深森の帝國§総目次 §物語ノ傍流 〉暁闇剣舞姫6

天球のアストラルシア―暁闇剣舞姫―(6)

◆Part.6「深き淵に星は巡りて」
6-1真夜中を駆け抜ける
6-2逃亡者と追跡者
6-3大型の転移魔法陣
6-4反逆の刃を振るいて
6-5凶星の夜と暁星の朝
6-6怒髪天と惑乱の人々
6-7恋人たちの残照
6-8竜王都の長い夜

6-1真夜中を駆け抜ける

既に真夜中の刻だ。

天球の頂からややズレた場所で、真夜中の刻を刻む深邪星(エレボス)が輝いている。 皆既日食の時の太陽のような、特徴的な妖しい外観と輝きを持つ闇黒星だから、非常に見つけやすい『時の目印』だ。 その正体は、やはりエーテルを主成分とする天体とされているが、詳細は明らかでは無い。

エメラルドは、相棒を務めるクラウン・トカゲの背にまたがり、魔物の群に追われながらも、闇に沈む断崖絶壁を駆け下りていた。 クラウン・トカゲは、その驚くべきスピードとジャンプ力とで、魔物の群を振り切って行く。

――竜王都を擁する『魔の山』の地形は、ほとんどが気の遠くなるような断崖絶壁だ。

竜人の居住地である街区を守る城壁の各所には、強力な魔除けの魔法陣が施されている。 更に、その特殊な樹香によって魔物の接近を防ぐ退魔樹林が、城壁の外に寄り添うように林立している。

退魔樹林に守られた城壁を出れば、あっという間に異形の魔物の大群に襲撃されるのだ。 身を守る力のない傷病者や幼体が城壁の外に迷い出れば、断崖絶壁に跋扈する魔物どもの、胃液の中の藻屑と消えるのが常である――

エメラルドは退院間近とは言え、目下、医療院に観察入院中の身であり、真夜中の遠出は禁じられている。 足が付かないように、移動記録の残る各所の転移魔法陣を使用せずに、魔境を突っ切って行くのだ。 勿論、クラウン・トカゲのスタミナと相談して、城壁と退魔樹林が接近している、出来るだけ安全なコースを選んでいる。

(馬丁ゲルベールの選んだルートを、研究しておいて良かった。想像以上に短時間で走破できている)

幾つかの魔境を突破した後、エメラルドとクラウン・トカゲは、7合目辺りの、或る街区を取り巻く城壁ハイウェイで小休止を取った。

巡回パトロール中の隊士の目を盗み、一定距離ごとに設置されている尖塔の一つを選んで、相棒に水を飲ませておく。 何故か、トカゲ同士で何らかの了解が成っているらしく、パトロール中の隊士たちを乗せていたクラウン・トカゲは、 チラリと首を巡らせただけで、「素知らぬ振り」をしてくれた。

エメラルドは闇の中で目を凝らし、馬丁ゲルベールが選んでいたルートに目当てを付けて行った。

見た目は、ベテラン武官でさえ怯む程の凄まじい断崖絶壁だ。だが、クラウン・トカゲの足場となるポイントが上手い具合に並んでおり、 卵を抱えた繁殖トカゲでも走りやすい地形になっている。

エメラルドは、鼻をすり寄せて来た相棒の手綱を取り、アイコンタクトを通じて、走破ルートを示して行った。 賢い相棒はルートを飲み込んだらしく、鼻をヒクヒクと動かして『覚えた。一気に行けるよ』と言う風の身振りを返して来た。

――此処から山麓まで、ノンストップで一気に駆け降りるのだ。1週間前、馬丁ゲルベールとセレンディ・ファレル親子が、そうしたように。

「よし。行くよ!」

再び人馬一体となったエメラルドとクラウン・トカゲは、目も眩むような高さの城壁を一気に飛び降り、再び魔境へと入って行った。

闇がどよめき、不気味な海綿状の魔物が地響きを立てて現れた。巨大な数珠で出来た触手を振り回して来る。 巨大蜘蛛さながらの姿をした海綿状の魔物は、即座に、エメラルドとクラウン・トカゲを美味な獲物と判断したようだ。 長い触手が、断崖絶壁の岩々をあっさりと削りつつ、猛烈なスピードで迫って来る。

目の前に迫って来た数珠の群れ――魔物の触手を、クラウン・トカゲは見事な大ジャンプでかわし、エメラルドは《風刃》でバラバラに切断する。

傍目から見ても相当に薄気味悪い魔物だ(これらの魔物の食事光景は、もっと不気味である)。 しかし、厳しい戦闘訓練を受けたベテランの竜人武官であれば、一人でも撃退できる。

エメラルドは戦闘用の魔法の杖を振るって《風刃》魔法を縦横に繰り出し、しつこく立ちはだかって来るパワフルな魔物を、ことごとく撃退して行った。

夜の空気は冷えて重くなり、山おろしとなって断崖絶壁を吹き降りて行く。 その風の道が、魔境の中の走破ルートを疾走するエメラルドとクラウン・トカゲの、追い風となっていた。

永遠に続くかとも思える、魔物との駆け引きが、不意に途切れる。エメラルドと相棒は、再び、退魔樹林の並ぶ細長い安全圏に入っていた。

エメラルドの頭上を、橋梁にも似た、幾つもの巨大なフライング・バットレス風の構造体が通り過ぎて行く。 断崖絶壁に建造された各所の回廊や街区を、城壁もろとも支えるための、竜王都ならではの建築様式である。

夜空を横切る壮大な構造体の各所に、重量分散のための大きな《橋梁魔法陣》が――しかも、署名入りの物が――夜間照明も同然に、誇らしげに輝いている。 《地霊相》生まれの竜人の大工――魔法職人(アルチザン)や、それに準じる魔法使いたちの傑作だ。

エメラルドの脳裏に、一瞬、仮面の占術官の説明がよみがえった。

――竜王都創建の時代から間も無い頃の事例です。くだんの成功者は《地霊相》の人で、 城壁維持に関する《橋梁魔法陣》……重量分散のための魔法陣を吹っ飛ばして、奥義の発動の媒体にしたそうです――

(その人は、大型の《橋梁魔法陣》を吹っ飛ばしたのだ。複数の街区を擁する大きな回廊が、丸々崩落したに違いない)

歴史に疎いエメラルドには、その記録があったかどうか思い出せない。

しかし、それ程の大災害であれば、街角の人形劇で度々取り上げられるような伝説になっていた筈だ。回廊の崩落に伴う犠牲者が、ほとんど出なかったのだろう。 恐らく、工事の初期で、地盤固定のための施工に続いて《橋梁魔法陣》がセットされたばかりの頃だったか、 或いは建て替え工事中で、ほぼ全街区の住人が居ない状態の回廊だったのだ。

(大丈夫。私の選択は、絶対に間違っていない)

エメラルドの内心の不安に呼応したように、クラウン・トカゲが困惑の鳴き声を上げて、駆けていた城壁ハイウェイの半ばで足を緩め、首を巡らせて来た。 エメラルドは、相棒の気持ちを落ち着かせるため、『何でも無い』という風に、クラウン・トカゲの頭頂部のフッサフサを撫でたのであった。

気が付けば、既に『魔の山』の麓――竜王都へのゲートを兼ねるグランド回廊である。 エメラルドを背中に乗せたクラウン・トカゲは、自慢の脚力で大ジャンプを披露し、城壁からグランド回廊へと飛び降りた。

グランド回廊を巡回していた武官がエメラルドに気付き、誰何して来た。 その武官服はエメラルドの物とは異なり、黒みを帯びたミリタリー・グリーンだ。一目で竜王配下の武官だと知れる。

「こら! そこの男! ……神殿隊士か!?」

エメラルドは髪留めで髪を固くまとめていた。巡回武官は、エメラルドを短髪の男だと判断したに違いない。 しかし、エメラルドは誰何を無視して、クラウン・トカゲもろともグランド回廊を飛び出し、 その先に広がる広大な扇状地――大陸公路に連続する平原へと駆け去って行った。

エメラルドの予想通り、巡回中の武官は、それ以上追っては来なかった。

竜王側の部隊――特に英雄ラエリアン卿を中心とした近衛部隊にしても、翌日『バーサーク危険日』に予想されるバーサーク竜が巻き起こす災害と、 それに乗じての軍事作戦や防災作戦に備えて、スタンバイ中なのだ。たかが小物クラス竜体の逃亡兵と思しき1人、緊急に捕縛する対象では無い。

――ちなみに、クラウン・トカゲに乗っているという事実そのものが、小物クラス竜体の持ち主である事を証明している。 大物クラス竜人は、人体の状態でも自前の身体能力が極めて高いので、そもそもクラウン・トカゲに乗る事はしない。 クラウン・トカゲの方でも、大物クラス竜体を警戒して近寄らないのだ(人体の時は、また別だが)。

*****

「――エメラルド隊士の転移魔法陣の使用記録が、まだ見付かりません!」

バーサーク捕獲部隊の本部は、大騒ぎになっていた。

上級魔法神官ロドミールからの緊急通報を受け、バーサーク捕獲部隊に配属されている下級魔法神官が、数人がかりで『位置情報魔法陣』を稼働させていた。 エメラルドの身体から剥がれ落ちていた異形の鱗を手掛かりとし、魔法による捜索を試みて、その移動ルートを割り出しているところである。

バーサーク捕獲部隊の隊長は、苦り切っていた。

エメラルド隊士は、これまでに大きな問題を起こした事は無い。隊長の見るところ、標準的な、むしろ目立たない方の忠実な神殿隊士であった。 およそ1ヶ月前、卵を抱えたままバーサーク化した剣舞姫(けんばいき)称号持ちの女武官を、エメラルドが見事に取り押さえたという一件は、注目に値する実績だ。 回復を待って、エメラルド隊士をバーサーク捕獲部隊に引き抜きたいと思っていた程だったのだ。

――神殿に絶対の忠誠を誓った身で、何故バーサーク竜と化す危険を冒して、竜体変身を禁ずる拘束具を引きちぎって逃走したのか。 しかも、竜王軍の大将にして猛将ラエリアン卿による大攻撃が予想されるタイミングで、だ! 事と次第によっては、軍規違反、反逆者として逮捕しなければならない!

「エメラルド隊士の行き先は、分からんのか!」

焦れた隊長が、下級魔法神官たちに怒鳴る。 しかし、エメラルド隊士の使用記録が残っている転移魔法陣が存在しないため、移動ルートを割り出すのは、容易では無い。

やがて、下級魔法神官たちの魔法の杖によって、大天球儀(アストラルシア)の中に呼び出された3次元立体地図の上に、位置情報ポイントが次々に表示されて行った。 使われた記録のある転移魔法陣の数は、やはり、ゼロだ。

エメラルド隊士を示す白い点は、リアルタイムでは、ほとんど見えない。エメラルド隊士は偵察スタイルを取って、『位置情報魔法』妨害をしているのだ。 しかし、ほんのわずかな間ながら、無駄なエーテル漏出による魔法破綻が起きるたびに、魔境を猛烈なスピードで突っ切って行く白い点が現れる――

隊長、副隊長と言った上官たちは、感嘆の唸り声を上げざるを得ない。

強い魔物が多いだろうに――どうやって、これ程の猛スピードを維持しているのか。 転移魔法陣を使わずに一気に『魔の山』を下りるルート――『魔の山』全体の走破ルートを、エメラルド隊士は、どうやって見い出しているのか。

「これだけの魔境を一気に突っ切って、移動スピードが落ちないのか……」
「クラウン・トカゲの足があるとは言え、驚異的な移動速度だ。 そんなに急いで、何処へ行こうと言うんだ? 王宮の回廊の方へは向かっていないから、竜王側の方に寝返るという訳では無さそうだが……」

そうしている間にも、割り出せる限りの痕跡が次々に記録され、点と点が線でつながれて行った。 7合目の辺りで、少し小休止したらしいという動向が浮かび上がる。その後は――ノンストップの急降下。

ようやく下級魔法神官たちが、声を張り上げた。

「エメラルド隊士は、山麓グランド回廊に向かっています! 平原に逃亡する可能性あり!」
「バーサーク竜を、平原に野放しにする訳にはいかんぞ! 平原の豪族たちの支持……物資援助を失えば――かの鬼畜、 英雄ラエリアン卿でさえ、そんな暴挙はやっていない!」
「全員、出動! エメラルド隊士を緊急捕獲する!」

隊長の指令に応え、バーサーク捕獲部隊は各々のクラウン・トカゲを駆り、未明の闇に飛び出して行った。

6-2逃亡者と追跡者

エメラルドの目指す大型の転移ハブ駅までは、まだ相当の距離がある。

魔の山での全力疾走に加えて、平原に広がる丘陵地帯の中、転移魔法陣を使わずに長距離を走り続けていた。 さしものクラウン・トカゲも、哀れっぽい鳴き声で疲労を訴えて来る。

「ハードな行程だったから、ごめんね」

扇状地を流れる大河から分かれた水路の一つ――水場で一旦、足を止める。エメラルドは相棒の背から降り、相棒の鼻先を撫でて、手綱を外した。

淡いアッシュグリーンを全身にまとう相棒は、エメラルドの手に鼻をすり付けると、いそいそと水場に駆け寄った。長い首を降ろして、水を飲み始める。 クラウン・トカゲと言えども、ぶっ続けで全力疾走した後は、喉が渇くのである。

エメラルドは水場に林立する雑木林の下、相棒のクラウン・トカゲがウロウロするのを見守った。 一旦、小休止すれば、クラウン・トカゲの脚力の回復は早い。進化の過程で、原始的な疲労回復の魔法を獲得したからだとも言われている。

何という事も無しにフッと息をつき――夜空を振り仰ぐ。

未明の闇の中、宝石箱をひっくり返したような満天の星空が広がっていた。

天球の回転軸の方向にある、彼方の地平線に視線を向けると――星々の密集した帯。手前の凸凹の地平線が形作るスカイラインが、クッキリとしたシルエットとなっている。

――『連嶺』。

行けども行けども、その無数の星々で出来た光の帯は、地平線に打ち寄せて来る果ての無い波のように、何処までも横たわっているように見える。 超古代の大激変の影響で、天球の回転軸が刻々ズレているからだ。しかし、特徴的なギザギザの連なりは手頃な目印となっている。

大陸公路や大海洋を横断する隊商は、あの『連嶺』で、行く手の方角を見定めて、進んで行くのだ。

元々は、かの光の帯は『天の川』『銀河』と呼ばれていたと言う。であれば、今、『天の渚』のように見えるのも道理なのだ。

――星の大海、星宿海。永劫の時を寄せては返す、星宿海の渚よ――

星明かりのみが降り注ぐ未明の闇の中、クラウン・トカゲは、頭頂部のフサフサした飾りを機嫌よく揺らしながら、気ままに水を飲んでいる。 水場の周りは、竜王国の物流を支える主役、大型の荷車を牽く三本角(トリケラトプス)の足跡で一杯だ。

水場を取り囲む雑木林の中、やがて相棒は、春の季節物のベリーの類と言った木の実を見つけて、嬉しそうな顔で食み始めたのであった。

エメラルドは、身体の凝りをほぐそうとして伸びをした。 すると――バーサーク化の前駆症状である有棘性の鱗が出来始めている影響で、こうして人体の姿を取っていても、以前とは全く違う軋みを感じる。 ゾワゾワするような嫌な感覚は相変わらずのままだが、それに加えて、ザワザワするような感触が強くなって来ていた。

エメラルドは眉根をひそめ、辺りを慎重に見回した。物理感覚と魔法感覚の両方で、耳を澄ます。

(この、身体の外から来ているような、ザワザワする気配は何だろう?)

エーテルの音であろうと思われるのだが――竜王都の濃密エーテル・ポイントで聞かれるような、大水量の滝が流れ下るような音とは異なっている。 むしろ――不定形の、異様なざわめきだ。乱流を伴った強い風に、密集した木の葉が吹かれて、意志を持った何かの如く、不吉にざわめく時のような。

(これは、騒音? まさか――)

――偶然とはいえ、注意深く耳を澄ましていた事は、エメラルドにとっては幸運だった。

武官として訓練されたエメラルドの耳は、馴染みのある――しかし、警戒する必要のある――地響きを捉えたのである。

「――来る!」

エメラルドは飛び上がるが早いか、武官支給の戦闘用の魔法の杖を構えて、水場を取り巻く雑木林の陰に身を潜めた。

しかし、相棒のクラウン・トカゲは、逆に「馴染みのある地響き」のせいで反応が鈍く、かえってソワソワとベリー類の周りを動き回り始めている。 『奴らが来る前に甘いベリーを出来るだけ独占しよう』という心積もりが丸見えである。

*****

水場の近くまで接近して来たのは、クラウン・トカゲに騎乗している部隊であった。30人から40人程。

未明の闇の中、一対のペリドット色の点々のようなきらめきが、幾つも幾つも閃いた。微妙に高い位置では青白い一対の点々が、同じくらいの数でキラキラと光っている。

闇の中でペリドット色に光るのは、竜人の目の特徴である。青白く光る方は、クラウン・トカゲの目だ。 充分に夜目の利く竜人とクラウン・トカゲの目は、その瞳孔が最大限に開くと、星々のわずかな光すらも鋭く反射する。

竜人以外の他種族が見れば、間違いなくギョッとするであろう。特に、竜人と事を構えた場合、夜間の戦闘では絶対に見たくない光景である。

エメラルドの竜人としての夜間視力もまた、充分に機能した。 クラウン・トカゲに乗っているのは、神殿隊士と下級魔法神官である。武官服はエメラルドの物と全く同じデザインで、神殿配下の者たちだとすぐに分かる。

先頭部分に出て来たクラウン・トカゲの背の上で、隊長と思しき年長の人物が、大声を張り上げた。

「おい! 本当に、この近くにエメラルド隊士が居るのか?」

その声に応じたのは、下級魔法神官の1人だ。

「間違いありません! 手がかりの真正性については、ロドミール神官が保証しています!」

バーサーク捕獲部隊に配属されるだけあって、バーサーク捕獲に関する各種の魔法の熟練度は、一定以上のレベルに達している。 隊長は思案顔でひとしきり髭をしごくと、後方に展開した隊士たちに、サッと手を振って合図した。

「徹底捜索せよ! 1斑あたり1つずつ、拘束具は行き渡っているな! 見つけ次第、拘束具を付けて捕獲しろ!」

隊士は展開し――そして勿論、魔法による捜索が加わった事もあって、エメラルドの位置が割れるのは早かった。

「ゲッ! そんな所に!」

いきなり顔を合わせた捜索班の面々とエメラルドは同時に驚いたが、攻防もまた同時にスタートした。

魔法の杖を構え始めた追手たちを、先手必勝とばかりに、エメラルドは《風》魔法の風圧で一斉に薙ぎ倒す。 エメラルドが魔法の杖を一閃すると、その風圧で雑木林が一斉にざわめき、残りの隊士たちも気付いて駆けつけて来た。

「エメラルド隊士! 観念して拘束具を付けろ!」

出て来たのはバーサーク捕獲部隊の副隊長だ。副隊長は《地霊相》の生まれで、《地》魔法の使い手である。その魔法の杖が一閃すると、 《鉄の刃》と化したエーテル魔法がほとばしり、エメラルドを取り囲んでいた雑木林が一斉に切り倒されて行った。

轟音と地響き――それに、大量の木っ端を含む、土煙。

エメラルドの相棒を務めるクラウン・トカゲの目の前のベリー類の低木も、斬り飛ばされていく。 クラウン・トカゲは仰天しながらも、見事なジャンプ力を披露し、《鉄の刃》から身をかわした (そもそも、それくらい素早くないと、竜人の馬など務められないのだ)。

息を呑む一瞬が過ぎ去った後、一帯の雑木林は腰までの高さの切り株と化し、手ごろな空き地が出来ていた。 《風霊相》生まれのエメラルドの得意とする、《風刃》魔法どころでは無い。実際の戦闘においては、《地霊相》生まれの者が、最も強い戦士と目されているのだ。

雑木林の中に居たエメラルドは、追手の隊士ともども、一定ラインの下に身を伏せて《鉄の刃》をかわしていた。 追手の隊士のうち、新人たちは流石に、副隊長の本気の魔法を味わって、半ば腰が抜けている。

急に見通しの良くなった空間の中、エメラルドは改めて戦闘用の魔法の杖を構え、慎重に立ち上がった。 クラウン・トカゲの背に乗っている副隊長と――その真後ろに、同じくクラウン・トカゲに騎乗中の隊長を見据える。

「捕えろ!」

エメラルドが、無言ながら表明して見せた抵抗の意思に対して、隊長の反応は素早く、指令は明確だった。 副隊長による包囲の指示に伴い、隊士たちは捕縛のための長杖を構えて、一斉にエメラルドを取り囲む。

(まだ目的地にも着いていないのに、こんな所で捕まる訳にはいかない)

エメラルドは歯を食いしばると、隊士たちの突撃に応戦した。戦闘用の魔法の杖を、長杖に変えて振り回す。

下級魔法神官による、人体捕獲用の小型拘束魔法陣が、次々に花が開くかのように足元に展開する。 ただし、それは美しい観賞用の花ではなく、エメラルドを絡め捕ろうとする食虫花のような物だった。

エメラルドはベテラン武官ならではのキレのある身のこなしで、それを器用に避けつつ、追手の隊士たちを翻弄した。 エメラルドは隊士たちから繰り出される杖術による突撃をかわし、切り株と地上の間を、まるで鳥のように飛び回っていく――半ば空中の格闘戦といったスタイルだ。

エメラルドの長杖は、長物の形式であるという事実を無視しているかのように、縦横無尽に空中を舞い、高速で回転した。 その様は、乱戦を切り抜けるための純然たる暴力でありながら、バトン・トワリングを思わせる華やかさだ。

バーサーク捕獲部隊の隊士たちは、エメラルドの長杖に己の長杖を絡め捕られ、或いは受け流された衝撃で、姿勢をぐらつかせた。 その拍子に、運の悪い幾人かは、エメラルドの足技をお見舞いされ、地上に展開した拘束魔法陣に蹴り込まれて行く。 相当数の隊士たちが、まるで石につまづくかのように拘束魔法陣に足を取られ、次々に転倒して行った。

エメラルドの強さをまざまざと見て取った副隊長が、『我ながら抜かった』といった渋面をした後、下級魔法神官たちに向かって新たな指令を怒鳴った。

「チクショウ! 貴様ら、大型の拘束魔法陣を合成しろ! まとめて拘束だ」

その指令に応え、下級魔法神官たちは大急ぎで、隊士たちをつまづかせていた多数の小型拘束魔法陣を解除した。

大物クラス竜体をも拘束できるような厳重かつ強力な拘束魔法陣を展開するには、複数の――少なくとも3名以上の――下級魔法神官たちが、息を合わせなければならない。 上級魔法神官なら1人でも展開できるが、あいにく、バーサーク捕獲部隊には、人数が少なく貴重な上級魔法神官は、配属されていなかった。

(――チャンス!)

エメラルドは、一瞬のスキを見逃さなかった。

「ヘイ、相棒!」

仰天したまま固まっていたクラウン・トカゲが、乗り手たるエメラルドの呼び声に応え、多数の切り株を飛び越えて、猛烈なスピードで駆けつけて来る。

「行かせん!」

流石にハッと気づいた隊長が――彼は《火霊相》生まれであった――エメラルドの逃走先と予期できる方向に、障壁となる炎の壁を出現させたが、一呼吸だけ遅かった。

エメラルドのクラウン・トカゲは、エメラルドと同じく戦場のベテランだった。乗り手たるエメラルドの指示に忠実に応え、いきなり立ち上がった炎の壁に、反応すらしない。

クラウン・トカゲの突進方向に一瞬だけ先んじて、エメラルドは平行に助走した。そして、ヒラリと飛び上がり、軽業師も同然に、疾走中のクラウン・トカゲの背に着座を決める。 そのまま手綱も無しに、炎の壁に向かって、クラウン・トカゲに全力疾走の掛け声を掛けた。

「行け!」
「何だと!?」
「まさか!」

隊長も副隊長も唖然として、エメラルドの身のこなしを注目するばかりだ。

わずか数歩でトップスピードに達したクラウン・トカゲは、エメラルドを長い首にしがみつかせたまま、地面を強く踏み切った。 瞬間、エメラルドの背中で、純白の竜の翼が大きく開く。

バーサーク捕獲部隊の面々が、唖然として見送る中を――クラウン・トカゲは、高く伸びた炎の壁を城壁と見立てたかのように、滑らかに飛び越えて行く!

城壁攻略の際に必須となる――お手本にしたくなる程の、惚れ惚れするような高跳びの技だ。

物理的に言っても、竜翼による揚力効果は、かなり高いのだ。 魔法感覚を働かせて観察してみれば、その高跳びの軌道に沿って、エメラルドの《風》魔法による飛翔バックアップも加わっているのが見て取れる。 クラウン・トカゲと、乗り手たるエメラルドと、完全に息が合っているのは傍目にも明らかだった。

「とにかく追え! 見失うな!」

副隊長の怒鳴り声が再び響き渡り、隊士たちは慌てて、各自のクラウン・トカゲを呼び集めた。

6-3大型の転移魔法陣

目的地――平原エリアの転移基地まで、あと一息だ。

地平線の彼方に輝く『連嶺』は余り変わらないように見えるが、天球は確かに回転していた。 真夜中の刻を刻んでいた深邪星(エレボス)は、西の空で妖光を失いつつある。タイムリミットでもある夜明けの刻が近いのだ。

バーサーク捕獲部隊による包囲を破って逃走に成功したものの、エメラルドの胸中には、苦い思いがわだかまっていた。

追手に加わっていた下級魔法神官は、あの時、確かに言っていた――『手がかりの真正性については、ロドミール神官が保証しています』と。

(では、バーサーク化する個体として、私を捕獲するように通報したのは、ロドミールなのだ!)

ロドミール本人が何を考えていたにせよ、こうして本気で、追手を差し向けてまで、バーサーク化阻止の試みを妨害して来るとは想定していなかった。

――バーサーク化の呪いを仕掛けられる程に、自分は忌むべき者と見なされていたのか。

――ロドミールは、それ程に本気で、この身をバーサーク化する個体としたかったのか。

自分でも、全くのヒステリーだと分かっているが、思考の筋が混乱して行くのを止められない。苦い思いの次に湧き上がって来たのは、怒りだ。

――感情の暴走が、バーサーク化につながると言う――

しかし、幾ら抑え込んでも、内から湧き上がる深い怒りは、押しとどめようが無い。激情に歯を食いしばり続けるエメラルドの身の奥では、バーサーク化の前駆症状としての、 有棘性の鱗の不吉な軋みが広がり続けていた。

エメラルドの自制心を取り戻したのは――頼りになる相棒、クラウン・トカゲだ。クラウン・トカゲは、急に足を止めたのである。

「相棒?」

一瞬、怒りに我を忘れていたエメラルドは、行く手に素早く目をやり、ハッと息を呑んだ。

「――着いた……!」

そこは、物流の要たる大型の転移基地――それも、大規模な中継ハブ駅だった。

エメラルドが居る小高い丘の上からは、ひときわ目立つ、円筒形をした建築物が見える。 その円筒形をした建築物の胴回りは、堂々としたサイズだ。時として数体ほどの大物クラス竜体が翼を休めるのに利用する、大型の見張り塔にも匹敵する規模だ。

床面積の大きさに対して、建物は意外に平たく見える。せいぜい5階層程度の高さといったところだ。 断崖絶壁の摩天楼を見慣れているエメラルドにとっては、低層の建築物である。

円筒形をした建築物の屋根部分は、ドーム型をしている――屋根の覆いは無く、梁構造が丸見えだ。 中央部分でひときわ高くスッと立ち上がった1本の支柱の周り、 強化加工を施された金属製の梁が蜘蛛の巣構造となって、円筒形の建物の上に緩やかな曲線を描いている。張力構造を備えたハイテク建築物である。

金属製の支柱に金属製の梁。雷電シーズン中の落雷事故を防ぐための物だ。

その建物本体をグルリと取り巻いているのは、竜王都の物と同じ城壁だ。竜王都の物と同じように、フライング・バットレス風の構造体が、壁面に規則的に並んでいる。 大型の転移魔法陣が事故を起こすと、爆風が四方八方へ飛び散る事が知られている。突風やつむじ風どころでは無い。 周りに被害が及ばないように、城壁で封じ込める形になっているのだ。

微かな星明かりの下ではあるが、その円筒形をした転移基地を取り巻く城壁の外には、やはりそれなりの規模の倉庫街が、放射状に並んでいるのも一望できる。 倉庫街とセットになった、三本角(トリケラトプス)用の厩舎を兼ねた駐車場も並んでいるのだ。

これ程の大型の転移基地となると、夜間は完全休業となる。 日が出ている間、大量のエーテルを費やして大型の『転移魔法』を繰り返す――と言う激務に追われた転移魔法陣の作業員――魔法職人(アルチザン)たちは、 各自、安全対策を施した寮に戻って、グッスリと寝入っている筈だ。

「行くよ、相棒!」

エメラルドの指示に応え、クラウン・トカゲは、頭頂部のフッサフサをなびかせて、円筒形の建築物へと真っ直ぐに駆け出した。 入り組んだ倉庫の群れも何のその、断崖絶壁を縦横する脚力でもって倉庫の屋根に飛び上がると、そのまま屋根を伝って、ショートカットさながらに爆走して行く。

断崖絶壁に建造された城壁の高さに比べれば、この転移基地を取り巻く城壁の高さなど、物の数では無い。 エメラルドとクラウン・トカゲは、フライング・バットレス風の構造体を駆け上がり、さながら鳥のように、城壁をヒラリと飛び越えて行った。

*****

円筒形の建築物の中は、ほぼ真円に近い円形の床を持つ、広大な空間だった。

ガランとした大広間――その中央部に、1本の壮大な支柱が天を突くかのように立っている。

広大な空間は吹き抜けとなっており、差し渡された梁の間から、夜空が見える。 蜘蛛の巣のような張力構造のラインに沿って組まれた、覆いの無いドーム屋根は、大型の転移魔法陣の稼働に伴う大風の発生を受け流すための、 巨大な開口部そのものだ。魔法陣の稼働に失敗した場合に出て来る爆風も、覆いの無いドーム屋根から出て行くようになっている。

真円の形をした大広間の周縁部を、アーケード回廊が巡っている。アーケードの列柱の間ごとに、円筒形の建物を取り巻く城壁が見えた。 アーケード回廊の礎石は城壁素材で出来ており、そこから半地下と言った感じの溝が掘られている。 万が一、事故が起きた場合、作業員たちはこのアーケード回廊から半地下となっている溝に飛び降りて、爆風をやり過ごす事になっている。 二重三重に安全対策が取られている訳だ。

メンテナンス作業のためであろう、地上から屋上へと向かう長い梯子が、円筒形を成す内壁の構造に沿って各所に設置されているのが目につく。

エメラルドはクラウン・トカゲから降りると、魔法の杖を夜間照明に変えて早足で歩き回り、広々とした床一面に描かれている多数の転移魔法陣をチェックしていった。

真円をした基底床は、城壁素材に準じるレベルの緻密な《地》魔法が施された、非常に堅牢な濃灰色の一枚板で出来ていた。 ダイヤモンドより硬く、鋼鉄より粘りがある。そこに、魔法陣パターンの形をした溝が、精密に刻まれている。 転移魔法陣を稼働させる時は、この基底床に刻まれた溝に沿って、白く光るエーテル流束を流すのだ。

小型の転移魔法陣は、大広間の基底床の円周部分に沿ってズラリと並んでいる。 中型の転移魔法陣は、お互いに多少の間を空けつつ、大広間の中心に程近い場所に、規則的に散在していた。 最も巨大な転移魔法陣は、やはり中央部にあった。魔法陣の中心軸が、この円筒形の建物の一本柱となっている支柱と一致している。

――流石、多数の転移ゲートを備えた、大型の転移魔法陣と言うべきか。

最大サイズの転移魔法陣は、その直径が大きいため周囲の転移魔法陣と重なり合っている。中小型の転移魔法陣を付属の転移ゲートとして抱えるスタイルだ。 やり方次第では、1回の稼働で、小分けされた多数の荷物を多方面に、一斉多発的に同時転送できる。 作業員の体力を極力、無駄使いしないような稼働スケジュールが組めている筈だ。

――狙うべきは、この最大サイズの転移魔法陣だ。

次に取るべき行動を思案し始めたエメラルドは、不意に、不安そうな面持ちで後を付いて来る相棒に気付いた。 手の届く所に、うなだれるように降ろされたクラウン・トカゲの頭頂部の繊細なフッサフサを、ことさらにモフモフしてやる。

「相棒、しばらく私から離れておいで。私は当分の間、正気じゃ無くなるかも知れないからね」

相棒は――不思議な事だが――エメラルドの事情を察知しているかのようだった。 クラウン・トカゲは長い首を巡らせて、暫しの間、鼻をヒクヒク動かした。そして、目当てが付いたかのような様子で、 大広間の周縁部をぐるりと仕切っているアーケード回廊のアーチを潜って行った。

クラウン・トカゲは、アーケード回廊の礎石の下に身を沈めた。半地下構造となっている溝――避難場所に身を潜めたのだ。 エメラルドは、今更ながらに、相棒の察しの良さに舌を巻いた。

6-4反逆の刃を振るいて

エメラルドが息をつけた時間は、ほんのわずかだった。

背筋を走るゾワゾワとした嫌な感覚と共に、 魔法感覚で捉えられるザワザワとした不定形の不気味な騒音もまた、その存在感を急速に増している。 エメラルドが、その正体を探ろうと感覚を集中し始め――

――そして数分も経たないうちに、バーサーク捕獲部隊、すなわち追手の足音が、転移基地の正面出入口の周りを取り巻いたのであった。 くさっても、バーサーク捕獲を専門とする特殊部隊と言うべきだ。態勢の立て直しは素早いし、魔法を利用した追跡のテクニックも優れている。

「くそう! 既に何処かに転移、逃亡したか!?」
「夜明けまで間が無い! とにかく突っ込め!」

地団太を踏む隊長と副隊長の命令に応じて、捕獲部隊の面々が、正面ゲートを破って内部へとなだれ込んだ。

エメラルドの方は――まだそのタイミングでは無かったため、転移魔法陣を稼働させていなかった。

バーサーク捕獲部隊の面々と、エメラルドは、中央の1本の柱のやや前で、対峙する。

エメラルドの足は、目を付けていた大型転移魔法陣の主要ラインを踏み締める形になっている。 万が一のタイムリミットとなる夜明けまで、大型転移魔法陣のラインから離れるつもりは無い。

隊長と副隊長は、エメラルドがやや腰を落として戦闘用の魔法の杖を構える様を、息を呑んで注目した。

――多勢に無勢だろうに、徹底抗戦するつもりか。

隊長はクラウン・トカゲにまたがったまま、ズイと先頭に出た。 そして、ベルトに手を突っ込むと、そこに挟んでいた、チョーカーさながらの物体を取り出した。 竜体変身を禁ずる拘束具だ。隊長は、手錠のようにも見える「それ」を掲げて、大声を張り上げた。

「エメラルド隊士! 今一度、忠告する! 速やかに拘束具を付けて、バーサーク危険日をやり過ごせ!」

エメラルドは柳眉を逆立て、今一度、決意を表明するべく、激しく首を振った。 髪留めでキッチリとまとめられた、濃いエメラルド色の――ただし、色ムラのある――髪が、一筋ほつれた。 一筋だけではあったが、その一筋の髪は、背中まで届く程の髪の長さを、ハッキリと示している。

「私は、絶対にバーサーク化しない」

その宣言は、隊長の指示に対する直接的な拒否である。

同時に――エメラルドにとっては、ロドミールの思惑と、その上級魔法神官ならではの、神の如き占術的支配に対する、反逆であった。

隊長の額に、青筋が立った。

「もはや、これまで……! 者ども、徹底的にやれ! 必ずや身柄を確保しろ!」

既にクラウン・トカゲから降りて半円型の包囲隊形を組んでいたバーサーク捕獲部隊の面々は、 構えていた魔法の杖を、各自、一斉に様々な刃物に変えた。 覆いの無いドーム型の屋根から降り注ぐ星明かりを反射して、各々の一対のペリドット色のきらめきの中ほどに、多数の白銀色の光がギラリと閃く。

エメラルドもまた、魔法の杖を刃物に変えた。その手にあるのは、柳葉刀に似た、反り返った太刀だ。竜人の持つ刀剣の中では、最もよく見られる標準的な物である。

戦闘開始の合図は無かった。

双方ともに実戦慣れしている戦士であり、互いに隙を突かんと、ほぼ同時に足を踏み込んでいた。

エメラルドは、ベテランの上級武官ならではの腕前を見せた。《風刃》をまとわりつかせた刀が、左から右へ低い位置で一閃するや、 一番手前に居た何人かの隊士が、カマイタチに襲われたかのような創傷を足元に受けて姿勢を崩す。特に不慣れな新人はダメージが大きく、一撃で地面に転がる有り様だった。

水場での揉み合いとは、全く別の乱戦となった。

それぞれの得意とする《四大》エーテル魔法の四色の閃光がほとばしり、 また純然たる剣術がぶつかり合う形となる斬り合いが多く繰り返され、転移魔法陣が描かれた大広間に、見る間に血飛沫が散っていく。

多勢に無勢というだけあって、エメラルドもまた、無傷と言う訳には行かなかった。 特に重量のある魔法の《石礫》の類は、《風》魔法による風圧では防ぎきる事が出来ず、ガードの薄い二の腕や向う脛にダメージを食らってしまう。

竜人の使う刃物は充分な強度を備えており、特製の武官服は、その連続攻撃にさらされて急速に破損して行った。 破損した箇所については、自前の竜体に由来する鱗と皮で、刃物の衝撃に耐えなければならない。

エメラルドの竜体としての強さは、武官としては充分な物であったが、純粋に竜体としてのパワーで見れば、 自らを上回る大きな竜体の主から力任せに繰り出される物理的攻撃――斬撃には、やはり大きなダメージを受けてしまう。 持ち前の身軽さで致命的な事態には至っては居ないものの、エメラルドの身体には、深手が増え始めていた。

一方で、乱戦状態とあって、下級魔法神官による援護は限られていた。攻撃魔法は幾つかあるが、武官ならではの猛烈な戦闘速度には、付いて行けないのだ。

拘束魔法陣を展開するのも考え物だ。床一面に描かれた転移魔法陣の群れの上で拘束魔法陣を展開すれば、余分なエーテル同士の反応や干渉が起きて、 相殺になって無効と化すか、転移魔法陣が予期せぬ恐るべき誤作動を起こすか、いずれかである。

代わりに下級魔法神官たちが展開したのは、魔法による封印である。円筒形の建物全体が完全な密室となり、全ての出入口が塞がれた。 蜘蛛の巣さながらの覆いの無いドーム型の天井にも、魔法の透明な障壁がピッタリと隙間なく広がった。

エメラルドの逃走経路は、すっかり失われていた。

「どうだ! もはや袋のトカゲだ! 死にたくなければ、早々に投降しろ!」

副隊長が怒鳴ったが、乱戦の模様に変化は無い。

エメラルドは巧みな剣さばきで、早々に追っ手の半数を戦闘不能にし、地面に這いつくばらせている。 魔法の威力をまとった刃物の攻撃に対しても、その防衛力は、平均を遥かに抜いていた。

このままでは、まさかでも何でもなく、エメラルドは、隊士を全員倒してしまいかねない。そして、転移魔法陣を使って、何処かへ逃走を――

副隊長は「クソ!」と悪態をつくと、自ら刃物と化した魔法の杖を構え、クラウン・トカゲの背から飛び降りた。

見れば、エメラルドの顔面には既に深い裂傷が出来ており、血の川を流している。全身もまた刀傷にまみれていた――特に、腹部の出血がひどい――

――だが。

深い暁闇の中でペリドット色にきらめく女武官の眼差しは、なお衰えぬ戦意を見せてぎらついていた。 副隊長の飛び入りに対して驚くでも何でも無く、刀剣を八双に構える。その熟練の動作は舞手さながらであり、その構えは、端正とすら言えた。

――『剣舞姫(けんばいき)』。

副隊長は一瞬、心の中で舌を巻いていた。

近々、エメラルドは、その栄誉ある称号を獲得する見込みだったのだ。その実力は感嘆すべきレベルであった。

(だが、今や満身創痍!)

副隊長は、裂帛の気合を発するや、容赦なくエメラルドに斬りかかって行った。副隊長は己の優位性を確信していた。そして、それは正しかった。

エメラルドの刀剣は、剣戟によるダメージを既に限界まで受けていた。 副隊長の、一撃必殺とすら言える大重量の《地》魔法をまとった斬り込みを、真正面から受け止めた瞬間、誰もが驚く程、あっさりと――

――エメラルドの刀剣は、真っ二つに折れて弾け飛んだ!

エメラルドは自らの刀剣に執着はしなかった。残った柄で、副隊長の刃を流しつつ、身をひるがえして飛びすさる。

副隊長の斬撃は、その勢いのままに、そしてエメラルドの巧みな受け流しで軌道を曲げられ、結果として、 足元の基底床に刻まれていた転移魔法陣の溝に、刃を取られていた。副隊長は、すぐさま刃先を引き抜き、下段に持ち替えると共に鋭く振り返った。

副隊長の目が、中央の支柱の傍まで後退したエメラルドの姿を、瞬く間に捉える。

――エメラルドは、今や丸腰だ。全身の裂傷が明らかに倍増しており、出血量も増えている。特に、《地》魔法の余波を食らって無数の深い裂傷を負った脚部は、 もはや体重を支え切れず、震えている状態だ。

戦況を冷静に見て取っていた隊長が、再び大声を張り上げた。

「エメラルド隊士、これが最後の忠告だ! 無駄な抵抗を止めて、投降しろ!」

隊長はエメラルドに向かって、チョーカーの形をした拘束具を投げつけた。

しかし――当然ながらと言うべきか。

エメラルドは幾分かダメージの少ない方の片腕を振り抜き、拘束具を弾いたのであった。拘束具は、大広間の周縁部を取り巻くアーケード回廊の近くまで滑り去って行った。

「救えん、頑固者が!」

隊長は表情を歪め、歯噛みした。

6-5凶星の夜と暁星の朝

――異変は、突然だった。

それまでザワザワとした背後の耳障りな騒音に留まるレベルの物だった、不気味なざわめきが、いきなりハッキリとした轟音となって響き始めたのである。

「何だ、これは?」

エメラルドだけでは無く、その場に居た誰もがギョッとして、訳の分からぬ現象に――ゴウゴウとうなるような、嵐のような不気味な音に――感覚を尖らせた。 すぐに轟音は、実体を伴った風となって吹き荒れ始めた。

吹きすさぶ風は瞬く間に速度を上げ、隊士たちの体勢をぐらつかせる程の豪風となって行く。密封された空間の中で、風は乱流も同然にメチャクチャに方向を変えた。

「《争乱星(ノワーズ)》だ! 《争乱星(ノワーズ)》が、エーテルを呼び集めている!」
「今日の――『バーサーク危険日』の主星が、《争乱星(ノワーズ)》だ……!」

異様にエーテル成分の多い風なのだ。流石に、その手の知識に詳しい下級魔法神官たちが、風圧によろめきながらも、素早くその正体に気付いた。

エメラルドは、下級魔法神官たちが口にした内容に息を呑み、不吉な予感と共に頭上を振り仰いだ。

透明な魔法の障壁に塞がれたドーム型の開口部を通して――夜空に見えるのは、夢のようなラベンダー色をした一つ星。

――暁星(エオス)!

(タイムリミットだ!)

エメラルドは大きく喘いだ。

身体中の鱗の違和感がひどく、今やギシギシと言う不吉なこすれ合いを伴っている。負傷による痛みはさほど無いが、身体が膨れ上がるような、狂乱的な熱量と内圧を感じる。 今まで戦闘に集中していたから気付かなかったのだが、これ程の深手を受けて、なお感覚が鈍いのは、バーサーク化の途中にあるからだ!

「――いかん!」

そう叫びながらも、副隊長もまた、次の行動が決められず呆然としていた。

暁星(エオス)の輝きは強まり、辺りは薄紫色の光に染まり――揺らめき始めた。 異様な轟音を立てて吹きすさぶエーテルの風の中、全員が腰を低く落として足を踏ん張り、姿勢を安定させながらも『次に何が起こるのか』と、 魅せられたかのように、薄紫色の光に見入るのみだ。

床一面に描かれた幾つもの転移魔法陣が、まるで命ある物であるかのように震え、轟音と共に、前日の残余分の白いエーテル流束を噴出している。 その噴出量は、指数関数的に増大して行った。

《争乱星(ノワーズ)》が巻き上げるエーテルの風の風圧と轟音は、雷電シーズンの時の荒天を思わせる激しさで、建物全体を軋ませた。 急速に高密度になったエーテルは、透かし天井から差し込んでくる暁星(エオス)の微光を、気ままに屈折させた。

まさに薄紫色の陽炎だ――今や、オーロラのように舞い狂っているようにも見える。 辺りの光景が幻想的に揺らめいて合成像を結び、蜃気楼魔法さながらの、存在しない筈の幻影を繰り出し始めた。

隊長は、その有り得ない程の幾何学的な幻影に、思わず目を凝らした。ちょうど、エメラルドの背後に合成されているのだ。 像のブレが大きく、多重像そのものなのだが――

――天秤?

最大サイズの転移魔法陣の中央部に立ち尽くす格好になったエメラルド自身も、また、変化していた。 心理的抵抗があって、変化は異様にゆっくりだが、確かに竜体への変身が始まっている。

まず、バーサーク竜ならではの、有棘性の鱗の生えた尻尾が現れた。 次に足先に、異様に長く鋭い爪が生えた。不気味な異形の鱗は、足全体を覆い、足首を覆い、次第に下半身を上昇しつつ広がって行く。 血にまみれ、破損し尽くした武官服は、竜体変身の進行と共に、次第に濃いエーテルのモヤの中に消えて行った。

さながら、神話に出て来る人頭蛇身のような姿だ。エメラルドは立ちくらみを起こしたかのようにグラリと傾ぎ、基底床に両膝を突いた。 エーテル風の轟音の隙間の中で、ガシャ、という異形の鱗の音がした。

「バカ野郎! 誰か、拘束具を付けろ!」

隊長が叫んだが、副隊長の動きも隊士の動きも、鈍かった。エーテルの暴風は、それ程の風速に達していたのだ。 ガランとした空間で無ければ、竜巻に巻き込まれた状態さながらに、ありとあらゆる置物が飛び交っていただろう。

クラウン・トカゲでさえ、風圧に翻弄されて滑らかな基底床の上を滑り出す有り様だ。 しゃがみ込んで重心を低くし、四つん這いになって丸くなった格好のまま、ズリズリと押され、或いは転がされて行く。 基底床が余りにも硬く滑らかなため、自慢の脚力が役立たないのだ。大広間中に、クラウン・トカゲのパニック状態の鳴き声が響いた。

薄紫色のオーロラが揺らめく中、濃厚なエーテル流束が、荒れ狂う渦巻きを形作っている。 エメラルドの背後では、人体より一回り大きいサイズの不思議な天秤の幻影が、崩壊と再構成を繰り返し、白い炎のように激しく揺らめいていた。この世の物ならぬ光景だ。

大容量のエーテルを呼び集め続ける《争乱星(ノワーズ)》。 まるで、全ての物を呑み尽くすブラックホールだ。大広間を満たしていたエーテルが渦を巻き、エメラルドの身に吸い込まれて行く。

大広間の空気を満たしていたエーテルが尽き、転移魔法陣のエーテル残量もが尽きると、エメラルドの中で活性化し続けている《争乱星(ノワーズ)》は、 頭上に狙いを付けたようだ――ドーム型の開口部を覆っていた魔法の障壁が、バリバリと音を立てて剥がれ落ちた。 みるみるうちに粉みじんになり、元のエーテルと化し、エメラルドの身の周りで渦を巻く。

「嘘だろう」

下級魔法神官たちは、もはや魔法発動して阻止できる段階では無い事を理解し、青ざめた。

魔法を発動すればするほど、《争乱星(ノワーズ)》が喜々として、 魔法を構成しているエーテルをバーサーク化のエネルギーとするべく、粉々にして吸い込んでしまう。

恐るべき大凶星――《争乱星(ノワーズ)》の覚醒。

エメラルドは、激情と絶望が相半ばする中、必死で我が身をまさぐった。死に物狂いで、此処まで到達した物を――何か、手段は無いのか。無かったのか。

手にも違和感を感じる。見れば、大きさはともかく、もはや人の手では無い。鋭く長い竜の爪と――異形の、棘の生えた鱗。

(――!?)

存在感も曖昧になりつつあるベルトに手をやった瞬間、ペンのような大きさの、棒状の物に手が触れた。

人の手と同じようには指先が扱えず、爪の先で挟んで、それを引っ張り出す。あと一瞬タイミングが遅ければ、武官服と共にエーテルのモヤに溶けていただろう。

(――セレンディの魔法の杖だ!)

戦闘の際に邪魔にならないように、ペン程の大きさに縮小して、ベルトの間に挟んでいたのだ。

とは言え――

――もうほとんど竜体と化した身で、どうやって魔法の杖を振るえば良いのかも、見当がつかない。

そういえば、私は、どうして此処に来ていたのだろうか――どのような魔法を発動する事に、 なっていたのだろうか? 焦りの余りなのか――意識までバーサーク竜の物となりつつあるのか、もはや思い出せない。

エメラルドは両膝を突いた姿勢のまま、祈るような気持ちで再び空を仰いだ。異形の鱗に包まれた両腕が、だらりと垂れた。 魔法の杖の先端部は、基底床の上に描かれた魔法陣を指している。

透かし天井の間に見える一つ星は、今まさに始まった払暁のまばゆい陽光の中で、ラベンダー色の仄かな輝きを失おうとしている――

――暁星(エオス)……!

エメラルドは、両手でシッカリと挟み込んだ、その小さく頼りない物に、我が身の中で荒れ狂うエーテル量のすべてを叩き込んだ。

*****

大広間を満たしていた薄紫色の微光が、暴風の轟音が、不意に消えた。一面の闇――無風と静寂。

反射的に、下級魔法神官や隊士たちの魔法の杖が夜間照明さながらに光源となり、周囲の様子を照らし出した。

静寂は、一瞬だった。

これまでとは違う圧倒的な地響きが、建物全体を揺らした。

次いで、再びのエーテルの閃光と爆音が、瞬間的に大広間に満ちた。大広間は、白昼のような明るさになった。

限界濃度に達した大容量エーテル流束が衝突し、揉み合い、爆発的な連鎖反応を起こして行く。その様は、まるで大広間に樹状放電が満ちたかのようだ。 空気を切り裂き続ける止め処も無い轟音は、竜人の生物学的な可聴域の範囲を超え、腹の底に染みるような重低音となって鳴り渡った。

「隊長! 建物の封印が破れた!」

下級魔法神官たちが上官の次の指示を待たず、我先にと、大広間の周縁部を取り巻くアーケード回廊へ――半地下の溝の中と飛び込んだ。 隊士たちも、クラウン・トカゲたちも、パニックだ。

――多数の大きな雷撃が一閃したかのような、言いようの無い重い衝撃音が轟く。

内壁に、地上から屋上まで裂ける如き、幾条もの巨大なヒビが入った!

隊長と副隊長も、建物の崩壊を直感的に察知し、下級魔法神官たちの逃走先を――アーケード回廊の下の半地下の空間を目指して、回れ右した。 残っていた隊士たちも、無風状態を幸い、後に続く。

エメラルドが、何かしたとしか思えない。バーサーク捕獲部隊の面々の全員が、確信していた。

ドーム型構造の吹き抜けを通して見える夜空は、もはや夜空では無かった。払暁の空でも無い。

《争乱星(ノワーズ)》による予期せぬ現象か、 それともエメラルドが、魔法を使って天候を変えたのか――雷電シーズンを思わせる不気味な黒雲が、雷光と激しく揉み合いつつ、どよめいている。

一瞬の静寂の後、唖然となる程の雷光をまとったダウンバーストが、ドーム型屋根を目指して襲い掛かって来た。

「雷攻撃(エクレール)魔法か!」
「爆風が来る!」

半地下の空間に避難したバーサーク捕獲部隊の面々は、アーケード回廊を形作る列柱の、城壁素材で出来た基部にしがみついた。 大型の転移魔法陣の事故が起きた時の作業員が、そうするように。

吹き抜けのドーム屋根に張り巡らされていた、金属製の蜘蛛の巣のような張力構造は、巨大落雷を防ぎ切った。だが、ダウンバーストの風圧に呆気なく踏みつぶされた。 ドーム型の曲線を描いていた屋根が落ち込んで行き、支柱が滅茶苦茶にひしゃげ、大広間の床の上に無残に崩れていく。

大広間の床と激突したダウンバーストは、そこで終わらなかった。

膨大な風圧は出口を求め、四方八方に向かって爆散した。大広間の床の上に落下した内壁の破片、張力構造を成していた梁の断片、 支柱の成れの果て――あらゆる物が、爆風に押し流された。猛烈な勢いで、周縁部のアーケード回廊へ――そして城壁へと、次々に飛散する。

半地下の空間の上を超音速の爆風が通り過ぎ、溝の中にあった細かな小石を、ことごとく吸い出して行く。

バーサーク捕獲部隊の面々は、自身もまた吸い出されそうになりながらも、 シッカリと列柱の基部にしがみついていた。クラウン・トカゲは、自慢の脚力を持つ両足を溝に踏ん張って、堪えている。

生物学的に頑丈、かつ俊敏な竜人とクラウン・トカゲで無ければ、とても生き残れなかったであろう。

アーケード回廊を成す列柱は、基部を残して全て吹き飛んだ。

内壁もろとも円筒形の建築物全体が四方八方へ向かって粉砕し、大広間の基底床とアーケード回廊の基部、わずかばかりの礎石を残す、巨大な更地と化した。 外周部たる城壁の下には、元・建物の成分だった物の残骸が吹き寄せられて、うず高く積み重なった。

魔法攻撃に対する盤石なまでの安定した耐性と、物理的強度とを同時に備えた堅牢な城壁で無ければ、 倉庫街へも大きな破片が吹き飛び、深刻な被害が及んでいたに違いない。

一陣と言うには激烈すぎる爆風が過ぎ去った後、礎石の上に顔を出したバーサーク捕獲部隊の面々は、綺麗な更地と化した大広間を、呆然と見つめるばかりだった。

ダウンバーストと共に大量のエーテルが注ぎ込まれたのは明らかだ。剥き出しになった大広間の基底床の上で、数多の転移魔法陣が白く輝き、稼働していた。 《風》魔法の結晶である転移魔法陣――《風》魔法の特徴である白いエーテルの光が、高温の炎のように立ち上がり、明るく輝いている。

――炎のように明るく? ――明るすぎる!

エーテル量が多すぎるのだ!

これ程の多数の転移魔法陣を満たして、なお溢れかえる大容量のエーテルというのは、普通ではありえない!

下級魔法神官たちが何やら、そのような事を叫んでいたが、すっかり震え上がっていた面々の耳には、入らない。

白いエーテルの輝きは、見る間に複数の色に彩られて行った。赤、白、青、黒――四色のエーテル魔法の輝きだ。 気まぐれに踊る四色――《火》、《風》、《水》、《地》、四大エレメントのまばゆい光で彩られている。

そして勿論、転移魔法陣は、四色のエーテル魔法で稼働するようには出来ていない。 早くも、数多の小型サイズと中間サイズの転移魔法陣が、尋常に光で出来た柱を回転させつつも次々に誤作動を起こして、上下左右にガタガタと震え始めた。 基底床に刻まれたパターン溝が、過剰エネルギーを捌(さば)き切れないのだ。中小型の魔法陣パターンの溝が溶解し、次々に構造破綻して行く。

中央の巨大な転移魔法陣の上で、四色のエーテルで出来た壮大な炎の柱が立ち上がった――摩天楼の如く高く立ち上がった柱ではあったが、 見る間に形が崩れ、再びの凶暴なダウンバーストの姿となって、地上に襲い掛かる。

我知らず浮足立っていたバーサーク捕獲部隊の面々は、再び身を伏せた。

四色の極彩色のダウンバーストの中で、不意に渦巻きのような乱流が生じた。乱流は瞬く間に巨大化し、ダウンバーストの風圧をそのままに、壮大な下降トルネードと化す。

それに応じたかのように、巨大な転移魔法陣が、太陽よりも明るく輝いた。再び、四色のエーテルで出来た壮大な炎の柱が、大渦を巻きつつ立ち上がる。

中空に出現したのは、上昇と下降の二重スパイラルとなった四色の極彩色の壮烈な構造体だ。 摩天楼の如き高さを持った構造体は、重力に従うかのように基底床へ向かって圧縮されつつも、有り得ない高速度で回転した。

きつく縒(よ)り合わされたせいに違いない――二重スパイラルを構成していた四色が見る見るうちに溶解し、 一方が金色に輝き、もう一方が銀色に輝いた。さながら陰と陽の二重スパイラルだ。

――大容量エーテル魔法の膨大な負荷に耐え切れなかったのか、基底床の全体に、見る見るうちに凸凹の歪みと裂け目が広がって行く――

金と銀のエーテルが暴発した。真円の形をした平坦な床は、超新星の如き激しい光を放ちつつ、不定形の風船さながらに大きく膨れ上がった。

そして遂に、《地》エーテルの結晶であった基底床は、壮絶なまでの大音響と共に爆散した。

無数の砕石と化して摩天楼よりも高く噴き上がり、砂の如く粉みじんとなり、元の微細エーテル粒子に分解して行った。

*****

倉庫街や作業員寮に宿泊していた数多の隊商や作業員たちが、にわかに騒ぎ出した。

多種族のとりどりの人々が、通りに出るや否や、口々に叫びをあげて、中央部にあった筈の転移基地の成れの果て――城壁のみ残してポッカリと開いた空間と、 その上に揺らめく微細エーテル粒子の黒煙を指差した。黒煙は《地》エーテルの物と思われるが、今まさに雲散霧消して行くところだ。

経験した事のない激しい局地的荒天――ダウンバースト。その後に連続した数多の轟音と爆音、謎の妖光、次いで再びの爆発音と、それに続く超新星の如き爆裂。 これで目が覚めない人は居ない。

「誰か居るのか!」
「どうなってんだ!」

作業員たちが先頭を切って、城壁の封印扉を開錠し、現場に飛び込んだ。

いつもの平常さを取り戻した、春の半ばの、日の出のまばゆい光の中――

転移魔法陣はおろか、大広間の基底床すら残っていない、見事なまでに更地と化した空間。

かろうじて残った周縁部の礎石の陰、半地下となっている溝の中に、まだ現実を取り戻していないバーサーク捕獲部隊の面々と、 仰天したまま固まったクラウン・トカゲの一団がたむろしている。

隊長と副隊長が頭を振り振り、それでも作業員たちの姿を認めるや否や、しゃきっと背筋を伸ばして大声を上げた。

「一般人の立ち入りは禁止だ! 良いと言うまで誰も近付けるな!」

流石に、治安をあずかる武官の指示は絶対だ。壮絶なまでの現場を見て取った作業員たちは一瞬で納得し、 後から付いて来た隊商の商人たちを倉庫街へと押し戻した。

だが商人たるもの、その野次馬根性は平均を超えている。再び閉じられた城壁の中には立ち入らなかったが、 全員が全員、朝食も着替えも忘れて、興味津々と言った様子で、現場の周りで『壁を透かして見る魔法は無いか』と騒ぎ始めた。 中には、倉庫街の屋根の上に登って、魔法の望遠鏡で城壁を透かして、現場を見てやろうと言う集団も居る。

バーサーク捕獲部隊の面々は早速、エメラルド隊士の身柄を捜索したが、見事なまでに更地と化した空間には、 身体の欠片すら残っていなかった。文字通り、エメラルド隊士は消えていた――爆発で蒸発したのか、 何処かへ転移したのか、それすらも定かでは無い。

「隊長! エメラルド隊士のクラウン・トカゲが居ます!」

隊士の1人が、隊長の元へ、余分の1匹のクラウン・トカゲを牽いて来た。 余りにも驚き過ぎたせいなのか、クラウン・トカゲは大人しい。

「エメラルド隊士の忠実な馬よ。お前の乗り手の欠片が、わずかでも残っていれば、拾って来れるか?」

隊長が問い掛けると、クラウン・トカゲは今、正気に返ったとでも言ったように、つぶらな目をパチパチさせ、 頭頂部のフッサフサを、フサフサと揺らした。 クラウン・トカゲは暫く鼻をヒクヒクさせると、何やら確信を持ったかのように、 周縁部の礎石の一部に駆け寄った。そこには、支柱の基部と思しき砕石が突き刺さっていた。

クラウン・トカゲが、不思議がっている時の特徴的な鳴き声を上げる。

副隊長が前に出て、礎石に突き刺さった砕石を取り除くと――そこに、朝の光をキラリと反射する物があった。

「エメラルド隊士の髪留めですな」

副隊長は、女物の髪留めを隊長に示した。爆風で、他の砕石もろとも礎石に突き刺さっていたのだ。 髪を挟み込む部分がすっかり無くなっており、残っているのは金属を彫り込んだ装飾の部分だけである。

クラウン・トカゲは、それ以上、反応しない。 エメラルド隊士の身体は、もはや元型すら留めぬ原子と化し、或いは微細エーテル粒子と化したか――もしくは行方不明で、此処では回収不可能なのだ。

――風と共に去りぬ――

この場に残されたのは、髪留めだけであろう――と、隊長は、やっと判断を下したのであった。

6-6怒髪天と惑乱の人々

少し時間をさかのぼる。

《風》のユーリーは、半透明のプレートをベルトに挟み、魔法の杖を手に携えて、未明の闇の中をコソコソと動き回っていた。 やたらと夜目の利く他の竜人たちに見つからないように、全身黒装束、すなわち忍者コスプレと言う格好だ。

――目指すは、上級魔法神官が詰める研究棟の1つ、その屋上階にある、植え込みに囲われた秘密の中庭だ。

秘密の中庭のある屋上階へと続く壁の下、アーケード回廊が巡っている――

ユーリーは、アーケード回廊の柱の影から顔を出した。柔らかな空色の目には、決意が浮かんでいる。

持ち込んで来た魔法の杖を、細い梯子と化す。そして、屋上階にある秘密の中庭まで登れるように、梯子を壁に立てて、ソロリソロリと登って行く。 誰にもバレていない筈だ――

「――大図書館の本のお姉ちゃん、何してんの?」

ユーリーはギョッとする余り、梯子から転落した。もっとも、3段ばかりの差でしか無いので、丈夫な竜人にとっては、スッ転んだのと変わらない。

「イテテ……え、お嬢ちゃんは……」

ユーリーは身を起こし、声を掛けて来た幼女と思しき人影を見上げた。

ビリジアン色のクシャクシャの髪、ネコの目のような表情豊かなワインレッドの目、大人の腰の高さにも満たない背丈。 平均を遥かに超える美少女だ。

だが、扮装がおかしい。ユーリーを真似したかのように、忍者コスプレになっているのだ。 ただし完全な黒装束では無く、少女の好みなのか華やかな赤みが入っていて、臙脂色に見える。

「え、何で、その恰好なの? えっと……ライアス神官のところの……ライアナちゃん。スペクタクル人形劇と紙芝居は、まだ10日後だよ」

小さなライアナは、「えへへ」と笑って、クルリと一回転した。忍者ごっこ気分らしい。

「おねだりして、お父さんの研究室にお泊りしてたんだけど、眠れなくって。アーケード回廊を探検してたら、そしたら、お姉ちゃんが忍者ごっこしてるから、 私も混ぜてもらいたいと思って、急いで着替えて、こっそり来ちゃった。ねッ、良いでしょ?」

親に言わずに出て来たのか。ユーリーは一瞬、頭がクラッとするのを感じたが、場合が場合だけに――時間も迫っているだけに――追い返す事も出来ない。

ユーリーは精一杯、怖い顔をして、ライアナに迫った。

「良い? ライアナちゃん。これから、本物のスパイをやるの。悪い大人たちが、この上にいるの。私のいう事をよく聞いて、奴らに見つかっちゃダメよ。 逃げて、と言ったら、全力で逃げて、お父さんに知らせて」

ライアナは、ユーリーの本気度にビックリした顔をしていたが、屋上階の中庭に続く梯子を眺めて何となく事情が分かって来たのか、 マジメな顔で「ウン」と小さくうなづいた。

壁に梯子が改めて固定され、忍者コスプレ姿の大小の人影が、よじ登って行った。

――此処で、世代の違う「にわか女子会」の2人は、重大な事実に気付かなかったという事を、述べておこう。 そのアーケード回廊を見下ろす位置にある、別の塔の上に居た――やたらと視力と聴力の良い――別の人物がビックリして、その様子を注目していたのである。

「これは、放っておけん」

*****

忍者姿の2人は、梯子を登り切り、屋上階の中庭をグルリと囲む植込みの中に、身を潜めていた。

ユーリーは既に半透明のプレートを植込みの隙間に当てて、音声付きの映像記録を取る構えである。 小さなライアナは、目の前で展開する奇妙な儀式に驚く余り、大きな目を一層大きく見張っていた。

中庭の真ん中では、上級魔法神官と下級魔法神官から成る10数人の男女が、《神龍》を礼拝するための物と思しき荘厳な祝詞を唱えつつ、行列を作って円を回っている。 10数人の人影が、神官服に共通の長い裾をなびかせて円を回る度に、古代の儀式さながらに、奇妙な魔法陣が中央に描かれて行った。

ライアナは目を細め、胡散臭げな眼差しになった。

「お父さんとエルメスの研究してる天球探査の魔法陣によく似てるけど、何か違う……」

中庭の中央で、魔法陣が、おぼろな四色の光を放ち出した。しかし、このサイズの魔法陣を稼働させられる程のエーテル量には満たない。 10数人の男女は魔法の杖を構えて、未明の空を仰ぎ、何かを待ち受けているようであった。

「来た」
「現れたぞ! 手筈通りに――」

地平線の上を、薄明がうっすらと覆っていた。次の瞬間、薄いラベンダー色の光が地上に満ちた――その光源は、暁星(エオス)だ。 天球の中ほどで、わずかな間に輝きを強める――

10数人の男女が魔法の杖を振り、暁星(エオス)の光を魔法陣の上に集束した。

中庭に描かれている魔法陣のおぼろな光が、極彩色さながらの強烈な光となった。

複雑な円周パターンに沿って、四色の極彩色の柱が、炎のように揺らめきながら立ち上がる。その火柱の高さは、人の背丈の3倍ほどだ。

四色が組み合わさった火柱の頂上部は、ペリドット色の微細エーテル粒子と思しき物を、空中に大量に吐き出した。

魔法の杖を最も高く掲げている、リーダー格と思しき上級魔法神官が、興奮に全身を震わせている。

「世の者どもよ、見よ。恐れ多くも畏くも、高く尊き《神龍》の御名(みな)の下、大いなる御業(みわざ)を――」

――だが。

不意に、地上を満たしていた薄紫色の光が消えた。暁星(エオス)の光は変わらないのだが、『地上を満たす光』がこちらに来ないのだ。 魔法陣の上に降り注いでいた薄紫色の光束が、途絶えた。四色の火柱も、瞬く間に雲散霧消する。

魔法陣の周りで円陣を組み、魔法の杖を構えて息を合わせていた10数人の男女は、その有り得ぬ事態にうろたえ、口々に騒ぎ始めた。

「光束が切れた――」
「そんなバカな。計算は合っているんだ! 誰かが気付いて、横取りでもしていない限り――」

リーダー格と思しき上級魔法神官は、その瞬間、招かれざる『忍者もどき』の存在に気付いた。訓練された魔法感覚の賜物だ。

「――誰だ!」

上級魔法神官の魔法の杖がうなり、ユーリーとライアナの周辺の植込みが、一気に引きちぎられた。

《地》魔法と《風》魔法の併用だ。流石、上級魔法神官ならではの実力と言うべきか、凄まじい威力だ。 ユーリーもライアナも圧倒されて、腰を抜かして座り込むばかりである。

10数人の男女が血相を変えて、ユーリーとライアナを包囲する。

「よくも、記録を取ろうとしていたな。生かして帰す事は出来ん」

リーダー格と思しき上級魔法神官の男が、杖を振り上げた。ユーリーは、その声に聞き覚えがあった――大図書館の読書談話室で密談していた3人の男のうち、1人だ。

ライアナが素早く魔法の杖を振って、得意中の得意たる《火》魔法による《火矢》を放った。素晴らしいまでの反射速度だ。 包囲した神官の半数が不意を突かれて、「アチチ」と叫びながら後ずさる。

しかし、上級魔法神官の男は、そのオモチャのような《火矢》の群れを、難なくはたき落とした。

「死ね……!」

上級魔法神官の男の魔法の杖が、強烈な白い光と轟音を生み出した。最大最強レベルの《火矢》と《風刃》と《石礫》と《水砲》が放たれた。

ユーリーはライアナを抱きしめ、小さなライアナが粉みじんにならないようにガードしたが、 過剰殺戮(オーバーキル)と言うべき激烈すぎる攻撃魔法の合わせ技では、望みは薄いと言えた。

再び白い閃光が輝き、凄まじい剣戟音にも似た風音が響く。中庭の中で壮絶なまでの魔法と戦闘が展開し、屋上階の全体が震動した。 その震動は、上級魔法神官の研究棟となっている、城壁素材の建物全体を揺るがす程だった。

――天球の中の暁星(エオス)が揺らめいて消えるまでの、ほんの瞬きの間に、全てが終わった。

払暁の光の下、凄まじい騒動が収まるや否や、方々から「何が起きたんだ」という大勢の疑問の声が上がって来た。 アーケード回廊の下から、数々の上級魔法神官や、その助手の下級魔法神官たちが、寝ぼけ眼で飛び出して来たのであった。

*****

それから、一刻も経たないうちに――

神殿内の棟のうち、警備担当が詰める棟の――機密会議室の扉が、凄まじい程の怪力で蹴り破られた。

会議室で、今まさに大詰めという所だった、隠密調査チームのリーダーたるウラニア女医および医師&研修医スタッフ、 調整役のセイジュ大神官、その助手のエレン神官――それに今回の『バーサーク危険日』に関する意見係として招集されていたライアス神官とエルメス神官が、 ギョッとして顔を上げた。

同室していた、警備担当リーダーを務める神殿隊士長がビックリして、侵入して来た人物に声を掛ける。

「――ゴルディス卿!?」

ウラニア女医がサッと立ち上がり、灰色の目をギラリと光らせた。

「ゴルディス卿と言えども、許可なしの入室は――」
「緊急事態だ。ユーリー司書とライアナ嬢の話を聞いた方が良いと思うが」
「ライアナ!?」

唖然とするライアス神官の下へ、小さなライアナが泣きべそ顔で飛び込んで来た。忍者コスプレ状態で。

「悪い大人たちに、バラバラにされる所だった――!」

セイジュ大神官が思わず「悪い大人?」と呟き、足元に蹴り砕いた扉を踏みしめて傲然と立つゴルディス卿を、胡散臭そうに眺めた。

ゴルディス卿は、相変わらず妖怪めいた玲瓏たる美貌を保っており、美しすぎる魔王そのものだ。ストレートの黒髪も、今しがたセットしたばかりの流れるような輝きである。 洗練の極致たるファッションセンスに満ちた上等な仕立ての着衣にも、乱れは無いが……

一方ライアナは、強烈なショックを受けたという事は明らかで、父親・ライアス神官の腕の中にスッポリ収まったまま泣きじゃくるばかりで、話にならない。

「誤解するな、セイジュ殿。大の男が幼体の殺害に及ぼうと言う場面を黙って見逃す程、私は慈悲深くは無い」
「相当に誤解を招きそうな物言いだが――ゴルディス卿、今、何と言った? 幼体の殺害だと?」

セイジュ大神官の聞き返しの内容を理解して、ライアス神官とエルメス神官は、口をアングリしたまま固まった。

そして――ゴルディス卿の背後から、忍者コスプレ状態のユーリー司書が、決まり悪げな様子で顔を出して来たのであった。

*****

――その後。

場を変えた機密会議室の中では、ユーリー司書の半透明のプレートに記録されていたデータが再現されていた。

『――では、2日後にバーサーク危険日が到来するのは間違いないのだな』
『ええ、夜明けと同時に。それと同時に、逆方式を立ち上げ、運命の《呪い》を発動すれば……』
『前回と前々回の《死兆星(トゥード)》照応は、爆心地の場所がズレて失敗してしまった。今度こそ、この占術方式であれば、 遂に我ら、《神龍の真のしもべ》が、究極の大逆転魔法によって、闇ギルドに身をやつしているバーサーク義勇軍と共に、竜王都の全てを正常化して――』

その密談の内容に続いて、謎の『メッセージボード』を利用した種々の連絡内容が交わされた。

結論から言えば『メッセージボード』は、目を付けて置いた上級魔法神官の不在を活用するための、盗聴魔法をはじめとする仕掛けの総称であった。

上級魔法神官・本人が居ない場合は『遠方出張』というサインが出るようになっており、 一瞬でも本人が部屋に居たら『一丁上がり』というサインが出るようになっている。

『遠方出張』で構成される通信ラインを結合し、上級魔法神官向けの優先通信システムを丸ごと、グループ内の遠隔通信に拝借する。 こうして、密談の内容は更に続いた。『神龍の神罰・争乱星(ノワーズ)バージョン』なる奇怪な儀式をするための時間と場所の指定、メンバー招集の内容となっている。

――ユーリー司書は、これを「鋭意」検討し、通報のための証拠データとして現場を記録しようと、忍者コスプレ状態で乗り込んで行ったのであった。

上級魔法神官の社会的地位は非常に高い。神殿の権威と権力に守られた特別な人々を、しかるべき場に突き出すためには、 それ程の確証が要る――という、どうしようもない事情もあった。

機密会議室の面々は呆然としたまま、通報データの内容に注目するのみである。

此処だけの話ではあるが、ウラニア女医の唖然とした表情は、めったに見られない珍しい代物であった。

ゴルディス卿は皮肉満載の口調で、端的な事情説明をした。

「たまたま私が、暁星(エオス)観測のためにあの塔に出ていなかったら、ユーリー司書とライアナ嬢は今頃、草葉の陰で元型すら留めぬ細切れになっていた筈だ」

――忍者コスプレ状態のユーリーとライアナを順番に眺めるゴルディス卿の銀色の眼差しには、皮肉満載の口調とは裏腹に、面白がっているような光が浮かんでいる。

「それにしても……そんな風に、如何にも『不審者でござる』と大声で主張するような恰好でスパイをやろうと言う、勇気のあり過ぎる人物が、 この世に本当に実在するとは、この私にしても驚かされたよ」

ユーリー司書と小さなライアナは凹んだ。ゴルディス卿の皮肉は痛いが、助けてもらった手前、何も言えない。

次に、半透明のプレートは、ユーリーとライアナが遭遇した出来事を全て再現した。奇怪なグループとゴルディス卿との戦闘によって、データが乱れた所まで。 すなわち、この奇怪なグループのリーダー格と思しき上級魔法神官が、『幼体の殺害未遂』という重大犯罪をやらかした――という証拠も挙がったのである。

「彼をすぐ逮捕しなきゃいけませんよ」

血相を変えたライアス神官を正気に戻すべく、エルメス神官が声を掛けた。そして、 その件については興味を失った、と言った風のゴルディス卿の声が割り込んで来た。

「喋れる程度には生かしてあるから、何をさえずるか試してみるんだな。 その前に、現場の拘束魔法陣の周りに集まって来た野次馬の連中を引き剥がす必要があるだろうが」

エレン神官は、口を引きつらせて苦笑する他無い。セイジュ大神官が、呆れたように突っ込んだ。

「奴らを半殺しにしたんだな? 大物クラスならではのドラゴン・パワーで……ただでさえ近衛兵レベルの腕前なんだから、 少しは手加減してくれたまえよ、ゴルディス卿。 貴殿が以前、闇ギルドから放たれた暗殺者グループを撃退した際、竜体変身して暗殺者どもに何をしたか、こっちはスッカリ承知しているんだ」

ウラニア女医がピクリと眉を跳ね上げ、青ざめた医師&研修医スタッフの面々に合図して見せた。

「尋問の前に、救急処置と蘇生処置を施しておく必要がありそうね。現場に急行する。準備しなさい」

*****

――警備担当の将官と配下たちが、ウラニア女医のチームと共に現場急行した後。

この場で最高位の神官として、現場報告を取りまとめる代表となったセイジュ大神官は、ゴルディス卿の顔をマジマジと眺めた。

「どうやって、警備の厳しい機密会議室に乱入できたんだ? 選りすぐりの神殿隊士と魔法使いを配置してある筈だが」
「なに、簡単な事だ。親愛なるセイジュ殿に愛の告白をするから案内しろ邪魔するな、と触れ回っただけだ。 大物クラスの恋路を邪魔する余り、蹴られて死にたい奴は居ないだろう」
「……何だと?」

セイジュ大神官は開いた口が塞がらない。その背後ではエレン神官がポカンとしていた。

ライアス神官とエルメス神官は、驚愕の表情で振り返った。 忍者コスプレ姿のユーリー司書と小さなライアナが、警備係として残った数人の忠実な神殿隊士(特に女隊士たち)と共に、興味津々で注目する。

「恋に狂った大物クラスの乱入という騒動で、真の通報内容への注目は外れた筈だ。この辺りにも奴らのスパイが居ない訳では無さそうだからな」

ゴルディス卿は涼しい顔で解説した。

セイジュ大神官は、胡散臭そうな顔で、ユーリー司書と小さなライアナを振り返った。

世代の違う2人の忍者コスプレ女子は、無言ながら揃って、シッカリとうなづいて見せたのであった。

――恋に狂った大物クラス(ただしボーイズラブ)。今まさに禁断の愛を告白せんとする大物クラス貴公子(しかも絶世の美貌)が、 何故か従者として引き連れている、忍者コスプレ姿の、世代の違う2人の女子。

後々まで語り草になるような、非常に奇妙な取り合わせの光景だったに違いない。2人の真の通報者の存在が、全くかき消えてしまう程に。 『証人の保護』としては、これ以上の物は無いと言うくらいに優れた方法だが――

セイジュ大神官は、涙目になって机に突っ伏した。女隊士の面々も加わった、「にわか女子会」のキラキラした眼差しが、かえって痛い。

「どうしてくれるんだ、ゴルディス卿……私のボーイズラブの噂が確定したような物じゃ無いか」
「大物クラスとのボーイズラブは、注目されがちとは言え恥にはならん筈だ。諦めて結婚してみるか?」

6-7恋人たちの残照

その日の朝一番で、上級魔法神官会議が緊急招集された。

招集したのは《地》の大神官長だ。セイジュ大神官の要請を受けての事である。

上級魔法神官の若手たちと一緒に列席したロドミールは、信じられぬ思いで耳を傾けるのみである。

――神殿の中で最も優秀な頭脳を集めたと言われている《神龍の真のしもべ》グループが、その才気ほとばしる熱血の余り、 闇ギルドの手の者と共に、呪術に手を染めていたと言うのだ。

上級魔法神官会議は、現場から上がって来る逐次報告を挟みながらも、慌ただしく進行した。

証人保護のため詳細は伏せるが、ある方法で事前に、その計画の存在をキャッチした目撃者が出た。 その善良なる目撃者は、更に呪術の現場の模様を、音声付き映像で記録した。そのデータは、確保済みである。 目撃者たる2人――1人は幼体であった――に対し殺害未遂を行なったと言う、オマケの証拠も付いている。

『バーサーク危険日』に合わせて展開される呪術であり、まさに《争乱星(ノワーズ)》が主役である本日の夜明けと共に発動した。 『バーサーク危険日』が続く間、バーサーク化する傾向のある全ての竜人たちを、 ランダムなタイミングでバーサーク化させ続ける――と言う、とんでもない異常現象を狙った物である。

その緊急性を考慮し、既に警備担当の配下が出動している。

バーサーク化する可能性のある「ハイリスク竜人」を順次、身柄確保し、竜体変身を禁ずる拘束具を装着するのだ。 逐次報告の内容によれば、数体は、あわやバーサーク化する直前であった。相当数の竜体が錯乱して行方不明になったため、鋭意、追跡中である。

上級魔法神官会議は速やかに進行し、今や既にテロリスト集団となった《神龍の真のしもべ》の面々に対する弾劾裁判を行なう事が、尋常に決定された。

そして、果たしてその呪術の成功率が如何なるレベルなのか、全面的に調査すべし――との意見が採用された。 いずれ和議を結ぶことになるであろう王宮に向けての公式見解も、その調査結果に沿って作成しなければならない。

*****

上級魔法神官会議の進行が、ほぼ終わりになって来た頃――

エメラルド隊士を捕縛する手筈になっていた、警備担当の配下のバーサーク捕獲部隊が帰還した。

此処では、エメラルド隊士もまた、バーサーク化する個体「ハイリスク竜人」に相当する扱いとなっている。 その情報は当然ながら、今日のバーサーク竜体に関する逐次報告の中に埋もれる事になった。

――エメラルド隊士、行方不明。錯乱して行方不明になった他の相当数のバーサーク竜体と同様、 全ての地方管区に《宿命図》情報を緊急提供し、発見の報を待つ――

「エメラルド」という個人に関する報告に、ピリピリしながらも注目し、待ち受けていたのは――ロドミール1人だけであった。

実際は、別途に報告された事故、すなわち平原エリアにある大型の転移基地に生じた爆裂事故『超極大バースト事故』の方が、 「エメラルド隊士がその場に居たと言う事実」とは切り離されて、注目を集める事態となっていた。

*****

――古代・中世の頃は、転移基地となりうる施設、すなわち、長期にわたって安定した転移魔法陣を維持する技術が存在しなかった。

優れた技術を持つ、それも《地霊相》生まれの熟練の魔法職人(アルチザン)を集め、鋼鉄よりも堅牢な金剛石(アダマント)の表面を直接ノミで削り、 大変な苦労をして転移魔法陣をセットする――というのが定番であったのだ。 ゆえに、基底床を成型する技術が確立する前の時代においては、王宮や神殿を除けば、転移基地に相当する施設は、 地方の一大拠点となるレベルの城塞都市にしか存在しなかったものである。

日々、強度も濃度も激変する《風》魔法が突き抜ける転移魔法陣の基底床には、 ひときわ優れた魔法耐性に加え、雷電シーズンに横行する巨大な連続落雷にも耐えうる、物理的安定性や永続性が要求される。 当然ながら、通常の物理的摩擦で徐々にすり減って劣化してしまう天然素材の一枚板では、この過酷な条件を満たす事が出来ない。

鉄などは、熱で伸び縮みしたり、水分や塩分で錆びたりしてしまうので、転移魔法陣の基底床として使うのはリスクが高すぎる。 ハイテクが進んだ現代でも、念入りに《地》魔法で成形した、金剛石(アダマント)レベルの特殊な基底床を使い続けているのだ。

この事実を考慮すると、『転移基地の基底床の全体が粉みじんとなって吹っ飛ぶ』という事件や事故などというのが、 如何に例外的で、驚くべき有事であるか――と言う事が理解されるであろう。

*****

神殿に、真昼の刻の鐘が響き渡った。

上級魔法神官会議が一区切りつき、報告も含めて翌日に再開という事でお開きになった。 上級魔法神官は全員、新たに発生した各種案件で多忙になるのだ。

ロドミールは、釈然としない思いに沈んだ。気の置けない同僚との慌ただしいランチの後も、気分が落ち着かない。

頭の痛くなるような大量の案件に没頭した後、わずかばかりの休憩時間に入ると――いつの間にかロドミールの足は、閑静な中庭を巡る回廊のある離れに向かっていた。 元々、瞑想のための場として設置されていた物であり、1人で考え事をするには、うってつけの場所だ。

――エメラルドは、何処へ行ったのだろう? エメラルドの普段の魔法能力を考えると、 大型の転移基地を吹っ飛ばせる程の威力は無い筈だし、何から何まで、謎のままだ――

やがて、思案に沈むロドミールの所へ、バーサーク捕獲部隊の隊長が一礼しながら近付いて来た。

少し魔法感覚を働かせてみると、ロドミールの同僚による『位置情報魔法』のエーテル残響が漂っているのが分かる。 この隊長は、ロドミールの同僚に、ロドミールの居場所を聞いたに違いない。

強烈な嵐に巻き込まれたのか、バーサーク捕獲部隊の隊長の武官服は、泥や細かな瓦礫の欠片にまみれ、大きく乱れている。 武官服ならではの強力な防護機能が無ければ、もっとひどい事態になっていただろうという事が読み取れる。

隊長は疲れた顔をしていたが、キビキビと口を開いた。

「ロドミール殿、この度は、ハイリスク竜人の早期通報に感謝します――残念ながら力及ばず、生死不明かつ行方不明と言う結果になってしまったのですが。 これは、エメラルド隊士の唯一の残留品、髪留めです。調べてみた所、貴殿の魔法署名が刻まれていた。 剣舞姫(けんばいき)称号の栄誉を受けた程の『親友』を通報するのは、心苦しかったろうと推察します。貴殿に是非ともお渡ししたいと思い、持参しました」

バーサーク捕獲部隊の隊長は、流石にプロの武官だ。余計な事をくだくだと並べず、端的な事実報告のみだ。

隊長は、差し出されたロドミールの手に髪留めを乗せると、「バーサーク竜体の捜索と捕縛がありますので」と言い、深々と再び一礼して中庭を去って行った。

――『親友』?

ロドミールは呆然として、エメラルドの髪留めに見入った。変わらないように見えるのは、彫り込まれた金属模様だけだ。 半ば恐れにも似た思いを抱きつつ、髪留めを観察する。

如何なる運命のイタズラが働いたのか、偶然にして、ロドミールの人生の障害となりうる『エメラルド隊士』という存在が、ほぼ抹消された。

だが、エメラルド隊士との関係は実際は恋人関係であった――という事実を立証する、決定的な証拠が残った。 その裏側を返し、そこにある筈の魔法署名を確認するには、大変な勇気が要った。

静かな中庭に差し込む光は、既に夕方の装いである。

オレンジ色を増した浅い角度の陽射しの中で、異様に変形し塗装が剥げ切ってしまった髪留めが、鈍く反射してきらめく。

――恋人としての魔法署名が刻まれている筈の、品――

ロドミールは、ゆっくりと髪留めの裏側を返した。魔法感覚で捉えられる、魔法署名のきらめきが目に入る――

(――!?)

ロドミールは愕然とする余り、一瞬、何が何だか――訳の分からない思いに満たされた。

そこに刻まれている自分の魔法署名は、何故なのか、恋人としての魔法署名では無く、親友としての魔法署名に変化しているのだ。

――人工の《争乱星(ノワーズ)》。呪いとして無理矢理に仕掛けられた「卵」が覚醒する時は、《宿命図》において、超新星さながらの衝撃を伴う。 バーサーク化の呪いを通じてバーサーク化する時には、膨大なエーテル流束の嵐が心身に襲い掛かる――と言う非公開の伝承さえある。 大図書館の中でも、特に『禁書目録』とされる希少な数冊にしか、その記述が無いとも聞く。

――この髪留めに刻まれた魔法署名の、余りにも有り得ざる変容は、その壮絶なまでの、 大容量エーテル流束の衝撃が加わったからなのだろうか? それに、何よりも――エメラルドの心身に、実際は何が起きたのだろう?

不意に、中庭を取り巻く回廊を構成する列柱の奥から、女性の声がした。

「――その髪留めは、エメラルド隊士の物ですの?」

ティベリアの声だ。半ば呆然自失だったロドミールは、思わずギョッとして、不自然なまでに狼狽してしまったのであった。

「済みません、立ち聞きしてしまったのですわ。エメラルド隊士とは、長年の親友だと伺いました。 交際は数年以上になるとか――さぞお辛い事と存じます」

列柱の陰から姿を現したティベリアは、同情を込めた眼差しをして佇んでいた。先程まで、声を掛けるべきか否か、迷っていたのだ。

ロドミールは無言のまま、濃い水色の目をした眼差しを、髪留めに落とすのみだ。 その眉目秀麗な面差しには、言いようの無い複雑な表情が浮かんでいたが――食いしばった口元は、何も言葉を吐き出す事は無かった。

ティベリアはロドミールの横に淑やかに立ち、濃紺の目をきらめかせて、中庭に注ぐ夕方の陽射しを静かに眺め――そして、口を開いた。

「エメラルド隊士と同じように、私も、ロドミール殿と時間を掛けて、良き親友というところから交際したいと思います。 私たちの《宝珠》適合率は80%ですけど、残りの20%がどういう答えを出すのかは、まだ分かっておりませんわ。 ロドミール殿はエメラルド隊士に対して誠実だったと、私は信じます――親友として」

中庭に注ぐ陽射しの角度が更に浅くなり、夕陽に包まれた中庭の陰影を、いっそう深めて行った。

ロドミールは複雑な表情をしたまま、ただし《宿命の人》に対する思慕を込めた眼差しで、ティベリアを見つめた。 ティベリアは憂い深くも美しく微笑み、その一途な愛情が含まれた眼差しに、やはり愛情を込めて応えた。

「ロドミール殿が大神官に昇格するまでの数年の間に、私たちは結論を出せる筈ですわ。 長い時間ではありませんけど、短いとも言えない時間ですわね。どうか、よろしくお願いいたします」

6-8竜王都の長い夜

落日の刻を過ぎると、いつものように夜空が広がり、時を刻む星々が輝いた。

いつもと同じでは無いのは、竜王都を中心とする情勢である。

結果的に、ラエリアン卿の激怒レベルを更に押し上げる事になったが――竜王国の全体に及ぶ非常事態という事で、 王宮側にも、『バーサーク竜の異常な大量発生』の旨、警告してある。

王宮の近衛兵をはじめとする、バーサーク捕獲部隊に相当する多数の部隊が、神殿の部隊と同様に、全員出動という状況だ。 ランダムに発生し続けるバーサーク騒動は、竜王都の回廊街区ばかりで無く、大陸公路に散在する多数の管区でも、燎原の火の如く広がっていた。

そして。

何故なのかは不明だが、幸いにも――くだんの《神龍の真のしもべ》グループがやらかした呪術テロは、完全には発動していなかったようなのだ。

ペリドット色をした『謎の呪いの飛散エーテル粒子』が充分な量に達しなかったせいなのか、落日の刻を回ると、バーサーク竜の発生が少なくなったのである。 『バーサーク危険日』が完全に終了する少し前に、バーサーク騒動が収束するという見込みが立って来たのだ。

*****

――今は、真夜中の刻に近い。

闇ギルド混成軍が、このバーサーク騒動に乗じて竜王国を完全に破壊せんとして、完全武装の状態で王宮エリア前に集結していた。 日が沈むや否や、夜襲も同然に、物理的・魔法的に大攻撃を仕掛けていたのだ。

ついでながら、『穢れた多種族の者どもが出入りし、よって竜王国は欲と悪にまみれ切ってしまった。この竜王国を完全浄化するための正義の戦いであり、 本来の純粋なるドラゴン族の聖性を復活するための聖戦である』とは、このたびの闇ギルド混成軍の主張である。

王宮エリアの近くでは、今まさに、ラエリアン卿の軍隊と闇ギルド混成軍との大決戦が繰り広げられている。

ひっきりなしに轟く、凄まじいまでの空爆音は、双方の竜体の群れから放たれるドラゴン・ブレスの衝撃による物だ。 強い魔法使いたちによる攻撃魔法の、まばゆいまでの《四大》エレメントの閃光もまた、夜空を焼き焦がさんばかりである。 戦闘に伴う様々な轟音が、複数の街区を挟んで隣り合っている神殿エリアへも響き渡っていた。

*****

「――占術は立派な教義を持つ宗教だ。それ故に、それだからこそ、まともな頭脳の持ち主が相手にしてはならぬ領域だ。 一旦、泥沼に――魔境に入ってしまうと、真実に向かって思考する力が、見る見るうちに失われて行く。 後で死ぬような大変な思いをしないと、人は、なかなかそういう迷妄から抜け出ることが出来ないものだ」

特等席の円卓に陣取ったゴルディス卿は、上質なハーブティーを一服し、ゆっくりと述懐した。

――此処は、神殿の中でも特に奥まった一角にある、重役向けの――つまり、大神官向けの喫茶室である。 大図書館の付属カフェなどと比べると、意外に小さなスペースだ。セルフサービス型であるという部分だけは、共通だが。

重厚な雰囲気に満ちた喫茶室の中、やはり重厚なデザインの円卓が均等に配置されている。 各々の円卓の上では、片手に載る程度のサイズをした「水晶玉もどき」の天球儀が常灯の役割を果たしつつ、天球の回転に合わせて、ゆっくりと回転していた。

多数の案件の処理を済ませて、疲れ切った顔をしたセイジュ大神官とエレン神官が、ゴルディス卿と同じ円卓に同席していた。 疲労回復を促すハーブティーが、2人の神官の前に用意されている。そこから立ち上る香(かぐわ)しいフレーバーは、ゴルディス卿お手製の調合による物だ。

流石に大物クラスならではの圧倒的なドラゴン・パワーと言うべきか――ゴルディス卿の妖怪めいた美貌には、疲労の片鱗は一切、認められない。 夜明け方に複数の上級魔法神官との大乱闘をやらかした上に、1日中、機密情報を含む膨大な案件に関わり、 大神官レベルで行なわれる重要決定のアシスタントを務める身となっていたのだが。

「占術は、いつでも権力と愛に――底知れぬ恐るべき狂気の闇に、荒れ狂う深淵に――関わる物だな。 我々竜人の占術では、愛は《宝珠》相として、権力は《宿命図》相として表現されるが、 それでも、権力と愛を織りなす生死の深淵を占う事が、占術の要である事には変わりない。それは遥か昔に絶滅した『人類』なる種族の占術においても、同様だった筈だ」

ゴルディス卿の静かな述懐が終わった。セイジュ大神官とエレン神官は、それぞれの思いを抱えて一服した。

暫し、沈黙の時が流れる――

――やがて、エレン神官が口を開いた。透明感のある淡い琥珀色の眼差しには、決意が宿っている。

「ゴルディス卿は、以前から神殿の聖所に在る《神龍》の正体を知りたがって居られましたね」
「ああ、知りたいね。神殿の連中が、敗色の色濃い今でも目が覚めないのは、《神龍》の存在が大きい」

セイジュ大神官が、鋭くエレン神官を振り返った。

「――本気か?」
「ゴルディス卿は皮肉屋で、矛盾に満ちた変人ですけど、信頼できる人でしょう」
「最後だけ余計な批評が入ったような気がするな。セイジュ殿の入れ知恵か」

3人は深夜のティータイムの席を立ち、神殿の奥の間へと入って行った。エレン神官が即席の転移魔法陣を形成し、稼働させる。 《風霊相》生まれだけあって、一連の動作は滑らかだ。

転移魔法陣の風音と白い光が収まった後、3人は、神殿の更に奥まったスペースに転移していた。

ゴルディス卿にとっても、微かながら確かに見覚えのある場所だ。以前、セイジュ大神官の友人として、かなり奥まで入った事がある。 ただし、或る一角の奥へは、あらん限りの偵察技術を応用しても、物理的にも魔法的にも侵入する事は出来ていなかった。

エレン神官は、驚くべき事に先頭に立ち、何でも無い事のように、その一角の更に奥へと、セイジュ大神官とゴルディス卿をいざなったのであった。 エレン神官の魔法の杖の動きに応じて一陣の微風が流れ、不可視の結界を切り開くかのように、 現実(リアル)と見まがう程の迷路の幻像を結んでいた蜃気楼魔法が解除されて行く。

複雑怪奇なまでの迷路の幻影が砂の如く分解して行くと、呆気ない程にシンプルな構造の廊下が現れる。

ゴルディス卿は、無言で眉を跳ね上げた。ゴルディス卿の胸の内には、ジワジワと、とんでもない可能性に対する深い直感が湧き上がって来た。

やがて、3人は――かの伝説の「聖所」を取り巻く、最も奥の回廊へと踏み入っていた。 城壁素材で出来た高い回廊の壁には、延々と、人の背丈を遥かに超える大型の『盾』パターンが掛かっている。

――《地》の金色のシンボルが刻まれた半透明の黒い盾。《火》の金色のシンボルが刻まれた半透明の赤い盾。《水》の金色のシンボルが刻まれた半透明の青い盾。 この一つ一つが、上級魔法神官レベルを超える、強大な『盾』魔法だ。

エレン神官は或る一角で足を止めると、やはり何でも無い事のように、『盾』の隙間に出て来た非常扉と思しき、シンプルな扉を開錠した。 そして3人は遂に、真夜中の闇に沈む聖所に足を踏み入れたのであった。微かな星明かりが降り注ぐのみの野外の空間だが、 3人の目は、即座に竜人ならではの優れた夜間視力を発揮した。

意外な程に小ぶりな空間だ。原初の森の欠片と思しき10数本の摩天楼の如き退魔樹林が、回廊に沿って、グルリと円状に立っている。下生えは濃いが、 定期的に手入れがされており、一筋の獣道のような道が付けられている。

頭上では、退魔樹林の漆黒の葉の中で虹色にきらめく曜変天目が、星々の光を透過して、意思ある精霊か何かのように色彩を変えて揺らめいていた。 3人は、円陣を組んで立つ退魔樹林の、その中の円形のスペースへと入って行った。 伝承によれば、そこに、竜王都創建の時代の、《神龍》を礼拝するための古い礼拝所があるのだ。

3人は、古びた礼拝所の前に集まった。目の前には、不思議な空き地が広がっている。 広さこそ堂々とした物で、大物クラス竜体が降り立つことができる見張り塔と同じくらいの面積だが、そこには、何も無いように見える。

だが――壮烈な程に強大な魔法が掛かっている気配が、明らかに漂っている。 此処こそが、神殿の絶対防御の要だ――そう直感したゴルディス卿は、注意深く魔法感覚を働かせた。

その正体は、すぐに知れた。絶対防御を構成する《風の盾》の魔法だ。ゴルディス卿は眉根を寄せて、その端や切れ目が何処にあるのか、探り始めた。

――《風の盾》による魔法の透明な障壁は、恐るべき滑らかさと堅牢さを保ちつつ、遥か天球の彼方へと延びているように見える。 まさに、天を打つが如き、壮大な魔法だ。わずかに立ち位置を変えて眺めると、透明な魔法の障壁の向こう側の、星々の位置が少しズレて見える。 物理的な光学迷彩すら掛かっているのだ。

とんでもない魔法である事は、明らかだ。ラエリアン卿が近衛兵レベルの竜体を数百体以上も揃え、 ラエリアン卿もまた竜体と化した上で、満を持して全軍突撃したとしても、絶対に破れないであろう。

エレン神官は魔法の杖を一振りして、《風の盾》を解除した。余人には到底、解析しえぬ絶対防御の構造が――厳重な光学迷彩もろともに――見る間に、分解して行く。

ゴルディス卿は、思わず呻いていた。この瞬間ばかりは、本気で驚いていたのだ。

「エレン君が、あの《風のイージス》だったのか……!?」

風のイージス――《風》の盾神官。

神殿の中で、最も謎めいた存在。《火》・《水》・《地》の、各々の盾神官の上に立つ――4人の盾神官のトップにして、神殿が誇る最高位の《上級占術》の使い手。 なおかつ、かの『英雄公』ラエリアン卿の猛攻をもってしても崩れぬ、絶対防御の要――

――《風》のエレニス・シルフ・イージス。

そのエレン神官――《風》のエレニスは、余りにも若く、繊細さすら感じられる面差しを、ゆっくりとゴルディス卿に向けた。 透明感のある淡い琥珀色の眼差しは、今は闇の中で、ペリドット色にきらめいている。その年には似合わぬ、底知れぬ深みと威厳をもった輝きだ。

「セイジュ師匠には、既に話しましたが――私は、この『バーサーク危険日』に先立って、 宿命の凶星の呪いを受けた《風霊相》生まれの人の、一つの命の軌道を懸けて、秘法『星界天秤(アストライア)』を発動しています」

低い声で告白を続ける《風のイージス》は一旦、言葉を切って、うつむいた。 ゆるやかにまとめられた髪型の下の表情は、氷を思わせる硬質さだ。食いしばっていると言っても良い程にきつく引き締められていた口元は、 だが、やがて、ふと洩れた溜息と共に、あの柔らかな笑みを浮かべたようだった。

「――その人が、大いなる術『アルス・マグナ』をやり遂げたかどうかは、将来になってみないと分かりませんけど。 今日の別件報告にあった、大型の転移基地の、四色を伴った大きな爆裂事故を考えると、恐らくは――」

ゴルディス卿は、再び息を呑んでいた。

セイジュ大神官は苦い顔をして沈黙しているが――弟子の選択を理解し、支持しているのは明らかだ。

――『星界天秤(アストライア)』は、秘法中の秘法だ。 生と死を、天秤にかける――宿命の軌道と運命の軌道を精密に正面衝突させる事など、並の上級魔法神官に可能な所業では無い。

かつて『人類』なる種族の絶滅を引き起こした、かの全世界レベルの大変動にも、『星界天秤(アストライア)』の術が関わっていたと言われている――

――『アルス・マグナ』。宿命と運命の交差する瞬間、理不尽な生と非合理な死が出逢う、その究極の場でのみ発動する、大いなる変容の術だ。 その本人が、自身の限界を超えるべく発動する大魔法。天地万物の相関と照応の有り様に、干渉するレベルの――

この世の相関構造は、可視にせよ不可視にせよ、総じてカオスとフラクタルだ。まさに『無限』と言う名の怪物なのだ。

秘法『星界天秤(アストライア)』は、その『無限』に干渉する術だ。 たった一個人の中で偶然に起きた、『アルス・マグナ』による変容の波が、どのように拡大して行くのか、 或いは、さほど影響を及ぼさずに静かに収束して行くのかも、全く分からない。

ゴルディス卿は、同情の意を込めた眼差しで、若いエレン神官を見つめた。

エレン神官にしても、『星界天秤(アストライア)』を発動する事を決断する際、深く懊悩した筈だ。

――為すべきか、為さざるべきか。それは常に、究極の――荒れ狂うカオスの深淵との応答だ。 怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。深淵を覗くならば、深淵もまた等しく見返して来るのだ――

エレン神官は、遠い目で在らぬ方を眺めては居るものの、いつものエレン神官である。 形の良い口元に、あの柔らかな笑みを浮かべている。その眼差しは穏やかだが、深い哀しみと喪失感を湛えているようだった。

「神殿が――神官たちが、内部から腐敗していると言うゴルディス卿の見立ては、正しかった。 だから、いつか到来するであろう『星界天秤(アストライア)』の明日のため、ゴルディス卿にこそ、見て欲しいのです。神殿の中心、《神龍》の正体を」

エレン神官――《風》のエレニスは、ポッカリと広がっている空き地の方を見やった。

「今、《風の盾》による目くらましは消えています。魔法感覚で、ご覧になって下さい」

ゴルディス卿は再び、空き地を注目した。

――円形をした空き地いっぱいに、白金色に輝くエーテルの「柱」が立っていた。互いに密着した3本柱に見える。

不思議な白金色の3本柱は、遥か天球の彼方へと延びつつ――先端部が何処にあるのかは、全く分からない。 柱の先端部は、天球の上に広がる星宿海の彼方に、無限なる宇宙の深淵のもとにある――と言うべきなのだろう。

その偉大な胴回りを覆うのは、樹皮と言うのか、竜の鱗のようにも見える幾何学的な文様パターンだ。 各所で、宝石のような光がランダムな点滅パターンとなり、またある時は特定の点滅パターンとなり、複雑な様相を展開しながらキラキラときらめいている。

「初代竜王の弟だった、神殿の初代の大神官長は、これを《神龍》と呼びました。 この『魔の山』が無限のエーテル資源に恵まれているのは、この3本柱の影響だと言う事が分かっています。 何故3本柱なのかは分かっていませんが――この世が3次元空間と1次元時間で構成されている事と、関係があるのかも知れません」

ゴルディス卿は、心の底から感心していた。

「まさに世界樹だな」

――竜王国の繁栄を約束する、圧倒的な存在だったのだ――伝説の《神龍》は。 成る程、大神官長たちや盾神官たちをして、聖なる物だと認識させる程の、壮大な存在だ。

「占術をもって、この名前の無い、偉大なるエーテルの柱から、神意を読み取った。神官は占術を行ない、その神意を伝える役割だった」

口承で伝えられる、いにしえの神殿秘史を呟いているのは――セイジュ大神官だ。

「だが、いつしか――絶対不可侵の権力という、ゴルディス卿の言う『迷信』と同化してしまった――らしいな」

セイジュ大神官は、やりきれないと言った複雑な表情をして、長く深い溜息を付いている。 ゴルディス卿が在らぬ方を向いて、「変人の神官も居るでは無いか」と、似合わぬ慰めを呟いた。

結論から言えば、《神龍》は、太陽やその他の天地万物の存在と同様、人知を超えた偉大なる大自然の相の1つであって、それ以上でも以下でも無いのだ。 勝手に権威・権力の根源とされ、解釈され、更には歪んだ占術でもって、都合の良い理由をこしらえるのに利用されただけだ――

エレン神官は、再び魔法の杖を一振りした。瞬く間に《風の盾》が広がり、白金色のエーテルの柱を覆い隠して行った。

*****

満天の星空の下、王宮エリアの方角から轟いて来る激しい戦闘の轟音は、まだ続いている――

運悪く主戦場として選ばれた頂上に近い広大な諸街区の凄まじい壊滅ぶりは、もはや語る必要はあるまい。広大な更地となり、此処は将来、大市場のためのスペースとなる。

闇ギルド混成軍は、ラエリアン卿の、大物クラス竜体ならではの偉大なるドラゴン・パワーの下に、完全に壊滅する事になるであろう。 そして、大勢の強大なバーサーク竜や魔法使いを含む残党が、ラエリアン卿に対する更なる憎悪――もはや信仰レベルと化した憎悪――を抱きつつ逃げ散って行く。

ラエリアン卿は、この後『お礼参り』と称する、数々の狂信的な暗殺者グループの集中ターゲットとなるのだが――これは、また別の話である。

*****

一刻ほどの時間が経過し、聖所を出た3人は、即席の転移魔法陣を通じて喫茶室に戻っていた。

重役向けの喫茶室は神殿の中でも高い階層にあり、そこから伸びる展望テラスで、竜王都を取り巻く地平線が一望できる。

展望テラスに出た3人の眼差しは、自然に――地平線の彼方に広がる『連嶺』を振り仰いでいた。

遠い昔は『銀河』とも呼ばれていた、星々の密集する壮大な帯だ。凸凹の地平線が形作る手前のスカイラインが、シルエットとして、クッキリと浮かび上がっている。 こうして眺めると、まさに、永劫の時が寄せては返す、星宿海の渚だ。

まだ見ぬ『星界天秤(アストライア)』の明日へと向かって天球は刻々と回転し、『連嶺』のギザギザの形状が、ゆるやかに移り変わって行った。

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