深森の帝國§総目次 §物語ノ時空 〉星巴の時空1=諸國創世ノ章

星巴の時空1. ―― 諸國創世ノ章

この記事に関しては、序文・本文(前篇・中篇・後篇)、および、付記、あとがき篇の構成となっております。

――以上

序文:古代ヨーロッパの歴史考察について

古代ヨーロッパについての疑問は、 「何故、元は多神教であった地が、一神教に染まったのか?」です。 (これはアラブ方面にも言えます。)

この変化を可能ならしめたのは、歴史の分断であった……とすれば、その歴史の、「謎の分断」は、どこにあるのでしょうか。

ヨーロッパがキリスト教に染まり始めたのは、ローマ帝国の代になってからです。

しかしながら、ローマ帝国の頃に流行した新興宗教を見てみると、 結構これが大混乱という感じで、それこそ「何でもあり」という有様です。 「エレウシス」、「ミトラ教」、その他、ありとあらゆる古代神秘密儀ジャンルが大流行していました。 イシス崇拝やゾロアスター教も流行しています。 エレウシスは死と再生の女神に関わる密儀。ミトラ教の象徴は金の牡牛。

ギリシャ風も人気で、ギリシャとエジプトの混ざったような神様も作っていました。代表的なのがセラピス神。 このセラピス神は、彫刻を見ると少し繊細で、両性具有っぽい顔つきです (でも、彫刻なのだからして色々あって、真男っぽいのもあるとは思います)。

当時のキリスト教の本場もエジプトにあって、「コプト教会」というのがありました。 他にもグノーシス派、エッセネ派といった原始キリスト教の流派が活動していました。 (後に、一部は異端として、主役の座を追われることになります。)

さて、当時のローマ帝国市民の精神社会…、この状況は明らかに、 古代から営々とあったギリシャ社会やポリスの伝統が分断されて、 混乱の極みにある社会だろう、と、さすがに見て取れる訳です。 いわゆる「国際的」、「無国籍」、「コスモポリタン」。

それは、文字通り――国境が溶解し尽くした世界。

――共通の「故郷」を改めて設定しなければ、根無し草で漂流で不安で しょうがない、という心理にもなる筈であります。 そうした混乱状態の中、磐石なる新たな故郷(=天国)を「積極的に」提供しようとしたのが、 新進気鋭の福音教、キリスト教であった――のでは無いでしょうか。

古代ギリシャから続く、ポリス伝統社会の溶解と崩壊…… それは、唯一絶対神の宗教にすがらざるを得ないほどの、 社会的動揺であったろう――と想像し、結論するものです。

当時の人々の思いは結局のところ、想像する以外に無いのですが――、 ローマ社会を期に、国教が多神教から一神教に入れ替わった訳ですから、 それほどの社会的動揺、人心クライシスだったのだろうと結論する訳です。

そして、当時のキリスト教は、すさまじい迫害と殉教の時代でもありました。 ネロ帝のキリスト教迫害は有名な話になっています。

殉教者の生き様(死に様?)を多く見てきたローマ帝国市民の間で、 キリスト教を信じれば、死も怖くないのだ――という「憧れ」めいたものが 生まれ、広がっていた…という可能性は大きいと思います。

以上のような社会&人心クライシスをもたらした淵源は、いずこにありや?

――それこそが、ヘレニズム時代。 ヨーロッパ・アラブ両世界を駆け抜けた大激震、 急転直下の国際情勢、と言えるほどに大きな動乱の時代。 アレクサンドロス大帝国の急激な成立と、その急激な崩壊……

アレクサンドロス大王こそが、 ヨーロッパに(アラブにも)深刻な精神動揺をもたらした、 「謎の分断」の正体では無いだろうか…と、考察するものであります。

元記事(ブログ): 古代ヨーロッパの歴史考察(準備体操篇)

前篇:歴史の大いなる断層 ―― ヘレニズム時代

ヘレニズム時代に至る世界情勢を、以下にまとめました。

◆前333年
アレクサンドロス大王が、イッソスの戦いに勝利しました。
アケメネス朝ペルシャ帝国ダレイオス3世の軍隊と衝突したものです。
これを描いたモザイク画は有名。(ポンペイから出土)

―― はるか東アジアの果てでは、諸子百家のうち縦横家の蘇秦という人が、 秦を封じ込めるという、六国合従策に成功した年でもあります。 秦はそれに対抗して、同じく縦横家の張儀という人に連衡策をやらせています。 これは、各国と秦との間に、密約よろしく二国間同盟を結んでゆくと言うものだったそうです。

◆前330年
ついにペルシャ帝国は滅亡します。
もっとも滅亡に際しては、ペルシャ国内の内紛が原因のようです。
◆前325年
インダス川まで進軍したアレクサンドロス大王が、反転して故国を目指した年です。
大東征における行軍距離=1万8000キロメートル(※地球周囲=およそ4万キロメートル)
※領土範囲が世界的なサイズであった事は、重要であると考えています。

―― 秦の恵文王が「秦の王なり」と初めて称した年でもあります。 恵文王は、始皇帝の前の秦王です。当時の秦は、中原では最西端の位置にありました。 この位置関係をつらつらと想像してみるに、恵文王はアレクサンドロス大王の 急な引き返しを知ると、天まで飛び上がって歓喜の舞を舞ったに違いないのです…^^;

◆前324年
ペルシャのスサの都にて、ペルシャ人の貴婦人とマケドニアの貴族との集団結婚式。
アレクサンドロス大王自身は、ダレイオス3世の娘スタティラと結婚。
※ここで、人種融合や世界共通市民の理念が提唱されました。
◆前323年
大王の死後、アレクサンドロス大帝国は後継者争い(ディアドコイ)を通じて3つの国に分裂。
……ちなみに、集団結婚式のカップルも、この年に多くが離婚したそうです^^;

※3つの国=アンティゴノス朝マケドニア、プトレマイオス朝エジプト、セレウコス朝シリア。
うち、セレウコス朝シリアは領土が広大すぎて、その後、分裂しました:

年表を追うのは、ここまでとなります。後のために、アレクサンドロス大帝国の領土範囲、 およびアレクサンドロス大王の提唱した共通世界スローガンについて、心に留めていただければ幸いです。

図版:アレクサンドロス大帝国の領土
アレクサンドロス大帝国の領土地図
出典:ウィキペディア「アレクサンドロス3世」

上のような経緯を辿って、おそるべき歴史の断層、ヘレニズム時代が幕を明けました。

ヨーロッパ世界の歴史を「それ以前/それ以後」に分断した大きな境界は、 ユーラシア大陸を駆け抜けた英雄、マケドニア・アレクサンドロス大王(前356〜前323)であったのです。 古代のハイパー・シンクレティズム・グローバル社会の爆発――

小アジア(現在のトルコ地域)は、ヘレニズム諸都市が最も栄えたところです。 数々の名高い哲人が、ここから出ました。そして、当時の最大のハイテク都市・国際都市として名をとどろかせたのが、 プトレマイオス朝エジプトの擁するアレクサンドリアであります。

幾何学の祖ユークリッド。物理学の祖アルキメデス。地球周囲測定者エラトステネス。地動説アリスタルコス…

ヘレニズム美術は、前時代よりもずっと華やかなものになりました。この時代を代表する彫刻作品として、ミロのビーナスなど。 建築様式では、装飾に贅を尽くしたコリント式が全盛を迎えます。まさしく、文化におけるギリシャ風=ヘレニズム旋風、 経済的には、ヘレニズム・バブルが行き渡ったのでありました。

既知の世界の風景が、みるみるうちに変わっていく――この事象は、 これまでの伝統的なポリス社会の枠組みの中で生きていた人々にとっては、恐るべきショックだった筈なのです。

ポリスの無い北方の蛮族マケドニアの民に、あっという間に征服された事。 そして、またたく間にギリシャ・ポリス都市が打ち捨てられ、ペルシャ風・エジプト風・アジア風が混ざっている、 異形とも言ってよい新興ヘレニズム諸都市に、地中海交易の主導権をにぎられた事――

しかも、それまでの貨幣が価値を失い、アレクサンドロス大王発行の新貨幣を本とする、 グローバル経済に置き換わっていたのです。それは、シルクロード経済の発達をも促しました。

――ヘレニズム諸王国時代、およそ300年。ここに、ヨーロッパ・アラブ二千年の基が築かれたのです……


中篇:ヘレニズムの動揺 ―― コスモポリタンの発生

ヘレニズム時代とは―― 激しい文化的シンクレティズムと、社会&人心動揺の時代であります。

エポックメーキングは、コスモポリタン(世界帝国市民)意識の発生。 現在は「無国籍の人」という事になっているそうですが、 これはどういう文脈で言うかというと、以下のようなもののようです:

「――お前は何処のポリスの者か?――」
「――私はどのポリスの者でもない。この世界(コスモス)こそが我がポリスだ――」

アレクサンドロス大帝国の発生は、実に、世界「普遍」帝国の発生でありました。 概ね、その言語基盤……国際共通語は、古典ギリシャ語が変形した「コイネー(共通語)」であります。

コイネーは、同時に、エリート言葉でもありました。 ゆえに、この頃から上層/下層の人々の言葉環境(イントネーション等)の差や、 上/下の階層の文化的距離が広がり始めた可能性がある――と、申せましょう。

――アテナイの平和崩壊、ポリス間紛争、文明終末期に入っていた古典ギリシャ文明。 そこに彗星の如く現れた、マケドニアのアレクサンドロス大王―― そのアレクサンドロス大王がくわだてた人種融合、集団結婚式。 そこでなされた宣言は、「諸民族の宥和」、「世界市民の共存」でありました。

ローマ帝国成立より300年も前に、ユーラシア東西文明の混淆と、 それによって立つ共通・普遍の世界の発生があった事を意味しているのです。 これに続くヘレニズム宇宙に、「共通の市民」という概念が確立しました。

共通であること。

普遍であること。

後のローマ帝国の版図をはるかに超えて、シルクロード諸国全体をも巻き込んでいった、 まさしく世界的な出来事でした。シルクロード経済の興隆(共通貨幣の広域流通)に見られるように、 政治だけでなく経済方面においても、あまねく行き渡った変容でありました。

こうして確立したヘレニズムの諸理念を、後のローマ帝国が継承したのです。 パックス・ロマーナの奇跡の影に、かように先立つ広範な物語があったことは、絶対に外せないと思われます。

西欧の文明理念――「西欧は普遍である」という強迫的なまでの理念の発祥を、 この激動のヘレニズム時代に求める事さえ出来るのです。

しかし、怒濤のボーダーレス化、コイネー(共通語)の言語環境の中にあって、 伝統的ポリス社会で育まれてきた古典ギリシャ哲学は、激しく衰退します。 古典ギリシャ文明を担う共同体を成していた人々やその文化が、 社会的に断絶・溶解していった、混迷の時代でもあったのです。

(もっとも、ソクラテスに毒杯をあおらせた件を取り巻く事情に見られるように、 ポリス政治は以前から激しく分裂し、党略的・利権的なものに堕していたという事が指摘されています)

それは、正しく、恐るべき歴史伝統の分断でした。「ポリスに属す」という伝統的結合体を構成していた人々が、 根無し草の、バラバラの有機体、コスモポリタンたる個人個人となって、「普遍世界」の中に漂流したのです。

自然、ヘレニズム諸王国の政治は、ポリス共同体を背景にした権威支配ではなく、 コスモポリタンの囲い込み、軍事力・経済力による権力支配でありました。 (実際は、ポリス的な要素も多分に残っていたと思われますが…ローマ帝国の頃には、 すでに権力支配のスタイルが完成したと言えるでしょう)

こうして、ポリス的なものに価値を置く古代伝統社会は崩壊します。

恐るべき伝統の断絶――ヘレニズムの混迷の中、「人はいかに生きるべきか?」という生の苦悩に満ちた問いが、浮上しました。 倫理の確立や個人の内面といったものに注意がゆき、ゆき過ぎて絶望し、自殺を選んだ哲人さえ数多くありました。

ヘレニズム時代からローマ前期の時代に起きた神秘主義・オカルティズム・密儀、バッカスの祭りなどの熱狂的な流行は、 この恐るべき伝統断絶感、崩壊感を埋めるがためのものでもあったのです。

そう、当時の人々がひたすら求めたのは――「個人」の安心立命でした。

それほどに人々は、ボーダーレス化するグローバル社会の中において、 孤独と絶望にさいなまれた「絶対的な個人」でありました―― 伝統の根を絶たれて、果てしも無く動揺するコスモポリタンであったのです……


後篇:ヘレニズム哲学から絶対一神教へ ―― 歴史の分断と混迷の時代を生きる

コスモポリタンの発生と漂流…そうした中、新時代を切り開く哲学として浮上したのが、 混迷を生きるための哲学、ストア派とエピクロス派でありました。

ストア派
コスモポリタン主義。宇宙理性(ロゴス)が世界に遍在し、一切はこのロゴスの摂理に従う。
この神の摂理(ロゴス)にしたがう賢者は、アパテイア(完全理性)の境地に達するであろう。
エピクロス派
隠者主義。万物は原子と真空によって構成されている。感覚は実在の偉大なる伝達者である。
生活を簡素にして自然との究極の調和が得られたとき、これをアタラクシア(平安充足)と言う。

更なる発展形として、絶対一神教のスパークにして理論的バックボーン、新プラトン主義も登場してきました。 (新プラトン主義=完全なる一者から世界が流出生成したという思弁)

アレクサンドリア図書館の最後の司書、 女流科学者ヒュパティア も新プラトン主義の人だったと言われています。

そして、重要な事件が発生しました。イエス・キリストと、その福音の登場です。

このヘレニズム時代の遺産、共通普遍(コイネー)世界を舞台として、「西欧普遍世界」における画期的な個人救済である、 普遍宗教・キリスト教が発生し、またたく間に普及したのであります。

更に時代を下って、アラブ方面でも、マホメットの登場を通じて「アラブ普遍世界」における個人救済、普遍宗教・イスラム教が成立。

恐るべき歴史の分断を経て、生まれてきた福音教……キリスト教とイスラム教。 そしてこの2つの新興宗教は、それまでの多神教の世界を駆逐したのであります。

この多神教/一神教の怒濤のごとき「入れ替わり」もまた、 かつてのアレクサンドロス大帝国の領土範囲の中で進行した出来事でありました。 実に恐るべきかな、ヘレニズムの因縁。

個人救済の性格を持つ「普遍宗教」は、ヘレニズム時代が生み出した、コスモポリタン漂流社会における、 究極の人心救済メソッドであった――とも考えられるでしょうか。


付記:――「宗教」私観――

religion の意味には、「神との再結縁」というのがあるそうです。

本来の宗教とは、 「世界」から切り離されてバラバラになり絶望に落ちる「個人」を、 再び「世界(亦はゴッド)」と結縁する(救い上げる)とか、そういうものだったのでしょう。

そして、おそらくは――創生の息吹きに満ちていた頃のキリスト教は、洗礼を通じての「再結縁」の能力があったのです。 そうした中での、教父アウグスティヌスの提唱した、「人は洗礼を受けなければ人では無い」というドグマの採用…

当時の人々の動揺がどれほど激しかったか、どれほど孤独の闇にうちひしがれていたか、 そういう悲しいコスモポリタンならではの心理が透けて見えて、恐ろしくなるのです。

名高い「アダムとイブの楽園追放」のエピソードや、ぬぐい切れぬ「原罪」感覚には、 そういう伝統世界の断絶と結縁の喪失による悲しみや不安が、 合わせ鏡の如く映し出されているのだと考えられはしないでしょうか……

社会上層のエリートなら、上のような数々のヘレニズム哲学に慰めを見いだせたのでしょうが、 知識も活動も制約されていた下層の人々には、それは到底かなわぬ事であった筈です。

キリスト教が何故、ローマ帝国下における激しい弾圧にも関わらず、下層の人々の間で爆発的に広がっていったのか―― それは、こうした数々の与件が重なっていたからこその事象であったと思われるのです。

一方、古代日本語は、こうした「結縁共同体」の概念を、「ムスヒ(結び、産霊)」、「ユヒ(結)」、「ウブスナ(産土)」 などで言い表してきました。お宮参りの風習は、この結縁の慣わしが現在まで残ったものですが、 「宗教」と言うよりはもうちょっと、広い意味で混然となったものを含んでいるようです。

――「宗教」私観―― 》洗礼と洗礼名について

キリスト教では、専門の司祭や牧師が洗礼を行ない、 神に代わって洗礼名(「人」と認められた証しとしての名前)を授ける事になっています。 すでにプロの手を必要とする専門業である――という点で、 キリスト教における「世界(ゴッド)」と「人間」との遠大な距離感が感じられるものであります。

神の代理人という地位と、神/人の間の距離感――という要素の共鳴が、 ローマ・カトリックに絶大な世俗権力を約束したのではないでしょうか。 こういうと語弊はありますが…歴史の流れの中で、その後の西欧キリスト教は、 「神と人との再結縁」よりも、「神の代理人としての世俗支配権」を選択したのです。

※神道の考え方だと、 日本人はみな神の分け御霊(みたま)を授かっている存在である(神に生かされて歩むものである)…となります。 ある意味、親から授かった名が、神の授けられた名なのです。


あとがき:アレクサンダー・ロマンス ―― 歴史の断層を駆け抜けた物語

アレクサンドロス大王のその後――物語世界への波及は大規模なものとなりました。

アレクサンダー・ロマンスと言う、巨大な物語ジャンルが生まれたのです。

「アレクサンダー・ロマンス(アレクサンドロス大王伝説)」は、当時としては世界最大の流布エリアを達成した物語群で、 加筆・改ざん・牽強付会・誤訳を経て、1400年もの間、栄える事になります。

これらのアレクサンダー・ロマンスの種本は、3世紀のアレクサンドリアで流布した大衆本であると言われています。 御用史家の肩書きを付けられた架空の人物、 偽カリステネスの「マケドニア人アレクサンドロスの生涯」というタイトルの本です。(現在は紛失)

アレクサンダー・ロマンスは、 ヨーロッパ・アフリカ・中近東イスラム世界・東南アジアの24ヶ国語、 80種以上にわたる空想的・夢幻的な伝奇物語群となりました。(別説では35ヶ国語、200種に及ぶと言われる)

アレクサンドロス大王は、これらの物語の主人公として、 当時の人々が思い描いた異国及び異国の生物――「無頭人の国」、 「巨人の国」、「託宣する双樹」、などの幻想的な舞台を駆け巡る事になります。

現存する最古の写本はアルメニア語、5世紀後半。最後の訳本はアラム語〜トルコ語訳、17世紀後半。

中世ヨーロッパにおいては、アレクサンドロス大王は、騎士、宣教師、神の啓示の英雄、求道家、占星家、 錬金術師などの姿で語られています。

中近東バージョンでは、アレクサンドロス大王はユダヤ教徒あるいはイスラムの戦士となっており、 エルサレムやメッカに巡礼し、凶族ゴグ・マゴグ討伐に出向くというシナリオも作られました。

コーランにおいては、アレクサンドロス大王をドゥルナルカイン(双角の人)と讃えています。 イスラムの宣教者というシナリオ・バージョンさえもあるのです。

※「双角の人」という表現については、コーラン以前に流行していた古代牡牛信仰が下敷きになっているそうです。 ゾロアスター教、ミトラ教といった宗教も牡牛信仰としての側面を備えていました。

中世ペルシャ詩人ニザーミー(1141年〜1209年)著、「イスカンダル・ナーメ(アレクサンドロスの書)」では、 彼はついにチベットを越えて、中国に押し寄せるまでに及びます。

これほど多くの伝奇的なエピソードを世界中に振りまいたアレクサンドロス大王というのは、 実に稀有な人物であると申せましょう。中国の歴史逸話集にも、 「アレクサンダー・ロマンスの焼き直し」と解釈され得る物語が結構入っているそうです。


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