深森の帝國§総目次 §物語ノ傍流 〉鳥使い姫と魔法の鍵

鳥使い姫と魔法の鍵*~千夜一夜ファンタジー

ストーリー制作メモ

執筆(プロット作成)開始メモ=2020.01.05

舞台モデル=千夜一夜ファンタジー異世界

■ファンタジー部分の特殊設定

超古代に失われた高度文明の世界《精霊魔法文明》があった。 いまは特に邪霊と呼ばれている、強大な人外種族(怪物など)が支配する《魔法》の時代。人類は被支配種族として捕食される側であった。

古代に人類の中に出現した勇者が怪物王を退治、調伏に成功した。邪霊による支配が終わり、現在は人類繁栄の時代。 精霊・邪霊・怪物の種族すべて弱小になり、人類が編み出した《ジン》操作技術《魔導》に沿って動くようになる。

■ファンタジー部分の特殊専門職、上位の職業から順に:

(1)魔導士=黄金色の《魔導札》、《魔導陣》を使い、精霊・邪霊を強制的に操作。邪霊討伐の際の戦力ともなり、聖火神殿のお抱えの他、帝国軍でも活躍する。

(2)霊媒師=《精霊文字》や《護符》を使い、穏やかな性質の精霊に協力依頼。「よく効くオマジナイ」程度であり、ほとんどの場合、町角の占い屋や民間医療師などとして生計を立てる。
なお「青衣の霊媒師」は特別に《精霊魔法文明》知識が豊富であるため、超古代の知識を保持する諸国や豪族の宮廷の間では、賢者・相談役として重用されている。

(3)精霊使い=《象使い》《亀使い》《鳥使い》の3種。
《象使い》…土木工事や、超重量の運搬業メイン。工事現場ではお馴染み。
《亀使い》…水路メンテナンス専門。噴水・水道・地下水路などで、お馴染み。
《鳥使い》…白タカ《精霊鳥》や白文鳥《精霊鳥》の世話係として生計を立てるのが多い。《精霊語》能力はトップクラスだが、《魔導》が発達した現代では存在意義が薄く、数が少なくなっている。

本文

■01■天の果て地の限り やよ逆しまに走れ 両大河

目の端を、流星群のような白い光跡の群れが大量に過ぎ去ってゆく。

気が付くと、アルジーは、空飛ぶ白い絨毯にしがみつく格好だった。肩にかけていた荷物袋……民間の代筆屋としての仕事道具は、そのままだ。

空飛ぶ白い絨毯に織り込まれた緻密な羽翼紋様は、古代『精霊魔法文明』に由来する、長い伝統を持つ意匠である。

発動しているのは、おそらく超古代の、謎の精霊魔法《鳥舟(アルカ)》。

その仕掛け主は、かの地下神殿の奥底で、その呪文を唱えた『逆しまの石の女』に違いない。

怪異な双子と化していた銀髪グラマー美女「自称アリージュ姫」が本当に仰天したうえ、もろともに吹き飛ばされた事実からして、きっと、想定外の出来事だったのだろう。

――この事象の意味は、いまは、まだ分からないが。

一瞬だけ目撃したような気のする……かの大輪の月下美人の花を思わせるような、精緻な《魔導陣》は、偶然で構成できるようなものでは無い。

絨毯を見ると、それ自体が純白に輝いていて、その霊光(オーラ)は翼の形だ。飛跡が白孔雀の尾さながらに長く伸びて光っている。

行く先に見えているのは、途方もなく巨大な生き物の、喉(のど)のような光景だ。

夜の深淵を思わせる藍色の深みに向かって、落ち込んでゆく、湾曲した回廊。

さながら延々とつづく、すべり台だ。

何が起きているのかは知れぬが、何処ともつかぬ虚空を、猛烈な速度で飛行していることだけは分かる。

空飛ぶ魔法の白い絨毯は、高速移動に伴う風圧にあおられて、グルグルと回り続けていた……反時計回りに。

行く手に、幾つもの分岐が新しく広がってゆく。

次から次へと夜空の穴が開いてゆくかのような光景。

夜の分岐の数は、1000にも到達するのではと思われるほどだ。

……千夜一夜……『アルフ・ライラ・ワ・ライラ』という名の、永劫の幻影……

羽翼紋様を織り込まれた空飛ぶ魔法の白い絨毯は、行き先を心得ているかの如く、ひとつの夜の分岐へと進入してゆく。

いつの間にくっついていたのか、相棒の白文鳥《精霊鳥》パルとアリージュが哀れっぽい鳴き声を上げながら、アルジーの手指の隙間に潜り込んで来た。 この猛烈な速度は、白文鳥《精霊鳥》にとっては、耐えがたい性質のもののようだ。

アルジー自身も、首元がジクジク痛んでいるところだ。

首元に開いた傷口から、ダラダラと出血が続いている。

怪物教団『黄金郷(エルドラド)』の首領魔導士、謎の『毛深族』黒ヒゲ巨漢が、 《人食鬼(グール)》のカギ爪から削り出した黄金の魔性の三日月刀(シャムシール)でもって刎ねようとした――あるいは既に刎ねたのか――その位置だ。

非現実的なまでの高速の中を翻弄され、傷口がドンドン開いているという嫌な感覚を覚える。

――これ以上振り回されたら、首が本当に、もげるに違いない。

不吉に思い出される。かの狂気の邪霊使い――怪物教団『黄金郷(エルドラド)』の首領魔導士が、嘲(あざけ)りと共に宣言した内容が。

……間もなく、首と胴体が離れるでしょう。世間の想像を超えるような、むごたらしい形でね!

『どうなってるの? 何処へ行くの?』

我知らず、アルジーは《精霊語》で叫んでいた……

……次の瞬間。

難しい分岐に差し掛かっていた様子で、空飛ぶ白い絨毯が、いきなり右へ左へと、急転回した。

相棒の白文鳥《精霊鳥》パルとアリージュが、いっそう哀れっぽく鳴き叫ぶ。

目の前に広がった分岐――夜空の穴の姿をした喉(のど)は、無数の星々の流れる大河そのものだ。

大いなる激流に翻弄される小舟のように、上下左右へと揺さぶられる。

アルジーの荷物袋の覆いが開き、白孔雀の尾羽の形をしたものが、弾みで飛び出した。

「……羽ペン!」

呆然とするままのアルジーの目の前で、《魔法の鍵》となる羽ペンが、星々の、もうひとつの激流の大河へと飲み込まれていった。

みるみるうちに、それぞれの藍色の夜の喉(のど)へと、方向を違(たが)え。

すれ違ってゆく両大河。

大いなる流星群に運ばれて、遠ざかってゆく、白孔雀の尾羽の――羽ペン。

――かの星々の大河が流れゆくところ、その先にある夜のひとつ、喉(のど)の奥に見えたのは。

浩々たる満月のもと、青白いまでに照り映える光景だ。

上下に細長い形の奇岩が、数多の塔の群れの如く林立している。いずれの岩肌も、長年の風雨に削られたのだろう荒々しさ。

記憶にあるシュクラ山岳王国の光景とは、まるで違う。岩石の形や種類も、斜面に見える数々の植生も。

太古から存在して来たと思われる壮大な奇岩群には、無数の亀裂があるらしく、各所から細い白糸のような滝が何本も出ている。

松柏の類の多い、森厳(しんげん)な雰囲気の山岳地帯。シュクラ山岳地帯は、どちらかと言うと桑の木が多くて、モコモコとした印象だ……

ひときわ群を抜く、この辺り一帯の主と見える大奇岩の頂上には……目を疑うような工学物があった。

幾何学的に完全、かつ巨大な――それも上下逆転した姿の、銀色の正三角錐。

重力的に極めて不安定な構造体を、どうやって維持しているのか……分からない。

ただ一面だけ、天を向いている状態の……正三角形の平面。その正三角形の各々の隅から、一定の流量でもって、したたり落ちる水。

古代『精霊魔法文明』の遺跡。

現代の誰も、とうてい再現しえない『失われし高度な土木技術』。

重力に逆らって超高層にまで水を運び上げるほどの水路技術、三角形の面に均等に配水する灌漑技術。

あれは空中庭園なのだろうか? はるか遠き時代、精霊クジャクサボテン――月下美人の花をはじめとする、驚異の精霊植物の楽園だったという伝説があるが……

下から見上げる形になっている今は、かの天を向く正三角形の表面に、現在も伝説の光景が広がっているのかどうかは、分からない。

ぐるりと、鏡のように滑らかな銀色の胸壁に囲まれているのだけは、見える。

――不自然なまでに完璧かつ巨大な、かの上下逆転した銀色の正三角錐。

――天を向く正三角形の稜線を延々と巡る、継ぎ目のない長大な銀色の胸壁。

いずれも、かつての王の中の王《怪物王ジャバ》が、その圧倒的な超自然の魔力でもって手を加えたものなのだろうか?

そんな事を考えているうちに、白文鳥《精霊鳥》パルが「ぴぴぃ」と鋭く鳴いた。

『アル・アーラーフ! あの白孔雀の羽ペン、《魔法の鍵》……アル・アーラーフまで行って、拾って来ないと、ピッ!』

――何ですと!

あの不思議な銀色の、幾何学的な構造体を、もう一度、見直してみる――

上下逆転している巨大な正三角錐。天を向く面に、先ほどもチラリと見えた、鏡のような銀色の胸壁を備えている。あれの名前を『アル・アーラーフ』と言うのか。

アワアワしているうちに、空飛ぶ魔法の白い絨毯が、再びグルリと方向転換した。

壁のような大岩壁を、ジグザグに登ってゆく、険しい登山道が視界に入る。黒々とした狭間の陰の、それは山岳修行の道にも見え。

――その5合目の、屈折のあたり。

月光が差し込んでいて、岩肌が奥へ向かってえぐれているのが分かる。そこには、踊り場さながらに大きめの平面が広がっていた。

平面の中央に、一本の白いオベリスクが、スッと立っている。

お馴染みの聖なるオブジェだ。古代『精霊魔法文明』の祭祀遺跡では、よく見かける。宝探し冒険者たちにとっては、お宝の目印でもある。

白いオベリスク台座を囲むように、月光にきらめく水場があり、月下美人が満開の花をつけていた。

夜空の一角に、良く知る、とても明るい星座が浮かんでいる。

三角帆をいっぱいに上げた『帆掛船(ダウ)』。

その近くに、大砂漠や大海洋を渡る時の目印となって隊商(キャラバン)を導いてくれる、夜の間ずっと沈まない天測基準の星々……通称『アストロラーベ星団』。

(いまは満月の夜では無かった筈)

(そもそも……満月の夜の『帆掛船(ダウ)』が、あんな風に『アストロラーベ星団』に対して傾いて見えるのは、もっと別の季節の……)

――何かが、おかしい。

だが、ふと湧き上がった疑念を検討する間も無く。

アルジーと2羽の白文鳥《精霊鳥》を乗せた、空飛ぶ魔法の白い絨毯は、再びグルリと旋回し……

これが最後の分岐なのか。

千と一つの夜と昼の――星々の尽き果てた真っ暗な穴へと、吸い込まれていったのだった。

■02■城壁の石崩れと角部屋の死体と怪物と

いつしか、多くの篝火(かがりび)が赤々と並んでいるのが、見えて来た。

よく見ると、その多数の炎の半分ほどは、退魔能力のある《火の精霊》だ。

銀月が早々に没した後の深夜らしく、明かりの届かない部分は真っ暗。

岩石の多い砂漠の真ん中。

篝火(かがりび)の行列に彩られているところは、明るい。

夜の砂漠をゆく旅人が思わずホッとするような、人工的なラインを持つ大きな建造物が、煌々と照らし出されていた。

城壁には多彩な段差や隙間が仕込まれていて、弓矢の射手ばかりでなく、大砲をも配置できるようになっている。通常の城砦(カスバ)よりも、もっと軍事的方面に機能を絞り込んである形式だ。要塞と見える。

篝火(かがりび)の炎に熱せられて、深夜にもかかわらず気温が上昇している……

空飛ぶ白い絨毯の上で、アルジーは、不意に違和感を覚えた。

空気のにおいが、違う……

ボンヤリと感じているうちに、アルジーの中でモヤモヤしていた違和感が、急にハッキリして来た。

湿度が高い。空気そのものがエキゾチックな塩味を含んでいるような……

明らかに、蒸した空気が流れている。雨が降っていたのだろうか?

一瞬、視界の端を、流れていったのは……『帝都紅』を思わせる鮮やかな紅(あか)。華麗なモザイクの、紅ドーム屋根。聖火礼拝堂の一種に違いない。

空飛ぶ魔法の白い絨毯が、急降下し急旋回した。

勢いで、絨毯の表面から白い羽根の幻影が無数に吹き出し……飛び散ってゆく。

――精霊魔法《鳥舟(アルカ)》の解除。

夢のように真っ白な魔法の羽根は、次々に形を失って白い煙と化し、《根源の氣》となって大空に還る。

「わわわ!」

「ぴぴぃ!」

「ぴぃ!」

アルジーと相棒の白文鳥《精霊鳥》2羽は、自律的な動きを止めた魔法の絨毯とメチャクチャにもつれ合う形となって、まとめて転がされた。

篝火(かがりび)の並ぶ城壁の上。

壁に沿った石積みの段差に、身体各所を次々に打ち付ける。

それなりに高級品と言えるほどの厚みのある絨毯がクッションになったお蔭か、骨折の音が響かなかったのだけは、幸運と言うべきだ。

ゴロゴロ転がったその先。

城壁の曲がり角の突き当たりには、独立した塔さながらの、二階建ての小部屋がしつらえてあった。

展望台バルコニーの付いた見張り塔の形式になっている。かつてアルジーが、シュクラ王国の第一王女アリージュ姫として軟禁生活を強いられた人質の塔の部屋に似ているが、角部屋ならではの開放的な造り。

一階のほうの窓は大きく開いていた。空飛ぶ魔法の白い絨毯ごと、開いていた窓を通って、小部屋の中へと転がり込む形。

ほぼ同時に――脈絡も無く――少し離れた別の一角、城壁の暗がりで、何者かの影がサッと動いた。

その城壁の暗がりを作っていた高い段差が、グラリと動き……からくり仕掛けだった段差は、滑らかにスライドした。

既に、充分に傾斜していた段差は、見る間に崩落した。本来の、城壁の外側への方向では無く……内側へ向かって!

――攻城戦でお馴染みの、石落としが始まった!

あたりを揺るがす轟音。飛び散る鋭い石塊。流血の惨事になること確実な、恐ろしい弾幕だ。

「危ない!」

いまや動かなくなった魔法の絨毯の中でモタモタとしていたアルジーは、叫ぶ他に無く……

大小の石塊の大群が押し迫る。

アルジーの視界に入っていた贅沢な角部屋の窓枠が、飛び散る石塊の群れの中でメチャクチャにひしゃげ……大音響と共に粉々になってゆく。

絶体絶命の危機。

今さらどうにもならぬと絶望しながらも、アルジーは身を伏せた……

……

…………

身体全身に壮絶なショックと激痛が走る。

次の一瞬、口から魂が飛び出たのではないかというような感触。

そして、轟音と振動と……永遠にもつづくかと思われるような恐怖。

実際のところは、一呼吸か二呼吸ほどの間ではあったが。

程なくして。

異常事態に気付いた人々の騒ぎ声が、あちこちから上がって来た。

大勢の人の叫び声、走る足音。手に取っているのであろう三日月刀(シャムシール)の、空の鞘(さや)が剣帯と当たる金属的な音。

「石落とし攻撃か! なんで城壁の内側へ落とすんだ!」

「誤作動か、それとも誰かが間抜けな操作したのか、イタズラか、いかれた野郎はムチ打ちの刑だ!」

「おい、ヤバいんじゃねぇか、あの部屋は確か」

一部の人々が意味深な騒ぎを始めた。帝都宮廷風の発音が混ざっている。

(あの人たちは、身分的には、帝都宮廷でも比較的に上位の人々に違いない)

シュクラ王国の第一王女アリージュ姫だった頃から、諸国の城砦(カスバ)との宮廷社交に必要な教養として、亡き師匠オババ殿から仕込まれていたから……帝都宮廷風の発音は、よく分かる。

元形を留めぬ窓枠を、人々がドヤドヤと出入りし始めた。戦士の定番の迷彩ターバン。退魔紋様を備えた三日月刀(シャムシール)のきらめき。一気に騒がしくなって来る。

この場を統率するのであろう上官の大声も、轟きわたっているところだ。

結果として、アルジーは、空飛ぶ魔法の白い絨毯から這い出すのも難しくなってしまったのだった。もっとも、上に積み重なった大量の瓦礫を、どうにかしてからだが。

『どうしよう? どうすれば良い、パル?』

『あ、此処に居たんだ、アリージュ! そのまま居て、ピッ!』

絨毯にくるまれた暗闇の中で、ひそやかな《精霊語》が飛び交った。

相棒の白文鳥《精霊鳥》パルの――《精霊語》の――声が、慌てたように返って来る。身動きできなくとも、それだけで、ホッとするアルジーであった。

そうしている内にも、体力自慢の者たちが上官の指示に応えて、その辺の瓦礫を移動し始めたらしい。角部屋を埋め尽くした瓦礫が転がったりする時の、やかましい音が続いている。

「そら、急げや、今夜は確か閣下が、お忍びで出入りなさってた筈だ」

「チクショウ、まさかの暗殺だったりしたら……閣下ご本人が死体で出てみろ、そこらじゅうの政財界が大騒ぎだ! 帝都からも何を言って来るか」

四方八方から聞こえてくる喧騒の中。

アルジーの身体の中を、不意に「ストン」というような軽い違和感がよぎった。

次の瞬間、身体の周りの空間に、不思議な余裕が広がったのを感じる。

相棒の白文鳥《精霊鳥》――パルの声が、再び暗闇の中から聞こえて来た。不思議に、声の方向が明確に分かる状態だ。

『これで動ける筈だよ。絨毯の外に出ておいでよ、アリージュ、ピッ』

アルジーは早速、バタバタと腕を動かした。妙に腕回りがもたつく。長大な振袖を取り付けられた、祭祀用の衣装のように。四つん這いになったまま、ふうふう言いながら声の方向を目指して這いずった。

絨毯の重みが、急に消える。

ドッと押し寄せる外気……夜間ならではの冷気。

すぐに身を起こして、キョロキョロし始めると。

目の前に、「ぬーっ」と巨大な山が盛り上がったようだ。それは巨人の形をして、素っ頓狂な声を上げたのだった。

「何じゃこりゃ、角部屋で小鳥を飼ってたか? しかも白いの……2羽?」

それは、のそりと身を曲げた。身体の何倍もの大きさの、恐ろしい手のようなものが近づいて来て、アルジーはパニックになった。

『巨人だ!』

一目散に、目に付いた最も近い物陰へと逃げるアルジー。

身体の底から震えあがるような、違和感。

見回す限りの、あらゆるものが巨大化していた。

つい先ほど見た気のあるような角部屋なのに、窓のサイズも家具調度のサイズも、何もかも違う。そこらじゅう、瓦礫運搬の作業中らしい、兵士姿の……人類の巨人たち。

『ななな、何なの、これ、巨人の部屋!?』

『とにかく外へ飛ぶよ、アリージュ、ピッ』

すぐに追いついて来た相棒――白文鳥《精霊鳥》パルも、何故か巨大化している。もっとも、こちらは、ほぼアルジーと同じ身体サイズへの巨大化であるが……

白文鳥《精霊鳥》パルが翼を広げ、高い位置にあって無事だった窓へと飛び上がる。アルジーも腕を広げて、後を付いて飛んでゆく……

(飛んでる!?)

段差に気付かず足を踏み外した時のように、息を呑むあまり、態勢が崩れた。見込みが外れて、壮絶なまでに巨大な窓枠に、思いっきり身体全身を衝突させる。

巨大な窓枠に掛かっていた薄い紗幕(カーテン)をつかむ。「足の指」で。一瞬、グルンと全身が逆さまになった。

ビックリ顔の、2人、3人ばかりの巨人兵士たちが、眺めて来ていた。

「こら何じゃあ、このチビ、飛ぶのヘタだなぁ?」

「羽毛が半分ハゲてるからだろ?」

「俺、知ってるぞ。白文鳥にも換羽ってのがあってな……」

『急いで、アリージュ、急いで、ピッ』

アルジーは気を取り直し、傍で飛び回り始めた相棒パルに合わせて、腕をばたつかせた……パルと同じ、良く見慣れた白文鳥の翼となっている腕を。

いったい何が起きているのか分からないが、一時的に、古代の摩訶不思議な精霊魔法か何かで、白文鳥の翼を与えられたものらしい。

――幼い日、師匠オババ殿から寝物語に語ってもらった昔話の中に、偉大なる超古代の精霊魔法で小鳥になってしまった、《鳥使い》の冒険談があったような気がする……

…………

……思い出した、《鳥使い》シュクラだ。

帝国全土で広く知られているのは、その二つ名『貧乏神ハサン』のほうだ。

いまの帝国の開祖『雷霆刀の英雄』の仲間のひとりとして、《怪物王ジャバ》退治の旅に同行した人物。帝国建国の神話伝説の中で、繰り返し語られている。

恐怖の大魔王《怪物王ジャバ》の退魔調伏を成し遂げた『雷霆刀の英雄』や、超人的な武勇を誇った豪傑の仲間たちと比べると、二番手、三番手といった地味な扱い。

だが、シュクラ王家にとっては偉大な始祖かつ英雄。

――帝国全土の通称として、『貧乏神ハサン』などという変な二つ名が付いたのは。

不思議な《魔法の鍵》で、金庫を次々に空っぽにして破産(ハサン)――という逸話があるからだ。おまけに、数々の宝玉、黄金の延べ棒、などといったカネは、鳥の翼を生やして飛んで行ったという。

いまは、その謎の《魔法の鍵》が、いかなる物だったのかは、よく分かる。白孔雀の尾羽の形をした、不思議な羽ペンだ。 アルジーは、まさに、その白孔雀の羽ペンを使って、黒ダイヤモンドによる厳重な封印を、こじ開けることができたのだから。

シュクラ王家の始祖――《鳥使い》シュクラにして『貧乏神ハサン』が、いかなる状況で、伝説的アホとも思える「破産(ハサン)」をしたのかまでは、分からないけど……

…………

慣れない動作で身体のあちこちが悲鳴を上げるが、力強い翼の羽ばたきは、アルジーの身体を目論見どおりに空中へ舞い上げた……

何故かくっついた白文鳥の翼で、何とか空中に舞い上がれたものの。

方向が定まらず、翼で空中を虚しくひっかいているような感触だ。

ヨタヨタし始めたところへ、相棒の白文鳥《精霊鳥》パルが寄って来て、お手本の羽ばたきをして見せて来た。 真似すると、飛行の姿勢が安定し始め……アルジーはパルと連なって、窓枠の外へと飛び出した。

キョトンとした顔になった巨大な兵士たちの頭上を飛び越え、城壁の高所の手頃な場へ着地する。ようやく一息、というところだ。

『いったい、何が、どうして……』

息も絶え絶えに、石積みの隙間にしゃがみ込む。最近、砂嵐でもあったのか、石積みの表面には相応の砂が溜まってジャリジャリしている状態だ。

何故か翼の生えた腕で、簡単に足元の砂を払っておき……ふと見ると、足が――白文鳥の足だ。

『いま、その同族「アリージュ」に憑依してるんだよ、精霊魔法で、ピッ』

『憑依してる? これは白文鳥アリージュの身体って事? 鳥のアリージュは何処?』

『元々の人体のほうは、生贄の儀式で首に刃が当たって出血したし、石崩れの下敷きになって手足の方向もアチコチ曲がって変だったから、 さっき、同族アリージュが憑依して、絨毯《鳥舟(アルカ)》にくるんだ人体ごと《超転移》して行ったの……ピッ』

『……《超転移》って……何処へ?』

『南の海の向こうにある《精霊亀》の島。偶然、本名が同じだったから、人体と鳥体とで霊魂の交換が出来たんだよ、ピッ』

知らず、アルジーは耳を傾けていた。

だいたい、事情は分かって来たような気がする。

人体のほうは、生贄の儀式で首を切断されたうえ、瓦礫の下敷きになった。すなわち、死に過ぎるほど、死んだということだ。 それで、本名アリージュ同士で、鳥体と人体との間で霊魂を交換した。どうやって霊魂を取り換えるのかは分からないが、その辺りは、精霊魔法の奇跡に違いない。

――本名が共通していると、霊魂の交換が簡単になるらしい。

何故か、《精霊文字》を扱う代筆屋としての直感で、納得できるものがある。

『つまり、私は死んで、幽霊になったと言うことだね、パル? 確か海の彼方の《精霊亀》の島って、死者が行くところ……三途の川の中洲の……川中島と同じで』

『正確に理解するのは難しいけど、だいたい、そうだよ。そのうち《鳥使い》アリージュも《精霊亀》の島へ渡るよ。『アル・アーラーフ』と《魔法の鍵》の件で特別に招待されてるから、ピッ』

――当座の、幾つかの疑問は、解決した。

自分が、遂に死に果ててしまっていたのだ――とは、予想外だったけど。

地下神殿で《怪物王ジャバ》への生贄として三日月刀(シャムシール)で首を刎ねられ。空飛ぶ魔法の絨毯で遠くへ運ばれ。そこで落石に巻き込まれ……

随分と翻弄されたけれども、最期は……あっけなかったな。

――あれ? 実際は、首と胴体は、完全に離れていなかった気もするけれど。流血は相当あったらしいけど……

いくばくかの不可解さや、死んだ者としての悔いと共に、白文鳥アルジーは溜息をついた。

――生贄の儀式に、もう怯えなくても良いのだ。

余生と思って、世の中を見物してみるのも、オツなものに違いない。

三途の川を渡る期限があると聞く。

北方の乾燥かつ冷涼な城砦(カスバ)では1年ほどと長いが、南方の城砦(カスバ)は死体の腐敗の進行が速く、期限までの日数が短くなる傾向がある。 此処は夜間も温暖だし、湿潤なほうだから、ギリギリ見積もって47日ほどか。

それまでに、羽ペンを取ってくる必要がある……あの不可思議な山岳地帯の幾何学的構造体、逆転した正三角錐の建造物――『アル・アーラーフ』を探し求めて……

…………

……プルプル首を振って頭をハッキリさせた後。

持ち前の好奇心でもって、白文鳥アルジーは、辺りを見回した。

瓦礫運搬の兵士たちの上官と思しきヒゲ面の中年男性が、角部屋からほど近い位置に堂々と立っていた。瓦礫運搬の邪魔にならないようにして、部下と、情報交換を続けている。

「ラーザム財務官の可能性が高い? それは本当か?」

「御意。確かに、目下、ラーザム財務官と連絡が取れないので御座います、バムシャード長官。ラーザム財務官は、残業と仮眠休憩を兼ねて、この角部屋を大いに利用。此処に居る可能性が高い模様でありますぜ」

「何ということだ、クムラン副官! 昨日の襲撃の被害も片付かないうちに……やるべきことが、まだ山積み状態なんだがな」

「まったくで御座い……お、埋まってた寝台が、出て来たか! なに、足が見えるだと? 作業を急げ!」

クムラン副官の励ましに応じて、瓦礫搬出の速度が上がる。

力自慢の兵士たち総がかりで作業が進んでゆき、見る見るうちに、角部屋の寝台にあった死体が掘り出されたのだった。

早速クムラン副官が駆け付け、兵士たちと共に死体を確認する。

「間違いなく死んでますぜ、バムシャード長官」

「なんで分かる、クムラン副官」

「瓦礫が流れて行った方向が悪かったんですよ、頭と胴体が離れてますぜ。ラーザム財務官の死体よりも死体らしい死体は無いでしょう、 まともな死に方で即死だったのは、この大型《人食鬼(グール)》前線じゃあ、むしろ幸いと言うべきです」

「むむう。だがしかし、何故に城壁の『石落とし』が逆さまに作動したんだ……まして大型《人食鬼(グール)》対応の特別なヤツが……事故か、他殺か」

クムラン副官が身を起こし、戦士の定番たる迷彩ターバンの隙間に指を突っ込んで、頭を器用にかき始めた。 夜間とあって人相は良く見えないが、声はとても若い。所作もキビキビとしている。期待の若手なのだろう。

「そりゃあ、これから調べる事でしょうぜ、バムシャード長官。例の、セルヴィン殿下のお耳にも入れなければ」

「あの死にかけのポンコツ末皇子に何かできるとは思えんが。何でまた、あんな『ヒョロリ皇子』が前線まで送られて来たんだか」

「昨今、帝都宮廷では『婚約破棄』だの『無能の追放』だのが流行(はや)ってますからなあ」

「我らが帝国の、うら若き第一皇女サフランドット姫には、皆が皆、仰天させられている」

「帝都の『変人の追放』を押し付けられたコチラにもなって見て下さいよ、 変人も変人の老フィーヴァー魔導士とやら、あの圧倒的な眉毛とヒゲの下で何やら怪しげな工作してるんですぜ、しかも大型の砂嵐よろしく予算を吸い込んでるから、しょっちゅう面倒な査察が入る」

「あんな極め付きの変人でも、敬意を表すべき帝国随一の『大魔導士』どのだからな。クムラン副官も、彼のことはひそかに尊敬してるんだろう、珍しくも」

図星を突かれたらしい。反骨精神あふれる若い副官の、鋭いとすらいえる舌鋒は、少しの間……静かになっていた。

そうしている内にも、クムラン副官の手際よい誘導でもって、角部屋の中から、頭と胴体の離れた死体が運び出されて来た。

その死体は、一緒に引っ張り出された血まみれのベッドシーツの上に、横たえられた。

長衣(カフタン)はズタズタになっていたが、見事な「帝都紅」の染色や、襟元や袖口の緻密な装飾は、見間違いようも無い。

死体の主は、相当に高位の役人を務めるシニア世代の男である。

ヒゲ面の中年バムシャード長官がマントをバサリとさばき、簡潔ながら心のこもった、戦場スタイルの弔いの仕草をした。握りこぶしをターバンに――額の中央部分に――おごそかに触れる方式だ。

バムシャード長官のターバン装飾は、「長官」という地位役職に応じたものだ。帝国軍『雷霆刀』紋章の装甲と、聖火に見立てて赤く染めた大振りな飾り羽。

「こんな姿で再会するとはな、ラーザム財務官どの。戦費調達の話し合いで、事業仕分けだのなんだの、嫌ほど煮え湯を飲まされたもんだが」

白文鳥《精霊鳥》パルが、小鳥らしく目をパチパチさせ、アルジーの方を振り返る。

『近づいて観察しておくべきかも、ピッ。何だか精霊魔法の気配が漂ってる、ピッ』

『え、でも精霊魔法は、殺人目的のものは、ほとんど無い筈だよ?』

パルが飛び出し、アルジーも飛び出す。

小鳥の足で石畳をピョンピョン跳ねてゆき、恐ろしいまでの巨人としか思えない人間たち――兵士たちの足の間をすり抜けて、ちょっとした山脈さながらの死体に接近したのだった。

――精霊魔法の気配。

あまりにも微細で、よほど注意しないと感じ取れないくらいだ。

白文鳥《精霊鳥》パルは少しキョロキョロして……すぐに見当を付けた様子で、近くの控え壁のひとつへ、ピョンピョン跳ねて行った。白文鳥の姿になったアルジーも、ピョンピョン跳ねて後を付いてゆく。

接近してみると、いきなり段差が開けていて、下の階層へ移動するための階段が設置されているのが分かる。その簡潔さは、階段というよりも梯子に近い。

下の階層へ向かう階段。

そこは吹き抜けになっていて……ずっと視線で辿ってゆくと、複数の踊り場で、複数の出入口と連結しているのが分かる。

『分かったよ、アリージュ、ピッ。この微細な精霊魔法の発生源は、この控え壁のあたり。それで、この控え壁が大きく壊れなかったんだ。 向こうで石落としの仕掛けを動かした容疑者が居たけど、この控え壁にも「別の誰か」が居た、ピッ。 その「別の誰か」を守るために、精霊の守護の力でもって、流れ弾……流れ石を弾く羽目になった感じ、ピッ。《地の精霊》系のもの、ピッ』

『金融商の業界でお馴染みの黒ダイヤモンド《魔法の鍵》とは違うみたいだね、パル』

『意外に上位の精霊、ピッ。控え壁に居た、「別の誰か」に、この《地の精霊》がくっついていた。そして恐らく、その「別の誰か」は、此処から別の階層へ移動して、行方をくらませた。 その「別の誰か」は、向こうで石落としの仕掛けを動かしていた容疑者の一味か、それとも偶然の通りすがりの目撃者か……いずれ、判明させなくちゃ、ピッ』

『この階段、色々な出入り口とつながってるけど。その別の……目撃者っぽい誰かが、何処へ向かったのかは、分からない?』

『うん、もう魔法の気配が消えちゃったから分からない。謎解きはこれからだよ、アリージュ、ピッ』

見聞きするべきものは見聞きしたということで。

早々に引き上げることになったのだった。

*****

急に小鳥の姿となってしまったアルジーには、小鳥にとって都合の良い、安全そうな安眠スポットの知識が無い。

――という事に気付いて困惑し始めたアルジーであったが。

相棒の白文鳥《精霊鳥》パルが、早速、おススメの場所を案内したのだった。

この城壁には、篝火(かがりび)を兼ねた聖火祠が並んでいる。邪霊や怪物の侵入を防ぐ聖火を焚くための普遍的な魔除け施設。数多くある中のひとつが、白文鳥《精霊鳥》向けのねぐらとなっていたのだ。

お目当ての、小鳥の巣を備えた高灯籠スタイルの聖火祠へと到着してみると……

そこは、廃墟も同然に、荒廃していた。

長きにわたって白文鳥《精霊鳥》の渡りが無く、専門に管理する人――《鳥使い》も居なかったためだ。

祠の中の藁壺がグズグズに崩れたゴミの山と化しており、内側にも外側にも、高灯籠の形をした聖火祠そのものにも、蜘蛛の巣がビッシリ張り付いている。

それでも、篝火(かがりび)の台座としての、最低限の機能を期待されていた様子。強力な《火の精霊石》が、聖火祠の所定の位置に仕込まれていた。

相棒パルが、藁クズの山をつついて崩す。

すると、小鳥になった身にとっては巨大な、アルジーの荷物袋が、チラリと見えて来た。

『同族アリージュが、《超転移》で移しておいてくれてたよ、ピッ』

『良かった』

アルジーは早速、心に覚えのある仕分け袋を引きずり出した。白文鳥のクチバシでもって、一苦労しつつ袋を開くと、白文鳥《精霊鳥》たちにあげる予定だった草木の種が、まだ残っているのが見える。

パルと一緒に、少しばかり食事をつついて腹ごしらえをすると、急に眠気が襲って来た。

生贄の儀式の前後で恐ろしい思いをしたうえに、魔法の絨毯には翻弄され。

さきほど、石落とし攻撃による大量の落石に襲われたと同時に、数多くの謎を含んだ殺人事件が起きたのを、目撃したばかりだ。

安眠できると確信できるスポットだけでも有り難い。それが廃墟であっても。

極度の緊張が解けたアルジーは、ボロボロの藁クズに潜り込んだが早いか、一気に眠りに落ちて行った……

*****

まだ夜が明けきらない、それどころか草木も眠る闇の刻。

俄然あたりは騒がしくなった。

「全軍、武器を取れ! 怪物《人食鬼(グール)》襲撃だ!」

帝国軍ではお馴染みの《魔導》拡声器による大声が、城壁全体を響き渡ってゆく。

どこかで、当直の魔導士が《精霊語》で詠唱する声がつづく。

城壁のあちこちで眠たそうにボンヤリと揺れていた「普通の火」さながらの聖火が、その詠唱に応えて、一斉にまばゆく輝いた。

戦闘モード《火の精霊石》の紅蓮の炎は、人の背丈を超えて高々と立ち上がり、回転する火柱さながらだ。その周囲に、退魔調伏の力のある真紅の火の粉を散らし始めた。

疲れ果てて熟睡していたアルジーも、そのただならぬ騒ぎに気付いて目が覚めたのだった。

辺り一帯が明るい。高灯籠スタイルの聖火祠を照らす《火の精霊石》が、ギラギラと光っている。

相棒の白文鳥《精霊鳥》パルが、ひっきりなしに、蜘蛛の巣だらけの聖火祠を出入りしている。

『パ、パル? い、いったい何が』

『本当の《人食鬼(グール)》来襲みたいだよ、ピッ。この要塞、《人食鬼(グール)》戦線なんだよ、ピッ』

相棒パルの声は、いつになく緊張している。

『此処に居れば大丈夫じゃない? 聖火祠だし』

『これ、砂嵐に付き物の自然発生じゃ無くて、誰かの不法《魔導》で召喚されてる気配が、ピッ』

『この軍事基地の何処かに「邪霊使い」が居るって事? さっき名前が出てた老フィーヴァー魔導士とか?』

アルジーは咄嗟の習慣で、お馴染みの荷物袋から、退魔調伏の紅白の御札を引き出した。小鳥のクチバシで。

つづいて脳裏に浮かんだのは、いまや邪霊使いの一人にして憎むべき従兄(あに)となってしまった、シュクラ王太子ユージド。

(ユージド、さえ、居なければ)

湧き上がる感情に気を取られている内に、城壁の情勢は激変していた様子だ。足音の流れが変わる。

「早く、廊下のランプを全部! 普通の料理の火のほうじゃ無い、《精霊石》のほうだよ!」

「そっちの、ドリームキャッチャー魔除けのほうも!」

城壁のあちこちで反響して声音がボンヤリとしているが、明らかに女性の声だ。

この要塞には、非戦闘員の女性たちも、相当に多く詰めているのだ。水汲み、炊事、掃除、洗濯の担当といった類に違いない。女性たちが詰めているということは、子供たちも……

その予想を裏付けるかのように、小さめの人影が、ふらつきながら横切った。

明度を増した聖火祠の照明の中に現れたのは、病的なまでに線の細い少年だった。その身にまとう上質な長衣(カフタン)と、ボロボロに貧弱な体格との落差が、違和感バリバリだ。

白文鳥の姿のアルジーが、興味津々で聖火祠から小鳥の首を突き出して、見守っていると。

もうひとつの背丈のある人影が、俊敏な所作で駆けつけて来た。最初に見かけた迷彩ターバン兵士たちと同様、帝国軍の一般的な軍装姿。雰囲気からして20代前後の青年。

「セルヴィン殿下、そちらへ行っては」

……白文鳥アルジーは、驚きの余り「びょーん」と伸び上がった。

オリクト・カスバの訛りが入っている!

ほとんど帝都風の発音だけど、故郷シュクラ王国の隣にある、友好国の……

親しい知人を思わせるイントネーションに、いっそう耳を傾ける。

「オーランが危ないかも知れないから」

「何ですって? チクショウ、あいつ『錠前破り』の……何処に居るんです?」

その声に応えるかのように、軽快な少年のものらしき足音が接近して来た。

病的なまでに貧弱な『セルヴィン殿下』と呼ばれた少年が、弾かれたように、その方向に顔を向ける。20歳かそこらの武装ターバン青年も。

「……オーラン!?」

不意に、城壁に設置されている聖火祠の――聖火が揺らいだ。《精霊石》による炎だから、普通の風などでは揺らがない筈なのに。

白文鳥《精霊鳥》の感覚が、不吉な兆候を捉える。

相棒パルが鋭く鳴いた。

『人食鬼(グール)!』

少し先の城壁の上で、禍々しい魔性の黄金のカタマリが、ギラリと揺らめいた。

城壁の石積みに掛かっているのは、いやに三日月刀(シャムシール)に似た形。

――《人食鬼(グール)》の、カギ爪だ!

『よけて!』

アルジーは、退魔調伏の紅白の御札をくわえて飛び出した。荷物袋から出してあった退魔調伏の御札だ。白文鳥の姿なので、手が使えずクチバシにくわえる形。

白文鳥《精霊鳥》の鋭い鳴き声がつづいたことに気付いたのか、3人が一斉にその方向に顔を向け……

「あれは!」

城壁の上に、ぎらつく黄金の人体のようなモノが躍り出た。

20代の武装青年と同じくらいの体格の、中型《人食鬼(グール)》。

黄金のカギ爪を構えて……飛びかかって来る!

白文鳥アルジーは、素早く紅白の退魔調伏の御札を放った。

御札は夜風に乗って、《人食鬼(グール)》のほうへと舞い……片方の手首へと貼りついた。

目にも留まらぬ熟練の速度で、武装青年の三日月刀(シャムシール)が振り上げられた。邪気に触れて、定番の退魔紋様が真紅に輝く。

禍々しい金属音、そして退魔調伏の聖火の――紅白の御札も加わったゆえの、力強い爆裂音。

――があぁぁ!

苦痛と憤怒の声音。

あの頑強な《人食鬼(グール)》の肉体が……数歩ほど、よろめきつつ後退していた。

見ると、片方の手首が、手先に付いていた黄金のカギ爪ごと吹き飛んでいる状態だ。切断面からは、《火の精霊》の真紅の火花がバチバチと散っている。

アルジーは一瞬、呆気に取られたものの、すぐに納得していた。

(そうだ、あの御札、とても頼れる女商人ロシャナクさんから頂いた強力な紅緋色のインクで、試しに作成していた1枚!)

まだ未熟なほうの体格とはいえ、危険な《人食鬼(グール)》。その胴体に醜怪な裂け目が入ると、見る間に洞穴のような異形の口となった。黄金の牙がグルリと生えている。

セルヴィン殿下と呼ばれていた血色の悪い少年は、恐怖に足元をもつれさせて、ぐらりとよろめいた。

高速でうねり、襲い掛かる、忌まわしい舌の群れ。

背筋の凍るような一瞬。

覆面ターバン姿の、もうひとりの少年が飛び出して来て、護身用の短剣を抜き放った。夜の闇にも鮮やかな、《火の精霊》の真紅の閃光。

高速で噴射されていた、幾本もの怪物の触手――舌が、まとめて切断された。

驚異の動体視力。

だが、明らかに少年だ。当然、戦闘経験は浅い。

少年は、再び繰り出された第二弾の舌の群れをよけきれず……その怪物の舌に付いていた無数の棘が、少年の覆面ターバンをボロクズと化していった。

その少年の顔面からも、その顔面を守るように上げた腕からも、細かい血飛沫が飛び散る。

白文鳥アルジーは、目の前で噴き出した血の量に動転するままに、怪物の舌の群れを止めようと、少年の覆面ターバンにしがみつく。

アルジーの身体各所を、気の遠くなるような激痛が貫いた。

舞い散る純白の羽根。

複数の悲鳴。

相棒の白文鳥《精霊鳥》パルが、近くの篝火(かがりび)――《火の精霊石》の燃やす聖火に飛び込んだ。

聖火は、精霊魔法の成分を受けて増強した。

白金の聖火となるや、まばゆい純白の炎へと変わり、見上げるような大きさと幅に広がる。

――大きな鳥の、両翼のような影かたち。

鷲獅子グリフィンとも称される、巨大な白ワシ《精霊鳥》のようにも見え……超古代の伝説の白孔雀のようにも、見え。

純白の炎となって輝き燃える、偉大なる《鳥の精霊王》が、そこに出現したかのようだ。

畏怖すべき気配を感じたかのように、動きを止めて振り返る《人食鬼(グール)》。

巨大な両翼の形をした純白の炎は、それを見逃さなかった。

左右から、翼を打ち合わせたかのように、《人食鬼(グール)》を挟み撃ちにしたのだった!

三日月刀(シャムシール)を構えたまま唖然とする武装青年、病的なまでの痩身の少年、血まみれになって倒れ伏しながらも驚愕に目を見開いたままの覆面ターバン少年。

全員の目の前で、《人食鬼(グール)》は……純白の火花と散った。

黄金にぎらつく魔性の肉塊は、あっという間に粉砕して……無害な熱砂と化してゆく。

退魔調伏できた――それだけを確認した瞬間、白文鳥アルジーは、意識を失っていたのだった。

■03■色々ありすぎた夜が明けて~老魔導士と青年と少年たち

太陽が高い位置にあるらしい。

閉じた瞼(まぶた)を透かして、白昼の明るさが染みとおって来る……

……

…………

「治療できないのか?」

「ワシは《鳥使い》では無いのですぞ、もっとも今のところ、この状況に対応できるほどの《鳥使い》は、帝都でさえゼロじゃが」

「その金縁は、ニセの飾りなのか!」

「やれやれ、噂に聞く死にかけの『ヒョロリ殿下』が、これほど《火の精霊》の祝福したもう火の気性じゃったとは、この世は驚きに満ちているのう。 あぁホレ、体力が尽きたじゃろう、そこで横になっとれ。子守役を困らせるで無いぞ」

何かがドサリと横たわったかのような気配と共に、クッション類と思しき「ギュッ」という音が続いた。

次に、とても若い青年の声が響く。礼儀正しそうな雰囲気。

「老魔導士フィーヴァーどの、私は護衛なのですが」

「フン、ケツの青い坊主どもは聞き分け良く黙っとるもんじゃよ、オローグ君」

「名前の発音がおかしいのですが、老フィーヴァー殿……」

「出身の城砦(カスバ)が互いに遠く離れているんじゃから、『毛深族』方言くらい受け容れるが良い。そっちこそ世界の屋根こと『地霊王の玉座』周辺の方言、どうにかならんのか。ワシの名前をシッカリ間違っとるわい」

――昼間だろうか? なんだか明るい。近くでガヤガヤという人の声がする。

特別な香を焚いているのか、精霊が好むタイプの爽やかなアロマの気配。だんだん意識がハッキリして来る。

アルジーは目をパチパチさせた。手を動かそうとして、翼をバサリと打つ。

――そうだ、思い出した。まだ白文鳥《精霊鳥》の中に入ってるところだった。

『気が付いて調子はドウじゃ小さいの?』

かくしゃくとした雰囲気の老人の声。少しズレた《精霊語》ではあるものの、何となく意味は通じる。

ジャラジャラという、お馴染みの護符チェーン類の響きがつづいた。

首を少し動かして、声の主のほうを眺める。

金縁の付いた黒い長衣(カフタン)をまとう、老魔導士だ。

誰よりも立派なものと思われるモッサァ白ヒゲと、白い眉毛。

その辺のどこにでもある生成り色のターバンを巻いた頭は、老齢ゆえ禿げている……いや、ターバンを巻きやすくするために綺麗に剃り上げられたものだが、 その体毛のフッサフサぶりは、先祖が『毛深族』だったことを主張している。

老魔導士は、あまり身を構わない性質なのか、それとも何らかの工作中だったのか……その黒衣は、木くずや塗料が散って、愉快な有様になっていた。 長い白ヒゲも、端が長く伸びた白い眉も、同じように木くずや塗料が絡まっている。あとで、サウナと行水とで、念入りに全身を洗い、さらに衣服も洗濯する必要があるだろう。

返事をしようとしたアルジーの声は、「ぴぴぃ(大丈夫よ)」という白文鳥《精霊鳥》の鳴き声になった。

ビックリするくらい羽毛が剥げているらしく、空気が通り過ぎて寒い。全身に、邪霊由来の裂傷がある……あちこち、ジクジクと痛む。《精霊鳥》としての感覚が、 再び無理をすれば一気に衰弱し『根源の氣』に還るだろう、という直観を伝えて来た。

「出血したうえに羽毛が剥げているのでは、寒いじゃろ」

老魔導士は、小鳥のアルジーの状態を、既に診断済みであった。陽光で温まったハンカチを掛けて来て、アルジーは少しホッとした気分になったのだった。

「ふむ。ヒョロリ殿下あらため、カンシャク殿下に、ひとつ、仕事を押し付けて進ぜよう」

その人を食った言い草に、唖然とした空気が流れるのを感じる。

くるりと視線を動かしてみると……

黒髪をした20歳前後の青年が、微妙な表情をして頭を抱えていた。戦士の定番、迷彩ターバン。帝国軍の一般兵の軍装姿。あの《人食鬼(グール)》襲撃現場に居合わせていた青年だ。

(オリクト・カスバのローグ様に似ているような気がする。名前も似ているし……ローグ様はもう30代だから、この青年とは違うけど。 ターバンの巻き方だって、オリクト、というか、シュクラとも共通する『東方山岳の民』風……)

背丈のある迷彩ターバン姿の青年の後ろに、簡易な寝台。血だらけの包帯姿の少年が、グッタリと横たわっているところ。

――あの時の、《人食鬼(グール)》にやられて大怪我をしていた少年だろうか?

白文鳥アルジーが、チラとそんな事を思っていると……別の方向から、とぎれとぎれながら、不機嫌そうに返す少年の声がやって来た。

「私はセルヴィンだ……無礼者……」

そこには簡易ソファがあり、今にも死にそうな顔色をした、痩けこけた少年が横たわっていた。ほぼ骸骨に近いくらいに貧弱な身体。黄土色の藁クズのような毛髪が、上質なターバンからこぼれている。

――あの痩せた子が『ヒョロリ殿下』こと、セルヴィン皇子なのか。

いま一度、ここに居合わせている人物――4人の、人相と名前を整理する。

医師・薬師を務める老魔導士ひとり、青年ひとり、少年ふたり。

モッサァ白ヒゲ『毛深族』老魔導士フィーヴァー。集中力が強いのだろう、木くずや塗料にまみれた黒い長衣(カフタン)を、まったく気にしない性質。

黒髪の青年――迷彩ターバン戦士姿の、とても若い護衛がオローグ青年。おそらくシュクラ山岳地帯に近い東方辺境の出身。

昨夜の記憶が正しければ、血だらけの包帯の少年が「オーラン」……髪の色は此処からは見えない。

そして、黄土色の藁クズ少年が『ヒョロリ殿下』こと、セルヴィン皇子。誰かが、死にかけのポンコツ末皇子、と批評していた。とても虚弱な様子。

白ヒゲ老魔導士『毛深族』フィーヴァーは飄々とした態度を崩さず、ハンカチでくるんだ白文鳥《精霊鳥》アルジーの身を、ヒョイと持ち上げた。そして、『ヒョロリ殿下』少年の手の平に、ポンと移したのだった。

白文鳥アルジーは驚きの余り、ハンカチの間から首を出して、白ヒゲ老人と藁クズ少年を交互に見回した。

呆然とした顔のセルヴィン少年へ、老魔導士は、物のついでのように告げる。

「この小さいのは、殿下が世話するんじゃよ。白文鳥は寒さに弱いからな、冷えてグッタリしている時は、その適当に弱火の《火の精霊》で温めてやるんじゃ」

「つ、つまり?」

「何を期待していたんじゃ、殿下? ワシは《鳥使い》では無いし、別件で忙しいのじゃ。これ以上、老体をムチ打つで無い」

「死んだら、どうするんだ……」

「セルヴィン殿下の呼び出す弱小な《火の精霊》じゃ、最大火力でも死にゃせん。こやつは精霊鳥、死んでも死体は残らん。存続の力を失えば、最初から幻影であったかのように、かき消えるだけじゃよ」

無言になったセルヴィン少年の、不健康に痩せて骨が浮いている手の中。白文鳥アルジーは、あらためて首を巡らせた。

近くで見てみると。

このセルヴィン殿下という少年皇子の、患者仕様な簡易ターバンの装飾が、確かに、過去の教育で教わったとおりの帝国皇族のそれ。

一流の《魔導》技術でもって、非常に希少である透明な《精霊石》に、白金に輝く帝国の紋章を仕込んである。 帝都を潤す両大河(ユーラ・ターラー)を模した象徴と、帝国の守護精霊《火霊王》を表す《精霊文字》を組み合わせたもの。

――どこかで見たことのあるような、琥珀色の目だ。それとも金色の目か。

いまの白文鳥《精霊鳥》の目でよく見ると、薔薇輝石(ロードナイト)の波長があるのが分かる。それも相当に高品位だ。 帝国の皇族という要素を上手に受け継いだというのがあるのかも知れないけど、珍しいタイプ。これと合致する精霊は存在しただろうか。存在していれば……

じっと見ていると、藁クズ少年な皇子セルヴィンは、フニャリとした顔になった。白文鳥アルジーの頭をそっと撫で始める。

簡素な寝台に横たわる包帯だらけの少年が、ボソッと声を掛けた。

「その白文鳥、何故か拒否反応を示してないですよ、セルヴィン殿下。縁が出来たと思って可愛がってやってくださいよ」

「……随分と白文鳥《精霊鳥》に詳しいな、オーラン」

「出身の城砦(カスバ)、白文鳥の巣を抱えている高灯籠が多かったんですよ」

「多かった? 過去形なのか?」

「血に飢えた盗賊の奴ら、目に付いた高灯籠を、すべて破壊してましたから。吊りランプの《火の精霊石》まで持って行かれたと聞いた時は……確かに《精霊石》は価値がありますが」

包帯まみれのオーラン少年は、不意に口をつぐんだ。よく見ると、歯を食いしばっている様子だ。

――オーラン少年の故郷の城砦(カスバ)は、性質の悪い山賊にやられていたらしい。《邪霊使い》を抱えた大きな山賊は、そういう事を平気でやると聞く。

すぐに、護衛オローグ青年が、オーラン少年の寝台に近づき、間に垂れていた紗幕(カーテン)をひいた。

「それ以上喋るんじゃない。怪我を治すことだけ考えろ、オーラン」

「この《人食鬼(グール)》裂傷が治るもんですかね、兄貴」

――オローグ青年とオーラン少年は兄弟らしい。兄弟でチームを組んで、セルヴィン殿下の護衛を務めているのか……

皇族セルヴィン殿下は、帝国皇帝(シャーハンシャー)後継者レースから蹴落とされた存在であるようだ。 辺境の弱小な城砦(カスバ)出身と思われる、経験の浅い護衛2人。護衛2人の人脈を辿って、辺境の城砦(カスバ)へ婿養子として赴くのがせいぜい、というような……吹けば飛ぶような末席。

早くも、老魔導士フィーヴァーが、作業机に陣取った。

その作業机には、大小フラスコや複雑な形のカップなどといった、不思議な道具がゴチャゴチャとある。そして、大きな薬研(やげん)がデンと鎮座していた。

黒衣の老魔導士は、ドンと薬研(やげん)に手を掛け、ハーブその他と思しき薬草や、治療用の《精霊石》類を、ゴリゴリと砕片にし始める。

「生還だけでも幸運なところ、身体機能は無事だったのじゃぞ、ケツの青いオーラン坊主よ。普通は、白文鳥《精霊鳥》が戦闘に干渉して来ることは無いのじゃ。 白タカ《精霊鳥》や、白ワシ《精霊鳥》とは、担当領域が違うでな。《人食鬼(グール)》裂傷の治療に関する、このワシの存在『人類史上、最高の天才な名医』にも、感謝するんじゃよ」

再びの飄々とした、それも『圧倒的な自画自賛』を含めた老魔導士の言葉に、その場がシーンとなったのは言うまでもない……

――《人食鬼(グール)》裂傷。

不意に、アルジーの中でパッと思いつくものがあった。

一緒に持ち込んだ形になった、あの荷物袋の中に。

確か、千年を超えた《精霊亀》から貰(もら)った……虹色の不思議な甲羅の欠片があった筈。

いまは憎むべき敵になってしまったのは残念だけど、ユージドお従兄(にい)様も、『千年モノの《精霊亀》の甲羅があれば、傷痕も色素沈着も綺麗に消える』と言っていた。

記憶によれば、あの荷物袋は、まだ城壁の高灯籠スタイルの聖火祠に隠してある筈。昨夜の安眠スポットにもなった……

白文鳥アルジーは身動きしようとした……そして、全身の傷が疼(うず)き、気が遠くなったのだった。

失神、数分ほど。

なにやらポカポカした感触に目を開けてみると。

本能的な身体反応か、白文鳥《精霊鳥》独特の冠羽がピッと立っていて……その先端に、小さな《火の精霊》の炎が灯っていたのだった。さながら極小ランプの灯だ。 《火の精霊》のエネルギーを分けてもらっている状態らしい。銀月に照らされていた時とは、感触が違うけれど。

安心したようにフニャリとしたセルヴィン殿下が覗き込んで来ている。ハンカチの上から数回ほど小鳥の頭を撫でた後、虚弱な少年は気力が尽きた様子で、フッと意識を飛ばしていたのだった。

近くでは、薬研(やげん)の作業を終わらせた老魔導士フィーヴァーが、乳鉢と乳棒を使って、薬物をさらに細かくすりつぶしているところである。かくしゃくとした所作。 立派なお眉や白ヒゲを作業に巻き込まないでいられる身のこなしは、大したものだ。

戦士の休息と言うべき、静かなひととき。

やがて、白文鳥アルジーの冠羽の上でチラチラとしていた《火の精霊》が、パチパチという炎のささやきのような《精霊語》で語りかけて来た。

『いま話せるところだろうか? 白文鳥パル殿の伝言があるのだ、白孔雀《魔法の鍵》継承者、《鳥使い》、銀月の。パル殿の依頼どおり「アリージュ」と呼ぶよ。我らの言葉が分かるのだね、アリージュ?』

『え? う、うん……』

『それは重畳。我、セルヴィンの守護精霊《ジン=***アル》なり。セルヴィンの成人を待って精霊契約する』

契約対象外の人類には、精霊の名前は伝わって来ないのが普通だ。それでも一部分が聞き取れるのは、元々アルジーが《精霊語》に習熟していて……いま、霊魂が白文鳥《精霊鳥》の身に乗り移っているせいだ。

『鍵と鍵穴みたいに合致する、薔薇輝石(ロードナイト)なんだね。琥珀色か金色か、よく分からない目の色だし、珍しいよね。セルヴィン、傍目にも衰弱がひどそうだけど、大丈夫?』

『帝国皇族の政争に暗殺は付き物なのだ。人類という集団の、欠陥である』

そこで、《火の精霊》は、憤然としたように小さな火花をパチッと弾いた。

弱々しく爆(は)ぜた程度だが、その火花は、妙に白金色を帯びている。 虚弱な体質の相棒を持ってしまった《火の精霊》ならではの弱小な姿形ではあるが、相当に高位の精霊に違いない。端々に、並みならぬ雰囲気が感じられる。

『我が相棒セルヴィンは、禁術の生贄《魔導陣》によって生命力をむしられているうえ、 帝都から遠く《人食鬼(グール)》討伐真っ最中の南方前線「ジャヌーブ砦」に、「鍛錬を兼ねた静養」と称して追放……いや、移動させられたのだ。 我がチマチマと補給しているが、いつまでも補給しては居られぬから、正直どうしたものかというところなのだ。精霊魔法の護符にしても、適合する品が見つからない』

――話に聞く以上の、帝都の政争だ。穏やかでは無い。第一皇女サフランドット姫が女帝とされているそうだが……

『つまり、此処は南方《人食鬼(グール)》前線「ジャヌーブ砦」という場所なんだね。セルヴィンに仕掛けられた生贄《魔導陣》、《怪物王ジャバ》が関わってるの?』

パチパチと、《火の精霊》は爆(は)ぜた。心底、仰天したという雰囲気だ。

『我が知る限り、それは人類の有史以来の禁術の中の大禁術。復活させた魔導士や霊媒師は居ない筈だ。邪霊使いも』

『え、でも私は《怪物王ジャバ》の生贄《魔導陣》に、ずっと取り付かれているよ?』

少しの間、沈黙が漂う。《火の精霊》は、アルジーを観察し始めたようだ。

『……その白文鳥の身には、生贄《魔導陣》は、いっさい見られぬが。あ、そうであるか。元の人体が、呪われていたのだな? 人体の生命力ほぼ枯渇、という特殊な条件下ならば、 極めて近い波長の精霊(ジン)の一族とであれば、意識の波動を移すことは可能。そのような驚異の術を実際にやり遂げたのは、白孔雀《魔法の鍵》を扱えた《鳥使い》のみ』

『一時的に、私みたいに白文鳥《精霊鳥》に憑依してた? その人、《鳥使い》シュクラ?』

『である。《鳥使い》アリージュは、かの《鳥使い》シュクラと同じく、白孔雀《魔法の鍵》を扱える薔薇輝石(ロードナイト)であるな。 《ジン=アルシェラト》と大いに共鳴して、空飛ぶ白い絨毯《鳥舟(アルカ)》でもって千夜一夜――アルフ・ライラ・ワ・ライラ――を渡ったのだ、さもありなん』

――初耳の名前、しかも完全形で伝わって来る。祖国シュクラと関係が深い精霊(ジン)だろうか? アルジーは思わず耳をそばだてた。

『ジン=アルシェラト?』

『銀月の精霊(ジン)アルシェラト。人類の側で言う《逆しまの石の女》が、其れである。正確に其れ、という訳では無いが……《鳥使い》アリージュは、ほぼ幽霊、いや、銀月の精霊(ジン)と化しておるな。 よほど生贄《魔導陣》が深刻だったと見えるが……元の人体は、さながら《精霊語》の翻訳器であろう』

やがて《火の精霊》は、話を脱線させていたことに気付き、ポポンと弾けた。

『肝心なことを忘れていた。パル殿の伝言だ。白文鳥パル殿は弱体化していて、当分の間、潜伏とのこと。アリージュが弱っているゆえ、パル殿も回復が遅い。 アリージュが復活すれば、パル殿も復活するであろう……目下、この南方戦線は《怪物王ジャバ》の申し子たる《人食鬼(グール)》発生が激化しているところ、身辺には注意せねばならぬ』

アルジーは気を引き締めて、頷いた。

『さらに、昨夜の謎の《地の精霊》の件だ。我も気配を感受したゆえ、この近くに居るのは確実。この辺りの精霊(ジン)では無いな。 パル殿が確信を持って言うには、《地霊王》に極めて近い高位の者。害をなす存在では無いが、目下、パル殿よりも厳重に潜伏しており、我ら一族とも気安く接触できぬ事情があるらしい』

『それ程の事情って何だろ?』

『邪霊だな。邪霊という邪霊は、黒ダイヤモンドを離れて浮遊する《地の精霊》を見れば、即座に、その祝福を得んとして狂暴化する。《地の精霊》祝福は、《雷の精霊》と大いに共鳴して、戦闘力を増強する』

『雷のジン=ラエド?』

『である。超古代の《怪物王ジャバ》、巨大雷撃《蠕蟲(ワーム)》と化した《人食鬼(グール)》なぞ出現されたあかつきには大変なことになるゆえ、致し方なきところ』

アルジーは大いに納得し、鳥肌が立つほどの恐怖の中で、相槌を打つばかりであった。

『昨夜、いきなり中型《人食鬼(グール)》が出たのは……』

『本来は、不正に召喚された個体で、別の目的があったようだ。そして、希少な高位《地の精霊》の気配を感じて、方向転換して襲撃して来たのだな』

そこで《火の精霊》は、フウと息をついたかのように、ゆらりと揺れた。

『かの《人食鬼(グール)》が、《地の精霊》の好みでなくて良かったし、速やかに退魔調伏できたのも良かった。 まあ、そもそも《地の精霊》諸族は、同族嫌悪という形で《怪物王ジャバ》を徹底的に嫌う。ジャバ神殿が地下にある事実からも明らかなように、《怪物王ジャバ》は、《地の邪霊》なのだ』

色々と訳知りな《火の精霊》は、実体化していられる時間が残り少なくなった様子で……チラチラと震えながらも早口になった。

『パル殿いわく、かの封印されし『アル・アーラーフ』へ踏み入らねばならぬ深刻な理由があるそうだな。 天の配剤か、問題の高位《地の精霊》は『アル・アーラーフ』建造と、その《魔法の鍵》封印に直々にかかわった一族。 その精霊(ジン)と交渉する必要がある。《魔法の鍵》封印を解き放ち、『アル・アーラーフ』へ至る秘密の道を示してくれる筈』

……あの謎の気配の主である《地の精霊》が、『アル・アーラーフ』へ通じる《魔法の鍵》を持っているのだ!

空飛ぶ魔法の白い絨毯《鳥舟(アルカ)》には、すさまじく翻弄されたけれど……銀月の精霊(ジン)アルシェラト《逆しまの石の女》が、何故そのような呪文を唱えたのか。

今にして理由が分かって来た!

――銀月の精霊(ジン)アルシェラトが、くれたチャンスだ。その謎の《地の精霊》と、何としてでも話を付けなければ。

白文鳥アルジーは、驚きに息を呑み、純白の翼を震わせた……

それが合図であったかのように、《火の精霊》は、かき消えた。長く実体化していられないのは、虚弱な相棒――『ヒョロリ殿下』セルヴィン――に見合うだけの、弱小な姿形のせいだ。

(……セルヴィンがもっと元気だったら、この《火の精霊》も、ちゃんとした《火吹きネコマタ》の姿を取れたかも知れない)

いかにも皇子サマ風で、それなりに態度もエラそうな、毛並みの良い赤トラ猫になるに違いない。

白文鳥アルジーは《精霊鳥》独特の冠羽を片付けながらも……ふと、妙に毛並みの良い、子ネコの《火吹きネコマタ》を思い出したのだった。 あの謎の子ネコは、謎の紺色の覆面ターバン青年の周りを、うろついていたようだ……

(そうだ、精霊魔法の護符があれば、セルヴィンの健康状態は改善する筈だ。さっき《火の精霊》が言っていたように……)

かつて、アリージュ姫が――アルジーが、ドリームキャッチャー耳飾りの形をした白い護符で、必要最小限なだけの健康を維持できていたように。 あれは、青衣の霊媒師オババ殿の、特製の護符だったのだ。物慣れた風の白タカ《精霊鳥》シャールでさえ感心していたほどの、白文鳥《精霊鳥》の羽を使った精霊魔法の護符。

それに加えて、あの高灯籠に隠しておいた荷物袋から《精霊亀》甲羅を取り出して、オーラン少年の《人食鬼(グール)》裂傷を何とかして……

謎の《地の精霊》は姿を見せて来ない。

目下の問題は、アルジーが頑張って対処するしか無い。

まずは、この財務官ラーザム殺害事件を解決する必要がある。そして、セルヴィン少年の異常な虚弱と、オーラン少年の怪我と……

■04■南方前線の砦の中の、面々

目下の怪我が癒えた後で取るべき行動――白文鳥アルジーが、つらつらと計画を考えていると。

部屋の外のほうで、ザワザワとした物音がつづいた。誰何(すいか)をしている衛兵か、見張りの類。

気配が動き、2人ほどの足音が接近して来た。

間を置かずして、補強加工を施されたサボテン製の扉が、強めに叩かれる。

「老魔導士フィリヴォラルフ殿、扉を開けられたい。手前マジードでござる。昨夜の殺人事件、すなわち財務官ラーザム殺害事件について、確認したき項目があるのだ」

「虎ヒゲ・マジード君か。いま合成薬物で手が塞いでいるんじゃ。後で来い」

「大調査官じきじきに、ラーザム事件の調査に着手されているのだ。老フィリヴォラルフ殿も知ってのとおり、あのタフジン大調査官は気が短い」

「我が学友、『虎ヒゲ』部族の長タフジン君じゃと! これ、オローグ君、扉を開けてくれたまえ」

「はあ。名前の発音違いは、よろしいので?」

黒髪をした若い護衛オローグ青年は、ちょっとした理不尽に頭を振り振りしながらも、扉を開ける。

――『毛深族』独特のモッサァ・ヒゲ面をした、大柄な戦士が現れた。戦士の定番、赤茶色の迷彩ターバン。

日焼けした人相は、激闘の証拠の古い傷痕が刻まれていて、大迫力だ。

魔除けを施された三日月刀(シャムシール)を佩(は)いている。片方の手に持つのは、大型《人食鬼(グール)》対応の大斧槍(ハルバード)。

戦士ターバンを巻くために、頭部の毛は綺麗に剃ってあるが、見事なヒゲは『毛深族』が誇るだけのものはある。金と黒のシマシマ美髯(びぜん)は、成る程『虎ヒゲ』と納得だ。

アルジーは、白文鳥《精霊鳥》ならではの高感度でもって、ピンと気付く。

――この『毛深族』虎ヒゲ戦士マジードという人物、雷のジン=ラエドと契約している熟練の戦士だ。

大斧槍(ハルバード)の魔除け紋様が、白金色に輝く雷のジン=ラエド《魔導陣》。よく手入れしてある武器だ。 雷のジン=ラエド《魔導陣》の武器を持つことは、良馬を持つことと同じくらい、戦士の誉れと言われている。所有主として《精霊契約》をシッカリ交わしてあるのだろうと予測できる。

色々あり過ぎて、もう随分と経ってしまったように思える……金融商オッサンの店で見かけた、謎の黒い三日月刀(シャムシール)が思い出される。あれも、雷のジン=ラエド《魔導陣》の品だった。

注目していると、赤茶色の無地の文官ターバン姿が現れた。

中年小太り男。平凡な姿形だが、異国風の八の字のヒゲが綺麗に整えられていて、裕福さが窺える。 良い布を使った赤茶色の長衣(カフタン)は、文官の定番。腰のサッシュベルトに固定され吊り下げられた数種類の金属の鍵が、カチャカチャ音を立てている。

虎ヒゲ戦士マジードが、礼儀正しく大斧槍(ハルバード)を固定しつつ、連れを紹介し始めた。

「老フィリヴォラルフ殿、こちらは、財務部門の文官ドニアス殿と言う。今は亡きラーザム財務官の直属の部下の1人でござる。 重要な金庫をいくつも任されても居て、ええと目下、急死したラーザム財務官の代理で、業務を進めておられる。このたび代理業務を中断して、タフジン大調査官の手先として動かれている」

「成る程じゃの。このたびは誠にお気の毒なことじゃったの。急じゃっただけに、混乱も多かろう」

「お気遣いいただき、誠にありがとうございます、偉大なる『毛深族』大魔導士の老フーボボ殿」

「これまた発音を間違っとるのう。ワシの名前そんなに難しいか。いまは『大魔導士』じゃない、ただの『魔導士』で構わん……まあ良い、確認したき項目とは何じゃ?」

白文鳥アルジーは、興味津々で、やり取りを眺め始めた。

子供の片手にもすっぽり収まるような、ちっちゃな小鳥の身体は、チョコチョコ動き回っても気付かれにくい。堂々と、耳をそばだてることもできる。

八の字ヒゲの財務関係の文官ドニアスは、帝都仕込みの折り目正しい所作で一礼した。

「実は、生前からラーザム財務官が気にしていた項目で。正体不明の『錠前破り』が徘徊しているのは老フーボボ殿も御存知でしょうが、 ラーザム財務官を殺害した犯人も、その正体不明の者では……という話が上がっておりまして。事と次第によっては、タフジン大調査官にも説明しなければ」

「噂の『錠前破り』については、こちらも曖昧模糊というところじゃのう。 それに、以前、大きな金庫のひとつが開けられなくなって大騒ぎになった時に、緊急的に錠前を破ったのは、ドニアス殿じゃったかのう。うろ覚えじゃが」

「お聞き及びでございましたか……まこと恐縮にございます。おや、その垂れ幕の裏の寝台には、誰か……?」

老魔導士フィーヴァーが手を上げて制止しようとしたが、文官ドニアスは意外に素早い身のこなしで、サッと寝台に近づき……紗幕(カーテン)を上げた。

めくり上げられた紗幕(カーテン)。その奥の寝台に横たわっていたのは。

オーラン少年では無かった。何故か。

小太り中年の文官ドニアスは、驚天動地のあまり、赤茶色をした文官仕様ターバンをズリ落とす勢いで飛びすさった。

「な、何です、この人形は?」

「人形?」

オローグ青年がビックリして身を乗り出す。

興味津々の、モッサァ虎ヒゲ・マジードも。

確かに、血まみれ包帯巻き巻きでグッタリしていた筈の、オーラン少年では無い。

老魔導士フィーヴァーが、誰よりも立派な白い眉毛を吊り上げ、モッサァ白ヒゲをしごいた。その老練の魔導士ならではの、鋭く注意深い眼差しは、ランランと光っていた。

「ワシの最高傑作となる予定の《魔導》カラクリ人形じゃよ。もっとも、例の容貌は、なかなか再現できておらんが」

白文鳥アルジーの位置からは一部分しか見えないが、それでも、輝く銀髪――老魔導士フィーヴァー渾身の手作りだろう――が、寝台から長々と垂れ下がっているのが分かる。

「見事な……美しすぎる《魔導》カラクリ人形ですねえ。『美しすぎる酒姫(サーキイ)』。 これなら、王侯諸侯たち向けに限定版で売り、簡単な普及品のほうで数を作って帝都の方々の娼館に売りさばいて、収益を財源の一部にでも……」

「アホ抜かすでない、文官ドニアス君とやら。此処まで細工するのに、どれだけ高価な《魔導》の品を使ったと思っとるんじゃ。 しかも、あとは、何とかして皇帝陛下(シャーハンシャー)の頭を1日中ボンボコ殴っておいて、1日中ボンヤリさせておかんと、ごまかせんのじゃぞ」

モッサァ虎ヒゲ戦士マジードが、感心したように虎ヒゲを撫で始めた。

「皇帝陛下(シャーハンシャー)を1日中、殴り倒しておかねばならぬとは、不敬罪どころか国家反乱罪に問われて、問答無用で首チョンパされそうですなぁ、老魔導士フィリヴォラルフ殿」

「噂に聞く胡乱な状況で、まっこと『胡乱なヤロウ』が失踪しとるんじゃ。神殿のほうでも手を打つ必要は大いにあるのじゃよ、予期せぬ混乱が帝国全土に及ばぬようにな」

モッサァ白ヒゲ老魔導士フィーヴァーは目をギョロリと剥き、シワだらけの達人の指をヒョイと曲げ、セルヴィン少年の寝台の方向へと向ける。

「現に『ヒョロリ殿下』が禁術の生贄《魔導陣》でヘタレておる。『人類史上最高の天才魔導士』たるワシが対抗措置を施す前は、《骸骨剣士》来襲で大変だったのじゃよ。 他の腰抜け皇族どもは、末皇子を守るどころか我先に逃げ出し、追放という策謀をやらかした。この不戦敗ぶり、《怪物王ジャバ》退魔調伏を成し遂げた偉大なる始祖・英雄王が嘆こう」

「やんごとなき方々も苦労されますなぁ。問題の『胡乱なヤロウ』に言われたままに、けしからん生贄《魔導陣》の術を動かしている『魔導士クズレ』もしくは『霊媒師クズレ』、 全員を逮捕して、地獄の聖火で火あぶりにせねば」

「右に同じじゃ」

老魔導士フィーヴァーが大きく頷く。その拍子に、胸元で踊る数々の護符の首飾りが、盛大に魔除けの音を立てた。

「宮廷勢力の都合はさておき、あの『ヒョロリ殿下』は、帝都の大聖火神殿の財政理事をやっとる皇弟リドワーン閣下のほうに似て見所のある小僧じゃ。 『高齢の夜の交渉』の結果は『英雄、色を好む』フザけた過剰性が薄くなるらしい」

老魔導士フィーヴァーの強烈な語りに……小太り中年の文官ドニアスと、黒髪の若い護衛オローグ青年は、呆然とするばかりだ。

虎ヒゲ戦士マジードは、同族『毛深族』ということもあるのか、見事に調子を合わせている。

「取り扱いの難しい末席セルヴィン殿下を、将来いかにすべきか……老フィリヴォラルフ殿は、既にお考えがある様子ですな」

「常々ワシは、セルヴィン小僧を去勢して学究コースへ放り込むことを宮廷重鎮に進言しとる。昔、皇弟リドワーンを去勢して大神殿の学究所に入れ、宮廷の暗闘から引き離したようにな。 愚兄賢弟じゃな、皇弟リドワーンによる皇位簒奪を恐れた、皇帝陛下(シャーハンシャー)からの刺客(アサシン)も、人道の限度を超えておった」

「あの頃は、刺客(アサシン)の暗躍など色々ひどかった時代でしたな。まぁ、同時期に老フィリヴォラルフ殿の政治工作があって、余計な混迷も刺客(アサシン)も解決しましたが」

「うむ。ワシの見立ては間違ってなかったじゃろう。そもそも、白鷹騎士団の、白タカ・白ワシ《精霊鳥》の群れに対して適切な環境を提供できているのは、 大聖火神殿の財政理事として辣腕を振るっておられる皇弟リドワーン閣下の運営協力のお蔭じゃ。ヒョロリ小僧も学究コースを経て、何処かの機関で、ひとかどの運営手腕を発掘するじゃろうよ」

モッサァ虎ヒゲ戦士マジードが、苦笑いしつつ、ボヤくような格好になった。

「よくよく、宮廷の権力欲だらけ節穴デマ好き軍師気取りのくせにボンクラな御方たちとは、考えが合わないところで。 ひとかどの学を修めたうえで同じ帝国語しゃべってるのに、意図が通じないとはオモシロ……いや、悲惨なことで」

「虎ヒゲ・マジード君よ、つくづく、クムラン君と気が合いそうじゃのう」

異国風の八の字ヒゲの小太り文官ドニアスが、不思議そうに首を傾げる。

「クムラン殿とは、どなたのことで? 老魔導士フーボボ殿」

「この南方前線の砦を守る四人の長官のひとり、バムシャード君が副官として大抜擢した、胡散臭そうな新入りの若者じゃよ。 大抜擢の際に偶然に面(つら)を合わせる機会があってな、その後はお互いに多忙で没交渉じゃが、確か、注目すべき素質があったと記憶している。この辺をウロウロしておれば、そのうち逢えるじゃろう」

文官ドニアスが、中年男らしい微妙にふくよかな腹を揺らしつつ、垂れ幕を元通りにし始めた。市場(バザール)の何処でも見かけるような平凡な顔立ち――異国風の八の字のヒゲだけが目立つ――に、疑問の色が浮かぶ。

「それでは、老フーボボ殿。ラーザム財務官の死亡事故の際、誰か犯人と思しき者が居合わせたようだという、あの指摘は、どうなるのでしょう?」

「虎ヒゲ・タフジン大調査官が、帝都目線で、そういう見立てをしたという事じゃな?」

「さようで」

「誰が、については、分からんな。勿論、城壁の『石落とし』が自然に動く筈が無い。噂の『錠前破り』か、物理的な誰かが殺意を持って動かした筈じゃ。 直前に、あの紅ドーム礼拝堂のバルコニーを横切ったという『白い絨毯のような未確認飛行物体』の件も気になるな。虎ヒゲ・マジード君と共に、頑張って調査をつづけてくれたまえ、文官ドニアス殿」

虎ヒゲ・マジードが、かしこまって背筋をピンと伸ばし、大斧槍(ハルバード)を持ち直した。切り上げ時、と空気を読んだ様子である。

「証言集めはそろそろ良いでしょうか、ドニアス殿。あとは《人食鬼(グール)》の件となりますし、これはドニアス殿は、確かタッチしないとか」

「おぉ、さようで。お忙しい時に失礼いたしました……老魔導士フーボボ殿」

赤茶色の長衣(カフタン)をまとう小太り中年文官ドニアスの腰の辺りで、再び、サッシュベルトから吊られた鍵束が、カシャカシャと音を立てた。

*****

ふたりの訪問者が去り、サボテン製の扉が閉じられる。

黒い長衣(カフタン)の老魔導士フィーヴァーが、鋭く目を光らせて、サッと振り返った。モッサァ白ヒゲと白眉をなびかせつつ。

「何故、重傷で動けん筈のオーラン小僧と、《魔導》カラクリ未完成の人形とで、手品のような入れ替わりが起きたんじゃ? いわゆる『錠前破り』のアレか?」

老練な手が、サッと垂れ幕をめくり上げる。

そこに現れたのは元通りの光景――重傷でグッタリとしている――オーラン少年だった。血の滲んだ包帯巻き巻きの。

「どういう事でしょう?」

護衛を務めるオローグ青年が、当惑の表情を浮かべ、目をパチパチしている。 不思議な現象を目撃して訳が分からなくなった時のクセなのか、帝国軍の一般兵士・戦士の定番の装束、赤茶の迷彩ターバンの間に指を突っ込み、黒髪をガシガシとしごき始めた。

――『ヒョロリ殿下』ことセルヴィン少年は、気力が切れて眠ったまま、反応していない。

一方で、白文鳥アルジーは、さっそく正解が思い浮かんでいた。精霊(ジン)の身体に憑依しているがゆえの、精霊(ジン)ならではの直感や感覚の賜物。

これは《精霊魔法》の一種だ。

異次元の通路……精霊(ジン)の道を開く術の応用に違いない。《魔法の鍵》を活用した『どんでん返し』物体移動だって可能なのだ。

白文鳥《精霊鳥》ならではの鋭敏な感覚が、謎の《地の精霊》の――活動の余韻を捉えていた。一瞬で現れて消えた気配ではあったが、その名残が、この部屋の中に残存して漂っている。

アルジー自身の経験度が足らないせいか、姿かたちなどの特徴の特定までは、できないけれど。

(あのラーザム財務官の殺害現場の近くで、パルが感じ取っていた《地の精霊》……相当に高位の)

――いずれにせよ、もう少し回復したら、徹底的に調べてやる。

痛みに疼(うず)く全身をなだめつつ、白文鳥アルジーは改めて気を引き締めた。《火の精霊》がエネルギーを注ぎ込んでくれたお蔭で、回復が早まって来ている。

老魔導士フィーヴァーと護衛オローグ青年が戸惑っていたのは、少しの間だけだった。

モッサァ白ヒゲを盛んにモサモサさせつつ、老魔導士フィーヴァーは、早くもオーラン少年のための治療薬を完成していた。そして、口うるさく注意しつつ、直筆の注意文書も合わせて、オローグ青年に手渡していたのだった。

その後、老魔導士フィーヴァーは首を傾げつつ、黒い《魔法の鍵》を、モッサァ白ヒゲの裏側から取り出した。

薬研(やげん)だの何だのが密集する作業机の下……人体サイズの黒い箱が横たわっていた。異国の棺桶さながらに。

その黒い蓋(フタ)に設置されている黒い錠前が開錠されるや、パカッと持ち上がる……

黒い箱の中で、人工銀髪がキラキラしているのが見える。

先ほどの話題に出た、《魔導》カラクリ人形『美しすぎる酒姫(サーキイ)』に違いない。

(あの黒い箱、金融商オッサンの店にあった貴重品の収納のための鍵付き書棚と同じように、《地の精霊》が宿る黒ダイヤモンド《魔法の鍵》で封印されてるんだ)

謎の《地の精霊》は、本当に高位の存在なのだ。その辺の黒ダイヤモンド《魔法の鍵》を説得して動かせるほどに。

*****

砦の中は1日中、大勢の人が行き交い、ザワザワした気配が続いていた。

帝都から来たタフジン大調査官と、彼を補佐する助手の一団が砦の中を動き回っている。

日没が近づき、城壁の外でも、禍々しい《人食鬼(グール)》出没の危険が無くなったとみて、様々な物資を運び込む隊商(キャラバン)が足早に出入りしているところだ。

*****

その高階層の一角は、ジャヌーブ砦の中で、最も格式のある装飾に彩られている。

紅ドーム礼拝堂にほど近い、その辺りに、大広間が設置されていた。

大広間の中、かねてから帝都より派遣されていた高位役人タフジン大調査官が、最上位に鎮座している。 帝国の威信を示す第一級の染色「帝都紅」をふんだんに使った贅沢な長衣(カフタン)が、輝かんばかりの存在感を示していた。

本来は別件で派遣されていたのだが、急遽、砦の内部で発生した不審死事件に乗り出した形だ。

大広間の下座のほうには、多くの文官と武官が並んでいた。帝都から随行して来た者、砦の内部から選抜された者、半々だ。あの八の字のヒゲをした中年小太り文官ドニアスも混ざっている。

下座の面々のうち上位者たちは、砦の代表を務める大将軍カスラーと、砦を守る4人の「長官」と呼ばれる将軍たちと、その部下たちである。 偶然にして財務官ラーザム死亡事件に立ち会ったバムシャード長官とクムラン副官も揃っているところだ。

タフジン大調査官の上半身で、見事なモッサァ虎ヒゲが金と黒に輝いている。老魔導士フィーヴァー言及するところの、『毛深族』虎ヒゲ部族の長ならではの……手入れの行き届いた美髯(びぜん)だ。

「ジャヌーブ砦の大将軍カスラー殿。この場を設けてくれた事、偉大なる皇帝陛下(シャーハンシャー)に代わりて、礼を申す」

「恐悦至極にござります、大調査官タフジン閣下」

カスラー大将軍が、物慣れた帝都宮廷風の所作で一礼して応えた。

高位武官にふさわしい「帝都紅」のマントがひるがえる。その面(おもて)は、さすがに砦の大将軍を務めるベテラン中年男といった風貌だ。

戦士の定番、赤茶の迷彩ターバンで白髪の多い頭部を巻いているものの、目下、平常時。マントの下の装いは、念入りに染色を施された長衣(カフタン)だ。 とはいえ現役の武官らしく、本格的な三日月刀(シャムシール)と短剣のセットは万全の状態である。

「さて、皆々の者、ご苦労。これより第1回目の報告会を始める。我が補助の調査官、順番に報告を述べよ。砦の長官と副官おのおの方は、調査官が述べた内容に疑義あれば、都度、立って反論を述べよ」

「ははー」

荘重に進む会議次第を眺めつつ、若き皮肉屋クムラン副官が、バムシャード長官にだけに聞こえるように、ボソッとささやいた。

「カスラー大将軍も、あれだけめかしこむと、なかなか有能って感じじゃありませんか、バムシャード長官どの」

「こんな所で、あえて言おうとするなよ、『カス等(ラ)である』――などとはな」

実直かつ生真面目、といった雰囲気の中年バムシャード長官は、しかめ面をして胃袋の辺りを押さえた。中間管理職というのは、ストレスが溜まるものなのである。

*****

タフジン大調査官ご臨席の調査報告会議は滞りなく進み、そして終了した。

新たに浮上した事実は、洗濯女から聞き出した内容である。

あの小太り中年の役人ドニアス文官とは別の、砦から選抜された特命調査官が報告した。

――という事を、白文鳥アルジーは、《火の精霊》から聞き出したのであった。

砦の各所の照明と邪霊の侵入防止を兼ねて、《火の精霊》の炎は何処にでも灯されるものであり、城壁の篝火(かがりび)から調理場の魔除けの炎まで、《火の精霊》連絡網は緻密だ。

噂話が一区切りつくと、セルヴィン殿下の相棒を務める《火の精霊》は、『魔法のランプ』の口まで移動して、聖別された油をもくもくと食事し始めた。 ほとんど消え入るばかりに弱々しくなっていた炎が、やがて輝きを取り戻してゆく。

白文鳥アルジーは、傍の寝台で気絶するように寝入っているセルヴィン少年を見やった。ターバンは解かれてあり、パサパサ毛髪が、藁クズのように散らばっている。

先ほど、生贄《魔導陣》の再発作で、倒れたばかり。実際、哀れなほどに虚弱な少年皇子セルヴィンは、ほとんど病室暮らしだ。

紗幕(カーテン)で仕切られた先にある続き部屋が、 あの『毛深族』老魔導士フィーヴァーが――この老人は『極め付きの変人』という理由で帝都から追放された身である――ひとまず此処『ジャヌーブ砦』の医師として、詰めている部屋だ。

おかしな理由で追放されたという老魔導士であるが。

あの『人類史上最高の、《人食鬼(グール)》裂傷の治療の専門家』という内容の自画自賛は、ハッタリでは無く本物だ。邪霊による異常な負傷が付き物の《人食鬼(グール)》前線では、心強い存在に違いない。

当座のエネルギー補給を終えた《火の精霊》は、早くも『皇子セルヴィン』と銘打たれている『魔法のランプ』の定位置――そこに置かれているセルヴィン少年のターバン装飾石を座布団にして座り込み、 その貴重な《精霊石》が盗まれないように小さな火花を光らせ始めた。

『そろそろ、大丈夫? セルヴィン、少しずつだけど回復してるみたいだし』

『うむ。次は、特命調査官が説明していた、洗濯女の証言の件だったな』

セルヴィン殿下の相棒《火の精霊》は、えらそうな言葉遣いの割に気さくで、話好きだ。

『この砦には、中庭の噴水へつながる水路を巡る、複数の回廊がある。その辺りで、故ラーザム財務官のハーレム第四夫人アムナが、ウロウロしていたと言う。 これは我が同僚の《火の精霊》も確認したが、それっぽい出入りはあったようだ――ようだ、というのは、そこは安全区であって、我々《火の精霊》監視領域では無いから分からん、というのが正直なところである』

『ハーレム妻、奥さん? ……の行動が注目されたのって何故だろ?』

『金策。ラーザム財務官はドケチな人物だった。ハーレム妻は4人居るが、アムナ含めて、いずれの女にも気まぐれに手を付けるだけで、カネをかける事は、平等に無かったという』

――何だか、どこかで――どこでも――聞いたような話だな。

白文鳥アルジーは、そっと溜息をついた。そこで《火の精霊》がパチッと爆(は)ぜた。

『我ら《火の精霊》諜報網の報告も述べよう。第二夫人と第三夫人は、それぞれ授かった子供の将来の件があって、ラーザムの遺産を総取りしようと狙っている。 第一夫人は子が出来なかったが、或る王族の血を継ぐ資産家出身かつ面倒な養子縁組なしという好条件が相まって、早くもハーレム脱退および再婚の検討を進めているという状況だ』

――早急に、ラーザム財務官を殺害した犯人を突き止めなければ。

にわか仕立ての探偵となったアルジーは、話の内容を必死で記憶した。

第一夫人については、高位の身分という後ろ盾もあり、今後の身の振り方については問題ない。同じく寡婦となった第二夫人と第三夫人は将来が不安定で、要注意。では、第四夫人アムナは……

『差し当たって、アムナは賢く資産運用しているのでな、故ラーザムの遺産はそれほど欲しいという訳では無さそうだ。 真の財産額を知れば、帝都の有名な金融商ホジジンも、ホクホク顔で手を揉み、ヒモ希望の若いツバメも殺到する』

『よく知ってるね?』

『ラーザム第四夫人アムナの財産を管理する帝都の金融商が、非常に――過剰に敬虔(けいけん)な人物でな。過去に巻き込まれた出来事が酷すぎたせいだが、金銭にさわる事を罪深く穢れた業として、 聖火礼拝堂の魔法のランプの前で、あらいざらい懺悔してゆくのだ。業務報告と共に。あそこまで沈鬱にならなくても、と思うが、ありがたい情報提供者だ』

しばし沈黙が入る。そして《火の精霊》は、急に、グイーンと細長い形を取りつつ背伸びした。

『どうしたの?』

『あの窓の外に注目を、アリージュ。あそこは見張り場を兼ねた重役用の野外談話室だ。セルヴィンが朦朧(もうろう)している時間が長く、機密を守りやすいとあって密談の場に選ばれる。 興味深い人類たちが、興味深い内容を話し合っている。我ら《火の精霊》の連携で彼らの会話を中継するから、その白文鳥《精霊鳥》の冠羽を立てて、受信するが良い』

窓の外は、既に夕闇に包まれていた。最初に感じたとおり、やはり湿気が多い。

かつて、生前のオババ殿から教わった帝国の地理を、おさらいする。

南方前線の要『ジャヌーブ砦』は南洋沿岸の帝国領土に属する。この南洋沿岸の帝国領土は、雨季と乾季のハッキリしたトロピカル気候。

白文鳥《精霊鳥》の身体に出来た《人食鬼(グール)》裂傷は、速やかに癒えていた。だが、白い翼は、まだ羽根の数が回復していない。

湿気の多さを考慮して、アルジーは慎重に翼を動かし、窓枠にスムーズに飛び移った。

幾何学的格子に彩られた窓枠ではあるが、白文鳥《精霊鳥》の小さな身体は、この格子の隙間をスリ抜けられるものだ。

それでも、夜目にも目立つ純白の小鳥の身体。

アルジーは慎重に幾何学的格子の密なポイントに位置を取りつつ、目的の方向を窺った……

…………

……

篝火(かがりび)に照らされた一角。

武骨な城壁が連なるものの、そこだけ瀟洒な展望台を思わせる構造。

明らかに身分の高い人向けの、高級なテーブル、椅子やクッション一式が揃えられていた。療養中の皇族に割り当てられる部屋周辺の設備としても、充分な格式。

トラ髭モッサァ戦士マジードが、かいがいしく酌をして回っていた。

マジードと同じ『毛深族』、より見事なモッサァ虎ヒゲを持つシニア男性が、宮廷風の所作で酒杯を傾けている。帝都紅の長衣(カフタン)の袖が、篝火(かがりび)の中で鮮やかに揺れていた。 間違いなく、彼が噂の『毛深族』高官、帝都から派遣された虎ヒゲ大調査官タフジン閣下だ。

「さて、ジャヌーブ砦の大将軍カスラー殿、忌憚なき見立てをお聞かせ願いたい。 現状の《人食鬼(グール)》戦線を、いかように見ておられるのか? 帝都へ寄せられる日々の報告の中に、いささか気になる言及が混ざっているのだ」

「気になる言及とは、これいかに? 大調査官タフジン閣下どの」

応じたのは、同じく帝都紅のマントを羽織った中年男だ。いかにもベテラン軍人という角張った風貌。

しかし、幼い頃に散々《人食鬼(グール)》戦線を目撃したアルジーの目から見ると、隙だらけの戦士だ。人外の化け物との戦闘経験はあまり無い、という風の。

――たたき上げの虎ヒゲ戦士マジードや、オローグ青年のほうが、熟練の戦士だ。オーラン少年も、経験の浅い未熟な少年兵とはいえ《人食鬼(グール)》への対応力がある……

「うむ、この私タフジンが精査したところ、砦の内部の市場(バザール)収益に、疑義のあるズレが見受けられるのだ。 もちろん『極め付きの変人』と評判の老魔導士どのが莫大な予算を食っている件は承知だが、定期的な査察報告において疑義は発生していない。 老魔導士どのの予算のおこぼれにあずかる不届き者が居る可能性がある。たとえば禁制品の取引、不法な召喚のための《魔導札》などだ」

白文鳥アルジーの見つめている先で、いままで無言だった随行員――と思しき人影が、ふたつ動いた。

うち1名は、昼間にも見かけた、真紅の長衣(カフタン)をまとう役人、文官ドニアスだ。目立たないタイプの平均的な風貌に、異国風な八の字のヒゲ。 虎ヒゲ戦士マジードから対等に回されて来た酒杯を受け、それを、もう1名の人物に、うやうやしく手渡す。

「どうぞ、金融商ホジジン殿」

ホジジンと呼ばれた、その人物は、遠目にもきらびやかな長衣(カフタン)やターバンで、大柄な肥満体を包んでいた。いかにも超富裕層の実業家。

眺めているうちに、急にアルジーの脳内で記憶の火花が散った。

――金融商オッサンが、「ビジネス的にも個人的にも大いに恨みがある」と名指ししていた、ライバルの金融商ホジジンだ!

帝都でも一位、二位を争う金融商ホジジン。史上初の女帝になりそうな第一皇女サフランドット姫を除いて、帝位に最も近いとされる第三皇子ハディードの、お気に入りの金融商。

全員で酒杯を一服したところで、タフジン大調査官はひとつ頷き、見事な金と黒のシマシマの虎ヒゲをモッサァと膨らませた。『毛深族』は、物事に集中し始めると、ヒゲがモッサァと膨らむのだ。

「カスラー殿は、砦を預かる大将軍として、此処ジャヌーブ砦の人間関係を、或る程度は把握してござろうか? いまは亡きラーザム財務官を恨んでいるという筋、 彼のハーレム妻たちの関係のみというのが気にかかるのだ」

大柄な肥満体の金融商ホジジンが、宮廷風の洗練された所作で口を挟む。もっとも、頬のあたりの贅肉(ぜいにく)がプルルンと震えるので、上品であるかどうかは、微妙なところである。

「古今東西、女どもの欲望は醜きもの、女どもの嫉妬は恐ろしきもの、とは申しますが……?」

「ラーザム財務官は辣腕であった。仕事上のやり取りで不利益をこうむった側が、ひそかに怨恨を燃やしていても不思議では無い。殺人の動機は常に単純明快。金か、名誉か、女だ」

そう言って、タフジン大調査官は顔をしかめた。

「それに、もうひとつ気になるのは、ラーザム財務官の死亡の直後に起きた、不意打ちの《人食鬼(グール)》来襲だ。最近は帝都でも《邪霊使い》の活動が盛んでな、 私タフジンとしては、邪霊を使役する刺客(アサシン)の可能性を捨てきれぬ。クムラン副官と言ったか、バムシャード殿の若き助手の鋭い指摘は、考えさせられるものがある」

贅沢な長衣(カフタン)に包まれた大柄な肥満体――金融商ホジジンが、再びプルルンと身を震わせる。

「そのような恐ろしい陰謀が有り得ますでしょうか。となりますと、此処に居るドニアス殿の身にも危険が及びますな。 ドニアス殿は、財務官ラーザム殿の右腕としての能力を評価されていて、ラーザム殿の後継の候補者のひとりでもありますからな」

「ラーザム財務官の後継者は、複数、検討中とのことだったな。よきに計らえ。ドニアス殿と言ったか、その際は良く励まれるよう、期待する」

文官ドニアスは、感激したように八の字のヒゲを震わせた。両手を表敬の形に組み合わせ、深々と一礼する。

タフジン大調査官が酒杯を揺らし、モッサァ虎ヒゲを一層モッサァと膨らませた。

「ともあれ、《人食鬼(グール)》問題も何とかせねばならぬ。基本方針は、カスラー大将軍も承知の上のことと思うが」

「さようにございます。この私カスラーのもとに決定しております基本方針としましては、《人食鬼(グール)》の群れを叩き、 異常な大量発生を引き起こしている不法な召喚《魔導陣》を破壊すること。もしくは、召喚《魔導陣》として気まぐれに目覚めたと思われる、何処かの邪霊崇拝の地下神殿を破壊すること」

砦の事情をよく知る虎ヒゲ戦士マジードが、大きく頷いて同意を示す。

「大調査官タフジン閣下。このたびの《人食鬼(グール)》活発化、老フィリヴォラルフ魔導士の御協力を頂き、見立てが上がってまいりましたところです。 地下神殿の宝探しにいそしむ冒険者や、古代『精霊魔法文明』遺跡の発掘隊が、何らかのヘマをした可能性です」

カスラー大将軍が頷き、後に続いた。

「そこで性悪な『邪霊使い』が意図的に操作した可能性も……あらゆる可能性を考慮して解決に努める所存」

その後も、新しい話題が上がり会談が続いたが……いずれも、さして重要では無い。

隊商(キャラバン)や伝書鳩、白タカ《精霊鳥》の中継地となっている小さなオアシスの《精霊クジャクサボテン》状況と、次の雨は来るか、の件であった。いずれも例年どおり順調で、異常な兆候は無いとのこと。

やがて会談が一段落し、男たちは各々に割り当てられた部屋へと向かい始めた。

こうして見ると、平凡な中年役人、八の字ヒゲの文官ドニアスは、いまを時めく金融商ホジジンの腰巾着といった風だ。 カネの威力というべきか、金融商ホジジンが大柄な肥満体を揺らして何か言うたびに、ヘコヘコと追従している。

その行動を眺めつつ、白文鳥アルジーが記憶をおさらいしていると……《火の精霊》が面白そうにパチッと音を立てた。

『反対側の補助柱の陰に女が居る。あれは、故ラーザム財務官のハーレム妻、噂のアムナだ』

「アムナ奥さん?」

少し身を乗り出して、暗い物陰の、その場所をチェックする。

故ラーザム財務官のハーレム妻アムナと思しきベール姿。シッカリ垣間見ようとしていたのか、上半身を包む暗色のベールは大きく上げられていた。

絶世の、という訳でも無いが、ハッとするような色気と知性を感じさせる、年齢不詳の黒髪の美女だ。着衣や足元は質素に見えて上質なものを使っている。相当、懐に余裕があると見える。

アムナは少しの間、思案顔をして、小首を傾げていた。 タフジン大調査官、カスラー大将軍、虎ヒゲ戦士マジード、それに大柄な肥満体の金融商ホジジンと、小太り文官ドニアス――5人の男たちの会話に、注意深く耳を傾け、内容を検討していた様子だ。

やがてアムナは、忍び足で、その場を素早く去って行った……

*****

殺害された財務官ラーザムのハーレム第四夫人アムナの不可解な行動について、つらつらと意味を考えているうちに。

夜は更けていった。銀月は、まだ出ていない。

――此処に連れて来られる前の銀月の形は、下弦の月だった。月の出の刻が、いっそう遅くなっているようだ。

あれから変わらず、白文鳥《精霊鳥》に憑依したままだ。

アルジーは、節約モードの《火の精霊》――貴重な《精霊石》を火花で守りつつ、フワフワと漂う、ボヤけた火の玉の姿である――と、 うつらうつらとまどろんでいる『ヒョロリ殿下』ことセルヴィン少年の様子を、改めて確認した。

そして、思い切って翼を大きく動かし、空気を打つ。

白文鳥の身体がフワリと宙に舞い上がった。羽ばたきは充分に回復したという訳では無いが、周辺を飛び回る程度なら……

前回に受け取った《銀月の祝福》から来る体力が、まだ残っている。

体力的に行って戻って来られる、最初の手頃な近場として選んだのは、あの愉快な白ヒゲ老魔導士『毛深族』フィーヴァーが詰めている医療室……隣の部屋だ。紗幕(カーテン)で仕切られた続き部屋でもある。

――話題の、銀髪の《魔導》カラクリ人形、本当に『美しすぎる酒姫(サーキイ)』というくらい綺麗な人形なんだろうか?

美しいものが気になる、複雑な乙女ゴコロ。

白文鳥アルジーは、いったん、紗幕(カーテン)を吊るしているカーテンレールへ止まった。カーテンレールと天井との間には、幾何学的格子の欄間。 この部屋を建造した名も無き大工職人の、美的感覚がうかがえる。

幾何学的格子の欄間をすり抜け、白文鳥アルジーは、そっと入り込んだ。

部屋の端に、簡易な寝台。モッサァ白毛に埋もれている。

モッサァ白毛の山は、豪快なイビキの音に合わせて、ゆっくりと上下していた。白ヒゲ老魔導士フィーヴァーだ。

お目当ての《魔導》カラクリ人形を収めたと思しき黒い箱は、医療・製薬の道具や錬金術の道具がゾロゾロと並ぶ、あの作業机の下。

欄間(らんま)から床へと飛び降りる。翼を収め、白文鳥の足でもって、部屋の調度の数々を慎重にピョンピョン跳ねて行き……ひそやかに接近する。

不思議な箱は動かされておらず、まだそこにあった。かすかに、あの《地の精霊》の名残を感じる。

謎の《地の精霊》は、いかなる理由であるかは知れぬものの、《魔導》カラクリ人形に特別な関心を寄せているらしい。つい先刻まで、そこに居たという気配だ。

――白文鳥アルジーがやって来たのを感じたから、謎の《地の精霊》は、どこかへ隠れたのだろうか?

同じ精霊(ジン)の身なのに?

それとも……中の霊魂が、人類アルジーだから?

幾つもの疑問と共に、箱の隙間を窺う……

その箱は密閉されていた。

――《地の精霊》魔法の黒ダイヤモンド鍵によって。

おまけに、強烈な磁石のように、床とピッチリ密着している。

どんな腕力自慢の強盗であろうと――かの筋肉の山のような巨人戦士だった『邪眼のザムバ』であろうと――《地の精霊》魔法に逆らって、この箱を床から引きはがして持ち上げるのは難しいだろう。

身動きできないほどの重傷者オーラン少年と、話題の《魔導》カラクリ人形とを、「どんでん返し」で交換してのけたのは。

やはり、あの謎の《地の精霊》だ。

――『人類最高の』とすら自画自賛した老魔導士フィーヴァーにも分からないくらい、巧みに……

白文鳥アルジーの目の前で。

どこからか漂って来た無害な邪霊の一種――白毛玉ケサランパサランが、フワフワと黒い箱に触れた。

そして、離れていった。

微小な隙間をモノともしない毛玉でさえ、中へ入り込めないのだから、噂の《魔導》カラクリ人形を収納してあると思しき黒い箱の密閉は、厳重。

あれこれ思案しているうちに、白文鳥《精霊鳥》アルジーは不意にギクリとした。

視線を感じる。誰の……?

バッ、と振り返る。

――血の滲む包帯巻き巻きの少年。年は14歳ほど。

前日の夜に《人食鬼(グール)》に襲われて重傷を負い、当分の間、老魔導士フィーヴァーの管理下で絶対安静となった、オーラン少年だ。

白文鳥《精霊鳥》の、精霊(ジン)ならではの優れた夜目が、掛け布団の間に横たわるオーラン少年の人相を捉える。

あの黒髪の護衛オローグ青年と兄弟なのだから、黒髪なのだろう――と当然のように思っていたけれど、こうして見ると、包帯グルグル巻きから飛び出しているのは、淡い茶髪だ。

――シュクラ山岳地帯でも多い髪色。あまりにも予想外。

黒曜石のような、漆黒の眼差し。その中に、驚くほど高品位の薔薇輝石(ロードナイト)の彩りが入っている。

精霊(ジン)の目で見ると、このように見えるのか……と、改めて、身体で納得するアルジーであった。

人相の大部分は包帯に覆われて不明瞭。

それでも、顔立ちが整っているのは感じ取れる。見惚れるくらいの美少年と言って良い。肢体はともかく、顔面に《人食鬼(グール)》裂傷が残った事実は、それなりにショックに違いない。

やがて、疲れたような――重傷で弱っているゆえだろう――かすれた声音がボソッと洩れて来た。

「人の言葉を解するとはいえ、やけに人間っぽいな、白文鳥」

「ぴ……」

「誰にも気づかれないように、というつもりだったんだろうが、済まんな、訳あって『鬼耳族』なみの地獄耳だから。これは誰にも秘密だ。兄貴にもセルヴィン殿下にも……故郷の妹にも、明かしてない。 耳が良いってことで、兄貴の助手――書面では、側近かな――採用されてるところ。兄貴は、城砦(カスバ)の王侯諸侯の血筋だからね」

――な、成る程。小鳥の足音に気付いていたという訳か。

妹さんが居たとは初耳だ。このご時世、故郷で達者で居るよう、祈るアルジーであった。

オーラン少年の漆黒の眼差しが、鋭さを増す。

「中身は人類じゃ無いのか? 背後霊のような……というか一瞬、銀月色の……髪の長い……成人の前後って感じの姫君の人影っぽいのが……んな筈は無いか」

――それは確実に、人類アルジーにして、元・シュクラ王国の王女アリージュ姫19歳の霊魂だ。この少年を祝福した《地の精霊》が、その黒眼を通じて、霊魂を見る力を発現させたのだろう。

憑依しているのは確かなのだ。霊魂が銀月色に見えるというのは初耳だが。ほぼ《銀月の祝福》に置き換わっているとも指摘されているから、それなりに納得する。

やがて、オーラン少年は、どれかの重傷が疼(うず)いたのか、苦悶の呻きと共に、掛布団の間でグッタリとなった。

老魔導士フィーヴァーのイビキが止まった。ギシリ、と寝台が音を立てる。

理由の分からない直感が閃き……アルジーは飛ぶ鳥の勢いで、窓枠をすり抜けて、部屋の外へと飛び出した。

*****

今いるジャヌーブ砦は、帝国でも有数の危険地帯だ。

東西に、怪物《人食鬼(グール)》や《蠕蟲(ワーム)》が出没する半砂漠の魔境が広がる。

砦は、《精霊魔法》土地占いでもって慎重に選び抜いた、要害の地に建設されている。《水の精霊》が守護する安全な水源・植生帯と、邪霊に対抗できる数々の素材に富む《地の精霊》鉱山帯とが交わる、 貴重な好適地なのだ。

さらに南方に大海洋。

ジャヌーブ砦から港町までは、一般的なラクダ隊商(キャラバン)で5日ほどの距離だ。早馬で2日~3日。

砦の中でも最も高い尖塔の頂(いただき)からであれば、ゴツゴツした岩山の群れの向こうに、青い海を望むことができる。

湿気を含んだ海風が渡ってくる雨季、湿気を含んだ海風が渡ってくる。流砂が水分を帯びるため《人食鬼(グール)》強大化の危険度は上昇するものの、一面を夢のような緑園にする、待望の降雨がある。 干からびたサボテンも丸々と太り、花を咲かせる季節だ。

白文鳥の身体は寒さに弱いけれど……

今は雨季を迎えていて、夜の空気が湿度を含んで暖かい。これくらいなら多少のダメージをものともせずに飛び続けられる。

先刻の動転を引きずりながらも、アルジーは帰路の方向へ向かって屋根の上へ飛び上がった。

高さを見誤って、出っ張りに引っ掛かる。まるっとした「いちご大福」さながらの白文鳥の身体が、コロンコロンと屋根の上を転がった。

程なくして、仰向けの格好で、一箇所に止まる。止めてくれたのは、お馴染みの魔除け、屋根設置型ドリームキャッチャー細工だ。

見上げる形になった、ジャヌーブ砦の大広間の階層。

広々としたバルコニーが突き出している――その階層のかなりの部分が、照明で明るい。

隊商(キャラバン)の主だった商人たちと、砦の役人たちが、市井の情報交換を兼ねて交流する社交場。

辺境の砦では、お馴染みの設備だ。城砦(カスバ)の場合は、その城砦(カスバ)を統治する王侯諸侯が出張るのも珍しくない。

――夜を徹した宴会なのか、大勢の人影がよぎっているのが見える。

白文鳥アルジーは早速、身体を立て直し、バルコニーへと赴いた。

「ゴクリ。あの金の亡者ラーザム財務官が、ヒック、落石の下敷きになってペシャンコになったと、バハッ、いい気味だ!」

聞こえて来たのは、クダを巻く男の声、そして物騒な内容だ。

加えて、不健全なアルコール臭。

バルコニーの隙間へ、コッソリと降り立った瞬間、白文鳥アルジーは飛び上がったのだった。

程なくして……目の前に、いかにも無精ヒゲの酔っ払いといった風体の、商人スタイル長衣(カフタン)姿のシニア男が、ドカッと腰を下ろした。

片手に、大振りな酒瓶。商人風ターバンの端から見えるのは、白髪混ざりの燃えるような赤毛。寄る年波にくたびれた、骨ばった中高年の男。

「おいおい、ラーザム財務官が死んだばかりで、そんなこと言ってたら殺人犯にされて牢屋にぶち込まれるぞ、せっかくの酒盛りの夜だってのに」

「この前の……1ヶ月前の市場(バザール)開催の時の儲け、強欲ラーザム野郎への上納金で大穴が空いてんだ。 いきなり死なれて、今回の市場(バザール)で見返りが無くなったから、こちとらスッテンテンだ……強欲役人なんか、全員《人食鬼(グール)》糞(クソ)食らって死ねってんだ、おっおっお……」

「タフジン大調査官の諜報員が、どの辺に潜んでるか分からないんだから、口を慎め、泣くのを止めれ、バシール」

「落ち着いて、水でも飲んで酔いを醒ませ。そしたら、また飲み直そうじゃねえか、次の成功を祈って……いや、祝って」

似たような風体の、商人仲間と思しき2人ばかりの――中堅世代の男たちが、代わる代わる、飲んだくれ男に声を掛けている。飲んだくれ男バシールは、酒をかっ食らいながらも、愚痴を止めない。

「ネズル、お前だって、骨の髄まで強欲ラーザムを恨んでるだろうが。確か、《人食鬼(グール)》活動が沈静化したタイミングで遺跡発掘するからって、 一部神官の先取り特権を回してもらえるように大金を上納したんだっけな、それがどうだ、昨夜の《人食鬼(グール)》襲撃があって、ラーザムが死んで、掛け捨て損になったとか」

ネズルと呼ばれた商人風の中堅世代の男は、鼻の高さがユーモラスな意味で目立っている。キョロキョロした所作もあって、確かに、ワシ鼻というよりはネズミ鼻だ。

「ま、まぁ、そうだな、うん……あ、確かラーザム財務官は石崩れ事故で死んだのであって、《人食鬼(グール)》にやられて死んだのでは無かったとか」

「ネズル。そのネズミ鼻で、やっとラーザム失脚にまで追い込める目ぼしいスキャンダルを嗅ぎ当てたって聞いたぞ。暴露上等、ぶち上げてしまえよ」

「いやはや……噂の媚売りディロンのほうも、政治闘争が入ってる分、当てが外れて憮然ってところだろうが。あれ、今夜はディロンは何処だ? 目立ちたがり屋なのに。さっき何処かで見かけたか? シンド」

シンドと呼ばれた3人目の商人風の男は、困惑した風で片手を頭にやりつつ、背後の室内をキョロキョロ見回し始めた。

商人風の長衣(カフタン)の袖が上がって、剥き出しになった手首に……藍色をした《渦巻貝(ノーチラス)》トライバル刺青(タトゥー)が、ぐるりと巡っているのが見える。 魔除け護符チェーン類の装身具は、貝殻製だ。明らかに潮焼けの肌……海の匂い。ターバン布はトロピカル風で、巻き方も独特だ。南洋の諸民族の出に違いない。

「何処かで自慢のツラを売ってるんだろう、あのディロンは、顔だけは色男だ。ハーレムか何処かで間男のチャンスを狙ってるかもな。 いまは亡きラーザムの妻を寝取ってもおかしくはないな、色男ディロンも動機は有るんだし」

――なんとも生臭い会話だ。

バルコニーの隙間の陰で、白文鳥アルジーは身体を震わせていた。

あの予期せぬ石崩れで死んだ高位文官――ラーザム財務官は、意外に多方面から恨みを買っていたらしい。 彼なりに『魚心あれば水心』を上手にさばいていたつもりなのだろうが、それでも膿(ウミ)は溜まるもの、淀むもの。

再び、バルコニーの陰からチョコンと顔を出す白文鳥アルジー。3人の状況を確認する。

中堅世代の商人の男たちの人相と名前――飲んだくれの赤毛バシール、発掘品の先取り狙いのネズミ男ネズル、色男ディロンを知る南洋民族の潮焼け男シンド。

商人風の男3人組は酔いが回ったのか、おかしな替え歌を歌って、タップダンスを踊っている。一刻もしないうちに酔いつぶれて熟睡するに違いない。

アルジーは、紗幕(カーテン)などの物陰を伝い、酒盛りがつづく室内へと忍び込んだ。

酒盛りしているのは、商談をしている商人風の男たちが多い。

艶やかなベール姿の遊女たちや、美少年・美青年の酒姫(サーキイ)たちが、酌をして回ったり、真ん中あたりの舞台で舞踏をしていたり、歓談に対応したりして、さざめいている。

ふと、アルジーは、紗幕(カーテン)と共に並ぶ、何の変哲もないスタンド式ハンガーのひとつに気付いた。

定番の魔除けインテリア、ドリームキャッチャー細工を吊り下げてある。既に数体ほどの毛玉ケサランパサランが付着して、四色モコモコ装飾さながらに動かなくなっている。

そのスタンド式ハンガーのてっぺんに、生真面目な顔をした白タカ《精霊鳥》が止まっていた。

白タカ《精霊鳥》は即座に、スタンド式ハンガーの足元に近づいた不審者すなわち白文鳥アルジーへと、警戒の眼差しを向けて来た。ベテランの個体だ。

『はぐれ白文鳥か? なんで此処に居る?』

回答を用意していなかったアルジーは、いきなり問われて慌てるばかりだ。

『え、つまり、えーと、何か手掛かり見つかるかなと思って』

『手掛かりとは?』

『ラーザム財務官の殺害事件の……殺人犯とか……』

『それは、帝都から出張して来ている虎ヒゲ・タフジン大調査官が調べてると思ったが。手先でも無いのに何故に? その傷痕、《人食鬼(グール)》と刺し違えたもののようだが、 それ程の何かがあったのか? 治療は?』

『長くなる話だけど。怪我は老魔導士フィーヴァーに診て頂いて……セルヴィン殿下の《火の精霊》に癒(いや)して頂いて、えーと……オローグ青年と、オーラン少年……故郷に近い人の、縁……かな?』

白文鳥アルジーは困惑の果てに、ヒョコリと首を傾げた。たった1日、2日のことなのに、色々あり過ぎて、説明しにくい。

意外に――白タカ《精霊鳥》は話の分かる精霊(ジン)だった。

『よく見ると人類の霊魂が憑依している。いや、ほとんど銀月の精霊(ジン)だな。白文鳥が協力するとは珍しい。ジン=アルシェラトが関与したのであれば……我が相棒が適役かも知れん。 白鷹騎士団の鷹匠で、正式な《鳥使い》には及ばぬが白文鳥の《精霊語》も比較的よく聞き取る。目下この辺りでは一番だな』

次に白タカ《精霊鳥》は、ヒョイと、控えの間のひとつの方向へと、首を向けて見せた。

『あの特殊な紗幕(カーテン)の裏の控えに、人類の相棒ユーサーが居る。隠密の任務中だが、そろそろ手が空く頃。申し遅れたが、我、白タカ《精霊鳥》ノジュムなり』

『有難う、白タカ《精霊鳥》ノジュム。白鷹騎士団の、ほかの鷹匠って会うの初めてだよ。私の父も鷹匠だったんだけど、辺境の山奥の城砦(カスバ)だったから……』

白文鳥アルジーは、早速ピョンピョン跳ねて、その特殊な紗幕(カーテン)を目指したのだった。

特殊な紗幕(カーテン)と言うとおり、強力な魔除けが仕込まれている。帝国の始祖、英雄王の『雷霆刀』を模した紋章だ。白鷹騎士団も所属する、帝国軍の備品。仕上げに、ドリームキャッチャー護符を吊り下げてある。

――シュクラ王国の第一王女アリージュ姫だった頃のアルジーが、人質として東帝城砦へ赴いた時も、この紗幕(カーテン)がお供だった。 厳重なトラップ仕掛けの多い紗幕(カーテン)だが、取り扱い方法は、よく覚えている。

幼い時にやったように、所定の順番で仕掛けを操作して、速やかに紗幕(カーテン)の内側へと入り込む。

そこは、確かに控えの間だった。ターバンや長衣(カフタン)の乱れを直したりする時の。

壁に壁龕(くぼみ)があり、ちょっとした身の回りの物を一時的に置けるようになっている。そこに『魔法のランプ』。《火の精霊》が、白文鳥アルジーの接近に気付いた様子で、パチッと弾けた。

その『魔法のランプ』の前で、クルリと振り返る人影。何かが入って来た――という《火の精霊》からのメッセージを受け取ったようだ。

その拍子に、その人物が佩(は)いている三日月刀(シャムシール)が鞘音を立てた。

背丈は少し高く、全体的にガッチリしている。定番の戦士ターバンをした、一般兵の軍装姿。ターバン装飾は、よくある白羽だが、 その辺の装身具店で扱う白羽では無く――この人物の相棒だと説明していた、白タカ《精霊鳥》ノジュムの白羽だ。

その人相は驚くべきことに、よく知る人物のものだ。アルジーは息を呑んだ。

『……番頭さん?』

その男も、唖然とした顔をして見入って来た。

「半分くらい禿げてる? それは怪我か? 白文鳥《精霊鳥》……?」

違う。金融商オッサンの店に居る、馴染みの番頭さんじゃ無い。10年は若い。ターバンの端から見える髪の色――白髪が少なくて、ごま塩頭じゃ無い。

他人の空似は多いけど。もしかしたら甥御さん、または年の離れた弟さん……!

白文鳥アルジーがグルグルしている内に、ごま塩頭では無い番頭に似た男は、当惑した顔のまま、紗幕(カーテン)を眺め始めた。

「いったい何処から、この紗幕(カーテン)とドリームキャッチャー護符の封印トラップを解除して……誰か、忍者が居るのか? 白文鳥を襲った《邪霊使い》とか?」

ごま塩頭では無い番頭に似た男は、紗幕(カーテン)を開いてキョロキョロした後、慌てた足取りで、控えの間を出て行った。存在しない邪悪な忍者を探しに行くのだろう。あとで誤解を解かなければ。

壁に設けられている壁龕(くぼみ)の『魔法のランプ』の場所から、新しく「ピョッ」という鳥の鳴き声がする。

『人類ユーサー、行っちゃったね。ねえ、銀月が祝福してる薔薇輝石(ロードナイト)の目をした白文鳥さん、こっちへ飛んで来れる? ボク、まだ羽が揃ってないから飛べないんだ』

『白タカ《精霊鳥》のヒナなの?』

『そうだよ、名前はまだ無い。人類の相棒を募集中さ。黒曜石が宿ってる感じの綺麗な薔薇輝石(ロードナイト)知ってたら、紹介してくれよ。 そしたら、共鳴効果がピッタリ合致したら、白ワシ《精霊鳥》グリフィンみたいに大きな個体になれるんだよ。雷の精霊(ジン)ラエドも、バッチリ呼んで来れるよ』

『難しい色合いだね。そんな色《地の精霊》が熱心に祝福してる人類じゃなきゃ出て来ないよ』

言いながら、白文鳥アルジーは、大人の胸の高さにある壁龕(くぼみ)を目指して、パッと飛び上がった。そして。

『わおッ、魔法の鏡!?』

光る鏡が――持ち運び手鏡くらいの、ささやかなサイズだけど――立てかけられている!

たたらを踏んだアルジーを、真っ白な産毛フワフワな白タカ《精霊鳥》ヒナが、面白がって眺めていた。イタズラ小僧という感じ。

改めて、目の前の鏡を注目する。その辺の、どこにでもある水盤の上に、不思議な鏡が立てられている形。

――《水の精霊》の、《精霊魔法》。

額縁(ガーブ)全体が螺鈿細工のような細かな意匠で、虹色に光っている。鏡面にあたる部分には薄青い光が満たされている。物理的な実体じゃ無い。

水盤の水に《水の精霊》を宿らせて、《精霊魔法》でもって鏡の形を投影しているのだ。幻影のように。《水の精霊》は、こういった領域では専門。

しげしげと眺め回し……鏡面を、薔薇色のクチバシで、チョン、チョン、と突いてみる。

鏡面が、虹色に揺らめく波紋を見せて波打った。

波打つ鏡面の向こう側に、人影が見える。やがて波紋が収まり。

――オババ殿!?

懐かしい顔。アルジーは仰天したのだった。

鏡面の向こう側で、紺の長衣(カフタン)をまとう老女――《青衣の霊媒師》も、驚愕の表情を見せている。

「ユーサー殿かと思ったら、まぁ何てことだろうね……! シェイエラ姫? シェイエラ姫の幽霊かい?」

『オババ殿、私、アルジーだよ。というか、アリージュの幽霊。色々あって死んで、いま白文鳥《精霊鳥》に憑依してるところ。人体のほうの、アリージュ本体は、生贄の儀式だの落石事故だので、死んだから』

鏡面の向こう側で、オババ殿は慌てたように、紺色の袖を振り回している。確かにアリージュ姫=アルジー知るところの、懐かしいオババ殿だ。

『せ、《精霊語》かい? ちょっと、お待ちよ。姫さん、幽霊だって? 確かに半透明の――白文鳥《精霊鳥》が半透明の姫さん背負ってる――死んでる? 生贄の儀式で? そんなバカな』

『私も信じられないけど、相棒パルが言ってたから。《怪物王ジャバ》への生贄の儀式があった地下神殿で、《逆しまの石の女》が、《鳥舟(アルカ)》と唱えてた。 そしたら此処へ運ばれた……空飛ぶ魔法の白い絨毯で。もうじき、私もオババ殿と同じように三途の川を渡って《精霊亀》の島とか、そっちへ行く予定って聞いてる』

『超古代の伝説の、偉大なる千夜一夜の魔法《鳥舟(アルカ)》……!』

青みを帯びた透明な《精霊魔法》の鏡面の向こう側で、オババ殿は老練の霊媒師らしく、速やかに落ち着きを取り戻して行った。 あるいは、まだ微妙に身体を震わせているから、落ち着いている振りか。

『パルってのは、あ、あの生贄《魔導陣》対抗措置のための、《薬師瑠璃光》召喚に何故か応じて、緊急的に白羽を授けてくれた《精霊鳥》……え、 その後ずっと? いつ相棒に? 地下神殿で生贄、《怪物王ジャバ》だって? 銀月の精霊、三途の川、《精霊亀》の島……こいつは徹底的に分析して、一度じっくり考えないといけないね』

『やだ、パルは10歳の誕生日の時から、ずっと相棒してくれてるよ。お蔭で、起き上がれるようになって、市場(バザール)あちこち歩けるようになって……あの、ユーサー殿というのは、 さっき出て行った男の人? 白鷹騎士団の鷹匠とか。金融商オッサンのとこの番頭さんに、よく似てるね。すごく若くて、ごま塩頭じゃ無いから、甥御さんとか?』

三途の川の彼岸で――不思議に青い鏡面の向こう側で――オババ殿は、目を潤ませている様子だ。

『お、おぉ……本当に、もうじき、ドリームキャッチャー耳飾りの護符の、千夜一夜が……』

白文鳥アルジーは不思議な思いになりながらも……更に集中して、全身を耳にしていた。

地下神殿の生贄の儀式で殺害された末の偶然とはいえ、同じ亡霊同士になったお蔭で、こうして再び会話できるとは――この不思議な巡り合わせを逃してはならない。

――幾つか、意図や意味が読み取れない言葉があるけれど、それは後でも良い。

超古代の『精霊魔法文明』の伝統を受け継ぐ、偉大なる賢者――《青衣の霊媒師》が有する不思議な知恵と知識は、とても広くて深いのだから。

『そうだ、さっき、ユーサー殿とかち合ったんだね、姫さん。金融商オッサン……あぁ、逢ってたかね? 大神殿の財政部門ご用達の、白鷹騎士団の資金運用……いやいや、オッサヌフ殿のことだったかねえ?』

『うん、そう。いい人だよね、すっごく、がめつくて、ケチだけど。帝都のライバルに追い落とされて、東帝城砦へ飛ばされたとか。帝都の金融商ホジジンって言ってたっけ。すごい大きな肥満体。 さっき、虎ヒゲ『毛深族』タフジン大調査官と一緒に来てるのを見たよ。ホジジンの股間の「男の証明」切り落として、《人食鬼(グール)》に食わせてやりたいほど怨み骨髄とか』

『姫さん、何でまた、そんな余計な知識を覚えたんだろうね。姫さんの口から、お、男の……微妙な部分の話を聞くとは、心臓が止まったよ』

オババ殿は、少しの間、ショックを受けた顔をして喘(あえ)いでいたのだった。

白文鳥《精霊鳥》アルジーの傍で、白タカ《精霊鳥》ヒナが、くつくつと笑っている。人類・男(オス)の、微妙な部分の話題がウケた様子だ。

程なくして……次の瞬間。

気分の悪くなるような、悪酔いのアルコール臭があふれた。

『知らない奴だ! 気を付けろ!』

白タカ《精霊鳥》ヒナが警戒の鳴き声を上げ、アルジーも仰天して、入り口のほうを振り返る。

不審者だ。

無精ヒゲの、くたびれた酔っ払いといった風体の、商人スタイル長衣(カフタン)姿。

その不審者は、大振りな酒瓶を抱きかかえて転がり込んで来た。だらしなく崩れた商人風ターバンが、顔面を覆うように垂れている。その合間から見えるのは、赤毛をした、くたびれた男の顔だ。

白タカ《精霊鳥》ヒナが騒ぎつづけ、『魔法のランプ』に座っていた《火の精霊》が忙しくチラチラしながら、火の粉を撒き散らす。

『悪酔いキメてる! 大麻(ハシシ)キメてる!』

『誰ニャ、この不届き者、酔っ払い。逮捕、連行、事情聴取ニャ』

『あ、さっき、バルコニーで「ラーザム財務官が死んで良かった」だの何だの、クダ巻いてた人。確か3人か4人ぐらいの商人仲間の1人で……バシールとか』

赤毛の酔っ払い男バシールは、突如、カッと目を見開いた……

……目と思ったのは、顔面に垂れたターバンの間から見えた、眉間の刺青(タトゥー)だった。奇妙に光沢のある刺青(タトゥー)。

視界に入った白文鳥アルジーを、本当に「食い物」すなわち「いちご大福」と判断したのか、歯磨きをキチンとしていない口をグワーッと開け、飛び掛かって来る!

重く甘ったるい空気――大麻(ハシシ)の煙が噴出した。狭い控えの間の全体に、ドッと広がる。

『危ない!』

白文鳥アルジーは、死に物狂いで飛びのいた。

派手な音を立てて酒瓶が割れ、蒸留酒が床に飛び散る。

アルコール成分が、《火の精霊》の撒き散らした火花にさらされ、連続して爆発する。

ボコボン、ボンボコン、ボン! ……ドスン!

赤毛の酔っ払い男バシールが、アルコール爆発を回避しようとして、思いっきり、頭部をぶつけていた。段差の部分に。

『何があったんだね、大丈夫かい、姫さん?』

透明な鏡面は、大麻(ハシシ)の煙を浴びて曇ってしまっていたが――音声を通して、オババ殿にも騒動が伝わっていたらしい。

そして、控えの間に新しく駆け込んで来る、シッカリした足音。ガッチリとした体格の人影。

若くした番頭によく似た、白鷹騎士団の鷹匠を務める騎士ユーサーだ。宴会場に居てアルジーに気付いた、あの目の鋭い白タカ《精霊鳥》ノジュムも騒ぎを聞きつけたのか、付き添って来ている。

赤毛の酔っ払い男バシールは朦朧としながらも、大麻(ハシシ)によって増幅された攻撃性を振るい、騎士ユーサーに飛び掛かる。

白タカ《精霊鳥》ノジュムが飛び込み、赤毛バシールのターバンを引っ張った。よろめく酔っ払い男バシール。

ユーサーは、熟練の騎士ならではの手際の良さで、あっと言う間に、赤毛シニア酔っ払い男バシールを取り押さえた。

白文鳥アルジーは、パニックが収まらぬまま、その控えの間から逃げ出した……

…………

……やっと大麻(ハシシ)成分が抜けて、魔法の水鏡は、再び透明な青さを戻していた。

その鏡面には、《青衣の霊媒師》の姿が変わらず映し出されている。

紺の長衣(カフタン)をまとう老女は、しばらくキョロキョロした後、鏡面を通して、白鷹騎士団の鷹匠ユーサーに声をかけた。

「あれ、姫さんが動転して、すっ飛んで行っちゃったよ。成長しても、そういうとこ変わんないんだね。ユーサー殿、大事な話があるから、手が空いたら、また《水鏡》立ち上げて、呼びかけておくれよ」

「いったい、何が、どうして……承知ですがオババ殿、姫さん、とは?」

*****

どの経路をたどって、元の部屋まで戻って来たのか、覚えていない。

――『ヒョロリ殿下』と評価されている、虚弱な藁クズ少年セルヴィンの部屋。

白文鳥《精霊鳥》アルジーは、ゼイゼイと息をついていた。

もはや懐かしいような気のする、ハンカチとクッションのカタマリに潜り込む。

心臓がドキドキしている。憑依している状態とはいえ、生きている肉体ならではの、強烈な実感。

ひとたび目を閉じるや、アルジーの意識は、すっ飛んでいた。

少しの間、失神しているうちに……月の出の刻となっていたらしい。

格子窓枠の外は、暁闇(あかつきやみ)。

下弦の月――しかも、いわゆる三日月よりも、いっそう細い銀月が掛かっていたのだった。

*****

次に目を覚ますと、もう夜が明けていた。

陽射しの差し込む格子窓――払暁の空が見える。

傍の『魔法のランプ』の上、《火の精霊》が呆れたような様子で火花をポポンと打ち上げつつ、ユラユラと身をくねらせていた。セルヴィン少年の相棒《ジン=***アル》と名乗って来た、《火の精霊》。

『昨夜は大冒険だったようであるな、銀月《鳥使い》アリージュ。宴会場の照明を担当した同僚の《火の精霊》から、色々と聞いておる。ポンコツ白文鳥の子守になった覚えは無いのだが』

アルジーは頭をゆっくりと起こし、プルプル振った。

とても柔らかい寝床だ。『ヒョロリ殿下』セルヴィン少年が敷いてくれたのか、白毛ケサランパサランが追加されている。このお蔭で熟睡できたらしい。

――セルヴィン殿下、良く気付いて優しいところのある少年だ。あの虚弱体質が何とかなれば……とは思うが、必ずや白文鳥にモテる……いや、人類の女性にモテる男になるだろう。理想的な伴侶の候補として。

現在19歳、民間の代筆屋(性別詐称・男)にして御曹司トルジンの13番目のハーレム妻、既に死亡――の身にとっては、対象外ではあるけれど。

お互いに人類の姿で――たとえば帝都の宮廷社交の場で――ご一緒できる機会があったのなら。

――もっと詳しい《精霊語》を教えてあげるとか、市場(バザール)で見かけた面白い出来事を話してあげるとか……軒先に遊びに来た白文鳥たちみたいに、可愛がってあげるのになあ。

ぐらつくような眩暈も来ない……そうだ、いまは健康な白文鳥《精霊鳥》の身体に憑依していたのだった。健康とは実に素晴らしい。

傍に置いてあった大きな器には、新鮮な水が用意されていた。器サイズは、小鳥の身体サイズよりも何倍も大きく、余裕で水浴びできそうだ。

さっそく喉をうるおして。アルジーは、ようやく、昨夜の記憶を整理できたのだった。

『ゴメン……なんか、色々あって……事件とか』

『大麻(ハシシ)キメ飲んだくれ赤毛男バシールの件だな。《鳥使い》アリージュは、強力なトラブル吸引魔法の壺を所有しているに違いない。朝っぱらから、 虎ヒゲ・タフジン大調査官が、ノリノリで捜査を進めておるぞ。若き現場スタッフだった頃を思い出したように』

――あの「閣下」と呼ばれていた、見事な虎ヒゲの、帝都から派遣されていた高官。もう1人の虎ヒゲ『毛深族』、ここジャヌーブ砦に勤めている武官マジードも、いっそう忙しくなったに違いない。

しばし間を置いた後、《火の精霊》は、火花に懸念を乗せて話しかけて来た。

『アリージュよ、この件、不穏な要素を感じる。大麻(ハシシ)キメ飲んだくれ赤毛男だが、奇妙な現象は無かっただろうか?』

『あの、いきなり襲って来た酔っ払い……商人バシールのこと? 奇妙な現象……?』

いまいちピンと来ずヒョコリと首を傾げる、白文鳥アルジーであった。

『帝国軍仕様の魔除け紗幕(カーテン)を、あっさり突破して来た。帝都でも評判の、暗殺教団に属する《邪霊使い》作成、不法侵入用《魔導札》が、 飲んだくれ赤毛男の長衣(カフタン)の袖の中から見つかったのだ。かの人類バシールは、そんなシロモノを袖に入れた覚えは無いと言っているが』

『あの赤毛の商人バシール氏、ラーザム財務官をものすごく怨んでたみたいだから、ラーザム財務官を殺そうとして手に入れたのかしら……暗殺教団への接触は、 その筋を当たれば、割と簡単って話。裏の市場(バザール)の業者……イロモノ娼館、酒場、賭場、故買屋、転売屋……』

『銀月の祝福を受けし《鳥使い》アリージュ。その身に起きた事は非常に深刻な現象。かの白文鳥《精霊鳥》パル殿が直接に干渉し、わざわざ我に子守を依頼して来たほどなのだ。 飲んだくれ赤毛男がキメていたのは、出涸らしのカスとはいえ、禁術にかかわる邪霊植物の大麻(ハシシ)。我ら精霊すべて警戒せねばならぬ』

『邪霊植物なんてあるの?』

『現に、精霊植物《精霊クジャクサボテン》一族がある。邪霊植物として進化した《三ツ首ハシシ》一族が存在するのだ。通常の暗殺教団で取引される大麻(ハシシ)などよりも、ヨコシマなブツだ』

白文鳥アルジーは、幼い頃に、オババ殿から聞いた昔話を思い出した。おぞましい怪談そのもので、怖くて眠れなくなった話なので、印象深く覚えている。

思い出すままに、復唱してみる。

――《三ツ首ハシシ》。古代の邪悪な呪術や禁術の数々で定番の素材。

――成熟した株の草丈は、一般の民家の、床から天井くらいまで。地上の姿は、黄金色をした大麻(ハシシ)に見える。茎の太さは、三日月刀(シャムシール)の柄くらい。

――ギラギラした黄金色の、頭蓋骨によく似た形の球根が三つ……《三ツ首ハシシ》の名は、そこから由来する。

――頭蓋骨によく似た形の球根から延びる、太いヒゲ根は、《蠕蟲(ワーム)》みたいにブヨブヨ蠢(うごめ)く。

――抜こうとすると、牙の生えた口そのものの、多数の裂け目が、茎に開いて、すごい邪声を上げる。その邪声を聞いた生き物は、すべて狂い死にする。 ちなみに、その裂け目は有毒であるうえに、ヘタに指を突っ込むと食いちぎられるので、直接に触ってはいけない。

――花は蠕動する数多の舌……トゲ付き触手に似ていて、毒性の粘液を垂らす。種には《邪眼》が付いていて、その目玉が勝手にグルグル動く。 成熟して花と種を付ける時期になると、ひとりでに根っこを抜いて歩き回る……

恐ろしいことに、《火の精霊》は各々の言及に、各々、ポン、ポン、と火花を出して同意した。

……《青衣の霊媒師》オババ殿が伝承した内容は、正確だということだ……

思わず、白文鳥アルジーは、全身の羽毛を恐怖に逆立てたのだった。

『ずっと昔に絶滅したと聞いてるけど、いまも在るの? その、メチャクチャ変な……大麻(ハシシ)』

『禁じられた栽培や増殖を手掛ける、魔導士クズレや霊媒師クズレが居るのだ。《精霊クジャクサボテン》栽培技術に匹敵する複雑な高度技術が必要ゆえ、 出回るのは、古代モノには到底およばぬ、出涸らしのカス品質のモノだが』

懸念を示す火花が、再びポンと散る。

『その《三ツ首ハシシ》を使うと、誰でも……薔薇輝石(ロードナイト)の目を持たぬ者でも、一時的に《邪霊使い》になれる。邪霊害獣を使う呪殺の需要は大きいものよ。 出涸らしのカス品質であっても、収穫された重量以上の高価な黄金と取引される。莫大な金額が動く、とんでもない闇取引ルートがある様子。我ら精霊も詳細は探り出せておらぬが』

――莫大な金額が動く、とんでもない闇取引ルート……邪霊害獣。誰でも、一時的に《邪霊使い》になれる。

何かが引っ掛かる。

記憶をつつく、何かがある……何でもない日常の光景の中の不協和音で、重要な物事だった気がする。何だろう。

アルジーは少しの間、集中して考えてみたが、ピンと来る物は無い。

『うーん、何か、あったような気はするんだけど。それよりも、クダを巻いてグッタリする程に酔っぱらっていた人が、あんなに素早く動けるというのが、ビックリだったかな』

『それだけでも充分に怪異。くだんの赤毛バシール出生を祝福した《火の精霊》によれば、バシールには《邪霊使い》をやらかした経験は無い筈だが。同僚の手が空いたら、もう少し聞き込んでみよう』

懸念を呟きながらも、《火の精霊》は、同族が運営する秘密連絡網の中へと移行し始めた。

『赤毛酔っ払い男バシールの案件は《三ツ首ハシシ》を含むゆえ、白タカ《精霊鳥》のほうから隠密に接触するとの打診があった。 人類の側は、まだ大麻(ハシシ)の種類に気づいていない様子だが、機密情報を共有できるように環境を準備せねば』

やがて、『魔法のランプ』の口の火が引っ込んで、静かになった。

白文鳥《精霊鳥》アルジーは、早速、かねてから計画していた行動を起こす。

――ノンビリしては居られない。

まずは、例の高灯籠に隠してある《精霊亀》甲羅を取り出して、運んで来るのだ。オーラン少年の《人食鬼(グール)》裂傷を、何とかしなければ。

ちっちゃな小鳥の身体でもって、格子窓をすり抜けて、まだ涼しい早朝の空へと飛び立つ。

相棒の白文鳥《精霊鳥》パルと寝泊まりしていた、城壁の一角――廃墟も同然の高灯籠へと急ぐ。

ジグザグに折れ曲がる居住区の区画の壁を越え、かの財務官ラーザム殺害事件の現場を横切る。幾つか見覚えのある人相の兵士たちが、現場警備のため巡回していた。

お馴染みの赤茶の迷彩ターバン姿が、上空をゆく白文鳥《精霊鳥》アルジーの姿に気付いた様子で、ヒョイと見上げて来る。

「おやまぁ。ありゃ白孔雀さまの御使いだぞ、故郷の城砦(カスバ)で見た事ある。あのチッコイ身体で、どの《精霊鳥》よりも遠くへ飛ぶんだってよ」

「この辺まで渡って来るなんて珍しいよな、白タカ《精霊鳥》や伝書バトは見かけるんだが」

「帝都の怪談もビックリの酒姫(サーキイ)事件があったうえに、ラーザム財務官とか、おかしな死人が出たからだろ」

「あの事件、まだ未解決なんだってな。皇帝陛下(シャーハンシャー)直々の惑乱の指令のもと、魔導大臣が交代するくらいの大事件でさ」

…………

……白文鳥《精霊鳥》アルジーは飛び続けた。

見覚えのある区画を過ぎ、目的の高灯籠へ到達する。

そこは、相変わらず人通りが無かった。

アルジーの荷物袋は、藁クズの中へ隠されたままになっていた。苦労して時間をかけて、荷物袋の覆いを開け、さらに奥の仕切りへと潜り込む。

――あった。

まんざらでもない気持ち。白文鳥アルジーは、薔薇色のクチバシを駆使しつつ、目的の物を引っ張り出した。

千年を超えた《精霊亀》の――不思議な虹色に輝く甲羅だ。螺鈿細工のようにも見える。この甲羅をくれた《精霊亀》自身が、《人食鬼(グール)》の傷には効く、と言っていたから、効き目は確かに違いない。

(この白文鳥の身体で一度に運べるのは……甲羅の薄片2枚くらいだけど、足りるかな……)

その辺は、「人類史上、最高の名医」と胸を張った、老魔導士フィーヴァーに確かめれば良い。足りなければ、また運んで来るまでだ。

白文鳥《精霊鳥》アルジーは、はやる心のままに飛び立ち、オーラン少年と老魔導士フィーヴァーが詰めている部屋へと向かう……

…………

……その異変は、突然やって来た。

すでに午前半ばの刻。威力を増した陽光に熱せられた、白文鳥の翼の間から、気分が悪くなるような、甘ったるい異臭が立ち上がる。

昨夜、酔っ払い赤毛男バシールから浴びせられた、禁術の大麻(ハシシ)のもの。

精霊(ジン)の目で見ると、立ち上がった異臭成分が、蜘蛛の巣さながらに浮遊していて、絡みついて来るのが分かる。

――身体が、動かない!

不意打ちの不安と、恐怖。

異形の蜘蛛の巣のごとき不気味な《魔導陣》を思わせる構造体は、絡みついたが早いか、急速に石化――結晶化しているようだ。次第に、不自然に強張ってゆく翼。

邪霊植物――化け物の大麻(ハシシ)の――《三ツ首ハシシ》の呪縛の力に違いない。

かの《精霊クジャクサボテン》が有害な邪霊を遠ざけるように、邪霊植物として進化したという《三ツ首ハシシ》は、精霊の身体を縛りつけ、動けなくさせるのではないか?

……相棒の白文鳥パルやアリージュがやっていたように、朝の日課の水浴びをしておくべきだった。アルジーは、人体の時の意識に引きずられて、失念していた!

目が覚めた時。傍に、水がいっぱい入った大きな器が、置いてあった。あれは、鳥の朝の日課――水浴びもかねての、大きさだったのに!

さらに、不吉な記憶がよみがえる。

不気味な巨人族の黄金戦士『邪眼のザムバ』が撒き散らしていた、奇妙な空気。あの地下神殿の祭壇でも、大麻(ハシシ)の類を焚いていた……! 同類のものかどうかは分からないが。

いわゆる、シビレル《魔導陣》――

――『出涸らしのカスとはいえ、禁術にかかわる邪霊植物の大麻(ハシシ)。我ら精霊すべて警戒せねばならぬ』

ザムバと接近した後で、急に雪花石膏(アラバスター)の彫刻と化していた、相棒のパルとアリージュ。

かのテラテラ黄金肌の巨人族の戦士は、額に奇妙な刺青(タトゥー)をしていた。『邪眼』と呼ばれる意匠の、異形の刺青(タトゥー)。

一瞬だったけど、急に襲って来た赤毛男バシールの額にも、同じような刺青(タトゥー)があったような気がする……!

不気味な《魔導陣》を思わせる構造体が、いっそう、白文鳥《精霊鳥》の身体に絡みつく。みるみるうちに感覚が痺(しび)れて、薄れていっている。

――《精霊鳥》同士のスラング『シビレル《魔導陣》』の意味が、理解できた。こんな時になって、《精霊鳥》の身体の経験でもって、腑に落ちるとは思わなかったけど。

ここで、石像彫刻となって落ちる訳にはいかない。

――オーラン少年と老魔導士フィーヴァーのもとへ、この《精霊亀》甲羅を届けてみせる!

呪縛の力で重くなってゆく翼を必死に動かし、アルジーは、ヨロヨロと飛び続けた。

(ありとあらゆる呪縛と不健康に悩まされ続けていた人生経験を、舐めるんじゃないわよ!)

目の前に、オーラン少年と老魔導士フィーヴァーの詰めている部屋の格子窓が見えて来た。

急速に雪花石膏(アラバスター)さながらの硬直感をまといつつある翼を、なだめつつ操る。

陽光に熱せられて上昇する空気の流れが、意外な援護となっていた。

上昇気流を捉え、いまひとたび舞い上がるや、幾何学的パターンをした格子窓の隙間へと、突っ込む。

硬直していた純白の翼が引っ掛かり、まさに雪花石膏(アラバスター)さながらに砕けた。既に石化していて、痛みの感覚も無い。

そのまま部屋の床へと、全身が打ち付けられる。

――ああ……せっかく白文鳥《精霊鳥》の身体を貸し出してくれたのに、台無しにしてしまった……

同じ名前を持つ不思議な縁でもって身体を交換してくれていた、あの白文鳥アリージュへ向けて、精一杯の謝罪を念じる。

ガラスが砕け散る音さながらの――破砕音。

部屋の奥に垂れ下がっていた紗幕(カーテン)が、サッと開けられた。

隙間から見えるオーラン少年の頭部――その驚愕を浮かべた顔面は、相変わらず、じっとりと血の滲んでいる包帯巻き巻きの状態だ。

アルジーの視界いっぱいに、不思議な白金の光があふれた。見ず知らずのような――でも、何処かで遭遇したような気のする――精霊(ジン)の気配。

次の瞬間、黒ダイヤモンド鍵が……召喚されて実体化したかのように、目の前に現れた。《魔法の鍵》だ。

『だれ……!?』

白金の光は、精霊(ジン)の道に違いない。どこの精霊(ジン)が招き入れたのかは分からないが、精霊(ジン)の気配は、ひとつ……ふたつ。

――《魔法の鍵》として実体化した《地の精霊》と、もうひとつの謎の……おそらく高位の《地の精霊》。

意外に近くの、どこかで――『ガチャン』という重厚な音を立てて、黒ダイヤモンド《魔法の鍵》が回った。

次の瞬間、アルジーの視界は暗闇に包まれる。

三途の川だろうか。

思わず、あちこちへと手を突き出す。なじみ深い重力感覚がドッとやって来て、すぐにアルジーは自分の状況を直感した。仰向けに寝かされている状態なのだ。

直感のままに上へ手を伸ばすと……「ドン」という確かな手ごたえが来た。

――パカリ。

何らかの蓋(ふた)が開いたと言わんばかりの物音、そして、その隙間から洩れて来る――明るい陽光と空気。

頭がクラクラする。

身体の感覚が激変し、まだボンヤリしている状態だ。

だが、この感覚は……ギクシャク感はあるが、人類の肉体そのもの。

棺桶の中に飛び込んでいたのだろうか? それどころでは無いのだが。

まさに棺桶そのものという、その黒い箱の蓋(ふた)をどかして、上半身を起こす。

自分の手と思しき、目の前の両手を眺める。

そのとおりの感覚があり、意図したとおりに運動を返して来る。これが自分の手という実感。

――元の身体に戻ってきた訳じゃ無いだろうけど。

そう、本来のアルジーの、《骸骨剣士》さながらの、みじめに骨が浮いたガリガリの手では無い。幼い日に仕掛けられていた呪縛《魔導陣》の痕跡である、薄い黄土色のシミも無い。 ほっそりとした繊手ではあるが、健康な程度に肉が付いている。

(それどころでは無いわよ!)

まだ呆然としている頭にカツを入れ、アルジーは勢いよく、その棺桶から立ち上がった。

――この謎の人体の背丈は、アルジー本来の身長と似ている。夫である御曹司トルジンと並ぶくらいの、男性並みの高身長だった背丈と。まだ血が巡り切っていないようなギクシャク感はあるが、扱いやすい。

見覚えのある作業机が、横にデンと鎮座していた。老魔導士フィーヴァーが扱っていた薬研(やげん)だのフラスコだの、不思議な道具がズラズラと並んだままだ。老魔導士フィーヴァーの気配は無い。今は不在らしい。

いまや見慣れた間仕切りの紗幕(カーテン)を通り抜け、格子窓へ駆け寄る。

何とも奇妙な感覚だ。

その窓の直下、床の上には、白文鳥《精霊鳥》だった身体の名残がある。

今までアルジーが憑依させてもらっていた其れは……雪花石膏(アラバスター)の彫刻と化したうえに、粉々に砕けていた。徐々に蒸発し、『根源の氣』と消えてゆく。

残ったのは、小鳥の足でシッカリつかんでいた《精霊亀》の甲羅……虹色の螺鈿細工のようにきらめく六角形をした薄片、2枚。

咄嗟に、その薄片を拾うべく、腰を下ろして手を伸べるアルジーであった……

「動くな」

怒気のこもっている、少年の声。

視界の端に、陽光を弾いてぎらつく護身用の短刀。

ギョッとするままに固まる、アルジー。

「この外道。セルヴィン殿下へ、生贄《魔導陣》を投げただけでは飽き足らず、白文鳥《精霊鳥》までも」

立ち上がっているだけでも苦しいのか、しきりに息切れが入る、オーラン少年の声。懐かしいとすらいえる、オローグ青年と同類の――故郷シュクラ地域の、言葉の響き。

――そうか! この状況、傍から見ると、急に出現して来た人体が何らかの《魔導》でもって、白文鳥《精霊鳥》を石化させて、害したように見えるのだ!

次の瞬間……別の人物が現れた。3人。

サッと、サボテン製の扉が開いて閉じられる。

そこに居たのは、黒い長衣(カフタン)をまとう老魔導士フィーヴァーだ。

「5人もの有望な若者を『魔導士クズレ』と化し、血の海に沈めての身勝手な失踪の果てに、やはり舞い戻って来おったな。 大盗賊団の首魁も裸足で逃げ出すほどの、外道にして極悪の酒姫(サーキイ)アルジュナどの。その容貌と手練手管とで見張り全員を誑(たら)し込んだのじゃろうが、 これ以上『ヒョロリ殿下』を害することは、このワシが許さんぞ」

後ろに……表情を強張らせた、不健康な骸骨のような藁クズ少年セルヴィン。その護衛を務める黒髪の戦士オローグ青年。

険しい顔をしたオローグ青年が、殊更に物騒な音を立てて、三日月刀(シャムシール)を抜く。ここで会ったが百年目、と言わんばかりだ。

何の因果か、不意に人体を得る形になったアルジーは、ギクシャクと後ずさりしつつ、手を躍らせるばかりだ。

『ご、誤解! ストップ! 私は酒姫(サーキイ)じゃなくて、この人体に入っただけの亡霊で……!』

次の一瞬、キョトンとする老若の面々。

言葉が通じていない。

――しまった。《精霊語》だった。つい、ここ最近の習慣で。

ほぼほぼ、さびついた感のある、帝国語を繰り出す。慌てているせいで、故郷シュクラの言葉と、東帝城砦の市場(バザール)言葉と、《精霊語》のチャンポンだ。

「……いまはもう死んで、三途の川の順番を待ってる亡霊だけど、その前に行かなきゃいけない所あって……白文鳥《精霊鳥》の身体をお借りして――」

この人体は、何やら違和感がある。発声器官に相当する部分(パーツ)が、特にギクシャクとしているのだ。《精霊語》を通すと若干、滑らかになるものの……無機質な物体を無理に動かしているようだ。

人工的な息継ぎに失敗し、ゼイゼイし始めるアルジーの前で。

最初に唖然とした様子に変わったのはオーラン少年だ。包帯巻き巻きの中の表情は知れぬものの、口がポカンとした形に開いている。

何故か、オーラン少年は食い入るように見ていた……謎の人体に憑依した形になった、アルジーの目の辺りを。

「……君は誰だ? あの外道の、アルジュナじゃ無い、と言うなら……」

「惑わされてるのか? どうしたんだ、オーラン!」

アルジーは息を整え、改めて本名『シュクラ第一王女アリージュ姫』を告げようとしたが……

何故か、音声になって出て来ない。

……喉(のど)の奥を、空気が虚しく通り過ぎるだけだ。

必要な筋肉が、ピクリとも動かない。「目下の人体に、そのような機能は付いていない」と言わんばかりに。オババ殿には、ちゃんと言えたのに――お互いに、幽霊と亡霊だったから?

次に、何かに気付いたらしいのは、老魔導士フィーヴァー。見る間に疑惑の眼差しになり、格子窓を見やる。

「奇妙じゃな……ヒョロリ殿下の契約《火の精霊》による、緊急の結界が掛かっとる。このやり取り、最初から最後まで機密扱いにされとる訳じゃ」

促されて見れば、確かに、この部屋の開口部という開口部が、真紅色の火の尾を引く細かな《火の精霊》粒子で、覆われている。

その異様な光景にギョッと目を見張りながらも、オローグ青年は戦士らしい警戒感と責任感をもって、護衛対象であるセルヴィン皇子の前に立ったまま……アルジーのほうへ向けた刃を退(ひ)かない。

「機密扱い、とは?」

いまひとつピンと来ていない様子のセルヴィン少年だ。

その様子を眺めながらも、アルジーは、あの馴染み深い虚脱感を感じていた。体力切れ。疲労困憊だ。昨夜の銀月――下弦の月は、とても細かった。翌日である今日は、新月。

重力に引かれて、憑依している人体が崩れ落ちる。さながら、糸の切れたカラクリ人形のように。

――異様に硬い落下音。木製か石製の物体が当たった時のような。

馴染み深い、生身の肉体が倒れた時のものでは無い。その強烈な違和感。

部屋いっぱいに、驚愕ゆえの沈黙が広がった……

…………

……次の瞬間、アルジーの視界は転移していた。

傍に《火の精霊》が居て、呆れたように、パチパチと小さく爆(は)ぜている。

アルジーの意識は、この部屋に安置されている『魔法のランプ』の傍に腰かける形になっていたのだった。

座布団にしているのは、小さなドリームキャッチャー細工の護符……見覚えのある白羽。ほかの小さなドリームキャッチャー護符の群れに混ざって、目立たぬように引っ掛けられてある。

『何故こんな場所に――私の、耳飾りが? 左右両方とも?』

見慣れた護符の向こう側が透けている。実体ではなく、幻影らしい。霊魂アルジーが、その上でポンポン飛び跳ねてみると、それなりに手ごたえがあるが。

『こんな事もあろうかと、白文鳥パル殿を通して取り寄せておいたものである。物理的な存在では無く、元々の護符に宿る「守護の霊力」の、いわば分霊である。 この形式ならば、我ら《火の精霊》も、《鳥使い》アリージュを持ち運べる。それを今までのように、耳につけるが良い』

霊魂アルジーは早速、小さなドリームキャッチャー型をした白い耳飾りの一対を、左右の『耳』と感じる場所に順番に装着した。

ボンヤリとした、大きさのつかめない煙さながらの霊魂が、等身大の人類の姿形として再構成された。 霊魂そのものに決まった大きさは無く、その人類の姿形イメージを更に白文鳥サイズまで縮めて、小人みたいに、『魔法のランプ』の上に腰かけることもできる。

その状況を《火の精霊》は理解しているらしく、小人みたいになったアルジーを『魔法のランプ』の蓋(ふた)の上へ招き、腰かけるよう指示して来たのだった。 《火の精霊》自身は、ランプの口に灯る小さな火の形容を取り始めた。落ち着いて話そうという態勢だ。

『あの……鳥のアリージュの身体……呪縛で、壊れちゃったみたいで』

『鳥類アリージュの身体は、南洋の《精霊亀》の島で、本来の主を得て復活している。精霊(ジン)が元気いっぱいであるゆえ、速やかに《精霊鳥》の身体が再構成されたのだな。 鳥類アリージュは、また身体を此処に派遣すると言っている。小鳥の身体が必要になる局面が多々あるだろう、と。《鳥使い》アリージュが直面している問題を、よく承知している様子であるな』

『わ、私、自分の名前を言えなかった……あの人たちに』

『精霊魔法《鳥舟(アルカ)》と、銀月のジン=アルシェラトの限界である。アリージュも、ほぼ銀月の精霊(ジン)と化しておるゆえ、アリージュの名を受け取れる人類は、この護符を作り出した《青衣の霊媒師》のみ。 あの《魔導》カラクリ人形を、人類への翻訳器とするのであるか、アリージュ? いわくのある人物がモデルゆえ、やりにくかろうと思われるのだが』

『か、カラクリ人形?』

高速でやり取りされる《精霊語》に比べて、人類のやり取りは非常にゆっくりだ。

当座の確認事項が一段落して、問題の方向を眺めたアルジー。

床の上で、ピクリとも動かなくなった、明らかに無機質な物体。その周りで、老若の男たちがしきりに首を傾げているところだ。

等身大のカラクリ人形が、うつぶせに横たわっていた。男性型だが、細い体格で、中性的な雰囲気。

昼日中の陽光の中で、人工銀髪がキラキラと輝く。素材は、シュクラ王国のシルク技術を使った銀糸。故郷の特産物だ。シュクラ第一王女アリージュ姫としてのアルジーには、パッと分かる。

「何という事じゃろう。この『人類史上、最高の天才である』ワシが、腕にヨリをかけて苦心惨憺して工作した『身代わりカラクリ人形アルジュナ号』じゃ!」

老魔導士が、驚愕のあまり震える手で、カラクリ人形の衣服を脱がせた。丁寧なスキン処理が施された金属製の胴体が現れる。全面に、人工の継ぎ目。

そのうちの一つを操作すると、覆いが一斉に外れ……目の回るような、複雑なカラクリ装置が現れた。多種多様な歯車、ゼンマイ、バネ、ワイヤ……その他、諸々。その装置の中央部に、真紅に輝く《火の精霊石》が見える。

「手足を動かすための司令塔《火の精霊石》が、まだ余熱で熱い。呼吸その他の生命活動を再現し、音声を合成し、人工の継ぎ目を幻影で隠蔽してのける程に、熱回転を上げとった訳じゃ。それなのに破綻しておらん!」

「胡乱な亡霊か精霊(ジン)が急に入って来て、カラクリ人形を動かしたとか? そんな、場末の酒場に入り浸っている売れない作家が酔っぱらって、ヤケで執筆したようなヘボ怪談、本当にありますか」

老魔導士は目をパチクリさせた。ついで、モッサァ白ヒゲが震える……人工銀髪の《魔導》カラクリ人形を、黒い収納箱に戻しながらも。

「妙に世界名作文学じみた描写をするのじゃな、子守オローグ君よ」

「子守じゃありません、れっきとした護衛を務めております」

若者らしく反発している黒髪のオローグ青年であったが、実のところ左右の腕でもって、グッタリとした様子の藁クズ少年セルヴィンと、包帯巻き巻き少年オーランを、支えている状態だ。 まさに面倒見の良い、理想的な「子守」である。

オローグ青年は、むくれた顔をしながらも、えっちらおっちらと動き、2人の少年を、いつもの談話クッションのところまで運んで行った。 動かなくなった多数の毛玉ケサランパサランをギュッと詰め込んであるクッションで、絶妙な柔らかさとスプリング感のある逸品だ。

老魔導士フィーヴァーは何のためらいも無く床に這いつくばって、右へ左へと首を動かし、なおも現場の観察を続けていた。

現場で動き回る神殿調査官そのものだ。若い頃は、活動的な神殿調査官だったのかも知れない。『毛深族』自慢のモッサァ白ヒゲが、 左右する首の動きに従ってホウキさながらに左右に動き、辺りの埃(ほこり)を払っていた。

やがて、黒ターバンの下、誰よりも立派なお眉に荘厳されたかのような鳶色(とびいろ)の目が、ハッと見開かれ……キラーンと光る。

――果たして、老魔導士は、六角形をした虹色の薄片を、そっと摘まみ上げていた。

「ふむ。実に天祐! こいつは千年モノ《精霊亀》甲羅じゃ! しかも2枚も……実に奇跡! これで特効薬を合成して使用すれば、オーラン君の《人食鬼(グール)》裂傷が、たちどころに治るぞ!」

若い護衛オローグ青年が唖然として問い返す。

「たちどころに治るんですか? あの《人食鬼(グール)》裂傷が? 半年とか1年とか、時間かかるのでは」

「原状回復には充分じゃ! ふむ。更に信じがたいことに最高級品じゃ! この場で、《人食鬼(グール)》裂傷も、色素沈着も、完全に消滅してやるぞ!」

目が一層ランランと光っていて、モッサァ白ヒゲが、いよいよモッサァと膨らんでいる。老魔導士は部屋じゅう駆け回り……あっと言う間に、特殊作業に必要な道具をそろえた。

「他の重傷患者にも回さなきゃならん。内臓まで傷が到達しとるのも居る。微妙な量になるから四肢のほうの裂傷は治っても多少の色素沈着が固定するじゃろうが、 前にも言ったとおり、身体機能は正常に保たれておる。千年モノ《精霊亀》甲羅などバレたアカツキには帝都方面がうるさいから極秘じゃ、半年くらいは血染めの包帯に埋もれて、ごまかしておけ!」

偉大なる老魔導士フィーヴァーは、早くも薬研(やげん)その他の薬物製造のための道具を取り出し、錬金術さながらの摩訶不思議な作業を始めていた。

「第一発見者オーラン君、あの《魔導》カラクリ人形が動き出す前に何があったのか、目撃した筈じゃ。ワシが特効薬を合成している間、そこで目撃証言を聞かせてくれたまえ!」

藁クズ少年セルヴィンと共に、談話クッションにグッタリと身を沈めた包帯巻き巻きのオーラン少年は……困惑顔だ。淡い茶髪の先を無意識にいじくりながら、ポツポツと喋り出した……

*****

一方、『魔法のランプ』に腰かけていた、霊魂アルジー。

傍に居る《火の精霊》が、不意に、小さくパチリと火花を出した。

『同僚からの伝言だ。銀月《鳥使い》アリージュ、これから聖火礼拝堂の一角で、ラーザム財務官の遺体の防護処理の儀式が始まる。 棺桶に詰めて埋葬する前に、その辺の邪霊害獣にたかられないように、防護処理をするのだ。興味深い面々が集まってるそうだから、ともに来るが良い』

『え、どうやって?』

『耳飾り護符の分霊が到着済みで、実に重畳。《青衣の霊媒師》は素晴らしい仕事をしている。 ドリームキャッチャー糸を解いて……我がこちらの糸の端を持つから、アリージュは、もう一方の端を持つが良い。しっかり持って、放すで無いぞ』

『ドリームキャッチャー糸?』

アルジーの目の前に、《火の精霊》の手の形が――『ネコの手』が、現れた。確かに、銀月色に光る白糸の端を、『ネコの手』で差し出して来ている。アルジーは促されるままに、その端をつかんだ。

次の瞬間、白金の不思議な光が溢れ……『ガチャン』という《魔法の鍵》の音が響いた。精霊の異次元の道を通ったのだ。

不思議な光が収まると――既に、目の前の景色が変化していた。

いちめんに広がる、聖火礼拝堂の定番のタイル装飾。見上げると、ドーム屋根。そこは帝都紅のタイル装飾に彩られている。

ここに来た時に最初に見た、あの紅ドーム屋根の聖火礼拝堂だ。

霊魂アルジーは『魔法のランプ』台座の上で、風の流れに吹き流されつつ、フワフワと漂っていた。 糸が切れた凧のように漂流してゆかないのは、早くも『魔法のランプ』を座布団にした《火の精霊》が、ドリームキャッチャー糸の端を、シッカリ持っていてくれるお蔭だ。

礼拝堂の隅――遺体処理用のスペースを一望できる絶好の位置。

既に、その場に立ち会う人々が集まって来ていた。皆、神妙な顔をしている。

人体サイズほどの特製の板敷が、人の輪の中央に配置されていた。

その板敷には、各種の退魔紋様を織り込んだ大判の布が掛かっている。横たわっている盛り上がり部分が、いまは亡きラーザム財務官の遺体に違いない。 発見された時、首と胴体に分かれていたという言及どおり、頭部と思しき盛り上がりと、胴体と思しき盛り上がりの間が、少し空いている状態だ。

「おお闇を照らす高き聖火よ、いとも輝く恵み深き生命を与える炎よ」

遺体の防護処理の儀式を担当する真紅の長衣(カフタン)の神官が、定番の祈りの言葉を捧げ始めた。隣に黒い長衣(カフタン)の魔導士が居て、邪霊害獣の接近を警戒している。

集まった人々は限定されていた。ベール姿のハーレム妻、4人。ラーザム財務官の事件捜査メンバーを務める文官1人と武官1人。特に親しくしていたと思しき、知人2人ほど。

4人のハーレム妻は慎ましいベール姿だが、順番に並んでいるので、何番目のハーレム妻であるかは一目瞭然だ。

ラーザム財務官のハーレム第一夫人は、冷淡なくらいに落ち着いていて感情を見せない。ベール布は、再婚相手の余裕を見せつけるかのように、最高級品だ。

第二夫人と第三夫人は、《火の精霊》が探り出して来たとおり、将来が見通せない不安定な立場にある様子だ。2人とも、ラーザム財務官など眼中にないという様子で、視線がそわそわと泳いでいる。

色気のある美女、ハーレム第四夫人アムナは、意外にしおらしい顔だ。 独立心旺盛で別に資産形成した余裕もあるのだろうが、ハーレム妻として、相応にラーザム財務官の無残な死を悼んでいるのは、アムナ夫人だけのように見える。 しかし昨夜、タフジン大調査官をはじめとする、ラーザム財務官殺害事件の捜査を進める重役メンバー会議の周辺をコソコソしていたのは、何故だろうか?

知人枠で参列している、帝都の金融商ホジジン。見事な大柄の肥満体。

捜査メンバーの文官ドニアス。さしあたりラーザム財務官の後継者でもある、異国風の八の字ヒゲの小太り男。文官の定番、赤茶色の長衣(カフタン)姿。金融商ホジジンの脇に、まさに腰巾着という風に控えている。

捜査メンバーの武官、モッサァ虎ヒゲ戦士マジード。帝都の高官タフジン大調査官及び、この砦の代表カスラー大将軍の名代として、派遣されて来たのに違いない。

最後の知人枠の参列者は、やけに美麗な人相をした中堅世代の男だ。見るからにナルシスト。しきりに小さな手鏡をのぞき、髪型やターバン、衣服の乱れを直している。

――あの美形中年の商人風の男、誰なのだろう?

アルジーの、その疑問は、すぐに解決した。

モッサァ虎ヒゲ戦士マジードが、その美形中年を振り返り、捜査上の聞き取りを兼ねての事だろう――雑談を始めたのだ。

「ラーザム財務官の特命の取次ディロン殿。先ほどの話は驚き申した。なんでも、驚くほど大きなサイズの黒ダイヤモンド発掘の情報があったとかで、ラーザム財務官へ報告に上がるところだったとか」

「さようで、マジード殿。まさか、ラーザム財務官が、これほど急に亡くなられるとは、たいへん驚きまして。前回の会合では、私を後継者に指名してくださるとの話もございましたので、余計に」

「ほほう、今のところ文官ドニアス殿が後継者と聞き申していたが、取次ディロン殿も後継者の候補でござったか」

ナルシスト美形中年は、颯爽と一礼している。舞台役者さながらに。

霊魂アルジーは、『魔法のランプ』の周りを漂いながらも、いっそう耳を澄ます。

付き添う《火の精霊》も、「驚くほど大きなサイズの黒ダイヤモンド発掘の情報」が気になったのか、そこで反応して熱心に聞き耳を立てていた……ネコミミの形をしたものがピョコッと飛び出て、炎と揺らめいている。

――ちなみに、その場に配置されていた『魔法のランプ』全ての口に灯る《火の精霊》全員が、揺らめく炎の先端にネコミミを出していた。あまりにも微細な形の変化で、人類の側は気付いていないが……

アルジーは、すぐに思い出せた……ディロンの名を出していた昨夜の商人3人組を。

赤毛の酔っ払い大麻(ハシシ)キメ男バシール、発掘品の先取り利権に飛びつくネズミ鼻のネズル、南洋民族の潮焼け男シンド。彼らは、ディロンの人となりについて、軽口を叩いていた。

――ディロンは、顔だけは色男だ。媚売りだ。目立ちたがりだ。政治闘争が入ってる分、当てが外れて憮然って所の筈だ。間男のチャンスを狙ってる。いまは亡きラーザムの妻を寝取ってもおかしくないくらいの動機はある。

噂の政治闘争というのが……ラーザム財務官の後継者の地位を争う、ゴタゴタに違いない。

文官ドニアスの、異国風の八の字ヒゲが不穏に震えていた。神経質そうな小さい目が、ナルシスト美形中年な取次ディロンを、チラチラと睨んでいる。 ラーザム財務官から金庫の鍵を預かって管理している分、含むところは多い、という雰囲気だ。今現在も、ジャラジャラと鳴りそうな多くの鍵が、腰のサッシュベルトに固定され吊り下げられている。

美形中年の取次ディロンと、小太り中年文官ドニアスの間で、微妙な緊張感が漂い始めた時。

ハーレム第三夫人が、恨みがましい口調で、取次ディロンを非難し始めた。美しく爪紅を施した指先を、ビシッとディロンへ突き付ける。

「どの口が言えたものですか、ラーザム財務官の後継者などと。ディロンが取り次いで持って来る儲け話は、いつも嘘ばっかりじゃないの。あたしが投資した事業はどうなったって言うのかしらね。 キッチリ約束の配当金を出さないのは、もしかして出せないから、かしら?」

美形中年ディロンは、口を引きつらせた。一度は営業スマイルを浮かべかけたが。

「そ、そんな、あれこれ言われましてでもね。ロマンはロマンだからこそ恋人たちの夢の物語と申します、無粋にもカネの話をいたしますと、かぐわしい夜の思い出が台無しに……いや、何でもございません、ハイ」

様々に察せられるやり取り。渦中の2人に、白々とした視線が突き刺さったのは、言うまでもない。

水もしたたる美形中年ディロンは、即座にゴマカシに入った。

「そ、それに、昨夜、ラーザム財務官を殺したいほど恨んでると叫んでいたと聞いてます、商人バシールですね、事業投資や商売には色々ございますね、なんか、禁制品の大麻(ハシシ)で酔っ払ってたそうですがね、ハイ」

黒い長衣(カフタン)の魔導士が苛立たし気に袖を振って、その長広舌をさえぎる。

「静粛に。ラーザム財務官ご遺体の御前でございますぞ」

――その時。さらなる騒音が、乱入して来た。

甲高い叫びと共に、遺体の防護の儀式の場に入って来たのは、振り乱したベール姿の、中年女性だ。

「ああ、居た、居たわ! ラーザム財務官の第一夫人! ねぇねぇ信じて、あたしの夫バシール、絶対ラーザム財務官を殺してないわ! ホントのホントよ!」

ハーレム第一夫人は、一瞬、驚きに目を見開いたものの――取りつかれる寸前で、数歩ほど身を引いた。冷淡な態度。

「わたくしは、タフジン大調査官が解明してくださるであろう真相を受け入れるのみです。 訴えがあるなら、わたくしにでは無く、そこに居る武官マジード殿と、文官ドニアス殿に掛け合うのが相応というもの、わたくしの事情を巻き込むで無い!」

虎ヒゲ戦士マジードが早くも、「バシールの妻」と称する中年女性を拘束していた。

「お見事な対応でございますな、ラーザム財務官ハーレム第一夫人どの。さすが、帝国でも重鎮たる城砦(カスバ)の、王侯諸侯に連なる御身でいらっしゃる。 さぁ訴えは後ほど詳しく聞こう。とりわけ、あの禁制品の大麻(ハシシ)について、入手経路を知っておいでなら、きっちり白状して頂きますぞ」

「は、白状なんて! よくも犯人扱いして! あたしも、夫バシールも、何にも知らないのに! 第一、城壁の『石落とし』の操作だって、 なんか特別な『錠前破り』が必要だとか、黒ダイヤモンド《魔法の鍵》が必要なんだってねぇ!?」

「静粛に! 静粛に! まったく、これだから女は!」

真紅の長衣(カフタン)の神官と、黒の長衣(カフタン)の魔導士は、2人とも、うんざりとした顔になっていた。

霊魂アルジーは、その場を見渡すことができる『魔法のランプ』台座をクルクル飛び回りながら、脳内もグルグル回転させていた。

――禁制品の大麻(ハシシ)。

――ラーザム財務官が死んだ原因『石落とし』の仕掛けは、黒ダイヤモンド《魔法の鍵》による、特別な『錠前破り』が必要。

『セルヴィンの相棒《火の精霊》さん、あの話は本当? 城壁の『石落とし』仕掛けを動かすには、黒ダイヤモンド《魔法の鍵》が必要なの?』

『そうだな、言われてみれば確かに……』

問われた《火の精霊》は、ユラユラと思案に揺らめいた後、パチリと弾けた。

『大型《人食鬼(グール)》対抗措置として構築してある「石落とし」類は、黒ダイヤモンド《魔法の鍵》で封印する。 大型《人食鬼(グール)》を押しつぶすために、石素材そのものが、黄金や鉄よりも単位重量が倍である。そのうえ、ひとつひとつの石に、大砲の《火の玉》と同じ退魔紋様を、《魔導》工房で刻む。意外と高価なのだ』

『その黒ダイヤモンド《魔法の鍵》封印が、自然に解除される可能性は?』

『ある』

『え……え? ホント? それって《魔導》失敗とか、とりわけ《人食鬼(グール)》相手に、あってはならぬ事故とか……』

『下位《地の精霊》魔導の場合は、普通にある。下位《地の精霊》専門は、石を固めることや鉱物の結晶、貝殻、《精霊亀》甲羅などを育てることでな、担当領域が違うのだ。 人類の魔導士が、その素質の違いを見極めずに、黒ダイヤモンド《魔法の鍵》担当として、下位《地の精霊》を、《魔導》するのだ。 黒ダイヤモンド《魔法の鍵》封印が自然に解除する原因は、ほぼほぼ、そのケースである』

『ちゃんと専門に勉強している魔導士が、間違うの?』

『攻撃専門に詳しくなる熱狂的な魔導士が多いが、それゆえに、識別がおろそかになるのを多く見かける。そうした魔導士の認識する上位・下位は、我ら精霊が認識する上位・下位とは異なるようだな。 邪霊の側における上位・下位の認識に近いと見ゆる。類は友を呼ぶ。精霊《魔導》に失敗しつづけた果てに邪霊《魔導》へ片寄る、魔導士クズレ、霊媒師クズレが増えるのも、さもありなん』

『あ……それで。オババ殿も、そんな事を言ってた。《魔導》操作の均衡が崩れると、 相応に魔性に偏った邪霊しか扱えなくなって来る……邪霊使いになる……強い退魔の能力を持つ精霊が近づけなくなる……とか』

――次の方針は決まった。

現場100回とは至言。

あの殺害現場――現場の『石落とし』仕掛けを、改めて確認するのだ。

犯人につながる何かが見つかるかも知れない。そして《魔導》が食い違っている類なら、次の《人食鬼(グール)》が襲来する前に、注意して改善しなければ。

霊魂アルジーは、霊魂の手をキュッと握り締めた。

まだ担当の《地の精霊》が居て、聞き込み可能なら……それに、謎の正体不明《地の精霊》のほうも……

沈黙かつ不動、秘密主義っぽい《地の精霊》と話したこと無いから、どうやるのかは分からないけど。 饒舌で反応も豊かな《火の精霊》……《火吹きネコマタ》や、《精霊鳥》《精霊亀》《精霊象》なら、だいたいは……通訳を頼むべきだろうか?

いつしか、再びザワザワが始まっていた。新しく3人ほどの雑務役人――赤茶の長衣(カフタン)姿――が、儀式の場に現れた。1人が女性。いかにも庶務・受付オバサン。

「今度は何だ、この神聖な儀式の時に」

ラーザム財務官の遺体の防護処理を進めていた真紅の長衣(カフタン)の神官は、あからさまに不機嫌を隠さない。黒の長衣(カフタン)の魔導士は、もはや天を仰いでいる。

「いえね、宝物庫の扉、噂の『錠前破り』にやられたんですよ。監視の《火の精霊》が気付き、逃走経路を封鎖、《地の精霊》拘束鎖で縛ることに成功したので、取り急ぎ報告に参りました次第。 あの、すぐに逮捕・連行しますか? 神官さまか魔導士さまの《詠唱》で、拘束が確定しますから、それで」

「あの噂の『錠前破り』が、此処にも?」

ラーザム財務官の遺体処理を担当していた神官と魔導士は、すぐに行動を起こした。

「きっと偉大なるラーザム財務官の生前の人徳のゆえに違いない。速やかに身柄拘束の術を施さなければ」

「虎ヒゲ・マジード殿、付き添いを願います。ドニアス殿も。拘束鎖は金庫の仕掛けの応用ですな、ドニアス殿の名案でした」

ラーザム財務官の遺体の監視と4人のハーレム妻たちの世話を、庶務・受付オバサンに任せて、ドヤドヤと移動する。

問題の宝物庫のある部屋は、この儀式の場とは、数々の出入り扉のうちひとつを隔てた隣室にあるのだ。

霊魂アルジーと、セルヴィンの相棒《火の精霊》は……次の瞬間には、白金色の光に溢れた異次元の《精霊(ジン)》の道を飛び、宝物庫に備えられている《火の精霊》ランプのもとへと、転移していた。

宝物庫の扉の前を照らすランプを担当する《火の精霊》が、ポポンと炎の大きさを変化させた。霊魂アルジーとセルヴィンの相棒《火の精霊》の到着によるものだ。

アルジーの視界に入った、宝物庫の扉。

サッと動いたのは、見覚えのあるような人影。

――人影は、《火の精霊》ランプが、いきなりポポンと炎の大きさを変えたことに驚いた様子で、チラと振り返って来た。

その体格は明らかに少年。戦士の定番、赤茶の迷彩柄の――覆面ターバン。

隙間で鋭く光る、その目は……漆黒。薔薇輝石(ロードナイト)を含む黒曜石。そんな珍しい目を持つ人物は、アルジーの知る限り1人だけ。

『……オーラン……!?』

その有り得なさに、思わず息を呑む……霊魂アルジー。

目下、オーラン少年は、重傷で寝込んでいる筈では無かったか。千年モノ《精霊亀》甲羅の特効薬、そんなに爆速の、治癒効果があったのか。

ひそやかな金属音を立てて、拘束鎖が……ゆるんで滑り落ちた。

――《地の精霊》拘束鎖で縛られていたのではなかったか。金庫管理のベテラン文官ドニアスの肝いりによる、厳重な金庫鍵の応用の。

そこへ、ドヤドヤと、人々がやって来た。神官、魔導士、雑務役人、虎ヒゲ武官マジード、小太り文官ドニアス。

オーランと思われる少年兵は、素早く身を返して駆け出す。人々が入って来るのとは別の扉を、あっさりと開錠して……抜け出して、何処かへと消えて行った。

霊魂アルジーは、呆然と、目を回すばかりだ。

『いったい、何が、どうして? 逃走経路……《火の精霊》が塞いでいたんじゃ無かったの?』

監視を務めていた《火の精霊》ランプが、盛大に申し訳ない――と言わんばかりに、盛大に火の粉を撒き散らした。

宝物庫の扉の前、せせこましい空間は、混乱する人々の大声でいっぱいになる。

「逃げたぞ! あの『錠前破り』……!」

「此処の《火の精霊》によって逃走経路が封鎖されていた筈! どういう訳だ?」

「そんなバカな……! クソォ、少年兵か。躾(しつけ)のなってないコソ泥めが」

「こら、止めなさい、火の粉を片付けてくれ」

「どうやって逃げたんだ、あの『錠前破り』のヤツ……!」

霊魂アルジーは、恐る恐る……《火の精霊》2体を振り返る。

一方は、申し訳なさそうな気配。もう一方は、半分くらい立腹という気配。

『あの《地の精霊》に、説得された。《ジン=***アル》は理解するニャネ?』

『まさか、かの《地の精霊》――《ジン=*ロー*》が、お出ましとは。あの少年、自分の薔薇輝石(ロードナイト)に気付いてない。《精霊語》を知らないせいで、 せっかくの共鳴効果も発現しないままに終わりかねない。どうにかして、猛特訓しなければ……世話が焼けるったら、焼けまくるニャ! ニャンニャン焼くニャ!』

――知らない精霊の名前だ。

霊魂アルジーは、首を傾げるばかりだった。

■05■再びの邪霊来襲の夜を超えて

南方《人食鬼(グール)》戦線ジャヌーブ砦の中に設置されている、紅ドーム屋根を持つ聖火礼拝堂にて。

想定外の奇禍、対《人食鬼(グール)》石落とし仕掛けの誤作動(?)によって死亡したラーザム財務官――その遺体の防護処理の儀式は、色々と予期せぬ騒動で中断したものの。

その後は定められた手順に従って、順調に完了した。所定の日取りを選び、葬儀をおこなう事になっている。

窓の外は、既に夕暮れの光景。

幾何学格子窓の並ぶ廊下を通って、故ラーザム財務官のハーレム妻たち4人が、静々と退出して行った。

飲んだくれ赤毛商人バシールの妻である中年女性は、うち続いた騒動ですっかり気が抜かれたらしく、 これまた無言で退出して行ったのだった……新たな事情聴取の件で、虎ヒゲ武官マジードに付き添われながら。バシールが服用していた禁制品の大麻(ハシシ)の入手方法の詳細についての、事情聴取だ。

――とはいえ、しがない商人の妻から聞き出せる情報は、たかが知れているであろう、と思われるところだ。

ひとり、感心するほどの裕福な肥満体を持つ帝都の金融商ホジジンは、何かしら、ほくそ笑むところがあった様子だ。

物陰になる柱のもとに長く佇み、幾重にも贅肉(ぜいにく)が重なって消滅し果てた顎(あご)部分に手を当て。

いかにも「なにか不穏なことを陰謀しているところである」という風に、垂れた頬(ほお)の肉をプルプル震わせていた……

*****

……『極め付きの変人』こと老魔導士フィーヴァーが詰める、当座の医務室。

急な来客が――事前連絡も無く、非公式の隠密の用件を持って――ひとり。

赤みを帯びた暮光が、幾何学的格子の窓枠を通って差し込んで来る、部屋の中。

そこでは、不思議な緊張が続いている。

「再び、問わせて頂きます。老魔導士どの。こちらに白文鳥《精霊鳥》が渡ってきた筈です。非常に奇妙な振る舞いをする――或いは人間に近い行動をする――白文鳥《精霊鳥》が」

「何故に、それほどに確信を持って断定できるのじゃ? 白鷹騎士団の伝説の鷹匠ユーサー殿。いや、伝説になる程の鷹匠ゆえ、《鳥使い》並みに、白文鳥《精霊鳥》の行動を察すると言うべきかのう」

「かの大型ないし巨大化《人食鬼(グール)》大群の退魔調伏の戦いにおいて、大型の白ワシ《精霊鳥》――鷲獅子グリフィン無双の伝説を作ったのは、いまは亡き鷹匠エズィール殿。この私ではございません」

「彼を失ったことは、白鷹騎士団にとっては大変な損失であったじゃろうな……いや、話の筋をずらした。失礼をお詫びしよう」

老魔導士フィーヴァーは、ガッチリとした体格をした一般兵士姿の来客の、肩の辺りをチラリと窺った。

鷹匠ユーサーの肩には、立派な白タカ《精霊鳥》が居た。油断の無い目でキョロキョロしている。とは言え攻撃の意思を持っていないのは明らか。 その足元には、フワフワ産毛をした白タカ《精霊鳥》ヒナが挟まっているところだ。

「奇妙な白文鳥《精霊鳥》の渡りは、確かにあった。じゃが、残念な結果を伝えねばならん。 ワシの聞き取った内容が正しければ、渡って来たのは2羽だったらしい。1羽は、純白の火の鳥となって、《人食鬼(グール)》退魔調伏と引き換えに蒸発したと聞いとる」

「2羽も渡って来ていたのですか。《鳥使い》がめっきり減少したこの頃、確かに不思議な出来事でございますね」

「うむ。もう1羽は、オーラン坊主が中型《人食鬼(グール)》に捕食されるところに割り込み、その精霊エネルギーでもって、坊主の身体機能――ほぼ全ての骨格および経絡と臓器を保護しおった。 普通は全身バラバラの無残な肉片と散らばり果てるところ、全身ズタズタの致命傷で済んだのは、そのお蔭じゃよ。 必然ながら白文鳥は、蒸発スレスレまで弱体化した。それで、火力が最も適切と思われる《火の精霊》を割り当てた。再び飛べるまでには回復したようじゃが」

「老魔導士どのの見立て、お見事と申し上げましょう。残念な結果と申しますと、その残りの1羽も蒸発したのですか?」

「その通りじゃ。まさに今日の昼メシ前に、な。その1羽が、まっこと人間と同じ反応要素を返して来る、奇妙な白文鳥じゃった。 《鳥使い》では無い坊主どももオローグ君も、初見で『何となく分かるかも』と感じた、と言うくらいじゃよ。 様々な不可解な現象が同時に発生したゆえ、いまだに整理と分析が済んでおらん。ワシが認識している、重要な出来事と疑問点は、3つじゃ」

「おうかがいしましょう」

老魔導士フィーヴァーは、手書きのメモを慎重に見返しながら、指を折って説明を始めた。

「ひとつ、千年モノ《精霊亀》甲羅を持ってきおった。それも《精霊亀》側からの積極的な提供があったらしい――最高級品を2枚もじゃ。当座の分は既にありがたく活用した。 残りは、黒ダイヤモンド鍵の貴重薬品倉庫に機密保管した」

しばし言葉が途切れ、沈黙が横たわる。

老魔導士フィーヴァーは、思案顔で白ヒゲを撫で始めていた。

「最近は《精霊亀》甲羅を狙った乱獲や密猟が増えた。無理矢理に引きはがす甲羅ゆえ、ほぼ傷モノや不良品じゃが、特効薬や装飾品その他としての闇市場は拡大している。 今や《精霊亀》は地下深く潜伏し、大型になるほど姿を見せぬ。彼らは千年も万年も存続する種族。琵琶の名手の《亀使い》を揃えて、慎重に交渉せんとな。 そんな情勢の、しかも戦場の中を、かの白文鳥は、どうやって、伝説レベルの千年超えの最高級品を調達して来たのか?」

鷹匠ユーサーは、謹聴の姿勢を維持したまま、ゆっくりと相槌を打つ。

奇妙な白文鳥《精霊鳥》が、千年モノ《精霊亀》甲羅を持ち込んで来た事実は、先ほど聞き取り済みだ。

「ふたつ、何らかの理由で石化……ガラス化しておったらしい。格子窓を通過する際に砕け散り、蒸発した……その原因は何か。 同じ原因で、《火の精霊》も石化するのか。この辺りは、いずれワシの手で研究して解明するつもりじゃ。白文鳥《精霊鳥》を扱う《鳥使い》が少ない現代では、注目されにくいトピックゆえ、データ集めに時間かかりそうじゃがな」

「白文鳥《精霊鳥》の謎の石化現象は、白鷹騎士団が発足して間もない頃に、認識した項目です。一時的な現象であった、砕けて蒸発した、という曖昧な目撃談が数例。 《精霊鳥》の連携でもあるのか、たいてい、白タカの活動が活発化して、不法の大麻(ハシシ)摘発につながります。 数は少ないですが、いまだ原因不明で……魔導士として、注目してくださるとは有り難い事です。解明に期待いたします」

老魔導士フィーヴァーは目をキラーンと光らせて「ほう」と頷き、興味深い要点を、メモ速記したのであった。

「白鷹騎士団にとっては、地味に気になる部分なのじゃろうな。白文鳥《精霊鳥》の謎の石化現象が、白タカ・白ワシ《精霊鳥》にも起きたら一大事じゃ。 不法の大麻(ハシシ)摘発、専門の魔導士を抱える各種の騎士団の中で、白鷹騎士団も優秀な働きをすると感心していたが、成る程、そういう訳じゃったのか」

メモ速記を終え、老魔導士は、改めて座り直した。作業机の下にある、棺桶さながらの黒い箱に、チラリと目をやる。

「みっつ、蒸発と同時に、ワシの最高傑作となる予定の、《魔導》カラクリ人形を動かしたらしい」

「あのシュクラ特産の銀糸を大量に使用したという噂のカラクリ人形ですか……蒸発と同時に人形を動かしたと?」

「ワシにも真相は読めておらんのじゃ、いまは戯言(タワゴト)としてくれ。いみじくもオローグ君が重要な示唆をした。亡霊か、流浪の精霊(ジン)が急に入って来たのでは、とな。 とすると、まだ成仏していない人類の霊魂が、白文鳥に憑依し、カラクリ人形に憑依したという結論がありえるのじゃ」

「にわかには信じがたい結論ですが、可能性としてはありえるのですね?」

「そうとも。珍妙な霊魂は、次の憑依先を探して、その辺を漂っている真っ最中なのかも知れん。かの《精霊亀》甲羅の謎がある。何とかして、意思疎通を持ちたいものじゃがの」

「霊魂を安定させる……安置する《魔導》の術は?」

「それこそ精霊(ジン)の積極的な協力が必要な《魔導》よ。特定の招魂は、裏返せば禁術《歩く屍(しかばね)》じゃ。ユーサー殿も分かっとるじゃろう。 あの奇妙な白文鳥《精霊鳥》の、精霊界からの召喚と実体化を試すほうが、まだ見込みがあるくらいじゃよ。実際、先刻まで、埃(ほこり)の底に埋まっていた古文書を確認しておった」

「成る程。それで、その……数百年モノの埃(ほこり)だらけの姿だった訳ですな。失礼申し上げました」

老魔導士は、大量の埃(ほこり)で巨大化した黒毛玉ケサランパサラン――さながらの姿であった。

――部屋を仕切る紗幕(カーテン)の裏。

そこでは、藁クズ少年セルヴィン殿下、護衛を務める黒髪オローグ青年、つい先ほど何処かから舞い戻って来たオーラン少年が、ひっそりと息を潜めていた。 3人とも、白鷹騎士団の鷹匠ユーサーと老魔導士フィーヴァーの会話を、一字一句もらすまいと、真剣に聞き耳を立てているところだ。

どっこらしょ……と、言わんばかりに、埃(ほこり)で出来た等身大の球体が立ち上がる。ユーモラスな所作。

「個体特定の手掛かりとなる白羽は、怪我で取れたヤツを数枚ほど密封保管してある。今すぐ、あの珍妙な白文鳥《精霊鳥》召喚と実体化を試すのは、やぶさかでは無いが、 この格好じゃからな。行水してくるから、少し時間をくれい」

「承知。霊魂とは言え高貴な姫君ですから……ご配慮、痛み入ります」

「姫君じゃと? 何か知っておるのかね、ユーサー殿」

「白鷹騎士団にゆかりのある《青衣の霊媒師》の占いにより……と、申し上げましょう。詳細は、行水を済まされた後に」

「急いでくる。その言質(げんち)、確かにとった。忘れるで無いぞ!」

意気揚々と、老魔導士フィーヴァーが行水へ赴いた後。

鷹匠を務める中堅ベテラン騎士ユーサーは、肩先でキョロキョロしている白タカへ、《精霊語》で語り掛ける。

『相棒ノジュム。かの《鳥使い姫》、この辺に居るという気配は無いか? ハッキリと目撃したうえに感受したのは、お前くらいだからな、青衣のオババ殿も頼りにしてるよ』

白タカ・ノジュムの足元で、真っ白フワフワな白タカ《精霊鳥》ヒナが、にぎやかに抗議し始めた。

『ひっどい! ボクも目撃して会話して、シッカリ記憶してるよ!』

『ガキは黙ってろ。相棒ユーサー、《鳥使い姫》は今は不在だ。この部屋の最高位の――代表《火の精霊》も不在。 そこの代理《火の精霊》によれば、《銀月》と共に何かを直々に見る必要があって外出中との事。その《銀月》が、かの《鳥使い姫》だろう。一刻もしないうちに帰還すると思うが』

やがて部屋の仕切りの紗幕(カーテン)が、おずおずと開いた。

そこに居た3人が、鷹匠ユーサーと視線を交わしたのは、言うまでもない。

最初に年長者オローグ青年が、王侯諸侯さながらの気品のある一礼をする。

「盗み聞きする形となり、失礼いたしました。ユーサー殿」

最初から3人の気配を読んでいた中堅ベテラン鷹匠は、驚愕の表情も無く、静かに立ち上がって一礼を返した。

「こちらこそ、突然の訪問でございましたので。やはりと申しますか帝都宮廷と『毛深族』の折衷語を介して、オローグ殿で通っておられるようですな。 それから、オーラン殿。幸運にも千年《精霊亀》甲羅を得たとのこと、全快お喜び申し上げます。いつか、セルヴィン殿下にも、良き巡り合わせあらんことを」

覆面ターバン姿をした少年兵は、まだ困惑している様子で……ゆっくりと、赤茶の迷彩柄ターバンを解いた。

傷ひとつ無い、色白の顔が現れた。《人食鬼(グール)》裂傷も、邪霊の色素沈着も、皆無。

オーラン少年の面差しは、ユーラ河源流の山岳地帯の諸民族のもの。

シュクラ部族も含むユーラ河源流の山岳地帯は、《風の精霊》《水の精霊》を崇拝する土地柄である。 そこに住み着いた諸部族は、帝国人の80%と同じ平凡な茶髪茶眼ながら、《水》で薄まったかのような淡色系の彩りも比較的に多い。 その中で、漆黒の目は、世界最大の山脈《地霊王の玉座》をはじめとする、東方《地の精霊》山系に連なる城砦(カスバ)――亀甲(キジ)系やオリクト系の流れを思わせる。

ハッとするほどの美少年と言って良い……不思議に、『シュクラの銀月』とうたわれた絶世の美姫と似通った、容貌。 淡い茶髪に、ひと房の……見事な銀髪が混ざっている。直系では無いにせよ、何らかの血縁関係があるのだろうと思われるくらいには似ている。

「老魔導士どのは名医ですな」

鷹匠ユーサーは、じっと観察した後。

「当分は、《人食鬼(グール)》裂傷を口実に、覆面ターバンで隠蔽すべきでしょう。オリクト系《地の精霊》の縁と祝福で、新しい御名を得て、黒眼に変わっただけですから。 東帝城砦から放たれた、族滅の任務を帯びた刺客(アサシン)を、また目撃いたしました。日焼けすると随分と印象が変わりますから、抜かりなく準備しておかれると良い」

「どこまで執念深いんだ、あの外道トルーラン将軍は……手掛かりとなる精霊宝物の腕輪(アームレット)は、侍従長タヴィス殿に託して手放してあるのに」

「各種資源の急速な減少や品質劣化が止まらぬ原因は、生存する王統男子の守護精霊の報復によるものである――と占いに出て、 しかと学習したゆえ、必死で、腕を長く長く伸ばしているのでしょう。 かの地は《精霊亀》生息域で、白文鳥の渡りもあり、《精霊魔法》資源が豊富でしたが、今や特産の絹や琵琶への古典彫刻くらいで、見る影も無いとか」

「資産を減らしてる訳か。方々の賄賂に用意するカネは、まだまだ残っているみたいだけど」

「帝国の財政部門からの許可も無く、勝手に経済封鎖を施し、いっそう強欲に搾取しているとのこと。帝都宮廷でも最大派閥に属する重鎮ですから、その政治生命を絶つには時間がかかりそうです」

色々と訳知りな鷹匠ユーサーの肩先で、相棒の白タカ・ノジュムが、皮肉っぽく、「ククク」という鳴き声を立てた。明らかに人の言葉を解している様子である。

鷹匠ユーサーの、慎重に声量を抑えた説明がつづく。

空気には、相変わらず不思議な緊張感が漂っていた……音声を、窓の外へ運ぶような空気の流れが無い。 《風の精霊》系の、不可視の精霊魔法による機密保持だ。《火の精霊》系の、火の粉による隠蔽よりも、ずっと、ひそやか。

「妹姫は、まだ瀕死状態で寝込んでおられます。とは言え、あくまでもオババ殿の占いの範囲ですが、10歳になる頃には寝台から出られる可能性が出てまいりましたそうです」

オローグ青年とオーラン少年は、少しの間……絶句して、顔を見合わせていた。

「……それなら、謎の呪病が解決しそうって事? 衰弱がひどすぎて面会謝絶って……白鷹騎士団のほうの《水鏡》でも見せてもらえなくて」

「予想以上に複雑な問題を含むとの事。場合によっては帝都の大神殿の協力を仰ぐ必要があります。 辺境の城砦(カスバ)には、そこまでの政治力はございませんし、問題が深刻化しない事を祈るのみですが。 とにかく、噂の『珍妙な霊魂』――あるいは、その霊魂が憑依している、奇妙な白文鳥《精霊鳥》と情報交換しませんと、分からない事ばかりです」

「あの白文鳥が、何か……重大な情報を持っていると? そう言えば、妹は白文鳥と――」

鷹匠ユーサーが素早く牽制をかけた。それ以上は喋らぬように――という風に、口元に指をあてて見せる。

「この件、刺客(アサシン)への対応以上に、言動には一層ご注意を。心して、オローグ青年、覆面オーラン少年として振る舞われますよう。 セルヴィン殿下にも、2人の名前を、折衷語のほうで呼びならわして頂きたく。目には見えませんが、今この瞬間にも、白文鳥に憑依していた『珍妙な霊魂』が、我々の会話を見聞きしている可能性があるのですから」

傍で、フラフラと、近くの椅子の背につかまりながらも……熱心に耳を傾けていた藁クズ少年セルヴィンが、唖然とした顔になった。血色の失せた頬(ほお)に、ほのかに赤みが差している。

「……居るの? この部屋に?」

「相棒の白タカ《精霊鳥》ノジュムの聞き取りによれば、いま現在は、このジャヌーブ砦の何処かへ外出中とのこと。なかなかのお転婆……いや、活動的で、好奇心旺盛な性質のようですね」

生真面目な鷹匠ユーサーの肩先で羽を休めている、成体の白タカ《精霊鳥》ノジュムの足元で。 フワフワ・モフモフとしていた、名無しの真っ白な白タカ《精霊鳥》ヒナは、初めて見るオーラン少年を、熱心に眺め始めていた……

…………

……そして、次の瞬間。

暮れなずむ夕空の下、怪物の咆哮が轟きわたった。

見る間に城壁のあちこちの篝火(かがりび)が渦を巻いてまばゆく立ち上がり、城壁に立つ見張りの戦士たちの大声が行き交う。

「来襲! 中型《人食鬼(グール)》来襲! 共連れ《蠕蟲(ワーム)》多数! 全軍、武器を取れ! 一体たりとも城壁の内に入れるな!」

「なんと! こんな時に!」

鷹匠ユーサーが顔色を変え、窓のほうへと身を返す。俊敏なオローグ青年とオーラン少年は、すでに格子窓へ駆け寄っていた。

格子窓を透かして、空模様を確かめる。

赤紫色から藍色に移り変わる、日没の刻の夕空。

ぎらつく黄金の、数多の……《三ツ首コウモリ》の群れが、ザアッと押し寄せて来ている!

『我が同僚が前哨戦にて迎撃中だ。こちらへ迷い込んで来る《三ツ首コウモリ》は、我に任せてくれたまえ』

白タカ《精霊鳥》ノジュムが、格子窓に設置されている白タカ用の出入り穴を抜けて、夕空へと舞い上がって行った。

次に、サボテン製の扉が、開いて閉じ……大慌てといった様子の老魔導士が、素っ裸で駆け込んで来た。行水の途中だったのは明らかだ。

「雨季が進んでいる。勢力増強する筈じゃよ! 大型《人食鬼(グール)》が出る前に、速やかに退魔調伏せねば。雷の精霊(ジン)ラエドを《魔導》してくれるわ!」

全裸の老魔導士フィーヴァーは、とるものもとりあえず、黄金インクを詰めた葦ペンと黄金色の《魔導札》を取り出し……老練な魔導士ならではの、それはそれは見事な筆致で、《魔導陣》を描き出して行った。

*****

夕闇おしせまる頃……例の、白文鳥にとっては廃墟と化している高灯籠にて。

『到着できる状況じゃ無いって? 白文鳥《精霊鳥》の身体が?』

霊魂アルジーはポカンとし、次に焦り始めた。

付き添っている《火の精霊》が、高灯籠の所定の位置に仕込まれている《火の精霊石》を座布団にしつつ、チラチラと揺らめいている。

『深刻といえば深刻だが、此処ジャヌーブ砦では、これが日常でな。《人食鬼(グール)》の群れが接近しつつある。この南方前線の異常氣象とも言うべき自然現象だ、あの方角を見よ』

促されてみると。

暮れなずむ岩山の群れの一角で、ぎらつく黄金の不吉な点々が、どよめいている。

不意に。《火の精霊》の篝火(かがりび)が揺らぐ。

――《人食鬼(グール)》発生に伴う空気の乱れが、アルジーの居る城壁まで到達した!

『雨季の展開に伴い前回より数が増加、中型《人食鬼(グール)》来襲! 大型の邪霊害獣の奇襲に警戒せよ!』

高位《火の精霊》の警告は、城壁という城壁に、瞬時に到達した。篝火(かがりび)を担当している《火の精霊》が一斉に呼応して、戦闘モードへと変じる。紅蓮の渦を巻いて高々と延び上がる、まばゆい火炎柱だ。

早くも、第一波、小型の邪霊害獣《三ツ首コウモリ》の群れが来襲した。

迎え撃つは、ジャヌーブ砦に常駐している白タカ《精霊鳥》と、《火吹きネコマタ》の群れである。

上空で、前哨戦が始まった。

戦闘モードとなって渦を巻く篝火(かがりび)という篝火(かがりび)から無数の火の玉が発射され、白タカ《精霊鳥》の白く輝く飛跡と、《火吹きネコマタ》の真紅に輝く飛跡が縦横する。

黄金にぎらつく邪霊害獣の群れと衝突するたびに、盛大な爆発音を轟かせて、色とりどりの火花となって弾けてゆく。さながら――この場合は緊急事態だが――あちこちで、打ち上げ花火が開いているような光景だ。

やがて《蠕蟲(ワーム)》が、城壁の下まで接近した。

明らかに形成途中の《人食鬼(グール)》である。未熟な、それでも忌まわしい異形の黄金の肉塊。異様に頭でっかちという風の、人類の頭蓋骨を異形となるまでに歪めたような……三ツ首が付いている。

意外に短い全身長――尾部まで含めて人体の上半身の比率に近い――《蠕虫(ワーム)》の体躯は、奇怪なトゲ付きの装甲に覆われていて、頑丈そうだ。

接近して来たのを城壁のうえから観察してみると、ぎらつく黄金色の禍々しい寸胴をした何かが、ドヨドヨと群れているという……生理的嫌悪感のあまり嘔吐しそうな光景である。

ポツポツと、数体ばかりと見える中型《人食鬼(グール)》は、やはり以前にも目撃したように、ずっと人類の姿形に近づいている。それでも不気味な三ツ首という点では変わりない。

白タカ《精霊鳥》が急降下し、《蠕虫(ワーム)》を次々に鋭い爪で引っかいては、上空へ舞い上がる。

そのたびに、《蠕虫(ワーム)》の血しぶきが、黄金から真紅へと色を変えながら飛び散った。不気味な黄金の肉塊に、真紅の色が広がってゆく。 真紅の肉塊となった箇所から、怪物の姿形の崩落が始まった……不活性かつ無害な熱砂へと変える、退魔調伏の過程が進行しているのだ。

成体に近づいた中型《人食鬼(グール)》は驚くばかり頑丈。再生能力が高く、火の玉の集中攻撃を受けても、なかなか崩落しない。 すでに数羽ほどの白タカ《精霊鳥》や数匹ほどの《火吹きネコマタ》が叩き落とされ、《根源の氣》へと変えられてしまっていた。

城壁全体がブルブル震動するレベルの、中型《人食鬼(グール)》の咆哮。

霊魂アルジーにとっては、物理的な身体に保護されていない無防備な霊魂そのものが、バラバラに吹き飛ぶレベルの衝撃だ。 白文鳥の卵の大きさ――ドリームキャッチャー護符の耳飾りの下にスッポリ隠れるサイズ――となるまでに霊魂を凝縮して、衝撃に備える。 《火の精霊》が素早く霊魂アルジーを取り囲み、その精霊エネルギーの結界の中に保護した。

いつしか、城壁に、強力な退魔能力のある火矢を構えた熟練の射手が並んでいた。城壁に装備されている、あの石落としの仕掛けも、準備万端である。

4人の長官とその副官が、担当領域を分けて、手際よく並べて仕掛けたものだ。

――そこには、中年バムシャード長官と、若手クムラン副官も居る……

「撃てぇ!」

その裂帛の号令と共に、数多の火矢がうなりを上げて、中型《人食鬼(グール)》の肉塊へ、深々と突き立っていった。

*****

一方、老魔導士フィーヴァーの詰めている、医療関係の区画。一応は安全区とされている厳重な区画である。

どうやって此処まで巨大化したのかというような、人体サイズを上回る体格の……象にも匹敵する大きさの《三ツ首ネズミ》が、その区画へと侵入を果たしていた。

ぎらつく黄金色をした邪霊害獣の一種《三ツ首ネズミ》は、石積みのわずかな隙間をすり抜けて走るという異能を持ち、その異能でもって忍び込んで来たのである。 白タカ《精霊鳥》ノジュムでさえ見つけられなかった――知能の高い、恐るべき個体だ。《三ツ首ネズミ》の群れの中で、大ボスというべき立ち位置と知れる。

区画を仕切る石畳の道が、戦場となっていた。邪霊害獣の、血の熱気と臭気が立ち込めている。

熟練の戦士ユーサーやオローグ青年の三日月刀(シャムシール)が放つ真紅の退魔の閃光で、 あちこちに裂傷を負い、動きが鈍くなっているものの……《三ツ首ネズミ》は、しつこく接近を繰り返して来ている。

不思議なことに、巨大化《三ツ首ネズミ》が飛び掛かろうとしているのは……常に、オーラン少年だ。

持ち前の身のこなしで、かわし続けて……、オーラン少年は次第に疲労がたまって来ていた。

――時に、間合いを見極められず。

オーラン少年のほうでは再びの邪霊による重傷を覚悟したものの。

何故か巨大化《三ツ首ネズミ》のカギ爪は、オーラン少年の肉に食い込まぬまま、不思議な金属音を立てて離れてゆく。

老魔導士フィーヴァーが《魔導》した雷のジン=ラエドは、目下、大型へと増強しかねない中型《人食鬼(グール)》を雷撃で全滅させるのに忙しく、雑魚に近い《三ツ首ネズミ》までは手が回らない。 城壁の外とは違って、居住区が密集する城壁内部の石畳の道のうえでは、思い切った雷撃ができないのも、要因だ。

ほどなくして……巨大化《三ツ首ネズミ》が襲撃中の、その区画へ、大斧槍(ハルバード)を持つ遊撃の戦士が現れた。雷のジン=ラエドに導かれた、虎ヒゲ戦士マジードだ。

黒髪オローグ青年が、必死で声を掛けた。

「何故ここに、虎ヒゲ・マジード殿! ……とにかく援護を頼む!」

虎ヒゲ戦士マジードは、砦の中では知る人ぞ知る有名人である。 雷のジン=ラエド退魔紋様が刻まれた武器を所有できる戦士は、かの帝国の始祖『雷霆刀の英雄』に近い者として名を挙げ、諸国の城砦(カスバ)宮廷のみならず帝都宮廷からも『雷霆刀の戦士』叙勲を賜り、 方々の王侯諸侯が「われらが護国将軍として来てくれないか」と熱望するほどの人材だ。

「これはデカブツでござるな。お任せを」

虎ヒゲ・マジードは、自慢の大斧槍(ハルバード)を振るった。

雷のジン=ラエド退魔紋様が鋭利な白金色に輝き、《三ツ首ネズミ》の頭部のひとつを豪快に斬り飛ばす。一般的な三日月刀(シャムシール)の《火の精霊》退魔紋様を上回る、凄まじい斬撃だ。

飛び散った黄金色の血液が退魔調伏されて真紅へと変色し、双頭となった《三ツ首ネズミ》は、激昂と苦悶の咆哮をあげた。手負いの獣そのものの危険な狂乱ぶりでもって、虎ヒゲ・マジードへと飛び掛かる。

大斧槍(ハルバード)の刃先が二つ目の首を捉えたが、人体サイズを上回る、その怪物ならではの激烈な突進を受けて、マジードは体勢を崩していた。もう一太刀を封じられた形だ。

「いかん!」

鷹匠ユーサーが、《火の精霊》退魔紋様を備えた短剣を、投げナイフさながらに放つ。

その短剣は、虎ヒゲ戦士マジードを切り裂こうとした《三ツ首ネズミ》片足に深々と刺さり、真紅色をしたヒビをつくった。

見事、腱の切断に成功していて、その片足は動かなくなっている。

ジワリと進む、まだるっこしい速度だが――黄金の肉塊が真紅の断片と変じて、最後には無害な熱砂へと崩落して色を失ってゆく、退魔調伏の過程が始まっていた。

虎ヒゲ・マジードが、脂汗を額に浮かべつつ、声を絞り出す。

「誰か……私の腰から黒の短剣を取れ! 私が、抑えられているうちに……! それで、この怪物の心臓を突け!」

反射的に動いたのは、オーラン少年だ。

――格子窓から心配そうに見つめていた真っ白フワフワ産毛の白タカ《精霊鳥》ヒナが、「アッ」と言わんばかりに、目を見張る。

覆面ターバンの少年兵が、虎ヒゲ・マジードの腰のものを取り、抜いた瞬間――その黒い柄をした短剣の退魔紋様のうえで、鋭利な白金色が輝いた。

次の一瞬。

雷のジン=ラエドが導いたかのように。オーラン少年は、《三ツ首ネズミ》の懐へと飛び込み、そこに位置する邪霊の心臓――急所を、正確に突いていたのだった。

……まばゆい白金色をした雷の精霊(ジン)ラエドの、退魔調伏の力が、《三ツ首ネズミ》の体内にあふれた。

鷹匠ユーサーと護衛オローグ青年、《魔導札》の繰り出しに一区切りついた老魔導士フィーヴァー、白タカ《精霊鳥》ヒナを抱えた『ヒョロリ殿下』ことセルヴィン少年が、息を呑んで見守っているうちに。

人体を上回るサイズに巨大化していた《三ツ首ネズミ》は……みるみるうちに形態を失い、無害な熱砂へと粉砕していったのだった!

*****

この宵の、ジャヌーブ砦の《人食鬼(グール)》討伐は、老魔導士フィーヴァーによる老練な雷のジン=ラエド《魔導》展開もあって、比較的に少ない犠牲で終結した。

特に、死人が出なかったのは大きい。動けなくなるほどの《人食鬼(グール)》裂傷を負った重傷者たちは医療区画へ運び込まれ、半年から1年ほど入院または通院治療の見込みである。

重傷者の回復がいつもより早いことから、何処からか『奇跡の特効薬』が入荷されたのでは――という推測もひっそりと流れていて、砦の中の空気は、久々に明るさと落ち着きを取り戻していた。

*****

反対に、いっそう困惑の渦の底へと叩き込まれたのは、オーラン少年であった。

目下、老魔導士フィーヴァーの研究室・私室と化している、医療区画の一室にて。

重傷患者として寝込んでいる――という設定のオーラン少年は、寝台でもピッタリくっついて離れない真っ白フワフワの白タカ《精霊鳥》ヒナを、あらためて、困惑の眼差しで眺めた。

何やら必死でラブコールしているらしい、という雰囲気だけは伝わるのだが……《精霊語》が理解できないオーラン少年は、要求されている内容に応じられないのだ。

セルヴィン少年とオローグ青年は、オーラン少年の困惑に同情していたが、老魔導士フィーヴァーと、鷹匠ユーサーは、生暖かい眼差しをしてニヤニヤしているのみである。

「これは本格的に《精霊語》特訓じゃのう、オーラン坊主よ。 鷹匠《精霊語》は高難度じゃが、王侯諸侯が学ぶ伝統祭祀用の簡易《精霊語》は駆使できているのじゃから、早晩コツをつかむじゃろう」

オーラン少年の手元には、黒い柄をした短剣がある。あの巨大化《三ツ首ネズミ》を退魔調伏した短剣だ。

虎ヒゲ・マジードが、オーラン少年の素質に感服して、年若い『雷霆刀の戦士』候補へと譲ったもの。

ちなみに現在、虎ヒゲ・マジードは、来襲《人食鬼(グール)》残党の討伐のため、既に最前線へと急ぎ駆け付けているところである……

…………

……程なくして、後。

留守番を務めていた代理《火の精霊》が先ほど告げたように、最高位の代表《火の精霊》――セルヴィン殿下の相棒――と、『珍妙な霊魂』ことアルジーが帰還した。

霊魂アルジーの姿は、世間一般の人類には見えない。『何かが居るのでは?』『空目・空耳かも?』というような、微妙な違和感でしか無い。

定位置『皇子セルヴィン』と銘打たれた『魔法のランプ』の口で、代表《火の精霊》が、ポポンと灯った。

部屋の中の人類全員の視線が、一斉に集中する。

早くも、老魔導士フィーヴァーが近寄って観察し始めた。

「霊魂の来訪者が、この辺に漂っておるのかのう」

即座に、《火の精霊》が、明らかに何かを喋っている、という風にチラチラと揺らぎ始めた。

『残念ながら先刻の《人食鬼(グール)》咆哮で想定外のダメージを食らったのでな、まともな幽霊として御身らの前に漂うのは難しいのだ。おまけに月齢が浅くて、エネルギー再充填が間に合っていない。 質問があれば問うが良い、我が霊魂から聞き取って回答しよう』

セルヴィンの相棒《火の精霊》の応答は、白タカ《精霊鳥》ノジュムが人類向けの《精霊語》に翻訳して伝え、鷹匠ユーサーが人類の言葉に翻訳して伝える形となった。

あらためて仰天し、好奇心いっぱいに眺める面々の中で。

老魔導士フィーヴァーが「ううむ」と、うなる。

「聞きたい事が山ほどあるが、最優先事項としては、千年モノ《精霊亀》甲羅の出どころかのう。他にもあるのか、あるとしたら、どれだけ在庫があるのか知りたいのじゃ。 それ次第で、ジャヌーブ砦における《人食鬼(グール)》戦線の状況が大きく変わる可能性がある」

同意、と言わんばかりに、《火の精霊》がパチリと弾けた。この反応は、人類のほうでも、何となく『同意しているのだろう』と感じられる部分がある。

『偉大なる《精霊亀》個体は、沿岸には定住していないゆえな。巨大ハマグリと共に、遠洋の浮島として、海の邪霊・怪物どもから航路を守護している。 沿岸で活動する《精霊亀》は皆、内陸の同族との出逢いを求める若い個体だ。この件、我もミステリーである。あぁ、銀月の、《鳥使い姫》呼称は便利だ。我ら《火の精霊》側でも、そう呼ばせて頂こう』

クルリ、と何かを振り返るように、《火の精霊》の炎の形がねじれる。

『――《鳥使い姫》よ、質問、良いか?』

そして。

少し間をおいて、白タカ《精霊鳥》ノジュムが意味深な鳴き声を繰り返す。鷹匠ユーサーが素早く頷いた。

「まだ《人食鬼(グール)》討伐の後始末がつづいていて、そちら方面の監視の目は、薄い状況。私が急いで《精霊亀》甲羅の残りを入手して来よう。 この『魔法のランプ』お借りして良いですか、セルヴィン殿下?」

藁クズ少年セルヴィンは、当惑顔のまま、コクリと頷いた。

このようにして――好奇心のカタマリとなった全員で、鷹匠ユーサーの後を付いてゆく形になったのだった。

*****

夕食の刻を過ぎて、夜空は深夜の色をたたえ始めた。数多の雲が流れ、その間で無数の星々が輝いている。

夜風は、その湿度の中に、昼日中の熱の名残を含んで暖かい。ほのかな海のにおい。

霊魂アルジーは相当に疲労困憊という状態であった。白文鳥《精霊鳥》の身に憑依していた時であれば、白毛ケサランパサランで出来たクッションの上で、グッタリとのびていただろう。

そんな訳でアルジーは、《火の精霊》に、おんぶしてもらっている形だ。白タカ《精霊鳥》ノジュムが時々、何かに気付いたようにチラリと鋭い視線を向けて来るから、そのたびにギョッとする。

やがて、白タカ《精霊鳥》ノジュムが、呆れたようにブツブツ呟いた。

『……相当に「福笑い」状態だな、《鳥使い姫》、銀月の』

咄嗟に反応したのは鷹匠ユーサーだ。驚きのあまり《精霊語》では無く人類の言葉で問い返す。

「ノジュム。霊魂は人類のものの筈だが、人類の相を反映してないのか?」

『一応、異形の相では無いが。《火の精霊》エネルギー補充の影響で、ネコミミが出ているのだ。寝不足で虚無の表情になったスナギツネ面でな』

「ネコミミが出ている? 寝不足で虚無の表情になったスナギツネ?」

鷹匠ユーサーの持つ『魔法のランプ』の口で、《火の精霊》がブツブツと反論した。

『贅沢を言うな。我も、相棒セルヴィンの守護で常時エネルギー欠乏状態なのだ。銀月の再現は高難度。 老魔導士が再現しようとしている「胡乱なヤロウ」こと「ニセ銀月」など、我ら精霊(ジン)の技量をもってすれば屁でも無い。ポンコツ《鳥使い姫》でさえ、鳥体の解除前の微量エネルギーのみで幻影を出せた』

『ほう。《魔導》カラクリ人形の件か。シュクラ産の銀糸のお蔭か、意外に適合したようだな』

『緊急時は、アレで良いかも知れん。手っ取り早く近くにあって動かせることは判明したゆえな。 しかし、かの銀月の再現《逆しまの石の女》彫刻、どれほど高度な精霊魔法が必要だったか……世界最高峰の山脈《地霊王の玉座》なみの重厚長大な内容になるニャ』

精霊(ジン)同士のディープなやり取りは、人類の側には伝わらない。

だが、鷹匠ユーサーのオウム返しのお蔭で、「寝不足で虚無の表情になったスナギツネ面、ネコミミ付き」という抱腹絶倒な人相書イメージが、同行者の脳内に出来上がったのは、言うまでも無い。

――程なくして、目的の高灯籠のある城壁へ到着である。

早速、ピンと来たのは……黒髪の若い護衛オローグ青年だ。

「あの異例の《人食鬼(グール)》が出現していた場所に近いです。白文鳥《精霊鳥》が出現したのも、確か、この高灯籠だったかと」

「何と! 史上最高の天才魔導士たるワシにして、盲点じゃった! 昔は、このジャヌーブ砦にも白文鳥《精霊鳥》の渡りがあったのじゃよ。 砦に詰めていた初代《鳥使い》が、鳥の巣を用意するために備えた高灯籠だったのじゃろう」

次の瞬間。

高灯籠を挟んだ向こう側で、松明を持つ人影が動いた。

「む……誰だ!」

護衛オローグ青年が、その職務に忠実に、三日月刀(シャムシール)を素早く構える。

人影は、サッと両手を上げて、敵意が無いことを示した。

「やだな、怪しいもんじゃ無いよ、ご同輩。これ《火の精霊》の松明だし」

松明に照らされた人相を、よく見ると――確かに、アルジーも見たことのある人相だ。

帝国人の80%と同じ、平凡な茶髪茶眼。親しみやすい陽気さを感じさせる人相。軽口をたたいているが、キビキビとした所作は、オローグ青年と同じ熟練の戦士のもの。

誰だったかな、とアルジーが考えている間にも。

黒髪オローグ青年が唖然とした様子で、三日月刀(シャムシール)の刃先を下げ……その人物の名を口にした。

「クムラン殿。何故ここに?」

「相変わらずクソ真面目だな、友よ。順調に躍進中の王侯諸侯、オリクト侯フォルーズ殿の側近として、 帝都の宮廷社交でアレコレ活躍してる筈じゃ無かったのか、《人食鬼(グール)》戦線まで飛ばされた俺とは違って、ロ……」

「そこでストップ!」

「何だ、急に」

「訳あって、名前の発音流儀を変えてるんだ。『オローグ』で通ってるから、その呼称で」

「ほう。弟君が、族滅の任務を帯びた刺客(アサシン)の標的ゆえか。しょっちゅう名前を変えたところで、所作や人相が変わらないんじゃ逃げ切れんだろう、 その辺の酒姫(サーキイ)より上等な素顔だし。今日も其のスジの刺客(アサシン)がうろついてたぞ、副官の権限で職務質問かけて、『錠前破り』容疑で牢につないでおいたが」

「何故に『錠前破り』容疑?」

「午後の後半ごろかな、ラーザム財務官の死体の防護処理の儀式の際に、そこの裏で『錠前破り』騒ぎが、『2回』あったんだよ。 舞い戻った犯人よろしく例の刺客(アサシン)がゴソゴソしてたからな、1回目の時に何か盗みそこねたんじゃないかね」

老魔導士フィーヴァーが、ずい、と立ち入った。

「長くなる話は後にしてくれ、若いの、重要な情報が混ざっているようじゃが。ユーサー殿、この高灯籠で間違いないのか」

鷹匠ユーサーは、既に高灯籠へ登っていた。てっぺんの空間を『魔法のランプ』で照らし、アルジーの荷物袋を発見済みである。

無言で頷き、手際よく取り出す。

藁クズまみれの、頑丈なだけが取り柄の、市場(バザール)の底辺労働者たちが日常的に使い回す類の……荷物袋を。

クムラン副官が呆れ、ついで面白がるような表情になった。

「なんだ、その……ボロい……二束三文なゴミ袋は? お宝でも入ってるのか?」

覆面ターバン姿のオーラン少年と、藁クズ少年セルヴィン皇子は無言のまま……クムラン副官と似たような目つきになった。クムラン副官の言葉と同じ内容を考えていたのは、明らかだ。

「急ぎ引き返します。オローグ殿とクムラン殿は、積もる話があれば、その辺で続けていてください」

「こんな面白そうなミステリーを前にして、ご存知の人物が依頼金をケチり出したせいで劣化が止まらん退屈な刺客(アサシン)の現況を話してろと? ご冗談でしょ、白鷹騎士団の鷹匠どの」

黒髪オローグ青年が、不思議そうに口を挟んだ。

「そう言えば、クムラン殿は、何故ここに? バムシャード長官の補助は?」

「夕食の刻で終わり。今は、趣味の謎解きでね。気付いてるか、明日あたり待望の雨が降るぞ。聖火礼拝堂で、神官たちによる《水の精霊》の召喚が始まってる。 退魔調伏の雨にしてもらって、交易路から邪霊という邪霊を排除する……当分、骨休めできるからな」

「雨――そう言えば、雨のにおいが随分と濃くなった。謎解きって、何の謎だ?」

「ラーザム財務官の死亡現場を取り巻く謎だ。『白い絨毯のような未確認飛行物体』怪談を聞いてるだろ、オローグ殿。 それが本物の絨毯だったとすると、落下地点が、ちょうどラーザム財務官の死亡現場の辺りなんだ。あとは死体を掘り出していた時の怪談だが、詳細は……そうだな、 この面白そうなミステリーに俺も入れてくれれば、話そうかな」

老魔導士の、鳶色(とびいろ)の目がギラリと光った。誰よりも立派なお眉の下で。

「つくづく食えない奴じゃのう、クムラン君。その地獄耳の『鬼耳』で、何か聞き付けたと見ゆる。まぁ良い、機密を守れるなら共に来たれ。 ただし暗殺教団の類と化せば、この人類史上最高の天才魔導士たるワシの腕にかけて、地獄の底までも追い詰めてくれる。心しておくが良い」

クムラン副官は、その一瞬だけ息を呑み、真剣な眼差しになって……驚くほど整った、宮廷仕込みの一礼をした。

松明の中で見えた、クムラン副官の耳は……老魔導士の指摘どおり、『鬼耳族』子孫のものだった。

*****

半分以上が寝静まった、夜更けの刻にもかかわらず。

老魔導士フィーヴァーに割り当てられた一角の、その談話室は、照明が灯りつづけていた。

「驚異のゴミ袋……シツレイ、福袋じゃないですか」

呆然とした顔のクムラン副官を、オローグ青年が、ビックリした様子で眺めている。

熟練の調査官としての経験のある鷹匠ユーサーと老魔導士フィーヴァーの手によって、アルジーの荷物袋は、ポケットひとつひとつに至るまで裏返されているところだ。

虹色にきらめく六角形の薄片は、両手に一杯ほど。それでも、帝国全土の需要を、10年ほどは支えられる量だ。

「千年モノ《精霊亀》甲羅の薄片が、これ程あったとは! よほど気前の良い、親切な千年超え《精霊亀》個体だったのかのう」

「特効薬の商店街ができますぜ、これ。一生遊んで暮らせるし、帝都大市場(グランド・バザール)とかで流したら間違いなく値崩れが起きますけど、どうするんです? 闇市場、ぶったたくんですか?」

クムラン副官の突っ込みを受けて、鷹匠ユーサーと老魔導士フィーヴァーは、少しの間、無言で視線を交わした。

「予定は未定じゃ。《精霊亀》甲羅の在庫状況を確認したかっただけじゃからの。しかし、《人食鬼(グール)》異常発生源となっているであろう地下神殿を一掃して、なお生還できる可能性が出て来た。 リスクは大きいが、帝国の建国以来の頭痛の種が、この夏、ひとつ消えるかも知れん。皇帝陛下(シャーハンシャー)の決断次第じゃが」

クムラン副官は絶句し……生唾を呑んでいる。急に国運を懸けた大勝負の話になって、さすがに頭の整理が追い付かない様子だ。

老魔導士は、ヒョイヒョイと、生活雑貨を取り出し。

「この袋の持ち主、間違いなく若い女性じゃの。持ち運び用の裁縫道具セット。繰り返し質流れ市場(バザール)モノ髪櫛が3種。元は定評のある老舗の品ゆえ、掘り出し物じゃな。 買換えの余裕が無いせいじゃろう、長持ちするように丁寧に扱って……数日も経っておらん新鮮な髪オイルの香りが残っとるな」

医師・薬師としての博識でもって、老魔導士フィーヴァーは、瞬時にオイル種類と香り成分を見分けたのだった。

「定番の無香オイルに自家製の調香ハーブを加えとる。《虹如星》と《瑠璃香》。体調が崩れやすい性質じゃったか? 香調は……意外にサボテンリリー系かの。 クジャクサボテン近縁種の。ジャスミン系やダマスクローズ系と比べると華に欠けるうえに弱香性で、女性の間では番外になりがちな選択……そうか、製造工程が違う。 白文鳥《精霊鳥》が平気な類じゃ。髪留め、数が多い。腰の下まであるような長い髪じゃったかの」

アルジーの荷物袋を引き続き確認し、老魔導士フィーヴァーは首を傾げ始めた。

「生前、どうやって生計を立てていたのかのう。《精霊亀》と付き合うなら、琵琶は必須の仕事道具の筈じゃが。 神殿の定番の魔除け紅白『退魔調伏』御札5枚。未使用の青毛玉ケサランパサラン2個。公衆浴場で行水する予定でもあったのか? 墓場の定番の草木の種の入った袋。墓掘り園丁か?」

霊魂アルジーは、微妙な気持ちになって、小さくなるばかりだ。

いずれにしても魔訶不思議な制約が掛かっていて、『シュクラ第一王女アリージュ姫』であると名乗れない状態だ。

民間の代筆屋アルジー(性別詐称・男)としての人生も、名乗りの制約の範囲に含まれていて、つらつら語るという事は、できない。

いずれにしても人類への伝達は、《青衣の霊媒師》オババ殿のみに限定されている。

古代の伝統に忠実な、老練な霊媒師オババ殿が、精霊界の制約の存在を無視して、方々へ明らかにするとは思えない。まして、オババ殿も、アルジーと同じ亡霊だ。

鷹匠ユーサーはビックリするくらい感覚が良くて、間違いなく霊媒師や《鳥使い》に近い。伝達の制約は大きいけど、こんな状況の中では、鷹匠ユーサーと早く知り合えて良かった……と、シミジミしてしまう。

――荷物袋が膨らんで変形するほどに詰め込んでいた『紅白の御札』は、此処に来る前、城壁の桑林に現れた巨大化《人食鬼(グール)》への対応で、ほぼ使い果たしてしまった。

やがて……鷹匠ユーサーが、生命線である仕事道具や財布などを収めるための、隠しポケットの存在に気付いた。

「使い込まれた筆セット一式がありますね。交換用のペン先。ペン先を削るための小型ナイフ……試供品のビンに入った紅緋色のインク。 おおむね神殿の御札の代理作成でしょうか。《鳥使い》は、《精霊文字》御札の作成が可能ですから。黄金の《魔導札》には触っていないようですね」

「成る程のう。ふむ? この記入済みの灰色の御札、5枚すべて『罰当たりなヤツに悪夢を見せて眠れなくする』じゃな。こりゃ自作の御札じゃ。怨念を仕込む筆致も含めて、非常に上手にできておるぞよ。 聖火祠に結ぶ場合は、婚姻関係にある伴侶を呪う時にやる。婚姻関係に無い対象を狙う場合は、標的の食事に混ぜて、呪う」

老魔導士フィーヴァーは、覆面オーラン少年を振り返った。

「珍妙な霊魂、確か成人前後の姫君のような……と言っておったな、オーラン君」

覆面オーラン少年は、疑問いっぱいで沈黙したまま、コックリと頷く。

藁クズ少年セルヴィンは体力の限界が来ていて、覆面オーラン少年の後ろの寝台で横になっているところだ。だが、紗幕(カーテン)は開かれていて、興味津々で耳を傾けている様子が伝わって来る。

老魔導士のモッサァ白ヒゲが、一層モッサァとなる。

「ハーレム風習の有る地域と無い地域とでは、女性の成人年齢が異なるのじゃよ。ハーレムにおいては、女性の成人年齢を16歳から17歳とする。 古代、邪霊の影響の強すぎたハーレムでは、7歳からハーレム輿入れおよび初夜も可能な成人年齢とする、という条例がまだ残っておる。 オーラン坊主の出身の城砦(カスバ)は、ハーレム風習は無い。霊魂となった年齢、すなわち死亡年齢は、18歳から19歳あたりか。そこから逆算すると……」

ブツブツと呟きつづける、老魔導士である。

「御札の《精霊文字》を読み書きできる程度の教養……没落した王侯諸侯あたりの姫かの。16歳か17歳の頃に婚礼の儀をおこない、その後、1年か2年ほどで死亡。 結婚手当の支給ゼロ、日銭稼ぎの底辺労働者の生活に追い込まれたと見ゆる。くわえて定番の御札は、おしなべて低コスト大量作成の労働を要求しがちじゃ。 花嫁の、王侯諸侯としての名誉称号や遺産はハーレム夫へ行くから、地位と財産狙いのスジじゃろう。幸せな結婚では無かったようじゃな」

何やら盛大な疑問点でもあったのか、鷹匠ユーサーと白タカ・ノジュムが、真剣な顔で『魔法のランプ』近く、アルジーがフワフワしている辺りを見つめている。

セルヴィン皇子の相棒《火の精霊》がアルジーを振り返り、『そうなのか?』と、ユラユラと疑問符を形作った。人類の側にも意味がハッキリ分かる――首を傾げるような格好の、形だ。

――相棒の白文鳥《精霊鳥》パルは、そこまでは説明していなかった様子だ。

目下の《怪物王ジャバ》生贄に伴う諸般事情や、白孔雀の羽ペンを取り戻すための『アル・アーラーフ探索』問題に比べれば、アルジーの結婚生活が如何なるものであったか――など、些細なシロモノでしかない。

アルジーは改めて、御曹司トルジンとの結婚生活(?)を振り返り。老魔導士フィーヴァーの推理が、みごと的中しているという事実に、驚くばかりだ。

『ぜんぶ合ってる』

霊魂アルジーが、あっさりと肯定した、という気配は、すぐに白タカ・ノジュムと、覆面オーラン少年のターバンに腰を据えていた白タカ《精霊鳥》ヒナに伝わったようだ。

そして鷹匠ユーサーが、奇妙に平板な声音で、伝達したのだった。

「老魔導士どの。《鳥使い姫》の回答によれば、その見立て、すべて合っているとの事です」

少しの間、微妙な沈黙が横たわった。

遠慮の無い軽口をたたくクムラン副官でさえ、無言で苦笑いを浮かべるにとどめている。

ハーレム風習の多い帝国全土では、よく聞く話ではあるが……

「霊魂が、積み重なる怨念ゆえに成仏しないのも納得できるのう。帝国の法律では、この事例を犯罪としておらんから、微妙なところじゃが。 第一皇女サフランドット姫も後宮ハーレム風習で苦労しとるから、姫が実権を握れば何らかの変化はあるかも知れんな。 定番の御札の作成コスト問題は、近いうち何とかできる見込みじゃ。大神殿の学究所で、大量印刷の機械を研究開発中でな」

老魔導士フィーヴァーは、モッサァ白ヒゲを今一度しごき、「ふむ」と、ひとつ頷いた。

「いずれにせよ霊魂は、白文鳥《精霊鳥》を手先として使っている。ジャヌーブ砦の初代《鳥使い》が管理した高灯籠もな。 鷹匠ユーサー殿が最初に述べたように、《鳥使い姫》呼称が適切じゃ。御名が分からんのじゃから、致し方ない」

虹色にきらめく貴重な千年モノ《精霊亀》甲羅は、一旦、持ち運び用の黒ダイヤモンド貴重品箱に収められた。後ほど、黒ダイヤモンド鍵の貴重薬品倉庫に、機密保管される予定である。

「今のところ、昔の代々の砦の《鳥使い》が、この近くの南洋沿岸に漂着した《精霊亀》甲羅を拾って、少しずつ溜め込んでいたと想像するのみじゃよ。 昔から、この辺り一帯は《人食鬼(グール)》が大量発生する戦場じゃし、《鳥使い》は感覚が鋭敏で、南洋沿岸でも、色々と妙な漂着物を見付けて拾って来たと聞く。 ドリームキャッチャー細工に使う飾り羽や、定番の御札を選ぶ作業で、身に着けて来た感覚じゃろうがな」

やがて、クムラン副官が首を傾げながらも、ツッコミを再開した。

「神殿や礼拝堂で特別な供養をすれば、成仏するって聞いてますけど。やります? その《鳥使い姫》に」

「先方の希望しだいじゃよ。祭祀伝統を正しく守って来たところの守護精霊は、たいてい強大なのじゃ。まして古い王統を継ぐ高貴なる第一王女だった場合は、面倒どころの騒ぎでは無い。 現に、こうして物理的に荷物袋が出現しているのじゃ。白文鳥《精霊鳥》の件と言い、千年モノ《精霊亀》甲羅が出て来た件と言い、普通の怪談に収まるシロモノでは無いわ」

一区切りついた老魔導士フィーヴァーは、すこぶる疲れが出た様子だ。

老魔導士は、談話クッションにドッカリと腰を下ろし……大きな溜息をついた。その盛大な呼気は、モッサァ白ヒゲを、更にモッサァと繰り広げていたのだった。

クムラン副官は、戸惑った顔でオローグ青年を見やる。オローグ青年は、肩をすくめて応じるばかりだ。

後方に退(ひ)いている覆面オーラン少年と『ヒョロリ殿下』ことセルヴィン少年は、そんな様子を見守るのみである。

鷹匠ユーサーは少しの間、思案顔をして……やがて、ゆっくりとアルジーの居る方向へ、眼差しを向けて来た。肩に止まっている相棒の白タカ・ノジュムが適宜、伝えているのか、正確に見定めて来る。

「では、《鳥使い姫》。白タカ・ノジュムが聞き取ったところ、ラーザム財務官の死亡事件を調べているとの事でしたが」

部屋じゅうの視線が、バッと『魔法のランプ』のあたりに集まったのは、言うまでもない。

応答したのは、訳知りな《火の精霊》だ。

『人類ラーザム死亡事件の全容解明は早急に必要だ、鷹匠どの。時を同じくして、《邪霊使い》による《人食鬼(グール)》召喚があったのを無視してはならぬ。 赤毛酔っ払い男バシールがキメていた大麻(ハシシ)は、《邪霊使い》御用達のブツである。ラーザム死亡事件と《人食鬼(グール)》召喚事件との間に、関連は濃厚である』

応答は白タカ・ノジュムが中継し、鷹匠ユーサーがさらに翻訳する形だ。オウム返しで。

『目下《鳥使い姫》は、ラーザム死亡現場の「石落とし」仕掛けを、人類の目で再確認したいと言っている。今宵は《人食鬼(グール)》残余の成分でゴタゴタしているゆえ、これ以上、外をうろつくのは難しい。 可能ならば、退魔調伏の雨が降る明日、現場の再調査に協力願いたい』

老魔導士フィーヴァー、クムラン副官とオローグ青年、覆面オーラン少年と藁クズ少年セルヴィンは、驚愕のあまり無言で耳を傾けるのみだ。

やがて、クムラン副官が感嘆の呟きを洩らした。

「タフジン大調査官の総力戦チームより、はるか先を行ってんじゃないですか。こっちは、かろうじて《人食鬼(グール)》の異例出現パターンから《邪霊使い》関与の可能性を弾き出した程度ですよ」

黒髪オローグ青年が、思い当たる事があったのか、口元に手を当てて思案顔になる。そこへクムラン副官がクルリと振り返って、早口で続けた。

「南洋物産の交易商バシールの、奇妙な大麻(ハシシ)騒動は聞いたか、オローグ殿? タフジン大調査官が緊急に入手経路の調査の指令を出して、朝の連絡事項で、ついでに入れたヤツだが」

「よくある商人の裏稼業だろうという印象だったな。港町の酒場や娼館で、たびたび裏稼業の大麻(ハシシ)が摘発されている」

「だよなあ。老魔導士どの、我らがジャヌーブ砦の裏の常識なんですが、南洋諸民族は部族ごとの刺青(タトゥー)の伝統がある。 施術の時の痛み軽減のため、祭祀伝統と医療の特例で許可された分の大麻(ハシシ)を使ってるんです。それを裏に回して高値転売したり、砦のほうへ横流ししたりするんですよ、たいてい」

「そっちの大麻(ハシシ)汚染の一斉摘発は、虎ヒゲ・タフジン君なら上手にやってくれる筈じゃ。帝都でも大した剛腕ぶりじゃったからな」

老魔導士フィーヴァーは談話クッションに座り直しながら、盛んに白ヒゲをモサモサさせた。

「――《邪霊使い》御用達の大麻(ハシシ)は、ワシが当たらねばならんな。暗殺教団の奥義じゃ。 《火霊王》崇拝の大神殿にとっては発足の前からの不倶戴天の敵じゃった、《炎冠星》崇拝の大神殿――暗殺教団と化しておった――若い頃、隠密の神殿調査官として潜入して、色々と学んだのじゃが。 《人食鬼(グール)》裂傷の事例を山ほど見て、《魔導》治療法をいっそう究めるに充分なデータも得たが。あれこそ邪悪の極みというものじゃな」

何でも無いようにサラッと述べているが。

――自称「人類史上最高の天才魔導士」とかますのも納得の、すさまじい武勇伝ではないか。

霊魂アルジーは、ポカンとするのみだ。

「いまは亡き前々・魔導大臣ボゾルグメフル猊下の大徳ある指令により、暗殺教団《炎冠星》は、徹底的に解体された。 そこで伝承されていた、古代カビーカジュ著『魔導書』の数々は、我らが大神殿が没収して『黒ダイヤモンド書庫』に収めた。 医療《魔導》は、ワシも含めて大神殿の医療関係者なら閲覧可じゃが、邪悪な奥義のほうは『禁書』扱いじゃ」

「でしょうねえ。方々の、《炎冠星》後継を自負する暗殺教団から派遣されて来た魔導士クズレや霊媒師クズレが、まっとうな魔導士や霊媒師のふりをして、 ワラワラと『黒ダイヤモンド書庫』のヤバイ禁書庫に入り込もうとしてるってのは、有名な噂ですよ」

「閲覧できるのは、魔導大臣と数名の大魔導士のみじゃ。皇帝陛下(シャーハンシャー)と言えども、特別な訓練と試験に合格しなければ、表紙すら見せる訳にはいかん。 『邪声をあげる怪物の顔をした異形のレリーフが、書物の表紙に浮き上がって来る』怪談のアレは、真実じゃよ」

しばし、老魔導士は脳内の整理をしていた様子だ。そして。

「クムラン君、先刻、何やら、ラーザム事件にまつわる怪談の謎を追っているとか言っていたな。『白い絨毯のような未確認飛行物体』が、ちょうど事件現場に落下した可能性があると。何を聞き付けたんじゃ?」

「見張り塔の衛兵たちへの聞き込みですよ。位置と速度を割り出せれば、あとは単純な軌道計算ですからね、ズレは出ますが。 あの日、その『未確認飛行物体』は、バルコニーの近くで、斜めに自由落下していた。自由落下コースだった場合、落下地点が、ちょうどラーザム死亡現場を通る城壁の道。何か関係あるかなーって程度ですけど」

「ふうむ。白い絨毯のようなものは、見つかったのか?」

「影も形もありませんでした。だから怪談になったという訳で」

「ラーザム財務官の死体を掘り出していた時にも、何やら怪談めいた出来事があったそうじゃな?」

「白文鳥が2羽、ラーザムの死体の傍から出てきました。1羽は飛ぶのが下手で、あちこち、ぶつかっていたとか。瓦礫撤去の際の癒(いや)しになった程度ですが」

老魔導士フィーヴァーが、ガバッと起き上がった。

「その白文鳥は、事件現場で、何してたんじゃ?」

「不明です。2羽とも、しばらくラーザム財務官の死体の周りをウロウロした後、飛び去りました。俺の見るところ、飛び去った先の方角で、異例な《人食鬼(グール)》がオーラン君を襲ってますね。 翌々日、夜が明けて間もなく、1羽が、あの高灯籠へ向かって飛んでいたのを、ラーザム死亡現場の警備をしていた部下が目撃しました。 暇になったら、あのあたりの一角を調べてみようと思ってたんですよ。普段から人通りが無い場所で、なかなかのミステリーでしたから」

老魔導士フィーヴァーが、唖然と口を開けていた。珍しい光景らしく、覆面オーラン少年と藁クズ少年セルヴィン殿下が、注目している。

鷹匠ユーサーと白タカ・ノジュムが、マジマジと、アルジーのほうを見て来ていた。

――魔法のランプの口で、《火の精霊》がポポンと踊る。アルジーは一層、小さくなるばかりだ。

『そなたらの《鳥使い姫》は、間違いなく、この世で最強のトラブル吸引魔法の壺を所有している。我は確信したぞ』

その表現がウケたのか、覆面オーラン少年のターバンのてっぺんで、白タカ《精霊鳥》ヒナがピョコピョコと反応した。

『くだんの「未確認飛行物体」が、空飛ぶ魔法の白い絨毯だ。人類《鳥使い姫》を此処まで運んで来た精霊魔法である。 人類クムランが言う通り、確かにラーザム死亡現場を通る城壁の道に落下した。そして、転がっていって、部屋の中に突っ込んだ。そこで、生前のラーザム財務官と共に、石崩れに巻き込まれたのである』

さっそく翻訳してもらっていたクムラン副官が、思わず、と言った様子で驚愕の声を上げた。

「あの石崩れに巻き込まれて、無事だったのか? 白い絨毯は――物理的に人体を運んでたのか。絨毯と、その……ハーレム妻として早死にしたという姫の人体は、何処へ行ったんだ?」

『二度も霊魂が抜けたのを、普通は無事とは言わん。だから、ポンコツ霊魂として漂っているのだ。《鳥使い姫》人体は、ラーザム財務官の身体よりもメチャクチャになって葬式用にさえ使えない状態ゆえ、 守護精霊の一族が絨毯にくるんで三途の川へ運び、《精霊亀》の協力を得て、邪霊害獣にたかられないように管理していると聞いている』

……白タカ《精霊鳥》ノジュムが、天を仰ぐような恰好になったのは、きっと見間違いでは無い……

相当にディープな《精霊語》が混ざっているため、少し翻訳に時間をかけて。

人類の側で、だいたいの概要をつかんだ後。

平凡な茶髪茶眼をした若者は、戸惑い気味に、ボソッと言葉を掛けてきた。

「この場合、ご愁傷様というべきなんですかね」

セルヴィン皇子の相棒の《火の精霊》は、意外にクムラン副官が気に入った様子で、ノリノリで火花を散らしている。

『正確に理解するのは難しいが、その辺りは守護精霊に任せておけば良い。ラーザム殺害犯は、このポンコツ霊魂の人体のオーバーキル犯でもあるゆえ、キリキリ、シメてくれる。 その点で我々は協力できる筈である、違わないか?』

白タカ《精霊鳥》ノジュムと鷹匠ユーサーを挟んだ翻訳ではあるが、かなり正確なニュアンスで翻訳された。

クムラン副官が苦笑いして応じる。

「朝食が済む頃に、あの現場の見張り交代があります。準備ができ次第、ご案内に参りますよ」

ゆっくりと談話クッションから立ち上がりつつ、クムラン副官は、何やら思いついた様子で、荷物袋のほうを眺めた。

「灰色の御札、『罰当たりなヤツに悪夢を見せて眠れなくする』って云うの、もらえますかね? ちょっくら試してみたいんですよ、ホントに効果があるのか」

「おい、クムラン殿。何かヘンなこと考えてないか? 誰を呪うんだ?」

「俺はいつでも至極まともだよ、オローグ殿。今日拘束したばかりの、例の刺客(アサシン)に食わせてみようかと思ってるんだ。 汎用の黄金《魔導札》持ってたんでね、《詠唱》や《魔導陣》の心得がある可能性を考えて、没収したんだが、目的が曖昧でな。 何をしようとしていたのか、なかなか口を割らん。悪夢を見せて不眠症にしてみるってのは意外にイケそうな気がする」

「立ち会ってみるだけのことはありそうだな……灰色の御札、もらえますか?」

――勿論。ぜんぶ、持って行って良いよ。

アルジーのほうでは、もう使う機会は無いだろうし。

そんな訳で。

クムラン副官と黒髪オローグ青年、それに御札の効果に興味があるという事で、鷹匠ユーサーと老魔導士フィーヴァーも加わって、 くだんの刺客(アサシン)を拘束したという牢へと、向かって行ったのだった。

■06■雨がふる 角部屋の事件の謎を追う

翌日の早朝。

分厚い雨雲が一帯を覆い尽くし、断続的な驟雨が始まっていた。

雨雲の濃度ごとに、雨脚は気まぐれに強弱を繰り返し……少しの間、フッと晴れ上がったりする。

――《水の精霊》が宿る雨は、薄明の中、あるかなきかの、かすかな青い光をまとっている。

故郷シュクラでは、お馴染みだった青さだ。元シュクラ第一王女アリージュ姫だったアルジーは、懐かしい思いで窓際に陣取り、幾何学格子窓の外に広がる光景に見入ったのだった。

この光景は、本来の人体の大きさで満喫するに限る。

そして、ふと視線を感じて、クルリと振り返る。

夜を徹した《精霊語》特訓で寝不足になった藁クズ少年セルヴィン皇子と、覆面ターバン少年オーランが、目を丸くして……アルジーの立ち位置に焦点を合わせて来ていた。 一方で、《精霊語》教師を務めていた白タカ《精霊鳥》ヒナは、訳知り顔だ。

『霊魂、見えてる?』

思わず目をパチクリさせるアルジー。

つい先ほど、白タカ《精霊鳥》ヒナと、《火の精霊》から学んだばかりの簡単な《精霊語》――および薔薇輝石(ロードナイト)の目に伴う感覚を通じて、2人の少年は意味を理解した様子だ。 2人そろって、コックリと首肯を返して来た。

横にあった『魔法のランプ』の口で、ポンと《火の精霊》が灯った。

『まさしく、その通りであるぞ《鳥使い姫》よ。我も失念していたが、《水の精霊》宿る雨が、普通の人類にも見える、投影用の銀幕になっているのである。 人体の生命力ほぼ枯渇ゆえ、我ら一族で、まともな人体の幽霊に見えるよう、増量を頑張ったのだが……』

「ネコミミ付スナギツネしてる……寝不足の……」

「半透明……姫ベール装飾が、ネコミミ……」

――今までの、ゴロツキ邪霊《骸骨剣士》などという形容よりは、はるかにマシである。明らかに。

身に着けている衣装は《鳥使い》の装束だ。男女共用型の広幅ズボンと、膝下丈の長衣(カフタン)。簡素な白地だが、優雅に垂れて広がる袖は、羽翼紋様に彩られている。 故郷シュクラ地域では見かけない都会的な意匠。帝都に近くて裕福な、どこかの城砦(カスバ)から霊的に取り寄せて来たと思われる。

体型は、元々の《骸骨剣士》さながらのものに多少の(多量の?)肉を盛った状態で、ギリギリ痩身の女性と見えなくもない。サッシュベルトが女性ならではの高い位置で締めてある。

目の前に居るのは、末席とは言え帝国皇族の皇子と、その従者を務める少年だ。どこかの城砦(カスバ)の、王侯諸侯の係累の。

敬意を表して、恩師オババ殿から叩き込まれた成果――宮廷社交における王侯諸侯の姫君としての一礼を、なめらかに披露するアリージュ姫=アルジーであった。

同時に、サボテン製の扉が開いて閉じた。

入室して来た4人の老若の男、すなわち老魔導士フィーヴァー、鷹匠ユーサー、護衛の黒髪オローグ青年、クムラン副官が、同じようにギョッとして、アルジーの立ち位置に焦点を合わせて来たのだった。

察しの良いクムラン副官が突っ込む。

「こりゃあ、《火の精霊》御使いの《火吹きネコマタ》の流儀でカバーしてますね。息も絶え絶えなのが化けて出る怪談で聞いてますよ、ネコミミ幽霊」

知識のある老魔導士フィーヴァーと鷹匠ユーサーは、すぐに合点が行った様子である。

「なるほど、この雨の《水の精霊》余波で、霊魂が投影されたという訳じゃな、《鳥使い姫》。先ほどの所作と言い、達者な《精霊文字》と言い、優秀な教育係が控えていたと見ゆる。 これが生前の体格とすると、深刻な栄養失調が加わっとるな……死亡原因は飢餓、としても不思議では無いところじゃが」

熟練の医師・薬師ならではの鋭い眼差しで、老魔導士フィーヴァーは、サッとアルジーの霊魂を観察し……「ふむ」と頷いていた。

「首元に、《人食鬼(グール)》裂傷が開いておる。極めて異常な死に方だったようじゃな。守護精霊が強力に干渉するのも、納得じゃよ」

部屋じゅうの、驚きの視線が集中して来る。

アルジーはポカンとするばかりだ。天才と名乗るのも頷ける、すごい観察力だ。

『傷が見えますの? ……というか、何故《人食鬼(グール)》裂傷と?』

「どういう状況だったのか、こちらが質問したいくらいじゃよ。守護精霊の防護を突破してまで、霊魂そのものに傷がついたという事じゃぞ。 全身ズタズタになったオーラン坊主でさえ、霊魂の傷は無いのじゃ。《鳥使い姫》の守護精霊は、この傷を癒(いや)そうとしているのじゃな。あまり時間が無いであろうことは理解した」

老魔導士フィーヴァーは早速、片手をパッと開いた。

そこには黄金の《魔導札》が乗っていて、今しがた召喚され実体化したばかりと見える、白文鳥《精霊鳥》の身体が現れていたのだった。

――白文鳥《精霊鳥》アリージュの、傷ひとつ無い身体だ。

誘われるように、その白文鳥へ視線を向けると、その瞬間に憑依――意識の回路がつながったのを感じる。 人体と鳥体とでは随分と違うが、あの《魔導》カラクリ人形を動かすのにギクシャクと苦労していたのに比べると、やはり動かしやすさが違う。

白文鳥アルジーが、さっそく空中に舞い上がり、翼をパササッと、やっていると。

再び、部屋の中では、唖然とした空気が流れていた。

「さっきのネコミミ・ベールの幽霊、何処へ行ったんだ?」

「消えたみたい……」

藁クズ少年セルヴィン皇子と、覆面ターバン少年オーランの順で、コメントが寄せられる。

「まさに消失ですぜ? この雨の中へ外出とか?」

「その小鳥の中に入ったんですか?」

クムラン副官も、しきりに首を傾げている。護衛オローグ青年が、赤茶の迷彩ターバンの間に指を突っ込んで、黒髪をガシガシとやり始めた。いみじくも正解を出しながらも、明らかに、相当に混乱しているところだ。

白文鳥アルジーは、少し考え……

先ほどのネコミミ付スナギツネ面の幽霊を再び出しておいて……その肩に止まるスタイルに調整してみたのだった。 見た目、ネコミミ付ベール姿の、スナギツネ面をした姫君の霊魂が、肩に白文鳥を止まらせている格好だ。

――《風の精霊》に属する精霊(ジン)、白文鳥《精霊鳥》ならではの、風乗り――空気乗り、すなわち空中浮揚の曲芸である。四色の毛玉ケサランパサランが空中に漂うのと、似た方法だ。 人前でやらないのは、怪異現象『空飛ぶ・いちご大福』と思われるからである(相棒の白文鳥パルが、以前にボヤいていた事だ)。

ひとしきり白文鳥アルジーは、スナギツネ顔をした人体《鳥使い姫》の投影イメージを適当に動かし、「ぴぴぃ」と、さえずった。

『こっちのほうが、分かりやすいかしら? この幽霊から物理的音声を出すのは難しいから、白文鳥のほうで、うるさく喋る形になるけど』

『人類の感覚は混乱しやすいですから』

巧みな《精霊語》で応答したのは鷹匠ユーサーだ。その肩先では、白タカ《精霊鳥》ノジュムが虚無の顔をしていた。人類の感覚の鈍さ、混乱しやすさに、呆れかえっているらしい。

『本日は……《水の精霊》の雨の間は、《鳥使い姫》の霊魂が、半透明とはいえ、目に見える形で投影されている状態です。できれば、そのイメージの立て方のほうがよろしいかと』

*****

夜を徹した《精霊語》特訓があったことを踏まえて、セルヴィン少年には、特殊な薬膳料理が配膳されていた。霊験あらたかとされている、お茶『凌雲』も付いている。 老魔導士フィーヴァーが、セルヴィン皇子の体調管理のために出して来た、皇族御用達の品だ。

――金融商オッサンの店で御馳走になった、素晴らしい香りとコクのある逸品。幽霊になっても――いや幽霊だからこそ、その香りの霊験を、いっそう感じる。体力が上積みされたかのような、充実の感覚。

スナギツネ面の人体《鳥使い姫》幽霊が、お茶『凌雲』をしげしげと眺め出した。

覆面オーラン少年が、それに気付き。

「そのお茶、好きなの?」

白文鳥アルジーの操作に応じて、コクコクと頷く、ネコミミ付スナギツネ顔の幽霊である。

オーラン少年の肩によじ登って来た白タカ《精霊鳥》ヒナが、初歩的な《精霊語》で、オーラン少年に話しかけた。

『亡霊が好きな線香の香りに寄るのと同じ理屈だよ、相棒オーラン。ボクの名前、早く考えておいてね』

覆面オーラン少年は少し不思議そうな風に黙り込んで……幽霊の所作のクセに注目していた。

虚弱な少年皇子セルヴィン殿下が、今日の予定に興味津々な様子で、老魔導士フィーヴァーに疑問を投げ始める。

「そう言えば、朝食の後で、と言ってたけど、随分と早くないか?」

横から、クムラン副官が陽気な調子で割り込んで来た。

「例の刺客(アサシン)の件、想定外の愉快なことになって来ましてね、セルヴィン殿下。俺から説明させて頂いて良いですかね、老魔導士どの」

老魔導士フィーヴァーは、話題の刺客(アサシン)の件で何やら腹に据えかねる要素があったらしく、冷静に話しづらい、というような不穏な雰囲気である。 おおかたの予想どおり、老魔導士は、説明の担当をクムラン副官に投げたのだった。

「大いに結構じゃぞ、クムラン君。誤解を招くような茶々を入れなければな」

「信用してくださいよ、あの灰色の御札を口に押し込まれたくないですからね、マジで」

「そんなに効果あったのか?」

「効果のほどを目撃していた牢の中の凶悪犯すべてが震えあがり、灰色の御札つきの尋問を全身全霊で拒否し、自主的に白状を始めた程度には。それはさておき」

「省略するな。気になるじゃないか!」

「あとで、聞かなければ良かったと後悔しても知りませんよ」

*****

――《鳥使い姫》作成『灰色の御札』の効果は、天罰テキメンというべきものであった。

そして偶然ながら、微妙に、かつて別に作成されていた灰色の御札『男の下半身のアレを究極に萎えさせ、七日七晩、不能にするオマジナイ』から、 インクが乾かないうちに生じた裏抜けの成分が、不正確に転写されていた。

更に奇妙な事態が――男たちにとっては心胆を寒からしめる事態が――展開したのは、言うまでも無い。

不正確に転写されていた結果、『男の下半身のアレを究極に萎えさせ、永遠に不能にするオマジナイ』が追加されていたのだ。

標的となった哀れな刺客(アサシン)は、恐ろしい幻覚を見て一睡もできず、グルグル走り回ったのである。

恐怖の汗と涙と鼻水をダラダラと流しながら、刺客(アサシン)は口を割った。

侵入の目的のみならず、過去に見聞していた知る限りの情報や、実績や経歴すべてを――幼い頃にやらかしたオネショなど、恥ずかしい失敗のアレコレまで。

最後に、御札の効果が切れて正常に戻った刺客(アサシン)は、自らが喋った内容の全てを思い出し、 とってもスッキリ・サッパリとなっていた特定の位置の状況を確認して……ショックの余り、健忘症と退行現象と人格崩壊を起こした。

一晩にして。

刺客(アサシン)として鍛え上げていた、群を抜く筋骨隆々だった体格は、枯れ枝の老人のように衰え果ててしまった。

ルビーのように輝く紅髪のひと房が自慢だった豊かな毛髪は、総白髪になった上に、すっかり禿げてしまった。

そして、廃人かつ敬虔な巡礼希望者になっていたのであった。

*****

……2人の少年は、畏怖の面持ちで、チラリとアルジーを眺めて来た。

白文鳥アルジーの目が据わった。人体《鳥使い姫》幽霊のほうも、それに同調して口元を「ヘの字」にし、スナギツネ顔の眉間にシワを寄せている。 幽霊は、窓を背にして、談話クッションに礼儀正しく腰かけているところだ。

『その刺客(アサシン)が、私の夫と同じくらい罰当たりな人物だったからじゃないの』

簡単なほうの《精霊語》だったらしい。幽霊からは音が出ないが、帝国語の口の動きを伴っていて、ニュアンスは一同にパッと伝わった様子である。

「確かに」

まだ状況激変について行けていない――と言わんばかりに、黒髪オローグ青年が、そわそわと手元のメモを操っていた。

「オーランの故郷の城砦(カスバ)を更に荒廃させるきっかけになった、多数の邪霊害獣を伴う放火・強盗・殺人をおこなった大盗賊団の首領で、魔導士クズレの成れの果て、《邪霊使い》心得あり。 高灯籠の《火の精霊石》をゴッソリ盗み、闇市場で売りさばいて相応の財産を築いた」

覆面ターバン少年オーランが、目を丸くして振り返る。

「大盗賊団を部族のひとつと詐称しておいて、宮廷への出入りも王侯諸侯の顧客獲得も可能にするために、適当に没落した王侯諸侯の姫君をハーレム妻として、初夜権も込みで買い取る計画を立てていた。 帝都宮廷へも出入り可能な地位身分を持つ、瀕死の……姫君が居る。姫君には婚約者が居るが、刺客(アサシン)は、その婚約相手の一族の面々が、カネと権力の亡者だと分析済みだった」

クムラン副官がつづいて、陽気に突っ込んだ。

「ご存知、オーラン君の故郷の城砦(カスバ)の姫君だ。先方も、新たな金づるを提示されたものだから、とても乗り気で、 10歳にもならぬ姫君を取引商品として、人身売買の金額交渉に入る予定だったそうだ、ああなる前は。今回が、《邪霊使い》としての最後の一仕事だった訳だ」

「どんな一仕事だったにしても、未遂に終わって良かったな」

藁クズ少年セルヴィンが、ポツリと呟いた。

覆面オーラン少年は、激怒のあまり無口になった、という雰囲気。覆面ターバンを通してさえ激怒の様子が伝わるというのは、相当なものだ。

クムラン副官がそこへ身を乗り出し、畳みかける。

「要点は此処からですぜ、セルヴィン殿下。オーラン君も、耳かっぽじって、よーく聞いてくださいよ。 先ほど、その刺客(アサシン)は大盗賊団の首領で、《邪霊使い》心得あり、と申し上げました。つまり報酬をもらって、邪霊害獣《召喚》や、特殊《魔導札》を取り扱うこともやってた訳です」

「報酬……特殊《魔導札》……」

「例の酒姫(サーキイ)の顧客および取引先のひとりでね、白文鳥を愛でる《鳥使い姫》の手前、商品の詳細は伏せておきますが。 オーラン君の容姿を知った酒姫(サーキイ)は、生贄《魔導札》をオーラン君に貼り付けて、その要素を吸い取ることを思いつき、例の刺客(アサシン)を通じて、ブツを入手しました。 ところが、酒姫(サーキイ)の手でもって、実際に《魔導札》をペタッと貼り付けられたのは、セルヴィン殿下でした」

「はッ!?」

2人の少年が、一斉にクムラン副官を見つめた。

クムラン副官は、ニヤリとしている。

「帝都大市場(グランド・バザール)探検に行くからって、セルヴィン殿下、オローグ殿の側近オーラン君を誘惑して連れ出したうえに、 お忍び街着も覆面ターバンも、護身用の短剣や《精霊石》も、まるまる入れ替えは問題ですぜ。同い年で、背丈も体格も仲良くソックリだったんですからね、こうなる前は」

藁クズ少年セルヴィンは、無言で目を見開いたままだ。

やがて、隣に控えていた覆面オーラン少年が、赤茶の迷彩ターバンに覆われた口を、モゴモゴと動かし始めた。

「そ、そう言えば、あの……外道の酒姫(サーキイ)、ターバン剥がしてセルヴィン殿下の人相を見た瞬間、舌打ちして、倒れた殿下を平然と見捨てて、何処か向こうへ……」

「酒姫(サーキイ)の計算違いが生じた訳です。刺客(アサシン)の一仕事ってのは、刺客(アサシン)自身の手で、本来の標的だったオーラン君へ、 《魔導札》を確実に貼り付けること、でした。生贄《魔導札》で手違いが生じた場合――これは、一般人の俺たちは知らなかったけど、老魔導士どのは詳しいですよね」

老魔導士はモッサァ白ヒゲを豪快な鼻息で吹き飛ばしつつ、陰気に頷いている。

「貼り付けるまでは良いんじゃ。じゃが生贄《魔導陣》を発動させる場合、その契約に無い成分を、好き勝手に含めてはならんのだ。まして、標的の食い違いなど。 『紅白の御札』や『灰色の御札』であれば、致命的な契約違反であっても、不発に終わるか、あの刺客(アサシン)のように『禿げる』『もげる』で収まったじゃろう。 ともあれ5人の有望な若者が、各々の勝手な設定変更の道具として使われ、血の海に沈んでいった過程は、理解できた」

クムラン副官は、相変わらずの口調で応えている。

「例の酒姫(サーキイ)が、オーラン君を狙った理由が、これまた……『銀髪の輝きの衰え』だとかで、なんというか。 酒姫(サーキイ)は、その刺客(アサシン)の筋より、オーラン君が『訳あり銀髪持ち』という情報を仕入れてたそうです」

「白文鳥《精霊鳥》を捕まえて精霊エネルギーを吸い取っていただけでは足らなくなったと言う訳じゃ。鬼畜の所業じゃな。相乗りした輩(やから)も……この話は、ここで終わりじゃ。 新しく緊急に考えねばならんのは、ひとつ、盗られる一方の生命力をどうやって回復・維持するか。ふたつ、皇帝陛下(シャーハンシャー)を1日中ボンボコ殴ってボンヤリさせておける手段があるか。じゃよ」

「薬膳料理だけでは追い付かないみたいですねえ。他人のカネやエネルギーとなると、自分のフトコロが傷まない分、金額や限度を考えずに好き勝手に浪費するもんですね」

老若の男たちは皆、訳知り顔だ。老魔導士フィーヴァーが丁寧に説明したのであろうということが窺える。

――生贄《魔導陣》には、セルヴィン少年の生命力を強奪するための裏口ルート《魔導》がある。「相乗りした輩(やから)」は、複数人。

相乗りした側は、各人の都合で――例えば、疲労回復を早めたい、若さと美貌を維持したい、二日酔いを消したい、ちょっとした怪我を修復したい、 誰かをもっと強い力で殴る蹴るしたい、夜の行為をもっと楽しみたい、などと言った都合で――その裏口ルート《魔導》を発動させ、好き勝手なタイミングで、セルヴィン少年の生命力を盗む。

つまりセルヴィン少年は、次の瞬間にも重篤な発作を起こして、突然死しても不思議では無いのだ。14歳の少年1人の身体が、「相乗りして来た複数人」の肉欲と体重を支えられる筈が無い。

白文鳥アルジーが抱いた数々の疑問に同調するように……人体《鳥使い姫》幽霊がヒョコリと首を傾げる。

(必要なだけの健康を維持できるような精霊魔法の護符は、『魔法のランプ』にも引っ掛ける定番のドリームキャッチャー護符とか、老魔導士が色々持っている《精霊石》からも、組み立てられる筈。 医療オマジナイ技術が必要だけど、老魔導士の技術なら……)

人体《鳥使い姫》幽霊を、首を傾げた姿のままにしておいて。白文鳥アルジーは、訳知りの様子をした白タカ・ノジュムのほうへ視線を向けた。

ちょうど白タカ・ノジュムが、窓の外を警戒して、スタンド式ハンガーに腰を据えているところだ。

『白タカ・ノジュム。セルヴィン少年に合うように調整された精霊魔法の護符は無いの? 私、オババ殿の護符で動けるようになってたから、似たような方法があると思うけど』

『帝国皇族の《精霊石》が難問でな。セルヴィン皇子のターバン装飾石のアレが、適合する護符を選ぶ。あれほど透明度が高くて、硬くて、気難しい《精霊石》は珍しい』

促されるようにして、白文鳥アルジーは、藁クズ少年セルヴィンのターバン装飾石を注目した……前にも見たとおり、見事な護符《精霊石》だ。

白タカ・ノジュムの説明がつづく。

『あの《精霊石》が徹底して嫌う護符の組み合わせ――たとえば例の酒姫(サーキイ)の場合は、激烈だったそうだ。 酒姫(サーキイ)が害意を持ってセルヴィン皇子に近づいた時、酒姫(サーキイ)全身の悪趣味な宝飾《精霊石》すべてに、ヒビが入った。 帝国皇帝(シャーハンシャー)にオネダリした交換料金は、国家予算に大穴を開けたと聞いてる』

『……セルヴィンの相棒《火の精霊》が、生命力の守護のための、適合するような精霊魔法の護符が、なかなか無いって……ボヤく訳だね。石や金属の、素材的な相性も、かなり細かいとか』

『皇子の10歳の誕生日に、聖火礼拝堂で皇族専用の護符《精霊石》を選ぶ儀式をする。そこで、適合する護符アクセサリー意匠や、守護精霊も探したりする。 あの《精霊石》を選んだのが今は亡き御母堂セリーン妃だが、極めて慎重になっていたようだ。話題の酒姫(サーキイ)が皇帝をグダグダにするのを目撃していただけに』

『帝都の皇族のことは、あまり聞いてなくて。セリーン妃って、どんな人?』

『セリーン妃の身分立場は、ハーレム第100妃より下の有象無象「一夜の愛人」枠のハーレム妃だ。地方の中小の城砦(カスバ)出身だったゆえな』

白文鳥アルジーは、微妙な気持ちになって沈黙するのみだ。番外のハーレム妃となると――セルヴィン皇子の誕生が無ければ、一夜の関係を結んだ後は、すっかり忘れられていた存在だった筈だ。

『帝国軍向けの武器宝飾《魔導》工房ビジネスで持っている城砦(カスバ)出身ゆえ、セリーン姫は、武器の退魔紋様や宝飾の鑑定が上手だったと聞く。 皇帝の手が付いた後は愛人手当のみの放置状態となったが、高位ハーレム妃が用いる宝飾を鑑定する副業ビジネスを始めて、皇子の養育や宮廷生活の維持に必要な諸般費用を稼いでいたそうだ』

『帝国皇帝ハーレム妃が、そういう副業ビジネスで稼ぐの?』

『愛人手当のみだと、幼い皇子を抱えての生活は厳しい。相応に余裕のある元・恋人が居る場合は、その男のもとへ走る。 昔なら「名誉の殺人」でセルヴィン皇子も含めて処刑されるところだが、いまは随分ゆるくなって暗黙の了解や放置という形だ。 妃の側に「皇帝を裏切って不倫した」という一生の不名誉が付いてまわることで「ヨシ!」とする訳だ』

『元・恋人の社会的立場にも傷がついて、共に肩身が狭い立場になる訳で……でも、命の危険が無いなら、出奔するという選択はアリかも。 その恋人が、そういった部分を気にしない、という人なら……恋人は居なかったのかしら……』

『セリーン妃は、出身の城砦(カスバ)が弱小で、万が一の「名誉の殺人」に抵抗できないゆえ、セルヴィン皇子ともども後宮から出奔するのは難しかったようだ。 社交の都合上、交際相手は必然的に複数人ほど居たが、どれも年齢だの性別だの宦官神官だの……出身の城砦(カスバ)からの仕送りはあったから、副業の稼ぎと合わせてやっていけた』

白文鳥アルジーは、あらためて、セルヴィン皇子のターバン装飾石を注意深く観察した。

――透明な《精霊石》。白金に輝く帝国の紋章を、一流の《魔導》でもって仕込んである。 そこに含まれている、帝国の守護精霊《火霊王》を表す《精霊文字》――故セリーン妃は、よほど気合を入れて選んだに違いない。

『なるほど……あの《精霊文字》も、すごく高品質だし、よっぽど慎重に護符《精霊石》の儀式してたみたいだね』

『セルヴィン皇子は御母堂セリーン妃の手ほどきを受けたゆえ、宝飾をよく鑑定できる。帝都大市場(グランド・バザール)で一度、偽造宝石ショップを摘発した事がある。 知識の足りないドラ息子・ドラ娘に偽造宝石を売りつける、よくあるケチでショボイ事件で、罰金と店舗没収で片付いたが、逆恨みだの、皇族政争を巻き込んだ御礼参りだので、御母堂が横死する刃傷沙汰になってな』

『それは……お気の毒な事だったね』

『ケチでショボイ店舗でも、有力皇族とつながっているのがあって油断できん。輪をかけて、火に油を注いで炎上させてるのが、かの酒姫(サーキイ)だ。 それで、大聖火神殿の肝いりで、白鷹騎士団の中でセルヴィン皇子親衛隊を結成して、身辺警備を引き受けている。セリーン妃の故郷の城砦(カスバ)は、工房を警護する程度の軍事力しか無いし、 番外の皇子の護衛は、どこの城砦(カスバ)の軍団も引き受けようとしない。目ぼしい特権が無いし、儲からんからな』

『でも、オローグ青年の城砦(カスバ)は? オローグ青年、王侯諸侯の係累って聞いてるんだけど』

『その城砦(カスバ)は、別件で、それどころじゃ無い。ただ《地の精霊》系の幾つかの城砦(カスバ)同士で、セルヴィン派閥を作るべく、手を組む動きはある。 セルヴィン皇子が帝都大市場(グランド・バザール)で偽造宝石ショップを摘発した件、結果的には皇族政争でねじ曲がってしまったが、意外に注目されたらしい』

『その辺、何となく分かる。私も、シュクラ王国第一王女アリージュ姫として宮廷社交に出ている立場だったら、その事件が小さくても注目したと思う』

白タカ・ノジュムが「おや」という風に、鳥の首を上下させた。

白文鳥アルジーは、ちょっと翼をパササッとやって見せる。

『特定の皇族利権に相乗りして特権で儲けるのは有利だけど、宮廷勢力の変化とか、賄賂の資金確保の問題があるから。 セルヴィン皇子を支持する見返りに、公正取引ルール機関を派閥共同でつくって運営するのは、アリ。賄賂よりメリット大なら、派閥参入する王侯諸侯は自然に増えるし。 セルヴィン皇子、判断は公正だよね。ルールを無視して、特権でゴリ押し、というのは無くて』

『ふむ。セルヴィン皇子は、大聖火神殿のほうで、帝王学を修めてる。自前の教育係を用意できない皇子向けの奨学金枠だが。 生贄《魔導札》で倒れる前までは、財政理事リドワーンが直々に実地訓練のほうでビシバシ指導していたそうだから、甘言をささやく工作員を送り込まれても、皇族の中ではトップレベルで不正に気付くだろう』

――そういえば、財政理事リドワーンって、元・皇弟殿下とか。

老魔導士フィーヴァーが政治工作して、若い頃に宮廷の暗闘から引き離して、去勢して大神殿に入れたとか。

皇帝が皇位簒奪を恐れて刺客(アサシン)を送り込んだ話といい……大聖火神殿の財政理事リドワーン閣下は、相当、人望と能力があるのだろう。

そんな人に指導して頂いたというから、セルヴィン殿下は、帝都大市場(グランド・バザール)交渉事でも見込みがありそうだ。

生前にできるだけ情報をつかんでおいて、タヴィスさんにお伝えしておくべきだったな。シュクラ・カスバ特産物の店を、帝都大市場(グランド・バザール)に出そうかという話、動いてたし……

フムフムと頷く、白文鳥アルジーであった。人体《鳥使い姫》幽霊も、何かを思案しているという風に、優雅な所作で女性らしい思案ポーズをとる。

白タカ・ノジュムは気が乗った様子で、補足情報を付け加えて来た。

『セルヴィンの実績に注目して、セルヴィン派閥立ち上げの音頭を取っているのが、宰相の後継者たちの中でも切れ者と評判の若手閣僚アヴァン侯クロシュ、《地の精霊》系の重鎮の城砦(カスバ)出身。 大聖火神殿と交渉して、そこの財政理事リドワーンの政治協力を引き出し、白鷹騎士団の中にセルヴィン皇子の親衛隊を結成させたのも、その男だ』

――《地の精霊》系の重鎮アヴァン・カスバ。オババ殿から教わった、帝国内でも特に有力な城砦(カスバ)のリストの中にあった。 覚えてる。そこの出身の、若手閣僚アヴァン侯クロシュ。覚えておこう。今後のために。

白文鳥アルジーは、素早く記憶に留めながらも。

――中小の城砦(カスバ)の姫が、帝国皇帝(シャーハンシャー)の後宮に輿入れ? 帝国皇帝(シャーハンシャー)が、お忍びとかで、セリーン姫を見初めて、よほど気に入っていたんだろうか?

辺境の中小の城砦(カスバ)の姫にとっては――同じような身分立場であるシュクラ第一王女アリージュ姫の目から見ても――夢に見るような、大出世ではあるけれど。

――不自然なまでの、大きすぎる身分差。不安定な地位と立場につながる程の。セルヴィン皇子が、帝都皇族としては、吹けば飛ぶような弱小な末席であるのも当然と言うべき結果の。

帝国皇帝(シャーハンシャー)ハーレム妃となったセリーン姫。方々の重鎮かつ裕福な城砦(カスバ)出身の妃が最低でも100人は居る、そんな帝国の頂点のハーレムへの輿入れ話を決めた要素は、何だったのだろう?

いくばくかの、疑念と、違和感が――ボンヤリと漂ったのだった。

*****

朝食が済み、にわか探偵団となった一行は、早速ラーザム財務官の死亡現場を目指した。

折よく驟雨が弱まって、歩きやすくなっている。土地柄、傘は無いから、良いタイミングだ。

白文鳥アルジーは、一行の面々を戸惑わせる気は無かったため……人体の霊魂イメージを出したままにしておくことにした。 少し検討して、白文鳥《精霊鳥》の《精霊語》をよく聞き取ってくれる鷹匠ユーサーの肩に止まり、人体の霊魂イメージを引きずってもらう形にしたのだった。

そんな訳で。

傍目には、生真面目な仏頂面をした鷹匠ユーサーが、謎の半透明な、ネコミミ付スナギツネ面の姫君をエスコートしている風である。 鷹匠ユーサーも相応に背丈がある男性で、姫君の男並みの高身長が、意外に女性らしくハマっている。

クムラン副官が陽気に面白がって、突っ込んだ。

「気付いているんでしょうけど、後々まで語り草になりそうな、雨の日の朝の怪談ですぜ」

かくして、ジャヌーブ砦の区画の通路を移動しているうちに……

目的地・ラーザム死亡現場にまつわる疑問点が、ポツポツと、雑談に上がって来た。

「いま一度、注意深く検討してみると、『石落とし』仕掛けの黒ダイヤモンド《魔法の鍵》の封印が切れたのは、自然にしても人為にしても、奇妙じゃな」

老魔導士フィーヴァーの見事な白ヒゲが、モサモサと揺れている。

「妙な『錠前破り』の噂は聞くが、かの秀才魔導士ザドフィク君の鍛えた弟子が、その辺の暗殺教団の工作員にやられたりするような、華麗な失態をおかす筈が無い」

クムラン副官が軽い調子で、老魔導士の呟きに応じた。興味津々といった風にキラキラしている。

「かの豪華絢爛な純金ヒゲ『毛深族』ザドフィク猊下は、天才魔導士じゃ無くて秀才魔導士なんですか? 理屈を聞かせて頂けますかね」

虎ヒゲ・タフジン大調査官が組織したラーザム事件捜査チームのメンバーとしての都合上、情報収集も兼ねているのは明らかだが……クムラン副官は、人の話を聞き出すのが上手な性質なのであった。

老魔導士は、「秀才魔導士ザドフィク君」について、ブツブツとボヤき続けた。職場のボヤキというところだ。

「過剰に、めかしこむ性質なのじゃよ。若い頃は酒姫(サーキイ)にも引けを取らなかったという、かの美貌ともあいまって、不世出の天才との評判は高いがな」

「ほほう? あの圧倒的なまでに輝く黄金のヒゲ、例の酒姫(サーキイ)の銀髪に引けを取らぬくらい熱心に、しょっちゅう専用の櫛を当てているなぁと思ってましたが」

「宮殿にある魔導大臣の専用部屋の扉の《魔法の鍵》、もともと宝石盛り盛りなんじゃが、アレをもっと豪華にするアイデアなどといったくだらん事を考える暇があったら、 古代『精霊魔法文明』の「失われし高度技術」ひとつでも、研究解明に邁進するべきなのじゃ。ただでさえ魔導大臣は重職で激職なのじゃからな」

――《魔法の鍵》。『錠前破り』。

そうだ。オーラン少年を問い詰めてやらなければならない項目が、あった。

白文鳥アルジーは、鷹匠ユーサーの肩の上で、勢いよく身を返した。

その拍子に――人体《鳥使い姫》幽霊も同調して、バッと、後ろを振り返ったのだった。

後ろをついて来ていた2人の少年と、しんがりを務める護衛オローグ青年が、そろってポカンとした顔になる。

『オーラン君、なんか変な『錠前破り』やってるでしょ。あの紅ドーム屋根の、ラーザム財務官の遺体の、防護処理の儀式の裏のところで……あれ、何なの?』

白文鳥アルジーの「ぴぴぃ」と言うさえずりと、ネコミミ付スナギツネ面の姫君の口パクの動きが、同時である。

「変な錠前破り、とは? 遺体の防護処理の儀式の際の事件というと……クムラン殿のいう『1回目』の錠前破り?」

疑問顔で呟いた鷹匠ユーサーであった。もう一方の肩の上で、白タカ《精霊鳥》ノジュムが、クチバシをカチリと鳴らした。

同じく疑問顔の、老魔導士フィーヴァー、クムラン青年。

対して、藁クズ少年セルヴィン皇子、覆面ターバン少年オーラン、護衛オローグ青年は、3人とも、各々に視線を泳がせた。アヤシイ。

「――後ほど、白鷹騎士団の本部へ報告いたします。《鳥使い姫》を煩わせるようになれば、問題ですから。きっちり、要点をまとめておいてください」

さすがに倍の年齢となるベテラン鷹匠の指令は、それなりに響いたらしい。年若い3人は、3人とも、バツの悪そうな顔になって、コックリと頷いたのであった……

…………

……そして到着した、かの角部屋の成れの果て。

ラーザム財務官の死亡現場である。

アルジーの記憶にあるとおりの、城壁沿いの石畳の道。『石落とし』仕掛けに使われている大きな石が、まだゴロゴロとある。重すぎて、人力では運搬不可能なのだ。

ジャヌーブ砦に常駐している《精霊象》が2頭、2人の《象使い》の持つ引綱や指示棒に合わせて、ゆっくりと行き来する。力自慢の長い鼻で石を持ち上げ、『石落とし』仕掛けへ戻すための特殊な台車に乗せているところだ。

2人の《象使い》は、一方が老女、一方が中堅の男。そのうち老女の引退があるだろうという雰囲気。男女共用の作業着――活動的な広幅ズボンと膝丈の長衣(カフタン)。汚れに強い、一般的な生成り色。

首回りを彩る、護符ビーズ類を密に編んだ広幅の襟飾りが華やかだ。古代文明に由来するエスニックな多色使いの襟飾りは、鎖帷子の首肩部分の防護パーツ、鎖錣(カマイユ)に相当する。 左右の手首・足首に、装甲さながらの広幅バングル。広幅ベルトも、グルリと金属防護セット付き。《象使い》装束は、重量のあるものからの身体保護を兼ねる装飾が中心。

作業中だったのを一時的に中断して、2人の《象使い》は身を返して来た。広幅サークレット形式の、象牙色をした頭部装飾が目立つ。金属独特の光沢があり、象牙色をした合金製だと分かる。

広幅サークレットの中央部に、象の頭部を模した精緻な合金レリーフ彫刻が据え付けられていた。 宮廷社交でも格式のあるサークレット類として装着される。正式な《象使い》は、諸侯と同じように、宮廷で重んじられる人々である。

2人の《象使い》は、広幅サークレット形式の頭部装飾に軽く手を触れて、一礼して来た。クムラン副官と老魔導士と鷹匠に敬意を表しての所作だ。

「ご苦労さま。今日から退魔調伏の雨が始まりましたからね、一気に片付けてしまいますわ。雨サマサマです。 そちらの幽霊さん、あの見張りさんから『化けて出るかも』と聞いてましたわ。同業者《精霊使い》なら納得ですわ。不慮の事故で逝った《象使い》でも結構あるんですよ、化けて出るのは」

「この現場だから、亡くなられたばかりのラーザム財務官の幽霊かと思ってましたが。初めて見る女の子ですなあ。袖の羽翼紋様、白文鳥《精霊鳥》、こりゃ《鳥使い》ですね。とどこおりなく成仏のほど」

ついで、2人の《象使い》は代わる代わる、工事現場の状況を説明した。

ラーザム財務官の死亡の原因となった『石落とし』仕掛け周りは、今まで多量の落石に塞がれていて足の踏み場も無い状況だったが、間もなく『石落とし』仕掛け周辺が片付く見込み。 もちろん、仕掛けの段差部分も見えるようになり、問題の錠前に触れるくらいまでは行ける。慎重に安全対策をしてからのことになるけれど。

現場周辺を、バムシャード長官の配下の兵が警備していた。幾つかは、見覚えのあるような人相。先ほどまで、別の長官の配下の兵が警備・巡回していたと言う。

クムラン副官が特に信頼する配下であるらしく、奇妙な幽霊現象があることについては、既に話が通っている様子だ。

まだ《水の精霊》宿る降雨がつづいている。その中に投影されたネコミミ付スナギツネ面をした幽霊は、全員の注目の的であったが……他の区画で警備中の仲間やバムシャード長官にまで、 大声で異常を告げるという動きは、無かったのであった。

白文鳥アルジーは、記憶を確かめるべく、鷹匠ユーサーの肩先でキョロキョロし始めた。明るくなってから周辺を眺めると、やはり方角がつかみやすい。

降雨の中に投影されている白い長衣(カフタン)姿の幽霊は、あくまでも付け足しに過ぎないのだが、微妙に、霊魂アルジーの感覚領域の一部を担っていた。 白文鳥の身体の向きや動きと同調させると、感覚が明瞭になる。

そして今、《鳥使い姫》幽霊は、死亡現場の近くの区壁の上にそびえている紅ドーム屋根を、そのネコミミ付スナギツネ面で、見上げていたのだった。

『あの紅ドーム屋根の……あそこで、空飛ぶ絨毯が不意に飛行能力を失ったから、この城壁の石積みの段差に放り出されて……順番に全身を打ち付けて路面を転がっていった……って感じ』

「それは、かなりの衝撃だったでしょうね」

徐々に、幽霊の眼差しが、死亡現場へと――かつて大窓がハメ込まれていた位置へと移動する。元々は窓をハメ込むためのアーチ枠があったのだが、 『石落とし』攻撃で壁ごと吹っ飛んでいた……そこに窓があったという事実は、欠片ほども残っていない。

『あの角部屋の一階の大窓は、大きく開いてた。そこへ絨毯ごと、飛び込んでしまって』

「――《鳥使い姫》。一階の大窓は、最初から全開の状態だったと?」

コックリと頷いて見せる人体《鳥使い姫》幽霊であった。

クムラン副官が、先祖譲りの『鬼耳』をビシッと立てていた。地獄耳の鬼耳で、鷹匠ユーサーの呟きを、一字一句もらさず捕らえていた様子だ。

「角部屋の窓が最初から開いていた――とすると、間違いなく、殺人事件ですぜ」

「断定できるのじゃな、クムラン君?」

老魔導士フィーヴァーの再確認に、クムラン副官は、シッカリと頷いた。

「ラーザム財務官は、仮眠する時は必ず施錠していた。巡回の衛兵も証言してる。油断ならんサイズの邪霊害獣がウヨウヨ出入りしますからね。 大窓から来客がある場合、邪霊害獣が居ないことを確認して――うろついてた場合は巡回の衛兵が、あらかた退魔調伏して――その後で、内側から鍵を開けてもらって出入りするんです」

「砦の規則をキチンと守り、鍵の管理も厳重にしておった訳じゃな。この角部屋の大窓は、退魔紋様を完備した金属製の格子窓タイプだった筈じゃ。とりわけ頑丈な」

「ご指摘の通りです、老魔導士どの。角部屋の死体は、ラーザム財務官ただ一人だった。客は居なかった。大窓の全開は、有り得ないですぜ。 どこかの『錠前破り』が、確実に邪霊害獣を追い込もうとしたか、『石落とし』逆走の石を確実に流し込もうとしたかで、大窓を開けておいたのでも無い限り」

――覆面ターバン少年オーランが、ギクリとしたように固まり、何かを聞き付けたかのように首を左右に動かす。

次に、オーラン少年は、何か急用でも思い出したのか……不意に駆け出した。足音を立てず、城壁の控え壁へ向かって。

藁クズ少年セルヴィン皇子が不思議そうに「おい」と声を掛け、黒髪オローグ青年が後を追って控え壁の周りを窺ったが。

オーラン少年は、控え壁の下に広がる、あの多数の階段と出入口が交差する空間――踊り場――を通って……忍者さながらに、行方をくらましていたのだった。

覆面ターバン少年オーランの――不意打ちの、不可解な行動。

白文鳥アルジーが、ヒョコリと首を傾げていると。

新しく、やってきた人があった。カシャカシャと連なる金属音と共に。

「これは老フーボボ殿。こんなところで、奇遇でございますな」

異国風の八の字のヒゲが目立つ、小太りの文官姿の中年男だ――ラーザム財務官の金庫番ドニアス。先ほどの金属音は、サッシュベルトに吊られた数々の鍵束のものだ。

そして驚く事に、故ラーザム財務官のハーレム第四夫人アムナを、エスコートしていた。喪中を示す濃色ベールを慎ましくまとっている、年齢不詳という印象の、黒髪の美女。

「まっこと奇遇じゃな。文官ドニアス君とやら、じゃったかの。お連れは、どなたじゃ?」

「はぁ、亡きラーザム財務官の第四夫人アムナ様で。どうしても御夫君の死亡現場をご自分の目で確認したいとおっしゃられて、それで、こうして」

見張りの兵たちは、戸惑った顔でキョロキョロしていた。小声で、「あの幽霊が消えた?」「雨が上がったからだろ?」などと言い交わしている。

――降雨は霧雨も同然に薄くなり、いまや、すっかり晴れ上がっていたのだった……ネコミミ付スナギツネ面をした姫君の幽霊は、かき消えた状態となっていたのである。

老魔導士フィーヴァーは、見張りの兵たちに紛れている一般軍装姿の鷹匠ユーサーと、その肩に止まっている白文鳥アルジーを確認して、素早く頷き……

「それなら、ちょうど良い時に来たもんじゃな、文官ドニアス殿よ。たった今、この事件は殺人事件であったと確定したところじゃよ」

「さ、殺人事件ですと?」

「おお!」

文官ドニアスは無地の赤茶ターバンをズリ落とす勢いで飛び上がり、アムナ夫人は口に手を当てて絶句していた。

たたらを踏んで後ずさった、小太り文官ドニアスとぶつからないように……護衛オローグ青年が、藁クズ少年セルヴィン皇子を素早く移動させる。

「徹底的に、『石落とし』仕掛けを調べてみるとするかの。クムラン君、《精霊象》と《象使い》に声を掛けてくれ。哀れなラーザム殿のように、万が一にも間違い事故があってはいかんからの」

「合点でございます、老魔導士どの。じゃあ《象使い》どの、聞いたとおり――」

その言葉も終わらないうちに、中堅男《象使い》が血相を変えて、走り込んで来た。その後ろのほうでは、何やら《精霊象》が「ぱおー(ツブす!)」と咆えている。

「てぇへん、てぇへんです、クムラン副官どの。あの石の山どけてたら、ヤバい怪奇モンが。なんか、怪しいボトルと、黄金の御札の、化け物のような。 《精霊象》が興奮して……腹を立てて、踏みつぶそうとしてます。婆サマが抑えられてるうちに、見て頂けませんかね」

クムラン副官と老魔導士フィーヴァーは、すぐに駆け付けた。ついで鷹匠ユーサーも。

あの日、誤作動を起こしたという『石崩れ』仕掛けの段差の傍だ。

老女《象使い》が、熟練の技術でもって、引綱と指示棒を何度もたたき、《精霊象》の巨体を後退させる。

――ゴロゴロした石の間に、魔性にぎらつく黄金色をした、明らかに異形のブツが見える。

ひとつは、宴会用の大皿サイズほどの黄金《魔導札》。

その御札は、不気味な術を発動した後らしく、醜怪な火ぶくれのようなものがブツブツと出来ていた。加えて、カッと開いた《邪眼》のような形の、暗赤色のレリーフ状の盛り上がりが、3個。

もうひとつは、まさに「怪奇なボトル」。

元は御神酒を捧げるための、祭祀用の琥珀ガラス製ボトルだ。片腕でヒョイと抱える程度の大きさの其れは、全身に、忌まわしい異形の触手紋様と、 おぞましい歯牙を生やした《人食鬼(グール)》の口のような造形を、多数くっつけている。

うやうやしく祭壇に安置するための黄金製の台座が付いているが、その基底の部分には、三つの頭蓋骨の形をした、醜怪な黄金細工……いまにも邪声を上げようとしているかのような、全体的に歪んだ絶叫の顔。

「うひょお! こいつぁ、第一級の怪奇モノですね。いかにも《邪霊使い》が、何か猛烈にヤバイ事した痕跡、じゃないですか」

早くも野次馬と化した見張りの兵たちが、その怪奇さに目を剥いている。

老魔導士フィーヴァーの、誰よりも立派なお眉の下で、鳶色(とびいろ)の目がギラリと光った。

「既に使用された後のブツじゃ。こいつは《邪霊使い》が不法に《人食鬼(グール)》召喚するために使う一式じゃよ。禁術の大麻(ハシシ)も含めて、莫大な金額が掛かった筈じゃ」

つづいて老魔導士は、黒い長衣(カフタン)の袖の中から、手品のように『紅白の風呂敷』を取り出した。全面に退魔紋様が織り込まれた厚手のそれを、路上に敷く。

「退魔調伏の雨に濡れた後じゃから、ヘタに触れても、何も起こらないが。 残余成分の可能性を考えると、積極的に触れるのは、おススメ出来んな。聖火礼拝堂のほうで、最大火力でお焚き上げして、厳重に無害化しておかねば」

そして、手を黒い長衣(カフタン)の袖の中に引っ込めておいて、布越しにブツをつかんで、慎重に移動して……『紅白の風呂敷』でキッチリ縛って、包み込んだのだった。

「すぐに、タフジン君に報告を上げねばならん。クムラン君、だれか急使を立てて、バムシャード長官を走らせろ」

「了解です、老魔導士どの」

老魔導士の慎重かつ迅速な作業は、見張りの兵たち全員を恐れさせ、警戒させるに充分のものであった。すぐに急使が走った。

さらに警戒の眼差しが増えたことで……運よく、異例のブツが、ゴロゴロの石の間から見つかった。

「変なコインが落ちてますよ。2枚。あ、本物の通貨じゃ無いな。これは触っても大丈夫ですかね?」

「単なるガラスじゃよ。舐めても大丈夫じゃ」

「あんな怪奇なブツを見た後じゃ、舐めたく無いですぜ。悪習ただよう裏街道じゃあ、よく見かけるシロモノですがね。まぁ容疑者の遺留物っぽいですし、後日のために保管しときましょう」

鷹匠ユーサーの肩の上で、白文鳥アルジーは「ぐいーん」と背伸びした。話題の「コインのような何か」が、なかなか見えない。

そうしているうちに、鷹匠ユーサーが白文鳥アルジーを摘まみ、興味津々で傍に来ていた藁クズ少年セルヴィンの手に、ポンと置いたのだった。「いちご大福」さながらに。

『いったい、何? 鷹匠さん』

『あの「石落とし」仕掛けの、《黒ダイヤモンド錠前》を調べます。《鳥使い姫》が手の上に乗っていれば、セルヴィン殿下も、おとなしくなりますから』

――私は、セルヴィン殿下の子守じゃ無いわよ。

白文鳥アルジーの目が据わった。チラリと、新しく交代した手の主のほうを眺める。

鷹匠ユーサーの言及どおり、藁クズ少年セルヴィン皇子は、興味津々で、落石の直撃範囲――危険な範囲にまで接近するところであった。 その一歩手前で、戸惑った顔をして、白文鳥アルジーに見入りながら……まんざらでもないといった風で立ち止まっている。

後ろで、護衛オローグ青年が、こっそりと冷や汗をぬぐっている気配がある。皇族ともなると、どこまで御身に無礼を働かずに護衛できるか、気を遣うことが多くなるようだ。

セルヴィン少年のターバン装飾石を座布団にしている相棒《火の精霊》が、アルジーに向かって、こっそりと火花を打ち上げて見せていた。 人間で言えば、苦笑いしつつ、ウインクして来ている……というところである。

――しょうがないわね。

ふわもちな白文鳥の身体を調整して、骨の浮いた少年の手の形に添うように、「もちーん」と、くつろぐ形にする。そして白文鳥アルジーは、クルリと周辺を見渡した。

素人目にもヤバイと知れる怪奇なブツが、熟練の老魔導士の管理下に入ったお蔭か、《精霊象》は2頭とも、落ち着いている。 とは言え、《象使い》の指示に応じて行き来しながらも、チラリ、チラリと、ブツを封印した『紅白の風呂敷』を気にしている様子だ。 目下、クムラン副官の部下が『紅白の風呂敷』を見張っているところであるが。

そして――意外と言うべきか、当然と言うべきか。

異国風の八の字ヒゲの小太り文官ドニアスも、故ラーザム財務官ハーレム第四夫人アムナも、熱心に、身の毛もよだつ捜査の様子を眺めていたのだった。そろって失神しそうな蒼白な顔色をしつつ。

クムラン副官の指示がひっきりなしに飛び、見張り兵の一団による慎重な手順でもって、『石落とし』段差が、ガッツリ固定された。 《魔導》知識のある老魔導士フィーヴァーと鷹匠ユーサーが、そろって段差に登り、錠前を検分する。

城門や、聖火神殿・聖火礼拝堂・宮殿の扉――といった重要箇所に使われているのと同型、堅牢な大型錠前だ。各所に施された真紅の火焔型の退魔紋様も、《黒ダイヤモンド》細工も、第一級のもの。

鷹匠ユーサーの肩に止まっていた白タカ《精霊鳥》ノジュムが、警戒の鳴き声を上げた。鷹匠も、その位置を注目して……ハッと息を呑む。

「老魔導士どの、これは……邪霊害虫《三ツ首サソリ》焼死体ですね」

「念入りに落石の仕掛けを固定しておいて、幸いじゃったの。下手したらまた『石崩れ』が起きておったぞ」

陰気に呟く老魔導士の、黒い長衣(カフタン)の袖から、またしても手品のように『紅白の風呂敷』が現れた。

「駆け出しの盗賊がやる『錠前破り』の手口じゃよ。《邪霊使い》の隠蔽工作に使われる可能性を失念しておった。《三ツ首サソリ》の尾の熱毒を使う。 先刻の黄金《魔導札》に、多数の火ぶくれを作った原因じゃ。デカブツを詰めて、強烈に煽ったようじゃな。 城壁用の強力な精霊石《黒ダイヤモンド》と反応して、さぞ高温の熱毒が発生したじゃろう」

錠前の隙間部分から、真紅の色をした《三つ首サソリ》焼死体が取り出された。

ギョッとするようなサイズ。大皿と同じくらい。大型錠前の堅牢な退魔紋様によるものか、退魔調伏は既に済んで、動かなくなっている。

つづいて、錠前の守護を務めていたのであろう《黒ダイヤモンド》の、熱破壊されていた破片も、かき出され……まとめて紅白の風呂敷に包まれたのであった。

クムラン副官と、その部下の数人ほどが、恐れ入った様子でポツポツ話を交わしている。

「こいつぁ、全面的に修理を頼まなきゃいかんな、聖火礼拝堂の魔導士さんに」

「聞くところによれば、邪霊害虫《三ツ首サソリ》は単独行動性で、主な獲物はケサランパサラン。飛蝗の害が拡大する時期で無ければ、放置しておいても問題では無いとか」

「そうそう、暗殺教団では、各種の毒蛇と同じく定番のペットとして飼育。かの華麗なる酒姫(サーキイ)も、趣味で2匹ほど飼育しているとか。あんな絶世の美貌してて、すげぇ悪趣味ですよねえ、ブルル」

老魔導士フィーヴァーと鷹匠ユーサーは調査を終わらせて、仕掛けのある段差から、安全な距離を取り始めた。

「容疑者の候補に、かの酒姫(サーキイ)が追加されるのは確実です。例の、禿げた《邪霊使い》刺客(アサシン)のほうは、あの白状ぶりを考慮する限りでは、この件には関わっていないようですが。 誰が真犯人にせよ、いずれ錠前の《三ツ首サソリ》対策は必要でしょうね、老魔導士どの」

「右に同じじゃ。タチの悪いイタズラ程度のバレバレのチャチな手口ゆえ、無視されつづけてきた部分じゃ。 まだ防護の手法は無いからな、大神殿の学究所に回して、魔導士の候補たちの、卒業研究論文の課題に加えておこう」

程なくして、クムラン副官の上官バムシャード長官と、ラーザム財務官事件の調査解明で総指揮をとっている虎ヒゲ・タフジン大調査官が、そろってやって来た。 とるものもとりあえずという風の簡素ないでたちで、驚愕の表情を浮かべている。朝食の後の、ゆっくりとした雨降り鑑賞や書類確認の時間を、急に中断されていたのは、明らかだ。

引き連れて来た新たな衛兵たちも多く、その場は、一気に騒がしくなったのであった。

老魔導士フィーヴァーは、タフジン大調査官やバムシャード長官、クムラン副官などと詳細な情報を交わして、今後の捜査方針のアレコレについて、魔導士としての立場から多くの助言を加え始めた。

速やかに、例の『石落とし』仕掛けの周囲に、安全確保のための立入り禁止ロープが張り巡らされてゆき。

野次馬の立場にあった異国風の八の字ヒゲの小太り文官ドニアスと、故ラーザム財務官ハーレム第四夫人アムナは、新しくやって来た衛兵の指示に従う形で、そろって引き返して行った。 2人ともに、目撃した内容に、すこぶる興奮している様子だ。それぞれの人脈を通じて、砦の内部へ、新情報がワッと広まると予想できる。

つづいて、鷹匠ユーサーに引率される形で、白文鳥アルジーを手に乗せたままのセルヴィン皇子と、護衛オローグ青年も、元の区画へ引き返すことになったのだった……

白文鳥アルジーたちが、引き返すタイミングで。

「恐れ入ります、殿方さま」

2頭の《精霊象》を扱っていた《象使い》、老女と中堅男が、声を掛けて来た。

「この隣の『石落とし』仕掛けの《黒ダイヤモンド錠前》の隙間に、メッケモンの赤毛ケサランパサランが詰まってましたんで、お知らせしたいと思いまして。 《火霊王》授かりもの、聖火の金色の炎冠ついてる大玉です。セルヴィン殿下、その異常衰弱の様子じゃ、とっても必要でしょう。どなたか《黒ダイヤモンド鍵》持ってらっさる衛兵さん、居ませんかね」

――そんな訳で。

クムラン副官が立ち合い、巡回衛兵の定期点検の時のやり方で、尋常に錠前を開けて、その隙間をゴソゴソとやり。

ドリームキャッチャー捕獲網に捕まった時と同じように、隙間に詰まって動かなくなった、なんとも美麗な赤毛ケサランパサランの大物を、手に入れたのだった。

セルヴィン少年のターバン装飾《精霊石》を座布団にしている《火の精霊》は、大喜びであった。

『これは久々の御馳走である。これだけの炎冠を持つ大玉、生命エネルギー量も素晴らしい。『魔法のランプ』の中で、我が炎で「お焚き上げ」して、 しかる後に、セルヴィンへエネルギー補給しておこう。肉付きも少し復活するであろう』

『ドリームキャッチャー網のほうでは見かけないよね? こういう大物って』

『これ程の大玉ともなると、捕獲できるのは、先ほどのような特別な《黒ダイヤモンド錠前》仕掛けくらいであるな。いちいち開錠して、隙間を探って取り出さねばならぬゆえ、手が掛かるブツ。 最初にセルヴィンが倒れた時に、命の炎を維持するため、大聖火神殿から特別に提供されたことがある。これ程の大物は、あれ以来であるな』

聞いているうちに、白文鳥アルジーの中に、閃くものがあった。

――そうだ。

それが、オーラン少年の、不思議な『錠前破り』活動の目的だったに違いない。

仲の良いセルヴィン皇子のために――セルヴィン皇子の虚弱体質の改善のために――あちこちの特別な《黒ダイヤモンド錠前》を破って、大物の赤毛ケサランパサランを探し回っていたのだ。

同じ確信を、鷹匠ユーサーも得ていた様子だ。

その肩に止まっていた白タカ《精霊鳥》ノジュムが、白文鳥アルジーと《火の精霊》のやり取りを中継していた。

ベテラン鷹匠ユーサーは、ヤレヤレといったような眼差しで……きまり悪げな訳知り顔をした、若い護衛オローグ青年を眺めていたのだった。

■07■誰もかれも袖の中に何か秘密を隠してる

正午。昼食の刻になっても、オーラン少年は帰還して来なかった。謎だ。

白文鳥アルジーは窓際に寄って、あの覆面ターバン少年の姿を探していた。故郷シュクラ近辺の出身であることは相当に確実だから、それだけに気になる。元・シュクラ王国の第一王女として。

あまりにも白文鳥アルジーが窓に張り付いているものだから、藁クズ少年セルヴィン殿下にも、察するところはあった様子だ。

「えっと、上にバルコニーがあるんだ。屋根は付いてる。《鳥使い姫》、そこへ行ってみる?」

「ぴぴぃ」

そして、その選択は鷹匠ユーサーの肩に止まっている白タカ・ノジュムにとって都合の良い選択であったらしく。鷹匠ユーサーも、ひとつ頷いて、付き添って来たのだった。護衛オローグ青年も共に。

昼食時間帯、その部屋が空くと言うことで、熟練の清掃スタッフに入ってもらっている。特に白鷹騎士団のほうで用意された清掃スタッフだ。

清掃や洗濯で特に役立つ、黒毛・青毛ケサランパサランを大量に持ち込んで来ている。各々の毛玉は、特製のハタキやホウキに、しっかり取り付けられた状態だ。

スタッフたちは、訳知り顔で、老魔導士フィーヴァーの「すさまじい埃(ほこり)の地層」になっている物置にも立ち入って、徹底的に埃(ほこり)をかき出し始めた。 放置されたままの洗濯物も次々に発掘し、洗濯カゴへ詰め込んでゆく。

*****

いかにも医療施設の付属という風の、簡素なバルコニー。

その一角で、多種類の医療用ハーブ束が乾燥のために干されている。この雨天では、乾燥が進むのは遅くなりそうだが。

バルコニーに据え付けられてある、砦ならではの野戦仕様の卓と椅子が当座の昼食の場となっている。

卓の上に、一緒に持ち出されたセルヴィン皇子の『魔法のランプ』が安置された。ランプの口から、白に近いほどに淡い金色の光が見える。 せっせと、あの美麗な赤毛ケサランパサランの大玉を「お焚き上げ」しているところだが……人類にとっては、謎の神秘的な作業なのであった。

白文鳥アルジーは、セルヴィン殿下の手の平から降り、『魔法のランプ』を一周して様子をうかがった。《火の精霊》は神秘的な作業に没頭しているところだ。うんともすんとも言わない。

ついでに感覚領域の補助を思い出して、バルコニーの近くに立つ人体の霊魂イメージをポンと出す。ネコミミ付ベール、スナギツネ顔、《鳥使い》装束をまとう半透明の姫君の幽霊である。 その霊魂イメージの肩の位置で、本体である白文鳥アルジーは、フワリと風に乗った。

断続的に、《水の精霊》宿る降雨がつづいている。かすかな薄青さを帯びる空気。

訳知り顔の白タカ・ノジュムが隣にやって来てバルコニーの柵に腰を据え、そこにやって来た白タカ《精霊鳥》4羽ほどと、何かしら《精霊鳥》同士の会話を始めた。同僚の白タカ《精霊鳥》なのだろう。

白文鳥アルジーは人体の霊魂イメージを操作し始めた。人体《鳥使い姫》幽霊が、バルコニーから、ゆっくりと城下町を眺め始める。

比較的に砦の高所にあるバルコニーからは、城下町の様子がよく望める。雨天対応のため、方々の屋根の上に、防水仕様の大判の紗幕が掛かっていた。 あちこちの屋根の上に掛かった色とりどりの紗幕が、お祭りのように華やかな印象。

紗幕で守る程ではない、衛兵の詰め所といったようなところでは結構な雨漏りがあるようだ。水瓶や水桶を持った交代要員が、一定時間を置いて、城壁の外や下水溝へ雨漏りの水を流していた。

特に広い空間を持つ城門前の広場では、月に一度の市場(バザール)が立っていて、大勢の商人たちや、砦の住民たちで賑やか。 ビックリするほどの、女子供たちの数。紅の長衣(カフタン)と黒の長衣(カフタン)。神官と魔導士。

ひとしきり、キョロキョロしてみたが……やはり、オーラン少年らしき姿は、無い。潜伏しているらしい。

――ラーザム財務官の死亡現場の再調査は、オーラン少年も興味津々だった筈だ。まだ疲労の取れない身体をおして、夜を徹して話し合いに応じていたくらいなのだから。 それなのに、現場の再調査の途中で、急に何処かへ行ってしまったのは、何故なのだろうか?

ふと気が付き……振り返ると、藁クズ少年セルヴィン皇子も、鷹匠ユーサーも、黒髪をした護衛オローグ青年も、興味津々な眼差しで、降雨の中の幽霊として投影されている《鳥使い姫》を、しげしげと眺めていた。

白文鳥アルジーが目をパチクリさせると、人体の幽霊も同調して、スナギツネ顔ならではの細い目を、パチクリさせる。

『座りますか、《鳥使い姫》?』

鷹匠ユーサーが椅子を引いてくれたので、それに応じて人体《鳥使い姫》の幽霊イメージを更に操作する。

――やっぱり、金融商オッサンの店に居た、ごましお頭の番頭さんを、とても彷彿とさせる人だ……と、シミジミと思うアルジーであった。

人体《鳥使い姫》幽霊が王女ならではの優雅な所作で一礼して、椅子に静かに腰かける。さらに卓の上に置いた幽霊の手に収まる形で、本体・白文鳥の身を「もちーん」と据えた。

かつては人類のひとりであった身だ。こうした方が面倒な説明が要らなくて便利ということは、身に染みて感じるところである。

この中では、ほぼ同い年――護衛オローグ青年が、感心したような顔で喋り出した。

「ネコミミ付スナギツネ顔、見るからに《火の精霊》の傑作ですが……生前は、帝都宮廷で1位、2位というような絶世の美姫だったのではないですか。 半透明なうえにベール越しだから、判断が付きにくいですけど、総白髪じゃなくて、銀髪、ですね? 宮廷社交に出ていれば、同年代ゆえ会見する機会もあったかと思いますが、 記憶に無いので、どうにも……帝都宮廷の参上記録にも無いようですし」

――人生に無い要素の連続だから、この場合、どう応じるべきなのか思いつかない。まして、精霊界の奇妙な制約があって、否とも応とも、返すのは難しい。

白文鳥アルジーは困惑して、小鳥の足で、シャシャシャと頭をかき出した。人体の幽霊は、困惑顔をして首をコテンと傾げる形だ。

――銀髪。

不意に、ピンと来る。

噂の酒姫(サーキイ)は、「銀髪の輝きが衰えた」という身勝手な理由で、《邪霊使い》刺客(アサシン)と組み、オーラン少年を襲おうとしていたと言う。 実際に危害を受けたのは、オーラン少年と入れ替わっていた、セルヴィン殿下であったが。

――生贄《魔導札》を、銀髪持ちの標的に貼り付けて、その銀髪の輝きを強奪する方法は、確かにある。 幼い頃のアルジーも、生贄《魔導陣》の発動でもって、母譲りの銀髪を持っていかれた……と、オババ殿が説明してくれた。アレだ。

一般的に狙われるのは、《火の精霊》祝福の、紅玉(ルビー)のような紅髪の色と輝き、が多いけど。

『銀髪と言えば、オーラン少年は、噂の酒姫(サーキイ)が目を付けるような銀髪を持ってるの? 包帯で覆面だから、分からないけど。薄い色の茶髪だったような……?』

きょとんとする護衛オローグ青年とセルヴィン殿下であった。《精霊語》が通じていない。

訳知り顔で受け答えしたのは、白文鳥《精霊語》もよく聞き取る、鷹匠ユーサー。

「お尋ねの件は、オーラン君が銀髪を持っているかどうか、ですね」

白文鳥《精霊鳥》の身体に憑依しているのが、帝国語の教養もある人類の霊魂であって、人類の言葉で話しかけても問題ないという事情を踏まえ。鷹匠ユーサーは帝国語で説明し始めた。 《精霊語》を解しないセルヴィン殿下と護衛オローグ青年への、情報共有も含めてのことだ。

「もちろんオーラン君は、銀髪を持っております。例の酒姫(サーキイ)の見事な総・銀髪という風では無く、ひと房、 という形ですが……先祖代々の精霊契約による、永続性のものと聞いています」

『あぁ……狙われても不思議じゃないわね。銀髪といえども、年取ったら、普通に白髪が増えるから……酒姫(サーキイ)は、もしかして元々は《鳥使い》?』

「例の酒姫(サーキイ)の名は、アルジュナ。白タカ・白ワシ《精霊鳥》の鷹匠を多く輩出するスパルナ部族の出身です。 酒姫(サーキイ)アルジュナ本人は《精霊語》を習得しておらず、《鳥使い》どころか鷹匠の候補ですらありません」

『スパルナ部族って?』

「先祖に多くの《鳥使い》を持つことで知られる部族です。白文鳥の《鳥使い》は珍しくなったものの、まずスパルナ系を考えます。 《鳥使い姫》の装束もスパルナ系ゆえ、そこの出身かと思っておりましたが……」

そこで、「白鷹騎士団では良く知られている基礎知識」とのことで、少し補足説明が入った。

鷹匠ユーサーに言わせれば。

――《鳥使い姫》が、最高難度クラスの白文鳥《精霊語》を駆使しておいて、《精霊鳥》と関係の深い諸部族の基礎知識ゼロ、という事実が信じられないのだ。

白タカ・白ワシ《精霊鳥》の営巣地は限られていて、鷹匠や《鳥使い》を伝統的に輩出する部族も、その地域に片寄っている。

主流はシャヒン部族とスパルナ部族である。たまに傍系の氏族から、散発的に。

シャヒン部族は先祖に多くの《鳥使い》を持たなかったものの、古くから白タカ・白ワシ《精霊鳥》と共に、騎馬の民として狩猟・遊牧移動して来た歴史を持つ。 すぐれた鷹匠の素質を持つ者を、安定して、数多く輩出する。

白鷹騎士団の鷹匠メンバーは、ほぼ、シャヒン・スパルナ出身で占められている――シャヒン部族の出のほうが多い。必然、白鷹騎士団の団長は、シャヒン王が兼務している。

シャヒン・スパルナ、いずれの城砦(カスバ)も、それぞれ有力な王侯諸侯を擁する。 《風霊王》の御使い、白タカ・白ワシ《精霊鳥》の祖とされる『鳥の精霊王』――純白の巨大な鷲獅子『リューク』紋章を共有する。

鷹狩や騎馬の道具類、ドリームキャッチャー護符、羽翼紋様の織物や絨毯などを専門に製造する《魔導》工房を持つ。 馬その他の家畜の飼育、伝書バトの繁殖と訓練や、白文鳥《精霊鳥》の捕獲と販売も、民間の主力ビジネス商品である。

白文鳥《精霊鳥》の捕獲と販売ビジネスがあるのは、白文鳥《精霊鳥》はとりわけ感覚鋭敏であることが知られていて、火事の検知や鉱山の有毒ガス検知、落盤の予測などで需要が大きいためである……

「かの酒姫(サーキイ)は、元は白文鳥《精霊鳥》の捕獲と販売を扱う民間業者の青少年スタッフでした。 青少年によくある『度を越した悪ふざけ』の類で、或る残酷な方法を使って白文鳥《精霊鳥》の精霊エネルギーを大量に強奪すると、総・銀髪になると気付いたようです。 それからですね。白文鳥《精霊鳥》捕獲の技術を悪用して、その精霊エネルギーを吸い始めたのは」

……フンフンと相槌を打つ、半透明の人体《鳥使い姫》幽霊であった。

「スパルナ王は、白文鳥《精霊鳥》を害する行動を良しとせず、族長の権限の及ぶ精霊契約の一種をもって、彼を部族から《絶縁》しました。 しかし、その後も彼は、白文鳥《精霊鳥》の精霊エネルギーをますます大量に吸い取り……上京して、帝都の酒姫(サーキイ)として成功しています」

『聖地巡礼を希望する程度に反省するどころか、逆にねじ曲がって、禁術の生贄《魔導札》にまで手を出した……砂漠の砂は尽きるとも、世に悪の種は尽きまじ、ってところね』

――いまは憎むべき不倶戴天の敵、従兄(あに)ユージドが思い出される。ユージドも、平然と嘲笑していた。何の罪も無い白文鳥《精霊鳥》が、生贄《魔導札》の巻き添えで、骨と皮になって死にかけたのに。

話に聞く銀髪の酒姫(サーキイ)が、どんな理由があったにせよ、従兄(あに)ユージドや御曹司トルジンと同じように、性根が腐れ果てた人物なのは、確実だ。

オーラン少年が「外道」と言いつのった訳が、やっと理解できた。

あの《魔導》カラクリ人形……老魔導士フィーヴァーの作業机の下にあった棺桶の……人工銀髪をした人形は、その酒姫(サーキイ)がモデルなのだ。

いつだったか、アルジーが入ってしまった結果とはいえ、『酒姫(サーキイ)人形』が動いた時は、さぞビックリしただろう。

――それにしても、名前『アルジュナ』。本名『アリージュ』や性別詐称・男『アルジー』と似てる名前だ。

たぶん、それもあるのだろう。いきなり《魔導》カラクリ人形を動かせたのは。

老魔導士フィーヴァーが、あの人形の名前を「アルジュナ号」と言ってたし。

半透明の姫君の霊魂が、そのスナギツネ面に大いに眉根を寄せ、「うーん」と言わんばかりの思案顔になった。

『……とすると……オーラン少年には妹が居るって聞いてるけど……妹さんも、ひと房の銀髪、持ち?』

「確かに、オーラン君には妹が居ます。《鳥使い姫》お察しのとおり、子孫の特徴として彼女も、ひと房の銀髪を持ちます。 ――オーラン君は、随分とペラペラ喋ったようですね。族滅の任務を帯びた刺客(アサシン)に狙われる立場ゆえ、覆面ターバンで身元を隠す必要があるのですが」

『あ、成る程……そういう事なら、詳しくは聞かないわ。でも、大丈夫なの? 護衛が必要では?』

「袖の中に秘密を隠したままで良いとのこと、ご配慮いただきまして」

鷹匠ユーサーが、丁重に一礼した。

「ですが、オーラン君は、平均以上に上手に、各種の刀剣を使います。セルヴィン殿下の護衛も務められる程度には、オローグ君と私とで仕込みましたので。 オローグ君は白鷹騎士団の正式な団員ではありませんが、訓練所の卒業生の一人です。 帝都の各種の騎士団が、副業として、諸国の城砦(カスバ)から上京して来た子弟の訓練をおこなっていることは、ご存知ですね?」

人体《鳥使い姫》幽霊のスナギツネ顔が、優雅な所作で、顎(あご)に軽く片手を当てた。定番の思案ポーズ。

『何となく……私は女子だったから、訓練の話が来なかったのかしら? 免許皆伝とか、それに近い卒業資格を取れば、帝国軍の特殊部隊にも上位資格で入れるし。 くわえて隊商(キャラバン)傭兵としての武者修行の成果しだいでは、諸国の城砦(カスバ)の軍隊の上のほうとか、たとえば親衛隊への就職にも困らないわね』

ポツポツと《精霊語》で語られる《鳥使い姫》の談話は、適宜、鷹匠ユーサーによって、護衛オローグ青年とセルヴィン皇子へ翻訳されてゆく。

『諸国の城砦(カスバ)の、御曹司とかの親衛隊の給料って、かなり相場が高いほうなの。お仕着せの制服の支給もあったりするし。 金欠の城砦(カスバ)だと、人件費を抑えるために、流れの傭兵から募(つの)るのがほとんど……あ、脱税と不正蓄財をしておいて、証拠隠滅にいそしんでるような、カネにキタナイ類の城砦(カスバ)も、そうね』

セルヴィン皇子は、興味津々で耳を傾けていた。護衛オローグ青年のほうは、多少は事情に通じるところもあるようで、訳知り顔で穏やかな苦笑をたたえている。

地方・辺境の中小の城砦(カスバ)で展開している、微妙に小金持ちなギラギラした層の猟官活動などの裏話の類は、帝都の上層部へはあまり上がって来ない類だというのは、よく分かる。 一獲千金を狙うならず者、一発逆転を狙う没落諸侯、成り上がりを志す弱小諸侯、……胡乱な人々が大勢ひしめく一種の熱い領域ではあるけれど。

やがて、人体《鳥使い姫》幽霊は、眉根をキュッと寄せて腕を組んだ。

ひとつの代表的な事例として、御曹司トルジンのことを思い出したのだ。

――あの生贄の黄金祭壇の場で、憎むべき従兄(あに)たるシュクラ王太子ユージドと、罰当たりなハーレム夫たる御曹司トルジンが、長年の知り合いのように並んでいたのは不思議だったのだ。

こうして落ち着いて、帝都の各種の騎士団における「上京して来た子弟の訓練」という副業ビジネスの話を聞かなければ、そうした不思議な人脈ができる状況を推察できなかった。

特定の、同じ騎士団で、子弟として訓練を受ける機会があったということで、合理的に説明できる。

その間に、従兄(あに)ユージドが、御曹司トルジンに、ひいてはトルーラン将軍にも……命乞いか何か、 とにかく「生かしておいた方が得」というような、《邪霊使い》ならではの策略や賄賂を仕掛けたであろうことも。

アルジーには、騎士団の訓練生としての剣の腕前は無いが、シュクラ第一王女としての国家祭祀の剣舞は、恩師オババ殿の指導のもと相当に極めた。 その方面からの見立てになるが、御曹司トルジンと、《邪霊使い》と化した従兄(あに)ユージドとで、剣筋の展開は確かに同類だったと思う。

御曹司トルジンは、一応は「雷霆刀」を持つ。部族交流の宴会で披露する「英雄の剣舞」もこなす。その筋の帝都の騎士団、それも「雷霆刀」の名門の卒業生なのは分かる。 でも即戦力では無い。骸骨アリージュ姫の回し蹴りで、倒せたくらいだ。ちょっとした街歩きにも、いつもベタ褒めやらゴマすりやらを兼ねる親衛隊を、ゾロゾロ引き連れていた。

実戦からっきしな御曹司トルジンに比べると、《骸骨剣士》に対応できた従兄(あに)ユージドのほうは、 物理的戦闘力も備えた《邪霊使い》として活動するという目的があったのだろう、真面目に訓練していた様子。いまの帝国を殲滅して、純正シュクラ帝国とする、などと語っていたし。

――御曹司トルジンの「実戦からっきし」腕前で、「雷霆刀」免許皆伝の名誉を獲得したのは、事実。

――元・王侯のひとりであるシュクラ王太子にして《邪霊使い》ユージドが、トルジンを上回る剣の腕前を持ちながらも、「雷霆刀」免許皆伝の名誉を獲得していないのも、事実。

同じ「雷霆刀」の名門の騎士団で訓練したであろうに、その格差の理由は……

――10年以上にわたって、御曹司トルジンを標準として注意深く見聞きして来ただけに、アルジーの不信の念は根深いものがある。

人体《鳥使い姫》幽霊の口パク――白文鳥アルジーの《精霊語》語りが再開した。

『帝都の騎士団の、子弟向けの訓練や免許皆伝の試験は、多額の寄付金……賄賂でパスできるよね? 案外、《邪霊使い》工作員も潜入してる筈。 狙い目の、名門の騎士団リスト……部族交流の宴会でやり取りされてたから、こっちでは』

鷹匠ユーサーが慎重に翻訳してゆく。

この辺りの、エグイとも言える裏話は、鷹匠ユーサーや護衛オローグ青年、セルヴィン皇子にとっては耳新しい内容であったようだ。戸惑った表情。

『白鷹騎士団の訓練所の卒業生の一人としての、オローグさんの腕前どれくらいですの? 隊商(キャラバン)傭兵の報酬を決める、対《骸骨剣士》指数ランクで?』

翻訳してもらっていたセルヴィン皇子が、不思議そうな顔になった。

「そういう判定基準があるの?」

『普通よ? 表では免許皆伝とかの成績詐称の書類、実際に取引するのは裏の、対《骸骨剣士》指数ランク。そして差額を、ごっそり懐に入れる。 やり方次第では、一ヶ月で帝国通貨の最高額の大判10枚くらいは、かたく脱税……』

「いま、穏やかならぬ巨額犯罪を、教唆された気がしますが。裏街道の曖昧なほのめかし程度で、詳細な手口までは知られていませんでしたが……」

「クムラン殿と情報共有しておきます、ユーサー殿。もしかしたら、クムラン殿の抱えている問題が解決するかも知れません。この手口は盲点でした。 騎士団の訓練所の免状を、こういう風に悪用されるのは想定外ですし、そこまで大金になるとは……」

鷹匠ユーサーが翻訳しつつ、呆れかえっていた。

概要をつかんだ護衛オローグ青年も衝撃が大きかったのか、少しの間「頭痛が痛い」という風に、こめかみを揉んでいたのだった。

少しばかりの違和感。

白文鳥アルジーは首を傾げた。合わせて、人体《鳥使い姫》幽霊も、首を傾げていた。

(ジャヌーブ砦では知られてなかった手口って事かしら。東帝城砦では普及しまくっている手口で、トルーラン将軍と御曹司トルジンの、巨額脱税ビジネスの目玉でもあるけど)

やがて護衛オローグ青年が、あれこれと思案顔をしながら、アルジーの疑問へ対応し始めた。

「対《骸骨剣士》指数ランク……定義としては、街角に沸いた《骸骨剣士》をどれくらい倒せるか、一刻のうちに、で良いですか?」

『うん、そう。中堅の隊商(キャラバン)傭兵に求められる戦闘力が《骸骨剣士》20体の討伐。それ以下は、見習いランク。30体の討伐までは、雇用主のフトコロ具合によって報酬に差があるけど。 《骸骨剣士》50体超を半刻のうちに倒せるなら、特急の隊商(キャラバン)で取り合いになる人材ね。砂嵐で出る大型の邪霊害獣に対応できる戦闘力だから』

翻訳を挟み。

セルヴィン皇子が「厳しい要求だな」と、なかば呆れ顔になっていた。

鷹匠ユーサーと護衛オローグ青年は、「民間の隊商(キャラバン)などでも独自に戦闘力を判定するのか」、「意外なくらい現実的に使える戦闘力区分で興味深い」……と感心している風である。

「その判定基準でいうと、オーラン君の戦闘力は相当に上位まで行きますね。セルヴィン殿下が生贄《魔導陣》作用により多数の《骸骨剣士》に囲まれ、 オーラン君が囲みを破って脱出路を開きましたが、《骸骨剣士》30体は間違いなく調伏しましたから。半刻のうちに」

――それって。

少年兵のクセして、あの元・衛兵の二日酔い中年ワリドより、はるかに強いってことよね!? オーラン少年を仕込んだというオローグ青年も……

アルジーは仰天するばかりだ。

人体《鳥使い姫》幽霊の表情変化が意外に明瞭だったらしい。

黒髪の護衛オローグ青年が、吹き出し笑いをしそうな様子でアサッテの方を向いていた。

時に、表情は、万の言葉よりも雄弁。

見るからに骸骨さながらの虚弱児・藁クズ少年セルヴィン殿下が、ちょっと拗(す)ねたのか、「健康になれば、私も割とやるほうだ……」と、ボソッと呟いたのだった。

――確か、白タカ・ノジュムの説明によれば、帝都大市場(グランド・バザール)の偽造宝石ショップを摘発したという話があったような。 オーラン少年と一緒に、2人だけで、帝都大市場(グランド・バザール)の探検とか……

(まだ健康だった頃は、冒険者気質な、活発な少年だったのかも知れないな)

自分の幼い頃を思い出し、シンミリしつつ。

目下、『魔法のランプ』の中で神秘的な「お焚き上げ」作業中の、《火の精霊》による新たなエネルギー補給が順調に進むよう、祈るアルジーであった。

ついでに、セルヴィン少年のターバン装飾石となっている、気難しい護符《精霊石》と適合するような、精霊魔法の護符との巡り合わせも。

――こんなにゆっくり出来る時間、あまり無さそうな気がする。

良い機会だ。セルヴィン少年の抱えている生贄《魔導陣》の問題についても、聞ける範囲で、聞いておこう。 アルジーの抱えていた生贄《魔導陣》の問題とは少し異なる様子だけど、情報交換を通じて、双方ともに得られるところは、ある筈。

人体《鳥使い姫》幽霊は、白文鳥アルジーの、つらつらとした思案作業に同調して、少しの間「何かを考えているところ」という定番のポーズをとっていた。若干、面(おもて)を伏せている形だ。

程なくして、人体《鳥使い姫》幽霊がパッと面(おもて)を上げて、鷹匠ユーサーへと語り掛け始めた。ちなみに、実際に《精霊語》で話しているのは、白文鳥アルジーのほうである。

『……セルヴィン殿下の、生贄《魔導陣》の解呪って、どうやりますの?』

「セルヴィン殿下に仕掛けられた生贄《魔導陣》は、呪術としては単純なものです。帝都皇族の政争が関わる分、事情が複雑化しておりますが」

自分の話題になったからか、藁クズ少年セルヴィン皇子は、クマのひどい目を大きく見開いた。次にきまり悪そうな顔になって、アサッテの方向に視線を泳がせ始めたのだった。 健康であれば、頬が紅潮していたところだろう。分かりやすい。

鷹匠ユーサーの解説がつづいた。

「私は鷹匠であり、魔導士のように専門的に理解している訳ではありませんが……基本的には、生命力を吸い取っている存在を滅すれば、解呪となります。呪詛返し手法が有効です。 ですが、相手が強力な守護精霊に守られている、あるいは強力な護符を有している、などの場合は、呪詛返しに対して返り討ちを受ける可能性があるため、危険です」

人体《鳥使い姫》幽霊がフンフンと相槌を打って、スラスラと応じる。

『被害者側で、呪術の作用を《一時的に遮断》、あるいは《細く薄く引き伸ばして遅延》、といった消極的な防護になる? 霊験あらたかな薬膳料理、 毛髪の色を変える精霊の祝福を生命エネルギーに転換して補充、適合する精霊魔法の護符、出血や怪我をごまかす隠蔽用の御札……』

鷹匠ユーサーは不意に顎(あご)に手を当て、眉根を寄せて思案顔になった。

人類にとっては、相当にディープな《精霊語》が混ざっていたらしい。《鳥使い》が使う、白文鳥《精霊語》どころか……超古代『精霊魔法文明』伝統を引き継ぐ《青衣の霊媒師》が使いこなすような、最高難度の部類の。

鷹匠ユーサー自身の理解のためもあるのだろう、オウム返しの、帝国語への翻訳が挟まり。人体《鳥使い姫》幽霊と白文鳥アルジーとで、帝国語での概念と食い違う箇所を、チョコチョコと修正して。

セルヴィン皇子と護衛オローグ青年は、分かったり分からなかったり、という表情。

程なくして、鷹匠ユーサーが、深刻そうな様子で問い返した。

「……それ程に、慎重かつ厳重な防護を施す事例は、滅多に聞きませんが。《鳥使い姫》は、妙に重度・最重度の生贄《魔導陣》への対応に詳しいようですね。 首元の《人食鬼(グール)》裂傷と関係あり、ですか?」

少しの間、緊張に満ちた沈黙が横たわった。

セルヴィン少年の生贄《魔導陣》が軽く発動したらしい。倒れるほどでは無いが、急に疲労が来たという様子で、セルヴィン少年はグッタリと息をついている。

察しの良い白タカ・ノジュムが、バルコニーの柵の上で振り返った。

『聞かないでやってくれ、相棒ユーサー。精霊界の厳重な制約があるゆえ、《鳥使い姫》は、その類に答えることは出来ない。 いみじくも《火の精霊》が指摘したとおり、この世で最強のトラブル吸引魔法の壺を抱えている』

少しばかり長めに、白タカ・ノジュムの《精霊語》がつづく。

『いま退魔調伏の雨が降っている状態じゃ無ければ、もっと精霊の異次元空間が歪んで、深刻な『引き寄せ』が起きてるところだ。 そこに、通り魔ゴロツキ邪霊《骸骨剣士》が沸いた。セルヴィンの生贄《魔導陣》発作が呼んだヤツだが』

白タカ・ノジュムの指摘どおり。

路上で早速、空気を読まない通り魔《骸骨剣士》出現の騒ぎが始まっていた。

沸いて来た《骸骨剣士》は、20体から30体ほど。

清掃に来ていたスタッフが退魔調伏の御札を貼り付けて、無害な熱砂に変えているところだ。助っ人を買って出た通行人――衛兵が数人ほど加勢している。

騒ぎに気付いた、藁クズ少年セルヴィン皇子と、護衛オローグ青年が、目を丸くしてバルコニーから身を乗り出した……そして、眼下に展開している有り様を、呆然と眺めるのみだった。

白タカ・ノジュムが、ヒョイと、無表情で絶句している鷹匠ユーサーの肩に止まり。

『もしかしたら、《鳥使い姫》が所有しているトラブル吸引魔法の壺が役立つかも知れんから、言っとこう』

人類同士のやりとりに比べて、《精霊語》は高速だ。人類の目で見ると、白タカと白文鳥がチラリと視線を合わせた、という程度の変化。

『老魔導士の言及のとおり、セルヴィンの生贄《魔導陣》に関して、5人の魔導士クズレが死んでいる。つまり現在、セルヴィンの生命力を吸い取っているのは、例の酒姫(サーキイ)含めて5人、居る。 この機に乗じてセルヴィンの生命力を盗みはじめた「相乗り」4人が、皇族とのアタリは付いてる。皇族政争の件もあるし』

『ひどい話ね。5人でよってたかって、14歳の少年の生命力を《生贄》魔導陣でもって、ドンドン吸い取って……それで、 セルヴィンが瘦せ衰えて死んでしまっても、構わないという……酒姫(サーキイ)と皇族4人……全員で5人。まとめて、呪詛返しにするとか?』

『酒姫(サーキイ)はともかく皇族4人は、強い血統と護符が存在するゆえ、呪詛返しは難しい。目下、手段はふたつだ。ひとつ、セルヴィンの生命力を、奴らの吸い取り速度を超えて上積みするか。 ふたつ、適合する精霊魔法の護符を装着するか。人類の身体は都合良く出来てないから、適合する精霊魔法の護符を探すのが有望。だが、《鳥使い姫》の問題に比べて、はるかに簡単な手順で解呪できるのは確かだ』

白タカ・ノジュムの説明が終わる頃には、既に、ゴロツキ邪霊《骸骨剣士》すべて退魔調伏が済んでいた。

路上は、みるみるうちに、日常の平穏を取り戻していった。

程なくして。

クムラン副官と老魔導士フィーヴァーが、帰還して来た。一区切りついたらしい。路上の通りからバルコニーのほうを眺め、手を振り。しかる後に、バルコニーまで上がって来たのだった。

――オーラン少年は、相変わらず姿を見せない。

「また《骸骨剣士》の群れが沸いたって聞いたぞ、オローグ殿。あちらさんも、なかなか飽きないらしいな」

「クムラン殿。気になる情報を仕入れたばかりなんだが、例の団体の、裏金と二重帳簿の事件、まだ正体が分かっていない謎の大金の移動が記録されていただろう。 もしかしたら騎士団の訓練所の免状を悪用する手口かも知れん」

「訓練所の免状の悪用? なんだ、その手口は?」

「正規品の証明書を偽造して高値転売するのと似ている。傭兵の調達と重なり合うところがある分、取引市場は意外に大きそうだ。ヘタしたら帝国全土だ」

「訓練所の免状で、そんな方法あるのか? 騎士団の訓練所、対《人食鬼(グール)》戦力の人材発掘を兼ねてる筈……あ、カネに目が眩むヤツは、やるな……ツテや、抜け道があれば」

護衛オローグ青年とクムラン副官は、諸侯クラスの宮廷社交の中で出逢い、帝都のどこかの部署で同僚となり、親友になったというだけあって、気が合う様子だ。

しばし、青年2人で、隅のほうでゴニョゴニョした後。

話がまとまったらしく、2人は卓へ戻って来た。

クムラン副官は若者らしく腹を大いに減らしていて、卓につくなり、豪快に食事し始めた。

昼食は、市場(バザール)で買い込んで来たものだ。護衛オローグ青年の分もある。オーラン少年とは、何やら『ご存知の場所』で落ち合ったとの事で、差し入れ済とのこと。

健康な男性の食欲ぶりに、白文鳥アルジーは、あらためて感心するのみだ。

一区切りになったところで、クムラン副官がテキパキと、現在進行中の捜査状況を説明し始めた。

「ともあれ、今朝の発見物証をそろえて、タフジン大調査官のもと、新たな事実が確定したから連携しとこう」

鷹匠ユーサーと護衛オローグ青年への連携が主で、藁クズ少年セルヴィン皇子は、皇族の権限上、傍聴する形である。老魔導士フィーヴァーは、《魔導》のほうで認識の食い違いがあれば、口を差し挟む担当だ。

――幽霊が傍聴するというのは、普通は無いのでカウント外であるが。シッカリ聞き耳を立てる白文鳥アルジーにして、人体《鳥使い姫》幽霊であった。

「ラーザム死亡事件は、殺人事件として帝都方面へ報告。赤毛男バシールとその妻は、あらためて事情聴取だ。大したことは聞けてないが、近いうち南洋沿岸で、灰色商売の店を取り締まる予定が入った。 特命の取次ディロンは、取次を解雇された」

「ラーザム財務官の特命の取次業者ディロン解雇は、少し処分が重そうな気がするが」

「故ラーザム財務官ハーレム第三夫人を寝取った件が発覚したからな。第一夫人が、サクッとクビにした。係累の女性とは言え、さすが王侯諸侯の御怒り、というところだ。 冷淡という評判の第一夫人だが、案外、第三夫人の名誉の保護に動いてる。第一夫人として、ラーザム死亡後のハーレム解体を指揮しなきゃいけない立場責任もあるんだろうが、 たいした運営能力を有する女傑だよ。ラーザム財務官の葬式では、興味深い光景が展開するかもな。見物する価値はありそうだ」

藁クズ少年セルヴィン皇子は静かにしていたが、クムラン副官の報告に、注意深く聞き耳を立てているのは明らかだ。内容を半分以上は理解している様子で、帝王学をしっかり学んでいるのが窺える。

「第一夫人が、念のため第三夫人を問い詰めたところ、取次業者ディロン御謹製『黒ダイヤモンド取次契約書』が出て来た。要するに架空の黒ダイヤモンド事業へ投資させるという金融詐欺だな。 取次業者ディロンは、ラーザム財務官の名前の威力を使って、ハーレム妻からもカネをちょろまかした疑いがある。 なんでも、大きな黒ダイヤモンド発掘があって、その情報を売って大儲けするつもりだったらしい」

老魔導士フィーヴァーが、「この類の分野では、クムラン君はノリノリだな」と感心している。

昼食と連携が一段落し、クムラン副官は、袖の中から「コインのような物」を2個ほど取り出した。

「取次業者ディロンが色々と訳知りだったから、今朝の怪奇なブツと一緒に出て来た、こいつも見せてみたんだが。よくある賭場の換金コインの類だ。 ディロンは、真顔で『知らない』と言って来た。少し前に港町で摘発した際に出て来た、大麻(ハシシ)裏稼業の賭場なんかの換金コインのほうは、6種類もあったのを一目で見分けて来たんだがな」

卓の上に。

久々に、アルジーにとっては、見慣れたような気のする、あのコインが置かれた。

――濃色の、琥珀ガラス製の……賭場コイン。

藁クズ少年セルヴィンと、護衛オローグ青年が、興味津々な様子で、各々手に取り、表と裏を返した。

コイン型の表に刻まれているのは、古代の紋章のような雰囲気の……歪んだ目のような形をした刻印。

裏側には、古代書体《精霊文字》の数字。

――「916」。「917」。

『あの怪奇趣味の、賭場の……!』

――今でも、終わっていなかったのか。

忘れられない。忘れられるものか。

かの憎むべき従兄(あに)ユージドも参加していた、忌まわしい賭場を。

表向き、邪霊の仮面をつけた給仕たちがウヨウヨしていて、参加者たちは邪霊を模した石膏像だの酒壺だのを拝んで、踊って、唖然となるような大金をドブに捨てて。

その裏では、地下神殿の……あの『逆しまの石の女』が取り巻く忌まわしい黄金祭壇で、恐るべき生贄の儀式が、同時進行していたのだ。

いつしか、感情の波が、呆然自失がおさまり……

白文鳥アルジーと、人体《鳥使い姫》幽霊が、同時に、目をパチクリさせた。いつの間にか、白文鳥アルジーの頭に、警戒モードの冠羽がピッと立っていた。

卓の周りの、その場は……異様な雰囲気に満ちていたのだった。

緊急の雰囲気を感じていたらしく、『魔法のランプ』の口から《火の精霊》が現れ、ネコミミを出していた。

昼下がりの刻の筈なのに、何故なのか――周囲が――『暗い』。

そのことにアルジーが気付くや……何らかの緊張がフッと解けたらしく、『暗さ』が雲散霧消した。昼下がりの明るさ。薄青い雨が降りつづける音。

クムラン副官と護衛オローグ青年は、途方もなく忌まわしい光景を見た直後のように、青ざめて震えていた。鷹匠ユーサーも顔色が変わって……口を引きつらせている。

藁クズ少年セルヴィンが何か大声を上げようとしているのを、老魔導士フィーヴァーが、素早くさえぎった。

老魔導士フィーヴァーの鳶色(とびいろ)の目は、油断の無い、鋭い光を浮かべている。

「先ほどの……暗い『黙示』は……《鳥使い姫》が、此処に来る前に目撃した光景じゃな? ――恐らくは、生前に見た、最期の光景と見ゆるが」

――私、何かしていたっけ?

まだ身体の震えがつづいている。白文鳥アルジーは、慎重に『魔法のランプ』を見つめた。同調して、人体《鳥使い姫》幽霊も、同じものを見つめる。 幽霊のほうは、人体の意識に引きずられていたらしい。驚きのあまり卓に手をついて、立ち上がっている格好だ。

……『魔法のランプ』の口に灯っていた《火の精霊》のネコミミがピクリと震え、パチリと弾けた。

『降雨の銀幕に、霊魂の記憶を描き出して投影しておったのだ。ひどく動揺した時の霊魂がやる分裂現象だ。記憶も、その霊魂の構成要素ゆえな。「黙示録」という言い方のほうが、通りが良いであろうが』

ネコミミを揺らしながらも、《火の精霊》は慎重に説明し続けた。

『人類に達した「黙示」を繰り返しておこう。暗い地下神殿。邪霊の黄金の炎を灯す、1001台の魔法のランプ。 《人食鬼(グール)》カギ爪から削り出した三日月刀(シャムシール)。生贄の首を刎ねる作法でもって、それを振り上げる、黄金骸骨の仮面をした黒衣の巨漢』

――《精霊語》に習熟する老魔導士と鷹匠は、《火の精霊》の不気味な言及を、シッカリ受け取っている気配だ。幽霊《鳥使い姫》は、2人に向かって、無言でコックリと頷いてみせるのみだ。

やがて。

老魔導士フィーヴァーは、大きな息をついて、どっかりと椅子に座り直した。腕組みをして、つらつらと思案し始める。シワだらけの老練な面相は、いっそうシワを深くしていた。

「先ほどの、恐ろしく忌まわしき幻影は何なのか、とは敢えて問わん。その霊魂の傷――《人食鬼(グール)》裂傷をつくった事象じゃ。 ゆえに精霊界の厳しい制約と限界が掛かっとる訳だ。その中で、一瞬だけ示唆して来た重大な『黙示』じゃろうからな。この謎を解くのは、我らの務めじゃ」

護衛オローグ青年とクムラン副官が、そもそものきっかけとなった琥珀ガラス製のコイン2枚を、薄気味悪そうに眺めた。

……《邪霊使い》関与を明らかにした、あの《三つ首サソリ》焼死体、怪奇な黄金《魔導札》、忌まわしい造形の使用済みボトルなどより、 よほど重大な物証である――ということを直感するだけの、勘の良さはある……

「このコインと関係があるのは確かだな。数字『916』『917』、通貨にしては大きい金額だが……」

「取次業者ディロンでさえ知らなかったブツ、よほどの秘密結社か暗殺教団の類だろうぜ、恐ろしく秘密保持の巧みな。 しかし《邪霊使い》御用達の賭場なんかあったかな? えてして《邪霊使い》というヤツ、大金に執着するくせして、経済活動や投資といった資産運用の類への宗教的嫌悪は、 トチ狂った清貧至高主義の有象無象カルトと同じだ」

「ラーザム事件現場から、賭場で使うタイプの換金コインが出て来たのは事実だ。《邪霊使い》が使う小道具と一緒に。ということは、《邪霊使い》を捕まえて尋問する必要がある。 もう1人の《邪霊使い》が居る筈だ……このジャヌーブ砦に」

「もげた刺客(アサシン)と同じようには捕まらんだろう、今まで捕まらなかったんだ。《邪霊使い》特有の薔薇輝石(ロードナイト)の目の区別、これでも自信あったんだが。 潜伏に長けてるようだな。ラーザム財務官を殺害した訳だから、動機を持ってそうなヤツを洗い直すところから、やってみるか」

「月に一度の市場(バザール)取引タイミングに合わせて殺害を実行した……頭が良い。大勢の商人や輸送業者が出入りする時期だ。砂の山から一粒の砂金を探し出すのと同じくらい手が掛かる」

藁クズ少年セルヴィン皇子が、そっと、人体《鳥使い姫》幽霊を眺めて来ていた。琥珀とも金色ともつかぬ眼差しに、なんとも言いようの無い、ギクシャクとした奇妙な表情が浮かんでいる。

白文鳥アルジーは、自分よりずっと年下な、少年の気分をほぐそうとして……

人体《鳥使い姫》幽霊の顔となっているスナギツネ面の細い目を、いっそう糸のように細くして、「え、えへ?」とばかりに、首をコテンとやるのみだ。霊魂は汗をかかないが、正直、内心、冷や汗ダラダラである。

程なくして、再び『魔法のランプ』の中に引っ込んでいた《火の精霊》が、ランプの口から、「ネコミミ炎」をヒョコリと現した。

現れたのは「ネコミミ炎」だけでは無かった。ランプの口から「ニューッ」とばかりに、ネコ全身の形が現れたのだ。手乗りサイズながら、キチンとした《火吹きネコマタ》ならではの、2本のネコ尾が付いている。

ヒラリ、と軽く卓上に飛び降りた、そのネコの形をした炎は……既にパチパチと燃える炎では無かった。 子供の片手の中にも収まるような、ちっちゃなサイズながら、本格的な赤トラ猫の毛皮を完備した、堂々とした(?)子ネコの火吹きネコマタであった。

一旦チョコンと座って、片方の「ネコの手」をチョイと上げた……そのネコ姿は、さながら、聖火神殿の定番の土産物『招き猫の置き物』。縁起物インテリアにもなる、ミニサイズ彫刻タイプ護符。

戸惑い顔のセルヴィン殿下が手を差し出すと、ちっちゃな手乗りサイズの火吹きネコマタは、セルヴィンの指の上にチョン、と「ネコの手」を置いた。

アルジーが眺めてみる限りでは、何らかの不思議な絆でもって、セルヴィン殿下と《火の精霊》の間に意思疎通が成立しているように見える。

やがて、ちっちゃな《火吹きネコマタ》は、ヒョイと、少年の手の平に飛び乗り。つづけて少年の袖をトテテ、と駆けあがり。その肩に、堂々と、お座りしたのであった。

『今夜は少しばかり、その身体を改善するゆえ心せよ我が相棒セルヴィン。発熱に備えて冷湿布を用意しておくが良い』

――つまり、今朝、偶然にも手に入れた、美麗な赤毛ケサランパサラン大玉のエネルギーでもって、多少なりとも、健康が取り戻せるだろうということだ。喜ばしい明日を祝福するアルジーであった。

■08■幕間劇:雨の朝の悪童おいた、鳥使い姫の必殺技が炸裂す

翌日。

早朝から、城門前の市場(バザール)は賑やかだ。朝市をやっている。

日没と共に、おおかたの取引が終了する予定。

月に一度の大規模取引とあって、毎度、夜間まで延長するが……高速移動タイプの交易商人たちは、正午には出払い、 港町や、その他の内陸オアシス諸都市へ向かうだろう。帝都方面へも。

夜じゅう、紗幕(カーテン)を閉め切った寝台から、発熱でウンウン言っている声がやって来ていた。さすがに白文鳥アルジーは気になって――心配にもなって、「ぴぴぃ?」と呼びかけたのだが。

少年の「入ってくんな!」という慌てたような返事や、ちっちゃな火吹きネコマタの『心配いらニャいのニャ』という解説が返って来る。

首を傾げながらも、白文鳥アルジーは、白毛ケサランパサランで出来た鳥の巣に「もちーん」と腰を据え、うつらうつらするのみであった。

――オーラン少年は、どうしたんだろうか? 夜が更けても、夜が明けても、帰還して来ない。相当、異常な状況なのでは無いだろうか。実は、不良少年だったとか?

オローグ青年やクムラン副官、鷹匠ユーサーは……ラーザム事件の再捜査で忙しい。老魔導士フィーヴァーも、夕食の後からずっと書庫に入っていて、何かを調べているところだ。 オーラン少年については、色々と、何かを知っていて、それ程、心配していないように見えるけれど。

族滅の任務を帯びた刺客(アサシン)が接近して来ているのだろうか。示し合わせて対策しているという事だろうか……

――皆が皆、袖の中に何か秘密を隠している。

アルジーだって、精霊界の制約で誰にも言えない秘密を山ほど抱え込んでいるから、お互い様だ。 アルジーは《精霊語》でしか発信できないし、白文鳥《精霊語》をよく聞き取れるのは鷹匠ユーサーだけだし。

それでも……奥歯にものが挟まったような、モヤモヤ感は、いかんとも……しがたい。

白文鳥アルジーは、つらつらと思案に沈みながらも、朝の小鳥の日課として、シッカリと水浴びをした。

伝説の怪談にも聞く《邪霊使い》御用達の、邪悪な大麻(ハシシ)がもたらす石化『シビレル魔導陣』現象は、震えあがってしまうような体験だった。何があっても、小鳥の朝の習慣は守っておくに限る。

そして、前の日に覚えたばかりのバルコニーへの出口を、飛んで行った。

バルコニーの柵へチョコンと止まり、「スサー」と伸びをやる。バルコニーから見上げる、霧雨の舞う空には……雨季ならではの大きな雲群が漂っていた。

早朝の狩りへ出るのだろう白タカ《精霊鳥》の一団が、曇り空の中をよぎって行く。雨に濡れなかった岩陰などの下に潜む、小型《邪霊害獣》各種を狩り出すに違いない。

やがて、数羽ほどの白タカ《精霊鳥》が、その鋭い視力でもって、白文鳥アルジーの姿に気付いた様子だ。特に好奇心旺盛と見える若い2羽が、バルコニーまで舞い降りて来た。

『お早う、白文鳥アリージュ、銀月の。白タカ・ノジュムから聞いている』

『羽翼の準備ができている様子だが、市場(バザール)のほうに、何か気になる事でも?』

白文鳥アルジーは少しヒョコリと首を傾げ。

『此処のオーラン少年、どこで何してるのかと思って。いつもセルヴィンの傍に居るっぽいのに、居ないんだよね』

若い白タカ《精霊鳥》2羽は、互いに顔を見合わせ。

『人類オーランの事か? ここに居る人類、白タカ・ノジュムと、その相棒が担当してたな、確か』

『白タカ・グリフィン一族のヒナが惚れ込んだと聞いてる。まだ産毛の。精霊契約、いや、未成年だった。名前を結べよ相棒、と迫ってる筈だ。そして、あちこち連れ回してる筈だ。 人類オーランはシャヒン系やスパルナ系から遠い突然変異も同然だし、《精霊語》特訓中だし、各方面へ仁義を切るのは間接で、という訳にはいかんから』

『シャヒン王統の人類シャバーズ、この砦に来てるか? あの産毛の契約相手は注目の筈だ、白鷹騎士団としてもな。《青衣の霊媒師》占いで、此処、という「アストロラーベ星団の予兆」が出てたから』

興味深い情報の端々に耳を傾けていると、1羽が不意に市場(バザール)に視線をやった。

『ゴロツキ邪霊《骸骨剣士》騒ぎが出たぞ、この退魔調伏の雨なのに』

『霧雨ほどに弱くなってるからか? 邪霊害獣も出現しているのか、様子を見てみよう』

白タカ2羽は、好奇心旺盛な若い個体らしく、サッと飛び立った。白文鳥アルジーも、つられて飛び立ったのだった。

――やはり翼があると、移動速度が違う。

あっと言う間に、市場(バザール)の一角の、騒動の近くへ到達した。既に野次馬となった人だかりで密集している。

中心にあったのは……複数人用の、結構な大きさの水タバコ装置だ。ギリギリ法律に触れないという程度の、灰色な、大麻(ハシシ)商売。『紅白の御札』に対する『灰色の御札』みたいな位置づけ。

2人のターバン男が、殴り合いケンカ真っ最中だ。

1人は、見るからにベテランの、表も裏も知るタバコ屋オヤジ。

もう1人は、超・富裕層の、甘やかされた不良ドラ息子と見える。贅沢ターバンに、豪華絢爛な長衣(カフタン)。 ダークブロンド髪は、富裕層にふさわしく栄養や手入れが行き渡っていて、惚れ惚れするような素晴らしい色と照り。見れば、お肌もピカピカだ。

――この見事なダークブロンド髪のドラ息子、不自然だ。

ドラ息子の身体全身から、よろしくない濃度の大麻(ハシシ)の、においがする。 普通、こんなに体臭に出るほどに濃い大麻(ハシシ)を吸っていたら、髪も肌も、ツヤツヤどころじゃ無い筈だ。どうやって、美容と健康を維持しているのだろう?

殴り合うたびに、粉末タバコ袋が、あっちへこっちへと跳ねている。

その粉末タバコ袋から、ギラッとした黄金色の細かな粉末が、モワモワと漂っていた。

ケンカ中の2人は、どちらも、その粉末タバコ袋を取り合っている。ボンボコ殴り合いながら。或る意味、器用な対決だ。

粉末タバコ袋から黄金色の粉末が舞うたびに、ぎらつく粉末を求めて《骸骨剣士》が沸いて来る。

そのたびに手練れの衛兵や傭兵たちが、《骸骨剣士》へ『退魔調伏』御札を貼り付けたり、退魔紋様を完備した三日月刀(シャムシール)でバラバラにしたりと、忙しい。 怪異現象の発生原因となっている、殴り合いケンカの取締りどころじゃ無い。

「こちとらクビ懸けて厳格に商売してんだ勝手に手癖の悪い拾いモノ薬物を持ち込むんじゃねえコノ野郎」

「いきなりアレ放り捨てるなんてなんてひどいオヤジだからゴロツキ邪霊が沸くんだよぉ」

「変な混ぜモノ《骸骨剣士》引き寄せ薬物『混ぜるな危険』のせいだろ灰色な商売こそ・ケチに・ガメツク・明朗会計じゃコノ野郎」

「このヤロゥたぁこのヤロゥたぁアタシを誰だと思ってんだぁ無礼オヤジィ……かくなる上は《魔導》の増強の拳でツブすぅ」

白文鳥アルジーが、真っ先に、粉末タバコ袋の異常な要素に気付いたのは、白文鳥《精霊鳥》ならではの鋭敏な感覚の賜物。

――あの粉末タバコ袋、絶対に《邪霊使い》御用達の大麻(ハシシ)が混ざっている。アヤシイ物証として確保しなければ!

人間というモノ、「いちご大福」な小鳥は見逃しても、同じ人間がいきなり出てくれば、ビックリして一瞬、動きを止める筈だ。その隙に。

薄青く光る霧雨の中に、白文鳥アルジーは、人体《鳥使い姫》幽霊を投影した。

かつてコーヒー滓(かす)入り麻袋(サンドバッグ)で日々鍛えていた、連打パンチと連続キックの腕前を披露する時だ。幽霊なので、物理的な打撃とはいかないが。

タバコ屋オヤジの肩に、白い長衣(カフタン)をまとう《鳥使い姫》がヒラリと舞い降りた。

「なんじゃこのスナギツネのネコミミ」

予想どおりギョッとして飛び上がる、ダークブロンド髪のドラ息子。

そこへ《鳥使い姫》幽霊が、派手な飛び蹴りの――技イメージを仕掛ける。

『きぇーい!』

「うほお」

見せ掛けの蹴りを避けようとして、ドラ息子は贅沢ターバンをズリ落としながら飛びすさった。

同時に、タバコ屋オヤジが、その渾身の拳(コブシ)が当たらなかったことに、ポカンとする。拳(コブシ)が当たらなかったのに、相手の身体が弾かれたように後退する筈が、無いからだ。

ドラ息子は、無様に倒れ込んだ。受け身が下手。盗賊に狙われる機会も多い富裕層のクセに、護身術の訓練を真面目にやらなかったのだろう。 贅沢ターバンがほどけて、見事なダークブロンド髪が現れるや、泥付けになる。

そのドラ息子の全身から、ぎらつく黄金の微粒子が散り、かすかな異臭が立ちのぼった。

霊魂アルジーの目に、おぞましい邪霊の色をした糸が流れているのが見える。ぎらつく黄金の微粒子が、不気味な糸を吐いている。

あの不気味な「シビレル魔導陣」を構成する……いつか見た記憶のある、《邪霊使い》の、不気味な闇の色をしたカラクリ糸のように、うねっている。

――ぎらつく黄金の粉は……「シビレル魔導陣」の糸を吐く、邪霊植物の大麻(ハシシ)成分だ!

この忌まわしい糸の流れだけでも、白文鳥の実体に到達する前に、この幽霊の力でストップしなければ。ストップできれば、だけど。

ううん、糸の流れを何とかするだけでは、絶対ダメだ。忌まわしい糸の発生源となっている、穢(けが)れた毛穴という毛穴、秘孔という秘孔を、怨敵調伏、徹底的に退魔調伏しなければ。

再び身を起こそうとする泥だらけのドラ息子へ、スナギツネ顔の《鳥使い姫》幽霊が飛び掛かった。

連打パンチの技イメージを浴びせる。高速で。

小さな白羽の形をした残像が、数多ブワッと出現して……まるで故郷シュクラの春の名物、花吹雪のように舞った。忌まわしく邪悪な糸と反応するや、もろともに《根源の氣》の煙となってゆく。

――意外に、この霊魂の連打パンチで、いけそう。ならば、霊魂の連続キックも……!

見物人という見物人が驚きに目を見張るような、高速の連打パンチと連続キックの技が炸裂した。たまに往復ビンタも。幽霊イメージ、ではあるけれど。

白文鳥の羽と見える、小さな白羽の幻影が――無数に舞っては、《根源の氣》の煙に変わる。

何らかの風圧めいた感覚はあるのか、抵抗しようとしてドラ息子が、メチャクチャに握りこぶしを振り回す。

それは、白文鳥アルジーの物理的実体を、直撃した。

――ゴン!

想定外の重い衝撃だが、構っていられない。宙に飛び上がっていた粉末タバコ袋を、小鳥の両足でキャッチすることに成功したのだから。

目を回してヘロヘロになりながらも……白文鳥アルジーは向かい側の屋台店の、パラソル型の紗幕の上へ向かって、死に物狂いで羽ばたいた。

近くで、あの若い個体の、白タカ《精霊鳥》の驚きの声がつづいている。

ケンカの場へ、巧みに割り込んで来た人々が数名ほど。

「このぉこのぉお『いちご大福』ツブしてやるぅう」

何やら魔法でも使ったかのように、ビョーンと、驚くほど高くジャンプして来たドラ息子。その手に、ガシッと、乱暴に掴まれた。

――ピンチ!

次の瞬間、白タカ《精霊鳥》数羽が、ドラ息子に一斉に飛び掛かった。

シミひとつ無く隅々まで磨かれた重労働を知らぬ手は、いまや白タカの鋭い爪の集中攻撃を受け、柔らかな皮膚が多数えぐれて、血だらけになった。 贅沢な長衣(カフタン)も、あっちこっちへと引っ張られて、ビリビリと裂けてゆく。

「うぎゃーす」

ドラ息子の悲鳴。白文鳥アルジーをつかんでいた手から、力が抜けた。

四方八方から白タカ《精霊鳥》に攻撃されて、ドラ息子の身体が、再び泥へ突っ込む……バッシャン!

「取り押さえろ」

中年世代といった男性の低い声、たった一言なのに、タダ者じゃない気配、満々だ。

素人目にも明らかな手練れ、数名の軍装姿がザッと動き、瞬く間に、意地汚く暴れるドラ息子を身柄確保している。呆然とした顔の、拳闘態勢なタバコ屋オヤジも。

ヘロヘロとなった白文鳥アルジーは、いつしか、見知らぬ人類の手にコロンと転げ落ち。仰向けにひっくり返ったまま、ジタバタするのみだ。 いつの間にか、苦労して小鳥の足でつかんでいた粉末タバコ袋は、その人物の手に奪われている。

パニックの白文鳥アルジーを包み込むように、ポンともう一つの手が乗せられる。

「落ち着きたまえ。何処から渡って来た白文鳥なのか分からんが、あの《鳥使い》の幽霊……姫ベールだから姫君か? あの幽霊娘が主人か?」

見知らぬ――タダ者では無い、と感じた、あの男性の声だ。

みるみるうちに、気持ちが落ち着いて来るのを感じる。精霊が好む香り……神殿の定番の、薫物の類。というよりは茶葉のようだが、相当リラックス効果があるのは間違いない。

白文鳥アルジーのパニックが落ち着いたのを承知しているかのように、上に乗っていた手が、外された。

すこぶる驚くくらい、顔立ちの整った……ナイスミドル男性が、のぞきこんで来ている。

――年齢に応じた白髪混ざりの、それでも見事なダークブロンドの髪色が目を引く。

思慮深さを感じさせる、落ち着いた琥珀色の目。

ターバンや長衣(カフタン)は真紅色……聖火神殿の神官のもの。

此処ジャヌーブ砦の聖火礼拝堂に、この男性が居ただろうか。ヒラ神官の装束だが、本当は、もっと偉い神官ではないか。上半身を彩る、洗練された意匠の護符《精霊石》一式を見ても、そんな感じ。

「そなたの主人は、随分とお転婆な姫君……じゃなくて、骸骨の姫君……だな」

見ると、スナギツネ顔をした人体《鳥使い姫》幽霊は、エネルギーを使い過ぎたせいで……懐かしい《骸骨剣士》ソックリの、生前のアルジーそのものの姿となっていたのだった。

恐れを成した群衆が遠巻きにしていて、それでも怖いモノ見たさの勇敢な野次馬が最前列を争っていて、ホラーさながらの光景に目を剥いている。

白い長衣(カフタン)と、姫ベールをまとう――《鳥使い》装束の――半透明の《骸骨剣士》が、不気味な「骸骨笑い」をしながら、 腰が抜けて座り込んだドラ息子を麻袋(サンドバッグ)と見立てたかのように、奥義「隕石蹂躙拳(自称)」と「回天殲滅脚(自称)」を浴びせつづけていたのだった。

おまけに、どこからか出現して来た白文鳥の群れが加勢して来て、ドラ息子の全身を、ドドド……と、つつきまくっている。 どれも骸骨と化した小鳥の幽霊だ。骸骨の姿と化した《鳥使い姫》幽霊に合わせての、怪奇ユーモアなのか……

あの忌まわしい禁術カラクリ糸の流れは全滅していた。

禁術の大麻(ハシシ)に穢(けが)れた毛穴という毛穴、秘孔という秘孔を、怨敵調伏モグラたたき、とばかりに、プチプチと退魔調伏していっている段階だ。

白文鳥のものと思しき、小さな白羽が多数、空中を舞い続けている。「羽根布団から羽根を噴出させる」という富裕層の子供のイタズラは定番だが、さながら、それが再現されたかのような光景。ただし骸骨バージョンで。

もちろん幽霊なので物理的な何か、といったモノは無いのだが。

心霊現象というべきか。

幽霊パンチと幽霊キックの度に、ドラ息子の顔面にも身体全身にも、小鳥の足の形をスタンプしたかのような、白いアザが増えていっている。 白文鳥の足に白いインクを付けて、それでペタペタ踏みにじっているかのようなのだ。

周囲に集まって来た白タカ《精霊鳥》数羽ほど、驚き呆れた様子で見物している。

『恐るべき「倍返し」だな。帝都皇族の護符《精霊石》の威力を無視して』

『徹底的にやるか《鳥使い姫》、《鳥舟(アルカ)》《超転移》驚異の合わせ技!』

『白文鳥の集団霊、かの《銀月のジン=アルシェラト》召喚の権能を有する《白孔雀》お怒りの直撃!』

『邪霊からの返り討ちことごとく無効化してるじゃねーか、おい。トンデモ高難度の精霊魔法の筈だが』

新たに駆け付けて来た軍装姿、数名も……珍奇なシロモノを目撃した、と言わんばかりに、野次馬と一緒になって好奇心でキラキラしている。

――これは相当に、怪談だ。

当分の間、この哀れなドラ息子は、《鳥使い姫》骸骨と白文鳥の骸骨の群れに襲われるという……恐ろしい悪夢に悩まされることになるだろう。

そして次の瞬間、薄青く光る霧雨が晴れた。快晴だ。

怪奇現象を振りまいていた、スナギツネ顔の《鳥使い姫》――最後には《骸骨剣士》と化していた姫君の幽霊は、陽光の中へ、スッと消滅していった。大量の白文鳥・骸骨の幽霊と共に。

腰を抜かしてヘタれ果てていたドラ息子は、恐怖と緊張の糸が切れて、今度こそ本当に失神し……降雨の名残の泥の中に、グンニャリと横たわった。

*****

水タバコの屋台前での大ゲンカと、それに伴う怪現象が収束した。

騒動に釣られて沸いていたゴロツキ邪霊《骸骨剣士》の後始末が済み、タバコ屋オヤジは尋常の事情聴取の後、いつも通りに、灰色な水タバコ商売を始めていた。

不思議に堂々としたヒラの神官――ダークブロンド髪をしたナイスミドル神官の手の平の上で、白文鳥アルジーは恥じ入るばかりに、小鳥の頭を、モコモコの身の中に収めていた。 パッと見た目、ふわもちの白毛玉ケサランパサランである。

ナイスミドル神官へ、その従者と思しきベテラン鷹匠にして騎士が、タバコ屋オヤジから聞き取った内容を報告していた。中高年ベテラン鷹匠の肩には、白タカ《精霊鳥》が止まっている。

白タカ《精霊鳥》のほうとは、既に《精霊語》で自己紹介が済んでいる。白タカ・サディル。同僚の、鷹匠ユーサーの白タカ・ノジュムを、よく知っていると言う。

――これから、白タカ・サディルと白タカ・ノジュムの間で、白文鳥アルジーがやらかした恥ずかしいアレコレが情報交換されるのかと思うと、今から深い穴を掘って埋まりたくなる……

「リドワーン閣下、こういう次第でございます」

「この朝からご苦労だったな、鷹匠ビザン殿」

例のドラ息子は、なんと、「第六皇子カムザング殿下」。セルヴィン殿下にとっては、ハーレム兄弟。

ラーザム財務官が属していた帝都皇族の派閥が……盛り立てている皇子。将来の帝国皇帝(シャーハンシャー)と目される有望な皇子たちの、ひとり。

さすが、帝都を騒がせる有力者、いまは亡きラーザム財務官、というところだ。

元々、例のドラ息子「第六皇子カムザング殿下」は、隠れて大麻(ハシシ)を吸うばかりでなく、あちこちへ転売して大儲けする犯罪組織を運営していたという。

帝都から、両大河(ユーラ・ターラー)のうちの『ターラー河』を船でくだり、南海へ出て、海路、ジャヌーブ港町へ渡り。 近日中にジャヌーブ砦でおこなわれる、故ラーザム財務官の葬式へ出席する予定の人物だった。

今回、厳しい教育係やお目付け役の居る帝都から離れたことで大いに羽目を外し。港町で南洋諸部族のマネをして刺青(タトゥー)を入れつつ。 痛み止めに必要だからと、大っぴらに高濃度の大麻(ハシシ)を吸い続け。

ついでに、裏の大麻(ハシシ)タバコ粉末も手に入れた、と言う。あの、アヤシイ粉末タバコ袋がそれだ。帝都でも流通している、闇ブランド限定の高額品だと言うが……

此処で、朝っぱらから水タバコにコッソリ入れて濃厚に楽しもうとしたところ。

ベテランのタバコ屋オヤジに、アヤシイ粉末タバコ袋でもって、不法な濃度の大麻(ハシシ)を持ち込んだと見抜かれて、あのような殴り合いになった――という次第。

「このたびの第六皇子カムザング殿下の不始末、ラーザム財務官の突然死とも相まって、宮廷の勢力図に妙な変動を起こしそうですな」

「むしろ、天網恢恢疎にして漏らさず、この展開に驚かされるところだ。最近の大麻(ハシシ)転売事件で、カムザング皇子は元締めに近い立場だったが、 本人は皇族利権やら宮廷勢力やらを大いに活用し、哀れな被害者として、無罪放免で逃げ切っていたのだからな。カムザング皇子の派閥を構成する有力者や魔導士が有能というのも大きいが……」

「しかも、犯罪の手先だった実働部隊を暗殺だの処刑だので始末し、証拠隠滅しておいて、彼らの親族たち全員、 連座制の悪用でもって、無関係な者にまで、カムザング皇子を陥れようとした叛逆仲間という『レッテル張り』工作をしておいて、ですな。 もう少しで重鎮の城砦(カスバ)すら激怒させ、帝国が分裂するところでした。リドワーン閣下」

――リドワーン閣下。

アルジーの中で、過去の記憶の火花が散った。

白タカ・ノジュムが、セルヴィン殿下に関連して言及した名前だ!

――帝都の大聖火神殿の、辣腕の財政理事リドワーン閣下。神官へ降下したとはいえ皇弟殿下だ。ということは、セルヴィン少年の叔父だ。 セルヴィン皇子の帝王学の仕上げとなる実地訓練の部分を担当して、ビシバシ指導したとか……

…………

……リドワーン閣下は、いまや「泥付けのドラ息子」姿となった、第六皇子カムザング殿下を、しげしげと眺めているところだ。

失神したまま、だらしなく横たわっている。

胸元でジャラジャラ・チャラチャラしている贅沢な金鎖。カムザング皇子は、護符チェーンとして、このようなチャラチャラ金鎖の数々を、好んで身に着ける性質。 今回の怪奇現象に対して、何故か護符チェーンは、まったく役立たず、であった。

白文鳥の足跡が、白いアザとなって全身に残っていて……いずれ消えるだろうと思われるところだが。

「この怪奇現象は、最初から最後まで謎だ。あの《鳥使い》幽霊が、この白文鳥に、粉末タバコ袋の奪取という危険な……犯罪めいた仕事をさせた、目的と理由は?」

「幽霊や亡霊は線香を好むと聞きますが、大麻(ハシシ)タバコの線香を所望だったのか、と想像するところです。 いずれにせよ怪奇現象の解明は、いち鷹匠である私ビザンの能力を超えるところ。皇子セルヴィンの体調管理をしておられる、あの老魔導士どのなら……」

「そうだな」

リドワーン閣下は思案顔で頷き。

再び、相変わらず朦朧(もうろう)としているカムザング皇子の様子を眺め……近くに控えていた護衛と思しき面々へ目配せする。

護衛らしき面々は訳知り顔で、砦の衛兵たちと合図をかわした。

集まって来た衛兵たちなど軍装姿の人々の手で、カムザング皇子の身体は紗幕に乗せられ、速やかに運搬されていった。「砦にある皇族専用の宿泊室へ」などという数々の確認事項の声が聞こえて来る。

一段落ついたところで、ナイスミドル神官リドワーン閣下は、手の平のうえで白毛玉と化した白文鳥アルジーをチラと見やった。

「この奇妙な白文鳥についても徹底的に解明するよう、依頼せねば。急ごう」

「御意に……あの幽霊の装束はスパルナ系《鳥使い》のものでしたが、あの年恰好で、幽霊になっても執着するほどに、不法の大麻(ハシシ)をたしなむ娘が居たかどうか……?」

鷹匠ビザン、という中高年の軍装男は、相棒の白タカ・サディルの白羽を装着したターバン頭を振り振り、リドワーン閣下の後に忠実に随行し始めた。

――と、そこへ。

見覚えのある白ワシ《精霊鳥》が舞い降りて来た。白タカ・ノジュムの同僚の、ベテラン白タカ《精霊鳥》だ。鋭く鳴く。

『皇子セルヴィンが何者かに襲われて重傷! 老魔導士が、医療区画の、例の一角へ来るよう呼びつけている!』

――あの、今にも死にそうな虚弱児セルヴィン少年が、怪我!? ……重傷!?

唖然とする、白文鳥アルジーであった。

■09■謎の襲撃、事象の交錯、そして砦に来たりし者は

――霧雨が終わるか、終わらないか、という頃。

骸骨と化した《鳥使い姫》による、怪奇「倍返し」が総仕上げを迎えていた時。

老魔導士フィーヴァーが詰めている医療用の区画の部屋は、一時的にではあるが、セルヴィン少年のみ、という状況であった。

そこへ……錠前を非合法に破って、侵入して来た者があった。

いかにも不審者という風の薄汚れた作業着でもって、厳重に人相風体を隠蔽している。その生成り色の覆面ターバンには、何故か《象使い》装束の、象レリーフ付きの広幅サークレットが取り付けられてある。

不審者は寝台の紗幕(カーテン)を開くや、刃物を振るって少年に襲い掛かった。

――まるで最初から、始末するべき少年が、そこに居た事を知っていたかのように。

少年は、反射的に身を返した。かつて健康であった頃は、このようであったろう――という身のこなしでもって。

帝都皇族が持つ護身用の短剣が閃き、不審者の刃物をわずかに弾く。その回避行動が無かったら、少年が受けた傷は軽傷には収まらなかっただろう……少年の脇腹を、不審者の刃物が、したたかに切り裂いていた。

次の瞬間。

少年の短剣の返す刃が《火の精霊》の炎を噴出しつつ、不審者の頭部装飾を切り裂いていた。

ぎらつく黄金色をした粒が飛び、象レリーフ彫刻に深いヒビ割れを起こすと共に……広幅サークレットが弾き飛ばされていった。

不審者はセルヴィン少年の人相を――かの《聖火》を宿す高貴な金色の眼差しを認識するや、カッと目を見開き、「クソ!」と毒づいた。

そして、逃走して。

不審者は、元から煙であったかのように、行方をくらましていた。

*****

――朝の、城門前の市場(バザール)の一角。

ただならぬ速度で舞い降りて来た白タカ《精霊鳥》が、鋭い声で鳴いた。

鷹匠ビザンが顔色を変えながらも、早口で翻訳する。

「セルヴィン皇子が、襲撃されて重傷とのこと! 至急、老魔導士どのの医療区画へ!」

ダークブロンド髪を持つナイスミドル神官リドワーン閣下の、琥珀色の眼差しが険しくなった。諸国の城砦(カスバ)の王侯諸侯どころではない、威厳ある帝王の怒り、というところだ。

リドワーン閣下は、従者と思しき鷹匠ビザンと共に、駆け出した……

…………

……そして、到着した医療区画。

老魔導士フィーヴァーが詰める区画へと通じる、仕切り扉の前。

働き盛り世代の、医療スタッフ姿の男女が数名ほど、ひっきりなしに出入りしている。煮沸消毒した清潔な水壺や医療用リネンタオル、邪霊退散の御札、ほか諸々を抱えて。

門番を務めているのは、鷹匠ユーサーと白タカ・ノジュムだ。

区画の扉から出る分岐通路のところで、護衛オローグ青年とクムラン副官が、見覚えのある人相の見張り兵や衛兵と共にキビキビと動き回っている。 見張り兵が、石畳の隙間から何かを見付けたらしく、「遺留物!」という大声を上げた。

鷹匠ユーサーが、区画の扉の前に新しく到着した面々を確認して驚きの表情を浮かべ、サッと敬礼の所作をした。

「これは、リドワーン閣下。鷹匠ビザン殿も、おいでとは」

鷹匠ユーサーの肩に止まっていた白タカ・ノジュムが、ヒョイと身を乗り出した。

『なんだ其処に居たのか《鳥使い姫》。さっき、市場(バザール)で幽霊消滅した、と若鳥から聞いたが』

『えーと、あの、それより、セルヴィン少年が重傷で危ないとか、どうとか』

『傷が大きくて出血量は増えたが、無事だ。目下、傷痕の処理でバタバタしてるが。最高難度「倍返し」したそうだな。カムザング皇子、さぞ大量の「倍返し」痕が出来ただろう』

『? もしかして、あの怪奇現象……《骸骨剣士》の幽霊パンチと幽霊キックのこと? 白文鳥の骸骨の集団霊が出て来たのも合わせて?』

――頭上のほうでは。

同時並行して、鷹匠ユーサーが、ヒラ神官に見えないヒラ神官・リドワーン閣下と問答していた。

すぐに区画の扉が開き、屋内への移動が始まった。

ズラリと並ぶ、サボテン製の扉が見えて来た。そのうち、ひとつの扉が、パッと開く。

老魔導士フィーヴァーが寝起きしている続き部屋とは違うが、似た雰囲気の内装で、明らかに手術室という風。

あちこちに傷痕縫合用の縫い針と縫い糸だの、消毒用のアルコール瓶だの、うず高く重なったリネンタオルや包帯だの――を揃えたカゴの数々が見える。

作業台さながらの意外に小さい寝台が、中央に配置されている。

そのうえにグッタリと横たわった少年の身体があり、その手前に、手術用のリネン作業着に身を包んだ老魔導士フィーヴァーが居た。 背後からも、その手が、素晴らしい速度で手術を進めている様子が見て取れる。

周囲を取り巻く補助の医療スタッフ5名ほどが、手際よく出血痕を拭きとりつつ消毒をつづけていた。同時並行で、紅白『邪霊退散』御札が早いペースで交換されている。

「そこで止まれ! もう少しで縫合が終わるんじゃ、雑菌も、余計な邪霊も近付けるな!」

老練な技術でもって、言葉どおり、程なくして縫合が終了した。訳知り顔をした若手の医療スタッフの男女ペアが、消毒液で湿布と包帯を絞り、手際よく、少年の身体に包帯を巻いてゆく。

医療スタッフたちによる熟練の術後処置を見届けて……老魔導士フィーヴァーは、ようやく「ホーッ」と大きな息をついた。

慎重な手つきで、老魔導士は、ギョッとするような多数の出血痕にまみれた、リネン作業着を取り外した。

モッサァ白ヒゲは、専用の「ヒゲ袋」に入れてまとめてあった。ハチマキをキッチリ締めていて、立派なお眉のほうも、固定されてあった。こんな時だが「成る程」と納得するばかりの、アルジーである。

さっそく、ダークブロンド髪をしたナイスミドル神官リドワーン閣下が、鋭く問いかける。

「セルヴィンの容体は?」

「無事じゃ。《骸骨剣士》来襲から生還した程度には。もちろん生贄《魔導陣》の影響で、基礎的な生命力に不足があるうえ、傷が大きくて出血多量じゃ。 一般的な14歳なら、3日か4日ほど……そうじゃな、10日ほどは調子が戻りきらず、グッタリしているじゃろう。だが、間違いなく命に別条は無く、安定して回復へ向かっておる。奇跡的なことに」

「それほどの出血多量で、無事とは……」

いずれにしても衝撃的な情報だったのか、リドワーン閣下という名のナイスミドル神官は、震える手を口元に押し当てていた。気のせいか、その琥珀色の目の端に、うっすら光るものがあるような……

医療スタッフがテキパキと、作業台の足に車輪をセットし始めた。

「白ヒゲ先生、患者を寝台へ移動します。移動先の入院室の指示ねがいます。ほかにも指示があれば」

「ワシの続き部屋へ。オーラン君が入っていた寝台のほうじゃない、間違いなくセルヴィン皇子の寝台のほうへ移動するのじゃ」

「承知です。護衛さんと副官さんに、余計な埃(ほこり)を立てず《邪霊退散》御札も完備なら、オーラン君の寝台の捜索が可能、とお伝えしておきます」

「おお、忘れておった。頼むぞ」

その言及の奇妙さに気付いたのは、鷹匠ビザンだ。

「オーラン君は、セルヴィン殿下の護衛を務めている筈だが……オーラン君が入っていた寝台を捜索?」

「早とちりで妙な誤解をするで無いぞよ、鷹匠ビザン殿。オーラン君がセルヴィン殿下を襲ったのでは無い。 セルヴィン殿下が、外出中のオーラン君の寝台に入っていて、そこで、不審者に襲撃されたのじゃ」

「どういう状況なんです、それは?」

「オーラン君は、目下、中型《人食鬼(グール)》に捕食されかけた際の重傷で、寝台から出られない程の状態、という設定なのじゃ。 それで、昨夜から今日の朝まで、不在のオーラン君の代わりに、セルヴィン殿下がオーラン君の寝台に入っておった。 ちょうど身体の都合で、一晩じゅう苦悶にうめくという、オーラン君の設定にハマっておった。それも要因と見ゆる」

「セルヴィン殿下がオーラン君のふりをしたって事ですか? オーラン君は何処に?」

「さてのう。いずれにせよ目下オーラン君は、対立する有力者から放たれた刺客(アサシン)に付け狙われているうえに、白タカ《精霊鳥》の件もくわわって多忙じゃ。 14歳の少年同士、我ら大人に明かさずに企むことは多かろう。だが《邪霊使い》のような真に邪悪な行為はせん筈よ。坊主たちは色々と考えておるし、勇敢じゃぞ」

老魔導士フィーヴァーは、いつもの飄々とした歩みで、手術室から直通する扉を通って続き部屋へと移動した。つられるようにして、リドワーン閣下と鷹匠ビザンも入室する。

既に、老魔導士の続き部屋の扉は開錠されていて、事件現場となった寝台の捜索が始まっていた。

捜索メンバーは、護衛オローグ青年、クムラン副官、鷹匠ユーサー、それに最も信頼する部下なのであろう、覚えのある人相の戦士1名。

事件現場となった簡素な寝台の周りを、実体化したセルヴィンの相棒《火の精霊》――ちっちゃな手乗りサイズの《火吹きネコマタ》が、2本のネコ尾を振り回しつつ、チョロチョロと動き回っていた。

寝台の掛布団は、床のうえに、乱暴に落ちていた。シーツの上には痛ましいまでの大出血の……真っ赤な痕跡。抜き身の、護身用の短剣が近くに転がっている。 正体不明の刺客(アサシン)と、刃を打ち合わせる局面があったのは、明らかだ……

…………

……ナイスミドル神官リドワーン閣下が、サッと部屋を横切った。手の平に、ふわもち白文鳥アルジーを乗せたまま。

いかにも帝都皇族向けという格式を備えている、もうひとつの寝台に、セルヴィン少年が入っている。

麻酔が効いて、眠っているところ。

傷痕を刺激しないためであろう、掛布団は大きくめくられていた。

不健康に痩せ細った半裸、その脇腹をカバーするように巻かれた包帯には、血がにじんでいた。 止血処置が済んだ今は、この出血は、縫合痕から徐々に出血したものであって問題は無いが、それでも痛々しいという印象には変わりない。

寝台を覆う紗幕(カーテン)は開かれていたが、その紗幕(カーテン)は、数段階ほども強い退魔紋様が織り込まれた新品に交換されていた。 さらなる用心のため、帝国軍で使うドリームキャッチャー護符が吊り下げられてある。

――確かに、昨夜、セルヴィン少年がウンウン呻いていた時の寝台は、オーラン少年の……これよりは簡素な寝台のほうだった。

仲の良い14歳の少年同士、寝台をとっかえっこする位は普通にやる雰囲気だったので、アルジーのほうでは違和感を覚えなかったのだが……確かに妙な状況ではある。

目下、白毛玉と化している白文鳥アルジーは、リドワーン閣下の手の平のうえで、翼の間から、そっと……セルヴィン少年のほうをうかがった。

頭上のほうで、リドワーン閣下が、すこぶる驚いた、という風に呟いている。

「随分と……回復したように見える。重傷を負った直後なのに……生贄《魔導陣》で倒れたばかりの頃と比べると」

白文鳥アルジーも、同じ驚きに満ちていた。

これが、本当にあのセルヴィン少年? ――と、何度も確かめるくらいだ。

みじめな藁クズそのものだった、パサパサの黄土色の髪は、うっすらと、ダークブロンドの色艶と輝きを帯びていた。本来の髪の色は、ダークブロンドなのかも知れない。 同じ皇族の兄弟である、あの「第六皇子カムザング殿下」の髪に近い感じの。

容貌も、骸骨ソックリの顔というよりは――病み上がりの、痩身の少年という風。

意外に綺麗な顔立ち。今の時点でこうなのだから、もっと健康になったら……息を呑みつつ、眺めているうちに。

――あれ?

何かがピンと来て、白文鳥アルジーは、セルヴィン少年と、ナイスミドル神官リドワーン閣下を見比べた。

――同じ琥珀色の目だ。セルヴィン少年の目は、金色に近い曖昧な色だけど。

それに……骨格が、面差しが、ゆゆしきまでに似ているような気がする。血のつながった叔父と甥なのだから当然としても、この類似は……直系の関係、 すなわち実父と実子といっても差し支えないくらい……

あの「第六皇子カムザング殿下」だって、リドワーン閣下と、叔父と甥の関係だ。ダークブロンド髪は、よく似ていた。 帝国全体の守護精霊《火霊王》国家祭祀を王統として引き継ぐ皇族全体に、共通する特徴なのだろう。 でも、セルヴィン皇子と、リドワーン閣下の間に感じられる「ゆゆしき類似」と言うほどでは無い。

これは……いったい何だろう。

白文鳥《精霊鳥》ならではの鋭敏な感覚が、何かを感じているのは確かだけど……

グルグルと思案を巡らせている間に、鷹匠ユーサーが近づいて来た。

早速、ナイスミドル神官リドワーン閣下が、手の平に乗った白文鳥アルジーを示した。アルジーは恥じ入って、縮こまるばかりだ。

鷹匠ユーサーが、すぐに気付く……その肩に居る白タカ・ノジュムは、鷹匠ビザンの相棒の白タカ・サディルと情報交換して、こちらは首を振り振り、感心しているといった雰囲気であった。

「――これは、《鳥使い姫》?」

「鷹匠ユーサー殿は、この奇妙な白文鳥を知っているのか? 城門前の市場(バザール)で幽霊騒ぎがあってな、そこで拾った個体だ。この砦には、白文鳥の渡りは……ここ数百年ほどは無かったと記憶しているが」

「山ほど訳のある、白文鳥《精霊鳥》でございます。リドワーン閣下。降雨の間、《鳥使い》装束をまとう姫君の幽霊が出ていませんでしたか」

「まさに指摘のとおりだ。ネコミミ付きの珍妙な姫ベールだったが……ユーサー殿が持っていたほうが良さそうだな。私の手の上だと、白い毛玉になって反応しなくなるのだ」

「見知らぬ人物を警戒しているだけかと。それに《精霊語》聞き取りの問題がありますから……来られますか、《鳥使い姫》?」

白文鳥アルジーは、ようやくホッとした思いになって、ピョンと、鷹匠ユーサーの手の平に乗り移った……そして、ふわもち白文鳥の身をほぐして、 まさに『いちご大福』さながらに「もちーん」と座り込み、くつろいだのだった。実際は、ぐったりと座り込んだ、という思いであったが。

「さて《鳥使い姫》。城門前の市場(バザール)に居たようですが、何があったのか説明していただけますね?」

『リドワーン閣下が持っている粉末タバコ袋。あれを巡って、ケンカがあって。袋が行方不明になって、悪者の手に渡ったら大変だから、取り上げて、持っていようと思って……』

「成る程。リドワーン閣下、その手に粉末タバコ袋をお持ちですね」

困惑顔で首を傾げる、ナイスミドル神官リドワーン閣下であった。その脇に控えている鷹匠ビザンも。

老魔導士フィーヴァーが間仕切りの紗幕(カーテン)を開き、白ヒゲをモサモサさせながら、その奥の空間へ移動した。

談話室だ。大きな幾何学格子窓があって、明るい。筆記用具だの茶器だの、それに茶卓やクッションが適当に並んだ、話しやすそうな空間である。

「さて、ジックリ話そうかの。オローグ君にクムラン君、それにシャロフ君、襲撃現場の寝台から何か見つかったら、いつでも持って来てくれたまえ」

「承知いたしました」

代表として、護衛オローグ青年が応答して来た。

年かさの男たちは談話室に入った。老魔導士フィーヴァー、ナイスミドル神官リドワーン閣下、鷹匠ビザン、鷹匠ユーサーの順番で、それぞれの談話クッションに座を占め。

真ん中の茶卓に、第六皇子カムザング殿下が持ち込んでいた「怪しげな粉末タバコ袋」が、そっと置かれる。

早くも怪しげな粉末タバコ袋の中身が、老魔導士フィーヴァーの手によって明らかにされた。

「禁術の大麻(ハシシ)が混ざっておるな。《邪霊使い》御用達、不法に邪霊の類を召喚するための」

「……何ですって? そう言えば、ゴロツキ邪霊《骸骨剣士》も異常に出現していましたが、あれが……!」

サッと顔色を変える、中高年ベテラン鷹匠ビザンである。

「この物証で、第六皇子カムザング殿下の皇族籍の剥奪は……確実となりますね。宮廷勢力図が変わります、本当に」

「それだけに留まらんのじゃぞ、鷹匠ビザン殿」

老魔導士フィーヴァーが陰気に呟く。

手つきが慎重なものに代わり、黒い長衣(カフタン)の袖から、手品のように紅白の風呂敷を取り出した。毎度、退魔紋様が織り込まれてある品だ。

「このタバコ袋も普通の素材では無い。暗殺教団の邪悪の極みというヤツじゃ、ここではつまびらかに説明はせん。 とりわけ白文鳥《精霊鳥》にとっては怒髪天モノじゃろう。それに、この中身の特殊な濃度と配合、明らかにセルヴィン殿下の生贄《魔導陣》を好き勝手にイジるための、専用の薬物じゃよ」

頭上で、鷹匠ユーサーの平板な声が響く。こちらも何だか怖い雰囲気。

「それでは、老魔導士どの。第六皇子カムザング殿下は、セルヴィン殿下の生贄《魔導陣》発動に相乗りして、生命力を奪い取っている5人のうち、1人でございますね」

「そのとおりじゃ。この辺り一帯の南洋沿岸の港町や集落には、このような邪悪な素材を扱えるような、暗殺教団ご用達《魔導》工房の設備は無い。闇ブランド限定品というのも、半分は嘘じゃな」

老魔導士の不気味な説明がつづく。

「セルヴィン殿下の生贄《魔導陣》のみに照準を定めた、裏口ルート《魔導》相乗り5人のためだけの、特製品じゃ。 帝都の《魔導》工房、あるいは、それに匹敵する大型《工房》を抱える城砦(カスバ)に潜む、暗殺教団や《邪霊使い》のツテを通して取り寄せた筈じゃよ」

鷹匠ビザンが首を振り振り、半ば頭を抱える形になる。

「……何という事だ! 皇族だろうとアタリを付けてはいたが、このような形で発覚するとは!」

「カムザング皇子の特別犯罪について、帝都宮廷の司法部門の重鎮たちへ緊急報告を飛ばしてくれたまえ、鷹匠ビザン殿」

「承知」

中高年ベテラン鷹匠ビザンは、リドワーン閣下や鷹匠ユーサーと目配せした後、速やかに立ち去って行った。相棒を務める白タカ《精霊鳥》サディルも一緒に。

老魔導士フィーヴァーは、粉末タバコ袋を、紅白の退魔紋様の風呂敷でキッチリと包んだ。談話室の隅へ大股で移動し、そこにある道具箱をパカリと開き……黒ダイヤモンド鍵の手提げ金庫を取り出して来た。

慎重な手つきで手提げ金庫へ、問題のブツを封入しつつ。

「カムザング皇子を《魔導》手術し、セルヴィン皇子を害しておる《魔導》ルートを切断して、解呪する。これを我らの手でおこなうには、帝国の司法部門と魔導大臣の協議決定が必要になる。 カムザング派閥の妨害が入るじゃろうし、決定まで時間はかかる見込みじゃが、やらねばならん」

――隣室の、事件現場となっている寝室のほうは静かだ。捜査メンバー揃って一時的に作業の手を止め、老魔導士の言及に聞き耳を立てている雰囲気。

「今朝のセルヴィン襲撃の謎についても、見通しを付けておかねば。カムザング皇子の到着と重なったのは、偶然のような気もするが」

そう言うリドワーン閣下の琥珀色の眼差しは、絶対零度の光を帯びていた。本気で怖い。元・皇族だったと聞くけれど、皇族としても、絶対タダ者では無い。

鷹匠ユーサーの手の平の上で、白毛玉と化しながらも、モコモコ羽毛の隙間から注意深く窺う、白文鳥アルジーであった。

程なくして、事件現場の寝台の捜索があらかた済んだ様子だ。

クムラン副官と護衛オローグ青年、それに助手を務めた配下シャロフ青年がそろって、膝をついた報告姿勢でもって報告を始めた。身分の高い来訪者の御前とあって。

護衛オローグ青年が一礼し、談話室の卓上に、丁寧に遺留物を並べた。若干の解説を加えつつ。

――《邪霊使い》定番の装飾、通常の精霊魔法の護符チェーンのふりをした《邪霊害獣の金鎖》の一部。《邪霊害獣》の黄金の骨で出来ている。 紅白《退魔調伏》御札ナシで相当数の《邪霊害獣》を狩れるなら、誰でも製作できる。セルヴィン皇子の護身用の短剣で断ち切られ、床に落ちていた。

――《象使い》特有の装甲。深いヒビが入っている。《邪霊使い》の金鎖を留め紐としていた様子。セルヴィン皇子が抵抗し、短剣で、装甲に斬撃を加えたと思われる。金鎖が弾け落ちたのも、装甲のヒビも、その時のもの。

――不法に破られた、この部屋のサボテン扉の錠前を回収。黄金の《魔導札》が詰め込まれていたのを発見。《邪霊害獣の金鎖》で発動する類であり、 《邪霊使い》によって作成された不法侵入用《魔導札》が使われたものと断定される。

以上で、説明が一段落した。襲撃現場の遺留物は3点、ということだ。

老魔導士フィーヴァーが身を乗り出し、さっそく黄金色をした「不法侵入用《魔導札》」を手に取った。

「うむ。確かに《邪霊使い》が作成した不法侵入用《魔導札》じゃ。出入口のサボテン扉は、分解して裏返してみると分かるが、退魔紋様を施した基板を使っておるのじゃ。 くわえて内部の空洞に、邪霊侵入の防止のための、ドリームキャッチャー形式の護符を吊り下げておる。土地柄、飾り羽のほうは、南洋沿岸の貝殻の護符を連ねたものじゃが」

クムラン副官が口を挟む。

「その《魔導札》、ヤバイ暗殺教団とかの御用達ですか? 以前の宴会で取り押さえられた赤毛商人バシールの、長衣(カフタン)の袖の中に、 いつの間にか入っていたと言う不法侵入用《魔導札》と、よく似ている気がするんですが」

老魔導士フィーヴァーは大きく頷いた。

「まさに、その通り。あのラーザム死亡現場の近くにあった邪霊召喚セットの《魔導札》とも、筆跡が一致しておる。間違いなく、つながっとるな。 ラーザム殺害犯にして、禁術の《人食鬼(グール)》召喚者は、宴会で飲んだくれていた赤毛商人バシールにも大麻(ハシシ)を盛っていた訳じゃ。捜査を混乱させるためかの。目的と理由は分からんが」

老魔導士の手の中で、黄金《魔導札》が、紙でもなく金属でもない不思議な音を立てる……魔導士ご用達の、全国展開《魔導》工房の主力製品。その製造法は、一般人には秘密。

――襲撃者は、どういう人物なのだろう? 間違いなく《邪霊使い》だけど、《象使い》専用の広幅サークレットなんて……

興味津々で、白文鳥アルジーは白毛玉の中から小鳥の首を出し、白文鳥の姿へ戻った。礼儀正しく、鷹匠ユーサーの手の平から移動せず、そこでニューッと伸びあがる。

護衛オローグ青年の説明どおり、《象使い》の頭部を保護するための、象牙色をした合金製の象レリーフは、ひび割れていた。

殺伐とした暴力――生々しい襲撃と戦闘の痕跡。内心、たらりと冷や汗をかくアルジーである。

よく命があったものだ。セルヴィン少年は「健康になれば、私も割とやるほうだ」と拗(す)ねていたけれど。ハッタリじゃ無くて、真実で良かった。

ダークブロンド髪のナイスミドル神官リドワーン閣下が、場違いなまでに不自然な遺留物――象レリーフ付きの広幅サークレットを眺めつつ、形の良い眉をひそめる。

「……奇妙だな。犯人は《象使い》なのか?」

「断定できませんが、品そのものは本物です。元々、重量のある物を運搬する作業が多く、いつ何があるか分からない。おそらく予備のものかと」

「この砦に勤務する《象使い》は2人。老女ナディテ殿、その後継ドルヴ殿です」

護衛オローグ青年につづく形で、クムラン副官が、生真面目な口調でキビキビと応じていた。 大将軍カスラーに次ぐジャヌーブ砦の次席の将軍4人のうち1人、バムシャード長官が大抜擢したと聞いている――いま見ると納得、と感心する白文鳥アルジーであった。

「シャロフ殿、すぐにバムシャード長官とタフジン大調査官に報告して、2人の《象使い》の捜査令状を取ってくれ。身柄の扱いと事情聴取はシャロフ殿に任せる」

「承知、クムラン副官どの。それでは、報告のため、遺留物を持ち出してよろしいでしょうか」

老魔導士フィーヴァーが、シャロフ青年へ向かって「うむ」と頷く。

「3点とも、持ち出して良いぞ。注意深くな。カムザング皇子の粉末タバコ袋も事件関連性が強く疑われるところ、虎ヒゲ・タフジン君への報告を兼ねて持ち出すべきなのじゃが、中身が劇物じゃ。 当座はワシの手元で、厳重に管理しておく。間違いなく『お焚き上げ』が遂行されたのを見届けなければならん」

シャロフ青年は深々と一礼し、手慣れた所作で遺留物を包み、キビキビと談話室を退去して行った。

扉の外では数人の部下や衛兵たちがさらに待機していたらしく、少しの間、驚きの声を含むザワザワした気配がつづく。

――2人の《象使い》が襲撃犯とは思えない。《象使い》にとっては誇りでもある、大切な《象使い》装束を……それも格式のあるサークレット類を、襲撃の際に、身に着けるだろうか?

どこかに潜伏中の、《三ツ首サソリ》を使った錠前破りもやる《邪霊使い》が……《象使い》たちに、犯罪をなすり付けようとしたのだと思えるけれど。

鷹匠ユーサーの手の平の上で、白文鳥アルジーがグルグル考えているうちに。

隣室すなわちセルヴィン少年の寝台のほうから、ネコの鳴き声が聞こえて来た。セルヴィンの相棒の《火の精霊》――いまは《火吹きネコマタ》姿の。

地獄耳の『鬼耳族』クムラン副官が瞬時に気付き、バッと、その方向を振り返る。

「セルヴィン殿下が、目が覚めたようです。目撃証言とれるなら……」

全員で、セルヴィン皇子の寝台の周りへと集まる。

白文鳥アルジーは、小鳥の特権を大いに活用することにした。先陣を切って宙を飛び、枕元へと降り立ったのだ。降り立つなり、ボンヤリと目が覚めた面差しを確認し。

「ぴぴぃ?」

セルヴィン少年は、ハッとしたように頭を転がして白文鳥アルジーを認識して。認識するなり、キッと眉根を寄せて、不機嫌そうに向こう側へと顔を反らしてしまったのだった。

「来るな!」

――ガーン。

(こっちの方はメチャクチャ心配したのに、それは無いでしょ、少年!)

白羽を震わせてへたり込んだ、アルジーであった。

枕元から、ちっちゃな手乗り《火吹きネコマタ》が出て来た。ほぼ、白文鳥アルジーと同じ身体サイズだ。2本のネコ尾を揺らし、訳知り顔で「ニャー(一緒に来て)」と鳴く。

セルヴィン皇子の相棒《火の精霊》が変じた、ミニサイズ赤トラ猫《火吹きネコマタ》は、速やかに寝台を飛び降りた。

そのまま、集まって来た人々の足元をすり抜けて、トテテと走る。白文鳥アルジーも、その促しに応え、飛びながら後を付いて行った。

リドワーン閣下、鷹匠ユーサー、魔導士フィーヴァー、護衛オローグ青年、それにクムラン副官は、「おや」という風にチラリと、1匹と1羽に目をやったが、 精霊にとっては定位置の拠点、『魔法のランプ』が安置されている窓際の台へ移動して行くのを見て、なにやら納得した様子だ。そのまま、セルヴィン少年と、口々に語り始めた。

予想どおり、不審者に襲撃された時のセルヴィン皇子の覚えている内容を、目撃証言として、丁寧に聞き取っているところだ。

一方で。

ちっちゃな手乗りサイズ姿の赤トラ猫が、窓際の台にピョーンと飛び上がり、『魔法のランプ』の口部分を座布団として、お座りした。招き猫さながらに、チョイチョイと片手で招く。

火吹きネコマタに招かれる形で、白文鳥アルジーも『魔法のランプ』の優雅な取っ手部分を止まり木として、腰を据えた。

『目撃証言や、《象使い》疑惑その他の解明は、老魔導士たちに任せて大丈夫ニャ。《鳥使い姫》が城門前の市場(バザール)で成し遂げた精霊魔法《倍返し》解呪のほうが重大である。 あれは経験を積んだ守護精霊であっても最高難度のクエスト。しかも返り討ちを無効化して、《鳥舟(アルカ)》と《超転移》とで根源の氣へと還しつつ……大金星ニャ』

『え? アレは単なる骸骨の人体標本の怪談の失敗で……? 解呪って?』

『セルヴィンが重傷を負いながらも持ちこたえ、のみならず撃退のための筋肉を復活できたのも――最小限とは言え――カムザング皇子《魔導》ルートが全滅したうえに、 相当な量で、奪われていた生命力の回収に成功した結果である。生贄《魔導陣》相乗りしていた連中の1人が、第六皇子カムザングと判明したのも大きな収穫、深く礼を申すニャ』

『で、でも、あれ、ほとんど八つ当たりというか……なんか後で帝国の司法部門とかの許可が取れ次第、《魔導》手術して解呪するとか? ……それより、セルヴィン、性格が変わったとか無いよね?』

『時間差でカムザング皇子に結果が現れるゆえ、いずれ真相が明らかになろう。セルヴィン、あれでも男の子ニャで、その辺の機微、汲んでやってくれニャ。 あとで、我のほうから「大人の男になれ」と叱っておくニャ』

含みのありそうな、ニヤリとした「チェシャ笑い」が入った。子ネコの顔をした《火吹きネコマタ》のうえで、意味深に「ネコひげ」がピピンと揺れる。

いまいちピンと来ないまま、白文鳥の首を傾げる、純粋培養なアリージュ姫=アルジーであった。火吹きネコマタは何故か、「うむ」と得々した様子で頷き……速やかに、真面目な顔に戻ったのだった。

『同僚《火の精霊》から緊急連絡が入ったニャ。それで困った事態になったゆえ協力いただきたいのニャ《鳥使い姫》。 帝国皇帝(シャーハンシャー)がお忍びでジャヌーブ砦に来る。例の酒姫(サーキイ)とのアバンチュール目的で』

『いまの帝国皇帝(シャーハンシャー)、聞いてると全然「皇帝」してないよね?』

『極道の酒姫(サーキイ)と出逢ったばかりに、絶賛グダグダ晩節を汚し中ニャ』

子ネコの顔の中で、そこだけ精霊ならではの、時を超える光を宿している……金色の目が、スーッと細まる。

『しかし、セルヴィン皇子が宮廷における政治的立場を確立するまでは、いまの皇帝に死なれては困る。 宮廷内の政局が大きく動揺すれば、セルヴィン皇子の命、生贄《魔導陣》を通じて早々と刈り取られる可能性があるニャ。残り3人の相乗りを、まだ見つけられていないゆえ』

――何だか、不吉な予感がして来た。

白文鳥アルジーは、全身を毛羽立てて、少し後ずさった。

『この陰謀工作、《鳥使い姫》にしかできぬ。あの人工銀髪の《魔導》カラクリ人形を動かして、夜の行為の際に、 帝国皇帝(シャーハンシャー)の耳に「セルヴィン皇子は、もう少し生かしておいて良い、いや、生かすべきだ」と吹き込んでおいて欲しいニャ』

『よ、夜の行為……酒姫(サーキイ)って……それって……』

白文鳥アルジーの全身が、ブワッと逆毛を立てた。

『カムザング皇子が、さっそくセルヴィン殺害のための陰謀を始めているのだ。港の裏街道で強力な媚薬を入手していて、それを或る種の《魔導札》と混ぜ混ぜすると、催眠術と同じ効果を及ぼす。 帝国皇帝(シャーハンシャー)に盛って、「カムザング皇子を生贄《魔導陣》でもって殺害を企んだという特別犯罪で、セルヴィン皇子をむごたらしく処刑すべし」と、オネダリするつもりなのだ』

『も、もしかして、わたしが下手に、骸骨の幽霊怪談やって、幽霊パンチと幽霊キックをしたから』

『同僚《火の精霊》の現況報告によれば、それも大いにある様子。逆恨み八つ当たりニャ。 カムザング皇子はアレでも、帝国皇帝(シャーハンシャー)ゆずりの『レッテル張り』好きゆえ、似た者同士、食事を共にするほど寵愛される皇子である。 本人の資質にかかわらず強大な派閥が付いているのも、それが理由ニャ』

『で、でも、本物の酒姫(サーキイ)アルジュナは行方不明って聞いてるけど。何がどうなって……本人、ジャヌーブ砦に来てないの?』

『例の酒姫(サーキイ)が行方不明になったのは、帝都の宮殿の中、セルヴィンの生贄《魔導陣》契約変更にかかわる流血事件の時である。 しかし、その前の夜の『とりわけ熱烈な行為』の際、長期の国家祭祀に出発する前の帝国皇帝(シャーハンシャー)の耳に、 「ジャヌーブに用事があるから行って来るわネ」と吹き込んだ事実が判明しているニャ』

白文鳥アルジーは、ヒョコリと首を傾げた。

『それなのに、その酒姫(サーキイ)アルジュナが、ジャヌーブ砦に来てない、という訳ね? いまだに行方不明で……』

『である。カムザング皇子の挙動、《火の精霊》連絡網による再調査で、隅々まで判明している。同行している皇弟リドワーンも鷹匠ビザンも気付いていないが、 カムザング皇子は、港町すべての大麻(ハシシ)付き刺青(タトゥー)店だけでなく、娼館をも楽しんだ』

『聞き違いじゃないよね? 港町の、すべての大麻(ハシシ)取扱店と、すべての娼館をハシゴした、って……よく、そんな体力あるね? あの「第六皇子カムザング」という人、全然、鍛えてないっぽいのに?』

『例の生贄《魔導陣》を通して、セルヴィン皇子からドンドン強奪した生命力をドンドン補充していたゆえ疲れ知らずだったニャネ。我もチマチマ・ドンドン補充してたからニャ』

――確かに。納得せざるを得ないアルジーであった。

『カムザング皇子が、各々の娼館の、各々の寝台で、各々おこなった言動から推察するに、例の酒姫(サーキイ)と娼館で落ち合う予定があった様子。 前々から2人は『夜の行為』仲間であるし、とりわけ熱烈な行為の最中に、「セルヴィン殺害」の陰謀をする予定があったと見ゆる』

――もはや何も言うまい。

白文鳥アルジーは天を仰ぐ格好だ。

想像の範疇の、はるか彼方ではあるが。

そういう『タダレにタダレ果てて、もはや何が何だかな禁術モンスター屍術師アンデッド肉欲』を至上のものとする、という世界は存在する(という風に、レトリックのうえで想像するしかない)。

――それでも。

そんな、とっても、くだらない事のために、セルヴィン少年の生命力をドンドン強奪して、浪費してたなんて……!

『彼らは専横の極致を極めるゆえに、物事の原因と結果を考察する能力が無い、いや、それを必要としない。セルヴィンの死が、自身の活力減退につながるとは、全く考え付かないのだな』

火吹きネコマタの2本の尾の先で、《火の精霊》ならではの火花が散った。

『セルヴィンの衰弱が続いて、活力源としての利用価値が無くなったと判断しての、セルヴィン始末の計画ニャ。 セルヴィンが死亡して、自身の活力に不都合が生じても、イキの良い犠牲者を新しく選び、新しく生贄《魔導札》を貼り付ければ良いのである』

ちっちゃな手乗りサイズの赤トラ猫――火吹きネコマタの、不吉な説明がつづく。

『例の酒姫(サーキイ)は、行方不明になって以来、何故か帝都にも、ジャヌーブ周辺にも姿を見せておらぬ。しかし、酒姫(サーキイ)に夢中な帝国皇帝(シャーハンシャー)は、 酒姫(サーキイ)の言葉を追って、国家祭祀が終わり次第すぐにジャヌーブ港町までお忍びをし、そして、このたびジャヌーブ砦までお忍びして来たという訳にゃ』

『ちょちょちょ、ちょっと待って。お忍びして来た……って、もう来てる訳!?』

『ラーザム財務官の葬儀に参列する、有象無象のひとりとして。熱烈に寵愛する酒姫(サーキイ)独占に関する限り、かの帝国皇帝(シャーハンシャー)は、若かりし頃を彷彿とさせる、暗闘と陰謀の名人に戻る。 刺客(アサシン)工作と、汚名なすり付けイビリ工作を通じて、皇弟リドワーンを追い詰め、宮廷から排除したほどの陰湿イジメ性根の持ち主の。だから困った事態なのニャ。事は急を要するニャ』

……よせばいいのに、火吹きネコマタは、恐ろしいほどの真剣な気合を「ゴゴゴ」と入れて……

『我、セルヴィンの守護精霊である。なおかつ嘘いつわり無く、帝国皇帝(シャーハンシャー)の守護精霊を説得する権能をいただく、《火霊王》七大の御使いが一、《ジン=***アル》なり。 我が名と権能でもって、ほぼほぼ銀月の精霊なるアリージュに、強力に、協力要請するものであるぞ』

高位の精霊としての恐るべき威厳を見せた、ちっちゃな手乗りサイズの《火吹きネコマタ》は、スクッと立ち上がり、2本のネコ尾を高く振り立てた。

『さいわい月齢が上昇して来た。ネコミミ付スナギツネ顔も、偶然ながら幽霊騒動で、すっかり禿げた。それだけ《銀月の祝福》蓄積できていれば、本来の面影も浮き上がろう。 今夜にも、かの「ニセ銀月」など遠く及ばぬ絶世の美貌の酒姫(サーキイ)《鳥使い姫》の色香でもって、帝国皇帝(シャーハンシャー)を、念入りに、ボケボケに……』

……いーやー! そんな「夜のオツトメ」手腕なんか無い。絶対、できないー!

白文鳥アルジーは、ショックの余り、気が遠くなった。

コロンと、『魔法のランプ』から、ふわもち「いちご大福」な身体が転げ落ちていった。

■10■夜の宴の表と裏、前哨

アルジーが、失神から回復して……目覚めてみると。

――知らない部屋の天井だ。

やけに格式の高い装飾。夜間照明用の吊りランプも豪華絢爛。

刻は、既に夕方だ。大窓から見える空には、夕焼けの兆しが漂っている。

日没というほどでは無く、午後の後半の強烈な陽光がこたえる時間帯だが……この窓は東向きになっているため、肌を刺すような直射日光は無い。

不思議に、体力が充実している。芯から本物という感じの……体力が。

月齢の前半期間は……月の出の刻は、昼日中だ。

ということは。正午から夕方まで、タップリと……東方から差して来る、月齢の前半の、刻々と満月に近づいてゆく銀月の光を、浴びつづけていた、ということだ。

市場(バザール)の民間の代筆屋として働いていた頃には、とても考えられなかった贅沢な時間。富裕層の特権「午睡(シエスタ)」というべき時間を過ごしたらしいが。

ものすごい自然な感じと、ものすごい違和感。

アルジーは、バッと身を起こした。

目の前に、見覚えのある長い銀髪が舞った。シュクラ特産の銀糸。『手』が、想像以上に上等なベッドシーツに触れる。

予想どおり――人体だ。人体に憑依している。

正確には、あの人工銀髪をした《魔導》カラクリ人形「アルジュナ号」に。

アルジーは動転のあまり、人工銀髪をかきむしって……

アワアワしながら、誰のものなのか分からない上等な寝台から降りて、その周りをグルグルと歩き回る。

気が付いてみると全裸だ。

この《魔導》カラクリ人形を作成した老魔導士フィーヴァーは、莫大な予算を食っている事実を、しっかり理解していて。 ギリギリまで作成コストを削っていたに違いない――余計なパーツ、たとえば「男の証明」「哺乳類の証明」などは、このカラクリ人形には設置されていない。

人体の動きを実現するための、多種類の蝶番や球体関節、人工の継ぎ目が、全面に広がっているだけだ。骸骨の骨格標本に対して、スキン加工付きの関節標本とでも言えそうな……

お蔭でアルジーの「乙女ゴコロ」の被害は、ギリギリ最小限の範囲に収まったけれど。

誰も居ないけど羞恥を覚える。

目の前のベッドシーツをはいで、聖地巡礼者さながらにグルグルまとっておく。

――身体全身の動きが、なめらかだ。カラクリ人形は……いつの間にか機能改善を施されていたらしい。

やろうと思えば、遊女ミリカがやって見せていたような、華麗なステップと振付けが特徴的な回転舞踏も……本来の高速度で、こなせるのではないか。 国家祭祀の剣舞にも似ていて、体力改善に生かそうと思ってシッカリ動きを教わって、無理のないペースでチマチマおさらいしていたから、踊れることは踊れる。遊芸としての腕前は別にして。

「なんで、これは、なにが……いったい、どうなって……」

以前に憑依した時と比べて、帝国語の発声機構も自然に動いている。思わず、黙り込んでしまった。

このカラクリ人形のモデルになったと聞く本物の酒姫(サーキイ)アルジュナが、どういう声音をしていたのかは分からないが。

人工の耳で聞いた限りでは、アルジー本来の声質に近いような気がする。女性にしては低いほうの、男性のふりも出来そうな感じの、ハスキー声。本当の男性の声と比べると、明らかに女性の声と分かる音域だけど。

『前よりは、馴染んでいるようだな』

不意に、思わぬ方向から――《精霊語》の、男性の声。聞き覚えのあるような、無いような……久しぶりのような。

バッと振り返る、人工銀髪カラクリ人形アルジー。

寝台の脇の椅子に、半透明の……記憶にある黒髪の男性が、悠然と着座していた。座っていても明らかに見て取れる、背の高さ。

『クバルさん? そう言えば、赤毛はカツラだったね?』

アルジーは仰天しながらも、同じく《精霊語》で応じるのみだ。とにかく今は、すべてが混乱していて信用できない。慎重に距離を取りつつ。

妙に質の良い仕立ての、ターバンの端から見えるのは、漆黒の髪。

それに、漆黒の目。ニセ赤毛だった訳だから、本当の目の色も、もっと濃い色だったかも知れない。 でも、こんな風だっただろうか? 注意していなかったから、覚えてない。普通の茶色や鳶色(とびいろ)だったような気もするけれど。

いまのクバル青年は、なんだか身分の高そうな……王侯諸侯なみの長衣(カフタン)姿だ。蒼天の色をした生地。襟元や袖口に、亀甲紋様の金糸刺繍。 世界最大の山脈《地霊王の玉座》を間近に仰ぐと聞く、亀甲城砦(キジ・カスバ)の特産品イメージらしい。相当に値が張る筈だが、着慣れているのか、やけにシックリ馴染んでいる。

『何故そんな変装を? 南方前線に居たって……此処に居るのは、此処ジャヌーブ砦に居るからして、いま真実って分かったけど。 何故、半透明なの? あの大型《人食鬼(グール)》との一騎打ちの後で、死んだの? ええと、確か黒い柄の、雷霆刀で、一刀両断で……』

『あー、なんか色々混乱してるっすね。この言葉遣いで良いのか? 情報が間違っていたら責任を取れよ、パル殿』

『だいたい間違ってないからテキトーで良いよ、ピッ』

黒髪をしたクバル青年のターバンの上に、白文鳥パルが、ヒョコリと現れた。

『ぱ、パル……!?』

思わず浮き足立つ、カラクリ人形アルジーであった。

『落ち着け、白孔雀《魔法の鍵》継承者、銀月のアリージュ。確かにパル殿だが、まだエネルギー不足で実体化はできない。特別なルートを通って、此処に投影しているだけだ。私と一緒に』

『クバルさんっぽくない……クバルさんは自称「オレ」って言ってて……本当に本人?』

『白文鳥《精霊語》を完璧に使う《鳥使い》だけあって、人類にしては感覚が優秀だな。確かに私は、銀月アリージュの言う「クバル」本人では無い。しかし本当の彼を知る者であると言っておく』

やれやれ、と言わんばかりに座り直し。黒髪をしたクバル青年らしくないクバル青年は、気品のある重厚な所作で、元の寝台を示した。

『立ち話もなんだから座りたまえ。空飛ぶカラクリ人形でも構わんが、万が一、隣の不届き者が目が覚めて入って来たら、即座に殴り倒して再び失神させねばならんし、長い説明をする羽目になる』

『隣の不届き者? 再び失神?』

カラクリ人形アルジーは、白文鳥の《空気乗り》精霊魔法を無意識のうちに発動していて、本当に足元が浮いていた事実に気付き……あわてて足を地面につけて。 ベッドシーツをはいだばかりの寝台に、ポンと腰かけた。

『この部屋は、続き部屋になっているのだ。皇族専用の間取りで、隣に居るのはカムザング皇子だ。 弟皇子セルヴィン殺害の計画を何時間もかけて大声でまくしたてた後、ひと眠りすることを思いついたらしく、この寝室に一度入った。そして、アリージュが横たわっていることに気付いた』

……それは、相当に、ギョッとしたに違いない。

見知らぬ人物が、寝台に入って眠りこけていたら。

その正体がカラクリ人形だったら。

考えてみると、ほぼ怪奇恐怖ホラーだ。

『大麻(ハシシ)後遺症の幻覚も相まって、セルヴィンと誤解してな。隣室へ戻るや、殺意満々で三日月刀(シャムシール)を準備していたゆえ、 先刻、我が失神させた。《精霊石》台座つきの酒壺に、そよ風で飛んでもらって、脳天直撃で』

『酒壺……失神……大麻(ハシシ)キメてるドラ息子……』

さらに呆然とするアルジーへ、白文鳥パルが、なだめるように語り掛けた。

『この「人類クバル」投影してるのは、前に言ってた《地の精霊》なの、ピッ。 厳重に潜伏しなきゃいけない状況だったけど、適合する薔薇輝石(ロードナイト)との守護精霊の契約が「雷のジン=ラエド」込み込みで一挙に成立したから、急いで特別に、色々スッ飛ばして。 精霊界の制約があって、こんな形式しか無かったけど、アリージュの他人じゃ無いから、ギリギリこれで、ピッ』

黒髪をしたクバル青年――謎の《地の精霊》は、白文鳥パルから色々聞き取っていたらしい。金融商オッサンの店スタッフ、赤毛クバル青年を彷彿とさせる笑みを浮かべた。

『ま、そういう事っす』

らしくない演技、という雰囲気。

すぐにでもパニックを起こしかねないアルジーの状況を理解して、《地の精霊》なりに気を使っている――らしい。

『えっと、《地の精霊》さん……《地の精霊》と話したこと無いから、色々……不案内だけど』

『気兼ねは不要。我は《地の精霊》《ジン=*ロー*》なり。オリクト・カスバの守護精霊を通じて、シュクラの事情は承知している。我にとっても彼の《地》は地続きの一族だ』

――意外に、とても近い関係だ。息を呑むアルジー。

相棒パルが「他人じゃ無いから」ということで、引っ張って来たのも納得。

従兄(あに)であるシュクラ王太子ユージドが《邪霊使い》と化した件はさておき、その両親――シュクラ王国の国王夫妻――王妃さまが、オリクト・カスバから輿入れして来た人だ。 アルジー=アリージュ姫にとっては伯母に当たる。綺麗な黒髪をした穏やかな女性で、幼い頃、とても可愛がってもらった記憶がある。

『うすうす気づいているだろうが、空飛ぶ絨毯《鳥舟(アルカ)》と共に、此処ジャヌーブ砦に墜落してきた時から、注視していた。 非常に異例な事象ゆえな。そして予想どおり、というより、想定をはるかに超えて事態が動き出した。のみならず加速し始めた』

クバル青年の姿をした《地の精霊》は、少しの間、思案顔で眉根を寄せていた。

『白文鳥パル殿から聞いた内容で、気になった点がある。銀月アリージュが、どう感じているのか聞いておきたい。《邪霊使い》ユージドの件だ。 かのジャバ神殿の黄金祭壇のところで、何か言葉を交わしたか? パル殿が見聞きしていない部分ゆえ、曖昧なところがある』

――ユージドの名を聞いた瞬間、アルジーの怒りは爆発した。

こんな時《精霊語》は便利だ。

アルジーの語りは、まさに息もつかぬ弾丸トークとなっていた。

地下神殿へつづいていた長い長い螺旋階段。

黄金の巨人ザムバの成れの果て、《怪物王ジャバ》へ変じる過程にあった異形。

御曹司トルジンと、シュクラ王太子ユージドとの間で、侮蔑いっぱいに交わされていた会話。

ハーレム夫でもある御曹司トルジンによる「名誉の殺人」宣言、そして、帝国語と《精霊語》で2度も繰り返された『離縁』宣言。

怪異な双子と化して宙に浮いていた、本物のアリージュ姫を名乗る銀髪の妖女。

邪悪な黄金の三日月刀(シャムシール)を振り下ろして来た、モッサァ黒ヒゲの、魔導士クズレと思しき、巨漢。

程なくして……怒りの宣言でもって、アルジーの独白は完了した。

『従兄(あに)ユージドこそ、この世で最も憎むべき不倶戴天の敵! 再びまみえたアカツキには必ず、首と胴を永遠に、世界の端から端まで分けてくれる!』

しばしの間、沈黙が横たわる。精霊同士としては、長い時間だ。

やがて。

『パル殿、これは思ったより深刻ではないか?』

『必然と偶然の果ての想定外、ピッ』

『言ってくれる。下手に邂逅すれば血の雨が降るところではないか。いや、すでに血の雨が降っていたか。魔法のランプを投げつけて火を付けたり、三日月刀(シャムシール)を振り回したり。 自業自得のほうは時が到来しだい《絶縁》するよう意見しておくが。彼が悲嘆と絶望の底へ沈没するのを見たくはない』

『この世で最強のトラブル吸引魔法の壺、ピッ』

黒髪クバル青年の姿をした《地の精霊》は……椅子の上でガックリと前かがみになり、首を垂れて、まさに懊悩という雰囲気になった。そして。

『ともあれ……「クバル」と名乗った、この人物についての印象は?』

カラクリ人形アルジーは、怪訝な思いになって、目をパチクリさせ。

ボンヤリと視線を泳がせつつ、考えをまとめたのだった。

『色々アヤシイと思い始めてはいるけど、髪色を隠蔽する理由がクバルさんにあったのなら、それは、それで。ミリカさんも人を見る目はある』

ヒョイ、と黒髪クバル青年《地の精霊》が面(おもて)を上げた。しばし、何かを思い出すような顔になり。

『少し前に、帝都の大神殿の医学《魔導》学究所の入学試験で、上位10位以内で合格した見習い女神官ミリーシャ。 薬草や薬用《精霊石》が特産物の中小の城砦(カスバ)の姫。早くから女神官の才を見込まれ、宮廷社交ではなく、神殿修行で上京。 衝突が多いが、将来を見込んだ帝都大市場(グランド・バザール)の医薬品店や女商人からの支持と支援がある。筆頭が、文房具店「アルフ・ライラ」の女商人ロシャナク』

『ミリカさん……ミリーシャ姫。やっぱり女神官だったんだ。女医は公的・社会的に認められない職業だから、何か大きな衝突があったのかも。 いまは遊女になってる。でも女商人ロシャナクが直々に身柄を預かってる。納得』

『それでは、セルヴィン皇子と、その従者オーラン少年――については?』

『セルヴィン皇子は健気な子って感じ。生贄《魔導陣》で呪われてるのに、よく耐えてる。オーラン少年の行動は困惑させられるし理解しにくいけど、 刺客(アサシン)に追われてるそうだから……セルヴィン皇子の親友で、友達思いの良い子っぽい感じ? 故郷に妹さんが居て、そちらも気にかけてる様子で……』

再び、意味深な沈黙が流れた。

黒髪をしたクバル青年――《地の精霊》と、白文鳥パルとの間で、何かしら意思疎通が交わされた雰囲気。

『それだけで充分。しかし、セルヴィンが健気とは? かの《ジン=***アル》が守護精霊だぞ?』

『だってアリージュの前だとメチャクチャ挙動不審してるよ、クバル君だって色々オカシくて食えない不審人物にしか見えないし、アリージュにとっては、こっちが第一印象なんだからね、ピッ』

『それはそうだ』

素早く気を取り直した様子の、《地の精霊》。

クバル本人では無いクバル青年は、蒼天の色をした長衣(カフタン)の袖の中から、手品のように――銀月色に淡く光る、純白の何かを取り出した。

驚きのあまり、目を見張るアルジー。

『白孔雀の……尾羽!?』

あの羽ペンか……しかし、よく見ると違うような……

『時間が無い。詳しい説明は省くが、銀月アリージュ宛の《白孔雀の守護》だ。「アル・アーラーフ」を通じて復活して来たものゆえ、厳重に秘密にせねばならぬ。 老魔導士にも、セルヴィン皇子やオーラン少年にも、ほかの親しい人類にも』

『アル・アーラーフ……』

『時が来たら案内する。だが今はまだ無理だ。「アル・アーラーフ」の時空幾何を充填するまでには、条件が整っていないゆえ』

『条件?』

『そのカラクリ人形の蓋(フタ)を開けてくれ。銀月アリージュの霊魂に、この尾羽を配置する』

――ますます訳が分からない。人類の理解能力に限界があるのは、分かってはいるけれど……

カラクリ人形アルジーは、まとっていたベッドシーツを少し開き……記憶をたどって、老魔導士が操作していた仕掛けを、同じように動かした。

パカリと胴体の蓋(フタ)が開き、複雑なカラクリ仕掛けがあらわになる。

熟練の手つきで、クバル青年の姿をした《地の精霊》は、その中へ、白孔雀の尾羽を埋め込んだ。

ハッとして、カラクリ人形の動力源となっている《火の精霊石》を注視する。

前回、真紅の炎を宿していた《火の精霊石》は、いま白孔雀の尾羽を吞み込んだせいか、銀月色の炎に輝いていた。何か特別な調整があったに違いない。

『基軸となる1本目だ。カラクリの蓋(フタ)を閉じて良いぞ、アリージュ。あとはパル殿の領域だ。「アル・アーラーフ」へ至る条件というのは、白孔雀の尾羽を7枚まで増やすことだ』

『……7枚まで?』

『此処へ来る前に、7枚羽すべて失っている。それらを取り戻す……原状回復する形になる。再び、シュクラのドリームキャッチャー護符の飾り羽として、取り付けられるように』

『ドリームキャッチャー護符……此処へ来る前……』

――あの最悪の夜だった、邪眼のザムバの成れの果てとの邂逅が、ポンと思い出される。

白孔雀の尾羽の彫刻を内蔵した、不思議な《白羽の水晶玉》。オババ殿の遺言の『生存証明』……7枚羽の証明、とか。道中安全の護符とか。あの夜、次々に7枚羽を失って……

そして最後には、水晶玉も姿を変えていた。いかにも訳あり品という雰囲気の、非常に古びた大型ドリームキャッチャー護符。定番の装飾である羽根飾りが、ひとつも無かった……

――まさか、あれが?

『白孔雀の尾羽が羽根飾りになっている……大型ドリームキャッチャー護符? シュクラの先祖伝来の、宝物に、そんなのがあったような……?』

『あったんだよ、ピッ、トルーラン将軍が、シュクラの《白孔雀》礼拝堂の蔵から持ち出して、私物化する前までは』

黒髪クバル青年のターバンの上で、白文鳥パルが「ぴぴぴ」と返して来た。

『難しい任務だけど、アリージュならできるよ、ピッ。今回の1本は、カムザング皇子とセルヴィン皇子の間の、不正な生贄《魔導陣》ルート解呪に成功した時に、 「アル・アーラーフ」の魔法の壺から復活して来たモノだよ』

『? それなら、カムザング皇子を、もう一度、幽霊パンチと幽霊キックで襲えば……?』

クバル青年の姿をした《地の精霊》が、ゆるく腕組みをして、思案検討のポーズを取った。

『カムザング皇子を襲いたければ襲っても良いが、既に《倍返し》した後ゆえ意味は無いな、銀月のアリージュ。ともあれ、ラーザム殺害事件の真犯人を突き止めることだ。それが次の道を開く』

『精霊の言葉を疑う訳じゃないけど、どうして、そうなるのか……?』

『人類の世界認識に合わせて説明するのは難しい。《青衣の霊媒師》や《亀甲の糸巻師》が占いで見つけ出す「明(あ)かき流星の道」……運命の糸を選び抜き、《精霊文字》技法の応用発展でもって、 ドリームキャッチャー護符の糸組みや飾り羽を結んでゆく作業、ということは言える』

『なんだか……時間かかる長い旅って感じ?』

『だが、このチャンスを逃してはならない。かの地下神殿で召喚された《怪物王ジャバ》を退魔調伏し、封印するための、千夜一夜の魔法が発動したゆえ。 《銀月の祝福》を有したために生贄に捧げられてしまった人々が――シェイエラ姫も――アリージュが切り開く活路に望みを寄せている』

思わず――懐かしい名前に、ハッと息を呑む。

シェイエラ姫。アルジー=アリージュ姫の母親だ。珍しく見事な総・銀髪を持ち、「シュクラの銀月」と称えられたと聞く、絶世の美姫。

『……母を知ってるの?』

発してから、我ながら愚問――と、うつむいてしまう。この《地の精霊》は、オリクト・カスバの守護精霊と地続き。 オリクト・カスバとシュクラ王国は――いまはシュクラ・カスバだが――ずっと前から、幅広く交流をつづけていた。当然、シェイエラ姫のことは良く知っている筈だ。

黒髪クバル青年の姿をした《地の精霊》が「お察しのとおり」と首肯を返して来た。

『いま発動している「千夜一夜の魔法」について、アリージュも知る占い屋ティーナが、「すさまじく、こんがらかっている」と占ったことを覚えているだろう』

『なんか、うろ覚えだけど……なんとなく』

町角の占い屋ティーナが、《精霊亀》の甲羅と赤い糸巻きを取り出して、奇妙な占いをしたのは覚えている。「運命の人との出逢い」とか何とか、恋占いも混ざっているような雰囲気の。

占い屋ティーナは、《地の精霊》のいう《亀甲の糸巻師》に違いない。人の死相を鋭く読む能力があるらしく、夜道の危険をシッカリと……ほのめかしていた。 それは見事に的中していた。正体不明の《邪霊使い》と、《骸骨剣士》の群れ。あれは間一髪だった。

黒髪クバル青年の姿を投影している《地の精霊》は、熟練の占い師のように、アルジーの考えている内容を或る程度、見通すことが――占うことが――できるらしい。「そのとおり」という風に頷き。

意味深な様子で……アルジーの足首へと眼差しを向けて来た。白文鳥パルも「ぴぴぴ」と応じている。

――占い屋ティーナが「護符みたいなもんだ」とか言って作成していた、マクラメ編みのようになった赤い糸が、一時的に結び付けられていた位置だ。

『アリージュが思うより、次の道が開ける時は、すぐそこに来ている。そして「アル・アーラーフ」へ至る道が開ける時も……パル殿との「精霊契約」の到来、人体の修復も含めて』

『人体の修復? わたし死んでるよね?』

『南洋の《精霊亀》の培養再生水槽「三途の川」……いや、何でもない。白孔雀の7枚羽は人体と霊魂の修復にかかわる要素。 想定外のオーバーキルが加わったゆえ、《怪物王ジャバ》対抗措置となる異形の類の変身があるが、その《魔導》カラクリ人形と似た程度。 かの巨人戦士ザムバの変身前・オーバーキル変身後と比べれば、気にならぬ範囲だろう』

――邪眼のザムバ。

巨大化《人食鬼(グール)》に散々に破壊された末の、オーバーキルの果てに、顔面や内臓がまるまる吹き飛んで……不気味な異形の肉塊と化していた、首無し黄金巨人。

ぎらつく黄金の肉塊が、さらに巨大化したうえに。肉で出来た王冠みたいな構造体や、《怪物王ジャバ》の「三ツ目」や「三ツ首」が生えて来た。

――などという、忌まわしいまでに劇的な、オーバーキル変身。

怪奇恐怖の極みだった、あの光景と比べれば、どんな変身パターンでも、マシだと思うのだけど……

『あ、そう言えば、怪奇趣味の賭博、つづいてたんだっけ……900番台の数字の付いた賭けチップも、あのラーザム財務官の死亡現場で、《邪霊使い》の怪奇な道具と一緒に、出て来ていたし……』

アルジーは、少しの間ボンヤリとして……天を仰ぐような気持ちになったのだった。

黒髪クバル青年は、ふと思いついたように、腕組みを解いた。アリージュの左右のほっぺたをフニフニと摘まみ始める。

霊魂アルジーのほうで、フニャフニャという感覚がある。

――幼い頃。昼寝していた時に……このイタズラをやられた記憶がある。

『あ、なんか思い出した。ユージドお従兄(にい)さまが結構やってた、このイタズラ。変な気分』

『おや。一応、嫌な気分では無いのか?』

『見ず知らずの人に、いきなりやられるのは、お断りだけど……どんな人か或る程度は分かって来て……パルが信頼してる人なら?』

『それはそうだ。失礼した。だが、希望は見つかったらしい。それにしても、そこまで信頼と信用を得るのは「精霊契約」を控える相棒として誉れであるな、パル殿。 かの「雷霆刀の英雄」と契約精霊の間にも、そのような関係があった』

クバル青年のターバンの上で、白文鳥の姿をした相棒パルが、「えっへん」と真っ白な胸を張っている。

謎の納得を見せて、クバル青年の姿をした《地の精霊》は頷いた。

その後。

クバル青年の姿は……影も形も無く消滅していた。《地の精霊》による投影が終了したらしい。相棒パルの姿も、当然ながら一緒に、かき消えていたのだった。

いつしか、窓の外は、日没を迎えていた。

*****

続き部屋との間仕切りとなっている、贅沢な宝飾ビーズ製カーテン。

それがカシャカシャと音を立てた。

――誰か、入って来る!

思わず、サササッと寝台の端まで下がる、カラクリ人形アルジーであった。人工関節や人工継ぎ目の数々が丸見えの、それでも人体の全裸を隠すための、ベッドシーツ・グルグル巻きをつかむ手が震える。

殴るための手頃な棍棒のようなものは無かっただろうか。黒髪クバル青年と相棒パルの姿が投影されていた、さっきの椅子で、殴りつけるとか……

予想どおり、第六皇子カムザング殿下が、酔っ払いそのものの挙動で現れた。

「やっと会えたね愛しいキミますます罪深いうるわしさの一日千秋だったんだよぉともに快楽の園『黄金郷(エルドラド)』へ遊ぼうよぉアルジュナちゃあぁん」

カラクリ人形アルジーを認識するなり、ダークブロンド髪をしたドラ息子は、一気に鼻息を荒くして飛び掛かって来た。だらしなく崩れた贅沢な長衣(カフタン)が、ガバァと、なびく。

「ちょちょちょ、ちょっと待って、ストップ、私はカラクリ人形で……!」

寝台の周りで、グルグル追いかけっこが始まった。

ベッドシーツを引きずっている端を、カムザング皇子が踏みつける。アルジーは、つんのめって床へうつぶせに倒れ込んだ。

常識的な人の前では絶対に口に出来ない、特定の欲望を全身にみなぎらせて、カムザング皇子が、アルジーの背中へ取り付いた。

反射的にアルジーは、剣舞の特定の振り付けの応用で、カムザング皇子にテコ反動の技を仕掛けて……

カムザング皇子の身体を背負う形で勢いよく身体を浮かすや、寝返りざまに、「世界の果てへ飛んでいけ」とばかりに思いっきり投げ飛ばしたのだった。

「きえーい!」

「ほえぉぅ!?」

グダグダの、ユルユルの、隙だらけだったカムザング皇子の身体は、見事に一回転しつつ、宙を飛んだ。そして。

ドゴン、バキ、ボキ、ガチャ。

脇にあった、あの椅子に、真っ逆さまに激突して……カムザング皇子は仰向けに大の字になった格好で、目を回して、グンニャリとなった。 哀れな椅子のほうは、メチャクチャにツブれていた。当たり所が悪かったに違いない。

とにかく、このような不埒かつ無礼な男は、全身グルグル巻きに縛って、どこか柱へ縛り付けておかないと、安心できない。

カラクリ人形アルジーは、目に付いた衣装箱を次々に開き、あらん限りのサッシュベルト、ターバン、剣帯その他を取り出した。

死に物狂いで、意識の無いカムザング皇子の身体をズルズルと引きずり……今しがた衣装箱から取り出したばかりの、縄の代用を使って、順番に縛り付けてゆく。

程なくして。

格式のある優雅な唐草模様の格子窓――展望バルコニーへ通じる大窓に、カムザング皇子の磔(はりつけ)が、出来上がったのだった。

各種のサッシュベルトやターバンや剣帯その他で、四肢をガッツリ固定してあり。仕上げに、厳重に、猿轡(さるぐつわ)をしてある。

大仕事を終えた、カラクリ人形アルジー。

そのままズリズリと、長い人工銀髪を引きずって、再び衣装箱が多数集まっている一角に這い寄った。中をゴソゴソとやり、適当に着衣をみつくろう。

どれもこれも宮廷で着用するような、きらびやかな品だ。致し方なし、と――適当に白地の長衣(カフタン)を選ぶ。 帝都紅による装飾ライン数本のみ。これが一番ギラギラしてなくて、おとなしそうに見える。

代筆屋として帝国伝書局・市場(バザール)出張所へ出勤する時のように、長い髪をすべて隠すように巻き込んで、ターバンまでキッチリ着付けると、やはり安心感が違う。 何があっても逃走できるように、宮廷靴にしてはガッツのありそうな留め紐つきの品を履き込んで。

床へ転がり落ちていた大きな枕を、適当にクッションに見立てて、グッタリと座り込む。

「疲れた……」

『大立ち回りニャネ。みごとな悪者退治だったニャ』

聞き覚えのある《精霊語》。そちらを見ると、セルヴィンの相棒《火の精霊》の変じた、ちっちゃな手乗りサイズの火吹きネコマタが、慌てて来たかのように、ハァハァと息を切らしているところだ。

『すぐ駆け付ける予定だったのだが、遅れて済まぬ。このような肉弾戦(レスリング)が展開するのは想定外だったゆえ、エネルギー補充の増強に手間取ったのである。 セルヴィン皇子の部屋に置いてある白文鳥《精霊鳥》から大量の精霊エネルギーを引き出さねばならなかったゆえ、あちらで、白文鳥は再び、蒸発ギリギリの半透明、というか輪郭線しか無いニャ』

『え? そ、それは……また、お手数おかけして……』

『セルヴィン皇子が、白文鳥《精霊鳥》の冠羽にチマチマ《火の精霊》灯火を維持してくれてるから、今夜の色仕掛け陰謀に必要なだけの体力は、大丈夫であろう。 セルヴィン皇子が体力切れで倒れても、皇弟リドワーンが補助してくれることになっているニャ』

不意に、アルジーは、奇妙な点に気付いた。

『それって……位相の一致する《火の精霊》を、なめらかに継ぎ足しするには、国家祭祀で認められる王統というか、直系のつながりが無いと……?』

『うむ』

ちっちゃな火吹きネコマタは、少しの間、苦渋めいた顔になり。

『皇弟リドワーンとセルヴィン皇子は、実父と実子の関係ニャ』

『やっぱり……直系の血筋を感じたのは間違いじゃ無かった』

火吹きネコマタは、高速移動の疲れがあらかた取れた様子だ。

ネコの手でネコの顔を撫でさすりつつ、ミニサイズ招き猫の置き物さながらに鎮座する。

『あれほど人類の欠点が連鎖した件、後味の悪さが残るものである。セリーン姫は元々、皇弟リドワーンに輿入れするところだった。本人同士の好意と同意のもと婚礼の儀は成立していた。 そこで皇帝が、ありもしない皇位簒奪を恐れて猜疑心を燃やし、陰湿な刺客(アサシン)工作の末にセリーン姫を横取りしたのである』

『……いくつか矛盾してるよね? セリーン妃は番外だったけどハーレム妃の、ひとりで。それに老魔導士が、リドワーン閣下を去勢して、大神殿に入れたって……』

『それは少し後の話ニャ。皇帝とセリーン妃の間には、正式な婚礼の儀は成立していない……皇帝が正式な婚礼手順を省略した。皇族特権で強奪可能とした節がある。 重大な契約違反「横取り」をもって、婚礼の儀を構成する精霊契約の異例条項が発動し、《水の精霊》が本来の婚礼の遂行に全面協力した。幻覚や投影は《水の精霊》の本領ニャ』

『婚礼の儀を構成する、精霊契約の異例条項……幻覚……じゃ、あの、床入りのほうは本来の……』

『うむ。セルヴィン出生の秘密は漏れておらぬが、皇弟リドワーンがセリーン妃を帝国皇帝ハーレムから正当な手段で取り戻そうと活動し始め、皇帝がそれを更なる刺客(アサシン)工作で妨害して、 公的に「名誉の殺人」を持ち出して衆人環視の中で脅迫もした。宮廷重鎮の死人も出て、もろもろ複雑に紛糾した』

アルジーは、呆然として聞き入るのみであった。

『全面戦争を防ぐための、非常手段が必要になった。老魔導士が干渉したのは、その時ニャ。 アリージュ知るところのシュクラ宮廷霊媒師すなわち《青衣の霊媒師》オババ殿も、白鷹騎士団の鷹匠エズィール殿も、金融商オッサンの番頭どのも、全力で解決にかかわったニャ』

確か、そんな話を聞いたような気がする。此処に来る前に。

その金融商オッサンの店の、ごましお頭の番頭から。

アルジー=アリージュ姫の実父――鷹匠エズィールの肝いりで、オババ殿と組んで、白文鳥《精霊鳥》も扱えると評価されて、特殊な仕事をしたとか。

『全面戦争へ突入すれば、巨大化《人食鬼(グール)》まで持ち出されるは必至。実際、皇帝の工作員による教唆を真に受けて、 機に乗じた《邪霊使い》が、巨大化《人食鬼(グール)》を大量召喚して大騒ぎになった。鷹匠エズィール殿が白ワシ《精霊鳥》グリフィンで殲滅し、事なきを得たが』

『……私が生まれる前の出来事で、両大河(ユーラ・ターラー)上流の一部分で、巨大化《人食鬼(グール)》が異常発生して、それを討伐する戦争があったというのは聞いてる。 けど……その、近現代史の、大事件の。「大徳もて巨大化《人食鬼(グール)》討伐指令くだせり帝国皇帝(シャーハンシャー)偉大なり」の、あれ、が?』

『うむ。リドワーン派閥は、皇帝が恐れるほどに、有力な大派閥であった。セリーン妃を皇帝ハーレムから取り戻せる可能性は、あった。 去勢および大神殿入りをもって、宮廷における皇弟リドワーンの政治生命が終了し、リドワーン派閥も解体される前までは』

『それ程に影響があったの? 私、そんなこと知らなかったわよ……?』

『皇帝による不法な横取り寝取り……いや実際には、寝取りは《水の精霊》が断固として阻止したが、帝国全土を揺るがす醜聞ゆえ厳重に伏せられた。 「大徳もて巨大化《人食鬼(グール)》討伐指令くだせり帝国皇帝(シャーハンシャー)偉大なり」と「皇弟リドワーンの政治生命の終了」が同時並行で進んだため、 皇帝も満足したらしく、余計な工作も無く沈静化した』

なんとも、胸糞悪くなるような宮廷政治だ。

まして、巨大化《人食鬼(グール)》異常発生という最悪の局面。その原因となったのは、皇帝だ。 そうしておいて、マッチポンプさながらに、その討伐成功という輝かしい実績は、皇帝が独占する形になった。

そういう状況なら、公的に「名誉の殺人」を持ち出して衆人環視の中で脅迫もしたという――それにかかわる様々の不名誉な「でっち上げ」もした違いない――皇帝が、 リドワーン閣下にまつわる名誉棄損アレコレを、名誉回復させないままに放置したのは、確実だ。

老魔導士がリドワーン閣下を去勢して大神殿へ入れたのは別の理由だけど、その理由も、皇帝の権力のもとに、更なる「汚名の上積み」方向へねじ曲げたであろうことは、想像に難くない。

第三者ながら、アルジーも、ムカつくものを覚えてしまう。

『そこまで事実が、ねじ曲げられて、「帝国皇帝(シャーハンシャー)は常に完璧な名君なり」という実績と歴史が残ったという訳? ……全面戦争へ突入したほうが、心情的にはスッキリしたかも知れないわね……』

『その場合、巨大化《人食鬼(グール)》が跋扈し、諸国の犠牲は途方もない数になり、人類の生存も危うくなったであろう。 それぞれ無関係な突発事件としておけば、どんな名探偵でも、それぞれの事象をつなげて組み立てられず、真相にたどり着くことは出来ぬ』

ミニサイズ招き猫さながらにチョコンと座る赤トラ猫――ちっちゃな火吹きネコマタは、「ふうぅー」と大きな溜息をついた。

『あれだけの犠牲を払って全面戦争を防いだ努力は、すぐに無駄となったニャネ。皇帝は、皇族特権を当然のものとして専横を極めるばかり、 おのれの不法行為が引き起こした災厄の本質も、遂に理解しなかった。酒姫(サーキイ)が新たに入って来て、絶賛グダグダ進行中ニャ』

過去・現在・未来の内憂外患に、まんじりともせず。

しばし、沈黙が漂う。

『これら「すべての真相」は精霊界の制約のもとにある。 皇弟リドワーンは、婚礼の儀の精霊契約のもと、セルヴィンが実子であると知っている。セルヴィンは父親が明かすまでは知らぬ。部外者は言うに及ばず。 なれどアリージュは、ほぼほぼ《銀月の精霊》ゆえ人類の例外ニャ。皇弟リドワーンとセルヴィンの直系の血筋が見えたのは、それゆえニャネ』

――アルジーは呆然としたまま。

大きな枕をクッションとして、床の上で、へたりこんでいた。

続き部屋との間仕切りとなっている贅沢な宝飾ビーズ製カーテンは、始まったばかりの日没の光を受けて、金色の反射光をキラキラと放射している。

『……幾つも幾つも秘密にかかわってたら、気が持たないわよ』

『この件、当時の人々も頑張って終結させた問題ゆえ放念してくれたまえ。 婚礼の儀を構成する精霊契約の異例条項は継続発動中である。皇帝は《水の精霊》幻覚のもと、セリーン妃と一夜の関係を結び、セルヴィンはその結果であると思い込んでいる。 皇帝の目に映るセルヴィンの容貌は、皇帝の実子パターンである』

――セルヴィン皇子の容貌は、カムザング皇子などと同類に見えるのだ。真相を見る力の無い、皇帝の目には。

という事は……皇族特権におぼれる他の有力皇族たちも、真相に気付かない。「偉大なる皇帝」の目に見えている世界を、唯々諾々と受け入れている限り。

婚礼の儀を構成する精霊契約の異例条項は継続発動中――

『今回も、それで大丈夫なんじゃ無いの? 私が下手に色仕掛けで刺激して、想定外の方向に騒ぎを大きくするよりは』

『カムザング皇子の持ち込んだ禁術の大麻(ハシシ)があるニャ。港町で入手したというアヤシイ媚薬や、黄金《魔導札》が、どの方向へ作用するか不明ゆえ』

――此処は、工夫のしどころだ。

女商人ロシャナクが裏で経営している高級娼館『ワ・ライラ』で見聞きした、数々の『愛の言葉』を思い出しつつ、アレコレと組み立てるアルジーであった。

それにしても……カムザング皇子も、とんでもない時に、とんでもなく物議をかもす危険物を持ち込んだものだ。

ラーザム財務官の殺害事件に、《邪霊使い》や、禁術の大麻(ハシシ)が関与していたことが、発覚したばかりなのに。

何ということもなく。

夕陽に照らされた格子窓枠、そこに古式ゆかしき磔(はりつけ)の姿勢で拘束してあるカムザング皇子の姿を、ボンヤリと見やる。

まだ失神しているとは驚きだが、説明はつく。

この不埒者を投げ飛ばしたカラクリ人形が、男性型のゆえだ。男性ならではの攻撃力が、ガッツリ、くわわったせいだ。女性型カラクリ人形であれば、衝撃が少ない分、今頃は既に目が覚めていただろう。

だらしなく着崩した贅沢な長衣(カフタン)の前身頃が大きく開いていて、そこから無秩序な刺青(タトゥー)と、小鳥の白い足跡スタンプにまみれた全裸が見える。 一応、慎みを保つための重要な一枚布はあるから、ギリギリ、乙女ゴコロは無事だが。

れっきとした、一人の、それなりに顔立ちも整っている成人男性ではあるけれど。

高濃度の大麻(ハシシ)や、得体の知れない不潔な異臭が漂っていて、おぞましく不気味なオブジェという印象しか無い。

まして先ほど、アルジーを襲って何かをしようとしたのだから、なおさら「男の証明」を完全に滅失してやるまでは、安心できない。

何やら不穏な気配を感じたのか、ちっちゃな手乗りサイズの火吹きネコマタが、ブワッと全身の毛を逆立てた。

『それだけは、やめれ。とんでもなく恐ろしい目をしてるニャ《鳥使い姫》よ』

『ヘタに身動きしたらどうなるかを考えさせるくらいは良いでしょ』

カラクリ人形アルジーは、続き部屋へ入ってゴソゴソした。

予想どおり、カムザング皇子の三日月刀(シャムシール)と護身用の短剣、一式が、床の上に転がっている。不要になったので、乱暴に放り捨てられた、という風に。

――刀剣には本物の精霊が宿るというのに、この乱暴な取り扱いは、戦士の風上にも置けぬ。

虎ヒゲ戦士マジードが激怒するだろう。虎ヒゲ・マジードは、雷のジン=ラエド魔導陣が刻まれた大斧槍(ハルバード)を持っている……あの武器は、とても丁寧に手入れされていた。

磔(はりつけ)にしてあるカムザング皇子の前に戻るや、手際よく、余りのサッシュベルトや剣帯を組み合わせて……必要な長さを調整してゆく。

カムザング皇子の傍に、新しく刃物を吊り下げて。「男の証明」の直下に、それぞれの抜身の刃を上にして、固定しておく。首元に刃をピタッと当てる感じで。

――ヘタに身動きすれば、この抜身の刃のキレッキレが、どこを直撃することになるか。目が覚めた時、この状況を理解できる程度の、頭脳はある筈だ……

辣腕の女商人ロシャナクが、無銭飲食と色事の末にドロンしようとしていた利用客に対して、「料金キッチリ支払え」と地獄の脅迫……いやいや、穏やかに優しく説得するのに、使っていた手口だ。

一連の作業を目撃していた火吹きネコマタは、毛を逆立てたまま、フルフル震えていた。

『ニャンと、オソロシイ……』

小細工が済んで……アルジーは、まだ意識の無いカムザング皇子を、注意深く観察し始めた。

……カムザング皇子の眉間に、奇妙な刺青(タトゥー)がある。

南洋諸民族の刺青(タトゥー)とは雰囲気が違う。そこはかとなく滲(にじ)み出る邪悪感。すごい違和感。

アルジーは目をパチクリさせた。

見間違いでは無いのか。

男性型カラクリ人形ならではの高身長を活かして、少し爪先立ち、さらにジックリと観察する。

カッと開いた異形の目――『邪眼』の意匠。黒い色という印象だが、黒くない。奇妙に闇色を思わせる暗い金色。不気味な光沢がある。

――『邪眼のザムバ』の眉間にあった、あの奇怪な刺青(タトゥー)と、同じ形。あの陰湿な風貌をした黄金の巨人戦士は……首無し異形と成り果てていた時、 全身からジュウジュウと、禁術の大麻(ハシシ)の瘴気を噴き上げていた……

そういえば、赤毛の酔っ払い男バシールの眉間にも、似た形が見えた。バシールは、口をカッと開いて、大麻(ハシシ)の煙を噴出して来た。あの時は、色々よけるのに精一杯で、その意味までは思い至らなかったけど。

『……この眉間の刺青(タトゥー)……知ってる』

『ニャンと?』

『これ見たのは3人目。邪眼のザムバ、赤毛商人バシール、カムザング皇子。3人とも、禁術の大麻(ハシシ)キメてた。邪眼のザムバは、三ツ首を生やして《怪物王ジャバ》に変身しようとしているみたいだった……』

ちっちゃな火吹きネコマタは、聖火と同じ高貴な金色の目をランランと光らせつつ、興奮したように、カラクリ人形アルジーの肩に飛び乗って来た。

『うむ、我にも確かに《邪眼》刺青(タトゥー)が見える。これは本物ニャ。重大な手掛かりニャ。過去に同じ事例があるが、魔導士クズレに情報流出した事件があったかどうか、 すぐにでも万年《精霊亀》に照会するニャ。万年《精霊亀》は特別なツテを使わねばならぬゆえ、明らかになるのは数日後になるが』

カラクリ人形アルジーは頷き。

不意にピンと来て、再び、カムザング皇子が出て来た続き部屋へと、足を踏み入れた。肩の上で、火吹きネコマタが興味深そうにキョロキョロしている。

『何か、思いついたことが? 《鳥使い姫》よ』

『私は代筆屋。トルーラン将軍と御曹司トルジンの、脱税ビジネスやら不正蓄財やら、散々見てきたからね。バーツ所長さんや、大先輩のギヴ爺(じい)、ウムトさんと一緒に。 二重帳簿の類があったら、押さえとこうかと。ついでに不正資金もあれば、没収よ』

『ニャンと、がめつい。鼻毛どころか尻の毛も、「男の証明」までも、本当に全部ひっこぬく勢いニャネ……』

アルジーは手際よく、贅沢な調度と宝飾にまみれたカムザング皇子の私室を、あさった。

小気味よい足取りに伴って、帝都紅の装飾ラインに彩られた白い長衣(カフタン)が、華やかに揺らめく。

そこらじゅう、盗賊たちがよだれを垂らしてハァハァするような、贅沢な宝飾だらけの夜間照明ランプやら、小卓やら、椅子やら、鏡台やら、衣装箱やらがあるが……そんなもの、アルジーの関心の対象では無い。

――第六皇子カムザング殿下は、卑劣な行動を平然とやらかすくせに、悪知恵が回りかねる性質だったらしい。

遊女たちに教わった「男の隠し金」ポイントから、すぐに、裏金を貯め込むための手提げ金庫が出て来た。

手提げ金庫の蓋(フタ)に、バッチリ『この世に2人と居ない頭脳明晰・文武両道・容姿端麗・品行方正・モテモテ無双カムザングちゃまの裏金』と書いてある。 気持ち悪いほどに気取った風の、誤字だらけの《精霊文字》で。

カラクリ人形アルジーの肩先に陣取った、ちっちゃな火吹きネコマタが、その《精霊文字》を読み、『お、おぅ』と絶句した。

先ほどから、バリバリ違和感を覚える調度がある。

過剰なまでの宝飾細工と化している贅沢なスタンド式ハンガー。大型ドリームキャッチャー護符が吊り下げられてある。 飾り羽パーツとして、ジャヌーブ砦の土地柄を反映したトロピカル貝殻が使われていた。定番の貝殻、数種を金鎖で連結してある様式。

アルジーは狙いあやまたず、違和感の発生源となっている飾り羽パーツのひとつを選び抜いた。

妙にギラつく金鎖で連結してある、男性の手の平サイズのホタテ貝。色とりどりトロピカル南洋型。

二枚貝となっているホタテ貝をパカリと開くと、中から、いかにも怪しげな金庫鍵が出て来た。鍵の取っ手部分に、ご丁寧に、折り畳みタグが取り付けられてある。

これまた気持ち悪いほどに気取った、同じ筆跡の《精霊文字》でもって……折り畳みタグの記載欄に『モテモテ無双カムザングちゃま専用鍵』と、バッチリ記してあった。

『ふーん、《邪霊害獣の金鎖》で連結してる……精霊たちは気付かないよね』

『精霊の弱点ニャ。邪霊の成分が濃厚になればなるほど、相互に反発する現象が大きくなって近づけなくなるゆえ。《邪霊使い》と化した人類から、精霊魔法の相棒を務める精霊が離れてゆくのも、同じ理由である』

カラクリ人形アルジーは興味深く相槌を打ちつつ、素早く、裏金の手提げ金庫を開錠した。

『こういうパターンだと、手提げ金庫の中に、二重帳簿の正本か写しが一緒に入ってることが……あ、蓋(フタ)が二重底で、直近1ヶ月分の写しが入ってる。 じゃ、正本は、過去分も含めて、カムザング派閥の誰かが管理してるわね。目ぼしい有力者の邸宅すべてに強制捜査を入れて、中庭の噴水の敷石まで裏返してみたいところだけど』

『ニャンとも恐るべき優秀な調査官だニャ。もはや国家案件ニャ。対立派閥にタレこめば、すさまじい政局騒動になる。カムザング皇子の皇族籍の剥奪への後押しになるニャ』

火吹きネコマタは、呆れたように、ネコのヒゲをピピンとさせたのだった。

――と、そこへ。

贅沢な宝飾にまみれた入口扉の鍵穴から、何やら『パチンパチン』という金属音が響いて来た。

「来客? ……にしては、先触れが無いわよ《火の精霊》さん」

『感覚鋭敏ニャネ、あれは物理的な音響では無くて、高位《地の精霊》が扉の護符一式を説得して、ぶにゃ!?』

ちっちゃな火吹きネコマタの声を止めるべく、その口を塞いで。

スタンド式ハンガーに吊るされた大型ドリームキャッチャー護符の裏へ、身を隠すアルジーであった。

次の瞬間、扉が音も無く開いた。複数人の気配。

覆面オーラン少年が現れた。少年の肩に、白タカ《精霊鳥》ヒナが止まっている。

仰天するアルジー。

つづいて、緊張の面持ちをした鷹匠ユーサー、オローグ青年、クムラン副官。全員、身元のハッキリしない使用人マント姿だ。忍者として扮装しているようだ。

「ホントに此処ですかね、ユーサー殿」

「代理《火の精霊》が間違いなく請け合いましたから」

アルジーの手の中で、ミニチュア招き猫さながらの火吹きネコマタが、天を仰ぐ表情になった。

『鷹匠どの、哀れな留守番《火の精霊》を、壺に満々の水で脅して、白状させたニャネ』

『それは、また……』

――その時。

続き部屋の寝室のほうで、カムザング皇子が目覚めたのであろう、猿轡(さるぐつわ)越しの「ひいぃ~、いやあぁ~、むぐむぐぐ~」という、うめき声が始まった。

『誰か寝室に居るぞ、相棒ユーサー』

鷹匠ユーサーの肩から相棒の白タカ・ノジュムが音も無く飛び立ち、《風の精霊》ならではの異能で、宝飾ビーズ製カーテンの前で、フッとかき消えた。 白タカ・ノジュムの力で、視界を塞ぐカーテンが風もなく揺らいだ。奥まで見通せる隙間ができている。

4人は、その隙間から慎重に奥を窺い。次に、絶句した様子だ。

「なんで、カムザング皇子が窓に磔(はりつけ)……?」

「リドワーン閣下の言及されたとおり、全身に、謎の白い小鳥の足跡スタンプが……」

「あの股間の仕掛け、ヘタな拷問より余程オソロシイですぜ、ブルル。だれか忠実な使用人が来るまで放っておいても大丈夫なくらいですよ。その使用人から、この醜態がワッと広まる恐怖の特典付き」

「このパターン、明らかに《鳥使い姫》の灰色の御札……それじゃ《鳥使い姫》が、これを……?」

「だろうなあ、友よ。あの寝台の周り、相当に揉み合った痕跡がある。こりゃ姫君が抵抗して投げ飛ばしたらしいな。見事に粉々だぜ、あの椅子」

一方で、カラクリ人形アルジーは。

ドリームキャッチャー細工の裏側にペタッと貼り付けられた、琥珀ガラス製の不吉な賭場コインと……添付メモに書かれた指示内容を発見して、呆然としていた。

――「我ら永遠の『黄金郷(エルドラド)』を、噓偽りなき情熱をもって褒め称えん。生贄918番、取引完了。ジャヌーブ砦・城門前の市場(バザール)最終日の夜の打ち上げ、大宴会場にて、案内人『三ツ首サソリ』を待て」

震えながらも、いわくのあり過ぎる賭場コインと、添付メモに手を伸ばす。

ドリームキャッチャー護符を透かして見える入口扉はわずかに隙間が空いていて……その空隙を、正体不明の人影がよぎった。《邪霊害獣の金鎖》独特の、ぎらつく黄金の反射光が、ピカリと垣間見えた。

――あいつだ! 正体を突き止めなければ!

アルジーは駆け出した。

その拍子に、ほぼ外れかかっていた琥珀ガラス製の賭場コインが床に落ちて、チャリンと音を立てた。つづいて添付メモが、カサカサと音を立てながら、ドリームキャッチャーの裏をすべり落ちる。

「そこか!?」

誰何の声と足音が追って来るのを差し置いて、アルジーは廊下へと飛び出した。

*****

日没の刻の光に包まれた廊下は、薄暗さが漂い始めている。

規則的に配置されている、明かり取りの窓を透かして見えるのは、夕宵の空のグラデーション。

このあたりは第一級の安全区域とされているエリアで、夜間照明は、ほぼ物理的な火だ。ランプに火を付けて回る担当は、まだ来ていない――これから来るらしい。

――さっきの、《邪霊害獣の金鎖》を身に着けていた人は、何処へ行ったのか?

必死でキョロキョロする、カラクリ人形アルジー。

すぐそこの曲がり角で人影が動き、ギョッとするままに、反対側の控え壁の物陰へと、身を潜めた。

見知った人相の、中年世代の男たち。

宴会向けなのだろう派手な柄と染色を凝らした商人風の長衣(カフタン)姿が2人、無地の赤茶ターバンに上質な長衣(カフタン)をまとう文官姿の小太り男が1人。

最近の時事情勢の雑談をしつつ、歩を進めている。何処かの階段の間へと、向かっているようだ。

雑談の中で、聞き覚えのある名前が交互に行き交うのが聞こえて来る。アルジーは、すぐに3人の人相と名前を一致させることができた。

発掘品の先取り狙い商人ネズミ男ネズル。南洋民族の潮焼け商人シンド。ラーザム財務官の後継者と目されている小太り文官ドニアス。

城門前の市場(バザール)最終日の夜の打ち上げ、大宴会場に集まるのも当然と思える人々。

しかし、3人の男たち、どれも《邪霊使い》に見えない。誰が《邪霊害獣の金鎖》をしていたのだろう? それとも、3人とも? あの正体不明の人影は、もう何処かへ消えてしまったのだろうか?

慎重に窺っていると……誰かが、後ろから袖を引いて来た。

ギョッとして飛び上がる、カラクリ人形アルジー。

振り返ると……覆面オーラン少年だ。軍事施設であるジャヌーブ砦では、どこでも見かける定番、赤茶の迷彩ターバン姿をした少年兵。

暗がりの中で、少年兵は意図の窺い知れない眼差しをして、ジッと見つめていた。アルジーの目元の辺りを。

――確か、オーラン少年は、このカラクリ人形のモデルとなった銀髪の酒姫(サーキイ)を、骨の髄まで憎んでいる筈だ。

よりによって、こんな時に!

カラクリ人形アルジーは、口を引きつらせて、立ちすくむのみだ。この人形は帝国語を喋れる。とにかく、帝国語で釈明しなければ。

「私、酒姫(サーキイ)アルジュナ本人じゃ無いからね!?」

「知ってる」

「本人では無くて……アレ? え? ん?」

「アイツなら、ターバン無しで銀髪を見せびらかす。ギラギラ悪趣味な宝飾を全裸に巻き付けて歩く。刺青(タトゥー)似のペイント化粧と、香水も」

――な、なんという……子供の目の毒になるような姿を……この人形のモデルの酒姫(サーキイ)は……!

あ、いや、同じ男同士だから、全裸まるっと見えてても無問題なのか!?

グルグル混乱していると、覆面ターバンに覆われて見えない口元が、フッと笑みを浮かべたようだ。

「磔(はりつけ)になったカムザング皇子を見ましたよ。あそこまで仕返しするってことは……罰当たりな御夫君は居たみたいですが」

「居るわよ、何か問題でも? それよりあの3人の誰が一番怪しいのか、確かめないと」

疑惑の多すぎる3人――ネズミ男ネズル、潮焼けシンド、小太り文官ドニアスは、幾つかの通路が集中する踊り場空間で、顔見知りと行き逢ったらしく、歩みをゆるめて軽く会釈したり片手を上げたりしている。

「それより手提げ金庫どこかだれか隠さないと……いま気付いたけど重いわよ。どれだけ裏金を入れたのよ、これ」

意外にズッシリとした手提げ金庫を持ち出していたことに焦りながらも。先を行く3人を全力で尾行していたアルジーは、気付かなかった……

……覆面少年オーランと、その肩に止まっている白タカ《精霊鳥》ヒナと、アルジーの肩に乗っていた手乗りサイズ《火吹きネコマタ》が、一緒になって。 なにやら意味深に、苦笑まざりの、吹き出し笑いをしていたことに。

踊り場で、3人が目的の大宴会場へつながる廊下へと、角を曲がってゆく。行き逢った人々も、商人だったり輸送業者だったり。雑多な長衣(カフタン)姿が三々五々、同じ大宴会場へ続々と連れ立って行っている。

3人を追って、階段を支える太い支柱の陰に移動すると。

かたわらの欄干に、白タカ・ノジュムがフワリと舞い降りた。

『ああ、そこに居たか《鳥使い姫》。幼鳥ジブリール、手提げ金庫とは何だ?』

目をパチクリさせる、カラクリ人形アルジー。

訳知り顔の覆面オーラン少年が、目配せして手を差し出して来る。

促されるままに、手提げ金庫を渡す。

覆面オーラン少年が持ち上げた手提げ金庫の持ち手が、白タカ・ノジュムの足へと任される形になり……白タカ・ノジュムは、音も無く器用に、スーッと運び去って行った。 《精霊鳥》同士の、謎の連携でもって、既に必要事項が伝わっていた様子。

「幼鳥ジブリール?」

くるりと振り返って呟いたアルジーに、覆面オーラン少年と、白タカ《精霊鳥》ヒナが、そろって頷いて来た。 いままで「名無し」だった白タカ《精霊鳥》ヒナが、いつの間にか、相棒オーランから名付けてもらっていたのだ。

『相棒契約に祝福を、《風の精霊》御使い、白タカ・ジブリール』

まだ産毛フワフワの白タカ《精霊鳥》ヒナだが、かしこまった風で尾羽を広げ、祝福に応じたのだった。

覆面オーラン少年が、ヒョイと柱の陰から顔を出し、3人の行き先を窺う。

「大丈夫そうですよ《鳥使い姫》。あ、ちょっと待って。別の人が来た」

つづいて飛び出そうとしていたカラクリ人形アルジーの手先――片手首を、覆面オーラン少年がつかんだ。

踊り場空間へ、新しい人々の流れがやって来ている。

その中に、見知った人相が2つ。

見るからにナルシスト美形な中年男。故ラーザム財務官の第四夫人アムナ。

2人連れの男女は、3人の男たちにつづいて大宴会場へ向かう通路へと入りながら、商談を交わしていた。

「その投資話は本当に大丈夫なのかしら、ディロン様?」

「えぇえぇそれはもうアムナ様これ以上なく適切にして確実に高い利回りの配当がありますので麗しきアムナ様ふつつかながら私ディロンも一口乗らせて頂いたところでして 現在このような良い話となっており話題の業界の仲介業の専門家として腹に収めておく訳にも参りませんですしね特別にお得意様へ提供できる情報もございますから料金表を御覧いただきまして 今このとおり速度と展開が肝心でして今まさに期限が迫っておりますので検討の折は是非是非に私めディロンまで直々に御相談いただければ矢よりも早く恋人のように飛んで参りますので是非ともアムナ様」

圧倒されたのか、濃いベールの下で苦笑を浮かべた様子のアムナ夫人。

対してディロンは満面の笑みを浮かべつつ、派手な長衣(カフタン)の袖から、次々に契約書の束を取り出していた。

カラクリ人形アルジーの肩の上で、ちっちゃな火吹きネコマタが、恐れ入ったように「ニャア」と鳴いた。

『ディロンとやら、本当にあの長広舌セールスを、一気につなげたのかニャ?』

『息継ぎナシ完全ノンストップだね、《風の精霊》に属する精霊(ジン)として請け合うよ』

驚異的なまでに……ペラペラ舌の回る男だ、と感心しきりのアルジーであった。

そうしているうちにも、手頃な間合いができる。

「行くわよ、オーラン君」

「……ハイ」

微妙な間はともかく、アルジーの手首をつかんだ少年の手が離れない。

思わず「?」とばかりに振り返るカラクリ人形アルジー。

意外に――覆面オーラン少年は、全身、疑問だらけで戸惑っているという雰囲気だ。アルジーの手首を離そうとしない理由については、別に妙な意図は無いらしい。

白タカ《精霊鳥》ヒナ・ジブリールのほうも、覆面オーラン少年の妙な行動を問題にせず、高速で、火吹きネコマタと情報交換している。

ともあれ、はぐれない、という利点はある。ジャヌーブ砦の内部構造に詳しくないアルジーにとっては、この際、有り難い。

――成人男性が、少年とお手手つないでいても、特に妙な光景という訳では無いだろうし……

「その顔だと目立ちますよ《鳥使い姫》。今のうちに覆面ターバンに変えたほうが良いかと」

「ナルホド、宮廷の紛糾に、さらに油を注いで放火してるっていう酒姫(サーキイ)の顔だったわ」

男物ターバンの扱いは、民間の代筆屋(性別詐称・男)の2年の間に、上達した。片手で、サササッと覆面スタイルに変更する。

その様子を眺めていた覆面ターバン少年オーランが、さらに小首を傾げて微妙な雰囲気になったが……何も言って来ない。

という訳で。

そろって覆面ターバンの姿となったカラクリ人形アルジーと、オーラン少年は、遂に。

月に一度の、城門前の市場(バザール)最終日の夜の打ち上げ大宴会――大勢の市場関係者とジャヌーブ砦の役人たちが賑やかにさざめく大宴会場へと、入り込んだのだった。

*****

大宴会場は、既に集まって来ていた大勢の人々で、いっぱいだ。

会場となっている大広間のあちこちに、天井を支えるためのアーチ列柱が並んでいる。

アーチ列柱の陰を伝い、尾行中の怪しい3人の男たちを探しながら……カラクリ人形アルジーは、相変わらずお手手つないだ格好の覆面オーラン少年へ、疑問の眼差しを向けた。

「どうして、私がこの人形に憑依していて、カムザング皇子の部屋に居たって分かったの? ……《火の精霊》さんから聞き出した?」

「聞き出したっていうより……ユーサー殿が、夜間照明ランプの《火の精霊》を問い詰めて……」

「やっぱり」

カラクリ人形アルジーの肩の上で、ミニサイズ招き猫さながらの火吹きネコマタが、オタオタと、ネコの手でネコの顔を撫でていた。分かりやすい反応。

「ちょっと説明しますね」

キョロキョロしつつ、覆面ターバン少年オーランは、話し出した……

*****

……早い段階で、覆面ターバン少年オーランや鷹匠ユーサーをはじめとする一同が、異変に気付いたのは。

窓際に安置されていたセルヴィン皇子の『魔法のランプ』の傍で、コロンと転がったまま熟睡しているように見える白文鳥《精霊鳥》を、一定時間ごとに観察していたからだ。 人の指でそっとつついてみても、目を覚まさないくらい、深い眠りだ。

原因を検討しているうちに、リドワーン閣下と鷹匠ビザンの目撃談として、早朝の城門前の市場(バザール)で《鳥使い姫》が巻き起こした幽霊騒動の内容が話題になった。

白鷹騎士団では、《邪霊使い》が絡む特定の大麻(ハシシ)に関して、最初に白文鳥《精霊鳥》が騒ぎ始め、ついで白タカ・白ワシ《精霊鳥》が騒ぎ出す、ということが知られている。

今回の《鳥使い姫》幽霊騒動は、そのパターンに当てはまった。カムザング皇子が持っていた粉末タバコ袋から、《邪霊使い》御用達の大麻(ハシシ)が出て来た。

そして白文鳥《精霊鳥》の、どれも骸骨と見える幽霊がいっぱい出て来て、カムザング皇子を襲っていたのも、粉末タバコ袋の素材が分かってみれば、説明がつくものだ。

白文鳥《精霊鳥》が間違いなく激怒する案件だ。《邪霊使い》御用達の大麻(ハシシ)が劣化しにくい特殊な袋は、白文鳥《精霊鳥》の身体が原料である。 門外不出とする「むごたらしい方法」で、《三ツ首コウモリ》翼とマゼマゼして、製造する。

禁忌とされる知識だが、魔導士の必修科目として学ぶ内容なので、その業界では――《魔導》工房の業界でも――広く知られている。

幽霊騒動の後半、カムザング皇子の全身に、小鳥の白い足跡スタンプが多数なされた件は、老魔導士の興味を引いた。

――それは多大なエネルギーを使う「ナニカ」だったのではないか?

老魔導士が、該当する記載がありそうな「カビーカジュ」系の古文書を掘り出し始め。

日没の刻。

ちっちゃな火吹きネコマタが慌てたように飛び上がり、『魔法のランプ』周囲をグルグル回る高速の炎の旋風になった。

さすがに鷹匠ユーサーや護衛オローグ青年、クムラン副官はもとより。

どこかから舞い戻って来たばかりの覆面ターバン少年オーランと、ボンヤリしていたセルヴィン皇子も。

古文書の確認に没頭していた老魔導士とリドワーン閣下も、ギョッと気付くほどの異変であった。

火吹きネコマタは、代理《火の精霊》を残し、「カラクリ人形アルジュナ号」収納箱を開いて、そこへ飛び込んだかと思うと……何処かへ消え去った。

老魔導士が『魔法のランプ』傍の小鳥を確認すると。

白文鳥《精霊鳥》は、スッケスケの、蒸発スレスレの姿となっていた。《火の精霊》の真紅のラインで囲われた――元の輪郭線でもって結界された――だけの。

さらに、例の収納箱から「カラクリ人形アルジュナ号」が消滅していた事実と、以前の怪奇現象とを合わせて考慮すれば、何が起きているのかは、おおかた予想できたのだった……

*****

此処から先は、この時点では、アルジーも、覆面ターバン少年オーランも、あずかり知らぬ――後になって知った――出来事。

少し時間をさかのぼる。

アルジーがカムザング皇子の部屋から去り、それを覆面ターバン少年オーランが追跡していた頃。

磔(はりつけ)にされたカムザング皇子の、皇族専用の贅沢な続き部屋の中で。

持ち前の地獄耳『鬼耳』で気付いたクムラン副官が、落下物に気付いて拾い上げた。

いわくのありすぎる琥珀ガラス製コインと、添付メモ。

カムザング皇子の、手提げ金庫の鍵。

カラクリ人形アルジーが振り落として行った、訳のありそうな鍵を、クムラン副官がひっくり返し……

その折りたたみタグに記されていた《精霊文字》を解読して、鷹匠ユーサーと護衛オローグ青年、クムラン副官は、そろって失笑である。

残った大人たち3人――鷹匠ユーサー、クムラン副官、護衛オローグ青年――が、オーラン少年の後に続かなかったのは、添付メモが理由だ。

――「我ら永遠の『黄金郷(エルドラド)』を、噓偽りなき情熱をもって褒め称えん。生贄918番、取引完了。 ジャヌーブ砦・城門前の市場(バザール)最終日の夜の打ち上げ、大宴会場にて、案内人『三ツ首サソリ』を待て」

このメモを追って、《鳥使い姫》が、大宴会場へ現れることは分かっている……

…………

……程なくして。

白タカ・ノジュムが、カラクリ人形アルジーと覆面ターバン少年オーランから受け取った手提げ金庫を運んで、戻って来た。

そして、にわか隠密調査官となっていた3人の男たちの手によって。

老魔導士やリドワーン閣下、鷹匠ビザン、寝台で安静中のセルヴィン殿下のもとに、新たな物証が持ち込まれたのだった。

――『この世に2人と居ない頭脳明晰・文武両道・容姿端麗・品行方正・モテモテ無双カムザングちゃまの裏金』と名付けられた手提げ金庫と、 『モテモテ無双カムザングちゃま専用鍵』と名付けられた金庫鍵が。

この2つの物証は、即座に、白タカ《精霊鳥》の運搬によって帝都へ送り込まれることになった。 カムザング派閥と激しく対立している――第一皇女サフランドット姫殿下を支持する派閥に属する、司法関係の有力閣僚のもとへ。

カムザング派閥にとっては、致命的なレベルの隙(スキ)になる。対立派閥の有力者の面々が、この裏金の存在を見逃す筈が無い。特に《邪霊使い》との不法な金銭関係や脱税を摘発する、帝国財務の部門の面々も。

老魔導士が言及した件――生贄《魔導陣》の解呪のための、カムザング皇子《魔導》手術――に関し、帝国の司法部門と魔導大臣の協議決定を、間違いなく「手術の許可」へ引き寄せるという目的にもかなう。

*****

諸々の重大な仕事が進んだ、その後。

カムザング皇子の寝室の扉が不用心に開いている事に気付き、確認のため入室して来たのは……

誰あろう、大宴会場へ向かうところだったジャヌーブ砦のカスラー大将軍と、帝都から派遣されていた虎ヒゲ・タフジン大調査官であった。さらにバムシャード長官を含む、4人の長官たちだ。

カムザング皇子が、大声で、酒姫(サーキイ)アルジュナに投げ飛ばされたことを告白したのは言うまでもない。

ジャヌーブ砦の全体に、ふたつの謎の未解決事件が、周知されることになった。

ひとつ、『正体不明の《邪霊使い》によるラーザム財務官の殺人事件』。

ふたつ、『酒姫(サーキイ)アルジュナに投げ飛ばされて失神したカムザング皇子を、誰かが磔(はりつけ)にし、衣装箱を荒らし、果てには「男の証明」を切り取ろうとした事件』。

■11■夜の宴の表と裏、交戦

ジャヌーブ砦の大宴会場では酒宴も同時進行して、今やたけなわだ。

酒姫(サーキイ)や遊女たち、それに灰色なコーヒー屋や水タバコ屋にとっても、かき入れ時である。

広い空間のあちこちで、酒杯のぶつかる音や、立ち昇るコーヒーの香り、タバコのモウモウとした煙が、適度にいかがわしく罪深い、大人の夜ならではの華を添えていた。

その手の暗がりへ耳を澄ませば、サイコロ賭博やマージャン賭博、広いバルコニーを闘技場と見立てた肉弾戦(レスリング)賭博などといった、公的な宴会に付き物の賭け事が進行しているのも、聞き取れる。

帝国法律の範囲内で許可された公式賭博は、砦の財務部門が胴元として運営管理しており、利益の半分を参加者と折半する形である。つまり参加者の側は、ちょっとした楽しみと引き換えに、砦の軍事予算へ寄付する訳だ。

目当ての、尾行中の人物は、すぐに見つかった。向こうからやって来たのだ。

ネズミを思わせるユーモラスな大きな鼻をした中年世代の商人――ネズミ男ネズルが、水もしたたるような美形中年ディロンを見つけるや、手を振って駆け寄って来た。

「おぉ、ディロン殿ではないか! このたびはラーザム財務官のことで、いろいろと大変だった様子だな」

「ボチボチで、あ、こちらはラーザム財務官の第四夫人アムナ殿で、ネズル殿」

「おお、第四夫人アムナ様。お噂はかねがね。古代『精霊魔法文明』アンティーク品や、アンティーク《精霊石》をご入用の際は、ぜひ私め南洋沿岸アンティーク物商ネズルを、ごひいきにして頂ければ」

「覚えておきますわ、ネズル殿」

ネズミ男ネズルにつづいて……潮焼け商人シンドと小太り中年文官ドニアスもやって来て、型通りの社交辞令を交わす。

「ラーザム財務官の件、まことに残念でした、アムナ夫人。生前は、この私め船乗りシンドとも大変親しくさせて頂きまして。明日の葬儀には、我らも参列させて頂く所存でございます」

「お気遣い、痛み入りますわ」

広い天井を支えるように配置された数々のアーチ支柱の陰に潜みつつ。覆面ターバン姿のカラクリ人形アルジーとオーラン少年は、その会話に耳をそばだてていた。

アムナ夫人は思慮深く目をキラッと光らせ、慎重に男たちに質問を投げ始めた。

「わたくし含めてハーレム内4人全員で、衝撃を受けておりますの。虎ヒゲ・マジード殿からお伺いしているのですが、 赤毛の商人バシール殿が、夫を大変に恨んでおられたとか。皆さん、バシール殿と親しいそうですね。バシール殿が夫ラーザムを殺害したという可能性はありますか?」

小太り文官ドニアスが異国風の八の字のヒゲをソワソワと撫でながら、ボソボソと応じた。

「そこのバルコニーで、酒瓶かかえて、いろいろ叫んでおられたと聞いておりますが……それに、何と言いましたか、 とりわけ禁じられた大麻(ハシシ)ですとか、不法侵入用《魔導札》ですとか……? ご存知でしたしょうか、ネズル殿、シンド殿?」

ドニアスの疑問顔に応じて、ネズミ男ネズル、潮焼け男シンドの順番に、戸惑った様子の首肯がつづく。

「まぁ、そうだや」

「酒入って、まぁ、それなりに荒れて。でも酔っぱらって、なんか歌って踊った後は、まるで覚えてないんですよ」

色男ディロンは、詳しい様子を知らなかったようで「ほほぉ」と興味深そうに頷いていたのだった。

「そんなジメジメした性質でしたかねえ、バシール殿は。《火の精霊》に祝福されし赤毛が自慢の男ですよ。いま欲しがってるのは、《ジン=イフリート》着火用の、土木工事《魔導札》でしょう。 ネズル殿が、発掘物の先取り特権を入手できたアカツキには、一緒に相乗りして、爆弾で豪快に大穴あけて、お宝を見付けて丸儲け、とか」

「あら」

アムナ夫人が興味深そうに反応した。

「土木工事に使う爆弾で大穴を? 何処に《ジン=イフリート》魔導札を仕掛けようとしていたんですの?」

「ジャヌーブ南の、例の流砂に埋まった古代廃墟のとこですよ。 前にも話しましたでしょう、信じがたいほど大きな黒ダイヤモンドが発見されて、それはもう有望ということで是非とも是非とも発掘資金の投資を……」

「それは後で考えますわ。第三夫人のことで第一夫人が神経質になってらっしゃるし、わたくしも明日の葬儀のことで頭が一杯ですから」

「ははぁ」

ネズミ男ネズルと潮焼け男シンドが訳知り顔で、苦笑を交わしていた。

「あそこ危険地帯や。この間の《人食鬼(グール)》と《蠕蟲(ワーム)》の群れが発生したとこだや、シンド殿」

「退魔調伏の雨で沈静化しただけでなぁ。勇敢な斥候軍団が退魔調伏の雨を好機として接近して偵察したところ、なんか不気味な地震がつづいていて、 経験豊かな魔導士が入ってる宝探し冒険者たちも、尻込みするくらいだと。あと2回か3回くらい、退魔調伏の大雨を流し込まないと」

「雨が降り過ぎて水浸しになったら、計画オジャンや。あの廃墟と化した地下遺跡、元々は超古代の聖火礼拝堂で。 流砂に沈んだ時ほとんどの財宝は持ち出されたし、邪霊どもが何百年も盗掘してて残ってるのはガラクタだけやが、由緒のあるアンティーク物を欲しがる小金持ちには、良い値段で売れるからね。 どうしても先取り特権が欲しかったんだや」

中年色男ディロンが盛大に溜息をついて、長くなりそうなツッコミを遮った。

「なんで私のビジネス話に水を差すようなことを、次々と。さっきまで、アムナ夫人と良いところまで行ってたのに」

「そういうトコやぞ、ディロン殿。第一夫人に、ギュウギュウ絞られたって聞いたぞ」

「それだけ口が回るんだから、変な副業ビジネスに精を出さずに、南洋ジャヌーブ商会のマジメな商談の任務だけ取り組めば良いモノを」

潮焼け男シンドが、トライバル刺青(タトゥー)の見える手首を華麗に振り回し、呆れたように腕を組んでいる。

「いま帝都の第一の金融商ホジジン殿が来てるだろ、ジャヌーブ砦に。取次業者としては大きな取引チャンス。副業ビジネスにかまけていて、みすみす見逃したとはディロン殿らしく無いな」

美形中年ディロンは顔をしかめ……肩をすくめて、弁解し始めた。

「同業者を回ってたら『ラーザム財務官どのは帝都の金融商ホジジン殿と折り合いが悪くなった』という情報が入った。 例の不法の大麻(ハシシ)転売事件、カムザング皇子は無関係でむしろ被害者とのことだが、同業者は誰も信じてない。 ラーザム殿はカムザング派閥の重鎮として、法に触れない範囲で派閥のカネを管理してたが、不法な大麻(ハシシ)方面への流出があったのは確実だと思う」

「そんな話があったのかや? こっちは初耳だや」

――意外にも、アムナ夫人もポカンとした顔だ。やがて、何かしら心当たりがあったのか、口を覆ってブツブツと何かを呟き始めた。

「暗殺教団ご用達のヤバイ大麻(ハシシ)の噂もチラッとあって、どうにも気になる。ガセ情報で機会損失が出たとしても、ほとぼりが冷めるまで着手しないほうがジャヌーブ商会にとって安全だと判断してる。 いまはジャヌーブ砦に駐在している取次人を通じて、帝都大市場(グランド・バザール)の手堅い金融商たち、 たとえば、グーダルズ殿、オッサヌフ殿、タモサ殿なんかと話を進めてるんだが、どうもオジャンになりそうな、ヤナ感じ」

「おやまあ」

小太り中年文官ドニアスが意外そうに、小さな目をパチパチさせていた。スゴ腕の取次業者としての顔を見せたディロンに、戸惑っている様子だ。

「この私ディロンでさえ知らない謎の賭博用コインが出て来た。古式ゆかしき『邪眼』紋章のついてる琥珀ガラス製。此処の武官――期待の新人らしいな、若い副官に直々に見せられた時、ビックリしたよ」

美形中年の色男ディロンは、少しの間、白髪を抱え始めた頭を振り振りしていた。ナルシストらしく調子よくターバンを整え、潮焼け男のほうをクルリを振り向く。

「シンド殿は何か思い当たる事ないか? 南洋諸民族は、トライバル刺青(タトゥー)伝統と一緒に、おそろしく古い言い伝えとか、『邪眼』がらみの怪談とか、知ってたりするだろ」

「いやぁ……特には。三つの海流が出逢う千尋(ちひろ)の海の難所「三つ辻」に出る怪物《三ツ首イカタコ》怪談くらいか。 触手の吸盤の骨ひとつひとつが、邪眼の付いてる邪金コイン。ちょうど1000の数がある。1001の数になって初めて《怪物王ジャバ》に成り上がるんで、 後ひとつだけ、後ひとつだけ……と、いまも船乗りを襲い続けている、とか」

*****

ほど近い、アーチ支柱の陰――

興味深いこぼれ話の数々に、アルジーとオーラン少年が、時を忘れて聞き入っていると。

いつの間にか、鷹匠ユーサー、護衛オローグ青年、クムラン副官が近くの別のアーチ支柱に来ていて、覆面ターバン姿のカラクリ人形アルジーやオーラン少年と一緒に、熱心に耳をそばだてていたのだった。

クムラン副官が、感心しきりで目をきらめかせている。

「ホントに『この世で最も強力なナントカ魔法の壺』持ってますね《鳥使い姫》は。この夜の会話だけで、ラーザム事件で得るところ、ゾロゾロ出て来てますぜ」

「ラーザム財務官が、帝都の金融商ホジジン殿と折り合いが悪くなった……という話が本当なら、ラーザムを殺害した犯人……本人とまでは言わなくても、実行犯へ指令を下したのは金融商ホジジン殿……?」

護衛オローグ青年の呟きに……鷹匠ユーサーが頷いて、思案顔をしつつ、応じた。

「帝都の金融商ホジジン殿は、カムザング派閥と関係の深い大物商人ですが、別の派閥とも大型取引を始めているとか。 大麻(ハシシ)転売ビジネスで欲をかいて色々ボロを出した第六皇子カムザング、ひいてはカムザング派閥の重鎮ラーザム財務官を、邪魔になる存在だと思い始めた、という可能性は考えられますね」

*****

故ラーザム財務官のハーレム第四夫人アムナと、取次業者ディロン、ネズミ男ネズル、潮焼け男シンド、小太り文官ドニアスの談話が、南洋の怪談や、近くの廃墟の宝探しへと、話の筋が飛び始めたところで。

不意に、別のベール姿の女性が現れて来た。急ぎ足でやって来て、アムナ夫人へと声をかける。

「アムナさん、あぁ、間に合ったかしら。第一夫人がラーザム様の遺品整理をしててね、まだ取引清算が終わっていない書類を、重要金庫の中から見付けたの」

「これは、第二夫人さま。その未整理の書類とは?」

「それが奇妙な書類で。仮名の融資の取引なの、ものすごい巨額なのに。取り立て時期を過ぎてるんだけど、秘密裏に移動した先の相手が見つからなかったのか、まだ返金されてなくて。 ヘタしたらラーザム様の巨額汚職『老魔導士さまが特別任務に使う筈だった巨額予算を横領した』って形だし、連座制で、私たちもどうなるか分からないから、第一夫人が、カリカリしてて」

「そういえば、あの老魔導士さま、とても大金が必要な特別任務されてたと聞いてるわ。 その予算を、稟議も許可も無しで引っこ抜いたとか、使い込みって……タフジン大調査官にまで報告があがったら、大変なことね」

「ええ、写しを渡しておくわ。この大宴会が内々に処理できる最後の機会かも知れないから。該当人物が見つかったら、すぐに第一夫人との会見の約束を取り付けてね。返金交渉は第一夫人が進めてくれるわ」

ラーザム財務官ハーレム第二夫人は、せかせかとした様子で、アムナ夫人へ文書を渡した。明らかに写しと分かる、量販ペーパーと量販インクによる文書。紙面に、デカデカと、「写し」という薄墨ハンコがされてある。

「こういうのは、引継ぎの殿方の仕事なのに。引継ぎ役人さんは、いったい何処でボンヤリしてるのかしら? 汚職スレスレの業務にいう事じゃないですけど、 第二夫人、これでは引継ぎさんは、職務怠慢と取られても、致し方ないところですわね?」

第四夫人アムナの指摘に、第二夫人は「我が意を得たり」とばかりに大きく頷いた。プリプリしながら、怒りの言葉を継いでいる。

「ええ、ええ、ホントに男ってのはズルい生き物だわね。第一夫人のツテでも見つからないし、ほとぼりが冷めるまで潜伏して、やり過ごすつもりなんでしょう。必ず捕まえて、とっちめてやるわ。 ええ、とてもとても高い塔の屋根から吊るして、お仕置き棒で『地獄お仕置き』をしてやるつもりよ」

第二夫人は威厳を込めて「フン」と鼻を鳴らした。言ったとおりのことを、文字どおり実行する気合、満々である。

たまたま同席する形になった男たち、色男ディロン、ネズミ男ネズル、潮焼け男シンド、小太り文官ドニアスたちは、ちょっと後ずさって、「お、おぅ」と呟きつつ、震えていた。

「ともかく伝書バトと白タカ《精霊鳥》が運ぶ月次報告の期限が次の満月なのよ、砦の伝書局も業務報告の取りまとめに忙しいし、あと数日も無いから急がなくては」

ラーザム財務官ハーレム第二夫人は、アムナと同席の面々に優雅に「失敬しますわ」と告げ、また急ぎ足で、大宴会に集まっている人々の間へと混ざって行った。 明らかに、あらゆるツテを辿って、人探しをしている、という風。

第二夫人が次々に渡って行っている、すこぶる上流階級といった人々の間では……ザワザワと、新しい時事の話題が始まっている、という気配。

「あら、それホントですの? 第六皇子カムザング殿下が磔(はりつけ)ですって?」

「話題の酒姫(サーキイ)と何かした後、磔(はりつけ)にされて、何故か、去勢されるところだったとか。 犯人と思しき酒姫(サーキイ)か、謎の侵入者かが行方不明で、タフジン大調査官が困惑しながら捜査してらっしゃるわ」

「なんとオソロシイ痴話喧嘩だろう」

ざわざわと続く噂話が、大宴会場の華やかなさざめきに、一層の華を添え始めた……

…………

……アムナは早速、写しの書類に目を通していた。眉根を寄せ、疑問顔だ。

取次業者ディロンが興味津々で、アムナの持っている書類を、のぞきこんだ。

「破産宣告を兼ねてる借金取り立て書ですねえ、これは。要するに期日までに所定の金額を戻せなければ、裁判所に突き出して、給料やら家屋やら、《精霊石》護符までも、あらかた差し押さえて没収する、と。 返金を渋る相手に使う非常手段ですよ」

「変な仮名を使ってますやん。この謎の、巨額を持ち出した人物『三ツ首サソリ』って名前だや。そういう仮名を使用されるシュミ、お役人サマに、あったかな?」

ネズミ男ネズルが首を傾げている。

潮焼け男シンドが、ハッとしたように目をパチクリさせ、南洋諸民族ならではのトロピカル柄のターバンに、手をやった。

「そう言えば、新しく聞いた噂なんだが、ラーザム殿の死亡現場から、本当に邪霊害虫『三ツ首サソリ』の真っ赤っ赤な死体が出たとか。関係あり?」

*****

「関係、大アリ……でしょ」

アーチ支柱の陰で呆然と呟く、カラクリ人形アルジーであった。

ものすごい勢いで、パズルのピースが……ハマってゆく。まだ埋まってない箇所はあるけれど。

民間の代筆屋として、東帝城砦の帝国伝書局・市場(バザール)出張所のバーツ所長のもと、先輩ウムトや、ギヴ爺(じい)と一緒に。 トルーラン将軍や御曹司トルジンの不正ビジネス隠蔽の痕跡の数々として、さんざん目撃して来た手法だ。半期ごとの、公式の決算報告の、書類の中で。

いつしか。

考えをまとめるため、アルジーは無意識のうちに、高速《精霊語》でブツブツと呟いていた。その肩に乗っている火吹きネコマタは、金色の目をカッと見開いて、耳を傾けている。

アルジーの片方の手首を、覆面ターバン少年オーランが、シッカリと握ったままだ。オーラン少年の視線は、ひっきりなしに泳いでいた……何かに、ものすごく集中しているかのように。

――ラーザム財務官は、『三ツ首サソリ』を名乗る謎の取引相手と、面識があったに違いない。

慎重に、巨額の中抜きをして渡しておいて、しかる後に決まった額面を返金してもらうという関係。

何故そういう事をしていたのかも、説明がつく。

ラーザム財務官は、カムザング派閥の重鎮だった、という。帝都を騒がせるほどの。派閥マネーを左右する決定的な立場。

老魔導士のための巨額予算を「正当に」ゴリゴリ削り取って、カムザング派閥マネーのほうへ移すという……或る意味、 カムザング派閥にとっては、「法に触れずに、マネーを大量に調達してくれる(実際は横領だが)」忠実な役人スタッフ。

とはいえ、大っぴらに横領がバレると困るから、老魔導士の側の帳簿には、適当に、正当な手段で使われて適切に減ったように見える額面を記す。 減った理由は色々、でっち上げる事が出来る。架空の取引金額、手数料、委託料、輸送料、盗賊対策のための多種類の保険料。

他にも色々と、市場(バザール)商人からの賄賂だの上納金だの、派閥マネーの集金方法は多彩にあっただろうけど。

時期的に最も怪しいのは、カムザング皇子が手掛けていたという大麻(ハシシ)転売ビジネスだ。投下マネーに対して、それを上回る大きな利益が見込める……高額の転売ビジネス。

不正ビジネスで倍増した金額の中から、「しかる後に決まった額面を返金してもらっていた」というのがポイントだ。わずかな金額を戻しておくだけで、横領がバレにくくなる。

ラーザム財務官が、不法な大麻(ハシシ)ビジネスを知っていたかどうかは別にして。

謎の人物『三つ首サソリ』は、間違いなく知っていた筈。実際に動いていた仲介者……手先として。

転売ビジネスによる犯罪の収益を、架空の取引金額、手数料、委託料、輸送料、盗賊対策のための多種類の保険料――などにマゼマゼして転がしながら、 カムザング派閥の間の堂々たる正規な収益として、回収してゆく。資金洗浄と利益倍増がセットになった、典型的な不正運用の手法。

そして、最近、カムザング皇子の大麻(ハシシ)転売ビジネスがバレた。カムザング皇子自身は無罪で逃げ切った、というが。

莫大な未回収マネー金額を計上した筈だ。それどころか、マイナス。

期限が来ても、『三つ首サソリ』は、所定の額面をラーザム財務官へ返金できない――という状況になった筈。

老魔導士のための予算を削り取っていたのではないか、との疑惑が浮上するのは確実。捜査の手が入れば、詰み、だ。派閥マネー転がし手法の、決定的な破綻。

ラーザム財務官が、その事実に気付く前に……と、殺害したのだ。『三ツ首サソリ』の正体を公的に名指しして、取り立てて来ることも充分に考えられたから――

…………

……アルジーの肩先に鎮座していた、ちっちゃな火吹きネコマタは、ネコのヒゲを、ブルブル震わせている有様だった。

『よく、そんな狡猾な手法を思いつく……見抜けるニャネ《鳥使い姫》。いま同僚《火の精霊》《風の精霊》に裏付け調査に走ってもらっているが、たぶん、それで合ってるニャ。 ものすごい天文学的な巨額の脱税ビジネス事務所を立ち上げられるだけの、犯罪的な頭脳を持ってるのではニャイか』

『文句は、罰当たりな夫と、そんな夫との婚礼を認めて固めた、担当の《火の精霊》さんに言ってちょうだい。聖火神殿で正式な《婚礼の儀》は成立してるんだから』

『うむ、確かに』

ちっちゃな火吹きネコマタは、素早く、覆面ターバン少年オーランと、その肩先に居る白タカ《精霊鳥》ヒナに目配せした。

『ラーザム氏と謎の「三ツ首サソリ」氏の疑惑についての推理、承知したニャネ、白タカ幼鳥ジブリール。 それにオーラン君、それだけシッカリ《鳥使い姫》カラクリ人形つかんでたら、我らの《精霊語》バッチリ聞き取れた筈ニャ』

覆面ターバン少年オーランは、まだ信じられないという風に身体を震わせつつ。シッカリと頷いた。

「何で……この現象、何?」

『詳しい説明は精霊界の制約により不可であるが、無機質な人形を通して《鳥使い姫》霊魂に直接に触れているから、と言っておくニャ。 本来の《鳥使い姫》人体に触れた時にも、同じ現象を見ることになるニャ。どこまで高精細に聞き取れるかは、《精霊語》習熟度によるが』

定番の迷彩柄をした覆面ターバンの間で、オーラン少年の漆黒の眼差しが困惑の色を帯びた。

「定番の人間社会の用語とかは、まるごと伝わって来る。モヤモヤ部分は……《精霊語》原語に近いほうかな……?」

――そういう風なのか、と、チラッと興味深く思った、アルジーであった。

確かに《精霊語》独特の難解な言い回しやスラングともなると、アルジーも理解しにくい。《地の精霊》が語った『時空幾何』、『ナントカ培養水槽』など、何のことかと思ったくらいだ。 超古代『精霊魔法文明』に詳しい《青衣の霊媒師》オババ殿なら、ほぼ理解できるだろうけれど。

カラクリ人形アルジーが、少しだけ振り返り。ただでさえ神経質になった様子のオーラン少年は、ギョッとしたかのように飛び上がっていたのだった。

オーラン少年の肩先で、白タカ《精霊鳥》ヒナがキョロキョロし始めた。不可視の何かを見定めようとするかのように。

『もっと《精霊語》を勉強だね、相棒オーラン。ラーザム財務官の4人のハーレム妻たち、命の危険が出て来てる。隠密の護衛、緊急で付けなくちゃ。犯人が更なる口封じを決心する前に』

『彼女たちが身に着けている宝飾《精霊石》護符に、注文を付けておくニャ。間に合うかどうかは分からぬが』

――感覚の鋭敏な精霊だけが感じる、不吉な気配の急接近。精霊の、異次元の道の歪み。

ちっちゃな火吹きネコマタが、バッと毛を逆立てた。見えないものに向かって「フーッ」と威嚇している格好。

精霊たちと、アルジーだけが感じる、不穏な気配。

……三ツ辻に、望みを捨てよ。巌根(いわね)ひとつを、ともにして……

グラリ、と空気のような何かが揺らぐ。

……『918』の夜と昼……

ジャラジャラという、多数のコインが転がるような音。

アルジーの中で、精霊に限りなく近い鋭敏な感覚が不吉な気配を捉え、幻覚を立ち上げている。

最初に感じた時は、白日夢かと思っていたけれど。

とても近いところで、生贄の儀式が進行したに違いない――このジャヌーブ砦のどこかで。カムザング皇子の秘密メモに記載されていた『生贄918番』の儀式が。

……黄金祭壇のうえに横たわる死体。銀月の色をした何かが散らばり。瞬時に、頭と胴体が離れた骸骨と化して。それを焼くのは、黄金の暗い炎……

……このたび《骸骨剣士》を思うままに操る銀月の祝福入り《魔導》カラクリ糸を得たのは、この人だ! 次の血祭りをこそ楽しみにして、なお威勢よく賭けるが良い! 我ら永遠の黄金郷(エルドラド)のもとに……

地下神殿のような暗い空間を、ドッと湧き上がる歓声。おぞましい歓声と同調して、一帯の石積みを不気味に揺るがしている重低音のような……

…………

……闇の色をした《魔導》カラクリ糸。

ひと筋、ふた筋ほどの細い糸が、銀月の色に輝いている。《銀月の祝福》の銀髪。

多数の《骸骨剣士》を操る《魔導》カラクリ糸の発生源は、黄金の炎を噴出する《邪霊石》。

炎冠紋様で荘厳された台座を備えた、大振りな黒ダイヤモンドだ。《邪霊使い》の定番の《魔導》道具……

…………

こんな時に、以前にも見たことのあるような、幻覚に呑み込まれている場合では無い。

アルジーは必死で抗おうとしたものの……感覚が次第に痺れていってしまう。

出涸らしのカス品質といえど、邪霊植物の大麻(ハシシ)の、煙の吸引力。

覆面ターバン少年オーランの――《地の精霊》祝福の地獄耳が、微かな徴候を捉えた。

「……《骸骨剣士》!」

ありえざる幻覚にふらつき始めていた、カラクリ人形アルジーの身が、いきなり引っ張られる。

引っ張ったのはオーラン少年だ。

少年のもう一方の手先がしなり、小型の投げナイフが飛んだ。

手裏剣そのものの刃物、複数。退魔紋様による真紅の尾を引きながら。

その先で、今まさに、透かし彫りの衝立のうえに沸き立った邪霊《骸骨剣士》5体が、邪霊の三日月刀(シャムシール)を振り回していたのだった。

5体の《骸骨剣士》一斉に、先ほどまで会話していた一団に襲い掛かる。

アムナ夫人、美形中年ディロン、小太り中年文官ドニアス、ネズミ男ネズル、潮焼け男シンドの5人に向かって。

「危ない!」

「きゃあ!」

潮焼け男シンドが、海賊に襲われた船乗りならではの素早さで――腰の短剣を抜き、《骸骨剣士》の三日月刀(シャムシール)を受け止めた。

鋭い金属音……次の瞬間。

潮焼け男シンドの反撃が届いていなかった筈の、3体の《骸骨剣士》が、退魔調伏されて無害な熱砂と化していた。

見れば、まだ形が残っている頭蓋骨パーツに……オーラン少年が投げていた手裏剣が、みごと命中している。

仰天しながらも、ネズミ男ネズルと美形中年ディロンが、それぞれサッシュベルトに通していた短剣を抜き。潮焼け男シンドに加勢して、残り2体の《骸骨剣士》を始末した。

大宴会場のあちこちで、同じく、空気を読まない通り魔《骸骨剣士》騒動が、同時発生していた。

最弱のゴロツキ邪霊という評判どおり、《火の精霊》夜間照明の光に当たるや、調子ハズレのタタラ踏みとなり、倒しやすくなるが……それでも物騒な刃物を振り回している、という危険は変わらない。

「助けてくれ! 血が出た!」

「紅白の御札、何処だ! 退魔調伏の御札は! 三日月刀(シャムシール)は!」

上を下への大混乱だ。驚愕の叫びと、剣闘の騒音がつづいている。新たに駆け付けて来ている衛兵たちの大声も。

支柱の陰、間仕切りの暗がり、階段状の段差……《火の精霊》夜間照明の光が届きにくく、何かが化けて出そうな暗がりという暗がりから、《骸骨剣士》の群れが三々五々と沸いて来ていた。

アムナ夫人が、上流階級の人々の一団を振り返り、目を丸くして叫ぶ。

「第一夫人と第二夫人が!」

不意打ちの通り魔からの避難行動に慣れていない一団が、致命的な「密」を作ってしまっていた。ご婦人方も含めて。 《骸骨剣士》15体ほどが押しまくり、高速で邪霊の三日月刀(シャムシール)を振り回し始めた。

配置されていた茶卓や談話クッション、垂れ幕などといった物が、邪霊の三日月刀(シャムシール)の刃に切り裂かれ、次々にボロボロになってゆく。

鷹匠ユーサーの肩に居た白タカ・ノジュムが高速で飛び立った。

近くに駐在していた白タカ《精霊鳥》たちと編隊を組んで、《骸骨剣士》の集団組織化を阻み始める。組織行動にシフトされると、《骸骨剣士》は、いっそう強化して面倒な存在になる。

微妙に増強した1体が、驚くほど俊敏な動きで邪霊の三日月刀(シャムシール)を薙ぎ払った。熟練の戦士なみの動き。

衛兵の割り込みが一足ほど遅れ、御婦人方の2人、3人ほどが、次々に刀傷を受けて、床の上に倒れた。巻き込みを食らって、残りの――第一夫人と第二夫人を含む一団も、将棋倒しになる。

アルジーの周囲でも群衆の混乱が、いっそうひどくなり。

右へ左へと惑っているうちに……群衆に揉まれて、アルジーのターバンがほどけてしまった。

腰まである見事な銀髪が――人工銀髪だが――こぼれる。

かつての身体感覚でもって、ササッと銀髪をたたんで、回収したが……その一瞬は、ある特定の人物にとっては、充分な一瞬だった。

まだ身体が大きくないオーラン少年は、圧迫して来る群衆を押し分けるほどの体格や筋骨は無い。気付いた護衛オローグ青年やクムラン副官が、左右の支援のため、群衆を分けて接近して来るのを待つのみだ。

1回か2回ほど、押されて流された後。

不意打ちで、アルジーの横に、背丈のある不審人物が割り込むように現れた。

アルジーの着衣の端をつかんでいた少年オーランの手を、鞘(さや)で、下から上へと打ち上げるようにして……外した。

――そのままの勢いでもって、カラクリ人形アルジーの身体を……上の方へ引っこ抜く形で、奪い去って行った!

覆面ターバン少年オーランにとっては、思いもよらぬ……盲点だった方向だ。鞘(さや)に打たれて、しびれた片手をかばいつつ。

「しまった!」

『追いかけろ、相棒! ここは鷹匠ユーサーたちに任せて!』

感覚の鋭い白タカ《精霊鳥》ヒナが、クチバシや翼を行く手に差し向けて、オーラン少年を誘導する。

隠密行動の技術を大いに発揮して、覆面ターバン少年オーランは、カラクリ人形アルジーを持ち出した不審人物の後を追った。

その辺の、何処にでも居そうな、商人風の長衣(カフタン)。

長衣(カフタン)を透かして見える、奇妙にデップリと崩れた体格や、ターバンの端から見える白髪多め毛髪は、人生の後半まっしぐら世代の男を推測させる。

大混乱の群衆がひしめく、幾つかの階段と、踊り場を過ぎてゆき。

まだ走り回っている人々多数の、薄暗いアーチ廊下の角を曲がるや。

不審人物の姿は消えていた。

「居ない……!?」

焦って物陰に潜みつつ、左右を窺う覆面ターバン姿の少年兵。その肩先にしがみついたままの白タカ《精霊鳥》ヒナが、「ピョッ」と鳴いた。

『蒸発とは違うから落ち着いて、相棒オーラン。軍事施設なんだから、抜け穴、秘密通路があって当然だよ』

「秘密通路を知ってるヤツと言うと……」

覆面ターバン少年オーランの足取りが、慎重なものへと変わった……

*****

……ジャヌーブ砦の高所にある、展望のための大窓バルコニー設備付きの、優雅な角部屋。

カラクリ人形アルジーは、その小部屋に連れ込まれていた。

ラーザム財務官の死亡した角部屋とは違うが、一定以上の高位文官の滞在を想定した角部屋としては、同類のもの。

三日月の形をした銀月が西の空に浮かんでいる。

深夜というほどではないものの――遅い夕食が終わるオーダーストップの刻、といった頃だ。

贅沢すぎる寝台のうえで、アルジーは、正体不明の男と揉み合っていた。

贅肉つきまくりの醜怪な男は、何やら興奮したような、おぞましく不気味なうめき声と息遣いを繰り返している。

アルジーのターバンがほどけて、寝台のうえに、見事な輝きの人工銀髪が広がっていた。

正体不明の男は銀髪の輝きがお好みらしく、熱心に、銀髪の中へ顔をうずめて、スリスリしている。ニセモノの人工銀髪とは気付いていないらしい。

「ぐぅえっへへへ~げぇえへへへ~いとしい、かわいいアルジュナ、よいではないか、よいではないか、ふへへへぇ」

目立たない商人風の長衣(カフタン)が早くも脱げ始めていて、はだけた部分から、色付き香油で黄金にテカっている肌が見える。

カムザング皇子と趣味が似通っているらしく、ジャラジャラ・チャラチャラの意匠を凝らした金鎖チェーンが、何本も首回りを取り巻いていた。

さいわい邪霊害獣に由来する装飾は含まれていないけれど。

示威の誇示のためなのか伝説の怪獣『八叉巨蛇(ヤシャコブラ)』モチーフを連ねていて、どことなく悪趣味な雰囲気。

黄金にテカった肌は、平均を上回る大柄な体格と相まって、やけに、あの不気味な巨人戦士ザムバを連想させる。

――が、不均衡に贅肉が付きすぎていて……

異様に長く垂れた胸や、それに続くように段々になっている脇腹が、女ザムバ怪獣、という印象だ。

なんとも下卑た表情の貼りついた不気味な男だが、身に着けている数々の宝飾《護符》や、護身用の短剣は、ただならぬ社会的地位を感じさせる。王侯諸侯の類。あるいは、もっと上。帝国の皇族の直系。

カラクリ人形アルジーの肩にしがみついていた手乗りサイズの火吹きネコマタが、素早く枕元から抜け出すや、部屋の隅へと走った。

そこには、退魔紋様を施された飲料用の水壺や、行水サウナ用の水壺が、デデンと置いてある。

ちっちゃな火吹きネコマタの2本の尾の先から火花が飛び、水壺の上でピカピカと光ると……《水の精霊》の薄青い光球が出現し、応えた。

薄青い光球が、見る間に人の姿に似た形を取り、アルジーの横にすべり込み……寄り添うように並ぶ。

次の瞬間。

アルジーの両手首を押さえつけていた、女ザムバ怪獣な脂ぎった男の手から、スッと力が抜けた。

重心も、横へとズレた。

カラクリ人形アルジーが、おぞましい夜の裸踊りを披露している女ザムバ怪獣な男から、遠ざかろうとすると。

ちっちゃな火吹きネコマタが、枕元で、前2本足で「お願いポーズ」を取りながら、後ろ2本足でピョンピョン跳ねていた。必死の形相で。

アルジーにしてみたら、それどころでは無い状況だが。一瞬、唖然として見入ってしまうほどの、みごとな曲芸だ。

『ちょっと待つニャ、そのまま、テキトーに、色っぽく抵抗してるフリしてくれニャ。驚くくらい食いつきが良いニャ。老魔導士の想定していた以上だニャ』

『こんな、オバケ怪獣……そこの窓のバルコニーから、地獄の底へ突き落として、息の根を止めてやるまでは、安心できないでしょ!』

『銀月アリージュの容貌が高難度すぎて、《水の精霊》も、精霊魔法の幻術《鏡写し身代わり》方式でしか再現できないのニャ。セリーン妃の時は、セリーン妃を別室に避難させておいて大丈夫だったのであるが』

『セリーン妃? じゃ、この男は……この不潔な、油でテカってる、贅肉オバケ怪獣女ザムバ、っていう男って……!』

一気に、過去にチマチマと耳に詰め込んでいた噂の記憶がよみがえり。

アルジーは衝撃のあまり、失神しそうな気分だ。

ショック性の頭痛が始まって、クラクラする。身体の震えが止まらない。

『とにかく、この不気味な、贅肉オバケ怪獣女ザムバ……正体は、帝国皇帝(シャーハンシャー)ってことね、《火の精霊》さん?』

『お察しの通りニャ。酒姫(サーキイ)との夜に溺れる前は、これでも、相当の美形……例の酒姫(サーキイ)や美麗との評判高い『毛深族』現・魔導大臣ザドフィクにも匹敵する、 きらびやかな容姿だったのであるが。際限なき欲望と不摂生の恐ろしさ、というところニャネ』

『昔のおとぎ話「怪獣山の城」に出て来る、人間の化けの皮をかぶった八叉巨蛇(ヤシャコブラ)が正体だったとしても、驚かないわよ。 私なんかより、特大サイズ8樽「怪獣殺し」酒のほうが効果あるわよ、絶対』

『その伝説の「怪獣殺し」酒、実は古代《精霊魔法文明》の頃に《銀月の精霊》と《水の精霊》が協力してつくった傑作である。祭壇に供えられている、お馴染みの御神酒の発祥ニャ。 今まさに、《水の精霊》が銀月アリージュと接触して、同じ現象を再現しているが、超・爆速かけて火酒に濃縮していても時間かかるニャ。 標的の身体、高濃度アルコール慣れしているゆえ。少し辛抱してくれニャ』

――前々から、帝国皇帝(シャーハンシャー)は、毎日のように深酒をたしなむ不摂生をやらかしていた……ということじゃないの!

薔薇輝石(ロードナイト)の目の感覚でもって、《水の精霊》から立ち昇る薄青い蒸気を、見て取れる。かすかではあるが、チラチラと、銀月色にきらめく微粒子の光。

不思議な蒸気は、毛穴という毛穴、秘孔という秘孔を通って、標的の身体に、少しずつ染み込んでいっている。

カラクリ人形アルジーは、贅肉オバケ怪獣女ザムバ、としか思えない大柄な男の人相を、慎重に観察した。

だらしなく「ぐぅえへへへ」と叫びながら、不潔な夜の裸踊りを続けている「忌まわしい生物」を、間近で観察する……ということ以上に、乙女ゴコロをゴリゴリ削る作業があるだろうか。

帝都の金融商ホジジンのように、両側の頬(ほお)の肉が垂れ下がっている。

その重量に引っ張られる形で、目尻も崩壊しまくっているという人相だ。

しかし、その贅肉に埋もれた骨格を何とかして読み取ると……成る程、皇弟リドワーンと似通う顔かたちだ。

脂ぎった贅肉まみれの頭部の全体が、変な風にボロボロ禿げていて、藁クズよりもいっそう腐り果てた藁クズな白髪……白髪というよりは異様に黄変したナニカ……も多いものの、 若かりし頃のダークブロンド髪がチラホラと残っている。

「ぐぅえへへへへ~、そうじゃ、よい子じゃ、うい子じゃ、ますますなんと美しい、ワシだけの銀月、 この世のあらゆる宝石よりも、ハァハァ、いっそう、ハァハァ、まばゆく輝く恋人よ、そのまま、いう事を聞くが良い、ぐぅえっへへへ~」

右手も左手も不潔に脂ぎっていて、全部の指に、贅沢な宝石の指輪が何本も何本もハマっている。全部でいくらになるのか、と呆然してしまう。

贅肉オバケ怪獣女ザムバな男が喜色満面で続行している、おぞましい夜の裸踊り。その相手は、適当に丸まった枕と、掛布団だ。

それらの表面を、《水の精霊》の薄青い光が取り巻いている。幻覚を投影する《水の精霊》の介入だ。男の望みどおりの妄想や幻影を、投影しているところ。

重心はズレているし、今までアルジーの動きを拘束していた手は、既に外れている。

充分な隙間が出来ているから……衣服が破れるのを気にしなければ、この隙間から、いつでも抜け出せる。

この陰謀の発案者である、ちっちゃな火吹きネコマタは、枕元で『適当に、チョイチョイ触ってニャ』と、必死に、涙目で訴えている。 両手バンザイ招き猫さながらに、両方のネコの手を上げて意味深にチョイチョイと動かす、ジェスチャー付きだ。

――《水の精霊》は、真に迫る幻覚を立ち上げられるとはいえ、夜の裸踊りに伴う物理的な感触まで再現するのは、難しい作業になるらしい。

アルジーはモゾモゾと身動きしつつ。

不気味な肉塊の各所を直接に触りまくるのは、さすがに乙女ゴコロに響くと観念する。この手が、無機質なカラクリ人形の手であっても……それはアルジー自身の感覚を返して来ている物体だ。

丸まった枕と掛布団を相手に、醜怪な物体は裸踊りをつづけていた。怪獣が咆哮するような、不気味なダミ声、といった騒音をわめき散らしながら。

帝国皇帝(シャーハンシャー)ならではの贅沢な……護身用の短剣が、脱ぎ捨てられた長衣(カフタン)と一緒に転がっていた。

アルジーは、その短剣を拾い。

贅沢すぎる短剣の鞘(さや)で、あちこち、贅肉の段々になった境目をなぞったり、つついたりしてみる。

やがて、新しく、クネクネとした裸踊りのバージョンが加わった。不気味な笑い声を立て始めている。

「ぐほほ、ららら、ぐほほ、れれれ、ろろろのキョケキョケ、カキクケコ!」

……それなりに喜色満面だから、成功はしているらしい。

相容れぬ存在とは言え……かの噂の酒姫(サーキイ)アルジュナは、この不気味な肉塊の肉欲を、満足させていたのだ。プロの酒姫(サーキイ)を名乗るだけのことはあると、感服するのみだ。

引き続き観察しているうちに、不意に、アルジーは不審を覚えた。

帝国皇帝(シャーハンシャー)が愛用していると思しき、黄金の色付きの香油。

オリーブオイルなどの黄金色かと思ったが、よく見ると違う。もっと、おぞましい……暗くぎらつく黄金色に近い。

『……《火の精霊》さん、この香油、もしかして邪霊植物の大麻(ハシシ)が混ざってない?』

『ニャニャンと?』

ビシィ! と、2本のネコ尾を振り立て、枕元で飛び上がる、ちっちゃな火吹きネコマタであった。

火吹きネコマタは、素早く、調査担当《火の精霊》――パチパチと火花を放つ《花火玉》多数を召喚した。真紅の《花火玉》は、怪異な肉塊の各所を、ポンポン跳ね始めた……

「うぉお? アチッ? アチ、アチ? おぉこの燃える恋心のように熱い夜ではないか、ワシの美しすぎる銀月、かわいい恋人よ」

結論から言えば、混ざっていた。

聖別された香油に浸されて、大いに威力が削られてはいるものの……邪霊の大麻(ハシシ)成分が。

火吹きネコマタの2本のネコ尾から、パチパチと、怒気の混ざった火花が打ち上がっている。

『実に不愉快で信じられぬことであるが。これほど酒姫(サーキイ)と関係のある帝国皇帝(シャーハンシャー)が、 セルヴィンの生贄《魔導陣》相乗りに、追加されていない、ということのほうが、あり得ぬことであったニャ』

『生命力を吸い取っている邪悪な相乗り、カムザング皇子につづく2人目の皇族ってことね』

『疑惑は濃厚。ほぼ確定と言っても良いニャ』

ちっちゃな火吹きネコマタは、枕元の膨らみからピョンと飛び降りるや、不気味な肉塊をグルリと一巡した。

やがて……招き猫さながらの火吹きネコマタは、ネコの目を、不穏に細める。

『聖別された香油を挟んでいる分、誤作動があっても不思議ではない……こういう奇妙な肉体になったのは、先日までの、国家祭祀の前後だニャ』

『随分と最近じゃないの。それじゃ、ここ一ヶ月くらいの変化?』

『である。夜の行為のために肉体の若返りをしようとして、肉体の造形に誤作動が起きたのかも知れぬ。これほど不均衡な贅肉の付き方だと、普通に走ったりするのは難しい筈ニャ』

いま、この瞬間にも……

目の前で展開している、おぞましい夜の裸踊りのエネルギー源として、セルヴィン少年の生命力が削られているのかと思うと、気が気では無い。

大宴会場に化けて出たゴロツキ邪霊《骸骨剣士》の数の多さも、大いに気になるところだ。

『早く終わってくれないかしら。怪談にしても悪趣味が過ぎるわ』

カラクリ人形アルジーは、おぞましい肉塊の下に出来ている隙間から、半分、這い出ると……

グイグイと力を込めて、短剣の鞘(さや)で、帝国皇帝(シャーハンシャー)のお尻の部分を、あちこち押してみた。シュクラの子供たちの、冬の定番の遊び「おしくらまんじゅう」をイメージしつつ。

そのお尻の部分は、老醜というよりは禁術ゆえと思しき、不気味なまでの不均衡と異形をさらしている。普通の人間の肉体の一部とは、とうてい思えない。

――まるで、三ツ首《蠕虫(ワーム)》から中型《人食鬼(グール)》へ変身する途中の、邪霊怪物の、ブヨブヨとした肉体みたいに見える。

締まりの無い、ブヨブヨとした雰囲気。

同じ雰囲気の人物を知っている。

いまの東帝城砦の総督、トルーラン将軍。パッと見た目は美形中年だけど、雰囲気は、こういう感じ。御曹司トルジンも、トルーラン将軍と同じ年頃になったら、こういう雰囲気になりそうだ。

それに……カムザング皇子も、似た雰囲気を、いっそう濃厚に漂わせていた……と思う。

――普通の人類が、こういう雰囲気を漂わせるものだろうか? なにか「よろしくないモノ」が、取り付いているのでは?

共通点は……かの邪霊植物《三ツ首ハシシ》? とんでもない高額商品と聞くが、買い取れるだけの財力を持っていれば……そう、飛び抜けた財力・権力も共通している。

もうひとつの共通点は、怪物教団《黄金郷(エルドラド)》のように思える。あのモッサァ黒ヒゲの首領魔導士を頂点とし、 地下神殿での生贄の儀式と、邪眼のザムバの肉体を通じて、《怪物王ジャバ》を復活させようとしている……

それに、あの幻覚。このジャヌーブ砦のどこかで、生贄の儀式が進行していたに違いないのだ。探して、早々に突き止めなければ。

不吉な直感に手元を震わせながらも、短剣の鞘(さや)で、お尻の部分をあちこち、いっそうギュウギュウ圧迫していると……それが意外に功を奏したらしい。

「ひげぶっ」

おぞましい怪獣そのものの不気味なダミ声を上げて、贅肉オバケ怪獣女ザムバな男は、バッタリと倒れ伏した。抱き枕のように掛布団を抱きしめたまま、白目を剥いている。

全裸の帝国皇帝(シャーハンシャー)が完全に失神していることを確認し、アルジーは遂に、寝台から脱出した。

掛布団と一緒に折り重なった部分で、カラクリ人形アルジーの着ていた帝都紅ライン装飾入りの白い長衣(カフタン)が、ビリビリと破れてゆくが……構っていられない。 とにかく可能な限り、遠くまで離れることが出来れば。

火吹きネコマタが同情の眼差しを向けて来ていた。2本のネコ尾が、しおらしく垂れている。

『たいへん、お疲れ様だったニャ。想定以上に、アリージュの色香でもって、念入りにボケボケになったニャ』

『必要欠くべからざる任務であっても、二度目は無いわよ』

『その心配は無いニャ。詳しい説明は省くが、《銀月》と《水の精霊》の御神酒の精霊魔法でもって、脳ミソの睡眠記憶の再生回路を、超・明晰夢の設定に……』

不意に、《水の精霊》の薄青い光が、明瞭に閃いた。

火吹きネコマタとアルジーとで、一斉に注目する。

ちっちゃな手乗りサイズの赤トラ猫の毛皮が、ババッと逆立った。2本のネコ尾が、威嚇をもって高く立ち上がる。

『誰か来るにゃ! オーラン君でも無い、鷹匠でも無い……!』

『そんなバカな』

あたふたしながらも、アルジーは、間仕切りとなっている垂れ幕の陰に潜んだ。

ノックも無しに、サボテン扉が、スーッと開いて閉じる。

三日月の、ほのかな光の中に浮かび上がる人影。

超・富裕層であることを示す、みごとな横幅を持つ肥満体だ。

(帝都の金融商ホジジン……?)

(不思議な登場ニャネ)

垂れ幕の陰で、アルジーと火吹きネコマタは、一瞬、疑問顔を見合わせた。

贅肉(ぜいにく)が幾重にも重なって消滅し果てた顎(あご)に手をやり、金融商ホジジンは得々とした笑みを浮かべた。何かしら陰謀をしているという風に、垂れ下がった頬の贅肉(ぜいにく)がプルプル震える。

「これはこれは、美しすぎる銀月と、随分と熱烈な夜の行為を楽しまれたようですな、皇帝陛下(シャーハンシャー)。 この銀月の酒姫(サーキイ)の雇用主は私であり、この夜のお楽しみの料金も、シッカリ耳を揃えて、全額、払って下さるものと、お喜び申し上げます』

いうが早いか、金融商ホジジンは、脱ぎ捨てられていた長衣(カフタン)と一緒に転がっていた財布を開き、あっと言う間に空っぽにした。

「不足金は後ほど、請求申し上げましょう。もっとも、私自身は雇用主の特権として、タダで、かの魅惑の美を楽しませて頂いておりますがね、フフフ……!」

――な、なんですと!

カラクリ人形には体毛までは生えていないものの、全身の体毛が逆立つような恐怖を覚えた、アルジーであった。

帝都の金融商ホジジンは、耳まで裂けるような笑みを浮かべ、脂ぎった全裸の男の耳に、ささやきを詰め込んでいる。

「ご安心召され、皇帝陛下(シャーハンシャー)。此処で命までは取りませんぞ。まだまだ、私の金儲けに役立って頂きませんと。つきましては皇帝陛下(シャーハンシャー)、この媚薬を召しませ」

いかにも夜のオツトメという風の、ザクロの形をした怪しげな香炉が、意識の無い全裸の帝国皇帝(シャーハンシャー)の鼻先に近づけられた。

(カムザング皇子は、かの媚薬の単なる仲介購入者で、真の購入者は金融商ホジジンという訳かニャ)

垂れ幕の陰で、「カッ!」とネコの目を見開く、火吹きネコマタである。

「次に、特別な黄金《魔導札》も……これから私からの「オ・ネ・ガ・イ」聞いてくださいませね、皇帝陛下(シャーハンシャー)、フフフ」

黄金《魔導札》からの怪しげな呪術成分が回り出したのか、帝国皇帝(シャーハンシャー)は意識が無いままに、ピクピクと全裸を震わせ始めた。

――禁術《歩く屍(しかばね)》のような雰囲気。

「ぐぼぼ……望みを申すが良い……ぐぼぼ……ぼぼぼ……」

「最近、セルヴィン皇子が元気を取り戻したようでしてね。わざわざ、ジャヌーブ辺境まで出張して、このまま、みじめに衰弱死するのみ……と、ほくそ笑みながら見ておりましたのですが、ねえ」

金融商ホジジンの言葉の端々から、すさまじい悪意が漏れ出て来ている。

「セルヴィン皇子の回復は、都合が悪いのですよ。あの偽造宝石ショップの裏金の流れ、あのまま、《黄金郷(エルドラド)》まで調査が進めば、どうなっていたか。 対立している皇族たちを炎上させて、セルヴィンを集中攻撃して、皇族政争を激化させておいて万々歳でした。宝飾の目利きセリーン妃の横死という、思っても無い大金星ボーナスも付いて来ましたしね」

火吹きネコマタもアルジーも、垂れ幕の陰で、恐怖にフルフル震えながら、聞き耳を立てるのみであった。

「セルヴィン皇子を《人食鬼(グール)》前線ジャヌーブ砦へ追放して、不足する医療環境の中でみじめに戦死させる、むごたらしく衰弱死させる、という皇族政争の策謀が出て来た時は、狂喜乱舞いたしましたが。 何故か都合よく、天才と名高い名医、老魔導士どのが同時に追放されている。老魔導士どのの人事異動に関して、アヴァン侯クロシュ殿が、宮廷と神殿の面々に手を回して、交渉・調整されていたようです」

いよいよ西の地平線へ没しようとする淡い三日月の光に照らされつつ、不気味な問わず語りがつづく。

半分は、職場のボヤキという風だ。

ほかに人が居ない――密室という状況も相まって、ポロリと本音が洩れた……という雰囲気。

「若手閣僚アヴァン侯クロシュ……まだ無派閥で、基本的に平等に、皇族の血筋の保全に動く立場。 番外ながらセルヴィン皇子も皇族で、たまたま保全の対象に含まれただけなのに、しれっと成功。まさに諸国垂涎の政治家。 帝都の上位の皇子・皇女の派閥が、そろって熱烈に勧誘している。早々に、我らが推す皇族の派閥へ確実に引き込まなければ」

やがて、全裸の帝国皇帝(シャーハンシャー)の身体から、ゴボゴボという、不気味な音が沸き上がった。

その異形めいた全身が、うっすらと、暗い黄金色に光り始めた。

まるで、呪われた黄金の光煙に包まれているかのようだ。

それが、暗示が掛かる兆候であった様子……金融商ホジジンは顔を輝かせ、いそいそと、身を乗り出した。

贅肉の間に埋もれている金融商ホジジンの口元から、不気味な抑揚でもって、暗示の言葉が流れ出している。

「明日、ラーザム財務官の葬儀の折に。是非に、死にぞこない番外皇子セルヴィンを、もはや役立たずとなったゴミ第六皇子カムザングとともに、上席に参列させられたい。そうご命令くださいませ」

「ぐぼぼ……セルヴィン皇子は明日、参列する。皇帝命令である。グボボ……」

「早速、この命令書に、皇帝陛下(シャーハンシャー)の《精霊文字》で署名を。日付をさかのぼって偽造済みでございましてね。あとは皇帝陛下(シャーハンシャー)の署名のみでございます。ヒヒヒ」

全裸の帝国皇帝(シャーハンシャー)は、ギクシャクと、不気味な黄金に光る片手を、突き出した。意識の無いままに……《歩く屍(しかばね)》さながらの動きだ。

金融商ホジジンの手から、すでにインクが詰められた葦ペンが提供されている。全裸の帝国皇帝(シャーハンシャー)はギクシャクと、ホジジンが差し出した命令書に署名した。間違いなく《精霊文字》で。

「まこと、ありがたき幸せ。フフフ……細工はりゅうりゅう仕上げに御満足なされませ。カムザング皇子もセルヴィン皇子も、無様に、ペシャンコに……フフフ!」

帝都の金融商ホジジンは、勝利の高笑いをしつつ。

サボテン扉を開閉して、退出して行った。

寝台のうえには、相変わらず、暗い黄金の光をまといつつ、ピクリピクリと動き続けている全裸の帝国皇帝(シャーハンシャー)が横たわっていた。

『ヤバイわよ、一気に証拠隠滅されるわ。カムザング皇子から事情聴取しなければならない内容、山ほどあるでしょ。まだ暗示が効く状態のうちに、上書き修正しないと』

『待つニャ、銀月の。あの偽造の命令書の署名を、無効化……』

火吹きネコマタも、そう言いながらも、対策を打ちかねている様子で……グルグルと2本のネコ尾を振り回している。

決死の勢いで。

アルジーは帝国皇帝(シャーハンシャー)の顔をぐいッと引っ張った。勢いで上半身が仰向けになる。

「ぐぼぼ?」

両方の瞼(まぶた)を引っ張り、ドロリと濁った目を開けて、まっすぐ視線を合わせ。

帝国皇帝(シャーハンシャー)の、ピクピクと震える耳に、怒りの言葉を叩き込む。

「セルヴィンを生かしておかないと後悔するわよ。 何故なら、この私が『灰色の御札』をその穢(けが)れた口に押し込んでやるからよ、『男の下半身のアレを究極に萎えさせ、永遠に不能にするオマジナイ』というのをね!」

「グボボ……それだけは勘弁してくれ、あらゆる男という男の恐怖だ、グボボ」

帝国皇帝(シャーハンシャー)はグルグルと腕を振り回し始めた。変な風に、眠りが浅くなって来ている。その片手には、相変わらず葦ペンを握り締めたままだ。

「グボボ……灰色の御札、灰色の灰色、地下神殿の雨季、おぉそうじゃ、グボボ。ワシの美しすぎる恋人、銀月よ、名案が浮かんだ。新しい命令書を作成してやろう」

全裸の帝国皇帝(シャーハンシャー)は、ギクシャクと……脱ぎ捨てていた商人風の長衣(カフタン)の袖の中から、新たな紙を取り出した。

――金融商ホジジンが持っていたのと同じ紙だが、まだ空白のものだ。

混沌とした意識状態のまま、帝国皇帝(シャーハンシャー)は新しい命令書を書き連ねた。最後に得意満面な雰囲気でもって、《精霊文字》で署名を仕上げた。

「グボボ……どうじゃ、美しすぎる銀月よ。 かねてから、そなたも『セルヴィン皇子には一杯食わされた、セルヴィンもオーランも食えない奴らだ、むごたらしく殺してやる』と、アレコレ、ステキに残忍な殺害方法を考案しておっただろう、グボボ……」

『なにが、どうして、そうなった……ニャ?』

火吹きネコマタが唖然としている間にも。

帝国皇帝(シャーハンシャー)は、自身の守護精霊なのだろう《火の精霊》を、葦ペンの先に呼び出し。

ササッと、いましがた署名したばかりの命令書を、くべてしまった。

直後、帝国皇帝(シャーハンシャー)は眠気に耐えかねたかのように、バッタリと、うつぶせになる。全身をとりまく、薄気味悪い黄金のオーラめいた光煙は、蒸発したかのように消滅していた。

目をパチクリさせるアルジーの前で。

葦ペンの先に輝く灯火の姿――真紅色の《火の精霊》が、当惑気味に、命令書の内容を復唱した。

『この日この刻、帝国全土、すなわち帝都と諸王国を守護する最高位の守護精霊《火霊王》のもと確定せり』

『セルヴィン皇子は、次の国家祭祀の節句が来る前に、ジャヌーブ砦の長年の問題、すなわち《人食鬼(グール)》異常氣象の発生元となっている邪悪な神殿なり礼拝堂なりを、蹂躙し、殲滅せよ。 人員および手段は問わぬ。成功するまで帝都帰還は認めぬ』

『凱旋の功績と栄誉は当代の帝国皇帝(シャーハンシャー)にすべて捧げ、セルヴィン皇子は完全に沈黙せよ。その代わり、この件の獲得物は――数百年もの間、 邪霊どもに盗掘され荒らされていた廃墟から得られる物など、たかが知れている――すべてセルヴィン皇子の物とする。当代の帝国皇帝(シャーハンシャー)かく命令せり』

一旦、内容を区切るための、空白を示す花火がポンと入って。つづいて、締めの語句が流れた。

『この内容は翌日の夜明けと共に、砦の官報の掲示板へ《火の精霊》の精霊魔法《複写》でもって焼き付け、公示される』

しばし沈黙が横たわった。

――ようやく、そのとんでもない苛酷な内容が、アルジーの脳ミソに染み込んだ。

「ちょっと待って、それ冗談じゃないわよ! あんな病み上がりの衰弱少年を、《人食鬼(グール)》異常発生源へ放り込んで、 異常《人食鬼(グール)》の大群を全滅するまで戦え、ですって!? おまけに廃墟の盗掘の後の残り物だけで満足しろ、ですって!? 不当に虐げるにも程があるわ!」

『ま、待つニャ、落ち着くのだニャ、銀月の』

ちっちゃな火吹きネコマタが、「カプリ」と、カラクリ人形アルジーの足首に噛みつく。

バランスを崩して、カラクリ人形アルジーはひっくり返った。

次の瞬間、再び――サボテン扉が開いた。

入って来たのは、覆面ターバン少年オーランだ。肩先で、白タカ《精霊鳥》ヒナが、しきりに騒いでいる。真っ白フワフワなヒナが、此処まで、オーラン少年を導いていたのだった。

「遅かったか……!? 《鳥使い姫》……?」

オーラン少年の目に入ったのは、人工の継ぎ目が全面に広がっている……人体の関節標本そのものの、柔らかさも色気も無い、薄っぺらな全裸のカラクリ人形だ。

顔と銀髪だけは、かの酒姫(サーキイ)そっくりの……尻もちをついた格好。ギクシャクと立ち上がろうとしている、人工銀髪の関節人形。

一方、寝台のうえでは、葦ペンを握ったままの全裸の男が、爆睡のイビキをかきながら、クネクネとした不気味な裸踊りを再開していた。

うつぶせになった体勢で、背中全体が、段々状の贅肉(ぜいにく)まみれなのが見て取れる。 お尻にまで贅肉(ぜいにく)の段々が盛り上がっていて、ブルンブルンと不気味に揺れていて、とうてい人間のお尻とは思えない。

全身、香油で不気味にテカっているうえに、頭頂部は薄汚く脂ぎっていて、禿げている。 胸の部分からは、しなびて異形になるまでに伸びきっている胸の贅肉(ぜいにく)――のように見える不気味な物体が、シワシワと、はみ出しているのが見える。

脂ぎった不気味な肉塊は、クネクネ・ダンスをしながら、新しいポエムをわめき始めた。帝国皇帝(シャーハンシャー)としての教養はあるせいか、一応は四行詩だ。

「地を固め天を巡り時はグルグル回るよ回る、ともに行こうぞ我が絶世の恋人銀月よ、我が魂よ我が歓びよ美しすぎる薔薇色の目の乙女、恋愛の園を永遠いくよ永遠くるよ……」

第三者の目から見ると、まさに怪談。

覆面ターバンのうえからも、オーラン少年が目を丸くして、ポカンとしているのが分かる。その肩先に居る白タカ《精霊鳥》ヒナ・ジブリールも。

『マントを貸してやってくれニャ、オーラン君。三日月が既に没してしまったゆえ、生身の人体を装うための幻覚も、薄くなったニャ。落ち着いたら説明するニャ』

必死な様子の、ちっちゃな火吹きネコマタ。《精霊語》内容の補足のために、後ろ足で立ち上がって、人間のジェスチャー「マントを外す仕草」も、合わせて披露していた。

勘の良いオーラン少年は、すぐに意味を読み取った。火吹きネコマタから発せられた《精霊語》の、だいたいの部分だけ。依頼に応じて、身に着けていた隠密行動用のマントを差し出す。

カラクリ人形が、ギクシャクと、それを受け取り……ベールさながらに広げて、人工銀髪を隠すようにバサリと羽織る。

見た目は、濃色ベールをまとっている……カシャカシャと動く棒状の何かだ。 先刻までの、中性的ながら生気あふれたお転婆な姫君そのものだった《鳥使い姫》どころか、アムナ夫人のような、生身の女性としての気配や色気も皆無。

ちっちゃな火吹きネコマタが、一旦キョロキョロと通路を窺い。白タカ《精霊鳥》ヒナと共に、頷き合う。

『急いで、ずらかるニャ』

『ガッテン。相棒オーランも、《鳥使い姫》も、急いで。さあ!』

そして――

例の角部屋には。

最終的に、全裸の帝国皇帝(シャーハンシャー)のみが、妙な裸踊りをしつつ、ひとり寝台に横たわる状態となっていたのだった。

中途半端に開いているサボテン扉からは、かのダミ声によるヘボな四行詩が、エンドレスで洩れ続けていた……

*****

大宴会場に沸いて出た《骸骨剣士》による混乱は、予想よりも短い時間で収束した。

ジャヌーブ砦の、《人食鬼(グール)》前線の軍事拠点ならではの利点が、大いに寄与した。退魔対応の戦士の動員数が、群を抜いて多かったのだ。

死人は出なかった。重傷者が10数名、軽傷者が30数名ほど。《骸骨剣士》から避難しようとしていた人々が、過密をつくってしまって将棋倒しになり、その結果としての重傷が半分くらい。

故ラーザム財務官のハーレム妻たちは、4人とも軽傷ないし無傷に留まり、ラーザム財務官の葬儀の予定に変更は生じなかった。

■12■夜の宴の表と裏、そして

――《魔導》カラクリ人形アルジュナ号が、帰還した。

医療区画の一角――老魔導士フィーヴァーの詰める部屋へ、覆面ターバン少年オーランに付き添われて。

覆面ターバン少年オーランから借りた、特徴の無いマントをベールとした姿だ。

三日月の姿をした銀月が、すでに没した後で……カラクリ人形の表面を覆っていた生身リアルな幻影は、スッカリ消えてしまっている。見るからに、人工物が、ギクシャクと動いているという風だ。

言わずもがな初めて見る羽目になった、リドワーン閣下と鷹匠ビザンは、驚きの眼差しをして固まっていた。

ちなみに、鷹匠ユーサー、護衛オローグ青年、クムラン副官は、まだ大宴会場のほうで虎ヒゲ・マジードなどと共に、《骸骨剣士》討伐の後始末に駆り出されているところである。

やがて、さらに困惑する状態が発生していた。

アルジーの意識が、白文鳥《精霊鳥》へ移行できなかったのである。

スッケスケの輪郭線のみだった白文鳥《精霊鳥》の身体は、セルヴィン皇子によるエネルギー補給と、リドワーン閣下による引継ぎの甲斐あって、半透明というところまで回復していたのであるが。

老魔導士フィーヴァーは、『霊魂と幽霊の挙動に関する呪術概論』なる古書に目を通しつつ、或る程度――診断をくだしていた。

「白文鳥《精霊鳥》の物理的な身体が、再びの憑依を受け入れられるところまで回復しておらん。どうしたものかのう」

老魔導士フィーヴァーは、グシャグシャに乱れた人工銀髪や、身体に塗り込めるための香油がべったり付着した痕跡を眺め、困惑していた。

「抱きつかれたりしたようじゃが、それだけじゃな。それ専用の交換回路に『要・交換』サインはちっとも出ておらんし、何の変化も見られんから明らかじゃ。 とは言え、憑依しているのは姫君じゃ。このカラクリ人形の手入れ掃除は、女性スタッフに任せたほうが良さそうじゃな。この香油に邪霊の成分が有るかどうか、分析して確認してみよう」

かくして。

深夜手当でもって、白鷹騎士団の清掃スタッフから、一人の女性が派遣されて来たのだった。騎馬も可能な軍装で、ベール姿ながら女騎士といった風である。

アルジーは恐縮して、ギクシャクと頭を下げた。

「オテマ、オカケシマス。ノド、アマリ、ウゴカセナクテ、ヘンナ、コエ、デスガ」

「いえいえー。こんな不思議な体験、後にも先にも無いですし! 自動機械(オートマタ)って、鉱業では割と見るんですよ。 有毒ガス坑道に入る「ムカデ型」とか、海底資源や沈没船のサルベージ調査「カニ型」とか。 専門の《魔導》工房で生産されてますけど、こんなに精巧で、人型なの、初めて見ましたわ。あとで女官仲間に、いっぱい自慢しますわ!」

「承知しているだろうが、サーラ君、ここで見聞きしたことは許可あるまで口外はできない。かねてから周知されている、老魔導士どのの作品以外は」

「了解です、ビザン殿。沈黙の誓いを立てますわ」

鷹匠ビザンが慎重に選び抜いただけあって、少し先輩の世代の、気が利く女性だ。聞けば、清掃スタッフとして参戦する前は、シャヒン・カスバの宮廷女官・兼・女騎士を務めていたという。

シャヒン王が白鷹騎士団の団長を兼務しているので、こうした配置転換は珍しくない。 シャヒン・カスバに固定されている宮廷に対して、白鷹騎士団の中は、遊牧移動していった先の野営地に設けられた、簡易宮廷のようなものになっている。

宮廷女官ならではの手際よさで、手入れ掃除は順調に進んだ。

カラクリ人形の腕や脚を取り外して特製の洗剤で洗った後、それを元通りハメ込む、といった作業である。

人工銀髪を洗髪するため、人形の頭部が胴体から取り外された時は、構造をよく知っている老魔導士フィーヴァー以外の全員で、ギョッとする羽目になる、という有様であった。

「何とも不思議なことだが、頭と胴体が離れている間、憑依している人物の意識は、どこにあるのだ?」

談話クッションに落ち着いたリドワーン閣下が、神官らしい研究心を見せて首を傾げた。その横で、リドワーン閣下の護衛を務める鷹匠ビザンが、混乱しきりの顔で座り込んでいた。半分、腰が抜けている雰囲気。

「理論上は、頭部に頭部の意識が有り、胴体に胴体の意識が有ることになっておる」

怪奇ホラーそのものの光景に青ざめて震えるセルヴィン少年と覆面オーラン少年を尻目に……飄々と受け答えする、老魔導士フィーヴァーであった。

「頭と胴体に分かれた場合、それぞれの意識は、それぞれの流れで別々に動く。 だが、命の炎を有する種族として、先祖代々の霊魂の総体を継承しているゆえ、その台座となる物理的肉体に欠損が生じた場合、それは可能な限り修復される。 修復が及ばぬ各部では、幻肢などといった超感覚現象を引き起こす。そこが、単なる機械や集合体と違うところじゃよ。バラバラになった《骸骨剣士》が、元の総体を覚えているのと一緒じゃ」

そこまで説明した後、老魔導士フィーヴァーはモッサァ白ヒゲを撫でながら、談話室の一角を振り返った。

カラクリ人形アルジーが、水桶の中に頭部を入れられて、銀髪を洗髪されているところである。

人形の胴体のほうは、水気を取るための大判のリネンタオルを巻かれた状態で、談話室に並ぶクッションのひとつに腰かけている格好だ。

「首元の《人食鬼(グール)》裂傷が深く入っておった。《鳥使い姫》。霊魂というのは、損傷によって失われやすい物理的肉体に比べて、相当に融通が利く構造体じゃ。 ワシとしては、頭部の霊魂と、胴体の霊魂に分かれた可能性もあると考えておる。あるいは、もっと多数の断片に。そうでなければ、霊魂の分裂現象としての『黙示』は、なかなか生じにくいものじゃよ」

――確かに。

思い当たるところはある。《地の精霊》が『白孔雀の7枚羽は人体と霊魂の修復にかかわる要素』と言っていた。

アルジーの「同意」と頷く仕草に応じて、首の無いカラクリ人形の胴体が、首回りのあたりをヒョコリと動かした。首のうえに、目には見えないが、明らかに頭部の霊魂が乗っている状態。

再び、後ろのほうで、セルヴィン少年と覆面ターバン少年オーランが震えあがった気配。

女性スタッフは、少女時代の人形遊びの延長なのか、ウキウキとした様子。程なくして人工銀髪の洗髪と、そのタオルドライと、くしけずりが終わる。

カラクリ人形の頭部は、洗濯物を干す時の流儀に従って……ドリームキャッチャー護符と一緒に、スタンド式ハンガーに吊り下げられた。

頭部からの、霊魂の憑依はスッカリ抜けている状態だった。それは完全に人工物であった。動かない人形ならではの生気の失せた目を、パッカリ開いたままだ。

首と胴体に分かれている状態であっても。霊魂が憑依しているほうのカラクリ人形の胴体は、本当の人工物である時のカラクリ人形に比べると、どこか生物らしい気配が漂っていた。

カラクリ人形の、首の無い胴体は。

明らかに寝ぼけている動きで――疲労困憊と言わんばかりに――もぞもぞとリネンタオルの奥へと潜り、眠っている姿勢に移行していた。 かの酒姫(サーキイ)をモデルとした男性型人形の筈だが……明瞭に、あどけない少女っぽさが漂っている、という雰囲気であった。

*****

アルジーの霊魂は、いつしか……遊離していた。

いずことも知れぬ虚空を、霊魂アルジーは、小型の帆掛船(ダウ)に揺られていた。

全体が純白の帆掛船(ダウ)。船首の彫刻は、鳥の形をしている。さらに見れば、帆が、見覚えのある空飛ぶ絨毯――《鳥舟(アルカ)》だ。

漕ぎ手は居ない。精霊魔法《鳥舟(アルカ)》の力で、此処まで来ていたみたいだ。

底の底まで透けて見えるほどの、透明度の高いエメラルドグリーンの海。南洋の何処か……らしい。

それとも、三途の川なのか。三途の川にしては、昼日中のように明るい印象だ。

エメラルドグリーン色の明るい海に対して、空のほうは、闇よりも深い、夜の色をしている。

まるで……「千と一つの夜と昼」のような光景。

行く手には、奇妙に《精霊亀》に似た形の、中央部がドーム状に盛り上がっている島々が……パラパラと散在している。

いずれの島々も、こんもりとした樹林に覆われている。島の周囲に、エメラルドグリーンの波が寄せては返し、数えきれないほどの無数の波紋がきらめいていた。

エメラルドグリーンの海の上には、巨大ハマグリ貝が三々五々と漂っていた。100人ほどは乗れそうな、規格外の大きさ。パカリと貝の蓋(フタ)を上げて、波に乗って、ユラユラと移動している。

――何かを運んでいるところらしいが、それが何なのかは見えない。

数多くの《水の精霊》の気配は、感じるけれど。《水の精霊》は基本的に透明だから、普通には見えないのだ。

そして、空飛ぶ白い絨毯《鳥舟(アルカ)》の帆を掛けている船は、アルジーを乗せている帆掛船(ダウ)だけだった。

ユラユラと漂っているうちに。

遂に、散在する中の、ひとつの島に、帆掛船(ダウ)が漂着した。砂浜のうえに乗り上げる形だ。

アルジーは、不思議な畏れを感じつつ……そっと、上陸した。

足元に広がる、純白の砂浜。

砂浜と思ったものは……しゃがんで、手に取ってよく見ると、違う。螺鈿のように虹色にきらめく、細かな細かな六角形の、無数の欠片だ。

――《精霊亀》甲羅に由来する砂。《精霊亀》の島……?

ここは夢の世界なのだろうか?

波が打ち寄せる砂浜に沿って、マングローブ林が広がっている。幹から放射状に延びた何本もの根が、真っ白な砂浜の下の深くへと沈み込んでいた。さらに奥へ進むと、トロピカルな珍しい植物の数々。

島の地形の全体が、巨大な《精霊亀》を思わせる。

トロピカルな木々の間を透かして……中央部のドーム状をした山肌に、《精霊亀》甲羅そのものの模様が走っているのが見える。

――あの不思議なドーム状の、螺鈿細工みたいにきらめく丘……山の頂上には、何か、あるのだろうか?

少しの間、呆然と佇んでいると……近くのトロピカルな木々の間から、ポポポンと10数羽ほどの白文鳥《精霊鳥》が出て来た。

『あ、居た、来たよ、アリージュが』

みな同じように見える白文鳥《精霊鳥》だが……アルジーは即座に、相棒の姿を見付けた。

『……パルッ?』

思わず、手を差し伸べる。パルが、いつものようにピョコンと止まり「ぴぴぴ」とさえずった。

『おめでとう、アリージュ、2枚目《白孔雀の守護》が到着したよ』

パルの同族の白文鳥10数羽ほどが、後ろのほうで、白孔雀の尾羽そのものの純白の構造体を、一斉に掲げていた。大型ドリームキャッチャーに吊るすのに相応しい、堂々たるサイズ。

先端部分のいわゆる「目」のところは、銀月の色にきらめいている。

『私、大丈夫だったの? どういうこと……?』

相棒パルと、その仲間たちが、口々にさえずり出した。

『たまたまだけど、金融商ホジジンが欲をかき過ぎて、黄金《魔導札》への不正な相乗り可能な範囲を超えて、要求を上積みしたからだね』

『そうなの。「おひとり様おひとつ限り」のところを、「おひとり様おふたつ」も要求したから、精霊界の異次元の対称性が崩れたの』

『揺らいだ一瞬に、アリージュが強烈に殴り込んだから、対称性の破れが「アル・アーラーフ」まで届いたんだよ』

……相当に難解な言い回しが入っている。とにかく、金融商ホジジンが欲深すぎたせいだ、という事なのだろう。オババ殿なら理解できるだろうけど。

『分かったような、分からないような……?』

『カムザング皇子や、金融商ホジジンが買い取って利用していた《魔導》攻撃系の小道具は、大自然の理に反して、本来ありえないことを実現する代物なのね。 だから、それと同じくらいの反作用でもって、何が起こるか分からない、というところがあるんだよ』

『火吹きちゃんも、「港町で入手したというアヤシイ媚薬や、黄金《魔導札》が、どの方向へ作用するか不明」って、言ってたでしょ』

アルジーは少しの間、セルヴィンの相棒《火吹きネコマタ》との会話を、つらつらと思い出し。

『……私が皇帝へ色仕掛け……みたいなことするっていうのは、精霊の目から見ると、綱渡りというような感じ……だったの?』

『ものすごい薄氷を踏むような作戦だったよ、ピッ』

『ヘタしたら、異次元の扉が破れて、大変身してる「邪眼のザムバ」が出現しかねなかったから。結果的に《骸骨剣士》が余分に沸いたくらいで済んだよ、ピッ』

『ホジジンの無茶苦茶な要求の間、大宴会場は、釣られて出て来た《三ツ首ネズミ》と《三ツ首コウモリ》と《三ツ首サソリ》で、すごいパニックになっちゃった。あとで、いろいろ聞けると思うよ、ピッ』

『ギリギリだったんだ。ホジジンの余計な行動が、さらに危機を上積みしていた訳ね……』

アルジーの呆れ気味の呟きに応じて、トロピカル木の枝に並んでいる10数羽ほどの白文鳥《精霊鳥》たちが、一斉に、ピョコン、と頷いた。

『そう言えば、ここは何処なの、パル?』

『前に話してた南洋の《精霊亀》の島だよ。2枚目の白孔雀の羽が、特別にアリージュを連れて来たんだね。 物理的実体を支えるには、まだまだ弱いけど、往復のための二重の筋道が確立したから』

『ここが、《精霊亀》の島……』

呆然として、改めてキョロキョロするアルジー。

真夜中の闇よりも深い、あの千夜一夜の虚空を思わせる――静かな、藍色の天空。どこまでも透明で明るい――エメラルドグリーンに輝く海。 時に螺鈿のようにきらめく……純白の砂浜全体が、《精霊亀》甲羅の欠片。

それでは、島の中央部にあるドーム状の盛り上がりは、《精霊亀》の、大きな大きな甲羅なのだろうか? あそこまで大きいと……神話伝説に聞く万年《精霊亀》であっても、不思議では無い。

もと来た方向に広がっている砂浜には、まだ、此処までアルジーを乗せて来た真っ白な帆掛船(ダウ)が、乗り上げたまま停泊している。 空飛ぶ魔法の白い絨毯《鳥舟(アルカ)》は、相変わらず――帆を高く張りつづけていた。

――間もなく出航するのだろうか? そんな雰囲気だ。

白文鳥パルが、傍の木の枝の上でピョンピョン跳ねながら、テキパキと語り掛けて来た。残り時間があまり無いらしいことが窺える。

『ラーザム事件を解決したら、次は、ジャヌーブ南の廃墟へ突撃だよ、アリージュ』

『何となく、そんな気はしてた……やらかしちゃったし……』

ふうと溜息をつき、苦笑いするアルジーであった。

『うん、分岐の事象を開いて結んで、行ったり来たりするから……3枚目も大変になるけど、頑張ってね。アル・アーラーフへ行く前に、《人食鬼(グール)》異常発生の原因を突き止めて封印しておくの。 自然現象そのものは止められないけど、異常発生が激化してゆく原因を早く封印しないと、超古代のような《魔境》が復活して、強大化して、世界の均衡が崩れてしまうから』

フムフムと頷き、気を引き締めるアルジー。

『超古代のような強大な《魔境》が増えてゆくと、《怪物王ジャバ》と化した「邪眼のザムバ」を退治するのも難しくなってしまう、という事だね。《雷霆刀の英雄》なんて、そうそう出現する存在じゃ無いし』

恐るべき《魔境》――《青衣の霊媒師》オババ殿から教わって、知っている。

超古代の頃は、ユーラ河の水源地域も、巨大化《人食鬼(グール)》や《八叉巨蛇(ヤシャコブラ)》が跋扈する魔境だった。豊かな泉をいくつも抱えていたので、その分、過酷な土地だったという。

土地によって事情は異なっていて、特にユーラ河水源では、《水の精霊》・《風の精霊》と協力関係を築けなかった民族は、次々に《人食鬼(グール)》に狩られて《怪物王ジャバ》の食料にされ、断絶していた。 両大河(ユーラ・ターラー)の出逢う地域――いまの帝都周辺――では、《火の精霊》と協力関係を築けなかった民族が、餌食にされやすかった。

そして、神話伝説の『雷霆刀の英雄』や豪傑の仲間たちが出現し、《怪物王ジャバ》を退魔調伏した頃。

その大事件と同時並行して、いま《地霊王の玉座》として知られる巨大な山脈が、ものすごい勢いで隆起した。辺り一帯が急峻な山岳となり、《精霊の異次元の道》にも変動が生じた。

ユーラ河水源の一帯で精霊と邪霊との勢力均衡が整い、恐るべき《魔境》が急速に弱体化した。

完全に危険地帯が消失した訳では無いけれど、道中安全などといった精霊魔法の《護符》で、安全対策できるのだ。かくして、多くの少数民族を抱える土地になり、シュクラ王国を含む山国が、あちこちにできた。

安全な現代になっても、《地霊王の玉座》周辺では《地の精霊》への篤い崇拝が、周辺山岳では《水の精霊》・《風の精霊》への篤い崇拝が、 つづいている……『雷霆刀の英雄』を生み出した帝都の皇族への、ひととおりの尊敬も……

…………

……ひととおり、知識をおさらいして。トロピカルな木の枝の上で《白孔雀の尾羽》を色々とひっくり返している、ふわもち白文鳥の群れを眺めつつ。

『あ、そうだ。パル。あの、白文鳥アリージュの身体のほう、また蒸発寸前まで行っちゃって……』

『もともと、アリージュの分身というか霊魂が分離してた一部だから、シンクロしたんだね。老魔導士が言ってたこと覚えてるでしょ』

『頭と胴体の霊魂は、分離してても、元の総体を覚えていて、その総体にまとまろうとする、とか?』

『そう』

――不意に。奇妙な直感。

『白文鳥アリージュは何処から来たの? もともと私の一部だった……ってこと?』

『いっぺんにアレコレ説明すると、混乱するから、少しずつね。何故、名前が同じだったのかというのも。7枚羽がそろった時に、分かるから』

やがて風が吹いて来た。

エメラルドグリーンに輝く海が波立ち、マングローブ林の木の葉が、さやぎ始める。

千夜一夜……闇よりも深い夜の、不思議な藍色をした天空を……偉大なる《白孔雀》の影が、音も無くスーッと横切ってゆく。

とても、とても、大きな鳥の影だ。長く長く尾を引く、荘厳な純白の尾羽。

純白の砂浜に乗り上げていた白い帆掛船(ダウ)が、《精霊亀》の島を離れる。

……みるみるうちに、スーッと意識が薄れてゆき……

いつしか、アルジーは、帆走を始めた帆掛船(ダウ)に横たわっていて……ボンヤリと直感していた。

ジャヌーブ砦の、あのカラクリ人形の中へ、戻されるのだ、と。

*****

アルジーの、あずかり知らぬところで。

帝国皇帝(シャーハンシャー)ハニートラップ作戦に参戦していた《水の精霊》が……独自の精霊魔法を通じて、《青衣の霊媒師》オババ殿に経過報告をしていた。

古式ゆかしき「水晶占い」を通じての、遠隔のやり取りである。

水晶玉に満ちあふれた青い光を見つめながら、オババ殿は、最初から最後まで、口をアングリするばかりであった。

『それは本当なのかい、《水の精霊》さん?』

『我が一族に懸けて、青衣の霊媒師どの。《天の書》に記述が現れ、パル殿が管理している《白羽の水晶玉》にも変化があった』

オババ殿は、《天の書》という語句を耳に入れた瞬間、老練な霊媒師としての顔に戻った。思慮深い青さを帯びた薔薇輝石(ロードナイト)の眼差しが、キラリと光る。

『シュクラ王国の秘宝……白孔雀の尾羽を飾り羽とするドリームキャッチャー護符……なにか意外な珍事が上積みされたんだね?』

『アリージュが、最後のたまゆらに、帝国皇帝(シャーハンシャー)をガッツリ脅迫したのだ。その結果《天の書》において、想定外の、昼と夜の分岐が発生した。《白羽の水晶玉》に変化が生じた理由である。 帝国皇帝(シャーハンシャー)が予期せぬ気まぐれで作成した命令書は、翌日の夜明けに公示されることが確定したゆえ、お知らせしよう』

そこで、《水の精霊》は水晶玉の中で、再び意味深に揺らめき……《火の精霊》が宣言した内容を復唱した。

『セルヴィン皇子は、次の国家祭祀の節句が来る前に、ジャヌーブ砦の長年の問題、すなわち《人食鬼(グール)》異常氣象の発生元となっている邪悪な神殿なり礼拝堂なりを、蹂躙し、殲滅せよ。 人員および手段は問わぬ。成功するまで帝都帰還は認めぬ』

オババ殿は、絶句するのみであった。

『あの姫さんが、そんな天元突破な局面を、本当に叩き出したのかい。ジャヌーブ砦の、あの異常氣象の発生源には、色々な秘伝の謎が有るよ。ジャヌーブ近辺に白文鳥が渡らなくなった理由とか』

『つくづく、この世で最強のトラブル吸引魔法の壺を所有している。かの《火霊王》七大の御使い第一位が仰天する様子など、そうそう目撃できるものでは無い』

『そりゃまあ……《銀月の祝福》があって……あたしが手塩にかけて育てた《鳥使い》の姫さんだから……ね?』

『かのパル殿が、銀月アリージュとの精霊契約に乗り出すのも、納得である。じきに成立するであろう。いつものように、精霊界の制約の範囲外にある《鳥使い姫》の事跡については、鷹匠ユーサー殿と連携可能である』

『すぐにでも、そうするつもりだよ。あたしゃ此処から動けず、見守ってるだけしか出来ないからね』

■13■真相の遭遇 決戦の中庭

東の空を、払暁の光芒が渡ってゆく。

雨季ならではの湿度の高い空に、朝焼け雲が流れていた。

早朝の狩りに出てゆく白タカ《精霊鳥》の鋭く鳴き交わす声、方々から到着して来たらしい伝書バトの、ポポポと続く声。

――あ、そろそろ伝書局、行かなくちゃ。

目をパチクリさせるアルジー。

瞬時に押し寄せる違和感と――誰かが「ワッ」と言って、飛びすさったような気配。

思い出した。

老魔導士の談話室で、クッションに座ったまま眠り込んで……いま憑依しているカラクリ人形、首と胴体に分かれていたんだった。

眼下で、首無しの胴体が、いま目覚めたかのように……談話クッションから半身を起こしていた。

確認すべき顔が――頭部が――無いのに気付いて、カラクリ人形の両手が、戸惑ったようにフワフワと動いている。

人工銀髪に彩られた頭部は、スタンド式ハンガーに吊り下げられた生首よろしく宙づりになっていた。後ろに、定番の家具調度ドリームキャッチャー護符が吊られているのを感じる。

しばしの間、左右に視線を動かして。

今しがた、ワッと飛びすさったばかりの……鷹匠の装束をまとう中高年の男性を視界に入れて、パチクリと瞬きしたのだった。

『やあ《鳥使い姫》、気力が回復して、頭部の存在を思い出したようだな』

半分ほど腰を抜かした風の中高年男性の背後、来客マントを吊るしたスタンド式ハンガーに適当に腰を据えていたベテラン個体の白タカ《精霊鳥》が、ピョッと鳴いていた。

『えーと……白タカ・サディル……鷹匠ビザン様……リドワーン閣下の護衛さん的な?』

『少しの間、目を閉じて沈黙してくれ。人形の生首であっても、目を開いたり喋ったりすると、人類のほうでは何やらゾワゾワする感覚を覚えるらしくてな』

中高年世代の鷹匠ビザンの、長年の風雪に耐えて来た――という風の骨ばった顔立ちは、緊張を浮かべていた。生首が喋るなどといった方面の怪奇現象は、苦手な性質らしい。

――いや、誰でもギョッとするだろう。人類のひとりとして、とても理解できる。

アルジーは目を閉じて、眠っているふりをした。

やがて、鷹匠ビザンから老魔導士フィーヴァーへ連絡が行ったらしく、覚えのある、飄々とした歩みの音が近づいて来た。

「ふむふむ。ほほぉ、成る程。タヌキ寝入りしている人形など、滅多にない見ものじゃのう」

生首が取り外されたような感覚を覚えるや、胴体の首の上に手際よくハメ込まれてゆく。カポン、カチリ、といった接続音がつづいて。

「よし、もう目を開けて良いぞ。腹は……減らんのじゃろうな。白文鳥のほうは、腹が減り始めているらしいが」

「オハヨウゴザイマス。ソノ節ハ……イロイロ」

昨夜の重さが、まだ残っているという感じがする。つっかえながらも、アルジーが応じると。

老魔導士は早速、興味深そうに目を光らせ、モッサァ白ヒゲを盛んに撫で始めた。

「カラクリ人形の時は、帝国語の発音に対応できるのか?」

「発声構造、共通。デモ《精霊鳥》《精霊語》ヨリモ、全般、大量エネルギー使イマス。午後、夕方、宵マデ、エネルギー充填スレバ、モット自然ナリマス」

「ううむ。本来は動かない人形ゆえ、サイズや重量の問題もありそうじゃな。 白文鳥《精霊鳥》に割り当てる単位エネルギー出力で、その何倍もある人体サイズの物体を動かすのは、大変な事じゃ」

人類最高の天才とかますのも納得の頭脳でもって、瞬時に、老魔導士は、摩訶不思議なロジックを把握した様子だ。

「昨日、白文鳥《精霊鳥》の身体が、輪郭線となるまでに蒸発したのも納得するところじゃよ。カムザング皇子を豪快に投げ飛ばして、磔(はりつけ)にしたと。 大宴会場でも話題をさらったと聞いとる。後々までの語り草じゃな」

「エ……ハア、ソウデスカ……」

カラクリ人形アルジーは、困惑しきりで、カクカクと相槌を打つしかない。すべて本当のことだ。自分でも信じられないけれど。

「そのまま座っておれ。着衣と……白文鳥も持って来よう。ワシの考えが正しければ、エネルギー共鳴効果を通じて、もう少し楽になる筈じゃ」

白文鳥《精霊鳥》の身体は、続き部屋のほう――セルヴィン皇子の寝台のほうに置いてあった。

夜を徹して……恐れ多くもセルヴィン皇子とリドワーン閣下から、交互に、《火の精霊》を通してエネルギー補充されていたお蔭で、実体化の状態が随分と回復していたのだった。

提供された着衣は、砦では一般的な庶民の日常着だ。男女共通のリネンシャツと広幅ズボン。淡いコーヒー色をした膝丈ベストとサッシュベルト。

庶民ターバンを巻きつけ、着付けを済ませて――肩先に爆睡中の白文鳥《精霊鳥》を乗せ、再び談話クッションに落ち着いたところで。

鷹匠ビザンが、不思議そうに首を傾げて来ていた。

「かの酒姫(サーキイ)とは別人と聞きましたが、本当に別人ですな。酒姫(サーキイ)は、こういう庶民の衣装を着ようとしないし、白文鳥を見れば……お察しでしょうが。 しかし無理に男装しなくても……?」

「ナントナク……?」

ギクシャクと笑って返すのみだ。ひととおり第一王女としての所作をこなせるが、いままで男装の暮らしが習慣だったのを急に変えるのは、さすがに違和感を覚える。

「アノ、ビザン様、シャヒン部族デスカ? 鷹匠、多イ、聞イテマス」

「お察しの通りで《鳥使い姫》。ユーサー殿と私は同郷シャヒンの者。こうして聞いてみると確かに、この酒姫(サーキイ)、いや、憑依している霊魂は、スパルナ系のようで、そうでは無い。 帝国語でも訛りが違う……」

鷹匠ビザンは思案顔をして……やがてパッと、閃いた顔になった。横で、老魔導士フィーヴァーが興味深そうな顔をしている。

「オローグ君やオーラン君の出身地に近いと感じます、老魔導士どの。東方辺境の鉱山もちの幾つかの城砦(カスバ)と、白文鳥《精霊鳥》捕獲・販売の取引があったかと。 メイン取引先は東帝城砦。国境を超えて、亀甲城砦(キジ・カスバ)。散発的な取引先となると国境回り専門の隊商(キャラバン)に聞いてみないと分かりませんが」

「東帝城砦、亀甲城砦(キジ・カスバ)……あの辺りは少数民族が多く、雑多な精霊信仰が混ざっておって、聖火崇拝の帝都にとっては異教の土地。 生贄の教義を持つ邪霊信仰も地下でつづいているかも知れん。そういえば、いまの東帝城砦の総督は帝国皇帝(シャーハンシャー)の派閥ゆえ、その忠誠は本物と評価されておるな」

「東方総督トルーラン将軍は、魔導大臣ザドフィク猊下の覚えも特別めでたい人物ですね。資源の豊かな国境地帯を新しい領土として獲得し、帝国へ献上したという、 二つとない英雄的な功績の持ち主でございます。亀甲城砦(キジ・カスバ)との国境線の明確化、ユーラ河の水源を正式に帝国領土とすることは、長年の懸案事項でもございましたから」

――二つとない英雄的な功績。

そんな事のために、今は「シュクラ・カスバ」となった故郷が、血迷って独立反乱を起こさないようにと、『名誉なき敗戦国』としてズタズタにされたのだと思うと、心の中が焦げるような気持ちになる。

東方総督トルーラン将軍の、例の言い掛かりだ。

『シュクラ王国は、三ツ首の巨大化《人食鬼(グール)》大群を発生させて帝国に攻め込もうとし、国境の安全保障における重大な条約違反と欠陥を呈した』

敗戦国となったうえで属国となった「シュクラ・カスバ」には、その言い掛かりを跳ね返すだけの立場も政治力も無い。

くわえて、三ツ首の巨大化《人食鬼(グール)》大群を発生させかねないような『邪霊信仰の城砦(カスバ)』――すなわち常時監視すべき帝国内の危険分子として、 東方総督の絶対的な管理・統制のもとに置かれるという扱い。

唯一、生存したシュクラ王族は、母シェイエラ姫と娘アリージュ姫のみだったが、当時のアリージュ姫は、7歳の小娘でしか無く。

急遽シュクラ女王となったシェイエラ姫は、戦後賠償金を用意する前に、邪悪な呪術の影響で急死してしまった。タイミングが非常に悪かった。 トルーラン将軍の言い掛かり『シュクラ・カスバは、邪霊信仰の城砦(カスバ)である』を証明する形となってしまったほどに。

二つの大国に挟まれた現代、国境地帯に位置する少数民族の諸国は、独立を維持するのは不可能である。 交通状況に応じて、亀甲城砦(キジ・カスバ)に属する諸国、帝国に属する諸国に分かれているのが現状だ。 だが同じ国境地帯の近隣の諸国との関係は、宮廷社交を通じて、すこぶる良好。たまに、貴重すぎる平坦な土地の争いで、揉めることはあるが。

先だって帝国に属したオリクト・カスバは、帝都宮廷で相応に有力な地位を築きつつ、亀甲城砦(キジ・カスバ)とも上手に交流している。 地理・交通圏でいえば帝国の側のほうが割合に便利だったシュクラ王国は、それを手掛かりにしたと、生前のオババ殿から聞いている……

…………

……目の間に居る彼らは、悪い人では無い。

広大な砂漠や、延々と引いて来る灌漑水路が頼りの脆弱な穀倉地帯を抱える帝国の住民として、 帝都のみならず周辺地域をもうるおす両大河(ユーラ・ターラー)のひとつ「ユーラ河」水源の確保と安定は、切望するところだっただろう。

番外皇子セルヴィン殿下や、皇弟リドワーン閣下に至っては、過去の因縁の犠牲になった側であると承知しているものの。

倫理から外れていることは百も承知だが、従兄(あに)ユージドと同じように、帝国を滅ぼして何もかも――という風に振り切ってしまえば……楽、だ。

気分を落ち着けるため、ちょっと意識を飛ばして、置き物になるアルジーであった……

ボンヤリと……時事情勢について、老魔導士と鷹匠ビザンの、静かに話しつづけている内容が聞こえて来る。

「東帝城砦について、怪しい懸念……というよりは疑念が、新たに出て来たと聞いとる」

「新しい領土を得たというのに、帝国の財務部門が不審を覚えるほど税収に変動が無い、それどころか少なくなったという告発ですね。真偽不明ということで却下された様子ですが」

「帝国皇帝(シャーハンシャー)の派閥への賄賂や上納金のほうは、順調に増量しているとのことで、国税局のほうでも、あえて徹底的に改めようという奇特な役人は出ておらんしな。 あの財務部門の文官ドニアス殿も、何かつかんだところで、上に報告するとは思えんのう」

…………

……程なくして。

戸惑った様子の護衛オローグ青年とクムラン副官、鷹匠ユーサーが、やって来た。

――オーラン少年は居ない。また、だ。相変わらず潜伏中らしい。

そして、3人そろって変な雰囲気。もしかして……と、ピンと来る、アルジーであった。

朝食を済ませて談話室に入って来たセルヴィン少年とリドワーン閣下も、気付いたくらいだ。

談話室に人がそろい――簡単に朝の挨拶を交わして、席次の順に次々に位置を占める。

とはいえ主人である老魔導士フィーヴァーの流儀のもと、身分の高低に変わりなく、グルリと配置された談話クッションに座る、という気楽な形。

アルジーはギリギリまで「幻影」を薄くして「カックン」とお辞儀した後。

立場上、鷹匠ユーサーの管理下であることを考慮して、鷹匠ユーサーの下座に位置する談話クッションに、置き物のように座ったのだった。

このカラクリ人形は老魔導士の手になる人工物とはいえ、セルヴィン皇子にとっては、生贄《魔導札》を貼り付けて来た災厄の人物が、モデルである。 背後に、ドリームキャッチャー護符を吊るすスタンド式ハンガーがあり、白タカ・ノジュムが腰を据えてくれたので、ホッとするところだ。

セルヴィン皇子は、カラクリ人形アルジーを眺めて、奇妙かつ曖昧な表情になったが……何も言って来なかったことからすると、どうやら、カンシャクを起こす気分にはならなかったようである。

早速、リドワーン閣下が口火を切り。

「何かあったのか? 何やら文書を持っているようだが、オローグ殿?」

「ジャヌーブ官報の掲示板に、帝国皇帝(シャーハンシャー)の新しい命令書が公示されました。それが……」

そこまで言いかけて……護衛オローグ青年は、いっそうの困惑顔をして、少しの間クムラン副官と視線を合わせていた。

しかし逡巡は、一瞬のことだった。

護衛オローグ青年は意を決したように、手に持っていた文書を開き……内容を読み上げる。

――当代の帝国皇帝(シャーハンシャー)かく命令せり――

ひとつ、セルヴィン皇子は、次の国家祭祀の節句が来る前に、ジャヌーブ砦の長年の問題、すなわち《人食鬼(グール)》異常氣象の発生元となっている邪悪な神殿なり礼拝堂なりを、蹂躙し、殲滅せよ。 人員および手段は問わぬ。成功するまで帝都帰還は認めぬ。

ふたつ、凱旋の功績と栄誉は当代の帝国皇帝(シャーハンシャー)にすべて捧げ、セルヴィン皇子は完全に沈黙せよ。その代わり、この件の獲得物は――数百年もの間、 邪霊どもに盗掘され荒らされていた廃墟から得られる物など、たかが知れている――すべてセルヴィン皇子の物とする。

「公示の内容は、以上でございます。セルヴィン殿下、リドワーン閣下」

衝撃が大きすぎたのか……セルヴィン少年は、まだ癒えぬ脇腹を押さえつつ、手前にあった小卓につかまった。リドワーン閣下は、彫像のように固まっていた。

談話室に、異様な沈黙が横たわった……

はたと気付くアルジー。

確か、セルヴィン皇子は当分の間、調子が戻らずグッタリしているだろう、と老魔導士フィーヴァーが診断していなかったか。

程なくして、ダークブロンド髪のナイスミドル神官リドワーン閣下が、ハッとした様子で鋭く指摘した。

「次の国家祭祀の時期は3カ月後だ。新月の国家祭祀も含めるなら、次の新月。この月ごとの新月の祭祀は、規模は小さくても案外、必須なのだ。 最悪、次の新月までに……短くて1カ月後、長くて3カ月後までに、というところだろう」

その手の事には疎かったらしい――クムラン副官が「へ?」と目を丸くした。

「案外、祭祀関係も多忙だったんですね。新年祭祀とか季節ごとの大きな祭祀は、警備関係でだいたい存じてますけど、月ごとの小さな……新月の国家祭祀って、何するんですか?」

「守護精霊《火霊王》に捧げるための七つの『魔法のランプ』に、聖別された油を継いで、所定の『着火の儀礼』をおこなう。特別な香炉にも聖別された薫物をくべて、所定の『着火の儀礼』をおこない、祭壇を整える」

リドワーン閣下の解説は、早口で進んだ。「小さな祭祀」という割には、驚くほど重々しく、大掛かりだ。

「そのようにして念入りに設置した、偉大なる《火霊王》の祭壇へ、早朝に精進潔斎したうえで七度の拝礼をおこない――1日かけて、《精霊語》で奏上するのだ。 奏上は、領土内で1ヶ月の間に起きた目ぼしい出来事や変化を、《精霊文字》で書き起こした内容になる」

持ち前の勘の良さで、クムラン副官は、みごと正鵠を射た。

「じゃあ、そこで皇帝陛下(シャーハンシャー)は、セルヴィン殿下の手柄を御自身の手柄として自慢話……いえ、《火霊王》へ奏上するつもりで、いらっしゃるとか?」

「……考えてみれば、まさしく、その通りだな。あの皇帝なら、そうする……必ず」

少しの間リドワーン閣下は、クムラン副官を、感嘆の眼差しで眺めていた。護衛オローグ青年も。

……いつの間にか、ちっちゃな手乗りサイズ火吹きネコマタが、カラクリ人形アルジーの傍に忍び寄って来て、フンフン匂いを嗅ぐなどしていた。 昨夜の件は、火吹きネコマタなりに気にしていた様子。

チラリと、火吹きネコマタと視線を合わせ……カラクリ人形アルジーは、こそっと《精霊語》で話しかける。

『あの、もう大丈夫だから……帝国って、新月の国家祭祀も本格的にやるんだね。七つの魔法のランプを、キッチリ揃えて、祭壇を整えて奏上するとか……』

ちっちゃな手乗りサイズの赤トラ猫の姿をした火吹きネコマタは、その、子ネコな顔に……なんとも微妙な、ニガワライのような表情を浮かべた。

『魔法のランプは本来、一台だけで大丈夫なのニャ。七つの御使いのうち一つが陪席すれば良いゆえ。《火霊王》は細かなこと気にしない性質ニャデ、 その辺の、間に合わせの夜間照明ランプでも充分に事足りる。過去の皇帝の一人が、ああいう大袈裟な手続きを思いついた時は、《火の精霊》全員で呆れかえったニャ。《鳥使い姫》の国家祭祀では違うかニャ?』

『帝国のような重々しい儀式をした事が無くて。月ごとの新月の国家祭祀……必須って知らなかったから、いま慌ててるんだけど』

『月に一回くらい、相棒の白文鳥パル殿と、日記を《精霊文字》でまとめるとかは、しなかったのかニャ?」

『仕事の合間に月誌を……パルと……窓辺に遊びに来たパルの友達とも「あんな事あった」「こんな事あった」って感じで、 いつもの気楽な雑談しながら、チョコチョコ追記して。でも便箋2枚くらいだよ? 折りたたんで小鳥の足に結べる程度。 パルの友達が持って行って……《亀使い》の地誌編纂所? それだけ』

『それが本来の新月の祭祀ニャネ。白文鳥《精霊鳥》は、ちまたで知られているとおり《白孔雀》の御使いニャ。万年《精霊亀》アーカイブ蓄積が主目的ゆえ、 別に新月の日じゃ無くても、適当に月一回くらいで良いのニャ』

高速《精霊語》会話はすぐに終わったが、白タカ・ノジュムと白タカ・サディルは、シッカリ内容を捕捉していた。 相棒の白タカの翻訳を通じて、鷹匠ビザンと鷹匠ユーサーは、納得したような表情になっていたのだった。

*****

一方、老魔導士フィーヴァーは、モッサァ白ヒゲを盛んにかき回していた。

「何故こうも、爆弾が次々に降りかかって来るのじゃ?」

ネタ切れに懊悩する作家が、頭を抱えてかき回す時のように……モッサァ白ヒゲが、見る間に爆発してゆく。

「昨夜、というか明け方に分析結果が出たんじゃが、生贄《魔導陣》への不正な『相乗り』、カムザング皇子につづく2人目が、帝国皇帝(シャーハンシャー)その人という示唆を得たばかりじゃぞ。 帝国皇帝(シャーハンシャー)の隠れた性格からして、今日から早速、不正な『相乗り』ルートを通じて、坊主を衰弱させて妨害に入って来る可能性もあるぞ?」

「そうなのですか?」

一同の驚きの眼差しが、老魔導士に集中した。

次に、そのような恐るべき証拠――帝国皇帝(シャーハンシャー)愛用の香油を、昨夜、身体にくっつけて帰還して来ていた、カラクリ人形アルジーに。

アルジーは、恥じ入って、小さくなるばかりだ。ギュッと目をつぶり。

「……スミマセン。ワタシ、ノ、セイ、デス。タブン」

「え?」

ポカンとするセルヴィン皇子の声。つづいてリドワーン閣下が鋭く問うてきた。

「いったい、何をしたと? ――いや咎めている訳では無い。知っている事を聞かせてくれたまえ」

女性の立場からすると、何とも説明しにくい内容だから、さすがに口ごもる。おまけに、色々と精霊界の制約が掛かっていて、つっかえる。

「脅迫、合ワセテ、御神酒、ボケボケ暴走……?」

「私から補足させていただきます。リドワーン閣下、老魔導士どの。白鷹騎士団に縁のある《青衣の霊媒師》占断となります」

助け舟を出してくれたのは、鷹匠ユーサーだ。全力で、必死な眼差しを向けるアルジーであった。

「昨夜のオーラン君の報告のとおり、帝国皇帝(シャーハンシャー)が、ジャヌーブ砦にお忍びに来て、大宴会場に到着していました。 帝国皇帝(シャーハンシャー)の、例の酒姫(サーキイ)への執心のほどは御存知かと。詳細は割愛します」

少しの間、微妙な緊張と沈黙が漂い……すぐに、鷹匠ユーサーの説明が再開した。

「故セリーン妃に関する精霊契約、皇統守護の精霊契約、その他、各契約の異例条項が多重発動しました。異例条項は順調に適用されましたが、最後に、予期せず新たな条件分岐が生じました」

リドワーン閣下と、老魔導士フィーヴァーが、驚愕の表情を見せた。

「条件分岐?」

「完全なる想定外の要素が、新たに『創造』された、と?」

お察しの通り――という風に、鷹匠ユーサーは一礼し、説明を続けた。

「まず皇帝ご自身が、禁術の大麻(ハシシ)使用者であった事が理由となります。 そして、異例条項の手先として動員したカラクリ人形は男性型でしたが、幻覚を提供する《鳥使い姫》が、実際は女性であったという事実によるものだという事です」

鷹匠ユーサーは意味深に「ゴホン」と咳払いした。

「このたびの命令書は、その分岐の産物ゆえ、よくよく検討されるように、との占いを頂いております。 詳細はご想像にお任せしますが、帝国皇帝(シャーハンシャー)の夜は、老魔導士どのの想定以上に……過剰な内容であった、との推測がございます」

老魔導士フィーヴァーが首を傾げ。

「想定以上に過剰な、とは、どういう意味じゃ? よほど頭をボンボコ殴って、ボンヤリさせたという事か?」

「結果としては、その通りのものになる見込みがある、とのことです。霊媒師どのは『花酔い』と説明されましたが。魔導士や霊媒師の間で知られている、《魔導》ないし《精霊魔法》用語の類でしょうか?」

少しの間、老魔導士フィーヴァーは、ポカンとしていたのだった。

「精霊魔法《花酔い》じゃと?」

「……つまり、どういうことですか?」

鷹匠ビザンが疑わしそうな眼差しで、カラクリ人形アルジーを眺め、老魔導士を見つめた。

「信じられんが、帝国皇帝(シャーハンシャー)の頭をボンボコ殴って、当分の間ボンヤリさせることに成功したらしい。 そもそもは作成した《魔導》カラクリ人形が、本物の人体では無いとバレないように、徹底的にボンヤリさせておくということが、本来の目的だったんじゃが」

「強烈に殴り倒して、本物の人体と、カラクリ人形との区別もつかなくなるくらい、ボンヤリとさせておく、ということですか。それは、また……」

「ついでながら、思わぬチャンスが出て来た。生贄《魔導陣》ルートを活性化するには、相当の集中力が必要なんじゃ。二日酔いと同じように、グルグルとボンヤリしている間は、 気合を入れて集中するどころじゃ無い。帝国皇帝(シャーハンシャー)ルートに関する限り、セルヴィン坊主の生命力は当分の間、吸い取られることは無い筈じゃ」

老魔導士フィーヴァーは、白ヒゲを整え……熟練の医師の顔をして、セルヴィン少年を見やった。

「あとで、また傷を診察するぞい、ヒョロリ坊主。カムザング皇子も当分の間ボンヤリさせておく手段を考えておこう。皇帝の無茶苦茶な命令書に対応できるくらいには、回復が早まる筈じゃ」

当惑いっぱいの表情で頷く、セルヴィン少年。

次に、老魔導士は、カラクリ人形アルジーのほうを……しげしげと、不思議そうに眺めて来た。

「しかし……『花酔い』? あの帝国皇帝(シャーハンシャー)、帝国全土を代表する美男美女の群れを見慣れておる筈じゃがのう?」

「幻覚、提供? ワタシ素顔、幽霊騒動ノ時ノ、ガイコツ、デスヨ?」

「実像を歪めて幻惑する《魔導》とは違って、『花酔い』は永続することがあるのじゃよ。 大自然の賜物である複雑精妙な感覚や感情の動きは、薬物や《魔導》による再現では到達できぬ……まさに『天の時』の領域じゃ。 骸骨とまでは言わんが、実際、霊魂が記憶している生前の姿は、餓死寸前のものじゃった。帝国皇帝(シャーハンシャー)の真の趣味は、餓死した死体じゃったのかのう?」

全員が全員、それぞれに疑問顔。

シーンとした静寂が、広がった後。

クムラン副官が口を引きつらせつつ……ボソッと呟いた。

「よほど怪奇な……いえ、独創的な趣味性癖ですな、我らが偉大なる皇帝陛下(シャーハンシャー)は」

ミニサイズ置き物「招き猫」よろしく鎮座していた火吹きネコマタが、そのツッコミに応じて「チェシャ笑い」を見せた……

*****

護衛オローグ青年が、もうひとつの文書をセルヴィン少年に差し出した。

「もうひとつ、セルヴィン殿下に通達が来ておりました。こちらも皇帝命令となります。本日のラーザム財務官の葬儀では、上座に、第六皇子カムザング殿下と共に列席せよ、とのことです」

絶句しながらも受け取る、セルヴィン皇子。

昨日の襲撃で受けた傷口が癒えきっておらず、寝間着姿で談話クッションにグッタリと寄りかかっている格好ではあるが……随分と印象が変わった。 いまや骸骨では無く、貧血気味の線の細い少年といった風だ。

上座のほうで、ナイスミドル神官リドワーン閣下が、腕組みをしつつ呟いていた。

「番外の皇子として扱って来ていたものを、急に第六皇子カムザングと並べるとは……何か不穏な意図がありそうだな」

――金融商ホジジンの昨夜の行動は、精霊界の制約が掛かっている出来事だ。

アルジーのほうからは何があったか説明することはできない。セルヴィンの守護精霊《火吹きネコマタ》のほうでも、事情は同じ。

深刻な理由を含んでいるからだ。

金融商ホジジンは、間違いなく《怪物王ジャバ》復活の陰謀に、深く関与している。

――セルヴィン皇子は、まだ健康であった頃……帝都大市場(グランド・バザール)の偽造宝石ショップ摘発を通じて、《黄金郷(エルドラド)》資金の流れの一部を、偶然にも止めたのだ。 あの金融商ホジジンの逆鱗に触れたという事実からして、一部とはいえ、重要な部分であったことは間違いない。

この事実が、どういう余波をもたらすことになるのかは、アルジーにも分からない。全体像が分からないからだ。

精霊界の制約が有ろうが無かろうが、アルジーのほうでは、14歳の少年を《怪物王ジャバ》問題に巻き込むような、非道なことは……するつもりは無い。既に、この少年は、むごい形で母親を失っている。

訳も分からないままに、暗殺の陰謀を仕掛けられてしまっている形だが……刺客(アサシン)工作のレベルに留まる。

この陰謀を、政局を、切り抜けてくれ、と祈るしかない。

アルジーが《怪物王ジャバ》問題に、何とかケリを付けるまでの間だけなのだから……

…………

……アルジーの横で、クムラン副官が報告書の類を色々と茶卓に並べていた。

内容からして、《象使い》2人への事情聴取の記録だ。クムラン副官の部下シャロフ青年が、昨日のうちに色々と調査したものに違いない。

カラクリ人形アルジーが首を伸ばして、興味深く視線を投げていると……「おや」という風にクムラン副官が気付いて、振り返って来た。

「あ、そうか、帝国文字も読めるんでしたね、《鳥使い姫》。昨日の襲撃事件に関する、疑惑の《象使い》2人への事情聴取の記録。 2人は確かなアリバイ有り、証拠も無しで、すぐに釈放されました。大した内容は無いけど。読む?」

――もちろん。

2頁ほどの簡潔な内容だ。

襲撃事件が起きた前後の時間帯における、《象使い》2人の行動報告。

一頁目……《象使い》老女ナディテ。

老女ナディテは、大衆食堂で、裁縫仲間の年配女性たちと共に、グループで朝食をしていた。ちなみに裁縫は昔からの趣味とのこと。

朝食後、食堂に居た《精霊使い》同僚と共に、礼拝堂付属の着付け室に入室。琵琶を準備していた同僚《亀使い》と共に装束を整え《精霊象》小屋へ赴いた。

砦の伝書局の近く、鳩舎設置の城壁沿いに並ぶ、各種の厩舎区画《精霊象》小屋で、同僚ドルヴと合流。

衛兵に付き添われて、例の城壁『石崩れ』現場へ到着。前日から続く作業を継続した。装束は、予備のものを含めて紛失は無し。

二頁目……《象使い》後継ドルヴ。

後継ドルヴは、かねてからの筋骨の鍛錬のため、砦の衛兵たちと共に朝食後、朝の修練に励んだ。修練の後、礼拝堂付属の着付け室に入室。

琵琶を準備していた同僚《亀使い》と共に装束を整えた際に、予備の装束の紛失に気付いた。

予備の「象レリーフ付サークレット」のほか数種ほど、ビーズ・チェーン《護符》も、一緒に紛失していることが分かった。

同僚《亀使い》の立ち合いのもと紛失した物のリストをまとめ、礼拝堂の事務所へ『装束の紛失届』を提出した。その後、同僚《亀使い》と共に《精霊象》小屋へ赴き、老女ナディテと合流した。

その後は勤務終了の刻まで、老女ナディテと共に、前日から続く作業を継続した。

補足。

2頭《精霊象》は、装束の紛失に気付いている様子。《象使い》《亀使い》共通で、神経質になっているとの見立てあり。 予期せぬ事態に備えて衛兵増員の申し入れあり。4人の長官に報告し、適宜対応する予定。

――以上。

アリバイは完璧だ。常に誰かが、複数人、近くに居た。コッソリ抜け出す時間なんか、ひとつも無い。

「紛失場所、礼拝堂付属《精霊使い》御用達、衣装、装束……、施錠管理、シテタ?」

「との事ですねえ。装束の一部は高価な布を使ってますし、《象使い》装束は特に値が張る。《亀使い》琵琶も。 礼拝堂の事務所のほうで、定時の見回り事務員も出してます。男性更衣室には男性事務員を、女性更衣室には女性事務員を。下着狙いや覗き趣味の変態が出るのは、まぁ、お約束ですから」

「錠前破リ、2人トモ、シテナイ? オーラン、札付きのアサシン」

「オーラン君は無いでしょう、する理由が無くなりましたからね、《鳥使い姫》のお蔭で。禿げた刺客(アサシン)も、脱獄はしていない。 当然、我々としては、まだ捕まっていない謎の《邪霊使い》に注目してます。《鳥使い姫》のほうで、何か気付いた点が?」

クムラン副官は興味を覚えたのもあるのか、意外に細かく応じていたのだった。

「施錠管理……錠前、簡易……あ、声が戻って来た。《精霊使い》装束を管理してた錠前って、鍵を持っていれば誰でも開けられますよね?」

「ですねえ。でも鍵そのものは、コッソリ盗むのは難しいです。礼拝堂の《火の精霊》が見張ってますから。 それに錠前は、黒ダイヤモンド型では無いですが、隊商(キャラバン)の貴重品箱とか、商館の金庫とかで広く使われている信頼の高いヤツです」

――何かが引っ掛かる気がする。

でも……いったい何が引っ掛かっているのかは、ピンと来ない。

「んー、何かの時の雑談の中で引っ掛かった覚えが……いつ、何を見聞きしたのか思い出せない……」

「色々忙しかったんでしょう。まぁ何かあったら、いつでも声かけて頂ければ」

「紙くれます? 考えをまとめたくて。ペンは……荷物袋の中のがあるから……荷物袋、どこでしたっけ……」

思いつくままに談話室の中をクルリと振り返ると。

全員の視線が、アルジーに集中していた。ギョッとするアルジー。クムラン副官は、アサッテの方を向いて、なにやら吹き出し笑いだ。

「え……なにか……?」

「かねてから印象はありましたが、男装の姫君さながらに、所作が混ざり合って愉快なことになっているので。《鳥使い姫》」

鷹匠ユーサーが訳知り顔で、風呂敷に包んである――あの「ぼろい荷物袋」を差し出して来た。

「お目汚し、ご容赦いただければ。裏街道を色々見て、相応に荒(すさ)んでますので」

アルジーはインクを詰めたペンを取り、代筆屋ならではの速度で、書き散らして行った。慣れたペンを持つと、やはり色々と考えが回る。気になる点を、思いつくまま。

肩のうえで「もちーん」と爆睡していた白文鳥《精霊鳥》が、ピコピコ動き出したのを感じる。この小鳥の身体に戻れるまで、あと少しだろう……

…………

一。邪霊害虫《三ツ首サソリ》を使う謎の錠前破りが、ラーザム殺害犯とみて間違いない。 大宴会場の情報から、確実に、ラーザム財務官は、彼との裏金取引の末に殺害されたと思われる。簡単のため「三ツ首サソリ氏」とする。

二。三ツ首サソリ氏が《象使い》の装束を盗んでセルヴィンを襲撃したとして、いかなる方法で、礼拝堂で施錠管理されている部屋の錠前を破ったのか?

三。三ツ首サソリ氏が本物の《邪霊使い》では無かった場合、仲間に《邪霊使い》が居ると思われる。《邪霊使い》は誰であるか? またその《邪霊使い》は、初心者か、熟練者か?

…………

……クムラン副官が、しげしげと、興味深そうに眺めて来た。

「探偵の素質ありますね、《鳥使い姫》。かなり犯人像が絞れて来ますよ。この紙、もらっても?」

「いいですよ。そういえば、アムナ夫人も割と怪しいな、と。襲撃犯は男性だから無関係なんでしょうけど……なんか色々探ってるみたいですし」

「ああ。第一夫人に依頼されて探ってたそうです。子供が居ない分、身軽だということで。事故か、殺人か、を知りたかったそうで。 殺人事件なら、殺人犯から、損害賠償だのなんだので、カネを分捕れると。さっそく馴染みの金融商に話を付けてるそうです。大した女傑ですよ、第一夫人も……第四夫人アムナ殿も」

紙は、老魔導士フィーヴァーへ回覧された。

「疑問点その三については、或る程度までなら推測はできるのう。三つ首サソリ氏は本物の邪霊使いでは無く、 例の酒姫(サーキイ)と同じように、複数の邪霊使いから小道具を買い取って使用している人物じゃ。《人食鬼(グール)》召喚セットは熟練者が製造しとる。 襲撃にも使われた侵入用《魔導札》は、駆け出しの邪霊使い特有の要素があった。三ツ首サソリ氏は、何としてでも、口が利ける状態で身柄確保しなければならんな」

「礼拝堂の、施錠管理の錠前のほうでは、侵入用《魔導札》は使われてなかったんですか?」

アルジーがたたみかけた疑問に対し、クムラン副官が「確かに」と頷いた。

「尋常に開錠されて、元通りに施錠されていたという状態です。シャロフ君のほうでは、定時の見回り事務員によるチョロマカシの可能性を考えてるとの事でしたが」

「でも《象使い》装束なんて、裏街道の故買屋に持ち込んでも足が付きますよね? 違う人が身に着けても、《精霊象》が、精霊契約の違反に気付く。 最初から襲撃現場に残していくつもりで盗んだ、つまり目的に失敗しても自身に疑いが向かないように《象使い》に罪をなすり付けておこうとしていた……犯人の体格、ドルヴさんと似てるのかしら……」

クムラン副官が、「おっ」と言うように、キラーンと目を光らせた。

「そっちから考えたことは無かったですね。パッと見た目、ドルヴ氏は太めの中肉中背ですが、筋骨を鍛えているだけあって、脱げばイケます。 確か《象使い》の男たちは、精霊崇拝の祭祀の相撲で、力士を務めるんですよ。襲撃者の体格はいかがでしたか、セルヴィン殿下?」

問われたセルヴィン皇子は、少し戸惑った顔で思案し始めた。そして。

「体格は似てたけど、なんとなく締まりが無くて、訓練された動きでも無かったような気がする。市場(バザール)のチンピラが刃物を振り回して来るような……」

「三ツ首サソリ氏の中身は贅肉(ぜいにく)多めですかね。 訓練された剣客は体重を刃に乗せて来るから、セルヴィン殿下の短剣で防げなかった可能性もあります。病人でも撃退できるような素人で良かったですね」

*****

ラーザム財務官の葬儀は、午後から始まる。

セルヴィン皇子は体力温存のため、朝の談話の後、再び寝台へ戻っていった。老魔導士フィーヴァーが傷痕を診察し始める。

ラーザム財務官の葬儀にあたって警備会議に参加するため、護衛オローグ青年とクムラン副官は、カスラー大将軍と4人の長官が集う会議場へ出張している。

陪席者として、皇弟リドワーン閣下の護衛を務める鷹匠ビザンも参加だ。カムザング皇子の護衛や従者も参加するとのこと。目下、定番の、皇族の警護手順の確認に留まるのだろうと想像できる。

鷹匠ユーサーは、謎の偵察に出かけた。特徴の無い使用人マントをまとって。

こっそりと白タカ・ノジュムに聞いてみれば、鷹匠ユーサーは隠密。つまり忍者。

覆面ターバン少年オーランも、優秀な隠密の候補。族滅の任務を帯びた刺客(アサシン)に追われて、実戦的な意味で鍛えられたというのもあるそうだけど、あれだけ神出鬼没な少年だから、納得するところだ。

――あの不気味な帝都の金融商ホジジンが、どのような刺客(アサシン)工作を仕掛けて来るのか気になるけれど。帝都皇族の守護精霊や護符《精霊石》、使える護衛たちとで、頑張ってもらうしか無い。

カラクリ人形アルジーは、談話室のクッションに落ち着いたまま、白文鳥《精霊鳥》を手の平に乗せて様子を確かめた。人形ならではの、人工関節だらけの手に挟まないように注意して、布越しに。

以前に、幽霊のほうで茶葉『凌雲』を好むと言ったことを覚えられていたとのことで、恐れ多くもリドワーン閣下の好意で、同素材を練り込んだ薫物を、少し分けてもらっている。 もともとはセルヴィン皇子の体調安定のための薫物だったそうだから、恐縮してしまうけれど……

そのお蔭で白文鳥《精霊鳥》は、無意識のうちに寝返りを打つ程度には、回復して来ていた。尾羽をチェックすると……妙に長さの違う2枚があって、「おや?」という感じだ。

――換羽か、何かだろうか。普通より長いような気もするけれど。

適当に筆記用具が散らばっていたアルジーの手前の卓へ……ちっちゃな手乗りサイズの火吹きネコマタがやって来て、「ニャー」と鳴いた。

『まだ人形で話せるニャネ《鳥使い姫》。皇弟リドワーンが改めて挨拶したいとのこと、少し時間くれるかニャ』

――ほえ!?

見る間に、見事なダークブロンドの髪をした、背丈の高い人影が目の前に現れ。

談話クッションのうえで慌て始めた、カラクリ人形アルジーであった。

「そのままで良い、《鳥使い姫》。我が名はリドワーン。帝都の大聖火神殿において理事の1人を務めている。すでに聞き及んでいるのだろうが、改めて」

「は、はあ……」

ピキリと固まったカラクリ人形アルジーの前に、皇弟リドワーン閣下は腰を下ろした。

――皇族ならではの洗練された所作で。

それに応じて、人形ならではのカクカクした所作に留まるものの、礼儀正しく第一王女として姿勢を整える、アルジーであった。

「色々なことが一斉同時に生じているゆえ、まだ事情を呑み込めずにいるが。セルヴィン皇子の生贄《魔導陣》問題を軽減してくれたこと、礼を言う。あの少年は、いささか訳ありなのだ」

――いささか、と言うには、複雑な事情やら、出生の秘密やら、訳あり過ぎだと思うのだけど……

だが、部外者が口を挟むことでは無い。それより、現在進行形の難問のほうが問題だ。

「こちらこそ、右も左も分からないまま放り込まれたところを、お世話になりまして……比喩的な意味で、トラブル吸引魔法の壺を持ち込んでいたらしくて、難題に次ぐ難題で、ご迷惑おかけ申し上げているとしか……」

「なんの。あれはあれで、色々なことを考え出したようだ」

リドワーン閣下は、フッと笑みを浮かべた。

「白鷹騎士団の運営に関わっておいて正解だった。《鳥使い姫》と話す機会を得たのは役得だ。鷹匠ユーサー殿が、可・不可を決める窓口ゆえ。 砦への数百年ぶりの白文鳥の渡りと、あれ程の多数の白文鳥を使う《鳥使い》の出現は、白鷹騎士団の注目の的なのだ。団長も専属魔導士も会見を希望しているのだが、まだ『待て』状態でな」

――皇族と団長と専属魔導士を相手に『待て』できるの!? 鷹匠ユーサーが!?

思わず、目をパチクリするアルジー。

小卓のうえにお座りしたミニサイズ招き猫さながらの火吹きネコマタが、訳知り顔でニヤリと調子を合わせている。

昨夜、アルジーが爆睡している間に、色々なことを話し合ったのだろうという雰囲気。精霊契約のうえで生じていた、出生の秘密も……おそらくは。

「気付いてはおらぬのだろうが《鳥使い姫》、このカラクリ人形は《火の精霊石》を動力源とする都合上、霊魂の挙動すなわち、刻々の憑依レベルを、分かりやすく呈する。 目下、霊魂が充分に回復・安定していないのだろうな。呼吸するように憑依レベルが変わり、それに応じて人工継ぎ目をカバーする幻影も厚みを変えているのだ。 人工物と、生身の間を揺らいでいる印象がある。非常に興味深い」

「知りませんでした」

アルジーは戸惑うばかりだ。そんな怪奇現象を、呼吸するように繰り出していたとは。知らぬは本人ばかりなり、とは至言だ。

「声が戻ると同時に、憑依レベルが上昇したのだろう。人形が生身に近づいたゆえ全員で注目していたのだ。驚かせたようだな」

しげしげと、リドワーン閣下は、アルジーの目元を眺めて来ている。観察しつつ……感心しているようだ。

「例の酒姫(サーキイ)と明らかに違う点は……《精霊使い》の証である薔薇輝石(ロードナイト)の目だな。それだけ鮮やかな色と、高い透明感を兼ね備えているのは、珍しい。 素人目にも、おそらく最高位の薔薇輝石(ロードナイト)であろうと感じられるくらいだ。本物の酒姫(サーキイ)のほうは、銀髪はともかく、通常の淡褐眼(ヘーゼルアイ)なのだ」

「? それでは、このカラクリ人形のドールアイ、淡褐眼(ヘーゼルアイ)の色で作ってありました? 変な言い方ですが、じっくり観察する余裕が無くて……」

「推察のとおりだ。憑依レベルが下がり、幻影が薄くなると、本来の色付きガラスの淡褐眼(ヘーゼルアイ)が現れる。劇的な変化ゆえ常に驚かされるところだ」

そこで、リドワーン閣下は、しばし言葉を切り、おもむろに座り直した。本題に入るという雰囲気。

「このたび、ラーザム財務官の殺害事件を追っていると聞いている。真犯人が明らかになる日は意外に近そうだ。《鳥使い姫》は事件が解決した後、 どうする予定だ? 速やかに成仏あるいは蒸発して消えることになるのか、セルヴィンが意外に気にしているのでな」

「私も手探りなので、詳しいことは何も。ただ、精霊界の手先として、新しい使命を帯びることになりました。ジャヌーブ南の廃墟へ行きます。 《人食鬼(グール)》異常発生がつづくと、超古代の《魔境》が復活しかねないとのことで、原因を突き止めて退魔調伏を。 帝国皇帝(シャーハンシャー)に想定外の命令書を作成させてしまった手前もありますし」

ナイスミドル神官リドワーン閣下が、怪訝そうに片眉を上げた。

「精霊界の手先として、新しい使命を帯びたと? それは、どうやって分かるのだ?」

「相棒の白文鳥《精霊鳥》が教えてくれるので……あ、占い師とか……《亀甲の糸巻師》や《青衣の霊媒師》なら占える内容だと思います。 私に分かるのは、普通の人と同じように見聞きした物事だけですし、疑問があれば、占い師に尋ねて、確認をとって頂ければ」

しばし、沈黙。

リドワーン閣下は、カラクリ人形アルジーの手の平のうえで「もちーん」と爆睡している白文鳥《精霊鳥》へ視線をやっていた。 同時並行で、脳内メモに、占い師の関係の確認項目が付け加えられたという気配だ。そして。

「ジャヌーブ南の《人食鬼(グール)》異常発生源へ、どうやって行くつもりでいる?」

「もう少ししたら白文鳥が復活しますから、ひとまず……白文鳥の身体で飛んで行こうかと」

皇弟リドワーン閣下は、ふむ、と頷き。

「それでは、目的地に到着する前に死ぬ羽目になる。《鳥使い姫》は此処に来たばかりで、状況を詳しく知らぬのであろう」

「? ジャヌーブ港町と通じている交易路を、オアシス沿いに伝ってゆくのでは……?」

「ひとまず《鳥使い姫》が、ジャヌーブ近辺の出身では無く、帝都の出身でも無いことは大いに理解した」

少しの間、リドワーン閣下は、おかしそうに苦笑を洩らしていたのだった。

「セルヴィンは帝国皇帝(シャーハンシャー)の命令書に従うだろう。帝国皇帝(シャーハンシャー)への忠誠のためでは無く……《鳥使い姫》の苦境を除くために」

カラクリ人形アルジーは目をパチクリさせ……少しの間、小首を傾げて、その意味を検討した。

ちっちゃな火吹きネコマタが、ネコのヒゲをピピンと揺らし「ニャー」と突っ込む。

『ジャヌーブ南は、白文鳥《精霊鳥》にとっては死地ニャ。数百年の間、白文鳥の渡りが無かった事実からも明らかである。 難しく考えることは無い。かの精霊魔法《倍返し》と《花酔い》の料金を取り立てると思って、セルヴィンもリドワーンも、こき使えば良いニャ。あの精霊魔法は、本来、相応の料金をゴッソリ頂くメニューゆえ』

『料金交渉の話なら、分かる……でも精霊界の相場を知らないから、何とも。いまのところ「ラーザム殺害犯の発見と処罰」という事くらいしか思いつかない』

『いずれにせよ《人食鬼(グール)》異常発生源へ突っ込むには相応の軍事力が必要ニャ。多数の《邪霊害獣》や《骸骨剣士》、場合によっては《人食鬼(グール)》との戦いは必ず発生するゆえ』

ふと、アルジーの中で、パッと思いつくものがあった。

東帝城砦、帝国伝書局・市場(バザール)出張所では、色々な時事の噂が話題に上がったものだ。御曹司の親衛隊の間でも、隊商(キャラバン)傭兵の間でも、話題になるのは、やはり退魔調伏の戦闘。

邪眼のザムバが、暇つぶしに、大型の邪霊害獣をバッタバッタと千切っては投げたとか。砂漠の真ん中で、巨大な怪物だの、巨大な怪獣だの、倒したとか。

――「帝国軍の最強の特殊部隊『ラエド』くらいだろうな、三ツ首《人食鬼(グール)》戦からの生還率が半分を超えるのは。あそこは何故なのか分からんが、特別に、雷のジン=ラエドの加護だか、受けてるとか」――

地区の商館の、腕っぷしの良いスタッフが、夜間の砂漠の危険度のついでに、語った内容だ。

『あ、なんとなく、必要なモノ思いついたかも』

『フニャ?』

考えをまとめて、アルジーは再び面(おもて)を上げて、リドワーン閣下に向き直った。

「あの、《人食鬼(グール)》異常発生源に突っ込むには、やはり《人食鬼(グール)》対応の戦士をそろえる必要がありますね」

「セルヴィンは、それを考え始めている筈だ。私の指導が正しければな」

一瞬だけ。アルジーは疑惑と疑問の眼差しになって、悠然と座っているダークブロンド髪のナイスミドル神官を、眺めてしまった。

何でも無いようにサラリと言うけれど……確かな自信に裏付けられている分、凄みを感じる。老魔導士フィーヴァーの自画自賛とは、また違った凄み。

――リドワーン閣下、タダ者では無い。

確か皇帝が、「セルヴィンもオーランも食えない奴らだ」と言及していた。現在は酒姫(サーキイ)限定とはいえ、あれだけの隠密と陰謀をやってのける皇帝に、 そう言わせるほどに、セルヴィン少年を指導して鍛えたのは……リドワーン閣下その人だ。

慎重に言葉を選び、押し出してゆく。

いまのところ、この項目は精霊界の制約に引っ掛かっていない――大丈夫のようだ。

「帝国軍の特殊部隊を出せますか? ええと……『ラエド』? 正式名称、周りの人は誰も知らなくて。基本的に隠密で動く……入隊試験も謎だけど、 雷のジン=ラエドの加護が有るとか……忍者部隊っぽい感じの?」

奇妙な沈黙が流れた。

リドワーン閣下は、腕を組んで、思案顔を始めた。琥珀色をした眼差しの中で、疑惑……というよりも、当惑に似た光が浮かんでいる。

予期せぬ反応。カラクリ人形アルジーは、首を傾げつつ。

「あの、無理でしたら、無理にとは申しませんが……」

「失礼した、《鳥使い姫》。新しく考えることが出来たのでな。少しセルヴィンと話し合わねばならぬ」

リドワーン閣下はテキパキと立ち上がり、一礼をするや……セルヴィンの居る、寝室の続き部屋へと立ち去って行ったのだった。

当惑のままに、アルジーは火吹きネコマタに目をやった。

火吹きネコマタも、何やら含むところのある顔つきであった。2本のネコ尾を盛んに揺らしつつ。

『皇弟リドワーンは本当に何か新しい考えを思いついたのニャネ。《鳥使い姫》は、本当に爆弾を投下するニャ。ともあれ、いまは、ラーザム財務官の葬儀を乗り切ることを考えれば良いニャ』

*****

いつしか、時刻は正午近く……白文鳥《精霊鳥》の身体が、復活していた。

――機動的に動ける白文鳥の身体へ、そろそろ憑依しようかと、思いつき。

カラクリ人形アルジーは、老魔導士の作業部屋を訪れた。

足元を、ちっちゃな火吹きネコマタが、チョロチョロと付いて来ている。

間仕切りとなっている紗幕(カーテン)をくぐると、作業机がデンと置いてあった。不思議な錬金術用の道具や製薬用の道具が、相変わらず、良く分からない順番で並べてある。

作業机の下に、黒い棺桶さながらの収納箱。老魔導士が《魔導》カラクリ人形を保管するため、黒ダイヤモンドの魔法の鍵を使って施錠管理していたものだ。

作業部屋の別の一角には、仮眠用の簡素な寝台が配置されてあった。少し離れたところに急患用の寝台。窓際のほうに、段差を利用したソファ。

最初に、意識が無いまま此処に運び込まれて。白文鳥の中に入ったまま目覚めた昼日中にも、見ていた光景――

――アルジーの中で、パッと記憶がよみがえった。

ラーザム財務官が殺害された夜。

その夜のうちに不正召喚されていた中型《人食鬼(グール)》。

その中型《人食鬼(グール)》に捕食されかけ、瀕死の重傷を負ったオーラン少年が、あの急患用の寝台に横たわっていたのだ。包帯巻き巻きの全身で……

アルジーの記憶は、さらに巻き戻った。

――最初の夜、最初に、何があったんだっけ?

空飛ぶ魔法の白い絨毯《鳥舟(アルカ)》で、現場へ突っ込んで……

いや、ラーザム財務官の居た、あの角部屋へ突っ込んだ後のことだ。何かを見た……見た筈だ。

いつしか、カラクリ人形アルジーは無我夢中で、グルグル歩き回りながら、人工銀髪をかき回していた。ターバンは既に外れて、落ちてしまっている。

考えをまとめるため、高速《精霊語》がポンポン飛び出した。

火吹きネコマタが、ギョッと目を見開きつつ、アルジーと一緒にクルクル走り回っている。

――あの石落としの仕掛けは、時間差では発動できない。

堅牢すぎる黒ダイヤモンド《魔法の鍵》。その場に開錠者が居ないとダメ。《三ツ首サソリ》熱毒で、不正に、こじ開けるにしても。 そもそも邪霊の類は、なかなか言う事を聞かない。気まぐれな怠け者よりも、もっと性質が悪い。目的を達するまで、けしかけないと。

石崩れが起きた瞬間、ラーザム殺害犯は……間違いなく、そこに居た。

死亡現場には、もうひとつ、奇妙な点があった。あの高位《地の精霊》の気配だ。

黒髪クバル青年の姿を投影して来た《地の精霊》だ! 相棒の白文鳥パルが、そう言って説明して来たから、確かだ。

――厳重に潜伏しなきゃいけない状況だったけど、適合する薔薇輝石(ロードナイト)との守護精霊の契約が「雷のジン=ラエド」込み込みで一挙に成立したから、急いで特別に、色々スッ飛ばして。 精霊界の制約があって、こんな形式しか無かったけど――

あの《地の精霊》と初めて話し合った時は、ほかに重大な情報が色々あり過ぎて、それどころじゃ無かったけど。

厳しい時間制限や制約条件の中で、精霊たちは、可能な限りヒントを織り込んで伝えて来ている。いつも、そうだ。人類の側が、ニブくて、気付きにくいだけで。

――アリージュは、ほぼほぼ《銀月の精霊》ゆえ人類の例外ニャ――

アルジー=アリージュ姫の不自然な在り方が、予期せぬ歪みを引き起こす前に――精霊の異次元空間が歪んで、深刻な『引き寄せ』が起きる前に――この違和感の正体を、早く突き止めないと。

ラーザム死亡現場は、どうなっていた?

城壁の側には、間違いなく真犯人が居た。《三ツ首サソリ》熱毒を使って開錠して、すぐに安全なポイントへ退避していた真犯人が。

石崩れの現場には、もうひとつ、出入口があったのだ。知っている。明るくなった時に……雨降りの朝に……もう一度、現場を見ていたのだから。

城壁のほうじゃない――あの事件現場で、相棒の白文鳥パルとも話した。

近くにあった――控え壁のひとつ。いきなり段差が開けていて、下の階層へ移動するための階段が設置されていた。

――この微細な精霊魔法の発生源は、この控え壁のあたり。それで、この控え壁が大きく壊れなかったんだ。向こうで石落としの仕掛けを動かした容疑者が居たけど、この控え壁にも「別の誰か」が居た――

――「別の誰か」を守るために、精霊の守護の力でもって、流れ弾……流れ石を弾く羽目になった感じ――

――控え壁に居た、「別の誰か」に、この《地の精霊》がくっついていた。そして恐らく、その「別の誰か」は、此処から別の階層へ移動して、行方をくらませた――

控え壁。

下の階層へ向かう階段。

幾つかの通路へとつながってゆく踊り場空間が、あった。

……もっと突っ込んで考えてみれば、分かった筈だ!

あの《人食鬼(グール)》対応の石崩れ……その突出した威力を、想定してもいなかった逆方向から、ブチ当てられた控え壁が、原形を保持していられる筈が無いのだ!

高位《地の精霊》が、控え壁が壊れないように、精霊魔法を発動して、防護していたのだ!

そのようにして守護した「別の誰か」……すなわち目撃者が居たのだ!

目撃者は、控え壁の位置に配置されていた、下の階層へ向かう階段を通って、姿をくらました……!

……いまや高速で、アルジーは、現場で起きた事象の移り変わりを、シミュレーションしていた……

あの夜――殺害犯は、不自然な事実に気付いた筈だ。

石崩れを食らった筈の控え壁が、ラーザム死亡現場の部屋の窓枠のように、メチャクチャに壊れなかった――という不自然な事実に。

控え壁から誰か――目撃者の人影が走り出て、そこにあった出入口へと駆けこんだ。目撃されていた!

誰なのか? 個人を特定できるような特徴はあったのか? 人相を見たのか?

月の無い闇の中、個人を特定できるような特徴は限られるだろう。

声? 三日月刀(シャムシール)や、護身用の短剣の、特徴? お馴染みの護符《精霊石》や、護符チェーン?

高位《地の精霊》が、わざわざ守護する人間なんて、とても数少ない……

――居た!

かねてから《地の精霊》が祝福していた、薔薇輝石(ロードナイト)の目を持つ人物が! ……漆黒の目だ! それに、祝福されての地獄耳。鬼耳族なみの……!

なんてことだ。

目撃者は、オーラン少年だ!

昨日、適合する薔薇輝石(ロードナイト)と守護契約を成立させたばかりだ、と《地の精霊》本人が――いや、本「精霊」が――言っていた!

蒸した空気の漂う闇の中だった。ターバンだって、ゆるく巻いていた筈だ。蒸れるのだから。

――もちろんオーラン君は、銀髪を持っております。例の酒姫(サーキイ)の見事な総・銀髪という風では無く、ひと房、という形ですが――

たった一瞬であっても、酒姫(サーキイ)が目を付けるような銀髪は、目立つ。アルジーが昨夜、経験したように。

帝国皇帝(シャーハンシャー)だって、大宴会場の、あの《骸骨剣士》と群衆が押し合いへし合いしていた大混乱のさなか、一瞬で、酒姫(サーキイ)の銀髪を特定できた。幻影のかかった人工銀髪だったけど。

オーラン少年は、具合の悪いセルヴィン皇子のために、あちこちの大型《黒ダイヤモンド》錠前を探っていた。 あの夜も、大型《黒ダイヤモンド》錠前にしか捕まらないような、大物の「赤毛玉ケサランパサラン」を探し回っていた筈だ。

あの夜、オーラン少年は偶然、ラーザムの居た角部屋の近くを通ったのだろう。

そして……目撃した!

殺害犯は、さぞ焦っただろう。セルヴィン皇子の従者・護衛を務める少年兵。時には影武者。護衛オローグ青年と鷹匠ユーサーの仕込みもあって、大人とも相当やり合える腕前。

あの大宴会場でも、オーラン少年は手持ちの投げナイフ、いや、手裏剣を投げて……《骸骨剣士》3体、いっぺんに退魔調伏しおおせていたのだ。

いまや、ラーザム死亡現場の、不自然だった箇所の謎は――解けた。

残りの謎は、ラーザム殺害事件につづいて起きていた……あまりにもタイミングが合致しすぎる《人食鬼(グール)》襲撃だ。

――あの夜、中型《人食鬼(グール)》も不正に召喚されていた。その目的は?

その目的は……事件を起こした石崩れの仕掛けが設置されていた城壁そのものの、大規模な破壊だったに違いない。 不正な手段でもって、黒ダイヤモンド鍵がこじ開けられた、という痕跡が存在していたのだから……!

爆発的な破壊力としては、土木工事用のジン=イフリート《魔導札》だって同じだけの威力を見込めるけれど。《人食鬼(グール)》のほうが自然。誰も、人類の中に、城壁を破壊した犯人が居るとは思わない。

実際、少しの間、無関係な人々――新しく訪れた市場(バザール)商人たちの間でも情報が錯綜して、石崩れにやられたか、《人食鬼(グール)》にやられたか、というような混同が起きていたし。

――《人食鬼(グール)》に破壊されたと見せかけての、大々的な証拠隠滅。だから、《三ツ首サソリ》と一緒に、セットされていたのだ。

老魔導士フィーヴァーが「タチの悪いイタズラ程度のバレバレのチャチな手口」と評していた。《三ツ首サソリ》熱毒を使って不正に黒ダイヤモンド錠前を破った――という証拠を、残しておくつもりは無かったのだ。

大宴会場で取次業者ディロンが即座に気付いたように、指摘したように、 それは、ラーザム財務官が持っていた書類に使われていた仮名――取引相手《三ツ首サソリ》に直結する証拠にして……或る程度、特定できる要素だったのだから。

あんな大きな《三ツ首サソリ》を好んで飼育する一般人は、すごく少ない筈。酒姫(サーキイ)のほかに誰が飼育していたのかは分からないけど、調査のツテがあれば、すぐに割り出せると思う。

――《人食鬼(グール)》を使った証拠隠滅――

殺害犯の目論見は、結局、うまく行かなかった。その筈だ。

その時、高位《地の精霊》は、まだオーラン少年との守護契約を成立させておらず、浮遊していたのだから。厳重に潜伏しなければならない状況だったのだから。

不正召喚《人食鬼(グール)》は、想定どおりに動かず……浮遊《地の精霊》の祝福を得ようとして、狂暴化したのだ! オーラン少年と《地の精霊》へ向かって、方向転換して、襲撃した!

ラーザム財務官の死亡現場は、ほぼ保存されてしまった。

現場に大量に散乱した石をどけて、『石落とし』攻撃の発生源を再調査すれば、すぐに本当の手口がバレる。

でも、現場の不自然な点に気付かれるまでには、まだ時間がある。《三ツ首サソリ》の名前が浮上する前に、《三ツ首サソリ》候補者を増やしてごまかすとか、色々、考えることはできる。

ひとまず可及的速やかに、目撃者――オーラン少年を始末だ。口封じ。

アルジーだって、同じ状況に追い込まれたら、そうすると思う。

「そう、時間が無いわよ! だって、重傷で寝込んでるオーラン君と間違われて、セルヴィン君が襲撃されたばかりで! 私が、 カムザング皇子を、とっちめていた間に! 真犯人は今度こそ確実に、オーラン君を殺そうとする……!」

『オーラン少年は、ラーザム殺害犯を知ってたのニャネ。何故、知ってて沈黙していたのかまでは、分からぬが』

ちっちゃな火吹きネコマタが2本の尾を振り回しつつ、アルジーの切迫の呟きに応えていた。

「オーラン君を引きずり出して、砦で一番高い屋根のてっぺんに磔(はりつけ)にしてでも、問い詰めてやるわよ。何処に居るのよ、あのバカ坊主は!?」

『一応、セルヴィンの近くに出没する筈だニャ。セルヴィンの危機の時には、必ず駆け付けるニャ』

アルジーの中で、ひとつの可能性が閃いた。

「ふーん、セルヴィン君の危機ね。金融商ホジジンの謎の刺客(アサシン)工作……皇帝の脂ぎってるのに比べれば、帝都の金融商ホジジンは同じ贅肉(ぜいにく)まみれでも、まだ耐えられるほうだわ。 娼館で見た遊女たちの手練手管、あらんかぎり仕掛けてやろうじゃないの」

『ぜぜぜ全力で誘惑するのかニャ? や、やめれ、マジで、金融商ホジジンと酒姫(サーキイ)アルジュナの異常な行動の再調査が、まだ途中……』

カラクリ人形アルジーは、床に落ちていたターバンを拾って、元どおり素早く、頭部に巻き付け……覆面ターバン型にした。

そして、戦いに赴く戦士ならではの足取りで、部屋を飛び出して行ったのだった。

*****

アルジーの考えが正しければ、帝都の金融商ホジジンは、ラーザム財務官の葬儀に出席する筈だ。

それも、皇族たちが位置する上座を一望できるような、特等席の位置で。

ラーザム財務官への弔意からでは無く――確実に、刺客(アサシン)工作でもって、セルヴィン皇子が……カムザング皇子も一緒に死ぬのを、目撃するために。

「ああ、しまった! 昨夜の勢いで、これじゃ金融商ホジジンじゃなくて、あの裸踊りの変態へまっしぐらじゃない。葬儀なんだから、まず礼拝堂を探さなくちゃ」

ジャヌーブ砦の構造には、詳しくない。

白文鳥《精霊鳥》の身体なら、屋根のうえを伝って、ひとっ飛びなのに。

たまたま空が見える――どこかのアーチ廊下へと、たどり着き。アーチ窓から頭を突き出して、方向の見当を付ける。

「壁から降りたほうが分かりやすいわね」

そして、アーチ窓から城下町へ抜け出そうとして、窓枠に足を掛けた。

――かつて、シュクラ第一王女アリージュ姫として、人質の塔に押し込められていた間、見張りの目を盗んで、日ごとバルコニー脱出をやっていたように――

「自殺しようってのか何やってんでぇうら若い身空で死んじゃなんねぇぞ」

聞き覚えのある声と共に、ガバァ、と抱き着いて来る男。

不意を突かれて、アルジーは廊下に転がった……なんとなく見覚えのある――思い出した――城門前の市場(バザール)で、水タバコの屋台をやっていた、タバコ屋オヤジと共に。

眠りこけている風の、白文鳥《精霊鳥》の真っ白な身体が、ふわもち・いちご大福さながらに……ポンポンポン……と、転がってゆく。

「なんじゃ?」

「あ、白文鳥」

すぐに、タバコ屋オヤジの手が離れた。

アルジーが廊下の端まで転がって行ってしまった白文鳥を拾いあげ、ホッと息をついたところで。

タバコ屋オヤジは、ヒゲ面に困惑の表情を浮かべつつ、庶民ターバンをガシガシとやり始めた。

「なんじゃあ自殺とかじゃ無かったんかい娘さんや」

「え? この身体、男の筈だけど……?」

「何を言っとんだ娘さん、ガッツリ見れば昨日ガイコツ変身してドラ息子ボコボコ殴る蹴るしてたネコミミ付スナギツネ娘じゃねぇかぁ幽霊じゃ無くて生身だったんか」

タバコ屋オヤジは、次第に感心したような顔つきになり。

「うむ実に薔薇色の目をした《精霊使い》なんだから、神出鬼没の幽霊の奇術くれぇお手の物だよなぁ白文鳥だから《鳥使い》だな」

謎の納得をしていたのだった。

しばらくアルジーは考えて。次に納得した。《火の精霊》からエネルギー再補充してもらったお蔭で、スナギツネ顔の幻影が復活していたのだ。

カラクリ人形という物理的実体にかぶせていってる幻影だ。霊魂のみの半透明の幻影の時よりも、ずっと、透けていない――ガッツリ、生身と見える状態に違いない。

「変だなスナギツネ娘さん銀髪かい?」

気が付いてみれば、ターバンがゆるんで……人工銀髪が垂れている。そそくさと、巻き直したところで。

「もしかして昨夜なんか色事してたんかい娘さんや」

「え、なんで?」

「いやあ朝っぱらから砦の中の使用人用・一般人用の大衆食堂で噂になってんだよ、ヘボ恋愛の四行詩がな」

「え、それって」

タバコ屋オヤジが口にした四行詩は、やはり、帝国皇帝(シャーハンシャー)がクネクネ・ダンスをしながら詠唱していた作品だった。

「どっかの高級な部屋から一晩じゅう聞こえてたそうでよ……我が絶世の恋人銀月よ、我が魂よ我が歓びよ美しすぎる薔薇色の目の乙女……いったい誰や? ジャヌーブ砦に、 そんな絶世の美女が居たか? ってことで謎解き始まってんだよ」

「そんな事ってあるの?」

「うむ実におかしな事だぁ……スナギツネ娘さんは王侯諸侯が好む絶世の美女とは違うタイプだのぅ、スナギツネ顔を好む男も居るとは思うがね」

ひとしきり首を傾げた後、タバコ屋オヤジは、改めて問いかけて来たのだった。何をしていたのか、と。

「砦の中あまり知らなくて。壁から降りて屋根伝いに行ったほうが、迷わないで済むから……」

「なんと《鳥使い》は頭の中身も鳥になるんか? どこ行こうとしてたんじゃ?」

「ラーザム財務官の葬儀。できれば金融商ホジジンが見えるところ」

「恨みでもあっか? 遠くから見るだけなら何ともねぇだろうが、手ぇ出すのはヤバいでぇオッソロシイ巨人族の護衛とか用心棒とか専属魔導士ゾロゾロ居るからよ」

「え……そ、そうなんだ……」

思わず、両手に包み込んだ白文鳥を見つめて、シュンとなる、アルジーであった。

――意外に、難問だ。

焦りと勢いのままに飛び出してしまったけれど……

族滅の任務を帯びた刺客(アサシン)に追われながら、隠密をやってのけているオーラン少年のほうが、よほど冷静で――優秀だ。

大物の金融商ホジジンに接近するのと、族滅の刺客(アサシン)へ返り討ちするのと、どちらが難しいのかは……よく分からないけど。

「まぁ見るだけなら……ワシ連れて行ってやっても良いでぇスナギツネ娘さんよ」

「え、なんで?」

「葬儀の会場、記帳所の隣に、金融商の出張コーナーあんだ。香典の管理とかね。ワシ、これからタバコ売り上げを貯金口座に入れるとこでな。 一刻前ぐらいまでは営業やってるでぇタイミングかち合うぐらいはあるでよ。売り子アルバイトってことで荷物を運んでくれりゃええ。スナギツネ娘さんじゃから名前『スナ』さんじゃな」

「ありがとうございます。よろしくお願いします」

タバコ屋オヤジは、不思議そうな顔になって、シゲシゲと眺めて来た。

「不思議なもんじゃのゥ娘さんホントにスナギツネ顔なんか? チラリと超・綺麗なツラするんじゃなぁ同じ人間とも思えん絶世の美姫みてぇな」

「え? あ、土台の人形が……いえ、ふ、覆面したほうが良いですよね?」

「それがえぇなぁカムザング皇子が間違いなく食いつくでよぅ。会場に既にカムザング皇子の親衛隊が入ってんでぇ間違いなく皇子本人イケイケ・オメカシして来るでよ」

そんな訳で、アルジーは、ターバンを覆面の形に巻きかえ。

各種の粉タバコが入った風呂敷包みを、持ってみた。昨夜の大宴会での商売で大いに量を減らした後で、あまり重くない。

タバコ屋オヤジの後を、アルジーは付いて行く形になった。両手に風呂敷包みを持って……

…………

……タバコ屋オヤジが選んだ通路は、一般の居住区や階段がつづく街路であった。

非戦闘員の女子供たちが、多く行き交っている。目立つのは、街路沿いに、ずらっと並ぶ洗濯物の群れ。

張り出された大判の紗幕の下に、料理その他のための退魔紋様セット水壺や香辛料の貯蔵壺、酒瓶の数々。

運び出す前の様々なゴミ袋が石畳の窪みに分けて並べられていて、早速、ハエが飛び回っている。無害なほうの、普通のネズミの姿も。

小さな子供たちが駆け回り……なんとも生活臭あふれる一角だ。

タバコ屋オヤジが済まなそうに声をかけて来た。

「売上金もってるからよ、まさかのために善良な目撃者がいっぱい居るところを通るのがえぇで遠回りになってもなぁ。娘さんの足にゃ負担かけるで済まねぇが」

「いえ、このくらい何でも無いです。ジャヌーブ砦の、このあたりの区画は全然知らなかったので、見てて興味深いですし……こちらも相棒の白文鳥かかえてますから」

「そういやぁその白文鳥は病気か何かかね? ターバンに埋もれたまま、ずっと目を覚まさねぇようだが」

覆面ターバンに巻きかえる時に、ささやかなポケット部分を作って、そこにグッタリとした白文鳥の身を挟んである。 不揃いな尾羽だけがピョコンと飛び出していて、見た目、庶民の定番の、お出かけ用の羽飾りを装着している風だ。

「いろいろ訳ありで」

話を交わしているうちにも、行く手に、聖火礼拝堂の紅ドーム屋根と、その中庭を示す尖塔が見えて来た。

「一般人の出入口こっちでよ……あぁ上に見えるのが噂のラーザム死亡現場の城壁だぁ、梯子が見えるでぇまだ修理やっとんな」

カスラー大将軍やタフジン大調査官、皇族専用の区画を擁する――宮殿にあたる高所から延びる区壁が、そのまま、城壁につながっている。

宮殿のほうへ視線を向けると、中の上、といった階層が医療区画になっているのが見える。

あの辺りが、老魔導士フィーヴァーやセルヴィン皇子が詰めている区画だろう。

――ラーザム財務官は、わざわざ危険な城外に面する城壁の角部屋で、仮眠を取っていたのだ。それほどに人目を避けて、謎の取引相手『三ツ首サソリ』氏と密会する必要があったと見える……

…………

……やがて中庭の入り口、礼拝堂の事務所の前へ到着した。

事務所の入り口には、官報の掲示板が衝立のように並んでいた。東帝城砦の礼拝堂と共通の形式。その間に、身分階層別に記帳所が設置されてある。

いかにも正式という風の上等な卓のほうで、無地の赤茶の長衣(カフタン)――役人姿の人々が行列を作っていて、そこに上質な長衣(カフタン)をまとう富裕層の人々がパラパラ混ざっている。

目をパチクリさせて小首を傾げたアルジーに、訳知りなタバコ屋オヤジが説明して来た。

「ジャヌーブ交易路沿いの集落の、村長や酋長やジャヌーブ港町の幹部といった面々だぁな、この辺の部族交流の宴会では定番の面々よ。部族長やら豪族は、帝都の上流社交界へも行くのう」

ついで、タバコ屋オヤジが「ワシらは、こっちじゃ」と、方向を変えて進んで行った。アルジーもポコポコと付いてゆく。

簡素な事務用の卓が、行く手に配置されていた。一般向けの記帳所。

フラリとやって来た商人たちや、砦内部の労働者たちが、三々五々やって来て記帳するという風で、行列もまばら。

「金融商の出張コーナーに寄る前に記帳していくでぇ」

並んで順番を待っていると……近くのグループの中から美形中年な取次業者ディロンが出て来て、気楽そうに声をかけて来た。 傍にネズミ男ネズルも、潮焼け男シンドも居る。昨夜の宣言どおりに、一般人枠で葬儀参列する予定なのだ。

「港町のタバコ屋オヤジじゃないですか、どうでしたか商売は」

「ボチボチでぇ取次屋ディロン殿、幽霊騒動があったお蔭で。お久でぇ、ネズル殿にシンド殿。またタバコ草やら良さげなアンティーク道具やら入ったら頼まぁ」

すぐに記帳の順番が来て、いかにも窓際族なボンヤリした事務員から筆を受け取り、順番に記帳する。「タバコ屋シガロ、男」「タバコ屋アルバイト、女」。

「アルバイト・スナギツネ……娘さんが一緒とは」

取次業者ディロンは、しっかり「スナギツネ」と言った後、ごまかすように口に手を当てていた。隣でネズミ男ネズルが呆れた様子になり、ディロンの背中を小突きまわす。

「いつも私を「ネズミ男」と言ってるから、大事な時に口が滑るんだや、ディロン殿」

「そうだそうだ。口の軽すぎる男は気にすんな娘さん、お名前は? 私は南洋の船乗りシンド。外国のお話いろいろ知ってるから話してあげられるよ。冒険談はお好き?」

「え、まぁ、スナです」

「スナギツネ、の、スナ、とか? 冗談でしょ?」

「いま忙しいから後でよ。売上金を貯金口座に入れるでよ」

「いやはや引き留めてしまって済まんな、タバコ屋オヤジさん。馴染みの金融商オッサン、いや、オッサヌフだったね。本人は諸般多忙で来てないけど、そこに代理人が居るよ」

思わず、ハッとするアルジーであった。

ジャヌーブ港町から出張って来た金融商に混ざって、帝都から来た代理人がチラホラ。その中に、見知った女性の顔を見て、目をパチクリさせる。

昨夜、深夜にもかかわらず嫌な顔一つせず出張して来て、カラクリ人形アルジーを手入れしてくれた、白鷹騎士団に属する親切な女性。 シャヒン・カスバで勤めている宮廷女官、兼、シャヒン王が団長を兼任する白鷹騎士団の女騎士。少し先輩の人。

横でペアを組んで、算盤を弾いている中堅の男性が、金融商オッサンの代理人だろうと見て取れる。

そしてタバコ屋オヤジは、間違いなく、その見知った顔が位置している、官報掲示板の間の事務机へと向かっていた。

「おぅ金融商オッサン代理人だね、ご夫婦さん?」

「ご来店ありがとうございます。確かに帝都の金融商オッサヌフ代理人エスファンと、サーラです。我々夫婦で、代理人を務めさせていただいております。 ジャヌーブ港町のタバコ屋シガロ殿。ジャヌーブ城門前の市場(バザール)の売上金の、お預け入れですね?」

「んだ。よろしく頼むでよ」

手際よく帝国通貨がカウントされ、記録されてゆく。

――金融商オッサンは、白鷹騎士団と関係が深かったのだろうか?

あとでリドワーン閣下に聞いてみよう。白鷹騎士団の運営に関与していると言っていたし。

そっと、心に留めておくアルジーであった。

そう言えば東帝城砦でも、金融商オッサンは妙に白タカ《精霊鳥》について訳知りだった。ごま塩頭の番頭さんも白文鳥《精霊鳥》と話せる人だったし。 店頭の看板に巣を用意して、火事警報用の、白文鳥《精霊鳥》を飼っていた……

成る程、生前の《青衣の霊媒師》オババ殿が、金融商オッサンを、信頼する筈だ。遺言状や、特別な精霊魔法の小道具を預けるほどに。

アルジーは思案しつつ、クルリと周囲を見回した。

向かい側の行列に、見知った姿が見える。

小太り中年の財務文官ドニアスが、赤茶色の長衣(カフタン)をまとう同年代の役人たちと、何かを話し込んでいた。

――相変わらず、サッシュベルトに挟まれた多種類の鍵が、昼日中の光でキラキラ光りながら揺れている。目で見ていても、カチャカチャ音が聞こえて来そうだ……

「ラーザム財務官の葬儀って、もう始まってるのかしら?」

「神官の魔除けの詠唱は、もう始まってますね。尖塔の魔除けの鐘も鳴り始めて……皇族とか貴賓が着席する頃ですよ。我々も参列しましょうか、スナさん」

女と見れば口も手も早い取次業者ディロンが早速、アルジーにすり寄って来て、腕を取った。

性別詐称・男の代筆屋としては、それなりに市井の経験はあるが、女性としての市井の経験は無い。アルジーは戸惑って、ソワソワと、タバコ屋オヤジを振り返ってしまった。

受付を務める代理人エスファンとサーラも、通貨カウント終了待ちのタバコ屋オヤジも、やれやれと言った様子で苦笑いを返して来ている。

「大丈夫、独身の娘さんには手を出しませんよ、そうでしょ、ディロン殿。でも念のためですから、サーラ、一緒に行ってあげて。此処は大丈夫だから。 ネズル殿、シンド殿も、シッカリ見張っててあげてくださいよ」

「じゃ、ちょっと行って来るわね、エスファン。何かあったら連携よろしく」

一瞬で女騎士の顔になったサーラが、テキパキと三日月刀(シャムシール)を用意して、同じく苦笑し続けている2人の商人と共に、付き添って来た。

「え、一応、ワタシ人妻……」

「フハハ、そんだけ飛び上がってて、男性経験ゼロなのバレバレですよ、乙女ですねぇスナさん。正体は案外、深窓の令嬢だったりして」

取次業者ディロンは素晴らしい観察眼を発揮していた。覆面ターバン越しなのに、あっと言う間に容貌を読み取っている。どうやらスナギツネ顔の容貌のほうだけど。

「こりゃ化粧で大いに化けるね、形は良い……ねぇスナさん、コーヒー屋の女給に興味あり? 文字は書けるんだし、看板娘になれば副業・代筆でも稼げるよ。 ジャヌーブ港町のカフェ店は名物でね、南洋の港湾諸国の城砦(カスバ)から取り寄せたコーヒー豆のジャヌーブ港町ならではの各種ブレンドが、またステキな逸品の……」

取次業者ディロンは、毎度の長広舌セールスを調子よく並べつつ、一般用アーチ入り口を通って、中庭の一般参列スペースへと進んだ。

三々五々、砦の住民といった一般人たちも参列し始めている。半分ほどは「仕事の手が空いたので物見遊山」「昼下がりの参拝のついで」といった雰囲気。

礼拝堂の中庭には、既にズラリと人々が並んでいた。今しも、ラーザム財務官の死体が収められた棺桶が出て来るのを待っているところだ。

パラパラと立つナツメヤシが、貴重な緑を添えている。石畳の間に、乾燥に強い草類。

中庭の中央部には、定番の大振りな噴水が配置されてあった。噴水の位置で、役人たち豪族たちの前列グループと、一般参列者たちの後列グループに分かれる形。

親族席に、紅衣の神官たちに伴われた4人のハーレム妻と、10歳前後の子供2人。第二夫人と第三夫人には子供が居る……その子供たちだ。

数段ほど高くなっている端に設置された貴賓席にも、見知った姿が、或る程度の間隔を空けて着座している。

貴賓席――最上位の上座に、宮廷パーティーにでも赴くのかというような、ギラギラ長衣(カフタン)姿の第六皇子カムザング殿下が、不服そうな……つまらなそうな顔をして座っていた。

カムザング皇子は、ガラの悪いチンピラさながらに、背もたれに傲然ともたれていた。大麻(ハシシ)をタップリと仕込んだアメ玉でも舐めているのか、口元をクチャクチャと動かしている。

不良がイキがってる風に大きく気崩した長衣(カフタン)の間から、あからさまに鍛えていないカムザング皇子の裸の胸が、チラリ。悪趣味な刺青(タトゥー)が乱雑に並んでるだけだ。 前日の、小鳥の白い足跡スタンプは、ほぼ、消せたらしい。

次席に、葬儀の場ということを考慮して彩度を押さえた長衣(カフタン)をまとうセルヴィン皇子が、生真面目に背筋を伸ばして座っていた。 病み上がりを思わせる弱々しい雰囲気はあるが、本来のものらしいダークブロンド髪が復活していて、確かに皇族の血筋を受け継ぐ皇子と見て取れる。

まだ脇腹の傷が痛む筈だが……無表情だ。老魔導士フィーヴァーのところで見かけて来た健気な少年、という印象は、とても薄い。 陰謀が渦巻く宮廷の中で身に着けて来た硬質さだろうか、と思われるところ。

タフジン大調査官、カスラー大将軍、4人の長官と見える人々が、貴賓席の周囲に控えていた。

後方に、警護を務める武官や専属魔導士が警戒の眼差しをしつつ並ぶ。キッチリと防護盾を構えている。

中庭の両脇に、赤茶色の長衣(カフタン)をまとう役人たちが整列していた。ついで、一般の警護を務める武官――砦の衛兵たちからの選抜組。パラパラと、一般の魔導士。 黒い長衣(カフタン)だけど金縁などの装飾の無い、簡素な装い。

アルジーは、警戒心をもって、慎重に見回した。

この中にラーザム殺害犯が居るかも知れない。そして、カムザング皇子とセルヴィン皇子を、何らかの方法で同時に暗殺しようとしている……金融商ホジジンが放った刺客(アサシン)も。

――すべての事態を引き起こしたラーザム殺害犯『三ツ首サソリ』と、これから災厄を引き起こす恐れのある刺客(アサシン)は、何処に居るのだろうか?

その張本人の金融商ホジジンは、交易路の主だった豪族――諸侯たちと共に、素知らぬ顔で参列している。あの見事な超・肥満体を、いけしゃしゃあと、神妙な意匠の長衣(カフタン)に包みつつ。

横幅のあり過ぎる金融商ホジジンの両脇には、目立たないマント姿が、ひとつずつ控えていた。護衛と見える。諸侯たちを取り巻く護衛には、 見上げるような大柄な体格をを誇る巨人族の末裔も見かけるだけに、奇妙に小柄なマント姿は違和感タップリだ。

さらに中庭の状況を見て取るべく、キョロキョロしていたアルジーは……

不意に、取次業者ディロンに左右の頬(ほお)を挟まれ、クイ、と顔を向けさせられた。

「……!?」

驚きのあまり大きく目を見開いたアルジーを、美形中年な色男ディロンは熱心に眺め始めた。感心したような溜息を、意味深に、悩ましく、つきながら。

「このホレボレするような薔薇色の目、話題の四行詩の『薔薇色の目の乙女』そのものじゃないですか。 実に素晴らしい色合い……しかも足運びも実に優雅で……スナさん、もしかして回転舞踊とかも踊れたりするんじゃないですか、港町で芸を売る遊女で売り出すというのも……いやいや、 是非是非、わたしの第一夫人になって……」

「ちょちょちょちょっと待って……」

冗談じゃない、と、アルジーが慌て始めたところで。

――ゴッ★

白鷹騎士団の女騎士サーラの方向からでは無い、もっと別の方向から、色男ディロンの脳天へ、重い衝撃が送り込まれたのだった。

ターバン越しなのに、見事な打撃音。

一撃で、美形中年ディロンは、ヘロヘロとなった。

色男は半分失神しながら、ネズミ男ネズルと潮焼け男シンドが驚きつつ差し出した手の中へと倒れ込んだ。いたいけな乙女のように。

「なんだや? ディロン」

「どうした? ディロン」

「あら?」

ベール姿の女騎士サーラが、半ば面白がっている風に、目をパチクリさせた……その先では。

覆面ターバン少年オーランが、激怒の様相で立ちはだかっていたのだった。

片手には、ディロンを朦朧とさせた三日月刀(シャムシール)を、棍棒さながらに構えていた。美形中年ディロンよりも割合に背丈の低い、14歳の少年ならではの体格を、ギリギリ背伸びさせて。

ネズミ男ネズルと潮焼け商人シンドが、瞬時に状況を理解した様子で(?)「ははあ」と苦笑いした。

「ご愁傷サマだや、ディロン殿よ。スナさんには、過保護シスコンな弟くんが居たんだや」

「うむうむ。この弟くんの目の前で、得体の知れぬ中年の色男が下心満々で、姉君に大接近して大絶賛・大誘惑していたら、普通は、こうなるわな。 しかもコーヒー屋とか踊る遊女への勧誘はともかく、しれっと、夜討ち朝駆けプロポーズ混ぜ混ぜは、ねぇ」

いきなりの急転直下。

混乱グルグル状態のアルジーは……早くも、覆面ターバン少年オーランに手首をシッカリつかまれて。美形中年な色男ディロンの隣の位置から、ズリズリと引き離される形になったのだった。

「こ、この状況は……さっきまで、何処に居たの? オーラン君は」

「本当にトラブル吸引魔法の壺を持ってますね。例の酒姫(サーキイ)と金融商ホジジンの異常性癖を知らないんでしょう、『姉上』。そんな状況へ放り込む訳にはまいりません、絶対に。 私に用事があったとか。お聞きしましょう」

「? 金融商ホジジンの件、精霊の制約の範囲に入ってる筈なのに、何故オーラン君が知ってるの?」

覆面ターバン少年オーランの頭上に、ヒョコリと、白タカ《精霊鳥》ヒナ・ジブリールが姿を現した。 真っ白フワフワ産毛は薄くなり、そこから成鳥を思わせる本格的な白羽が見え始めている。オーラン少年との相棒契約が成立して以来、成長スピードが加速しているのだ。

『非常事態だったから、この件、精霊界の制約が外れたんだよ《鳥使い姫》。酒姫(サーキイ)と金融商ホジジンの、例の異常性癖、精霊から見ても、邪霊から見ても、打ち首・獄門モノだから。 この件についてだけは完全合意したんだよ。今度やらかしたら、2人ともに、精霊・邪霊の双方で、霊魂を没収するって脅してある』

『え、そんなにヤバいって……いったい、どんな異常性癖?』

「禁術《歩く屍(しかばね)》、いえ、知らないほうが幸せです」

接触の効果で《精霊語》が通じている。覆面ターバンの上からもハッキリ分かるくらい、オーラン少年の顔色は……強がって平然を装いながらも、青ざめていた。

首を傾げながらも、アルジーは素早く当初の目的を思い起こした。クルリと、貴賓席のあたりを窺い……

「あ、そうだ、オーラン君。ラーザム殺害犯を知ってる筈よ。目撃したんでしょう、あの夜。そして、雨降りの朝の時と同じように、控え壁の傍の通路を使って、行方をくらました。そうでしょう?」

砦の何処にでも居る少年兵――迷彩柄の覆面ターバンの中で、オーラン少年の口元が固く引き結ばれていた。

次の瞬間。

少年の指先が、狙いあやまたず……その人物を指差した。

先ほど、ほかの参列者たちと共にゾロゾロと立ち位置を移動して……新たな位置に並び直した人物を。

「犯行現場なり何なりを押さえて身柄確保する予定でしたが、なかなか押さえられなくて。サッシュベルトの鍵束の音が、アレでした。あの事件の夜の時も、雨の朝の時も。今も。あいつです」

唖然とするほどに、意外な人物――

だけど、アルジーの推理の及ぶ限り、真犯人の条件にハマる人物は「彼」以外に無い。

――小太り中年の財務文官ドニアス!

ラーザム財務官の後継者のひとりとも目されている金庫番!

腰のサッシュベルトには、相変わらず、カシャカシャ音がここまで聞こえてきそうなほどの多数の鍵束が吊るされている!

「あいつを捕まえるわ」

「え、此処で? いますぐ?」

唖然とした様子のオーラン少年。

「時間が無いのよ! ヤツは絶対セルヴィン皇子を殺そうとする。証拠隠滅で。カムザング皇子も一緒に。……オーラン君は来ちゃダメだよ、まとめて殺されるからね!」

アルジーは駆け出した。

その勢いに釣られて、覆面ターバン少年オーランも「待ってください」と慌てつつ、後を追う。アルジーの警告など、まったく耳に入ってなかった訳だ。

ついで「何だ何だ?」と仰天しながらも、ネズミ男ネズルと、潮焼け男シンドが。色男ディロンが。女騎士サーラが。

意外に、一般群衆の中で――アルジーを含む複数人の奇妙な動きは、目立たなかった。

何故なら。

赤茶色の長衣(カフタン)姿の役人たちが、当初の予定に従ってゾロゾロと動き回り、スペースを空け始めたからだ。その流れが、一般の参列者たちにも伝わっていた。

空き始めたスペースに、2頭の《精霊象》の巨体が現れた。2人の《象使い》の持つ引綱に、誘導されて。

2頭の《精霊象》は、いずれも、その鼻先で、ラーザム財務官の棺桶に添えるための弔花を運んでいる。

ラーザム財務官のような、諸侯や高位役人の葬儀では、定番の儀式プログラムとして組み入れられている内容。

――オババ殿から聞いたことがある。先々代のシュクラ国王が死去した時、オリクト・カスバと亀甲城砦(キジ・カスバ)から、《精霊象》数頭ほど派遣されて、それぞれの王侯からの弔花を捧げてくれたと――

次の瞬間。

小太り中年ドニアスが、奇妙な動きをした……ほかの文官たちと共に場所を移動しながら、仕切りロープの振りをした「ロープ類の物」を、グイッと引っ張ったような。

その結果は……劇的だった!

2頭の《精霊象》の足元で、「バチン」「バチン」という破裂音が響きわたった。

火煙が、ドッと舞いあがる。

本格的な爆炎。小型から中型の、ジン=イフリート《魔導札》という感じ。

ぱおー! ぱおー!

「大変だ!」

2頭の《精霊象》は、見る間に、パニック状態になった。それぞれの4本脚をドスドス踏み鳴らし始める。

「落ち着いて! 落ち着け!」

熟練の老女《象使い》の指示も虚しく――中堅男《象使い》の、鍛えた体躯の抑えも効かず――2頭の《精霊象》は、ますます逆上するのみだ。

大重量の怒りの足踏みで、中庭の全体の地面が、地震のように揺れ動いた……共振するかのように、礼拝堂もグラグラと揺れ始めた!

見ると、《精霊象》足元に、大皿ほどのサイズの《三ツ首サソリ》が取り付いている。

邪霊の、ぎらつく黄金色。

取り付いている《三ツ首サソリ》も、《精霊象》に踏みつぶされないように必死だ。サソリ尾を振り立てて、死に物狂いで、何度も《精霊象》の足を突き刺す。

――サソリ尾から、熱毒が注入されているに違いない。かの黒ダイヤモンド《精霊石》を熱破壊させるほどの、異常な高温だ!

ぱおおぉん!

2頭の《精霊象》は暴走した……貴賓席へ向かって!

カムザング皇子とセルヴィン皇子の居る方向へ!

護衛の兵が飛び出して防護盾を押し立てたが、《精霊象》の重量でもって、あっと言う間に跳ね飛ばされる。

悲鳴と混乱。

若いほうの《精霊象》の鼻が、その圧倒的な筋力でもって貴賓席の段を一気にひっくり返し、3階層ほどの高さへと、高く高く放り投げた。

「うぎゃーす」

カムザング皇子が高々と跳ね上げられ、意外なほどに長距離を飛びながら一回転し……

群衆の真ん中へ、カムザング皇子の身体が落下した。

赤茶色の長衣(カフタン)と、一般人の質素なリネン類の着衣が入り交ざる中へ。

パニック群衆の足の下で、カムザング皇子は、メチャクチャに踏みにじられた。帝都皇族《護符》の威力のお蔭で、決定的な重傷は免れている様子だ。担当の衛兵が、次々に駆け付けてゆく。

セルヴィン皇子も跳ね上げられ。中庭にパラパラと生えていた、ナツメヤシの樹上へと引っ掛かる。

慌てた衛兵の大声が飛び交っている。

老女《象使い》が必死の形相で駆け付けて、木の上のセルヴィン皇子へと呼びかけた。

「暴れる《精霊象》には近づけんのじゃ、非常事態じゃ! 少年、いまから特製の花火を投げ渡すで、木の上から、あの真ん中の噴水に向かって投げてくれろ!」

老女《象使い》の手から、色とりどりの糸で出来た吹き流しをくっつけた手毬のような玉が、投げ上げられた。

セルヴィン皇子は、持ち前の反射神経で、ハッシと吹き流しを捉え。細い身体をバネのようにしならせて、精一杯の力投を披露したのだった。

パニック群衆で混乱の極みにある中庭の上を、色とりどりの鮮やかな吹き流しが流れてゆき……先端の手毬が放物線を描いて、噴水の中へと突っ込む――

ドオォォーン! ババババーン! ドドンカ・ドンカ・ドーン!

――唖然となるような、大いなる水柱が立ち上がった。爆竹を重低音バージョンにしたような、一帯を揺るがす大音響が、連続で轟きわたってゆく。

新たに揺れ動く地面のうえで、2頭の《精霊象》が目を回した。

2頭の《精霊象》は……ボンヤリと動きを止めた。大きく敏感な象の耳が、大音響に耐えきれず、一時的に朦朧(もうろう)とした状態。

セルヴィン少年の肩から、ちっちゃな手乗りサイズの火吹きネコマタが、パッと《精霊象》の巨体の背中へと降り立った。その2本のネコ尾の先で、金色の火花がパパッと散る。

方々の聖火の台座から、金色にきらめく《火の精霊》が召喚されて、飛び出した。

瞬く間に、《精霊象》の足元に取り付いている邪霊害虫《三ツ首サソリ》を取り巻くや……爆速「お焚き上げ」する。

ぎらつく黄金色をした邪霊害虫は、ことごとく退魔調伏されて、真紅の破片と飛び散った。

なおもパニックの中で浮き足立つ群衆――

予想を超えて大混乱になった群衆にまみれた結果、いまや真犯人と知れた財務文官ドニアスは、その裕福さを示す小太りな体格が、逃走の不利となっていた。 人々の間にギュウギュウに挟まれて、脱出に手間取っている。

「捕まえて! あいつを捕まえろ、金庫番の役人ドニアスが、ラーザム殺害犯よ! さっき《精霊象》を暴走させたのも、あいつよ!」

中性的なハスキー声――歌うたいや詠唱士もこなせそうな、透明度の高い声質も相まって、明瞭に響きわたる。

「おいおい、捕まえろ、とにかく!」

「押すな、空けろ、ソレ捕まえたぞ!」

色男ディロンが意外に本気になり、ネズミ男ネズルと共に追いすがって、文官ドニアスの赤茶色の長衣(カフタン)をつかんだ。ビリビリと破れてゆく長衣(カフタン)。

次々に、ドニアスの近くに居合わせた参列者――目撃者たちによる名指しが上がった。

「逃げんじゃねぇ、この、闇の勢力の小太り野郎!」

「俺も見たぞ、こいつが変な動きしてたのを!」

熟練の衛兵たちが、巧みに割り込んだ。大勢の捕り手。

もとから鍛えていない、ドニアスの贅肉(ぜいにく)多めの身体では、到底かなわない。

財務文官ドニアスは、即座にそれを悟った。

窮鼠ネコを噛む――小太り文官ドニアスは、その死に物狂いならではの、信じがたい動きを披露した。群衆に押されながらも奇怪に身をひねるや、弾みで開いた袷(あわせ)から「何か」を取り出す。

得体の知れぬ物体を取り出すや、犯罪者ドニアスは、新たに加わった熟練の衛兵たちの手を目がけて……「それ」を振り下ろす!

かねてから警戒していた覆面ターバン少年オーランが、《地の精霊》祝福の地獄耳で、その異様な音に気付いた。

オーラン少年は、隠密ならではの技術でもって瞬時に身を沈めるや、足元の安定しないドニアスの下半身に、したたかに蹴り技を食らわす。

ドニアスが体勢を崩し、振り下ろそうとしていた物体の、狙いはズレた。

手を伸ばしていた、衛兵たちの……生身の人体へは幸運にも接触せず。

――「それ」の切っ先は、空を切った。

空を切りながら、その直撃コースに出ていたアルジーの手の甲に、グッサリと……突き刺さった!

瞬間、異常高温の邪霊の火花が散る。異臭を振りまく、暗い黄金色。

アルジーの手が、壮絶な高熱でドロリと溶解する。

突き刺さったものを見ると……ぎらつく邪霊ならではの、黄金色。

大皿ほども大きさのある《三つ首サソリ》の……熱毒を持つ尾だ!

「ほえ?」

「ぎゃあ!」

色男ディロンと、ネズミ男ネズルが、恐怖に目を剥く。

近くに居た女騎士サーラも、中庭を警備していた衛兵も、バッチリ目撃した。4人の長官と分かれて騒動の中心へ、捕り手と共に急接近していた、2人の副官も。

「邪霊害虫《三ツ首サソリ》不正使用の罪で現行犯逮捕する! 財務文官ドニアス! 神妙に縛に付け!」

すさまじい高熱で手が溶けた――

恐怖そのものの衝撃的な光景に恐れを成して、群衆が散り散りに分かれ、空白ができた。

結集して来ていた手練れの捕り手が一斉に飛び掛かり、財務文官ドニアスは、尋常に捕縛された。

駆け付けていた副官のうち1人が、クムラン副官だ。

訳知りのクムラン副官は、護身用の短剣を高速で振るい、アルジーの手の甲から黄金色の《三ツ首サソリ》をはじき落とした。 次の瞬間には、丈の長い副官マントを外してカラクリ人形アルジーにかぶせ、小脇に抱えて駆け出していた。

乾燥に強い草地のうえで、なおも熱毒の収まらぬ《三ツ首サソリ》が、クネクネしていた。のたうつたびに、草地がジュッと焦げてゆく。

「ホレ付いて来い、オーラン君! あとは捕り手に任せろ! シャロフ君、《三ツ首サソリ》拾っとけ、熱いから気を付けろ!」

「了解です、クムラン副官どの」

シャロフ青年が手際よく、同僚の捕り手と共に、証拠物を確保する。覆面ターバン少年オーランは、真っ白になる程に衝撃を受けた様子ながら……クムラン副官の指令に応じて、後を付いて走り出した。

――クムラン副官とオーラン少年が走り去った後の現場で。

なおも、実行犯ドニアス逮捕の続きが展開している。

捕り手たちの手によって、小太り文官ドニアスは、退魔紋様を完備する礼拝堂の石畳のうえに、全身を拘束され。

小回りの利く護身用の短剣でもって、帝都役人の証である赤茶の長衣(カフタン)が、ズタズタに切り裂かれた。

押さえつけられたままの中年男ドニアスは、あっと言う間に、半裸の下着姿になる。

「いやぁあ、スケベ」

「それを言うか、危険すぎる邪霊害虫を隠し持っておいて。さいわい『男の証明』周りには、何も無いな」

「さすがに《人食鬼(グール)》でも、そこまで恐ろしい事は、やらんと思うが」

熟練の退魔対応の戦士――捕り手が、ドニアスの長衣(カフタン)に仕込まれていた金属製の隠しポケットに気付いた。護身用の短剣が「ガチン」と金属音を立てたからだ。

金属製の隠しポケットから、もう一体の邪霊害虫《三つ首サソリ》が、素早く取り出される。少し小ぶりなサイズであったが、即座に没収となる。

「ヘタに動いて熱毒を発しないように、《邪霊害獣の金鎖》で、グルグル巻きに封印してある……標的に向かって仕掛ける直前に《邪霊害獣の金鎖》を外しておく手口か!」

「こっちの金属製ポケット、《象使い》装束のビーズ・チェーン《護符》を流用してます」

「あ、そうか、万が一の熱毒に耐えられる素材だ……ドルヴ殿の紛失リストにあったような気がするぞ、それ」

「駆け出し《邪霊使い》どころか、その手前の、ナンチャッテ《邪霊使い》気取りじゃねぇか、この、クズ野郎」

*****

混乱の極みの、聖火礼拝堂の、中庭の一角で。

超・富裕層のひとり――帝都の金融商ホジジンは、両手に花……いや、双子の如き銀髪の若い妖女を用心棒として、両脇に配置しておいて、重役のための避難経路へと移動していた。 ラーザム財務官が生きていたら、ともに、この避難経路を使っていただろう。

銀髪の妖女2人は、絶世の美姫さながらの容貌とグラマーな体格の持ち主だった。その艶やかな容姿を、背丈ほどもある濃色ベールと濃色ケープの下に、厳重に隠している。

金融商ホジジンは舌打ちをして。

「フン、どうせ不正な金の流れを調査される羽目になる。証拠など幾らでも捏造してやる。我が名では無く、目の上のタンコブな金融商の奴らの名が、浮かび上がるようにしておこう。 このホジジンを失望させたジャヌーブ商会など、ジャヌーブ砦のラーザム汚職やドニアス犯罪の醜聞に巻き込まれて、不名誉な罰金損失を計上してしまえば良いのだ」

両脇に控えている怪異な銀髪の妖女は、鏡写しの双子のように、同時に、まったく同じ笑みを浮かべた。

「「ステキ」」

「鉱山ギルド『修羅車』顔役の金融商グーダルズ、同じく『亀甲衆』顔役の金融商タモサ、『白鷹騎士団』財務を支える金融商オッサヌフ、……まとめて、帝都の金融商ギルドから追放する。 あんなゴミ共など、北帝城砦やら東帝城砦やらで、冷遇と業績不振の末に首を吊れば良いのだ。やたらと《三ツ首ハシシ》《精霊石》密輸に気付く、目障りな奴らめ」

頬(ほお)にタップリと付いた贅肉(ぜいにく)を、プルプルと震わせ。幾重にも贅肉(ぜいにく)が重なって消滅し果てた顎(あご)を一層タプタプさせつつ。

金融商ホジジンは、悠然と退去して行く。

割り当てられた宿泊室へと向かいつつ、金融商ホジジンは、ふと気づくところがあって、怪異な双子の銀髪妖女を順番に見やった。

「「御用ですか、ご主人様」」

「帝国皇帝(シャーハンシャー)は、そろそろ目が覚めたかね? そろそろ色ボケを直して、帝都に戻って頂かねば」

「色ボケ老皇帝は、まだ色ボケ真っ盛りです、ご主人様」

「クネクネ・ダンスと例の恋愛の四行詩を相変わらず繰り返しています、ご主人様」

金融商ホジジンは、ブクブクとした手指を、贅肉(ぜいにく)の中に埋没し果てた顎(あご)部分に当てた。思案顔だ。そのデップリとした手指には、贅沢な宝飾細工の指輪が、幾つも幾つもハメてある。 指輪の各々の隙間から、締まりの無い肉が、ハミ出していた。

「いかにも奇妙なことよの。媚薬キノコ『アマニータ』2本がかりでも、あれほど長時間の色ボケは無かったように思うのだが。 せっかくの生贄《魔導陣》ルートの活力の補充も忘れ果てて、間断なく続けていたら、老人の心臓がもたず、寿命が縮まる。死因は『夜の行為のやり過ぎ』という事に……いや、都合が良いのか、かえって」

防音性の、皇帝用の御輿を、寝台サイズで用意せねば――と呟く、金融商ホジジンであった。

程なくして……再び、銀髪妖女の双子を振り返り。

「人工銀髪も、そろそろ交換時期だな。トルーラン将軍に、新しいのを献上するよう声をかけておこう」

■14■後始末いろいろ、こぼれ物いろいろ

老魔導士フィーヴァーの詰める医療区画。

昼下がりを少し過ぎた頃。緊急搬送でもって、カラクリ人形アルジーが運び込まれて来た。

運び込んだのは、クムラン副官と、覆面オーラン少年だ。

2人とも、それなりに動転しているところだ。

クムラン副官も、冷静に判断しているように見えて、この手の事態について経験の少ない若者ゆえ……オーラン少年と同じくらい、混乱していた。 とは言え、老魔導士が作成した《魔導》カラクリ人形は、不特定多数の目に触れさせる代物では無い、と判断するだけの、大人の賢明さはあったのだった。

「何ぞ、礼拝堂の中庭で大騒動が生じたと聞いたが。そこに座って、見たことを説明してくれたまえ」

老魔導士は、前後が混乱したままの目撃談を耳に詰め込みつつ、カラクリ人形アルジーを作業台に横たえ、破壊状況を点検し始めた。

猛烈な高熱を注入されていた手は、原形を失っていた。

人肌に近いスキン加工を施されていた金属製の外殻が溶解していて、《三つ首サソリ》尾が貫通していた孔から、カラクリ人形ならではの空洞がのぞいていた。 筋肉や腱の代わりをする伸縮糸やコイルが飛び出して来ている。

充分に怪奇ホラーを含むパンクな光景だが。

その――生身の人体では有り得ぬ――冷たい金属の反射光が、かえって、パニック寸前だったクムラン副官とオーラン少年の状態を、半分ほどは……落ちつけたのだった。

老練な医師でもある魔導士は、若者たちの精神状態を、よく理解していた。

「うむ、確かにカラクリ人形の手が溶けて、金属製の人工関節の構造が崩壊しておる。さすが邪霊害虫《三ツ首サソリ》熱毒というべきか、相当の高温だったのじゃな」

熟練の手つきで、カラクリ人形の目元をチェックし……老魔導士フィーヴァーは、すぐに、薔薇輝石(ロードナイト)の目の色が完全に抜けていることに気付いた。

「憑依が解除されておる。という事は《鳥使い姫》は、いまは別の身体に憑依している筈じゃ。鷹匠や《鳥使い》は、だいたい頭の上や肩先に、鳥を乗せておるが」

そこで、覆面オーラン少年の頭の上に、ヒョコリと、白タカ《精霊鳥》ヒナ・ジブリールが現れ、意味深に「ピョッ」と鳴いた。

老魔導士は、チラリと、白タカ幼鳥ジブリールを見やった後。怪訝そうな様子で、カラクリ人形のターバンを解き始めた……そして。

「おぉ……まさしく、ターバンの隙間に挟まっとるではないか!」

「え? つまり?」

覆面オーラン少年が思わず、身を乗り出した。

「クムラン君が、マントで人形を包んだのは正解じゃったぞ。駆け足の途中で、何処かに白文鳥を落としていた筈じゃからの」

手際よく、人形のターバンの隙間から、ボンヤリとしていた白文鳥《精霊鳥》が取り出された。

「そっちに入ってるんですね。蒸発して無くて良かったですが……元気が無さそうですが?」

安堵と不安と入り交ざりで呟く、クムラン副官であった。

「目を回しておるのじゃよ。車酔いの症状も出ておる。小鳥にとっては相当の大揺れだったんじゃろ、人体にとってはそれほど刺激が無くてもな。しばらく手の平にでも転がしておれ。そのうち頭がハッキリして来る」

「じゃ……あの、私が」

そっと手を差し出した覆面オーラン少年に、老魔導士は頷き、ポンと白文鳥の身体を乗せた。

「文官ドニアス殿がラーザム殺害犯で、衆人環視の中で《三ツ首サソリ》を振り回しておったとか? 手が溶けたところを見た目撃者には、実体が人形とは言えショックだったじゃろ。 中庭の騒動の状況の詳細が分かり次第、適当な内容をこさえておこう。白鷹騎士団の女騎士サーラ殿だったかの。適宜、伝達できるかね、クムラン君?」

「自信はありませんが……やってみましょう」

「嘘をつくのは、ワシを含む上層部の陰謀メンバーの仕事じゃよ、大船に乗ったつもりでおれ。 この《魔導》カラクリ人形の件も、元々、虎ヒゲ大調査官タフジン君と、帝都の数人の有力諸侯たちの肝いりだったのじゃからな」

*****

礼拝堂の中庭の騒動は、原因である小太り文官ドニアスが拘束されたことで、速やかに収束へと向かった。

傷ついた2頭の《精霊象》は、大音響の衝撃で朦朧としているうちに、《象使い》や、緊急助手として動員された《亀使い》の琵琶の誘導でもって、厩舎区画の小屋へ戻された。 ジャヌーブ砦に常駐している獣医が緊急で呼び出され、仰天しながらも治療に当たり始めた。

カスラー大将軍は意外なほどに気が弱く、すぐに失神してしまったため、高位高官に用意された休憩スペースへ運び込んである。

俄然、張り切った虎ヒゲ・タフジン大調査官がリーダーシップを取り始めた。その指令系統に沿って現場を整理しているのは、バムシャード長官を含む4人の長官たちだ。

そして、現場に居合わせた皇族としてセルヴィン皇子が、虎ヒゲ・タフジン大調査官と共に、現場の報告とりまとめに立ち会っていたのだった。

ちなみにカムザング皇子は、パニック群衆の下で踏みにじられて足跡だらけになったうえ、あちこち骨折してしまった。 皇族専用に用意された休憩スペースで、「痛い、痛い」とわめくだけの、役立たずの無能をさらしているところだ。

一区切りついたところで、更なる事情聴取のため、半裸の文官ドニアスは牢へつながれた。 奇しくも、隣の牢には、禿げて・もげて燃え尽きた、元・刺客(アサシン)がつながれていて、1日中ブツブツと改悛の祈りをしているところだ。

程なくして、業務引継ぎを終え。

セルヴィン皇子は、やっと老魔導士フィーヴァーの詰める区画へ向かうことができたのだった……護衛オローグ青年と共に。

いつしか一同は、長く続くアーチ廊下を進み、老魔導士の医療区画へ通じるルートへと移っていた。アーチ枠の外から、夕方に近い陽光が差し込んで来ている。

後見の教育係を務める、大聖火神殿の理事リドワーン閣下と、その従者にして護衛である鷹匠ビザンがつづく。 鷹匠ユーサーは、鷹匠ビザンの助手として、目立たない影のように付き添って来た。

道々、鷹匠ユーサーによる、今回の騒動の裏事情についての報告がつづく。

「先ほど、オーラン君より連携がございました。《鳥使い姫》は現在、《魔導》カラクリ人形への憑依を解除し、白文鳥《精霊鳥》へと移っているとのこと。 女騎士サーラ殿の目撃談と合わせて推察すると、どうやらスナギツネ顔の娘スナと名乗り、タバコ屋シガロ殿の臨時アルバイトとして、一般参列席へ入り込んでいた様子です」

リドワーン閣下と鷹匠ビザンが互いに目を見合わせ、「あの、お転婆ぶりなら納得だ」と感想を漏らした。

「文官ドニアス殿を、最初にラーザム殺害犯と名指ししたのは《鳥使い姫》ですが、順序が前後しているため、再確認のうえ改めて。 《精霊象》暴走に伴い群衆パニックが生じたため、現場状況は不鮮明です。ハッキリしているのは、ドニアス殿が《三ツ首サソリ》を長衣(カフタン)の隠しポケットから取り出し、 手当たり次第に、熱毒を持つサソリ尾を周囲の人々に突き刺そうとしたという事実です」

セルヴィン皇子が、鷹匠ユーサーの説明に含まれていた要素に気付き、ハッとしたように疑問を投げた。

――前日に刀傷を受けた脇腹の痛みと、疲労から来る頭痛でボンヤリとして来たところだが、《鳥使い姫》の無事を見届けない事には――

「まさか、怪我人が? 報告書では、カムザング皇子をはじめとする骨折などの重傷者は出たものの、さいわいに死人は出てなかった、という事になっていて。 手が溶けたような、とかいう目撃談が混ざっていたけど……」

鷹匠ビザンが「ふむ」と思案深げに頷きつつ、指摘する。

「クムラン殿が素早くマントで覆ったため、実態は良く分からぬ、という内容の、一般参列の証言の付記の件ですね」

リドワーン閣下につづきを促され、鷹匠ユーサーが渋面になった。

「くだんの《三つ首サソリ》熱毒の尾は、カラクリ人形の手の甲を突き刺して、溶かしました。 結果から言えば、サソリ尾が固定されたお蔭で、衛兵にも一般参列者にも……生身の人々には被害が及ばなかったと申せましょう」

「危ないところだったのだな。相当に」

「御意。いずれにせよ酒姫(サーキイ)人形で帝国皇帝(シャーハンシャー)をハニートラップにかけたという陰謀を伏せる方向で、隠蔽しなければなりません。 帝都にひしめく魑魅魍魎たちを騙せるくらいの、作り話で」

セルヴィン皇子の肩先で、ちっちゃな手乗りサイズの火吹きネコマタが「ニャー」と同意するように鳴き。

困惑したという風に、リドワーン閣下と鷹匠ビザンは、再び顔を見合わせた。

「作り話をこさえる必要が出てきた訳だ。名案はあるか? 鷹匠ビザン殿」

「いや、私めには、とても……」

*****

昼下がりの後半を過ぎて、窓の外の光景は、夕方の光をまとい始めた。

老魔導士フィーヴァーが詰める医療区画の続き部屋のひとつ……そこは、窓の隙間から西日が差すところだ。 デンと鎮座する作業机の辺りは直射日光が届かなくなるよう慎重に配置されている。一方で、その近くの白壁は赤らみを返しつつ、部屋を照らしていた。

白文鳥アルジーは、オーラン少年の手の平に乗り、そこにある草木の種をつつきながら、様々に思いを巡らせ始めた。草木の種は、ここに持ち込んで来た荷物袋に残っていたものだ。

クムラン副官は部下シャロフに呼び出され、バムシャード長官と共に、事件現場の後始末を含めた後続業務をつづけている。

覆面オーラン少年が覚えたての《精霊語》でポツポツと喋っていた。オーラン少年の相棒を務める白タカ幼鳥ジブリールと共に《精霊語》チェックをしつつ、応じる。

オーラン少年の《精霊語》は、順調に上達していた。鷹匠ユーサーの熟練ぶりに比べると、まだ半分くらいという風だが、訓練開始タイミングを考えると大したものと言える。

白文鳥アルジーは、オーラン少年にも聞き分けが付くような初歩的な《精霊語》で、考え考え、さえずっていた。

『ドニアスは、ちゃんと捕まったよね?』

『牢に入ってる筈です……《鳥使い姫》』

『クムラン副官は、噂の、オーラン君を狙ってたとか言う《邪霊使い》刺客(アサシン)には気付いたんだよね。えーと、《邪霊使い》特有の目の……薔薇輝石(ロードナイト)を識別するのが、得意とか』

『出身の城砦(カスバ)で、その識別ができる精霊に祝福されたと聞いてます。《火の精霊》だけど割と雷光に近い系統っぽいとか。専門じゃ無いから、よく知りませんが』

『そうなんだ。私は、そこまでは識別できないからビックリ。《精霊使い》と《邪霊使い》、両方とも同じ目の色に見えるし。 でも、文官ドニアスが邪霊害虫を使ってた……邪霊使いだったのには、クムラン副官は、気付かなかった訳で……その辺が気になるんだけど』

白タカ幼鳥ジブリールが、取れかけのフワフワ産毛を手入れしつつ「ピョッ」と鳴いて応じる。

『ナンチャッテ《邪霊使い》だった。薔薇輝石(ロードナイト)じゃない。禁術の大麻(ハシシ)を使って、一時的に邪霊使いになってたんだ』

『古代の邪悪な呪術や禁術の数々で定番の素材《三ツ首ハシシ》?』

『そう。《三ツ首ハシシ》を使うと、誰でも……薔薇輝石(ロードナイト)の目を持たぬ者でも、一時的に《邪霊使い》になれる。出涸らし品質のせいで、低級レベルだけど。 赤毛商人バシールが酔っぱらった状態で侵入用《魔導札》を発動できたのも、カムザング皇子が生贄《魔導陣》を動かせたのも、そのせいだよ』

『あ、ナルホド……じゃ、眉間の《邪眼》刺青(タトゥー)は、一時的な《邪霊使い》の印って事かしら……』

『セルヴィン皇子の守護精霊の火吹きちゃんが、いま、万年《精霊亀》に照会してるけど、ほぼ、そうだと思う』

オーラン少年にとっては、難しい《精霊語》が混ざっている。不思議そうな顔をしたオーラン少年へ、さっそく白タカ幼鳥ジブリールが、少しずつ解説を始めた。

その間に――白文鳥アルジーの食事が終わった。

白文鳥アルジーは、オーラン少年の手の平のうえで、「ビョーン」と身を伸ばす。

覆面オーラン少年は少し戸惑った後、白文鳥の関心対象に気付いた様子で、老魔導士フィーヴァーの作業状況が見える位置へと手を差し伸べてくれたのだった。

――とても頭の良い少年だ。大人になったら、セルヴィン皇子の優秀な従者になる。そして末は高位高官の側近か大臣か……

老魔導士フィーヴァーは、手指の人工関節の修復という高難度クエストの発生を喜んでいる風で、破壊状況を点検しつつ、必要な材料や費用を計上しているところだ。

とは言え……目玉が飛び出るような、莫大な額面になるのは間違いない。

『弁償かな。たいへんな額になるよね……』

大いにしょげて、ポスンと座り、小声で呟くアルジーであった。

『何で《鳥使い姫》が弁償するんです? ドニアス殿に全額弁償していただきますよ、倍の迷惑料を上積みで』

ビックリして、覆面オーラン少年を振り返る、白文鳥アルジー。

覆面オーラン少年の表情の半分はターバンで隠されているものの、驚くほど高品位の薔薇輝石(ロードナイト)を含む漆黒の眼差しは、年齢に似合わぬ激怒の色をたたえていた。

虎ヒゲ・マジードから譲り受けたという短剣――サッシュベルトからチラリと見える黒い柄のところで、なにやら物騒な「黒い光」が閃いたような……

記憶にある、重厚な雰囲気。白文鳥アルジーは、思わず「ジーッ」と見つめてしまう。

……そこに居るよね? 以前に《ジン=*ロー*》とか名乗っていた、オリクト・カスバ守護精霊と地続きの、高位《地の精霊》さん?

覆面オーラン少年が気付き、不思議そうな顔になる。

『……この短剣が、どうかしましたか、《鳥使い姫》?』

『一般的に《地の精霊》って、黒ダイヤモンド《精霊石》に宿るよね? 護符チェーンに取り付けて、とか。《地の精霊》と《雷の精霊》の関係って、良く分かってないけど』

『思いつかなかったですよ、忙しくて……この短剣は、所有契約の雷霆刀を入手できるまでの、つなぎだから……黒ダイヤモンドとか、 早めに見つくろっておいたほうが良い? この短剣が新しい候補を見付けられるように……白タカ・ジブリール?』

相棒を務める白タカ幼鳥ジブリールの回答は、明快だった。前々から、方々の精霊(ジン)に相談しながら考えていたのだろう。

『帝都に店を出してる例の武器専門の《魔導》工房で、雷霆刀と短剣を一式で頼んで、その時に、《ジン=*ロー*》が入れる黒ダイヤモンド《精霊石》を選べば良いよ。 三日月刀(シャムシール)に込めるのと、短剣に込めるのと、お揃いの双子石で。だけど、帝都には無いと聞いてるから、ボクのほうで探して声かけておくよ』

話しているうちに、白タカ・ジブリールは、かゆくなった産毛に足を当てて、シャカシャカやりだした。取れかけの真っ白なフワフワが空中に漂い……《根源の氣》へと還る。不思議な光景。

『万年《精霊亀》から、アンティーク物で条件ピッタリの《精霊石》が存在してると聞いてる……占ってもらってるんだけど、いまどき流通してないアンティーク物なんて、未調査の遺跡ぐらいだろうね』

『え、そうなんだ』

目をパチクリさせる、白文鳥アルジー。

『案外、ジャヌーブ南の廃墟の、邪霊も入らないような所に埋もれてるかも。割とマジで、トラブル吸引魔法の壺を持ってる《鳥使い姫》の、次の冒険に期待してるよ』

――これは、プラスの意味で受け取って良いのかしら。色々と大変な状況に巻き込まれているけれど、けっして嫌な訳では無い、とか……

つらつらと考えているうちに。

鷹匠ユーサーの相棒の白タカ・ノジュムが、フワリと現れた。ドリームキャッチャー護符を吊るした、スタンド式ハンガーのうえに。訪問の先触れだ。

『あれ、もしかして鷹匠ユーサーが、こっちに来てる?』

『セルヴィン皇子の緊急の業務上積みのアレコレが、やっと終わったんでな。長い1日だった』

『そ、それは、襲撃事件の傷も癒えないうちから、ご迷惑おかけして……』

『セルヴィン皇子本人は、傷を受けた事は気にしてないようだぞ。それに、これは、セルヴィンとオーランの、とどのつまり男と男の間の、問題だ』

戸惑っているうちに、談話室のサボテン扉が開いた。

白タカ・ノジュムの先触れのとおり、護衛オローグ青年を先頭にして、セルヴィン皇子、リドワーン閣下とつづき、鷹匠ビザンと鷹匠ユーサーが入室して来たのだった。

老魔導士フィーヴァーが即座に作業の手を止め、白ヒゲをモッサァと広げた。鳶色(とびいろ)の目がランランと光り始めている。

「おお、待ちかねたぞ! 早速じゃが、礼拝堂の中庭で展開した殺害犯ドニアス逮捕劇、改めて説明してくれい。特に、怪奇現象――いや、精霊魔法と《魔導》の部分は、飛ばさんようにな」

*****

消化に負担をかけないメニューをそろえた夕食会と共に、ドニアス逮捕劇の報告が進んだ。

説明担当は、ほぼ鷹匠ユーサーだった。

あらかじめ白鷹騎士団ゆかりの、熟練の占い師へ確認を取ったという。アルジーが推理していたラーザム殺害事件の真相と、ドニアスの身柄確保に至る推移は、ほぼほぼ、カバーされていた。

セルヴィン皇子を襲って重傷を負わせた謎の襲撃犯の正体も、元・財務文官にして金庫番ドニアスだった。ドニアスを半裸にしてみると、紛失していた《象使い》装束の一部が、バッチリ、出て来たのだ。

「文官ドニアス氏は、多種類の鍵束を常に持ち歩いておりました。その中に、礼拝堂付属の着付け室の鍵を不正に複製した物が、含まれていました。 ドニアス殿は、これを《象使い》装束の盗難に利用したと白状しました」

「種も仕掛けも無かったか。真相は単純というケースじゃな。ドニアス殿は、開けられなくなった金庫の錠前を上手に破る、との定評があった。 不正に複製した鍵を使って、よくある『度を越した悪ふざけ』をやっていたのじゃろう。自分の腕前を誇示したいばかりに色々と背伸びして、やらかすもんじゃ」

「鍵の不正な複製と、不正な錠前破りに利用するための《三ツ首サソリ》飼育は、見習いだった頃からの隠れた趣味だったそうで。 足を踏み外した末に、自称《邪霊使い》と成り果てたのは、例の酒姫(サーキイ)と同じく『世に悪の種は尽きまじ』の典型例ですね」

「ドニアス殿が襲撃に使用していた、侵入用《魔導札》も確認はできたかの?」

「御意。市場(バザール)の灰色商売の店から買い取っていたとの事。聖火礼拝堂で正規に作成している御札の一種、厳重な魔除けが誤作動を起こした場合の緊急突破用の御札が、 なかなかの値段と数量で転売されていたそうです。ドニアス殿が、作成者を知る機会は無かったのは確実です」

老魔導士は少しの間、フーッと溜息をついて、天を仰ぐような表情になった。

「小金欲しさにコッソリ作成して転売か。懲戒処分モノの魔導士は、何処にでも居るのう。誰が余剰分を勝手に作成していたのか気になるが、それはさておき」

モッサァ白ヒゲが軽妙に揺れて、ひとしきり、老魔導士のモシャモシャという口の動きを暗示していた。その食物が、ゴックリと飲み下された後。

「ドニアス殿は、カムザング派閥の巨大な裏金の管理にかかわり、見る見るうちに、スゴ腕の《邪霊使い》と錯覚するほどに自らの能力を過信したうえ、カネに目が眩んでいったのじゃろうな」

静かに汁物を食しながら、セルヴィン皇子が無言で、横に控える護衛オローグ青年を見やる。

ここに来る途中で、セルヴィン皇子と護衛オローグ青年との間で、色々と話し合ったのであろう――護衛オローグ青年は、 かねてからセルヴィン皇子の疑問を承知していた様子で、老魔導士フィーヴァーへ確認の質問を投げた。

「危険度の高い邪霊の類を扱うのでしょう、老魔導士どの。そのあたり能力を見定めるのは慎重になるのでは……と思ったのですが、過信するものですか?」

「もとから謙虚な若者には想像もつかんじゃろうが、オローグ君、そういうのは多いのじゃよ。 カムザング皇子の例の、聞いているほうが恥ずかしくなるような、ヘボの極みの自画自賛『この世に2人と居ない頭脳明晰・文武両道・容姿端麗・品行方正・モテモテ無双カムザングちゃま』を思い起こすが良いぞよ」

「はあ……」

目をパチクリさせる、護衛オローグ青年であった。覆面オーラン少年も、まったく同じように、戸惑った眼差し。兄弟ならではのシンクロ。

――魔導士フィーヴァー自身の、自画自賛「人類史上、最高の天才魔導士」というのは、例外なの?

思わず、心の中で、そう突っ込む白文鳥アルジーであった。そして同時に、例外だなぁ……と、謎の納得をする白文鳥アルジーであった。

ダークブロンド髪のナイスミドル神官リドワーン閣下が、顎(あご)に手を当てつつ。

「……まだ陪席を続けていられるか? セルヴィン」

「大丈夫です」

「ふむ。先を急ごう」

リドワーン閣下はひとつ頷き、テキパキと、老魔導士フィーヴァーへ、中庭の現場で気付いた点を説明した。

「カムザング皇子の所有する《護符》の類が、効果を発揮しなくなった。あれほど多数の護符チェーンが、今日の騒動では、まったく役立たずであった。 カムザング皇子は身体各所を骨折したうえに、かつての強健ぶりが嘘のように、解熱剤を使っても発熱が引かないとか」

「ふむ! ジャヌーブ砦の医師として、一度、カムザング皇子を往診しよう。ドニアス殿が何か細工したとは思えんが、怪奇現象を感じるぞい」

老魔導士フィーヴァーは、早速、鳶色(とびいろ)の目をランランと光らせ始めた。

「カムザング皇子が愛用している各種《護符》は、悪趣味な意匠もあるが、いずれも霊験あらたかな品じゃ。聞きおよぶ限り、パニック群衆にそれだけ踏みにじられて、なお命があるのは《護符》の威力のお蔭じゃよ」

「そのあたりは、正直、なかなか想像しにくい。老魔導士どの。パニック群衆の足の下になっても、それほど危険には思えないのだ。人ひとりの体重が掛かる程度というような……」

リドワーン閣下が困惑顔をした。セルヴィン皇子も首を傾げている。

老魔導士フィーヴァーが訳知り顔をして、飄々と応じた。

「それは、皇族のために用意された特別な警備にガッツリ囲まれていて、常に安全な状態にあるからじゃよ。パニック群衆の威力は、暴走する怪獣『八叉巨蛇(ヤシャコブラ)』と同じようなものじゃ。 あとで《鳥使い姫》に、今回の密な群衆の中、いかに身動きできなかったか、経験談を聞いてみると良いぞよ」

*****

鷹匠ユーサーの説明が再開した。

「大宴会の夜、ドニアス殿は案内人『三ツ首サソリ』としてカムザング皇子を待ちかまえていましたが、ご存知のとおり予期せぬ干渉が入って、カムザング皇子から料金を貰いそこねました。 金欠が進み、さらにラーザム財務官の4人のハーレム妻による調査も目にして、いっそう死に物狂いになった……そして遂に、衆人環視の中で暴発するに至った……という占断でございました」

「確かにの。ワシも、占い師の見立てに全面同意じゃよ」

老魔導士フィーヴァーが思案深げな顔になる。モッサァ白ヒゲのモサモサも、一時的におとなしくなった。

「最初にドニアス殿と顔を合わせた時、おとなしそうな小役人という印象だったんじゃ。 やたらとキョロキョロして、重傷患者を入れる寝台の紗幕(カーテン)にも手を掛けておったのは、不自然と思うくらいにな」

老魔導士は、モッサァ白ヒゲを撫でつつ、チラリと作業台のほうを見やった。

片手が溶け落ちているカラクリ人形は、万が一の人目を避けて、大判の帆布を掛けられている状態だ。

「あの頃から、自らの犯罪を隠蔽せねばと焦っておったんじゃろう。その焦りが限界を超え、ついに衆人環視の中で……カラクリ人形の手の甲へ《三ツ首サソリ》尾を、グッサリと刺した訳じゃ」

そして、あらためて再検討をしつつ、メンバー全員で、老魔導士フィーヴァーの見解を加えた文書記録を作成し始めたのだった。

筆記の音と、静かな声での相談が、ひとしきり続く。

やがて、老魔導士フィーヴァーは立派なお眉をギュッと寄せ、新たな思案に集中し始めた。

「あとは、ひょんなことで飛び出た『スナギツネ顔のスナさん』の件じゃな。帝都の魑魅魍魎をも納得させるほどの、巧みな作り話が必要じゃと」

ギュッと眉根を寄せていたが、その奥の老練な鳶色(とびいろ)の目は、イタズラを企む少年のように、キラキラ光っている。

「ふむ。ワシの最高傑作《魔導》カラクリ人形の『試作品(女)スナギツネ号』であったという事にしておこう。 『ネコミミ付スナギツネ顔《鳥使い》幽霊が憑依して動かしていたのだよ!』『な、なんだってー!』という作り話で良いじゃろ」

「なんだか、ものすごい嘘と本当が混ざっているような気がいたしますが……? いや、ほぼ本当の作り話……?」

鷹匠ビザンが、実直そうな風貌に、キョトンとした表情を浮かべ、首を傾げ始めた。

得意満面でモッサァ白ヒゲを膨らませ、老魔導士フィーヴァーは「フフン」と鼻を鳴らしている。

「ネコミミ付スナギツネ顔をした、謎の《鳥使い》幽霊が、ラーザム死亡現場へ出現したのは事実であり、現場を警備していた衛兵や《象使い》たちの証言とも合致する。 さらに、早朝の城門前の市場(バザール)で発生していた幽霊騒動の件も、偶然に居合わせた目撃者を含めてカバーできる」

一同すべて、すぐには話の筋について行けず、呆然とした沈黙が横たわった。

「取り急ぎスナギツネ顔の頭部をこさえておこう。これで、完璧な「完全犯罪」、いや、「完全陰謀」が成立じゃよ。あとで、クムラン君に別途、話を通しておけば良い」

――老魔導士フィーヴァーが「人類史上の最高の天才」と、かますのも納得できるような……?

騙されたような、騙されていないような、妙な心持ちになった一同であった……

やがて、あらかた、取り急ぎの作業に一段落ついた……

……護衛オローグ青年やオーラン少年の手で、夕食の食器が下げられた後、廊下で待機していた使用人の顔ぶれが交代し、食後のお茶が運ばれて来た。

食後のお茶となった刻で。

前日に受けていた傷の影響も合わせて、ただでさえ疲労の激しかったセルヴィン皇子は、夕食後、すぐに寝台に横になることが決まった。

――大変な1日だったもんね。休める時に、ゆっくり休んで……!

先ほどからのセルヴィン皇子の尋常ならぬ顔色の悪さや、疲労から来る無口ぶりが気になっていただけに。

体調を診察する老魔導士フィーヴァーや、ちっちゃな守護精霊である火吹きネコマタと一緒に、続き部屋の寝室のほうに引っ込んだのを見て……さすがにホッとする、白文鳥アルジーであった。

ちょっと緊張が抜けて、覆面オーラン少年の手の平のうえで、つぶれた「いちご大福」さながらに「ヘニャッ」となってしまったくらいだ。

アルジー自身、生贄《魔導陣》でもって呪われて以来、気を抜けば倒れる、というほどの不調つづきに悩まされていたのだ。 その状態で普通に健康な人と同じ業務量をこなす……そのしんどさは、よく知っている……つもりだ。

*****

程なくして飄々とした足取りで、老魔導士フィーヴァーが戻って来た。

「経過良好じゃ。中庭の事件で色々とあったにしては、ヒョロリ坊主は頑張ったようじゃな。いや、体格のほうは、ヒョロリでは無くなりつつあるな」

セルヴィン皇子を除いたメンバーで、改めての一服のお茶を挟んだ後。

老魔導士フィーヴァーの検討は、財務文官ドニアスとカムザング皇子の、不穏な人脈へと移っていった。

「昨夜、新しく出て来た、琥珀ガラス製の賭けチップが気になるのじゃが。怪しげな添付メモには、 例の賭けチップを使う、《黄金郷(エルドラド)》なる生贄つきの賭場への案内を、『三つ首サソリ』が担当するという内容が書かれていた。 こういう悪習は案内人も染まるモノじゃ。ドニアス殿は、不正な賭博にも手を出しておったか」

鷹匠ユーサーが渋面をしながらも、思案深げに応じた。

「御意。《人食鬼(グール)》召喚セットは、その賭博の何番目かの賞品だったそうです。謎の賭場《黄金郷(エルドラド)》は、確実に、大きな暗殺教団、 あるいは熟練の《邪霊使い》が胴元となって運営しているものと思われます」

「ふむ! そして添付メモのとおり、カムザング皇子は、謎の賭場《黄金郷(エルドラド)》に深々とハマっておったのじゃな」

「その通りのことを、ドニアス殿は言いつのっていました。カムザング皇子は、生贄《魔導陣》を活用しているうちに《邪霊使い》の味を覚えた様子とのこと。 誰でも《邪霊使い》になれる薬をもらえるとのことで、毎回ノリノリで、カネをドブに捨てていたそうで。『三ツ首サソリ』ドニアス殿としては、笑いが止まらなかったのでしょう」

老魔導士フィーヴァーが、納得顔で頷いた。

「カムザング皇子の粉末タバコ袋にも入っていた、《邪霊使い》御用達の禁術の大麻(ハシシ)じゃな。誰でも《邪霊使い》になれる……かの邪霊植物《三ツ首ハシシ》の、恐るべき作用じゃ」

鷹匠ビザンが不思議そうな顔をしつつ、疑問を挟む。

「そんなのがあるのですか? 我ら鷹匠の間では、通常の大麻(ハシシ)よりもはるかに危険なブツ、という印象のみなのですが、それほどに問題のブツとは……」

「正式な《精霊使い》の師匠から弟子へと伝承される、歴史知識のひとつでの。魔導士や神官の間では必須の伝承では無く、知る者は少ない。 このワシでさえ、《象使い》《亀使い》に照会して、やっと知ることができた内容じゃよ」

老魔導士フィーヴァーは少しの間、モッサァ白ヒゲに埋もれている顎(あご)の部分に手を当て、つらつらと思案に沈んだ。

「正式な《鳥使い》が少なくなったゆえ、シャヒン系やスパルナ系では知識の断絶が起きたのじゃろうな。内容が、ほぼほぼ怪談ゆえ、今では真面目に受け取るのも難しくなっておる」

「いや、それほど危険なブツであれば、普通は人の記憶に残ると思うのですが」

「ふーむ……鷹匠ビザン殿よ、それにオローグ君も。たとえば、南洋諸民族の間で語り伝えられている伝説の怪獣《三ツ首イカタコ》怪談は、真実だと思うかね? 触手の吸盤のひとつひとつが、 邪霊のよみしたもう黄金で出来ていて、そこに邪眼がある、後ひとつだけ、後ひとつだけ……と、船乗りを襲い続けている、という内容じゃが」

「それは……さすがに、子供を怖がらせるための作り話では……?」

あまりにも、あまりな事例を挙げられて、実直そうな鷹匠ビザンの風貌は、困惑に満ちていた。護衛オローグ青年は目をテンにしていた。リドワーン閣下も『判断保留』とばかりに、肩をすくめるのみだ。

老魔導士フィーヴァーは、フムフムと納得したように頷き、飄々とした所作で、覆面オーラン少年と白文鳥アルジーのほうへ、顔を向けた。

「……ということで、邪霊植物《三ツ首ハシシ》説明を省略したのであろう、《鳥使い姫》よ?」

――うん、そうだよ。

覆面オーラン少年の手の平のうえで、白文鳥アルジーは、申し訳ない、とばかりに「ピッ」と、さえずったのだった。

*****

やがて鷹匠ビザンが首を振り振り、おもむろに話題を変えた。脇に控える相棒の、白タカ・サディルに促される形で。

「翌日にも、ドニアス殿の言う『怪奇趣味の賭場』を捜索いたします。大宴会場に多数の《骸骨剣士》と《邪霊害獣》が出現した原因と目されております。 魔導士たちと共に、虎ヒゲ・マジードなど、砦のラエド戦士3名が加わるとのこと」

そこで鷹匠ビザンは、急遽作成されたと見える通達の紙を取り出した。老魔導士フィーヴァーへと手渡す。

「虎ヒゲ・タフジン大調査官からの通達でございます。老魔導士どのにも足を運んでいただきたいとの事です。暗殺教団をはじめとする邪霊系《魔導》の、第一の専門家として」

「望むところじゃよ。翌日になっても連絡が無ければ、ワシ自身が、タフジン君の執務室へ押し掛けるつもりでおったぞい」

老魔導士フィーヴァーは気合満々で通達に目を通した後……すぐに鷹匠ビザンへ、疑問の眼差しを投げた。

それを承知していたかのように、鷹匠ビザンは、軽く頷いて見せる。

「我ら鷹匠も調査、兼、退魔調伏に加わる事になりました。時間になりましたら、我らがご案内させていただきます。 ジャヌーブ砦に出張中の白鷹騎士団からも、団長すなわちシャヒン王シャバーズ殿と、専属魔導士1名を派遣する手筈となっております」

「その胡乱な『怪奇趣味の賭場』は、どこにあったと言うのじゃ? 生贄の祭壇など、あるのじゃろうか」

「大宴会場の階層と、地上階の大広間の階層の間にある、中二階の広間でございます」

「なんと。あの中二階は、新型の魔除けの盾や大斧槍(ハルバード)などの展示会場になっていた筈じゃが!」

老魔導士フィーヴァーの白ヒゲは、いっそう、モッサァと爆発していたのだった。

■15■節目の夜の話し合い~魔法のランプを囲んで

やがて、ひととおりの申し合わせが済んだ。

睡眠をとらねば回復できぬ人類の種族は、危険が予期される『怪奇趣味の賭場』調査に備えて、各々の寝台へと向かった。

人類とは違い、精霊(ジン)の種族は……よほどのことが無い限り、疲れ知らずだ。

ほぼほぼ《銀月の精霊》と言及されているアルジーも、同様だ。たびたび蒸発するほどに存続の力が安定していないという「よほどの事情」ゆえに、生前の人類なみに疲れやすくなっていただけで。

談話室に残った精霊(ジン)の種族は、なおも、ポツポツと相談をつづけていた。

白文鳥《精霊鳥》1羽――元・人類、シュクラ第一王女アリージュ姫=アルジー。

白タカ《精霊鳥》2羽――鷹匠ユーサーの相棒の白タカ・ノジュムと、オーラン少年の相棒の白タカ幼鳥ジブリール。 ちなみに、白タカ・サディルは、リドワーン閣下を護衛する鷹匠ビザンに付き添って、別室へ退出済み。

そして、火吹きネコマタ、1匹――セルヴィン皇子の守護精霊。

窓際の台座に設置された『魔法のランプ』の口のあたりを座布団にして、ちっちゃな火吹きネコマタがお座りしていて……優雅な曲線を持つ取っ手を止まり木として、白文鳥アルジーが、くつろぐ形。

台座の近く、大型ドリームキャッチャー護符を吊り下げたスタンド式ハンガーのうえに、いつものように白タカ・ノジュムが腰を落ち着けていた。 まだ飛行能力の無い白タカ幼鳥ジブリールは、『魔法のランプ』の近くで、せっせと産毛を掃除しているところだ。

白文鳥アルジーは、正直に、目下の不安をボヤいた。

『ほとんど、全力でムチャしてる私のせいだけど……相棒の白文鳥《精霊鳥》パルが、まだ実体化できないくらい回復していなくて。相棒パル無しで、ちゃんとやれてるのか不安。超・不安』

『そうか、元・人類だったな《鳥使い姫》。ほぼほぼ《銀月の精霊》ゆえ、我々は時々失念していることがある』

白タカ・ノジュムが、火吹きネコマタと共通の、聖火の色をした金色の目をパチクリさせた。

幼鳥ジブリールのほうは、大人の事情をあまり理解できていない顔だ。フワフワ産毛をしきりにつつきながら、おとなしく耳を傾けているという風。

『まだ月齢が浅いゆえ致し方ないニャ。相棒契約の関係は、場合によっては取扱注意ニャ』

ちっちゃな手乗りサイズの赤トラ猫の姿をした火吹きネコマタが、2本のネコ尾の先に物理的な火をともし、窓際の魔法のランプに、チョン、と着火する。

通常の夜間照明ランプの灯ならではの、チョロチョロと揺れる炎が立ち上がり始めた。人類にとっては馴染み深い炎の影に、ホッと息をつく。

『だが我の見るところ《鳥使い姫》は涼しい顔で、次々に高難度クエストを成功させてるニャ。難しい分岐は多いが、驚くべき精度で、次へつづく道を結んでいる。 さすが白孔雀《魔法の鍵》継承者……《銀月のジン=アルシェラト》と共鳴する者など、人類でも精霊でも数えるほどしか居らぬ。なお、白孔雀どのは最大に共鳴する《鳥の精霊》ニャネ』

『全然、涼しい顔じゃ無いと思うけど』

チカラ及ばず何度も死にかけ……蒸発しかけたのは事実だ。

ちょっとだけ、ゲンナリとする白文鳥アルジーであった。

『だが此処まで状況を激変させたのは、銀月アリージュである。それは白タカ・ノジュムも、同意するところニャネ。幼鳥ジブリールも』

白タカ・ノジュムが、驚くくらい真剣な様子で「うむ」という風に頷いた。

『本来であれば、セルヴィン皇子は、名も無き番外皇子のひとりとして衰弱して死ぬ運命にあった。 オーラン少年も、族滅の任務を帯びた刺客(アサシン)の手に掛かるか、あるいは、あの夜に、不正召喚《人食鬼(グール)》に捕食されるかであった。 オローグ青年は没落諸侯として放浪し、いずれ砂漠の中で野垂れ死に《邪霊害獣》どもの餌になった筈だ』

『今は昔の王国も、深い深い流砂の下よ、時は戻らぬ夜と昼、また新たなり天の書よ、というところだね』

白タカ幼鳥ジブリールが、妙に遠い眼差しになった。精霊ならではの、先祖代々の歴史知識をおさらいして、シミジミとなった様子。

ちっちゃな火吹きネコマタが、高貴な聖火と同じ金色の目をキラリと光らせて、白文鳥アルジーを見つめる。

『それ程に、我々と、相棒の人類は「詰み」局面に追い込まれていた。占い師の盤面にも、それは記されていたニャ』

『深刻な局面だったんだね、知らなかった。私、此処へ来る前に白孔雀《魔法の鍵》を落としてしまって、あ、あと、白孔雀『七枚羽』も、早く探して回収しないといけないから、色々、焦ってるだけなんだけど……』

『うむ、パル殿から聞いておる。全面協力する所存であるニャ』

少しの間、白タカ・ノジュムと白タカ幼鳥ジブリールが、目を見合わせて、何かをやり取りした。そして。

『まだ明確に鷲獅子リューク代表の預言を受け取ってなかったか? シャヒン王シャバーズも、スパルナ王シドルグも』

『鷲獅子リュークは、白孔雀と、トップ会談中だよ。白文鳥《鳥使い》減少が深刻だし。そのうち第一位の白ワシ・ラスールが伝令すると思うよ。ボク、まだ飛べないから』

漏れてくる内容に耳を傾けながら、アルジーは不意に、気になる点を思いついた。

『……スパルナ部族は、先祖に《鳥使い》が多く居たって話を聞いてるけど。いまは、そんなに少ないの?』

ちっちゃな火吹きネコマタが、かしこまって座り直し、コックリと首肯を返す。

『である』

ネコのヒゲを意味深にピピンと揺らしつつ、火吹きネコマタは語り続けた。

『候補の数そのものは、スパルナ部族の絶頂期を築いた《鳥使い》カルラの代の頃から変わらず安定しているが、 白文鳥《精霊鳥》から正式に授かった羽を装着する《鳥使い》は、いま帝都には居ない。スパルナ宮廷でも、専属の老魔導士、兼、占い師と、その弟子2人のみ』

――それでは、白鷹騎士団の諜報力の及ぶ限りでも、公式に確認できる正式な《鳥使い》は、帝国全土で3名のみということになる。しかも専門ではなくて、兼業……というか、副業のような。

白文鳥アルジーで4人目になるのだろうが、生存中の《鳥使い》としては、カウント出来ない。まして、精霊契約が、まだ――だ。

呆然としながら、耳を傾ける白文鳥アルジー。

『ドリームキャッチャー護符の飾り羽を選ぶのは、《鳥使い》候補として生まれ付いた感覚のみで対応可能。 ドリームキャッチャー護符を製作する《魔導》工房には、その類の、白文鳥の換羽(かんう)を拾って装着する《鳥使い》が多く居る。 白文鳥《精霊鳥》ビジネスそのものは、《精霊使い》修行ナシでも、法に触れない範囲で扱えるゆえ、そちらに集中しがちニャ』

『ああ……腹が減っては戦は出来ぬ、と言うし……《精霊文字》や《護符》の目利きも可能ってことで、より収入の良い魔導士や神官へ転職するのも多いとか……』

鷹匠ユーサーから聞いた内容を大急ぎで整理しつつ、ボンヤリと呟く。

此処へ来る前、金融商オッサンの店に勤めていた番頭さんからも聞いていた内容だ。

赤毛クバル青年と遊女ミリカも、帝都の《鳥使い》事情について、チラッと話題にしていた。 ドリームキャッチャー護符の工房で、たまに見かける――たいていの《鳥使い》が使う白文鳥《精霊鳥》は、1羽か2羽ほどである、とか……

極道の酒姫(サーキイ)アルジュナも、かつて、白文鳥《精霊鳥》ビジネスの民間業者に従事していたという……

――白文鳥《精霊鳥》の捕獲と販売ビジネス。白文鳥《精霊鳥》はとりわけ感覚鋭敏であることが知られていて、火事の検知や鉱山の有毒ガス検知、落盤の予測などで需要が大きい。

談話室の大窓の外で、夜はいっそう深くなっていた。

白文鳥アルジーは、つらつらと思案しつつ……

『スパルナ部族の……《鳥使い》カルラ……どんな人? 古代の英雄伝説《怪物王ジャバ》退魔調伏で、チラッと聞いたような気がするんだけど……『雷霆刀の英雄』と、主要な豪傑と、 部族の先祖、以外は、伝承から抜けるんだよね』

白タカ・ノジュムが真っ白な翼をパササッとやり、記憶をおさらいしつつ、語り出した。

『退魔調伏の旅の後、白孔雀を崇拝する東方辺境の山岳の少数民族をまとめて、シュクラ王国を建国したのが《鳥使い》シュクラであったな。 同じ時代、スパルナ王を補助する占い師として活動したのが、《鳥使い》カルラなのだ。 彼は《青衣の霊媒師》や《亀甲の糸巻師》と同じように占術が巧みであったゆえ、むしろ《鳥巫》カルラとして知られている』

白文鳥アルジーは、フムフムと相槌を打っていた。

『スパルナ部族《鳥使い》カルラは、国家祭祀を受け継ぐ王統のほうじゃなくて、宮廷の専属の占い師だったんだね。 白文鳥の《鳥使い》が多いというスパルナ部族の紋章が、何故、白孔雀じゃ無いんだろうって部分が、引っ掛かってたんだ』

『スパルナ部族は元々、シャヒン部族の馬を使う高速交易と、交易路における退魔の鷹狩で生計を立てた民。 シャヒン部族よりも城砦(カスバ)への定着が早く、伝書バトを扱うなど都市化もしたが、今でも鷹匠のほうが本領だ。 突出した退魔能力を備える大型の白ワシ《精霊鳥》や、鷲獅子グリフィンの扱いについては、スパルナ部族のほうが技術が高い』

そこで、白タカ幼鳥ジブリールが、得意そうに「ピョッ」と鳴いた。

『実は鷲獅子グリフィンの一族なんだよ、ボク』

思わず、キョトンとしながら。

真っ白フワフワ産毛の取れ切れていない、愛くるしい白タカ・ヒナを見つめる。

『そ、そうだったっけ……なんか、うろ覚えで……え、じゃ、三ツ首の巨大化《人食鬼(グール)》をホントに倒せる?』

『まだ今は無理だけど、大きくなれば。魔導士は《魔導》でもって《雷のジン=ラエド》召喚して退魔調伏するけど、ボクのほうが強くて、早いよ。 《地の精霊》祝福の薔薇輝石(ロードナイト)と、相棒契約してるし』

精霊のロジックは、時々ミステリーだ。

頭の上に疑問符をいっぱい並べて、ヒョコリと首を傾げる、白文鳥アルジーであった。

『えーと……オーラン少年だよね?』

――精霊たちは、全員で首肯を返して来た。魔法のランプのうえで物理的に灯っている炎も、ヒョコリと頷く形。

ちっちゃな手乗りサイズの招き猫――火吹きネコマタが思案顔になり、ネコの手でネコの顔を撫で始めた。

『お察しのとおりニャ、銀月アリージュ。《地の精霊》祝福は、《雷の精霊》と大いに共鳴して戦闘力を増強するゆえ。 それが、鷲獅子グリフィンが《地の精霊》祝福の相棒を得た場合、三ツ首の巨大化《人食鬼(グール)》に対応できる戦力となりうる理由であるニャ』

火吹きネコマタが、2本のネコ尾を懸念いっぱいに揺らしつつ、さらに突っ込む……白タカ幼鳥ジブリールへ向かって。

『ただし心せよ幼鳥ジブリール。あの少年、伸びしろはあるが《精霊語》特訓の成果しだい。 万が一、ドニアスよろしく、ニャンチャッテ《邪霊使い》と成り果てた場合は、この《ジン=***アル》の名に懸けてニャンニャン焼くニャデ』

白タカ幼鳥ジブリールは、可愛らしく首を傾げて……なにかを思案するように、上目遣いになった。

『邪霊害虫《三つ首サソリ》使いのドニアスの末路と、その果ての所業を、一番近くでバッチリ目撃したから……その心配は、あまり無いと思うよ、ボク』

*****

さらに深更。銀月は既に没した後だ。

白文鳥アルジーは、不安定な霊魂状態ならではの疲労感を、色濃く感じ始めていた。

魔法のランプの近く――白毛ケサランパサランで出来た布団を整え「もちーん」と、くつろぎ。

ふと「確か、尾羽が不揃いだったような気がする」と思いついた。

クルリと後ろを向いて、羽毛の手入れがてら、尾羽の状態をチェックし始めると。

続き部屋の間仕切りとなっている紗幕(カーテン)が……ゆらりと揺れた。

こちらを窺っている様子だ。

――だれ?

白タカ・ノジュムと幼鳥ジブリールは、訳知り顔で、タヌキ寝入り。

ちっちゃな火吹きネコマタも『魔法のランプ』の物理的な炎に、溶け込んだままだ。ヒョコリと、炎の先端に、ネコミミの形を出しているだけ。

首を前方に回して、白文鳥アルジーが目をパチクリさせていると……さらに紗幕(カーテン)が開き。

忍び足で、ダークブロンド髪をした、痩身の少年が近寄って来た。

セルヴィン皇子だ。

寝起きの髪は、クシャクシャに広がっている。

ふと目が覚めた――という状況に違いない。夜着なのか、着丈の長いガウン状のものを、まとっている。

顔色を見る限り、まだ本調子では無さそうだけど。最初に目にした、骸骨スレスレ死にかけ虚弱児は、何処へ消えたのか――と、思うような変身ぶり、いや、回復ぶり、だ。

おずおずと、セルヴィン皇子は声をかけて来た。

「あの……《鳥使い姫》、起きてる?」

「ぴぴぃ(もちろん)」

「えーと……あの……」

少しの間、14歳の少年皇子は、話しにくそうに逡巡した後。

「あの、ご、ゴメン!」

――はッ!?

文字どおり、薔薇色のクチバシをポカーンと開けて、セルヴィン皇子をマジマジと眺める、白文鳥アルジーであった。

白文鳥が唖然としているのが、明瞭に伝わったらしい。

セルヴィン皇子はサッと頬を染め、いっそう動転した様子で、オタオタと長着の袖の端を口元に当てた。可憐な乙女のように。両手で。

しどろもどろとした少年の声が、洩れて来る。

「あ、あの、昨日……昨日『来るな』と言ってしまって……ほ、本心じゃ無かったんだ、あれは、つまり……」

――ああ。うん。だいたいの事情は、なんとなく分かった。

白文鳥アルジーは、納得という風に薔薇色のクチバシを閉じながらも。困惑の眼差しで眺めるのみだ。

――セルヴィン皇子の髪は、クシャクシャに爆発している。藁クズ毛髪では無いけど。

寝ぼけているならともかく……夜中に、他人に……というか、他人の人妻に会って話し合おうという格好では無い。明らかに。

好意的に解釈すれば、それなりに、それどころじゃ無かったんだろうな、というところだ。

困惑しきりの白文鳥アルジーの横で――『魔法のランプ』の口で、チョロチョロ揺れているネコミミ炎が、『ガックリ』と言わんばかりに、へたれている気配。

どうしたものか。セルヴィン皇子の《精霊語》は、まだまだ初心者レベルだ。どうやったら「全然、怒ってない」と伝わるか……

その時。

折よく……雨季ならではの、ささやかな通り雨が始まった。かすかな雨音。

白文鳥アルジーは、人体《鳥使い姫》幽霊を投影した。『魔法のランプ』の小さな灯りに浮かび上がるのは、毎度の、ネコミミ・ベール付スナギツネ顔だ。

驚きのあまり、セルヴィン皇子は動きを止めて、琥珀色の目を大きく見開いている。薄くなったとはいえ、目元には、まだ不健康なクマの名残が残っていた。

当惑している様子の、そのダークブロンドの頭を、霊魂の手でポンポン……と、やってみた。「しょうがないなあ」という風に、ニガワライしつつ。

やっと、セルヴィン皇子は、毛髪の散々な状態に気付いたようだ。決まり悪そうに頭に手をやる。

――やれやれ、だわ。

ホッとしたのも束の間。

セルヴィン皇子は急に青ざめて、胸に手をやった。

心臓を突き刺すような痛みが来たらしい。苦しげな呼吸。

かつて、ここに来る前のアルジーも毎日のように襲われていた……急激な体調不良だ。

『生贄《魔導陣》発作じゃないの! はやく寝台に入って! 薬膳のほうの、霊験あらたかなお茶とかは、ちゃんと用意してあるよね!?』

――この生贄《魔導陣》に不正に相乗りしているのは、老魔導士フィーヴァーの見立てによれば、例の酒姫(サーキイ)のほかに、あと2人。いずれも、おそらくは皇族。難儀なことだ。

白文鳥アルジーがパッと飛び立ち、寝台へつづく間仕切りの紗幕(カーテン)と、セルヴィン皇子の間を、繰り返し往復する。

「う……分かってるよ、《鳥使い姫》。もう行くよ……」

セルヴィン皇子はふらつきながらも、最初は歩いていたが……すぐに失神して、床の上にバッタリと、のびてしまった。

白タカ・ノジュムが飛び立った。素早く、続き部屋に入り。程なくして、従者用の寝台に入っていたのだろうオーラン少年が、慌てた顔をしてやって来た。

慌てているあまり……覆面ターバンでは無い。ゆるく巻いている形だ。

「済みません、私が運んで行きますから」

オーラン少年はセルヴィン皇子をヒョイと担いで、サササッと寝室へと戻って行った。

ビックリするような局面ではあるけれど、これが生贄《魔導陣》に呪われてしまった者の日常だ。いつものように、寝台のある続き部屋のほうは、速やかに落ち着いた雰囲気になってゆく。

老魔導士フィーヴァーを急いで起こさなければならないような、深刻な発作は、つづけて来ては……いないようだ。

不意打ちではあったが、なんとか収拾ついたことに、ホッとしつつ……

『オーラン君って意外に日焼けしてるっぽいというか、シュクラ近辺の出身にしては濃い色のほうの肌だったんだ。それに最初に感じたとおり、ハッとするくらいの美少年な顔立ちね』

白文鳥アルジーは、ムニャムニャ呟きながら、改めて白毛ケサランパサランの巣に戻り……「もちーん」と、くつろぎ始めた。

『不思議な気がするけど、黒い目だから、そんなに……オローグさんも黒髪に黒い目で、色が濃いほうだし……兄弟そろって、オリクト寄り、亀甲城砦(キジ・カスバ)寄りね、やっぱり。謎が解けた感じ。スッキリ』

アルジーは落ち着いた気分になり、夜明けまで、うつらうつらとしていたのだった。

空気を読まない通り魔《骸骨剣士》1体、窓の外をうろついたが……

プンスカ状態の白タカ幼鳥ジブリールに、窓の隙間越しにゲシゲシ蹴られて、無害な熱砂へと退魔調伏されていった。

しだいに消えてゆく『魔法のランプ』の灯の中……ちっちゃな手乗りサイズ火吹きネコマタと、ベテランの白タカ・ノジュムが、呆れた風に、訳知りの視線を交わした。

『元々、中庭の騒動でボンヤリしたうえに、不意打ちの一瞬だったとはいえ……』

『本当に重要で大事な部分では、占い師もビックリ千里眼なみの推理と洞察をやってのけるのに……案外テキトーに抜けてて、ポヤポヤしてる姫君だったのニャネ。シュクラ第一王女アリージュ姫は』

『と言うより……7歳の頃、《怪物王ジャバ》が関わる《生贄》魔導陣に呪われた時、その死にかける程のショックの影響で、家族と親戚を含む親しい人の容貌の記憶が、ごっそり抜け落ちたに違いない。 おまけに、その後も連日、深刻な衰弱に見舞われた。それだけ不鮮明な記憶と化している筈だ』

思い当たるところがある、と言う風に、火吹きネコマタが、ネコのヒゲをピピンと立てた。

『過去に、同じ事例があったニャ。確かに、部分的に大きな記憶喪失が生じていた。 ボンヤリと思い出せるのは毛髪の色くらいで、それも、かなり誤差が出ていた状態だったニャ。過去の自身の容貌さえも、大きく忘却していたのニャ』

『10年以上も衰弱状態の異相がつづいたら、さすがに忘れるだろうな、かつての正常であった頃の容貌を。その状態で、かつての自身とよく似かよっている親戚などの顔を目撃したところで、係累と気付くかどうか』

『気付かないニャ。脳ミソの火花については我ら《火の精霊》の専門ニャ、我らが《火の精霊》の一族に懸けて請け合おう』

火吹きネコマタは2本のネコ尾をピコピコと揺らしつつ、改めて、白毛ケサランパサランの巣の中で寝入っている白文鳥アルジーを見やった。

『確かに、自身の容貌を全く意識しておらず、その点だけ極端にズレているニャ。鏡をのぞいてみても、そこに映るのは《骸骨剣士》もかくやの容貌だニャ、ほぼほぼ実感が無いゆえであろう。 別の手掛かりから万が一、は、ありえるだろうが、容貌の路線からは絶対に気付かぬぞ、銀月アリージュは』

白タカ幼鳥ジブリールがフンフンと頷きつつ、思案深げに応じる。

『とはいえ《人食鬼(グール)》裂傷、まだ完治してないって設定になってるから。半年か、そこら「セルヴィンの従者オーラン」してる時は、念のため顔面に傷痕&色素沈着ペイント化粧、しとかなくちゃね』

*****

――談話室の大窓の外では、雨季ならではの、まだらな雲模様が、暁闇の空を覆っていた。

やがて現れて来た夜明けの最初の光芒は、ボンヤリとかすみながらも。

湿度を多く含んだ大気の中、雲の波を赤々と染め上げていたのだった……

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深森の帝國