深森の帝國§総目次 §物語ノ傍流 〉暁闇剣舞姫4

天球のアストラルシア―暁闇剣舞姫―(4)

◆Part.4「運命のスイングバイ」
4-1.若葉の下の厩舎にて
4-2.魔法職人の一点物
4-3.名残惜しき人々
4-4.思い惑いの曲がり角
4-5.行方知れぬ流れに抗い

4-1若葉の下の厩舎にて

2人の神官との会合が終わった後、セレンディとエメラルドは、 あらかじめ行き先を申告しておいた特定の転移魔法陣を経由して、クラウン・トカゲの厩舎を訪れた。

クラウン・トカゲの厩舎は、医療院からは少し離れた場所にあるのだが、転移魔法陣を使えば一ッ跳びだ。

武官の寮の隣、城壁に接した細長い樹林公園の中で、淡いアッシュグリーン色を全身にまとったクラウン・トカゲが、思い思いにたむろしている。

樹林公園の中には、湧水、餌場、荒天時の避難のための若干のシェルターが完備されている。 厳重な『監視魔法』や、《四大》魔法防御が施された囲いがあるのだが、クラウン・トカゲの逃亡を防ぐためでは無い。 クラウン・トカゲは、闇市場で高く売れるのだ――馬泥棒が入って来るのを防ぐための物である。

真昼に近い陽差しの下、クラウン・トカゲの厩舎を取り巻く樹林公園の緑の若葉が、キラキラと揺れている。

セレンディは片脚が機能しないため、杖を突いて歩くと言う格好だ。 赤ちゃんドラゴンのファレル君は、セレンディの肩につかまって、初めて見る外の光景をキョロキョロと見回している。

エメラルドは、自分の魔法の杖を使って囲いのゲートを開くと、セレンディ親子を中に導き入れた。

新たに入って来た竜人の姿を見て、近くの淡いアッシュグリーン色の一群れが、クルクルと長い首を振り回し、 ノンビリとした不思議そうな声で鳴き交わした――「誰か来たぞ」と言い交わしているらしいのは明らかだ。 中に、面白そうな鳴き声が混ざっているのは、赤ちゃんドラゴンの姿を認めたからだろう。

「相棒!」

エメラルドが声を掛けると、エメラルドの相棒を務めるクラウン・トカゲが早速、駆け寄って来る。 いつものように「撫でて」と言わんばかりに、長い首を降ろして来た。エメラルドは「心配かけたね」と言いながら、 久しぶりの相棒のフッサフサを、モフモフした。

セレンディは、エメラルドの相棒の脚部の辺りを触れて、感心したような顔になった。

「まだ若いからか、ちょっと甘えん坊だけど良い馬ね。これは長距離に強いタイプだし、良く走ってくれるわ」
「分かります?」
「馬丁の人に、少し見分け方を教えてもらった事があるから」

ちょっとしたポイントを話し合っていると、馬丁といった風の若い男が近寄って来た。 ざっくりとしたパンツスタイルの上下に、浅葱色の丈の短い羽織を腰のベルトで留めているという格好であるが、 ロングブーツに包まれた足取りや、キビキビとした身のこなしは、武官そのものだ。

「連絡を受け取ったが、貴殿がセレンディ隊士なのか?」
「ええ、私がそうです。武官を退いたので、もう隊士じゃありませんけど」

快活そうな顔立ちをした若い馬丁は、街着姿のセレンディを、頭のてっぺんから足の爪先まで観察した。少し面白そうな顔になる。 セレンディのファッションセンスに感心しているのだろうと予想できる。

実際、ファッションに疎いエメラルドの目から見ても、セレンディのセンスは、筋が良いと分かるのだ。

留め紐の付いた淡灰色のベレー帽。そこから流れる、背中までの波打つ黒髪。 パンツスタイルの上に羽織っている、カラシ色の型染を施した淡灰色のロングシャツ。 そして――春夏期の街歩き用のショートブーツに包まれた、機能しない片脚。

若い馬丁は、セレンディの肩に乗っている赤ちゃんドラゴンを、かなり長い間、見つめていた。 にわかには信じがたい経緯で生まれて来た事を、聞き及んでいると見える。

「地元の神官が、卵の中の赤ちゃんには不思議な予見能力があって、 臨月に入ると、母子ともに生存確率が最も高いタイミングを選んで生まれて来る――なんてオカルトな事を言ってたんだが、本当らしいなぁ」

――それは初耳だ。エメラルドの横で、セレンディも驚いたように目を見張っていた。

「本当ですか、それ?」
「いやいや、単なる民間伝承だよ。大絶滅の時代を切り抜けたんだから、そういう超能力はあっただろうって事さ」

若い馬丁は「付いて来てくれ」と言い、エメラルドとセレンディを樹林公園の奥の方へ案内し始めた。

「俺は《水》のゲルベールと言う。とりあえず貴殿の馬に、ちょっと問題が発生していて、 どうするべきか悩んでたんでね……今日は来てくれてよかったよ、セレンディ殿」

――確かに、ささやかな問題ではある。しかし、悩ましい問題でもある事は、確かであった。 城壁の傍の若葉の間に顔を突っ込んで、名残の花の蜜を摘まんでいたセレンディの相棒は、セレンディの姿を見るなり喜びの鳴き声を上げて近寄って来たのだが――

「相棒! その頭の毛の色は……!?」

セレンディは絶句した。

クラウン・トカゲの頭頂部の、合歓(ねむ)の花冠を思わせるフッサフサは、真昼に近い陽光を反射して、金銀をまぶしたかのようにキラキラと光っていたのだ。 何とも豪華なフッサフサである。

「これ……もしかして、『繁殖ラメ』とか言うアレでは……?」

エメラルドも、開いた口が塞がらない。

セレンディの馬は、何故かセレンディの真似をしたかのように、妊娠の兆候を示していたのだ。

赤ちゃんドラゴンのファレル君は、セレンディの相棒の金銀にきらめくフッサフサに、熱い眼差しを注いでいる。「触りたい」と思っているのは明らかである。

若い馬丁ゲルベールは、頭に乗せていた黒いベレー帽を外し、ヤレヤレと言った様子でガシガシと頭をかきむしりながら、説明を始めた。

「此処に来た時は、背中がえぐれてる状態だった。 竜体状態のまま、にっちもさっちも行かなくなったセレンディ殿を乗せて走ったからだと聞いている――全く大した馬だ。 武官は皆、こういう相棒に巡り合いたいと思ってるもんだ」

次いで、馬丁ゲルベールは、「困ったもんだ」と言わんばかりのキッとした眼差しで、近くに居たクラウン・トカゲを睨んだ。

木々の間に居た、明らかにオスと思しきクラウン・トカゲは一瞬、首を引っ込めたが、 再びソロリと出して来た愛嬌タップリの目元や口元には、ニヤニヤ笑いを浮かべているような曲線がある。

「治療魔法を施して大人しく寝てもらっていたんだが、申し訳ない事に、俺の相棒が夜這いをやらかしてね。 何故なのか分からんが、一目惚れよろしく気が合ったらしい。普段は中性なのに、一晩でオスとメスに変化して結婚しやがった。 繁殖シーズン最終日だったんだが、駆け込みも同然に、その一晩で成功しちまった」

――という事は、今日で、早や1週間か。エメラルドは素早く計算した。

「1ヶ月以内に、落ち着いて卵を産める場所に移動する必要がありますね? クラウン・トカゲは、山を下りて産卵するから……平原エリアの放牧地とか……」
「ああ。1ヶ月以内に手を打たないと、こいつら揃って駆け落ちしちまう。それに、セレンディ殿の相棒はセレンディ殿の言う事しか聞かないらしい」

セレンディは、まだ呆然と相棒を見つめていた。

母親の肩に乗っている赤ちゃんドラゴンのファレル君が、手の届く所に来た金銀のフッサフサを、モフモフし始める。 竜体ではあるが、赤ちゃんのうちはフニャフニャ鱗の上、鋭い爪が生えていないので、人の手に近い。 クラウン・トカゲも、満更でもないと言った様子で、モフモフされるのを楽しんでいる様子だ。

「モノは相談なんだが――俺は、元はバーサーク傷を受けた武官で、今は竜体変身を禁じる拘束具持ちでね」

エメラルドとセレンディはビックリして、若い馬丁ゲルベールの首元を注目した。

快活な顔立ちをした若い馬丁は、何でも無い事のように首元を覆う高い襟を開いて見せた。 そこには確かに、セレンディが装着している物と同じタイプの、チョーカーのような拘束具がある。

「ホントは数日前に、繁殖トカゲたちを引き連れて地元の放牧地に戻ってる筈だったんだが、目下こんな状況で、足止め食らってる形なんだ。 山麓のグランド回廊のゲートで同郷の仲間と合流する手筈なんだが、随分お待たせしてるんで、そろそろ殴られそうなんだよ」

そこで馬丁ゲルベールは、ヘニャッと顔をしかめた。

――同郷の仲間たちがイライラして腹を立て始めている様子を、思い出したらしい。 竜人は気が短いのだ。クラウン・トカゲの繁殖成果を持ち寄って喜びの再会を果たす場が、タイミング次第では袋叩きの場となりかねない――

「セレンディ殿が良ければ、セレンディ殿の『頑固な困ったちゃん』と一緒に来て欲しいんだ。 地元の駐在の神官や武官たちが、バーサーク問題にも対応できるベテラン揃いだから、 セレンディ殿の受け入れについても、各方面から『問題は無い』というお墨付きを頂いてある」

馬丁ゲルベールは襟を閉じ、セレンディの片脚を改めて注意深く眺めた後、再び言葉を続けた。

「トカゲの群れを引き連れているから、1匹や2匹の時とは違って王都の転移魔法陣は使えないし、魔境を突っ切って一気に山を下りる事になる。 それに、大陸公路の飛び地にある末席の管区の方なんで、 最寄りの大型の転移基地を経由して1週間は走る事になるんだが――片脚が動かなくても『魔法の杖』の方は問題は無いし、 馬で走る事も出来るだろう?」

セレンディは戸惑いながらも、「ええ」と、うなづいていた。

体力的には問題は無い。 訓練された武官ともなれば、疲弊して朦朧となった状態であっても、クラウン・トカゲと共に、魔境を一気に突破する事くらいは出来る。 魔境では、各種攻撃や防御の魔法を発動しつつ魔物から逃げ切り、退魔樹林にガードされた城壁まで到達しおおせる事が、最優先事項になるからだ。

馬丁ゲルベールは、ホッとしたように快活に笑った。

「そりゃ良かった。セレンディ殿の馬は竜王都の創建時代の純血種の子孫で、 いわばサラブレッドだから、駆け落ちされて行方不明になったりしたら、えらい損失になる所だったよ。 セレンディ殿は《剣舞姫(けんばいき)》称号持ちだそうだが、そのご褒美の馬だったんだろう?」

セレンディは誇らしげに微笑み、「その通りよ」と返した。

エメラルドは、セレンディの馬を改めて観察した。

――確かに、サラブレッドと言って良い均整の取れた体格だ。 頭頂部のフッサフサがまとう『繁殖ラメ』――金銀のきらめきも、素人目にも『恐らく極上モノだろう』と知れる。

「転移基地にある大型の転移魔法陣の利用申請を急がないとな――大陸公路の隊商と取り合いになるから、割と順番待ちになるんだよ。 セレンディ殿の身柄移動の申告についても、合わせてやっとこう。順調にいけば1週間後には出発だから、よろしく準備しておいてくれよ」

若い馬丁は説明を終えると、赤ちゃんドラゴンのファレル君の鼻先をチョンとつつき、「よろしくな」と声を掛けた。

「地元に婚約者が居るんだが、いわくありの美女同伴でも、チビッ子のお蔭で怒られないで済みそうだ、ハハハ」
「婚約者が居るのね。バーサーク傷を抱えていても『問題ない』って言ってくれてるの?」

エメラルドの質問に、馬丁ゲルベールは照れくさそうな笑みで応えた。

「互いの《宝珠》の間で恋人ラインの『魔法署名』を交わしてあるんだが、 太鼓判レベルまで適合した《宝珠》相は、バーサーク傷が出来た程度では揺らがないらしい。 彼女から『正式に関係を清算したいとは思わない』と言われた時は嬉しかったね。今回、地元に帰ったら、正式に結婚する予定だよ」

――竜人の間では、結婚を前提とした恋人関係や婚約関係を結ぶ時に、互いの《宝珠》に、かりそめの『魔法署名』を刻むのだ。 《宿命図》心臓部に位置するだけに、一般の竜人には、本人でさえも読み取れないが、神官の《神祇占術》であれば、きちんと読み取れる。

正式に結婚する場合は、一種の特別な手続きを通じて、その『魔法署名』を正式なものにする。すなわち、《宿命の盟約》を結ぶのだ。 逆に、関係を清算する場合は、やはり正式な手続きを通じて、互いの了解の下に互いの『魔法署名』を解除し、双方ともに《宝珠》をまっさらにする事になる――

若い馬丁は、後をエメラルドとセレンディに任せて、役所の方へと去って行った。

4-2魔法職人の一点物

ランチの頃合いだが、医療院とは距離があり、時刻までに戻るのは難しい。

エメラルドとセレンディは、いつもの食事担当の女性スタッフに遠隔通信で連絡を取り、了解を取った。 樹林公園近くの広場にある商店街でランチ弁当を買い込み、クラウン・トカゲと一緒にお昼時を過ごす事にしたのである。

樹林公園の一角に戻ってみると、エメラルドの相棒、セレンディの相棒、それに馬丁ゲルベールの相棒が、 大樹の根元に3匹で集まり、鼻先を付き合わせて、何やらトカゲ同士の会話をしている所であった。 お互いの乗り手について情報交換しているのであろうと窺える光景である。

「クラウン・トカゲたちがどうやって会話するのか良く分からないけど、ちゃんと会話してるわね」
「鼻歌で合唱も出来るんでしょうね」

セレンディとエメラルドは、暫し相棒たちの不思議を笑い合った後、樹下にあるピクニック・テーブルで、弁当のフタを開いた。

赤ちゃんドラゴンのファレル君は、まだ通常の食事は出来ない状態なので、 セレンディの足元の草むらに座り、セレンディが手持ちの袋から出した草の実を食べている。 固い皮に包まれているが、中身はマシュマロのようになっていて、消化が良さそうだ。 ファレル君は『マシュマロもどき』をフニフニと噛み、次いで、その中心にある草のタネをプッと吹き出して行く。

竜王都では魔物の成分が多すぎて発芽のチャンスは無いが、この種の草は、こうして生息分布を広げているのであろうと理解できる光景であった。

暫くすると、セレンディの相棒が、辺りの人の目をキョロキョロと気にしながら近づいて来た。

「どうしたの、相棒?」

セレンディが声を掛けると、セレンディのトカゲは傍にしゃがみ込み、前足に持っていた「木の枝のような何か」を差し出して来た。

赤ちゃんドラゴンのファレル君が、クラウン・トカゲの背中が地上に近づいたのを幸い、薄い金色の目をキラキラさせながら、よじ登って行く。 クラウン・トカゲの背中の傷は、治療魔法のお蔭ですっかり塞がっており、ファレル君がしがみついても問題は無い様子であった。

「――これは……」

セレンディは、ペンのような大きさの2本の棒を手にして、目を潤ませていた。何も言えない程に感極まった様子で、 相棒のフッサフサをモフモフしている。気もそぞろなモフモフであったが、クラウン・トカゲは気にしていないようだ。

「聞いても良いかしら、セレンディ? それは一体……?」

エメラルドがそっと尋ねると、セレンディは声を詰まらせながらも、何度もうなづいた。

「私の夫の形見みたいなものね。あの日、燃え残った品物で――夫は魔法職人(アルチザン)で、オーダーメイドの『魔法の杖』を製作していたから。 陣痛を抱えて、あの広場に飛び込んだ時に何処かに落としたと思っていたんだけど、相棒が拾ってくれた」

エメラルドは、セレンディの相棒のトカゲを暫し眺め、それは有り得る事だと納得した。 クラウン・トカゲの鼻は、魔法感覚も含んでいるせいか非常に鋭い。乗り手の落とし物を見つける事ぐらい、造作も無い筈だ。 それに――ちょっと余計に閃いて、乗り手が戻って来るまで、こっそりと隠し持っている事も。

「――そう言えば、エメラルドは結婚しているの?」

気分が落ち着いたのか、セレンディは食べ終えたランチボックスを片付けながら、エメラルドに質問を投げて来た。

「彼とはまだ恋人の関係だけど、そのうち結婚するかも。何というか遠距離恋愛だから、なかなか難しいけど……」
「そうなの? エメラルドの恋人は『バーサーク問題』を気にする性質かしら?」
「多分、気にしない方かと」

エメラルドは、ロドミールがいつもと変わり無く手を触れて来た時の事を思い返した。ついでに、 最近、なかなか連絡が取れない状態だという事も思い出した。

「実は今、彼は最近、出張から戻ってきたところで、竜王都の何処かに居るとは思うんだけど――諸般多忙みたい。 何故か彼の同室の同僚に聞いても、『遠方出張中』になっていて、なかなか連絡が付かなくて……」

セレンディは「ふーん」と呟きながら、暫し思案していた。やがて、手元の2本の棒――魔法の杖を見て、パッと閃いたような顔になる。

「エメラルド、彼氏の『魔法署名』が掛かった品とか、そう言ったモノ持ってる?」

エメラルドは不思議に思ったが、とりあえずベージュ色の留め紐付きのベレー帽を取り外した。 キッチリと髪を留めている、いつもの髪留めを外す。精緻な彫り込みがされた品だが、武官向けとあって、意外に丈夫である。

「この髪留めに彼の魔法署名が入ってる。彼からの贈り物だったから」
「あら、恋人としての魔法署名ね。熱愛みたいね、良かったわ。ちょっと借りるわね」

セレンディは髪留めをピクニック・テーブルの中央に置いた。2本のペン程の大きさの魔法の杖のうち1本を選び、それを振る。 すると、髪留めを中心とした、金色と黒色が均等に入り混じる魔法陣がテーブルの上に展開した。拘束魔法陣とは異なるパターンだ。

エメラルドは、武官として見慣れたパターンの魔法陣だという事に気付き、目を見開いた。

「――《位置情報魔法陣》? 本人応答を必要としない方の捜索型の魔法陣は、魔法神官じゃ無いと出来ないと思っていたんだけど……」

しかも、何だか、魔法神官がセッティングする魔法陣よりも滑らかに稼働しているようだ。 均等に散開していた金色の光の粒子が一旦、中央の髪留めの周りに集まり、その円周上を踊るように一巡する。 魔法署名の情報を読み取っているようだ。その後、金色の光の粒子は青い光の粒子となって散開し、黒いパターンの上を高速で巡回し始めた。

「青い光……という事は、エメラルドの彼氏は《水霊相》生まれなのね」
「そうだけど……」

やがて、青い光の粒子が再び中央部――エメラルドの髪留めを囲む円周に戻って行った。

黒い魔法陣が形を変え、幾本もの直線ラインを描いて行った。 一目で、神殿街区の概略図だと知れる。縮小率の調整のためか、何回か描き直しが生じたが、やがて神殿の平面図のマップが出来た。 青い光の粒子は再び移動し、一つのポイントに集まってボンヤリと光った。そこは、《水》の大神官長の執務室と連結する控え室と知れた。

「彼氏は、此処に居るみたいね。機密会議という程では無いけど、重要会議の途中という感じ。遠方出張じゃ無くて良かったわね」

元々、神官や魔法使いになれるレベルの相に生まれていたと言うだけあって、セレンディの《四大》エーテル魔法のパワーは、 大したものだと言える。エメラルドは、絶句する他に無い。 役目を果たした魔法陣は、速やかに微細エーテル粒子に戻り、空中に消えて行った。

「やだわ、そんなに感心しないで、エメラルド。夫が作ってた『魔法の杖』が優秀なのよ。 専門店からオーダーメイド注文を受けてたくらいだから」

セレンディは、足元に身体をすり付けて抱っこをねだって来た赤ちゃんドラゴンを、ヒョイと抱き上げた。

ファレル君は、クラウン・トカゲの背中や尻尾で何回も滑り台を楽しんでいたが、そろそろ遊び疲れたらしく、ウトウトとしている所だ。 赤ちゃんドラゴンは、セレンディの膝の上で小さな赤い翼を折りたたんで丸くなるや、あっと言う間に眠り始めた。

セレンディは息子を撫で回した後、再びエメラルドの方を向いて、言葉を続けた。

「――それに、エメラルドは、私より魔法使いとしての素質はある筈よ」
「それは、流石に無いと思うけど……」

実際、エメラルドの《宿命図》の相は、どちらかと言うとエーテルの無駄使いの多いタイプである。

エーテル流入量は、むしろ充分以上といって良いレベルなのだが、エーテル集中の力が弱く、魔法使いレベルの発動パワーに達しないのだ。 《四大》エーテル魔法を発動する時は、ギリギリまでエーテルを溜め込んでおいて、『魔法の杖』の整調機能に頼って、 有効なレベルの魔法を、無駄なエーテル漏出と共に発動するという感じだ。

セレンディは、エメラルドの説明を聞いて、ますます確信めいた表情になった。

「それだったら、魔法使いとしての本来の素質は、かなり大きい物ね」

膝の上で丸くなって眠っているファレル君を抱っこし直し、セレンディは暫し思案顔になったが、再び言葉を続けた。

「あのね、私、バーサーク化していた時の記憶はボンヤリとしてるんだけど、 相当に高難度の刃物魔法を発動していたという感触はあるの。エメラルドは防刃魔法で、ほとんど弾き返した筈よ。 全身重傷の件は、ごめんなさいね。でも、エメラルドが致命傷なしで乗り切れたのは、それだけ魔法使いの素質があるという事の証拠になるわ」

セレンディは、手元の2本の魔法の杖――いずれもペン程の大きさに縮めてある――をジックリと眺めると、片方をエメラルドに渡した。

「エメラルドは《風霊相》生まれだから、こっちが良いかも知れないわ。《風》魔法が強化されてるし」

――正直、半信半疑だ。エメラルドは少し首を傾げた後、試しに『扇風』の魔法を起こしてみる事にした。 いつものように魔法の杖を振る。

――ゴォッ……!!

一瞬、そこには、唖然となる程の《風》魔法のジェット気流が吹いた!

セレンディの相棒のクラウン・トカゲが、ジェット気流に乗って空中を吹っ飛ばされて行き、茂みに真っ直ぐ突っ込んだ。 馬丁ゲルベールのクラウン・トカゲが、茂みの中から、目を回したセレンディの相棒を引っ張り出す。

エメラルドの相棒のクラウン・トカゲが慌てた様子で駆け付けて来て、前足で地面を削り、エメラルドの身体を掘り出した。 エメラルドの身体は、自分で巻き起こしたジェット気流に自分で吹っ飛ばされ、 その直後の風圧によって転がされ、柔らかな泥に半ば埋まる格好になっていたのだ。

「だ、大丈夫? エメラルド、何処かの骨が折れてなきゃ良いけど……」

流石にセレンディも慌てて立ち上がった。セレンディの腕の中でウトウトしていたファレル君も、驚きの余り、お目目パッチリだ。

「い、一応、無傷だと思う、けど……」

エメラルドは、メチャクチャに吹き乱れ、泥だらけになった髪を抑えながら身を起こした。 いい年して、派手に黒歴史を作る羽目になってしまった。むしろ「泥歴史」とでも言うのが、この状況にピッタリなのか。恥ずかしさの余り、身の置き所が無い。

――足元に、ちょっと風を吹かせるつもりで魔法の杖を振ったのが幸いしたと言える。

ジェット気流をまともに食らったピクニック・テーブルの椅子は、元々据え付けだった物がすっかり吹き飛ばされており、 樹林公園の低木の茂みを幾つもブチ抜いて、囲いの柵の前で粉々になっている。囲いの柵でジェット気流が止まったのは、 囲いの柵にも、城壁と同じような魔法防御の機能が施されているからだ。『馬泥棒よけ』様々である。

「アレ、片付けなきゃいけないわね」

エメラルドはセレンディの魔法の杖をベルトに挟み、腕まくりした。

「さっきの《風》魔法を応用すれば良いわよ」

セレンディが器用にアドバイスして来る。『それもそうか』と、エメラルドは思い直し、ベルトからセレンディの魔法の杖を抜き出した。

――多分、スタンダードの大きさじゃ無いので、調整の感覚が狂うのだ。

基本形に直してみると、成る程、肘から指先までの長さであり、武官に標準支給されているサイズと余り変わらない。 少し操作を加えると、神官の杖のように、円環体が先端部に付いた。これであれば、細かい調整も付けやすい筈だ。

エメラルドは先程の感触を慎重に検討しながら、粉みじんになった椅子を運べる程度の『つむじ風』を巻き起こしてみる事にした。

流石に、先ほどの災難でスッカリ震え上がったセレンディの相棒は、《風》魔法の及ぶ範囲から逃げ出して、シッカリと警戒している。

――案ずるより産むが易し。

最初の数回の『つむじ風』による物体移動で、エメラルドは、すっかり感触をつかんだ。

武官標準支給の戦闘用の魔法の杖――量産品――より、ずっと扱いやすいのだ。 エメラルドが魔法を発動する際は、エーテル漏出による騒音(ノイズ)が相当に出るのだが、魔法の杖のエーテル整調機能が素晴らしく優秀なお蔭か、 エーテル騒音(ノイズ)がほとんど出ない。

――セレンディの夫は、とても腕の良い魔法職人(アルチザン)だったのだ。

エメラルドは、つくづく感心する他に無い。

「これなら、『地獄耳』も出来ちゃうわね。私は騒音(ノイズ)が大きいから、 図書館なんかでは魔法厳禁だったし、軍事作戦でも、偵察方面には回る事は無かったんだけど……」

セレンディは、エメラルドの魔法発動の様子を暫く観察した後、会心の笑みを浮かべた。

「やっぱり私より魔法使いに向いてるわ。その魔法の杖は、エメラルドにあげる」
「ご夫君の形見でしょう? それに魔法職人の一点物だし、こんなに優秀な魔法の杖、想像以上に高価な品だと思うけど……」
「息子の命を助けてくれたお礼よ。それに夫も、エメラルドに使ってもらえれば喜ぶと思うの」

セレンディは、もう1本の魔法の杖を取り出して、イタズラっぽく微笑んだ。

「こっちは《火》魔法が強化されているタイプ。この子が大きくなったら、渡すつもり」

――確かに、赤ちゃんドラゴンのファレル君は、偶然ながら《火霊相》生まれだ。さぞ役に立つに違いない。

セレンディは、再び目を閉じて眠り出した赤ちゃんドラゴンを、慈しみの眼差しで見つめた。

「バーサーク化した私を取り押さえてくれたのが、エメラルドで良かった。 私にはもう夫は居ないし、この子だけだから。もし――通常のケースと同じように、卵を失う事になっていたら……、 生きている理由は無くなって、竜王側でも神殿側でも、どちらでも構わないから、バーサーク竜で構成される特攻隊に入隊していたと思う」

セレンディは、ふと視線を虚空に彷徨わせた。

「バーサーク化する時は、寝ている間、一種の悪夢のような物を見るのよ。 無意識の――深層レベルの心身のエーテルの乱れが見せる物。『そうなりたい人』にとっては、 ドラゴン・パワーの突き上げとか――ハッスルするようなイメージになるみたい。 そうして、『バーサーク危険日』が始まると同時に、周り中のエーテルを一杯に吸い込んで、バーサーク化する。 心の底で暴走する望みを、夢を、そのまま、なぞるみたいに。拘束具を付けてると、バーサーク化はしないんだけど……」

セレンディはエメラルドの方を振り向いて、穏やかに微笑んだ。

「夫が生きていてくれた時は、悪夢は見なかった。今ね、この子が傍に居るお蔭かしら、また悪夢は見なくなったの。 私、エメラルドに救われたと思ってる」

エメラルドには、返すべき言葉が見つからなかった。

――春の半ばの昼下がり、柔らかな風が樹林公園の間を流れて行った。

暫し、静かな時間が過ぎた後――

「――何だぁ? 何で、此処の低木一帯に、ブチ抜き穴の行列が続いているんだい?」

役所への各種申請を済ませて戻って来た若い馬丁ゲルベールが、間抜けな声を上げた。次いでゲルベールは、 エメラルドの爆発したような髪型と、泥漬けになった姿に気付き、ギョッとしたような顔になった。

「……あのな、此処は、魔法チャンバラ遊びとか、泥んこ遊びには余り向かないと思うんだが……」

セレンディとエメラルドは、『女性の名誉にかけて、見なかった事にしてくれ』と、若い馬丁ゲルベールを脅迫したのであった。

4-3名残惜しき人々

1週間後に出発すると言う予定が決まり、セレンディの行動制限は解除された。

セレンディとファレルの長距離移動の準備は、順調に進んで行った。

クラウン・トカゲに乗って連日疾走するのだ。武官に標準支給されるタイプの長持を神殿街区にある軍専門の店で購入したり、 念のため『退魔樹林アロマ』を含む軍用の野営セットも一緒に揃えたりする。

「チビッ子も居るし、安全なコースを選んで行くけど、道中は何があるか分かんないからな」

――とは、若い馬丁ゲルベールの言である。

エメラルドにも異論は無い。エメラルドの両親も、隊商向けの標準的なコースを辿っていた筈だが、 運悪く難所で魔物の大群に遭遇し、骨すら残せず、わずかばかりの鱗の藻屑と化してしまったのだ。

食事担当の女性スタッフは、「赤ちゃんが居なくなると、寂しくなるわー」と言いながらも、 赤ちゃんドラゴンのための草の実を丸1ヶ月分、用意してくれた。 そして、ウラニア女医からの餞別だという、当座の生活資金も揃えてくれたのであった。

ウラニア女医は、ただでさえ諸般多忙の身であった。『疑惑の総合商店』への対応、 やがて迫り来る『バーサーク危険日』への対応――などと言った重要案件が重なって来たため滅多に姿を見せなくなったが、 バーサーク状態での出産という出来事は、女医にとっては、非常に印象深い物であったらしい。

*****

出発日を明日に控えると言う日――

エメラルドは、いつものようにセレンディや馬丁ゲルベールに付き合って、衣料雑貨類が並ぶ商店街を回った。 赤ちゃんドラゴンを安全に運ぶための背負いカゴや、夜間防寒用の毛布を探すのだ。

赤ちゃんドラゴンのファレル君は流石にまだ小さく、適切なカゴを選ぶのは骨が折れたが、 店スタッフのアドバイスもあって、納得のいく買い物が出来たのであった。

セレンディは、荷物を医療院の個室に配達するよう手配を済ませると、頼りがいのある店スタッフに更に声を掛けた。

「――宮廷社交界にも着て行けるようなドレスを扱ってる店は、ありますか?」
「それでしたら、やはり門前街区のブランド店が良いでしょうね」

その後、三本角(トリケラトプス)が牽く乗合バスの停留所に並びつつも、若い馬丁ゲルベールは不思議そうな顔をした。 しかし、セレンディは、いつものように片腕にファレル君を抱え、片手で杖を突き、ニンマリと笑うだけだった。

「どういう事だ? 俺の地元には、宮廷なんぞ無いよ。収穫祭の市踊りはあるが、放牧地と公路の市場だけだからな」
「付いて来てのお楽しみよ。ゲルベール君の方がエメラルドの世代に近いから、より正確なコメントが聞けると思うし」

――門前街区は、ブランド店が並ぶだけあって煌びやかな雰囲気に満ちていた。

馬丁ゲルベールは、場違いな雰囲気を感じて腰が引けている。エメラルドも、半分はゲルベールと同じ気持ちだ。 しかし、流石に元・王宮隊士と言うべきか、セレンディは堂々とした物だった。

「この店が良さそうね」

セレンディは一目で目標の店を見極めると、片手で杖を突きつつ、堂々と中に入って行く。

店スタッフが完璧な営業スマイルで微笑みつつ出迎えると、セレンディは、やはり堂々とした様子で「シルフィードの物を」と注文を繰り出した。

エメラルドとゲルベールはポカンとしていたが、ポカンとしているうちに、 エメラルドの方は着せ替え人形よろしく、セレンディの注文に応じた数セットのドレスを着せ替えられる形になった。

店スタッフは、数回エメラルドを着せ替えているうちに、セレンディの狙いに気付いたらしい。

「もしかしたら、こんなのが良いかも知れませんですね」

流石に専門家と言うのか、ピンと来た店スタッフの提案は、セレンディの狙いにハマったようだ。

セレンディは、更にワンセット着せ替えられたエメラルドの姿を眺めて、会心の笑みを浮かべた。 馬丁ゲルベールの方は、感心そのものの顔つきで、エメラルドを眺めて来たのであった。

「フフフ……宮廷社交界でも注目を浴びるわね、このシルフィードは。どうかしら? 同年代の男の目から見て」
「いやぁ、此処まで別人になるとはね。女ってのは化けるもんだな。あの爆発した髪型で、見事な泥漬けだったのが……」
「一言二言多いわね、水も滴る友達。地元のカワイコちゃんを怒らせないようにしなさいよ」

エメラルドは、訳が分からないままにドレスを見下ろした。

基本のパンツスタイルの上に合わせるタイプで、流行に関係の無い定番のデザインだから、長く着られそうだ。 昼の茶会用ドレスと言った所で、割に場所を選ばない。上半身がオフホワイトで、下方に向かって徐々に色が濃くなるように紫色のグラデーションが付いている。 春夏らしいミントグリーンの刺繍糸による華奢な印象の蔓草パターンが全面に施されており、上下の彩りの差を適度に引き立てていた。

エメラルドは暫し戸惑った後、不安を込めて、セレンディに苦笑いをして見せた。

「今まで着た事が無いタイプの彩りだけど、合っているのかしら?」
「大丈夫よ、シルフィード。髪の色には濁りが無いし、目の色も微妙な色合いだから、こういう難しい色が意外に着こなせてるわ」
「当店からも、自信を持ってお勧めいたしますよ。お似合いの品があって、よう御座いました」

店スタッフは更に興が乗ったらしく、最近の流行だが、いずれ定番の装いになるだろうと言う事で、大判のスカーフを勧めて来た。 元々は魚人の間で普遍的なファッションなのだが、留め紐付きのベール帽子に比べて髪型が崩れにくいという事で、 女性の間で急速に広まって来ているという話であった。

確かに、門前街区を闊歩するお洒落そうな女性の姿をチラチラと観察してみると、半数ほどはスカーフ姿である。 頭から被ったスカーフの端が留め紐代わりになるので、留め紐付きのベール帽子の変形と言う感じで、余り違和感が無い。

ワンセットのドレスとスカーフは、いずれも相応に値の張る品であったが、最近エメラルドが受け取っていた褒賞金で、充分お釣りが来た。 ボンヤリとではあるが、元々、ロドミールとのデートに備えて春夏用のドレスを用意しておこうかという考えがあった事もあり、 エメラルドの買い物は、すぐに決まったのである。

*****

翌日の早朝、セレンディとファレルは、若い馬丁ゲルベールと共にクラウン・トカゲに乗り、繁殖トカゲの一群を引き連れて、竜王都を出発した。

「向こうで落ち着いたら、何年かしたら、息子と一緒に竜王都に行く事があると思うわ。エメラルドが、その時までに、恋人とゴールインしてると良いわね」
「あのドレスは、マジで化けるぞー。ビックリさせてやれよ」
「クルクルー(=赤ちゃんドラゴンが喉を鳴らした音)」

医療院のゲートの前で、それぞれ陽気な挨拶を交わす。 そして、印象深いひと時を共に過ごした3人+1竜体は、名残惜し気に手を振りつつ、分かれ道に立ったのであった。

エメラルドは、その後、医療院の個室で、セレンディから譲ってもらった魔法の杖を振り、覚えたばかりの『位置情報魔法』を発動した。 個室の床タイルの上に展開された魔法の地図には、それぞれのクラウン・トカゲにまたがった馬丁ゲルベールとセレンディ&ファレルが、 素晴らしいまでの快速で魔境を突っ切って行く様子が反映されている。

少し操作を加えると、簡易ではあるが、魔法の地図が3次元立体の地形図となる。『魔の山』を示す地形図の中で、 青い光と黒い光、そして一回り小さな可愛らしい赤い光が、着実に山麓へと向かっている動きが明らかに見て取れた。

(流石、場数を踏んだ経験者と言うべきか、こんなに短時間で山を一気に下りられるルートがあるとは思わなかった)

エメラルドは、馬丁ゲルベールが選択したルートに感心しきりだ。この分だと、夕暮れ前には山麓エリアに到着する。

繁殖トカゲの群れを引き連れているから、脱落トカゲが出ないようにスピードを調整している筈だ。 魔物の追跡を防ぐ魔法防御を展開する時にも、若干の時間ロスが出る。 もし、魔物の追跡をぶっちぎりで振り切るレベル――クラウン・トカゲの最大スピードが出せるとしたら、 半日分よりずっと短いというレベルで、山を下り切る事が出来るに違いない。

(いつか、転移魔法陣を使わずに大急ぎで山を下りる必要があった時に、役立つかも知れない)

その日は1日、ゲルベールが選択したルートの研究になったのであった。

*****

――未明を少し過ぎた刻。

エメラルドは喘いで、ベッドに身を起こした。心臓が、まだ早鐘を打っている。

(嫌な夢を見た……)

ゾッとする程の、リアリティのある悪夢だ。エメラルドは未明の闇の中で目を凝らし、自分の手が異形の竜の手になっていない事を何度も確かめた。 そして、二の腕、肘、両手首。バーサーク竜体に特有の、棘のある異形の鱗は生えていない。 皮膚の下に仕舞い込まれている鱗も、今のところ、違和感は全く無い。

その事実にホッとしつつも、エメラルドは底知れぬ予感に、ブルッと身を震わせた。

セレンディが、ボンヤリと述懐した内容が、思い出されて来る――

――バーサーク化する時は、寝ている間、一種の悪夢のような物を見るのよ。 無意識の――深層レベルの心身のエーテルの乱れが見せる物。『そうなりたい人』にとっては、 ドラゴン・パワーの突き上げとか――ハッスルするようなイメージになるみたい。

そうして、『バーサーク危険日』が始まると同時に、周り中のエーテルを一杯に吸い込んで、バーサーク化する。 心の底で暴走する望みを、夢を、そのまま、なぞるみたいに――

4-4思い惑いの曲がり角

エメラルドは、まんじりともせず朝を迎えた。

様々な不安が一斉に湧き上がって来て、一睡もできなかったのだ。痺れてしまったような頭で、どうしたものかと考えてみた結果――

――とりあえず、いつも朝一番でやって来る食事担当の女性スタッフに相談してみる事にしたのであった。

「――バーサーク化する夢ですか? 思ったより《宿命図》の乱れの副作用が大きいみたいですね」
「よくある事なんですか?」
「隊士の半分は、そういう夢を見るんですよ。今回は、次の『バーサーク危険日』がもう1週間後に迫ってますから、 天球の星々との万物照応の影響も大きいのかも知れません。明日までに拘束具を準備しておきますので、念のため、それを付けて置いて下さいね。 もし眠れないようでしたら、強めの睡眠薬も用意できますから」

女性スタッフは、半透明のプレートを魔法の杖でつつき、難しい顔をした。

「ウラニア女医は、1週間後まで時間が取れないんです。くだんの『疑惑の総合商店』、当分泳がして尻尾をつかむって事に決まっちゃったんで、 次回の『バーサーク危険日』に備えて多数のスパイを放って、問題のドラッグの購入者の洗い出しとか、 色々なデータをリストアップしなくちゃいけなくなったんです。研修医スタッフ全員、休日完全返上で大車輪ですよぅ、もぅ」

――想像以上に大変な事になっているらしい。エメラルドは苦笑するしか無かった。

今日はロドミールにとっては休日に当たるから、 少しは時間が出来る筈だし、会いに来てくれるのでは無いかと思ったのだが――朝食を済ませて数刻後、予期される時間帯になっても、ロドミールは来ない。

エメラルドは医療院の遠隔通信セットで、再びロドミールの呼び出しを試してみる事にした。だが、接続先に出て来たのは、やはりあの同僚であった。

「――あ、この間のロドミール殿の彼女さんですね」
「ロドミールは、まだ捕まらないんですか?」

接続先に居るロドミールの同僚は、平身低頭と言った口調である。半ば、涙声すら混ざっていた。

「ホントにごめんなさい。僕はまだ連絡係を担当しているだけの下級魔法神官の修行中の新人ですし、 位置情報魔法を充分にマスターしてるとは言えないんです。それに、ロドミール殿のメッセージボードは、ずっと『遠方出張』という内容のままなんです。 多分、エメラルドさんの入院で動転して忘れてたんだと思いますが、 その後も忙しすぎるせいか、こちらには一瞬だけ顔を出しただけで、すぐ転移して、どっか行っちゃいました。 その時は、メッセージボードも一瞬だけは『一丁上がり』だったんですけど」

――どうやら、ウラニア女医の忙しさが、ロドミールにも伝染したらしい。

エメラルドは釈然としない物を感じながらも、遠隔通信を切り上げた。こうなったら、自分で『位置情報魔法』を使って探してみるしか無い。

エメラルドは個室に戻ると、セレンディの魔法の杖を取り出した。 髪留めの『魔法署名』を使った『位置情報魔法』で、ロドミールの位置を割り出してみるのだ。

真昼の刻。ロドミールは機密会議の途中らしかった。

魔法陣は、神殿の中の何処か、という所までは絞り込んだ。しかし神殿の一定以上の奥となると、 良く分からない目くらましが掛かっているかのように、位置探索中の青い光が迷走し出すのだ。

エメラルドは、青い光の動きをジッと観察した。

一定のパターンがあるように見受けられる。神殿の中心部に行けば行くほど、青い光の動きが鈍くなるのだ。 時間を掛けて平均を取ってみると、青い光が探索を諦めたかのようにスゴスゴと戻る、一定のラインが何となく浮かび上がって来た。

(この辺りって、《神龍》が存在するとされている、聖所を取り巻くラインだ)

エメラルドは暫く考え、神殿隊士の間では――竜王都の中でも――常識となっている内容を思い出した。

――神殿の4人の《盾神官》が、《神龍》と神殿を守護している。特に《風の盾》――「風のイージス」は、 《死兆星(トゥード)》の接近すら跳ね返す。

(神殿の守護の力は、《死兆星(トゥード)》のような強い凶相すら弾き返すのだ。私の『位置情報魔法』による魔法攻撃――と言うか、 魔法干渉なんて、物の数にも入らないんだろう)

エメラルドは、目の前でまざまざと浮き上がって来た事実に、慄然とする思いだった。 セレンディは強い魔法使いだし、ロドミールも上級魔法神官なのだから、実力は相当な物だ。

だが、この守護――絶対防御――の有り様には、全く別次元の強さを感じる。 今この瞬間も、猛将ラエリアン卿が揃えた第一級の魔法使いによる、神殿守護を破るための魔法攻撃が、ひっきりなしに襲い掛かっている筈だ。 それでも、ビクともしないのだ――この絶対防御は。

――《風》のエレニス・シルフ・イージス。

(何て強い魔法使いだろう――《風》のエレニスと言う神官は)

*****

エメラルドは、集中して魔法を発動し続けている事に疲れて来て、暫しウトウトとした。

フッと意識が戻り、ハッとして窓の外を眺めてみると、既に午後の半ばを過ぎた辺りである。 エメラルドは、今日は此処までにしようかと思案し、魔法陣を解除しようと床タイルを眺めた――

(――!!)

エメラルドは、驚きの余り心臓が口から飛び出す思いだった。魔法の地図は、神殿を出て、門前街区へと移動している。 鮮烈な青い光が、自信満々に、一点で光っている。エメラルドにとっても、記憶にある場所だ。

(今、ロドミールは、高級レストランに入ろうとしている!)

医療院と高級レストランは、そんなに離れていない。メインストリートを挟んで隣り合う大図書館ほどには近くは無いが、 歩いて行ける――近場と言って良い――距離だ。

これはチャンスだ。場違いだろうが何だろうが、直接に顔を合わせなければ、話したい事も話せない。 例えば、ロドミールの忘れ物の、『上級占術・匿名相談コーナー』の「未使用」チケットの件とか――

エメラルドは個室を飛び出そうとして、ハッと気づいた。

問題の高級レストランには、ドレスコードがあるのだ。お金があっても、場所に合わせた適切な衣装をまとっていなければ、客と認識してもらえない。 自分の普段の、あっさりとした――と言うよりは、ざっくりとした街着姿を見下ろし、エメラルドは焦ったが、すぐに閃いた。

――持つべきものは、友!

エメラルドは長持を開き、セレンディや店スタッフの勧めで買ったばかりの、春夏用ドレスを取り出した。 昼の茶会用ドレスと言った風だが、宮廷社交界を念頭に置いた格式の品だけに、高級レストランでのディナーでも充分に戦える装いである。 馬丁ゲルベールも、「これは化ける」とコメントしてくれたのだ。

――化ける。

エメラルドは、更に思案する。 ロドミールが何をしようとしているかは未知ではあるが、彼が目的も無しに、高級レストランのような場所へフラリと立ち寄るだろうか。

このドレスで、印象が変わる程に化けられるのならば、ロドミールが何をしようとしているのか、こっそりと偵察する事も出来よう。 偵察任務の経験は無いが、武官に必須の技術として、身体に叩き込んである。

ロドミールの顔を見たいと言う気持ちには変わりは無いが、高級レストランのような場所で、ロドミールが恥をかいてしまうような騒ぎを起こすつもりは無い。

エメラルドは装いを整え、髪型をいつものキッチリとしたアップにまとめようとしながらも、それを中止し、ハーフアップにして流すスタイルにした。 素人ならではの型崩れがあるが、スカーフで適当に覆ってしまえば分からない。 ついでに、微妙にアヤシイ所だが、お忍び中の良家の令嬢を装って、人相も或る程度、隠しておく事にする。

いつもの髪留めを使うと、気配か何かで、分かってしまう可能性もある。エメラルドは手頃な物が無いかと見回した。 長持の錠前に付いていた虹色の造花をカンザシに見立てて、スカーフで覆われていない部分に挿してみる。 退魔樹林の落ち葉から切り取った曜変天目パーツは、定番のアクセサリーに使われる素材だから、違和感は無いだろう。

夕方の光へと移り変わる窓の面に全身を映し、高級レストランで客と認識してもらえる装いである事を確認する。

その後、エメラルドは、ペン程の大きさにしたセレンディの魔法の杖を握り締め、速足で神殿街区へと飛び出して行った。

*****

休日の宵とあって、高級レストランやその他の店が並ぶ高級プロムナードの客足は多い。 目下、最悪のタイミングという事があって、医療院のメンバーは休日の恩恵に与れなかった訳だが。

――「お忍び中の良家の令嬢」設定で、経験豊かな店スタッフをペテンに掛けられるだろうか?

いざ高級レストランのゲートに接近する所で、エメラルドは暫し逡巡した。だが、どんなに取り繕っても、失敗する時は失敗するのだ。 事前情報は多いに越した事は無い。エメラルドは早速、物陰で『地獄耳』魔法を発動してみた。

セレンディの魔法の杖は、優秀だった。エーテル騒音(ノイズ)が出ない――ほぼ隠密レベルである。 セレンディの魔法の杖は、早速、役立ちそうな会話を流して来た――

『――おい、まだ彼女たちの用事は終わらないのか? 会食の時間に遅れちゃうよ。今夜は御本尊も出て来る絶好のチャンスだろうに。 特等席をキープしたんだ、上級魔法神官との取り合いにまでなってね。さっき、上席のオッサンを見たらビッグネームじゃ無いか、冷や汗かいたよ』
『シェルリナ嬢と此処の友人たちの買い物は長くなるって、言っただろうが。女ってのは、そんなもんさ。 この分だと、此処へ来るのは客が一巡した頃だな、ハハハ。 まぁ、展望台のバーまで行って貴重な休暇を楽しもうじゃ無いか。此処からの夜景と、特製のカクテルの組み合わせは、見ものだ』

――ふむ。感じからすると、この「噂のシェルリナ嬢」は、エメラルドが化けても不自然に思われないお年頃のようだ。 一回り若そうな感じもするが、夜間営業の店を回れる年齢――既に成体と見なされる年回りだという事は、確実である。

エメラルドは、高級レストランに乗り込んだ。「お忍びの令嬢」という設定どおりに、足取りは武官風では無く、女官風を装っておく。

物慣れた店スタッフが、「いらっしゃいませ」と言いながら、にこやかに出迎えて来た。客と認識されたようだ――第一関門は突破した。 ただし、物慣れた風のスタッフは騙しにくいから、臨機応変に理由を取って付ける事にする。

「シェルリナ嬢の代理で参っております。彼女は知人と待ち合わせしているのですが、もう少し遅くなりそうなので。 ただ、時限までには間に合わせるとの事でしたので、今、先着の方々をお呼び頂く必要は御座いません。 万が一の中継のため、シェルリナ嬢の席に着いておきたいので、ご案内お願いしますわ」

――よし。舌を噛まずに、滑らかに言いきれた。店スタッフは少しの間、不思議そうな顔をしていたが、特に疑うべき理由は思いつかなかったらしい。

「どうぞ、こちらで御座います。お客様、お名前は何とお呼び申し上げれば宜しいでしょうか?」
「私は《風霊相》生まれです。シルフィードで構いません」
「了解いたしました。お茶などは、如何いたしましょうか?」

エメラルドは頭全体を覆ったスカーフで、適当に人相をカバーしつつ、少し首を傾げた。ちょっと考えた後、以前に此処で頼んだ紅茶メニューを思い出す。

「では、《暁星(エオス)》を……紅茶のメニューにあった筈ですけど」
「承りまして御座います、シルフィード。では、こちらで多少お待ちくださいませ」

エメラルドは、神殿でよく見かける女官の身のこなしを思い出しながら、慎重に案内された席に着いた。 ざっと観察してみる限りでは、7人席だ。『地獄耳』で聞いた限りでは、4人から5人の会食だろうと思われたのだが、 「噂のシェルリナ嬢」を取り巻く知人の方が数が多いらしい。

エメラルドは、設定が上手く行ったと、ホッとした。

中階層に位置し、趣味の良い仕切りで予約席ごとに仕切ってあるため、落ち着いて会食が出来る――かなりの上席だ。 地上階層はひっきりなしに客の出入りがあり、展望台と連結する屋上階層はバーとなっていて、ザワザワした雰囲気の方が強いものだが。

(会食席という事は、ロドミールは誰かと会食しているという事だ。一体、誰と……?)

思案しているうちに、先ほどの店スタッフが丁重な様子で茶を運んで来た。 女官を装ってキチンとした感じの御礼で応え、魔法の杖を通じて都度清算を済ませる。 店スタッフが去って行った後も、思い出せる限りの卓上マナーを思い出しつつ一服する。

――美味しい。

お気に入りの紅茶は、記憶にある通りの不思議な彩りと、豊かな味わいだ。少し気持ちがほぐれ、エメラルドは思わず笑みを漏らした。

待ち合わせと言う偵察上の設定どおりに、一旦クルリと辺りを見回し、調度を観察する。

卓上には半透明のプレート――医療院の女性スタッフが常に持ち歩いている折り畳みタイプが置かれている。 中身を展開してみると、神殿街区のガイドブックだ。相当量の情報を詰め込めるというメリットを活用している訳だ。

エメラルドは、ペン程の大きさをしたセレンディの魔法の杖で半透明のプレートをつつき、ガイドブックに目を通している振りをしながらも、 『探知魔法』を併用した『地獄耳』を発動した。

探知魔法は、退魔樹林を超えて城壁に這い寄る魔物を探知するための手段だから、 城壁ハイウェイをパトロール中の当番の隊士たちからの物が、此処まで混ざって来ても不自然では無い。 しかし、まさか恋人にこれを使う羽目になるとは思わなかった。

*****

ロドミールの位置は、すぐに判明した。

探知魔法の測定結果を半透明プレートの中に展開してみると、四色の濃淡のイメージのみだが、 2つ仕切りを隔てた会食席で、3人で会食している様子が浮かび上がる。

――《水》の青、《水》の青、《地》の黒。

セレンディの魔法の杖は、早速、会話の模様を運んで来た。最初は、初老と思しき男の声だ。

『――ロドミール君。貴君は、神殿隊士を務める女武官エメラルドと親しいと言う噂を聞いているが、 エメラルド隊士との関係は、どのような物なのだ?』

エメラルドは、一服しかけた紅茶を、吹き出しかけた。

いきなり自分の名前が出て来るのは、ギョッとする。危ない所ではあったが、粗相という程のレベルでは無く、ホッとする。

『ミローシュ猊下、猊下がお気になさるような事は、何も御座いません』

これは、ロドミールの声だ。気のせいか、ロドミールの声は緊張していて、硬い感じだ。

――それに、猊下。ミローシュ猊下と言えば、《水》の大神官長ミローシュの事では無いか――そう、 「噂のシェルリナ嬢」の男友達がいみじくも感想を漏らしたように、想像以上のビッグネームだ。 いつの間にか、ロドミールは大神官長と親しく会食するようなレベルにまで出世したらしい。

エメラルドは跳ね回る心臓をなだめ、手巾で口元を抑えつつ、耳を澄ませた。ロドミールは慎重に言葉を選びつつ、 「ミローシュ猊下」の問いに答え始めた。

『――実は、エメラルド隊士の《宿命図》に、恐るべき大凶星と思われる相が浮き出て来ているのです。 次の『バーサーク危険日』の時にバーサーク化する可能性が、かなり高い。それで、前々から注意して観測しておりました。 勿論、私は、彼女と恋人関係にあった事はありません。ですが、彼女は私にとって、大切な『親友』の1人です』

――どういう事なの?

エメラルドは呆然としたまま、何も考えられなくなった。

そうしているうちにも、ミローシュ大神官長は、『成る程』と呟き、ゆっくりとうなづいたようだった。

『そう言えば、エメラルド隊士は重度のバーサーク傷を負っていたと、ウラニア女医から報告を聞いた。 経過は良好だそうだが、親友としては、やはり心配だという事は理解できるよ』

暫し間が空いた。ミローシュ大神官長は、お茶かお酒を一服したらしい。やがて再び、初老の男の声が穏やかに続いた。

『ティベリア、お前は素晴らしい男を見初めたようだ。しかも、お互いの《宝珠》の適合率は80%ラインと出ている。 お互いに、限りなく《宿命の人》同士だ。父親としては、何も言う事は無い。勿論、すぐに――と言う事は出来ないが」

再び、意味深な間が空いた。

ロドミールの性格からすると――ロドミールは、ティベリア嬢と思しき女性に、笑みを浮かべて見せたのでは無いだろうか。 《宿命の人》に対して本能的に湧き上がって来る、本物の愛情を込めた微笑みを。

――《宿命の人》。《宿命の人》。《宿命の人》……!

エメラルドもまた《宿命図》に支配される竜人の1人として、今や、理解せざるを得なかった。

――ロドミールがお見舞いに来てくれたのは、恋人としてでは無かった!

4-5行方知れぬ流れに抗い

翌朝――

エメラルドは、医療院の個室で目を覚ました。

窓の外に広がる空は、既に夜明けを迎えていた。

――おかしな事だが、いつベッドに入っていたのだろう? 失神するように眠りに落ちたせいか、 不気味な悪夢の感触は残っているが、内容を覚えていない。

それに、昨夜はドレス姿だった筈だ。いつ、お茶を済ませてレストランを出たのかも、記憶は定かでは無い。 偵察に無様に失敗していた、などという結果になっていなければ良いが、明確な記憶が無いだけに、何とも言えない。

エメラルドは、ベッドの中で、つらつらと考えを巡らせた。 昨夜は、無意識のうちに武官としての習慣が機能し、キチンと着替えを済ませ、入浴も済ませた上に、いつもの寝巻に着替えて寝ていたらしい。

ただし――セレンディの魔法の杖を握り締めたままで。まるで、その杖が命綱でもあるかのように。

ロドミールには《宿命の人》が居た。《宝珠》適合率、80%ライン。本物の婚約を思案するレベル。

しかも、そのお相手と来たら、神殿トップを務める4人のうち1人、《水》の大神官長ミローシュの愛娘だと言うのだから、 目を見張るべき大躍進が、おまけに付いて来る。 神殿組織の特徴を考えてみても、ロドミールは数年後には、間違いなく大神官に昇格しているだろうと予想できる。

親友の1人としては、ロドミールの幸運を喜ぶべきなのだろう。元々、ロドミールとエメラルドの《宝珠》適合率は50%、すなわち親友ラインだ。 時間を掛けた交際を通じて、《宝珠》適合率はかなり上昇したとは思うが、依然、太鼓判レベルと言う訳では無い。

――しかし、それでも――

エメラルドの心の底には、モヤモヤしたわだかまりが残った。

「《宿命の人》が居るなら居たで、変に行方をくらましたりしないで、ハッキリ言ってくれたら良いじゃない」

エメラルドは深い溜息を付き、ベッドで丸くなった。

――これが、失恋というものか――

心の中に、仄暗い空虚が出来たようだ。自分で思っている以上に心身に大きな衝撃を受けたらしく、いつもの気力が湧いて来ない。 いつか読んだロマンチック恋愛小説みたいなドラマチックな涙は出て来ないが、その代わり、モヤモヤしたわだかまりの密度が、次第に色濃くなっていく。

エメラルドは、武官としての習慣で、いつの間にかロドミールの言葉の内容を精査し始めていた。

――実は、エメラルド隊士の《宿命図》に、恐るべき大凶星と思われる相が浮き出て来ているのです。 次の『バーサーク危険日』の時にバーサーク化する可能性が、かなり高い――

エメラルドは、不意に引っ掛かる物を覚えた。

ロドミールの口調は硬かったが、あれは間違い無く、何らかの確信を抱いている口調だ。 50%以上の確率で、いや、100%に近い確かさで、エメラルドがバーサーク化する――とでも言わんばかりだった。

(ロドミールは、私の《宿命図》の何に、気付いたんだろう? 私自身は「もしかしたら」というだけの事しか知らされていないし、 実際、ウラニア女医も、女性スタッフを通じての伝言ではあるけれど、「宿命図が不安定になっている」という以上の事は、言及しなかった――)

それに。

大凶星の相が浮き出て来たという事に気付いていたのであれば、ロドミールは何故、気付いた時点で、口で直接、警告してくれなかったのだろうか?

――流石に、徹底的に武官向きの気性と言うべきか。 ロドミールを「スパイ容疑者」と見立てて問いただすべき項目を思案しているうちに、気力が湧いて来たような気がする。

エメラルドはムクリと起き上がると、いつもの街着に着替えた。長持の中を改めて調べる――

(――?)

思わずギョッとして息を呑む。春夏用の、あの新品のドレスが行方不明だ。何処へ消えたのだろう?

エメラルドは余りハッキリしない記憶を呼び起こそうとしたが、思い出せない。

困った――偵察活動に、やはり無様に失敗していたのだろうか? 夜の街の何処かで、変態に遭遇して、ドレスを剥ぎ取られたとか……

「――エメラルド隊士? 何を探してるんですか?」

いきなり背後から女性スタッフの声がして、エメラルドは思わず「ヒャッ」と言いながら飛び上がった。

「え? あら、ごめんなさい! そんなに驚かせるとは思わなくて。お手伝い必要ですか?」

女性スタッフは、いつも通り人懐っこく、気を利かせて来た。脇には、朝食を乗せたワゴンがある。 何でもない事だが、その変わらぬ態度と光景に、エメラルドは少しホッとしたのであった。

女性スタッフは、エメラルドの様子がいつもと少し違うという事に気付いたらしい。 エメラルドが朝食を取っている間、「やはり、セレンディさんやファレル君が旅立った後は、寂しいですね」と微笑みながら、 巷で流れている、時事的な雑談や噂を並べていったのであった。

――そして意外な事に、その中で、エメラルドのドレスの行方が判明したのであった。

「そう言えば、エメラルド隊士。新人のコック見習いくんが『昨夜遅く、幽霊を見た』って震え上がってたんですよ。女性用の入浴場の方なんですけどね」
「女性用の入浴場……」
「怪談ホラーに興味おありですか? それが何とも不気味な話で。 こんな、『バーサーク危険日』やら特殊作戦やらに対応して、研修医スタッフはおろか医師すらも総出で大車輪なんて言う、 おバカな程に多忙な時期じゃ無ければ、パトロールの方にも余力が割けた筈なんで、こんな事は普通は無かったと思うんですけどね。 医師や研修医って、同時に特殊技能のある上級魔法神官でもありますから」

――その、哀れな新人くん、いわく。

女性用の入浴場は、一切、明かりが付いていなかった。それなのに、誰かが利用しているらしく、お湯の音がした。 そこからして、まず不自然だ。闇の中で目を凝らしていると、やがて、ひとりでに、入浴場の扉が開いた。 誰かが魔法で開いたようだが、聞こえて来てしかるべき、エーテル騒音(ノイズ)が無い。 余程の魔法の熟練者らしいが、そんな熟練の魔法使いは、今のところ、医療院に入院していないのだ。

更に、信じがたい光景が続いた。ピチャ、という滴り音に続いて、入浴場の扉から、グッショリと濡れた、若い女性向けのドレスが出て来た。 上から下に向かって白から紫のグラデーションになっている、惚れ惚れするような染めのドレスだ。 そのドレスは、見る間に青い炎に包まれ、燃え上がった。燃え上がりながら、新人くんの方をユラリと振り向いて来た――

女性スタッフは眉根を寄せつつ、ヤレヤレと言ったように首を振った。

「そこで、新人くんは恐怖の余り、記憶が切れちゃったんですね。 悲鳴を上げる事も忘れるくらい怯えて、一目散に逃げ出した……という事の他は、覚えてない状態なんですよ。 でも想像してみると、不気味だけど不思議な幽霊って感じですよねぇ。一体、どんなミステリーがあったんだか」

エメラルドは、微妙な気持ちになった――ごめんなさい、想像力の強すぎる新人くん。 見習いという事は、人体換算すれば、まだ12歳といったところだろうに。

「えっと、それが幽霊だと言う根拠は何だったんですか? 燃えたのなら、その灰が残っている筈ですが」

女性スタッフは、困ったような苦笑いを返して来た。

「それが不思議なところでしてね、エメラルド隊士。灰すら残さず燃えちゃったみたいですね。 原子レベルになるまでに分解しちゃったのなら、もう普通の魔法使いでは追跡できないんですよ。 それに、新人くんが死ぬほど怯えたと言う事の他には被害は全く無いですし、警備隊の魔法使いによる調査が入るかどうかは、 この『バーサーク危険日』を間近に控えた時期には、流石にねぇ」

雑談が一段落したところで、女性スタッフは「昨日、説明していた、バーサーク化を抑える拘束具です」と言いながら、 セレンディが装着していたのと同じタイプのチョーカーを渡して来た。

「――あの、治療師ヒーラーであれば、《宿命図》は読めますか? 私の《宿命図》に、 バーサーク化する兆候が出て来ているのかどうか、どうも気になるんですが……」

暫し、女性スタッフは驚いたように瞬きした後、申し訳ないと言った様子で眉根を寄せて微笑んだ。

「ごめんなさい、エメラルド隊士。治療師(ヒーラー)は、神官のように《宿命図》を読む能力は無いんですよ。 せいぜい大天球儀(アストラルシア)の各種操作とか、『位置情報魔法』を組み合わせるところまででして、普通の魔法使いと、どっこいどっこいです」

女性スタッフは、あごに手を当てて、慎重に思案する格好だ。

「――言ってみれば、あらゆる『位置情報魔法』の上を行くのが、《宿命図》占術――《神祇占術》なんですよね。 《宿命図》は量子状態みたいにボンヤリしてる代物ですし、その星々の位置と速度を判読する能力があると判明した時点で、神官に昇格するんです」

次いで女性スタッフは、エメラルドを安心させるかのように、自信満々の笑みを浮かべたのであった。

「ウラニア女医の見立てによれば、エメラルド隊士の場合はバーサーク化リスクをほぼ抑え込めたという事ですし、 《宿命図》の乱れが大きいというだけですので、そんなに心配は無いと思いますよ」

*****

女性スタッフの説明は、論理的には納得できる。だが――

エメラルドは、女性スタッフが「ごゆっくり」と言って個室を出て行った後も、つらつらと思案に沈んだ。

ロドミールとの長い交際の甲斐あって、ロドミールのちょっとしたクセや口調の微妙な変化などは、ほぼ網羅している。勿論、完全にと言う訳では無いけれど。

そのロドミールの、確信のある口調が、やはり、どうにも引っ掛かる。

偶然か故意か、いずれにしても、ロドミールが『遠方出張』ないし『諸般多忙』を言い訳にして、ずっと行方をくらます形になっていたのは事実だ。 ティベリア嬢への嫉妬も大いに含めつつ――と正直に認めながらも、疑い深く検討してみれば、まるで、浮気に際してアリバイを作っていたかのような行動である。

それに目下の、自分の問題は――そこまで考えて、エメラルドは不意に閃いた。

――バーサーク化を自力で阻止できるような方法は、あるのでは無いか?

そう思いつくと、エメラルドは居ても立っても居られなくなった。

ちょうど、医療院の隣に、大図書館があるでは無いか。古今東西の書籍が揃う《知の殿堂》大図書館になら、ヒントが眠っているかも知れない――

*****

神殿付属の大図書館の受付では、いつもの業務が続いていた。新しい書籍の受け入れと、その分類である。

若手ベテラン司書《風》のユーリーは、いつものように新しく入ってきた書籍の概要を簡単なメモにまとめ、 手持ちの半透明のプレートに詰め込んで行った。――これで良し。

ユーリー司書は、新人司書のグループと共に最後のチェックを済ませると、新人司書たちに、新しい書籍の本棚への収納を指示した。 書籍の山を乗せたワゴンが、新人司書たちと共に転移魔法陣で所定の位置に移動して行ったのを見届ける。

受付に戻ったユーリー司書は、早速、新顔の存在に気付いた。

思案顔をしながら、受付ロビーにある大天球儀(アストラルシア)を魔法の杖でつついている。明らかに、此処に不慣れな様子の、恐らくは新規利用者だ。

同年代の女性だ。エメラルド色のムラのある髪をキッチリとしたアップにまとめており、見るからに文官では無い。 ざっくりとした街着をまとっているが、その鍛えられた足取りは、確実に武官の類だ。 不安げな面差しは、人並みに埋もれて目立たないタイプの人相として形作られているものの、ジッと見ると、繊細な柳眉が意外に上品な雰囲気を醸し出している。

ユーリー司書は、エメラルド色の髪をした若い女性に近づいた。

「いらっしゃいませ。お手伝い出来る事は、ありますでしょうか?」

新顔の女性は、ユーリー司書のエプロンドレス制服を眺めて、ホッとしたような顔を向けて来た。だが、その質問は、とんでもない代物だった。

「――凶星に関する資料は、何処にありますか? 主にバーサーク化に直結する《宿命図》相についてですけど」

ユーリー司書はギョッとしながらも、魔法の杖を構えて、手持ちの半透明のプレートをつつき始めた。

「あの、その類の資料を利用する人については、直近の個人情報を確認させて頂く事になっております。 『バーサーク危険日』対応の一環として――差し支えなければ……?」
「ああ、済みません。私は今、隣の医療院に入院中で……《風》のエメラルドです」
「あ、バーサーク傷を受けた方ですね。事情は大変良く分かりました」

エメラルドと名乗った女性は、「分かるんですか?」と困惑の笑みを見せて来た。ユーリー司書はシッカリとうなづいた。

「ええ。バーサーク傷を受けた方々は、回復期になると、その類をお調べにいらっしゃるのが多いですから」
「そういうモノなんですね」

ユーリー司書は手元のプレートをつつき、スケジュール表を眺めた。この後は新人司書のローテーションだ。 ベテラン司書はその分、手が空く。いつもなら『風の噂』や『井戸端会議』に流す書籍情報をピックアップするところだが――

ユーリー司書は、長年の司書としての勘で、エメラルドが『必ずや、解答を見つけてやろう』と決意をしている事に気付いた。 何らかのタイムリミットがあるのか、焦りも仄見える。 どのような解答を見い出そうとしてるのかも謎だが、そのミステリーは、ユーリー司書の直感を揺さぶり、好奇心をかき立てるのに充分であった。

――それに、エメラルドとは良い関係が築けそうだ。例えば、一緒に女子会に行けるレベルの。

それは、もはや確信だった。ユーリー司書は、春の空のような柔らかな色合いの目を細め、ニッコリと微笑んだ。

「この《風》のユーリーが御一緒いたしましょう、エメラルドさん。実は私も、バーサーク関連については不案内なのです。 この機会に、共に知見を深めたいと思います」

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