深森の帝國§総目次 §物語ノ拾遺書庫ノ目録(物語ノ拾遺・隔離版) 〉『ニーチェ・セレクション』

『ニーチェ・セレクション』

はしがき

これらのマイ・箴言集は、渡邊 二郎編『ニーチェ・セレクション』から抜粋したものである。

ニーチェの言葉には、鋭い観察力に裏付けられた知性とユーモアが感じられる。 ――そこはかとない狂気も。実際、ニーチェは晩年、気が狂ったそうである―― 特に気に入った言葉を集めてみたので、当サイトの物語『深森の帝國』に影響を及ぼしたものが 如何なる物であるのか――の反照となった事と思う。

》静かなるもの

最も静かな言葉こそは、嵐をもたらす物である。 鳩の足してやってくる思想が、世界を導くものである。

――『ツァラトゥストラはかく語りき・2』「最も静かな時間」

(コメント)
ニーチェの希望をここに見る。地道にして着実な実績を積んできたものが、一番 信頼できるものではないだろうか。だがしかし、実際は、金のかかるもの、派手なものが注目されがちであるし、 これは悲しい人間の性(さが)というべきものであろう。

》夢みるもの

哲学者というもの、それは不断に、異常な事物を体験し、見、聞き、猜疑し、 希望し、夢見る人間の事である。

――『善悪』292

(コメント)
哲学者とは、物語をものがたる生き物である、と思いたい。 実際のところ、わが国には「哲学者」の伝統が無く、 哲学については難解で曖昧なイメージしか思い浮かばないのが現状である。 「知を愛するということ――」という言葉を頂いており、これについて繰り返し考え中である。

》影なすもの

人間と事物。――なぜ人間は事物を見ていないか。 彼自身が邪魔をしているのである。彼が事物を覆い隠しているのである。

――『曙光』438

(コメント)
ギクッとさせられるくだり。限りなく透明な思考、限りなく透明になるという事の難しさ。 禅における「悟り」とはどんな状態なのか、という事も暗示しているようである。

》夢は逆夢

夢見ること。――ひとは全然夢を見ないか、さもなければ興味深い夢を見る。 目を覚ましているときにも同じようにすることを、ひとは学ばねばならない。 ――つまり、全然目を覚ましていないか、さもなければ興味深い仕方で目を覚ましているかだ。

――『知識』232

(コメント)
そこはかとなく笑いにつながるユーモアを感じた。 夢見るには余りにも荒廃して、時間が無さ過ぎる現実を、時として思う。

》天なるもの

必要な一事。 ――人が持たねばならないものが一つある。 生来の軽やかな心か、芸術や知識によって軽やかにされた心か、である。

――『人間的・1』486

(コメント)
芸術や知識の根底にあって人を揺さぶるのが「美」であろうと思った。 それに対して、余りにも「完璧な美」に固着しすぎるが故に、 危うさ(不安定さ・フラジャイル)を失ってしまった知識や思想は、 「狂信」という形となって、人の心を重苦しく縛ってしまうのだろうか。

》あさましきもの(1)

声における危険。――喉を張り上げて非常な大声を出す連中は、 微妙な事柄を考える事などほとんど出来はしない。

――『知識』216

(コメント)
なかなか含蓄のある言葉である。実際の人間を観察してみても、 そういう傾向が多いのではないか、と思われる。 だが、そうはいっても、大声で気合を入れて突っ走らねば、未来が開けぬときもある。

》あさましきもの(2)

良心の痛みをあまり感じない。 ――人類に対する自分の意義を口にのぼせる人は、卑近な市民生活上の正しい振舞い方に関しては、 契約や約束を守らなくても、あまり良心の痛みを感じない人物である。

――『人間的・1』522

(コメント)
ニーチェの視線の鋭さを感じるくだり。もっとも、良心の痛みを感じない人物は、 このくだりに反応しない人物でもある、と思われる。

》とらわれしもの(1)

理想主義者と嘘吐き。――きわめて素晴らしい能力ではあるが―― 事物を理想にまで高めるという――その能力に暴君的支配を許してはならない。 さもないと他日、真理がこう悪態をつきながら、我々から離れていってしまうであろう。 「お前は、途轍も無い嘘吐きだ。私はお前なんぞと何の関係があろうか」と。

――『人間的・2』345

(コメント)
人権擁護法案の根底に通ずる危うさ。真理を求め、理想を求めるその道に、潜む魔物であるか。 純粋という事の、時として途方も無い邪悪に変ずる瞬間を捕らえる手がかりとなるであろうと思った。 正義と邪悪との、区別の付きにくさを思う。

》とらわれしもの(2)

空虚になる。 ――色々な出来事に関わりすぎると、ますます自分の力が残り少なくなってゆく。 だから、大政治家達は、全く空虚な人間になる事がある。 それでいて彼らもかつては充実した豊かな人間であったかも知れないのだ。

――『人間的・2』315

(コメント)
最近の汚職事件を思う。 むしろ、この傾向は官僚にこそ普遍的なのかも知れない。 平凡な人生を平凡に生きる、ということの難しさに思い至る。

》はるかなるもの

私は君達に隣人愛を勧めるだろうか。 否、それよりはむしろ私は君達に、隣人を避けることを、そして遠人愛を求める! 隣人愛よりも高いものは、最も遠い者そして未来の者に対する愛である。 人間の愛よりももっと高いものは、問題事象に対する愛、幻想への愛である。

――『ツァラトゥストラはかく語りき・1』「隣人愛」

(コメント)
人類を進化させるのは、このような愛かも知れない。 物語をものがたりながら、もう少し考えてみたい箇所である。

》はたらくもの

働き者だけを友人とせよ。 ――怠け者を友人にすると危険である。というのは、怠け者はあまりする事が無いので、 友人達のする事なす事をあげつらい、しまいには干渉してきて厄介な人物になるからである。 だから、働き者とだけ友情を結んだほうが利口である。

――『人間的・2』260

(コメント)
人間関係におけるギクシャクの因子を、ずばりと突いたくだり。 人間の間だけではなく、国家関係にも応用が利くのではないだろうか?と意地悪く考えてみた。

》なやましきもの(1)

半可通。――半可通は、全知よりも圧倒的勝利を博する。 それは事物を実際よりも単純に掴まえるから、それでその意見の方が通りやすく、 また説得力が強くなるのである。

――『人間的・1』578

(コメント)
ノストラダムスの大予言や陰謀論などが、まさしくそうではないだろうか? しかも面倒な事に、そういう話のほうが往々にして面白く、よく出来たお話は実際に世の中を動かしてしまう。 この「半可通」の心理は、マスコミが使う手法でもあると思われる。 だが、逆に見れば――マスコミが提供するのは、所詮、「半可通」の情報でしかない、という事なのだ。

》なやましきもの(2)

なぜ反論を唱えるか。――ひとはよく、或る意見に反論を唱える事がある。 ところが本当は、その意見の述べられた調子が気に入らないだけなのである。

――『人間的・1』303

何によって知恵は測定されうるか。 ――知恵の増大は、不機嫌の減少によって正確に測定されうる。

――『人間的・3』348

(コメント)
これらの論理はセットで考えたい箇所であったので、ここでふたつ続けて並べてみた。 確かに人の意図が推し量れないときは、しばしば不安になる。いわんや、読書においてをや。 だから、それゆえに、本文(=メインコンテンツ)よりも、 あとがきやはしがき(=サブコンテンツ)に目が向く、 という事もあるのだろう。「半可通」ともつながる箇所であると思う。

》闇(くら)きもの

気の小さい連中。――ほかでもない、不器用で気の小さい人々こそ、 えてして、殺害者になりやすいものである。 彼らは、小さな目的にかなった防御や復讐の心得がない。 精神や沈着な気持が欠如しているために、彼らが憎悪すると、 絶滅という方策を採るしかなくなるのである。

――『曙光』410

世界の破壊者。 ――この人物は、何かがうまくゆかないと、最後には腹を立ててこう叫ぶ。 「世界中全部が滅びてしまえばいいのに」と。 この嫌悪すべき感情は、次のように推論する嫉妬心の絶頂なのである。 すなわち、私は在るものを所有できない。だから世界中全部に何ものも所有させたくない。 世界中全部が無くなってしまえばいいのだ、と。

――『曙光』304

自惚れの兆候としての同情要求。 ――癇癪を起こし、他の人々に侮辱を加えておきながら、 その際第一に、自分の事を悪く取らないでもらいたいと要求したり、 第二に、こんなに烈しい発作に襲われたのだから自分に同情してもらいたいなどと 要求したりする人々が居る。人間の自惚れは、それほどまでになるのである。

――『人間的・1』358

(コメント)
これらの論理は、物語に応用したい箇所であった。多少オカルトっぽくなるが、 例えば、知らずサタンに魅入られ、サタンにいつの間にか利用されてしまう人物像というのは、 上のようなものだろうと思われる…逆恨みにもだえ、 それによる復讐に身を捧げる時、人は、サタンの名のもとに自らの意思を失ってしまうのだ。 ――そして自らの運命も。それは、傍目にはとてつもない成功と見えても、 その裏に、すさまじい魂の破滅と腐敗を潜ませているのかも知れない。 魂とは、腐るものなのだ――と、思う。

》ゆるぎなきもの

信頼と親密。――ほかの誰かとの親密さを故意にかちえようとする者は、 その相手の信頼を得ているかどうかに自信が無いのが普通である。 信頼に自信のある者は、親密さにあまり重きをおかない。

――『人間的・1』304

(コメント)
ストーカーに変化してゆく不安な心理を、ずばりと突く箇所。 もっとも、ここまで人間観察をするニーチェというのも、相当なものであろうと思うが…

》浮き沈みするもの

二種類の平等。―― 平等欲は、次のような仕方で現れることがある。つまり、他の人を全部自分のところにまで引きずり下ろしたがるか (ケチをつけたり、闇に葬ったり、妨害したりして)、あるいは他の人全部と一緒に自分を引き上げたがるか (称賛したり、援助したり、他人の成功を喜んだりして)、そのいずれかである。

――『人間的・1』300

(コメント)
一番、呆然とさせられた箇所。人間は平等を求める生き物であるが、 平等という概念は単純ではないことに気付かされる。 物語に登場する人物関係の変化を語るときに、応用したい箇所である。

》奥義なるもの

日常の尺度。 ――極端な行為は虚栄心に、平凡な行為は習慣に、 瑣事に囚われる行為は恐怖心に基づくものと見れば、めったに間違わないであろう。

――『人間的・1』74

(コメント)
苦笑させられたくだりである。この「日常の尺度」が、所詮は世の中を動かすのである。 日常を極める事は、重要である!

》欲望するもの

光に向かって。――人間が光に向かって殺到するのは、もっとよく見るためにではなく、 もっとよく輝くために、である。 ――その人の前に居れば自分も輝くような人を、 世間の連中は好んで光と見なしたがるものである。

――『人間的・3』254

(コメント)
特にダークな視線を感じるくだりである。「それ」が永続する光であるか、 一瞬のはかない光であるかは、所詮、自らの感覚を総動員して見極めるしかない。 権力闘争、あるいは経済バトルの裏にある心理を、まざまざと描きだした箇所であると思う。

》友なるもの

友人。――共に悩む同情ではなく、共に喜ぶ事が友人をつくる。

――『人間的・1』499

……君は奴隷か。そうだとしたら君は友人となる事は出来ない。 君は暴君か。そうだとしたら君は友人を持つことは出来ない。

――『ツァラトゥストラはかく語りき・1』「友人」

(コメント)
含蓄のあるくだり。 物語において、主人公をめぐる人物関係をものがたるときに、応用したい箇所。

》語りだすもの

我々の体験の解釈者として。 ――すべての宗教の開祖とかその類の連中には、一種の正直さが無縁のものであった。 ……自分の体験を基にして、認識問題を良心的に追究することなど一度もやらなかった。

「一体私は何を体験したのか。あのとき私のうちで、また私の周囲で何が起こったのか。 私の理性は、十分明晰であったか。私の意志は、感官のあらゆる欺瞞に抵抗していたか、 そして空想的なものを斥けることにおいて勇敢だったか」 ……このように問う事など、今日でもなお、全ての気の毒な宗教人はやっていない。 彼らはむしろ理性に反するような事物への渇望を抱き、それを満足させる場合に、 ……彼らは「奇蹟」とか「再生」とかを体験し、天使の声を聞くのである!

だが、我々は別種の人間であり、理性に渇望している者であって、 我々の体験を厳密に見つめようと思うのである。 その有様たるや、学問的な実験の試みを見つめるのと似ていて、 一時間ごと、また一日ごと、これを見つめるのである! 我々は、自分自身を実験台にし、自分を実験用動物にしようと思うのである!

――『知識』319

(コメント)
長いくだりであるが、神々や妖怪も含まれている物語をものがたる上での自戒として。 ――それでも、木洩れ陽の移ろいや水のせせらぎを命あるものの声と感じ、 この世ならざるものの気配をまざまざと描き出してしまうという傾向は、 本能のようなものであり、いかんともしがたいのである。

》伝承するもの

親方と弟子。――できの良い親方は、弟子達に向かって、 おれをあまり信用しすぎるなと注意するものである。

――『曙光』447

(コメント)
「おれを絶対崇拝するように」という親方は、できの良くない人間であるという事なのか? ピリリとしたユーモアを感じるくだり。

》思索するもの

思索者の廻り道。――何人かの思索者にあっては、彼らの思索全体の歩みは、 厳格で、仮借なく、大胆で、それどころかときには、自分に対し残酷でさえある。 けれども、個々の場合、彼らは穏やかであり、また柔軟である。 彼らは、一つの事象のまわりを、好意的ためらいを持ちながら10回も廻るが、 しかし結局彼らは、その厳格な道をさらに歩んでゆく。

それは、多くの屈折を持ち、人里離れたひそかな隠れ場所を持った、大河である。 その流れの中には、大河が自分自身とかくれんぼ遊びをしたり、 島々や樹々や洞窟や滝などで短い田園詩を作り出したりするような場所がある。 そしてそれから大河は再び、岩のそばを通り過ぎ、 この上なく堅い岩石をもあえて貫流して、さらに流れ続けてゆく。

――『曙光』530

思索者の社会から。 ――生成の大海の中で、われわれ冒険者にして渡り鳥である者たちは、 小舟よりも大きくない一つの小島の上で目を醒まし、ここでほんのしばらくの間あたりを見廻す。 できるだけ急いでまた好奇心を一杯にして、である。 ……急に風が吹いて我々を吹き散らすかも知れないし、 あるいは急に波が小島の上に押し寄せて我々を洗い去ってしまうかも知れないし、 こうして我々のうちの誰一人としてその小島の上に居なくなってしまうおそれがあるからだ!

けれども……この小さな場所の上で、我々は、ほかの渡り鳥を見つけもするし、 また以前の渡り鳥のことを聞いたりもするのである。 ――こうして我々は、悦ばしげに羽ばたき合い、さえずり合いながら、 認識と推測の素晴らしい数分を過ごし、その後で、大海それ自身にも劣らない誇りを抱きつつ、 精神上の冒険を求めて大海の上へと出かけてゆくのである。

――『曙光』314

狼狽に反対して。 ――いつも深く仕事に打ち込んでいる者は、どんな狼狽をも超え出ている。

――『知識』254

(コメント)
ニーチェ思想の中で、気に入った三つのくだりである。 これらの箇所を長いと見るか短いと見るかは分からないが、 この部分は、ニーチェがものがたる、思索者の物語であると思った。

》いと深きもの

……すべて深いものは仮面を愛する。 それどころかこの上なく深いものは、自分の映像や肖像を撮られる事を憎みさえする。 もしかしたら、全く反対の姿に化ける事こそが、まず何よりも、 おのれを羞恥して神がまとう適切この上ない変装なのではないだろうか。……

……すべての深い精神は仮面を必要とする。いやそればかりではない。 すべての深い精神の周りには、絶えず仮面が生じてくる。 というのも、彼の発する一語一語、彼の足取りの一歩一歩、 彼の示す生活の兆候の一つ一つがみな、絶えず誤った、つまり浅薄皮相な解釈を蒙るからなのである。――

――『善悪』40

(コメント)
最初、これを読んだとき、 これが能狂言にまつわる、あの厳格なまでの人形性や仮面性の謎に対する、 適切なコメントであると思った。 ――それと同時に、世阿弥の生きた中世日本という世界の深淵をも暗示しているのではないか? という予感に、衝撃を受けたのである。もっとも深い印象を受けた箇所であり、 また、当サイトのメインテーマを決めるときにも大きな影響を及ぼしたくだりである。

》想念するもの

「真の世界」が、たとえどのようにこれまで構想されてきたとしても、 ――それはいつも、またしても仮象の世界であった。

――『力』566

(コメント)
真理の遠さに絶望する――と見るかどうかは不明である。 「真の世界」とは、心を以ってしても見えない世界ではないだろうか。 通常の思考が破綻する特異点にして、境界。 当サイトの物語では、この「真の世界」というものを、 「根源の底(ニイルスク)」として構想しようとしている。それもまた、仮象の世界なのだ。

》かぎりなきもの

世界は無限に解釈可能である。どの解釈もみな、成長か没落かの徴候である。 統一性(一元論)は、惰性の欲求である。解釈の多様性こそ力の徴候である。 世界の不安な謎めいた性格を否認しようとしてはならない!

――『力』600

(コメント)
歴史を考察するときの、もっとも望ましい姿勢であると思われた。 この物語もまた、歴史を考察しながらのファンタジーというカテゴリに入るので、 特にこの点を考慮しながら物語ってみたいと思う。

》憂えるもの

自殺を思うことは、強力な慰めの手段である。 それによって人は、いくつかの辛い夜をどうやら乗り越えたのだ。

――『善悪』157

(コメント)
ドイツ詩「ゲルマニア」の解釈ともつながるものであるが、死の運命とはすなわち、重い幸福である。 …まじろぎもせずに死の運命を見つめ続ける事もまた、「真の生」である。


一部抜粋、順不同、適宜編集/渡邊 二郎編、平凡社、ISBN:4-582-76551-3

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