深森の帝國§総目次 §物語ノ岸辺 〉断章09

断章09.「夜」物語論―遠き旅にいざなうものよ、闇の底をさきわうものよ―

随想(一)…「夜」の語源

随想(二)…「夜の食国」

随想(三)…「夜の旅」ナイト・シー・ジャーニー

随想(四)…「夜」という名の魔法使いの帽子

随想(五)…「夜」に幸あれ

随想(一)…「夜」の語源

夜。ヨル。二音のみの言葉。

日本語(古代日本語)の中でも、最も基本的な構成要素を持つ単語だろう、と推察できる。

「ヨ」――余所(よそ)という語からも分かるように、「他の所」「どれでもない何か」という意味合いを持っていた。

「ル」――「有ル/在ル」「語ル」「仕事スル」という言葉にあるとおり、元々は、行為の「状態」を示した。

組み合わせると、「夜(ヨル)」と言うのは。

現代語の感覚で言えば、「どれでもない、他の(何かの)状態である」という意になろうか。

一方で。

「昼(ヒル)」――「太陽」は、古代語で「日(ヒ)」という。「日がある状態」で「昼(ヒル)」。

「朝(アサ)」――おそらく古くは、「明(アカ)/赤(アカ)」と言ったと思われる。 それが何故に「朝(アサ)」になったのかは、残念ながら知らない。

不明点は、さておき。

改めて考えてみればみるほど、古代日本人の言語感覚は、意外に合理的だと思える。 合理的でなければ、科学文明の未発達な古代の環境を生き延びる事は、難しかったに違いない。

それにしても、「夜(ヨル)」。「どれでもない、他の(何かの)状態」。

夜は、人間活動が、休眠状態になる時間だ。いわば、「間(ま)」――何処でも無い、余所(よそ)の、空白の時間であり、空間だ。

それだけに「夜」という「どれでも無い何か」に彩られた時空は、この世のモノならぬ「何か」が――例えば、 見知らぬ神々が、想像もつかぬ物の怪が、不吉な運命が、魔が――不意に訪れ、入り込む時空でもあったに違いない。

まだ古代の空気の色濃いものであった平安時代の呪術的な世界観は、そのような言語思考ロジックのもとに、完成されて来たものだ。

今でこそ、その世界観の大部分は「科学」の名のもとに否定される形となったが。

「結界」という概念が、我々の心理あるいは迷信、数々の幻想ファンタジーにおいて、重要な役割を果たしているのは、確かである。

随想(二)…「夜の食国」

かの『古事記』に見られる、月夜見神の物語。

――「夜(ヨル)の食国(オスクニ)」という言葉が出て来る。

古代語で言う「食国」とは、「統治する国」という意味だとのこと。 古代中国の史書には、『倭国は夜に政治を行っていた』というような記述があるそうだ。その痕跡が、このような言葉として残されたのでは無いかという説もある。

「夜に政治をする」。一見、不思議な習慣のように見える。

だが、広く目を向ければ、重要な物事や取引の決着が、昼間の仕事を離れた夜間の会食の場で、 あるいは秘密の料亭、会員限定の酒場や夜の交流クラブといった閉鎖的な場で行なわれているのは、事実だ。 「飲みニケーション」という言葉にも残っているように、現代でもなお続いている習慣であると言えよう。

「食国」の先頭に、単純に「御」を付け加えれば、「御食国」。

すなわち「御食(ミケ)つ国(クニ)」、朝廷に帰順する証(あかし)の「贄(にえ)」を納める国、という意味になる。 この「贄(にえ)」は、律令国家では「租庸調」であり、近代国家では「税金」となった。

古代においては、「食」の確保は、国家の大事に関わる重要な問題であった(勿論、現代でもそうなのだが)。

「御食(ミケ)つ国(クニ)」とされた国々は、優れた食材を多く産出する豊かな国として認識され、重要視されていたはずである。

現在でも、かつて「御食(ミケ)つ国(クニ)」であったと伝えられている地域は、 古くから美味な特産物や珍味で知られ、それを活用した歴史的な郷土料理でも知られている。

古代神話における「夜(ヨル)の食国(オスクニ)」のパートでは、数々の食材の話題が出て来る。有名な話だから、此処では割愛する。

――「夜(ヨル)の食国(オスクニ)」。

古代における――現代でも、なお続いている――「夜の歓待を伴った政治交渉」の習慣と、日本人ならではの「食」への関心が仄見える。

政治と祭祀と、そして「夜の芸」が分離していなかった、古代の雰囲気が感じられる言葉である。

随想(三)…「夜の旅」ナイト・シー・ジャーニー

あなたは、旅に出る夢を見るだろうか?

旅に出る夢は、「新しい出発」、「人生の変わり目」、「未知への挑戦」などといった類を意味すると言われている。

とりわけ、「夜の旅」は特別である。それは、「ナイト・シー・ジャーニー(夜の航海)」――無意識の世界への旅立ちを、強く象徴するものである。

波立ち揺らぐ水の底、闇に広がる地下迷宮、妖しくさざめく森の影。

これらはすべて、想像を絶するような無意識の夜の無限カオスから、 あなたの表層世界へと――あなたの昼の意識へと送り込まれてくる心象風景イマージュである。

『貴種流離譚』とカテゴリされる、一群の物語がある。

これらは往々にして「夜の旅」である。すべて「夜の旅」というコンセプトに沿って語られるストーリーなのだ。

あなたは、この物語がつむぎ出す幻想の中で、ひとりの冒険者となり、未知なる危険に満ちた「夜の旅」に出るのである。

人間の霊的な変化や魂の変容は、何故か、夜の暗さの中で進行する。存在の夜。何らかの重大な事件が起こるのも、夜の時間である。

それは必然として、無意識の闇の中ならではの、ミステリアスなブラックボックスの領域である。

ブラックボックスだからこそ、それは「開かずの扉」、「見るなの禁」、「知ってはならぬ真実」というような局面フェーズが、必ずセットで語られる。 「あなた」という人間の変容の物語は、そうした「禁」との対峙の中で進行する。

そしてブラックボックスは、基本的に好奇心の対象でもある。 見えないからこそ、いま何が起きているのかを見たいと思い、その訳を知りたいと思う。たとえ、それが忌まわしく危険な物であっても。

「何故」――それが、冒険心や好奇心の源である。

近現代科学は、「何故?」に、半分は解答を出せるようになって来た。

しかし、残りの半分――生と死の運命に関わる最も根源的な恐ろしい問い――「何故……?」を解き明かす術(すべ)は、存在しない。

それを問うためにこそ、人間は「夜の旅」に出る。占いや迷信に首を突っ込む人間も居る。

「夜」は、驚異的なまでに、謎と危険に満ちている。好奇心が最も強まる時間だ。

良きにつけ悪しきにつけ、近現代精神は好奇心を礼賛する。科学技術は好奇心の成果だ。 天変地異、魔女、怪物などなどの異常な驚異を耳にすると、それを見たいと思う人間の好奇心が、やがて近現代精神を、近現代科学を、生み出した。

「何処かで奇怪な生き物が見つかった」「奇妙で恐ろしい出来事があった」というニュースや噂話に、多くの人がむらがる。 火事が出た、無残な死体が出たと聞くと、そこにも集まって来る傾向がある。そんな類の集客効果を狙った、炎上商法やフェイクニュース商法が、今も編み出されている。

中世の伝統的宗教(カトリック)においては、好奇心は長らく破廉恥なモノとされてきた。 アダムとイブが葉っぱで隠した部分を見たいと言う衝動に由来する、原始的で暴力的な欲望を、色濃く含むから。

しかし、血沸き肉躍るような冒険を描き出そうというストーリーでは、魅力的な異性との出逢いや、 方々での男女関係の展開が、当然のように出て来るのである。古今東西、この類の衝動は、お馴染みの要素であろう。 ことに貴種流離譚――英雄物語においては、絶対に外せない要素だ。

あまりにも魅力的すぎる異性は、時として、「夜の旅」における最も危険な秘密、あるいは反存在(シャドウ)として現れる。 特に顕著な例が、男を正確に狙い撃ち、その心身を破滅させる魅惑的な悪女「ファム・ファタル」であろう。

本来、好奇心とは「恐るべきもの」である。「暴力」か、「深淵」か――二面性がある。

人は、好奇心の赴くままに道を踏み外してゆき、底なしの魔境に堕ちてゆく事も、また、可能。 残念ながら、「何故……?」のままに世をさまよい、人間の道を踏み外してゆく者が多いのは、事実だ。

閑話休題。

英雄(ヒーロー)として設計される主人公キャラクターには、一定の傾向がある。

「夜の旅」における様々な危険を回避するための手段が、「チート要素」として、明確に付与されているのだ。

伝統的かつ歴史的なイメージで語るならば、この類の「チート要素」というのは。

かつて武帝が求めたという、西域は大苑(フェルガーナ)の汗血馬。

胡馬(こば) 大苑(だいえん)の名あり
――
向かう所 空闊(くうかつ)無く
真に死生(しせい)を託するに堪えたり
驍騰(ぎょうとう) 此(か)くの如くなる有れば
万里(ばんり)も 横行(おうこう)す可(べ)し

中世の漢詩に描かれた名馬のイメージである。 かの大苑の名馬と聞くとおり、その俊足ぶりは、あらゆる距離を無にする。真に命を託するに値する、圧倒的な速さだ。 その力強いエネルギーがあれば、世界中をも行き来できるだろう、と歌われている。

古代中世、戦場では、名馬というのは、死地を脱するための最後の頼もしい『よりどころ』であった。

かつての騎馬戦士たちの、「名馬に対する憧れ」――命がけな要素を含んでいただけに、 最新型メカ類やスポーツカー等への憧れよりも、いっそう強く、切実なものだった筈だ。

漢詩の表現にも表れている、その切実さが、現代の華やかな「チート要素」描写の端々にも色濃く窺える。 「最も華のある描写を挙げよ」と言えば、まず「チート要素」の描写となるほどに。

……「夜の旅」は、繰り返し語られる、永劫回帰とも言うべきコンセプトだ。 無数の「夜の旅」バージョンが、この瞬間にも生み出されている……

世の中には様々なストーリーが溢れている。

その中で、たまたま自身の感性に刺さる作品に――なおかつ、自身の世界観を一変しつつ拡大させるような幻想と驚異の瞬間に出逢えたら、 その一瞬は、それは幸せな一瞬だろう。滅多に無い一瞬だ。

読書というのは、何故か、そういう奇跡のような出逢いがあるものだ。

奇跡的なまでに波長が合う作品を見つけるのは大変だが、 その幻想と驚異を一度でも経験した人は、一生、「読書する」という事を、やめられないのでは無いかと思う。

随想(四)…「夜」という名の魔法使いの帽子

――夜は形を持っており、それは円錐型である。――

詩人の心を持っていた、ひとりの現代天文学者の言葉である。

――地球は夜を魔法使いの帽子のように被っている。この魔法使いの帽子は長く細く、太陽を起点として遠くの空間を指差す。――

我々が知る太陽系の姿を思い描いてみよう。

まばゆく燃える巨大な太陽の周りを、七つの惑星が巡っている。 我々の地球も、太陽系第三惑星として、巡っている(※ちなみに冥王星は、二一世紀現代の天文学においては、「惑星」と定義されていない)。

太陽系を構成する、すべての惑星が――数多の小惑星もが――帽子を被った魔法使いのように、円錐形の夜の帽子を被っている。

この宇宙全体を見渡してみれば、ありとあらゆる恒星を巡っている、すべての惑星と衛星が、「夜」の帽子を被っているのだ。

そのひとつひとつは、まるで海胆うにの黒いトゲのように、細く長く、スッと延びている。多数の円錐形の闇の群れとして。

実に幻想的な光景だが、科学的には真実だ。

物理学の言葉では、この魔法使いの帽子を「本影」という。 我々が普通に「夜」と言い習わしている闇の領域は、この細長い「本影」の中に入っている時間の事なのだ。

太陽系全体から――宇宙全体から――見れば、我々の知る「夜」というのは、奇跡的なほどに、わずかな領域でしか無いのである。

地球の直径1万2742kmに対して、地球の本影の長さは平均138万2000km。

月の直径3474kmに対して、月の本影の長さは平均37万4500km。

太陽系の「夜」の形を成す魔法使いの帽子は、それぞれの天体の直径に比して、実に100倍もの高さを持っている。

そして、太陽と月と地球の間では、魔法使いの帽子の活躍によって、太陽系の中でも最も魅惑的な天体ショーが展開する。日食と月食だ。

地球が被っている魔法使いの帽子の中に、月が入ると、月食が起きる。

月食の時間は、地球が作り出す「夜」の円錐形の大きさを、実感するチャンスである。 月の表面に投じられた、地球の影。地球の夜。あの丸い輪郭は、古代の天文学者たちに、「地球は丸い」という驚くべき現実を見せ付けたものでもある。

月が被っている魔法使いの帽子の先端を、地球が横切ると、日食が起きる。

とりわけ皆既日食は、異様に大きな衛星――月を持つ地球でしか見られない現象である。

火星でも、火星を巡る数個の衛星によって日食が起きる事は起きるが、それはすべて、金環食スタイルになる事が知られている。衛星が小さすぎるのだ。

いま一度、皆既日食が進行している時の、太陽と月と地球の位置を思い浮かべてみよう。

思いがけない星間距離の偶然によって、月の魔法使いの帽子の先端が――円錐形をした夜の先端が――地球の表面を、サーッとかすめていく。

(※月〜地球間の距離=およそ38万4400km)

皆既日食を眺めている時、我々は、月が作る円錐形の夜の頂点に立っている事になるのだ。

もし、この皆既日食が、金環食ギリギリの状態だった場合は。

月の夜の先端は、地球表面で、鋭い切っ先となっている(※実際は、「半影」と呼ばれる周辺に向かって徐々にボヤけていく感じになるけれど)。

その切っ先の近くに居合わせた人々は、ホンのちょっとジャンプすれば、月の夜の先端部に、手で触れることも出来るはずだ。

あなたが、次に日食や月食に出会うチャンスがあったら、この事実を少し意識して、「夜の形」をジッと観察してみて欲しい (※太陽を観察する時は、充分に気を付けるように!)。

きっと、あなたの前に、太陽系宇宙の「夜の形」が、確かな実感と共に現れるだろう。

随想(五)…「夜」に幸あれ

――単純に「見聞きして知る」こと。

心身の感覚を兼ねた「温故知新」として実感すること。

これらふたつは、互いに、全く別々の次元の領域である。

それは、読書体験がもたらす「夜の旅」幻想にも、共通することなのだろう。

心身の感覚をもって――別格のリアリティをもって――実感することは、「新たな世界の認識/創造」という哲学的な問題を、多分に、はらんでいる。

読者にとっては、そのストーリーは、元々は見ず知らずの他人である作者が想像し、組み立てて、描き出した世界幻想だ。

だが、その作品を読む時、ひとりの読者としてのあなたのブラックボックスの中では、 「夜の旅」に伴う新たな世界の生成が、作者とは別の意味で、起きている。

――作品イメージを受け取る、つまり「読む/鑑賞する」という行為は、 「新しい時代を創出する」ということにつながっていく、超・創造的な行為なのだ。

読書するということ。

これまで考えもしなかったことを考え、思いもしなかったことを思う行為であるだろう。

読書体験を「夜の旅」として食はみ続ける無意識の――ブラックボックスの――底で、いつしか、「あなた」だけの形を取り始める世界幻想。 無意識の中で、それは不確定的に揺らぎつつ、新しい世界観の生成へ、新しい世界の現実の構築へと、意識レベルを上昇してゆく。

新しい作品から新しいイメージを感受した、ひとりの読者としての「あなた」が、 その後、徐々に――無意識の、闇の惑星の軌道を巡っているうちに、今までになかった新しい世界を現出しうるのだ。

現代日本でロボット技術が進んだ理由のひとつに、 往年の名作『鉄腕アトム』や『ドラえもん』の影響があると言われているのは、つとに知られている話である。

かように「夜」とは、我々の「昼」の現実に入り込んだ、えもいわれぬ細い亀裂である。 暗く狭い裂け目であり、無限の未来へと通じてゆく、不思議な一瞬の扉である。硬い氷に入った、微細なヒビ割れのようなものだ。

(迷妄の中へと引きずり込む、危険な落とし穴も多いけれど)

そこでは、地球の青い大気によって形成された、明るく堅牢な「結界」に隔てられて見えないはずの、 かの宇宙の姿が、まざまざと押し寄せて来る。

――地球の回転と共に訪れる、「夜」という名の魔法使い。 その闇の帽子の、鋭く深い円錐形が、無限に広がる驚異の宇宙を、我々に垣間見せるように。

あなたを奥深い「夜の旅」にいざなう読書は。

闇の中の奇跡の一瞬、はるか遠くの空間にまで達する細く狭い裂け目を通じて、想像を絶する未知の世界の相(フェーズ)を、垣間見せてくれる。

――あなたの読書体験が、豊かなものでありますように。


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