タロット絵22枚、大アルカナ、すべて白黒イラストです
カード・メッセージ=「創造」
主な意味=無から有を生じる。無限の創造への挑戦。探究。新生。独創。ここから始まる。 時間&空間における両面からの開始。創世記。序章
いっさいの闇の中で精神を集中し、創造に乗り出すイメージで描画。スパークの光が双子になっているのは、 人間が新しい何かを創造する時の道具、すなわち「頭脳」と「手腕」を指し示すという意図があります。 その他にも、「無限」の記号が「∞」であることを考慮して、 「何となくそれっぽい形に見えるかも…」という効果を狙いました
幾つかの解説書には、「リーダーシップ」「指導・指導者」などの意味もあるという風に書かれていましたが、 タロットカード「魔術師」と付き合ってみて感じるのは、実際に先頭に立つような統率者ではなく、 「発案者」「企画立案者」というようなイメージです
新しい何かを発想する、イメージする…モヤモヤとした何か、境界の知れない「何か」を、 絵図にするなり文章にするなりして、ちゃんとした形として現象化する…それはやはり、 人間に備わった大変な能力と申せましょうか
想念の凝縮…それが「魔術」の、真に魔術なる部分…
逆位置の場合…「スランプ」「後退」などと言ったオーソドックスな解説に従って考えてみると、 「人間の発想には限界があり、その限界をありありと感じる」&「自らの新奇な発想に拘る余り、そこに囚われてしまう」 というイメージが浮かび上がってまいります
発想における自由と不自由との、微妙な関係。容易に入れ替わってしまうその不安定さもまた、 この現世の興味深い部分であると思うのであります
カード・メッセージ=「知恵」
主な意味=先見の明、静謐、奥ゆかしい、良識ある判断、 心の豊かさ、洞察、潔癖、ひらめき、均整、知性的、精神的、繊細な感受性
「知恵の泉」としてもイメージされるカードです。爾来、魔術師のカードが「創造のスパーク、 知識の炎」のイメージで感受されてきたのに対し、 女教皇のカードは「水」を湛えたイメージで感受されてきたカードでした
不思議な聖杯から、泉のごとく無限にあふれ出す叡智…というイメージで描画
聖杯から流れ出した水は、やがて闇の中に繊細な綾模様を描き…人間の感受性は、 その綾模様に神秘的かつ豊穣な意味を見出す。 知恵やひらめきが何処から来るのかは分かりませんが…昔の人が詩的に表現したように、 それは霊的な水の形をして流れ、宇宙の彼方から人の意識の中に到来してくるものである…と考える事は、 今でも可能であります
「知恵」は、「知識」のように羅列して検討する事も組み立てて論じる事も出来ないものですが、 確かに原初から存在してきました。物事の本質を精密に指し示し、的確に把握し、 適切に判断する基本となる…その不思議な力は、多くの思想家が認めてきたところであります
知恵にもいろいろありますが、タロットカード「女教皇」と付き合ってみる限りでは、 「家庭的な暖かな知恵/生活の知恵」というよりは、 「冷静でクールな知恵/透徹した識見」を象徴していると感じます。女性の性質を持つカードではあるものの、 「高度に透明で、中性的なものである」と言って良いかも知れません
この女教皇のカードは、逆位置になると、ヒステリー、過敏、ストレス、高すぎるプライド、 ムラが出る、意地が悪い…などなどの意味となりますが、いずれにしても、 繊細な感受性や知的精密さを本質とするが故の裏返し…とも申せましょう
カード・メッセージ=「豊穣」
主な意味=繁栄、女性的な叡智と母性、円満、大団円、努力の結実、仕事の充実、豊かな実り、 開放的、細かな物事にこだわらない
女性的な支配力を強く感じるカードであり、 それを意識して描画。古い時代の、大地の豊穣&繁栄への祈り=地母信仰 (例:古代ギリシャのデメテル信仰)という文化につながってゆくカードでもある…と思います
果実の結実、穀物の収穫…という昔ながらのオーソドックスなイメージ解釈もあり、 そこから、女性的な「絆」という支配力や、「絆」によって結ばれた支配圏を想起し、 中央に円形の光らしきものを置いてみました。散在するものを一つにまとめあげるための統率力には色々有りますが、 「絆」という統率方法は、とりわけ女性的なスタイルであると申せましょう
「絆」は、母性的な愛情と、豊かさを左右する大地母神的な権力と、土地的&家族的な縁とが結びついた、 不思議な支配スタイルです
それでもそれは、やはり支配の一種には違いなく、「絆」によって結ばれる事を良しとしない状況の中では、 「おせっかい」「愛情の押し付け」「武力を伴わない(富の力を介在する)、 従属への強制」と感じられる場合も、それなりにあるのです…それが逆位置における解釈ともなります
逆位置の状況…愛情や執着、嫉妬といったものが関わるだけに、 感情的に荒れるとその影響は甚大なものとなるのであり、理性では割り切れない泥沼もまた深くなりましょう。 古代ギリシャ神話において、娘を死神に奪われたデメテルの怒りと嘆きが不毛の冬を到来させた…と物語られたように、 大地母神の怒りの真の恐ろしさは、その巨大な荒廃と喪失から来るものであります
当サイトにおけるタロットカード「女帝」のイメージは、鬼子母神の伝説で知られるインドの神、 「訶梨帝母(かりていも/ハーリティー)」における「慈悲と残虐の二重性」とほぼ重なります。 カード「女帝」は、一種の畏怖の対象である…と思うのであります
カード・メッセージ=「支配」
主な意味=男性的な叡智、父性、リーダーシップ、統率、処理能力、実行力、独断的&果断的、 強い責任感および高い社会的信用、ごり押し、上昇志向、剛健、自信
男性的な支配力を暗示するカードです。「女帝」カードが大地母神的な支配を暗示していたのに対して、 この「皇帝」カードは天空神的な支配を暗示します。 上意下達、上下関係といった条件においての支配…もしくは管理的なもの
ルールに従う厳格さ。社会的立場、社会的能力、社会的責任、 社会的信用…組織的支配&法的支配に要求される素質が、この「皇帝」カードの要点であります。 政治家個人に対してこの「皇帝」カードが出てきたら、その政治家は、 真の統治者として認められた…と判断して良い程のものです
逆位置の場合は、これらの特徴が裏返しになって出てきます。ワンマン、横暴、弾圧…
社会的条件によって、この「皇帝」カードの性質はプリズムのように様々に変容します。 善政と悪政は、常に、紙一重の関係であり…様々な矛盾や欲望が渦巻く複雑な人間社会においては、 その傾向はより混沌としたものになっている筈です
(実際の占いにおいても、「皇帝」は慎重な読みを要求するカードだと思います)
正位置においてさえ、 その「皇帝」の力が逆位置になったかのように白黒逆転して表現され解釈される事は多いものであり、 その解釈における屈折を意識して描画してみました
男性的な叡智は、その決断力の強さ、選別力の確かさに現われてきます。 全てを受容する事で多様性や豊かさを約束しようとする女性的な叡智にとっては、 永遠の謎の領域であるかも知れません
カード・メッセージ=「信頼」
主な意味=偉大な師匠、博愛、改善、助言、精神的な充足、良医との巡り合い、援助者、 集中力、貢献、目上からの引き立て、寛大、聖なる場所、大いなる知恵、広く深い識見
精神的な支配、あるいは精神的な支持基盤を暗示するカードです。 「皇帝」カードが世俗的な力を表現するのに対して、「法王」カードは超俗的な力を表現します
「医術は仁術である」と言われる事がありますが、 法王は、その仁術の部分を担当するカードと考える事が出来ます。 人間は、物理的な部分だけで生きているのではなく、 精神的な部分でも生きている…その精神的な部分の改善と成長を、「法王」カードは促すのであります
上と下から、それも複数の束を持って到来して来る、運命の軌道の群れ。 「現在時点」で衝突し様々に分岐する「可能性」の道の複雑さは、人を迷わせます。 「法王」は、偏りの無い大いなる識見によって、その迷いの中心を見極め、 適切な助言を繰り出す…そのようなイメージで描画してみました
逆位置の場合は、その大いなる識見が、非現実的な見解として解釈されることがあります。 抽象的過ぎて、現実には余り意味を持たなくなる…最高の学者や学識を集めたアカデミーが、 実際には、現実社会と接点を持たない「白亜の塔」となってしまう…それもまた、 現世に確かに現われる、矛盾のひとつなのであります
(たとえば、現代の地球科学の粋を集めた地震予知学会が、 実際には東日本大震災を予知し得なかったように/現代のあらゆる防災技術が、実際には、 福島原発事故に対して驚くほど非力であったように)
しかし、高い学識によって鍛え抜かれた識見は、素人判断に比べれば、 やはり大いなる意味を持っていると申せましょう。 「無私の心」という基本的な姿勢は非常に困難なものではありますが、 高度な判断を下そうとする時は、その無言の信頼に応えるべく、 可能な限り謙虚かつ誠実であれかし…とするものであります
カード・メッセージ=「調和」
主な意味=協力者、パートナー、共同作業、グループ、異なる要素の結合と調和、 将来性、長い試練、外交、接触、進路決定、二者択一、人物を見抜く力、身体と精神のケア
異なる要素同士における遭遇・干渉・結合を暗示するカードです。一人の男と一人の女が出会い、 相当の時間を経て恋人になり、そして手を携えて、更に時間をかけて新たな家庭を築いてゆくように、 異なる要素同士の遭遇によって生まれてくる「何か」を期待させるカードなのです
異なる国、異なる文化が出会う場合も同じです。故に、このカードは、「外交プロセス」の意味も持ちます。 その他、異なる要素が二つあって、そのうち一つを選択する…という意味もあります
いずれにしても、こうしたプロセスには長い時間と、複雑な駆け引きや手続きが含まれます。 その数多の干渉の果ての結合、あるいは決定に至るまでの、複雑に絡み合ったプロセスを、 絡まった綾模様として描画してみました
(見ようによっては、シリーズ中で一番華やかな絵になったかもという感じです)
時には、交渉が上手く行かず、暗礁に乗り上げたり決裂したりする事もあります…それが、 このカードの逆位置の意味として現われてきます。飽きっぽくなる、短気になる、非協力的な態度、 誘惑に迷う、不調和、アレルギー…
この「恋人」カードは、正位置と逆位置の差は、意外に大きくありません (描画する際に、その辺りの事情も考慮しました)
最終的にどのような関係になったとしても、「双方が存在する限り、将来という時間もまた、 双方に存在するのだ」という事実は変わらないのです。 それだけ、生命は異なるものの間の多様な関係、多様性の中の調和を重視しているという事かも知れません
カード・メッセージ=「勝利」
主な意味=先手必勝、独立、開拓精神、指揮権奪取、正義と信念によって前進する力、 闘志、勇猛、気合い、モテ期、障害の克服、向かうところ敵なし、ガッツ
前途洋々を暗示するカードです。何よりもスピード感が強調されるものであり、 次々に新たな世界が開けてゆく時の興奮や躍動感も合わせて暗示されています。 胸がわくわくするような冒険の真っ只中…青春の時間と申せましょう
高速で回り続ける車輪を意識して描画。周囲の景色は高速で流れ過ぎてゆくため、 詳しい部分は分からないものの、行く手には何か未知のものがありそうな…というイメージです
このカードは極めて単純な意味を持っていますが、状況によっては慎重な読みが必要です。 余りにも速過ぎる情勢変化は、人の感覚を狂わせます…人の判断も
逆位置においては、周囲の光景が見えなくなる事による様々な弊害…という意味が浮かび上がってきます。 傍若無人であることもまた、「戦車」カードの側面であります。また、戦車に限らず、 およそ「車」というものにはブレーキとアクセルが付いていますが、 その微妙な使い分けが出来てこそ、戦車は戦車たりえると思うのであります
勝利に次ぐ勝利は狂気の暴走につながるという危うさを秘めており、 その意味では、深い闇を暗示するカードでもあると思います
カード・メッセージ=「均衡」
主な意味=公正さ、中立、合理化、調停、理性と感情のバランス、真面目、正しい意見が受け入れられる、 つりあい、偏りを切り捨てる、無駄をなくす
「正義」は双方向性を持つ暴力によって生み出され、担保される権威である…という点を考慮して、 二本の剣の間でバランスをとる天秤を描画しました
(オーソドックスな絵柄では、描かれる剣は一本である事が多いです)
人間は常に、自らの都合で動く生き物であり、真に公明正大な選択をする事は非常に困難であります。 愛情の深さ故に道を誤る、無意識の執着に足を囚われる、 自らの生活や立場、或いは自らの正気を守ろうとする余りに、道を外れてゆく…
危ういバランスの中で揺れ続ける天秤。剣の都合で揺れ動く中心点。 天秤の皿の中にあるのは…ひとつの世界と、もうひとつの世界。天秤が傾くたびに、 それぞれの皿の中の宇宙が少しずつ失われてゆくのかも知れない…
人類は、真の均衡には遠く、まだまだ未熟である…という事だけは、事実です。 或いは『イティハーサ』(水樹和佳子・著)で考察されたように、「人類は進化する反調和である」が故に、 宇宙の均衡を破り、ひいては最終的な正義を乱し続ける存在であるのでしょうか
生きてあるが故の不条理の中で、それでもなお…と、願いを込めざるを得ないカードであります
カード・メッセージ=「探求」
主な意味=叡智と卓見、内省的、求道的、思慮分別、冷静沈着、寡黙(多くを語らない)、 永遠の真理、地道な活動、核心を突く意見、深い孤独、仙人、隠遁、放浪
「隠者」カードは、現世における最高の知識と知恵を持つ者を暗示しています。 その深遠な思考は、宇宙の果てまで及ぶかと思われる程のもの…しかし同時に、 その者は「隠された者(隠者)」である事をも暗示しています。真に深いものは、 なかなか表に出ないという事であります
伝統的な絵柄においては、隠者は、 暗い色のマントをまとい灯(ランタンなど)を提げて歩く老人として描かれますが、 ここでは、その知性の深さをよりハッキリさせる為、 星や銀河の散らばる大宇宙のイメージを背景に置いて描画しました
深い沈黙の中に隠された、最高の知…それは「オカルト」=「隠されたもの」と重なるかも知れません。 隠者は極めてオカルト的、精神的、宗教的なカードでもあります
深い孤独の中で、内省と思索によって構成されてゆく、隠者の叡智。 外側から借りてきた知識をそのままパッチワークした知ではなく、 内面の奥を見つめることでより深さと輝きを増した知。それが、霊的進化を導く道標となる…
逆位置の場合は、劣等感の裏返しとして虚勢や見栄を張る、 或いは愚痴をこぼし続ける人物像がイメージされます。 宗教や精神世界に狂信する事で自己の虚しさから逃れようとしたり、 メサイア・コンプレックスなどの依存症を併発したり…。世間知らず、変わり者、偏屈…
「隠者」カードは、正位置と逆位置の落差が極端であり、扱いの難しいカードであります
カード・メッセージ=「輪廻」
主な意味=状況の変化、チャンス(或いはピンチ)の到来、遭遇、開放、復活、臨機応変、 見当違い、不安定、クラス替え、循環器系統、フル回転、転換期、すれ違い、火の車
運命の軌道の組み換え、変転を暗示するカードです。 鉄道のコースがジャンクションの切り替えで変わるように、運命のコースもまた、 思いもよらぬタイミングで思いもよらぬ方向に切り替わってゆく…
上昇する道にせよ下降する道にせよ、その結果が吉と出るか凶と出るかは、誰にも分かりません。 しかし、動揺し続ける不安な現実を、我々は生きてゆくしかないのであります…全ての世界が回転を止める、その時まで
変転し続ける運命に悩まされる…というイメージで描画。 「事実は小説より奇なり」と言われるように、運命の変化を通じて現われてくる新たな光景は、 いつでも人間を戸惑わせ、悩ませるものであります
他にも、「過去の出来事が別のタイミングでよみがえってくる」という意味もあります。因果応報。 或いは、過去に張られた伏線が、運命の輪の回転に伴って表面化してくる…
「運命の輪」のカードは、元々特定の方向を持たない円形のイメージで描かれる事が多いせいか、 正位置/逆位置に伴う意味の変化は、非常に小さいものになります。 強いて言えば、正位置においてはチャンス到来、 逆位置においてはピンチ到来…という系統で解釈される場合が多いですが、その持続性は長くありません。 「好事魔多し」、「冬来たりなば春遠からじ」という格言が、 方向性は違えどほぼ同じ内容を指摘しているのと同じ事であります
タロットの中では、多くの業と矛盾と謎に満ち溢れているこの世界の秘密に、 最も近くまで接近しているカード…非常にドラマチックなカードであると思うのであります
カード・メッセージ=「意志」
主な意味=忍耐、たゆまぬ努力、難関に挑む、勇気、基礎体力、怨敵調伏、 不屈の精神、隠れた力を見出す、コントロール(感情の制御など)、征服
カード「戦車」に比べると、静的なイメージのあるカードです。 百獣の王・ライオンの皮をかぶった人物をイメージして描画。獣の皮をかぶり、 其れまでとは全く異なる視野に触れる事で、この人物は、自らの内なる「得体の知れぬ力」に気付く筈です
己の中に、新たに見出すパワー…暴力的な感情などをコントロールする事は、 如何なる賢人にも困難なものであります…古代社会の中では、 若者に数々の試練を課す「通過儀礼」がありました。未熟な子供は、その中で大人の意志の力を、 そして力の善悪を見出し、その力の巧みな制御を覚えてゆく事で、本物の大人になってゆくのです
『スター・ウォーズ』の主人公ルーク・スカイウォーカーもまた、 厳しい修行の最終段階に見出したのは、自らの内なる暗黒面でした。 彼は、己の内なる暗黒のパワーと対決して、初めて英雄への道を踏み出したのです
逆位置の場合はやはり、 『スター・ウォーズ』における暗黒卿ダース・ベイダーのイメージであると申せましょう。 或いは、無気力・臆病・無謀な賭けに出る…、意志の脆弱さゆえの、 行き当たりばったりな行動を暗示する…と読む事も出来ると思います
☆「力」をテーマにした民話伝承で印象深い内容があるので、以下にご紹介:
聖クリストフォロス=旅行者・航海者・自動車の運転者の守護聖人
カトリック教会における伝承(ウィキペディアより)・・・ 伝承ではクリストフォロスはもともとレプロブスという名前のローマ人だったという。 彼はキリスト教に改宗し、イエス・キリストに仕えることを決意したという。 別の伝承ではカナン出身でオフェロスという名前だったともいう。彼は隠者のもとを訪れ、 イエス・キリストにより親しく仕える方法を問うた。隠者は人々に奉仕することがその道であるといい、 流れの急な川を示して、そこで川を渡る人々を助けることを提案した。レプロブスはこれを聞き入れ、 川を渡ろうとする人々に無償で尽くし始めた。
ある日、小さな男の子が川を渡りたいとレプロブスに言った。 彼があまりに小さかったのでお安い御用と引き受けたレプロブスだったが、 川を渡るうちに男の子は異様な重さになり、レプロブスは倒れんばかりになった。 あまりの重さに男の子がただものでないことに気づいたレプロブスは丁重にその名前をたずねた。 男の子は自らがイエス・キリストであると明かした。 イエスは全世界の人々の罪を背負っているため重かったのである。
川を渡りきったところでイエスはレプロブスを祝福し、 今後は「キリストを背負ったもの」という意味の「クリストフォロス」と名乗るよう命じた。
同時にイエスはレプロブスが持っていた杖を地面に突き刺すように命じた。 彼がそうすると杖から枝と葉が生えだし、みるみる巨木となった。 後にこの木を見た多くの人々がキリスト教に改宗した。 この話は同地の王(伝承によってはデキウス帝)の知るところとなり、クリストフォロスは捕らえられ、 拷問を受けたあとで斬首されたという。
カード・メッセージ=「犠牲」
主な意味=試練の時、束縛、金縛り、封印、下積み、伸び悩み、長期的視野、 適応力、長引く病気、中途半端、喪失、苦境、強いられる犠牲、過渡期、暗中模索、五里霧中
苦悩や満身創痍を暗示するカードです。当サイト的には、 東日本大震災(2011.3.11)の後の日本に関して、ずっとこのカードが出ているという風に思うのであります
宇宙の深部を思わせる闇の中、逆様になった人物の顔、一面に張った蜘蛛の巣を描画する事で、 「運命の巣」に絡め取られて身動きできない状態である事を暗示してみました。 同時に、新たな運命の忍び寄りを暗示するべく、若干の綾模様を追加して描画
身動きできぬ苦境の中にあってこそ体得しうる、経験や真実…
しかしその結果を生かすためには、やはり、生き延びてこそ、の事でありましょう。 「運命の巣」は時に、或いは常に、理不尽な振る舞いをするものであります。 数多の犠牲を呑み込みながらも、なおも業と矛盾に満ちた人間社会…
逆位置は、「逃亡」ないし「現実逃避」の意味を持ちます
投げ込まれた状況が自らのキャパを大きく超えるものであった場合、個別的には、 「逃亡」「逃避」という対応も正解のひとつであるかも知れません。 しかし、社会そのものが試練の時空と化した場合は、 社会そのものから逃避する事が可能かどうかは…不明です
逆位置が示す「逃避」が可能であったとしても、自分がその後の社会変化に関与する事が無くなるので、 かえって疎外感や孤独感が強まるだけかも知れません
生と死を超越した宇宙観、そして世界観…それは人類にとっては未知の神学の領域となりますが、 「生きるとは何か、死とは何か、なぜ罪のない人が苦しむのか」という事は、 この宇宙全体がどのように運行されているか、そこに視野を向けなければ解く事ができないものでありましょう
深い謎に満ちて、不安定に変容し続ける宇宙であればこそ、何がしかの希望はあるだろうと思うものであります
カード・メッセージ=「終末」
主な意味=破滅の予兆、損害、失業、幕切れ、別離、低迷、八方塞がり、行き詰まり、 虚偽が剥がれる、面子が剥がれる、挫折、虚栄心がつぶれる、弱点を暴かれる、荒療治、信頼喪失
吹き荒れる吹雪の闇の中、枯れ木の藪の奥に、大鎌を持って傲然と立つ死神…というイメージで描画。 運命の軌道が、その先のあらゆる可能性の分岐を失い、ついに終わるところ…
しかし、終末の後に来る新たな運命もあるのです。終わった運命の軌道、 その屍を糧として新たに生じてくる軌道…「死」のカードは、正位置/逆位置で様々な読みがあり、 最も臨機応変な判断を迫られるカードであると申せましょう
逆位置においては、破滅を免れるものの、蛇の生殺しのような苦しい状態が続く…という読みもあります。 当サイト的には、東日本大震災(2011.3.11)の後の福島原発事故の状況に関して、 この「死」の逆位置の状況を感じるものであります。死んでも死に切れない、 すっきりと終わり切る事の出来ない怨念のようなもの…
ダンテ『神曲』に描かれた地獄の門には、次のような詩文が銘打たれているそうです:
我を過ぐれば憂ひの都あり、
我を過ぐれば永遠の苦患あり、
我を過ぐれば滅亡の民あり
義は尊きわが造り主を動かし、
聖なる威力、比類なき智慧、
第一の愛、我を造れり
永遠の物のほか物として我よりさきに
造られしはなし、しかしてわれ永遠に立つ、
汝等こゝに入るもの一切の望みを棄てよ・・・(山川丙三郎・訳)
カード・メッセージ=「整調」
主な意味=重要なヒント、反復、復習、交流、交換、循環、順調、二者の融合、 調整、調節、復調、相反する出来事を同時に経験する、穏健な思想態度、両立、平等
循環の意味を含むという箇所では「運命の輪」カードに似ていますが、こちらはむしろ、 「調子を整える」というイメージの強いカードです。乱れていたものを整え、正常な/清浄な循環に戻す…
不思議な水瓶と、その間を行き来する水…というイメージで描画
このカードは偉大なる浄化の意味も持っています。「浄化」というのはなかなか複雑なものを孕んでいますが、 その要点はやはり、「整調」という事にあるように思うのであります
心臓があるべきリズムを取り戻す、季節があるべき順番で巡ってくる、 咲くべき時に咲くべき花が咲く…「大自然の中の、かくあれかしという調子」という条件だけで、 世界はこれ程にも浄化されるのであります
日本が生み出した哲学の中に、明恵上人の「阿留辺畿夜宇和(あるべきようは)」があります
「栂尾明恵上人遺訓」《http://www.kuniomi.gr.jp/geki/ku/1honmyou.html》より引用転載:
人は阿留辺畿夜宇和(あるべきようは)の七文字を持(たも)つべきなり。 僧は僧のあるべきよう、俗は俗のあるべきようなり。乃至(ないし)帝王は帝王のあるべきよう、 臣下は臣下のあるべきようなり。このあるべきようを背くゆえに一切悪しきなり。
河合隼雄は、その著作「明恵夢を生きる」で『「あるべきようわ」は、 日本人好みの「あるがままに」というのでもなく、また「あるべきように」でもない。 時により事により、その時その場において「あるべきようは何か」と問いかけ、 その答えを生きようとする』ものであると述べている。
何でも受け入れる母性的な「あるがままに」でもなく、 肩肘張って物事を峻別しようとする父性的な「あるべきように」でもない。
白と黒、善と悪、都市と田舎、大企業と中小企業・・・・。どちらかに偏してはいけない。 違いを認めながら共和する心が大事だという、 古代から連綿と続いている歴史的な知恵と相通ずる思想である。・・・
・・・彼はおそらく、自分の生き方について多分こう言ったであろう。
「私は後生で済われようとは思っていない。ただ、現世においてあるべきようにあろうとするだけだ。 修行すべきように修行し、振舞うべきように振舞えばいい。今は何をしてもかまわない、 死後往生して助かればいい、などとはどの経典にも書いてない・・・」と。
カード・メッセージ=「呪縛」
主な意味=小賢しい知恵、自惚れ、虚栄心、砂上の楼閣、魅惑、誘惑、蠱惑的、囁き、 仄めかし、卑屈、欲望、荒廃、耽溺、没頭、盲目、理性のストッパーが外れる、腐れ縁
解説書の解釈の中で、考えさせられる内容があったので引用:
人間の欲望に働きかけ、か弱い理性をかき乱すもの、 それが「悪魔」です。・・・(中略)・・・悪魔は囁きかけますが手を下すことはありません。 その甘美な囁きに踊らされるのは常に愚かな人間です。しかし、 欲望があるからこそ人間は明日を生きる勇気を持つこともあります。 理屈ばかりで動くことをしない老人には明日はないのです。 悪魔はまた改革のシンボルでもあります・・・エミール・シェラザード
当サイトの解釈も、だいたい似ております。 「呪縛」は、人間にとっては良い方向にも悪い方向にも働くものであり、 故にこのカードは正位置/逆位置の両方で、正負どちらにも解釈できる両面性を持っていると思います。 慎重な読みを要求するカードです
「呪縛」はまた「魅了」でもあり、時として人気沸騰する奇妙な作品が出たりするのは、 まさにこの魔物ゆえの魅了の力によるものでありましょう。例えばダークファンタジー、 恐怖神話などと呼ばれるような暗いジャンルが放つ魅力が、まさにそうであると思うのであります
「悪」は時として、壮絶なまでの行動力を見せることがあります。世界を征服する時、 敵を撃滅する時…躊躇の無い破壊を可能とするのは、それがどれほど「正義」に彩られたものであったとしても、 「悪魔」の力に他なりません。「悪」の魅力とは、このような、ある種のストッパーが外れたが故の、 「従来の世界の終わりを予期させる力」である…と申せましょう
妖しげな笑みを浮かべ、奇妙に手を交差させて思案する悪魔…というイメージで描画。 白炎揺らめく薄闇の中でひそかに思い巡らせているのは、新たな謀略か、それとも…
カード・メッセージ=「崩壊」
主な意味=アクシデント、破綻、破局、不幸、全体を崩壊させるほどの重大なミス 、トラブル続出、世界観の崩壊、卒倒、急病、深刻な亀裂、安心感が潰される、パニック、 倒産、撤退戦、緊迫
このカードは、度重なるストレスやダメージに耐えてきていたものが、 ついに耐え切れずに崩壊する、倒れる…「その時」を暗示するカードであります。 感情的な側面から見れば、「プッツン」&「ぶち切れる」状態を予兆するカードです
長く安定している、安泰である…と思われていたものが、或る日、 いきなり破綻する…その時の衝撃は凄まじいものです。例えば東日本大震災(2011.3.11)が発生した、その時のように
その時、運命の軌道に巨大な亀裂が入り、ガラスのひびが広がってゆくかのように、 あらゆる可能性の束が発生します…しかし、従来の安定した軌道はすっかり潰されてしまっているため、 危険な隘路を通るコースになります…通常は「通れる」とは思われていなかったコースを
狭い隘路に殺到する、あらゆる出来事。タロットカード「塔」が指し示す事象。 それは必然として、あらゆるトラブルと、遅延と、パニックを引き起こします。 3.11における交通機関のパニック…トラブル続出が、大量の帰宅難民を発生させたのと同じ事です
カード「塔」の正位置/逆位置は、どちらも同じ「崩壊」を意味するものですが、その解釈は異なってきます。 どちらに正負の意味を読み込むかは、その時の状況次第… 「撤退戦が成功するか否か」でリーディングする場合が多いのではないかと思います(ただし、当サイトの感触のみです)
現実には、破綻処理…撤退戦の手腕に優れた人材は、極めて稀です。 撤退戦は、「組織としての、危機の中における生存率/再生能力」が問われる戦いです。 陣営の建て直しは、単なる構造改革とは明らかに異なるものなのです
3.11東日本大震災の後の日本もまた、 隘路という隘路の中に抜け道を探す…という撤退戦の只中にあると申せます。 千年に一度の巨大な事象。沸き起こってくる物事は、それが如何に突飛な内容に満ち溢れていたとしても、 それなりに意味のあるものなのでしょう
カード・メッセージ=「希望」
主な意味=インスピレーション(霊感)、イマジネーション(想像力)、孤高、新境地、 芸術、高い理想、飛躍、羅針盤、遠方旅行、将来性、進展、均衡、知性、教養、良質な情報、ヒント
どこか孤高・孤独の雰囲気を漂わせるカードです
一面の星空の中、果てしなく遠い星を感受しようと精神集中する人物の横顔…そして、 何処か高いところから流れ落ちてくる霊感の水を受け止める両手…というイメージで描画。 「星」カードが持つ数々の矛盾を意識しました
星と羅針盤は密接な関係にあり、高い境地から物事を俯瞰して見る事が出来る…という状況を指し示しますが、 別に「コンステレーション」という心理学的状況を示す事があります
「コンステレーション」は元々「星座」という意味がありますが、とりわけユング心理学においては、 「配置」と解釈されるものであります。互いに無関係な星の配置が、 星座として意識され意味を持ってくる…それと同じように、無関係に見える物事が、 ある出来事を共時的に現出し構成するパターンとして意識されるのです
「偶然の一致」…シンクロニシティ。タロットカード「星」には、その力が付いて回ります
運命の事象と人間の心理とが、高次元の中で織り成してゆくものを、 「星」と解釈する事も可能でありましょう(占星術は、そういう星の軌道を読む技術として発達しました)。 インスピレーションないしイマジネーションは、 常に、高い境地から到来してくるものであります。それは宇宙の彼方から到来するのです
北村透谷は『内部生命論』で、以下のような議論を行なっています:
畢竟(ひつきやう)するにインスピレーシヨンとは宇宙の精神即ち神なるものよりして、 人間の精神即ち内部の生命なるものに対する一種の感応に過ぎざるなり。吾人の之を感ずるは、 電気の感応を感ずるが如きなり、斯の感応あらずして、曷(いづく)んぞ純聖なる理想家あらんや
インスピレーションを生かすも殺すも、その人の知性や教養の状態によります。 玉石混淆する情報の中で、如何に良質な情報やヒントを発掘できるかというのも、 やはりその人の頭脳や感性、判断力の如何によると申せましょう
逆位置においては、安易な発想、高望み、期待はずれ、頼りなさ、非現実的、独善的、自己中心的、 ひとりよがり…などという傾向が出てきます
星カードは正位置/逆位置の落差が大きいカードです(「隠者」カードほど極端では無いけれど、 理想や希望をキーワードにする分、落差が大きい)。 分裂症、躁鬱性、一貫しない行動、気分屋、神経過敏、悲観、劣等感…という箇所で、 「隠者」カードの逆位置と似ていると申せましょう。 「隠者」カードが新興カルトの教祖になりやすいカードであるのに対して、 「星」カードはその熱心な信者になりやすいカードです
カード・メッセージ=「動揺」
主な意味=不安、信念のぐらつき、磨耗、副作用、迷妄、妄言、混沌、執着が薄まる、 秘密、謎、同情、疑問、流動的、竜頭蛇尾、波乱含み、不安定、静観、回想
宇宙は不安定に揺れ動き、生命もまた常に揺れ動きます。 「月」カードは、その変わりやすさを象徴するカードであります。 満ちては欠ける月の姿に、揺らぎの象徴を読み取ってきた…その長い歴史が感じられるカードであると思うのであります
絶えず波打つ夜の水面(海面でもあるし、湖面でもある、川面でもある)…、 そして首をわずかに傾ける人物の顔、そして淡く光を投げかける月…すべてがおぼろにかすみつつ、 揺らいでいる…というイメージで描画しました
今まで確かだと思っていたものが、後先も知れぬ混沌に投げ込まれる…それは確かに不安を呼び起こす事象であります。 執着心が薄れる事は、逆に言えば、呪縛が薄れた状態であり、新たなものに目を向ける契機ともなります。 しかし、人間は、それ程スムーズに切り替われないものであると思います
妄言を撒き散らす事でその不安に対応しようとする人が居るし、静観する事で対応しようとする人も居ます。 この不安が何処から来るのかと、過去を分析しようとする人、世界の謎を解こうとする人も居るでしょう。 すべては、人次第なのであります
正位置/逆位置の差は、大きくありません。強いて言えば逆位置の方が、 「動揺が終わる」という意味合いが相対的に濃い…と申せましょう
逆位置において相対的に読み取れる「動揺が終わる」という意味合いは、 際限の無い動揺の中で、人がどのような行動を取るのかが固まってくる…という予兆として解釈できます。 しかし、本当に状況や時代を画するものなのか、竜頭蛇尾に終わるのか…という点で、 慎重な読みが要求されるものです
(可能であれば、限度を超えた非難・中傷・愚痴・陰口などといった行為は抜きで、 恐る恐るではあっても、人としての品位を落とさずに乗り切る…という選択をされたいものであります)
「月」カードは、「変容」の予兆でもあります
カード・メッセージ=「興隆」
主な意味=活躍期、進歩発展、意欲的、祝福、前進、自己実現、真価を発揮する、 独自カラーを押し出す、将来性、成績の向上、公明正大、画期的な発明、成功、謎の解明、問題解決
タロットカードの中では、最高に運の良いカードと申せましょう。 運命の軌道において、大小の可能性の束が爆発的に伸びてゆく瞬間を意味するものであり、 将来の繁栄を約束するカードであります
天空に輝く太陽、そのまばゆくも強烈な光が、数多の運命の綾模様を描き出す…というイメージで描画。 樹木が織り成す深い闇をも照らし出し、今まで隠されていたものが露わになる…という意味合いも込めています
「太陽」が意味するリーダーシップは、「皇帝」カードのリーダーシップと似ていますが、 どちらかというと、新しい時代の開拓者…新規事業家・発明家やパイオニアの意味が強くなります (「皇帝」カードは、或る程度完成された国家的・会社的な組織のリーダーを示します)
「太陽」カードは同時に、トップの成功を争う激しい競争時代への突入をも暗示します。 故に、あくまでも虚栄心を出来るだけ排除し、公明正大である事が強く要求されるカードであります。 逆位置となると、そのもたらす暗雲は大きなものになります
逆位置「太陽」の状況に関する事象では、例えば学術論文の捏造が挙げられるでしょう。 捏造を明らかにするのは、これまた闇を暴く「太陽」の力です。 学術ジャンルにおける争いの有り様は、まさに「太陽」カードの正位置/逆位置が示す状況そのものであると思います。 人間の成功への望みは大きなものであり、宿業というものを感じるのであります…
カード・メッセージ=「復活」
主な意味=決断、確定、表面化、打ち明ける、暴露、到来、よみがえり、変容、道が開ける、 変革期、ターニングポイント、ジャンクション、覚醒、悟り、復権、再出発、再開
時代を画するようなターニングポイントの到来、 自分が変容する瞬間…大きな変革期の到来を暗示するカードです。 「悟り」の意味も持ち、精神的なカードであると申せましょう
闇の中を予感に満ちて漂う人物…その人物に一条の光が差し、目覚めをうながす…というイメージで描画
タロットは西洋的な世界観の中で育ってきたものであるだけに、 「審判」カードの解釈はとりわけ難しいところがあります。 伝統的な絵柄では、終末にあたって、 墓から起き上がってきた人々の上で天使がトランペットを吹く…という構成が代表的であり、 最もキリスト教的な解釈を感じるものでありました
「審判」カードは、正位置/逆位置の落差は大きい方です。 逆位置になると、機会を失う、行き詰まりになる、報復、曖昧な状況がじりじりと続く…などという意味となります。 この辺りは「審判」という名づけもあってか、極めてハッキリとしたものであります
「審判」…変革期が到来するという状況に至るまでには、長い長い助走があります。 深い思索を経ていないままの、単なる復活や再生では全く意味が無い…無駄に時を重ね、 悟りを得ていない状態では、いつまでも同じ過ちを繰り返す…
「人生修行」という観点から見て、なかなかに含蓄の深いカードだと思うのであります
カード・メッセージ=「成就」
主な意味=充足、達成、完成、完結、完璧、区切り、海外(グローバル)、 満了、到達、山頂(トップに立つ)、解放、卒業、独立、迷いが吹っ切れる、第二の道の探求
今まで不完全だったものが完全なものになった事を示唆するカードです。 プロジェクトの完結や作品の完結、試合の終了、或いは一連の変化に一区切りがついた事を意味します
一連のステージが終われば、新たなステージがやって来ます。 その意味では、新たな第二の道がある事を予兆し、更なる精進を促すカードでありましょう
ゴールに到達した事を確信し、思索あるいは作業の手を止め、充足する人物の顔を描画。 円形の唐草模様で、完結を暗示しています。伝統的な絵柄でも、 人物の周りを蔦が取り囲むというパターンが定番であります
一方で、輪が完結したという事は、そこに囚われるという意味にもなります。 これが逆位置の意味として出てきます。過去の栄光や実績に執着する余り、 新たな道に目が向けられなくなるのです
逆位置にはもう一つ、「あと一歩のところで停滞する」という意味があります。 完成と共に到来する終結をこそ恐れる…という心もまた、人間心理の微妙なところと申せましょう。 或いは「エネルギー不足で到達しえず」、「気の緩みにより完成の機会を逃す」、 「協調性における欠陥(他人との摩擦が起こりやすい)」という読みも出来ます
「あと一歩」「あと一息」というのは、微妙な「間」であります。航空機の操縦においても、 離着陸におけるわずかな時間が「魔の時間」と呼ばれているように、 ふとした魔物が入り込みやすい空隙であるのでしょう
ひとえに、完全性の難しさを暗示するカードであります
カード・メッセージ=「流離」
主な意味=流浪、道化師、新奇、型破り、死角や盲点を突く、一発勝負、跳躍、飛躍、 通過点、思いがけない出来事、ハプニング、重要な決定、イメージチェンジ、荒療治
タロットカードの中では、最も謎めいたカードであります
定番の絵柄では、崖から今にも落ちそうな旅姿の道化師として描かれます。 これも相当に解釈に迷う絵柄であります。当サイトにおいては、もはや人物の姿は無く、 荷物を結わえた杖が大地(広漠な空間=砂漠)の上に立っているだけで、 あとは無限に広がる時空…一面の星空というイメージで描画
「0(零)」という数字も相俟って、そこだけ、 無限に向かってぽっかりと空いた穴である…という風に思えるカードであり、その印象を意識してみました
何処とも知れぬ彼方から来て、「今ここ」を通過点とし、 そして別の何処とも知れぬ彼方に去っていった者――愚者。愚者はきっと《無限》を旅する旅人に違いないのです。 既成概念や常識的な世界観に囚われる事なく、全く別の立脚点からの視野を提供する者であります
新奇で型破りな発想…しかしそれは、同時に、一発勝負を旨とする流動的な発想でもあります。 死角を突く、一瞬の勝負。それは博打でもあります。博打があれ程に人気があるのは、 その流動性と飛躍性、一発逆転という激変性の故であると申せましょう
一瞬の間の激変…それ故に、不安定なカードであります。逆位置においては、 その不安定さが強調されます。気の変わりやすさ、自由の履き違え、混迷、翻弄、 偏見、空想、欲望に負ける、所有欲…
いずれにしても、この「愚者」カードからは、融通無碍、多技多才、遊戯の達人…などなど、 ありきたりの定義に当てはまらないような多彩な人物像が浮かび上がってまいります。 しかし一方で、その奥にあるものは《無限》であり《虚無》である…と言えるものであります。 その《無限》はループして、再び「魔術師」カードの《無限》として現われてくるのでありましょう
§総目次§
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深森の帝國