深森の帝國§総目次 §物語ノ時空 〉迷宮のミノタウロス

迷宮のミノタウロス――派閥と言う名の牢獄

派閥の力学・考――前篇

――派閥人脈というのは不思議です。

「好き嫌い」や「相性」や「志」ではなく、純粋に利害関係のみで繋がる人間関係。 見知らぬ人同士が、まるで磁石か何かのように、集合と離散を繰り返してゆく仮想人脈の「舞台」。 不倶戴天の敵とさえ、固く手を結ぶ事を可能にするレイヤーです……

財力と軍事力(または暴力)を背景とした心理的圧力(権威)による、人脈の囲い込み。 タイミングと謀略と心理戦と雄弁が幅を利かし、敗れ去った者の怨念のみが増大するレイヤー。

利害関係のみで成り立つレイヤー、であるが故に――宗教や思想すら、 派閥のための道具でしか無いのかも知れません。 イデオロギーは、派閥を固め、派閥内の権力を演出するための道具でしか無い……道具は、時には、 強すぎる宗教心や愛国心であったりするかも知れません……

人脈にすがって、あわよくばライバルを足蹴にして…… この世の最強の権威と権力を独占しようとする人、人、人。 ――『指輪物語』に描かれた、黄金の指輪の呪いさえ浮かび上がってきそうな光景です。

おそらく――複数の部族がその境界を接触し、絶対の覇権を争い始めたときから始まる、 最も古いレイヤーかも知れない、と想像する部分もあります。 文明の発祥と時期を同じくしているかも知れません。

文明主義の「裏」の姿――それは、派閥によって行なわれる権力闘争であるのかも知れない……

古今東西の政治を裏から動かしてきたのが、この「派閥」というシステムで…… この得体の知れないレイヤーは、自らの絶対権威と最大利得を確定するために、 戦争すら起こすものなのだ、と。 そして派閥は、戦争の後の残骸からも、更に利得を求めようとするものかも知れません……

派閥のある限り……勝ち組といえども、ひと群れの生ける屍なのかも知れない――

ニーチェは言います。

空虚になる。――色々な出来事に関わりすぎると、ますます自分の力が残り少なくなってゆく。 だから、大政治家達は、全く空虚な人間になる事がある。 それでいて彼らもかつては充実した豊かな人間であったかも知れないのだ。
――『人間的・2』315
光に向かって。――人間が光に向かって殺到するのは、もっとよく見るためにではなく、 もっとよく輝くために、である。――その人の前に居れば自分も輝くような人を、 世間の連中は好んで光と見なしたがるものである。
――『人間的・3』254

この光とは――カリスマ的リーダーの放つ、まばゆい権勢の匂いであったりもするのでしょう。

それでも、「人」はそれだけの存在では無くて、もっと複雑な生き物ですから、 思いがけないところでホッとしたり、面白かったりもするのであります。

命をすり減らしてゆく派閥の重圧の中にあって、 キラッとひらめくのが、素朴な友情であるように思います。 漢詩が「友情」を大切なテーマにしているのも、うなづけるところであります――


参考のために:派閥を形成してゆく力学――メサイア・コンプレックス

引用元:現在リンク切れ=メサコン(メサイア・コンプレックス)
http://novocaine.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-9d64.html

【以下、適宜引用――】

メサイア・コンプレックスとは人を助けずにはいられないような共依存的な心理状態を表す言葉である。

この心理が形成されるのは、自分は不幸であるという感情を抑圧していたため、 その反動として自分は幸せであるという強迫的な思いこみを発生するからだと考えられる。 さらにこの状況が深まり、自分自身が人を助ける事で自分は幸せだと思い込もうとするようになる。 ここには自己愛も見え隠れしている。

しかし、結局のところ、そういった動機による行動は「自己満足」であり、 相手に対して必ずしも良い印象を与えない。というよりも、 却って相手を悪い状態に落としてしまうこともあるから厄介だ。

つまり、自分の劣等感に気づくことがなく、 むしろそれを救ってほしいという願望を他人に投影してしまい、 他人を救済している自分を見て満足するのである。 (※自己投影と言われる心理現象)

その背後には、劣等感だけではなく、人に対する優越感も混じっていて、 他人がありがた迷惑と感じていても一向にお構いなしに親切の押し売りをする。

また、相手がその援助に対し色々と言うとメサコンの人は不機嫌になる事もある。 突然キレて猛然と批判した相手を攻撃し始める。

善意でやっていると本人は思っているから、 それに沿って人からありがたがられるときには上機嫌なのだが、 反対者や批判者には人が変わったように邪悪な言動を繰り返すこともあるわけだ。 つまり、賛同者にメサコンの人は依存しているわけなのだ。

本人に自覚がないだけに「困った人」なのである。

対人援助職の中でも、特にカウンセラー志望者には、 この類の「本当は自分が救われたい人」が大挙して受験しに来る。 ネオスピ(※21世紀初頭のスピリチュアル・ブームを意味するか)にも、 これと同類の人々がいるのが、とてもよく分かる。

神懸かり系、霊懸かり系の人の様子を観察していると、 まったくメサコンとしかいいようのない言動も目立つ。

逆をいえば、 それだけ現代人は救世主やスーパーヒーロー(ヒロイン)を待望するくらいに切羽詰まっている人が多く、 人気を集めてしまうのであろう。 そうしてメサイアの託宣に依存すればするほど、メサイアは信者に依存を深めることになる。 教祖は支配しつつも信者(賛同者)に依存もしている。 信者がいなければ、裸の王様に過ぎないのだ。 なので、誰も相手にしてくれなくなるような状況をメサコンの人は極度に恐れているはずだ。

コンプレックスというのは、別に劣等感だけではない。 その人の心の琴線に触れる感情の塊であり、普段は自覚されることがない。 でも、それは「心の地雷原」でもあるので、 他人がそこに踏み込むと大けがをすることもあるから、 適当な距離を置いて付き合った方がいい相手もいるということだ。

そういうコンプレックスを抱えている人々が集まる場所では、ネットでいう「炎上」も起こりうる。

たとえば、劣等感コンプレックスの強い人ばかりが集まる集団では、 その中にいる限りはコンプレックスを共有できるから、お互いに慰め合ったり、 助け合って、親密な人間関係ができたとか、非常に居心地がよいと感じられるようになる。

そのようなグループでは、お互いのコンプレックスに関する自覚がない限りは、 その集団の結束力は強まり、虜になってしまい、簡単には抜け出しがたくなる。

ところが、メンバーの中に自分のコンプレックスを自覚し、 目覚めた人が出てくると、今度は集団のメンバーと対決しなければならなくなる。

どの集団であれ、建前や大義名分があるので、誰かがコンプレックスに気づいてしまうと、 それは、反逆、裏切り行為として見なされ袋だたきに遭う可能性も出てくる。

【――以上、引用】

参考のために:派閥における「絶対権力」演出の力学――心理学の知見

引用元:現在リンク切れ=ネットカルト脱会の勧め(8)
http://novocaine.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-6616.html

【以下、適宜引用――】

日本では、いまだにカルトに関する明確な定義というものが確立されていませんが、 欧米諸国では、かなりはっきりした基準が打ち出されています。

たとえば、フランス。フランスの国民議会ではAlain Gestを委員長とする カルト問題に関する委員会が、1995年にカルトとして認定するための基準を明示しています。

カルトとは、「追随者(信者)から無条件の忠誠を獲得すること、批判的精神を減退させること、 倫理、科学、公民、教育など公的に許容されている言論の破壊に関わる 心理的な不安定さをもたらす操作を狙っている集団であり、 それは個人の自由、健康、教育、民主的な制度に対する危害を及ぼすことに関わっている集団である。」 と定義されています。

―(中略)― また、アメリカでは、 「自らの利益追求のためにあからさまな欺瞞を行う集団をさし、宗教のみならず、 教育及び心理療法、商業、政治の分野においても同様の活動をしている集団はすべて 破壊的カルトである」(Hassan,1988)とされています。

フランスの基準では、

  1. 精神的な不安定をもたらす
  2. 法外な金銭的要求を求める性格
  3. 社会からの孤立(家族崩壊、友人や恋人などとの絶縁も含む)
  4. 身体的健康に対する危険
  5. 子どもたちを巻き込むこと
  6. 多少なりの反社会的な言説を流布すること
  7. 法や秩序を混乱させること
  8. 訴訟が多いこと
  9. 従来の経済的流通とは別のルートを持っている可能性
  10. 公的権力に対する浸透しようとする企て

などを行っている集団はすべてカルトと認定されます。 この辺はキリスト教文化圏における動きということもあり、 それに挑戦する集団をカルトと見なしている部分もあるので、 日本での状況にそのまま当てはめることはできませんが、 日本ではまだまだカルトに関する認識が甘いといわざるを得ません。

軽い気持ちで情報に接触するところから、心理的な操作が始まることを、 スピの初心者は知らないでしょう? 無批判に、与えられた情報を鵜呑みにすることから、あなたは「虜」にされているのですよ。

―(中略)― 「信者」は、簡単には自分の信念を変えようとはしない。ここに、カルトの巧妙さがあるのです。 権威を持った者に対する「支配−依存」の構造がその根本にあります。

カルトの外にいる人がいくら呼びかけても、一向に彼ら信者が考えを変えないのは、 カルト特有の集団心理が働いているためです。以下に、その心理学的根拠をあげていきましょう。

【注】―以下の連番部分の説明は、引用元サイト(現在リンク切れ)からの要点抜粋のみです。

――カルト特有の集団心理における心理学的根拠――

  1. 権威への服従の心理――「代理状態(agentic state)」
    命じられている行為についての責任もあまり感じなくなり、 自分は「代理人」として命令を果たしただけという弁解をするようになる
  2. 預言が外れても信者は信仰を捨てない
    自分たちの信念に反する出来事が起こったとしても、 他に信仰を強化するような情報を意図的に集めてきて、自分自身を納得させ、こじつけをし、 自己正当化を行うことで、預言が外れたことによる矛盾をカバーしようとする
  3. 賞賛されると信者は信仰を捨てない
    カルトの教義を正しい、正義であると信じている人たちに、 自分たちが日頃取っている教団への貢献活動、教祖への応援を行い、 教祖や仲間から褒められる、激励されるといった経験をすると、 信者はますますその信仰を強化
  4. 集団に帰属意識を感じることで信仰が強化される
    よそ者や異教徒、社会に対しては敵対的意識が強まり、身内に対してはとても寛容で、 そのメンバーであることが自分の拠り所、家族的な雰囲気を持った「ホーム」だという意識が芽生え、 非常に団結力が強まる

一度カルトにはまってしまった人で、現在進行形でその集団にいることで満足している人にとっては、 周囲が何を説得しても動じることはありません。 そこにいる方が、自分らしく輝いていると思えるような正当化の材料がいくらでも見つかるし、 その集団に所属していることで一種の安心感や充実感も芽生えてしまうためです。

【――以上、引用】


派閥の力学・考――後篇

派閥を形成し、派閥ゆえの絶対権力、及びその権力闘争を生み出す「力学」とは何でしょうか。

派閥と権力。――これはむしろ、心理学、呪術、オカルトといった類のものが、 色濃く影を落としている領域であると考えられます。 そして、実際に古今東西の歴史を見ると、政治システムの構築は、 その総てが祭政一致体制からスタートしているという事が明らかに読み取れます。

派閥を維持するための「権力の原理」と「呪術の原理」とは、 同じ軌道の上にある――同じ「力学」で物語る事が出来る――という、 不気味な傾向を暗示してはいないでしょうか。

現代政治における派閥も、新興カルトと似た原理で動いているのかも知れません。

新興カルトでいう「霊能と呪術」が、「経済力と軍事力」に置き換わっただけ――どちらも、 自らの地位と権能を保証し、他人をコントロールするべく使われる道具です。

そして、教祖や政治家に必要な資質とは――常に、カリスマ性と雄弁です。

派閥というのは、おそらくは、純粋に利害関係で成り立つ事が可能な組織です。 派閥の人脈の原理は極めてシンプル――本来は、現実世界では極めて特殊な部類の人脈であり、 それは、利益や損害などの「因縁」が濃密になればなるほどに、宗教系の人脈に近くなるのかも知れない――

この「因縁」は、派閥という仮想レイヤーで蓄積されてゆくが故に、現実の世界と虚構の世界とを選ばない筈です。 派閥は――政治関係においては実質的な利害関係を前提としていますが――宗教に傾くほどに、 この利害関係は、より心理的依存を誘うが故に、より決定的なものになる筈です。

派閥への心理的依存。

ここに、古代文明社会が生み出した、祭政一致体制――「絶対権力」の始原を見たいと思います。

――ネット依存症、という言葉があります。

ネットは、あらゆる身分の制約を越えてリンクする事が可能です。 即ち、シンプルかつフラットな仮想人格によって成り立つ集団が築かれるという事です。 これは、シンプルかつフラットな仮想の原理――利害関係のみでつながってゆく派閥人脈と、 相似であり同質なのでは無いでしょうか。

ネット依存症の本質とは、「派閥依存症」である―― 筈なのです。

「派閥依存症」――それは、自覚のない集団依存であり、集団幻想であります。

人間の欲の中で、一番強いのが、おそらくは集団欲。 もともと、人間は常に孤独感を埋める事を欲する、(多分愚かで)か弱い生き物です。 集団依存は、狂いやすく壊れやすい人間の精神を保護するためにも、必要不可欠のものであると言えましょう。

そして人間は、孤独感が埋まる安堵感を通じて、ある種の催眠状態に落ちてしまい、 周囲が見えなくなることがあります。 メサイア(救世主)という権威の光が生み出す魅惑の乱反射、 ありとあらゆる錯覚……現実と虚構とが入り交ざってしまう場所――集団幻想、 という〈場〉が立ち上がる事になります。

――メサイア・コンプレックス―― その闇の深さ……

集団幻想は、「現実」を立ち上げる〈場〉のエネルギーに満ちています。 政治の派閥しかり。宗教の派閥しかり。 それは、多くの人を次々に絡め取ってゆく強烈な呪いにして催眠術、「運命の巣」であると申せましょう。

悲劇が起こるのは、その依存先の集団が、きちんとした現実多層の絆で結ばれた家族や友人ではなく、 壊れてしまった家族や友人(例えば無理心中や集団自殺に誘う友人)であり、派閥やカルトといった、 シンプルな利害原理のみで築かれている集団である時です……

本来フラットであるべき仮想人格が、ネットまたは派閥などといった集団社会の時空で起こる様々な問題により ――カルトの場合は何らかの呪術(?)により――「感情」を増幅させられる。 ついにはそのバーチャルな「感情」が、本人の現実の人格を占領し、最悪の場合、破壊してしまう事がある……

集団幻想の暴走――カタストローフ(破局)。碩学・宮崎市定が警告するところの、「文明主義の病弊」。

……政治のジャンルで思い出すのは、ヒトラーやスターリンです。 彼らは、知性や感覚には異常が認められないので、いちおう「心理学上の狂人では無い」らしい――ですが、 情操……情緒といったところで、深刻なクラッシュを起こしていたのでは無いでしょうか――

……政治界でも、宗教界でも、「依存」と「依存症」は紙一重。この区別はとても難しい。

「集団幻想」と「メサイア幻想」とが交差し、分断し、生成する人の心のラビリンス、この無限の狂える境界。

自覚できない「依存」は、盲目のパッション――闇の迷宮。

……やがて人は、その迷宮の奥に、美しい灯りを見つけるでしょう……

しかし、その灯りは、ミノタウロスの庭園の灯にほかならないのです――

派閥の病弊……集団幻想がもたらす迷宮の催眠術を見切ってゆくために――個人に必要なのは、自覚。

「依存」をコントロールする自覚が出来るかどうかで、明確に異なってくる筈なのです…… 最終的には、自分の力で、精神の宇宙における自立を果たすこと――が理想では無いでしょうか。

派閥の力学・考――結篇

集団の最小単位は、パートナー選びから始まるものです。

しかるに、このパートナー関係が「依存」になるか「共存」になるかで、 その後の集団の有様が異なってくるのでは無いでしょうか。 もちろん、依存から始まる関係は、やがて「迷宮のミノタウロス」を作り上げる筈です。

難しいのは、「より良いパートナーを得よう」と思っている人が、 必ずしも「共存関係」、もしくは「共生関係」を組めるわけではない、という事です。 そこには、常に、「自己投影」という現象との闘いがあります。

自己投影――ここから、相手への「依存」が始まるのです。 この「依存」を自覚しない限り、やがて互いの精神を傷つけ合い、 「共倒れ」または「分裂闘争」という、最悪の運命が到来するのを待つのみでありましょう。

集団社会――派閥。ないしは運命共同体。グループ結成した後の関係維持が、どれほど難しい事か。

最初の世代の意識が高くとも、次の世代の意識がついてゆかない場合、 最初の「共存」は、必然として「依存」に変わります。 その派閥内の人脈は、互いに支えあっているようでその実際は、 馴れ合いともたれ合いである――と言える筈です。 それが、やがて、派閥の人脈の破綻をもたらすのでは無いでしょうか。

互いに自立した人間同士の、共存関係。それは、〈大自然の秩序〉と同質です。

それはまた、「和」や「共生」、「武」というものの本質について 考えさせるものであると思います。

和をもって尊しとなす。――想像以上に、高度な思索を迫るものであると申せましょう。

このささやかなシリーズを通じて、新たな思索が刺激されれば、望外であります――

》補足:未知の人物を判断するための基本

「言葉」よりも「行動」で人物を判断するのが確実――行動は、嘘や誤魔化しが効かないから。

友人・知人を名乗る人々が次々に出てきて、該当人物を褒め上げたり、 横から情報を補足してきたりするのは、信用しない方が良い―― 何らかの良からぬ目的のためのステルスマーケティングや、詐欺の疑いあり。

様々な脅しを使って、個別の連絡を絶つように仕向けてくる人物は信用しない方が良い ――第三者同士の調査の突き合わせで、嘘や後ろ暗い事情などが露見するのを防ぐという理由がうかがえるため。

自己愛性人格障害や境界性人格障害に反社会的人格障害(過剰な社会批判を繰り返す傾向がある)が混ざる人々は、 一般的に共依存が激しい。一心同体の類友のようなコロニーを作る。 その中に居る人々は極めて妄信的になっており、カルトに嵌まっているのと一緒で、目を覚まさせるのは困難。 思わぬ犯罪などに巻き込まれたくなければ、敬遠する方が良い。


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