深森の帝國§総目次 §物語ノ拾遺書庫ノ目録(物語ノ拾遺・隔離版) 〉指輪物語・私観

― The Lord of the Rings ― 指輪物語・私観

一つの指輪はすべてを統べ、一つの指輪はすべてを見つけ、一つの指輪はすべてを捕えて、 くらやみのなかにつなぎとめる。
―― 『指輪物語(瀬田貞二訳)』 “ THE LORD OF THE RINGS ” J.R.R. Tolkien 著

流浪する指輪の物語

『指輪物語』、原題は The Lord of the Rings 。千年に一つの旅物語。

原題を忠実に訳すると、「指輪の王」あるいは「指輪の主」である。

指輪の歴史の浅いわが国においては、 指輪に対する意識も社交・趣味上のアクセサリーのレベルにとどまっているが、 この原題 ―― 指輪の王 ―― は、 指輪文化圏の人々にとっては相当に古い御世を思わせる、神話的なイメージを与える言葉であろう。

著者トールキンが述べたように、『指輪物語』の淵源は古ヨーロッパ、ケルト・ゲルマン文明にある。 ゲルマン系の人々が自らの古層と認める文明である。 (※ ラテン系はむしろ、ギリシャ・ローマ文明に根源を見出す傾向がある)

現代ヨーロッパは総じてキリスト教文明圏にあるが、 かつては太陽信仰を頂点とする多神教の地であったことが知られている。ことに、ケルト文明は森の文明でもあった。 その中で、『指輪物語』の祖にあたる各種の「流浪するリング」伝承(例:ニーベルングの指輪)が 長く語り継がれてきた事は、重要な示唆を含んでいる。

―― 『指輪物語』に代表されるような「流浪するリング」伝承における主役、 指輪そのものの材質・形態は、永遠を象徴する黄金であり、円環であり、 太陽を映した物であるということは容易に推測できる。 ということは、「流浪するリング」とは即ち、 「流浪する太陽」 ―― 永遠にして強大なる炎の象徴 ―― に他ならない。

永遠にして強大なる炎 ―― それが意味するのは、永遠の命である。

永遠の命こそ、発祥以来の長いときを通じて、彼らが求め続けたものであった。 彼ら ―― インド=ヨーロッパ語族 ―― この現代において、今や、 人類の中で最大・最強・最多となった種族である。錬金術…金属精錬と、 それによる永遠の命の追求の歴史を持つ種族でもある。

彼らの、黄金というものに対する欲望の深さと大きさ――歴史の光と闇においても――は、 我々の想像を絶するものがある。 それは永遠にして強大なる“ひとつのもの”への、あくなき望みの反映でもあるけれども…

トールキンは正しく、このまばゆい黄金色をした永遠の炎に対するあくなき望みを、 どうしようもない欲望の渦巻を、物語を通じて写し取ったものである ――

『指輪物語』の最終局面に到って旅人フロドは、この輝ける黄金の指輪 ―― 永遠の炎 ―― を手放した。 実際には、嫌々…最後に起きた思いがけない出来事により、手放す事になったとしても、である。

永遠にも続くかと思われた、最強のリングの旅物語。

その流浪の歴史を収斂させ、ひとつの物語の中に分かちがたく結びつけたのは、 一人の小さな旅人であったのだ ―― 老賢者ガンダルフにも、エルフの女王ガラドリエルにも、 それまでの長い時間と多くの機会があったにもかかわらず、絶対になし得なかった事であった。

指輪を手放した後の、『指輪物語』の深い哀愁感 ―― それは、 指輪によって輝ける物語の、終焉にふさわしい光景と読み取れよう。

指輪があることによって栄え、指輪があることによって輝いてきた幾多の種族が、 在りし世の光景が、ことごとく消え去っていったのである。 それは、インドの人々の考えている涅槃の御世を思わせる光景である。

トールキンがこの「今」という時代を予見していたかどうかは知らないが、 現代は、地球的規模の環境クライシスにより、 指輪を捨てるか否かの、ひとつの局面を迎えるに至った時代である。

指輪を正しく捨てたならば、ひとつの時代が終わる。 けれども、指輪を捨てなかったのならば、 その指輪は再び流浪し、新たな持ち主のもとにたどり着き、 また同じような時代を繰り返し生み出すのである。

――これはまさしく、永遠の輪廻である――ニーチェが「永劫回帰」で論じたように。

その意味では、指輪の円環が意味する永遠性――または、永劫回帰――は、 断絶を何よりも恐れる人類文明の限界の象徴として、 見事に反映されていると云えようか。

我々は皆、「ひとつの指輪」にすべてを絡め捕られ、支配されて、 永劫回帰するくらやみのなかにつなぎとめられている――いや、 これはさすがに、穿ちすぎというものかも知れぬ。

太古の人々は、現代の我々よりも遥かに過酷な条件で、 この地球を生きて旅してきた…その旅物語が伝えるものは、深遠で、かつ豊穣である。 その根源の底を航海するのは、容易ではない。

最後になったが、物語の海の根源の底を描ききったトールキン氏に、深く驚異の念を捧げたい。


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