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航海 3.オリエント物語論――メソポタミアからイスラームへ・後篇

◆東セム語――メソポタミア地方

※棄子伝説=ヘブライのモーセ、ペルシア王キュロス、ローマ建国のロムルス・レムス兄弟など。 正統の出身ではない王位簒奪者や卑賤階級出身の王について、その出生(捨て子)や経歴を荘厳化したジャンルの神話

◆西セム語――シリア・パレスチナ地方

※印欧語系のヒッタイト語・フルリ語が話されていた事も知られている。 フルリ人は、シリア〜イラク北部に居住した民である。ヒッタイト前期にはヒッタイトの侵入を受けたが、 ミタンニ王国などの群小国家群を建国し、ヒッタイト帝国への浸透は大規模なものであった。 いずれも前12世紀頃、「海の民」の侵入で滅亡。

ヒッタイト神話は次第にフルリ神話と同化し、 例えばヒッタイトの王権神話「クマルビ神話」などが形成された事が知られている。 ヒッタイト前期はヒッタイトの神・アリンナ町に坐す太陽女神が最大の尊崇を受けていたが、 フルリ神話と同化してからは、フルリの神・天候神テシュプが主神の地位を占め、 太陽女神はテシュプの配偶神ヘバトと同一視されるようになる。 「クマルビ神話」は、シュメール・アッカド神話の影響を大いに受けたが、 ギリシア神話の系統に近いストーリーを持つ(アラル、アヌ、クマルビ、テシュプの順に最高神が代わるが、 クマルビ・テシュプの交代劇はクロノス・ゼウスの交代劇に近い)。

◆南セム語――アラビア・アフリカ地方

図版:シリアにある古代オリエント諸都市

(wikipedia)

》参考知識:ウガリット王国の歴史

ウガリット王国は前14世紀〜前13世紀に最盛期を迎え、前12世紀始め頃、 「海の民」と言われる系統不明の民族の侵入により、ヒッタイトなどと同時期に襲撃され、滅亡したと思われている。

ウガリット王国の記録は前18世紀にユーフラテス中流域に栄えたマリ王国文書に見られ、 商業上の交渉や王の訪問などの記載が確認されているとの報告があり、 王国の歴史自体は、前18世紀まで遡る事は確実である。

ウガリット王国の経済を支えた大黒柱は諸外国との商業貿易であり、 陸路においてはヒッタイト帝国や北メソポタミア(古アッシリア)、バビロニア(印欧語族・カッシート朝)、 シリアなどに及び、ウガリット王は彼らの商行為を保護したと言われている。 海路においては、クレタやエジプト(アマルナ)、キプロスといった諸国と、 商船隊による海上貿易が行なわれていた。

東西世界の結節点にあったウガリット王国は、陸路・海路の中継貿易が盛んであった。

古代東地中海の主要な貿易品として、錫、銅、金、銀、紫染料、ラピス・ラズリ、木材(レバノン杉)、 馬、穀物、塩などが取引された。 それらの海上取引税、関税などは、ウガリット王国に莫大な利益をもたらしたのである。

ベイルート、ビュブロス、テュロスなどとは、貿易関係ばかりではなく、技術的な関係によっても結ばれていたし、 ウガリット王国内にはエジプト、アッシリア、ヒッタイト、エーゲ、パレスチナ、 レバノン地域から来た人々のコミュニティーがあって、 それぞれに主として商業、技術、工匠の仕事を営む人々として、 ウガリット社会を支える重要な構成分子であった。

ヒッタイト・エジプト両帝国の間にあって、彼らの政治的抗争の中に巻き込まれざるを得ない環境の中にありながら、 ウガリット王国は、他の周囲の小国群の動きにも同調せず、 同時に、かなり自由のきく外交的ポジションを取る事が可能であった。 ヒッタイト・エジプト両帝国が、商業貿易上に占めるウガリット王国の地位と働きとを認識せざるを得なかったから、 これを利用していた故である (この当時のオリエント圏は、謀略と外交の渦巻く舞台であった。一つ間違えば国家消滅、まさに激動の時代である)。

地理的条件から言っても、 ウガリット王国は、海陸からの古代世界の十字路ともいうべき要衝の地を、 商業的にも文化的にも占めていたわけで、 国際的な文明の担い手としての役割を果たしおおせていた。

ウガリット王国は、最高神バアルと戦争の女神アナトの神話群で知られている。 更に死神はモートと名づけられており、 アナトとモートの戦いによってその土地の豊饒と不毛が決すると思われていた。 モートが殺されている間は、バアルが生き返り、地上の多産が約束されるのである。

ついでに言えばバアル信仰が盛んであったカナアンの地は、通常の場合、豊饒の季節が続く恵まれた土地であった (出エジプト後のモーセの民がカナアンを目指していた事は有名)。 しかし気候不順が続くと災厄は大きいものであり、バアル神に対する豊饒祭儀が行なわれたのであった。 イスラエルの預言者は、イスラエルの神ヤハウェが創造主であることを強調しており、 イスラエルはヤハウェに服従するべきだと言って、バアル祭儀を否定したのである。

――出典:『古代オリエント集』/筑摩世界文學体系1(筑摩書房1983=昭和58)

シュメール人の遺産 ―― 受け継がれた「死と復活」の神話

シュメール人が語り継いできた「牧神ドゥムジ」、ないしは「タンムズ神」の物語は、 「死と復活」の神々の物語として、 その後の聖書神話・フェニキア神話・ギリシア神話へ、大きな影響を及ぼした事が知られている。

――前2000年紀から前1000年紀の古代オリエントでは、 豊饒儀礼の整備に伴って、「死んで復活する神」の神話が広まっていた。 冥界下りの神話として語られる物語群が、それである。

シュメール時代に好まれて『イナンナ女神の冥界下り』に語られた物語は、 アッカド神話『イシュタル女神の冥界下り』として語られ、 冥界の描写は『ギルガメッシュ』にも引用された。 幾許かの例外はあるが、一連の冥界物語に、 ドゥムジという複雑な神格の神(牧畜神/イナンナの夫)が登場するのである。

シナリオは様々であるが、イナンナとドゥムジは、半年間を基準として代わる代わる地上から居なくなる。 これは季節の変動を暗示しているという説がある。 牧神ドゥムジは次第に王と同化し、シュメールの王と女神官が、各々ドゥムジとイナンナを演じて、 豊饒を招来するための聖婚儀礼を行なうようになったと言われている。

ドゥムジ神は、元々はシュメールの言葉で「ドゥズ」、より正確には「ドゥム・ジ・アブズ」、 すなわち深淵の神エアの息子とされ、生長・繁茂の役割を持つ神とされていた。 ドゥムジは、アッシリア・バビロニアに入って「タンムズ」と呼ばれるようになったが、 ここでも同じ職能を担当し、半年間、冥界に閉じ込められるストーリーとなった。

豊饒儀礼に伴う「イナンナ、またはドゥムジ神の死と復活」の物語はどの民族にも関心が高く、 みるみるうちに神の名称と物語のシナリオを微妙に違えつつ、広範囲に広まったと推測できる。 また、この物語は、古代牡牛信仰としての側面も持っており、 ミトラ教との関連も深いと言われているのである。

ヘブライ語やアラム語でも、名前が訛ってタンムズ神と呼ばれた。 メソポタミアからシリア・パレスチナに広まっていった「タンムズの死と復活」の神話は 『旧約聖書』に取り入れられ、後にはアラビア世界にも取り入れられた。 ユダヤ暦第4月、アラブ暦第4月の名前は共に「タンムズ月」であり、 古代には嘆きの儀礼≠ェ行なわれた事が知られている。

タンムズが地上に居る半年間は植物が繁茂し、動物が成育するが、タンムズが地下に居る半年間は成長が止まる。 そこで泣き女たちが、タンムズが地上に戻るように、タンムズ月に「嘆きの儀礼」を行なうのである。 地上に女たちが座って髪をふりみだし、胸を叩いて涙を流すという内容であり、 春が到来する少し前の神話儀礼として、古代からオリエント圏では広く知られていたという事である。

「タンムズの死と復活」の物語は、フェニキア地方に達し、後にキプロス・ギリシアへ伝播した。 ギリシアに入ると、タンムズ神話はアドニス神話となる。 「アドニス」とは、セム語の呼格形「アドーナイ(我が主よ)」が訛ったものであり、 タンムズの嘆きの儀礼で泣き女たちが発した呼び声が元となっていると言われている。

ついでながらギリシア神話では、愛と美の女神アフロディテが美少年アドニスを愛したが、 これを冥界の女王ペルセフォネに預けた事から争いが始まり、 結局アドニスは半年ずつ、それぞれの世界に身をおく事になった――というストーリーとなっている。 なおアドニスは後には、森でイノシシに殺され、その血からアネモネが生じたとされているが、 これはタンムズ神話の盛んだったレバノンで、 春先にアネモネの赤い花々が一面に咲き乱れる事から現れた神話であろうと言われている。

イスラエル人は、バビロン捕囚の時代に、 メソポタミア地方の標準暦――タンムズ月のある暦――を採用している。 『聖書』はタンムズ信仰を偶像崇拝として非難しているが、 このドゥムジ・タンムズに連なる「死んで復活する神」の系列が、 「キリストの死と復活」の物語に影響を与えた事は否定できないと言われている。

》参考:『聖書』に見るタンムズ儀礼への非難/「エゼキエル書」第8章14節〜15節

14_そして彼はわたしを連れて主の家の北の門の入口に行った。 見よ、そこに女たちがすわって、タンムズのために泣いていた。 15_その時、彼はわたしに言われた、「人の子よ、あなたはこれを見たか。 これよりもさらに大いなる憎むべきことを見るだろう」。

セム系物語論の伝統 ――存在の夜≠ニ預言者たち(旧約/新約)

非セム系のシュメール人の時代から、セム系諸民族の時代に移行する。 セム系諸民族が生み出した最大の物語が、『旧約/新約』であろうと思われる。

『旧約聖書』/『新約聖書』については多くの文献研究があり、ここでは省略する。 特に興味深いと思ったのが、預言者の物語である。 ここでは、古代メソポタミアと中世イスラームの物語世界を結んだ『旧約/新約』の世界に注目し、 「預言」という言語現象とは如何なるものであるかを考察したい。

預言とは、いかなる時空における言語現象であろうか。 預言と言われる意識プロセスを突き詰めると、 「存在の闇」という一種の深層的存在――異様に暗い世界次元――に行き着くのではないだろうか、 という説が、井筒俊彦氏によって提唱されている。

『旧約』の宗教性を底辺で支えている世界感覚とは、「存在の夜」である。 井筒氏によれば、 この時代の預言者文学を当時の意味で読む場合、「暗い夜」という感覚が必要だという。 濃密に妖気漂う、闇の世界。百鬼夜行の闇。 『旧約』では特にその気配が濃厚であり、闇の感覚が表層まで沸きあがってきているという。

ここでは、太古の呪術的思考を彩った「言語呪術の次元」として理解したい。 言語魔術が「現実」の世界に強力に干渉してくる世界である。 (古代の人々の世界感覚には一種の異様さがあり、現在の我々には理解しがたい代物である。 呪いの藁人形が本当の武器として生きていた世界、として考えるのが一番適当なようである)

『旧約』詩篇41篇――すべて我を憎む者、互いにささやき、我を損なわんとて相はかる。

古代のヘブライ語においては、「ささやく」に相当する単語は、 呪詛・呪縛の言葉を意味していた。 ヘブライ語の神話である『旧約』には、「憎むべきもの」「敵」と言った言葉が頻繁に現れるが、 これは今の我々が考えるような、現代的な意味合いでの「敵」では無いと言われている。

いわば、「我を破滅しようとてささやく者ら」、つまり、恐ろしい呪詛をかけようとしている者らである。 古代社会では、人を憎んだり呪ったりする事は、そのまま人の破滅を実現する行為であった。

悪霊的なものが漂う世界。 魔性的な存在のほかに、人間の意識の深層から湧き上がってくる暗い炎のようなエネルギーが、 そのまま空中を漂う「何か」となって徘徊する世界――その不気味な暗さが織り成す物語の中を、 当時の人は生きていたという事であろう。

文字と呪術の帝国、殷の人々が生きていた世界、呪術的論理で構成された世界そのものである。 将来の害を滅するために、敵方の呪術師は、捕らえ次第、殺さなければならなかった。 更に強力な呪禁を施し、堅牢な境界を敷かねば、安心出来なかったのである。 呪術的パワーに満ちた世界とは、そういう闇の世界であった――という事であろう。

総じて、言語呪術の生きている物語世界は、非常に陰鬱である。

そういう存在感覚の中で預言は起こり、預言の内容は『旧約聖書』に書かれてきたのであろう。 『旧約』、そして後の『コーラン』の宗教性のコアである「預言」という事象は、 魔性的な者どもに満ち満ちた存在の夜からの救済を求めて、ひたすらに神にすがりつく、 という切実な条件のもとに成り立ってきたのであると想像できる。

古代イスラエルの宗教史において、預言者のギルドがあった事が知られている。 厳密には中世のギルドとは異なるが、大体において、 遺伝的に憑依状態に陥って預言現象を起こしやすい人々が集まって、一種の団体を形成したものと考えてよいようである。

この集団のメンバーが預言者であり、一般の人がいきなり預言者になることは余り無かったと言う。 (つまり、マホメットのように、個人的に預言者になるのは極めて珍しかったと言える。 霊的現象の一種である「イニシエーション」を経た上で預言者になるのであるが、 一般にその「イニシエーション」は、 「スピリチュアル・エマージェンシー」とも言われ、激烈なものだったようである)

さて預言現象を起こすと、人はどのようになるのかと言うと、狂乱状態に陥るのである。 我を失なって、刃物で我が身を傷つけたりしながら預言するのである。 当時カナアンの地には、『旧約』によれば、「バアル」を筆頭に大勢の邪神がおり、 神官の集団に、集団憑依現象を起こしたと言われているのである。

》補足:ユダヤの律法と護符

ユダヤの「律法(トーラー)」は、呪詛的行為を禁ずる法律でもあった事が知られている。 『旧約』の「詩篇」は、魔よけのお守りとしても使われていた。

殊にヘレニズム時代以降は、そういう傾向が顕著であった。 特に詩篇91は、「悪霊の襲撃を防ぐ歌」とまで言われているものである(詩篇67も有名である)。 様々な形象の悪霊が徘徊し、evil eye というように悪意に満ちた眼差しが充満する世界。 ユダヤの護符は、その恐るべき感覚世界の中で編み出されてきたものであった。

(参考)詩篇91――「悪霊の襲撃を防ぐ歌」

  1. いと高き神のもとに身を寄せて隠れ/全能の神の陰に宿る人よ
  2. 主に申し上げよ/「わたしの避けどころ、砦/わたしの神、依り頼む方」と。
  3. 神はあなたを救い出してくださる/仕掛けられた罠から、陥れる言葉から。
  4. 神は羽をもってあなたを覆い/翼の下にかばってくださる。神のまことは大盾、小盾。
  5. 夜、脅かすものをも/昼、飛んで来る矢をも、恐れることはない。(…以下、全16節まである)

それはさておき、イザヤ書40章-55章の物語では、第二イザヤと記される預言者が、 悪霊や祟りや呪いというような妖魅的な存在はない、根拠のない迷信に過ぎないものであり、 本当に存在するのはヤハウェのみである、と強調している。

第44章6節――主、イスラエルの王、イスラエルをあがなう者、万軍の主はこう言われる、 「わたしは初めであり、わたしは終わりである。わたしのほかに神はない」

いささか飛躍しすぎの感もあるのだが、キリスト、そしてアッラーの登場の萌芽を、ここに見たいと思う。

ササン朝ペルシア(226-651)の時代、『タルムード』成立期になると、 この「闇の世界」がはっきりと打ち出されるようになり、 デモーニッシュとすら言えるレベルになっていた。 このような「夜の世界」に救済があるとすれば、それは闇夜を貫くまばゆい一条の光であり、 偉大なるメサイアによる救済であった。

ヘレニズム時代に始まる「神々と悪霊」の混乱をそのまま引き継いだローマ帝国では、 このメサイアの役割は、イエス・キリストが担っていた。 この救済の物語が、『新約』としてまとめられた――と考えることが出来る。

一方、アラブを含むセム系の諸民族の中で、この「夜の世界」からの救済者、 メサイアとして白羽の矢を立てられたのが、マホメットと『コーラン』であったと言う事が出来る。 ムスリムの人々がマホメットを『旧約聖書』に連なる正統かつ最後の預言者であると考えているのも、 必然といえば必然である。

マホメットの登場は――それが如何に急激で受け入れがたいものであったとしても――当時のアラブにとっては、 間違いなく福音であったのだと考えたい。

アラビア語圏の物語『コーラン』 ―― セム系物語論の革命

『コーラン』の成立は、セム系の物語論を一変させた、革命的な事件であると言えよう。

アラビア語圏の世界を知るには、アラビア人とは如何なる世界に生きる者であるのかを知らねばならない。

まず、オアシスをつないでゆく砂漠の民に特徴的な思考として、血筋の重視が挙げられる。 部族社会の長い伝統があり、人間の高貴さは、如何なる血筋を受け継いだか――によって量られていた。

真の砂漠のアラビア人なるものは、もともと懐疑的な物質主義者であり、 彼は何処まで行ってもこの性質を変えはしないのである。彼の強烈な、澄み切った、そして鋭い ――がしかし同時に幾分狭隘な知性は……非物質的な超感覚的な事物に関しては大して好奇心を 抱きもしなかったし、またそれを単純に信じるようなこともできなかった(1924、E.ブラウン)
――『イスラーム思想史』井筒俊彦・著

アラビア人が生活していたところは灼熱の砂漠であった。 そこでは、地平線の彼方を動く生き物の姿を捕らえ、 またオアシスの存在を予兆する微かな水の音を捕らえるべく、 鋭敏な視聴覚の発達が求められていた。 そうした鋭敏さはまた、直観的・刹那的・個物的な世界観を構成するものであり、 抒情詩や歌舞音曲ではよくしたものの、論理的構成力を求められる叙事詩や劇の方は、 充分に発展することは無かったようである。

かつてのセム系アラム人イエスをして、 「邪曲にして不義なる代は徴(しるし=目に見える奇跡)を求む」と嘆かせた、セム系世界。 そしてその後の、同じくセム系アラビア人のマホメットは、イエスとは全く正反対に、 セム系の感覚的・非論理的な世界における天才であった。 『コーラン』は、そういう鋭敏な視聴覚と非論理性の、驚くべき産物であった。

マホメットは『コーラン』の中で、 血筋によって人間の貴賎を決めていた古代アラビアの伝統を否定して見せた。 部族社会の根本原理を破壊し、信仰によって人間の高貴さを量ろうというのがイスラームの態度である。 部族社会を超越する普遍的原理が尊重されるようになったのである。

――とは言え、それまでの慣習を簡単に捨てられないのも人間である。 アラビア人にしてもそれは同様であったのであり、部族社会の慣習を捨てはしたものの、 「ハディース」という、マホメットの言動を記録した文書を、 慣習(スンナ)として伝えたと言う事情がある――

まこと、アッラーの御目から見て、お前らの中で一番貴いのは一番敬虔な人間。
――『コーラン』第49章・第13節

この態度から、新しい信仰概念が生まれた。そして、異端者の概念も決定された。 アラビア語で「カーフィル」と言う。元々は「恩知らず」という意味で使われていた言葉である。 神の恩義に対して感謝しない、恩知らずである――という意味で、 異端者を「カーフィル」と呼ぶようになったのである。

現代は、「聖戦(ジハード)」という言葉を良く見かけるようになった。 これはイスラーム法の論理で言えば、 「ムスリムが、イスラームの名において、カーフィルを撃滅する事」である。 カーフィル撲滅は、ムスリムの宗教的義務として考えられているのである。

現在はかなり丸くなった(と信じたい)のであるが、 イスラーム世界の成立初期においては、「カーフィル」という言葉は激烈な意味を持っていた。 歴史的には、互いを互いに「カーフィル」と定義したスンナ派とシーア派の闘争、 「カルバラーの悲劇」として有名な虐殺事件に、その激烈さを見ることが出来る。

同じ神を戴くもの同士で悲劇が起きたのは痛ましいことであるが――、 ともあれ、太古の〈言語呪術〉や邪視の魔術が支配するシャーマニスティックな世界から、 神話物語が支配する〈言語芸術〉の世界に移行していた事を、 このエピソードは示していると言えよう。

セム系シャーマニズム文化が中東地域に広がっていたのに対して、 メソポタミア周辺では、非セムの種族であったシュメール人に始まる、 アッカド・バビロニア文化が支配的であった。 これらの文化系統は、 後にオリエントを圧倒したインド=ヨーロッパ語族の遊牧騎馬民族の諸王国――インド・ペルシア方面に濃厚に浸透している。

かつて、非セム系のシュメール文化が展開した物語は、 神の創造的な力で世界が開いてゆく、そのエネルギーが世界を一変させる、 そういったダイナミックな宇宙論であり、神学であった。 そして、そういった物語は、オアシス定住の神官によって司られていたのであり、 ユダヤ・アラブ含むセム系のシャーマニズム物語とは別種のものであったという事は、 意識しておく必要がある。

――「光あれかし」と神は言いたまえり。しかる後に光ありき。

シュメール神話に発祥する物語の系統は、 従来のセム系の物語であった機械論的宇宙論――ただ、過去から未来へ流れてゆく茫洋とした時の流れがあり、 人はその流れの中で、生きて死ぬだけの存在だという考え方――とは全く別の、コトバの物語≠生み出していたのである。

洪水神話、ギルガメッシュ神話、そしてペルシアのゾロアスター神話――神の創造的なエネルギーが 言霊≠ニなって結晶し、振動するコトバ≠ニなって発現する物語である。 言霊は運命を変える力を持つのだ――という〈確信〉が、 シュメールに由来するコトバの物語≠フ、大きな特徴であったと言える。

そのダイナミックな宇宙的「コトバ」の物語群が、 人類的始祖アブラハムを通じてヘブライ人の神話に取り入れられ、後にイスラエルに入り、『旧約聖書』となって確立する。 そして、後のイスラエル人もまた、セム系であった。 即ち、非セム系の物語がセム系に受け継がれた初めが、『旧約聖書』であり、後の「カバラ」であったのだ。

シュメール人は、運命を変える神の創造的なエネルギー、 《言霊》の力を認識していた種族であった――と推測できよう。 シュメールの物語群には、偉大なるコトバ≠フエネルギーが脈打っていた。

ロゴスの《アルス・マグナ》。神のコトバの物語。

イスラームが自己を物語る時――「神が語り、イスラームが始まる」。

それを最も強烈に表現したのが『コーラン』である。 この意味で、『コーラン』はアブラハム的な宗教の系列――『旧約聖書』・『新約聖書』の系列に属する物語であるが、 『聖書』以上に、「コトバ」のイマージュ的・聴覚的な側面を前面に押し出した物語であるとも言える。 この意味で、ユダヤの『タルムード』とはまったく別の、 物語の「読み」をスタートさせたと言えるのである。

盲目的運命主義〈ダフル信仰〉への鮮烈なる雷撃であった『コーラン』。セム系物語論の革命。

ゆえに、イスラーム以前の古代アラビアの時代を、ムスリムは、 「無道時代(ジャーヒリーヤ)」と言う。

『コーラン』は、アラビア語に通じた者がいみじくも喝破するように、 アラビア語によって構成された最高峰の《詩》であり、《言語芸術》である。 視覚的・聴覚的に完璧な経典であり、「イマージュ性に富む神の姿」を提供したこの書は、 敵対的態度をとっていたアラビア人をも瞬く間に魅了し、 かくして、イスラーム=アラビア語圏は短時日のうちに拡大したのである。

(※イマージュ性に富む神の姿――唯一絶対の神アッラーは、生ける神であり、人間と同じ感覚を持っている。 その感覚はもっとも鋭敏な人間のレベルよりも上であり、 そのアッラーの奇跡は、ありとあらゆる「目に見える形、耳に聞こえる形」として、 一字一句の上にも現れるのである、と主張されている。)

このような、徹底した「神のコトバ」の物語としての『コーラン』は、必然として、 ユダヤ教やキリスト教、その他の「絶対一神教」カテゴリーに入る宗教の根底に、 「永遠の宗教(アブラハムに始発する宗教)」なるものを想定させずにはおかなかったのである。

余談であるが、イスラームが『コーラン』を通じて構成する「永遠の一神教」の物語は、以下のようになる。

  1. 「アブラハムの宗教」は、その歴史的展開のプロセスにおいて、様々な一神教的スタイルの宗教を生み出してきた。
  2. 最初にユダヤ教が形成され、次にキリスト教が形成される。
  3. 最終的に完成された一神教――正しい道を歩む永遠的一神教が、イスラームである。

――故にイスラームには、ユダヤ教やキリスト教を、その「永遠の宗教」の路線に修正する義務があるのである (多神教や無神論は言うに及ばず)――という事になる、と言われている。

アフリカの物語 ―― イスラームの補遺として

――アフリカは人類発祥の地であり、物語発祥の地でもある。

聖書物語群、創世洪水神話、原オリエント説話、一神教の概念、数多くの精霊の世界、 農耕・鍛冶・牧畜技術、古世界各地に散らばった文明&文化(特に巨石文化) ――これらを支える物語――言語と哲学の根源――が、 アフリカ大陸に発祥するものである事は容易に推測できる。

中世におけるアラビア商人のアフリカ進出に伴い、 バントゥ語とアラビア語とが混ざって、商用語として発達した言葉がスワヒリ語である。 これが、現代アフリカ大陸の公用語である。 ――そして、バントゥ語群と呼ばれるグループが、アフリカ大陸の南半分に広がっている。

広大なアフリカ大陸において、 ある特定の言語があまねく行き渡っている――これは恐るべき事実である。

偉大な祖語圏――バントゥ圏とでも呼ぶべきもの――が、アフリカ大陸を覆っていたことを 暗示するものである。そしてまた、バントゥ語とバントゥ語の哲学こそが、 世界各地のあらゆる言語と、哲学観念の遠い祖である可能性さえも、あるのだ。

しかしながら、アフリカ大陸の歴史は余りにも長く、人類そのものの黎明期から始まっており、 ここでは扱いきれない。アフリカ大陸にバントゥという、とても古い言語があるのだという 紹介のみにとどめ、中世の頃は殆どがイスラームであった事を考慮して、 アラビア語圏に仮に含めるものである。

以下に、アフリカ史の再考を迫るウェブサイトを紹介しておく。

和訳を通してなお、挑戦的であり、衝撃的である――どこまで信頼してよいかは不明である。 しかしながら、これまでの歴史観を崩壊させるほどの内容であり、一見の価値はある、と考えるものである。

参考資料

参考書籍 ――他、数種(『聖書』と『コーラン』を含む)

》参考資料(ウォール・ストリート・ジャーナル2011.4.15記事の転載)

世界のすべての言語、アフリカの「祖語」にさかのぼる=調査http://jp.wsj.com/Life-Style/node_222918

現在、世界に6000前後の言語が存在するが、 そのすべてが5万−7万年前にアフリカに存在した初期の人類が話していた祖語から 枝分かれしたものである可能性が最新の調査で明らかになった。

14日発行の科学雑誌「サイエンス」が掲載したこの調査は、 最初の話し言葉の発生や拡散の仕方についての解析に役立つ可能性がある。 ニュージーランド・オークランド大学の進化心理学者、クウェンティン・アトキンソン氏は、 アフリカを離れた最初の人類が、彼らの言葉――つまり人類の祖語――を広める基礎を築いたことを発見した。

アトキンソン氏の調査は音素(語の音声を構成する最小の単位)に基づき、 さらに集団遺伝学からも「創始者効果」として知られるアイデアを借用している。 これは、大きな人口を持つグループから一部が枝分かれした場合、 分派の間で遺伝的な多様性や複雑性が緩やかに消失するという理論だ。

音素にも創始者効果が認められれば、現代の言語コミュニケーションはアフリカ大陸で発生し、 その後、ほかの大陸に広がったとの考え方が裏付けられる、とアトキンソン氏は考えた。

アトキンソン氏は世界の504の言語を調査し、最も音素が多い言語はアフリカ、 最も少ない言語は南米と太平洋諸島で話されていることを突き止めた。

さらに、世界における音素の使用パターンが、人類の遺伝的多様性のパターンを映していることも調査で明らかになった。 人類が各地に居住し始めると、遺伝的多様性も失われた。

現在、人類が定住して数千年になるサハラ砂漠以南のアフリカ地域で話される言語は、 後年になって人類が住み始めた地域で話される言語よりも音素ははるかに多い。


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