深森の帝國§総目次 §物語ノ傍流 〉花の影を慕いて.第四章(小説版)

花の影を慕いて/第四章.レディ・アメジスト

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  1. クロフォード伯爵邸…舞踏会の前
  2. ローズ・パーク邸…めぐりこぞりて
  3. ローズ・パーク邸…ファイト円舞曲〔一〕
  4. ローズ・パーク邸…ファイト円舞曲〔二〕
  5. クロフォード伯爵邸…邂逅する謎〔一〕
  6. クロフォード伯爵邸…邂逅する謎〔二〕
  7. クロフォード伯爵邸…邂逅する謎〔三〕
  8. クロフォード伯爵邸…レディ・アメジスト

1.クロフォード伯爵邸…舞踏会の前

朝から上天気であった。いよいよローズ・パーク舞踏会の日である。

ルシールは夜なべしてせっせと黒服を縫い直し、朝食の時間も終わろうと言う頃、やっと完成に持って来れたのであった。 朝食後、マティがルシールの部屋に遊びに来て、ルシールの言う『これで何とか舞踏会仕様になった感じ』の黒服に感心していた。

首周りと袖周り、そして裾周りがパーツごとに縫い直されている。 黒服ではあるが、ヒラヒラ部分とフリル部分が増えただけ、何とかごまかせるであろうという風だ。

「こんな事もあろうかと、パーツ型にしておいて良かったわ」
「器用だね、ルシール」

マティは早速、アラシアの持ち物の中から失敬してきた、無地の白い手袋を手渡した。 スタッフ嬢としてでは無く、正式な招待客としての出席なので、舞踏会のための手袋が必要になっていたのだ。 幸い、ルシールはアラシアよりサイズが一回り小さく、手袋もごまかせると言う見込みが立った(胸も一回り小さいのは、さておき)。

「手袋をお借りする件では、ダレット嬢は怒らないのかしら?」
「あいつは気付かんぜ、新しいレースのド派手な手袋がマイブームでさ」

マティは自信タップリに保証した。そして、得意そうな表情を満面に浮かべると、大蛇のオモチャを操作し始める。

「何を隠そう、この大発明の蛇の皮だって、以前アラシアが気に入らんって放り出した布で出来てるんだ。 極東の島国だったら『ツクモガミ』に化けて出て来るところだよ。 それをこうしてな……、マティ様ったら、慈悲深いじゃんか」

いつの間にか、何やら改善が施されたらしく、前より動作パターンが増えている。実に本物の蛇そっくりの動きなのであった。

ルシールは苦笑しつつ、「そうなの?」と返すのみである。

*****

朝食後のお茶の時間。

ルシールとマティもお茶に呼ばれて、館の大広間を訪問した。

手持ちの服の都合が付かず、ルシールは庭園作業用の格好である。

「お早うございます、ライト嬢」

大広間に居たカーター氏が気付き、ルシールに声を掛けて来た。 昨夜は、カーター氏もクロフォード伯爵邸で割り振られた部屋に宿泊していたのだ。

カーター氏に挨拶を返したルシールは、次に、見慣れない紳士がお茶をしている事に気付いた。 背丈はキアランと同じくらいだが、赤毛の優男といった、親しみやすい雰囲気だ。 赤毛の紳士の方も、不思議そうにルシールを眺めている。

カーター氏が二人の間に入り、ルシールにライナスを紹介した。

「地元の紳士で、傍系親族の一人、ライナス氏です。ダレット家の親しい友人と言う事です」

次いでそこに近付いて来たキアランが、紹介の続きを受け持った。

「ライナス氏、この女性はルシール・ライト嬢です。カーター氏が担当する案件に関して、当分の間、この館に滞在する予定です」

ライナスとルシールは、改めて丁重に一礼し合った。

マティが、ライナスを見るなりパッと思い当たった様子で口を開いた。

「思い出した! カニング氏の隣の隣の隣の詩人の息子!」

トッド家とカニング家は隣人同士であり、それ故の共通の知人も多かったのだ。

ライナスは、挨拶を交わした後も、ルシールの庭園作業用の男服を不思議そうに眺めていた。

「何故にそんな奇妙な格好を?」
「いささか訳がありまして……」
「ワイルド先生が往診に来るしねッ」

マティは、子供の特権を大いに活用していた。ルシールにピッタリくっついたまま離れない。

と言う訳でライナスは、ルシールとの会話の機会を、見事に逃してしまっていた。

カーター氏とルシールは、慎ましく衝立の傍らに寄ると、ローズ・パーク案件に関する幾つかの確認事項について立ち話を始めた。 ライナスは興味深そうに、その様子を眺めている。

キアランは、ライナスの視線の先に何があるのか、鋭く察知していた――ライナスはルシールに注目していたのである。

ライナスは、髪の下に隠れたルシールの繊細な面差しに、明らかに気付いている。 ダレット家に利用されているように見えて、ライナスは決して鈍い男では無いらしい――

相談が一区切りついたところで、カーター氏は一旦、カバンを取りに部屋の衝立の向こう側へ行った。

――そう言えば、ダレット嬢が居ないわ。未成年のお嬢様がいらっしゃるから、ご両親もいらっしゃる筈だけど。

ルシールは怪訝に思いながらも、大広間に既に居る筈の三人を探し始めた。

「ダレット一家は……?」
「ダレット家は全員、朝寝坊。他人を死ぬほど待たせてから、偉そうに登場するんだぜ」

マティの解説を聞き、流石に絶句するルシールであった。

そうしているうちにも、カーター氏がカバンを持って戻り、ルシールに再び声を掛けた。

「私は事務所に戻りますが……アントン氏の私信の写しを取りましたので、原本を差し上げます」
「まあ、有難うございます……カーターさん」

ルシールは感激しながらも、慎ましく書状を受け取った。祖父アントン氏の自筆の文書だ。

傍で見聞きしていたマティは目を丸くした。早速、カーター氏に質問を投げる。

「アントン氏の私信って、何?」
「アントン氏は20年ほど前に、既に孫娘と会っていたと言う内容ですよ」

カーター氏は、子供にも分かるように、昨夜の会話の経緯を噛み砕いて説明した。 この件は、ローズ・パークのオーナーたちも一部を知っている状態であり、特に秘密でも何でも無いのである。

マティは、毎度の目から鼻に抜ける賢さで概要を理解し、更に素晴らしく端的に、要点を言ってのけた。

「……と言う事は、ルシール・パパは結局、不明なんだ」
「残念ながら」

マティの賢さに感心しつつ、カーター氏は律儀にうなづくのみである。

*****

カーター氏が館を退去した後、暫くの間、ルシール、マティ、キアラン、ライナスの四人で、会話が続いた。

そして正午も近付いて来た頃、やっとダレット一家が大広間にお出ましになったのであった。

「レオポルド殿、レディ・ダレット、ダレット嬢のお出ましです」

執事が慇懃な態度で大広間の扉を開ける。 すると、必然と言うべきか、贅沢な身なりの親子三人が、傲然と大広間の真ん中に歩を進めて来た。

ルシールとマティは、身分の高い人々の入室に合わせて礼儀正しく立ち上がった (ただし、マティは不真面目な態度で立ち上がった)。

しかし――ダレット一家は揃って、ルシールとマティの表敬を完全に無視した。 ライナスやキアランと挨拶しただけで、サッサと中央のソファに座を占めてしまったのであった。

まだ子供に過ぎないマティはともかく、ルシールを『その場に居ない者』として扱っている事は、目にも明らかだ。 ルシールは愕然とし、万事心得たマティが袖を引いて『オイラの隣に座ってよ』とおねだりするまで、 着座のタイミングが読めず、立ち尽くすのみだった。

ダレット一家は、意図的に、 ルシールを立たせたまま放置していたのである――ルシールが怪我人であるにも関わらず。

キアランは、前から気に掛かっていた事もあって、特にレオポルドの反応に注目していた。 その甲斐あって、レオポルドの奇妙な表情の変化に気付いたのである。

レオポルドはルシールを初めて見るなり、わずかとは言え、顔色を変えていたのだ。 それは、ローズ・パークの初代オーナーたちが、ルシールの中にアイリスの面影を見出した時と似た反応でもある。

――ふとした折の、挙動不審。

どうやら、レオポルドはルシールの母親についての記憶はあるらしい。 それは、後ろ暗い可能性を暗示するだけに、結果への満足と共に、更なる悩みをもキアランにもたらしたのである。

アラシアとライナスは、ルシールやマティの事など忘れたかのように、若者ならではの陽気なふざけ合いを始めた。 それはすぐに、度を越えたイチャイチャぶりに発展していった。

「おお、この世に類無く輝く髪の女神、レディ・アラシア!」

ライナスは歯が浮くような賛辞を並べ立てている。詩人の息子だけあって、言葉遣いは達者なものだ。 アラシアは、そのきらびやかな賛辞の列挙を、当然のように受け止めていた。 賛辞が熱烈になればなる程、アラシアは上機嫌な様子だ。

「今宵のローズ・パーク舞踏会で、高貴な令嬢をエスコート致す以上の光栄は考えられず……」

マティが、ライナスの言葉の意味に、いち早く気付いた。 マティは、それまで退屈そうにもたれていたソファからパッと身を起こすと、素早く口を挟んだ。

「ライナスがアラシアをエスコートするの?」
「何を分かりきった事を!」

中央のソファに鎮座したダレット夫人が小バカにするように答えたが、マティも慣れているのか、それには取り合わなかった。

「それじゃ、ルシールはキアランがエスコートできるね」
「今、何と言ったの!?」

アラシアはマティの指摘にギョッとし、顔色を変えていた。 アラシアのキンキン声に戸惑うばかりのルシールの横で、マティは、ノホホンとした様子で茶を一服している。 何と言うか、大物だ。

「ルシールも、ローズ・パーク舞踏会に行く事になってる」
「それは不可能よ! 第一、乞食も同然の……ドレス一着も持ってない筈よ!」
「誰かが燃やして、炭にしたからね」

マティは白々しい目付きで、チラとアラシアを見やった。

アラシアは急に、マティの話術に乗せられていた事に気付いた。 もう少しで、昨日の癇癪交じりの破壊行動の意図を、自分で白状するところだったのだ。 アラシアは、いっそう恐ろしい形相をして、マティを睨み付けた。

「身の程知らずの、クソの茶ネズミに、悪魔のガキが……!」

キアランが無言で自分の方を見ている事に気付いたアラシアは、急にコロッと態度を変えた。

「あたくしは何もしなかったわよ!」

その様子は、如何にも悲劇のヒロインと言った風だ。美しい声を震わせ、透き通るような青い目に涙を浮かべている。 完璧な金髪碧眼の美少女だけに、それは、世の男性たちが思わず哀れに思って構いたくなるような、あえかな雰囲気に満ちていた。

次の瞬間には、悲劇の美少女たるアラシアは、目に涙を一杯溜めながらもマティとルシールをビシッと指差し、 とっておきの美しく震える声で、非難と告発を重ねた。

「そっちの魔女とマティの方が怪しいでしょ! 前の復活祭の時の大犯罪は知ってるわよ!」

アラシアの叫び声は大広間の外まで響くほどの大きさであったが、ライナスは我関せずといった様子で大人しくしており、 控えの間でスタンバイしている筈のスタッフたちが動く気配も、全く無かった。

マティが以前に、『アラシアの性格は、みんな知ってる』と解説した通り、 皆が皆、アラシアの過激な発言傾向や癇癪気質を良く心得ていたのである――どのようなタイミングで緊急出動し、 緊急避難すべきかという事も。

ルシールは、キアランとアラシアの間にピリピリとした空気が張り詰めている事に気付いた。 大広間の中は、異様な雰囲気だ。 とりわけ、キアランとレオポルドとの間の緊張感が、重い。腹の底まで染み入って来るような重圧感に満ちている。

――これが、婚約中の会話かしら……? それとも、本物の気難しい貴族って、こういう物?

ルシールは隣に座っているマティに、そっと目をやった。マティはフンッと鼻を鳴らし、お茶を飲んでいる。 アラシアの告発を全く無視していたが、しかし、マティは飲んでいるふりをしているだけだった。

「親子で揃って、何で、ああいう認識なんだよ……ダレット家全員の頭を割って、中身を調べたいもんだ」

カップで半ば顔を隠しつつ、マティは辛辣な口調でささやいていたのであった。やはり大物だ。

ダレット夫人は、汚い物でも見るかのようにルシールをジロジロと眺め回していた。 ダレット夫人は如何にも迷惑そうな様子で、贅沢なハンカチを口元でヒラヒラさせる。

――どうせ下賤な女、このサインの意味は理解できていないに違いない――

しかし、貴婦人のサインを熟知していたルシールは、その意味を既に読み取っていた。

『さっさと出て行け』

庭園作業着という格好であっても、貴婦人の振舞いをするのにやぶさかでは無い。 だが、ルシールには、ドクター・ワイルドの往診を受けるという約束があるのだ。 人との約束は、面子を保つためだけの各種マナーよりも、優先されるべき事項である。 ルシールは素早く考えた末、マティにならって無反応を通した。

ルシールの無反応に味を占めたダレット夫人は、鼻高々になった。 ルシールを上流社交界のマナーに無知な者と見て、バカにし始める。

この程度のサインは基礎知識に属するものであり、上流社交界のマナーを熟知していないと、 貴族の館に勤めるスタッフになる事も出来ない。 無言のサインに気付かなければ、教育の都合上、口で言って分からせるのが常道だ。

「その格好! ボロボロの顔を下げてシャアシャアと出て来れるなんて、 流石に卑しい階級だわねえ……鏡を見て反省しなさいよ! それに、 あなた年は幾つかしら? 後見人も居ないとはね……格式ある社交界では、 年齢制限があるって知らなかったのかしらね?」
「――今年、25歳になります」

ルシールは戸惑いつつも、礼儀正しく答えた。

「ええッ!?」

驚きの声を上げたのは、アラシアだ。ライナスも仰天している。

庭園作業着をまとい、ほとんどスッピン状態のルシールは、 どう見ても、社交界に出るにはギリギリの、若過ぎる年頃にしか見えないのだ。 顔の引っかき傷が残っている状態という事もあり、マティと並ぶと、 お互いにそれほど年の離れていないイタズラ姉弟と言った風である。

社交界では、年齢条件を充たさない程に若すぎる女性が出た場合、早過ぎるという事で、 『ふしだら女』と見られやすい――ちなみに、『父親不明』という条件もあると、余計にそう見られやすい。

驚いたのは、ダレット一家とライナスだけでは無かった。マティも愕然とした様子で、ルシールの顔を見直していた。 思わず手を伸ばして、ルシールの少女のような滑らかな頬を、ふにふにとつねり始める。

「ウソ……絶対、15歳は越えて無いと思った……」

自分は一体何歳に見られているのかと、ルシールは苦笑いするしか無い。

そこへ、執事に案内されてドクター・ワイルドが現れた。

「失礼するよ、患者さんがこちらだと聞いたんだ」

アラシアは、急にライナスを放って身を返すと、猛烈な勢いでドクターに身体の不調を訴え始めた。

「先生! あたくし、ものすごく気分悪いんですの! 震えが止まらなくって、食欲も全く無くって、 頭がガンガンして……、動悸も乱れたままで、夜も眠れませんの! あたくし、 今にも死ぬんですわ! 全部、あの呪われた顔面の、地獄から現れたような恐ろしい傷だらけの、卑しい魔女のせいで――」

マティは目を丸くした。

「すげえ! あの長大なセリフを、息継ぎなしで!」

一方的にアラシアの不健康の責任をなすり付けられたルシールも、絶句するばかりだ。

アラシアの気性を隅々まで熟知しているドクターは、慌てず騒がず、処方箋を書き出した。

「舞踏会が、一番の特効薬ですな」

冗談そのものの処方箋をアラシアに手渡すと、ドクターは大広間の窓際の席に陣取り、ルシールを招いた。 窓際の席で、ルシールの怪我の診察が手際よく進む。

ドクター・ワイルドはクロフォード伯爵の主治医であり、その社会的地位は非常に高い。 名医としての評判も高く、過去にはダレット一家もお世話になっている程だ。 流石のダレット一家も沈黙し、往診の様子を見物しているばかりである。

ドクターはルシールの脈をとり、ルシールが既にピンピンしている事に感心した。

「アントン氏に似て石頭だね」

ドクターは手慣れた動きで、ルシールの頭の包帯を解いていった。 やがてドクターは、ルシールの頭に出来た新しいコブを眺めると、不思議そうな顔になった。

「包帯は外しても良いが……何で、新しい打撲が出来とるんだ?」
「昨日、街を歩いて柱に打ち付けて……」

ルシールは顔を赤らめて、頭に手をやった。ドクターは面白そうにニヤリと笑った。

「そりゃまた痛かった筈だ……前方注意はしときなさい、お嬢さんや」

次にドクターはルシールの歩行の姿勢をチェックし、姿勢の崩れに目ざとく気付いた。

「変に力が入って姿勢が崩れとる……この辺の痛みは残っておる訳じゃな」

ドクターはテキパキとルシールのカルテを作成した。 記録作業が一区切りつくと、ドクターは、今後の身体の扱いについて、ルシールに注意を与えた。

「今夜は舞踏会だそうだが、急に腰をねじらんように。 馬に蹴られた際の脇腹に食らった衝撃は、結構深部に到達しとるから」
「分かりました」

アラシアは、自分を中心に世界が回って居ないと満足しないと言う性質だ。 従って、ルシールの方が注目を集めているというこの状況は、アラシアにとっては、とりわけ『あってはならない事』だった。

アラシアは、その美しい青い目に険しい光を浮かべ、 明らかにドクターやマティ、キアランの関心の的となっているルシールを、視線で殺さんばかりに睨み続けていた。

マティは小さな身体を精一杯テーブルに乗り出すと、早速ドクターに質問を投げ始めた。

「ねぇヒゲ先生、ルシールは25歳だと言うけどさ、そう見えないよ」
「イッヒヒ……お肌が綺麗じゃからな……節度のある生活のお蔭じゃろう」

マティに調子を合わせて、愉快そうにうんちくを返すドクターである。 ドクターは『往診終了』と言う風に、ルシールにうなづいて見せると、おもむろに服を整えた。

「さて、次は閣下とクレイグ殿の往診だな……失礼」

再び執事が扉を開き、ドクターは勝手知ったる大広間を退出して行ったのであった。

――何はともあれ、ダレット夫人の沈黙のサインに応じられるようになった。

ルシールは、アラシアの刺々しい眼差しに戸惑いながらも、 「縫い物がまだあるので」とキアランに告げて、速やかに大広間を退出した。 マティも、『ダレット一家の近くには一秒たりとも居たくない』と言った風に、ルシールにくっついて出て行く。

大広間には、キアランとダレット一家とライナスが残る形となっていたが、 キアランとレオポルドとの間の緊張は、一瞬たりとも和らぐ事は無かった。

「ローズ・パークまで相当距離があるので、昨日より早めに出発の予定です。 いつものように、大型馬車を用意させておきます」

キアランは、ダレット一家に必要事項だけ告げると、静かに大広間を退出した。

大広間の扉が閉まるが早いか、レオポルドは盛大に鼻を鳴らした。

「フン! 流石に、あの忌々しい男の血筋という訳だ」

ダレット夫人は、辛辣な口調でルシールを貶めていた。

「あの下賤な女もローズ・パークの招待客とはね! さぞ卑劣な手練手管を使ったんでしょうよ!」

アラシアは、目障りなルシールが消えてせいせいした、と言わんばかりに上機嫌でソファに座り直した。 何時間も掛けてセットした豪華な髪型をいじくり回す。

「25歳ですって、あの茶ネズミ……言うなればチビのオールド・ミスって……笑っちゃうわ!」

しかし、ダレット夫人は何を思ったか、不意に厳しい顔をしてアラシアに向き直った。

「アラシア! すぐにエステを呼び寄せるから……今後、夜更かしとタバコは、厳禁よ!」

ライナスの存在は、哀れにも、すっかり忘れられていたのであった。

*****

ローズ・パーク舞踏会への出発時間が迫っていた。

だが、ルシールは、まだ部屋の中に居た。 新しく据え付けられた鏡台の前で、飾り気の無い格好を何とかしようと思いあぐねていたのである。

ルシールにくっついて部屋まで入って来ていたマティが、やがて身を乗り出すと、アドバイスを始める。

「そのブローチ、髪飾りにすると良い感じだよ」

マティはルシールからリボンを受け取ると、早速、リボンをルシールの頭に巻き付け始めた。

「工作なら得意だから……」

シンプルなアップスタイルにまとめられたルシールの髪型に、 リボンがヘアバンドのように巻かれ、側頭部でシッカリした結び目を作った。 そこに、髪飾りに見立てたアメジストのブローチが取り付けられる。繊細で軽いデザインなので、ずり落ちないのだ。

成る程、それなりに舞踏会仕様にまとまっている。マティの多彩な才能に、ルシールは感心するばかりだ。

「マティって、スタイリスト、成功するかも」
「そう? オイラは大発明家になる予定だけどねッ」

*****

いささかの手荷物を準備し、ルシールは外套をまとって玄関広間で待機した。 すると間も無く、シンプルな正装に身を包んだキアランが現れ、最後の仕上げの手袋をしながら、声を掛けて来た。

「時間は正確なんですね」

目をパチクリさせるルシールに、キアランはエスコートのための腕を差し出した。

ルシールは一瞬、差し出された腕の意味が分からず、戸惑った。 エスコートの対象が、まさか自分だとは思っていなかったのである。

2.ローズ・パーク邸…めぐりこぞりて

遅い昼下がりの頃、クロフォード伯爵邸の正面玄関の前。

そこには既に、ローズ・パーク行きの馬車が用意されている。 二頭立ての軽快そうな黒塗りの馬車と、四頭立ての金縁の豪華な大型馬車だ――いずれの車体にも、 クロフォード伯爵家の堂々たる紋章が刻まれている。

キアランはルシールを、二頭立ての馬車の前までエスコートして行った。 昨日と同じ若い御者が既に御者席に待機しており、万事心得た様子で会釈して来る。 キアランがそれに応え、うなづいて見せた。

「ダレット一家とライナス氏は、何処にいらっしゃるんですか?」
「ダレット一家は身支度が長くていつも遅刻する。ライナス氏に任せてあるし、放って置いて大丈夫です」

ルシールはこの場に居ない人々の事を気にしていたが、 キアランはダレット一家に対して、あっさりと言うよりも、むしろ素っ気無い様子だ。

キアランはルシールを馬車の中にヒョイと上げると、 四頭立ての大型馬車を担当する御者と従者に、『よろしく頼む』と言う風に会釈した。

四頭立ての金縁の大型馬車を担当するのは、壮年の見目の良い御者と従者である。 いずれも、気難しいダレット一家に上手に対応でき、頼りになるベテランたちだ。 揃いの仕立ての制服は華やかな物であったが、肝心の御者と従者は、キアランに会釈を返しながらも、 まるで罰ゲームか羞恥プレイの順番に当たったかのように、ゲッソリとした様子であった。

*****

ローズ・パークへ急ぐ馬車の中、ルシールは、いよいよ濃厚な疑いを持ち始めた。

キアランの、アラシアに対する冷淡な無関心ぶりとよそよそしい態度は、明らかに婚約者に対する態度では無い。 ダレット夫妻の刺々しさについては、気難しい貴族も多いと聞くから、 致し方無いとしても――婚約者たる二人の間に流れていたピリピリとした空気は、最初は見間違いかと思ったくらいだ。

――最大のミステリーは、『婚約者たるアラシア・ダレット嬢』と、『友人とは言えライナス氏』との、 『度を越えたイチャイチャぶり』を見せ付けられて、リドゲート卿が、それでも、なお冷静だという事だわ。

昼下がりから夕方に移っていたが、夏至が近付いている事もあり、まだ明るい。長い薄暮の道を行く馬車である。

やがて、キアランとルシールの乗った二頭立ての馬車の後ろから、 四頭立ての大型馬車が、土埃と大音響を立てながら近付いて来た。金の縁のついた、あの豪華な大型馬車だ。

ルシールがビックリして窓越しに後方を眺める。 前部座席に座っていたキアランも同じように後方を確認し、険しく眉根を寄せた。

――馬車馬に過大な負担が掛かっている。あれでは、一時間もしないうちに馬が疲労で潰れてしまうだろう。

「ダレットの馬車が猛スピードで……外泊の荷物も積んでいるから、倍以上の重量の筈だが……」
「ありゃ正真正銘のストーカーですね。追突しますよ。あっちの御者に速度制限の合図を送っておきます」

流石に御者も困惑した様子で、連絡窓を通してボヤいて来たのであった。

*****

雲の多い夕方であり、馬車の中は急に暗くなっていった。

キアランは馬車の天井のランプを取ると、ルシールに手渡した。

「そろそろ車内灯を点けます。揺れるので持っていてくれますか」

ルシールが了解してランプを持つと、キアランは手元で火を起こした。 その火をランプに移し、再びルシールの方を見たキアランは、目を見張った。

「――目の色が……?」

長い前髪の間から見えるルシールの目は、アメジスト色をしている。

ルシールは、何故キアランが急に動きを止めたのか、すぐには分からなかった。 やがて手元のランプの光に気付き、ようやく目の色の変化に思い当たったという次第である。 ルシールは、おずおずとキアランの方を見やった。

「もしかして、目が紫色になってます?」
「ええ、アメジストのような……」

キアランは呆然とうなづいていたが、すぐにマティと同じ結論に辿りついた様子である。

「角度で変化するのか……光の反射?」

実感の無いルシールは、曖昧にうなづくのみだ。

「何だかそうみたいですね、マティの説明によれば……母と同じ目をしている……とは言われましたが」

ルシールが、相変わらず無言で驚いているキアランにランプを返す。 すると、いつもの習慣なのか、キアランの手が自然に動いた。ランプの光が天井に移動する。

ルシールの目は長い前髪の陰になって、また茶色に戻った。

「陰になると、いつもの茶色……成る程」

何かに納得したように、キアランは呟いていた。

そして次の瞬間、ルシールの顔は、力強い大きな両手で挟まれた。何が起こったのか分からず、息を呑むルシール。

何を思ったかキアランは、ルシールの顔をランプに向けさせたのである。 ルシールの前髪が脇に流れ、妖精のような繊細な面差しが露わになった。

「こうすると、ライラック色になるんですか」

キアランは少しずつルシールの顔を傾けて、その目の色の変化を観察し始めた。 ルシールは驚きの余り、目も口もパカッと開きっぱなしだ。

――近い! 顔が近すぎるわ!

ルシールの目は、光の当たり具合で、薄い紫色から濃い紫色に変化する。 ある特定の角度になると、その目の紫色は、宝石のような鮮やかさになった。

「ふーん……大体アメジストの色合いですね」

キアランは感心したように呟いた。いつもは冷淡な雰囲気のある黒い目は、興味津々といった風にきらめいている。 そうしていると、少年のようだ。流石にマティの親戚と言うべきなのか、未知に対する好奇心は、年は違えど似通っているらしい。

半ば動転しながらも、やっとのことで怒り始めるルシールである。

「人の顔で遊ばないで下さいッ!」
「失礼……」

名残惜し気に、やっと手を離した――と言う風のキアランであった。

キアランは座席に座り直すと、驚き覚めやらぬと言った眼差しでルシールを眺め始める。

「この紫色を、良く世間から隠しおおせたものですね」
「てっきり既に気付いてると思ってました。人の事をジロジロ見てらっしゃるし……」

流石にプリプリと怒りながら切り返すルシールである。キアランは首を振り、注視していた理由を説明した。

「それは、エドワードが追いかけているお嬢さんの親友だからですよ。 『その人物を見るには、その友人を見よ』と言いますから」
「アンジェラ!?」
「エドワードはアンジェラに惚れています」

ルシールは唖然とするばかりだ。 余りにも信じがたい(しかし信じられる気もする)話だ。やがて、文字通り頭を抱え出すルシールである。

「済みません、ちょっと頭が追いつかなくて」
「アンジェラのような女性を放っとく紳士が居るとは思えませんが……怪しげな縁結びしているくせに、 自身については想定外だったと言う訳ですか?」

キアランはキアランで、理由は分からないが、呆れ返っている様子だ。ルシールは思わず反論する。

「結婚を前提とする縁結びで、怪しいものではありませんわ。 それに大抵の紳士は、アンジェラ周辺の事情を理解した途端に、決まって退散してしまいますし」

キアランは、アシュコート舞踏会で最初に会った時の事を思い出したのか、納得した様子である。

「あの時、ロックウェル事件のゴシップを持ち出したのも、エドワードを退散させると言う目論見があった訳か……」

キアランは改めて、しげしげとルシールを眺め始めた。その眼差しは相変わらず鋭い物ではあったが、 感嘆している部分が大きいのか、余り威圧感を感じない。かえって、こんな表情もするのかと言う意外さがある。

「しかし、実に迂闊でした……あなたの事を、もっと調べる必要がある……」
「私は犯罪してません、お尋ね者と言われても困りますわ」

ルシールは何とも落ち着かない気分だ。その目は、光の反射で再びアメジスト色にきらめいている。

キアランは暫し注目した後、口元に、不意に微かな笑みを浮かべた。

「その意味で言ったのではありませんが」

――目はけぶるように細められ、口元は控えめなアルカイック・スマイル。ミステリアスな――

キアランの雰囲気が変わった事に気付き、ルシールはドキッとして目を見張る。

笑みは一瞬だった。 次の瞬間には、キアランは、いつものようにムッツリとした無表情で、馬車の窓の外を眺め始めたのである。

――先程の笑みは、何処かで見たような……

ルシールは、その確信の強さに戸惑った。しかし、暫く考えているうちに、パッと閃く物があった。 館の画廊に掲げられていた、あの肖像画だ。

――リドゲート卿の笑みは、グレンヴィル夫人ホリーの笑みに、良く似ているんだわ。

*****

馬車はローズ・パーク邸の正門の前に到着した。前庭ロータリーを回ってキアランとルシールを降ろすと、 他の招待客の馬車と共に駐車場へと引っ込んでいく。

キアランはルシールをエスコートしながら、ローズ・パーク邸の玄関広間に入って行った。 そこでは、ローズ・パークのオーナーの一人ケンプ氏が、多くの招待客たちに、順番に歓迎の言葉を掛けていた (警備上の都合もある。ギャング関係者が紛れ込んでいるのを発見次第、即座に連れ出す予定なのである)。

ルシールは、オリヴィアから贈られたと言うライラック色のショールをまとっている。 キアランは、ショールをまとったルシールの姿を眺めながら、 レディ・オリヴィアは実に油断のならない大した貴婦人だ――と思わずにはいられなかった。

オリヴィアが、ルシールの目の色が映える組み合わせを選んでいたのは、確実だった。 そして当のルシールは、目が紫色に変わる角度を全く意識しておらず、全くの無防備だ。

キアランにとっては、ある意味、ハラハラさせられる状況である。

人の流れに乗って、キアランとルシールが会場となっているローズ・パーク邸の大広間に入ると、 早速、カーティス夫妻が挨拶に出て来た。 毎度ながら、平凡な印象のカーティス氏に比べて、派手な印象のカーティス夫人の方が目立つカップルである。

カーティス夫人は中年世代の女性なのだが、 ハキハキとした陽気な話しぶりと快活な立ち居振る舞いは、彼女を実際の年齢よりも若々しく見せていた。 ややもすれば若作りに見えそうな大柄模様のある赤系統のドレスも、かえって似つかわしい。

「ようこそローズ・パーク舞踏会へ! オーナー協会の会員も全員揃っておりますの」
「舞踏会の招待を有難うございます、カーティス夫妻」

キアランはいつものように、丁重に一礼した。いつもと同じでは無いのは、ルシールをエスコートしている部分だ。

グリーヴ氏は会場支配人として別件で不在であり、 ふわわんとした印象の淡い茶色の巻き毛のグリーヴ夫人が、続いて挨拶をして来た。 年相応の、彩度を抑えたブルー系のドレスだ。 続いてウォード夫妻。グリーヴ夫人と同じように、彩度を抑えたブルー系でまとめている。 やがてケンプ氏が、オーナー協会の一団に加わって来た。 ケンプ氏は若いだけあって、明るい差し色を用いたファッションである。

ダレット一家は、やはりいつものように堂々と遅れて会場に入って来た。

レオポルドは、キアランとは別の一角、それも上座の方に場所を占めると、 オーナー協会の人々とキアランとが社交辞令を交わしている様子を、不機嫌そうに睨み付けた。

「まずはオーナー協会か? キアランは、こういう部分は堅物だな……フン!」

レオポルドが他にも何かブツブツとのたまっていると、廊下の方から、先に会場に到着していたらしいレナードが現れた。

「父上! この私の出入りの問題は、解決しましたか」
「まだだ……新しい問題が発生した。あの当て馬の女を何とかしてからで無いと、次に進めん」

華やかな舞踏会場の中、バラ模様が織り出された瀟洒な垂れ幕の陰で、 完璧な美貌を寄せ合いながらも、穏やかならぬヒソヒソ話をする金髪碧眼の父子である。

ダレット父子の視線の先には、オーナー協会の面々と談笑するキアランとルシールが居た。

ルシールの包帯は既に取れており、化粧も工夫したのか、顔の傷跡も目立たない。 マティの奮闘の甲斐もあって、シンプルな黒いドレスに合わせて頭にセットされた濃色のリボンには、 アメジストのバラの形の装飾が綺麗に映えている。いっちょまえに舞踏会の招待客と言った風だ。

キアランは、ルシールに合わせたかのようにシンプルなタイプの正装をしているため、 ルシールをエスコートしていても、自然にバランスが取れている (レオポルドやレナードのように華やかな正装をしていたら、チグハグなペアになっていただろう)。

レナードはフンと鼻を鳴らしながら、けだるそうに呟いた。

「馬に蹴られても死ななかったとは、流石、魔女ですね」

ダレット家の父と子がヒソヒソ話をしていると、垂れ幕の向こう側から、若い金髪の令嬢がこちらを注視しながら近付いて来た。

レオポルドは令嬢に気付き、威儀を正すと、重々しく威厳タップリの声を掛けた。

「おや……そちらは、オーナー協会のお出迎えかな?」

見知らぬ金髪碧眼の令嬢は、優雅に一礼して顔を上げた。

惚れ惚れする程のあでやかな美貌に、天使のような清らかな微笑み。均整の取れたスラリとした背丈。 外国風のドレスのラインが、キュッと絞られた細い腰を強調している。理想的なふくらみを持つ柔らかそうな胸。 そして、その悩殺的なまでに魅惑的なナイスバディに対して、 まとっている宝飾やドレスは、薄いクリーム系を基調とした、意外に上品で慎ましいデザインだ。 その所作も、あくまでも清楚である。

レナードが得意そうに令嬢の方に身体を傾け、物慣れた様子で人物紹介をした。

「実に美しいでしょう、此処のオーナー代表の姪御・シャイナ嬢は」
「カーティス夫妻の、自慢の姪か。アシュコートでは、息子が世話を掛けたようだな」
「ご存知でいらっしゃったとは、身に余る光栄でございますわ」

シャイナの出自は元々テンプルトンなのだが、昔の激しい町内ギャング抗争を避けて、両親ともども外国に移住していた。 叔父・叔母に当たるカーティス夫妻の度重なる招きに応じて、出席して来たと言う。 外国育ちを思わせるエキゾチックな発音は、正統派の貴婦人の発音とはまた異なる、別の神秘さと優雅さを醸し出していた。

「レナード様のご自慢の妹様は、今夜のお相手も素晴らしくていらっしゃいますね」

シャイナは雅やかそのものの微笑みを浮かべ、会場の一角を独占している若者たちの一団を見やり、ソツの無いお世辞を述べた。

噂のアラシアは、赤毛の優男・ライナスのエスコートを受けながらも、 いつものように、その輝くばかりの華麗な美貌で、会場の若い紳士たちの注目を一身に集めていた。

アラシアを、キアランとライナスに公然と競わせるつもりであったレオポルドは、 いささか当てが外れて、咳払いをするのみだった。

*****

会場の一角。

カーティス夫人は、ようやく陽気なお喋りを止め、今夜のダンスの順番について説明を始めた。

「オーナー協会の親交のために、最初は代表とペアを組み……、あッ、今夜はリドゲート卿がいらしたんだわ」

脇に立つカーティス氏も、ウッカリしたと言う様子で、会場を見回しながら口を挟んだ。

「シャイナは何処だい? 一緒に来た筈だが……」
「困ったわねえ、あの子ったら……リドゲート卿のお相手を務める筈だったのに……」

傍に居たグリーヴ夫人は、ふわふわした淡い茶色の巻き毛を揺らしながら彼方此方を振り返っていたが、 やがて思い当たったと言う様子で、会場の別の一角を曖昧に示した。

「あなたの姪御さんなら、ダレット一家が先程いらしたから、接待に出て行った筈ですよ。 毎度ながら贅沢な装いのご一家で……今回はストリート・ショッピングとかで、この辺りに外泊のお話もあるみたい」
「まあ! まあ! そうだったわッ、レナード様に気に入られて……」

カーティス夫人も、やっとのことで思い出した様子だ。カーティス夫人は困惑顔をしながら頬に手を当ててキョロキョロした後、 次の瞬間、如何にも素晴らしい事を思い付いたと言う顔つきになった。

カーティス夫人は、いきなりルシールの肩に、ポンと手を置いた。

「ちょうどぴったり! 正式なオーナーじゃ無いけど新人だし、あなたも一曲目の程度なら、お茶の子さいさいでしょ!」

ルシールはポカンとした。

とどのつまり、噂のシャイナの代わりに、ルシールがオーナー協会の親交代表として、 キアランの一曲目のダンスの相手をすると言う事になったのだ。

3.ローズ・パーク邸…ファイト円舞曲〔一〕

――私が、リドゲート卿のペアを務めるの!? よりにもよって、一曲目で!?

余りの事に呆然としたルシールではあったが、目下、オーナー協会員と家族関係があり、 なおかつ『バランスの良いペア』となるような妙齢の女性が居ないのだから、致し方無いのである。

キアランとルシールを差し置いて、カーティス夫人は、カーティス氏とグリーヴ夫人を急かした。

「ちょっと悪いけど、シャイナを探して。あの子を何処で見かけたのか教えて、グリーヴ夫人!」

カーティス夫妻とグリーヴ夫人の三人は、あっという間に去って行ってしまった。 ルシールは、途方に暮れて固まるばかりだ。キアランはルシールをジッと見た後、おもむろにその手を取った。

「先日の打ち身が響かないように、やってみましょう」
「大丈夫じゃ無いです! あの……実は私は、アンジェラよりダンスが下手なんです!」

ルシールは困惑の余り、真っ赤になっていた。これでもルシールにとっては、恥を忍んでの一大告白ではあったのだが、 その場に残ってそれを小耳に挟んでいたケンプ氏やウォード夫妻は、 めいめい疑問符を頭の上に浮かべて、キョトンとするのみだった。

会場支配人として楽団の近くに居たグリーヴ氏が、会場のタイミングを読んで指示を下し、音楽が流れ始めた。

誘いかけるようなテンポのイントロが、一曲目のダンスのスタートを知らせている。 ダンス会場となっている大広間の中央部には、地元の各区を代表して親交を深めるための、先発を務めるペアが並び始めていた。

「もう遅いですよ、一曲目が始まる」

キアランはルシールの手を離さず、そのままダンスの輪の中に入って行ったのであった。

――こうなっては、なるようになれ、だわ!

ルシールは緊張感いっぱいの生真面目な顔つきで、しかし最初の一礼だけは正統派の貴婦人そのものの優雅な所作でこなした。 見物人の誰かが、ほう、と感心したような呟きをしている。ダンスの最初のステップが始まり、ルシールの心臓が早鐘を打ち出した。

背丈のあるキアランに丁重に手を取られ、ルシールはいきなり、自分が本物の貴族の令嬢になったかのような錯覚を感じた。 キアランのリードは巧みで、『どっちの足が先だっけ』と言うような迷いは意外に感じない。 華やかな音楽に乗って、ルシールの薄紫色のショールが花びらのようにひるがえった。

――リドゲート卿って、エドワード卿と同じくらいダンスが上手いわ!

流石に貴族だと感心せざるを得ない。一曲目のダンスを務める先発のペアの中では、ひときわ目立っているようだ。 同じくらい目立っているのは、やはり美貌やダンスの技巧という意味では、 アラシア&ライナスのペアや、レナード&シャイナのペアだ。

――とにかく、あがり過ぎて、失敗だけはしないようにしないと。

ルシールは緊張で頬を薄紅に染めながらも、キアランのリードに素直に応えて行く。

「可愛いですね」

――はい!?

ルシールは思わず目をパチクリさせ、声の主と思しき人物を見上げた。

しかし、キアランは進行方向に注意を向けており、相変わらずのムッツリとした無表情で、 とてもそんな『妙なセリフ』を喋ったとは思えない。それに、状況的に有り得ない。 ルシールは暫くの間、真剣に考えてみて、結局のところ空耳だったのでは……と、自信の無い結論を下したのであった。

会場となっている大広間には、奇妙な事に段差があった。 会場を半分に分割するかのように、相当の段差が設けられていたのである。 ダンスの輪は、そこで段差の上のグループと段差の下のグループに分かれていた。

「途中、段差があるから気を付けて下さい」

キアランにハッキリと注意を促され、ルシールは、垂れ幕の間にいきなり現れた段差を、疑問と共に眺めた。 昨日の訪問の時は、段差に接近する機会は無かったので、こういう物だとは思わなかった。

三つの段を持つ階段になっているが、段数に対して幅が狭く落差が大きい。 段差の縁ごとに舞台装飾のような華やかな彫刻が施されている。 頑張って足を大きく動かせば移動は可能という感じだが、実用的では無く、 実際に階段として使われる事を目的にした設備では無いと推測できる。

「一つの会場に、何故、段差が?」
「昔の習慣で、上流階級とそれ以外とを段差で分けていたそうです。今はダンスの際のスリル成分だから、 会場演出としてはウケると思います」

キアランはルシールを巧みにリードしつつ、解説を加えた。

どうやら、かつてローズ・パークの地主であったと言う『前の子爵』は、 貴族的な趣味だったと言うだけで無く、身分差にもうるさい人物であったようだ。

「成る程……、噂には聞いていたけれど……」

妙に納得するルシールである。ルシールは段差に熱心に注目する余り、後ろから接近する別のペアに気付かなかった。

――ドシンッ!

背後のペアから急に衝突され、段差に向かって弾き飛ばされたルシールは、足をもつれさせた。 目の前に段差が迫り、ギョッとする。

キアランは接近して来たペアに最初から気付いていたようで、慌てもせず、器用にルシールを支えて来た。 宙に浮いたルシールの体重を易々と支える、男性ならではの強い腕の存在を感じて、ルシールは思わず息を呑んだ。

ルシールを標的にしていたかのように『偶然』衝突して来た男女ペアは、技巧溢れる華麗なターンを披露しながら、素早く離れて行った。 ターンする際に、そのペアの赤毛男と金髪女のどちらから洩れたのかは分からないが、微かな「チッ」という舌打ちの音がした――

「大丈夫ですか?」
「はあ……」

キアランが問い掛けて来たが、ルシールはギクシャクとしたまま、顔を上げられなかった。

段差に向かって転倒しかけた時は、確かにギョッとした。背中の冷や汗は、まだ引いていない。 だが、理由は分からないが、キアランのフォローが入っている今の状況の方が、遥かに気持ちが落ち着かない。

――今、自分は絶対、変な顔してる。ステップだって、間違ってる自信ある!

*****

傍目から見れば、キアラン&ルシールのペアは息の合ったターンを披露しつつ、スムーズに体勢を取り直し、 意外に良い雰囲気でダンスをしていた。

ダレット夫妻は、ダンスの輪を取り巻く華やかな列柱と垂れ幕の陰から、キアラン&ルシールのペアを憎々しげに睨み付けていた。 口々に、尽きせぬ悪口雑言を繰り出している。このダレット夫妻、他人の悪口となると妙に気が合うらしい。

「キアランは何を呆けているんだ……ライナス見逃しとは、鈍いヤツだ! あんな下賤な女に見とれているとは、良識を疑うわッ!」
「ダンスも絶望的に下手な女! 場末の何処かで踏み潰されても当然なのよね!」

それは単なる悪口雑言の延長だった。しかし、悪意を込めて注目していると、別の意味で細かな部分に気付くのか、 レオポルドは知らず知らずのうちに、恐ろしいほど正鵠を射たコメントを口に出していたのであった。

*****

先発グループによる一曲目のダンスが、区切りを迎えた。

洗練された一礼を交わすレナード&シャイナのペアに、カーティス夫妻が声を掛ける。 カーティス夫妻はレナードに失礼を詫びながら、シャイナを連れ出した。

そしてカーティス夫妻は、早速、キアランの傍にシャイナを連れて来た。 キアランはルシールの手を取ったままであったが、カーティス夫妻の接近を認め、一旦、ルシールと一礼を交わしたのであった。

ルシールは顔を真っ赤にしたまま、涙目で、そそくさとダンスの輪を離れて行った。 ダンスでの度重なる失敗が堪えられず――そして他の、もっと良く分からない理由で――身を取り繕う余裕すら無い。

「先程は大変、失礼いたしまして、リドゲート卿! こちらが、私どもの姪のシャイナですの」

カーティス夫妻は、意気揚々と自慢の姪を紹介して来た。 キアランとシャイナは、お互いに定型の社交辞令を交わし、丁重な所作で一礼すると、 二曲目のダンスのためのペアを組んだ。

ケンプ氏が、会場の中央に位置を取り始めたキアラン&シャイナのペアを、感心したように眺める。

「カーティス夫妻の自慢の姪御さんだ……ダンスが非常に上手な淑女ですよ」

素早く端に引っ込み、大柄なケンプ氏の後ろに隠れた形になって、ルシールは、やっとホッと息をついた。 跳ね狂い回った心臓は、なかなか落ち着いてくれない。 背後から衝突して来たペアに気付かず、よりによってキアランに対して赤面モノの失敗をやらかしてしまい、 居たたまれない気分でもある。

「とりあえず良かったです、私はダンスが下手なので……」
「あらまあ、でも先刻のダンスは素敵だったわよ」

次発グループとしてケンプ氏とのペアを組む大柄な令嬢が、気遣うようにルシールに微笑んで見せた。 この令嬢はソフィアと言い、庭園担当ウォード夫妻の長女である。偶然と言うべきか、ルシールと同い年だ。

ソフィア・ウォード嬢は、母親のウォード夫人と同じ綺麗な鳶色の目をしている。 絶世の美女と言う訳では無いが、ふわりと微笑むと花が咲いたようで、ピンク色のドレスとも相まって、実に可愛らしい。

会場に並んだ次発のペア群の中で一番目を引くのは、レナードが退いた今では当然と言うべきか、キアラン&シャイナのペアだ。 ひときわ大柄な体格で目立っているケンプ氏&ソフィアのペアを除けば、 その次に目立つのが、アラシア&ライナスのペアである。

アラシアは時折ルシールの方に目をやり、殊更に蔑むようなニヤニヤ笑いを浮かべていた。

二曲目のダンスが始まった。ローズ・パークのオーナー協会代表としての面目を施したカーティス夫妻は、 ホッとした様子で、ルシールの居る場所までやって来た。

カーティス氏は早速、オーナー仲間・ケンプ氏のペアに注目する。

「ケンプのペアは、ソフィア嬢だね……大男と大女で、実にお似合いだ」

ルシールもうなづいて同意する。ケンプ氏とソフィアは、とても良い雰囲気だ。 今年の内にも、結婚前提の関係になるだろう。

そして、更に驚嘆すべきは、カーティス夫妻の姪シャイナだ。 シャイナに目をやった大広間の招待客の全員が、感嘆の溜息をついている。

流石のアラシアも、先程までのルシールに対する軽蔑の笑いを引っ込め、大人しく沈黙している。 シャイナが目下、レナードの相手を集中的に務めているという事情も、 アラシアの判断に、何がしかの傾向を与えたに違いない。

シャイナは実に洗練された金髪碧眼の美女であり、そのあでやかな美しさは、幾ら褒めても褒めたりない程の物である。 ルシールは、ただ感嘆するのみだ。

「シャイナさん、綺麗ですねえ」
「まあ、有難う! あの美貌で、まだ独身だから、流石に私も心配だわ……オホホッ」

自慢の姪の美しさを褒められたカーティス夫人は、大喜びでお礼を言いながら陽気に笑っている。

ルシールは、見事なステップを踏んで行くキアラン&シャイナのペアを暫し眺めた後、そっと目をそらした。 この後、キアランは婚約者たるアラシアの手を丁重に取り、ペアを組むのだ――

――私も、金髪だったら……?

そして、父親不明の問題も、キチンと解決できていたら――幼い頃、 アンジェラの金髪がうらやましくて仕方が無かったり、 何故に自分だけ金髪じゃ無いのかと質問して母親のアイリスを困らせたりしていた事も思い出されて来て、 微妙にチクチクする物を感じる。

――こう言うコンプレックスは、もう卒業したと思っていたんだけど。

その時、カーティス夫妻が別の話題を振って来たので、ルシールは気を取り直し、談笑を続けたのであった。

――リドゲート卿とペアを組んで、舞い上がってしまったせいだわ。シッカリしないと!

*****

二曲目のダンスは続き、キアランとシャイナは洗練されたステップで会場を回って行った。 流石に寄宿学校の教育でみっちり叩き込まれた甲斐があっての事か、キアランのリードは、名手の域に達している。 シャイナは驚きを込めてキアランを称賛した。

「まあ、ダンスがお上手ですわ、リドゲート卿……先程のステップは、ペアに合わせての物でしたのね?」

勿論、ルシールのダンスはお世辞にも上手い代物では無く、初歩的なステップになっていたのである。 しかし、ルシールの元々の運動神経は良い方だから、練習次第では、改善の余地はある。 キアランは、シャイナの称賛を礼儀正しく無視した。

「失礼をしました。余り良く聞いていなかったので」
「ひどい方ですわね!」

シャイナは天使の如き苦笑を浮かべ、優雅に不満を言って見せた。

キアランはふと思い当たる方向を見やり、段差に注意しているうちにシャイナにリードを取られ、 ルシールが居た場所からかなり引き離されていた事に気付いた。

――この令嬢、それと悟らせず、リードを取った――

キアランは、いつものように丁重かつ冷淡な態度を装って、シャイナを観察した。

確かに絶世の美女と言って良い、最高ランクの令嬢だ。妖艶さと清楚さを同時に併せ持つ美女は、滅多に居ない。 『あでやかな美しさ』とはまさにこの事と言うべきか、大輪のユリを持つ天使が降り立ったかのような雰囲気がある。

ふとした拍子に仄見えるシャイナの百戦錬磨ぶりは、かえってキアランを警戒させる要素になっていた。

同じような、やたらと頭の良い絶世の美女と言えば、アンジェラが思い浮かぶ。 だが、あのエドワードを強烈に魅了した、アンジェラの爽快なまでの気持ちの良さというか、気風の良さのような物は、 雅やかな韜晦の笑みを浮かべ続けているシャイナからは、余り感じられない。

――ルシールは小柄だから、すぐに姿が見えなくなってしまう。

警戒すべきダレット一家が会場に来ているだけに、流石にルシールが見えなくなると、 ルシールがどんな状況かと心配になって来るキアランである。

やがてダンス曲が一区切り付くと、キアランはシャイナに丁重に一礼した。

「二回目を申し込んで下さいませんの?」
「ええ、申し訳ありませんが、失礼します」

キアランは意味ありげに垂れ幕の方を見やった。キアランは、垂れ幕の陰に潜むレナードの気配には、既に気付いていたのである。 キアランに合わせて垂れ幕の方を見やったシャイナを残し、キアランは、その場を速やかに立ち去って行った。

キアランが立ち去るが早いか、シャイナの傍にレナードが現れた。

「美も分からぬ野暮な男――実に失礼なヤツでしょう」

レナードは、その完璧な美貌に苦笑を浮かべ、シャイナの手を優しく取った。 そして、シャイナにチラチラと色っぽい流し目をくれながら、 白い手袋に包まれたシャイナの手の甲に何回もキスし、 愛でた――まるで、いにしえの騎士が膝をついて、貴婦人の愛を乞うかのように。

シャイナは頬を染めて慎ましく身をよじり、長い睫毛に縁取られた美しい青い目を、何度もパチパチさせた。 清らかで楚々とした風情だ。戸惑った様子ではあるが、やはりシャイナは、レナードに誘惑されたようである。

シャイナは青い目をうるませ、きらめかせながらも、恥じらいを込めて紅潮した頬に手をやり、 淑やかにうつむいた。

「お、お化粧を直して参りますので……」
「楽しみにしてるよ、シャイナ」

このようにして、何やら恋愛へと発展しそうな雰囲気を漂わせつつ、 レナードとシャイナの二人は一旦、別々になったのであった。

*****

大広間を出て、静々と回廊を進むシャイナの後を付いて来る人影がある。

シャイナが人気の無い回廊の一角に入り、背の高いどっしりとした衝立の前で立ち止まる。 すると、シャイナの後から、伊達な風貌の紳士が現れた。 レナードのような豪奢なまでの華やかさは無いが、平均以上に整っている顔立ちの男だ。

「シャイナ! 君はこの私の妻の筈だぞ! 何であの、チャラチャラ男、レナードと!」

美しいウェーブを持つ黒っぽい髪の伊達紳士は、穏やかならぬ嫉妬心を見せて、コブシを振り回し始めた。 シャイナは困ったように紅潮した頬に手を当てながら、おずおずと説明を始めた。

「此処クロフォードの社交界での、ダレット一家の地位と特権の大きさは、 ランドール様もご存知でしょう? ダレット一家は高貴なる王族親戚の方々で、 王族親戚からのバックアップも受けていらっしゃるし。社交界には色々あるのよ、 私にはどうしようも無いの……次は、連続でレナード様のお相手をする約束だから」

それでも、流石にレナードの色男ぶりには何か思うところがあるのであろう。 伊達紳士ランドール氏は無言ながらも、まだ納得していない様子で渋面を保っていた。

シャイナは、天使の如き清楚かつ可憐な憂い顔を浮かべ、白鳥のように細く優雅な首を傾けた。 そして、しどけない様子で、伊達紳士にシッカリと抱き付いた。

シャイナの、陶磁器のように滑らかで清らかな白い肌から、慎ましいドレスのラインに微かに見える麗しい胸の谷間から、 媚薬にも似た、妖しくもなまめかしい香りが立つ。

「信じて……私にはあなただけなの、秘密の旦那様……ラストダンスの時が証拠だから」

絶世の美女に、こうも情感タップリに抱き付かれては、流石に伊達紳士も、嫉妬を収めざるを得ない。

実は、シャイナと伊達紳士の密会は、スリリングかつロマンチックな密会のようで、密会では無かった。 本当に偶然なのだが、この衝立を挟んで、先客が居たのである。

衝立の裏側に隠れていたウォード夫妻は、秘密の夫婦の様子を、ハラハラしながら窺っていた。

――カーティス夫妻に協力してシャイナを探していたのだが、まさかこんな場に遭遇するとは――

秘密の夫婦は、衝立の前で情感タップリに抱き合い、大人の男女ならではの『きわどい戯れ』の真っ最中である。

「えらい場に居合わせてしまったな」
「何やら妙な雰囲気ねえ……カーティス夫妻は気付いてないけど、シャイナさんは最近、大富豪ランドール氏と秘密結婚してるのね」

最近の若い者は、つくづく大胆だ。ウォード氏は困惑しきっていた。 ウォード夫人もホトホト呆れたと言った様子で、慎ましく染まった頬に、手を当てている。

やがて、人目を忍ぶ密会の時間が終わったのか、手に手を取って回廊を去って行く秘密の夫婦である。 『きわどい戯れ』の余韻がまだ残っているらしく、二人は慎ましくお互いの身体を離しながらも、色っぽく熱い眼差しを交わしていた。

ウォード夫妻は、背の高い衝立の陰に隠れながらその様子を眺めつつ、どうしたものかと思いあぐねていた。

あれで、なかなか人の好いカーティス夫妻は、シャイナを独身だと信じているのだ。 今まさに目と耳にした事実をカーティス夫妻に告げるのは流石に気が引けたし、 いずれシャイナが、身辺状態が落ち着いた時に明かす筈だ。

それに、明らかにシャイナをランドール氏とレナードが競い合っている状態で、 ひそやかながら、三角関係に発展しているのは確実なのだ。

「こりゃまた痴話喧嘩になるから、黙っとこう……」
「復活祭の頃にも、確かレナード様は、痴話喧嘩に借金にスキャンダルとか……」
「シャイナさんは頭が切れるから、一大事には、多分、ならんと思うが……」

ウォード夫妻は困惑しながらも、常識的な結論に落ち着いた。とりあえず当分は、沈黙を守るという事に決まったのである。

4.ローズ・パーク邸…ファイト円舞曲〔二〕

会場では、新たな事態が持ち上がりつつあった。何とナイジェルが現れたのである。

予想に違わず――アシュコート舞踏会に出現した、あのセクハラ上等の似非紳士であった。 此処に来る前に何やら路上プロレスでもして来たのか、顔面の数か所に青あざがあったり、 口元に切れた傷痕が見えたりするが、それ以外は至って元気そうである。

ナイジェルはキアランと同じ黒髪黒眼だが、似たような背丈でも、 その大柄でガチムチとした体格は、どちらかと言うと闘牛を思わせる。牛のような大男だ。 のっそりとカーティス夫妻に近付き、大振りな所作で挨拶をしながらも、ルシールから視線を外さない。

「もしかして、彼女が問題の庭園オーナー権を相続すると言う……?」

その確認に、カーティス夫人は陽気に大きくうなづいた。 ナイジェルは、『やはり』と言った様子でニイと歯を剥き、片頬を歪ませる。流石に不吉な予感を感じるルシールであった。

ナイジェルは気取ってフサッと黒髪を揺らし、意外につぶらな黒い目をらんらんと輝かせながら、手を差し出した。 その顔に浮かんでいるのは、まるで獲物を見つけたかのような、物騒なニヤニヤ笑いだ。

「ウッフフ……実に嬉しい対面です、実に悪く無い。 我々は不幸な争いを避けて、話し合う必要がありますな……良い機会です、是非是非、私とダンスをば……」

言い終えるが早いか、ナイジェルはルシールの手首をむんずとつかみ、 「ダンスが下手なので」と言うルシールの抗議にも構わず、ダンスの輪へと引きずり出して行ったのであった。

*****

三曲目のダンスも中盤である。連続してダンスの輪に参加していたケンプ氏&ソフィアのペアが、 不思議そうにキアランの方を振り向いた。

「三曲目ですよ、リドゲート卿……何処を見ておられるので?」

キアランは驚きに固まったまま、ナイジェル&ルシールのペアを見守っていたのである。

ナイジェルとルシールは、絶望的なまでにダンスが下手なペアであった。 両者ともに、お世辞にも人並みとすら言えないステップやターンを披露している。 一回やるたびに必ず隣のペアたちとぶつかり、ちょっとした騒動の中心となっていた。

キアランに問われ、ケンプ氏は驚きながらも端的に答えた。

「タイター氏の甥のナイジェル・ビリントン氏です。 タイター氏の手下の一人ですが、最近はオーナー権の利益を巡って対立していて……」

――要するに、タイター氏と同じ穴の狢だと言う訳だ。

*****

ナイジェルとルシールの傍迷惑なダンスは続いた。

「どうですか、我々は実にお似合いのカップルでしょう! ウカウカしてると、 我が叔父貴タイターが次のオーナーになっちまうしね、今月末までに我々が結婚し、 正々堂々のオーナーになるって事で! そうすりゃ、来月から始まる都の社交シーズンでも、 夫婦でパーッとお披露目できますしね!」

ナイジェルは自己陶酔しているのか、うっとりとした顔で、将来の計画をベラベラと喋り続けた。

「叔父貴がオーナーになったら、これはマズイでしょう、ええ。恥ずかしい事ですが叔父貴は金欠でしてね。 ローズ・パークを手に入れ次第、高値で売るつもりに決まってんですよ!」

ナイジェルは、ボスである叔父が金欠なら、自分もまた金欠なのだと言う事実を、体よく無視しているか、 忘れているに違いない。ナイジェルはルシールの首に腕を巻き付けると、 路上プロレスさながらに小柄な身体をぶん回しつつ――ナイジェルにとっては、 これがダンスのターンに相当するらしい――グルリと回ったのであった。

ルシールは、首に縄をかけられ、 暴走馬――いや、この場合は暴走牛か――の後ろに繋がれて、荒野を引きずり回されているような気がした。 ルシールは確信していた。町角の新聞雑誌の占いコーナーの頁には、『今夜は絶体絶命』と書いてあったに違いない、 という事を。

周囲のペアの脚とお尻を次々に蹴飛ばしながらも、得意満面のナイジェルは、ベラベラと喋り続けた。

「叔父貴は、あなたに色々暴言を吐いたようですが――」

*****

会場の迷惑トラブルが耳に届いたのか、会場支配人を務めるグリーヴ夫妻が会場に入って来た。

「大丈夫なの、あの二人!?」

グリーヴ夫人は、すぐに状況を理解しながらも、驚きに目を見張った。

ナイジェルが、自分の主張を言い聞かせるために脅迫をしているのか、 プロレス技よろしくルシールの首に腕を巻き付けて、乱暴に振り回しているのだ。 ある意味、ダンスをしていると言うよりも、プロレスをしていると言うべきである。 それも、極めて不公平なプロレス試合だ。

「ナイジェルが、ごり押しを……」

そのように事情を説明しながらも、流石にカーティス夫妻も戸惑ったまま、『どうした物か』と手を出しかねている様子だ。

ところが、グリーヴ夫人は、ふわわんとした見かけによらず、有能な会場支配人であった。 騒動の中心に接近しつつも、手早く指示を飛ばす。

「何か事故が起こる前に、ナイジェルを捕まえるのよ! 無駄にでかい人だし、男たち二人がかりで!」

その時、出遅れながらも会場に姿を見せたウォード夫妻が、的確な助言を加えた。

「ケンプのペアが接近中ですから、呼び止めて――」

だが、現場の状況は急変した。ケンプ氏&ソフィアのペアが段差の前でターンし、 各々の大柄な身体を一斉にナイジェル&ルシールのペアに衝突させてしまったのだ――実際は、 ナイジェルの方が不器用なターンで思いっ切りぶつかって来たのだが。

お互いに驚きの声を上げるペア。

ケンプ氏&ソフィアのペアは群を抜いて大柄な体格であり、ナイジェル程度の衝撃ではビクともしなかったのであるが、 足元が安定していなかったナイジェル&ルシールのペアは、ひとたまりも無かった。 ぶつかった衝撃を、作用・反作用もろともに全部受け取りながら、見事に段差の下に向かって吹っ飛んで行く。

「段差が!」

目撃者の誰かが、息を呑んだ。

ナイジェルの手につかまれたまま引きずられたルシールが、宙を飛んで段差の下に叩き付けられる直前、 別の人の腕が飛んで来て、ナイジェルの手を弾くと共にルシールをすくい取った。

ルシールの落下は空中で止まった。ルシールは、一足早く飛び出したキアランに受け止められていたのだ。

ナイジェルの方は、吹っ飛んだ勢いで段差の下にしたたかに叩き付けられ、潰れたような雄叫びを上げた。 ナイジェルの片方の脚が、嫌な音を立てて折れた――

「折れてる! 折れてる!」

パニックしまくるナイジェルの、哀れな悲鳴が響いた。

慌てて駆け寄って来たオーナー協会の面々も、この有り様に一瞬、呆然とするばかりだ。

骨折した脚の痛みで、うつぶせに倒れ伏したまま起き上がれないナイジェル。

その大柄な体格の強みで、ヒーローよろしく一気に段差を飛び降りて来ていたケンプ氏も、唖然としてナイジェルを見下ろすのみ。

「前方不注意……」
「どころか、全方位不注意よ!」

図ってかどうかは不明だが、オーナー協会の面々と共に段差を迂回して駆け寄って来ていたグリーヴ夫人は、 ケンプ氏のボケに、会心のツッコミをする形になっていた。

「ケンプさんッ! 彼をとりあえず、控え室に運んで!」

ケンプ氏はグリーヴ夫人の指示を了解し、一気にナイジェルを抱え上げた。 ナイジェルも相当に大柄な体格であるのだが、ケンプ氏の巨体にとっては、さほど負担では無い様子だ。

いきなり男に抱えられる形になったナイジェルは、これでも男ならではの羞恥心はあるのか、赤面してジタバタし始めた。 しかし、すぐに骨折の激痛に負け、いたいけな乙女よろしく、ケンプ氏の逞しい腕の中でグッタリとなってしまったのであった。

キアランは、その様子に暫く感心した後、ルシールをそっと床に降ろした。

「立てますか、ルシール?」
「何か、腰をねじったみたいで……」

ルシールはガクガクと震えながら、手近な柱につかまった。 ルシールの呟きの内容に驚いたキアランは、『まさか』と思いながらも、ドクター・ワイルドが注意していた場所を触った。

「この辺り?」

果たして大当たりだ!

ルシールは激痛に飛び上がると、そのまま柱の下にズルズルと崩れてしまったのである。 キアランはギョッとしつつも、ルシールを抱き起こした。

遠巻きにして見守っている人々の間に、レナード&シャイナのペアが居た。レナードはキアランの方を振り返りながら嘲笑している。

「何やら、不手際やらかしているようですねえ……私なら、あんなヘマはしない……」

事情を知らないレナードの目には、キアランが不躾にルシールを突き崩したように見えたのだった。

*****

キアランは素早くルシールを抱き上げると、オーナー協会の面々を振り返って声を掛けた。

「グリーヴ夫妻! ライト嬢も腰を故障したようです。クロフォードに連れて帰ります」
「当方の不注意で大変申し訳ありません、リドゲート卿……ウォードさん! 馬車を呼んで!」

冷や汗いっぱいのグリーヴ氏が、驚き慌てた様子で応じた。

そしてウォード氏が指示に応えて、キアランとルシールに控え室側の出口を案内した。 その後、クロフォードの馬車を、正面玄関の前のロータリーでは無く、控え室の出口と直結する脇の小道に誘導する。

ルシールは、いきなりキアランに抱きかかえられて、何が何やらだ(いわゆる『お姫様抱っこ』である)。

「私、歩けますわ、リドゲート卿」
「立てないのに歩けるとは、筋が通りませんね」

これもまた、ある意味、会心のボケとツッコミだ。

キアランに真顔で切り返され、ルシールは顔を赤らめて口ごもるばかりだった。

*****

キアランとルシールを乗せた馬車は、クロフォード伯爵邸に向かって急発進した。

ダレット一家がルシールに害を成せるような隙を与えないためであろう、 まさに急行馬車さながらのスピードで、ローズ・パーク邸の正門を飛び出して行く。

じりじりしながら、ずっとキアランを見張っていたレオポルドは、今や怒髪天であった。

キアランが、あの下級貴族ですらない下賤な商売女を連れて――しかも、信じがたい事に、 大事そうに抱きかかえて――あっと言う間に会場を退出したのだ!

「キアランのヤツ、遂に狂ったな! 此処でガツンと、ぶちかましておかねば!」

これまた恐ろしく正鵠を射たコメントを喚きながら、やはりキアランの予想通りに、会場を勢いよく飛び出すレオポルドである。

ダレット夫人はレオポルドの後を付いて行きながらも、女性ならではの不満をぶちまけた。 これでもかとばかりに贅沢な宝飾細工を施したアクセサリーが、豪奢なレースとフリルをふんだんに使ったドレスが、 今は重くて動きづらい荷物と化していた。

「アラシアを放っとくの? テンプルトン中央の高級ショッピングとか、 社交サロンとか……私だって忙しいのに、どうするってのよッ!」
「口座の引き出し限度額の問題もあるだろうが! すぐに馬車で捕まえて、ヤツを引きずり下ろす!」

レオポルドもまた、ジャラジャラとした宝石の音の鳴りやまない重い衣装を、苛立たし気に引きずるのみだ。 ダレット夫人に負けじと叫び返しながらも、ローズ・パーク邸の前庭ロータリーに飛び出す。

そして、いつもは傲然としてスタッフたちに馬車の準備を言いつける所だったが、余裕の無さの余り、 自分たちが乗って来た金縁の大型馬車に向かって、ドタドタと走り出したのであった。

5.クロフォード伯爵邸…邂逅する謎〔一〕

スピードを上げた馬車の中は、かなり揺れている状態だ。

キアランはその揺れを意に介さない様子で、座席に横たえたルシールに外套を被せる。

「ドクター・ワイルドが急にねじるなと言った場所を、ねじっていますね。 ナイジェルの体重が掛かったんですから、今は大事を取って横になって下さい」

起き上がろうとしてもキアランが止めるため、ルシールは、面目無い気持ちで横たわるばかりだ。

やがてキアランは、一層ムッツリとした様子で口を開いた。

「周りが見えないほど熱中して、ナイジェルと一体、何を話していたんです?」
「はあ……、実は、ナイジェルにプロポーズされました」

キアランは真剣な面持ちになり、ルシールの顔半分を隠していた前髪をめくった。

「承諾した?」

ルシールはキアランの鋭い眼差しに恐れを成し、口ごもった。

「その前に転倒してしまって……お返事も何も」
「実に驚きの展開ですね」

キアランは何故か、呆れたように溜息をついている。

暫しの間、沈黙が流れた。ルシールは生真面目に眉根を寄せ、思案し始める。

「この問題が長引いたら裁判になる……タイター氏の事を考えると、割とナイジェルの話は良案なのかも……」
「父親不明の問題ですか」

キアランはあごに手を当てて思案していたが、やがて納得したような表情を見せた。 相続争いの裁判になった場合、父親不明の問題は、間違い無く不利に働く要素だ。

「ナイジェルの求婚を受けるのですか?」
「余りにも急な話なので……でも、少し考えてみようかと思って……」
「タイター問題と父親不明の問題を気にしないと言う求婚者が居るなら、その求婚は真剣に考えると言う訳ですね?」
「はあ……」

キアランの畳みかけるような確認に、ルシールの方は、曖昧にうなづくのみだ。

高速で走り続ける馬車が、再び、ガクンと揺れる。ルシールは目を回しながら座席に捕まったが、 難しい顔で考え続けているキアランの方は、バランス能力が良いのか、ヒョイと重心を移動させただけで、全く動じていない。

キアランは暫し首を傾げた後、再び口を開いた。

「父親が誰なのか、知りたいと言う気持ちはありますか?」
「――それは……何とも言えないです」

不思議そうな顔をしたキアランに、ルシールは曖昧に苦笑いをして見せながら、言葉を続けた。

「知りたいとか、そう言う事じゃ無くて……元々余り話題にする事じゃ無かったので……アンジェラのお父上が、 その……問題あり過ぎるお方と言うのもあって……」

確かにロックウェル卿は、『正常な父親』とは、とても言えない。 あんな父親を持ったアンジェラが、父親不信から男性不信に発展しなかったのは、むしろ奇跡かも知れない。

流石にキアランも無難なフォローが思い付かないのか、無言で眉根を寄せるばかりだ。

ルシールは暫し沈黙して考えをまとめると、再び口を開いた。

「母は父について、ものすごく秘密主義だったけれども……口が堅かっただけで、 それは嘘つきとは性質が違うんです――私が20歳になったら、事情を話してくれる約束でした」

キアランは不意に気付いた――ルシールは今年、25歳になるところなのだ。

「五年前に死亡と言う事は……」

そのキアランの指摘に、ルシールは小さくうなづいた。

「あの時、私はまだ20歳の誕生日を迎えてもいなかったし……母があんなに急に状態悪化するとは、夢にも思わなくて……」
「それはお気の毒でした」

ルシールは、再び沈黙し――母親の最後の言葉を思い返していた。

――あの人の目の色は、わだつみの青。あの日、夕暮れの緑の丘の上で――

そこで、母は力尽きたのであった――無念にも。母は、命が尽きるその最期の日まで、愛した人を忘れられなかったのだ。 クロフォード伯爵領に――母が繰り返し物語ったローズ・パーク邸に行ってみれば、父親の手掛かりが、 わずかなりとも存在するのでは無いかと思ってはいたのだが。

ルシールは、にじみ出て来た涙を瞬きしてごまかしているうちに、 かねてから心に引っ掛かっていた事を、不意に思い出した。

「そう言えば、祖父の事も何も知らないですわ。アントン氏は、どんな人だったんですか……?」
「彼は出不精で……テンプルトンやローズ・パークの社交界にも全く出ない人でした。年末年始の挨拶以外、会った事は無く……」

律儀に説明し始めたキアランは、そこで、或る記憶が不意に閃いた。

「あ……いや、話した事は一応ある……」

キアランは、昔の記憶を思い出すままに、言葉にまとめていった。ルシールは目を見開き、熱心に耳を傾け始めた。

「寄宿学校に上がる前の夏の頃です――私は10歳だったかな……アントン氏は、その年の春に館の庭師になっていた……」

*****

――それは、17年前の夏の、ある日の昼下がりの事だ。

まだ少年だった頃のキアランが、バラ園に近い場所にある草むらに足を踏み入れると、 「花壇に入っちゃいかん!」という老人の怒鳴り声が、庭園の奥から響いて来たのである。

続いて、麦わら帽子を頭に乗せた老人が現れた。勿論、アントン氏である。 キアランはビックリして振り返りながらもアントン氏を睨み、「柵が無いのに分かる訳が無い」と、 極めて筋の通った反論をした(キアランは頭が良かったのである)。

アントン氏は一瞬ぐっと言葉に詰まったが、 すぐに「柵はこれから作るところだ! 此処はバラ園になるんじゃ!」とまくし立てたのであった――

流石に、ガミガミの偏屈ジジイと言う印象である。

アントン氏は一旦引き返すと、すぐに柵を作る道具を持ち出して来て、仮設の柵を立てる作業を始めた。

キアランは唖然としてアントン氏を眺めるばかりだった。 偏屈ジジイではあるが、何処かトボケたような、愛すべき箇所のある老庭師である。 キアランにとっては、ダレット夫妻よりは、ずっと好感の持てる大人であった。

スカスカの柵ではあるが一応仕切りが出来、アントン氏は、やっとキアランを振り返った。

「何処かで見たと思ったが、リドゲート様か……庭の端まで来て、訳の分からん事やっとるから……」

キアランは乗馬用の鞭を振るって、庭木をメッタ打ちしていたのだ。 流石に子供だったと言う事もあり、キアランはムシャクシャした気分を抑え切れなかったのである。 キアランは、不意に恥ずかしさを感じて素早くそっぽを向き、口ごもった。

「母が病気で……」
「……母親? クロフォード伯爵夫人……?」

アントン氏は奇妙な眼差しでキアランを見つめた。 そして次には、やはり奇妙な表情をしたまま、頭に被っていた麦わら帽子に手をやり、黙り込んでしまったのである。

その年の夏、クロフォード伯爵夫人は重い病を患っていた。余命数ヶ月であろうと言う状態であった。

*****

じっと耳を傾けていたルシールは、目を見張ってキアランを見上げた。

「リドゲート卿のご母堂も、病死されていらしたのですか?」
「私が寄宿学校に行く直前の頃に亡くなりました。領内の各種混乱の対応で、色々と苦労したと言う事もあったと思います」

キアランは暫しの間、目を伏せていた。

*****

アントン氏はその後、キアランを古いバラ園の一角に案内すると、小型ハサミを与えて、めぼしいバラの花を集めさせた。

夏咲きのバラと言う事もあるのか、春咲きのバラと比べると、色も香りも遥かに淡くなっている。 スッキリとした控えめな印象の、小ぶりの花が多い。

キアランがバラを集めて来ると、アントン氏は、倉庫から取り出して来た小さなバスケットに、 バラの花を詰め込んでいった。ブツブツと呟きながら。

「フラワー・アレンジは娘の方が上手なんだが……」

*****

――ルシールは無言でハッとしていた。キアランも、『我ながら抜かった』という様子で頭に手をやる。

「アイリスが実は生きていた事を考えると、実に意味深な言葉であった訳ですね」

あの時に小耳に挟んだ、何気ない言葉。そこには、深い意味があったのだ。 事情を知らなかったとは言え、あの時、もっと真意を突っ込んで聞くべきだったのだろうかと、 キアランは今さらながらに思わざるを得なかった。

――アントン氏が私信に書き記した通り、アントン氏は既にアシュコートを訪問しており、 その時に、アイリスやルシールと会っていた筈だ。 それで居ながら、タイター問題があった故に、固く口を閉ざしていた――

暫しの沈黙を置いた後、キアランの問わず語りは、後半部に入って行った。

*****

アントン氏は、「御曹司が集めた花だ」と言いながら、フラワー・アレンジが済んだバスケットをキアランの前に置いたのであった。

「御曹司どのからって事で奥方様に持って行ってくれ……この辺はもう整地するんで、最後のバラの処理に困っていたからな」

アントン氏がそう言っている内にも、館の正面玄関の扉の周辺が、にわかに騒がしくなった。 館のスタッフたちが入り乱れる中、一台の馬車が慌しく正面玄関の扉の前に横付けされた。

ただならぬ騒動に気付いたアントン氏は、茂みの中から訝しそうに馬車の方向を窺い始めた。

館の正面玄関の扉が荒々しく開かれた。そこから、若かりし日の輝くように美しいダレット夫人と、 治安判事になったばかりの新人プライス氏が現れた――彼らは、激しい口論を続けていた。

「つまんない当主だわね! プライスも新人の治安判事の分際で、身の程知らずが!」
「叩き出されて当然じゃ無いか、ダレット夫人! リドゲート卿に知られないうちに退出なされよ! これより後は、 レオポルド殿とご一緒にいらっしゃらない時は、館に出入りはさせませんぞ!」

アントン氏は奇妙な表情をして、その口論を眺め続けていた――

*****

キアランは暫し沈黙に落ちた。不意に引っ掛かる部分が出来たのだ。

『その時』の事を、もう一度、思い返す。

――アントン氏は、何があったか気付いたのだろうか?

ルシールに説明する事は、キアランには、とても出来なかった。

ダレット夫人が、クロフォード伯爵夫人のお見舞いどころか、きわどいドレスに身を包んで、 クロフォード伯爵を誘惑しに来ていた――などとは。 よりにもよって、そのダレット夫人の夫・レオポルドが、ルシールの実の父親かも知れないというのに!

キアランは沈黙したままだった。訳の分からないルシールは、そんなキアランを見つめるのみだ。

「リドゲート卿?」
「あ……いえ、何でもありません」

キアランは我に返って、説明を続けたのであった。

*****

その後は、アントン氏と会う事は、もうほとんど無くなっていた。

キアランはその年の秋に寄宿学校に入学し、地元クロフォードに帰るのは学業の休暇の間だけだったのである。 卒業した後も、クロフォード伯爵に従って都と地元とをシーズンごとに往復すると言うパターンが続いたので、 アントン氏とは、なかなか行き逢わなかったのだ。

*****

キアランは説明を終え、息をついた。

「多少なりとも、話せる内容があって良かった」

ルシールは目をパチクリさせて、キアランを見上げた。

横たわってランプの光を『あの角度』で受けているため、ルシールの目の色は、宝石のようなアメジスト色だ。

キアランは、しげしげとルシールを眺めると、いつものようにムッツリとした調子で話し掛けた。

「私の事を余り怖がっていないらしいですし、その紫色の目をじっくりと鑑賞できましたから」

ルシールは再び、目をパチクリさせた。

――最初の頃、自分が怖がっていた事は、しっかりバレていたんだわ!

ルシールは、居たたまれない気持ちでいっぱいだ。真っ赤になって外套の下に潜り込んでしまう。 何故なのかは自分でも分からないけれど、他にも何か、 知らないうちにバレた事があるんじゃ無いか――別にヤマシイ事は無い筈なのだが――と思うと、 オタオタしてしまうというか、落ち着かなくなる。

「私の目の色は、茶色ですが……」
「花の影が差している……遺伝のイタズラでしょうが、実に驚かされますね」

外套の下に潜り込んでしまったルシールには、 キアランが、その時どんな顔をしていたのかは、結局、分からないままだった。

*****

馬車がクロフォード伯爵邸の正面玄関の扉の前に到着した。

夜はとうに更けていたが、ローズ・パーク舞踏会からの帰還にしては、早すぎる時間である。

慌しく帰って来た馬車に驚いて玄関に出て来た執事とベル夫人は、 キアランがルシールを抱き上げたまま玄関に入って来たのを見て、『これは一体どうした事か』と、 もう一回驚く羽目になったのであった。

それでも、有能極まりない執事とベル夫人は、キアランから短い説明を受けただけで、 大体の事情を察したようである。

「湿布を用意いたしますので、食器室に」

早速ベル夫人は、床に降ろされたルシールをいざない、玄関広間の隣の部屋――食器室に連れ込んだ。

食器室もまた、クロフォード伯爵邸の他の部屋と同じように、相当のスペースを誇っている。 ルシールは感心してポカンとするのみだ。

ずらりと並んだ厳重な鍵付きの食器棚には、銀食器から陶磁器まで、様々な種類の食器が整理され収納されている。 奥には、暖炉を改造したと思しき小型のキッチンがあり、ヤカンが幾つか鎮座していた。

ルシールは、キッチンの前にあるカウンターテーブルの椅子に座らされた。 テーブルの上には、装飾の無い簡素なティーセットが並んでいる。スタッフたちは此処でお茶休憩をしているようだ。 見ようによっては、カフェのカウンター席とも言えそうな構造と雰囲気を持っている。

やがて、ダレット夫妻を乗せた四頭立ての金縁の大型馬車が、重量感のある車輪音を轟かせながら、 館の正面玄関の扉の前に荒々しく停車した。

「ダレット方の馬車が……!」
「――予想通り」

前庭ロータリーに面した食器室の窓から外を窺い、執事は驚いていたが、ベル夫人は冷静にうなづいていた。

「予想通り?」

訳が分からないまま呆然としているルシールの目の前で、ベル夫人は執事を素早く玄関広間に出し、 食器室のドアをサッと閉めた。文字通り、あっと言う間の早業であった。

次の瞬間、ダレット夫妻が正面玄関の扉を乱暴に押し開けて乱入して来た。

「キアラン君! 一体どういう事なんだね!」

玄関広間でふんぞり返ったレオポルドは、早速コブシを振り回し、前置きも無しにキアランに怒鳴りかかった。

「何の事です? レオポルド殿」

キアランは素っ気無く返した。その素っ気無さに、レオポルドは尚更いきり立つ。

「ごまかすんじゃ無いよ! 娘アラシアに対して、よくも非道な仕打ちを!」

レオポルドの大声は、ドアを通して、食器室に居るベル夫人とルシールの所へもガンガンと響いている。

ベル夫人は冷静に湿布を用意していたが、初めてこの事態に遭遇する羽目になったルシールは、 レオポルドの凄まじい剣幕に、ただひたすら真っ青になるばかりだ。

レオポルドは大声で怒鳴り続けた。

「大体、貴様はなっとらん! 親族中の評判は地の底に落とす! 我々夫妻からは一つ残らず奪う! 何と言う面汚し!  貴様は所詮、法律上の嫡子に過ぎんのだぞ! ……この、成り上がり者めが!」

キアランは一つも表情を変えず、 無言のまま冷たい眼差しでレオポルドを見返すのみだ――いつものように。レオポルドの怒りは、更に燃え上がった。

「これ程に強欲、かつ、傲慢で冷酷な男が、爵位を継ぐとは……混乱は必至だ!  先日と来たら、息子レナードを脅迫したと言うでは無いか!」

キアランは冷静に切り返した。

「正当に立ち退きを要請しただけです。レナードは、それ程の不始末をしたので」
「レナードに限って、不始末などある筈無いでしょう!」
「あの馬鹿げた禁止事項など無意味だ!」

ダレット夫妻は聞く耳持たずで、ギャアギャア喚き始めた。

「口を閉じたまえ、ダレット夫妻!」

キアランの声が鞭のようにしなった。その気迫に、思わずビクッとして固まるダレット夫妻。

「私の方からは、復活祭の時の決定を見直す可能性は、一片たりとも無い。 ダレット家の財務状況も逐一監視していましたが、また借金が増えていますね。 銀行口座の利用上限を再度引き下げるように通達を出しましたから、承知しておいて下さい」

ダレット夫妻は驚きの余り、同時に反発の声を上げた。

「そんなバカな!」
「ふざけやがって!」

そしてダレット夫妻は、怒りの余り物も言えない状態になった。 キアランは、クロフォード伯爵の右腕だ――それも、苛立たしいくらいに有能な。 このような処理、伯爵の指示があり次第、即座に進めて見せたことだろう。

ダレット夫妻は暫くの間ワナワナと震えていたが、やがて、部屋に既に通達が来ているのかどうか確かめるのであろう、 いきなり玄関広間を飛び出した。ついでに、ルシールの居場所も捜索するであろう事は、容易に推測できるものだった。

キアランは、後の対応を執事に任せると、玄関広間から速やかに立ち去った。

静かになった玄関広間で、隣り合う食器室のドアが、ゆっくりと開いた。

ベル夫人が、すっかり青ざめてしまったルシールを伴って出て来る。

「ドアが完全に閉じていなくて、不愉快な事をお聞かせしてしまいまして……いつもの事でございますが」

ベル夫人は冷静だ。すぐに、執事が音も立てずに滑らかにやって来た。

「今、通路が空いておりますから」

執事に促され、ベル夫人とルシールは、急ぎ足でルシールの部屋に向かったのであった。

ルシールはベッドに横になった後も、疑問で一杯のまま、なかなか寝付かれなかった。

――先刻の口論は、一体どういう事なんだろう。

クロフォード伯爵宗家の堂々たる跡継ぎである筈のリドゲート卿が、 『法律上の嫡子に過ぎない』と罵られたのもビックリだ。 血統を除いては、評価できる部分が全く無いと言う意味なのだろうか?

そして、それ以上に、アラシア・ダレット嬢の婚約者、すなわち将来の義理の息子となるリドゲート卿に対しての、 ダレット夫妻の余りにも強圧的な振る舞いが、どうにも納得が行かない――

6.クロフォード伯爵邸…邂逅する謎〔二〕

翌日、朝食が終わって、大広間でお茶の時間である。

「昨夜の舞踏会で、倒れたって!?」

お行儀悪くも、円卓の上に落ち着いたマティは、昨夜のルシールの転倒を聞いて驚愕しきりだ。

「それは大袈裟よ……腰ひねっただけだし」

お茶を一服し、のんびりと苦笑するルシールである。 ダレット夫妻がまだ大広間に登場していないので、流石にリラックスできたのであった。

「今は何とも無いから――」

その時、大広間の扉から、ひょっこりとドクター・ワイルドが現れた。いつもの往診である。 ドクター・ワイルドは早速、ルシールの言葉を聞き付け、盛大に咳払いして見せた。

「ウォッホン!」

思わずギョッとして振り返るルシールとマティ。

「それは、ワシが診察してから決める事だよ。全く、どいつもこいつも素人診断しやがる」

ドクター・ワイルドはギョロ目をぎらつかせ、ルシールは流石に首をすくめる格好になった。

同じく大広間の中ほどに居るキアランの方は、いつものようにムッツリとした様子だ。 ライナスの傍らでお茶を一服していたが、ドクターに気付いて立ち上がり、軽く会釈をする。

ドクターもキアランに、いつものように会釈を返した。 そして大広間の中ほどまで来ると、ドクターは、すこぶる具合の悪そうなライナスに目ざとく気付いた。

ライナスは、出されたお茶に手を付けようともせず、顔色を悪くしたまま、ソファにグッタリと座り込んでいたのである。 目は充血しており、目の下には色濃いクマが出来ていた。

「寝不足の兆候が全身に出ていますぞ、ライナス氏」
「ローズ・パークに置き去りにされたってんで、明け方の馬車で午前様。でも、アラシアは外泊してたから、慌て過ぎだねッ」

円卓に陣取ったマティが、横から生真面目に解説して来た。 そのマティの説明の内容に、何やら察するものがあったのか、 ドクターは「ほうほう」とうなづきながら、意味深そうにヒゲを撫で始めるのであった。

ドクターは衝立で仕切られた次の間を示し、ルシールを促した。

「着衣の裾を上げるから、隣の間で……」

マティも一緒に付いて行くのを見て、ライナスは何やらブツブツと呟き始めた。

「ガキの特権ってか……」

一方、キアランは来客があると執事に告げられて、すぐに応接室に向かった。

*****

キアランの客人は、ダレット荘園の教区を担当する年配の牧師だった。

牧師は、キアランが応接室の椅子に落ち着くなり、ダレット荘園の悲惨さを訴え始めた。

「無茶な増税で小作人の脱走も増えていて……小作人を代表し、 ダレットの特権をクロフォード方に没収頂きたいと訴えるものです」

キアランは苦い表情を浮かべつつも丁重な態度を崩さず、牧師が持って来た訴状を改めた。 ダレット一家が長期に渡って荘園を離れた事で、荘園の負担は多少は軽減したかと思ったのだが、 想像以上に惨憺たる状態になっているらしい。

現在はローズ・パークのオーナー相続問題が紛糾している事もあって、ダレット問題に対しては目下、 一時しのぎの対応しかできない状態だ。 治安判事の仕事が増える事になるが、まずは現況把握に努めるしか無い。

「訴状は受理しておきます。いずれ、抜本的対応を取りますので……」
「何とぞよろしくお願いいたします」

老体に鞭打って訴え出て来たのは明らかである――年配の牧師はグッタリとした顔をしていたが、 キアランの確約に、すがるような眼差しを向けたのであった。

*****

大広間にて――

ドクター・ワイルドの診察が終了した。

「その辺を歩き回る程度なら、全く大丈夫だ……安静を強制したリドゲート卿に感謝するんだね」

何で、こう狙ったかのように腰をねじる羽目になったのか――と言わんばかりの、 ドクターの呆れ混じりのコメントに、ルシールは顔を赤らめてうつむくばかりだ。 次いでドクターは、カバンの中を整理しながらも、首を振り振り、溜息をつき始めた。

「伯爵の方は骨折の直後、その足で愚かにも部屋を移動してくれたから、治りが遅れとる。 男ゆえの自負も、時には問題だな」

ドクターの言葉に驚き、ルシールは目をパチクリさせた。今の今まで、クロフォード伯爵が骨折していたとは知らなかったのだ。

「伯爵様は何故、骨折を?」

傍に居たマティが早速、訳知り顔で口を出して来た。

「復活祭の直後、馬車事故でさ! 馬がいきなり暴走したとかで。同乗していたプライス判事は、数個の擦り剥きで済んだけど」

ルシールは驚いて耳を傾けるばかりである。

「あの事故は絶対、闇の陰謀なんだ! 超・邪悪な宇宙人の一味が――」
「――その妄想の力を、もっと違う方向に振り向けたまえ」

マティは想像力があり過ぎる。ドクターは、ガックリしたように禿げ上がった頭に手を当てたのであった。

やがて、ドクター・ワイルドは、伯爵とクレイグ氏の往診に赴いた。 ルシールとマティは正面階段を登って行くドクターを見送ると、お茶の続きをするため、大広間へと引き返して行った。

その時、玄関広間に、いきなりダレット夫妻が現れた。ギョッとして隅っこに引っ込むルシールとマティである。

ダレット夫妻が大声でスタッフたちを呼び集めたため、玄関広間は、にわかに騒然となっていた。

「テンプルトンの集会に顔を出すわ! 馬車を出して!」
「こら、執事よ! 急いで馬車を回したまえ!」

どうやら、ダレット夫人が外出するらしい。レオポルドが執事にやかましく指示を飛ばしている。 レオポルドは、少しでも自分が命令できる部分があれば、そこを見逃さず命令するのであった。

ルシールはポカンとするのみだ。

「王様みたいね」
「王様気取りさ。伯父さんの目が届かないところでは、あんな感じだよ」

レオポルドは、隅っこでコソコソしていたルシールとマティに、目ざとく気付いた。 こういう部分では、やたらと勘が良いらしい。

「こら! ガキも女も頭(ず)が高い! このライナスを見習うんだ!」

レオポルドは不機嫌そのものと言った様子で、ルシールとマティに向かって怒鳴りつけた。 その隣では赤毛の優男・ライナスが、いつの間に調子を立て直したのか、恭しくレオポルドに頭を下げている。

「こと偉大なる貴族たる閣下が、貴き奥方様をお見送りになる……この場に同席いたす栄誉は、実に貴重と申し上げまする」

ライナスが口にした歯が浮くような社交辞令に、マティとルシールは唖然とするばかりだ。 レオポルドの方は、称賛の言葉が続けば続く程、上機嫌な様子でふんぞり返っている。

ダレット夫人が乗り込んだ馬車を見送るため、お仕着せのスタッフたちが前庭で美しく整列している。 マティとルシールは、その端に参列する形になった。 マティは、レオポルドの方からは見えにくい場所、すなわち背の高い大人たちの後ろに陣取りながらも、 小バカにしたように鼻をかき始めた。

「元・貴族なのに、筋が通らねーよ」
「元・貴族って?」
「ダレット家は準男爵なんだよ。アラシアの方も、本当はレディの称号は付かないんだぜ。 キアランの婚約者って事で、伯爵令嬢扱いだけどさ」

マティがいつもの受け売りをしている間にも、贅沢に装ったダレット夫人を乗せた金縁の大型馬車は、 前庭ロータリーを荘重なペースで回って出て行く。 その様子を眺めつつ、マティは、ブツブツと呟き続けていた。

「キアランにチクってやる……どうせ、賭博の集会なんだ」

ある意味バカバカしいほど大仰な、馬車の見送りが終わった。

レオポルドは、勢揃いしたスタッフその他を放って、万事心得た執事に正面玄関の扉を開けさせる。 そして、傲然とした態度を崩さぬまま、自分だけサッサと館内に入って行ってしまった。

あれだけゴマをすったにも関わらず、スタッフたちと共に無残に取り残されたライナスではあったが、 常にこういう扱いなのか、本人は諦めたように溜息をついただけである。

ライナスは、下心を込めた意味深な眼差しで、ルシールの方を見やった。

ルシールよりもマティが先に、その視線の意味に気付く。

「邪魔してやるもんね」

マティはライナスに向かって舌を出して見せると、唖然とするライナスを差し置いて、ルシールの腕にピッタリと取り付く。 ライナスに目を向けかけていたルシールは、当然、マティを注目する形になった。

「庭園の散歩に行こうよ、ルシール」

ルシールは不思議そうにしながらも、快くうなづいた。マティは、ちゃっかりとルシールを横取りしたのである。

――あのクソガキ、マセやがって。トッド家の何とやらと言うが……単なる悪ガキだろ!!

マティに『鬼たちの居ぬ間のルシールとのデート』を横取りされると言う形になったライナスは、ただ震えるのみだった。 ちなみに、此処で言う『鬼たち』と言うのが誰を差すのかは、此処では、館内の平穏を保つため、内緒にしておこう。

*****

館の最上階フロア、クロフォード伯爵の応接間。

ドクター・ワイルドはいつものように、松葉杖を突いて部屋を歩き回る伯爵を注意深く観察していた。 ドクターはカルテに診察結果を記録しながらも、徐々に疑問顔になって行く。

「昨日から骨折の治癒が早まっておるようです。最近、何か変わった事がありましたか?」
「いや、特には……」

ドクターに問われ、伯爵は不思議そうな顔をしながらも、首を振った。 しかし、一緒に居たクレイグ氏は思い当たる事があった様子で、茶カップを口から離した。

「もしかして……ルシール嬢のハープ演奏ではありませんか?」
「ハープ?」

ドクターは片眼鏡を外しながら、クレイグ氏を振り返った。クレイグ氏は笑みを浮かべながら、説明を追加した。

「あのルシール嬢は、ハープについては、レディ・オリヴィアの弟子だそうですよ」

ドクター・ワイルドは驚きの余り、片眼鏡を持ったまま固まった。

「オリヴィア・ゴールドベリ!? アシュコートの緑の森の魔女……!」
「ご存知で?」

流石にドクターの劇的な反応は、クレイグ氏を驚かせる物だった。ドクターはうんちくを語った。

「ゴールドベリ一族は、知る人ぞ知るヒーラーの一族でして……古代、 我が国の開祖の王室で、侍医を務めたと言う歴史もあるんです。 一族は特別な耳を持っていて、治癒の力を持つハープの技術を伝承している……ゴールドベリを知らない医者は、 モグリですぞ!」

そして、ドクターは訝しそうに眉根を寄せた。

「ライト嬢は一族じゃ無い……生まれる前から魔女の傍に居たとかでは、まさか無いでしょうな」

――しかし、実際は、その『まさか』なのであった。

「確かそう言っていましたね。馬車事故で母親が怪我していた頃、 レディ・オリヴィアが、ハープを使って治療に当たっていたとか……」

クレイグ氏の説明を聞き、感心したように溜息をついて首を振るドクターである。

「実に驚きですな……訓練された耳を持っておった訳じゃ」

次いでドクターは、椅子に座った伯爵を振り返ると、何やら確信を持った様子で質問を投げた。

「骨折部分は余り痛まない筈じゃが、如何です?」
「実際、痛みは格段に減っているんだが……と言うよりは、ムズムズするな」

伯爵は、驚きを込めた眼差しで、骨折した片脚を見下ろした。 伯爵の言葉に、ドクターは納得したようにうなづいている。

「骨折部の接着の進行が早まっているからですよ。階段昇降の件、明日の診察で決めましょう」

*****

庭園の茂みの中、マティとルシールは、子犬のパピィをモフモフしていた。

マティは、いつの間にか失敬して来た朝食の肉の残りを、パピィの前で見せびらかす。 すると、パピィはエサに食い付こうと跳ね回り、忍者よろしく見事な宙返りを披露したのであった。

不意に、正門を通る馬車の音が響いて来た。馬車の音は、次第に近づいて来る。 ルシールは驚いて、音のする方向を振り向いた。

「……馬車の音が?」

風が強く、木々のざわめきが大きいため、マティは馬車の音を拾えずポカンとしていた。 このルシールの音の弁別能力は、ハープ演奏で鍛えられたものだ。

マティは早速、茂みの中から前庭ロータリーを窺い、本当に馬車が走って来るのを確認した。 ダレット夫人が乗って行った金縁の大型馬車に良く似ている馬車だ――御者は別人だが。

「ホントだ!」
「ダレット夫人が帰って来てる!?」

――でも、ダレット夫人は先ほど、出発したばかりだったわ。とんぼ返り!?

「そんな筈は……隠れて!」

マティは慌てながらも、ルシールを茂みの中に引き込んだ。

馬車の中から現れたのは、きらびやかなドレスに身を包んだ金髪の美少女だ。

「アラシアだ!」

マティは目を丸くして驚きながらも、すぐに頭の中で合点がいっていた。 ローズ・パーク舞踏会の夜が明けて、招待客が次々に帰路につき、アラシアをチヤホヤしていた徹夜組の取り巻きも少なくなったのだ。 取り巻きの誰かにおねだりして、一番良い馬車を提供してもらったのに違いない。

馬車の傍には早速、レオポルドとライナスが近付いて来ていた。アラシアは、けだるそうな様子で帽子を外した。

「キアランは何処かしら」
「あの堅物は仕事の虫さ」

レオポルドは館の方を見やり、口を歪めて答えている。

「退屈な人ね! あたくし今眠いから、先に寝室の方に行くわ」
「こよなく美しきレディ・アラシア! 是非エスコートの栄誉をば私に……」

アラシアは、恭しく頭を下げているライナスに向かって、手に持っていた帽子を乱雑に放った。

レオポルドとアラシアは、従者よろしくライナスを従え、 さながら『我らこそが館の主たるクロフォード伯爵とクロフォード伯爵令嬢』と言った風だ。 館のスタッフたちが美しく整列して出迎える中、館内に傲然と入って行く。

貴族的な雰囲気の親子だけに、見事な物語絵のワンシーンのようにハマっている。 実際、事情を知らない者の目から見れば、思わず溜息をついて感嘆するような、きらびやかな光景だ。

ルシールは苦笑して肩をすくめた。

「夜更かししてたのね……若い頃は良く夜更かしするものなのよ」
「ルシールも夜更かしした事あるの?」
「勿論ハープよ、アンジェラとの二重奏とかね」

マティとルシールは、先日の方向とは違う方向に向かって、庭園の小道を歩き出した。

7.クロフォード伯爵邸…邂逅する謎〔三〕

一陣の風が再び吹き渡り、特徴のある花の香りを運んで来る。

風の方向に向かって庭園の小道を折れたルシールは、行く手にライラックの木を見付けた。

「早咲きのライラック……」

ルシールは感心して、手元に届く範囲の枝を調べた。 本番の季節にはまだ早いが、ここ数日の上天気に誘われたのか、幾つかの枝が薄紫色の花を付けていた。

ルシールは早速、数本の枝をゲットした。ニッコリ微笑んで、今日の成果をマティに披露する。

「五弁の花が咲いてる……何か良い事あるかもよ」
「どういう事?」
「五弁の花のライラックを見つけると、ハッピーになるって言い伝えがあるの……聞いた事は無い?」
「初耳だよ」

ゲットした枝は、いずれも鑑賞に堪える程度の花を付けていた。

――伯爵様のお見舞いに差し上げてみようかしら……

あれこれと思案していたルシールは、風が更に強くなってきた事に気付き、空を見上げた。

雲が速く流れ、天空の一角で壮大な固まりを作っている。 雲の切れ間から昼下がりのまばゆい陽光が差し込み、薄明光線を形作っていた。 雲の切れ間の生成消滅に従って、刻々と位置を変える幾本もの光の筋。 えも言われぬ程の、圧倒的で、荘厳な眺めだ。

「雲の模様が変な感じ?」
「こりゃまたでかい嵐だよ、しかも雷がセットで……」

マティは、空を見上げると、即座に恐るべき天気を予報したのであった。

「ディナー前に、またパピィをバルコニーに連れて来て良いかい?」
「勿論よ」

マティは早速、飛ぶように駆け去って行ったパピィを呼びながら、後を付いて駆け出して行く。

「パピィ! 戻っておいでよ、パピィ!」

しかし、当のパピィは、既にあの庭園道具の倉庫の奥に入り込んでしまい、なかなか出て来ない状態だったのである。

「問題発生?」
「パピィが倉庫の奥に入り込んで出て来ないんだ。何かお気に入りが転がってるらしくてガチャガチャと……前にも、 なかなか出て来ない事が結構あったんだ」

ルシールはマティの傍に近付き、無残に破壊されている入口の方から、慎重に倉庫の奥を窺った。 倉庫の奥の方は色々と立て込んでいて、薄暗い感じだ。

「一体どうやってパピィを出したら良いのかしら」
「車庫からランプを拝借ッ!」

マティはクルリと身を返して駆け出すと、最寄りの車庫からランプを取り出して来た。

やがて倉庫の奥がランプに照らされる。ルシールの手によって、パピィは、じゃれている物から引き離された。 ルシールはパピィの遊び道具を眺めると、目を見張った。

「これは、大枝を切る大型の……」

背丈の半分以上もありそうなサイズの、パワフルなハサミだ。本来の場所に取り付けられておらず、乱暴に放り出されている。

「この倉庫を壊した人が、ついでに扉の方から投げ込んだみたいね……」
「扉の方から投げ込んだって?」
「私の祖父なら、こんな場所には置かないわよ。大型ハサミの定位置は、多分、あちらの壁」

その壁も破壊の余波を受けて歪んでいたが、内部構造は意外に頑張っていたのか、 大型の道具が順番に取り付けられてある。大型ハサミの定位置と思しき場所だけ、まばらに空白になっていた。

不意に、マティは閃いた。

――この大型ハサミは、もしかして――

マティは、奇妙にゆっくりとした口調で、ルシールに疑問を投げた。

「ねえ、ルシール……この大型ハサミ、裏の柵も破壊できると思う?」
「やって出来ない事は無いと思うわ、普通の木製の柵だし」

マティの問いの意図が分からないルシールは、モヤモヤした物を感じながらも首を傾げた。

「何か、考えてる?」
「うん……前から引っ掛かってた事があってさ……」

それきり、マティは沈黙した。マティの様子が急変した事に、ルシールは更に首を傾げた。 そのまま、パピィを外に連れ出し、間に合わせの紐でパピィの身体を結ぶ。

「いい子ね、パピィ。いきなり居なくならないように、此処で待ってて」

無邪気そのもののパピィは、上機嫌で亜麻色の尻尾をモフモフと振っている。

その間にもマティは大型ハサミを詳細に調べ続け――そして、すぐに驚いたような声を上げた。

「ハサミのネジに、何かが光って……」

マティはネジ穴の間に挟まっていた光り物を外すと、ランプの光で観察し始める。

ネジよりも幾分大きいサイズで、何やらキラキラと光っているのだ。

「パピィは光り物が好きで……」

マティは早速、戻って来たルシールに発見物を見せた。ルシールは仰天した。

「宝石細工のカフスボタン!?」
「カフスボタン? ……あの、袖口にくっつけるヤツ?」

マティには、大人のファッションの知識は余り無かったのである。 ルシールは、驚き覚めやらぬまま、カフスボタンを見つめた。

「見事なカットのダイヤモンドね……とても綺麗! ボタンとしては、片割れしか無いみたいだけど……」
「ルシールの目の色の方が、断然綺麗だよ」

マティは意味深な目付きだ。キョトンとするルシールに、ランプを向けるマティである。

「ほら、レディ・アメジスト!」

ランプの光が入って、ルシールの目はアメジスト色にきらめいたのであった。

「それどころじゃ無いわよ、マティ! 判事に届けないと……こんなに高価な落とし物、きっと誰かが困ってるわ」

ルシールは頬を染めながら倉庫を飛び出した――暗い倉庫の中のランプの光は、 フラッシュバックさながらに、馬車の中、ランプの下でキアランと急接近した出来事を思い出させたのだ。 マティと気が合うのも納得だと思えるくらい、キアランの態度は『妙』だった。

――『妙』と言うのも何か変だわ。いや、特に変とか、異常とか言う訳じゃ無いけど!

マティは、ルシールの迷走したような反応に首を傾げながらも、 大人しくルシールの後に続いて、倉庫を出た。いつもなら、ませた物言いでルシールに突っ込むところだが、 物凄い勢いで、カフスの事が気になり始めていたのである。

ランプを元の場所に戻すと、マティは、改めて陽光の下で、カフスボタンを眺めた。

問題のカフスボタンは、まばゆいばかりにキラキラと光っている。 ダイヤモンドやら何やらの価値は良く分からないが、高度な宝飾細工が施されている事は一目で分かる。 確かにパピィが夢中になるほどの見事な光り物だ。

ルシールと連れ立って館へと戻っている間も、マティの頭は、 この場違いなまでに豪華なカフスボタンの謎について、猛烈に推理を進めていた。

――困っている? 勿論だ! アントンの倉庫を破壊し、 東側の裏の柵を破壊して、大型ハサミを投げ込んだ犯人が……ね!

館へ戻る途中の二人は、厩舎の脇の道に入った。

マティは厩舎に新しくつながれた馬を見るなり、ピョンピョン飛び跳ねながら指差した。

「判事の噂をすれば、判事の影が来た! ――あれ、判事の馬なんだ」
「まあ、納得の大きさ」

立派な体格の大きな馬だ。あの大男を乗せるのに相応しい頑健さが感じられる。 ルシールは、その馬をしげしげと眺め、感心するのみだった。

マティとルシールは、正面玄関の扉を通った。 ちょうど玄関広間を通りかかった執事が二人を見て、少し驚きながらも軽く会釈して来る。

「お帰りなさいませ、マティ様、ライト嬢」
「判事は何処?」
「皆さんとご一緒に大広間においでで」

マティは早速、大広間の扉に駆け寄り、勢い良く扉を開いた。

「プライス判事ーッ!」
「おうッ、坊主か」

マティが元気良く大広間に駆け込む。プライス判事は、大広間の中央から外れた辺りで茶を一服していたところで、 大広間の扉の傍で手を振るマティの姿を認めると、愉快そうな笑みを浮かべたのであった。

大広間では、レオポルドとライナスとアラシアが、上座の別々のソファに並んで座っていた。

プライス判事とキアランは彼らから少し距離を置いて立っており、 めいめい円卓や椅子の背に手を掛けて楽にしながら何やら相談していた。 ライラックの枝を抱えて現れたルシールに気付くと、二人とも揃って「おや」と言ったように姿勢を正した。

マティに続いて入って来たルシールが、大広間の面々に敬意を表して、綺麗な会釈をした。 その正統派の貴婦人さながらの所作は、庭園作業着の姿だという事を忘れさせる程の優雅さで、 流石のレオポルドも一瞬、会釈を返しそうになった程だった。

アラシアは、キアランのルシールへの関心ぶりに目ざとく気付き、一気に不機嫌になった。 キアランは、一瞬たりともルシールから目を離していなかったのである。

プライス判事の大きな身体の周りをクルリと回ったマティは、早速アラシアに、「何の用?」とギロリと睨まれてしまった。

「アラシアは一段と、ご機嫌斜めじゃんか」

口だけは、いっちょまえにボヤいて見せるマティである。プライス判事もマティに合わせて背をかがめ、ヒソヒソと返す。

「気にすんな、マティ坊主よ。こっちも、一時間以上も舞踏会の話を聞かされて、うんざりしていたんだから」

――美少女が目を吊り上げると、凄い迫力だわ!

マティとプライス判事の後ろにはなったものの、アラシアの不機嫌な視線にさらされて、 ひたすら青ざめるばかりのルシールである。

プライス判事はルシールを見ると何かを思い出したようで、「おッ、そうだ」と言いながら身を起こした。

「今日、カーターから新しい伝言が……」
「こっちの話が最優先だよ! こんなもん見つけてさ」

いつもながら、マティは見事な割り込みぶりを示した。ルシールも「マティの話を先に」と、マティを指し示す。

判事は再び大きな身体をかがめ、マティの手に乗った代物を注目である。

そして、当然ながら判事は、驚きに目を丸くしたのであった。

「こ……こりゃ、また贅沢なカフスだな! 誰のだ!?」

判事の手には、まばゆいばかりのダイヤモンドが埋め込まれたカフスボタンがある。 小粒なれど、その輝きと言い色合いと言い、間違いなく一級品だ。キアランも思わずカフスボタンを注目した。

判事はカフスボタンをひっくり返し、そこに持ち主の頭文字らしき刻印が打たれている事に気付いた。

「何か、独特な感じの『L』の刻印が……」

判事の言葉に、キアランは内心ギョッとしていた。 『L』の刻印と言えば、ルシールの持っているアメジストのブローチにも、『L』の刻印がある。

「こりゃ息子のだな」

順番にカフスボタンを渡されたレオポルドは、贅沢なカフスボタンを一目見るなり断定した。 流石に育ちが違うというのか、この辺りは見る目はシッカリとあるのだ。

「この頭文字『L』は、レナードのためのデザインで……この『R・S』の刻印が、 『ロイヤル・ストーン』ブランドの証拠だ」
「レナード様の物でしたか! 道理で、上品で高級な品で……」

早速、見え透いたゴマすりを始めるライナスである。

「お黙り、ライナス!」

アラシアの、不機嫌そのものの大声が、キンキンと響き渡った。

「何で兄の物をマティが持っているのか、是非、聞きたいわね! 盗んだんでしょ、 このコソ泥が! その茶ネズミも、共犯だわね!」

アラシアは高価なマニキュアを施した指を、マティとルシールに向かって突き付けた。 アラシアの急変に慣れているマティは片眉を上げただけだったが、ルシールは再び青ざめて固まった。

アラシアの非難の叫びは続いた。

「それはママが兄にあげた物よ! 最近、宝石泥棒に盗まれたとかで大騒動だったわ!  兄の銀行口座には上限が掛かってて、満足に宝石も買えなくて困ってるし!」

そしてアラシアは、また急にコロリと態度を変えて立ち上がり、 予期せぬ運命に苦しむいたいけなヒロインと言った風で、キアランに優雅に取りすがった。

「ねえ、でもキアラン様なら利用上限の解除、お手の物でしょ……あたくしに免じて、哀れな兄の状態を楽にして下さる?」

キアランは表情を変えずに、カカシよろしくムッツリと突っ立っているだけだ。

マティもプライス判事も、そしてライナスも慣れているのか、 我関せずと言った様子で『アラシア劇場』を見物しているだけだ。

ルシールの方は、アラシアの余りにもドラマチックな激変に、開いた口が塞がらない状態だ。 アラシアの気質に慣れるのには、大変な工夫が要りそうである。

アラシアはクルリと身を返し、何やら考えていたレオポルドの手から、キラキラ光るカフスボタンをサッと取り上げた。

「ねえパパ! あたくしが、このカフスもらうわ! イヤリングとかに加工すれば、ぐっと良くなる筈よ!」

一瞬、ポカンとするレオポルドである。 レオポルドと言えども、世間一般の父親と同様に、我が娘たるアラシアには甘いようだ。

ライナスは早速、詩的な言葉を駆使して、新たなゴマすりを始めた。

「おお、レディ・アラシア、並ぶものなき美の上に、更に輝きを増しておられる」
「新年の社交で話題だったのよ、このダイヤ!」

アラシアは、新たな称賛の言葉に、上機嫌になった様子だ。

もはや、マティは鼻をかきながら見物している。ルシールは呆気に取られるままだった。

「加工するとしたら、『ロイヤル・ストーン』系列がやはり良いな……テンプルトン商店街のな」

レオポルドは、人に聞こえるような大声で呟いた――文字通り、人に聞かせるための呟きである。

「おーい、執事! カタログは何処だ!」

レオポルドは、傍若無人な態度で、傲然と立ち上がった。 扉の裏に控えていた執事が、如何にもベテランと言った風でサッと現れ、レオポルドの『お尋ね』に滑らかに答えた。

「ファッション雑誌の最新号は、いつも通りダレット嬢の部屋に配達してございます」

アラシアは、マティとルシールを完全無視しながら、優雅な歩みで大広間を退出して行った。 ライナスにエスコートしてもらっていたアラシアは、扉を通過するタイミングでルシールの方を振り返り、 見せ付けるような笑みを浮かべたのであった。

ルシールの傍に居たマティは、アラシアの嘲笑的な笑みに気付いていた。 いっそう鼻をかきながらも、マティはむくれた様子で呟いた。

「アテクシに免じてじゃ無くて、ルシールに免じて、じゃ無いかな」

ルシールはマティの言葉の意味が分からず、ポカンとしてマティを見つめるばかりだった。

『面倒』が自分から立ち去ってくれた――プライス判事は、あからさまにホッとした様子で伸びをしている。 そして早速、マティとルシールを振り返ったプライス判事は、如何にも治安判事と言った口調で問いを投げた。

「あのカフスは、一体どうやって見つけたんだ?」

――まさか、子犬(パピィ)をこっそりと飼ってる……とは口が裂けても言えないわ!

一瞬ドキリとした後、顔を赤らめて、不自然に口ごもるルシールである。

マティの方は、男の子らしく胸を張っていた。

「車庫近くで発見したんだ!」
「ふむ! これは重大な発見だ!」

ルシールの不自然な反応に、気付いたのか気付かなかったのか――マティに合わせて、 殊更に生真面目な顔つきをして判事はうなづいた。 そして判事は真顔になると、次々に湧き上がって来た疑いを口に出し始めた。

「レオポルド殿はレナードの物だと言うがな……そのレナード、 『復活祭』当日の日付の通達で、この館への出入り禁止を食らってるぞ。 その出入り禁止の通達は、まさにキアラン君が作成した文書だ――だったよな?」

キアランは同意の印に、軽くうなづいた。判事の疑問は続いた。

「レナードは新年社交の後は、この館には来ていないぞ。テンプルトンのゴタゴタでな――それなのに、 ここ三ヶ月の間、近づきもしなかったこの館の敷地に、最近失せたカフスがあったと……?」

プライス判事の眉間には、深いシワが刻まれていく。

ルシールから残りのお茶を淹れてもらっていたマティは、判事の疑問に、早速の回答を与えた。

「レナードは、この間入って来たじゃんか……最近まで門番にもバレずに侵入可能だったって事だよ」

その指摘に、判事はハッと息を呑んだ。

マティは茶カップに口をつけながら、意味深な顔つきで指摘を続ける。

「重大なのは、あいつが何を仕込んでたかって事なんだ」
「何を仕込んだって?」

判事が聞き返す。マティの頭脳が働き始めた事に気付いたキアランは、沈黙したまま先を促した。

「庭園の裏の柵は壊されてたんだよ。アントンが生きてりゃ、絶対に気が付いた筈さ。アントンは新年の社交シーズンど真ん中、 不審の死を遂げている――だから、レナードは極秘に破壊工作を進める事ができた。誰にも見られずに侵入できるように」

そこでマティは口を閉じ、少しの間、眉根を寄せて考えていた。そして不機嫌そうに、ブツブツと言葉を続けたのであった。

「口座の制限食らってて、よっぽどヤマシイお金が欲しかったんじゃねーの。 ベル夫人が言ってた……オイラのお小遣いの消滅含む使途不明金、柵を塞いだ後は出てないんだってさ」

そこまで言うと、マティは、ググッとコブシを握り締めた。

「オイラのお小遣いにまで手をつけていたと分かったアカツキには……レナード・ダレット!  想像もつかないような倍返しをしてやるぜ!」

マティの本気の決心を悟り、ギョッとして思わず後ずさるルシールである。

あのダレット家の御曹司レナードが、復活祭を境に館への出入り禁止を食らっていたと言うのも驚きだし、 窃盗や不法侵入、及び施設破壊といった多彩な疑惑にも驚きだ。だが、事情を知らぬ部外者が、口を出すべき問題では無い。 ルシールは困惑しながらも、礼儀正しく口をつぐむのみだ。

判事は、「あの落ちてたと言うカフス以外、証拠は無いが……」と驚き呆れている。

近ごろ行方不明になっていたと言うレナードのカフスボタンが、何故か館の敷地の中に落ちていた。 館の庭園の裏の柵が、『復活祭』の時点で、既にひそかに壊されていた。 レナードは、柵が塞がれる前までは、館の中にコソコソと侵入可能であった。

――これらの事実から、マティは、これだけの推理を組み立てたのだ。

「すごい頭脳だな」とキアランも感心している様子であった。

*****

その後、暫しの間、マティ、ルシール、キアラン、プライス判事の間で、軽く談笑が続いた。

一区切りついたところで、メイドの手によって手頃な花瓶が大広間に届けられ、 ルシールは、その花瓶にライラックの花を活け始めた。

プライス判事は興味深そうにしげしげと眺めた後、ルシールに声を掛ける。

「フラワー・アレンジ?」
「母に教わりました」

納得顔の判事は、次に、かねてからの用件を思い出した。

「おッ、そうだ、ライト嬢。カーターからの伝言があってな。 前々から修正報告書の発送が遅れていたが、定期便と一緒に発送されたから、明後日にも到着するだろうと……」

ルシールは、すぐにピンと来た。母親アイリスの死亡報告書そのものに関する文書ミスや、 そこにあった診断ミスの修正である。

「まあ、そうですか……医学データのミスも、やっと修正ですね」

ルシールは感慨深げに呟いた。何しろ20年以上も放置されていた食い違いだったのである。

「医学データ?」

判事が不思議そうにオウム返しにして来た。ルシールは微笑みながら、事情説明を加える。

「母の妊娠時期が、診断ミスのお蔭で四ヶ月ずれて記録されていたんです。 アンジェラのデータと取り違えが起きたのも、そのミスの影響で……。とは言え、公爵令嬢と取り違えられるのも、何だか光栄ですわ」

判事は大いに納得したようだった。

「そりゃ、本人の確認では大混乱だったに違いないな! あのカーターすら、三ヶ月も手こずったとか言ってたし……」

その話は、キアランにも覚えがあった。 アシュコートでも、馬車移動の折にカーター氏が、 『レディ・オリヴィア談』として少々説明していたのだが、今まで失念していたのである。 ルシールの母親は当時、本当は妊娠六ヶ月だったのに、診断ミスのお蔭で妊娠二ヶ月だと記録されてしまっていたのだ。

マティは暫し考え、 「ルシールは、お腹にいた時から実際より若く見えたって事?」と突っ込み、判事の笑いを誘っていた。

*****

やがて、ライラックのフラワー・アレンジが完成した。 ルシールはライラックを伯爵のお見舞いに持って行くため、一旦、大広間を退出した。

「ディナーの時に、またね」と声を掛けるマティである。

マティは、ルシールが大広間を退出した後も、忙しく推理を続けていた。まだ引っ掛かっている謎があるのだ。

それは、何故、クロフォード伯爵が骨折するような馬車事故が起きたのかと言う謎である。

――リチャード伯父さんが吹っ飛んだあの馬車事故も、 レナードが裏の柵からひそかに侵入できていた期間に発生していたんだぜ……

何故、馬が暴走したのか。余りにも、不自然な事故だ。

――レナードに魔法が使えるとは、とても思えないけど……

マティは更に、ずっと引っ掛かっていた記憶を呼び出した。

メチャクチャに破壊されていた、アントンの庭園道具の倉庫。

ルシールが示した、不自然に放り出された小型ハサミ。

あの小型ハサミの刃先には、ハサミが得体の知れぬ誰かに使われていた事を示す樹液のシミがついていて、 しかも日にちが経って錆びかかっていた。

――レナードが、大型ハサミだけで無く、あの小型ハサミも使ったのなら。彼は、一体、何の枝を切ったのだろう――

8.クロフォード伯爵邸…レディ・アメジスト

夕方と言うには、少しばかり早い時刻である。

強い風に乗って雲が次々に流れ、太陽は雲間の中で更に傾き、薄明光線が赤らみを増した。 分厚い雲が作る散乱反射の中で、辺りは急速に夕方を思わせる光を湛え始めた。

館の最上階にある応接間の中で、クロフォード伯爵はルシールの来訪を歓迎していた。

「お見舞いとはまた嬉しいよ、ライト嬢」
「馬車事故で骨折されたとお聞きして……オリヴィア様みたいに、元から脚がお悪いのだと思っていたので、驚きましたわ」

伯爵と一緒に居たクレイグ氏が、訳知り顔で苦笑した。

「私の孫が喋ったんですな。時々、言い付けを忘れるんですよ、あのイタズラっ子は……」

伯爵も苦笑して肩をすくめた。ルシールは一礼すると、傍のテーブルにライラックの花瓶を置いた。

「そう言えば、ライト嬢の母親も馬車事故で骨折したとか……」
「母の場合はアバラでしたわ。その時に折れた骨が肺を傷つけたので、長く吐き気が続いて大変だったそうです」

クレイグ氏は、ゆっくりと伯爵の隣の椅子に座ると、ルシールに語り掛けた。

「事故があったの、二月でしょう? 風邪ひかなくて幸いでしたな。その当時、彼女は妊娠二ヶ月だったと聞きましたよ」
「あ……、それは違いますね。その時は母は、正確には妊娠六ヶ月でした」

ルシールはそう言うと、再びライラックの花瓶のレイアウトに集中し始めた。

一方、伯爵は、何が引っ掛かったのか、「え?」と不思議そうな声を洩らしている。

「母のお腹は、妊娠六ヶ月にしては非常に小さなお腹だったそうです。 その上に、お医者様がまだ新人で、肺の怪我から来る吐き気をつわりと間違えてしまって……つわりの時期、 即ち妊娠二ヶ月……と診断したそうなんです」

――そう言えば、さっき、プライス判事が、修正報告書がもうじき届くとおっしゃってたわ。

ルシールはそれを思い出すと、ニッコリしながら話を続けた。

「近く修正報告書が到着だそうで……」
「ちょっと待って下さい」

クレイグ氏が慌てたように、ルシールの話を遮った。

「あなたは……何月に生まれたんですか?」
「六月生まれです」

ルシールは記憶を整理するため、わずかに上向いて考え始めた。 ルシールの視線を外れたところで――伯爵とクレイグ氏は、揃って絶句している。

「――母は、前年九月に結婚していたようですが、詳しくは知らなくて。 結婚指輪はあったし、父がアメジストのブローチも贈っていたのは確かですけど……」

ルシールの説明を聞いている伯爵とクレイグ氏は、奇妙に沈黙したまま、固まっていた。 やがて、伯爵が口を開く。

「アメジストのブローチ?」

そう言う伯爵の表情は、大窓から差し込んでくる夕陽の陰になって、不明瞭だ。

ルシールは、伯爵の顔色の変化には気付かなかった。いつものように微笑み、 手提げ袋の中からアメジストのブローチを取り出すと、伯爵に見せたのであった。

バラの線描を切り出したかのような繊細な意匠。そこに、緻密に埋め込まれたアメジストの粒。 20年以上前の品だけあって相応に古い物ではあったが、 適切な管理が続いていた事もあって物の状態は良く、かつての輝きは、そのままだ。

伯爵はブローチを手に取ると、慎重に表と裏を返しながら観察し始めた。

「これは……」
「そのブローチの贈り主が、つまり私の父なんです」

ルシールは、どうやら伯爵が呆然としてブローチに見入っているらしいという事に、ボンヤリとながら気付いた。

「――どうか、されましたか?」

しかし、それに対する回答は、宙ぶらりんになったのである。その時、執事がノックをして応接間に入って来たのだ。

「失礼致します、閣下……署名文書をお持ちしました」

当然と言うべきか、クロフォード伯爵は午後の業務の途中だったのだ。 ルシールは、そろそろ頃合と判断して手提げ袋とブローチを手に取ると、一礼して速やかに応接間を退出して行った。

*****

クロフォード伯爵へのお見舞いは、思ったより早く済んだ形になった。

ディナーのために服装を整えた後も、ディナーまでには少しばかり時間がある。

舞踏会仕様にしていた黒服を縫い直せる程の余裕は無く、 ルシールは比較的に綺麗な方の作業用シャツに着替え、サテンのリボンをいつものように着けただけだ。

レオポルドとアラシアがルシールの存在を快く思っていないのは確かであり、 ルシールは彼らとの遭遇を避けるため壮麗な大広間には入らず、書斎の方に立ち寄った。

――流石に伯爵邸の書斎には、蔵書がいっぱいだわ!

なかなか有意義な時間を過ごせそうだ。ルシールは本を選ぶと、窓の外に広がる空に目をやった。

風は強まり、雲は分厚くなっていた。空は鮮やかなまでの夕焼けに染まりながらも、大嵐の兆しをそこかしこに散りばめている。 今夜は荒れるに違いない。

館の東側に位置する書斎の中は、流石に薄暗くなっている。ルシールは書斎の大窓を開けて、比較的に明るい南側の敷地に出た。 中庭への入口となるそのスペースには、ちょっとした素敵なあずまやがあり、 かつ周りの庭木が強い風を防ぐようになっていて、読書にピッタリの場所を提供していたのだ。

*****

一日の業務を終わらせたキアランが、資料を書斎に戻しに行くと――当然ながら、開いたままの南側の大窓を目にした。

――誰か、外に出たのか。

キアランは、窓から身を出して辺りを窺った。そして、中庭の入口にある庭木の間のあずまやの中に、 読書中のルシールの姿を見付けたのであった。

小柄で華奢な体格のルシールは、夕方の木漏れ陽を受けて、いっそう妖精のように見える。

キアランは、そっと近付いて行った。

「ルシール?」
「あら? キアラン様?」

ルシールは目を丸くして振り返った――その目には、最初の頃のような恐怖の色は無い。

いつもと違う呼び名にキアランは驚き、ルシールを見直した。

ルシールの方も、今さらながらに顔を赤らめて、口を押さえている。

「済みません、リドゲート卿……ダレット嬢のが思わず移っていたみたいで……」

――確かにアラシアは、いつも『キアラン』と言う呼び掛けをする。

キアランは、ごく軽くうなづいて見せると、ルシールに更に一歩近づいた。

「成る程……それなら、ダレット嬢に多少は、感謝は出来るかも知れません」
「まあ、それなら良かったですわ……可愛い婚約者と、一歩前進ですね」
「……婚約者?」
「マティから聞きました」

ルシールは、満面に無邪気な笑みを浮かべている。

――マティは変なところで口が軽すぎる。

キアランは溜息をついて、ガックリとあずまやの柵にもたれるのみだ。 その様子を見て、ルシールは小首を傾げたのであった。

キアランは、やがて口を開いた。

「父のお見舞いを有難うございます……ルシールは、父と気が合うようですね」
「伯爵様はお優しい方ですね」

ルシールは微笑んだ。キアランは首を傾け、ルシールが読書中の本に目をやった。

「――その本は、書斎から?」

本のタイトルは『判決事例の解説』である。目をパチクリさせるキアラン。

ルシールは、持っていた本の間から、栞代わりにしていたアントン氏の私信を引き抜いた。 そして、キアランに本を手渡す。

「タイター氏の隙を突けないかと思いまして」

キアランは本を受け取ると、ルシールの横に並び、相続問題の解説があるページを開いて、ザッと目を通した。

「父親不明問題を突破する方法は、余り無いですね」
「……そうですよね。ビリントン家はライト家の本家に当たりますから、余計難しいとか……」

ルシールは、うつむいて黙り込んだ。そして、また言葉を続けた。

「相続問題が紛糾するとは思わなくて……クロフォード方には、大変ご迷惑おかけしてしまいましたわ」

一陣の風が吹き、ルシールの前髪を吹き上げた。 お見舞い用のライラックの花からの移り香が残っていたらしく、微かに甘い香りが散った。 ルシールの妖精のような繊細な面差しが露わになり、暫し横目で見入ったキアランは、やがて再び手元の本に目を落とした。

「……突破口は、全く無い訳では無い……」

必要な内容を一通り確認したキアランは、おもむろに本を閉じ、 相変わらずのムッツリとした口調で――しかし、ルシールの人生をガラリと変えるような重大な提案を始めた。

「私と結婚すれば、強力な社会的立場が保証されますから……この方法は如何ですか、ルシール?」
「検討に値するかと……」

ルシールは――ボンヤリと思案したまま、首を傾げていた。

そして次の一瞬、ルシールはキアランの提案の『重大な意味』に気付いた。 ギョッとする余り、口を開けたまま、パッと振り向く。

「今……あの、何とおっしゃいました!?」
「少し前の事例で、夫の社会的地位が不備を補うとした決着があります。 私とルシールが結婚すれば良い……ローズ・パーク相続の問題は、ほぼ解決すると思いますが」

ほとんど『求婚』と解釈して良い程の重大な提案であった――しかし、 キアランは、いつものようにムッツリとした冷静な態度を保っていた。

ルシールは、開いた口が塞がらない。驚きの余り二倍くらいの大きさになった目を白黒させるのみだ。

――ちょっと待って、結婚って! 一体、何がどうして――そんな重大な事を、こんなにあっさりと決めたりする――!?

「何か、冗談をおっしゃっているとしか思えません……ダレット嬢が、婚約者の――」

何とか言い返したものの、ルシールの言葉は、ルシール自身にも分かる程に、混乱の余り意味を成していなかった。 しかし、キアランは何故か、ルシールの言いたい事を正確に理解した様子だ。

「クロフォードの方では、その婚約話は、公式には認知もしていません」

ルシールはすっかり動転していた。キアランが何を言って返して来たのかという事も、正確には分からない。

「キアラン様は――いえ、リドゲート卿は、衝動的に何かを決定するような、お方には見えないですし……この、 お話自体が、全く不自然な上に間違っているとしか――あの、冷静に落ち着いて……」
「私は至って冷静ですよ」

律儀かつ冷静に、ムッツリとした口調で答えるキアランである。 『落ち着いて』と言いながらも、実際に落ち着いていないのは、ルシールの方だ。

「元の血筋を考えてみても、特に身分違いと言う訳では無い……」

キアランは、確信していた。

――ルシールの実の父親がレオポルドである可能性は、ほぼ90%以上の確率で確かなのだ。

私生児ではあるが、ルシールは、元の血筋から言えば次代クロフォード伯爵夫人の候補たるアラシアと同じ立ち位置になる。 偶然とはいえ、嗣子相続に関する難しい法的基準を、キッチリと満たしているのだ。 血縁関係の公認には手こずるだろうが、ルシールを伯爵夫人に迎えるという未来が、もしも、可能ならば――

ルシールは、キアランがこのように考えていると言う事など、つゆとも知らなかった。 キアランとルシールの会話は、その意図からして、奇妙にすれ違い続けた。

「ダレットの皆サマと関係が上手くいってないから、こんな話になって来たとしか……」
「何故ダレット一家が、そこで出て来るんですか?」
「婚約者に対する態度としては、ダレット嬢への態度は、あっさり……と言うよりも、明らかに冷淡過ぎるんですわ」

だから縁組が上手く行かないのだと続けようとしたが――身体の向きを変え、ルシールの真正面を取ったキアランは、 しかしルシールの話を真面目に聞いていなかった。こころもち首を傾け、ルシールの顔をひたと見つめるばかりだ。

「浅い角度で光が入って……紫色ですね」

夕陽が差したルシールの目は、宝石のようなアメジスト色だ。

また一歩、キアランに接近されて、ギョッとするルシールだった。

*****

同じ頃。

クロフォード伯爵は、文書の確認と署名を済ませた後、思案に暮れながら、松葉杖を突いて部屋を歩き回っていた。 そして、南側に面する窓際に立ち寄り、庭園のあずまやの方を、ふと見下ろした。

――そこには、良く見知っている二つの人影――

「おや? あれは……」

クロフォード伯爵は、夕陽に照らされた庭園のあずまやの下で、 二人が何をしているかを目撃し、驚きの余り息を呑んだ。

やがて。

「今のは一体、何だったんだ……」

窓際には、呆然と立ち尽くす伯爵の姿があった……

*****

ほぼ同時に、大広間では、アラシアが怒りを激しく爆発させた。

たまたま今夜の気分に合うファッションを、メイドが透視魔法さながらに的中させたため、準備が早く済んで、 いつもより早い時間から大広間でくつろいでいたのだ――これ程にも想定外の光景を、 窓越しに目撃することになるとは、全く思わずに。

アラシアは、乱暴に足を踏み鳴らして大広間の扉へと走り、なおかつ、過激なまでの大声で喚き散らした。 その騒音は、壮麗な大広間全体に反響した。大窓が開いていたら、後ろに広がる中庭へも響き渡っていただろう。

「よくもよくも、あの茶ネズミの泥棒ネコが……! 生き皮剥いで、むごたらしく釘に吊るしてくれるわよ!」
「ネズミ捕りがご入用ですか?」

耳を抑えながら確認して来たのは、扉の傍に控えていたベル夫人だ。 この状況ではどう見ても、ツッコミとしか思えない代物である。

「あのクソ女、キアラン様とキスしたの! パパったら! さっき、そこでクソ女が――」

アラシアは既に大広間を飛び出し、ダレット一家が独占する西棟へと走り去っていた。 アラシアの怒りの叫び声が、広い廊下全体に、キンキンと響き渡っている。

ベル夫人は首を傾げ、耳をガードしていた手を外すと、南側の大窓にそっと近付いた。

重なった庭木の向こう側に、あずまやが見える。あずまやの前で、キアランがアントン氏の私信を拾い上げていた。 ルシールの姿は、既に無い。

――アントン氏の私信を落としても気付かない程に、ルシールを動転させてしまった。

キアランは私信を上着のポケットに収め、そして同じく落ちていた書斎の本を拾い――その本からは、 ライラックの微かな残り香が立ち上っていた――そしてキアランは、おもむろに、書斎の方向に向かって歩き出した。

ベル夫人は何やら思案しつつ、窓越しに、キアランの姿が見えなくなるまで見送っていた。

*****

夕陽がいっそう傾き、風は強く吹き荒れ始めた。

マティは子犬のパピィを背負い、いつもの大樹をスルスルと登って行った。 枝に巻き付けたロープ細工に取り付くと、パピィがシッカリと背中にしがみついている事を確認し、 ルシールの部屋のバルコニーに向かってロープを伝い始める。

「風が強いぜ! パピィ、静かにしてるんだぞ」

パピィは驚く程に賢い子犬で、ハラハラ&ドキドキの状況ながらも、指示通り大人しくしていた。

マティはバルコニーに無事に到着した。パピィをそっと降ろすと、いつものように毛布で寝床を作ってやる。 次いでマティは、部屋の中の気配に気付いた。窓には予想通り、鍵が掛かっていない。

マティは手早く作業を済ませると、窓を開けてルシールの部屋に入った。

――ルシールはグッタリとした様子で、ベッドに倒れ伏している。

「寝てる? ルシール」

起きているのは確かなのに、返事が来ない。マティは首を傾げながらも、ルシールを観察し始めた。

風邪でもひいて熱が出たのか、ルシールの耳は不自然に赤い。 それに、物凄い勢いでそこら中を駆け回っていたのか、きちんと結ってある筈の髪は、ほつれてしまっている。 低い位置の枝葉にも引っ掛かっていたらしく、髪の毛の間に小さな葉っぱやその欠片が少し張り付いていた。

マティは暫し戸惑った後、ベッドに近付くと、改めて声を掛けた。

「何か顔色悪いけど、大丈夫?」
「うーん……頭痛が……」

ルシールは顔を伏せたまま、モゴモゴと頭痛を訴えている。

「風邪? ドクター・ワイルドを呼んだ方が良いよね?」
「大丈夫よ、風邪じゃ無いし……えーと、……低気圧が余計、響いてて……」

弁解しているかのような、しどろもどろとしたハッキリしない口調だ。 マティは、頭の上に幾つもの疑問符を浮かべ始めた。

「低気圧?」

マティは窓の方を振り向き――そして、雨が急に降り出した事に気付いた。

夕陽の赤らみは既に消えており、時たま不吉な光を閃かせている黒雲が、空全体を覆っていた。 墨を流したような黒さの中を、銀の矢のような雨が走っている。雨脚は、みるみるうちに強くなっていった。

まさしく間一髪で、パピィをバルコニーに連れ込めたのだ。 マティは嵐に備えて、窓にシッカリと鍵を掛けて固定すると、改めて具合の悪そうなルシールを観察した。

「今夜のディナーは欠席って言っとくよ……これから寝るの?」
「多分……」

直前に何があったのか全く知らなかったマティは、暫く釈然としない顔をしていたが、ひとまずは物わかり良く納得して見せた。

「分かったよ、お休み……また明日ね」

マティは、部屋のドアをそっと開いて、人目が無い事を確認すると、素早く部屋を出て行ったのであった。

*****

いつも通りの時間に、ディナーが始まった。

館の外では、雷雨を伴う春の嵐が始まっていた。時折、ビックリするような大きな雷が閃く。

「ライト嬢はどうしたんだ?」
「ライト嬢は欠席だそうです」
「さっきまで元気そうに見えたが……?」

給仕を続ける執事からルシールの欠席を知らされたプライス判事は、怪訝そうに首を傾げた。

「低気圧だとか」
「ああ、何か聞いた事あるような。嵐が接近すると、急に調子が悪くなるとか……」

執事の説明に、プライス判事は納得したような表情になった。

そこへ、激怒の収まらぬアラシアが、キンキン声を上げて割り込んだ。

「あの女の正体は、吸血鬼なのよ!」

ライナスは勿論、隣の席に座っていた父親レオポルドでさえも、一瞬ビクッとして顔をしかめる程の、 キンキン声である。アラシアは更に声を張り上げ、ルシールへの更なる侮辱を続けようとした――

次の瞬間、ギョッとするような凄まじい轟音と共に、雷が館の近くに落ちた。 食堂全体が震動し、アラシアのキンキン声がかき消えた。 ライナスやレオポルドがホッとしたのかどうかは、此処では触れないでおく。

「おおッ! 凄い雷だな、マティよ!」

プライス判事は、隣に座るマティにウインクして見せた。

「こりゃ、結構ヤバイかも」

マティは、明るい茶色の目をいっそう見開いていた。 余りにも凄まじい嵐であり、内心、 ルシールの部屋のバルコニーに連れ込んだパピィは大丈夫なのかと、不安になっていたのである。

ディナーも中盤に差し掛かった頃、館に来客があった――弁護士カーター氏である。

急な仕事が入った事もあって夕食を取り損ねていたカーター氏は、執事の案内で、そのまま食堂に向かった。 プライス判事が早速、カーター氏の出現に気付いて、驚きの声を上げる。

「おや……? カーター殿!?」
「ディナーの時分に、大変申し訳ございません」

カーター氏はディナー席の面々に、丁重に詫びた。

キアランはホストとして立ち上がり、カーター氏に空いている席を示した。 プライス判事、マティと並び、ルシールが座る事になっていた席である。

「一席空いておりますから、お構い無く。ライト嬢が欠席ですので、ちょうど良いです」
「ライト嬢が? 私は彼女に、急用があったのですが……」

カーター氏は執事の手引きで所定の席に向かいながらも、驚きの声を上げた。

「内密の案件で?」

キアランの問いに、カーター氏は困ったような笑みを浮かべた。

「いえ……、先日、舞踏会でナイジェル氏が骨折した件で……タイター氏が甥に代わって、ライト嬢を訴えているんです」

プライス判事は驚いたまま、ポカンとしていた。マティが早くも気を取り直し、素晴らしく要点を整理した。

「またギャング=タイターなの!?」
「さようで。直談判の上、示談にする必要があり……取り急ぎ、明日の約束を取り付けたところで……」

内心ホトホト苦り切っていたのであろうが、ベテラン弁護士カーター氏は、 いつもの穏やかなポーカーフェイスに苦笑を浮かべただけである。

「ほほう! では、ライト嬢は再び町に直談判に出る必要があると……」
「しかも、明日……!」

マティのタイミングの良い補足もあって、ようやく事情を呑み込んだプライス判事は、改めて顔を引き締めた。 タイター氏は札付きの要注意人物であり、変な事をやらかさないように、 前回のように前もって包囲しておく必要を感じ始めていたのである。

カーター氏は、プライス判事の無言の了解に、うなづいて見せた。

「さようでございます、プライス様。この前と同様に、こちらの馬車をお願い致したく……」

アラシアは奇妙に沈黙したまま、カーター氏の説明の内容を窺っていた。

*****

ディナーが終わった頃を見計らって、執事がキアランを呼びにやって来た。

「リドゲート卿……旦那様がお呼びでございますが……」
「父が?」

キアランは一瞬、呆気に取られたが、すぐに気を取り直して了解し、クロフォード伯爵の部屋に向かった。

廊下の途中でキアランは、ベル夫人と行き逢った。ベル夫人は、いつものように滑らかに道を開けて一礼して来る。

キアランは、不意にアントン氏の私信の事を思い出し、懐から取り出した。 落とし物をルシールに渡すよう依頼すると、ベル夫人は、いつものように丁重な態度で、指示を受けたのであった。

キアランはクロフォード伯爵の私室に入った。ソファに座っている伯爵の前には、既にキアランのための席が出来ている。

「父上。私をお呼びだとか」
「ああ、まあ……ハッキリさせておきたくてな」

伯爵は曖昧な顔をしながらも、キアランにソファに座るよう促した。

「単刀直入に聞くが、キアランは、あの子をどう思ってるんだ?」
「どういう事です?」

前置き無しの急な質問だ。キアランは訳が分からず、ソファの背に手を掛けたまま、立ち尽くした。

伯爵は南側の窓を指差した。その瞬間、遠雷が弾け、黒雲の一部が一瞬明るくなった。

「そこの窓から見えたんでな……あの子とは、一体どういう話をしたんだ?」

気を取り直してソファに腰を下ろしたキアランは、窓の方を見やり――その窓からは、 まさしく南側の庭園のあずまやが丸見えであった事に気付き――珍しくも、言葉に詰まってしまったのであった。

暫し戸惑って顔を赤らめながらも、キアランは口を開く。

「ルシール・ライト嬢に求婚しました」

伯爵も何故か、キアラン以上に戸惑っている様子だ。途方に暮れたような溜息をつきながら、頭に手をやっている。

「……まあ、そりゃそうだろうな。こんな事を確認するのは馬鹿げてるし、信じられんが……どのように求婚したと?」

キアランは、あずまやで行なったルシールへの求婚の経緯について、いつものように、 『クソ真面目に』説明したのであった。

「……ローズ・パークの相続における利点は、案外素直に理解していたようですが、 ダレット家との関係を誤解した節があるので、その辺りは改めて説明する予定です」

伯爵は顔を伏せて、沈黙したままである。そこに更に手をやっているため、表情は全く分からない。

キアランは、自分の決意がどれ程の物かをまだ話していなかった事に気付き、更に追加することにした。 数々の状況証拠が示したルシールとレオポルドとの血縁関係については、随分と悩んだのだが――それでも、 悩んだ末に結論を出した分、決心は固い物になっていたのである。

「私としては、彼女の気持ちが定まらない限り、諦めるつもりはございません。 彼女がレオポルド殿の私生児だったとしても、一向に構わないのです。 むしろ、それならそれで……一部の親族たちを、納得させる事も可能でしょう」

そこで一旦、キアランの言葉が途切れた――伯爵は、奇妙な程に無言であった。

キアランは自分の行動の意味を悟り、歯を食いしばって、うつむくしか無かった。 よりにもよって、伯爵の正式な客人に求婚したのである。 本当に手は出さなかったにしても、それに近い行動ではあった。伯爵が怒り狂ったとしても当然なのだ。

「客人に対して、一線を踏み越えている事実は承知しております」

キアランが硬い声で呟いた後、気詰まりな程に長い沈黙が、更に続き――そして、伯爵がようやく口を開いた。

「――実に、私が思ってる以上にバカなヤツだな」

糾弾を思わせる内容とは裏腹に、伯爵の口調は、意外な程に穏やかな物だった。

驚いて顔を上げるキアラン。

頭を抱え込みながらも、伯爵は心底、呆れたと言ったような様子で言葉を続けた。

「そこまで徹底して堅物だったとは……お前は、女の子を分かっとらん!」

キアランは暫し、伯爵の言葉の意味を考え、そして意外な驚きを感じて、目をパチクリさせた。

「反対では無いと言う事ですか?」
「お前の事務的な求婚のやり方に、呆れただけだ!」
「承諾、有難うございます……父上」

伯爵が全く怒っていない――と言う事実にキアランは戸惑いながらも、堅苦しく一礼したのであった。

ほぼ同時に、執事が伯爵の部屋の前にやって来て、「失礼いたします!」と部屋の扉をノックし始めた。

「カーター氏が別件で来られているのですが……お会いになられますか?」

ディナーが始まる前のタイミングで、伯爵はカーター氏を急用で呼び付けていたのであったが、 弁護士呼び出しの連絡を担当していた執事は、今頃になって、その事を思い出したと言う訳なのだった。

「即刻、連れて来たまえ! クレイグも一緒にだ!」

伯爵は即座に答えた。カーター氏とは、是非とも緊急かつ最優先で話し合いたい事があったのだ。

既に控えの間でカーター氏とクレイグ氏が待機しており、執事の呼び出しに応えて、二人はすぐに扉の前に姿を現した。 扉の前で彼らと入れ替わりながらも、キアランは怪訝な思いで、二人を眺めるばかりであった。

クレイグ氏は一体何があったのか、夕方以降、奇妙な表情をしたままだ。

しかし、伯爵の部屋に入ったカーター氏は、いつものように丁重に一礼している。

「夜分、失礼致します……閣下、緊急の件だそうで」

執事がおもむろに部屋の扉を閉じている間、伯爵とカーター氏の会話が、キアランの方へも洩れ出していた。

「――カーター殿の報告書には、重大な抜けがあるようだ」

よほど気が急いているのか、返礼の挨拶もそこそこに、いきなり指摘する伯爵である。 釈然としない様子のカーター氏に伯爵は苛立った様子で、更に畳み掛けていた。

「ルシール・ライトの出生データに関わる、四ヶ月のズレだ!」

カーター氏は、やっと納得したと言う風に一息置くと、事情説明を始めた。

「その件は、修正報告書が到着してから報告する予定だったのです」

弁護士としては、公文書が整わないタイミングで、正式に報告する訳には行かなかったのである。

「ローズ・パーク相続に関する限り、その要素は、さして重要では無く……」
「これ以上、重要な件があるか!」

館の外では、更なる激しい雷雨が始まっていたが、クロフォード伯爵は、雷鳴をしのぐ程の大声で遮ったのであった。

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