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航海 2.オリエント物語論――メソポタミアからイスラームへ・前篇

文明発祥の時代の神話は、都市の定義と結びついていた。 世界を切り取ること、「我らが世界」を永遠のものとすること――それが、 いにしえの神話および物語に期待された最大の奇跡であったのだ。

神話思考の独特さをトーマス・マンはかなり的確に把握している。 これを端的に示すのが反復の基盤と儀礼との特別な結びつきを彼が感じ取っていたことだ。 「個々の神話は、単に神秘の外衣に過ぎない。ところが、神秘の壮麗な晴着となると、 それは祭だ。祭は再現に勤しむことによって、文法時制の意味を拡張する。 過去も未来も、民衆にとっての今日にしてしまうのだ」
実際、過去についての神話的記憶はまさに儀礼において蘇り、 まさに個々の儀礼において神話プロットがまざまざと生動を始め、現在のものとされるのである。
――『神話の詩学』(水声社2007)エレアザール・モイセーヴィチ・メレチンスキー

いにしえの物語の祭≠ゥら――神のコトバの物語へ。

メソポタミアからイスラームへ至る物語の系列には、 「預言」「儀礼」という現象が強く関わっていたと言える。

オリエント圏の交易路について

オリエント諸文明は、海洋・河川文明としての性格を色濃く持っているように見えるが、 古代における文明世界は、むしろ諸都市が分立し、比較的閉じられた世界を形成していたのではないかと云う説がある。

中央ユーラシア方面は、 アナトリア高原・ザグロス山脈・バーレズ山脈… イラン高原・アフガニスタン・ババ山脈・ヒンドゥークシュ山脈…と大きな山系が連なっており、 これらを超えて陸路交易を開く事は困難であっただろう――と予想できる。

しかし、オリエント交易の草創期、 イラン高原を横断するラピス・ラズリの交易路が既に開かれていた事は有名である。

瑠璃、青金石とも言われるラピス・ラズリ原石は、太古の昔から、 アフガニスタンのバダクシャン山地に産出する事が知られていた。 初期王朝時代、都市アラッタがラピス・ラズリの加工技術に優れている事で名を轟かせていた。 大洪水の後の時代のウルク王エンメルカルは、幾度と無くアラッタの君主と対決したという伝承がある。

都市アラッタの位置は未だ不明であるが、 伝承によると、アラッタに向かったエンメルカルの使者は、 「ズビ山地(ザブ川上流域か)を越え、スサとアンシャンを越え、 五つ山越え、六つ山越え、七つの山を越え」、アラッタに到着したとなっている事から、 現在のザグロス山脈を越えた遥か東方と推測されている。

後の時代(アッカド時代)では、もう少し詳細な記述になっている。 交易路を通じてメソポタミアに流れ込んだのは、 貴金属、貴石、レバノン杉、アマヌス杉などがメインであったようである。 これはギルガメッシュ神話の中で、遠い北方の地の庭園の果樹は貴石であったという話や、 ギルガメッシュとエンキドゥが結託して、 杉を守る森の巨人フワワ(フンババ)退治に出かけたという話に見られるものである。

図版:オリエント周辺の地図

出典:『シュメル神話の世界』中公新書2008

古代のインダス文明とオリエント文明との海上交易を考えるとき、 ホルムズ海峡〜アラビア海〜インダス河口の約1000km、 ホルムズ海峡〜ペルシア湾〜シャット・アルアラブ河の河口の約1000km ――という本格的な遠洋航海を可能にする技術が、その当時から十分に発展していたかどうか?―― が難点であると言われている(当時の船の構造は明らかになっていない)。

(※シャット・アルアラブ河の説明:全長1850kmのティグリス、全長2800kmのユーフラテス両河は、 ペルシア湾の手前200kmほどで合流し、シャット・アルアラブ河となる。)

古代の遠洋交易は、インダス文明の方が進んでいたのではないかと言う研究もある。 いずれにせよ、大陸交易に比べて遠洋交易は不安定で、断続的にまだらな発達をしていたようである。

その筋の研究からは、インダスやペルシア湾の商人たちが年1回ないしは隔年のペースで、 そろそろと遠洋に漕ぎ出し、少量貨物の交換をしていたのでは無いか――、 ただ、ペルシア湾内においては、安定的とはいえないとしても、 連続的な海上交易が行われていたであろう――、という事が言われている。

なお、ひとつの参考として、 インダス―海上交易圏の登場― より、オリエント・インダス間の海上交易の実情についての考察を紹介する。

【古代海上交易圏モデル】
  1. メソポタミアはディルムンに、穀物、油、皮革、羊毛、毛織物などを輸出する。
  2. インダスはディルムンに、紅玉髄、真珠、黒檀、象牙などを輸出する。
  3. マガンはディルムンに、銅を輸出する。
  4. ディルムンは、それら国々の交易品の一部を消費するが、そのほとんどを再輸出する。
  5. マガンはディルムンから、主としてメソポタミアの産品を輸入する。
  6. インダスはディルムンから、マガンの銅、メソポタミアの一部産品を輸入する。
  7. メソポタミアはディルムンから、マガンの銅、インダスのあらゆる産品を輸入する。

※引用者注――地名は古代文献に拠っており、現在位置の同定は推測のみである。 ディルムン=現バーレーン島、 マガン=現アブダビのウンム・アン・ナール島、と推測されているそうである。 いずれにせよ、古代の海上交易の解明には程遠いらしい。

ティグリスとユーフラテスの岸辺 ―― シュメール人の《悲傷》

7000年前のイラク南部で、「ウバイド文化期」が開花した。 1500年の時を経て、ウバイド文化に育まれた町・村が、都市へと発展する。 この都市文明を作り上げたのが、シュメール人であった。

「神話」は、シュメールに始まる。

人が環境を理解し、環境をコントロールするための「物語」を作り――そして、 自らの〈現実〉をこの現世に結ぶための神話(後の都市神話または国家神話)を構成し始めたのは、 シュメールにおいてである。

肝心のシュメール人がどのような人々であったのかは、未だ明らかでは無い。 「シュメール」とはアッカド語による呼称であり、 シュメール自身は、自らの国を「キ・エン・ギ」と称したと推測されている。 「大地ノ主ノ都」――という程の意味合いであるらしいと言われている。

彼らは、メソポタミアの南東方面から、 ペルシア南部の道もしくはペルシア湾を通じて渡来してきた人々であると推定されている。 実際、彼らは、肉体的にも言語的にも、セム系統では無かったという事が言われている。 早くから船を使い始めたという話がある事から、海上渡来説も提唱されている。

もう少し詳しく言うと、7000年前に渡来した人々がシュメール人の祖族であったかどうかは分かっていないという事である。 しかし、1500年経過した後には既に、間違いなくシュメール地方にシュメール人が居た。 両河地方、すなわちメソポタミアの内、北半分をアッシリア、南半分をバビロニアと言う。 更にそのバビロニアの北方がアッカド地方であり、南方がシュメール地方である。 もっともこれは大まかな区分に過ぎないが、地理感覚をつかむには便利な話である…

「シュメール神話」とされるものの殆どは、 後に支配者となったセム諸族の神話や(後にバビロニア神話体系を形成)、 放浪の民ヘブライの神話『旧約聖書』として再編集されており、 物語の原形が広く散逸して久しい現在、元々の物語が如何なるものであったかは、 粘土板に刻まれた内容を復元して推測するしか無い。 (注:最近は、粘土板の解読研究も進み、かなりの事が明らかになってきているそうである。 将来の進展が期待される。)

しかし、シュメール神話は、メソポタミアの地理環境の中で、 如何にして文明秩序を守り、伝承してゆくか――という営みと密接に関係するものであった筈である。 それは、後々のオリエント文明に関与した諸族の神話からも、確認できる事実である。

ティグリスとユーフラテス――この大河は周期的に大洪水を起こし、その流域に、一大氾濫原を形成していた。 農耕に向く豊かな沖積平野は、焼け付くような太陽の下にある。元々、この広大なる沖積平野は、湿地帯であったと推測される。 今なおメソポタミア南部に広がる湿地帯に、在りし日の光景を見ることが出来る。 大河のほとり、葦の茂るみどりの岸辺――

古代シュメール人がまず挑んだのは、この湿地帯との闘いであった筈である。 排水を伴う灌漑技術――それはメソポタミア地方において、 都市・農耕・交易路の整備、あらゆる文明活動の道を開くための必須技術であった。

――さて、シュメールの活動は以下のようなものである。

湿地帯周辺に神殿および都市を建造した。灌漑農業を行ない、コムギおよびナツメヤシを栽培し、 家畜を飼育した。西アジア由来の牧畜型農耕社会の始原である。

ティグリス・ユーフラテス水系に運河を造成し、ペルシア湾を航海する船を建造し、海洋交易に乗り出した。 彼らシュメール隊商は、遠くインダス文明の諸都市とも交易を行なったと言われている。 また、陸路交易では、イラン高原、小アジア、シリア、エジプト方面まで流通を開くものであった。 即ちオリエント交易圏の始原である。

――物語とは何か。そのもっとも劇的な回答が、シュメール人の活動の中に読み取れる筈である。

文明の確立は、何世代もの挑戦と失敗を繰り返して進んできたものである。 その過程に、どれほどの《悲傷》が溜められてきたであろうか――そのやりきれぬ多くの《悲傷》が神々を求め、 神々は物語を歌いだした。太古の神々の物語は、音楽と数学と共にあった。

それは大いなる言霊の発動であり、ロゴスの《アルス・マグナ(大いなる術)》であった。

周期的に大洪水を起こす、ティグリスとユーフラテスの岸辺。彼方から押し寄せる、異民族の襲撃。

物語の海の根源の底には、 「世界」を切り取る過程で否応無く降りかかってきた挫折や矛盾や悲しみが、色濃くたゆたっている。 もし、「世界を切り取る」という作業が、その裏に闇の相を持たず、 楽しくまたスムーズに成功してゆくものであったならば、《物語》は決して生まれてこなかった筈である。

光と闇で織り成される世界において、《歴史》は光を語り、《物語》は闇を語ることを宿命付けられたのだ。

黄泉であり、夢であるもの。あやしくも影なすもの。それが《物語》である――

》参考:現代におけるメソポタミア南部湿地帯の問題とマーシュ・アラブについて

――ウィキペディア「イラク」より抜粋編集

イラク南部ティグリス・ユーフラテス川合流部は、中東で最も水の豊かな地域である。 イラク人は合流部付近を沼に因んでマーシュと呼ぶ。

1970年代以降に水利が完備される以前は、ティグリス川の東に数kmから10km離れ、 川の流れに並行した湖沼群とユーフラテス川のアン・ナスリーヤ下流に広がるハンマール湖が一体となり、 合流部のすぐ南に広がるサナフ湖とも連結していた。マーシュが途切れるのはようやくバスラに至った地点である。

アシで囲った家に住み、農業と漁労を生業としたマーシュ・アラブと呼ばれる民族が1950年代には40万人を数えたと言う。

マーシュ・アラブはさらに2種類に分類されている。まず、マアッダンと呼ばれるスイギュウを労役に用いる農民である。 夏期には米を栽培し、冬期は麦を育てる。スイギュウ以外にヒツジも扱っていた。 各部族ごとにイッサダと呼ばれるマホメットを祖先とうたう聖者を擁することが特徴だ。 マアッダンはアシに完全に依存した生活を送っていた。まず、大量のアシを使って水面に「島」を作り、 その島の上にアシの家を建てる。スイギュウの餌もアシである。

南部のベニ・イサドはアラビアから移動してきた歴史をもつ。コムギを育て、 マーシュ外のアラビア人に類似した生活を送っている。マアッダンを文化的に遅れた民族として扱っていたが、 スイギュウ飼育がマアッダンだけの仕事となる結果となり、結果的にマアッダンの生活様式が安定することにつながっていた。

20世紀後半のイラクに権勢を振るったサダム・フセイン氏は、 ティグリス・ユーフラテス水系に沿って大規模な灌漑・排水システムを整備し、 イラク南部の湿地帯を農地に変えていったと伝えられている。 湾岸戦争(1991年1月17日〜2月28日)が起こる前の話である。

その裏事情として、真偽は不明ではあるが、 フセイン政権に非協力であったマーシュ・アラブの追い出しもあったのでは無いかと言われていた。 一部からは、伝統破壊・環境破壊の問題として非難されていたようである。 現在は、湿地帯回復事業が進行中である。

シュメール諸都市の物語 ―― 神は王権を授ける

都市文明を築く事に成功したシュメールは、「王権は天から降ってくる」と考え始めた。

以後の時代のオリエント圏の物語は、「王権神授説」がスタンダードとなる。 シュメール文明の末期、イシン・ラルサ時代に完成したとされる王名表(キング・リスト)によれば、 「王権は天から降ってきたが、その後大洪水があってすべてが一新された」となっているという事である。 そしてその後、諸都市の王の名前と覇権争いの顛末が順次刻まれてゆくのである。

この王名表は、文書によって内容はまちまちだが、 最初の都市エリドゥから最後の都市イシン(セム語族アモリ人国家)まで復元されている。 (前2800年〜前2700年頃に、絵文字に代わって楔形文字が普及)

いわく、「天から都市Aに王権が降り、P王・在位Q年、R王・在位S年、 …合計Z人の王がT年統治。都市Aが滅亡すると都市Bに王権が移行…、 都市Bが滅亡すると都市Cに王権が移行…」と記されていると言う。

こうした文書は、王を戴いたオリエントの諸都市の中で次々に作成され、 各都市の王権神話と分かちがたく結びついていった。 「天から下された王権がこのような経緯を経て、現在のわが王朝に伝わったのである。 天下に2人以上の王が並び立つ事は無く、我らは由緒正しき王統である」――。

シュメール人は、伝説上の大洪水を「歴史の分水嶺」と捉え、神話に伝承した。 その物語群が、オリエント交易路の一翼を担っていたヘブライ人の神話『旧約聖書』に取り入れられ、 「ノアの洪水神話」という一大バージョンを生み出した事は、余りにも有名である。

メソポタミアの主要産業は農業であった。その収穫の成否は、都市の運命を左右した。 灌漑組織の整備は文字通り国家の死活に関わっていたのであり、 人民は毎年、運河整備や浚渫に動員されたという事が知られている。

(※長年のうちに塩が堆積し、とりわけメソポタミア南部で収穫量の低下が起きた。 最初は小麦栽培が主流であったが、塩害がひどくなってからは大麦に切り替わったと言う話もある。 国力を維持するためには、これまで以上に大規模な灌漑設備の造成、及びその効果的・一元的な管理が必要であった。 そして次第に、諸都市分立・覇権争いの中で、より強力な人員動員力をもつ統一権力のグランドデザインが描かれたのである。 こうした時代変化は、国家神話における王権神授説の強化と無縁ではあるまい)

水と人の闘い――シュメール神話における王権神話の基調音は、そこにある。 そしてその物語は、水神エア(エンキ)と地母神ニンフルサグの闘争として伝えられた。 この物語は、後にバビロニアの創世神話とも言われている『エヌマ・エリシュ』の起源となる。

ちなみに、バビロニア神話『エヌマ・エリシュ』では、バビロン市の神マルドゥク(古名=嵐の神エンリル)が、 混沌の水の女神ティアマトの使わした各種怪獣の脅威と戦う物語――として再編集された。 これは、オリエント文明における王権の確立に関わるもので、 『旧約聖書』は洪水神話と共に、この王権神話をも受け継いだ。

(※アッカドの古い物語では「山の脅威」と戦うというストーリーとなっていたのであるが、 バビロニアの物語で、「海の脅威」と戦うというストーリーに変わったという。 この点に関しては、ヒッタイト・フルリ・カナアンなどの影響を受けて、 「山」から「海」への転換が起こったという説もある。 ちなみに、ギリシアの英雄ヘラクレスの「十二の試練」神話は、 このバビロニアの『エヌマ・エリシュ』物語に影響を受けているらしい)

シュメール神話には、「メ」という掟が述べられている事が知られている。 一般に「規範/神の掟」という意味であるが、王権の維持や文化芸術の伝承に強く関連していたようである。

最古の都市エリドゥから新興の都市ウルクへ、 王権ないしは文化芸術が移行した事を暗示する神話『イナンナ女神とエンキ神』がある。 エリドゥの都市神が「全知全能にして水と深淵と知恵の神エンキ」で、 ウルクの都市神が「天の女王にして愛と豊饒の女神イナンナ」である。

上の物語では、都市エリドゥを訪問したイナンナが、エンキを大量のビールやワインで酩酊させ、 エンキが持っていた全ての「メ」――エリドゥの掟≠ニも呼ばれていた――を首尾よく獲得し、 「天の舟マアンナ」に積み込み、都市ウルクに帰還したという事が語られている。 (シュメール人は、 神々は舟に乗ってティグリスとユーフラテスを行き来していると考えていたようである。 最古の神エンキは河川の漁業神でもあった)

都市ウルクでは、全ての人々が舟で到着した「メ」を喜び、あらん限りの歓迎をした。 してやられたエンキは、正気に戻った後、イナンナの策略に感心し祝福したと言う。 「メ」は元々抽象的なもので、 「知識や芸道は、伝授しても減るものではない」という考えの下に、 最後には都市エリドゥにも「メ」が復活した――と伝えられている。

以上のような物語は、「王権」と「繁栄」とが強く結びついていた事を暗示するものである。 そして、それは、「メ」と称される「神々の掟」に結晶した《物語》であった。 「世界を切り取る物語」は「世界を支配する絶対の掟≠フ物語」となって、 更に広範囲に伝播する事になったのである。

》参考:オリエント圏の物語における大洪水神話の比較

大洪水神話の比較
比較項目 シュメル版
大洪水伝説
ギルガメッシュ
叙事詩
アッカド版アトラ(ム)
・ハシース物語
旧約聖書 バビロニア史
主人公 ジウスドゥラ ウトナピシュティム
(=不死の人)
アトラム・ハシース
(=最高賢者)
ノア クシストロス
(=ジウスドゥラの訛り)
洪水神 神々 神々 エンリル クロノス
救う神 エンキ エア エア クロノス
巨大な船 箱船
ニムシュの山 アララト山 アルメニア地方の山
鳩、燕、烏 烏、鳩、鳩

出典:『シュメル神話の世界』中公新書2008、69頁

》参考:『旧約聖書』に見られる王権神授≠フ物語

[詩篇2/1節〜12節]

  1. なにゆえ、もろもろの国びとは騒ぎたち、もろもろの民はむなしい事をたくらむのか。
  2. 地のもろもろの王は立ち構え、もろもろのつかさはともに、はかり、主とその油そそがれた者とに逆らって言う、
  3. 「われらは彼らのかせをこわし、彼らのきずなを解き捨てるであろう」と。
  4. 天に座する者は笑い、主は彼らをあざけられるであろう。
  5. そして主は憤りをもって彼らに語り、激しい怒りをもって彼らを恐れ惑わせて言われる、
  6. 「わたしはわが王を聖なる山シオンに立てた」と。
  7. わたしは主の詔をのべよう。主はわたしに言われた、 「おまえはわたしの子だ。きょう、わたしはおまえを生んだ。
  8. わたしに求めよ、わたしはもろもろの国を/嗣業としておまえに与え、 地のはてまでもおまえの所有として与える。
  9. おまえは鉄のつえをもって彼らを打ち破り、陶工の作る器物のように彼らを/打ち砕くであろう」と。
  10. それゆえ、もろもろの王よ、賢くあれ、地のつかさらよ、戒めをうけよ。
  11. 恐れをもって主に仕え、おののきをもって
  12. その足に口づけせよ。さもないと主は怒って、あなたがたを道で滅ぼされるであろう、 その憤りがすみやかに燃えるからである。すべて主に寄り頼む者はさいわいである。

[詩篇110/1節〜7節]――ダビデの歌

  1. 主はわが主に言われる、「わたしがあなたのもろもろの敵を/あなたの足台とするまで、わたしの右に座せよ」と。
  2. 主はあなたの力あるつえをシオンから出される。あなたはもろもろの敵のなかで治めよ。
  3. あなたの民は、あなたがその軍勢を/聖なる山々に導く日に/ 心から喜んでおのれをささげるであろう。 あなたの若者は朝の胎から出る露のように/あなたに来るであろう。
  4. 主は誓いを立てて、み心を変えられることはない、 「あなたはメルキゼデクの位にしたがって/とこしえに祭司である」。
  5. 主はあなたの右におられて、その怒りの日に王たちを打ち破られる。
  6. 主はもろもろの国のなかでさばきを行い、しかばねをもって満たし、広い地を治める首領たちを打ち破られる。
  7. 彼は道のほとりの川からくんで飲み、それによって、そのこうべをあげるであろう。

》参考:ペルシア王に見られる王権神授≠フ物語

[ダレイオス1世ペルセポリスd碑文]/筑摩世界文學体系1『古代オリエント集』(筑摩書房1983/昭58)

大いなるオーラマズダー
神々のうちのもっとも大いなるもの
これなる(神)がダーレヤウォーシュ(=ダレイオス1世)を王と定め
これなる(神)がかれに王権を賦与したまえり
オーラマズダーの御心によりて
ダーレヤウォーシュは王なり
ダーレヤウォーシュ王は告ぐ
余にオーラマズダーが賦与したまえる
うるわしき 良き馬と良き人にめぐまれたる
この国 パールサ(=現イラン、ファールス地方)は
オーラマズダーと余
ダーレヤウォーシュ王の御心によりて
外国(とつくに)から脅威を受くる事なし
ダーレヤウォーシュ王は告ぐ
余にオーラマズダーは助力をあたえたまえ
すべての神々と共に
また この国をオーラマズダーは守りたまえ
敵軍と凶年と虚言とから
敵軍も凶年も虚言も
この国に近づく事のなからん事を
この恩恵を 余はオーラマズダーに
ともども すべての神々に祈願したてまつる
この恩恵を 余にオーラマズダーはあたえたまえ
すべての神々と共に

歴史に見る古代メソポタミアの伝統

古代メソポタミア史の特徴として、以下の2点があげられる。

  1. 長期にわたる伝統の保持
  2. 中央政権と地方分権との対立

まず、長期にわたる伝統の保持――継承について。 古代メソポタミアにあっては、支配民族の変化による伝統断絶は、さほど大きなものでは無かった。

むしろ伝統の継承が強く志向されていたのであり、そうした中で、 前3000年紀に始発するシュメール・アッカドの伝統は、 前2000年紀のバビロンにしっかりと受け継がれていった事が明らかになっている。

バビロンを支配したアムル人、カッシート人、カルデア人、――彼らはいずれも、自己の民族性の発揮よりも、 バビロンの伝統の継承の方に力を注いだ。――太古の知識を伝える偉大なバビロン!

伝統を保持するのとは逆に、革新を目指したナラムシンは、アッカド王朝滅亡を扱った作品『アガデの呪い』の中で、 神に不敬を働いた業(=自らを神とした事)によって王朝を滅ぼした悪しき王として描かれた。 古代メソポタミアに脈々と流れていた伝統継承の志向が、この作品を描かせたのであろう。

[ナラムシン]
――アッカド王朝(前2350年〜前2100年)第四代の王。 アッカド王朝創設者サルゴン王の孫。アッカド王朝における最大版図を達成。 初めて「四方世界の王」「アッカドの王」という称号を名乗り、自らを神とした。 現存資料に見られる限りでは、王の神格化の最初の例である!
――ナラムシンは、当時の地理知識の及ぶ限り(シリア&北メソポタミア)まで遠征を行ない、 東地中海やアナトリア地域との交易路を開いた。 インドから地中海に及ぶ広大な交易圏が確立するきっかけを作った人物でもある。

次に、古代メソポタミアにおける中央政権と地方分権との対立についてである。

ヘロドトス以降、オリエントは強大な東洋的専制国家として語られているが、 現代の歴史学によれば、オリエント地域における諸都市や地方の自立傾向は強固なものであった事が知られている。 これらの諸都市の自立性が、中央集権的理念の確立を阻害したとさえ言われているのである。

意外な事ではあるが、メソポタミアを象徴する歴史的文化的な統一場は確立していない。

ヘレニズム世界、ローマ世界、 イスラム世界…そういった普遍理念を支える統一場としての「ひとつの世界」の確立は、 オリエント文明圏――とりわけ、メソポタミア地域――においては、成しえなかったのである。

オリエント圏の諸々の神話物語は、いにしえの諸々の都市が切り開き、受け継いできた、 各都市の伝統世界と強く結びついている。極めて地域色の強い、個別的な面を持つ物語群であると言えよう。

21世紀に至って、地政学上の激変に飲み込まれ、 四分五裂の事態に見舞われているオリエント地域――その未来が如何なるものになるのか――は、 今の時点では、杳として知れない。


オリエント物語論――メソポタミアからイスラームへ・後篇へ続く

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