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― Book of Job ― ヨブ記・私観

君はプレアデスの鎖を結ぶことができるか。
オリオンの綱を解くことができるか。
君は十二宮をその時にしたがって
引き出すことができるか。
北斗とその子星を導くことができるか。
君は天の法則を知っているか。
そのおきてを地に施すことができるか。
―― 旧約聖書『ヨブ記』第38章31―32節

プレアデスの鎖

旧約聖書・新約聖書は、人間の物語として第一級のものであり、 そのプロットや、深い意味を暗示させる言葉の選び方・連ね方において、学ぶところが大いにある。

一見、親しみにくい印象をまとう『聖書』の物語群の中で、 特に惹かれるところの多かった物語がこの『ヨブ記』であった。 この物語は、さらっと一読みした程度ではなかなか飲み込めない、複雑な起伏を連ねている。

ストーリー自体は単純なもので、以下のようになっている。

  1. 善人ヨブは、神と悪魔の賭けに巻き込まれたために度重なる不運に襲われる。
  2. ヨブの不幸の原因は、「ヨブの知られざる罪にある」と友人に非難される。
  3. ヨブはついに神との直談判に及ぶが、顕現した神に圧倒される。
  4. ヨブの潔白は明らかになり、友人は虚言を以ってヨブを非難したことについて弁償する。

このような筋を辿って、最後には、万事めでたしで終わる――というものとなっている。

詳しく見ていくと、友人の非難とヨブの反論の様子が、非常に多くのページを費やして書かれてある。 作者がこの部分の描写に情熱を込めた理由は不明であるが、身に覚えの無い事で非難されたり、 特にこれといった理由も無くいじめられるという事は、現代でも起きている事実である。

『ヨブ記』の作者もまた、こうした苦い人生の修羅場をくぐってきた人物であろうと推測されるのである。 (このような心理ドラマとも思える場面を描写する事自体、古代においては天才的な仕事だったのではあるまいか。)

また、ストーリー構成においては、神顕現の直前にエリフという人物が突然登場し、 重ねてヨブを非難するという不思議なくだりがある。 このくだりは後世の人による加筆の可能性もあるが、この挿入によって、 ヨブが神との直談判に及ぶという決定的な局面が、より精彩を増しているように思われる。

この『ヨブ記』は、数々の作家にインスピレーションを与えたらしい。 ゲーテはこの『ヨブ記』から『ファウスト』を編み出したと言われている。 ニーチェにも、『ヨブ記』から引き出したのではないかと思われる思索がある。 ユングの著作でも『ヨブ記』に関するラディカルな言及があるが、これはまた別の話である。

――さて、『ヨブ記』最大のハイライトは、ヨブの直談判に応えて神が弁論するところである。

実に『ヨブ記』全体の半分がこの神の弁論に費やされており、作者の並ならぬ入れ込みようが伺える。 信仰篤き古代社会において、神の言葉を一作品に連ねる事は、ある意味「恐れ」を伴った作業であったに違いない。

神の弁論は膨大な行数にわたるのであるが、(この辺りはずい分しつこい、という感が無いでもない) ――特に印象の強い数行が、冒頭に引用した「プレアデスの鎖」のくだりである。

君はプレアデスの鎖を結ぶことができるか。
オリオンの綱を解くことができるか。
君は十二宮をその時にしたがって
引き出すことができるか。
北斗とその子星を導くことができるか。
君は天の法則を知っているか。
そのおきてを地に施すことができるか。

実に神の要点は、ここに尽きるのであろう。――君は、この宇宙を変えられるのか。

私見ではあるが、ヨブは、人生の苦難に疲れ、修羅の顔をしていたはずである。

唐突な神の出現、不意に訪れる救いを不自然なものと見るかどうかについては様々であろうが、 こういった現象は、人生の地獄を辿ってきた者にとっては、自然な物語と映るのでは無いだろうか。

『ヨブ記』の作者が物語ってみせたヨブの激情の移り変わり、 むしろそのすっきりとした語り口のすごさを今に忘れがたい。 ヨブから神へ向かって放射された激情は、再びヨブの身体の中に収斂し、 それがみるみるうちに浄化され、「救い」となって花開いたのだ。

絶望が救済と入れ替わるという事の重さ――これは『ヨブ記』の作者の描いてみせた、 一人の人間の救済の、究極の姿であったのだと思う。

目に見えぬ神に向いて

畢竟、『ヨブ記』は異国の物語である。

『聖書』に殆ど縁の無い地において『ヨブ記』を読むのであるから、 印象の食い違いが大きくなったであろう事は否めない。 (しかも、個人的にも読みが浅い事は確かである。登場人物の名前すら覚えていられないのだから)

いずれにせよ、『ヨブ記』の作者は、古代社会が伝承してきた“神なるもの”の影を描ききってみせた。

はるかな高みへの尽きせぬ探究心が切り取ってみせた「悠遠なものの影」であり、 代を重ねて深淵の奥にあるものを究尽(ぐうじん)し、伝承されたし――と望まれた「何か」であった。 遠くはるかな人々へ捧げる物語として、『ヨブ記』は書かれたはずである。

日本での『ヨブ記』の読みはどうなるのであろうか――という事については、 おそらくは、宮沢賢治に尋ねる事が出来よう。

――あすこにプレシオスが見える。おまえは、あのプレシオスの鎖を解かなければならない――

宮沢賢治の物語、『銀河鉄道の夜』の最終場面に見える、ブルカニロ博士の言葉である――

『銀河鉄道の夜』のプレシオスを以って『ヨブ記』のプレアデスに比することは容易であるが、 物語として受け取るとき、その象徴は複雑に錯綜する。 したがって、各人それぞれの「プレシオス」であり、「プレアデス」であって良いのである。 それは、“悠遠なるもの”の影だからである。

最後になったが、神がヨブの直談判に応えたのは、ヨブにそれだけの資質があったからとも言えよう。

目に見えぬ神に向いて恥じざるは人の心のまことなりけり――明治天皇御製

この清明心に徹する事無しには、複雑な人生の道をあやまたず踏みゆく事は出来ないのであろう。


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