深森の帝國§総目次 §物語ノ時空 〉スク・鳥辺野の森

鳥辺野の森――ニイルスク〈根源の底〉

「スク」という言葉とその地理について、現代の研究

以下のテキストは、本書『深森の帝國』 物語ノ本流、 第一部 第一章「十六夜」 中の頁.16-17にて、杖を携えた覆面の神人が発した、「トリは皆、スクへ行く――」という科白の解説編となります。

底(スク)というのは、辺境、村境といった場所を暗示する言葉です。 元々は沖縄周辺の言葉だったそうで、古い城遺跡や聖地などに「スク」という名前が付けられています。 (※「グスク」など)

村はずれ(村の底)、あるいは夙(シュク・漂泊)の者の地、境界の地、 あるいは葬送の地、無縁墓が割り当てられる場所…というほどの意味合いです。

また、この「スク」と「トリ」との関係は深いのだ、という事は、明らかに予想されます。 例えば、「トリを取る」という謎めいた言い習わし…「トリ」=「最後の出し物」、 「最後の出演者」という言葉からも、何かしらの暗示を受け取れるのではないか…と、思われるのです。

》 現代の研究.1 ―― 沖縄における「スク」

一般的には、石塁の築かれた城跡や遺跡を指しており「城(グスク)」の字があてられる。

一方で、石垣はあっても必ずしも城跡であるとは思われないものや、石垣すら無い岩丘や砂丘、 小岩の島、崖、洞穴、といったものに対しても「グスク」と呼び習わすケースがある。

現在でも、なお「グスク」の正体が何であるかは、分かっていない。

今までに出た議論では、祭祀施設、城館施設、防御施設の系統の説が知られている。 現在は、3つの説を時系列に統合したものが一般的である。

古い時代にさかのぼるほどに、 「グスク」よりは「スク/シュク」の名称のほうが一般的になってくる。 中でも、 波照間や八重山などの周辺部には、「スク」のつく地名が多い事が知られている。

わが国本州部でも、昔はスク/シュク地名が多く見られたと言われている。 今でも、古い土地の名前として残っている所が多い。

一貫してこうした沖縄周辺部の島々においては、スクと呼ばれる場所は 強い聖地観に貫かれており、現在に至っても人手が入ること無く、昔の姿を留めている。 こうした「スク」は時代を経て、ウタキ(御嶽)となったものが多い。

なお、ウタキ(御嶽)と呼ばれている聖地は、 琉球王朝の時代になってから呼び名が統一されたものらしく、 それ以前は「モリ/モロ(森)」と呼ばれるケースも多かったと見られている。

》 現代の研究.2 ―― 「スク」の意味

上代の日本語「シキ(磯城)」の系統の言葉ではないかという推測がある。 「シキ」とはまた「石城」でもあり、石に囲まれた聖域を指す言葉だといわれている。

大和朝廷とも関連が見られるキーワードである――大和の枕詞は「磯城島(敷島)」。

渡嘉敷も「シキ」系統の地名である。 「シキ」は「敷居」「仕切る」「敷く」など、境界の設定、区切りに関連が深い。 (注:ここでは、上代日本語における発音の乙類・甲類を無視して論じている。)

一方「ニライ・カナイ」の別称として「ニーラスク・カーナスク」「ニイルスク」がある。 これは「根源の底」というほどの意味合いで、 根の国・常世の国の信仰と関連がある事が折口信夫氏の論文で論じられている。

そして、「ニーラスク・カーナスク」から来訪する神々を祀る場所が設定され、 「スク」という名称が成ったのではないか ―― という考えがなされている。 これは海の彼方(水平軸)からの神々の影向を想定するものである。

後の世になるに従って、天の彼方(垂直軸)からの影向を想定するようになったと言われている (沖縄本島の「天底(アミスク)」という地名など)。


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