長へ、急ぎ連携しておきますよ」

騎馬姿となった鷹匠ユーサーにつづいて、セルヴィン少年とオーラン少年も、馬に相乗りになる。手綱を取るのは雨の中の騎馬にも慣れているオーラン少年だ。

馬の足は早く、激しい雨天にもかかわらず、見る見るうちに縁石や区壁の段差を跳び越えて、厩舎区画へ到達した。

あらかじめ上空を警戒飛行していた白タカ《精霊鳥》ノジュム、若鳥ジブリールが、警告の声を上げた。

白鷹騎士団の詰所より、ふたつほど離れた小路の真上から。

『発見! 発見!』

『魔導士ジナフが不意打ちで雷帝サボテン食らってる!』

「なんだって!?」

あまりにも予想外の事態――鷹匠ユーサーが動揺する。だが動揺はしてもシャヒン部族の民。手綱さばきは安定していた。

そのまま、現場の小路へ殺到する。

非現実的なまでの光景が、展開していた。

白鷹騎士団の専属魔導士ジナフが、路上に力無く横たわっている。

不意を襲われたのは確実。

脇に、黄金の火花をバチバチ弾く《雷帝サボテン》の大群。

魔導士ジナフの愛馬と思しき馬が、その真ん中で倒れていた。馬の四足は、雷撃ショックのゆえか、ビリビリ痙攣(けいれん)している。

ギョッとするほどの多数の、魔導士が専門に作成して使用する黄金《魔導札》が散らばっている。不意打ちの襲撃を食らいながらも、魔導士ジナフは、紙一重の差で即死を回避していた様子。

大雨の中、意識を失って横たわる黒装束の老騎士。

その上に馬乗りになっている――奇妙に小柄な人物。お忍びに最適な「中の中」マント、庶民的な生成りターバン姿。髪の毛は見えない。

不審人物は、いよいよ力を込めて、老騎士の首をへし折ろうとしている!

非友好的に殺到する2種類の騎馬の足音に気付いて、不審人物が、ギョッとしたように振り返って来た。

「ジャバ=ザ=ハット(無秩序クサレ外道)!」

――ちなみに、白文鳥アルジー=シュクラ王国の第一王女アリージュ姫が、 常に丁寧な敬語と態度を崩さぬ中堅ベテラン鷹匠ユーサー渾身の、極めつきの堂々たる罵倒を耳に入れたのは、後にも先にも、この1回だけだった。

鷹匠ユーサーは熟練の手並みで三日月刀(シャムシール)を抜き、馬上から不審者へ振り下ろした。一刀両断の勢いで。

生成りの覆面ターバン姿の不審者は、恐るべき手練れだった。電光石火の早業で身を沈め、その手元で――雷帝サボテン鉄砲に違いない、ぎらつく黄金の雷光が噴き出した!

『危ない!』

「くッ!」

反射的に、返す刀で黄金の雷光を振り払う鷹匠ユーサー。

黄金の雷光は、バチバチ黒毛玉となって飛び散る。刀剣をかけのぼって来た電撃ショック反動は大きく、中堅ベテラン鷹匠は、落馬せんばかりに態勢を崩した。

「ユーサー殿!」

覆面オーラン少年が既に短剣を抜き、投げナイフの構えをしていた。

次の一瞬、不審者を目がけて、矢のように飛ぶ白刃。

不審者は自信満々な気配で、雷帝サボテン《魔導》鉄砲を発射した。

投げナイフが、ぎらつく雷光に絡めとられて、アサッテの方向へ弾かれてゆく。驚異の命中率。

つづけざまの射撃。

さらに雷光が飛び散り、バチバチをまとうトゲトゲ黒毛玉が、ワワワッと散らばった。 忍者の武器の一種マキビシのように。ただし、そのマキビシは致命的なレベルの雷撃ショックを与えるという凶悪な機能つきだ。

全力疾走の馬は、すぐには止まれない。

急接近中だった……次の投げナイフを準備中だったオーラン少年と、必死でしがみついている最中のセルヴィン少年の、相乗りしていた馬が、引っ掛かった!

「うわわぁ!」

「いてぇ」

たまらず馬は暴れ出し、それほど暴れ馬への経験の無かった少年2人は、いっぺんにポーンと放り出されて、石畳の上に叩きつけられた。

「いててて」

いつだったか、運悪く、鉄砲職人サイブンの雷帝サボテン鉄砲の雷撃に取り巻かれた取次業者ディロンのように、石畳の上でビリビリと震えて跳ねながら、ゴロゴロ転がりまわる。

さすがに強烈な大雨の中。

――《火の精霊》火吹きネコマタは、充分な守護能力を発動できなかったようだ。心臓停止レベルの致命的な雷光を、穏やかな(?)雷光へ弱体化する程度――の様子だ。それだけでも驚くべき器用な対応ではある。

「間抜け共が、とっとと死ね」

標的が、狙いどおり一撃で死ななかったことに苛立った様子で、不審者が雷帝サボテン鉄砲を連射する。

正確無比の狙い。

名人の、早撃ちそのものだ。これほど巧みな雷帝サボテン鉄砲の使い手など滅多に居ない。小柄ではあるが、高度に訓練された筋肉の持ち主に違いない。

電撃ショックに震えつづける身体で、それでも雷帝サボテン鉄砲の仕組みを熟知するベテラン戦士ならではの、巧みな弾道回避をする鷹匠ユーサー。 お蔭で白文鳥アルジーも、転げまわりながらも、ギリギリ無事なのだ。

相棒の白タカ・ノジュムが、精霊魔法《風の壁》で防衛し、直撃を防いでいる。 風を巻き上げて濃厚な水壁――水の盾を作る形だ。水の導電性に導かれて、致死レベルの雷光が散逸する。完全に、とまではいかないが。

オーラン少年とセルヴィン少年を守る《火の精霊》火吹きネコマタや、白タカ若鳥ジブリールのほうでも、似たような対応、かつ似たような状況だ。

――第4弾、第5弾。

第6弾、第7弾――連射が止まった。

――10連射が限界!

老練な魔導士にして騎馬戦士である老ジナフと、軍事訓練済みの強く賢い馬を倒すのに、3回の射撃を要したに違いない。黒毛玉ケサランパサラン《魔導》のための、黄金《魔導札》の威力を使い尽くしたのだ!

「チッ」

覆面ターバン姿の不審者は腰帯の袋――さしづめ弾倉――に手を突っ込んだ。

『させないわよ!』

アルジーは、叩きつける雨を銀幕として、《鳥使い姫》人体イメージを投影した。

白いネコミミ付の姫ベールに、スパルナ風の白い《鳥使い》装束の姿をしたうら若き乙女が――相当にガイコツに近い虚無スナギツネ顔だが――濃厚な雨の中、 現実さながらの濃い幻影として立ち上がる。

男女共通のシャツと広幅ズボンの上に、白い羽翼紋様をした優雅な長衣(カフタン)。膝下丈だが、深いスリットが入る。 スパルナ部族を含む騎馬民族の共通の伝統を汲んだ、機動的な意匠。そのまま馬上に、またがれるほど。

――こんな事になると分かってたら、あの《魔導》カラクリ人形に憑依して駆け付けたのに!

あの人形なら、肉弾戦(レスリング)でもってタックルすることも、投げ飛ばすことも、できたのだ。後悔しても遅いけど。

不審者のほうは、いきなり実在の人間が現れた――と見て取ったのか、その目に大いなる驚愕の表情を浮かべていた。驚きすぎるくらいに驚いている。不自然なくらいに驚いている。

物理的時間で言えば、ごくごく、わずかな瞬間だが。

ある意味、正体あるいは本心をさらけ出すほどの動揺が走っている状況。

この濃密な雨の中、白文鳥《精霊鳥》に由来する高感度で見て取れるまでに、不審者の内心の動揺が露出してきたお蔭か……ハッキリと見える。

覆面ターバンをした不審者の頭部に、ピッと立つ、不思議な霊体パーツが。

――《精霊鳥》スタイル冠羽の、幻影――奇妙な霊体。後から取り付けられたような……

その冠羽イメージは割合に大きく……たとえば御曹司トルジンなどといった富裕層の類が、ターバンに、大きくて華麗な羽飾りを装着したように見える。

純白の霊光(オーラ)は、偉大なる白孔雀の尾羽の形。

――『アル・アーラーフ』へ連れて行ってくれる七枚羽のひとつかどうかは分からないけれど。

きっと意味のある「ナニカ」だ。あとで白タカ・ノジュムとか、あの《地の精霊》へ確認しよう。

『殺(シャア)ッ!』

人体《鳥使い姫》幻影は、気合と共に、殺(や)る気をみなぎらせ。

城砦(カスバ)の城主が新人戦士の取り立てを兼ねて開催する闘技会――闘技場(コロッセオ)に参上した、就職活動中および猟官活動中のならず者ファイターのように。

鳥を思わせる長い振袖をパパパとひるがえし、足さばきをセットして。「てめぇ、ボコるぞ」という、万国共通の誇示をし。

人体《鳥使い姫》幻影は、ファイター拳闘ポーズを取りつつ、襲いかかった。

ストリートファイト真剣勝負。

迎撃の拳闘の構えで、即座に応じる不審者。

実は、アルジーの足運びは格闘技のものでは無い。恩師オババ殿の指導のもとに極めた、国家祭祀の剣舞のものだ。いちおう模範的・古典的な武闘の動きをなぞるが。

アルジーの実戦経験の無さを見て取ったのか……不審者のほうは、余裕シャクシャクの雰囲気。バカにして見くだしているのが分かる。

両者ともに殺到し瞬時に間合いが詰まる。

人体《鳥使い姫》幻影は……残り、一歩で。

物理的実体さながらに地面を踏み切り、鳥のように高く跳躍する!

――かつて、とても健康だった幼少の頃、山育ちのアリージュ姫は、これくらいの跳躍など、軽々と、こなしてのけていたのだ。

割合に小柄な体格の不審者は、尋常に肉弾戦(レスリング)および拳闘スタイルで迫って来ると予想し、確信していたらしい。

反撃のための拳(こぶし)を突き出したところで、急激に――あまりにも想定外の――上空へと舞い上がった影を、唖然としながらも睨(にら)みつける。

激しく降りそそぐゲリラ豪雨。

覆面ターバンからのぞく不審者の目が、耐えかねたように細められた。

――てぇいッ!

同じ霊体どうしならではの、リアル感覚。この手に、純白の冠羽の幻影を、もぎ取った!

かつて幼少時にやっていたように、最高点でヒラリと宙返りして、シュタッと、石畳に着地する。

身体で覚えているとおり、着地の際の反動を少なくするために、膝を深く曲げて。いまは亡霊だったと気づいて、ちょっと赤面するアルジーであった。――このフィニッシュは、不要だった。

物理的実体の無い、けれども大きくて華麗な、白孔雀の尾羽を思わせる冠羽の幻影――「ナニカ」とは言え。

覆面ターバン姿をした不審者のほうでは……不意に、何らかの違和感が始まったらしい。「え?」と言わんばかりに頭頂部を押さえつつ、《鳥使い姫》幻影が着地した方向を振り返って来た。

戸惑う、不審者の目の前で。

――《鳥使い姫》幻影は、雨に溶けてゆくかのように、かき消えた!

どうやら、この大跳躍だけで、ポンコツ霊体としては精いっぱいだったらしい。

それとも新たに手に取った謎の冠羽に、そういう作用があったのか。

若干、雷撃ショックが収まった鷹匠ユーサーと白タカ・ノジュムのほうからも、セルヴィン少年とオーラン少年、それに火吹きネコマタと白タカ・ジブリールのほうからも、驚愕の視線がやって来ている。

次の瞬間。

「ジナフ殿ー! ユーサー殿ぉ、それから、」

女騎士サーラが蒼白な顔をしながらも駆け付けて来た。騎馬で。

「チッ、次から次へと! 死ね!」

不審者は強力なバネのように身体をしならせ、女騎士サーラへ襲い掛かる。ギラリと光る短刀。

女騎士サーラは、素晴らしいまでの反射神経でもって反応した。もとより騎馬の民。熟練者ならではの巧みな手綱さばきで、馬ごと第一閃を回避する。

とはいえ、急に馬体が方向転換した勢いで、女騎士サーラは落馬する形になった。受け身と回転をしつつ迎撃態勢を取る。

不審者が肉薄して、再び斬撃が走った。短刀どうしの衝突音。

「きえーい!」

女騎士サーラの裂帛の気合と共に、回し蹴りが炸裂する。

――ボキリ、という骨折の音。

想定外の攻撃だったのか、重心を取られて、ドウ、と転倒する覆面ターバン姿の不審者。

衝突の衝撃で、不審者の腰についていた、もうひとつの荷物袋の口が開いた。

飛び出して来たのは……禁術の大麻(ハシシ)保管のための、かの邪悪なタバコ袋。10数個。カムザング皇子の大麻(ハシシ)密売ビジネスで出回っていた品。

「禁制の大麻(ハシシ)……!」

目を見開く女騎士サーラ。

「不法所持で現行犯逮捕するわよ、観念なさい!」

腰紐に取り付けてあった、汎用の縄を素早く取り出す。

もがく不審者に縄が掛かり。もう少しで捕縛が完了するという頃。

路面幅を挟んだ、控え壁の窪み――物陰の辺りから、強烈な雷光が、けたたましい雷撃音と共に飛び出した。雷帝サボテン鉄砲。

「ハッ……!」

女騎士サーラの方向。女騎士サーラは、俊敏な反応でもって、素早く回避する。

「そんなバカな」

驚き叫ぶ鷹匠ユーサー。熟練の戦士の目は、ハッキリと捉えていた。雷帝サボテン鉄砲が、本当は、どこを狙っていたのか。

強烈な雷撃は、覆面ターバン姿の不審者を直撃した。

致命的な強度の雷撃ショック――「ビョン!」と、大人の背丈の高さほどにまで跳ねあがる、不審者の身体。

ついで、2回、3回ほど、異常なまでに激しい痙攣をしつつバウンドして、背丈の半分ほどまで、繰り返し跳ね上がった後。

――不審者は既に、こと切れていた。心臓と脳への、致命的な《魔導》雷撃ショック破壊でもって。

同時に。

目的を達したことを確信したのか、控え壁の窪みで、タタタ……と走り去る足音。

謎の雷帝サボテン鉄砲の主は……あっと言う間に、姿をくらましていたのだった。

*****

夕方の大雨は、突然に始まったのと同じように、突然に終わった。

太陽は、まだ西の地平線の上に残っていた。日没の前ならではの赤く染まった夕光で、名残の雨雲が多彩な色合いに輝き燃えている。

高感度な精霊たちが、小路の異変に気付いて騒ぎ出し。

いまは既に、戦象隊の詰所からも、白鷹騎士団の詰所からも、ほぼほぼ半数以上のメンバーが、驚きながらも駆け付けて来ていたのだった。

*****

「まさか、真犯人が、女戦士ヴィーダとは」

女騎士サーラは、まだ衝撃が抜けないまま、小路の縁石にへたり込んでいた。夫の騎士エスファンが隣に腰を下ろし、妻サーラの肩に腕を回して――無言の気遣いを見せている。

死体となった不審者の人相を、念に念を入れて確認するために呼び出された――銀ヒゲ毛深族ジャウハラも、頭の中身を整理するのに忙しく、ひたすら見事な銀ヒゲを、ガシガシとしごくのみ。

生成りの覆面ターバンにお忍びマントをしていた、割合に小柄な不審者の死体。

その覆面ターバンを剥いでみると、筋肉道場の免許皆伝者にして女教官ヴィーダの顔が現れたのだ。

あまりにも「まさか」で、女戦士ヴィーダを直接に知る複数の知人が――銀ヒゲ・ジャウハラ戦士も含めて――代わる代わる確認した。

確かにヴィーダだった。

強烈な雷帝サボテン鉄砲にさらされたせいで、全身の毛細血管がことごとく灼けてしまっていた。《人食鬼(グール)》裂傷なみの暗い色をした、 樹状パターン火傷に――頭のてっぺんから足のつま先まで覆われていて、生前の姿からは大きく違ってしまっていたけれど。

衝撃ゆえの、大小のざわめきと、沈黙とが、いつまでも周囲に横たわっている。

セルヴィン少年とオーラン少年は、魔導士ジナフの診断を受けて……速やかに雷撃ショックを抜くための治療用の黄金《魔導札》を、おでこにペタリと貼られた状態だ。 毛玉ケサランパサランは完全なる無害とはいえ邪霊の類であり、《紅白の御札》よりは黄金《魔導札》のほうが、反応が格段に良いのである。

少年2人ともに当分の安静を指示されており、魔導士ジナフの助手を務める若手の騎士-兼-魔導士の監督のもと、縁石に座り込んだままである。 セルヴィン少年には成年対応の相棒契約が無く、オーラン少年のほうも、相棒となっているのは、まだまだ若い精霊(ジン)だ。

――鷹匠ユーサーは、既に回復して元通りの状態だ。さすがに、ベテランの大人の余裕。

その中堅ベテラン鷹匠の手の平のうえ、白文鳥アルジーは疲労困憊で座り込んでいた。2人の少年や鷹匠ユーサーと同じように、周囲をキョロキョロして、色々と情報を詰め込んでいたけど。 時々パタッと失神しかけるのは致し方ない。

鷹匠ユーサーが気を遣ってくれて、『すべて記録に残りますので、いまはお休みください』と声を掛けてくれたのだけど。 次々に意味深な動きがつづくから、白文鳥アルジーとしては失神してられる状況じゃない、というのが正直なところだ……

…………

……

やがて、女戦士ヴィーダの家宅捜索のための小隊を指揮していたクムラン副官と護衛オローグ青年が、配下の報告を持ってやって来た。

「魔導士ジナフ殿のご推察のとおり、発見できました」

「もうひとつの字型スタンプが、女戦士ヴィーダの家の、筋トレ道具の中から」

ほぼほぼ回復済みとなっていた魔導士ジナフが、訳知り顔で……若い青年2人へ、頷いて見せる。

この場の最高責任者として立ち会っている白鷹騎士団のシャバーズ団長が、「頭痛が」と言わんばかりに、こめかみを揉んでいた。

「水くさいではないか、魔導士ジナフ殿。急遽バシール夫人を保護していたという事実を、この私シャバーズにまで伏せていたとは」

――シャヒン部族長、シャヒン・カスバ王侯たるシャバーズ侯として『陛下』称号を持つシニア世代の男。その頭部は、すでに白髪多めの状況であるが……このたびの事で、もっと白髪が増えるのは確実だ。

「私ジナフとしても過去の経験に無く、判断を迷いました。 我らがスパルナ部族の偉大なる《鳥巫》カルラ導師が創始せし『占術・白羽の矢』により、『部外者すべてに対して極秘にすべし』との占断を得ており。 ただ――私の理解に不備があったと申しましょう」

そこで、魔導士ジナフは、老いた顔をしかめ、眉間にさらなるシワの数を刻んだ。

「女戦士ヴィーダ殿が急にやって来て、『長官指示によりバシール夫人を我々の方で保護する事になったので、彼女がそちらに居るならご案内いただきたい』と持ち掛けて来て。 まさか、あの占断が『女戦士ヴィーダ殿にも極秘にすべし』だったとは思いもよらず」

魔導士ジナフは説明している間にも、視線を動かして、小路の延びている方向をうかがった。

ちなみに控え壁や、各種の物陰という物陰は徹底的に調査され、これ以上の不審人物は――最後に雷帝サボテン鉄砲を撃って女戦士ヴィーダを始末したと思しき謎人物も――居ないことを確認済みである。

「この小路を行きながら『バシール夫人が鷹小屋に居る』と説明した瞬間、雷帝サボテン攻撃を受けました。 あの不思議なまでに奇跡的なタイミングで、鷹匠ユーサー殿が駆け付けていなかったら、今ごろは……すべて我が不徳といたすところです」

魔導士ジナフの説明が一段落した。

――小路の延びている方向の先――

ほど近い位置の、城壁沿いに、灯台型の夜間照明ランプがスッとそびえていた。

その灯台型の夜間照明ランプの下に、小屋があった。

港湾に設置される灯台と管理小屋の一式……そのもの。

急ごしらえではあるが、すこぶる大型の鷹小屋だ。人体を超えるサイズをした大型の白ワシ《精霊鳥》や鷲獅子グリフィンを受け入れることができる。 標準的な体格の人間なら、4人か5人ほどが、余裕で身を隠せる程度の広さを持っている。

誰かが、「まさに灯台下暗し、だな」と、ささやく。

その鷹小屋の出入口で、あのバシール夫人が、面目ない様子で佇んでいた。

「ゴメンよ。いろいろ考えて、ホント怖かったしさ。アブダル殺害事件で禁術の大麻(ハシシ)の話がまた出て来てたし。 白鷹騎士団だったら、これまでのジャヌーブ商会の過去取引の実績をおさらいしてみても、禁術の大麻(ハシシ)に関する限り、絶対に信じられるって思ってさ」

そして驚くべき事に。

かつて、セクハラ狂アブダル戦士に不快な思いをさせられたという、噂の女性《亀使い》が、相棒の《精霊亀》と、ご夫君と共に……バシール夫人の隣に現れていたのだった。 バシール夫人が不吉な予感を覚えて老魔導士ジナフのもとへ助けを求めた時、同じ大型の鷹小屋の中に、既にこの夫妻が、先客として隠れていたのだ。

バシール夫人が、その若い夫妻を、いまだに驚きの顔で眺めつつ。

「ええと、《精霊亀》占いかなんかで、此処が最も安全と出てたそうで、あたしより前に隠れててさ。 そりゃもう、白鷹騎士団の魔導士さんも気付かなかったってさ、一緒に、びっくらこいたよ。 アブダルの『男の証明』を徹底的に呪ってた《灰色の御札》重要参考人として、捜査本部がさんざん探し回ってたそうだけど、見つからなかった訳だね」

相応に近くに陣取っていた若い《精霊象》ドルーと、壮年《象使い》ドルヴが興味津々で、話題の《亀使い》夫妻を眺め回していた。

「あのー、巨人族アブダルが殺された正確な時刻を知ってんじゃないですか、その《精霊亀》さん。 私の相棒《精霊象》ドルーが『朝の頃に、パチッというような音を聞いた』と証言してまさ。だけど『朝の頃』じゃ、時刻を細かく特定するには幅ありまさ。 《精霊亀》が何か言ってたら通訳してくれませんか、《亀使い》ナスリンさん。それに楽器職人スードさん」

ナスリンと呼ばれた女性《亀使い》は、おずおずと頷いた。

しきりにお腹を撫で、かばうような挙動が入る。

同年代の若い楽器職人スードが、妻の腰に、気遣うように手を回して支えていた。女性《亀使い》のお腹は、ハッキリと目に見える段階では無いが……確実に妊娠している。

市場(バザール)の、落ち着いた雰囲気の工房がならぶ町角で見かけるような、生真面目で物静かな雰囲気の楽器職人と、その初々しい若奥さんという雰囲気。

こうして見ると、若奥さんのほうは、とてもとても、すべての男を恐怖に至らしめた《灰色の御札》を仕掛けた張本人とは思えない。人は見かけによらぬものだ。

若い女《亀使い》の足元で、ひと抱えほどの立派な《精霊亀》が、チョコチョコ動いている。ごく最近に脱皮していた事が分かる。 その甲羅は新しくて、螺鈿細工に似たキラキラした輝きも良好。

……《亀使い》ナスリンは、相棒《精霊亀》と視線を合わせ、ひとつ頷いた。

「私の相棒《精霊亀》テスラは、《灰色の御札》および《亀甲の赤護符》検出を通じて、夜明け直前の《麻雀サボテン》開花を少し過ぎた後の刻、 アブダルの『男の証明』の破壊が始まったことが分かっている……と証言しています。 ですから、そちらの《精霊象》ドルーが聞いた物音のタイミングは正確ですわ。《精霊象》時間感覚は相応にノンビリしてますよね」

「じゃ、アブダルが襲われて心臓停止させられてたのは夜明けの頃ですね! 死体が発見された時に近い、午前休憩の刻じゃ無い! あの巨人戦士アブダルなら、意識が有ったら、 その辺の邪霊害獣《三つ首ネズミ》大群なんか、朝メシ前の腹ごなしに、バッタバッタと千切って投げてまさ」

壮年《象使い》ドルーが勢いよく、護衛オローグ青年やクムラン副官のほうを振り向いた。

クムラン副官は「してやられた」と言わんばかりに、首をフリフリしている。護衛オローグ青年のほうは、生真面目に腕組みして検討している姿勢だ。

「後知恵だけど、もっと真剣に検討すれば良かったんだな。《麻雀サボテン》開花の刻が2回あった、という――ジャヌーブ地方なら、子供でも知っている単純明快な事実を」

「あの怪文書にも《麻雀サボテン》開花の刻に来い、と書いてあった。1回目の開花の刻を指示していた訳だ。その時に呼び出されたのが女戦士ヴィーダ。 その後に、ヴィーダによる字型スタンプの小細工が加わって、2回目の開花の刻に、新たに呼びされたのがバシール夫人」

護衛オローグ青年が時系列を整理し、クムラン副官は何度も頷きながら、そこに補足を入れた。

「その時には、もう1回目の開花の刻が終わっていたから、バシール夫人は、指定された時刻は『午前休憩のタイミング』と受け取ってしまった。 で、あんなタイミングに居合わせてしまったと……」

「まったく、そうなんだよ。あの呼び出し状は、ジャヌーブ商会の、あのオシャカになった出張所の窓口まで配達されてたんだ。まんまと操られるって、あんま気持ち良くないね」

バシール夫人は、まったく形の崩れていないベールを、神経質に調整し直していた。

「あたし、アブダルを脅迫してたから、余計に胸に覚えがあったんだよ。『ジャヌーブ商会の顧客には帝都のお偉がたも居る、その筋の有力者へチクってやる、 帝都へ上京しても栄誉栄達が望めなくなるようにね』って。あの手紙の『清算について』、てっきりセクハラ問題の謝罪賠償とか、そういう清算だと思ってたんだよ」

「その確信をもって、あの中二階の現場を訪れてたって状況だったんですね、バシール夫人。四色の毛玉ケサランパサランで散らかってたんでしょ?」

クムラン副官がフンフンと頷きながら、器用に、先を促している。

「ものすごい毛玉だらけだった。中二階は、その夜にも宴会の会場になる筈なのに、掃除されてないのは変だなって思ったけど。 黒毛玉がバリバリ光ってたから、アブダルが待ち時間の暇つぶしに、黒毛玉を『大人のオモチャ』でゴリゴリ破壊して遊んでたんだろって納得してた。 アブダル専用『大人のオモチャ』に、そう言うのあったんだよ。 でも、後から考えて、その小道具、アブダルのズボラで、さっさと故障して修理に出してた筈だと思い出して、何もかも変だと……色々考えて……怖かったよ」

バシール夫人は、記憶をおさらいしている間に、ブルッと来ていたのだった……

「あいつ、四色の毛玉に埋もれてて、『男の証明』が、邪霊ネズミにガジガジやられてんのに、ピクリとも動いてなかった。それで死んでるって、パッと分かった。 アブダル本人の死体が転がってるなんて思わなかったから、心臓が止まったよ、あの時は」

「うむ、我々は直(じか)に目撃しました。とてもとても理解できますぜ、バシール夫人」

臨場感あふれるバシール夫人の証言は、場の注目を集めていた。

聞き取りの上手なクムラン副官が、さらなる証言を引き出す手腕を発揮している。クムラン副官の特技を熟知している魔導士ジナフが、青年のほうへそっと頷いて見せ、先を促していた。

クムラン副官は、持ち前の察し良さで、片目をつぶって応え。

この場の視線が集中しすぎて、別の意味でソワソワし始めたバシール夫人の緊張をほぐすためか……クムラン副官は、いかにも「なんか思いついた」という顔をして、 場の一角へ、別の質問を投げ始めた。

「女騎士サーラ殿に鷹匠ユーサー殿に――魔導士ジナフ殿。女戦士ヴィーダの雷帝サボテン鉄砲は名人の領域だったとか。 いかがです、腕前を実際に体験して。女戦士ヴィーダなら、不意打ちの一瞬で、巨人戦士アブダルを仕留めた、と思いますか? 同じ戦士として」

さっそく女騎士サーラが応じる。

「女教官ヴィーダは、三つ首《人食鬼(グール)》暗殺術の達人よ。免許皆伝。戦士として圧倒的なまでに強かったわ。 巨人戦士アブダルを間違いなく仕留められた筈よ。《人食鬼(グール)》暗殺術の応用で」

「ヴィーダの師匠として、吾輩が保証する。女戦士ヴィーダはアブダルを取り押さえられる実力を備えた、稀有な女戦士じゃった。 雷帝サボテン鉄砲もそうじゃ、この目で見たことがある」

銀ヒゲ・ジャウハラ戦士が、生真面目な顔で、ブツブツ呟いた。

「相手の動きの先を読める鋭い直感を備えていた。昔は実際に、有望な《鳥使い》候補と評価されていたそうじゃ、 色々あって戦士を目指す前は。《鳥使い》特有の鋭敏な感覚は、戦士としても役立つ。実際ヴィーダの《人食鬼(グール)》暗殺術の上達は素晴らしいものじゃった。 吾輩が足しげくジャヌーブ港町へ出張していたのも、港町のドリームキャッチャー護符の製作工房になんとなく集まっている《鳥使い》候補を、戦士として勧誘するためでな」

「ほほお。そりゃ初耳でしたよ、銀月ジャウハラ殿」

そのクムラン副官の反応は、演技では無く本物だ。

鷹匠ユーサーと魔導士ジナフは、腑に落ちる部分があったようだ。2人ともに意味深な視線を交わし、頷き合っている。

そして、鷹匠ユーサーが、重要な言及をした。

「とりわけ鋭敏な感覚に恵まれた《鳥使い》候補は、占術の上達も早いと聞き及んでおります。最高位の占術師である《青衣の霊媒師》も、 最初は《鳥使い》候補であった事例が多いとのこと。或る程度までなら……相手がどう動くか、前もって先読みも可能。 女戦士ヴィーダは、《鳥使い》候補ならではの直感を悪用する方向へいったようでございますが」

魔導士ジナフが、「応」と同意する。

「非常に突出した直感は、認識と思考がそれを扱えるほどに高度に訓練されているならば、ほぼほぼ予知能力の域に達する。 そして《鳥使い》の訓練……ドリームキャッチャー護符の飾り羽を選んだり、より高度な《白文鳥》精霊語を習得したりすることは、その方向への訓練になる。 古代の驚異《精霊魔法文明》を築いた言語――精霊語は、深遠なる大自然の奥義に関する言葉が、とても多いゆえ」

静かな声でのやり取りであったが。

あまりにも重要かつ意味深。別の意味で場の注目を集めたのだった。

「青き衣をまとう《鳥巫》カルラ導師も、若い頃は、白き衣をまとう《鳥使い》――スパルナ部族が輩出した超一流の《鳥使い》であったとのこと。 すべての人類が《怪物王ジャバ》に脅(おびや)かされていた古代、その大いなる道標の力をもってスパルナ王国の開祖を補佐し、 スパルナ部族を安全な地であるスパルナ王都――現在のスパルナ・カスバ――まで導いたと伝えられている」

スパルナ部族の出身である騎馬戦士にして黒衣の魔導士ジナフの言葉の端々には、偉大なる先達《鳥巫》カルラへの畏敬の念が、深々とにじみ出ていた。

「青き《鳥巫》カルラ導師の大いなる導きにあずかって、《怪物王ジャバ》の魔の手を逃れ、命脈をつないだ他の部族も少なくない。 かくして《雷霆刀の英雄》が安全なスパルナ王都で重要な数年間を過ごし……『天の書』を読む《鳥巫》カルラ導師と、鷲獅子グリフィン鷹匠であったスパルナ王子アルシャインの援護のもと、 《怪物王ジャバ》退魔調伏を成し遂げられた」

その意味深な古代伝承は、少しの間、それぞれに思案の種になったのだった。

どこよりも安心できそうな鷹匠ユーサーの手の平で、フワモコしつつ……白文鳥アルジーもまた、新たな納得を得ていた。

――そう、女戦士ヴィーダは、有望な《鳥使い》候補ならではの直感でもって、或る程度、先読み……見抜くことが可能だった。 武器展覧会の夜、あの医療スタッフ青年が、ビックリするような騒動を巻き起こすだろうな、と確信できる程度には。

その時、良い意味で真面目な医療スタッフ青年は、カスラー大将軍を必ず刺してやろうと、ピリピリしていた筈なのだから。 本来の、医療スタッフとしての職務に忠実な人物が、敢えて人を害する行動に出るというのは、よっぽどの事だ。

襲撃が失敗して捕まった後の時のように、彼は襲撃直前まで、緊張でブルブル震えていて、蒼白な顔色をしていて、慣れない短剣を隠し持ったゆえの怪しい挙動をしていて――経験を積んだ衛兵や警備が、 ヴィーダよりも早く医療スタッフ青年を見つけてたら、「絶対にオカシイ」と思って、職務質問をして身柄を押さえていた筈だ。

いっときの静かな時間。

やがて、それぞれに思案に一区切りという頃合い。

クムラン副官が陽気な調子に戻って、バシール夫人への聞き取りを始めた。

「それにしても『ご存知マッチョ盛り合わせ』なんて変な名乗りなのに、よくアブダル本人だと判断できたもんですね? バシール夫人」

「ジャヌーブ商会では匿名での取引も受け付けてるんだ。恥ずかしい性癖が満載な品を取引する時に、本名さらしたくないだろ、誰だって。 アブダル本人が、ジャヌーブ港町の娼館の、女物スケベ衣装やら『大人のオモチャ』やらを買う時に、使ってた匿名なんだよ。 ジャヌーブ商会とつながりのある、その手の取引先とは情報連携が済んでるから、気まぐれで特殊な注文にも、すぐ応じられるようになってた」

そこで壮年《象使い》ドルヴが素晴らしい推論へと到達したのだった。

「女戦士ヴィーダが禁術の大麻(ハシシ)取引する時に、その匿名を乗っ取るのも可能になりまさ。彼女、『筋肉道場』事務全般も担当してたから。 アブダルの匿名での恥ずかしい購入履歴、その気になれば堂々と閲覧できまさ。匿名取引は、売買証明書の締結やら本人認証やら、税金計算やら、 事務方面が面倒くさいから、アブダルの代理もしてたかも」

「そうそう、あたしも同じことに気づいたんだよね」

クムラン副官の他にも、積極的な同意と共感が入ったことで、バシール夫人は大いに安心したらしい。早口で、さらなる証言を重ねていく。

「前に『ご存知マッチョ盛り合わせ』の名で、新しい字型スタンプ発注あったんだよ、『筋肉道場』備品購入の名目で。 真面目な商品だから、普通はアブダル本人の名前になる筈なのに変だな、とは思ったけど。 『公文書作成用とは別の、セクハラ手紙の作成用の、秘密の字型スタンプなんだろ』って感じで……違和感そんなに無かったね」

そこでバシール夫人は「あっ」という顔をした。先ほど、クムラン副官と護衛オローグ青年がヴィーダ家から押収して来た、新品の字型スタンプのほうへ視線を向ける。

「その新しい字型スタンプ、我らがジャヌーブ商会の取次業者ディロン肝いりで素晴らしいツテが出来てたんでさ、長持ちする《精霊金属》合金なんだ。 アブダル専用の備品って、すぐに壊れてたからね。製造や修理を担当する工房や職人たちは『物を大事にしない野郎は最低だ』って怒ってたけど。 その気になれば、《精霊使い》の誰かが、字型スタンプに宿ってる《地の精霊》と話して、ヴィーダがどうやって怪文書を作成してたのか、聞き取れるんじゃないかな」

*****

城壁の鷹小屋の小路において明らかになった証言や、指摘された内容の数々は、ことごとく立証された。

新品の字型スタンプに関して、新たに言及された点についても。

オーラン少年を祝福している《地の精霊》が、即座に字型スタンプに宿っている《地の精霊》へ聞き取って、明らかにした。翻訳は、白タカ・ジブリールを通じる形になったけど。

『運搬は、クムラン君やオローグ君と同じように、帆布だの台車だの工夫してたんだって』

『ただ、アブダル戦士と同じような字型をスタンプするのは、さすがに不可能って事で、 こう、字型スタンプを逆さまに置いて、インク着けて、上から紙を押し付けて、戦士として訓練された筋骨でもって怪文書スタンプしてた。これなら騒音も出ないし、適当に、独特の圧迫痕も残る』

公衆浴場の収納棚のインク痕は、ズボラなアブダル戦士のふりをして字型スタンプを保管した時に、残ったものだ。 当時は、アブダル死体お焚き上げ真っ最中だったから、禁術《歩く屍(しかばね)》をもってしても、そんな事あり得ないって気付いた時には、時すでに遅し、だったけど。

何故なのか、アブダル殺害事件の捜査本部のメンバーの誰もが、「字型スタンプの矛盾」という決定的ポイントに気付いていなかった。あまりにも日常の品だから、注目が薄かったのだ。

アブダル家から字型スタンプが見つかったという報告も、まだ無い。

このまま、新品の字型スタンプをどうにかして、こっそり証拠隠滅すれば、逃げ切れると踏んだ気配があったという。

――ちなみに、これは、《魔導》工房の中で成立した《精霊契約》を、非合法に、合意ナシで一方的に破棄する形になる。どれほど、ささやかではあっても。

そんな事態になったアカツキには、《地の精霊》が死に物狂いで抵抗して、古代遺跡のオベリスクよろしく、原形をとどめる予定だったそうだ……

…………

……

さらに。

第一長官マフレガー閣下が意識を取り戻して、開口一番。

――「以前に、タフジン大調査官の緊急指令により、ジャヌーブ港町の非合法の大麻(ハシシ)業者を一斉に取り締まった時の、第1回目の記録を照合しろ」。

そこには、間違いなく記録されてあった。有象無象の非合法の大麻(ハシシ)業者が、互いに相手に罪をなすり付けようとして白状した内容が。

ジャヌーブ砦へ流れた禁術の大麻(ハシシ)の取引先の第一位として、カムザング皇子が名指しされていたのは当然として……

――『筋肉道場』窓口、ご存知マッチョ盛り合わせ――という白状の内容が、記録されていたのだ。

あのズボラな性格のアブダル戦士が、細々とした事務をやれる筈が無い。

なおかつ《象使い》ドルヴが指摘したとおり、匿名取引は書類の整備が面倒くさいのだ。 まして、あのラーザム財務官や財務文官ドニアスが専門知識でもって整備していた、マネーロンダリング網やらブラック金融やら、複数の灰色な仲介業者を経由するともなると。

論理的に考えれば、事務担当をしていた女戦士ヴィーダが、富裕な顧客アブダル戦士に対する、禁術の大麻(ハシシ)取引ルート窓口となっていた……と結論できる。

女戦士ヴィーダが密売人の手先となって、巨人戦士アブダルへ、禁術の大麻(ハシシ)を流していたのだ。 他にも客が居たかどうかは分からないが、『筋肉道場』へ通っている他の弟子たちについては、疑いは晴れている……

帝都でも評判の高位高官、虎ヒゲ『毛深族』の族長――王侯諸侯の地位をも持つ――タフジン大調査官の手際のほどは、恐れるに足る。

タフジン大調査官の取締りが、女戦士ヴィーダを捕らえる可能性は大いにあった。

それで、『筋肉道場』から破門追放された後も、なおも『筋肉道場』まで押しかけて、禁術の大麻(ハシシ)をねだる欲深なアブダル戦士が邪魔になって……始末したのだ。いつもの「清算」、 すなわち禁術の大麻(ハシシ)の、取引の際に。

いままで用心深く、匿名「ご存知マッチョ盛り合わせ」を使っていた。万が一のことがあっても、「アブダルの口封じ」が完全犯罪として完璧に完了していれば、女戦士ヴィーダは逃げ切れた筈だった……

*****

今夜、アブダル殺害事件の捜査本部は、タフジン大調査官の指揮のもと、大勢の関係者が集合して深夜までフル回転だ。

藍色をした夜の空高く、半月の姿をした銀月が、幾何学的格子の窓枠から見える。

光度を増した銀月のもと、月光が差す部屋の中は、すこぶる明るい。だが、会議室となっている大広間を満たすほどでは無い。

会議室の中が真昼を思わせる明るさとなっているのは、やはり、ズラリと並んだ夜間照明ランプによる力だ。 ランプの炎すべてに、特に選ばれた《火の精霊》が宿っていて、城壁の篝火(かがりび)さながらに強力な魔除けの要素を加えている。

――主だった卓上で、分厚い報告書が次々に作成されてゆく。

巻き込まれた形になったものの、『筋肉道場』道場主である銀月ジャウハラ戦士や、付属の公衆浴場を管理している初老の管理人夫婦、それに居合わせた弟子たちが重要参考人として招かれ。 彼らの協力のもと、さらなる捜査記録の報告書が、次々に更新されていっている状況だ。

重要参考人として、セルヴィン皇子や従者オーラン少年、それに《象使い》ナディテ婆と壮年ドルヴ、女《亀使い》ナスリンも――ジャヌーブ商会の面々も――参加している。

同じく、重要参考人として参加していた白鷹騎士団の女騎士サーラが、ポツリと漏らした。

「女教官として、ヴィーダは本当に素晴らしい戦士だった。いわゆる雷のジン=ラエド戦士では無いけど雷帝サボテン鉄砲の名手。 今度の進軍でも、《人食鬼(グール)》対応の戦力として、セルヴィン殿下の軍に参加していただく戦士契約の締結済み第1号で。 こんな事になって本当に残念だし、武闘の師匠を倒したのだと知っても、なんだか苦い後味しか無いけど」

白鷹騎士団の専属魔導士ジナフが、思案深げに応じる。

「だが、早々に発覚して、逆に危険人物を排除できたという状況ではあるな、サーラ君。巨人族アブダル戦士も、戦士契約の候補だった。あれほどの二重人格だったとは。 以前に、エスファン君から、騎士団訓練所の剣術指南役をしていたアブダル戦士が、訓練生オーラン君に対し人道を超えた虐待をしていたとの告発を受け取っていたのだが、 正直、半信半疑だった……白タカ《精霊鳥》による目撃証言があるまでは」

老魔導士フィーヴァーがモッサァ白ヒゲをしごきつつ、銀ヒゲ・ジャウハラ戦士を注意深く見やった。

「巨人戦士アブダルは、下劣なる本性を隠すことにかけては、実に超古代の巨人族なみの邪智狡猾の才を発揮していた訳じゃな。『筋肉道場』でも同様だったのじゃろう。銀月ジャウハラ殿」

「お察しのとおり。筋肉の不自然な増強に気付き、破門追放を決定した時も、ヤツは滂沱たる涙を流して、非常に反省的かつ殊勝な態度を見せておったのでござる。 情にほだされて、もう少し弟子として置いてやっても良いか、と思うくらいには。とは言え《人食鬼(グール)》と同様、邪霊の大麻(ハシシ)に関して、曖昧な可能性に賭けるほど愚かな選択はござらぬゆえ」

「まったく信じがたい事件の連続じゃ。『この世で最強のトラブル吸引魔法の壺』の影響かのう」

そう言って、老魔導士フィーヴァーは意味深な視線を、傍聴席となっている一角へと投げていたのだった。

*****

アブダル殺害事件の捜査会議となっている大広間。

下座に多数の傍聴席が配置されていた。

軍事方面に機能を絞っているジャヌーブ砦の大多数の施設の例にもれず……この大広間も戦士や武器弾薬の手配を最優先とした、ガランとした空間となっていたが、 現在は、方々から持ち込まれた南国トロピカル絨毯や座布団クッションが、床一杯に広がった花畑のような光景を呈していた。

中の中という座の位置に、傍聴人として、鷹匠ユーサーが控えている。肩先に、ちっちゃな白文鳥。

傍聴席の中でも最上位の座に控えているのは、一時的にジャヌーブ砦の代表を務める高位神官リドワーン閣下。威信が失墜した元・大将軍カスラーの代理でもある。

次席以下の各種の座に、護衛を務める鷹匠ビザン、白タカ・サディル……番外皇子セルヴィン殿下と従者オーラン少年。

その他、傍聴人として参上している聖火礼拝堂の重役たちと、宮殿の高位役人たち。

巨人戦士アブダルは、カスラー大将軍のお気に入りだった。いずれは第一長官マフレガー後継となり次の第一長官となるだろうと目されていた程に。 その巨人戦士アブダルの数々の不祥事と、原因が、ほぼほぼ不祥事という……アブダル殺害事件の真相に、興味津々なのであった。

鷹匠ユーサーの肩先で、白文鳥アルジーは、ゲリラ豪雨の影響で乱れ果ててしまっていた各所の羽をつついて、せっせと調整しつつ。

目の前の『魔法のランプ』でネコミミ炎となって燃えている、セルヴィン皇子の相棒《火の精霊》へ、疑問を投げ始めた。

『女戦士ヴィーダが、禁術の大麻(ハシシ)ビジネスに手を出した理由って何だったのかしら? 大金を稼げるという理由は理解できるけど、『筋肉道場』免許皆伝者としての名誉だって相当なものになる筈よ。 傭兵ビジネスで、目も眩むほどの儲けになるのは確実だし。そういう利権だけでは、満足できなかった……?』

ネコミミ炎がパチリと弾け。《火の精霊》が思案深げに、推理を語り始めた。

『我としては、最後に雷帝サボテン鉄砲を撃って来た謎の人物が、気になるのである。女戦士ヴィーダを、首尾よく暗殺、口封じしてのけた人物ゆえ。 あの余計な狙撃者のせいで、このたびの事件の大部分は、謎のまま残ってしまった。特に生贄祭壇とか、三つ首の仮面とか』

――あ。

パッと記憶がよみがえった。確かに、女戦士ヴィーダを殺した人物が居た。

『……その狙撃者も、雷帝サボテン鉄砲、とても上手だったわね……?』

『うむ……ちょっと待て、邪魔者を片付けなくては』

ネコミミ炎がクルリと一回転し、さらにパチリと弾けた。その火花を浴び、新しく忍び寄って来ていた邪霊害獣《三つ首ドクロ》がフラフラとなる。 そして、白タカ・ノジュムに蹴られて、無害な熱砂と果てていった。

『ふー。あの狙撃者は生まれつき《鳥使い》候補なみに感覚が良いのであろう。だが、ニャンチャッテ邪霊使い・ドニアスと同様に、嫌な臭気を感じた。 カムザング皇子が手掛けていた、禁術の大麻(ハシシ)ビジネス関係者の残党という可能性は大いにある』

『邪霊害虫《三つ首サソリ》を使役してたりするのかしら。ドニアスと同じように』

『そこまでは分からぬ。上手に隠蔽していた。だが、あれは低品質な《邪霊害獣の金鎖》が、退魔調伏の雨にさらされて錆びてゆく時の異臭であった、確かに。 本物の邪霊使いが装着するような特注品は、いかなる退魔調伏の大雨だろうと急激に錆びたりせぬ』

――急激に、不吉な予感が湧き上がって来る。

白文鳥アルジーは、警戒の冠羽をピッと立てて、耳をそばだてた。

『生贄祭壇の儀式に使える水タバコ器具や黄金仮面が出て来た事は、重大だ。 巨人戦士アブダルは、ジャヌーブ砦の周辺を跳梁(ちょうりょう)する《邪霊使い》相手に、ヤミ貸出ビジネスをしていた可能性がある。 あるいは事務処理に強い女戦士ヴィーダが、アブダルの匿名を横取りして、詐欺ビジネス的に』

つづいて白タカ・ノジュムと、白タカ・サディルが、順番に、『かつての暗殺教団《炎冠星》を通じての知識と考察だ』と解説しつつ付け加えて来た。

『巨人戦士アブダルと女戦士ヴィーダ、2人とも、生贄祭壇が運営されている事実については、何も知らなかっただろう。知っていたら、生贄祭壇を、取引場所や殺害現場にする筈が無い』

『生贄祭壇を金儲けのネタにしたり、部外者へバレるような事件現場にしてしまった者は、《怪物王ジャバ》を冒瀆した罪人として、口封じされる。 実際ヴィーダは、邪霊教団の類から出て来た刺客(アサシン)に、口封じされた形のように見える』

ネコミミ炎が重々しく、同意する、といった風に、ユラリと揺らめいた。

『……《鳥使い姫》が介入しなければ、「犯人死亡・被害者および死者数名」で終結し、 もっと重大な、禁術の方面は迷宮入りだったであろう。《鳥使い姫》は重大な事実を白日のもとに引きずり出した。謎の狙撃者という取っ掛かりも、 我らが気付く形で釣り上げてくれた。誰も出来なかった事ニャよ』

ネコミミ炎がユラユラと揺れながらしゃべっている間も。

白タカ・ノジュムと白タカ・サディルは、 ポツリ、ポツリとしつこく沸いて来る邪霊害獣《三つ首ドクロ》を、沸いてくるたびに鋭い爪やクチバシで引っかいて、シッカリ退魔調伏しているところだ。

窓という窓の外側には、特別に白鷹騎士団のもとにある全数の白タカ《精霊鳥》が出張っていて、邪霊害獣《三つ首ドクロ》を、こまめに無害な熱砂に変えつづけている。

――不届きな魔導士が、よからぬ《魔導》実験や《魔導》訓練をしているのか、それとも、さらなる証拠隠滅を企むカムザング皇子の残党なのか。不自然に呼び込まれている《邪霊害獣》個体が相当数。

初歩的な魔導士としての腕が有れば、定番の呪文と黄金《魔導札》でもって四色の毛玉ケサランパサランを《魔導》できる。それと同じように、極小型から小型の邪霊害獣の各種を《魔導》することは可能。

極小型や小型の邪霊害獣は、さほど脅威では無いとはいえ。

それでも、まったく無害な邪霊である四色の毛玉ケサランパサランと比べれば、明らかに有害だ。住宅に侵入するゴキブリやドブネズミと同じくらい、油断できない。

少しの間『魔法のランプ』のネコミミ炎は、不動のまま、じっとしていた。何かを集中的に感じて、考えている様子。

そして。

『銀月《鳥使い姫》。《天の書》運行において時空幾何が整った。白文鳥パル殿が、かの「三途の川」へ《鳥使い姫》を召喚している。 姫の霊魂が《超転移》する頃合いであるな、前回の「三途の川」での話し合いのように』

思ってもみなかった指摘。

白文鳥アルジーが、目をパチクリさせているうちにも。

なにかが「カシャン」と音を立てた。扉の鍵が開いたような音だ。魔法の鍵だ。

不思議な白金の光があふれ。

目の前で、何故なのか――あの時に見た、月下美人の大輪の花のような、複雑な《魔導陣》のようなものが、きらめいていた。

その正体は、よく見ると、流星の道のようだ。大型ドリームキャッチャー護符のような、複雑な編み目をつむいでいる。それが、複雑な《魔導陣》のように見えるものであるらしい。

大いなる鳥の羽ばたきを思わせる、不思議な音響がつづいている……

もとから疲労が溜まっていた白文鳥アルジーの意識は……すみやかに、遠くなっていった。

■24■緑水さやけき波の上、大ハマグリの船の上

いつだったかのように、霊魂アルジー=アリージュ姫は、純白の帆掛船(ダウ)に揺られていた。

思ったとおり、空飛ぶ白い絨毯《鳥舟(アルカ)》を帆としている小船だ。

次第に覚醒して……うっすらと目を開けている状態。

純白の翼と思ったものは、みごとに織り込まれてある羽翼紋様だった。大いなる鳥の羽ばたき音のように聞こえたものは、帆掛船(ダウ)の帆が風にはためく音だった。

夜よりも深い藍色をした天空。

昼日中のように明るいエメラルドグリーン色の、とてもとても透明度の高い海――「三途の川」であるらしいが海なのだと思う、それらしい波もあるのだから。

前回よりも、不思議に実体に近い身体感覚。いままで、船の甲板で失神して横たわっていたかのような感じだ。実際に気が遠くなって、生前の人体のように横たわっていたのだろうと思う。

――奇妙な違和感を覚える。

身体感覚が生身に近づいた分だけ、霊魂が小さくなったかのような……

でも、精霊界のナゾ・ロジックでは、普通のことなのかも知れない。此処に来る前、ストリートファイト等、随分と体力気力を使ったから、その分だけ霊体が縮んだのかも。

ゆっくりと身を起こす。すると。

船首となっている鳥の彫刻の、その冠羽に当たる位置に……女戦士ヴィーダからむしり取っていた……見覚えのある、白孔雀の尾羽に似た不思議な霊体パーツが取り付けられていた。

(そう言えば、これがいったい何なのか、訳知りな精霊に聞いてみようと思っていたんだった。パルだったら知ってる筈だ)

また、あの砂浜へ導かれて漂着するのだと思う。しばし、おとぎ話の中の千夜一夜を思わせる不思議な光景を、ゆっくりと見物だ。

明るいエメラルドグリーン色の水の上を、三々五々プカプカと渡ってゆく、大ハマグリ船。

不思議に、ほど近い位置をプカプカしはじめている大ハマグリ船。最初は付かず離れずだったが、偶然なのか水の流れに乗って……こちらへ近づいて来ているようだ。

あの大ハマグリ船だったら、もう少しで、パカリと開いているところの中身が見えそうだ。 随分と色々積んでいるみたいで、ハマグリの形状――喫水の深さから推測する限りでは、これは舷に当たる部分と水面との距離が、ひときわ近い。

何を積んでいるのか、好奇心のままに……真っ白な帆柱にしがみつきながら爪先立つ、霊魂アリージュ姫であった。

いまの身体サイズが前回と同じような感じだったら、もう少し見えたかも知れないのに……つくづく、状況とタイミングが、毎回、ズレているような気がする……

…………

……

霊魂アルジーは、次に起きた変化が信じられず、例の大ハマグリ船をマジマジと眺めるばかりになった。

向こうは明らかに、意図を持って接近して来ているようなのだ。

この大ハマグリ船との距離は……もう、ほとんど手が届きそうに近い。

もはや、目の前にそびえ立つシマシマの城壁か、天井のような……

ここまで接近してみると、豪華な宮殿をまるまる抱えられるくらいの、巨大な船ということが、よく分かる。帆柱のてっぺんまで登れば、向こうの様子が、チラリと見えるに違いない。

(登ってみよう)

アルジーは、帆柱に、本格的に手を掛け……

次の瞬間、大ハマグリ船は少し向きを変え、純白の帆掛船(ダウ)と並行に帆走しはじめた。明らかに意図を持った挙動。

――いったい、なに?

そして大ハマグリ船の舷から……見覚えのある男性が、顔を出した。

宮廷風の上品な雰囲気をした淡い茶髪の――年配の、白髪混ざりの髪をした初老の男性だ。

シュクラ宮廷風の青と白をしたターバンと、蒼天の色をした長衣(カフタン)衣装だ。 ちなみに蒼天の色の長衣(カフタン)をまとうのは亀甲城砦(キジ・カスバ)からの文化流入の影響で、山岳地帯の諸王国――オリクト・カスバも含めて――東帝城砦の辺境の一部の宮廷では、割と一般的。

「……タヴィスさん!? あの、ホントにタヴィスさんなの、シュクラ王国宮廷の侍従長の……」

思わず目を真ん丸にするアルジー。

「はい、タヴィスでございます。まことに、アリージュ姫。お変わりなく。いえ、少し大きくなられて。憶えていて下さったとは……」

舷の向こうで、シュクラ宮廷の侍従長タヴィスは、感極まったように、口元に手を当てていた。

感動の再会というところだけど。

(それどころじゃ無い! タヴィスさんが三途の川に居る、ということは……! それって……!)

「もしかして、タヴィスさんも死んだの!? えーと、あの《人食鬼(グール)》襲撃、じゃなくて、邪悪な変身の巨人戦士とか邪霊使いとか、そこまで来てた!?」

次に白文鳥パルが、侍従長タヴィスの後ろから飛んで来た!

――パルだ! 相棒の……!

心臓が止まるほど、驚きあわてながらも。

帆掛船(ダウ)の舷に飛びつき、以前のように相棒パルへと、手を差し出す。生前の記憶にあるより、この手は小さいようだ。 腕もこころなし短い。いま感じている身体感覚のとおりに。何故か。

『いまから重要な《手術》をするよ、アリージュ、ピッ。不意打ちの想定外のこと過ぎて、でも絶好の好機、とっても時間が無さすぎて色々話せないんだ、ゴメンね、ピッ』

とてもとても急いでいるということは、タヴィスのほうでも、さらに後ろの存在からご教示いただいているところのようだ。タヴィスが丁寧に応じているから、とても偉い人なのか……

タヴィスは手際よく、大ハマグリ船の舷から、ロープ梯子を繰り出した。ロープ梯子はみるみるうちに、スルスルと、アルジーの帆掛船(ダウ)へと降りて来る。

気が付けば、大ハマグリ船と、鳥の彫刻がされた船首を持つ純白の帆掛船(ダウ)は、驚くほど巧みに間合いを詰めていた。 ロープ梯子で移動できる配置を維持している。精密に、同じ速度で帆走しつつ。

水の精霊魔法か――なにかの力によるものなのか。なおかつ、これほどに船体サイズが異なるのに、挙動がシンクロしているせいで、それほど衝撃も感じない。

『さあ、アリージュ、ロープ梯子を登って、ハマグリ船に移って、ピッ。大丈夫だよ、ピッ』

見ればロープ梯子の下端が、いつの間にか帆掛船(ダウ)の舷の、柵となっている部分にくくり付けられ、シッカリ固定されている。物理学はどうなっているのだろうか。やはり精霊魔法の力に違いない。

子供のように小さく、ゆえに違和感ありありの霊体を必死で動かし……それでも、かつての山育ちならではの身軽さで、スルスル移動するアルジーであった。

(これから手術? いま着ているのは手術着なのだろうか? 子供の頃に着ていた、祭祀用の晴れ着のような気もするけれど)

最後の部分のところで、ロープ梯子の終わりの段の間が、空いている。

難しい跳躍をする必要があり、何故か縮んでいる身体サイズを扱いかねていると……上からタヴィスの腕が延びて来て、霊体アルジーを引き揚げてくれたのだった。

大ハマグリ船の甲板へ、ようやく霊体アルジーの素足が到着した。

タヴィスの両足のほうは、宮廷仕様のブーツで、礼儀正しく固めてある。晴れ着に素足はありえないから、アルジーのほうは、やはり手術着や病人服の類なのだろう。

いかにも貝殻製な、陶器のような……ハマグリ独特の縞模様がうっすらとあって、アイボリー色の大理石の床にも見える――継ぎ目の無い、幻想的なまでの甲板。

記憶よりもずっと背丈のあるような侍従長タヴィスへ、丁寧に御礼をしようと、振り仰ぐと。

タヴィスの隣に、《青衣の霊媒師》オババ殿が居たのだった。早くも、ギュッと、アルジーを抱きしめて来る。

「おお、可愛い姫さん」

あまりのことに頭が混乱して、アルジーは半分ほど気が遠くなった……絶句するばかりだ。何も言うことが思いつかず、ポカンと口を開けていることしかできない。

オババ殿は亡霊になっているから「三途の川」に居るのは納得だけど。それでも、本当にパルが言うように、不意打ちの想定外、というべき事態。

アルジーが目を回しているうちに、パルの仲間の白文鳥たちが多数、駆け付けていた。

帆掛船(ダウ)の船首、鳥の彫刻となっている部分から、冠羽のように取り付けられていた謎の霊体パーツ――白孔雀の尾羽を取り外して。 オババ殿、タヴィス、アルジーの頭上を飛び越えて、大ハマグリ船の奥へと移動してゆく。

「あ、時間が無いんだった。タヴィスさん、急ぐよ」

「承知いたしました、オババ殿。さあ抱っこさせてください、アリージュ姫」

サッと、子供のように抱き上げられ。アルジーは、アワアワするばかりだ。

「私、大人だから! これくらいの階段、大丈夫よ!?」

そう――行く手に広がった光景。大ハマグリ船の奥。

ハマグリならではの形状に沿って、謎の船内施設……南洋トロピカル庭園だの、トロピカル噴水だの、トロピカル工房街だのが、階段状の区画割りでもって配置されているのだ。 なおかつ、上と下をつなぐ通路は、すべて階段だ。それも大人サイズの。

「いま私タヴィスの目に見えております姫の霊体は、年相応に、10歳にもならぬ少女のものでございます」

「子供なの!? いまの私の格好!?」

「オババ殿おっしゃるとおり、健康体に限りなく近い状態として調整されたもののようでございます。 大量の《銀月の祝福》を受けられたとか。御髪(おぐし)や御召し物が、すべて銀月の色ですね」

「なんか、そうみたい。私の霊魂、銀月の色に見えるって……」

「本来の手術予定日は体力気力ともに最も充実する満月の前後だったそうですが、緊急に日程を繰り上げられたとか。 大きな手術に耐えられるようにするために、どれほどのエネルギーをつぎ込まれたのか、はかりかねるところでございますが」

オババ殿を先頭として、大人の早足で移動する人類3人。

大ハマグリ船の乗員と思しき人々と、パラパラとすれ違う。皆、訳知りな様子で道を空けつつ、無言で手を上げたり、目礼を返したりして来る。青系統の仕事着。

――《水の精霊》崇拝の人々だろうか……全員、青系統の《精霊の仮面》を装着している。 耳の部分が魚のヒレになっていたり、ささやかな鱗模様があったり、おとぎ話の人魚や魚人のような感じだ。

人の姿をしているけれど、人類では無いような気がする。

疑問がハッキリと顔に出ていたらしい。ふとした拍子にオババ殿が振り返って来て、「ああ」というような納得顔を見せた。

「細かく説明できないけど、この大ハマグリ船は、《薬師瑠璃光》派遣の病院船なんだよ。このオババと《精霊契約》している相棒の、 水のジン=ユーリュメルが手続きしたものだ。あ、ユーリュメルは、ここだけの人類向けの通称で、 本来の《精霊語》では、もっと違う。ここに居るのは皆《水の精霊》なんだけど、一時的に人の姿を取ってくれてる。話しかければ、人類の言葉で応えられるように」

「はぁ、お蔭さまで私タヴィスも、仰天しきりではございますが、同時にホッとしております。昔、《水の精霊》祝福を受けたことがあったのが、 このたび光栄にも、この驚異の世界へ招かれた縁とのことで……まこと人生は驚きに満ちております」

程なくして目的の階層へ到達したようで、通路が、上下の階段から平坦な回廊へと変わった。とてもとても歩きやすい、高度技術の石畳だ……貝殻製の。

行く手に――特別に準備されたものか、なじみ深い、あの東帝城砦の「人質の塔」建築が現れた。ただし、ラーザム財務官が居た角部屋のように、地上に接している形。 出入口となっている大窓も、記憶にあるものよりも一回り大きく、開放的な造り。《水の精霊》の気遣いによるものか、窓枠はシュクラ宮殿の様式だ。

当座の「人質の塔」へ接近すると大窓が開き、青い《精霊の仮面》をした背の高い女性――女医らしい――が現れた。《精霊の仮面》に施された人相は、なんとなく、あの遊女ミリカに似ている。

いつだったか、重傷を負ったセルヴィン少年の手術に臨んでいた老魔導士フィーヴァーと同じような、リネン作業着姿。 ターバン類は巻かれておらず、深い青をした髪が水の波のように波打ちながら、長く流れていた。

「ようこそ相棒。シュクラ侍従長。小さき姫。ジン=ユーリュメルとお呼びを。こちらへ」

さざ波のような声でもって、速やかに「人質の塔」の中へと導かれる3人であった。

部屋の中は、「人質の塔」部屋の中身そのものでは無く、まさに手術室だ。うず高く重なったリネンタオル類。清潔な水を溜めた水壺の列。よく分からない高度技術の、錬金術専用のような器具の数々。

アルジーは早くも手術台に横たわる形となった。水のジン=ユーリュメルによって着衣を手際よく剥がされて、すぐさま絹布のような掛布団が掛けられる。

手術台の傍に七本の分岐を持つ燭台があった。淡い金色の聖火が、充分な光量を提供している。真ん中の1本のロウソク炎が、ピョコンとネコミミ型となり、クルリと一回転。 そのユーモラスな様は……

「あの火吹きネコマタ?」

「お察しのとおり《ジン=***アル》が――人類向けの通称、火のジン=レクシアルが退魔調伏の方面を引き受けてくれまして。とても高い位階の《火の精霊》なのです。愛されてますね。 ではシュクラ侍従長、衣の管理をお願いします。先に説明しましたとおり、姫君の霊魂が現世へ戻るために必須のもの。終わりましたら、声を掛けますね。 お時間いただきますが、どうかよろしく」

タヴィスは生真面目な顔でうやうやしく受け取り、脇に設置されていた衝立の後ろへ引っ込んだ。あらかじめ、不思議な手順を丁寧に説明されていた様子だ。

そして、テキパキと掛布団が剥がされた……全裸で横たわっている状態だ。存在のハッキリしていそうにない霊体において、全裸という概念があるとは思わなかったけれど。

「怖かったら目を閉じて、でも興味が有れば目を開いていて良いですよ。例の人形の時の経験はありますね。あのとおり霊魂の感覚は、生身の感覚とは、とても違うように感じる筈です。 では始めます。《ジン=パユール》どうぞご指示を。精霊語で」

いつしか、目を疑うほどの神々しい純白をした姿が、そこに居た。まとっているのは羽翼紋様に覆われた真っ白な長衣(カフタン)。

人の顔かたちをした《精霊の仮面》の端々に、シュクラ宮殿の礼拝堂でおなじみの、白孔雀の意匠。

シュクラ礼拝堂の、特別な螺鈿細工を施されていた厨子の奥に。シュクラ王家の、最も貴重な精霊宝物――たとえば国家祭祀用の、銀白色の腕輪(アームレット)など――と共に、 この仮面が置かれていたような気がする。ボンヤリとしか覚えてないけど。

天上の音楽のごとき、妙音な声質の精霊語が流れて来る。

あまりにも高難度の精霊語で、アルジー=アリージュ姫には、何を言っているのか分からない。でも、オババ殿は理解できているようだ。熟練の医師の顔をしているが、それでも少し震えている。 水のジン=ユーリュメルは完全に了解した様子で、メスとポンプのような小道具を取り出していた。

首元に、ヒュッと突風がよぎったかのような気配。

気が付くと、アリージュの霊体は、首と胴体に分かれていた……かつて《魔導》カラクリ人形の首と胴体が分かれていた時のように。

オババ殿が真っ青になって半歩ほどよろめき、その辺の卓で、身体を支える。

――なるほど、オババ殿よりもずっと、幽霊や亡霊に馴染みの無いタヴィスさんには、衝立の向こう側のほうで、待機いただく流れになる筈だ……

水のジン=ユーリュメルの外科手術の腕前は、老魔導士フィーヴァーよりも上――のようだ。瞬く間に霊体の四肢がバラバラに外れた。

四肢の断面から、なにやら暗い黄金をした光が洩れている。ということは、切断された首のところでも、同じ現象があるのかも知れない。

つらつら考えていると、周囲で交わされている精霊語が、アルジーでも理解できる部分まで降りて来た様子だ。

『邪霊ジャバ成分の《アル=アーラーフ》幾何との異常固着が綺麗に解除されていて、絞り出せています。 小さき姫の偉業は大したものです。《青衣の霊媒師》が、ギリギリまで命の炎の継続時間を引き延ばせたのも大きい』

『生贄《魔導陣》呪縛は、千夜一夜の時空の幾何において多重の次元にわたる。《アル=アーラーフ》幾何との呪縛と固着が、ほぼほぼ解呪されただけでも充分――充分以上。 ただちに吸い取りを、ジン=ユーリュメル。その後、かねてからの予定どおり、分離アリージュ成分の再接続を』

『承知しました』

各断面に、ポンプに似た小道具が取り付けられた。心臓の拍動と同じペースで、ギュウギュウが続く。そのたびに、暗い黄金をした泥水のようなものが霊体の断片の、断面からしたたり落ちた。

同時に、別系統のポンプでもって丁寧に流水を当てられる。暗い黄金成分が流水に乗って、精緻な退魔紋様が施してある排水溝へ向かってドンドン流れていく。

この段階になって来ると、オババ殿も冷静に立ち会えるようになって来た様子だ。しげしげと、ポンプでもって排出されている成分を観察している。

排出されている液体が各所で濃淡のカタマリを形成し……特に濃厚スープ状になった部分で、なにやら三つ首の形状をしたモノが、あぶくか何かのように、ポコリと浮き上がる。 そのたびに《火の精霊》が聖火の火炎放射をおこない、真紅の色をした無害な熱砂へと変えていた。

「もしかして、私の中って、邪霊ハシシの苗床みたいになってるの? ええと、邪霊植物の、黄金の三つ首をくっつけた変な大麻(ハシシ)が、全身から生えて来て、私も砂漠の怪獣に変身するとか……」

「そんな恐ろしいこと、絶対あるもんかね姫さん」

オババ殿がアワアワと首を振っていた。胸の前で、震える手を揉んでいる。

水のジン=ユーリュメルが、青い《精霊の仮面》の奥で、苦笑を洩らしたようだ。

「物理的肉体に《三ツ首ハシシ》成分は皆無。母親シェイエラ姫と同じ状況と理解されたい。 母親の対抗時間は、あまりにも小さく短く断たれてしまった。小さき姫よ、千夜一夜の時空を、首尾よくわたられんことを」

人類の言葉で交わされた内容だった。衝立の向こう側でタヴィスが動揺していたらしく、慌てた気配が伝わって来る。

やがて、不思議なポンプ処置が終わった。結構な量(?)が絞り出されていたようで……相当に疲労を感じる。

――身体が、いや霊体が、スカスカな気がする。グッタリだ。

次に、純白の精霊の手の平に出現したのは白文鳥《精霊鳥》だ。見覚えがある。少しの間、一緒になっていた白文鳥アリージュだ。聞き覚えのある、さえずり。

『あれ? アリージュ、前はトロピカル島に居たよね? お友達と一緒に。えーと、とてもとても大きな《精霊亀》の形をしているような浮き島……』

『小さき姫よ、これは元・小さき姫であったものから出来ている。こちらの成分は《精霊契約》が完了しているもの。すなわち正式な《鳥使い》成分』

純白の精霊から出て来たのは、予想外の言葉。

人類アリージュは、少しの間……考え込んでしまっていた。意味を、きちんと取れていただろうか? どういう事だろう?

オババ殿が、その状況をよく理解していたようで、補足が入った。アルジーにとっては最も自然な人類の言葉で。もちろんタヴィスにも伝わる内容だ。 老練な霊媒師としてのオババは、素早く、慎重に言葉を選びはじめていた。

「いま、とてもスカスカな感じがしてるんじゃないかい姫さん。してるね。《怪物王ジャバ》の生贄《魔導陣》は、まず生命力を奪う。 そして生命力による支えを失った霊体が砕けて、砕けた部分が順番に異次元へ移植、いや、失われた状態になるんだよ。じゃあ何処へ行くかっていうと《ジャバ次元》構成……いや、《怪物王ジャバ》胃袋だね」

「……地下室に居る《怪物王ジャバ》が、ええと、三つ首《人食鬼(グール)》の伸び縮みする触手のように、扉や階段や廊下を通して腕を長く長く伸ばしていて、 それで少しずつ、地上の部屋にいる生贄の霊体を、肉片みたいに切り刻んで、《怪物王ジャバ》の地下室へひとつずつ運んでいって、順番に食べてるイメージ?」

「正確な理解からズレてるけど、イイ線いってるよ、姫さん。そこで、姫さんの相棒の白文鳥パルが緊急に干渉して、回収できる分だけ回収した。 でも色々抜け落ちていて、ツジツマが合わない断片をつないだポンコツ霊魂になってた。 たとえば、ええと《倍返し》解呪の時、だいたいふたつに分かれて動いたんだよね。一方は大麻(ハシシ)タバコ袋を退治しようと頑張ってて、もう一方は相手をタコ殴りして解呪作業してたとか」

「あ、うん、覚えてる。あの時は自分と、もうひとつの自分が、同時に別々の事してて「あれ?」って思ってた。 でも感覚は、右手で文字を書き、左手で巻物を開き、というような自然な感じだったし、もっと重要なことが色々ありすぎたから、そのまま忘れて……」

「そうだったんだね。話を戻すよ。もっと遠くに散らばってて別に再構成が済んでた霊体部分が、その白文鳥《精霊鳥》なんだ。 姫さんの霊体の波長は白文鳥《精霊鳥》とキレイに同期してたからね、ビックリするくらい自然に、ミニサイズ別人格『白文鳥アリージュ』としてまとまってた」

そこで、オババ殿は、「ふー」と意味深な溜息をついていたのだった。

「もともと人間は多重人格を詰め込んでて、問題になる人格もあるんだけどね。『白文鳥アリージュ』はブランコ遊びが好きで、おとぎ話の琵琶語りとか、ロマンス……トキメキ恋バナにも興味津々だったよ。 あと姫彼岸の花が好き。母親シェイエラ姫が園芸趣味で育ててた花だね。両親の急死の衝撃とか色々あって分裂抑圧してた部分なんだろう。 不思議なくらい第一王女として自分を厳しく律しているようだったから、割に合わない重圧とか、どうなってたのか心配してたんだけど」

オババ殿の説明が一段落した。

そして。

純白の精霊の手の平の上で「白文鳥アリージュ」は形を変え、銀月色をした円盤シルエットのようなものになった。ひと抱え程のサイズだ。全体に、クッキリと、羽翼紋様が入っている。

水のジン=ユーリュメルが、そのシルエット状の「ナニカ」をペラリと手に取り。最初から2枚重なっていたモノであったかのように、薄いシート2枚に分ける。

メスの光が、真横に数回ほど走ったかと思うや、アリージュ姫の胴体――すでに、四肢や頭部と切り離されている状態――が、三枚おろしのように分解されていた。

再び、オババ殿が真っ青になって、ふらついた気配。

物理的肉体でいえば剝き出しになった背骨。その上の断面側と下の断面側のそれぞれに、 ペラリとしたシルエット状の銀月色のシート――元・白文鳥アリージュだったもの――が、ペタッとセットされ。

三枚おろしになっていた胴体部分は、元どおりに組み合わされた。そして、瑠璃光をした糸でもって、緻密に縫い合わされたのだった。

つづいて、バラバラになっていた四肢も、同じようにして胴体へ縫い合わされた。最初は縫合痕がくっきりとした瑠璃色を見せていたが――すみやかに霊体となじんだのか、透明な水のように見えなくなってゆく。

『首元の傷は、やはり難問です、ジン=パユール。《人食鬼(グール)》裂傷で複雑に破壊されていて、接合不可の状態です。 前回の応急処置のように、頭部がくっついて見えるように幻覚をつなぐことは可能ですが、そのようにしますか?』

『こんなこともあろうかと』

純白の精霊は、あの謎の冠羽の形をした、霊体パーツを持ち出して見せていた。

――女戦士ヴィーダとの、大雨の中のナンチャッテ・ストリートファイト(?)で、アルジーがむしり取っていた……あれだ。

水のジン=ユーリュメルの青い《精霊の仮面》が、鋭く振り向く。沈着冷静な仮面の奥で、仰天している様子が感じ取れるほどだ。

『ずっと行方不明だった元パーツ成分! 首元にできた欠陥時空をつなぎます。 背中パーツも一緒にやってしまいましょう、あの石崩れの際のオーバーキル対抗措置で、超常の変換次元が連続していますから……急に手術を決めたのは、 そう言う訳でしたか。詳しくは聞いていませんでしたが、どこから?』

『ふたたびの天元突破。白ヒゲ老魔導士が、感心するほど上手に説明を。霊魂は元を覚えていて、バラバラになっても元の形に戻ろうとする、邪霊《骸骨剣士》がそうであるように』

水のジン=ユーリュメルは、アリージュ霊体の生首の断面のところで複雑な処置をはじめながらも、純白の精霊の言葉に相槌をうっているところだ。

『このパーツは、《人食鬼(グール)》カギ爪の衝撃で切り離されていた事を覚えていて、元へ戻って来た、と説明できる。 想定外の「灯台下暗し」の場へ取り込まれていたが、運命の扉をことごとく蹴り飛ばした結果、その奪還の場面は大した見ものだったという。それを実際に目撃した火のジン=レクシアルによれば』

『あとで、ゆっくり話を聞かせてくださいね、火のジン=レクシアル。私の相棒が絶対に聞きたがります』

七本のロウソクの真ん中のネコミミ炎が面白そうに一回転して、『ニャー』と返した……

…………

……

やがて、背中への謎の処置も完了した様子で、アリージュ姫の霊体はすべてつなぎ直された――そして、薄い絹布のような掛布団が掛かった。

掛布団のうえからでも、手術の結果、あれやこれやの部分が正常に近い状態になったのが見えているらしい。

オババ殿の、懸念を浮かべながらも少しホッとした雰囲気が、その状況を雄弁に示している。

純白の精霊が語り掛けて来た。いまでも、男か女か分からない。女性っぽい気はするけど、超越的で中性的だ。不思議。

『小さき姫。残念ながら《怪物王ジャバ》の生贄《魔導陣》解呪はできていない。それでも以前に比べれば相当に融通がきく。 ただし必要最小限なだけの整備であり、命の炎は相変わらず枯渇寸前……《銀月の祝福》は元々の目的が違うゆえ、命の炎を補充するには弱い』

つづいて、視線で、新たに左手首の辺りを示される。

左手首のその部分には、全身から集約され整理された生贄《魔導陣》成分が、暗く不気味にぎらつく黄金製の幅広のブレスレットとなって、配置されていた。

王家の紋章を彫り込むような幅広の腕輪(アームレット)よりも、もっと幅があって、でも関節から関節まで、というほどでは無い。

完全にへばりついてはおらず、適当な遊びがあって、クルクル回してみることもできる。

現実に見かける装飾品のように、なんとかして取り外せそう――に思えるのだけど、どこにも留め具や鍵穴が無い。しかも『失われし高度技術』特殊合金のように、とても堅牢な素材らしい。

歪んだ目のような刻印――あの《邪眼》紋章が、中央にある。人間業とは思えぬ精緻な炎冠紋様が、幅広ブレスレット全体を覆い尽くしていた。

『生贄《魔導陣》に抵抗しつづけた小さき姫に敬意を。普通は霊体のほうで根負けして、いわば刺青(タトゥー)と化す。 物理的な刺青(タトゥー)を消すための処置のように、汚染された皮膚パーツを引きはがし性転換の手術を施す可能性は高かった……姫の場合は男へ。 霊体を断片化されながらも抵抗した結果、この形状に取りまとめられた。《アル・アーラーフ》まで遠い遠い距離をわたる見込みだが、希望は無い訳ではない』

純白の精霊はあらためて、威儀を正し。

『代々白孔雀《魔法の鍵》引き継ぐシュクラ王統、当代の第一王女アリージュ、たまさか銀月のジン=アルシェラト祝福せし薔薇輝石(ロードナイト)なる小さき姫。 ここに、ジン=パユール名もって《精霊契約》を。承諾するや、いなや?』

圧倒的なまでの高位の精霊の存在感に、アリージュは、目を白黒するばかりだ。

『あの……ホントに、パルなの? 随分、口調が違うし。白文鳥……波長? 雰囲気のほうは、それは同じだけど、でかいし。 いや、なんだか、どこかで、パルで、パユールってことは、聞いたことがあったような無かったような……』

純白の精霊は少しの間、白孔雀の顔をした《精霊の仮面》に手を当てて思案検討の格好になり。なにかを納得した様子で、手品のように、パッと姿を変えた。

次の瞬間、そこには「空飛ぶ・いちご大福」が浮かんでいた。いつもの、白文鳥パルだ。

『これからもよろしくね、アリージュ』

『こちらこそ、よろしく、ジン=パユール』

――そんな形で、正式な《鳥使い》としての、《精霊契約》が成立したのだった。

*****

霊体アルジーの首元の手術は、とりわけ複雑な内容だったらしく。

瑠璃光をした縫合糸は、明らかに見える状態で残っていた……バッチリと。

しかも大怪我した時のように(霊体にとっては、実際に大怪我ではある)、胴体や四肢を、 不思議な包帯でグルグル巻きにしていたことも相まって……異国の怪談「ツギハギ・ミイラ・ゾンビ」もビックリだ。左手首に新たに出現した、奇々怪々な幅広ブレスレットは、ともかく。

諸々、終了して、ホッとした様子で出て来たタヴィスは、「ツギハギ・ミイラ・ゾンビ」版アリージュ姫の姿を見た瞬間、失神しかけていた。

オババ殿がタヴィスに気付け薬を処方しつつ(気付け薬は香料の一種なので霊体にも効くらしい)、手早く解説していた。

「物理的人体に変な現象がある訳じゃ無いから安心おし。これだけの大手術だったんだ、さすがに説明のつかない傷痕とか痣(アザ)のようなのはうっすら残るとは思うけどね、 そういうのを隠すための衣装やら装飾品やら、化粧の技術やら、あとで色々あつらえることはできるだろ」

――そう言えば。

アリージュは思い出した。

生前、民間の代筆屋として、あえて男装をつづけていた理由の一部。

男物の衣服のほうが襟が詰まっていて、首元が隠れやすいのだ。あの頃、全身に広がっていた生贄《魔導陣》に由来する暗い黄土色の紋様は、もちろん首元のあたりにも、ビッシリと広がっていた。

成長とともに、目立たないくらいに薄くなったのは事実。17歳のころには、花嫁衣装を着つけてもギリギリ大丈夫かと判断されるくらいには、目立たなくなっていたのだ。

見える限りの皮膚状況を熟知していたアルジー自身にとっては、いつまでもクッキリと視認できる、不吉な黄土色をした刺青(タトゥー)紋様だったけれど……

*****

やがて、霊体アルジーが、純白の帆掛船(ダウ)へ乗り込んだ。

今度はひとりでは無く、相棒の白文鳥パルが肩先に居る。そして、セルヴィン皇子の《火の精霊》――手乗りサイズ赤トラ猫の姿をした、火吹きネコマタも。帰り道も目的地も同じだからだ。

そして、ロープ梯子が大ハマグリ船のほうへと、巻き取られた。

夜よりも深い藍色をした不思議な空のもと、大ハマグリ船は、プカリプカリと揺れながら、静かに離れてゆく。

大ハマグリ船の舷からは、もう涙目の《青衣の霊媒師》オババ殿と、侍従長タヴィスが、いつまでも手を振ってくれていた。

青い《精霊の仮面》をした水のジン=ユーリュメルが、不思議なほどに遠くまで届く、さざ波のような声で言葉を送って来た……

「手術の影響で不安定ゆえ、しばらくの間は、その少女の姿をした霊体がゆらぎましょう。物理的人体が回復するのは、まだまだ先になりましょう。ご武運を、小さき姫よ」

ほどなくして互いの船は、さらに航路をたがえ……その間の曲がり角のように、巨大な《精霊亀》によく似た形の島が横たわった。

そこが分岐点だったらしい。

不思議な島影を、よぎった後。

どこまでも明るく透明なエメラルドグリーン色の海のうえには、既に、あの大ハマグリ船の影は、アルジーの純白の帆掛船(ダウ)からは見えなくなっていた……

…………

……

ちっちゃな赤トラ猫の姿をした火吹きネコマタが、純白の帆柱のもとの補強用台座に飛び乗り。

おもむろに、ネコのヒゲをピピンとさせた。

『いろいろ取り急ぎだったゆえ、ろくな説明も無しに、いきなり霊体を大改造する――物理的人体とも連動する――大手術であったが。 銀月アリージュほど、冷静に自身の状況を眺めて居られた豪傑は居なかったと思うニャ。特に、あの三枚おろしを直視できる人類など、滅多に居らぬ。 あそこで本人が激しく動転して、せっかくの手術が失敗する事例も多いのだ。よく理解していた《青衣の霊媒師》でさえ、一瞬、失神していた』

同じ台座のうえで、白文鳥パルが、ピョンピョン飛び跳ね。

『前もって細かく説明しないほうが、かえって冷静に対応できるピッ。アリージュは、そちらのほうの性質だったピッ』

『だからって、アレは無いわよ、パル……』

さすがに、三枚おろしは衝撃的だったのだ。真っ白になったあまり、呆然と、冷静になった意識でもって、処置が進んでゆくのを眺めているだけだった。 相応に恨みがましい気持ちになって、プンスカなアルジーであった。

首元の傷は、まだ瑠璃光をした縫合糸が、まざまざとある。そーっと触れてみて、その実体さながらのスサマジイ縫合痕の感触に、身の毛がよだつ思いだ。

――シュクラ王国への《人食鬼(グール)》大量流入という地獄を見て、さらに数多の《人食鬼(グール)》裂傷を間近に目撃せざるを得なかったという経験を積んだタヴィスでさえ、 気が遠くなりかけたという代物だ。よほど、怪奇ホラーな見た目に違いない。

『大丈夫ニャよ、銀月の。ジン=ユーリュメルの縫合の技術は、芸術の域に到達してるニャ。超古代において、《逆しまの石の女》造形にかかわった精霊仲間でもある。 縫合糸がすべて馴染んだアカツキには、人類の目で見ても、それなりに受け入れられると、感じられる筈ニャ』

『え……と、ジン=レクシアル……だっけ。いままでは、前半部分がナゾだったけど』

『うむ。すばらしい《精霊語》習熟ぶりである。聞き取れたのニャネ、鳥使い姫。人類の発音でも聞き取りにくい類ゆえ、セルヴィンは、まだ我の「人類向け通称」を受け取れていないのである。 まぁ《火の精霊》呼称でも、我は構わぬのであるが。最初から、鳥使い姫に対して「人類向けの通称」で名乗れば良かったニャネ。ほぼほぼ《銀月の精霊》ゆえ、ウッカリしていたニャ』

アルジーは、しばらく考え。感じたままに呟いた。

『いま霊魂の感覚は、良いほうだと思う。断片が戻ってきた、から? ……不完全な霊体だと、人類向けの通称も、あまり聞き取れないのかも……という気はする』

『それは正解ニャ。カビーカジュ文献にも書かれてある知識である、かなり飛び飛びの、覚書の程度のみであるが……あの断片を系統的に整理して、 教科書にまとめられる人類が居るとしたら、やはり白ヒゲ老魔導士かも知れぬ』

『断片の、飛び飛びの……あ!』

かねてから疑問に思っていた事を、パッと思い出したアルジーであった。

くつろいでいた格好のパルが、不意にギョッとしたように「ピョン!」と飛び跳ねる。

『パ……パル! あの、ナゾの羽パーツ、実際は女戦士ヴィーダからむしり取っていた、冠羽のように見えていた物体、白孔雀の尾羽じゃなくて、霊体だった筈』

『うん、確かにジン=レクシアルから聞いた、ピッ。みごとな奪還だったピッ』

『冠羽のように、頭から直接に生えているようには見えなかったから、すごく変だと思ってた。御曹司トルジンが、 ターバンに取り付けていた羽飾りみたいな……何もかも、いったい、どういう事なの? いきなり現れて、白孔雀の七枚羽のひとつかも、 と本気で思ったり……いま、何処にあるの? ……っていうか、私の、中?』

『うん、あの地下神殿の生贄の儀式で、黒ヒゲ首領の魔導士が、《人食鬼(グール)》カギ爪から削り出した三日月刀(シャムシール)でもって、首を刎ねて来たよね、ピッ。 霊体アリージュの首が切れた瞬間、あれやこれや砕けた、ピッ。その時、アリージュ霊体の、あのパーツ部分が、想定外の位置へスッ飛んだ、ピッ』

『想定外の位置……って、いうのが、女戦士ヴィーダのところ? ヴィーダの頭の、てっぺん?』

『うん。《鳥使い》候補が生やす羽オーラ。《鳥使い》特有の感覚器官のもと。普通は、ちっちゃな羽オーラ。大きな羽オーラしかも霊体完備は激レア』

……霊体アルジーは首をかしげるままに、そっと頭のてっぺんに手をやった。

霊体なら感じられる筈だが、そこには何も無い。

女戦士ヴィーダの頭の上に飛び出ていた「冠羽のようなモノ」をつかんだ時は、 確かに、シッカリと、この手に、「形その通りのモノ」を感じたと思う。いま、アルジーの頭部には……普通に生えている髪の毛のほかには……無い。

何故なのか、考えているうちに。

周辺の光景が変わった。

エメラルドグリーン色の海は急速に暗くなり、まさに「夜の海」という光景になった。漆黒の水面。そこかしこに、雲海が広がっている。 本当の雲海かも知れない。そんな気がする。

満月へと満ちてゆく半月が浩々と雲海を照らしていて、照り返し部分がボンヤリと明るい。

気が付けば、空飛ぶ白い絨毯《鳥舟(アルカ)》が力強くはためいていた。物理的な風をさばいているらしい。 純白の帆掛船(ダウ)も、実際の海面をゆく物理的な船であるかのように、重々しく強力な舵取りとなっていた……

…………

……

『帰路もあと半分ニャネ。もう少し時間があるゆえ、女戦士ヴィーダについて簡単に説明するニャ』

――それこそ、まさに知りたかったことだ!

パッと、《火の精霊》を注目する。ひとつ残らず聞き取る勢いで、アルジーは耳をそばだてた。

火吹きネコマタは、ネコのヒゲを数回ほど、ネコの手で撫でさすり……語り始めた。

『女戦士ヴィーダの故郷はスパルナ・カスバに近い、よくある交易都市のひとつ。大きな市場(バザール)が常設運営されている。 市場(バザール)の聖火礼拝堂へ通うようになった幼女の頃、ヴィーダは、そこで勤めている霊媒師から、有望な《鳥使い》候補との占断を受けた』

『それなのに戦士になったの? 儲からなかったから……とか?』

『少し事情が込み入っているニャ。やがて想定外の事が起きた。生贄アリージュの儀式ニャ。時空幾何と霊体との相関関係は、物理的肉体とは大きく違う。 「いま・ここ」固着型の物理的肉体とは違い、霊体は過去へ行ったり未来へ行ったりするのだ。 異なる時代の幽霊と亡霊が同時に化けて出たり、夢で過去や未来を目撃したり、そういうことが起きるのは、それが原因である』

『そうなの? なんだか不思議な感じだけど……分かるような分からないような……』

白文鳥パルが、珍しく「ふー」と溜息をして、「ぴぴぃ」とつづいた。

『ものすごい灯台下暗しピッ。あれは過去へスッ飛んで、しかも同じ《鳥使い》候補の娘の、頭のてっぺんに、降り立ってたのピッ』

『同情するニャ、パル殿』

ちっちゃな手乗りサイズ赤トラ猫の姿をした火吹きネコマタは、重々しく金色の目を伏せて、うむ、と頷いた。

『さて幼女ヴィーダは、いまの銀月アリージュなみの鋭敏な感覚を、不意に獲得した。いかなる訓練も無しで、だ。 突出した直感でもって、同年代の《鳥使い》候補よりも上手に、ドリームキャッチャー飾り羽を選び出せるようになった。多くの白文鳥《精霊鳥》も興味津々で近づき、語り掛けるようになった。 新しい《鳥使い》輩出のチャンスゆえ、霊媒師も特別に目をかけて、より多くの訓練機会をヴィーダに用意した』

――まるで、幼少時のアリージュ姫の人生を、そのまま繰り返したかのような経歴だ。「鋭敏な感覚」だけは、別にして。

アリージュ姫は、最初から鋭敏な感覚に恵まれていた訳では無い。ひたすら訓練した結果だと思う。

言葉を覚えだした、とても幼い頃。白文鳥はアリージュ姫の近くで、不思議に人の声によく似た抑揚でさえずっていて――話しかけて来ているらしい、とボンヤリと感じられるだけだった。

それで、オババ殿に聞いたのだ。「あの小鳥たちは、なに話してるの?」と。それが、オババ殿から《精霊語》を教わり始めた、きっかけだった。

古くなったドリームキャッチャー護符の飾り羽を交換するのは、なんとなくアリージュ姫の仕事になった。気が付いたら「やってくれる?」と頼まれるようになって。 オババ殿が先回りして、タヴィス侍従長とかに話を通していたのかも知れない。

相性の良い羽根の組み合わせを選ぶのはジグソーパズルみたいで面白かったし、嫌な仕事では無かったから、喜んで応じてたけど。

何もかも手探りで、とてもとても変な組み合わせになって。礼拝堂の神官さん全員に大爆笑されたことだってあるのだ。 2人か3人ほど居たと思う、ドリームキャッチャー護符の飾り羽の交換担当だった年長の子弟たちにも……

…………

……

ふと夜風が吹きわたり、半月に照らされた雲海が波立った。

純白の帆掛船(ダウ)が、ギイと揺れて……はたと我に返る。

気を取り直しながらも、すこぶる複雑な気持ちになり……火吹きネコマタの語りに、静かに相槌をうつアルジーであった。

火吹きネコマタの『ヴィーダの過去の因縁』語りは、つづいていた。

『幼女から10代の少女へと、すくすく成長したヴィーダは、だが、精霊語や精霊文字の上達よりも先に、その直感の鋭さを使い回すことに、夢中になった。 よくある少年少女の悪ふざけの延長で、おもに中年男性を標的にした詐欺をやらかし、地元を出奔した。そして最終的にジャヌーブ地方へ流れて来たのだ』

『あの酒姫(サーキイ)アルジュナと同じくらい悪辣だった訳じゃ無いでしょ?』

『被害者たちの中に自殺者が出ておるのだ。「若い日々の過ち」だの「ヤンチャ」だのというレベルで済む話では無い。 家庭環境は良好だったゆえ両親の躾(しつけ)に原因を求める事はできぬ。 ヴィーダの鋭敏な感覚の利用価値に目を付けた、性質の良くない友人たちが居た。褒めたたえられ、持ち上げられて、それに染まったのが悪かったのだな。10代で早くも権力の闇におぼれ、腐敗した訳ニャ』

火吹きネコマタの顔に、苦い表情が浮かぶ。

ちっちゃな赤トラ猫の姿をした《火の精霊》は、言葉を選びつつ、慎重に説明を続けていた。

『市場(バザール)の群衆を利用して、「殴り返して来ない」と見定めた中年男性を、すれ違いざまに痴漢よばわりする。 そして少年少女たちの集団でもって、適当な空き家へ監禁して、示談交渉だの口止め料だので金銭をむしり取る。 期待したほどの金銭にならなかった場合は、痴漢犯罪だの連れ込み罪だのの現場を仕立て上げて、大いに騒ぎ立てて隣近所へ吹聴し、その中年男性の名誉を傷つけた。 いわれなきバッシングで被害者が悶え苦しむさまを見て、ゲラゲラ笑いしながら余韻を楽しんだ』

『……』

『その後、別の軽犯罪で捕まった不良仲間の数人が、早期釈放を期待して数々の余罪を自白した。そのついでに、ヴィーダも詐欺仲間だったと、ペラリと付け加えた。 ヴィーダは鋭敏な直感でもって即座に察知し、地元を出奔したという訳だ。なお、この時に、さらに逃げのびるために「ヴィーダ」と言う名前に変えた。 元の名のほうは、まったく重要では無いので、ここでは省くニャ』

さらに帰路を進んだ様子で、純白の帆掛船(ダウ)は雲海の中を沈降していった。

いまは、もう慣れ親しんだような気がする、ジャヌーブ地方の空気のにおいが流れて来る。今回の雨季をもたらしている湿った風だ。さらに南方に広がる大海洋の、潮の香りだ……

……はるか下には、魔除けの聖火を焚いて野営していると思しき、チラチラとした灯りが見えている……

白文鳥パルが、火吹きネコマタの語りに、ポツリと補足を加えた。

『元々ヴィーダの《鳥使い》候補としての素質そのものは、割に大きかった。あの大雨の中のストリートファイトで、アリージュも感受してた、アレ。 急激に膨れたとはいえ、ちっちゃな羽オーラのみで、その何倍もの大きさの霊体を維持するのは難しいの』

アルジーは、ヴィーダとの対決の記憶を念入りに検討し始めた。あのブツは、確かに大きかった。

『霊体の大きさとも相まって、大きくて華麗な羽飾りを装着しているように見えた。白孔雀の尾羽の形をしてた。ヴィーダの元々の素質の大きさが、あんな風に現れてたってこと……』

白文鳥パルは、ピョコンと頷いた。正解だ。

『ヴィーダのほうでも、私の《鳥使い》冠羽の霊体パーツが見えてた? ……あ、無かった。ありえない。私のほうは、生えてなかった』

思いつくままに疑問を口にして、ちょっとオタオタする、アルジーであった。

しかも時系列が相当メチャクチャで、話にならない。赤面モノだ。

市場(バザール)の場末の酒場で、ネタ切れに懊悩する作家となって、両手の中に赤面した顔を埋めてみる。霊魂が安定していないのかも知れない、と内心、付け加えてみる……

目の前の純白の帆柱の台座にチョコンと座る火吹きネコマタは、あらためて、しげしげと霊魂アルジーを眺めつつ……

『生贄にされて色々あった結果、霊体パーツは失われていた状態だったが。ポンコツ姫の場合それは重要では無かった。 白文鳥《精霊鳥》と、人体との間で、意識が矛盾なく交換できた、という、はるかに驚くべき事実がある』

『へ……?』

『初めて見た時、我は仰天したぞ。ジャヌーブ砦の《精霊象》も《精霊亀》も、一発でアリージュを《鳥使い》と認識した。ジャヌーブ界隈が、白文鳥が渡れる土地柄であったら、 1日も経たずに相当多数の白文鳥が興味津々で集まって来たであろう。実際に、《倍返し》解呪の際に、唯一可能だった亡霊ガイコツ姿で渡って来たわけだが』

物のついでのように、意味深な情報を補足して……火吹きネコマタは、思案顔になった。

『ヴィーダの《精霊使い》としての思考と認識は、少女時代に腐敗した。《邪霊使い》流の腐敗に身を置いている限り、格下《精霊使い》は格上《精霊使い》を認識できない。 だが《鳥使い》装束は、人類のひとりとしてハッキリと見た筈だ。セルヴィンやオーラン、鷹匠ユーサー殿と同じように、現実さながらの明瞭な幻影として』

『あの《鳥使い》装束? そういえば何処かから、お借りしてた? えーと、《精霊使い》幽霊が化けて出る時は、精霊にちなむ装束をまとって、出て来るのが定番とか……』

火吹きネコマタは『うむ、精霊界のしきたりニャ』と頷いた。ネコのヒゲが、ピピンと揺れる。

『例の装束は、ヴィーダがひそかに保管していた私物から幻影コピーを拝借してイメージ結合したものニャ。我らにとっては「キッチリ《鳥使い》レギュレーション完備の一式がジャヌーブ砦にあったぞ、 はるばるスパルナ・カスバから幻影コピーを引っ張って来るのは大変だが、メッチャ足元で、ラク~ゥに現場調達できてラックゥ♪」という程度のものでしかなかったのだがな、 ヴィーダにしたら大変な衝撃だったのだろうな』

思わず、おずおずと、霊魂アルジーは自身の衣装を見直した。

水のジン=ユーリュメルが、現世へ戻るのに必要とか、説明していた……

最後にフワッと着せられた、その「現世へ戻るための衣」という構造物は……とてもとても淡くて、 現実感の無い「ナニカ」だ。よほど霊魂を見る目が無いと、見えないブツに違いない。

全身グルグル巻きになった不思議な包帯は、相変わらず、そのままだ。タヴィスを仰天させたのも納得の、とても明瞭な構造物だ。

左手首に取り付いた、とても不吉な超・幅広ブレスレット――生贄《魔導陣》を集約した構造物――は、現実よりも現実であるかのように、重々しく明瞭に見える。

足は、相変わらず素足だ。幽霊は足が無いとも聞くから、靴が無いのは自然なのかも知れない。

アルジーは、霊体の手でもって、「とてもとても淡いナニカ」を慎重にさわって、形状を探ってみた。《鳥使い》装束を思わせる、あの優雅な振袖を持つ衣装らしいと分かる。

スパルナ部族の《鳥使い》装束と同じような、深いスリットが入った膝下丈の長衣(カフタン)だが、細かい箇所が異なる。特徴は、シュクラ王国の古典衣装そのものだ。特別な晴れ着の定番。

左右を閉じるのに、サッシュベルト類では無く付属の結紐を使う形式――東方の大国、亀甲城砦(キジ・カスバ)からの文化流入の影響。

『子供の時に着ていた、振袖のあった晴れ着……っぽい気がするんだけど。これ、何だっけ。ジャバ呪術ブレスレットとか、包帯巻き巻きとかは分かるけど。霊体って全裸だった……?』

アルジーの目では見えないが、霊体の手で触ってみると、うっすらと、全面に何らかの紋様が織り込まれている布地でもある――ような気がする。

『あの晴れ着、布端の処理のための刺繍はあったと思うけど……紋様のある織りでは無かったよね……?』

霊魂アルジーの戸惑いに気付いた様子で、白文鳥パルが追加説明をさえずった。

『それが、アリージュ本来の、アリージュが訓練で大きく育てた羽オーラというか、羽衣装束だよ。霊体パーツが戻ったから、霊体でも形が現れて来たんだね。まだ、とても薄いけど。 そのうちハッキリ見えるようになると思うよ』

『羽衣装束?』

『一定の大きさ以上になった羽オーラは、衣装の形式「羽衣」になる。《精霊使い》幽霊が、精霊にちなむ各レギュレーション装束で化けて出る理由。 もう羽翼紋様が出てるよ。正式な《鳥使い》になった証、ピッ。《亀使い》も《象使い》も事情は同じ、ピッ』

火吹きネコマタが訳知り顔で、2本のネコ尾を「パパパッ」と振った。

『借り物の装束の幻影であっても、相当に基礎が無ければ、あそこまで明瞭に維持するのは難しい。まして断片化した霊魂の緊急保護のための一時的な拝借ニャ。 物理的肉体で言えば、骨折を起こした箇所への応急処置に相当する。 普通は、特に長い振袖を維持するだけでも、ヘタレるものニャ。それを、あんな所狭しと縦横するストリートファイト空中格闘アクション込みで』

そこで何やら、火吹きネコマタと白文鳥パルは、同時に「やれやれ」といったような雰囲気になったのだった。

次に、少しの間……火吹きネコマタと、白文鳥パルは、目を見合わせた。

精霊どうしの高速会談。高速会談にしては、少しばかり長時間。

やがて、火吹きネコマタの、2本のネコ尾の先で物静かな火花が散った。パチリ、パチリと、なにかを深く考えているような、強弱を繰り返している。

『ヴィーダの故郷はスパルナ・カスバ近辺。《鳥使い》の意義は《鳥巫》カルラの業績と共に知られている。 スパルナ宮廷では、《鳥使い》となった者には、ありとあらゆる名誉と栄達が約束される。 有望な候補と生まれつき、さらに驚異の能力を活用しはじめたヴィーダにとっては、望めば手の届く未来に見えたのだな。 地道に精霊語に習熟することよりも、不意に降って来た先読み感覚を派手に使い回すことのほうが、《鳥使い》への近道と考えたゆえに』

白文鳥パルが、意外に重々しい口調でつづいた。

『飛び抜けて感覚鋭敏なのが、白文鳥《精霊鳥》の種族。ヴィーダが、思考と行動とともに腐敗したのを、白文鳥は察知した。 以来、白文鳥は警戒して遠巻きにするだけで、とっておきの小鳥の餌で釣ろうとしても、一羽も近づかなくなった。 その後も死人を出すほどの詐欺を繰り返した事実からして、自分が《邪霊使い》と同じことをやっていると理解できなかった様子。理解したくなかったのかも知れない』

――《鳥使い姫》人体の幻影を、投影した、あの時。

女戦士ヴィーダは、驚きすぎるくらいに驚いていた。不自然なくらいに驚いていた。

見ず知らずの他人が、ひそかに仕舞い込んでいた将来の仕事着(それとも晴れ着?)を、まとって出て来たのを目撃したら……誰でも、そういう風になるかも知れない。

ヴィーダの過去を聞き知ったいま、何故あんなに仰天していたのか、なんとなく……想像できるような気がする。どこまでいっても、あくまでも想像でしか無いけど。

彼女は、「もうひとりのアリージュ姫」だったのかも知れない。「犯罪をしてでもカネを」と暴走した末の、アリージュ姫の、未来の姿だったのかも知れない……

……考えることが次々出て来て、頭が満杯でフラフラだ……

…………

あとは、ジャヌーブ砦へ戻って、ゆっくりできる時間に、色々整理して……

――あれ? いま「白文鳥アリージュ」は、「私」の中だよね?

ジャヌーブ砦の、あの談話室へ戻ったら、霊体アリージュは何処へ憑依する事になるの?

今まで実物の《精霊鳥》だった鳥類アリージュは、もう消えてるよね? 白文鳥パルに運ばれる形になるとか? カラクリ人形へ、とか……?

それから、ジャヌーブ地方の白文鳥《精霊鳥》の天敵……邪霊害獣《三つ首ドクロ》への対策、どうしたら良いの?

ジャヌーブ南の廃墟とか、流砂の下の地下神殿とか、そこの退魔調伏のための道具とか、

それから、それから……

急激に疲れが襲って来る。

純白の帆掛船(ダウ)は、いつしか、一定の高度で停泊しているようだった。安全な港湾の中の、とてもとても静かな水域に入ったかのような、穏やかな、揺れ。

幻覚を見ている気がするけど、眼下にある、あざやかな、巨大な紅ドーム屋根らしい物体は……

ジャヌーブ砦の聖火礼拝堂の――紅ドーム屋根なんだろうか?

やがて、ほどなくして……グルグル考え込んだまま、アルジーは深い眠りに移っていたのだった。

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深森の帝國