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第三部 マレヒト

物語ノ扉
第三部「マレヒト」開幕。導入文の内容は、以下のとおり――
…祖先の遣ひ残した語で、
私どもの胸にもまだある感触を
うしなはないのは
『まれびと』といふ語である。
『まらうど』と言ふ形をとつて後、
昔の韻をうしなうてしまうた事と思はれる。
まれびとの最初の意義は、
神であつたらしい。
時を定めて来たり臨む神である。

引用文献――『古代生活の研究 常世の国』-「八 まれびとのおとづれ」折口信夫1925年

解説/マレヒト

引用文献――『「とこよ」と「まれびと」と』――折口信夫・著(青空文庫)

[まれびと]とは何か。神である。時を定めて来り臨む大神である。 (大空から)或は海のあなたから、ある村に限つて富みと齢(ヨハヒ)とその他若干の幸福とを齎して来るものと、その村々の人々が信じてゐた神の事なのである。
…其神の常在る国を、大空に観じては[高天个原(タカマガハラ)]と言ひ、海のあなたと考へる村人は、[常世(トコヨ)の国]と名づけて居た。
…「常世の国」が、邑落生活の運命を左右する神の住み処と見られて行く傾きになつたものであらう。
…「常世行く」と言ふ――恐らく意義は無反省に、語部の口にくり返されて居たと思はれる――成語は、確かに常闇(トコヤミ)の夜の状態が続くと言ふ事に疑ひがない。 此「常夜」は、ある国土の名と考へられて居なかつたやうであるが、此語の語原だけは訣るのである。 さうすると、常世の国は古くは理想の国土とばかりも言はれなかつた事になりそうである。 [とこ]絶対の意の語根で、空間にも時間にも、「どこどこまでも」の義を持つてゐる。常夜は常なる闇より、絶対の闇なのである。
…方言なる「にいる」――又、『にいる底(スク)』――を使うてゐる先島の八重山の石垣及びその離島々では、 語原を「那落」に聯想して説明してゐる程、恐るべき処と考へてゐる。洞窟の中から通ふ底の世界と信じてゐる。
…海阪(ウナザカ)の彼方(オチカタ)には、神でもあり、悪魔でもある所のものの国があると考へたのが、最初なのだ。 我が国で見ても、幽界(カクリヨ)と言ふ語の内容は、単に神の住みかと言ふだけではない。悪魔の世界といふ意義も含んでゐる。 幽界に存在する者の性質は、一致する点が多い。其著しい点は、神魔共に夜の世界に属する事で、鶏鳴と共に、顕界(ウツシヨ)に交替する事である。 民譚に屡出る魔類と鶏鳴との関係は固より、尊貴な神々の祭りすら、中心行事は夜半鶏鳴以前ときまつてゐる。 此で見ても、わが国の神々の属性にも、存外古い種を残してゐたので、太陽神の祭りにすら、暁には神上げをしなければならなかつた位であつた。
「マレヒト」は、おおむね「彼方より"おとづれる"者」という意味合いで使っています。ほぼ折口信夫氏の説に沿っています。

おとづれ…「音」という文字の成り立ちについて、白川静氏が興味深い議論をしています。

白川静『常用字解』より

会意。言と一とを組み合わせた形。言は、神に誓い祈る祝詞を入れた器である口の上に、もし偽り欺くことがあれば入れ墨の刑罰を受けるという意味で、 入れ墨用の針(辛)を立てている形で、神に誓って祈ることばをいう。この祈りに神が反応するときは、夜中の静かなときに口の中にかすかな音を立てる。 その音のひびきは、口の中に横線の一をかいて示され、音の字となる。 それで音は「おと」の意味となる。音とは神の「音ない(訪れ)」であり、音によって示される神意、神のお告げである

横棒の「一」をもって、来訪する神、または神の意を伝え来る存在、を表示するのが興味深いところです。 この「一」を「ひとつ」とみて「ひとつもの」と解釈することも可能か…と思われます。

「ひとつもの神事」というのが日本にあります。特に奇祭とされることが多く、由来の良く分からない神事でもあります。

仮説ではありますが…「一ツ物」は目に見えない神様の姿を具現化したものと解釈できます。

「一ツ物/依代」が無意識に発する言葉を神の意として受け取る…というやり方で「おとづれ/マレヒト」を認識するというのが、古代には、あったのではないか。

その、唯一の依代は、「唯一のマレヒト」すなわち「一ツ物」であった。 そして、「一ツ物=マレヒト」の「音ない(訪れ)」は、闇夜の神事であったと想像できるのです。現在でも、幾つかの重要な神事は、夜間に進行することが知られています。

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