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古代の詩と世界の謎――万葉集巻17-3896の歌を中心に――(論文資料)

この論文は、当サイト作成ではありません。 現在は消滅している他サイトさまからの全文複写である旨、 ご了解ください。

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複写元サイトの説明によると、最終的なサイト管理人は、執筆者本人では無いそうです。 この場所には、「まんだら浩のページ」というサイトがあったのですが、 当時の管理人にして執筆者「まんだら浩」氏は、2000年12月31日をもって、 ネット活動から全面的に引退されているとの事です。

当サイト研究中の詩論、及び詩歌制作の試みのシリーズ「葉影和歌集」は、 この論文に影響を受けています。


古代の詩と世界の謎
――万葉集巻17-3896の歌を中心に――

The Ancient Poetry and the Fundamental Enigma
―― Focusing on the Poem of Man'yoshu Vol.17-3896 ――

古代の詩と世界の謎――第一節

そもそも、古代の歌を「読む」というのはどういうことなのだろうか。

もちろんのことであるが、それは現代の常識的発想、 あるいは現代の世界観に無批判的によりかかったものであってはならない。 また、近代科学――たとえば文化人類学――の「理論」を持ってきて、 それをあてはめて古代の歌を理解しようとする行き方も、私はここで拒否する。

特に人類学を応用することが今流行しているけれども、 それもまた、結局は近代的世界観の産物にすぎないのである。 ユング、エリアーデ、バシュラールといった解釈システムには近代を超えるものが含まれているが、 そういうものも、それが「解釈システム」であるかぎり、 ここでは無条件に採用することはできない。

古代への視線はまず、私たち自身が持っている世界了解を括弧に入れ、 まったく違う世界了解の可能性へむけて開かれたものでなければならない。 それはつまり、古代人が持っていた根源的な世界経験の地平へ、粘り強く入り込む努力である。 それは、作品の持つ固有の空間に入り、そしてそこにおいて、 ある異質な世界連関そのものを体験する、ということなのだ。

結論を先に言おう。

古代の精神的地平とは、現在私たちが、たとえば「ヘルメス智」の名で予感しはじめているものである。 それは現代の色々な分野において、力強い一つの潮流をなして姿を現しはじめているものである。 流行の言を好むなら、それが「ポストモダン」だということになろう。

しかし私はここで、いかなる「文学理論」も語るつもりはない。 ただ、古代のいくつかの歌についてどのような読みが可能か、という探究を通して、 未だ予感にとどまっていることを言葉へともたらそうと試みるだけである。

それは、私たちの文学に対する読みに既に忍び込んでいる近代世界的・形而上学的な発想と不断に戦っていくということである。

古代の詩と世界の謎――第二節

まず私たちは、次の歌が開いている世界について考え、追思したい。

家にてもたゆたふ命波の上に浮きてし居れば奥処知らずも (万葉巻17-3896)
いへにても-たゆたふいのち-なみのうへに-うきてしをれば-おくかしらずも

この歌は、天平二年(730)十一月、大伴旅人が大納言になって太宰府から都に上る際、 供の者たちが主人と別れて海上から都に上った時の歌である。

この歌は、折口信夫が激賞した歌として知られている。 彼は、もし万葉集から最も価値の高い歌を一首だけ選べと言われたらこの歌を選ぶ、 とまで言ったのである。

一体どうして折口はそういう評価をしたのか。それは疑いもない。 彼はこの歌に、古代世界にとってある本質的・根源的なものが言い当てられ、 詩作されているのを見たのである。

しかし彼は、この歌が彼に働きかけたその当のものが何なのか、 はっきりと言語化してはいない。ただ、

「内容は、まだ消化しきつてゐない哲学ですが、形の上、言ひかへれば、 たけに、今人の出すことの出来ぬものがある様に感じます」
――『折口信夫全集』第三十巻(中央公論社1968年)247頁

とか(なお、漢字は通用のものに改めた。以下も同じ)、

「万葉では、殊に著しく思想的な内容を持つた作物である。 仏教的な運命観をもつてゐると言ふ訣でもなく、自ら当時の進んだ知識に触れた人たちの、 当然懐くべき教養の表れた歌」
――『折口信夫全集』第十三巻(中央公論社1966年)359頁

というようなことしか言っていない。

たしかに、この歌は、大陸の思想に触れることなしには作られなかったのであるが、 それはあくまで「説明」に留まるのであって、 この歌自体が開示している詩的経験そのものについては、何も言ってはいないのである。 折口という人は、自分の並み外れた古代経験を、明確な言葉で語ることがまったくできなかった人だ。 つまり、詩人ではあっても、思索者ではなかったのである。 彼は、詩を読むということそのものが一体何であるか、と根源的に考えたことはなかったのだ。

この歌の価値は、作者たる旅人の従者が持っていた「思想」を歌の形で「表現」したことにあるのか。 この歌の意味は、その「思想」なのか。 そのような発想は、現代の批評としては、全く問題にならない。 詩の言葉のうちに響いているものは、あらかじめ「作者」に内在しているわけではない。 むしろ、詩のうちに、言葉がもっている可能性が呼び集められているのである。

この歌を支配している根本情調を考えるために、同時に作られた歌のいくつかを見てみよう。

磯毎に海人の釣り舟泊てにけり我が舟泊てむ磯の知らなく  (巻17-3892)
いそごとに-あまのつりぶね-はてにけり-わがふねはてむ-いそのしらなく
玉はやす武庫のわたりに天伝ふ日の昏れ行けば家をしぞ思ふ (巻17-3895)
たまはやす-むこのわたりに-あまづたふ-ひのくれゆけば-いへをしぞおもふ

全体の十首の中でも、この二つが傑出していることは動かない。

全体を支配しているのが「帰郷」のテーマであることは、疑いを入れない。 しかし、それらは決して、帰郷の喜びを歌うのではない。 そもそも「家にてもたゆたふ命」と言う。なぜ、家にあっても「たゆたふ」のであろうか。 家とは、それぞれの存在が最も安定を見出す場所ではないのだろうか。 家とは、人が本来的に世界に帰属する拠点である。 そこは、人が深々と、宇宙へ根を下ろす場である。 たとえば、人麻呂の帰郷歌は、そうした「家」への帰郷がもつ根本情調を詩作したものである。

天離る鄙の長路ゆ恋ひ来れば明石の門より大和洲見ゆ  (巻3-255)
あまざかる-ひなのながちゆ-こひくれば-あかしのとより-やまとしまみゆ

3896をはじめとする歌が、こうした情調とは異質なものを含んでいることは明らかだ。 人麻呂の歌は、著しく求心的である。 しかし、旅人の従者たちの歌には、そうした運動は含まれていない。 言うまでもなく、これは「個性」の問題ではない。 古代の歌には――あるいはもっと言えば、 そもそも本質的な詩には――「個性」のような表面的なもので解釈できるような余地はない。

3896などには、ある「気分づけ」が支配しているが、 それは個人の感懐などではなく、もっと本質的な連関に属しているのである。 「気分づけ」とは、個人を超えた、ある世界経験の地平である。 それはいかなる思想や哲学よりも原初的なあるものである。

詩について思索するとは、この原初的なものを言葉へもたらそうとする努力なのだ。

古代の詩と世界の謎――第三節

折口はまた、万葉82の長田王の歌に、3896と共通する何物かを直覚していたようだ。 彼は、万葉といえば、まずこの二つが思い起こされると言う ――『折口信夫全集』第十三巻(中央公論社1966年)359頁。

うらさぶる心さまねしひさかたの天の時雨の流らふ見れば  (巻1-82)
うらさぶる-こころさまねし-ひさかたの-あめのしぐれの-ながれあふみれば

彼は解説して言う。

「空を見てゐると虚脱した様になる。自分の心が空虚になる、その事を言つてゐる。 どうしてこんな歌が出来たのかと思ふ程だ。」
――『折口信夫全集』第十四巻(中央公論社1966年)517頁

これは空虚感や虚無感を言うのだろうか。 しかしこれは、近代的なニヒリズムではない。 人はそこに近代人的憂愁を見たり、あるいは「共同体から離脱した知識人の孤独感」 といった歴史的説明を加えるかもしれないが、 そういう見方は、いまだ根源的なものに達していないと言うべきである。

折口の内的関連にあっては、おそらくこれは、「ほう」と言う感覚と通じているのである。

ほうとする程長い白浜の先は、また、目も届かぬ海が揺れてゐる。 其波の青色の末が、自づと伸しあがるやうになつて、 あたまの上までひろがつて来てゐる空である。
顧(ふりかへ)ると、其が又、地平をくぎる山の外線の立ち塞つてゐるところまで続いて居る。 四顧俯仰して、目に入る物は、唯、此だけである。 日が照る程、風の吹く程、寂しい天地であつた。……
どこで行き斃れてもよい旅人ですら、妙に、遠い海と空のあはひの色濃い一線を見つめて、 ほうとすることがある。
……どうにもならぬからだを持ち煩(あつか)うて、こんな浦伝ひを続ける遊子も、 おなじ世間には、まだまだある。 ……古事記や日本紀や風土記などの元の形も、出来たか出来なかつたかと言ふ古代は、 かういふほうとした気分を持たない人には、しん底までは納得がいかないであらう。
――『折口信夫全集』第二巻(中央公論社1975年)416-7頁

彼は、この「ほう」という感覚を語ることから、「祭りの発生」についての論考を始めている。 つまり、「ほう」とは、きわめて根源的かつ原初的なものだ。

海、そして空。こうした広大な世界領域が迫って来る、ということ。

82の歌の成功は、「ひさかたの天の時雨の流らふ」という言葉が、 ある無限に遠く広い、ある空け広げられた世界の感覚を生み出していることによる。 「ひさかたの」という枕詞もここでは効いている。 この無限遠の世界にただ一人立っている、ということがこの詩の根本である。

さまざまな「人間的」な思いが脱落していき、「虚」の感覚のみが残る。 しかしそれは、世界に拒絶されて有るということではない。 むしろ、この空虚において、この無限遠のものに抱き取られているのである。 この無限遠のものの運動は、「時雨」の流れで示されている。 時雨は、どこから来て、どこへ去っていくのか。 「天」とは、時雨がそこから落ちてくる「源泉」であろう。 それも「虚」である。時雨は、深く隠されたものから、純粋に発現したのである。

詩人は、その発現に立ち会っているのだ。 彼はそこで、何物かに打ち当てられているのである。 彼は、あたかも「天」に吸引されているかのようだ。

この根本情調が「うらさぶ」なのである。この「うらさぶ」の例としては、既に高市黒人の歌がある。

さざなみの国つみ神のうらさびて荒れたる都見れば悲しも  (巻1-33)
ささなみの-くにつみかみの-うらさびて-あれたるみやこ-みればかなしも

もちろん旧都に対する鎮魂の歌として知られているものだ。 これは「古」を思うということである。過去を追思すること。 それは、時間的な「望郷」である。 国つ神が輝かしくあった時とは、詩人が本来的に帰属するべき所である。 詩人は、故郷を離れ、漂泊の状態にある。彼はここで、ある原初的なものを追思している。

古代の詩と世界の謎――第四節

さて、ここで3896をもう一度読んでみる。

家にてもたゆたふ命波の上に浮きてし居れば奥処知らずも (巻17-3896)
いへにても-たゆたふいのち-なみのうへに-うきてしをれば-おくかしらずも

作者は海の上に浮かんでいる。 そして、前後の歌からして、時は夕暮れであり、すでに暗くなりかかっている頃である。 夜になっても、舟は海に浮かんだままである。

この歌が傑作である所以は、「たゆたふ命」そのものが本質的に詩作されているからである。 たゆたふ命とは、即ち、波の上に浮かび、「奥処」を知らないということである。

では、「奥処」とは何か。言うまでもなくこの言葉が、この歌に82 「うらさぶる心さまねしひさかたの天の時雨の流らふ見れば」 と同じような「無限遠」の感覚を与えているのである。

折口のそれを含めて多くの通釈は、「将来が知れないことよ」といった現代語訳を与えている。 「奥処」とは「将来」の意味とされる。それはそれで間違っているとは言えない。

しかしむろん、訳すことは、歌を読むことと同じではない。 「奥処」の語が持っているさまざまな意義、 そしてそれが含み込んでいる固有の世界連関への指示が、この歌に倍音を与え、 この歌の根本情調を形成しているのである。 「奥処」の語を選び出したこと自体によって、この歌に到来したものがある。 それもを「読む」のでなければ、この歌がその時打ち当たったものを知ることはできない。

ここで『岩波古語辞典』で「奥」を引いてみると、こうある。

『端』『口』の対。オキ(沖)と同根。
空間的には、入口から深く入った所で、 人に見せず大事にする所をいうのが原義。 そこにとどくには多くの時間が経過するので、時間の意に転ずると、晩(おそ)いこと。

すなわち、「奥」とは深く隠匿されているものである。 そして、隠匿されるという仕方でこの世に現れるのである。 実はそれは、この日本において、神的なものが現れる時の基本的な形である。

ここで私が想起するのは、『出雲国風土記』の一節である。

北の海浜(うみべた)に礒あり。脳(なづき)の礒と名づく。 ……礒より西の方に窟戸(いはやど)あり。 高さと広さと 各(おのもおのも)六尺ばかりなり。 窟の内に穴あり。人、入ることを得ず。深き浅きを知らざるなり。 夢(いめ)に此の礒の窟の辺に至れば必ず死ぬ。 故(かれ)、俗人(くにひと)、古より今に至るまで、黄泉の坂・黄泉の穴と号(なづ)く。
――『風土記』(岩波日本古典文学大系2、1958年)183頁

この洞窟の「奥」にあるものは、他界である。 しかし他界とは、人間にとって否定的なものであったのではない。 人はこの風土記の記述に、「奥」からの不思議な吸引の力、ある抗い難い誘惑を感じないであろうか。

むしろ、他界とは生の根源であり、死の根源ではないだろうか。 つまりそれは本来の場所、故郷ではないだろうか。 日本列島や沖縄諸島の海岸にはこうした神秘的な洞窟がたくさんある。 その前に立って何も感じることのない人は、「古代」とは無縁の存在に留まるほかはない。

「奥」の言葉によって沈思されているもの、それはこうした「宇宙の内側の空間」なのである。

そこから、人間の側への呼びかけがある時、人はそれを「神」として知る。 しかし神の本来的な住み場所である「奥」は、神そのものではなく、 神よりも人間よりも「手前」にある世界だ。 それは日常的な理性からすれば「非世界」である。 しかし人間の世界は、この非世界に支えられて有るのだ。

奥山の岩に苔蒸し畏けど思ふ心を如何にかもせむ  (巻7-1334)
おくやまの-いはにこけむし-かしこけど-おもふこころを-いかにかもせむ

「奥」の例である。「奥山の岩」というのは、 言うまでもなく「磐座」(いわくら)であり、つまり神が寄りつくとされる神秘の岩である。 このように神的なるものを序として、 そこに自分の「思い」を重ねていくという歌いかたは、和歌というものの原初的な姿である。 それは、自分の思いを、個を超えたある広大な領域と結びつけて知覚することを意味している。

最近の「理論」では、この個を超えた領域のことを「共同幻想」と考えるが、 それは詩において根源的なものに打ち当たった経験のない人の意見であろう。 「畏し」とは、非世界が神の臨在という形で露呈するという経験を指し示している。 日常的なものは脱落し、人はそこで、宇宙の運動に貫かれるのである。 それは、自分の「心」を、果てしない遠景のもとに位置づけようとする意思でもある。

霞立つ春の長日を奥処なく知らぬ山路を恋ひつつか来む  (巻12-3150)
かすみたつ-はるのながひを-おくかなく-しらぬやまぢを-こひつつかこむ

この例は、3896に接近している。ここでの「奥処なく」とはどういうことだろうか。

「霞立つ春の長日」――例の家持の歌「うらうらに照れる春日にひばりあがり」をも連想させる。 それは近代人的な憂愁などとは関係ない。 ここでも、前半部は、個を超えた世界への暗示だと読まなければならない。

「霞立つ春の長日」の山路を行くということ、 それは「恋」の思いによってなされたことであるが、またそうしたこと全体を抱き止め、 受け入れている大きな「たゆたひ」のようなものが、ひそかに詩作されている。 それは「神」ではない。神よりももっと根源的な、無限からの視線である。 もちろん、「知らぬ山路」の不安感はある。 しかしこうした不安、あるいは惑いという根本情調は、一見その反対と見えるもの、 つまり「休らぎ」を隠匿しているのである。

山というものが本来聖なるものの領域であることは周知のことである。 山路を行くということは神の世界にいるということでもある。 そこで詩人は「奥処なし」の感覚を味わう。 「家」は遠い。彼は、より根源の世界に入り込んだのである。 少し突飛に聞こえるかもしれないが、山というのは洞窟と同じである。 それは「奥」への入口である。

そして、「奥処」がないというのは、行き止まることがないということである。 つまり、「奥」は、ある限界のないものに、うち開かれている。 こうして、「奥処なく」ということは、限界のないものの開けの中に、 うち震えつつ立つということである。 彼は「家」から離れているが、より根源的な場所に近接しているのである。

ここで人は、この根本情調が、82 「うらさぶる心さまねしひさかたの天の時雨の流らふ見れば」 と、根源において通底しあっていることが分かるだろう。

ここで今度は、「奥」と近い言葉「沖」の例を一つ読んでみよう。

海の底沖を深めてわが思(も)へる君には逢はむ年は経ぬとも  (巻4-676)
わたのそこ-おきをふかめて-あがもへる-きみにはあはむ-としはへぬとも

和歌の根本構造は不変である。 「海の底沖を深めて」は、単なる序ではなく、むしろこの歌の根本である。 ここでも、個人的な「心」の世界のうちに、ある限界のないものが開かれている、 という疑いようのない感覚が息づいている。 「恋の思い」は、いかなる人格性にも、主観性にも帰属するものではない。 むしろ「沖」から到来し、寄りつくのである。

つまりこれは「マレビト」そのものなのだ。 この「沖」を「無意識」と呼ぶのは、未だに近代的な地平での物言いであろう。

古代の詩と世界の謎――第五節

私たちは、古代の歌の多くに通底しているある感覚に、少し近づいたであろうか。 ともかく、私たちは、ここで出発点に戻る。

家にてもたゆたふ命波の上に浮きてし居れば奥処知らずも (巻17-3896)
いへにても-たゆたふいのち-なみのうへに-うきてしをれば-おくかしらずも

この歌が「思想的に優れている」などと言われるのは、 特に「家にてもたゆたふ命」と言い切ったところであろう。 普通の発想では、家は魂が安定する場所であって、「たゆたひ」ということはない。 しかしここでは、「たゆたひ」こそが本質なのだ、という明確な自覚があるのだ。 この「命のたゆたひ」に身を任せること。 それは「波の上に浮く」という状態で生を送ることである。 その時に「奥処知らずも」という感覚が襲うのである。

ここで「奥処」は「将来」と訳されることがあると言ったが、 それは「奥」ということを時間軸に投影することによって得られる意味である。 「奥」へ入り込むために多くの時間が必要だから、と『岩波古語辞典』は言う。 しかしまたそれと同時に、未来というものが「奥」そのものである、ということでもあるだろう。 未来は、茫々たる限界のないものの領域にあるのだ。 未だ到来していないもの。そういうものは、一体どこに「有る」のか。 もちろん、「有り」はしない。だが、その「有る」ものではないものが、 有るものの世界を取り囲んでいるといたら、どうであろうか。

つまり、現在は、過去と未来に取り囲まれている。 未来は「奥」とも言われるが、過去を指示する言葉は「古」である。 「いにしへ」とは、「往にし方」である。立ち去ったものの領域、それが「古」である。

淡海の海夕波千鳥汝が泣けば心もしのに古思ほゆ  (巻3-266)
あふみのうみ-ゆふなみちどり-ながなけば-こころもしのに-いにしへおもほゆ

「古」を深く追思すること、それが万葉の一つの根源的テーマである。 「往にし方」を思うこと。 だが、「往にし」というのは、一体どこへ行ったのだろうか。 何がどこから来て、どこへ去って行ったというのか。

到来し、そして去って行く。それは世界であり、命なのである。 「古思ほゆ」というのは、有るものがそこから到来し、 そしてそこへ去って行くという場所を思うことである。 その場所とは「奥」であり「沖」である。 命とは、こうした拡がりの中において、かしこからこちらへ到来し、 去って行くものである。それは「たゆたひ」である。

そう考えると、「古」と「奥処」は、方向が違うように見えるが、 実は同じものであるかもしれないのである。これは、古代人の世界経験の本質的部分である。

「古思ほゆ」は、家を思うという望郷の歌と同じことを詩作する。 つまり、祖先を通して、宇宙の内側すなわち「奥」と接することのできる場を思うことである。

「奥処知らずも」になると、そういう回路はない。 詩人は、「家」という媒介なしに、直接に限界のないものと向き合う。 「家」も、この無限遠のものによってはじめて、その存在意義をもつのだ。 「家」のないことによる「奥」の経験は、不安や憂愁といった「気分づけ」を取る。 だからそれは、255「天離る鄙の長路ゆ恋ひ来れば明石の門より大和洲見ゆ」の ような帰郷の歌のもつ喜びとは違った情調を作っている。

家にてもたゆたふ命波の上に浮きてし居れば奥処知らずも (巻17-3896)
いへにても-たゆたふいのち-なみのうへに-うきてしをれば-おくかしらずも

この歌で詩作されたものは、ある広大な内部空間、その波動のうちに入り込んでいくことの、 根源的な揺らぎの感覚である。 そうした非世界からの抗い難い牽引を受け、詩人はその予感の重さに耐えている。 彼は、世界と非世界とが交渉する「渚」に立っている。 詩作の言葉そのものが、そうした「中間」の場を空け開いたのだ。

詩は、二つの世界の境界にあり、双方に属している。 そのことは、詩がシャーマンのものであった時代から、詩の本質として保持されてきたことなのだ。 詩とは、こうした「移行」そのものの輝きである。 それは、ここでは、ある本源的な「休らいなさ」として現れている。

私の読みは、あまりに大げさ過ぎると考える人もあろう。 それはその通りである。詩そのものを読むに若くはないのだ。 だが、今の私たちが決定的に忘れ去ってしまった世界感覚というものがある。

それは、深く蔵されている世界が開かれるという時の感覚、 ハインリッヒ・ロムバッハが「ヘルメス智」と名づけている感覚である 【ハインリッヒ・ロムバッハ『世界と反世界――ヘルメス智の哲学』 (大橋良介+谷村義一訳 リブロポート、1987年)】。 それは、近代知の地平からは遂に脱落せざるを得ないものである。

近代にとっては非−知としてしか現れざるを得ない ある神的なものの経験に向かって開かれること、 それが現代のいろいろな思想が努力してきた方向なのではなかったか。 その意味においては、私はここで少しも「独創的」なことを言ったつもりはないのである。 私はただ、忘却の長い歴史を通り抜け、 ある根底的な詩の経験を見ようとしたのである。 詩の出現は、時間軸を貫く一つの事件である。

古代の神に出会うこと。そして、神よりももっと原初的なものに出会うこと。

それは、日本の原初であるが、もはや日本という枠で理解することもできない。 物にも、意識にも先行するある地平。 その無限連関のうちに開かれる一つの場所。 そうした場所を保持しうるということ、それが人間が言葉を持つということの意義なのだ。

あることが達成された詩が含みもつ謎は、 世界そのものの謎にうち当たっているということである。

私たちは「奥処知らずも」と惑う。 まさにその惑いのうちに、私たちが「故郷」を見出す路があるのだ。 私たちポストモダン的人間のなす万葉への読み、そして古代への探究は、 このような運動のうちに、私たちの「宇宙への帰郷」を考えようとするのである。(完)


「古代の詩と世界の謎」――『比較文学・文化論集』7号 1989年

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