深森の帝國§総目次 §物語ノ傍流 〉暁闇剣舞姫3

天球のアストラルシア―暁闇剣舞姫―(3)

◆Part.3「近くて遠き者たちを」
3-1.神殿付属ノ大図書館
3-2.付属カフェの午後(前)
3-3.付属カフェの午後(後)
3-4.聴け、つねならぬ鐘鳴りいでぬ
3-5.親と子と身の上話と
3-6.朝の応接室にて

3-1神殿付属ノ大図書館

――神殿街区のメインストリート内、付属アカデミー「知の殿堂」。

この付属アカデミーが「知の殿堂」という二つ名を頂くのは、竜王都最大の規模を誇る大図書館があるからだ。 竜王都最大の規模――すなわち竜王国最大の規模である。 最も古い建築部分や蔵書の類は、古代の竜王都創建の時代にまでさかのぼり、今や博物館的な価値すら認められている。

竜王都争乱が始まって既に数年経過しているが、それでも遠路はるばる、他種族のアカデミー遊学中の学生たちがやって来ている所だ。

元々は、王宮関係者も神殿関係者も区別なく出入りしていたが、今は、神殿が「王宮関係者では無い」と判断した者しか出入りできない。

王宮関係者ではあるがアカデミー遊学中であるために、 アカデミー周辺への立ち入りを許可された――という竜人学生たちも少なくない。 遊学中は、戦闘への参加を含む過度な政治活動は禁じられており、治安維持に関わる武官や魔法使いの監視下に置かれている。

――大図書館の受付ロビーからは、若い緑に輝く街路樹が並ぶ、前庭が見える。 街路樹に仕切られたその向こう側を横切るのが、神殿街区のメインストリートだ。 学生寮を含め様々な商店があり、 朝の早い時間帯から物資や人々の輸送を担う大型の三本角(トリケラトプス)車や中小型の荷車(リヤカー)が、 多くの学生や神官、役人たちと共に行き交う。

このメインストリートを挟んで、医療院「医の聖杯」とは隣同士だ(ただし、位置関係はちょっとズレている)。 そして、神殿中央部に向かって少しばかり距離を歩いた先に、高級レストランや御用達の店が並ぶ、神殿の門前プロムナードが広がっていた。

*****

大図書館の広々とした受付ロビーには、常灯と案内板を兼ねた大天球儀(アストラルシア)が幾つも配列されている。

この大天球儀(アストラルシア)は、見た目は、数人の子供がスッポリ収まれる程の大きな水晶玉の中に作り込まれているように見える。 もちろん本物の水晶玉では無いが(割れると大変だ)、そういう無色透明の魔法素材で出来た球体なのだ。

台座の上にセットされた球体――大天球儀(アストラルシア)は、自動でゆっくりと回転する仕掛けを持っており、 実際の天球の回転の様子(星々の配置)をリアルタイムで表示するようになっている。 この模型の星々の光が、常灯を兼ねているのだ。

そして、魔法の杖でつつくと、無色透明の球体の中の大天球儀(アストラルシア)が、施設案内図に変化する。 それを操作すれば、鳥瞰図のような広域地図を表示させる事が出来る――そして、竜王国の全体の地図も (ただし、機密保護が掛かっている部分は曖昧な映像になる)。

常灯と案内板を兼ねた、この魔法インテリアは、ユーモアと洒落を込めて、特に『アストラルシア(星の光輝)』と呼ばれている。

ちなみに大図書館に限らず、神殿や街区役所や平原エリアの公民館など、一定以上の規模を持つ公的な施設のロビーには、 必ず、このタイプの大天球儀(アストラルシア)がある。ただし規模によって設置可能な数が増減するので、 小さな施設では、1個しか置いていない所も多い。

*****

――その日の、昼下がりの刻。快晴だ。大図書館の受付ロビーには、 学生たちや、蔵書がお目当ての利用客たちが多くたむろしている。

受付ロビーで最も壁際にある大天球儀(アストラルシア)の横には、床タイル単位ごとに転移魔法陣がセットされた一列がある。 そのうち1つの転移魔法陣が、先ほどから稼働していた。 その魔法陣がセットされている床タイルのボンヤリした白い光と、ヒュルヒュルという風音は、「使用中」のサインだ。

転移魔法陣は、見た目は意外にシンプルに見える。 《風》のシンボルが中央に刻まれており、その周りに、円環と三日月形が規則的に配列されたパターンだ。

転移魔法陣の上を白い光が一巡して立ち上がり、白い柱のようになる。 やがて白い柱が微細なエーテル粒子となって空中に分解していく。 転移魔法陣スペースには、いつの間にか、魔法の杖を携えた一人の竜人男性が佇んでいた。

余りにも日常的な出来事だ。最も近くに居た一般人でさえ、転移魔法陣から新しく人が湧いて来た事には、 ビックリしていない。だが、その新入りの男の正体を知れば、誰もが、それなりにビックリしたであろう。

転移魔法陣から出て来た、中堅といった年齢層の男は、その衣服を見れば《地》の上級魔法神官だ。 うなじで一つにまとめた背中までのアッシュグリーン色の髪、黒緑色の目、思慮深そうな顔立ち。そこまでは普通だ。 弟子や秘書と思しき若手を連れていないのも、普通にある事だ。

普通では無いのは彼の名札――その肩書を証明する神官専用のブレスレットなのだが、今この男は、 それをさりげなく上衣の長袖の内側に忍び込ませており、文字通りお忍び中だと知れる。

《地》の上級魔法神官は、早速、最寄りの大天球儀(アストラルシア)を魔法の杖でつつき、 大図書館の蔵書案内を閲覧し始めた。しかし、ジャンルごとの書棚だけでは、詳細は、やはり分からない。

彼は暫し首を傾げた後、顔なじみの司書が居る受付を訪れた。 先程から《地》の上級魔法神官の存在に気付いていた司書――ベテランの女司書でもある――は、 既に受付嬢の顔をして待ち受けていたのであった。

中堅の年齢層というには少し早い年ごろの、若手ベテランの女司書だ。 標準的なアッシュグリーン色の髪を軽やかなシニヨンに巻き、女官服として指定されている白色のヘッドドレスを装着している。 ヘッドドレスに入った1本の黒いラインと、竜王国の紋章入りのエプロンドレス制服一式が、女官でもある事を示す。

春の空のような柔らかな色の目をした女司書は、訳知り顔で口を開き、 他の人には聞こえないような小声を掛けた。

「こんにちは、セイジュ大神官。どんな資料をお探しでしょうか?」
「超古代の人類の政治交渉の内容とか、獣王国の多族間の政治交渉のあらましをまとめた物は、 あるかな? 特に領土紛争の類をどうやって片付けたか――という事例があれば良いが」

女司書は暫し首を傾げながら、手持ちの半透明のプレートを魔法の杖でつつき始めた。 女司書の持つ半透明のプレートが、目の回るような速度で、蔵書情報を繰り出した。 一昔前であれば、もっと情報処理スピードの遅い、魔法の水晶玉を撫で回しているところである。

女司書の蔵書検索は、いつものように手際が良かったが、長引いていた。 内容が内容だけに――特に、超古代の物は尚更に――数が少なく失われた部分も多いため、 資料としてお勧めできるレベルかと言うと、怪しい物があるのだ。

「流石の《風》のユーリー嬢でも、こればかりは難しそうだね」

セイジュ大神官は、諦めたような苦笑いを浮かべていた。ユーリー司書は顔をしかめてブツブツと呟いていたが、 それは不快のためでは無く、脳の中で更に大量の記憶が引き出され、回転しているからだ。

「セイジュ大神官、本日の御用は推察するに、 先日の上級魔法神官会議の議題に関して、新しい提案として出て来た内容――ラエリアン卿との講和、というか、 竜王陛下との和議――と関係していると思われますが、如何です?」
「まあ、そうなんだが……何だ、緊急会議だったのに、既に巷に詳細が出回ってるのか?」
「そうでも無いです。実のところ、昨夜の女子会……食事会で、ウラニア女医の所の研修医スタッフから聞いたばかりなんです。 たまたま同期の親友でして」

ユーリー司書は、そこで言葉を切り、しかめ面になった。

「まぁ途中でカン違いのおニューの下級魔法神官サマの乱入があって、食事会の後半は結局、ハチャメチャでしたけど。 最近の新人は変なのが多いですねぇ、昨日あたり王都に来たばかりの新人だそうですけど、何だかしつこくて、イヤんな印象でしたよ。 入院患者の個人情報なんてペラペラ喋るもんでも無いのに、親友に強い酒ドンドン飲ませて聞き出そうとするんですから」

ユーリー司書は暫しプリプリしていたが、そこで、そそくさとキマジメな顔に戻った。そのままセイジュ大神官を眺め、更に言葉を続ける。

「――おほん、話がそれて失礼いたしました。講和もしくは和議の提案の件ですね。 目下、最悪のタイミングなので、ラエリアン卿は聞く耳を持たないだろうって事で却下されたそうですが、 『再検討に値する』と、出席者全員で一致したそうですね。 提案者が、えっと……《水》の上級魔法神官のロド……何某(なにがし)さんとか言う、若手のイケメンさんで、今後注目の人材だとか」

セイジュ大神官は、疲れたような笑みを浮かべてうなづいた。

「今は、珍しく『バーサーク危険日』が詰まっているんだ。 ライアス神官とエルメス神官の開発した占術方式の正確さには定評がある――1か月も経たないうちに、 次の『バーサーク危険日』が到来すると言う予測が発表されて、大騒ぎになったよ。 今、上級魔法神官の若手たちが、グループごとに数日かけて慎重に計算検証をしているが、まぁ間違いは無いんだろうな。 過激派なみの熱血の神官たち《神龍の真のしもべ》グループは、『計算検証だけじゃ生ぬるい』と言ってるがな」

ユーリー司書は察し良く、うなづいた。 手には既に魔法の杖を構えており、『地獄耳』その他の盗聴魔法を防ぐための、ノイズ暗号を周辺に施している。 それも図書館の静謐を保つためのホワイトノイズである。

「注目の占術方式ですね。現在の『バーサーク危険日』予測の的中率は、70%をレコードしているとか」

ユーリー司書は優秀な聞き役だ。女官同士のクチコミ・ネットワークを持っていて色々な話を聞き込んで来るし、 秘密とされた内容に関しては、口は堅い。セイジュ大神官は、深い溜息を付いて苦笑いをし、更にボヤいた。

「前回の『死兆星(トゥード)』の相より、『争乱星(ノワーズ)』の相の方が強く展開する見込みだ。 死亡率が低い割に、軍事作戦の成功率が上昇する。かの猛将ラエリアン卿が、この大奇襲のチャンスを逃す筈が無いからな」

ユーリー司書は訳知り顔で相槌を打ち、早速、聞き込んだ話を披露した。

「そして勿論、この重要情報は、ラエリアン卿に漏洩していますね。 昨日、1人の学生が怪しい通信をした直後、居なくなったそうですし。 変装が達者な上に、逃げ足が素晴らしく速かったそうで……また忍者(スパイ)ですね。 神殿の『盾神官』が揃っていなければ、我々は既に『英雄公』ラエリアン卿の足元に、五体投地していましたね」

セイジュ大神官は、ちょっとの間、複雑な笑みを浮かべた――複雑な顔をする事しか出来なかったのだ。

ユーリー司書は、閃いた――と言った様子で、半透明のプレートを小脇に抱えながら立ち上がった。

「良さそうな書棚にご案内いたします、セイジュ大神官。政治交渉の事例集という訳には参りませんが、 狙った内容には、かなり近いと思われます」

*****

――ユーリー司書は有能だった。

セイジュ大神官が案内されたのは、大陸公路の多種族の豪商たちの間で起きた、 トラブル解決の事例をまとめた書棚である。各地の大市場には、商売に有利となるホットスポットがあり、 それを巡って、豪商たちの間で、 冒険者ギルドから雇い入れた用心棒――闇ギルドから派遣されたヤクザも含む――を使った私闘が多々発生する事があった。

「セイジュ大神官、こちらの棚が、諸王国の国境地帯に位置する大市場の事例をまとめた物です。 双方の法律が入り乱れて難しい交渉となった事例が揃っていますので、今回の案件の参考になるかも知れません」

セイジュ大神官は適当に本の内容を確認し、微笑んだ。――確かに、大いに参考になりそうだ。

「ユーリー嬢の着眼点の鋭さには、いつも感心させられるよ」
「恐れ入ります。では、ごゆっくり、どうぞ」

ユーリー司書は柔らかな空色の目に会心の笑みを浮かべて、静かに立ち去って行った。

*****

セイジュ大神官は、精読の候補に挙がった幾つかの資料を書棚から取り出すと、 近くの読書コーナーに腰を下ろした。

特定の資料と、書棚の本来の位置との間が一定以上の距離になると、 『位置情報魔法』を併用した盗難防止用の蔵書タグが、そっと稼働し始める。 隠密スタイルだから、ほとんどの一般人は気付きもしないのだが、流石に大神官としての魔法能力を持つセイジュにとっては、 いつも「おッ」というくらいにはビックリさせられる現象だ。

結論から言えば、豪商の間で起きた数々のトラブル解決の模様は、読み物としても興味深い内容であった。

従来、神殿のトップ層は、『このような方針でやれ』『このような結果が望ましい』というような意見しか出して来なかった。 ほとんどの外交実務は王宮から派遣された文官の担当となっていたのだ。

神殿が直接に外交案件にタッチし始めたのは、王宮側と対立した結果、神殿が関わった案件については、 神殿が片付けなければならなくなったからである。流石にアカデミーが関わる案件が多いのだが、 いざ、そうなってみると、神殿のトップ層の頭の古さが浮き彫りになって来たのが実情だ。

意外に自らが属する組織の問題点には、気付かない物だ。 大神官長や特定の派閥を作っている高位の神官の間では、認識は浅いままだ。 しかし、セイジュ大神官のように特定の派閥に属さず、飄々と独立を保っている神官の間では、 『王宮側の主張も、或る程度は納得できる』という認識が、ジワジワと広がって来ていた。

――セイジュ大神官が、読書に没頭していた頃――

大図書館の受付に戻って行くところだった《風》のユーリー司書は、背の高い男と行き逢い、男の問い合わせに対応していた。 いつものように半透明のプレートを魔法の杖でつつき、訳知り顔で回答する。

「セイジュ大神官でしたら、あちらの読書コーナーにいらっしゃるようです」

洗練されたファッションを身にまとった背の高い男は、軽くうなづくと、颯爽とした足取りで目的地に向かって歩き出した。

3-2付属カフェの午後(前)

セイジュ大神官は書棚に戻り、次の資料を探している所であったが、 その訓練された感覚は、背後に接近して来た人物の気配を、即座に捉えた。

振り返ると、そこにはセイジュ大神官の親友が居た。とは言え、その親友の性質を良く知るセイジュ大神官は、 あからさまに額に手を当て、困惑の溜息を付いて見せるのみである。

――《風》のゴルディス卿。

洗練されたファッションに身を包んだ、背の高い男だ。お忍び中らしく器用に気配を抑えているが、見る者が見れば即座に大物クラス竜人と知れる。 腰まで届く程のストレートの黒髪、銀色の目。高身長に対して痩身の故か、中性的なまでに細く見える腰は、女性よりもいっそ妖艶である。

ゴルディス卿は、セイジュ大神官の胡散臭げな眼差しを、モデルさながらの完璧な微笑みで迎えた。 いつもながら、男ですら見惚れる程の美貌だ。その芸術的なまでに麗しい笑みは、危険なまでの誘惑パワーを持っていると言える。

「何で、いつも私を連行するんだ」
「貴殿が私との議論に付いて来れる第一人者だからだよ、セイジュ殿」

ゴルディス卿はセイジュ大神官の腰に手を回した。その仕草が色っぽく、セイジュ大神官は落ち着かない。

「そろそろ、ボーイズラブの噂が出かねないところだ。いい加減、控えてくれないか? ゴルディス卿」

ゴルディス卿はニヤリとした。壮絶な色気のある笑みだ。 中堅と言える年齢層に入ってなお、中性的な均整の美を失わない彫りの深い顔立ちだけに、接近されると、その迫力に圧倒されてしまう。 セイジュ大神官も顔立ちは悪くないのだが、ゴルディス卿の醸し出す妖怪的な美に比べると、やはり一般人の範疇に入るのだ。

――こやつ、本当に妖怪から生まれて来たんじゃ無いだろうな……

そんな失礼な事を、本気で検討し始めるセイジュ大神官であった。

ゴルディス卿は、大物クラスに生まれ付いた者ならではの信じがたいまでの怪力を発揮し、 セイジュ大神官を大図書館の付属カフェに連行した。

カフェ入口のところでゴルディス卿は、殊更に色っぽい仕草で、幾分か背丈の低いセイジュ大神官のあごに手を触れた。 そして、ゴルディス卿はセイジュ大神官の耳元に、優しくキスをするかのように口を寄せた。

その「意味深な場面」に目を見張っていた、 大図書館の付属カフェの利用客の一部――お年ごろの女子会グループ(特定ジャンルの文芸サークルの方々)が何を思ったかは、 此処では言わないでおこう。

「親愛なるセイジュ殿、我々の《宝珠》の適合率は80%ラインだ。我々が男と女の組み合わせだったら、 今ごろは《宿命の人》同士として、めでたく結婚していた筈だ。今宵は男同士で素敵な一夜を過ごしてみようじゃ無いか、フフフ」

セイジュ大神官は、すっかり苦り切っていた。

偶然ながらゴルディス卿とは、各種エーテル魔法陣の分析や鑑定を扱う学問分野の方で、長年、机を並べた同窓だ。 付き合いも長くなり、ゴルディス卿の性質については表も裏も熟知するようになって来たものの、 セイジュ大神官は、いまだにこの男の言動に振り回されてばかりなのだ。

「ゴルディス卿が言うと、冗談も冗談に聞こえないんだ。人目のあるところで、なおさら誤解を招くような言動をするのは止めてくれたまえ。 貴殿の背中には真っ黒な翼が生えていると、私は確信しているよ」
「心外だな、セイジュ殿。私は《風霊相》生まれだから、純白の翼持ちなんだが」
「ゴルディス卿に関しては、私は本気で《宿命図》のお告げを疑っているんだ」

セイジュ大神官の強い主張により、窓際の端のテーブルでのティータイムになった。 春夏期の季節に相応しい、軽やかな雰囲気の衝立で仕切られており、プライバシー保護のための軽いホワイトノイズ魔法も掛かっている。

――なお、セイジュ大神官は、重要な事実に気付いていなかったという事を述べておこう。 この「見えるようで見えない、見えないようで見える」という曖昧なシチュエーションは、 下心タップリの観察者の脳内イメージを、余計に掻き立てるという結果になったのである。

「言っておくがゴルディス卿、《宝珠》の適合率は確かに最も決定的な基準なんだが、 実際の恋人関係となると多様になるんだ。全てはプロセス、時間展開の積み重ねだよ」

ゴルディス卿は楽しそうな顔で、セイジュ大神官の議論に耳を傾けている。 洗練された仕草でティーカップを手にしている様は、今すぐに宮廷社交界に放り込んでも違和感が無いレベルだ。

――そう言えば、こやつ、宮廷社交界の出身だった……

セイジュ大神官は理由の無い頭痛を感じながらも、大物クラス《風》のゴルディス卿――王宮側、つまり敵側の分子にして、 宮廷社交界の貴公子――が此処に居る理由について、改めて考えを巡らせた。

ゴルディス卿は、一言で言えば「変人」だ。その中性的な妖しいまでの美貌は、幼体の頃から、 或る種の変態の異常な関心の対象になって来たと言う。男性にしては長い髪は、竜体由来のドラゴン・パワーも関係があるが、 宮廷画家(初老の男性)に命がけで「その美しい髪を切らないでくれ」と頼み込まれ――いや、脅迫されたのが主な理由である。

セイジュ大神官は、『変態こそ芸術の真髄』なる名言(にして妄言)を残したと言う、 宮廷画家の想像上の首を、脳内でギリギリと締め上げた。ゴルディス卿の優れた芸術的素養には感心させられるが、 同時に、そのくだんの宮廷画家が、ゴルディス卿を「変人」に育て上げたのは確実なのだ。

宮廷社交界のかなり上の方で、ゴルディス卿が関わる色恋沙汰から発展した私闘があった。 性別の詳細は言わないでおこう。 その事件の詳細は伏せられたものの、宮廷画家が一枚かんでいたのは確からしく、宮廷画家は『一身上の都合』により辞職。

程なくして始まった王宮と神殿の対立を幸いとしたのかどうか――両親および一族の決定により、 アカデミー学生と言う名目の『連絡係』として、厄介払いも同然にゴルディス卿は此処に来た。

もっとも、王宮と神殿の話し合いは決裂し、竜王都争乱が続いている今、 ゴルディス卿の『連絡係』としての存在意義は無くなっている訳だが……首脳部の対立が政界の暗闘レベルに留まっていた頃、 両親を含め一族にかなり犠牲者が出たので、ゴルディス卿が王宮側に戻る理由もまた、それ程あるという訳では無いのだ。

当時、まだ青年と言える程に若かった頃のゴルディス卿の心の奥に、何が去来したのかは、セイジュ大神官を含め、他人の知るところでは無い。

宮廷社交界よりは居心地が良いのか、ゴルディス卿は居座り続けている。

――その気になれば大物クラス竜人の一人として、かの猛将ラエリアン卿と同じように、 宮廷の重臣としての華々しい活躍も可能だろうに、 つくづく、欲の薄い「変人」だ。或いは、宮廷社交界の裏の歪みを散々見て来て、嫌になったのだろうか。

セイジュ大神官は少しの間、ラエリアン卿の鍛え抜かれた格闘家のような体格を思い浮かべた。 あやつが前線に竜体で出て来た場合は、50体以上の上級武官レベルの竜体を揃える必要があると聞く――

いずれにせよゴルディス卿が、「知の殿堂」たる大図書館を気に入っているのは確かだ。 ビックリするような額の寄付金を大図書館に出して来たという事、 純粋な学究生活が続いているという事があり、神殿側は、ゴルディス卿の存在を黙認している状態である。

セイジュ大神官は、そっと親友の表情を窺い見た。想像以上に怜悧な頭脳の持ち主であるらしいが、 時として硬質な光を宿してきらめく銀色の目は、その内心を容易には映し出して来ない。

改めて考えてみると、この男が、数奇かつ過酷な運命に翻弄されたのは確かなのだ。 だがゴルディス卿は、危うい政治的立場に追い込まれながらも、その高度な政治的判断力と巧みな政治的手腕を振るって、 自分の居場所を獲得したのだ。そして今は、飄々としているように見える――

*****

セイジュ大神官とゴルディス卿のティータイムの会話は、 いつしか、《宿命図》と《宝珠》の鑑定に関する専門的な議論になっていった。

――《宝珠》は竜人の《宿命図》の心臓部にある相である。 大陸公路の全種族のうちでも、特に一夫一妻制の習慣のある種族に共通する、特徴的なパーツだ (獣人ウルフ族は、《宝珠》を持つ種族である事が知られている)。

《宝珠》相は、特に「陰・陽の星」、つまり、より原初的な星々――光明星と暗黒星の群れで構成されているという点で、特異的である。 通常、我々が観測しうる空間において、ほぼ完全な真球となる配列をしており、この真球の中心点が、位相幾何的に「時軸」に一致している。 《宝珠》の相は、この「時軸」を中心としてスピンし、独特の恋愛運を紡ぎ出す。

厳密にいうと、《宿命図》や《宝珠》は、我々の通常の時空に存在する幾何学的構造体では無い。 《宝珠》のスピンは、我々が思い描くような回転とは違う。 通常の時空での《宝珠》の1回転は、《宝珠》空間では表面と裏面が2交代しつつ回転するため、 総合4回転になる。

数学的な意味での想像力の跳躍が必要になるが、 話を分かりやすくするために、3次元立体の真球を2次元平面の真円と見立ててみよう。 すると、《宝珠》の原理は、白黒で塗り分けられた独楽だと考える事が出来るのだ。

白黒2色のみで塗り分けられた独楽が回転すると、その面に、見かけ上、多彩なカラーや模様パターンが現れたように見える。

《宝珠》も、また同じだ。《宝珠》が時軸の周りを独楽さながらに回転すると、 光明星と暗黒星の群れが、その人ならではの、特徴的な彩りを生み出す。

「《宝珠》が適合する」「《宿命の人》同士」というのは、カップル候補となる2人の《宝珠》相を白黒で塗られた独楽と見立て、 時軸の上で2つの独楽がクルクル回転した場合に、光明星と暗黒星、つまり陰・陽の星々がバランス良く、 お互いに足りない色や形を上手く補い合っているかどうか――で、大枠が決まる。

言ってみれば、《宿命の人》同士が構成する二重の《宝珠》相は、絶妙な様相を保ちつつ、時の円舞曲を踊っているような物である。 人によっては、理想的な二重像を《花の影》と言ったりする。 勿論、各々のスピン速度、交差する角度、見かけ上の濃淡パターンや補色パターンの組み合わせなど、 計算項目が多いので、《宝珠》占術は意外に難しい。

――そこまでの前提を確認し、ゴルディス卿は口を開いた。

「そもそも、その《宝珠》を回転させるには、《宿命図》が、命ある魔法陣として稼働していなければならない訳だ。 生命の根源たる《宿命図》を稼働させるのに必要なエーテル量というのは、計算できるだろうか?」

セイジュ大神官は笑みを浮かべた。窓の外では、春半ばの昼下がりの陽光が、若葉の間で柔らかに揺れている。

「それは難しい問題だな、ゴルディス卿。人工生命は深遠なる謎だよ。 《宿命図》は、万物照応の因縁の糸――運命の軌道を紡ぎ出す魔法陣でもあるが、 あらゆる運命の軌道を動かすのに必要なエーテル量でさえ『宇宙的規模になるだろう』以外には分からない。 これは計算の不可能性と言うか――不完全性定理の領域でもある」

ゴルディス卿は「ふむ」と満足げにうなづいてお茶を一服すると、更にツッコミを重ねた。

「とは言え、貴殿を含めて上級魔法神官の連中は、『上級占術』を使って、 我々のような凡人の運命を、或る程度は左右しているのだろう」
「ゴルディス卿の場合は、凡人とは到底、言えないな」

セイジュ大神官はそう切り返しながらも、『上級占術』に関する指摘については、認めた。

「いわゆる健康運、恋愛運、金運については、『上級占術』で或る程度は動かせる。 ただし、結果は個人の器によるところが大きいんだ。成就祈願(オマジナイ)と変わらないよ」

セイジュ大神官は、数年前『上級占術・匿名相談コーナー』で、恋愛相談に乗っていた事を説明した。

「とある男女カップルは、《宝珠》適合率が50%ラインでね。親友フェーズから恋人フェーズへのシフトを相談しに来た。 交際の実績次第では適合率80%くらいまでは行く可能性が見込めたから、恋愛運を強化しておいた事がある。 順調に行けば、今ごろは婚約を考えている頃合いの筈だ。順調に行けば、な」

ゴルディス卿は、無言で眉を跳ね上げた。セイジュ大神官は、それが疑問のサインである事を熟知していた。

「星々の配置は必ずしも確定的な物では無いんだ。ドラマチックな恋愛を成就させるためには、時の試練による個人の成長は必須だよ、当たり前だろう」
「貴殿は顔に似合わずロマンチストだな、セイジュ殿」

セイジュ大神官は、からかい半分の含み笑いを返してやった後、お茶を一服した。

一見、皮肉屋そのもののゴルディス卿にしても、竜人に生まれ付いた者の常として、唯一の《宿命の人》を求めているのだ(対象となる性別については、 個人次第だから何とも言えないが)。 大物クラスの方が数が少ない分、その辺りの感覚は鋭敏になりやすい。

「まあ何だ、《宿命の人》だろうが何だろうが、ちゃんと出逢って、告白と交際から始めない事には、何も始まらんな」

セイジュ大神官は一旦そう切り上げると、ゴルディス卿と共に、仕切りの方を振り向いた。

3-3付属カフェの午後(後)

「盗み聞きの技術を教えた覚えは無いんだが、エレン君」

セイジュ大神官は驚きもせず、仕切りの脇に向かって、呆れた――といった調子で声を掛けた。

その仕切りの脇では、セイジュ大神官やゴルディス卿と比べて少し若い――ユーリー司書と同じくらいの――世代に属する《風》の上級魔法神官の男が、 セルフサービスの茶を手に持って微笑んでいた。やや淡いアッシュグリーンの髪をうなじの下で1つにまとめた平凡な姿である。 どちらかと言えば繊細な顔立ちで、透明感のある琥珀色の目が印象的だ。

「ユーリー司書が、セイジュ師匠がゴルディス卿に連行されて監禁されたと教えてくれたんですよ」
「連行し監禁したとは人聞きの悪い」

ゴルディス卿はそう言いながらも、面白そうにニヤリと笑みを浮かべた。 余りの椅子を、年若いエレン神官に示し、歓迎の意を表す。

「ユーリー司書は神出鬼没だな。必要な時に必要な場所に、何故かいつも居て、 まるで待ち構えていたかのように、必要な情報をポケットの中から出して来る――何でも無い事のように」
「彼女くらい守備範囲の広い司書は、貴重ですよ。何で事情通なのか分からないけど、女官同士のクチコミの伝搬力って、そんなに凄いんでしょうか」

エレン神官は、ひとしきりユーリー司書の能力に感心した後、自分で椅子を引いて来て、そっと腰を下ろした。

セイジュ大神官もまた、ユーリー司書の情報の早さに感心する1人だ。

「ストリートに出る不審者の情報などは、女性にとっては夜間の安全に直結するから、通常の物理法則を出し抜いて光よりも早く伝わるのかも知れん。 1日前、1人の学生が怪しい通信をした後、見事な逃げ足を披露して、いきなり姿を消したそうだ。後で警備担当に確認してみるが、ほぼ忍者(スパイ)で決まりだろうな」

エレン神官は唖然として、「知りませんでしたよ」と、口をポカンと開けるのみであった。

*****

「問題の、その成就祈願(オマジナイ)とやらについて、私は深刻な疑惑を抱いているんだが」

ゴルディス卿は話題を戻して、茶を飲み干した。茶は、もう既にぬるくなっていたのだが、さほど気に留めていない様子である。

一番若いエレン神官が気を利かせ、セルフサービスのカウンターから新しいティーポットを取って来て、セイジュ大神官とゴルディス卿の茶を淹れ直した。

ゴルディス卿は軽く一礼してティーカップを手に取ると、卓上から香料セットを選び、目分量で好みのフレーバーを追加した。 やはり宮廷社交界の出身と言うべきか、上品かつ芸術的な香り付けとなっている。恐るべき複雑な調合を涼しい顔でやってのけた男は、言葉を続けた。

「逆もまた真なりだ。私は、こう思っている。成就祈願(オマジナイ)の影響力が、実際に或る程度の影響力を持つならば、 それを逆用する事も出来るのでは無いか――とな。そう……破局に到る『呪い』として」

セイジュ大神官とエレン神官は、同時にギョッとしたような顔になった。虚を突かれた形だ。

ゴルディス卿は、持ち前の観察力で2人の表情の変化をシッカリと読み取ったのであろう、銀色の目を鋭く光らせた。

まるで凍て付いたナイフのようだ――大物クラスならではの威圧に満ちた眼差しは、 セイジュ大神官とエレン神官の腰を、魔法のように椅子に縫い付けた。2人は無言のまま、身動きできない。

ゴルディス卿は、ベルトからペン程の大きさに縮めていた魔法の杖を取り出すと、ペンのようにクルリと指先で回しただけで、 その場に緻密な防音魔法陣を展開した。

――隠密レベルの魔法陣だ。本来は白く輝くであろう魔法陣のラインは、無色透明な不可視のラインと化している。 《風》魔法に関しては、《風》のゴルディス卿はいつの間にか、上級魔法神官なみの腕前に達していた。

「健康運の強化が、生命線の増強に直結するのなら――その生命線を断つとされる大凶星《死兆星(トゥード)》の呪いが、有り得る。 大凶星《争乱星(ノワーズ)》の呪いも、同じく有り得るのだろう……バーサーク化の呪いとして」

エレン神官が、うろたえた顔でセイジュ大神官を振り向く。セイジュ大神官は苦い顔をする事しか出来ない。

「何をどう考えれば、そんな考えが湧いて来るんだ? ゴルディス卿」
「フフン……」

ゴルディス卿は、鼻先で笑って見せた。妖怪的な美を湛えた面差しだけに、 いっそう迫力がある。口元には薄い笑みを浮かべているが、鋭い銀色の目は、笑っていない。

窓の外では相変わらず昼下がりの柔らかな光が踊っていたが、その場だけ、急に氷点下の光景になったようだった。

「ライアス神官とエルメス神官の開発した新しい占術方式は、『バーサーク危険日』予測に対して、 安定して70%の的中率を達成したと言うでは無いか。平均50%の的中率が続いたのであれば、偶然の範囲で収まるだろう。 だが、70%の的中率が3回以上も繰り返された――しかも、80%の的中率を射程範囲に収めた――となると、 何らかの根拠があると考えなければならない」

そこでゴルディス卿は一息つくと、ティーカップを手に取り、優雅に一服した。

「かの猛将ラエリアン卿は、自他ともに認める『筋肉脳』だが、英明なる現在の竜王の、側近中の側近と言われるだけの能力はある。 タダの『ごり押しバカ』だと侮っていると、いずれ痛い目を見るのは神殿のトップ連中だ。 竜王の指示か、ラエリアン自身の決定かはともかくとして、彼らがこれ程までにスパイ活動に力を入れているのは、 『バーサーク危険日』予測の恐るべき的中率と、それがもたらす可能性に既に感づいているからだ、分かっているだろう」

セイジュ大神官は目を細めた。思慮深そうな黒緑色の目には、警戒心が浮かんでいる。

「言っておくがゴルディス卿、ふざけた陰謀論は止めてくれたまえ。そもそも、今の竜王都争乱は、我々神殿の側が仕掛けた物では無いんだ。 『禁断のバーサーク化魔法』の開発のために、上級魔法神官が紛争を目論んだのでは無いかとの巷の噂は、根拠の無い代物だ」

ゴルディス卿は、銀色の目を刃物のように閃かせ、間を置かずに鋭く切り返した。

「そうだろうとも。国内紛争の長期化による我が竜王国の弱体化を喜ぶ竜人は居ない――仮想敵国の鼻薬を嗅がされて思考停止した連中か、 善良な竜人を装って『ふざけた陰謀論』を振りまいた闇ギルドの者でも無い限りな。 だがセイジュ殿、こういう『ふざけた陰謀論』であっても、案外、真実を射抜いているという可能性は、有り得るのだ」

ゴルディス卿は更に、『バーサーク危険日』では無い日にバーサーク竜が発生したと言う、ここ最近の事件を持ち出した。

「問題の武官のバーサーク化には、異常に強い――不自然なまでの強さの――《争乱星(ノワーズ)》が関わっていたそうだが、 その《争乱星(ノワーズ)》が、果たして本当に天然の物だったのかどうか、疑わしい所だな。 ウラニア女医は優秀な女医だが、如何せん、隠し事が多過ぎる。何なんだ、あの完膚なきまでに黒塗りされた医療報告書は」

ゴルディス卿の目には、深い不信の念が宿っている。

セイジュ大神官は、呆れた――と言ったように首を振った。

エレン神官は、年長の2人の丁々発止に圧倒されたまま、無言を続けている。

「疑い深すぎるのはゴルディス卿の短所と言うべきか、長所と言うべきか……」

鋭い銀色の眼差しを避けるような形で、セイジュ大神官は眉間を揉み始める。 ひとつ溜息を付いた後、セイジュ大神官は、ゴルディス卿を説得するかのように、強い調子で続けた。

「確かに、あの報告書は黒塗りが多かったが、記述があっただろう、『先天性の《争乱星(ノワーズ)》』だったと。 《宿命の人》たる伴侶が、今までバーサーク化を押し留めていた――《宝珠》は《宿命図》の心臓部だから、 その影響力は決定的だ。ウラニア女医は虚偽報告はしない。彼女は、その辺りは極めて厳格な人だ」

ゴルディス卿は目を細めた。相変わらず目は笑っていない。どうだかな――と言わんばかりだ。

「ウラニア女医の厳格さについては、今のところは同意しよう。だがな、セイジュ殿……」

ゴルディス卿は、そこで深い溜息を付いた。銀色の目から、大物クラスならではの威圧感が消えた。代わりに憂いの表情が浮かぶ。 常にハッキリとモノを言うこの男にしては珍しく、暫し口ごもっていた。

ゴルディス卿は若葉が揺れる窓を見やると、誰に言うとも無く呟く――

「――権力は腐敗する、絶対的権力は絶対に腐敗する――超古代の書物に残されていた、古い箴言が引っ掛かる。 神殿は、果たして、このままで良いのか否か……」

その呟きに反応したのは、エレン神官であった。

「新しい占術方式の開発とか、神殿のやり方には、問題があるという事ですか?」
「全般的にな。やり方――と言うよりも、その権力の在り方、と言った方が正確だが。 頭のイカれた神殿内部の過激派《神龍の真のしもべ》グループの、狂信的な自民族中心主義者(エスノセントリズム)の如き言動が、 神官の全員に伝染しないと、言えるのか?」

ゴルディス卿の眼差しは、見えない何かを見通そうとでもするかのように、窓の外を射抜いている。

「そもそも、神殿の聖所に住まうとされる絶対不可侵の象徴――《神龍》とは何だ? 何重もの秘密の扉の奥にある、 そのような調べようもない代物が、真実、神であり権力の根源だと言うのか? かくも迷信そのものの《神龍》の何が、 大神官長の面々だけで無く、神殿の《盾神官》たちをして、全力を挙げて守護するに値する――と、決心させるのだ?」

エレン神官は、その繊細な琥珀色の目に狼狽を浮かべていた。無言のまま、ゴルディス卿の横顔に琥珀色の眼差しを注ぐのみである。

ゴルディス卿は、まだ明確な焦点となる物を見い出していないのか、その視線の先は、窓の外の何処かをそぞろに移り続けている。

セイジュ大神官もまた、心の奥底に違和感を抱き始めた1人だ。だが、まだ答えは無い――

*****

ゴルディス卿はティータイム席の窓を通して、暫し外を眺めていたが、やがて面白そうな顔になった。 ゴルディス卿は、大物クラス竜人ならではの卓越した視力をもって、大図書館の付属カフェを取り巻く庭園の樹木の間に、複数の人影を見い出したのである。

「目下の注目の人材が、活躍中だな」

セイジュ大神官とエレン神官も、ゴルディス卿の視線の先を注目する。

カフェ庭園の庭木の間を歩いていたのは、3人だ。

先頭を行くのは、中高年と言って良い世代の《水》の上級魔法神官だ。 頭の半分以上は白髪だが、にじみ出る威厳があり、足取りも確かである。その神官服の裾には、 上級魔法神官の服には無い大きな縁取りパーツがある――神殿トップの4人のうち1人、《水》の大神官長なのだ。

その脇には、《地》の下級魔法神官の制服をまとった若い女性が控えている。濃紺の目をした相当の美人だ。 頭には女官用のヘッドドレスを装着しており、見るからに先頭を行く《水》の大神官長の秘書を務めているのであろうと予想できる。

一番後ろに居て、《水》の大神官長の話に応じているのは、《水》の上級魔法神官の制服をまとった若い男だ。 遠目にも目立つ眉目秀麗な容貌で、濃い水色の目が印象的である。

「セイジュ師匠、あの方は《水》の大神官長ミローシュですね。脇に居る若い女性は、ミローシュ殿の令嬢の……《地》のティベリア嬢。 ここ最近、《水》の大神官長の直属の秘書として、神殿に勤め始めたとか……」

弟子エレン神官の指摘にセイジュ大神官はうなづき、最後を行く若い男をしげしげと眺めた。

「最後の男の方は、前の会議で良い提案をして来た彼だな。《水》のロドミール……」

ゴルディス卿は無言のまま、ニヤリと笑みを浮かべ、窓を少し開けた。ペン程の大きさの魔法の杖をクルリと回すと、 微かな風の流れに乗って、3人の会話が届いて来るようになった。

――《水》の大神官長ミローシュは、誰かに内容を聞かれているとは全く気付いていない様子で、最後尾を付いて来るロドミールに声を掛けている。

「ロドミール君、わざわざ付いて来てもらったのは他でも無い。この前の『竜王との和議』に関する提案の件で、改めて評価したかったからだよ。 時期が悪くてあのような結果になったが、実際は我々、大神官レベルでは、ロドミール君の案には随分、考えさせられている」

ロドミールは穏やかに微笑み、「恐れ入ります」と一礼した。ロドミールの身のこなしは洗練された物で、ティベリア嬢は感心の眼差しを向けている。

「今はまだ若すぎるが――ロドミール君、その豊富な国際経験は貴重なものだ。順調に実績を積んで行ってくれたまえ。 そう遠くない将来、私の名で大神官に推薦したいと思っている」

ロドミールは、まさか此処まで自分が高く評価されるとは思っていなかったのであろう、無言で目を見開いていた。 暫し呆然とした後、慌てて再び一礼すると言う有り様である。

ミローシュ大神官長は足を止めて、若者の様子を微笑ましく眺めた後、「さて」と、おもむろに口を開いた。

「今日はもう一つ、大事な話があるのだが……詳しくは、私のカフェルームで話そう」

ミローシュ大神官長は、ユーモアたっぷりに話のさわりを明かしてロドミールを仰天させ、「驚いただろう?」などと、からかっている。 若者いじりは、年寄りの楽しみだったりするのである。

そして男女3人は、庭木の奥へと歩み去った。そこには、大神官長向けの、専用のカフェルームがあるのだ――

エレン神官は目を丸くして、ゴルディス卿の方を見やった。隙を突いた形になったとは言え、 大神官長にさえ気づかれない程の隠密レベルの《風》魔法と言うのは、大したものだと言える。

「……『地獄耳』魔法ですか。これはまた……」

ゴルディス卿は、人の悪い笑みを浮かべた。盗み聞きした事に対して、良心の呵責を全く覚えていないのだ。

「期待の若手を大神官に抜擢とは、ミローシュ猊下も見る目があるじゃ無いか」

ゴルディス卿の批評には、いつもの3倍以上の皮肉が満載されている。セイジュ大神官は、ヤレヤレと言ったように首を振るばかりであった。

3-4聴け、つねならぬ鐘鳴りいでぬ

3日間が過ぎ、更に念のための日程を過ぎて、エメラルドから青い円盤装置が外された。

入院してから、既に1週間ほど経っている。バーサーク毒は、想像以上に身体に疲労を与えていた。 最初のうちは入浴しただけでもグッタリと疲れ果て、夜は夢も見ない程に深く寝入ったものであったが、 食事が通常の物になって来ると同時に筋肉量も回復して来たのか、重量のある長持も動かせるようになって来た。

女性スタッフと共に往診に来た《地》のウラニア女医は、エメラルドの2度目の精密検査の結果を一通りチェックし、 いつものように、いかめしい表情を向けて来た。

エメラルドは、ウラニア女医の表情の変化については何となくパターンを承知し始めていた物の、 やはり、その一瞬は思わずギョッとした物であった。

「エメラルド隊士、結論としては、意外に被害が少なかったと言えそうですよ。 前回の検査結果を踏まえて今回の検査結果を見る限りでは、バーサーク化のリスクは抑え込めましたから、 新たなリスク要因が増えない限りは、恐らく大丈夫でしょう。傷の塞がり具合も良好ですし、近場を歩き回る程度であれば、許容範囲ですね」

ウラニア女医はテキパキと必要事項を告げると、やはり、いつものようにエメラルドの個室を速やかに出て行った。

後を任された女性スタッフ――もはや顔なじみと言って良い、いつもの食事係――が、 「良かったですね」と言いながら、青い円盤装置を運搬ボックスの中に箱詰めした。 箱詰めが終わると、女性スタッフはベルトに下げていた半透明のプレートを取り出し、 内容を確かめつつ説明を始めた。

「今後は、退院までの間、私が治療師(ヒーラー)と食事係を務めますので、宜しくお願いしますね。 まず最初にですね、次の『バーサーク危険日』が1ヶ月も経たずに来る事が分かってます」

エメラルドは思わず息を呑んだ。

「すごく間が詰まっているような気がするけど。前は3ヶ月とか半年ぐらいのペースだったのでは?」
「ええ、当たり年っていうか、当たり月っぽい感じですよね」

女性スタッフは、困ったように眉根を寄せて微笑んだ。

「ウラニア女医の見立てでは、エメラルド隊士の《宿命図》の状況が、その時までに安定するかどうかというのが分からないので、 念のため拘束具を用意するとの事です。残留してしまった分のバーサーク毒が、新しい星々の相として、 1ヶ月くらいで《宿命図》に定着するんですけど、エメラルド隊士の《宿命図》は、まだグラグラしてますから」

エメラルドは少しの間、首を傾げた。

「よく分からないけど《宿命図》ってグラグラしたりする物なの?」
「えぇまぁ、この青い円盤装置の副作用ですね。《宿命図》エーテル循環を限界近くまで加速してますから。 バーサーク毒を急速排出できる代わりに、《宿命図》をえらい勢いで揺さぶってしまうんですよ」
「考えてみると、納得できるような気がするかも……」

エメラルドは武官としての訓練コースの一環で、流れの早い川に飛び込んで、その水の流れに翻弄された事を思い出した。 あの時も、目が回ったり、身体の感覚が落ち着かなかったりして、川から上がった後も暫くの間、 他の訓練仲間と共に、地面にへたり込んでいた物だ。

「ウラニア女医の今回の見立ては、後ほど神殿隊士の部門に報告しますので、 退院直後の任務は、前線では無い何処かという事になると思います。後日、辞令が届くと思いますけど」

女性スタッフは説明を終えると、満面の笑みを浮かべ、半透明のプレートに挟み込んでいた封書を取り出した。

「エメラルド隊士宛ての封書です。これは、ボーナス入ってますね!」

エメラルドは封書を受け取り、早速開封した。

女性スタッフの予想通り、バーサーク竜を取り押さえた件に関する褒賞金が書面に記されていた。 今回の対象が母子だった事もあり、少し上乗せされた金額となっている。 書面の中央にエメラルドの魔法署名で有効になる金融魔法陣がセットされてあり、 これを動かして金額情報を魔法の杖に移行すれば、受け取りは完了だ。 確かに授受が成立した事を保証する立会人は、女性スタッフである。

そして、見慣れない書状が同封されていた。複雑な縁取りパターンが施された、高級な書状だ。

――この度、4大神官長の連名において、1体のみでバーサーク竜1体を取り押さえたという実績を評価し、 『剣舞姫(けんばいき)』の称号を授与する。授与式の日程は追って通知する――

エメラルドの読み上げを聞いていた女性スタッフが目を丸くした。

「すっごいじゃ無いですか! 士爵クラス認定に次ぐ名誉ですよ! この授与式って、4人の大神官長から直接、 祝福を受けるんですよね。新しい近衛兵の叙任式の時みたいな感じで」

*****

その日は、更に嬉しい事があった。

昼食になる少し前、恋人のロドミールが入院中のエメラルドのお見舞いに来たのだ。 上級魔法神官ともなると諸般多忙が日常であり、神殿に何日も詰めているのが普通だ。

ロドミールは、エメラルドが包帯だらけの身体でストレッチをしているのを見て、 最初はギョッとしたような顔になったものの、すぐに濃い水色の目を嬉しそうにきらめかせた。

「思ったより元気そうでホッとしたよ」
「上級魔法神官が扱う『上級占術』って凄いのね。 さっき、傷の塞がり具合も良いと言われて……ロドミールが『健康運』の項目の強化をしてくれたお蔭だと思うわ」

ロドミールとエメラルドは、いつものように頬に親愛の口づけを交わした。 ロドミールが、簡易ベンチに早変わりした長持に腰を下ろすと、エメラルドは早速、 長持から取り出していた野営用ティーセットで、ささやかなお茶を淹れた。

「あのね、今日、ビックリするような書状が来たの。見て」

エメラルドは、先ほど来た『剣舞姫(けんばいき)』称号授与の書状をロドミールに見せた。 ロドミールは惚れ惚れした様子で書状に見入った後、エメラルドに心配そうな眼差しを向けて微笑んだ。

「4大神官長の連名か……今は無理できないから、体力の回復次第だね。ストレッチも良いけど、ゆっくり療養しろよ」

ロドミールは複雑な笑みを浮かべていた。エメラルドが危険に身をさらす事を本分とする職業に就いている事で、 恋人としては心配の種が尽きないのだ。エメラルドとしては、「心配かけてごめんなさい」としか言いようが無い。

お茶を一服したロドミールは、ふと思いついた様子でエメラルドを見直した。

「確か、バーサーク毒が少しでも残留していると、《宿命図》の星々の相が微妙に変化するんだよ。 また《宿命図》をチェックさせてもらって良いかな?」
「ええ」

以前のように、ロドミールはエメラルドの片手を取った。エメラルドの手相を読むような格好で、丁寧に《宿命図》を透視して行く。 ロドミールがもう一方の手に持っている魔法の杖の先端部が、やはり神秘的な青い光をまとい始めた。

通常の《四大》エーテル魔法を発動している時のようなシッカリした光では無く、向こうが透けて見えるような透明な光だ。 そして、ロウソクの炎のようにチラチラと揺らめいたり、ボンヤリとした光輪がユラユラと現れたり消えたりする。

――こうして見ると、透視魔法を使っている時の光は、不思議な感じがする……

エメラルドは、その妙に心惹かれる有り様を、じっと眺めていた。この光は青いけれども、ラベンダー色であれば、 あの《暁星(エオス)》が、最後の一瞬の中を揺らめいているような感じかも知れない。

やがて、ロドミールは戸惑ったように息を呑み、顔を上げて来た。

「エメラルド、《宿命図》の相が少し不安定なんだけど、それについては何か言われなかったか?」

エメラルドは少し首を傾げた後、すぐにピンと来た。――女性スタッフが、そういう事を説明していた。

「ああ……あの青い円盤装置の副作用みたい。限界近くまでエーテル流束を加速したから、そのせいでグラグラしてるって説明を受けたの。 次の『バーサーク危険日』までに《宿命図》が安定するかどうか分からないから、 念のため拘束具を着けておく事になるみたい。知らない事って一杯ある物なのね」

ロドミールは、はたと気が付いたように「あぁ、そうだった」と言いながら頭に手をやった。 どうやら、他にも考える事で頭が一杯で、失念していたらしい。

「出張から戻ったら戻ったで、忙しいんじゃ無い? ロドミールこそ、無理はダメよ」
「私は大丈夫だよ。忘れてないかな、エメラルドは今、重傷者の筈なんだが」

エメラルドは、思わず吹き出し笑いをした。――と。不意に真昼の鐘の音が耳に飛び込んで来た。

「もう真昼の刻ね。ロドミールは昼食は、まだ?」
「まだなんだけどね。この後、すぐ用件があるから、また出掛けないと」

ロドミールは暫しエメラルドの髪を触れた後、「じゃ、また後でね」と言い残して、個室を出て行った。

――カシャン。

まだ続いている真昼時の鐘の音の中、エメラルドの耳は、聞き慣れない物音を捉えた。

(長持から、何かが落ちた……?)

エメラルドは野営ティーセットを片付けた後、長持の周りを調べ始めた。 物音の正体は、すぐに見つかった。ロドミールの落とし物だ――エメラルドは、それを拾い上げた。

神殿の一角にある『上級占術・匿名相談コーナー』の割当チケット――「未使用」。

割当チケットを眺めているうちに、エメラルドの脳内に、数年前の記憶がよみがえった。 交際期間が長くなり、そろそろ《宝珠》適合率を見てもらおうという事で、 当時はまだ下級魔法神官だったロドミールと一緒に、恋愛相談に行った時の記憶だ。

(確か、ロドミールとの《宝珠》適合率は50%――親友ラインだったけど、 じっくり考えて交際すれば、80%まで適合していく筈だから、大丈夫だろう、と言われたんだった……)

いずれにせよ「未使用」チケットだ。割り当てられた日時は、2週間後の午後の刻となっている。 倍率が高いから、入手するのは意外に大変な筈だ。 ロドミールの物か、ロドミールに預けた他人の物かはともかく、「大事な忘れ物ですよ」という一報は入れておくべきだろう。

――それに……と、エメラルドは思案した。リハビリがてら、その辺を歩き回れるのだ。 エメラルドの脳内には、セレンディと赤ちゃんドラゴンのファレル君の顔が思い浮かんだのであった。

3-5親と子と身の上話と

エメラルドは長持の中を改めた。

普段から武官服を身に着けていたから、街着は少ない。 衣服収納スペースの一番底には、高級レストランでのデートのための華やかなドレスを仕舞い込んである。 もう季節が違うから、今回の褒賞金を使ってドレスを新調するのも良いかも知れない。

エメラルドはVネックの患者服から街着に着替えた。 よそ行き用の襟の高いグレーベージュ色のチュニックに緑褐色のズボンという、アッサリとした格好だ。 ちなみに、梯子を上り下りしたり、転移魔法陣からの突風に吹き上げられたり、といった事が多いので、 男女の別なくパンツスタイルが基本で、様々な重ね着でお洒落するのが普通である。

エメラルドは、いつものように魔法の杖を携えて個室を出た。

医療院の一角に、通信室として特に仕切られた長い部屋があり、そこには、長い机に乗せられた遠隔通信セットが20セット並ぶ。

遠隔通信セット――腕一杯に抱えるくらいの大きさの正六面体だ。かなり大振りな装置と言って良く、その中の空間には、 素人には良く分からない、遠隔通信のための複雑なシステムが収まっているのだ。

正六面体をグルリと巡る四つの面は《四大》に応じた四色で塗り分けられており、上下の面はペリドット色。 六つの面全てに、《風》のシンボルを各所に使った銀白色の特殊な魔法陣がセットされているのが、光の反射でキラキラして見える。下の面は見えないが。

正六面体の上には、正六面体と同じくらいの大きさの、大天球儀(アストラルシア)を縮小したような球体細工が乗っている。 これが遠隔通信のためのアンテナであり、魔法の杖でつついて接続先につなぎ、コールする事が出来るのだ。

遠隔通信セットを魔法の杖で起動し、神殿の持ち場に戻ったであろうロドミール宛に、先方の執務室にもある筈の遠隔通信装置にコールを飛ばしてみるが、 意外な事に「不通」である。そのままコールを続けていると、同じ持ち場に居るロドミールの同僚が返信して来た。

『――《水》のロドミール殿は現在、遠方出張中。帰還次第、一報入れます』

確か、ロドミールは、「用件」と言っていなかったか。それに、「また後でね」とも。 それが遠方出張に変わったのだろうか――

エメラルドは幾何学的工芸品めいた球体のアンテナを眺めているうちに、微かな違和感を覚えた。 しかし、武官が急に出向先を変える事は普通にあったし(エメラルドがバーサーク捕獲作戦に急行したのも同じ理屈だ)、 上級魔法神官もそんな物なのだろうと納得する事にした。

*****

エメラルドは、セレンディとファレルが入っている個室を訪れた。

セレンディとファレルが入っている個室は、エメラルドが入っている個室とは余り離れていないが、 エメラルドの個室とは違って、竜体解除の魔法陣が床一面に描かれて稼働中である。 上級魔法神官が手を入れたのであろう、不可視ではあるが、バーサーク化した場合に反応する数種類の《監視》魔法が掛かっている――と言う気配も感じられた。

エメラルドより早く回復していたセレンディは、流石に街着姿である。 基本のパンツスタイルは医療院から提供されている品だが、 その上にセレンディ自身の好みであるらしい、カラシ色の型染めの入った、ゆったりとした淡灰色のロングシャツをまとっている。 医療院の中には衣類など生活雑貨を扱う店舗が入っており、一通りの物は揃うようになっているのだ。

赤ちゃんドラゴンのファレル君は、孵化直後より一回り成長していた。 エメラルドが医療院付属のお店で買って来た、オモチャの蹴鞠を気に入った様子で、セットで付いて来たゴール用の網ポケットの中に鞠を蹴り入れようと奮闘し始めた。

個室に備え付けられたささやかなテーブルで、少し遅めのランチを取りつつ、エメラルドとセレンディは、積もる話に興じた。 最近の話題が尽きると、自然に出自や来歴の話になるものである。

「エメラルドは何処の出身なの? 髪に色ムラがあるから、エーテルの季節変動の大きい地域……辺境の出身っぽい印象があるけど」
「それが余りハッキリしなくて。私自身は、大陸公路の公路警備隊が詰めている転移基地の駐在所で育って――周りの大人がほぼ武官だったので、 自然に私も武官になったという感じで……」

不思議そうな顔をしたセレンディに、エメラルドは補足を付け加えた。

――元々エメラルドの両親は、数人規模の竜人隊商のメンバーだった――らしい。 「らしい」と言うのは、両親が誰なのかハッキリしないからだ。

エメラルドの両親が働いていたと思しき、その竜人隊商は、大陸公路の難所で、魔物の大群に襲われて全滅している。 救難信号を受けた最寄りの公路警備隊が到着した時には既に遅く、ほぼ全員が海綿状の魔物に徹底的に消化された後で、 鱗の藻屑と化していた。そして、クラウン・トカゲの優秀な鼻が、 石ころに紛れて転がっていた竜人の白い卵――中には、エメラルドが居た訳だが――を発見したのだ。

セレンディは思案深げに相槌を打ち、改めてエメラルドの顔にじっと見入って来た。

「父親か母親のどちらかが……ロゼワイン色の目をしていたかも知れないわね」
「……?」

セレンディは薄い金色の目に笑みを浮かべた。

「目の色は、両親の色を受け継ぐパターンが多いから。 エメラルドに名付け親を頼んで良かったわ。あのね、そのロゼワイン色、私の夫と似たような色合いなのよ。 エメラルドの目の方が、少し青みがあって紫っぽいけど」

――成る程。直感にも理由があった訳だ。エメラルドは少し納得したのであった。

セレンディは未亡人だ――と言うよりは、未亡人になって間も無いのだ。 夫は《火霊相》生まれの竜人で、近くの街区で魔法道具のオーダーメイドを手掛ける魔法職人(アルチザン)であったが、 前回の『バーサーク危険日』の折、バーサーク空爆に巻き込まれて横死したと言う。

「ここ最近、バーサーク竜が関わる災厄が不自然に増えているでしょう。ラエリアン卿が仕掛けてるのも勿論あるけど、それだけでは説明が付かない。 王宮関係者の中では、かなり多くの人が神殿に疑いを抱いているの」

セレンディは続けて、王宮側で急速に広がっている『疑惑』を説明した。

前回と前々回の『バーサーク危険日』の際は余りにも被害の拡大が早く、死亡者数が急増していた。 火の回りの不自然な早さ、城壁の不自然な弱体化、魔物がパワーアップして乱入して来るタイミング――神殿側が、 何らかの未知の魔法を発動して、不自然な後押しをしているのでは無いかと疑えるレベルだったと言う。

エメラルドは愕然とするばかりだった。神殿側でも大変な思いをしてバーサーク竜を鎮圧していたが、 王宮側の方で、それ程に不自然な事態が起きていたとは思わなかったのだ。

不審に思った魔法使いが、《神祇占術》の心得のあるメンバーから成る特別調査チームを作り、 被害の大きかった街区一帯の住民の《宿命図》を調べた。 その結果、不自然なまでの《死兆星(トゥード)》の一斉同時多発の痕跡が確認できたと言う。

ちなみに、セレンディの夫の《宿命図》にも、一斉同時多発のタイミングで《死兆星(トゥード)》の相がスタンプされていた。

――1回目の一斉同時多発《死兆星(トゥード)》の相は、王宮エリアの直下、二階層下の街区の一角を中心に広がっていた。

――2回目の一斉同時多発《死兆星(トゥード)》の相は、 王宮エリア攻略ルート上にある一階層下の街区メインストリートの中央広場を中心に広がっていた。

1回目の《死兆星(トゥード)》爆心地は偶然だろう。2回目の《死兆星(トゥード)》爆心地も、ギリギリ偶然かも知れない。 それでも、爆心地が王宮エリアに接近して来ている――その不気味な事実は、竜王の顔を青ざめさせ、 王宮関係者に抜きがたい疑惑と危機感を抱かせるには、充分すぎる要素だった。

――ラエリアン卿いわく。

――神殿は、腐敗しきっている。今や神殿のトップ層は、『バーサーク化魔法(仮)』どころか、 更に上を行く禁断のエーテル魔法『死の呪い(仮)』に手を染め、何度殺しても飽き足らないレベルの罪を重ねている。 かくなる上は、もはや容赦なく、大神官長から大神官から、下級魔法神官に至るまで、全員を誅殺すべし!――

エメラルドは、言うべき言葉が見つからなかった。エメラルドは無言のまま、眉根を寄せ、 何か反証になるような物はあっただろうか――と思案を巡らせる他に無かった。

セレンディは、足元にポンポンと転がって来た蹴鞠をヒョイと止めた。 蹴鞠を追ってトテトテと走って来た、淡いオリーブ・グリーン色の赤ちゃんドラゴンを抱き上げると、膝の上に乗せて撫で回す。 ファレルは母親の膝の上で気持ち良くなったのか、つぶらな金色の目をウットリと閉じて「クルクル」と喉を鳴らし始めた。

「戦争って良くないわね。武官として生計を立てて来た身で言うのも、アレだけど。 あのように激昂して怒鳴っていたラエリアン卿の方が、 実際のバーサーク竜よりも余程、本物のバーサーク竜みたいに見えたわ」

セレンディは長く深い溜息を付くと、エメラルドの方を振り向いて苦笑いを漏らした。

「――真実のためというよりは、証拠の無い疑惑や、証明できない迷信のために、人は争うものなのかも知れないわね」

*****

その後、エメラルドは暫く、赤ちゃんドラゴンの蹴鞠の遊び相手を務めた。 遊び疲れたファレルがお昼寝を始めたのを確認した後、エメラルドは暇乞いをする事にした。

セレンディは「今日は有難う」と言い、続けて思い出したように言葉を続けた。

「明日、エメラルドが良ければ是非、また来て頂きたいの。 この子の《宿命図》の判定結果が出る日なんだけど――それに、国籍も出来るけど――1人では心もとなくて。 それに、私の相棒の様子も気になるし。『エメラルドの付き添いがある』という事であれば、 クラウン・トカゲの厩舎までなら散歩できるという許可を頂いたから」

エメラルドは「そういう事なら」と快諾した。エメラルドにしても、自分の相棒がどうしているかは気になる所であった。

3-6朝の応接室にて

翌日の午前の半ばの刻――

エメラルドは、セレンディとファレルの個室を訪れる前に、念のため、再び医療院の通信室に入り、ロドミールに連絡を取ってみた。 しかし昨日と同じように、ロドミールの同僚が余りハッキリしない返答を寄越して来た。

いずれにしてもロドミールの不在が続いているらしい。

問題の忘れ物――『上級占術・匿名相談コーナー』のチケットには使用期限があるが、まだ2週間先(今日の時点で、1日減ったが……)というタイミングだ。 使用期限が来る前までに連絡が取れれば良いのだから、余り急がなくても良い。

そもそも上級魔法神官ほどの魔法能力を持たないエメラルドは、ロドミール本人の魔法の杖へ向けての、直通メッセージを送る事は出来ないのだ。

通信セットを使わずに直通メッセージを送るには、本人の位置が『位置情報魔法』で精密に割り出せていなければならないし、その上、 『機密会議の途中』だとしたら、メッセージを送れるどころでは無い。

エメラルドは気を取り直し、セレンディとファレルの居る個室へと足を向けた。

クラウン・トカゲの厩舎を回るという事も考えて、いつものように髪留めで髪型をまとめ、野外用のざっくりとした羽織も準備してある。

*****

昨日のように、エメラルドが赤ちゃんドラゴンの蹴鞠の遊び相手を務めているうちに、約束の時間になった。

セレンディが訪問者のノック音に応じて扉を開けると、そこには、いつかの上級魔法神官と下級魔法神官が居た。

――《火》のライアス神官と、その若き弟子の、《風》のエルメス神官だ。

赤ちゃんドラゴンのファレル君が早速、小さな赤い翼をパタパタさせてライアス神官とエルメス神官に駆け寄り、 握手よろしく差し出された手に順番に鼻をすり付けて、愛嬌を振りまいた。 エメラルドに対しても物怖じは全くしていなかったし、なかなか人懐っこい男の子のようである。

プライベートに属する事なので、専用の応接室で話をしましょう――との事で、 エメラルドを含む一行はセレンディの個室を出て、医療院の中にある別室――天球儀の形をした常灯のある応接室に入った。

応接室の中心に円卓があり、台座の上に乗せられた小ぶりな天球儀が、ボンヤリと光っていた。片手に載る水晶玉ていどの大きさだ。 大人4人が、円卓の周りに並ぶ椅子に腰かける。

赤ちゃんドラゴンのファレル君はセレンディの膝の上にお座りである。 初めて見る卓上の天球儀に大いなる関心を抱いた様子で、円卓の上に身を乗り出し、つぶらな金色の目を見張って、そのゆっくりとした回転をジッと眺め始めた。

ライアス神官が口を開く。

「セレンディ殿、ファレル君の《宿命図》を元にした身元証明書が出来たので、まずそれを渡しましょう。 これで、竜王国の国籍を持つ者としての、全ての扱いが受けられるようになる」

セレンディはお礼を言って、ファレルの身元証明書を受け取った。 濃いペリドット色をした特殊な正方形のカードに、《宿命図》ホログラムが描かれてある。 《火霊相》生まれを暗示するかの如く、赤い色の多さが目立っていた。

セレンディは魔法の杖で身元証明書をつつき、ブレスレットの形にしてファレルの手首に巻いた。 本来の身元証明となる『魔法署名』が出来ない幼体のうちは、こうして身元証明書を『魔法署名』代わりに身に着けておくのだ。 迷子カードにもなる。

赤ちゃんドラゴンは不思議そうに首を傾げて、新しく装着されたペリドット色のブレスレットをクルクルと回し出した。

ライアス神官は、穏やかなワインレッド色の目で赤ちゃんドラゴンを眺めた後、再びセレンディの顔を見て、更に言葉を続けた。

「我々が解読したところ、ファレル君の《宿命図》には《争乱星(ノワーズ)》は見られなかった。 たまに遺伝する事があるのだが、ファレル君は両親の特徴を上手に受け継いだようだ」

セレンディは両手で口元を覆い、ホッとしたかのように大きく息を付いた。今まで、緊張で呼吸を止めていたのは明らかだった。

「――良かった……!」

他人事ではあるが、エメラルドも同じ思いだ。

凶相とされる相にも種類があるが、特に大凶星とされるだけあって、《争乱星(ノワーズ)》持ちは色々と苦労が多い。 バーサーク化しやすい性質は、ほとんど天災のような物だ。竜人という種族全体としても、そのリスクをコントロールし切れているとは、まだまだ言えない状態である。

エルメス神官が補足説明をする。

「成体脱皮までの間に星々の相が成長するので、今の時点では確定的な事は言えませんけど、神官や魔法使いに向く感じですね。 いずれにしても、色々な事を経験させてやって下さい」

赤ちゃんドラゴンは、エルメス神官が持っている半透明のプレートに興味津々で鼻を近付けた。 エルメス神官は上手にいなし、ファレル君をボールのように丸めて転がす。ファレル君は新しい楽しみを発見し、キャッキャッとはしゃぎ出した。

セレンディが、その様子を意外そうに眺めた。

「エルメス殿は若いのに、幼体の扱いに慣れてますね?」
「えぇまぁ、師匠の小さなお嬢さんに、随分と鍛えられましたから……」

ライアス神官が困惑顔をして、弟子の頭を軽くはたいた。

――そう言えば。エメラルドは、ふと思いついた。

「普通は手の平から《宿命図》を透視するみたいですけど、竜体状態でも透視できるんですか?」

その質問に答えたのは、ライアス神官だ。

「基本的には、手の平でも何処でも読める。手の平は《宿命図》の情報が密集している場所だから、透視するのに便利でね。 出生時の《宿命図》は翼から読み取る事になっている――成体でも翼から読む事は出来るが、手の平に比べると面積が大きくなるから、やはり時間が掛かるな」

――成る程。魔法でも、或る程度は物理条件に左右される訳だ。もしくは、身辺サイズのレベルでは、古典的な物理条件の方が支配的と言うべきか。

エメラルドは、ロドミールに『上級占術』の一種だと言う「健康運の強化」を施された事を思い出した。

「健康運や恋愛運、金運を動かす時も、手の平を通して『上級占術』というのを施すんですか?」
「そうだ。読み取りより格段に難しい――高度治療のレベルになるから、出来る者は限られるが。 それに倫理といった面でも、微妙な要素を含んでいる。色々な影響を見極めた上で、それを施すかどうかを決める必要がある」

一区切りついたところで、エルメス神官が口を挟んだ。

「神殿の《盾神官》が、最高位の上級占術の使い手です。 神殿の守護《四大イージス》――特に《風の盾》は、《死兆星(トゥード)》のような予期せぬ凶星の接近をも跳ね返すのですよ」
「それが、ラエリアン卿の怒りと疑惑を、尚更にかき立てている訳ですね……」

セレンディは複雑な顔をして微笑んだ。

「現在は、珍しく《風の盾》が揃っているそうですね。その人の名前は確か――」

――《風》のエレニス・シルフ・イージス。

神殿に属する神官は多く、何がしかの称号を持つ神官も少なくないが――イージス称号を持つ《盾神官》は、《四大》に応じた4人しか居ない。 その4人のうちのトップだ。

誰が《盾神官》なのかは神殿の最高機密であり、4人の《盾神官》の顔を知る者は限られている。 特に、《風の盾》の顔を公に知るのは《風》の大神官長なのだが、《風》の大神官長から最高機密を聞き出そう――という命知らずは居ない筈だ。

「そう言えば、エレニスとエルメスって、何だか名前が似てますよね」

エメラルドの投げた言葉に、エルメス神官は苦笑いして答えるのみだ。

「滅相も無いです、エメラルド隊士。名前が似てるだけの事ですよ。私が《風の盾》だったりしたら、今ここに、こうして居ないでしょう。 そもそも《盾神官》が神殿を取り巻く凶運を如何にして察知して弾いているのかは分からないんですが、我々とは異なる、本能的な予見能力とか、 超能力みたいなモノがあるんでしょうね」

目次に戻る

§総目次§
物語ノ岸辺物語ノ本流物語ノ時空物語ノ拾遺