深森の帝國§総目次 §物語ノ本流 〉第一部 第一章(頁.8-9)

第一部 第一章 頁.8-9.暗示的な話…そして夕方、民家をいとまごい

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「誰がそも桜照君の名を知っていたのか…花洛は、あの大尊教が、 唯一絶対の神の名の下に諸地方の歴史を隠した…のみならず、修正を施しとる…」と、カモさんは呟く。 「…菊理(ククリ)?」――鏡は、菊理(ククリ)の名が出た事にハッと息を呑んだ。 菊理(ククリ)。鏡がかつて身を寄せていた邸宅の主人の呼び名。

無欲庵も《ヨドミ》という人物については聞いた事はあったようで、彼女は十何年も前に土山に来た事がある…と話し始めた。 「ほぼ八割がた、白いものの混ざった高齢のヤツマタの女性でしたよ…確か、三枝祭を訪ねる所だと言っていました」

「サイグサ?」と不思議そうな鏡。 無欲庵は暫し鏡を見やり、「ああ…花洛では余り存じないかも知れませんね」と答えた。 「大尊教とは別の流れに属する祭祀ですから…」

無欲庵は話を続けた。「ヨドミの本当の年は誰も知らないですが、 まだ生きてると思いますよ…会えるかどうか、ちょうど夕市が立つ頃ですから占って下さいな」

――やがて、辺りは夕暮れの頃合となる。カモさんと鏡は各々の荷物をまとめ、民家をいとまごいした。 初夏の季節、まだ日は長く、心地よい微風――しかし、流石にこの時間では、鈴鹿峠を越えるのは夜だ…盗賊などの心配が増える。 当然、鈴鹿越えは次の日に延期する事になる。

「もしかして今日、鈴鹿峠を越える予定だったのですか?」と、いささか気恥ずかしげに聞く鏡に、 カモさんは笠の紐を結び直しつつ微笑んで見せた。「いや、一日(の遅れ)ぐらい気にせんで…若いの、 どちらにせよ伊勢行きだし同行しよう」

鏡は、カモさんが手に取った異形の杖に気付いた。「その黒い杖は…カモさんもヤツマタ?」 老人は、その問いを否定しなかった。「ヤツマタは旅をするものだ…長い旅を…私の死に場所も遠い道野辺のどこかだろう」


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