深森の帝國§総目次 §物語ノ傍流 〉鳥使い姫と魔法の鍵

鳥使い姫と魔法の鍵~千夜一夜ファンタジー

鳥使い姫と魔法の鍵~千夜一夜ファンタジー/制作中/目次メモ&概略メモ

執筆(プロット作成)開始メモ=2020.01.05

舞台モデル=千夜一夜ファンタジー世界

「帝国」の東方領土、帝国から任命された東方総督の支配する東帝城砦にて物語スタート

●主人公=アリージュ姫/アルジー
シュクラ王国の姫。シュクラ王国の滅亡に伴い、人質として、敵方となる東方総督の御曹司トルジンのハーレムに輿入れ。

●世話役オババ=シュクラ宮廷霊媒師。アリージュ姫の養育、教育係、師匠を務める。
アリージュ姫が人質として東帝城砦に来たのは7歳と幼過ぎたので、姫の世話役として随行を認められていた。

●アリージュ姫の従兄=シュクラ王国の王太子ユージド。5歳違い。シュクラ王国の滅亡の際、戦乱で行方不明。

●東方総督=トルーラン将軍。●御曹司トルジン。

ファンタジー魔法的な部分の設定
@古代の失われた文明世界《精霊魔法文明》があった。《魔法》の時代。シュクラ王国は、その数少ない文化的継承集団。
@現在は、《魔導》の時代。黄金色の《魔導札》、《魔導陣》を使う。精霊と邪霊を組み合わせて発動。
@《精霊文字》=古代から現代まで共通している魔法魔導の技術。精霊の宿るインクで各種《魔導陣》を描き、オマジナイその他、有り得ない事象を実現する。
@《精霊語》=文字とは別途、精霊と直接にやり取りできる言葉。習熟度については個人差が大きい。
@魔法的な職業…魔導士、霊媒師。魔導士は《魔導陣》《魔導札》を使う。邪霊も精霊も使うため戦闘力は大、聖火神殿のお抱え、帝国軍でも活躍する。 霊媒師は邪霊を使わないため、戦闘力は魔導士より下。諸国や豪族の宮廷のお抱え、あるいは流浪。

本文

■01■人質の塔の姫君

日没の刻を過ぎてなお冷めぬ熱砂が、大地いちめんに広がっている。

御年17歳、亡き母君の形見でもある祖国伝統の花嫁衣装をまとったアリージュ姫は、フツフツとたぎる怒りに、全身を震わせていた。

「やっと来た婚礼の夜だよ。花嫁はニコニコしてないとね、姫さん」

世話役オババが、近くで卓上ランプを調整している。

「帝都の回し者へ向ける愛想はひとつも無いわよ、オババ殿」

ダン! と、姫君の足が踏み鳴らされた。

ボコボコボコボコ……!

珈琲滓を詰め込んで梁から吊るしていた消臭用の麻袋(サンドバッグ)に、強烈なパンチとキックを続けざまにお見舞いする。 長く引いた長衣(カフタン)ドレスの袖や裾が、白い花弁のようにひるがえった。

「まして祖国を滅ぼした敵(カタキ)どもには! お従兄(にい)様が行方不明で! 生死不明なのも! 奴らのせい!」

べっこぉん。

会心の回し蹴りで、一連の攻撃セットを仕上げる。

麻袋(サンドバッグ)に描かれた似顔絵が凹んだ拳痕や足跡だらけになったところで、姫君は「フーッ」と息をついた。ほとんど威嚇のほうの息遣い。

オババは困ったような顔でアリージュ姫を眺めていた。 その紺の長衣(カフタン)の上には多種類のエスニックな首飾りが重なっていて、所作のたびに、数珠やチェーンがシャラシャラと鈴のような音を立てる。

「また市場(バザール)を駆け回って、方々の隊商(キャラバン)の話を聞き込んで来たんだね。7歳の頃は、姫さんは、あんまり事情を分かってなかった筈だけどねえ」

――それは否定しない。

10年前、7歳の時に。亡国の唯一の王女として、敵方のハーレムへ既に輿入れしていた状態だった。

――という政略結婚の事実も、理解していたとは言いがたい。

この輿入れは、戦乱の中で行方知れずになった5歳上の従兄(あに)・シュクラ王太子ユージドに代わる人質も兼ねていた。 元・シュクラ山岳王国すなわち現『属国シュクラ・カスバ』の民が、東方総督ひいては帝国への反乱など考えないようにするために。

当然、このささやかな塔の中の居住スペースは、人質を押し込めておくための軟禁仕様だ。出入りは、この部屋の扉に限られている。

もっとも山育ちで身軽なアリージュ姫にとっては無意味な措置であった。

アリージュ姫は、扉に控えている見張りの目を盗んで、バルコニーからロープを垂らして抜け出し、 宮殿をめぐる城壁を伝い降りて城下町へと紛れ込み……従兄(あに)ユージドの消息や時事情報を求めて、日ごと市場(バザール)へ繰り出していたのだから。

――でも、今は。

何もかもが恨めしい。

偶然シュクラ王国の姫に生まれついていたことも、ハーレム妻として生きるしかない女の身であることも、オババ殿を抱えて逃げ出せるだけの腕力が無いことも。

大きなバルコニー窓へ、怒りの眼差しを向ける。

地平線の彼方、何処までも広がる砂漠は、まだ残照の赤らみを含んでいた。空は、紫色から藍色のグラデーション。

幾何学格子の窓枠で紗幕(カーテン)を揺らすのは、オアシスの水面のうえを吹き渡って来る夜風。

やがて、光量を増したランプが、部屋の中を明瞭に照らし出した。

豪華な宮殿の一角にある塔の、バルコニー付きのささやかな居住スペース。 それなりに格式と華のある家具調度が整っていて、うら若い姫君の部屋らしい雰囲気。所々に祖国シュクラの古い小物や織物が仕舞われている。

オババの促しに従って、特製の麻袋(サンドバッグ)を片付け。

姫君は、しかめ面をしながらも、ランプの傍に腰を据えた。

王女として育った娘であり、手肌や髪はひととおり手入れされているが……貧相さが不自然に目立つ。

「ハーレムの13番目の妻……13番目って!」

世話役オババとしては、苦笑いをしながらも、たしなめるしかない。

「寛大な配慮はしてもらってるんじゃ無いかねえ。王族は全員斬首のところ、軟禁だけで。 ここより他の城砦(カスバ)へは移動禁止だけど。まして、あたしゃ、可愛い姫さんの花嫁姿を見られたんだからね」

アリージュ姫は、お行儀悪く鼻を鳴らした。

「オリクト・カスバのローグ様との、シュクラ王家の霊廟の相談や時節ごとの挨拶状さえ検閲されるって変よ。 今は亡きシュクラ王妃さまの実家のところで、お従兄(にい)様の親戚でもあるのに。 取次してくれる元・シュクラ侍従長っていう人とも、顔を合わせることもできないし」

弾劾の言葉が延々と続く。軟禁の人質生活も、もう10年だ。言いたいことは山ほどある。冒険者たちの話に聞く、世界最大の幻の山脈《地霊王の玉座》くらいには。

「東方総督トルーラン将軍が、シュクラ王国の財産ゴッソリ持って行ったうえに、帝国領土を宣言したという経緯(いきさつ)だって、どう考えても不自然。 『三つ首の巨大化《人食鬼(グール)》大群を発生させて帝国に攻め込もうとし、国境の安全保障における重大な条約違反と欠陥を呈したシュクラ王国ゆえ、 ユーラ河の水源の保護管理も含めて、帝国の名のもとに確実に領有する』――」

「あぁ、まだベールを降ろさないで。紅を入れるから、動かないで」

*****

帝国の東方領土の支配の拠点、『東帝城砦』。

東方総督が住まう宮殿を擁する城砦(カスバ)。

大規模なオアシス都市であり、同時に、帝国の支配下にある東方諸国の城砦(カスバ)の交易ルートを束ねる、東方最大の市場(バザール)都市でもある。

今宵は、いつもとは違い。

宮殿に併設されている豪華な聖火礼拝堂は、隅々まで《火の精霊》による特別な聖火が灯され、煌々と明るかった。 華燭の典に向けた準備が、おごそかに、とどこおりなく進行してゆく。

緻密な幾何学的パターンを成すモザイクタイルとステンドグラスが荘厳するドーム空間の中、近隣諸国の城砦(カスバ)から招かれた貴賓たちが、そろい始めていた。

東方総督トルーラン将軍の御曹司トルジンのハーレムにて、13番目の幼妻が成人を迎えたのを機とした、改めての正式な輿入れおよび披露宴、床入りの夜となっていたのだった……

*****

偉大なる東帝城砦の数多の塔の上に、ぽっかりと現れる十六夜の銀月。

『出た出た、月が出た、アリージュの毛の色した月が』

人質の塔――アリージュ姫の部屋の窓枠で、白い小鳥がさえずっていた。

見た目はフワフワ・モチモチの白文鳥。まさに空飛ぶ『いちご大福』。《精霊鳥》の証である真っ白な冠羽がピッと立っている。

子供の手の中にも収まりそうな、白くて、まるっとして、ちっちゃな《精霊鳥》は、格子窓の隙間をスイスイと出入りしながら、さえずっていたのだった……《精霊語》で。

不機嫌が収まらぬまま、ベールの下から、プリプリと《精霊語》で受け答えするアリージュ姫。

『これは銀月の色とは言わないでしょ、パル』

次の瞬間。

アリージュ姫に与えられていた塔の部屋の扉が、バターンと音を立てて開かれた。

「ギョギョッ!」

空飛ぶ『いちご大福』が、仰天のあまり「普通の鳥の鳴き声」を上げて、天井の一角へと飛び上がった。

バッと立ち上がり、身構えるアリージュ姫と世話役オババ。

「ど、どなたかね? まだ婚礼の儀式の刻じゃ……」

断りも無しにズイと押し入って来たのは。

金銀刺繍や宝飾ビッシリの、贅沢な長衣(カフタン)に身を包んだ、20代半ばの青年だ。

贅沢な更紗を使った濃色のターバンを頭部に巻いていて、それを留めているのは、見事な黒ダイヤモンド。 さらに特大サイズの、極彩色の羽飾りが付いている。ダチョウと孔雀の尾羽を組み合わせて製作した物。

いかにも有力部族の御曹司。ランプの光を照り返す鮮やかな赤毛。聖火を崇拝する帝国において、それは特に好ましい髪色とされる。

背丈が程よくあり、顔立ちも良い……徹底的に殴られた場合は、姫君の麻袋(サンドバッグ)に描かれていた奇妙な似顔絵に、似て来るだろうが。

その目は、ぶしつけなまでにジロジロと、アリージュ姫の古ぼけた花嫁衣装を値踏みしつつ、身体のラインをなぞっていた。

「フン、貧相な。その辺の乞食坊主じゃ無いか、これでは。よくも、シュクラ王国の姫などと抜かしやがって」

口をアングリとする世話役オババ。

「まぁ、恐れおおくも、トルジン様、こちらは確かに我らがシュクラ王国のアリージュ姫でございますよ」

赤毛の御曹司はズカズカと踏み入るや、オババの制止を押しのけ、花嫁の純白のベールに手を掛けた。

反射的に身を引くアリージュ姫。

「無礼者!」

――ゴスッ。

「うぎッ」

王族の怒りを込めた高貴な回し蹴りが、夫となる予定の御曹司トルジンのむこうずねに、したたかに決まっていた。

不意を突かれたトルジンは、倒れんばかりによろめく。

同時に、薄いベールが引っ張られて、ビリビリと破れてゆき……

ランプの光がアリージュ姫の姿を照らし出した。トルジンの酷評も、或る程度はアタリかと思われる容姿を。

現れたのは、こけた頬(ほお)と血色の悪さが目立つ、《骸骨剣士》をすら思わせる陰気な容貌だ。

髪の長さはあるものの……不健康にくすんだ灰色で、パサパサしている。

手の込んだ白糸刺繍の長衣(カフタン)ドレスをまとう純白の花嫁姿ではあるが、貧相すぎて、男と見まがうばかりの平坦な体型。

これといった宝飾品も無い。一般庶民の間でもよく見られるドリームキャッチャー細工の白い耳飾りだけだ。ひとつずつ取り付けられた白羽も小さい。

そのうえ……背丈がある。高いハイヒールを履けば、トルジンの背丈を余裕で超える。公式行事でハーレム妻たちが立ち並ぶ機会があって、その時に判明した。

アリージュ姫は、トルジンのハーレム妻たち13人の中で一番背が高い。 宴会で食にあたって体調が悪くなった妻の1人を介抱しエスコートする時も、ベール姿の筈なのに、トルジン以上に「理想的な男として、夫として」サマになっていたため、 妙な人気が出たりして、トルジンに赤っ恥をかかせる羽目になった。それ以降トルジンの前では、ハイヒール厳禁だ。

トルジンは涙目で身をかがめ、片足でピョンピョン跳び、むこうずねをさすりつつ。

「ババア、この狂暴な骸骨ヤロウが、女なんて嘘っぱちだろう。 父上でさえひそかに懸想(けそう)したという程の、近隣に聞こえた『シュクラの銀月』の娘にしては、信じがたい程のゴミクズ」

「な、何ということを……」

古典的な老女である世話役オババは、もはやブルブルと震えて座り込んでしまっていた。

アリージュ姫は怒髪天だ。

「痴れ者が。破廉恥将軍と一緒に、今この瞬間から2人まとめて『無礼者の腐れ外道』と名乗るがいいわ、信じがたい程のゴミクズ」

一気に低音域にシフトして威厳を増したハスキー声。

王族の威厳に打たれ、思わず後ずさるトルジンであった。後ずさりながらも、顔じゅうを口だらけにして怒鳴る。

「決めゼリフを真似るんじゃねえ! 地位も名誉も持参金も無いスッテンテン、ゴロツキ邪霊の不細工ヤロウ《骸骨剣士》が」

トルジンが後ろを向き「おい!」と呼ばわると。

物陰から、のっそりと、山のように大きな人影が現れた。

戦士であることを示す迷彩ターバン。装飾鋲(スタッズ)きらびやかなベスト付きの、武装親衛隊の制服。

異様なまでに肩幅が広く、物騒な筋骨隆々の巨体。黄金色の肌は、油を塗り込んだかのように金属的にテラテラと光っている。

暗い黄土色の目をした、やけに無表情な風貌。出身部族の風習なのか、眉間に黒い刺青(タトゥー)。その奇妙に歪んだ紋章のような意匠は、異形の目さながら。

腰の左右に、三日月刀(シャムシール)と戦斧。アックスホルスターのブレードカバーから窺い知れる戦斧の刃は、ゾッとするような大きさだ。

「この不細工な骸骨ヤロウと、ババアを、外のどこかへ、その辺のゴミ捨て場にでも捨て置け! 不敬罪、暴力罪、不法侵入それに身分詐称の罪でな!」

「い、いったい、どういう……」

あれよあれよという間に、部屋の外へと、乱暴に放り出されるアリージュ姫とオババである。

いつの間にか、入れ替わりに、高価な香水をまとった純白のベール姿が部屋に入って来ていた。

「まぁ、何てステキなバルコニー。これから此処が私とあなたの愛の巣になるのね、トルジン様」

トルジンは、キラキラ声をいっそう弾ませた花嫁姿の女の腰を引き寄せ、アリージュ姫とオババの方を改めて振り返る。

「我が最愛を誓うことになる、本物の、いとしい新妻を紹介しよう。これが『本物のアリージュ姫』だ!」

「あら、私の美しさは賛美してくださいませんの?」

「うっかりしていたよ、言葉を忘れるほどの美しさに」

トルジンと『本物のアリージュ姫』は、イチャイチャし始めた。

人目があるのも構わず、ベールが外される。燦然ときらめく最高級の宝飾品の群れが、シャラシャラと音を立てた。

どこから、どうやって見つけて来たのか……パッと見た感じ、目鼻立ちは似ている。肉付きは全然違うけれど。

――『本物のアリージュ姫』は、御曹司トルジンよりも適度に背丈が小さく、女でさえ見惚れるほどのナイスバディに……

銀月の光を集めて来たかのような、まばゆい銀髪を持っていたのだった。

*****

御曹司トルジンの親衛隊、テラテラ黄金色の巨体をした迷彩ターバン戦士は、徹底して陰湿かつ忠実な男だった。

――『外のどこかへ、その辺のゴミ捨て場にでも捨て置け』。

東方総督トルーラン将軍の御曹司トルジンの意図としては『どこか宮殿の隅の、最下級の奴隷部屋にでも入れとけ』だったのだが。

眉間に黒い刺青(タトゥー)をした黄金肌の巨人戦士は、言葉どおりに、『その辺のゴミ捨て場』へと、アリージュ姫とオババを捨て置いたのだった。

裏のゴミ捨て場へと投げ出され、呆然としゃがみ込む、アリージュ姫とオババの目の前で。

宮殿の裏口の扉が、ガシャーンと音を立てて閉じられた……

最後の一瞬。

黄金色のテラテラ肌をした巨人戦士の、眉間で。

刻まれていた不気味な黒い刺青(タトゥー)が、ぐにゃりと歪んで……

「いや、待て、あれが真の《銀月》だったのなら、いよいよ念願の、千人と一人目の生贄として――」

……刺青(タトゥー)が、邪悪な怪物の目であるかのごとく、ギラリと光ったように見えたのは。

気のせいだったのかも知れないし、そうでは無いのかも知れない……

■02■砂漠の夜をさまよえば

宮殿の外に摘まみ出されたアリージュ姫と世話役オババは、呆然と、石畳の広がる路上に座り込んでいた。

月光の届かない場所であるうえに、夜間照明ランプはほとんど無く、暗い。

目が闇に慣れて来た頃合いで、ぐるりと見回してみる。辺りに雑然と置かれているのは、明らかにゴミ箱やゴミの山。 宮殿の裏のゴミ捨て場を兼ねる街路。回収処理の人たちが出勤して来るのは、翌朝になってからだ。

名残の熱気が抜けると、砂漠の夜は急速に冷えてゆく。

祖国シュクラのある方向に、山脈が横たわっているのが見えた。

銀月の光に照らされて、たたなわる連嶺の彼方の万年雪が、いっそう白い。 奥深い地形をいだく山脈は、絶妙な位置と高度のお蔭で、大量の雨雲を季節にかかわらず捉えるため、ほぼ無限の水源となっている。

豊かな水が山を下り、地下水脈となって、東方諸国の方々の城砦(カスバ)が抱えるオアシスをうるおす。 伏流水は、広大な砂漠の地下を延々と流れてゆく。帝都を要害の地とするように並ぶ堅牢な山脈の各所で、地下から絞り出されるようにして地上に出て来る。 それらが合流したものが、帝都を並行して流れる二大河川のひとつ、『ユーラ河』だ。

微かに聞こえて来るのは、ナツメヤシの木々のザワザワという葉音。

冷涼な夜の風が吹き、ブルリと身体を震わす。

「どうしましょうかね……お金も持ち出せなかったし」

突然の変化に、オババは呆然として呟くのみだ。

立ち上がろうとして、老女(オババ)は足をふらつかせた。アリージュ姫がサッと支える。

――さいわい、市場(バザール)からは、あまり遠くない。

「とにかく市場(バザール)へ……オババ殿、この衣装を売れば、当分の生活費くらいにはなるから」

「おお、売るなんて……確か昔の知り合いが住んでいた筈……城壁の町のほうに」

「パルを送ってくれた人? 遠いから、途中でオババ殿が風邪ひいちゃうよ。急ごう。ゴロツキ邪霊の、本物の《骸骨剣士》と鉢合わせする前に」

アリージュ姫は一歩を踏み出し、ふと気づくところがあって空を仰いだ。

……そういえば、パルは何処へ行ったんだろう? いつも後を付いて来るのに。

ふわもち『いちご大福』な、ちっちゃな白文鳥の姿をした《精霊鳥》。暗闇の中でも飛べる。 時には何故か、どうやるのか分からないけど、壁さえ突き抜けて飛ぶ。古代の失われた技術――超転移を知っているかのように。

一瞬の違和感。不安と疑問……そして。

2人は、夜のとばりが降りた街路を、慎重に歩き始めたのだった。

*****

――カネ。とにかくカネだ。

カネが無いから、何もできない。

最後には、息をすることだって、できなくなるのだ。

こんな不運に見舞われる羽目になっても、トルジンにやり返すことすらできない。

そんなことよりも、どうやって明日を迎えれば良いのか分からない……そっちのほうが、よほど恐怖だ。

どこから連れ込んで来たのか分からないが、『本物のアリージュ姫』を名乗った見知らぬ銀髪の姫は、うなる程の大金を持っていた。

御曹司トルジンにとっては、あの大金が、不意に現れた正体不明の女の身分立場を証明し、保証しているものになったのだ。

――あれ程の大金が、私にもあれば。

そう、何とかして、あれくらいの大金を一気に稼げれば。

真実という色を付けて、正当性を、正義をも証明するのは――カネが生み出す、『信用』という名の、権力にして魔力。

男の愛情だって、カネで買える……いえ、愛情は所詮、気まぐれなものだから不要。カネで買える、忠実な戦闘力だけで結構。

――あの盲目的なまでにトルジンに忠実な、黒い刺青(タトゥー)をした巨体の戦士のような。

東方総督トルーラン将軍の汚職や賄賂の噂は、市場(バザール)を巡っていると、どんどん耳に入って来る。それも、非常に確かな筋から。

そもそも、その辺のどこにでも居るような平凡な将軍のひとりだったトルーランが、いきなり東方総督の地位を得たのも、賄賂の力だという情報がある。 これは、かつての東方総督だったという人物が、賄賂の競争で力及ばず失脚した後で、うらぶれた酒場へ入り浸って大声でわめいていた内容だから、確実だ。

そして、シュクラ山岳王国を制圧した後、トルーラン将軍の私有財産が急に増加し、帝都への賄賂の額も増えたという話……

――ゲスのトルーラン将軍、シュクラ王国の特産物や王国所有の財産を、不正かつ強欲にかすめ取って、私腹を肥やしたということだ。 今だって、シュクラ・カスバを経済封鎖して困窮させておいて、なおも民に重税を課して搾取しているのだ。

帝国において違法性を問われるほどの専横だ。現在進行形で、この目の前で起きている。それなのに帝都の、その筋の役所で取り沙汰されることが無い。 『賄賂』や『袖の下』で、見て見ぬふりをしてもらっているに違いない。

カネは道理をねじ曲げることができるのだ。カネというものの威力は、つくづく、すさまじい……

……犯罪をしてでも、大金持ちになってやる。

そうしたら、生死不明かつ行方不明の従兄(あに)、シュクラ王太子ユージドを探しに行ける。死んだなんて信じない。

探して、見つけて……それから、それから……

……

…………

いつしか。

ボンヤリと、東帝城砦に到着した第1日目が思い出されて来た。

喪に服していた期間だったため、当時7歳のアリージュ姫は、暗色の長いベールで上半身をスッカリ覆っている格好だった。

シュクラ山岳から降りて来て、砂漠を渡る隊商(キャラバン)スタイルの人質の使節を仕立てて、4つほどのオアシス集落を通過し、東帝城砦へと赴いて……

東帝城砦から派遣された衛兵団と、亡きシュクラ王妃の血縁と言うことで加わっていたオリクト・カスバの衛兵団が、ずっと警備していた。 それを除けば、故郷から付き添って来ていた随行は、世話役を務めるオババ殿と、送迎を務める元・シュクラ王室の侍従長。それに、小間使いを務めるシュクラ貴族の少年。

母の急死でショックを受けていたこともあって、元・シュクラ王室の侍従長と、シュクラ貴族の少年のことは、あまり覚えていない。

――キチンとしたオジサンと、割と顔の整っている年上の男の子――という印象だけだ。 あの男の子は、従兄(あに)ユージドと同じくらいの年頃……もう少し上の年齢だったかも。そんな感じ。

東帝城砦の宮殿の、贅沢な謁見室で。

――「喪中だろうと構わん、その陰気なベールを外せ」

勝者ならではの立場でもって、トルーラン将軍は、王族に対してぞんざいに命令して来た。暇つぶしの酒杯をいい加減に持ったまま、傲然と。いわゆる『勝てば官軍、負ければ賊軍』だ。

おそらく『シュクラの銀月』とも言われた亡き母の面影が、たった7歳の娘にあるのかどうか、見るだけはしてみようと思っていたのだろう。

トルーラン将軍は、息子トルジンと同じように見事な赤毛の持ち主だった。

パッと見た目はビックリするくらいの、水もしたたる美形で、ヒゲも美しく整えられている。 中年男にも関わらず、将軍として、身体もそれなりに鍛えていて、壮年の若々しさを維持している容姿。20人以上のハーレム妻を夢中にさせている、というのも頷ける――と思えるくらいには。

……トルーラン将軍に対する、アリージュ姫の第一印象は。

奇怪で、醜悪な――『人間の皮を美しくかぶっただけの、何か』。

締まりの無い、ブヨブヨとした雰囲気を感じたのだ。ぞんざいな言動のせいか。傲慢な態度のせいか。それとも、そういう表情をしているせいか……

7歳のアリージュ姫には、それ以上の、大人の後ろ暗い意図など理解できる筈も無く。素直にベールを外した。

――オババ殿と、オジサンは、苦い顔をしていて。付き添って来ていた年上のシュクラ少年は、ビックリしたという顔をしていて。

トルーラン将軍は、それなりに満足していたのだと思う。

戦乱の真っ最中に目撃した、三つ首の巨大化《人食鬼(グール)》のようなギラギラした目になって……にじり寄って来て、身体のラインをベタベタ触って来ていた。

刀剣を握る者にしては綺麗な手肌と爪をしていたが、嫌な感じでいっぱいだった。討伐した《人食鬼(グール)》の血にまみれた前線の兵たちの、荒れた手のほうが、よほど安心できるような気がするくらいだ。

形だけは美々しく整えられていたヒゲの下、浮かんでいたのは、ねばついた雰囲気の、ゾッとするような不気味な笑みだった。おぞましいばかりの、あれを、『満足した顔』と言うのかどうかは、今でも謎。

その日の夕食は、「最後の晩餐」とでも言うような暗い雰囲気だった。

アリージュ姫の記憶は、そこで、いったん途切れている。

夕食を済ませて、奇妙にペラペラでフリフリな寝間着を着て、ベッドへ入る準備をしている最中に……とんでもない高熱を出して倒れ、死にかけていたのだ。

――あとで鏡を見て、「この骸骨の子、死んでるの?」とオババ殿に聞いたような気がする。 化け物のような骸骨顔で、全身も骨と皮だけのようになっていて、暗い色のシミが全身に刻んだ刺青紋様さながらに浮いていた。髪の毛もゴッソリ抜けていた。

暗い黄土色のシミは成長と共に薄れていって、10年後の現在は、ほとんど目立たない。 いったん禿げてしまった頭も、新しい髪の毛が再び生えて来た……この骸骨顔にピッタリの、不健康にパサついた灰髪ではあるけれど、今となっては笑い話にできる。

トルーラン将軍は、1回、お見舞いなのかどうか分からないが、顔を見に来て……その美形中年な顔に恐怖と嫌悪を浮かべて後ずさった後、 いかにも失望した、興味が無くなった、というような態度になった。

翌日から、何かの訂正といった内容の書簡が、往復していたらしい。

『アリージュ姫は、御曹司トルジンのハーレムに輿入れした(正式な輿入れおよび夜伽などは成人になってから)』

人質の塔に、オババと共に軟禁された後は。

元・シュクラ王室の侍従長やシュクラ貴族の少年とは、それきり、再会はかなわなかった……

…………

……

夜が更け、空気は冷え切っている。

石畳の無機質な冷たさがジワジワとしみて来て、体力を奪っていく。

目の端に、あふれるものがある。

アリージュ姫は歯を食いしばって……しばし、夜空を仰いだ。

いつしか、十六夜の銀月が高く高く上昇していた。晴れわたった夜空いっぱいに銀月の光が満ちている。

銀月の光は力を与えてくれる。何故なのか、月光浴の後は体調が良い。元々、床入りの夜がこの日に――満月の夜の後に――決められていたのも、それがあってのことだ。

足元のおぼつかない老女(オババ)の身体を支えなおす。なけなしの体力を、いま一度ふりしぼり……アリージュ姫は、また一歩、踏みしめた。

■03■バザールの邂逅、運命の十字路

2人は市場(バザール)へ到着した。

帝国の東方の一大物流拠点でもある『東帝城砦』名物の市場(バザール)は、深夜もなお活気が続いている。

色とりどりのランプと看板を吊り下げた、多種多様な店の行列。通りを行き交う商人たちや客たちの声。

――どこかに、物好きな店がある筈だ。要らなくなった花嫁衣装を高く買い取ってくれるような店が。

東帝城砦が誇る市場(バザール)は広く、街路は入り組んでいて迷路のようだ。次々に十字路が現れる。どのあたりまで来たのか見当が付かない。

天空をわたる十六夜の銀月は無常なまでに明るく、東方総督の住まう宮殿の数多の塔を、クッキリと照らしつづけていた。

オババは夜歩きが老骨にこたえた様子で、その辺に置かれていた木箱の上に、グッタリと腰を下ろしている。その傍で、目を光らせつつキョロキョロするアリージュ姫であった。

不意に、小鳥の羽ばたきの音が近づいて来る。

ふわもちの、ちっちゃな白文鳥が飛び込んで来た。相棒のパルだ。傍にポンと着地し、「ピピピッ」と鳴き始める。

まるっとした『いちご大福』さながらの小鳥の身体が、何故、着地の拍子にコロンと転がらないのかは、謎。

白文鳥の姿をした精霊(ジン)――《精霊鳥》のさえずりが《精霊語》となって流れ出す。

『アリージュ、すごく探したよ、すごい妨害の《魔導陣》引っ掛かってコッソリ抜け出すのも大変だったよ、アリージュ』

『そんなに強力な《魔導陣》が発動してたの? パルが困っちゃうくらい?』

目をパチクリさせるアリージュ姫。――その可能性は全然、思いつかなかった。

『きっと、トルジンのせいだね。《魔導陣》って、普通は長くても10分くらいだよね。 こんなに長い時間つづく強力な《魔導陣》って、帝国軍でも上位の魔導士100人くらいは引っ張って来たとか、帝都宮廷の大魔導士とか?』

『なに探してるの? パルの友達が何でも知ってるから、呼んで来てあげるよ、ピッ』

『それじゃ、この衣装を高く買ってくれそうな商人! 物々交換……それに、できるだけ多くの現金も!』

『イーヨ!』

真っ白な小鳥――《精霊鳥》パルは、意気揚々と冠羽を立てて、上空へと飛び立って行った。

ちっちゃな幟(のぼり)を立てた、空飛ぶ『いちご大福』さながらに。

市場(バザール)のあちこちに、パルの種族が居たらしい。すぐに市場(バザール)の数多の屋根の上で、白い小鳥の姿が群れを成して飛び交い始めた。

白文鳥《精霊鳥》の純白の影が、銀月の光でキラキラしている。群れを成して一斉に向きを変えている様子は、ほんとうの流星群のようだ。

市場(バザール)の方々で、白い小鳥の群れが夜空に舞い始めたことに気付いた人が居たようで、ポツポツと指差す人影が見られた。「やぁ、白孔雀さまのお使いだ」というような言葉も聞こえて来る。

やがて。

目的を達したという風に、白い小鳥の群れが、周囲の木々の枝や屋根の間へと着地していった。銀月の空は再び、静かな闇へと落ち着いてゆく。

相棒パルの聞き込み作業は、驚くほどに早かった……《精霊鳥》どうしの情報網のお蔭に違いない。

ほどなくして戻って来たパルは、白タカ《精霊鳥》を1羽、連れて来ていたのだった。初めて見る個体だ。

オババが目をパチクリさせている。

「あれまぁ……パルの新しい友達かい?」

白タカの姿をした精霊は、《精霊鳥》の証の冠羽を揺らして応じて来た。

『お初に。前任がお星さまになってたことが判明したんで、新しくこっちの任務に就いた「シャール」ってんだ。パルとは既に連携済みだが、お見知りおきを。青衣の霊媒師どの、それに《鳥使い》姫』

『……霊媒師がオババ殿ってことは分かるけど、《鳥使い》姫って?』

『その耳飾りの白羽、パルのだろう。パユール……パルは、精霊の間じゃあ有名な存在でな』

白タカ《精霊鳥》は翼を広げてバササッとやり、折り目正しくたたんだ。

その白い翼には、すさまじく高速で飛んだと思しき乱れが残っている。前任の白タカ《精霊鳥》が攻撃か何かされて死んだと判明した後で、飛んで来たという割には、乱れが大きい。 事情は分からないが、よほど超特急だったらしい。

『放逐されたんだってな、パルから聞いたが。となると、人類どもで言う「シゴト」とやらが、必要なんじゃないか?』

『オババ殿も一緒に落ち着けるような屋根付きが理想だけど、すぐには難しいよね』

相棒パルとの会話で上達した《精霊語》で受け答えするアリージュ姫である。

白タカ《精霊鳥》シャールは、『ふむ』と首を傾げるような仕草をした。

『無いでもない。市場(バザール)の隅っこの小さいのだけどな、2人くらい大丈夫な店舗セット住宅がある』

『ほんとう!?』

興が乗ったのか、白タカ《精霊鳥》は、ウキウキした様子でピョンピョン跳ね始めた。

『代筆屋2人、老衰で続けて引退していて、《精霊文字》書ける人材を探してるんだ。2人分の抜けをカバーできるような若手を、帝国伝書局・市場(バザール)出張所でな』

白タカ《精霊鳥》シャールは最後の1回をピョンと跳ねた後、アリージュ姫に向き直り、その純白の花嫁姿をしげしげと検分し始めた。

『ただ、募集してるのが「人類・男(オス)」でな。その外見、ターバン巻いてるんじゃ無くて、ベールかぶってるってことは、「人類・女(メス)」だろ?』

――いける。アリージュ姫の心臓が高鳴った。

『オババ殿がずっと《精霊文字》教えてくれてたお蔭で、何とかなりそう。聖火神殿の経典の……写経や王国祭祀のための書体というか、王族の基礎教養の書道のほうだけど、大丈夫?』

『その《精霊語》なら、確実だ。正統派の書体もできりゃあ完璧だ。本質は我ら精霊への手紙や注文書だからな。 正確な《精霊文字》を書けるヤツは、宮廷書記官とか諸侯お抱え書記とか、そっちに取られちまう。民間の代筆屋のほうじゃ常に人手不足、売り手市場だぜ』

アリージュ姫の目がキラーンと光った。

「れっきとした犯罪だけど、髪を切って男のフリをすれば……」

灰髪に手をかける。うっとうしいほど長く、不健康にパサつく。バッサリ切れば、スッキリするのは確実だ。

ギョッとしたオババが、必死の形相で、アリージュ姫に取りすがった。

「髪を切るなんて、そんな恐ろしいこと考えちゃダメだよ、姫さん。髪は、おぉ、髪だけは」

「そんな、死ぬ訳じゃ無いし。髪を切るだけで」

「死ぬんだよ! 姫さんの母君がそれでお亡くなりになったし、姫さんだって、小さい時に死にかけて」

思いもよらない警告だ。アリージュ姫は思わず眉根を寄せた。

「……どういうこと?」

オババは、不意に顔をしかめ……うつむいて、首を振る。

白タカ《精霊鳥》シャールが冠羽をピッと立てて、ふわりと飛び上がった。

『タチの悪い《魔導陣》が全身に食い込んでる……しかも、あの邪霊、怪物っていうくらいの……禁術の中の大禁術じゃねぇか。器用に侵略して潜伏してるから気付かなかったぜ。 我が種族は、パルの種族より、ちと感度が良くないんだ』

アリージュ姫の周りを、ザッと一周した後。

『これだけ呪縛されてたら、普通は生命力が枯渇して死んでるが。あぁ、霊媒師どのの対抗措置か。耳飾りの護符。こりゃ良くできてる。 アホな奴らが《精霊石》を提供しなかったのもあるんだろうが、霊媒師より戦闘力が上っていう魔導士の禁術に対抗して、10年も生き延びさせるなんて……偉業だな』

――ドリームキャッチャー細工の白い耳飾りは、子供の頃から、ずっと装着していたものだ。パルが飛んで来て、小さな白羽をくれて。オババ殿に「いつも着けてなさい」と言われて。

不吉な予感が濃くなる。

おずおずと、オババを振り返り……

「……オババ殿?」

オババは渋面を伏せて、沈黙したままだ。手元で、多数重なった首飾りの数珠やチェーンを手繰っている。 いつも聞いていた、シャラシャラと続く鈴のような音。霊媒師にはお馴染みの、数々のエスニック風な護符アクセサリー。

白タカ《精霊鳥》シャールの《精霊語》がつづく。

『月光浴すると調子よくなるだろ。その護符も《銀月の祝福》を生命力に転換してるし。 いまの不安定な体質は、非常に特殊な邪霊の《魔導陣》のせいだが、この禁術を使える魔導士は居ないことになってるんだ、公的にはな。 銀月は、あの邪霊にとっては喉から手が出るくらいの……生贄……いや、こんな道端で大っぴらに説明できる内容じゃ無い。後回しにしよう』

白文鳥のパルと、白タカのシャールは、既に、心当たりのある店へ案内する構えであった。

かくして。

銀月のもとに舞うふたつの純白の鳥影が、ひとつ先の運命の十字路へと渡ってゆく。

鳥に導かれて、ふたつの人影も、市場(バザール)の十字路から十字路へと、歩みを進めていったのだった。

*****

2羽の《精霊鳥》が紹介する店を訪れた、アリージュ姫とオババ。

その店の吊り看板には、『精霊雑貨よろず買取屋』とある。

こういった店は、古道具屋や古本屋などと同様、目利きの店主が経営する。

ブツがブツだけに訳あり品だらけ。全ての品が偽物だったというこぼれ話も多くて、ピンキリだけど。

店に接近する前に、アリージュ姫は破れてしまったベールをターバンに見立て、長い髪をたたんで、クルッと巻いておく。

そうしているうちにも、シャールとパルの姿に誘われるように、フッサフサ眉と白ヒゲの老店主が店の中から出て来た。

「おや、白タカでは無いか。もう1羽の小さいのは『いちご大福』か? 不思議な取り合わせじゃの」

次に客に気付いたようで、老店主は目をパチクリさせながら振り返って来た。ここ東帝城砦では誰よりも立派なお眉の持ち主に違いない。

老店主の首元で、多種多様な数珠やリング、チェーンが、ジャラジャラ音を立てる。オババと同じような、熟練者ならではの護符の組み合わせだ。

本物の霊媒師ないし魔導士であるか――までは分からないが、精霊・邪霊といった「ジン」や、《魔導》の術に関する深い知識はあるのだろう。確実に、精霊雑貨の目利き。そういう雰囲気。

「ご来店のお人かの。白いお召し物の娘さんに……そちらの紺のお召し物、おばあさまですかな? ご用は何じゃろう」

「恐れおおい。あたしゃ、姫さんの祖母では……」

「しッ、オババ殿」

足元のおぼつかないオババを支えつつ、アリージュ姫は改めて老店主に向き直った。

「いま着ている服を、物々交換できます? できれば、最も丈夫で安い男物の服と……残りは現金で」

オババは、もはや、すぐにでも失神しそうな顔色だ。

白ヒゲの老店主は何かに気付いた様子で、一瞬、その目をキラーンとさせたものの……『その手の話である』と承知したように、なめらかに頷いた。 再び、老店主の首元で、多数重なった首飾りがジャラリと音を立てる。

「確認させてもらおうかの。当店で『最も丈夫で安い男服』を出しときますぞ、どうぞ店内に」

――『精霊雑貨よろず買取屋』の店の中。

不思議な品々でいっぱいだ。

半分以上が偽物かも知れないけど、『本物ってこんな風かな』と、見ているだけでも興味深い。

退魔紋様が施された様々な雑貨や装飾品。定番の武器、魔除けの仕掛けがされてある中古の三日月刀(シャムシール)。

地下水路メンテナンスでよく見かける《精霊亀》の脱皮から得たのだろう、色々お役立ちな亀の甲羅。

土木工事などで活躍する《精霊象》の、新しい牙に生え変わった後の、古い象牙。

医学用の骨格標本の数々……

あちこちに相当数の魔除け用ドリームキャッチャーが飾られていた。色とりどりで、いずれも堂々たるサイズ。中古。

魔除け用ドリームキャッチャーは、どこの家や店舗にも、ひとつはあるという魔除けである。

一般的には、城砦(カスバ)に侵入して来る事の多い小型の邪霊害獣の類を近付けないようにするのが目的だ。 石畳の隙間に潜んで妙な疫病を撒き散らす《三つ首ネズミ》。商館や隊商宿につないだラクダや馬を襲って食い荒らす《三つ首コウモリ》……他、数種ほど。

もっと危険な邪霊、たとえば三つ首の成体《人食鬼(グール)》にも対応できるほどの退魔ドリームキャッチャー護符となると非常に高価で、 おもに帝国軍――帝都皇族の警備などの方面に納められる。その後、下賜されたりなどして、役人の隊商(キャラバン)の間で使い回されたりする。 有効期限が近づくと処分され、中古品として民間へと流れていく。見掛け倒しの出涸らしが多く、詐欺師も横行する業界。

ひととおり見回してみて、アリージュ姫は感心しきりだった。

……全部、掘り出し物のようだ。

ドリームキャッチャーの中央部で、えり抜きの《精霊石》が力強く燃えている。

有効期限を延ばすための複数の《精霊石》を各所に配置したドリームキャッチャーもあって、それもチラチラと光っていた。 ドリームキャッチャー護符は、このように《精霊石》を配置して増強しておくのが定番。

……ここにある全部のドリームキャッチャーが光っている。魔除け作動中ということ? 邪霊か何か、悪いモノが入り込んでいたのだろうか?

少しの間、アリージュ姫の中を、得体の知れない違和感がかすめたのだった……

…………

……

着替えが済み、アリージュ姫の花嫁衣装を検分し始めた老店主。

時々、老店主は訝しそうな顔になって、オババとアリージュ姫を振り返って来たが……のっぴきならない事情を抱えた客に慣れているようで、訳を聞いて来るようなことは無かった。

「これは最高級品じゃな。10年ほど前になるかの、シュクラ山岳王国が東方総督トルーラン将軍によって制圧された後で、この種の絹織物が一時的に出回ったのじゃ。 業界では『白銀ノ紋羽二重』と呼びならわしておる種類。『螺鈿糸』による白糸刺繍が見事で……これ程の品は、ワシも初めてじゃぞ。 そう、たとえば王族の間で代々受け継がれて来た家宝、婚礼のための、といっても良いくらいと見ゆる」

――ドンピシャの大正解。

思わずギョッとして、息が止まる。

「見て分かるものなの? 誰かさんは、見ても分からなかったみたいだけど……というか、私も分かってないんだけど。 フツーに、昔ながらの手の込んだ刺繍の……特別な保管はしてたけど、母から譲り受けた中古で」

「ふむ。《火の精霊》による『魔法のランプ』の光で、本物を見たことが無かったようじゃの」

老店主は訳知り顔になり、古式ゆかしき『魔法のランプ』を近くの棚から取り出した。

ランプをこすると、蓋(フタ)のツマミとなっていた《精霊石》が真紅色に光り……ランプの口で、ポッと淡い金色の火が灯る。ほとんど白に近い金色だ。

それは見る間に、太陽柱のようにスッと立ち上がった。真紅色をした微細な火の粉が、透けるように淡い金色の柱の周囲を巡りつつ、確かに意思をもって揺らめいている。

「これが、《火の精霊》による聖火です。それ、ご覧なされ」

一見、古い絹で作られた風の長衣(カフタン)ドレスが、不思議な『魔法のランプ』の光を受けて、白銀色に揺らめいた。 婚礼用に織られた吉祥紋様が幻想的に浮かび上がり、その中で、白かった花柄刺繍が、虹色の螺鈿細工のようにきらめく。

――すごい……!

素人目にも分かるほどの、素晴らしいまでの逸品。思わず、口をアングリしてしまう。

「これなら当分の宿代も食費も……! とにかくカネだカネー! 残してくれてありがとう、天国のお母様!」

老店主は思案顔で白ヒゲを撫で、もろ手を挙げてピョコピョコ飛び跳ねる男装の娘を見やった……

……次に老店主は、店内のソファで改めて休ませていた老女(オババ)の方にも、注意深く視線を投げた。

オババは何かにビックリしたように目を大きく見開いて、アリージュ姫を見つめていたのだった。

間に合わせのターバンからこぼれ落ちた、アリージュ姫の髪。それは、一時的にではあるが、ほぼ健康的によみがえった髪色。いつものような、ズルズルと引きずる不吉な『呪い』の流れも無い。

「姫さん……髪の色が……あの『呪い』が遮断……?」

オババは店内に吊り下げられている大型ドリームキャッチャーの群れを見回した。やがて、ハッと息を呑む。

「あ、あの護符……」

そのマクラメ細工ドリームキャッチャーは……茶カップほどのサイズの水晶玉タイプ《精霊石》と、大型の白羽、7本の組み合わせ。

――その白羽は、白孔雀の尾羽。

老店主とオババの間で、何かを探り合い、お互いに何かを察知したような視線が交差する。

オババは、そそくさと御礼のような仕草をするや、普段から霊媒師として肌身離さず身に付けていた、種々の護符をそろえてある首飾りを、素早く手繰り始めた……

ほんの、ひと呼吸か、ふた呼吸の間。

ささやかではあったが、決定的かつ重大な間をおいて……老店主は、おもむろにコホンと咳払いし、アリージュ姫の注意を引いた。

「そのターバンも売るつもりはあるじゃろうか? 見たところ、そちらは『螺鈿糸』……しかも、更に希少なレース織りじゃな」

「破れている状態ですけど。値段は付きます?」

「端切れ布の取引も多くあるからの。本物の『螺鈿糸』なら、その辺の類似品などよりも、よほど高く売れますぞ」

*****

アリージュ姫とオババは、2羽の《精霊鳥》に導かれ、近くの手頃な宿に落ち着いた。

オババを静かに休ませるため、壁と扉でキッチリ仕切られた個室を頼む。市場(バザール)界隈とあって相場は高かったが、花嫁衣装を処分して得たお金で、充分にお釣りが出た……数日分もの余裕で。

もうほとんど徹夜だ。夜明けの刻のほうが近いくらい。

確保できた個室に入ってみると、古くて硬そうなベッドがひとつ、ペラペラのクッションがひとつ。今までの塔の部屋と同じという訳にはいかないが、ベッドがあるだけマシなのだろう。

オババを、クッションを更に重ねておいたベッドに入れる。

部屋の扉を閉める前に……アリージュ姫は用心のために、別の部屋の様子をそっと窺った。

近い位置の別の大部屋では、それなりの身なりの男たちが夜通しの酒宴と博打をやっていた。

いかがわしい猥談が飛び交い、ドッという笑い声や、「ごまかすんじゃねぇ」などという大声が響く。これでも市場(バザール)の賭博の宴会の中では、おとなしく上品なほうに違いない。

とぎれとぎれながら、帝都の噂も混ざって来た。

「史上初の女帝の時代が始まりそうだなぁ、おぉ帝都うるおす、ふたつの大河ユーラ・ターラーよ、かの予言どおり逆流するのか」

「帝位を継ぐのは男だろうが。有望株はハディード皇子か、それとも傍系のだか、まだ独身だそうだが側近も有能で、賭けだ、おら、賭けろ!」

「帝都の聖火神殿を巻き込んで連鎖して大爆発ってな、美しさは罪ってホントだな、同じ人間とも思えねえ絶世が皇子たちをも次々に骨抜きにしやがってよ。 偉大なる皇帝陛下(シャーハンシャー)の死因ってのも酒姫(サーキイ)の夜のアレだってよ、アレ」

「罪深いほどの美貌たぁ、一度、拝んでみたかったぜ。確か神殿と一緒に大爆発したってな。汚職ゾロゾロ、宮廷ガラガラポンのビックリポンよ」

「砂漠の真ん中で死にかけてた皇子、男色らしいとか怪しい噂があるが、まぁそっちだろ、帝位を継ぐのは」

「無い。確かな筋から聞いた話がある。オリクト・カスバ出身の重鎮、すなわち国土建設大臣フォルード様への出入りの業者のな。 あの砂防ダム造成の……聞いて驚け、かの予言の《怪物王》復活とかユーラ河とターラー河の大逆流とか、宮廷の汚職疑獄とか、ガッツリ関係してな。聞いてるだろ」

「聞いてねぇぞ。話せや、ごるぁ! あな恐ろし激ヤバ、ジャバの大魔導士、こっちまで来てんのかよ」

「おら丁と半いった! ハハハのハァ、恐怖の大魔王ザバだろうが、薔薇色の目をした酒姫(サーキイ)だろうが、やるのみよ、やれ! おら酒だ!」

――話の筋があっちこっち行って訳が分からない。もはや酔っ払いの騒音。

扉をキッチリ閉じて鍵をかけ、余りの布を詰め込んでみる……騒音の質が幾分かマシになった。

いつしか、一緒に付いて来ていた《精霊鳥》シャールとパルが、部屋の中の標準装備と見えるスタンド式ハンガーを止まり木に見立てて、並んで止まり、くつろぎ始めている。 冠羽が静かに収まっていて、パッと見た目は、普通の白タカと白文鳥だ。

「あの『精霊雑貨よろず買取屋』のお爺さん、とっても親切だったよね。衣装、高く買い取ってくれて助かった……オババ殿、そんなに落ち込まなくても」

「これが落ち込まないでいられますか、姫さんは古代の『精霊魔法文明』の時代にまでさかのぼる由緒正しき白孔雀の《魔法の鍵》を受け継ぐシュクラ王家の末裔、 精霊の言葉をことごとく聞きこなす銀月の、祝福の……」

「時代は変わってるよ、オババ殿。今は御幣(みてぐら)捧げて祈って祝福の鍵や護符をさずけてもらうような《魔法》じゃ無くて、 精霊も邪霊もゴリゴリ召喚してアレコレする、ジンと《魔導》の時代で……」

窓の戸締りも確認しつつ、オババに応えるアリージュ姫であった。

「それに王国に伝わってる《魔法の鍵》って、古代の変人ハサンの鍵でしょ。変な魔法で、金庫を次々に空っぽにしたから、二つ名『貧乏神ハサン』で。 古代伝説の白孔雀の精霊なんかよりも、カネと戦闘力のほうが、世の中、ずっと……オババ殿、大丈夫?」

オババは、ベッドに入った後もウンウン言っている。口調も、うわごとに近い。

――無理がたたったに違いない。額をさわってみると、熱くなっている。

さっそく冷湿布を作り、オババの発熱を冷やす。

「明日の朝一番で代筆屋の募集に行って来るけど、オババ殿は休んでてね。頑張って、仕事と家、もぎ取って来るから」

スタンド式ハンガーでくつろいでいた白文鳥《精霊鳥》パルが、「ぴぴっ」とさえずる。

『パル、見てるから大丈夫だよ。現場復帰予定のご隠居さん、事情を察したから口は固いし、変なことしないよ、ピッ』

*****

翌朝。

東の空を、払暁の光が駆け抜ける。

アリージュ姫は、犯罪に初めて手を染めようとしている――という緊張感で、一睡もできなかった。

法律を破り、本来の性別を詐称して、『男』として売り込むのだ。

――宮殿の塔で暮らしていた時は、バルコニーから、オアシスの青い水面が見えた。鬱蒼と茂ったナツメヤシや葡萄の緑を眺めたりしながら、朝を迎えていたけれど。

城砦(カスバ)の街路は入り組んでいて、陽射しがなかなか入らない。これはこれで、涼しさを保つには良いけれど、時刻が分かりにくい。

少し身を乗り出して、宿の窓ガラスに映った姿を、ジッと見つめる。

長い髪は、生成りの質素なターバンの中に慎重に巻き込んである。

頑丈なだけが取り柄の、男物の街着。生成りのチュニックと広幅ズボン、丈の短い赤色ベスト。

深窓の姫君として育っただけあって色は白いが、トルジンが酷評したほどの男っぽい平たい体格。女声の中でも低音域のほうのハスキー声。 貧相すぎて、ヒョロリとした骸骨のような印象は変わらないけれど、頑張れば『男』に見える。

「此処に居るアリージュは消えた。今日から私は、大金を稼ぐ予定の、市場(バザール)の代筆屋『アルジー』……!」

白タカ《精霊鳥》シャールが、冠羽をキリッと立てて、早くも先導を始めている。

『新しい「人類・男(オス)」を募集中の代筆屋の店は、こっちだ』

御年17歳の男装姫は、こけて血色の悪い頬(ほお)を、パンとはたいて気合を入れると……薄い肩をいからせて、市場(バザール)の目抜き通りへと踏み出して行った。

*****

――アリージュ姫、あらため、アルジーが帝国伝書局・市場(バザール)出張所へ売り込んでいる頃。

宿屋の中。

幾分か体調が戻って来たオババは。

真剣な顔をして訪問して来た白ヒゲの老人……『精霊雑貨よろず買取屋』の老店主と会見していた。

やがて、白ヒゲの老店主が包みを開く。

オババが目を留めていた、あの大型ドリームキャッチャーが現れた。茶カップほどのサイズの水晶玉タイプ《精霊石》と、白孔雀の尾羽7本の組み合わせ。

2人の間で相談が始まり、そして結論が出る。

白ヒゲの老店主が、小卓の上に『魔法のランプ』を置いた。『魔法のランプ』の蓋(フタ)を開けると、中にあるのは、黄金色のオイルのような液体。

老店主は白ヒゲを少ししごいて集中すると、持ち込んで来ていた葦(あし)ペンを黄金色の液体に浸し……

同じく準備されていた、とっておきの黄金色の色紙の上で葦(あし)ペンが走る。それはそれは見事な熟練の動きで描かれていったのは、《魔導陣》。

老店主が特別な《精霊語》呪文を詠唱すると、黄金色の色紙から、黄金色の炎が出現する。

止まり木さながらのスタンド式ハンガーに控えていた白文鳥《精霊鳥》パルが、パッと飛び出し、黄金色の炎へと飛び込む。

黄金色の炎は見る間に純白の炎へと変容し、伝説の白孔雀のような姿形をして燃え始めた。まさしく古代の伝説の、火の鳥さながらだ。

白孔雀の尾羽の形をして揺らめいている純白の炎のてっぺんから、手乗りサイズの毛玉がワラワラと現れて来た。ほぼ無害な邪霊、ケサランパサランの群れ。いずれも、白毛。

所定の位置に、例の大型ドリームキャッチャーを配置する。空飛ぶ白い毛玉の群れがワワワッと取り囲み、ワチャワチャと騒ぐ。

――白毛ケサランパサランの大群が解散した後。

残っていたのは、あの水晶玉。高度に圧縮された白羽――白孔雀の7本の尾羽を、内部に抱え込んでいる状態。

いつしか、スタンド式ハンガー止まり木に、白文鳥《精霊鳥》パルが戻って来ていて……「ピッ」とさえずっていた……

*****

――あの夜。

聖火礼拝堂の華燭の典に現れた花嫁が、『灰髪ヒョロリ長身アリージュ姫』から『銀髪グラマー美女アリージュ姫』に入れ替わっていた件は、 トルジンの父トルーラン将軍を含む関係者たちや、招待された貴賓たちの間では、驚愕をもって受け止められていた。

それは、以下のような次第だ。

聖火礼拝堂に集まった貴賓たちが、それぞれの座に就き、豪勢な料理や酒杯が振る舞われ。

華燭の典に伴う宴会が進行し――めでたい場では定番の神聖舞踊、聖火神殿の神官による荘重かつ華麗な『聖火の舞』や『薔薇の舞』が、流れる音楽と共に披露され。

クライマックスが、帝国創建の故事を元にした、花婿の儀礼の舞――御曹司トルジンによる『英雄の剣舞』だ。

手に持つ刀剣は、雷電を放って大型の邪霊を倒せるとされる《魔導》紋様が刻まれた三日月刀(シャムシール)。

古代の英雄が愛用したと伝えられる《雷霆刀》を現代の刀匠が再現したものだ。

トルジン好みにあつらえてある真紅色の柄は、過剰なまでの金銀宝玉の装飾に彩られている。ギリギリまで薄づくりにされた刀身も、それだけ輝きは素晴らしいものとなっていた。

もちろん御曹司トルジンは、父トルーラン将軍の権勢を具現化したかのような、金銀刺繍や宝飾ビッシリの、贅沢な長衣(カフタン)姿だ。 濃色の更紗を使ったターバンに、特大サイズの極彩色の羽飾り。ダチョウと孔雀の尾羽。

――ただし、御曹司トルジンのターバンを装飾する宝玉は違っていた。アリージュ姫が最初に見た大きな黒ダイヤモンドでは無く、 トルーラン将軍の部族の紋章をデザインした、ブローチ型の宝飾品である。

舞い終えて、聖火礼拝堂の――宴会の場の――中央の祭壇へ立つ御曹司トルジン。

祭壇には、過剰なまでの宝飾を施された7個の『魔法のランプ』が円状に配置されていて、太陽柱のような聖なる金色の光柱が7本、ドーム型への天井へと伸びあがっていた。

祭壇の傍に控えていた赤い長衣(カフタン)姿の神官長が《精霊語》の祭文を詠唱する。

続いて、詠唱士たちの美声によって、同じ祭文が繰り返される。

下座のアーチ入り口の紗幕(カーテン)がしずしずと開き、いよいよ花嫁の入場となった。

全員の視線が集中する中を、注目されてウキウキしているのか、色っぽいクネクネとした所作で歩を進める花嫁姿のアリージュ姫。

そのベールは、大胆にも大きく上げられていた。慎ましく隠されてあることになっている筈の髪の毛も、お肌のきわどい部分も丸見えだ。 ベリーダンス衣装そのものの大胆なカットデザインの裾から、金銀宝玉タップリの足飾りを装着した、なまめかしい素足がチラチラと見えている。

そのアリージュ姫は、『銀髪グラマー美女アリージュ姫』であった。

全身を彩るのは、燦然ときらめく最高級の宝飾品の群れ。悩ましいまでに真っ赤な唇。たわわな胸と、キュッとくびれた腰。

銀月の光を集めて来たかのような、まばゆい銀髪。

ガシャン。

最高位の上座で傲然とふんぞり返っていた華やかな美形中年――トルーラン将軍が、驚愕のあまり、最高級の葡萄酒の入った酒杯を落としていた……

下座の別の一角のほうでは。

黒髪のローグ青年と、その従者が、困惑顔を見合わせていた。

オリクト・カスバのローグは、いまは亡きシュクラ王妃の実家の血縁である。傍系ながらシュクラ王族であるアリージュ姫にとっては、もっとも近い親戚。

幼い頃のアリージュ姫を直接に知っていた関係者の面々が、ザワザワし始める。

シュクラ側の代表の1人として出席していたシュクラ貴族の青年が、年配の男をおずおずと振り返った。

「名高い『シュクラの銀月』の娘というのも納得、さもありなんというお姿ですが……?」

「シュクラ宮廷霊媒師……オババ殿が、どこにもいらっしゃらない。あの山ほどの装飾品も、シュクラの装いの流儀では……!」

ローグ青年は顔をしかめ、ゆっくりと腕を組んで思案し始める。

「すべて帝都の最新の流行の品だ。トルーラン将軍と御曹司トルジン、アリージュ姫を自分ごのみに調教した、ということか?」

ローグ青年の従者として控えていた、同じく黒髪の青年が、激怒に全身を震わせていた。

オリクト・カスバは《地の精霊》との縁が深い地域のひとつだ。赤髪や茶髪も普通に見られるが、より暗色系にシフトしていて、黒髪を持つ人の割合が多い。

彼が剣呑な動きで身を起こした瞬間、ローグ青年がハッシと抑える。

「おい、君はいま私の従者だ。落ち着け。どうなっているのか調べないと」

……

…………

――実に偶然だったのだが。

この日この夜、シュクラ宮廷霊媒師オババ殿が、妙に落ち着いていた理由は。

オリクト・カスバのローグ青年がひそかに陰謀していた、『アリージュ姫・奪還計画』が動いていたからだった。

だが、オババ殿が何処にも居なかったため、かねてからの計画は不発に終わってしまった。

そして、あまりにも不確かで奇妙な目撃情報と、談話の断片のみが残った。

――『銀髪グラマー美女アリージュ姫』が華々しく出現する少し前、宮殿の裏のゴミ捨て場に面する街路で、珍妙な邪霊がうろついていたらしい。 ゴミ捨て場から拾ったと思しき、白い花嫁衣裳の長衣(カフタン)ドレスをまとった、《骸骨剣士》だ――

安全のためにも、邪霊をしっかり調伏しておくべきだったと判断して、あとから追っ手を差し向けてみたものの。

花嫁姿をしてうろついたという珍妙な邪霊《骸骨剣士》の足取りは、熟練の魔導士でさえも、追跡できなくなっていたのだった……

……

…………

……華燭の典から床入りへと、夜が更けてゆき。

十六夜の銀月は、南中の位置を大きく通り過ぎていた。

東方総督の宮殿に付属する聖火神殿・宮殿出張所は、皆々寝静まり、人通りが絶えてシンとしている。

長い通路には、中程度のサイズの幾何学的格子窓が規則的に並んでいた。事務を担当する神殿役人たちが行き交うこの場は、煌びやかな聖火礼拝堂と比べると、はるかに地味で質素である。

小さな夜間照明ランプが、間隔を置いて灯っている。銀月の光が差し込んでいなければ、もっと暗かったに違いない……

……壁沿い、通路が丁字路の形をして交わる一角……

聖火礼拝堂の側から、通路に踏み入って来た者があった。

いや、正しくは『そこに存在しない筈の』秘密の出入口のようなところから、急に出現してきたようだった。まるで、この場が、本来は十字路に交わる一角であったかのように。

「ちょっとスリスリしただけで、トルジンったら、なんてチョロイの……黒ダイヤモンドが無くなってることにも気づかないで……クッフフフフ」

ありえない場所で、あられもない姿をしている銀髪グラマー美女アリージュ姫が、手の上で、あの黒ダイヤモンドをポンと跳ねさせている。

その拍子に、薄物の衣装の裾から、チャリン……と、コインのような物が転がったが……

黒ダイヤモンドなどといった宝玉の類では無い「それ」は、銀髪をした『自称・本物のアリージュ姫』にとっては、その辺の小石と同じ。

まばゆい銀髪を持つグラマー女が、クネクネと扇情的な歩みをしつつ、立ち去った後。

物陰で、コソリと……聖火神殿の紋章入りの、赤茶色の長衣(カフタン)姿が動いた。

慎重にソロリ、ソロリ、と足を動かし、チャリンと転がった「それ」を、おそるおそる拾い上げる。

幾何学格子の窓枠を透かして入って来る銀月の光に、「それ」をかざす。

闇を含んだ黄金色――濃色の琥珀ガラス。

そのコイン型をしたモノの、表と裏に、古代の紋章めいた……奇妙に歪んだ形の刻印がある。

「この刻印は……まさか、かの伝説の邪霊の……」

その人物の目が、カッと見開かれた。

「あの女……そんなバカな。あの人に相談するべきか? いや、そんなことしたら、あの黒ダイヤモンドに手を出したことがバレてしまう……」

その赤茶色の長衣(カフタン)の人物は、震え出した。

「まさかトルジン様が、あのみすぼらしく加工した持ち出し用の箱まで開けて、黒ダイヤモンドを見付けるとは思わなかったし、 あの女に更に奪い取られるとは思わなかったし……」

いくら押さえつけようとしても、なお噴き上がって来る不吉な予感……恐ろしい未来への想像が、止まらない。止められない。

「そう、偶然ということもある。偶然、どこかで拾ったとか……いや、でも……」

落ち着かなくキョロキョロする視線が、窓枠から差し込んで来る銀月の光のもと、通路の床の上に残っていた『もうひとつの物』を捉えた。

――そこには有り得ない筈の……白タカ《精霊鳥》の死体。

身を滅するような、すさまじい《魔導》の激闘があったのか、既に白骨化している。

人の手でふれてみると、見る間に、白タカ《精霊鳥》の白骨死体は、『根源ノ氣』へと還元消滅していった……

喉の奥が、いいしれぬ恐怖に凍り付いたかのようになる。

「あの女は……何故、ここに、来ていた……?」

西の地平線へ、十六夜の銀月が近づいて行く……

……未明の闇の底。

通路の片隅で発せられた重大な疑問の呟きは、陰々とくぐもり。

誰の耳にも届かないままに、ナツメヤシの木々を揺らす夜風にまぎれていった……

この夜、いくつもの思惑が絡み合い、重なり合い、運命の十字路に交差した。

闇と銀月の中に錯綜した事象……

これらが浮上して来るのは、2年後のことである。

■04■風塵、急を告げる頃

あの夜から、2年ほどの月日が過ぎ去っていた。

ロバ1頭が牽く小型の荷車ほどしか通れないような、市場(バザール)の片隅の路地裏。

両側に、露天商・行商・一皿料理の類を商う小箱店舗や、ウサギ小屋のような住宅が密に連なる。

そのなかで、代筆屋の看板を出している1軒がある。

2年ほど前に開業した、アルジーの代筆屋。

軒先の彩りとして豆苗を育てていて、市場(バザール)の方々をねぐらにしている白文鳥《精霊鳥》が、たびたび遊びに来るようになった新しいスポットでもある。

代筆屋本人は非常に若く……御年19歳。民間の代筆屋として、帝国伝書局・市場(バザール)出張所のスタッフを務めている。

――とある日の、何でも無いような午後。

東方オアシス各所の数々の城砦(カスバ)を順番に襲った最近の砂嵐を何とか、やり過ごし。

帝国伝書局・市場(バザール)出張所で、帝都の役所の文書形式に沿って、砂嵐の災害報告書の束をひたすら代筆する……という目の回るような繁忙期が、やっと終わった日。

市場(バザール)の片隅で副業していた代筆屋は、決死の形相で訪れた「訳あり客」から無理難題を出されて、困惑しきりの状況にあった……

……うら若き代筆屋アルジーは改めて、頭部のターバンを男っぽく締め直す。

アルジーの容貌は、自他共に認める陰気さが際立っている。

目鼻立ちは悪くない。むしろ整っていると言っていい方なのだが、血相の悪さや、こけた頬(ほお)のほうが目立つため、パッと見た目は、不気味な骨格標本だ。邪霊の一種《骸骨剣士》そのものなのだ。 赤色ベストからの照り返しでもって、ようやく生気が追加されたように見えるほど。

くぼんだ眼窩の奥から、決死の形相で訪れた「訳あり客」を、ジロリと睨むアルジー。

だが男性客は、アルジーの骸骨顔にも、ひるまない。小さな子供は泣いて逃げ出し、男も女も関係なく、青ざめてジリジリと後退していくのに。

覚悟を決めてやって来た、まさに硬派の漢(おとこ)。ガッツリ骨のある面倒な客。

営業カウンターには、お金の入った革袋が置かれていた。傍目から見ても、相当にズッシリとしていることが分かる。

――この客、帝国人の80%と同じ平凡な茶髪だけど、相当の身分の人物らしい。

よく見ると耳の形が通常の2倍ほど長く、上へ延長した耳輪(じりん)の先端が尖っている。鬼耳族の子孫。別称「地獄耳」。 常人の数倍もの高機能な聴力を誇り……砂嵐や邪霊の接近をいち早く聞き付けるので、隊商(キャラバン)では、普通に見かける。老人世代になるまで聴力が衰えにくいという、まことに便利な耳だ。

質素なターバンやチュニック、ベストでもって隊商(キャラバン)の一員さながらの外見を装っているが、素晴らしく質の良いブーツが、その変装を裏切っている。 広幅ズボンを固定するサッシュベルトの色が『帝都紅』だ。訓練された宮殿関係者であれば、一般庶民の使う礼装の赤色の中でも、見分けがつく。

――おそらく帝都の役所勤務、実力派の若手エリート役人。あるいは、もっと上、どこかの王侯諸侯の血縁かも。シュクラ王太子ユージドお従兄(にい)様の親戚、オリクト・カスバのローグ様のような。

アルジーは革袋を名残惜しくチラチラと見やりながらも、キッパリと告げる。

「残念だけど、《魔導》攻撃系のヤツは、できない」

若い男性客は少し目を見張った後、返答の内容を理解し、気色ばんだ。

「金は積んだんだ。要らんのか」

「そりゃ、その金は欲しいよ。でも私が訓練を受けたのは《精霊文字》のほうだから」

代筆屋アルジーの、割合にクッキリとした濃灰色の眉尻が、キュッと吊り上がる。

「帝国お抱え魔導士のような、邪霊を組み合わせた攻撃はできないんだ。それは《魔導陣》や《魔導札》を使うんだよ。《精霊文字》の御札とは別物。 そもそも、大自然の理に反して、本来ありえないことを実現する、っていうものじゃない。 そういう依頼は、呪殺の《魔導陣》を展開するっていう暗殺教団とか、《骸骨剣士》や《食人鬼(グール)》を差し向ける、邪霊使いに持って行くのが確実。奴らのほうが専門なんだから」

ハスキー声ではあるけれど、クセが無く中性的。男にしてはトーンが高めだが、聞いているうちに落ち着いて来るタイプの声音だ。 歌うたいや詠唱士もこなせそうな伸びやかな声質が、高い透明度を感じさせる。

しばし沈黙が流れる。

やがて、若い男性客は苦悩の表情をして、頭部のターバンをガシガシやり始めた。

「オレの連れにトルジンが目を付けて、さらって行ったんだ。それも娼館へ。トルジンの手先……武装親衛隊が囲んでいて、取り返そうにも近付けない。 帝都の裁判所へ突き出したり処刑したりするのは後でやれるにしても、時間が無い。 あんたの《精霊文字》の腕は確かで、定番の『家内安全』『交通安全』なんかの紅白の御札はもとより――灰色の御札の効果は、 聖火神殿のものよりずっと霊験あらたかで早いから、今夜までに余裕で間に合うだろうと聞いた」

かの罰当たりトルジン野郎……

アルジーの目が据わった。

――あの女商人が、この新顔を、『裏の案件』にもかかわらず速攻で紹介する筈だ。

いまの自分は、似顔絵を描いた麻袋(サンドバッグ)を殴る蹴るしているだけの無力な子供じゃ無い。罰当たりな破廉恥どもに、キッパリ・スッキリ、天罰を当てる技術を習得した、一人前の大人だ。

とりわけ親しくさせてもらっている――市場(バザール)で出逢う様々なリスクを切り抜けるコツを色々と教えてくれた、姉御肌な女商人ロシャナクの、得意げな顔が、思い浮かぶ。

女商人ロシャナクの顔が利く、あるいはロシャナク自身が裏営業している高級娼館で進行している出来事に違いない。

希望を持てる時間を、ギリギリ今夜まで、どうにかして引き延ばしたのだ。あの「何をしても許される」腐れ外道な御曹司トルジン相手に。

アルジーは営業カウンターの下から秘密の箱を取り出し、灰色の御札3枚を引き抜いた。手慣れた所作で、順番に、営業カウンターの上に並べる。

「一応、『恋敵を蹴落とすオマジナイ』『恋敵を転ばせるオマジナイ』『恋敵に悪夢を見せて眠れなくするオマジナイ』は在庫があるから、出すよ。 御札の使い方は分かるよね? だけど、あとは、お客さんが頑張らないとダメだよ。相手が相手だし、結果を決めるのは、実際の行動だから」

「助かる! なんだか不安が無いでもないが」

先ほどから、なんとなく代筆屋の店の周りを飛び交っていた数羽の白い小鳥たちが、店舗の入り口にパラパラと止まり始めた。 開かれたままの入り口の戸板には格子窓があり、小鳥たちは窓枠をスイスイ通り抜けつつ、飛び跳ねている。

すぐに、そのうち1羽が、リズミカルにさえずり始めた。少し長いさえずり。注意深く耳を傾けると、人の言葉のようにも聞こえる。

アルジーは不安げに眉根を寄せ、『いちご大福』そっくりのフワフワ・モチモチな白文鳥を見やり……別の秘密の箱から、ブランクの灰色の御札を、手品のように取り出した。

「……それに、もう一種、御札つけてみる。特殊な紙とインクを使うから、高い割増料金いただくよ」

「金に糸目は付けない。だが、なんで不安そうなんだ、代筆屋?」

「どんな現象が出るのか良く分かってなくて。理屈は分かるし、『すさまじく効果テキメンだった』って、娼館の関係者からの評価と評判は頂いているけれど。 通称『男の下半身のアレを究極に萎えさせ、七日七晩、不能にするオマジナイ』。もげたように無くなってたと言うのもあります。殿方の下半身のアレって、実際ドウナッテマスノ?」

集中すると、知らず知らずのうちに、幼いころから訓練して来た「言葉遣い」が出てしまう。

アルジーは生真面目に眉根を寄せつつ、使い慣れた羽ペンを手に取り……個人的な怨念も込めて、灰色の御札へと向かった。

特別な赤インク壺に、羽ペンの先を浸けては書き……

通常の紅白の御札の赤文字よりも、濃く鮮やかな赤文字が並んでゆく。

民間の代筆屋の共通の裏ワザ、赤インクを煮詰めて《火の精霊》成分濃度を増しておいたものだ。

元々は、赤インクの有効期限が切れて色も効力も弱くなってしまった時の、みみっちく最後の1滴まで使い切るための緊急手段。

ただ、難点はインクが流れにくいことだ。羽ペンが詰まりやすい。

煮詰めた赤インクで羽ペンが詰まってしまった場合、その羽ペンは廃棄するしか無い。《火の精霊》の炎でお焚き上げ、という形。 《精霊文字》のほうも、ブツ切れの線になって失敗しやすいので、冷や冷やしつつ……

「会心の出来」

男性客は、目をパチクリさせていた。その顔は青ざめ、口元は引きつっている。

――その気になって、男性客は、店舗を注意深く見回し始めた。

開業した時に、相当に掃除したり手を入れたりしたのだろう、という痕跡は窺えるが、妙に繊細な調度や色彩の取り合わせ。「男の領域」という感じが無い。

身の安全に神経質な若い女性ならではの、定番の改装が施されてある。

店舗の入り口の物を除いて、幾何学的格子の窓枠は外からの覗き見を断念させるような細かい型に新しく取り換えられているし、戸締りも、ガチガチの錠前に付け直されている。 この改装で、この小箱店舗セット住宅の資産価値は、どう見積もっても三割くらいは上昇している。

男性客は改めて、恐ろしく血色の悪い代筆屋を、注意深く観察する……

……《骸骨剣士》ソックリの代筆屋だが。

よく見ると、まつ毛は長い。くぼんだ眼窩の陰や不健康な濃いクマにまぎれて、目立たなかっただけで。 訳アリ品なドリームキャッチャー細工の白い耳飾り。首筋のラインには――喉ぼとけが、無い。目鼻立ちは……

――いや、それより何より、この代筆屋の目の色は……

突如、気付く所のあった男性客は、口元に手を当てて慌て出した。

「あ……男装の、いや、この場では説明しにくい……かな」

「ヤリ手の商人なみに目が鋭いね、お客さん。 さて、この御札、局部の調整や性病の治療に関する内容の応用だから、普通に酒や食事に溶かして、混ぜて食わせれば、もっと完璧に『もげる』……そんなに恐怖?」

男性客は恐怖と……それ以上の驚愕の面持ちをして、御札を受け取った。

「とにかく、ありがとう」

……と、革袋を丸ごと置いたまま、恐怖で遁走するかのごとく退店して行った。

代筆屋の店舗の入り口に「もちーん」と腰を据えて見物していた白文鳥《精霊鳥》数羽が、意味深に「ピピピッ」と、さえずりを交わし始めた……

アルジーは、羽ペンの状態をチェックし始める。

羽ペンを手入れするための毛玉パフを取って来て、掃除してみたが……思ったとおり、羽ペンの残りのインクが固まって、詰まってしまっている。

――そのうち文房具店で、新しいのを買わなければ。お得な中古品のほうで、掘り出し物が出ていることを期待したい。

再び、男性客が走り去って行った方向を眺めつつ……やがて、首を傾げるアルジーであった。

「あの人、あれだけ青ざめてたし、ロシャナクさんに『もげる御札』お任せして、慎重に使ってくれそうだから良いのかしら……」

『標的トルジン、性病蔓延した城砦(カスバ)から来てた咳クシャミ止まらない宝石商と会ってて、性病に感染したよ。 不特定多数の性行為してて性病の感染源になりかけてる。精霊みんな、トコトンやる気に燃えてるよ、ピッ』

白文鳥の姿の相棒《精霊鳥》パルは、生真面目にさえずった後、翼や尾羽をパパパッと高速で震わせていた。

――残像も合わせて、そう見えているだけ、なんだけど……孔雀のポーズっぽいなぁ。白いから、白孔雀の仲間、いや、ちっちゃくて丸っこい眷属ってところかな。

チラリと浮かび、パッと消えていった直感だった。

*****

翌日の夜明けから、真偽不明の噂が、市場(バザール)を流れた。

市場(バザール)の、とある高級娼館を舞台とする怪談。それは、一部の男たちの心胆を寒からしめることとなった。

例の夕べ、酒池肉林の末に、いよいよ「今夜の美女との情事」に及ぼうとしていた高貴な御曹司。

その御曹司の「大事なアレ」が、豪華な寝台の端で転んだ拍子に、もげた、と言う。しかも、急に悪夢らしき幻覚症状が出て、一睡もできず、悲鳴を上げながらグルグル走り回っていた、と言う。

トドメは、その「今夜の美女」が、その隙に、この辺りでは見かけない風体の商人風の男と、手に手を取って逃げ出した、という噂だ……

…………

……

続く一両日の間に、もうひとつの、意味深な出来事があった。

――帝国の重鎮のひとり、国土建設大臣フォルードの意を受けて帝都から来ていたという若手エリート事務官が、妻・従者ともども急に予定を繰り上げ、東帝城砦を出立して行ったのだ。

国土建設大臣フォルードが中心になって進めている国家プロジェクト――帝都を流れるふたつの大河の上流における砂防ダム造成は、莫大な金が動いている大工事だ。

東帝城砦のトルーラン将軍も、必死になって利権にあずかろうとしている案件である。

――交渉の窓口を務める担当の役人が、東帝城砦を訪れながらもトルーラン将軍を表敬訪問すらせず、急に予定を繰り上げて帝都へ引き上げたのは何故なのか。

トルーラン将軍には、いくら考えても分からなかった……

*****

更に数日が経ち、あらかた片付いた頃。

帝国伝書局・市場(バザール)出張所の公務を、いつものように定時で終わらせ、アルジーは路地裏の小さな店舗セット住宅に帰宅した。

店カウンター脇のスタンド式ハンガーに掛けておいた朝の洗濯物を取り込むと共に、一緒に吊るしてあるドリームキャッチャーを、お手入れがてらチェックしてみる。

無害な邪霊ケサランパサランが、5つ引っ掛かっていた。毛玉の色は、白、青、青、黒、赤。

『パル、白いので遊んでいいよ。遊び終わったら、インクペン掃除用のスポンジの箱に入れといてね』

「ぴぴぃ」

アルジーのターバンの上に落ち着いていた白文鳥《精霊鳥》パルが、白い毛玉にパッと飛びつき、さらっていって、モフモフのボール遊びをし始める。

ケサランパサランは、どこにでも何となく漂っている小粒の邪霊。無害なので精霊として数えるほうが多いが、正体も生態も謎。 ペットとして飼おうとする人も居るけど、10日かそこらでドリームキャッチャーなど魔除けの捕獲網に引っ掛かって動かなくなるので、期間限定のペットというところ。

動かなくなった4色の毛玉は、聖具や小道具、刀剣などを磨くための、スポンジやパフといった雑巾にされる。使い古された後、《火の精霊》の炎でお焚き上げ。 一部の研究者によれば、精霊・邪霊――「ジン」――のうち、特に上位の存在から、ポロポロこぼれ落ちて混じり合った「何か」だろうという話だ。

特に青のモフモフ毛玉を、タオル籠に保管する。青い毛玉は特に石鹸の泡立ちが良いという性質があり、「ぐいーん」と引き延ばしてタオルのようにして、身体を洗うのに使う予定だ。

店部分と居住部分を仕切っている紗幕(カーテン)をくぐる。人質の塔にあった紗幕(カーテン)は絹製だったが、こちらは粗織りのリネン製だ。夜間、冷える時はウールの外套を重ねる。

紗幕(カーテン)をくぐると、居間キッチン寝室を兼ねる空間である。

奥の壁の窓を覆っている鎧戸を開く。格子窓枠の外に漂っている午後の後半の光で、空間がパッと明るくなる。

今は亡きオババ殿の愛用していた茶カップが、居間のテーブルの主役よろしく鎮座していた。仕事終わりのアルジーの一服と共に、オババ殿の茶カップにも日替わりのハーブティーを入れるのが日課。

朝のうちに水出しハーブティーを作り、素焼きの二重壺に入れて冷蔵しておいてあるので、それで一服する。

日没までまだ時間はあるが、夕方の副業タイムを考える程では無い。

――とはいえ、迷子を保護したり、道端の落とし物を保管したり、道が分からなくなった人に町内ガイドをしたり、というような小遣い稼ぎはできるだろう。

店舗入り口の扉に『日没まで営業中』という夜間照明ランプ式の看板を掛けて……

久々にタジン鍋で自炊をしようかと、黒い毛玉ケサランパサランで、タジン鍋を磨いていると。

2人の客が、アルジーの代筆屋に入って来た。

「あれ、いらっしゃいませ。ミリカさんと……?」

常連客の妙齢の美女、遊女ミリカは、イタズラっぽい笑みをしてパチリとウインクして来た。うすいベール布地を透かして、見事な赤銅色の髪が分かる。

ちなみに、ベールは髪の部分を適当に隠すだけで良いとされている。ターバンで髪を隠してしまえば、男装ではあるが堂々と表を歩いて良いのだ。 公的に男を称したら性別詐称の罪に問われるけれど、せいぜい罰金くらい。逮捕されることは無い。男性が女装した場合も事情は同じ。 世の中、装いの性別を変えないとやっていけない場面があったりするのは、お上の方でも承知している訳だ。

もう1人は誰だ、男か女か、と首を傾げていると。

ヒョイと、濃いベールが上げられた。落ち着いた色合いの紅髪の間から、鬼耳族の特有の尖った耳。中年世代なのではあろうが、年齢不詳の、かつ厚みのある豪胆さを感じさせる美女。

――女商人ロシャナク。

帝都の御用達の文房具店『アルフ・ライラ』本店から送り込まれた支配人として、東帝城砦の支店を経営している女商人だ。一方で、裏で高級娼館『ワ・ライラ』を営業している……まさに女傑。

「ハーイ」

「ロシャナクさん。そんな街着にベールだから気付きませんでしたよ。あ、お忍び?」

「例の裏営業、大騒ぎの真っ最中だからね」

女商人ロシャナクくらい稼いでいる金持ちの装いは、たいてい長衣(カフタン)。下に着るチュニックのほうも良い素材で、華やかな染めだったり織りだったり。

目下お忍び中のロシャナクは、アルジーや遊女ミリカと同じ、一般庶民の定番の装いだ。

男女の別の無い生成りのチュニックと広幅ズボン。市場(バザール)で気に入って買ったらしい新色の、膝まである長い丈のベストを合わせ、サッシュベルトで留めている。 膝丈ベストは長衣(カフタン)に似ながらも裾が短いため仰々しくは無く、ちょっとしたよそ行きという風で、着回しが利く範囲は非常に広い。

フトコロ具合を見るには足元を見よ、という格言どおり、ロシャナクの靴は値が張る品だった。よくあるタイプの、爪先が少し上がる平底靴だが、上質な革をキッチリ縫い上げて美しい刺繍を施した高級品。

「店をスタッフに任せて、頭の整理を兼ねて買い物と散歩してたら、そこでミリカと会って、ついでに一緒に来た訳さ。ピヨピヨ『いちご大福』ちゃん、元気だったかい?」

「ぴぴぃ」

ふわもち白文鳥の姿をした相棒パルが、いつもの位置から、さえずって返していた。 魔除け用ドリームキャッチャーを吊り下げてあるスタンド式ハンガーを止まり木に見立てて、腰を下ろしているところ。換羽が始まっていて、しきりに羽根をつつき回している。

勝手知ったるという風で、女商人ロシャナクと遊女ミリカは、店カウンターの客用椅子に腰を下ろした。椅子といっても、木箱を伏せてクッションを乗せただけのもの。

アルジーは早速、店カウンターに、よく冷えているハーブティーを2つ出した。

女商人ロシャナクは目線で感謝を示し、茶を一服した。手持ちの巾着袋から高級な扇子を取り出して、パタパタやり始める。

「今日も暑いわ。ねぇアルジー、この間の灰色の御札さぁ、ホント傑作だったわよ」

「その節はどうも。あんな面倒な新顔よく見つけて来たなと」

「それだけの事はあったでしょが。ま、同じ鬼耳のよしみはあったけど、人を見る目はあるんだよ、あたしゃ。1人の女を取り合った2人の男、ハチャメチャ逃走劇の顛末(てんまつ)くらいは耳に入ってるだろ」

遊女ミリカが、茶カップを口に付けているところで、不意に「ぶふぉ」と吹き出した。幸いに茶は口の端を垂れるだけに留まり、ミリカは袖口でサッと拭く。 その途中も、その後も、くくく……と、見るからに思い出し笑い。

「例の御曹司がキツク要求したんで、まだ出回ってない内容と、後日談がある。あの御札で何が起きたのか、作成者としては知りたいんじゃないかと思って、話を持って来たんだよ。聞く?」

「…………聞く」

「製造物責任だねぇ。その責任感、律義さ、イイねぇ」

女商人ロシャナクは「ハハハ」と豪快に笑い、手に持った高級な扇子で描写を加えながら、語り出したのだった。遊女ミリカも現場に居て、あらかた見聞きしていたということで、補足情報を加えて来る。

――あの、例の夕べ。

御曹司の「大事なアレ」は、文字どおり、もげた。

その「もげた方」は、性病でメチャクチャに腐っていた。いったん発症するとアッという間に悪化し、爆発的に伝染する性病。

まさに紙一重のタイミングだった。

聖火神殿の定番のオマジナイ『家内安全』や『疫病退散』などの紅白の御札から、《火の精霊》たちが、文字どおり「火の玉」となって緊急出動して来た。

多数の「火の玉」が次々に現場に集結し、「もげた方」を激しく熱心に焼却消毒する有り様は、地獄の劫火もかくやと、語り草になる程だったという。

御曹司は、悪夢で一睡もできなかった一夜から覚めた後、スッキリ・サッパリ「もげた」その位置を眺め……失神した。

そして、もう一度目が覚めた後。

聖火神殿から、「東帝城砦どころか帝都でも一番の名医」と名高い老魔導士を呼びつけ、原状回復も含めた治療を要求した。

ちなみに、この老魔導士は帝都の有力者たちにガッツリ意見を物申し、不興を買って電撃引退した後、 悠々自適の生活に入って既に長かったのだが……何故か2年ほど前に急に神殿へ現場復帰して来たという、いわくつきの人物である。 復帰して来た時は、並み居る高弟の魔導士たちが、はるばる帝都から駆け付け、男も女も歓喜の涙を流したとか……

威厳タップリの白ヒゲをたくわえた老魔導士は娼館まで駆け付けて来た。誰よりも立派なお眉を吊り上げて、いわく。

「我らが聖火神殿の発行せし紅白の御札『疫病退散』が、この城砦(カスバ)全域で、偉大なる《火の精霊》の炎に燃えておりました。 発生源の城砦(カスバ)のみならず近隣の城砦(カスバ)をも封鎖する羽目になった悪性の性病によるものですから、徹底的に治療をいたしましょう。 ただし、股の間の器官については、原状回復は保証しませんぞ」

「オレは何もしてないぞ! 男色じゃ無いし、あの城砦(カスバ)から来た野郎と性的接触なんか……あぁ、でも、宝飾ピアスを売って来た宝石商は、 最近の砂嵐か何かの影響なのか、咳とクシャミが止まってなかったような……」

「では、そこで感染したんですな。性病は、咳とクシャミでも感染するんですぞ。ピアスの穴から感染することもある。 ゆえに、大規模流行を防ぐべく、白タカ《精霊鳥》をすべて使って密に連絡を取りつつ、厳重な防疫体制を敷いていたものを。 偉大なる《火の精霊》が徹底的に焼却消毒していなかったら、どんな恐ろしい事態になっていたか、この特権ボケ・ウマシカ・アホが!」

「そこまで怒ることないだろ、オレは被害者で……」

「この性病は、男が発症した場合、行き着くところは『不能』ですぞ宮殿はトルーラン将軍の執務室まで報告書が上がった筈じゃコノバカモン!」

「ふ、不能……」

御曹司は、またしても失神したという。今度は絶望で。

治療のため、山ほどの黄金色の《魔導札》を全身に貼りまくられ、目が回るくらい苦い薬を大量に飲まされ……

御曹司は赤色ケサランパサランの大群に取り付かれた。

性病の原因を焼き尽くすためであろう、赤い毛玉たちが特に股の間に密集し、サボテンのように固くなってグサグサとやり始め、下半身の例の場所が炎のような熱を持ち……

股間に物理的に火をつけられたよう、全身に氷水を浴びせられたよう――というような極端な状態になり。ありとあらゆる頭痛だの腹痛だの悪寒だの、不定愁訴にまみれ。

七転八倒して、七日七晩。

ズボンもベッドシーツも、「もげた場所」からスイカ1個分ほどの大出血があったため、真っ赤に染まり……

交換しても交換しても、ズボンとベッドシーツは、そのたびに「もげた場所」からの 「最も重要な部分を、ゴツゴツとした金属製やすりで、むごたらしく削られているような命懸けの痛み」を伴う連日の大出血で、しとどに染まり続けた……

……その後、御曹司の大事な「新しいアレ」が無事、健康に生えて来た、という。

「地獄だった……」

最悪の結果にならなかったことで、ズダボロ体調悪化に大量出血に満身創痍を重ねた御曹司は、ホッとしたけれど……同時に、ガックリした。

――何故なら、ひと回り小さくなっていたからだ――

女商人ロシャナクの語りは、最後は、笑い涙を流しながらヒーヒー言うものになっていたのだった……遊女ミリカのほうも、いうに及ばず。

……もしかしたら、治療を担当した老魔導士も、同じ反応をしたんじゃないだろうか……!?

アルジーが、疑惑の眼差しで見つめていると。

女商人ロシャナクはバカ笑いを収め、キリッとした、まさに女実業家というべき顔になった。

「あの偉大なる老魔導士、例の御曹司に、こう言ったんだよね。『御曹司は運が良ければ、この1回だけで終わりじゃ。 じゃが、女性は出産で、あるいは月ごとの生理で、急に悪化すれば命を失うのじゃよ。 少しは想像してみると、よろしいかも知れませんぞ。毎月ずっと繰り返し、体内にそれだけの大怪我をするという人生を』――とね」

アルジーは少し考えてみた。そして。

「例の御曹司に、それだけの想像力があったかなあ?」

「怪しいところだね。あの御曹司、3歳や5歳の幼女や、生理中の女と床入りして、行為の最中に暴力を振るってスッキリすれば、性病が治ると信じてたよ」

フンと鼻を鳴らす女商人ロシャナクであった。遊女ミリカも同じ内容を見聞きしたと言うことで、「うんうん」頷くのみ。

ロシャナクは、かねてからの何かを思い出したという顔になり、高級な扇子で額をペチリとやった。

「アルジーとしては、そこまでは想定外だったんだろうけど、うちの娼館はギリギリで性病の蔓延を免れて、 商品の男子たちと女子たち、それに酒姫(サーキイ)たちも命拾いしたようなものだからね。些少ながら、これは御礼だよ」

ロシャナクは、巾着袋から指の先ほどの小さなインク壺を取り出し、代筆屋の営業カウンターにポンと置いた。

ラベルを見てギョッとするアルジー。

「紅緋色のインク! これ《火の精霊》高度濃縮バージョンで、『魔法のランプ』で特別な方法で保管しておけば、《魔導陣》や《魔導札》の黄金色のインクにもなる……!?」

「危険物取締法、指定リスト第1位、《魔導》免許証を持ってる人限定の品だから、報告記録なしで提供できるのは、邪霊を呼べないくらいの少量の試供品だけどさ。 あの灰色の御札の赤インクより効力あるんじゃないかな。まぁ今後とも、我らが文房具店『アルフ・ライラ』を贔屓にしておくれよね、ハハハ」

――さすが、専門の業者。ガチガチに煮詰めた赤インクに気付いていた訳だ。もしかしたら、お焚き上げ確定の羽ペンが出たことも。

アルジーはふるふる震える手で、目玉が飛び出るほど高価なインク壺を、おしいただいたのだった。

*****

翌日、所用があるということで帝国伝書局・市場(バザール)出張所を早退して……

昼下がり。アルジーはホクホク顔で、革袋を開いていた。

いつだったかの新顔の男性客が置いていったカネを、改めて数える。

「カネだ、カネ。がっぽり儲かってる。当座の小遣いだけ分けておいて……じゃ、行こうか、パル」

「ぴぴぃ」

アルジーは相棒の白文鳥《精霊鳥》パルを頭部ターバンの上に止まらせ、市場(バザール)の行き付けの金融商へと、歩みを進めた……

*****

……市場(バザール)をにぎやかに行き交う人々の波を抜け、やがて、目的の街区に到着する。

商館や役所と近いこともあって、堅実な雰囲気のある中堅の店舗や会館、集合住宅や公衆浴場が並んでいた。うち幾つかは広い敷地を誇り、噴水つきの中庭を持っているところもある。

複数階層を持つ建物からバルコニーが広く張り出していた。貴重な緑の彩りと共に、日陰を提供している。 陽射しと暑熱のきつい午後、こんがりと熱せられた地上の街路ではあるけれど、砂嵐が収まった今は、街歩きはそれほど苦痛では無い。

ところどころで、両側の複数階層の店舗が協力して、超大判の紗幕を通りの上に張りわたしている。 商品保護と客寄せを兼ねた即席のパラソルの陰では、日陰を求めて立ち止まった通行人たちが、両側の店舗の細々とした多彩な品々をチラチラと見物したり、立ち話をしたりしていた。

生成り色や、その他のターバンを巻いた各種の店スタッフが通りに出ていて、客への対応をしたり、頼んでいたと思しき種々のロバ荷車の運搬品を検品したりしている。 その横を、いましがた到着したと思しき隊商(キャラバン)のラクダたちが、隊商(キャラバン)スタッフの持つ引綱による誘導に従って、ゆっくりと商館の中庭へと向かっていた。

……その街区の商館広場の角に、到着してみると。

馴染みの金融商の店先で、10名ほどがたむろしていた。新しく商館に到着したと思われる隊商(キャラバン)の傭兵たち。

傭兵たちは戦士の定番の装い、迷彩ターバン姿。2人ほどが、大きい耳を持つ鬼耳族。マントの隙間からのぞく革鎧や鎖帷子は、砂漠の邪霊や怪物との激闘の痕跡でいっぱいだ。 最近この辺りで発生した砂嵐には、確実に巻き込まれただろうし、とりどりの武器も合わせて半分以上は、修理や整備が必要だろう。

金融商オッサンは、持ち込まれていた帝国通貨――それも最高額の大判を、両替のための秤(はかり)にかけて慎重に確認していた。 見るからに、細かく取り崩しているところだ。

隊商(キャラバン)メンバーたちは、砂漠を渡る危険な旅に一区切りついて、これから城下町で装備の手入れをしつつ、羽を伸ばすのに違いない……

その時、広場の別の角で、ワッと騒ぎが始まった。

各種穀物の入った大籠や香辛料の大樽などといった物陰で、鬼ごっこやかくれんぼをしていたと思しき小さな子供たちが、パニックを起こしながら転び出て来る。

「で、出たぁ、《骸骨剣士》だぁ!」

――私のことか!?

アルジーはアワアワしながらも、退魔紋様付きの汲み置き水壺が集まっている「公共の水飲み場」へと、しゃがみ込んだ。

一定距離ごとに離れた井戸からオアシス水を汲み上げるのは大変なので、街路のあちこちに配置された「公共の水飲み場」は、近所の主婦たちが特に重宝する施設。

今しも、濾過(ろか)済みの新しい水壺を追加していた水汲み人足が、急に座り込んだ『骸骨顔』に気付き、ギョッと息を呑んだ。

水汲み人足は、咄嗟に『退魔調伏』御札を貼り付けた魔除け仕様の棍棒を手に取ってみたものの……アルジーが退魔紋様の真ん中に居て平然としているのを見て、 邪霊のほうの《骸骨剣士》では無いと納得した様子である。

「おい、《骸骨剣士》が、そっち行ったぞ!」

子供たちと数体のゴロツキ《骸骨剣士》との追いかけっこが始まっていた。

数体の《骸骨剣士》が三日月刀(シャムシール)を振り回すたびに、刀身が当たった勢いでもって、商品を入れてあった木箱の山が次々に崩れていく。 行く先々の人々も、ゴロツキ邪霊の接近を恐れて逃げ散り始めている。

広場に繋がれていたラクダたちが驚き、「ベルベルブェェー」と騒ぎ出した。ドカドカと足を踏み鳴らし、《骸骨剣士》たちに唾を吐きかけて、遠ざけようとしている。

大型の邪霊などに統率されていない《骸骨剣士》は、邪霊としては最弱。不意打ちを襲えば一般人でも倒すのは可能。 だが、人体サイズを少し上回るうえに、剣士と称されるだけの勢いでもって三日月刀(シャムシール)を振り回す。危険であることには変わりない。

近所の人たちが手頃な石を投げ始める。邪霊たる《骸骨剣士》には、それ程のダメージを与えられていない。

「お巡りを、衛兵を呼んでくれ! 早く! 確かずっと先の大通りに――」

「行け!」

金融商の客となっていた隊商(キャラバン)の傭兵団リーダーのものと思しき、鋭い指令が響いた。よくとおる声だ。

隊商(キャラバン)の傭兵たちが、三日月刀(シャムシール)を構えて飛び出し、子供たちと数体のゴロツキ《骸骨剣士》の間に割って入る。 明らかに、熟練の退魔対応の戦士の動き。

ひとしきり剣闘が続き……そして、あっと言う間に《骸骨剣士》のバラバラになった残骸が、転がったのだった。

近所の人たちが、土嚢袋を持って集まって来た。砂嵐災害の備蓄用のものである。

バラバラになっても、なおも元の形に結びつこうとピクピク、ガシャガシャとうごめく《骸骨剣士》の残骸を入れ、聖火神殿から発行されている紅白の御札『退魔調伏』をペタッと貼る。 次に土嚢袋を開くと、残骸は熱砂のような不活性の粉末になっていた。これで処理完了。あとは砂漠に撒くのみだ。

――たまにギョッとするけど、日常の突発事件。通り魔と交通事故が一緒になったようなもの。

災厄が片付いた後の市場(バザール)周辺は、見る間に、普段のにぎやかさと落ち着きを取り戻していった。

広場のスタッフたちが集まり、あちこちで崩れていた商品の山が、次々に元の位置へと移動してゆく。 追いかけられていた子供たちも商品の陳列に駆り出されていたスタッフであり、大人の間をちょこまかと駆け回り始めた。

ひと仕事終えたという風の隊商(キャラバン)の傭兵たちが、目をパチパチさせている金融商オッサンに、訝しそうな顔を向けた。

「何で衛兵が来ないんだ? 普通、近所の見張り塔に常駐してる筈だ。そこの見張り塔、無人なのか?」

「ふへ。東帝城砦の財務状況が怪しくてね。事業仕分けに次ぐ事業仕分けで、衛兵の数が激減してるんです。東方総督トルーラン将軍と御曹司トルジンの親衛隊メンバーは増えているんですがねえ。 こうなると、退魔対応の警備員を、傭兵組合のほうから調達する必要もあるかも知れませんな。ともあれ、退魔にご協力いただき、御礼申し上げますよ」

やがて、金融商オッサンの両替作業が再開した。

多種多様な色ガラス製コイン型の重石(ウェイト)が、次々に秤(はかり)に載せられてゆく。

アルジーが、邪魔にならないように近くで様子をうかがっていると、金融商オッサンが気付いたようだ。

見れば、金融商オッサンの店の吊り看板で、『いちご大福』さながらの白い小鳥が1羽「ぴぴぃ」と、さえずっていたのだった。

パルと親しい、パルの種族の白文鳥《精霊鳥》だ。

「お得意さんがいらした。ちょっと番頭さん、スタッフ呼んで両替を続けなさい」

「かしこまりました、頭取。あぁそこの若いの」

「へいっす」

手慣れた風で隊商(キャラバン)への接客を引き継ぐ、ごま塩頭の番頭。番頭に手招きされて、若い赤毛スタッフ青年が出て来た。

隊商(キャラバン)の傭兵たちがザワザワしつつ、その辺の段差や縁石をベンチとして腰を下ろし始める。

鬼耳を持つ傭兵の1人が、何かを聞き付けたように頭の向きを変え、その方向を指さした。

「あれ、お得意さんって人かな?」

若い赤毛スタッフ青年が目をパチクリさせながら、その方向を注目する。

「どう見ても彼……男だが。へいっす?」

淡い髪色の男性客が1人、アルジーとは反対側の通りから、金融商オッサンの店に近づいて来ていたのだった。いきなり「へいっす」と声を掛けられて、目をパチクリさせている。

――あの淡い髪色の男性客は、見覚えがある。

この頃、見かけるようになった人だ。ドキリとするくらいには、整った顔立ち。ターバンの金属ブローチの意匠が、シュクラ王国の紋章。 しかも宝玉付き。あのシュクラ青年は、元・貴公子なのだろう、と思う。

少し眺めていると……ごま塩頭の番頭が、赤毛スタッフ青年を、ぺちんとやった。

傭兵たちが面白がったようで、ドッと笑い声が湧く。

「応対は私がやります。そこでチマチマ両替しながら見て覚えなさい、まったくもう……ご来店ありがとうございます。ご用件おうかがいいたしましょう」

「あぁ、どうも……実は、中古の精霊雑貨の取引記録を追っておりまして……昔、家宝の流出があったもので」

この貴公子風のシュクラ青年、赤毛スタッフ青年の「へいっす」とかの言葉遣いが『ちょっとカチンと来る』というくらいには、気になっていたらしい。 きれいな言葉遣いをするごま塩頭の番頭さんに代わって、あからさまにホッとした、という苦笑いを見せている。

7歳の時の記憶が最後だから、あまり覚えてないけれど。あの貴公子風のシュクラ青年、雰囲気とか空気感とか……従兄(あに)ユージドに似ている気もする。

――彼に話しかけてみようかな。本当に従兄(あに)ユージドだったら……

アルジーの、《骸骨剣士》さながらに肋骨のクッキリ浮いた胸が、ドキドキし始めた……

……と、不意に。

赤毛スタッフ青年がアルジーの接近に気付いて振り返り。ギョッとした顔で、腰の短刀に手をかけつつ……固まっていた。

「……え、《骸骨剣士》が、もう1体?」

「お、おぅ。いや違うけど」

首をブンブン振り、革袋をシッカリ抱き締める。

「ぴぴぃ」

ターバンの上で目を回したらしいパルが、抗議するようにピョコピョコ飛び跳ねていた。

――いまは現金を持っていたんだ。こっちのほうが、重要。

「本日もご来店ありがとうございます」

金融商オッサンが、いつものように営業スマイルを浮かべ、滑らかな所作で一礼して来た。手慣れたプロならではの誘導で、ホッと息をつく。

パルと、店の吊り看板に居るパルの友達とが、『こんにちは~』と《精霊語》で挨拶している。見た目は、2羽の白文鳥が「チチチ」と鳴きかわしている風。

隊商(キャラバン)の傭兵団と、赤毛スタッフ青年の……驚きの眼差しが集中して来るのを感じる。

「骨格標本が服着て歩いているのかと思ったぜ……」

「あれで《骸骨剣士》じゃないって、え、ぜってぇ、嘘だろう」

「じゃあ、あれか? あのピヨピヨ『いちご大福』のって、あれなのか?」

アルジーは、金融商オッサンへ確認の質問を投げた。用心しつつ、小声で。

「お邪魔じゃ無かった? あの赤毛スタッフさん、前回は見なかったから……新しく入った新人でしょ?」

「なんの。あれはクバル君と言います。特急の隊商(キャラバン)に付いて来れるくらい体力あるから、有効活用しないとね。臨時収入ありましたかね、どれくらいになるかな、ふっふっふ」

アルジーが持ち込んだ革袋に熱い眼差しを注ぎ、手をワキワキさせる金融商オッサンであった……

……

…………

店の奥の間、見事な絨毯が敷き詰められた段差の上へと案内され、上質な絹張りのクッションを勧められる。

座席の間は茶卓(テーブル)で仕切って、礼儀正しく間隔を取ってあった。

アルジーは、ごく自然に、王女の所作で応じた。それほど気後れしないのは、2年前まで王女としての生活をしていたせいだ。 10年以上かけて世話役オババから叩き込まれたシュクラ第一王女としての行儀作法は、簡単には抜けない。

「今日は帝都の良いお茶が手に入りましてね。『凌雲』の名は聞いたことがおありかと。どうぞ」

繊細な意匠のティーセットで出されたのは、滋養と邪気払いの効果が特にある――と言われている幻の高級なお茶だ。帝都皇族や王侯諸侯の周辺にしか出回っていない品で、さすがに飲んだことは無い。

定番のお茶うけとして、ナツメヤシの乾燥果実。外見に関する自覚はあるが、そんなに栄養失調に見えるのかと凹んでみる。

凹んではみても、お茶は香り高く、素晴らしいコクのある味わい。

一服してみて……アルジーは、ちょっと絶句したのだった。

「美味しい……」

「それは大変ようございました。では、さっそく」

金融商オッサンは楽しそうな顔で、革袋に入った通貨をカウントし始めた。まさに金融商が天職、という風。

定番の退魔インテリア、中型ドリームキャッチャーが、幾何学格子窓の傍に吊るされている。何処かから漂って来たらしい4色の毛玉ケサランパサランが10個ほど、おとなしく引っ掛かっているところだ。

奥の間の中央部分は、一段低くなっている。噴水つきの中庭だ。噴水の水は、オアシスから引いて来たもの。

暑熱の極まる午後の後半の中、噴水を通った穏やかな微風は涼しい。

部屋を仕切る薄い紗幕(カーテン)が揺らめき、アルジーはボンヤリと、そちらを見やった。

その奥の壁に、特に重要な書類を収める厳重な鍵付き書棚が、台座ごと特殊な鍵で固定されている。マスターキーは、《精霊石》の一種、黒ダイヤモンドを加工した鍵だと聞いたことがある。

オババ殿が元気で、一緒に店に来ていた頃、この薄い紗幕(カーテン)はシュクラ産の絹で出来ていると教えてもらい、感心したものだ。 この薄さなのに、適度に機密性が守れる程度に隠してくれる、というスグレモノ。

薄い紗幕(カーテン)が更にヒラリとめくれた拍子に、その端が、奥の鍵つき書棚の角に引っ掛かった……

場違いな物が、ポンと立てかけてある。

――黒い柄の三日月刀(シャムシール)。退魔紋様が白金の輝きを帯びて、キラキラしている。

雷のジン=ラエド《魔導陣》だ。退魔紋様としては最強の部類。巨大化した邪霊にも対応できる刀剣。

セットの剣帯も良く使い込まれていて、雷のジンがしっかり馴染んで活性化している。本当に戦場をくぐりぬけて来たものに違いない。 つい最近も、何らかの大型邪霊を斬って来たという風で、臨戦態勢の雰囲気バリバリだ。

トルーラン将軍や御曹司トルジンが所有している同種の三日月刀(シャムシール)は、一度も実戦で使われたような痕跡が無い。 退魔紋様はあれども、本体である雷のジン=ラエドは眠っている状態。たびたび開催されていた宴会のほうで、財力や男らしさ(?)を誇示するための、高級な見世物と化していたけれど……

アルジーは茶カップに口を付けたまま、目を見張っていた。

先ほどまで、別の重要な来客か、お得意さんが居たのか。その客が持ち込んで、一時的に置いて行った、という風だ。

アルジーがポカンと眺めていると、金融商オッサンが「あっ」と気付いた。

金融商オッサンは、シュバッと、仕切りの紗幕(カーテン)に駆け寄った。 黒い柄の三日月刀(シャムシール)と剣帯を、書棚のどこかに押し込むや、仕切りの紗幕(カーテン)をピッチリ閉め、更に暗色の厚い紗幕(カーテン)も二重に閉め。

機密保護のため、黒ダイヤモンドの《魔法の鍵》をも完全に回し切る、という念の入れようだ。 アルジーが、黒ダイヤモンド装着のマスターキーを見るのは、これが初めて。意外に古代アンティークな意匠。

金融商オッサンは目にも留まらぬ素早さで、マスターキーを、専用の大振りな――羅針盤を収めるような――ロケットペンダントに入れ、長衣(カフタン)の下に隠した。

キラリと光った、結構な大きさの黒ダイヤモンドしか分からなかった。鍵の要所の形状は、不明なままだ。

見事なまでの隠蔽ぶり……いったん人目に触れたからには、この後で更に念を入れて、マスターキーそのものを交換するレベルで要所の形状を変える筈だ。

――《精霊石》黒ダイヤモンドの鍵の所有に関する精霊契約が、そういう風になっていると、オババ殿から聞いたことがある。

「おお、ウッカリしておりましたな。顧客情報は完璧に管理しなければ。何か、ご覧になりましたかね?」

「何かって……黒い柄の三日月刀(シャムシール)、剣帯だけでも、帝都でも有数の《魔導》工房の品のような。 所有主との精霊契約は済みでしょう? 所有主の……誰かからの、お預かり? トルーラン将軍や御曹司トルジンの物では無いですよね」

何故か、いつの間にか金融商オッサンはダラダラと冷や汗を流していたらしい。

「黒い三日月刀(シャムシール)と剣帯だけ、ご覧になっていた。それは大変ようございました。私の首が世界の最果てまで飛ぶところでしたよ、ヤレヤレ」

ホーッと息をつきながら、ハンカチで顔をゴシゴシやる金融商オッサン。

……珍しく動転している顔だ。

以前に、アルジーが金融商オッサンの動転している顔を見たのは、オババ殿と番頭さんと金融商オッサンで、3人で少し長い密談をした後――の時のみだ。 その時はアルジーは、急な発熱で別室で休んでいたから、どういう内容の密談があったのかは知らない……

「朝早くから色々ありましてね、さすがに注意がおろそかになっていたようです。三日月刀(シャムシール)の件は、見たことそのものも、無かったことにして頂けるとありがたいのですが」

「定番のお約束『私にゃかかわりの無いことでござんす』ってことで。了解」

「ありがたき幸せ」

金融商オッサンは、コミカルな様子で、深々と腰を折ったのだった。

そして、革袋の通貨のカウントが再開した。

カウント済みの金額のメモが終わったところで、金融商オッサンが、不意に目をパチクリさせる。

「そうだ、口座の名義変更がまだでしたな。この機に、お変えになりますかね? 今までの信用がございますから、すぐに済みますが」

「考えてなかった……手数料引いて、総額どれくらいになってるの? 店前に来ていた隊商(キャラバン)の傭兵団は熟練ぞろいに見えたけど。帝都への特急の移動、お得な料金で引き受けてくれそう?」

「ふむ。邪霊はびこる砂漠の難所を高速で突っ切るとなると、移動料金がどうしても高くなりますからな。しかし、遠い帝都まで行って何するんです?」

「人探し」

「最初はオババ殿の薬代、次が亡きオババ殿の葬式代、その次が人探し。 いよいよ『絶世の美の悪女』として、帝都の大金持ちの男どもをことごとく骨抜きにするべく宝石やドレスに手を出すかとワクワクしてたんですよ、こっちは。 そしたら、悪女ビジネスに便乗させていただいて、あんなことや、こんなことを……と、陰謀してたんですがね」

なんでも、帝都でも一位、二位を争う金融商ホジジンに、ビジネス的にも個人的にも大いに恨みがあるという。 史上初の女帝になりそうな第一皇女サフランドット姫を除いて、空白の帝位に最も近いとされる第三皇子ハディードの、お気に入りの金融商。 ちなみに第一皇子と第二皇子その他の数名の皇子たちは、以前の政争で死亡している。

目下の究極の目標が、「鼻持ちならぬ金融商ホジジンに、最大限の破滅を与えるべく、第三皇子ハディードの下半身の『大事なアレ』を本当にもいで、《食人鬼(グール)》に食わせる」こと。

――本当にそんな陰謀を実行したら、帝都宮廷の勢力図が書き換わるのではないだろうか。

ぐふふ、ぐふふ……と、穏やかならぬ陰謀を事細かに語り始めた金融商オッサン。まさに『お主も悪(ワル)よのう』というべき悪人顔。

アルジーは渋い顔をして、溜息をついた。

あの夜、当時17歳の花嫁にとって、夫になる御曹司トルジンからの酷評と放逐は、キツいものがあったのだ。

――『絶世の美の悪女』なんぞ演じるよりも、《骸骨剣士》よろしく三日月刀(シャムシール)を振り回して、物陰から「ばぁ!」と脅すほうが、外見そのまんまだから、成功も確実に決まっている。

「ありえない。それよりは確実なほうにお金を使うわよ」

「何と、もったいない。人探しビジネスが、悪女ビジネスよりも儲かるとは思えませんがね。では、いつものように貯金としてお預かりして……ふむ、ひとつ助言がございます。聞きますかね?」

「儲け話? そちらから話を持ち出してるから情報料はタダで」

「がめつくて結構なことです。あのね、このがめつさで、もう1年ほど貯金。そしたら帝都大市場(グランド・バザール)に、ひとつ店を出せるくらいの金額になりますよ。 賃貸の小箱店舗で……それでもショバ競争が激しいから、そこは賄賂とか袖の下の使いようね」

アルジーの目が、キラーンと光る。

「帝都で店が持てるなら……倍は余裕で稼げる? あの女商人ロシャナクみたいに。帝都で店をやりながら人探しするというのも……」

「そこは需要と供給ですな。帝都には才能あふれる魔導士も大勢ひしめいてますから、辺境の代筆屋が太刀打ちできるかどうか」

金融商オッサンは、そこで少し思案顔をした後、計算高そうな笑みを浮かべた。

「ともあれ帝都大市場(グランド・バザール)に、ひとつだけ店を出せる。辺境の城砦(カスバ)なんかが、そうやって希少品や特産品を扱う店を出して、財務の足しにしたりね。 我々金融商も、見込みのある店に融資させていただいて、収益から見返りをがっぽり受け取っております、ふっふっふっ」

不意に、アルジーの中でドキリと来るものがあった。

――辺境の城砦(カスバ)が、信用のある金融商の仲介で、帝都大市場(グランド・バザール)に店を出して稼ぐ、というパターンがあるのだ。

そう言えば、トルーラン将軍とトルジンを何とかして、可能なら脅迫してでも、シュクラ・カスバへの不当な経済封鎖を止めさせる――という目標はあったけど。

元・シュクラ王国の産業をどうやって立て直して将来につなげていくかは、考えてなかった。市場(バザール)で聞き集めて来た限りでは、相当にメチャクチャになっている……

恩師とも仰ぐ、いまは亡きオババの――シュクラ宮廷霊媒師の様々な教えは、アルジーの中にシッカリと根を張っていた。 古代の『精霊魔法文明』に由来する貴重な文化遺産を受け継ぐシュクラの民、由緒正しきシュクラ王族としてあること、王族の責務、役割、責任……

――犯罪をしてでもカネを貯める。その一点についてだけは、オババ殿と長い口論になったものだ。 地獄耳で知られる鬼耳族の子孫、女商人ロシャナクが聞き付けて、実入りの良い裏営業『灰色の御札』を紹介してくれた時も、かなり激論になった。

アルジーの《精霊文字》の知識や技術には、邪霊を召喚できる要素は無いこと。 表も裏もある女商人ロシャナクが、邪悪な禁制品の密輸だけは絶対にしないこと。その2点を考慮して、オババは、裏営業に手を出すことを、やっと了承した。

貯金口座を、この金融商オッサンの店に作ることを条件に。

正直アルジーとしてはモヤモヤする部分がある……

やがて、アルジーは思案顔で呟き出した。

「もう1年くらい貯金……ここ、維持手数料が相場より高いでしょ。貯金の減りが早くて、なかなか溜まらないし。半額くらいにしてくれない? でなきゃ、貯金先の金融商を変える」

「オババ殿の特別な遺言も一緒に預ってくれる金融商は、ここ東帝城砦では当店だけですけどね。ふっふっふっ」

「あぁもう。まったく」

アルジーは嘆息し、ガックリと茶卓(テーブル)に伏せるのみだ。

「オババ殿も、何故あんな意味不明な遺言したのよ。ずっと続けてるけど。引き続き『何はなくとも、7日に1度は、生存の《証明》として、此処にある《白羽の水晶玉》を撫でるんだよ』なんて。 オババ殿が死んだ後は、意味が無いわよ? 論理的に考えて……」

「ふっふっふっ……お蔭さまで懇意にさせて頂いております。では遺言にあります《証明》手続きを」

金融商オッサンは、訳知り顔で、うやうやしく水晶玉を出して来た。

どうやって制作したのか分からないが、茶カップサイズの透明な水晶玉の中に、白孔雀の尾羽の形をした、7つの可愛らしく美しい彫刻が仕込まれている。

白い7枚羽の彫刻が入っている水晶玉だから、《白羽の水晶玉》なのだ。

――彫刻らしいけれど、素材が謎だ。

本物の白孔雀の尾羽のようにも見える……それも、とんでもない魔法を含む高度技術で、圧縮したもののように見える。

アルジーは首を傾げながらも、《白羽の水晶玉》を丁寧に撫で回した。生前のオババ殿に教わったとおりに……いつも思うのだが、謎の水晶占いをやっているような気がする。

白孔雀の尾羽の形をした7つの彫刻が、いずれも銀月の色に揺らめいた。揺らめいた後、また元の純白に戻る。

「毎度、遺言どおりに《証明》いただき、ありがとうございます。オババ殿もお喜びかと」

朗らかな笑みを浮かべ、手品のように、巧みに《白羽の水晶玉》を引っ込める金融商オッサンであった。

次に、タイミングを見計らったかのように、番頭が仕切り扉を開いて入室して来た。

「何かね、番頭さん? さっきの隊商(キャラバン)さんか、新顔のシュクラ青年さんと揉め事かね? 面倒なタイプでは無い筈だが」

「いえ、そちらは良好でございます、頭取。ですが、さっき視察に来られた宮殿の役人さんと少し揉めまして。 隊商(キャラバン)さんが先客ということで、傭兵さんにも援護を頂き、一旦お引き取り頂きましたが……」

ごま塩頭の番頭は、珍しく焦っている様子。金融商オッサンに、ゴニョゴニョと耳打ち。

金融商オッサンの顔面が、ピキリと固まった。額に青筋が浮かんでいる。

「城砦(カスバ)の外への送金を強制停止……反社会的勢力にかかわりの無い正当な送金をも強制没収だと? そんなことしたら東方諸国の経済が止まる。 腐敗お盛んなクソタレ総督閣下、ステキな営業妨害してくれるじゃないの」

金融商オッサンは、接客の際にはありえない暴言をブツブツと吐き捨てた。次に思案顔になって、アルジーの方を振り返った。

「代筆屋さんのアレも、ヤバイ案件になる……番頭さん、例の連携を。それから、代筆屋さんにも早めにお帰りいただこう。過剰に仕事熱心な役人さんが再び来店される前にね」

「かしこまりました、頭取。それでは、お客さま、こちらへどうぞ」

承知して、素早く後を付いて行く。

アルジーも役人に睨まれたら困る立場だ。神殿の目を盗んで灰色の御札を書くという、相当にスレスレな裏営業に手を出している。 公的に許されているのは、『家内安全』『道中安全』『安産祈願』というような紅白の御札だから。

今までアルジーのターバンの隙間で身を潜めていた相棒《精霊鳥》パルが、ヒョコッと出て来て、ごま塩頭の番頭に向かって「ぴぴぃ」と鳴き始める。

ごま塩頭の番頭が振り返った。目下、換羽の真っ最中でちょっと異相なパルを認め、ぐぐぐ……と口を引き締めた後、また頭をそむける。

――いつも思うけれど、不思議な反応だ。パルと番頭さんとで、かくれんぼの攻防戦とか、やってるみたいだ。

アルジーは、いつものように首を傾げながら、金融商の店を後にした。

■05■神殿の塔、闇をいだいて爆発炎上す

帝国伝書局・市場(バザール)出張所の朝は早い。

夜明け前の濃紺の空に、銀月が掛かっている。そろそろ満月に近い。

代筆屋アルジーが通りかかる頃……伝書局スタッフの手によって、伝書バトが集まる鳩舎や、白タカ《精霊鳥》の巣箱が開けられ、餌の時間が始まっていた。

しきりに鳴き交わし始めた鳥たちの群れ。帝国伝書局・市場(バザール)出張所に付属する中庭が、ワチャワチャと騒がしくなる。

伝書バトの餌は、もっぱら草の実。

白タカ《精霊鳥》は、市場(バザール)の方々まで飛んで行って――砂漠の方へも足を延ばして――自分で餌を狩って食べる。餌は小型の邪霊害獣の類。

鳩舎を担当するシニア世代のスタッフが、『休暇』の連絡板をセットしたアルジーに気付き、ノンビリした様子でヒゲをしごいた。

「お早う、代筆屋アルジー。商館や隊商宿のほうから、《精霊文字》含む代筆の注文が出てるが。今日は休みか?」

「風紀担当の役人が、性別詐称の見逃しの件で『袖の下』を要求して来る頃合いだから、ちょっと行方不明になろうかと思って」

「さては、がっぽり臨時収入があったな? この間の『とある高級娼館の怪談』とか?」

「おっとそこまで。定番のお約束『私にゃかかわりの無いことでござんす』。まぁ今月の餌代と巣箱代と……ちょっぴりだけど、酒代の足しにでもして」

持ち込んでいた革袋を手渡す。いつもより「ちょっぴり」重い。

「珍しく気前が良いじゃないか……あぁ、今日は師匠の命日だったか、あのオババ殿の」

アルジーは無言でコックリ頷くと、聖火神殿へと足を向けたのだった。

*****

オアシス側の城門へと通じる大きな街路を行くと、聖火神殿だ。

大きな街路の脇では、オリーブの木々が街路樹となって並んでいた。夜明け前の空に、数多の葉影がさやいでいる。

木々の向こう側に、聖火神殿に付属しているドーム建築が見える。聖火礼拝堂だ。礼拝堂のドーム屋根の周りを囲むかのように、数多くの、細く高い塔がそびえている。

ちなみに、東方総督トルーラン将軍が住まう宮殿にも聖火神殿はあるが、こちらは宮殿に関連する役所事務に特化していて、小さな出張所そのものだ。聖火礼拝堂のほうが規模が大きい。

東方総督の宮殿に付属する聖火礼拝堂は、東帝城砦に集まって来る東方の王侯諸侯たちの社交場として機能している。種々のお披露目や諸侯会議、有力者の宴会などの会場として使われることが多い。 実際、御曹司トルジンと『自称・本物のアリージュ姫』の華燭の典がおこなわれていたのも、宮殿に付属する煌びやかな聖火礼拝堂のほう。

街路に沿う街路樹が途切れたところで、赤砂岩の外壁が、左右に長く伸びていた。幾つものアーチ入り口がずらりと並ぶ、アーチ回廊だ。

聖火神殿と聖火礼拝堂を取り囲む第一外壁アーチ回廊に沿って、古いオリーブの木々が、やはり街路樹のように長く並んでいた。

第一外壁アーチ回廊の各所で、一定距離をおいて、赤茶色の長衣(カフタン)をまとう門番たちが警備している。夜を徹した業務の終わりごろなのか、あくびをしている門番たちも相当数。

早朝の礼拝のため礼拝堂に向かう善男善女が、三々五々また三々五々と、第一外壁アーチ入り口をくぐって行く。そのパラついた人波に乗って、アルジーは、ひとつのアーチ入り口をくぐった。

第一外壁アーチ入り口をくぐると、すぐに第二外壁だ。第一外壁と同様に赤砂岩のアーチ回廊が続くスタイルだが、そのアーチ入り口には鉄柵による扉が据え付けられている。

早朝の礼拝の刻に合わせて全ての鉄柵扉は全開状態になっていて、大斧槍(ハルバード)を構えている門番が目を光らせていた。第二外壁のほうが、警備は明らかに厳重。

……その厳重な筈の鉄柵扉の一角で、ひとりの門番が大斧槍(ハルバード)も持たず駆け回っている。

しばらく眺めて、その理由に気付き……思わず目をパチクリさせるアルジーであった。

気付いた他の礼拝者たちの相当数も、微笑ましいという笑いや、苦笑いを洩らしている。

赤茶色の長衣(カフタン)をまとう門番オジサンと、野生の精霊『火吹きネコマタ』とが、追いかけっこをしていたのだった。

「火を付けたまま入るんじゃ無い、こら、消火するからおとなしくしろ」

「にゃーにゃー」

「おぅ頑張れや、その調子だぁ、同僚どのぉ」

担当の違う門番たちは、無慈悲にも(?)、声援を送るだけだ。実際、火吹きネコマタとの駆け引きは日常的な出来事であり、いちいち反応することでも無いのだ。 火吹きネコマタに「遊び相手」と見込まれた特定の門番たちにしてみれば、降ってわいた面倒事ではあるが。

2本の尻尾を持つ赤トラ猫の姿をした『火吹きネコマタ』は、《火の精霊》の例にもれず相当に気まぐれな性質だが、驚くほど強い魔除けの力を持つ精霊の一種だ。 神殿としては、その来訪を――遊びに来るのを――歓迎するものである。

火吹きネコマタに気に入られてしまった門番オジサンは、フウフウ言いながら、水の入った小壺を持って、火吹きネコマタの尻尾に振りかけようとしている。 火吹きネコマタの2本の尻尾の先で、物理的な炎が揺らめいていた。

イタズラ好きな精霊――火吹きネコマタが風船のように飛ばした無害な邪霊、赤いケサランパサランが、空中のあちこちを漂っている。

赤い毛玉ケサランパサランは、ルンルンと踊りながら、陽気に揺らめく炎を出していた。 こちらの炎は幻影であって、火事になるものでは無いが……炎の色と形そのものだから、訳が分からず発見した礼拝者などは「火事か」とビックリする羽目になる。

――あの門番オジサンは、火吹きネコマタの2本の尻尾の先の火を消したり、赤いケサランパサランをドリームキャッチャー仕掛けの捕獲網で回収したりと、しばらく運動することになるだろう。

アルジーは、ターバンから肩へと飛び移った小さな相棒――白文鳥《精霊鳥》パルに、《精霊語》で、そっと話しかけた。

『割と中年太りしている状態だから、良い運動になりそうだよね、パル』

『パルもそう思ってるよ、アリージュ』

さて、第二外壁アーチ入り口をくぐると、いよいよ広大な中庭である。

見た目は正方形に近い敷地だが……実際は、正門から奥、神殿や礼拝堂へ向かう方向に、少し長く伸びた長方形になっている。そして、十字の形に作られた礼拝の道で、4つに分割されている。

十字路となっている礼拝の道は石畳で綺麗に舗装されていた。その他の部分は、すべてオリーブ林と他数種の低い植込み。まばらながら、乾燥に強い種類の草地が広がる。

オリーブ林の各所に、細く高い塔の影が見える。礼拝堂を取り巻くように配置されている数々の塔への道は、踏み固められてあるだけの舗装なしの小道である。

直交する礼拝の道の中央交差点に、大きな噴水がある。

噴水周りの水路の点検の日とかぶっていたようで、朝早くから、赤茶色の実用的な長衣(カフタン)をまとう数人の点検作業員が、行ったり来たりしていた。

点検作業員たちの《精霊語》の詠唱が、歌声のように流れていく。《精霊亀》に指示を出しているところだ。 詠唱の補助をするための琵琶を抱えてかき鳴らす作業員たちも居て、一見、歌うたいの一団が、大きな噴水の周りをそぞろ歩いている風である。

腕ひとかかえ程の大きさの《精霊亀》が数体、中庭の噴水や水路の周りをグルグル回っている。《精霊亀》は、 点検作業員の琵琶の音や《精霊語》による指示に応じて、目をランプのように光らせ、真っ暗な地下水路への潜水を繰り返していた。

アルジーは、礼拝に来た相当数の善男善女たちに混ざって、緑陰の礼拝の道を、ポコポコと歩き続け……

聖火礼拝堂の「よろず事務受付所」脇で、少しの間、足を止める。

墓参りのための線香と「線香着火用の御札」を購入した後、アルジーは、ついでに掲示板へ立ち寄った。

受付所の仕切りを兼ねてズラリと並べてある大振りな衝立を掲示板としてあり、そこに官報がペタペタと貼り付けられてある。

神殿の役人たちが業務開始の前に目を通すのであろう、幾つかの、帝都からの新しい官報が到着していた。

賞金が上積みされた指名手配書が数枚。帝国各所を荒らし回っている、高名な盗賊団や誘拐団の首領たちの似顔絵が付いている。 嘆かわしいことに「霊媒師くずれ」「魔導士くずれ」が含まれている。

この「霊媒師くずれ」「魔導士くずれ」というのは、ほぼ、違法の「邪霊使い」と判断して良い。

邪霊使いは邪霊しか扱わない――というより、邪霊を扱うことのみに特化した存在だ。

通常、魔導士は《魔導》によって、精霊と邪霊と両方を扱う。霊媒師は邪霊を扱わないが、無害な邪霊ケサランパサランをサボテンに変えて投げつける程度の《魔導》攻撃は、普通に扱う。

そして邪霊を使った《魔導》攻撃は、効果がハッキリしている分、回数を重ねるごとに上達を実感できるのだ。 上達を実感できる分、邪霊に対する《魔導》というのは……必要上の範囲を超えて、のめり込みやすい。

邪霊に対する《魔導》に夢中になるあまり、《魔導》の方向が片寄ってしまうと。

様々な《魔導》を繰り出すための能力の均衡が崩れ、相応に魔性に偏った邪霊しか扱えなくなって来るのだ。

その影響は身体にも出る。身体の崩れがどのように出るかは、個人差があるため定かでは無い。 近親相姦に染まった一族や麻薬(ハシシ)に染まった人々が、均衡が崩れた身体になってゆくのと同じようなものだと言われている。

かくして精霊・邪霊に対する《魔導》の均衡を失った霊媒師や魔導士は、おしなべて邪霊使いとなってゆく。強い退魔の能力を持つ精霊が近づけなくなるためだ。

あまりにも「邪霊使い」としての能力が強化されると、禁術の領域へと呑み込まれてゆく。

行為が精神を支配するのか、精神が行為の変容をもたらすのか……

いずれにせよ、禁術に手を出して、公的に破門された霊媒師や魔導士が、「霊媒師くずれ」「魔導士くずれ」である……

――悪いカネには手を出すな、と言い、無害な邪霊ケサランパサランをサボテンに変える《魔導》すら決して教えてくれなかった……オババ殿の深い考えが、いまにして身に染みるような気がする。

大金を作るためなら、アルジーは、邪霊使いの方面に手を出しただろう……

アルジーは清らかな人間という訳じゃ無い。

知らぬ間の政略結婚であり、名目上のハーレム輿入れだったとはいえ、腐れ外道な御曹司トルジンと夫婦として釣り合う程度には、意地きたない女の部類。

とりわけ『罰当たりなヤツに悪夢を見せて眠れなくする』という灰色の御札を、ハーレム夫トルジンへ向けて延々と作り、呪いつづけている。 護符による防御壁を何とかすり抜けて効果が出たと思しき日は、特別なお茶を淹れて祝杯をあげている。

いつまでもイジイジと根に持つ、恨みがましい、暗くて面倒くさい人妻。死にかけて、なおカネに執着する骸骨女。嫉妬に狂ったハーレム妻そのもの……そういう自覚はある。

次の官報は、いつもの内容だった。

――怪奇趣味の賭博宴会を見付けた折には、速やかに通報のこと。

帝国全土で、邪霊害獣を模した石膏像などを飾って、邪霊害獣を血祭りにする……という内容を伴う、怪奇趣味の賭博宴会が流行している。動いている金額は、気が遠くなるほどの巨額。

その特定の「標的」がいつ死ぬか――を賭け、そして『このタイミングで死ね』と、ワクワクしながら願い、大金をやり取りする……忌まわしい趣向の賭博宴会。

件数としては異様に多い。すでに1万件を超える数が摘発されている。

その中で、邪霊害獣の類を標的にする代わりに、本当の人間を標的にしていたのが、900件以上も含まれていたという。 そのいずれにも、いまだ正体の知れない暗殺教団や邪霊使いが主催に関与した形跡があり、鋭意、捜査中。

本当の人間を血祭りにしたと言う、おぞましくも凶悪な900件前後で共通する主催団体の名は、知られている。

――『黄金郷(エルドラド)』。

あまりにも欲望をこじらせ、ガツガツするようになると、人間は狂った趣向を発揮し始めるのだろうか。

砂漠を跋扈する忌まわしい怪物よりも、人間の心の奥に潜む欲望や狂気のほうが、よほど恐ろしいのかも知れない。

――巨額のカネを動かす謎の団体『黄金郷(エルドラド)』が主催し、人間を血祭りにする怪奇な賭博宴会が、すでに900件を超え……1000件にも達しようという事実。 帝国全土をむしばむかのような、怪異な風潮。

そこまでは堕ちたくは無い、とは思うけれども……

気が遠くなるほどの巨額。人の心を狂わせる、お金。

……『黄金郷(エルドラド)』という名の、見果てぬ永遠の楽園の夢……

日の出前の薄暗い中庭を……乾いた風が通り過ぎていった。しきりにざわめくオリーブ林。

相棒の白文鳥《精霊鳥》パルが、「ぴぴぃ」と、さえずって来る。呟きのような、不思議なさえずり。

アルジーは首を振って、モヤモヤし始めた感情を振り払い、その場を離れていった……

……

…………

アルジーの今日の目的地は、オババ殿が眠る墓地だ。

神殿から近い立派な墓地のほうでは無く……外れの方向へずっと行った先の、放置され忘れられたヤブのような場へと向かう。

――民間の共同の無名墓地。

行き倒れの身元不明の死体や、引き取り手が見つからなかった傭兵などの無名戦士、処刑された死体などを葬るための墓地である。

厳重な管理のもとにある立派な墓地とは違って、専属の魔導士によるシッカリした魔除けがされていない。

墓地を区切る日干し煉瓦の列に沿って、半ば野生のヤブと化した蔓草やダマスクローズの植込みが荒々しく生えている。 小道の各所でサボテンが突き出して来て、舗装も崩れかけている。

アルジーは、相棒の白文鳥《精霊鳥》パルの誘導に従って、安全な道筋をたどっていった。『邪霊調伏』の御札を挟んだ棒で、地面をつつきながら。 日の出前の時間帯、こうした対策が必要になるだけで、太陽が昇った後は問題ない。

各所に、邪霊害獣の出没した痕跡があった。

邪霊害獣を捕食する野良の精霊「火吹きトカゲ」や「火吹きネコマタ」などが入り込んでいるようで、方々で、それらしいゴソゴソとした動きが続いているところ。

今朝は、この辺りが狩場になったようだ。5羽ほどの白タカ《精霊鳥》が、冠羽を勇ましく立てて、夜明け前の狩りにいそしんでいる。

見る見るうちに、定番の邪霊害獣、ぎらつく黄金の身体を持つ《三つ首ネズミ》や《三つ首コウモリ》が狩り出された。

精霊・邪霊にしか見えない特殊な次元の通路があると言われている。 どう見ても物理的には通り抜けられないように見える隙間から、《三つ首ネズミ》や《三つ首コウモリ》が数体ほど、バッと躍り上がって来る。 人の手で整備されないまま忘れられ、禍々しく荒廃してヒビ割れた場所から出現して来るのが多い。

黄金の邪体が躍り上がるたびに、気配を読んで待ち構えていた白タカ《精霊鳥》が、すかさず捕獲して舞い上がっていった。

邪霊害獣の肉片や血液が一瞬、ギラリと魔性の黄金色に閃くが、退魔の力を持つ白タカ《精霊鳥》の鋭い爪でズタズタに引き裂かれ、清められ、通常の真紅色をした骨片や肉片になる。

その後、めいめいの胃袋に収まってゆく。

野生の《火の精霊》「火吹きトカゲ」や「火吹きネコマタ」も、邪霊害獣が躍り上がった瞬間を捉えて、退魔の火を吹いて狩ってゆく。

――ボボン!

狩りに慣れていなさそうな若い火吹きトカゲが、そこに居た。

火煙の出ている口を、愕然とした様子でパカッと開いている。せっかくの獲物を数体まとめて黒焦げにしてしまったようで、 獲物が居たのだろうサボテンが、ぶすぶすと黒煙を上げていた。退魔の火の調整がうまくいかず、まとめて灰燼に帰してしまったらしい。

やがて、アルジーは、そのサボテンの種類に気付いた。植物の姿をした精霊だ。

『精霊クジャクサボテンだね、パル。此処にも生えてたのは知らなかった。古代『精霊魔法文明』の頃に《精霊亀》が運んで来たって……ホントかな』

『浮島をやってた《大ハマグリ》や《精霊亀》の背中で生えてた精霊の、由緒正しい子孫だよ。銀月の精霊、ピッ』

海には不思議な浮島があり……その浮島の正体が、巨大な《精霊亀》や《大ハマグリ》ということがあるのだ。 いまでは目撃例は少ないが、たまに漂流の憂き目にあった船乗りたちが、不思議な浮島へ上陸したという冒険談を持って来る。

観察してみると、黒焦げになったクジャクサボテンの先端に、燃え残った白い花弁が垂れ下がっているのが分かる。

『昨夜、咲いてたんだ……月下美人と言うくらい綺麗な花だと聞いてるけど』

『毛玉を呼んでたら、《三つ首》も一緒に集まって来たんだね、ピッ』

古代『精霊魔法文明』の頃、精霊クジャクサボテンは月の出た夜を選んで開花し、月夜を飛ぶ小型のジンを媒介にして受粉していた。 現在は、無害な邪霊ケサランパサランを集めて媒介にする。小型の邪霊害獣の類も引き寄せられて来るのは、毛玉ケサランパサランと同じ邪霊だからだ。

何故か、クジャクサボテンには選択的な魔除けの能力が有り、大型の邪霊や有毒の邪霊は徹底して遠ざける。

植物の姿をした精霊として進化させた能力であるが……時代も環境も変わってしまっただけに、なんとも微妙なところだ。 開花のたびに小型の邪霊害獣も呼んでしまうため、厳重な管理も無く町内で栽培することは禁じられている。この辺に生えていて問題にならないのは、特に重要でも何でもない墓地だからだ。

雑談を交わす間にも、『邪霊害獣』狩りは、終盤に差し掛かっていた。

おこぼれを狙う無害な邪霊、ケサランパサランが集まって来て、飛びつき始める。赤毛、白毛、青毛、黒毛。

4色をした毛玉ケサランパサランの群れの中で獲物は更に消化されてゆき、赤キビや玄キビのような粒子になる。 本物の植物のタネでは無いので発芽はしないが、実際に雑穀類と同じ成分だということで、伝書バトが旅の途中で食べてゆくことが多い。

アルジーの肩に止まっていた相棒のパルも《精霊鳥》ならではの冠羽をピッと立てて飛び出し、赤キビさながらの欠片を、ついばみ始めた。大自然の食物連鎖。

*****

共同墓地となっている敷地の中央に、聖別された一枚岩から削り出された金字塔が、2つある。

4人用テーブル程度の大きさをしたそれが、無名墓地の共同の廟だ。一方が無名戦士や行き倒れ死体用のもの、残りの一方が処刑された死体用のもの。

金字塔の形そのものに天然の魔除け効果があるお蔭で、共同の廟の周囲だけは、別世界のように静か。

銀月は既に没しており、夜天の東の端が太陽の色に染まり始めている。

ターバンをほどくと、出来の悪い藁束のような灰髪が、バサリと落ちた。

不健康にパサつきながらも、腰の下まで届く長さ。オババが、最期の日まで丁寧に手入れしてくれた髪だ。 いまは多忙なこともあって以前ほど手入れしていないが、今日この日は、これでも、オババ直伝のハーブオイルで髪質を補修し、櫛を通しておいてある。

ターバンをベール風にして、灰髪を適当に覆った後。

アルジーは準備して来たシュクラ産の線香に火を付け、共同の廟の近くに立てた。

線香は方々の城砦(カスバ)ごとに練り込む素材が異なるため、色合いも煙も少しずつ違う。東帝城砦は帝国の東方拠点の都市とあって、 新たに属国となったシュクラ・カスバを含めて、管轄内の城砦(カスバ)の全種類の線香がそろっていた。

シュクラ産の線香が手に入るのは、東帝城砦の物流拠点としての地位と、聖火神殿の影響力のお蔭ということはできる。

首を垂れ……しばしの間、オババ殿を偲ぶ。

――ちょうど1年前。

いつものように朝を迎えてみたら、オババ殿は穏やかな顔をして、息を引き取っていた。

難しい病と言われた割には、ほぼ苦しみも無く、眠るように天に召されたのは幸いと言うべきか。

とはいえ、オババ殿を葬った日を含めて、7日間は何も考えられなかったせいか、とぎれとぎれにしか記憶が無い。

勤め先の帝国伝書局・市場(バザール)出張所へ顔を出して、「忌引休暇」を申し入れたのは覚えているが、それ以外のこととなると曖昧だ。 あとで、そこに居合わせたスタッフ一同に、『骸骨剣士よりも、もっと死体だった』と言われたが、そんなに凄い顔をしていた覚えも無い。

ちょうど、風紀役人が『性別詐称の件』で『袖の下』を徴収しに来ていたそうなのだが、アルジーのあまりの生気の無さを見て「死体」と誤解し、そのまま立ち去っていた、という。

……気が付いた時には。

オババ殿は、行き倒れの身元不明の死体として、簡単な葬儀を経て民間の共同の無名墓地に葬られることになっていた。

シュクラ宮廷霊媒師であったオババ殿は、本名というものが無い。《青衣の霊媒師》免許皆伝の儀式の際に、古代の伝統にしたがって特定の精霊と契約し、人類としての名前を、その精霊に捧げたため。

帝国伝書局・市場(バザール)出張所の所長から連絡が行ったらしく、金融商オッサンと番頭さん、それに地獄耳の女商人ロシャナクが、葬儀のために、色々動いてくれたらしい。 「らしい」というのは、実際に役所や神殿と、どんな事務手続きがあったのか、よく知らない――覚えていないからだ。

もっとも、行き倒れの身元不明の死体として民間の共同の無名墓地に葬る場合は、非常に簡略化された手続きになる。特に正式な書類に残すというような過程は無かった。

神殿の礼拝堂にある「よろず事務受付所」へ埋葬申請書1枚を提出し、1名分の埋葬のための料金を支払い。

無名墓地の埋葬記録帳に、埋葬申請書を綴じられ、「X年X月X日お焚き上げ身元不明の行き倒れ老女1名、市場(バザール)成人女アリージュ申請」と、事務員の手によって追記されただけだ。 『アリージュ』は、一般庶民でもよくある名前の類。

この件については公的に性別詐称していないので、神殿の風紀役人も、この件についてだけは『袖の下』を請求して来なかった。変なところでキッチリしている。

かくして。

オババ殿の葬儀は、無名戦士たちや、処刑された死体たちを一箇所にまとめて葬るのと同じように……実にあっさりと《火の精霊》の炎でお焚き上げにされ、 遺灰を共同の廟の周りに適当に撒いて土と混ぜるだけで、終わった。

――葬儀の後、金融商オッサンから『死後開封のこと』と書かれた、オババ殿の直筆の遺言書を見せられた時は、ビックリした。

そこから、途切れがちだったアルジーの記憶は、再開している。

忌引休暇の残りの日々は、ただ、オババ殿の遺言書を繰り返し読んでいた。いまでもソラで要点を繰り返せるほどに、暗記している……

…………

……

『死後開封のこと――宛先、現シュクラ王統の第一王女アリージュ姫』

かわいい姫さん。これを読んでいるということは、オババは今は、もう死んでいるのだろうね。

急に気が変わって、髪を切ったりはしていないだろうね? オババは、それだけが気がかりだよ。

書ける限りは書いておくから、よく覚えておくように。覚えたら、この書状は《火の精霊》にお願いして、お焚き上げしておくれ。 得意の《精霊語》で、『お焚き上げ』と唱えるだけで良いよ。そういう仕掛けをしてある。変な人の手に渡ったら、何をどう悪用されるか分からないからね。

まず、姫さんを呪縛している『死の呪い』は、とんでもなく強力なヤツで、どうしても外せなかったよ。

それは、古代の伝説の《怪物王ジャバ》に生贄を捧げる儀式で使われる、1001日の生贄《魔導陣》だ。姫さんは怪物王へ捧げる生贄として選ばれてしまっている。嘘や冗談で言っているのでは無いよ。

霊媒師や魔導士にできるのは、強い護符で一時的に呪縛の影響を遮断したり、薄く細くして弱めたりするところまでだ。

姫さんの母君シェイエラ姫が急死した原因も、《怪物王ジャバ》への生贄にされて、1001日が過ぎる間に、生命力を急激に奪い取られたせいだ。

あの頃、いきなり始まった母君の謎の体調悪化の原因を早く突き止めて、同じ護符を作っておくべきだったんだよ。 あの頃は、シュクラ王国の伝統の秘宝、偉大なる白孔雀さまの守護の力が、いつでも使えたんだからね。後悔先に立たずとは、この事だねえ。

改めて耳にタコだろうが、姫さん、髪は絶対に切ってはいけないよ。

耳に着けている護符も、外してはいけない。

姫さんの本当の命の期限が、10歳か11歳の或る日だったのを、護符を使って引き延ばしている状態だからね。 ちょっとした怪我ていどなら、ごまかせる。《怪物王ジャバ》が1001日の期限の終わりだと認識する、本当のギリギリになるまで、その護符は時間を稼いでくれる。

かつてシュクラ国境地帯で三つ首の巨大化《人食鬼(グール)》が異常発生し、討伐のための兵力が不足していって、帝国の援軍が必要になったという事実は、 姫さんが市場(バザール)で聞き込んで来たとおりだよ。あの戦乱で、シュクラ王太子ユージド様も行方知れずになってしまった。

オリクト・カスバは、シュクラ王妃様の要請に応えて多くの援軍を出してくれたが、それでも帝国の属国の城砦(カスバ)だからね、 援軍のための多額の戦費を、東方総督トルーラン将軍を通じて帝国へ支払う必要があった。トルーラン将軍が毎度の強欲と不正で、ゴッソリ中抜きしたようだけどね。

トルーラン将軍は「戦費調達」と称してシュクラ王宮から秘宝や財宝を盗み出す以外には何もしなかったが、それで、何故か、あっと言う間に巨大化《人食鬼(グール)》の大群が討伐できたから、 オリクト・カスバ側の弁護よりも、トルーラン将軍の主張のほうが、筋が通る形になってしまった。

例の言い掛かり、『シュクラ王国は、三つ首の巨大化《人食鬼(グール)》大群を発生させて帝国に攻め込もうとし、国境の安全保障における重大な条約違反と欠陥を呈した』というアレだね。 それで、シュクラ国王夫妻および王族男子は斬首され、帝国の属国『シュクラ・カスバ』となって、帝国に支払わなければならない額も増えた。

選択肢は二つに一つだった。戦後賠償金を上乗せして支払うか。推定死亡が確定した王太子ユージドの代わりとなる王族女子を人質とし、未亡人シェイエラ姫とその娘アリージュ姫を差し出すか。

シェイエラ姫は《銀月の祝福》のある長い銀髪を切って売り、それで得た収益を、戦後賠償金にしようとしていた。 《銀月の祝福》の銀髪は、特に危険な部類の《魔導》を安全に操作するのに必須でね、魔導士や邪霊使いに高く売れるんだ。

髪を短く切り詰めた瞬間、シェイエラ姫は1001日目を待たずして生贄《魔導陣》が発動し、生命力が枯渇して、急に骸骨のようになって死んだんだよ。

姫さんも生贄《魔導陣》で死にかけた。東帝城砦の人質の塔に到着して、乱れていた髪を少し短く切りそろえていた時、急に高熱で倒れた。 でも、母君ゆずりの銀髪を持っていかれただけで本体の方は無事だった。一気に痩せこけて骸骨みたいになったけどね。あの7歳の日に死ななかったのは、不幸中の幸いだったよ。

ろくでもない禁術に手を出した魔導士が、誰なのかは分からない。

ただ、《怪物王ジャバ》復活を願って1001人の生贄を捧げようとしている怪物教団が存在するのは確実だ。その手先、すなわち生贄《魔導陣》や《魔導札》の運び屋が、母君や姫さんの身体に接触した。

そして、まだ生贄の数が1001人に達していないのも確かだ。《怪物王ジャバ》が復活してないからね。《魔導》運び屋は、すぐ近くに居て、姫さんに確実に死を与えようと虎視眈々と狙っている筈だ。 気を付けるんだよ。特に大型の邪霊がうろつく夜道は危険だ。

シュクラ王国の財産や秘宝をゴッソリ分捕って行ったトルーラン将軍が《魔導》運び屋だろうと睨んでいるんだが、姫さんは、どう思うだろうね? 真相を突き止められたら、オババにも教えておくれ。

真相を突き止めて、全容を解明できたあかつきには、きっと解呪できるだろう。姫さんに教えられる限りの知識と技術は、すべて教えた。頑張るんだよ。

最後になったが姫さん、最も重要なことを言っておくよ。

何はなくとも、7日に1度は、生存の《証明》として、行き付けの金融商の店にある《白羽の水晶玉》を撫でるんだよ。 オババがまだ元気で、姫さんと一緒に、店に通っていた時のようにね。教えたとおりにできるだろう。

この《白羽の水晶玉》の件は、最も重要なことだから、金融商の店主さんにも番頭さんにも、前もって特に依頼してある。 姫さんが1回でもサボれば、店主さんか番頭さんが駆け付けるから、ちゃんとするんだよ。

――青衣の霊媒師より、かわいい姫さんに良き精霊の祝福あらんことを――

……

…………

アルジーは、いつしか無意識のうちに髪をいじり始めていた。

――これは推理と想像に過ぎないけど。

その不気味な『死の呪い』、すなわち《怪物王ジャバ》へ1001人の生贄を捧げるという邪悪な陰謀に関して……東方総督トルーラン将軍は、母親の死には、関係していないだろう。

御曹司トルジンも言っていた。トルーラン将軍は若かりし頃から『シュクラの銀月』に懸想(けそう)していた、と。

シュクラ王国の財産や秘宝をゴッソリ分捕ったうえ、シュクラ国王夫妻を含めて王族全員の首を刎ね――アリージュ姫の父親も加えて――

そして、未亡人となった『シュクラの銀月』シェイエラ姫を、自身のハーレム妻として獲得しようという時に。『死の呪い』を仕掛けるというのは、動機や目的そのものが矛盾している……

自分自身が《怪物王ジャバ》への生贄に選ばれているという指摘は、確かに怖い。《怪物王ジャバ》が1001日目の期限と認識する「命の終わりの時」が、いつか到来する――それは、怖いけれども。

明確な死期を告げられて、逆に度胸が据わる人間も居る。医師に、不治の病名と死期を告げられた病人の一部が、そうであるように。

すでに一度、死にかけた身だ。二度目は心臓が本当に止まる、ただ、それだけのこと。

アルジーは腕を組み、ボンヤリと、明るさを増す空へと視線を投げた。

一度、死にかけた時……7歳だった時の、あの日。

トルーラン将軍が身体をベタベタ触って来たのは確か。生贄《魔導陣》は、その時に偶然、張り付いたのだろうか? 嫌な感じはしたけれど、これというような違和感は無かったと思う。

違和感があったのは、あの日の夕食の後だ……あの後で、不意に髪の毛の長さが乱れた。

オババ殿がアリージュ姫の髪を少し切りそろえようと決めたのは、それが理由。

波長の合った精霊が干渉したり、祝福したりして来て、髪の毛の長さがバラバラになる現象は、あるにはある。

精霊の干渉や祝福によって、髪の色が変わる現象のほうが多い。《火の精霊》の祝福を受けた赤髪、《地の精霊》の祝福を受けた黒髪、という風に。 《風の精霊》や《水の精霊》の干渉で『髪の色が変わった』という事例を見かけないのは、それぞれに透明なため。

……生贄《魔導札》が、あの夕食に、ひそかに盛られていたように思う。

盛ったのは誰だろうか?

オババ殿や、一緒に来ていた付き添いの人たちは、ヒゲを剃ったり、慣れない場所で転んでスリ傷ていどの怪我もしたそうだけど……何とも無かった。 明らかに、アリージュ姫の食事だけを狙って、盛ったということになる。

あの件は『毒を使った暗殺か』と大騒ぎになったということで、夕食に関係した料理人や給仕たちが徹底的に調べられたと言う。誰も毒を持っていなかったそうだ。怪しそうな、灰色の御札さえも。

ほかに怪しそうな人物と言うと、例えばトルジン親衛隊に居たテラテラ黄金肌の戦士ではあるけれど……彼は、昔は、居なかった。

この1年、思い出せる限りの記憶をたどって来た。時には、屋根の上に登って東方総督の住まう宮殿のシルエットを仰ぎ、眠れない夜は夜を徹して、考えすぎるくらい考えて来た。 でも、考えれば考えるほど、袋小路にハマってゆく。

――真犯人を突き止めるまでは、死んでも死にきれないけれど。犯人が絞れない。分からない……

アルジーは長い髪をたたみ、ターバンに押し込みながら、つらつらと思案を巡らせた。

――この灰髪は、確かに月光を通じて《銀月の祝福》を受け取っているらしい。

一時的ながら不健康なパサつきが収まっていて、いまの手触りは幾分かマシ。

7歳の時に死ななかった理由も、依然として謎ではあるのだ。仮説としては、生贄《魔導陣》による呪縛が始まったと同時に、《銀月の祝福》の精霊が干渉または祝福して来て、 髪の毛を余分に、長く伸ばしておいてくれたお蔭なのか、というのがある。

自分が、母と同じように《銀月の祝福》由来の銀髪だった、ということは記憶には無い。

二つ名『シュクラの銀月』だったという母シェイエラ姫の髪については、とってもキラキラしていたというような記憶はある……ような気はするけれども……

…………

……

程なくして。

相棒の白文鳥《精霊鳥》パルが、アルジーの肩先に飛び降りて来て、「ぴぴぃ」と鳴き始めた。

『アリージュ、アリージュ』

『なに、パル?』

『人が来た、人が。同郷の人、ピッ』

――人の気配。

サッと振り返る。

曙光の中、ひとり佇む年配の男性が居た。

荷役などに従事する底辺層の労働者を思わせる粗末な出で立ちだが、不思議に、宮廷風の上品な雰囲気を感じる。ターバンからこぼれる髪は白髪混ざりながら――シュクラ山岳では多い、淡い茶髪。

「シュクラの人? だれ……?」

年配の男性は涙ぐみながらも、折り目正しい一礼をした。シュクラ王国の流儀で。

「アリージュ姫。シュクラ王国の宮廷で侍従長を務めさせていただいた、タヴィスと申します。覚えてはおられないでしょうが、姫が御年7歳で人質として護送された時、随行いたしまして。 此処でお待ち申し上げておれば、お目に掛かれると確信しておりました。月命日の際は行き違いになってしまいましたが」

7歳の頃……『キチンとしたオジサン』が、オババ殿と一緒に居たというようなことは、ボンヤリとながら覚えてはいる。

――ただ、顔が思い出せないから、何とも言えない状態だ。

「本名は『アリージュ』だけど。ごめん、いきなりだから信用する気になれない。それに今さら『姫』なんて……」

「当方は姫の御母堂を存じ上げております……こうして拝見いたしますと、まことに御母堂、シュクラ王妹シェイエラ姫に、よく似ておいでです。背丈は、お父上のほうの血筋ゆえかと存じます」

そそくさとターバンを巻き終えながらも、思わず目をパチクリさせるアルジーであった。

「私の顔、さる御曹司いわく『骸骨ヤロウ』だよ?」

かつての侍従長タヴィスと名乗った年配の男は、ちょっと首を傾げた後、何故か訳知り顔になって、苦笑に近い笑みを湛えたのだった。

「これは平行線のようでございますから、さておくといたしましょう。シュクラ宮廷霊媒師、オババ殿より、お預かりした重要な事項がございまして。 是非ともお伝えさせて頂きたく、こうしてお待ち申し上げていた次第です」

「オババ殿、何かしてたの?」

「シュクラ・カスバの秘密口座を、設置してくださいました」

思わず目を見張って、まじまじと年配の男タヴィスを見つめるアルジーであった。

「……オババ殿、いつ設置してたんだろ? どこに? シュクラ・カスバは、東方総督トルーラン将軍の直々の指令、というか嫌がらせで、経済封鎖されてたよね。 東帝城砦への奉仕と納付だけで、ほかの城砦(カスバ)との自主取引すべて厳禁で……」

「ご存知の、姫が7日に1度お通いになっている金融商のところです。 私どもにしても、1年――1年半ほど前、白タカ《精霊鳥》シャールが運んで来た秘密通信を受け取るまでは、存じ上げておりませんでした」

「オババ殿が病気になって寝込み始めた頃だ、それ。高価な薬が必要って分かって、もっと実入りのある裏営業を始めて。 行き付けの金融商オッサンにお願いして、あの薬の名前で貯金口座つくって……あれ? 維持手数料、やたら高いと思ってたけど……あれ?」

「シュクラ・カスバの秘密口座は、ここ東帝城砦にある貯金口座からの定期的な送金支援を受けておりまして。 帝都公認の金融商の管理のもと、1年以上に渡って安定した送金を受けている秘密口座は、信用が高いのです。お蔭さまで、近隣の城砦(カスバ)との取引が進んでおります……」

落ち着いた口調が続いていたけれど――最後は震え声。

不意に気付くところがあり、アルジーは息を呑んだ。

「オババ殿、薬代に使ってなかった……? いや、あの薬、だんだん市場(バザール)に入って来なくなって。 トルジンが『自称アリージュ姫』に貢ぎすぎたせいで、節約で、事業仕分けを通じて輸入許可リストから削られてたから……」

予期しなかったところで、次々に連結する点と線。もはや混乱しきり。

オババ殿と、金融商オッサン……もとは薬代支払いのためだった貯金口座と、シュクラ・カスバの秘密口座。個人向けにしては不自然に高かった、口座の維持手数料。 東帝城砦の外へ、送金――送金支援。

金融商オッサンのところで、確かめなければ……あるいは、白タカ《精霊鳥》シャールに。

目の前がグルグルして、ふらりとよろめく。

――この身体、気を抜くと、すぐにふらつき始める。気を付けてはいるけれど。

タヴィスが慌てた顔になって駆け寄る。侍従長としてのスキルなのか、支え方が上手。

「お気を確かに、姫」

…………

……

アルジーが口から魂を飛ばしていたのは、5分ほど。

脇の植込みの傍で、アルジーは、タヴィスにうやうやしく支えられた状態で、へたり込んでいたのだった。

気が付くと。

明るい朝の青空を背にして……見覚えのある白タカ《精霊鳥》が、年配男タヴィスと一緒にのぞき込んで来ていた。馴染みの《精霊鳥》シャール。

『よぅ、銀月の。妙なタイミングだが金融商オッサンの伝言の件、間に合ったようだな』

アルジーは困惑顔で、白タカ《精霊鳥》シャールと、年配男タヴィスを、交互に眺めるのみだ。詐欺やハメコミの類じゃないのは分かったけれど、何が何だかだ。

「いったい何が起こってるの……?」

「時間がございませんので、要点のみ説明いたします、アリージュ姫」

非常に生真面目な性質らしく、タヴィスは敬語を崩さない。

ほぼ野生と化した緑の植込みの間を、さわやかな朝の微風が通りすぎ……アルジーの口元は、少しばかり引きつっていた。

何とも、むずがゆい。幼少期、両親と共に過ごした祖国シュクラを懐かしく思う気持ちはあるけれど。

「シュクラ・カスバの財務状況の改善が加速しているため、オババ殿の設置した秘密口座の存在が、トルーラン将軍の側に漏洩しつつあります。 ご指摘のとおり、トルジン様の使い込みもあって東帝城砦の財務状況が芳しくなく、強権を使って没収可能な財源に手を伸ばしているとの観測がございます」

――それは納得できる。そのような話を、金融商オッサンの店で小耳に挟んだばかりだ。

だが、シュクラ・カスバの情報網や諜報力に唖然とするのみだ。王国時代から続く各種組織を、諜報機関も含めて、コッソリと維持していたのだろうけれど。 小国といえども、群雄割拠のつづく長い歴史を存続して来たゆえの蓄積か。トルーラン将軍支配下の世界しか知らなかっただけに、とても想像できない。

アルジーの理解状況を察した様子で、タヴィスは説明を続ける。

「その『回収可能な資金』の中に、オババ殿の設置された秘密口座が含まれている可能性が高いという訳です。恐れながら、名義変更は姫にしかできません。 できる限り速やかに、東帝城砦にある貯金口座の名義を、『オリクト・カスバのローグ』に変更お願いいたしたく。ほかの処理は、私どものほうで進めておきますゆえ」

「あ、ユージドお従兄(にい)様の親戚で親友……シュクラ王妃さまが元々オリクト・カスバから来た人だった……結構ボンヤリしてるけど覚えてる。 信頼できる人だから、やっとく。けど、残金を全額、引き出してドロンするだけで良い気が……? 早いし、簡単だし」

フッと苦笑を浮かべるタヴィス。

「そこが、姫の生存情報の唯一の窓口でございまして。 あの正式な輿入れの夜に、アリージュ姫が聖火神殿に現れなかったばかりか、トルジン様に放逐されて不意に消息を絶たれた件、こちらでは大変な騒動になっておりましたのです。 白タカ《精霊鳥》シャールが連携するまでは、熟練の霊媒師や魔導士でさえも、足取りをつかめませんでしたから」

言及された白タカ《精霊鳥》シャールが首を振り振り、素早く突っ込む。

『実を言えば、その時に、姫を張ってた前任の我が種族が、急にお星さまになってたんでな。不意打ちでツナギが切れたから、我のほうでも、いわゆる「わけわかめ」だったんだよ。 同時並行で進んでた計画があったとパルから聞いてるが……まぁ、今はどうでも良いか。7枚羽の《証明》が付いて来たから』

アルジーは少し首を傾げた後、眉根をキュッとひそめた。

何だか思い当たるのが、あるような気がする。

オババ殿の遺言――『何はなくとも、7日に1度は、生存の《証明》として……《白羽の水晶玉》を撫でる』。

生存の《証明》。あれが、《証明》なのだろうか?

あの夜に放逐されて、花嫁衣装も処分はしていたけど、熟練の探索者にさえ分からないような形で、不意に消息を絶った覚えは無い。

たぶん、パルでさえ惑わされたという、異様に長時間の《魔導陣》による妨害が関係している。おそらく、探索の類を妨害するための《魔導陣》。 そんなの使うの、忍者や暗殺者を務める隠密の魔導士ぐらいだと思うけど。

唯一の生存情報の窓口って、7枚羽の彫刻を抱えている《白羽の水晶玉》だったりする……?

その生存情報って、敵の魔導士に洩れないように秘密扱いになっていると思うけど、どこへ連携してるんだろう。シュクラ・カスバへは行ってると思うけど。オリクト・カスバも関係しているんだろうか?

「……全部の事情を説明してないよね? 急いでるのは分かるけど」

「私どもも全て存じている訳ではございません。ローグ様および関係者が、この案件に特別な懸念と関心を抱いているという事実のみ、お伝えいたします」

今日は、朝っぱらから驚くことでいっぱいだ。アルジーは、詰め込みすぎて痛み始めた頭をさすりつつ、立ち上がった。

次の瞬間。

人間よりはるかに感度の良い《精霊鳥》パルとシャールが、急に激しく飛び回り、鋭い鳴き声を上げた。ほかの白タカ《精霊鳥》たちも、警戒心いっぱいに冠羽をビシッと立てたまま、ワッと騒ぎ始めている。

『危ない、ピッ!』

『伏せろ!』

ドッと湧き立つ、異臭。

オリーブの木々の連なる向こう側で、禍々しい黒いモヤの、巨人のような煙が立ち上がった。

共鳴する《火の精霊》たちの、焦げ付くようなにおい。

あたりを揺るがす、大爆発――大音響。

ドドドドガーン!!

衝撃波による一陣の熱風、そして、高所から飛散して来る着火破片の数々。爆風に枝葉を飛ばされ、折れ曲がってゆくオリーブの木々……

爆心地は、聖火礼拝堂の中庭。

聖火礼拝堂を取り巻くように並ぶ、細くて高い塔の一群のほうだ。

そのうちの、ひとつ……『瞑想の塔』が、人のような形をした火炎を噴き上げていた。

いつの間にか、タヴィスがアルジーをかばいつつ、植込みの陰に伏せていた。

「まだ危ないですから伏せていてください、姫。あれは火のジン=イフリートです。《魔導札》を使う軍事案件などで多く見かける邪霊ですが……」

「戦争……!?」

「それは無いかと。布を口に当てて。早く」

爆発炎上している塔の頂上部の空間は、人ひとりが腰かけて過ごす程度の大きさ。

吹き飛んでボロボロになった石壁を透かして、塔の芯柱となっている螺旋階段が見える。あの爆発炎上にも耐える螺旋階段――古代『精霊魔法文明』の遺跡から発掘されて移築されたものに違いない。

巨人の形をして立ち上がった巨大な火炎が、蛇のように長くのたうつ異形の腕をグルグル振り回していた。

まさに火災旋風だ。石造りの塔の全体をガンガン燃やしている。

あたりは異臭のする黒煙でいっぱいだ。

ただでさえ身体に余裕の無いアルジーは、ゲホゲホ咳き込むのみだ。

……

…………

聖火神殿の方から、大勢の人々が駆け付けて来ている。

最初にワラワラと出て来たのは赤茶色の長衣(カフタン)――雑務に従事する事務員や、門番といった人々だ。

次に、あざやかな真紅色のターバンと金縁の赤い長衣(カフタン)。それよりは少ないけれど、相当数の、漆黒色のターバンと金縁の黒い長衣(カフタン)。

真紅に金の縁取りをした長衣(カフタン)をまとう神官たちが、燃え上がる『瞑想の塔』を指差し、口々に騒ぎ出した。

「火を止めろ、消せ! 消火だ!」

「なんで、ジン=イフリートが出現するんだ! おい、東帝城砦をいったん封鎖しろ、滞在している隊商(キャラバン)と傭兵を全員、留め置きだ!」

「あのジンを邪霊として誘導した《魔導陣》を探せ」

やがて、黒に金の縁取りをした長衣(カフタン)をまとう人々が、黄金色をした《魔導札》を次々に取り出した。聖火神殿の専属の、黒衣の魔導士たちだ。

黒に金の縁取りをした長衣(カフタン)のうえで、なお目立って見える多数の首飾り、多種類の護符、とりどりのチェーンや数珠の群れ。遠目に見ているだけでもジャラジャラ音が聞こえてきそうだ。

黒衣の魔導士たちは綺麗な円陣となって立ち並ぶと、円陣の中心に向かって《魔導札》を掲げた。

魔導士たちの詠唱する《精霊語》の呪文に応じて、《魔導札》から黄金色の炎が噴出した。それは円陣の中心に寄り集まり、大きな黄金色の火柱となってゴウゴウと燃え上がる。

黒衣に施された金の縁取り、それに多種多様な装身具が、《魔導札》の黄金の炎と同調しながら力強く輝いていた。

シャンシャン、ジャラジャラと言う護符の音が、ひっきりなしに響いて来ている。

特定の邪霊、たとえば大型《人食鬼(グール)》などといった禁忌の存在を、この場に出現させないように護符で制止しておいて……大型のジンを、強い攻撃力を持つ邪霊として召喚・誘導しているところ。

黄金の火柱のてっぺんから、青い色をした大型の水のジン=巨大カニが出現した。

燃えさかる『瞑想の塔』を挟んで、ひとつの豪邸ほどもありそうな火のジンと水のジンとが、城砦(カスバ)全体にとどろくような咆哮を上げながら、対峙する。

――ごおおぉぉぉおお!

――シュウウゥゥゥウ!

青色の巨大カニは、火の巨人さながらのジン=イフリートに取り付き、大きなハサミで、火の腕をスパスパと、ちょん切る。切断面から、じゅうじゅうと蒸気が上がり始めた。

ほぼ拮抗の模様だ。

石造りの塔がバリバリと乱れ燃え、いっそう多くの瓦礫が降りそそぐ。

東帝城砦の水源となっているオアシスのほうで巨大な水柱が立ち、唖然とするほど大きな、青い色をした《渦巻貝(ノーチラス)》が出現した。 《水霊王》の化身とも、分身とも言われる超大型の、水のジン。東帝城砦オアシスの、偉大なる水の主。

巨大な《渦巻貝(ノーチラス)》が、100本ほどもあるかと思われる触手を振り回すや、その動きに招かれたかのように大量の水が波打つ。 そのまま、水は大波となって、火のジン=イフリートもろとも、燃え上がる『瞑想の塔』を丸呑みした……

超大型のジンは、実体化している時間は非常に短い。圧倒的な《水の精霊》の力を見せた巨大《渦巻貝(ノーチラス)》は、アッと言う間に、スッと雲散霧消した。

燃える巨人の姿形をしたジン=イフリートが押し流され、形を失い、見る見るうちに縮んでいく。

野次馬と化した通行人たちが一気に増えた。野次馬たちは、いっそう現場に近寄り、騒ぎつづける。

「あんな爆発炎上じゃ、死人がいっぱい出てんじゃないか」

「あっちで瓦礫の下になったヤツがいるぞ、掘り出せ、早く!」

野次馬に混ざって、火と水の戦いを見守っていた数人――赤茶色の長衣(カフタン)をまとう門番たちが動き出した。

ほどなくして、瓦礫の下から人間が掘り出されたが。

「あぁ、巻き込まれて死んじまったか」

「哀れな。風紀担当の役人のハシャヤルだ。性別詐称の不届き者とか取り締まる担当の。『瞑想の塔』に入って色々考えてたところを、やられたってことか」

植込みの陰からうかがっていたアルジーは、思わず息を呑んだ。

「げ。知ってるヤツだ。ちょくちょくやって来て『袖の下』要求してた、いけすかない風紀担当。女商人ロシャナクさんとも、やり合ってた……」

「マズい事態になりそうですね、姫。早めに離れたほうがよろしいかと」

思案深げに眉をひそめるタヴィスであった。

「ちょっと待って、あの人……!」

アルジーは咳き込みながらも……

野次馬たちからヌッと背丈が突き出している、その巨体から目が離せなくなってしまった。

――因縁のある人物だけに。

いまでも覚えている。

――あの盲目的なまでにトルジンに忠実な、迷彩ターバン戦士。

山のように大きな体格、陰湿な風貌。テラテラ黄金肌。異形と見えるまでに異様な肩幅の、ムキムキのマッチョだ。眉間に黒い刺青(タトゥー)。 装飾鋲(スタッズ)きらびやかなベスト付きの、武装親衛隊の制服。

タヴィスは早くも、アルジーの注目している人物がどれなのか察知していた。

「トルジン様の親衛隊の制服の、あの巨人……『邪眼のザムバ』で知られている人物ですね」

「邪眼の?」

「眉間の黒い刺青(タトゥー)の意匠が邪眼なので。古代の巨人族の末裔と聞いております」

「あぁ……あいつが、2年前、オババ殿と私を摘まみ出したの。トルジンの命令にメチャクチャ忠実な、陰湿なヤツ」

「なんと。それは存じませんでした」

仰天するタヴィスの脇で。

何故か、白文鳥のパルと白タカのシャールも、クチバシをポカンと開けて仰天している。

『シビレル、ピ……』

『あの刺青(タトゥー)、本物かよ。冗談じゃねぇ』

テラテラ黄金肌をした巨体の戦士は、歯を剥いて不気味なニヤニヤ笑いをしていた。暗い黄土色の目がギラギラ光っている。

笑っていた。笑いながら、塔の爆発炎上や、大型のジン同士のつばぜり合いを眺めていたらしい。

――死人が出たというのに。

そして、まだ完全には鎮火していない模様だ。

場所を移して、ジンどうしの対決が続いている。

オアシスから出現した巨大な《渦巻貝(ノーチラス)》による大出力の放水で、火災現場から押し流され、隔離されていたとはいえ……

相変わらず火のジン=イフリートと、水のジン=巨大カニとが組み合って、お互いに消滅し尽くそうと、刺激臭と黒煙を撒き散らしつつ戦っていた。

衛兵や野次馬たちが再び騒ぎ始めた。

「おい、やばいぞ。あっちは事務所や礼拝の人が居るほうだぞ!」

瞬く間に、とばっちりを食らって類焼した建物……3階建ての礼拝堂のほうでパニックが広がる。

2階のバルコニーからも、飛び降りて避難する大勢の人々。礼拝に来ていたと思しき母子(おやこ)。子供の方は、まだ4歳くらいだ。それに、事務所に詰めている神殿役人の面々。

ますます濃くなる刺激臭で、呼吸器官にダメージが出たのか、アルジーの咳込みは止まらない。目がシバシバして、涙もボロボロ出て来る。

傍に駆け寄ってきた人の気配がある。

チラリと見えるのは、真紅の長衣(カフタン)の端。

「これは、シュクラ・カスバのタヴィス殿ではございませんか。こちらに来られていたとは」

「ゾルハン殿。何故こんな火事が?」

「まったくです、いったい何が起こったのか……とにかく避難方向はあちらです、皆さんも早く!」

身体を抱えられたような感触。そして、走り出したような気がする。

咳き込んでいるうちに、気が遠くなって……

アルジーの記憶は、そこで途絶えたのだった。

*****

先ほどから「ぴぴぴぃ」という小鳥のさえずりが続いているようだ。

ボンヤリと、アルジーは目を開く。

我が家としている、市場(バザール)の路地裏にある小さな店舗セット住宅の中だ。

代筆屋の営業カウンターの前で、椅子代わりの木箱とクッションをつなげて簡易ベッドとしている――その上に横たわっている状態。

「あー、気が付いたかい? アルジー」

ベールを外して顔をのぞきこんで来た女は、常連客の遊女ミリカ。赤銅色の髪が見事な、色気タップリの美人だ。ミリカは、すぐに表の方へと顔を向けた。

「アルジー、目が覚めたよぉ、おっさん」

「さようでございますか、ミリカ様」

「あー、ねー、その丁寧語なんとかならない? むずがゆいんだよ、こっちは。あたしゃ遊女だっての。娼館で踊るほうの」

「ですが、ミリカ様は恩人でございます。医学の心得がそれ程おありとは、女神官でいらっしゃるのかと」

「此処の婆さんが生きてた頃からの常連客でさ、こーゆー時のコツ教えてもらっただけだから」

困惑顔をしたタヴィスが、表のほうから顔を出して来た。食べ物の匂いと共に。

まだ明るいが、陽射しの角度からして夕方に入った頃だ。

「え……もう夕方? なんだか、色々ご迷惑おかけしてた……?」

「どぉって事は無いさ~、アルジーは、ありとあらゆる種類の衰弱と不調で月に三度は倒れてるからね。それよりも、丁寧語おっさんの登場のほうがビックリだよ」

「見ていただいてありがとうございます、ミリカ様。少し早いですが、市場(バザール)で夕食を買ってまいりましたので」

「お、おぅ、いただくもんはいただくよ……うん」

遊女ミリカも、相応に不思議な存在だ。言葉は取ってつけたようにざっくばらんだが、折々の所作は妙に行き届いている。 遊女としての演技の訓練によるものか、意外に観察力の鋭いタヴィスの指摘どおり女神官だったのか、真実は分からない。

――かつて本当に聖火神殿に勤める女神官で、医師としても活動していたのなら、ミリカの荷物の中にチラリと見える数冊の医学専門書にも、妙に深さのある医学知識にも、説明がつくのだが……

女医は珍しい。むしろ公的・社会的に認められていないため、ほぼ存在しない。 医学知識のある女性を探そうとする場合、古代『精霊魔法文明』の知識を継承する霊媒師や、民間療法の知識を詰め込んだ産婆を探すほうが早いくらいだ。

ともあれ、遊女ミリカがアルジーの代筆屋の常連客となったうえ、霊媒師オババ殿の医学知識に惚れ込んで、 たびたび医学に関して専門的な話を交わしていたことは事実である……最近、例の御曹司がアレな事態になった件でも、 老魔導士による治療内容を女商人ロシャナクに説明できるくらい、細かく観察したのであろう、ということも。

営業カウンターを当座の食卓とし、3人で簡素な夕食を囲む。

やがてミリカが、締めのチーズをつつきながら話し出した。

「火事現場に集まって来た野次馬の中に、あたしも居たんだよ。夜の仕事の遊女仲間とね。昼間はヒマだしさ。あんたたちに気が付いたのは、それでさ」

タヴィスが手慣れた様子で茶を給仕している。宮廷仕込みと見える上品な所作。

「お茶ありがと。丁寧語おっさん、あ、タヴィスさんか。贅沢三昧アリージュ姫の新しい別荘の工事が始まってただろ、その荷役係ってな格好、 最初はカネ狙いの空き巣かと。あそこトコトン報酬ケチってるからね、食費さえ足りないってんで、脱走したヤツラがドンドン空き巣コソ泥になってんだよ。 そっちのピヨピヨ『いちご大福』が騒がなかったんで、またビックリした訳さ」

魔除け用ドリームキャッチャーを吊り下げているスタンド式ハンガーのほうを見ると。ちっちゃな白文鳥パルは、そこを止まり木とし、「もちーん」とくつろいだ格好で、うたた寝していた。

――うたた寝しているように見えるだけかも知れない。精霊には、この世の常識では分からない部分がいっぱいある。

「今日は、どうもお世話になりました、ミリカさん」

「お互い様さ。一応あたしたち、合鍵を持つ夫婦どうしだからね。そうねぇ、また来るから、あの『もげる』ヤツの御札、効果『弱』と『並』のほうでいいから多めにサービスしてよ。ロシャナク姉御の分も。 荒くれの客が増えて娼館も物騒になって来てるんだよ」

「あぁ、成る程……在庫、積んどく」

「助かるわ。それにしても、トルーラン将軍と御曹司トルジンの武装親衛隊、ますます数が増えてんだよね。隊商(キャラバン)の傭兵もドンドコ追加してるみたいだし、どっかと戦争でもやるのかね」

遊女ミリカは、ちょっと首を傾げた後、「じゃあね~」と手を振り、市場(バザール)の通りへと去って行った。

タヴィスが仰天顔になり……閉じられた戸口とアルジーとを、交互に見つめ始めた。

「……ミリカ様とアリージュ姫が、夫婦……?」

「一応、半年前に結婚はしてるから。性別詐称『男』のアルジーで」

「何故そんなことに?」

「御曹司トルジンの『独身女狩り』への対策。あの七日七晩の『もげた』騒動のあとは、沈静化してるみたいだけど」

生真面目な年配男は、絶句していたのだった……

アルジーは思案顔でタヴィスを眺め始める。

「えぇと、タヴィスさん、今夜は……? 此処、人を泊められるほど広くないし」

「お気遣いなく。用件があって、こちらに参っておりましたもので。時間はズレましたが、何とかなるかと存じます。正直申しまして、姫の体調のほうが気がかりでございますが。 医師などは呼ばなくて大丈夫でしょうか。ミリカ様によれば、性別詐称の件があるので、もとより不可能、危険と言うことでしたが」

「あぁ、うん、これくらいだったら。オババ殿から教わった方法あるから」

タヴィスは深々と一礼し――敬礼なのかも知れない――丁寧な足取りで、表の通りへと出て行ったのだった。

今日は色々あり過ぎて、いつもより疲れたような気がする……

オババ伝授の、体調回復のためのオマジナイの御札を、ベッドの枕の下に敷いて。

アルジーは、夢も見ない眠りに入っていった……

■06■死屍累々の点と線~犯人の候補者たちが多すぎる

翌朝、日の出前の刻。

市場(バザール)の片隅にある路地裏、アルジーの代筆屋。

アルジーは、鳩舎のエサの刻より早い頃に目を覚ました。

早起きな白文鳥《精霊鳥》パルと、同じく早起きして遊びに来た白文鳥たちが、幾何学的格子窓を通して鳴き交わしている。

やがて、小さな店舗セット住宅の軒下で育てている豆苗を、白文鳥《精霊鳥》5羽ほどがつつき始めた。

同じ路地裏にある一皿料理屋のほうから、朝の行商のための料理のにおいが漂っている。スパイスの効いた肉や野菜を串に通してあぶった類のもので、買い食いの定番だ。

アルジーは大きなあくびをしながらもターバンを整え、財布を持って、隣近所の一皿料理屋を訪れた。

昨夜からの不調が響いている。自炊する気力は、いつもの半分ほど。

新たに火を起こして肉をあぶっていた行商人の熟年夫婦が気付き、振り返って来る。成人して結婚した子供たちが居るという夫婦だ。

「あぁ、お早う、代筆屋アルジー。買ってくかね」

「串2本……できれば消化の良いほうで」

「毎度。こっちはスパイスがマイルドなほうだよ。肉がもたれるなら魚もあるけど」

アルジーは、チーズをかけた白身魚と野菜のセット串を2本、頂いたのだった。魚は、東帝城砦のオアシス湖で採れたもの。

包丁で手際よく野菜を切り分けつつ、オバサンが、ふと思い出したように喋り出した。

「昨日は墓参りの日だったよね。神殿で大爆発やら火事やらあったって聞いたけど、なんか見たかい?」

「離れたところから爆発は……」

興味津々のオジサンが、焼き上がった串料理を皿へドンドン移しながらも、口を挟んだ。

「俺の知り合いの、酒屋の小僧と香辛料屋が早朝礼拝に行っててな、ドーンと爆発するところ目撃したぞ~って、取引先の食堂で騒いでたんだぜよ。 死んだの、風紀役人ハシャヤルだって言うじゃないか。ビックリしたぜよ。俺らも取引先の食堂へ惣菜を届けていて、耳に挟んだもんだからね」

アルジーは、市場(バザール)の情報網に感心するのみだ。

美味しそうなにおいを嗅ぎつけ、なんとなく街中をうろつく野良猫……火吹きネコマタが、フラリと近づいて来ている。まだ邪霊害獣を狩って食うほどでは無い子猫だ。

「これは人間さまの食事ぜよ、ネコちゃん。お金を持って来ないと売れないぜよ~」

「にゃーにゃー」

「やけに毛並みの良いネコぜよ。この辺りじゃ見かけんな、新しい捨て猫かね。そら、ちょっとやるから、こっちの炉に火を付けてくれねえか」

「にゃー」

子猫の火吹きネコマタは、白身魚の欠片をパクリとやった後、2本の尻尾の先にポポンと物理的な火を灯して、炉に火を付けたのだった。 こういう事もあるから、火吹きネコマタは、だいたい歓迎されるのだ。

炉は少し大きめの通風式の壺。その中に、燃料となるラクダのフンが入れてある。ラクダのフンは、優秀な燃料だ。

意外に情報網の広い一皿料理の行商のオジサンは、話し続けた。

「ちょっと話し込んで来てね、近所で、最も怪しいの、ワリドさんじゃねぇかなって話になったんだぜ、なあ、おまえ」

「そうなんだよねぇ。ちょっとアレな人だもんね、『ハシャヤルを殺してやる』とか騒いだって話もあるし」

オバサンも、包丁を止めてちょっと思案顔になった。とはいえ、これから行商の、かき入れ時。オバサンは串に肉片や野菜片を次々に通し、火にかけた。

――ワリドさんという人が、ハシャヤルさんに殺意を抱いていたのか。

アルジーは串料理を味わいながらも、知らない人の名前に反応する。

「ワリドさんって?」

「火事に巻き込まれて、2階から飛び降りた母子(おやこ)が居たって話。スージアさんとヤジドちゃん。そこの別居中の旦那が、ワリドさん」

アルジーの中で記憶がよみがえった。

確かに、礼拝堂のバルコニーから避難した人々の中に母子(おやこ)が居た。近くに旦那さんと思しき男性が居なくて、母子(おやこ)だけだったので、「アレ?」と思ったのだ。

「知り合いの香辛料屋が隣の通りに住んでんだ。奥さん同士の井戸端会議とやらで、スージアさんとヤジドちゃんの事情、あらかた知ってるんだよね。 スージアさん、ヤジドちゃん出産する前に、出産育児の資金、かなり溜めてたそうなんだ。しっかり者のママだね」

「あぁ、成る程。東方総督トルーラン将軍の政治みてたら、その辺、慎重になるよね」

オバサンは噂話が好きな性質らしく、イキイキと喋り出した。

「スージア奥さん、ヤジドちゃん教育資金を溜めるのに、帝都の土木建築にも投資したとか何とか。割と当たって、結構な額面らしいんだよね。えーと、近くの金融商のとこに口座あるんだってさ。 で、別居中のワリド旦那は賭場に出入りしてんだよね。最近、風紀役人ハシャヤルさんに見つかって、たいそう罰金とられてね、それで『ハシャヤルを殺してやる』とか騒いだんだってさ」

「カネの怨み? アリアリのアリかも。よほど問題な賭場だったみたいだね」

オバサンは「そうそう」と言いながら下ごしらえを完了し、オジサンと一緒に串料理を回し始めた。火吹きネコマタが着火してくれた新しい炉でも、新しい串料理の香ばしいにおいが漂い始めている。

一区切りつき、オバサンはベールの端を気取って摘まみながら、「とっておきの話」をするような顔つきになった。

「ここだけの話だけどね。ワリドさん、怪奇趣味の賭場に行ってたそうなんだよ。常連でね」

「怪奇趣味の賭場? あの、人間も血祭りにするとか、不吉な噂の?」

近くで子猫の火吹きネコマタが、キラキラした目を「カッ!」と見開き、2本の尻尾を「ビシィッ!」と立てた。

その不思議な異変に気付かない様子で、オジサンは、せっせと串料理をあぶり、回し続けていた。焼き上がった串料理が新しい皿に積まれ、行商用の箱に詰められてゆく。

「その酒場の小僧ってよ、地獄耳の鬼耳だぜよ。給仕のついでに、ヤバイのも小耳に挟むんだぜよ~」

――つくづく、市場(バザール)の「知り合い同士」の情報網は侮れない。

「石膏で作った《骸骨剣士》舞踏がウリの賭場だそうでよ。賭けで当たった景品の酒、それも《骸骨剣士》意匠の酒瓶をもらって、踊りながら拝んでたのが見つかって、大目玉だったそうだよ。 聖火神殿としては、そんな邪霊崇拝モドキ、遊びでも冗談でもダメってことだぜね。 あぁ、その怪奇趣味の賭場、酒場の小僧が新しく地獄耳の鬼耳に入れたところによれば、西の商館の、酒場の地下にあるらしい」

「そんな場所にあったの? 隠れるの上手っていうか。商館の酒場って広いし、その地下ともなると大会場じゃない?」

「100人や200人は入ってたぜ~って話だったぜよ。なんかのタペストリーの裏に隠し戸があるらしくてよ。怪奇趣味の賭場って大金が動くってことで有名だし、悪知恵が回るもんだぜよ~」

何故か子猫の火吹きネコマタは、ネコのヒゲをピピンと立てて、ピューッと走り去って行った……

やがて、気の良い一皿料理屋のオジサンとオバサンは、手際よく行商の準備を終えた。串料理を詰めた箱を手押し車に固定して、準備万端である。

「ワリドさんって、あの火事とか何かでスージア奥さんも折よく死んでくれれば、夫として、多額の金が入るっていう立場だって話なんだよね。 ヤジドちゃんがどうなるかは知らんけど、親戚に預けるってのもあるね」

「聞けば聞くほどアヤシイ……」

「だぜよ~。俺はワリドさん犯人説に1票だなぁ」

炉の火を始末しておいて、朝の行商へと出発する間際になって。

オバサンが「あっ」と気付いた顔で、アルジーを振り返って来た。

「ねぇアルジー、『お喋り身代わり居留守』御札、そろそろ期限切れだからさ、また新しいの、くれるかい? うちの娘んとこ、怪しい変質者がまだ張り付いてんだ。 お婿さんも良い人で頑張ってくれてんだけど、出張の仕事が入っちゃったんだってさ。お婿さんの声で喋ってくれる御札、あれスゴイ助かってるよ。帰りに、娘んとこ寄るんでさ、新しい御札あげたいんだ」

「あ、そうだったぜよ、おまえ。ありゃスゴイ御札だぜね~。婿さんの似顔絵と一緒にスタンド式ハンガーに貼り付ければ、婿さんの振りをして喋ってくれる」

「んー、それじゃ、この串と交換で良い? 以前いただいたのも含めて、これでツケ払い完済ってことで」

「がめついね。ハハハ。じゃあ、それで手を打とうね」

アルジーは早速、紅白の御札を取り出し、赤インクで《精霊文字》を書き付けた。

元々は小型の邪霊害獣《三つ首ネズミ》《三つ首コウモリ》が入り込んで来た時に、 自動的に「コラッ」と大声を掛けたり、《火の精霊》による火花を、火事にならない程度に散らしたりして追い払うための御札である。それを対・人間用に改造してみたものだ。

試しに、怪しい変質者の振りをして、完成した『お喋り身代わり居留守』御札に声を掛けてみる。

――「うっへへへへ、綺麗なネエチャン、よい壺があるんだよ。出ておいでよ」。

すると、『お喋り身代わり居留守』御札のうえで《火の精霊》による火の玉がパッと光り、楽しそうに揺らめきながら、間違いなく男の声で返事をした。

――「壺は間に合ってるんだ、とっとと帰れ」。

感心した行商人のオジサンとオバサンに、『お喋り身代わり居留守』御札を渡し、アルジーは、彼らの出発を見送ったのだった。

*****

帝国伝書局・市場(バザール)出張所は、昨日の火事の件で、もちきりだった。

町内の聖火礼拝堂を取り巻いていた塔のひとつ『瞑想の塔』が爆発炎上し、死体を出した件だ。死体の主は、中年の風紀役人ハシャヤル。

商館から依頼文書を持って来た使い走りのスタッフたちと局員たちが、口々に最新情報を交わし、あさっている。

日の出の刻を過ぎて、青空が広がっている。太陽が高くなると共に、砂漠地帯ならではの乾燥した空気の中、気温がみるみるうちに上昇していった。

付属の鳩舎広場のほうで、エサをねだる伝書バトたちの鳴き声が、ひっきりなしに続いている。

アルジーは、ターバン姿の中年の女性局員と共に、伝書バトへのエサやりと鳩舎の掃除を済ませていった。

この帝国伝書局・市場(バザール)出張所は、市場(バザール)の定番の手頃な大衆食堂を改装したものだ。鳩舎広場は、元は料理を仕込むための作業場だったところである。

鳩舎の前にある噴水は上水道だ。料理用の水として使うための濾過装置が付いていて、いまでも定期的に《精霊亀》を使う点検を続けているため、人間も飲める水になっている。 帝国伝書局・市場(バザール)出張所の依頼人へのサービスとして、水瓶に水を溜めて提供している。

噴水を掃除し、鳥の水浴び用の水を入れ替える。相棒の白文鳥《精霊鳥》パルと、その友達の白文鳥たちが、待ちかねたように水の中に飛び込んで水浴びを始めた。

中年の女性局員が、感心したように白文鳥の水浴びを眺める。ターバンの端で、顔に跳ねた水しぶきを拭き取りつつ。

「小鳥さんたち、つくづく水浴びが好きだねえ」

「今日は、白タカたちは?」

「みんな出払ってるよ。聖火神殿で起きた《魔導》ジン=イフリート爆発炎上の件で、昨夜からずっと、連絡や調査に駆り出されているんだよね。 早く解決すれば、こっちも楽になるんだけど。白タカたちは砂漠の《人食鬼(グール)》を避けて飛ぶから、確実な連絡手段だし」

真夜中にいきなり呼ばれるという非常時の騒動を思い出したのか、中年の女性局員は、ターバンにしていた布をベールに直しながらも、グッタリしたような顔になった。

彼女は、元・民間の鷹匠として、普通のハヤブサ等を使う女狩人だった人である。出産・育児を機に第一線を退いているが、鷹狩の繁忙期になると駆り出されるし、体力はそれなりにある。 それでも昨夜は、行き来する白タカ《精霊鳥》への対応がつづいて、きつかったらしい。

女性局員は、いくつかの水瓶を客用出入口のほうに揃えた後、手を振って退勤していった。

「私、これから帰って昼寝するからね。後はよろしくね~」

*****

――帝国伝書局・市場(バザール)出張所は、目抜き通りに面する、やや長方形の建築である。

一般的な店舗と同様な受付カウンターがある。

かつて大衆食堂であった姿を引きついだかのように、帝国伝書局・市場(バザール)出張所の待合スペースは、食堂で見かけるテーブルや椅子がポンポン置かれている空間となっていた。

業務が始まって間もない時間だが、早くも依頼人たちが来ている。適当に用意してあった20人ほどの席は、すでに半分が埋まっていた。

中庭と接する待合スペース端は、一段ばかり床が高いため全体を見渡せる。その中央に鎮座する立派なデスクが、ボスである所長の定位置だ。いつも多種多様な文書類に囲まれている。

所長デスクの後ろには、大窓を兼ねたアーチ型の出入口が、複数、並んでいた。そこで、噴水のある中庭……鳩舎広場と連結しているのだ。

受付カウンターでは、先輩の代筆屋2人が、せっせと依頼文書の代筆中だ。

1人は白茶色のモワモワしたヒゲを生やした最高齢の爺さん。もう1人は白髪混ざりの金髪頭に赤茶ターバンを巻いたミドル世代のおっさんだ。

最高齢の白茶ヒゲ爺さんは、長年、筆頭職人として勤めあげた《魔導》工房を引退した後、代筆屋になった。 職業上、精霊が反応するだけの《精霊文字》技能はあったので、それを買われた形だが、なにせ高齢。体力と相談して……という勤務だ。

金髪ミドル世代おっさんのほうは、夜は聖火神殿で非常勤の門番、昼は代筆屋と、仕事を掛け持ちしている。 神殿のほうで《精霊文字》に触れる機会が多く、自然に《精霊文字》に興味を持って、神殿付属の訓練所で書き方を覚え……割と正確に書けたので、副業として代筆屋を選んだ。 たまに「代筆屋がこんなにキツイとは思わなかったでよぉ」と、ぼやく。

午前の常連客、近所の商館から来た使い走りの一団が、待合テーブルについていた。代筆依頼の文書の完成を待つ間、水瓶から貰って来た水を飲みながら、大声で喋る。

「夜を徹しての調査で、火元となったジン=イフリート《魔導陣》が見つかったって話だけどよ。ありゃあ、自然に発火したとか、事故じゃねぇぞ」

「どういう事だ?」

「ジン=イフリートを爆発させる導火線付きの《魔導札》なんだよ。《渦巻貝(ノーチラス)》様の消火が素早かったんで、運よく、欠片が燃え残ってたそうだ」

「それに、爆発炎上の前に、風紀役人ハシャヤルの食事に呪殺《魔導札》を溶かして、食わせた節があるらしい。 気まぐれなジン=イフリートが、あれほど風紀役人ハシャヤルに執着してたの、そのせいだよ。確実に殺害したかったんだろう、恐ろしく念入りだ」

別のテーブルに座った金融商スタッフの若いのが、どこかで買って来た軽食を摘まみながら口を挟み出した。金融商オッサンのところとは別の、顔見知りのスタッフだ。

「よく分かったな、そんなの。暗殺教団っぽいけど?」

「聖火神殿の専属の魔導士にとっちゃ、同じ魔導士が仕掛けたモノだからな、何か共通する特徴とかあるんだろうよ」

白髪混ざりの金髪頭に赤茶ターバンを巻いたミドル代筆屋ウムトが、代筆文書を完成させ、更に突っ込む。 赤茶ターバンは、よくよく見ると戦士の定番、迷彩柄と知れる。神殿の門番としてのものだ。巻いたまま、こちらに出勤して来た形だ……先ほど仮眠を済ませたばかりとあって、金髪には寝ぐせが付いている。

「昨夜は私も神殿のほうで夜間の門番やってたが、ひっきりなしに調査官の出入りがあって、そりゃ騒がしいもんだったでよぉ。動ける魔導士が総出で犯人探しをしてるからよぉ」

完成した代筆文書を受け取りつつ、先客の商館スタッフが首を傾げた。

「依頼した殺人犯と、依頼されたほうの魔導士を、同時に逮捕するって可能なのかねえ。賄賂と袖の下の天国だぞ、ここ東帝城砦は」

「ふーむむ。よぉ、千歩も万歩も譲って性別詐称の常習犯アルジー、容疑者かよぉ?」

カウンターの隣で代筆依頼状の束を確認し始めたアルジーに、金髪ミドル代筆屋ウムトが突っ込み始めた。

アルジーは、ウゲ、と呟く。

「下手な冗談やめてよ。私は、キッチリ袖の下、賄賂は払ってたよ。風紀役人ハシャヤルは定期・定額で分かりやすかったし、 夜のお勤めとかの理不尽な要求は無かったし、うまくやってた。殺すメリットなんか無い」

ボソリと、商館スタッフが同僚に耳打ちする。

「アルジーの場合、夜の関係の要求が無かったのは、見るからに不気味な《骸骨剣士》で、瀕死の姿ゆえだと思うが」

「骨格の形は良いと思うが『肉』がねぇし、そもそも死体の骨と皮だよなぁ」

下世話な内容を耳打ちされた同僚は、見るからに同意見という顔で返したのだった……

近隣の城砦(カスバ)から来ていた隊商(キャラバン)スタッフが、興味津々で口を出し始めた。近くの商館への滞在客でもある。

「女商人ロシャナクも、風紀役人ハシャヤルを殺して得られる利益なんか無いだろ。コソコソと呪殺《魔導札》とジン=イフリート《魔導札》で殺す性質かね、あの豪傑な女傑が。 ロシャナクだったら策を弄して、自分の手で地獄絵図を描いて、そこに叩き込むだろう」

「ぐるっと回って、トルーラン将軍と御曹司トルジンが放火犯じゃねぇのか。不正してたのを邪魔されて、とか」

所長デスクでドッカリと鎮座中のモッサァ赤ヒゲ熊男、バーツ所長が笑い出した。

「ひゃひゃひゃ、風紀役人ハシャヤル、同じ穴のムジナさ。あやつ、色々なところから袖の下、ちょろまかしてた。 市場(バザール)は序の口、東方諸国の、あらゆる税関にも手を広げてたぜ。特に金銀宝玉だの鉱石だのはイイ金になったみてぇだな、トルーラン将軍の銭ゲバ介入でな。 しかも経理は一流だったぞ。公的な方面では、1銭の狂いも無く、ケチケチ、ピシーと帳簿つけてやがった」

「良く知ってるんだな」

隊商(キャラバン)スタッフが感歎する。受付カウンターで額を合わせて相談していた地元の商館スタッフと、老いた白茶ヒゲ代筆屋がそろって、訳知り顔で頷いた。

「その辺の金融商の常識だよ。ヤツの帳簿をコッソリ見て、東帝城砦の財務状況を逆算してゆく」

「諜報戦だのう」

――金融商。

アルジーは、到着した代筆依頼状を整理しているうちに、不意に、昨日タヴィスから依頼された、貯金口座の名義変更の件を思い出したのだった。

「バーツ所長さん、ちょっと急用を思い出して……外出して来ます」

モッサァ赤ヒゲ熊男が、赤ヒゲをモサモサさせながら、目をパチクリさせる。

「なんだ珍しいな、痩せっぽちの。どこ行くってんだ?」

「いつもの金融商オッサンのとこ」

「ひゃひゃひゃ、預け入れたばかりのカネ取り戻そうってのか? ヤツもがめついから、一度口に入れたカネは滅多に吐き出さねぇぞ。がめつさ勝負、頑張って来いやあ」

アルジーはターバンを締め直し、荷物袋を肩から下げて、駆け出して行った。

ちっちゃな白文鳥の姿をした《精霊鳥》パルが、いつものように「ぴぴぃ」とさえずって、ターバンの上にポンと腰を落ち着けて来る。 換羽の真っ最中で、尾羽がゴッソリ抜けて、レモンのような姿になっているところだ。

*****

市場(バザール)の通りを、疲れない程度の早歩きで移動してゆく。

多種多様な店が並び、あちこちで人々が興奮気味に噂話をしているのが聞こえてくる。「ジン=イフリート」だの「大爆発」だのという特定の言葉が多い。 あの衝撃的な事件は、たった一晩で、市場(バザール)じゅうに知れわたったのだ。

金融商オッサンの店へと通じる最寄りの角を曲がったところで……

――ギョッ。

アルジーは思わず立ち止まった。「公共水飲み場」に並ぶ水壺の陰に、ササッと身を隠す。

金融商オッサンの店先で、見覚えのある不吉な黄金色の巨体が動いていた。

トルジン親衛隊の一員、迷彩ターバンをした巨人戦士。眉間に黒い刺青(タトゥー)。ギラギラした黄土色の目の、陰湿な風貌をした……確か名前は『邪眼のザムバ』。

巨人戦士ザムバは、左右の腰に手をかけるや、いきなり三日月刀(シャムシール)と戦斧を抜き放った。

人体ほどのサイズの大きな異形が4つ、石畳の間からバッと踊り上がる。

魔性の、ぎらつく黄金。

高速で切り裂く刃(やいば)の音。

噴き上がる、黄金の液体……黄金の血液。明らかに、人類や、その他の常識的な動物の血では無い。

次の一瞬。

巨人戦士ザムバの前後左右に、倍に増えた異形の何かが……ド・ド・ド・ドチャッというような不気味な音を立てて落下した。黄金の血しぶきを撒き散らして。

見てみると、一刀両断された2種類の邪霊害獣。《三つ首ネズミ》2体、《三つ首コウモリ》2体。

魔除けの効果が行きわたる城砦(カスバ)の中では珍しいくらいの、人体サイズほどもある大物。ほぼ、怪物だ。

近所の商館で、複数の隊商(キャラバン)が、相当数のラクダや馬と共に滞在中。それらを狙って、たかって来たものだろうか?

――あの巨人戦士ザムバ、さっきの一瞬で……大型の邪霊害獣、4体、始末したのだ。

商館から感謝の印の討伐金が出るくらいの大仕事だけど。もはや興味が無いという風に、ザムバは戦士の印である迷彩ターバンをなびかせつつ、大股で歩き去る。

そのまま見つめていると、アルジーの視線に気づいたのか、巨体がグルリと振り返って来た……

陰湿そうな黄土色の目がギラリと光る。

――目が合った。

ザムバの口が、笑いのような形に歪み、ねじれていた。異様に長く尖る八重歯がのぞく。

黄金色の肌。油でも塗っているかのように、やけにテラテラとして金属的。

眉間の黒い紋章のような刺青(タトゥー)が、異形の怪物の目のように、不気味に歪み……

…………

……

これは幻覚だろうか。

それとも、不意に波長が一致した、誰かの目を通じた光景なのだろうか。

……忌まわしき気配が充満する空間。ジメジメとしていて暗い。

多数の、神殿めいた荘厳な列柱。

列柱には、数人が立てる程度の結構な台座がある……実際に、暗色の長衣(カフタン)をまとう人々が、あちこちの列柱の台座のうえに佇んでいる。

えたいの知れぬ長衣(カフタン)の人々の足元には、暗い黄金の炎を灯す『魔法のランプ』が多数。全ての列柱の台座に――人影と共に配置された『魔法のランプ』。

――100個、200個という数では無い。『魔法のランプ』は、1000個に近い数があるように見える。

暗い黄金の光がボンヤリと照らし出しているのは、素人目にも高級と知れる石材によって形成された大空間だった。大広間といえるほどの広さに対して、天井は意外に低い。

基底には、どこから洩れて来たのか、タプタプと波打つ水面が闇のように広がっている。 数人ばかり、基底に降りて台座の間を移動していた。その様子を見る限りでは、水深は非常に浅い。くるぶし程の深さも無い。

波打つ水面に浸る部分、すなわち列柱の台座の最下部には、逆さになった大きな人頭の彫刻が施されていた……

――「逆しまの石の女」頭部の彫刻。

地下空間にのみ設置される、特殊な魔除け。此処は、地下空間なのだ。

豊かな銀髪の造形が目を引く。数多の銀色の蛇とも見える。水の中でうねり、逆さになった女の頭部に這い上がって来るような……

古代『精霊魔法文明』に由来する「失われし高度技術」による芸術品。銀色の光沢を持つまでに徹底的に磨かれた、謎の硬い岩石を、彫刻してある。

遠い時代の名工が精緻に刻みあげた、「逆しまの石の女」。その面差しは、闇の底に潜む怪物そのものの禍々しさと……古代の月神のような、絶世の美しさを湛えていた。

グルリと見回すと……この奇妙な大空間は、三つの出入口を持っていることが分かる。

列柱の群れを透かして、わずかに見える端々は、ゆるやかなカーブ。三叉路の交差点に生じた、大きな円形広場のようだ。

列柱に囲まれつつ中心に位置する場に、黄金色の巌根(いわね)そのものを彫り込んだと思しき黄金祭壇がある。 多種多様な古代の怪物を模した禍々しい彫刻が、ビッシリ施されていた。

気分の悪くなるような、重く甘ったるい空気。暗い黄金色の炎を燃やす『魔法のランプ』で、麻薬(ハシシ)を焚いているらしい。 本来は聖火を生み出すための『魔法のランプ』なのに、冒瀆的な使い方だ。

その毒々しくも甘い空気を吸ったせいか……声帯が痺れたかのように動かない。

三日月刀(シャムシール)を持って黄金祭壇の傍に立ったのは、魔導士と思しき黒い長衣(カフタン)姿の人物。

この場を支配する重要な存在……かなり大柄だ。人相は――分からない。骸骨の顔をした黄金仮面に隠されている。

頭頂部が平らになった円筒形の黒ターバンは、見事な宝冠で彩られている。 上半身を覆うほどの丈をした、黒い厚手ベール。毛量は非常にボリュームがあるらしく、垂れたベールを押し広げていた。

古代めいた抑揚の、陰々とした詠唱が流れる。

「九百九十九の夜と昼……」

不意に視界が回転した。

――黄金祭壇に拘束された人物がいる。勢いで、その人物の髪の毛が流れた……《銀月の祝福》由来の、まばゆいまでの銀髪だ。

黒い長衣(カフタン)に宝冠黒ターバンベール姿をした、黄金骸骨仮面の大柄な人物が、三日月刀(シャムシール)を掲げた。毛深い手だ。上段の構え。

黄金祭壇に横たわった銀髪の人物は、絶望の眼差しをして、暗い黄金の光に揺らめく刃を、その先にある天井の黄金彫刻を見つめる……

三叉路――三つ辻に立つ、三つ首《怪物王ジャバ》の、ご尊顔――黄金仮面。

不自然に人間に似た三つの黄金の顔面を、三叉路のそれぞれの方向へ向けて並べた形だ。それぞれの顔面にある双眼は赤々と燃えながら、祭壇のうえの人物を見下ろしていた……

「……三ツ辻に、望みを捨てよ。巌根(いわね)ひとつを、ともにして……」

三日月刀(シャムシール)の刃が落ちた。

ズブリ、ガツン、という嫌な切断音が響く。

豊かな銀髪が乱れ、水面へ散る。主を失った銀髪はすべて、魔法のように水に溶けて……その水面が一瞬、銀月の色をした閃光を放った。

黄金祭壇のうえに横たわっていた死体は、頭と胴体が離れた骸骨と化していた。その死体を焼くのは、黄金の暗い炎だ。

暗い色をした禍々しい炎が、チロチロと赤い血液を舐めるように燃え……

やがて。

不思議にも瞬時に骸骨となっていた死体は、黄金の炎をした闇に、呑み込まれていった。

天井を荘厳する、忌まわしき三つ首の黄金仮面。《怪物王ジャバ》の三つの口がうごめき、陰々とした《精霊語》の音声を生じる。

『九百九十九の夜と昼……』

ジャラジャラという、多数のコインが転がるような音がつづいた。

「九百九十九、来た! 九百九十九の血祭りだ、さぁ、九百九十九の黄金郷(エルドラド)を得たのは、この人だ! 次は千だ! 千は有りや無きや、 丁、半、次の血祭りをこそ楽しみにして、なお威勢よく賭けるが良い!」

ドッと湧き上がる笑い声、奇声、悲鳴――その人の死を、いまかいまかと待ち望んでいた人々の、おぞましいまでの欲望をたたえた眼差しの群れ。

そして……

……

…………

誰かが肩をゆすぶっている。

身体が揺れるたびに、アルジーの耳の下で、ドリームキャッチャー細工の耳飾りが揺れて……

「お客さん、起きてますかー、眠ってる……いや《魔導》か何かで急に気絶? もしもーし、応答せよー?」

誰かの両手が、フニフニと、ほっぺたを摘まみ始めた。

……こけた頬(ほお)で、うまくいってないような。でも、幼い頃にもよくやられた、懐かしい感覚。

アルジーはフルフルと首を振り、目をパチパチさせた。

――私は今まで、何をしていたんだろう?

あれは、恐ろしく忌まわしい白昼夢だったのか? 一瞬、ボンヤリしてしまったのか。

巨人戦士『邪眼のザムバ』は、《魔導札》でも使って催眠を仕掛けて来ていたのだろうか?

「あ、良かったっす。動けますかい」

まぶしい陽光を背にして、のぞきこんで来たのは……金融商オッサンの店の新人スタッフ、赤毛の青年だ。

「え、クバルさん」

みるみるうちに、いまここの、現実の感覚がよみがえって来る。

ターバンから飛び出す無造作な赤毛、底抜けの陽気でズボラな言葉遣いが、今さらながらにホッとさせられる……

周りで、ザワザワした気配が続いていた。

仰天して叫び、走りまわる人々の大声、足音。

――真昼の刻に向かって気温上昇する空気の中……ムッとして異様にうだるような異臭が漂っていた。

邪霊害獣の血の熱気と、におい。

思わずアルジーが顔面を伏せると、スタッフ青年クバルが訳知り顔の渋面になった。

「やっぱ邪霊害獣のヤツ、不快に熱いし、におうっすよねー。あんなデカイ怪物、失神する人は失神するっす。子供たちもヒキツケ起こして。早く店に入って。魔除けも効いてて涼しいすから」

「あ……う、うん」

水壺をつかむ手はスッカリ強張っていた。骸骨の手も同然のそれを、意外に苦労しつつ引き剥がす。血の巡りが遅すぎて、なかなか動作が戻らないのだ。

クバル青年が手を貸して来て、おそるおそる、アルジーの指を一本ずつ、水壺から剥がしてゆく。

「いやー、最初は無理にでも一気に引っ張ろうと思ってたけど、骨と皮じゃないすか、なんか触っただけでも『ポキッ』といきそうで、怖かったすよ」

――そう言えば、クバル青年の手は、羨ましいくらい筋肉ガッツリだ。

アルジーはチラリと眺めて、「おや」と首を傾げた。

「剣だこ……?」

「何でもないっすよ」

急に慌てたように、パパパッと首を振るクバル青年であった。

少し離れた場所から、「ドチャッ・ベチャッ」という風の、不気味にべたついた落下音が、連続で響いて来る。

何処から……見回してみると。

かの『邪眼のザムバ』の大きな姿が、市場(バザール)街路の真ん中を、のしのしと歩き去っていくところだ。宮殿の方向へ。迷彩ターバン、装飾鋲(スタッズ)きらびやかなベスト。

古代の巨人族の末裔――テラテラ黄金肌をした戦士の振るう戦斧が高速で回転し、恐ろしいうなり音を立て続けている。 新しく襲いかかって来た邪霊害獣が次々に一刀両断され、「ドチャッ・ベチャッ」と、路上へと叩きつけられてゆく。

邪霊害獣の死屍累々。黄金の血液にまみれて、いっそうギラギラだ。

まさに『向かうところ敵なし!』を地で行っているところ。

邪霊害獣の死体を、あのまま魔除け処理もせずに放っておくと……怪談を遥かに超えるような、すさまじい事態になるのは確実だ。

早くも近所の人たちが「こっち、こっち」と言いながら、大型荷車を引いて来た人々に道を空けている。

少し離れた角では、いつかも見た子供たちが恐怖に泣きわめいていて、付き添っている母親たちが子供たちを家の中へと引き込んでいた。

近所の商館のほうから大型荷車を引いてやって来た人々の中に、先日も見た隊商(キャラバン)の傭兵たちが混ざっている。助っ人を買って出ていたようだ。

「すげぇ死体じゃねえか! ぐえぇえ、不気味」

「こいつら退治したの誰なんだ? 一刀両断。タダ者じゃ無いだろ」

「これだけデカイの放置して居なくなるなんて、けしからん。何だ、ありゃ、ズラズラと……邪霊害獣の死体は新しい邪霊害獣を呼ぶってのに、こりゃ懲戒処分、謹慎モノだぞ」

「早く神殿に通報しろ! 神官でも魔導士でも構わん、この通り一帯の魔除け処理ができれば」

黄金の血がまだ残っていた石畳の割れ目から、新しい《三つ首ネズミ》が跳ね上がり……察知した傭兵が、三日月刀(シャムシール)を薙ぎ払う。

邪霊害獣の血しぶきが、ギラリと黄金色を反射したかと思うと、即座に真紅の血液となって舞い散った。

白タカ《精霊鳥》の鋭い爪で引き裂かれた瞬間の、邪霊害獣の血液のように。

よく見ると。

傭兵の三日月刀(シャムシール)に、よく見かける《魔導陣》……退魔紋様が仕込まれていた。

三日月刀(シャムシール)の定番の魔除けの力が通じて、魔性の黄金色の血液が調伏され、真紅色の血液に落ち着いたということ。

アルジーが身を潜めていた「公共水飲み場」の水壺にも、退魔紋様がビッシリ焼き付けてある。中に邪霊成分が入らないようにするためのもの。

ぎらつく黄金色だった邪霊害獣の血は、通りの方々の住宅や店舗から流れて来る魔除けの空気と反応して、ゆっくりと真紅になってゆく。 空気接触では、反応は遅くなりがちだ。神官や魔導士の《魔導》の術で、加速・強化されない限りは……

不意に気付くところがあり、ハッと息を呑むアルジー。

あの巨人戦士ザムバ、手持ちの武器に、魔除けのための仕掛けを施していなかったのだ。普通は有り得ない事だ。何故なのかは分からないけど。

……先ほどから、相棒の白文鳥《精霊鳥》パルが、異様に大人しくないか?

害意を感じる人物や、危険な邪霊に対しては、普段は仕舞ってある冠羽を戦闘モードでビシッと立てて行って、うるさい程「ギーギー」鳴くのに。

そうだ。

――思い出してみる限りでは、あの夜も、御曹司トルジンや『自称アリージュ姫』には反応していたけど……ザムバに対しては、反応していなかったのではないか。

金融商オッサンの店に入りながらも、そっと、パルが居る辺りの、ターバンのてっぺんに手を入れる。

先に入って接客カウンターの仕切りを開閉していた赤毛スタッフ青年クバルが振り返り、不思議そうな顔をした。

「どうしたっすか?」

相棒の白文鳥《精霊鳥》パルは、アルジーの手の中で、カチカチに固まっていた。

雪花石膏(アラバスター)の彫刻みたいに、ピクリとも動かない。クチバシも真っ白。冠羽は警戒モードで、ピッと立てたままになっている。

「なんじゃ、こりゃ……ピヨピヨ『いちご大福』ちゃん、置き物に……? っつーか、本物の置き石で彫刻? あの邪霊害獣と、何かあったすか?」

スタッフ青年クバルがビックリした顔で、ツンツン、つつく。反応しない。

「こんなこと、初めて。何が起きてるのか、私にも分からなくて……」

「えーと……あ、あれ何か悪いのが入ったすか? あそこのドリームキャッチャー護符、光ってる……」

クバル青年が指差す壁を、パッと振り向く。

定番の店内インテリアとして吊り下げられてある、お手頃サイズの魔除け用ドリームキャッチャー。定番の紅白の御札、『商売繁盛』や『交通安全』も吊り下げてある。

……網目の中央部の《精霊石》が、あざやかな真紅色に燃えていた。

やがてキラリと瞬き……《火の精霊》の炎が消える。

「あ、あれ? パル、気が付いた?」

手の中で、ふわもちの感触がよみがえっていた。

雪花石膏(アラバスター)の彫刻と化していたパルが、薔薇色に戻ったクチバシをパカッと開いて、ポカンとしている。

パルはアルジーの顔を見るなり、興奮したように「ピピピ、チチチ」と鳴きながら、グルグル飛び回り始めた。

『アリージュ、アリージュ、この間の夜みたいに、スゴイ《魔導陣》で行方不明になったと思ったよ、アリージュ』

何だか、前にも、同じパターンの出来事があったような気がする。

急に押し寄せて来る疑惑の黒い雲と、不安。

覚えている限りの記憶を……呼び戻す。2年前の。

御曹司トルジンから放逐された、あの夜。

パルは、後を付いて来なかったのでは無く……いつものように後を付いて来ようとしたけど、《魔導陣》に妨害されて、 一時的に置き石に変えられたりして、後を付いて来れなかった――という状況だったに違いない。

2年前の夜、あんなタイミングで、誰が都合よく、問題の《魔導陣》を発動したのか。

そして、いま、誰がパルを雪花石膏(アラバスター)の彫刻のようにして固めたのか。きっと2年前も、こうやってパルを固めていたのだ。

精霊をガチガチに固めて動けなくする《魔導陣》……ゾッとする。

生前オババ殿が教えてくれたところによると、その種の《魔導陣》は、物理的な接触が必須になると言う。ほとんどの場合は《魔導札》をこっそり食べさせたり、貼り付けたりする。 《魔導札》を特別な方法で燃やして、その呪われた空気を吸わせたりとか。

まして、ちゃんと訓練を積んだ霊媒師の護符が取り巻いている状態であれば、なおのこと……その護符をすり抜ける必要がある。感度の鋭い、霊媒師の目を盗んで。

一番、可能性があるのは。共通しているのは。

その場に居て、一連の流れを見聞きしていた陰湿な風貌の、眉間に黒い刺青(タトゥー)を持つ黄金の巨人戦士『邪眼のザムバ』。

でも。

あの巨人戦士ザムバは……戦闘技術はすごいけど、金の縁取りの付いた黒衣の魔導士じゃない。

魔導士であれば、男・女いずれであっても、霊媒師と同じように、ジャラジャラとなる程の多数の護符を装着している。

ザムバ自身が《魔導陣》や《魔導札》を作成することは無い。きっと。やるとしたら、運び屋のほう。

……《魔導陣》は邪霊も一緒に扱うものだから、魔除けがあると都合が悪い。物理的に接触してしまうと、相殺し合って、効果が消えてしまう。 巨人戦士ザムバが、普段から、運び屋として《魔導札》を持ち運んでいたのなら、魔除け効果の無い武器を持っているのは、説明がつくけど。

魔除け効果の無い武器。とんでもなく強力な謎の《魔導陣》――

――ザムバの目的って何だろう?

この東帝城砦を、邪霊害獣でいっぱいにすることなのか……いつでも好きな時に、あんな風にギタギタにして楽しめるように?

風紀役人ハシャヤル氏が死亡した、爆発炎上の現場にも居た。野次馬として……野次馬として見かけたけれど、実際は、ハシャヤル殺害犯の可能性もあるのだ。 火事現場を、笑いながら見ていた。検討すればするほど怪しい。

パルの《精霊語》が通じないクバル青年のほうは、白文鳥《精霊鳥》の激変を唖然と眺めているのみだ。

「なんじゃ、元気そーですね。あぁもう、ビックリしたっすよ。不思議な変化するっすねえ、《精霊鳥》って」

スタッフ青年クバルは、テキパキと営業カウンターに入り、業務記録帳を取り出した。

「今日は、頭取オッサンも番頭さんも、朝一番で役所に呼びつけられていて、不在なんす。夕方ごろには戻るっすかなーと思いますが。お客さん、今日のご用件は何すか?」

「あ、忘れるとこだった。いまはこっちが最優先だった……貯金口座の名義変更っての、しようかと思って」

「そりゃあ、頭取オッサンと番頭さんの業務すね。オレはそっちの資格を持ってないんで『立ち合い』までなんすよ。えぇと、じゃあ、申込書だけでも」

「貯金口座を設置していた時に、名義変更に関する別紙の覚書とかが、あったような気がする。《精霊文字》の契約書とか……うろ覚えだけど」

「そんな書類あったすか。だったら鍵のある書庫かな。探してみるっすね」

クバル青年は、接客カウンターと連続している書庫カウンターへと移った。店頭での接客の際に使われる書庫を開錠し、ゴソゴソやり始める……書類探しは意外に難航した。

何らかの《隠蔽》を使っているのか、なかなか見つからないのだ。金融情報は厳重に管理するものだから、当然なのかも知れないが。

スタッフ青年クバルが、鍵つきの書庫の前で、すぐに音(ね)を上げた。

「ごめんなさい、お客さん《精霊文字》読めるんでしたっけ。探すの手伝ってくれます? 此処から此処までの書庫、全部《精霊文字》の御札で封印が掛かってて、何が何だか。 オレが分かるの、『交通安全』『商売繁盛』のヤツだけなんすよ」

「犯罪スレスレじゃない。私が強盗や忍者だったら、どうするのよ」

「本物の強盗や忍者は、そう言わないすよ。へへッ」

かくして、過剰に融通の利くクバル青年とゴソゴソする事になった、アルジーであった……

…………

……

金融商の店の前に影が差す。

つつましい濃色ベール姿の中年女性が入店して来た。

赤毛スタッフ青年クバルが気付き、素早く接客カウンターへ移動して、ピョコッと顔を出す。

「ご来店ありがとうございます、お客様。ご用件は何でしょうか」

「為替の換金を。こちら書類ね」

「ご確認させていただきます。えぇと、風紀役人ハシャヤル夫人ギュネシア様。承知いたしました……」

カウンターの陰で……アルジーは、ギョッとしていた。

――あの異常な爆発炎上の事件で死体になった、風紀役人ハシャヤル氏の……奥さん。

赤毛スタッフ青年クバルは、手慣れた風で、秤(はかり)で貨幣を数え出した。

「ご指定の金額はこちらとなりまして……あれ、なんだか金額が多いですが、お間違いないすか」

「ええ、間違いないわ、ありがとう。急に物入りになったものだから」

「本日はご利用ありがとうございました」

意味深な客が立ち去った後、クバルとアルジーは顔を見合わせた。

白文鳥《精霊鳥》パルが意味深にさえずっている。

「昨日、すごい死に方で、神殿の風紀役人ハシャヤル氏が亡くなったって聞いてるっすけど……」

「あの奥さん、意外に平静だね……?」

その次に。

近ごろ見た――此処の店先で両替していた隊商(キャラバン)の――2人の男性が入って来た。

1人は迷彩ターバン姿の傭兵。戦士の定番、体格のほうも、よく鍛え上げられている。もう1人は雑用スタッフらしい濃紺の覆面ターバン姿。良家のご令息なのだろうという育ちの良さが感じられる。

「へいっす。ご来店ありがとうございます」

赤毛スタッフ青年クバルの、気の抜けたような接客の有り様を面白がったのか、熟練の戦士が「ぶふぉぅ」と吹き出した。 濃紺の覆面ターバン青年のほうは目をパチクリさせた後、頭を押さえて、ヤレヤレと言わんばかりの格好。

「お得意さんの用件が先なんで、その辺でお待ちくださいっす」

「ふひははは……! 了解、ハハハ! まぁ、こっちも表通りの邪霊害獣の処理でヘトヘトだから、休憩させて頂きますよ」

新しい来客2人は、ドリームキャッチャー護符が吊られている壁際のベンチで水筒を開け、くつろぎ始めた。 機密保護の必要な書庫カウンターとは、細かい透かし細工の衝立で、適切に仕切られている位置にある。

――彼らは、邪霊害獣の死体を片付ける助っ人として、出て来ていたのだ。アルジーは納得したのだった。

不気味なテラテラ黄金肌をした巨人族の末裔が立ち去った後、何か起きていただろうか?

先ほどの凄まじい光景が気になるままに、アルジーは、新しい来客2人へ声を掛けた。

「あの巨人戦士ザムバ、向かうところ敵なしって風だったけど。ざっと見ただけでも50匹ぐらいは、バラバラにしてたよね?」

「まさに死屍累々だったですね。200匹くらいはバラしていた模様です。こっちの通りの退魔調伏の処理は終わったけど、あっちの通りは、まだまだでしょう。長い1日になりそうです」

迷彩柄の戦士ターバンを巻いた傭兵はゴクリと水を飲み、少しの間、ギュネシア奥さんが歩み去った先を眺めた。

「さっきのご婦人、巷で噂の風紀役人……驚きの死を遂げたハシャヤル氏の、奥さんでしたかね」

アルジーは目をパチクリさせた。

「もう知れわたってるの? 情報が早いね。私なんて、さっきまで人相も知らなかったのに」

「や、その筋では、すっかり有名人ですよギュネシア奥さん。さっき、広場の少年少女探偵団っていうか、ませた子供たちが、ギュネシア奥さん浮気してんだろう、って噂してましたよ」

「ほほう、浮気っすか?」

書庫カウンターに潜り込んで書類探しを再開しながらも、赤毛スタッフ青年クバルは聞き耳を立てている格好だ。

――好奇心バリバリになるのは、うん、良く分かる。

アルジーも書庫を順番に確認しつつ、耳を傾けていたのだった。

戦士ターバン姿の傭兵は人の話を聞き出すのが上手らしい。「聞いた話だけどね」と言って、興味深い話がつづいてゆく。

「風紀役人ハシャヤル氏、万事ケチケチしてたそうで。家庭でもケチケチしていて。夜のほうも、えぇと、ゴホン、ケチケチしたんだろうって、ませた子供たちが実に直接的な表現で指摘してましたよ。 油断ならないくらい、子供たちって、物をよく見てますね。まあともかく、それで、奥さんとしては耐えかねて浮気を……という推理になってましたね」

「それはそれで納得する、確かに。彼女、美人っぽいし、まだまだイケそうな雰囲気だし」

アルジーは頷いた。

何故か、赤毛スタッフ青年クバルは、アルジーが平然としている様子に、口を引きつらせていた。

濃紺の覆面ターバン姿のスラリとした青年の方も、下世話な内容が苦手な様子だ。新たに始まった頭痛を抑えているかのように額に手を当てているのが、透かし細工の衝立を通して伝わって来る。

戦士ターバン姿の傭兵は、ガッシリとした腕を組んで、思案の姿勢になった。

「問題は、風紀役人ハシャヤル氏が、奥さんの浮気に気付いてたかどうか、でしょうかね。万事ケチケチしてたのなら、浮気されるたびに、 損害を1銭も洩らさずキッチリ計上していても不思議では無いですし。損益分岐点を突破したタイミングで離縁……という事例は、帝都では割と見かけます。 離縁される前にと、妻が夫の暗殺を企てた……というのは、アリでしょうね」

「成る程……」

言葉少なに、濃紺の覆面ターバン青年が呟いた。アルジーも同感だ。

――可能性はある。

根拠は弱いけど。

聞いた話の内容を思案しつつ、書庫カウンターに並ぶ鍵付き書庫を、順番にゴソゴソやっていると。

やがて。

鍵付きの書庫から、『シュクラ・カスバ』と記された文箱が出て来た。《精霊文字》の御札で厳重に封印されている。

パルが興奮したようにパッと飛び上がった。赤毛スタッフ青年クバルが取り出した文箱に突進し、ふわもちな白文鳥の身体がポンポコ弾む。

戦士ターバン姿の傭兵と、濃紺の覆面ターバン青年が、興味津々で、クバル青年とアルジーの様子を窺い始めた。

クバル青年とアルジーが作業を始めた書庫カウンターとは、透かし細工の衝立で仕切られていて、「だいたいの動作や音声は分かるが、直接の盗み見は難しい」という程度の機密保護がある。

赤毛スタッフ青年クバルは、『シュクラ・カスバ』文箱を持ち上げ、色々な方向から眺め始めた。

「この文箱、黒ダイヤモンドの《魔法の鍵》で機密施錠されてるヤツっすね。どうやって開けるんすかね」

「あ、これ大丈夫だ。オババ殿が霊媒師として契約してた精霊の署名を使うんだけど、私の署名でも開くようになってる」

アルジーは早速、いつも持ち歩いている仕事道具の羽ペンとインクを取り出した。文箱の帯となってグルリと封印している《精霊文字》御札の、所定の場所に署名する。

すると、封印用の《精霊文字》御札が、真紅色の光に包まれた。少しの間、真紅色の光が何かを確認しているかのようにチラチラと揺らめいた後、『よろしい』と言うかのように、パッと消える。

文箱の蓋(フタ)に描かれていた精巧な「黒い鍵」の絵が、立体化した像となって浮き上がった……それは、速やかに実体化した。

赤毛スタッフ青年クバルが目をパチクリさせ、それをつかむ。

「……《地の精霊》が変身した鍵っすね。黒ダイヤモンド装着マスターキーに対して、子鍵のほう……」

鍵を文箱の鍵穴に突っ込んで、回す。

封印が解除された。《精霊文字》御札を使った封印用の帯がゆるんで解け、カチリと音を立てて蓋(フタ)が浮く。中の書類が見られるようになった。

同時に、文箱にセットされた開封記録スペースに、『X年X月X日付、開封3回目、開封者は以下の者である』という《精霊文字》が、《火の精霊》の力によってズラズラと焼き付けられていったのだった。

「……『開封者は以下の者である。現シュクラ王統の第一王女アリージュ姫』……へ、お客さん、アリージュ姫の名を使って精霊契約してたんすか?」

「あれ? さっきは《精霊文字》読めないって言ってなかったっけ?」

スタッフ青年クバルは、頬(ほお)をコリコリとやりながら、照れたような笑みを見せた。

「金融の契約で使われてる初歩的なヤツなら、何とか分かるっすよ。頭取オッサンや番頭さんにしごかれたんで」

衝立の向こう側で、何故か、戦士ターバン姿の陽気な傭兵が「ぶふぉぅ」と妙な音を立てている。吹き出し笑いを抑えているような音だ。

アルジーは、相棒の白文鳥パルを見やった。

白文鳥の姿をした《精霊鳥》は、のんびりと羽づくろいしていて、特に警戒の反応は無い。

彼ら2人は、金融商オッサンや番頭さんが信頼しているクバル青年と、同じ程度には、信頼できるのだろう。 シュクラ・カスバの年配男タヴィス氏を、白タカ《精霊鳥》シャールが信頼していたのと同じように。

衝立の向こう側――壁際のベンチで、迷彩ターバンの傭兵と濃紺の覆面ターバン青年がボソボソ会話している気配が続いた。

やがて、傭兵が「ゴホン」と咳払いし、衝立越しに質問を投げて来た。

「城砦(カスバ)の自治をあずかる王侯諸侯ともなると、臣下の誰かが代理人となって、お名前お預かりして代行するのもあるって聞きますけどね。 手前さんはアリージュ姫の代理で、本物は、宮殿のほうで傾城の美女してる銀髪のアリージュ姫ですかね?」

「あぁ……色々あって。でも銀髪そんなに有名? 宮殿に居るアリージュ姫、あちこちでベール外して髪を見せてるってこと?」

「此処の頭取オッサンに聞いたけど、知り合いの役人いわく、宴会のたびに盛大に見せびらかしてるとか。御曹司トルジンの妻自慢ですね。 でも、ハーレムでお馴染みの、ドロドロ恋愛の噂もあって……クバル君も聞きましたよね、あの超絶ショッキングな噂」

赤毛スタッフ青年クバルが、顔をしかめて応じている。いかにも気になると言う風だ。

「アリージュ姫が、御曹司トルジンが急病とかで七日七晩くらい引っ込んでた時、トルーラン将軍の寝室に入り浸ってたって話っすね。入り浸って何してたんすかね」

――頭痛がして来た。

何とも、イワク・イイガタイ。

同じ名前をした女が入れ替わって来て、かつて自分が居た場所で、自分よりもずっと美人で華やかな姿で、派手にやっているという状況は……

「あの塔の部屋は軟禁仕様なのに、ステキとか何とか抜かしてたんだよね、あの正体不明の銀髪グラマー美女。 バルコニーのとこは、オアシスが見えたし、見張りの目を盗んでロープ垂らして市場(バザール)へ抜け出せる状態だったから、そこだけは気に入ってたけど。でも、あとは……」

今でも苦い怒りが湧き上がって来る。

いつしか、あの夜の時のように、アルジーの手が震えていた。

クバル青年が「おや」という風に首を傾げ、真面目な顔で、アルジーの眉間に手を触れる。

「失礼するっす。そんだけペラペラ皮膚なのに、よくシワが出来たっすねぇ」

一瞬、どちらからともなく、吹き出し笑い。

衝立のほうから、再び傭兵の不思議そうな声音が降って来た。

「じゃあ、あの宮殿に居るほうの、銀髪のアリージュ姫って誰なんでしょうかね」

「トルジンと一緒に、塔の部屋に押し掛けて来た時に、チラッと見ただけだから……自称『本物のアリージュ姫』ってこと以外は知らないね、さすがに。でも大金持ちっぽいよ。高価な香水とか」

「人質の塔の部屋に押し掛けて来た? 香水ですと? その銀髪アリージュ姫、香水を着けてるんですか?」

「うーん、覚えてる限りでは、豪華絢爛な……商品名『バビロン』かな。あれ以上、傍に来てたら、頭痛がして気分悪くなってたかもね」

これでも亡きオババ殿に10年以上「シュクラ第一王女」として鍛えられた身。宮廷社交に必要な知識は、ほぼ心得ている。

衝立の向こう側から、迷彩ターバンの傭兵と濃紺の覆面ターバン青年、2人とも絶句している気配が伝わって来る。

どうも、あの「2年前の放逐された夜」に何があったのか、彼らは興味を持っているらしい……そして、放逐された側の主張を、それなりに検討しているらしい。

この話を聞いた人は、皆が皆、「良くできた作り話だ」と笑うのに。

――何故?

よぎった違和感は、相棒パルの『名義変更を急がないとね、ピッ』というさえずりで雲散霧消した。

アルジーは気を取り直し、慎重に蓋(フタ)を上げた。『シュクラ・カスバ』文箱の中の書類を改める。

相棒の白文鳥《精霊鳥》パルは、この種の契約書をスッカリ心得ている様子で、必要なページに来るたびに「ぴぴぃ」とさえずって教えてくれたのだった。

「あ、この文書が名義の変更契約書になってる。変更先の名義も書き込んでおくから、後でオッサンと番頭さんによろしく伝えてくれる?」

「勿論っすよ、こっちのアリージュ姫さん。ほー、『オリクト・カスバのローグ』。何となく聞いた事あるような」

「結構、有名人だったりするの?」

「どうだったすかねぇ」

そう言っている間にも、貯金口座の名義変更契約書への書き込みが完了した。

赤毛スタッフ青年クバルは、各種手続きの済んだ書類を『シュクラ・カスバ』文箱に収める。

カチリと音を立てて、自動的に黒ダイヤモンドの封印が掛かった。手際よく封印用の御札の帯を締め、鍵付き書庫へと押し込む。書庫そのものの施錠は、普通の鍵のほうだ。

「これでよし。それより、香水『バビロン』を着けてた『自称アリージュ姫』って、ほかにも何か持ってたすか? 全身、オリクト・カスバ産出の宝石だらけとか?」

「ん? 全身ギラギラしていたけど、オリクト・カスバは、宝石よりは鉱物とか《精霊石》とか……あ、確か、御曹司トルジン、ターバン装飾石に、やたら大きな黒ダイヤモンド使ってたっけ。 幾らくらいになるんだろ、アレ」

「黒ダイヤモンドすか? あの夜の、御曹司のターバン装飾石は確か……?」

「いや、確かに見事な黒ダイヤモンドだったよ。六角形の亀甲カットで、これくらい」

アルジーが両手の指を組み合わせて形を作って見せると、赤毛スタッフ青年クバルは目を丸くしたのだった。

「ほへぇ。最高額の帝国貨幣、大判くらいあるっすね」

濃紺の覆面ターバン青年の、訝しそうな声が聞こえて来る。

「7年くらい前に紛失したっていう、特別な黒ダイヤモンドと同じくらいじゃないか?」

「帝都の金融商の間で大騒ぎになってる案件ですね。まさか……」

衝立の向こう側で、戦士ターバン姿の傭兵と、濃紺の覆面ターバン青年は、訳ありな様子で顔を見合わせていたのだった……

*****

気が付いてみると。

思いがけず話が弾んだお蔭もあって、金融商オッサンの店で意外に時間を食っていた。

アルジーが帝国伝書局・市場(バザール)出張所に詰めるバーツ所長へ帰還報告を告げたのは、昼食の刻を少し過ぎてからの事だ。

モッサァ赤ヒゲ熊男バーツ所長が検算5回目のソロバンをはじきつつ、ハーッと疲れたような溜息をついた。

「まぁ何だ、残業しない程度に、テキトーに頑張れや。トルーラン将軍、残業代は出してくれねえしな。それに、ここんとこ帝都との為替取引の合計が合わねえんだよ。 東帝城砦の何処かで、吸い取られてるような気がするぜ」

――早速、ピンと来るものがある。

刻み料理の野菜類を詰めた、野菜豆大福――南方料理「肉まん」「野菜まん」等をアレンジしたもの――をかじり、同時に代筆文書を作成しつつ、アルジーは口を出した。

「金融商で小耳に挟んだ話だけど、トルーラン将軍が、東帝城砦から出て行くカネの流れを停止する、っていうのがあったと思う」

「ぐおぉ。あのクソ東方総督よぉ」

「その項目を入れて再計算した方が早かったのう、バーツ所長さんよ」

隣の作業机でせっせと代筆文書を積み上げていた金髪ミドル代筆屋ウムトが頭を抱え、最高齢の白茶ヒゲ代筆屋ギヴ爺(じい)が呆れたように突っ込む。

待合スペースの午後の常連客、市場(バザール)の方々の事務所スタッフや店舗スタッフなどの依頼人たちが、口々に喋り出した。

「財務上のカネの出入りと言えば、ついこの間、トルーラン将軍、目下の一大国家プロジェクト……という帝都の上流の砂防ダム工事に食い込むの、失敗してんだよな、何故か」

「ドエライ金額バンバン動いてるんだよな、あの砂防ダム工事。帝国の方々の、鉱山持ちの城砦(カスバ)が関与してる。 トルーラン将軍、賄賂を散々使って、国土建設大臣フォルード閣下に交渉の窓口を務める特命事務官を派遣して頂いたとか、得意になって吹きあがっていたそうだが」

「あ、あれかね? いつだったか……あ、御曹司トルジンが七日七晩『もげた』頃か。帝都から来た、その特命事務官が、何故か、妻・従者ともども急に予定を繰り上げ、 東帝城砦を出立して行ったとか。表敬訪問も無しで」

「国土建設大臣フォルード閣下は偶然にもオリクト・カスバ出身だし、あの城砦(カスバ)は東帝城砦の管轄内。条件は悪く無い筈なんだ。不思議な話だね」

「トルーラン将軍と御曹司トルジン2人とも、あるいはどちらかが、帝都から来た事務官を、 急に怒らせるようなことしたんじゃねぇか? 事務官の奥さんを娼館に連れ込んで、夜の情事『よいではないか、よいではないか』『あ~れ~、お代官様ぁ』とか、やらかしたとか」

「まさか、そんな恐ろしく無礼な話……ブルル、無さそうで有りそうな気がするぜ」

デスクのほうで、モッサァ赤ヒゲ熊男バーツ所長が、別の書類に細かい数字を書き込みつつ……本物の熊であるかのように、うなり始めた。

「トルーラン将軍のヤツ、毎度の強欲と不正で、東方総督の権限で色々不正な干渉とか工作員を突っ込んでるらしいからな。宮殿のその筋の怪しい噂だから、 我々、下々のモンまでは正確な内容が出て来てないんだが。上のほうで、疑獄だか何だかで、オリクト・カスバその他の城砦(カスバ)と揉めてるって噂があるんだよ」

手際よく代筆文書1件を終わらせ、アルジーは野菜豆大福をくわえてモグモグ、ゴックリとやりながら、バーツ所長のボヤキに反応した。

「揉めてるって?」

「あぁ、オリクト・カスバなんかは、不正の摘発、マジで容赦ないって言うでよぉ」

金髪ミドル代筆屋ウムトが解説し始めた。非常勤とは言え神殿の門番。その筋の詳しい内容を小耳に挟む立場にある。

「オリクト・カスバ産の鉱石や《精霊石》を盗んで、更にコロシに手を出してたら、即、首チョンパ。 最近、トルーラン将軍と御曹司トルジンが、戦争でもおっぱじめそうな、えらい勢いで親衛隊を増強してるのは、オリクト・カスバの怒りの鉄槌が怖いからって噂も聞くでよぉ。ホントかね」

「オリクト・カスバの人たち、基本的にあまり怒らない民族だと思うけど……」

首を傾げるアルジーであった。

アルジーの幼い頃の記憶にあるオリクト・カスバの人々は、まず、オリクト・カスバから輿入れして来ていた穏やかで賢明なシュクラ王妃様と、その王妃様の実家筋の血縁、ローグ様だ。 シュクラ王国で三つ首の巨大化《人食鬼(グール)》が発生した時も、オリクト・カスバの戦士たちが討伐軍に加わって防衛してくれたのだ。

ギヴ爺(じい)がモワモワとした白茶ヒゲを撫でながら、のんびりと呟く。

「今回の火事、オリクト・カスバの暗殺者による『風紀役人ハシャヤル首チョンパ案件』も、アリじゃのう。 ハシャヤル氏、黒ダイヤモンド密輸にも手を出してたのかのう。コロシまで行ったかどうかまでは謎じゃが」

アルジーは首を振り振り、羽ペンを黒インク壺に浸した。指先は既に黒々とインクにまみれ、野菜豆大福にもインクが染み込んで「墨汁大福」さながら。用意した布巾は、文書を汚さないための物だ。

ハシャヤル殺害事件について、アレコレと意見を交わしつつ、代筆文書の注文を片付けていって……

…………

……

いつしか夕方の刻だ。

作業に、ひと区切り付き。

代筆文書の内容を、スタンバイしていた依頼人たちに確認してもらい、誤字脱字ナシの確認署名を作業記録ノートに頂く。

伝書バトによる郵送が必要な分については、順番に伝書筒に詰め込んで、伝書バトにくくり付ける。担当は中年の女性局員だが、彼女は夜勤明けで居ないため、アルジーが臨時の担当だ。

文書入りの伝書筒をセットした伝書バトたちは、翌日、日の出と共に飛び立つ予定である。

伝書バトが1日で到達できる近隣諸国の城砦(カスバ)中継所まで、文書を届けるのだ。 行き先ごとに伝書バトの分岐リレーを繰り返し、帝都へ行くのもあるし、帝国の反対側にある西帝城砦まで行くのもある。

なお、白タカ《精霊鳥》は多数の城砦(カスバ)をスキップして飛んで行く特急便だ。

白タカよりも更に大きい、超高速の白ワシ《精霊鳥》であれば、たった1日……あるいは数刻ほどで、帝都まで、確実に到達する。

ただし、鷲獅子グリフィンとも称されるような、大型の白ワシ《精霊鳥》を扱える鷹匠は極めて少ない。 三つ首の巨大化《人食鬼(グール)》にも対応できる、強力な戦力としての存在のほうが大きく、帝国軍が独占している状態である。

最後の文書の束に差し掛かったところで。

新しく代筆文書を依頼する人がやって来た。今度は商館スタッフでは無く、役人だ。

5人ばかりの近所の事務所スタッフが振り返り、神殿の事務官であることを示す聖火紋章入りの真紅の長衣(カフタン)を確認して、困惑顔をする。

「神殿のお役人さん、済まんが先着順で頼んでやす。割り込みはナシでお願いしやす」

「あぁ、急ぎの用件じゃ無いのでね、こっちで待たせていただくよ」

――聞き覚えのある声だ。アルジーのターバンの中に潜り込んでいた相棒パルも気付いたようで、ピョコ、と動く。

金髪ミドル代筆屋ウムトが「あれ」と声を上げた。

「よぉ久し振りだな、神殿の事務局、経理担当ゾルハン殿だったっけか。この間、見知った顔の神殿の経理スタッフが酒場で愚痴ってて、 東方総督からの神殿向けの予算がえらく少ないし、金庫の中も減って大変だと小耳に挟んだが、どうなんだ実際」

「まぁ、それなりにボチボチやってますよ」

――何だか聞いた名前のような気がする、ゾルハン殿って……

次の伝書バトに伝書筒をくくり付けたところで、アルジーは、そちらを見やった。

真紅の長衣(カフタン)をまとった中年男。細かい数字に強くて神経質そうな、よく見かける中堅役人という雰囲気。

――目が合った。

神殿役人ゾルハンが真紅の長衣(カフタン)を整え、目礼を返して来る。不思議に親近感がある……外見的な要素のどこかが、そう思わせるのだろうか?

「昨日、聖火神殿で会いましたね、代筆屋くん。『瞑想の塔』の爆発炎上はビックリでしたよねぇ。体調は大丈夫でしたか」

「あ、えーと。まぁ。なんか、すぐに失神しちゃって」

「見るからに栄養失調が原因ですね。ちゃんと食べんといかんですよ、若い子は。そういえば、私の知り合いのタヴィス殿と親しいようですが、どういった関係で?」

「親しいって訳でも……初めて会った人だし」

「ふむ。彼には気を付けないといけないですね」

神殿役人ゾルハンは、神経質そうな細い顎(あご)に手を当てて、思案顔になった。

「タヴィス殿はシュクラ・カスバの人で、あちらでは割と指導者的な立場の人なんで、要注意人物になってるんですよ。 今のところ、トルーラン将軍の命令どおり定期的に税金納付の報告書を提出して来ていますし、『アリージュ姫』の新しい別荘の工事でも目立った動きはしていませんが。 まぁ反乱の計画を立てていることが分かり次第、即、逮捕および投獄ですしね」

金髪ミドル代筆屋ウムトが、ガシガシと頬(ほお)をかきつつ、突っ込んでいる。

「しっかし銀髪の傾城の美女アリージュ姫、すげぇ贅沢好きだねぇ。しかも何だ、ありゃ、シュクラ・カスバから来てる人たちを、タダ働きさせているも同然じゃねぇか。 そのタヴィスとか言うヤツ、よく怒らねぇな?」

「そのうち反乱を起こすだろうと、トルーラン将軍は言ってますね。改めてシュクラ・カスバを制圧し、昔の成功をもう一度……ということかも」

――トルーラン将軍と御曹司トルジン、いつか、この足で、ジン=イフリートの火災旋風の真ん中に蹴り込んでやる。

アルジーはうつむき、重なる怨念に手を震わせながら、伝書バトに伝書筒をくくり付ける作業に集中したのだった。

伝書バトのほうは、ただならぬ殺気を感じたのか、無言でフルフル震えていたようだが……

やがて、伝書バトと代筆文書の待ちが解消した。

最高齢の白茶ヒゲ代筆屋ギヴ爺(じい)が、興味津々と言った様子でアルジーを振り返り、呟く。

「あの『瞑想の塔』の爆発炎上ならびに殺人事件、話はどこまで行ってたかのう」

「3人の容疑者が考えられるってところまで」

「汚職範囲、絶賛、拡大中の風紀役人ハシャヤルじゃが。殺意を抱く可能性のある容疑者が、此処まで多かったとは思わなんだ。悪いことはできんのう」

白茶ヒゲ代筆屋ギヴ爺(じい)と金髪ミドル代筆屋ウムトが、交互に整理した項目を並べ始めた。

「その1、浮気疑惑アリのハシャヤル夫人ギュネシア殿が、離縁される前に……と、暗殺したのか」

「その2、金欠旦那ワリドが、カネの怨みで爆殺を仕掛けたのか。ついでにスージア奥さんも事故死させることで、趣味の賭博よろしく一石二鳥を狙っていたのか」

「その3、黒ダイヤモンド汚職の件で、オリクト・カスバから首チョンパ指令を受けた謎の暗殺者にして工作員が居たのか」

神殿役人ゾルハンの方は、「容疑者その1、その2、その3……?」と、ポカンと耳を傾けていた。

居合わせている常連の依頼人たちも、用件が済んで手が空いた状態だ。興味津々で耳をそばだてている。

バーツ所長がモッサァとした赤ヒゲをしごきつつ、歪んだ笑みを浮かべる。

「聞くところだと、見事な殺しっぷりだったそうじゃないか。このバーツ様としては、『オリクト・カスバの首チョンパ』に1票、入れたいね。 ついでに東方総督トルーラン将軍も、コッソリと、ただし派手に処分いただきたいもんだ」

「穏やかじゃない殺し方を妄想してるな、バーツ所長さんよぉ。さっきの殺気は所長のモンだったのか」

金髪ミドル代筆屋ウムトが、神殿役人ゾルハンの代筆依頼状を眺めつつ、代筆作業を始めた。口と手が別々に動くのは、長年の修練の賜物。 神殿役人ゾルハンのほうは、戸惑ったような顔で、バーツ所長に目をやっている。

モッサァ赤ヒゲ熊男バーツ所長は、そろばんを振り回しつつ、背もたれにドッカともたれた。6回目の検算で納得いく結果になった様子である。

「ここ最近の趣味だからな、ひゃひゃひゃ。城下町の半分が『トルーラン将軍を圧倒的に殺害する』という共通の趣味に没頭してる筈だ。東方諸国の城砦(カスバ)の経済停滞という危機が迫ってる」

帝国伝書局・市場(バザール)出張所の出入り口に、夕陽に照らされた人影が立った。2人。

新しく現れた2人は、いずれも神殿の関係者だった。

金縁を施した真紅色の長衣(カフタン)をまとう聖火神殿の役人――調査官。護衛として随行して来た衛兵。こちらは赤茶色のターバンと長衣(カフタン)。

「東方総督の殺害が趣味とは、本官としても聞き捨てならんな」

聖火神殿の調査官が渋い顔をした。モッサァ赤ヒゲ熊男バーツ所長と同じような、中堅年代の男。その堂々とした鋭い眼差しは、賄賂や袖の下など通じそうにない、と諦めさせる雰囲気タップリだ。

赤い吹き流し付きの大斧槍(ハルバード)を携えて随行する衛兵は、目を白黒。

次の瞬間。

――ドスン。

表の街路をふらつきながら歩いていた無精ヒゲ男が、衛兵にぶつかって、よろめいていた。

「うお、あぶねえ。こんな時間から酔っ払いか?」

衛兵はとっさに受け身を取りつつ、大斧槍(ハルバード)の長い柄で、無精ヒゲ男を取り押さえる。ドタン、と倒れる音。

「わ、すごいアルコール臭」

ウッと来るアルジーであった。急に気分が悪くなるのは、いつものこと。

所長を務めるモッサァ赤ヒゲ熊男の素早い対応は、手慣れたモノ。

「此処で倒れるな食ったモノ戻すな便器(オマル)じゃ! クッション! 側溝!」

…………

……

アルジーが、バーツ所長から押し付けられたクッションと便器(オマル)を抱えて、裏の側溝でウンウン言い出した頃。

出入り口のほうでは、酔っ払い無精ヒゲ男への尋問が始まっていた。

「ややッ、コイツ、目下の容疑者その2、スージア奥さんヤジド坊ちゃんと別居中の、旦那ワリドじゃのう」

「彼が目下の、容疑者その2ですか……なんと」

「昼間っから深酒とはよぉ、良いご身分じゃねぇかよぉ」

白茶ヒゲ代筆屋ギヴ爺(じい)と金髪ミドル代筆屋ウムトが、隣近所の知った顔とあって、次々に突っ込んでいる。 たかだか勤務2年のアルジーに対し、10年以上も勤務しているだけあって、町内の隣近所の面々に詳しいのだった。

「酔っ払いワリド、いま貴様に指名手配が出てるんだ。神殿の風紀役人ハシャヤル殺害容疑でな、即刻、牢屋に入ってもらうぞ。おい衛兵、縄を打て」

「へい、調査官どの」

「このワリド様を疑ってんだろぉ、おら、ごるぁ! シャケ、酒ぁ飲んで賭博したからって、風紀役人に目を付けられたからって、ロロ……ロクデナシども、どもが……!」

暴れているような物音、常連の依頼人たちが口々に騒ぎながらも協力しているような気配が続く。

幾分か調子が戻って来たアルジーは、そっと出入り口のほうをうかがった。

酔っ払い無精ヒゲ男ワリドが、縄グルグル巻きの状態で、前後左右にたたらを踏んでいた。割合にズルッと長い衣服が引っ掛かって、足をもつれさせている。

無精ヒゲ男ワリドは、乱れて崩れた衣服ではあるが、体格は意外にガッチリしていて、戦士を思わせる。酔っぱらいながらも、身のこなしは、戦闘を心得ている動きである。

神殿の衛兵も、ワリド氏を取り押さえるのに、ちょっと苦労している様子だ。とはいえ、素手のワリドに対して衛兵は大斧槍(ハルバード)で武装しているから、勝負は間もなく、つくだろう。

衛兵と酔っ払い男が、モダモダとやっている間。

白茶ヒゲ代筆屋ギヴ爺(じい)が、改めて、神殿の調査官に声を掛け始めた。

「おぉそうじゃ調査官どの。こちらでも話題になったがのう、容疑者その1、浮気疑惑のハシャヤル夫人ギュネシア殿も相当に怪しいようじゃよ」

「聞いてなかったな、本官は。まぁ元々、風紀役人ハシャヤルの細君には詳細を聞く予定はある。浮気の可能性も含めておくとしよう」

「よぉ、容疑者その3、オリクト・カスバから暗殺者が来て、風紀役人ハシャヤルを殺してったという可能性は考えてるかよぉ?」

衛兵が口をアングリさせた。今まさに大斧槍(ハルバード)で酔っ払い男ワリドを地べたへ抑え込んでいたのを、いっそう締め付ける。ワリドからのものか、「ぎゅう」と言うような音が上がった。

「そんなバカな。東帝城砦における、我々衛兵の巡回体制は……ば、万全な筈だ、多分な」

「その怪しい言い方は何だよ。気になってしょうがねえぜよ、このバーツ様としては」

モッサァ赤ヒゲ熊男、バーツ所長が、胡散臭いと言わんばかりのしかめ面になって腕を組み、首をグルグルし始めた。

横で、訳知り顔をした常連客、近隣の事務所スタッフや店舗スタッフが、口々に突っ込む。

「確か東帝城砦の予算、ドンドン、ケチケチになって来てるよな。いまは亡き風紀役人ハシャヤル氏の伝説的ケチケチが、伝染したかのように」

「事業仕分けに次ぐ事業仕分けで、広場を警戒する衛兵の数も、激減してるしよ。お蔭さまで退魔調伏も、衛兵が居なくて大変だよ。 この間なんか、そこの広場に出たゴロツキ邪霊《骸骨剣士》を調伏したの、たまたま、そこに来てた隊商(キャラバン)の傭兵団だったそうじゃねえか」

「神殿の衛兵も、減っているんじゃないか? 神殿の経理スタッフの愚痴によれば、神殿の金庫の中のカネがドンドン少なくなってるとか」

衛兵は、そそくさと大斧槍(ハルバード)を持ち換え、アルコール臭プンプンの酔っ払い男ワリドを引っ立てた。

「とにかく、この酔っ払いワリド、すぐに牢屋に放り込まなければ。側溝に面してる方の、うぷ。ヒドイ・ニオイだ!」

ワリドは地べたへ取り押さえられた直後から、眠り込んでいた様子だ。酔いが回り過ぎて眠っている状態で、ほぼ反応しない。

アルジーは、クッションで鼻と口を抑えながら、奥から顔を出した。

まだ頭がクラクラするが、どうしても気になることがある。告げなければ。

「あと、もう1人、超・怪しいのが居るんだけどさ」

バーツ所長が赤ヒゲをモサモサしながら振り返って来る。神経質そうな細面に驚きの色を浮かべた、神殿役人ゾルハンも。

「容疑者その4? なんだか容疑者がドンドン増えてるな」

「火事現場のほうで、トルジン親衛隊の巨人戦士『邪眼のザムバ』を見たんだよ。あいつ、火事を見ながら笑ってた。 それに、近所の通りのほうでも、邪霊害獣を斬り捨てて、通報もしないまま行っちゃってさ。 絶対、怪しい。放火の陰謀したの、絶対あいつだ。城下町を邪霊害獣だらけにしようとしてるに違いない」

聖火神殿の調査官は「うーん」と唸りながら首を傾げ始めた。

「テカテカ黄金肌の大男については、先ほど連絡を受けてたんだが、その邪霊害獣の不適切な処理の件で、本日付で懲戒、謹慎処分になってるんだ。 元が巨人族だから、象に使う鎖で拘束中の筈だ。ヤツから、風紀役人ハシャヤル殺害事件に関係のある内容が聴取できるとは思えんが、まぁ、ひと通り聞いてみるか」

衛兵が、迷彩柄の赤茶ターバンに、そわそわと手をやり始めた。表情を歪め、青ざめつつ、ブルブルと首を振る。

「立ち会うの嫌ですよ、あんな不気味な筋肉男。夜な夜な宮殿の聖火礼拝堂の地下室から両手を血だらけにして出て来てるとか」

金髪ミドル代筆屋ウムトが「でよぉ」と応じた。

「こちらも非常勤の衛兵だからよ、同僚から怪異な噂を聞いてるでよぉ。 地下室で、邪霊害獣から絞った黄金の血液を浴槽に溜めていて、美容と健康のため……じゃ無くて、筋肉増強のために、その忌まわしい浴槽に全身浸かっているでよぉ、とか」

「あそこ、古代の『精霊魔法文明』の資料室で。《怪物王ジャバ》の、やたら真に迫ってる神殿の模型とか仮面とか陳列してて。 地上の聖火神殿と聖火礼拝堂が荘厳を極めてるのに、地下神殿のほうは何であんなに忌まわしい雰囲気なんだか」

白茶ヒゲ代筆屋ギヴ爺(じい)が、フムフムと相槌を打ちながら耳を傾けている。

「確か、地下室よりも更に下にある……地下神殿は、石畳を敷き詰めた基底に浅くヒタヒタと水を流し、『逆しまの石の女』彫刻を台座とした支柱を多く立てておるとか。 ちょうど、円形サークルとして並ぶように」

聞き耳を立てていた常連客たちが、コソコソと感想を交わし始めた。

「案外、『邪眼のザムバ』って、怪奇趣味の賭場や地下神殿で、邪霊害獣の類を拝んでそうだよな。巨人族って元々、邪霊崇拝だったというし」

「火のない所に煙は立たぬって言うもんなあ。本能で、先祖の頃のオゾマシイ古代風習に狂ってるとか?」

「古代『精霊魔法文明』の頃ってさ、この辺り一帯カラッカラの砂漠じゃ無くて、大河の支流が方々に流れる大森林だったんだぜ。 緑また緑の魔境、湿潤にして豊かなれども恐怖と絶望の苦界、怪物の王国。全ての木の根元に怪物が潜んでいるような、ヤバイ世界」

「人類を狩って食らう怪物どもの王国が繁栄していたんだからな。 我らが帝国の創建時代の英雄が、精霊たちの助けを得て、伝説の《雷霆刀》でもって《怪物王ジャバ》を退魔調伏していなかったら、 我々人類は、いまだに狭苦しい洞穴の中で怯えながら暮らす生活だったろうな」

「その頃は巨木を次々に伐採する技術があって、木材を石材や鋼材に変換する《精霊魔法》もあって、信じられないような巨大建築とか空中建築とか。地下建築も存在してたんだよな。 怪物の王国で、精霊たちは奴隷の状態だった。人類その他の動物や種族は言わずもがな。砂漠のど真ん中にも、精霊たちが造成した、《怪物王ジャバ》や邪霊崇拝のための遺跡が残ってる」

金髪ミドル代筆屋ウムトが訳知り顔で解説を付け加えた。

「いまの大きな礼拝堂は、たいてい、その邪霊崇拝の地下神殿の上に建ってるでよぉ。 地盤工事が不要なくらい基礎がシッカリしてるし、古代の魔除け『逆しまの石の女』彫刻も完備してるからってことでよぉ」

「あの不思議な彫刻『逆しまの石の女』って、何の魔除けだったっけ? 精霊たちの助けのひとつで、古代『精霊魔法文明』の崩壊、 すなわち怪物王国の滅亡を引き起こした不思議な魔除けだと聞いてるが」

その手のことに詳しい神殿調査官が、思案深げに顎(あご)に手をやりつつ、口を出す。

「世界の王の中の王《怪物王ジャバ》を封印している最強の魔除けだ。世界じゅうの地下神殿の台座となっている彫刻『逆しまの石の女』が、《怪物王ジャバ》の権威を奪い、調伏しつづけている。 だから、いまの怪物たちは、みんなバラバラで、《魔導》に応じるゴロツキ状態なんだ。古代はもっとデカかった巨人族も矮小化し、知性が退化して現在の体格になった。 仕組みは良く知らんが、詳しいことなら魔導士たちが知ってるだろう」

「あの『逆しまの石の女』、なんとなく蛇の髪を持つ怪物にも見えるがのう。精霊なのか邪霊なのか、それとも人の姿をした精霊かのう……」

「もとは、夜の十字路や三叉路に立つ銀月の三相の精霊だそうだ。新月・上弦・満月・下弦、あるいは、新月・半月・満月。生成・存在・消滅。過去・現在・未来。 天・地・海。暁・昼・夕・夜、幻影・幽霊・実体・波動……突っ込むなよ、私も分かって言ってるんじゃないからな」

一気に話し終えた調査官は、しばし戸惑った顔をした後、フーッと息をつく。 地下神殿の魔除けの彫刻『逆しまの石の女』が、神殿関係者の間でも、非常に謎めいた存在である――ということが、よく窺える。

「あれは、石の姿をした銀月の精霊と言うべきか。植物の姿をした銀月の精霊と言われる《精霊クジャクサボテン》と同じように、魔性とも聖性ともつかぬ存在だったらしい。 まぁ現実の月も満ちたり欠けたり、矛盾の存在と言うか、光と闇の間を曖昧に揺れ動いているから、何か意味はあるんだろう」

「かの大いなる《怪物王ジャバ》の権威を奪い、いまも調伏しつづけている謎の守護にして封印……『劫波(カルパ)』や『永劫(アイオーン)』、 『輪廻蛇(ウロボロス)』そのものと、関連ありそうじゃのう」

意味深な顔で思案にふける、最高齢の白茶ヒゲ代筆屋ギヴ爺(じい)であった。

*****

しばらくして……ようやく、無精ヒゲ中年男ワリドが、ボンヤリと目を覚ましたのだった。

聖火神殿の調査官と、随行の衛兵が、ワリドを引っ立てながら立ち去った後。

常連の依頼人たちと神殿役人ゾルハンは、そろって疑問と困惑の顔を見合わせていた。

「ワリドさん、確か賭場に出入りしてるって話を聞いてるぞ。奥さんと幼い子供がいるのに、何してんだか」

「昔は割と真面目だったそうだけど。あぁ、ただ、キレやすいとこはあったかなぁ。 事業仕分けで予算を切られて、役人を殴って、牢屋に入れられたことが一度。ふてくされて、怪奇趣味の賭場に入って、以後おかしくなったような気がする」

「神殿としても、全力で調査してますから。皆さんも何か気付く事があったら、私ゾルハンのほうにも教えて頂ければ」

「勿論でやす、ゾルハン殿」

やがて、ゾルハン依頼の代筆文書が書き上がった。

真紅のターバンと長衣(カフタン)をまとう神殿役人ゾルハンは、代筆文書をスッと懐に収め、料金を払いつつ。

「今日はビックリしましたが、色々聞けて良かったですよ。この事件の続報とか噂があったら、またお聞かせいただければ。あ、代筆屋くんも、身体お大事に」

「お気遣いありがとうです」

やがて、帝国伝書局・市場(バザール)出張所の業務時間が終わり、扉の鍵が締められた……

■07■噂に聞いた工事現場へ、進路を取って来てみれば

日の出の刻。

帝国の東方領土の支配拠点――東帝城砦は、まだ夜の冷気に包まれていた。

薄暗いなかでも、ひときわ目立つ高層建築は、東帝城砦全体を睥睨(へいげい)するように建つ豪華絢爛な宮殿の数多の尖塔と、宮殿付属・聖火礼拝堂のドーム屋根である。

次の一瞬。

藍色の空の中を、1日の始まりの光芒が貫いていった。

それを合図としたかのように、伝書バトの群れが、2か所から湧き上がる。

宮殿を取り巻く官衙の一角にある帝国の役所「帝国伝書局」から飛び立ったもの。

城下町の半分を占める市場(バザール)の街区、その目抜き通りの一角にある「帝国伝書局・市場(バザール)出張所」から飛び立ったもの。

空を舞う鳥の群れは合流しつつ、急速に数を増した。

右へ、左へと波打ちながら、この一帯の地理がもたらす独特な上昇気流を捉え、見る見るうちに高度を上げてゆく。

やがて、明け方の上昇気流が強く渦巻く特定の位置へと、鳥の群れが螺旋を描きつつ、集中する。

一塊となって充分な高度を取った後……めいめいの目的地へと分かれて、羽ばたいていった。

地上、帝国伝書局・市場(バザール)出張所の前を通る街路で。

伝書バトの群れを見送る人々が居た。

手持ちの望遠鏡を構えていたり、手をかざしていたり……

やがて、帝国伝書局・市場(バザール)出張所の所長を務める強面(こわもて)巨漢、モッサァ赤ヒゲ熊男が、ずっと構えていた望遠鏡を降ろした。 「やれやれ」と言うように腕をグルグル回して、ほぐし始める。

「いつも思うんだが、やっぱり、一斉に飛び立つ瞬間は壮観だなぁ。白タカ連中も居れば、もっと満点だがね」

数日前から商館へ滞在中の隊商(キャラバン)傭兵が数人ばかり、伝書バトが飛び立つ刻に合わせて、見物に来ていた。 そのひとりが興味津々で、モッサァ赤ヒゲ熊男バーツ所長へと質問を投げる。

「伝書バトを飛ばす日って、決まってるんですかね? どの日でも、特に差は無さそうだけど」

「いやいや、大いに差は出て来るぞ。確実に向こうに到着するかどうかの成功率が、両大河(ユーラ・ターラー)の流れる帝都の周辺とは、大きく違って来るんだ。 まして怪物のうろつく砂漠だの岩山地帯だのに囲まれてるからな」

モッサァ赤ヒゲ熊男バーツ所長は、教え好きな性質であった。毛深く大きな手で、毛深い赤ヒゲをモサモサさせながら、言葉を継ぐ。

「ちょうど満月の頃合いだから、伝書バトは夜じゅう飛べる。ギリギリ今日と明日、少しずつ短い休憩を入れながら飛んでもらうのが、 いまのところ最も安全な方法でな。《精霊クジャクサボテン》が生えてる水場も見つけやすい。隊商(キャラバン)でも必須の知識で常識だろ、このサボテンの不思議な特性」

隊商(キャラバン)の傭兵は、納得した様子になった。

「あぁ成る程。《精霊クジャクサボテン》が生えてるところは、危険な類の怪物は絶対に近づいて来ない。満月の頃は灯台さながらに光っているし、安全な経路の選定基準にもなってる」

「もっとも、小型の邪霊害獣《三つ首ネズミ》と《三つ首コウモリ》は集まって来るから、『退魔調伏』御札は相当に用意しなきゃいけないし、一長一短ってとこか」

見物を兼ねて立ち会っていた商館スタッフと、その同僚たちが、ブルルと震えながら呟いている。

「ネズミとコウモリの大群も嫌だが、三つ首《人食鬼(グール)》に襲われるよりは、はるかにマシだろ」

「夜の砂漠で三つ首《人食鬼(グール)》と出逢ったら、そいつが小型だろうと私は全力で逃げまくるぞ。《精霊クジャクサボテン》のほうへな。枯れてようが何だろうが」

腕っぷしのありそうな商館スタッフの同僚たちが、やがて首を傾げ始めた。

「帝国軍の最強の特殊部隊『ラエド』くらいだろうな、三つ首《人食鬼(グール)》戦からの生還率が半分を超えるのは。 あそこは何故なのか分からんが、特別に、雷のジン=ラエドの加護だか、受けてるとか」

「アレッというような弱兵も入ってたりしていて、希望者はわんさか居るが、入隊試験をくぐるコツって何なんだろうな」

やがて、傭兵たちの話は、時事の話題へと移っていった。

東方総督トルーラン将軍や御曹司トルジンの武装親衛隊の人数が輪をかけて急増した、この近くの軍事基地に駐屯している帝国軍の動きが活発化したようだ、というような内容だ。

話題に出た「この近くの軍事基地」というのは、一般的な隊商(キャラバン)で5日ほど行った先の岩山地帯にある帝国軍の兵站基地のことである。 小ぶりながら、数種の鉱山と熟練の《魔導》工房を多く抱える工業オアシス都市で、伝書バトたちが羽を休める中継地のひとつだ。

ちなみに、最高齢の白茶ヒゲ代筆屋ギヴ爺(じい)は、現役引退する前は、その軍事基地の《魔導》工房の職人であった。

アルジーが時事の噂に耳を傾けていると。

やがて、同じように時事の噂を聞いていた白茶ヒゲ代筆屋ギヴ爺(じい)と金髪ミドル代筆屋ウムトが、口を挟み始めた。

「聞くところでは、《精霊クジャクサボテン》は扱いにくいそうじゃのう。開花は1年に1回きり、それも月の夜じゃ。 神殿でも栽培実験して研究しているが、あの不思議な魔除け能力が出るかどうかも、イチかバチか、というところじゃったかの。のう、ウムト君?」

「うむ、謎が多いでよぉ、ご老体。神殿の民間墓地のほうに、微妙に魔除け能力を持ち始めた野生の1株があって、そろそろ窃盗対策の見張り立てとくかって話になったんだがよぉ。 そいつ、火吹きトカゲだか火吹きネコマタだか、『邪霊害獣』狩りの際の砲火を受けたようでよ、黒焦げになって枯れたでよぉ」

「なんと、勿体ないのう。密売や転売目的の採取業者に目を付けられる前だったのは、幸いじゃが」

「まったく。植物としては丈夫だから再生はするだろうが、魔除け能力となるとな。正規ルートのほうでも転売屋がはびこってて、気が抜けんでよぉ」

伝書バトの見送りに立ち会っていた中年の女性局員が、アルジーに「おいで、おいで」をする。

――伝書バトがほとんど飛び立ったので、鳩舎広場を大掃除する機会なのだ。

アルジーは無言で頷き、女性局員と共に場を移動した。

馴染みのシニア男性局員たちも居て、手際よく鳩舎広場の掃除を進めてゆく。

「今日の夕方ごろには、近場からの伝書バトが到着するよね」

「そうそう。白タカ《精霊鳥》も、神殿のほうで、戻せる個体は今日のうちに戻すって連絡が来たよ。明日は忙しくなりそうだ」

「予定どおり、明日から東帝城砦の金融商たちへの1日集中サービス、実施できる見込みだしねぇ。繁忙期、繁忙期」

かくして、帝国伝書局・市場(バザール)出張所の、その日の公務は午前の前半のうちに終了したのだった。

*****

アルジーは、馴染みの屋台で少し遅い朝食を買った。

市場(バザール)の街路を少し行くと、感じの良さそうな噴水広場がある。

噴水広場の一角、相当数のナツメヤシが街路樹となって並んでいた。置石で仕切ってある。

アルジーは、木陰となっている置石のひとつに腰かけ、定番の「野菜豆大福」にかぶりついた。 今回の皮は表面がパリッと焼けていて、中身の味付けはチーズとトマト風味。全体的に、ピザ料理に似た味わいだ。

折よく来ていた行商人から買った、少しばかりの青菜を横に置いておく。すると、遊びに来ていた白文鳥《精霊鳥》たち3羽ほどが、パルと一緒に青菜をつつき始めたのだった。

市場(バザール)の水道点検員が広場の噴水を点検しに来ていて、相棒と思しき《精霊亀》が噴水をグルグル回っていた。 水道点検員は仕事道具の琵琶を抱えてかき鳴らし、《精霊亀》に指示を出している。

市場(バザール)の広場には、すでに多種多様な屋台が並んでいた。集まって来た売り手・買い手たちの賑やかな取引の掛け声の間に、 途切れては続く琵琶の音と《精霊語》の詠唱が混ざる。活気のある午前のひとときである。

朝食が一段落した後。

アルジーは、いつも肩から下げている荷物袋から『灰色の御札』を取り出した。赤インクを詰めた羽ペンを構えて「フン」と鼻を鳴らし、怨念を込めて《精霊文字》を書きつける。

相棒パルが気付き、『また~?』と呆れたようにさえずって来る。友達の白文鳥3羽のほうは、アルジーの殺気を感じてフルフルしていたが、パルは慣れたものだ。

『年がら年じゅう呪ってやるわよ、あのクソ御曹司トルジン』

ブツブツと《精霊語》で受け答えするアルジーであった。

毎度の『罰当たりなヤツに悪夢を見せて眠れなくする』御札が書きあがった。定期的に心を込めて――怨念を込めて――作っているとあって、この御札に関してだけは、名人級の腕前だと自負している。

実際、あの七日七晩の『もげた』騒動の件で、『標的トルジンが、恐ろしい幻覚を見て一睡もできず、グルグル走り回っていた』という程の効果があったのは、 アルジーとしては誇らしいところだ。この話を聞いた日の夕食は、いつになく美味だった。

――まぁ、実際に「他人の奥さんに手を出す」などという罰当たりな行動をしていた、という事実を踏まえてのことではあるが……

『だいたい、ハーレム慣習なんて、何故いつまでも残しておくのよ。もう古代の野蛮な怪物王国の時代でも無いのに』

ハーレム慣習の無い民族の出身であるアルジーにとっては、ハーレム慣習を持つ民族ならではの不文律の類の決まり事は、いまいちピンと来ないというのが正直なところである。

相棒の白文鳥《精霊鳥》パルは、友達の白文鳥たちと「チチチ」と交わしながら、アルジーの呟きに応えた。

『そう言えば、ハーレム慣習のある民族の中では女性の地位は非常に低くなってるね、ピッ。人の姿をしたジン、というか人の姿をした邪霊《人食鬼(グール)》の影響が大きすぎたかな、ピッ』

『古代の《人食鬼(グール)》の王国って、人類の王国を保護する代わりに、生贄を差し出すことを要求していたもんね。 対価が払えないなら、偉大なる王の中の王《怪物王ジャバ》が滅亡させるよ、ってことで、ピッ』

『人身売買は生贄の市場から始まった黒歴史ピッ。人類のほうも、飢饉のときは、出産能力の無い女子供から先に殺して食ってたし。 多数のハーレム妻を抱えるべし、って、それだけ「殺して食える」女子供を多く確保できるという事情もあったってさ、ピッ』

『人類が輩出した勇者、《雷霆刀》使いの剣士が「神殺しの英雄神話」さながらに《怪物王ジャバ》を退魔調伏してからは、 怪物の種族へ生贄を捧げる必要は無くなったし、人身売買の市場を維持する必要も無くなったけど』

『人類に染み込んだ「社会的地位の格差」、「人類の三大欲求」欲望と歴史的記憶の呪いと、一緒くたになっていて、なかなか消えないね、ピッ』

『シュクラ民族は、《雷霆刀》の英雄による《怪物王ジャバ》封印が成功した後、《白孔雀》の精霊魔法使いだった変人ハサンや、《青衣の霊媒師》の進言を取り入れて、 古代の人身売買の市場から真っ先に足抜けしてた。《地霊王》の玉座に属する山奥へ隠遁して王国してたけど、またぞろ引っ張り出される羽目になるかな』

『何処かに、超シビレル禁術に目覚めた邪霊使いが居る。その邪霊使いによる邪霊崇拝の教団が、《怪物王ジャバ》復活させようとしてるから、ピッ』

アルジーは、白文鳥《精霊鳥》たちのさえずりを聞き流しながらも、つらつらと思案した。

――社会的地位の格差が、最も如実に現れているのが、ハーレム内部における『名誉の殺人』という不文律の慣習だ。

これは「夫は、不倫をしたハーレム妻を殺害処分して良い」という決まり事だ。

殺人をしても、夫の側は正義とされ、罪に問われることは無い。 逆に、不倫をしたハーレム妻のほうは、連座制だ。一族郎党「不倫するような女を提供して来たほうが悪い」と非難され、夫の側の一族に皆殺しにされても、泣き寝入りするしか無い。

帝国が急速に領土拡張できたのは、この慣習が方々の城砦(カスバ)で支配的であるということが大きい。《人食鬼(グール)》の時代の置き土産ではあるが。

方々の城砦(カスバ)からハーレム妻を出してもらい、程よいタイミングで偽の証拠をそろえて、「浮気をした」と言い掛かりをつける。 《人食鬼(グール)》の時代であれば「不味くて食えない人肉を出しやがって」という文句となっただろう。

そして、ハーレム妻もろともに妻の出身の城砦(カスバ)の有力者たちを粛清し、さらに領土を獲得するというのが、最も手っ取り早い方法だ。

元は《怪物王ジャバ》への生贄や、人食鬼(グール)との人身売買に回すための理屈として使われていた――『名誉の殺人』。

これらの事情を考慮してゆくと、何故に御曹司トルジンが、あれほど居丈高で居られるのか説明が付く、というものだ。 そして、トルーラン将軍、御曹司トルジンともに『独身女狩り(幼女も含む)』に熱心な理由も。

もっとも、こうした苛烈な慣習を維持しているのは、富と権力を持つ有力者たちに限られる。

その辺の一般庶民は、そもそも複数の妻を持てるほど裕福では無い。普通に見かけるのは、一夫一妻。とはいえ、男性の不倫が甘く見られるのに対して、女性の不倫に対する眼差しは、概して厳しい。

目下、風紀役人ハシャヤル氏の妻ギュネシアに対する眼差しは、「浮気していたのではないか」という噂が出たため、相当に微妙なことになっている。 社会慣習上、「離縁ないし『名誉の殺人』において殺害される前にと、夫を殺害しても不思議では無い」という状況があるためだ。

アルジー自身は、「この疑惑が発生した件については、夫である風紀役人ハシャヤル氏に半分以上の責任がある」という見立てだ。

――ハシャヤル氏が、愛情の面においてもケチケチせずに、ちゃんとギュネシア奥さんに愛情を示して居れば、こんな微妙なことにならなかった筈。

一皿料理の行商をやっている、裏路地のご近所さん……あの、仲の良い夫婦のように。

アルジーは、手の中で『灰色の御札』をキッチリたたみ、広場の別の一角にある高灯篭へと近づいた。聖火祠でもある。

相棒の白文鳥パルが、パッと飛び上がり、いつものようにアルジーの肩に止まって来る。

高灯篭に付属する梯子の支柱は、善男善女がオマジナイとして結んでいった、紅白の御札でいっぱいだ。『家内安全』、『安産祈願』、『商売繁盛』、『交通安全』、『良縁招来』……

所々に、自家製の「呪いの御札」と思われる、真っ黒に塗った御札が混ざっている。

ちょっと覗いてみると、『浮気夫に天罰を!』、『貸した金を返さないアイツに永遠の苦痛を』というような恨み言から、 『悪徳と汚職の帝王トルーラン将軍を打倒せよ』という大真面目な政治的要求まで――と、範囲は広い。

先客による興味深い恨み節の御札の数々を眺めていると、聖火祠の陰から大きめの『火吹きネコマタ』が出て来て、「にゃあ」と鳴いた。 此処の高灯篭すなわち聖火祠は適切に管理されていて、お供えもある。火吹きネコマタの毛並みはツヤツヤだ。

「なかなか、御利益ありそうだよね」

聖火祠となっている高灯篭の梯子の支柱へ、新しく『灰色の御札』を結びつつ、物騒に呟くアルジーであった。

その横で、白文鳥《精霊鳥》パルと、火吹きネコマタが会話を交わしている。

『毎度お疲れ様、火吹きちゃん、ピッ』

『鳥使いの姫さん、よく飽きもせず、礼儀正しく呪ってるニャ。お蔭さまで「独身女狩り」とやらが沈静化してて、この近所の「家内安全」「良縁招来」管理が楽になってるニャ』

『トルジンが、そんなに混乱もたらしてたのは想定外だった、ピッ』

『気を付けるニャ。前々からトルジンに憑いてる「よろしくないモノ」、ここ最近、増強いちじるしいニャ。 2年前にも騒ぎになった、シビレルくらい強大な「禁術使い」本人が、いよいよ東帝城砦に入って来たらしいニャ。このネコのヒゲに、確かにピピンと引っ掛かって来てるニャ』

『注意するピッ』

精霊どうしの意味深な会話を、何となく小耳に入れているうちに。

ふと、アルジーは、目下の懸念を思い付いた。

――この機会に一度、噂の『銀髪アリージュ姫の贅沢な別荘』の工事現場という場所に、行ってみよう。

タダ働き同然とか、あまり良い話を聞かないのが気になる。遊女ミリカからも、食費すら不足する報酬――という話があったし。

多くの人々が行き交う市場(バザール)の広場には、数本の街路が連結している。その街路のひとつへと、頭を巡らす。

目を付けた街路を急ぎ足で移動しつつ、アルジーは、ターバンの上で腰を落ち着けている相棒パルへ声を掛けた。

『この間の話にあった「銀髪アリージュ姫の贅沢な別荘」の工事現場って、どこだったっけ』

白文鳥の姿をしたジン――《精霊鳥》パルが、いつものように「ぴぴぃ」とさえずって、返して来る。

『オアシス岸辺の葡萄畑だよ。畑をツブシて熱帯雨林のほうのランとか植えまくって、エキゾチックでトロピカルな別荘にするの、ピッ』

『本当? トルーラン将軍も御曹司トルジンも本気で頭おかしいわよ。あそこ、確か東帝城砦の金庫っていうくらいの貴重な高級葡萄の生産地なのに』

『葡萄の質が落ちたから高く売れる良い葡萄酒が出来ないの、ピッ。事業仕分けで肥料の購入量が減ったせいだよ、ピッ。 「良い葡萄を育てるには肥料はいっさい与えない方が良い」という専門家もしゃしゃり出て出世したよ、ピッ』

『トルジンはともかく、トルーラン将軍、そんなにバカだったかなぁ?』

街路を行き交う大勢の人波を抜けて、ポコポコと通りを歩いている内に。

この辺りの歓楽街の一等地と交わる一角まで来た。

数々の食堂、酒場、珈琲を扱う喫茶店。夜間運営の公衆浴場を備えた連れ込み宿。 大人の時間を提供する多様な店に混ざって、女商人ロシャナクが裏営業している高級娼館『ワ・ライラ』が、少し先に見える。

相棒の白文鳥パルが、ターバンの上でピョコンと跳ねた。

『工事現場までは、ひとつ曲がり角が増えるけど、こっちのほうが日陰があって涼しいよ、ピッ』

『じゃあ、この道を行こうか。今日も暑くなって来たしね』

太陽は南中の位置に近づいていた。さえぎるものの無い直射日光は、突き刺さるように強い。

複数階層を持つ建物のバルコニーから、日除けを兼ねて張り出された超大判の紗幕の下に、濃い陰ができている。

やがて高級娼館『ワ・ライラ』の前まで来た。昼間とあって「休業中」の看板が下がっているところだ。

パッと見た目は、芸術家ご用達のギャラリーという店構え。元・傭兵らしきベテラン警備員が数人。これが名高い高級娼館だなんて、誰も思わないだろう。

端から端まで設置されている2階のバルコニーの下、街路に沿って延びる公共アーケード空間が、ほどよい日陰となっていた。そぞろ歩きの数人が日陰で涼んでいる。

アーケード空間は、ちょっとした公衆画廊といった風。絵画作品や彫刻作品が、街路の彩りと宣伝を兼ねて展示されている。 使われている画材などといった文房具は、当然、女商人ロシャナクが表で営業している文房具店『アルフ・ライラ』で取り扱っている品に違いない。

芸術作品ギャラリーの中に、新進気鋭の無名の書道家のものと思われる作品がある。

紺紙に銀泥の文字。

斬新かつ見事な筆遣いをもって書き付けられてあるのは、「無名詩人カビーカジュ」による四行詩。

四行詩の題名は『闇と銀月』。

――千と一つの夜と昼 すべての星が落ちる時
天の果て地の限り やよ逆しまに走れ 両大河(ユーラ・ターラー)
千尋の海の底までも あまねく統(す)べるは 闇と銀月
三ツ辻に 望みを捨てよ 巌根(いわね)ひとつを ともにして――

アルジーは首を傾げた。

――何度か読み直してみたけれど、変な詩だ。

亡きオババ殿から、ずいぶんとたくさんの古典詩歌を教わった。だけど、この詩歌は、含まれていなかったような気がする。

文学的な、というよりは……祭文や呪文のような雰囲気。《精霊語》に翻訳して詠唱すると、呪文の形式になる。あるいは人ならざる者の託宣。

此処で《精霊語》で詠唱して、その影響のほどを確認する――というのは可能だが、得体の知れない呪文をウッカリ《精霊語》で詠唱すると、とんでもない事態になりかねない。 特に「無名詩人カビーカジュ」作品は、危ない。亡きオババ殿も、厳しく注意していたことだ。

アルジーは、ブツブツと呟いた。

「古代『精霊魔法文明』に由来する作品ではありそうだね。 カビーカジュって、古写本を虫食いとかから守護する精霊(ジン)の名前で呪文だし、古典詩歌ではお馴染みの、いわゆる『読み人知らず』で……あれ、パル?」

ターバンの上で、フルフル震えている感触がある。アルジーが手を差し伸べてみると、相棒の白文鳥パルが、明らかに異常な様子でフルフルしていたのだった。

『パル? 病気?』

次の瞬間。

看板「休業中」が下がっていた高級娼館『ワ・ライラ』入口扉がパッと開き。

遊女ミリカと、同僚らしき数人の遊女が――ただならぬ様子で飛び出して来た。

アルジーはギョッとしながらも、ぶつからないように、二歩、三歩ほど後退する。

「いや、何処かの道端に落としたんでしょうが、ミリカ」

「それはもう考えた。でも有り得ないの! だったら可能性はひとつ、あの野次馬してた火事の現場で色々落として、詰め直した時に、うっかり混じったってこと!」

「相手からは何も連絡が無いの? そのまま、ちょろまかしたってこと?」

「あれ外見がソックリなのよ、工事現場のヤツと! 昨日のお客さん、工事監督から『大麻(ハシシ)とかには着火するから楽しんでね、プレゼント』って見せられた時、 ホント世界の果てまでスッ飛んだわよ。舞台の小道具が本物ソックリ過ぎるのも考え物かも知れない――」

遊女ミリカは駆け出そうとして、こっちを向き、唖然とした顔になった。

「あ、アルジー! ちょうど良かった、ねぇ、いつだったかの丁寧語おっさん、早く探さなくちゃ!」

「え? タヴィスさんのこと?」

「それそれ! ああぁ、このアホ頭、名前ド忘れしてたわよ! 今は工事現場だよね、『銀髪アリージュ姫の別荘』の!」

「行くよミリカ、軽業師のロープは用意したからね、さぁ! あんたも!」

かくして、アルジーは何が何だか分からないまま。

考えられ得る限りの高速で、遊女の一団と共に「銀髪アリージュ姫の贅沢な別荘」の工事現場まで急行することになったのだった……

…………

……

舞台では軽業アクションもこなす、という遊女たちの疾走は見事なものだった。

東帝城砦の市場(バザール)からオアシスの岸辺までは、地形の関係上、ほぼ丘を降りて行く形だ。だが、階段や坂道、街区を区切る区壁が多数あるため、 曲がりくねった道のりをクネクネと辿る羽目になる。道を折れるたびに、時間の無駄になること極まりない。

遊女たちは、道の折れ曲がりを完全に無視して、一直線に駆け下りて行ったのだ。

区壁をサッサとよじ登り、飛び降りる。延々と続く階段を省略して、その脇にある直立した段差をロープでもって一気に降下する。坂道を省略するのも、同様だ。

アルジーは最初は、見慣れない軽業師のロープや、ギョッとするような段差に戸惑ったものの。いったん感触をつかむと、意外に遊女たちの一団に、器用に付いて行けたのだった。

途中で、ミリカが感心したような眼差しをアルジーに向ける。

「運動神経、良いじゃないの。よく熱を出してブッ倒れてるから、動き慣れてないんじゃないかと思ってたよ。軽業師のロープだってコツが要るんだけどさ、なんか基礎できてるね」

「元々、山育ちだったからかも。子供の頃は健康だったし、鳥の巣のところまで木登りとか崖登りとか、やってたから」

「ありゃ。もしかしたら練習すりゃ、曲芸ダンスのほうも踊れるかも知れないね」

「剣舞はできる。新年祭祀の模造刀の。本物の三日月刀(シャムシール)は重すぎるし、本来のスピードで舞うのは息切れするから無理だけど」

――幸い、まだ息切れはしていない。いまは満月の時期で月光も強く、夜じゅう地上に注いでくるから、昼日中の体力に余裕がある。

ひとつ先の角を曲がると、空気が不意に変わった。水の匂いだ。

区壁の向こう側――正午の太陽の下、青い水面が光っている。

広々としたオアシス湖の岸辺には、ナツメヤシや葡萄の木々が密集して、濃い緑の帯となっていた。

緑が整然と切れた所には灌漑用の水路が設置されていて、その先に、意外なほどに面積のある小麦畑が広がっている。

濃い緑の帯がぐるりと続く中、葡萄畑を成す段差地形のところで、不自然にゴッソリと切れて乱れている箇所が見える。輸入して来たと思しき石材や、削り取った岸壁、盛り土の雑然とした群れ。

先に到着していた遊女たちは、すでに見晴らしの利く位置に到着していて、工事現場をザッと見回していた。やがて、ひとりがホッとした様子で振り返って来る。

「おぅ、ミリカ、あそこ例の工事現場だよ。まだ衛兵とかの異常な動きは無いし、なんとか間に合ったみたいだね。荷役とか、土や道具を運んでるの、そこらしいよ」

アルジーは、遊女ミリカたちと並び、区壁の切れ目からヒョコリと顔を出した。

工事現場の端に、無残に切り払われた葡萄の木が高く積み重なっていた。残土と一緒に、埋める予定の灌漑用の水路にぶち込まれるのを待っている状態だ。 少し離れた位置に、新しく造成された溝がある。遊歩道を彩るための人工の小川にするつもりらしい。

高い「滝のようなもの」でも作る予定なのか、相当数の作業員たちが集まっていて、交代制で岸壁をゴリゴリ削り、残土を運び出しているところだ。

とりわけ大きな岩石は、老いた《象使い》に指揮されている《精霊象》が器用に運び出していた。予算が足りないのか、《精霊象》はロバくらいの小さなサイズで、1頭だけ。

その手の、土木工事の知識のある遊女が鼻で笑う。

「無駄の極致。ただでさえ貴重な水を、暇つぶしに砂漠へ垂れ流そうってのかい。噂の『銀髪の傾城の美女アリージュ姫』って悪趣味だね。 タダで水が手に入るっていう、シュクラ山岳の出身ってことも、あるのかね」

自分とは別人のアリージュ姫ではあるが、本人の名前なだけに、うぐぐ……と顔を伏せて、無駄に恥じ入る「元・アリージュ姫」アルジーであった……

遊女ミリカが「あっ」と言って、その方向に指先を向ける。

「あの丁寧語おっさん居た! あそこだ! 岸壁を削ってるところの、あの……」

「これから岸壁を新しく削るところみたいだね。袋から取り出した、黄金色のアレ《魔導札》だよ。 導火線を引いて火を付けて、素人でも使えるヤツ。安全ガチガチに制限してある火のジン=イフリート召喚して、爆破粉砕するんだな」

「ねぇ、あれ、さっきギラリと光ったよ、表側の《魔導陣》の部分が真っ赤に。あれ舞台道具のヤツじゃないの。本物の《魔導札》は黄金色のインクでチョコチョコ書くじゃんか、 同じ黄金色で反射するから目立たない筈――」

「ホントだ! 近距離だと、かえって分かりにくい細工だからね」

「舞台の大道具・小道具の職人たち、凝りすぎたパチモン作りやがって! 急げ、ミリカ!」

遊女の一団とアルジーは、一斉に区壁から飛び出し、「丁寧語おっさん」すなわち、シュクラ・カスバの年配男タヴィスへと向かって駆け出した。

急に出現して来た『美女軍団(?)』の姿に、作業員たちは、唖然とした顔になった。交替で休んでいたほうは、水筒を持ったまま、固まっている。

「近付くな、バカ女どもが、これから導火線に火を――」

派手なターバンを頭部に巻いている中年ヒゲ男がピョンピョン跳び跳ねて、棍棒を持った手を振り回し始めた。見るからに、工事監督だ。

意欲のあり過ぎる助手が、同じく棍棒を振り回し、先頭を切っていた遊女を殴ろうとする。

「こっちは急いでんだよ!」

先頭の遊女は、見事な身のこなしでクニャリと棒打ちを回避し、鋭い蹴りを食らわした。

意欲のあり過ぎる助手は、浮いた足元をピンポイントで捉えられていたため、きれいに「ドテーン」と、ひっくり返ったのだった。

派手ターバン中年男の工事監督と、質素な生成りターバンの作業員たちは、驚きの余り、全員が手を止めていた。

しーんとした空気が広がり。

「おう……?」

「こ、この、生意気な女が」

衆人環視の中、妙な一触即発になりかけた時。

「鎮まれ鎮まれ鎮まれい!」

別方向から、ドヤドヤと現れて来た騎馬集団があった。宮殿の衛兵の一団だ。

「これは、これは、ご苦労様でございますッ、これには訳があって」

早速、小物役人根性を発揮する派手ターバン中年男、ヒゲ面の工事監督であった。

宮殿衛兵の一団から、唯一の金糸刺繍付きの丈長ベストの男が、ズイと進み出て来る。

「ウフン、宮殿の衛兵団長である! シュクラ・カスバのタヴィスを逮捕する! 該当する男を、連れて来い!」

「ははぁ早速ッ!」

アルジーは、アングリと口を開けた。

呆気に取られた遊女の一団が一歩ほど後ろに下がり、遊女ミリカが「あわわ……?」と、どもる。

早くも、淡い茶髪をした白髪混ざりの年配男が引っ立てられて来た――あの人だ。

「タヴィスさん! いったい何が、どうして、何があって……」

シュクラ・カスバの年配男タヴィスは、素早くアルジーを振り返って来た。仰天したような表情になったものの、次の一瞬、『何も言わないように』という風に、小さく首を振る。

衛兵団長がバッと三日月刀(シャムシール)を抜き、馬上から、アルジーに突きつける。

「控えおろう控えおろう! 邪魔立てすれば、まとめて牢屋にぶち込んでやる!」

思わずアルジーは後ずさった。

遊女のひとりがアルジーを背中からつかまえ、引きずりつつ、サササッと後退した……刃先が届かない距離まで。

「ウフン、神殿から匿名の通報が来ているんじゃ! 保管中の、ジン=イフリート《魔導札》数枚が盗まれていた、とな!」

「ジン=イフリート《魔導札》? 爆発炎上させるアレ?」

「その当日、このシュクラ・カスバのタヴィスが礼拝に来ておったという! この男が、風紀役人ハシャヤルの殺害犯! その《魔導札》押収するぞ、証拠としてな!」

金糸刺繍付きの丈長ベストを唯一まとう衛兵団長は、得意顔だ。手を伸ばして、タヴィスがポカンと持っていた黄金色の御札をバッとむしり取り、懐に収める。

今しも導火線に火を付けられるところであった《魔導札》――遊女たちが『舞台道具』と言っていた《魔導札》。

「はぁ!?」

素っ頓狂な叫びをあげたのは遊女ミリカだ。

「いや、ちょっと待ってよ、その《魔導札》は――」

「卑しい女どもは、だまらっしゃい!」

ますます調子に乗っているのか、衛兵団長は、三日月刀(シャムシール)を振り回して怒鳴り続けた。

後ろでは、そんな団長の気質を承知しているのか、騎馬姿の部下の面々が『我関せず』とばかりに口を引きつらせて後ずさっている。

「シュクラ・カスバのタヴィスは、礼拝に来たふりをして、 神殿に保管されていたジン=イフリート《魔導札》を盗んでいたのだ! それをハシャヤルに目撃されて、ハシャヤルを殺したに決まっておるのだ!」

タヴィスは、突然の難詰に困惑顔をしながらも、洗練された所作で首を振った。

「身に覚えがありません」

「今さら、言い訳は見苦しいわ! おい、反乱指導者タヴィス、貴様は、大量のジン=イフリート《魔導札》を盗んだ! そして、 卑劣にも東帝城砦の各所で爆発テロを起こし、反乱を実行しようとした! 火あぶり拷問してでも真実を吐かせてくれるわ、ハハハのハァ!」

シュクラ・カスバから徴発されていたのであろう、淡色系の髪の人々が駆け寄って来た。あまりな言い掛かりに耐えかねたように、口々に抗弁し始める。

「それは絶対ありえないぞ」

「タヴィスさんが神殿へ行くのは納税報告書を提出するためだからだ。神殿の経理部門のほうへな。あの日が提出日だった」

「礼拝に使うカネも時間もあるもんか」

「あんたら、シュクラ宮廷霊媒師のオババ殿を、路上の行き倒れとして発見したからって、民間の無名の共同墓地のほうに放り出しただろう。 トルーラン将軍やトルジンはビタ一文出さなかったって聞いてるんだぞ」

「シュクラ宮廷へ多大な貢献のあったオババ殿の命日だから墓地へは寄るが、距離があるから時間かかるんだよ。 私たちも、休憩時間を代表者ひとり分に集中してとって、それも昼食時間帯に、代表者が急いで墓参りするだけなんだよ」

衛兵団長は、的確なツッコミが響いているのか、ピョンピョン飛び跳ねた。金糸刺繍付きの丈長ベストも、それに合わせてピョコピョコと跳ねる。

「だまれ、だまれ、だまりおろう! おい工事監督、タヴィスは他の《魔導札》も持ってるだろう! 大爆発するヤツをな!」

「いや、それが」

派手ターバンの小物役人である中年ヒゲ男、工事監督は、困惑顔をして頭をかいた。

「要監視人物ってことで、都度、使う数だけしか所有許可してないんで。いまコイツが持ってんのは、その《魔導札》1枚だけです。 礼拝に行ってたっていう日も、命日の墓参りの日と重複してるってんで、線香の着火にしか反応しない、使い古しの出涸らしの《魔導札》だけで。 コイツはこれで有能でトラブル収拾も上手だし、さすがに俺も命日の墓参りを禁じるほど鬼じゃありませんや」

「ええい! おい野郎ども、とにかくタヴィスを引っ立てろ、即刻、牢屋へぶち込んでおけ」

衛兵団長は顔を真っ赤にして怒鳴った。絶叫した。

かくして、衛兵の一団は、タヴィスを拘束しつつ、立ち去って行ったのだった。

「え……どうしよう。ホントに拷問されたりする?」

アルジーはボンヤリと呟くのみだ。

遊女の一団が「うーん」と言いながら相談を始める。

「今日、明日のうちに拷問って事は無いよね」

「確か手続きがあるんだよ。今回《魔導札》がかかわる案件だから、まず神殿から調査官を呼ぶ。立会人を決める。 でもさ、容疑者その1、その2、その3、その4、ってゾロゾロ出て来ただろう、神殿の調査官は忙しすぎて、なかなか時間が空かない状態の筈だよ」

「こうなったら、女傑にお出ましいただく案件だね。ロシャナクに、すぐに話を通す。あの《魔導札》、あたしたちが原因でーす、ってさ」

耳をそばだてていた工事監督と、意欲のあり過ぎる助手と、シュクラの作業員の面々が、バッと詰め寄った。

「おい! 何だ女ども、あたしたちが原因でーす、って何だよ!」

「あんたたち、いったい何だ、誰なんだ、ナニゲに1人、邪霊《骸骨剣士》、いや、死にかけ男が混じってるようだが」

遊女ミリカが派手ターバンの工事監督を振り返り、目を丸くした。

「昨日、娼館に来てた工事監督じゃないか、よく見れば」

「うぐ……!?」

「これ、あんたから『大麻(ハシシ)とかには着火するから楽しんでね、プレゼント』ってもらったんだよ、あたし。 そしたら丁寧語おっさんの荷物で見たのとソックリだったからさ」

ミリカの近くに居た遊女たちが、「そうなんだよねー」と頷き合っている。

「娼館は媚薬なんかの闇取引も多くて、盗品には警戒してるんだよ。盗品の可能性も考えて、念のため、ちょうど接待してた客のひとり、信頼できる常連さんの魔導士にコソッと見てもらってさ」

遊女ミリカは、腰に下げていた小物袋から黄金の《魔導札》をサッと取り出して見せた。

「もらったコレ、バリバリ地面を削るパワフルなヤツだってさ。そして、あたしが持ってた筈の舞台用小道具の《魔導札》が無くなってた」

「つまり、どういうことだ?」

ポカンとする工事監督。遊女ミリカは、更にたたみかけた。

「あたしが持ってた舞台用オモチャ《魔導札》と、タヴィスさんの持ってた線香用《魔導札》が入れ替わってたんだよ。あの火事現場で荷物いろいろ落として、詰め直してたからね。 その後で、舞台用オモチャ《魔導札》が工事用バリバリの《魔導札》と入れ替わってしまって、線香用《魔導札》と間違われて持ち出された……ってとこかな。 あのウフンな衛兵団長のフトコロに行ったの、舞台用オモチャのヤツだよ」

「な、何で……!?」

派手ターバンの中年ヒゲ男――工事監督は、遊女ミリカから差し出された、工事爆発用の強力な《魔導札》を、ブルブル震える手で受け取っていた。

意欲のあり過ぎる助手がサーッと青ざめ、ブルブル震え出す。あからさまに動転した様子に、工事監督が気付き。

「おい!」

「えーと、あの日、タヴィスから《魔導札》をルール通りに返還してもらって、 専用の保管箱に詰める時に……『使用前』と『使用後』の保管箱が2つとも落ちて、《魔導札》を……すぐに元に戻したけど……ゴニョゴニョ」

「混ぜたってのかぁ! このドアホ! 何で報告しない!」

「え、久々に、酒場へ繰り出す予定だったんで。時間が惜しくて」

「どあほぉおおおぉぉぉお! てっきり、これは『使用後』の出涸らしだと……! これがバレたら、クビだ、クビ! どうすんだ!」

――こやつらは。

アルジーの目が据わった。口元が歪んだ形に吊り上がる。

――ミリカさんが以前「あんた、怖いよ」と言って来た時の表情が、できてる筈。

「……あのさぁ、工事監督さんと助手さん、取引しない?」

「な、なんじゃ?」

ドスの利いた低いハスキー声にギョッとした様子で、工事監督と助手が青ざめた顔をしつつ、一歩、下がった。

市場(バザール)の裏側についても察しの良い遊女たちが、ピンと来た様子でザッと動き、工事監督と助手の周りを取ってくれる。

「私さぁ、役所の書式ぜんぶ知ってるから、匿名の密告でもって、あんたたちを監査部門に告発できるんだよね。ねぇ、告発されたくは、無いよね。 神殿の調査官、この間、会って話したんだけど、ガッツリ調べるヤツだね、あれは。賄賂とか袖の下とか、あんまり通じそうにない男だよ」

「う、ぐぐぅ……」

「くれるよね? 口止め料」

「わーお、ねぇ工事監督さんたち、このミリカが言うから間違いないけど、コイツ、尻の穴の毛までむしり取るレベルで、がめついからね。 とっとと、お股の大事なアレまで、むしり取られてしまいなよ。もげたらスッキリするよ」

「うぐぉ」

「いひぃ」

ダン、と、足を踏み鳴らすアルジー。

「大の男2人して何を、のけぞってんのさ。それでも娼館に通ってるヤローか。娼館や酒場で使ってるカネ、さしづめ横領したカネだろ。 そのうち神殿のクソ真面目な調査官がやって来て、ここの経理を徹底的に洗うと思うけど。不透明なカネの流れ、バレたら嫌だよねぇ?」

「や、やめて、その死神の骸骨顔で迫らないで」

「あんた、本物の《骸骨剣士》よか、よっぽど《骸骨剣士》……」

工事監督と助手は、鼻水たらしてヒイヒイ言いながら座り込んだのだった……

*****

アルジーと遊女たち一団は、工事現場の事務所に押し入った。

日干し煉瓦を積んだだけの簡単な平屋ではあるが、屋根はキッチリついていて、それなりに引きこもれる設備が揃っている。

恐れ入り果てた工事監督と助手は、すっかり大人しくなってしまい、遊女たちの言うなりである。ボロボロの作業員たちは、ポカンとした顔で、その様子を見守るのみだった。

工事現場の事務所の中は、ちまちまと片付けられていた。

必要なモノの場所がすぐに分かるのは、小物役人ならではの、自主的な整理整頓の習慣のお蔭か。

「男が、何か隠すとしたらココだよね」

察しの良い遊女の1人が、手際よく、工事監督が昼寝に使っていると思しきソファをひっくり返した。クッションが次々に裏返される。

いかにもソレ、という不正帳簿が出て来たのだった……

「あんた、国税局の女かよ……」

すっかり観念した様子の工事監督と助手は早くもグルグル巻きに縛られ、床に転がされているところだ。

アルジーは不正帳簿にザッと目を通し、素早く概要をつかんだ。

帝国伝書局・市場(バザール)出張所の名物、モッサァ赤ヒゲ熊男バーツ所長にしごかれたお蔭で、帳簿の読み方は心得ている。 帳簿のあちこちに出て来る使途不明金、すなわち横領のすっぱ抜き技術も身に付いた。トルーラン将軍や御曹司トルジンによる、度重なる「やらかし」の産物だ。

アルジーは、テキパキと、ボロボロの作業員たちに声を掛ける。

「タヴィスさんの次の代表って誰? 労務記録の照合できるでしょ」

シュクラの作業員たちはポカンとした顔になったが、それぞれに元は役所勤務だったりした経験によるものか、すぐに「代表です」という人物が前に出て来た。

――シュクラの流儀で一礼して来た。

泥だらけではあるが、既視感を覚える目鼻立ちの青年。一瞬だけど、シュクラ王族の雰囲気を感じた。年齢的には、従兄(あに)ユージド……か?

不意に気付くところがあり、アルジーは目をパチクリさせた。

――最近、金融商オッサンの店の前で顔を見かけるようになった、あのシュクラ貴公子。

この貴公子風シュクラ青年の……作業服に隠れた腕の辺りから、あの精霊契約の護符の雰囲気を感じる。以前は感じなかったけど。

シュクラ王太子は、先祖伝来の精霊契約の護符を常に身に着けるという。

従兄(あに)ユージドから一度、見せられたことがあった……白孔雀をモチーフにした、魔除けの腕輪(アームレット)。バングル型だからあまり目立たないけど、あの雰囲気……

まさか。

ハッキリとよぎった確信のようなもの――だが、そのままにする。それどころでは無いから。

経理に強い遊女の2人が、事務所のソロバンを弾き出した。作業員たちの実際の労務実績を確認して報酬額を算出し、アルジーに渡す。

アルジーは、事務所の金庫からゴッソリと取り出した為替書類に、報酬不足額を記載して行った。本来、作業員たちが受け取ることになっていた金額だ。

壁に張り出された総合金額の下に、次々に為替の数字が記録されてゆき、差っ引かれてゆくのが目で見て分かる。

工事監督と助手が、もはや燃え尽きた、といった様子で進行中の作業を眺め出した。

「骸骨ヤロウ、何で、そんなに書類の作成が速いんだよ。数もあるのに、ミスも出てねぇし」

「数をこなすのが本業だからね」

――実際、代筆屋の仕事は、こういうのが多いのだ。次々に積み上がる書類の束。作業員の人数分、為替書類が積み上がったところで、平静を装ってシュクラ青年に渡す。

「お待たせしたね。口止め料」

「確かに受領いたしました」

「丁寧語は使わなくていいよ。ガラじゃ無いし、むずがゆい」

インクに真っ黒にまみれ、疲労した手をコキコキとやる。骸骨の手も同然の、骨の浮いた見かけ。

この2年で、手には硬いペンだこも出来て、すっかり荒れ果てた。 これまで積み重ねて来た犯罪スレスレの行動を告発しているかのように、こびりついて溜まった古いインクが、爪の端を真っ黒にしている。とうてい、王族の姫君の手には見えない。

アルジーがジロリと睨むと……シュクラ青年は察しよくアルジーの意向を読み取った様子で後退し、為替書類をまとめて中年の作業員に引き渡した。この中年が次席の代表という事なのだろう。

次にアルジーは、グルグル巻きに縛ってある2人をクルリと振り返る。

「さて、工事監督さんと助手さん」

「ひぇい?」

「為替書類と並行して、神殿の調査官のチェックに合格する経理記録、作成しといたからね。いままで数字をごまかしてコッソリ横領してたって事実はバレないと思うよ」

「つ、つまり」

「クビは飛ばない?」

「それにしても、こっちの経理記録、不正バレバレだね。横領するなら、もっと綺麗に数字ごまかさないと。 と言う訳で、これから横領予定だったんだろうけど、浮いて来た使途不明金は代筆料金として全額いただくよ、ビタ一文も残さず。『スゴイ急病してたから薬代に使った』ということで。 仮病の病名はお任せするから、ご自由に」

「がっつきやがって……ぎゃふん」

「その金をせしめることが目的だったのかよ、がめつい骸骨……」

本当に鼻の毛どころか、尻の毛までむしり取られた形になった、工事監督と助手であった。

工事監督と助手がガックリと首を垂れていると、事務所の外で警戒していたシュクラ作業員たちがザワザワし始めた。

表に居た作業員たちの間に入って、為替書類を配っていた中年男が、焦った様子で声を掛けて来る。

「神殿の調査官が接近して……さっき、区壁の向こう側に衛兵の大斧槍(ハルバード)の列が見えたんですが、神殿の衛兵が付けているタイプの赤い吹き流しリボンが」

シュクラ青年は外を確認し、形の良い眉をひそめた。

「あれだけ衛兵団長が騒いでいたから、さもありなんか。反乱の資金源になるような、不透明なカネの流れが無いかどうか緊急で調べに来たんだろう。 あの団長、トルーラン将軍の武装親衛隊と親しいから」

縛られて床に転がされていた工事監督と助手は、小物役人根性を発揮してジタバタし始めた。

「ひぃいやぁああ、お小遣いの娼館の、使途不明金、経理記録、反乱の冤罪ぃい」

「クビやぁ、クビ確定いやぁあ」

遊女たちがサッと飛び掛かり、手際よく縄を外した。

「あたしたちはフケるよ。あとは、あんたたちで仲良くやってよ。じゃあね~」

「こっちが不正な経理記録、そっちが新しい経理記録。不正なほうは貰ってくからね。変なことしたら帝都の監査部門タレこむから、よーく考えようね」

駆け出した遊女たちに続いて、不正な経理記録を抱えて飛び出すアルジー。壁に貼り出してあった検算用の記録紙も、ついでに剥がして持ち出す。証拠隠滅。

遊女の一団とアルジーは事務所を飛び出し、別の区壁のほうへと、トンズラした。外の光景は、既に夕方が始まっていた。

かくして。

その日の夕刻。

急行して来た神殿の調査官と、随行の衛兵たちは。

何故か事務所の床で呆然とへたりこんでいる工事監督および助手と、使途不明金ゼロの明朗会計な経理記録と、今しがた正当な報酬を頂いていたと思しき作業員の一団を、眺めることになったのだった……

■08■月食の夜の幕間劇:闇と銀月の夢がたり

西の地平線の彼方で、灼熱の太陽が少しずつ、その身を沈めていった。

高層建築は夕陽の赤さに輝いていた。その狭間で陰になっている下町の数々は、すでに夕宵の暗さだ。あちこちの路地裏で、夜間照明のランプが灯ってゆく。

アルジーと、『ワ・ライラ』の遊女たちの一団は、市場(バザール)の一角へと帰還していた。

広場には、出来合いの夕食を提供する屋台店が、ずらりと並んでいる。仕事帰りのターバン姿の男たちが串焼きの肉などを買い、慎ましいベール姿の主婦たちは野菜売り場のほうで品定めをしていた。

野菜売り場は多彩な品揃えだ。ナツメヤシの実は定番の果物。新しく入って来たらしいキュウリ、ナス、ウリ。

多数の人波をよけて、市場(バザール)をぐるりと回っているうちに、日没の刻を過ぎてゆく。

遊女たちの本拠地、高級娼館『ワ・ライラ』のある街角までは、まだ幾つかの広場と十字路を渡る必要があった。アルジーの代筆屋のある路地裏は、さらに奥まった位置にある。

「あー、それにしても記録に残らない、残せない金額せしめるって考えたもんだね、アルジー」

遊女ミリカが野菜を選びつつ、感心した様子でアルジーに声を掛ける。

そのアルジーは、『不正な経理記録と、使途不明金の金額分の為替書類』の入った包みを、ヒシッと抱き締めているところだ。何があっても絶対に離さない、という気迫でもって。

「がめついねぇ」

再び遊女ミリカが声を掛け、ほかの遊女仲間たちが思い思いに別の市場(バザール)商品をチェックし始め……

日没後の空気は、見る見るうちにヒンヤリとしていった。

東の空では満月が姿を現し、次第に高度を上げ始めている。

夜のとばりが降りる空の下……街路を行き交う人々も、思い思いにマントやストールを巻き付けて、夜間の出で立ちである。

アルジーは、不意に立ちくらみを覚えた。

相棒の白文鳥《精霊鳥》パルが、けたたましく鳴きながらターバンの隙間から飛び出した。

『月食! 今夜は皆既月食だった!』

ビックリするような数の、小鳥の白羽が舞い散る。

アルジーの目の前で、市場(バザール)の吊りランプが傾き、グルグル回り始めた。

――身体が傾いたようだけど、ハッキリしない……何だか熱くて、自分の身体じゃ無いような……あ、発熱? 体力の余裕が無かったのをスッカリ忘れていて、無理したから?

先ほどから、こちらを眺めていたらしい通行人の青年が、「アッ」と目を見開いていた。最近、何処かで見たような、濃紺の覆面ターバン姿だ……

「……おい!」

濃紺の覆面ターバン青年の慌てた声……タタッと駆け寄る足音。

――いまは、此処で倒れる訳にはいかない。

シュクラ王太子のみが持つ腕輪(アームレット)の気配。あのシュクラ青年に早く会って、もう一度、確かめなきゃいけない。金融商オッサンの店で待ってれば、会える筈。

それから、タヴィスさんへの疑惑を晴らして、それから……

一瞬よぎった天空の景色の中。

端の欠け始めた銀月が、輝いている。

アルジーは夕食を買い食いする人々が行き交う市場(バザール)の真ん中で、意識を失ったのだった……

*****

いつしか、アルジーは夢を見ていた。

――どうやら、6歳か7歳の頃に戻って来ているようだ。

故郷、シュクラ王国のアリージュ姫だった時の出来事を、夢に見ているのだ。

アルジーがそう思ったのは、何となく覚えのある子供用ベッドの中で、不意にパチリと目を開いたからだ。

シュクラ様式仕立ての格子窓の外、天頂に近い位置に満月が掛かっている。

月食の夜。

半分以上も欠けた銀月が、赤みを帯びた光を地上に投げていた。

純白の雪をいただく連嶺が、息を呑むほどに近い。月光が暗赤色に近づくにつれて、現れて来るのは満天の星空だ。

山岳の中腹あたり、断崖絶壁の地形に沿うように造成されたシュクラ王宮。

上古の《風の精霊》に属する一柱《白孔雀》を崇拝する――というお国柄を反映して、礼拝堂のドーム屋根は、空の色を表す青と翼の色を表す白のタイルで、装飾されていた。

その一角に、シュクラ王室ご用達の庭園がある。地形に沿って、こじんまりとした区画に分かれているため、山間の菜園や薬草園といった雰囲気である。

格子窓の並ぶアーチ回廊沿いの、こんもりとした桑林の間を、ユラユラと銀色にほのめく人影が横切る。

――お母さまだ。

長い銀髪の女性が、ベールを外したまま、小さなランプを持って夜歩きをしていた。《シュクラの銀月》の、星明かりにさえ輝く銀髪が、幼い子供にも分かる目印になっている。

幼いアリージュ姫は、その時は何故か、ピンと直感が働いた。寝かされていた子供用ベッドからコソコソと抜け出し、物陰に隠れながら、母親――シェイエラ姫の後を付いて行く。

夜の庭園に佇む母親の後ろ姿。豊かに流れる銀髪。星空を眺めている。

ランプを持つその腕に、ふわもち白文鳥の姿をした《精霊鳥》が止まっている。冠羽をピッと立てて「クルクル」さえずっているところ。

星空を眺めていると。

ボンヤリとした流れ星が現れ、スーッと落ちて来た。それはフワフワ・モチモチの度を増しながら、ドンドン大きくなった。毛玉みたいな流れ星だ。

白いケシ粒だったのがマメ粒になり、手乗り大福になったかと思うや、庭園の桑の木の中に飛び込み、ポポンと弾みながら着地する。

シェイエラ姫が、その部分に手を入れ……そして取り出す。手の上には、白い小鳥が乗っていた。

白文鳥の姿をした《精霊鳥》。

何故なのか、換羽の真っ最中の時みたいに全身の羽毛が剥げていて、疲れ切っているようだ。 それでも、さえずるくらいの体力はあったようで、かねてから待ち受けていたらしい1羽と一緒になって、ピヨピヨと何かを話しかけている。

シェイエラ姫は長い銀髪を揺らし、「うーん」と考え込むような仕草をした。

『何を言ってるのか良く分からないの、ごめんなさいね。《精霊語》がどれだけ出来るかは個人差が大きいから。 私の娘は、オババ殿がビックリするくらい《精霊語》の才能があるから、明日、いろいろ話して、遊んでやってくれると嬉しいわ。 実を言うと、ピッピの言葉を聞き分けて、今夜ポポンが来るらしい、と教えてくれたの、アリージュなのよ』

シェイエラ姫の《精霊語》は、半分以上は人類の側の方式。全体としては、たどたどしい物になっている。

しかし、2羽の白文鳥のほうは理解できたようで、そろって首を傾げた後「ぴぴぃ」と返していた。

夜空が闇の度合いを増したような気がして……再び、振り仰ぐ。

いつしか、もうひとつの背の高い、なじみ深い人影が、シェイエラ姫の傍に立っていた。お父さまだ。

鷹匠。

その腕には……ビックリするくらい大きな白タカ《精霊鳥》が止まっている。白タカ《精霊鳥》シャールよりも、もっと大きい。むしろ白ワシに近いかも。

ふたつの人影となった両親は、再び満月を眺め始めていた。

皆既月食だ。

暗赤色をした闇の月。さらに向こう側に謎の天体《炎冠星》が重なる。奇妙に闇色を思わせる暗い金色の炎冠が、暗赤色をした月影の周縁をチラチラと取り巻いた。

太古から続く天空の舞踏劇――《闇と銀月》の時間。

やがて銀月から暗赤色の陰影が外れてゆき、暗い金色の炎冠も消えた。

かの《闇と銀月》の極まる時間は、10分かそこら……《魔導陣》の効果が、長くても10分くらいしか続かないのと同じように。

闇と銀月……

そのような題名の四行詩を見た記憶がある。無名詩人カビーカジュ・作。

――千と一つの夜と昼 すべての星が落ちる時
天の果て地の限り やよ逆しまに走れ 両大河(ユーラ・ターラー)
千尋の海の底までも あまねく統(す)べるは 闇と銀月
三ツ辻に 望みを捨てよ 巌根(いわね)ひとつを ともにして――

そして、夢の場面が変わった。

……母シェイエラ姫が死んだ日だ。

幾何学的紋様に彩られた仕切り扉の向こうで、人が倒れたような音――そして、オババ殿の叫び声。

幼いアリージュ姫は、全身がグラリと傾ぐと共に、時が止まったような不吉な空気を感じ……不意打ちの直感のままに、格子細工の扉を開けて、飛び込んだ。

床に散らばった、長い銀髪。

いつもの母親の姿とは似ても似つかない。けれども目鼻立ちは共通の……骨と皮だけになって横たわる、骸骨のような女性。 見える手先や顔面には、びっしりと、暗い黄土色をした紋様が張り付いている。

――生贄《魔導陣》。

オババ殿がものすごい力で引き留めたため、アリージュ姫は、それ以上、母親と思しき女性に近づけなかった。

見る間に、生贄《魔導陣》は暗い色をした黄金の炎を噴出した。横たわった骸骨の如き姿をしたものは、お焚き上げされているかのように全身を燃やされ、本物の白骨死体になり……

……《銀月の祝福》によるものであろう、一瞬、暗い色をした黄金の炎の中で、銀月の色が閃く。

そして、細かく砕けながら、暗い黄金の炎をした闇に呑み込まれていった。

『九百の夜と昼……』

地獄の底で巨大な怪物がうめいているような……古代めいた《精霊語》による、不気味な音声が陰々と轟き。

暗い色をした黄金の炎が消え、そこに残ったのは。

その時、母が身に着けていた長衣(カフタン)その他の、着衣だけだった……

*****

泡がゆっくりと水面に浮上するように、アルジーの意識は浮上し……ポンと開けた。

多種多様な化粧品の匂い。

ぼんやりと目を開けてみると、いかにも「その手のもの」なレースの付いたペラペラの高級な紗幕(カーテン)。ザクロの実をモチーフにした色っぽい置きランプ。娼館の中。

幾何学的格子の窓枠……その外は、夜だった。

満月だが、それにしては月光が弱い。改めて見ると、月の色は暗い赤みを帯びている。その形も欠けているところだ。

枕で「ぴぴぃ」という白文鳥《精霊鳥》、相棒パルの声が上がった。

『皆既月食の後半だよ、アリージュ』

次に、ちっちゃな白文鳥の身体が頬(ほお)に触れて来た。換羽は後半に来たところか。新しく生えて来ている羽毛が、チクチクする。

相棒パルの全身は、古い羽毛がゴッソリ抜けてスゴイことになっていた。地肌が見える箇所もあり、これで、よく飛べるな……と思うくらいだ。

脇で人の気配が動く。

ホッとしたような顔をした女商人ロシャナクが、のぞきこんで来た。鬼耳族の出身の、年齢不詳の美人だ。ベールを上げていて、髪の間から、スッと先端の伸びた鬼耳が見えている。

「……ロシャナクさん」

「目が覚めたかい、アルジー。うちのミリカたちが、ビックリして運び込んで来たんだよ。あんた高熱を出して、ぶっ倒れたって言ってさ。野菜売り場の真ん前で」

「あ、ありがとう……ございます」

「お礼は、あんたが石畳に頭を打ち付けるのを止めてくれた男子通行人に言うんだね。まぁ、こっちのほうで、お礼済みだけど」

「男子通行人?」

「覆面ターバンで顔ほとんど隠れてたけど、金色の目をしてたよ。武者修行中の訳ありの御曹司っぽい感じだね。一時的に傭兵とか、隊商(キャラバン)の雑務をやってるらしい。 目鼻立ちは綺麗な感じだったし、酒姫(サーキイ)もイケる体格でさ、勧誘したんだけどね。忙しいとかで、すぐ行っちゃったよ」

「そうですか。えーと……まだ今夜ですよね」

「真夜中を過ぎたばかりだよ」

女商人ロシャナクは、窓の上のほうをヒョイと見やった。先程よりも少し形の戻った月が浮かんでいる。

「皆既月食の予想は神殿の天文台から出てたけど、ウッカリしてたんだろう。月食の始まりと同時に倒れて、皆既の後半に意識が戻るなんて、変に精密な体質だね。 《炎冠星》の軌道と交差してないとかで、炎冠の無いほうの普通の赤い皆既月食だけどさ、どっちのほうが響くのかは、あたしは知らんから」

女商人ロシャナクはアルジーの額に触れ、「熱は下がってるね」と頷き、部屋の中を見回した。

「ここ、例の御曹司が『もげた』部屋なんだ。消毒済みだよ。あんな出来事があった部屋だから、縁起でもないって言って、お客さんが寄り付かなかったんだけど、もっけの幸いかね」

ボーッと聞いているうちに、いつもの思考が戻って来る。ふと手をうごめかせて、アルジーはハッと息を呑んだ。シッカリ持っていたアレが、無い。

「カ……カネ! あの帳簿……為替は、カネは!」

「三言目にはカネかい。気絶中も、あの包みを恋人みたいにギッチリ抱き締めて離さなかったし、トコトン、プッツンしてるね」

アワアワしながら身を起こし――再び貧血を起こしてベッドに沈んだアルジーを眺め、ロシャナクは呆れ顔だ。

「心配しなくても、そこのランプ台のとこに置いてあるよ」

ザクロの意匠をした色っぽいランプを見直してみると、確かに、そこに帳簿やら、いつも持ち歩いている筆記用具やらがある。

女商人ロシャナクは手慣れた風で、タジン鍋の野菜煮とナツメヤシの乾燥果実を出して来た。家庭料理の定番。

「明日は繁忙期なんだろ、シッカリ食べて、ゆっくり寝てな。アンアン言ってる声とか騒音とか気になるようだったら、うちら鬼耳が愛用してる強力な耳栓あるよ。 それで――純粋に興味から聞くんだけど、夢を見てただろ。何の夢を見てたんだい、アルジー?」

「夢って?」

「妙にハッキリしたうわごと。桑の木とか、銀月とか」

「……だいたい母の夢かも。いつもは、あまり……」

「そうかい」

女商人ロシャナクは納得したように頷き、思案顔をして、静かに珈琲を飲んでいたのだった。

格子窓を通して、歓楽街のざわめきが聞こえて来る。

路上には、夜を徹して営業する屋台店が並んでいるのだ。

酒・タバコや珈琲類の提供、および、クジ引きで『レアな紅白の御札』を当てる賭博の楽しみを提供している。 『レア御札』は、歓楽街ならではの「酒の素晴らしい味と酔いが来るオマジナイ」「情事がもっとスゴクなるオマジナイ」という商品だ。

通りから聞こえて来る賑やかなざわめきに耳を傾けていると、やがて、酔っ払い同士の大声の自慢話が聞こえて来た。 たいていは、「砂漠の真ん中で、こんな巨大な怪物を倒したんだぞ、すごいだろう」という類のもの。

女商人ロシャナクは持ち前の地獄耳でもって、不意に気になる話題を捉えた様子。格子窓に顔を寄せ、先祖から遺伝した鬼耳をピクピクと動かし、内容を拾い始めた。

「ありゃ御曹司トルジンの武装親衛隊の面々だね。路上で、三つ首の怪物まとめて一刀両断したって噂の、無敵の黄金巨人『邪眼のザムバ』、謹慎が解けたってんで祝賀会らしいね」

クジ引きで『レア御札・素晴らしい酒』が当たったという騒ぎが響いて来た。ザムバは早速それを使ったらしく、ヤンヤの喝采が聞こえて来る……

……

「おぅ、まるで八叉巨蛇(ヤシャコブラ)だな、おい。しかもパンツはシマシマかよ」

「あの神殿のアホ調査官め、アサッテの疑い振りかけて来やがって、一刀両断にしてやったわ、グァハハハ!」

聞き手のビックリしたような騒ぎが続く。

「調査官を殺したんかい」

「いや、疑惑を斬ったって意味さ。あのハシャヤル殺害の時、ザムバは野次馬と来るまでは火事現場に居なかったって証明されたんだよ。」

「ホレ、あの黄金の《魔導陣》や《魔導札》って、攻撃力が大きい分、標的に接触しなきゃいかんだろ。 あそこまでジン=イフリートを執着させるには、呪殺の《魔導札》を、事前にハシャヤルに食わせる必要もあったしな」

「いったい誰が、ジン=イフリート《魔導札》と、呪殺の《魔導札》を仕掛けたんだか」

「グァハハハ」

ビリビリと響く轟音のような声質。ザムバの哄笑と知れる。さすが巨人族の末裔というだけのものはある。

「新しく逮捕されて来たヤツが居たぞ、シュクラ・カスバのタヴィスって老いぼれ野郎が。ああいう貧相なヤツがやったに決まっている。 俺みたいに、大物の《三つ首コウモリ》や《食人鬼(グール)》すら斬れないヤツがな、グァハハハ」

「あんたは特殊なヤツなんだよ、ザムバ」

娼館の一室まで響いて来る、酔っ払いの騒音。

……アルジーはベッドの中で固まっていた。

最近、かの『邪眼のザムバ』が《三つ首ネズミ》《三つ首コウモリ》をギタギタに殺戮しまくった日。ザムバとの、異様な遭遇があった日。 相棒の白文鳥《精霊鳥》パルが、物言わぬ石のようにされて、固められてしまった――あの謎の怪奇現象に対する恐怖トラウマは、大きい物がある。

でも。それにしても。

「……『邪眼のザムバ』って、あんなに喋る性格だったっけ……?」

女商人ロシャナクが、不思議そうな顔をして振り返って来た。

「巨人族って酒好きだよ。古代の巨人は象より大きかったという伝説もあって、その頃は八叉巨蛇(ヤシャコブラ)みたいに、1人で大樽いっぱいの酒を8樽も飲み干したらしいし。 酔っぱらうと過剰に陽気になる。あいつらも、それが分かってて飲ませてる」

――神殿の調査官が確認したくらいだから、ザムバは、ハシャヤル殺害に関する限り、無実なのだろう。

怪しさ一番だと思っていた『邪眼のザムバ』は、犯人じゃ無かったのだ。調査次第ではひっくり返る可能性もあるけど、多分、それは無い。

じゃ、風紀役人ハシャヤルを殺害した犯人は、誰……?

……その後も、ザムバの一団の騒ぎは、深夜まで続いたのだった……

……

…………

疲れ果てていたアルジーは、銀月の光が差す高級娼館『ワ・ライラ』二階の一室で、寝入っていた。

歓楽街の路上、夜を徹して営業する屋台店でつづく酔っ払いの騒ぎ。『邪眼のザムバ』の轟くような高笑い。

その目立たない片隅に、あの金色の目をした男子通行人――濃紺ターバン青年がひっそりと佇んでいた。 覆面ターバンの隙間から見える目元は、きつく眉根が寄せられていて、厳しく近寄りがたい雰囲気。

その足元で、子猫の火吹きネコマタが、2本の尻尾の先に火を灯してお座りしていた。不思議な毛並みの良さ。 いつだったか、早朝の市場(バザール)の隅の路地裏に出現して、アルジーと一緒に居た行商人の夫婦に白身魚の切れ端をねだっていた個体である。

やがて……ふらりと、もうひとつの人影が現れた。隙の無い身のこなしは、明らかに熟練の戦士のものだ。

濃紺の覆面ターバン青年が、その人物を振り返って、一言二言、苛立たし気に何かを言い放つ。

その人物は、おもむろに腕を組んで何かを説明……いや、弁解し始めた。

やりとりが一段落した後。

相当に長い間、濃紺の覆面ターバン青年は、通りの反対側に建つ高級娼館『ワ・ライラ』二階の、アルジーが居る一室のあたりに視線を走らせていた……

見えないところでピリピリしている、そんな時間が過ぎてゆく。

そして……黄金色のテラテラ肌をした巨人戦士『邪眼のザムバ』と、その巨体を取り巻く一群が、動き出した。「我が世の春」とばかりに肩で風を切りながら、西の商館の方へ移動し始める。

濃紺の覆面ターバン青年と、もうひとつの人影は、隠密そのものの技術でもって『邪眼のザムバ』とその取り巻きを尾行し始めた……

*****

アルジーのあずかり知らぬところでの、出来事。

月食が終わり、煌々と輝く十五夜の満月が西に傾いたころ――酒宴もたけなわとなる深夜の時間帯。

西の商館の地下では、話題の石膏人形バージョン《骸骨剣士》が舞い踊る、怪奇趣味の賭博の宴会が開かれていた。

暗い金色に着色された夜間照明用のランプが意味深に置かれ、水タバコの煙がモウモウと立ち込める。あちこちで、水タバコの達人によるスモークリングが吐き出されていた。

賭場でやり取りされる、コイン型のガラス製チップが、際限のないジャラジャラ音を立てる。

造り物の《骸骨剣士》ダンスに合わせて詠唱される邪霊崇拝の祭祀呪文は不正確なものだったが……ガラス製チップのジャラジャラ音と共に、おどろおどろしく響いていた。

度を越した深酒でへべれけになった、若干よろしくない連中の間で……「誤魔化したな!」という類の、殴る蹴るの乱闘が始まった。

黄金色のテラテラ肌をした巨体戦士『邪眼のザムバ』も、その取り巻きも、その血の気の多さでもって乱闘に参加した。

よくある場外乱闘ではあったが、酒宴で提供されていたアルコール度数の高い酒は、いったん火が入ると、良く燃えた。高々と燃え上がって……それは立派なボヤ騒ぎになったのだった。

「おい、放火犯は誰だ!」

「あの黒衣のイカレポンチ魔導士だ、やっちまえ!」

「この放火魔、バラしたるわ」

イカレポンチ魔導士と名指された、その謎の黒衣姿が、サッと腕を振ると。

真紅の炎で出来た冠のような《魔導陣》が閃いた。それは爆発しなかったものの、瞬時に空気を熱し、爆風の壁となってゴロツキ共を弾き飛ばしたのだった。

目撃者の一部がざわつき出す。

「あいつ、火のジンを思うままに操れるってのかよ」

「アレくらい自在に誘導できるのって、偉大なる魔導士ザドフィクくらいじゃねえか?」

「帝国宮廷の魔導大臣の?」

同時並行で、秘密裏に潜入していた謎の傭兵姿の一団が、賭場の主催者の面々を次々に拘束、連行していった。 謎の傭兵団が装備していた防具――手甲には、帝国の紋章が刻まれていた。それは、連行されて姿を消す羽目になった、賭場の主催者たちしか知らぬ事実である。

一方で、ボヤ騒ぎと主催者不在をチャンスとして、賭場の金庫から、現金がゴッソリ持ち出されていった……

不埒(ふらち)にも現金やチップを盗み出した参加者たちの中に、釈放されたばかりの、アルコール中毒の中年男ワリド氏が含まれていたことは特記に値する。

そして、一般世間の中では口にのぼることの無い、だが、極めて重要な出来事が進行していた。

古代めいた《精霊語》が、呪文のように流れていたのだ……

――『千の夜と昼』。

*****

暗い金色をした《炎冠星》が絡まない、通常の月食は、持続時間が長い。

その長い持続時間が終わり、更に、満月が完全な姿かたちを回復しようとする刻。

人類の目に見えぬ、精霊の次元が大きく揺動した……

……『千の夜と昼』……

高級娼館『ワ・ライラ』の一室で熟睡していたアルジーは、不意に……不自然に目を覚ました。

グラリと世界が傾(かし)いで、時が止まったかのような――不吉な気配。

卓上ランプの灯は、芯を燃やし尽くして、消えていた。

いまや形を回復した銀月の光が、幾何学的格子の窓枠を透かして差し込んで来る。

いつの間に移動していたのか……白文鳥《精霊鳥》パルが、アルジーの枕元に居て、不安そうに羽を震わせていた。

アルジーは、ボンヤリと首を傾げ。

「明日は忙しいから……」

フウッと息をついた後、再び眠りに落ちていったのだった。

■09■新たな疑惑と、桑林の高灯籠と

翌日。

丸い姿をした銀月が西の端へ降り立ちながらも、東の端で漂う翌日の兆候を振り返る頃合い。

アルジーは、歓楽街通りの高級娼館『ワ・ライラ』の一室で、パチリと目を覚ました。

幾何学的格子に彩られた窓から、夜明け前の市場(バザール)の喧騒が聞こえて来る。 近くの市場(バザール)広場へ運搬されてゆく多種多様な荷車の音、輸送業者たちの掛け声、辛抱強いロバたちの蹄の音。

「ああ……娼館『ワ・ライラ』で休ませてもらってたんだっけ……」

フニャフニャと呟きながら、身を起こすアルジーであった。

発熱がひいたお蔭で、気分はすこぶる良い。毎度の、栄養失調かつ餓死寸前を思わせる骨と皮だけの身体つきではあるが、走れるだけの元気は戻って来ている。

寝台の脇テーブルに設置された、色っぽいザクロ意匠のランプ台。そこで、相棒の白文鳥《精霊鳥》パルが、紙を使って遊んでいた。思わず《精霊語》で突っ込む。

『ちょっと、パル、それ伝言の紙じゃないの。ロシャナクさんの』

『亀甲城砦(キジ・カスバ)の特産なの。この柔らかなのが最高、ピッ』

その伝言用の紙は、クシャクシャになってはいても、破れていなかった。評判に聞く品質に見合うだけの丈夫な紙だ。 帝国の献上品として選ばれている高級紙ともなると、ゆうに千年はもつ……と言われているほどだ。

「あぁ、確かロシャナクさん、亀甲城砦(キジ・カスバ)に親しい友人が居て、時々、高級紙の端切れ入手してるって言ってたっけ……書道や芸術用の紺紙とかも」

伝言の紙に、目を通す。

女性のものにしては力強い書体が並んでいた。カッチリと形を取っているので、読みやすい。

――おはよう代筆屋アルジー。よく眠れただろうね? さて、この部屋の一泊の料金は高くつくんだけど、そんなに現金を持ってないだろう。 宿泊料金は、現金で三割もらうよ。残りの七割として、特製の『灰色の御札』15枚を作成しておくれ。 『酒乱の客を速やかに眠らせて、おとなしくさせる』オマジナイで、よろしくね。ロシャナクより。

程なくして。

高級娼館『ワ・ライラ』カウンター脇の、ひっそりとした特等席のあたりで。

裏の真の娼館主である年齢不詳の美女――女商人ロシャナクと、迷い出て来た邪霊《骸骨戦士》そっくりの男装の代筆屋アルジーは、支払い手続きをまとめ始めたのだった。

目隠し用の衝立で慎重に仕切られた別のカウンターの前では、娼館でやる事をやって朝帰りする客が、コソコソと覆面ターバンをしながら料金を払っているところである。

特等席のほうから窺うと、訳知り顔の熟練スタッフたちが手際よく行列をさばいているのが分かる。 適当に距離を取ってばらけた組ごとに、艶っぽい後朝(きぬぎぬ)の別れの言葉が順番に行き交っているのだ。

一晩で数人の客を相手した猛者スタッフが、器用に衣装その他を取り換えて変装しつつ出没し、客たちに順番に「唯一の愛」や「真実の愛」の言葉をささやいていた。 客を次々にデレデレさせて、割増チップを巻き上げている。

つらつらと眺めていると、たった数分で、「愛は金(カネ)なり」という世の中の真理を悟れようというものである。

――男・女の組だけではなく、男・男の組も、女・女の組も普通に見かける。抜け目のない女商人ロシャナクが、男娼も女娼も揃えているからだが、 「愛は性別を超える」というのも、また真理なのであろうと思えるところだ。

アルジーから提出された『灰色の御札』を検分し、女商人ロシャナクは、上質なベールの間からニンマリと下心のある笑みを見せる。

「毎度ながら良い出来だね。価格を付けて、知り合いの酒場に譲渡してみるのも良さそうだ。ひどい酒乱の客が居て、手を焼いてるそうだからね」

「なんだ、ロシャナクさん……最初からそう言ってくれれば良いのに」

「あくまでも、ビジネスだよ。フフフ」

女商人ロシャナクは、いつになくご機嫌である。

アルジーが男装用のターバンを整えつつ、不思議そうにして窺っていると。年齢不詳の美女は悪戯っぽく片目をつぶって返して来た。

「ひとり、身請け話が決まったんだよ。商品に変な事があってはたまらないからね、ちょいと脅しを入れて確かめてみたんだけど。どうやら大丈夫そうだ」

――『地獄の辣腕』で知られる女商人ロシャナクが、商談相手の信用度合いを確かめるために、何をどうやって脅したのかは……あまり聞かない方が良い。

いずれにせよ、めでたい話ではある。

アルジーは物わかりよく、「成る程」と頷くに留めたのだった。

*****

日の出の刻が近づき、空が明るさを増してゆく。

東帝城砦の誇る広大な市場(バザール)は、まだ夜の名残のひんやりとした空気に包まれていた。

かつての表通りの大衆食堂としての佇まいを残した帝国伝書局・市場(バザール)出張所は、既に早朝の客を迎えている。

日の出と同時に、お使い少年や若手スタッフといった使い走りたちが、伝書バトに託す文書束を持って集まって来ているのだ。

いずれも、東帝城砦・城下町の各所で事業所を開いている、有力な金融商たちからの使い走りである。

内容は、ほとんどが為替などの決済情報だが、月次営業報告書も上積みされている。 各月のこの日が、日ごろから宮殿や神官の役人たちと同じくらい伝書バトを多く使っている金融商向けの、お得な割引サービスの日程となっているためだ。

昨夜のうちに既に他の城砦(カスバ)から到着していたり、素晴らしい速度で折り返し帰還していた伝書バトたちが、 早くも伝書局スタッフの手で付属の鳩舎から取り出され、にぎやかに鳴き交わし始めた。

帝国伝書局・市場(バザール)出張所の待合スペースには、金融商オッサンの店の若手スタッフ、赤毛のクバル青年も居た。 ここでは初の新顔なので、早くも他の若手スタッフたちが好奇心を持って、色々と話しかけている。

モッサァ赤ヒゲ熊男バーツ所長の監督のもと、宮殿にある本局から出張して来た伝書局スタッフの中年男3人が、手慣れた風で作業を進めていった。

既定の重量まで軽量化されてある文書束に番号を振り、次々に専用運搬ケースに詰め、伝書バトにくくり付けてゆく。 手が足りなくなるのが常で、代筆屋も駆り出されるものの……やはり伝書局スタッフの方が作業が速い。

規定重量内に収まらなかった重要文書の束は、体力と知性に優れた白タカ《精霊鳥》が担当する。普段は宮殿や神殿が占有している状態だが、この日のために空けていたり、 近隣の城砦(カスバ)から一時的に出向して来たりした白タカ《精霊鳥》が集結しており、15羽が飛べる状態になっていた。

アルジーはもっぱら、《精霊文字》作業を担当していた。

中継所でリレーする他の白タカ《精霊鳥》向けにも詳しい指示が必要になるため、《精霊文字》送り状を作成する。

手を動かしながら、アルジーは、ちょっと首を傾げた。

白タカ《精霊鳥》15羽に、いつの間にか、3羽が加わっている。合計18羽。

「バーツ所長さん、こっちの子たち、宮殿の中にある本局のほうから来てる? この送り状『誤字が多すぎてヒドイから書き直してくれ』と言うのは分かるけど」

「痩せっぽちの《精霊文字》が正確だからじゃねぇか」

モッサァ赤ヒゲ熊男といった風の毛深い巨漢が、手持ちのソロバンでモッサァ赤ヒゲをしごきつつ、面白そうな顔をしている。

馴染みの白タカ《精霊鳥》シャールが、順番待ちの列の中でカチカチとクチバシを鳴らしながら、ピッピー、ピョッと鳴いていた。その妙に人声めいた抑揚の中に、《精霊語》が編み込まれている。

『遅れは、工夫次第でカバーする事はできる。遅延トラブルも織り込み済みだからな。だが内容の正確さは、そうはいかん。伝言ゲームと同じで、最初と最後とで内容が食い違っているのは、良く有る事だ』

そんなこんなで、任務中の伝書バトが全て飛び立ち、さらに白タカ《精霊鳥》15羽と3羽を送り出せたのは、朝食の刻の少し前のタイミング。

「はーい、おつかれー」

速度と正確さを求められる作業が終わり、場の緊張が一気にゆるんだ。伝書局スタッフも依頼人たちも一斉に、口々にお喋りを始める。 かつての大衆食堂から引き継いだ空間――テーブルと椅子が並ぶ待合スペースが、にぎやかになった。

「何か新しい出来事とかあったかい?」

「あぁ、あったわ、あったわ。昨夜の大事件よ。現場のほう、まだ衛兵たちが騒いでる」

「西の商館の地下室で開かれていた賭博の宴会で、ボヤがあったんだ。知る人ぞ知る怪奇趣味の賭場でよ」

「石膏で作った《骸骨剣士》人形の怪奇ダンスが目玉だったんだが、酒宴してたら、ランプの火か、タバコの火が、アルコールに引火したらしくてさ」

「へッ、誰かが禁じられたアルコール度数の酒を持ち込んだんじゃねぇか。全員へべれけにして自分だけ冷静な頭で儲けをさらっていこうとしたんだろう、バカな野郎よ」

「逃げ足の速かった野郎どもは、これ幸いと、現金やらチップやら余分に持って逃げてんだ。別の賭場に潜り込むんだろうな、イタチゴッコってとこさ」

雑談をしつつ、方々の金融商のお使いスタッフたちに順番に領収証を発行してゆく、伝書局スタッフとバーツ所長であった。

「それにしても近ごろ情報が早いじゃねえか、お役人さんは。何処から仕入れたんだよ。西の商館の地下室、かなりデカい空間だろ。このバーツ様も知らなかったぜ」

「新しく凄腕の忍者を雇ったんじゃろ。市場(バザール)の場末の酒場のほうでは真偽不明の噂の範囲だったようじゃが。どうやって聞き付けたのかのう」

――忍者軍団の中に、精霊使いが居たのかも知れない。

アルジーはフッと、そんな事を思った。

隠密活動に協力する精霊は珍しいが、居ない訳ではない。

このような種類の任務に最も適するのは、火吹きネコマタだと聞く。 ただ、非常に気まぐれな性質の精霊だけに、その集中力がいつまで続くか、正確な《精霊語》を使えるかどうか……などの要素が、分かれ目になってしまう。

高位の精霊であれば、そういった不安要素も無くなっていくが……そもそも高位の精霊の協力を仰ぐのが難しい。

一般的には邪霊のほうが使いやすい。隙あらば嘘をつく、血の匂い次第で裏切る、こちらを食物(エサ)と認識するのみ……などといった数々の不都合を、無視できれば。

帝国伝書局・市場(バザール)出張所の待合スペースのざわめき――市場(バザール)界隈の定番の情報交換は、まだつづいていた。

待合スペースの隅に配された数壺の水瓶には新鮮な井戸水が入っていて、依頼人たちは自由に貰って飲んで良いことになっている。 食事の提供は無いが、弁当の持ち込みや飲食は可。話しやすい空間なのである。

アルジーは、ゆっくりと肩コリをほぐし、集中的な筆記作業で疲れた手を揉み揉みし始める。

無理がきくのは満月に近い頃合いのお蔭とはいえ、健康とは素晴らしい……と、シミジミしてしまうアルジーであった。

(そろそろ、朝ごはん買いに行くか……)

ふと、パルとは違う「ピッ」という鳴き声に気付き、アルジーは、裏路地の側溝に面した格子窓を見やった。

相棒の《精霊鳥》パルと、見慣れない2羽の白文鳥とが、真っ白な団子三兄弟さながらに並び、アルジーの方をじっと見ている。

『新しい子だよね?』

こそっと、《精霊語》で話しかけてみる。

2羽の新顔の白文鳥の反応は、劇的だった。

ピョンと跳ね、「ピピピ、チチチ」とさえずって返して来る。《精霊鳥》のほうの白文鳥。

『うちがコルファン、こっちがナヴィール。あの子が具合悪いの。城壁のとこにある桑林の高灯籠で休ませてるから、来て欲しいの』

『宮殿のとこにある聖火礼拝堂で、骨と皮になって禿げる変な呪縛に引っ掛かってしまったの。みんなで外そうとしたけど外れないの』

『……骨と皮になって禿げる呪縛?』

アルジーは目を見張り、我知らず首を傾げていた……パルの種族、白文鳥《精霊鳥》は、たいていの《魔導陣》仕掛けを感知して、対応できるのに。

『その子の名前は?』

『アリージュ』

一瞬、グッと息が詰まるアルジーであった。

骨と皮になって禿げる呪縛。

かつて東帝城砦の宮殿を初訪問した幼いアルジーが――当時はアリージュ姫だった――呪われた時の現象と、全く同じ。

7歳の時に引っ掛かった『死の呪い』、すなわち、生贄《魔導陣》は、たった一晩で身体を骸骨のように瘦せ衰えさせ、頭髪をほぼ完全に脱毛させていたのだ。

――その哀れな白文鳥は、羽毛が禿げた状態になったと思われる。

鳥と人の名前が重複することは多いが、同じ名前で、似たような内容の呪いに引っ掛かるのは、偶然だろうか……?

……パルの種族でさえ対応できないような、怪物的な《魔導陣》に。

耳の下で揺れている耳飾り――亡きオババ特製の白いドリームキャッチャー護符が、何かを感知したように震えている。

(これは、怪物王ジャバへ捧げる生贄の印として刻まれると聞く、1001日の生贄《魔導陣》とも、関係があるかも知れない。ううん、間違いなく、何か関係がある!)

アルジーはターバンを締め直し、手荷物を引っ提げて外出準備を整えた。

バーツ所長が赤ヒゲをモサモサさせながら、「おや?」と振り返って来る。

「何じゃ? 朝メシの買い食いなら、いつもの目の前の食い物屋じゃないか」

「新しい用事ができて……城壁の桑林」

「今日の予定は、あのお馴染みの金融商、がめついヤツのとこじゃ無かったのか? 何かの文書を預けるとかで。 まぁ、ちょうど良いから、この文書束を聖火神殿まで配達してくれねぇか。城壁の桑林まで行くなら、途中だろ」

モッサァ赤ヒゲ熊男バーツ所長は、待合スペースの特等席にある所長デスクの引き出しの中から、テキパキと文書束を出して来た。

この街区の商館や隊商宿から出されて来た、聖火神殿への申請書類だ。

邪霊害獣の魔除けを、新品に交換してほしいという内容である。

魔除けを古いまま放置しておくと、三つ首の《人食鬼(グール)》成体も出現するリスクが上昇するのだ。

野生の火吹きネコマタ・火吹きトカゲや、白タカ《精霊鳥》でも抑えられる幼体はともかく……急激に巨大化・怪物化する成体は、かの火のジン=イフリート並みに……あるいはそれ以上に、厄介な存在である。

――邪霊使いの類に限っては、新たに強力な使役対象が増えて、喜ぶのだろうけど。

アルジーが荷物袋の中に文書束を収めていると。

いつの間にか、赤毛スタッフ青年クバルが近づいて来ていたのだった。

「頭取オッサンのとこにも寄るっすか。ついでだから一緒に付き添うっすよ。頭取オッサンに預ける文書って、それっすよね。その『魔除け新調』申請書類の下にあるヤツ」

アルジーは少し考えた。

拒否する理由は無い。むしろ心強い。

「じゃあ、一緒にお願いします……パル、コルファン、ナヴィール、おいで」

3羽の白文鳥が「ぴぴぃ」とさえずって、アルジーの生成りターバンの上に飛んで来て、止まった。

「オレも腹が空いて来たっすよ、そこでメシってことで」

アルジーが赤毛スタッフ青年クバルと一緒に、市場(バザール)の屋台店で食べ歩き用の朝食を選んでいると。

「あら、おはよ」

声を掛けて来たのは、麻の大袋を抱えた遊女ミリカだ。陽射しや埃(ほこり)を防ぐための、割合にシッカリした布地のベールに、ストールをしている。

「2人して、どこ行くんだい? 金融商オッサンの店とは方向が違うっぽいけど」

「聖火神殿に寄って、次に城壁の桑林、最後に金融商オッサンのとこ回る」

「あーら、城壁の桑林へ行くの? 偶然にも行き先が同じ。今日は、あたしが蚕さんにやる桑の葉っぱ貰って来る当番なんだよ。我らが娼館『ワ・ライラ』の副業が、蚕さんだからね」

*****

少しばかり変わった3人連れが、聖火神殿へ通じる目抜き通りの雑踏の中で、歩を進める。

ヒョロリとした骸骨さながらの民間代筆屋アルジーと、意外に背丈のある陽気そうな赤毛スタッフ青年クバルと、高級娼館『ワ・ライラ』の踊り子である遊女ミリカ。

朝食の刻を過ぎた城下町の目抜き通り。きれいに舗装された路面は、ますます威力を増す陽光にあぶられていた。 行き交うターバン姿やベール姿の人々の間で、熱砂から来る乾いた風が吹き渡っている。

やがて。

人類の3人連れと、白文鳥《精霊鳥》3羽は、オリーブの木々の緑が揺れる聖火神殿の前に到着した。

仰々しく重なる複数の門扉を抜け、敷地に立ち入って少し進むと。こんもりとした葉影が連なる中庭の向こう側に、聖火礼拝堂のドーム屋根が見えて来る。

聖火礼拝堂の入り口にある「よろず事務受付所」窓口で、「魔除け新調の申請書」を受け取ってくれることになっていた。

その「よろず事務受付所」窓口へ近づいてみると……いつもと違う雰囲気だ。

何らかの事件があったかのように、相当数の事務員や衛兵がひっきりなしに出入りしていて、その一角がザワザワしている。 多数の赤茶色の長衣(カフタン)姿が右往左往しているという風だ。

興奮した様子の若手の神殿役人と衛兵が、口々に最新情報を交わしつつ、数枚の書類――報告書を、やり取りしていたのだった。

遊女ミリカが興味津々で耳を傾け、「へぇ」と呟いた。

「この間の砂嵐の影響で、三つ首《人食鬼(グール)》が異常産卵してたって言ってるよ。10体くらい、砂漠で急に発生して、城壁まで接近して来たとか。不意打ちで」

「あ、もしかして、白タカ《精霊鳥》たち、夜明け前の『邪霊害獣』狩りで城壁の外まで足を延ばしていて、気付いた?」

「早期発見が幸いして、巨大化する前に退魔調伏できたってさ。トルーラン将軍の事業仕分けだのなんだので衛兵の数が減ってるところだし、退役軍人も緊急招集する騒ぎになってたみたいだけど。 重傷者は多いけど今のところ死人は無し。あ、あの御曹司トルジンの『大事なアレ』をもいでた偉大なる老魔導士が、出動してたようだね」

「東帝城砦どころか帝都でも一番の名医だという、老魔導士?」

「立派なお眉と白ヒゲの面白いお爺ちゃんだよ。全身、毛深いんだけど、頭は禿げてて光ってる」

そんな噂話をしながら、担当の神殿役人を待っていると。

受付所のカウンターの奥から、以前にも見かけた真紅のターバン・長衣(カフタン)姿が現れて来た。やや痩身の、中堅世代の男である。

「おや、代筆屋くんですね」

神殿役人のひとり、神経質そうな細い面差しをした経理担当ゾルハンだ。 事務員や部下たちが、《人食鬼(グール)》騒動の件で出払っていて、ゾルハンが、多忙の合間に応対する形となった様子である。

ゾルハンは、アルジーが差し出した文書束を丁寧に受け取り、素早く目を通した。

「今日は何故ここに……あぁ成る程、市場(バザール)の商館からの、魔除け新調の申請書でしたか。 この間、街路の真ん中で《三つ首ネズミ》と《三つ首コウモリ》が出た件、結構な騒ぎになったとか……さもありなん」

遊女ミリカが早速、口を出し始める。

「トルジン親衛隊の黄金の巨人戦士ザムバが一刀両断にしたって聞いたよ。ついでの報告義務スッポかして謹慎を食らったという話だったけど、昨夜、超特急で解除されたみたいだね。 近所の酒場で大酒してたよ。八叉巨蛇(ヤシャコブラ)かいって思うくらい」

神殿役人ゾルハンは、タジタジとした様子で、神経質な笑みを浮かべていた。

建前上、神殿は、遊女といった職業の人々にも分け隔てなく門戸を開いてはいるが、常識的な礼拝者たちの前では、あまりにも堂々としているのは控えてほしいというのが、本音なのだろう。

実際、遊女ミリカは、昨夜の仕事の名残が見える艶っぽい化粧に香水をまとっている。 強い陽射しを防ぐためのストールを軽く羽織っただけの状態で、罪深いほど襟ぐりの深い舞台衣装が、その気になれば丸見えだ。

アルジーは適度な注意をもって、遊女ミリカと神殿役人ゾルハンのやり取りを眺めていた。

赤毛クバル青年は、目立たないように静かに傍に佇んでいた。不思議に整った、隙を感じさせない佇まいは、宮廷でも通用しそうだ。何故か、貴人の従者や護衛さながらだ、などという連想が湧く。

あらためて、明るい光の中で、こうして神殿役人ゾルハンを見ると……

やがて、何故に不思議な親近感を覚えたのかが、分かって来る。オババ殿と同じ、印象的な目の色をしているからだ。

気が付いた時には、アルジーはポロッと呟きをこぼしていた。

「……ゾルハンさんって、目の色が薔薇輝石(ロードナイト)なんですね」

真紅の長衣(カフタン)とターバンをまとう神殿役人、経理担当ゾルハンは、ギクリとして飛び上がったようだった。何故か。

「済みません、ゾルハンさん。驚かせるつもりは無かったんです。知り合いが、そんな目の色だったもので。実際は青みを含んでいたので、ラベンダー色って感じだったですけど」

「さ、さようですか」

生成りターバンの上でパルが「ぴぴぃ」とさえずり、アルジーは不意に、昨夜の酒場から流れて来た会話を思い出した。

「邪眼のザムバが釈放されたのと入れ替わりに、タヴィスさんが逮捕されて来たらしいって小耳に挟んだけれど……絶対、冤罪ですよ。 ゾルハンさんも、タヴィスさんを直接にご存知なら、タヴィスさんが風紀役人ハシャヤルさんを殺害した筈が無いと――」

「調査官がタヴィスさんの無実を信じるかどうか、なんとも難しいところですね。覚えているでしょうか、彼も折悪しく、 火事現場に居合わせていましたから。それに、チラと聞いたんですが、発火能力のある《魔導札》を所有していたとか」

そんな事を話し合っている内に。

赤毛スタッフ青年クバルが、「あれ」と言いながら、クルリと別の方向を見やった。事務員用の出入口のほうだ。

「彼女、確か風紀役人ハシャヤルさんの奥さん、ギュネシアさんっすね」

見ると確かに、以前も見かけた、あの慎ましい長いベール姿の中年女性だ。官報用の掲示板を兼ねた、ささやかな仕切りの前、2人ばかりの女神官と一緒に居る。 何かを話し合った後、濃色ベール姿の中年女性は軽く一礼し、ほどほどの包みを持って受付所を出て行った。

訳知り顔で、神殿役人ゾルハンが頷いている。

「亡き風紀役人ハシャヤル殿の遺品の整理が続いているんですよ。ハシャヤル殿の倉庫には色々あったようで、中には処分に手間のかかる物品も。 風紀役人としての業務で押収した賭博用カードですとか、偽造された古代宝物の大壺なんかは処分に困って、時間もかかっているようです」

「あらら。それじゃあ二束三文にもならなそう。葬式代つくれるの? 裏の方で黒ダイヤモンドだの何だの、せっせと汚職に励んでいたという噂の割には、とんだ宝の山みたいだね」

さすがに遊女ミリカも、いくばくかの同情を込めて、肩をすくめて見せたのだった。その隣で、赤毛スタッフ青年クバルは、奇妙な顔をしていた……

程なくして、神殿役人ゾルハンの応対を通じて必要書類のやり取りが完了した。

聖火礼拝堂の入口の「よろず事務所」を出た後。

ちょうど良い機会、ということで。

野次馬的な興味もあって、3人で火事現場へと足を向けてみる。

先日、火のジン=イフリートと、水のジン=巨大カニとが、死闘を繰り広げていた現場でもある……周辺のオリーブの木々は、派手になぎ倒された状態だ。

かの風紀役人ハシャヤルの死亡現場でもある『瞑想の塔』は、無残な瓦礫の山となり果てていた。芯柱となっていた螺旋階段の残骸――中心部のグルグルとねじくれた金属製の構造が、突き立っている。

神殿の調査官たちによる調査は、あらかた終了していた。不気味な有り様ではあるものの、相当に近くまで接近できる。

「これは盛大に燃えたもんだねぇ」

遊女ミリカが、器用な足取りで黒焦げの瓦礫をよけつつ、ヒョイヒョイと歩き回る。踊り子稼業で鍛えた見事な足さばきだ。

「あたしが遊女仲間と気付いて野次馬してたの、《渦巻貝(ノーチラス)》様がお出ましになってた時なんだよ。 あの大出力の放水が、この辺でジン=イフリートにブチ当たって、流れて行ってて」

適当に位置を取ったところで、ミリカはテキパキと腕を動かし、礼拝堂のドーム屋根のこちら側と向こう側とを指さして見せて来た。

「あの大きな《渦巻貝(ノーチラス)》様の放水は、あっちから出て来て、大火事を瞬く間に流した。 礼拝堂に居た人も、事務所の人もビックリしただろうね。中庭を飛び越えて、火と水がドーンと迫って来たんだから」

赤毛スタッフ青年クバルが「へぇえ」と感心しながら耳を傾けている。

何とはなしに、3人で、燃え残った『瞑想の塔』の石積みをグルリと回ってみる。

塔の頂上へと向かう螺旋階段だった物の残骸は、あれ程の爆発の中心であったにもかかわらず、うっすらと原形を保っていた。

素材となっている金属は、現在の技術では再現できない合金の一種である。元々は、流砂に埋まっていた古代『精霊魔法文明』遺跡から発掘された螺旋階段そのものを、再利用した物だ。 残骸となり果てているとはいえ、古代の『失われし高度技術』のすさまじさには、驚嘆してしまう。

アルジーは、ボソッと呟いた。

「確か……あの辺だ。風紀役人ハシャヤルの死体が瓦礫の下から出て来たのって」

「あの辺りの瓦礫の下から出て来たんすか」

「衛兵たちが、瓦礫を掘って、そう言ってたんだ」

「だったら、まだ残ってる証拠とか、あるんすかね。それとも調査官が見つけて、全部回収しちゃったかな」

赤毛スタッフ青年クバルは、死体が出た周辺を、興味深そうにキョロキョロし始めた。

やがて、アルジーのターバンの上で、相棒の白文鳥《精霊鳥》パルが「ぴぴぃ」とさえずった。パルは翼をパタパタさせたが、換羽期の後半で、体力が戻っていない。 承知した様子の白文鳥コルファンとナヴィールが飛び出し、意味深にピョンピョン跳ね始める。

「ん? 何っすかね?」

白文鳥《精霊鳥》コルファンは、ヒョイと瓦礫の下に身体を突っ込み、紐のような何かを引っ張り出した。

パッと飛び上がり、ビックリしているクバル青年の手に、ポトリと落とす。

クバル青年は、その紐のような物を、じっくり検分し始めた。すぐに、「おッ」と声を上げる。

「導火線の欠片っすね。ジン=イフリート《魔導札》に火を付けた時のかな……軍事用とか工事用のモンじゃ無いすね。なんだか違う長さで色分けされてるっすね」

「それ、神聖舞踊『聖火の舞』で使う特殊な時間差発火型だよ。古代『精霊魔法文明』の高度技術で、専門の《魔導》工房で作ってる」

遊女ミリカが突っ込み始めた。

「全体で15分くらいの舞の途中で、時間を置いて発火して、火花を飛ばす段があるんだ。 その辺の市場(バザール)とかじゃ扱ってないけど、神殿には納入されるから、備品として倉庫なんかに保管されてある筈だよ。そこから調達して来たみたいだね」

ミリカ自身が、専門の遊芸者だけに、様々な遊芸に詳しい。 舞台の上で女神官の役を演じて、複雑な神聖舞踊を平然とこなしたりする――この職業に足を踏み入れる前は本物の女神官だったようだが、ミリカは、アルジーと同様、過去をあまり語ろうとしない。

赤毛スタッフ青年クバルは、意外なほどに真剣な顔をして、導火線を調べ続けている。

「途中の位置から着火が始まっている。燃えたのは最後の一部分らしいっすね」

「目がいいね、クバル君。そこ、クライマックス演出の部分だ。だいたい6分の空白を置いた後、派手に発火する」

「これがジン=イフリート《魔導札》導火線として使われていたとしたら、犯人のヤツ、6分くらいの逃走時間を用意して、ハシャヤルを爆殺したって事になるっすね。アリバイにもなるし」

「犯人は、回収しなくても大丈夫だと思ってたんだろうね。そのうち瓦礫の撤去が始まる。瓦礫運搬人のほうも、見つけても深く考えずにネコババして、適当な故買屋に売っ払うに決まってる。 ……あ、この白文鳥たち、《精霊鳥》だから、すぐ見つけたんだ。お仲間の《火の精霊》が宿ってるから」

一方、白文鳥ナヴィールは、瓦礫の下に潜り込んでゴソゴソやっていた。

やがて、ススだらけの「平たい小石のような何か」を、薔薇色のクチバシにくわえて引っ張り出す。 白文鳥ナヴィールは、『お宝、発見!』と言わんばかりに、瓦礫の上をピョンピョン跳ねながら、アルジーの足元にやって来た。

『見て見てー、ピッ』

アルジーは、白文鳥ナヴィールから「平たい小石のような何か」を受け取り、眺め始めた。

火事の際の熱で歪んではいるが、元々はコイン型だったと見える。ススを削ってみると濃い琥珀色で、陽光に透けるたびに金色がほのめく。ガラス製らしい。

――古代の紋章のような雰囲気の……歪んだ形の刻印がある……

次の瞬間。

白文鳥コルファンが「ギョギョ!」と叫びながら飛び上がり、クバル青年のおでこに突進した。

思わずのけぞる、赤毛スタッフ青年クバル。

――ガシュッ。

唖然としたアルジーと、遊女ミリカの、目の前で。

今までクバル青年の頭部があった位置の傍――『瞑想の塔』のボロボロ石積みに、小さな矢らしい物が刺さっていた……

「うげぇ?!」

「攻撃?」

「な、な、……誰、物騒なモン飛ばして来たのは!」

再び不吉な――うなり音。

クバル青年が護身用の短刀を抜いた。白刃がひらめく。

ガキン、ガキン、と続けざまに鋭い金属音。

2本の矢らしき物が、次々に、石積みに斜めに突き刺さる。

クバル青年が護身用の短刀を振るって、矢を2本とも弾いていたのだった。驚くほどの動体視力に、身のこなしだ。

「隠れろ!」

3人で慌てて、あちこち黒焦げになった低木の植込みの陰に、身を潜める。

かの『瞑想の塔』爆発炎上の際に一緒に飛ばされていたのだろう、植込みの下に乱雑に転がっていた木の枝が、足元をゴツゴツと打って来た。

礼拝堂の2階のバルコニーで、人影がサッと動いた。

一瞬ではあるが。

かの濃色の、背丈の半ばほどの長さのある慎ましいベール姿は、異常な死に方をした風紀役人ハシャヤルの妻――ギュネシアのもののように見える。

「あれ、ギュネシア奥さん? 奥さんなの?」

「し、知らんけど、矢で殺そうとして来てたよね、あの女、アルジー」

「あのベールだったら、ギュネシア奥さんっぽいすね。でも変装してたのなら、まさかの男って可能性もあるっすよ」

不気味な静寂が続いた……それ以上、攻撃は来なかった。

……赤毛スタッフ青年クバルが、ゆっくりと動いた。

石積みの陰を移動しつつ、手持ちの護身用短剣を、その辺の木の枝に縛り付け……即席の長い槍のようにして、心当たりのある箇所をゴリゴリやる。

やがて、カシャカシャンと音を立てて、先ほどの不審な矢の形をしたものが落ちて来た。

クバル青年は、適当に枝分かれしている木の枝を使って、目的の物を引っかけ、ひょいひょいと器用に取り寄せた。

全部で3本。

キラリと反射する金属製の矢を手に取り、ためつすがめつ。

「んー、やっぱ矢だったすね。あ、傷がついてる。3本とも。こりゃ小型の弩(いしゆみ)から発射された物っすね。礼拝堂の2階バルコニーの陰から飛んで来た感じっす。 にしても、いったい誰が……っていうか、あの人影、ギュネシア奥さんっぽいように見えたけど……彼女が風紀役人ハシャヤル殺害犯なんすかね」

赤毛スタッフ青年クバルは珍しく、きつく眉根を寄せて深刻そうな顔をしていた。やがて、パッと表情をゆるめ、普段のズボラな顔に戻り。

「ともかく、お礼言わなきゃいかんっすね、勇敢な白文鳥くん」

「ぴぴぃ」

白文鳥《精霊鳥》コルファンは、得意そうに真っ白な胸を張った。

遊女ミリカが真っ青になりながらも、呆れ顔で呟く。

「クバル君、死にかけた割には冷静だね。さっきの矢をかわしたのも、戦士の動きって言うか。金融商の店スタッフにしては荒事に慣れ過ぎてる」

「もと少年兵だったんす。色々あって《食人鬼(グール)》撃退の前線に派遣されてたんすよ。 南方諸国で《食人鬼(グール)》連続発生があって、連戦して回って。いやー、頭取オッサンに拾われてからは、この通りだから、勘、ニブってたっすね」

そう言って、赤毛スタッフ青年クバルは、長袖を少しめくって見せた。

幾条もの裂傷が走っていて、傷痕が暗い色に変色している。見た目、熱傷や凍傷を繰り返したかのような、ボロ雑巾のように荒れた皮膚だ。 赤毛にしては日焼けしたように濃い色の肌だが……元の色は、もっとずっと白かったのかも知れない。

人相の判別に直結する顔面だけは、《食人鬼(グール)》対応の護符も、傷を受けた時の治療方法も発達しているが……戦場においては、肢体のほうは、どうしても後回しになる。

遊女ミリカは目を見開いて、「うげ」とうめいた後、溜息をついた。

「ありゃりゃ……全身こんな傷痕だらけなのか。苦労したね。《食人鬼(グール)》撃退の前線、色々ゾッとする話を聞いてるよ。 あのガメツイ金融商オッサン、意外に人情家なのかね。マジの本名のほう『オッサヌフ』、あぁもう発音が難しいね、けど、南方の方言で『善良』って意味だし」

「へへへ……ともかく攻撃して来たヤツ、もう潜伏してるっしょ。地の利こっちに無いから不利っすよ。 小型の弩(いしゆみ)って、ギュネシア奥さんがいつも着けてる長いベールとか、膝まであるベストとかで隠して持ち歩けるから、分かりにくくて面倒なんす。一旦、逃げたほうが良いっすね」

かくして、こそこそと退散したのだった。

*****

聖火神殿から充分に離れたところで、赤毛のクバル青年は再び話し出した。

「もうひとつ思い出したことがあるんすよ。この間、ハシャヤル未亡人のギュネシア奥さんが為替換金に来てたんす。アレ結構な額だったもんで、何で得た金なのかと思ってたんす。 風紀役人ハシャヤル氏の遺品のどれかに、結構なカネになった品があったらしいっすね。換金したブツが何なのかは分からないっすけど」

歩いているうちに、城壁沿いの街路に出る。

目的地が近いのを知っている白文鳥コルファンとナヴィールが、「ピピピ」とさえずりながら、通りの角から角へと飛び回り始めた。

やがて、3人は城壁の前に到着した。

城壁の基底部を成す地形の盛り上がりが続いている。

日照に恵まれた一角、桑林が広がっていた。オアシスからにじみ出て来た水分で、土が適度に湿っている。

養蚕を副業とする他の娼館から来たスタッフが、既に数人ほど。桑の葉っぱを採集しているところだ。

先着の女性たちが気付き、遊女ミリカに声を掛ける。娼館や酒場などが多く並ぶ、市場(バザール)の歓楽街のほうで見かける顔だ。 『夜の仕事』では無い今は、皆、ミリカと同じような地味なストールや実用的なベールなどといった格好である。

「おぅ『ワ・ライラ』のミリカじゃん。精が出るねえ。新しく捕まえた客かい」

「両手に男だねぇ。ヒョロリ男の代筆屋さん、お久し振りぃ。赤毛は新顔か、こりゃイイ男だね。10代だったら酒姫(サーキイ)もイケてたかもね、ハハハ」

「これから料金をしぼり取るところさ。あたしら、あっちの桑林に行ってるからね」

赤毛青年クバルが、ちょっと引きつった笑顔をアルジーに向けた。

「男と思われてるんすね。あ、胸ナイからか……シツレイ」

「上京できたアカツキには、《骸骨剣士》の格好して追剥ぎの裏営業やったろうという計画を立ててる」

フンと鼻を鳴らし、なにやら悟りきってしまった、アルジーなのであった。

*****

城壁に沿ってこんもりと茂る桑林の中ほどに、聖火祠でもある高灯籠が、スッと立っている。

夜間照明用の吊りランプを備えた、小ぶりな塔さながらだ。

近くを通る街路や、その先にある広場に設置された他の聖火祠と、緊密に連携しつつ配置されている。 邪霊の力が増強する夜の間、各所の聖火祠の吊りランプに聖火を灯して、邪霊退散のための魔除けの防壁、いわば第二の城壁を構成するという風になっているのだ。

白文鳥《精霊鳥》コルファンとナヴィールが羽ばたき、高灯籠のてっぺんに止まった。ヒョコヒョコ出入りしつつ、「チチチ」とさえずる。

赤毛スタッフ青年クバルが、長い足で、瞬く間に高灯籠のもとへ到達した。そこで、2羽の白文鳥が飛び交っているのを眺め、不思議そうに首を傾げ始める。

「登れってことすかね」

「1羽、具合悪くなったのが居るらしくて。偶然なんだろうけど、私と同じ名前」

「ほへぇ?」

高灯籠は、3階建ての民家と同じくらいの高さだ。今のアルジーの体力であれば、てっぺんの空間まで頑張れる。

アルジーは早速、梯子を登り始めた。

取り付けられている梯子は随分と古くなっていた。そろそろ交換時期だ。アルジーが遊女ミリカと同じような標準的な肉付きだったら、梯子が耐えられたかどうか、ちょっと怪しいところだ。

興味津々の顔をした遊女ミリカが、桑の葉っぱを麻袋に入れながらも、チョコチョコと眺めて来ている。

赤毛スタッフ青年クバルは、ハラハラしたような表情で、梯子を登って行くアルジーを見つめていた。

「アルジーは体力的には大丈夫だろうよ、満月の頃だからね」

「そういうもんすか」

遊女ミリカは不意に真面目な顔になり、クバル青年をジッと眺め始めた。やがて、ひとつ頷き……

「つかぬこと聞くけど、クバル君、ハーレム持ち? 妻は何人?」

「へ……?」

赤毛スタッフ青年クバルは、絶句して、遊女ミリカを見やるのみだ。

アルジーは早速、ミリカの意図に気付いた。

――これは非常に喜ばしいことだ。

梯子の途中で足を止め、アルジーは、クバル青年へ声を掛ける。

「クバルさん、私からも、ミリカさんを奥さんにするの、お勧めするよ。妻1号なら文句なし。妻2号でも良いけど、地位的には、できるだけ優先保証してあげてね。 ちゃんとした医学知識あるし、面倒見も良いから。芸を売るほうの遊女さんで、胸おさわりサービスはしてるけど男性経験ナシ」

「ななな……なんで? いや、俺、ワタシ独身っすよ、それにハーレム習慣の無い城砦(カスバ)出身だから、妻1号も妻2号も無いっす」

赤毛スタッフ青年クバルは、手をワタワタし、顔を赤青し始めた。

「名目上のお試しでも良いから、とっととミリカさんと結婚しちゃってよ。残念ながら離婚って事になっても、ロシャナクさんがケツ持ちするから、そんなにゴタゴタしないし。 いま私が『男』って性別詐称してて、半年前からミリカさんの夫なんだけど、そろそろ神殿から大目玉を食らいそうなんだよ」

「なんで、そんな事に」

「クソ御曹司トルジン対策。最近の、どこかの商人のお連れさんが娼館に連れ込まれてたのも『人妻じゃない』って誤解されたのが理由だから」

赤毛スタッフ青年クバルは呆然と立ち尽くし……戸惑いの面持ちをして、遊女ミリカの真面目な顔を眺めていたのだった。

やがて。

アルジーは、高灯籠のてっぺんに到達した。

大柄な大人の男ひとりが、ギリギリ身を潜められる程度の空間がある。

真ん中に、昔ながらの、質実剛健といった風の吊りランプが下がっていた。

城壁沿いの夜間照明用のランプは、ほぼ、退魔の力を持つ《精霊石》で光るタイプだ。定番の、物理的な火を灯すためのランプ芯は無い。 物理的な火と同じ程度には光を投げるが、むしろ、城壁の外からやって来る邪霊の類を防ぐという機能に特化している。

ランプの周りに、いかにも白文鳥の種族が好みそうな藁づくりの壺がズラリと並んでいた。吊りランプ用の、払い下げの出涸らし《精霊石》を貯蔵するための藁壺だ。

ほうぼうの藁壺から、大勢の――20羽くらいの――白文鳥がポポポンと出て来て、一斉にさえずり出した。

『おかしくなった子は、そこの藁壺の中だよ、ピッ』

「あ、そこか」

痩せぎすの身体が幸いして、アルジーはスムーズに、藁壺の並ぶ隙間に潜り込めたのだった。

出涸らし《精霊石》のお蔭か、日陰になっていても何となくホコホコと暖かい藁壺の中に、手を突っ込んでみる。

グッタリとしている白文鳥の身体が触れた。

アルジーと同じ――言ってみれば「骸骨化っぽい」――不吉な症状の気配がある。

そっと取り出してみると。

ギョッとするくらい骨格標本を思わせる、血色の失せた身体が出て来た。換羽の真っ盛りでも、これ程では無いだろうというくらいの地肌の見え方。体温も下がっている様子だ。

『……生きてるよね? 大丈夫?』

グッタリとした骨と皮ばかりの身体を撫でていると、やがて弱々しい声ながらも、その白文鳥は、キュウキュウと鳴き始めた。周りの白文鳥が再び、一斉にさえずり返す。

やがて、下の方から新しい人の声が聞こえて来た。

「誰か入ってるのか? 入ってるのは《精霊鳥》だ。ちょっかい止めて降りて来い。何でクバル君が此処に居るんだ、こら」

厳しい声音だが、聞き覚えがある。この声は……

アルジーが高灯籠の窓から顔を出してみると。

高灯籠のふもとに、騎馬姿の人物が居た。いましがた城門を通って戻って来たという風だ。

熟練の手つきで馬を操っている、その中年男性は……拳を振り上げたまま、口をアングリと開けていた。ターバンの端から見えるのは、ごま塩頭。金融商オッサンの店の番頭さんだ。

赤毛スタッフ青年クバルが、ビックリした顔で、馬上の番頭さんを見上げている。

「番頭さん、そんな『仰天』って顔、できたんすか……」

……はるか上空では、真っ白な色をした大きな鳥影――大型の白ワシの類と思われる――が、「ピー、ピョッ」と鳴きながら旋回していた……

……

…………

おっかなびっくりで地上に降りて、説明する羽目になったアルジー。

説明が終わってみると。

今日は朝っぱらから、怪異な出来事のオンパレードだった。

聖火神殿で、小型の弩(いしゆみ)の矢による攻撃があった事。

風紀役人ハシャヤル夫人ギュネシアの新たな疑惑――もしかしたら、矢を撃って来たのかも知れないという事。

そして、1羽の白文鳥《精霊鳥》が謎の急激な衰弱をして、この桑林の高灯籠に避難していた事……

偶然にも白文鳥《精霊鳥》の名前は、アリージュという事。

宮殿に付属する聖火礼拝堂に、アルジーのように骨と皮になって禿げるように作用する、怪物的な呪縛《魔導陣》が仕掛けられていて……白文鳥アリージュが、それに引っ掛かったのが原因らしいという事。

…………

……

頭がパンクしたのか、ごま塩頭の番頭は、金融商オッサンの店へ戻る道すがら、ずっと頭を抱えていた。文字どおり。

そんな番頭を眺めつつ、アルジーは不思議な気持ちになったのだった。

アルジーの体力はもとより不足気味ということで、恐れ多くもアルジーは馬の背に乗せてもらっている。

馬を牽いて先導する番頭の手つきは、どう見ても熟練の騎馬戦士という風だ。隊商(キャラバン)傭兵などの自己流のものとは違って、ちゃんと訓練が入っている。

腰に佩いている護身用の短剣や三日月刀(シャムシール)も、軍隊仕様。長年使いこまれた類というのが明らかだ。

帝国軍の標準の装備品。帝国軍から払い下げられた備品は、一般の傭兵市場のほうで多く流通しているが……そのような払い下げ品に特有の、「中古の新品」といった雰囲気が無い。 どちらかというと、退役軍人が丁寧に手入れしつつ所有している感じ。

――それに。いま乗せてもらっている、この馬。

軽装ではあるけど、邪霊討伐に必要な種類の装備が、全て揃っている。

休憩をとった後らしく、歩みは落ち着いているものの……各所に邪霊の攻撃を受けたと思しき、特徴的な、かつ新鮮な裂傷が残っている。商館や神殿に付属する、それなりの厩舎でのケアが必要なくらいだ。 ごま塩頭の番頭のほうも、荒々しい疲労の気配がある。

(さっきまで、番頭さんは、何処か戦場に出ていたのだろうか? 大掛かりな退魔調伏……騎馬戦が必要となるような戦場に……?)

フッと閃いた直感。

今朝、小耳に挟んだばかりの、城壁付近の戦場――異常産卵で増殖した《人食鬼(グール)》討伐の戦線。まさか、とは思うけれども。

だが今は、それを確かめるタイミングでは無さそうだ……

「以前の勤務先でも、白文鳥《精霊鳥》の高灯籠の管理を任されておりましたが、このような事態は初めてですね」

番頭は、困惑したように首を振り振り、ブツブツとボヤいていた。

「オババ殿亡き今、誰にも相談できないのが、なんとも歯がゆいところです。 いまや白文鳥《精霊鳥》に関する専門家は、変人としても名高い老魔導士殿くらいですが。彼は目下、帝都の特命において粉骨砕身の真っ最中で、なかなか時間が取れない状態なので」

ごま塩頭の男――番頭のボヤキが続く。アルジーは番頭の牽く馬の上で揺られつつ、注意深く耳を傾けていた。

「亡き霊媒師オババ殿とは、昔からの知り合いでございました。ずっと昔、それなりに白文鳥《精霊鳥》を扱えると評価されたことが、きっかけで――」

昼食の刻が近づいた目抜き通りの雑踏の中は、充分に騒がしい状態ではあったが……なおも辺りを警戒しているかのような、静かな声音。

「いまは亡き鷹匠エズィール殿の紹介を通じて、シュクラ宮廷霊媒師オババ殿と組んで、特殊な仕事をしたことがございまして。 オババ殿とは、それ以来の知り合いでした。ここ東帝城砦でも、白文鳥《精霊鳥》の世話を依頼されまして、仕事の合間に、桑林の高灯籠を見ておりました」

ハッと息を呑むアルジー。

「鷹匠エズィール? 私の父と知り合いだったんですか?」

「出身の城砦(カスバ)が《風の精霊》との縁が深く、白タカや白ワシの営巣地もございまして、その関係で。世間は狭いものです」

何故か、脇に付いて来ている赤毛スタッフ青年クバルが、呆れたように、「へッ」と息をついている。

「おっそろしく省略した説明っすねえ」

「若いのは黙ってなさい」

「へいっす」

馬の背に揺られているアルジーの肩先で、白文鳥《精霊鳥》パルが、意味深そうにさえずった。

ごま塩頭の番頭は、白文鳥の《精霊語》が通じている様子で、ひとつ頷いた……

「10年……いや12年ほど前、『パルを人質の塔まで緊急で寄越してくれ』という、オババ殿からの極秘通信を受け取った時は、意味が分かりませんでしたが。 この怪異を見る限り、本当に白文鳥パルで無ければ、対応できなかったのでしょう」

「……でしたら、この子、番頭さんが見ているほうが良いですよね?」

新しく拾った白文鳥アリージュは、アルジーの手の中でグッタリしていた。骨と皮と、わずかな羽毛だけになって弱っている白文鳥《精霊鳥》は、見るも哀れだ。

「白文鳥が呼び出したのは、《鳥使い》である貴方ですから。以前、オババ殿から、有望な弟子を見付けて《鳥使い》として育てていると話をうかがいましたが、貴方のことだったようですな。 《鳥使い》は、白文鳥《精霊鳥》から授かった羽を身に付けますので」

アルジーは目を見張りつつ、耳元を飾るドリームキャッチャー護符に手をやっていた。

――相棒の白文鳥パルから貰った、小さな白羽を取り付けてある……白い耳飾り。

「あの、《鳥使い》って……そんなこと、オババ殿は何も……」

「一定以上の地位と力を持つ精霊との正式な『精霊契約』は、20歳になってからです。その時に、貴方は『精霊契約』のもと、白文鳥パルの、真の御名を知ることになるでしょう」

「精霊契約……」

オババ殿からは、幼い日の枕元で語ってくれた『遠い昔のお伽噺』としての内容くらいしか聞いていない。

一定以上の地位と力を持つ高位の精霊は、真の御名を隠し持っている。その真の御名をもって、「鍵」と「鍵穴」のように適合すると見込んだ「精霊使いの候補」と、精霊契約を交わす。

精霊使い候補となる人類のほうにも、精霊が目印とする一定の印というものがあって、それが、薔薇輝石(ロードナイト)の目だ。

ただ、その色合いは精霊の種類や数に応じるほどに多種多様で、一般多数の鳶色(とびいろ)の目に紛れやすい。 注意深く観察しないと分からないくらいではあるが、精霊や邪霊の目線で見れば、どれが適合するのか、瞬時に分かると言う……

(……今まで気にも留めたことは無かったけれど。パルは、高位の精霊なのだろうか? 別に真の御名を持っているほどの……?)

アルジーは戸惑いながらも、肩先に止まっている小さな相棒――白文鳥パルを見やった……

「亡き霊媒師オババ殿の数々の業績や、ご自身の『紅白の御札』作業でも察するところがありましたでしょうが、精霊使いのなかでも《鳥使い》は、 青衣の霊媒師に次いで護符の名手として重宝されます。食い扶持には困らないかと」

ごま塩頭の番頭は……明らかに、慎重に言葉を継いでいた。

いつになく口数が多いが。肝心な部分は、あからさまに隠蔽されているという気配がある。オババ殿が、最後の最後まで慎重だったのと同じ。

長い思案に沈んだのか、沈黙が続く。雑踏の中、馬の蹄の石畳を叩く音が、リズミカルに響いた。

アルジー自身にも、何となく直感するところがある――おそらく、現在の時点で明かせない大部分は、《精霊契約》の後で、明らかになって来る部分。

遊女ミリカが、なめらかに間を埋めて来た。接客業ならではの巧みさだ。

「あー、白文鳥を1羽とか2羽とか飼ってる《鳥使い》なら、帝都に居た頃、定評のあるドリームキャッチャー護符の工房で、たまに見かけたことがあるわよ。 ドリームキャッチャー護符の仕上げの飾り羽、《鳥使い》が選んでるとか」

「帝国軍ご用達のドリームキャッチャー護符の工房が、帝都に集まってるっすから。でも、白文鳥を扱う専門の《鳥使い》よりは、現役引退してる鷹匠のほうが多いっすよ。 退魔対応の白鷹騎士団なんかが、白ワシ《精霊鳥》を扱う鷹匠を、帝国のあちこちの城砦(カスバ)からかき集めて、抱えてるっすね」

「クバル君、帝都に居たことあるんだね。白鷹騎士団が使ってる大型の白ワシ《精霊鳥》ともなると、成体《人食鬼(グール)》も退魔調伏できて……あ、南部の《人食鬼(グール)》戦線の関係か」

「そうなんす」

赤毛スタッフ青年クバルは色々に思うところがあった様子で、意味深に相槌を打っていたのだった。

「あ、でも、アルジーくらい、初見の白文鳥を懐かせる《鳥使い》は、帝都の神殿でも抱えてなかったような。 やたら精霊文字とか護符に適性あるでしょ、神官や魔導士になったほうが収入が良いんだよね。で、白文鳥を扱わなくなる」

「その辺は、帝都でも対策を考案中らしいっすね。《鳥使い》は、気付いたら減ってるという状況なんで。《象使い》や《亀使い》は、土木工事や水路維持のほうで需要があって、人数を維持できてるんすけど」

…………

……

いつしか、見覚えのある十字路の角を曲がっていた。

市場(バザール)広場とつながる街路の方は、ロバの牽く荷車が次々に通過している。取引の済んだ多種多様な品々を積載していて、市場(バザール)の各所の物流倉庫や小売り店へと配達するところである。

東帝城砦の誇る、市場(バザール)のざわめき。

目の前の交差路で、複数の荷車が接触事故と渋滞を起こしていて、しばしの通行止めが入っていた。市場(バザール)に付き物の、毎度の名物。

交通整理の間、多くの通行人も、いったん足を止める。

ごま塩頭の番頭も足を止めてヒョイと振り返り、アルジーの手の中でグッタリしている白文鳥を、チラと一瞥した。そして、「ふむ」と頷く。

「私は正式な《鳥使い》という訳では無いので、確かな事は申せませんが。その白文鳥は、ドリームキャッチャー護符の守護のもとにあり、先ほどより元気が戻って来ております。 推測どおり、貴方と同じ《魔導》症状なのでしょう。偶然にも同じ名前だったために、《魔導》の矛先を呼び寄せてしまった様子」

興味津々で耳を傾けていたミリカが、首を振り振り、突っ込む。

「アルジーが、そんな不気味な《魔導》攻撃に、名指しでさらされてたなんて初耳だよ、こっちは。生命力むしり取って骸骨化するなんて悪質だね。 さすがにロシャナク姉御は『なんか普通の病気や栄養失調じゃ無さそうだね』って言ってたけど」

赤毛スタッフ青年クバルが、意外に熱心な雰囲気で番頭に話しかけていた。

「番頭さん、この《魔導》攻撃、撃破できないっすか?」

「まだ全容が知れませんので。それに、重ねて言っておきますが、私は本職の霊媒師では無い――魔導士でも無い」

それきり、ごま塩頭の番頭は黙り込んだ……頭の中で、余人には窺い知れぬ推理が回っているのは、明らかだ。

……はるか上空のほうで。

白タカ《精霊鳥》よりもずっと大きい、大型の白ワシのものと思しき鳥影が、複数、ゆったりと舞いつづけていた……

*****

やがて、金融商オッサンの店先に到着である。

今しがた用件が終わったらしい客人が、一礼をして店を離れて行くところだ。見覚えのある姿。あのシュクラ青年だ。

ハッとするアルジー。

駆け寄って話しかけてみたいけど――そうするべきだけど――手の中に、極端に弱った白文鳥《精霊鳥》が居る。急な動きは慎まなければ。

「あ、あの人……」

「何すか?」

「お得意さんとか、常連客の人? あの人、また来るかな? 最近よく見かけるなと思っているんだけど……」

「覚えてない? ……じゃなくって、知らない人っすか。オレもフツーの店員なんで詳しくは。頭取オッサンの知り合いすかねぇ」

「あの人、もしかしたら、行方不明で生死不明の、シュクラ王太子ユージドかも知れなくて」

「はぁッ!?」

気が付くと。

赤毛スタッフ青年クバルと、ごま塩頭の番頭が振り返って来て、何とも言えない奇妙な顔をして、アルジーを見つめていたのだった。

「……おや、いらっしゃいませ」

いつものように、やや小太りの身を包む上等な濃色の長衣(カフタン)をさばき、朗らかに営業スマイルを浮かべる金融商オッサンである。

早速、アルジーは問いかけた。

「あの人、シュクラの人でしょ? どなた?」

「ふへ。それが今のところ、身持ちが堅いお客さまでございまして。まだ店内に誘い込めておりませんのです……」

先ほどの商談の記憶を整理していた様子で、金融商オッサンの口ぶりに、少し沈黙が入った。

「……家宝の精霊宝物を追ってらっしゃるそうで、それらしき品や取引を見たり聞いたりしたことは無いかと聞いて回っておられるようですな。 見た目は中古の、その辺に流通している精霊雑貨だということなので、気の遠くなる話ではありますね」

「中古の精霊雑貨」

「見た目は、古いマクラメ細工の大型ドリームキャッチャーだそうです。飾り羽が特殊だとかでね。 まぁ直射日光の下で立ち話もなんですから、どうぞ店内に。遊女さまは、いかがなさいます? お蚕さん用の桑の葉っぱをお持ちのようですが」

遊女ミリカは、ストールに包まれた肩をヒョイとすくめ、ニカッと笑った。

「葉っぱが傷む前に、サッサと持ってくわ。今夜の仕事もあるし、これから昼寝だね。不意打ちの弓矢には、せいぜい気を付けようね」

軽く一礼し、しなやかな歩みで立ち去ってゆくミリカである。遊女ならではの身のこなし。

「不意打ちの弓矢とは?」

朗らかな笑みを浮かべながらも、振り返って来た金融商オッサンの眼差しは、ギョッとするほど臨戦態勢だ。

――毎度ながら複雑な人物だ……と、アルジーは感心するのみであった。

*****

いつものように、上質な絨毯を敷き詰めた店の奥の間へ案内され。

営業スマイルなのに目が笑っていない金融商オッサンに、午前の出来事を説明する羽目になったアルジーであった。

しかも、何故か。

帝都の近辺や、それなりの富裕層の間でしか見かけないような霊験あらたかな薬膳料理を、昼食として勧められつつ……である。口座維持の手数料だけで賄える部類では無いように見える。

――食費は何処で間に合わせているのだろうか?

アルジーは、チラッと不安になったのだった。霊験あらたかな薬膳のお蔭で、ギリギリの体調に余裕ができ、実にありがたいが……

金融商オッサンは、ヤリ手の経営者ならではの手腕で、アルジーから手際よく事情を聞き出し、概要を整理していた。

そして、「ふーっ」と息をついたのであった。

上等な薄いハンカチを出して冷や汗をぬぐう気配が見えたのは、きっと、幻覚では無い。

「まったく何という事でしょう。……オーラ、いえ、クバル青年を差し向けておいて、正解だったようでございますな。 元々は彼のたっての主張でございましたが、彼の立場というものも、色々ございまして。 かくも、世界の最果てまで首が飛ぶような思いを何度もいたしますのは、やはり、今回の特殊事情のゆえでございますな」

――ところどころ、意味の分からない部分があるような気がする。

アルジーは首を傾げた。

最後にフーッと大きく息をつき、金融商オッサンは、いつもの調子を取り戻している。

次に、アルジーが持ち込んだ各種書類に、素早く目を通し始めた。

本日付で持ち込んだ文書類、すなわち、『銀髪グラマー美女アリージュ姫の別荘』工事現場の不正な経理記録に手を入れ、口止め料と称して、せしめて来た使途不明金を記載した、為替書類である。 裏付けとなる不正帳簿もセットだ。

「ふむふむ、実に興味深い内容でございますな……これは、フハハハハハ!」

濃色の上等な長衣(カフタン)を震わせ、大爆笑だ。

この類のことには慣れている様子で、金融商オッサンはすぐに爆笑を収め、次の作業に移る。慌てず騒がず、別の書類を整備し始めたのだ。

やがて、金融商オッサンは、数枚ほどの新しい書類を仕上げた。

次に、特別な呼び出し鈴を鳴らす。ごま塩頭の番頭とは別の、信頼できる店スタッフが、仕切り扉の前に現れた。

「お呼びでございますか、頭取」

「追加で、こちらの口座の記録処理を。そうそう、問題のお役人さんは、まだ来てないだろうね?」

「先ほど隣の街区の同業者さまから出て来たそうで。急ぎますか?」

「最優先だ。彼が到着する前に処理できたら、ボーナスを弾むよ」

「では早速」

金融商オッサンは、店スタッフが張り切ってテキパキと立ち去って行くのを見送りつつ。

……『お主も悪(ワル)よのう』というべき、計算高い笑みを浮かべ始めたのだった。

アルジーは首を傾げながらも昼食を終了し、食後のお茶をいただいた。

グッタリとして弱っている白文鳥《精霊鳥》アリージュに、霊験あらたかという評判の、お茶の水を与える。 口に合ったらしく熱心に飲んだ後、白文鳥アリージュは緊張の糸が切れた様子で、昼寝し始めた。

しばらくして。

金融商の店の表側の方が、騒がしくなった。

10人かそこらの来客があったようで、店頭のほうから相当数の、驚いたという風の人声がする。それらを圧するかのような、新しい大声が響く。

「東方総督トルーラン将軍の御下知にて、口座名簿を改める。下手に邪魔立てすれば、即座に逮捕されるものと心得よ」

どうやら宮殿の役人が、ゴリ押しで入店して来た様子だ。

金融商オッサンは、いつの間に仕掛けていたのか、盗み聞き用の配管を開いて、様子を窺い始めている。

恐ろしく準備の良い商人だ。

逆に言えば、これくらいは軽々と先手を打っておかないと、魑魅魍魎の渦巻く帝都で、安定した利益と信用を維持し続けるのは難しいに違いない。

心の中で、たらりと冷や汗を流すアルジーであった。

(帝都へ上京したら、シュクラ・カスバの特産ビジネス……例えば、あの婚礼衣装に使われてた「白銀ノ紋羽二重」とか「螺鈿糸」とか軌道に乗せて、 ささやかでも良いから成功させてみようと思うけど、できるのかな……?)

金融商オッサンが開いた配管を通じて。

ごま塩頭の番頭と、赤毛スタッフ青年クバル、その他の熟練スタッフたちが、役人の指示に応じて書棚を順番にバタンバタンと開いている音が響いて来る。

やがて、役人の助手の怒鳴り声が響いて来た。

「この、嫌がらせにもほどがある事業仕分け済みの廃止薬の名前の口座! 何故この口座が既に『オリクト・カスバのローグ』に変更になっているのか!」

別の大声が重なる。どうやら、押し掛けて来ていた宮殿役人は、二人組だったようだ。二人の役人と、護衛の衛兵が数人ほど、と思われるところだ。

「先日、事前調査のための提出のあった時点では、薬の名前で識別されている匿名口座であった! 本名詐称の罪により、我々が全額、没収する筈だったのだぞ!」

対照的に落ち着き払った様子の、ごま塩頭の番頭の声が聞こえて来る。

「恐れながら、お役人様、先日オリクト・カスバのローグ様より指示を頂き、このようにした次第です。 トルーラン将軍閣下が、そのような法律を作っておいでなら、ローグ様のほうでも『名を明らかにしたほうが疑いを招かないであろう』ということで御座いまして」

「よくも、よくも、よくも……」

「ハイ、確かに、恐れおおくも偉大なる帝都の法律条件をも完全に満たしつつ、本人による正当な手続きが成されたものに御座います」

「むむう……!」

「なおも疑惑が御座いますなら、聖火神殿より、認証専門の神官や魔導士をお呼びいただき、精霊との契約において、認証や筆跡の偽造など不正な手続きがあったかどうか、 厳密に調査されますのがよろしいかと」

「チクショウ、快調なペースでカネを貯め込んでいる口座だから、目を付けておったものを。帝都役人のローグ殿なら、この貯金ペースも納得するところか。では残りの3件、確かに没収するぞ」

「ハイ、確かに。そこの若いの、全ての記録を差し上げ、残金の全額を記載した為替書類を整えるように」

「へいっす」

しばらくの間、書類や筆記用具、文箱などといったお馴染みの音が続いた。

その後、資料の受け渡しが完了し……出入口と思われる方向から、ドタドタという足音が響く。熱心すぎる役人の一団が、店を去って行ったらしい。

割り込まれていたと思しき先客たちが、ブツブツと、不平不満を漏らしている声が続いた。

「何じゃありゃ。トルーラン将軍、噂にたがわぬ、いや噂以上に強欲な、犯罪そのものの東方総督じゃなあ」

「そりゃあ、この東帝城砦、賄賂と袖の下の天国だしなぁ。貯金より多い賄賂を準備できなかった口座、みんな言い掛かり付けられて没収されたそうだぞ」

「そのくせ帝都役人だの何だのの絡んだ口座は、相手の報復が怖いのか、あのような扱いだし」

「番頭さん、『オリクト・カスバのローグ』って帝都役人、すげぇ早業の先回りだね。 なんか独自の忍者軍団、持ってんじゃないか? それに、帝都の知り合いから聞いたけど、ローグ様の元・側近、右腕って言われた青年、黒髪のえらく優秀な青年らしいね」

「色々あって最終的には、帝国の守護精霊との《精霊契約》に成功したって噂の皇子殿下の、第1位の側近として召し上げられたとか……ローグ様の元・側近、スゲェ昇進だね、 オリクト・カスバの地位も盤石だ」

「案外、そいつが、あの汚職満載の風紀役人ハシャヤルを『首チョンパ』したんじゃないかねぇ。一流の剣客で、白タカの鷹匠でもいけるくらい《精霊語》の訓練も積んでるそうだし」

「バカ言え。かの噂の皇子の第1位の側近っていうド偉い人が、風紀役人ハシャヤルなんて下っ端役人を相手にするかよ。東方総督トルーラン将軍よりも、もっと身分が上なのに」

…………

……

金融商オッサンが「良き良き」と言いながら、盗み聞き用の配管を閉じる。

その様子を眺めながら、アルジーは、ポカンとするのみだった。

「あの話、ホント……?」

「ふへ。何の話でしょう?」

「オリクト・カスバのローグ様の、えぇと元・側近の黒髪さんで、いま帝都で昇進してるって人? ホントに《精霊語》できる人で?」

「そういう噂のようですな、ふっふっふっ。ですが、アルジーさんも《精霊語》お手の物だし、悪女ビジネス、ちゃんと成功してるでしょう、ふっふっふっ」

「悪女ビジネス? やった覚えは無いけど」

金融商オッサンは下心満載の笑みを浮かべ、手品のように「ぴらり」と、工事現場の不正帳簿と為替書類を見せて来た。

「あ、それ」

タヴィスが逮捕連行されて行った際、その冤罪の切っ掛けになった、汚職だらけの工事監督とその助手を脅迫し――口止め料と称して、浮いて来た使途不明金を、ゴッソリさらって来たものだ。

「どなたも必要以上に不幸にしないという痛快な金儲けで、久々に大笑いさせて頂きましたよ。ただ、ちと最後の詰めが甘い。察するに、体力の限界だった模様ですな」

金融商オッサンは「ぐふふ」と含み笑いしつつ、再び手品のように、各種書類を仕分け箱に収める。

「悪女ビジネスの最後の仕上げは、特別に当店サービスにて固めておきました。次の悪女ビジネスがどのような物になるのか、当店としては非常な関心を寄せております。ふっふっふっ」

――最後の仕上げって、いったい何をやったの!?

「遊女さんたちの口座に、些少ながら協力費を振り込み、例の工事監督と助手の、その上役さんの匿名の貯金口座を、トルーラン将軍の没収リストに追加しただけです」

「上役さん? 貯金口座?」

「その特定の上役さんは、工事監督と助手の不始末を、これ以上は追及できないでしょうな。 下手に騒げば神殿の調査官が気付きますし、そうなったら自分のクビが先に飛びますのでね。なかなか興味深い賭博と脱税の取引口座と化しておりまして、 トルーラン将軍がこの口座をどう扱うか、実に見ものでございます」

いつしか、アルジーは、口をひきつらせていた。

――危険な爆弾を上積みして押し付けた、ようなものかも知れない。

トルーラン将軍が持ち前の強欲を発揮して、問題の口座を貯金ごと、こっそり私物化するということは、充分に有り得る。 そして、いつか露見した場合、神殿側の調査官は、その上積み金額をキッチリ含めて、トルーラン将軍が脱税したとみなすだろう。

貯金の額面としてキッチリ記録されているであろう、賭博と脱税の動かぬ証拠。

アルジーは妄想を振り払うべく、フルフルと頭を振った。

「賭博か……賭博って儲かりそうな感じ。上役さんのやってる賭博って知ってる? 私は宿屋や酒場でやってる酒宴セットの賭博ゲームくらいしか見たこと無いけど、 なんか怪奇趣味の賭場ってのもあるとか」

金融商オッサンは眉根を寄せ、難しい顔をし始めた。

この手の話題にしては、珍しいくらい長く考えている。いつもは提示して来る情報料の請求も無い。

長い沈黙の後――やっと、金融商オッサンは口を開いた。

「この種の賭博で胴元ビジネスをやると面白いほど儲かりますし、3年足らずで巨万の富を築き上げた猛者も実在します。ですが、特に怪奇趣味の賭博は、帝国全体で厳格に取り締まっております」

そこで、金融商オッサンは、やや小太りの身体を包む濃色の長衣(カフタン)の裾を、そわそわと整え始めた――取扱注意の情報の一部なのであろう、ということが窺える。

「一ヶ月ほど前、帝都宮廷で、怪奇趣味の賭博の取締りに関する新しい法律が成立しました。現在、怪奇趣味の賭場の経営は、特級の国家転覆罪とされ、現場処刑も可となっております。 処刑の権限を持つ帝都役人ないし帝国軍に踏み込まれたら、即座に首チョンパですな」

アルジーは息を呑んだ。想像以上に厳しい取り締まりだ。

「単なる怪奇趣味ってだけで、そんなにオオゴト? 邪霊害獣の石膏像とかを、あちこちに並べるだけでしょう?」

「怪奇趣味か、本物の邪霊崇拝か――見分けがつきにくいもので。それに、気になる情報も小耳に挟んでおります」

「気になる情報? 情報料どれくらい? あまり高価だと、ちょっと……」

「そうですな。ふむ。こちらは確定した情報ではございませんので、当店としても自信を持って提供できませんし……此処までにいたしましょう。特別無料サービスです。当店の優良顧客ですしね」

このようにして、金融商オッサンの店の用件は、終了したのだった。

■10■闇の迷路に踏み込んで、怪人と戦う長い夜

アルジーは午後出勤で、帝国伝書局・市場(バザール)出張所の仕事を始めた。

作業机には、簡単な線図の羅列にしか見えないような、速記文書の束がある。馴染みの商館でおこなわれた会議の記録だ。 これを正式な文字でもって清書する。商館の業務補助も、民間の代筆屋としての手堅い副業のひとつ。

早い時間帯に用件が済んだ伝書バトたちが次々に鳩舎へ戻って来ていて、帝国伝書局・市場(バザール)出張所の敷地内にある鳩舎広場は賑やかになっていた。 「ポポポ」と鳴きかわしながら水場の水を飲んで居たり、風通しの良い物陰でうたた寝していたり……

街路の上では真昼の名残の強烈な熱気が漂っていたが、陽射しは随分と傾いて、夕方の色をまとい始めているところだ。

作業をつづけるアルジーの脳みそは、幾つもの疑問を抱え込んでいた。

あてども無くグルグルとさ迷う思考……なかなか落ち着いてくれない神経。その揺らぎが、代筆屋としての筆先にも伝わっていたのだった。

――今日は、朝っぱらから怪奇な出来事のオンパレードが続いたせいか。

いつだったかの早朝、瞑想の塔のてっぺんで、ジン=イフリート《魔導札》を仕掛けられて爆殺されたという、異常な方法で殺害された風紀役人ハシャヤル氏。由々しき陰謀による暗殺の可能性も濃厚だ。

風紀役人ハシャヤル氏の妻であるギュネシア奥さんは毎日、ハシャヤル氏の倉庫からガラクタを受け取っているところ。価値のある品も混ざっていた、という事は大いに有り得る。

金融商オッサンの店でギュネシア奥さんの為替換金を担当していたクバル青年の証言によれば、先日、ギュネシア奥さんが為替でもって換金して来たというその額面は、相当に大きかったという。

風紀役人ハシャヤル氏が横領して来たガラクタの中に……大きな価値を持つ品が、あったとして。

それは、たとえば……いわくのある中古の精霊宝物であったかも知れない。古すぎて、一見、ガラクタに見えるような類の。

あのシュクラ青年が探している品は、中古に見えて先祖伝来の精霊宝物だという。 彼の正体はユージド王太子であるという可能性もあるし、シュクラ王国の国宝だったのなら……価値の分かる故買屋や中古品の買取屋だったら、相当に大きな値段を付ける筈だ。

思い出されるのは2年前の、親切な老店主だ。市場(バザール)の何処かの十字路の脇で『精霊雑貨よろず買取屋』を経営していた……立派なお眉と白ヒゲのご老人は、 シュクラ伝統の花嫁衣装に、高い価値を見出してくれた。 結果から見れば、あの花嫁衣装だって、シュクラ家宝の――精霊宝物の――流出と言える。

シュクラ青年が探しているのは、特別な大型ドリームキャッチャーだという。トルーラン将軍が、昔、シュクラ王宮から盗み出した品のひとつだろうか。 トルーラン将軍や御曹司トルジンが、古ぼけて価値が無いように見える品から処分していって、カネに換えてるとか……

そして、神殿の礼拝堂のバルコニーから発射された謎の矢。小型の弩(いしゆみ)の矢だという。あの濃色ベール姿の人物――ハシャヤル殺害犯かも知れない――何故、撃って来たんだろうか。

常識的に考える限りでは、火事現場でアレコレ探りまわっていたのが、かの人物にとっては都合が悪かった、ということになる。

火事現場から出て来たのは、何だったか。特殊な時間差発火型という導火線と……

…………

……

帝国伝書局・市場(バザール)出張所の所長、モッサァ赤ヒゲ熊男バーツは、のんべんだらりとしているように見えて、よく周りを観察している。

その赤毛モサモサ巨漢が、特等席のデスクのほうで不思議そうに首を傾げた。

「おぅ、今日は書き損じが随分と多いじゃないか、痩せっぽちの」

気が付いてみると、アルジーの作業机の脇には、書き損じの紙の山ができている。

書き損じの紙については遊び道具にして良いという事を心得ている相棒、白文鳥《精霊鳥》パルやコルヴァン、ナヴィールが、大喜びでペリペリ破ったりして遊んでいる。 骨と皮だけになってグッタリしている白文鳥アリージュは、ターバンの隙間でお眠りだ。

横でジワジワと代筆作業を進めていた白茶ヒゲ代筆屋ギヴ爺(じい)が、モッサァ赤ヒゲ熊男バーツ所長に応えて「うむ」と頷く。持ち前の鬼耳で、状況をシッカリと小耳に挟んでいたのだった。

「うら若き乙女らしく色恋でもしたかの? そう言えば、あの赤毛のクバル青年との朝デートは、楽しかったかのう?」

どこかで、ガタタッと、誰かがずっこける音。

金髪ミドル代筆屋ウムトが、作業机の向かい側で尻餅をついていた依頼人に向かって、首を伸ばしていた。

「おい、大丈夫かよぉ? その椅子、そろそろ脚が怪しくなってるからな、変な風に倒したらポキッといくでよぉ。修理費、いや、新しい椅子代を用意してもらわにゃ」

「……それくらいの持ち合わせはある」

「だろうなぁ、あんた隊商(キャラバン)の傭兵スタッフにしては若くて美しいから、酒姫(サーキイ)とか男娼とか、夜の副業でも稼げそうだしよぉ」

クルリと振り返ると。

早くも姿勢を立て直していた青年は、金髪ミドル代筆屋ウムトの言葉を気にしたのか……そそくさと濃紺色のターバンを覆面に巻き直していた。 いま見えているのは目元だけ。その目の色は……琥珀だろうか、金色だろうか?

――精霊契約の護符の気配がする。これは……《火の精霊》系統。

アルジーは目をパチクリさせた。新しく記憶をつつくものがある。

――あのシュクラ青年も、精霊契約の護符の気配がしていた。

「あ、そうか。精霊契約の護符を身に着けてるんだ。魔除けの腕輪(アームレット)……バングル型だから目立たないけど……そのうち捕まえて、シッカリ話をしなければ」

アルジーは考え事を呟きながらも、羽ペンをインク壺に突っ込んだ。

――金融商オッサンの店前で、最近よく見かけるようになった謎のシュクラ青年。彼は、シュクラ王太子ユージド本人かも知れない……本人じゃ無くても、血縁とかに違いない。 それに、従兄(あに)ユージドは、三つ首の巨大化《人食鬼(グール)》が入り乱れた戦乱の真っ最中に、消息不明になったのだ。衣服の上からは何とも無いように見えても、全身に痕跡が残っている筈。

先ほどから居た依頼人、すなわち濃紺の覆面ターバン青年は、アルジーの呟きにギョッとしたのか再びガタタッと音を立てて飛び上がっていた。

さすがにその異様な振る舞いは、アルジーの気付くところであった。

「どうも失礼を、お客さん。この骸骨顔の独り言で。知人が身に着けてるんじゃないかなーという《風の精霊》系の護符を考えてたもので。あれを身に着けていたんだから、きっと……」

濃紺ターバンをした依頼人は、飛び上がったその場で、ギクシャクと首を傾げていた。ギクシャクと二の腕を触れる。《火の精霊》系の護符の気配がして来る位置。 確実に、こちらも魔除けの腕輪(アームレット)。バングル型だと推測できる。

金髪ミドル代筆屋ウムトが訳知り顔で、迷彩柄の赤茶ターバンをガシガシとやり始めた。

「あぁ、確か、精霊が絡んでる護符についちゃあ、感度が鋭い性質だったかよぉ。そりゃそうだな、《精霊鳥》とサシで喋るし、青衣の霊媒師っていうオババ殿に仕込まれてたってんだからよぉ」

白茶ヒゲ代筆屋ギヴ爺(じい)が興味津々でアルジーに突っ込んで来る。

「では、その《風の精霊》系の護符を装着している知人が、『気になる相手♪』ということじゃな?」

「いつかキッチリ話を付けようとは思ってます。子供の頃は従兄(あに)が、父の次に理想の殿方だったですし。衣服を剥ぎ取って確かめたいし、全裸にして、聞いてみたいことが色々と……」

濃紺の覆面ターバン青年は、何故か急に恐怖パニックを起こしたようで、「今日のところは失礼を」と言いながら退散して行った。

金髪ミドル代筆屋ウムトが『訳が分からん』と言わんばかりに肩をすくめて手を広げ、困惑の格好をして見せている。

「まぁ急ぎじゃねぇ内容だったしよぉ。明日にでも仕上げて、商館に居る雇い主のほうに連絡入れるでよぉ」

……客がすっかりはけた帝国伝書局・市場(バザール)出張所の中、微妙な空気が漂ったところで。

その辺のテーブルや椅子で遊んでいた白文鳥《精霊鳥》パルとコルファンとナヴィールが、「ぴぴぃ」とさえずった。すぐにアルジーの荷物袋に潜り込み、小石のような何かを引っ張り出して来た。

相棒パルが、弾む『いちご大福』さながらにピョンピョン飛び跳ねて来て、「それ」をアルジーの傍にコロンと転がす。

「あ、それ」

作業机に転がったのは、なんとなくコイン型をした、濃色の琥珀ガラス。

風紀役人ハシャヤル氏が異常な死に方で死んだ、火事現場から出て来たブツのひとつ。『聖火の舞』用に使う特殊な時間差発火型の導火線と、一緒に出て来た物だ。

アルジーは改めて手に取り、じっくりと眺め始めた。

コイン型の表に刻まれているのは、古代の紋章のような雰囲気の……歪んだ目のような形をした刻印。

火事の熱のせいか、コイン型の端は少し溶けて歪んでいたが、縁取りとなっている細密な線刻が見事だ。皆既月食を取り巻く金色の炎冠を連続模様にしたと思われる。

白茶ヒゲ代筆屋ギヴ爺(じい)が「何じゃ?」と、興味津々で、コイン型をした琥珀ガラスに顔を近付けて来た。

アルジーは大先輩の意を汲み、観察しやすいように、作業机の明るい部分へ置いた。バーツ所長も、赤ヒゲをモサモサさせながら身を乗り出して来る。

あたりは既に午後の後半。陽射しが入らない路地裏の部分は、既に日没の直前のような暗さだ。

「ふむ? こっちは裏側かのう。こいつは古代書体の《精霊文字》で『666』と刻んである」

「よく分かるんだな、ギヴ爺(じい)。今どきの退魔紋様や《精霊文字》とは違うで、このバーツ所長様には分からんかったぞ。今のものよりも、ずっと複雑な文字じゃねぇか。線刻も信じられないくらい細かい」

「いわゆる『失われし高度技術』じゃの。帝国通貨と同じように、古代遺跡から発掘した金型を使っとる」

白茶ヒゲ代筆屋ギヴ爺(じい)は、慎重に、コイン型をした琥珀ガラスを持ち上げ、表、裏、表、と観察し始めた。かつての熟練の職人ならではの慎重な手つき。

「コイン金型は非常に頑丈での、数字『1』から『1000』までのものが、まとめて発掘されることが多い。 古代『精霊魔法文明』の頃は、今のような耐熱粘土じゃのうて、特殊合金の金型を用いて大量生産したのじゃよ。 帝都の《魔導》工房でも、これほど高度な成形をやってのける金型を製造できるところは、無いじゃろうな」

コイン型をした琥珀ガラスをそっと卓上に戻した後、白茶ヒゲ代筆屋ギヴ爺(じい)は少し遠くを見るような眼差しになった。 素敵にモワモワとした白茶ヒゲを撫で、鬼耳族の子孫ならではの大きな耳をピクピクさせつつ、昔語りを始める。

――そうしていると、昔話に出て来る、人の姿をした《地の精霊》そっくりだ。実際、鬼耳族の地獄耳は、《地の精霊》が祝福したものとも言われている。

古代の『精霊魔法文明』時代は、火・風・水・地のそれぞれの精霊が人の姿をして歩き回り、《精霊語》を使って人類と交流することも多かったと言われている。 それなりに昔話でも伝えられているが……いまは、何故か動物の姿をした精霊のみだ。人の姿をした精霊の目撃例は無い。あえて言えば、邪霊《骸骨剣士》くらいか。

「若気の至りで、宝探しする冒険者の一団に加わった事があったんじゃ。砂漠の大岩壁にある古代の『精霊魔法文明』遺跡でのう。 引退する前はワシ、《魔導》工房で、退魔紋様を彫る職人だったでな。近所の聖火神殿の資料室で、古代遺物を見る機会があっての。古代の魔除けや《精霊文字》の意匠を、もっと見たかったんじゃよ」

次に、金髪ミドル代筆屋ウムトが、問題のコイン型をした琥珀ガラスを、しげしげと眺め始めた。

「こいつぁ、怪奇趣味の賭場で使われてる賭博チップじゃねぇかよぉ。顔見知りの神殿の経理スタッフがそんなこと言ってたでよぉ。 コイン型の琥珀ガラス、裏には歴史資料室でお目にかかるような古代意匠の数字、表には伝説の邪霊《怪物王ジャバ》紋章の彫刻」

「おいおい冗談はよせや、《怪物王ジャバ》?」

バーツ所長が口を引きつらせた。モッサァ赤ヒゲが器用に逆立っている。

「我らが帝国の始祖、英雄王が《雷霆刀》で倒したという黄金の三つ首じゃねぇか。ピチピチの人間の生贄を特に好んだという。そんなの堂々と崇拝する反社会的カルト共が居るかよ」

「一攫千金のためなら、反社会的カルト団にも暗殺教団にも身を投じるヤツら、地下神殿で踊るくらい屁でもねぇでよぉ」

「おぉ……そうじゃ」

東帝城砦に居住する代筆屋の中で最高齢の代筆屋、ギヴ爺(じい)は、白茶ヒゲを撫でながら、ゆっくりと顔をしかめた。

「だんだん思い出して来たぞよ。あの大岩壁の洞窟……地下神殿の天井に彫り込まれた、極めて巨大な三つ首《人食鬼(グール)》の顔だけの彫刻があっての。あれは《怪物王ジャバ》じゃった」

ギヴ爺(じい)の脳みそで進行している思考の速度を反映しているかのように、先祖から受け継いだ地獄耳の鬼耳が、ターバンの陰でせわしなくピクピクと動いている。

「何で分かったかと言うと、その真下に黄金祭壇があって、『いと恐ろしき《怪物王ジャバ》のもとへ』と彫られた古代《精霊文字》と紋章があったからじゃ。 忌まわしくも巨大で壮麗な、古代の失われし地下神殿……どれほど過酷な労働があったのか想像すると、ゾッとして来る……」

ブルッと身を震わせた後、白茶ヒゲ代筆屋ギヴ爺(じい)は、シワ深い眉間の辺りを人差し指でチョイチョイとふれた。

「その天井に彫り込まれた三つ首の中央の頭部、この辺……眉間にの、信じられないくらい大きな黒ダイヤモンドがハマっておった。 あれは最高額の大判の帝国通貨ほどもあったかのう。その台座が炎冠紋様で荘厳してあって……職人の間では『邪眼』紋章と呼びならわしておる、伝統の荘厳形式じゃ。 黒ダイヤモンドの台座を邪霊仕様に仕立てる時の定番の装飾細工じゃし、ヤクザを気取る者の間では人気のある意匠じゃのう」

そう言って、白茶ヒゲ代筆屋ギヴ爺(じい)は、琥珀ガラス製のコイン状の物を、つついたのだった。

モッサァ赤ヒゲ熊男バーツ所長が、ヒョイと首を傾げる。

「黒ダイヤモンドというと普通は《地の精霊》が宿るものだが、邪霊を魔導できるってんで、現代の魔導士や邪霊使いの間で高値で取引されるブツだな。それは、どうなった?」

「宝探し冒険者の一団に若い魔導士が居ての。そいつが夢中になって、持ってった。あれほど血走った眼は初めて見たのう。 じゃが、そいつは不可解な状況で早死にしたようなんじゃ。かの、どでかい黒ダイヤモンド、行方は知らんが、帝国の《魔導》法律にのっとって正しい使われ方をしている事を祈るのみじゃ」

「あぁ、帝国の国庫の、機密施錠と管理のための《魔法の鍵》か。小粒な黒ダイヤモンドも、金融商の秘密保持の取引の方面で大活躍してるくらいだ。 黒ダイヤモンドくらい信頼性のある――強烈な呪縛っていうくらいの堅牢な《魔法の鍵》って無いからな」

「だから、怪奇趣味の賭場にある金庫の鍵も、黒ダイヤモンドの《魔法の鍵》でよぉ。非合法の」

アルジーが水をすくう杯のように合わせていた手の中で、「もちーん」とくつろいでいた白文鳥《精霊鳥》パルが、急に「びょーん」と伸びあがった。

一緒にアルジーの手の中に収まっていた白文鳥コルファンとナヴィールが、勢いで、アルジーの手の外へコロンと転がり落ちてしまう。

「え、パル? コルもナヴィも、大丈夫?」

一斉にさえずりだした3羽の白文鳥。ひとしきりワチャワチャした後、再びアルジーの手の中に、真っ白な団子三兄弟よろしく収まったのだった。

金髪ミドル代筆屋ウムトが、不思議そうに3羽の白文鳥を眺める。

「こいつら《精霊鳥》だよな? 何か言ったかよぉ?」

「この琥珀ガラスが流通している場所を調べなきゃいけないって」

「怪奇趣味の賭場かよぉ。まぁ確かに、いかがわしい場所なんで『気付いたら通報せよ』という対象ではあるがよぉ」

帰宅の時間とあって、金髪ミドル代筆屋ウムトは既に帰宅の構えだったが……何かしら気にかかるところを感じたらしい。ターバンを整えるべく手をかけたまま、思案顔で佇んでいた。

モッサァ赤ヒゲ熊男バーツ所長が、モサモサ赤ヒゲをしごきつつ、目線をあちこち動かし始める。

「西の商館の地下でやってた怪奇趣味の賭博の宴会は、ボヤがあったし、神殿の調査官たちが大勢やって来て調べてる筈だ。 他に、怪奇趣味の賭博の宴会をやってるとこって……最近じゃ聞いてないな。隠密の帝都役人が入り込んでいるって情報が回ってるからな、みんな、帝都役人の手入れとか取締りとか警戒してやがる」

「蛇(じゃ)の道は蛇(へび)って言うじゃねぇかよぉ、バーツ所長どの。退勤がてら、ちょっくら酒場を回って、運を試してみるでよぉ」

何らかの見込みでもあるのか、山ほどの紅白の御札『退魔調伏』を用意し始める金髪ミドル代筆屋ウムトであった。

魔除け対策が十分に行き渡っていない新装開店の怪奇趣味の賭場の近くでは、本当に邪霊害獣がうろつく事が多いと言う……『退魔調伏』御札は、身の安全のための必須の小道具である。

「何だか不安だなぁ?」

と言いながらも……モッサァ赤ヒゲ熊男バーツ所長は、退魔紋様がシッカリ施された護身用の短剣に三日月刀(シャムシール)を揃えて、夜間行動やる気満々だったのであった。

そして、白茶ヒゲ代筆屋ギヴ爺(じい)と骸骨顔の代筆屋アルジーも、後をついて行く気、満々であった……

*****

現れたばかりの十六夜の銀月が、ゆっくりと夜の頂きを目指して上昇してゆく。

月光が差し始めた市場(バザール)の目抜き通りの一部が、付属する数々の路地と共に、とりわけにぎやかになった。酒場や遊戯屋が並ぶ、夜の歓楽街を成す十字路の群れだ。

その十字路を渡ってゆく4人連れが居る。

一見、帝国伝書局・市場(バザール)出張所の老若スタッフが、業務の打ち上げで酒場へ繰り出すという風だ。

この一団、たまに見かけるのは3人連れだが……今夜は珍しく、骸骨顔をしたガリガリの若手スタッフが1人加わっている。

アルジーは、いつもの荷物袋を肩にかけていた。妙に膨らんでいるその中身は、ほぼ紅白の御札『退魔調伏』である。

荷物袋からは、同行を『強烈に』主張した白文鳥《精霊鳥》たち4羽が顔を出しているところだ。

病気のようになって常時グッタリしている1羽、白文鳥アリージュは別にして。

パル、コルファン、ナヴィール、3羽とも出入口の周りをグルグル飛び回って出発を妨害したり、あちこちにフンを落としたり、 備品をつつき回して崩したりして……バーツ所長でさえ唖然とするくらいの暴れぶりだったのである。

帝国伝書局・市場(バザール)出張所の騒ぎを聞きつけた他の白文鳥《精霊鳥》もやって来て、通りに面した出入口の上で、ピヨピヨやり始める程であった。

――「こいつぁ、白タカ《精霊鳥》5羽とも戻って来てたら、今ごろ、市場(バザール)出張所をバラバラにするような大騒ぎになったんじゃねぇか?」

とは、代筆屋メンバーと共にあちこちに落ちた鳥のフンを掃除する羽目になった、モッサァ赤ヒゲ熊男バーツ所長の、真剣な懸念を込めた感想であった。

相棒の白文鳥《精霊鳥》パルが、白タカ《精霊鳥》シャールをしきりに呼んでいたのだが、 伝書局で扱っている白タカ《精霊鳥》たちは皆々、幾つもの城砦(カスバ)を渡る特別郵便の任務に就いていて、不在。

結局アルジーは、騒ぎを聞きつけて新しくやって来た白文鳥《精霊鳥》1羽に、今夜の予定を伝え……それで、相棒のパルにも納得して貰ったのだった。 ちなみに、この1羽は、金融商オッサンの店前にある吊り看板をねぐらにしている白文鳥《精霊鳥》である。

さて。

にわか仕立ての4人連れ調査団が最初に目を付けたのは、慣れない人も入りやすそうな、柔らかな雰囲気をした、大人数収容型の酒場である。 建物は3階建てになっていて、2階と3階は、娼館や連れ込み宿のほうでは無い、一般の民宿であった。

酒場である事を示す吊り下げ型の夜間照明ランプが、蜂蜜色の光を投げている。

軽食(おつまみ)付きで葡萄酒や蜂蜜酒を提供する酒場で、女性客も多い。聞き込みの主役は、痩せぎすで威圧感の無いアルジーと、好奇心で目をキラキラさせたギヴ爺(じい)。

アルジーは覆面ターバン姿だ。こうすると割に骸骨顔が隠れるので、アルジーにギョッとする人も少ない。 本物の《骸骨剣士》のほうは、頭蓋骨の全体が周囲状況を見るための感覚器官になっているので、絶対に頭部を覆い隠せないのだそうだ。

南方渡りと思しきトロピカル更紗の紗幕(カーテン)で装飾された窓際の一角に、飲み友達を待っている風の、ふっくらした体格の裕福そうな女性客が居る。 濃色ベールで顔立ちは分からないが、蜂蜜酒をたしなむ所作は、堂々とした雰囲気。

「おぉ、こいつぁ運がいいぜ」

金髪ミドル代筆屋ウムトが早速、その女性客に目を付ける。

「あの肉(しし)おき豊かなご婦人、裏営業でダーツ賭博屋をやってる女傑でよぉ。町角の占い屋で、絵が超ウマイ。 夫の浮気に悩む妻たちが、家事の合間に、浮気占いしてもらってるでよぉ。ダーツの標的に夫の似顔絵や夫の股間の絵を描いてもらって、ダーツでグサグサ、上位争いやってるでよぉ」

「……結婚後の浮気はするもんじゃねぇな」

モッサァ赤ヒゲ熊男バーツ所長は、微妙に下半身の特定の場所を抑えて、いささか顔を青くしていたのだった。

アルジーとギヴ爺(じい)はテーブルの間を縫って、その濃色ベールのふくよか婦人へと接近した。

占い屋だけに勘が鋭いらしく、濃色ベール女性が、すぐに気付いて振り返って来る。

「何だい? いまは占いの注文は受け付けてないんだよ」

「分かってますぞい、ご婦人」

ギヴ爺(じい)が、手に持った冊子本で意味深そうに口元を隠しつつ、ささやきかける。

「実はワシの長男が、怪奇趣味の賭博に手を染めたようで、行方が追えんでのう。その類の宴会の開催場所を知っておいでなら、 お役人様とマズい事になる前にコソッと教えて頂けるとありがたいのじゃ。情報料は相場ギリギリしか出せんがのう」

濃色ベール女性はヒョイと首を傾げた。沈黙し、思案ポーズになって、チラチラと窺って来ている。やがて。

「みえみえの嘘つかれるのは嫌なんだけどね、ご老体。あぁ、あたしは向かいの町角の占い屋ティーナって言うんだ。 これでも専門の占い屋だ、あんたたちが、縁起でも無いヤバイ領域に足を突っ込んでるのは、バリバリ感じ取れる」

いつの間にか、濃色ベール女性の視線がアルジーを向いていた……その視線に含まれているのは、懸念だろうか?

「お嬢さん、死相ガッツリ出てるね。それでも虎穴に入らずんば虎子を得ずか……おや、コレは……」

何かをもっとよく見るためか、濃色ベールがヒョイと上げられた。

――《地の精霊》と関係の深い地域の出身なのであろう、白髪混ざりではあるが、見事な黒髪。そして黒い目の輝きが印象的だ。

占い屋ティーナと名乗った人物は、かねてから感じていた雰囲気そのものの、堂々とした40代ほどの中年女性であった。 占い屋という稼業のためか、遊女なみに濃い化粧で、素顔は分かりにくい。熟練の霊媒師や魔導士ほど本格的では無いものの、護符の作用をすると思しき数種の首飾りが、シャランと音を立てる。

占い屋の中年女性ティーナの手が動き、幾何学的格子の窓に掛かった紗幕(カーテン)を少し開く。その手首で、金属製の細いバングルが多数、光っていた。

――何故か、十六夜の銀月の光が、いつもより染みとおって来ているような気がする。

占い屋ティーナは、覆面ターバン姿のアルジーを、ジッと見つめていた。

「つくづく綺麗なコだね、あんた。操(みさお)ヤバイ事になった局面もあった筈だけど……『禍福はあざなえる縄の如し』とは、この事かねえ。 とんでもない死相で、『赤い糸』も、見たこと無いくらい、こんがらかってるけど」

少しの間、口元を引き締めて、占い屋ティーナは思案顔をした……

「ふむ。ねぇご老体、ちょっと手伝ってくれるかい。それで教えてやれる賭場があるし、情報料、負けてあげるよ」

「手伝いかの。もちろんじゃよ。何じゃ?」

占い屋ティーナは、手持ちの荷袋から……亀の甲羅と赤い糸巻きを、取り出した。脱皮した《精霊亀》の甲羅らしい。格子窓から差し込む銀月の光を反射して、螺鈿のような不思議な虹色に光っている。

「お嬢さん、亀の甲羅の端っこ、ココ、シッカリつかんでな」

「はあ?」

アルジーが、差し出された亀の甲羅の端をつかんでいると、ティーナは赤い糸で、亀の甲羅のもう一方の端を手際よくグルグル巻きにした。 巻き付ける回数の決まりでもあったのか、ある所で「よし」と言い、糸切ハサミでプツンと切る。

占い屋ティーナが、亀の甲羅をクルリ、クルリと引っ繰り返し、しかる後に、グルグル巻きの赤い糸を取り外すと……

あら不思議、魔法のように――本物の魔法かも知れない――マクラメ編みの赤い紐ができていたのだった。なんとなく亀の甲羅のようなパターンだ。

「凄まじく、こんがらかってるね。何とも興味深い。さ、ご老体、コレお嬢さんの足首に結んでやっておくれ。かわいい孫娘に結んでやってるような感じでさ」

「足首じゃな、ホイ」

アルジーは恐縮しつつ、ギヴ爺(じい)が結びやすいようにと、近くの木箱の上に片足を乗せておいたのだった。 何かの儀式のようにも思えるが、今のところ見当は付かない。霊媒師だったオババ殿の知識の中には、占い屋のオマジナイなどは含まれていなかった。扱う分野が違うせいだろう。

「つくづく、ガリガリの足首じゃのう」

アルジーの荷物袋の中から顔を出して見物していた、4羽の白文鳥《精霊鳥》たちが、ピヨピヨさえずり始めた。

占い屋ティーナは何故か、白文鳥が《精霊鳥》である事に気付いているらしく、いたずらっぽく、フフフと笑う。

白茶ヒゲ代筆屋ギヴ爺(じい)が、結び終えた赤い糸を眺め、不思議そうに首を傾げ始めた。

「……何だか、自動的に長さが調整されて、結び目もピタッとくっついたようじゃが」

「それで大丈夫さ。護符みたいなもんだ。それだけ強烈な死相が出てるお嬢さんだから、効果が続くのは今夜くらいだろうけど。 今夜のうちに結び目が切れたら、あたしが考えてる程度の効果はあったって事でね。お約束の情報料を出しておくれ、蜂蜜酒3杯分のお代で」

占い屋ティーナはカネを受け取ると、一仕事終えたという風に蜂蜜酒を一服し、改めて向き直った。

「怪奇趣味の賭場の件だね。西の商館の地下でやってた賭博宴会が、ボヤだの何だのでオシャカになった事は、もう聞いてると思うけど。 《骸骨剣士》舞踏がウリだったとこだね。東帝城砦で聞いてる限りでは、可能性があるのは2か所」

周囲の聞き耳を警戒してか、占い屋ティーナの声が低くなる。

アルジーとギヴ爺(じい)は身を乗り出し、耳を傾けた。アルジーの荷物袋に入っている白文鳥《精霊鳥》4羽も、ジッと耳を傾けている様子である。

「ひとつは、東方総督トルーラン将軍の宮殿に併設されてる聖火礼拝堂の地下室の、どこか。テカテカ黄金肌の巨人戦士が、 手を血まみれにして徘徊してるっていう不気味な怪談があるとこだよ。だけど、賭博宴会の開催日は不定期だから、限定会員を捕まえないと分からないね。 つながりのある暗殺教団なんかを割り出すほうが早い気もするけどさ」

「あ、あの怪談」

「この間、神殿の調査官と一緒に来ていた大斧槍(ハルバード)の衛兵が、そんな噂がある、と言ってたのう。 古代の巨人族の末裔『邪眼のザムバ』が、夜な夜な、宮殿の聖火礼拝堂の地下資料室から、両手を血だらけにして出て来てるとか」

幾何学的格子の窓に掛かった紗幕(カーテン)を閉じながら、ウンウン頷く占い屋ティーナ。 十六夜の銀月の光が遮られ、酒場ならではの蜂蜜色の吊りランプの光が漂った。

占い屋ティーナは、別のテーブルの2人連れの男女を、肩の動きでヒョイと指し示す。

「あと1か所は、多分、あの2人の後を付いて行けば分かるよ。あたし似顔絵も描くから、覆面してても分かる。覆面ターバン色男のほうが、ここ最近の常連客だよ。 西の商館の地下の賭博の宴会がオシャカになった後、客を横取りする形で繁盛してるんだ。 数人くらいは、あたしの裏営業のダーツ賭博に流れて来るかと思ったのに、とんだ競合店が潜んでたもんだ」

そのテーブルでは。

男女2人連れが、何かをささやき交わしているところだった。

慎ましいベール姿の女客のほうは、不自然な死に方をした風紀役人ハシャヤル氏の――妻、ギュネシア奥さん。

男客は人目を警戒しているのか、覆面ターバン姿。だけど。

アルジーは、思わず息を詰まらせていた。

……あの精霊契約の護符の雰囲気が確かに漂っている。あのシュクラ青年だ。シュクラ王太子が身に着ける事になっている、白孔雀をモチーフにした魔除けの腕輪(アームレット)の雰囲気。

行方不明で生死不明の従兄(あに)なのか? シュクラ王太子ユージドも、怪奇趣味の賭博に関係しているのか……?

*****

蜂蜜色の吊りランプが並ぶ歓楽街。大人の夜は、始まったばかりだ。

ゆっくりと天空の弧を描いてゆく銀月のもと。

ギュネシア奥さんと、謎のシュクラ青年とが連れ立って、十字路をした街路の先へと歩み去ってゆく。

にわか仕立ての4人連れの調査団が、尾行を始める……赤ヒゲ熊男バーツ所長、金髪ミドル代筆屋ウムト、白茶ヒゲ代筆屋ギヴ爺(じい)、骸骨顔のアルジー。ついでに、4羽の白文鳥。

意味深な2人連れを追って十字路を渡ってゆく、4つの人影。

いつもの夜とは違う、その光景を……占い屋ティーナが、コッソリと見送っていた。幾何学格子の窓枠を透かして。

と、そこへ。

占い屋ティーナの飲み友達が近づいて来た……トロピカル紗幕(カーテン)からのぞいた、その面は……女商人ロシャナク。

「待ってたよ、ロシャナク」

「さっきから興味深いことが進行してるなと思って、見てたんだよ」

女商人ロシャナクは見かけによらず上質なベールをそっとめくり、眼差しを、興味津々といった風にきらめかせた。 長衣(カフタン)の裾をさばき、占い屋ティーナの横に、優雅な所作で腰を下ろす。落ち着いた色合いの紅髪の間から、鬼耳族の特有の尖った耳が飛び出していた。

「珍しく大特典つけたもんだね、ティーナ。ありゃ月下老人の『赤い糸』オマジナイじゃないか」

「あれが、ロシャナクが話してた子なんだね。ほとんど死体だよ。あそこまで凶兆とか、こんがらかった要素が出てるとねえ」

お互いにイイ年の2人の女は、窓枠の外を眺めつつ、蜂蜜酒の酒杯を交わし始める。

幾何学的格子の窓枠の外、4人の人影は、ヒョコヒョコと面白い動きをしながら、路地裏へと入って行った……

「あの『赤い糸』のアレ、世界最大の幻の山脈《地霊王の玉座》を眼前に仰ぐっていう、ティーナの出身地、亀甲城砦(キジ・カスバ)の秘伝のヤツだっけ。 あの骸骨顔のコに、現れる? それも今夜のうちに……あの覆面ターバンの青年かい?」

地獄耳を持つ親友に問われた占い屋ティーナは、肩をすくめ、眉根をキュッと寄せていた。やがて。

「意外に良くないんだよね、それが。『運命を描くコンパスは一回転し、目覚めていた幸運は眠り込んでしまった』と、占うところだけど。 あの子がどこまで頑張るのか、運命の十字路ってヤツに賭けてみたくなったんだよ。《地霊王の玉座》だって十字路に切れ込んだ六甲の形してる」

*****

市場(バザール)のなかでも、とりわけ細い。そんな通りが、区壁に沿って延びている。

こういった端まで来ると、街路も丁字路の形が多くなる。突き当たりは区壁。行きどまりだ。

小箱から中箱といった規模の店舗が詰め込まれたかのように密集している。ちょっとした屋敷の使用人といったような客層が、中心。

扱っている商品は多種多様だ。

吊りランプ、陶磁器、ガラス食器、クッション、テーブル、椅子、古着、革靴、料理のための様々な道具……中ていどの価格の生活雑貨なら何でもござれと言う雰囲気。

意味深な2人連れが入って行ったのは、絨毯を扱う店だ。

「絨毯屋とはよぉ、うまく隠蔽したもんだよぉ」

金髪ミドル代筆屋ウムトが、感嘆の眼差しをして、物陰からチラチラと窺い始める。モッサァ赤ヒゲ熊男バーツ所長が赤ヒゲをゴリゴリとやりつつ、「ううむ」と、うなり出した。

「注意深く行った方が良さそうだな。中箱ていどの大きさに見えて、奥は意外に広さがありそうだぜ。 ああいうタイプの構造は、奥で幾つかの店舗の空間が合体していることがある。簡単な改装工事で壁を取り払えるんだ」

「取り払った壁は、絨毯で覆ってごまかせる……昔、ショバ代の脱税で流行した手口じゃよ。良く知ってるのう、バーツ所長」

――カネの亡者というヤツは、どこにでも居るものだ……自分の事を棚に上げて、アルジーはシミジミするのみだった。

やがて、選んだ絨毯の購入が済んだ様子。ギュネシア奥さんは、ロバの牽く荷車に、絨毯と同乗し始めた。絨毯屋の少年スタッフが操るロバ荷車は、どう見ても一人乗り程度。

「じゃあ、この辺で。今夜は色々ありがとう」

ギュネシア奥さんと覆面ターバン姿のシュクラ青年は、親し気に抱擁を交わした後、絨毯屋の前で別れた。

ポコポコと市場(バザール)の街路を行くロバ荷車を見送った後……

ターバン姿のシュクラ青年は、絨毯屋の奥へと入って行ったのだった。

「よぉし、あの覆面ターバン色男ヤロウを尾行するぜよ」

モッサァ赤ヒゲ熊男バーツ所長は、護身用の短剣の柄に手をかけ、足音を立てずに近寄った……経験者の動きだ。バーツ所長は過去を語らないが、若い頃は戦士だったのかも知れない。

感心しながらも後をついて行く金髪ミドル代筆屋ウムト、白茶ヒゲ代筆屋ギヴ爺(じい)、骸骨風の代筆屋アルジー。

絨毯屋の中に入ってみると。

店の中は、人ひとり横になれる程度の、お手頃な大きさの絨毯でいっぱいだ。吊りランプが多く、意外に明るい。

東方諸国の方々の城砦(カスバ)から渡って来た絨毯が、そこかしこに垂れ幕のように吊るされる形で展示されている。 簡単な染色や織りの製品は安価で、複雑な模様が織り込んである上質な製品は、それなりに高価。客がパラパラと入っていて、「アレが良いか、コレが良いか」と相談している。

「あれ見ろよぉ。模様が怪奇で、成る程だよぉ」

金髪ミドル代筆屋ウムトが目をキラーンと光らせ、先ほど人がよぎったのか微妙に揺れている垂れ幕……いや、絨毯を指差した。縁取りは、炎冠を模したと思われる、黄金色の火炎と後光の連続模様。

絨毯そのものは人気の赤色だが、織り込まれている模様は、よく見ると確かに《怪物王ジャバ》を模したものだ。 絨毯の定番の多彩な唐草模様に紛れるようにして、中央あたりに配置された黒い円形の中に、三つ首をした黄金仮面がある。

――古代の伝説に出て来る、三つ首をした奇怪な面相の怪物。中央の首が特別らしく、眉間に第三の目らしきものを付けている……刺青(タトゥー)で見る邪眼の紋章に、よく似ている。

その怪奇な絨毯に近寄ってみると、傭兵くずれと見える店スタッフの1人が、鋭い眼差しをして、ズイと進み出て来た。

「開けゴマ。天の果て地の限り、やよ逆しまに走れ、両大河(ユーラ・ターラー)」

「合言葉かよ」

モッサァ赤ヒゲをしごきつつ、チッと舌打ちをするバーツ所長。

不意に、アルジーはピンと来た……あの不思議な予言めいた四行詩の一節ではないか?

怪奇な絨毯をよく見ると、多彩な唐草模様の一部が文字になっていた。今しがた投げかけられた不思議な一節が、古代書体の《精霊文字》で織り込まれている。

――いまの書体よりもずっと複雑だから、一見しただけでは、文字とは思わなかったけれど。

読める。

シュクラ宮廷霊媒師だったオババ殿から教わった正統派の書体は、古代の面影をシッカリ残していた。そして、対になるようにして、もう一節の詩句が織り込まれているのが分かる。

アルジーは、本物の赤熊のように大柄なバーツ所長の後ろから、ヒョコリと覆面ターバン顔を出し、ささやいた。

「千尋の海の底までも……あまねく統(す)べるは闇と銀月?」

傭兵くずれと見える店スタッフは、ムスゥとした目つきをしながらも、その場から脇にどいた……アタリだ。

身を低くして、壁のように垂れた絨毯をくぐると、そこにポッカリと暗くて細い通路が現れた。灯りは、必要最小限の夜間照明ランプのみ。

にわか4人連れ調査団は、狭い通路をジワジワと押し通ってゆく。

金髪ミドル代筆屋ウムトが感心したように呟く。

「あの絨毯にデカデカと答えがあった訳か……すぐには気付かなかったでよぉ」

「客層を絞っておるのじゃろう。あるいは古典《精霊文字》の心得がある人材を集めているとか……これはこれで、 中堅の知識人サロンを気取っているのか、それとも他の目的があるのか、得体の知れぬところじゃのう」

白茶ヒゲ代筆屋ギヴ爺(じい)の言及に続いて、モッサァ赤ヒゲ熊男バーツ所長がうなる。

「あの身なりの良さげな覆面ターバン色男が出入りするくらいだから、それなりに狙った客層の誘引には成功しているらしいな。才走った小金持ちが多いんだ、この客層は」

すぐに開けた場所に出た。

多くの人影――さざめく話し声。罪深いとされている珈琲や酒のにおいが充満している。

ここが賭場に違いない。屋外の広場だけど。

区壁と見て取れる壁際には、ナツメヤシの木々が街路樹となって並んでいる。本来は区壁の補修のための切石などを保管しておく空き地だが、ちょっとした中庭のような場所に仕立ててある。

あちこちにスタンド式の夜間照明ランプが並んでいて、意外に明るい。

ヒヤリとする夜風が通る開放的な空間の中、50人ほどの老若男女が上品な賭博に興じていた。意味深な絵が描かれた賭博札が、あちこちの絹製テーブルクロスの上を飛び交う。 色ガラス製の多彩なチップが専用の熊手で寄せられるたびに、ジャラジャラ音を立てている。

絨毯屋の提供らしく色とりどりの絨毯が垂れ幕となって、上手い具合に賭場の種類ごとに仕切りつつ、他の区壁からの眼差しをも遮っていた。

そして怪奇趣味の賭場という触れ込みに相応しく、賭博カードやチップや酒を給仕しているスタッフたちが皆、怪奇趣味の仮面をつけていた。 それっぽく着色しただけのハリボテ仮面で、その意匠は、定番の邪霊害獣《三つ首ネズミ》、《三つ首コウモリ》がほとんど。

たまに《骸骨剣士》の扮装をしたスタッフが、チラホラと徘徊している。三日月刀(シャムシール)も持っているので、賭場の警備員の類だろうと知れる。 過剰に不気味にしないためか《人食鬼(グール)》の仮面は徘徊していなかったが、ゾッとする。

――怪奇趣味の賭場となっている空間の、ほどほどの位置のところに、「覆面ターバン色男」ことシュクラ青年が居た。

キッチリ人相を隠しているけど、先ほども感じられた精霊魔法の護符の気配が、シッカリある。

アルジーの記憶と判断に間違いなければ……シュクラ王国の国宝でもある、シュクラ王族用の精霊宝物だ。 シュクラ王太子のみが身に着ける《風の精霊》系の護符、白孔雀をモチーフにした腕輪(アームレット)に違いない。

荷物袋の中から、小鳥がヒョコヒョコと顔を出す動きが伝わって来る。先ほどから白文鳥《精霊鳥》4羽も気付いていたようだ。

「隅のテーブルで酒かっくらってるヤツ、噂の別居夫ワリドじゃねぇか。釈放されたみたいだけど、さっそく賭博宴会とは。スージア奥さんとヤジド坊ちゃん放置状態でよ」

モッサァ赤ヒゲ熊男バーツ所長が注目している方向に、あのアルコール中毒の中年男ワリドが居た。

ワリドがついているテーブルの上には、早くも酒瓶がズラリと並んでいる。相当に崩れて、できあがっている状態と見えるが……それほど正体を失っていない。 ちょっと崩れた風の賭け仲間と共に興じている様子を見ると、色々と調子が狂う前は、それなりに陽気な男だったのだろうと思える。

シュバッと、目の端で素早い動き。

金髪ミドル代筆屋ウムトが、《三つ首ネズミ》仮面の接客スタッフを捕まえていたのだった。

垂れ幕となっている軽い絨毯の陰で、ビックリした仮面スタッフと金髪ミドル代筆屋ウムトが、早口でささやき始める。

「な、なんだよ、てめぇ、いや……ウムト! 何で此処に?」

「神殿役人の経理スタッフが、何で違法バリバリな賭場で副業やってんだよぉ」

「し、しょうが無いだろ! 今季ボーナスが出てないんだから! ローンが苦しいんだよ!」

「黙っといてやるよぉ。ただし、質問に答えてくれよぉ」

「う……、私に分かる事なら」

そんなことを、ゴニョゴニョと打ち合わせた後。

白茶ヒゲ代筆屋ギヴ爺(じい)が、好奇心満々でワリドのほうを指差した。

「のう、ネズミ男くん。かのアルコール中毒の中年男ワリド君、風紀役人ハシャヤル殺害容疑で逮捕されとったが、釈放されたようじゃな。彼は此処の常連だったのかのう?」

「ワリドは常連という訳じゃない。彼は西の商館の地下のほうの賭場に、よく出入りしていたと聞いてる。ハリボテ《骸骨剣士》舞踏がウリだったとこだ。そこでボヤ騒ぎがあったことは聞いてるだろうが」

ハリボテ《三つ首ネズミ》仮面の神殿役人は、小首をかしげる格好をしながらも話しつづけた。

「ワリドは、ハシャヤル殺害に関与した証拠ナシって事で、あの日の午後に釈放されてて、その日のうちに西の商館の地下賭場に出入りしていたそうだ。 だから、焼け出された客ってとこだな。今夜は、あそこにたむろしてる賭け仲間に誘われて入って来てる。元々、衛兵だったから、その辺の良からぬ知り合いが多い」

面白そうな笑みを浮かべながら突っ込む、金髪ミドル代筆屋ウムトである。

「あんただって良からぬ副業に手を染めてんじゃないかよぉ」

「言うな」

ハリボテ《三つ首ネズミ》仮面スタッフの手がヒラヒラと揺れて、別の方向を指差した……

「ともかく衛兵から親衛隊へのつながりで、トルジン様の親衛隊のメンバーが新しく顧客になって来てる。金払いが良いんだから、此処で騒がれると困る」

……その方向へ視線を投げるなり、アルジーはギョッとした。

ひときわ大きな――山のような人影。

テラテラ黄金肌の巨人戦士『邪眼のザムバ』だ。眉間の不気味な黒い刺青(タトゥー)が、この怪奇な雰囲気の賭場に素晴らしく似合っている。 ほか、大柄な体格が自慢と見える、おそろいの迷彩ターバンと装飾鋲(スタッズ)きらびやかな親衛隊の制服姿の男が数名。

……気になる点がある。いったん気になると、すさまじく気になって来る。

あの「覆面ターバン色男」ことシュクラ青年――シュクラ王太子ユージドかも知れない人物――と、『邪眼のザムバ』とのテーブルの距離が、妙に近いのだ。

騙されたか何かして、良からぬ事に巻き込まれてしまっているのだろうか?

そう言えば記憶にある従兄(あに)ユージドは、色白で、少しほっそりしていて、淡い髪色という外見も相まって、 余計におっとりした雰囲気の……気が良くて騙されやすいほうの男の子だったような気がする……

町角の占い屋ティーナの話によれば、あのシュクラ青年のほうは、ここ最近の常連客という事だったけれども……

何だか心配だ。

すぐにでも飛び掛かって、この場から引きずり出すとか何とかして、助けないと。

アルジーはキュッと拳を握り締めつつ、ハリボテ《三つ首ネズミ》仮面スタッフを振り返った。

「向こうに居る『邪眼のザムバ』は常連客ですの?」

「あのデカいのは定期的に来てる。あの奥のテーブルに居る黒衣の魔導士っぽいのと少し話し合って、不思議な風にボンヤリした後、退店していくっていう行動が多い。 そうだな、賭場に来てる割には賭博に熱心じゃ無い。本当の目的が別にあるみたいな感じだな」

「魔導士っぽい人……?」

新しく示されたその人物を、じっくり眺める。

夜風がヒュッと吹き、偶然にして薄く軽い品であったらしい垂れ幕が、ヒラリと揺れた。傍にあったスタンド式の吊りランプが、黒ターバンに黒い長衣(カフタン)姿の、大柄な人物を照らし出す。

その大柄な人物の、黒ターバンの下の人相は……《骸骨剣士》を模した黄金色の仮面で隠されていた。

葡萄酒の杯をゆっくりと揺らす所作は、宮廷仕込みとも思われる優雅なもの。その手は常人より毛深いもので、全部の指に、大きな宝石を付けた指輪が幾つもはめられていた。 宝石はいずれも《精霊石》の類。指輪に宿るジンも、相当に強力なのだろうと思われる。

その首元には、霊媒師や魔導士にお馴染みの、ジャラジャラと鳴る魔除けの数珠やチェーン。

モッサァ赤ヒゲ熊男バーツ所長が、絨毯の垂れ幕の陰から窺いつつ、首をひねり始めた。

「あの黒衣の魔導士っぽいの、妙にデカいけど誰だろうな。昔の暗殺教団や違法な邪霊使いのほうで、禁術に手を出して逮捕された団員の何人かは、巨人族の系統だったそうだが……」

横から白茶ヒゲ代筆屋ギヴ爺(じい)が口を挟んだ。

「いや、あれは確かに大柄じゃが、あの毛深い手。頭の毛は剃って居るようじゃが、間違いなく、バーツ所長どのと同じ『毛深族』子孫じゃのう。 古代の頃は、すごく毛深くて、ああいう毛が全身にモジャモジャ生えとったと聞くが」

「お……おぅ。私はかなり血が薄まってるほうなんだ、盲点っていうか、先祖が同族とは思いもしなかったぜ」

モッサァ赤ヒゲ熊男バーツ所長は、すこぶる動転した様子で、目をパチパチさせた。毛深い手で、先祖『毛深族』譲りのモサモサとしたヒゲを、しごき始める。

「おしなべて『毛深族』は戦闘能力が高いのじゃ。邪霊使いに長けた優秀な魔導士も多いんじゃよ。 帝都でも一番の名医と名高い立派な眉毛と白ヒゲの老魔導士どのも『毛深族』子孫じゃし、不世出の天才魔導士にして帝都宮廷の魔導大臣ザドフィクも、そうじゃと聞いとる。 じゃが目下、醜聞への対応で忙しい帝都宮廷の現・魔導大臣が、東帝城砦まで出張るとは思えんし、同族の部下の1人かのう」

白茶ヒゲ代筆屋ギヴ爺(じい)の呟きに、思わず反応するアルジーである。

「醜聞って?」

「暗殺教団の教主だったという疑惑が出て来とるそうじゃよ。冤罪かも知れんし、本当かどうかまでは分からんがの」

中身は神殿役人・経理スタッフ、ハリボテ《三つ首ネズミ》仮面が、ウンウン頷いている。

「帝都の政敵、邪悪にして老獪なる前・魔導大臣の残党からの弾劾だと聞いている。あの清廉潔白な現・魔導大臣ザドフィク猊下が、暗殺教団の教主だなんて、ひどい言い掛かりだよ。 元々、帝都の数々の暗殺教団を運営していたのが、前・魔導大臣って話なんだから」

やがて、山のように大きな人影『邪眼のザムバ』が、のっそりと立ち上がった。テラテラ黄金肌の顔面に浮かんでいるのは、最初に見た時の、あの陰湿な表情だ。 到底、大好きな酒をガブ飲みした後とは思えない。いよいよアヤシイ。

テラテラ黄金肌の巨人戦士は、黒衣の魔導士らしき《骸骨剣士》仮面の男に近寄り、秘密話でもしているかのように、口元に手を当てて話し出した。

肩から掛けていた荷物袋の中で、白文鳥《精霊鳥》4羽が、フルフルしている。手を添えると、4羽とも、冠羽を警戒モードでピッと立てていた。最大限に警戒しているようだ。

「……あの『邪眼のザムバ』、何処へ行くつもりなの?」

「黒衣の魔導士モドキ《骸骨剣士》仮面から、何らかの指示を受け取ったようじゃな。ワシの自慢の鬼耳は、『千の夜が到来した。その邪眼を開け』という謎の命令を捉えたがのう。尾行してみるかの。 あの謎の覆面ターバン色男どのは、別の客と話し込んでおるぞ。あれは長くかかりそうじゃ」

かくして、垂れ幕の向こう側へと歩き去った巨人戦士『邪眼のザムバ』を、尾行する一行であった。

金髪ミドル代筆屋ウムトが、不思議そうな様子になった知人すなわちハリボテ《三つ首ネズミ》仮面スタッフ男に、いくばくかの通貨(カネ)を渡している。

「世話になったな、情報料はずんでやるから、何かの足しにしろよぉ。俺たちの事は黙っておいてくれよぉ」

「おう。この辺の夜道は、ゴロツキ邪霊《骸骨剣士》とかで物騒だから、気を付けてな。霊媒師や魔導士が居りゃ、あのジャラジャラ護符で遠ざけられるんだが」

*****

十六夜の銀月が空高く上昇していた。

絨毯屋の街区から連なる区壁が延々と続く。区壁沿いの街路樹となっているナツメヤシの木々が、冷涼な夜風にザワザワと揺れていた。

この辺りは標高が高い場所である。

たまに視界が開けた箇所から、段差を作って低くなっている街区の向こうへと、はるか彼方を一望できる。眺めてみると、どこまでも広がる砂漠だ。 銀月の光に照らされて、遠くのゴツゴツとした奇岩や砂丘の縁が、白く見える。

月光が細く差し込んで来るだけの暗い裏路地を行く巨人戦士『邪眼のザムバ』……そのテラテラ黄金肌が、いっそうテラテラと金属的な光を反映する。

その黄金色をした巨体が、不意に角を曲がった。路地が錯綜するように交わっている曲がり角だ。

「東方総督トルーラン将軍の宮殿の方向みたいだな。いや、むしろ聖火神殿の裏口のほうが近いか?」

モッサァ赤ヒゲ熊男バーツ所長が、本格的に三日月刀(シャムシール)の柄に手をかけ、足取りを速めた。

不意に。

白文鳥《精霊鳥》パルとコルファン、ナヴィールが激しく飛び出した。とっさに足を止める4人連れ。

「ギョゲルル!」

「ゲルルルル!」

「ゲギョギョ!」

――ドンガラ、ドゴォン!

大きな角石が数個、転落して来た。にわか4人連れ調査団の前と後ろに。

衝撃でバキッと破砕し、更に数個の破片となる。古くなって、ゆるんでいたと思しき区壁の石積み。

――ガシャッ。

その、微かなれども異様な物音。白茶ヒゲ代筆屋ギヴ爺(じい)の鬼耳がビシッと動き、その兆候を捉えた。

「何じゃ……《骸骨剣士》集団か!?」

区壁の上を振り仰ぐと……《骸骨剣士》10体ほどが、銀月の光に照らされて立ちはだかっていた。

「ギキイッ」

奇声が上がった。

10体ほどの《骸骨剣士》が、一斉に邪霊の三日月刀(シャムシール)を振り回して、飛び掛かって来る!

「コンヤロウ!」

バーツ所長が三日月刀(シャムシール)を薙ぎ払った。勢いで、モッサァ赤ヒゲがなびく。

熟練の太刀筋。

柄や刀身に施されていた定番の退魔紋様から赤い火花がほとばしり、あっと言う間に2体の頭蓋骨が飛ぶ。夜は、《火の精霊》の閃光が分かりやすい。

アルジーは、すかさず、荷物袋に用意していた特製の紅白の御札『退魔調伏』を放った。御札は、空を飛んだ頭蓋骨1コの額にピタッと張り付き、『ボボン!』と《火の精霊》が噴出する。

「代筆屋の戦闘力を舐めるんじゃねぇよぉ!」

もう1コの頭蓋骨は、金髪ミドル代筆屋ウムトが、ベテランならではの技で『退魔調伏』の御札を飛ばし、ペタッと貼り付けた。

2コの頭蓋骨は、瞬く間に《火の精霊》の赤い火花に取り巻かれ、熱砂のような無害な粉末に還元してゆく。

頭部を失った筈の2体の《骸骨剣士》――首無し骸骨は、それでもガシャガシャと動き、ほかの《骸骨剣士》と共に三日月刀(シャムシール)を振りかぶった。隊形を組んで襲ってくる構えだ。

――何処かで操っている存在が居る。

邪霊使いか。専門の暗殺教団の手によるものか。《骸骨剣士》は、単独ゴロツキ邪霊の状態のものより、はるかに厄介な存在となっている。

「この鬼耳でも接近音が分からなかったとは、さては《精霊石》もとい《邪霊石》で、異次元から召喚した奴らか!」

白茶ヒゲ代筆屋ギヴ爺(じい)が、どこに持っていたのか御幣(みてぐら)そのものの物体を、フッサフサと振り回す。

房のひとつひとつが紅白の『退魔調伏』御札だ。御幣(みてぐら)が《火の精霊》の火花に包まれた。

火花を噴き出すハタキのようなそれを《骸骨剣士》に近づけると、物が焼けるようなジュッという音が響いた。

邪霊《骸骨剣士》の三日月刀(シャムシール)や骨格の一部が、焼け焦げた破片のように欠け落ちる。

「ギギィ、キイキイ」

10体の《骸骨剣士》は、明らかに誰かに操られている動きで、突進して来る。

「うわわわわ!」

区壁沿いの細い裏道の中では、逃げ場所が限られる。

危うく《骸骨剣士》の三日月刀(シャムシール)が頭上をよぎり、アルジーの覆面ターバンが解けた。不健康にパサついた長い灰髪が流れる。

――灰髪がひと房でも切り落とされたら、命の危機!

区壁の上で、ザザッと足音がする。

「ギョギョ(そこだ)!」

白文鳥《精霊鳥》パルが戦闘モードの冠羽を立てて、仲間のコルファンやナヴィールと共に飛び交う。

闇が、どよめく。

黒い蛇のようにうねる影が浮かび上がって来る。《魔導》カラクリ糸。邪霊《骸骨剣士》を操るための物だ。ひと筋、ふた筋ほどの細い糸が、銀月の色にきらめいている。

いまは亡きオババ殿から教わった知識が、瞬時に閃いた。

――この《魔導》カラクリ糸、《銀月の祝福》の銀髪を含んでいる!

どこから手に入れた銀髪であるかは分からないが、亡き母の銀髪も、このように使われている筈だ……より確実に邪霊を縛り、強力に操るために。さすがに良い気は、しない。

3羽の白文鳥たちが、銀月の色をした《魔導》カラクリ糸を、集中的に狙う。

魔除けの力を持つ《精霊鳥》の冠羽に触れて、銀月の色にきらめいていた希少なひと筋、ふた筋のものは、銀月の色をした炎を出し、見る間に蒸発した。

次の瞬間、闇色をした多数の《魔導》カラクリ糸が、不安定に跳ね始めた。元々、反抗的な邪霊を縛っているのだ――安定しにくい術だ。

効果は劇的だった。《魔導》カラクリ糸が見る間に物質化して、重力の影響で動きが鈍くなっている。

10体の《骸骨剣士》が、瞬く間に足並みを乱す。その頭蓋骨がコマのようにグルグル回転し、すっぽ抜けそうになる。物質化した《魔導》カラクリ糸に引っ掛かり、姿勢がおかしくなっていく。

アルジーは素早く灰髪を確保し、クルッと巻いて持った。片手は塞がるが、そんなこと言ってられない。

金髪ミドル代筆屋ウムトが、意外に身軽な動きで、路面に転がった大きな角石の間を、ヒョイヒョイと跳ね飛んだ。

明らかになった《魔導》カラクリ糸を狙って、紅白の御札『退魔調伏』を飛ばす……スパスパと、と言う訳では無いが、《火の精霊》の火花を散らし、確実に切れてゆく。

「この……忌々しい『いちご大福』どもが……!」

くぐもった声。

声の主が、区壁のうえに立ちはだかっていた。

それは、まさに怪人だった。《骸骨剣士》の仮面――ハリボテの、骨灰色の仮面。

全身を覆う黒いマントは、随所に黄金の《魔導陣》が織り込まれてある。その数多の《魔導陣》が、《魔導》特有の黄金色の炎を噴き出しつつ、めらめらと燃えていた。

黒衣の怪人《骸骨剣士》仮面は、古代の儀式めいた複雑な所作をした。

その両の手にひとつずつ掲げているのは、黄金の炎を噴出する《邪霊石》。炎冠紋様で荘厳された台座を備えた、大振りな黒ダイヤモンドだ。邪霊使いの定番の《魔導》道具。

黒ダイヤモンドから、闇の色をしたうねりが噴出する。あちこちで千切れた《魔導》カラクリ糸を諦め、新たな《魔導》カラクリ糸を噴射する構え。

モッサァ赤ヒゲ熊男バーツ所長が、返す刃で護身用の短剣を放つ。

短剣は、《骸骨剣士》怪人を取り巻く見えない防御壁にぶつかったかのように、ガチン、と跳ね返された。

バーツ所長が、ハッと目を見張る。

「……そのキンキラ・マント、《魔導》の保護結界か!」

「バカめ、その無駄に立派なヒゲを全て剃り取ってくれる! こいつら《骸骨剣士》どもの刃でな!」

黒衣の魔導士の姿をした《骸骨剣士》仮面の怪人は、幾条もの《魔導》カラクリ糸を噴射し……バーツ所長が回収する前に、その短剣を絡め取ってしまった。

さらに追加された多数の《魔導》カラクリ糸がうねる。

これ程の数となると、動ける状態にある3羽の白文鳥《精霊鳥》だけでは対応しきれない。

アルジーの荷物袋の中に残っていた白文鳥《精霊鳥》アリージュが『右、右、左!』とさえずる。

火花を放つ《魔導》カラクリ糸は見えるから逃げられるが、人の目で見えにくい、闇の中の影となっている部分については、アルジーは、ひたすら白文鳥《精霊鳥》の警告に従ってよけるしか無い。

もとより体力の無い身体は既にヨロヨロだ。息切れがひどい。

紅白の御札『退魔調伏』の囲みをすり抜けた《魔導》カラクリ糸が、シュルリ、とアルジーの足首に絡みついた。

――しまった!

細かな角石の欠片につまづき、ものの見事に転倒。

「アルジーくん!」

「チクショウ」

闇色をした《魔導》カラクリ糸は、アルジーの足首に絡みついたまま、鉄鋼の糸のように硬化した。

バーツ所長が力を込めて三日月刀(シャムシール)を振り下ろしたが、ガチンと音を立てて赤い火花が散るだけで、糸が切れない。

「ムダ・ムダ・ムダァーッ! それは黒ダイヤモンドと同じ硬度よ!」

仮面越しの、くぐもった不明瞭な声。

区壁の上に仁王立ちになった《骸骨剣士》怪人は、《邪霊石》黒ダイヤモンドを持った両手を、複雑にうごめかせた。闇色をした《魔導》カラクリ糸が、手の動きに応じて波打つ。

首無しだったり、肋骨や腰骨の一部が欠け落ちていたり……いっそう異様な《骸骨剣士》が動き出した。

銀月の糸が存在しない分、《骸骨剣士》たちの足取りは怪しいものの、襲撃の構えは明らかだ。 ギザギザに欠けてノコギリのようになった三日月刀(シャムシール)を、ヒュンヒュン振り回す。メチャクチャな動きでも、その速度は脅威。

前方と後方に転がった大きな角石の間で、動きを制約された4人連れ。

その場に釘付けにされたまま、抗戦するのみだ……

傭兵でも何でも無い代筆屋たちの武器は、大柄なバーツ所長が振り回す年代物の三日月刀(シャムシール)を除けば……『退魔調伏』御札と、 現役の男のたしなみとして金髪ミドル代筆屋ウムトが佩く肉切用の短刀くらい。

あっと言う間に、一箇所に追い詰められてしまう。

「そのまま死ねぇ」

異形の《骸骨剣士》が一斉に間合いを詰め、邪霊の三日月刀(シャムシール)を……高く、振りかぶった。

それは……勝利を確信したがゆえの邪霊使いの――《骸骨剣士》怪人の、一瞬の隙。

大音響を立てて、雷が落ちたかのようだった。

まばゆいばかりの白金色の雷光が走ったかと思うや、大きく波打つ《魔導》カラクリ糸が一気に蒸発した。

「なぬうぅ!?」

いわゆる「キンキラ・マント」をひらめかせて、《骸骨剣士》怪人が飛び上がった。そのまま、雷光の余波に押されて、たたらを踏む。

再び、白金の雷光が縦横に走り……怪人の手から放たれたばかりの《魔導》カラクリ糸をも灼いた。

邪霊使いの怪人は、慌てたように《魔導》カラクリ糸の術を停止し、糸を放り投げる。

黒ダイヤモンド《邪霊石》ごと、空中へ放り投げられた《魔導》カラクリ糸の先で、白金の雷光が激しく弾けた……

紙一重の差。

もし、まだ糸をつかんだままだったら、邪霊使いの手は、跡形も無く粉砕していただろう。

明らかに《火霊王》に近い、上位の精霊――雷のジン=ラエドの、魔除けの力だ。一般的に見かける三日月刀(シャムシール)の《魔導》紋様による真紅の火花とは、ケタ違い。

その余波で、アルジーの足首に絡みついていた《魔導》カラクリ糸も『バチン!』と異音を立てながら焼き切れ……『根源の氣』へと還元消滅してゆく。足首の赤い組み糸も含めて。

……占い屋ティーナの不思議な注文で、白茶ヒゲ代筆屋ギヴ爺(じい)に結んでもらっていた赤い組み糸。

いつの間に忍んでいたのか、天高く輝く銀月を背にした影が……見る間に大きくなる。

唖然とするほど大きな白ワシが、全身に白金の雷光をまとわせながら、音も無く急降下して来た。

「ぎゃあ!」

大きな白ワシがよぎった瞬間。

邪霊使い――《骸骨剣士》怪人の身を包んでいた《魔導》保護結界が、人の目にも見える白金の火花を散らしながら、バリンと砕け飛んだ。

いわゆる「キンキラ・マント」の表面で黄金の炎と燃えていた《魔導陣》が全壊する。それは見る間に、ボロボロに引き裂かれた普通の黒布となって、散らばっていった。

続いて、怪人の片手から、鮮血がほとばしった。白ワシの足爪に、したたかに引き裂かれて。

強力な魔除けの力の発動と引き換えにしたかのように、唖然とするほど大きな白ワシは実体化を止め……煙のように、かき消えていった。

不意打ちの流血のにおいだ。獲物のにおいに、《骸骨剣士》が反応した。ガシャリと向きを変え、今まで操作主だった、邪霊使いへと……間合いを詰めてゆく。

振り回される邪霊の三日月刀(シャムシール)。もはや、邪霊使いの意のままに動いてくれる存在では無い。

「覚えてろ!」

独創性の欠片も無い、定番の悪態をついて……《骸骨剣士》仮面の怪人は、区壁の上から消え去った。暗殺教団に所属する忍者なのか、見事な身のこなし。

その影を追って、ダダッと、誰かが走り去ってゆく。足音からすると、2人くらい。

「おい、大丈夫か……!?」

ほとんど間を置かずして、新しい人影が通りに現れた。護身用の短剣を持った、けれども攻撃の意思は感じない……青年のものらしい人影。

「君は……!? ええい、とにかく残りの《骸骨剣士》を片付けるぞ、手伝え!」

モッサァ赤ヒゲ熊男バーツ所長が指示を飛ばすと、新しい人影は、ハッとしたように短剣を構えた。

そのまま、明らかに訓練された動きでもって、斬りかかって来た《骸骨剣士》の三日月刀(シャムシール)を受け止める。

お馴染みの退魔紋様の力による、魔除けの真紅の火花が飛び散る。邪霊の三日月刀(シャムシール)が中央から折れて弾け飛んだ。

操作主を失った《骸骨剣士》10体は、既にゴロツキ邪霊となっていた。ガシャガシャ音を立てながらの、てんでバラバラな動き。

金髪ミドル代筆屋ウムトが隙を突いて『退魔調伏』の御札を次々に飛ばし、白茶ヒゲ代筆屋ギヴ爺(じい)が『退魔調伏』御札を集めた特製ハタキを振り回す。

退魔対応の衛兵や傭兵からすれば、10体ほどの最弱のゴロツキ邪霊など屁でも無いのだろうが、それなりに苦戦した後……

すべての《骸骨剣士》を、無害な熱砂と化すことができたのだった。

――お蔭さまで、命拾いできた。

アルジーはフウフウ言いながら姿勢を立て直し、灰髪を素早くたたんで、ターバンで巻いた。

「あ、足手まといになって……済みませんでした」

「元はオレが言い出しっぺでよ、気にすんなよぉ。それにしても、あんな、不気味な仮面の邪霊使いに出くわすとは……とんだ災難だったでよぉ」

金髪ミドル代筆屋ウムトが、疲労困憊したと言わんばかりに、どっかと胡坐をかいて石畳のうえに座り込んだ。一旦ターバンを外し、白髪混ざりの金髪頭をガシガシとやる。

新しく助っ人をしていた人影が、月光の差すところへと出て来た。覆面ターバン姿の、やや身なりの良い若い青年。

「いったい何故こんなことが?」

「おや、若いの……その声、先ほどギュネシア奥さんと居た、覆面ターバン色男どのじゃのう?」

持ち前の鬼耳でもって、察しよく、白茶ヒゲ代筆屋ギヴ爺(じい)が応える。青年は、ハッと息を呑んだようだった。

「鬼耳族の末裔でしたか……お見それいたしました」

「いやいや、ただの現役引退の老いぼれじゃて、末裔なんぞという大したもんでは無いぞよ。先ほどの助太刀は、たいへん有難かったぞよ」

モッサァ赤ヒゲ熊男バーツ所長が、粗雑な石畳の溝へハマり込んでいた護身用の短剣を、ようやく回収した。三日月刀(シャムシール)と共に鞘へと戻しつつ。

「おぅ、とにかく早く、この不気味な裏道からズラかろうじゃねえか」

――異論は無い。

いまや無害な熱砂と化した邪霊《骸骨剣士》の残骸は、あとは、風に吹き散らされて、あちこちの砂だまりに寄せられるのみだ。

砂だまりを掃除する道路清掃人たちが、いつもより多い砂の量にビックリするだろうが……とにかく身の安全が先。

5人連れになった一団は、にぎやかな人波がつづく表通りへと移動を始めた。

アルジーの足首が、ズキリズキリと痛み出す。火傷のような痛み。強い《魔導》の術と接触したりして、無理が掛かったせいだ。

びっこをひき始めたアルジーに……覆面ターバン青年が気付き、腕を差し出して来た。

「大丈夫ですか? つかまりますか」

有り難く腕につかまり……

アルジーは不意に、ドキリとするものを覚えた。

――年の近い男性に礼儀正しく気遣われて、此処まで接近したことは無かったような気がする。

不意に、アルジーは、故・風紀役人ハシャヤル氏の妻ギュネシア奥さんの気持ちが分かるような気がしたのだった……名目上のハーレム妻とは言え、同じ既婚者として。

いつしか……アルジーはボンヤリしていた。

極度の緊張が終わって疲労がドッと出てきたせいか、ときめきか――おそらく両方。

肩から下げた荷物袋の中で、白文鳥《精霊鳥》4羽のしきりにさえずる声が、眠り薬のように効いて来る……

にぎやかな通りに出ると、夜間照明ランプの数も増えて明るくなった。

先頭を行っていたモッサァ赤ヒゲ熊男バーツ所長が、不意に足を止める。

見慣れた人影が、頭をこちらへ向けて、端然と佇んでいた。ごま塩頭がターバンの端から見える。こうして見ると、意外に背丈のある人物だ。

アルジーの荷物袋から白文鳥《精霊鳥》コルファンとナヴィールが飛び出してゆき、その見覚えのある人物の肩先に止まった。そこには既に1羽の白文鳥が居た。

白文鳥《精霊鳥》たちは、早速、3羽で連なって、チチチと鳴き交わし始める。

「珍しいところで会うじゃねえか。金融商オッサンのところの番頭さんだっけか」

「お世話さまでございます、バーツ所長どの。どうも、そちらは当店のお得意様のようでございますが、具合を悪くされているのでは?」

「ま、まぁな……あー、持ってくかね。転んだから怪我はしてるか……ハハ」

何故か、モッサァ赤ヒゲ熊男バーツ所長が、顔色を悪くし始めたのだった。夜間照明ランプで辺りは陽気な蜂蜜色に染まっているのに、ハッキリ、顔色が悪くなっているのが分かる。

白茶ヒゲ代筆屋ギヴ爺(じい)が「おや」と呟き、アルジーの額に手を当てる。

「おお、こりゃ熱が出とるぞ。虚弱体質で発熱体質じゃったな、そういえば」

「熱はありましぇん、いとしいシト」

アルジーは、ボンヤリとしたまま返していた。ほとんど夢見心地だ。

気持ちよくひっついていた腕から引きはがされ、なんとなく、憮然とした気持ちになる。そのまま、小さな子供だった頃のように抱えられて、フワフワと何処かへ運ばれて行く……

……そこで、アルジーの記憶は途絶えたのだった。

何処かで「変な酒は飲ませてねぇ! 禁制品っていう『ホレ薬』もゼロじゃ!」と、バーツ所長が必死で弁解している声がしていたが……

恐らく気のせいだろう、と、アルジーは結論付けていた……

*****

……十六夜の銀月が、まだ西の地平線の空に残っている……

夜明け前に、アルジーは目を覚ました。柔らかなベッドの中で。

四方柱に、薄い紗幕が取り付けられている。随分と広い――見覚えのある天井。ザクロの形を模した艶っぽい夜間照明ランプ。

この部屋は、やたら広いけど……昨夜、ご厄介になっていた部屋だ。女商人ロシャナクが裏営業している高級娼館『ワ・ライラ』二階の一室。通称『例の御曹司が、もげた部屋』。

――ひと回りして元に戻って来たのだろうか? それとも、皆既月食の夜の続きなのか?

グルグル考えていると、片方の足首が思い出したように痛み始めた。不思議な占い屋ティーナの……赤い糸が結ばれていたほうの足首だ。

「糸、そうだ、《魔導》骸骨のお面の怪人が……! カラクリ邪霊の……雷の、白ワシが!」

区壁沿いの細道で遭遇した奇禍。

あの黒マントの邪霊使い――《骸骨剣士》怪人は、何故に襲って来たのだろう。

風紀役人ハシャヤル殺害事件には、ヤバイ裏があるのか。怪奇趣味の賭場の、とんでもない秘密に接近してしまったとか?

近くで、相棒の白文鳥《精霊鳥》パルが「ぴぴぃ」と慌てながら、バササッと飛び立った。いきなり身を起こし、もがき始めたアルジーに仰天した様子。

「お気が付かれましたようで、アリージュ姫」

不意打ちの男性の声に、改めて飛び上がるアルジー。気配など無かった。

ベッド脇の椅子に……金融商オッサンのところの、ごま塩頭の番頭さんが腰かけていたのだった。椅子の背には、白タカ《精霊鳥》シャールが止まっていた。

1人と1羽、見るからに、怒気を含んだ剣呑な気配。

……高級娼館『ワ・ライラ』の一室に、えもいわれぬ雰囲気が漂った……

やがて、パルが「ぴっ」とさえずりながら、お行儀よくアルジーの頭上に止まる。白文鳥アリージュのほうは、夜間照明ランプの近くに置かれた小さなクッションの中で、うつらうつらしているところだ。

アルジーは、イタズラが見つかってお仕置きを待つ子供のような気分だ。もそもそと布団にくるまり……掛布団の渦巻きの中から、ザンバラ灰髪を持つ骸骨顔を出す格好になった。

傍目から見れば、充分に怪談の一場面になる不気味な光景なのだが……

何故か、この番頭は、ピクリとも動じないのだ。

白文鳥《精霊鳥》の相棒パル、白タカ《精霊鳥》シャール、その他の《精霊鳥》たち……ジンの反応と同じ。さすがに金融商オッサンのほうは、少しビビる、という反応を返して来るのに。

――オババ殿の助手だった、という経歴が関係しているに違いない。と、アルジーは確信していた。

「色々と……お手間お掛けして……」

「満月に近い日取りのお蔭で、《銀月の祝福》も充分で。回復が早くて誠によろしゅうございました。青衣の霊媒師オババ殿が、夜道の危険性について、きつく、きつく、指導されていた筈でございますが」

「えっと、あの、白ワシは……」

「お察しのとおり、或る重要任務に就いていた《精霊鳥》でございます」

「重要任務って……えっと、あれくらい大きい白ワシというと……大型《人食鬼(グール)》案件とか?」

番頭は、口元を「への字」にした。当たらずとも遠からずという気配。

「詳細は申せませんが、それだけの『成果』はあったと伝えておきます。アリージュ姫は妙な直感や導きをお持ちなのか……、 亡きオババ殿も言われていたとおり、何故なのか分かりませんが、想定外の大当たりを引く傾向がございますね」

「大当たり……?」

白タカ《精霊鳥》シャールが、呆れた様子で、クチバシを突っ込んだ。毎度、高速で飛んで来たらしく、まだ翼の乱れが残っている状態だ。

『あの邪霊使い、すなわち姫の言う《魔導》骸骨のお面の怪人が、風紀役人ハシャヤル殺害犯でな。カラクリ《魔導》糸の痕跡が同一人物で、あの爆発炎上の現場に残っていたジン=イフリート残骸も証言した。 真犯人が、ほぼ正体をさらす格好で出現して来るとは……姫が召喚した訳じゃ無いだろうがな。元々は、不埒にも、怪奇趣味の賭場に出入りするのが目的だったとか』

思わず、息を呑むアルジーであった。

「と言うことは、あの怪人……ハシャヤル事件の犯人の正体は、分かったということ?」

「残念ながら取り逃がしましたので、特定には至っておりませんが。ここ数年、帝都を脅かしていた暗殺教団に属する邪霊使いです。 歯牙にもかからぬ底辺、逃げ足だけは達者な使い走りの部類でございましたが……あの襲撃現場から、ハシャヤル事件とも絡めて、かの暗殺教団を取り締まれるだけの証拠が挙がりました。 白タカ《精霊鳥》の急使が行きましたので、遠からず帝都で大捕り物が始まるでしょう」

そこで、番頭はフーッと息をついた。

「帝都を騒がすほどの上級の邪霊使いであれば、今ごろ、姫の命は無かった筈です。奴らは大型《人食鬼(グール)》を使う。これを機に、夜歩きは厳に慎むことですね」

■11■ひと回りして来た因縁が、回転扉で回転す

アルジーは、朝からグッタリしたような状態になった。

亡きオババ殿にまさるとも劣らぬ説教を、こんこんと食らったためだ……大魔王よりもよほど恐ろしいような気のする、ごま塩頭の番頭に。

はるか遠き帝都にも営業所を構えているという、ここ東帝城砦でも有力な金融商のひとつ――金融商オッサンの店に、番頭として勤めている中年男だ。 帝国に属する有力な城砦(カスバ)の宮廷勤め経験があったらしく、高い身分の客への応対も、見事にこなす。 普段は折り目正しく物腰柔らかな雰囲気の店スタッフなのに、この変貌ぶりは、「中の人」が激変したとしか思えないほどだ。

かつては邪霊討伐、それも大型《人食鬼(グール)》討伐をも担当した騎馬戦士だったに違いない――それほどに摩訶不思議かつ波乱万丈な経歴が有り得るのかと思うが、 ごま塩頭の番頭に関する限り、それは真実だと、アルジーには思われたのだった。

説教という名の、火炎地獄と氷雪地獄の合わさったような時間が、やっと終わって……

*****

昨日のように、娼館の営業カウンターで。

アルジーは、最高級の特別部屋を提供してくれた女商人ロシャナクに、頭を下げたのだった。

ちなみに宿泊料金は、ごま塩頭の番頭が支払い済みである……借用証付きで。

地獄耳の女商人ロシャナクは、既にあらかた内容をつかんでいた。しかも面白がっている顔だ。 帝都風のしゃれた更紗ベールの間で、鬼耳族の子孫であることを示す持ち前の大きな耳が、ピクピク動いている。

「ねぇアルジー、昨夜は、ヤバイとこの邪霊使いと対決したりとか、命懸けの大冒険だったそうだけどさ。赤い糸の人との出逢いとか、トキメキとか運命とか、あったかい?」

「赤い糸? あれは切れてしまったし、特には……あ、ギュネシア奥さんの彼氏」

アルジーの頭にパッと浮かんだのは、謎のシュクラ青年であった……上気して来るのを覚える。

一瞬、ドキッとして……久しぶりにグラリと足元が揺らぐ。ほとんど忘れかけていたけど、ドキッとしたり、ギクリとしたりすると、グラリと全身が揺らぐものなのだ。

思わず頬(ほお)に手を当てて、ペチペチやっていると。

女商人ロシャナクは目をパチクリさせた後、引きつった笑みを浮かべ……ちょっと薄気味悪そうな顔をして後ずさっていた。

――そりゃあ、ポッと赤面した骸骨の顔なんて『不気味』の極致だろう。まして乙女みたいに頬(ほお)に手を当てて。自分でも想像してみて、ギョッとしたくらいだ。

でも、危なかった。彼が、きっと、シュクラ王太子ユージド……ヘタに話せない。

彼の正体が露見したら、トルーラン将軍および以下の面々は、生死不明のシュクラ王族男子が見つかったということで、即座に捕縛して首を刎ねてしまうだろう。

アルジーは、肋骨がゴツゴツと浮いた平たい胸をドキドキさせながら……その胸の中に、そっと秘密をしまい込んだのだった。

*****

そのまま、帝国伝書局・市場(バザール)出張所へ出勤したアルジー。

相棒の白文鳥《精霊鳥》パルは肩先に止まり、なんとなく近くを飛び回っている2羽、白文鳥コルファン・ナヴィールと、さえずりを交わし合っていた。 残りの1羽、白文鳥アリージュは、相変わらずアルジーのターバンの隙間で静かにしていたが、最初の時と比べると、随分と元気になって来ている。

帝国伝書局・市場(バザール)出張所へ到着してみると……

代表デスクのほうでは、何故か。体重が半分も減ったかのようにゲッソリとした、モッサァ赤ヒゲ熊男バーツ所長が居た。注文書の束に目を通しているところだ。

出張所の営業カウンターで、いつものように商館から派遣されて来た代筆依頼人が数人、ノンビリと茶を飲んだり雑談したりしつつ、 代筆文書の仕上がりを待っているところだが……妙に、戦士の定番、迷彩ターバンを巻いた傭兵の成分が多いような気がする。

カウンター前の椅子に座っていた生成りターバンの1人が、アルジーに気付いたようにクルリと振り向いて来た。金融商オッサンの店の、新入りの赤毛スタッフ青年、クバルだ。

「へいっす」

「あれ、毎度どうも、クバルさん。今日は何かあったっけ?」

「急ぎの報告書いろいろっすね」

金髪ミドル代筆屋ウムトと、白茶ヒゲ代筆屋ギヴ爺(じい)は、訳知り顔で顔面をそらしつつ、黙々と代筆文書の作業に取り組んでいた。

「えぇと……バーツ所長さん?」

アルジーが首を傾げていると……伝書バトが集まっている鳩舎に入ってエサやりをしていた、顔なじみの中年スタッフ局員がやって来て、こそっと耳打ちして来たのだった。

「金融商オッサンの店の、おっかない番頭さんに、ギュウギュウに絞られたそうでさ。ごま塩頭の番頭さんって、めったに声を荒げない人だと思ってたけど、どえらい迫力あるんだねえ。 白タカ《精霊鳥》にも何か注文してたよ……《精霊語》で」

――うげ。

……と、アルジーは頭を抱える格好になった。

ほぼ口から魂が出ている状態と思しきバーツ所長が、アルジーに、おもむろに「おぉ……」と声を掛けて来る。

「あぁ、痩せっぽちの。黒インクの在庫が尽きていてな。いつものようにアルジーくんに文房具店へ買い出しに行ってもらうところなんだが、 例の不気味な骸骨仮面の、邪霊使いの仲間が、ウヨウヨしてる可能性があってな」

「……それは……何となく理解できるような気がする」

アルジーが少しの間、小首をかしげてから応じると、肩に止まっていた相棒の白文鳥《精霊鳥》パルが「ぴぴぃ」と続いた。

「何となくじゃ無くて、確実に、だ。どうも俺たちぁ、偶然ヤバイ案件に片足突っ込んだらしい。 片足といえば、痩せっぽちの、その片足も引きずってる状態だから、黒インク買い出しに片足を、じゃなくて、腕を貸してもらえ。ごま塩頭の番頭さんの命令……いや、好意でな、若いの置いてってもらったから」

「……はあ?」

アルジーが、そちらを振り返ると。

赤毛スタッフ青年クバルが立ち上がり、「ま、そういう事っす(ニヤリ)」と、応じたのだった。

*****

アルジーは訳の分からない思いを抱えながら、目抜き通りへ向かって、街路をポコポコ歩き続けた。

半歩ほど後ろを、赤毛スタッフ青年クバルが器用に付いて来る。

クバル青年は、しげしげとアルジーの片方の足首を観察していた。そこには、新しい包帯が大げさに巻かれてある。血管を保護する筋肉や皮膚が薄すぎるため、分厚く巻く形になったのだ。

「足首やられた割には、大丈夫そうっすね」

「あとで、運が良かっただけだと、おたくの番頭さんに怒られたよ……」

しょげた気分になってポツリと返すと、赤毛スタッフ青年クバルは「プハハッ」と、おかしな音を立てた。

気温がぐんぐんと上昇し、雲ひとつない青空に、乾いた風が吹き始めた。午前中とはいえ、昼日中の強い陽射しと、埃っぽく乾いた空気は、さすがにキツい。

アルジーはターバンを巻き直し、覆面スタイルにした。

「腹は空いてないっすか?」

聞かれてみると、確かに、ずっと食事を忘れていた。

と言う訳で、目に付いた十字路の分岐の先に買い食いの店が並んでいるのを確認し、アルジーとクバル青年は、入って行ったのだった。

「この分岐は初めて入ったかも」

「そうっすか? 真面目に、職場と自宅の間を、まっすぐ行き来してたんすね」

「あちこち寄り道するだけの体力の余裕、無かったせいもあるけど」

アルジーは野菜とチーズを挟んだナンをかじりながら、思案顔で、あちこちへ目を走らせた。

市場(バザール)を形作る数々の屋根の向こう側に、東方総督トルーラン将軍の住まう宮殿がそびえているのが見える。玉ねぎ型の屋根を持つ塔の群れ。華麗なバルコニーを備えた数々の建築。

「宮殿から近い……」

「目抜き通りの街区だからじゃないすか。この辺も入り組んでるけど、他の街区よりは身分の高い人向けっつーか、御用達の店ポツポツあるっす。意外な老舗とか」

「何だか見覚えがあるような無いような気がして」

「ほえ?」

その時、肩先で羽づくろいをしていたパルが、「ぴぴぃ」と、さえずった。

『5つ先の十字路で、パル、2年前に、迷い込んでたアリージュと霊媒師を見付けたんだよ、ピッ』

「2年前」

顔色をサッと変え、あたりを見回しながら呟くアルジー。

赤毛スタッフ青年クバルが、ギョッとした顔で見つめて来た。

「どういう事っすか」

「あ……別に重要な事じゃ無いよ。2年前、御曹司トルジンとの正式な婚礼の前に宮殿から追い出されていたんだけど、その時、この辺りっていうか、5つ先の十字路に迷い込んでたみたいで。パルの証言だけど」

「重要な事だぞ! もし、その時の、捜索の妨害に使われた《魔導陣》の痕跡が、まだ残っていれば……」

赤毛スタッフ青年クバルの、その別人のような鋭い言及は……突然に、途絶えた。

不意打ちで、白文鳥《精霊鳥》パルが飛び立ち、街路の角へ向かって「ゲゲッ」と、さえずったのだ。

警戒の鳴き声だ。

ハッとして、その方向を見る、アルジーとクバル青年。

先ほどから上空を旋回していた白文鳥《精霊鳥》コルファンとナヴィールが、焦った様子で冠羽をピッと立て、威嚇のさえずりをしながら、その街路の角で、急上昇と急降下を繰り返していたのだった。

「ゲルルルル!(あっち向いてホイ!)」

「ゲキョキョ!(そっち向いてホイ!)」

威嚇モードの冠羽を振り立てて飛び掛かる2羽の白文鳥。

ふわもちの真っ白な小鳥を、石畳へと叩き落そうとするかのように、乱暴に腕を振り回す人影。

足を踏み鳴らしながら、ズカズカと近づいて来ている。

「この、毛玉のモチ野郎……ごら、ツブすぞ!」

赤毛スタッフ青年クバルが、即座に気付く。

「あれ、ワリドさんだ。この間、ハシャヤル殺害の容疑者の1人として逮捕されてたとか言う……何で、こっち来るんだ……げ、反対側からも、なんでギュネシア奥さんが……とにかく隠れるっすよ!」

角の入り口からは、剣呑かつ荒んだ雰囲気の、無精ひげ飲んだくれ中年男ワリド。

反対側の十字路のほうからは、ハシャヤル未亡人ギュネシア。主婦・奥方どうしで買い物なのか、数人の、それなりの身なりのベール姿をした中年女性たちと連れ立って来ている。

「隠れるったって何処に――」

クバル青年は素早く周囲を見回し、即座に、適当に奥まっていて適当に通りを見渡すのに最適な店舗を見い出した。

「此処に隠れるっすよ!」

その入り口扉に、急接近する。

アルジーの目に入ったのは、不思議なくらいに見事な扉レリーフ装飾だ。

聖火神殿の入口扉でお馴染みの、白金色の聖火を模したかのような……

そのレリーフの一部分に、アンティーク鍵ヘッド部に似た突起のような造形があった。その場所に、クバル青年が手を掛けた瞬間……

突起が、ほんとうに鍵ヘッド部でもあったかのように、グルリと回った!

あたかも鍵が開いたかのような、「ガチャン」という音が響く。それに続く、どんでん返しの動き!

……その入り口扉は、何故か、回転扉になっていたのだった……!

回転した戸板に、クバル青年とアルジーは捕まった。目の前の空間に、不思議な白金の光があふれた。

戸板の回転に押されて、「ぐいーん」と、店の中へと刷き込まれる。

勢いで、グルンと上下に一回転した後、クバル青年とアルジーは一緒に床に転がった。

アルジーのターバンの隙間に挟まっていた白文鳥《精霊鳥》アリージュが、さすがにツブされる危険を感じたのか、シュバッと抜け出した。その先へ、ポンポンと転がってゆく。 まだ地肌が見えるものの、だいぶ羽毛が再生していて、より白文鳥らしく見える……白文鳥パルが「ぴぴぃ」と鳴きながら後を追いかけていった。

「アイテテ……!?」

店の看板猫と思しき大きな『火吹きネコマタ』が出て来た。驚いたように2本の尾をピッと立て、そこから「ボボン!」を火を吹く。

「火が、火事が危ないっすよ!」

ギョッとしたクバル青年が、アルジーを庇う格好になって、横へゴロンと転がる。

火吹きネコマタは、まだ仰天顔をしたまま、《精霊語》で語りかけて来た。

『おふたりさん精霊でも無いのに、よく精霊と同じ《魔法の鍵》を回して入って来れたニャネ。もしかして、どこかの精霊の《魔法の鍵》継承者かニャ。 ココ「精霊雑貨よろず買取屋」ニャ。おふたりさんが通って来たのは、精霊の使う「別次元の扉」のほうニャ』

――『精霊雑貨よろず買取屋』。

見回してみると、確かに、不思議な品々でいっぱいだ。

退魔紋様が施された様々な雑貨や装飾品。定番の武器、魔除けの仕掛けがされてある中古の三日月刀(シャムシール)。

亀の甲羅――螺鈿細工のように虹色に光っていて、《精霊亀》の脱皮から得られた品だろうと思われる。 同じく近くに保管されている、オパール石のカタマリのようにキラキラしている象牙も、《精霊象》の物に違いない。

堂々たるサイズの、中古の魔除け用ドリームキャッチャーが、相当数。

医学用の骨格標本の数々……

――なんだか、あの2年前の親切な老店主が居た『精霊雑貨よろず買取屋』の、あの雰囲気に似ている。それに、この隠れ場所みたいな光景、見覚えがあるような気がする。

しばし、ポカンとするアルジーであった。

転がって行った先の、細々とした雑貨の間から、2羽の白文鳥パルとアリージュが顔を出した。口々に「ぴぴっ」と、さえずる……

結果から言うと。

赤毛スタッフ青年クバルの選択は、最善なのか最悪なのか、よく分からない選択であった。

ほどなくして、『よろず買取屋』店入り口が、ドンドンと叩かれた。

攻撃的な空気をまとった中年男ワリドの、アルコールで濁った声が響く。

「老いぼれ店主! 居るか! 居るだろう、前に質入れした三日月刀(シャムシール)があっただろう、カネが入ったんだ買い戻すから店を開けろ!」

クバル青年が「うげ」と呟く。

「よりによって、この店を訪れる予定だったんすか」

「そんな」

火吹きネコマタが2本の尻尾を素早く振り回し、紗幕(カーテン)で仕切られた、店の奥の隠れ場所を示した。

『そこに隠れるニャ、おふたりさん』

素早く承知し、アルジーとクバル青年は、ササッと陰に隠れる。

そうしている間にも、大きな火吹きネコマタは、2本の尻尾の先の火を「ボボン!」と燃え上がらせた。

すると、骨格標本のひとつがカシャンと動き、ポンと煙を噴いた。煙が収まると、そこには、くだんの老店主の孫と思しき『9歳ほどの少年』の姿があった。

火吹きネコマタと、非現実の9歳ほどの少年が仲良く歩調を合わせ、入り口扉へと近づいてゆく。

多種多様な雑貨の隙間で、白文鳥《精霊鳥》の相棒パルとアリージュが、ピョコピョコと動いた。

『火吹きちゃん、《カラクリ人形魔法》すごく上手ピッ』

『見た目、本物の人類に見えるピッ。勉強になるピッ』

非現実の9歳ほどの少年が、入り口扉の閂(かんぬき)を外した瞬間。

バタンと音を立てて、乱暴に扉が開く……仰天する手品のような回転仕掛けの扉では無く、どこでも見かける店の扉スタイルで。

中年男ワリドは、猫と9歳ほどの少年の出現に飛び上がって、たたらを踏んでいた。二日酔いのアルコール臭が店内に広がる。

「なんじゃこりゃあ、このガキ……店の主人は何処だ!」

非現実の少年カラクリ人形が喋り出した。火吹きネコマタの腹話術だ。

「おっさん、残念だけど店の主人は居ないよ。情報料……じゃなくって、三日月刀(シャムシール)、何に使うの?」

「オレの無実が証明されて釈放となった記念の夜だってのに、それをブチ壊しにしやがった、鼻持ちならねぇアイツをブッ殺すんだ。細切れになるまでに、そうとも、ギタギタにしてやる!」

「アイツって?」

「西の商館の賭場で、ボヤ騒ぎを起こした上に、オレの儲けを横から取って行きやがった、大魔導士ザドフィクを気取ってる金目鯛(キンメダイ)イカレポンチ野郎だ。 本人じゃねぇのに本人を気取りやがって炎上バカをやりやがって、……次の穴場も急に店をたたんで逃げ出しやがって、臆病者めが、ごら、三日月刀(シャムシール)サッサと出せ!」

「買い戻しのカネは?」

バシッと音を立てて、革袋が床へと叩きつけられる。硬貨が散らばった。

「毎度、おっさん、三日月刀(シャムシール)は、そこの物干し竿と一緒のとこだよ」

「神聖な三日月刀(シャムシール)を、女子供の使う物干し竿なんかと一緒にするな、ごら! 貰ってくぞ、あとで料金不足だからと言っても追加請求するんじゃねぇと、ヒゲ面の店主に言っとけ!」

荒々しく店を出て行く中年男ワリドのブーツの音。

「なに見てんだ、こいつら……ええい、ぶった切るぞ、あっち行け!」

複数の野次馬たちの驚いた声の群れが次々にやって来る。店頭に集まって来て、興味津々で騒動を見聞きしていたのだろう。それに混ざって、ギュネシア奥さんの「キャッ」という声も上がっていた。

「ごるぁ、目にモノ見やがれ、《骸骨剣士》ゴロツキ野郎!」

開かれたままの入り口扉の向こう側では。

ゴロツキ邪霊《骸骨剣士》2体が、物陰から出現していたのだった。空気を読まない通り魔さながらに。

中年男ワリドが驚くほど俊敏な動きで、手に入れたばかりの、退魔紋様セット三日月刀(シャムシール)を振るっている。

ガチン、ガチャン、という剣闘の音が続いた。

中年男ワリドは手練れの剣士だった……すぐに、ゴロツキ邪霊《骸骨剣士》2体の「グゴッ、ザーッ」という『退魔調伏』独特の断末魔の声が上がる。

ドカドカと歩み去ってゆく足音。野次馬たちのさざめきの声がつづく。

「なんだか、すごかったな」

「確か、あのワリドっていう中年男、もと衛兵だったで。事業仕分けに次ぐ事業仕分けで人員削減の憂き目を食らって、腹いせに役人を殴って、クビになって放逐される前は」

「あんなに荒れてて、誰を斬りに行くってんだ?」

「怪奇趣味の賭場に居た、ナンチャッテ火吹き魔導士ザドフィクだとよ」

「宮廷の偉大なる魔導大臣ザドフィク猊下が、場末の賭場まで来るはず無いだろ。誰かがザドフィク猊下を騙(かた)ってんだよ」

「それに違いないねぇ」

やがて。

人々が立ち去って行ったらしく、表側は静かになって行った。

店の入り口扉が、パタリと閉まる。

元・9歳ほどの少年に見えていた医学用の骨格標本がギクシャクと歩き、品物がワチャワチャと置いてある中の台座に、カシャンと収まった。

白文鳥《精霊鳥》パルとアリージュは、多種多様な精霊雑貨の間に良さげな止まり木を見付けて……相次いで腰を落ち着けていた。 護符の機能を持つ《火の精霊》ランプを複数、吊るしておくための、樹木の意匠をしたランプスタンド。まさに止まり木だ。

そして、白文鳥《精霊鳥》パルとアリージュが、ピピピ、チチチ……と、さえずり出す。

「もう大丈夫そうだね……?」

アルジーは、仕切りとなっていた更紗の紗幕(カーテン)から顔を突き出し、キョロキョロし始めた。次いでクバル青年が、顔を突き出した。

大きな火吹きネコマタが、胡散臭そうな眼差しをして、そんなふたりを振り返って来た。

金色をしたネコ目をスーッと細めて、見上げている……ぐらつくアルジーの身体を支えていた、赤毛スタッフ青年クバルを。

『君の正体、そこに居る《地の精霊》が保証してるから言わニャイが、つくづく食えない人間ニャネ。そうやって《銀月》の身体に一部でも接触していれば、我ら精霊の言葉が聞き取れるのを知ってるニャネ』

キョトンとしながら、クバル青年と火吹きネコマタを交互に見やる、アルジーであった。

『クバルさんの正体って?』

火吹きネコマタが2本の尻尾を立てて、アルジーの周りをクルリと一巡し……更に言葉を継ぐ。

『銀月の。その身体全身に《銀月の祝福》が満ちわたってるニャ。必要があったとはいえ、此処まで満ちわたるのは珍しい事例ニャ……高性能の《精霊語》翻訳器ってとこだニャ』

アルジーは火吹きネコマタを見つめた後、そっと赤毛スタッフ青年クバルへと視線をやった。

……バツの悪そうな顔をしている。

火吹きネコマタは、改めて赤毛スタッフ青年クバルに向き直り、2本の尻尾をピッと立てる。そのネコマタ尻尾の先で、物理的な火が意味深に揺れていた。

『……クバル君とやら、「大魔導士ザドフィクを気取ってる金目鯛(キンメダイ)イカレポンチ野郎」って男、知ってるかにゃ?』

「何で、オレに聞くっすかね」

『トボけるでニャイ、自称クバル君とやら』

――何だか、漫才みたいだな。

アルジーは少しの間、首を傾げたが……

ふと気づくところがあり、赤毛青年クバルの手を支えにして、床へと手を伸ばした。

中年男ワリドが床に叩きつけて行った革袋。

そこから散らばった硬貨。盗むつもりは無くても手が出てしまうのは、この2年、休まず培(つちか)った、ガメツサのゆえ。

――コイン数枚ほど、普通の帝国通貨じゃ無い。明らかに偽造貨幣……

拾い上げた『コイン状の物』は……闇を含んだ金色にも見える、濃色の琥珀ガラス製。

前にも見たことがある。

怪奇趣味の賭博用の、賭けチップだ。

裏側に通貨スタイルの数字『1000』が、古代《精霊文字》で刻印されている。表側にあるのは、歪んだ目のような……古代の紋章のようなレリーフ装飾。

「……《怪物王ジャバ》……」

「知ってるっすか」

「少しだけ。大先輩のギヴ爺(じい)が、昔、古代遺跡の探検隊に参加した事があったそうで。地下のジャバ神殿の祭壇のところに、この紋章が彫られてた、とか。 職人の間では『邪眼』紋章と呼びならわしていて。『邪眼のザムバ』のような連中の間では、人気があるって話」

「あのヒゲ爺さん、冒険者やってた事があったんすか。そう言えば《骸骨剣士》への対応も意外に……人は見かけによらないっすね」

「これ、古代の高度技術の金型を使って作ったものだそうで。古代遺跡で、数字『1』から『1000』まで、まとまって発掘されるのが多いとか……此処に刻まれてるのは『1000』だね。初めて見たけど」

「1000の数字が……!?」

ヒュッと息を呑み。赤毛スタッフ青年クバルは、奇妙に黙り込んだのだった。

が、沈黙は長く続かなかった。

すぐに次の客が来たようだ……店の入り口扉で、礼儀正しく「トトトン」というノック音がする。

2人と白文鳥《精霊鳥》2羽は、素早く目を見合わせ、すぐに所定の位置についた。

次に、骨格標本が「ポポン」という音と共に9歳の少年の姿となり、ヨッコラショと台座から降りた。火吹きネコマタに伴われてギクシャクと歩き、前回と同じように店の入り口扉を開く。

そこに立っていたのは、あのシュクラ青年だ。

――もしかしたら従兄(あに)ユージド王太子かも知れない、あの人だ。

思わず、声を掛けようと立ち上がりかけたアルジーであったが……素早く動いたクバル青年にギュッと抑えられ、口を塞がれた。

そうしているうちに、扉の前に陣取った非現実の9歳少年が、何でも無さそうな様子で受け答えし始める。

「お客さん、ご主人は留守だよ……此処には誰も居ないよ」

「ああ、聞くだけは、いいかな。このくらいの大きさだと思うけど、白孔雀の尾羽を使った中古の羽ペンを探してるんだ。それに、大型ドリームキャッチャーのほうでも、 白孔雀の尾羽を使ったモノがあるかどうか……ボク知らない?」

「そっち方面は知らない。後ろに色々なドリームキャッチャー有るけど、白孔雀の尾羽ってのは聞いたこと無いし、此処には無いし。大きな文房具店なら、中古の羽ペンも取引していると思うよ」

「ありがとう。御駄賃あげる。氷菓でも買ってね」

そして、再び「パタリ」と店の入り口扉が閉じたのだった。

やがて赤毛スタッフ青年クバルが、疑念いっぱいといった口調で呟き始める。

「あいつ、何故『そういう類のモノ』を、買い集めようとしているんだ……?」

「むぐむむむー、むぐぐ」

「あ、済まん」

クバル青年の手が離れた。意外にクバル青年は身柄拘束が上手だ……衛兵など、軍隊関係の仕事も経験していたのだろうか?

アルジーは、やっと口が利けるようになり……

「ふー。シュクラ王国の再興とか? シュクラ王太子ユージドなら……」

「ありえない。帝国の方針に基づいて、王侯諸侯としてのシュクラ王族の身分と地位はすでに保証されているし、帝国宮廷の籍も用意されている。 元々、先代の頃からオリクト・カスバを通じて話が進んでいた。それも、いまや皇子本人が話を引き継いで、乗り出して……トルーラン将軍の横やりと横暴は……」

何かを言いかけて……別人と化していた赤毛クバル青年は、ピタリと口を閉じた。

「なにか知ってるの?」

「や、なにも知らないっすよ」

大きな火吹きネコマタが、非現実の9歳少年に変身していた骨格標本を片付けながら、口を出す。

『だから食えない人間ニャ、と、我は言ったのニャ、まったくニャー。この7日間たらずで、城壁の外にグルリと手際よく「大掛かりな小細工」しやがってニャ、いつ爆発するのかニャン』

「いつ爆発するかって……もうこんな時間! 文房具店へ急がないと……黒インクの在庫!」

「あ、そうだったっす」

『ちょっと待つニャ、銀月の』

火吹きネコマタが、ガブリと、アルジーの生成りの広幅ズボン裾を噛んだ。

「あわッ」

駆け出す格好のまま、後ろにひっくり返りそうになるアルジー。赤毛スタッフ青年クバルが、訓練されているのではないかと思えるような素早い反射速度で、アルジーの背中を捉えた。

『重要なことを言うニャ、銀月の。ちゃんと心して聞くニャ』

いつの間にか、火吹きネコマタが呼び出した《火の精霊》が――紅白の御札でもお馴染みの真紅色をした細かな粒子が、高速の火の尾を引きながら回転しつつ周囲を取り巻いていた。 特殊な結界を作っているらしい。

『その身体、生贄《魔導陣》を全身に刻まれてるニャネ。しかも《怪物王ジャバ》ニャ』

『……知ってる』

アルジーは、知らず知らずのうちに、歯を食いしばっていた。

――オババ殿の、今は既にお焚き上げ済の遺言書にも書いてあったことだ。オババ殿が死んでから1年間、何も考えなかった訳じゃない。

むざむざと死んでやるものか、と思っているだけだ。真相を突き止めて、黒幕に一矢、報いるまでは。

なおかつ……シュクラ第一王女として、シュクラ・カスバの人々の、将来の生計の見込みが立つのを見届けるまでは。

火吹きネコマタは、至高の聖火を思わせる明るい金色の目をキラッと光らせ……頷いた。そして。

『この町角で、生贄の命を狩るための刺客(アサシン)として、大型の《三つ首ネズミ》と《三つ首コウモリ》の大群が出てたニャネ。 偶然にして巨人族の末裔の黄金戦士が遊び心を起こして、「向かうところ敵なし」状態で全滅させていなかったら……銀月の、あそこで生贄になってた筈ニャ』

世界が揺らぐほどの衝撃――アルジーの足元がグラついた。

クバル青年が驚きながらも、身体を支えて来てくれる。

「おい。マジっすか。あ、いや……あの時すげぇ変な状態で、意識が飛んでて……」

『人類としての生命力は失せていて、ほぼ《銀月の祝福》が埋めてる状態ニャ。 ゆえに、銀月の、その身は高性能の《精霊語》翻訳器、すなわち《銀月の精霊》そのものだニャ。《銀月の精霊》として、《三つ辻》境界に立つ時……』

最後に謎の言葉を呟くと、火吹きネコマタはパッと店の奥に身を躍らせた――そして、すぐに、口に何かをくわえて戻って来た。

『あの「妻ギュネシア」が、最近「夫ハシャヤル」の遺品とか言って換金してくれと持ち込んだ品にゃ。 精霊の間では有名な品にゃで、問題になると困るゆえ、長期の留守の店主に代わって、この我が、即座に買い取って情報工作して隠匿してたにゃ』

『え、店主さんって誰?』

アルジーが《精霊語》で聞き返すと。

火吹きネコマタは、2本の尻尾の先で再び「ボボン!」と火を吹いた。

次の瞬間、精霊の魔法の火の中に映し出されていたのは……2年前にお世話になった、あのフッサフサ眉と白ヒゲの老店主だ。

「え、あの2年前の放逐されてた夜、花嫁衣装を買い取ってくれた親切なお爺さん……」

「なッ……」

クバル青年は、口をパクパクさせていた。せわしなくキョロキョロしていて、頭の中で点と線を連結させているところのように見える。

そんなクバル青年へ、老店主の姿をした火吹きネコマタが、意外にアッサリとした生成りの包みを手渡した。

気圧されたかのように神妙な態度で、クバル青年は包みを開いた……

「……白孔雀の尾羽の……羽ペン。これを、ギュネシア奥さんが、風紀役人ハシャヤルの遺品だと言って、持ち込んで来た? それじゃ、これは、 ハシャヤルがトルーラン将軍の不正蓄財の倉庫から、こっそり横領してた品だったり……?」

シュクラ王国と縁の深い精霊、白孔雀……その尾羽を使った見事な細工物だ。

その蒼古たる雰囲気。間違いなく古代の『精霊魔法文明』のものだが、どこも錆びたり壊れたりしておらず、新品と同じように使える状態。

ペン先は金属で補強されていた。その金属は、美しくも複雑で繊細な紋様を施されてある。想像もつかない高度な技術――古代の『失われし技術』。何の金属を使っているのかも分からない。

火吹きネコマタは、いつしか、老店主への変身を解除し、元の姿に戻っていた。ネコのヒゲをピピンと揺らし、説明を続ける。

『シュクラの《魔法の鍵》継承者が受け継ぐ品である……と、白孔雀の《精霊文字》で宣言されてある限定品にゃ。同じシュクラ血縁の彼に渡しても良かったけど、 直接、《魔法の鍵》継承者が来てくれて良かったにゃ。この筆が呼んでたのニャネ。娘さんが持つのが良いニャ。きっと御守りになるニャ』

赤毛スタッフ青年クバルは思うところがあったのか、意味深な顔をして頷き……孔雀の羽ペンの包みを、アルジーに手渡して来たのだった。

アルジーは不思議な気持ちになりながらも、目礼で感謝を示し、羽ペンを仕事道具用の風呂敷包みに収めた……

大事な話が終了したことを理解しているかのように、白文鳥《精霊鳥》パルとアリージュが止まり木からパッと飛び立ち……アルジーのターバンのうえに止まった。 いつの間に扉をすり抜けたのか、白文鳥コルファンとナヴィールも店内に居る。白文鳥の得意の精霊魔法《超転移》を使ったに違いない。

『くだんのハシャヤル事件、《怪物王ジャバ》の気配が異常に近いニャ。生贄《魔導陣》を持つ身ゆえ、銀月の、身辺には、くれぐれも注意するニャよ』

真剣な顔になった火吹きネコマタに見送られて。

アルジーとクバル青年は、目抜き通りの文房具店へと急いだのだった。

*****

目抜き通りは、それなりの身なりをした来客で、ザワザワしていた。

夜間照明となる定番の高灯籠が、一定距離ごとに並んでいる。聖火祠でもあるので、《火の精霊》による守護もシッカリしていると知れる。 実際、邪霊害獣などの出没数も極めて少なく、宮殿や神殿・聖火礼拝堂などと同じくらい、夜間を安全に過ごせるエリアなのだ。

格式のある店の数々。その中のひとつとしてある文房具店。アーチを描く店入り口に掲げられた看板に、濃紫色の文字で『アルフ・ライラ』と書かれてある。

――女商人ロシャナクが経営している店だ。

お仕着せのスタッフは、綺麗に洗った生成りの上下に、膝丈ほどの紫色ベストをカッチリと着込んでいた。 帝都風の華やかな唐草模様に彩られた紫色ターバンをお洒落に決め、熟練の営業スマイルで、次々に来客をさばいているところだ。お揃いのベールで装った女性スタッフも数人。

東帝城砦の誇る名産のひとつが高級葡萄酒で、その葡萄酒の色に敬意を表した意匠だと聞く。帝都から進出して来たにも関わらず、地元の商会仲間とスムーズにやれているのも、 こうした社交辞令が効いているからだろう。

「ねこねこ~♪」

不意に子供の声が上がって来て、アルジーは思わず振り向いた。

母と子の2人連れ。4歳ぐらいの男の子が、通りをうろついていた小さな子猫……火吹きネコマタの2本の尻尾の先の火を面白そうに指差し、見つめていた。

少しくたびれた雰囲気をした、若い母親が会釈して来る。何処かで見たような顔だ。

「うちの子が済みません。この子猫、あなたの?」

「いえ……知らないネコですね。たぶん町内ネコなので、お構いなく」

男の子が、火吹きネコマタの尻尾の先の火に触ろうとしたところで、母親が目ざとく気付き、坊やを引き離す。頭をぺんぺん叩く。ちょっとヒステリックに。

「火に触ったらダメよ、熱いのよ、ヤジド」

――ヤジド。

妙に聞いた事のある名前……アルジーはピンと来た。半歩うしろに居た赤毛スタッフ青年クバルも、同様だ。

――思い出した。怪奇趣味の賭場にも出入りしていたという、アルコール中毒の三日月刀(シャムシール)使い不良中年ワリドの……スージア奥さんと、息子ヤジドちゃんだ。

「もう、この子ったら、どうしてこう聞き分けが悪いのかしら」

「まぁその、好奇心が強いというか、賢い子かと……あれ、文房具店に来てるってことは、何か書道とか?」

ちょっと涙目のヤジドちゃんを引っ張りつつ、せかせかと頷くスージア奥さん。

「ええ、早くから文字を覚えたほうが良いでしょう、この子、真面目で優秀だし、役人として、やっていけると思うのよ」

ヤジドちゃんは『役人』という言葉を耳にタコができるほど聞いていたのか、パッとイヤそうな顔をしている。子猫らしく可愛らしい『火吹きネコマタ』のほうを、なおも名残惜しく振り返っていた。

――役人向き……というよりは、どうなんだろう、技術者とか……職人気質とか、研究者向きというか……

パッと閃いた直感だけど、言わないでおく。

スージア奥さんは、生活に疲れている様子だ。見るからに、素行不良な別居旦那ワリドさんの件で、苦労させられているのだろうという感じ。 堅実な『役人』という将来をヤジドちゃんに用意しようというところからしても。

――こんなに小さな子供のうちから、押し付けに近い勢いなのは気になるけど。

スージア奥さんとヤジドちゃんに、良き精霊の祝福あらんことを。

「書道なら、羽ペンとか見るっすかね?」

赤毛スタッフ青年クバルが、アルジーと一緒になって冷や汗をかきながら、何とか話題を変えていると。

お仕着せ紫色ベスト姿の『アルフ・ライラ』接客スタッフが、完璧な営業スマイルを浮かべながら、魔法のようにスッと出現して来た。まるで、足元に『魔法の絨毯』があったかのような、移動の滑らかさだ。

「本日はご来店ありがとうございます、お客様。本日は誠に良い日取りでございまして、色々とお得な特典も用意してございます。 とっておきの品からお手頃な品まで、色々取り揃えております。もちろん相談にも応じます。どうぞゆっくり見て行ってくださいませ」

スージア奥さんは、その一切よどみの無い滑らかなセールストークに圧倒されたように、目をパチクリさせてコックリと頷く。

ヤジドちゃんの手を引いて、数々の羽ペンや葦(あし)ペンが並ぶ奥の棚へと誘導されてゆくスージア奥さんである。ヤジドちゃんも、多種多様な品を見るのは楽しいらしく、おとなしく見物している。

驚きの接客技術。テキパキとして居ながらも威圧感が無く、親しみやすそうな雰囲気。洗練された発音。さしづめ、帝都から特別に引っ張って来たスタッフなのであろう。

――さすが、女商人ロシャナクのお眼鏡にかなった人材、というところだ。

アルジーは思わず、ホーッと息をついていた。

「た、助かった……」

「まったく同感っすよ。カリカリした教育ママさん、怖いっす」

2人で店内に入り、日陰で涼む。アルジーは覆面ターバンを解き、フーッと息をついた。

そして、おもむろにインク壺のある棚へ向かうと……「もしもし」と、後ろから呼びかけられたのだった。

振り返ってみると、いつだったかの、経理担当の神殿役人ゾルハンが居た。神殿の聖火紋章付きの、真紅の長衣(カフタン)姿。

「足元に、さっきの『火吹きネコマタ』がスリ寄って来てますよ。尻尾の先の火だけでも消しておきませんと。本当に飼い猫じゃないんですか?」

クバル青年が足元を見下ろし、うろちょろしている子猫を見て「オッ」と声を上げた。 クバル青年は背丈があるほうだ……妙に人なつこい今回の『火吹きネコマタ』は小さな身体ということもあり、失念していた様子だ。

「責任問題になっても困るっすね。店の中だけでも抱っこしとくっすか」

そう言って、赤毛スタッフ青年クバルは、ヒョイと、子猫の姿をした『火吹きネコマタ』を抱き上げた。

指摘のとおり、飼い猫っぽい雰囲気だ。割に上位の《火の精霊》なのか、真紅の毛も入っていて毛並みツヤツヤ。

子猫は2本の尻尾の先の火を手際よく消火され、ちょっと傷ついた顔をしている。《火の精霊》の一種として、簡単に消火されるのは、何かプライドに響くところがあるのかも知れない。

アルジーが改めて神殿役人ゾルハンを見直すと。

神殿役人ゾルハンは、手に紙束を持っていた。成る程、火吹きネコマタの尻尾の先の、物理的な火に、神経質になる訳だ。

「……あれ、その紙は紅白の御札に使うものでは無いみたいですが……?」

「故ハシャヤル氏の葬儀が、明日あるのでね。葬儀に使う紙を」

神殿役人ゾルハンは手持ちの紙束を抱え直しながら、訳知り顔で頷いた。

「ああ、そうだ、記帳には是非おいでの程を。明日の朝一番から神殿の礼拝堂の事務所で受け付けておりますのでね……おや、噂をすればギュネシア未亡人だ」

見ると、亡き風紀役人ハシャヤル氏の妻、ギュネシア夫人が、知り合いと思しきベール姿の奥様方と連れ立って、文房具の棚の間を歩いていたのだった。

先ほど出逢った騒動――某・衛兵くずれの暴走について、口々に噂をしている真っ最中だ。あの不良中年ワリド氏の事だ。

「もう、ビックリしましたわよね。道の真ん中で、いきなり三日月刀(シャムシール)を振り回すだなんて」

「人相は見えなかったから、誰なのかは分からなかったけどねえ。このくらいの背丈で、荒んだ格好。元は腕の立つ衛兵だったみたいね。急に《骸骨剣士》が出たのも、見事バラバラにしてたし」

「大魔導士ザドフィク気取り野郎を本気で殺す、とか激怒してたけど。本当にやるのかしら。神殿とか役所に、通報したほうが良いんじゃないかしら?」

神殿役人ゾルハンは、向こう側の棚の前で進行している奥様方の話が気になった様子で、ジッと耳をそばだてていた。

奥様のひとりが、不意に気付いたと言った風に、ギュネシア奥さんをクルリと振り返っている。

「あぁ、そういえば思い出したけど、ギュネシア奥さん、ハシャヤルさんの殺害犯ではないかと言われていた容疑者、1人か2人くらい釈放されたとか」

ギュネシア奥さんは、思案深げに頷いている。

「当時のアリバイが無かったそうなのよ。関与の証拠も無くて釈放されたと聞いたわ。誰が夫ハシャヤルを殺したのかしら。 前に逮捕されていたというシュクラの人も、発火《魔導札》は持ってたけど、導火線には着火しないタイプだったそうなの。 反乱計画の疑惑にしても、武器も何も無かったということで、釈放の見込みとか。もう釈放されてたかしら?」

――たぶん、タヴィスさんのことだ。釈放される……

偶然にも入ってきた情報に、アルジーは、ちょっとホッとしたのだった。

「ちょっと意外だったですかね……」

神殿役人ゾルハンは、当惑顔で首を傾げていた。神経質な性格を形にしたかのような細い顎(あご)に手を当てて、思案している。

「そう言えば、新しく分かった事があって」

「新しく分かった事とは何でしょう、代筆屋くん?」

「この辺で、違法の邪霊使いが1人くらい徘徊しているらしくて。あの『邪眼のザムバ』、もう一度キッチリ調べれば、《骸骨剣士》を差し向ける邪霊使いとのつながりとか何か出て来るって思うんです。 あの《骸骨剣士》仮面をした邪霊使い、絶対アヤシイ。怪奇趣味の賭博とも関係があるに違いない」

「さ、さようですか……当方から、神殿の調査官にお伝えしておくということで。一般人が首を突っ込むと危険ですから、くれぐれも神殿の調査官にお任せ願いますよ」

赤毛スタッフ青年クバルは、神殿役人ゾルハンの言葉に同意して、ウンウン頷き始めた。

「どっかの誰かさんは、自分から飛び込んでるっすねえ」

「ニャー」

ちっちゃな子猫の『火吹きネコマタ』が、イタズラっぽくヒゲをピクピク動かし、謎の唱和をして来たのだった。

「それでは、これにて」

神殿役人ゾルハンは神経質な笑みを浮かべつつ、忙しそうな様子で会計を済ませ……真紅の長衣(カフタン)をひるがえし、文房具店『アルフ・ライラ』のアーチ出入口から去って行った。

一区切りつき、インク壺の棚の間を移動する。帝都の御用達の大店だけあって、インクの種類も、とりどりだ。

インク壺の据え付けと、高い棚への脚立を兼ねた段差がつづいている。

まだ片足に違和感のあったアルジーは、クバル青年の手を借りて段差の上に登った。

赤インクの掘り出し物が無いか、ついでにチェックしてみる。

黒インクは低い所にズラリと並んでいるから楽なのだが……《魔導》加工の入った赤インクは、鎖で繋いだうえで、万引きされにくい高い棚に並べてある。 もっと高価で、なおかつ危険商品でもある紅緋色のインクは『在庫アリ』という数枚の伝言カードだけだ。購入希望者は、伝言カードを引き抜いて、専門の販売員に渡すという決まり。

「赤インクも買うっすか?」

「まだ在庫があるから。んー、次の『訳あり品』が入って来る頃合いになったら、もう一度、見に来ても良いかも」

「訳あり品?」

「品質や効力は正規品のほうが長く安定しているんだけど、期限が切れる前にパパッと使い切る場合は、お買得だから……あれ?」

クルリと頭を巡らせ……アルジーは目をパチクリさせた。

最近、見知った風の濃紺ターバンが、近くに来ている。スラリとした体格。傭兵らしく三日月刀(シャムシール)や短剣を佩いているが、本職の傭兵では無いだろう。そういう雰囲気。

濃紺の覆面ターバン姿が、アルジーをスッと見上げて来た。クバル青年と同じ年代の若い男。その人の目は記憶にある金色だ。金色か琥珀色か、という微妙な色合いの目。

――何故だろうか? こちらを良く知っていると言う雰囲気だ。ほんの二、三日くらい前に、すれ違いに近い形で、かち合わせただけの筈なのに。

赤毛スタッフ青年クバルは、抱っこしていた子猫『火吹きネコマタ』を一瞥した後……何かに納得したような訳知り顔になって、口を閉じた。

アルジーの脳内を、チラッと、疑惑に近い疑問がかすめた……この2人は知り合いなのだろうか?

一瞬、よぎった違和感は、瞬く間に雲散霧消した。

何故ならば……

「おい、何だか、きな臭くないか?」

火気に敏感な店員たちが、ざわつき出したのだ。つづいて、客たちも騒ぎ出す。

次の瞬間。

白文鳥《精霊鳥》コルファンとナヴィールが、壁を突き抜けて来たかのように飛び込んで来た。

『危険! 危険!』

アルジーのターバンのうえで、相棒の白文鳥パルが、パッと飛び立つ。

静養中の白文鳥アリージュも「ビョーン」と伸びあがった。

白文鳥《精霊鳥》3羽が高速で飛び交い、白毛ケサランパサランの群れが出現した。白文鳥の誘導に応じたかのようにパッと散らばり……配置された。

無害とはいえ邪霊に属するケサランパサランの身体がよぎったせいか、パチッという魔性の金色の閃光が走った……その閃光は紋章のような影を映し出した。――《魔導陣》だ!

白文鳥《精霊鳥》パルが、その《魔導陣》を瞬時に解読する。

『ジン=イフリート、ピッ!』

アルジーの手に触れていたせいで《精霊語》が通じる状態だった赤毛スタッフ青年クバルの反応は、早かった。子猫を床へ解放するや、護身用の短剣を抜く。

「イフリート!」

濃紺の覆面ターバン青年が、無言で、いきなりアルジーの身体をさらい……棚の裏へ駆け出した子猫の後を追う形で、インク壺の棚から距離を取る。

……明らかに焦げくさい異臭が、文房具店『アルフ・ライラ』全体に広がった!

「火事だ!」

共鳴する《火の精霊》たちの、焦げ付くようなにおい。不意に湧き立つ、禍々しい黒いモヤ。

店内の中が一気に薄暗くなったかと思うや、店の四方八方から、大きな爆炎が立ち上がった!

全身を揺るがすような、重低音の爆裂音。

アルジーの背後を守る位置に付いていた赤毛スタッフ青年クバルが、短剣を鋭く薙ぎ払い、高速で飛んで来た数個の破片を弾き、床へと叩き落とした。

――連続の破砕音を立てて、床へと突き立った破片は……異様な黄金色をしている。

火のジン=イフリートを邪霊として誘導した《魔導札》の、硬化した欠片だ。殺傷力を高めるための欠片。

濃紺の覆面ターバン青年が、明らかにアルジー個人を狙ったという風の黄金色の欠片に気付き、金色の目を険しくした……

「お客様、避難してください!」

文房具店『アルフ・ライラ』が入っていた複数階層の建築が不吉に揺らぎ、異様な破砕音を立てている。床タイルに金色のヒビが入ったかと思うや、次々に真紅の炎を噴出し始めた。

店員たちと客たちがギャーギャー言いながらも、表通りへと転び出て行った。

故ハシャヤル未亡人ギュネシア奥さんを含む奥様たちも、パニック状態だ。

スージア奥さんとヤジドちゃんは、幸いに早い段階で避難済みだ。強く手を引かれたヤジドちゃんは、勢いあまって、石畳の上で転んだ。 同じように転んだ小さな子供たちも、火がついたように泣き出している。

瞬く間に店舗の外壁を、炎と黒煙が舐め始めた。石をも燃やす、異様なまでの高温の炎。

市場(バザール)を行き交う通行人たちが、炎上した位置の数々を指差しながらも、散らばって行く。

別の通りに居た野次馬たちは、口々に「火事だ」と叫びながらも、逆に押しかけ始めていた。

「爆発するぞ!」

混乱が大きくなっていく隣近所のどこかで、誰かが叫んだ。それは正しかった。

文房具店の中は、もとより燃えやすい物が密集している。ジン=イフリートの破壊的な火力によって急激に熱せられ、次々に爆発炎上が始まった。

インク壺の並んでいた棚は、店の中で最も奥まった位置にあった……クバル青年、それにアルジーを抱えた濃紺の覆面ターバン青年が、 年長の店員を含む最終の避難グループに混ざりつつ、子猫の火吹きネコマタと一緒に、表通りへと飛び出す。

いっそう耳をつんざくような大音響と共に……文房具店『アルフ・ライラ』が爆散する。一気に合流して巨大化した紅蓮の炎は、まさに巨人の形をしていた。

いつの間にか、女商人ロシャナクが決死の形相で駆け付けていた。警戒すべき範囲に接触したところで、傍に居た店スタッフが敏捷に動き、ロシャナクを引き留める。

「店が……!」

飛び散った建材が、隣近所の店舗の群れを襲う。方々から新たな悲鳴が上がった。

上階層まで燃え広がった炎の中で、新たな爆発が起きた――ギョッとするような瓦礫の群れ。

濃紺の覆面ターバン青年がサッと腕を振ると、それに応じて真紅の冠のような《魔導陣》が閃いた。 燃える瓦礫の群れは、重力の法則を無視したかのように、その場で放物線の軌道を延長することを止めて落下した……

あまりにも一瞬の現象だった。気付いた人は、ほとんど居ない。 濃紺の覆面ターバン青年に抱えられる形で、一番近くに居たアルジーでさえ、幻と思ったくらいだ……そして、その意味を考えるどころでは無かった。

「野次馬は道を空けろ、どけ!」

身分の高い人々が行き交う目抜き通りだけあって、衛兵たちの出動は早かった。熟練の神官や魔導士の出動も。

即座に、金縁の着いた黒衣をまとう魔導士の手によって、黄金色の《魔導札》が掲げられ、《精霊語》による呪文が詠唱され……

かの塔の爆発炎上事件の時のように、大型の《水の精霊》が呼び出されて来た。

呼び出されて来たのは、あの水のジン=巨大カニだ。5匹ほど居る。青い色をした巨大カニは早速、火炎を封じるための大量の泡を噴射し始めた。 同時に、ジン=イフリートの、蛇のようにうねる長い腕をスパスパ……と、ちょん切り始める。

5匹の巨大カニに取り付かれた1体のジン=イフリートは、見る見るうちに縮んで行った。

隣近所の一帯に、大量の火の粉と水の泡が、同時に降りそそぐ。

衛兵たちの誘導――というよりも強制的な『おしくらまんじゅう』――で、野次馬たちや避難者たちの集団が乱れ、いっそう押し合いへし合いになった。

「早く!」

頭上を白文鳥たちが舞い、クバル青年と子猫の火吹きネコマタが、隙間を目指して先導する。

濃紺の覆面ターバン青年が、アルジーを抱えたまま人波を分けて移動していた。

横から来た人波に、アルジーはギュウと押される形になった。濃紺の覆面ターバン青年は、群衆をすり抜けるのに慣れていなかったようだ。

アルジーの顔面に誰かの背中が押し付けられ……鼻がつぶれるような思い。アワアワしている内に、ターバンの隙間に誰かの握りこぶしが挟まったらしい。紙を丸めてつぶしたような、クシャ、という感触。

「ぶほ」

「キャッ」

「し、失礼を」

群衆の中で接触し、離れていった団体は、それなりの上質なベールをまとった奥様がたの一団だった。故ハシャヤル夫人ギュネシア奥さんが含まれていた一団。 スケベなお調子者や乱暴者の一団で無くて幸いだ……もっとも、不気味な骸骨顔のアルジーに痴漢をはたらくような不届き者は居ないが。

……ようやく、比較的に空いている隙間へと到着する。現場からは、ふたつほど離れた十字路の角だ。

「おい、オーラ……、いや、クバル。いきなり何だ、あのイフリートの火事は」

濃紺の覆面ターバン青年が鋭い声で問いかける。群衆の間でモミクチャに乱れてしまった濃紺マントの間から、家宝の類と思しき立派な柄の三日月刀(シャムシール)が、のぞいていた。

アルジーは驚きながらも納得した――2人は知り合いなのだ。それも長年の知り合いという雰囲気だ。クバル青年と同じくらいには、この見知らぬ濃紺ターバン青年を信頼しても大丈夫なのだろう。多分。

「オレも分からんすよ。ただ、ハシャヤル爆殺事件でもジン=イフリート《魔導札》が使われたと聞くし、今回もそれらしい気配がある。関連はあると見て……良いっすね」

「その混乱した言葉遣いを止めろ、気が散る」

次に、アルジーのターバンに残っていた白文鳥《精霊鳥》アリージュが「ぴぴぃ」とさえずり、子猫の火吹きネコマタが足元に来て「ニャー」と鳴いた。

「え……紙が挟まってるって?」

濃紺の覆面ターバン青年が、抱えているアルジーをクルリと振り返った。その金色の眼差しには驚きが浮かんでいた……何故か《精霊語》が聞き取れるという方面に関しては、驚いていない様子だ。 クバル青年と色々と情報交換しているのだろうか?

確かにアルジーのターバンの折り重なった布地の間に、紙切れがめり込んでいる。野次馬の中でギュウギュウにされた時に引っ掛かったものだ。

「さっき、ギュネシア奥さんとぶつかったから、その時の、かな」

アルジーが思案しつつ呟くと、クバル青年が眉根を寄せ……濃紺の覆面ターバン青年を少し睨んだ。

「モタモタしていて、あの『おしくらまんじゅう』に巻き込まれたんすか?」

「不可抗力だ! それに、その混乱した言葉遣いを改めろ!」

ターバンから紙切れを引き抜いてみると……それは、何らかのメモ書きだ。

クシャ、となっていた紙を開く。2人の青年は即座にボケとツッコミを止め……興味津々で、のぞき込んで来た。

「ギュネシア奥さんの文字っすね」

「孔雀の羽ペン1本。賭博カード3セット。賭博サイコロ66個。雪花石膏(アラバスター)の馬の彫刻2台。黄金ゴブレット4セット。 エメラルド、ルビー、サファイア原石が各1個。琥珀ガラス製コイン1枚。《三つ首ネズミ》石膏像3台。 螺鈿細工の魔法のランプ5個……故ハシャヤル氏が、あちこちから横領して、かき集めた品々のリスト……に見えるが」

「いや、あのギュネシア奥さんは、旦那ハシャヤル氏が何をやってたかは、具体的には知らない筈っすよ。 察するに、あの聖火神殿の倉庫から出て来た換金性の高い物品の記録だろうな。孔雀の羽ペンは確認済っす」

アルジーのターバンの上で、白文鳥パルとアリージュが「ピピピ、チチチ」と、口を挟む。

「記録を取って……あ」

不意にピンと来たものがある。アルジーは思わず息を呑んだ。

以前、バーツ所長が……地元の商人スタッフも……いまは亡きハシャヤル氏の行動パターンについて、指摘していた。

――『経理は一流だったぞ。公的な方面では、1銭の狂いも無く、ケチケチ、ピシーと帳簿つけてやがった』

――『その辺の金融商の常識だよ。ヤツの帳簿をコッソリ見て、東帝城砦の財務状況を逆算してゆく』

赤毛スタッフ青年クバルが首を傾げて、アルジーを見上げて来ていた。

濃紺の覆面ターバン青年が、アルジーを抱えたまま降ろさないのだ……彼も相応に背が高いので、こういう形になるのだ。

「何か、思いついたっすか?」

「ハシャヤルさんの家! 部屋か何処かに記録がある、きっと! あの人、ケチケチ記録を付けてたって言うし、ヤバイ二重帳簿とか……何かがある筈!」

アルジーは降りようとし始めたが……

濃紺の覆面ターバン青年は、いっそう『ガシッ』とアルジーを抱え直した。

白文鳥《精霊鳥》パルも、目立った反応はしない。危険人物では無いと認識しているせいだろうが、アルジーにとっては、まことに訳が分からない状況だ。

アルジーは、助けを求める顔をして、クバル青年のほうを見たが……

……クバル青年は訳知り顔で、ヤレヤレと言った風に、肩をすくめただけだった。

濃紺の覆面ターバン青年が、区壁にぴょんと飛び上がった子猫の火吹きネコマタに、質問を投げる。

「そいつの家を知ってるか?」

「ニャー(お任せあれ!)」

……

…………

子猫の火吹きネコマタに先導され、区壁沿いの裏道から裏道を渡ってゆく。

アルジーは、何故か、濃紺の覆面ターバン青年に抱えられたまま、移動する形となっていた。

鍛えているのは間違いない――2人の青年の駆け足は飛ぶような速度で、その速度を驚くほど長く維持している。アルジーの体力では、途中でへばった筈だ。

アルジーは恐縮して、濃紺の覆面ターバン青年に声を掛ける。

「おおお、重いから降ろしていいよ」

「それを言うか、骨格標本が」

「一応、生きてるってば」

「確かに心臓が存在するようだし、脈も呼吸も有る、これが本体らしいな。もう蒸発するなよ」

その謎の言及の間にも、周りの光景が飛ぶように過ぎていった。裏道には詳しくないが、かなりの距離を稼いでいることは感じ取れる。

やがて、人通りの多い街角と交差した。人の波を抜けるため、ゆるやかな歩みになる。

「……それに、今回のジン=イフリートが狙ったのは、骨格標本のほうという可能性もある。知らぬは本人ばかりなり、か。君たち、横から見た体格が似てるんだ。 神殿で、謎の弩(いしゆみ)から発射された矢の件でも、本当の狙いは、クバルのほうじゃ無かったかも知れない」

赤毛スタッフ青年クバルは顔をこわばらせた後、無言で息を詰まらせていた。――盲点だった、と言うように。

そうしている内にも再び裏道へと入り、幾つかの区壁をよぎって行く。

こじんまりとしていながらも瀟洒な邸宅が並ぶ街区に出ていた。街路樹として植えられているオリーブやナツメヤシの行列。きちんと剪定された枝ぶりだ。

少し先の建物の群れの向こうに、聖火神殿の塔や、聖火礼拝堂のドーム屋根が見える。

辺りの通りは、人の気配が少なかった。

「この辺、神官たちの住宅が集まっている。皆、文房具店『アルフ・ライラ』で起きたジン=イフリート火事のほうに、出動しているところだろう」

「偶然とはいえ、すごい好機っすねえ」

「その狂った言葉遣いを止めろ」

おかしな漫才を再開しながらも、2人の青年の息は素晴らしく合っていた。

赤毛スタッフ青年クバルが、数種の折れ曲がった針金を護身用の短剣の鞘から取り出した。亡きハシャヤル邸――今はギュネシア奥さんの一人暮らしの筈である――の、扉の鍵穴に突っ込む。

少しの間、鍵穴がパチンパチンと音を立てていたが、やがて「ガチャリ」という手ごたえのある響きと共に、開錠された。

「え、どうやって?」

アルジーがギョッとしていると……

濃紺の覆面ターバン青年が、ボソッと呟いた。相変わらずアルジーを抱えたまま。

「クバルは《地の精霊》に気に入られてるからな、髪色も変わるくらい。その《地の精霊》というのが……」

「言わない約束っすよ」

扉をサッと開きながらも、怖い顔をしてクバル青年が振り返る。

子猫の火吹きネコマタが金色の目をランランと光らせつつ、青年たちの足元を抜け、先頭を切って飛び込んだ。

ハシャヤル邸の中は、定番の間取りだ。

ささやかながら美しく整えられた噴水の中庭を突っ切り、いまは亡き主人ハシャヤル氏のものと思しき奥まった部屋に踏み込む。

アルジーはキョロキョロし始めた。

ケチケチしていたと言うハシャヤル氏の性格そのものであるかのように、無駄な装飾の無い、殺風景なまでの部屋。

だが、各所の定番の室内調度は素晴らしいものだった。裕福な生活をしていたことを示している。

室内祠をしつらえ、贅沢な綾織りの紗幕(カーテン)を垂らした中に、恭しく飾られている宝飾細工の『魔法のランプ』。傍に、ランプの燃料となるオリーブオイルを保管するための……精緻な退魔紋様つきの油壺。

最小限のクッションのみの、それでも贅沢なソファとベッド。

ベッド前の壁には、聖火紋章が彫り込まれた芸術的な額縁を持つ、ビックリするような大きさの全身鏡。

古代『精霊魔法文明』遺跡からの発掘物を転用した、「失われた高度技術」品だ。

神官には色々な特権があり、古代遺跡から発掘された鏡などといった文物の先取りも、そのひとつ。

いっさい湾曲していない見事な平面鏡。傍目にも、古代《精霊魔法文明》の伝説の逸品、大型の反射式望遠鏡のパーツであっただろう、と知れる。

だが、それは望遠鏡に使うにしてはズレている形と大きさで、微小ながら傷と変色がある。 精密な天体観測が要求される神殿の天文台では、不要とされ……相応の額縁を追加されたうえで、ハシャヤル氏まで流れて来た品だと思われる。

全身鏡の前で、ハシャヤル氏とギュネシア奥さんが夜の夫婦生活をしていたのかと思うと、何やら、ジワジワ来る物がある。

この部屋の雰囲気から察するに、ハシャヤル氏は、ケチケチしているうえに、ナルシストだったらしい。或いは、汚職に手を出しているという自覚がある分、身だしなみに気を付けていたのか……

アルジーは、いつしか、思いつくままに呟いていた。

「二重帳簿とか、ヤバイ文書を隠すとしたら何処だろう……工事現場の横領好きの監督さんは、昼寝サボり用のソファの下に隠してたけど。全身鏡の裏、とか?」

子猫の火吹きネコマタが、壁掛けの全身鏡に接近して、鼻をクンクンする。そして、すぐに。

「ニャー(発見)!」

「アタリか……」

濃紺の覆面ターバン青年が、呆れたように金色の目をパチパチしていた。アルジーを抱えたままだから、火吹きネコマタの《精霊語》が、バッチリ通じていたようだ。

赤毛スタッフ青年クバルが早速、全身鏡の裏に手を突っ込む。

「あった」

出て来たのは、紙束を綴り合わせた自作の帳簿のようなものだ。かなり枚数がある。

クバル青年が素早く、パラパラと目を通す。

「二重帳簿じゃないけど、横領した品と横領した状況を逐一、記録してあるっす。これは凄い。汚職に関係した者の名前、ズラズラ列記して……」

「日記か! 長居は無用だ、すぐに調査に回す。今夜にでも――」

「ちょっと待て……最後のページ、ハシャヤル死亡日の前日だ。重要なことが書いてあるっすね」

クバル青年が、ハシャヤル日記を開いて提示して来た……こちらにも見えるように。

…………

明日『瞑想の塔』で、落ち着いて考えて、結論を出したい。例の件で、本当に取り返しのつかない恐ろしい結果を引き起こしているとしたら。 力強き聖火の輝きが、消えるようなことがあるとしたら。

あの夜に私が拾った、忌まわしき《怪物王ジャバ》紋章。これは重大な事実を暗示している。あの夜に見た怪異も気になるのだ。 あの夜、偶然にしてトルジン様の手から渡っていった大きな黒ダイヤモンドは、間違いなく、990人目の生贄の儀式に使われたに違いない。古文書に記録されていた通りに。

おぉ闇を照らす高き聖火よ、いとも輝く恵み深き生命を与える炎よ、何という事だろう。

新しく帝都から到着した官報を閲覧する限りでは、この時点、忌まわしき《怪物王ジャバ》への生贄となった犠牲者は、1000人にも達している筈だ。 忌まわしき奴らは、遠からず、1001人目の生贄を――古代《精霊語》で言う『夜と昼』を――捧げるのだろう。

あの夜から恐ろしくて眠れない。「千と一つの夜と昼」が到来する瞬間への悪夢が、恐怖が消えない。

聖火を奉じる聖職に連なる者の義務として、前・魔導大臣フィーボル猊下に速やかに話を持って行くべきなのだろう。

かのフィーボル猊下が、今まさに、東帝城砦にいらっしゃる。

かつて禁術にも手を染めたと言う不穏な事件や、数々の暗殺教団の運営など黒い事件も聞く怪奇な御方であり、 それが理由で名だたる帝都宮廷の有力者たちと口論になって、魔導大臣の職を電撃的に解任されたという。

だが、私が1年以上かけて綿密に調べた限りでは、いずれも確たる証拠は無い。 いまや老獪な魔導士くずれ、恐るべき邪霊使いと噂されるフィーボル猊下のことであるから、証拠隠滅がそれほど巧みであったという可能性もあるが、かの博識と技量は本物である。

これを時の幸運と言わずして何であろう。私の手は感動に震えている。《怪物王ジャバ》再臨を食い止めるほどの力量を持つ強大な魔導士は、 現・魔導大臣ザドフィク猊下と、前・魔導大臣フィーボル猊下をおいて他には無い。

最初からそうするべきなのだが、まだ迷いがある。『瞑想の塔』で、私は決断しなければならない。

先輩に報告したうえで、いずれはザドフィク猊下に直訴するべきだが……まず最初に、ここ東帝城砦にいらっしゃるフィーボル猊下に相談するのだ。

…………

……『あの夜』。

それは、2年ほど前の、あの婚礼の夜の事だろうか。あの夜、同時に、どういう怪異が起きていたと言うのか。

アルジーの中で、不吉な直感のカタマリが渦を巻き出した。

白文鳥《精霊鳥》パルが「ピピッ」と鋭く鳴く。

外を飛び回っていた白文鳥コルファンとナヴィールも、焦ったように窓ガラスに降りて来て、薔薇色のクチバシで、コツコツ突き始めた。

「誰か来る」

「さっさとズラかるっすよ」

「え、誰が来てるのか、確認は?」

アルジーが思わず、ささやく。

別人のようになったクバル青年が、それでもクバル青年らしく、律義に返して来た。

「どうでも良い。ギュネシア奥さんでさえ存在を知らなかったブツ、盗難と認識される事は無い。それよりもっと重要な事実がある」

「重要な?」

子猫の火吹きネコマタや、白文鳥《精霊鳥》たちの先導で、再び裏道へと飛び込みつつ……

濃紺の覆面ターバン青年が口を挟んだ。相変わらずアルジーをシッカリと抱えたまま。

「ハシャヤル氏は口封じで殺されたと言う事だな。《怪物王ジャバ》への1001人目の生贄、すなわち『千と一つの夜と昼』の到来を防ぐべく、 魔導士フィーボル猊下に報告する前に。『先輩』というのが誰なのかも気になるが、速攻、割り出してやる」

……沈黙が横たわる。

真相に急接近した。

でも同時に、母シェイエラ姫を呪殺した敵も、近付いて来た。何のためらいも無く、ジン=イフリート《魔導陣》を使うような敵が。

オババの遺言書に書かれていた警告が、思い出される。

――この『死の呪い』を扱えるのは、ろくでもない禁術に手を出した魔導士のみだが、誰なのかは分からない。隠密の魔導士すら見かけてなかったからね――

――ただ、《魔導陣》や《魔導札》の運び屋が、母君や姫さんの身体に接触したのは確かだ。そいつは、すぐ近くに居て虎視眈々と狙っている筈だ。気を付けるんだよ――

黒幕は……敵は誰だ。

故ハシャヤル氏の、『先輩』か。

それとも、いま此処に居るという、邪悪にして老獪だと言われている魔導士……前・魔導大臣『フィーボル猊下』か。

……

…………

アルジーの脳みそは、不意に命の危険を感じたがゆえの、すさまじい勢いで回転し始めていた。死の間際に人間は、ものすごい勢いで全ての記憶を思い出すと言うけれど、まさに、それ。

怪物王への1001人目の生贄――『千と一つの夜と昼』。

無名詩人カビーカジュによる、謎の四行詩。

――千と一つの夜と昼 すべての星が落ちる時
天の果て地の限り やよ逆しまに走れ 両大河(ユーラ・ターラー)
千尋の海の底までも あまねく統(す)べるは 闇と銀月
三ツ辻に 望みを捨てよ 巌根(いわね)ひとつを ともにして――

全身に生贄《魔導陣》を刻まれ、1001日の命の期限が到来する前に生命力を奪われ……暗い金色の炎をした闇に呑み込まれていった母シェイエラ姫。

地獄の底で巨大な怪物がうめいているような……古代めいた《精霊語》が、あの時、暗い金色の炎の中から、確かに響いて来ていた。

――『九百の夜と昼』。

母シェイエラ姫は、《怪物王ジャバ》への、900人目の生贄だったのか。

では、1000人目の生贄は誰か。

つい先日の夜、謎の魔導士らしき『毛深族』の人物と、黄金の巨人戦士『邪眼のザムバ』とが、それっぽい怪しい会話をした……と言う。

白茶ヒゲ代筆屋ギヴ爺(じい)が自慢の鬼耳で捉えて、伝えて来ていた。

――「黒衣の魔導士モドキ《骸骨剣士》仮面から、何らかの指示を受け取ったようじゃな。ワシの自慢の鬼耳は、『千の夜が到来した。その邪眼を開け』という謎の命令を捉えたがのう」

町角の占い屋ティーナが……もうひとつの怪奇趣味の賭場は、宮殿の聖火礼拝堂のほうにあるらしい――と教えてくれた。

それに『邪眼のザムバ』は、以前から怪奇な噂があった。聖火礼拝堂の地下から、夜な夜な両手を血だらけにして出て来て、徘徊している……という噂だ。

では、あの怪人・邪霊使いによる襲撃のあった夜……謎の『毛深族』魔導士らしき人物から指示を受けた『邪眼のザムバ』は、《怪物王ジャバ》への生贄の儀式を遂行して、両手を血だらけにしたのだろうか。

……1000人目の生贄は、すでに捧げられてしまったのか?

だとしたら、古代に封印された伝説の大邪霊、三つ首の《怪物王ジャバ》を、完全に復活させる――とされる、1001人目の生贄は……

……

…………

寒くは無いのに。

いつしか、アルジーの全身に、鳥肌が立っていた……

■12■かくして、逢魔が時は始まれり

不思議に人慣れしている子猫の火吹きネコマタと、白文鳥《精霊鳥》4羽を伴って、アルジーと2人の青年が、ハシャヤル邸に押し入っていた頃……

あれよあれよという間に、著名な店が並ぶ目抜き通り全体に、パニックが広がっていた。文房具店『アルフ・ライラ』が、突如、爆発炎上した事件による影響だ。

その騒乱と動揺は、早くも東方総督の住まう宮殿へと伝染してゆく。

何故なら、次は何処が爆発炎上するのか、ひいては、どの街区が爆発炎上するのか分からない――という恐怖があるからだ。 既に聖火神殿で、謎のジン=イフリート《魔導札》による凄惨な爆発炎上事件が起きている。しかも明らかに、殺人と思われる事件が。

トルーラン将軍と御曹司トルジンの前で、取り巻きの臣下たちが混乱して口々に疑惑を叫んでいた。

「最近、帝都を荒らし回ったという謎の暗殺教団が、東帝城砦までやって来たのか?」

「シュクラ・カスバ反乱軍が、東帝城砦へ《魔導》攻撃を仕掛けるべく「魔導士くずれ」を大量にそろえて、大掛かりな市街戦に持ち込もうとしているのか?」

東帝城砦を警備する衛兵の数が激減していた事も、混乱に拍車をかけていた。事態を確認するための人手が足りず、正確な情報が宮殿まで上がってこない。

混乱したトルジン親衛隊のひとりが、宮殿の塔に登って、『戒厳令』の鐘を叩き始め……東帝城砦の城門が閉じられていく。

辺り一帯に混乱が広がったのを好機として、あちこちの陰に身を潜めていたコソ泥、スリ、通り魔、空き巣、ゴロツキ邪霊《骸骨剣士》といったならず者たちが一斉に飛び出し、被害が始まっていた……

……

…………

帝国伝書局・市場(バザール)出張所の前でも、通りすがりの強盗が出現していた。

数々の皿や杯、日常使いの食器を籠に入れて運んでいた行商人の夫婦が、強盗に首根っこをつかまれそうになって、市場(バザール)出張所の前へ駈け込んで来たのだった。

「助けてくれ!」

その声に応えて、帝国伝書局・市場(バザール)出張所の入り口から、巨漢が1人、素早く飛び出して来た。 モッサァ赤ヒゲ熊男、バーツ所長だ。『毛深族』独特の毛深い手で、三日月刀(シャムシール)を勢いよく振り回す。

堂々とした大きさの三日月刀(シャムシール)を食らい、強盗のターバン頭が『ゴン』と音を立てた。

いましも短刀を振り上げて夫婦を害しようとしていた強盗は。

舞台巡業の軽業師か何かのように、人の背丈よりも高い空中を一回転して……吹っ飛んでいった。

会心の一撃。

その様を目撃した代筆の依頼人たちは唖然、呆然だ。

強盗に襲われかけていた行商人の夫婦も。

本物の熊のように満足のうなり声を上げつつ、モッサァ赤ヒゲ熊男バーツ所長は、残心の姿勢を取っていた。

「死にゃしねぇ、そっと峰打ちしただけだ」

「バーツ所長さんの言う『そっと』は、目の前で起きていた出来事とは、巨大なズレがあると思うが」

「んだんだ」

吹っ飛んでいった先でゴロリと横たわった強盗は、目を回したままピクリとも動かない。その顔面には、驚きの表情が張り付いている。

金髪ミドル代筆屋ウムトと白茶ヒゲ代筆屋ギヴ爺(じい)が、早速、羽ペンを使って強盗の身体をつついたり、くすぐったりし始めた。

「おでこから血を流して失神しているぞよ」

「この不届き者のツラに『この男は強盗である』と書いて区壁に吊るしとくかよぉ。『強盗どもは来るな』って脅しにもなる」

商館から来ていた依頼人たちが、目をパチクリさせながらも、金髪ミドル代筆屋ウムトと白茶ヒゲ代筆屋ギヴ爺(じい)に協力して、強盗を縛り上げる。

「そう言えば、あの骸骨顔のヒョロヒョロ代筆屋、黒インクの買い出しに行ってたが、大丈夫なのか? さっき文房具店『アルフ・ライラ』が爆発炎上したそうだが」

依頼人のひとりが首を傾げた。

モッサァ赤ヒゲ熊男バーツ所長は三日月刀(シャムシール)を鞘に戻しながらも、ブツブツ呟く。

「金融商オッサンのとこの、赤毛クバル君が居る。ありゃ食えねえ若者だ。その気になって観察してみたんだが、全然スキが無い。退魔対応の傭兵なんかより、もっと上だ。 巨大化した三つ首《人食鬼(グール)》をひとりで倒せる奴だぞ、あれは」

「そんなの雇えるなんて、あのガメツイ金融商オッサン、一体なにもの?」

「逆かも知れねえぞ、案外」

次の瞬間。

戒厳令の鐘が響き渡っていた昼下がり、東帝城砦の城下町じゅうに、新たな衝撃と大音響がとどろき渡った。

天地を揺るがす壮大な爆音の連続、そこらじゅうの建物がビリビリ震えるほどの轟音。

一転にわかにかき曇り……と言ってもおかしくない程の、モウモウとした黒煙が上空をよぎってゆく。

「何じゃ、何じゃ!」

大音響の発生源は西のほうの城壁。

城壁の外側で……唖然となるほどの、巨人の形をした火のジン=イフリートが立ち上がっていた。

商館スタッフが浮足立ち、その中の若いのが、無人の見張り塔へと駆け上がって行った。

「西の城門で火の手が上がってるぞ! ありゃ何だ、ありゃ帝国軍の印が付いてるジン=イフリートが、ゾロゾロと……!」

「何で帝国軍が、東帝城砦の城門を破るんだ! 何で帝国軍が来てるんだ!」

その疑問に答えるかのように、《魔導》拡声器による大声が響きわたる。

『偉大なる帝国第一皇女陛下サフランドット姫の命により、東帝城砦を包囲するものである。国家背任罪および横領罪の成立せし東方総督トルーラン将軍に告げる。 即刻、無駄な抵抗を止めて投降せよ。そして、ここ12年分の国税の未納分を、ただちに納付すること確約せよ。 さもなくば国家内乱予備罪に切り替え、その身柄の拘束および資産の差し押さえ、ここに強制執行するものである』

その内容を理解した商館スタッフたちは、再び唖然、呆然だ。

「第一皇女サフランドット姫? ほとんど女帝陛下じゃねぇか。確か宰相の新しいのが旦那さんで」

金髪ミドル代筆屋ウムトが、迷彩柄の赤茶色ターバンをガシガシとやる。

「帝国の国庫に響く規模の税収の中抜き、バレたってことかよぉ。あのトルーラン将軍、調子に乗って東方総督の権限を濫用しまくって、東方諸国すべての城砦(カスバ)に手を突っ込んで、 生かさず殺さず苛斂誅求だの経済封鎖だの関税だの、銭ゲバやってたからよぉ」

モッサァ赤ヒゲ熊男バーツ所長が思案顔をして、モサモサ赤ヒゲをしごき始めた。

「帝国軍を派遣して『ちゃんと税金を払え』って取り立てに来たってんなら、トルーラン将軍の野郎、焦って戒厳令の合図の鐘を鳴らして城門を閉じるんじゃ無かったな。 ありゃ東方総督トルーラン将軍に国家反乱罪ガッツリ適用して、この城砦(カスバ)を攻略、制圧して来るぞ」

亀の甲より年の劫というべきなのか、最高齢の白茶ヒゲ代筆屋ギヴ爺(じい)の判断は早かった。

「こりゃ攻城戦じゃのう。ささ、皆の衆、この街区への入り口を閉鎖して、戒厳令が終わるまで引きこもるんじゃよ。 街区ごとの聖火祠の中にある『魔法のランプ』をシッカリ固定して、聖別されてる油を切らすなよ」

そう言っている間にも、ゴロツキ邪霊《骸骨剣士》が入り口に湧いて来た。混乱の気配は、彼らの大好物だ。

うなりを上げる《骸骨剣士》の三日月刀(シャムシール)。

物陰からいきなり出現した《骸骨剣士》の一団に、驚き慌てる商館スタッフ。

「ぎゃあ!?」

「言わんこっちゃないのう、そりゃッ」

慌てず騒がず、シュバッと『退魔調伏』御札を飛ばす、最高齢の代筆屋である。

白茶ヒゲ代筆屋ギヴ爺(じい)は、すでに先祖譲りの鬼耳でもって、ゴロツキ邪霊の接近を捉えていたのだった。

*****

赤毛スタッフ青年クバルと、謎の濃紺の覆面ターバン青年は、アルジーを金融商オッサンの店に担ぎ込んだ。

そして、戒厳令の鐘が鳴り響いている昼下がり、混乱が拡大している市場(バザール)の何処かへと、走り去って行った。

――何故か、子猫の火吹きネコマタと共に。

市場(バザール)の通りは、緊急出動して来た騎馬姿の衛兵や、魔導士や神官の姿でいっぱいだ。

治安の混乱と崩壊を感じ取ったのか、ゾロゾロと表通りに湧き出て来るゴロツキ邪霊《骸骨剣士》の群れがある。先走った《骸骨剣士》たちの群れは、 いっぽうでは逃げ遅れた人々を襲い、いっぽうでは次々に『退魔調伏』御札を貼り付けられ、成敗されているところだ。

金融商オッサンは、ふたりの青年の突飛な行動の理由を熟知している様子で……何も言わず、疑問と恐縮でいっぱいのアルジーを引き取ったのだった。

店頭カウンターには、すでに、聖別された油を満たした古式ゆかしき『魔法のランプ』が用意されていた。邪霊を寄せ付けないための小道具である。

やがて、金融商オッサンは言葉を継いだ。アルジーの焼け焦げた衣服を眺めつつ。

「目抜き通りの文房具店『アルフ・ライラ』爆発炎上に巻き込まれたとか。ご無事で大変ようございました。お得意様も安堵されるかと存じます」

「お得意様?」

「体調を崩されて、別室にて静養いただいております。おぉ、ちょうど良いところでしたな。シュクラの方ですし、顔をお見せいただければ」

金融商オッサンは早速アルジーを案内して、中庭を通過し……幾何学的格子の装飾の付いた仕切り扉を開く。

「もしもし、入りますよ」

そこは、以前、アルジーが体調を崩して休んでいたこともある別室だった。中庭を通る風が入って来る、快適な部屋のひとつ。

ソファを兼ねた寝台に横たわっていたのは、年配のシュクラ人の男タヴィスであった。かつて、シュクラ宮廷の侍従長であったという人物。

白髪混ざりの淡い茶髪をしたシニア世代の男は、ここ数日の極度の疲労でやつれた様子であったが……アルジーの姿に気付くや、ハッと息を呑んで、身を起こしたのだった。

「これは、アリージュ姫」

「いいから、そのまま」

寝台から降りて折り目正しい一礼をしようとするタヴィスを、アルジーは慌てて押しとどめたのだった。 体調の衰えたオババ殿を寝台に戻したことは数知れず、その経験でもって、スムーズにタヴィスを寝台に戻す。

金融商オッサンが目をパチパチさせ、長衣(カフタン)の袖に包まれた手を、表敬の形で組み合わせていた。

「シュクラの人々への労役の報酬を確保されたり、タヴィス殿の解放に尽力されたり、慈悲深い王女様でいらっしゃいますな」

「いや、何もしてないし、出来なかったけど」

「聖火礼拝堂の受付所へ出張している知り合いの神殿役人が、目撃しておりましたのです。早朝から神殿役人ゾルハン殿に掛け合ってらっしゃるところを。 その件が神殿の調査官や魔導士の耳に入ったそうで。ゾルハン殿は、タヴィス殿の直接の知り合いとして、ただちに、タヴィス殿の当日の行動を調査官たちに説明することになったとか」

――経理担当の神殿役人ゾルハンは、上手に説明してくれたに違いない。細かく神経質な正確さでもって。

戸惑ってターバンの端を引っ張りつつ、アルジーは呟いた。

「それだったら、ゾルハンさんのお蔭かも」

アルジーのターバンの上で、白文鳥《精霊鳥》パルとアリージュが、「ぴぴぃ」と、さえずった……

一区切りつけ。

端々が焼け焦げた衣服を着替え――相変わらず男装姿である――再び、金融商オッサンと共に、タヴィスの部屋を訪れたアルジー。不意に思い出した事があったのだ。

外は戒厳令が敷かれており、行き交う衛兵たちで物々しい雰囲気である。時折、聞こえて来る爆発音などから察するに、城壁を挟んで攻防戦がつづいている様子だ。 どのみち非戦闘員である一般庶民は、外出は難しい。

――シュクラ第一王女アリージュ姫として、従兄(あに)ユージド王太子と共に宮廷社交の場に出ていれば、 帝都の有力者たちの微妙な動きなどといった方面の機密情報をつかめただろうが……

民間の代筆屋としてのアルジーにとっては、どうやって、このような事態に至ったのかは謎だ。

東方総督という地位を濫用して、12年に渡って延々とつづけた越権行為が、帝都の有力者の面々をいたく怒らせたのは確かだろう。特に国庫を預かる宰相や関係する皇族、とりわけ財政を担当する重臣たちを。

……「国税をちゃんと納付しろ」という理由で、トルーラン将軍の住まう東帝城砦が帝国軍に包囲される羽目になったのは、驚くには値しない。

脱税の金額は、天文学的なまでの巨額になっている筈だ。いままで罪に問われなかったほうが、不思議なくらい。

そして、がめつさ極まるトルーラン将軍が、利権を手放したくない一心で、帝国軍に抵抗することを決めたのも驚くには値しない。

トルーラン将軍にしてみれば。帝国軍を追い返し、あるいは撃破したうえで。

お得意の賄賂でもって、帝国を本当に転覆する勢いで……道理をねじ曲げれば良いのだ。

トルーラン将軍を後援する帝都の有力者が居る限り、トルーラン将軍は、これまで通り権勢を維持しつづけるだろう……

お茶と軽食をつまみつつ、相談を始める。

「具合の悪い時で申し訳ないけど、タヴィスさん」

「お気遣いなく、アリージュ姫。シュクラ・カスバの事でございましょうか?」

「うん、そう。いろいろ落ち着いたら、帝都大市場(グランド・バザール)で、辺境の城砦(カスバ)がやっているような店舗を持って、シュクラ特産の絹織物とか扱うのはどうかと思って。 『シュクラ・カスバ』の収入……財務の足しになると思うんだけど、シュクラの人たちがどう思うかは、私には分からないから」

「帝都大市場(グランド・バザール)に店舗を持つのは、現在の我々シュクラの立場としては、願ったりかなったりかと存じます」

タヴィスは穏やかに相槌を打ちながら、耳を傾けて来ていた。

その穏やかな雰囲気に促され、アルジーはポツポツと言葉を継ぐ。

「昔のように、独立国としてシュクラ王国が復活するなら……というのも考えたんだけど。でも、そうなっても、私には女王とかは無理。 ユージドお従兄(にい)様が生きて見つかったら、補佐くらいならできると思う。シュクラ王国を再興するなら、タヴィスさんとか、それなりの誰かが、王という事で良いと思うし」

「姫は女王としても立派におやりになれると思いますが、何故に無理だとお思いに?」

「んーと……病気だし」

――我ながら取ってつけたような不自然な理由を言ってしまったと思うが。

さすがに、《怪物王ジャバ》の生贄の呪いが掛かっていて、いつまで生きていられるか分からないから、とは言えない。

アルジーは少し考え……不意に気付くところがあって、首をコテン、と傾けた。

困惑の気分になりながらも、付け加える。

「ほとんど忘れてた。私、人妻だったね。トルジンの13番目のハーレム妻。トルーラン将軍が逮捕されたら、連座制で、御曹司トルジンと一緒に裁判所まで行くかも。 あの意味不明な別荘工事も、アリージュ姫の名前でやってるし」

「はぁ、確かに」

「聞くところによれば、聖火神殿の精霊契約により……でしたな」

タヴィスと金融商オッサンは、両者ともに新たに頭痛が始まった様子で、ちょっと額を押さえていたのだった。

*****

午後の後半を過ぎ、日没の刻が近い。

東帝城砦の西側で進行中の――城門と城壁をはさんだ攻防戦は、激化の一途をたどっていた。

未納の国税を差し押さえようと包囲して来た帝国軍と、いまや反乱軍となった東方総督トルーラン将軍の私軍。

双方の陣営のそれぞれの《魔導陣》から召喚された《火の精霊》ジン=イフリートが、その巨大な体躯と、火力の大きさとを競っている状態だ。城下町全体に、大きな爆発音が間断なく轟いている。

トルーラン将軍は『将軍』という役職を務めるだけのことはあるのか、東帝城砦を包囲した帝国軍に対して、意外に――真面目なくらいに――しぶとく抗戦をつづけている。

全体としては、戦況は膠着状態だ。

双方の邪霊使いが、おびただしい邪霊害獣を次々に投入している。 城壁の上を、黄金色の魔性の炎に燃える《三つ首ネズミ》や《三つ首コウモリ》、黄金の三日月刀(シャムシール)を振り回す《骸骨剣士》が走っていた。

城壁の上で燃えている数々の『魔法のランプ』の火は、聖別された油を使っているものだ。

双方の退魔対応の衛兵や戦士に追い詰められ、うっかり、その『魔法のランプ』の火に触れた邪霊害獣は……見る間に浄化され、不活性の熱砂と化してゆく。

――気のせいかも知れないけど、トルーラン将軍の側の邪霊使いのほうが、強大な力を持っているようだ。

何度目になるのか、数はもう忘れた。アルジーは屋根の上に設けられていた展望台にのぼり、再び望遠鏡をのぞく。

市場(バザール)のあちこちの屋根の上で、アルジーと同じように、ピリピリしながら戦況をうかがっている商人たちや商人スタッフたちが居た。 夜に入って邪霊害獣の動向が激変するような事があれば、最悪、市街戦だ。それに備えて、『魔法のランプ』の数を倍増しなければならない……退魔対応の松明も。

不意に。

相棒の白文鳥《精霊鳥》パルが、慌てたように跳ねまわり始めた。

「パル?」

振り返ると。

夕暮れ空の中、攻城戦の場とは別の、オアシス側の城門のほうから近づいて来る小さな影……望遠鏡を向けると、白文鳥2羽、こちらへ飛んで来るのが見えた。

新しい馴染みの白文鳥《精霊鳥》コルファンと、ナヴィール。

「どうしたの?」

パル、コルファン、ナヴィール、3羽の白文鳥は、真っ白な団子三兄弟よろしく並んで、懸念をさえずり始めた。

『城壁のとこにある桑林の塔が大変なの』

『はぐれ《三つ首コウモリ》が、魔除けの吊りランプをかじって落としてしまったの。《三つ首コウモリ》は叩き出して、近くに居た神官さんが調伏してくれたけど、 吊りランプの落下に気付いてくれなかった』

『吊りランプを元の位置に吊るすのは、人の手じゃ無いと、できない。これから夜が始まるし、邪霊害獣がみんな増強してしまう。三つ首《人食鬼(グール)》も出て来る、ピッ』

城壁に沿っている桑林の魔除けに穴ができたら、そこから三つ首《人食鬼(グール)》が侵入する恐れがある。

アルジーは、全身が恐怖に凍るのを覚えた。

7歳かそこら――アリージュ姫だった頃、背の高い護衛に肩車してもらって、チラリと目撃した悪夢のような光景が記憶によみがえって来る。

――国境から押し寄せて来た、巨大化した三つ首《人食鬼(グール)》の大群。

険しい岩山や滝の激流、濃い雲霧によって守られていた国境地帯……わずかに通行可能な交易用の峡谷の道において、魔除けの備えは、完璧の筈だった。

山道に沿って整備した鎖場があり、そこに、《精霊石》を詰めるタイプの吊りランプを、一定距離でズラズラと取り付けてあった。魔除けと夜間照明を兼ねたものだ。 あの時期は、三つ首《人食鬼(グール)》の出現が不自然に増えたこともあり、オリクト・カスバから贈呈された大量の《精霊石》を詰めていた……

自然に落ちたのか、誰かが故意に落としたのかは不明だが……その吊りランプの列が、いつの間にか一箇所でゴッソリと失われていた。

そこから、巨大化した三つ首《人食鬼(グール)》の大群が出て来たのは、あっと言う間だった。

第一発見者だった護衛とアリージュ姫が無事だったのは、鷹匠だった父親が、大柄な護衛よりもずっと大きな白ワシ《精霊鳥》を飛ばして、 目に付く限りの三つ首《人食鬼(グール)》を狩り、退魔調伏したからだ。

ついでに、その白ワシ《精霊鳥》は、アリージュ姫の身体を捉えて、安全なシュクラ王宮まで運んで行った……その頃、母親シェイエラ姫は、 原因の分からない謎の体調不良が始まっていて、宮廷霊媒師オババ殿が常駐しているシュクラ王宮の奥で静養しているところだった。

――あの白ワシ《精霊鳥》の種族ほど大きくないと、巨大化した三つ首《人食鬼(グール)》に対応するのは難しいと聞く。《精霊象》や《精霊亀》にしても、似たようなもの。

そして東帝城砦には、それほどの大型の白ワシ《精霊鳥》を扱える有力な鷹匠は居ない。

帝国軍になら居るかも知れないが……大型の《精霊象》や《精霊亀》を使う「象使い」や「亀使い」たちも。

だが、とりわけ三つ首《人食鬼(グール)》に関する限り、曖昧な希望に賭けるほど愚かな事は無い。まして今は、双方ともにエスカレートする攻城戦の真っ最中だ。

――行かなきゃいけないのは、理解できる。でも、怖い。

トルジン親衛隊の面々も、攻防戦に参戦している筈だ。テラテラ黄金肌の巨人戦士『邪眼のザムバ』と、かち合ったら……

あの時のように、説明のつかない失神が襲ってきたら? そして邪霊害獣に、そのまま襲われたら……

次にアルジーの脳裏に浮かんだのは、あの妙に頼りがいのある、ごま塩頭の番頭だ。

『ば、番頭さんは? 番頭さんは何処で何を……?』

『帝国軍の所属の鷹匠。あの人、退役軍人してるけど、特別に呼び出されて、帝国軍の鷹匠の仲間と一緒に大型の白ワシと白タカをいっぱい使って、 砂漠から湧いて来てる大型《人食鬼(グール)》の群れを食い止めてるところだよ、ピッ』

……いまは亡き父親、鷹匠エズィールと同じだ。同じ立場の人。

白タカ《精霊鳥》シャールが、妙に番頭に慣れていたのも納得できる。秘密口座の連携に関して、シュクラ・カスバへ極秘の秘密通信を送ったのは……きっと、番頭だ。

『帝国軍の、鷹匠の仲間って?』

『あ、言うの忘れてた、アリージュ。白鷹騎士団だよ。今回、帝国軍に加わって、東帝城砦を包囲してる』

いまは亡き父・鷹匠エズィールも、シュクラ王国に来て母・シェイエラ姫と結婚する前は、白鷹騎士団の団員だったと聞いたことがある。

――あのごま塩頭の番頭は、帝都に居た頃の、父の同僚だった人に違いない。オババ殿も帝都に居た時があったと言うから、その頃から直接の、慎重なやり取りもあった筈だ。オババ殿が、連絡を付ける筈だ!

思い出してみれば、馬の扱いが不思議に上手だった。元・騎士団の人なら納得だ。《精霊語》に巧みだったのも――白タカ・白ワシ《精霊鳥》を扱う鷹匠としての技能。

アルジーはグルグルと混乱しながらも、立ち上がっていた。

恐怖よりも混乱のほうが大きい。

そうで無ければ、恐怖にへたり込んだまま動けなかったに違いない。

『行かなくちゃ』

『絶対に安全な秘密の道を行くよ。大丈夫だよ、ピッ』

白文鳥《精霊鳥》パルが自信タップリに宣言していたが……アルジーは、もはや足元の感覚が無い。

屋上から中庭へと、階段を降りる。

金融商オッサンとタヴィスは、別室のほうで、長い相談の真っ最中だ。

早い夕食が終わったいま、金融商オッサンの店の中は、シンと静か。厨房のほうで夕食の準備中らしい数人のスタッフの気配。 そのほかは、表通りに面するカウンターの方で、いつだったかの隊商(キャラバン)の傭兵団から引き抜いた2名が、警備しているのみだ。

日没が近い。夜は一気に気温が下がる。

アルジーは習慣で、機械的に防寒用の外套をまとった。そして、これまた機械的に、肩から下げるいつもの荷物袋も。代筆屋の仕事道具を詰めたもの。

『7枚羽、7枚羽!』

『水晶玉!』

白文鳥《精霊鳥》コルファンとナヴィールが、不意に思いついたというように、奥の間の鍵付き書棚へと飛んでいった。続いて、パルも。

『アリージュ、アリージュ《白羽の水晶玉》持って。道中安全の御守りだよ、ピッ』

見事な織りの絹の紗幕の間に、厳重に施錠された鍵付き書棚が佇んでいた。その扉を封印している錠前は、《地の精霊》の守護の力を帯びて、黒光りしている。

『この鍵付き書棚、黒ダイヤモンドの《魔法の鍵》のヤツだよ? 店主さんのマスターキーが無いと』

『アリージュは白孔雀の《魔法の鍵》持ってるから、それで開錠できるよ』

相棒の白文鳥《精霊鳥》パルは「ピッ」とさえずるなり、アルジーの荷物袋の中に飛び込んだ。慌てて荷物袋を開くアルジー。

パルがクチバシで挟んで取り出したのは、白孔雀の尾羽を細工した『失われし高度技術』による古代の羽ペンだ。『精霊雑貨よろず買取屋』で、大きな火吹きネコマタから譲り受けたもの。

アルジーは白い羽ペンを受け取り、ためつすがめつ。

『これ羽ペンであって、鍵では無いよ?』

『古代のハサンの、白孔雀の《魔法の鍵》が、それだよ』

『変人の魔法使いハサンの? 変な魔法で金庫を次々に空っぽにした「貧乏神ハサン」……?』

『本当は少し、すごく違うけど、だいたい、そうだよ。ピッ』

――伝説というのは、何処かで予期せぬ変更が入ったりするものらしい。白タカ《精霊鳥》シャールいわく『伝言の内容が、出発点と終着点とで食い違っているのは、よく有ること』。

オババ殿から教わった中に、こういう場合にどうするかというの、あっただろうか。

黒ダイヤモンド《精霊石》――精霊の玉座。邪霊仕様の荘厳を施せば、邪霊の玉座にもなり。《地霊王の玉座》……いやいや、あれは幻の世界最大の山脈の別名だった。

パルは再び荷物袋の中でゴソゴソと動き、ブランクの紅白の御札を取り出した。助け舟を出すかように「ぴぴぃ」と、さえずる。

『開けゴマ《精霊文字》だよ、アリージュ』

分厚い紗幕(カーテン)がパッと開いたかのように、アルジーの記憶の扉が開いた。小さい頃、寝る前に聞いた幾つもの物語の中にあった、『流転の玉座』の伝説。

アルジーは半信半疑になりながらも……白孔雀の羽ペンに赤インクを詰め、ブランクの紅白の御札に《精霊文字》を綴った。

――『孔雀の玉座いま来たれり、開けゴマ』

文字の入った紅白の御札を、中庭の噴水の水に浸す。この噴水は、オアシスから水を引いている。すなわち、ユーラ河の水源から来た水の筈だ。

紅白の御札は、水の中に溶ける代わりに……白く輝きながら形を変え。古代アンティーク風の白い鍵に変身して行ったのだった。

初めて見る現象にドキドキしながらも、噴水の水の中に漂う、その白い鍵を……そっと取り出す。

「雪花石膏(アラバスター)で出来てるみたいな感じだね?」

不思議な恐れを感じるままに、ささやくように呟く。

水の中から取り出した鍵はあまりにも軽く、現実的な素材としての重みを感じない。シッカリつかんでいないと、何処かへ浮遊して行きそうだ……無害な邪霊の毛玉ケサランパサランのように。

白い鍵の持ち手の側に、白孔雀の尾羽がくっついていた。なるほど白孔雀の《魔法の鍵》だ。

アルジーは書棚に近寄った。六角形に成形された金属製の錠前が取り付けられてある。その真ん中に鍵穴。白い鍵を突っ込み、手ごたえが来たところで、クルリと回す。

――カシャン。

「ひ、開いた……」

パタリと開いた鍵付き書棚の戸板を見つめ、アルジーが呆然と震えているうちにも……

『黒ダイヤモンド《魔法の鍵》解呪は、少しの時間しか続かないから、早く《白羽の水晶玉》を探すよ、ピッ』

『ガッテン』

……白文鳥《精霊鳥》コルファンとナヴィールが、パルと共に、鍵付き書棚の中をゴソゴソ動き回ったのだった。 アルジーのターバンの中に挟まっていた白文鳥アリージュも、お目目パッチリ状態でピョコピョコ動いている。

幸いにして、金融商オッサンは整理整頓の上手な人であった。

すぐに《白羽の水晶玉》が見つかった。シュクラ産の天鵞絨(ビロード)の袋の中に。

黙って持ち出すのは、さすがに気が引ける。

アルジーは別の普通紙を取り出し……置手紙を差し込んだ。

――「城壁の桑林にある魔除けの吊りランプが《三つ首コウモリ》にかじられて落ちたとのことで、魔除けの穴を塞ぎにゆきます。道中安全の御守りとして《白羽の水晶玉》をお借りします。アリージュより」

ふと、気付く。

いつか見た、黒い柄の三日月刀(シャムシール)と剣帯は……すでに持ち出されたのか、そこには無い。

あれだけ強力な、臨戦状態の退魔の武器だ。きっと、今回の攻城戦で、縦横に使われている。

アルジーは納得しつつ、鍵付き書棚を閉じた……「ガチャリ」。黒ダイヤモンド《魔法の鍵》の厳重な封印が、かかった音だ。

3羽の白文鳥《精霊鳥》は、次に中庭の噴水の周りに集まった。

『ここから出るよ、ピッ』

もう、何があっても驚く気はしない。アルジーは、もはや半分ヤケクソで動いていたのだった。

パルが、水道に使われている伝統的なタイル装飾のひとつを示した。

お馴染みの精霊――《精霊亀》の甲羅を模して六角形にかたどられた、古代から変わらぬ造形のタイル。 そのタイルを装飾するのは、青い《渦巻貝(ノーチラス)》を模した伝統の螺旋紋様だ。《魔導》工房の職人によって描き込まれた、正確な装飾……その中心に、鍵穴の絵があった。

『上手な絵だけど、鍵穴じゃ無いよ?』

『大丈夫だよ、ピッ』

不思議な白孔雀の鍵は、まだ淡い白い光を含んでいる。

ヤケクソで、白い鍵の先端を鍵穴の絵に押し付ける――白い鍵の先端は、スッと鍵穴の絵の中に入った。

明らかに鍵穴にハマった、「カチッ」という手ごたえ。

「……え?」

そのまま鍵を回すと、六角形タイルが持ち上がった。

人ひとり通れる程度の縦穴。

縦穴の下のほうから、水の流れる音が聞こえて来る。

「ほえ……?」

『絶対に安全な秘密の道を行くよ、って言ったでしょ、アリージュ』

『地下水路の《精霊亀》の道、お借りするんだよ』

真っ暗な縦穴は、石積みの凹凸が巧みに仕込まれていて、凹凸に手をかけて降りられるようになっていた。完全にヤケクソだ。アルジーは、必死で手足を動かした。

漆黒の闇に包まれたかと思うと……突如、荷物袋が銀月の光を放つ。地下水路の中が、満月の夜のように明るくなった。

――噴水の底をめぐる地下水路って、こんなに広い空間だっただろうか?

不思議に広く、深淵宇宙のような深みを感じる空間だ。地下水路の《精霊亀》の道――本当に、精霊のみが行き来するという、摩訶不思議な異次元空間に入ったような気がする。

やがて……水路の底に、足がつく。

アルジーは早速、荷物袋を開き、光源を確かめた……光っていたのは《白羽の水晶玉》だ。

水晶玉の中に仕込まれてある神秘的な彫刻――白孔雀の尾羽の形をしたミニチュアの7枚羽のうちのひとつが、闇を払う光を投げている。

何故、と考える間も無い。

とにかく、そういうものなのだと、今は飲み込むしか無い。

『この地下水路は……噴水の下水道のほうだよね』

『そうだよ。あっちが桑林の方向だよ、ピッ』

地下水路の中は、人間業とも思えぬ精緻な退魔紋様を施された亀甲型の石積みで、いっぱいだ。魔性の黄金にぎらつく邪霊害獣が侵入して来る危険は、ほぼ無いと思える。

水の冷たさに震えはするが、いまは、恐怖による震えは止まっていた……

*****

東帝城砦の顕幽(けんゆう)の地下水路は、大型の城砦(カスバ)ならではの大規模な編み目構造となっていた。

人の手で造成された単純明快かつ顕(あらわ)な構造の地下水路を補完するように、《精霊亀》による――おそらくは異次元の――幽邃(ゆうすい)な地下水路が複雑に巡っている。

地上の騒がしさを厭(いと)うてか、ところどころで《精霊亀》が自主的に地下水路まで降りて来て、甲羅の中に頭と手足を引っ込めて引きこもりの態勢を取っていた。

産卵の近い《精霊亀》たちは逆に活動的だ。あちこちで穴を掘ったり埋めたりして、精霊の地下水路の新陳代謝を引き起こしているところだ。 工事が終わった場所は、いずれも《精霊亀》たちによる亀甲型の石積みに覆われて、構造安定している状態である。

先導する3羽の白文鳥《精霊鳥》は要所、要所で、一種の置き物や掘削作業員と化した《精霊亀》たちをつつき、地下水路の分岐状況を聞き取っていたのだった。

やがて、大きな分岐に到達する。

崩れやすい分岐の守護をしているのか、山のように大きな《精霊亀》が、ジッと鎮座していた。多彩な虹色にきらめきつつ盛り上がる甲羅は、大人の背丈を遥かに超える高度。 素人目にも、千年を超えた《精霊亀》なのであろうと見て取れる、見事な個体だ。

非常事態ではあるが、思わず見惚れてしまう。

不思議な《白羽の水晶玉》が投射する銀月色の光の中、それは、巨大な螺鈿細工の芸術品とも見えた。

白文鳥《精霊鳥》3羽が口々に呼びかけると、偉大なる《精霊亀》は、頭を甲羅の中からヒョコリと出して、ムニャムニャと受け答えし始めた。

受け答えが一段落すると、《精霊亀》は興味深げに、アルジーをキョトキョトと眺め回した。

『銀月の鳥使い。精霊でも無いのに、よく精霊の道に入って来れたね。《魔法の鍵》継承者だね?』

『え? えっと……元・シュクラ王国だから……白孔雀の《魔法の鍵》を受け継いでるって事になると思うけど』

山のように大きな《精霊亀》は、何かに気付いたかのように首を延ばして、アルジーの片方の足首に、チョン、と鼻先を触れた。

――町角の占い屋ティーナ作成の、謎の『赤い糸』が結ばれていた足首のほうだ。

『銀月の。こりゃまた、こんがらかった糸を持ったもんだね。厄介な生贄《魔導陣》持ち。うーん』

首をキョトキョト左右に揺らした後、大柄な《精霊亀》は少しの間、プルルッと身を震わせた。すると。

甲羅から浮き上がった虹色の螺鈿のような欠片――手のひらほどの大きさの、六角形をした薄片が多数、滑り落ちて来た。

『千年を経ている《精霊亀》の甲羅だよ。銀月の、その生贄《魔導陣》には残念ながら効果は無いんだが、《人食鬼(グール)》にやられた傷には効くから、持っていきな。 三つ首の巨大化《人食鬼(グール)》が出現しそうな、嫌な空気が地上に漂っているよ。あまり時間は無さそうだから、急ぎな』

『ありがとう』

透明な虹色に光る不思議な薄片を拾って、荷物袋に収めると、アルジーは再び、先を飛び交う白文鳥《精霊鳥》たちの後を追ったのだった。

やがて、地下水路が急に下へと折れ曲がる場所まで来た。

『桑林の下に到着したよ、ピッ』

『城壁をもぐるから、あんな風に、急に下へ折れ曲がる形なの』

アルジーは周囲を見回した。

銀月の光でもって《白羽の水晶玉》が照らし出すのは、三つの分岐へとつづく狭苦しそうなアーチと、凹凸のある石積みの群れ。いかにも人造の空間だ。

『出口は? この三つの分岐のどれか?』

そう言っている内にも、何処かで、ドシャーンと言う爆発音がした。意外に近い。

ギョッと固まっていると……

真ん中の分岐の下水道から、おびただしい真紅の液体がドロドロと流れて来た。血のにおい。

『うぐ……』

アルジーは思わず、ターバンの端で口元を塞ぐ。

相当に大型の邪霊害獣が、まとめて退治されたのは間違いない。双方ともに多数の邪霊害獣を使っていたから、おそらく……

退魔調伏されて真紅と化した血液とは言え、見ていて気持ちの良いものでは無い。まだ元の名残をとどめている肉片が一緒に流れて来ているから、なおさらだ。

右の分岐へコルファンが飛び、左の分岐へナヴィールが飛ぶ。やがて、偵察に行っていた2羽の白文鳥は、両方とも右の分岐から戻って来た。

『こっちの右のほうが、桑林に近いよ。真ん中のは、城壁の上に設置されてた下水道だったよ』

『了解』

アルジーは右のアーチをくぐり、凹凸のある石積みに手足をかけて、よじ登って行った。

地上への出口では、10数羽ほどの白文鳥《精霊鳥》が、待ちかねていたと言う風で跳ねまわっている。

そこは、桑林に最も近い城壁の町の、共同の洗濯場の下水道になっていた。戒厳令下とあって使用する人がおらず、下水溝を伝って地下水路へと流れてゆく水量も最小。

「フーッ」

洗濯場の下水溝から半身を乗り出して、アルジーは、ようやく息をつく。どんな仕組みになっているのか、《白羽の水晶玉》は、すでに、目立つ輝きを止めている。

日没の最後の光芒が、夕暮れの星々の輝き始めた空を、うっすらとよぎっていた。もうじき、太陽が地平線の下に隠れる。

城壁の上では、爆発の名残の黒煙が、高く上がっている……

おそらく、さっきの爆発は威力偵察の部類だろう。次の爆発で、桑林の魔除けに、三つ首の巨大化《人食鬼(グール)》が侵入できるような穴が出来ていることがバレてしまう。きっと。

白文鳥《精霊鳥》10数羽が一斉に飛び立ち、桑林へと向かい始めた。アルジーは下水溝から這い出ると、ヨタヨタと後をついて行く。

――どうか、間に合いますように。

桑林に到着した。

木々の間から、高灯籠がスッと突き出している。

深くなる夕闇の中、てっぺんの空間に、吊りランプが無いのがパッと見てわかる。

この手のことには素人のアルジーにも分かるくらい、周囲は異様に暗く、禍々しい雰囲気。

早くも、小型の《三つ首ネズミ》2体が高灯籠の中への侵入を試みているところだった。黄金の邪体がギラギラしている。

居残り組の白文鳥《精霊鳥》10羽ほどが、ひっきりなしに警戒の鳴き声をあげ、魔除けの冠羽をビシッと立てて、繰り返し突っかかっていた。

『退魔調伏の御札!』

アルジーが荷物袋から2枚の紅白の御札を出すと、白文鳥コルファンとナヴィールが、それぞれ薔薇色のクチバシに挟んで高灯籠へと飛び上がった。

高灯籠のてっぺんで、20羽ほどに増えた白文鳥《精霊鳥》たちが、見事な連係プレーを展開した。2体の小型《三つ首ネズミ》が、その場に釘付けにされている。 そこへ、《退魔調伏》御札がペタッと貼り付けられた。

シュボン、ボン、と《火の精霊》の真紅の火花が飛び散る。

近くでウズウズしながら待ち構えていたらしい無害な邪霊ケサランパサランの群れが、小型《三つ首ネズミ》の残骸をワッと取り囲み……見る見るうちに消化した。 やがて、赤キビや玄キビさながらの粒子が、高灯籠の壁を、サラサラとこぼれ落ちて来る。

『吊りランプ!』

地面に手をついてフウフウ言っていたアルジーのターバンの上で、白文鳥《精霊鳥》アリージュが、ピョコピョコ跳ねながら、焦りの鳴き声を上げた。

ハッとして、上空を振り仰ぐ。太陽の最後の光芒が消えている。

城壁のうえで、金色の不吉な《魔導陣》が燃え始めていた。再びの威力偵察――ジン=イフリート《魔導陣》だ!

ここで、三つ首の巨大化《人食鬼(グール)》を発生させるわけにはいかない。

かつてシュクラ王国を襲った悪夢が、地獄絵図が、逃げ場のない城砦(カスバ)の中で再現されるようなことがあれば……

ガクガク震える手で、アルジーは梯子をつかんだ。

忌々しい生贄《魔導陣》のせいとは言え、体力の無さが恨めしい。せめて、満月の時と同じくらい、今日の月の出の時間が早ければ……体重を支えるという簡単な作業すら、骨身にひびく状態だ。

虚弱な身体に無理が掛かり、一気に発熱してゆくのが分かる。ヒイヒイ言いながら、ひとつずつ段を上がる。

やがて。

「おぉそこに居るのは誰です? 戒厳令下ですよ!」

聞き覚えのある声が、下から発せられて来た。少し神経質そうな……

思わず、そちらを見やる。

真紅色の長衣(カフタン)。神官。その人影が手に持つ明るいランタンが動き、その光が、人相を照らし出す。

経理担当の神殿役人ゾルハンだ。神経質そうな細い面差しをした中年の神官。実直そうな中堅役人といった風の……

アルジーのターバンに挟まっていた白文鳥《精霊鳥》アリージュが「ぴぴぃ」と、さえずる。

「済みません、ゾルハンさん。あの、吊りランプを戻して《精霊石》を詰めないと」

「吊りランプ?」

てっぺんの空間まで、あと一息だ。アルジーは再び、梯子を登り始めた。

不意に……ポンと思い出した名前が、もうひとつ。

その人なら、きっと三つ首の巨大化《人食鬼(グール)》も倒せるだろう。

「ゾルハンさん、フィーボルさんって人、知ってますか? ええと、前・魔導大臣の猊下の……」

返答は無い――奇妙な静寂。

アルジーの脳内で、不穏な直感が渦を巻き始めた。わきの下に、嫌な汗がジワリとにじむ。再び、そっと、下を窺った……

急速に暗さを増す夕闇の中。

神殿役人ゾルハンは、アルジーに、ひたと不気味な視線を据えながら、せわしなく真紅の長衣(カフタン)の合わせを探っていた。

焦っていたのか、危なっかしく手つきが跳ねる。何かがきらりと光りながら、地面へと落ちた。

明るいランタンが照らしたのは……コインに似ていたけれど、その鋭い反射光は、金属製の通常の帝国通貨じゃ無い。

琥珀ガラス製の……コイン。

アルジーの息が止まった。白文鳥《精霊鳥》たちも異様な気配を感じたのか、ピタッと動きを止めている……警戒モードの冠羽を立てたまま。

慌てたように、神殿役人ゾルハンは琥珀ガラス製のコインを拾い上げる。

その手には、ギョッとするような大きな裂傷。

普通の裂傷じゃ無い。白タカ……白ワシ《精霊鳥》の爪痕。

白金色の火の粉が、パチパチと散っている。静電気のように。

――何らかの邪霊を使った証。

禁術に手を染めた「邪霊使い」が、強い退魔能力を持つ精霊……特に雷のジン=ラエドを伴って反撃された場合にのみ生じる、特有の傷。

アルジーの肩先で、警戒の声を上げる相棒パル。

『昨夜、襲って来た仮面の邪霊使い!』

……神殿役人ゾルハンは、耳まで裂けるような……異様に歪んだ笑みを浮かべた。

神経質そうな細い顎(あご)が、異形さながらに歪み、尖りながら動く。

「見たんだね、代筆屋くん」

アルジーの脳内で、パズルのピースが全てハマった。

この人が、風紀役人ハシャヤル氏を爆殺した犯人!

ハシャヤル氏に、呪殺《魔導札》を前もって食わせる機会があった人だ。『瞑想の塔』でも、ハシャヤル氏と会見したに違いない。

そして、通報の意思を固めたハシャヤル氏から、先輩だのフィーボル猊下だのに話が洩れるのを恐れて、ジン=イフリート《魔導札》を仕掛けたのだ。 アリバイをごまかすために、時間差で発火する導火線も使って。

あの日、タヴィスさんが、オババ殿の墓に線香をあげに来る予定だったと言う事も、知っていた筈だ。線香をあげるのに、着火作業はどうしても付き物。 自然な風を装って、タヴィスさんが怪しいと最初から言っていた。タヴィスさんに、ハシャヤル殺害の罪をなすりつけておいて、逃げようとしていた!

「ハシャヤルさん殺して……私たちを《骸骨剣士》で襲ったの、どうして!?」

神殿役人ゾルハンは悪鬼のような顔をして、梯子を揺さぶり始めた。

「落ちろ、首の骨を折って死ね、この……チョロチョロして、現場の導火線を見つけ出しやがって! 弩(いしゆみ)も弾きやがって、この野郎!」

「わわ、やめ、やめて……!」

アルジーは必死で梯子にしがみついた。手を離したら、生贄《魔導陣》が一気に燃えて、命の終わり!

――もうひとつの事実。ギュネシア奥さんの振りをして弩(いしゆみ)を撃って来た不審者の正体も……この神殿役人ゾルハンだったのだ! この細い体格であれば、 ベールをかぶってしまえば、女だと性別詐称できる!

「あの愚かなハシャヤルは、怪奇趣味の賭博の真相に気付いていたんだ、2年前に。気付いておいて黙っていた、この私にも! あの朝、いきなり数字『990』の賭けチップ見せられて、 どれだけ心臓が止まる思いをしたか」

ゾルハンは、梯子を揺さぶるのを止めない。

「あれは私が『990人目のジャバ生贄が、あの前夜に死ぬ』と見込んで賭けていたチップだった、残念ながら賭けには負けてしまったが。そのうえ、ヤツは、フィーボル猊下に、 この件を報告すると言う。だから殺さなきゃならなかったんだ! 前回の賭けに負けて経理に穴を開けて、だから新しく賭けて、カネを取り戻さなければならなかった。チクショウ!」

昔の格言のとおりだ。悪いカネは、もっと悪いカネを呼ぶ。そして、そして……

そして、ゾルハンは不意に梯子から離れ……黄金の《魔導札》を掲げた。

細く尖った顎(あご)が、いっそう延長して尖る。普通の人間は、骨格を変形させようとしても、できない筈だ。化け物さながらの自由自在な変形。

禁断の術に手を出した邪霊使いが……仮面で、人相を隠す訳だ。

均衡の崩れた口元から。

その異形で無ければ発声しえない、不気味な抑揚の《精霊語》詠唱が流れる。

――《骸骨剣士》を召喚するための、「邪霊使い」特有の禁断の呪文。

「いまはダメ……!」

アルジーは絶望的な思いになりながらも、叫んだ。

20数羽の白文鳥《精霊鳥》が、ひっきりになしに飛び交った。その飛行痕が、白い流星のように白熱し、キラキラと光り出す。

城壁の上で燃えていたジン=イフリート《魔導陣》が、ゾルハンからの流れ弾のような《精霊語》に応じて爆発的に燃え、黄金の炎を噴き出した。

一瞬の異変……

黄金の炎の中から、真紅の炎の巨人の形をしたジン=イフリートや、10体ほどの《骸骨剣士》たちが出現する代わりに。

三つ首の巨大な異形が1体、城壁の上に、ゴウッと立ち上がった!

城壁の外側――おそらく包囲している帝国軍――から、驚愕の叫び声が湧き上がる。つづいて恐怖の叫び声が。

「なに!?」

ゾルハンが城壁を振り仰ぐ。

――があああぁぁぁああ!

辺り一帯が、ビリビリと振動した。城壁に、ひび割れが走る。

音源は……異形と言えるまでに筋骨の盛り上がった、不気味に人体に似た何か。

魔性ならではの、ぎらつく黄金色の怪異な肌。巨人族の末裔の、テラテラ黄金肌どころでは無い。

おぞましく奇怪な……人類の頭部ほども大きさのある赤々と燃える邪眼を……ひとつずつ貼り付けた、筋肉の化け物のような三つ首。

三つ首を支えるための異様に太い首の下、バックリと、洞穴のような異様な口が開いていた。ぬらぬらと蠕動しつづけている。 これほど距離があるのに、黄金色に光るゾッとするような歯が、グルリと生えているのが分かる……残忍なまでに尖った歯牙。

――三つ首・三つ目の巨大化《人食鬼(グール)》。

アルジーは無我夢中で、梯子の残りの段を登った。身体を動かしたのは、かつてのシュクラ王国での恐怖トラウマだ。高灯籠のてっぺん、吊りランプの空間に飛び込み……転がり込む。

巨大化《人食鬼(グール)》が、異様なまでに筋骨の発達した腕を、翼のように広げる。

左右の手に当たる位置からは、黄金にぎらつく長いカギ爪が9本ずつ。三日月刀(シャムシール)のような形。2倍ほどの大きさがある。

試し切りなのか、威容の誇示なのか……異形の両腕がうねり、回転する。

カギ爪が縦横に走り、城壁の石積みが前後左右に吹き飛んでゆく。巻き込まれたらしい多数の邪霊害獣が、ことごとく黄金の肉片となって飛び散った。

ぎらつく黄金の巨体が、城壁の上から跳躍し……こちらへ向かって舞い降りて来た!

いやに三日月刀(シャムシール)に似た左右それぞれ9本のカギ爪は、平たい面の角度を変え、即席の滑空能力を発動している。

重量のある巨体ならではの、大地を震わせる圧倒的な着地音。

距離が近い。

神殿役人にして邪霊使いゾルハンが、意味の無い悲痛な声を上げながら、ランタンを投げつける。

だが、普通の火で、これほど強大な怪物に対抗できる筈が無い。

空を飛んだランタンは、あっさりと、うごめく洞穴のような口の中に消えて行った。

次の瞬間、無造作に振られた黄金のカギ爪が、地面をバックリと裂いてゆき……3本ほどの桑の木を吹き飛ばすと共に、その先を逃走中だったゾルハンを、文字どおり「粉々に」した。

かつて人体ゾルハンだった存在の、むごたらしく粉砕されてゆく肉片の残骸。

巨大化《人食鬼(グール)》の洞穴のような口から、無数の触手のような舌が、バッと噴き出す。

ヌラヌラとうごめく無数の触手か――舌が高速で這いまわり、地面に散らばった肉片は、あっと言う間に舐めとられていった……

次に、うねうねする黄金のカタマリのような三つ首、各々ひとつずつ貼り付いた三つの大きな邪眼が、ギョロリと、高灯籠を向く。

再び「があああ!」と、人外の雄たけびが上がる。

高灯籠の下半分に、ビシリと、蜘蛛の巣のようなヒビが入った。だが、白文鳥《精霊鳥》の飛行痕が白く輝く上半分は……激しく振動しながらも衝撃波を受け流し、無傷で持ちこたえた。

怪物の邪眼が、苛立ちと怒りに膨れ、ランプのように光った。

巨大化《人食鬼(グール)》は、9本ずつのカギ爪の付いた左右の黄金の腕を高く振り上げ……高灯籠に襲い掛かる。

「離れなさいッ!」

アルジーは力を込め、目の前に現れた洞穴のような口を狙って、即席の反撃を、投げつけた。

出涸らし《精霊石》を詰めた藁壺。ごくわずかな時間ではあったが、『退魔調伏』御札を突っ込めるだけ、突っ込んである。

アルジーは運を天に任せ……残りの藁壺の間に身を伏せた。

そのアルジーの身を取り囲むように、20数羽の白文鳥《精霊鳥》が集結する。

怪物の口の中で、出涸らし《精霊石》と『退魔調伏』御札が共鳴し、新規で呼び込めるだけの《火の精霊》を呼び込んだ……

強烈な閃光。桑林じゅうが、夕陽の光に照らされたかのように赤々と照り映えた。

ヌラヌラとした無数の舌の間で、灼熱の爆炎が続けざまに噴出する。

その衝撃波が、怪物の全身を震わせ、高灯籠を揺さぶる。

――ぎぃえぇええぇぇええ!

爆炎の間から洩れる、明らかに苦痛の叫び声。

洞穴のような口の中で燃え上がった真紅の烈火は、みるみるうちに熱量を増して青白さを帯びた白金色の炎となり、おぞましい舌という舌を焼き切った。

出涸らし《精霊石》とはいえ、元は帝国軍で使われたほどの強力な《精霊石》であったのだ……新規に呼び込まれた大量の《火の精霊》による偉大な火力は、あっと言う間に三つ首の全体へと延焼した。 三つの邪眼が、魔除けの炎に焚かれて、ぐつぐつと煮えたぎっている。

城壁の上の方で、帝国軍の射手と東帝城砦の射手が集結し、共同戦線を張った。

魔除けの力を持つ《火の精霊》の宿った火矢が、一斉に放たれ……空気を切り裂くうなりを上げる。

怪物の巨体に、無数の火矢が突き立った。

そこで、新たに、退魔の力を持つ真紅の炎と火花が噴き上がってゆく。灼熱の真紅は、ジン=ラエドの雷撃にも匹敵するような、強烈な白金色をも帯びていた。

ぎらつく黄金の巨体が、グズグズと崩れていった。だが、最強の怪物というにふさわしく、三つ首の巨大化《人食鬼(グール)》は、なおも仁王立ちのままだ。

やがて。

無数の燃える矢を生やした巨体は、火花と共にバチバチと弾けてゆき……怪物ならではの、おぞましく異様な骨格を剝き出しにして、断末魔の舞踏を踊り始めた。

マダラになった黄金色と真紅色の……ドロリとした不気味な肉片と骨片が、あたりに撒き散らされてゆく。

重量の均衡を失った忌まわしい肉塊は、舞踏をつづけながら……前後左右へと動揺し始めた。

三つ首の巨大化《人食鬼(グール)》の頭部だった物の、グネグネとした不定形な内臓を思わせる黄金と真紅の残骸が、粘性の高いヘドロか何かのように、高灯籠にのしかかる。

下半分がひび割れていた高灯籠は、その圧倒的な重量を支え切れず。

根元からボキリと、折れ曲がった……

『アリージュ、飛んで!』

相棒の白文鳥《精霊鳥》パルが鋭く鳴き、アルジーは吊りランプ用の空間から身を躍らせた。

肩から下げていた荷物袋の中で、《白羽の水晶玉》が、再び白光を放つ。

落下地点に、白毛ケサランパサランの大群が召喚された。

アルジーの身は、民家の3階ほどの高さから落下したにもかかわらず……ワチャワチャし始めた白毛ケサランパサランの大群に受け止められ、地上でポンポン弾みながら転がったのだった。

ガラガラと音を立てて高灯籠が倒れ、砕けて、瓦礫となっていった。この異常な状況のなかでは、唯一の、かえってホッとするような、馴染みのある物理音。

『走って、早く!』

傍で不気味な動きがある。ハッとして、そちらを見やると……

全壊した高灯籠の瓦礫の間で、退魔調伏しきれなかった部分――黄金色の肉片がうごめいていた。

忌まわしい魔性の黄金のカタマリが、寄り集まって増殖し始めている。ワッと逃げ散った白毛ケサランパサランの大群を、これ幸いと捕獲し、食らいながら、不吉な造形を再生しつつあるのだ。 ケサランパサランは邪霊の一種ゆえ、同じ邪霊である《人食鬼(グール)》の構成要素になる。

――なんて、しぶとい……!

これこそが三つ首の巨大化《人食鬼(グール)》の、真に恐るべき特徴。

だからこそ絶対に、城壁の内側では、三つ首の巨大化《人食鬼(グール)》を出現させてはならなかったのだ。

よりによって、オアシスの水分で土が湿っている桑林の中だ。砂漠の真ん中では無い此処では、不活性の熱砂に変えるのは、とても難しい。

城壁の上で、双方の射手たちの驚きの声がつづいている。

ドヨドヨうごめく小さな的へ向けて、射撃の名手たちが必死で火矢を打ち込んでいるが、数が追いつかない。

発熱した身体で、走れるのか。訝しく思いながらも、アルジーは身を起こそうとして……

……動ける!?

発熱と頭痛はあるけれど……満月の頃のように走れる!

目の前に転がった《白羽の水晶玉》をパッと拾い、再び荷物袋に収める。中にある白孔雀の尾羽の彫刻は、5枚羽に減っていた。そして今、1枚の尾羽が急速に形を失い始めている。

精霊魔法。

アルジーの中で、大いなる直感が閃いた。

――オババ殿の言っていた、白孔雀の守護の力!

その不思議な力で、地下水路を照らした。落下の衝撃を緩和した。それで2枚分の羽が失われたのだ。そして、アルジーを走らせるために、3枚目の羽を浪費しているところなのだ。確実に。

振りあおぐと。

20羽ほどの白文鳥は、桑林のはるか上へと、高く舞い上がっていた。

白い小鳥の群れが一斉に羽ばたき、勇ましく立てた冠羽を星のようにきらめかせながら……《精霊鳥》特有の連携を取っている。

相棒の白文鳥パルが、アルジーの行く手の空間を飛び、先導し始めた。上空を飛び交う20羽ほどの同族と同じように、パルの冠羽もキラキラと光っていて、何らかの情報連携をしていると知れる。

アルジーは、夜が始まった城下町へと走って行った……

城壁のうえに居た一部の戦士たちの間で、驚きの声が行き来していた。

「白い小鳥と一緒に走って行った骨格標本っぽいのは何だ、邪霊《骸骨剣士》じゃ無いのか」

「あれは《精霊鳥》だったぞ! 冠羽が光ってた!」

*****

桑林の最寄りの城門が開き、双方の軍から、退魔対応のえりすぐりの戦士が次々に集結した。

三つ首の巨大化《人食鬼(グール)》への対応は、常に最優先される緊急項目だ。しかも総力戦。

先ほどまで桑林の高灯籠が立っていた位置は瓦礫が散乱する場となっていた。無残に引き抜かれ、砕かれた桑の木々が折り重なっている。

ぽっかりと空いた……荒れた空白の真ん中で、ぎらつく黄金色をした不気味な集大成は、2体に増えていた。白毛ケサランパサランの大群を貪欲に捕食し、養分としたせいだ。

高々と立ち上がる、ぎらつく黄金色をした異形。

覚悟のうえではあっても、再び立ち上がった忌まわしい肉塊を前にして数々の武器の先端が震えるのは、人間として自然な反応だ。

「まずは魔除けの穴を閉じる!」

金縁の付いた黒い長衣(カフタン)とターバンをまとう老魔導士が、黄金の《魔導札》を掲げた。首元で、多種類の護符の首飾りがジャラジャラと鳴り響く。 ただならぬ威厳。誰よりも立派なお眉と白ヒゲを持つ、かくしゃくたる老人だ。

黄金の《魔導札》を持つその手は、老練な達人ならではの数多のシワが刻まれている。

老魔導士の額には、極度の緊張による汗が浮いている。

『いと高き《火の精霊》よ、結界せよ……!』

狙いすました、一節の《精霊語》呪文。

その手から放たれ、星またたく夜空へと舞い上がった黄金の《魔導札》が、まばゆい黄金と真紅の炎に燃える。

達人の《魔導》によって精密に誘導された《火の精霊》群が、多数の火の玉となって飛び交う。《人食鬼(グール)》2体を包囲するように、見上げるばかり高い火の壁を作った。

火の壁は、見る間に幅を延長し、かつて高灯籠の吊りランプが担当していた領域を覆い尽くす。

いましも3体目の《人食鬼(グール)》が、次元の裂け目――ジンの道――を通って出現するところであった。 門番さながらの《火の精霊》による魔除けの集中砲火に妨害され、3体目は苦悶と失望のうなり声を残して引っ込んでゆく。

1体目の巨体が、3つの邪眼の貼り付いた3つの突起さながらの頭部を、変形し始めた。3つの頭部をまとめている異様なまでに太い首が、ドロリと、不定形の軟体動物のようにうねる。

隊商(キャラバン)傭兵上がりの指揮官が、その手の前兆と隙を察し、怒鳴った。

「大型《蠕蟲(ワーム)》に変形するぞ! 撃破せよ!」

変形中はエネルギーが安定しない。一気に退魔調伏へ持ち込む好機!

ゴウッとうなりと立てて無数の火矢が撃ち込まれ、三つ首の巨大化《人食鬼(グール)》が火だるまとなって踊り始めた。

断末魔の踊りだ……《火の精霊》による魔除けの炎の壁に囲まれているため、動きが鈍い。

だが、断末魔の踊りに入ってなお、三つ首の巨大化《人食鬼(グール)》の全身は、凶器であった。

巨体から繰り出されるカギ爪の威力は圧倒的だった。まだ大斧槍(ハルバード)の扱いに慣れていなかった未熟な戦士を数人ほど、 一気に死体に――神殿役人ゾルハンと同じような肉片の残骸に――変えてゆく。

「クソォ!」

熟練の戦士たちが、無残な肉片と化した仲間たちを踏み越え、退魔の炎を吹く大斧槍(ハルバード)を振るった。 大型の三日月刀(シャムシール)に似たカギ爪を受け止め、ぎらつく黄金色の指ごと斬り飛ばす。

やがて、断末魔の踊りに変化が現れた。

最大出力の退魔の炎にあぶられ続けていた、三つ首の巨大化《人食鬼(グール)》。

元通りに修復されていた魔除けの結界の中で、ついに邪霊としての限界が来た。

見る見るうちに、ぎらつく黄金の巨体が真紅の肉塊へと変貌する。

真紅の肉塊と化した内臓や筋肉が、乾いてひび割れた音を立てながら、崩落してゆく。

三つの邪眼は、すでに燃え尽きている……そこにはポッカリと穴が空いていた。異形の巨体は、全身の穴や割れ目から、真紅の火花を激しく吹き上げた。

地上に転がった多数の肉片は、真紅の火花を散らして転げまわりながら、その容積を小さくしてゆく。

なおも立ちはだかっていたのは、怪物の骨格に相当する真紅の構造体だったが……それも骨片となって燃え尽きていったのだった。

もう1体の巨大化《人食鬼(グール)》は、《火の精霊》の魔除けの炎に妨害されて、再生が不十分な肉塊のままだ。

だが、老魔導士を補助していた他の魔導士たちの動きが遅く……退魔の炎の壁による包囲が、わずかに遅かった。

ぎらつく黄金色の肉塊は、人体を少し上回る程度の大きさで再生を止める。

老魔導士が、不穏な兆候に素早く気付いた。立派な眉をギリッと吊り上げる。

「いかん! 離れろ! 魔除けの盾!」

老体からのものにしては、驚くほど鋭い警告の声が飛ぶ。

魔除けの炎でバチバチと弾け、真紅の肉片となった内臓を垂れ流しながらも、不完全な人体をした肉塊は跳躍した……火の壁を飛び越えて。

一気に濃度を増した禍々しい気配。

決死隊の戦士たちが、魔除けの盾を立てて一斉に散開する。それは正しい選択だった。

――ぶごふがぎぁぁああ!

ドロドロとして形を成していない異形の口から、いっそう忌まわしく不気味な雄たけびが響きわたる。

同時に、その忌まわしい口から、バッと噴出したのは、無数の触手のような舌。

恐ろしい速度で辺り一帯を這いまわり、新たに桑林をなぎ倒し、硬い瓦礫を、あっさりと貫く。

魔除けの盾は、おぞましい舌の第一撃をよく防いだが、連続攻撃には耐えられない。次々に破砕されてゆく。

散開していた決死隊の面々や、逃げ遅れた若い魔導士たちが悲鳴を上げながら、死に物狂いで逃げ惑った……新たに数人が、命の無い無残な肉塊と化した。

激しく蠕動した舌の群れは、目的を達したと言うように、ゴバァと不気味な音を立てながら速やかに口の中に収まった。 白い毛玉を多数くっつけている……白毛ケサランパサランの逃げ残りを捕食していたのだった。ついでに、肉塊と化した哀れな決死隊の隊員も。

不完全な人体をした、その背中から、恐竜を思わせる多数の骨板がバッと突き出した。黄金の背びれを生やしたかのようだ。

黒衣の老魔導士が、すでに次の《魔導札》を掲げ、《精霊語》呪文を詠唱していた。恐怖の涙と脂汗を流し、震えている助手の魔導士たちが、その《精霊語》呪文に唱和する。

不完全な人体の背中に多数の骨板を生やした、その忌まわしい肉塊は、ドロリとした口を再び開いた。黄金の卵が、数個ほど吐き出される。異形の産卵だ。

次の瞬間……《魔導》で誘導された雷のジン=ラエドが、その場に炸裂した。

雷撃そのものの轟音が響きわたる。

白金の雷光が異形の卵をことごとく突き刺し、あっと言う間に粉砕する。砕片は《火の精霊》に捉えられ、真紅の破片となって飛び散った。

余波で、生えかけていた三つ首の突起も吹き飛んだ。

――ぎいいいぃぃ!

産卵増殖や頭部再生には失敗したものの、「走るための足」を形成しきった忌まわしい肉塊にとっては、その空白の時間だけで充分だった。

まだ再生しきっていない黄金の腕を振り回し、行く手の桑林を、更になぎ倒す。

回転する足をくっつけたばかりの、一見して首無しの恐竜めいた……背中に多数の骨板を生やしたように見える肉塊は、 ドヨドヨと忌まわしい口を歪ませながら、城砦(カスバ)の中の街区へと走り込んで行った!

「しまった……!」

決死隊の全員が青ざめる。恐ろしい怪物を、城下町に入れてしまった!

「狼煙(のろし)を上げろ!」

隊長の指示が飛び、部下が走る。その場から、まばゆい閃光を放つ狼煙(のろし)が、打ち上げ花火さながらに高く上がった。大型《人食鬼(グール)》が侵入したという合図だ。

城下町のあちこちで動き回っている松明が、パニックの様相を見せ始める。せわしなく動き回りながらも、大型《人食鬼(グール)》迎撃のための決死隊を組織し始めている。

察しの良い部下のひとりが身体を震わせながらも、指摘を口にした。

「あの化け物、操られている雰囲気でしたよ。もしかして追っかけてるのか、さっきの白文鳥、《精霊鳥》と一緒に居た骨格標本……」

「そうに違いない。あの怪異な骨板は、外道な魔導士の《魔導》による遠隔操作の指示を受け取るための器官じゃ。 白文鳥と共に居た者は鷹匠では無いが、間違いなく『鳥使い』じゃよ。ワシが思っているとおりの者なら……これは重大じゃ」

黒衣の老魔導士は白ヒゲをしごき、顔を険しくしかめた……

*****

大型《人食鬼(グール)》が侵入したことで、城下町の状況は一変した。

圧倒的な怪物に引きずられるようにして、大型の邪霊害獣の出現頻度が急上昇する。城下町のあちこちで、人体を上回る大きさの凶暴な《三つ首ネズミ》《三つ首コウモリ》が跋扈し始めた。

ゴロツキ《邪霊》だった《骸骨剣士》も組織的な動きに変わり、人類側の防衛拠点を系統立てて襲い始めた。異国の絵画に描かれた『死の舞踏』さながらの市街戦へと発展している。

こうなると、敵も味方もなく一致団結して、魔性の黄金色にぎらつく邪霊たちの侵入に、対応するのみだ……

■13■ゆきゆきて闇と銀月、転輪す

駆ける、駆ける、駆ける――次々に十字路が現れる街路を、どれほど走っただろうか。

心臓は破れんばかりに痛く、数えきれないほどの段差を縦横した足には、もはや感覚も感じない。

ひとつ先の角に到達したところで、アルジーは石の壁に手を付き、ゼィゼィと息をついた。

アルジーに体力が無く、思うように走れないのが原因だが……それでも、精霊魔法の助けが無ければ、ただでさえ弱っている身体を此処まで走らせることはできなかっただろう。 身をジリジリと焼くような、しつこい発熱。

――予期はしていたものの、状況は想像以上に激変している。

これ程に早く、増強型の《骸骨剣士》や邪霊害獣の類が街路に出現して来るとは、まったくの想定外。 聖別された油を燃やす『魔法のランプ』は、仕切られた街区への侵入をことごとく防いでいたが……大型《人食鬼(グール)》が接近すれば、どこも危うくなるだろう。

アルジーの全身に刻まれている生贄《魔導陣》は、大型《人食鬼(グール)》の接近を感知していた。距離が近づくたびに、アルジーの体力を奪ってゆく。おそらく奪っているのは生命力。

銀月は、まだ出ていない。

月の出の刻が遅くなっているのだ……満月の時期を、よほど過ぎ去っているからだ。

夜空の中を、露払いを務めているかのように、白文鳥《精霊鳥》の一群れが飛び交っている。魔除けの光でキラキラしている冠羽が、星のようだ。

『もう少しだよ、アリージュ』

白文鳥《精霊鳥》パルが、足元に降りて来てピョンピョン跳ねている。

脇に、水壺を並べた公共水飲み場がある。街路に沿って、もう少し行くと広場だ。その一角は、まだ邪霊の侵入が無い。なおかつ『精霊の道』へと通じる水路の扉があると言う。そこまで到達すれば……

アルジーは更に一歩、踏み出した。そして。

限界の来ていた膝が「ガクリ」と崩れ……転んだ。

一瞬、意識が朦朧とする。

次に意識がハッキリして来た時……アルジーの耳元で、ドリームキャッチャー細工の白い護符が揺れた。

記憶の隅に仕舞い込まれたままだった言葉が、よみがえって来る。

――『月光浴すると調子よくなるだろ。その護符も《銀月の祝福》を生命力に転換してるし』

以前、白タカ《精霊鳥》シャールが物のついでに口にした内容。

――『いまの不安定な体質は、非常に特殊な邪霊の《魔導陣》のせいだが、この禁術を使える魔導士は居ないことになってるんだ、公的にはな。銀月は、あの邪霊にとっては喉から手が出るくらいの……』

あれは、どういう意味だったのだろう?

オババ殿の遺言書にも、気になる内容が、チラリと書かれてあった。

『……《銀月の祝福》の銀髪は、特に危険な部類の《魔導》を安全に操作するのに必須でね、魔導士や邪霊使いに高く売れるんだ』

特に危険な部類の《魔導》……?

アルジーの中で、ここ1年の間グルグル回り続けていた「些細な」内容が――膨れ上がった。

母シェイエラ姫の謎の体調悪化。《銀月の祝福》の銀髪。

手先の誰かが運び屋となって貼り付けた……生け贄《魔導陣》。

魔除けのための結界が人為的に落とされていた、シュクラ国境地帯。

三つ首の巨大化《人食鬼(グール)》が発生したタイミング。

トルーラン将軍が何もしなかったのに、不意に後退して消滅していった、三つ首の巨大化《人食鬼(グール)》の大群。

…………

……

これらの事象には関連があるのではないか?

アルジーの身体が、ブルッと震えた。

いきなり閃いた大いなる直感。

衝撃が大きすぎて、身体が動かない……

……

…………

神殿役人にして邪霊使い――邪霊使いとしてのゾルハンは、ゴロツキ邪霊《骸骨剣士》10体ほどを、使った。

帝都を騒がすほどの上級の邪霊使いは、1体の大型《人食鬼(グール)》を使うと聞く。

大型《人食鬼(グール)》1体だけで、一般的な20人部隊を一気に全滅できると言う。 退魔対応の熟練の戦士で固め、《火の精霊》による火の壁で包囲して、上手に退魔調伏へと持ち込まないと……倒せるかどうか。

だが通常、下手すれば「邪霊使い」自身が、大型《人食鬼(グール)》にやられかねない……命懸けの《魔導》だ。

いつだったか……邪霊使いゾルハンが操った、闇の色をしたカラクリ糸。邪霊《骸骨剣士》10体を操っていた、あの《魔導》カラクリ糸には、《銀月の祝福》のある銀髪が含まれていた。ひと筋、ふた筋ほど。

その、ひと筋、ふた筋ほどの「銀月の糸」を失っただけで、あの《魔導》カラクリ糸の術は、不安定化した。

大型《人食鬼(グール)》を縛るだけの強力な《魔導》カラクリ糸となると、 10体の《骸骨剣士》を操作した《魔導》カラクリ糸と同じという訳にはいかないだろう。もっと大量に、強力に繰り出す必要がある筈。

そして、あの《魔導》カラクリ糸の術は……ただでさえ不安定な代物。強力に繰り出そうとすればするほど、あれは不安定に跳ねまわるに違いない。

オババ殿が言っていた。《銀月の祝福》のある銀髪は、特に危険な部類の《魔導》を安全に操作する、と。ゆえに、魔導士や邪霊使いに高く売れる品になる、と。

――《銀月の祝福》のある銀髪は、《魔導》カラクリ糸の術を、劇的に安定させるのではないか。大型《人食鬼(グール)》を縛るほどの、強力な……それだけ不安定な、大量の《魔導》カラクリ糸を!

同じ銀月の精霊の仲間、精霊クジャクサボテンは、選択的な魔除けの能力を持つ。大型の邪霊や有毒の邪霊を、徹底して遠ざける。 動けない植物ゆえの、研ぎ澄まされた能力……その徹底ぶりも安定しているのだ。その安定性が、《銀月の祝福》の銀髪にも、期待できるのならば……

では、最強の怪物とされる三つ首の巨大化《人食鬼(グール)》の大群を、どうにかして思うまま誘導し、遠隔操作し、出したり引っ込めたり――そのような、 とんでもなく危険な《魔導》が、《銀月》の関与でもって、現実に可能になるとしたら?

――帝国全土に、三つ首の巨大化《人食鬼(グール)》の大群を解き放って……破壊し、征服して……

天の果て地の限り、千尋の海の底までも――あまねく統(す)べるは闇と銀月!

…………

……

アルジーは思いつくままに、相棒に質問を投げていた。

『……パル! 三つ首の巨大化《人食鬼(グール)》って、《銀月の祝福》を裏返して……ウラ技みたいに使って、「邪霊使い」のやり方で……何かで、操ることは可能?』

相棒、白文鳥《精霊鳥》パルは、ビョーンと細長く立ち上がっていた。パカッとクチバシを開けたまま、固まっている。

そんなこと、チラリとでも思いつかなかった、という顔だ。

ターバンの隙間に挟まっていた白文鳥《精霊鳥》アリージュのほうも、ピキッと固まっている雰囲気。

呆然自失して固まること暫時。

上空で飛び交っていた白文鳥《精霊鳥》たちが、慌てたように群れを乱す。

冠羽が輝きを増した。警戒モード。

後ろのほうで、ガシャ、という不吉な硬い音。

――きしゃあぁああぁあ!

振り返ると、三日月刀(シャムシール)で斬りかかって来る《骸骨剣士》!

アルジーは横ざまにゴロリと転がった。ほとんど、普段からの習慣と、直感だ……町角で《骸骨剣士》を見かけた時は、いつも公共水飲み場へと身を隠していたから。

ガリガリの瘦身が、脇にあった公共水飲み場へと突っ込んだ。退魔紋様ビッシリの、水壺の群れの中へ。

もとより邪霊の攻撃に耐えるように製作されていた水壺だ。

退魔紋様から発生する反発力――磁石の同極どうしで生まれる反発力のような――を受けて、態勢を崩す《骸骨剣士》。

勢い不十分なままに振り下ろされた邪霊の三日月刀(シャムシール)は、その退魔紋様の返り討ちを受けて、真っ二つに弾けて飛んだ。

白文鳥《精霊鳥》の群れが警戒の鳴き声をあげて、《骸骨剣士》の頭部を集中攻撃する。

目隠しされた形になった《骸骨剣士》の頭部が、少しでも視野を確保しようと、コマのようにグルグル回転していた。 その間にも、刀身を半分失った三日月刀(シャムシール)が、邪霊ならではの力でジワジワと形を回復し始めている。

――『退魔調伏』御札は、どこ!?

かねてからの疲労と焦りのあまり、荷物袋をかき回す手が、効率的に動かない。

ゴロツキ邪霊《骸骨剣士》は、いったん獲物の気配を感じると、しぶとい。目隠しされて前後左右にグラグラと惑っているにもかかわらず、《骸骨剣士》は、 再び完全形を回復した三日月刀(シャムシール)を振り回し始めた。

再び振り下ろされる刃先――絶体絶命!

鋭い金属音が響いた。

もうひとつの三日月刀(シャムシール)が、《骸骨剣士》の三日月刀(シャムシール)を受け止めている。

白文鳥《精霊鳥》の群れが一斉に《骸骨剣士》から離れ、ワッと飛び立つ。

アルジーは呆然として、不意に現れた勇者を眺めるのみだった……

あの貴公子風のシュクラ青年だ。夜闇に紛れるためなのか黒装束。黒いターバンの間から淡い茶髪がこぼれている。

不利な体勢で受け止めていたのが災いした……《骸骨剣士》がいったん引いて、二度目の斬撃を浴びせた。

シュクラ青年の二の腕を、斬撃が襲う。

防具などに覆われていない二の腕に食い込んだ筈の斬撃は……甲高い硬質な音響を立てた。

予想どおりの骨肉を断つ音では無かったのに気付き、一瞬、《骸骨剣士》がパカッと口を開き、首を傾げる。

シュクラ青年の二の腕には、銀白色をした腕輪(アームレット)が装着されていた。切れた黒い袖の間で、白孔雀をモチーフにした精霊宝物が光る。

次の瞬間、精霊宝物は、強烈な魔除けの力を発動した。

純白の閃光が走り、触れていた邪霊の三日月刀(シャムシール)を粉砕した。つづいて《骸骨剣士》を粉々に吹き飛ばし、無活性の熱砂と化し、街路に撒き散らす。 ついでに忍び寄っていた大小の《三つ首ネズミ》5体ほども、余波を食らって無活性の熱砂と化した。

「発動した!?」

シュクラ青年は、精霊宝物が『退魔調伏』御札を超える魔除けの力を見せたことに、驚いた様子だ。アルジーも驚いた。

王家に伝わる伝統の宝物――それも王統の子孫、すなわちシュクラ王太子を認識する精霊契約のための腕輪が、邪霊を一瞬で粉砕、調伏するような強烈な戦闘力を発動するのは、初めて見た。

――とにかく、シュクラ王太子ユージドだ!

「いったい何故……とにかく逃げなくちゃ、ユージド!」

「え? ああ! こっちへ」

シュクラ青年はアルジーの袖を引っ張り、裏道の方向へと駆け出した。

上空へと羽ばたいていた白文鳥《精霊鳥》が、群れを成して向きを変えながら、さえずり出した。

『違うよ、広場は、こっちだよ』

アルジーは白文鳥《精霊鳥》たちの誘導する方向へ走ろうとし、シュクラ青年の目指していた方向と正反対になった。 シュクラ青年がアルジーの袖をつかんだままだったため、アルジーは、再び転んだのだった。

荷物袋から、再び《白羽の水晶玉》が飛び出す。パッと拾い……アルジーは違和感に気付いた。

――いつの間にか、4枚目の羽が消えている。

いま残っているのは……3枚の、ミニチュア版の白孔雀の尾羽の彫刻のみ。

さっきの《骸骨剣士》を吹き飛ばした純白の退魔調伏の力は、腕輪(アームレット)の力では無く、《白羽の水晶玉》4枚目の羽による精霊魔法だったのか?

……砂嵐のように湧き上がり、かき乱れる、不穏な直感と疑惑……

アルジーが疑問と共に《白羽の水晶玉》を荷物袋へ納める内にも、別の街路から大勢の軍靴の音が響いて来た。

「おい、そっち回れ! さっきの《骸骨剣士》、この角へ入ってたぞ」

同時に――最大級の、実体化した恐怖と悪夢も出現して来た。地響きを立てながら……

…………

……

アルジーとシュクラ青年が、広場へ向かうか裏道へ向かうかで逡巡していた、十字路の一角。

宮殿の方向から現れて来たのは、かの黄金の巨人戦士『邪眼のザムバ』を含むトルジン親衛隊の一団、20人ほど。

城壁の方向から現れて来たのは、城壁から走り続けて来た、ぎらつく黄金の大型《人食鬼(グール)》1体。

その不完全な人体をした、おぞましい肉塊――背中に相当する部分に、恐竜を思わせる黄金の骨板を多数、生やしている。

宵闇おし迫った、街路の真ん中で。

悲鳴なのか驚愕なのか分からない大声が上がった。

もとより人肉を食うことに貪欲な肉塊は、ドヨドヨと、巨大な洞穴のような口を開いた。残忍な黄金の歯牙を生やして蠕動する内部から、忌まわしい無数の舌が、触手のように這い出る。

トルジン親衛隊の面々は、ありとあらゆる恐慌の叫びをあげて、回れ右した……『邪眼のザムバ』も逃げ出した!

無数の舌が襲いかかる。

一方的な殺戮が展開した。

気分の悪くなるような破砕音が連鎖し……人類の一団は、まとめて粉砕された!

巨人戦士『邪眼のザムバ』は、内臓を剥き出しにした、おぞましい肉塊となって散らばっている。

退魔紋様の刻まれてあった三日月刀(シャムシール)を反射的に抜き放ち、舌の第一撃の断ち切りに成功した数人の戦士が、重傷を負いながらも生き延びた。

「腕輪(アームレット)! あの魔除けは!?」

「発動のやり方を知らないんだ、逃げなければ」

シュクラ青年は駆け出そうとしたが……密集していた水壺の間に、充分な太さを持っていた足が挟まり、転ぶ。

おぞましい肉塊が、グルリと向きを変えた。洞穴のような口が、こちらを向いた!

相棒の白文鳥《精霊鳥》パルが素早く飛び立ち、アルジーのターバンの隙間に飛び込む。いきなり割って入られた白文鳥アリージュが、ピョコピョコ跳ねるのが伝わって来る。

アルジーは素早く『退魔調伏』御札を構えた。死体になってでも差し違える覚悟。

――舌の先端に貼り付けるだけでも、一般的な三日月刀(シャムシール)と同じくらいの効果は、ある筈だ!

上空で羽ばたく白文鳥《精霊鳥》の群れの鳴き声が一変した。シャラシャラと響くような……玉響を思わせる連鎖音。護符の音のようだ。

一瞬、肉塊の足取りが止まり、洞穴のような口が不快そうに歪む。動こうとしても思うように動けない、身体が重い――という雰囲気だ。

「退魔調伏!」

別の、よくとおる声が響いた。つづいて、圧倒的な白金色の閃光が、肉塊を貫いた。

あたりを揺るがす重低音……雷撃の音。

いましも噴出するところだった、おぞましい無数の舌の群れが、白金の火花と共に蒸発する。

「ジン=ラエド……!?」

身を起こしていたシュクラ青年が叫ぶ。

新たに現れた声の主は……厳しい表情を浮かべた赤毛スタッフ青年クバルだった。

姿は一変していた。

帝国軍の軍装だ。戦士の印である迷彩ターバン。退魔仕様の鎖帷子その他の防具で固めている……それが本来の姿であったかのように、あまりにも自然だ。

アルジーは呆然とするあまり動けない。

ぎらつく黄金の――不完全な人体をした肉塊が、高々と立ちはだかる。

その中央、数束の焼け残った舌がヌラヌラと蠕動しつづけている場所……洞穴のような口の直下には、白金の火花にまみれた壮絶な穴が貫通していた。

人類で言えば心臓が吹き飛んでいる格好。

だが、まだ急所をやられた訳では無いと言わんばかりだ。

――があああぁぁぁああ!

異形の音響による、衝撃波。

大地が揺すれ、世界じゅうが、ビリビリ震えた。耳の奥で鼓膜が破れんばかりに悲鳴を上げる。

あたり一帯の建築に、蜘蛛の巣のようなひび割れが次々に現れる。魔除けの盾にカバーされていない状態だから、魔性の衝撃波に対して、無防備だ。

路上にあった哀れな肉塊がいっそう細分化し、生き残っていた重傷者の全身にも、新たに多数の裂傷が走る。

アルジーが咄嗟に身を潜めていた水壺もひび割れ、退魔紋様ごと破砕した。

シュクラ青年が手前にかざすように構えていた三日月刀(シャムシール)。そこに施されていた退魔紋様も乱れる。 護符でもカバーしきれなかった左右の身体の端々に、やはり多数の裂傷が走った。

だが、赤毛スタッフ青年クバルは、熟練の退魔対応の戦士だった……それも大型《人食鬼(グール)》対応の。

白金に輝く三日月刀(シャムシール)が舞った。太刀筋が見えないほどの高速で。最後に逆袈裟を描く。

太刀筋に沿って、刀身の退魔紋様が投影された……高速の、正確な軌道が描く残像。武芸の奥義だ。

中空に投影された白金色の描像が、魔除けの盾となって展開する。

雷のジン=ラエド特有の、白金の輝きが閃く。

魔性の衝撃波が弾かれ、はるか天空へと散逸していった。空気がかき乱されて、星々の光が激しくまたたく。

「くっ」

紙一重の差で防いだとはいえ、相当の衝撃。クバル青年の赤毛が、ターバンと共にベロリと剥がれた……

……剥がれて飛んだのは、赤毛に見えた毛束だけだった。現れたのは、漆黒の黒髪だ!

相手の属性が不意に変化したことに気付き、《人食鬼(グール)》肉塊が訝しそうに口の動きを止めた。

一瞬の隙。

クバル青年は全速力で異形の肉塊へと殺到するや、一刀両断の勢いで三日月刀(シャムシール)を構える。

その三日月刀(シャムシール)はすでに、充分な威力を備えた雷のジン=ラエドの力に包まれて、まばゆい白金に輝いていた。

ぎらつく黄金の両腕が、迎え撃とうと蠕動しつつ、しなる。

クバル青年は、熟練の身のこなしで怪物の両腕をかわし、三日月刀(シャムシール)を薙ぎ払った。

怪物のカギ爪と、雷光に燃える刀身が衝突する。

重い金属音が響きわたった。

三日月刀(シャムシール)が、一太刀で打ち砕いていた……恐ろしいカギ爪の一列を。

その勢いのまま返す二太刀、怪物の両腕をまとめて両断する。

つづいて、不完全な人体をした肉塊の急所を、三日月刀(シャムシール)の斬撃が正確に切り裂いた。

全速力ですれ違い、両者は立ち位置を変えていた。

肘(ひじ)から先が失せた、黄金色の二つの腕を路面に食い込ませている忌まわしい肉塊。

三日月刀(シャムシール)を振り切った軍装姿のクバル青年。

白金色をした退魔調伏の雷光が、不完全な人体をしてうずくまった肉塊の内部に、満ちあふれた。背中部分の、恐竜を思わせる異様な骨板が白熱し、爆散して形を失った。

忌まわしい肉塊は……断末魔の踊りすら、踊れなかった。

上位の《火の精霊》ならではの強烈な白金の灼熱が、見る間に肉塊全体を焼き、火煙と化し……肉塊は、まばゆい火花と共に蒸発していった!

――目の前の光景が信じがたい。

腰を抜かしたアルジーと、シュクラ青年。

クバル青年が、身を返すなり2人に気付いた。必死の面持ちで駆け寄り、手を差し伸べる。

「生きて――」

次の瞬間、不気味な黒い影が割って入る形で、高速で滑り込んで来た!

「ハッ……!?」

あまりにも突然の異変。

全員で動きを止める。

「いよいよと言う時に……邪魔されてはかなわん!」

しわがれ、かすれた声音。

声の主は金の縁取りの付いた黒い長衣(カフタン)をまとった、大柄な人物だ。

人相は、分からない。骸骨の顔をした黄金仮面。

黒ターバンは見事な宝冠装飾で彩られていた。上半身を覆うほどの丈をした黒い厚手ベール。中の毛髪がよほどボリュームがあるのか、獅子のタテガミを覆っているかのように広がっている。

「何者……!」

黒髪のクバル青年が三日月刀(シャムシール)を構えた。

「帝国軍の特殊部隊『ラエド』が出るとは想定外。かくなるうえは」

骸骨の顔をした黄金仮面は、意外にガッシリとした毛深い手を伸ばし、アルジーをつかんだ。明らかに拉致する構え。

「てめぇ!」

「うぐぅ」

黒衣の怪人は、クバル青年の刃先をよけた。ほとんど本気で、よけたのだった。

雷のジン=ラエドは、上位の精霊。たいていの護符を説得できる。

怪人は、護符の力に守られていたのであろう黒い長衣(カフタン)と長いベールをザックリと裂かれ、脇腹から相当の血しぶきを散らしながらも。

バッと浮上した。

――2階ほどの高さへ。

見事な羽根の紋様を織り込んだ、白い絨毯。

浮上の直前で絨毯の端をつかんでいたらしい、シュクラ青年がブルブル震えながらも絨毯に取り付き……よじ登る。

息を呑むクバル青年。

「空飛ぶ絨毯……!」

「捕まえられるものならば捕まえてみよ」

黒衣の怪人の、骸骨顔をした黄金仮面から洩れて来たのは、しわがれ声の挑発。黒ターバンを彩る贅沢な宝冠が、ギラリと光る。

黄金仮面の怪人と、シュクラ青年とアルジーを乗せた不思議な絨毯は、猛烈な速度で飛び去った。

――東方総督が住まう宮殿に付属する、聖火神殿の方へ。

クバル青年が歯ぎしりする。

少し遅れたという風で、帝国軍の軍装をした一団が、ドヤドヤと集まって来たが……やはり遅かった。

「追うぞ!」

「おぅ!」

「馬を回せ!」

クバル青年と帝国軍の特殊部隊の一団は、速やかに騎馬団となって、街路を駆けて行った。

*****

直後。

救助隊を待つ重傷者たちの間で、ひとつの死体が動いた。

――内臓を撒き散らして無残な肉塊となっていた、『邪眼のザムバ』。

装飾鋲(スタッズ)きらびやかなベスト付きの、武装親衛隊の制服は、かろうじて名残が窺えるくらいのボロ布と化している。

再び立ち上がった、山のように大きな体格は……魔性にぎらつく黄金の肉塊と変じていた。

顔面はグチャグチャに崩壊していた。再生が間に合わず、顔面を構成する筋肉の束や、腱で連結されたままの骨片、舌、脳みそ――が、だらりと垂れ下がっている。無残に崩落している形で。

不真面目に再生された胴体の各所の破れ目からも、ズルズルと内臓がこぼれ落ちていた。

そこだけ不自然なまでに急速に再生された、眉間の黒い刺青(タトゥー)……

……次の瞬間。

かつて『邪眼のザムバ』であった巨体の背骨に沿って、恐竜を思わせる黄金の骨板の列が、バキバキと音を立てながら飛び出した。

顔面崩落して舌その他が垂れ下がった頭部や、内臓をズルズル引きずる胴体を、持ったまま。

魔性の黄金にぎらつく背中で、恐竜を思わせる黄金の骨板が震え、遠隔でやってくる指令を受け取り始めた。

――『1001の夜が来た。その邪眼を開け。生贄の祭壇へ、急ぎ参れ』。

狂暴な黄金にぎらつく魔性の死体――といった様相の『邪眼のザムバ』は、恐竜を思わせる黄金の骨板を脈打つように光らせ、猛烈な速度で駆け出して行った。

宮殿に付属する、聖火礼拝堂の方向へ。

そこだけ不自然に完全形の眉間、その間の「邪眼」の黒い刺青(タトゥー)は変化していた。「邪眼」はグニョリと歪み、皮膚に裂け目を作っていた。

奇々怪々な裂け目は、本物の目であるかのように「カッ!」と開き、赤々と燃え上がっていた……

*****

羽根の紋様を織り込まれた白い絨毯は、猛烈な速度で飛行していた。

空飛ぶ絨毯は、古代の『精霊魔法文明』に由来する品だ。《魔導》工房でも稀にしか生産できない高価な品だが、精霊雑貨の一種である。

飛行中、ずっと《魔導》による風防が機能していた。絨毯に乗っている黄金骸骨の仮面の怪人、シュクラ青年、アルジーは、そよとも風圧を感じなかった。

あっという間に、宮殿に付属する聖火礼拝堂のドーム屋根へと到達する。

豪華絢爛を極めた広大な聖火礼拝堂は、上から見ると、正方形の建築になっていることが分かる。

地上で、贅を凝らしたアーチ様式の渡り廊下が延びているのが目立つ。東方総督の住まう宮殿と聖火礼拝堂とを連結する渡り廊下だ。

聖火神殿のほうは、聖火礼拝堂の事務局といった雰囲気の付属的な建築になっていて、非常に地味な造りである。

アルジーのターバンの隙間に隠れていた白文鳥アリージュが、小さく「ぴぴぃ」と、さえずった。

『前に引っ掛かって骨と皮になって禿げたの、あそこの聖火神殿と聖火礼拝堂の境界、シビレル呪縛《魔導陣》だよ、場所が同じ、ピッ』

すぐに、別の隙間で、相棒の白文鳥パルがピョコピョコ動いて応える。

『白タカ・シャールの前任も、あの辺りで消息を絶ってた……ピッ』

『あんなシビレル呪縛《魔導陣》あったかなぁ? 大きな黒ダイヤモンド仕掛けてあって呪縛シビレル。下手したら白骨化して『根源の氣』に返る。 2年前、白タカがお星さまになったの、あの辺りだったの? 引っ掛かった時は気付かなかったよ、ピッ』

『あの巨人族の子孫「邪眼のザムバ」の邪眼のせいだ。ザムバの邪眼、シビレル《魔導》黒ダイヤモンドと共鳴してる本物。さっき、ザムバ、大型《人食鬼(グール)》に襲われて死体になった。 共鳴が切れたから、隠蔽状態だった《魔導陣》が見えるようになったんだ』

内緒話のようにつづく、白文鳥《精霊鳥》たちの指摘と検討。

――2年前の夜。トルジンに放逐されて夜道をさ迷って……パルでさえ惑わされたと思しき、探索を妨害する《魔導陣》。

御曹司トルジンが、100人や200人の魔導士を引っ張って来て、コソコソしていたのだ、と思っていたけれど。

真相は……

アルジーは、そっと、そちらの方に視線を投げた。

東方総督の宮殿に付属する――聖火神殿・宮殿出張所が、聖火礼拝堂と隣り合って建っている。

事務所そのものの建築物の1階部分に、聖火礼拝堂へ向かう長い通路と思しき構造があった。中程度のサイズの幾何学的格子窓が規則的に並んでいる。

聖火礼拝堂との間には、路地裏のような空隙。

定番の《火の精霊》による魔除けが維持されている筈の位置だが、そこだけ、夜間照明の光が届いておらず……異様に暗い。夜間照明の吊りランプが落ちていた時の、桑林の中のようだ。

――何があるのかは分からないけれど、何かがあるのは感じられる。

何かを焚いているのか……暗く濁った煙霧が漂っている。特に、聖火神殿と聖火礼拝堂の境界の辺りの輪郭が、煙霧でかすんでいて、不鮮明だ。

毒々しい空気。これ以上は、ヤバイ。あの煙霧を吸ってはいけない。

アルジーは目を反らし、空飛ぶ絨毯が煙霧の流れを外れるまで、呼吸を止めていたのだった……

……聖火礼拝堂は、人通りがすっかり絶えていた。

今まさに、大型の邪霊への対応をも含む、特殊な市街戦が進行中――

――普段、聖火礼拝堂を巡回したり警備したりしている神官・魔導士たちや衛兵たちは、みな出払っているところに違いない。

聖火礼拝堂のドーム屋根の直下は、アーチを連ねた柱廊がグルリと巡っていた。天井回廊である。

空飛ぶ絨毯は、芸術的なアーチ柱廊が成す天井回廊へと到達した。

そこで待ち構えている、8人の人影が居た。

いずれも黒ターバン。金の縁取りのある黒い長衣(カフタン)姿の人々。邪霊使いであった神殿役人ゾルハンと同じような、骨灰色の骸骨顔の仮面をしている。8人は全員、邪霊使いに違いない。

アルジーは極度の疲労から回復し始めていた。白い絨毯のうえで身を起こし、忌々しい宝冠と黄金の骸骨仮面を装着した黒衣の首領魔導士と思しき怪人に、キックを仕掛けようとしたところで。

シュクラ青年がアルジーの身を取り押さえ、拘束したのだった。

ハッとして、振り返るアルジー。次に青年の不穏な表情に気付き、ギョッとして息を呑む。

「これはどういう事なの、ユージド。まさか、あいつらの仲間?」

「そのまさかだよ。何のために、私があそこへ……白文鳥の群れが飛んでいるところへ、現れたと思ってた? アリージュの居るところには、いつも《精霊鳥》の群れが集まって来た」

アルジーは呆然と震えるばかりだ。

生成りターバンの隙間に身を隠していた白文鳥《精霊鳥》パルとアリージュも、異様な雰囲気を感じ取っているのか、息を潜めてジッとしていた。

ドーム屋根の天井回廊の各所で、最低限の夜間照明が灯されている……

シュクラ青年――アルジーの従兄(あに)にしてシュクラ王太子ユージドは、それきり無言のままだった。

夜間照明にボンヤリと照らされた色白の横顔には、できたばかりの多数の裂傷が残っている。先ほどの、大型《人食鬼(グール)》の咆哮に伴う衝撃波によるものだ。

陰影が形作ったせいなのか、それとも奥に潜む悪意を反映したのか。それは、古代の禍々しい風習としての刺青(タトゥー)のような様相を見せていた……

……

…………

天井回廊へと進んだ白い絨毯が、人の背丈ほどの高さで停止した。

「同志よ、いよいよ『黄金郷(エルドラド)』の時は来た」

黄金の骸骨仮面をした首領魔導士――怪人が、重々しく右手を掲げ、しわがれた声で喋り出した。黒ターバンに取り付けられた贅沢な宝冠が、キラキラと光っている。

8人の黄金の骸骨仮面たちは、黒い長衣(カフタン)の袖の中で表敬の形に手を組み合わせ、傾聴の姿勢を取っていた。

「これより1001人目の生贄の儀式を催行する。いと高き、世界の王の中の王《怪物王ジャバ》祭壇を、抜かりなく整えよ」

アルジーは恐怖と怒りに震えながら、その不吉な宣告を聞くのみだった。

いまや敵にして卑劣な裏切り者と判明した従兄(あに)、9人目の黄金の骸骨仮面シュクラ王太子ユージドに取り押さえられたまま……

いつしか東の端に、銀月が出ていた。

満月と半月の間――という風の、下弦の月。

月の出の刻を告げる時の鐘が、そらぞらしく、聖火礼拝堂の天井回廊に響きわたっていた……

*****

聖火礼拝堂の3階をめぐる、アーケード回廊の一角。

アルジーは、その一角にある展望室に閉じ込められた。シュクラ王太子ユージドと判明した、9人目の黄金の骸骨仮面の手によって。

この時刻、銀月の光が、もっとも良く差し込んで来る位置だ。

展望室には、華麗な幾何学格子をはめ込まれた大窓がある。

大窓は、外側のほうから、武骨な鉄鎖によって封じられている状態だ。人質の塔に居た頃のアリージュ姫が、バルコニーの大窓から毎日のように抜け出していたことを、よく知っているに違いない。

ターバンを外して月光浴をしつつ、アルジーは皮肉を込めて呟く。

「生命力を回復したイキの良い生贄でないと、困る理由があるのかもね」

ターバンを握り締めるアルジーの手は、小刻みに震えていた。

生贄を捧げるのは、真夜中の刻だという。それまで、あと数刻。

……精一杯の皮肉を込めたとはいえ、アルジー自身でも、身体も声音も恐怖に震えているのが、分かってしまう。

満月の頃のように――とはいかないものの、腰の下まで届く長い髪を通して、《銀月の祝福》が流れ込んで来ているらしい。

アルジー自身には、その類の霊感も無く実感も無いが。

不健康にパサついた灰髪に触れてみると、徐々に手触りが改善してきているのが感じ取れる。それと共に、気力も思考もハッキリして来ている。

窓辺を、白文鳥《精霊鳥》パルが、ピョンピョン跳ねながら行ったり来たりしている。

白文鳥アリージュのほうは、ヨタヨタと歩いていた……いつの間にか、歩ける程度には回復したのだ。 アルジーの耳飾りとなっているドリームキャッチャー細工の護符は、オババ殿のお手製だけあって、微々たる進展であっても効果は確か。

白文鳥アリージュは、再び力尽きたように目を閉じて、ペタリと窓辺に座り込んだ。それを掬い取り、肩先に止まらせる。 ドリームキャッチャー細工の護符の傍で、白文鳥アリージュは少しずつ元気そうな様子になって来た。目をパチパチさせ、翼の感触を確かめるかのようにパサパサとやり出す。

まともに飛ぶのも難しい状態の白文鳥を、これ以上、傍に置いておく訳にもいかない。

幾何学的格子の大窓は、幸い、ガラスはめ込み型では無い。小さな白文鳥なら、隙間を通って外へ逃げ出せる――ちょうど手頃な距離のところに、ナツメヤシの木が生えていた。

『ねぇ、どう考えても絶体絶命っぽいから、いまのうちに逃げて。あのナツメヤシまでだったら、飛べるよね』

白文鳥アリージュから返って来たのは、何故か拒否の返事だ。冠羽をピッと逆立てて「ルルッ」と鳴き、サッと収める。

相棒の白文鳥パルのほうは、何かを待っている様子だ。小さくて短い尾羽を、孔雀の尾のようにいっぱいに広げ、窓枠を左右に行き来しつづけていた。

幾何学的格子の窓枠を通して、かすかに、市街戦のものと思しき爆発音が聞こえて来る。『退魔調伏』御札の類が大量に使われているのだろうと想像できる。

アルジーは、個室にしては広いほうと言える展望室の中を、グルリと見回した。

聖火礼拝堂の中心方向にある壁には、『魔法のランプ』安置用の室内祠がしつらえてある。神殿や礼拝堂では定番の調度。荘厳のための装飾的な紗幕(カーテン)が掛かっていた。 いまは亡き神殿役人ハシャヤル氏の部屋にあった室内祠と、同じ。

異様なのは、隅に設置されたスタンド式ハンガーだ。生贄の装束――見事な金糸刺繍と宝飾が施された白い長衣(カフタン)をまとっている。ただし、その金糸刺繍モチーフは、異形の頭蓋骨だ。

そのスタンド式ハンガーは、婦人用の調度としては上等な代物。かなり大きな鏡……姿見が、てっぺんに取り付けられていた。

背丈のある男性の目線を意識して姿を整えるべし、と言わんばかりに。 実際、その姿見の目線は、あの宝冠セット黒ターバンと黄金の骸骨仮面を装着した、邪霊使いたちの首領と思しき大柄な魔導士の背丈だ。

「……着替えてなんか、やるものか。民間の代筆屋の反撃を、ガッツリ味わえっての」

アルジーはフンッと鼻を鳴らし、荷物袋を開く。

代筆屋の仕事道具を収める袋とあって、邪霊使いと思しき魔導士たちも、いまや卑劣な一味と知れたシュクラ王太子ユージドも……中に入っているのは安っぽい筆記用具やガラクタの数々だと判断したらしい。

バカにしたような空気が漂い。取り上げられることは無かったのだ。

アルジーは紅白の御札を取り出し、赤インクで《精霊文字》を記した。

書きあがったのは、通称『お喋り身代わり居留守』御札。具合が悪くて寝込んだりした時、客の振りをして様子をうかがいに来た空き巣を諦めさせるために、使っていた防犯用の御札だ。 これは、機能としては『お喋り』――音声のみ。一筆付け加えて、離れたところに居るアルジー本人の音声を引っ張って来るようにした。

書き上がった御札を、スタンド式ハンガーのてっぺんに取り付けられてある姿見に、ペタッと貼る。ちょうど口の位置。

次に灰色の御札を取り出し、特製『身代わり人形』御札を作る。そして、最初の御札と重ねて貼り付ける。

すると。

生贄の白い装束をまとったスタンド式ハンガーが、「もうひとりのアリージュ姫」になった。

アルジーは出来をチェックしつつも、口を引きつらせる。

簡素だが造りの良いスタンド式ハンガーは、当人の《骸骨剣士》めいた体格を、過剰なまでに正確に再現していた。

アルジー本人がブツブツと呟くと、早速、「もうひとりのアリージュ姫」がブツブツと音声を再現した。

――「なかなかの骸骨だね」。

肩に止まっていた白文鳥パルとアリージュが、「ぴぴぃ」と、さえずり返した。

脱出のチャンスは1回。

生贄として、この展望室から引きずり出される時だ。

――魔導士たちが、この身代わりを本人と誤解してくれたら充分。すぐに見破られるかどうかまでは分からないが、少なくとも隙を突く事はできる筈。

アルジーがターバンを締め直すと、白文鳥《精霊鳥》パルとアリージュは、驚くくらい素早く、ターバンの隙間へと潜り込んで来た。

『用心! 用心!』

『人が来る、ピッ』

廊下側の仕切り扉が……スーッと開き始めた。

『どういうこと? まだ早い……!?』

ギョッとしながらも、アルジーは身を隠す場所を探し、そこに飛び込んだ。

――『魔法のランプ』安置用の室内祠に掛かっていた紗幕(カーテン)の陰に。

仕切り扉が、ゆっくりと開いて閉じる。

入って来たのは……あの淡い茶髪をした、シュクラ青年だった。魔導士さながらの黒い長衣(カフタン)。手に持っているのは骸骨顔をした黄金仮面だ。

今や不倶戴天の敵と知れた、シュクラ王太子ユージド。

アルジーは息を詰め、様子を窺った……

少しの間、ユージド王太子は「身代わりアリージュ姫」を眺め、乾いた笑い声を立てた。

「おとなしく生贄用の長衣(カフタン)を着たね。これだけ豪華なドレスだと袖を通してみたくもなるか。やはり女は宝石とドレスだね」

「黒衣の魔導士になってたとは知らなかったし、邪霊使い稼業してるとは、なおさら思わなかったわよ、ユージド。《骸骨剣士》すら退治できなかったくせに」

正体はスタンド式ハンガーである「身代わりアリージュ姫」は、紗幕(カーテン)の陰に身を隠したアルジーの応答を、そのまま再現した。

スタンド式ハンガーの『お喋り身代わり居留守』御札に宿った《火の精霊》は、名優の類だったらしい。

幻影が、王女らしく堂々と長衣(カフタン)ドレスの裾をさばく。骸骨さながらにくぼんだ眼窩の奥から、ジロリと視線を飛ばす。 大窓から差す銀月の光が、いっそう明るい。「身代わりアリージュ姫」のベールが、2年前の花嫁姿のように、純白の輝きをまとっていた。

「純血の正統なシュクラ王族は、箸より重いものを持ったことが無くてね。何処かの代筆屋とは違って」

黒装束のシュクラ青年ユージドは、奇妙な事態が進行しているという事には、気付かない様子だ。「身代わりアリージュ姫」から視線を外していない。 目の前で、音声と口の動きが一致している存在があると、実際の音声は別の方向から来ているという事実には、人間は案外、気付かなくなるものだ。

「この間の、金融商の店先に出た《三つ首ネズミ》《三つ首コウモリ》、『邪眼のザムバ』が台無しにしてくれちゃったけど。 実は私が差し向けたものだったんだ。あの時に『黄金郷(エルドラド)』1000人目の生贄として死んでくれれば望みの物が手に入ったのに。 別に捕獲済みだった生贄が死んで、台無しになった」

「望みの物ですって? 私を殺しても何も出ないわよ。この裏切り者が」

「シュクラの裏切り者は、お前たちじゃないか。帝国の下僕に成り下がったシュクラ国王夫妻、それに、お前の両親、帝国融和派のシュクラ宮廷議員ども」

暗い顔をして声をきしらせる、シュクラ青年――ユージド王太子であった。

「我らがシュクラ山岳王国は、永遠の独立国だ。そうあるべきだった。シュクラ王は、オリクト・カスバから来た帝国女を王妃として、その甘言におぼれた。 シュクラ王国を帝国に売り渡すなどという取り決めを行なった売国奴。斬首されたのは当然だ」

「ユージド、いま自分がどれだけ狂った論理を喋ってるか、気付かないの? シュクラ国王夫妻が、クソ外道トルーラン将軍に斬首された理由と罪状は、 三つ首の巨大化《人食鬼(グール)》を発生させた件について、だったわよ。メチャクチャな言い掛かりだし、この冤罪は何としてでも晴らすべきでしょう」

スタンド式ハンガー「身代わりアリージュ姫」は、アルジー本体の応答に合わせて口元を動かし、見事なまでの演技をつづけている。

歪んだ笑い声が、部屋じゅうに響きわたった。笑っていたのは、魔導士の姿をしたシュクラ王太子ユージドだ。

貴族的かつ秀麗な顔面の左右には、その歪んだ笑い声にふさわしくと言うべきなのか、先ほどの大型《人食鬼(グール)》の衝撃波によって出来た裂傷が広がっていた。

取り急ぎ治療系の《魔導》の術で応急手当をしたらしく、血は止まっていたが……魔性の影響によると分かる色素沈着があり、人相が変わって見える。 本来の肌色より一段と暗い色の刺青(タトゥー)を、新しく入れたかのようだ。

「フン、私も水瓶の後ろに回るべきだった。こうも傷が付いてしまうと……千年モノの《精霊亀》の甲羅があれば、傷痕も色素沈着も綺麗に消えるんだがな。 得意の《精霊語》で、頑迷な《精霊亀》どもを誑(たら)し込んでみてくれるかい、アリージュ?」

「都合良い事を言うな、外道な裏切り者。怪物サイズの《三つ首ネズミ》《三つ首コウモリ》を呼んでおいて。 昔、シュクラ王国の国境地帯の魔除けを荒らして、三つ首の巨大化《人食鬼(グール)》を召喚したのも、ユージドなの?」

「フッ、大正解! ……と言いたいところだけど、アレは違うよ。シュクラ王国の永世独立派の筆頭の重鎮、王妹殿下シェイエラ姫の夫になる筈だった貴族フィグダルズだ。 帝国出身のエズィールが、平民のクセに夫の座に収まらなきゃね。アリージュも覚えてる人だと思うよ。シェイエラ姫が具合悪くなった時、よくお見舞いに行ってたから」

「フィグダルズ……」

室内祠の紗幕(カーテン)の陰で……アルジーは息を詰まらせていた。

――覚えている。

年齢の割に眉目秀麗ではあったが、あまり印象の良くない貴族男性だ。お見舞いに来ては、母シェイエラ姫に、父エズィールとの離婚を進めていた人だ。 純粋なシュクラ人では無い父エズィールと娘アリージュを、国外避難という形で、実質、追放することさえ進言していた。

当時のアリージュ姫は、その場を退席したと見せかけて、こっそり戸棚の中に隠れて、しょっちゅう盗み聞きをしていたから……よくよく覚えている。

――あの人が?

「残念ながら、シェイエラ姫は死ぬまで、卑しい平民の鷹匠エズィールに一途だったね。フン、真実の愛か。フィグダルズも哀れだな。 大金はたいて、生贄《魔導札》を手に入れて、シェイエラ姫に貼り付けた。シェイエラ姫を奪って行ったエズィールを見返すためだけに。 シェイエラ姫が生贄にされて、絶望に顔を歪めるのを見たいがために」

アルジーの中で、ふつふつと怒りがたぎっていた。

いつしか、その手に……ずっしりと油の入った『魔法のランプ』を握り締めていた。ターバンの隙間で何かがピョコピョコ動いているが、気にもならない……

「アリージュも、こんな骸骨になった原因は生贄《魔導札》だし、あの人質の塔の夕食に盛って、アリージュに食わせたのは私だけどさ。 その《骸骨剣士》さながらの醜い姿で、ここまで、しぶとく生き残るとはね」

淡い茶髪をしたシュクラ青年――ユージドは、黒衣の袖に包まれた腕をゆっくりと組み、温度の無い眼差しで、スタンド式ハンガー「身代わりアリージュ姫」を眺め始めた。

――7歳の頃、急に死にかけた原因は……

油の入った『魔法のランプ』をつかむアルジーの手が、ブルブル震え始めた。

スタンド式ハンガー「身代わりアリージュ姫」を動かしている名優《火の精霊》は、即座に反応した。口を引きつらせ、幻影の手を、フルフルと震わせる。

「よくも……何故、そんな事を、ユージド」

「怪奇趣味の賭博の『真の分け前』ってのは、大金とか、そんなモノじゃ無い。《銀月の祝福》生贄が《怪物王ジャバ》に捧げられた瞬間、 そこで得る分け前は、『大型《人食鬼(グール)》を使役する力』だ。富、権力、軍事力、栄光と勝利の約束、それこそ大望をいだく者が望むすべて……」

「三つ首の巨大化《人食鬼(グール)》を、思うままに操れるようになると!?」

「シュクラ国境地帯に、あの化け物が出現して、速やかに消滅していったのは、そのせいさ。あの時はフィグダルズが操ってたんだ。 速やかに退去させたのは、それで、だ。偉大なる祖国シュクラを、あれ以上、荒らし回らせるわけにはいかなかったし。 結局、あの忌々しいエズィールは最後まで生き延びてたけどね。国王夫妻と一緒に斬首されて、万々歳だ」

「フィグダルズを殺してやる」

「それは残念だね、アリージュ。フィルダルズは死んだよ。シェイエラ姫が死んで、絶望して自殺。 あとでオババ殿から、シェイエラ姫の死因の調査結果が明らかにされて、その内容がショッキングだったのも利いてたらしいな」

何故か――淡い茶髪をしたシュクラ青年ユージドの顔に、一瞬、苦渋めいた表情がよぎった。

「フィグダルズは、1001日が到来する前に生贄《魔導札》を剥がせば、シェイエラ姫は死なないと思っていた。まさか、あの見事な銀髪を、惜しげも無くバッサリ切るとは。 それに……シェイエラ姫の体調が良くなかったのも、生贄《魔導札》を通じて《銀月の祝福》を吸い取られていたせいだ。 その《銀月の祝福》は、《人食鬼(グール)》を思うまま操る《魔導》の源だった……」

――母シェイエラ姫が有していた《銀月の祝福》が、この世で最も忌まわしい暴力となって、シュクラ王国を滅亡させた……!

これは絶望だろうか。怒りか……悲しみか。

目の前が真っ暗になるような思い。

銀月の光がいっそう明るく差し込んで来る展望室に……ひととき、不気味な沈黙が横たわった。

「……ユージドも、フィグダルズと同じように、三つ首の巨大化《人食鬼(グール)》を操れるわけ?」

「残念ながら、995人目の生贄で第3等が当たって、大型《三つ首ネズミ》と《三つ首コウモリ》を操れるようになっただけさ。 クバルとか言う下民が、まさか帝国軍の特殊部隊『ラエド』戦士、帝都の皇族とすら対等に話せる特権的エリート……まぁ、 オリクト・カスバのローグと同じくらい目障りだし、いずれ殺してやるけど」

「そんな事させないわよ!」

「アリージュ、お前は『黄金郷(エルドラド)』の祭壇で、1001人目の生贄として死ぬんだ。何もできないよ。幽霊となって見ているがいい、 古代からの偉大なる伝統、純血のシュクラ王統を引き継ぐ私が、最高位の《人食鬼(グール)》の帝王となって、帝国人の全員を絶滅させて……この世を純正シュクラ帝国とするのを」

ユージドは三日月刀(シャムシール)を構えた。

スタンド式ハンガー「身代わりアリージュ姫」のほうへ。

「フン、実に醜い骸骨女だ。7歳の時はシェイエラ姫に生き写しの美少女だったのに、適当に体調を崩すどころか、こうも一瞬で化け物になるとは。 トルーラン将軍もトルジンも、一目で、うち棄てる訳だ」

最後の言葉は、ほとんど嘲笑だ。

「死んで、フィグダルズに詫びろ!」

三日月刀(シャムシール)が勢いよく回転する。

アルジーは力を込めて、『魔法のランプ』を投げつけた。

淡い茶髪をした後頭部に命中する。陶器製ならではの派手な音を立てて、『魔法のランプ』が砕けた。

直下の床へと、油が撒き散らされる。

頭の痛みを抑え、驚愕の面持ちで振り返るユージド青年へ……アルジーは襲い掛かった。

かつて麻袋(サンドバッグ)で日々鍛えていた、強烈なパンチとキックを続けざまにお見舞いする。

「ぐはぁ」

青年が思わず中腰になる。その首元へ、会心の回し蹴りを叩き込む。

ユージドは、床にこぼれた油に足を突っ込み。

そのまま足を滑らせ……転倒した。

アルジーは重い三日月刀(シャムシール)を担ぎ、大窓へ駆け寄った。幾何学的格子の窓枠に通し、地上へと放り出す。

「この化け物が、身代わりの術を……」

真相を悟ったユージドは、悪鬼の如き形相をして身を起こした。指先をカギ爪のように曲げ、《三つ首ネズミ》《三つ首コウモリ》を召喚する構え。

――邪霊使い特有の、均衡の崩れた身体が出現した。

アリージュ姫を「化け物」と表現した……ユージド王太子もまた、「化け物」というべき姿だ。

左右の腕の付いている位置が違う。食いしばった口元から、長さが不揃いになった歯が牙のように突き出している。

……かつてのシュクラ王国の王子と王女は、不倶戴天の敵とばかりに憎しみ合う「化け物」同士の姿で、対峙していた。

ユージドは、もう一方の空いた手で、護身用の短剣を抜き放つ。

距離を取ろうと後ずさって、アルジーは足をもつれさせた。

異形音と共に殺到する黒衣姿。

絶体絶命。

その瞬間、スタンド式ハンガーに貼りつけられていた御札が、《火の精霊》の火の玉を放った。火の玉が床の油だまりに落ち、大きな炎が立ち上がる。

「うお!」

前髪の一部が焼け焦げ、ユージド青年は、身体を大きくのけ反らせた。

その拍子に、黒い長衣(カフタン)袖や懐が乱れ、護身用の短剣が弾んだ。

炎の明かりを反射しつつ、チャリンと、こぼれ落ちたのは。

琥珀ガラス製のコイン。怪奇趣味の賭博宴会で、賭けチップとして使われているものだ。今までに見た琥珀ガラス製コインの中では、最も大きい。

――『1001』。

その数字が『何』に賭けられているのかは、今や明らかだ。どれだけの金額を賭けたかなんて、考えたくも無い。

アルジーの耳元で、ドリームキャッチャー護符の耳飾りが揺れる。オババ殿お手製の御守り。

オババ殿の残した遺言書の言葉が、走馬灯のように記憶の中を駆け巡った。

――《怪物王ジャバ》復活を願って1001人の生贄を捧げようとしている怪物教団が存在するのは確実だ。その手先、すなわち生贄《魔導陣》や《魔導札》の運び屋が、 身体に接触した……《魔導》運び屋は、すぐ近くに居て、確実に死を与えようと虎視眈々と狙っている筈だ――

――きっと、『黄金郷(エルドラド)』が、その怪物教団なのだ。

賭けの分け前の内容……巨大《人食鬼(グール)》を安全に使える、なんていうのは、見せ掛けの罠に違いない。

ユージドは身を起こそうとしていたが、見るからに、均衡の崩れた身体を扱いかねている。

三十六計、逃げるに如かず。

アルジーは展望室の戸を押し開き、一目散に駆け出した。

「お前なんて……生まれて来なければ良かったんだ、アリージュ……!」

後ろから響いて来る従兄(あに)ユージドの声は、亡霊の悲鳴のようにも、呪わしい嘲笑のようにも聞こえて来た……

*****

宮殿に併設された豪華絢爛な聖火礼拝堂は、城下町のほうの聖火礼拝堂より大規模だ。

その分、逃走距離も倍増している。

アルジーは走った。

押し込められていた展望室は、貴人用のものだったようだ。幾何学的紋様の華麗なタイル装飾。極彩色の壁が、延々とつづいている。

相棒の白文鳥《精霊鳥》パルがターバンの隙間から顔を出し、「ぴぴぴぃ」と鳴き始めた。

『アリージュ、アリージュ、この礼拝堂、シビレル《魔導陣》強すぎてパルには何も分からないピッ。頑張るピッ!』

パルと同じくターバンに潜り込んでいた白文鳥アリージュは、ピョコピョコしなくなった。感触も硬い。

直感が告げる。不気味な《魔導陣》の影響で、いつだったかのパルのように、雪花石膏(アラバスター)の彫刻へと固められようとしているところなのだ、と。 エネルギー的に余裕が無い分、パルよりも呪縛の進行が早い。

途中で、いかにも作業用と見える、装飾の無い階段を見付け。迷わず降り始める……

……地上階のほうへ。

恐らく見張りが不在であろう「ゴミ捨て場」に通じる裏口へ。

――2年前に放逐され、偶然にも市場(バザール)へ抜け出せた夜のように、この悪夢のような場所から抜け出せるならば……!

階段を取り巻く壁に穿たれた窓は、開いていた。屋上と思われる位置のほうから、『シュボン』という、狼煙(のろし)特有の軽い爆音が聞こえて来る。

やがて、恐ろしい怪物が礼拝堂へと侵入して来たのか、礼拝堂の中を、非常時の鐘の音が響き渡った……

*****

「生贄が逃げた!」

「探せ、即刻、捕らえろ!」

「我らが『黄金郷(エルドラド)』の栄光にかけて!」

聖火礼拝堂の方々に詰めていた「邪霊使い」の魔導士たちが、人相を隠すための骸骨の仮面を装着し、大斧槍(ハルバード)を抱えて動き出した。 その武器を構えた黒衣姿は、骸骨の仮面とも相まって、異国のおとぎ話の絵画に描かれた死神そのものだ。

武装した魔導士たちの胸元を彩る首飾りは、通常の魔除けのジャラジャラと鳴る数珠やチェーンでは無かった……それは、 邪霊害獣の未処理の骨片を連結した装飾品だ。その異様にギラギラとした黄金色は、まさに魔性のもの。

*****

アルジーは遂に、地上階に到達した。

地味で素朴な雰囲気をした壁が、長く続いている。

――何処かへ通じる廊下のようだ。小さな夜間照明ランプが、まばらに並ぶ。

長い通路には、中程度のサイズの幾何学格子窓が規則的に並んでいた。窓枠を透かして、一段と高度を増した銀月の光が、差し込んで来る。

奇妙な重圧感――毒々しいほどに甘い不吉な空気が漂っているが、それでも、外の空気が感じられる一角へ出られたのは大きい。

窓枠から差し込む銀月の光に励まされて、アルジーは通路を駆けて行った。

「ここ、ずっと行けば、何処かに、外へ出る扉がある筈……パル?」

ターバンの中で、応えて来る雰囲気が無い。

アルジーは急に不安になって、足取りを緩めた。パルが居る定位置に手を伸ばす。もう1羽の定位置にも。

銀月の光に照らされていたのは……

……雪花石膏(アラバスター)の彫刻と化したかのような、2羽の白文鳥。

どちらがパルで、どちらがアリージュなのか、分かってしまう。

「ウソでしょ」

アルジーは恐怖を感じるままに、足を止めた。冷たい石のように動かなくなった、2羽の小鳥を撫でさする。

「お願い、戻って来て、パル」

死に物ぐるいで、辺りを見回すうちに……急に正解が閃く。

奇妙な重圧感――毒々しい不吉な空気。暗く濁った煙霧。

此処は、不可視の……空飛ぶ絨毯から垣間見えた、あの不気味な呪縛《魔導陣》の真ん中だ!

……壁沿い、通路が丁字路の形をして交わる一角……

異様に重い足音が、向こう側の暗がりからやって来る。不気味に「ベチャリ」というような、軟体動物めいた物音も。

アルジーは直感のままに、肩から下げた荷物袋へ手を突っ込んだ。震える手で、《白羽の水晶玉》を取り出す……素早くターバンを解いて、白文鳥たちを包み隠しておく。

いつしか、歯がカタカタと鳴っていた。

一歩ごとに、近づいて来る。重い足音の主が、銀月の光に浮かび上がった……

「ザムバ……!?」

そこに居たのは、『邪眼のザムバ』であって、そうでは無い、異形そのものだ。

大男の顔面は崩落していた。

腱で連結された、両方の目玉と思しき物がある。舌と思しきものが、頬(ほお)や顎(あご)の筋肉と思しきものが、だらりと垂れ下がっている。《魔導》による再生の途中らしく、 ブツブツ、ジュウジュウ、というような不気味な音を立てて、テラテラ黄金肌をした全身から、蒸気を噴き出していた。

全身から噴き出す、その蒸気。毒々しい不吉な空気――暗く濁った煙霧の発生源。

黄金の血液を流しつづける凄まじい裂傷の間から、異様なまでに盛り上がる筋肉組織が丸見えだ。

背中から、恐竜を思わせる骨板の列が飛び出している。

通路が丁字路の形をして交わる一角。アルジーは角を折れて、残りの一方向へと走り込んで行った。

長方形になった建築物の短辺に沿っているらしい。突き当たりと見える奥の方に、明るい銀月の光が差す幾何学的格子の大窓が見える。 バルコニー窓の形式だ。格子の間は吹き抜けになっていて、鎧戸で封じるタイプ。

ズシン、ベチャリ、ズシン、ベチャリ……重く異様な足音と、それに付随する物音。

忌まわしい付属物を取り付けたうえに、再生の途中であるため、ザムバの形をした異形は、ゆっくりとしか歩けないようだ。 或いは、この建築物が、もともと礼拝堂の付属として聖別されたものであるという事実が、怪物や邪霊としてのザムバの動きを、鈍くしているのか。

だが、アルジーを獲物と認識しているのは確かだ。アルジーを追って、角を折れ、後を付いて来る。

恐怖のあまり浮足立っていた足取りが、もつれた。

転倒する。

腰が抜けたとは、この事だ。逃げなければならないのは分かっているのに、身体が動かない。アルジーの身体もまた、白文鳥と同じように、石にされたかのようだ。 あるいは、本当に石化しているのか……

着実に近づいて来る、異形の足音。

振り返ると、あのテラテラ黄金肌の色が見えた。

アルジーはガクガク震える身体を𠮟咤し、両手に持っていた物を、思いっきり遠くへ放り出した。突き当たりに見える、大窓のほうへ。

――相棒の白文鳥パルとアリージュが包まれているターバン布。そして、《白羽の水晶玉》。

放り出された衝撃で、ターバン布の中から、雪花石膏(アラバスター)の彫刻と化している2羽の小鳥が転がり出す。

――怪物の王国の中で、精霊は奴隷状態だったと言う。白文鳥《精霊鳥》のような小さな個体など、ひとたまりも無いだろう。

『……お前たち、目を覚まして、早く逃げて……!』

次の瞬間、《白羽の水晶玉》が1回、閃光を放った。

アルジーの頭を飛び越えたかと思うや、その先のほうで「ジュウ」という異音が響く。

思わず振り返ってみると、かつて『邪眼のザムバ』だった異形の肉塊が、眉間を押さえてうずくまっていた。眉間の刺青(タトゥー)……邪眼をやられたらしい。

――刺青(タトゥー)なのに?

不思議な《白羽の水晶玉》の閃光の力なのか、重苦しい空気が、ザアッと退いてゆく気配。分厚い紗幕(カーテン)を、一気に開いたかのような……

アルジーが唖然としているうちにも、もう一度、二度、と閃光が走る。

なじみ深い羽ばたき音が生じた。ふたつ。

白い小鳥たちが、幾何学的格子の窓枠を、矢のような速度ですり抜けて行った。その勢いのまま、窓の外に広がる夜空へと飛び立ってゆく。

窓辺に転がる《白羽の水晶玉》には、もはや、あの不思議な白孔雀の尾羽の形をした彫刻は、ひとつも残っていなかった。

さっきの3回の閃光と引き換えに……残り3枚だった羽が、すべて失われたという事だ。

喪失感と――虚脱感。

……ジワジワと、後知恵さながらに、嫌な考えが湧いて来るのを感じてしまう。

石になってしまっていた白文鳥《精霊鳥》パルとアリージュを見捨てて、残り3枚を自分だけに使えば良かったのではないか、と。

かつては従兄(あに)と慕ったユージド王太子からの最後通牒が、寄る辺なき身に、いっそう食い込んで来る。

……生まれて来なければ良かったんだ。

見る間に、水晶玉だった物は形を変えた。役割を終えたと言うように。

そこにあったのは、いかにも訳あり品という雰囲気の、非常に古びた大型ドリームキャッチャー護符だった。定番の装飾である羽根飾りが、ひとつも無い。

――本物の白孔雀の尾羽を羽根飾りとしていた……大型ドリームキャッチャー護符だったのだろうか?

シュクラ王国から流出した王家の家宝の中に、そんな品があったような気がする。記憶は、おぼろだけど。

「生贄《魔導陣》に呪縛されている状態で、これほど抵抗するとは大したものだ」

暗い通路に陰々と響く、しわがれた声。

ギクリとしながらも振り返る。

――遂に、追いつかれた。

金の縁取りの付いた黒い長衣(カフタン)をまとう、大柄な人物。骸骨の顔をした黄金仮面。黒ターバンを彩る、まばゆい宝冠。

忌まわしい怪物教団『黄金郷(エルドラド)』の首領と思しき魔導士が、異形の肉塊と化した『邪眼のザムバ』を脇に従えつつ、立ちはだかっていた。

大柄な魔導士が、毛深い手をサッと振る。空飛ぶ絨毯を意のままに動かすのであろう黄金の《魔導札》が、その手の先でギラリと月光を反射した。

白い絨毯が飛んで来た。羽根の文様を織り込んである、空飛ぶ絨毯だ。

絨毯にグルグル巻きにされ、拘束される。空飛ぶ絨毯は、魔導士の指示に応え、宙にふわりと浮いた。

そのまま、アルジーの身体は、石造りの廊下を運ばれていった……

*****

長い長い階段を、降りつづける。

絨毯にグルグル巻きにされたアルジーの視界は狭まっていたが、先をゆく松明が、延々とつづく地下階段を照らしているのが見えていた。

地下室のところまでは、地上でもよく見られる日干し煉瓦が積み重なっていたが……ひとつ階層を降りたところから、古代『精霊魔法文明』のものと思しき、驚異の石造建築に置き換わった。

種類も年代も、よく分からない。ただ、想像もできないくらい古いということ、現在では誰も再現できないだろう高度技術があることは感じられる。 すでに千年を超えている筈の建築の石材が、いまだに、何処も欠けたり崩れたりしていない。

空間全体は……巨大な円筒形をしているらしい。

ゆるやかなカーブを描く壮大な壁面。円筒形をした空間に数多の支柱。その数多の支柱には、何を意味しているのか分からない古いレリーフが、ビッシリと刻まれている。 壁面に沿って、謎の鋼材でできた細い螺旋階段が取り付けられていて、グルリと回りながら降りてゆく形だ。

気まぐれに、アルジーを縛っている空飛ぶ絨毯がクルリと向きを変え、壁の反対側が視界に入って来る。

――目測するかぎりでは、この宮殿付属の聖火礼拝堂のドーム屋根と同じくらいの、壮大な規模だ。

上と下を行き来する螺旋階段は、どうやら3つあるらしい。

降りるごとに、暗くジメジメとした忌まわしい空気が、濃厚になって来る。

単に湿気があって暗いというのとは違う。空気そのものが忌まわしい。甘ったるい、気分の悪くなるような成分も漂って来ている。

――麻薬(ハシシ)を焚いている?

そう思う間にも、空飛ぶ絨毯が少し傾き、下方の光景が目に入って来る。

地下神殿の天井部分を成すドーム状の梁建築が、足元近くにまで迫っていた。 よく見かける単純な梁構造では無い。それは地上からの恐るべき荷重を支えつづけるためか、 蜘蛛の巣のように――ドリームキャッチャーの編目細工のように、複雑な構造をしていた。

梁構造を透かして、暗い黄金色をした数多の炎がチロチロと燃えているのが見える。1000に近い数。もしかしたら1001個の炎があるのかも知れない。

……不意に、洞穴の中をゆくような、両側を鋼材の壁に挟まれた通路になる。

その奇妙な一階層分を降りると、その通路が終わったらしい。

先をゆく松明の炎が、アーチ型の出入口を照らし出した。古代の高度技術による鋼材の扉で、封印されている。

松明を持つ魔導士が出入口の脇に控え、後ろに続いていた首領の魔導士に敬礼をして待機の体勢になった。

首領の魔導士が、陰々とした《精霊語》を発音する。

『開けゴマ』

ぎいぃ、と重くきしむ音を立てて、鋼材の扉の中央部に切れ目が走り、左右へとスライドした。

首領魔導士は空飛ぶ絨毯にグルグル巻きにされたアルジーを空中に浮かべたまま、アーチ型の出入口をくぐる。つづいて、松明担当の魔導士も。

そして……再び、重く不気味にきしむ音を立てて、鋼材の扉が閉じた。

――いつだったかの不気味な白昼夢で見た、あの忌まわしい空間が広がっている。

多数の、荘厳な列柱。

地下神殿の列柱を支える台座は、グルリと、数人が立てる程度の面積がある。

大人の背丈の半分ほどもある台座は、銀色になるまでに磨かれた謎の岩石を、精緻に刻んだものだ。

古代『精霊魔法文明』の、失われし高度技術による人頭彫刻――『逆しまの石の女』。うっすらと薔薇色の陰影を帯びて、蛇のようにうねる銀髪。 その面差しは、魔性とも聖性ともつかぬ妖しい美しさをたたえている。

こうして実際に見てみると、月光さながらに透きとおった銀色の光沢を含んでいる彫刻ゆえか、黄金色の暗い光を受けてなお白く見える顔(かんばせ)。

かの『逆しまの石の女』の相貌を、花にたとえるならば……月下美人。

方々の台座のうえで、意味深に配置された数々の『魔法のランプ』が、辺りを照らし出していた。台座に施された人頭彫刻『逆しまの石の女』の頭頂部が触れている基底には、 いちめんの水がヒタヒタと広がっていた。水深は非常に浅く、ランプから発する暗い黄金色の光だけでも、底が透けて見えるほどだ。

列柱がまばらになっている奥に、円形となって開けた空間がある。この巨大な円筒形の空間の、中心だ。

黄金の磐根(いわね)そのものを彫り込んだかのような黄金祭壇が鎮座していた。古代の様々な怪物を模した忌まわしい彫刻が、ギラギラと黄金色の光を反射している。

アルジーは、空飛ぶ白い絨毯にグルグル巻きに拘束されたまま、黄金祭壇の上に横たえられた。端から、頭だけ突き出す格好だ。 不健康な灰色にくすんだザンバラ髪が、長さだけはあるボロボロの藁クズのように、祭壇の周りに散らばった。

せめてもと、眉根をキッと逆立てて、首領の魔導士を睨む……が。

不気味な骸骨の黄金仮面を装着した大柄な魔導士は、宝冠に彩られた黒ターバンを改めて直すことに注意が向いているらしく、反応しなかった。

やがて、近くの支柱の台座で、数人ほどが騒ぎ出した。そのうち、1人が台座を降り、基底の水をバシャバシャと跳ねのけて接近して来た。

金糸刺繍でいっぱいの贅沢な長衣(カフタン)をまとった、その人物は……いやに記憶にあるような、傲然とした足取りだ。

近付いて来たその顔を見て、アルジーは「ウゲ」と、うめいた……

「禁断の邪霊崇拝にも手を出してたとは知らなかったわよ、『無礼者の腐れ外道』の御曹司が」

「いちいち口の減らん骸骨めが!」

奇妙にゲッソリとした面相のトルジンは、腰から三日月刀(シャムシール)を抜くや、斬りかかろうとして来た。

……直前で、首領の魔導士の護衛よろしく突っ立っていた忌まわしい肉塊『邪眼のザムバ』が、素手で、その三日月刀(シャムシール)をむしり取る。

「邪魔するんじゃない、ザ……」

ザムバ、と言おうとしたトルジンの口は、そこで固まった。瞬時に青ざめ、恐怖の色を浮かべて後ずさる。

テラテラ黄金肌の巨人戦士『邪眼のザムバ』だった人型の肉塊は、再生が完了していない状態だ。

全身の凄まじい裂傷は塞がっていたが、厚みの足りない皮膚を通して、筋肉や内臓の生々しい凹凸が丸見えだ。 ズタズタに崩落した顔面は、まだ人間の顔をしていなかった……ジュウジュウと蒸気を上げる顔面の筋肉や骨片、脳みそが、ズルズルと垂れ下がっていたのだ。

奇妙に猫背になった背中からは、相変わらず、恐竜を思わせるギラついた黄金色の骨板の列が、刺々しく生えている。

「何だ、この化け物は」

「フハハハハ……!」

邪悪な笑いをとどろかせる、黄金の骸骨仮面の魔導士。宝冠に彩られた黒ターバンが震えた。分厚いベールの下に存在するのであろう、ボリュームのある毛髪がフワフワと揺れる。

「確か、この者に言いたいことが色々とおありになるという事でしたな、トルジン様。シュクラの貴公子どのも、何か言う事がおありになったのでは?」

取って付けたような丁寧語。その裏に、凄まじいまでの、極彩色の傲慢が透けて感じられる。

おぞましい肉塊となった大男から目を離せず、口を引きつらせていたトルジンの横に……ボロッとした面相をした、シュクラ青年ユージドが現れた。 各所の青あざは、アルジーがパンチとキックを浴びせた跡だ。

その、あまりにも馴染みのある――この場では、いっそ人間的ともいえる――痕跡を目にして、トルジンは、いつもの調子を取り戻したらしい。

「なんだ、その顔はどうした……ユージド」

シュクラ青年ユージドは、暗い笑いを返した。そして……骨灰色をした骸骨仮面をかぶったのだった。かの邪霊使いゾルハンと同じように――邪霊使いとしての仮面を。

「なんだ、貴様のそいつは、この凶暴な骸骨女にやられた物か」

御曹司トルジンは、アルジーを振り返るなり、嫌悪を込めた眼差しで睨み付けて来た。

「この骸骨の化け物めが。貴様のせいで、七日七晩、こっちは大変だったんだぞ。いまだに貧血の治療中だ」

「悪名高い『独身女狩り』も出来なかったみたいだしね」

アルジーが減らず口を叩いて見せると、トルジンはカッとなって、今度は護身用の短剣を抜いた。だが、ワンパターンと言うのか、その行為は既にお見通しだったらしく、 かつて『邪眼のザムバ』だった肉塊が再び、素手で、むしり取ったのだった。

「何故、邪魔するんだ、この……うぐ」

御曹司トルジンは、顔面崩落しているザムバの姿に、再び怖じ気つく。たたらも踏んだようだ……足元のほうから、バシャバシャと跳ねる水の音。

黄金の骸骨仮面をした首領魔導士が、再び邪悪な笑い声を響かせた。

「生贄の血は、『その時』以外の間違った手法とタイミングで、一滴たりとも垂らす訳にはゆきませんからな。ご安心召され、この女は間もなく首と胴体が離れるでしょう。 世間の想像を超えるような、むごたらしい形でね。この女は今でも《火の精霊》を通じた契約により、貴殿の正式なハーレム妻ですが、さて『名誉の殺人』すなわち妻殺しを、お望みですかな?」

宝冠のきらめく黒ターバン姿の首領魔導士は、新たに手に盛った三日月刀(シャムシール)を眺め始めた。

ぎらつく黄金色の刃をした異様な三日月刀(シャムシール)だ。《人食鬼(グール)》のカギ爪から削り出した、忌まわしい刃と見て取れる。

トルジンはゴクリと生唾を呑み、改めて、上から目線で、アルジーに向き直った。

「これから俺はお前を殺してやる。『名誉の殺人』だ。不倫妻を殺害するのは夫の正当な権利で、罪に問われることも無い」

「私が、どこで不倫をしたと?」

「知ってるんだぞ! ミリカとかいう男と、二重結婚していた! すなわち不倫だ!」

「ミリカさんは女。どっかで『アルジー(男)』と報告が入れ替わったんじゃないの。ミリカさんは、トルジンのこと、徹底的に嫌悪してたからね」

トルジンは絶句した。次に、調査係だったのであろう、後ろの支柱の台座に佇む人々を睨み付けた……彼らは慌てたように、フルフルと首を振った。見ると、トルジン親衛隊の戦士たちだ。 毎度のことで、どこかで調査モレがあったようだ。

首領魔導士は、肩をフルフル震わせて失笑している様子だ。頭部の黒ターバン宝飾や、手に盛った黄金の三日月刀(シャムシール)が、その失笑に合わせてフルフルと揺れている。

「と、とにかく、最も、おぞましい証拠がこれだ! よくも、繰り返し、火炎地獄の悪夢を見せて来やがって!」

トルジンは血色の悪い顔を口だらけにして怒鳴りつつ……『灰色の御札』の束を突き付けて来た。

――いずれも、『罰当たりなヤツに悪夢を見せて眠れなくする』御札だ。この2年、アルジーが、せっせと積み重ねて呪って来たものだ。

横で、シュクラ青年ユージドが、骨灰色の骸骨仮面ごしに『灰色の御札』の束を眺め、感心しきりと言った様子で首を振った。

「一応、ご夫君に、その数を送り込むだけの忠実と関心はあったという事か。《火の精霊》による穏やかな天罰のような物だから、寝不足になる以外の実害は無いだろう。 だが、ハーレム妻としての愛情表現としては、随分と反抗的だな。私なら、夫に悪夢を送り込むような見下げ果てた妻は、めとらない」

「こんな凶暴なゴロツキ骸骨、頼まれても妻にしたいものか。こちらから願い下げだ、即刻、離縁だ! そうとも、『離縁』だ!」

トルジンは人類の言葉で「離縁」と言い、《精霊語》でも『離縁』と繰り返した。

この単語――『離縁』という《精霊語》は、すべての男が習得必須とする、契約用の《精霊語》だ。 学習に熱心でない男も居るが、既婚者の場合は《火の精霊》が夢に出て来て、繰り返し教授して来るので、無理にでも自然に習得してしまう。

――トルジンの発した《精霊語》による、『離縁』という言葉が、響きわたった瞬間。

地下神殿の台座に置かれていた『魔法のランプ』の、暗い黄金色の炎すべてが、不意に、薔薇輝石(ロードナイト)色の炎に燃え上がった。そして、再び、暗い黄金色の炎に戻った。

「おい、さっきのは、薔薇輝石(ロードナイト)じゃないか?」

「じゃあ、あの1001人目の生贄の目の色は、邪霊使いの目の色か!」

「だが《精霊文字》技能を持っていて、邪霊を使ったことは無いとか――嘘だろう、 この見事なまでの薔薇輝石(ロードナイト)の目を持つ《銀月の祝福》が……三つ首の巨大化《人食鬼(グール)》をも従える天然の薔薇輝石(ロードナイト)が!」

「990人目の生贄が、そうだったぞ! 確か《シュクラの銀月》とも称された……シュクラ国境地帯で大騒ぎになった、例の……だが今回のは、訓練が入ってるせいか、アレより強力なもののようだ」

目撃した人々がざわつき、トルジンは、いっそうイラついてゆく。

トルジンが、アルジーへ向かって、悪口雑言を怒鳴り散らしているうちにも。

地上のほうから、何やら騒いでいるような物音が聞こえて来た。

地下神殿に集まって各所の台座に佇んでいた人々が、ザワザワし始める。数人は、その手の気配を感じ取ったのか、三日月刀(シャムシール)を構え始めていた。

耳を澄ますと、確かに、物々しい音が響いて来るのが分かる。

明らかに戦闘のものと思しき、爆発音をはじめとする数々の騒音だ。

城砦(カスバ)の街の攻防戦に伴っていると思しき、様々な怒声や叫び声。

やがて、大型の《火の精霊》による強大な爆発魔法の音がとどろいた。瓦礫の転がる音。

いくつかの防壁が突破され、バラバラになったようだ。もとより聖火神殿や礼拝堂の防壁は、《火の精霊》が守っている。 攻撃した側が、さらに上位の《火の精霊》を使っていたのは確実だ。あっという間に『説得』されたという気配が、漂っていた。

トルジンは焦った顔になり、首領魔導士を振り返った。

「あの騒動は何なんだ、どうするんだ! 父上と話し合いはしてあるって言ったじゃないか!」

「ゴミどもなど、どうでも良い」

首領魔導士は黄金にぎらつく三日月刀(シャムシール)を掲げ、大音声で、一同の者に呼ばわった。

陰々としわがれた声が、地下神殿の中を響きわたる。

「我ら永遠の『黄金郷(エルドラド)』に目覚めし者は、常に絶対的な勝利を得る。皆の者、無限の豊穣なる『黄金郷(エルドラド)』の到来を祈念し、ひれ伏せ」

「ははー」

「まさに、いま時は来た。これより恐るべき儀式を始める。この血祭りの儀式が達成されし瞬間、偉大なる力が発動する。 その最初の成果は、まさに地上で軽挙妄動をしている愚か者どものうえに現れるだろう。称えよ、褒め称えよ」

一斉に礼拝の所作をする、人々の群れ。

「我ら永遠の『黄金郷(エルドラド)』を、噓偽りなき情熱をもって褒め称える者なり。今ここに来臨すべき至高者、我らの主」

黄金祭壇の脇で、異様な出来事が進行した。

いまだ再生途中の『邪眼のザムバ』の巨体の陰から……不意に、現れて来た人影があった。

絨毯にグルグル巻きにされた状態ながらも、その人影の正体に気付き、息を呑むアルジー。

まばゆい銀髪をしたグラマー美女。

「自称アリージュ姫……!?」

トルジンとシュクラ青年ユージドは、首領魔導士の演説に気を取られていて、こちらには気づかない様子だ。

謎めいた笑みを浮かべ、銀髪グラマー美女は宙に浮いた。《魔導》による空中浮揚の術らしい。手には、見事な黒ダイヤモンドを持っていた。いつか見たような、亀甲カット。

――かつて『邪眼のザムバ』だった異形の肉塊の眉間にあるのは、刺青(タトゥー)では無く、本物の裂け目のようだ。ぎらつく黄金色の血液がダラダラと流れている。 正体不明の銀髪グラマー美女は、手際よく、その裂け目に黒ダイヤモンドを押し込んだ。

ズブリ、という異音。

「何だ……うわ!?」

一斉に振り返ったトルジンとシュクラ青年ユージドは、次の瞬間、息を呑んで後ずさった。

その拍子に、底面の水が、バシャリと跳ねる。

テラテラ黄金肌をした異形の肉塊。黒ダイヤモンドを受け入れた眉間から上の、頭頂部にあたる箇所が……飛び散って、失せている。 すでに崩落しきっていた、その場所は、目玉と舌その他の「人類の顔面構造」がすっかり整理されていて、のっぺりとした、首筋か何かのようだ。

正体不明の銀髪グラマー美女は、異形の黄金の肉塊から滑り落ちると同時に……まるで、中央に鏡を立てたかのように、スッと二分裂した。

聖性とも魔性ともつかぬ妖しい笑みを浮かべ、黄金祭壇の傍に降り立った、双子の如き銀髪グラマー美女。

壮絶なまでの怪異。トルジンとシュクラ青年ユージドが、唖然とするあまり見つめている、その前で。

アルジーをグルグル巻きにしていた白い絨毯が、パラリと解ける。

黄金祭壇の上に広がった白い絨毯。その白い絨毯に横たわっていたのは……

双子の銀髪女よりも、いっそうまばゆい銀髪の女だった。

銀髪の照り返しを受けたその目は、鮮やかな薔薇輝石(ロードナイト)。 怪異な双子の銀髪グラマー美女の紅眼が、造り物そのものの鈍さであるのに比べて、天然のものゆえの明るさと透明度は、圧倒的だ。

深刻な栄養失調を思わせる病的な痩身ではあるものの、いまや死体さながらの骸骨というほどでは無い。そして、その同じ人間とも思えぬ造作の面差し――

――シュクラの銀月。

かつての、絶世の美姫をたたえた二つ名を呟いたのは、トルジンであったか。それともシュクラ青年ユージドであったか。

怪異な双子の銀髪グラマー美女は、毒と媚薬のしたたり落ちるような、蠱惑的な笑みを同時に浮かべた。同時に、アルジーのほうを振り向き。

「銀月の。ついに復活の時が来た」

「我ら両大河(ユーラ・ターラー)を逆しまに流し、とこしえの湿潤にして豊穣なる緑の沃野に遊ぶもの」

「人類の帝国を滅ぼし、我らの夜と昼を、時代(アイオーン)を転輪す」

途方もない巨大な『何か』が、アルジーの中に流れ込んで来た。 ほとんど枯渇寸前だった生命力を瞬時に満たし、その人ひとりとしての限界を破壊し、さらに膨れ上がってゆく暴威的な『何か』が――

怪物のエネルギーだ。暗い闇色を秘めた黄金の暴威。無限の豊穣――不死身の変容と再生力を与えるもの。この溶岩のような熱さに、普通の人体が耐えられる物では無い。 いまの『邪眼のザムバ』のように、魔性にぎらつく黄金色の肉塊で無ければ。

――現実じゃ無い。これは現実じゃ無い。

アルジーは抗(あらが)いながらも……すでに地下空間に充満していた麻薬(ハシシ)の成分で、頭は痺れていた。

人ならざる交響を通じて、怪異な双子の銀髪グラマー美女の、毒々しいまでに甘い誘惑の声が聞こえて来る。

『いいえ、これは正しいことよ、銀月の。お前がそう望み、指を鳴らすだけで、この人類の帝国は跡形も無く滅亡する。 逆流する両大河(ユーラ・ターラー)の洪水に流されて、夢幻(ゆめまぼろし)のように』

『あの下等生物、あの2つ。手始めに、どうしたい? 気ままに煮るなり焼くなり……ネズミやコウモリに変えて、洞穴に追い込んで、引きちぎって遊ぶのも面白いわよ。銀月の望みのままに』

いつしか、首領魔導士による不気味な詠唱が陰々と響き始めた。黄金の骸骨仮面の奥の目は、ギラギラと、狂気の色に染まっている。

「いまこそ、偉大なる『黄金郷(エルドラド)』ジャバ=シャーハンシャー復活の時は来たれり」

「此処で、あの忌まわしい《怪物王ジャバ》が復活するなんて、聞いてないぞ!」

トルジンが悲鳴を上げる。骨灰色の仮面――シュクラ青年ユージドがハッとして身動きしたが。

首無しの巨体と化した『邪眼のザムバ』は、目が見えているかのように、2人の青年と黄金祭壇の間に立ちはだかった。ぎらつく黄金色の巨体から噴き上がる蒸気が、異様な瘴気と化してゆく。 2人の青年は、そのまま……動けない。

絶句するアルジーを、怪異な双子と化した銀髪グラマー美女が、ニヤニヤしつつ抑えつけた。首領魔導士の宣言につづくかのように、詠唱する。

「ご照覧あれ、ジャバ、来たるべき世界の王の中の王」

「いまこそ、偉大なる世界の王の中の王よみがえらん、千人と一人の《銀月》の封印は解かれた、ジャバ=シャーハンシャー!」

黄金の骸骨仮面をした首領魔導士が、アルジーの傍に立ち。ぎらつく黄金色の三日月刀(シャムシール)を高々と構えた。もとは大型《人食鬼(グール)》のカギ爪だった物だ。

つづいて、不気味な四行詩の詠唱。通常の《精霊語》では無い。邪霊を扱うほうの発音形式だ。

『千と一つの夜と昼 すべての星が落ちる時』

『天の果て地の限り やよ逆しまに走れ 両大河(ユーラ・ターラー)』

『千尋の海の底までも あまねく統(す)べるは 闇と銀月』

地下神殿の中の、あらゆるものが、邪霊の響きに同調して……不気味に震動し始めた。浅く広がっていた水面が、ザワザワと波立つ。

見る間に、震動は大きくなった。

すべての人々が、台座に佇んでいられないほどだ。次々に、水の中へと振り落とされる。

動かない台座であった筈の『逆しまの石の女』は……いまや、怪物の如き魔性の――銀の牙を生やした――けれども、ゾッとするような美しい笑みをたたえ始めた。 その目の色が、生ける薔薇輝石(ロードナイト)のごとくに輝き始める。口元も、いつの間にか、露を帯びた薔薇の花さながらの艶と赤さだ。

真っ青になったトルジン。骨灰色の仮面を外したシュクラ青年ユージド。だが、『邪眼のザムバ』の巨体に阻まれて、この場から逃げ去ることも出来ない。

かつては『邪眼のザムバ』だった、ぎらつく黄金色の首無し巨体は……みるみるうちに、三つの頭を生やし始めた。

肉の盛り上がりと共に、黒ダイヤモンドも頭頂部へと押し上げられる。

三つの頭の周囲に、新たにメキメキと生えた王冠のような構造体。

見る間に……黒ダイヤモンドは三つ首の中央の邪眼として張り付き、黄金にぎらつく炎冠紋様に荘厳されて、忌まわしい暗黒に輝いていた。『大邪眼』だ。

――『邪眼のザムバ』の身に、《怪物王ジャバ》が宿るのだ!

かつての超古代の、忌まわしき伝説の復活だ!

怪異な変容を間近で目撃する羽目になった2人の青年は……次に来る恐怖と絶望を理解したかのように、回れ右して逃げ出した。

震動に合わせてアルジーの全身が揺れ、不意に、天井を荘厳する黄金の仮面に視線が向く。

今までは忌まわしいと感じていた筈の三つ首の仮面が、まるで違った印象に見える――偉大なる《怪物王ジャバ》のご尊顔。

動揺するアルジーの中で、異様なまでに不自然な愉悦が急激に膨れ上がった。まばゆい銀髪が、銀の蛇のようにうねり始める。

――追いかければ、もっと楽しめるじゃない?

『そう、下等生物を虐げて楽しむことは、正しいことよ。私たちは、お前を永遠に楽しくするために来たのよ』

『さっさと捨ててしまいなさい、こんな忌まわしい封印――下等な人類の肉体など』

怪異な双子の銀髪グラマー美女は、アルジーの身を、黄金祭壇の上に押し付けたままだ。

大きく揺れつづける地下神殿。

地上のほうで、新たな《火の精霊》による爆発音がとどろいた。先ほどよりも、ずっと近い。人々が交わす大音声も。

「……東方総督トルーラン将軍および御曹司トルジン、このたび帝国への反乱の疑いにより……」

「誰だ、貴様ァ……」

ひとしきり、刀剣の金属音。

……しつこく邪魔していた何人かが、まとめてなぎ倒されたらしい。もしかしたら、トルーラン将軍も。

この地下神殿を目指して殺到して来ている、大人数の軍靴の音……

いまひとたび、地下神殿が揺れた。

黄金祭壇が「ドン」と突き上げられ、弾んだ拍子に、アルジーは片足を打ち付けた。足首に、人間らしい痛みが走る。

「うぐ」

魔性の笑みを浮かべていた怪異な銀髪グラマー美女の片方が、「えっ」と言いながらアルジーの足首に視線をやった。

「なんなの、この亀甲の痕は――月下老人のヤツ!?」

「え、赤い糸の?」

拘束がゆるんだ。アルジーの耳元で、ドリームキャッチャー護符が揺れる。

――シャラン。

邪霊を察知した時に鳴る、かすかな玉響の音。

痺れきってしまったような意識の片隅で、あがく。

――オババ殿!

急速に闇の愉悦へと呑み込まれていく意識の中で、無数の星々が純白の火花のように弾け、舞い散った。

その白い流星痕が、ドリームキャッチャー護符さながらの複雑な編み目を描いてゆく。

全身に狂気と愉悦をほとばしらせた首領魔導士が、最後の一節を詠唱し始めた。

『……三ツ辻に、望みを捨てよ。巌根(いわね)ひとつを、ともに――』

三日月刀(シャムシール)の黄金の刃が、アルジーの首めがけて振り下ろされる。

――と、ほぼ同時。

地下神殿へと出入りする鋼材のアーチ扉が、《火の精霊》の攻撃による真紅の火花を散らして、凄まじい音響と共に、爆発飛散した。

壁を突き抜けてゆく不思議な精霊魔法《超転移》でもって、火の粉を吹く瓦礫の間を縫って飛び出して来たのは、白文鳥《精霊鳥》だ。2羽。

いったんは飛び去りながらも戻って来た、相棒。

『アリージュ! アリージュ!』

首に、灼熱の衝撃が走る。

頭と胴体が離れたような――感触。

内側で熱く燃えていた暴威のような『何か』が、一気に流出してゆく。

聖性とも魔性ともつかぬ妖しい美しさをたたえた数多の『逆しまの石の女』が、一斉に呟いた。ただ一言。

『鳥舟(アルカ)』

幻影なのか――信じがたいほど大きな、真っ白な鳥の影が、空飛ぶ白い絨毯から湧き上がった。

驚愕のあまり、怪異な双子の銀髪グラマー美女が、2人ともに、黄金祭壇から転げ落ちる。

天空へ向かって、純白の鳥の影が舞い上がっていった。長く長く引く尾は、白孔雀の尾羽の形だ。

無数の純白の羽根が舞い散ってゆく。

アルジーの視界は、真っ白に染まった……

*****

無限の虚空――闇よりも深き闇の中を、無数の星々が高速で回転していた。

輝く流星の道が、ドリームキャッチャー護符のような、複雑な編み目を描き続ける。その白い編み目は次々に積み重なり、多次元に展開する多面体・多重像となってゆく。

それはさながら数多の花弁を持つ花……月下美人。

大いなる鳥の羽ばたきの音が、いつまでも続いているようだ。

いつしか、アルジーは意識を手放していった……

目次に戻る

§総目次§

深森の帝國